■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
長篠・設楽原合戦の真実
- 1 :人間七七四年:2016/11/12(土) 21:14:34.87 ID:F2oYAzgO.net
- 1575年6月29日(天正3年5月21日)三河国長篠(愛知県新城(しんしろ)市)において行われた、織田信長・徳川家康連合軍3万8千と武田勝頼軍1万5千との合戦。
武田方の戦死者は山県昌景、土屋昌次、馬場信房などの信玄以来の宿将をはじめとして1万人に上ったといわれる。
これ以後武田氏の勢力は急速に衰え、1582年(天正10年)滅亡を招いた。
この戦いにおいて、織田・徳川連合軍が新兵器の鉄炮を組織的に使用し、騎馬戦を得意とする武田軍に圧勝した点が注目され、従来の騎馬中心の個人戦から足軽の鉄炮隊を中心とする集団戦法へ移行する画期的戦闘と評価されている。
- 212 :人間七七四年:2018/06/06(水) 00:24:53.94 ID:PPzMzQKx.net
- >>211
鳥居強右衛門などシカトして城攻めに専念すれば案外、城は落とせたという説もあるからな〜。
- 213 :人間七七四年:2018/06/06(水) 00:25:34.08 ID:eHkQBW96.net
- >>211
落ちないからやらせたというより、被害は少しでも出ない方がいいんだから強右衛門にやらせたともとれるけどな
総レス数 1021
332 KB
新着レスの表示
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★