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戦国ちょっと悪い話44

1 :人間七七四年:2016/08/10(水) 07:53:50.85 ID:N3newNEx.net
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話43
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1452933689/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話44
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1469664777/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

912 :人間七七四年:2017/06/23(金) 20:23:50.25 ID:AGvrvAQW.net
>>911
暴れ坊将軍になら登場してる

913 :人間七七四年:2017/06/24(土) 00:46:47.28 ID:sOU5suPq.net
徳川氏の重臣に三河武士という一族がいるのだが何度も主家に反抗して
まさに徳川にとって目の上の瘤だった。

914 :人間七七四年:2017/06/24(土) 13:31:35.78 ID:D++bK00K.net
>>902>>905
アンガールズぅ...ですかねぇ...
田中「やーまーねー(山鼠)」

915 :人間七七四年:2017/06/28(水) 18:13:45.68 ID:c8upfVr0.net
関ヶ原の時、島津は西軍に味方し、しかも国元まで引き上げた。そのため「島津征伐を行うべきではないか」
との議論があったが、この時黒田如水が言った

「島津のこと、それがしに征伐を命じられれば、島津領国を占領すること、上下の別なく心やすく思うであろう。
何故ならば、薩摩口は鍋島が先陣を仕る事になっているので、鍋島に先陣を仕るよう命じても、それを迷惑だ
などとは言わないであろう。必ず、先手を仕るだろう。

彼らの領国である肥前は大国であり、鍋島の軍勢は大軍であるから、必ず島津との間で開戦するだろう。


だが、彼らは弓矢の作法を知らず、戦の有り様に不案内な者達なので、島津と戦って必ず敗北するだろう。
これは証拠もないことを言っているのではない。かつて高麗において軍勢を動かしかね、致しようもなく
我が方へ頼みに来たため、蝶之介という我が方の足軽大将を遣わして、ようやく立ち直らせたほどなのだ。
鍋島の兵は至って弱兵であると理解すべきだ。

そしてそのあとを、加藤清正に任せる。清正は格別の器量の者であるから、島津が勝ち誇って来る所へ
一文字に掛かれば。何の仔細もなく必ず勝利するだろう。

その後に我々の備は、袴をつけたまま薩摩に入国するであろう。

(士談)

916 :人間七七四年:2017/06/28(水) 18:20:56.68 ID:AGoXx4dW.net
これが出典なのか

917 :人間七七四年:2017/06/28(水) 18:33:33.43 ID:JTWyAlyF.net
チョウノスケが気になる

918 :人間七七四年:2017/06/28(水) 18:41:58.01 ID:biNEgbmZ.net
こえれは鍋島を餌にした誘引戦術

919 :人間七七四年:2017/06/28(水) 19:57:31.67 ID:ZsT2vZR/.net
同じ役のことで清正が鍋島さんちを戦しやすくてよかったって褒めてんのはなんなんだろね

920 :人間七七四年:2017/06/28(水) 21:16:22.21 ID:vqmgz3k8.net
我の外孫なれば我が子に准ずべし


慶長8年、神君(家康)は池田輝政に備前国を賜い輝政の次男忠継を封じた。
封国が決まると輝政は忠継[このとき5歳]を伏見に連れていき拝謝した。
神君は
「この子は我の外孫なれば我が子に准ずべし」
と言って、吉光の名刀をお与えになった。

輝政は初めに娶った中川清秀の娘からは長男の利隆が生まれ
後に娶った神君の娘(督姫)からは忠継、忠雄などが生まれていたが
関ヶ原の軍功で賜った播磨国は忠継を嫡嗣とし継がせようとしていた。
しかしながら神君はこれを許さず利隆に継がせることにしたため
国主がいなくなった備前を輝政に賜い忠継を封じたという。

このとき一説の言うところでは
関ヶ原の戦いで戦功がなく遺恨があった榊原康政が
「天下は既に定まった、しかし秀頼は天下を取ろうと必ず戦を起こす。
 備前は大坂に近いのでもしものことがあれば輝政と力を合わせるはずだ。
 大坂で功を立てたいので(自分の方を)備前に封じて欲しい」
と言ったので、大久保忠隣らもこれを推していた。
台徳(秀忠)もまたその通りとした。神君はこれを許さず輝政に授けた。

恐らく(家康は)舅親であるので、輝政が二心を抱くことはありえない。
輝政は武勇で知られているので、播磨備前を合わせて治めさせれば
その力をもってして大坂の敵になるだろう。輝政もまたその微意を察し
大坂のことを己の任としたのだ。これにより康政は神君に不満を持った。


――『続本朝通鑑』

後半与太ってるので悪い話に。
鍋島とか家康の娘(養女)をもらって前室の子を廃嫡した例は一応あるにはある。

921 :人間七七四年:2017/06/28(水) 21:32:00.37 ID:JDhJx46R.net
池田は結局、姫路城の普請だけさせられて転封だから

922 :人間七七四年:2017/06/30(金) 02:37:58.72 ID:k++An8Gf.net
松平肥後守正之(保科正之)の家士に、田中三郎兵衛(正玄)という人がいた。
この人四代の祖は寺沢広高の浪人である。

会津公は聞き及びなさって三郎兵衛を3千石で招きなさり、老臣となさった。
三郎兵衛は常に申して、

「先主・広高の行状を思えば、まことに感涙に堪えることなどが多いのである。
12万石の身分で奥方までも木綿の衣服であった。年始などの規式といえども、

塩魚、または干し魚を用いた。このように倹約かと思えば、千石取りの士が
40人いた。平素ともに万一の変事がある時にとして建てられた家法である。

それにもかかわらず、その子・兵庫頭殿(堅高)は父とは大いに違った人故に、
あの如く身の上を果たした。広高には少しも悪しきことはなかった」

と語った。

――『明良洪範続編』

923 :人間七七四年:2017/07/01(土) 22:30:01.06 ID:or08M729.net
大阪冬の陣勃発の時、黒田長政、福島正則も大阪攻めの御供を望んだ。
その頃は未だ太閤秀吉取り立ての大名が多かったが、その中でもこの両名はとりわけ武功の勇将で
あったため、人々も様々に気遣いしていた。

そこで本多佐渡守(正信)が両将を茶の湯に事寄せ饗応し、談じた

「まことの事かどうか知りませんが、今度の大阪のことで、御供の望みがあると承りました。
これが本当であるとすれば、心得がたい事です。
何故なら、あなた方が秀吉卿莫大の恩顧・御取り立ての身であると言っても、当家において関ヶ原の時分、
まさしく御忠節を申し上げた故に、大国を下され、以降誠に二心無く御奉公の御志をなされていると
見ています。

さりながら、大阪の城には秀頼が立て籠もられております。先主秀吉の息男が在城しているのを、時に従う
習いであるからと寄せ手に加わり攻められても、人は良いようには思わないでしょう。
また、だからといって寄せ手に加わりながら成すこともなく居るのも後ろめたいではありませんか。

ここを以て察するに、今度の御供の願い、非常に愚案であると言えるでしょう。
しかし各々に、特別なご存分もあるのでしょうか?」

この言葉に両人屈服し
「さあれば、御辺を以って、御留守に任じて頂けるよう申し上げていただきたい」
そう申したという。

(士談)

924 :人間七七四年:2017/07/05(水) 06:40:34.79 ID:EcUAn0qX.net
「心得がたい」ってのはどう解釈すべきか

925 :人間七七四年:2017/07/05(水) 07:12:03.53 ID:PA608L7X.net
心得が鯛

926 :人間七七四年:2017/07/05(水) 07:43:58.18 ID:OVzA0S6z.net
納得しかねる、みたいな

927 :人間七七四年:2017/07/05(水) 17:03:01.00 ID:3uj3Pd4f.net
>>110
まず宗茂は天下を狙わないだろう
戦に強いし義も人望もあるが政治に関しては興味がないだろう

928 :人間七七四年:2017/07/05(水) 17:38:50.37 ID:YxoXjZLJ.net
竹中半兵衛が斎藤龍興に奉公して稲葉山にあった時、半兵衛と同じように使われた者があり、
ある時、半兵衛には巣鷹の仔が与えられ、このもう一人にはコノリ(ハイタカの小型の雄)が与えられた。
ところが、龍興は一旦半兵衛に与えた巣鷹の仔を取り返して相手に与え、コノリの方を再度
半兵衛に与えた、

この事に半兵衛は強く憤り、稲葉山から出奔すべく計画を立てた。
彼は同士の侍18人と語らい、番つづらにそれぞれ具足を入れさせ、当番として場内に入ると
切って廻り、そのまま出奔した。

この時、稲葉山城内の一人が半兵衛に切りかかったが、半兵衛も刀を抜いて切り込み、向こうの刀を
柄で受け止めた。そこで刀に打たれたために半兵衛の刀が抜けたが、この抜けた刃が相手を
仕留めた。
彼も幼少より剣術を習っていたが、実戦を行ったのはこの時が初めてであったという。半兵衛19才の
時の事だそうだ。

彼が若輩の頃、人々から『鼻たらし』と嘲られていたが、この時自ら手鼻をかんで

「今迄の鼻は、ここにてかむべき為であった。」

と言ったという。

半兵衛は一生の間、常に数珠をつまぐり、「美濃の国には誰もない。誰もない。」とばかり
言っていたそうだ。

この半兵衛、元は美濃赤坂の商人、あかねやの子であり、龍興の元から出奔する頃までは父も存命し、
至って裕福な者であったという。

(士談)

929 :人間七七四年:2017/07/05(水) 22:18:54.21 ID:QCAwnrGS.net
美濃では商人の出でなければ身の立てようがないんか

930 :人間七七四年:2017/07/05(水) 23:10:53.92 ID:HAtZa1yb.net
>>872
遅レスだが伊賀伊賀守って安藤守就のことだったんだ
(斎藤義龍が一色氏に改姓した時に、以下の六人衆の面々も一色氏の家臣の姓に改姓させたみたい
安藤日向守守就→伊賀伊賀守守就
桑原三河守直元→氏家常陸介直元
竹腰新介尚光→成吉摂津守尚光
日根野備中守弘就→延永備中守弘就)
信長が明智光秀→惟任、丹羽長秀→惟住、塙直政→原田、と九州の姓を与えたようなもんか

ところで信長を裏切った安藤や氏家はともかく、龍興に従って信長と戦った弘就は
一色への忠義を示すため延永(のぶなが)を使い続けなかったんだろうか

931 :人間七七四年:2017/07/05(水) 23:17:10.92 ID:QCAwnrGS.net
安藤氏は伊賀氏の流れ
それどころか守就から安藤になったとも言うし

932 :人間七七四年:2017/07/05(水) 23:27:32.33 ID:HAtZa1yb.net
なるほど、守就の弟の子孫が明治に入ってまた伊賀氏に復姓しているようだし
伊賀氏のほうが由緒正しいわけね

>>930訂正
龍興を裏切って信長についた安藤や氏家

933 :人間七七四年:2017/07/06(木) 02:48:56.85 ID:I7m6iQir.net
のぶながっていう読みが合ってるし忌み嫌って日野根で通したのかもね

934 :人間七七四年:2017/07/06(木) 06:12:42.94 ID:LKwEnJ+9.net
氏家がいつ裏切ったんです?

935 :人間七七四年:2017/07/06(木) 11:00:41.67 ID:shzTRTJ6.net
 鳥取の城は六月下旬頃から固く取り囲まれ外への出入りはできない状態で籠城し、
頼みの西国の後詰を待っているけれどその気配さえなく徒に日数を過ごしていた。
夏も過ぎ秋も暮れ行く十月の声を聞く頃になると、城中上下関係無く、気遣い窮屈で精魂疲れ果て弱り果てていた。
第一に諸人兵糧に乏しいので生気がない。下々の者は、山中をうろつき食べられる木草蔦等の葉をむしり、
皮を剥ぎ、根を掘っていた。諸人毎日こうやって咽を潤し辛い毎日に命を長らえたが、
早々食べられる草木は無くなり。飢えるばかりなので、口に入るものは、犬、猫、狐、狼、虫けらまで掘り出して食べた
最後には、死人の遺体の肉をすき取って食べれば、味が良かったのだろう、これを見て我も我もと食べたので死体が出ると肉を
切って食べれば骨だけが残る。
(中略)
十月下旬になると城中の兵糧尽き果て餓死する者も続出、身分に関係なく、今は飢死する者も続出、
身分に関係なく、今は餓死するのを待つだけの状態になった。
城の大将吉川式部少輔(吉川経家)は、芸州より後詰有ると待っていたが今日までその沙汰はなく、
城は固く取り囲まれて兵糧もなくなった。頼む者は他になく、今はただ死を待つ状態になってしまったが、
命のあるうちに降参して、自分の命と引き換えに、憐憫を得て今まで苦労困窮させた城内の諸人の命を
助け城を出そうと、心に決め、そのことを城中諸卒にも言い聞かせた。
(因幡民談記)

936 :人間七七四年:2017/07/07(金) 10:57:24.12 ID:18PP1XD/.net
何宗であっても松を立てよ


ある年の十二月晦日に興国公(池田利隆)が櫓に上り
家臣の高木内記の家をご覧になったが門松がなかった。
「どうして門松を立てないのか」
と(利隆が)尋ねたので、内記は
「それがしの宗旨は一向宗であるので、いつも松かざりもいたしません」
と答えたが、興国公は
「何宗であっても松を立てよ」
と仰せられたので、すぐに御厨から人が来て門松を立てたという。


――『池田家履歴略記』

浄土真宗の門徒が神道由来の門松を避けていたというお話。

937 :人間七七四年:2017/07/07(金) 15:29:45.75 ID:uVcwbxIo.net
浄土真宗の人が自分のこと一向宗っていうんです???

938 :人間七七四年:2017/07/07(金) 20:37:56.91 ID:PrBVm7dg.net
城巡りをしている鹿児島の親戚が「鹿児島には夫を殺した怖い姫様がいる」と言ってたので調べたらこんな話があった。
薩摩藩の「本藩人物誌 国賊伝」より
祁答院(けどういん)河内守良重、妻に殺されること

祁答院氏は渋谷氏の一族であり、良重は13代当主で妻は島津薩摩守(島津家の分家)義虎の姉。
「人となり驍勇にして能く強弓を引く」
入来院、東郷、蒲生等と徒党をなして数年島津貴久公に叛いていた。
蒲生氏が島津の加治木城を攻め、島津貴久が良重の籠もる岩剣城を攻めたところ、
良重の嫡子重経が蒲生軍とともに2千人を引き連れて、貴久と戦うが戦死。
岩剣城が陥落したため良重は逃亡、帖佐城、祁答院と落ち延び、蒲生や東郷とともに再起を図るが
島津貴久軍に敗北。

永禄九年正月十五日、良重夫人の為に殺せらる。
良重、生来放逸荒淫。夫人、その所業を諌めれども用いず。
ここにおいて、この夜酒を勧め酔い伏したるを夫人、手ずから良重を刺殺す。
この時良重が小姓、村尾亀三、左右に宿直す。
則ち屏風を以て夫人を押さえ、また刺殺す。
ここに至りて祁答院氏滅ぶ。享年四十一。祁答院の所領悉く入来院重嗣の有となる。

939 :人間七七四年:2017/07/08(土) 21:00:33.50 ID:s4VGcAwR.net
>>930
伊賀伊賀守って野比のび太とかオレンジレンジみたい

940 :人間七七四年:2017/07/08(土) 23:27:44.34 ID:PtOrjCfS.net
 関ヶ原の時、三河岡崎の田中兵部大輔吉政の子民部少輔長胤(吉次)は、
父大坂に同心したりといふを聞きて、宇都の小山を忍び出で、居城岡崎に帰りけるを国清公(池田輝政)聞し召し、
竹村半兵衛を召され、「我吉田に帰るまで民部を牛窪に押へとどめ置け」と仰せらる。
竹村、「これは安き事には候はねども、いかさま計ひて見候はん」とて道に出迎へ、
鉄砲の者を百姓の家に隠し置き、具に支度を言ひ含め、其の身は山のせばみに出で出で待つ所に、長胤来られり。
竹村、「池田三左衛門ひそかに申せと申すことの候てこれに出で候」といへば、
長胤馬廻りの人を遠ざけられしかば、竹村静かに歩み寄り、
「別の子細も候はず、押留め申せと三左衛門下知したるよ」といひもあへず、
左の手に長胤をひしとらへ、一尺ばかりの脇差を抽いて長胤に押し当てたり。
従者ども、「こは口惜しや」と怒れどもせんかたなし。
竹村言葉をかけ、「近く寄られなばわれは殺さるるとも民部殿をば刺貫き申さん。
唯押留め申すのみにて、別の事は候はず」と呼ばりける処に、
百姓の家に伏せ置きたる鉄砲の者ども駆集り、鉄砲を長胤に差しあてて、
「竹村を討たんならば忽ち民部殿を打落とさん」と声々に呼ばはりけり。
長胤力無く竹村に従ひて百姓の家に入れば、押止めて四方を堅く守りけり、
かくて東照宮聞し召し、「父は既に味方になれる上は許し候へ」と仰せられしかば、
長胤則ち出でられけり。
(常山紀談)

941 :人間七七四年:2017/07/09(日) 07:58:19.55 ID:2VY1cRSN.net
筑後守(田中吉政)嫡子民部少輔吉次は、岐阜城攻め等の節軍功もあって公儀との関係も良く父子の仲も良かった。
しかしいかなる心が出たかはわからないが、父・吉政に対して不義の行いがあったので
吉政は激怒し、公儀へ願い出て廃嫡をし勘当し追放すれば京都へ退き寂しく住んでおられた。
(田中興廃記)

942 :人間七七四年:2017/07/09(日) 15:56:30.04 ID:OLx2PEl6.net
「田中興廃記」ってなんか笑ってしまう

943 :人間七七四年:2017/07/09(日) 22:20:50.89 ID:1EgqCX8r.net
>>938
小姓の村尾亀三は後に義久公に召し上げられ、元服後は村尾源左衛門と名乗る。
(祁答院記)
元服後、村尾源左衛門と名乗り、入道の後は笑清と名乗る。義弘公の下高名
を得る。(宮之城記)
祁答院良重についてこんなサイトを見かけました。
秋津島舞(アケスメロ)(鹿児島県さつま町)
http://www.senjudou.com/blog/ppBlog/index.php?UID=1377062519

944 :人間七七四年:2017/07/09(日) 22:32:02.21 ID:XNinJIxW.net
貴久、義久に通じていた村尾が二人を殺して
「夫人が良重様を殺したから自分が夫人を討ちました」
と偽装工作した、てことだったりして

945 :人間七七四年:2017/07/11(火) 18:03:36.07 ID:aeyCj/OX.net
 前田肥前守利長なる者がいる。加賀大納言の子である。前田はその姓である。
大納言は、もともと、家康と官爵勢力ともに相等しかった。
秀吉が死に臨んで、秀頼を肥前守に依託して、「そこもとは、備前中納言秀家とともに、秀頼を奉じて大坂に居られよ。
諸事を調護するのは、そこもとにこれを一任する」と言った。
秀吉がすでに死んで、大納言も戊戌年冬に死んだ。
肥前守が、越中・加賀・能登の三州の地を襲ぎ、秀頼を奉じて、大坂に居し、その威勢は家康に劣らなかった。
高く門楼を建て、それが大坂内城と斉しいほど高かった。
彼はひそかに、上杉景勝・伊達政宗・佐竹義宣・宇喜多秀家・加藤清正・越中守らと、
家康を殺してその土地を分けようと謀り、血を啜って同盟し、盟約がすでに定まってから越中に帰った。
石田治部少輔が、たまたま家康にとがめられて、その領地である近江州に退いていた時に、
その謀を知り、ひそかに書面で家康に告げた。
家康は、己亥年9月9日、秀頼に挨拶するとかこつけて虚に乗じて大坂城に入って拠りどころとし、
肥前の家来を呼んで、その門楼を毀たせようとした。
家臣たちはみな、「わが主君は外におられ、まだ何の命令も聞いてはおらぬ。
死はただ一度のこと。内府の[命]令に違って死ぬとしても、
我が主君の命に違って死ぬことはない」
と言ってその命令に従わなかった。家康の怒りはますます激しくなった。
肥前の妻の甥であった秀家が行って肥前の家臣を喩し、撤去させ、
「そち達の主が私に言いおいた言葉がある。私が責任を取ってやろう」
と言った。
家康は、遂に関東の諸将に[命]令して、肥前が倭京に上ってくる道を塞ぎ、
又、石田治部少輔[三成]に[命]令して、近江州の要害を防備させた。
肥前守も城や隍を修理改築して固守の計を取り、
ひまひまには、狩猟にかこつけて、精兵数万を率いて越中・越後などの地に出没し、
景勝などともひそかに相互援助の盟約を結んだ。
群倭が家康に和解を勧めているが、家康は多分聞き入れないであろう。
思うに、この勢いでは、戦わなければすなわち和解するであろうし、和解しなければすなわち戦うしかない。
和解を、幸いにして、成立させないですませたならば、醜奴[倭]の方城はまさに一つの戦場になるであろうから、
わが国にとって幸いであるのはことさら言うまでもない。

(看羊録)
※前田利家が死んだのは己亥

946 :人間七七四年:2017/07/14(金) 21:21:52.34 ID:cbMwyOMP.net
小田原の陣の時、秀吉が三島に陣を据えていた折、堀尾帯刀(吉晴)が、山中城の出丸を乗っ取りたいとの
望みを申し上げたが、秀吉は許可しなかった。それでも堀尾は是非にと申し立てたが、やはり許さなかった。

秀吉が堀尾に許可しなかったのは、たとえ出丸を取ったとしても、結局は本丸を直に攻めなければ山中城を
攻略できないと見きったためであり、またもし許したとしても、堀尾が出丸の攻略に失敗すれば、それは
秀吉の構想が狂うことに成る故であった、という。

(士談)

947 :人間七七四年:2017/07/15(土) 08:38:23.91 ID:NrgiGGBk.net
清州会議の後、羽柴秀吉と柴田勝家の対立が深まる中、勝家の家臣・毛受荘助(勝照)が請い受けて
秀吉への遣いとして向かった。これは、秀吉のこれまでの動向は心得がたいものであり、
対面すれば押して刺し違えんと考えたのである。

こうして毛受が到着すると、秀吉は察した
「あの毛受は心早く勝れた勇士である。今度の使節としての来訪も、何らかの心持ちがあるのだろう。」

彼は毛受を招き入れ、毛受が出て来るや、脇差も差さず色代まで不意に現れ

「遠方よりのこの度の使節、浅からぬ思いであるぞ。」


そう言って毛受の手を取り、限りなく懇ろに連れ立って奥の席に招き、先ず勝家の安否、
そして今の互いの考えなどを語り、それから料理を出して饗した。

毛受は秀吉と刺し違えることを決心していたのだが、不意に傍に引き添えられ、様々な懇情を受けたため、
先ずはそれへの謝礼に及んだ。
そしてその後、再び秀吉が近づいてくる事を待っていたのだが、以降秀吉が近づくことは全く無く、
毛受は本意を失って帰っていったという。

この話は事実かどうかは解らないが、秀吉の才用は、かくこそと思われる。

(士談)

948 :人間七七四年:2018/02/11(日) 20:57:49.65 ID:x76gX88Jj
>>1
文章で読んでも具体的にイメージは湧いてこないだろうから、
実録物の漫画を読んだ方が良いかもしれない。
作者は原資料を歴史家以上に徹底的に読み込んでいるから。

雪の峠・剣の舞
https://www.amazon.co.jp/dp/4063343871/

949 :人間七七四年:2018/09/07(金) 11:30:21.17 ID:sbxzu2h+F
天正四年(1576年)、那須家中の重臣大関高増は、大関氏の居城であった白旗城を出ると、那須宗家の居城烏山城の北方に黒羽城を築きここに入った。
この時期の那須氏は白河氏を支援して佐竹と戦う構えを見せていたが、高増は長男の晴増を白河義親の婿養子として送り込むなど那須氏の対外政策の主導権を握っていた。
その高増が築いた黒羽城は東西を那珂川・松葉川に囲まれた丘陵の上にあり、本丸を中の丸・北の丸・三の丸にぐるりと守られた鉄壁の構えを見せており、
家中における大関氏の存在感を存分に見せつける威容を誇った…と言うか、主家の居城を遥かに凌ぐ那須最大の縄張りを持つ堅城であった。

関東戦国史に詳しい諸兄にはご存知の通りその後大関氏は主家を出し抜いて近世大名として名を残すわけだが、居城を見ると既にどっちが那須の支配者なんだか分からない状態となっていた。
大関と佐竹という内外の敵に挟まれた那須資晴もたまったものではなかっただろう、という意味で悪い話。

なお黒羽藩は関東では数少ない外様大名による支配が明治まで続き、黒羽城は大関氏のシンボルとして廃藩置県まで鎮座し続けた。
一方の烏山城は天保元年(1681年)に那須氏の旧領復帰がなされたが、わずか6年後に改易され、以降二度と那須氏の手に戻ることはなかった。

950 :人間七七四年:2018/10/23(火) 14:59:55.58 ID:9bYKkABv/
白兵武者シリーズ
https://www.amazon.co.jp/dp/B00KIKM6BS

▼第1話/但馬の山の鬼▼第2話/最強の鎧組み討ち▼第3話/小天狗▼第4話/力道禅真仁智寺▼第5話/白兵の山、風雲急▼第6話/白兵の使命▼第7話/正之進と凛姫と狼▼第8話/白兵出陣!!▼第9話/戦乱の風▼第10話/氷之山の山賊▼スペシャル企画 蝶野正洋緊急特別インタビュー
●主な登場人物/蝶野正之進(最強の白兵武者を目指す若者)
●あらすじ/1550年、安芸・厳島に、戦で焼け出された母子がやって来た。けれども食べるものがなく、母はすぐに亡くなってしまう。独りぼっちになってしまった少年・正之進。だが、親切な島の漁師・嘉平と妻・おたえに引き取られ、彼はすくすくと育っていく。
5年後の弘治元年。この地方の統治者・毛利元就を倒そうとする、周防の陶晴賢(すえ・はるかた)の軍が島に攻めてきた。そして嘉平とおたえは、陶軍の者に殺されてしまう。
言葉を失う正之進の前に、坂口征順という一人の僧が現れた。征順は居並ぶ陶軍の兵士たちを、組み討ち技だけで立ちどころに粉砕してしまう。彼の正体は一体…!?(第1話)
●本巻の特徴/鎧ひとつに身を包み、骨をへし折り刀を砕く。正義感にあふれ民のためにのみ戦う、その体すべてが武器の如き男たち。それが「白兵武者」である。征順は、その白兵武者の一人だった。
正之進は戦国の時代を生き抜き、強い男になるために、征順と共に彼らの故郷・但馬にある力道禅真仁智寺(りきどうぜん・しんにちじ)へ。そこで立派な白兵武者になるための厳しい修行を始める。

951 :人間七七四年:2018/10/23(火) 15:10:26.43 ID:9bYKkABv/
age

952 :人間七七四年:2018/11/04(日) 04:20:03.73 ID:yVrf4OcCG
真実は救済されるべきだ。
人の気持ちを考えよう。
人の嫌がる事をやめよう。

953 :人間七七四年:2018/11/15(木) 23:09:36.48 ID:yng+zzg5h
>>950
ある意味で真実を突いている。

954 :人間七七四年:2018/11/20(火) 13:07:27.93 ID:0oOgLI+sE
真実の救済は為されるべきだ。

955 :人間七七四年:2018/12/13(木) 15:15:17.35 ID:n9Ko5AJ7u
age

956 :人間七七四年:2019/02/25(月) 05:56:06.04 ID:KC7pL2XzO
>>950
全巻買って読んだ。
感激した。

957 :人間七七四年:2019/02/25(月) 06:02:50.99 ID:KC7pL2XzO
生き方が変わる・・・

958 :人間七七四年:2019/03/05(火) 16:18:00.57 ID:0wmUxlMec
感動した。

959 :人間七七四年:2019/04/23(火) 02:50:32.49 ID:5XE4K9OPe
白兵武者シリーズ
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▼第1話/但馬の山の鬼▼第2話/最強の鎧組み討ち▼第3話/小天狗▼第4話/力道禅真仁智寺▼第5話/白兵の山、風雲急▼第6話/白兵の使命▼第7話/正之進と凛姫と狼▼第8話/白兵出陣!!▼第9話/戦乱の風▼第10話/氷之山の山賊▼スペシャル企画 蝶野正洋緊急特別インタビュー
●主な登場人物/蝶野正之進(最強の白兵武者を目指す若者)
●あらすじ/1550年、安芸・厳島に、戦で焼け出された母子がやって来た。けれども食べるものがなく、母はすぐに亡くなってしまう。独りぼっちになってしまった少年・正之進。だが、親切な島の漁師・嘉平と妻・おたえに引き取られ、彼はすくすくと育っていく。
5年後の弘治元年。この地方の統治者・毛利元就を倒そうとする、周防の陶晴賢(すえ・はるかた)の軍が島に攻めてきた。そして嘉平とおたえは、陶軍の者に殺されてしまう。
言葉を失う正之進の前に、坂口征順という一人の僧が現れた。征順は居並ぶ陶軍の兵士たちを、組み討ち技だけで立ちどころに粉砕してしまう。彼の正体は一体…!?(第1話)
●本巻の特徴/鎧ひとつに身を包み、骨をへし折り刀を砕く。正義感にあふれ民のためにのみ戦う、その体すべてが武器の如き男たち。それが「白兵武者」である。征順は、その白兵武者の一人だった。
正之進は戦国の時代を生き抜き、強い男になるために、征順と共に彼らの故郷・但馬にある力道禅真仁智寺(りきどうぜん・しんにちじ)へ。そこで立派な白兵武者になるための厳しい修行を始める。

960 :人間七七四年:2019/05/11(土) 10:04:25.48 ID:fKHtJGlFA
age

961 :人間七七四年:2019/06/16(日) 23:46:38.90 ID:kWqW619rN
桜井誠の軍勢(公称15万、徳川、豊臣クラス!)

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