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小田氏治ファンクラブ☆天庵様【常陸の不死鳥】1

481 :赤サンゴ密漁 ◆W8XKB7J5Co :2014/11/07(金) 01:33:18.57 ID:BPmwgPqC.net
言っておくが>>475とは別人だ。と言っても、どうせ疑うだろうが。
まあ信じようが信じなかろうが、私は割りとどうでもいい。

>だが筑波大学一帯に戦国時代に多くの城があったのは事実で
>「ロクに田畑してない」のならこれらの城の将兵領民の食糧はどっから運んでくるの?

食料がある場所から運んでくるに決まっているだろう。
そもそも城という城全てにには田畑や領民が必ずセットでついてなければならないというのが錯覚だ。
大体野戦する時は小荷駄で食料等運ぶ事くらい知っているだろうに、
籠城の時はそれが出来ないと考えているらしいのが理解できない。
岩殿山城とかどうすると思っているんだ。
猶これは小田関係の城郭全てが、こういった「詰の城」だったと言っているわけではない。
ちなみに手子生城は一応「村の城」だったので、周囲には村人が住んでおり勿論耕作もしてた。
ただし水利が悪い場所だったので畑作の割合の方が多かったと思われる。

次に>>421
>水利が悪くて水田は勿論、畠すらろくに作られず
と書いたのは、「全く一切籾米一粒すら作られなかった」
ということを意味するものではないと、通常人なら解釈する。
大抵は小田村などの低地と比較して「ろくに作られなかった」という意味だと捉える。
誰も「筑波台地上で作物が一切収穫されなかった」などとは言っていないのだ。
言わんとすることは、何らかの水利システムを使用して筑波台地上に(もう一度言うが、
この「筑波台地上」というのは、例えば「花室川に面した低地・氾濫原のことではない)
「水田」を作れ得たか否か、勿論答えは「否」ということだ。

そして君が>>433
>当時日本の川は全て周りより低い所流れてたんだからな
>川より高い田畑に水一滴も引けないじゃないか
と書いているので、君が何度も灌漑という言葉で意味しているのは、
中世後期の当時に何らかの水利システムによって河川等の水面より
高い位置に水を運んだということなのだ。←ここ重要。
ところが君は>>480で「川沿いで農耕されてた」と曰い、
花室川に面した低地等で米作が行われていたことしか
主張していなかったとも取れるような発言をしている。
つまりこっそりと論旨を変えていやしないか?。
ちなみに花室川沿いの低地に僅かに水田があったかも知れないことは、
元から>>421も否定してはいないことなのだ。
何が問題とされているのかよく見たまえ。

さて余計なお世話ながら、私が>>421に変わって君の質問に答えてやったぞ。
そこでもう一度書く。一連のレスにおいての問題は、君の>>433
>当時日本の川は全て周りより低い所流れてたんだからな
>川より高い田畑に水一滴も引けないじゃないか
の発言だ。
さあ、君の言う「灌漑」によって、自然水面よりも高い位置に水を運ぶシステムが
少なくとも小田氏当主在世中の中世後期に存在し、且つ花室川水面よりも
高い位置にある筑波台地上の土地に水を運んで水田が作られていた事を証明、
もしくは明らかにそれと分かる実例を提出したまえ。
なお君には、論旨を一貫せずこっそりと変えたり、言葉の定義、意味合いをその都度変える
という悪い癖があるので、きっちり何を聞かれているのか判断して答えていただきたい。

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