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歴史作家の作った通説・俗説

949 :人間七七四年:2016/03/07(月) 23:03:49.45 ID:virrLXL+.net
>>946
ID:l+B9Eg0Vやら ID:kS/hBmPcが関ヶ原つながりという事以外にはメッケルと
直接関係ない『日本戦史 関ヶ原役』の布陣図を前提にしている事自体が
サッパリ理解できんわw その『戦国の陣形』とやらの受け売りなのかね。

そもそも司馬は、『日本史探訪 第一集』の松本清張との対談で
こう述べてるわけだが、

「メッケルという人は、当時世界的な戦術家だったモルトケの愛弟子ですが、
その頃の陸軍大学はドイツ風で、参謀旅行というのがありましてね、参謀をつれて
現地に行って、地図によって架空の作戦を立てて訓練をしたものなんです。
メッケルは関ヶ原に来て、合戦を彼自身がやったんですね。その時メッケルは、
まずこの配置図を見まして、石田方の勝ちと言っちゃうんです。」

つまり、単に配置図と言っているだけで、どこの誰が作ったどういうものかということには
全く触れていない。

さらに、海音寺潮五郎に至っては、『武将列伝 戦国終末篇』で

「関ヶ原の戦いは負けるべくして負けた戦争だ。明治年代にドイツの有名な
戦術家が日本に来て、関ヶ原に遊び、案内の日本陸軍から、両軍各隊の
配置・兵数を聞いて、「これでどうして西軍が負けたのだろう。負けるはずはないのだが」
と不審がったところ、参謀が戦い半ばに小早川秀秋が裏切りしたことを告げると、
手を打って、「そうだろう、そうだろう」と言ったという話がある。」

と書いていて、配置図を見たということにすらなってない。

>939,947氏のような見解が真っ当だと思うぞ。

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