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織田信長の人物像・人間像について考える

344 :人間七七四年:2022/07/08(金) 01:30:25 ID:bXpmTrMM.net
>>340
これもなんか変な風に君が僕の書き込みを解釈をしてるように思うんだけどなあ。

今川義元本陣勢は、今川軍総帥の軍勢なんだから、それが倒される事は、
戦いの勝敗を左右しかねず、その保全の為には、より安全性の高い大高城に入れておく方が、
安全であると思われる、っていう話なんだけど。
大高城に入る理由が、休息だけしかない、っていう話ではないと思うんだけど。

>>332にも似た事書いてあるように、三河物語の記述を基にするなら、
松平勢が大高城に入る事になったのは、単に他の候補者がいなかっただけに思う。

なので、松平勢が大高城で休息する事になったのは、単なる結果論に思え、
他の候補者がいるなら、もしくは今川義元本陣勢が大高城に入っていたなら、
松平勢が大高城以外の他の場所で休息する事になっていた可能性は普通にあったように思う。

>詳細不明な今川前衛ではなく
これも僕の書き込みを変な風に解釈してるように思うんだけど。
織田側にとってみれば、桶狭間山にいる軍勢は、今川勢である事はわかっても、詳しい事はよくわからない軍勢で、
それが今川勢前衛なのか、今川義元本陣勢なのか、はたまた他の今川勢なのか、
はっきりした事はわからなかったように思う。

なので、織田側としては推論を立てるしかなかったように思うけど、
その常識的な推論としては、>>337にも似た事書いてあるように、
上記にも一部似た事書いたように、
1.安全性が高いと思われる大高城には、重要性の高い義元本陣勢を入れて保全するはず、
2.今川勢前衛はここまでで、(信長公記を基にするなら、)大高城に兵糧を運び、
丸根、鷲津の二つの砦を攻略し、疲弊しているはずなので、どこかで休息をとるに違いない、
3.>>311にも似た事書いたように、
丸根、鷲津の砦は(上記311にあるような理由で推測される)規模からも、戦闘における砦の損壊からも、
そのまま今川勢前衛が留まって休息するには不向きに思われる、
4.1.の理由で大高城には義元本陣勢が入り、今川勢前衛は休息した後の戦闘の為にも、
最前線から近すぎず、遠すぎない、どこか他の、ある程度守備と休息に向いた場所で休息をとるに違いない
5.となると、この桶狭間山にいる織田側にとってはよくわからない、今川の軍勢は、
それまでの疲弊を、休息して癒そうとしている今川勢前衛である可能性が高い、

と織田側が推測するのは、そこまで不可解な話でもないように思う。

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