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織田信長の人物像・人間像について考える

375 :人間七七四年:2022/07/13(水) 01:58:39.59 ID:+6BpSXbY.net
>>374
私は歴史研究家ではないのであくまで推論ですが
信長は合戦のかなり早い段階で野戦で義元を
撃退することを想定してたと考えてるので。

義元の行軍に関してはかなり早い段階から
情報収集を開始してたはずで、それが記録にないのは
合戦に勝利するためのトップシークレットだったから。

鷲尾と丸根が攻撃されてから動いたのは
両砦が落ちることで義元が大高城に入ることが
ほぼ確定的になると考えたから。
義元が砦陥落の報を受けて大高城に向かって確実に
動き出すのを確認してから本陣を急襲するためには
時間的に中島砦に入る必要があった。
はなから鷲尾と丸根は落ちること前提で、中島砦までの
行動は後詰めとみせかけたブラフだと思ってる。
砦の救援なら信長本人が動く必要ないので。

今川の本陣を確認するのは赤鳥紋のぼりが
あるかどうか確認すればよいはずで、
一般的に言われる義元の本陣部隊が3千から5千くらいの
規模であれば、斥候の位置にもよるけどおおよその配置は
目視できる範囲内に展開していたのではと。

なので信長の攻撃は確実に義元の位置を把握した上で
正面部隊と迂回部隊の2方向から攻撃をしたのでは?
と推論してます。

信長は情報の重要性と収集を当時の戦国大名のなかでも
かなり高いレベルで理解してた人物だと思ってる。

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