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【陸奥】白河結城氏を語るスレ

1 :人間七七四年:2009/01/07(水) 20:13:51 ID:1SMiRCV0.net
南北朝期の威光もどこへやら

2 :人間七七四年:2009/01/07(水) 21:30:56 ID:Vls7zT9o.net
2?

3 :人間七七四年:2009/01/07(水) 21:32:02 ID:MIN3jAFX.net
不説斎の名に恥じぬしぶとさだったが

4 :人間七七四年:2009/01/08(木) 00:35:32 ID:MwMYT+iT.net
伊達家一門末席

5 :人間七七四年:2009/01/08(木) 02:32:44 ID:HqWnEjfE.net
南北朝期から戦国前期は奥羽で一番影響力あったのにな

6 :関連スレ:2009/01/08(木) 09:45:37 ID:Gda1uAFM.net
政朝・政勝・晴朝・朝勝ら下総結城氏を語る
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1212098363/


7 :人間七七四年:2009/01/08(木) 18:21:55 ID:k8oCcEdh.net
義親は晴綱の嫡子です
家督簒奪などしていません
義顕側のでっち上げです

8 :人間七七四年:2009/01/08(木) 20:07:18 ID:zx7zh/8V.net
東国の戦国合戦(吉川弘文堂)に結構詳しく出てるな

9 :人間七七四年:2009/01/09(金) 08:54:03 ID:UZ5nwWis.net
葦名だったら
三浦一族で調べてみたら良いよ。
あと七宮とか言う著者が葦名一族って本出してような。
この著者の先祖は葦名旧臣でのち伊達に鞍替えしたらしい。

10 :人間七七四年:2009/01/10(土) 00:56:48 ID:T/e6eQzI.net
【戦争の日本史シリーズ】
『東国の戦国合戦』市村高男(吉川弘文館:刊)

11 :人間七七四年:2009/01/12(月) 14:20:35 ID:WeZVj60p.net
白河結城の家臣ってどんなのがいたの?
調べてもあんま出てこないんだけど

12 :人間七七四年:2009/01/16(金) 02:35:43 ID:nm5fRpd4.net
>>11
斑目広基と和知直頼は抑えておくべき。

13 :不説斎ってどお?:2009/01/23(金) 11:31:27 ID:K2tpCXCv.net
>>1さんへ。
スレ立てサンクス。初めてカキコしますね。

>>11-12さんへ。
和知は白川家の重臣で、佐竹などと書状の遣り取りをしているよ!!

14 :人間七七四年:2009/01/24(土) 14:35:21 ID:pv7c5wjY.net
>>11さんへ

親朝注進状に載っている家臣
 班目周防守惟秀(鶴生)、舟田三郎左衛門尉高衡(舟田)、競石江左衛門尉祐遠(双石)、和知三郎兵衛尉朝康(泉崎)、白坂治部左衛門尉祐長(白坂)・・・

奥州白川庄大村郷刑部阿闍梨明尊二所熊野壇に載っている家臣
 班目周防守、斑目信濃入道、江因幡入道、白坂近江守、角田五郎兵衛尉、角田将監入道、芳賀大学助、和知和泉五郎、中木曾中務丞、盤沢橘之助、
 岡部大炊助、羽田次郎兵衛尉、秦左衛門尉、深谷蔵人

親朝上洛日記に載っている家臣
 白石大学助、芳賀五郎、清内左衛門尉、和知兵衛尉、小屋家出雲守、班目橘次、和知源三、芳賀刑部左衛門、黒木五郎、舟田兵庫助
 
親朝上洛日記(白川熊野御参詣之御供人数)に載っている家臣
 江石見守、芳賀五郎、和知源三、班目橘次、清内左衛門尉、山本小三郎、井残将監、馬舟大炊守、和知和泉守、玉井式部丞、桜岡民部丞、桜岡主殿助、
 江左京亮、伊香入道、山田筑後入道、弁王入道、小屋家出雲守、和知兵衛、舟田兵庫、黒木五郎、白石大学、白石刑部大輔、白坂甲斐守、
 鉾山帯刀左衛門尉

 ※ 鉾山の「鉾」:本来の字は金偏がない。

鹿島神社一万句発句に載っている家臣
 山井左衛門助政弼、田川常陸介立朝、原兵部少輔政広、白石治部大輔直家、班目安芸守直基、田代下総守親満、小峯三河守直常、小峯中務少輔政親、
 新小萱刑部大輔道秀、大田和民部大輔直広、平山右馬助直家、和知美濃守直秀、舟田美作守直衡、中村左衛門尉朝宗、江石見守直秀、斑目信濃守禅喜、
 芳賀越後守直高、芳賀備中守政清 

15 :人間七七四年:2009/01/24(土) 15:00:46 ID:pv7c5wjY.net
続き

白河義親公御礼式帳に載っている家臣

 北讃岐守、田川民部大輔、飯村薩摩守、原下野守、白川右兵衛、栃本右衛門、飯村源次郎
 和知美濃守、和知右馬之助、斑目左衛門太夫、芳賀越後守、舟田左衛門尉
 小針山城守、穂積大学、穂積右兵太夫、山井右馬之介、船尾山城守、芳賀遠江守、中畑大学介、中畑左衛門佐、
 芳賀出羽之助、芳賀中務少輔、中村下野守、班目信濃守、班目兵庫之介、深谷伊豆守、深谷半七、和知大炊右衛門、
 矢葺左衛門尉、川原田下総守、川原田大膳之介、石井遠江守、石井隼人佐、木ノ内若狭守、三森安芸守、大田和右馬之助、
 白石刑部少輔、芳賀図書、和知周防守、白石主膳正、深谷修理亮、芳賀右近、芳賀弾正忠、・・・・・・。

 もっといっぱい書かれているが疲れたのでここでやめます。
 なお、この文書は天正13年の頃の文書とされているが、偽書の疑いもあるようです。


16 :人間七七四年:2009/01/24(土) 15:16:03 ID:pv7c5wjY.net
 仙台藩にいった白河氏に取り立てられた旧臣

  和知左馬之介の孫頼継→和知源太左衛門頼胤
  班目            →斑目太郎左衛門基茂
  渡辺左馬之介の子孫 →渡辺良助在賢
  佐藤信重?       →佐藤六左衛門信賜
  遠藤備中守次男貞信 →遠藤七右衛門定形
  小針孫右衛門の子? →小針孫右衛門頼生
  

17 :人間七七四年:2009/01/31(土) 19:43:21 ID:cy2nWMcW.net
わざわざどうもってか悪いけど、
戦国期の家臣はわかるかな?

18 :人間七七四年:2009/02/07(土) 20:58:28 ID:k/UsLduP.net
15で書いた「白河義親公御礼式帳」に載っている家臣などが戦国期の家臣ですね。
ただ、この書類は江戸時代になってから書かれている可能性がありますので、扱いは注意しないといけないかもしれませんね。


19 :人間七七四年:2009/02/18(水) 15:38:11 ID:MN+DABz7.net
佐藤忠秀は仕える主君さえ間違わなければ
名将になれただろうに

20 :人間七七四年:2009/03/07(土) 11:19:50 ID:ziG7TgrU.net
あげ

21 :人間七七四年:2009/05/24(日) 02:59:00 ID:N7Wh67HM.net
うちの田舎はちょっとした家だとみんな結城宗広の子孫だと自称する…

まぁ、俺もそうだったらいいなーとは思ってるけど笑

22 :人間七七四年:2009/07/02(木) 02:36:27 ID:OewS63RT.net
佐竹スレで義親の話題で盛り上がってるのに…

過疎age


23 :人間七七四年:2009/07/04(土) 08:08:59 ID:50v9Tbex.net
白河結城氏朝 > 下総結城氏朝

24 :人間七七四年:2009/08/14(金) 19:05:20 ID:BDxJsXFj.net
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25 :人間七七四年:2009/08/14(金) 19:07:21 ID:BDxJsXFj.net
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26 :人間七七四年:2009/08/17(月) 03:16:39 ID:OD8G2wXN.net
過疎スレで聞いてもしょうがないとは思うけど
重臣の和知直頼とその一族っぽい常頼は同一人物って考えていいの?
白河市史で何の説明もなく普通にそう扱われてる部分があるんだけど

27 :人間七七四年:2009/08/17(月) 03:26:07 ID:OD8G2wXN.net
燃料にならんと思うけどもう一つ話題を

軍師の佐藤忠秀が進言したという白河城を空にする計略で、
領主に見捨てられたと思い込み佐竹勢に怯えた民衆が山中に逃げ惑って
領内は惨憺たる状況だったとか
結局この計も大して役に立たなかったし、
佐藤忠秀は軍師として優秀だったのか疑問に思う

28 :人間七七四年:2009/08/17(月) 13:28:06 ID:LDV8tq7d.net
白河城っていつごろまで居城として機能していたのだろうか
白川宗家と小峰家の統合により居城も小峰城へと移っていったようだが

29 :人間七七四年:2009/08/17(月) 14:37:31 ID:OD8G2wXN.net
不明。
本拠が小峰城に移ってからも
しばらくは支城として機能してたかもね

30 :人間七七四年:2009/10/12(月) 09:02:51 ID:5PFiUBtP.net
通字は「朝」「義」「綱」? 候補が多すぎて分からんぞ。

31 :人間七七四年:2009/10/12(月) 09:31:09 ID:AMWbc57K.net
>>14-15
芳賀姓多いな
高が入ってるし下野芳賀氏と同族?

32 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/10/13(火) 06:21:52 ID:KxsNviKx.net
所ジョージとか。

33 :人間七七四年:2009/11/01(日) 10:52:13 ID:jpi/XZr2.net
藤原秀郷の嫡流ですね

34 :仙台藩百姓:2009/11/01(日) 23:57:57 ID:bvpqFiLF.net
嫡流はないでしょお( ^ω^)
小山氏の庶流が結城氏で、結城氏の庶流が白川結城氏だし

35 :人間七七四年:2009/11/04(水) 00:06:38 ID:3AXxCOco.net
関ヶ原の時
結城秀康は白河のどこにいたの?

36 :人間七七四年:2009/11/04(水) 07:56:38 ID:QiS4PCuE.net
>>34
小山氏も本家結城氏も断絶したんだから白河が嫡流だろ

37 :人間七七四年:2009/11/04(水) 08:21:53 ID:H7ygVC19.net
>>35
白河?上杉配下じゃねーよバァカ

38 :人間七七四年:2009/11/04(水) 13:24:54 ID:1/nhXfOQ.net
↑キチガイ上杉厨は巣から出てくんな

39 :人間七七四年:2009/11/05(木) 11:05:40 ID:+JPa74/X.net
か…上杉…?

40 :仙台藩百姓:2009/11/05(木) 11:10:53 ID:8grwAZIw.net
>>35
白河じゃなくて宇都宮でしょお( ^ω^)

>>36
小山氏は断絶してないお( ^ω^)
子孫は小山にいるお

41 :人間七七四年:2009/11/05(木) 15:12:40 ID:W+/wCnkC.net
途中から嫡流になった。
後醍醐天皇が決めたんだよ。
結城宗広、親光親子の忠孝をたたえて。

42 :仙台藩百姓:2009/11/05(木) 17:13:40 ID:8grwAZIw.net
それは結城氏の宗家になったと言う話しであって小山氏の嫡流になったわけではあるまいお( ^ω^)

43 :人間七七四年:2010/05/16(日) 22:47:05 ID:1IZ1CqFa.net
白河主殿の妻・浅岡(芦名氏)


44 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/05/17(月) 23:19:31 ID:S4Vi6rxR.net
いま気付いたが、結城と小山の間に庶嫡の意識はないんじゃなかろうか。

45 :人間七七四年:2010/05/22(土) 21:54:05 ID:nTTyVgHx.net
>>44
元々は結城・小山とも八田の分家で(小山が四男、結城が7男そのため嫡男が小山小四郎と結城七郎を襲名)、一応初めは小山が上だったが、謀反を起こして小山が滅び結城から継いだため逆転、その後結城合戦で結城が滅び小山が再逆転。
結局小山はいつのまにかなくなり、結城は越前松平に発展的解消を遂げた。
 一方白河結城も江戸時代伊達の一門として存続したが、「白川七郎」とやはり七郎を名乗っていた。
結論から言うと庶嫡といってしまうと両方庶流で、兄の小山が最初は上だった。しかし幕府での権威はかなり早い段階で結城の方が上回っていたのも事実

46 :仙台藩百姓:2010/07/06(火) 17:54:07 ID:uw/tIlgd.net
ふむ、道理であるお( ^ω^)
それにしても下総結城は松平復帰の為に廃されるなんてとてつもなく屈辱だったおうね( ^ω^)

47 :人間七七四年:2010/07/06(火) 19:15:45 ID:3RR+ZAhz.net
保科さんみたいに残してくれませんでした。家来らは越前、播磨、出雲、武蔵、越後、美作に散りました

48 :仙台藩百姓:2010/07/07(水) 12:05:11 ID:0sir0gMA.net
小峰城は次々復元計画が進んでいるけど
白河城は訪れる者はマムシぐらいなもので憐れですお( ^ω^)

49 :人間七七四年:2010/07/17(土) 16:22:18 ID:ug/uo56U.net
だって白川城は史料が少ないし

50 :仙台藩百姓:2010/07/31(土) 08:49:36 ID:Y2SoGSyF.net
そうなのかお( ^ω^)
戦国時代もたけなわになると白川氏の居城も小峰城に移ったし
白河城は何度も落城してるからそれほど堅固な城でもなさそうだけど( ^ω^)
なんとなく赤館の縄張りと雰囲気が似てる気がしたお( ^ω^)

51 :人間七七四年:2010/09/04(土) 11:40:14 ID:qQ7EO7IY.net
義綱の事跡についての史料が少ないな…
子の晴綱は豊富なんだが義綱と混同されてるのか?

52 :人間七七四年:2010/09/09(木) 22:15:25 ID:QLokPWA9.net
「白河市について徹底的に考えるスレ」が消えてしもうて漏れは悲すい。

53 :人間七七四年:2010/09/10(金) 20:39:58 ID:bj6hkdoC.net
義親が顕頼の子だったら
顕頼が60〜70代くらいの時にできた子供になるな
戦国時代にそういうのは珍しくないのかもしれんが

54 :人間七七四年:2010/10/23(土) 21:05:28 ID:pCRSUnQj.net
結城義親って愛姫との婚姻を所望してたらしいな
田村と組んでいたら、またどうなっていたんだろうな

55 :人間七七四年:2010/10/28(木) 22:03:56 ID:+jSxQNxW.net
それは初耳だな>愛姫との婚姻を所望

56 :人間七七四年:2011/01/27(木) 22:02:51 ID:qGABm7q3.net
晴綱は名君だったでFA?

57 :sage:2011/02/04(金) 17:48:54 ID:UYWba3vj.net
白河結城氏の当主って現存するの?

58 :人間七七四年:2011/02/07(月) 01:32:06 ID:oCEWZi5Q.net
現存してたらすげえよ

59 :人間七七四年:2011/02/08(火) 02:59:33 ID:pDDoeb5S.net
ああ、子孫のことか
それなら嫡流も仙台白河も立派に現存してるが

60 :人間七七四年:2011/02/10(木) 00:06:29 ID:AvgdcNpC.net
心理学者の故・結城錦一氏が白河結城氏の子孫で、先祖の研究もしているな

61 :人間七七四年:2011/03/06(日) 22:35:55.35 ID:R41JcjRi.net
故・錦一氏の子孫っているの?

62 :人間七七四年:2011/03/08(火) 23:13:00.74 ID:2t7Jpcgf.net
>>61
たしかお孫さんも心理学者をやってる


63 :人間七七四年:2011/03/11(金) 12:01:32.22 ID:ySz+7B+V.net
錦一氏が伝来の結城家古文書90点を市に寄託し、市が集古苑を建てて収納。
息子が相続し、すべてが国指定の文化財となり、市に寄贈した。

64 :人間七七四年:2011/03/11(金) 12:03:41.23 ID:ySz+7B+V.net
↑ 誤「文化財」
  正「重要文化財」

65 :人間七七四年:2011/03/11(金) 12:13:33.73 ID:ySz+7B+V.net
>>63
誤「市」
正「白河市」

再訂正スマソ

66 :人間七七四年:2011/03/15(火) 16:28:57.59 ID:It8uUn8a.net
白河小峰城の石垣が地震で崩れたらしい。程度はわかりませんが。

67 :人間七七四年:2011/03/31(木) 23:54:14.75 ID:7IrkBXfV.net
あの、
白河小峰城の立派な石垣が崩壊してる写真を見た。 想像を超えてがっくし来た。

俺は白河市民ではないが、
日本に残っている素晴らしいお城を見ると、
なんか誇らしい気持ちになる。

お城って、そういう大事な何かを支えてくれている存在だったんだと、
初めて気がついた。

浅はかだとは思うけど、
白虎隊の気持ちがほんのチョットだけわかった「ような」気がした。

68 :人間七七四年:2011/04/01(金) 11:40:13.28 ID:1U7x4CC0.net
白河小嶺城は模擬天守?

69 :人間七七四年:2011/04/06(水) 06:44:12.63 ID:6rroofJY.net
復元天守だよ

70 :人間七七四年:2011/04/23(土) 06:08:59.70 ID:G1YbgkQO.net
検索して写真見たら
かなり広範囲にわたって崩落したみたいだね>小峰城の石垣
白河は金ないし復元は相当先になるかな

71 :人間七七四年:2011/04/29(金) 22:05:29.23 ID:m6+F4s4Z.net
小峰城は国指定史跡になったばかりですが、補修・再建費用は国が出さないのでしょうか。
法律上はどうなっているのでしょうか。

一方、宗広の居城だった白河搦目城跡の記念碑や神社などは、すべて完全に倒壊したそうです。


72 :人間七七四年:2011/05/15(日) 14:14:44.95 ID:+HetDJnI.net
人の生活する場の復興が優先だろうから
城はこの先10年くらい放置されるかもな

73 :人間七七四年:2011/05/17(火) 01:08:21.22 ID:IorK0yVD.net
小峰城は国指定史跡だから、完全復元しなければならない。
「復元」には元通りに石を積まなければならないので、調査だけでも何年もかかるんじゃない?

復元費用は国が7割、市が3割負担かな。
何億もかかるだろうから、そんな金は貧乏白河市は出せない。どうするんだ。


74 :人間七七四年:2011/05/31(火) 21:38:03.72 ID:/VGmzQBn.net
なにげにかなり名門だよな

75 :人間七七四年:2011/06/10(金) 21:17:00.70 ID:hIOUsAkq.net
戦国期の小峰城の遺構はまったく残ってないのかな

76 :人間七七四年:2011/09/03(土) 16:50:50.71 ID:cWkHPO20.net
白河小峰城の修復費用概算で15〜20億円。国の補助金を得ながら進める。
5〜7年はかかりそう。

77 :人間七七四年:2011/10/03(月) 11:57:16.49 ID:ODZoXBzS.net
昨日、白河小峰城の石垣見学会があった。震災で石垣が崩れ、立ち入り禁止となっていたが、
ヘルメットを被って被害状況を間近に見ることができた。
誰でも参加できたので、一般市民が二百数十名が参加した。

78 :人間七七四年:2011/10/03(月) 11:57:54.93 ID:ODZoXBzS.net
昨日、白河小峰城の石垣見学会があった。震災で石垣が崩れ、立ち入り禁止となっていたが、
ヘルメットを被って被害状況を間近に見ることができた。
誰でも参加できたので、一般市民が二百数十名が参加した。




79 :人間七七四年:2011/10/03(月) 11:58:56.60 ID:ODZoXBzS.net
操作ミスで二重カキコごめんね。

80 :人間七七四年:2011/10/03(月) 12:29:43.65 ID:G7mOQqsH.net
白河氏→秋田藩士
小峰氏→仙台藩士
中畠氏→水戸藩士
であってる?

81 :人間七七四年:2011/10/13(木) 10:31:58.35 ID:F7db3KD5.net
義親系→仙台藩
義顕系→秋田藩
晴信系(中畠)→水戸藩
と言う感じ
白川と小峰に関しては色々と説があってよく分からない
白川と小峰は統合されていたとか、義親は初めから白川の後継者だったとか

82 :人間七七四年:2011/11/18(金) 09:05:59.72 ID:bKX6voGL.net
晴信って誰だ?
晴常じゃ

83 :人間七七四年:2011/11/21(月) 02:16:12.43 ID:GtvTFvH9.net
義親の家督簒奪を認めるかどうかだな
京や鎌倉は何か反応示してたっけ

84 :人間七七四年:2011/11/21(月) 23:18:00.45 ID:zURo4hl7.net
実際は簒奪なのか不明だけど

85 :人間七七四年:2012/02/24(金) 05:58:27.15 ID:ZL0zTiFC.net
下総の結城氏が結城合戦やった時、白河結城氏はどうしてたの?
味方して一緒に戦った? 敵対? 傍観?

86 :人間七七四年:2012/04/03(火) 23:14:32.18 ID:Ea6/0uY6.net
結城宗広の功で白河結城家に男爵与えてやよ明治政府
南部師行の子孫は爵位もらってたのに

87 :人間七七四年:2013/02/18(月) 00:59:36.09 ID:V4RWtAj8.net
戦国期の白河結城はほんとパッとしなかったよな
内紛だらけで佐竹やら伊達やらに振り回されっぱなし

88 :人間七七四年:2013/06/05(水) 17:53:44.35 ID:xORXMlgJ.net
晴綱の容姿は久保姫での一件では
「涼しげな美男」と言われてるんだけど、
具体的にそう書かれてる文献はあるの?ネットでしか見つからない

89 :人間七七四年:2013/10/19(土) 01:38:35.40 ID:u51JcbM5.net
年代的に考えると
義親は顕頼より義綱や晴綱の子と考えた方が自然だよね
義親が生まれた1541年は晴綱が義綱から
家督を譲られたかどうかってくらいの時期なのに
なんでとっくに隠遁してるはずの顕頼からぽっと子が生まれるのか

90 :人間七七四年:2013/11/13(水) 19:51:43.48 ID:RdZ3jC64.net
義綱の子と言うのが一番しっくりくるね

91 :人間七七四年:2013/11/14(木) 03:36:50.40 ID:ZRj0Xga6.net
晴綱でもいけるけどな
史料から推測すると義親とは20歳くらい年が離れてたようだし

92 :人間七七四年:2013/11/14(木) 13:44:08.85 ID:iixbMlTN.net
晴綱の弟もしくは晴綱の庶長子?と考えれば小峰家に養子入りした事や年代的にも自然だな
もっともこの時代は30歳ぐらい年の離れた兄弟も珍しくないし
義親の小峰家養子入りも実際は養子入りしなかっただの、小峰家自体が宗家と統合されていただの諸説あってさっぱり分からない
永正の乱以降の混迷ぶりはかなりのものだな

93 :人間七七四年:2013/11/15(金) 03:30:38.42 ID:ScfUm3JG.net
もし顕頼の子だったら、
義親にとって晴綱は親子ほど年の離れた年上の甥ってことになるな

94 :人間七七四年:2013/11/15(金) 04:08:27.69 ID:ScfUm3JG.net
それに義親には義雄や義名という弟もいるし、
その頃の顕頼は少なくとも60〜70歳にはなってるはずだから、
爺さん精力ありすぎだろwってことになる
まぁ、80過ぎてなお子作りに励んだ
本願寺の蓮如という化け物もいるけどさ

95 :人間七七四年:2013/11/20(水) 22:19:51.65 ID:OObMul0F.net
もう一個の白河スレは落ちた?

96 :人間七七四年:2013/11/21(木) 15:19:00.29 ID:YqHetXFo.net
マイナー大名なのに二個もあったのかよw

97 :人間七七四年:2013/11/23(土) 18:09:04.09 ID:C85lnu/i.net
義顕が本当に晴綱の嫡男なのかも疑わしいな
義顕の生まれた頃は晴綱の晩年で病気に伏すようになってきた頃だし、
その頃になってもまだ嫡男がいないってことは
とっくに養子を決めててもいいんだが
やっぱ義親が晴綱の実子で嫡男か、弟で養子になってたんじゃないかな

98 ::2014/01/11(土) 16:14:55.92 ID:kMvghqOS.net
http://www.youtube.com/watch?v=GckweEQPaOw

99 :人間七七四年:2014/01/15(水) 17:47:56.04 ID:2TMb9DfM.net
信長の野望の新作で白河結城を国人衆扱いにした
肥は万死に値する

100 :人間七七四年:2014/01/15(水) 18:42:30.38 ID:kWvigKhA.net
リアリティ路線と誇大宣伝だよな
あなPはもう信じない

101 :人間七七四年:2014/03/22(土) 15:10:12.62 ID:0D5Wcx9N.net
【高根城(静岡県浜松市)】
http://mirai660.net/castle/takanejyoh_model.html

102 :人間七七四年:2014/03/30(日) 09:50:53.21 ID:oNk3czD2.net
大岡城の城ラマ来てるね。
http://mirai660.net/castle/ookajyoh_model.html

103 :人間七七四年:2015/02/11(水) 18:17:43.67 ID:IuFq+OMi.net
河東田清重についてちょっと調べたいんだけど、
表郷村史を読むのが一番かな?

104 :人間七七四年:2015/02/28(土) 01:35:38.17 ID:c7ELva6W.net
晴綱の庶子の小針頼広は小針彦左衛門の父?
それとも小針頼広が後に改名したのかその辺がよくわからない

105 :人間七七四年:2015/03/15(日) 20:22:08.27 ID:Qmh2qszz.net
重臣の和知氏の中では直頼が一番有名だけど、
直頼の名は和知氏の系図に載ってないんだよなぁ
改名したのか、直系じゃなくて傍流の出身なのかは知らないけど

106 :人間七七四年:2015/03/18(水) 00:59:35.22 ID:p/z8WF90.net
もし本当に義親が晴綱の正統な跡継ぎだったなら、
義顕は結局何だったのかとか、誰が何のために義親が
家督簒奪をしたという話をでっち上げたのかって疑問が出てくるな

107 :人間七七四年:2015/04/23(木) 17:06:22.09 ID:cT8jcIBs.net
義親が秀吉に所領没収されてから政宗に召し抱えられるまでの11年間、
どうやって生きてたんだろう。下手したら餓死してたぞ

108 :人間七七四年:2015/05/22(金) 18:22:59.68 ID:+j8DSIXk.net
軍師の佐藤忠秀が白河結城に仕えたのは永正年間らしいけど
それじゃ赤館城奪還で活躍した時は
どう若く見積もっても70歳前後ってことになるな
別に不自然というわけでもないけど、若い時の事跡が皆無なのが気になる

109 :人間七七四年:2015/05/24(日) 16:49:27.66 ID:ZHbwpV+E.net
親の忠量と混ざっているというパターンも考えられるな
浪人が感嘆に城主になれるとは考え難いし親子二代なら納得できる

110 :人間七七四年:2015/05/30(土) 18:28:35.39 ID:koBQSOPz.net
それかもしくは忠秀の別名とされる忠胤は
実は別人で、忠胤と忠秀の2代にわたって仕えたって可能性もあるな

111 :人間七七四年:2015/06/24(水) 07:05:02.74 ID:/tARUMKc.net
永正の政変で政朝・顕頼が没落して
小峰系統の義綱が跡を継いだってのは結構最近の説だっけ
内紛が起こると家中が混乱するから
史料によっていろいろな説が出てくるな

112 :人間七七四年:2015/06/26(金) 07:02:21.21 ID:waU8TwRn.net
隣の石川昭光は領地没収後に早々に政宗に降って
関ヶ原や大坂の陣で活躍したのに、
白河結城は義親・義顕ともに見事に何も行動を起こさなかったな
流浪してた義親はともかく、義顕は農業とか始めちゃってるし

113 :人間七七四年:2015/06/26(金) 07:40:16.61 ID:wFn8W66N.net
武士にとって自立性を失う事は最も屈辱であるから
実質、伊達家の人間である昭光はまだ諦めがつくだろうけど
義親らが本領を捨てて陪臣になる事は相当な決断を要したと思う

114 :人間七七四年:2015/06/27(土) 06:58:52.17 ID:l7QFPtpf.net
義親の子孫はその後伊達家の一門にまで昇格してるから
まぁ正しい決断だったとは思うね

115 :人間七七四年:2015/06/29(月) 15:02:24.56 ID:U7bN7Bbq.net
佐竹は仕方ないとしても、
隣の二階堂との戦いでも結構負けてるんだよなぁ、白河結城
長男を討ち取られたり、家臣が二階堂に寝返ったりして
戦争はかなり下手というか、弱かったんだろうな

116 :人間七七四年:2015/06/29(月) 15:08:45.47 ID:5F7GJI/A.net
家臣の熊田氏についてもっと知りたい

117 :人間七七四年:2015/07/16(木) 19:34:15.98 ID:b+Ufg/ey.net
義綱は顕頼の子じゃなくて小峰氏の出身とか言われててよくわからん
事跡を調べても子の晴綱と被ってるだろってのもあるし

118 :人間七七四年:2015/07/20(月) 12:32:23.56 ID:ApoQKFQB.net
>>115
白河が佐竹に勝ったケースも
だいたいは田村清顕のお陰だしな

119 :人間七七四年:2015/07/23(木) 00:35:48.29 ID:3KanhCQp.net
内紛で没落する前に
隣の二階堂とか石川とかを攻めて
領地を広げることはできなかったのだろうか
直朝の代で最盛期を迎えたのは戦争よりも外交力のおかげらしいけどね

120 :人間七七四年:2015/07/23(木) 16:52:20.86 ID:syJNEiCj.net
直朝の代には常陸や下野まで勢力を伸ばしたけど攻め取って拡大した訳ではないからね
でも逆に有能だわ
戦やらずに領土拡大できるならその方が損害も出ずに良いし

121 :人間七七四年:2015/07/24(金) 23:47:12.60 ID:Kf3vU5Mz.net
そういう従属勢力って主家の威光が弱まると
あっさり独立したり、他の勢力に寝返るんだよな
戦国の世になると何の役にも立たなかったな

122 :人間七七四年:2015/07/25(土) 06:42:59.18 ID:XWNUjwId.net
しかし関東東北では最後までその体制で終わってしまった

123 :人間七七四年:2015/08/08(土) 23:22:32.77 ID:4eeOEDiN.net
>>95-96
もう一つのは下総白河氏

124 :人間七七四年:2015/08/08(土) 23:43:48.87 ID:gBl0hmT5.net
義親が政宗に拾ってもらった後、
子孫が仙台藩の一門格にまで昇格したのは
やっぱ所領安堵できなかったことに
負い目を感じてたからかな

125 :人間七七四年:2015/08/09(日) 01:31:33.40 ID:BT+OKtqR.net
政宗はあくまで伊達の領地であると主張して認められなかった訳で
義親に負い目など感じる訳がない

126 :人間七七四年:2015/08/09(日) 13:17:48.33 ID:SCn9q6Ep.net
でも義親の貢物を
咄嗟に自分からの贈り物だと言って
秀吉に差し出したんだろ政宗は

127 :人間七七四年:2015/08/17(月) 16:15:21.13 ID:ubg2Apd8.net
>>112

>義顕は農業とか始めちゃってるし


紅白歌合戦に出場したことがある元・人気歌手が
地方都市の営業で食いつなぐような感じだな。

128 :人間七七四年:2015/08/18(火) 05:29:58.46 ID:oeTTaE5y.net
義顕が佐竹を頼らなかったのは
白河にいればまだ再起の可能性があると思ってたからだろうか
結局息子は佐竹に従ったわけだけど

129 :人間七七四年:2015/08/18(火) 06:55:01.49 ID:SQh+8ysK.net
>>128
そうだろうね
岩城や相馬も秋田には同行せずに復帰運動して大名に返り咲いた
でも義顕は幕府につてが無さそうだから上手くいかなかったのだろうな
と言うかそもそも大名としての実態がなかったからかもしれんが

130 :人間七七四年:2015/09/01(火) 00:33:12.48 ID:vTG0yDDe.net
義親は晩年に盲目になった説があるけど、
晴綱も同じように晩年に失明してるから
そういう遺伝的な病気をもった家系なのかな白河結城は

131 :人間七七四年:2015/09/01(火) 01:29:53.66 ID:7780Uvzg.net
眼病なんて珍しくない時代に少例でいわれてもな

132 :人間七七四年:2015/09/01(火) 03:05:44.90 ID:vTG0yDDe.net
義顕はもうちょい長生きしてれば何か変わったかもしれないのに
農業で慎ましく暮らしてたのに47で死ぬとか早すぎる

133 :人間七七四年:2015/09/01(火) 18:17:38.38 ID:P1QFBO3B.net
>>130
緑内障だよ
緑内障は遺伝性の病気

134 :人間七七四年:2015/09/02(水) 00:48:11.55 ID:tsY2WEGb.net
義親は晩年は政宗と結構仲が良かったみたいなんだよな
小田原征伐で義親から託された秀吉への貢物を
自分からの品だと言って差し出したって話もあるし
負い目を感じてたのだろうか

135 :人間七七四年:2015/09/02(水) 06:53:54.54 ID:d9hYsDqj.net
負い目を感じる人はそんな事をしないだろう
従属大名の中でも田村と結城は最大のものであるから扱いが特別なのは当然かと

136 :人間七七四年:2015/09/03(木) 01:01:36.97 ID:iBx4V5cO.net
戦国期の田村は最後まで政宗を嫌って
他家に仕官したか帰農した者がほとんどだったらしいけどね
江戸期に再興された田村は忠宗の子だし、
戦国期の田村とはほぼ無関係

137 :人間七七四年:2015/09/03(木) 07:21:10.64 ID:mqqbNclk.net
忠宗は田村清顕の孫なのに無関係とはこれ如何に

138 :人間七七四年:2015/09/05(土) 00:23:20.23 ID:F+FSD/YE.net
でも戦国期の田村の家臣たちはほとんど
各地に散り散りになっただろうしなぁ

139 :人間七七四年:2015/09/05(土) 05:10:10.39 ID:GxqvAfkR.net
家臣は関係ないと思うが…

140 :人間七七四年:2015/09/05(土) 05:36:33.53 ID:fzPCytec.net
白川結城氏についての良書ってありませんか?

141 :人間七七四年:2015/09/06(日) 02:41:10.94 ID:S805yM6/.net
『白河結城家とその家臣たち』とか。
でもこれって相当古い本だし、作者の主観も所々入ってるから
内容を鵜呑みにできない

142 :人間七七四年:2015/09/06(日) 06:54:41.51 ID:gIkRKLzy.net
市村氏の著書とかはかなり良いけど、全て絶版で古本もなく入手はほぼ不可能なんだよな
図書館に行けば読めるけど

143 :人間七七四年:2015/09/06(日) 15:51:46.78 ID:S805yM6/.net
『福島地方史の展開』の「戦国大名白河結城義親について」の項に
義親について詳しく書かれてるぞ
戦国期の他の白河結城の当主やその家臣についても少し記述がある

144 :人間七七四年:2015/09/06(日) 16:05:21.78 ID:S805yM6/.net
>>142
てか本のタイトル書かないとわからんだろ

145 :人間七七四年:2015/09/06(日) 19:34:33.06 ID:8OQuXDKE.net
ありがとうございます
まず図書館でオススメされた本を調べてみます

146 :人間七七四年:2015/09/09(水) 17:41:07.07 ID:2X9e7ImM.net
信長の野望に出てくる河東田清重の列伝に
「善政を敷いて民衆に慕われた」ってあるけど、
情報源はどこなんだろう。調べても出てこないんだが

147 :人間七七四年:2015/09/16(水) 00:13:39.66 ID:WHRfWJhD.net
佐竹に南郷地域まで攻められた時点で
佐竹に従属してれば、領地を失わずに保てたかもしれないな
無駄に抵抗して疲弊することもなかったし

148 :人間七七四年:2015/09/17(木) 07:18:38.36 ID:bpWFfXKf.net
史実通りでも土壇場で伊達に寝返らなければ大名として存続できたのにな
まあ、そうなると佐竹の与力大名になったろうから関ヶ原での選択が残されているけど

149 :人間七七四年:2015/09/17(木) 23:51:57.14 ID:jmLkoISK.net
でも伊達に寝返ったことで
白河は伊達と佐竹の領地の境界部になったから
戦場の最前線ってことになるんだよな
秀吉の小田原攻めが遅かったら
白河は両者の争いの渦中に巻き込まれてヤバかったかもな

150 :人間七七四年:2015/09/18(金) 07:47:23.48 ID:/HBIahV4.net
でも史実通りだとまだ会津の支配が確立されていなかったから直接攻められる可能性は低かったし
少し早とちりしたかなという感はあるな
石川付近の滑津城まで突出していた赤坂氏は伊達方に付いた石川氏や浅川氏の攻撃に曝されて大変だったし
ある程度の攻撃は受けたかもしれないが…

しかし赤坂氏はマイナーだけど、彼の活躍は殊勲に値するわな
孤立した滑津で散々伊達方の攻撃を防いで、その後は義宣の指示で赤館まで後退しそこで守ったけど
彼の活躍で佐竹は豊臣政権下でも南郷を確保する事が出来たといっても過言ではないだろう
同じく白川方面を担当し厚遇されていた船尾氏は伊達に寝返ろうと必死に工作していたのに…

151 :人間七七四年:2015/09/19(土) 03:35:43.73 ID:5z8wpaGN.net
岩城常隆みたく
政宗に帰属するんじゃなくて、
和睦に留めておくことはできなかったのかね
小田原攻めでは政宗の意向に関係なく、自分の意志で行動できただろうに

152 :人間七七四年:2015/09/19(土) 06:16:46.07 ID:Eq1YPfKt.net
やはり佐竹から独立する機会を窺っていたのだろうか
須賀川が落ちて石川が伊達に従属してから降ったのなら分かるけど
義親はそれより前に従属しているんだよな

153 :人間七七四年:2015/09/19(土) 23:27:30.59 ID:5z8wpaGN.net
義親は養子に押しつけられた義広を嫌ってて、さっさと追い出したいから
1587年の蘆名の後継者争いでは、義広を推したらしいな
義親は盛氏の娘婿だから、発言力もそこそこ強かっただろうし

154 :人間七七四年:2015/09/20(日) 00:16:07.11 ID:EzFMkRO8.net
佐竹と結城も長年対立してたからね
心情的にシックリこないのは仕方ない

155 :人間七七四年:2015/09/20(日) 00:27:55.83 ID:Ly0pkbxZ.net
義親の晩年は政宗と書状のやり取りをしてて結構仲良かったみたいだけど
政宗の茶飲み友達みたいな関係になってたのかな
それでも義親と子の義綱はまだ伊達氏の客分扱いだったけど

156 :人間七七四年:2015/09/20(日) 11:10:57.91 ID:vNWfNodp.net
いや、客分扱いというのは優遇処置だよ
武士にとって自立を失う事は最大の屈辱
そして客分は臣下ではなく独立した者を対等な立場で遇する処置
子供の代まで客分だったということは伊達家もそれだけ結城家に敬意を払っていたという事だろう

157 :人間七七四年:2015/09/22(火) 16:29:08.82 ID:iZ2W8dF5.net
義顕が白河に帰ってきた後、
義親の元で戦争に参加したり、政治活動を行った記録はないのかな
半隠居状態だったのかもしれないけど

158 :人間七七四年:2015/10/06(火) 15:51:18.69 ID:GdEmYIzE.net
>>140
>>142の言ってるのは
『戦国期の権力と文書』の「戦国期白河結城代替わり考」
のことだろうな
他にも白河市史とか読んでみるのもいいかも

159 :人間七七四年:2015/10/14(水) 00:18:47.78 ID:YFq7wiVs.net
晴綱が秀吉の小田原攻めまで長生きしてたら少し違ってたかな
だとしても佐竹に押されて結局従属してそうだけど

160 :人間七七四年:2015/10/17(土) 00:56:06.14 ID:cbASvfd3.net
蘆名が政宗に滅ぼされると、次に須賀川の二階堂が攻められる前に
さっさと伊達に服属を申し出てるんだよな、義親
時勢を読むのが上手いというべきか

161 :人間七七四年:2015/10/18(日) 20:39:04.25 ID:fSzSzc0z.net
むしろ時勢が読めてなかったと言うべきかな
直接攻撃に曝される差し迫った状況ならともかく、先走って伊達に従属してしまったのは
自家の保存というより佐竹に対する反抗心によるものだろう
時勢を読んであとほんの少し様子を見ていれば状況は一変して結城家も独立大名として生き残れた可能性が高かった
まあ、あれだけ佐竹に苦渋を舐めさせられてきた義親にそれを求めるのは酷だけど

162 :人間七七四年:2015/10/28(水) 01:11:59.28 ID:LPu3pWCX.net
中畠氏について知りたいんだけど、
矢吹町史とか読むしかないのかな

163 :人間七七四年:2015/11/03(火) 18:48:18.23 ID:lJ1Wxqtk.net
和知直頼が晴綱の任官・偏諱のために
幕府と交渉してたらしいな。白河結城の宿老らしい活躍だ
今度よく調べてウィキペに加筆しておこう

164 :人間七七四年:2015/11/08(日) 18:47:41.97 ID:Tyj7K+5s.net
晴綱は義綱の子じゃない説もあるようだけど、
そこまで考えるともう頭がこんがらがってくる
義綱の子は晴綱と義親、で話に決着をつけていいと思うけどな

165 :人間七七四年:2015/11/15(日) 18:42:39.85 ID:qcMoqAzt.net
陸奥石川氏を語るスレはないの?

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