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織田信長の人物像・人間像について考える

160 :人間七七四年:2022/05/14(土) 22:37:06 ID:GwSqKQnb.net
>山際
信長公記の桶狭間合戦に関する記述の中で、山というのはおけはざま山しかでてこない。
このような文章で山とだけ書かれている場合、前述の山を指すのが一般的と思う。
また豪雨が過ぎた直後に信長が今川勢に攻めかかっていることから
その山に今川勢が布陣していたことが分かる。
この一致から織田勢が近づいたのはおけはざま山の山際である可能性が大きい。

さて織田勢に攻めかかられた今川勢は算を乱して崩れたとある。
これが攻撃を予知していない部隊の反応であることは言うまでもない。
その際義元の塗輿も打ち捨てて逃げたとのことなので、その部隊は義元の輿を担ぐ人達の
所属する部隊(義元本隊)ということになる。
(しかしながらその後信長が「義元の旗本はあれだ、あれにかかれ」と下知していることから
義元の旗本とは遠目にそれと分かる程度の距離があった)

桶狭間奇襲説の否定は信長公記の解釈によるとのことだが
信長公記に基づきやはり奇襲であったと自分は考える。

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