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豊臣秀頼を生かしてやって欲しかった人の数

1 :人間七七四年:2011/11/07(月) 00:46:22.87 ID:sr5O6xEy.net
夏の陣ですっかり弱っている豊臣方に
さらに追い打ちをかけるように銃撃した徳川方はマジありえん

もし過去が変えられるなら、
あのあとの秀頼の運命をどう設定しますか?

2 ::2011/11/07(月) 02:09:08.33 ID:UMSTyjYP.net
秀頼を残しておくと担ぐやつが現れるから潰しちゃったんだろ
でも古今東西色んな政権が存在したけど
滅びないで終わった政権はないんだぞ
どんな強大な政権や王朝でも最後は必ず滅亡する運命にある
秀頼を潰しても結局徳川幕府は滅亡したしな
だったら秀頼残しても良かったかも知れないな

3 :人間七七四年:2011/11/07(月) 21:02:04.03 ID:vmsiz5+R.net
小牧長久手で徳川倒せていれば…
まぁ、あの時点で家康が死んだとして、その後の豊臣政権が間違いなく絶対安泰ってわけではないんだろうけど
もし関ヶ原で西軍が勝っていたら、当面は平和でもその内三成が専横始めたりってのもありえるだろうし

4 :人間七七四年:2011/11/08(火) 00:37:10.31 ID:kid6KDIo.net
大坂冬の陣が起きる前だったら生きる道もあったんだがな。
素直に大坂城出てれば…。

5 :人間七七四年:2011/11/08(火) 10:23:26.25 ID:MKcIcfDY.net
>>3
逆だろ
小牧長久手は内容的には徳川型の圧勝

6 :人間七七四年:2011/11/08(火) 21:59:47.10 ID:VpnSpubE.net
片桐且元「今の豊臣に力がないことを誰もわかってない‥」

7 :人間七七四年:2011/11/08(火) 22:13:05.99 ID:+NXgi6BF.net
宇喜多秀家同様に八丈島に国松と共に島流し、
八丈島で宇喜多秀家達とホモってろ!
これでよいだろ。

8 :人間七七四年:2011/11/08(火) 22:18:03.75 ID:yXsBBe/T.net
>>1
糞ドラマを鵜呑みにするアホ

9 :人間七七四年:2011/11/09(水) 05:11:10.18 ID:XfUYoDoX.net
自ら出陣しない臆病者を生かしつも仕方ないだろ

10 :人間七七四年:2011/11/09(水) 08:17:05.72 ID:W+8iRerx.net
あっそれは淀が秀頼にすがり付いてまで、出陣するなと止めたから
親孝行の秀頼はそれには逆らえなかった
泣かせる話ではないか

11 :人間七七四年:2011/11/09(水) 12:21:20.94 ID:C6GWuFjw.net
ここはドラマを語るスレか? あ?

12 :人間七七四年:2011/11/12(土) 05:50:36.81 ID:fXX6lNT4.net
よく考えれば大坂城はもちろん、すべての所領を失ってただの出家坊主か
公家、おじゃる丸になるのだから、生かしておいてもそれほどの脅威だったかどうか・・・

13 :人間七七四年:2011/11/12(土) 06:43:37.71 ID:4UCCFTWl.net
>>12
平治の乱後の頼朝と同じよ。
本人に何の財産も無くても政権転覆を謀る連中が担ぎ上げるために周りに集まってくる。

14 :人間七七四年:2011/11/12(土) 09:00:26.93 ID:lrs1VJdR.net
木下姓に戻り今川氏真と並び文化人として生きられれば…。

15 :人間七七四年:2011/11/12(土) 09:41:06.02 ID:ePMJ9l1t.net
>>13
同じじゃない。
当時の頼朝はまだ子供。
まして、源氏対平氏の総力戦でも無いから、当時の武家源氏の正統を根絶やしなんか出来ない。

対して秀頼は大阪方の大将。
挙げ句、頼りになるはずの母方には実家が無いし、
次に頼る嫁の実家があれだし。
親戚なんて、ましていないも同然。


まあ、秀頼の子供くらいは公家として生かしてもバチは当たらんだろうと思うがな。
結局、そうしなかったから家康は当たって死んだんだろうこど

16 :人間七七四年:2011/11/12(土) 10:41:39.03 ID:aEsPnV/z.net
自分が切腹して、城兵の命は助ける様に求めたら評価は変わっていただろうけど
自分から始めた戦で、城兵は皆死に、城も落ち、その上で、なお生き延びて助命を求められたら
何を虫の良いことをとは思う

17 :人間七七四年:2011/11/12(土) 10:52:58.74 ID:GLvPyu+/.net
>>16
秀頼と淀には武家の心得がないからなぁ

18 :人間七七四年:2011/11/12(土) 11:00:20.32 ID:ePMJ9l1t.net
>>16
生き延びて次の戦いの準備をするのが武門の慣いじゃね?
そして命乞いする人間を何とかして殺すのも武門の道だろ。

秀頼の助命を望む人間がいないから殺せた。

19 :人間七七四年:2011/11/12(土) 11:40:03.55 ID:aEsPnV/z.net
>>18
その割には冬の陣・夏の陣とも衝動的な開戦なんだが

20 :人間七七四年:2011/11/12(土) 12:29:28.67 ID:YrrIgcmv.net
>>15
なにか勘違いしてるな。
「源氏を根絶やし」じゃなくて、「左馬頭義朝の子を根絶やし」にしなかった
っていうことだよ。

21 :人間七七四年:2011/11/12(土) 12:59:36.90 ID:ePMJ9l1t.net
>>20
武家源氏の正統の嫡男を殺すってことは相当でかい。
戦国時代のなんちゃって源氏(武田、京極(自称佐々木)、朽木(自称佐々木)、森、明智、佐竹)とは桁違いの存在なんだから

22 :人間七七四年:2011/11/12(土) 16:13:57.13 ID:wb9E2qix.net
命だけは助けると言って土地数反と農具だけ与えて庶人に落としてほしかった
淀と秀頼が野良仕事で生きていけるか見たい

23 :人間七七四年:2011/11/12(土) 16:50:44.76 ID:YrrIgcmv.net
>>15
>秀頼の子供くらいは公家として生かしてもバチは当たらんだろうと思うがな。
>>21
>武家源氏の正統の嫡男を殺すってことは相当でかい。

???
秀頼や国松は殺すべきだったの? 生かすべきだったの?

24 :人間七七四年:2011/11/12(土) 16:53:25.75 ID:GLvPyu+/.net
それまで助命のチャンスは何回も何回もあったんだからそれ蹴った時点で死しか着地点はない

25 :人間七七四年:2011/11/12(土) 19:10:22.72 ID:uCwqes/p.net
まあそうやって後からはどうにでも言える罠、の典型的なご意見↑

26 :人間七七四年:2011/11/12(土) 19:19:25.38 ID:wb9E2qix.net
秀頼がカリスマ性とポテンシャルを発揮できてれば分からなかった
徳川に恩がある者なんて限られてる
お袋様が許さないって?
だったら徳川にひたすら恭順を誓う以外に道はなかったんだよ
土地と農具与えてもお淀さんは何もしないで餓死か自害するだろう
秀頼道連れに滅亡乙!

27 :人間七七四年:2011/11/12(土) 19:24:08.26 ID:wb9E2qix.net
秀頼だけなら農民に落としても最低限命脈を保とうとしただろう
親父殿は農民から天下人まで成り上がったのに死んでられるかってな
自分が無理なら子孫がやってくれってな
お姫様の淀殿じゃ駄目だったんだよ
そんなの耐えられんし実際そうだった

28 :人間七七四年:2011/11/12(土) 19:24:14.76 ID:TQVd6Mmm.net
>>22
尾張藩完全監視のもとで中村に所領をやればよかったと思うw

29 :人間七七四年:2011/11/12(土) 19:31:21.81 ID:GLvPyu+/.net
>>25
後ならそう言えるじゃなくてその当時でもそうだろうよ
あの時点で命だけはお助けをはないわ

30 :人間七七四年:2011/11/12(土) 19:41:36.40 ID:uCwqes/p.net
>それまで助命のチャンスは何回も何回もあったんだから

の部分について言ってるんだよアホ

31 :人間七七四年:2011/11/12(土) 20:06:57.46 ID:GLvPyu+/.net
>>30
実際そうだろボケ

32 :人間七七四年:2011/11/12(土) 21:54:52.26 ID:3Oe2Soye.net
薩摩で生きてんだよ

33 :人間七七四年:2011/11/12(土) 22:06:11.98 ID:4UCCFTWl.net
秀頼が江戸まで行って臣従誓ってれば済んだ話

34 ::2011/11/12(土) 23:47:48.62 ID:YLDaZjx7.net
助命のチャンス??
難癖付けて結局取り潰しに持っていくだけだと思うけど
福島も潰されたし、信用出来ないね

35 :人間七七四年:2011/11/13(日) 06:01:40.07 ID:ZhPmfznW.net
信用できないねって言って生き延びることを放棄したんだから救いようがない。
臥薪嘗胆よりも玉砕を美化するこの日本人の風潮もどうかと思うわ。
300年後に何万もの人が同じように玉砕するわけだからな。

36 :人間七七四年:2011/11/13(日) 10:23:44.51 ID:PDcj3Kvo.net
豊臣の場合は玉砕とはまた違う。
家康に辱しめを受けるくらいなら死んだ方がマシだというプライド。

37 :人間七七四年:2011/11/13(日) 11:07:25.29 ID:Plue63e4.net
ってかよー ほんとは最後の最後まで死にたくないよう〜って言ってたんじゃね?
徳川の鉄砲の一斉射撃って、ちょっとした威嚇どころか小屋の中の人間を
全員射殺するぐらいの勢いで長時間やったらしいよ・・・ かわいそう
千姫だって命乞いのために出したのに・・・
前田利長が生きてれば加賀藩を賭けて家康に助命嘆願してただろうか・・・

38 :人間七七四年:2011/11/13(日) 11:28:07.85 ID:7dputvh6.net
まあ徳川厨的には生き残るチャンスはいくらでもあったんだ
みたいな方向に無理矢理持って行きたい気持ちはよくわかるw

39 :人間七七四年:2011/11/13(日) 15:24:58.77 ID:ZhPmfznW.net
>>36
それを玉砕っていうんだろ。
米兵に辱めを受けるくらいなら死んだ方がマシっていうのと何が違うんだよw

40 :人間七七四年:2011/11/13(日) 17:05:09.51 ID:xydbkZHt.net
>>37
かわいそうってなにがかわいそうなんだよ!

41 :人間七七四年:2011/11/14(月) 22:46:38.72 ID:ojf79Oml.net
東鏡愛読の家康が生かすとは思えん

42 :人間七七四年:2011/11/14(月) 22:47:59.50 ID:ojf79Oml.net
吾妻鏡か

43 :人間七七四年:2011/11/14(月) 22:57:16.39 ID:sGbqqdR/.net
大阪冬の陣で講和せず、徹底抗戦してたらどうなるかな
じり貧なんだろうが、家康の死期も近づいてただろうし

44 :人間七七四年:2011/11/14(月) 23:18:18.62 ID:DX5zMw7U.net
>>43
年内に総構は落ちる

45 :人間七七四年:2011/11/15(火) 13:32:32.91 ID:w6pqtdj+.net
家康のことだから戦で張り切って後5年は寿命延びただろ。

46 :人間七七四年:2011/11/15(火) 13:37:03.67 ID:Y3DtkCEV.net
あれは秀忠が豊臣滅亡の責任を親父に押し付けて暗殺したんだ
というのがスイーツ姉の意見

47 ::2011/12/06(火) 17:24:04.44 ID:a5qPaerl.net
淀&秀頼は転封とか生きながらえる事は拒否しながら
戦になった時は全然前線に出て来ない臆病者だからな、
生きながらえる事を拒否するなら総大将出陣でちゃんと戦えよと

48 :人間七七四年:2011/12/06(火) 18:37:07.69 ID:ntHVU10C.net
最後は倉にこもって命乞いだから死ぬ覚悟もなかったと思われる

49 :人間七七四年:2011/12/06(火) 22:30:54.04 ID:k/+Nzusr.net
大坂で死んだから「悲劇のプリンス」として今も語られるわけで
下手に生き残っちゃったら今頃は喜連川とか後北条ていどの扱いだろうな

50 :人間七七四年:2012/01/07(土) 15:57:37.80 ID:ummXfLAv.net
でもさ
足利義昭は殺されなかったよね?
やっぱり家康は器が狭いよ。

51 :人間七七四年:2012/01/07(土) 17:59:20.78 ID:xecvp0Py.net
義昭が追放後に何をしたかを考えれば殺して正解
というより信長は人物の処分についてムラがありすぎる

52 :人間七七四年:2012/01/07(土) 18:41:23.26 ID:vrW8Pt6I.net
いや松永久秀に面と向かって将軍殺しを罵倒したからな
流石に将軍殺しを罵倒した自分が出来んのよ

53 :人間七七四年:2012/01/08(日) 00:04:02.30 ID:bAu2Sjfa.net
そもそも信長自身が義昭を将軍に祭り上げたのだから追放はともかく殺すのはためらったのだろう
秀頼の場合は別に家康が祭り上げたわけでもなく関白にしたわけでもないから殺しても問題ではない

54 :人間七七四年:2012/01/08(日) 11:23:59.30 ID:Hu6GjudG.net
大坂冬の陣で徳川方が真田丸を攻撃した時に南方の3つの門から全軍出馬して
総攻撃すれば良かったと思う。

北と東と西は守備兵だけ3000で十分、残りの兵を南側から徳川家康、秀忠の本陣に向けて
一直線に攻撃すれば華やかな戦いになったであろう。
決戦は兵の数ではなく、実戦経験豊富だが明日の無い浪人衆と満ち足りた生活をしてる
徳川方の兵とでは一発勝負にかける心構えが違う。
一方は手柄を立てなければ再び乞食同然の野垂れ死にの生活が、一方は逃げても命があれば
領土もあり生活の保障のある高級武家衆。
 南方の伊達、藤堂、前田は旧主である秀頼の本陣には弓矢を引き抜き難く
元気なのは松平と徳川一門だけ、しかも、世代交代した実戦経験の無い2世ぞろい。
局地戦で付け入る隙は十分ある。

55 :人間七七四年:2012/01/08(日) 12:33:05.99 ID:W/13sAdu.net
>>54
幕府軍はヤル気満々で無茶な突撃連中ばかりなのだが

56 :人間七七四年:2012/01/08(日) 16:09:57.77 ID:nBKGKs1X.net
浪人衆が一番悪くね? あいつらの死に場所つくるために豊家は滅びたようなもんだわ

57 :人間七七四年:2012/01/08(日) 20:13:45.18 ID:3sW9HeRg.net
そうだ!「豊臣家は、浪人衆の為に戦をしているのではない」って戸浦六宏も怒っていた

58 :人間七七四年:2012/01/08(日) 22:49:06.69 ID:fI/L30im.net
>>54
秀忠のすぐ側には立花宗茂が陣取っていたわけだが
牢人衆がいくら来ようとけちらされて終り

59 :人間七七四年:2012/01/09(月) 01:56:05.24 ID:4Q32t/3c.net
>南方の伊達、藤堂、前田は旧主である秀頼の本陣には弓矢を引き抜き難く

いや平気で矢を打ち込めるよ
秀吉の子じゃないとみんな分かっているんだからw

60 :人間七七四年:2012/01/09(月) 09:42:02.60 ID:3J6ym+X+.net
当時の豊臣家は、わずか60万石。徳川方が勝ったところで報償は無しに等しい。
(事実、戦後の報償が茶碗一つなのを不満に思い、自棄になり乱行した徳川家大名もいる)

外様大名が命がけで攻めて兵を減らし家臣団が死んでも莫大な遠征費や戦費は自己負担。
本気で戦うのは一部の徳川家臣だけで後は名目上の参加に等しいのが現実。
伊達政宗は家康のご機嫌取りのため後継ぎを連れて来ていたが、大事な後継者に
万が一の事が有っては大変と遥か後方に着陣させた。

豊臣の3倍以上の兵力を持ちながら、家康、秀忠の本陣を極僅かな兵で掻き回された夏の陣。
大坂冬の陣の時であれば、時期を見払って総攻撃すれば大坂方に勝機は有ったが
総大将が城から一歩も出なかったのが敗因。これが歴史。



61 :人間七七四年:2012/01/11(水) 00:30:25.07 ID:2bXpO+Gj.net
大坂の役ののち加増を受けたのは藤堂高虎、松平忠明、有馬豊氏、立花宗茂。本多、小笠原


62 :人間七七四年:2012/01/11(水) 12:10:35.14 ID:guF5Rw+N.net
>>60
自宅警備員しているニートがアフガニスタンに行って戦えるか?
総大将が城から一歩も出なかったのが敗因とか馬鹿馬鹿しいんだよ
秀頼が戦場に行かないのは当たり前だろ
命をやり取りする戦場を舐めるのもいい加減にしろよ

63 :人間七七四年:2012/01/11(水) 14:10:08.64 ID:vwpPogzd.net
>>62
お主は、バカじゃの〜www
では、なぜ、大御所家康や将軍秀忠が兵を率いて
わざわざ命をやり取りする戦場である大坂の地に来ているのじゃ???
彼らは徳川家のナンバー1とナンバー2ではないかwww
お主の説では、総大将は駿府や江戸城に引き籠っているのかwwww

秀頼の父、秀吉も総大将として日本各地の戦場を駆け回っただろ。たわけー!

64 :人間七七四年:2012/01/11(水) 19:19:22.26 ID:2bXpO+Gj.net
士気の問題とかが全くわかっていないんだね

65 :人間七七四年:2012/01/11(水) 19:41:29.06 ID:6UQQ7RYJ.net
秀頼が前線に出れば、自然と大野治長や七手組も前に出るな

66 :人間七七四年:2012/01/11(水) 22:19:32.57 ID:FDGWLHqD.net
七手組が小身過ぎて役に立たない。
親衛隊なら秀吉時代にもう少し強化・厚遇しとくべきだった。

67 :人間七七四年:2012/01/12(木) 11:56:19.84 ID:qat4PUHt.net
>>63
秀頼は実戦経験どころか武芸の訓練もしていない素人だから
前線に出れないのは仕方がない
数々の修羅場を潜り抜けて日常的に武芸を磨いている家康や秀吉とは比較にならない

68 :人間七七四年:2012/01/13(金) 16:13:53.00 ID:L9ArD8Uk.net
神輿は飾りで良いじゃない。
みんなで担ぎ上げないと祭りも盛り上がらないよ。

69 :人間七七四年:2012/03/25(日) 12:53:51.17 ID:kXUMDqry.net
>>62
自宅のPCからUAVを操作すれば引きこもったまま戦えるよ!

戦えるよ!

70 :人間七七四年:2012/06/11(月) 11:49:46.64 ID:fvxs281x.net
>>68
その神輿が将来名目上の総大将として担ぎあげられえたら天下の一大事だから
家康は秀頼を助命しなかったんだろうなぁ

71 :人間七七四年:2012/06/11(月) 12:44:53.48 ID:1rZa/7/P.net
>>68
その御輿が出てこなかったから、祭りが盛り上がらなかったわけだろ。
つか、総大将なんだから死ぬ気でいかないとね。


72 :人間七七四年:2012/06/13(水) 16:11:46.91 ID:vQpNanRp.net
生涯江戸城に軟禁でも良かったのにな

73 :人間七七四年:2012/06/15(金) 14:05:17.16 ID:na0SlmmJ.net
徳川に臣従したとしても生かしておくとは思えないんだろ

最後まで抵抗し続けたんだから生かしておくわけなかろう

74 :人間七七四年:2012/07/04(水) 11:36:58.76 ID:FZjflDH3.net
薩摩に落ち延びなら害もあるまい

75 :人間七七四年:2012/07/11(水) 22:31:07.31 ID:Yhgw52qU.net
太閤は手加減してくれたけど
老い先短くて必死状態の家康が手加減してくれるわけもなし島津ごと滅ぼされるべ

76 :人間七七四年:2012/08/05(日) 21:02:39.21 ID:dLGcyI01.net
薩摩まで逃げ延びると追撃中に家康の寿命が尽きそうだな

77 :人間七七四年:2013/03/05(火) 13:17:31.69 ID:ltkdByxr.net
家康が死んでも秀忠が攻めるんじゃね?
秀忠は関ヶ原や大坂の役は失敗続きだけど一地方大名の島津相手なら何とかなるかも
というか秀忠が死んでも島原の乱鎮圧に成功した家光がなんとかしそう

78 :人間七七四年:2013/03/05(火) 17:33:34.18 ID:wVn6pzUT.net
秀頼を担いだ島津と島原の連中を同列視してもな

79 :人間七七四年:2013/03/10(日) 10:05:49.79 ID:SO852kuM.net
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  ,┤    ト|;;;;|:::::::| (●)   (●) /:::/;;|
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 ヽ___) ノ;;;'i,::::::'i,;;;;;;;;;;; ̄  ̄ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|

1の母でございます。
このたびは、息子がこのような素晴らしいスレッドを立てるに
至ったことに、人として、また、1の母親として感動に打ち震えている
次第でございます。私は今、とても誇らしい気分でございます。
息子は幼い頃に父親を亡くしましたが、そのせいもあってか自立心のあふれる
当主に育ちました。徳川政権下でも諸大名の人気者で家康公より上の右大臣もつとめて
おりました。この年になるまで、私どもには何の心配事や迷惑をかけたことが
ございません。この2ちゃんねるというサイトを知って以来、息子の生活は
ますます充実しているようでございます。「今日も2ちゃんでね、愚臣がさあ…」
と、とても楽しそうに夕食の時に話してくれるのです。
どうぞ皆様、息子をよろしくお願い申し上げます。   
                              1の母より

80 :人間七七四年:2013/03/14(木) 13:25:06.60 ID:6nMqQIza.net
>>78
島津が秀頼かついで戦っても徳川家光に勝てんだろw

81 :人間七七四年:2013/06/17(月) 20:53:17.98 ID:d64DkuBB.net
蜀の劉禅や陳の陳叔宝は暗君と言われているけど、
乱世において無事に天寿を全うしたという意味では勝ち組なのかもな。
つか劉禅は敢えて司馬昭の前で暗愚の振りをしているように思える。
逆に二条城で家康に会った秀頼は「こいつは優秀だ」と思われてしまったがゆえに・・・

82 :人間七七四年:2013/06/17(月) 23:13:41.07 ID:aRsGITlp.net
家康から妥協案提示してたじゃん。
大阪城から出て和泉か河内に移る。
大阪城にいる浪人を解放する。
そしたら大名として残してやるって温情示してるのに拒否。秀頼が拒否したか重臣が拒否したかわからないが大阪城の主は秀頼。
よって殺されて当然

83 :人間七七四年:2013/06/17(月) 23:26:10.83 ID:J5CAQ4d0.net
自決ではなく、因果応報で秀信に討たれるような最後が良かった。

84 :人間七七四年:2013/06/22(土) 10:20:49.53 ID:YdPSq6QS.net
堀うめたり・鐘で難癖つけたりしてるやつが約束なんか守るわけねえし
転封したってどうせ後々難癖つけてつぶされるだけ
どうせ後世、大坂で篭城しとけば恩顧が寝返って勝てたのに・・・
っていわれるのがオチ

85 :人間七七四年:2013/06/23(日) 10:57:27.66 ID:KiePS7hn.net
だな

86 :人間七七四年:2013/06/24(月) 03:08:19.29 ID:h1ENDoNs.net
豊臣宗家を仮に生かすとした場合

1〜2万石程度まで減封
知行地の運営は幕府派遣の代官が執る
蓄財した金銀や名物などの没収
定府
婚姻は徳川家の縁の者限定
官位官職の制限

とか以外に何がプラスされるかなぁ

87 :人間七七四年:2013/06/29(土) 18:53:35.06 ID:MItRZm2R.net
よ。

88 :人間七七四年:2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN ID:jVB6wVGO.net
>>84
淀の方だって秀次に殺生関白とか謀反を企てているとか難癖をつけて家族ごと命を奪ったわけだし
家康を非難できる立場ではなかったのがまずかった

89 :人間七七四年:2013/07/24(水) NY:AN:NY.AN ID:Xcpwllfj.net
大和へ移るべきだった

90 :人間七七四年:2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ID:6+xgCbKV.net
それでもまた言いがかりをつけてきて
滅ぼされるだけ
そんな事すら分からんのか?

91 :人間七七四年:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:2GdH9KPg.net
親父は関白。
さっさと公家になっておけば、良かったのでは
義経みたいなKYでも無い限り、関白を輩出する家(公卿?)を攻め滅ぼしたり出来ない。

92 :人間七七四年:2013/09/14(土) 23:22:39.60 ID:w+j4FQ1f.net
バカテスの木下秀吉について語りましょう。

93 :人間七七四年:2013/09/16(月) 17:17:36.63 ID:jw/vBNbJ.net
家康は秀頼は生かしとかったのよ。それをみんなわからず残念。

94 :人間七七四年:2013/09/16(月) 19:04:16.75 ID:IpHpltt1.net
まあそうだな、家康の立場に信長、秀吉、元就、信玄などが立っていたら14年間も
平穏無事に済まなかったろうな。

95 :人間七七四年:2013/09/19(木) 17:35:22.32 ID:aqOHt+Ds.net
関ヶ原当時まだ幼児だっただけに、勝手に死ぬってのも期待してたのじゃないか
事実兄は夭逝してるし秀頼自身も疱瘡になってるし

96 :人間七七四年:2013/09/22(日) 17:31:49.33 ID:GBUh2edH.net
家康は自分も老いて寿命が短い…
秀頼親子に淀殿の妹の常高院と祖父の織田有楽斉に
コ川家に家臣として仕えるよう説得させても
駄目だったので豊臣家を攻め滅ぼすしかなかった

大坂の夏の陣の時常高院がなかなか京極陣営に帰ってこないから
京極家の家臣が常高院を説得して大坂城から出させたのが真相
常高院は関ヶ原の時も合わせると4度の落城を経験している…
波乱の人生だわ

97 :人間七七四年:2013/09/23(月) 06:58:09.15 ID:boh32KSo.net
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/

98 :人間七七四年:2013/09/24(火) 11:27:09.51 ID:bLsugsLw.net
.

藤原泰衡の首
http://www.urban.ne.jp/home/sochan/who/diary.files/yasuhira_head.jpg
http://www.urban.ne.jp/home/sochan/who/diary25.htm

藤原泰衡とは
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B3%B0%E8%A1%A1&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&x=wrt



石田三成の頭蓋骨
http://blogs.yahoo.co.jp/tamon19751127/34235832.html
http://blogs.yahoo.co.jp/tamon19751127/archive/2006/4/25
http://blogs.yahoo.co.jp/tamon19751127/GALLERY/show_image.html?id=34235832&no=1
http://blogs.yahoo.co.jp/tamon19751127/GALLERY/show_image.html?id=34235832&no=0
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/f6/43/tamon19751127/folder/1305275/img_1305275_34235832_1?1145981732
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/f6/43/tamon19751127/folder/1305275/img_1305275_34235832_0


石田三成の顔
http://tabigaku.net/blog/wp-content/uploads/P1000169.jpg
http://tabigaku.net/kassen-sekigahara.html
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/mitunari35.jpg
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic30.html

.

99 :人間七七四年:2013/10/02(水) 10:56:15.22 ID:qGlPZWCw.net
>>88
それは創作物語

>>96
さっさと降伏したら命が助かったとでも?
将来の遺恨になるからやっぱり秀頼を殺したんじゃない?
加藤清正や福島正則など関ヶ原で家康に臣従し味方した豊臣恩顧の大名に
家康がした仕打ちをみれば分かると思うけど?

100 :人間七七四年:2013/10/03(木) 23:24:47.47 ID:I9460L+7.net
それにしても、幕府を開いてから冬の陣開戦まで、
良く10年も待てたよな、家康は。

よっぽど自分の健康に自信があったのかね。

101 :人間七七四年:2013/10/04(金) 18:35:46.68 ID:CbCzte5W.net
>>100
1610〜大阪の陣開戦前あたりに死んだ豊臣恩顧大名が全て生きてたりしたら、さすがにすんなりいかないだろ
息子の結城秀康ですら全幅の信頼とは言い難い

102 :人間七七四年:2014/01/11(土) 01:52:22.04 ID:JItxcRuJ.net
秀頼には穴沢盛秀・六角義治・片山久安ら一流所の武術師範がついてたから強いよ

103 :人間七七四年:2014/01/11(土) 02:56:24.54 ID:peGruXhS.net
>>102
そりゃ最強だわ

104 :人間七七四年:2014/01/11(土) 17:23:06.29 ID:W6kVvjZJ.net
>>101
どっちかといえば、秀頼の元兄達が心配の種だったんじゃね?
福井県と岡山県にいたんだから、この二人が裏切ったら収拾はつかないだろうな

105 :人間七七四年:2014/02/26(水) 20:28:02.87 ID:nsJ+Xbd3.net
一大名でまったく問題ないだろ

106 :人間七七四年:2014/03/01(土) 17:07:20.47 ID:h0djITly.net
秀頼8歳の習字の字の上手さは異常

107 :人間七七四年:2014/03/08(土) 16:40:39.09 ID:KVvz/bhT.net
秀頼は滅ぼされたけど
秀吉の親戚筋の小出氏は3万石の大名として
幕末まで存続している…
小出秀政が豊臣家の家老として生涯を終えている

108 :人間七七四年:2014/04/08(火) 21:35:00.87 ID:Z2YPztEC.net
>>86
>> 1〜2万石程度まで減封

2万石はやりすぎ。多くても1万石。
または5千石くらいの旗本で、高家待遇。


>> 知行地の運営は幕府派遣の代官が執る

知行地なんかやるか。1万石は捨扶持で、部屋住みだ。
最初は江戸城内の部屋住みだが、三代家光の治世になるとある程度は大目に
見てもらえるようになり、大坂城(もちろん徳川の)に戻され、大阪城内の
部屋住み。大坂城代の管理下で生涯を終える。
その頃には外様大名たちはすっかり徳川の犬になり果てて、もはや秀頼には
何の力も無いので、大坂城代とは良好なお友達関係。
そうして豊臣家の子孫は捨扶持で悠々自適に暮らしたとさ。めでたしめでたし。

蓄財した金銀や名物などの没収
定府
婚姻は徳川家の縁の者限定
官位官職の制限

とか以外に何がプラスされるかなぁ

109 :108:2014/04/08(火) 21:53:46.99 ID:Z2YPztEC.net
>>86
>>108です。途中で書きこんでしまいました。
続き

>> 蓄財した金銀や名物などの没収

当然するね。


>> 定府

最初のうちはね。でも、徳川の世が安定して来たら、徳川家が豊臣家の扱い
に慣れてくるだろうから、豊臣家が完全無力になったことがはっきりした時点
で大坂城代に預けるだろ。


>> 婚姻は徳川家の縁の者限定

これはないんじゃないかな。徳川家にとって、完全無力になった豊臣家と婚姻
する意味がない。他の大名や旗本も同じ。
でもそれだと断絶するから、徳川家か幕府のどこかの役所がお見合いの斡旋
をすることになると思う。


>> 官位官職の制限

これは逆でしょう。
捨扶持で部屋住みの代わりに官位官職は上げるのでは。
高家待遇になるのでは。
そうでもしないと、徳川家としても捨扶持をやる意味がますます無いわけだし。
幕府側で世話をする人も必要で、その人たちの人件費もかかるわけだし。
だから、身なりだけは立派でないとね。

あと、大坂城内での生活はわりと自由になるだろう。
大坂城代の監視付きで城外へも行けるだろうし、
監視役とも一緒にいるうちに仲よくなるだろうし。
結構いい人生ね。

110 :人間七七四年:2014/04/10(木) 23:01:50.79 ID:6IMzVWmT.net
>>100
徳川も二条城会見のあと殊勝にしていれば滅ぼす気なかったんじゃないかな〜とか思ってる。
清正は本当になんであのタイミングで死ぬんだよ、もうちょっと頑張れよw

111 :人間七七四年:2014/04/12(土) 22:38:46.75 ID:KuhZgKeD.net
自ら消されるような行動ばっかとってるからしょうがないわなw
若いうちに死んだのは確かにかわいそうだけど

112 :人間七七四年:2014/04/13(日) 15:03:42.64 ID:FQJoI0T7.net
清華家である家康へ征夷代将軍に任じた時には、
清正らに最高家格である摂関家豊臣姓を与えて牽制していた朝廷。
豊臣姓の豊臣恩顧大名を次々に作り、徳川より上の家格を増やす策謀。
豊臣完子を妻に持つ九条幸家がわずか22才で関白にして朝廷が仕掛けてきたわけで
秀吉の猶子近衛前子を妻にしている後水尾天皇の義弟である秀頼も
22歳で関白になれる前例をつくった朝廷の動きから恐怖を覚えた家康が、
方広寺鐘銘事件をデッチあげて21歳だった秀頼を死に追いやっただけのことだ。

113 :人間七七四年:2015/02/28(土) 19:20:14.60 ID:Re1+JZgn.net
やっぱり三成の子だからか

114 :人間七七四年:2015/06/10(水) 19:35:47.66 ID:rdNzNVdv.net
以前は淀の言うがままみたいな扱いだったけど、自分で自発的に徳川に
逆らってた事が明らかになってきたからな。
淀が自ら江戸に人質に行こうとしたのを止めてた可能性すらある。

115 :人間七七四年:2015/06/10(水) 19:53:32.19 ID:coR1VNVY.net
生かしてやりたいとか言っても自分から死にに行ったんだからなあ

116 :人間七七四年:2015/08/03(月) 21:59:01.08 ID:ddubPNS2.net
淀殿は権力の座から降りられない悲劇という感じだな
両親は信長秀吉に殺されているから余計にプライドが高い…
お初江千姫はこの悲劇は辛いはず
江は家康が亡くなるとすぐに大坂の陣の供養を行っている

117 :人間七七四年:2015/08/03(月) 22:17:30.01 ID:BR8wbrcF.net
家康「俺が一番秀頼のことを生かしてやりたかったわ……。なんで道明寺の時点で降伏しないのあいつ」

118 :人間七七四年:2015/08/03(月) 23:13:52.79 ID:ZIs6rWxY.net
大日本帝国に対してアメリカは朝鮮半島の放棄を要求した。
これは日本にとって絶対に飲めないものであったので
座して死を待つよりもと対米戦争を決意した。

秀頼の気持ちも同じようなものだろう。

119 :人間七七四年:2015/08/04(火) 20:09:39.95 ID:onqPRF2r.net
豊臣が生き残り徳川が滅びたら大阪が首都になってたな

120 :人間七七四年:2015/08/06(木) 10:27:44.33 ID:/bxZXGPj.net
なんだこのレス

121 :人間七七四年:2015/12/17(木) 14:27:15.24 ID:qLFXGy3d.net
>>118
ねーよ
満州から手を引け&
満州帰属問題で揉めている中華民国から手を引け
って要求だ

122 :人間七七四年:2015/12/20(日) 16:25:57.79 ID:yQ8eY0h4.net
中国と朝鮮の区別がつかないバカがいるという噂は
ネタかもしれないと思っていたが、
本当にいるんだ…

123 :人間七七四年:2016/01/22(金) 02:25:07.86 ID:u49E6Cvq.net
俺も子供の頃、中国と韓国の区別できて無かったよ
今は区別できてるが

124 :人間七七四年:2016/11/09(水) 05:41:29.51 ID:z6WpMKPp.net
>>123
台湾も入れろよ

125 :人間七七四年:2017/01/22(日) 01:40:27.51 ID:V8MWmNFo.net
保全します

126 :人間七七四年:2017/03/06(月) 05:26:07.66 ID:5LJbWuWT.net
age

127 :人間七七四年:2017/05/14(日) 21:01:21.33 ID:R0FZXhOq.net
>>5
六年前の書き込みにレスするけど、
小牧長久手は羽柴の勝利でしょ
時代も変わったもんだ

128 :人間七七四年:2017/05/16(火) 17:56:50.52 ID:4LzR+hu5.net
>>127
織田の一人負けじゃね?

129 :人間七七四年:2017/09/21(木) 09:24:35.27 ID:fnUY4j43.net
国松は殺すことなかったと思う
国松には身寄りがないも同然だし
国松が大きくなる頃には豊臣残党も死んでる

130 :人間七七四年:2017/09/21(木) 09:30:42.47 ID:fnUY4j43.net
>>34に同意だな

131 :人間七七四年:2018/08/16(木) 00:02:10.87 ID:Thz0v1cI.net
保全

132 :人間七七四年:2018/09/17(月) 01:36:14.49 ID:Z0P2KKDr.net
>>129
気持ちはわかるが、
禍根を絶たないと、後々いつ誰が国松を担いで反乱をこすかわからないからね。
行かしておけば、国松も子孫を残すし。
男根取って出家させても、生きていれば人間関係が出来るので、影響を受けた人物が
反乱の火種になりかねない。
たとえ小さな反乱でも、鎮圧するために味方に損害が出るし。

老い先短い家康には焦りがあったろうし・・・
孫の家光がかわいくてしょうがなかったみたいだし。

133 :人間七七四年:2018/10/12(金) 17:51:13.97 ID:epptClSO.net
幼い姫すら出家させる位なのに
男の子を生かすとは思えないな
そんな甘いヤツではあるまい

134 :人間七七四年:2018/11/13(火) 18:21:57.67 ID:U53ZTki4.net
前に大阪でバイトしてた時、
秀吉の肖像画そっくりのおっさんがいた。
最近NHKでよく使われる鎧姿ンじゃなくて
関白時代の痩せたやつ。
まさにドッペルゲンガーって感じ。
どちらかというと寡黙なタイプで
なぜか誰もそのこと(秀吉クリソツなこと)を
ツッコむのいなかったが。
まあそういうわけだから秀吉の血受け継いでる人が
まだ日本にいるんだろうね。

135 :人間七七四年:2018/11/14(水) 01:24:52.87 ID:SO2k6oUw.net
息子の国松は豊後の日出藩に匿われたという伝説がある

136 :人間七七四年:2018/11/15(木) 01:01:28.63 ID:I0VZwDIZ.net
吉宗の治世に薩摩藩の猿渡という家老が老中松平左近将監に会い、薩摩に住む17歳になる男子の所持した大事な物といい、黒塗りの古い小箱を渡した事があった 直後に将監は吉宗にこの件を報告、吉宗が箱あけると中には、家康の書いた秀吉にあてた起請文が入っていた
「秀頼が15歳になったら、天下の政務は秀頼に属す」との内容であったとされる
その後薩摩藩主がその男子同道で吉宗に伺候した 秀頼の子孫となると男子は処刑される恐れもあったが、吉宗はもはや過ぎたことだとして、その男子はお咎めなしとし、赤坂山王の神主(500石)に指名し、支度金を与えら樹下民部と名乗らせたという話があるにある

137 :人間七七四年:2019/08/14(水) 07:17:09.43 ID:/EUjlePU.net
今日も仕事・・・

138 :人間七七四年:2019/09/08(日) 06:06:42.93 ID:4jkXjbVx.net
殺す必要なかったよなあ 

139 :人間七七四年:2019/09/18(水) 18:02:12.48 ID:T0ezNhQS.net
尾張藩預けで武士の身分をはく奪して中村に住まわせればよかったのに

140 :人間七七四年:2023/02/19(日) 21:14:06.39 ID:60cJ0Ifd.net
真田信繁のセンスであれば、豊臣国松も保護してほしかった。
伊達家にそのまま保護が受け継がれるだろうから、真田信繁の妻子と共に、
豊臣家の血筋も残ることになる。

141 :人間七七四年:2023/03/11(土) 08:37:10.57 ID:n5cnGqLy.net
>>136
秀吉がこういうのを書かせなかったはずはないと思う反面、実在したのなら公家の日記とかに記載されてたよなとも思う。

142 :人間七七四年:2023/03/12(日) 12:15:58.90 ID:pcfQe3hJ.net
秀頼生存ルート、誰よりもそれを考えたであろう秀吉のやり方は、難癖をつけることもできるけど、あの状況では十分に合理的だったような気もする。

143 :人間七七四年:2023/03/12(日) 12:18:53.50 ID:pcfQe3hJ.net
秀次と家康を比べると、当時は秀次の方が秀吉に対するリスペクトが薄れているような印象がある。朝鮮出兵への態度とか。
秀次が生きていたら、豊臣は残ったかもしれんが、秀頼は生き残れたかどうか。

144 :人間七七四年:2023/03/12(日) 12:23:54.06 ID:pcfQe3hJ.net
加藤、池田、浅野が家康より先に死んで世代交代が起きるなんて予想できないし。
奉行衆が挙兵して、しかも失敗して秀頼の支えが一掃されるなんてなあ…。

145 :人間七七四年:2023/03/18(土) 23:57:43.67 ID:9N04GlBP.net
秀吉は信孝殺して信雄の領土取り上げたじゃん
報いを待てや羽柴筑前の恨みがはらされた

146 :人間七七四年:2023/03/19(日) 08:03:02.72 ID:P0lZC06J.net
やったぜ!

147 :人間七七四年:2023/03/19(日) 08:56:37.79 ID:TI6Apv3C.net
>>127
「内容的には」て言ってるじゃん

148 :人間七七四年:2023/03/19(日) 13:21:40.36 ID:JP01wtMK.net
秀吉は信長の子孫を根絶やしにしたわけじゃないしなあ。

149 :人間七七四年:2023/03/19(日) 13:29:39.61 ID:JP01wtMK.net
家康も秀頼や国松を殺さない選択肢はあったのに、両方とも殺しちゃったしな。

まあ、助命嘆願をしてくれるバックがいない…っていうか、最も近い親類が徳川家という。
秀頼は家康の義理の甥、秀忠の婿かつ甥という立場。家康没後なら、秀忠は江の手前、殺さなかったかもな。
家光の代なら、紫衣事件の後の融和策とか考えると、従兄弟の秀頼は高家旗本くらいになれたかもしれん。

150 :人間七七四年:2023/03/19(日) 14:52:23.41 ID:TiP4xJt5.net
趙匡胤は柴武の子々孫々まで保護するよう言い遺したがそれも大人しくしてることが前提で
子孫の誰かが主人面して皇帝位を要求したり挙兵でもしようものならさすがに誅殺しただろ
すでに出来上がった体制や秩序への反逆という犯罪行為でしかないからだ
秀頼がやらかしたのはそういうことで助命するなんて選択肢は和睦条件を蹴ったときになくなっている
あれも挙兵という犯罪を犯したあとでは相当大甘な譲歩だったと思う

151 :人間七七四年:2023/03/19(日) 22:16:00.32 ID:jMevbAUl.net
>>150
家康が和睦条件出してたよね
秀頼が大阪領を明け渡せば命を助けてやるって
秀頼も澱も激怒して蹴ったじゃん
あれでもう豊臣家終わったな

152 :人間七七四年:2023/03/19(日) 23:13:13.65 ID:foAihw+O.net
淀は秀次が聚楽第を明け渡したら助けるどころか
チャンスが来たとばかりに妻子もろとも殺したからな
自分がやった以上は大坂城は明け渡せないよ

153 :人間七七四年:2023/03/20(月) 00:38:43.38 ID:+IgoZWQo.net
淀は女の分際ででしゃばりすぎなんだよ

154 :人間七七四年:2023/03/20(月) 16:18:18.88 ID:NvNrSa1e.net
北条政子「ほーん?」

155 :人間七七四年:2023/06/01(木) 17:44:41.29 ID:h606kcS+.net
振り返れば250年続いた徳川を立てるための嘘が「既に豊臣が一大名に転落してた」というもので
実際は誰もが認める豊臣体制の中に謀反人のヤクザがいたって事だろうに
出来上がった体制や秩序への反逆をして成功したのがヤクザ家康

156 :人間七七四年:2023/06/01(木) 21:33:17.01 ID:m1MN3hA6.net
実際は誰もが認める豊臣体制
出来上がった体制や秩序

秀吉死後はそんなことはないと思うが

157 :人間七七四年:2023/06/01(木) 23:24:29.36 ID:h606kcS+.net
そこが後世から見たバイアスかかった見方が蔓延りすぎなのでは
パワー系ヤンキー家康がブイブイ言わせてたのが現実で
当時の大義は完全に豊臣

158 :人間七七四年:2023/06/02(金) 00:03:43.00 ID:4zwM6+3V.net
豊臣信者の皆さんもいい加宗教的な思考から卒業していただきたいね
秀吉や豊臣家は別に神ではないし絶対的な存在でもない
そもそも当時秀頼が成人できる保証などなかったし政権どころか豊臣家が存続するのかもわからなかった
兄鶴松のように夭折してしまえばその時点で豊臣家が消えるしそうなりゃバトルロワイヤルの始まりだ
それだけ当時は先行き不透明で家康その他全ての大名や朝廷も含めて全て豊臣に不安を感じ
「そうなる可能性」を視野に入れ生き残りをかけて動いていたのは間違いない
その結果として豊臣が見限られ歴史に取り残されたということ
同じ幼君でも徳川4代家綱のときのような質量とも充実した一門家臣団を残せてはじめて「誰もが認める体制」と言えるのよ

159 :人間七七四年:2023/06/02(金) 00:20:30.01 ID:zIiG4pUk.net
家康は秀頼が成人するまでの後見者としての立場と、官位が秀頼よりもまだ上だったという立場を利用したんでしょ
秀頼が関白に就任してしまえば諸大名が徳川につく道理がなく戦など到底無理でジ・エンド
その前に殺害するか、徳川将軍は2代で平和に終えるかの二択で前者を選択した無法者

160 :人間七七四年:2023/06/02(金) 00:30:55.41 ID:YLErZpjL.net
えっ、関白になれるんですか!?

161 :人間七七四年:2023/06/02(金) 00:34:01.59 ID:4zwM6+3V.net
無法者は大義なき侵略戦争を起こし自分の私的都合で秀頼成人まで官位叙任も停止させ朝廷に大迷惑かけた豊臣のほうでしょ
徳川はそもそも秀吉が約束してた関白の五摂家への返還をし官位叙任を正常化させ
明との和平交渉を進展させるために将軍に就任するなど秀吉のやらかしの尻拭いをしてるのよ
朝廷も大名も豊臣にはコリゴリでだからこそ関ヶ原後あれだけすんなり徳川の元で政情が収まったんだよ
なにしろ家康が将軍にもなっておらず強制もされてないのに大名が先を争って江戸に伺候してるんだから
あれこそ大名たちのほうが天下人としての豊臣を先に見限った何よりの証拠

162 :人間七七四年:2023/06/02(金) 00:34:09.59 ID:zIiG4pUk.net
徳川体制が固まっており、さもなければバトルロワイヤルなどと言う事自体が後世バイアスの発想ではないか
乱世が完全に終わっているのに、徳川家の天下取りにとってのみの意味しかない戦を引き起こしたのが実際

163 :人間七七四年:2023/06/02(金) 00:36:00.61 ID:zIiG4pUk.net
徳川体制ならこんな事が起きるのかなあ
あくまで豊臣体制だからこそなのでは

たとえば、家康の将軍任官と同じ慶長8年(1603年)、池田輝政が右近衛権少将に任じられているが、これは「豊臣朝臣輝政」としての任官である。また同慶長8年(1603年)山内一豊が従四位下に叙せられ、土佐守に任じられているが、これも「豊臣朝臣一豊」としての叙任である。また、これも慶長8年(1603年)のこと、加藤清正は関ヶ原の戦いの恩賞として肥後一国を一円領有するに当たり、主計頭から肥後守へ改めただけでなく、同時にそれまでの「平朝臣清正」から「豊臣朝臣清正」に改めている。いわゆる“豊臣恩顧”の大名の代表格でもあり、秀吉の親戚である清正は別として、輝政は家康の女婿であり、一豊は「小山評定」の逸話で著名な親徳川派であるが、この件では特に家康への遠慮のようなものは見いだせない。

その後も、池田輝政の長男輝直(後の利隆)、加藤清正の次男清孝(忠正)、福島正則の次男忠清(後の忠勝)など、豊臣氏の再生産は続いている。福島忠勝の例では、諱では将軍徳川秀忠の偏諱を与えられており、明らかに江戸幕府を通じての官位叙任であるにもかかわらず、幕府は豊臣の氏の使用を阻止できないでいる。

164 :人間七七四年:2023/06/02(金) 00:55:10.05 ID:zIiG4pUk.net
近年、矢部健太郎さんの研究で明らかになったように、秀吉の時代に武家の家格が公家のそれに準じて定められ、豊臣家は「摂関家」、徳川や前田、毛利ら五大老の家は「清華家」とされました。清華家は太政大臣まではなれても、摂政・関白にはなれません。関ケ原合戦の後、家康は征夷大将軍となりますが、家格はそのままです。つまり家格は豊臣が徳川よりも上なのです。また、笠谷和比古さんの研究にあるように、大坂冬の陣が起こる慶長19年(1614)になっても、毎年正月には天皇の勅使をはじめ、親王、門跡、公家が残らず秀頼の許に挨拶に出向いていました。一大名では絶対にあり得ないことです。

165 :人間七七四年:2023/06/02(金) 00:56:25.94 ID:4zwM6+3V.net
それこそ1603年時点で徳川が豊臣を滅ぼそうと考えていなかった証拠だな
源平藤橘と同様単に本姓として名乗る分には別に何の問題もないし氏長者として豊臣家が続くのもそれはそれで構わない
しかし朝廷から正式に将軍に任じられ公儀となったのは徳川であり政権としては明確に徳川体制
ゆくゆく秀頼が成人したとしても関白になれるかは五摂家や天皇の意向もあるから不透明
特に五摂家は秀吉に騙された上に秀次事件で酷い目にあわされた恨みもあるし

166 :人間七七四年:2023/06/02(金) 00:59:22.82 ID:zIiG4pUk.net
また秀頼は、東は信濃の善光寺から、西は出雲大社まで、百を超える有名寺社の堂塔社殿を復興しています。国家の安全を祈る寺社の復興ですから、これは本来天下人の責務なのです。そして秀頼は復興事業にあたり、出雲大社では堀尾吉晴、熊野三山では浅野幸長というように地元大名を奉行に任命しました。これまた秀頼が一大名などではなかったことを示しており、豊臣政権が消滅していたわけではなかったことがわかります。

167 :人間七七四年:2023/06/02(金) 01:00:28.69 ID:zIiG4pUk.net
>>160,165
さらに、朝廷には秀頼を関白に就任させようとする動きがありました。私たちは征夷大将軍といえば、すなわち全国を支配する天下人で、絶対的な存在と考えがちですが、家康や秀忠の頃には決してそうではありませんでした。『義演准后日記』によると、朝廷は「秀頼を関白に、秀忠を将軍に」と考えていたようですから、そこには豊臣家の関白と徳川家の将軍は並存できるという認識が示されています。毛利宗瑞(輝元)の手紙にも同様の記述がありますから、それが当時の共通認識だったのでしょう。

168 :人間七七四年:2023/06/02(金) 01:01:07.59 ID:zIiG4pUk.net
もちろん関白の方がはるかに上位で、秀頼はいつ関白になってもおかしくない存在でしたから、秀吉同様、天下人となる可能性は十分ありました。

169 :人間七七四年:2023/06/02(金) 01:01:45.15 ID:zIiG4pUk.net
慶長16年(1611)の時点でポルトガルやオランダといったヨーロッパ諸国は、家康・秀忠、そして秀頼に贈り物をしていましたが、オランダ東インド会社の日記には、「今は事情があって皇帝(天下人)の位には就ついていないが、秀頼こそが日本の正当な皇帝であり、多くの大々名や民衆がそれを望んでいるので、将来、秀頼が皇帝になる可能性は高い」と記しています。

170 :人間七七四年:2023/06/02(金) 13:59:41.21 ID:+U1jgyOH.net
二条城で家康と会見したとき以外大阪城から一歩も出なかった秀頼が天皇を補佐する関白になれるわけないけどな

171 :人間七七四年:2023/06/02(金) 15:02:08.60 ID:rljlMvDG.net
そこまで言うなら外国の最先端技術を豊臣に授けてやればよかったのに

172 :人間七七四年:2023/06/02(金) 16:05:40.97 ID:zIiG4pUk.net
>>171
ちょっと意味が分からない、「そこまで言うなら」「技術を授けてやれ」というレスは
単に当時の情勢が第3者によって記述されたものが秀頼贔屓に見えているという事では?
それこそ、現代に蔓延る見方が徳川贔屓に偏っている証になるのではないだろうか

173 :人間七七四年:2023/06/02(金) 16:13:00.28 ID:zIiG4pUk.net
現代の秀頼のイメージもほんの20年前は、肖像画付きで「貧相な体格で自分では何も決められないマザコンだったから滅びた」が一般的だった
しかし史実では、あまりに違う大男だったというのが浸透
するとあくまで従来のイメージを延長した「甘やかされた巨漢のデブ男だ」という解釈が流行る
しかしそれも違うようで「二条城で会った家康が秀頼のカリスマ性に恐れをなした」
という解釈が今では流行っている
しかしまだ更新されていくでしょう、家康は武力にかまけてブイブイ言わせてたが徳川体制などではなく
本当のところは大名、民衆から待望されていた関白秀頼、豊臣体制における謀反人であったと

文武に優れた秀頼
なにしろ茶々は大変な教育ママでした。舟橋秀賢さまに政治、法律、軍学、漢籍、和歌などを教授させています。秀賢さまはあの清少納言を生んだ清原家(天武天皇の皇子で「日本書紀」を編纂した舎人親王の子孫)の流れをくみ、後陽成・後水尾天皇の侍読(家庭教師)でもあった当時としては最高のインテリです。

また、最後の近江守護だったあの六角義治さまに弓矢を教授させるなど武道もしかるべく教えていたようで、当時としては最高の教育レベルだったと申せます。

174 :人間七七四年:2023/06/02(金) 16:36:01.87 ID:4zwM6+3V.net
ダラダラ並べ立ててるが最後は大坂城の蔵に逃げ込んで命乞いなんだからな
実際秀頼の言行で史料上明確になってるのがどれだけあるのやら
諸大名も大坂城に閉じこもって賢愚定かならぬ人物に我が家の命運を託そうなどとは思えなかったろう

175 :人間七七四年:2023/06/02(金) 16:42:18.04 ID:zIiG4pUk.net
事実から目を背ける徳川信者が宗教的な思考となるな
ご自分が書かれている事は自分に当てはまることを書いている例か

176 :人間七七四年:2023/06/02(金) 16:43:45.41 ID:zIiG4pUk.net
秀頼にとって有利だった点をもう一つ挙げれば、年齢、すなわち若さです。大坂冬の陣の際、秀頼22歳、家康73歳。武田信玄や上杉謙信、さらに織田信長の例からしても、一人のカリスマの力で成り立つ権力がその存在を喪った時にどうなるかは、明白でした。徳川幕府もまた、家康というカリスマあってのものでしたから、年齢を思えば、豊臣秀頼の逆転劇は大いにあり得ました。事実、イエズス会の宣教師ヴァレンタイン・カルヴァリヨは、大坂冬の陣の真っ最中に「高齢の家康はまもなく死ぬであろうが、そうなると彼の相続者である秀忠も滅びるであろう。そうでなくても秀忠は諸侯の間で嫌われているので、政権を得られないであろう」と記し、そのときには秀頼が「支配者になる」と明言しています。

177 :人間七七四年:2023/06/02(金) 16:44:30.62 ID:zIiG4pUk.net
また、聖ドミニコ会のヤシント・オルファネールは、大坂夏の陣について、将軍秀忠に任せればよいものを、高齢の家康がわざわざ大坂まで出陣してきたのは、秀忠だけであれば、戦況が不利になった途端、諸大名が豊臣方に寝返ることを家康が知っていたからだと述べ、「もし家康が出陣していなければ、秀忠が王座(天下人の地位)につけなかったのは確実である」と言い切っています。

178 :人間七七四年:2023/06/02(金) 17:12:02.42 ID:rljlMvDG.net
>>174
あれは淀のせいだろ
秀頼まで愚将扱いされるエピソードになっててかわいそう

179 :人間七七四年:2023/06/02(金) 22:25:44.98 ID:rljlMvDG.net
母上、ここまで来ればもはやどうにもなりませぬ、潔く果てましょうぞ
いやじゅいやじゃまだ死にとうない、大野もう一度使いを出せ

タイムマシンで見てきたかのように母子の会話が聞こえてくるわ

180 :人間七七四年:2023/06/02(金) 23:47:30.43 ID:YLErZpjL.net
薬が効かなくなってしまった様だ

181 :人間七七四年:2023/06/03(土) 09:03:37.60 ID:CchYcw5Y.net
いやはや豊臣狂信者の発狂ぶりには恐れ入る
同じ豊臣信者の研究者の論説ダラダラ垂れ流して悦に入ってるんだから憐れみすら感じるな
とれだけ並べ立てようが豊臣家には単独で天下を差配できるだけの実力がなかったこと
当時実情を知らぬ外野が何を書き遺していようが諸大名は自家の権益を保証してくれる寄親として
豊臣より徳川を選択したという事実をまるで無視しているのだから狂信ぶりここに極まれり

182 :人間七七四年:2023/06/03(土) 13:42:27.64 ID:pGJZtBRm.net
これ罵詈雑言浴びせてるだけの徳川方が分が悪くないかw

183 :人間七七四年:2023/06/03(土) 15:11:16.37 ID:dn81vpwC.net
秀頼本人の統率力や政治能力の欠如が
父母の不行跡の結果みたいに語られてしまうのが秀頼の最大の欠点だよな

184 :人間七七四年:2023/06/03(土) 17:56:44.12 ID:pGJZtBRm.net
「貴族が豊臣を嫌ってた」「徳川の世だった」などと妄想を書き込んでるが
なら、冬の陣(1614年)の年になっても正月に
>天皇の勅使をはじめ、親王、門跡、公家が残らず秀頼の許に挨拶に出向いてた
こんな状況が起きるはずがないだろう
と史実によって妄想が脆くも崩壊しているのに、よく話を続けられるな。哀れ

185 :人間七七四年:2023/06/03(土) 17:57:59.07 ID:pGJZtBRm.net
>>181
実情を知らぬ外野、ではなく客観的な視点の第3者による当時の記録
しかも一人ではなく複数人、しかも異なる複数の組織の人間が同様の記述をしている事実は重い
それに対して徳川擁護は後世都合の願望
これで本当に話になると思うか?

186 :人間七七四年:2023/06/03(土) 18:09:15.06 ID:pGJZtBRm.net
3代目が将軍就任時に啖呵切ってる事も当時の世相を窺わせる
「え?徳川が代々将軍って正当性あるのか」という当時の世間のモヤモヤは大きく
豊臣家が滅んでもなお厳然と存在していたから逆ギレせざるを得なかったんだろ
それが秀頼存命時となれば「秀忠が嫌われていた」という記述も理に叶う
諸大名は家康個人の武力と強引さに靡いていただけ
大義は全く別だったので、どう転ぶか分からず高齢の家康が出陣したという
記述通りなら歴史がすんなりと読める

187 :人間七七四年:2023/06/03(土) 18:14:39.76 ID:pGJZtBRm.net
素直に歴史を読み解けば、夏の陣により初めて徳川による強引な政権簒奪が成ったと
誰もが腑に落ちる解釈が出来る
しかし、
250年続いた政権の最初がそれでは体裁が悪いだろ→豊臣が悪い事にしたい→徳川の世だった事にする
(そりゃ結果を知ってれば準備段階は見えるだろうが、それを徳川の世と呼ぶか)
と結論ありきの妄想をこじつける輩が跋扈して、この時代をややこしく見せている
まるで聞く耳を持たない歴史捏造江戸しぐさキャンペーンの全盛期を見ているようだわ

188 :人間七七四年:2023/06/03(土) 20:47:32.48 ID:ARwGUDFY.net
>>186
諸大名は秀吉個人の武力と強引さに靡いていただけ
大義は全く別だったので、どう転ぶか分からず
秀吉は領土拡張継続と武力誇示のために無茶な海外遠征を強行したり
自分の死後も諸大名を武力で抑えるために家康を三顧の礼で迎え入れたんだよな
秀吉自身が豊臣家の正当性を信じられなかったというのは皮肉な結末といえる

189 :人間七七四年:2023/06/03(土) 21:37:06.16 ID:AJAjqLOn.net
なにわのことも夢のまた夢って辞世の句残してるしな
もう終わりだって半分思ってたんじゃないか

190 :人間七七四年:2023/06/04(日) 05:27:23.92 ID:FEnYEPde.net
簒奪だの謀叛人だのバイアスかかりまくりの罵詈雑言喚いてるのは豊臣信者のほうだがな
つくづく思うが自分の領地の統治すら徳川に助けてもらうほど一大名としてもダメダメな豊臣が
関白になったところで何ができたのだろう
まして秀吉の頃のような独裁者の機嫌ひとつで最愛の娘が理不尽に殺される結果になったり
意味のわからぬ対外侵略戦争に動員され領地も荒廃するようなあんな体制を大名朝廷含めて本当に望んでいたのか
第三者の記述が信用ならないのは所詮無責任な野次馬に過ぎず当事者の気持ちが反映されているのか疑問だからだ
当時実際に時代を担った当事者である大名たちがどう考えていたかはその行動でわかる
関ヶ原後まだ家康が将軍にもなっておらず強制されてもいないのに先を争って江戸へ伺候し妻子を置き屋敷地まで拝領した
彼ら大名はこの時点で豊臣を見限り徳川を主君と仰ぐことを自ら選択した
露骨に豊臣を徳川の臣下とするほうがいいと進言した大名では伊達政宗がいる
これも関ヶ原後家康が将軍になる前今井宗薫宛書状で秀頼を家康の手元で育てどこかに封じたほうがいいと
婉曲に豊臣を家臣化すべきだと書いている
政宗だけでなく足利から徳川に至る権力の変遷を見てきた細川三斎など眼のある大名は皆思っていたことだろう
家康の強引な簒奪などという物言い自体がバイアスのかかったレッテル貼りでしかない

191 :人間七七四年:2023/06/04(日) 19:54:43.39 ID:B8fIrD9T.net
おやおや、徳川の世という主張じゃなかったのか?豊臣が家臣ではなかった証明しちゃってるぞ
誓約書まで書いて「後見人」という立場で政務を執りながら
あからさまに野心を見せている家康に対して
手元に置いて育てれば家臣にしちゃえますよwとスネ夫連中がおべっかを使ってるに過ぎないな

192 :人間七七四年:2023/06/04(日) 19:55:14.33 ID:B8fIrD9T.net
バイアスで言えばその後徳川の世が続いて
淀君などという売女の呼称が使われていたり、肖像画の秀頼の描かれ方であったり
近年のバイアスがどちら側に忖度したものかは明白だろう
当時の忖度する必要のない客観的な記録を無視するのは
ご都合主義にも程があるな

193 :人間七七四年:2023/06/04(日) 19:57:20.37 ID:B8fIrD9T.net
戦となれば勝ちそうな側に付くのは当然
戦況が微妙な時は戦後処理を見据え大義のある側に雪崩を打って駆け込む
まさにそれが書きとめてある
大義を無視し武力で謀反を起こし成功したのが家康、素直にそう読めばいい
歴史を語るのに体裁が悪い事へのエクスキューズなんて不要

194 :人間七七四年:2023/06/04(日) 22:27:21.46 ID:zQbPfZ7B.net
大義を無視して武力で謀反を起こしたのが三成だろ

195 :人間七七四年:2023/06/04(日) 23:20:03.36 ID:ri39WpuU.net
三成は兵を挙げてから後で淀や秀頼に追認を求めている
結果拒否されたが

196 :人間七七四年:2023/06/06(火) 13:31:19.73 ID:MfdU+Onk.net
関ヶ原の前から徳川の世だったなんて誰も言ってないんだがな
もはや単独では天下を維持できないと悟った秀吉が徳川に豊臣家と政権を委ねた秀吉の遺言覚書体制に
危機感と反発を覚えた三成ら奉行や毛利が権力奪取を狙って秀吉の遺志を踏みにじって十人衆合議をゴリ押しした挙句
クーデターを起こし関ヶ原で敗れたことで遺言覚書体制が崩壊
同時になにも出来なかった豊臣家への求心力が決定的になくなり諸侯が率先して徳川を武家の棟梁に推戴し
関ヶ原の僅か1年後に大名のほうから豊臣を家臣にせよと進言するまでに価値観の転換が起きた
何の実力もない豊臣を頭にしたところで収まるものも収まらないことが満天下に明白になったことで
朝廷も関白不在で既に機能停止していた武家関白制を見限って新たな公儀として徳川を将軍に任命したというのが実情

197 :人間七七四年:2023/06/06(火) 14:19:27.99 ID:MfdU+Onk.net
徳川が豊臣を放逐し関白になったとかなら謀叛だの簒奪だの言ってもいいかもしれんが
秀吉死亡時点で関白は存在しておらず公的には政権が存在してない権力の空白状態
秀頼が成人するという保証もなくそれまで実体があやふやな武家関白制を放置するなど全く現実的ではなかった
家康は朝廷から現実的な全く新規の公儀として将軍に任じられたんで正当な政権交代と言うべきもの
そして全国の武家を統括統帥する将軍になった以上豊臣も武家であるなら徳川に服するのは当然
それが嫌なら武家をやめて純然たる公家として叛乱の温床になりかねない大坂城を出て京都に移住すべきだった

198 :人間七七四年:2023/06/08(木) 08:33:03.62 ID:ea+GlSNg.net
秀吉は秀次切腹後に、幼い秀頼のために 
天下簒奪防止システムを構築しようとしたが
それが完成する前に寿命が尽きて死んでしまった。
だから家康が天下簒奪するための抜け道がたくさん
残ってて、例えば秀頼より家康の方が官位官職が高い
ねじれ状態もその一つだった。

199 :人間七七四年:2023/06/08(木) 14:15:15.84 ID:8wgCKRG3.net
でも家康は簒奪しなかった

200 :人間七七四年:2023/06/08(木) 15:14:05.17 ID:k7HgD35O.net
むしろ家康は三成による簒奪を阻止した

201 :人間七七四年:2023/06/11(日) 00:32:22.31 ID:/ERN2FPL.net
秀吉が関白職を私物化したので朝廷が機能不全に陥った
徳川の尽力で朝廷が関白職を取り戻せたので朝廷が豊臣を頼る必要がなくなった

褒美として徳川が幕府を開けた

202 :人間七七四年:2023/08/27(日) 19:58:47.34 ID:5ApLe2kG.net
REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担

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