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【徳川追撃】会津征伐で上杉家が南進した場合

1 :人間七七四年:2009/06/08(月) 20:45:32 ID:NbIbPVrD.net
慶長5年の会津征伐で上杉家が南進したら戦局はいかに? 

2 :人間七七四年:2009/06/08(月) 21:05:56 ID:55qCTLdi.net
会津を空っぽにするくらいの兵連れて行かんと
関東残留軍を突破出来ないだろうな

3 :人間七七四年:2009/06/08(月) 22:19:11 ID:9A1KCrqw.net
つまらんな
あそこで追撃しない景勝は所詮は天下を見渡せる器量なし
最初から徳川に臣従した前田のほうがまだマシだな

4 :人間七七四年:2009/06/08(月) 23:30:11 ID:Vdb9thiz.net
むしろ見渡せる器量があってこそ追撃しないほうがいい。
最上や伊達を下しておいた方が中央の混乱が長引いた際天下が狙える。
東軍が西軍を一撃で完膚なきまでに叩きのめすなんて誰も予想できんわ。

まぁ結城と戦った方がよくは見えるけどね

5 :人間七七四年:2009/06/09(火) 00:31:13 ID:ZnC6nCpQ.net
決戦を急いだ三成の戦略眼のなさといったら・・・

6 :莫邪 ◆Bakuya.ugA :2009/06/09(火) 00:58:09 ID:R5+AQ3yL.net
むしろ短期で収集した家康の手腕が凄かった

7 :人間七七四年:2009/06/09(火) 08:43:32 ID:6ksKuJUN.net
>>4に同意
上杉は自領に引き込んで地の利を最大限に利用し包囲するつもりだったので、堅陣になっている下野表に出陣して人的被害を出すのはアホ。
もしも関ヶ原で長対陣で状況変化を狙うなら堅い守りを構築されている下野那須を、義重を説得の上で佐竹が常陸から側面を突くように連動して攻めるしかない。
つうか義重は謙信の関宿救援の際と言い、なぜに肝心な時に保守的になりすぎるのかねぇ。源氏の家を絶やさない意識が強いのかな。
三成挙兵タイミングが悪すぎるが、宇喜多の暴発が原因らしいし、三成は実際、関ヶ原でも指揮できる立場じゃなかった説もあるからなあ。


8 :人間七七四年:2009/06/09(火) 09:14:56 ID:eArbTXfc.net
関ヶ原が長引けば東北や関東辺りは上杉で、
九州は黒田で天下が分からなくなったのに

9 :人間七七四年:2009/06/09(火) 11:43:18 ID:6ksKuJUN.net
黒田は微妙。
黒田が北九州を従えたのは関ヶ原の東軍勝利の報が届いて、西軍側の城が相次いで開城していったから。
黒田は関ヶ原勝報前はかなり迷走気味。
唯一、目を見張るのは棄て駒だった大友再興軍を、派遣しておいた配下が撃破したことくらいか。


10 :人間七七四年:2009/06/09(火) 11:44:53 ID:/uMwfz/J.net
>>7
いや、義重を始め重臣達は初めから一貫して徳川支援だし
義宣だけが勝手に西軍加担を騒いでいたけど、車とか一部のしょうもない連中しか同調せず
義重は家康と連絡を取り合い、義久は自分の手勢を連れ東軍に加勢した
義宣は家中の賛同を得られずふて腐れて水戸に引きこもってしまった
佐竹が西軍加担なんて事は絶対ありえない
関東で戦になった場合は義重や重臣に押し切られて東軍に参陣する事になるだろう

11 :人間七七四年:2009/06/09(火) 22:32:00 ID:FM2zOgW7.net
目の前を最大の敵が通るのにまったく手を出さないとかありえん
家康を牽制しまくって三成が先手をどんどん打てるようにしてやればいいのに
上杉にすら手を焼く家康というのが天下に知れればみんな動揺するぜ


12 :人間七七四年:2009/06/10(水) 16:15:55 ID:SeaguGv/.net
>>8
当時小領だった最上に敗北してる時点で東北掌握は難しくね?
ほかに伊達や南部と最上の何倍もの規模の敵がいるのに

13 :人間七七四年:2009/06/12(金) 10:46:49 ID:sO8my1uk.net
>>12
最上ファンのオレでもそれはないわ
 
「徳川が関が原で勝利した」と伝わったから撤退したのに

14 :人間七七四年:2009/06/13(土) 11:42:52 ID:e2XeZNiT.net
>>10
あれはどこの大名もやっている二股外交だろう。
本命は当主の義宣の方針で、上杉との密約は白河城から宇都宮旧臣に働きかけをしていた結城朝勝が暗躍してたはず。
おそらく上杉と徳川が開戦していたら佐竹の動きは賽は投げられた状態になって、佐竹は側面を突いていただろう。
家康が上杉と戦わずに江戸へ戻った時点で状況が変わった為に常陸と江戸が隣接してることから方針転換しただけ。
白河での必勝策に変わるような策もなく、上杉との連携も無理な常陸が主戦場では回避の方針になるだろう。
ちなみに秀吉に取り立てられて佐竹義久は豊臣領千石の代官を兼ねた6万石の大名になってたよね。

>>11
上杉は家康が前田に続き濡れ衣を着せ攻めてくるならやむを得ず相手致すのであって、自ら戦を求めたわけではない。


15 :仙台藩百姓:2009/06/27(土) 15:56:56 ID:TlN9T4bT.net
佐竹は元々南郷に出陣してたじゃんお( ^ω^)
上杉の側面突こうとしてたようにしか見えんお( ^ω^)

この前白河通ったら「幻の決戦場」とか看板出てたから見てみたけど
あれは幻すぎるお( ^ω^)

16 :人間七七四年:2009/06/27(土) 16:10:47 ID:Ltg0cXzz.net
実際 上杉が南進したら結城秀康は止めれたのだろうか

17 :人間七七四年:2009/06/27(土) 16:26:39 ID:fsSXhr9H.net
>>13
直江は長谷堂を2週間攻めて、その間3回総攻撃をかけて、城側の損害も少なく、
いずれも全て撃退されてるから。
あと一月もすれば雪だし、あのまま攻めても勝てたかどうかは分からんと思うよ。

18 :人間七七四年:2009/06/27(土) 17:22:49 ID:rtmdtlqs.net
まあ上杉が南進したら、伊達に白石城を拠点にされて信夫伊達が制圧される
ことになってたわけだ。景勝の優柔不断の理由はそこにあった。

19 :人間七七四年:2009/06/27(土) 17:43:29 ID:kNtg+kzh.net
>>16
約2万は残してあった様

20 :人間七七四年:2009/06/27(土) 18:28:33 ID:HpxbRT2G.net
>>15
義宣は家康の使者の面会を拒否しまくってる。これが家康の怒りを買い、曰く卑怯者と断じられてる。
>>17
長谷堂布陣の翌日である15日に攻めたが、その後は攻めず
21日に直江に関ヶ原西軍敗退の第一報、
24日に米沢への退路を整備しつつ攻撃、
29日に退却する為に牽制攻撃しただけだよ。
>>18
二本松に直江が出陣してきたら、政宗は逃げて行ったよね。伊達ってほんと惨めだね。


21 :仙台藩百姓:2009/06/27(土) 21:36:28 ID:TlN9T4bT.net
佐竹は家康の指示で進退していたのに拒否しまくりとは是いかに( ^ω^)
むしろ上杉と示し合わせていたような動きとは到底思えないお
大体上杉も残留組の秀康にすら手を出さなかったのに
その数倍からなる家康本体と決戦とか有り得ないでしょお( ^ω^)
そもそも佐竹が上杉と組んでも矢面に立たされるだけだし
上杉が当てにならないのは義重が一番良く知っているはずだお( ^ω^)
おまけに佐竹家中は上杉不信ときている
義宣だけが気張っても何もできないお( ^ω^)

22 :人間七七四年:2009/06/27(土) 22:13:01 ID:OU/tkOg/.net
司馬遼太郎大好きだが、「上杉120万石といえど出征能力はない」と
小説にあって疑問だった。なんで無理なの?

23 :人間七七四年:2009/06/27(土) 22:39:01 ID:oBoDP0rJ.net
この時の上杉の最大動員兵力はどれくらいなの?

24 :人間七七四年:2009/06/28(日) 02:36:44 ID:A3Ruv/LC.net
3万前後とみる

25 :人間七七四年:2009/06/28(日) 02:46:07 ID:NXSziX7b.net
>>24
その根拠は?

26 :人間七七四年:2009/06/28(日) 06:11:22 ID:Tb7RldzD.net
景勝が後背の伊達に怯えたことは間違いない。
白石城は軍事上の要衝で、陥落後石川昭光が2千人に守備を増強して
圧力をかけつづていたから、南進できるわけもない。

27 :人間七七四年:2009/06/28(日) 08:53:29 ID:Tr4OSLtP.net
>>23
五人役で六万だが
飛び地や転封直後を換算すると五万が良い所かと

28 :人間七七四年:2009/06/28(日) 10:53:49 ID:kWBniQ8P.net
佐竹は伊達とも通じてたけど、担保用の二股外交であって
基本は親上杉だろ。
義重はずっと親徳川で、息子が勝手に西軍に加担しました
というのは言い訳に過ぎない。
ちなみに上杉家では直江が撤退後、10月に入っても佐竹口からの
関東侵攻を画策してたことが直江書状でわかる。結果的には徳川方
との交渉で折り合いがついたため中止になったが。
堅実な戦略を立ててまずは最上・伊達を屈服させてから関東へ侵攻
する予定だったのが、上方の戦が想像以上に早くついてしまい、再
度の上杉征伐も予想されるため、先手を打って関東になだれ込もう
というのが選択肢の一つにあったんだろう。

29 :仙台藩百姓:2009/06/28(日) 12:52:23 ID:oqoLBN8w.net
どう見ても逆だお( ^ω^)
政宗公や義光と同じで保険の為に書簡のやりとりをしていただけ
常識的に考えて不利な上杉につく馬鹿などおるまいお┐ (´ω`) ┌
佐竹が上杉に呼応するなんて上杉の妄想の中での話しだお( ^ω^)
現実に全くそんな動きを見せていないお
佐竹口から侵攻とか佐竹領が荒らされるだけだし、そんなアホな提案誰が呑むのだお┐ (´ω`) ┌

30 :人間七七四年:2009/06/28(日) 14:41:59 ID:Gwq8Lgyr.net
仙台百姓が書くのは毎回自分の願望

31 :人間七七四年:2009/06/28(日) 15:42:27 ID:1p+H3A0O.net
少し南下した所で、秀忠軍が引き返して、秀忠vs上杉の睨み合い。
その間に関ヶ原決着。
史実とあまり変化なし。
秀忠軍の大局観次第。

と妄想してみた。

32 :人間七七四年:2009/06/28(日) 15:53:10 ID:ntMcaOwR.net
政宗って頭が痛い人でしょ

33 :人間七七四年:2009/06/28(日) 15:58:31 ID:doweEeJe.net
>>29
顔文字とか「だお」とか、
わざと文章を読み辛いくしてるんですか?

34 :人間七七四年:2009/06/28(日) 16:08:32 ID:kWBniQ8P.net
常識的に考えて東国で上杉が不利なら政宗公や最上だって保険
はかけないわな。

35 :仙台藩百姓:2009/06/28(日) 23:43:17 ID:oqoLBN8w.net
佐竹や政宗公もそうだけど会津征伐については何の儀もなく従っていたお
しかし三成が挙兵し奉行連署の書状を各大名に送るに至って迷いが生じ
密に西軍方と通じる動きが出て来るお( ^ω^)
家康が会津征伐を中止すれば周辺の国々にとって大国の上杉は脅威だから
とりあえず表向きは不戦の意を示して家康と三成の動向を窺う腹積もりだったのお( ^ω^)
しかしそれも僅かな間で殆どの大名は家康方へ傾いていく
佐竹などは上杉との戦いを憂いて仇敵である政宗公に助力を願い出る程だったお( ^ω^)

36 :人間七七四年:2009/06/28(日) 23:51:15 ID:kWBniQ8P.net
佐竹は10月になっても上杉と連絡をとり続けてるし、
最上は「上杉領に攻めた伊達じゃなくてなんでこっちせめてくんの?」
と直江に書状を送り、伊達は上杉との戦いに消極的だったくせに「最上
が弱くて直江を取り逃がした」などと書状で最上に責任をなすりつける
有様。

37 :人間七七四年:2009/06/29(月) 00:19:33 ID:kGICWI13.net
>>25
単純な石高計算だと3万から3万6千となるが
にわかな転封で簡単に家臣編成ができたとは思えない。
なんといっても一気に二倍以上に領国が拡大するわけだから
蒲生ら旧領浪人をある程度吸収はしたろうが石高限度までは無理だろう。
合戦用に急募したとはいえ、名の在る者は一部だけでほとんど雑兵の
類だろう。

38 :人間七七四年:2009/06/29(月) 10:35:52 ID:5gQ6Syhy.net
まー3万いくかどうかも微妙だよな。
旧葦名・蒲生兵はともかく、旧伊達兵は非協力的だろうしな。
なんせ上杉が移封してきたどさくさ紛れに伊達が侵攻してきて戦ってるしな。
百姓は関ヶ原後の佐竹がなんで家康からあんだけ厳しい仕打ちを受けたのか説明してくれ。
佐竹の石高さえ幕府はずっと後になるまで告示してくれなかった程の嫌がらせを受けたのに。

39 :仙台藩百姓:2009/06/29(月) 11:05:07 ID:8MtNw9Z/.net
>>36
直江が勝手に思い込んでいただけで佐竹最後まで回答を出さなかったじゃんお( ^ω^)
一方徳川には、上杉に味方せず赤館で上杉勢を防ぐと伝えているお
そして秀忠の採択を仰ぎ義宣は水戸、盛重は赤館に置いて上杉を防ぐ方針を取り
秀忠もその働きを賞しているお( ^ω^)
そして岐阜城を落とした事を祝賀し家康から脇差しを賜り
義久を秀忠本隊へ合流させ、更に政宗公とも連携を図って上杉に備えたお
《もっとも政宗公は擦り寄って来た佐竹に対し「はあ?こいつ何言ってるの?」程度の冷ややかな反応であったけど(≧ω≦)》
上杉とのやりとりは口先だけのものであって明らかに徳川寄りの行動を取っているお( ^ω^)

40 :人間七七四年:2009/06/29(月) 11:20:33 ID:5gQ6Syhy.net
上杉との内通文書なんて関ヶ原後に破棄してるに決まってんじゃん。
関ヶ原後になんで家康はなんで島津と佐竹を糾弾してんの?
関ヶ原後の新年の挨拶になんで佐竹は来なかったの?

41 :仙台藩百姓:2009/06/29(月) 12:24:40 ID:8MtNw9Z/.net
いや、もまえの文章が一番破綻してるから(;^ω^)
>関ヶ原後になんで家康はなんで島津と佐竹を糾弾してんの?
↑特にここ「なんで」は二個要らんでしょお

ちなみに何でなのかは皆が知りたがっているお( ^ω^)
義宣と家康の行動の詳細はは不明である
国替えについても2年も経ってから突然言い渡され理由は不明だお
これらについては大まかに
1、西方に内通していた為
2、江戸の目と鼻の先に大封を持つ外様の佐竹を遠ざけたかった為
の2説がある
1については伊達や最上など他の大名も同じだから説として苦しいお( ^ω^)
2については梅津日記などから転封につき費用として大金を下賜されたり
実際は禄について2、30万石程度を見込まれていた事などによって
何かの取引があったのではないかと推測されているお( ^ω^)

42 :人間七七四年:2009/06/29(月) 12:36:08 ID:OdqUpHyZ.net
>義宣と家康の行動の詳細はは不明である
↑ここの「は」連発にはどういう意味が(笑)横槍スマン

43 :人間七七四年:2009/06/29(月) 12:45:26 ID:YT3I/3pD.net
転封の費用を下賜されたりしたって結局は減封なんだから何かの取引もなにも
ないだろ。結局、佐竹は軸足を上杉方に置いていたってみなされたんだよ。

44 :人間七七四年:2009/06/29(月) 12:53:17 ID:5gQ6Syhy.net
は?
石高は大名のランクである格式を表すわけだ。
それを長い間、教えてくれない嫌がらせを受けて、佐竹はどういう格式をとって言いかにも困惑していたわけだが。
しかも常陸→出羽北部は明らかに懲罰的左遷転封にしかみえない。
家康は豊臣直轄1000石代官兼、6万石の豊臣大名佐竹義久の説得で懲罰を思いとどまってたが、義久死去後にいきなり懲罰的転封を命じられている。
江戸に近いから転封なんて後付け設定で、
里見の転封でも言われるが、里見は大久保長安事件の連座だし。

45 :仙台藩百姓:2009/06/29(月) 13:47:04 ID:8MtNw9Z/.net
>>43
そのような事を示す資料は皆無だお( ^ω^)
上杉に軸足を置いていたなど何を根拠にしているのだお( ^ω^)

>>44
その義久の件が徳川寄りだった事を如実に現しているじゃんお( ^ω^)
この逸話は義久が徳川に協力する事を約束し領土安堵の確約を得た事に由来する
そして現実に義久は徳川軍に参陣し既成事実を作った
だから家康は彼の在命中に手を出す事ができなかった
というものだお( ^ω^)
ちなみに格式は官位で示されるから問題ないお( ^ω^)
家康は後に確定する石高に見合った官位を与えているし軍役も負担させている
つまり現実には石高が確定していたのだお( ^ω^)

46 :人間七七四年:2009/06/29(月) 15:11:09 ID:lXCcfxmz.net
だおって言ってる人意味がわからないんだけど根拠あるの?
てか相手しちゃダメな人?

47 :人間七七四年:2009/06/29(月) 19:53:56 ID:xTKdHbT2.net
だいたいここは2ちょんぬるなんだぜ

48 :仙台藩百姓:2009/06/29(月) 19:56:10 ID:8MtNw9Z/.net
何が意味分からないのだお( ^ω^)?
だお←これ?

49 :人間七七四年:2009/06/29(月) 20:56:18 ID:XHkFz+nX.net
客観的にみて仙台藩百姓の負けだな

50 :仙台藩百姓:2009/06/29(月) 23:05:33 ID:8MtNw9Z/.net
( ^ω^)プ

51 :人間七七四年:2009/06/29(月) 23:29:23 ID:ABYpULyD.net
転封してきたばっかの会津なんてほっといて追撃すればいいのにほんと景勝−直江
コンビはだめだめだな
謙信公や家康とか一世代前の武将は縦横無尽に遠征するのに引きこもりはやっぱ無理
あれだけのたんか切ってけんかふっかけたんだぜ?
相手がけんかするそぶりだけみせて急に逃げ出したんだぜ?
おい、待てよこら!って普通なるだろ?
しかもあいつと先けんかするからって、ふざけてんのか?ってなるのが普通じゃん
ほんで先けんかしたやつがボコボコにされたら、すんませんでした・・・って
はあ?こんなヘタレじゃ南進しても全然無理だろ?w

52 :人間七七四年:2009/06/29(月) 23:39:54 ID:7Xy0yqA6.net
>>51
そんなことしたら根無し草になるだけだろ。
例え浅いとはいえ根がある草はまだ伸びるが、根の無い草は枯れるしか無い。

53 :人間七七四年:2009/06/29(月) 23:55:30 ID:ABYpULyD.net
だったら最初からケンカなんか売るなよカス!

54 :人間七七四年:2009/06/30(火) 01:17:23 ID:YsJ0P4TO.net
領内の城を全て見捨て長谷堂城に立て篭もるのがやっとの最上と
まともに援軍すら出せず、戦うこともできない伊達
正直いうと、領内への守りはそれほど気にすることでもないと思うのだけど
だけど単身、関東に進軍しても領地欲のない上杉にとっては、何の旨みもなかったのだろう
なので中央で三成と家康が戦うことだけ考えて、それまでの空き時間で最上を攻めたってくらいが
本当のところだろうな

55 :人間七七四年:2009/06/30(火) 01:28:36 ID:FPnNMCeQ.net
>>54
なんともムダな戦だな秀忠軍は上田城で数日遅れたために関ヶ原に間に合わなかったけど
関ヶ原が当初の予想通り長滞陣になれば十分間に合っていた
そういうのを考えると上杉が南進して牽制する必要性は十分あったと思うんだが
最上に攻撃しかけるだけならどう見ても火事場泥棒・空き巣にしか見えないんだが

56 :人間七七四年:2009/06/30(火) 01:50:59 ID:YsJ0P4TO.net
本当に空き巣狙いが目的なら最上など最初から相手せずに
上杉家にとっての聖地・越後を目指すのが順当だろ?
つまり空き巣狙いの侵攻では最初からないということ

それと、秀忠軍が上田城攻防で手間取ってるなんて情報を上杉が知ったのは
関ヶ原の結果を聞いたのと同じくらいのタイミングだと思うぞ

当初の目的通りに、徳川軍は東海道と中山道を二手に分かれて西進してると考えてる以上
秀忠への牽制など最初から眼中にないのさ



57 :人間七七四年:2009/06/30(火) 01:58:03 ID:FPnNMCeQ.net
>>56
じゃぁ上杉って何したかったの?って事になっちゃうわけだが・・・

58 :人間七七四年:2009/06/30(火) 02:03:21 ID:YsJ0P4TO.net
つまり義のため。
まさにそれだけ。

だって考えれば考えるほど上杉の行動には戦略的な整合性が見られないもん

お家安泰を狙った保身だけなら、前田討伐に協力姿勢を示すはずだし
それを突っぱねたから、前田の代わりに家康の標的にされるわけで
また、三成と結託して天下を牛耳りたいのなら戦略的に見て関東へ南進するのが当然だし
空き巣狙いなら越後を見過ごして出羽なんて攻める順序が説明つかないし

やっぱり、単純に義のため。これしか説明がつかない

59 :人間七七四年:2009/06/30(火) 02:12:43 ID:HY2FH7E4.net
そんなに最上義光の事が好きだったのか……

60 :人間七七四年:2009/06/30(火) 02:18:37 ID:YsJ0P4TO.net
ただ1つ言えるのは
上杉が本当に戦略的に行動して
東軍の背後を襲うように南進すれば
関ヶ原の戦いは応仁の乱のように長期化したかも知れないということ。

そういう点では景勝は理想高い武将だが謙信の幻影に振り回されるだけで実力不足だったと言える
これが謙信なら迷わず南進して、まず大局的な戦略要所を抑えつつ
義の為に行動してたはず

61 :人間七七四年:2009/06/30(火) 02:21:08 ID:egXm8lXV.net
桐野作人氏の関ヶ原の文庫本だと
「上杉は長期戦に備え、南下する前にまず最上や伊達らを一段落させるつもりだった」という説だね
兵力を分散して地方の東軍を潰しにかかっていた、という意味では三成と同じ行動だ
中国大返し並のスピードで主力同士の決戦に持ち込んだ家康が、三成と兼続より一枚上手だったのだろう

62 :人間七七四年:2009/06/30(火) 02:29:33 ID:FPnNMCeQ.net
>>60
謙信みたいな軍事的才覚もないしね、景勝と兼続
謙信みたいに戦術的勝利すら覚束ないのでは

63 :人間七七四年:2009/06/30(火) 02:38:46 ID:YsJ0P4TO.net
確かに上杉にしても如水にしても三成にしても
まさかここまで早く関ヶ原の戦いの決着がつくとは当時の誰もが予想してなかった結果だろう
そーいう意味では予定が狂ったという考えも説としてはありえるかと思う

ただし実際に、南進を主張する兼続と反対する景勝で意見が分かれてる点から見ても
長期化する関ヶ原に対しての
上杉家としての予めの練られた戦略とは言い難いのも事実

また関ヶ原終結後の速やかな撤退を見ても
石田西軍の命運が自分たちの命運を決めるとも当初から考えていたのなら
やはり中央で石田西軍が有利に勢力を固める為に、東軍への牽制で時間を取らすのが一番、理に適ってるわけで

周辺の敵対大名を征圧しといてから悠長に家康の背後を突くというのは
そこだけ、余りに暢気すぎる行動で、どこか浮いて見える

やはり計画的に練られた行動というか、どこか無計画な、他の思惑を優先してたとしか思えないんだな
それが、つまり義と・・



64 :人間七七四年:2009/06/30(火) 02:46:18 ID:IjXhd1r/.net
伊達には白石城を1日で落とされ、牽制されたまま最上に救援の兵すら割けず。
結局、最上に攻め込んだものの、見事に返り討ちに討って、上山と長谷堂で大敗。
上杉は、謙信あってのものだということが知れ渡ってしまった。

65 :人間七七四年:2009/06/30(火) 02:49:36 ID:FPnNMCeQ.net
関ヶ原が小牧長久手みたいな持久戦になると思ってたのかな
直江状なんか出すからw

66 :人間七七四年:2009/06/30(火) 03:00:29 ID:YsJ0P4TO.net
まぁ、最上に関しては関ヶ原の報が入ったので滅亡を免れたという観が否めないが
伊達にしても、全く積極的に戦に関わるわけでもなく上杉領を深く侵攻する狙いなどなかったのは明白
局地的な戦況で言えば、関ヶ原が長引けば確かに最上は制圧されていたと見るのが妥当だろう
伊達はそれこそ空き巣狙いが目的なのは分るが、上杉に対してどれだけ積極的に戦う意志があるのか不明だな
ただ、これらは全て関ヶ原の結果で優劣が逆転してしまったから
その関ヶ原を長引かす為にも上杉は南進しなければならなかったんだよな
それさえ、出来れば最上くらいは当然、長谷堂に篭るしか手はないのだし、それでも落城は免れないのだから問題はなかったのだが・・



67 :人間七七四年:2009/06/30(火) 04:22:17 ID:egXm8lXV.net
あくまで理論上の話だが
「守るには最低でも攻め手の半分の兵力が必要、城を落とすには守り手の3倍の兵力が必要」というモデルがある
古い関ヶ原のムック本に従って動員兵力を
上杉:36000
伊達17400
最上:7200
結城・蒲生:計20400
佐竹:16000 とする
北上して最上の城を落とすのに必要な兵力は最上7200の3倍・21600 結城・蒲生から守るにはその半分の10200
上杉はどちらもクリア出来る上にまだ兵が余っているから、史実の動きは無理のない兵力運用であると理論づけられる
仮に最上・伊達に背を向けて南下した場合、運用兵力は36000から対最上・伊達12300を引いた23700
モデルに従えばこの兵力では結城・蒲生相手に1対1を立てるのがやっと 佐竹が加わってもまだ2対1
どちらにせよ守りきられてしまう
伊達・最上と決着をつけ、総兵力36000+佐竹でようやく2.5対1 これが南下作戦で上杉が作れる最大兵力比
つまり最高の状態であってもこのモデル上では江戸城を落とす事は出来ない
上杉がどう動こうが勝ち目の薄い戦いであった可能性は高い

68 :人間七七四年:2009/06/30(火) 04:24:05 ID:egXm8lXV.net
(続き)
ところで同ムック本には、「上杉は三成敗北を予想した上でその前に北を制圧し、反転して来た東軍主力を
上杉領に迎えて単独で戦うつもりだった、最上攻略はその足がかり」という説が乗っている(一応出典もあるようだ)
もしこの計画通りに進んだ場合、最上・伊達を攻略した上杉を滅ぼすために東軍が必要な兵力は
36000の3倍、108000が必要となる!
もちろん最上・伊達は上杉の軍門に下っているわけで、家康も第二次関ヶ原と言うべき大規模戦を行うかどうかは
躊躇するかも知れない いや、外交次第では上杉は名誉ある講和に持ち込める可能性さえ出てくる
ちなみに史実通りの上杉なら対最上・伊達への兵力が12300必要なので、北上してくる東軍は23700の3倍
約70000あれば上杉を滅ぼせる この兵力は徳川家だけで動員できるので、上杉が降伏するのは頷ける

69 :人間七七四年:2009/06/30(火) 04:54:07 ID:9On2qyxZ.net
義光が庄内に色気出したからだろ?上杉が最上攻めたのって



70 :人間七七四年:2009/06/30(火) 09:30:32 ID:ry6oDTkM.net
越後、南山、背炙越、信夫、米沢、仙道、津川の七口の守備に人数を裂かねばならず、
多く見積もっても二万を動かすのが関の山だろ。
実際、兼続が率いていた一万七千余がいいところ。
外征は無理。

71 :人間七七四年:2009/06/30(火) 10:06:28 ID:dC2Pib+a.net
上杉が三成の敗北を予想してるってのは聞いたことがない。
最上攻めは
@最上・伊達制圧後の関東侵攻(東国支配)
A庄内を攻めようとしていた最上への牽制(専守防衛)
かがよく言われる。

景勝は輝元らに「最上・政宗が様子見してるのは思いもよらぬこと。
こちらの手当を終えたら関東表に出ます」「内府が上洛すれば佐竹と
ともに万事を投げうって関東乱入しますので安心を」と書いてる。

これは関東侵攻を要請されたことに対しての返事なので、出陣できな
いのに適当な返事してるともとれる(実際、そう指摘する本もある)
が、直江は本庄繁長に「政宗との和睦が進んでおり、関東出陣の際には
政宗自身か家老3〜5人に3〜5千人を出陣させたい。関東侵攻がうま
くいかなくても伊達が裏切らないための手だてをすべき」と言ってるの
で@のほうが有力だと思う。


72 :人間七七四年:2009/06/30(火) 10:18:42 ID:k4UCzHAw.net
このとき関東に残留した秀康軍の総勢って一体いくらくらいだったんでしょうか?
家康からつけられた与力大名や家臣って誰がいたんでしょうか?

73 :人間七七四年:2009/06/30(火) 10:40:15 ID:aFs/Mqy1.net
秀康が裏切る事も考えて、家康、秀忠は腹心の与力か何かを援軍として付けたんだろな

74 :人間七七四年:2009/06/30(火) 10:41:52 ID:frgnaQKd.net
約二万
結城秀康、蒲生秀行、里見義康、相馬康胤、佐野政綱、平岩親吉、水野勝俊、小笠原秀政、
山川朝信、皆川広照、松平信一、植村泰忠等

75 :人間七七四年:2009/06/30(火) 10:59:57 ID:OrKq9q/P.net
那須七騎を忘れんといて下さい!
関東勢で唯一上杉軍と戦って撃破してるのですよ!

76 :人間七七四年:2009/06/30(火) 11:07:29 ID:frgnaQKd.net
>>75
日本戦史を準拠したもので

77 :人間七七四年:2009/06/30(火) 12:28:12 ID:qN+OGvvN.net
3万が上杉全軍だろうから、秀康2万が備えを固めて堀や土塀を巡らし鉄砲を揃えていたら、
秀康が防備を固めた白河を攻めてくれるなら有難いが、
上杉自ら秀康を攻めては被害甚大。
よって直江が山形を攻めたのは、わざと白河の防備を薄くするための陽動で、
秀康が手薄の白河を攻めたなら、直江は急ぎ長谷堂から会津南部を経て下野国へ進出し那須へ北上。
景勝本隊も会津から須賀川→白河へ進軍し、佐竹と協調した直江と挟撃を謀るつもりだったんだろうね。。

78 :人間七七四年:2009/06/30(火) 12:45:18 ID:HY2FH7E4.net
さてまあ、今で言う山形市にある長谷堂から那須までどんだけ時間かかるんでしょうかね。

79 :人間七七四年:2009/06/30(火) 14:05:12 ID:kjJsh88b.net
>>77
上杉全軍が三万という根拠は?

80 :人間七七四年:2009/06/30(火) 14:59:13 ID:2UwRftnZ.net
>>58
義のためなんて後世の後付だろw
特に日本人は判官びいきだからな。
東軍が負ければ労せずして関東が手に入るのだから、
わざわざ危険冒して動く必要なかろう。

81 :人間七七四年:2009/06/30(火) 16:49:23 ID:i36jwEj8.net
頭が悪いだけなんじゃない?

82 :人間七七四年:2009/06/30(火) 18:34:01 ID:tUihIqGy.net
 関ヶ原の合戦で、
徳川家康方は七万万四千
石田三成方は八万四千
上杉景勝の軍は五万余り

よって合わせて十万数千に及ぶ。
それに家康の軍も、腹背ともに敵となれば、数も少なく苦境に立つ。

…従って西軍に勝機があった!と思う。

83 :人間七七四年:2009/06/30(火) 18:36:01 ID:YsJ0P4TO.net
>>80
そんな根拠もなにもない説明に納得しろという方が乙

東軍が負ければ関東が労せずに上杉の手に入るという話も聞いたことないし
徳川にケンカ売ってる時点で、既にわざわざ危険冒してるということ


84 :人間七七四年:2009/06/30(火) 18:40:41 ID:9On2qyxZ.net
>>82
それが一つの戦場ならねぇ
幾ら多くても分散してたら意味は無い

85 :人間七七四年:2009/06/30(火) 18:59:29 ID:IjXhd1r/.net
直江状出して粋がってみたものの、家康の小山会議辺りで青くなって怯えたんだろうなあw

86 :人間七七四年:2009/06/30(火) 19:01:35 ID:kjJsh88b.net
普通に西軍に勝機はあったでしょ。
父兄と慕うと約束したはずの毛利が大坂城占拠
「三成と大谷が密談してるよ」と告げ口してくれた奉行衆も三成と一緒に家康弾劾状
北政所が宇喜多秀家の戦勝祈願に同行。毛利の戦勝祈願にも代理を送る
小早川や島津を伏見城に入れるように命じたのに鳥居が拒否して玉砕
関ヶ原前日に笹尾山を占拠して東軍についたはずの小早川が当日になって様子見

最終的には勝ったけど家康にとっては誤算の連続

87 :人間七七四年:2009/06/30(火) 20:33:54 ID:frgnaQKd.net
>>86
戦とはそういうものです
西軍だって同じ位、誤算の連続
それにうまく対応できたのが家康だった

88 :人間七七四年:2009/06/30(火) 21:11:41 ID:FPnNMCeQ.net
>>85
結果論で見ても直江状って無謀というか?なんだけど
文面が見事とかどうでもいいような理由で評価高いのがよく分からないね
大河ドラマ後には直江状弄ったコピペが氾濫しそうな予感

89 :人間七七四年:2009/06/30(火) 22:11:12 ID:9On2qyxZ.net
直江状自体は後世の捏造じゃ無かったか?
返事は送ったんだろうけど

90 :人間七七四年:2009/06/30(火) 23:30:14 ID:Y5ZPsXP7.net
なにをもって捏造とするかが微妙だが、全くの偽作説はちょっと無理がある。
一部改竄されたとみる向きが多いんじゃないっけ?

91 :人間七七四年:2009/07/01(水) 00:34:06 ID:NUKhE3fL.net
偽書と言われたのは1980年代ころで、特に根拠はなく三成
との東西挟撃説とセットで否定された。最近では敬語の使い方
がおかしいなど具体的な根拠が挙げる人もいるが、一方で偽書
説を唱える人は少なくなり、一部改変とする見方が強い。

改変が指摘される最たるものが「かかってこんかい」とい
う追而書。しかし、原本により近いとみられるもの(酒井
家など徳川家に近い家の所蔵)についており、逆に諸大名
に回覧する際に削除された可能性も指摘されてる。

92 :人間七七四年:2009/07/01(水) 01:06:07 ID:sZk51VEp.net
上杉家が南進しなかった理由として、直江状が利用されたと感じ、
違うとの意思表示で、あえて追撃しなかったっていう話も読んだことがある。

93 :人間七七四年:2009/07/01(水) 08:32:04 ID:KOv9L9RC.net
兼続の戦指揮振りは下手杉

94 :仙台藩百姓:2009/07/01(水) 09:55:40 ID:z203KZji.net
指揮以前に政略的に終っているお( ^ω^)
他人任せの戦略でやらなくてもいい戦起こすなど下策とすら言えないお( ^ω^)

95 :人間七七四年:2009/07/01(水) 10:05:18 ID:mWyKc/Ng.net
政宗公なら最上なんか直江出陣から撤退までの三週間で滅せるお( ^ω^)

とは言えない悲しさ

96 :人間七七四年:2009/07/01(水) 12:14:46 ID:g/PPFYQU.net
百姓に肩入れする気はないが、
政宗公の不幸は悪い伯父さんがいたことだな。

97 :人間七七四年:2009/07/01(水) 13:05:57 ID:nCJksHIW.net
悪い曾祖父、祖父に伯父に母に……

98 :人間七七四年:2009/07/01(水) 13:12:16 ID:rIeIIheq.net
>>92
もし、本当に失礼な書状で家康を怒らせてたんなら、戦後安国寺みたいに
あぼーんされてたんちゃう。
たしかに書状は送ったんだと思うけど、家康の怒りは演技のような気がするな。
書状が帰ってくる前に、上杉討伐をすでに決めていたっていう史料もあったような。
あと、もしかして、兼続を前面に出して、家康を怒らせた兼続を処罰するなら
許してやってもいいよって景勝に逃げ道を残してやっていたとか。景勝はそうしなかったけど。



99 :人間七七四年:2009/07/01(水) 13:22:11 ID:oNbwmEML.net
悪党な叔父と言えば暗殺大好き最上義光のことですな。

100 :人間七七四年:2009/07/01(水) 13:22:38 ID:QNjHLvof.net
>>98
家康あて豊臣奉行衆書状
「直江は無礼で御立腹はもっともだと思いますが、やつは田舎者
 で不調法なやつなのでもう少し上洛を説得しましょう」
過激な中身だったのは間違いない

101 :人間七七四年:2009/07/01(水) 13:44:36 ID:RGuvh9tW.net
直江って頭の悪い田舎者って感じだもんな
政宗公はその数倍先をいってるけどさ

102 :人間七七四年:2009/07/01(水) 16:02:24 ID:+XbqK5AS.net
大河の主人公になるとねたまれて大変だな

103 :人間七七四年:2009/07/01(水) 16:40:17 ID:RGuvh9tW.net
あの大河じゃ妬まれないよw

104 :人間七七四年:2009/07/01(水) 16:59:25 ID:oNbwmEML.net
>>101
伊達厨が嫉妬に狂ってアンチやってんのモロバレでワロタw

105 :人間七七四年:2009/07/01(水) 21:04:59 ID:rq6ot+K/.net
>>104
冷静に読んでみれば、>>101は「政宗は直江より数倍ひどい」だと思うんだがw

106 :人間七七四年:2009/07/01(水) 21:14:18 ID:nNwFPDCC.net
>>103
むしろ同情せざるを得ない

107 :仙台藩百姓:2009/07/01(水) 22:47:52 ID:z203KZji.net
愛と正義のスーパーヒーローこそ上杉厨が望んでいたものじゃんお( ^ω^)
新潟と米沢じゃ涙を流しながら喜んで見てるはずだお( ^ω^)

108 :人間七七四年:2009/07/02(木) 08:09:56 ID:r5DSLQeb.net
米沢では微妙な空気が・・・

109 :人間七七四年:2009/07/02(木) 19:54:25 ID:BMuERUcm.net
あの大河を喜ぶような地元民じゃなくてよかったじゃないか
あれ喜んでたら直江なんてどうでもいいって証拠になっちまう

110 :人間七七四年:2009/07/03(金) 01:16:49 ID:7O6riJbC.net
三成が挙兵するタイミングがもう少し遅く
上杉の白河防衛ラインでの戦闘開始後ならどうなったかな?
このタイミングだと東軍の撤退も危険を伴うだろうし
景勝も戦の常道として追撃した可能性が高いと思うが

111 :人間七七四年:2009/07/03(金) 07:40:40 ID:XG6flFeL.net
>>110
西軍に入るはずだった武将がだいぶ東に進んじゃいそう

112 :人間七七四年:2009/07/03(金) 09:29:37 ID:sKr5OCII.net
長宗我部とかは没収されずに済んだだろうな。

113 :人間七七四年:2009/07/03(金) 10:13:00 ID:crLgUo0B.net
史実と違って開戦前から東軍圧勝になるだろうな

114 :人間七七四年:2009/07/06(月) 19:07:45 ID:V1/B6qPf.net
上杉と戦いはじめてから三成が挙兵してたら、動揺した白河の家康陣に謀反や離脱者がかなり出るだろう。
そもそも家康は上杉に牽制され動けず、血気にはやって岐阜城を落とした福島らに要求されやむなく江戸を出立してるくらいだから、余計に上洛できなくなる。
よって丹後の細川も降伏し、大津の京極も降伏し、彼らが合流し岐阜へ進撃、
別動隊の宇喜多らは伊賀経由で津を攻略北上、
岐阜の織田秀信と合流し尾張を落とし福島は家なき子に転落、東海道へ西軍が進出すると山内一豊ら豊臣恩顧大名が家康から離脱するのは明白で伊豆まで労せずに進出。
さらに西軍別動隊は中山道を進軍し真田を先鋒に小諸の仙石領を奪い取り関東へ進軍。
北陸道は丹後攻略隊が合流し大谷ら、丹羽と協力し前田を従え越後で旧上杉の反乱に呼応。


115 :人間七七四年:2009/07/06(月) 20:22:29 ID:WgmOfVce.net
>>そもそも家康は上杉に牽制され動けず、血気にはやって岐阜城を落とした福島らに要求されやむなく江戸を出立してる
まずここで破綻してますねw
努力は認めてやろう

116 :人間七七四年:2009/07/07(火) 09:29:59 ID:DDIASlf0.net
この時代に携帯の一つもあれば、天下盗れるな

117 :人間七七四年:2009/07/07(火) 09:57:46 ID:vvM6hKCK.net
一つじゃただの音と光の出る箱じゃん
最低二個無いと

118 :人間七七四年:2009/07/07(火) 10:06:25 ID:lPFqwqKG.net
会津が最も輝いてたのは景勝の頃だな。

今の様な城と町並み整備したのは加藤嘉明だが。

119 :人間七七四年:2009/07/07(火) 10:47:28 ID:wvarVBry.net
二つはないと駄目だろ

120 :人間七七四年:2009/07/07(火) 12:34:16 ID:k960LZDN.net
>>115
実際、上杉の動きを警戒して秀忠を白河にずっと置いてたし、福島らの背反を恐れ、佐竹の動向が不明瞭なこともあって
家康は江戸からずっと動けなかった。
福島らが家康に何度となく出馬要請してたにも関わらず無視。
結局、福島らが岐阜城を落として近江へ進軍し勝手に三成らと決着をつけようとし始めたので戦後に自分が主導権握れなくなるので、
慌てて家康が福島らに勝手に戦うなと命じつつ急ぎ出立した。家康が到着した時にはすでに戦意が最高潮で、秀忠が間に合わなかった。


121 :人間七七四年:2009/07/07(火) 18:02:31 ID:2Y2fbJgq.net
>>120
家康が動かなかったのは東軍先鋒がしっかり戦って
態度を示さなかったから
岐阜城を落とすという実績で行動
ついでに言えば、岐阜城落城で早期決戦の可能性が
見えてきたから

122 :人間七七四年:2009/07/09(木) 21:03:06 ID:G8p+30WI.net
>>121
いくら家康でもそこまで神じゃない。

123 :人間七七四年:2009/07/12(日) 18:46:55 ID:Zs88npgK.net
1590年に政宗は小田原参陣のため一旦南会津口へ向かったが刺客を恐れ一旦引き返した。

その後、直江からの誘い(書状現存)を受けて政宗は小国から上杉領内(越後、信濃)を通らせて貰ってやっと小田原に辿り着いている。

あと1日でも参陣が遅れれば、会津征伐は必ず実行されていただろう。政宗にとって直江は命の恩人。

だからこそ、関ヶ原が長引けば、上杉・伊達・最上・佐竹連合軍で江戸制圧!!ってことも直江の頭にはあっただろう。

124 :人間七七四年:2009/07/12(日) 19:22:21 ID:mPx5/cE9.net
↑ 江頭2:45に見えた

125 :人間七七四年:2009/07/12(日) 19:29:56 ID:nz8TsOnB.net
>>123
リアリスト(笑)政宗がそんな事するわけ無いだろ。

「あー、小田原の……!あれには感謝してますんで、この戦いが終わったら助命嘆願くらいはしてあげますよww」
くらいだろ。

126 :人間七七四年:2009/07/12(日) 22:26:03 ID:jV6K7+dr.net
謙信は戦闘は強いが迷惑者
景勝・兼続は戦闘に関しては無能コンビ

上杉が南進したら?

本庄あたりが軍を率いれば少しは戦えそうだが、直江が率いれば勝ち目は0
兼続ごとき3流指揮官が率いれば勝てるものも勝てなくなる


127 :人間七七四年:2009/07/15(水) 09:05:27 ID:ygTFfnvN.net
>>125
直江の頭には>>123の構想はあったよ。
本庄にも伊達に関東出陣させるよう書状送って命じてるし、
一時兵を差し出すと書状を送った最上のよりも伊達のほう
が同盟の話は進んでいた。

128 :人間七七四年:2009/07/15(水) 11:26:10 ID:AcnJuugp.net
政宗得意の二股作戦にまんまと引っ掛かる上杉w
そしてあっさり白石城を落とされる上杉w

129 :人間七七四年:2009/07/15(水) 13:23:10 ID:oxHyShdE.net
>>128
つか南部領で謀反起こさせて山形に集結していた東軍を瓦解させて、上杉と同盟の話をしてるあたり限りなく西軍だったけどな。
甘粕が兵を率いて白河へ行って空っぽの白石も上杉との同盟密約の引き出物って説もあるくらいだしな。
関ヶ原後に突如として東軍顔し始めたから100万石パーになったんじゃん。

130 :人間七七四年:2009/07/15(水) 14:30:07 ID:67Coyec9.net
>>129
初耳なんだが
ヘマました上杉の言い訳なんじゃねーの

131 :人間七七四年:2009/07/16(木) 09:36:51 ID:3FKuzLDp.net
>>130
関ヶ原 ( ´・ω・)ショボーン と言えば
西国の大友吉統。東国の直江兼続

奥羽で終始一貫徳川方だったのは最上だけで
後は伊達も含めて皆、勝ち馬に乗ろうと形勢を窺ってただけの話
上杉が圧倒的大軍を最上に振り向けたので
周辺諸国は「最上終わったな」と思ったが
直江が余りにもヘボ戦をやった為に上杉の勝ちが怪しくなったところで
隙を窺っていた伊達軍の茂庭綱元に湯原城を陥されて王手がかかる

伊達は葛西大崎転封とそれに伴うゴタゴタで軍事力がズタボロになっていたのに
和賀一揆煽動とか余計な真似をやらかして戦略的に自らの首を締めた
おかげで切り取りを許された旧領6郡のうち、回収できたのは刈田1郡だけ

132 :人間七七四年:2009/07/16(木) 09:39:32 ID:1+qIEKvu.net
>>128
順番が逆。白石を落としたのは家康の反転前。反転してからは
上杉と和睦交渉。もっとも上杉も伊達を信じず、直江は「破棄
してきたら使者を何度も送って和睦を引き延ばせ(その間に最
上を下す。そうすれば伊達も降らざるを得ない)」

133 :人間七七四年:2009/07/17(金) 13:44:18 ID:uH/yOUDc.net
刈田郡西部の湯原城は空っぽで
これまた刈田郡譲渡に関わる
上杉伊達密約譲渡なわけだが。
だから伊達はそれ以上に上杉領に食い込んで来ない。


134 :人間七七四年:2009/07/17(金) 16:34:26 ID:IWE9ckGy.net
妄想乙

135 :人間七七四年:2009/07/17(金) 18:30:44 ID:Hg+ApzF1.net
密約というよりは南から迫る家康への対応を優先してるからだろ。
とはいえ、伊達だって深入りしすぎるわけにもいかない。

136 :人間七七四年:2009/07/18(土) 23:00:20 ID:XB2ztrkn.net
さりげなく、
家康−直江 仲良し自作自演説を書いてみる

137 :人間七七四年:2009/07/21(火) 15:37:10 ID:4vbuLGvy.net
少なくとも佐竹と伊達がはっきりと西軍でなきゃ
南下など出来るわけがない

138 :人間七七四年:2009/07/21(火) 20:59:14 ID:LJswWXqE.net
>>135
刈田から米沢を突けば直江は山形で孤立して労せずして旧領米沢を回復できるのでは?

139 :人間七七四年:2009/07/21(火) 21:21:56 ID:RyaffONa.net
>>138
開戦から二週間余りが経過し、直江が最上を倒せないと見た伊達は
9月25日に茂庭綱元が刈田郡西端の湯原城を攻略し、出羽国境の金山峠に兵を進めた
湯原陥落の報を受け狼狽した直江は、米沢留守の父・樋口兼豊に急ぎ米沢の守りを
固めるよう伝令した。この時、伊達十分な戦力を投入出来れば米沢を奪還出来たんだが
関ヶ原当時の伊達は軍事力がボロボロ、さらにただでさえ少ない兵力を
和賀一揆の方にまわしていたため、千載一遇の好機をフイにしてしまった
伊達軍が金山峠を越えた段階で、どのみち直江は全速力で米沢に戻らねばならない
そこにたまたま西軍の敗報が舞い込んだ。というわけ

140 :人間七七四年:2009/07/24(金) 02:35:50 ID:oDAQlTYY.net
白石城では上杉勢は七百余名が戦死して伊達に完敗している。
当時、伊達に滅ぼされた葛西大崎の浪人衆が上杉軍にまじっていたが、
彼らは伊達の降伏勧告に抵抗。このため開城を巡って上杉同士で同士討
ちまで起こす醜態を晒している。

陥落した白石城には石川昭光が入り、2千人に増強して上杉に圧力を
かけつづけてた。上杉は軍事要衝を失墜したため、伊達の侵攻に終始
怯え続けながら、最上にも完敗している。

141 :人間七七四年:2009/07/24(金) 06:48:48 ID:CsJq2+Lx.net
>>139>>140
妄想戦記乙
ソース希望

142 :人間七七四年:2009/07/24(金) 18:23:26 ID:gK0NQuw1.net
タンパン

143 :人間七七四年:2009/07/25(土) 07:49:42 ID:cmaAMPKi.net
なんだその伊達厨の小説は。
マジ馬鹿だな政宗好きって。

144 :人間七七四年:2009/07/25(土) 16:43:08 ID:zsw6hdlx.net
涙拭けよ
講談調だが概ね定説通りだ


145 :人間七七四年:2009/07/25(土) 22:07:58 ID:cmaAMPKi.net
>>144
プッ
なら
ソース
出して
見ろよ
絶対
無理だかなw


146 :人間七七四年:2009/07/26(日) 12:06:18 ID:JjUxIvuA.net
会津征伐軍が引き返した後に直江が伊達(最上)との同盟を本気で考えていた風なのは現存する書状から事実だろ。

伊達は二股作戦で、仮に西軍が有利なら、本気で上杉の誘いに応じるつもりだったんじゃない?

同盟後に南下も考えていたかもよ。上杉・伊達・佐竹・最上(は不明)・真田あたりでね。

147 :人間七七四年:2009/07/26(日) 12:26:14 ID:u0L+Z3pk.net
白石城で伊達の降伏勧告を受けた上杉軍が醜い同士討ちをしたのは史実だから仕方ない。
葛西大崎一揆の研究者の紫桃正隆氏などの研究書で明らかにされている。
伊達憎しで葛西大崎家の浪人衆まで白石城に立て籠もっていたから、上杉は終始のつかない
状態で、伊達の軍門に下ってしまった。
1日で陥落させた白石城は、上杉への強烈な揺さぶりとなる手駒となった。

148 :人間七七四年:2009/07/26(日) 12:30:44 ID:JjUxIvuA.net
>>147 白石城攻略の話は徳川反転の前だろ?

白河口での戦いに集中していた上杉を前に、単に徳川反転前は伊達は上杉に勝ち目は無いと見てたってことじゃない。

実際、同盟の話が出て来たのは徳川反転後。西軍有利だったら伊達は上杉と同盟を結ぶ利益は十分にある。

149 :人間七七四年:2009/07/26(日) 13:49:00 ID:z0r7lfSv.net
直江が「奥州諸侯は上杉に降る」と思い込んでいたのは確かだろう
まぁ直江としては、大軍を以て山形まで進攻すれば
それだけで最上の心胆を寒からしめることが出来る
兵力差は圧倒的だから、最上は狼狽して為すところを知らず
上杉軍の進むところ勝利以外の何物が前途にあらんや。と夢想していた
鎧袖一触で最上が沈めば、奥州諸侯もあえて上杉に手向かいはしなかっただろう
ところが、直江は9月下旬になっても決着をつけられなかった(つける見込みすら無かった)
旧暦10月となれば、現代より寒冷な戦国時代ではもう雪が降り始める。完全に時間切れ
結局は兵力差を過信して拙劣な戦をした直江の見通しが甘かったというだけのこと
景勝親征、或は甘糟・本庄あたりのマトモな武将が指揮官であれば
兵力差からみて最上に勝ち目は無く、降らざるを得なかったであろうが

150 :人間七七四年:2009/07/26(日) 16:49:47 ID:K+0r1/Pl.net
おおむね同意

151 :人間七七四年:2009/07/26(日) 21:47:26 ID:IpHlEcku.net
マトモな武将 マトモでない武将
その差と判断基準は

152 :人間七七四年:2009/07/27(月) 12:23:51 ID:h0h/Z/z+.net
>>151
単純に武功・実績の差
甘糟景継は上田衆出身の古参で、謙信時代に既に武功を賞されて
護摩堂城主に任じられていた歴戦の武将であり実績十分
八王子城攻めでは、二の丸でもたつく前田軍を尻目に三の丸を強襲し
城の中枢を制圧するなど、城攻めの巧さも見せている
本庄繁長は言うまでもなく、越後を代表する良将の一人でその武功は数知れず
当時の上杉家中にあっては戦歴・能力ともに随一と言って差し支えない

ところが、直江には確たる武功が無い
むしろ出奔に追いやられた藤田信吉の方が、新発田合戦をはじめとして
景勝の下で数々の武功を挙げて頭角を現してきた人物であった

153 :人間七七四年:2009/07/27(月) 14:39:42 ID:FSDsQktP.net
実績がないから指揮能力がないというのも違うと思うがね。

154 :人間七七四年:2009/07/27(月) 16:17:06 ID:/FwOjLTQ.net
藤田は家康から景勝に内緒で刀や金をもらったのが発覚しそうになり出奔。
この時期の家康は有力な宇喜多家臣や毛利家臣や小早川家臣らに接近しており、
各大名を政治的に徳川陣営または中立化、有事の時は内応をさせようと企んでいた。
もし藤田を処断して上杉が一枚岩の団結を誇らなければ、史実とは違い白河表で家康は決戦を挑み、宇喜多騒動や、関ヶ原での吉川や小早川のような見苦しい事態が上杉に起こり崩壊していただろう。

155 :人間七七四年:2009/07/27(月) 19:24:43 ID:/FwOjLTQ.net
>>147
あまりレスを読んでなかったが興味深いレスがあるな。
白石で同士討ちの記述が紫桃正隆の研究結果にあるだと…

仙台領の戦国誌は葛西大崎一揆についてしか書かれてないはずだが。
たしか政宗が甘言で大崎葛西一揆の首謀者達を集めて須江山で謀殺した数は葛西側資料には70以上はあり、
秀次の命でやむを得ず殺したと知る成実記はウソを書いてるし、伊達秘鑑における二十数名を殺したってのもウソだとしている。

私本奥州葛西記は政宗時代より前の時代を扱ってたな。

葛西氏と山内首藤一族は
やはり大崎葛西一揆鎮圧で政宗は甘言で深谷に呼び出して集合させた武士500農民2000を虐殺したとしてる。
また関ヶ原に絡んだ記述として和賀一揆を支援した政宗に対して反撃した南部側に花巻で敗れた伊達軍は
捲土重来を期して南部侵略の拠点にした水沢からさらに増援を送り出し岩崎城に物資を集積。
南部軍は4/4水沢からきた伊達軍を野戦で撃破し26日には岩崎城を陥落させ、
伊達軍は岩崎が火の海になる中を逃げ惑い伊達領へ壊走した。
その時たまたま家康の鷹匠が現地にいたので南部利直はさっそく井伊直政宛に書状を書いてる。
政宗は家康に対しては、すべて和賀のせいにして無理やり自刃させ、その首を利直へ贈り、あなたの賊は政宗が成敗したから今回の事は水に流して欲しいと哀願。
さらに今井宗薫へ宛て百万石はムリでもせめて堪忍分として十万石でも二十万石でもどっちでもいいから加増させてもらいたいと哀願したと書かれているが
白石城の話はまったく出て来なかったはず。
どの書籍の何ページに書いてるのか教えて欲しいわけだが。

156 :人間七七四年:2009/07/27(月) 20:31:21 ID:wKuap1rv.net
>>155
>南部軍は4/4水沢からきた伊達軍を野戦で撃破し26日には岩崎城を陥落させ、
 伊達軍は岩崎が火の海になる中を逃げ惑い伊達領へ壊走した。
 その時たまたま家康の鷹匠が現地にいたので南部利直はさっそく井伊直政宛に
 書状を書いてる。

和賀一揆の件は、慶長5年10月時点で家康に嗅ぎつけられてんじゃね?
政宗自ら宋薫に「南部の件」とわざわざ断っているところからして。
確か鷹匠も慶長6年の正月頃の話だろ。4月じゃ遅すぎるよ。



157 :人間七七四年:2009/07/27(月) 20:48:16 ID:/FwOjLTQ.net
>>156
そうか訂正してくれてありがとう。

158 :人間七七四年:2009/07/28(火) 07:25:27 ID:w/JuIX80.net
関ヶ原で東軍に付いた大名は家老級が家康に買収されてるケースがほとんど。
大名当主が直接親政してるような家は西軍に付いてる。

159 :人間七七四年:2009/07/28(火) 10:44:33 ID:Lc6rZbpQ.net
朝っぱらからソースもない捏造乙であります

160 :人間七七四年:2009/07/29(水) 08:46:38 ID:0rucm5RD.net
で、白石での同士討ちの件を克明に描いたとする紫桃氏の書籍名とそのページ数はまだなの?


161 :人間七七四年:2009/07/29(水) 09:51:54 ID:qARHBJuX.net
>>153
何回やっても何回やっても藤島城が落とせないよ@かねつぐ

162 :人間七七四年:2009/07/29(水) 19:35:44 ID:V/xBI1pK.net
>>161
大将を野戦で打ち破ってとらえ、処刑してる@かねつぐ
そして城も降伏

163 :人間七七四年:2009/07/29(水) 21:35:00 ID:nzjES3rg.net
>>120
ふむふむ、福島正則が第3の勢力に成りかけていた訳だな。
日本の韓信的存在だったんだよなぁ、正則って。

164 :人間七七四年:2009/07/29(水) 22:02:21 ID:HJ1TF+XM.net
>>162
尾浦を攻めていた平賀を破って捕らえたのは直江じゃないな
炙り殺したのは直江かもしれんが

藤島城に至っては、1590年9月〜1591年4月までかかっても落ちる気配すら無く
5月に首領の金右馬允に泣きを入れ、手土産に右馬允の子・右馬丞に知行を与え
さらに起請文を提出してようやく開城(右馬丞は、1601年の最上の庄内攻め呼応する)

こんな「前科」が有る奴に大軍任せて長谷堂城攻めさせちゃダメだろ…
他に人材が居ないならともかく、上杉だぜ…

165 :人間七七四年:2009/07/30(木) 07:28:32 ID:71VTnTVD.net
>>160
また伊達厨のウソだろ。
浅はかにも紫桃氏なんて知らないだろうと思って捏造しちゃったんだろうね。


166 :人間七七四年:2009/07/30(木) 08:28:31 ID:J7rlcBDL.net
>>163
のぶやぼのシナリオにそういうのあったな

167 :人間七七四年:2009/07/30(木) 08:36:14 ID:COMPxAn8.net
>>164
時間がかかったことを強調したいようだが、
兼続は1591年1月に上洛してるぞ

168 :人間七七四年:2009/07/31(金) 07:37:12 ID:KuEi8JXK.net
だから?落とせなかった事に変わりは無いがな

169 :人間七七四年:2009/07/31(金) 19:34:31 ID:dlicahmQ.net
城攻めは下手だが虐殺行為には定評があるかねたん

170 :人間七七四年:2009/07/31(金) 21:06:09 ID:YICtK74q.net
最上義光 「戦など愚かなこと、暗殺で済ませばよいではないか」

171 :人間七七四年:2009/07/31(金) 23:37:13 ID:yh+Gfm2n.net
>>168
降伏させる=落せなかった とかどんな理論だよ

172 :人間七七四年:2009/08/01(土) 00:00:41 ID:75ELgu/K.net
>>171
属国内の一揆に対してこれだけ妥協を強いられりゃ
胸を張って「金右馬允を軍門に降したり!」なんて言える内容じゃないわ
しかも、藤島城に籠もった連中以外は尾浦城主下吉忠の手を煩わせ
仙北一揆鎮圧および上洛時には、未解決の攻城戦まで他人の手を借りる始末
どう見ても「失敗」

一揆発生・長期化を本庄父子の所為にして改易に追い込み、庄内を上杉直領にした点は
転んでもタダでは起きなかったということで、評価に値するが

173 :人間七七四年:2009/08/02(日) 02:57:14 ID:Ujt49fco.net
>>165
どうやら白石城は密約譲渡じゃなくて実力で奪ったと涙の主張がしたい伊達厨の捏造のようだね。
実際、甘粕が妻の葬儀で景勝に内緒で会津に戻っていて留守を伊達に襲われ白石城が奪われたとする通説自体が
会津陣物語と言う軍記がソースのデタラメで、史実での甘粕は景勝の指示で、白石城の兵を連れて家康との決戦に向け白河城へ向かっていたわけだし。
明らかに伊達に備えるような警備体制にはなく、白石城に兵はほとんどいなかったし、
同じ刈田郡の湯原城には上杉軍がまったくいなかった為、この地の豪族がふつうに服属し伊達は無血占領している。
ここは米沢を直接狙える位置にあり直江の退路を絶ち山形と挟撃大勝できる要地にも関わらず伊達はなぜか刈田郡を越えようとしない。
さらに上杉側は両城とも奪回しようという気すらまったくなかった。
そもそも伊達との密約があったから上杉は伊達を攻めずに山形を攻めたわけだしな。

174 :人間七七四年:2009/08/02(日) 08:36:02 ID:Bg997Riw.net
>173
その根拠となる資料を提示してみせろよ
その呼吸するが如く信憑性に欠ける内容をさも事実のように書けるお前の精神性を疑うよ


175 :人間七七四年:2009/08/02(日) 09:06:07 ID:rfAhfOIM.net
>>173
>明らかに伊達に備えるような警備体制にはなく、白石城に兵はほとんどいなかったし

珍説だな。「白石城に兵はほとんどいなかった」とする証拠を出してもらうか。
落城時、白石城を守っていた城主登坂ら四人が伊達側に投降したこと、戦いでは数百人の上杉兵を
討ち取られたことは実際確かだし。

伊達政宗書状には「城主登坂式部(勝長)、同新左衛門、南右馬充当、白井左衛門、此四人ノ者共、
我等手前抱置候、此他歴々数百人討果候、明日桑折表ヘ参陣可仕候」(慶長5年7月25日伊達政宗書状)
とある。

174氏と共に珍説を主張する173の弁明をまってみるか。

176 :人間七七四年:2009/08/02(日) 12:25:01 ID:Ujt49fco.net
紫桃氏のソースは出せないのに、こちらにソースを求めるのかプッ?
白石で同士討ちがあったんじゃないのかw
だいたい落城させておきながら家臣への恩賞に関わる大切な討ち取り人数が数百人とか曖昧過ぎだろw
まぁ捏造報告だから曖昧なんだろうが。
商人や鷹匠らによる家康の監視があるから、
最初から密約に基づいて登坂が降伏するわけにはいかないから1日だけちょっと抵抗してみせた自演だろうが。
それとも会津陣物語のように170人の上杉兵だけを討つために伊達勢2000が手追い討ち死にしたんかね?伊達弱っ!
奥羽永慶ではやはり甘粕が作戦会議で会津に言ってた留守を伊達が襲ったとしてるしデタラメ過ぎてワロタ。

177 :人間七七四年:2009/08/02(日) 12:45:40 ID:fyWoG+qH.net
>>176
今日のキチガイ乙

178 :人間七七四年:2009/08/02(日) 13:15:40 ID:Ujt49fco.net
我等手前抱置候←降将に対する扱いではないな。やはり示し合わせた談合の証拠。
そして誰も見てない刈田郡奥地の湯原城では家康の監視もないので、白石城のような戦うフリもせずに安心して無血開城して伊達にプレゼントしました。

179 :人間七七四年:2009/08/02(日) 15:44:06 ID:Bg997Riw.net
結局妄想の域を出てないな

180 :人間七七四年:2009/08/02(日) 15:46:27 ID:rfAhfOIM.net
>>160
>白石での同士討ちの件を克明に描いたとする紫桃氏の書籍名とそのページ数はまだなの?

上杉の白石城での同士討ちの件は紫桃氏の『みやぎの戦国史』の中にある。中新田城の戦いを始め、
佐沼城の一揆の鎮圧等、さらに白石城攻防戦にも1章を割いて詳細しているから一読を勧める。
なお、『危うし独眼龍〜伊達政宗の見果てぬ夢』の「白石城の攻防」でも簡単に「同士討ち」に触れている。

「白石城主は、甘粕備後が留守で登坂式部勝乃兄弟が城を守っていた。城中には大崎三次、葛西長三郎、…旧葛西
大崎の名のある武士団がかなり籠城していた。伊達家の厳しい残党刈りを逃れ、上杉氏傘下に入ることで再起を期した
ものだろう。」
「激戦の末、白石城兵七百余人が討ち取られ、大崎三次らは戦死し、城は本丸をのこすばかりで、落城必死の形勢と
なった。そのため城代の登坂兄弟は、伊達家武将の石川昭光、片倉景綱を通じ、降参の助命を申し出た。」
「石川、片倉の両将はこれを許し、誓詞を書き送り、開城の運びとなった」
が、籠城軍の中に鹿子田右衛門という過激武士がいて、降伏絶対反対、1人になっても戦うと宣言し、手の者を連れて
城外へ打って出てしまったのである。助命誓詞まで受けた城内の者は、鹿子田のルール違反に手を焼き、
仕方なく城内から鹿子田らを狙って鉄砲を打ち掛け、味方討ちの形にして全員殺してしまった。」
「味方撃ちの中で果てた右衛門の最後は哀れであるが、ここにも歴史の因果がにじみ出ている」(紫桃正隆)



181 :人間七七四年:2009/08/02(日) 16:21:28 ID:Ujt49fco.net
いま調べてみたが
大崎三次
葛西長三郎
なんて家系図や家臣団の中に名前が見つからない。
あくまでも自称で、どこの馬の骨がもわからない人物ではないのかね?
だいたいシナリオ通りに開城する約束を実行しようとして、土壇場で聞かされてなかった反対意見の者達を討つあたりはやはり密約の存在を証明してるようなもんだな。
例えば相馬の記録の補填になる奥相茶話記みたいに
田村旧臣の石川弾正の肝煎りで景勝に紹介され、相馬旧臣の泉左京胤政が700人扶持で上杉に召し抱えられ、また瀧迫日向がそれに合流。
直江騎下で最上侵攻に相馬衆119人で参加し、相馬流の軍配で功を立て戦後には泉に越後6万石、日向には1万石の内儀の約束があった。
このようなちゃんとした証拠くらいあるのかね?

182 :人間七七四年:2009/08/02(日) 16:38:57 ID:Ujt49fco.net
しかし釣りレスしたらやっと紫桃氏の話が出たから期待したんだが、ソースなしの話が書かれただけかよ…
だいたい700人を討ち取りのソースはなんだね?
奥羽永慶ですら白石城での討ち取り人数はまったく明記されてすらいないわけだが。
会津陣物語での白石城の被害はさっき書いたな。
700なんていい加減な数字じゃねぇか。

183 :人間七七四年:2009/08/02(日) 17:43:40 ID:rfAhfOIM.net
>>181
>いま調べてみたが 大崎三次 葛西長三郎 なんて家系図や家臣団の中に名前が見つからない。
 あくまでも自称で、どこの馬の骨がもわからない人物ではないのかね?

葛西大崎の研究家の紫桃氏によれば、「大崎三次」とは大崎三次義興、「葛西長三郎」とは葛西三郎清高。
前者は葛西十七代太守晴信の子、後者は大崎十三代太守義隆の子だとする家譜があると述べている。
異論があれば、更に論駁してみればよい。

尤も、ID:Ujt49fcoにかかれば、西・大崎の研究家の紫桃氏が見出した伊達の須恵山の惨劇すら捏造扱いされ
かねない勢いだが(苦笑)

184 :人間七七四年:2009/08/02(日) 17:51:58 ID:rfAhfOIM.net
前者と後者、訂正しておく。

会津陣物語=東国太平記=これは上杉の奇書で、有名な松川合戦の捏造戦記がでっちあげられている…。
これ以上上杉の恥を晒しても仕方ないだろう。それこそ上杉同士の同士討ちになりかねないし。

185 :人間七七四年:2009/08/02(日) 18:46:37 ID:fFqPDB1Y.net
松川合戦がでっちあげだと断定はできないし、一つ違
うと内容の全部がおかしいわけではない

186 :人間七七四年:2009/08/02(日) 20:00:14 ID:bZYEXc79.net
いやいや、会津陣物語は内容無茶苦茶だよ


このスレで言うなら、会津征伐に対して佐竹と連動して家康の軍を叩くと書いてあるんだけど、
上杉が佐竹と連絡取り合い、なんらかの約を交わしたのは7月中旬
つまり会津陣物語にある佐竹と連動した家康の軍勢を包囲殲滅戦は、
有り得ないんだよね

それでなくとも書かれてるような包囲戦を、当時の情報連絡網で出来るのか、かなり疑問

あれは講談の類の軍記という認識でいいよ
史料としての信憑性は皆無と見なしていいかと


187 :人間七七四年:2009/08/04(火) 00:03:59 ID:zl02VHHh.net
ふむ。「みやぎの戦国史」なる本は存在が確認できんからまったくわからん。
だが君のレスの内容は三陸河北新報社の石巻かほく昭和60年8/20〜12/1連載小説の「危うし独眼竜」に触れているどころかまるまる書いてある。
さてその内容だが、三光録にある白石軍記(白石城攻略)と山中記(白石城攻略後日談で石川義宗の手柄話)と言う軍記を元ネタ種本にした片倉代々記に書いてある内容そのものだ。700人討ち取りのガセもこれ。
もちろん史実にはまったく認定されない妄想話で石川義宗などはとっくに死んだはずの中野常陸介を討伐して政宗から褒められたりする笑える話が書かれている。
無論、大崎三次や葛西長三郎が当主の息子だとは一切書いてない。
それどころか鹿子田右衛門が二本松畠山義継を唆して輝宗を拉致させた張本人の息子だと書くムリヤリ感ある基準が実に講談風だ。
さて葛西氏の系譜は独自の口伝や相伝で30以上あるわけだ。
しかも2つのまったく別系統の系譜がありそれぞれが葛西当主だと主張してる。
〉〉紫桃氏は再起を期したものであろう、〜とする家譜がある。
さすがに紫桃氏も曖昧さのある書き方をしてるな。
さて再興運動後に葛西晴信は加賀へ行き慶長2年に死去。さすがに再興の望みを持ってれば変な真似はできん。
左沼城撫で切りで百姓2000人武士500と桃生郡江糠塚山の一揆物頭衆騙し討ちで伊達に殺された加西氏は完全に息の根を止められたしな。
大崎義隆は直江の2700石客将だが息子は義満・義道・満隆が確実に存在していたとされる。
口伝レベルの史実かの確認がとれない実に怪しい話である。

188 :人間七七四年:2009/08/04(火) 00:20:48 ID:zl02VHHh.net
北越軍記では甘粕が会津の妻の訃報で留守、また白石落城では鹿子田日向守171人討ち死にと記すね。もちろんこれも信用性ゼロの軍記だ。
ちなみに福島県史では甘粕が白河の軍議に参加していて留守と断定してる。
さて白石軍記では米沢から白石までの七ケ宿街道を伊達側の野伏達が支配し白石城から米沢へ向かおうとする鹿子田を襲撃したりしたと書く。
さらに茂庭の足軽隊200にその野伏ら(九代政宗時代からの恩を感じていたらしい)と湯原城守備を担った住民達(これまた政宗時代からの恩〜)が味方を申し入れ新宿攻略に活躍とのこと。
(新宿城主大畠吉兵衛に人質を取られていた湯原の18人も人質を犠牲にしてまで)
さて北越軍談→湯原城で政宗は甘粕備後や岩井備中の前に敗れ渡瀬へ逃走。
政宗→政景9/26「急度申遣候。昨日二十五日湯原へ足軽動申付、彼城即手に入候、内々撫切に可申付候処、普代の筋を以、頻に詫言候条、身命ばかり相助け引出候、新宿峠まで打かけ、悉く郷村放火仕り」
この政宗の文書でわかるのは、湯原城で撫で切りしようとしたが、住人達が詫びをいれたから助けたのち、新宿城攻めに失敗し村に火を付け帰ったと言うこと。
さらに置賜郡史「米沢地名選」には
遠藤盛利の守る新宿城攻撃で大敗した片倉が湯原まで敗走したと言う。
白石軍記などは七ケ宿村の者達が口伝を書いて藩に提出したそうな。
明らかに七ケ村の者達が自分を擁護して伊達の恩とか主張してるし
片倉代々記が新宿城で大敗した話を黙殺してるのがわかる。

189 :人間七七四年:2009/08/04(火) 00:45:20 ID:zl02VHHh.net
鹿子田日向が畠山家老の子などと言うのは上杉側資料にはないな。
この白石城攻めは白石軍記と北越軍記に記されており双方ともに信憑性ゼロだ。
ここではっきりわかるのは、甘粕が伊達の軍事的圧迫を気にせず白河決戦に向け白石城兵を連れて出撃してること。
七ケ宿街道で悠長に野伏が街道をふさいだりなんてことは伊達に対して貢献したとする嘘だろう。
七ケ宿側がいう新宿城主大畠吉兵衛は会津に帰ったのか?そこには遠藤盛利がいることになってるが遠藤は地元住人なのだろうか。
それとも七ケ村の住人達が大畠の元にいる人質を犠牲にしてまで伊達に尽くしたと主張するのは仙台に対する嘘か?
ただ政宗書状には湯原城に上杉兵がいなかったのがわかる。よって地元住人達が降伏し円滑に受け渡しが可能だった。
つまり刈田郡は伊達との密約で上杉が譲渡する予定だった。
白石城で1日抵抗してみせたのも家康の監視を誤魔化すため。
より奥域の湯原城では家康の目を気にする必要はなく上杉兵は伊達に渡すために撤退した。
新宿城にいた住人遠藤盛利は湯原の住人とは対立してきてたのか?降伏を潔しとせず抵抗したので片倉が攻め立てたが大敗した。もちろん上杉の援軍は来ない。
北越軍記もデタラメならもちろん片倉代々記も片倉マンセーのデタラメ書。
双方ともに徳川に対する密約の存在を隠蔽する為にもっともらしく捏造軍記を作ったわけだ。

190 :人間七七四年:2009/08/04(火) 01:51:03 ID:Wrhhgjuh.net
なんか長々とよく分からんが、密約の存在を示す一次資料はなんかあるの?
もしあるんなら、ちょっと興味あるので是非詳しく知りたい。

191 :人間七七四年:2009/08/04(火) 01:52:01 ID:h0KUwiNe.net
ID:zl02VHHh
無駄に長ったらしいが結局資料の信憑性が0だとすう根拠が薄っぺらですね


192 :人間七七四年:2009/08/04(火) 01:54:57 ID:Wrhhgjuh.net
>>191
というより、密約が存在する証拠の類が出てこないので、いまいち消化不良というか、物足りない感覚が残る。
やはり一次資料は重要なんだなと感じたよ。

193 :人間七七四年:2009/08/04(火) 04:15:39 ID:kWlBUFbD.net
慶長5年7月25日の白石城の落城時は、政宗の書状を見ると、上杉の守備兵からすれば「譲渡」など
という生易しい状況ではなかったことが分かる。やはり城将登坂らは伊達に本丸まで迫られて大きな被害
を続出、遂に「助命嘆願」して投降していた事実が伺える。


「昨廿四日、白石表相動候、…彼城堅固相抱候、…町を始、二三ノ丸迄、取破申候、

本丸迄ニ仕候処、城中より頻降参仕候間、相助命、則本丸請取申候、城中登坂式部(勝長)、

同新左衛門、南右馬充当、白井左衛門、此四人ノ者共、我等手前抱置候、…歴々数百人討果候、

明日桑折表ヘ参陣可仕候」(慶長5年7月25日伊達政宗書状)


あとはID:zl02VHHh から上杉と伊達の「密約」とやらの資料を提示してもらおう。
妄想でなく確かな資料として。

194 :人間七七四年:2009/08/04(火) 08:15:13 ID:zl02VHHh.net
>>156
岩崎城攻撃は3月から約一ヶ月間。
南部の花巻城でのゴタゴタは政宗が山形に兵を送った頃で、花巻城防衛に南部が成功した後は、関ヶ原終了で南部側も様子見していた。
下手に伊達と大規模紛争したらまかり間違って上杉側と思われるような誤解が怖かったからだ。
政宗から山形へ兵をもらい助けてもらったはずの最上側もさっそく家康に政宗の南部侵攻の暴挙を報告してる。
そのうち雪が降ってきたので岩崎城を放置。
すると政宗が岩崎城の兵力と物資を増強。
3月には南部は伊達攻撃について家康から許可をもらったのだろう。
つまり家康は伊達を東軍とは到底認識しておらず見捨てたにも等しい。

195 :人間七七四年:2009/08/04(火) 08:19:18 ID:h0KUwiNe.net
ID:zl02VHHh
妄想は良いから「上杉と伊達の密約」があったとする確たる証拠になる資料を提示してくださいよ

196 :人間七七四年:2009/08/04(火) 08:58:38 ID:zl02VHHh.net
密約の証拠なんざ幕府に知られる前にデリートに決まってんだろ。
こちとら資料を提示して、状況証拠の積み重ねをしてるじゃねーか。
なんでわざわざたかが白石城ごときで捏造軍記を双方が作らなきゃならなかったか?
湯原城は米沢を直接に突き直江を山形で孤立させる絶好の位置なのに、上杉側は援軍も送らず、伊達もそれ以上侵攻しない。
まさに刈田郡譲渡の自作自演の世界丸出し。
ここら辺は政宗と景勝は捏造の共犯者ゆえ、戦後の彼らは仲が良くなってる。
大坂陣では双方が陣中見舞いのレターまで出してるし。

197 :人間七七四年:2009/08/04(火) 09:03:39 ID:h0KUwiNe.net
結局証拠も何も無いのに妄想を事実と断言して垂れ流してたんですね
>大坂陣では双方が陣中見舞いのレターまで出してるし。
15年も経ちゃ関係が変わることなんてざらです


198 :人間七七四年:2009/08/04(火) 09:51:23 ID:Wrhhgjuh.net
うーん、証拠がないのなら断言するのは危険だわな。
世に出回る陰謀論と同じで、証拠がないなら存在しないと見るべきなんだろうね。

199 :人間七七四年:2009/08/04(火) 09:58:38 ID:9z2hZvu3.net
いずれにせよ陰謀論を唱える側が証拠がないと言っているのだから、
それを反駁する側が一方的に証拠を出しても一方通行の議論になるだけではないか。
米沢6万石の謎話と同様、実につまらない議論になりそうだが。

200 :人間七七四年:2009/08/04(火) 10:30:29 ID:4c+2t9T7.net
>>189読む限り、密約あったとするのが強引な論法だからなぁ
上杉の軍がいなかっただけで、決め付けるのはちょとね

201 :人間七七四年:2009/08/04(火) 10:42:02 ID:Wrhhgjuh.net
どうせ話を作るならもっと面白くすべきではないか。

そこで俺の知っている史実を明かすと、上杉と伊達の密約はあったよ。
すべては徳川の天下取り阻止を目論むフリーメーソンの陰謀。

202 :人間七七四年:2009/08/04(火) 17:21:38 ID:qqCjp7tT.net
>>188-189
七ヶ宿は「しちかしゅく」で変換できますよノシ

203 :人間七七四年:2009/08/05(水) 06:45:22 ID:OGBZl7M0.net
まぁ刈田郡での上杉と伊達の行動には不審な点はいろいろあるのは事実だな。
なぜ?って言う部分が多い。
もっとも実高1万6000石の刈田郡なんて120万石の上杉からしたら大した領地でもないし、
あそこは伊達領に突出し過ぎて守り辛いから放棄したとしても理解できる。
白石からの狭い街道を通過した後の福島盆地なら福島城下に誘き出してから、各軍を投入して包囲できる地形だしな。

204 :人間七七四年:2009/08/05(水) 07:46:08 ID:tjFSVOTE.net
>もっとも実高1万6000石の刈田郡なんて120万石の上杉からしたら大した領地でもないし、

白石城を失陥した上杉の心境は、何やらイソップ童話の「酸っぱい葡萄」のきつねすら彷彿とさせるな。


「白石城は、仙台量の南の国境線に置かれ、南に奥州街道、北に出羽への7ヶ宿街道を押さえた
軍事的要衝である」(紫桃正隆)


205 :人間七七四年:2009/08/05(水) 08:02:28 ID:OGBZl7M0.net
街道があれば何でも要衝だと主張するつもりか?
そもそも上杉側からしたらそんな街道は別に必要性ないだろが。
会津盆地への道もある仙道の要路はもっと下にあるわけだが。

206 :人間七七四年:2009/08/05(水) 08:04:07 ID:HP32/8/K.net
石高の大小だけで判断するのは危険
>204 が書いたように白石の地は要衝の地なんだよな

207 :人間七七四年:2009/08/05(水) 08:12:22 ID:OGBZl7M0.net
七ケ宿街道を知らないんだろ?
七ケ宿街道で出羽に出るには鬼難路なのに何が要衝だよw


208 :人間七七四年:2009/08/05(水) 08:27:55 ID:HP32/8/K.net
現代視点でしか考えられないんですね分かります

209 :人間七七四年:2009/08/05(水) 08:48:37 ID:OGBZl7M0.net
車がある現代ならまだしも、
当時は難路だから商売流通物資集積地としての街道としては機能不全なのは事実。

210 :人間七七四年:2009/08/05(水) 09:49:35 ID:uwTN0gKS.net
もっと下には会津盆地への道もある仙道の要路なんかないよ。
当時は。

211 :人間七七四年:2009/08/05(水) 11:46:04 ID:uwTN0gKS.net
ああ、「会津盆地への道」と「仙道の要路」は別なのか。
会津盆地への道はあったが、仙道の要路はないな、当時は。

212 :人間七七四年:2009/08/05(水) 13:56:10 ID:OGBZl7M0.net
>>210>>211
必死なのはわかるが、もうバカ過ぎw

213 :人間七七四年:2009/08/05(水) 14:04:48 ID:uwTN0gKS.net
いや当時七ヶ宿以南に仙道への要路がなかったのは事実だよ。

214 :人間七七四年:2009/08/05(水) 14:16:01 ID:uwTN0gKS.net
補足。
要路とは言えない道はあった。
なぜそこが要路たりえなかったのか、その道が江戸期から明治に至る歴史をどう歩んできて、
今はどうなったのかを調べてみると面白い。

215 :人間七七四年:2009/08/06(木) 08:14:56 ID:dfm3VS7q.net
バカは仙道がどこを指すのかわからんようだな。
会津四郡仙道七郡を政宗は制したと言うことも知らん無知ぶり。
仙道の要路とは郡山のことで、南は須賀川、西は会津、東は太平洋へ通ずるクロスポイント。
要衝中の要衝だからこそ窪田の戦いが行われ争奪戦に発展したわけだ。
七ケ宿街道が要路なんて聞いたことすらない。

216 :人間七七四年:2009/08/06(木) 08:21:37 ID:5fDhxDVR.net
>仙道の要路とは郡山の・・・
いやそこは問題ない。

>七ケ宿街道が要路なんて聞いたことすらない。

ならこの辺りの街道の歴史を勉強すると良いよ。米沢から仙道筋へ抜けるためにどうしていたか。
別に白石に抜けるわけではないのだが、白石の付近を通る。

217 :人間七七四年:2009/08/06(木) 08:40:13 ID:dfm3VS7q.net
仙道の認識すらまったく出来てなかったくせに何デマカセ言ってんだワロタw
そんな過疎で難路な峠道は通らない。
商売人はメインストリートの米沢→山形→仙台と動くか
米沢→会津→郡山→仙台に行く。
大名にしたって通行税の上がりが少ないこの地を要路とは思わない。
わざわざ米沢から白石に無理やり出ようとする想定がナンセンス。
戦国時代にどこの軍がそんな行軍をしたんだ?
お前の主張だと全国全ての道が要路になるなw
現在でさえ細い峠道が円滑な交通の妨げになりほとんど使われん道だし。

218 :人間七七四年:2009/08/06(木) 08:58:50 ID:5fDhxDVR.net
ていうか、米沢から直接東に抜ける道で物資の輸送に堪えられ所って、七ヶ宿しかなかったからな。

>>217
しつこいようだが、七ヶ宿ルートで仙道方面に抜ける場合白石は通らないよ。

219 :人間七七四年:2009/08/06(木) 09:21:59 ID:5fDhxDVR.net
米沢から会津のルートで真っ先に出てきそうなのは、当時なら桧原街道だと思うが、
あそこから会津に抜けるにはかなり西へ回らないといけないんだよな。
当時米沢から仙道方面に抜けるのがいかに大変なことかって話だな。

220 :人間七七四年:2009/08/06(木) 10:00:32 ID:lwOYZgW0.net
ID:dfm3VS7q
今度はとうとう地理にまで自分の妄想を事実と断定して垂れ流すようになってしまいましたか

221 :人間七七四年:2009/08/06(木) 12:46:08 ID:rRHzsLeP.net
非常にくだらん。。。

222 :人間七七四年:2009/08/06(木) 13:21:26 ID:dfm3VS7q.net
郡山が仙道の要路だって言ってんのを否定して、
七ケ宿街道が要路だと固執して、ついには前提まで変えて平気な顔ですかワロタw

223 :人間七七四年:2009/08/06(木) 13:29:43 ID:5fDhxDVR.net
何となくスルーしてしまったが、仙道ってそもそも今の中通り全域を差していたのでは?

224 :人間七七四年:2009/08/06(木) 15:14:32 ID:rDQ9uRU0.net
君達、地図や史料かで説明してくれないか?


225 :人間七七四年:2009/08/06(木) 17:47:36 ID:5fDhxDVR.net
>>224
失礼。できる範囲でご説明しますと、
米沢から今の福島県方面(当時の上杉領)に抜ける主な道としては
以下のようなものがありました。
googleマップなどを参照しつつ読んでください。

(1) 米沢の西から喜多方を経て会津に抜ける経路(大峠街道)
 米沢の中心部から、現在の国道121号線を通るルート

(2) 米沢の南から桧原越えで会津に抜ける経路(桧原街道)
 米沢の中心部から、県道2号線を通って桧原湖に出て
 (当時は桧原湖はなかったので)、今は湖底に沈んだ桧原村を経由して
 大塩峠等を経て、桧原湖の西の国道459号線を通って会津に抜けるルート

(3) 米沢から直接福島へ抜ける経路(板谷峠)
 米沢の中心部から東へ抜ける道。現在の国道13号線と言いたいが、
 実はそうではない。

(4) 米沢の北の高畠から、七ヶ宿街道を通る道
 現在の国道113号線を通り、白石に向かわず途中で南に折れるルート

(続く)

226 :人間七七四年:2009/08/06(木) 17:54:35 ID:5fDhxDVR.net
>>225続き)
で、(1)は今回話題に上らなかったので省略。多分、当時は会津⇔米沢の
主要街道ではなかったのではないかと思います。

(2)は、伊達政宗が最初に蘆名領へ侵攻した時にも使われたルートですが、
会津へ向かうとしたら南へ出た後西へ大きく方向を変えることになります。
郡山方面へ向かうショートカットが当時あったかどうかは分かりません。

(3)は、街道が整備されたという記録の初見は、自分が知る限り伊達晴宗の
時代になりますが、米沢から奥州街道への最短ルートということもあって、
江戸時代に米沢藩によって宿場町が整備されたりなどして参勤交代にも使われましたが、
地形が峻険過ぎることもあって荷駄が通れなかったとかで、物資の輸送には主に
七ヶ宿街道が使われたそうです。
関が原の当時は、宿場すらあったかどうか定かではありません。

というわけで、米沢から直接中通り方面に抜ける安定した輸送路が当時他にはなかったため
七ヶ宿街道は当時重要経路だったということです。

ちなみに今は、(3)と平行して作られた万世大路(国道13号線)が
福島米沢間の最重要ルートとなっていますが、
これはまさに近代土木技術の賜物ですね。

227 :人間七七四年:2009/08/06(木) 21:53:41 ID:rDQ9uRU0.net
懇切丁寧にありがとう!
なるほど、わかりやすかったです

228 :人間七七四年:2009/08/07(金) 16:20:17 ID:1IrfuRFi.net
自演してんのかw
で、七ケ宿街道が要衝と言うソースは?
過去に七ケ宿街道が要衝だと歴史上の誰が言ったの?
戦国期にどこの軍勢が通過、もしくは争奪したほどの要衝なの?
日本全国のたくさんある街道の中で七ケ宿街道が特に要衝と呼ばれた差はどの点?
仙道の要衝は郡山であるのを否定して必死に七ケ宿街道が要衝だとする不思議な話ですね。
仙道の認識すら理解できてなかったのを誤魔化すために、いつの間にやら米沢と白石を結ぶと前提を変更して地図を見ながら説明とか馬鹿じゃねぇの?


229 :人間七七四年:2009/08/07(金) 16:35:56 ID:jKugVOpA.net
もうその辺にしとくのがあんたのためなんじゃないのか?
と個人的には思う。

230 :人間七七四年:2009/08/07(金) 16:45:54 ID:/tDLeu8a.net
いいぞ、お前ら、もっとやれ

231 :人間七七四年:2009/08/07(金) 17:46:34 ID:jKugVOpA.net
確か、七ヶ宿を押さえられたことで上杉の本隊が米沢から出られなかった話をどこかで聞いたことがあったんだが
どこで聞いたんだったかな。

232 :人間七七四年:2009/08/07(金) 17:55:33 ID:1IrfuRFi.net
上杉の本隊って景勝が米沢経由で白石へ出たかったけど七ケ宿を誰かに押さえられてて無理だったから断念したって?
なにその捏造軍記みたいな話w

233 :人間七七四年:2009/08/07(金) 18:04:19 ID:jKugVOpA.net
>>232
いや山形に向かう予定の奴らが米沢で足止め食らったって話。
信用に足るソースじゃなかったこと以外よく覚えていないんだよ。

234 :人間七七四年:2009/08/07(金) 18:10:40 ID:CP/Rz4BX.net
>>231
出所は判らないけど、当時の道路事情(>>225>>226参照)から見れば
板谷峠(現在の山形新幹線)ルートが未整備の時代にあっては、妥当な見解だと思う

◇羽州街道(七ヶ宿ルート)の山形〜桑折間の宿駅
出羽:山形→松原→上山→楢下→(金山峠)→
陸奥:湯原→峠田→滑津→関→渡瀬→下戸沢→上戸沢→(小坂峠)→小坂→桑折
湯原から上戸沢までの刈田郡内7宿が「七ヶ宿」

235 :人間七七四年:2009/08/07(金) 18:20:46 ID:jKugVOpA.net
>>234
ええ、それで、どこかに書いてあったその話を見て「なるほど」と思い印象に残っていたわけですが、
なんかそれを見たのが、Wikipediaか何か、それ系のサイトだったので
ことの真偽が分からないなあと。
誰か何か知っていればと思い書いてみました。

236 :人間七七四年:2009/08/07(金) 18:51:53 ID:1IrfuRFi.net
なんだWikipediaかよ…
ところで
>>234>>235
>>228
数々の疑問に答えてくれ


237 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:07:59 ID:jKugVOpA.net
だいぶスレ違いになるが、自分の中で板谷峠が熱いです。

江戸から米沢へ向かう最短経路にも拘わらず、七ヶ宿から主要街道の座を奪えなかった点、
明治になって時の政府から早々に見捨てられて、北にまったく新たな道を一から造られて
今や徒歩でも通れなくなってる点、何だか人の世の無常みたいなのを感じさせるんですよ。

>>236
何か疑問なんかあったっけ?

238 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:13:00 ID:1IrfuRFi.net
>>237
スレ違いな話題で話をそらそうと必死だな。
>>228に書いてある「?」が読めなくなったのかw


239 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:19:26 ID:jKugVOpA.net
>>238
七ヶ宿のことなら>>225>>226に具体的に反論すりゃいいだけだと思うが、
そもそもあんたが、仙道と言えば郡山という誤解をしていたことから混乱が始まってるんで、
一回質問事項を箇条書きにして整理してはどうだろうか。

240 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:23:51 ID:LWMndj1x.net
>米沢から直接中通り方面に抜ける安定した輸送路が当時他にはなかったため
>七ヶ宿街道は当時重要経路だった
どうみても>>225-226の説明で説明充分です。本当にありがとうございました


241 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:24:18 ID:1IrfuRFi.net
まったく回答になってないどころか斜め上の発言でうやむやにしようとしてるのは作戦か?
それとも文盲なのかね。

242 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:25:45 ID:jKugVOpA.net
まあ他に道がないってのは、根拠としては大きすぎるわな。

243 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:26:58 ID:1IrfuRFi.net
すげぇ必死すぎな自演…キモッ
つか超ワロタw

244 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:31:58 ID:LWMndj1x.net
反論できなくなったので中傷レスでお茶を濁すんですね分かります

245 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:34:59 ID:jKugVOpA.net
このペースでここまで文体の違う自演ができる奴がいたら、
そいつはきっと何か特別な才能を持って生まれてきた天才か何かだろう。

246 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:37:40 ID:1IrfuRFi.net
早く>>228に書いてある?の回答をしてくれよ。
だいたい何で上杉が白石に行くのに福島から北上せずに難路を越えてまでしてわざわざ遠回りすんだよバカが。

247 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:39:15 ID:jKugVOpA.net
でそれはともかくとして、湯原を陥とされたことで上杉軍は相当やりづらくなったんじゃないか。
白石陥落そのものよりもよほどダメージが大きいのでは?

248 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:40:17 ID:1IrfuRFi.net
>>245
自分の擁護乙www

249 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:42:23 ID:jKugVOpA.net
>上杉が白石に行く


そんな話をしている人間は誰もいなかったかと。

250 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:42:59 ID:1IrfuRFi.net
何が「それはともかく」だよw
必死に話題変えて逃げようとせずに>>228の?に答えろよ。
またWikipediaか何かに書いてあったと思うとかいい加減な回答で逃げるなよw

251 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:45:15 ID:jKugVOpA.net
249だが、白石行くなら素直に福島から北上するのでは?

252 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:45:42 ID:1IrfuRFi.net
>>249
>>231
お前の屁理屈はいらねぇんだよ。白石方面に出るんじゃなきゃどこに上杉は行くつもりだったんだよ。

253 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:46:40 ID:jKugVOpA.net
山形

254 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:49:41 ID:jKugVOpA.net
てか白石って何?
奴らが白石行って何するんだ?

255 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:56:56 ID:E2v8ztyb.net
白石は新しいな。
上杉が白石に出るとか、一体どこからそんな発想が出たのか。

256 :人間七七四年:2009/08/07(金) 19:59:18 ID:1IrfuRFi.net
七ケ宿街道を押さえられたら上山コースは少々危険性はあるが、長井コースから普通に山形に行けるだろ…
だいたい伊達が七ケ宿街道を越えて米沢を占領しようとしたら
難路を通過するから、補給が厳しくなるし退路もキツい峠。
しかも長谷堂・上山・会津本隊で包囲できるから、むしろ隙をみせておいた方がいいだろうが。
守り辛い刈田郡を捨てての、福島での包囲
守り辛い刈田郡を捨てての、米沢での包囲
この必勝策があるからな。

257 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:00:41 ID:1IrfuRFi.net

>>228の話はまったく答えられないから逃げレスを続けて誤魔化し続けます。


258 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:02:24 ID:LWMndj1x.net
白石を陥とされたから奪還しようとしてたとでも言いたいのかね?
上杉がそういう行動を起こしたって話は聞いたこと無いが

259 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:04:03 ID:1IrfuRFi.net
そもそも七ケ宿街道を押さえられたから
米沢本隊が米沢から出られなくなったって主張の
米沢本隊を率いた人間は誰なんだよw


260 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:06:12 ID:jKugVOpA.net
>>228ってもなあ。
他に中通りに抜ける道がないってのがあの道の価値だし>>228への答えだからなあ。

261 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:06:39 ID:1IrfuRFi.net
その話からして白石方面へ行く以外の類推はできないだろ。
山形には七ケ宿街道関係なく普通に長井コースから行けるんだから。
アホかお前。

262 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:09:17 ID:1IrfuRFi.net
>>260
日本語読めないの?頭弱いの?

263 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:12:48 ID:jKugVOpA.net
>>262
読めるよ。
米沢から仙道方面へ抜ける唯一の安定的な輸送路であることが七ヶ宿の持つ価値だった。

264 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:14:09 ID:CP/Rz4BX.net
>>247
湯原城から金山峠を越えれば中山城
ここから北進すれば上山・山形、南進すれば高畠・米沢
大体の距離感は、奥羽本線の羽前中山駅からのキロ数が参考になると思う


265 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:21:36 ID:1IrfuRFi.net
>>263
それはお前が間違いに気づいてから、
勝手に前提を米沢〜白石への交通に変更してるだけだろバカ
それと七ケ宿街道は要衝と主張した件も、どこの誰が言ってるんだ?
そんな話は初耳なんだが。
日本全国にたくさんの要衝と呼ばれない街道があるが、それらと比べても七ケ宿街道が要衝とするに足るソースだしてね。
>>247
湯原が重要じゃないから上杉兵がいなかったんだろうが。

266 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:34:03 ID:jKugVOpA.net
>>265
それなんだがね、(他の人は知らないが)俺は他地域と比べるつもりはないのよ。
「米沢と仙道筋の両方を押さえる勢力にとって」、「米沢側にとって」の要路というだけで。
そもそも「米沢の価値は」、から始まって、「他地域の何と比べて要路とは言えない」、というご主張なら
あるいはそうかもしれないね。

267 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:38:31 ID:1IrfuRFi.net
>>266
おいおい、いきなり自分の脳内ルールをここで披露されても困りますが…

268 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:41:34 ID:LWMndj1x.net
>湯原が重要じゃないから上杉兵がいなかったんだろうが。
重要でないとする根拠が薄いのがなんとも
そもそも重要でないから奪われて問題なし、みたいな考えでは領民の信頼を失うのでは

269 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:42:17 ID:LWMndj1x.net
>おいおい、いきなり自分の脳内ルールをここで披露されても困りますが…
自分に言ってるんですね分かります

270 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:43:37 ID:jKugVOpA.net
たしかに、ある意味ではあそこは要路というほどではないとも言えるな。
少し納得。

271 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:44:45 ID:1IrfuRFi.net
正確には厳しく細い難路の峠が七ケ宿街道にはあるため
米沢側から白石は維持できないし
仙台側から峠を越えて米沢を攻めるのもリスクが高すぎるってのが刈田郡。
そんな不便な道が商業経済交通の要衝とは言わない。

272 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:45:22 ID:jKugVOpA.net
あ、しまった。ここで見解の相違が出てしまったせいで自演でないことがばれてしまった。

273 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:48:24 ID:1IrfuRFi.net
重要な要衝なら湯原に上杉兵が駐屯してるだろ。
でも湯原に上杉兵がいなかったのは政宗書状からはっきりしてるわけだが。
つまり上杉側はそんな地を重要視してなかったわけだ。

274 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:49:12 ID:1IrfuRFi.net
くだらない自作自演やってんなよ…

275 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:51:44 ID:jKugVOpA.net
結局米沢にとっては重要路でも、他地域にとっちゃピンと来ないという。
三桁国道とかそんな感じだよな。

276 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:51:54 ID:LWMndj1x.net
くだらない妄想垂れ流すなよ…
これで良いですか?

277 :人間七七四年:2009/08/07(金) 20:57:10 ID:1IrfuRFi.net
>>275>>276
書き込みボタンのタイミング合わせ乙ですな。
記念sage

278 :人間七七四年:2009/08/07(金) 21:05:55 ID:LWMndj1x.net
そういう発想しかできない=自演常習者
ですね、分かります

279 :人間七七四年:2009/08/07(金) 21:20:35 ID:jKugVOpA.net
てか、白石が陥ちた時点で湯原はもうどうにもならんのだから、
白石は陥ちちゃいけなかったんじゃないか?

とんでもないヘマをしたもんだよな。

280 :人間七七四年:2009/08/08(土) 00:57:05 ID:S64ivuT4.net
白石城の危機に、福島からも米沢からも兵の急派がまったく無かったのはなぜだろうか?
その後も奪回の動きもないし、白石兵を連れて白川に行った甘粕も白石へ戻ろうともしてないし。
白川の白石兵が白石落城で瓦解し白石へ逃走した話もないし。


281 :人間七七四年:2009/08/08(土) 01:03:02 ID:uQfA+3PN.net
落として良い城なんてないよ。

282 :人間七七四年:2009/08/08(土) 02:43:48 ID:NAVEQ/SM.net
そりゃまあ山形と比べればな。

283 :人間七七四年:2009/08/08(土) 19:09:45 ID:CrbtH0Qh.net
>481 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/08(土) 15:54:18 ID:S64ivuT4
>村を焼かれて乱暴狼藉されるがままの民衆切り捨ての引きこもり毛利と北条がそんな高い評価がそもそもおかしい。
>自領侵入すら阻止活動できんとかダメ過ぎだろ。
>
>482 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/08(土) 15:58:10 ID:S64ivuT4
>税は取るけど民衆は守らない領主なんてクズだから。

この理屈なら白石切り捨てた上杉はクズですねw

284 :人間七七四年:2009/08/10(月) 08:48:52 ID:D//gGfA/.net
上杉家としては北上する公儀軍さえ叩けばいいわけで。

285 :人間七七四年:2009/08/10(月) 14:20:56 ID:AtgKBuN6.net
>>149
> まぁ直江としては、大軍を以て山形まで進攻すれば
> それだけで最上の心胆を寒からしめることが出来る
> 兵力差は圧倒的だから、最上は狼狽して為すところを知らず
> 上杉軍の進むところ勝利以外の何物が前途にあらんや。と夢想していた

今さらだが、何そのフォーク准将w

286 :人間七七四年:2009/08/10(月) 14:34:55 ID:AtgKBuN6.net
あ、それから紫桃氏の本が見つからないのも仕方ないんだよ。2007年に版元の宝文堂出版が廃業しちまったから。
他で再刊しない限り、「店頭在庫限り」の運命なわけだ。
ちなみに、自分は廃業数日前に知り店に走って金の続く限りに買い込んで来たが在庫と金の制限で随分買い逃した。
地元では新聞でも大きく取り上げたそうだが、あいにく自分は仙台在住じゃなかったので完全に出遅れた。
治家記録とか世臣家譜とか仙台叢書とか東藩史稿とかどっかで再販しないかなー。出版に限らず不況だから無理か。

287 :人間七七四年:2009/08/10(月) 19:00:20 ID:eoMX9w+b.net
>>286
自分は仙台在住なので、比較的紫桃正隆氏の本はコレクションしている。
アマゾンみてびっくりした。

政宗に睨まれた二人の老将 (1975年) 紫桃 正隆 (- - 1975)
1 点の新品/中古商品を見る ¥ 7,000より

これ近くのブックオフで100円で入手したけどね。

288 :286:2009/08/11(火) 15:36:48 ID:ipNs931n.net
>>287
自分もほとんどコレクションしてたんだけど、被災して全部なくしてしまったんだ。返す返すももったいないことよ。
隠れキリシタンの上下本とか平重道の「百姓一揆」なんて再刊してくれるような物好きな出版社はないんだろうな・・・。

289 :人間七七四年:2009/08/13(木) 08:32:36 ID:lzV496GS.net
紫桃なんて先生の独自研究による講談小説みたいなもんで
書かれてることが論文でもないし他者からの批判議論のまな板にも上がってこない程度の存在だろ。
宮城県民以外に価値はない。

290 :人間七七四年:2009/08/13(木) 08:43:07 ID:frpEhtqY.net
609 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/13(木) 00:20:58 ID:lzV496GS
おのれも何も義光自身が佐竹や相馬や葦名を裏切り、大崎支援をいきなり打ち切ったから、大崎が伊達に屈服したわけだが。

お前の妄言はいいからさっさと証拠を提示しろよ

291 :人間七七四年:2009/08/13(木) 08:51:30 ID:4GcKcWg9.net
ここまで話題が北(最上・伊達)ばかりで
西…越後の堀
南…関東の家康軍
についてはあまり触れられてないが、どうでしょう
南進する場合、宇都宮−那須ラインで防衛網を張っている
準備万端の徳川軍と戦うことになるんですよね

292 :人間七七四年:2009/08/13(木) 10:13:37 ID:NhEub0s4.net
>>289
 では、伊達による葛西大崎一揆時の佐沼城の撫切りとだまし討ちによる
 包囲殲滅戦の「須江山の惨劇」もなかったことでw

 結局白石城を巡る上杉と伊達の密約説を唱えていた御仁は遁走したようだね。
 「伊達家を窺う上杉の前進基地となっていた白石城」(紫桃正隆)を失陥した
 上杉としては南進どころの話ではなかったろうけど。
 



293 :人間七七四年:2009/08/13(木) 10:18:00 ID:mYIbrWbA.net
>>292
>結局白石城を巡る上杉と伊達の密約説を唱えていた御仁は遁走したようだね。

街道の件でしこたまやられちゃったからもう
他人に成りすます以外の方法では出て来れないのでしょう。

294 :人間七七四年:2009/08/13(木) 10:18:53 ID:vx3nUYkh.net
徳川側はどう動くかね

295 :人間七七四年:2009/08/13(木) 10:31:26 ID:frpEhtqY.net
>>292
あそこまでフルボッコにされれば遁走せざるを得ないわな
とはいえほとぼりが冷めた頃にまた湧いて出てくるだろうけどw

296 :人間七七四年:2009/08/13(木) 13:11:04 ID:lzV496GS.net
自演でフルボッコとか主張して可哀想に。
過ちに気づくや前提を改悪し、さらに自分脳内ルールまで披露したブザマな逃げっぷりをかました伊達厨くんw
こちらは市史や町史などまで引用してあげたわけですが。
紫桃氏の書いてるトコの政宗の虐殺は他家資料に出てたり、政治的困難な政宗の追いつめられた心境、民衆撫で斬りの前例から事実だろう。
しかし葛西の家系図やらは無理やり我田引水してるのは事実だろうが。

297 :人間七七四年:2009/08/13(木) 14:33:56 ID:frpEhtqY.net
>289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 08:32:36 ID:lzV496GS
>紫桃なんて先生の独自研究による講談小説みたいなもんで
>書かれてることが論文でもないし他者からの批判議論のまな板にも上がってこない程度の存在だろ。
>宮城県民以外に価値はない。

自分に都合のいい事だけ事実にしたいんですね判ります

298 :人間七七四年:2009/08/13(木) 16:10:14 ID:lzV496GS.net
日本語大丈夫?
書かれてる内容に他家資料など複数資料に傍証があれば事実とせざるおえないだろうが。
9の講談話や古老の昔語や家伝に1つの事実があると言うことは否定できない。
文脈から事実か嘘や事実誤認かを見極め取捨選択が大切なんだよ。
お前にはそれができないから同列視するんだよバカ

299 :人間七七四年:2009/08/13(木) 17:51:45 ID:sbkrA+S4.net
>>294
黒羽城を拠点に後詰決戦をするか、鬼怒川まで退いて迎撃戦を行うか

300 :人間七七四年:2009/08/13(木) 19:25:35 ID:RDwKD8PZ.net
南進の場合。
直江ごときが指揮官では3万ほどの軍勢を引き連れたとしても結城秀康の前に壊滅。
本庄をはじめとした一線級を皆引き連れ景勝が親征すればわからないが、
本国を空けてそんな兵力を総動員できるはずもなし。

301 :人間七七四年:2009/08/13(木) 20:30:06 ID:frpEhtqY.net
>>298
旗色が悪くなうと途端に言葉の程度が悪くなるのはよくない癖ですね( ^ω^)
その取捨選択が「貴方の妄想の産物」が基準になってるんですよ

302 :人間七七四年:2009/08/13(木) 20:35:58 ID:2UTcKb2p.net
妄想スレでなにやってんだお前ら

303 :人間七七四年:2009/08/13(木) 21:16:33 ID:vx3nUYkh.net
で、南進したらどうなってたのかな?

304 :人間七七四年:2009/08/13(木) 21:24:05 ID:Pa2hGDU+.net
後ろは伊達が空巣に入って、前は結城が大将の軍に潰されて終わりだ。
勝てれば佐竹も動くかもしれんけどな。

305 :人間七七四年:2009/08/14(金) 07:31:54 ID:Dwc5GUwt.net
>>173
>明らかに伊達に備えるような警備体制にはなく、白石城に兵はほとんどいなかったし


「昨廿四日、白石表相動候、…彼城堅固相抱候、…町を始、二三ノ丸迄、取破申候、

本丸迄ニ仕候処、城中より頻降参仕候間、相助命、則本丸請取申候、城中登坂式部(勝長)、

同新左衛門、南右馬充当、白井左衛門、此四人ノ者共、我等手前抱置候、…歴々数百人討果候、

明日桑折表ヘ参陣可仕候」(慶長5年7月25日伊達政宗書状)

「白石城にほとんど兵はいなかった」と妄説を主張していたID:lzV496GSの嘘はばれちゃったことだし。
挙げ句の果てに紫桃正隆氏に城の開城を巡って上杉兵同士の味方撃ちまで指摘され、今度は紫桃氏にまで
噛みついてるし(>>289)。「無理やり我田引水」しまくっているのは誰なんだか。

で「白石城にほとんど兵はいなかった」とする証拠はそろったのか?


306 :人間七七四年:2009/08/14(金) 08:03:24 ID:hK58g++d.net
まぁまぁ。白石城の戦いを語るスレではないんだから。

政宗出てきたら油断すんなって直江も書状送ってるんだから
ほとんどいなかったってこともないだろう。落とされないと
思う程度には兵を配置してたはず。伊達の電光石火と城兵の
抵抗力のなさに処置できないまま落城したって感じだろ。
家康の反転以前に伊達と上杉に密約があったなんて論外だし。

一方で、上杉にしてみれば南から来る家康本体をつぶすのが
大事で伊達・最上は枝葉。伊達が単独で会津まで攻め込むの
も難しいだろうし、家康さえ叩けばあとはどうにでもなると
いう考えは当然持ってただろう。

307 :人間七七四年:2009/08/14(金) 10:25:15 ID:kg9AWev0.net
伊達政宗最上陣覚書においては宮代の戦いに参加せず脇道にいた片倉が福島城で物頭二名討ち死にして撤退だけが事実としてわかるのみ。
景勝勢300余討取と言いながら実は氏郷譜代だったり
さらに中島宛では会津への状を携えた使者2、3人討ち取りで満足に候wなのに300討ち取りと懲りずにホザく。
しかしのちの褒賞に関わる家宝級の感状なのにひとつも無しで300はウソ。
あ〜ウソばっかだな政宗って。
もっとも伊達の被害は隠蔽してるしなw
白石では数百人討果候って数まで超曖昧なんだなw感状はあるのかね?
それとも白石城を描写する軍記のように上杉よりも伊達の方が大被害を被ったのが白石城の戦いなのかね?
だいたい登坂式部からして甘粕の甥とか娘婿とかいい加減な情報しかない。
毎回、政宗が挙げる名の知れた者は、架空武将みたいで知らないヤツばっかテキトーに挙げてるだけだしな。
しかも福島城眼前の桑折表に参陣するも何も逃走したじゃねぇかウソ書状乙としか言いようがないな。
>>173>>181>>188>>189>>194>>196
なるほど。葛西の地に住む農民の家伝には30以上の葛西系図があるのは事実で、
あからさまな捏造系図ばっかり。
紫桃がそう主張したとしたなら
都合が良い系図だけを持ち出しただけだろうが、
紫桃も曖昧表現してるだけみたいだな。
アンチ上杉のアホ厨が紫桃の本からの抜粋を歪曲したってのが事実かよワロタ

308 :人間七七四年:2009/08/14(金) 10:51:45 ID:kg9AWev0.net
>>187
みやぎの戦国史は当方でも調べてみたが無い。存在自体が確認できない。
紫桃の「みやぎの戦国時代 合戦と群雄」宝文堂1993年のことではないのか?
だとするとタイトルが間違っているのにコイツらは何を読んで紫桃の書についての会話を馴れ合いで進めてんだ?
宝文堂が潰れてるのはネットですぐ見つかる程度のレベルの話だ。
だいたい『「みやぎの戦国史」の中にあるし「危うし独眼竜」でも簡単に触れている』との主張に対して
『触れているどころか、君が書いた内容は「危うし独眼竜」にそっくりまるまる書かれている』と指摘されている。


309 :人間七七四年:2009/08/14(金) 10:58:28 ID:kg9AWev0.net
当方、紫桃氏に関わる27冊の本を確認(復刻・改訂版含む)
うち宝文堂・宝文堂出版販売からの23冊確認。


310 :人間七七四年:2009/08/14(金) 10:59:59 ID:QuSj9M9L.net
サブだよね

311 :人間七七四年:2009/08/14(金) 11:14:22 ID:rGDYePs8.net
サブですよ

312 :人間七七四年:2009/08/14(金) 12:58:06 ID:Nrfwx62l.net
>>309
で、結局上杉が南進したらどうなると考えてんの?

313 :人間七七四年:2009/08/14(金) 13:08:24 ID:Z+o3ST9h.net
スレ違いはいけませんな。
上杉が南進したら北から伊達に攻め立てられまくるのでは?

314 :人間七七四年:2009/08/14(金) 13:34:17 ID:kg9AWev0.net
>>305
とても戦闘行為があったような文書じゃないな。
上杉の抵抗がない中で二三ノ丸を伊達が打ち壊して本丸まで歩いてきたら上杉側が取り決め通りに形だけの降伏をしたと言う儀式みたいな内容が書いてあるに過ぎない。
テキトーに数百人討ち果たしたと最後にウソを付け加えただけだな。
政宗の南部領花巻城攻撃では家康のスパイの鷹商にいち早く知られたと言う。
白石城では狂言の城攻めでうまく誤魔化したと言うことだろう。


315 :人間七七四年:2009/08/14(金) 13:43:40 ID:Z+o3ST9h.net
そうだね。
それはそれとして上杉が南進したらどうなるだろうか。

316 :人間七七四年:2009/08/14(金) 13:53:03 ID:kg9AWev0.net
>>312
その前に宝文堂の「みやぎの戦国史」の詳細希望。

317 :人間七七四年:2009/08/14(金) 14:00:52 ID:Nrfwx62l.net
>>316
なんで俺やねん。自分にケチ付けるのが皆同じに見えるのか。

318 :人間七七四年:2009/08/14(金) 14:14:37 ID:Z+o3ST9h.net
スレ違いは余所でやってくれまいか。

319 :人間七七四年:2009/08/14(金) 16:36:09 ID:MKiH8tLZ.net
上杉が南進する場合、タイミングは何時になるんだろうか
7月24日 家康、小山着陣
8月24日 秀忠、徳川軍主力を率いて中山道へ
9月1日 家康、江戸を出立
9月15日 関ヶ原本戦


320 :人間七七四年:2009/08/14(金) 17:00:43 ID:Z+o3ST9h.net
話をぶち壊しにして悪いが、伊達政宗が南下してきている以上
上杉が南下するのは難しいのては?

321 :人間七七四年:2009/08/14(金) 17:44:58 ID:MKiH8tLZ.net
>>320
>伊達政宗が南下してきている以上、上杉が南下するのは難しいのでは?
難しいでしょうね。南下が早過ぎればまだ家康が江戸に居ますから
下手に南下すると反転した家康との挟み撃ちを喰らいかねませんし
そうなれば佐竹にしても義重が義宣の動きを確実に押さえ込むでしょうし



322 :人間七七四年:2009/08/14(金) 19:47:37 ID:Mh4ZJ0B9.net
>>319
伊達・最上を和戦どちらかで何とかしないと、南進は無いと思う
あるとしたら、本庄繁長辺りに兵力の一部を渡して嫌がらせ的な機動戦を展開、もし
東軍の一部が吊れたら叩く、という作戦くらいか
でもこれは得られる領土も何も無い純粋に西軍勝利のための作戦だしリスクは大きいしで、ほとんど机上の空論

323 :人間七七四年:2009/08/14(金) 20:02:49 ID:qKop0qM/.net
てか会津なんてどうでもいいだろ?
西軍勝利に決定的な役割果たせば越後復帰も夢ではないんだから…
東海筋の大名なんかみんな領地家康に差し出してんだぜ!
小さいこと考えてるから負け組なんだよな

324 :人間七七四年:2009/08/14(金) 20:34:04 ID:Z+o3ST9h.net
会津なんてどうでもいいというのは、げんに今戦っている奴らの家族や財産なんてどうでもいいと言ってるのと同じなんで
どうでもいいというわけにはいかないかと。

325 :人間七七四年:2009/08/15(土) 14:28:05 ID:uxRNrLoB.net
今みたいに携帯電話と偵察衛星があって
上杉勢が徳川方の動きを逐一把握することが出来れば
挟撃も出来たかもしれないけどねぇ
そうでもないと無理でしょう


326 :人間七七四年:2009/08/15(土) 15:47:41 ID:ta9IHs33.net
様子見する伊達など小早川秀秋並みにザコなんで気にする必要はない。
福島城すら落城させられないのに背後が危険もなにもない。
上杉の最上侵攻自体が伊達を屁とも思ってない証拠。
上杉はこちらから攻めずに家康に攻めさせて、
予定戦域(騎馬による行動を円滑にさせるために一部を踏み固めた地や人工川による地形変更、川底に多数の壺を埋める)に誘き出しておいて
直江らが、守りの薄い日光方面から迂回し背後を閉じる初期戦略を実行すればいいだけ。
例え上杉の敗戦になろうが、家康を白河の地で時間稼ぎして、西軍による尾張の福島領を奪い東海道に進出させれば、豊臣恩顧大名らが動揺し、東軍内に小早川秀秋のごときが現れる。

327 :人間七七四年:2009/08/15(土) 16:14:15 ID:n37CVmrX.net
奥まっているとはいえ会津は奥州の玄関口だからね。
どうでも良い場所ではないね。

328 :人間七七四年:2009/08/15(土) 16:34:58 ID:ta9IHs33.net
伊達は東軍の南部相手に大敗したり
大坂の陣で味方の神保隊を壊滅させたりするアホ疫病神

329 :人間七七四年:2009/08/15(土) 16:53:11 ID:+A5A+b1E.net
>>328
上杉オタク君、それだけ語るなら説明責任をちゃんと果たしてもらうよ。

同じ東軍の伊達がいつどこで南部と戦ったのか?
大坂の陣の神保壊滅の根拠は?
難波戦記なんて捏造戦記は根拠たりえない。
国史大系の一つである徳川実紀には、神保主従は戦闘で討ち死にした、
とだけ書かれているんだが。

330 :人間七七四年:2009/08/15(土) 17:03:18 ID:n37CVmrX.net
さすがにスレチガイだね。

331 :人間七七四年:2009/08/15(土) 18:18:02 ID:0BbtFpeI.net
>>326
>上杉はこちらから攻めずに家康に攻めさせて
ここを何とかしないとそこから先の過程に説得力が無いかと
三成は挙兵を遅らせれば遅らせるほど島津、長宗我部、鍋島、大谷辺りが関東の家康の指揮下に入ってしまうから
決起タイミングはギリギリの決断だったように思う、その点あまり責める気になれない
一方で上杉は東西挟撃を本気で実行する気なら、家康の侵攻を待つ専守防衛策はやや消極的に過ぎたように思う
例えば小牧・長久手戦で家康が行った羽黒の戦いのような機動戦を行う選択もあったのでは

332 :人間七七四年:2009/08/15(土) 19:10:45 ID:PDTHN3rl.net
>>326
>福島城すら落城させられないのに背後が危険もなにもない。

福島城は長谷堂戦直後に落城寸前まで追い込まれてるよ。籠城した本庄繁長が危うく自決する危機に
まで陥ってる(慶長5年10月6日の伊達家の上杉掃討戦)。内偵まで入れて伊達を監視していた徳川
家康も、政宗の働きぶりに感謝している書状がその裏打ちだ。このIFスレだと、梁川城、福島城も伊達の
手に落ちて、そこで上杉は終了するな。上杉は伊達を警戒したから白石城を奪還し、北目城まで攻めてい
く方針は打ち出せなかったものだろう。「上杉の最上侵攻自体が伊達を恐れていた証拠」となる。
結局、伊達と最上に背後を窺われてる以上、上杉景勝は南進はできない。

>大坂の陣で味方の神保隊を壊滅させたり

 これは難波戦記と島津の伝聞しかないので、いくら悪態をついても証明することはまず難しいよ。



333 :人間七七四年:2009/08/15(土) 20:15:52 ID:n37CVmrX.net
後ろに最上伊達がいるんじゃ南進しにくいやね。
どっちか潰さなきゃ動きづらい

334 :人間七七四年:2009/08/15(土) 22:23:57 ID:IwrbYK/V.net
実際の状況だと伊達は兵力不足の為に上杉主力との決戦回避に努め
最上は8月18日に上杉に従属したふりをする書状を出して防衛体制を整えた
一方の直江が最上攻めに出立したのが9月9日(家康の江戸進発が1日)
南進しても結局は伊達→上杉→徳川の形で空き巣狙い連鎖の展開になるだろうか

そもそも上杉軍が南進したとして、黒羽城を抜くのにどれだけの兵力と時間を要するのか
大将は景勝か本庄だろうけど(直江は論外)相当厳しいだろう

335 :人間七七四年:2009/08/16(日) 14:14:31 ID:wJJGWAUK.net
>>332
薩藩旧記や大坂夏陣推察記に記されてるからまず伊達の味方討ちはたしか。
水野の先陣を神保相茂が務めた関係で上司の水野勝成→本多正純→政宗と抗議がきたわけだが。
ただ当事者である当主の神保相茂が討ち死にしてしまい全滅したし
わずか外様7000石で開き直った伊達60万石に抗議したところで、どうすることもできなかった。
伊達が賠償せずなのでその代わり、徳川家が代弁し遺児の茂明を直参旗本に抜擢し、明石隊に健闘の末に討ち死にしたとすることにして名誉回復が図られた。

本庄が自決なんてそれこそお前の脳内妄想だろうが。だいたい雑賀小平太とか言うわけわからんヤツが本庄が討ち死にする覚悟だったみたいな俗説を語ったにすぎんわ。
落城寸前なら伊達だって撤退しないだろw
実際は政宗陪臣2人討ち死にし、政宗の諮問に対して片倉も石川も戦況の暗い見通しを進言したから撤退を決意したにすぎん。
家康は実際に見て確認したわけでなく、政宗の捏造書状を読んでとりあえず返答したまで。
事実だと家康が認定してたら百万石の約束が1万6000石しか加増しないわけないだろw

336 :人間七七四年:2009/08/16(日) 15:22:49 ID:WrzuQ1O9.net
>>335
薩藩旧記→島津は大坂の陣に出陣していませんw
畿内にいた薩摩の手の者が、根も葉もない上方の噂を記録して国許に送ったのがソースww
大坂夏陣推察記→史料と呼べる代物ではありませんw

大体、伊達の味方討ちが本当なら、何で島津の記録にしか出てないの?
他の数多ある大名の記録には何で載ってないの?
薩藩旧記と大坂夏陣推察記と難波戦記の共通点は、上方の西軍贔屓の噂。
つまり、大本はここだな。

337 :人間七七四年:2009/08/16(日) 16:40:54 ID:93Zy3ODP.net
ID:wJJGWAUK
自分の知らないこと=全て妄想/俗説ですか
さすが脳内妄想gお家芸のサブ様は言うことが違う

338 :人間七七四年:2009/08/17(月) 07:36:50 ID:CvZxijur.net
西軍ひいきならなんで伊達を貶す必要あるんだ意味わからねぇよアホ乙
ところで根も葉もないとするソース出せよ。

339 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/08/17(月) 07:43:21 ID:cd14GrEz.net
ちょっとは実のある論戦を期待しつつage

340 :人間七七四年:2009/08/17(月) 07:54:50 ID:9jIiJzG+.net
ソースが講談本だからねえ。
難波戦記では神保は何故か2回死んだことになってるし。

薩藩旧記は上方での「聞き書き」。実際に本人が目撃したわけでもない。


341 :人間七七四年:2009/08/18(火) 08:08:03 ID:5ABUCGok.net
そうだな島津の書いてることはみんな捏造話ばっか。
真田日本一の兵ってのも伝聞話で島津は大阪夏陣に参加してね〜しな。真田日本最弱の聞き間違い。
http://c.2ch.net/test/-/nanminhis/1210524233/89
http://c.2ch.net/test/-/history/1182505705/253
島津が朝鮮出兵で鬼島津と呼ばれたってのは鬼=討ち死にして次々と鬼籍に入った弱島津兵と言う意味を伝聞で聞いた島津が誤解して日本的解釈で鬼=俺強えぇとして無知をさらけ出して伝えたもので意味が真逆だと言う恥ずかしさ。

342 :人間七七四年:2009/08/19(水) 08:34:40 ID:Ji8oqmcz.net
結果論だけど領土拡大に走ってしまったのが敗因
天下分け目の戦いなので徳川軍と交戦し
会津には1万の兵を残しておいて、徳川軍を追撃するべきだった

343 :人間七七四年:2009/08/19(水) 10:57:33 ID:YP4J6+jT.net
はたして当時の上杉が家康を倒してでもって気持ちを持ってたかどうかだよな。
詰問史が会津に来た時も、景勝は一旦は上洛を決意した説もあるし。
名目だけ西軍の総大将に祭りあげられたといわれていた輝元が
光成準治氏の論考によれば、積極的に家康に対抗しようとした節がみえるのに対して、
上杉はそんな動きがない。
三成襲撃事件の時は、景勝は輝元と協力して事件の解決努めたようだけどね。
秀吉の遺命として、増田が仲介して家康と景勝の縁組が整ったことに、
輝元は不信の目を向けてるし、少なくとも会津に下向するまでの上杉と家康の関係に問題があったように見えない。
秀忠なんか、景勝が会津に帰る時、「なんで江戸に立ち寄ってくれなかったの−。ほんとに残念」なんて手紙を送ってるぐらいだし。
まあ売られた喧嘩はかってやるわな的なもんだったんじゃね。
どっちにしろ、旧領復帰ん狙う政宗がいたんじゃ南下は無理っぽい。
実際、政宗はいろいろ調略かけてたみたいだし、佐竹の動向もわからんしな。

344 :人間七七四年:2009/08/19(水) 13:53:18 ID:QoilECwP.net
そもそも上杉にとっちゃ難癖つけにきた徳川を迎え撃っただけだから追撃までする義理はないわな。
三成が勝手に便乗しただけ。

345 :人間七七四年:2009/08/19(水) 22:09:03 ID:gbool0D3.net
「城の普請がんばってますね」なんてこと言ってた家康に、いきなり
「城なんか普請するなんて、それ謀反だろ」って言われたらそりゃキレる。
でも直江状のあとも戦争向きではない神指城の建設を続けてるし、
上杉はギリギリまで戦を回避しようとはしてたんだろうな。

南下は最上を下せば可能性はあっただろう。伊達だって本格的に下手に出始
めるだろうし。そうすれば東北地方の東軍西軍は一気に変わる。直江が本庄
に命じてるように「政宗本人か家老たちに3〜5千を率いさせて関東へ同陣
させる」っていうのも現実になったら面白かったな。あくまでIFだけど。

346 :人間七七四年:2009/08/20(木) 00:15:33 ID:DafOd/0c.net
>南下は最上を下せば可能性はあっただろう。
既にこの時点で破綻しててワロス

347 :人間七七四年:2009/08/20(木) 00:39:45 ID:k11diBhf.net
このスレ自体がIFなんだから、破綻もなにもないのでは?

348 :人間七七四年:2009/08/20(木) 00:45:05 ID:sulMx1dD.net
ifだからな
直江に最上攻めをやらせない、というか一切兵を率いさせないって選択肢もありなワケよ

まぁ最善・パーフェクトな選択肢は
前田利長のように華麗に徳川爆弾をスルーして次の奴に廻すことなんだが

349 :人間七七四年:2009/08/20(木) 11:07:34 ID:CAVyAcVR.net
スルーしたら家康の公儀掌握でゲームオーバーだな。

350 :人間七七四年:2009/08/21(金) 09:30:46 ID:0zYqSqCj.net
上杉家は残るから問題無い

351 :人間七七四年:2009/08/21(金) 14:02:39 ID:mfkz9N6C.net
そして現代では前田家と同じような評価。
江戸時代には腰抜け評価
大河ドラマにならない

352 :人間七七四年:2009/08/21(金) 17:41:34 ID:13xu6XGb.net
利家とまつですら大河になったのに?

353 :人間七七四年:2009/08/21(金) 20:17:55 ID:kr+egVJz.net
腰抜け評価してるのは、世間知らずのガキだけ。

354 :人間七七四年:2009/08/22(土) 08:41:30 ID:R3P1UORk.net
まつがいるから人質になるところもドラマ化されたけど、
利長ではなくまつが言い出したことになってるし。

利長は再評価されるべき部分もあるとは思うけど、
加賀藩の史料にでさえ、利長が帰国したときに奥村永福や村井長頼が
「亡き大納言の遺言をたがえるようではご運の末だ」とあきれたこと
や、利長の帰国によって、前田家に近しい大名衆が「利家死後百日も
経ってないのになんと威勢の衰えたことか」と言ったことが記述されてる。

現代の感覚ならともかく、当時は腰抜けと言われても仕方ない。反家康の
連中にとって一番頼りになるべき人物が真っ先に家康に降ってしまったの
だし。

355 :人間七七四年:2009/08/22(土) 10:38:12 ID:g5NVuZLH.net
>加賀藩の史料にでさえ、利長が帰国したときに奥村永福や村井長頼が
「亡き大納言の遺言をたがえるようではご運の末だ」とあきれたこと

結果的に、その評価判断が誤ってただけの話。
利長の判断によって加賀100万石は維持された。

重役は社長ではない。責任なしで勝手なことが言えるものだよ。

356 :人間七七四年:2009/08/22(土) 11:41:39 ID:R3P1UORk.net
大名と社長も違うからな。現代の社長としてどうのというのは
話は別で、一世一代の勝負を避けたこと江戸時代にはそう評価
されてたということ。

100万石を維持したけど、逆にいえば家康以外の大老、奉行
衆を取りまとめれば、家康と立場が逆転する可能性もある。そ
うしたポジションに一番近いのに、そこから自ら降りた。老臣
たちや与力大名が失望するのも当然だと思うが。

357 :人間七七四年:2009/08/22(土) 12:36:19 ID:di86THJL.net
親父の利家ですら、総司令官としての実績ゼロで果たして家康と軍事的に対抗できるか微妙なのに、
ボンボンの2代目大名にそこまで期待するのは余りにも無茶。
それに当時の前田家は85万石くらいだったのが、家康についたおかげで関ヶ原後100万石に加増されている。
利長の判断は全く適切なものだったと評価すべきでしょう。
家康と戦うべきだという意見の重臣がいたとしたなら、それは余りにもリスクが高すぎる選択と言える。

ただ、上杉の場合は元々120万石もの大身で、会津という場所からしても家康にとってかなり目障りな存在。
前田家と同じようにしても、そのまま所領安堵される可能性はかなり低かっただろうから、
戦いを受けて立たざるを得なかったのではないとも思う。

358 :人間七七四年:2009/08/22(土) 14:59:42 ID:JtkQCosZ.net
大阪に近い大身という前田の立場を見くびりすぎてんじゃない?

359 :人間七七四年:2009/08/22(土) 15:53:55 ID:8wFaY3E2.net
二十万石の三成でもあそこまでやるんだからな。
利家は大老奉行をまとめて家康の私婚を糾弾したりしてる。
前田家は秀頼のもり役であり、東軍についた中でも近い大名は多い。
利長が家康に抵抗すればだいぶ流れは変わってたはず

360 :人間七七四年:2009/08/22(土) 21:14:25 ID:hic0Szym.net
家康にしてみれば、前田に抵抗して欲しかったんだろ?
なぜ、わざわざ思うつぼにハマらなくてはならんの?

361 :人間七七四年:2009/08/23(日) 00:50:20 ID:Dqxt4hbX.net
前田家に抵抗してほしかったとしたら家康は前田家をなめすぎだろ。
前田征伐中に三成が挙兵して・・・これをぶっつぶすとか。
三成の挙兵規模を過小評価して上杉征伐に向かい、大坂城と伏見城を
奪われたりと、家康は結構危ない橋を渡ってるからあり得ないことは
ないけど。


362 :人間七七四年:2009/08/23(日) 01:18:45 ID:dFRy5SAl.net
大坂は元々徳川のではないし伏見陥落は規定路線ですが何か

363 :人間七七四年:2009/08/23(日) 02:01:45 ID:Dqxt4hbX.net
伏見落城が既定路線なのは徳川史観の中。古い通説。

実際は三成に毛利や宇喜多、奉行衆まで味方してしまい、
大規模になった。そこで伏見城の鳥居は本来城にはいる
予定だった小早川や島津を拒絶して敵に回してしまう。

伏見城を落とされたり、大阪城に毛利が入ることまで想定
して秀頼を敵の手に握られるのに出陣するようなバカはいない。

364 :人間七七四年:2009/08/23(日) 05:48:27 ID:VSiG56JQ.net
いつ秀頼が西軍側に付いたんだい

365 :人間七七四年:2009/08/23(日) 07:17:33 ID:8c25jx63.net
名前も馬印も使わせてもらえず本丸にも入れてもらえ無かったのにね

366 :人間七七四年:2009/08/23(日) 08:07:47 ID:UAJ/xii+.net
ってか、マジで家康の計算通りに三成たちが動いたなんて思ってんのか。

367 :人間七七四年:2009/08/23(日) 11:35:57 ID:hzzQtTNv.net
>>361
いや、現に抵抗して欲しかったから露骨に挑発しているんでしょう。
そして勝てないと思ったからこそ利長は屈服した。
実際利家本人が生きていて家康に対抗した時ですら、利家に付く者、家康に付く者拮抗して、
どちらが圧倒的に有利とは言いがたい状況だった。
それが、利家が没してなお勝てると思うのは余りにも楽観しすぎ。
それに、加賀が大坂から近いってことは、蜂起の事前準備をしにくいってことでもある。
家康とその軍隊が近くで目を光らせているわけだから。

368 :人間七七四年:2009/08/24(月) 11:50:19 ID:fF2zHSrH.net
家康に屈して戦をさけた平和と親孝行の武将前田利長

人気が出そうにない…

369 :人間七七四年:2009/08/24(月) 18:26:22 ID:EHuJew54.net
利長が謙信並みの勇将だったらスレを作った方がw

370 :人間七七四年:2009/08/25(火) 08:01:10 ID:wEPH2SrK.net
>>367
家康だって独断行動に出るのはかなり危険な行為だったんだけどね。
利家たちに糾明されたように。ああいうのが続くと家康の正当性や
求心力も落ちる。家康は賭けに出たから天下人になれた。会津征伐で
上方空けるなんて賭けにもほどがある。本人は毛利や宇喜多が敵に回
るとは思わず楽観視してたんだろうけど。

371 :人間七七四年:2009/08/25(火) 20:18:12 ID:T9xUjEzp.net
自らの地盤である関東に向ったわけだから、それほどリスクを感じてないんじゃない?

372 :人間七七四年:2009/08/25(火) 20:33:19 ID:XyHMyGHe.net
>>371
天下取る気ないか、豊臣家に反旗をひるがえして一気に
天下を目指す気ならそれでいいんだろうが・・・。

373 :人間七七四年:2009/08/25(火) 20:35:49 ID:HPZ0uGx1.net
>>370
毛利や宇喜多が敵に回らなきゃ、何のための賭けかわからなくね?
小物ばかりが立ちあがったところで意味ないだろ。

374 :人間七七四年:2009/08/25(火) 20:48:41 ID:+EKRSOPW.net
>>370
>ああいうのが続くと家康の正当性や求心力も落ちる。

正当性や求心力なんて恩賞をばら撒いてくれれば勝手に湧き出てくれるもの
ちょうど朝鮮出兵で多くの大名が困窮している時だし
独断だろうが言いがかりだろうが敵対大名や豊臣の領地を切り分け続ければ
家康の正当性も求心力も高まることはあっても落ちるなんてことはない
恩賞を与えるものが正義というのが武士の基本的ルールだからね

375 :人間七七四年:2009/08/25(火) 20:56:04 ID:DXw3wnfN.net
>>370
それは、賭けは賭けだが、本来はそれほど危ないものではなかったと言えると思う。
三成は蟄居中だし、大谷はそれ以前は家康派の立場をとっていたし、
宇喜多は前年に大きなお家騒動起こして、他ならぬ家康の仲裁で解決したばかり、
その上宇喜多家の家臣の一部は既に家康と伴に上杉征伐に同行している。
増田・長束の2奉行も前田利長の謀反の疑いを家康に注進するという、
家康寄りともいえる行動をとっていたし、毛利家中にも吉川のような親家康派がいた。
小早川も三成には恨みがあり、家康には恩があった。
この状況では、確かにあれだけの規模の西軍が組織されるとは想定できなかったでしょう。
それなりに楽観的になるのも無理はない。むしろこの点は三成の手腕をほめるべきだと思う。

>>373
個人的には、まずは上杉を潰し、ついでに小物が蜂起したならそれも潰し、
その後で今度は毛利や宇喜多を。ってつもりだったのではないかという印象を受ける。
もし、毛利や宇喜多の決起参加を事前に読んでいて、決起の規模が想定内なら、
わざわざ江戸で1ヶ月間近くも待機して情勢を見極める必要はなかっただろうし。

376 :人間七七四年:2009/08/25(火) 21:06:58 ID:XyHMyGHe.net
家康が上杉征伐に向かう途中、江戸で受けたのは「三成と大谷の共謀」。
ところがその後、その情報を送った増田まで三成についてる。
実は小山から引き返したあとも家康は「大坂奉行また別心」という内容の
書状を送って急きょ黒田を呼んでいる。榊原康政も小山評定後に秋田へ
「三成と大谷が逆心。二人を成敗するために西上する」と書状を送っている。
この書状では北政所や奉行三人が家康の味方だと認識してる。

毛利や宇喜多の挙兵を予想していたどころか、小山評定の時点でも把握していない。

377 :人間七七四年:2009/08/25(火) 23:50:25 ID:yz9BJTcw.net
いや、把握はしてないかもしれないけど、予想はするだろ。
当時の天下人って、どんだけ凡人なんだよw

378 :人間七七四年:2009/08/26(水) 00:08:47 ID:5J7vqUz+.net
どんだけ凡人って、予想してたら大坂城を離れないしな。
結果を知ってるから予想してるだろと言えるだけ。

毛利は家康を「兄とも父とも思う」と誓って在国してたのが、
恐ろしいスピードで大坂城に入城。「謀反人は家康だ」という
檄文を発する。
宇喜多だって三成に加担する気はなかった(もしくは知らず)、
普通に会津征伐に加わる予定で豊国神社に参拝。のち征伐対象
が家康に変更になったのでもう一度神社を参拝した。この時は
北政所も同席した。本人さえ家康と戦うのを想定してない。


379 :人間七七四年:2009/08/26(水) 00:28:07 ID:t6RmwVFa.net
いやね、家康でなくてもさ。一般的な話でもね。
物事を始める時、普通の人でも多くの可能性を想定して、
その対処まで考えるでしょ?古今を問わずね。
君はそういう事はしないの?

毛利が大坂城に入る可能性を想定しない方がおかしいと思わない?

380 :人間七七四年:2009/08/26(水) 00:34:47 ID:OaGCE7qP.net
>>379
お前が神視点で語ってるアホなのは理解した。


381 :人間七七四年:2009/08/26(水) 00:49:49 ID:t6RmwVFa.net
神視点ねw

上方を空にしたら毛利の大坂入城があり得る、と全く考えないかねぇ?
もちろん、考えたという一級資料はないけどねw

382 :人間七七四年:2009/08/26(水) 01:14:33 ID:5J7vqUz+.net
「上方を空にしたら毛利が大坂城入るかもなぁ。秀頼君を毛利の手の内に
 入れられちゃうなぁ。秀頼君を操って俺を謀反人にしたてちゃうかも。
 でもいいや、上杉討ちに行こう」

これじゃただのアホ。

383 :人間七七四年:2009/08/26(水) 01:26:09 ID:t6RmwVFa.net
んん、まぁアホが考えたシナリオだから。

384 :人間七七四年:2009/08/26(水) 01:33:25 ID:5J7vqUz+.net
毛利が大坂に入るの想定した上で会津征伐に向かったとしたら
家康の脳内はこういうことなんだが?

385 :人間七七四年:2009/08/26(水) 07:59:55 ID:kHI6v6SS.net
>>379
そりゃあ多くの可能性を想定するだろうが、
当時の情勢を考えれば、史実の規模での反家康の決起はかなり可能性が低かったと言えるんですよ。
そんな事にはならないだろうと考えたとしても全くおかしくない。
どういう情勢だったかは>>375に説明したとおり。
そこにも書いた江戸での一ヶ月近くの待機とか、>>376にも書いて貰ってあるように、
一度上方へ向かった黒田長政をわざわざ呼び戻して話し合っているという事実からしても、
当初の予定に無い事態が起こり、計画をねりなおしたと考えた方がしっくり来る。

386 :人間七七四年:2009/08/26(水) 14:57:26 ID:7eR0Gi6E.net
そんな事にならないだろう、とどうして思うのだろう?
前田、上杉と大老相手に立て続けにケンカを売って、種を蒔いてるのは家康。
毛利の立場に立ってモノを考えないわけないと思うけど。
それとも、毛利は素直に順番待ちをするとでも考えたかね?

もちろん、100%入城すると想定はしてないと思うけど、その展開への心づもりはあっただろ。

387 :人間七七四年:2009/08/26(水) 17:47:30 ID:kHI6v6SS.net
>>386
後の歴史を知っていればそうなるけれど、人間には希望的観測ってものが生じてしまうもの。
事実毛利家だって、一度歯向かった後ですら、家康の本領安堵の約束を信じて大坂を明け渡しているでしょう?
家康がより安全に、上手いこと各個撃破できるシナリオを想定したとしても、別におかしくは無い。
上記の通りその材料もあったしね、仮に毛利がその気になっても、
三成は蟄居、宇喜多ボロボロ、小早川も大谷も家康より、2奉行も家康に擦り寄るような行動をとるって状況だったのだから。

まあ、私も家康が100%想定していなかったとは言わないが、
その可能性はかなり低く捉えていたとはいえると思う。
もしその可能性が高いと思っていたなら>>382のように、上方を空けるのは家康にとって危険すぎる。

388 :人間七七四年:2009/08/26(水) 18:35:56 ID:wS16nY+i.net
>>386の言う家康がすべて見通していたというのは、徳川史観で生まれた
もので、ドラマや小説でもよく採用されてるが、実際の史料とは矛盾がある。
西軍が家康の想像を超えていたというのを、新説を唱えてるように感じてるかも
しれなが、最近の研究書を読んでもそういう流れだよ。

家康が想定していたと思われるのは反徳川の意志が強い三成の挙兵で、中央
政権から追いやられたわずか20万石の大名が兵を挙げたところで、それが
自分を脅かすだけの軍勢になるとは誰も想像しない。
順番待ちというなら、すでに伏見城に家康が入った直後、毛利は家康との間
に誓紙を交わし、家康が「兄弟のよう接する」、輝元が「父兄のように思い
ます」と輝元のほうが下手に出て恭順する形になった。

389 :人間七七四年:2009/08/26(水) 18:42:23 ID:7eR0Gi6E.net
後の歴史云々ではなく、家康の先見性・思考力・判断力の問題。
もちろん君の言うとおり、ベストな想定もしただろう。では最悪のケースは想定しないんですか、という話。
家康は、ちょっとした中小企業の社長すらやるような事もしないのか?

輝元と同列に論じるのも如何なものかと思うが、そんな単純な思考だけで、天下はとれないだろうと思うよ。

390 :人間七七四年:2009/08/26(水) 18:58:29 ID:zOlkvChm.net
士気が強くて本気で戦うのは三成を中心としたごく一部の勢力に留まるという
家康の予想そのものは的中している
ただ士気のない大名が金魚の糞のまま三成の引き連れられているのが意外だったというだけでしょ
人質に手を出したり秀頼の名前を使って正面から逆らえないようにした三成の手腕は評価できるけど
それは逆らわせないためのものであって士気を挙げる方策にならなかったのが三成の限界だよ
家康がすべて見通していたということはないけど、8割は当たっていたと言ってもいい

391 :人間七七四年:2009/08/26(水) 18:59:08 ID:rzNNxDP+.net
>>388
横レススマソ

>>386の言う家康がすべて見通していた
そんな事言ってないと思うぞ

この議論は永遠に噛み合わない
証跡や資料によって家康の思考はこういうはずだ、という切り口と
戦国時代に限らずトップの人間の思考力を切り口にしているもの

どちらも正しいとは思うが、社会人的には後者に賛同かな

392 :人間七七四年:2009/08/26(水) 19:02:36 ID:wS16nY+i.net
>>389
社長に例えるのも違うと思うが。天下人の先見性・思考力・判断力なら〜
という史料的根拠のないものを前提に語っては歴史はだめ。史料上では不
測の事態の連続に見舞われる家康の姿が見える。そこからの逆転は見事だ
が。天下人になるくらいの器だから予期していただろうというのは論じる
順序が逆。

家康とすれば豊臣公儀の命で軍事動員し、会津征伐に向かっている。正当
性のある軍事行動。毛利、宇喜多も名代が参陣予定。毛利、宇喜多自身も
家康が上方を離れた時点では、自分たちが三成につくと思ってないのに、
家康が先回りして予知してたら超人すぎる。

393 :人間七七四年:2009/08/26(水) 19:12:46 ID:7eR0Gi6E.net
スマンが歴史を語っているつもりはない。

家康という人間の評価をしているんだ。

天下を取ろうという人間が、そんなに浅い思考で行動はしない、ということ。

394 :人間七七四年:2009/08/26(水) 19:14:36 ID:Z71t6A7P.net
社会人向けには、自分の派閥に与える恩賞のため、わざと反対派を
決起させた−でいいかもしれないけど、歴史は史料から語らないと
意味がないからなぁ。史料では困惑してるのに、リーダーとしては
想定してなきゃいけないという展開になっても…。

395 :人間七七四年:2009/08/26(水) 19:17:27 ID:rzNNxDP+.net
君も大人になればスグにわかるよ
トップに要求される資質が何か

396 :人間七七四年:2009/08/26(水) 19:30:44 ID:Z71t6A7P.net
史料上の根拠もなくトップの資質といわれましても…。
それでいけば、家康は資質は欠けていたことになる。史料では毛利の挙兵
を想定できてないんだから。

397 :人間七七四年:2009/08/26(水) 19:49:37 ID:wS16nY+i.net
>>393
というか、家康もいろいろ手を打った上で出陣してるんだから、浅い思考と
いうのは違うな。上方の状況からまず大丈夫と踏んだから自ら出陣してるん
だし。家康としては最悪の状況の中に毛利の挙兵なんか入ってなかった。三
成の動きや構想が家康の想像を上回った。っていうことだろ。

家康の評価も史料の裏付けがなければやりようがないと思うが。天下人にな
ったからリーダーの条件を備え、西軍が大きくなることを見越してたという
のは根拠がなく無意味。

398 :人間七七四年:2009/08/26(水) 19:54:23 ID:NV51ygN8.net
トップの資質かけていたんじゃね?
秀吉存命中の時代に天下人として家康はケチでだめだ的な評もあるし。
トップの資質と結果トップになるってのは別問題だと思う。

399 :人間七七四年:2009/08/26(水) 22:18:51 ID:NyI5STdh.net
>>397
史料史料と言うが、キミが述べてきた事は正直常識レベル
小説・講談の類ですら散々述べられている内容
誰も突っ込まないのは、優しさだと思ったほうが良い

その上で、家康が想定しないわけないだろ? ということだよ

それと、相手の主張を曲解して批判するのはやめた方が良い
>天下人になったからリーダーの条件を備え、西軍が大きくなることを見越してた
というのは根拠がなく無意味。

400 :人間七七四年:2009/08/26(水) 22:33:38 ID:wS16nY+i.net
どのへんが曲解?
なにを根拠に家康が想定しないわけないだろ?と言えるのかが疑問
なんだが。
こちらは史料を挙げているのに小説や講談で散々述べられてるとい
うなら、あなたも挙げてはいかがか。

401 :人間七七四年:2009/08/26(水) 22:40:23 ID:80CQY3+4.net
そろそろタイトルとスレの内容が離れてきてるから、それ以上は別スレ立てた方がいいんじゃね?

402 :人間七七四年:2009/08/26(水) 22:45:56 ID:wS16nY+i.net
だね。関ヶ原スレもあるし

403 :人間七七四年:2009/08/27(木) 00:20:16 ID:FvcVeNx4.net
それじゃあちょっと、個人的意見を関ヶ原スレの方に書いてみる。

404 :人間七七四年:2009/08/27(木) 01:29:37 ID:FvcVeNx4.net
ということで、
もし家康は予めどの程度まで見通し立てていたのかについて、まだ議論したい方がいればこちらへ。
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ13【東軍】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1214108230/

405 :人間七七四年:2009/08/27(木) 12:41:16 ID:HFBUvTF3.net
結論は上杉が南下しようがしまいが
「毛利は腰抜け野郎」
これでいいだろうが!

406 :人間七七四年:2009/09/01(火) 22:53:32 ID:AXpwVCjb.net
>>404は、関ヶ原スレに682から参入するも、やはり逃亡。

あまりの悔しさからか、成りすましで復活。
酷い自演を繰り返しつつ、何とか同じネタで再戦を企むも全て空振り。
周囲は完全に放置&晒し状態だが、本人は全く気付かず現在も独り言継続中。

笑いを通りこして、少し可哀そうになってきたw




407 :人間七七四年:2009/09/01(火) 23:46:52 ID:Q0cVllqY.net
スレ違いな話題なんだからここで混ぜ返すなよ

408 :人間七七四年:2009/09/01(火) 23:57:36 ID:AXpwVCjb.net
確かにそのとおり。
こちらの住人のこと考えてなかった。スマン。

409 :人間七七四年:2009/09/02(水) 00:01:54 ID:bvRqtEwu.net
>>405
毛利は特に西軍優位に進んだ序盤は好戦的な態度も見せてるから、
状況次第ではむしろ積極的に動いて西軍のなかでも主導権を握ろう
としていた可能性もある。上杉軍が南下できる状態になっていたら
また違った展開だったかも
>>406が可哀そうだな。

410 :人間七七四年:2009/09/02(水) 00:09:57 ID:VB7qxdUI.net
あ〜あ、戻ってきちゃった
言わんこっちゃない

411 :人間七七四年:2009/09/02(水) 00:30:09 ID:bvRqtEwu.net
>404じゃないけど>>406みたいな書き込みはやめようよ。
関ヶ原スレには自分も書き込んだし、>>4041人が君と反対の意見だと思わないほう
がいい。相手が自分の気に入らない意見なら、自分も史料挙げて普通に議論すればい
いだけ。
相手を中傷したり馬鹿にしても自分の発言の正しさの証明にはならないと思うがね。

412 :人間七七四年:2009/09/02(水) 00:56:30 ID:cVT4RMMz.net
惜しい
『自分も史料挙げて』がなければ、バレなかったんだけどねぇ
こんだけ過疎ってたスレに突然書き込みが増えるんだから、細心の注意を払わないとね

413 :人間七七四年:2009/09/02(水) 01:05:31 ID:VB7qxdUI.net
だからオメーもスルーしろよ
また荒れるだろうが

414 :人間七七四年:2009/09/02(水) 07:12:09 ID:MizymwIG.net
みんな自演に見えてる時点で…

415 :人間七七四年:2009/09/02(水) 07:19:13 ID:D5GebDCB.net
>>411
まぁ、あれだよ。
史料は要求された時に出せばいい。
君みたいに、最初から「最近の研究は〜」「〜氏によると」っていうのは、
自分の意見にハクをつけようとしてるみたいで、逆効果。
それらを本当に自分のものにしてるのなら、ワザワザ言わなくても、
相手を論破出来るだろ。

416 :人間七七四年:2009/09/02(水) 07:46:47 ID:KU3retN6.net
南進した場合より白河で決戦が行われた場合

のほうがいいような気がする。

417 :人間七七四年:2009/09/02(水) 10:42:33 ID:QtMKBUhm.net
白河で決戦が行われるまで三成が蜂起しなかった場合は
会津に行くはずだったのに西軍に巻き込まれた大名のほとんど全てが
無事に会津に到着したことを意味するので
上杉が一方的に虐殺されるだけだ

418 :人間七七四年:2009/09/02(水) 11:39:34 ID:ngVD7PCC.net
すまん、景勝達も毘って旗を使ってたの?

419 :人間七七四年:2009/09/02(水) 11:48:17 ID:JHN/W3UP.net
むしろ西軍に付いた大名らも白河へ到着した場合は、
関ヶ原の小早川のようなヤツが家康の指揮下にいることを意味するわけだが。
だいたい東軍につくはずだったが、やむを得ず西軍参加って大名がムチャクチャ多いあたり、戦後の江戸に対する弁解や言い訳な気がするし。

420 :人間七七四年:2009/09/02(水) 12:18:40 ID:MizymwIG.net
でも、会津征伐で東国に行ってた連中のほとんどが東軍、遅れて三成
にせき止められた連中が西軍についてるから、一緒にいるほうという
か現実的な判断してる大名が多い。秀頼を西軍に抱えられても圧倒的
な軍事力を持ってれば家康は江戸を拠点にじっくり戦える。

421 :仙台藩百姓:2009/09/02(水) 12:24:24 ID:rwncSpqW.net
関ヶ原は戦力が均衡していたから二の足踏んだ連中が多かったけど
上杉征伐の場合はあからさまな集団リンチでしかないものね( ^ω^)
気が狂った奴でもなければ上杉側に寝返って自殺なんてしないお┐ (´ω`) ┌


>>418
幕末まで使ってるお( ^ω^)

422 :人間七七四年:2009/09/02(水) 13:50:44 ID:QtMKBUhm.net
>>419
小早川をはじめとした関ヶ原の日和見連中も別に上杉とは何の義理もないし
5万VS20万でしかも会津征伐に豊臣のお墨付きまである状態では
上杉に寝返りどころか日和見する奴だっていない
関ヶ原とはまったく状況が違うよ

423 :人間七七四年:2009/09/02(水) 16:52:12 ID:hNS8amIt.net
419の言いたいのは上杉に寝返るんじゃなく西軍に味方するって意味だと思うぞ。
三成の挙兵が遅れれば小規模で終わり、西軍につく大名はあまりいなくなると思うがね。
ちなみに小早川は会津へ行かずに伏見城に入っていたと思う。

424 :人間七七四年:2009/09/03(木) 22:12:59 ID:No755PIL.net
景勝はどんなシナリオでも南進はしなかったんじゃないかなぁ。
理由は、景勝の方針が自主独立にあったのではないかな、と。
西軍のためなどではなく、もちろん義のためなんかでもない。

山形を抑えて庄内の飛び地を解消し、(勢力拡大としては)比較的容易な越後の復領でかなりの勢力になる。
当時の海運は日本海側が中心だから、越後各港に酒田港も加え、佐渡も有していれば経済基盤はかなりのもの。
石高は会津、米沢、越後、山形、庄内、佐渡で300万石近いかな?仮に関ヶ原が長引けば、十分第3勢力足り得る。
混乱が長引き、変じて群雄割拠になったとしても、最強であろう徳川250万石は景勝にすれば北条が入れ替わっただけの事で
特段抵抗感なし。単体なら十分勝負可能。

自主独立が基本路線なら、関ヶ原終了後にアッサリ徳川に頭下げたのも納得出来るんだよね。
天下の兵を受けて立つ程、非現実的ではない。秀吉に頭を下げたのと同じ。
黒田のスタンスは有名だけど、伊達・島津など地生えの覇者も同じなんじゃないのかな。
勝手な想像で、長文失礼しました。


425 :人間七七四年:2009/09/03(木) 22:45:08 ID:I+zLlp8q.net
長引けば、伊達の動きも全然違うだろうな

426 :人間七七四年:2009/09/03(木) 23:03:20 ID:SYcvYdRc.net
景勝の豊臣奉行衆への書状だけでは、奉行衆に合わせて「ほんとは南下したい
んだけどさ」と言ってるだけにも見えるけど、兼続も本庄に南下する際の伊達
家の扱いについて指示してるので、東北を沈静化させたあとは南下しようとい
うのは本気だったと思うね。もちろん豊臣家への恩とかではないけど。

427 :人間七七四年:2009/09/03(木) 23:25:31 ID:QSeqhvxa.net
結局五大老の徳川・前田・宇喜多・毛利・上杉のうち
家の存亡を賭けてまで戦ったのは徳川と宇喜多のみって事でしょ
あとの三家はあわよくばの火事場泥棒狙い もちろん家が残らなければ何にもならないという考えも認める

428 :人間七七四年:2009/09/03(木) 23:45:35 ID:No755PIL.net
景勝は、火事場泥棒というより、火事を起こした当事者だからなぁ。
見方によるんだろうけど、景勝も秀吉亡き後の豊臣家を軽視してたんじゃないかと思う。



429 :人間七七四年:2009/09/04(金) 00:17:01 ID:prq/S8/D.net
>>428
なるほど
自分で火事を起こしといて火事場泥棒ってのは変か、じゃあ火付け強盗?w
よく上杉家は残ったよなあ
実は共謀相手は三成じゃなく家康で、直江の役割は吉川広家に近かったりしてw

430 :人間七七四年:2009/09/04(金) 06:48:20 ID:f0b11vg0.net
それはなかなか面白い考えだね。
実際本気で「義のため」とかいってあの対応にあの結果じゃただの間抜けだもんな。

431 :人間七七四年:2009/09/04(金) 07:22:54 ID:ISzdBEDP.net
ほんとに火事をおこそうとしたのかねえ。
最近の研究じゃ、神指城も戦時の城じゃねえっていうじゃん。
白河大決戦も当時の防御跡と言われてたのは、
考古学的見地から否定されてるし。

432 :人間七七四年:2009/09/04(金) 07:46:20 ID:2LUMwn0v.net
白河での決戦を想定してたかはともかく、豊臣軍が攻めてくる以上
何も手だてしないわけないと思うし、白河決戦を否定してる人も同
時に上杉領内の複数の難所に防御のための陣地を築いていることを
指摘してるよ。

豊臣政権下の上杉は最初東国の取次を任されてたのに、家康が降伏
するとそちらに東国での支配権を持って行かれた。それでも上杉の
影響力が全くなくなったわけでもないから、両者は利害が対立する。
三成が挙兵しないこともありえるので、家康は東国支配に邪魔な上
杉をなんとかしたかったというのが会津征伐の本来の目的のような
気もする。

上杉としても、上方がどうなるかは知らないけど、その間(おそら
く長期戦)にいくらでも東国の与党を増やし、家康の力を削いでお
こうというのが本音だったかもしれない。

433 :人間七七四年:2009/09/04(金) 11:30:14 ID:wtRSS/nE.net
一般的には、義で立ったか、>>432の説なんだろうな。
ただ、前者だと終わ方がお粗末過ぎるし、後者だと、南進しなかった根拠が乏しくなると思う。
豊臣政権内での勢力伸長が目的なら、やっぱり追撃すべきだったのでは?
山形なんぞに出張る必要はないと思うんだよな。西軍が勝利すれば、庄内は取り戻せるだろうから、
西軍勝利のみを追求すれば良いのでは?

434 :人間七七四年:2009/09/04(金) 12:13:22 ID:yc1FAE1W.net
西軍ではなく上杉軍としての行動と考えたらそんなに違和感は無い
西軍と一くくりにすべきじゃ無いと思うよ上杉

435 :人間七七四年:2009/09/04(金) 14:22:58 ID:CpB1WjyD.net
>>433
宇都宮に秀康の大軍がいる上、背後に伊達・最上を抱えては南下は難しい。
景勝が書状で記しているとおり、最上と伊達を従えた上でないと南下はでき
ないというのが上杉の戦略だったと思う。南下の準備かあくまで秀康を北上
させないためかは不明だが、上杉は宇都宮や日光でも一揆を扇動してる。

436 :人間七七四年:2009/09/04(金) 19:17:57 ID:MXn8+mtU.net
上杉と小野寺だけじゃ攻める余裕ないだろ

437 :人間七七四年:2009/09/04(金) 23:15:25 ID:YWZjPzEj.net
>>435
通説的には正しいと思うし、否定は出来ない。が、敢えて一考。

伊達・最上を抱えて南下は難しい、って理由になるんかいな?
仮に三成が挙兵しなかったとして、
伊達・最上を抱えて征伐軍本隊を迎え討てん、とはならないよねぇ。
守ると攻めるの違いはあるから、そんな単純な話ではないだろうけど。
兼続はともかく、景勝は初めから南下するつもりはなかったんじゃないか?
最上と伊達を従えた上でないと南下はできない、の時点でほぼ確定だと思うけど。

そもそも、景勝が南下して、メリットがあるとは思えないんだよな。
まさしく義の人で、西軍の一翼として徳川に打撃を与える、という事ならわかる。
でなければ、景勝が豊臣にそこまで義理立てしなければいけない理由があるのかな?
秀吉には下げたくもない頭を下げたわけで。
人に仕える事がベースになっている前田ならいざ知らず、
秀吉亡き後まで膝を折り続ける必要はない。
まして、同格だった家康なんぞに、という感じ。

漏れも、景勝独立志向だと思うな。

438 :仙台藩百姓:2009/09/04(金) 23:41:47 ID:0ZrZMl7j.net
三成の挙兵をあてにして家康に喧嘩売った以外には考えられないお( ^ω^)
他のパターンだと勝算が限りなくゼロに近く、余程の馬鹿としか言いようがないお┐ (´ω`) ┌
蜂起する段階で伊達・最上・掘・佐竹など周辺国に何ら根回しもしていなかったし
陽動と分散が主な目的で初めから遠征するような考えは無かったのだお( ^ω^)
三成挙兵に思いの外周辺国が動揺し水面下で接触を謀って来た事で色気を出し
手頃な最上を攻めたに過ぎないお( ^ω^)

439 :人間七七四年:2009/09/05(土) 08:00:09 ID:HG9CqvKY.net
>>437
上杉主従は最上か伊達一方を屈服させれば東北の大名衆は従うと
読んでたのだろう。実際に伊達は南部を西軍だと言って一揆を扇
動し、秋田や最上も周りが西軍なのではないかと疑心暗鬼になってる。

上杉は、最上に対しても最初から戦をするつもりではなく「最上
を攻めるかは相手の出方次第」と直江の書状にある。最上が「ど
こへでもわが軍を連れて行ってください」と上杉に書き送ってる
のも「どこか」への出陣をにおわせている。
景勝と直江の戦略が不一致になっていては話がおかしくなる。直江は
「関東攻めには政宗か政宗の家老数人を従軍させ、関東での戦局がお
もわしくなくても裏切らないようにしなければならない」と本庄に書
き送ってるので、上杉家として南下を計画していたのは確かだと思う。

でもそれはは豊臣への義理立てではなくあくまで上杉家の東国支配が目的。
当然、上方の西軍を支援することにもなるがそれが1番の狙いではない。
東国は上杉、西国は豊臣という形を狙ったものか、戦後に豊臣政権に帰属
して、本来の家康の立場に上杉がなろうとしたのかはわからないけど。

440 :人間七七四年:2009/09/05(土) 11:46:51 ID:8dBu5ibZ.net
政宗は詳しくないんだけど、
もっと野心旺盛な人物かと思ってたわ。この程度で疑心暗鬼か。

直江の書状で一点疑問。
伊達を従軍させる、というのが現状と乖離しすぎてる気がするんだけど。
本庄に対する政治的な文面だったりしない?

441 :人間七七四年:2009/09/05(土) 12:51:38 ID:r6hXNFfn.net
本庄は伊達への備え。
伊達も最上も単独では戦えないので上杉との和睦を図っている。

兼続は本庄に和睦の話が調いつつあること、白石城のことは我慢して豊臣
家さえ許せば伊達との和睦を成立させようと述べてる。
ただ、伊達のことは疑っていて、手切れを申し出て来ても使者は送り返し、
さらに使者を送って和睦を続けろーと命じてる。

伊達最上が連合して寝返ればやっかいだと思ったのか、どちらかには打撃
を与えておくつもりだったらしく、最上がはっきりした返事を先延ばしし
ようとしたら最上、最上が従えば伊達を攻めると告げている。

442 :人間七七四年:2009/09/05(土) 13:07:02 ID:vcOJ7j+5.net
「内府違いの条」が出たことが大きいんじゃないの。
あれで一応徳川は「賊軍」、上杉は反対に「官軍」になった。
上杉の動きが活発になるのもそれからだし、
勢力拡大を狙ったという見方もあるけど、従わない最上らに対して、
北関東以北の取締として豊臣政権下での公戦をするつもりだった可能性もあるんじゃない。

443 :人間七七四年:2009/09/05(土) 13:26:00 ID:qCv2D76V.net
小野寺は上杉側。
佐竹は神指城築城に兵を送り軍事協力するなど水面下で上杉側であり当初の予定であった白河決戦が開始されていれば旗色を鮮明にして家康の背後を突いた可能性が高い。
三成挙兵で江戸に家康が戻るシナリオの変化で江戸に隣接した常陸の佐竹が腰砕けになった。
伊達、安東、戸沢、津軽は水面下で上杉側陣営にいた、もしくは交渉してたのは確実。
戦後に最上にチクられた安東は、戸沢は上杉に内通してたと言ってるし、津軽が大垣攻めに参加してたと言うのはウソだと言われている。
ちなみにに戸沢は金森長近が家康に戸沢を助けるように要求してる。
金森は利休の嫡男を秀吉の魔の手から救ったりしてるな。
最上も交渉してたが、時間切れで上杉に攻められ自動的に東軍。
南部は伊達に攻められ自動的に東軍。
関ヶ原決戦が遅れた場合に上杉が最上を滅亡させたのは確実なので、
すると安東、戸沢、津軽も明確に西軍化することになり、伊達も重臣数人を上杉側に派遣することになる。

444 :人間七七四年:2009/09/05(土) 14:04:59 ID:zpfuEyff.net
どのくらい遅れるかにもよるが・・・


445 :人間七七四年:2009/09/05(土) 14:37:26 ID:RbUm4fZ4.net
佐竹が徳川の後ろを衝く?義久と義重がいてそんなのできるもんなのかねえ。
そもそも鎧袖一触にすらならんと思うが。


446 :人間七七四年:2009/09/05(土) 17:19:37 ID:qCv2D76V.net
実際に戦後の家康は佐竹をもっとも卑怯と罵り
佐竹島津が年初の挨拶に来ないのを、事の重大性を悟り領国でびびってヒッキーしてんだろと嘲笑してるし


447 :仙台藩百姓:2009/09/05(土) 18:02:50 ID:bOlFBvM2.net
白河決戦が行われたら全方位からボコられて上杉瞬殺だお( ^ω^)
東国大名が水面下で西方に接触を取り始めたのは
三成挙兵によって家康ら本隊が引き返してしまったからだお( ^ω^)
それ以前に上杉に接触を謀る大名などいなかった
単に上杉ボコるだけだと思って楽観していたのに
突然の三成の書状に困惑し取り敢えず徳川と石田らの様子見する為に
近隣国は上杉に接触して時間稼ぎしただけだお( ^ω^)

448 :人間七七四年:2009/10/08(木) 18:32:56 ID:CX7XTklC.net
毛利・島津・小早川が本気で家康軍強襲!
徳川軍壊滅!内府家康は明に逃亡!
豊臣秀頼石高462万石太政大臣!関白秀秋 左大臣輝元 内大臣秀家
征夷大将軍上杉景勝! 豊臣摂関の下に
上杉・毛利・宇喜多の将軍御三家体制の幕府
石田・直江・真田・大谷・小西の五管領・五参議体制
島津・長曾我部は大納言 織田信雄は右大臣
上杉家越後を増加
後に上杉親藩に足利武田徳川の御三家と長尾北条ができる。
上杉定勝は帝の皇女を正室に迎えその間に生まれた姫を
足利徳川武田に嫁がせ
その間に生まれた男子を一度定勝の養子にして源氏の三名家を相続
上杉御三家は左右近衛の大将を武田と徳川 足利は中納言指定席を
兼継の孫は管領筆頭を勤めた後に中納言に
老後は日本各地を周り義と愛を説く「米沢黄門」
豊臣は秀頼系統と秀秋系統と織田系統が交互に
関白太政大臣に就任「筆頭は秀頼系統」
三家摂関 三家将軍 五管領・三位制度でバランスを保つ。
やっぱ一つの一族の将軍独占はダメでしょう。
あと大大名は嫡男を帝の皇女との間に生まれた男子にした方がいい
豊臣も上杉も毛利も対等。 皆皇族との血縁あり。
なお足利上杉家は上杉親藩の筆頭で上杉本家の婿養子になる習慣が
「第2次足利幕府」上杉尊信 源氏長者 征夷大将軍
        直江師兼  筆頭管領 征夷副将軍
        石田義成  管領 兵部卿
そこには謙信公依頼の夢が
尊信 「尊氏公、謙信公、それがしは武士と民の理想国家をつくります。」
尊信 「我が姫と帝の間に皇子が産まれたか」
尊信 「南蛮が豊臣殿を攻撃しただと?今こそ侍魂を彼奴らにみせるぞ!」   
尊信 「向かうところ敵なし!尊氏公と謙信公の名の下に」

449 :人間七七四年:2009/10/08(木) 18:50:14 ID:lcR9hSz9.net
何これ気持ち悪い

450 :人間七七四年:2009/10/09(金) 23:38:05 ID:SielLhT3.net
関ヶ原で西軍勝利後上杉は越後と上野を加増
影勝将軍宣下「しかし豊臣を主君として立て秀頼より高位にはいかない」
上杉幕府は徳川や伊達加藤福島などの浪人を家臣にする「痛みを分かち合う
義と愛の精神」
武士は豊臣より上杉に忠義を尽くそうと豊臣の旗本が上杉へ
上杉家代々帝の皇女を正室に「皇女との嫡男が当主になる」
5代目将軍は朝廷より正一位摂政将軍に任命
豊臣家姫を上杉家に嫁がせ豊臣上杉両家融合

451 :人間七七四年:2009/10/10(土) 00:31:05 ID:Ohjy6+Hv.net
負け犬の妄想キモイ

452 :人間七七四年:2009/10/15(木) 00:04:13 ID:5pA6AO4D.net
>>448
面白いw


453 :人間七七四年:2009/10/16(金) 14:59:51 ID:fJyr4K5L.net
関ヶ原西軍大勝利で
佐竹義宣100万石
葦名義広50万石
岩城貞隆30万石
宇都宮国綱75万石
結城朝勝50万石
15年後に
豊臣を滅ぼし佐竹幕府が水戸に開かれました。
はいこのスレ終了。

454 :人間七七四年:2009/10/16(金) 16:36:44 ID:WOP7e7QF.net
ID:CX7XTklC=ID:SielLhT3=ID:SielLhT3
きんもー☆

455 :人間七七四年:2009/10/16(金) 19:41:28 ID:549yPtdh.net
毛利みたくどれだけ石高あっても天下をとろうって意識がないと駄目だよなあ

456 :人間七七四年:2009/10/18(日) 01:31:11 ID:RFAtSSb6.net
>>453
源氏政権樹立ですな

457 :人間七七四年:2009/10/21(水) 01:17:54 ID:CWzd2miW.net
大友50万石
宇喜多80万石
大谷40万石
毛利250万石
上杉250万石
小西75万石
島津80万石
長宗我部80万石

458 :人間七七四年:2009/10/31(土) 17:17:11 ID:AI8oV5DA.net
>>156
4月に南部と伊達正規軍で決戦が行われたのは事実だよ。
伊達史では10月以降は家康の停戦命令で戦闘は一切やってないと主張して敗戦を隠蔽してるが
1月の月夜畑では上杉領を相馬と一緒に奇襲しようとして石川弾正に伊達は大敗してるし。
関ヶ原後の松川福島花巻キャンペーンを伊達側はかなり捏造歪曲隠蔽をやってるとしか思えない。

459 :人間七七四年:2009/11/01(日) 01:38:29 ID:rDaEqF2k.net
長曽我部80万石て、四国の石高知ってるのかよww


460 :人間七七四年:2009/11/02(月) 05:10:34 ID:pAusfAHJ.net
全盛期でも80万ねーよ

461 :人間七七四年:2009/11/02(月) 08:34:44 ID:wuGakYOJ.net
さすが必敗伊達軍。さすが仙台捏造王国。まさに面目躍如だな!

462 :人間七七四年:2009/11/02(月) 10:04:16 ID:zXqtRJPC.net
>>458
それって何の史料に載ってる?
月夜畑とかいうのは『奥相茶話記』ぐらいにしか載ってなくて、
伊達の史料や上杉の史料や『奥羽永慶軍記』には載ってないんだが?
相馬が徳川に弁明するために、上杉との小競り合いを過大に報告した可能性がある。

463 :人間七七四年:2009/11/02(月) 12:08:32 ID:wuGakYOJ.net
>>462
論破されると毎回、東国太平記を壊れたカセットテープのように持ち出してた三戦板の松川スレの基地害さんここにも登場して必死過ぎてワロタw

464 :人間七七四年:2009/11/02(月) 12:57:57 ID:ICZ6P7jv.net
論破されているのは毎度妄想を垂れ流している↑な罠
レスの仕方が典型的だから日付とID変わってもバレバレです、本当にありがとうございました。

465 :人間七七四年:2009/11/02(月) 13:41:48 ID:wuGakYOJ.net
>>464
得意の自演乙

466 :人間七七四年:2009/11/02(月) 15:30:54 ID:ICZ6P7jv.net
ツッコミ入ると更なる妄想垂れ流すか自演乙でしか返せない所もいつも通りですね
ところで宮城の歴女(笑)に振られたって本当なの?w

467 :人間七七四年:2009/11/02(月) 16:06:07 ID:wuGakYOJ.net
そもそもお前さ、奥相茶話記すら読んでないくせに、「僕の政宗が負けるわけないやい」って必死に否定してるのがバレバレなんだがw

468 :人間七七四年:2009/11/02(月) 19:05:08 ID:JF1pYz10.net
信者はある意味被害者
一番悪いのは捏造歴史を書いた奴

469 :人間七七四年:2009/11/02(月) 20:39:50 ID:dJ0VkAQG.net
鵜呑みにする単細胞も悪いんだよ

470 :人間七七四年:2009/11/02(月) 20:59:44 ID:zXqtRJPC.net
>>467
へえ、君の『奥相茶話記』にはなんて載ってるんだい?
伊達政宗率いる大軍は石川弾正に大敗した、とか松川の戦いみたいな記述かな。

それから、この板の別のスレだけど、政宗が岡を激賞したというのは何の史料に載ってるのかも、
ついでに教えてほしい。

471 :人間七七四年:2009/11/02(月) 22:04:57 ID:wuGakYOJ.net
はい奥相茶話すら読みもせず、
つまり内容もわからず必死に否定してるバカ確定w

472 :人間七七四年:2009/11/03(火) 00:00:17 ID:vIY/XUK5.net
>>471のIDの奴って、質問にまともに答えられないんだろうな。
相手するだけ無駄、伊達を叩きたいために歴史を語ってるようだし。

473 :人間七七四年:2009/11/03(火) 00:19:53 ID:GIJzqWQ5.net
歴女に振られた腹いせとか女々しい奴だな

474 :人間七七四年:2009/11/03(火) 01:58:08 ID:S04BfAMG.net
>>472
伊達だけじゃなく、北条やらなんやら、ただひたすら叩いているだけの
人格障害者っぽいから、放置推奨

475 :人間七七四年:2009/11/03(火) 08:23:39 ID:P4CRvnD+.net
ほんと厨は真実を絶対に見つめないで、頭の中がお花畑だよな。


476 :人間七七四年:2009/11/03(火) 21:26:10 ID:rEitzPuo.net
>>65
十万と十万がぶつかって一日で決着なんてまず考えられないだろ
信玄・謙信の二百日滞在の例もある

477 :人間七七四年:2009/11/04(水) 00:20:06 ID:H7ygVC19.net
>>470
私の手元にはこう書いてある。
泉左京胤政於最上堺合戦事
泉左京胤政を義胤御追放有は牛越の城普請の時公儀の下奉行と泉の奉行と喧嘩の事に依て流浪して会津へ…省略

月夜畠夜討事
政宗白石福島を攻給て後相馬の一族家臣等盛胤義胤へ申上るは大形家康公天下を掌握し給べし其上景勝も無か如くに成玉ふ…省略www

相馬得替事
慶長七年石田治部少輔三成に興力したり…省略

さて>>470君のはどう書いてあるんだい?

478 :人間七七四年:2009/11/04(水) 01:58:21 ID:tHrfJAe/.net
コピペご苦労さん。
伊達と相馬が上杉と戦って大敗したという記述は何で省略するの?

479 :人間七七四年:2009/11/04(水) 02:28:43 ID:2uDOGRxZ.net
うぜーよ。会津はいつの時代も残念な地域なの!そんだけたの!

480 :人間七七四年:2009/11/04(水) 02:37:24 ID:H7ygVC19.net
なんだ、やっぱり読みもしないのに
「ぼくの政宗は無敵なんだい!」って脳内妄想だけが根拠で必死に否定してたザコ伊達厨かwww


481 :人間七七四年:2009/11/04(水) 03:28:09 ID:tHrfJAe/.net
で、月夜畑で伊達と相馬が上杉に負けたと書かれている場所は?
何で伊達と上杉の史料に月夜畑が出てこないんだい?

482 :人間七七四年:2009/11/04(水) 08:33:16 ID:H7ygVC19.net
>>481
じゃあ何で佐竹に同心し関ヶ原で何もしなかった小身の相馬は、上杉と同心した小身の小野寺みたいに改易にならないし、大身の佐竹のように大幅減封の上、移封にもならずに済んだの?
「月夜畠夜討事」での伊達と一緒の上杉攻めのアリバイ作りを経ての「相馬得替事」で
改易になった相馬が佐竹に秋田行きを誘われたが、相馬はそれを断って相馬復興運動を始めて、
東軍側であった証拠として月夜畠の戦死者リストを持って活動して、それが家康に認められて相馬領移封もなく安堵にこぎつけたわけだが。

483 :人間七七四年:2009/11/04(水) 14:06:34 ID:H+6qzxN9.net
んで月夜畑で伊達と相馬が負けたって記述は?
それ以後の事を出されても困る

484 :人間七七四年:2009/11/04(水) 23:28:15 ID:H7ygVC19.net
アホか。長すぎてとても転記できねーよ。
つ〜か、この程度の書は初歩中の初歩で初級レベルだから、手にして読むのは何も難しいことなんてない。
簡単に手に入れて奥相茶記なんざ読めるだろ。
自分で調べろよ素人以下だぞ。いちいち他人に頼るとは、あまりに低脳すぎるぞ。


485 :人間七七四年:2009/11/05(木) 05:38:11 ID:Z0otmlH+.net
言うくせに、結局は伊達と相馬が上杉に大敗した、とかいう記述を提示できないんだよな。
何も全てをコピペしてくれなんて言っちゃいない、その部分だけでも抜粋すればいいだけだ。
まあ、ググっても出てこなかったんだよな?

486 :人間七七四年:2009/11/05(木) 07:48:58 ID:pQHqt1+3.net
>>485
はぁ?だからその戦いの記述がかなり長いって言ってんだよバァカ。
お前まったく読んだ事ねーのバレバレだよな。
やっぱり「ぼくのまさむねがまけるわけないよ!(小学校3年男の子)」な動機だけで必死に否定してるだけだなw
コピペとか言うなら>>477で書かれた部分が本当にググって見つかる証拠出してみろよw
俺がさっき試しにググってみたがまったく検索に引っかからなかったわけだがwww
悔しかったらググってコピペ先とやらのリンク先を教えてみろよ絶対にググっても出てこないぞw
ネットでググって調べられる範囲でしか毎回反論できない無知伊達厨の限界がまたまた露呈したなw
月夜畠ではなく、月夜畑と書くのがすでに無知をさらけ出してたわけだがねw


487 :人間七七四年:2009/11/05(木) 08:03:59 ID:14Tnmnru.net
長いなら何度かに分けて転載するとかしたら良いじゃん


488 :人間七七四年:2009/11/05(木) 08:16:57 ID:pQHqt1+3.net
ふざけんな。なんでお前に義理もないのに、苦労して転記しまくるなんざ、そんな親切心出さなきゃならんのだ。
簡単に手に入る本なんだから自分で読めばいいだろ。他人に依存すんな低脳。
これだから伊達厨はバカにされるんだよ。

489 :人間七七四年:2009/11/05(木) 08:17:23 ID:Z0otmlH+.net
>>486
だから、関係のない部分じゃなくて、伊達と相馬が上杉に大敗して何百人と死傷者を出したんだろ?
その部分でも抜粋してみてくれよ。
そもそもが、松川の戦いの論争で敗北して、月夜畑を持ち出してきたのがそっちなんだから、
まず、月夜畑の戦いを立証してくれよ。

490 :人間七七四年:2009/11/05(木) 08:21:31 ID:pQHqt1+3.net
>>489
>>488
ガキじゃないんだから、わからないなら自分で調べる癖をつけた方がいい。

491 :人間七七四年:2009/11/05(木) 08:39:07 ID:Z0otmlH+.net
月夜畑があったと主張する奴が、立証はこちら任せって、一体どういう事なんだろうね?
立証もできず、味方の伊達はおろか敵の上杉の史料にものってない戦いを信じろと?

492 :人間七七四年:2009/11/05(木) 08:48:32 ID:pQHqt1+3.net
負け犬さんお疲れ様


493 :人間七七四年:2009/11/05(木) 09:07:40 ID:pQHqt1+3.net
長いからこれ以上は転記しねーぞ。

省略…主の首を落とし鼻をかき道脇の雪中へ押込主の鑓を取小膝をつき敵を突沸しが大勢なれば終に討れけり
開澤に平九郎佐藤七郎三郎右衛門此外に有り亦川股浪人も有大原にて星藤七郎縫殿之介七郎兵衛同子八郎本田文右衛門父子大倉に新二郎下人一人帯刀
都合相馬の者百五十余人伊達の者二百五十余人討れたり夜討の一段は水谷式部日來案深き者成故に後難を考て如此夜討して討死の者…省略

494 :人間七七四年:2009/11/05(木) 09:07:47 ID:fLPzGW7f.net
>>492
負け犬はお前だよw
どうせ史料出せないんだろ?
もう消えていいよ。

495 :人間七七四年:2009/11/05(木) 09:14:41 ID:fLPzGW7f.net
>>493
最初からそれを書いておけばいいものをw
で、何で伊達の史料と上杉の史料に出てこないの?
『奥羽永慶軍記』にも出てこないし、水谷胤重が徳川に弁明するために、
上杉との小競り合いを過大にしたのが、この月夜畑じゃないのか?
味方どころか敵の史料にすら載ってない不思議な戦いw

496 :人間七七四年:2009/11/05(木) 09:18:47 ID:pQHqt1+3.net
あぁちなみにな、
下記のように相馬側は伊達を罠にハメて、自らはできる限り被害を受けないように動いてるわけだw
省略…本田文右衛門と申侍二人付らる此二人に計夜討企の細具に兵庫申聞せ伊達の者をば皆も討せよ相馬の者をば討せぬ様に下知して引除如何に見苦敷…省略


497 :人間七七四年:2009/11/05(木) 09:31:09 ID:Z0otmlH+.net
>>493
言うほど長くないが、まあ、おつかれさん。
扇動されたゴロツキや葉武者の類の小競り合いはあったんだろう、多分。
ただ、そんな小競り合いを史書に記す必要もなく、伊達や上杉の史料にはのってないと。
徳川に言い訳しなければならない相馬だけが記したと。

498 :人間七七四年:2009/11/05(木) 09:37:34 ID:pQHqt1+3.net
つまり水谷が過大に書く必要はなく、
被害が大きいのは、相馬が伊達を死地に追いやる下知をしてるからなんだよ。
奥羽永慶に載ってない戦いはすべて否定とかアホか…
上杉にとっては単なる局地戦でザコ伊達を排除しただけでいちいち全てを記入したりしねーよ。
だいたい相馬領安堵の合理的説明になるし、あの本多正信を相手に課題戦果なんてウソが通じるわけないだろ。
本多が伊達に裏を取ったらすぐバレるし改易がかかってるのに大ウソなんて危ない橋を渡るわけねーよ。
いい加減に伊達厨の願望から貶したり否定したりすんなよ。
人取橋でも郡山でも松川でも南部花巻でも月夜畠でも伊達の大敗だよ。
こちらは毎回、史料を出してるが、Googleバカ伊達厨は今まで一切、史料を出したことなく、
反論は毎回、他人が出した史料を曲解して歪曲解釈するという卑劣極まりない手法しかせず、他人の土俵で相撲を取るクズ。

499 :人間七七四年:2009/11/05(木) 10:03:36 ID:fLPzGW7f.net
>>498
歴史は様々な史料を考証した上で、事実かどうかを判断する訳で、
例えば手取川などは『歴代古案』の謙信の書状しかそれらしい史料は無いのにも関わらず、
上杉贔屓の軍記物で織田が大敗した事にされてるんだろうが。
『奥相茶話記』にしか載ってない戦いを、すぐさま信用しろというのがおかしい。
伊達は弱い、徳川にウソは通じない、相馬はウソをつかない、など、勝手に都合よく推し量るな。
大敗続きの伊達が大藩として残って、常勝の上杉wが、どんどん落ちぶれていったのはどう説明するつもりだ?
伊達の史料なら『伊達治家記録』や『伊達家文書』でも読めばいいだろ、人取橋についても松川の戦いについても書いてある。
伊達の史料なんて信用できないと言うなら、上杉マンセーの軍記物でも読んでりゃいいさ。

500 :人間七七四年:2009/11/05(木) 10:54:56 ID:pQHqt1+3.net
ぼくのまさむねがまけるはずがないよ(笑)

501 :人間七七四年:2009/11/05(木) 11:39:34 ID:74lwAIDa.net
ぼくがれきじょにふられるはずがないよ(笑)

502 :人間七七四年:2009/11/05(木) 19:24:12 ID:pQHqt1+3.net
奥相茶の文中のどこに不信な点があるのか否定に足る根拠として、一切の具体的に挙げずに、
ただ政宗の敗北が認めたくないから感情的に否定してるだけだから、こいつはどうしようもない。
ついに歴女にふられたとか根拠のない脳内妄想までして基地害すぎ。
例えば奥相茶の月夜畠を否定してる学者なんているのかね?君だけの願望に過ぎない。
だいたい対論の論拠史料をもって具体的反論をするならわかるが、それらを一切やらないどころか、論議の初歩的前提としての該当書籍すら読んでないくせに完全否定するとか伊達厨はマジ頭がおかしい。


503 :人間七七四年:2009/11/05(木) 19:27:18 ID:74lwAIDa.net
涙ふけよw

504 :人間七七四年:2009/11/06(金) 11:44:58 ID:POYfWwF0.net
ぼくのよしあきはてんかのはしゃ
あいとぎのよしあきはせいぎだ!
まさむねやうえすぎやかねつぐがわのしりょうはぜんぶうそのれんぞくだからしんようできない


505 :人間七七四年:2009/11/07(土) 23:05:25 ID:Lf9fI9EJ.net
なんていうか
こんなレスつけて自分で惨めじゃないのだろうか

506 :人間七七四年:2009/11/24(火) 01:41:54 ID:noLGiUYX.net
>>155>>194
南部を攻めた政宗は南部が上杉に内通してると家康に大嘘通報して攻めるも大敗w>>187>>188>>189
まったく伊達の書状偽造癖は酷いな。
まぁその偽造得意技で葛西大崎一揆を煽った際に蒲生が手に入れた証拠となる政宗書状に対する言い訳に利用してたしなw

507 :人間七七四年:2009/11/28(土) 03:17:33 ID:/8mpOXqT.net
w

508 :人間七七四年:2009/11/28(土) 22:07:19 ID:a4NPVJuj.net
流れスルーしてスレタイに答えると空になった上杉領に伊達最上が雪崩れ込む
秀康にてこずってる間に根無し草となっておしまい
結論はあんまり変わりません

509 :人間七七四年:2009/11/29(日) 07:14:33 ID:K22ZSVbC.net
流れスルーしてスレタイに答えると南進途中のの便所で頓死

510 :人間七七四年:2009/11/29(日) 11:47:34 ID:apx5ZNyG.net
上杉軍南進→秀康がこれを壊滅→秀康を後継者にという声が大きくなる→徳川家分裂→豊臣家再び天下を取る

なんて事態になったかね

511 :人間七七四年:2009/11/29(日) 12:45:50 ID:VJXY0K4G.net
上杉軍が南進すれば当然総大将は景勝なんだろうけど、彼の戦術的能力はいかほどだったんだろうか。
基本的に部下任せの感が強いのだけれども。

512 :人間七七四年:2009/11/29(日) 15:32:17 ID:GBTyZN8X.net
徳川・上杉両軍は朝鮮の役に参陣していない(少なくとも小田原から10年実戦を経験していない)ので
参加している大名家と比べると戦闘能力は低かったと思う
実際の関ヶ原戦役でも、井伊・本多・榊原と直江がそれぞれたいした戦果を上げられていない
しかも譜代の多い徳川と比べて上杉は3万以上の大所帯になってから数年しかたっておらず、その間の戦の経験も無い
関ヶ原を扱ったゲームなどではバランスを取るため上杉は強力扱いだけど、実際に南進していたら
行軍一つとっても史実の秀忠隊並に苦労したことは間違い無い 何だかんだ言って会津から江戸は遠い
もっとも上杉が動けばそれだけ家康の西上も遅れ、三成に勝つチャンスが出てくるのは確かな訳で
「自分が滅亡しても良いから家康を倒したい」なんて奴に史実の上杉家の領地を与えれば歴史は大きく変わっていただろう
そんな親族・譜代が居ないのが豊臣家の限界だが

513 :人間七七四年:2009/11/29(日) 16:25:45 ID:wnNjsD+u.net
本多や井伊はしっかり活躍しているよ

514 :人間七七四年:2009/11/29(日) 17:14:06 ID:I0iZF+dC.net
天下最弱の旧伊達兵を秀吉によって押し付けられて間もない時期だった為に
上杉の戦闘力は1/3以下になった。


515 :人間七七四年:2009/11/29(日) 17:24:36 ID:UpW5Q4hB.net
会津を伊達が押さえてた期間なんて僅かなもんだったじゃねーか。

516 :人間七七四年:2009/11/29(日) 17:27:43 ID:GBTyZN8X.net
>>513
死兵とは言え逃亡中の島津を討ち取れなかった
まあ井伊・本多が決死で活躍すべき場面(家康本陣の危機)が無かった事もあるが

517 :人間七七四年:2009/11/29(日) 17:28:37 ID:I0iZF+dC.net
ヒント
米沢・信夫・伊達

518 :人間七七四年:2009/11/29(日) 17:42:41 ID:wnNjsD+u.net
>>516
井伊は先手は福島と共に宇喜多を攻め、直政は松平忠吉と緒戦から島津と激戦
ちなみに島津の兵数は三千だったが撤退時には千まで減っている
本多は遊撃隊として各所で絶妙なタイミングで横槍をし、400で首90というチートなまねをしている



519 :人間七七四年:2009/11/29(日) 18:15:10 ID:VRoN2tnx.net
>>516
1500を100以下に減らして、副将といっても良い島津豊久を討ち取っただけでは不満か。

520 :人間七七四年:2009/11/29(日) 18:48:38 ID:h4JAijPy.net
合戦で大将首を討ち取って当然みたいな論調に噴いたw

521 :人間七七四年:2009/11/29(日) 19:07:45 ID:I0iZF+dC.net
井伊とか本多とか過大評価すぎだな
織田家で言ったら、実力では前田や佐々や池田、森にすら及ばないわな。
秀吉のリップサービス真に受けて本多マンセーするやつとか痛いわ。
関ヶ原の西軍に信長公がいれば東軍なんて午前中に敗走してるわな。
徳川の信長公への捏造史は許すべからず。

522 :人間七七四年:2009/11/29(日) 19:11:04 ID:wnNjsD+u.net
>>521
池田、井伊に負けたジャン

523 :人間七七四年:2009/11/29(日) 19:36:23 ID:VRoN2tnx.net
>>521
信長が生きていたら関ヶ原なんておきんだろうに…。
妄想でものを語る、まさにお前がやってることが捏造だ。

524 :人間七七四年:2009/11/29(日) 19:42:04 ID:GBTyZN8X.net
516だが思いつきで書いてスマンかった
徳川は俺が知ってた以上に十分強かったようだ
上杉が南下しても勝てる可能性は無いに等しいな

525 :人間七七四年:2009/11/29(日) 21:23:32 ID:UpW5Q4hB.net
相手を総大将にした守備隊に限れば無いに等しいって事は無いとは思うが。
歴戦の平岩とかがいるとはいえ、小大名が殆どだし。
ただ、その後ボッコボコにされるのがオチだろうから、あんまり意味は無さそうだが。

526 :人間七七四年:2009/11/29(日) 21:26:32 ID:UpW5Q4hB.net
結城秀康の名前を一行目に加え損なってしまった……

527 :人間七七四年:2009/11/29(日) 23:54:07 ID:Sha11tUF.net
関が原で東軍が敗れれば労せずして関東が手に入るのに、
わざわざ南進する理由などないわな
西軍−東軍−上杉
はちょうど第二次大戦の
ナチス−ロシア−日本
の関係だな

528 :人間七七四年:2009/12/26(土) 07:12:36 ID:sb8aX9az.net
佐竹義宣軍が途中で降りなければ行けたのでは?

529 :人間七七四年:2009/12/26(土) 16:33:27 ID:s29WilfB.net
義重の存在が余りにも大きすぎた

530 :人間七七四年:2010/01/20(水) 00:47:45 ID:Ei1Jqr6n.net
佐竹ごとき雑魚では上杉の足引っ張るだけ

531 :人間七七四年:2010/02/10(水) 05:48:32 ID:zdtJuyTM.net
行けただろうけどすぐとまると思うよ

532 :人間七七四年:2010/02/15(月) 00:15:51 ID:FqxGbzAd.net
>>530
キチガイ乙

533 :人間七七四年:2010/02/16(火) 18:07:50 ID:eTRBwZq1.net
上杉が南進するってことは前提条件の「伊達・最上の従属」がなされている。
奥州の押さえである2大名が屈服した状態なら、史実でも会津攻め中止と共に
上杉に通じて最上領から引き上げた奥州諸大名も上杉方。
奥州が上杉色ということは越後勢も上杉方。
これはいい戦いになりそうだ。

534 :人間七七四年:2010/02/16(火) 18:59:44 ID:+mzVmGxu.net
>>「伊達・最上の従属」
この時点で既に不可能な件

535 :人間七七四年:2010/02/16(火) 23:19:44 ID:eTRBwZq1.net
伊達は最上救援をためらった。
最上は上杉にへりくだった書状が残っている
(一部の熱烈な最上信者が信憑性を疑っているが)。
状況によっては不可能ではない。
第一、このスレは南進した場合だから。

536 :人間七七四年:2010/02/17(水) 02:12:37 ID:hPdOPlaO.net
だからどうやって下すんだよw

537 :人間七七四年:2010/02/17(水) 07:32:33 ID:RDC7Vkf6.net
どうやって下すもなにも、
景勝や直江が南進の条件として伊達と最上を従えることを
挙げていたことが書状から分かってるんだから、両大名が
屈服しないと南進はない。「南進した場合」スレだからも
う上杉方についているんだよ。

538 :人間七七四年:2010/02/17(水) 09:14:14 ID:EZkmJjCv.net
徳川について空手形の百万石切られるよりは上杉と組んで徳川潰した方が儲けになると独眼竜が考えれば

539 :人間七七四年:2010/02/17(水) 18:36:22 ID:9gPxcog1.net
政宗は援軍要請に来た最上の息子を軟禁してなかなか面会しようとしなかったしな

540 :人間七七四年:2010/02/17(水) 19:02:09 ID:oysGjlKc.net
とは言うものの伊達の旧領奪回の熱が冷めるには移封されてからの日が浅すぎる
越後の堀との仲を取り持って
上杉→越後 伊達→米沢 堀→仙台の三角取引を斡旋するくらいの外交手腕が無いと

541 :人間七七四年:2010/02/21(日) 12:33:30 ID:ZdYp9vJ7.net
移封されてまもない上杉にとっても越後遺民一揆みたいなのが、会津信夫伊達米沢などで起きて背後を襲われたら危険だから
現実には背後を固めずに南下は難しいだろう。


542 :人間七七四年:2010/03/10(水) 08:18:29 ID:tP5/Iy3C.net

高橋明「会津若松城主上杉景勝の戦い・乾―奥羽越における関ケ原支線の顛末」(『福大史学』80号、2009年10月30日発行)

543 :人間七七四年:2010/03/11(木) 01:52:17 ID:u23BrOho.net
>>541
実際、伊達の侵攻にあわせて
伊達郡・信夫郡で一揆が起きてるから
軽はずみな南下をしなくて正解だった。
南下しなかったことで背後を作らなかったので
伊達の撃退ついでに伊達郡と信夫郡の伊達勢力を
根絶やしにできたし。

544 :人間七七四年:2010/03/11(木) 07:18:27 ID:+zpp1XwB.net
つまるところそれが上杉単体での限界だったね


545 :人間七七四年:2010/03/30(火) 20:24:58 ID:cBQkWA4m.net
伊達との戦いで白石城陥落はするは福島で惨敗はするは、戦略性の片鱗もない。
兵のレベルは最上以下だしねw

546 :人間七七四年:2010/03/30(火) 22:35:48 ID:k//y3J+W.net
戦略云々というより、周囲を全て敵に囲まれてる状態じゃあなあ・・・

547 :人間七七四年:2010/03/30(火) 23:17:00 ID:H7OwCdu+.net
伊達は味方最上は一蹴佐竹の援軍と皮算用してたからな

548 :仙台藩百姓:2010/03/30(火) 23:25:52 ID:Yhe6pT2g.net
前もって工作しなかったと言う点がちょっと信じ難いお( ^ω^)
何より豊臣家に対して工作していなかったから秀頼が中立決め込んでしまった事が痛かったお( ^ω^)

549 :人間七七四年:2010/03/31(水) 13:51:41 ID:9u2XFyrW.net
戦略眼の甘さは否めないな、そのお陰で生き残れたんだろうけど
どこか滅ぼしてたら終わってた


550 :人間七七四年:2010/04/01(木) 18:26:37 ID:pOcFFgCi.net
家康の会津5路侵攻のほとんどが機能不全になったあたり
直江の構想を凄いな。
それで会津侵攻苦戦必死と考えた家康らが
まずは組し易い三成を先に討つことにして
敵前逃亡したんだからな。
まぁ政宗も最上領に集結した東軍を崩壊させたり、東軍の南部を攻めたりと貢献してくれたな。
上杉、小野寺が政宗の後方を襲わないなんて、明らかに政宗は西軍だしな。
直江としては、いつでも結城秀康の出方しだいで米沢へ帰れる位置で、庄内軍が南下してくるのを待ってればいいだけだしな。

毛利輝元が史上最低の愚人だったのが誤算だったが・・・。
でも豹変した政宗が言うように、撤退戦で直江を捕捉できなかった最上の軍事的弱さは特筆すべき弱さだ。


551 :人間七七四年:2010/04/02(金) 01:09:57 ID:ctjp9Osk.net
>>550
日本語でおk

552 :人間七七四年:2010/04/29(木) 23:59:37 ID:eEWl39Ks.net
三成や輝元のアホが足引っ張らなければなあ

553 :人間七七四年:2010/04/30(金) 01:03:35 ID:44jJnLuN.net
長引いたところで秀康北進で終了だろ

554 :人間七七四年:2010/05/02(日) 09:30:03 ID:KBEha9CN.net
何にしても事前に主だった東北諸将を抱きこんでいた
家康の方が景勝より一枚も二枚も上だったのは確か
南進して秀康を撃破出来たとして結果はそう変わらなかったんじゃない?

555 :人間七七四年:2010/07/29(木) 10:13:14 ID:fBYoEUMJ.net
徳川が抱き込んでいたトーホグ大名って南部とか北端の小大名だけだろ。
最上、伊達、佐竹とか主要大名は上杉に抱き込まれてたし。

556 :人間七七四年:2010/08/02(月) 09:17:33 ID:geBXLDdT.net
大の最上嫌いでそれで西軍に付いたような小野寺くらいしかいなかったじゃねーか。

557 :人間七七四年:2010/08/03(火) 07:01:47 ID:HyWIzz5q.net
抱き込まれてたならもっと自由に立ち回れてただろ

558 :人間七七四年:2010/08/04(水) 08:14:30 ID:rxiCgdPG.net

石田明夫「神指城と関ヶ原−上杉影勝の城づくり」(『会津若松市史研究』3号、2001年発行)


559 :人間七七四年:2010/08/05(木) 00:38:15 ID:SmQVkp0l.net
徳川が勝ったから隠れてるだけで、上杉に内応した
大名は多いけど。南部とかもだし。

560 :仙台藩百姓:2010/08/06(金) 20:40:09 ID:HeXy7S84.net
西軍の総大将が徳川に内通してるのに今更内応も何もないお( ^ω^)

561 :人間七七四年:2010/08/07(土) 04:15:56 ID:Vo33RBI5.net
むりむり

562 :人間七七四年:2010/08/07(土) 10:56:05 ID:i1SenzLT.net
>>560
時間軸おかしいだろ百姓

563 :人間七七四年:2010/08/12(木) 22:39:53 ID:i1IzXbj2.net

水野伍貴「秀吉死後の権力闘争と会津征伐」(和泉清司編『近世・近代における地域社会の展開』岩田書院、2010年3月31日発行)


564 :人間七七四年:2010/10/06(水) 05:23:30 ID:P+KtG11y.net
>>560
m9(^Д^)プギャーーーッ

565 :人間七七四年:2010/10/09(土) 03:05:54 ID:c7mjaaYT.net
小早川秀秋が大坂にいる間に三成やらが天皇に秀秋を関白に任命して貰うよう
計らって豊臣秀秋の名で徳川と上杉を仲裁できたかな?

566 :人間七七四年:2010/10/09(土) 10:16:49 ID:9W5RW9J0.net
>>563
和泉さん、卒業した大学の教授だったわ。
卒論発表会の判定もしてくれたわ。ここで名前聞くとはww

567 :人間七七四年:2010/10/09(土) 12:05:20 ID:ya1+9PU1.net
>>565
すっごくむり

568 :羽場:2010/12/18(土) 05:09:29 ID:ryLnsSu+.net
仮に上杉軍が南下したとすると、どうなるでしょうね。
下野辺りでの勝敗は別としても、家康もある程度対応はしないと
いけないでしょうし、そうなると関東に幾分か拘束されてしまうでしょう。
そうなれば、上方情勢は間違いなく変化して関ヶ原なんて起きなくなる
でしょうし、その分西軍の動向も史実とは異なったものとなり、
諸大名も身の振り方に更に苦心するでしょう。
間違いなく、史実以上に家康は苦戦することになることが予測できますし、
下手をすると徳川の天下は頓挫してしまうこともありえないとは言い切れない
でしょう。
大体、西軍挙兵の時点でも家康は三成とその周辺の者くらいだろうと
タカを括っていた面があり、西軍の陣容を聞いて青くなったらしいですし。
家康自身も、少なくとも三成挙兵の時点であそこまで短期的な決着に
なることなど予想もしていなかったでしょうから、上杉軍が追撃して
与える歴史的変化は決して小さなものではないだろうとは思いますが。

569 :人間七七四年:2010/12/18(土) 08:09:10 ID:q3aReEzX.net
西軍の大勝利!!!

570 :人間七七四年:2010/12/18(土) 12:50:38 ID:aYPfCuMS.net
うんこたれようが青くなろうがその後の対応を誤らないとこが
家康のいやらしいとこなんだよな

571 :人間七七四年:2010/12/19(日) 00:18:39 ID:vNSx2PXj.net
伊達を背後にして南進なんて無理

572 :人間七七四年:2010/12/19(日) 13:42:09 ID:vTXG1r1b.net
東軍の南部ごときにボロ負け中の西軍伊達が何か喚いてますw

573 :人間七七四年:2011/01/09(日) 02:38:37 ID:II+M/LWC.net
徳川vs上杉を待てなかった石田三成ってどうしようもない馬鹿だな
ほんと西軍の疫病神だわ

574 :人間七七四年:2011/01/09(日) 02:55:16 ID:jQvW2kUk.net
毛利の愚かさに比べれば三成はまだマシ

575 :人間七七四年:2011/01/14(金) 00:33:36 ID:lLxF7qyQ.net
むしろ、上杉は石田が蜂起した時に徳川に加勢すれば良かったのにな。

576 :人間七七四年:2011/01/14(金) 09:12:20 ID:v+tH9Fwa.net
会津征伐の時に徳川に寝返ったとしても戦後いろいろケチをつけられて減封か移封だろ。
高い確率で佐竹と同じ道を辿る。
徳川政権が100万石以上の大名をそのまま放置など考えられない。
前田家が良い例。
戦後加増しといて少し経ってから何の落ち度もないのに越中の東半分の領地を召し上げようとしやがったし。
徳川政権と太いパイプを持つ本多政重が交渉役にあたったから話はお流れになったが普通なら間違いなく減封だよ。

577 :人間七七四年:2011/01/14(金) 11:37:58 ID:U1j28mW5.net
>>573
待っていたら西軍あんなに集まらなかったんじゃね?

578 :人間七七四年:2011/01/14(金) 13:09:15 ID:t6YhWy0U.net
元々、詐術に近いからな
西軍の立ち上げは

579 :人間七七四年:2011/05/19(木) 21:13:01.40 ID:BcqnL+aY.net
西軍の敗因は三成のミス

580 :人間七七四年:2011/05/27(金) 16:53:03.54 ID:boAE/SoM.net
そうかな?
戦が専門でもないのに一応天下分け目の合戦をどっちに転ぶか判らない状況でやれたんだし
むしろよくやったんじゃないかという気がしてたんだが>三成

581 :人間七七四年:2011/06/19(日) 03:47:00.03 ID:tz5n6wyp.net
上杉は南進できないよ
南進したら伊達に背後から襲われてオシマイ

小勢の最上にてこずったぐらいだから
関東侵攻は無謀

582 :人間七七四年:2011/06/19(日) 04:01:12.73 ID:C0YbIN8x.net
苦戦も何もただ単に長谷堂城を2週間包囲してたら関ヶ原敗報が届いただけじゃん。

583 :人間七七四年:2011/06/19(日) 05:31:01.15 ID:oZ1dfqbR.net
上杉勢が最上領から敗走するときに

直江兼続が「あばばばば、切腹するしかない」とパニックになっていたのを
家臣にたしなめられたのは有名な話

あまりの醜態ぶりに謙信公はあの世で嘆いておられたと思うわ

584 :人間七七四年:2011/06/19(日) 06:07:13.63 ID:oZ1dfqbR.net
         /:::::::::::::::::::::::::ノ  ヽヽ
        /::::::;;;;...-‐'""´    .|;;|
        |::::::::|     。    |
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       (〔y    -ー'_ | ''ー |     
        ヽ,,,,    /(,、_,.)ヽ .|
         ヾ.|   ヽ-----ノ /  兵力差8倍で、最強上杉勢!大勝利間違いなし!
          |\   ̄二´ /    
        /   、 ....,,,,.///☆☆::入
     /:::::::::|\_____/ / ./フ//:::::\
    /::::::::::::::::\_/::::i|○::\__.////:|:::::::::::|
           直江兼続

    |┃三    ..,, -.―――--;;.、
    |┃三   (;,イ;,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;ヽ
    |┃    /;}' .....    ........"ミ;;;;;;:}
    |┃    |}    .)  (    /:::;:|
    |┃ ≡  |} .-=・‐.  ‐=・=- `i;;;|
    |┃    | 'ー .ノ  'ー-‐'  ト'{
    |┃   .「|   ノ(、_,、_)\   }〉}     _________
    |┃三  `{|   ___  \  !-'   /
    |┃     |  くェェュュゝ     |   <  オイ!やんのかゴラ!!
    |┃      i゙ 、_ ー--‐ ,,, ';;{    \ ヤキ入れるぞクソガキ!
    |┃    丿\  ̄ ̄  _;;-"ヽ     \
    |┃ ≡'"~ヽ  \、_;;,..-" _ ,i`ー-     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |┃     ヽ、oヽ/ \  /o/  |     ガラッ
           最上義光

           ________
         ./::::::::::::::::ノ、ヽ
          /:::::;;;-‐‐''"´ |::::::|
.         |:::::|   。   |:::::|
          |:::/ ,,..ノ  ヽ...,,ヽ::|
.          |::|. ○ }liil{ ○ |::|
.          |´  ー'_ l _'ー   |´   あばばばば!
        .|  (__人__)  |
.          ヽヽ |!!il|!|!l| //     死ぬ死ぬ!
      ∩∩∩ヽ_|ェェェェ|_/
     .∩_:||_:|_:|   ー‐   ィヽ      せせせせ、切腹じゃ!!!!
     │ ___  つ        i
     ヽ   ノ    ノ   | l
       /´  ヽ       | l
       l    |       ヽ_⊥-‐ 、
       ヽ  _,l- 、(U)   ̄/     l
        ヽl´   |__* / ̄ `l_-‐ ´
         `-‐´   ̄ヽ --‐'



585 :人間七七四年:2011/06/19(日) 06:41:22.24 ID:oZ1dfqbR.net
   馬 切  ヽ从从ゝ>lllゝYリリ///,、-'彡彡彡;;ノ
   鹿 腹   |ミ、;;;;;/"//"从l|l从;;;;;;;;;;;;ヾ゙゙゙マ〈彡;l    直
   だ と  |゙'ミ;;;/,,イイ/  l||;;| |l|l ll|ヽ从ヾ,,}}\゙;;|    江
   ろ か   〔:ィ| ll|l;|;/从ll| |;;;;|l|从ll从ヾヾ从||l;;;||:|      `
   //   /::;;{ ||l| l| |l|ll从l|.|;;;;|;;从ヾ;;;;;;|| 'llリl|;;l| :|
   ・・   ノミ;;;;| l|ヾl| l|| 从ll|.'、ヾ、;;;;ヾヾヾ;;ノ,ノノ ミ7,,,_      _
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/     /;;ノミ;l ゙,,ィシモ;ツ''',ミl: Y:::./レ'公゙;;;;'゙_,,>゙゙   |;;;彡 ', |ミ |リ
    ,、 '/ク;;;l   ゙""´´:/l } ゙'' 、:::::........      |;;;;/リ | |ミ |l;;
  ,、 ';;/  //、;',      ,' l             l;;ノ",ノノ''ノ人
シ彡/  // ッiii',.       ノ ヽ  、          リ''""/{/::
彡'"  / イノ" ::',     :ヽ、ノ  )            ,'ヽイ;;从レ"::
"   / ,、 '~ 从:::ヽ      ::::::;;、 '"           / ::: };;;;}}}ヒ彡
   //   ミミ:::::ヽ    t、;;;;__,;;、、 ー''‘       /  :: ',ll;ノ彡彡
   ∠   \\::::::::ヽ    ゙ 、,,,,,,, 、- ''      /   ::::/彡彡""
  ,,''´   `゙'' 、从::::::::lヽ   ゙::::''"" ''"      , '   :::,,''彡彡ン彡
,、''"    ミミヾ、ヽ:::::::::l:ヽ   :::"       /:::::" ,ノ彡""''''シ''"
シ    ミミミヾヾl|::::::::::l::::ヽ ::::.....      /彡::::" ィ"シシ彡  彡
    ミミ゙゙ミミヾヾll| :::::l :::::゙ 、,,____,,,、-'´ 彡//イシ彡
          前田慶次


586 :人間七七四年:2012/05/12(土) 19:36:31.81 ID:RCUO9sKM.net
北条軍は扇谷上杉軍の籠る深大寺城をパスして河越城を直接攻撃したとか。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html


587 :人間七七四年:2012/05/14(月) 20:04:18.19 ID:RLlht0cO.net
見た目ど真ん中ストライ〜クのソープ嬢を妊娠させたくてたまんねぇ
嫁にして子供産ませてぇ〜


588 :人間七七四年:2012/05/15(火) 18:25:08.30 ID:InGs1Aax.net
上杉は快進撃じゃん
いきなり西軍主力が崩壊して撤退余儀なくされるなんて誰も予想できん


589 :人間七七四年:2012/05/15(火) 20:16:34.45 ID:o1lCZw/H.net
長谷堂城の戦いで膠着状態だったが

590 :人間七七四年:2012/05/15(火) 20:26:33.00 ID:RXoNhACx.net
本気出せば余裕で勝ってたよ

591 :人間七七四年:2012/05/15(火) 21:54:13.70 ID:o1lCZw/H.net
典型的な負け犬の遠吠え、捨て台詞

592 :人間七七四年:2012/05/17(木) 14:18:05.76 ID:a6qGxX1U.net
そもそも上杉にリスクを負ってまで徳川を追走する義理はない。

593 :人間七七四年:2012/05/18(金) 10:29:25.89 ID:ispGt5mV.net
つーか上杉にそこまでの余力は無いな。
佐竹が動かない限りどうにもならん。

594 :人間七七四年:2012/05/18(金) 19:10:32.57 ID:lqzxlmHD.net
日本の陰謀には、重要人物がいた

http://music.geocities.jp/jphope21/02/7/75_1.html

日本の陰謀に関わる人物の中で、特に徳川家斉がそうだ。

595 :人間七七四年:2012/05/18(金) 20:02:47.79 ID:514lNk1H.net
百姓呼んでこいよ

596 :人間七七四年:2012/06/02(土) 19:45:29.53 ID:4ynoTn2B.net
南進しても結城秀康勢に撃退される

597 :人間七七四年:2012/06/03(日) 03:11:36.07 ID:HI/GMwWu.net
伊達に背後を突かれる可能性もある

598 :人間七七四年:2012/06/03(日) 12:28:24.28 ID:DlwbZWNw.net
上杉は無敵なんだから遠慮せずにがんがんいけばよかったのにね

599 :人間七七四年:2012/06/07(木) 00:28:42.59 ID:CS11TtIW.net
上杉が南進して家康が西軍に寝返れば…

600 :人間七七四年:2012/06/11(月) 08:44:38.59 ID:fvxs281x.net
TBS「関ヶ原」

直江「殿!背後の伊達が」

601 :人間七七四年:2012/06/11(月) 11:17:45.54 ID:+5pCMrwE.net
河田長親と斎藤朝信が現役で生きてたら…

602 :人間七七四年:2012/06/11(月) 12:11:06.67 ID:v6QkZtqg.net
あと須田(父)もな

603 :人間七七四年:2012/06/11(月) 16:55:28.38 ID:ae8tqq9P.net
加熱具の出る幕無くなってまうやないか

604 :人間七七四年:2012/06/11(月) 18:16:39.01 ID:1RXvk0H1.net
謙信なら一気に江戸を制圧してた

605 :人間七七四年:2012/06/11(月) 19:39:13.25 ID:PxDubZlH.net
東京政府が特別な配慮を行なってきた人物

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/46/302.html

その人物こそ、「徳川宗家嫡男」であった。

606 :人間七七四年:2012/06/11(月) 21:19:34.79 ID:LgRSsYdF.net
佐竹の援軍があるのだから、かなり有利じゃね?

607 :人間七七四年:2012/06/13(水) 01:48:20.48 ID:vQpNanRp.net
上杉&佐竹VS秀康

608 :人間七七四年:2012/06/13(水) 13:12:03.96 ID:spIzRyAu.net
秀忠が軍を滞陣させた氏家原
氏家を通過すると山や川が増えるから戦闘のしやすさを考えると氏家原で迎え撃ちたいよな
上杉軍が南下してくるとしたら日光経由か黒羽経由かになる可能性が大きいからやはり氏家なんだよな

我がさくら市が古戦場になっていたのかもしれないなぁ


609 :人間七七四年:2012/06/14(木) 15:49:06.10 ID:BQ1uAtf3.net
佐竹は動く勇気はなさそう

610 :人間七七四年:2012/07/05(木) 08:01:16.67 ID:wH4CqKkr.net
佐竹さえ決断できれば上杉・佐竹連合軍で。

611 :人間七七四年:2012/07/05(木) 10:18:26.46 ID:57rqxCdY.net
是非とも氏家原で決戦してもらいたかった

結城秀康と徳川秀忠が主戦力として、上杉軍と戦う 上杉が南下すれば佐竹も加わる
元々、関ヶ原では戦わなかった部隊だから、関ヶ原の状勢には大差がないかもしれないが、
結城秀康と徳川秀忠の戦後の扱い方が変わり 江戸時代も変わったかもしれない

612 :人間七七四年:2014/12/17(水) 11:48:04.61 ID:Wvu3haoy.net
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613 :人間七七四年:2015/01/05(月) 00:19:49.81 ID:oDld84ju.net
どうなるにせよ、上杉が南下すれば時間がかかる∴黒田官兵衛は大喜びで
九州統一。
しかし、西軍はまとまれないからけっきょく家康の天下。

614 :人間七七四年:2015/01/05(月) 00:45:18.35 ID:VtfOPAB7.net
伊達は上杉が最上攻めてもギリギリまで上杉領を攻めないくらいだから、
徳川ー上杉も決着つくまで日和見決め込むんじゃね?
そもそも上杉にとって伊達ー徳川の2方面作戦は最初から想定の範囲内だし。

615 :人間七七四年:2015/01/05(月) 17:53:27.70 ID:sn8W/LC4.net
ぶっちゃけ上杉の方から侵攻はない。
徳川方の補給戦が伸びたところを叩くのが上杉の唯一の勝ち筋だから
自分の方の補給戦を伸ばしたら自滅するだけ。

616 :人間七七四年:2015/01/05(月) 21:56:26.69 ID:tw1a8muR.net
補給線と言いたいのだろうけれど、戦国時代に補給部隊なんていないのだから
補給線なんて無いんじゃねーの?
近代戦なら弾薬や食料を供給し続ける必要があるけれど、
戦国時代なら後方基地からの継続的な支援なんて存在しないし、
できたとしても上杉領にそんな余力は無い。
戦国時代の基本戦略は敵地で敵性民百姓から現地調達。

大軍で徳川領に侵入し現地調達(略奪)する上杉軍に補給線(弱点)無し! キリッ

617 :人間七七四年:2015/01/05(月) 22:30:35.96 ID:sn8W/LC4.net
それを最上相手にやってもスッテンテンになったのが上杉なんですが。

618 :人間七七四年:2015/01/05(月) 23:00:01.43 ID:tw1a8muR.net
だって、最上領・・・

619 :人間七七四年:2015/01/05(月) 23:07:03.59 ID:sn8W/LC4.net
自軍の1/3もない最上を攻めあぐんでた上杉が同数程度の抑えは残してた徳川に攻勢かけられるわけがない。
倍の兵力あっても厳しい。そんだけ自分から攻めにでるってのはリスクが高い。

620 :人間七七四年:2015/01/06(火) 06:04:52.07 ID:V8HkHDXK.net
はっ?攻めあぐんだ?ソース希望。

621 :人間七七四年:2015/01/06(火) 06:19:28.72 ID:/hz9BCpm.net
しかし強引に南進したら

政宗「上杉が南進?間違いではないのか?」
使番「間違い御座いません」
政宗(西軍、確勝かよ!ヤベーよ)「伊達家は上杉殿の後詰を致す、
   其の方、この旨,中納言殿に申し伝えよ!」

みたいな流れも有り得るんでは? 戦は狂気が勝ちを呼込む事も有るし…

622 :人間七七四年:2015/01/06(火) 08:14:47.25 ID:UajtB72V.net
島津は関ヶ原本戦に小兵力だが出撃したが本領安堵

いっそのこと上杉も小兵力だけでも誰か関ヶ原本戦にいたらインパクトあったかも

623 :人間七七四年:2015/01/06(火) 09:46:56.31 ID:YhKK0Oxe.net
元々上杉征伐のために出した兵で両軍やりあってるのにどうやって上杉が関ヶ原に兵だすんだよ
ワープでもするのか?

624 :人間七七四年:2015/01/06(火) 17:31:52.64 ID:n7YxF5uN.net
この時期の上杉軍の評価ってどんなもの?
最上攻めが基準になるの?
それとも景勝自ら出陣すれば大阪冬の陣位の評価になるの?

625 :人間七七四年:2015/01/12(月) 04:38:03.94 ID:U+68Do4S.net
最上攻めより、越後に侵攻して真田のいる上州に侵攻し、
徳川領に真田と佐竹の兵を加えて二方面からなだれ込めば、
多分、家康討ち取れただろ。

626 :人間七七四年:2015/01/12(月) 16:37:56.60 ID:yMxsZ1ay.net
真田なんて自分のところに立てこもるぐらいの兵しかもってないだろ
空巣狙いで森にちょっかいだしたけど大した戦果あげられなかったし
佐竹は家中が分裂状態でグダグダ。

627 :人間七七四年:2015/01/17(土) 20:58:43.31 ID:tljuMiQl.net
真田は親子で割れ
佐竹も途中から上田攻めの徳川に援軍送って
最上家下した後強引に南下したとしても一枚岩で戦えるかどうか

628 :人間七七四年:2015/01/19(月) 23:13:30.71 ID:kfSUC9pH.net
最初に最上攻めって戦略として駄目じゃね?
越後攻めなら兵数増やせるし、
関東攻めなら佐竹や岩城と連携できる。
最上攻めはただただ家康の策にはまってるだけ。

629 :人間七七四年:2015/01/20(火) 08:49:59.87 ID:NZQJW7LV.net
だって上杉の第一目標は飛び地領になってる庄内の確保だもん。
長期戦になることを見据えた戦略だけど関ヶ原があっさりカタついたんで思いっきり裏目。

630 :人間七七四年:2015/01/25(日) 18:47:57.78 ID:bBLFC0YO.net
本当に長期戦を考えるのなら越後を攻めるべきだよ。

631 :人間七七四年:2015/01/25(日) 19:11:02.81 ID:OTgavy+p.net
越後も一揆扇動してたし攻める気はあっただろうけどまずは庄内だったんだろう。
ほっときゃそのまま最上なりなんなりに飲み込まれる位置取りだからねえ。

632 :人間七七四年:2015/01/25(日) 19:42:50.78 ID:bBLFC0YO.net
それを口実にして、越後勢を加えた大軍で最上領に攻め込めばいい。

633 :人間七七四年:2015/01/26(月) 02:24:04.35 ID:heY+msq4.net
長期戦って言っても、そこまで悠長に構えてられない状況でしょ
最上相手ならサクサク行けるって判断だったんじゃない?
現に長谷堂城までは良いペースみたいだし、長谷堂城攻略したら山形城は目と鼻の先だし

634 :人間七七四年:2015/01/26(月) 08:15:29.39 ID:5QqP988y.net
最上領と旧領を合わせると上杉は200万石になり家康と互角に戦える

635 :人間七七四年:2015/01/26(月) 10:54:53.93 ID:6zdiX9iF.net
>>1
伊達と最上がいるのになんで南進できるんだよ
馬鹿じゃねえの?お前w
伊達も最上も上杉の敵で、南進なんかしたら木っ端微塵に潰されてたわw

636 :人間七七四年:2015/01/26(月) 17:38:34.34 ID:Z8lMnHPx.net
攻めて勝つには守る側の何倍もの兵力が必要なわけで
小勢の最上にすら手こずった上杉が何万かはいる徳川の抑え部隊に勝てるわけないわな

637 :人間七七四年:2015/01/27(火) 02:01:00.14 ID:Ayb5lojT.net
謙信ならどうした?

638 :人間七七四年:2015/01/27(火) 22:52:12.08 ID:KQrsEiW8.net
間髪入れず、喜んで徳川勢を追撃したでしょう。
徳川の抑え部隊と言っても小山はろくに要塞化されてなかっただろうし、
逃げながら戦う退却戦は、現代戦でさえ最も難しい任務だそうな。

639 :人間七七四年:2015/01/29(木) 21:30:55.71 ID:Ii0eNLlX.net
上杉が本気(狂気?)で追って来たら、徳川方の味わう恐怖感は金ヶ崎の退き口の数倍
だろうし家康が上杉南進の報告を受けたら家康自身か忠勝、直政、康政の誰かが対上杉に
向かわなければ、その時点で東軍は崩壊すると思う。激突してトコトン上杉を叩く心算なら
東軍有利だろうが、その後三成との衝突は掛川付近だろうか?

640 :人間七七四年:2015/01/29(木) 22:49:51.28 ID:wQGDzuvm.net
上杉は最上には全然手こずってないだろ
最上勢13000を次々に殲滅して残りは長谷寺だけという状況で関ヶ原の敗報が伝わって退却成功しただけ

641 :人間七七四年:2015/01/30(金) 01:38:08.93 ID:T/9ZoMjV.net
最上勢はそんなには多くない
俺の記憶ではせいぜい5000人
最上の領土が30万石を超えるのは関ヶ原の後だぜ
上杉勢が1万数千人の多勢で損害覚悟の力押しをしたんだよ
なんせ時間との勝負だからね
最上領を強奪して旧領の越後を回復させないと徳川と勝負できん

642 :人間七七四年:2015/01/30(金) 08:49:34.63 ID:sDpqSv5J.net
まず最上領をどうにかせんと飛び地の庄内は完全に死に地だから
上杉は120万石どころか100万石にも満たないからなあ。

643 :人間七七四年:2015/01/30(金) 19:45:48.22 ID:GQHteFdt.net
東国に東軍を釘付けにしてる間に西軍が近畿を完全に掌握できてたら歴史は全く変わったものになっていただろうね
最上なんて雑魚どーでも良かったんだよ

644 :人間七七四年:2015/01/30(金) 19:51:25.06 ID:sDpqSv5J.net
家康はギリギリまで関東にいたからたいして影響ないよ。
福島たちが快進撃すぎてこのままじゃ家康抜きで勝負決まってしまいかねないくらいだったし。

645 :人間七七四年:2015/01/31(土) 00:02:02.77 ID:6kBhHaBA.net
>>641
塔寺八幡宮長帳によれば長谷寺の最上軍は13000で上杉軍は18000だぞ

646 :人間七七四年:2015/01/31(土) 04:57:15.66 ID:ah5rVbjm.net
まあ、結果論から言えば関ヶ原本戦は、家康隊だけで勝利できたのだから、

 迎撃:秀忠・秀康 vs 上杉 vs 追撃:最上・伊達

で簡単に上杉を破れる

647 :人間七七四年:2015/01/31(土) 05:53:35.12 ID:rX0/xtSb.net
>>645
伊達の援軍が数に入ってるのかな?
伊達は日和見だったよね

648 :人間七七四年:2015/01/31(土) 09:18:50.30 ID:LNsHCPH3.net
>>644
西軍本体とぶつかってないし。
福島たちだけで関ヶ原まで行ったら大敗してただろ。

649 :人間七七四年:2015/01/31(土) 10:59:15.15 ID:6kBhHaBA.net
>>647
いや、最上勢だけで13000と書いてる

650 :人間七七四年:2015/01/31(土) 14:30:00.16 ID:s/95CQnc.net
>>648
総大将の家康の顔立てて待ってなければ西軍本隊が辿りつく前に美濃全域抑えて
それで戦略的には西軍はほぼジ・エンド状態だよ。
ぶっちゃけ岐阜城落ちた時点で西軍は詰んでた。

651 :人間七七四年:2015/01/31(土) 18:33:47.22 ID:HwTwiAuN.net
>>646
佐竹氏に横腹をつかれて敗走するだけ。伊達は、相馬氏、岩城氏に敗れる。

652 :人間七七四年:2015/01/31(土) 19:23:14.23 ID:s/95CQnc.net
佐竹は当主以外が総出で徳川敵に回すの止めろと必死で止めてて何もできなかったのだが。

653 :人間七七四年:2015/01/31(土) 19:37:33.97 ID:s/95CQnc.net
そもそも佐竹を西軍側と思う方が間違い。
乗り気だったのは馬鹿息子だけで親父や重臣一同は猛反対。
徳川からは徹底的に睨まれてたし出来ることなんて何一つない。

654 :人間七七四年:2015/01/31(土) 20:57:30.92 ID:rX0/xtSb.net
>>649
最上だけで13000は無理だから・・・こういう場合、兵力比率でみる
半分にしてみると、最上6500、上杉9000
これなら解る
と、なると上杉は案外少なかったのね。となる

655 :人間七七四年:2015/01/31(土) 21:04:05.14 ID:JvwfWAeY.net
>>650
美濃や岐阜城には西国を圧倒する巨大な戦略価値があるのか。凄いな。

656 :人間七七四年:2015/02/01(日) 00:21:31.07 ID:8p9x1uqe.net
>>653
上杉が南下したら当主の意見が通るだろ。
というか親父や重臣一同は猛反対したという主張自体が
お家存続のための方便っぽいと思う。

657 :人間七七四年:2015/02/01(日) 09:48:00.34 ID:hKlG7whi.net
>>655
元々、東軍主力が戻ってくるまでに濃尾地域を抑えられなかったらその時点で西軍はジエンド
時間をかければかけるほど情勢は西軍不利。
西軍大名の大半は遠国の本領からなけなしの兵隊ひりだしてる身なので長期戦には耐えられない。
そうなるまえに東海道筋を抑えて東軍大名を根なし草にする戦略が逆に東海道の諸城か
徳川に献上されて徳川の領国化する始末。

658 :人間七七四年:2015/02/04(水) 22:48:38.68 ID:v0kMeECC.net
会津征伐は伊達への牽制、
上杉には了承済み

659 :人間七七四年:2015/02/04(水) 23:19:31.15 ID:1zwAUJcl.net
http://jbbs.shitaraba.net/sports/42269/

660 :人間七七四年:2015/03/26(木) 18:24:34.83 ID:hfUFPxk6.net
白河の関と小山は、約100キロありますが、
上杉の追撃って可能でしょうか?
疲れているいる上に、情報伝わってて、
迎え撃たれたら、完敗してしまうと思うのですが。

661 :人間七七四年:2015/03/26(木) 23:17:28.40 ID:dT7QkY1E.net
最上を攻めつつ南進はできないと思う。
やるなら最上には手を出しちゃいかん。
最上に会津を占領する意思はなかっただろうし。

662 :人間七七四年:2015/04/02(木) 20:03:51.42 ID:/Mp0Ye1x.net
そもそも宇都宮に結構な数の兵が残っていたし、追撃しようにもそこで引っ掛かって無理だろう
上杉主力が関東で釘付けになれば最上や伊達も背後を襲うし
そのうち家康らの本隊が引き返して来ようものなら圧倒的不利になる
そうなると元々徳川寄りに傾いていた佐竹も徳川方に与して側面を襲う可能性が高い
目もあてられない惨状になる他ない

663 :人間七七四年:2015/04/03(金) 11:49:50.85 ID:L2KAAjCu.net
だから、最上をみんな過大評価しすぎだって。
上杉に攻め込む力も気概もないよ

664 :人間七七四年:2015/04/03(金) 12:38:02.63 ID:51Z9SCPB.net
そりゃガチでやり合うつもりも力もないけど
上杉本隊が袋叩きにあっていて、尚且つ目の前が手薄だったら動かない訳がない
1万石の小大名だって動くさ

665 :人間七七四年:2015/04/03(金) 15:54:07.46 ID:FyAynBNC.net
>>663
近年の熱心なファンの影響のせいか
最上家の勢力を過大評価する風潮には驚きだな。

小さくもないけど、大大名の上杉とはとても張り合える勢力じゃないし
あのまま関ヶ原続いてたら確実に滅んでた。

666 :人間七七四年:2015/04/03(金) 21:03:12.59 ID:L2KAAjCu.net
背を向けて逃げる上杉を叩けなかったんだよな。

667 :人間七七四年:2015/04/04(土) 06:58:04.28 ID:rpNgQWDA.net
まあ、追撃とはそういうものだろう
総崩れになっていれば深追いしても問題ないが、戦略的撤退の場合は戦力を保持している訳だから
反転して迎撃されたら普通に負ける

668 :人間七七四年:2015/06/28(日) 16:33:25.84 ID:VYBdpZ/+.net
>>665
×近年の熱心なファンの影響
○太平洋戦争後の負け犬育成教育の影響

半分くらい半島人で埋まった現代日本人の価値観で、日本人の中でもイカレてる武士のやり方を図れるわけが無い

669 :人間七七四年:2016/02/08(月) 14:27:47.18 ID:tKHAtur4.net
https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k(マイナスタクシーサービス不足)(沖縄空港オマル凍結バイト)

https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k

https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k

https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k(大阪人福祉バンクビジネス)

670 :人間七七四年:2016/02/08(月) 21:46:57.20 ID:B/4gYZNE.net
しかしやっぱ徳川家だけで2万の部隊が3つもあるってどうしようもないなw
家康本体が東海道
秀忠別体が中山道
秀康の守備が宇都宮

671 :人間七七四年:2016/02/08(月) 22:36:32.06 ID:oVsj53K4.net
>>670
でもその2万の軍を活かせたのは家康本体のみと言う 

672 :人間七七四年:2016/02/08(月) 22:59:01.06 ID:BzoN/hW7.net
正宗が喜び勇んで上杉領に入ってくるし、酒田には最上がちょっかいかけて来るだろうな。
↑の理由で秀康軍を撃破しても利根川(引き返し難くなるので)を越えるとは思えん。

673 :人間七七四年:2016/02/09(火) 09:00:56.84 ID:hiQX8VTx.net
政宗書状には関東留守軍は5万人いたとか

674 :人間七七四年:2016/02/09(火) 12:33:35.71 ID:1GzMobZu.net
>>673
下野諸将、結城、江戸留守居
全部合わせたら
まあ最大でそれぐらいは置くだろうね

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