織田信長の人物像・人間像について考える
- 184 :人間七七四年:2022/05/29(日) 18:21:09 ID:vFSm5tC/.net
- 繰り返すが信長は既に義元の位置を把握していた
>『信長公記』によれば信長自身、中嶋砦に入ったところで敵中に突出することを諌める家臣に向かって、敵は丸根、鷲津砦を攻撃した直後で疲れきっているはずであり、戦場に到着したばかりの新手の織田軍がしかければたやすく打ち破れるはずであるという主旨の発言をしている。
こんな詭弁を最後まで言っていたのは義元のスパイを恐れていたから
裏切りを恐れていたから
これは一貫している
最後の最後で義元の首を取る事を命じた
つまり信長についてきた家来ですら信長は最後まで信用していなかった
それは繰り返すが前田利家や信長公記の作者の太田牛一も含まれていた
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