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龍造寺氏と、たまには鍋島氏を語るスレ2

1 :人間七七四年:2014/06/16(月) 03:38:12.41 ID:1laWYHLJ.net
佐賀の大名、龍造寺氏について語りましょう。
落ちてたので立てた

前スレ
龍造寺氏と、たまには鍋島氏を語るスレ
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1271704721/

2 :人間七七四年:2014/06/16(月) 15:28:50.49 ID:1x2Nyc1+.net
>>1

3 :人間七七四年:2014/06/17(火) 07:46:06.28 ID:ifbluJLW.net
島津の工作員

     ↓

4 :人間七七四年:2014/06/17(火) 21:41:37.39 ID:J7EwxfPK.net
そういや金敷峠で伊集院某ってのがいたって言うのは
島津は神代を援護してたの?

5 :人間七七四年:2014/06/17(火) 22:08:27.25 ID:HV/RBISI.net
山伏の阿含坊のことかな

6 :人間七七四年:2014/06/19(木) 09:25:17.44 ID:uaX1yEK6.net
当時の脊振山は大規模な修験道場だったので方々から人が来てた
山岳信仰繋がりで脊振山は霧島とも関係が深いので阿含坊もその伝の人だと推察

7 :人間七七四年:2014/06/19(木) 16:23:42.10 ID:u8m4c7Ry.net
坊主って狙撃主多いね
職業柄精神統一に長けていたのかね

8 :人間七七四年:2014/06/19(木) 23:59:31.17 ID:ZotNrgba.net
>>6
そういうことかなるほどdクス

9 :人間七七四年:2014/06/24(火) 08:35:25.90 ID:XNJFF0hI.net
>>4

> 島津は神代を援護してたの?

どうなんだろうね?

10 :人間七七四年:2014/06/25(水) 09:05:34.00 ID:kWJKpu0k.net
年代を考えれば分かるだろ
陣借りしただけやん

11 :人間七七四年:2014/06/26(木) 19:59:01.37 ID:ReuIq+1j.net
少弐を小田と龍造寺で補佐しよう→少弐と小田が龍造寺を排除
少弐と龍造寺と千葉で有馬に備えよう→少弐が有馬と手を結んで龍造寺と千葉を攻撃

なぜ少弐は龍造寺を抱き込もうとしてことごとく失敗したのか

12 :人間七七四年:2014/06/26(木) 20:48:16.42 ID:IT0ncNgv.net
家兼が大内と通じた為に資元が自害したという風聞を冬尚が信じたから

13 :人間七七四年:2014/06/27(金) 18:53:09.56 ID:kMG23MfC.net
四天王なのに五人いるの家ですよね

14 :人間七七四年:2014/06/27(金) 18:59:38.60 ID:TNX0aypf.net
>>13

よくぞ気づいた

15 :人間七七四年:2014/06/28(土) 00:30:14.43 ID:eGS4yHof.net
だから龍造寺四天王は四人しかいないとあれほど

16 :人間七七四年:2014/06/28(土) 05:59:56.24 ID:20IMA5Zl.net
>>13

ひとりは控え(サブのメンバー)

17 :人間七七四年:2014/06/28(土) 11:11:05.31 ID:1NWYWMg9.net
>>11
龍造寺と千葉の勢力を乗っ取って自前の戦力が欲しかったんじゃないの
早い話が少弐冬尚も強権的な戦国大名化を志向していたと考えれば行動にも一貫性が見えてくる
少弐宗家ともあろう者が政資の時代から半世紀以上も根無し草で流れ公方な宿借りプー太郎状態じゃいかんと考えるのも自然

18 :人間七七四年:2014/06/28(土) 20:43:43.48 ID:tPM/p8ON.net
婚姻政策もせずに謀略でって直家もびっくりなバカだな

19 :人間七七四年:2014/06/29(日) 07:29:05.57 ID:FAChB5Tr.net
東千葉当主千葉胤頼は冬尚の実弟
西千葉当主千葉胤連は少弍家重臣横岳氏の親族

千葉に関しては数世代前から仕込みは済んでるけど
龍造寺は基本的に他所の血をあまり入れないから閨閥に取り込む事が出来なかった
だから状況証拠で難癖つけてから強行手段に出たのだと思う

ただ冬尚とその周辺の計画が色々杜撰だったのは間違いないよ
千葉と龍造寺の逆襲を想定していないとしか考えられないような行動とってるから

20 :人間七七四年:2014/06/29(日) 08:21:32.83 ID:wS/+YkBm.net
少弐家は戦闘では強いが、政略や外交は二流。

21 :人間七七四年:2014/06/29(日) 08:22:48.39 ID:wS/+YkBm.net
>>19

> 龍造寺は基本的に他所の血をあまり入れないから

婚姻政策を知らなかったわけではないだろうから、
何らかの理由があったんだろうなあ。

22 :人間七七四年:2014/06/29(日) 09:58:51.58 ID:dpuSR0Wa.net
近親相姦が大好きだったんだろう

23 :人間七七四年:2014/06/29(日) 11:25:51.56 ID:epJ5yEYw.net
領地財産分与を防ぐ為の近親婚なんてそう珍しい事でもないでしょ
これも婚姻政略の手法の一つ

24 :人間七七四年:2014/06/30(月) 06:10:38.39 ID:1dRIc3Jd.net
>>19
冬尚は舎弟の胤頼を反少弐派だった喜胤(東千葉)へ養子。一方家兼は孫の彦法師丸(直茂)を胤連(西千葉)の養子としてる。
いわゆる千葉氏の弱体化に付け込んだ少弐と龍造寺の政略戦争だね。

25 :人間七七四年:2014/07/05(土) 10:37:26.40 ID:aQcAgbCp.net
龍造寺家兼の妻は片田江家定の娘

嫡男家純の妻は蒲原家秀の娘
娘たちの婚姻先
本告増景 神崎本告牟田城主
於保胤宗 佐嘉於保城主
空閑光家 佐嘉淵川城主
徳島盛秀 小城蘆刈陣ノ森城主
龍造寺盛家 東高木城主高木満兼ノ子 龍造寺胤家ノ養子
鹿江兼明 川副鹿江城主

領地近郊から固めていく方法

26 :人間七七四年:2014/07/05(土) 13:44:45.32 ID:pBT3GGEc.net
鹿江って龍造寺再興に尽力してたのに神代と姻戚関係になって隆信と敵対
最後は討死か

27 :人間七七四年:2014/07/05(土) 15:47:08.49 ID:xngwrDdJ.net
鹿江は元々千葉家の重臣で動向を辿るとどうも東千葉よりの立場っぽいんだよね
同じく千葉重臣で川副郷司の石井や南里、後は

28 :人間七七四年:2014/07/05(土) 15:58:38.79 ID:xngwrDdJ.net
途中で誤送信

後は神埼郡南端の仁戸田氏辺りは同族的一体感がある身の振り方をしてる
そこで鹿江だけ別行動なのはよくあるどっちが勝っても生き残る為の処世術だったと思う

29 :人間七七四年:2014/07/05(土) 22:45:35.97 ID:aQcAgbCp.net
隆信に攻められた兼明は長男久明と二男元明と共に討死してるが、
三男重明だけは隆信へ加勢して後々まで活躍してるね。
可哀そうなのは長良へ嫁いだ娘だな。二人の子供は病死してるし。

30 :sage:2014/07/08(火) 21:15:09.37 ID:mtEJFUyD.net
仁戸田って千葉の庶流だね
直茂が千葉から鍋島へ復帰する時、千葉から同行した12名の家来の中に
仁戸田藤次兵衛って名がみえる

31 :人間七七四年:2014/07/15(火) 20:46:03.17 ID:XarmaHy3.net
龍造寺は日紋で千葉が月紋だから並べたら日月紋になる
龍造寺千葉で一蓮托生な状況になったのは運命的な物を感じる

32 :人間七七四年:2014/07/16(水) 13:51:33.75 ID:ZEmKNnDj.net
>>21
婚姻じゃないが養子縁組が結果的に失敗だった例が肥前戦国に多いね

33 :人間七七四年:2014/07/16(水) 14:17:29.65 ID:tVp+TfXg.net
後藤家のことかな?

34 :人間七七四年:2014/07/16(水) 14:37:35.50 ID:NTn+mQo3.net
後藤さんちは三代続けて養子で大変でなかなかおもしろいよね

35 :人間七七四年:2014/07/16(水) 19:34:51.09 ID:B6O4rc10.net
渋江公勢の長男・後藤純明
大村純前の庶子・後藤貴明
松浦隆信の次男・後藤惟明
龍造寺隆信の三男・後藤家信

なので実は三代続けてではなく四代続けて

36 :人間七七四年:2014/07/16(水) 19:54:03.55 ID:HGE6awWG.net
家信は惟明の養子じゃないから四人続けてではあるが四代ではないだろ

37 :人間七七四年:2014/07/16(水) 22:31:23.91 ID:8OLI31/Q.net
>>35
貴明が19代で家信が20代な
少しは調べようや、低脳くん

38 :人間七七四年:2014/07/16(水) 23:44:03.09 ID:NTn+mQo3.net
惟明くんは養父倒すのに失敗して実家に戻ってるね

39 :人間七七四年:2014/07/17(木) 04:01:51.18 ID:FENEvRSS.net
後藤の養子と言えば龍造寺晴明はなんで龍造寺に養子に入れたんだろ
実子がいると支配がうまくいかないからかな

40 :人間七七四年:2014/07/17(木) 07:06:15.56 ID:LPN/57M2.net
元々人質やん、隆信が信長みたいに悪逆非道の人なら殺してるよね
北畠みたいにさ

41 :人間七七四年:2014/07/17(木) 07:16:50.11 ID:DKiDVp7A.net
後藤父子の喧嘩は、当初互いの家臣同士の喧嘩が原因だが平井との絶縁も関係してるな
惟明の妻は平井経治の娘だしね
敗れた惟明は実家へ戻れず流浪してたのを、隆信が拾い龍造寺姓と知行50町を与えている

晴明は家信との養子交換だが実質人質だろね
のち長信の娘と婚姻して久保田に130町の知行を貰ってる

42 :人間七七四年:2014/07/17(木) 20:51:15.31 ID:1ESZVmXZ.net
惟明は実父の松浦隆信に唆された説も
貴明がよりにもよって龍造寺と和睦してしまった結果を見ると無理筋というか
もし本当なら道化もいいところ

43 :人間七七四年:2014/07/17(木) 23:57:59.40 ID:/G9FIyzz.net
なんで平戸松浦は二字名にしたんだよ…隆信被ったやん…

隆って先にいたの?

44 :人間七七四年:2014/07/18(金) 06:17:35.24 ID:NkCfzhCS.net
大内政弘ー平戸弘定
大内義興ー平戸興信
大内義隆ー平戸隆信
大友義鎮ー平戸鎮信

偏諱も信の字も平戸の方が先
龍造寺隆信も胤信から改称して本家継承する時に通字を入れて隆家とでもしておけばよかった
だがそうなると名乗りが山城守藤原隆家になり今度は先祖という事にしてある大宰権師藤原隆家と被る

45 :人間七七四年:2014/07/18(金) 19:38:08.34 ID:Td+tbnjD.net
家信は後藤貴明の娘婿だから後藤家の血縁を保ったが
家種を養子に迎えた江上家は残念ながら途絶えてしまったね
確か家種の妻は大村純忠の娘だったと思う

46 :人間七七四年:2014/07/19(土) 20:37:45.40 ID:ZCVVvFsa.net
お福さんだったな確か
隆信によくしてもらってて戦死を聞いたとき悲しんだと聞く

47 :人間七七四年:2014/07/20(日) 15:43:29.79 ID:w8DtMny2.net
>>44
一字名っていう伝統をなんで捨てたんだろうな

>>45
当時の武士に血が絶えるってたいした問題じゃないのでは

48 :人間七七四年:2014/07/20(日) 20:14:44.51 ID:iSm8YSk6.net
武士家業の存続が血統の維持より優先される事が多かっただけで
血統が絶えるというのは世襲にとっての大前提が崩れる一大事でしょ

49 :人間七七四年:2014/07/20(日) 21:42:14.56 ID:pMwRLgA9.net
養子縁組なんかでも、とにかく家名を残すことも大事ではあったんじゃない?

50 :人間七七四年:2014/07/21(月) 00:16:42.18 ID:OMgSrL1p.net
大名なら血統、家臣なら家名

51 :人間七七四年:2014/07/21(月) 07:05:15.46 ID:/JACjcHG.net
家種の養父武種の妻は龍造寺胤久の娘なんだけど実子はいなかったんだろか
澄種、晴種は庶子なのかな

52 :人間七七四年:2014/07/22(火) 20:03:00.24 ID:/RfcpC6r.net
家種の家来と云えば執行種兼をはじめ豪者が揃ってたね

53 :人間七七四年:2014/07/23(水) 20:54:52.89 ID:F/TyFsz0.net
隆信の資質を一番受け継いでいたのが家種だったね
嫡男を廃嫡して継がせるべきだったんだよな

54 :人間七七四年:2014/07/25(金) 07:49:36.12 ID:7a3xYl6y.net
嫡男は特別な存在だっただろね。
弟、また妾の子は年長であっても嫡男の家臣的存在だろ

55 :人間七七四年:2014/07/26(土) 08:02:36.06 ID:JIJ9dVjw.net
>>53
政家が早く死んでたら可能性があったかも。

執行家は嫡男直明が小田政光(当時隆信方)と長者林にて合戦した時、討死した為
弟の種兼が本家を相続してる。

56 :人間七七四年:2014/07/26(土) 11:22:43.86 ID:tvvB0gs8.net
龍造寺政家>江上家種>後藤家信
北肥戦史読んだ限りだと指揮系統の優先順位は厳格にこの並び

三人が一緒にいる時は政家の幕僚が指揮権を握り、政家隊が離れると家種幕僚に権限が移って家信隊を指揮下におく
家信幕僚が指揮権を得るのは家信が単独で出動して他国衆が家信隊の隷下に入る場合

それで政家の幕僚トップは鍋島信生、家種の所は執行種兼、家信には成松信吉がついている

57 :人間七七四年:2014/07/26(土) 20:10:27.56 ID:JIJ9dVjw.net
>家信には成松信吉がついている

成松信吉と云えば、成松信勝の庶子で、祖父は馬場の罠にはまり杵島志久峠で
討死した龍造寺胤栄の弟胤明だよね。

58 :人間七七四年:2014/07/26(土) 21:46:18.70 ID:/g6s9J/d.net
なかなかにマニアックだな

59 :人間七七四年:2014/07/26(土) 22:23:23.31 ID:sBi4l9Be.net
そういや以前にも成松は龍造寺の一族って話題出てたな

60 :人間七七四年:2014/07/27(日) 07:28:38.63 ID:MztOgzl5.net
信勝には庶腹の弟がいたと云うことは、信勝自身は胤明の正妻の子だったんだろね。
姉は龍造寺の武将西村信勢の妻。
沖田畷合戦で信勝と嫡男信実が討死した為、跡目は二男の信宗。
娘は隆信の重臣勝屋勝一軒の息子に嫁いでいるね。

61 :人間七七四年:2014/07/27(日) 09:00:52.06 ID:ZpBqJkuG.net
剛の者揃い

62 :人間七七四年:2014/07/27(日) 19:31:08.95 ID:jncMLtCY.net
龍造寺の大元である高木党は分流の菊池氏族系も含めるなら
間違いなく鎮西最大の氏族集団だが当の高木氏が藤原氏を仮冒していたので
実態の把握がきわめて困難

63 :人間七七四年:2014/07/29(火) 22:09:29.19 ID:1M0uKV3y.net
>娘は隆信の重臣勝屋勝一軒の息子に嫁いでいるね。

この勝屋夫妻は、勝茂の長女市姫(伝高院)が上杉家三代藩主定勝へ輿入れ時に
付添人として江戸へ同行
12年後市姫が亡くなった時、夫妻は上杉藩邸で追腹してる

64 :人間七七四年:2014/07/30(水) 20:53:32.90 ID:cAZfrumd.net
勝屋勝一軒や広橋一遊軒は浪人からの取り立て?
隆信が個人的に気に入って雇ったっぽい

65 :人間七七四年:2014/07/31(木) 21:33:16.61 ID:vZJCX8Zw.net
今話題の龍造寺隆信の子孫がお話したってやつ
家信の息子が福岡に逃亡して姓を変えて・・・ってのなんか信用できない

66 :人間七七四年:2014/08/01(金) 19:50:23.92 ID:LSe5tde9.net
佐賀新聞の記事読んで既視感あったけどあれだ
杉山茂丸の著作で似た話があった、龍造寺龍丸が云々というやつ

67 :人間七七四年:2014/08/02(土) 06:44:20.85 ID:yjUOelfF.net
>>64
勝屋勝一軒は元々大内義隆の家臣だったと云われているが、
大寧寺の変で肥前へ逃れて来たのかも

広橋一遊軒の本名は確か田中信了(のぶのり?)と云って譜代の武将だよね
領地名をとって広橋と改称したのかな 古橋とも云うらしいが

68 :人間七七四年:2014/08/04(月) 07:38:22.43 ID:oM/ixSKu.net
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
これは別件の調査。鍋島直茂(息子かも、記憶曖昧)のもとに母親に仕える女房から嘆願書。
「お母上のワガママにはもう耐えきれません。お暇をいただきたく存じます」
返事「ご苦労をおかけします。ただ、母もかなりの年です。あともう少しのことですから、我慢してください」
本音ぶっちゃけ。

69 :人間七七四年:2014/08/04(月) 20:59:05.38 ID:0NUBrE8T.net
鍋島の女って、みんな性格が悪いんじゃない
美智子さんが結婚された時、当時皇居の女中をしてた鍋島の女が
嫌味ぽくしてた事は有名だよね。

70 :人間七七四年:2014/08/05(火) 10:27:56.46 ID:Feziam8h.net
>>67
広橋一遊軒は台所の下人でしょ、葉隠ではそういう紹介で出てくる
室町後期の下人だから累代の家臣といえなくもないけど
武家と言う程の身分の奉公人でもない

71 :人間七七四年:2014/08/05(火) 17:30:23.37 ID:4bLQUsWg.net
百武とかネーミングセンスには信長のそれに通じるものがあると思う

72 :人間七七四年:2014/08/05(火) 23:22:22.59 ID:2EICB6Qy.net
狂歌好きだったとか聞くな

73 :人間七七四年:2014/08/06(水) 18:12:27.90 ID:/W7Z5p5g.net
神代勝利の本姓名乗りは武辺勝利(もののべのかつとし)なんだけど
これもその場の勢いでやっちまった感がある
というか勝利は親父浪人で本人剣術家から城主に成り上がったクレイジーな人物なのに今一この部分認知されていない

74 :人間七七四年:2014/08/07(木) 01:18:28.87 ID:9YsVs6Du.net
百武姓は軒並み百式と呼ばれてたなあ

75 :人間七七四年:2014/08/07(木) 03:05:36.84 ID:vJ7junvE.net
百武とか十右衛門とか賞賛してるあたり
仁王門とか四天王とか両弾二島のネーミングも隆信だったりするんだろうか

76 :人間七七四年:2014/08/07(木) 16:01:35.26 ID:CR2Lvfxi.net
百武の氏姓を作ったり新九郎さんを十右衛門さんに昇格?させたりしたのは隆信の言語感覚だろうけど
両弾二島は藤津郡攻略後の城主の配置状況から隆信の側近辺りからそういう言い回しが出たんだと思う
仁王や四天王は後世視点からの俗称

77 :人間七七四年:2014/08/10(日) 09:49:04.47 ID:NEh3RBVR.net
沖田畷で「我こそは龍造寺山城守隆信なり!!」と、
名乗りを上げ討死した四天王の一人円城寺信胤。

円城寺氏は千葉氏の庶流で平姓と云われてるが、
信胤の子孫は藤原(鎌足)姓を名乗ってるね。

78 :人間七七四年:2014/08/11(月) 18:02:06.24 ID:mk17uPpF.net
小城あたりに多いね

79 :人間七七四年:2014/08/13(水) 11:51:05.66 ID:uKxBnxgh.net
確か江里口信常も小城の出

80 :人間七七四年:2014/08/13(水) 23:57:42.60 ID:l5UtoKE9.net
この前Googleマップ見てたらそのまんま江里口って地名があったな
山の方

81 :人間七七四年:2014/08/14(木) 11:01:59.61 ID:w70PLHoC.net
それなりに著名人出したところで言ったら江藤氏や原口氏も円城寺や江里口と同様にもとは小城の千葉一族よ

82 :人間七七四年:2014/08/14(木) 18:32:45.13 ID:H5jNFzoS.net
千葉氏は松尾にあるお寺だったっけな

83 :人間七七四年:2014/08/15(金) 20:34:51.92 ID:+ePlG9Vx.net
千葉氏の名だたる武将は殆ど隆信の直参になったようだね

84 :人間七七四年:2014/08/17(日) 19:01:03.76 ID:VPfF5sh4.net
千葉党が徐々に隆信の直卒へ組み込まれていく過程は龍造寺の戦国大名化を考える上で外せない点
手明槍も制度が整ったのは勝茂の頃だが、隆信と直接主従関係を持った無役の若者がその原型だろう

85 :人間七七四年:2014/08/18(月) 10:57:52.57 ID:AEc6Vxht.net
来週の軍師官兵衛で龍造寺政家が登場
大河で龍造寺家が取り扱われるのは初めてか?

86 :人間七七四年:2014/08/18(月) 19:30:46.87 ID:KLnFbg2Y.net
たぶん島津から龍造寺を離反させたのは官兵衛の手柄という話になるかな
黒田家の史料に龍造寺と一緒に原田を秀吉に取り次いだ事が載ってるから

エピソード拾うにしても碁打った後にすっ転んで同情されたダメ当主ぶり発揮するのしか浮かばない

87 :人間七七四年:2014/08/19(火) 14:21:31.96 ID:NeiLzLWu.net
その出典はどこだよw
政家が肥満だったというソースなんてどこにもねえぞ

88 :人間七七四年:2014/08/21(木) 11:47:01.21 ID:aqMLrz8E.net
政家の逸話って何かあるの?
出典が示せない捏造話以外で

89 :人間七七四年:2014/08/21(木) 16:27:23.25 ID:ZKvF8cPI.net
龍造寺鎮賢肥後国へ出馬の事

天正八年3月下旬、龍造寺鎮賢、柳川の城を囲まれながら肥後国の随わざる輩を征伐すべしと諸軍と談合さる。
然る間、鍋島信生衆議を加えて参陣の期限は4月9日たるべしと決定あり。
此時、信生へ田尻鑑種より音通しけるに、信生の状にいわく、

如仰近日無音心外候。幾日不通候共御同前所仰候。仍鎧一領被懸御意候。御丁寧之至畏入候。
然者参陣儀、従来月九[日]可為出張候。此節別而御馳走可目出度之由被申候。
随而下小河之儀度々預御口能候條、至鎮賢申聞候為處、分別被申候。聢可有御知行之由候。尤珍重猶重々可得御意候。恐惶謹言。
追而鯛二掛被懸御意候。種々御懇志候。將又北之関竹之江あたり勢道可被作之肝要に候。

二月廿七日 鍋飛守 信昌 判
鑑種 方 御返給へ

鍋島信昌實名、此の時迄は信昌なり、天正十年に、鎮賢、政家と号せられし故、昌の字を替えて信生と改む。

90 :人間七七四年:2014/08/21(木) 21:47:25.77 ID:fRZQCiPC.net
>>86
原田氏にとって反秀吉と云うより大友に対して積年の恨みがあったのだろう。
龍造寺氏が嘆願したのは、信種の嫁が隆信の養女(実鴨打胤泰娘)で
云わば龍造寺一門だからね。

>>89
天正九年に、鎮賢から久家と号した説もあるが、久の諱字は島津義久だろか。
それより政家の政の諱字は誰だろか。

91 :人間七七四年:2014/08/22(金) 10:00:01.81 ID:IsGgZAGn.net
のぶまさがまさいえとの兼ね合いで名を変えるというのは分かる

政家の改名は偏諱ではない事に意味があるんじゃないの
君主権の確立というか独立勢力である事を内外に示す意味での改名

92 :人間七七四年:2014/08/22(金) 14:23:32.43 ID:s4hpaZRh.net
黒田長政に決まってるじゃん

93 :人間七七四年:2014/08/22(金) 15:45:42.72 ID:uPjQOotZ.net
なんで

94 :人間七七四年:2014/08/22(金) 20:24:32.39 ID:EfZybF9G.net
大河で長政が兄貴分になるっていうエピが入るだろうな

95 :人間七七四年:2014/08/23(土) 18:03:50.23 ID:Eso5oghx.net
勝茂は長政のこと尊敬していたっぽいし長政もよく勝茂のことを世話していた
忠之が出現するまでは両藩良い関係だったのにね

96 :人間七七四年:2014/08/24(日) 00:11:44.94 ID:buRqrBo6.net
黒田忠之はエピソードだけでなく肖像画からして基地外っぽいもんな

97 :人間七七四年:2014/08/24(日) 02:22:05.44 ID:pTZWEofO.net
唐津藩の古川康はほんと佐賀藩に恨みがあるんだろうな

98 :人間七七四年:2014/08/24(日) 20:52:25.12 ID:WDOh7MMZ.net
おいおいネット監視されるぞ

99 :人間七七四年:2014/08/24(日) 22:19:51.75 ID:m2zMMADf.net
政家君の娘婿で小倉城主の彼に大河での出番はあるのか

100 :人間七七四年:2014/08/25(月) 06:37:06.73 ID:SF5fZ5gs.net
毛利とは関係ない毛利だな

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