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関ヶ原合戦の真実 Part8

1 :人間七七四年:2018/02/09(金) 20:47:44.33 ID:HfHrNJX2.net
慶長5年(1600年)9月15日関ヶ原で徳川家康らの東軍が石田三成らの西軍を破った戦い。
豊臣秀吉の死後、天下の実権を握った家康は三成と対立し、それぞれ諸大名を
糾合して戦ったが、小早川秀秋の寝返りにあった西軍は惨敗し、三成らは処刑され、
豊臣秀頼は摂津・河内・和泉60万石の一大名に転落した。この結果、徳川氏の覇権が確立。
俗に「天下分け目の戦い」という。
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください

前スレ
関ヶ原合戦の真実 Part7 [無断転載禁止]©2ch.net
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1489755617/

2 :人間七七四年:2018/02/09(金) 20:48:48.94 ID:HfHrNJX2.net
過去スレ
関ヶ原合戦の真実 Part6
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1477565218/

関ヶ原合戦の真実 Part5
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1474112000/

関ヶ原合戦の真実 Part4
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1470915006/

関ヶ原合戦の真実 Part3
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1464347783/

関ヶ原合戦の真実 Part2
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1453807317/

関ヶ原合戦の真実
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1430516022/

3 :人間七七四年:2018/02/09(金) 20:49:35.91 ID:HfHrNJX2.net
新解釈 関ヶ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い
白峰 旬 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4863669283

関ヶ原合戦にはよく知られたおなじみのエピソードが多い。
しかしそれを歴史的に検証するとどうなのか?
本書では一次史料を用い、小早川秀秋への「問鉄砲」はフィクションであり、
小早川秀秋は開戦と同時に裏切り石田三成方は瞬時に敗北したこと、
家康の小山評定は歴史的事実とは言えないことなどが、次々に検証されていく。
生駒利豊書状の真に迫る白兵戦のすさまじい描写、細川忠隆の首注文史料の数字が語る実戦の具体性も
本書の見どころである。

【序章】関ヶ原合戦はどう語られてきたのか―江戸時代に誕生した関ヶ原合戦像?

【第一章】関ヶ原合戦当日の虚像を剥ぐ?

【第二章】関ヶ原合戦以前の通説を正す

【第三章】小早川秀秋を裏切らせた「問鉄砲」はフィクションである

【第四章】『日本戦史』の布陣図に歴史的根拠はない?

【終 章】すりかえられた天下取りの戦い

4 :人間七七四年:2018/02/09(金) 20:51:13.52 ID:HfHrNJX2.net
白峰氏の石田・毛利連合政権成立の論拠

【1】豊臣秀吉の後継者である豊臣秀頼を直接推戴した

【2】毛利輝元が公儀の城郭である大坂城に入城して豊臣秀頼を直接補佐した

【3】自らを「公儀」と称した

【4】政権の所在地である大坂を中心とした上方を完全に掌握していた

【5】大名(細川忠興)を改易にして、近隣の諸大名に城受け取りを命じた

【6】大名に所領(知行)を与えた

ソース
http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/dk05213.pdf?file_id=5363

5 :人間七七四年:2018/02/09(金) 20:53:04.82 ID:HfHrNJX2.net
東洋経済オンラインの関ヶ原関連記事

関ヶ原の戦い「よく聞く通説」はウソだらけだ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170930-00190643-toyo-bus_all

関ヶ原の戦い「最も不運な武将」は誰だったか
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171014-00191937-toyo-bus_all

関ヶ原の戦い、「本当の勝者」は誰だったのか
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170916-00187790-toyo-bus_all

戦国の合戦「最大の番狂わせ」はどれだったか

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171229-00201966-toyo-bus_all

6 :人間七七四年:2018/02/09(金) 20:57:16.48 ID:HfHrNJX2.net
前スレにあった関ヶ原関連の文書

 遺言覚書

一、内符

  利家

  輝元

  景勝

  秀家

此五人江被仰出通口上、付縁辺之儀互可被申合事、

一、内府三年御在京事 付用所有之時ハ中納言御下候事

一、奉行共五人之内徳善院・長束大両人ハ一番二して残三人内壱人宛伏見城留守居候事、内符惣様御留守居候事、

一、大坂城、右奉行共内弐人宛留守居事、

一、秀頼様大坂被成御入城候てより、諸侍妻子大坂ヘ可相越事

  以上

  八月五日

7 :人間七七四年:2018/02/09(金) 20:58:29.20 ID:HfHrNJX2.net
太閤様御覚書 太閤樣被成御煩候内ニ被爲 仰置候覺

一 内府久々りちきなる儀を御覽し被付、近年被成御懇候、其故 秀頼樣を

孫むこになされ候之間、秀頼樣を御取立候て給候へと、被成 御意候、

大納言殿年寄衆五人居申所にて、度々被 仰出候事、

一 大納言殿ハおさなともたちより、りちきを被付御存知候故、秀頼樣

御もりに被爲付候間、御取立候て給候へと、内府年寄五人居申所にて、

度々被成 御意候事、

一 江戸中納言殿ハ 秀頼樣御しゅうとになされ候條、内府御年もよられ、

  御煩氣にも御成候者、内府のごとく、秀頼樣之儀、被付御肝煎候へと、

右之衆居申所にて、被付 御意候事、

一 虫ト肥前殿事ハ、大納言殿御年もよられ、御煩氣にも候間、不相替 

秀頼樣御もりに被爲付候條、外聞實儀忝と存知、御身ニ替り肝を煎可申と被 仰出、

則中納言ニなされ、はしたての御つほ、吉光之御脇差被下、役儀をも拾万石被成御候事、

一 備前中納言殿事ハ、幼少より御取立被成候之間、秀頼樣之儀ハ御遁有間敷候條、

  御奉行五人にも御成候へ、又おとな五人之内へも御入候て、ゥ職おとなしく、

  贔屓偏頗なしに御肝煎候へと、被成 御意候事、

一 景勝、輝元御事ハ、御りちきに候之間、秀頼樣之儀御取立候て給候へと、

  輝元へハ直ニ被成 御意候、景勝ハ御國ニ御座候故、皆々ニ被爲 仰置候事、

一 年寄共五人之者ハ、誰々成共背御法度申事を仕出し候ハゝ、さけさやの躰にて罷出、

  双方へ令異見、入魂之樣ニ可仕候、若不屆仁有之而きり候ハゝ、おいはらとも可存候、
  
  又ハ 上樣へきられ候とも可存と、其外ハつらをはられ、さうりをなおし候共、
 
  上樣へと存知、秀頼樣之儀 大切ニ存知、肝を煎可申と、被成 御意候事、

一 年寄爲五人、御算用聞候共、相究候て、内府、大納言殿へ懸御目、請取を取候而、

  秀頼樣被成御成人、御算用かた御尋之時、右御兩人之請取を懸 御目候へと、被成 御意候事、

一 何たる儀も、内府、大納言殿へ得御意、其次第相究候へと、被成 御意候事、

一 伏見ニハ内府御座候て、ゥ職被成御肝煎候へと 御意候、城々留守ハコ善院、長束大藏仕、

  何時も内府てんしゆまても、御上り候ハんと被仰候者、無氣遣上可申由、被成 御意候事、

一 大坂ハ 秀頼樣被成御座候間、大納言殿御座候て、惣廻御肝煎候へと被成 御意候、

  御城御番之儀ハ、爲皆々相懃候へと被 仰出候、大納言殿てんしゆまても、

  御上り候ハんと被仰候者、無氣遣上可申由、被成御意候事、
右一書之通、年寄衆、其外御そはに御座候御女房衆達御聞被成候、以上、

8 :人間七七四年:2018/02/09(金) 20:59:52.50 ID:HfHrNJX2.net
「七月十二日之夜半、大坂へ旅庵被差下御条書之案文也」
一 伏見御城本丸・西丸之間ニ御番可仕之由、及両度ニ雖申理候、無御納得候事、

一 秀頼様 御為、可然儀ニおひてハ各御相談次第と安国寺へ申候事、

一 安国寺御留之事、

一 伏見・大坂之しまり之事、

一 増右より参候書状、小摂へ遣申候事、

一 如右御城内へ不致在番候者、大坂へ罷下、 秀頼様御側へ可致堪忍存候事、

一 同名中務太夫(島津豊久)、爰元へ召留候事、

一 御奉行衆之内御一人、伏見へ御在番候事、

9 :人間七七四年:2018/02/09(金) 21:01:36.05 ID:HfHrNJX2.net
真田宛等西軍奉行達の書状
去廿一日に両度之御使札、同廿七日於江佐に到来、令拝見候
一、右之両札之内、御使者持参之書に相添覚書幷御使者口上得心事

一、先以今度意趣、兼而御知も不申儀、御腹立無余儀候、然共内府在大坂中、
  
  諸侍之心いかにも難計に付而、言発儀遠慮仕畢、就中貴殿御事迚 
  
  公儀無御疎略御身上に候間、世間如此上者、争ととこほり可在之哉、
  
  いつれも隠密之節も申入候ても、世上不成立に付ては、御一人御得心候ても無専儀と存思慮、
  
  但今は後悔候、御存分無余儀候、然共其段も、も志や不入事に候、千言万句申候ても、
  
  太閤様御懇意不被亡思食、只今之御奉公所希候事

一、上方之趣、大方御使者見聞候、先以各御内儀かた大形少馳走被申候
  
  可御心安候、増右、長大、徳善も同前に候、我等儀者、使者如披見候、
  
  漸昨日伏見迄罷上躰に候、重而大坂御宿所へも人を進之候而御馳走可申候事

一、今度上方より東へ出陣之衆、上方之様子被承、悉帰陣候、然者於尾・濃令人留、
  
  帰陣之衆一人一人之所存、永々之儀、秀頼様へ無疎略究仕、帰国候様に相と候事

一、大略無別条、各々無二之覚悟に相見候間、御仕置に手間入儀無之候

一、長岡越中之儀、太閤様御逝去巳後、彼仁を徒党之致大将、国乱令雑意本人に候間、
  
  即丹後国へ人数差遣、彼居城乗取、親父幽斎在城へ押寄、二の丸迄討破り候之処、
  
  命計赦免之儀、禁中へ付而御侘事申候間、一命之儀被差宥、彼国平均に相済、御仕置半候事

一、当暮、来春之間、関東為御仕置可被差遣候、仍九州、中国、南海、山陽道の人数、
  
  既八月中を限、先江州に陣取幷来兵糧米先々へ可被差送之御仕置之事

一、羽肥前儀も 対 公儀毛頭無疎意覚悟に候、雖然老母江戸へ遣候間、
  
  内府へ無疎略分之躰に先いたし候間、連々、公儀如在不存候条、
  
  各御得心候て給候へとの申され分に候事

一、ヶ条を以蒙仰候処、是又御使者に返答候、又此方より条目を以申儀、
  
  此御使者口上に御得心肝要候事

一、自此方三人使者遣候、右内一人は貴老返事次第案内者そへられ、此方へ返可被下候、
  
  残弐人は会津へ之書状共遣候条、其方より慥かなるもの御そへ候て、ぬまた越に会津被遣候て可有候、
  
  御在所迄返事持来帰候者、又其方より案内者一人御そへ候て上着待申候事

一、豆州、左衛門尉殿、以別帋雖可申入候、貴殿御心得候て可被仰達候、
  
  委曲御使者可被申伸候
  恐惶謹言 七月晦日 三成
  真房州
  御報

10 :人間七七四年:2018/02/09(金) 21:03:45.76 ID:HfHrNJX2.net
急度申入候、太閤様後不慮以来、内府被背御置目、上巻誓帋被違、恣之働無是非次第に候

殊更今度景勝可被相果段、不謂儀に候間、種々理申候へ共、無同心下向、如此之上、

秀頼様可被取立、非所行候之間、各申談、守御置目、秀頼様御馳走之為可申、上方之儀一篇に相固、

御仕置申付、関東へ罷立候衆も妻子人質於大坂相究候間、不可有異儀候歟、勿論上方在京在国之衆は、

何様にも、秀頼様へ御忠節可申上由、無二之覚悟に候、就之伏見之城在番に関東二千計在之間、

即時に諸手より乗崩、大将鳥居彦右衛門始候て、一人も残討果候、誠以天罰与申事に候、

次丹後之事、羽柴越中兄弟余多在之内、一人秀頼様へ御目見をも申させす、悉召連関東へ罷立候、

其上御忠節も無之に、新知召置候段、不相届儀候間、人数を遣城々何も請取、田辺之城町二ノ丸焼崩押詰仕寄候て、

堀際迄責詰候、落居不可有程候、其表之儀堅固の被仰付、秀頼様への御忠節此時候、

左候者各々被相談、御外聞も可然様に可申談候、恐々謹言

八月二日  長大正家
      増右長盛
      石治三成
      徳善玄以
    芸中輝元
    備中秀家
 真田安房守殿 御宿所

11 :人間七七四年:2018/02/09(金) 21:05:05.14 ID:HfHrNJX2.net
急度令啓候、内府去々年以来、太閤様被背御置目、上巻之誓紙を被違、恣の働付而、今度各申談、

及矛楯候、関東之儀も伊達、最上、佐竹、岩城、相馬、真田安房守、景勝申合、色を立候に付而、

則八州無正躰事候、上方より罷立候衆も、妻子人質於大坂相究候故、是又懇望候、

就其越中方之事、大勢兄弟之内、一人秀頼様へ御目廻をも申させす、悉関東へ罷立、

其上何之忠節も無之、新知召置候儀、不相届に付而、丹後之事城々悉請取、田辺一城町二ノ丸まで令放火、責詰仕寄申付候、

落居不可有程候、貴諸之事、太閤様別而被懸、御目、知行等まで被下候間、秀頼様へ御忠節可在之義候、

於様子者太田美作守方へ申渡候て差下候、其郡之事、速可被明渡候、何かと候ては不可然候、恐々謹言

八月四日  長大正家
      増右長盛
      石治三成
      徳善玄以
  松佐 御宿所

12 :人間七七四年:2018/02/09(金) 21:06:36.08 ID:HfHrNJX2.net
巳上 態申入候

一、此飛脚早々ぬまた越に会津へ御通し候て可給候、自然ぬまた、会津之間に他領候て六かしき儀在之候共、

  人数立候て成共、そくたくに成共、御馳走候て御通しあるへく候

一、先書にも如被申候、貴殿事早々小室、ふかせ、川中嶋、すわの儀、貴殿へ被仰付候間、

  急度可有御仕置候、可成程御行此時に候事

一、とかく物主共城々へ不罷帰御才覚肝要に候事

一、会津へも早々関東表へ御行被仰談、行に可被及之由申遣候、貴殿よりも御入魂候て、可被仰遣候事

一、従越後も無二に秀頼様へ御奉公可申旨、申越候間、妻子も上方に在之事候条、偽も在之ましく候、

  羽肥前儀、母江戸へ遣故候か、未むさとしたる返事候、剰無二に上方へ御奉公と申羽柴五郎左へ

  手前へ人数を出候間、自越後越中へ人数可被出申越候、定相違有間敷候事

一、関東へ下上方勢、漸尾三内へ上り、御理半に候、それそれに承候儀究候て相済候事

一、先書にも申候伏見之儀、内府為留主居、鳥居彦右衛門尉、松平主殿、内藤弥次右衛門父子、

  千八百余にてこもり候、七月廿一日より取巻、当月朔日午刻、無理に四方より乗込、

  一人も不残討果候、大将鳥居首は御鉄砲頭すすき孫三郎討捕候、然而城内悉火をかけ、

  やきうちにいたし候、鳥居彦右衛門尉は石垣をつたい、にけ候よし、誠かやうなる儀、

  即座に乗崩候段、人間之わさにて無之と各申合候事

一、先書にも申候丹後之儀、一国平均に申付候、幽斎儀者一命をたすけ、高野之住居之分に相済申候、

  長岡越中妻子は人質に可召置之由申候処、留主居之者聞違、生害仕と存、さしころし、

  大坂の家に火をかけ相果候事

一、備之人数書、為御披見進之候、此方之儀可御心安候、此節其方之儀、公儀有御奉公、

  国数可有御拝領儀、天之あたふる儀候間、御由断在之間敷候事

一、拙者儀、先尾州表へ岐阜中納言殿申談、人数出候、福島左太只今御理申半に候、於相済者、

  三州表へ可打出候、もし於不済者、清洲へ勢州口一所に成候て、可及行候、

  猶言事可申承候、恐々謹言

八月五日   三成
  真田房州
  同 豆州
  同 左衛門介殿
      人々御中

13 :人間七七四年:2018/02/09(金) 21:08:38.88 ID:HfHrNJX2.net
去五日之御状、今日於濃州大垣令拝見候事
一、度々爰元之様子、其地之儀申越候、未無参着候哉、只今の御書中無御心元候事

一、羽久太儀、何様にも秀頼様次第と度々到来候間、羽柴肥前老母幷家老之人質、江戸へ遣取、

  未御事請不申、剰加州小松表へ人数を出なとと風説候条、急度越中へ乱入可在之旨度々申遣候、定而早々被面へ可及行候事

一、石玄番事は大坂に妻子其上兄弟在之事候間、致推量に公儀慮外難成身上候間、石備前を以巨細申候き、定而別条在之間敷歟難計事

一、羽右近事、定而兎角に内府儀無二に可存候、新知拝領候、其上上方に妻子一人ならて無之、兎角貴所より早々可被及御行事

一、石玄事も済候へは能候、不済候はは、是又其方より可被御行候、越後より之道明候へは、会津へ之通用共に自由候事

一、信州之儀は不及申、甲州迄も貴所御仕置可在之旨、輝元をはしめ各被申候事候、

  拙□より能申候へとの事、此段先書に申候、早々人をも御拘候て、方々へ之御仕置此時候、

  拙子儀しかと濃州に在陣候、長大勢州に在陣候、此口之儀、家康ほとの者十人上り候共可御心安候

  討果候より外他事不可在之候、今度関東へ罷立めんめん、尾、三州の間に集居候て、懇望申族も候、

  又江戸にて人質をしめられ、致迷惑族も在之事候、味方説に申候哉らん、家康急度上るなとと申成候由候、

  あわれ上り候へかしと念願迄候事

一、兎角早々会津へ使者を被立、公儀無御如在、拙者と被仰談候由、可被迎合候、不及申候へ共、

  国ならひにて物のそかどを申方□候間、如此御入魂上は、少々出入りはいらぬ事候間、

  物やわらかに、彼方気に入候様に被仰越、御入眼此時候事

一、先書にも如申、伏見之城、家康留守居鳥居彦右衛門をはしめ七頭歟千八百余残置候処、

  此時宜候間、関東へ明退候へと申候へ共、りくつ申候間、去朔日四方より乗入、

  一人も不残討果候、鳥彦右首は御鉄砲頭鈴木孫三郎討捕候、此間、御殿中雑人はらふみけがし候間、

  不残焼払候、大坂の儀も西之丸に人数五六百ほと残置候を追出、伏見へ追入、輝元被入替候、

  是又伏見にて同然に討果候、伏見にて各手を砕乗崩候、九州なとの衆別而手柄を被仕候、

  大坂には増右被居候、輝元も在城候、伏見にも六七千にて、掃除、普請以下申付候、

  然間京都、大坂静に候、勢州江安国寺、吉川壱万余召連、長大同道にて罷越候、尾、濃へは拙子罷越候、

  島津其外九州衆佐和山へ被参候、人数入次第、尾、濃之間へ可打出候、丹後之事はや一円平均に申付候、

  幽斎事可被成敗に義定候処、自 叡慮色々被 仰出、命之事相助、九州中流罪之躰候、則諸方へ之備書立進入候、

  此備書立之内に在之面々□、無二 秀頼様可抽忠節覚悟候、せいしにまて相究候、此外先手に在之衆、

  書此立に不乗衆も可在之候、右之段先書に雖申候、不相届候哉、又申入候、恐々謹言

  八月十日  石治少三成
    真田安房守殿
    同左衛門尉殿  御報 

14 :人間七七四年:2018/02/09(金) 21:10:38.36 ID:HfHrNJX2.net
関ヶ原の結果に対しての文書

松平和泉守宛石川長門・彦坂小刑部書状

早々御飛脚本望存候、其様子則御耳に立申候、然者去十四日赤坂に被成御着、十五日巳之刻関ヶ原へ指懸被為及一戦、

治部少輔、島津兵庫頭、小西、備前中納言十四日之夜五つ時分に大垣外曲輪を焼払、関ヶ原へ一所に打寄申候つる

此地之衆幷井兵又福嶋殿、為先手其外悉打続く、敵切所を抱有所へ指懸、とりむすひ候刻、筑前中納言、

わき坂中書、小河土佐父子、此四人御味方被申、うらきりを被致候、則敵敗軍仕、追討に無際限うちとり申候、

大将分は大谷刑部少輔、嶋左近、島津中務、戸田武蔵平塚因幡此外討取り申候へ共、先人之存候衆は此分に候条、

打捨はなをかき候て捨申候間、誰を討捕申候も、然々と不被不存、又十六日に佐和山へ指懸とりまき候て、

田中兵部水の手をとり、本丸へ押懸申候へは石田杢父子、治部少輔しうと父子、同治部おや、妻子一人も不残きりころし、

てんしゅに火を懸、悉焼払落城仕候、其刻城より三百人ほと取○、手前へ罷出候処を一人も不残うちとり申候、

皆々小姓共まて高名いたし候間、可御心安候、治部少補は十五日之合戦場より行かた于今聞へ不申候、

将又安国寺をは吉川、ふく原両人思食にからめ出し申候、輝元御訴詔被申候由候へ共、如何可有か不被存候

猶替儀候者追々可申入候、恐々謹言

九月十七日   石川長門
        彦坂小刑部
  松平和泉守殿へ

15 :人間七七四年:2018/02/09(金) 21:12:15.02 ID:HfHrNJX2.net
伊達政宗宛て徳川家康書状
「今十五日午刻、於濃州山中及一戦、備前中納言、島津、小西、石治部人衆悉討捕候」

帖佐彦左衛門宗辰覚書
「防戦よふなく柴田(島左近か)即時に敗軍すれば、石田軍皆陳破れて敗北す、然れば午の刻の事なるか」

大重平六覚書
「石田殿、一時もこたえず候て、中書様(島津豊久)陣場へ崩れかかり候」

舜旧記
「美濃堺、於柏原、内府先勢、福田(福島か)、長岡越中、加藤左馬助、合戦之由、
 
□大□(谷か)之勢、敗北大谷刑部少輔打死、余(金か)吾殿依叛逆也、巳刻也」

当代記
「関ヶ原には石田治部浮田中納言大谷刑部島津兵庫小西摂津守将陣の処に、
 
金吾中納言内府公属味方之間、敵敗北、数百討取」

十六・七世紀イエズス会日本報告集
「(戦闘が)始まったと思う間もなく、これまで奉行たち(西軍)の味方と考えられていた
 
何人かが内府様の軍勢の方へ移っていった」

「こうして短時間のうちに奉行たちの軍勢は打倒され、内府様は勝利をおさめた」

近衛信尹宛近衛前久書状
「青野カ原ニテノ合戦ニテ候。即時ニ切立得大利候。
 
番ヒニ金吾手ヲカヘサレ候。其太刀場ニテ、大谷刑部討死候テ、其マヽキリ崩候」

吉川広家自筆書状案
「山中之儀、即時被乗崩、悉被討果候、嶋津などゑり勢三千にて、
 
随分一合戦ハ可仕之由候つれ共、中々馬を被入不相成候て其身一騎のりぬけ伊勢地を被退候」

「一昨日十五日内府様直ニ山中へ被押寄被及合戦、即時被討果候

16 :人間七七四年:2018/02/09(金) 21:16:20.43 ID:HfHrNJX2.net
立てて見た。保守用に前スレから引っ張って来てみた

このくらいまで埋めれば大丈夫なのかな?

17 :人間七七四年:2018/02/09(金) 21:23:46.15 ID:tyVo7QaP.net
ここは戦国板だぞ?力抜けよ

18 :人間七七四年:2018/02/09(金) 22:40:31.53 ID:+9xwO1Cy.net
毛利も上杉も地域単位の覇者を目指しており、徳川打倒に一致協力できなかった

19 :人間七七四年:2018/02/10(土) 01:50:28.84 ID:xCXDu9/U.net
>16おつ

20 :人間七七四年:2018/02/10(土) 06:21:18.72 ID:IyvWCVvT.net
>>16
ありがとう!

21 :人間七七四年:2018/02/10(土) 08:54:20.71 ID:NlCnY3Mk.net
>>1
>>14
裏切り者の中に筑前中納言(小早川秀秋)、わき坂中書(脇坂安治)、小河土佐父子(小川祐忠・祐滋)の名前はあるけど
赤座直保、朽木元綱の名前がないのは何故だろう?

22 :人間七七四年:2018/02/10(土) 09:31:57.77 ID:IVx6eURt.net
これは>>1乙だな

23 :人間七七四年:2018/02/10(土) 16:24:06.26 ID:OKRLyggg.net
文書類はともかく、白峰や東洋経済は必要あったかな?

24 :人間七七四年:2018/02/11(日) 09:05:17.50 ID:B/ILvr9V.net
>>21
裏切りが認められず、所領を没収されたっていうのなら小川が入っているから当てはまらないしな

25 :人間七七四年:2018/02/11(日) 09:32:06.95 ID:6YzEHUdb.net
苗字かえて加賀前田家の重臣として続いている

26 :人間七七四年:2018/02/11(日) 09:35:17.54 ID:LqHUkzHY.net
>>12
鳥居彦右が石垣を伝って逃げたというのは、本とかでもみた事がないが
どうだったんだろう

27 :人間七七四年:2018/02/11(日) 10:16:19.38 ID:m5mNPVv2.net
鳥居の足が悪いから三成の書状が脚色してて信頼できないと言われてる例だったような記憶

28 :人間七七四年:2018/02/12(月) 01:44:12.51 ID:LRe5sgsq.net
>>27
徳川の与力だった昌幸だって彦右が足悪いの知っているだろうに
見え透いた嘘を書く三成の書状を昌幸はどう思ったのか
まあ昌幸も小細工が好きな人間だから案外共感したかも知れないが

29 :人間七七四年:2018/02/13(火) 18:41:57.82 ID:oA9wxJjl.net
>>>21
その二人に関しては、そもそも関ヶ原にいなかった説がなかったっけ?

30 :人間七七四年:2018/02/13(火) 20:54:00.39 ID:ExaDmGOC.net
関ヶ原で戦って賤ヶ岳でも活躍したよって武将が何人かいるけどそいつら揃って山崎、小牧とか前後の戦では名前出ないよな
コンスタントに名前出だすのは対島津から

31 :人間七七四年:2018/02/14(水) 02:35:36.67 ID:ENL1+iYw.net
>>30
福島正則なんかは山崎の戦いや小牧・長久手の戦いも活躍してるよ。加藤清正も。加藤清正は関ヶ原本戦は不参加だけど。賤ヶ岳七本槍は山崎の戦いや小牧・長久手の戦いに従軍して秀吉から恩賞貰ってる。

32 :人間七七四年:2018/02/17(土) 17:53:54.51 ID:xFzRMHdA.net
武将クラスで参戦したか大名クラスで参戦したかの違いじゃないか

33 :人間七七四年:2018/02/18(日) 00:27:37.45 ID:BHblrsF0.net
真実はいつも一つとゆうメガネ小僧の探偵に少年時代は夢を馳せていたくせに、ついに独立を図り真実を頭脳ではなく他力本願で探す
真実はakm動物園にあるぜ(^^)

34 :人間七七四年:2018/02/18(日) 00:27:41.91 ID:pL27ACnO.net
ここで真実を速報。

しごいてドピュ理(^ν^)

35 :人間七七四年:2018/02/18(日) 00:28:28.27 ID:pL27ACnO.net
ここで真実を速報。

シゴいてドピュ理(^ν^)

36 :人間七七四年:2018/02/18(日) 00:28:51.05 ID:pL27ACnO.net
ここで真実を速報。

こすってドピュ理(^ν^)

37 :人間七七四年:2018/02/18(日) 00:29:04.79 ID:pL27ACnO.net
ここで真実を速報。

こすってドピュ理^ ^

38 :人間七七四年:2018/02/18(日) 09:09:59.99 ID:p/KyMJhX.net
>>13
敵である家康はともかく、輝元も官名ではなく諱呼び捨てなのか

39 :人間七七四年:2018/02/18(日) 21:34:11.91 ID:Pix0zB7Z.net
戦国時代は諱で呼ぶ事の方が敬意を表すと言う説もあるみたいだけど
書状の相手である真田は勿論、前田とかも諱避けているしな

40 :人間七七四年:2018/02/18(日) 21:54:20.51 ID:cegVxge2.net
政宗は庶民にも諱で記録されてるよね

41 :人間七七四年:2018/02/21(水) 20:48:19.53 ID:dkSVhD0l.net
ところで戦国時代諱で呼ぶ事が敬意だったのが、やはり諱で呼ぶのは無礼と言う事になったのは
秀吉が武家を官位や清華成や公家成などの家格で統制する、いわゆる武家の公卿化の過程でそうなったのかな

42 :人間七七四年:2018/02/21(水) 20:56:57.03 ID:K5DfhGwB.net
その豊臣家が、隠し題だろうがなんだろうが、正銘に無断で犯諱をなすとは、何をかいわんやだ

43 :人間七七四年:2018/02/21(水) 23:18:01.24 ID:UTaI4uHy.net
>39
真田は諱で表記される程偉くないし

44 :人間七七四年:2018/02/25(日) 01:05:24.46 ID:Mh5S+Ioe.net
>>39
その説初めて聞いたんで詳しく?
基本的に、忌み名ってのは親か主君みたいな絶対的な目上の人意外は無礼だったと思うんだけど?
家臣に感状を出す時とか、恩賞与える時とか、官位を貰う時ぐらいだよね?忌み名が出る時って。

45 :人間七七四年:2018/02/28(水) 09:44:35.68 ID:htsgzQKY.net
いみなは死んでからの名前だろたしか

46 :人間七七四年:2018/02/28(水) 12:38:39.45 ID:PLBDSj9+.net
それは諡号だのおくり名やろ
今は諱の使用は基本無礼だけど一周回って最上位になりうるという話

47 :人間七七四年:2018/03/11(日) 22:30:40.48 ID:XWtFRVbr.net
「竹中重門と百姓の関ヶ原合戦」読んだけど
垂井、関ヶ原の大部分を領地としている竹中が
西軍から東軍に寝返った事による影響って
今まであまり取り上げられた本無かったから
考えさせられたな

48 :人間七七四年:2018/03/11(日) 22:46:25.71 ID:IxKdg408.net
菩提山城だったっけか
竹中氏の居城
テレビドラマ「二人の軍師」とかで
出てきたよな

49 :人間七七四年:2018/03/13(火) 09:41:31.51 ID:bRYYO4dG.net
竹中半兵衛の息子か?もし半兵衛が生きてたらどんな策略用いてたんだろう
あっと驚く奇策をひょうひょうと実践して、あとは知らん、勝手にどうぞみたいな作戦とってたかも

50 :人間七七四年:2018/03/13(火) 21:02:28.78 ID:i0x1sAJM.net
普通に考えれば、その土地の領主を完全に無視して
陣地とか砦とか作れないだろうから、寝返った際に
それらに関する情報が東軍に筒抜けになった可能性がある訳か
それは長政も籠絡しようとするわな

51 :人間七七四年:2018/03/24(土) 22:10:37.67 ID:zGLQLLlv.net
結局のところ西軍の敗因は小早川や京極、鍋島、竹中などの諸将をつなぎ止められなかった
三成や吉継、輝元、秀家等の威厳や人望のなさが原因でいいのか

52 :人間七七四年:2018/03/24(土) 23:52:29.19 ID:KYJPNd0r.net
相良、秋月「さっさと寝返りますね^^」

53 :人間七七四年:2018/03/25(日) 08:07:11.57 ID:szPMZ6OV.net
豊臣家の内部抗争にうまくつけこんだ家康が一枚うわてだったということでしょう
人心コントロールがうまかったこともあるだろうが、豊臣側で勝手に崩壊してったんでしょ

54 :人間七七四年:2018/03/25(日) 14:23:00.16 ID:JtXVPPxW.net
この頃の研究者の見解だと大坂城を押さえて、三奉行を味方に付けた(玄亥は少し怪しいけど)西軍が正統派みたいな意見が多いようだけど
裏切りが多数なことを見ると、よほど駄目だと味方に思わせる要因があったのか、東軍の調略がよほど上手かったのか

55 :人間七七四年:2018/03/25(日) 15:21:31.22 ID:AsHjC9ct.net
だって毛利が親玉とか言われても信用できないし、三成なんて誰も言うこと聞かないわけで
西軍自体まるであてにならない存在だわな

56 :人間七七四年:2018/03/25(日) 20:49:33.66 ID:OQA/x1gr.net
・家康が反家康派の想定以上に諸将からの人望が厚かった
・奉行(毛利)が想像以上に嫌われてた
・西軍は豊臣御為を掲げていたが、諸将はとっくに豊臣を見限ってた

東軍勝利を思想的なものだけに限定して考えるとこの3つだけど。

57 :人間七七四年:2018/03/25(日) 22:12:23.83 ID:eUU9FNAf.net
>>54
正統派というのは裏を返せば豊臣の不満を背負う立場でもあるからね
秀次事件や朝鮮出兵などの不満は全て西軍が背負う立場であり
東軍は余計なものを一切背負う必要がなく奸臣三成を謀反人として処刑すると言うだけの有利な立場だった

58 :人間七七四年:2018/03/25(日) 23:28:18.98 ID:STIDVoTE.net
そもそも毛利は豊臣家にたいしてなにかご奉公したのかよ
単にそこに居ただけの存在だよな
そりゃ誰もついてこないわな

59 :人間七七四年:2018/03/26(月) 15:36:05.26 ID:saqUMlp/.net
>そもそも毛利は豊臣家にたいしてなにかご奉公したのかよ
>単にそこに居ただけの存在だよな
九州・四国・近畿に派兵したり蜂須賀・生駒領を接収したり紀伊半島沿岸部で強略したりと毛利は大車輪で動いていたぞ
関ヶ原で西軍が勝っていれば西日本に大毛利帝国が出現していたところだ

60 :人間七七四年:2018/03/26(月) 16:32:25.77 ID:6W/+Z7P3.net
関が原以前の話じゃね?

61 :人間七七四年:2018/03/26(月) 17:44:03.79 ID:saqUMlp/.net
関ヶ原以前でも紀州征伐・四国征伐・九州征伐・朝鮮出兵と豊臣政権で並ぶ者のない延べ動員数No.1じゃないか
東の小田原征伐の時もわざわざ水軍を派兵したり京の留守居をしているし

62 :人間七七四年:2018/03/26(月) 18:44:29.21 ID:AtXE60H2.net
むしろ豊臣政権への貢献度を考えれば秀吉は毛利に対して冷淡ですらある。
秀吉死後の体制は徳川・前田の二頭体制だったとはよく言われているが、
本来ならこれに毛利を加えた三頭体制にしてもいい位だと思う。

63 :人間七七四年:2018/03/26(月) 19:36:03.14 ID:Hyou/oMC.net
吉川が悪いよ吉川がぁ!

64 :人間七七四年:2018/03/26(月) 21:55:52.77 ID:PRYKWAlS.net
元春、広家「秀吉嫌い!」

65 :人間七七四年:2018/03/26(月) 23:26:07.94 ID:7fKSDn85.net
秀吉は毛利というより小早川隆景個人を信頼していた
隆景が長生きしてその補佐付きの毛利なら徳川前田と並ぶところに持っていっただろう
輝元&広家じゃあねえ・・・

66 :人間七七四年:2018/03/27(火) 07:26:04.86 ID:YyT7n0/W.net
>>65
まあ知ってたけど、秀吉は本当に個人の技量重視だよな。
そんな秀吉がいざ自分が死ぬ時は「秀頼のこと、お頼み申す」なんて
どれほどの器量かもわからん秀頼を盛り立てろって言うんだから皮肉なもんだ。
そう考えると関ヶ原で家康が勝つのはある意味当然だな。あの時点で政権で一番優秀なのどう見ても家康だし。

67 :人間七七四年:2018/03/27(火) 15:10:23.55 ID:gFfMaj/9.net
家康は幕府を開いたから偉い、なんでも正しいというのは後世人の勝手な思い込みで
足もとすくわれる要素はあちこち有ったわけで、綱渡り状態
だから家康本隊は中山道で待機温存(真田に邪魔さて動けなかったという言い訳)させてたわけで
福島も加藤も前田も信用はしてなかっただろう

68 :人間七七四年:2018/03/27(火) 18:04:26.40 ID:+bFcuHES.net
結果だせた徳川と、出せなかった豊臣

69 :人間七七四年:2018/03/27(火) 20:53:55.97 ID:aO1gqTOc.net
挙兵直後、これは楽勝だと思い楽天的に物事を進めていたら
裏切り者は続出するは、味方の戦意は低いはで
愚痴極まりない書状を出す状況に陥った三成と
事態の急変に戸惑い、江戸に留まり慎重に物事を進めていたら
自分の送った使者の言動に味方が予期せぬ暴走をしたため
慌てて西上する羽目に陥った家康

70 :人間七七四年:2018/03/27(火) 21:02:02.86 ID:GI8VgqqX.net
家康の伝言はその通りでしょ
結果が想定以上の可能性はあるけど

71 :人間七七四年:2018/04/01(日) 08:28:21.78 ID:jOaRjWL8.net
今は短時間決着が主流みたいだけど、とうとう無かった事にまでなっているのか

『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった
一次資料が伝える“通説を根底から覆す”真実とは』

乃至 政彦 著
高橋 陽介 著

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309248608/

72 :人間七七四年:2018/04/01(日) 09:25:54.47 ID:dyTobG4f.net
>>71
戦場は「山中」だった説だろうね

73 :人間七七四年:2018/04/01(日) 09:44:00.87 ID:Huhvg62f.net
まさかの白川越えか

74 :人間七七四年:2018/04/02(月) 22:44:24.45 ID:VkT1dpEx.net
>>47>>71
相変わらず関ヶ原関連本はよく出るな
呉座氏の陰謀の日本史でも関ヶ原に触れてたし

75 :人間七七四年:2018/04/05(木) 19:02:28.98 ID:SH/GovBn.net
小山評定とかもあるし、妙に盛り上がってるな、関ヶ原関連。

76 :人間七七四年:2018/04/05(木) 19:07:56.85 ID:iNnvwgHu.net
>>74
呉座さんはどんなこと書いているんだ?

77 :人間七七四年:2018/04/06(金) 21:59:43.51 ID:oDjmjYwU.net
小早川秀秋の動きに慌てたのが西軍の敗因

78 :人間七七四年:2018/04/07(土) 00:51:06.40 ID:4ECLzbDe.net
>>77
岐阜が即陥落した上に、家康が関ヶ原に到着して、大津が東軍方として挙兵。
その上松尾山を小早川が突然占拠なんて状態で慌てるなってのが無茶だと思う。

79 :人間七七四年:2018/04/07(土) 19:19:32.31 ID:FHK6aYP0.net
関ヶ原の戦いなんて東軍が一方的に西軍叩きのめしたイジメみたいな感じだよな
家康に付けば領地と立場が安泰となるなら家康側に付くでしょ
三成側に付くメリットが無い
家康は豊臣家臣団の内部抗争に便乗してうまく天下とったよな
家康以上の人物が関ヶ原の時点で誰も居なかったんだよな
なるべくしてなったから戦国三英傑なんだろな
俺は家康嫌いだが

80 :人間七七四年:2018/04/07(土) 19:52:54.45 ID:k59yEuRe.net
本戦の内容はともかくとして伍するだけの兵力が集まってるやん?
本当に家康につけば地位も領土も安泰なら、そもそも戦にまでならずに三成を捕縛して終わってるのでは?

81 :人間七七四年:2018/04/07(土) 19:56:29.76 ID:lWxpVVTl.net
>>80
毛利輝元が乗って来なきゃ三成捕縛で終わってただろうね

82 :人間七七四年:2018/04/07(土) 20:33:49.06 ID:6RHez8Y0.net
>>79
結果を知ってるから言えるんだろ

83 :人間七七四年:2018/04/07(土) 21:00:41.56 ID:hE3WMHpF.net
>>79
一方的、と簡単に言ってはダメだよ
家康が徹底的に調略して足場かためた上での関ヶ原だから
間抜けな西軍のような行き当たりばったりではない

84 :人間七七四年:2018/04/07(土) 21:14:14.41 ID:2sJgZlIt.net
一応上杉が受けたから

85 :人間七七四年:2018/04/07(土) 21:35:28.82 ID:L9PGWIWK.net
上杉が徳川を追討していたら失敗していたかもしれないじゃないか

86 :人間七七四年:2018/04/07(土) 21:40:45.32 ID:hE3WMHpF.net
追討しても成功するのが確定じゃないし

87 :人間七七四年:2018/04/07(土) 21:43:32.13 ID:lWxpVVTl.net
上杉は口ではともかく行動では「徳川に一切手を出しません!」という姿勢を貫いた

88 :人間七七四年:2018/04/07(土) 21:49:15.25 ID:L9PGWIWK.net
>>82の言う通り結果が分かってるから言えることだね

89 :人間七七四年:2018/04/07(土) 22:00:03.69 ID:lWxpVVTl.net
むしろ結果を知らないでここに書き込んでるやつなんて居るのか?

90 :人間七七四年:2018/04/07(土) 22:04:00.35 ID:1SgpkHWo.net
>>85
上杉は背後の最上や伊達をなんとかして関東に注力できる状態にしないと
残された結城秀康の軍勢を突破できるかどうかも怪しいからね
上杉が家康の背後を襲うなら佐竹の全面協力くらいないときつい

91 :人間七七四年:2018/04/07(土) 23:23:24.78 ID:FHK6aYP0.net
いやさ最近の研究だと西軍は圧倒的に不利な状況下で東軍とぶつかって二時間弱で戦が終わったみたいよ
確かに結果を知ってるから言えるけど三成も大したもんだと評価してる
歴史は勝者の都合の良い様に書き換えられるが三成は奸賊とは江戸時代になってないよね
徳川光圀も言ってる 三成の子供は命はとられなかったし三成の孫(津軽信義)は津軽藩主だから三成の血統に対して幕府はかなり寛大だったとは思う
それだけ石田三成が立派だったんだと思うよ

92 :人間七七四年:2018/04/07(土) 23:38:04.95 ID:FDDggnve.net
関ヶ原後の家康と本多正信の逸話からすると
結果的に三成のおかげで徳川の天下になったんだし
子孫に徳川に対抗するほどの影響力も実力もないから族滅までするには及ばないと考えたのかもな

93 :人間七七四年:2018/04/08(日) 01:41:51.52 ID:ALReYLre.net
いやだって石田家自体はすでに家督を息子に譲ってるし、上杉討伐に息子が従軍してるわけで…

94 :人間七七四年:2018/04/08(日) 03:46:55.06 ID:VZq58Bfd.net
>>93
三成の息子? 誰よ? 重家は大坂城に人質だったし 弟重成も大坂城だが…

95 :人間七七四年:2018/04/08(日) 04:05:57.97 ID:B7Ts1GnS.net
石田三成の息子だからって危害を加えるようなら
家康は三河一向一揆に加わった連中なんて生かしちゃおかんだろ
例外は孕石元泰くらいなもんだ
まだ戦国の気風が残ってるような時代なら本人に功名が有るとか将来性があるとかで見込みがあれば
出自や前歴に多少瑕があっても出仕の道はあるもんよ

96 :人間七七四年:2018/04/08(日) 08:58:57.18 ID:QtOu9cUl.net
>>91
石田家に対しては厳しくなかったのかもしれないけど、
豊臣家を裏切った加藤家福島家に対してはむちゃくちゃ厳しかったな。

97 :人間七七四年:2018/04/08(日) 09:05:37.15 ID:hxZZUkue.net
加藤はともかく福島は後に高級旗本として家を再興させているな

98 :人間七七四年:2018/04/08(日) 09:12:56.29 ID:INj2p08m.net
加藤は復帰を辞退じゃなかったっけか

99 :人間七七四年:2018/04/08(日) 09:20:33.43 ID:sBG2eDAg.net
>>91
そもそも三成が西軍で重きをなしていなかったからだよ
何故か西軍といえば三成みたいになっちゃってるけど

>三成は奸賊とは江戸時代になってないよね

それは三成に限らずな

100 :人間七七四年:2018/04/08(日) 09:44:17.23 ID:6MzSbAci.net
笠谷によると加藤家も福島家も徳川の陰謀ではなく
自滅らしいけど

101 :人間七七四年:2018/04/08(日) 10:14:25.96 ID:LJWeOE0w.net
>>93
よく勘違いされているが、石田家の家督を持っているのは兄の正澄であって三成ではない
秀吉も石田家当主を正澄として扱い、通字の正を名乗らせた上で正澄のみ豊臣姓を下賜している
だから三成が石田家の家督を譲ることは兄を殺さない限りできない

102 :人間七七四年:2018/04/08(日) 11:06:26.96 ID:QtOu9cUl.net
>>100
お家騒動起こっても大名として存続してる家も多数あるのに、加藤福島は厳しかったよね。

103 :人間七七四年:2018/04/08(日) 11:28:34.04 ID:kTJSjRRG.net
福島家の改易顛末は、広島城無断修築だが、大御所死去後、江戸の年寄・本多正純に通知・承諾を得たが、
既に正純が昔日の権力がないことを二人して知らず、2人ともはめられたという考えもある

104 :人間七七四年:2018/04/08(日) 11:35:29.04 ID:ELKpTekd.net
>>102
加藤は家中の内紛が酷すぎて幕府の介入があっても収まらないし、
福島は幕府の不問条件を無視して秀忠っがキレた

105 :人間七七四年:2018/04/08(日) 11:49:04.81 ID:+NGOObSg.net
福島両加藤で厳しいと言えるのは熊本加藤だけ
それでも家光への代替わりで将軍幕府ともピリピリしてるとこに謀反ごっこという
後世から見ても内容タイミングとも潰されて当然じゃねと言った感じ

106 :人間七七四年:2018/04/08(日) 12:29:32.90 ID:tBbdUEUk.net
>>101
そういやそうだ
三成は石田家継げなかったから外にだされてたんだっけ

107 :人間七七四年:2018/04/09(月) 08:11:01.84 ID:Dt0xLBLq.net
加賀前田家はついにつぶせなかったけど、幕末の行動みたら、前田家をつぶさんでもよかったと思える
毛利、島津はなんとしてもつぶしておくべきだったのは260年後に証明されてしまった

108 :人間七七四年:2018/04/09(月) 08:30:27.19 ID:YURP8jsd.net
>>107
どうだろうね
島津や毛利を潰していても結局は他の藩が代わりを務めているんじゃないかな?
下手したら身内の水戸とか

109 :人間七七四年:2018/04/09(月) 09:13:36.75 ID:q0UwRAST.net
>>108
毛利がいなかったら明治維新は遅かったと思うよ。
あそこの藩はがむしゃらに倒幕活動してたから。

110 :人間七七四年:2018/04/09(月) 11:52:18.64 ID:rE+H8Rtm.net
水戸は内輪もめで終わってしまったからな

111 :人間七七四年:2018/04/09(月) 19:17:01.77 ID:ujGu0T70.net
>>109
毛利は幕末までは大人しいもんだったよ

112 :人間七七四年:2018/04/09(月) 19:18:11.21 ID:ujGu0T70.net
幕府は最後は島津に助けられた面もある
篤姫なんかもそう

113 :人間七七四年:2018/04/09(月) 20:53:04.52 ID:PJuC4mAs.net
>>111
そりゃ主張できる立場じゃないしね
徳川弱体化まで身動き出来るような立場ではないわけで。
アナゴ飯がどうとか、それは現代の評価基準

114 :人間七七四年:2018/04/09(月) 21:58:53.17 ID:HV5guyNE.net
>>111
第二次長州征伐は凄かった。

山口県 対 日本全国

守るだけかと思ったら、小倉城占領、浜田城占領だからな。

115 :人間七七四年:2018/04/10(火) 07:11:56.11 ID:hWhVc/mi.net
>>114
幕府側にまともに戦おうとする藩がろくにおらんかったしね
内ゲバや報復人事による粛清の連続
長州もそうだけど、こんなことやってる藩が大半だったんじゃないの?

116 :人間七七四年:2018/04/10(火) 10:00:33.90 ID:abexPK/Q.net
関ヶ原の戦いの時に大坂城には兵力はどれ位居たの? 毛利輝元ね

117 :人間七七四年:2018/04/10(火) 21:27:24.16 ID:9rQAgyp8.net
毛利とかは関ヶ原に秀元や広家、恵瓊を派遣してた上に
西国にも出兵した等から大坂にはたいして兵いなさそうだな

118 :人間七七四年:2018/04/11(水) 04:19:46.16 ID:DkXoBzgO.net
一説には、まことが統合失調症だからである
統合失調症は、矛盾しているらしい

119 :人間七七四年:2018/04/11(水) 12:02:19.62 ID:ILBOsXwU.net
三奉行も大坂に残っていたのは増田くらいか?

120 :人間七七四年:2018/04/11(水) 12:46:24.44 ID:ltV4WbE6.net
増田や玄以は徳川に通謀していたのだ

121 :人間七七四年:2018/04/11(水) 18:17:20.70 ID:7QgbW78G.net
>>117
大津にも1万くらいいたぞ

122 :人間七七四年:2018/04/11(水) 22:20:30.62 ID:d57KfYn6.net
>>119
玄以も残っていたはず。玄以は所領安堵で長盛は改易だけど
ただ長盛の家系は嫡男は大坂の陣で豊臣に加勢して戦死だけど
その弟の家系が存続したんだっけか

123 :人間七七四年:2018/04/15(日) 10:22:16.75 ID:mFrKc3PZ.net
奉行の中では長束は小説等では扱いが悪いが、
積極的な印象があるな

124 :人間七七四年:2018/04/16(月) 09:18:29.81 ID:9MA+ZzE9.net
奉行連中は動員兵力大したことないから合戦になると軽視されちゃうよね

125 :人間七七四年:2018/04/16(月) 22:16:08.30 ID:pLdcCTc2.net
玄以や長束の五万石は兎も角、増田は二十万石、三成は十九万四千石で
黒田や細川、池田や蜂須賀、田中や加藤嘉明とかより上なわけだが

126 :人間七七四年:2018/04/16(月) 22:40:36.69 ID:O7VqgS6X.net
だからどうした

127 :人間七七四年:2018/04/17(火) 11:19:50.11 ID:KksSekEF.net
マジで黒田孝高の中津が12万石しかないとでも思ってんのか?

128 :人間七七四年:2018/04/17(火) 11:26:10.82 ID:rSp1t0kk.net
黒田官兵衛が天下を取っていたらそれなりに面白い展開があったかも知れない

129 :人間七七四年:2018/04/17(火) 12:14:16.98 ID:L1gupTdC.net
官兵衛は寿命がな。
あの時点で残り少なかったから、どうかな。

130 :人間七七四年:2018/04/17(火) 12:53:28.57 ID:Gfj3878W.net
>>125
動員兵力はそれなりでも指揮するのが増田や三成じゃ豚に真珠もいいとこ
もっとも兵に真珠が居たわけでもないが

131 :人間七七四年:2018/04/17(火) 13:05:07.60 ID:fyDRNHM3.net
如水に寿命が長くあって関ヶ原が膠着状態になったらどうなってたかはif話だが見てみたかったかな 九州の兵を率いて薩摩に攻め込む予定だったみたいだけど薩摩は抗戦しただろうか? 庄内の乱でかなり疲弊してたから降伏もあったのかな?

132 :人間七七四年:2018/04/17(火) 13:28:01.43 ID:fyDRNHM3.net
島津義弘が薩摩に寡兵で帰国する時に立花宗茂の軍勢とたまたま道中一緒になって立花宗茂が過去の遺恨は無い!みたいな事を言って九州に二人帰ったが柳川城は黒田加藤鍋島に攻められて清正の必死な勧告で開城したけど…島津義弘は柳川に援軍で行ってるよね?
なんで立花宗茂はあの堅固な柳川城で籠城して島津義弘の援軍を待たなかったのかな ちゃっかり島津攻めの先鋒してるし この辺詳しい人居るかな?

133 :人間七七四年:2018/04/17(火) 14:18:21.39 ID:SShPzoJ3.net
黒田ならばシマヅを調略できたかもな

ただし義久は兵を出さない

134 :人間七七四年:2018/04/17(火) 14:18:33.39 ID:jYAi+YL1.net
宗茂も大軍の篭る大阪城でならともかく孤立無援の柳川で徹底抗戦する気はないんだよ
だから大坂を退去した後に家康に謝罪の使者を派遣している
でも勝ち目のない敵に攻められたからってすぐ降参するのは武士の名折れだから
とりあえず抗戦して頃合を見計らって和議に応じたって形

135 :人間七七四年:2018/04/17(火) 14:36:57.97 ID:VijYUqPa.net
過去の経緯はともかくきちんと援軍出すのは義を重んじるすぐれた姿勢だと思います、間に合わなかったけど

136 :人間七七四年:2018/04/17(火) 14:39:19.42 ID:RqWlwqzo.net
江上八院合戦の和睦交渉が10月25日に成立後宗茂はすぐ開城。更に島津攻めの先鋒を務めることを承諾。26日には宗茂の母を人質に上洛させることを決めてる。これらが和議成立の条件だったから先鋒も応諾したんじゃないかな

137 :人間七七四年:2018/04/17(火) 19:58:58.47 ID:fyDRNHM3.net
皆ありがとう。けど援軍に来た島津義弘ともし交戦したら立花宗茂は後世における評価が変わりそう
島津義弘に投降を呼びかけるかもしれないか
ifは無いが関ヶ原本戦よりも地方の戦いのが楽しかったりする

138 :人間七七四年:2018/04/17(火) 20:06:12.23 ID:4nUwH5+r.net
>>132
美談はねつ造レベルで作られるので

139 :人間七七四年:2018/04/18(水) 17:18:37.52 ID:YAKb3vVs.net
宗茂って、母親を人質にして島津攻めの先鋒も承諾したのに改易になったのか!
(あとで復活するけど)

140 :人間七七四年:2018/04/18(水) 23:04:25.15 ID:8PlyhiZB.net
宗茂ってマラソンランナーかw

141 :人間七七四年:2018/04/18(水) 23:11:02.77 ID:Ec4i3WfN.net
孤高の長距離ランナー立花飛騨

142 :人間七七四年:2018/04/19(木) 20:37:36.57 ID:RcxZd4B9.net
家康が自民党で西軍が今の野党連中とみたら想像出来るだろ、

143 :人間七七四年:2018/04/19(木) 21:02:22.99 ID:jEFhwCoD.net
そんな感じだね

144 :人間七七四年:2018/04/19(木) 22:07:24.68 ID:1mF8T03H.net
家康って関ヶ原の時は周りからの受けは悪かったんか?

145 :人間七七四年:2018/04/19(木) 22:25:34.86 ID:xI60jzHK.net
畏敬はされてても、慕われてはいない感じがする

146 :人間七七四年:2018/04/20(金) 05:35:41.50 ID:0e/QLPcw.net
慕われる必要もないだろ

147 :人間七七四年:2018/04/20(金) 23:21:57.26 ID:MBOvFKkE.net
>>144
それは三成に対して投げかけることだろ

148 :人間七七四年:2018/04/21(土) 11:47:32.09 ID:xyXavDdF.net
幾ら何でもそんなことに普通に噛み付くか
親を三成にでも殺されたのか?

149 :人間七七四年:2018/04/21(土) 12:01:24.17 ID:1zzhJ7rB.net
噛みつくんだったら、しっかり

150 :人間七七四年:2018/04/21(土) 12:51:27.84 ID:3iVgGOdd.net
じゃあボイスレコーダーで…

151 :人間七七四年:2018/04/21(土) 17:03:09.25 ID:UW4lyGQg.net
だって三成クソじゃん
やること為すこと

152 :人間七七四年:2018/04/21(土) 20:38:08.86 ID:hzGrtuqy.net
>>148
むしろ何でそこまで三成に過剰に反応するのか
親に三成は神様だと教え込まれて育ったのか?

153 :人間七七四年:2018/04/21(土) 21:10:34.59 ID:ZEYIeq9W.net
三成のアンチって、そこかしこに湧くよな。

154 :人間七七四年:2018/04/21(土) 22:09:35.00 ID:ar7diAx8.net
別に全肯定しなきゃいけないわけじゃないしな
批判の余地は十分ある人物だし

155 :sage:2018/04/21(土) 22:49:50.00 ID:ZEYIeq9W.net
>>154
151を読んだ上で批判の余地とかwww

156 :人間七七四年:2018/04/21(土) 23:11:02.84 ID:ar7diAx8.net
批判の余地が有る人物にはアンチが沸くのは当然の理屈でしょ
アンチが沸かないほうがおかしい

157 :人間七七四年:2018/04/22(日) 00:31:21.71 ID:o4LrNAyQ.net
統計パティーン再登場

158 :人間七七四年:2018/04/22(日) 01:54:11.44 ID:bOx+8pNW.net
三成がクソなのは変わらないわけで

159 :人間七七四年:2018/04/22(日) 04:52:15.95 ID:k27pWzi8.net
(まことは、オレ様に嫉妬しているのか)

まことの誹謗中傷は的を得ていなく、オレ様の書き込みが
ただ、気に入らない感があった

160 :人間七七四年:2018/04/22(日) 07:06:05.86 ID:ASqbMwJP.net
首謀者が別人説を唱えない限り三成が最大の戦犯なのだから
三成が叩かれるのは当然だろう

161 :人間七七四年:2018/04/22(日) 12:46:07.65 ID:AKLJG7Zt.net
三成がやったことは基本的に秀吉ありきのことばかりだし、秀吉死後結果も出せてない

無能と言われて当たり前

162 :人間七七四年:2018/04/22(日) 13:10:44.02 ID:m6wl5LcE.net
真田に宛てた書状を見ると上手くいっているときは思い切り調子に乗り
増田に宛てた書状を見ると行き詰まると思い切り愚痴っぽくなるとか
人間らしくていいと思えるところもあるが

163 :人間七七四年:2018/04/22(日) 19:45:07.50 ID:o4LrNAyQ.net
逆境に弱いあたりエリートっぽいね

164 :人間七七四年:2018/04/22(日) 19:49:05.13 ID:D9SLBEnS.net
むしろ逆境に飛びいこんだ

165 :人間七七四年:2018/04/22(日) 19:56:16.23 ID:zPpQb2+s.net
無能だからそのまま滅亡した

166 :人間七七四年:2018/04/23(月) 22:16:55.04 ID:DGdheJqB.net
見通しが甘いだけだろう。だから想定外の事になるとどうしていいか分からず
愚痴るか八つ当たりするほか無くなるんだよ

167 :人間七七四年:2018/04/23(月) 23:57:52.53 ID:PLXJMG91.net
挙兵なんかしなくても佐和山で数年大人しくしてたら復権出来たかも知れないのにな

168 :人間七七四年:2018/04/24(火) 00:06:48.81 ID:hc+JUK3p.net
権力者と直接結びつくのと間に誰か挟んで間接的に結びつくのじゃ
できることが全く違ってくるから嫌だったんじゃない

169 :人間七七四年:2018/04/24(火) 00:34:01.66 ID:Qd+Euo80.net
復権は無理でも最低限の復帰程度なら認めてくれそうなのが家康

170 :人間七七四年:2018/04/24(火) 06:31:19.97 ID:mc3uJzKr.net
息子の出仕は認めていたしな

171 :人間七七四年:2018/04/24(火) 10:20:01.70 ID:V+GsKDkn.net
基本的に家がつづくなら三成は自分を殺して我慢すべきだったな

172 :人間七七四年:2018/04/24(火) 19:22:54.59 ID://0Ct9OG.net
家を取るか、
忠義を取るか、
だよね。

173 :人間七七四年:2018/04/24(火) 19:51:34.37 ID:AYcHC9q1.net
忠義は後からでもできるけど家がなくなったら何も出来ない

174 :人間七七四年:2018/04/24(火) 20:27:42.84 ID:GUu0zu2f.net
山内忠義

175 :人間七七四年:2018/04/24(火) 20:53:31.52 ID://0Ct9OG.net
>>173
家康に勝てば家も忠義も両立する。

176 :人間七七四年:2018/04/24(火) 20:56:42.03 ID:MzGre1lF.net
何をすることが豊臣を守る忠義になるのかを決めるのは最高権力者の証だからな
だからこそ家康も会津征伐が豊臣を守る忠義になることを決めるのに
秀頼の許可を取ったり朝廷に届け出たりして配慮を欠かさなかった
それなのに三成が何が豊臣を守る忠義になるのかを自分が決められるという態度を取れば
これは忠義とは名ばかりの天下人宣言になってしまう
三成は忠義を取ったつもりで豊臣簒奪を取ってしまった
これでは三成が負けて滅亡するのも仕方がない

177 :人間七七四年:2018/04/24(火) 21:17:53.33 ID:p9QxjxJL.net
忠義とか言って三成の挙兵は単なる自家の盛りたてでしかない

178 :人間七七四年:2018/04/24(火) 21:30:31.34 ID:8BL0UyC8.net
何で知将だの義将だの持ち上げられるのか分からん
知将と呼ばれるだけの実績はないし、義将と呼ばれるほど
関ヶ原は豊臣のために戦ったとは思えん

179 :人間七七四年:2018/04/24(火) 22:08:23.87 ID:ZqzhFfys.net
三成は豊臣じゃなくて秀吉に報いたかったんじゃないのかなと思う
家康を除けば、結果として豊臣家は永らえる

180 :人間七七四年:2018/04/24(火) 22:54:44.69 ID:ymkPrtK/.net
関ヶ原ってのは単純に豊臣政権内の派閥、権力争いなんよ
タカ派の家康が勝ったのだから政治をする場合、新たに幕府を作って構造を変えないといけない
五奉行の政治を否定したんだから

181 :人間七七四年:2018/04/24(火) 23:17:40.47 ID:MzGre1lF.net
否定も何も
そもそも五奉行はあくまで官僚であって政治を担当するわけじゃない
秀吉から執政権を与えられているのは家康であって
五奉行は官僚として補佐するように命じられたに過ぎない

三成たちが欲をかいて家康を排除して自分たちで政治権力を握ろうと企てて
豊臣政権もろとも自爆しただけだ

182 :sage:2018/04/25(水) 09:17:43.27 ID:poU525LK.net
>>179
同意。
軍事的能力は皆目無かったけど、秀吉に対する忠義は本物だったんだろう。

183 :人間七七四年:2018/04/25(水) 09:35:37.93 ID:Vxhv+vaf.net
自己簡潔した忠義にすぎない

184 :sage:2018/04/25(水) 10:14:50.99 ID:poU525LK.net
>>183
誇らしげに誤字してるような低脳が、人の忠義を語るとかw

185 :人間七七四年:2018/04/25(水) 10:54:02.42 ID:bzZzbW6u.net
簡単に語ったんだろw

186 :人間七七四年:2018/04/25(水) 12:20:14.87 ID:qDCozyEk.net
ただしくは事故完結

187 :人間七七四年:2018/04/25(水) 17:59:15.54 ID:QpIyVweP.net
石田三成は西軍首脳グループNo.6ぐらいのポジションなのになんで事実上の総大将だの敗戦責任者だのといった扱いをされるんだろうね

188 :人間七七四年:2018/04/25(水) 18:36:38.47 ID:Jcj9W998.net
嫌われ者だから皆からあいつのせいだ、とされたとかな

189 :人間七七四年:2018/04/25(水) 20:23:45.97 ID:qzP+grTc.net
事実上総大将だから

190 :人間七七四年:2018/04/25(水) 20:50:55.00 ID:xoFhV4rc.net
関が原の合戦については従犯かもしれないけど
秀吉死後の政局の家康と並ぶもう一方の主役だし

191 :人間七七四年:2018/04/25(水) 21:11:03.47 ID:6CB1aaf0.net
本当は輝元が主犯だけど、家康と謀って三成を主犯にしたてあげたって書き込んでるのが少し前に暴れてたね

192 :人間七七四年:2018/04/25(水) 21:41:56.13 ID:10zwErgB.net
事実上西軍の総大将だが、たった19万石であることを忘れるなーっ

193 :人間七七四年:2018/04/25(水) 22:59:58.90 ID:LSGAVjtR.net
>>187
三成は自分が豊臣政権ナンバー2、秀吉死後は自分が一番というプライドが誰よりも高かったからでしょ
良くも悪くも三成のエゴの強さが関ヶ原を作ると同時に西軍の敗北も作ったわけだし

194 :sage:2018/04/25(水) 23:06:23.80 ID:poU525LK.net
>>193
こういう断定しちゃう奴って、どんな妄想世界で生きてるんだろうか。

195 :人間七七四年:2018/04/25(水) 23:14:36.26 ID:NDVI95gn.net
>>187
仮に西軍勝利で終わり戦後処理の為西軍首脳で会議をするとします。
席次的に1が総大将の毛利輝元、2が上杉景勝、3が宇喜多秀家、その次ぐらいで初めて
三成が検討されるくらいの立場ですね。
まあ、会議には呼ばれるだろうけど、大体ナンバー5ぐらいでしかない。

196 :人間七七四年:2018/04/26(木) 00:22:59.35 ID:tjdbpr2O.net
その場合奉行職を退いた三成よりも現職の増田長束前田のほうが格上扱いされるかもしれんですね

197 :人間七七四年:2018/04/26(木) 07:54:52.10 ID:mrdQ6Jpy.net
決起の立案、勧誘を行ったからだろう

198 :人間七七四年:2018/04/26(木) 19:56:31.87 ID:wPXBvn7H.net
>>194
三成は忠義を尽くすために戦ったと断定しちゃう奴の方が
妄想の世界で生きていると言えるんじゃないの?

199 :人間七七四年:2018/04/26(木) 20:18:07.51 ID:ohb6iDhO.net
田中さんも福田さんも三木さんも既に総裁になられとるようであります。だとすると、たった一人まだ残っておるものがぁ、おるようで、ございます

200 :人間七七四年:2018/04/26(木) 21:15:21.39 ID:kFKerk7b.net
三成は情けないほど自分のことしか考えてないよな
すこしは豊臣のことを考えてみたらあんな愚挙にはでない

201 :sage:2018/04/27(金) 08:52:09.92 ID:xTN352T7.net
おっ、ほとぼり冷めたと思って、誇らしげ誤字君が再登場。

202 :人間七七四年:2018/04/27(金) 13:32:08.25 ID:el9WyIw7.net
重要自演キャラの自爆は、過去にも遡る
だから、まことは、それを認められなかった

203 :人間七七四年:2018/04/27(金) 21:43:59.55 ID:fWk9X/6G.net
杉浦重勝を知る者来たれ

204 :人間七七四年:2018/04/27(金) 22:27:36.32 ID:gSI1c2s2.net
三成の自負心は実力が伴わないものだからなぁ
輝元も坂西の儀任せられたと自負していたみたいだけど
輝元の場合それを裏打ちする国力があったし

205 :人間七七四年:2018/04/27(金) 23:27:05.28 ID:4OYKKlpw.net
毛利家って毛利宗家以外に小早川家や吉川家や安国寺家とか含めたら全体で石高いくつくらいになるの? 200万石は行くよね? なら動員兵力も相当だよね

206 :人間七七四年:2018/04/27(金) 23:39:14.92 ID:4OYKKlpw.net
http://sengokutan9.com/sengokukassen/sekigaharazengokokudaka.html
自己解決 200万石以上あるな
てか豊臣家って西軍なの?

207 :人間七七四年:2018/04/28(土) 01:48:10.11 ID:bcvVw8bM.net
>>206
恩賞って大義名分で領地削られたって奴だね。
まあ、昔からよくある話でね。
春秋戦国の三晋なんか典型、元々は六卿の勢力が強大で公室が弱いくらいだったんだけど。
分家の祁氏や羊舌氏を六卿に滅ばされ、更に范氏と中行氏を残りの四氏が滅ぼし分割、公室に
領地返還するの筋だから晋君が怒り逆に四氏に追い出される。
最大勢力の智氏はまるごと乗っ取るつもりだから、更に晋君を建て残りの韓魏趙を圧拍。
晋陽の闘いで逆転され、智氏は滅亡残りの三氏は晋君の都の絳と曲沃のみ残して分割。
これで、韓、魏、趙が事実上独立、晋君は飾りにとかね。
実質、豊臣家西軍なのに旗本を動員してないの馬鹿だよね。

208 :人間七七四年:2018/04/28(土) 03:26:03.51 ID:8N2siFcO.net
白峰氏の本とか最近の研究では

1、小早川が松尾山占拠して裏切りが確定した。
2、すると大谷隊が危ないから夜8時頃に石田や宇喜多勢は大垣城の廓を焼き払って
夜通しで大谷を助けに出発。
3、その動きを察した福島隊や黒田隊が後を追う。
(代わりに家康が福島黒田が居た場所に移動して大垣城や毛利勢に対峙する)
4、朝8時位に「山中」という場所に付いた西軍が陣を張ろうとしてる所へ福島らが討ちかかる。
それを松尾山で見ていた小早川も
大谷隊の背後から討ちかかる。
5、西軍パニクって2時間くらいで決着。

こんな流れだったかな。

209 :人間七七四年:2018/04/28(土) 03:38:19.94 ID:8N2siFcO.net
西軍勢が大垣城を捨てて大谷隊を助けに夜出発した事について、
一次資料には
「佐和山への二重引きをする覚悟」
とだけ書かれていて、白峰氏も二重引きの意味はわからない、とする。

しかし結果的にその動きが敗北につながった。

小早川が松尾山を抑えたのはGJだったようだ。

210 :人間七七四年:2018/04/28(土) 06:47:24.92 ID:J5DFvVYf.net
>>204 三成の地位は実力で獲得したものだが輝元は生まれながらの皇帝みたいなものでボンボンだからな

211 :人間七七四年:2018/04/28(土) 07:08:31.10 ID:RgCKd3Qt.net
殴られて育つようじゃあかんのやな

212 :人間七七四年:2018/04/28(土) 09:22:10.35 ID:bJsEKlfH.net
白峰説は瞬殺じゃなかったのか

213 :人間七七四年:2018/04/28(土) 10:07:52.64 ID:mjB4nD/j.net
白峰氏は家康の功績を過小評価している時点で、
関ヶ原研究では既に一世代前の人

214 :人間七七四年:2018/04/28(土) 10:24:39.10 ID:bJsEKlfH.net
白峰は妄想を唱える時点で却下
指摘は面白い

215 :人間七七四年:2018/04/28(土) 12:37:57.22 ID:iAGFiMkt.net
実際はどうだったんだろね
笹尾山の石田三成陣所は無かったのは歴史家の総意なの?

216 :人間七七四年:2018/04/28(土) 12:49:04.79 ID:l+Pbl0r/.net
総意ではないと思うけど
瞬殺説はどなったのかね

217 :人間七七四年:2018/04/28(土) 12:52:54.93 ID:l+Pbl0r/.net
三成は今で言うと非正規から超大企業の取締役に

輝元らは世襲で社長に
実力ゼロではないが

218 :人間七七四年:2018/04/28(土) 15:55:51.29 ID:TEp4Dlih.net
白峰説は関ヶ原の戦い当日の動向に関しては今後受容されていくと思う。
ただその白峰説も不完全で流動的だから議論が深まっていく事を期待する。

一方で通説の論拠になっている史料の精査がもっと必要な気がする。
白峰の問鉄砲についてアプローチのように紐解いて整理する必要がある。
通説をなかった事にして一次資料で議論すると言うのはあまりに無理がある。

219 :人間七七四年:2018/04/28(土) 16:33:15.66 ID:mjB4nD/j.net
通説の源流が合戦翌年には成立していた『太田和泉守記(内府公軍記)』なので、
この点を指摘すると多くの論者は見て見ぬふりをする

220 :人間七七四年:2018/04/28(土) 17:45:40.69 ID:y+2NH9h/.net
白峰の影響受けたのか>>71みたいな本も出るくらいだからな

221 :人間七七四年:2018/04/28(土) 18:10:40.03 ID:8N2siFcO.net
別な説だと大垣城の攻防がメインだったというのもある。

何故、大谷が危ないからといって
大垣城を捨てたのが最大の謎だなぁ。
大谷を大垣城に迎えるんじゃダメだったのか。

222 :人間七七四年:2018/04/28(土) 18:28:43.54 ID:8N2siFcO.net
やたら通説に固執する人もいるよね。

単にいままで信じてきた説を
否定されるのが嫌なだけの人。

自分で資料調べたわけでもないのに
通説と違う説はほとんど
トンデモとかで片付けて自分が正義かのように振りまく人。

223 :人間七七四年:2018/04/28(土) 18:41:59.27 ID:fECi5bds.net
>>221
後方を遮断されるのが不味いってことじゃね?
で、不用意に動いて捕捉され、やむなく決戦になるが短時間で敗北
堂々と会戦したにしては一方の負けっぷりがひどすぎるし

224 :人間七七四年:2018/04/28(土) 19:35:46.71 ID:lYe2etor.net
>>14>>15を見る限り、早期にけりは付いたみたいだけど

225 :人間七七四年:2018/04/28(土) 20:29:19.45 ID:mnIcx2kk.net
>>223
わたしもそう思う。東軍は既に垂井周辺は押さえているわけで、
これに東軍の疑いが強い小早川秀秋が松尾山を占拠した。
この状況下で、小早川単独、あるいは赤坂の東軍と合流して山中村の大谷らが攻撃されれば
高確率で大谷らは壊滅し、松尾山及び山中村、垂井のライン、そして東軍が笹尾山方面の
北国街道も押さえれば
大垣の西軍は間道か伊勢経由でしか近江に行けなくなる。
そうなる前に小早川秀秋を叩いて脅威を除こうとしたらその動きが東軍にばれて
会戦(遭遇戦)になってしまった、あたりかな?

226 :人間七七四年:2018/04/29(日) 01:46:42.24 ID:KAi50ctC.net
垂井・赤坂の東軍ラインと山中・松尾山・南宮山・大垣の西軍ラインで膠着していた。
そこに松尾山に小早川秀秋が入った事で松尾山・垂井が連携して孤立した山中を攻撃する体制が
できたと同時に赤坂に徳川家康が入って戦力バランスが大きく変わった。

大垣城を水攻めにされて身動きが取れなくなる事を恐れたのと山中の後詰をする事を目的として
西軍は大垣城から山中方面へ戦線を後退させようとした。
だが赤坂に徳川家康の大軍がいて大垣城や南宮山付近にも戦力を分散せざるを得なくなり
結果的に各個撃破されてしまったと言う流れだと妄想する。

227 :人間七七四年:2018/04/29(日) 11:14:35.21 ID:0AXdNiy8.net
一対一の戦いではないので瞬殺は無理かと

228 :人間七七四年:2018/04/29(日) 14:59:16.89 ID:Uzg/5j0h.net
>>206
関ヶ原の戦いが有名すぎるけど本能寺の変と清須会議以後の織田弾正家(つまり三法師)も蔵入地が三万石まで削られてる。
それに比べたら65万石も残してもらえただけまだかわいい方だよ。

229 :人間七七四年:2018/04/30(月) 12:11:31.91 ID:CxdtymDM.net
>>71
読んだけどおもしろかったよ。

西軍のバラバラっぷりが泣ける。
安国寺恵ケイ
石田三成
吉川広家
この三人がそれぞれ勝手に動いて
連携もしないし
そりゃ負けるよな、って内容だった。

230 :人間七七四年:2018/04/30(月) 12:15:37.41 ID:Rl8ev0lo.net
東軍の家康支持も鉄壁ではなかったとも書かれてるらしいけどそれ以上にバラバラなら当然負けるわな

231 :人間七七四年:2018/04/30(月) 12:38:13.84 ID:kAk/5Mjz.net
というか吉川は東軍
小早川も東軍

232 :人間七七四年:2018/04/30(月) 14:17:37.79 ID:UtE9No3p.net
そうだよな、裏切りなんてもともと無い
東軍に偏重しただけの戦

233 :人間七七四年:2018/04/30(月) 15:38:03.65 ID:10GrF+En.net
時間がなかったにせよ、
小早川が裏切って松尾山陣取った事が
三成周辺にしか伝わらず、
三成は他の西軍勢に連絡なしに
仲良し勢と小早川撃退に大垣城を出た。っていうのがなんともはや...。

しかもそれが西軍内でも撤退に見られて
士気激減とかもうね。

234 :人間七七四年:2018/04/30(月) 20:33:10.72 ID:UtE9No3p.net
いや東軍についてるのは周知の事実だったが他の武家もにたりよったりだったから触れるに触れられなかっただけ

235 :人間七七四年:2018/04/30(月) 20:45:09.86 ID:CmEiMpvu.net
可能性としてはヤバイ事件だったんで秘密裏に処理しようとして
逆目に出たってことか
そもそも戦争屋じゃないしな

236 :人間七七四年:2018/05/03(木) 12:56:37.74 ID:ASv+YwC3.net
家康暗殺計画が家康と茶々の縁談を潰す為というのは面白いな

237 :人間七七四年:2018/05/03(木) 21:57:19.38 ID:NoqMPUXW.net
>>71
西軍本部の総指揮が増田長盛だったり、南宮山の大将が恵瓊と正家だったり
島津の家康本陣の突撃がなかったり、三成が西軍に吉継を誘ったんじゃなくて
吉継が三成を西軍に誘ったんじゃないかとか、興味深かったな

238 :人間七七四年:2018/05/04(金) 12:12:59.22 ID:dDzo9e5v.net
西軍本部の指揮が輝元でなく増田長盛だったり
南宮山の指揮が秀元や広家でなく恵瓊と正家だったとしたなら
毛利は名ばかり大将として自分たちのブランドを一方的に利用されていたということになる
これでは嫌気がさして離反するのも仕方がないだろう

239 :人間七七四年:2018/05/04(金) 16:38:18.87 ID:ClaWpsot.net
>>71
一番面白い関ケ原の戦い本だと思う。

240 :人間七七四年:2018/05/04(金) 19:57:44.55 ID:tHGA+0/w.net
吉川は、もう岐阜城陥落あたりから
西軍の不甲斐なさを嘆いて
戦う気が失せてたみたいだね。

241 :人間七七四年:2018/05/04(金) 21:03:30.80 ID:laOPmTpz.net
吉川らは戦前から東軍
小早川も

242 :人間七七四年:2018/05/04(金) 21:31:35.54 ID:o7Jbe2Qd.net
西軍って形になってたのかも疑問

243 :人間七七四年:2018/05/04(金) 22:51:38.54 ID:uowq22/z.net
その一方で清正が七将襲撃事件後に三成に対しての処分の甘さに不満を抱いて
利長や忠興、黒田長政、浅野親子、政宗達と反家康の血盟をしたが、その連中が
揃って東軍に属しているのが何とも言えないね

244 :人間七七四年:2018/05/05(土) 02:25:53.63 ID:je8rVjGP.net
>清正が<中略>利長や忠興、黒田長政、浅野親子、政宗達と反家康の血盟をした

改易されたのおまえの息子だけやでって教えてあげたい

245 :人間七七四年:2018/05/05(土) 21:07:14.42 ID:wTlaA4tG.net
>>233
小早川撃退ってまるでカープ戦みたいな書き方だw

246 :人間七七四年:2018/05/07(月) 21:57:47.74 ID:r+7bb3+7.net
>>71
白峰や矢部みたく西軍寄りの内容かなと思ったが
そうでも無かったな

247 :人間七七四年:2018/05/11(金) 21:29:01.57 ID:jxx4CFN6.net
西軍が公儀だと言うのは構わないけど
それを当時の朝廷や世論、豊臣家などが
認めていたかどうかは、別問題だよな

248 :人間七七四年:2018/05/12(土) 11:57:04.51 ID:dkb60soa.net
西軍公儀を認めると、特に豊臣家本体からしたら主家を蔑ろにしてフザケンナレベルと思うが。

249 :人間七七四年:2018/05/12(土) 17:37:27.71 ID:MGJX2DMX.net
公儀ではないね
クーデター首謀者
勝てば新支配者

250 :人間七七四年:2018/05/15(火) 14:26:00.27 ID:V85bDXzQ.net
>>245
西軍には北別府やら衣笠やらもいるのかw

251 :人間七七四年:2018/05/15(火) 14:47:44.54 ID:AxCe8UPc.net
大谷はいたな
味方したくなるw

252 :人間七七四年:2018/05/15(火) 19:48:31.90 ID:7LDOT/Qs.net
カープの小早川って言っても2人居るけど
打撃を前田に教えて貰わなきゃならん方は
小早川家の末裔を名乗ってたよーな

253 :人間七七四年:2018/05/15(火) 20:41:19.36 ID:9ecyxv8d.net
前田, 黒田は東軍か

254 :人間七七四年:2018/05/16(水) 07:00:08.93 ID:TCnrwL5P.net
>>252
維新後に毛利宗家から人を入れて再興した方じゃね?

255 :人間七七四年:2018/05/16(水) 22:46:02.32 ID:ZntoAP/B.net
中沢啓治に関ヶ原描いてもらいたいw

256 :人間七七四年:2018/05/17(木) 06:45:17.38 ID:LrYKTIHr.net
>>252
その小早川家は毛利公爵家から分家した子孫だと思う。
ちなみに、毛利秀元の祖母(元就の側室)は小早川家分家出身で、現在の小早川家は秀元の女系子孫なので、小早川の血は流れている。

257 :人間七七四年:2018/05/18(金) 18:54:17.11 ID:2J3AwByh.net
関ヶ原の戦い後の話を詳しく知りたいんだけど
オススメの資料とかある?

258 :人間七七四年:2018/05/18(金) 22:02:21.96 ID:xeERsPD+.net
>>257
戦い後のどのへんかによる。
とりあえず通史系の本で関ヶ原〜大阪の陣辺りはいくらでもあるので、そのへん何冊か読んでみてはどうか

259 :人間七七四年:2018/05/18(金) 22:33:39.30 ID:2J3AwByh.net
>>258
直後の逸話?が知りたい
大谷の陣で評定したとか、秀秋が佐和山攻めたとか
そんな話

260 :人間七七四年:2018/05/19(土) 10:20:41.43 ID:T3Q/ZmFv.net
>>259
毛利が大阪城を退去する話とか、九州でのその後とか

261 :人間七七四年:2018/05/19(土) 10:33:27.43 ID:r7qifuJI.net
いろいろ批判も有る本だけど、基本的なことを知りたいなら「関ヶ原合戦と大坂の陣」でいいんじゃない?
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b33982.html

262 :人間七七四年:2018/05/19(土) 21:09:30.79 ID:93UCiWh9.net
関ヶ原直後を詳しくやってる書籍は思いつかん大日本史料でも漁ったほうがいいかも

263 :人間七七四年:2018/05/19(土) 23:03:50.19 ID:CQKPcrDQ.net
>>14にある
>十四日之夜五つ時分に大垣外曲輪を焼払、
>関ヶ原へ一所に打寄申候つる

この部分だけど、2点疑問があって、まずひとつは、外曲輪を焼き払うということは
少なくともしばらく、というか当分は大垣には戻ってこない作戦行動をとるつもりだということだと
思うんだがどうだろう?
一日くらいで戻ってくるつもりなら焼き払ったりはしないよね?兵の配置場所がなくなっちゃうから。
大垣を出て関ヶ原に行った目的は東軍の迎撃か小早川秀秋の撃滅かはわからんけど、
いずれにせよ一度防衛線を関ヶ原に下げるつもりだったんじゃないだろうか。
南宮山部隊をどうするつもりだったかはわからんが。

もうひとつは、夜5つは20時頃だよね? 当日の天候って小雨か雨だったよね?
雨降ってるのに焼き払えるんだろうか?
湿った木なんて全然燃えにくいと思うが。
ただ、栗原山の長曾我部陣の篝火を頼りに行軍したというなら、
篝火がついてるくらいなら外曲輪も燃えないことはない?
それか「焼き払う」というのは便宜上の文字なだけで、
実際は「破却しただけ」ということなのか。

ちょっとこの2点が疑問に思った。

264 :人間七七四年:2018/05/19(土) 23:17:05.77 ID:4CJCFEP1.net
徳川が私欲のために戦ったんだっけ?

265 :人間七七四年:2018/05/19(土) 23:25:10.40 ID:OurEJqep.net
うん

266 :人間七七四年:2018/05/19(土) 23:38:06.43 ID:Vjuyj8hb.net
>>263
焼いたのはある種の目くらましや決意の表明だと思う。

家康は依然として大垣城を
攻略する姿勢を示していたし。

だから雨で消えてもさほど問題なかった。
少しでも東軍をまどわせればよかったから。

267 :人間七七四年:2018/05/19(土) 23:55:45.00 ID:OurEJqep.net
本当に焼いたのなら、もう大垣は拠点として
重要性が低下したと判断したということ

以後は関ヶ原や佐和山が焦点となる

268 :人間七七四年:2018/05/20(日) 07:28:18.64 ID:Sn0j8CMN.net
>>264
何が私欲かなんて簡単に判断できることではないよ
奸臣を討伐して乱れた天下を統一するというのは私欲にあたらないし
奉行に返り咲くためなら何でもするというのは私欲以外の何物でもない

269 :sage:2018/05/21(月) 09:05:07.86 ID:fkf32ZGN.net
>>268
お前が三成叩きたさの余りに、簡単に私欲と判断してるじゃないかw

今回は誤字はないな。

270 :人間七七四年:2018/05/21(月) 18:30:20.49 ID:XkEb+Mna.net
三成を擁護できずsageの位置間違いを改めないことでしか意地を張れない無能

271 :人間七七四年:2018/05/21(月) 19:01:40.52 ID:kqXWIyv+.net
そもそも三成が首謀者かどうかさえ怪しい

272 :人間七七四年:2018/05/21(月) 19:20:53.97 ID:SpnXGdd5.net
誰が首謀者?

273 :人間七七四年:2018/05/21(月) 19:34:03.61 ID:eaP/cUQ1.net
三成

274 :人間七七四年:2018/05/21(月) 20:13:00.73 ID:nHB5zj2X.net
石田三成は頭が良くて志もあるけど「お前には人望がないから総大将は止めろ」と大谷吉継に言われた

275 :人間七七四年:2018/05/21(月) 20:13:20.38 ID:A4BhTcT7.net
輝元あたりじゃないか。秀吉の死後密約などの謀略的活動をしてたのは
家康じゃなくて、輝元の方だったらしいし

276 :人間七七四年:2018/05/21(月) 20:25:12.02 ID:wqN/uYeg.net
輝元と家康がぐるになって三成を首謀者に仕立てあげたって宣ってるのなら、過去に見たことある

277 :人間七七四年:2018/05/21(月) 20:47:58.56 ID:14KKaOvu.net
宇喜多秀家が合戦直後に捕まっていれば、秀家が首謀者に成ってただろうな

278 :人間七七四年:2018/05/21(月) 21:33:18.72 ID:SpnXGdd5.net
なるほど
本当は輝元が犯人だったけど三成を首謀者に

表舞台から外されて
家康を潰して来いって言われたのか

279 :人間七七四年:2018/05/22(火) 08:16:00.04 ID:8FEcMkoQ.net
アメフトネタ
ツマンネーヨ!

280 :人間七七四年:2018/05/22(火) 08:25:11.12 ID:McmypEvU.net
大谷が三成誘ったってのはガセ?

281 :人間七七四年:2018/05/22(火) 11:11:22.77 ID:kc9Dw5dT.net
大谷ってもともと家康派だよね

282 :人間七七四年:2018/05/22(火) 19:08:02.21 ID:7DsbCrO8.net
輝元首謀説をぶちあげてた奴は、三成も家康方で上杉征伐に向かおうとするところを西軍に阻まれて仕方なく西軍についたと書いてたで

283 :人間七七四年:2018/05/22(火) 19:44:35.17 ID:CWZD1fja.net
さすがにそれはなかろう

284 :人間七七四年:2018/05/22(火) 20:36:41.21 ID:gi8pfET1.net
>>282
それ微妙に違う。実は大谷は首謀メンバーで、大谷が石田を説得して西軍に引き入れたと。
根拠をいくつか挙げてたがどれも弱い。

個人的には挙兵の計画は以前からあって、その首謀メンバーには輝元も入っていたとは思う。
でなければ広島からの迅速な上坂は説明がつかない。
その首謀メンバーは、石田、長束、恵瓊(輝元)、宇喜多あたりではないかなと。

285 :人間七七四年:2018/05/22(火) 20:41:17.76 ID:nWUe5kHL.net
宇喜多秀家の出陣式が打倒家康のためのものだったという説もあるけど
西軍のそれとわかる具体的行動って石田正澄による関所封鎖が最初だよね?
いつから決起計画があったのかは定かじゃないけど
首謀者でないにしてもかなり早い段階で三成参加してたんじゃないの

286 :人間七七四年:2018/05/22(火) 20:44:08.86 ID:9QCF/bSV.net
出陣式は2回やってて1回目は会津出兵の出陣式ちゅうだけ

287 :人間七七四年:2018/05/22(火) 21:30:15.09 ID:51yu2w6j.net
輝元が承知していたことは間違いない

288 :人間七七四年:2018/05/23(水) 03:13:53.86 ID:OdKiyMtP.net
首謀者が石田・大谷・三奉行の内の誰かであったのなら宇喜多・毛利の軍事力が背景になければ、
クーデターが成功しないから宇喜多・毛利に事前に根回しをしたと考えるのが自然だと思う。
宇喜多・毛利が参加する事が決起の条件だったのではないかと思う。

289 :人間七七四年:2018/05/23(水) 03:20:48.64 ID:L+mlFcrj.net
マジかよ輝元サイテーだな

290 :人間七七四年:2018/05/23(水) 20:52:27.97 ID:ElO3c8El.net
首謀者だったかは兎も角、三成の西軍参加が消極的なものだっら
真田宛の書状の内容とかに違和感を感じるな

291 :人間七七四年:2018/05/23(水) 23:41:27.66 ID:9ttqjIdi.net
なるほど
本当は輝元が犯人だったけど三成を首謀者に

表舞台から外されて
家康を潰して来いって言われたのか

それで輝元が潰してこいっていうのは
合戦じゃなくって思い切ってやれって意味か

292 :人間七七四年:2018/05/24(木) 15:04:50.69 ID:SbDX5ZMi.net
輝元「まさか、本当にやるとは思わなかった」

293 :人間七七四年:2018/05/25(金) 06:13:58.94 ID:OnIQctpW.net
広家「当主のあなたの連署で毛利の威信が落ちてしまうかもしれませんよ」
輝元「落ちません!」
\どっ/

294 :人間七七四年:2018/05/25(金) 09:14:56.44 ID:19RKpVZO.net
戦国時代に潰せっていったら戦争か暗殺の二択だろーなー。

295 :人間七七四年:2018/05/26(土) 01:09:09.39 ID:ZH1tV0/O.net
武士の世界では過激な言葉でハッタリをかますのは珍しくないよ
それでも自分が全滅するまで殺し合いに応じるというのは、むしろ少数派だ
そもそも関ヶ原の時点で生き残っている大名というのは東西とも全員が
信長や秀吉に対してそれをやらなかった連中なんだから
毛利も上杉も口先だけで殲滅戦争をやろうなどとは思ってもいない

問題は石田や大谷といった吏僚たちが武士としての常識に欠けていたことだろう
内府ちかひの条々を真に受けて、どちらかが全滅するまで続く殲滅戦争をやるんだと思い込み
制御不能の暴走状態に陥った
毛利が言葉のあやも分からず暴走する石田や大谷にびびって手を引いたのも仕方がなかった

296 :人間七七四年:2018/05/28(月) 20:24:12.20 ID:mqWb6P1W.net
>>274
それでとめられない大谷大戦犯

297 :人間七七四年:2018/05/31(木) 22:28:19.45 ID:hMX0CMlF.net
実際は山中でやったんでしょ

298 :人間七七四年:2018/06/01(金) 14:49:54.98 ID:hW9DjOfE.net
思うんだが、挙兵計画首謀者は、石田、小西、宇喜多、恵瓊(輝元)、長束なんじゃないかな?
もしだれかが単独で挙兵しても勝算なんてまったくないよね?
例えば、石田が挙兵しても佐和山籠城して終わりでしょ?なんの意味もない。
あらかじめ挙兵計画(内容、タイミング、手順等)を首謀メンバーで計画しておかなければ
家康に不満を持っていたとしても、突然挙兵されて「いっしょにどうよ?」といわれても
普通は真田昌幸のように「なぜ事前に相談してくれなかった?」と戸惑うのが当然。
なんの準備もしていないのだから。

しかし西軍は輝元の大坂入城まで実にスムーズに行ってる。
普通はいきなり挙兵して「いっしょに挙兵どうよ?」って言われても困る。

その点増田は「石田、大谷挙兵」と、家康に通報してるので首謀メンバーではなかった可能性が
高いように思う。
まぁ負けた時用に保険掛けてただけかもしれんが、もしそうなら挙兵の奇襲効果を低減させる愚策。

299 :人間七七四年:2018/06/01(金) 15:19:45.81 ID:KPDsfKHV.net
本当は輝元が犯人だったけど三成を首謀者にした

表舞台から外されて
家康を潰して来いって言われた
五奉行に戻してやるって

それで輝元が潰してこいっていうのは
合戦じゃなくって思い切って当たれって意味

300 :人間七七四年:2018/06/02(土) 06:22:47.05 ID:UB/nWWdI.net
>>298 増田の挙兵密告は作戦じゃなかったか?

301 :人間七七四年:2018/06/02(土) 10:23:25.82 ID:iMkqLEPv.net
そもそも豊臣政権において挙兵する場合は
秀頼に事前報告して豊臣家の許可を取ったうえで、朝廷に届け出るのが決まりだからな
当時の家康は専横とかいわれているけど、こういった決まりは厳密に守っている

いくら大老・奉行の数が多くても、口で忠義や豊臣御為を叫んでも
この決まりを守らない挙兵は謀反にしかならない
むしろ家康より力の低い西軍首謀者連中こそ家康以上にこの決まりを守る必要がある
西軍首謀者連中は計画を練ることばかり考えて豊臣政権における挙兵の決まりを疎かにしていたのが敗因だよ

302 :人間七七四年:2018/06/10(日) 00:10:53.67 ID:LwOvZk0Q.net
>>298
慶長5年7月15日付上杉景勝宛島津義弘だと
「輝元・秀家を始、大坂御老衆・小西・大刑少・治部少被仰談、(中略)、拙者も其通候」
てなってるな。

増田・前田・長束連名の輝元上坂要請が7/12
輝元出陣が7/15、
内府違いの条々発出が7/17、
輝元の大坂入城が7/19だから、
7/15付け書状に中核メンバーとして名前の出てくる
「毛利輝元、宇喜多秀家、前田玄以、増田長盛、長束正家、小西行長、大谷吉継、石田三成、島津義弘」
が事前謀議に参加してた「計画首謀者」で良いと思う。

303 :人間七七四年:2018/06/10(日) 23:38:26.10 ID:BTvKOVj5.net
そもそも大老でも奉行でもない、上杉とは正反対の場所が領地で個人的にも歴史的にも全く係わり合いもない島津が
なんで上杉に対して書状を出したのかが謎だな
ほとんど知らない相手なうえに豊臣政権の中枢とは何も関係ない島津から手紙を貰っても
上杉だって逆に困るだろう

304 :人間七七四年:2018/06/10(日) 23:46:52.98 ID:6qJQNqgk.net
しかも、義弘は当主じゃない

あんた誰て思われかねない

305 :人間七七四年:2018/06/11(月) 09:23:59.90 ID:x64GUHIi.net
>>303
君は上杉家臣の外交官の島津忠直を知らないのかね?

306 :人間七七四年:2018/06/12(火) 13:07:27.56 ID:G9ec4Dc2.net
>>303
別に謎でもなくね。ただの総当たりだろ

307 :人間七七四年:2018/06/12(火) 21:55:04.40 ID:MAtrVRWN.net
>>302
島津なんて大老でも奉行でもないどころか豊臣恩顧でもない
秀吉に逆らって戦をしてきた仇敵外様でしょ
そんな奴が計画首謀者として大老・奉行と並ぶ中核メンバーになれるなら徳川を排除する大義名分がなくなるよな
三成たちの好き嫌いや権勢を振るうための個人的都合で排除か中核かを決めて言いわけがない

308 :人間七七四年:2018/06/12(火) 23:07:46.52 ID:DEUoZZGk.net
しかも義弘は当主ではない

309 :人間七七四年:2018/06/13(水) 12:48:59.90 ID:e19vGHnn.net
>>307
真実追求にそれらのことは一切関係ない。

310 :人間七七四年:2018/06/13(水) 13:07:19.92 ID:e19vGHnn.net
>>302
島津義弘についてはたしかに7月15日時点では西軍に誘われ西軍に与したと思うんだが
それ以前の計画メンバーとしてはどうだろう?
もしそれ以前の計画メンバーであったのなら、手勢が800〜1000なんてことはなく、
もっと早い時期に国許から兵を送る手配をしているんじゃないだろうか?
でなければ「みっともないのでもっと兵を送ってくれ」なんていう催促を何度も国許に
したりはしないように思うが。

たしかに庄内の乱の影響があった可能性は多分にあるが、これほどの計画ならば
兵が必要という認識があったと思う。

311 :人間七七四年:2018/06/14(木) 09:31:49.46 ID:RkvHC641.net
>>310
考えられるとしたら、島津は家全体ではなくあくまで義弘一派のみが協力していたパターンかな。
もしくは、当初は島津家全体で協力するつもりだったが、庄内の乱発生によって
御家立て直し優先派と関ヶ原に参加しよう派に意見が分裂してしまった可能性も。

312 :人間七七四年:2018/06/14(木) 10:18:04.20 ID:3MpM1Ppu.net
>>300
たしかに一定の説得力はあるね。
上杉征伐に参加するわけでもない輝元や宇喜多の大軍が大坂に押し寄せるには
なにかしらの理由が必要だった。
そこで、石田と大谷が挙兵した、ということにした。
それに対応するため毛利、宇喜多が大坂に兵を派遣する、と。
同時に増田が家康に石田、大谷挙兵と通報した。
で、大坂を占拠したのち、実は毛利、宇喜多、奉行も反家康の挙兵でした、と。


というか小早川秀秋って上杉征伐に参加予定だった?
あれも大坂あたりになぜかいたよね?

313 :人間七七四年:2018/06/14(木) 23:18:19.86 ID:ReiNj9va.net
作戦だとしたら西軍の致命的なミスだったな
大多数の東軍大名は、方便ではなくて本気で石田と大谷が謀反を起こしたと信じていた
そもそも関ヶ原で毛利と内通して石田を討つと言う作戦自体が、石田を謀反の首謀者・大将と信じきっていないとできない作戦なんだよ

スタートが謀反だから後で毛利、宇喜多、三奉行が味方したところで謀反人が増えたということにしかならないし
後からいくら西軍が豊臣のためだとか叫んでも、謀反人の世迷言になってしまう
最初に石田と大谷の謀反と伝えてしまったのが敗因と言っても過言でないくらいだ

314 :人間七七四年:2018/06/15(金) 16:24:06.34 ID:SMZ8vBZZ.net
毛利も宇喜多も小早川も上杉征伐に参加予定だよ

315 :人間七七四年:2018/06/15(金) 17:37:14.47 ID:9FjuzJB7.net
>>314
毛利は吉川、宇喜多は家臣がでしょ。

316 :人間七七四年:2018/06/15(金) 19:52:26.55 ID:SMZ8vBZZ.net
当主も

317 :人間七七四年:2018/06/16(土) 00:26:35.97 ID:eSF8FBdu.net
>>311
義久は小西の要請に応じて忠長らを派遣して清正方を攻めてるから
島津全体としても立ち位置は明確に西軍側なはずだけどね。

まぁその派遣軍も大した数じゃ無かったみたいだし
やっぱ財政的な余裕が無かったか、薩摩>中央政局な感覚だったんじゃ無いかな。
或いはまだ生きてた伊集院忠真を警戒して動きたくなかったか。

318 :人間七七四年:2018/06/16(土) 00:40:16.19 ID:eSF8FBdu.net
>>316
光成氏は「関ヶ原前夜」で
5大老全員が大坂に不在って訳にはいかなかっただろうから
7月頭には上坂してた秀家は大坂留守役だろう
みたいに言ってるけどね。

当主も参加予定ってのは何情報?

319 :人間七七四年:2018/06/17(日) 12:03:40.84 ID:CXjVlgF7.net
島津義弘は家康に上杉討伐中の伏見城守護を依頼されていて京を離れる家康を見送る際に
伏見城入城の手はずはどうしますか、と聞いている
そこら辺は追って通達しますんで
とその時家康から返事があったけど結局は通達がなくて困惑してる

ここまでは旧記雑録に収録されてる義弘書状に書かれている確かな情報
なので義弘が計画首謀者に参加していたとは到底考えにくいんだよね

320 :人間七七四年:2018/06/17(日) 12:14:03.06 ID:p3ch8gs1.net
> ここまでは旧記雑録に収録されてる義弘書状に書かれている確かな情報

ええ…、あ、ハイ

321 :人間七七四年:2018/06/18(月) 22:12:07.28 ID:fABmsLyI.net
義弘は島津での主権を掴むため三成と懇意にしてたって話じゃ無かったっけ

322 :人間七七四年:2018/06/19(火) 01:42:57.41 ID:Nf6fXOKg.net
なら島津は出陣しろよと

323 :人間七七四年:2018/06/19(火) 04:54:39.14 ID:qbXW7+PM.net
>>319
義弘が伏見守備を言い渡されたのは4/27以前。(家康出立は6/16)
毛利が上杉征伐に従軍させるとの名目で7/4に吉川を出陣させているように
西軍蜂起までは表面上は家康に協力する姿勢を示すのは寧ろ当然だと思うけど。
その過程で事前指示と齟齬が発生したら誰でも困惑するさ。

というか「伏見城の本丸以外の全曲輪を島津が担当するようにって指示受けたから援軍送れ」って
ホントにそんな指示を家康が出したのかね?
しかも口頭で聞いたから書面は有りませんって。。。

324 :人間七七四年:2018/06/19(火) 05:05:21.85 ID:qbXW7+PM.net
三成は蟄居中で家康在坂中に大っぴらに奉行衆や大名の使いと面会するのは困難だったろうから
恐らく事前謀議は書面メインだったはず。

多面チャットみたいな謀議は当然不可能なので
三成が大枠を発案→他面子に計画打ち明け→書状のやり取りしながら計画をブラッシュアップ
みたいな流れが一番自然。

この流れなら三成が「発案者」で輝元も義弘も秀家も「計画を打ち明けられた側」
但し、構想段階から参加してたって意味で全員が「計画首謀者」

325 :人間七七四年:2018/06/20(水) 00:41:20.44 ID:3HQOEsnq.net
島津義弘に関しては寡兵故に石田大谷挙兵後にクーデターに同心せざるを得なかったとする
従来の説の方が個人的には理解できるんだけどね。
上杉景勝宛書状のみを史料根拠に義弘が最初から西軍主体とするのは論拠が弱い気がする。

そもそもそれほどこのクーデターが計画的だったのか疑問がある。
時間をかけて計画が練られたとすれば、毛利・宇喜多を取り込むと同時に遠方の上杉も引き入れるべきだし、
>>301さんが言うように秀頼・淀殿周辺や北政所周辺とも交渉して挙兵の正当化の努力をすべきだった。

326 :人間七七四年:2018/06/20(水) 14:31:26.81 ID:M1F9LJHQ.net
>>325
>>秀頼・淀殿周辺や北政所周辺とも交渉して挙兵の正当化の努力をすべきだった。

そんな事したら家康に報告されて終わりだよ。
だいたいクーデター

327 :人間七七四年:2018/06/20(水) 14:39:14.77 ID:M1F9LJHQ.net
>>326
途中送信してしまった…

だいたいクーデター実行前に仲間を増やそうとすればそれだけリスクが高まるし、
徳川領のほぼ隣の上杉を引き入れようと工作すると徳川に察知され易い恐れもあるんじゃないかな。

328 :人間七七四年:2018/06/20(水) 17:47:51.30 ID:X+kD1sKF.net
澱気味は家康と全面対決する気はない
絶対勝てるなら別だが

329 :人間七七四年:2018/06/20(水) 21:00:36.20 ID:uak7LTzn.net
>>327
仲間集めないならリスクもふくめ成功率は低いままでしょ

330 :人間七七四年:2018/06/20(水) 21:52:29.11 ID:M1F9LJHQ.net
史実以上に集めようとしたって成功確率より事前に察知されて失敗する確率のほうが上がるやろ

331 :人間七七四年:2018/06/21(木) 22:41:43.04 ID:++ysnIQ+.net
>>328
そもそも妹の舅で息子の婚約者の祖父と首になった奉行のどっちを信用するかって問題だな

332 :人間七七四年:2018/06/21(木) 23:10:47.79 ID:db+vlr9G.net
内心は三成

しかし勝った方につく心算

秀頼成人の暁には東軍なぞあっというまだ

333 :人間七七四年:2018/06/21(木) 23:13:07.54 ID:OUpLuAQ9.net
そこで三成間男説ですよ

334 :人間七七四年:2018/06/21(木) 23:16:23.73 ID:++ysnIQ+.net
三成ってどっちかというと北政所と仲いいんだけどね
むしろ淀とは疎遠

335 :人間七七四年:2018/06/22(金) 18:30:19.07 ID:lJupz4O7.net
全体としてはすでに差がついている中で敵の本陣や最重要拠点に集中攻撃することで勝利をもぎ取った戦いを
いくつか教えてください。

336 :人間七七四年:2018/06/22(金) 18:31:34.55 ID:lJupz4O7.net
>>335の件ですが、
時代はいつでも構いません。海外の事例があっても結構です。

337 :人間七七四年:2018/06/22(金) 20:18:46.57 ID:AuPF05Gp.net
>>335
スレ違いだ

338 :人間七七四年:2018/06/22(金) 23:48:03.25 ID:+MeLHqSa.net
なろう作家見習いのネタ集めかな。

339 :人間七七四年:2018/06/23(土) 22:58:41.75 ID:XGoQYDCo.net
>>335
桶狭間

340 :人間七七四年:2018/06/26(火) 22:04:32.58 ID:9yw7gC6e.net
>>333
間男は大野治長じゃないのかな
家康と茶々の再婚を阻むため色々画策したみたいだし

341 :人間七七四年:2018/06/26(火) 22:15:08.63 ID:Qn8wM2K2.net
大野が東軍にいなければ淀は積極的に西軍を支持していたのかもしれない

342 :人間七七四年:2018/06/26(火) 23:22:16.20 ID:ga5v4N3b.net
>>341
妹が徳川秀忠に嫁いでるのに?
まあ淀って一応織田家の人間ともいえるけど、どれ位親しかったかいまいちわからん。
ただ、織田は一応東西両軍にいるからなあ。
後、もう一人の妹が嫁いだ京極は西軍に参加してたけど、こいつは東軍に寝返るし。

343 :人間七七四年:2018/06/27(水) 12:43:54.83 ID:Y1L8bQBr.net
むしろ淀の意思を忖度した初が高次を寝返らせて説ある

344 :人間七七四年:2018/06/28(木) 19:12:24.13 ID:P3Olg+wA.net
>>71
レビューにコメントしてる

ナナズハ 1か月前
「資料の文字を捻じ曲がった解釈と妄想を膨らませて奇説をとなえただけの代物」とのことだが、
どこがどう捻じ曲がった解釈で妄想なのか、少しは具体的に書いてくれないとレビューとして全く参考にできない。
他の肯定的レビューはある程度本の内容に具体的に触れてるので、素人はあっちを参考にするよね。私怨で☆一つのレビュー書く人もいるからね。

はどうみても著者が書いてるよな!?
「素人はあっちを参考にするよね」って、お前は素人じゃないのかと著者に言ってやりたい!

リンク
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3TJ7CUEK2PL2D/ref=cm_cr_dp_d_rvw_btm?ie=UTF8&ASIN=4309248608#wasThisHelpful

345 :人間七七四年:2018/06/28(木) 20:40:37.62 ID:vted/w9c.net
>>344
筆者かどうかしらんけどもその否定的レビューは344が書いてるよな!?
そっちでやれ(´д`)

346 :人間七七四年:2018/06/28(木) 23:22:40.43 ID:P3Olg+wA.net
>>345
そんな冷たいこと言うなよ
発売当初は良い評価ばかりだったし、イイ値段の本だからさぞかし立派なものだろうと読んだら
まともなのは光成準治の著書とかから拾ってきたものだけで
著者が独自に書いたところは、あきらかに歴史資料の扱いが間違っていて
家康と淀殿の再婚を阻むため暗躍とか、西軍が挙兵直後に降伏とか意味不明なことばかり書いてあるクソ本だったんだよ
レビューしたら、9割がた著者と思われるコメントが来てビックリさ!
どうみても著者目線で書いてあるし…
やっぱ、研究者じゃない人の本を買うのはよくないね

347 :人間七七四年:2018/06/29(金) 00:01:18.15 ID:V7zyGyMo.net
研究者もダメでしょ

348 :人間七七四年:2018/06/29(金) 09:05:36.11 ID:yQF8DONI.net
発売直後の肯定レビューは出版社、仲間内、本人のサクラを考えるべき。そんな早く完読できる人間はなかなかいない。
『天下分け目の関ヶ原合戦はなかった』でいうと肯定レビューは発売直後に集中、否定レビューは1か月後ぐらいに集中していて、今では否定レビューと同意見の声が多い。
『天下分け目の関ヶ原合戦はなかった』は読んだ人がどれだけ関ヶ原合戦について知っているかが試される一冊。
(1)面白い、新発見と絶賛する人→あまり知らない人、他の関ヶ原合戦関連本を読んだことのない人
(2)いかれた人が書いた本だと思う人→ほかの関ヶ原合戦関連本を読んだことのある人、史料について知識がある人
2つに分ける指標になる本。

349 :人間七七四年:2018/06/29(金) 09:59:25.02 ID:z9MA8jKZ.net
早い人は一日で読んでしまう
あるいはサビの部分だけ読んで判断するとか

サクラポイのがいるのは確か

350 :人間七七四年:2018/07/07(土) 20:51:04.96 ID:MKs2cSsq.net
大津城への使者の件は、
北政所が竜子を助けたくて淀に提案。
淀に一旦拒否されたけど、再度説得して共同で使者派遣
って流れだったと何かで見た気がする。

出典忘れたけど誰か知らない?

351 :人間七七四年:2018/07/08(日) 12:17:15.70 ID:xaP958bc.net
>>348
後半の四行に同意と言うかその様に判断されても致し方がない本だと思う。。
史料の引用なのか、先行研究の引用なのか、著者の独自の考察なのか、不明な部分が多くて
とにかく読み難い。(一例をあげると乃至氏の加賀征伐での家康と浅野のやり取りの下りなど)
この部分に関しては学部生の卒論レベルでも否定されるものだから学術的な内容とは言い難い。
>>350
全く何の根拠もないが、白川氏が唱えそうな説ではある。

352 :人間七七四年:2018/07/09(月) 00:02:31.65 ID:u2ZxPy+J.net
乃至正彦はド素人だから仕方ない。
歴史を専門的に学んでいないのだから、学術的なものを期待してはいけない。
不等号で表すと、乃至正彦<学部生 になる。

353 :人間七七四年:2018/07/29(日) 07:12:51.99 ID:SEqmQina.net
読んでないけど井沢元彦レベルなのか?専門外の人が書いた歴史関連本だと、相川司あたりはまあまあ読めるけど

354 :人間七七四年:2018/07/29(日) 10:41:21.32 ID:QtNola1y.net
有名な大学教授が書いた研究本とは名ばかりのトンデモ本を読むにつれ
そんなのに教わった学部生は無駄な時を重ねただけで可哀想だなと思う

355 :人間七七四年:2018/07/29(日) 12:02:33.07 ID:HL48Z7HX.net
史料の解釈が恣意的だと言う意見があるが、それに関しては当該史料や先行研究他に基づいて
反論をすれば良いと思うし、その程度の価値はある。

この本の最大の問題点は関ヶ原の戦いを通史的に書きたいがために史料のない部分を論拠のない
考察で書いてしまっている部分にある。妄想と言ってもいい。
著者からすれば勝手な考察ではないと言うかもしれないが、論拠の引用のない論文の書き方では
読者から妄想と受け止められても仕方がないし、論理的な書き方を覚えないといつまでたっても
学界で議論される内容にはならない。

356 :人間七七四年:2018/07/29(日) 13:52:28.25 ID:aoaVsMqo.net
うーむ

357 :人間七七四年:2018/07/29(日) 17:35:11.56 ID:HoAIsghX.net
史料からの考察でトンデモは
学会の中の人でもいっぱいいると思うけどなぁ。
でも学部生は面と向かって言えないから
就職してしばらくたったぐらいが
一番正直に中の話をしてくれたりする。

358 :人間七七四年:2018/07/29(日) 18:24:52.42 ID:yoxxtOnt.net
面と向かったら卒業できんね

359 :人間七七四年:2018/07/29(日) 20:47:55.98 ID:HL48Z7HX.net
>>355にも書いた様に史料に基づく主張ならトンデモ説でも学会・在野を問わず議論する価値は
あると個人的には思う。

指導教授と学部生の関係はまぁ色々あるし、好き嫌いあるいは可愛いか否かで待遇が変わるのも
目の当たりにした事があるから自由な議論に制約があるのは否定しない。

だがそもそも指導教授の専門分野を卒論テーマにする学部生は多くないと言う事も知って欲しい。
だから学部生の多くは指導教授の専門を押し付けられるのではなく、卒論に向けた研究の進め方を
指導されていると考えて欲しい。

乃至氏や高橋氏に足りないのはその部分。

360 :人間七七四年:2018/07/30(月) 08:10:23.55 ID:Q8505grd.net
ここは「学会」板になったの?

361 :人間七七四年:2018/07/30(月) 16:21:27.40 ID:V/QXMjkc.net
トンデモ学説というけれど歴史学に絶対正しいということがあるの?
タイムマシンで過去に飛んでいってその場に居合わせれば真実はわかるだろうけど
この説はありえないとかあの説はおかしいとかそれぞれの学者が主張するだけで
じゃだれの言ってることが真実なのよ?って。結局タイムマシン作らないと真実はみえてこないという

362 :人間七七四年:2018/07/30(月) 17:31:13.16 ID:tdNrKHTn.net
それは裁判も一緒で本当のとこはわからない

議論する

363 :人間七七四年:2018/07/30(月) 17:31:38.53 ID:Rqg9+h4M.net
ただの嫉妬
若かったり在野だったりが本や名前売ってるのが許せんのだ
そういう意味では重鎮より同じ若い連中の方がネットも使ってより陰湿になっている
乃至あたりの絡みで言えば平山の攻撃とか凄かったからなw

364 :人間七七四年:2018/07/30(月) 18:37:43.29 ID:cMBo+qr3.net
石治少を討ち取ろうと追い掛け回していたのは、加藤清正、福島正則、藤堂高虎、脇坂安治、蜂須賀家政

また、逃げ込んだのは伏見徳川屋敷ではなく、伏見城だと判明している

365 :人間七七四年:2018/07/30(月) 19:26:03.65 ID:Kp3rL4Y0.net
>>352
間違っている。乃至正彦⇒乃至政彦。それ以外は間違っていない。

みんなは
あれこれ言っているけど、そもそもあの本について批評すること自体間違っている。
小説を読んで、あれは違うなんてやるのか?
掲示板に書き込まれた自説を、いちいち批評するのか?
その程度のものと軽く流しておけばいい。

「諸説あり」で
乃至はマンガ家や小説家が座る席でキャッキャしているだけの一般人。
高橋は専門家の枠で出ていたが…そこは軽く流しておこう。
要するに彼らを専門家と同じ扱いをして、あれが不足しているなどと言及すること自体おかしい。
小説や掲示板の書き込みと同等のものとみて忘れるのが一番。

>>363
なにそれ?詳しく知りたい。
なぜ時代考証務めた平山が、乃至なんかを相手にするのか疑問。
戦力差がありすぎてイジメにしかみえん。レスラーが赤子を殴るようなもの。

366 :人間七七四年:2018/07/30(月) 21:12:59.57 ID:1q7pVERY.net
>>365
司馬遼がこう書いてた!とかいう人は今もいる気がするな
あれもただの小説だけど
後は中国の方だけど横山とか北方とか

367 :人間七七四年:2018/07/30(月) 21:12:59.86 ID:1q7pVERY.net
>>365
司馬遼がこう書いてた!とかいう人は今もいる気がするな
あれもただの小説だけど
後は中国の方だけど横山とか北方とか

368 :人間七七四年:2018/07/31(火) 02:54:47.46 ID:26FfDqM3.net
>>365
小説ならば小説名乗らなければだめだろ?
それが「実は真実はこうだったんです!」とザル理論で撒き散らされては
嘘も100回言えばなんとやら、でしょ。

ザル理論を否定するための労力を他人に半ば強要してるようなやり口が気に入らない。
ブチ上げるだけ上げといて否定するなら根拠よろしく〜みたいな。
なんでそんなめんどくせえ作業いちいちせにゃならんのかと。
全部自分でやっとけと。

369 :人間七七四年:2018/07/31(火) 14:01:32.60 ID:DMefykvR.net
東軍の勝利。

370 :人間七七四年:2018/07/31(火) 19:54:33.60 ID:/+RFlTcp.net
というか徳川軍をのぞく東軍の勝利じゃない?

371 :人間七七四年:2018/07/31(火) 23:23:17.05 ID:8XwkR7Qd.net
この流れでトンチンカンな発言している奴がいるのだが……
>>363 は乃至氏だろうな。
誰も乃至氏・高橋氏なんかに嫉妬なんかせん!
名前を売っていると思い込んでいるイタイ所が本人であることを彷彿させているw
(ある意味、本や名前を売ったが…イタイ奴として)

>>368
嘘も100回言えばなんとやら、というのはいえている。
現に生涯学習で歴史を学び始めたお年寄りの何人かは騙されているだろうね。
だけど、専門家は乃至氏・高橋氏の相手をする気はないだろうね。
馬鹿げているというのが大半だろうけど、
以前、白峰氏が高橋氏の自家本を批判したのが、逆に高橋氏は大学教授が相手にするくらい凄い人という誤解を世の中与える結果になってしまった。
相手にすると彼らを増長させることに繋がってしまうから、仮に専門家が動きたかったとしても動けないんじゃないのかなあ。
乃至・高橋本に対する注意喚起をするなら、我々一般の人たちでレビューするとか地道にやるしかないと思う。
それか、明智憲三郎の時みたいに呉座氏が否定してくれることに期待するしかないんじゃない。

372 :人間七七四年:2018/07/31(火) 23:49:53.94 ID:Cjt1NiIl.net
>>365>>368
高橋氏は学会で議論して欲しいと書いているのに小説扱いは酷いんじゃないかな。
高橋氏は白峰氏から以前かなり恥ずかしい指摘をされていたが、本作を読む限り、
何とも思っていないようだし、本音では議論なんてどうでも良いのかもしれないが。

373 :人間七七四年:2018/07/31(火) 23:49:58.87 ID:XH1OIp6y.net
>>371
平山先生落ち着いてください
それから信者ファンネルで弱いものいじめをするのはもうやめてください

374 :人間七七四年:2018/08/01(水) 02:53:40.14 ID:MkI22lVU.net
>信者ファンネル

ワロタw

375 :人間七七四年:2018/08/01(水) 07:10:51.36 ID:eez5xJb4.net
>>372
小説としか受け取れないからしかたがない。
作者がいくら希望しても、議論する価値のないものは議論の対象にはならない。

376 :人間七七四年:2018/08/01(水) 13:25:53.73 ID:0FJxHrBF.net
団塊の世代は当時ベストセラーになった山岡荘八の小説『徳川家康』と大河ドラマ『徳川家康』の影響で本当は徳川家康はいい人だったと信じ込んでいるからなあ

377 :人間七七四年:2018/08/01(水) 14:00:51.46 ID:AVM3tb+2.net
逆に不義の人と思いこんでいたり

司馬史観どうだっけ?

378 :人間七七四年:2018/08/01(水) 15:33:33.70 ID:JOG56R8k.net
実際立派でやり手だったわけだしな家康

379 :人間七七四年:2018/08/02(木) 20:25:20.05 ID:2q+nTu1/.net
こんなところでイキッテたってしょうがないだろうに(´・ω・`)

380 :人間七七四年:2018/08/02(木) 23:12:28.97 ID:bBHPqRSp.net
>>377
経済音痴の三河の百姓で臆病者

どこをどうしたらこうなるって感じだ。
実際にはイギリス人の顧問を置いて海外交易に積極的に取り組み、戦場では短気で前に出たがる人なのに。

381 :人間七七四年:2018/08/02(木) 23:34:21.87 ID:hMqS1Kyf.net
大体徳富のジジイが悪い

382 :人間七七四年:2018/08/03(金) 14:32:34.98 ID:cPxFY0Lw.net
徳富蘇峰あるいは白鳥庫吉・内藤湖南の時代とはアプローチも情報量も違うからね。
通説や教科書的な考えに対して肯定するにせよ否定するにせよ疑ってかかるべき部分はまだまだ多い。
>>371
プロだろうがアマチュアだろうが根拠のない考え方に反論なんてできない。
論者がなぜそう思ったかを第三者が追体験できないと議論する価値は生まれない。
この本は営業が市場調査も全くせずにライバル企業の類似品をグレードをかなり下げて作った
新商品のプレゼンをしているようなもの。

383 :人間七七四年:2018/08/04(土) 21:15:50.50 ID:NgEB/CAF.net
同意。議論する価値なし。

この本を捨てておくか、きちんと批判するかで大きく意見が分かれているようだけど、この本がくだらないという点では満場一致しているわけだから、ここら辺で終わらせよう。

アマゾンに批判のレビューすれば乃至からコメントがくるわけだから、批判するにしても、あっちのほうが適しているわけだし。

384 :人間七七四年:2018/08/04(土) 21:48:39.13 ID:F51kthsw.net
何しろその道の、プロですからねぇ。

385 :人間七七四年:2018/08/04(土) 22:02:30.97 ID:kFUybZMh.net
関ヶ原関連だと笠谷、白峰、本多、光成、渡邊、宮本等々多数の研究者もいるわけだし
作家上がりだと桐野あたりはまあまあ評価されているんだっけか

386 :人間七七四年:2018/08/05(日) 09:52:15.96 ID:Tz3Ypvtd.net
黒田VS石田の豊臣家内紛

387 :人間七七四年:2018/08/06(月) 06:58:18.73 ID:kmxg2xe5.net
明智子孫を否定するのに呉座と言うのも
若いなぁ。

388 :人間七七四年:2018/08/07(火) 09:03:32.40 ID:ETW4Iuf8.net
毛利家が古文書を出さないからこうなる

389 :人間七七四年:2018/08/07(火) 10:31:59.55 ID:5anonhZw.net
萩藩閥閲録

390 :人間七七四年:2018/08/07(火) 12:14:37.10 ID:TwV+t1yy.net
【 天 皇 即 位 阻 止 】 儲けた金は…35億、プチエンジェル事件、顧客リストに徳仁皇太子の名
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1533436136/l50
【 被 爆 し て 応 援 】 原爆投下はヒロヒトの外患誘致の結果、パナマ船から石油を瀬取り″
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1533521766/l50

391 :人間七七四年:2018/08/07(火) 17:27:22.17 ID:jNg8cM1w.net
これがすべてだとあとは決して外に出さない毛利一族

392 :人間七七四年:2018/08/16(木) 22:01:16.38 ID:1AJ9KYhH.net
>>15
この頃の関ヶ原関連本だと戦場として山中の地名はよく目にするけど
近衛信尹宛の近衛前久書状にある青野カ原ってどの辺?

393 :人間七七四年:2018/08/17(金) 08:34:29.52 ID:+QtSvBpq.net
関ヶ原の東、大垣と垂井の間

394 :人間七七四年:2018/08/19(日) 12:44:36.70 ID:x9u23NXd.net
>>14の書状にある

>十四日之夜五つ時分に大垣外曲輪を焼払、

だけど、これ西軍が自ら焼き払ったのか、水野勝成が町口に放火したのと
別件なのか混同なのかどっちだろ?

395 :人間七七四年:2018/08/23(木) 09:52:43.95 ID:lgdSgg28.net
>>394
自焼でしょう

396 :人間七七四年:2018/08/30(木) 22:08:20.82 ID:ZihoETs5.net
直江状の偽書、真書論争や小山評定の有無論争があるなら
村越茂助が東軍諸将を激発させたという使いの内容についての論争も
あってもいいんではないかなって、突然思いついた
村越が家康の使者として清洲にきたのは可能性高いみたいだが、
その内容は通説で言われている通りなのだろうか

397 :人間七七四年:2018/08/31(金) 12:00:13.51 ID:x9bRZksp.net
ある程度信頼性のある複数の編纂物の記述にあっても、所詮は編纂物とケチつけるのは容易
だが確度の高い論証無くそれやってると切りないんだよね

398 :人間七七四年:2018/09/01(土) 21:45:03.63 ID:6JTSd53P.net
>>396
まあ、家康持ち上げてる逸話ではあるけど、積極的に否定する必要も根拠もないよな

399 :人間七七四年:2018/09/12(水) 12:51:52.03 ID:8Kk8cxb6.net
直江も三ちゃんも戦下手が証明された。
家康が上杉攻撃しても、余裕で落せた。
上杉家は織田軍の攻勢防ぎ切れなかったし、謙信公時代の将兵も代替わりで以前程ではないな。

400 :人間七七四年:2018/09/12(水) 21:31:31.66 ID:LGue1j5c.net
>>399
御館の乱で多数死亡、
関ヶ原の前に浪人を多数雇いいれて実力は未知数だしな。

401 :人間七七四年:2018/09/13(木) 15:02:41.92 ID:crh7378J.net
謙信存命の時は手取川の戦いで4万の織田軍を2万で破った上杉軍なのに・・・

402 :人間七七四年:2018/09/13(木) 18:12:46.72 ID:jKu9tjQd.net
織田は七尾とか微妙なところを最前線にしてたから柴田も苦労したと思う
謙信も強い強いと有名なわけで柴田の配下もビビりまくってただろうからおのずと及び腰になる
景勝時代ですら越前あたりの農民の一揆も扇動できたわけで、謙信としちゃ一番やりやすい土地だったろうな

403 :人間七七四年:2018/09/13(木) 18:15:47.24 ID:MjcvFiML.net
追撃戦で大虐殺は盛ってる可能性高いんじゃなかったっけ
七尾救援という織田軍の戦略目標破綻した時点で既に上杉の
大勝利と触れて回っても間違いではない状況だし、
追撃は最低限度、だから織田勢の指揮官クラスに戦死者なし、みたいな

404 :人間七七四年:2018/09/14(金) 17:20:57.19 ID:O0QVkvcf.net
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcRzRFfmTKdJesSJtCwlIo332DhQNHnR_4ITNlzbTujz7d64T4j6

革籠原には防塁が数キロ築かれて今も残ってるから上杉も結構ガチだったみたいね。
謙信公以来の武将が居ない言うけど本庄繁長・島津月下斉・水原親憲・千坂景親・安田能元とか勇将揃い

実際大坂の陣(鴫野の戦い)も二倍以上の敵を撃退してるから弱くは無いんじゃないかな。
石高も関ヶ原の時は毛利家なみにあるし佐渡金山もあるしで雇った浪人も有名な武将多い。数も7万くらい揃えてたし。

405 :人間七七四年:2018/09/14(金) 22:55:04.14 ID:aZreMpFX.net
織田秀信ってどうして家康側に付かなかったんだろ
秀頼の父秀吉は織田家を乗っ取った
簒奪者だから
忠誠をつくす義理なんてないだろうに

406 :人間七七四年:2018/09/15(土) 00:28:46.30 ID:+H1MWk6f.net
豊臣が憎いから反乱軍に付いた。

407 :人間七七四年:2018/09/15(土) 06:53:44.96 ID:EkuPH4hY.net
秀信は秀吉に取り込まれて
絶対忠義になってしまった

秀信はうまく立ち回って
これは豊臣の戦いではないから
徳川につくと言えば良かった

408 :人間七七四年:2018/09/15(土) 10:29:05.33 ID:8hjgpaNu.net
>>405
尾張と美濃の地にこだわったからじゃね?
西軍が確かそのように提示してたような…
家康だったら転封の可能性は極めて高いと思う

409 :人間七七四年:2018/09/15(土) 10:54:31.33 ID:SWpNe/Bs.net
仮に天風でも滅亡よりマシ

410 :人間七七四年:2018/09/15(土) 12:57:43.59 ID:X8C/NBwI.net
織田家で東軍に付いたの有楽斎だけだしなあ
信包は田辺城攻撃に参加してるし
信雄やその弟達も西軍参加か西軍寄りと見なされて戦後失領してる

411 :人間七七四年:2018/09/15(土) 20:16:36.47 ID:0wUkDf56.net
西軍につかないと尾張に侵攻できないからな

412 :人間七七四年:2018/09/17(月) 11:57:39.35 ID:oCcZmlqZ.net
>>410
信長が突然変異みたいなものだから仕方がないけど
信長の子や孫はたくさんいるわりに馬鹿しかいないよな
嫡男だって余裕で逃げられる状況で有楽斎に煽られて切腹する馬鹿だし
それどころか兄も敵に捕縛されて人質交換の材料にされる間抜けだったりと兄弟も微妙なのばかり

父親の信秀は有能だと思うのだが、その子孫が信長を除いて馬鹿の大量生産になっているのが不思議で仕方がない

413 :人間七七四年:2018/09/18(火) 15:38:31.35 ID:hSlEoQZi.net
有楽斎が逃げ切れたから信忠も逃げれたとするのはナンセンス
有楽斎とは立場が上全く違う
明智光秀みたいな自身もよく知る超有能な奴が寝返れば覚悟決めたくもなる

414 :人間七七四年:2018/09/20(木) 22:38:50.99 ID:DN2KbjX4.net
>>404
革籠原の話しは後世の創作だよ

415 :人間七七四年:2018/09/22(土) 19:33:21.83 ID:8+/4x8Oh.net
信長だったらまっさきに逃げてるだろ
大将が死んだらそれで終わりだから  将棋そのもの

416 :人間七七四年:2018/09/23(日) 06:58:12.67 ID:S5FUYZXl.net
まあ関ヶ原でも西軍の将で逃げられなかったのは開戦早々に撃滅させられた大谷だけで
あとは皆戦場からは逃げ延びているしな

417 :人間七七四年:2018/09/29(土) 22:06:43.83 ID:xKNZG1JU.net
その後西軍の将で処刑されたのは三成、行長、恵瓊だけで
あと死んだのは騙されて切腹された長家と落城させられた正澄くらいか
あとは改易か減封転封で連座で処刑された男子はいなかったよね
増田盛次なんかわざわざ義直の許可取り付けて夏の陣の豊臣方に付いてるし

418 :人間七七四年:2018/09/29(土) 23:53:03.50 ID:NpCmKE0D.net
焦った毛利に斬られた小西の倅が確かいたはず

419 :人間七七四年:2018/10/04(木) 21:03:59.59 ID:AMAUMq1S.net
もうすぐ出そうな本で関ヶ原関連本と言うとこのあたりか
大体いつもの面子だが
宇喜多秀家と豊臣政権 (歴史新書y) 新書 渡邊 大門 (著) ISBN-13: 978-4800315809
九州の関ヶ原 (シリーズ・実像に迫る018) 光成準治 (著) ISBN-13: 978-4864033046

420 :人間七七四年:2018/10/06(土) 21:13:27.82 ID:kc/yObwP.net
>>418
相変わらず毛利はやらかしが多いな

421 :人間七七四年:2018/10/07(日) 06:38:52.48 ID:rd3Cvt/3.net
9月15日の西軍短時間壊滅説、いわゆる白峰説及びその派生説についてだけど、
それらを主張するひとたちって、太田和泉守記の記述に対してどういう見解なのかなと。
あまり触れてないように思うが。
関ヶ原起きて数年で史実とかけ離れたものを書けばツッコミが入るだろうし、
牛一が明らかな誇張書くとも思えないし。

422 :人間七七四年:2018/10/07(日) 07:44:07.17 ID:9ebKVgVM.net
瞬殺はありえない

一対一の戦いではないから徐々に崩壊する

423 :人間七七四年:2018/10/07(日) 09:30:06.26 ID:wEcCFDXX.net
>>421
白峰説だと、
「天下分け目の戦いを制した家康」
っていう壮大なイメージを
作り上げて
威光や権威付けを後生に定着させる為に
太田に書かせた
って感じだった。

424 :人間七七四年:2018/10/07(日) 09:43:50.52 ID:wEcCFDXX.net
そういった軍記物以外だと、
詳しく全容を書いた資料は無くて、
一様に短い記述しかなかったような。

結局、大谷隊の後ろの松尾山を
小早川に取られて、
城を出て戦線を下げて
対峙しようと夜中に出発した
三成勢が、朝に陣立てしようと
してる所に
気付いて追っかけて来た
福島や黒田などの東軍勢に奇襲されて、
同時に小早川隊も降りて来て
大谷隊を襲って
割とすぐに勝負が付いた、って印象。

425 :人間七七四年:2018/10/07(日) 10:04:34.88 ID:9ebKVgVM.net
松平の抜け駆けはガセってこと?

426 :人間七七四年:2018/10/07(日) 10:06:46.85 ID:MAVplAS5.net
>>423
それは無い
精々、太田が徳川に売り込むために作成した所
そうでなければ、太田牛一は関ヶ原合戦後に豊臣家臣ではなく徳川家臣になっているはず

427 :人間七七四年:2018/10/07(日) 10:07:50.55 ID:MAVplAS5.net
>>425
そもそも福島から合戦を始める取り決めがあったかも疑問

428 :人間七七四年:2018/10/07(日) 10:29:38.63 ID:wEcCFDXX.net
>>426
まぁ、その説は俺が言ってるわけじゃないけどなw

家康に売り込む為に、っていうのは
割と説得力あるかもな。

429 :人間七七四年:2018/10/07(日) 10:38:47.75 ID:HIlZe7Dn.net
西軍の負けっぷりが酷すぎて、堂々と正面決戦したようには見えないんだよな
大垣組の戦略的機動が早期に東軍に捕捉され、松尾山と対峙していた大谷隊の早期潰滅が重なってしまい、半包囲殲滅を受けてしまったってとこかな?
南宮山の毛利の「手柄」は、日より見をしたことではなく、東軍追撃隊をなんの妨害もせずに素通しにしたことか
その結果が西軍主力の潰滅に繋がってしまった

430 :人間七七四年:2018/10/07(日) 10:40:50.32 ID:rd3Cvt/3.net
井伊直政と松平忠吉が負傷してるとこから、徳川が本戦に参戦したのは
間違いなさそうだし、もし「徳川スゲー」を印象づかせたいなら、
「短時間で西軍を壊滅させた」のほうがインパクト大きいんじゃない?
短時間壊滅が真実なら。
でも牛一は、「激戦の末云々」みたいな描写でしょ。
徳川スゲーという誇張には思えないけどなぁ。

431 :人間七七四年:2018/10/07(日) 12:24:19.75 ID:ChW2Eb+0.net
白峰説も変遷していて史料を掘り起こしている段階だから今後の展開に期待かな

太田牛一が徳川家康を讃えるために書いた軍記だから黒煙で日中暗夜とか激戦の抽象的表現に脚色はあるだろう
問題はこの成立時期の早い二次史料に書かれている小関村や石原峠と言う地名はどこから取材したかだな

432 :人間七七四年:2018/10/07(日) 14:35:42.68 ID:wEcCFDXX.net
瞬間的に激しい戦闘だった事は
戦いに参加した武将が
手紙に残してるね。
白峰本で取り上げてた。

433 :人間七七四年:2018/10/07(日) 15:08:29.94 ID:rRogUlNP.net
>>431
信長公記でもそうだけど、牛一の著作って
やたらと地名が出てくるんだよね。
現代語訳の文庫本とかだと注釈入ってて
判りやすいけど。
牛一なりにだれが、どこで、なにをしたか、
をしっかり記す、みたいなポリシーが
あったんじゃないかなと思う。

取材については八十島助左衛門とかの生き残り石田家臣か
宇喜多家臣とか?

434 :人間七七四年:2018/10/07(日) 15:58:20.90 ID:MAVplAS5.net
>>433
少なくとも初期は東軍からの情報オンリーかと
小身ながら名がある織田有楽・古田織部等7人がソースとして怪しい

435 :人間七七四年:2018/10/07(日) 18:01:48.19 ID:xDnve7lW.net
>>434
可能性が高そうなのは、小身なのになぜか詳細に語られてる者、土地勘がある者、ってとこかな。

436 :人間七七四年:2018/10/07(日) 18:33:01.84 ID:MAVplAS5.net
>>435
七人の内におり、また織田有楽の子長孝は関ヶ原に近い
美濃国大野村を領した

437 :人間七七四年:2018/10/07(日) 19:03:38.80 ID:kgYZ9hma.net
関ヶ原付近一帯は途中から西軍から東軍に寝返った竹中重門の領地だな

438 :人間七七四年:2018/10/09(火) 00:42:41.82 ID:oSb77gvk.net
あと史実の追求したいならこっち

関ヶ原合戦の真実 Part8
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1518176864/

439 :人間七七四年:2018/10/09(火) 00:43:08.02 ID:oSb77gvk.net
ごめん、誤爆した。

440 :人間七七四年:2018/10/09(火) 01:23:35.84 ID:oSb77gvk.net
太田和泉守記よく読んでみると、たしかに家康を称えるような書き方してる。
西軍は凶徒、逆徒と表記、
敬称に「公」が付いてるのが、家康、秀頼、織田秀信、
「卿」が付いてるのが、秀忠、秀康、織田秀信、
秀信は公と卿と統一されてない。

六月十六日
大坂被成御立関東へ御下、
上方より御伴之人々
織田有楽 子息河内守 山名禅高 金森法印(以下略)


たしかに上杉征伐参陣諸将の最初になぜか織田有楽が書かれてる。
牛一の情報源は織田有楽の可能性高いかもね。

441 :人間七七四年:2018/10/10(水) 21:49:32.66 ID:J4cuwOZe.net
短時間決戦を主張する白峰氏らが根拠にしているのが石川長門・彦坂小刑部書状 だっけ?
二人がどの程度の地位だったかは知らないが、清洲城の留守を預かっていたくらいだから
情報は得やすい立場だったとは思うけど

442 :人間七七四年:2018/10/12(金) 23:04:38.25 ID:yWzaTLmb.net
徳川の奉行じゃん

443 :人間七七四年:2018/10/13(土) 19:41:31.85 ID:JRFn4bz5.net
>>419
宇喜多秀家と豊臣政権を読んでちょっと気になったのが
文禄の役の際、講和使節の内藤如安から提示された意見書の冊封の案で
日本国王、豊臣秀吉
大都督、小西行長、石田三成、増田長盛、大谷吉継、宇喜多秀家
都督、豊臣秀次
亜都督、徳川家康、毛利輝元、前田利家、小早川隆景など
と、家康や利家はおろか現関白の秀次すらさしおいて
後の西軍首脳の面々が上位に来ている点で
この時期おいてすでにこの連中には不相応な自意識があったのかと
興味ひかれるものがあるな

444 :人間七七四年:2018/10/13(土) 21:12:54.70 ID:LyQl0RAl.net
如安の独断とは考えにくいし、大都督に名を連ねている連中が相談して決めたのかな

445 :人間七七四年:2018/10/13(土) 21:21:01.64 ID:Bm8aOgAx.net
大都督なりたいズのメンツに毛利足したら関ケ原の時の西軍首脳メンバーになるね

446 :人間七七四年:2018/10/13(土) 21:37:36.88 ID:epNsfyfa.net
茶番の外交交渉が明、秀吉にばれないように、じゃないの?

447 :人間七七四年:2018/10/13(土) 21:42:48.11 ID:vMM24FhS.net
なんかオウム真理教の○○大臣みたいな痛々しさを感じる

448 :人間七七四年:2018/10/13(土) 22:02:31.89 ID:JRFn4bz5.net
>>444
坊ちゃん的な性格の秀家が家康や輝元はまだしも、自分や奉行連中が
秀次の上に来る事を承知するかな?
>>446
明は兎も角日本国王の時点で秀吉としたら激怒ものだろう。実際俗説のように返信の書簡
引き裂いてはいないものの、大激怒したわけだし

449 :人間七七四年:2018/10/13(土) 22:55:40.66 ID:Bm8aOgAx.net
坊ちゃん的性格ってのは何から判断したの?

450 :人間七七四年:2018/10/14(日) 08:06:07.96 ID:UAwGuvQM.net
>>443
大都督と西軍首脳が重なるのは偶然でも何でもなく
秀吉という唯一の例外を除けば、自分たちが日本の支配者であるという強いプライドが三成たちにあったということ
だから家康だろうが秀次だろうが、自分たちを無視して天下の政をリードすることを絶対に許さない
家康が三成たちを天下の支配者と認めず重用しないので関ヶ原を戦ったというだけ

これを忠義と解釈するか傲慢な思い上がりと解釈するかは人それぞれだけど
逆に言えば動機がこれだから三成は家康には勝てなかったともいえる
前田や毛利の協力を仰いで家康と戦おうとしても
三成は心の中では前田も毛利も他の諸大名も見下しているのだから
そんな状態で一致団結が求められる戦に勝てるわけがない

451 :人間七七四年:2018/10/14(日) 08:10:36.94 ID:Z8j+6UNw.net
>>443
宇喜多と言えば、合戦直前の戸川と明石が共に相手を投降を誘った書状
共に自軍の勝利に自信を持っていて面白かったな

452 :人間七七四年:2018/10/14(日) 09:43:51.72 ID:fEuH5QDF.net
>>443
秀家と現関白なので仕方なく入れたのか秀次の名前はあるが、秀保、秀勝、秀秋など(当時は秀俊か)の名前がないところに案を考えた連中の秀吉以外の羽柴家の面々に対する意識が感じられるな

453 :人間七七四年:2018/10/14(日) 10:04:31.73 ID:hPB2Crs5.net
明との交渉やってる実務者+宇喜多秀家だからべつにおかしいところはないと思うが。
家康も利家も在名護屋なんでしょ?

454 :人間七七四年:2018/10/14(日) 14:10:01.31 ID:UAwGuvQM.net
秀吉も家康も利家も在名護屋、秀次も在京だから
目が届かないところで三成たちの内心の本音が出たということ

455 :人間七七四年:2018/10/14(日) 19:35:24.26 ID:Z8j+6UNw.net
>>452
明との交渉開始が文禄二年だから秀勝の名前が無いのは仕方ないとして
内容からして多分秘密裡の提案だったろうから秀秋等は知らなかった可能性が高いと思うけど
もし知ったらどういう風に思っただろう

456 :人間七七四年:2018/10/15(月) 12:13:07.73 ID:wUvaZrMy.net
>>453
それならいない奴の名前は出さなきゃいいのにわざわざ自分の格下として名前を出したらねぇ…

457 :人間七七四年:2018/10/16(火) 22:03:42.16 ID:IWVrAsVf.net
>>443
後に石田や増田等五奉行の連中が自分達を年寄りと称し
家康等五大老のことを奉行と呼んでいた意識と通ずるものが感じられるね

458 :人間七七四年:2018/10/17(水) 08:08:33.98 ID:6NNZOljN.net
今でもそうだけど中央の高級官僚の特権意識って凄いもの
人間皆平等の平成の世の中でこれなんだから、封建社会で秀吉という独裁者の庇護を受けていた彼らの精神が相当浮世離れしていてもおかしくは無いかな
それが家康弾劾状で会津討伐軍が空中分解して、オール豊臣VS徳川およびごく少数の親派という図式になるという甘い希望をいだかせたのかと

459 :人間七七四年:2018/10/17(水) 21:55:04.27 ID:X+kcwKTr.net
実際真田宛の書状とか見るとほとんどの大名が味方に付き
徳川など苦も無く撃破できるとの楽観に溢れているからなぁ

460 :人間七七四年:2018/10/17(水) 22:33:09.71 ID:nME/q31g.net
>>458>>459
自分たちの感覚・基準が秀吉生前のまんまなんだと思う
まあ確かに秀吉が生きてれば奉行の予測通りになっただろうし
で、関ヶ原時点ではまだその意識は抜けきってなかったんじゃないかな

461 :人間七七四年:2018/10/20(土) 16:38:56.14 ID:ldXeU/qf.net
奉行連中や秀家は秀吉がある程度の身分になってから仕えた奴らが多いしなぁ。秀吉の苦労時代をある程度体験してれば、少しは意識が違っていたのかもしれないけど

462 :人間七七四年:2018/10/21(日) 10:59:34.74 ID:GMlsAeAO.net
秀吉の苦労時代を知ってる生き残りは大部分が親徳川派(浅野仙石堀尾中村山内田中生駒寺沢など)だしなぁ

463 :人間七七四年:2018/10/21(日) 13:37:31.91 ID:GWHRuDb8.net
子飼いの古参組を粛清するか、閑職においやるかしちゃったからなぁ。
中国王朝の創始者が良くやらかしてるが、あれは敵対勢力を消滅させた後だから問題ないのであって、
国内に最大勢力が残ってる状況でやることじゃねえよな。

464 :人間七七四年:2018/10/21(日) 15:04:05.11 ID:cvCQ8a4L.net
秀次に古参つけてぶっ殺す無能

465 :人間七七四年:2018/10/21(日) 21:48:44.55 ID:UVYxFcB6.net
秀吉の苦労時代からの小飼程自分の家が一番大事
自分や家族が血や命を懸けて手に入れたものだからね

466 :人間七七四年:2018/10/21(日) 21:51:14.77 ID:vaUgSjZH.net
秀吉創業時の家臣と言われる秀吉四天王と称される連中も二人は粛清、
残り二人も関ヶ原舞えに死亡
最古参と言われる蜂須賀、前野も前者は息子と孫は東軍に
後者は秀次付にされて粛清だからどうしようも無いな

467 :人間七七四年:2018/10/21(日) 22:55:33.41 ID:Y3l9Xl73.net
>>462
そもそも徳川が豊臣古参をまとめて統治していたのに
それでは権勢を握れないと新参官僚連中が暴走したのが関ヶ原だからね

468 :人間七七四年:2018/10/22(月) 00:27:23.89 ID:LXT7xgKu.net
利長に難癖をつけて人質を大坂城ならまだしも江戸城にとるというのは専横と言わんか
家康襲撃事件もやらせ以外の何者でもなく

これで統治していたとか片腹痛い
引っかけまわして戦乱をおこしただけだろうに

469 :人間七七四年:2018/10/22(月) 01:46:10.15 ID:6WhzbMY4.net
大坂城に人質とって徳川がどうこうできるわけじゃないんだから江戸にとるのは当たり前

470 :人間七七四年:2018/10/22(月) 06:47:52.01 ID:f4qBK92P.net
>>468
前田に難癖付けたのは奉行ですけど
後、三成の処分って別に家康が単独で決めた訳でもなく
豊臣家からは北政所が出てきて『三成処分』について協議されてます
(つまり七将の方ではなく三成に問題ありと豊臣家すら認識している)

ついでに言えば人質を江戸に送るのは当たり前です
何故なら豊臣家は前田からの仲裁の依頼を却下しているからです
つまり、この件に付いて豊臣家は関わらないということなのですから
人質を大坂に送る意味がありません、豊臣は関知しないと言っているのですから

471 :人間七七四年:2018/10/22(月) 11:27:43.30 ID:RSteftTt.net
そもそも加賀征伐騒ぎの時、芳春院とついでに利長の正室は伏見いたんだから、芳春院が人質になることで騒ぎが解決したというのは、騒ぎの4ヶ月後、会津征伐の際に江戸に芳春院が下ったことからきた後付けの話だろう

472 :人間七七四年:2018/10/22(月) 12:02:10.42 ID:6V9rqklw.net
>>461
>>462
>>463
でも、秀吉の最古参って、弟や浅野を別にすれば他家で雇って貰え無い奴って側面も
有るんだよね。
その上で、自分達の方が仕えてやってる意識とかさえ感じるしさ。

その人達と、長浜時代から仕えた近江衆が合わないのも解る気がすんだよ。
仙石とか、九州での失態を見ると指揮官の才能有ったとは思えないよね。
その名の通り、徳川家なら千石止まりの下士官でしょう。

473 :人間七七四年:2018/10/22(月) 22:16:54.73 ID:4ESEKsxs.net
>>468
襲撃計画を家康に密告したのは三成だしやらせと言うのはどうだろう
計画参加者の治長は茶々と逃走しているし
ところで利長と言えば人物叢書から本が出るね
低評価傾向のある人物だから逆に楽しみだ

474 :人間七七四年:2018/10/23(火) 14:04:15.30 ID:nHBbhMqy.net
利長って低評価け?
元々最近age兆候じゃない?

475 :人間七七四年:2018/10/23(火) 18:15:34.85 ID:T9EGTa6E.net
利長はヘタレ評価しかないだろ

476 :人間七七四年:2018/10/23(火) 18:18:29.75 ID:st9VKPxJ.net
利長は小説だと立川文庫の真田十勇士から司馬遼に至るまでずっと不当なまでの低評価

477 :人間七七四年:2018/10/23(火) 19:29:33.90 ID:q86o8jOK.net
芳春院とか利常に点数取られている感はあるね
父の死後内憂外患の時期を凌いで家を残したのは立派な手腕だと思う

478 :人間七七四年:2018/10/23(火) 22:25:07.67 ID:6PiM1zQO.net
加賀前田家の2代当主。信長・秀吉に仕え、父利家の死後は五大老の一人として豊臣秀頼を補佐。
家康暗殺計画の主謀者と讒言され、徳川に下る。関ヶ原の戦いの後、加賀・越中・能登を治めて
幕藩制最大の大名として君臨し、徳川の圧力をかわしつつ領国統治に辣腕(らつわん)をふるった。
千利休の高弟として文化にも通じ、270年続く前田家の礎を築いた生涯を描く。

479 :人間七七四年:2018/10/23(火) 22:28:01.44 ID:6PiM1zQO.net
間違って概要部分だけでレスしてしまった
改めて

http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b375992.html
加賀前田家の2代当主。信長・秀吉に仕え、父利家の死後は五大老の一人として豊臣秀頼を補佐。
家康暗殺計画の主謀者と讒言され、徳川に下る。関ヶ原の戦いの後、加賀・越中・能登を治めて
幕藩制最大の大名として君臨し、徳川の圧力をかわしつつ領国統治に辣腕(らつわん)をふるった。
千利休の高弟として文化にも通じ、270年続く前田家の礎を築いた生涯を描く。


目次
はしがき/誕生(犬千代の誕生/少年時代から元服へ/利長の初陣/婚姻と大名への成長)/
大名前田利長(本能寺の変と利長/石動山・荒山の合戦/賤ヶ岳の戦いと利長の進運/
松任四万石から越中三郡の大名へ)/利長の越中支配(越中三郡の掌握/寺社政策/
検地と知行給与/年貢諸役の徴収)/豊臣政権の中で(官位昇進/九州出陣/聚楽行幸の供奉/
関東平定と利長/朝鮮出兵と利長/岩ヶ渕の喧嘩/富山城へ引越)以下細目略/
利長の妻子と兄弟姉妹/家督相続/関ヶ原の戦い/利長の戦後政策/領国統治と家臣団/
隠居と加越能三ヵ国監国/利長と高山右近/利長の発病/三ヵ条誓詞と本多政重召し抱え/
利長の晩年/利長死後の動き/終章 利長はどのような大名だったか/前田氏略系図/略年譜

480 :人間七七四年:2018/10/24(水) 00:57:06.07 ID:vg9jEkup.net
前田がヘタレただけなら良かったんだけど、次の上杉が敢然と徳川に立ち向かったからなあ

大衆はそういうの好きだし相対的に前田が臆病な雑魚にされるのも仕方ない

しかも丹羽とのジュニア対決でボロ負けした上に大坂の陣でも真田の引き立て役にされてるしw

481 :人間七七四年:2018/10/24(水) 01:22:48.30 ID:flmWri6j.net
×敢然と立ち向かった
○「どーせ東国まで出陣できへんやろ」とタカをくくって中指たててた

482 :人間七七四年:2018/10/24(水) 01:52:59.77 ID:dEeLb7v0.net
しかも上杉さしおいて配下の直江がいきってただけだもんな

483 :人間七七四年:2018/10/24(水) 13:50:14.89 ID:XcpjBzFd.net
>>480
前田征伐時は石田三成すら喜んで参戦するぜ!ってポーズ取ってたし上杉とは立地も違うししゃーない

484 :人間七七四年:2018/10/24(水) 16:57:36.45 ID:JlkDiEY+.net
時慶記 8月17日 天晴、請取番早参、中山中納言番所ニテ物語アリ、
退出ノ後近衛殿へ参上、大坂ト内府間ノ拵ノ義被仰聞数刻伺候候、(以下略


これ時慶記の8月17日の部分だけど、やっぱ輝元は近衛らの公家ルート使って
家康となんらかの交渉してたと見るべき?
吉川・黒田ルートもあったんだろうけど、
近衛前久が毛利降参の内情知ってるとこからして、交渉仲介者とみても
おかしくないような気がするが。

485 :人間七七四年:2018/10/24(水) 18:12:13.15 ID:GNAdjpmE.net
>>484
大坂冬の陣と同じ朝廷を仲立ちとした和議の提案

486 :人間七七四年:2018/10/24(水) 18:45:43.18 ID:lIR4J7t/.net
>>485
なるほど、ならば8月1日付益田元祥宛毛利輝元書状にある
「仍内府書状案文」
これも内容の違いはあるだろうが、朝廷を介した輝元と家康の和睦案と見るべき?

487 :人間七七四年:2018/10/24(水) 20:18:20.19 ID:GNAdjpmE.net
>>486
朝廷が画策した和議はもっと後の話なのでそちらは別の件かと

場合によっては、西軍蜂起前に家康が出した書状の可能性もある
案文は草案以外にも写しの用法もある

488 :人間七七四年:2018/10/25(木) 21:47:49.71 ID:DYLRleSE.net
江戸幕府って神格化すんだら、家康を存在事
抹消したけど、関が原とか歌舞伎するときどんな風にやったんだろ
石田オンリー?

489 :人間七七四年:2018/10/25(木) 22:38:06.85 ID:zYhBP8rP.net
>>488
他の大名でも戦国時代や江戸時代は不味いので、南北朝時代以前の設定とした

490 :人間七七四年:2018/10/26(金) 02:14:01.47 ID:iSgreCYx.net
抹消してないだろ、現人神のような扱いなんだから

491 :人間七七四年:2018/10/26(金) 18:32:11.31 ID:ip4PPvs9.net
何がびっくり歌舞伎に浄瑠璃に浮世絵
家康作品が全く存在しないから たぶん東照権現の本名が徳川家康とか江戸庶民の大部分は知らないと思われ

あと豊臣バッシャーの天海崇伝林羅山が太閤本を出版して儲けた際に家康に関する遺構や資料は破棄させてる

492 :人間七七四年:2018/10/26(金) 19:45:06.52 ID:+4Dyi9o/.net
家康が引っ張りだされるとか別問題だよな
講談は基本的に判官贔屓のお上に反発する内容なわけで。
要はガス抜き。お上はどうしたって叩かれる内容でしかない。
それがウケた。そんだけの話

493 :人間七七四年:2018/10/26(金) 19:54:17.47 ID:ip4PPvs9.net
あんだけ贅沢しても判官贔屓…流石は太閤

494 :人間七七四年:2018/10/26(金) 20:16:10.69 ID:+4Dyi9o/.net
判官贔屓するのは本人じゃなくて大衆

495 :人間七七四年:2018/10/26(金) 20:22:47.59 ID:I6FyaW8n.net
白浪五人男とか国定忠治なんて実際は迷惑な存在だったし

496 :人間七七四年:2018/10/27(土) 19:04:10.27 ID:jU1af8S+.net
>>463
徳川家康を豊臣に継ぐ最大勢力と見るか、豊臣の完全子会社と見るかによるな

497 :人間七七四年:2018/10/27(土) 20:51:05.48 ID:TqOJJk8B.net
豊臣が弱体化しすぎというか、秀吉をピークにまるで落ちぶれ一家になったというか
正直豊臣には荷がおもすぎたんだよ

498 :人間七七四年:2018/10/27(土) 21:53:23.10 ID:N7ov20LQ.net
本当に速成の政権一族と家臣団だからなぁ。三河の国衆程度の家だったとは言え
泰親もしくは信光のころから京都の伊勢氏と関係を持つ徳川や、鎌倉の大江氏から続く
毛利氏などとは一族や家臣団の層の厚さが違いすぎる

499 :人間七七四年:2018/10/28(日) 07:33:18.80 ID:GQpy9ncE.net
俗説が蔓延してた頃は例えば毛利の減封とか、皆家康に騙されていたみたいに、とりあえず家康に真っ黒にしとけば説明出来たけど、いまだと西軍の大義の薄さ豊臣の無能さがわかって来ているからなぁ

500 :人間七七四年:2018/10/28(日) 08:02:17.81 ID:wUwOqnLY.net
毛利の減封については毛利も応諾しての大坂城退去って分かったからな
しかもその際の前提条件を毛利が違えていたことが後から判明しても
改易じゃ無くてそのまま減封で済ましているし

501 :人間七七四年:2018/10/28(日) 08:17:42.17 ID:2gYvhz8W.net
>>499
大義が薄いどころか 明の定めた条約だと 日本の正当な政府は豊臣只一つな件

502 :人間七七四年:2018/10/28(日) 08:48:56.65 ID:fw9r4OT+.net
>>501
国内的に言えば、豊臣政権は関白として朝廷の名で大名を統制してたのに、
秀次をぶっころして、後任を就けられなかった時点でその大義名分も失ってる。
なんの権威も正当性もない、単に秀吉個人の武力で諸大名を統率してるに過ぎない。
よって、秀吉が死ねばその最後の拠り所もなくなって、諸大名には従う理由が無い。

503 :人間七七四年:2018/10/28(日) 08:52:46.48 ID:BhQBpKJB.net
>>501
西軍≠豊臣

504 :人間七七四年:2018/10/28(日) 09:02:43.06 ID:nkVzCJS7.net
秀吉死後に「外交」していたのは家康だけなんだよなぁ

505 :人間七七四年:2018/10/28(日) 10:49:59.59 ID:aOC1ytka.net
>>498
鎌倉の大江氏っていうか、毛利氏の初代は北条執権に娘を正室に出すくらいの勢力だったからな。

506 :人間七七四年:2018/10/28(日) 11:48:21.38 ID:lkNQ+6Qq.net
安倍総理大臣が急死して安倍政権が終わったとして
政権No.2の菅官房長官はあくまで安倍政権と安倍総理あっての権勢を誇れるのであって
自民党全体からしたら一議員にすぎない
次の権力者は安倍総理の次に力があった石破氏になるのは当然

安倍=秀吉 菅=三成 石破=家康
と考えるとわかりやすい

507 :人間七七四年:2018/10/28(日) 16:26:37.30 ID:kXGAEyvx.net
岸田がやりたがってるようだから菅(元岸田派)後継は絶対無いが
かつて程には総裁選で派閥の影響力が無いといっても、家康に比定するなど石破(派)を過大評価しすぎ

現在の自民党内勢力図を、豊臣政権の勢力図とリンクさせようというのが
そもそもナンセンスだが

508 :人間七七四年:2018/10/28(日) 19:25:31.36 ID:lE3WsTUF.net
>>502
おいおい、身内を殺したら大義無いなら、藤原氏やそれこそ徳川氏はどないなるんやろww
>>504
明が自滅して清とな

509 :人間七七四年:2018/10/28(日) 19:43:55.13 ID:nkVzCJS7.net
>>508
朝鮮との和議交渉や東南アジアへの国書
他にも漂着オランダ人の処遇とか

510 :人間七七四年:2018/10/28(日) 21:17:40.26 ID:kK/jxzqD.net
>>508
身内殺しじゃなくて武家関白制での関白秀次への仕打ちのことだろ

511 :人間七七四年:2018/10/28(日) 21:23:55.70 ID:fw9r4OT+.net
>>508
高位高官にある藤原氏の家同士の諍いならともかく、
関白秀次を無位無官の秀吉がぶっころした時点で、関白は人臣の極み!
官位で下位の各大名家は従え!って、豊臣政権の基本構造が崩壊した。
身内殺したからダメ、って話じゃないんだよ。
秀次を取り除きたいんだったら、関白を辞させて、後任を「豊臣家」の誰かにして、
その関白に秀次を処断させないと、豊臣政権のシステムが壊れる。
秀吉の子どもは秀頼しかいなくても、「豊臣家」は大量にいるんだから、
正則でも誰でもピンチヒッターにして、豊臣家が関白を継承していく、
政府のトップは関白って構造を守らなきゃ。

512 :人間七七四年:2018/10/28(日) 22:05:41.34 ID:u3xDWwPD.net
豊臣家は摂関家であり武家として最高の家格
徳川将軍家を上回る

それに関白なくても豊臣氏長者であるだけで疑似氏族関係を結んでる諸大名には従う義務がある

513 :人間七七四年:2018/10/28(日) 22:14:03.53 ID:4Ch0sdeQ.net
>>512
「豊臣家」なんて家はねえよ

514 :人間七七四年:2018/10/28(日) 22:18:00.99 ID:kK/jxzqD.net
つーか室町時代の関白が足利将軍家にどう扱われたのかみればねぇ

515 :人間七七四年:2018/10/28(日) 22:23:20.22 ID:u3xDWwPD.net
それ言い出せば将軍のイメージなど豊臣公儀の際には地に落ちてる

516 :人間七七四年:2018/10/28(日) 22:30:05.10 ID:kK/jxzqD.net
その後、秀吉によって関白のイメージも…

517 :人間七七四年:2018/10/28(日) 22:38:45.62 ID:3+DtHFdU.net
太閤=秀吉というイメージが今でも残ってるんだから
秀吉の権力は凄まじかったんだろうな

518 :人間七七四年:2018/10/29(月) 00:30:05.83 ID:IayTbgkZ.net
>>517
「太閤記」って本知ってる?結構有名なんだけど

519 :人間七七四年:2018/10/29(月) 11:06:52.71 ID:Da0dRlBk.net
>>510
>>511
そもそも藤原氏以外から関白が出とる時点で関白の指名や罷免は秀吉の専権事項でしょ
秀次の死に朝廷が特にリアクションしてないし

520 :人間七七四年:2018/10/29(月) 11:53:34.64 ID:WEno6SRQ.net
三成が関白にするって言ったのなら三成の専権事項

つまり越権行為で主君に対する謀反

521 :人間七七四年:2018/10/29(月) 13:45:21.29 ID:kRftq6vj.net
>>500
毛利が減封を承諾の上大坂城を退去したって、何か史料的根拠あるの?

522 :人間七七四年:2018/10/29(月) 18:39:16.77 ID:UbHGilcs.net
近衛前久が息子の信尹に宛てた書状で
「毛利が減封で手を打ち和睦が成立したが、
表向きには本領安堵を約束されたことにするそうだ」と書いてる

523 :人間七七四年:2018/10/29(月) 19:44:24.83 ID:IayTbgkZ.net
しかもその書状が書かれたのは関ヶ原終わってすぐの九月二十日

524 :人間七七四年:2018/10/29(月) 20:36:19.93 ID:WEno6SRQ.net
そんなすぐのネタを何で近衛が知ってる?

525 :人間七七四年:2018/10/29(月) 20:52:43.07 ID:0TNeOBL9.net
次スレからテンプレに近衛前久書状も追加したほうがいいんじゃない?
近衛書状の内容わかってないと共通認識に
ならないと思う。

526 :人間七七四年:2018/10/29(月) 21:15:13.13 ID:qW+Snzis.net
>>524
家康の元から来た人に教えてもらった

527 :人間七七四年:2018/10/29(月) 21:54:57.24 ID:WEno6SRQ.net
何で表向き本領安堵?

毛利のメンツを立てた?

近衛と家康ってそんなに仲がいいんだ

528 :人間七七四年:2018/10/29(月) 22:37:35.99 ID:sqUbPZGb.net
>>522
出来ればその書状の全文が知りたいんだけど
原文か書き下し文が読めるところありませんか

529 :人間七七四年:2018/10/29(月) 22:55:47.07 ID:ZzTdGTLu.net
>>527
一応家康に徳川姓と新田源氏株を売ったり、毛利輝元とは 信長時代に勧修寺庭田松井村井と共に 和睦特使団に名を連ねたりしてる
だが、果たして関ヶ原当時にそこまで肩入れしたかは知らない

530 :人間七七四年:2018/10/29(月) 23:13:01.76 ID:IayTbgkZ.net
>>528
https://i.imgur.com/xyTckRS.jpg

531 :人間七七四年:2018/10/29(月) 23:30:24.98 ID:Jlt3iZgq.net
吉川広家との約束はどこいった?

532 :人間七七四年:2018/10/30(火) 01:18:17.72 ID:W05OD3OD.net
家康が近衛に毛利との裏事情をもらす意図がわからん

533 :人間七七四年:2018/10/30(火) 08:13:48.23 ID:Z3uVufa3.net
>>532
徳川改姓以来の縁だし、朝廷への報告を兼ねているかと

534 :人間七七四年:2018/10/30(火) 08:32:49.13 ID:mIrGkDZQ.net
他にも朝廷に報告してる?

例えば上杉と和睦したとか三成を捕らえたとか

535 :人間七七四年:2018/10/30(火) 08:51:28.42 ID:Z3uVufa3.net
>>534
東軍との通信断絶状態からの一報という面があるかと
それ以降は公家側独自の情報収集で何とかなるし

536 :人間七七四年:2018/10/30(火) 11:00:56.21 ID:mIrGkDZQ.net
わざわざ内情を明かす意味がわからん

毛利と和睦予定、詳細は後でいいでしょ

この書以外に家康と近衛の間の手紙はないの?

537 :人間七七四年:2018/10/30(火) 12:34:34.16 ID:Z3uVufa3.net
>>536
先に詳細を話しても問題はない

538 :人間七七四年:2018/10/30(火) 13:00:50.45 ID:WfDz88Rc.net
これを元に風聞が流れることは家康の利益になるからなにもおかしなことはないね

539 :人間七七四年:2018/10/30(火) 13:56:54.79 ID:mIrGkDZQ.net
特に利益にならん

利益になるなら公表すれば?

540 :人間七七四年:2018/10/30(火) 14:43:27.25 ID:WfDz88Rc.net
家康が自分の決定として公表したら後でそのこと自体の責任を持たなきゃならんでしょ
風聞だったら何をどう覆そうとかまわないじゃない
それにこのタイミングで西軍総大将の毛利が折れて自家の存続だけを求めて手打ちをしたって風聞がある程度の信憑性をもって流れることの利益がわからないかなぁとは思うな

541 :人間七七四年:2018/10/30(火) 15:09:36.06 ID:mIrGkDZQ.net
なら噂を適当に流せば?

何の利益?

公表すればいいじゃん

あるいは淀君に言うとか

542 :人間七七四年:2018/10/30(火) 15:15:04.56 ID:Z3uVufa3.net
噂にも上流階級向けと下層階級向けがあってだな

543 :人間七七四年:2018/10/30(火) 15:24:35.68 ID:mIrGkDZQ.net
両方やれば?

そもそも意味があるの?

544 :人間七七四年:2018/10/30(火) 15:51:30.03 ID:NJwhnvA0.net
アレ?最近だと西軍総大将は宇喜多秀家とか言ってなかった?

545 :人間七七四年:2018/10/30(火) 17:27:03.38 ID:Z3uVufa3.net
>>543
下層階級向けだと西軍の方が数が多いとか、直ぐに勝利とかなる

546 :人間七七四年:2018/10/30(火) 18:58:38.33 ID:mIrGkDZQ.net
>>545
西軍負けているけど
数が多いってこと?

547 :人間七七四年:2018/10/30(火) 19:55:00.50 ID:vYFThSL+.net
家康
あんな低支持率で よく多数派工作で三成に勝てたな…

548 :人間七七四年:2018/10/30(火) 19:59:35.86 ID:WfDz88Rc.net
>>541
悪いけどキミのことをアホだと思っちゃったんで相手するのやめるよ

549 :人間七七四年:2018/10/30(火) 20:19:16.03 ID:Z3uVufa3.net
>>546
西軍は数が多かったけどそれに勝った東軍カッコイイという構図

550 :人間七七四年:2018/10/30(火) 21:08:28.39 ID:mIrGkDZQ.net
西軍が多いのに勝ったからすげえだろってこと?
だったらもっと吹かせば?

551 :人間七七四年:2018/10/30(火) 21:09:45.16 ID:mIrGkDZQ.net
>>548
説明能力なし

というか意味不明なんだろ

552 :人間七七四年:2018/10/30(火) 21:24:41.47 ID:Z3uVufa3.net
>>550
芸風の差

553 :人間七七四年:2018/10/30(火) 22:45:02.78 ID:+n0JFYfh.net
>>530の文、多少でも読みやすい様にカタカナをひらがなに代え、ただし()内はそのままで。テンプレの書状の文章の様に行間を空けました
近衛信尹宛て近衛前久書状

昨朝御見廻申候ヘば、早天に大津ヘ御越之由候間、大助に申置帰山申候。主水をも遣し候ヘ共、

未内府は大軍に付、路つかへ、江州守山辺に居陣之由申、昨日主水も従(二)中途(一)帰申候。御仕合如何候哉

一 一昨夕彼陣床より拙者ヘ参候者、直に語候趣、為に御心得一申候。内府は当月朔日に国本を出馬候て、
  
   十四日に大がき表ヘ被(二)押寄(一)候を、大がきの軍勢石治少・島兵入・小西など見候而、山ヘ取上リ候。
  
   内府は五万程にて、手人数各別ニ備られ居陣候

一 先手之人数は、福島一番・長岡越中二番・金森法印三番・田中兵部其外上方之人数四万計、面々に備、
  
   青野ヶ原にての合戦にて候。即時に切立得(二)大利(一)候。

   番ひに金吾手をかへされ候。其太刀場にて、大谷刑部討死候て、其ままきり崩候。上方より出陣の人数五万計候。
  
   四五千も討死候と申候

一 十九日に沢山ヘ取かけらる、則落居候て、石治少子・杢など討果候由候

一 石治少・島兵入は山すたいに引退候と相見、行方不れ知候。越州へのき候はんかと申候。生捕に仕候との沙汰は、

   うそにて候と申候

一 きっ川は輝元被れ取候。知行分悉給置候者家康ヘ味方に可れ参候との(あつかい)にて候ヘどもそれは余之□之由候て、

   半分の契約にて、一味申候との事候。

   安国寺は乗物にてのき候を、きっ川者共追懸候ヘ共、行方しらす見失候。生捕之沙汰不(レ)存候と申候

一 備前宰相は討死との事雑説候。無(ニ)異儀(一)之由申候。是以味方には不(レ)成被(レ)申

一 長尾景勝との和睦は無れ之候。其手当に結城三河守・政宗など被(レ)残候と申候。政宗は一筋に家康ヘ一味之由候。

   白石と哉らん申候城、景勝抱候を此方ヘ被(レ)取、政宗入城之由候。此城前々政宗城由候

一 佐竹は景勝・石治少などヘ一味之由申候而隔心と相聞候と申候

一 信州さなだは敵に成候て、中納言忠秀・榊原式部少輔などは、彼国ヘさしむけられ候と申候。是も手間不(レ)可(レ)入候間、

   一途被(二)申付(一)、上洛との事にて候と申候

一 なつか大蔵は、みなくちの城に居候。それへも人数さしこされ、可(二)討果(一)之由ト申候

   三奉行は可(レ)有(二)成敗(一)之由にて候と申候

一 昨日より風聞は、なつか大蔵は内府ヘかけ入候と申候。内府被レ申候は、よくとも悪くともの事候由候と申候。
  
   此儀は昨日より承候、事実は不(レ)存候。

右之趣は水不(レ)入慥之事候、彼虎口より直に当所ヘ参候ものにて候。直に承候間、為(二)御心得(一)ニ申候。以上

  九月廿日     東入

猶々如れ此処に、津小平かたより書状くれ候て、内府今日大津へ被(レ)越候由、由来候間、主水をも又さし遣し候。

今日又御越候哉、定可(レ)有(二)御聞(一)候へ共、令レ申候。書中御らんじ候はば火中々々

554 :人間七七四年:2018/10/30(火) 23:05:57.19 ID:+n0JFYfh.net
ところで東入って近衛前久の事だろうけど、前久そんな名前名乗っていた記録あるの

555 :人間七七四年:2018/10/30(火) 23:25:34.67 ID:ywZ5Rch5.net
意味取れるから瑣末なことなんだが

令レ申候。→令(レ)申候。 :もうさしめそうろう

じゃないの
>>530からそうだから判断つかんけど

>>554     ・ ・
○○通り××東入ル(京都市内の地名表記法)に住んでる人=前久 ってことかも
前久が当時どこに住んでたか知らないのでこれも識者待ち

556 :人間七七四年:2018/10/30(火) 23:47:21.66 ID:WfDz88Rc.net
>>551
さすがにキミに理解させるのは無理
ずっとわからんわからん言ってなさい

557 :人間七七四年:2018/10/31(水) 00:15:06.33 ID:KggyDHH4.net
金吾が裏切ったと書いてるように読めるけど、これは定説通りだよね。

558 :人間七七四年:2018/10/31(水) 00:59:31.43 ID:XhiUU2Vu.net
慈照寺で隠居してたから東山入道を略して東入じゃなかろうか

559 :人間七七四年:2018/10/31(水) 01:46:13.96 ID:uy9OtKuz.net
>>547
むしろ高支持率なんだが

560 :人間七七四年:2018/10/31(水) 06:29:11.86 ID:5IcBNqNB.net
>>556
じゃあ普通にわかるように書いてみろや

561 :人間七七四年:2018/10/31(水) 06:37:56.01 ID:5IcBNqNB.net
>>557
裏切ったとは書いていない

変な表現だけど

562 :人間七七四年:2018/10/31(水) 06:39:35.91 ID:HcMqODGK.net
>>553
最後の読んだら燃やせというのが気になるな

563 :人間七七四年:2018/10/31(水) 06:42:05.21 ID:5IcBNqNB.net
燃やせと言うことは、漏れたらまずいということだな

何故燃やさなかったのか

564 :人間七七四年:2018/10/31(水) 07:37:55.48 ID:VeNo/u2r.net
だいたいこの通りの結果だから燃やさんかったんだろうよ。

565 :人間七七四年:2018/10/31(水) 07:59:59.15 ID:lGja2qyf.net
「押すなよ、絶対押すなよ(チラチラ)」だと思うぞ

566 :人間七七四年:2018/10/31(水) 08:22:15.36 ID:wh8WrgkW.net
「きっ川」じゃなくて「木津川」なんじゃない?
吉川では意味がわからん。

あと読んだら燃やせは極秘情報ならある。
他言無用の追伸書いてる書状はけっこうある。

後世の我々は読んでも燃やさなかった
近衛息子に感謝するべし。

567 :人間七七四年:2018/10/31(水) 09:11:41.80 ID:hXIvu0Hn.net
芸人だったのか

568 :人間七七四年:2018/10/31(水) 09:19:25.72 ID:hXIvu0Hn.net
後世は感謝だけど
親父の意向を無視は大罪

バカ息子?

569 :人間七七四年:2018/10/31(水) 09:47:04.29 ID:lGja2qyf.net
親父の腹積もりが
「建前でこう書いておくけどお前の責任で保管しておけよ」
だったら有能息子

570 :人間七七四年:2018/10/31(水) 09:59:15.85 ID:hXIvu0Hn.net
建前で燃やせってどんな文書

芸人なの?

571 :人間七七四年:2018/10/31(水) 10:07:51.05 ID:d8yspJRZ.net
現在残ってる毛利元就の息子や重臣に宛てた書状なんて、ほぼ全部「読んだら燃やせ」って書いてあるぞ。なのでホントに燃やせという意味ではなく、それが重要な書状であることを表す、一種の慣用句だった可能性はある。

572 :人間七七四年:2018/10/31(水) 10:34:28.27 ID:fiMe4UHM.net
近衛前久の子信尹は関白相論で秀吉に関白を奪われた挙げ句に、
精神が不安定になり朝鮮へ渡海すると言い出して薩摩に流された

573 :人間七七四年:2018/10/31(水) 10:48:34.24 ID:hXIvu0Hn.net
じゃあ家康も燃やせってたくさん書いたのか

574 :人間七七四年:2018/10/31(水) 10:52:37.98 ID:fiMe4UHM.net
>>573
家康は書状に細かい情報は書かない

575 :人間七七四年:2018/10/31(水) 11:11:40.89 ID:hXIvu0Hn.net
>>574
配達員に燃やせって指示を出した?

576 :人間七七四年:2018/10/31(水) 11:33:09.57 ID:fiMe4UHM.net
>>575
配達員が事前に覚えるように命じられた内容を報告した

577 :人間七七四年:2018/10/31(水) 11:51:34.60 ID:uy9OtKuz.net
だいたいが家康がそういう意向だぞと部下が言ってるよな

578 :人間七七四年:2018/10/31(水) 12:30:46.73 ID:hXIvu0Hn.net
配達員の指示を無視して書状が残ってるのか

579 :人間七七四年:2018/10/31(水) 12:46:18.28 ID:Df67X3vF.net
>>554
>>555
近衛前久は天正15年以降、慈照寺東求堂に剃髪して居住していたから、「東求堂入道」を略して「東入」

580 :人間七七四年:2018/10/31(水) 12:59:19.22 ID:HcMqODGK.net
>>566
きっ川って吉川広家のことじゃないのかな

581 :人間七七四年:2018/10/31(水) 13:22:45.77 ID:hXIvu0Hn.net
きつ川は広家だろう

謎は何故わざわざ平仮名
当て字はありのはずだし

582 :人間七七四年:2018/10/31(水) 14:02:06.64 ID:C6GhVYmK.net
>>559
つっても甲府検地に失敗して駿河や遠江と引き替えに関東貰ったし、明征伐でもたいした事ないし
外交握った三成の影響力と比較するのは無理よ(そんな状態でこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつこつ支持を増やした辺りは、凄すぎた)

583 :人間七七四年:2018/10/31(水) 14:12:06.48 ID:hXIvu0Hn.net
代筆した奴がど素人で
ヨシカワ広家と思っていたのかもな

それでキッカワと呼ばれて誰だろと

584 :人間七七四年:2018/10/31(水) 14:52:52.71 ID:lGja2qyf.net
>>570
公家さんだから何かあった時の責任逃れで自分は「燃やせ」と指示する
受け取った当人は何かあった時のために遺しておく
手紙ごとに状況が違うから毎回同じ答えでは無いけど、察しろ、空気を読め、そして責任はお前が取れ、というようなイヤな文化じゃないかね?

585 :人間七七四年:2018/10/31(水) 15:01:42.75 ID:MvKB+H59.net
武家でも毛利細川伊達なんかは「燃やせ」書状が複数残ってる
面白いのは多くがこの場合と同じで親子間の書状

586 :人間七七四年:2018/10/31(水) 15:32:02.68 ID:C6GhVYmK.net
手紙は燃やせって機密保持の基本

587 :人間七七四年:2018/10/31(水) 16:19:19.37 ID:hXIvu0Hn.net
子の謀反じゃん

588 :人間七七四年:2018/10/31(水) 16:27:12.29 ID:fiMe4UHM.net
廃棄指示のあった書類やメールが残っていたなんてザラでしょ

589 :人間七七四年:2018/10/31(水) 17:11:45.79 ID:hXIvu0Hn.net
そうだけど謀反だ

逆に廃棄したと言って実はあったとかな

590 :人間七七四年:2018/10/31(水) 17:15:46.96 ID:OlfBR9mZ.net
当時の慣習としちゃ焼けと言われた文書でも残しておくことがあるって話に
なんでこんな引っかかってるんや?
物事なんでも白黒つけなきゃ気が済まんタイプか?

591 :人間七七四年:2018/10/31(水) 17:31:50.81 ID:eNL2wzPS.net
焼けと書いてなくても江戸時代に入っても家康から拝領した箪笥に石田や宇喜多、大谷の書状保存しといた真田みたいな例もあるし別におかしくはないでしょ

592 :人間七七四年:2018/10/31(水) 17:46:44.51 ID:fvqFFTk2.net
バカ正直に機密文書燃やしたら当主がそんなこと言ってないあいつが勝手にやったこととかしっぽ切りしたときになんもできんものね、現代でもある話だし

忠義だけで乱世生き残れたら苦労はせんよな

593 :人間七七四年:2018/10/31(水) 17:49:29.38 ID:hXIvu0Hn.net
忠義だけで生きれんのは確かだが
謀反人が多いのな

家康の命に背いて、燃やしてないのもあるの?

594 :人間七七四年:2018/10/31(水) 18:01:40.36 ID:fvqFFTk2.net
バレなきゃ謀反じゃないんでしょ

595 :人間七七四年:2018/10/31(水) 18:15:48.41 ID:Ba4N0ASM.net
謀反のハードル低すぎだろ
人の上に立つ者がきちんと責任を果たしているのに
下の者が分を越えた利益を望んで反逆するのが謀反
上の者が責任を放棄した時の対抗策として備えておくのは謀反に当たらない

596 :人間七七四年:2018/10/31(水) 18:17:11.47 ID:Ba4N0ASM.net
謀反のハードル低すぎだろ
人の上に立つ者がきちんと責任を果たしているのに
下の者が分を越えた利益を望んで反逆するのが謀反
上の者が責任を放棄した時の対抗策として備えておくのは謀反に当たらない

597 :人間七七四年:2018/10/31(水) 18:29:42.38 ID:lGja2qyf.net
一人だけ極端に理解力の低い人がいて驚く
これだけ大勢に説明されても謀反だ謀反だでは話しにならないよ

598 :人間七七四年:2018/10/31(水) 18:29:46.75 ID:hXIvu0Hn.net
いや主命を聞いてないので謀反
もちろんバレてないから罰しようがないが

599 :人間七七四年:2018/10/31(水) 18:30:46.93 ID:hXIvu0Hn.net
主命を無視しているのは確かだが?

何が問題なのかな

600 :人間七七四年:2018/10/31(水) 18:34:06.90 ID:fvqFFTk2.net
そりゃ理想としちゃそうなんだけどなんかなぁ
そうそう理想通りに動く訳ないし、なんであれば当主だって家臣に責任押し付けて悪さしたりするんだからそういう社会だったってだけの話やと思うんやが

現代の価値観で計っちゃいかんやろ

601 :人間七七四年:2018/10/31(水) 18:40:10.77 ID:hXIvu0Hn.net
燃やせというのはヤバイ書状ということ

ところで本件で燃やすと子供に不都合がある?

何か責任追求に関連する事項が書いてあるの?

602 :人間七七四年:2018/10/31(水) 18:44:08.51 ID:UQJ0ZOao.net
ドイツ軍の参謀が
三成を絶賛した通り、東軍は金吾の裏切り以外は 他の戦線で殆ど全敗しとるやないか!
どうしてこうなった…

603 :人間七七四年:2018/10/31(水) 19:00:38.54 ID:lGja2qyf.net
またエライのが出てきたな

604 :人間七七四年:2018/10/31(水) 19:13:19.73 ID:Df67X3vF.net
>>602
それ作り話だから

605 :人間七七四年:2018/10/31(水) 19:50:23.30 ID:uy9OtKuz.net
>>582
失敗してたっけ
甲府とかあのへんは織田の旧臣がへまばかりしてたイメージだな
駿府やらは秀吉に追いやられて折角うまいことやってたのに江戸に追放されたイメージではある
その江戸を開拓しちゃう家康さんカッケー

606 :人間七七四年:2018/10/31(水) 20:02:02.61 ID:Df67X3vF.net
>>605
>>582は馬鹿だから信州で検地が部分的にしか出来てない事を甲州と勘違いしている

607 :人間七七四年:2018/10/31(水) 21:46:35.57 ID:vhBwEG4L.net
>>601
だから本当に燃やせってんじゃなく
内容を誰かれ構わずベラベラしゃべるなよ程度の意味なんだろ

608 :人間七七四年:2018/11/01(木) 12:26:10.07 ID:mrVg5AuI.net
>>605
穴山氏が死んだので、かなり統治に苦労した挙げ句、手放してる
ぶっちゃけ家康は秀吉や三成みたいな[私は失敗しないので]なタイプではなく失敗から学ぶタイプ
実際に甲府での反省を生かしたのが江戸

609 :人間七七四年:2018/11/01(木) 13:11:10.64 ID:cIxAlqvZ.net
>>607
何で燃やせって意味じゃないってわかる?

610 :人間七七四年:2018/11/01(木) 13:51:12.63 ID:CQrOxsQb.net
>>608
なるほどねー
旧武田領は北から上杉、東から北条がちょっかいかけてきてるイメージあるから領民やら地侍もどっちつかずだったのかねえ

611 :人間七七四年:2018/11/01(木) 14:13:15.98 ID:K6IqHaEW.net
最終的には借金まみれで三成ら奉行もテコ入れ出来なかった島津の財政破綻を
家康が金を貸して返済計画まで指示して立て直してるようだし

天正壬午の乱くらいの時とは比べ物にならんくらい影響力と財務管理能力が生まれてるっぽい

612 :人間七七四年:2018/11/01(木) 20:57:49.68 ID:hi6lmBJu.net
>>610
織田軍が侵攻したら
ソッコーで武田勝頼を裏切る領民性だからな

613 :人間七七四年:2018/11/01(木) 23:11:13.61 ID:GPnlkSjR.net
旗色が悪くなって過重な負担を領民にかけた所はどこでもそうだろ。幕末の会津とかな。
 
でも、どっちも打って変わって、今は郷土の誇り〜観光の目玉になってるが。

614 :人間七七四年:2018/11/01(木) 23:54:57.86 ID:wkltLZoF.net
>>566なんだけど、>>530だと「キヅ川」と表記されてるがほんとに「吉川」でいいのか?
あとは「島兵入」は島津兵庫入道惟新斎義弘、「長岡越中」は細川忠興、
「津小平」は津田秀政、

それと「山へ取上リ候」「青野カ原ニテ合戦」「番ヒニ金吾手ヲカヘサレ」
これらのパーツを独自解釈してみる。
まず「山」となると南宮山、栗原山、虚空蔵山あたりかと思う。
単に南宮山に布陣した部隊のことを指すのかもしれないが、
石田が赤坂岡山後方の虚空蔵山へ移動する途中に青野ヶ原で捕捉され野戦に至った。
松尾山に布陣していた小早川秀秋は山中村に布陣していた大谷らに裏切って奇襲した。

つまり9月15日に青野ヶ原と山中村の2か所で野戦が行われた、という珍説はどうだろう?
この近衛書状をそのまま解釈したら、なんだけど。

この「山」というのが松尾山」なら白峰説になるけど、近衛書状は宇喜多に触れてないんだよね。
石田の赤坂積極攻勢策だと宇喜多、大谷は第二陣だからかなと解釈した。

615 :人間七七四年:2018/11/02(金) 00:04:50.13 ID:7t5bpxbd.net
>>614
奇襲したという根拠は?

通説だと金吾が攻めて来るのを予想していたになるけど

あと松尾山に布陣していたら移動し始めたらわかるはずだが

616 :人間七七四年:2018/11/02(金) 00:14:19.07 ID:uFrbCMkf.net
>>615
奇襲という表現は少し違ってるかもしれないが、脇坂、小川らも連動して寝返ったとすると、
小早川、脇坂ら約12000対大谷ら約5000なら兵力差から瞬殺も可能かなと。
小早川秀秋15000説ならもっと戦力比が傾く。
「番ヒニ」なので、小早川秀秋と「つがいに」布陣してるのは大谷らだから。

617 :人間七七四年:2018/11/02(金) 00:32:47.94 ID:uFrbCMkf.net
でも>>14だと「関ヶ原へ」とあるし、宇喜多も同行したとあるんだよね。

618 :人間七七四年:2018/11/02(金) 18:19:19.18 ID:Qhc8EmHO.net
>>616
大谷は陣地を作っていただろうから
瞬殺は難しい

霧が出ているうちに忍び寄っていたとかならば
可能かもしれん

小早川と四章は連携してはいなかったはず

小早川の攻撃を見てから
進撃を開始という流れ

いずれにしてもそれこそ奇襲でもなければ瞬殺は無理だ

619 :人間七七四年:2018/11/02(金) 19:06:36.14 ID:/iEIOfEt.net
毛利輝元って本当に西軍総大将か?
家康や三成そっちの気で四国や九州に侵攻してるがな

620 :人間七七四年:2018/11/02(金) 20:40:00.66 ID:noB6jXbS.net
輝元は長宗我部留守部隊に伊予加藤領へ出兵せよと当主・盛親をすっ飛ばして直接命じるぐらい指揮系統上れっきとした総大将だよ

621 :人間七七四年:2018/11/02(金) 23:19:13.34 ID:FOdRcqmc.net
そして当たり前のように無視されたんですね。

622 :人間七七四年:2018/11/03(土) 14:23:26.17 ID:Ji3LOf+c.net
この場合、どっちがどっちを無視したのか

623 :人間七七四年:2018/11/04(日) 01:50:13.60 ID:kwa0HaGm.net
>>619
当初の西軍は、東軍が西進してくるはずがないと思っていた
それどころか徳川以外の全大名が味方するから
そもそも東軍なんてものが結成されるはずがないと思っていたから
輝元がのんびりと四国や九州への縄張り拡大を目論むのは無理がない

東軍なんてものが誕生したこと自体が想定外なので
東軍が西進してくれば、どう対応すればいいのか分からず西軍が崩壊するのも仕方がない
はっきりいって東軍が誕生した時点で西軍は負けたも同然だからな

624 :人間七七四年:2018/11/04(日) 06:05:27.14 ID:ewxCO8u0.net
西軍及び輝元がそんな体たらくだから、広家が裏で色々と画策することになるんだよなぁ

625 :人間七七四年:2018/11/04(日) 12:53:21.93 ID:QGKtpM0u.net
>>610
それ太閤の5か国検地の話やな
家康が秀吉の命令で
自領の甲信で検地をしたが、天正十八年になっても未了(甲信全域で検地終了を示す17条の覚書未発見)
結局は検地未了のまま
小田原征伐に参加しとる
ぶっちゃけこの頃の家康は名実共に豊臣配下の陪臣でしかないし

626 :人間七七四年:2018/11/04(日) 13:38:23.77 ID:7E+Omxs8.net
うん、まあそれはそれでその通り

627 :人間七七四年:2018/11/04(日) 16:03:19.73 ID:KIqaqxWb.net
>>624
広家の関ヶ原直前の家臣に出した書状とか吉川広家自筆書状案読むと
なんとなく広家の気持ちが伝わってくるか
ただ光成氏に言わせると自己弁護が入っているので全面的には信用できないとか
逆にどこら辺のあたりが自己弁護なのか考えて見ると一興かも
吉川広家自筆書状案は長いので何レスかに分けてみる
本文脇にある追記と思われる文章がどこに挿入されるのが正しいのか分からなかったので
間違っていたらご指摘お願いします

628 :人間七七四年:2018/11/04(日) 16:03:51.32 ID:KIqaqxWb.net
祖式長好宛吉川広家書状

去月廿四日津城落城去之儀付而、態飛脚、令祝着候、於干今者、趣具可有其聞候間、不能申候、其以後濃州表へ打出之、

去七日南宮山と申に陣執り候、敵は樽井赤坂に有之事候、双方中間一里候、只今まては弥行無乗之候、追々可申遣候、

其地番衆普請等無緩之由肝要候、諸事猶以不可油断候、従香又(香川春継)、山九(山縣春佳)可申候、謹言

九月十二日         広家花押

  祖九右

祖式長好、佐々木長綱宛吉川広家書状

尚々、其元万之心持肝心まて候候、此状両人之外は拝見仕間敷候、まじく、追而申聞候、此表敵三万計陣取在之事候、

味方人数ははるばる多候。乍去、いかにもかたまり不申候、彼是以被申下さる子細共多候間、各心遣之此事候、

内府も被出候よし申候、ぎふ、いぬ山被越候間、被出候事は此節にて候候、兎角大事まて候候、心持之ため申遣候之、

両人少も他言候ては不可然候候、爰元はやかて可相聞之候、吉事まじく、

九月十二日          広家花押
  
  祖九
  
  佐九

629 :人間七七四年:2018/11/04(日) 16:05:12.37 ID:KIqaqxWb.net
吉川広家自筆書状案その一

追々重々致言上候、

一 今度惣御和談之事、其許相伺候而可相調事候つけ共、敵之手前先書に如申上候、内府着に付而、

至青野ヶ原、悉先陣衆は打出、㝡前陣所へ者内府被入移候、左候て行之様子相聞え候分は人数二手に分候而、

一手は山中へ押入、筑中左然候處へは筑中御逆意はや色立仕合候、就其大柿衆も、被地被居候事不成候而如山中、

大刑少陣無心元之由候て、被引取候、是は佐和山へ二番重引可仕覚悟と相見え候、惣別眼前候、

さ候へは御弓鐵御味方として被出候○衆○○衆は、多分心合之様子と相聞え申候、其地被罷居候衆も、

使者付置候はぬかた衆は、多も無之由候、一つとしてはや御弓矢御勝手に可成立ふり無御座候、此時者、

数代之御家をむさむさと可被相果事、餘残多存、長大、長老其外之衆へも不致談合、両人短息之餘、

別に傳無之候条、黒田甲斐所へ廣家内三浦と申かち者を、口上計状をも不持せ○に遣惣和談之手筋、

可有如何哉と計申遣之候へは、黒甲mカへ談合候て、即内府御本陣所へ使召連被参、

井伊兵部、本多中書被引合せ候て、被遂披露候、内府御対面候左候へは候て、先伊兵、本中以~文無別儀旨申候へ、

以其上、吉川lエ~文人質候者上、到来の上にて、内府直御~文対輝元様可被進之由候而、井兵、本中書前書之~文、

対両人被差越候、勿論血判筆本を此方使に見せ候、其条数、一 惣和談不可有御別儀之事、一 対輝元、内府少も無御別心事、

一 只今御分國相違有間敷事、此条々にて候、又mカ黒甲ら、如此相調候上者、上者以来両人少も無別儀馳走可申之由、

対両人~文誓紙被仕候て、三浦にmカ者一人、黒甲者一人被付越候条、此上者、又此返事仕候はてはとの談合仕事にて、

両人請紙仕使者帰○○も右四人之誓紙之返事仕調遣候て、爰元候此上は御行之様子如何候哉と、両使い相尋申候處、

両使申事には、山中へ之先手は、mカ太、黒甲、其外加左馬、藤佐、其外上より罷下候衆中筑中納言殿御手引之事に候条、

打合中にたて候て可討果候、可合戦仕候、

630 :人間七七四年:2018/11/04(日) 16:06:28.09 ID:KIqaqxWb.net
吉川広家自筆書状案その二

南宮山へ之手あては、先手池田三左衛門尉、井伊兵部、本多中書、

其外内府馬廻、此衆にて土佐侍従陣から御弓鉄炮衆陣、安國寺陣田中兵部、堀尾信濃足かかり能候条、

是を切崩候て、かさ陣へ可切上之由にて候、於干今此分候者、御和談調候はは間、相違可仕候条哉と

申候、先此分にて候つると申候条此方申分には、此御和談之事は、○○先両人計存候、長大、安國寺、

長土御弓てつほう衆なとは被存間敷候条、御手あて衆已下被出候は、可及合戦候、さ候へは、此首尾相違の様候条、

○○○○一円に御手あてなしに○被作せ之候者、當陣之者不打出様相(手偏に只)候て可罷居候由申候て帰候へは、

其返事ははや無之候つるか、少も手あてなしに被打過たる事候、此方御人数之事不被打出候て御(手偏に只)候て

御座候へとの可然之由申て帰候右如申上候とかくあひ候する仕合にて中々無之趣候つる条長大、

安國寺は人数たかり候つけ共、両人面白おかしく申候て、御人数打出候はて、敵手ふり聞合申候處、案中山中之儀事

即時被乗崩、悉被討果候、嶋津なとゑり勢三千にて、随分一合戦は可仕之由候つけ共、中なか馬を被入不相成候て

其身一騎のりぬけ伊勢地のことく被退候、式候つる条、幾重々とい候はぬ仕合にて御座候つる由申候事、

一 mカ黒甲より山中へ被打出さまに、又使者二人被越、人質之事lエ弟、粟屋彦右衛門尉子を早々出之候て可然之由、

被申候申越候条、合戦之仕合は右之分候、於干今はひかへ候ては不成ふりにて候条、如望両人両人差出之、

内府直之内府直之殿様へ之御誓紙之事、㝡前申談辻にと申候而、廣家nョ使者両人相副差出之候、

mカ黒甲先手へ被参候故、両使は先さまへ参、未罷帰候、人質をは、別而内府於御本陣被○請候て候て一段

御懇に被仰、堀尾信濃殿にお預け候、當手御人数之事も、如江州被打出可然之由、mカ黒甲被申置候条、

任其辻、昨日南宮山ら陣易仕候、路次案内者をも堀尾信濃殿ら被出候へと内府被仰出候て両人被出候道筋も

信濃殿被参候北すちのみちへ罷出候、今日佐和山着可仕候条、追々趣可申上候、

631 :人間七七四年:2018/11/04(日) 16:07:46.90 ID:KIqaqxWb.net
吉川広家自筆書状案その三

一 長土佐殿御弓矢てつほう衆は、一昨日内府山中へ被打越候を披見候てから、人夫悉如伊勢地被退候て、

山中之合戦勝手に成候由被聞候てから、ととけなしに皆伊勢路のことく被罷退候、

一 長大大蔵殿も、山中合戦悪敷候由到来候へは、即ととけなしに如伊勢路被罷引退候、

一 安國寺も。長大同前に中途まてのかれ候つるか、いかか被存候哉、自中途被引帰候而、南宮山被罷越候、

然者、此和談之由被聞候て、定而腹可被切せ候条、覚悟可仕之由、使者にて候条、且而左様有之事にても無之候条、

人数武具なとのけらけ候て、しのい候て出家一分之安國寺にて先被参可然候はん由候て、右之とをりにて候、

一 爰元調之儀は右之分候、はや余日無之事候者、不及申、一刻もはつけ候へは、御無事之調不成仕合候つる故、

其元相伺申候事、中なか不罷成候て、右之分に先為両人相調申候条、其元御事何もかもそこつに○被○作せせ候てらけ候て、

この節御家之御續千言万言肝心迄候、口上申分候衆一人早々下之候て申上度候へとも、路次のほといかにも不被計候て延引仕候、

何も今明日中一両人差下之以口上具可申上候、其内為御分別有増旨以書中申上候、

重々致言上候、爰許御無事之筋目、當分國中無相違可被進之由、~文被易、為人質lエ左近、

粟屋彦右衛門尉子十郎兵衛可差出之由、御好に付而、其辻に差出相調申候、s左衛門太夫殿、黒田甲斐守殿被相調、

井伊兵部、本多中書務御取次にて候、何も段々出入者口上被申分候衆一両人を明日中差下之候て可申上候条先以其元之事、

右之辻に被思食候て可然候、一昨日十五日内府様直に山中へは被押寄被及合戦、即時被討果候、昨日至江州二手に被分乱入候、

當手之事、北口之手同前に打出可然之由、mカ黒甲ら被申候条、其辻に致陣易候、mカ、黒甲先手へ被参候故、

人質之儀堀尾信濃殿へお預け候、即又路次案内者をも信濃殿より被差出候、一昨日は當手之事は南宮山㝡前之陣取に候て、

手前引堅かまはすに有之たる趣候、兎角於干今は、其元之御事此地にての調手はす違候はぬことく

御覚悟尤存候、候て御家被續候事此時と存迄候千言万言無別条候右如申上候口上之衆軈而差下之可申候路次之計を仕延引候此由

押紙

   敬白靈社上巻起請文前書事

一 今度之儀以御取成被思召分忝候事
     
     慶長五年九月廿二日  安藝中納言輝元

     羽柴左衛門太夫殿

     黒田甲斐守殿

   起請文前書之事

一 御身上之儀向後 内府様不可有御相違之事

     慶長五年九月廿九日   黒田甲斐守
                    長政

        羽柴蔵人殿
             参

632 :人間七七四年:2018/11/04(日) 16:09:16.47 ID:KIqaqxWb.net
以上です。あと脱字、旧字体の読み間違えからくるの誤字があったらごめんなさい

633 :人間七七四年:2018/11/04(日) 16:12:09.12 ID:1AjO4BYd.net
おつ

634 :人間七七四年:2018/11/04(日) 17:55:05.05 ID:8aG75O3f.net
すばらしい

635 :人間七七四年:2018/11/04(日) 18:03:18.55 ID:KIqaqxWb.net
ああ、あと手偏に只の漢字が検索しても分からなかったので
苦肉の策でこういう表記にしました

636 :人間七七四年:2018/11/04(日) 18:23:48.55 ID:i9bht4Pe.net
吉川は恐らく黒田から教えてもらった家康上洛を、
他の西軍は全く知らなかったことに絶望しただろうね

637 :人間七七四年:2018/11/04(日) 18:55:45.71 ID:9ysz7jWl.net
てゆーか、輝元にしたら西軍が全滅しても
(この時点では)痛くも痒くもないやろ

638 :人間七七四年:2018/11/04(日) 22:27:23.16 ID:RMfjtdXz.net
>>628-631
乙です。参考になります。

639 :人間七七四年:2018/11/05(月) 22:00:45.48 ID:JJBbXukr.net
長宗我部や長束が届け無しに伊勢路に退却したとあるけど
それだけ退却時味方連中は狼狽してたと言いたいのかな?

640 :人間七七四年:2018/11/05(月) 22:14:50.40 ID:RtdfrgUB.net
届けなしなら、指揮に従ってない

会社で言えば何も言わず早退

641 :人間七七四年:2018/11/05(月) 23:45:15.07 ID:l0VaNC6m.net
書状の中に何度か出てくる於干今ってどういう意味?

642 :人間七七四年:2018/11/05(月) 23:57:20.59 ID:vh9/vIMR.net
干じゃなくて于でしょ

643 :人間七七四年:2018/11/06(火) 10:52:14.71 ID:XpHtCvi1.net
広家にしたら輝元の尻拭いに必死何だろうけど、
輝元にしたら秀吉死後の家康の立場が妬ましかったんだろう
坂西の儀任された筈という自負もあったろうし、
秀吉死後、家康が誓い破って好き勝手やっていると思ってたろうし

644 :人間七七四年:2018/11/06(火) 11:21:40.71 ID:i3zqF0jv.net
輝元は秀元の相続問題で三成に便宜図ってもらったりそれを家康に覆されたりしてるから
普通に家康に対する反感や三成が失職した事による危機感はあるだろうからねえ
逆に広家は家康の裁定のおかげで面目を保った形だから恃むなら徳川だと考えるのも無理はない

645 :人間七七四年:2018/11/06(火) 12:19:04.48 ID:OIB8qRqC.net
>>643
坂西の儀任せられたと言っても隆景とのコンビでの話だし
誓い破ってとは言っても>>7の遺言にある様に秀吉死後の政務任されたのが家康で
それを不満に思った輝元や奉行連中が自分も政務に参画するために企て
新たに誓わせたのが以下の誓紙なわけだしな
ちなみに毛利家と浅野家だと微妙に文字も違いとか在るけど意味は一緒なんで
浅野家の文書で書いてみた

豊臣氏五大老五奉行靈社上卷起請文寫

(端裏書)
「秀吉様御他界之以後拾人連判誓帋寫」

敬白靈社上卷起請文前書之事

一 秀ョ様御爲存候上者、諸傍輩に對し私之遺恨を企不可及存分に事、

一 此連判之衆中に對し、誰々讒言之子細在之共、同心不可申候、何時も直に申理、可隨其に候、

  自然不相屆儀承付候者、無隔心可令異見候、事により同心無之候共、遺恨には存間敷事

一 傍輩中不可立其徒黨候、公事篇喧嘩口論之儀雖有之、親子兄弟緣者親類知音奏者たりとも依怙贔屓不存、如御法度可致覺悟事

一 此衆中之うわさあしさまに被申聞仁於有之者、則其申主をあらはし、互可申屆候、左様に無之候て、拾人之外別人を近付、

  此衆中之うしろ事あしさまに取沙汰申間敷事、

一 諸事御仕置等之儀、其輕重をけつし、十人之衆中多分に付而可相究事、

一 拾人之衆中と、諸傍輩之間にをいて、大小名によらす、何事に付ても一切誓帋取りかはすへからす、

  如此相定上、若誓紙取あつかい仕候衆に至ては其徒黨を立逆意之基眼前候條、各相談仕、曲事に可被仰付事、

一 對 秀ョ様、誰々惡逆之子細雖有之、出しぬきの生害不可有之、其罪科之通申屆、理之上を以可有御成敗、

  縱其身にけのひ候共、其在所へをしよせ可被加御成敗事、

    以上

右條々若私曲僞於有之者、忝も此靈社上卷起請文之御罰、各深厚に可罷蒙者也、仍前書如件

   慶長三年九月三日     長束大藏大輔

    輝元          石田治部少輔

    景勝          搏c右衞門尉
    
    秀家          淺野驒正少弼 

    利家          コ善院

    家康 

646 :人間七七四年:2018/11/06(火) 21:51:06.00 ID:OIB8qRqC.net
>>628
ところで国元に居る家臣に味方(西軍)に対する不安を告げて
他言するな、書状を他の人間に見せるなと念を押しているのは
どういうつもりだったんだろう

647 :人間七七四年:2018/11/06(火) 22:56:20.43 ID:OIB8qRqC.net
>>641
拙い自分の古文読解力だと「ああ今は」か、「今ここにおいて」かのどちらかかと

648 :人間七七四年:2018/11/06(火) 23:20:44.48 ID:nMCtacvz.net
この戦時においては、 この戦闘では、 あたりじゃない?

649 :人間七七四年:2018/11/07(水) 13:45:23.27 ID:QFUjIMib.net
>>646
燃やせとか見せるなとか喋るなとか、そんな書状ばかりだね

650 :人間七七四年:2018/11/07(水) 14:34:01.41 ID:elCRCW7O.net
もはや定型文

651 :人間七七四年:2018/11/07(水) 22:30:34.11 ID:QpwzXnGa.net
しかし輝元や四奉行は>>645の誓紙で家康の政治活動を制約したり
内府ちかひの条々で家康を孤立化できると本気で思っていたのかねえ
本当にそう信じていたなら家康の影響力を過小評価、逆に自分達の
影響力を過大評価していたんだろうなぁ

652 :人間七七四年:2018/11/08(木) 01:53:51.31 ID:EJYyIwxk.net
味方しないまでも大半が中立化すると思ってたんだろう
まさかロクに離脱者が出ないとはおもわなかった
ましてや家康が来る前に岐阜城を落としてしまうほど戦意が高いなんてな

653 :人間七七四年:2018/11/08(木) 03:31:50.84 ID:hTJpX397.net
同床異夢状態の西軍首脳陣と比べると東軍の場合目的がシンプルなんだよな
大坂が占拠されてる以上西軍に付くつもりがない大名は勝たない事には帰れないからなあ
家康がうまく煽ったというのもあるだろうけどそりゃ必死にもなる

654 :人間七七四年:2018/11/08(木) 08:29:08.14 ID:A1rtVHAO.net
秀吉が家康にあれ程気を使っていた理由に気付かないどころか、
そもそも気を使っていることにすら気付いていない

家康がそれを吹聴したら秀吉に始末されたとは思うけど

655 :人間七七四年:2018/11/08(木) 11:48:57.76 ID:Zp0qtsGu.net
それだよな
秀吉は徳川ともめたくなかったし、徳川も秀吉にたてついて痛い目をみたくもなかった
お互いにおとしどころをみつけただけの話

656 :人間七七四年:2018/11/08(木) 13:15:41.85 ID:ja52eXmo.net
秀吉の書状や言動はハッタリや誇張が多いからそれを真に受けるようになっていたのかも
秀吉生存の頃に秀吉の威光のお陰で、諸大名達が自分達を恐れているように感じていただろうし

657 :人間七七四年:2018/11/08(木) 13:57:44.75 ID:utIL9BJr.net
むしろ政権閣僚一の落ちこぼれだった家康を何故 秀吉はあそこまで可愛がったのか……
やはり人は賢く可愛い無能に引かれるのか?

658 :人間七七四年:2018/11/08(木) 14:03:43.47 ID:sAMwlwSd.net
>>657
おは三成
お前程度の官僚は徳川家臣団に5人以上いるぞ

659 :人間七七四年:2018/11/08(木) 14:17:29.16 ID:utIL9BJr.net
>>658
三成
[とりあえず、甲信検地は期日までには終わらせましょう]
家康
[…あれ?おかしいな…三河と何が違うの…]

660 :人間七七四年:2018/11/08(木) 14:30:32.15 ID:sAMwlwSd.net
なお徳川政権運営時
三成のように野心がなくて三成のような悪徳官僚も少ないから家康は比較的楽に政権運営できたことだろう
豊臣政権に参画することで徳川官僚団は1地方大名級から天下を差配するまでに鍛え上げられたとも考えられるが
…上杉毛利?知らん

661 :人間七七四年:2018/11/08(木) 15:08:32.51 ID:utIL9BJr.net
>>660
松倉勝家
大久保長安
[何で疑問系?]

662 :人間七七四年:2018/11/08(木) 15:37:17.49 ID:Y/imjKFO.net
>>661
松倉勝家が徳川家の官僚ってマジ?
大久保は悪人の筆頭だがパッと出て来るのはこいつくらいだろ?
長束増田石田のゴミ三人に比べれば可愛いものよ

三成が検地を担当した地では
島津、佐竹、真田などなど検地のごまかしが行なわれ、
後に親しくなる上杉氏などは惣無事令違反を肩入れしている
このように官僚として正しい行いをしていないし、不正を行なっているからな
で自分が政権から追放されると関ヶ原ときた
個人として私欲がなかろうと公人としては絵に書いたような悪人だな

663 :人間七七四年:2018/11/08(木) 16:25:55.37 ID:A1rtVHAO.net
>>659
太閤検地はどんぶり勘定

664 :人間七七四年:2018/11/08(木) 17:49:59.78 ID:awOnzp14.net
>>662
つっても、上杉景勝領になった庄内は反検地一揆の危険地帯な件

665 :人間七七四年:2018/11/08(木) 21:41:50.87 ID:2Rq4T72V.net
徳川の家臣団なら有名どころなら、まずいわゆる本多、高力、天野の岡崎三奉行がいるし
名所司代と言われた板倉親子、町奉行などの地方行政官なら彦坂元正、彦坂光正、
長谷川長綱など、治水関係なら海外関係なら三浦按針がいるし
宗教関係なら、天海、崇伝、三要元佶などなどその他多士済々だ

666 :人間七七四年:2018/11/09(金) 00:05:37.88 ID:DLQPughO.net
内儀を任された利休が奉行を無視して自分で諸大名を取り次いだり
関白になった秀次が奉行を無視して自分の家臣たちと政をしたり
筆頭大老になった家康が現場とトラブルを繰り返す奉行をクビにしたりすると
奉行連中は毎度のように騒ぎを起こして相手の命を狙うからな
豊臣政権自体がどうなろうがお構いなしに暴れ放題だ

豊臣官僚の悪質ぶりは日本史上でも類を見ないレベルでしょう
石田を筆頭にあまりにも傍若無人な振る舞いが多すぎる

667 :人間七七四年:2018/11/09(金) 00:26:50.31 ID:ccn4CrC6.net
何かというと武装して、あいつを罷免しろと将軍に強要する足利幕府の重臣に比べりゃ、かわいいもんじゃねえかな

668 :人間七七四年:2018/11/09(金) 00:29:10.97 ID:87lMpQlq.net
御所巻きと比べる必要も意味も全くないわけだが

669 :人間七七四年:2018/11/09(金) 00:42:59.04 ID:YSKoorq/.net
>>666
そうか。利休を殺し、秀次を殺した成功体験が彼らを徳川相手にも同じことができるという過った決断に導いたわけか

670 :人間七七四年:2018/11/09(金) 22:06:57.61 ID:Wnx0kTyR.net
虎の威を借る狐は虎が居なくなれば、ただの狐になるだけなのに
長い間権力を行使できる場に居ると、そんな当たり前の事も忘れるのか
権力を行使できる立場の快感が手放す事が出来なくなるのか

671 :人間七七四年:2018/11/10(土) 09:44:03.71 ID:JMg/PBG7.net
少し毛色は違うがこんなのも挙げてみる。

年次欠(推定関ヶ原直後)養徳院(池田恒興母)宛徳川家康書状
御文ことに二いろを くり給候、しうちゃくに そんし候、
うけ給候ことく、てんかとりしつめ候、
三さへもん殿一たんと 御しんらうともにて候、
いつれもめてたき事、
かさね々申うけ給候へく候、
めてたくかしく

やうとく院  内ふ


訳:お手紙および贈り物を二品もお送りいただき、ありがたく思います。
仰せのとおり、天下を取り鎮めることができました。
三左衛門(輝政)殿も格別にご心労の多かったことと察します。
何にしても目出度いことであり、重ねて祝い申してくださる通りであります。
目出度く畏まって申します。


家康は天下を取り鎮めたと言ってる。

672 :人間七七四年:2018/11/10(土) 10:12:56.36 ID:ef1Lnzx1.net
>>666
そうやって思い上がった挙げ句文録の役で>>443の様なアホな提案する迄に至るわけだ
実際は様々な武将から怨み募らせられていたわけだが

673 :人間七七四年:2018/11/10(土) 10:14:28.62 ID:/NBsgPIh.net
軍を率いて大坂に入ってるし傍目には謀反にしか見えないよな
大名の妻子を軟禁するは妻子に死者を出すわ

674 :人間七七四年:2018/11/10(土) 11:59:19.08 ID:rRzthSlE.net
三成は
「内府殿、わたくしは上杉様の家臣直江殿とは旧知の間柄ゆえ説得いたしたく
存じまする。どうかわたくしめも同行させていただけませんでしょうか」
家康
「それはたのもしい。冶具どの、是非ともそうしていただけるとありがたい」
で火種を消すことに全力注いでしかるべきだった。
家康不在を見計らって挙兵とかダメすぎるだろ。

675 :人間七七四年:2018/11/10(土) 12:50:33.51 ID:NQc9PK/B.net
家臣同士の争いであって、豊臣に対する謀叛ではない。

豊臣がそう解釈してるならそうなんだろう。

676 :人間七七四年:2018/11/10(土) 21:11:35.89 ID:+8c+3cJ3.net
>>671
かなが多いのは女性宛だからでしょうかね
>>672
広家とか十数年後経っても、怨み忘れ無いのか朝鮮での三成に対しての不満とか書いた書状残していますからね
まあその他にも秀吉の遺物渡し忘れたとか色々書いてますが

吉川廣家覺書

  對石治少我等所存之事

一 上樣以 御諚出雲伯耆に被 下置候領地之儀、御他界之後、宰相へ渡可申旨被申出候事

一 我等女五ヶ年之間、雖在伏見候、終不致 御目見候之儀、治少以時分可申由候而打過候事

一 高麗地御付城被  仰出候刻、二三ヶ國に一城宛被仰付候、我等國者方角他國に相替候、都合八万石之領地役とて、

  とくねきと申城五ヶ年之間相拘候事、

一 大明之人數、加肥後城うる山へ罷向候時、從 上樣七人之御目付衆御相談之刻、我等所存之段、彼衆中へ得御意候事、

一 うる山河越之時致先馬、大明之者壹人我等打捕申候、此両条をK筑前存知之前に候事、

一 至高麗都大明衆相動候刻、柳川、小早川致先手候、其一戰之時、壹人我等討取候事、

一 高麗都河下に、彼國之者共、一城取付在之處に、備前中納言殿、三奉行衆并前但馬、加遠江、小攝津守其外被相動候事、

  二之丸乘崩候刻、我等被疵候、手之者共頸五ツ討取候、本丸者かこひ能御座候て持居候、左候處に、

  大刑少被罷越、我等者共可引取旨致下知、被引取候事、

一 於伏見 上樣書院之御成申上度存、五ヶ年之間石治少雖奉ョ候、終不致成就候事、

一 上樣御逝去之刻、諸大名衆に御遺物被下候、我等式者不寄存候而在之處に、有方より承付儀候間、治少へ相尋申候處に、

  失念之由候而、至其時 御太刀拜領仕候事、

一 太閤樣 御感狀之寫如此に候、此御正判國本に御座候間、於 御不審者、可奉懸 御目候事、

一 太閤樣へ中國より奉得御意候儀、㝡初K如水、蜂彦右以御取次之筋目、萬事得如水御指南申候、然者、

  右兩人近年五奉行衆よ半御座候に付而、我等身上之儀不達 上聞候事、

    以上
    
    慶長十九年十一月十一日   廣家  

677 :人間七七四年:2018/11/10(土) 23:55:09.71 ID:Zhdh3cXc.net
これが史実なら、 奉行連中自己の権力を知らしめる為、わざとやっているとしか思えないんだけど

678 :人間七七四年:2018/11/11(日) 00:10:46.22 ID:0plvkC7r.net
>>676
石治違いの条々ってかんじですね。輝元と石田三成はそれほど悪い関係ではなかったようだし、
取次が如水、蜂須賀から奉行に変わったのは秀吉の意向だろうし、
それでも吉川広家は粗略に扱われたとは言えるかも。

679 :人間七七四年:2018/11/11(日) 00:23:28.85 ID:0plvkC7r.net
ただ毛利自体も、輝元、安国寺恵瓊、秀元、吉川広家、毛利譜代家臣衆と微妙な
派閥というほどではないかもしれないけど考え方の違うまとまりの無さとでも言うのか
そういうのの影響はあるような気はする。

680 :人間七七四年:2018/11/11(日) 05:37:36.78 ID:44U5wFDs.net
ただ広家もちょっと粘着質な感じがするな

681 :人間七七四年:2018/11/11(日) 08:46:37.91 ID:6OYRPmjf.net
おまえらちゃんと読めるの
すげえな

682 :人間七七四年:2018/11/11(日) 12:45:06.57 ID:ugHz8sY7.net
>>680
広家くどいところがありますからね。自己弁護のためか覚書何通か更に残してますし
三つ程上げてみますが、一番目の年不詳のものは兎も角、二番目は慶長五年
三番目は慶長六年に書かれた事になっているみたいですけど
家康の事、うっかりなのか大御所と書いている箇所があるので
どんなに早くても慶長十年以降に書かれたものでしょう

683 :人間七七四年:2018/11/11(日) 12:45:57.22 ID:ugHz8sY7.net
吉川廣家自筆覺書

一 先年治部少輔安國寺致同心企逆意候、於大坂申出候刻、宗瑞留主居之者共令相談、
 
  更に非如此子細に之段、再三異見仕候事、

一 右之樣子安國寺不致承引、逆心之存立、宗瑞事呼越候而大坂西之御丸罷上候、以來無是非之次第に罷成候事、

一 大御所樣數年對双水に悉之子細、其限無御座候、宗瑞内々不致忘却候之、下々まて悉被存候、然者、

  其刻治部少輔安國寺致同意に付而、右之申わけ不罷成之事、

一 於大坂、揄E其外相談之子細共身及申躰、K田筑前殿まて至關東言上仕候處、  大御所樣如此に被成御書候之事、

一 於赤坂に井伊兵部殿本多中務殿へ得御意、㝡前之辻無相違覺悟仕候事、

         以上

       五月朔日      吉川藏人(広家花押)

        本上州樣

684 :人間七七四年:2018/11/11(日) 12:46:25.82 ID:ugHz8sY7.net
吉川廣家自筆覺書案

 (この文書は、慶長五年の九月のものにかかる)

  覺

一 内府樣會津へ御出馬之刻、爲御供我等安國寺被遣候事、

一 然者、七月六日に本國出雲罷立、同十三日、於幡州自安國寺の使に參合候事、

一 七月十四日に大坂參着、同晩に安國對談候事、

一 此時安國より申かけ候段、此方返答に 御所樣宗瑞へ別而御懇に被仰出、其上御契約之筋目等迄申候事、

一 同返答に、太閤樣御死去之刻、御遺言之趣御納得、起請文血判等迄被成、其後如右御契約之時、

  御~文御取替、其儀相違、不可然之由申候事、

一 九州に被殘居候衆も人數至

一 内府樣先年尾州小牧山御一戰之時、三ヶ國之御領主にて太閤樣御引懸一戰之勝利は被得候事、

  内府樣御手被任候處に太閤樣種々以御計略御あつかいに被成候へ共今八ヶ國之御領主、其外覺有諸大名衆、

  只今東國へ被致御供候、其上隆景ほとも被相果候上者今程之衆は縱可及合戰題目在之共

  中國西國少々在之衆は○方故被存寄候共支度可爲儀も成間敷迯候中國より被罷上衆は

  或は其覺も不及年又は皆々若き衆候間、旁以不可然候と申候事、

一 右之段々安國寺に申聞せ候へは、是非此度 内府樣被致謀叛事不可然之通申候へは左候者、

  安國寺可及切腹之由申候間、縱左樣に被存候相極候共、無如在輝元に安國寺はかへらけ不申と申候事、

  第一㝡前深重に 内府樣と被申合候筋目違候事は何ヶ度申候ても不可然之由申候事
  
一 如此申候内に大坂之樣子餘無心元被存、輝元大坂へ被罷上候事、

一 太閤樣御時、我等事K田如水は以來對中國取次候故、以其手筋、右之段次第申段半之事候間

  右之段輝元少も不被寄存處を、安國石治少大形少に被催立安國寺計を以悉皆如此成行候段を

  K筑州へ甲州へ以飛脚申遣候へは、其返事に 大御所樣御書相添甲州より飛脚被指返、于今所持候事、

一 南宮山之事、

一、右拵之段甲州へ申達候へは、上者無用捨拵之儀iz後申談甲州へ申届九月十四日に御和平調申候事
  
  則井兵部本中書mカ太K甲州靈社之起請文血判被申易候間此方よりもiz我等等~文進上候て

  九月十四日に御和平調申候

一 實子之證人被成御赦免候事

一 御返納過分に御宥免候事

685 :人間七七四年:2018/11/11(日) 12:48:47.97 ID:ugHz8sY7.net
吉川廣家自筆覺書案

 (この文書は、慶長六年のものにかかる)

 中場言樣へ申上候条數之案

今度和睦相調、我等満足此事に候、此中之儀、世上之批判之所承及候之通、雖申上度候、

此御調無殘致首尾候而と存、延引仕候、就其事多御座候へ共、初中後之樣子、以一書申上候、

一 去七月、安國寺佐和山被罷越候て、石治大形被遂相談、如何御座候つるか、忍候而大坂被罷下候、

吾等儀、早々可罷上之由候而、七月十三日、飛脚到來候、於幡州参會候、大坂罷越、長老對談候之處、彼被申樣者、

内府樣會津御出馬被相定候、今度景勝上洛延引之儀者、太閤樣依 御諚、國之仕置被申付候

三年役儀御免被成候、故如此候、其身非如在候間、先拵に可被仰出哉之段、爲各度々雖言上候、

無御承引、今度御出馬被相極候、彼表之儀可相果迄に候、か樣に候へは、諸大名進退更無安堵之事に候、

已來之儀者、 秀ョ樣御爲も如何可有御座候哉、會津堅固之内、各申合、可及弓矢之通、於佐和山、

石治大刑申合、揄E其外も同意に候、於于今者、 中納言樣一刻片時も早々御上洛尤之通申下之由被申候、

然者、我等申樣者、日本二つ之御弓矢、大篇之儀候間、我等式存道無御座候、安國寺御分別此時に候、

先吾等令申所者、先年 太閤樣御逝去之前かと、諸大名被召集、靈社起請文以血判、向後各深重に申合、

公儀可有馳走之旨、可申上之由候而、重疊於 御前被相究候、其後 内府樣よ奉行方御半之刻、 中納樣別而被仰談、

已來御兄弟御契約、并藤七樣被成御契約に付而、又以御~文被仰合、已來内府樣被對 中納言樣無御等閑御座候故、

天下之聞え異于他儀共候、然者、憐國之諍、又は自他國引請候儀者、其身無如在候ても不及是非候、

何之道にもあらす候て、内府樣へ御別心非可有之儀候、其上今度謀叛候衆中被成御同心、御弓矢被思食立候事如何に候、

縱天下屬御勝手候而も、後代之聞え無曲候、左候へは、奉行方一味中よ被仰候衆中は備中、筑中、九州衆奉行衆に候、

兩中納言殿御若輩に候、其上家來區々に候、九州之儀者、遠國と申、如水、加主計別儀御座有間敷候、

惣國之衆中手前之覺悟可有馳走衆も、人數至來可爲不自由候、又奉行衆之儀弓矢方之儀は不承及候、

朝鮮已來屬彼御手に候下々批判をも承候、然間、世上之沙汰も不存之儀に候、又中國之儀者、隆景御死去已後者、

前々に相替候、惣樣天下之さけすみも、此御弓矢御まけに可成哉と心得候、

686 :人間七七四年:2018/11/11(日) 12:49:38.76 ID:ugHz8sY7.net
又先年 太閤樣内府樣、於尾州小牧山御陣被及一戰、毛利武藏、池勝入被討死候、關白殿も先手を被崩、被失御覺候、

其一戰内府樣雖被得御勝利候、太閤樣以御思慮御拵に罷成、御緣邊以下相調、大躰者大形御勝手に罷成候、

其時太閤樣は、五幾内、中國、北國之諸大名被屬御手に御發足候、 内府樣は、其刻三ヶ國御領知候、

於于今者、八州御隨逐候、諸大名も在覺人者、悉東國方に有之事に候、然時は、御弓矢懸合不申候かと存候、

日ョ樣被仰置候も、當分五ヶ國十ヶ國御手に入候段は、時之御仕合にて候、已來之儀者、於御子孫も、

天下御竸望曾以被思召寄間敷通、連々被仰聞たる之由、元春内々申候き、万一天下御手に入候共、

權柄者可爲奉行衆候、左候はん時者、 内府樣へ被屬候よりも、御外聞實共可爲御心遣候、御まけに成候上にては、

惣之大名衆は、任時之躰に不可有實儀候、相極所者、揄E、石治、大刑、 中納言樣可爲御迷惑候哉、旁以安國御思慮此時に候段、

再三申候、然處、大坂西丸御留主居衆申理候間、此方人數可入置之通達而被申候、 中納言樣御意承届候はて、

各我等式不及同心之由、返答申候、然者、長老被申樣は、於此儀者、 中納樣御内證得申候、去春nョ、堅兵木津に被殘置候も、

此儀に付而之事之由被申候而、一圓に無同心候、宰相殿、完戸殿其外もか樣之儀少も無御存知之由に候、此時は長老いかに被申候ても、

御意承届候はては、聊爾之働不相成事に候段申候、其時長老其申分に候時は、無曲次第に候とて、腹可仕之由候て、

以外違亂被仕候き、縱左候共、御爲には替不申候間、長老被相果候而も、中國之御爲に候間、不及是非之通申候半、

はや可有御上之樣に御至來も少々御座候、其時各申段、椙杜下總守至廣嶋被罷下候へと申候、此節は先以廣嶋被成御(木偏に只)、

御分國え被仰付尤に候、此方之儀者、木津各被籠候而、世上之儀承届可申下之通、相含差下申候之處、於中途被參會、

然々不申達候て、被罷上候之事、

687 :人間七七四年:2018/11/11(日) 12:50:56.27 ID:ugHz8sY7.net
一 中納言樣無御上之内、益玄被申樣は御弓矢に罷成候時之ささはりには成間敷候、若 中納言樣無御存知之由、被仰度時は、

可然候之間、木津御留主居之者として言上仕之通、關東へ可申遣候哉、其旨趣は、中納言樣此企會無御存知候、其段自廣嶋雖可申開候、

遠路に候之間延引仕候、先輝元不被存之段、木津留守居之者共言上候由、申捨度候、後々御用に立御事もやと被申候、

是は無余儀被申樣と申候て、完戸、益玄、熊豐より榊式、本佐、長右近迄之書狀被認候、吾等も書狀相調、

完戸殿飛脚同然に可遣と催候之處、中納言樣御上着候間、此時は此文言僞に候間、飛脚指留申候、私儀者、

如水已來K甲州累年懇切に候間、一旦不申遣之段も無曲存、此儀 殿樣無御存、安國以計如此成下候通申遣候、

其返書に大御所樣御書相添到來候、則nョへ見せ申候事、

一 安國寺佐和山より被罷戻戾、於大坂被申趣は、 輝元此儀に付而被呼返候間、從江州罷歸候通、大名衆御馬廻へも數通書狀被遣候、

聞召も被可及候、又何方にも多々可有之間、已來紙面可有御覽候事、

一 伏見之城へ人數差寄、責口被申付候刻、勢州へ可相働之旨、奉行衆相談被相究候、惣別濃州北國兩口之仕置、

堅被申付候て社尤候、勢州さしむかひたる儀にもあらす候間、出勢無詮候、雖然、長太、安國寺被罷向、

あのの津近邊掠本よ申所、兩人被陣取候、如何候哉、夜中我等陣所關之地藏へ被引取候、其より猶以敵味方覺相替候、

其後又津之城可指寄之由被相催候、左樣へは、大御所樣被成御打上候は、大分之一戰可有之前かとに、

不數城乘崩候ても無詮候、万一手負死人罷成候はは、一方御をくれに罷成儀に候處、首尾不合行被仕、城被乘崩候へ共、

手負死人候て人數半分に罷成、味方之覺莫大に罷替候事、

一 如此御弓矢出來候而、御名利共に、無曲可成行事如何に候、於此上も以御拵御家被續尤に候哉と、

nョ申合、堅兵少勢州呼越申、此段之物語申、差返候、其後 御諚之段、一日一日と奉待候つる事、

688 :人間七七四年:2018/11/11(日) 12:52:01.67 ID:ugHz8sY7.net
一 石治、大刑兼々相談被相澄樣子、大垣關か原人數、南宮山へ相まるみ一戰可仕に被相極候處、

九月十三日、 内府樣赤坂御着候刻、治少、大刑少大垣南宮を捨候て、山中へ引取候時は、前日之儀定相違候而、

佐和山へ可被打入催露顯候、然者、拵之儀連々申上も、此時に候間、K甲州へ可申試之通、

nョ申段、一人遣之、以口上申候處、則井兵、本中、mカ太、K甲州靈社血判之以起請文被申易候、

此方よりもnョ我等~文進之候て、九月十四日、御和平相澄候事、

一 同十五日、 大御所樣於關か原一戰被仰付候、其刻、廣家nョをくれ候て、治少合戰失勝利之由御沙汰候、

たとへは當日可爲勝利見懸仕候共、前日に血判起請文を以申替候辻、違返非可仕之儀候、其上南宮山と關か原之間二里之中間にて候、

又南宮へ之手宛、羽三左、一柳右近已下二万計指むけ被置候、其當日霧ふかく候て、五間十間相隔候所會見え不申候、

又は高山にて候故、山下行之趣、一圓見え不申躰に候、兼々も南宮衆一力之一戰可被申付との議定無之候、

何之条も其時筈難被仕合見え申候、只今世上之人口と、其刻之有躰には可爲相違よ存候、先年備中高松之城

太閤樣御責之刻、信長御生害之故、當方御和平被仰談、御陣可被打入之折節、從紀州雜賀、信長不慮之段、

遂に申越候、下々申樣は、此時手を返矛楯に及候者、天下則時に可被任御存分に所を、隆景元春御分別違候と各被申へ共、

前日~文被取替候辻、無忘却被相届之段、太閤樣御感候而、其故御當家于今如此御安堵候段、隆景折々御物語候て、

御自慢之一に候、定而各も可被及聞召候間、不及申候、併去年之御和平、此時に相應候哉之事、

一 九月十五日、南宮山にて合戰、只今各如被申候、其程被見懸候者、幸大將之長大藏、長老兩人被罷出候間、

nョ我等には不被搆、則時に一戰可被仕儀に候處、臨其期は、長束、安國寺不被相進候、只今世上之讃談は相違申躰に候、

又可成よ被見懸候所は、我等式へ一言之尋無御座候而も被申付候、其故は、津之城にて八月廿四日進陣、廿五日に仕寄候て、

廿六日に可乘崩よ申合候筈悉違候て、長束責口より町口へ被仕懸、其まま城乘に罷成候、爰を以可被成御推量候哉、

事過候て何かと致沙汰方も御座候哉、か樣之事は連々相聞え可申候間、已來可被 聞召合之候、已上

                          吉川藏人

                            廣家

689 :人間七七四年:2018/11/11(日) 14:04:30.24 ID:44U5wFDs.net
>>681
ちゃんとは読めないけど、なんとなくの意味は分かるかなって感じだなぁ

690 :人間七七四年:2018/11/11(日) 16:13:35.88 ID:ugHz8sY7.net
>>683一カ所明らかに書き間違えました
三条目對双水ではなく宗瑞ですね

691 :人間七七四年:2018/11/11(日) 17:59:50.64 ID:44U5wFDs.net
史料読んでみて関ヶ原とは関係ないけど、当時の人にとって小牧は家康が勝ったって認識なのか

692 :人間七七四年:2018/11/11(日) 18:08:35.87 ID:PjlRHB5V.net
10万動員した結果が母と妹を差し出すことだしなぁ

693 :人間七七四年:2018/11/11(日) 18:31:21.51 ID:jasNVAxP.net
秀吉書状の話の盛り方や太閤能なんかを見るに
勝っていたならもっと大々的にプロパガンダしてたはず
秀吉本人が小牧に勝ったとは思ってなかったんじゃないかな

694 :人間七七四年:2018/11/11(日) 18:41:38.90 ID:BjHfAmAU.net
だってあんまり調子にのると徳川がへそを曲げるしな

695 :人間七七四年:2018/11/11(日) 18:50:26.34 ID:PjlRHB5V.net
センゴクの小牧後の秀吉と家康はよかったな
家康を従え実際に会ってみて この男には野心がないのか、信長に従ったのも信雄と共闘したのも必要とされたからなのか、これほど扱いやすい男も居ないと思う秀吉と
秀吉に従うことに不満を漏らす家臣に、ただ無心に励むのだ、と心の内を誰にも明かさぬ不気味な家康
三方原の頃の感情的な家康と別人の様

696 :人間七七四年:2018/11/11(日) 22:47:13.82 ID:xK2TZ/Ea.net
>>688のこの部分意訳
>其故は、津之城にて八月廿四日進陣、廿五日に仕寄候て、
廿六日に可乘崩よ申合候筈悉違候て、長束責口より町口へ被仕懸、
其まま城乘に罷成候、


安濃津城攻城の作戦計画は、8月24日に安濃津城に接近し、25日に仕寄って、
26日に総攻撃開始というものであったが、長束がこれを無視して強襲攻城開始、

仕方がないので他隊も攻城し、安濃津城は2日で落ちた(開城した)、というもの。

697 :人間七七四年:2018/11/12(月) 04:04:03.97 ID:gw5kNPFC.net
小牧・長久手の戦いは最近の教科書だと秀吉の勝利となっている

698 :人間七七四年:2018/11/12(月) 06:10:49.64 ID:wBbtl+Vt.net
関ヶ原でも安濃津でも取り決めを違えた連中が悪いんだって主張か

699 :人間七七四年:2018/11/12(月) 06:41:23.08 ID:c/uvhvLJ.net
秀吉の徳川への動員にびびって土下座する気満々だったけど地震でひょった秀吉が懐柔策へ変更

結果徳川は不名誉な土下座もせずに名誉ある臣従を許される
家康が持ってたというしかないね

地震がなかったら相当苦しい展開になってただろう

700 :人間七七四年:2018/11/12(月) 07:35:18.73 ID:hb/DnnJU.net
>>697
あれも織豊期研究会が秀吉の法螺に乗せられた感がある

701 :人間七七四年:2018/11/12(月) 15:56:32.68 ID:wBbtl+Vt.net
この頃は政略的勝利、戦略的勝利なんて概念ないしなぁ

702 :人間七七四年:2018/11/12(月) 16:12:37.12 ID:VBMWKywM.net
>>701
用語がないだけで、当の本人らは命や家運がかかってるんだから、
平和ボケの現代日本人よりよほど知悉してるだろ。

703 :人間七七四年:2018/11/12(月) 16:13:27.46 ID:UiLse/63.net
地震だけでひよるわけねーだろ
結局徳川織田相手にしていたら勝てても損害がひどいと理解した秀吉が講和を望んだにすぎない
まあその後の展開をみれば秀吉の勝利ではあるだろうが。
あと徳川はちゃんと臣下の礼をとったわけで土下座はしちゃってるんだよな
まあ家康はそつがないからその後もうまくかわしていってるよな
最後に勝つのは家康ということか

704 :人間七七四年:2018/11/12(月) 16:27:05.11 ID:GL1gY/rk.net
信雄相手に苦戦しすぎ
さっさと信雄潰せば済んだのに

705 :人間七七四年:2018/11/12(月) 17:45:22.58 ID:SBjQQmp3.net
名将、石田三成を筆頭大老、100万石の大名にしなかった豊臣秀吉が悪いです。

706 :人間七七四年:2018/11/12(月) 21:49:12.20 ID:9sx7nW1M.net
広家の主張要約すると、家康が会津に出兵している間
安國寺等が謀叛を企んだけど、家康と輝元が血判起請を交わした以上
それを守るのが筋で、自分達は謀叛を止めようとした
しかも家康は太閤に勝った相手で奉行連中が勝てる相手ではない
しかも石田等は関ヶ原では前日の約束を破っており
決戦当日は霧が深く山の高い所に居たので行動もままならなかった
長束等は安濃津でも約束を破った行動をしていた
結論、世間のものが色々言っているみたいだが自分は悪くないってところか
>>705
三成のどこが名将なのか。島左近も大したことないし
そもそも嫌われて妬まれている三成が百万石なんて貰ったら
余計に反感買うだけだろうに

707 :人間七七四年:2018/11/12(月) 23:26:25.41 ID:qRmKeiFj.net
トラブルメーカーでお荷物の石田三成を自分が死ぬ前にリストラしなかった秀吉が悪いだろ
案の定、秀吉の死後に三成が暴走して豊臣を崩壊に追い込んだ
三成をもっと早くクビにしていれば豊臣は生き残れた

708 :人間七七四年:2018/11/13(火) 06:59:21.60 ID:Aa+MRcyw.net
徳川家康は遅かれ早かれ時間の問題で豊臣を滅ぼしていた。
三成は豊臣を守るために立ち上がった。
19万石で250万石に挑んだ度胸や才知、実力は評価するべき。
むしろ豊臣の一族なのに、徳川家康に利用されていいように使われたパシリ大名の福島正則や加藤清正みたいなゴミ屑こそ切腹させておくべきだった。
石田三成は豊臣の忠臣。
福島正則、加藤清正は奸臣。

709 :人間七七四年:2018/11/13(火) 09:18:15.03 ID:p0Ag6z8T.net
>>708
加藤や福島が、太閤死んだ直後に奉行追い回してる時点でねえ。
現場の軍人が、論功行賞に不満が有るで奉行を襲撃とかすれば、豊臣家の権威が
無くなるのは誰でも解るのに。
本多正信なんか相当な悪評だけど、部下が勝手な事したら家康なら容赦なく改易
するでしょ?そういう事だよな。

まあ、子飼い可愛さで真朋な教育しなかったんだろうな。

710 :人間七七四年:2018/11/13(火) 09:24:45.85 ID:XgiE5wlz.net
石田三成、小西行長、大谷吉継。
これらは豊臣の忠臣。豊臣を守ろうとして立派に散った。

福島正則、加藤清正、加藤嘉明。
これらは豊臣の奸臣かつゴミ屑以下。子飼いなのに徳川家康に利用されてしゃぶり尽くされ、最後は改易されて御用済み。

豊臣秀吉は存命の間に石田三成、大谷吉継、小西行長を50万石の大名にして、福島正則、加藤嘉明、加藤清正らゴミ屑を斬首か切腹させておくべきだった。そうすれば徳川の介入も無かった。

711 :人間七七四年:2018/11/13(火) 09:32:05.02 ID:Lr16R5jL.net
随分句読点が多いな…あっ(察し

712 :人間七七四年:2018/11/13(火) 09:33:20.96 ID:Lr16R5jL.net
>>710
>>443

713 :人間七七四年:2018/11/13(火) 14:38:22.03 ID:TPueQeme.net
三成のせいでみんな苦労するはめに

714 :人間七七四年:2018/11/13(火) 19:57:58.74 ID:+b9TAvCp.net
>>707
奉行たちが自己の権益確保のために秀吉の遺言踏みにじってくれたおかげで
家康が淀や諸侯の疑いを受けず堂々と簒奪の布石打つことができたっていうのはあるだろうな

715 :人間七七四年:2018/11/13(火) 20:34:12.35 ID:oS4lzlWp.net
家康はめちゃくちゃしてるがな。
前田から松を人質に取ったのはいいが、それを「江戸」に送らせる。
伏見城から長束、前田玄以を追い出す。
勝手な婚儀を繰り返す。
証拠もないのに暗殺疑惑をでっち上げ。
豊臣の直轄領を勝手に処分。

石田三成ら奉行は豊臣を守護するために立ち上がったのである。

716 :人間七七四年:2018/11/13(火) 20:37:55.31 ID:UZoaC9b1.net
>>715
お前ら馬鹿三人組信長の野望で知略40にしてやる

717 :人間七七四年:2018/11/13(火) 21:50:25.58 ID:F8NOFr1T.net
大野達の暗殺計画を家康に密告したのは三成だし
加賀征伐の準備段階の際、家康の要請に応えて三成は派兵もしている
松の江戸への護送は三奉行の手配によって行われており
要するに公儀としての行為であって家康の勝手なものではない

718 :人間七七四年:2018/11/13(火) 21:55:21.32 ID:Lr16R5jL.net
>>715
秀吉死んだ直後から後の西軍首脳たちがやらかしまくってきたという流れで考えろよ
自分に都合よくピンポイントで切り取って見るんじゃなくてさ

719 :人間七七四年:2018/11/13(火) 23:08:26.01 ID:F8NOFr1T.net
>>710
ついでに関ヶ原前の豊臣政権下の五十万石以上の大名は九人
そのうち旧織田家家臣前田利家と豊臣一族小早川秀秋以外は
自力で大領を得たのち秀吉に下った徳川、毛利、上杉、伊達
宇喜多、島津、佐竹と言った連中
小説か何かのイメージか知らないけど、秀吉が気前よく領地を与え
大大名を万々創ったとか無いから

720 :人間七七四年:2018/11/14(水) 00:12:57.37 ID:KWQrP45G.net
奉行連中は少しでも気に入らないことがあるとすぐに騒ぎを起こして滅茶苦茶にする
一から十まで自分たちの思い通りにならないと我慢できない性格なんだよな
秀吉が死んでも奉行連中の性格は変わらず、傲慢な態度で騒ぎを繰り返せば
豊臣が崩壊するのも仕方がないことだろう

721 :人間七七四年:2018/11/14(水) 13:07:04.64 ID:AVgL8I60.net
奉行連中は外様大名は勿論、秀次や秀秋、秀保、秀勝も内心では下にみていたんだろうなぁ

722 :人間七七四年:2018/11/14(水) 14:08:52.56 ID:vcCDgpmK.net
明とのやり取りを見ると内心どころの騒ぎじゃないよな
自分らは大都督で秀次でさえ監督だろ
秀吉はともかくとして、豊臣家に対する忠誠心なんてカケラも無いのが西軍首脳部じゃないか?

723 :人間七七四年:2018/11/14(水) 15:02:16.71 ID:kR1iIn5J.net
西軍、石田三成、大谷吉継、増田長盛、長束正家らはみんな豊臣忠臣です。

福島正則や加藤清正みたいなバカがいたから、豊臣は崩壊しました。

朝鮮で福島正則や加藤清正は殺しておくべきでした。

724 :人間七七四年:2018/11/14(水) 15:25:31.14 ID:AVgL8I60.net
自分の権益守りたかっただけだろう
そもそも秀吉の遺言で伏見で政務任されていたのは家康だし

725 :人間七七四年:2018/11/14(水) 17:34:16.47 ID:mG6fqmgp.net
まともに学問する気もない奴相手に何言うても無駄やで
むしろ構うと調子に乗るから、ほっておいて別口の話進めるのが一番

726 :人間七七四年:2018/11/14(水) 18:13:07.31 ID:bjX0dZWl.net
同レベルだから理解できないよ。頭の程度が一緒だから

727 :人間七七四年:2018/11/14(水) 18:58:42.58 ID:T32tXdHS.net
大谷は家康派だったんだが

728 :人間七七四年:2018/11/14(水) 20:40:27.13 ID:g4Qk5sPD.net
ここは色々な史料上げてくれる人も多いんだから、少しは学べばいいのに

729 :人間七七四年:2018/11/14(水) 21:30:40.92 ID:5jZaHvQH.net
史料と言えば内府ちかひの条々と直江兼続宛の西笑承兌の書状の全文の
原文もしくは書き下し文が読める所って無いかな
本を見たりググったりしてみても概要か良くても意訳しか載ってないので
本来の文章が持つ雰囲気を味わうためにも、原文もしくは書き下し文を読んでみたいんだが
直江状の方は偽書だと思っているんで、どうでもいいんだけど

730 :人間七七四年:2018/11/15(木) 02:28:11.23 ID:wJNU/N2u.net
>>703
いやひよってるよ
秀吉が徳川征伐の準備始めたら
遠征なんてやめてください!従いますから!って泣き言言い出して
地震で遠征取りやめたら今度は足元見て条件釣り上げた

731 :人間七七四年:2018/11/15(木) 05:22:17.84 ID:LR7fxxhV.net
泣き言言ったのは誰だよ

732 :人間七七四年:2018/11/15(木) 11:07:23.63 ID:MzJgbBsC.net
何で三成が不忠なのか。
不忠なのは家康。
秀吉は家康に、大坂城西の丸に本丸と同じような天守閣を築いてもいい、なんて遺言はしてない。

家康は不忠。
三成は豊臣を守護するために立ち上がった。

733 :人間七七四年:2018/11/15(木) 13:29:07.56 ID:cxu5qq0n.net
家康もテルも三成も同じ穴の狢
関ケ原は誰が誰が豊臣から簒奪する権利を得るかという争い
タイトルホルダーの豊臣への挑戦権の争奪戦

734 :人間七七四年:2018/11/15(木) 15:52:20.44 ID:eLUCZ+dF.net
>>733
奉行衆は、幾ら大幅加増しても50万石がせいぜい。
実力不足でしょ。

735 :人間七七四年:2018/11/15(木) 17:56:46.34 ID:WmfU3NeO.net
>>729
偽書といえば増田長盛宛の三成書状も偽書説あったっけ
あと村越茂助が口上を述べた時、実際は忠勝と直政同席していなくて、
あの逸話も怪しいって 話も読んだことあるような

736 :人間七七四年:2018/11/15(木) 18:53:05.77 ID:GnzdZG1C.net
>>735
9月12日付増田長盛宛石田三成書状についてはたしかに偽書説がありますね。
概要としては、普段強気に書かれてる三成書状が妙に弱気に書かれてるとか、
一人称(拙者だか拙子)の使い方が普段と違うとか。

737 :人間七七四年:2018/11/15(木) 19:03:43.56 ID:n4aoy4W/.net
家康も三成も不忠といえば両方一緒だわ

738 :人間七七四年:2018/11/15(木) 20:45:14.96 ID:kCTHbV8L.net
>>732
三成が不忠なのは間違いない
秀吉は三成に豊臣の公的遠征事業を自分の判断で勝手に潰していいなどと遺言していない
三成はまるで自分が豊臣の頂点に立っているかのような不遜な振る舞いを続けていた
家康でなくても三成を不忠として成敗するのは当たり前だろう

739 :人間七七四年:2018/11/15(木) 21:16:46.96 ID:7+3wZboM.net
>>735
逸話が怪しいとは書いていないけど関ヶ原の合戰はなかったの中で
村越が途中で忠勝達を追い越し、忠勝達が清洲に到着したときには
引き返していたので行き違いになったのではないかと書いてあるな
ただ高橋陽介氏白峰旬氏の「関ヶ原の戦いについての高橋陽介氏の新説を検証する」
(ググればpdfファイルが検索で出てくると思います)
を読むとちょっと史料の解釈があやしいしな
学者ではないけどよく歴史関連本を出している今福匡とか横山住雄、
相川司あたりを白峰氏や平山氏、渡邊氏あたりはどう思っているのかな

740 :人間七七四年:2018/11/15(木) 23:40:35.11 ID:JarYjQsb.net
白峰は研究者をそれなりに評価してるだろね。
平山はシロウトは完全にバカにしてる。
渡辺はひがんでケンカばっかり売ってる。

741 :人間七七四年:2018/11/16(金) 00:20:33.27 ID:fZzZC0xv.net
>>738
三成が政権とっても、豊臣からとって変わるなんてできない。
徳川家康は豊臣を滅ぼした。
石田三成が政権とれば豊臣は衰退はしても生き残れた。
徳川家康は不忠。

742 :人間七七四年:2018/11/16(金) 00:36:31.69 ID:9MlmD51w.net
どうやって政権とるんだ?
西軍が勝っても毛利政権になるだけだろ?
宇喜田はガキで上杉は遠い
石田もどうなるだろうな
中央から離れた領地を貰えれば生きながらえるだろうが中央に残るなら、長生きしないかもな

743 :人間七七四年:2018/11/16(金) 12:58:22.51 ID:iZfRc2hC.net
>>741
徳川への臣従を拒否して滅んだ豊臣が、家康より更に格下の
三成のもとで衰退して迄生き残られるとは思えないけど

744 :人間七七四年:2018/11/16(金) 13:35:22.70 ID:PTH2JFLQ.net
西軍というか奉行は初期の構想(会津征伐軍瓦解)が破綻している以上は
残された勝ち筋は西軍大名の奮起にかかってるんだから
勝ち方とか戦後の論功行賞に注文つけられるほど余裕のある状況じゃないでしょ

745 :人間七七四年:2018/11/16(金) 21:43:52.29 ID:i5cugzi/.net
>>743
衰退した状態でかつての家臣であり、公家成もしておらず
従五位下の治部少輔に過ぎない三成の元で豊臣家が存続している状況って
茶々とか普通に狂乱しそうだね
正直豊臣家の立場としては大坂の陣前よりよほど屈辱的状況だと思う

746 :人間七七四年:2018/11/17(土) 06:02:14.11 ID:NWPDjbqb.net
三成なんてカスじゃん

747 :人間七七四年:2018/11/17(土) 10:30:00.17 ID:MvGCkehA.net
>>745
織田家に取り立てられた秀吉が信長の死後に勝家を倒して乗っ取ったように
三成は、豊臣家に取り立てられた自分なら秀吉の死後に家康を倒して乗っ取ってもいいと思っていた
むしろ豊臣家も自分による支配を積極的に受け入れてくれると信じていた
だから豊臣家に許可も取らずに蜂起したのに豊臣家が全面協力してくれるはずという態度を取っていたわけ

豊臣家からしたら何で格下の子飼家臣が自分の上に立つのを積極的に受け入れるんだという話になるが
三成は、豊臣家が自分の臣従するのは屈辱でもなんでもないと本気で誤解していたのが豊臣崩壊の原因だよ

748 :人間七七四年:2018/11/17(土) 10:55:31.03 ID:C2OR0Wwo.net
三成が秀秋を関白にすると言ったなら
豊臣と朝廷をないがしろにしている

749 :人間七七四年:2018/11/17(土) 12:33:50.37 ID:DK2I6sug.net
三成が秀秋を関白にすると言った話や秀吉が秀秋を改易したあと、
その後釜に三成を据えようとしたが三成が断ったって話は史実なのかね?

750 :人間七七四年:2018/11/17(土) 12:36:49.30 ID:R1V49xwj.net
それ講談だろ

751 :人間七七四年:2018/11/17(土) 12:53:46.66 ID:3viZaomP.net
関白は後世の関原軍記大成かなんか、転封断ったのは部下宛の書状

752 :人間七七四年:2018/11/17(土) 13:09:18.75 ID:D4JqPp7p.net
上方で2国も講談?

そもそも三成が領地配分権限ないんだが?

753 :人間七七四年:2018/11/17(土) 16:25:12.72 ID:swpUPhev.net
>>751
>>752
西軍から秀秋の関白や加増は、安国寺恵瓊・大谷吉継・石田三成・長束正家・小西行長連名
偽書の可能性も根強いが、宇喜多秀家の名が無いのが逆に事実クサイ

754 :人間七七四年:2018/11/17(土) 16:43:43.67 ID:DK2I6sug.net
事実なら輝元の名も秀家の名もない時点で、この連中の不相応な特権意識の高さがわかるね

755 :人間七七四年:2018/11/17(土) 19:05:53.21 ID:NWPDjbqb.net
三成は勝てるか勝てないかをもっと突き詰めてから挙兵すべきだった
基本的に準備不足

756 :人間七七四年:2018/11/17(土) 19:15:34.22 ID:DK2I6sug.net
真田昌幸宛の書状見ても、楽勝楽勝としか考えてないからな

757 :人間七七四年:2018/11/17(土) 19:26:12.92 ID:D4JqPp7p.net
いやでも西軍まとまりないとかも言ってるし

758 :人間七七四年:2018/11/17(土) 19:33:44.76 ID:8/6vkwU5.net
西軍がまとまってないと認識していながらもそれを放置してるんだよな
まあそもそも石田がそれをどうこう出来る立場だったのか疑問だが

759 :人間七七四年:2018/11/17(土) 21:39:36.80 ID:/u9/KA4F.net
>>756
佐竹宛の書状でも三河、尾張あたりで討ち果す所存とか書いてるし
豊臣公儀の名の下に出す自分の威令の効力をよほど過信していたんだな
まあ、少し前までそういう状況だったんだから幻想抱くのも無理はないが

760 :人間七七四年:2018/11/17(土) 21:54:02.80 ID:lmQrzNrL.net
いや内情を吐露した書状と
勧誘を目的にした書状は分けて考えるべき

勧誘のときは詐欺師になってビッグマウス
本音は冷静に状況分析

761 :人間七七四年:2018/11/17(土) 22:21:26.03 ID:swpUPhev.net
>>760
岐阜城の戦い前は強い、後は弱気>三成書状

762 :人間七七四年:2018/11/17(土) 22:48:27.86 ID:MvGCkehA.net
そもそもトラブルを繰り返してクビになった悪質官僚でしかない三成が
書状だしまくり、戦で目立ちまくりの時点で西軍は終わっている
三成が返り咲きしたくて暴れているだけだと日本中に宣伝しているに等しいだろ

本当に豊臣公儀の戦ならば三成なんて出る幕はないんだよ
経験も才能も不足している三成が軍の指揮を取るなんてありえないし
参加したとしても東軍の目には映らない後方担当が精一杯のはずなんだから

サッカーで例えるなら選手と揉めてクビになった用具係がW杯で日本代表監督として指揮したらおかしいだろ
後世の人間は結果論から西軍を三成が仕切るのは当たり前だと思い込んでしまうが
三成のやっていることはそれぐらい無茶苦茶なことなんだよ

763 :人間七七四年:2018/11/18(日) 06:59:01.58 ID:iaP33CXs.net
想定外のことが起きると臨機応変に対応できないタイプなんだろう
忍城攻めでも秀吉の命に従って水攻めした迄はいいけど、
失敗したらそのまま対応出来ずに小田原開城迄降伏させられず
百戦錬磨の家康とは場数が違う

764 :人間七七四年:2018/11/18(日) 07:07:44.36 ID:FV6KhlvP.net
他でやれよ

765 :人間七七四年:2018/11/18(日) 10:11:29.57 ID:zaHkx7oM.net
>>759
佐竹と言えば義宣が水戸に帰城後。上田の秀忠の元に東義久を援軍として派遣した途中
江戸で家康から「家康一代、中務(義久)一代、国替の儀是あるへからす」
と言う誓紙貰ったって逸話読んだ事があるけど、出典は何だろう

766 :人間七七四年:2018/11/18(日) 11:26:18.66 ID:HHO290R9.net
>>765
どう考えても後世の作り話やな

767 :人間七七四年:2018/11/18(日) 12:06:15.02 ID:iaP33CXs.net
>>765
たしか秋田沿革史大成じゃなかったかな

768 :人間七七四年:2018/11/18(日) 14:05:08.06 ID:Z0bM9FgQ.net
>>755
畿内の軍事力が空白になった隙に乗じてのクーデターだから準備不足なのは仕方がない
準備期間を長くしたら愛知川関所組(鍋島長宗我部脇坂前田)や小早川秀秋が会津討伐軍に合流してしまう

769 :人間七七四年:2018/11/18(日) 14:17:38.48 ID:vCPXoy24.net
>>768
そいつら合流させたほうがむしろ良かった。
三成が浅知恵働かせてそいつら止めたり人質に手を出したのは大失敗。

770 :人間七七四年:2018/11/18(日) 14:58:25.29 ID:aIbeeo1P.net
>>768
そんな状態で自分の命はともかく兵卒の命を無駄にするあたり三成には為政者の資格もない

771 :人間七七四年:2018/11/19(月) 09:09:31.22 ID:h2ig1QSi.net
西軍方は豊臣の支持を得られなかったし、朝廷の支持も得られなかったしなぁ
ところで家康よりの公家というと上の方のレスにある近衛の他山科とかいるけど
西軍方の朝廷へのルートになりそうな公家って誰がいるだろう

772 :人間七七四年:2018/11/19(月) 21:11:11.05 ID:KbWaGpf7.net
西軍側は知らないけど、この頃勅勘を受けてて家康のおかげで勅免されたと言われる公家というと
山科言経、上冷泉為満、四条隆昌、四辻季満、水無瀬兼胤、六条有広らがいる
ちなみに家康が慶長八年、将軍任官の御礼言上の為参内したとき従った公家というと
烏丸光宣、光広、日野輝資、資勝、光慶、広橋兼勝、總光、兼賢、万里小路充房、兼房
白川雅朝、飛鳥井雅庸、雅賢、勧修寺光豊、上冷泉為頼、阿野実顕、正親町三条実有
山科言経、高倉永慶らが一緒に参内してるね

773 :人間七七四年:2018/11/20(火) 02:11:34.61 ID:ZjcBQhdj.net
へー、詳しいな坊主

774 :人間七七四年:2018/11/20(火) 02:59:09.79 ID:1Rr6QL4N.net
>>772
こいつらのうち何人かは、後陽成の譲位問題のときに家康に追求されて処罰されてなかったか? あるいはおよつ事件の時にも処罰されたはずだが。

後陽成の時は明らかに親豊臣派公家の処罰もあるから、何人かは徳川派に見せかけながら豊臣を支持してたんだろう。

775 :人間七七四年:2018/11/20(火) 06:54:58.76 ID:VEp5GOlU.net
>>774
知識も知能もないなら書き込むなバカ

776 :人間七七四年:2018/11/20(火) 14:46:36.68 ID:1xD1zQ4z.net
>>775
何言ってんの、この基地外は?

777 :人間七七四年:2018/11/20(火) 16:24:21.00 ID:66ghkQXy.net
いやまぁ
西軍の行動を豊臣家は全く支持してないし
親豊臣の公家の話を持ってくるのは頓珍漢にもほどがある、ってことじゃない?
むしろ親豊臣なら豊臣が認めた公儀となってる徳川を推すでしょ

これが反徳川の公家の話だったら確かに西軍を支持するかもしれないけれど

778 :人間七七四年:2018/11/21(水) 21:57:13.37 ID:V8vqgxTK.net
>>772
勅勘を家康によって取りなして貰った前者六人は家康に恩を感じて居たろうが
参内をともした連中は単に強い力を持つ者に儀礼上従っただけだろう

>>777
京都所司代として朝廷や公家に繋がりを持っている前田玄以が
あの通りの態度だしな
ただ大江広元の頃から朝廷との繋がりがあり、元就の頃から朝廷に献金もしている
毛利家なら侵攻している公家の一、二家くらいありそうだけど

779 :人間七七四年:2018/11/22(木) 00:44:15.86 ID:bB7aETK9.net
>>759
正直、福島正則何かの豊臣恩顧が家康に付いたんが本気で予想外だったんだろね。
関ケ原後、家康の東海道五ヶ国をお手盛りで自分に加増してるし、絶対領地取る男状態だもん。

加増転封で替地貰っただけで、家康に付いた時点で領地没収と変わらんし。
この状況で家康に付くってのが余程予想外だったとしかね。

780 :人間七七四年:2018/11/22(木) 02:16:16.71 ID:+1loKBgZ.net
豊臣恩顧ならむしろ、秀吉の遺言を没後11日で無視して政治握ろうとした連中よか
秀吉からまともに委任されてる方につくやろ

秀吉没後の奉行の動きって完全に簒奪でしかないんよね

781 :人間七七四年:2018/11/22(木) 06:06:51.90 ID:/SCRTJ18.net
>>780
知識も知能もないチンパンは黙ってろアホ

782 :人間七七四年:2018/11/22(木) 09:37:31.83 ID:DEIcZBrQ.net
>>781
よう知的障害者

783 :人間七七四年:2018/11/22(木) 14:41:10.00 ID:bzF4bgey.net
三成が仮に家康を倒しても、豊臣を潰すことはないんでは? まああの性格だからさらに傲慢で横柄になり、専横するのは目に見えてるが。それでも家康に政権を名実ともに取られて最終的に殺されるよりはマシだろう。

784 :人間七七四年:2018/11/22(木) 14:55:10.21 ID:M45Tf5Lh.net
毛利が専横したらどうすんの?

785 :人間七七四年:2018/11/22(木) 15:02:44.53 ID:bzF4bgey.net
>>784
輝元なら何とでもなるでしょ。
あの当時の毛利には家臣にも大した奴はいないし。

786 :人間七七四年:2018/11/22(木) 15:04:11.99 ID:hkoylCqU.net
勝てそうだってなって毛利が右大臣や征夷大将軍狙い出したら面白いなさすがに山口に幕府立てることはなくても畿内や瀬戸内を本拠に毛利幕府始めた可能性はあるな。

787 :人間七七四年:2018/11/22(木) 15:11:26.05 ID:M45Tf5Lh.net
失敗したから「大したことがない」と思えるだけだよ
徳川だって失敗してたら「所詮は田舎大名」と言われていたの
関ヶ原で勝って何百万石かになった毛利を奉行がどうやって止めるんだよ
おまけに上杉も東で似たような状態なんだよ
関ヶ原戦役で「西軍は忠義の軍とは限らない」と言われるのは、このタイミングでの大戦はどちらが勝っても豊臣政権のコントロールから外れる危険性が高いからだよ。わかってる?

788 :人間七七四年:2018/11/22(木) 15:16:54.26 ID:mloP++9l.net
毛利上杉は安国寺直江を通して操縦できるつもりだったんだろう
そもそも最初は豊臣政権の威光で会津征伐軍は崩壊する見通しだったんだし
それなら毛利上杉に戦功を稼がせる機会も少なくなる
現実の家康の脅威に比べたら戦勝後の舵取りの困難さなんて考えても鬼が笑う
その辺突き詰めて考えだしたらとてもじゃないけどクーデターなんて起こせない

789 :人間七七四年:2018/11/22(木) 15:32:41.20 ID:s3I2qwYO.net
>>787
輝元も馬鹿じゃなければ(馬鹿っぽいけど)あまりに好き勝手なことすれば反毛利連合組まれて
徳川の二の舞(西軍勝利の関ヶ原if)になるだけだとわかってるだろうから
西日本の大大名として豊臣政権下で筆頭大老ポジで我慢するんじゃないかな?
その際邪魔な秀元と吉川広家は関東に加増転封するような気がする。
毛利幕府なんて毛利の求心力から無理だと思うが。
豊臣奉行衆と対立したら、毛利に味方しそうな大名ってあまりいないように思う。

790 :人間七七四年:2018/11/22(木) 15:34:55.91 ID:oeJVNhjn.net
ifスレがあるんだからそっちで堂々と妄想しててどうぞ

791 :人間七七四年:2018/11/22(木) 15:58:56.78 ID:le/gquBT.net
その場合毛利征伐

秀家総大将

792 :人間七七四年:2018/11/22(木) 17:25:01.08 ID:uDysFATL.net
そもそも三成がたいしたことないのに毛利なめてるのはどうかと

793 :人間七七四年:2018/11/22(木) 20:03:06.69 ID:fvjrivqV.net
>>789
豊臣政権そのものに求心力がなくなってるから無理
討伐以前に軍勢がまともに集まるか怪しい
まあ別に豊臣討伐とはならんだろう、かつての室町のように相手にされなくなるだけ

794 :人間七七四年:2018/11/22(木) 20:49:31.22 ID:VP42UJLT.net
家康が力を奮って豊臣政権の求心力を維持していたのに
豊臣政権を維持している家康を排除しようとしているのだから
その時点でもう豊臣政権は終わっていた
奉行が私利私欲まみれでなければ豊臣政権にも存続の余地はあったけどね

795 :人間七七四年:2018/11/24(土) 22:52:30.26 ID:M4TEF29w.net
秀吉が死んだ時点で桶狭間の戦いに参加した人は
徳川家康、前田利家ともう一人程度
桶狭間の戦いで敵同士が40年後に味方っていうのもおもしろい
関ヶ原時点での桶狭間の戦いの評価はわからないが
徳川家康に人望が集まるのも当然かなと思う

796 :人間七七四年:2018/11/24(土) 23:02:46.91 ID:GBhBGFP1.net
天下人 秀吉に唯一傷をつけた男だしな
若い秀吉子飼いたちには軍神のように感じられたことだろう
家康が信玄に感じたように

797 :人間七七四年:2018/11/25(日) 07:32:39.10 ID:5O+qoUf/.net
広家も書状の中でわざわざ言及しているくらいだしね

798 :人間七七四年:2018/11/27(火) 21:26:27.29 ID:8zVzFxwb.net
広家は単なるお世辞だろう。

799 :人間七七四年:2018/11/28(水) 05:39:02.05 ID:ohQ12KFu.net
お前らもっと吉川広家について知った方がいい
まじで好きになる要素が何一つない
小早川秀包と格が違いすぎる

800 :人間七七四年:2018/11/28(水) 17:06:08.78 ID:qRrt3/bz.net
金吾ちゃんが世間であんなに戦国時代の裏切り者としてピックアップされてるのが気に喰わない
明らかに吉川広家の方がその対象に相応しい
ついでに毛利輝元も

801 :人間七七四年:2018/11/28(水) 20:35:46.78 ID:jmgxDOdb.net
潰れた家の悲しさよ
積極的にかばってくれる人がいない

802 :人間七七四年:2018/11/28(水) 22:52:08.32 ID:Qs+eD4+y.net
>>761
歴代古案にある佐竹宛の書状と古今消息集にある搏c宛の書状じゃ
テンションが全然違うよね

803 :人間七七四年:2018/11/29(木) 01:26:25.67 ID:Ig1BzDBB.net
吉川広家
自分の毛利家内の地位の低さに恨みを持つ
親父の元春からもうつけだと投げられるあふぉ
人質として小早川秀包が秀吉に可愛がられるのか一人さっさと帰国させられる

小早川秀秋は自身の才能と良心を売って戦果を挙げたが、広家は自分の主君と家を売った
戦後も元気に毛利家家中の権力争いに没した

恥をしれ恥を!

804 :人間七七四年:2018/11/29(木) 14:39:45.75 ID:kuUwyxZs.net
何が輝元が謀反おこしたら自分が討ち取るだ!
恥をしれ広家!

805 :人間七七四年:2018/11/29(木) 19:18:35.47 ID:5Y5sb9dP.net
また、変なのが沸いてきたな

806 :人間七七四年:2018/11/29(木) 21:10:42.51 ID:JwODgGpk.net
広家、書状とか読んでると輝元は宗家だから尊重しているけど
個人的には輝元より家康のことの方が好きな印象を受けるときがある

807 :人間七七四年:2018/11/30(金) 06:18:08.80 ID:GhbG/y01.net
吉川広家って関ヶ原ではむしろ積極攻勢に出るべきだと主張してたらしいんだがな
内府違いの条々の書状の力を過大に見積もった(というより、立場上軽視できない)奉行や、
対家康より瀬戸内周辺の制圧を優先すべきと考えた輝元に却下されたけど
関ヶ原に関してはむしろ「広家の言うことを聞いてれば…」位だと思うがなあ
あと、毛利家での権力争いに関しては対立した秀元も大概だろう

808 :人間七七四年:2018/11/30(金) 15:38:52.96 ID:VoJutAhY.net
輝元への書状で西軍を敵と
言ってるのがたまらんわ。
真贋はともかく。

809 :人間七七四年:2018/12/01(土) 02:35:49.24 ID:Vwp9QYNo.net
結局いいように秀元と恵瓊に政治握られてたのが気に入らないから逆張りしただけの屑って事なん?

810 :人間七七四年:2018/12/01(土) 08:40:04.36 ID:ErPcs/Oy.net
プランAが失敗したときに備えて、プランBを準備しておくのは当たり前だろ。

811 :人間七七四年:2018/12/01(土) 08:45:41.64 ID:/aTREHbI.net
ではプランBで行こう
プランBは何だ?

812 :人間七七四年:2018/12/01(土) 09:36:15.70 ID:4tigRNzH.net
プランbは本領安堵で和睦

813 :人間七七四年:2018/12/01(土) 09:43:53.13 ID:7JoTeUE/.net
本領安堵で和睦には最低でも膠着状態を作る必要があるな
ゴミみたいな西軍諸将を使って東軍を押し止めるのだ!

814 :人間七七四年:2018/12/01(土) 10:01:17.14 ID:sUPtDtVN.net
そうなると邪魔なのは三成だよね
三成は一日でも早く政権中枢に返り咲きたいという野望があるので
和睦も膠着もまったく頭にない
そんなことするくらいなら全滅上等で決戦したほうがましという発想だから
西軍としてはどうやって三成を切り捨てるかという問題になる

815 :人間七七四年:2018/12/01(土) 12:32:43.60 ID:85Hrr7PG.net
どうもこのスレには病的な三成アンチがいるみたいだけどなんで?
三成に讒言でもされたん?

816 :人間七七四年:2018/12/01(土) 12:36:56.15 ID:dmxcbbtx.net
福島とか細川の直系がおる

特に細川は嫁を殺された

817 :人間七七四年:2018/12/01(土) 15:10:37.24 ID:E5uA/S0k.net
三成持ち上げに必死な奴もいるし、どっちもどっちじゃないかな

818 :人間七七四年:2018/12/01(土) 22:28:44.15 ID:qhHD3qR9.net
>>761>>802
佐竹宛の書状とかどっからその自信が来るのかって感じだよな
ちょっと論点はずれるが水野忠重殺害に関しての追而書の部分は
真偽がなんか怪しい気がするけど

819 :人間七七四年:2018/12/01(土) 22:29:08.53 ID:qhHD3qR9.net
佐竹義宣宛三成書状

追て、來春は、頓て御上洛可被成候間、被御禮仰上可然奉存候、無御油斷御用意專一に奉存候

去月廿三日に其地を罷立候飛脚無異儀大坂へ罷着候、同月廿六日之御狀も於江左拜見、此飛脚大坂へ罷通候、

追而歸遣候節可申候事

一 内府日來之恣之仕置狼藉、追日曲事之次第有之付て、此備書之面々申談、可打果議定候、大坂西の丸留守居、

五百計殘置候を追出し、伏見之城へ追入、伏見には、鳥井彦右衞門大將にて千八百餘籠置候、大坂西の丸へは輝元被移候事、

一 伏見之城に、右之者共置候へは、不濟事に候間、去朔日四方より乘入、籠居候者、壹人も不殘打果而、

殿中此間雜人原ふみちらし候間、一宇も不殘焼捨候事、

一 長岡越中、若輩之 秀ョ樣を申掠新知行拜領候間、曲事無是非次第候、依之丹後國へ人數被遣一國平均に申付候、
  
幽齊居城に楯籠候を可討果に議定候共、禁中より命之儀赦免任叡慮一命被免候事、

一 真田事、無二に京家次第と被申候間、信州之仕置彼人に被仰付候事、

一 羽玖太も無二京家次第と被申付而、早々越中へ可被亂入之由申越候事、

一 羽肥前事、老母家老人質に江戸に遣に付而、未た慥之御請を不申、剩加州表へ被動候、定而江戸へ之

おきのいたるへく候歟、兎角曲事に候間、此口へも御人數如此被差向候事、

一 日本國諸侍妻子、大坂に申置候間、此段可御心易事、

一 會津よりも度々到來に候、伊達最上相馬、何も入魂被申由候、其國之儀勿論會津必可爲御入魂候旨、

被仰談、家康可被討果御行此時候事、

一 萬か一も家康うろたへ候て上候はは、尾州參州之間に而討果儀案中に候、然間參口被遣御人數備、

書立、爲御披見進候事、

一 右之書立にはつれ候者は、多分今度其許へ出陣候衆に而候、漸尾州へ遁上、御理申半よ存候、

然共後々迄之究、それそれに申付候、人々より歸國之儀申付候、於仕置者可御心易候事、

一、爲仕置輝元人數壹萬餘、先吉川安國寺長束大藏同道に而勢州へ一昨日出陣候、輝元儀は濱松邊へ出陣、

家康上着之刻三萬召供出連、可上候に相定候、其外勢州へ一手向之人數すすか迄とし、次第次第にくり出候之事、

一 我等事、尾濃境目之爲仕置、尾州衆表一昨日八日に罷出候、岐阜衆と申談事候、九州衆は佐和山に

殘置人數入次第可打出候申事候、尚追々可申入候、恐惶謹言

 追而水野和泉、家康おちに候、それさえ出陣之刻、彼居城參州ちりうにおゐて馬廻かかの井弥八と申者と口論いたし、

弥八和泉を切ころし、堀帯刀其座に在合、痛手を負い相果候、新地を取候仕合に相違、中式少も痛死候、以上

  八月十日              石治少
                       三成
  義宣

    御報 

820 :人間七七四年:2018/12/01(土) 22:43:49.69 ID:qhHD3qR9.net
何か後世誰かが付け足した感が否めない
あとこの書状七日になっているものもあるんですよね

821 :人間七七四年:2018/12/02(日) 11:16:11.90 ID:SHTyQAmc.net
>>800
裏切りなら戸川達安も酷いだろう。東軍に付いたばかりか
決戦直前に明石引き抜こうとしている。
明石きっちり断ったけど

822 :人間七七四年:2018/12/02(日) 11:16:42.33 ID:SHTyQAmc.net
戸川達安書狀寫

此表近々に御在陣之由候条、御床敷存一書申入候事、

一 今度は不慮之御たてはかり無是非次第に存候事、

一 其表貴殿御壹人御陣取之由承候、如何樣なる仕合にて御越候哉、承度候、秀家何に御在陣候哉、

貴殿御そはに無之儀不審に存候事、

一 此表之儀、上方爲御手遣諸勢C洲邊御在陣に候、井ノ兵部少輔、本田中書、松平下野殿其外先手衆一兩日中に

此表着陣に候、石川左衞門大夫、松平玄蕃爲先勢頓にC洲被罷着候、内府樣去十六日に江戸御立候、

廿五六日には必C洲可有御着との追々御左右在之事候、

一 我等儀此表先手衆に相加罷越候、左京儀は富田信濃守緣者に付て、爲加勢あのの津へ渡海仕分此表へは不參候事、

一 御弓箭之儀、内府樣御勝手に可罷成事、程有間敷候、さてさて秀家御身上之儀此時滅亡と存事候、

貴殿いかに思召候哉、侍從殿御事幸内府樣むこにさせられ候、御事に候間、御家あひ續候樣には貴殿御分別にて

如何やうとも可罷成事候、此時無是非當家被相果候段我等式まて無本意存事而候間、其御心得尤に候、

惣別秀家御仕置にては國家不相立とは天下悉しりふらし申事に候、其上侍從殿御取立候へは、

貴殿なと筋目少も不相替候間、此刻之御分別專一に存まてに候、我等事對貴殿少も如在を不存候間、

思召寄儀不被殘御心底御返事にくわしく可被仰越候、然はたそ御存知之もの壹人進之候而尚以可申承候事、

一 我等事、今度身上に付て内府樣御厚恩をかうふり申候、其上關東にも重々御懇に御意共に候間、

女子、母何も其方に雖有之と、内府樣へ無二に御奉公を仕、とにもかくにも御下にて可相果覺悟に候、

くれくれ善惡御返事奉待候、恐々不宣、

八月十五日  達安

823 :人間七七四年:2018/12/02(日) 11:17:15.75 ID:SHTyQAmc.net
明石守重書狀

C洲迄御上付、御使札本望存候

一 如被仰越今度者不慮御立別、互無是非御事候、

一 拙子事、伊勢表御仕置等爲可承、十日已前より此地罷越候而有之事候、秀家事伏見落城之後は大坂被罷下候、

又此比は草津表被罷出在陣之事候、

一 内府御先手衆至于C洲御着岸之由尤可爲左樣と存事候、其付貴樣御事先手衆に御加候て其元御出候由、

此度善惡に可懸御目と存候事、

一 内府公去十六日江戸被成御立之由、此度之義被成御上候はて不相叶儀候条、尤可爲左樣候、

内々存候は只今迄無御上事不審存候き、

一 御弓箭之儀内府御勝手程有間敷之由被仰越候、其方に而は左樣に思召事尤候、此方衆中被仰候は、

秀ョ樣御勝手に可被仰付事は案中候、倂内府於御上は菟角可被及防戰候之間、其上而の御事候、

一 秀家御家中儀被仰越候、誠各御無覺期故外實惡罷成候、然共御聞及も可有之候、

於上方人之存たる衆餘多被相抱候、存外丈夫に有之事候間、於其段は可御心安候、

一 浮左京殿あのの津表へ爲加勢御出勢之由候哉、津より迎致候を途中に而被打果候条、いまた津へは御越有間敷と存候、

津之城儀急度御取詰に而候、定不可有程候と存候、

一 御兩人事度々此方に而申出候、此比御左右不承候つ、預御書中滿足此事候、

一 貴殿御事内府御厚恩之由候間、とにもかくにも御しかたにて可有御果との御内存尤候、然者貴所御妻子事、

只今和州郡山に御在宅事候、秀ョ樣可爲御勝手候間、右之衆中少も如在不可存候間、可御心安候、

一 善惡之返事可申越之由承候、只今之御書中に而は樣子不相聞候間。御内意爲可承壹人相副進之候、恐々謹言、

八月十九日      明掃部頭
              守

  戸肥樣まゐる

       御報

824 :人間七七四年:2018/12/02(日) 12:11:37.30 ID:6ZTcED2s.net
お互いに真偽相半ばの内容が、情報戦を感じる

825 :人間七七四年:2018/12/02(日) 16:24:51.57 ID:FBKxZ8+3.net
戸川、秀家のこと大分うらんでそうな感じだなぁ
ところでこういう史料って著作権大丈夫なのか?

826 :人間七七四年:2018/12/02(日) 16:31:48.39 ID:P3/4ToC1.net
ワロタ

827 :人間七七四年:2018/12/02(日) 18:13:36.90 ID:6ZTcED2s.net
>>825
原文には勿論著作権無いし、釈文はそれを主張できる証明が不可能

828 :人間七七四年:2018/12/02(日) 18:30:29.73 ID:SHTyQAmc.net
>>825
まあ誰かの著作から原文の意訳を丸々コピペしたら問題になるだろうけど
原文そのものなら大丈夫でしょう

829 :人間七七四年:2018/12/02(日) 22:31:00.46 ID:SHTyQAmc.net
そういう分けで漸くさっき書き終えた岐阜攻めの時期の史料を二つあげよう

830 :人間七七四年:2018/12/02(日) 22:32:55.50 ID:SHTyQAmc.net
秋田実季宛佐々政孝書状

佐々政孝書狀

秋藤太樣         佐々淡路守政孝

  御報

尚以上方之儀御てま入申間敷候間、可御心安候、無何事有之事候はは、早馬一つ御もとめ候て可被下候、

いまほともちたへし申候間、扨如此候、此書中頓而火中被成可被下候、以上

御書中并口上之子細具以得其意候、内府樣へ之御狀田C六先陣へ罷越候間、西隱州申談、御使者口上之樣子をも得

御意申、御返事之通口上に具申含候間、其御分別尤に候、重而東へ於被成 御出馬者樣子可被仰遣候条、

其御覺悟尤候、隨而先度上方御人數此表へ就出陣、大刑部少も可罷下旨候てつるかより催人數、たるい邊まて罷立候處に、

石治部少方より使をよひ越、於佐保山二日令談合如此企別心、内府樣、奉行衆御手切之樣に罷成、上下機遣共可被成御推量候、

一 上方への路次中、駿河中式少監物同長丸共人しち江戸へ被召寄、城々には内府樣御人數を被入置候、

遠州懸川山内對馬、濱松堀尾信濃、參州吉田之儀は不及申、田中兵部、尾州s大夫殿兄弟しち物羽三左へ被請取、

是も右之分に御座候、

一 甲州淺見、信濃國千越前、日根野織部息子、石川玄蕃、京極修理、さなだ伊豆兄弟參人是も無別儀候、

さなた親、中むすこは宇都宮より引返し別心之儀候事、

一 濃州木曾川かち渡り餘多御座候、何方を御越候はんも御儘候、かち渡り無座候ても、あかめ、いもう、吉里、

かやう之所此方より相抱候条、濃州へ成共、江州佐保山へ成共、御働之儀は成安義に御座候、

一 濃州より相抱候城々之事、竹かはな百々越前、大柿に伊藤長門息加勢、河尻肥前、伊藤左馬正、rヒにたきのまるも、

郡上稲右京、金山稲右近、遠山田丸此分相抱候、岐阜之事も中納言殿無人而御座候、日數五十日と被相抱候事成間敷と風聞候事

831 :人間七七四年:2018/12/02(日) 22:33:37.65 ID:SHTyQAmc.net
一 勢州桑名氏内膳、加勢原隱岐守 ~戸羽下、亀山岡本次兵へ、加勢大和衆少身者五六人已上二手ほと入置之由、

鳥羽嶋九鬼持分、此分上方一所之事、

一 勢州之内此方より相抱候城之事、津冨田信濃守、松坂古兵部少、右二ヶ城相抱候事、

一 尾州犬山は濃州より相抱候、石備前、加勢加藤左衞門尉、竹中丹後、かやう之者共相籠候、

一 江州佐保山水口大津、則侍從如此相抱申事、

一 伏見去朔日に致落居、城主鳥井彦右衞門、内藤与次右衞門、松平主殿、其外諸人五六百打果之由候事、

一 大坂本丸右衞門尉、西丸輝本居申之由候、其外口々番勢之事もてるもとと被申付之由候事、

一 羽越中殿妻子、其外國持衆女子なと改、二丸へ可入置旨使立改候處に、羽越中殿留主居稲冨、小笠原右兩人として

越中殿妻子をさしころし、火懸、腹を切り相果申候間、双方女子とも堅改申候儀は打置、人しち有之は取、

無之は留主居之人しちを取置申候由其聞候事、

一 丹後へも人數を出し羽越父子之居城を責申候由候、然共已上四ヶ城を二つははらい、二ヶ城へ相つほみ丈夫に被相抱之由候

國中之一きをおこし寄勢數多打取申候由候事、

一 北國肥前殿去月之末より被相働、加州表羽五郎左居城へ被取懸、はしはし放火取出二ヶ城被申付、

其より先へ被相働大庄寺へ取懸、山口玄蕃父子其外二三千も籠有之を去二日に責崩、山口玄蕃父子其外軍兵九百餘

被打果候由御注進候、然所に小松近邊少通路無人に付面、又取出を可被申付、其より上方へ可被相働之旨御注進被成事、

一 丸岡山修理、北庄木紀伊守、府中堀帯刀、かやう之衆も無別儀肥州次第之由候事、

一 大刑つるかに居申、羽肥前殿御上之由をね、木のへに取出を仕ふせき可申由候て、筑前中納言殿を爲物主、

其外若狹侍從、鍋嶋信濃、毛利豊前、かやう之衆壹万餘之つもりにて、右之取出をこしらへ申候由候、

此廿六日に可被成御出馬之旨候、頓而上方より御吉左右可申上候、何も委細之儀は口上に可被申候、恐惶謹言、

  八月廿二日             正敞
  秋藤太樣
      御報

832 :人間七七四年:2018/12/02(日) 22:34:29.86 ID:SHTyQAmc.net
家康側近等宛井伊直政書状

  井伊直政書狀寫

此表存之外に各被出精候、今朝之注進には幸田之渡りの仕合不相聞候間不申上候き、敵二千計に而河端へ出候を、

河を被越被及合戰、羽三左衞門殿手計へくび五百程被打捕之由飛脚之申口に候、直に可有御注進候間具には其に可相聞候、

どどの越前、犬間勘平討死之由申候、岐阜中納言殿やうやう山へ迯上之由申候、手負も多は無之由申候、

一柳監物殿案内之事之事候間、先を被致候に付而、彼家中隨分之者討死申之由候、岐阜へ取懸可申之由候處に、

河越各くたびれに付而今夜は北方に陣取、明日はぎふへ動可被申之由候、大方ぎふも落居程有間敷之由何も申候、

此地羽左衞門大夫殿組之衆は明日先岐阜へ押詰候而、羽三左衞門尉殿組之衆惣構をも被破候者、ぎふの上之かち渡りを越、

佐和山へ動相上り可申之由今夜談合相定申候、三左衞門尉殿之組、淺左京殿、山内對馬殿、松下右兵衞殿、池田備中殿

有馬玄蕃殿、堀尾信濃殿、一柳監物殿は今度道筋に付而被致案内者候、

一 羽左太と此筋へ被越候衆、賀藤左馬殿、羽越中殿、K田甲州、藤佐渡殿、田中兵部殿、本多因幡殿、生讃岐殿

羽修理殿、筒井殿、松倉豊後殿、秋山左近殿、~保長三郎殿、大形如此候、一昨日は無理に羽左太に押つつき

本中、我等河を越申候處に、今夜何も御理而惣之蹟に可押之由候間、兩人之儀者從 内府樣御使之儀に候間、

近罷立、得御意をも申ために候条、是非共左衞門大夫殿御人數之蹟に押候樣に被成候て可給之由申候へ共、

達而被申候間無是非候、か樣に候ては何事候て御注進申候共、三里、四里蹟而候間遲々可申候、其上何も被入精候處に、

致見除候樣而一段迷惑申候、

一 自當知岐阜へ三里御座候、北方よりは二里にて候間、明日も甼を被破候事は、三左衞門尉殿之組衆たるへきと申事に候、

一 石治少此間者岐阜へ切々見廻申、其上河手と申所に陣取申候事も候處、河越候而より大柿へ引入、

ものみを壹人此筋へ出し申事無之候、今日赤坂邊迄も押申候者大方佐和山に迯け入可申候と何もわらい申事候。

一 たる井には嶋津、たちはな居申候由申候、恐々謹言

    八月廿二日      井伊兵部少輔直政

    本多佐渡殿

    西尾隱岐守殿

    村越茂介殿

833 :人間七七四年:2018/12/02(日) 22:40:11.90 ID:SHTyQAmc.net
書いてる途中抜け落ちたものがあれば上記のものと合わせ修正します

834 :人間七七四年:2018/12/04(火) 11:27:53.48 ID:etf6QxDN.net
大儀であった。

835 :人間七七四年:2018/12/04(火) 13:48:14.00 ID:9Fwe5ukR.net
>>808
毛利関係の書状は言い訳ぽいのが多いのがなぁ

836 :人間七七四年:2018/12/04(火) 15:16:04.73 ID:x/HfaHAG.net
>>819
>>822-823
>>830-832

今度書状提示事無比類働候、不及申目出度存候。

じゃあわたしはこれを挙げてみる。
9月5日付村井長頼宛前田利長消息

ふんことの(村井豊後長頼)   はひ(羽柴肥前、前田利長)
                        まいる
金法印(金森長近)よりひきやく給候、しうちやく申候、
我々事七月廿六日ニ小松おもてへはたらき候所に、
ふしミのしろせめ申候由うけ給候間、八月一日ニ大せう寺へはたらき、
ふしミのしろのたよりにもなり可申候と存、三日に大せう寺へ取かけ、
そくしニせめほし、山口おやこ(山口宗永・修弘)うち取候、
すなわち越前へはたらき可申と存候所に、
ふしミのしろ一日ニおち申候由候、其上越後いつき(一揆)おこり申候由、
久太(堀秀治)よりちうしん(注進)候間、まつ人しゆうち入候て、
おいさし物いけなをし申候而、二日中ニはたらき可申候と存候、
孫四郎(前田利政)おんなとも、上方にい申ニつゐて、
孫四郎色々の申分候、のとい申人しゆおたて候ましきよし申候間、
此中もしゆえことわり申候、なかはにやかてもさかいめへ出度候所に、
かやうの事にてはかゆかす候事、てんとうつき申かと存候、
かやうの申ひらき、大ふへ申されす候事候間、
われ?のめいわくすいれう候へく候、
左馬助なとハわれ?かたへ人しちを出し申候、其ほかの人もちも、
大方人しちを出し申候、孫四郎かたよりわれ?に、
色々さま?のふそくかましき事申候、
此ひころ、おとゝいのなかにても、一人ならてハなく候間、
あらけなくいけんを一つ申さす候間、とうさめこ上方に候つるとて、
がてんすまざる事申候、此よしかうしつへもよく申度候、
大なこん殿おり、色々せいしなとおもいさせ候、、
其上かうしつなとも、其方に御いり候間、
一かとせいおも入候て、よく候所に、かやうにふんへつちかい候事、
われ?しやわせあしきゆへニ候、
めことも上方に御入候物とも何ほとも御入候、
孫四郎ハよ人にかわり、かうしつをゑとにおき、
其上われ?をしうにもおやにももち申候間、
おんなめこらをすて候てくるしからぬ事候、
おかしきしやわせ候、しかしなからせかれの事候間、くるしからぬ事、
心やすかるへく候、
大せう寺の事にひきやくまいらせ候へハ、ろしにとゝこうりあるへく候、 かしく
九月五日


伏見は落ちたし越後で一揆が起きたので引き返したとある。

837 :人間七七四年:2018/12/04(火) 22:35:49.82 ID:FTe+zAr7.net
>>835
この二つの書状見ると知らなかったので企みを知って驚いた見たいに書いてるけど
他の広家の見ると疑いたくなるんですよね

838 :人間七七四年:2018/12/04(火) 22:36:53.32 ID:FTe+zAr7.net
毛利氏老臣連署狀

  以上

態得御意候、今度安國寺出陣に付而甲州迄被罷出候處、石治少、大刑少手前如何被見及候哉、大坂被打歸候、其上、

輝元存候而被呼戻候樣被申廻、無是非次第に候、於此条者、輝元且而以被存間敷よ存候、於各々も不審千万に候、

此段被聞届候者、定而御理雖可被申達候、自廣嶋被申入候者、可爲遲々候条、先爲御分別、御旁々樣迄、爲留守居之者共、

前後之首尾、以飛脚申入候、追々爰許之樣子、至廣嶋申遣之候条、案外之仕合可被致仰天候、猶重々可得貴意候、恐惶謹言

    七月十三日 u田玄蕃頭
             元
          熊谷豐前守
             元直
          完戸備前守
             元次

吉川廣家自筆書狀
  
  以上

去五日、雲州罷立、至幡州明石罷着候處、安國寺於江州石治少、大形少手前見及子細候哉、大坂罷歸候て、

我等事も可相(てへんに只)由申候条、昨日罷着候、然者右御兩所御企承、驚入候、殊更安國寺自輝元被呼歸候樣申廻候段、

無是非次第に候、於輝元は、前後存間敷よ不審に存計候、爰許之樣子、留主居之者共、至廣嶋に申遣候、頓而可有到來候間、

追々可申上候、此由御心得所仰候、恐惶謹言
           
                         吉川藏人

839 :人間七七四年:2018/12/05(水) 20:43:44.57 ID:0C+8LGF0.net
>>723
福島って、朝鮮では活躍を聞かないけど、何してたの?
逆に、関ヶ原では清正は九州で何してたの?

840 :人間七七四年:2018/12/05(水) 21:04:59.36 ID:Oq6CBDh3.net
文禄では僻地で城守って何度も朝鮮軍撃退したり海戦では李舜臣撃退したり地味に活躍してた。
慶長では兵糧奉行で実戦無し

841 :人間七七四年:2018/12/05(水) 22:10:41.40 ID:LuCHRRdz.net
福島って何故か猛将のイメージがあるけど、関ヶ原の岐阜攻めと
本戦時以外そんな戦場で戦っているイメージ無いな
根来攻めとか四国征伐、小田原攻めとかにも勿論参戦しているけど

842 :人間七七四年:2018/12/05(水) 23:11:36.92 ID:Gqa48Lx+.net
6月10日付安田能元・甘槽景継・岩井信能・大石元網・本庄繁長宛上杉景勝書状

今度上洛不成様子、第一家中無力、第二分領仕置之ため、秋中迄延引之趣、
奉行衆へ令返答之処、重而逆心之讒言を以、是非上洛無之者、
向当郡可被及行之旨候、就之存分雖有之、元来無逆心筋目之条、
抛万事可令上洛覚悟落着、併読人糺明之一ケ條申入候処、
無是非只不相替上洛与計有之而、剰日限を以催促如此被押詰、
上洛之儀者如何としても不成候、数通之起請文反古ニなり、
堅約も、好も、不入讒人之糺明も無之躰、時刻到来無二思詰候条、
譜代・旧功牢人不依上下、右之趣、無拠分別仕候者ハ、
供之用意可申付侯、自然、無分別を以、理不尽之滅亡被述懐を存候者ハ、
何者成共無相違可出暇候、然者、上方勢下候日限聞届次第、
半途へ可打出候、諸口之儀ニ候条、領分端々被押破、
地下等心替可仕義必然候、其時節、或在所を無心元存知、
或妻子ヲ難捨心中候者、当座之不覚末代之名をくたすへく候条、
兼而肉を切而、可存是候、
内々無疑心仕置無二奉公存詰者之糺明直ニ申出候者、
人ニより遠慮可有之候条、各以分別急度可被相究者也、

六月十日        景勝

安田上総介殿
甘槽豊後守殿
岩井備中守殿
大石播磨守殿
本庄越前守殿


景勝の覚悟の表明。やる気のない者は帰っていいと言っている。

843 :人間七七四年:2018/12/06(木) 20:09:12.12 ID:EFTVa3+U.net
西軍、勢い良いの最初だけだからなぁ

844 :人間七七四年:2018/12/06(木) 21:52:44.41 ID:DSa0qSva.net
>>843
そんな事無いと思うよ?
なんで家康が九月まで動けなかったんですか?
東軍先鋒が丸事西軍に寝返る可能性も、家康は検討してたでしょ。

845 :人間七七四年:2018/12/06(木) 21:55:47.45 ID:/zLZ/QQa.net
>>844
なお西軍はその間の貴重な時間を浪費してしまった模様

846 :人間七七四年:2018/12/06(木) 22:37:56.98 ID:ixZqYsr0.net
逆に東軍の連中は攻めると決めたら、直政や忠勝に兵達は置いてきていいから
自分達だけ先に来いとか行ってくる始末ですしね

847 :人間七七四年:2018/12/06(木) 22:40:12.50 ID:ixZqYsr0.net
K田長政コ永壽昌等連署狀

犹以穩密之書中に候之条、御他言御他見在間敷候、卽此狀可有火中候、以上

態以飛札申入候、仍而此表之儀蹟々人數相揃候、内々犬山表に押之城を仕、各御出次第に河を越可相働旨惣談相究候處、

村越毛介殿爲御使御越候て俄談合相替、とても 内府樣御馬きりきりと出不申はか不參候間、何事も不入義候、

一刻も急河を越、いか體に成共可相果候由誰々なく就被申出、各其分に同意に候、然者天下之勝負河越に相究候間、

御兩所急御越候て今一御談合候て尤に存候、御人數は被爲置、御自身迄片時もはやく御出專用存候、恐惶謹言

    八月十九日       K田甲斐守
                       長政

                  コ永法印
                     壽昌

                  奧藤兵衞
                     三明

  井兵部樣

  本中書樣
      人々御中

848 :人間七七四年:2018/12/07(金) 00:32:50.59 ID:qojIeiRv.net
>>847
なんで他言無用、読んだら燃やせなんだろうね?
黒田・徳永が家康の腹心というのが福島、池田らにばれたらまずいということかな?

849 :人間七七四年:2018/12/07(金) 00:40:33.67 ID:ELTuk1Ni.net
>>844
逆に三成は西軍大名が東軍に寝返る可能性なんて検討もしていないわりに
なんで九月までのんびりと動かずにボケッとしていたんだろうね

850 :人間七七四年:2018/12/07(金) 08:21:57.26 ID:wCV+lO9Y.net
>>848
情報が漏洩すると不味い書状は、大抵はこの文言が付く
つまり付かないのに重要情報をバンバン載せる三成は(以下略

851 :人間七七四年:2018/12/07(金) 22:24:50.33 ID:MyMZMDNL.net
>>841
岐阜攻めの際の池田輝政との激しい先陣争いも猛将のイメージに一役買っている気がするけど
>>832の直政の書状や次の二つの正則の書状を見ると、少し得意気になっている感じはするけど
輝政とそんなに対立している感じはしないんだよね
話はずれるけど葵徳川三代の蟹江敬三の正則と磯部勉は良かったな

852 :人間七七四年:2018/12/07(金) 22:25:33.58 ID:MyMZMDNL.net
浅野長政宛福島正則書状

   s正則書狀

  以上

遠路御狀忝拜見見仕候、爰元之樣子羽三左殿、左京殿申談候、隨而一昨日廿二日に三左衞門殿、左京殿、

遠州衆川越在之處に、岐阜衆少々罷出候候を、被及一戰被追崩候、手柄共に候、次昨日羽越州殿、加左馬殿、

我等いなは山へ取つめ早束落去仕候、中納言殿儀いろいろかうさん被申候間、小しやうとも二三人にて、

尾州へおくり申候、爰元之儀彌○はかゆき申候樣に、羽三左左京殿談合いたし秀ョ樣御爲よきやうに可仕候、

於樣子は可御心安候、恐惶謹言

     八月廿四日      羽左衞門大夫
                         正則

    淺彈正樣

853 :人間七七四年:2018/12/07(金) 22:26:32.59 ID:MyMZMDNL.net
結城秀康宛福島正則書状

  s正則書狀寫

急度致言上候、一昨日廿二日はきわう、おこし舟に而我等爲先手相越、かしのい、竹かはな近邊令放火、

翌日未明に岐阜へ押懸、則時に町追破、すいりゆうしに丸三つ御座候、弐つ其外二三ノ丸悉乘崩、

本丸も天主まて責詰申候處に、木作、百々已下罷出三郎殿御身命無異儀樣にと降參仕候に付而、

井兵部少輔、本中務令談合、くるしかるましき由被申候に付而、先尾州まて退申候、城中之者數多討捕候、

其段井兵、本中渊底被存候間、定而可申上候、次城責申候刻、うしろつめ心に石治部者かうと河向まて罷出候處、

K田甲斐守、藤堂佐渡守ら向河を越、一戰に及、追崩數多討捕候由候、定而樣子直に可被申上候、

今日各相談仕明日佐和山表へ相勤、重而御吉左右可申上候、恐惶謹言

     八月廿四日      羽左衞門大夫
                         正則

       羽參州樣
            人々御中

854 :人間七七四年:2018/12/08(土) 00:41:20.40 ID:IFAbitZJ.net
>>842
この手紙の宛先筆頭にある安田氏って、毛利氏の本家筋だよね。(江戸時代に毛利氏に改性)
分家の出世(五大老→長州藩主→公爵)をどう思ってたんだろ?

855 :人間七七四年:2018/12/08(土) 04:03:07.32 ID:KOSzd/1+.net
>>854
大江氏の本家は京都に残ってる北小路家だろ。
あと、安田氏は越後国毛利氏から分家してるんじゃないの?

856 :人間七七四年:2018/12/08(土) 06:25:30.91 ID:EedbLpQR.net
福島正則は秀忠が将軍に任官された後に、家康の幼女と婚姻して子供(男子)までいた跡継ぎの養子(正之)を、
我が子可愛さあまりに投獄して餓死させた脳死野郎だぞwマジでなーんも考えてないw

そういや養子は姉の子だったな、秀次と同じパターンや!
まぁ流石に家康の養女満天姫は殺害する訳にはいかんから返してるがw

満天姫は津軽に嫁ぐが今度は正之の子、大道寺直秀が「俺が福島家を再興する」と言い出し危険視した満天姫に殺害されるw

ほんと、秀吉に近い血筋は狂気のDNA満載だわ

そういや加藤清正もトップダウン大好きマンで、家臣が無能揃(指示待ち)いになって直ぐに改易されたなw

857 :人間七七四年:2018/12/08(土) 11:50:52.82 ID:0pUZ6UEG.net
家康が江戸でぐずぐずしてる間に
先鋒たちがどう動くかわからなくなる。
だからなかなか出陣しなかったのは
諸刃のなんとかだろうなぁ。

858 :人間七七四年:2018/12/08(土) 19:43:31.76 ID:LCHUdZ5w.net
>>850

三成の関ヶ原での書状と言えば偽書説もあるこちらですが

859 :人間七七四年:2018/12/08(土) 19:43:57.13 ID:LCHUdZ5w.net
搏c長盛宛三成書状

  石田三成書狀寫

 態申入候

一 敵至今日赤坂何之行も無之延々と居陣、ものを待樣にしかと有之體に候、不審成と各申候事、


一 從江州被出候衆、勢州より被出候衆參着候はんとて、今日たきのかなやと申所へ被出逢候、拙子儀はおほかきに在之事に候、

當城へ近邊の人質伊藤家來之もの幷町人のしちもつ迄入置候、敵より火付之才覺伊藤若輩故、家中之者共樣々之才覺仕候に付て、

心ゆるし不成候、殊に拙子之者共さき手に有之所は敵相二町三町之間に候之条、拙子は城中にしかと有之體に候、

今日之談合にて大形味方中之仕置可相究候、あらあらなから一昨日長大、安國寺卷題陣所へ我等參、彼内存承分にては

諸事相濟間敷と存候、その故は殊之外敵を大事に懸られ候て縱敵はいくん候共、中々可相果行も無之、

菟角身用心之御陣取之積り計にて候、陣所は垂井の上之山候に山取之用意に候、彼山は人馬之水も有之間敷程の山にて候、

自然之時は懸合にも人數の上り下りも不成候程の山にて候、味方中も不審可仕候、敵も可爲其分事、

一 爰元苅田候へは、兵粮は何程も有之事に候へとも、敵を大事に懸られ苅田にさへ人を不被出候、

兵粮は江州より可出候由候間、成次第に持出可申候、近比味方中ちちみたる體に候事、

一 味方共に勢州江州之人數出候はは、何とそ一行可有之と存候處に延々としたる體に候、依之敵もくつろきたる

亦ためらい候體に候、拙者所存候通も長大、安國寺へも申候へ共、一圓御取合無之候間、其通に仕候事、

一 菟角如此延々と候はは、味方中も心中難計御分別之前に候事、敵味方下々の取沙汰には妻子人質之儀は何樣にても

苦しかるましき體に候、揄E、内府へ被迎合筋目に候とても、妻子なと一人も成敗之義有ましきと申なし候、

是もK白を存たる者は不申下々申事に候、倂申も無餘儀候、既に如斯討被討候へ共、其者之妻子御成敗穩便故、

先書にも如申犬山加勢衆謀叛なとも出來候歟、さりとては有間敷儀なから是も妻子氣遣無之故と下々申候、

爰元諸侍申され候も敵方之妻子五三人も成敗候はは、心中替可申と申事に候、爰許承候通申入候、御分別に不過候事、

一 大津之義、去とては此節根をたやされ候はては、已來御仕置之さはりたるへきと存候、殊に伊奈之侍從殿、

當表にて種々之才覺御推量之外にて候事、

一 敵方へ人を付置聞申候、佐和山口より被出候衆之中、大人數もち敵へ申談らるる子細候とて此中相尋候、

其故は勢州へ被出陣をも申留、各面々在所在所に被相待候樣にと申談なとと申、此二三日は頻にかけ口有之、

敵方いさみ候つる然るに江州之衆悉山中へ被出而、かけの口違候樣に敵申候とて、唯今申來候、菟角今之世は

人質不入體に見へ申候、終に出し候人質無御成敗候間、人質に不搆も無餘儀候事、

860 :人間七七四年:2018/12/08(土) 19:44:26.45 ID:LCHUdZ5w.net
一 何れ之城之傳々にも、輝元御人數入被置候御分別肝要に候、此段子細有之候間御分別あつて勢州を初、

太田駒野に今度城を搆候而能候はんと存候、江濃之境目松尾之御城、何れ之御番所にも中國衆入可被置御分別尤にて候、

如何程にも慥成遠國衆にて候へ共、今時分は國郡之心差し有之付て、人之心難計候、御分別之前に候事、

一 當表之儀は何とそ諸侍之心揃候はは、敵陣は廿日之中に破り候はん儀は何れの道にも可多安儀に候へ共、

此分にては結句味方中に不慮出來候はん體眼前に候、能々御分別肝要に候、羽入兵、小攝抔も其被申樣に候へ共、

遠慮有之と見へ申候、拙子儀は存知之たけ不殘申候、

一 長大、安國寺存之外遠慮深く候、哀々貴所に當表之儀、一目御目に懸度候、扨々敵之うつけたる體家中之不揃儀

思召之外に候へ共、それよりは味方中事をかしき體に候事、

一 輝元御出馬無之事拙子體は尤と存候、家康不被上には不入かと存候へ共、下々は此儀も不審たて申事に候事、

一 度々如申入金銀米錢遣はさるへき儀も此節に候、拙子なとも似合に早手之内有たけ此中出し申候、

人をも求め候故、手前之引廻し御推量可有之候、然は此節に極り候と存候間、其元も可有其心得事、

一 從江州被出衆之手前、自然之不慮之儀も候へはと存、是のみ迷惑に候、輝元御出馬無之候はは、

佐和山下へ中國衆五千計入可被置候儀肝要之御仕置に候、菟角勢州へ被出衆之歸りは大垣、佐和山の通路にも不搆、

自然之時分は太田幷駒野へ取つき、畑道を江州へ御通用之積計と相見え申候間、長引可申と存候事、

一 備前中納言殿今度之御覺悟、さりとては御手柄、是非なき次第に候、此段自諸口可相聞候間申に不可及候、

一命を棄而御かせきの體に候、其分御分別御心得可有之羽兵入、小攝同然に候事

一 當分御成敗有之間敷人質妻子、宮島へ御下可有之歟、御分別部不可過候事、

一 今度勢州口より被働衆、中國は不逮是非其外長大、大刑幷御弓鐵炮衆も長大、安國寺一手に被引向樣に相見え之候間、

大人數廻り兼候、人數も少々そつに罷成體に候事、

一 丹後之儀隙明之由に候、少にても外聞に候間、彼表之衆當表に被立候樣に可然候、恐々謹言

  九月十二日    石田治部少輔

    搏c右衞門尉殿

861 :人間七七四年:2018/12/08(土) 19:45:58.56 ID:LCHUdZ5w.net
仮に偽書なら家康等東軍陣営か毛利吉川西軍陣営、どちらに属するする人間が書いたのでしょうか

862 :人間七七四年:2018/12/08(土) 20:14:13.77 ID:6Bf5EoFJ.net
江戸期の人間に東西関係ないのでは
つかこの書状が偽書というのはそういう指摘でないの

863 :人間七七四年:2018/12/08(土) 20:24:47.18 ID:V8bDq6RH.net
>>858
真田や佐竹宛書状も含めて

864 :人間七七四年:2018/12/08(土) 22:40:18.94 ID:LCHUdZ5w.net
>>861
東軍に属したい家の人間が勝者の立場から三成を貶めるために書いたのか
西軍に属した家の人間が三成を貶める事により敗者として自己弁護を計ったのか
どちらかなと思いまして

865 :人間七七四年:2018/12/09(日) 00:12:41.93 ID:pyPj8/FB.net
真田が貰った文書はガチでしょ
代々の当主が隠し部屋に維新まで保管してたとかいう

866 :人間七七四年:2018/12/09(日) 08:01:00.27 ID:aM6daWYX.net
味方がこうも頼りないと愚痴りたくもなると思うけどね
真田に頼んだ上杉とも連絡もどうなったかわからないし
頼りになりそうな立花とか大津にやったとか、幽斎に兵割きすぎた自業自得の面もあるけど

867 :人間七七四年:2018/12/09(日) 08:04:31.84 ID:axhByck6.net
他の連中も三成に同じ事を思ってるだろうな

868 :人間七七四年:2018/12/09(日) 09:05:00.34 ID:5yZiwGUU.net
これまで昌幸信幸信繁三人に宛ててたものが8月10日付三成書状では
信幸の名前が消えてるからそこで漸く信幸が家康方だと気付いたけど
それでも依然として越後に連絡がとれると強気の姿勢を崩さなかった三成
まあ10日付以降の真田宛の書状が残ってないことから連絡は取れなかったんだろうな

869 :人間七七四年:2018/12/09(日) 09:06:25.27 ID:rZs6mmcb.net
ナンバーワンに従いたくない奴らがつるめば、集団無責任体制となる
誰かが上に立つのを嫌うのに、自分の意見は押し通そうとするからな

870 :人間七七四年:2018/12/09(日) 12:18:26.24 ID:Hs1CnjDF.net
>>866
上杉、立花と言えば関ヶ原の勝利の勝利を受けた政宗と清正の書状があるけど
どちらも欲の皮がつっぱている気がするね

871 :人間七七四年:2018/12/09(日) 12:19:18.45 ID:Hs1CnjDF.net
村越直吉今井宗久宛政宗書状

  伊達政宗書狀

  以上

去十二日自C洲之書狀共相屆候、卽自之可申上候處、今少最上表之樣體をも爲延引仕候、

一 其表之儀、大柿爲助衆毛利宰相、長大、吉川、安國寺被罷出之由、依之先衆へ可打向、卽時に可被討果之旨尤存候、

可被得勝利必定と存候、

一 此表之儀最上へ直江爲始、仙道、白河之人衆迄も參二千騎計足軽三萬程に而陣取仕、先達而如申入候はた屋之城攻切候条、

河西過半一返仕付而出羽守散々取亂、已山形之城可相敗樣に候間、息修理大夫爰元へ被越候、而加勢之儀被申候間、

内府樣御爲と存候而手前を指置、拙者祖父に候上野介に五百餘騎鐵炮千挺其外人衆五六千、卽遣申に付而、

陣取候候敵取亂已長井へ可引入體相見候条、出羽守上野申談、敵陣近所へ相働候へ共、兩方そなへ之間に大惡所候而

合戰不仕由申越候、然間敵除候事も不成候而于今在陣仕候、

一 此砌與存候而、去廿五日長井口へ下關と申所にかかり、人衆少し遣候而湯之原之城へ押懸撫切に可仕と存候處、

彼所之者共普代之筋を以頻懇望仕候間、身命計相助入手申候、依之新宿之城も明迯仕候、最上へ申合、

此上我等自身長井へ亂入可仕由存候、左樣に候者最上に在陣之衆も可爲敗軍由存候、最上所々迄も此邊拙者壹人迄之樣而

賦等申付候、扨々人衆も數多持候衆鷹野計に而遊山仕、皆々なかめて居申候、あたら知行哉らんにて候、是は貴所迄への之ざれ事に申候、

一 最上へ悉人衆取越、會津も景勝小性共計指置候而、用立候者者皆最上へ參候由迯人共何も申候間、此砌白川境迄も

關東之御人數被出候者、自之も伊達筋より仙道へ罷出候、卽手を合可申由、參州樣又御留主居之本佐州、石日向守各へ追々爲申上候、

于今無御報候、何篇五三日中、何方へ成共罷出、追々御吉左右可申上候、

一 南部境も種々六箇敷御座候を、我等使者を遣候而、上方之御樣子、又御爲不存逆意之旨少も候者、南口に人衆殘置、

我等馬廻計に而南部へ罷出候共、則時に可申付候条、如何候はんとおとしかけ候へ共、一段こまり候て、今者何樣にもと申事候間、

近日仙北よりも最上へ手切候而景勝へ一味之由候間、近邊と申南部より仙北へ後詰仕候へよし申付候、

一 此方之儀者乍若輩拙子壹人にても可仕候条、無申迄候へ共、上方御備專一候、

此書狀被入御披見可被下候、書中に少も僞不申入候、次有中書へ此由申度候、別而書狀も進候、御吉左右互可申承候、恐惶謹言、

  九月廿九日           政宗

   村茂介樣

   宗椈V
      人々御中

872 :人間七七四年:2018/12/09(日) 12:20:12.07 ID:Hs1CnjDF.net
浅野幸長宛清正書状

  加藤C正書狀

                加主計
   淺左京樣          C正
      人々御中

  已上

急度申入候、今度者彼惡逆人徒黨を企候處、早速御上候て、於濃州面御手柄之由承及候、然處内府樣御出勢に付而、

於關原面被成御合戰、悉所被討果、打續各御手柄共御羨敷候、此等之儀爲可申入、同名右馬允指上候、其元之樣子、

一々被仰越候て可給候、此面事、只今宇土之城取詰、本城二丸迄に仕成候間、落去程有間敷候、然者其面より被討洩立花左近、

妻子ぬすみ取罷下、則柳川へ令入城候、彼者罷下事少は拙者仕合に候、宇土面隙明次第相働、則時討果御注進可申候、

不及申候へ共、九州中之表裏もの共、壹人も不被成御免候樣に、連々可被仰上候、上方いつせの國々にても惡黨同心之者共、

身上無恙不被成御赦免樣に是又可被仰上事尤に存候、定而上かた御手に立もの在之間敷候、國々之樣子具に可被仰越候、

此面之儀何も如水申談、きつと可申付候間、可御心安候、恐惶謹言

      十月二日          C正

     淺左京樣
         人々御中

873 :人間七七四年:2018/12/09(日) 14:06:03.90 ID:aM6daWYX.net
政宗は最上のことダメ出ししているし、清正は西軍連中決して許すなと念押ししているし、どちらも結構あれだな

874 :人間七七四年:2018/12/09(日) 15:31:26.74 ID:p0o9wETC.net
>>855
大江氏の本家は、君の言う通り、明治時代まで公家として残って子爵になっている。(北小路家)

>>854がいう毛利家は大江広元系だろう。
鎌倉幕府の立役者だった大江広元は4人の男子がいて、毛利家は4男の家系だから全く嫡流ではない。
むしろ酒井家(徳川四天王)は3男の家系と言っているから、本当ならそちらの方が嫡流に近い。

越後にいた毛利家は安田家と北条家などが謙信の家臣として有名だけど、安田家だけが大身として残っているから安田家が越後毛利家嫡流で良いと思う。

長州藩の毛利家は越後毛利家から別れた分家なので毛利家としては庶流だと思う。

875 :人間七七四年:2018/12/10(月) 00:09:30.47 ID:h7ahpUyE.net
8月25日付長束正家・増田長盛・石田三成・前田玄以・毛利輝元・宇喜多秀家宛
上杉景勝書状

一大閤様御不慮以来、内府被背御置目、被?上巻誓帋、恣之仕合故、
 各被仰談、被立御置目、秀頼様御馳走之段肝要至極存候事
一日本國諸侍妻子人質、大坂ニ被召置二付而、無二忠信之覚悟被仕候由、
 御尤候、弥堅固之御仕置たるへき段、令校量候事
一伏見之城在番之関東勢、早速被仰付、爲始鳥井彦右衛門悉被討果之由、
 誠天罰不浅存候事
一羽柴越中、條々被違ニ付而、丹後被召上、國中平均ニ被仰付之旨、珍重ニ候事
一當表之儀、如?仰、去月廿一日内府江戸を被打立、
 廿六・七時分白河發向議定之?ニ、上方変化之様子動轉、悉敗軍候、
 内府者今月四日ニ小山?(より)江戸へ被打入候、則関東表可罷出処、
 最上・政宗見合、慮外之躰候条、急度申付、奥口相済、
 関東へ三昧可仕候上者、卒尓ニ関東表及調議、
 奥口蜂起候へハ、手成見苦候条、右之分候、
 但内府上洛議定ニ候者、佐竹令相談、?万事関東乱入之支度無油断候条、
 可御心安之事
一南部・仙北・由利中之面々、秀頼様へ御奉公可申上由、此方へ使者到来候事
一越後之儀、江戸へ人質を出、無二内府一味之躰ニ候条、一揆?申付、
 少之人數をも遣可討果由存候処、秀頼様へ無二忠節之段、
 就中越中江動?被仰付之由候条、羽久太(堀秀治)へも可令入魂旨申届候、 
 一揆等も相静候、溝口・村上両人之儀者、前廉?無別儀候事
一當表之儀者、随分丈夫ニ可申付候条、可御心易候、諸口申付候故、
 急速関東へ不罷出候儀、所存千万候、併来月中者佐竹相談、是非可及行候、
 猶當表仕置、最上・政宗義も御指圖次第可存其旨候、恐々謹言、
                       會津中納言
   八月廿五日          景勝

長大
増右
石治少
徳善院
輝元
秀家
      参御報人々御中

めんどうなんで現用漢字に改めた箇所多数あり。

書状内容もなかなか興味深いんだけど、それ以上におもしろいのが、
この書状、真田家文書なんだよね。
沼田で信之が使者を捕らえたのか、昌幸の上田までは行ったがそこから先には
行けなかったのか、それともそれ以外の理由かわからんけど、
この書状が西軍中央には届いていなかった可能性はけっこう高いと思う。

876 :人間七七四年:2018/12/10(月) 11:33:53.58 ID:wZ5675Sm.net
もしこの書状が上田に届いたものなら、書かれたのが八月二十五日だから、届きはしたが、
翌月二日には秀忠が小諸城に到着しているし出せる状況ではなかったんだと思うな

877 :人間七七四年:2018/12/10(月) 16:39:33.92 ID:wZ5675Sm.net
>>872
ところで清正が言うところの立花が盗んだ妻子って誰になるんだろう?

878 :人間七七四年:2018/12/10(月) 22:04:56.10 ID:8MvLkQFX.net
>>875
書状の相手に殿などの敬称が無いのが違和感を感じるな
>>877
普通にァ千代だと思うけど。何故か柳川で留守を守っていたイメージがあるけど
この頃の大名の妻子は上方に居たし、やはり有名な逸話がある真田真之の妻の小松殿も
実際は上方にいたわけでだしね
ついでに家康暗殺事件の際、芳春院と利長の妻は上方にいたみたいだし

879 :人間七七四年:2018/12/11(火) 10:31:12.88 ID:/lifWBQS.net
>>878
たしかに違和感あるけど、だからといって真田がこの書状を偽造するメリットもないでしょ?
真田のことは書かれていないんだし。

880 :人間七七四年:2018/12/11(火) 22:15:34.58 ID:vpbKLprY.net
書状類を読んでいると西軍が調子よかったのは伏見城攻めから安濃津攻めくらい迄で
あとは尻つぼみになっていく感じがするな
戦意が下がっていく一方だし統率もとれていなくて、負けるべく為て負けたって感じだ

881 :人間七七四年:2018/12/12(水) 22:22:13.98 ID:DW968bjw.net
三大老四奉行及び大谷、恵瓊の中で家康と同年代なのは玄以と恵瓊くらいで
あとは一廻りくらい年下の連中ばかりだしな
経験の差はいかんともしがたいだろう

882 :人間七七四年:2018/12/13(木) 22:03:50.20 ID:602bzm63.net
経験不足もあるだろうけど、奉行連中の自分に都合の良い物事のとらえ方と
不相応の思い上がりぶりは、後の秀頼と相通ずるものが感じられて
豊臣の人の育て方に何か問題があるのでは勘ぐりたくなる

883 :人間七七四年:2018/12/13(木) 22:18:15.66 ID:42PbOoGY.net
秀吉自身が即戦力を連れてくるというやり方で
官僚層の充実やそういった体制を作ろうとした形跡もないので
人材育成のノウハウは最後までなかったんじゃなかろうか

884 :人間七七四年:2018/12/14(金) 06:57:18.99 ID:Japu53Hc.net
>>883
一応、子飼いの連中は育てたと言っていいんじゃないかな、人数が少なすぎるのは否めないが
ただ、豊臣自体が秀吉死亡時点で独立した御家となってから10年ちょっとしか経ってないし、
ノウハウの問題じゃなくて、そもそもが御家の成立からの時間が短すぎるというのはある
まあ、本能寺後の秀吉が全然腰を落ち着けてないのもあるが
正直、いわゆる三傑の中で一番生き急いだのが秀吉って気はする

885 :人間七七四年:2018/12/14(金) 14:05:55.77 ID:VfQnkofx.net
子飼い育てた、はそのとおりだと思うがどいつもこいつも新参者で歴史が浅くて他家への影響力が低いんだよな
丹羽や柴田をとりこめていたらまだなあ

886 :人間七七四年:2018/12/14(金) 15:47:45.43 ID:I5UIWgQI.net
時間が長いとか短いとか生き急いでるとかそういうのではなく
そもそもそういう体制を作ろうとしてない

887 :人間七七四年:2018/12/14(金) 16:08:10.32 ID:mecOZ4gH.net
自分が教育を受けていないから、教育の効果と重要性がイマイチわからなかったんじゃないかな

888 :人間七七四年:2018/12/14(金) 17:36:41.94 ID:cHdYQw40.net
>>886
各種奉行やら取次役の類がそれに該当するんじゃないの?
他のひとも言ってるが秀吉からで歴史がないという点と
他家と比べてもそれほどひどく劣っているとは思わないが。

889 :人間七七四年:2018/12/14(金) 18:14:42.94 ID:W4Sqd7Dy.net
加藤清正
スーパートップダウン経営、全て清正が決済する
小さな街場工事にまで顔だして指示(民衆からは身近な殿と愛された)
部下は全員指示待ち人間の無能揃いとなり次代で狂気の政治と揶揄され見事改易

890 :人間七七四年:2018/12/14(金) 19:15:26.67 ID:VfQnkofx.net
確かに清正の後継は名前すら聞こえてこない木っ端だよな

891 :人間七七四年:2018/12/14(金) 19:22:57.30 ID:Q54mD27c.net
福島家の方は高級旗本として再興してもらえたのにな

892 :人間七七四年:2018/12/14(金) 20:36:17.21 ID:pgco34CW.net
加藤は復帰を固辞したからでしょ

893 :人間七七四年:2018/12/14(金) 22:45:40.11 ID:88RDWEua.net
色々下手打った輝元も結局は減俸で済ましているし
三成と吉継の子供は助命しているし、家康甘い所があるんだよな

894 :人間七七四年:2018/12/15(土) 22:27:52.38 ID:AJwxppD+.net
輝元のやった事を考えると改易でもおかしくは無いな
秀頼に対しても家康、対応が甘いし
何故か豊臣ファンに言わせると、家康は卑劣って事になるらしいが

895 :人間七七四年:2018/12/16(日) 00:33:10.99 ID:761YzPnC.net
関ヶ原に関しては秀頼の責任を問えないんじゃないのかな

896 :人間七七四年:2018/12/16(日) 00:54:08.47 ID:H6fElo0n.net
別に関ヶ原に関しては秀頼に対して何もしていないでしょ
豊臣に対する三成の謀反を鎮圧したから豊臣の領地で恩賞を払ったというだけ

897 :人間七七四年:2018/12/16(日) 00:55:14.69 ID:pi6n3xqu.net
この秀頼に対しても、ってのは大坂の陣前後での話のことじゃないかしら

関ケ原というか、秀吉没後の政争からずっと家康は面倒起こした相手にかなりド甘な対応をした結果
相手が中途半端に仕切り直しできるだけの力が残ってて、更に面倒なこと引き起こすってのをずっと繰り返してるよね

その辺り冷酷に対処してたらここまでもめなかったろうにって言うのが多い

898 :人間七七四年:2018/12/16(日) 16:03:02.43 ID:2x3GmzYb.net
場当たり的なものにしろ、後の対応で家康は大抵盛り返しちゃうんだよなぁ

899 :人間七七四年:2018/12/16(日) 17:55:07.20 ID:ueA/ueBZ.net
豪腕だね

900 :人間七七四年:2018/12/16(日) 18:34:07.78 ID:6b+rhPNP.net
>>894
関ヶ原後に輝元を改易処分したら、毛利一族200万石は死に物狂いで戦うぞ。
いろいろ不安定な時期にそれはできない。

901 :人間七七四年:2018/12/16(日) 19:42:17.53 ID:T/ZRPvJK.net
>>900
まあ、改易はさすがにないだろうな
ただ、毛利家の家督に秀就後継を認めたのはずいぶんと甘いな、とは思う
家康の元には吉川広家もいたのだから、そっちに継がす手もあったはずだが
まあ秀就への家督相続を認めたからこそ、毛利が唯々諾々と家康の指示に従った部分はあるかもしれん

902 :人間七七四年:2018/12/16(日) 19:47:15.12 ID:EBA7R01u.net
>>900
毛利一族200万石?
吉川は寝返りそうだけど

903 :人間七七四年:2018/12/16(日) 21:38:09.91 ID:N05HUUBt.net
家臣も寝返りそうだけど宇喜多みたいに

904 :人間七七四年:2018/12/16(日) 22:06:26.99 ID:EClQmq6N.net
西軍は人心の纏まりに欠けているよね
大谷と島津の書状を読み比べても
家康に対する感情の差を感じるし

905 :人間七七四年:2018/12/16(日) 22:07:38.38 ID:EClQmq6N.net
真田親子宛大谷吉継書状

眞田安房守       白以

左衞門佐殿

大坂より

猶以此方之儀、大坂いかにも丈夫に人質を取かたまり申候、伏見之城へは嶋津、輝元、備前中納言殿、小西御鐵炮、弓衆今日取寄候、

無程のりくづし可申候、此已後は留主御氣遣有間敷候、伊豆殿女中改候間、去年くたり候時、左衞門佐方へくやみ候樣子迄を

證跡に申無別儀候、豆州へも不苦候はは、御心得候て可給候、左衞方へは東海道うつの宮へ出合候樣、さわ山より兩吏くたし申候、

天下泰平無此上候へ共、御兩所の御事、心かかり不及是非候、以上、

大坂御留守より飛脚被差下由候間、申入候、

一 内府去去年已來御仕置 太閤樣御定被背相、秀ョ樣御成立難成由候而、年寄衆輝元、備前中納言殿、嶋津此外

關西之諸侍一統上を以御仕置改申候事、

一 去十七日に西丸内府留主居理にて出し、輝元被移候事、

一 出陣之諸侍妻子御年寄衆より被相卜候、御兩所之御内儀、我之預分に仕候事、

一 内府置目御ちかへ、十三ヶ条書顯候、諸人存知に付中々無不審體候事、

一 何方に御在陳候共、右趣御分別候而、秀ョ樣御身捨有間敷事肝要候、倂御居住の所により、かぶりのふられざる仕合可在之候、

此返事に御内狀を可給候、御年寄衆へもみせ申候樣に調可被下候、委曲御年寄衆よりの觸狀条目可被進候、

萬々御左右待申候、恐惶謹言、

  七月卅日                  白以

906 :人間七七四年:2018/12/16(日) 22:09:10.00 ID:EClQmq6N.net
吉継、真田信繁の略称も福島正則の略称も左衞と書くから分かりづらい

907 :人間七七四年:2018/12/16(日) 22:12:18.39 ID:EClQmq6N.net
島津忠恒宛義弘書状とその追伸

  嶋津惟新書狀

猶々内府公より貴所へ預候之鷹、ここもと陣立に付而、取亂候間、幸山路市兵衞尉罷上候条、下申候、

將又帖佐方之人衆定上候、自然濱市、かこしま之人衆同然に罷立候へなとと候ては、可致遲遲事可在之候、

帖佐之人衆者今程過上御座候条、盛にては罷成ましく候、伊勢平左衞門尉、本田六衞門尉兩人として、

人衆すすめ候て、早々可差上よし○被仰候而可給候、

七月廿九日之書狀、八月十七日濃州至垂井上着、令披見候

一 龍伯樣御上洛之儀被聞召合之由、御尤に存事候、然者被成御上洛。かみ樣へ御替候はん哉と申越候も、

世上靜謐之時分、内府公御意候条右之分申越候っ、當時者上方之成立諸式被成改易候条、于今者龍伯樣御上洛之儀不入儀候、

委細先書に申下候条可相屆候、

一 去春已來伏見御留主番に付而、人衆可被差上由數度雖申下候、無合點候哉、終に壹人も不被差上候、千萬無心元存候、

一 今度上方就轉變、前嶋太郎兵衞尉差下樣子具に申越候、雖然、御人衆被差上候之共、又者被上間敷とも否之返事無之、

大方成 御文體に候、畢竟太郎兵衞尉若輩故委細不申屆候哉、不審深重に存事候、連々御家中より在京之人衆七千人之御盛、

兼日相定由及承候条、先甚内半分と存、三千五百程急度可被差上由前嶋太郎兵衞尉を以申越候き、此如申下候樣子者、

御國元之儀も心遣存候ての由事候、然處九州衆過半被成在京。當時  秀ョ樣御用に被相立候、在國之衆者皆々被召上候、

其上分國よりも御人衆馳走可仕由被仰聞候間、其後申越候は、㝡前三千五百人可被差上由雖申下候、他國なみの儀候間、

有樣之軍役被仰付肝要之由細々申下候、然者此度之御書中、何方とも無一着遠慮之體と相見得申候、

定於御心中者、別儀有間敷候へ共、何としたる御事候哉、無心元存事候、

908 :人間七七四年:2018/12/16(日) 22:13:16.63 ID:EClQmq6N.net
一 今度之御使、態上方亂入之體被及聞召、被差上候御札候之条、上方之行、御國元之仕置、旁被入御念被仰越候へ者、

愚意も又在之儀候、然處一着之樣子も無御座、一段大方成書面無心元事深重に存候、

一 秀ョ樣御奉公と申、御家御爲と申、拙者儀一命を捨可申事覺悟之前候、然間不顧恥辱御奉行中任御下知、

濃州垂井と申在所迄出陣仕候、當分在京之人衆はかこ嶋、冨隈、帖佐役人存知之前候条、人衆付今度差下不申候、

伏見御城攻に手負死人多々御座候間、彌無人共、中々可申樣無之候、今申分成共、御人衆被仰付、早々可被差上事、

且 秀ョ樣への御忠節、且御家之御爲、旁以御分別此時候、必拙者へ御見次申事にては會以無之候、

一 御奉行中へ書狀認可申由候て、判紙二まい慥かに上着申候、雖然此度上方就物忩、御人衆可有御馳走共、

又者上せ有間敷共、更に御書中に相見得不申候条、書可申樣雖無御座候、餘無音に罷成候、又爰元成合次第と承候条、

後日之首尾を不存候へ共、書狀調申候、案文差下申候、

一 内府致御供被罷下候上方之人衆幷井伊兵部、榊原式部東國之人衆引率、尾州至C洲上着之由申來候間、

定近々可被及一戰候、然時者再書可進之事不存儀候条、不遺胸懷申達候、

一 出水表之儀定可為不番候之条、被添御心候而可預候、將又肥後表之御人衆此度之覺悟何程に御座候哉、

無申迄候へ共、可被聞合事肝要候、不可有御由斷候、

一 此書狀長文にて候条、御六ヶ敷被思召候共、よくよく被御覽屆候而可預候、恐々謹言
  
  八月十九日   惟新

   少將殿
     まゐる

909 :人間七七四年:2018/12/16(日) 22:14:05.50 ID:EClQmq6N.net
  嶋津惟新書狀

 追而申候

一 判紙二まい被差上候条、書狀調候而、御奉行兩人へ進入申候、石治少老へは判紙不參候間認不申候、

何も重而人衆可被成馳走も、又者馳走有間敷候者、其理急度被仰分候而、書狀可被上事肝要候、

一 長宗我部殿人衆之事、二千之軍役而候へ共、此度之御忠節に候と被仰、五千めしつれ被罷上候、是又為御心得候、

一 K田加兵衞尉上着之砌、被仰上候誂物之事、具に承屆候次第に調させ差下可申候、然者内府公より貴所へ御給之刀可被上由被仰越候、

一段祝着申候、今度之御弓箭はれかましき儀に候へ共、然々之かたな所持不申候条、急度御上せ候而可給候、恐々謹言、

  八月廿日   惟新

   少將殿
     まゐる  

910 :人間七七四年:2018/12/16(日) 22:15:07.72 ID:EClQmq6N.net
本田正親宛島津義弘書状

  嶋津惟新書狀寫

「御文庫四拾八番箱中」

猶々出水之儀者國堺之儀候間、惣別在國之人衆は彼表へ在番可申付候、其外衆中氣任無之樣に連々之置目稠可申付儀專一候、

乍勿論貴所事者在國候而、諸式可申付事肝要に候、將又長宗我部殿事者惣別人數弐千人之御盛而候へ共、

秀ョ樣へ爲御馳走五千人被召列、近日勢州へ着陣之由候、立花殿事者千三百人之御盛而候へ共、是も爲御馳走四千人召列、

今日爰元に上着之由候、餘國如此候處、さつまの仕立僅千人之内而爰元を仕舞候事、幾度申ても無面目次第難載筆紙候、

然者中書事は、此方より佐土原へ注進候てより人數早當陣上着候、然處出水、帖佐兩役人として一到來無之事更以無心元候、

幸便之条申越候、仍上方忩劇之由度々申下候、定而可相屆候、然者關東與京都之御弓箭而候条、尾州と濃州之堺を隔防戰候、

就其拙者事も御奉行中任御下知、濃州垂井與申在所に着陣候、當手之人數も伏見城攻に手負死人多々候条、

彌無人而晴かましき出陣、手前之迷惑さ各推量之外候、殊近日者 内府公御供候て、東國へ下向候上方之人數幷井伊兵部少、

榊原式部少、東國之人數を引卒、至尾州C洲上着候由申來候、定近々可被及一戰候、重々申下候やうに帖佐より之續衆、

分限、少分限を不謂、可有心人數者可罷上事此時候、能々無由斷可申付候、於巨細者旅菴可申候之間閣筆候、恐々謹言

   八月廿日                惟新

      本田六右衞門尉とのへ

911 :人間七七四年:2018/12/16(日) 22:17:39.27 ID:EClQmq6N.net
ところで義弘の書状の中で国元から兵を引き出すための誇張かも知れないけど
長宗我部や立花が軍役に課された人数より倍近くの兵を引き連れてきたと書いてる点が
気になる

912 :人間七七四年:2018/12/16(日) 22:20:34.29 ID:EClQmq6N.net
倍近くじゃ無くて倍以上だった

913 :人間七七四年:2018/12/16(日) 22:41:45.49 ID:pmUZGC3k.net
良く知らないけど、軍役の倍以上の兵簡単に連れて来られるものか?

914 :人間七七四年:2018/12/16(日) 23:00:50.75 ID:wfcDhZnp.net
普通は1万石で250〜300人だっけ?

915 :人間七七四年:2018/12/16(日) 23:38:46.69 ID:9ioOWMdG.net
三成が真田に宛てた備口人数によると
伊勢口
立花左近3900人
土佐侍従2100人
となってるね

916 :人間七七四年:2018/12/16(日) 23:48:28.42 ID:EClQmq6N.net
>>915
引き連れてきた兵数は兎も角、軍役の人数は誇張は少ないと思われるから
千三百の軍役に対して三千九百連れてきた立花は凄いな

917 :人間七七四年:2018/12/17(月) 01:34:53.59 ID:iXNupvK+.net
>>913
西国大名は大阪京守護のためにちょこっとばか兵連れてきてよと言われてただけで
もともと少ない派兵数の2倍3倍だからそんなに多くはない

918 :人間七七四年:2018/12/17(月) 14:48:22.00 ID:IRLUKju5.net
とりあえず義弘が自兵の少なさを嘆いているのは分かるな
あと家康に対してそれほど強い敵対心持ってないのも

919 :人間七七四年:2018/12/17(月) 22:06:56.11 ID:m6oxBEe8.net
西軍の面々を見ると毛利だと輝元は家康との対決より自領の拡大に夢中、
参謀格の広家は内通済み、宇喜多は戦意は有るけど直前の御家騒動で
家中の統制がとれておらず、石田や長束奉行連中は軍事的才能に乏しく
立花は戦意はあるけど別の戦場、島津は兵が足りず、長宗我部は
人数連れてきたけど、いつの間にか味方が敗北してたって感じで
これじゃあ勝てないよな

920 :人間七七四年:2018/12/18(火) 00:51:09.50 ID:nco1Hwqu.net
>>919
四国や九州に回す兵力があるなら関ヶ原に全兵力を集中させれば良かったのに、、、
輝元は、応仁の乱みたいに群雄割拠になると思ってたのかな?

921 :人間七七四年:2018/12/18(火) 04:44:48.81 ID:gF6+2Kw6.net
関ヶ原本戦って、最初から松尾山にいた小早川以外は
徹夜で移動して徹夜明けで合戦でしょ
みんなコンディション悪い中でしんどかったんじゃないかなと思う

922 :人間七七四年:2018/12/18(火) 06:31:21.60 ID:CbB4GXam.net
>>921
大谷らも山中村にいたでしょ。

923 :人間七七四年:2018/12/18(火) 06:51:11.82 ID:sMZC+AQB.net
>>920
輝元どころか、景勝や昌幸あたりもそうなると考えてたと思う
そうじゃなくても、長期戦を想定してた大名はかなりの数かと
大体かつての地方大名が好機に自勢力を拡大しようと考えるのがそんなに不自然か?
秀吉が天下統一してから10年位しか経ってないんだから、それまでの戦乱の世の中を生きて来た人からすると
むしろ統一された天下の方が不自然だと考えてもおかしくはないだろ

924 :人間七七四年:2018/12/18(火) 07:26:16.04 ID:A70SPApK.net
>>921
西軍の方が大回り

東軍は関東まで歩いて行って戻ってきた

もっとも昔は歩くのが普通だが

925 :人間七七四年:2018/12/18(火) 14:05:16.12 ID:zLxuop0h.net
西軍についた有力大名は元々は土着の大名だから、乱にあたって群雄割拠を志向した
それに対し東軍の大名は織田・豊臣に仕えて大名になった人物ばかり。彼らは秀吉死後に新たに仕えるべき主人を求めていた
この差が両軍の結束力の違いとして表れたのかな

926 :人間七七四年:2018/12/18(火) 19:07:32.14 ID:jM67LxUL.net
その観点ならば地方大名の独立運動を豊臣正規軍が鎮圧しただけにも見える

927 :人間七七四年:2018/12/18(火) 20:30:53.40 ID:9HRIqnMh.net
>>925
さすがにちょっと乱暴な見方をしすぎだろう、東軍も伊達とかは結構怪しい動きをしているからね
家康がそういう動きをしなかったのも、旧領である東海道の領地を
諸侯が家康に献上したんでそういう動きをする必要がなくなっただけとも解釈できるし
ただ、地方大大名がこの戦乱を勢力拡大の好機と見た可能性はかなり高いとは思う

928 :人間七七四年:2018/12/19(水) 09:51:41.27 ID:pBfF6b5+.net
これ次スレたいへんそうだね。今スレかなり史料提示があったが、どうするん?

929 :人間七七四年:2018/12/19(水) 10:13:24.65 ID:BETYjlUc.net
とりあえず試しに全部突っ込んでみる?
まぁ、実際は立てる人に任せるということでいいんじゃない

930 :人間七七四年:2018/12/19(水) 10:28:36.75 ID:pBfF6b5+.net
>>929
言うのは簡単だが、連投規制あるからスレたてるひとかなり大変だと思うよ。
でも近衛書状とか興味深い史料も多いし悩ましいところだね。

931 :人間七七四年:2018/12/19(水) 11:00:13.85 ID:fqRlTcAM.net
wikiに貼るとかできんのかね

932 :人間七七四年:2018/12/19(水) 12:20:07.26 ID:JJm1nHOo.net
最初から全部貼る必要はない
流れに応じて適宜貼ればいい

933 :人間七七四年:2018/12/19(水) 22:15:43.52 ID:QALM6Y5Q.net
>>925
豊臣子飼いの連中でも加藤清正とか関ヶ原と直前の庄内の乱で伊集院忠真を支援したり
(結果、家康を激怒させて会津征伐に従軍させて貰えなかった)
小西や立花の領土に攻め入ったりしてるからなぁ

934 :人間七七四年:2018/12/19(水) 22:59:01.14 ID:3LCssvqr.net
庄内の乱で懲りたのか関ヶ原の時の清正は家康に報告してから行動してる
如水なんかもそうだけどこの辺は保身感覚が機能してるね

935 :人間七七四年:2018/12/19(水) 23:13:45.63 ID:wHFrfOqe.net
清正、西軍からの誘いを断っているんだよなぁ
やっぱり清正からみて、この連中じゃ勝てないと思ったのかね

936 :人間七七四年:2018/12/19(水) 23:29:06.37 ID:lxVtYkSl.net
隣の小西を潰したかった説
本人は上方にいるけど

937 :人間七七四年:2018/12/19(水) 23:44:26.23 ID:6xAlqbQx.net
そもそも関が原は豊臣対豊臣だからあの段階でどちらに付こうが豊臣を裏切った事にはならないよ

938 :人間七七四年:2018/12/20(木) 10:13:27.40 ID:XhHcIAc3.net
領土欲の話が、何故豊臣裏切る話になるんだ

939 :人間七七四年:2018/12/20(木) 17:15:40.57 ID:iWamICVV.net
小西軍は宇土に留守番してた方が主力部隊だったんじゃなかったっけ

940 :人間七七四年:2018/12/20(木) 22:24:30.27 ID:0hlU9W/u.net
>>934
浅野幸長宛の>>872の書状だと西軍に付いた者は決して赦免するなと念を押してまで言っているのに
後に一転して立花助命に動くのは、家康が西軍首脳の連中以外厳罰に処さない傾向を読んだからかな

941 :人間七七四年:2018/12/21(金) 00:37:05.82 ID:DIKouzm9.net
史料引用は助かるが後のことを考えると
何の論点かで整理した方がいい気がする。

942 :人間七七四年:2018/12/21(金) 03:06:11.92 ID:A70fUN2J.net
>>920
そもそも、結果が出る前に、関ヶ原の戦い1戦でけりがつく、なんて考えていた人間がいたら頭おかしいレベル。
日本の戦史にそんな例は他にない。
戦場での決定的な勝利があっても、最終的な勝敗が決するまでは小戦闘を繰り返して年単位で時間がかかるのが普通。

943 :人間七七四年:2018/12/21(金) 09:23:10.19 ID:BViLn2C3.net
南北朝くらいの大乱を予想してたんだろうな。

944 :人間七七四年:2018/12/21(金) 10:34:24.33 ID:TZAE1sqt.net
如水の左手云々の話は創作らしいけど、普通に皆長引くと思っていたんだろうなぁ
真田あたりは、長引いてたら、滅んでそうだけど

945 :人間七七四年:2018/12/21(金) 15:04:13.67 ID:p+7s2tjo.net
家康動座により西軍が慌てふためき籠城の用意をしていることや、上杉征伐のため家康に同行していた伊勢周辺の大名が長束襲来のため帰国した様子などを伝えた書状

中川秀成宛松井康之・有吉立行連署状

尚々内府様漸北伊勢へ可被成御働と存候、大坂無正躰籠城用意候旨、已上

急度申入候

一 大坂去十八日出船之者、夜前此地へ下着、慥ニ申来候、長大ニ人数被添南いセへ打越、阿野津・松坂・岩手三ノ城可請取由候て使被立内ニ、
富信州(富田信高)・古兵少(古田重勝)・稲蔵(稲葉道通)三人舟七十艘斗にて着岸、城々へ被入候、筒井も伊賀へ帰国之旨候、就其矢手関地蔵へ被引退由候事

一 北国之儀、府中城へ大刑少人数寄、色々被申候へ共、堀帯(堀尾吉晴)留守居堅固ニ申故丈夫相抱ニ付、手当残置北庄へ通、彼表ニ在陣之旨候事

一 丹後之城弥堅固之由申来候、御奉行衆才覚にて禁中へ申、勅使ニて雅楽殿(生駒親正)・阿波殿(蜂須賀家政)並ニ被仕候様ニと被申候へ共、一切取相無之旨候、
越中かたヨリ追々人ヲ小々被打上様子申、城中弥強申由候、尚吉左右可申承候、恐惶謹言

八月廿五日

松井佐渡守(花押)
有吉四郎右衛門尉(花押)

中修理様
人々御中

946 :人間七七四年:2018/12/21(金) 18:29:15.34 ID:4iS6Diwe.net
>>877
宗茂は母親を人質に出してたけど、母親を救出する際に島津家の婦人達が大坂から脱出するのを
手助けしてたんでそっちのことなんじゃないかな

947 :人間七七四年:2018/12/21(金) 23:17:18.70 ID:dhMV5qZF.net
>>944
秀忠総大将で真田滅ぼす事出来るかな

948 :人間七七四年:2018/12/21(金) 23:24:41.99 ID:SOAdVQ3r.net
>>947
余裕だろ
美濃戦線が緊急事態になったから急行したんだし

949 :人間七七四年:2018/12/22(土) 01:16:18.16 ID:nNfBpwan.net
>>919
立花宗茂は島津義弘の書状や8月22日付の井伊直政の書状で美濃の垂井に来てたことが確認できるんだけど
9月に大津城攻めに加わってた理由がわからないな
大津を確実に制圧するために派遣されたんだろうか

950 :人間七七四年:2018/12/22(土) 05:53:10.33 ID:gtxg6ZIS.net
小勢しかいない丹後田辺にも大軍送る連中だからなぁ

951 :人間七七四年:2018/12/22(土) 19:46:50.18 ID:9zEXS5nx.net
>>948
秀忠軍の苅田やっていた連中が小競り合いになった程度らしいからなぁ
>>949>>950
大津は交通の要所だし秀ョの側室だった龍子もいたからね
丹後の方は正直地理的用件は知らないけど、忠興の事は
西軍首脳陣の書状に度々言及されているから
潰しておかないと面子に関わるんだろう

952 :人間七七四年:2018/12/22(土) 20:57:39.58 ID:k983lZSG.net
まぁ西軍好きには上田攻めを理由に秀忠無能扱いするのがまだいるからね

953 :人間七七四年:2018/12/22(土) 21:47:56.25 ID:zMvSr0ZB.net
政治はともかく軍事面では無能だろ
大坂の陣でも家康に叱責されてるし

954 :人間七七四年:2018/12/22(土) 22:36:17.57 ID:RHQYADZT.net
上田攻めは理由にならないつってるんやろ

955 :人間七七四年:2018/12/22(土) 22:51:06.36 ID:zTEwQDM/.net
秀忠は、遺骸から複数の弾痕が出ているだろう。
成り上がった人物でもなし、初陣の上田城攻めから守られる立場の人が重傷を負うなら軍才はないと思う。

956 :人間七七四年:2018/12/22(土) 23:00:06.31 ID:9zEXS5nx.net
そもそも上田攻めに関する資料が少ないからね
信濃史料の仙石家譜の記事は秀久の持ち上げが酷すぎるし

957 :人間七七四年:2018/12/22(土) 23:00:55.48 ID:9zEXS5nx.net
此夜秀久父子其席に召され、普代の將佐と共に軍議を決す、五日再び迄も使を以利害を諭し示さると雖も、

昌幸敢て承服せす、然らは上田城を攻へしと有て、六日、早旦我軍小ゥを發し、染屋迄押出し備を立つ、

秀久父子、榊原康政、牧野康成等と先陣に相進み、敵城を按察す、時に昌幸兵四五十騎を出し、我軍を窺ふ、

我軍之を撃んとす、敵兵戰はすして城に入る、此時秀久、嫡男秀政と共に、附へ入にせんと、諸軍に先かけ、

既に塀に付き乘入らんとせしに、本多正信を以て、先手の面々圍を解き、早々に軍を納むへしと令せさる、

時に秀久申けるは、此期を拔かさす攻入らは、他の手を交へす、愚息等をして攻めさすとも、乘取ん事、最と易かるへし、

昌幸縱令和を乞とも畢竟街道筋の消息を待んとの計畧なるへしと勇けれと、中納言殿思慮の上の御下知なりとあるにより、

各々圍を解んとす、然るに今一揉み攻付けなは、落城手間入るましと思ふもあり、又此城に日數を歴は、

海道の軍の期に後れん事如何あるへきと言ふもありて、諸將の軍議區々にして圍み未た解けす、

秀久熟々察するに、上田如きの小壘に時日を移さんは益なきに似たり、上方の敵こそ最務なれ、詮する所、

三成だに滅亡及はは、昌幸か如きは、飛札にても埓明へし、其上内府には、已に御出馬ありと聞こゆれは、

速に圍を解き海道に向んに如じと申けれは、大久保相模守、榊原遠江守を始め、諸將も此議に同しけり、

中納言其言を善みせられ、土井甚三郎を以て、諸勢を引揚へき旨を命せらる、於是秀久又押への兵を殘し置、

諸軍圍を解く、九日、中納言再ひ小ゥ城に入給ひ、秀久父子の忠勇を感賞し給ふ、

958 :人間七七四年:2018/12/22(土) 23:02:08.02 ID:9zEXS5nx.net
次の史料は短すぎて冠者嶽で戦闘があったくらいしかよく分からないし

959 :人間七七四年:2018/12/22(土) 23:02:47.39 ID:9zEXS5nx.net
曽祢原盛安宛渡辺金内書状

  定

一 今度さなたあわのかみ(真田安房守)でじろくわしやかたけ(出城冠者嶽)におゐて、

當月一之きと(木戸)にてたたかい、身方四人打死ておい八人有之所に、其身てをおい、きとをやふり、

てきの旗をとつて石川玄幡守へ參上仕候き、目前之かせき(稼ぎ)しやうこ(証拠)に不及候条、

以来之しうもん(証文)可然旨拙者に被仰渡れ候故、如此出し置者也、仍如件、

   慶長五年          渡邊金内
      九月十五日

      曽祢原C七殿

960 :人間七七四年:2018/12/22(土) 23:04:16.62 ID:9zEXS5nx.net
まあ多少なりとも当てになるのは、次の方針転換を告げる秀忠の書状くらいか

961 :人間七七四年:2018/12/22(土) 23:05:42.47 ID:9zEXS5nx.net
此表之仕置申付候處、大柿之城に石田治部少輔、備前中納言、嶋津、小西已下楯籠候處、先手之衆取巻候間、

早速可罷上由、内府より被申越に付て、急上洛令候、將又其表長々在陣御苦労悉く存知候、猶彼地より可申達候段、

一二不能候、恐々謹言

   九月十一日             江戸中納言
                           秀忠

    安房侍從殿
        御陣所 

962 :人間七七四年:2018/12/22(土) 23:13:33.94 ID:9zEXS5nx.net
>>959の史料、當月一之きとの間に「六日に、」を入れ忘れたしまった、
正しくは「當月六日に、一之きとにてたたかい」だ、すみません

963 :人間七七四年:2018/12/22(土) 23:22:17.45 ID:k983lZSG.net
乙だけど、そもそも家譜なんて自己もしくは自家先祖の顕彰目的何だから、相当間引いて読まなければ駄目でしょう

964 :人間七七四年:2018/12/22(土) 23:31:25.75 ID:9zEXS5nx.net
>>955
秀忠の弾痕は大坂の陣時じゃ無いかな
銃弾を浴びた状態で>>961のような書状を
祐筆に書かせるのは無理があると思う

965 :人間七七四年:2018/12/23(日) 01:08:22.42 ID:LCQGBw7J.net
>>951
たしか筑紫古文書だと9月14日の大津城講和の使者は、政所様方(寧々)より孝蔵主、
秀頼御袋様方(茶々)よりあいば殿、高野山より木食上人等で 両者の使者が合力し、
大津城より松丸殿(龍子)を救い出し京へ送る。
落城後城代として石河掃門が着任し、宰相殿(京極高次)は高野山へ逃れる。
ってあるから、京極龍子を救うのはかなり重要視されてたようだね

966 :人間七七四年:2018/12/23(日) 02:57:17.52 ID:P7dEMLdB.net
大坂の陣での叱責も軍事的につたないから怒ったのかっていうのもあるしなぁ
豊臣家に対してかなり穏便にことを済まそうとしてる家康と、強硬な態度を通し続けた秀忠という態度の違いがあるから
出兵の段になっても穏便に終わらないか模索してる最中に、息子が早々に着陣して豊臣家を刺激する行動をとったから怒ったっていうのも十分ありうるよね

967 :人間七七四年:2018/12/23(日) 04:15:24.29 ID:LCQGBw7J.net
>>964
夏の陣の後の立花宗茂の書状に
「我ら事、御旗本御前備に仰せ付けられ候故、先手へまかり越さず、何れも下々まで無事にこれ在る儀に候」
と書いてるし、旗本として参加した弟の立花直次の書状でも
「この度は御旗本へこれ有る衆、なんたる手にも合い申さず」
って書いてるから、旗本に守られてる秀忠が手傷を受けたとは考えにくいな

968 :人間七七四年:2018/12/23(日) 06:29:24.09 ID:rZvwxkva.net
関ヶ原も大坂の陣も外様の連中が従軍してるから総大将が重傷を負えば流石に隠しきれんじゃないか

969 :人間七七四年:2018/12/23(日) 07:09:46.32 ID:IN/3D5/8.net
冬の陣の時、負傷した可能性はどうだろうか?
和議後、家康は駿府に戻っているのに、秀忠はしばらく伏見に滞在しているし

970 :人間七七四年:2018/12/23(日) 09:46:53.38 ID:uA0riSLH.net
冬の陣で秀忠、負傷しそうな場面とか有りましたっけ

971 :人間七七四年:2018/12/23(日) 10:10:58.18 ID:IN/3D5/8.net
前線視察することとかあったかも知れないし、そんな場合にとか
妄想と言われたら、そうですねとしか言えないけど

972 :人間七七四年:2018/12/23(日) 12:35:36.29 ID:IkNdCXuY.net
可能性としてなら、味方の誤射や自軍の鉄砲の暴発あたりも考えられると思う。

973 :人間七七四年:2018/12/23(日) 13:46:31.38 ID:4wAGYzrc.net
後年江戸城西の丸の堀で徳川忠長が鴨撃って秀忠に怒られてるけど
その時うっかり流れ弾が当たったんだろうきっと

974 :人間七七四年:2018/12/23(日) 14:10:11.17 ID:uA0riSLH.net
終わりに近いので駆け込みで幾つか史料上げてみる

975 :人間七七四年:2018/12/23(日) 14:10:34.65 ID:uA0riSLH.net
中川秀成宛西軍首脳書状

前田玄以等連署狀

 態申入候

一 去十七日折紙幷一書を以申入候、定而可相屆候、内府上樣被背御置目、上卷誓帋之筈を被違、

恣之働に付而輝元、秀家、羽兵庫、年寄衆中申談、 秀ョ樣馳走被申、取立申可に相究及楯鉾候、

其方儀太閤樣御恩賞不被相忘候者、秀ョ樣へ御忠節此時候事、

一 濃州之儀岐阜中納言殿、稻葉右京、大柿、犬山悉秀ョ樣忠節可被申に相究、人質進上被申候、

一 勢州之儀、桑名氏家内膳在城、爲加勢原隱岐被遣候、亀山岡本人質進上申、爲加勢池田伊與守、

濱民部被差越候、~戸羽柴下総在城、津城、松坂、岩手何も御人數被入置候、勢州丈夫に御置目相澂候事、

一 輝元御人數弐萬餘勢田、守山之間に陣取、何之口へ成共東國より罷上候者可差向之由候、備前中納言殿、

筑前中納言殿醍醐、山科、大津へ取續御陣取候、

一 大坂大小名共に人質丈夫に御卜、其上妻子、番等堅申付候事、

一 其方儀慥之留主居被申付、人數被召連早々可有御上候、此時候間、可被抽粉骨候、然者外聞可然樣に馳走可申候、

 恐々謹言

                 長大
 七月廿六日             正家
                 揄E
                   長盛
                 コ譱
                   玄以
 中川修理殿
     御宿所

976 :人間七七四年:2018/12/23(日) 14:11:01.39 ID:uA0riSLH.net
続いてはこちらで

977 :人間七七四年:2018/12/23(日) 14:11:43.34 ID:uA0riSLH.net
真田宛三成書状

去三日之御狀今六日子刻至佐和山參着、令拜見候、

一 先書に度々申入候、參着如何、其國一ヶ國之仕置責取に被仰付之旨、輝元、秀家、揄E、長大、

コ譱從拙者可申遣旨被申候間、其心得而深志、河中嶋、諏訪、小ゥ、甲州迄之儀、成程弓矢御才覺可被仰付候、

何も上方に妻子有之衆に候間、不可有異儀候、若愚之意方者、押付成敗有之可有配領旨相談之上被申定候間、

其旨可被仰付候、被移時日候而者其詮有間敷候、但餘御手候衆者此方に可承候、美濃衆可被差向儀候、

羽右近儀者各別之遺恨、其故者御若輩之 秀ョ樣を申掠新地拜領曲事よ被仰候事候、

一 會津被越候飛脚可被仰談儀肝要候事、

一 越後之儀者堀久太差執心無之候条、上方缺國多候間、越後者被遣景勝、久太上方に而拜領の樣有搆、

一 河中嶋儀者御手に餘に付而者可承候、從此方被仰付方可有之候、

一 前肥州江戸に老母幷家老人質に置候故歟、其補ひとての事に候哉、于今慥に御請をも不申、剩丹五郎左へ出人數等と申付、

北國へも如形被遣御人數候、堀久太上方へ無二之覺悟候、越後筋に候間、越中に亂入候得よ申遣候事、

一 丹後國之儀者一國平均所務半申付候、幽齋事色々懇望に付赦一命流罪候、息越中事故御法度被誑内府、

御若輩之 秀ョ樣を申掠取新地候故遺恨深候、被か妻子居大坂候つ、焼討に被申付候事、

一 先書にも申候、大坂西丸に家康留主居之者五百餘居候を追出して遣伏見城、西丸に者移輝元候、

其已後伏見城鳥井彦右衞門大將に而手八百餘人置候、各申談、去る朔日從四方乘破不殘壹人討取、城中御殿此間雜人原踏荒候間、

悉火を懸一字も不殘焼払候事、

一 内府上杉、佐竹敵に被任、僅三萬之人數を持、分國抱十五城、廿日路被上事成物候哉、路次筋之面々今度出陣候上方衆如何内府次第よ申共、

廿年已來 太閤樣之御恩を内府去年一年懇切に相替、 秀ョ樣へ如在仕、剩大坂に差置たる妻子を捨可申候哉、

其上内府此中各へ差而懇も無之と承候、右之分別も無之衆之壱万、上勢壱万計を語ひ候半を尾、參之間に而可討取儀誠に天之與に候、

然者會津、佐竹、貴殿等者着袴可有亂入存候、但被捨天道仕置見之候間、被上候事も可有候、唯今進候備如左右被相究候事、

一 載此書立候衆何も無二之覺悟候、可御心易候、日本國之諸侍之妻子入置大坂候間、於仕置可御心易候、

免角愚意違背之輩可被討取覺悟專要候、此方爲仕置明後八日尾州表へ被出候、岐阜申談候、不可有御氣遣候、

一手之筑紫衆者殘置佐和山、用次第可被打出候、尾州表へも輝元之人數壱万計吉川、安國寺召連、長大同道に而昨日被打出候、

其外勢州表書立次第に候、鈴鹿越を被打出、輝元之儀者、自然家康被上候者、濱松迄被着候時分人數弐万召連至勢州出馬可仕相定候、

此書立之人數五三日已前に悉從國々馳上相知候、於仕置者可御心易候、其上金銀、玉薬料入候者可承候、從 秀ョ樣可被遣候、

太閤樣御貯之金銀幷闕地何も御忠節次第其々に可被下候、今度伏見表手柄仕置九州衆、内府江州之地行十万石令割符、

當座之引出物金銀に添感狀被下候、

一 定而可被聞召候、水野和泉守參州池鯉鮒に居候處に、加々井弥八郎よ申者出陣仕立寄致口論、弥八郎刺殺和泉守、

帯刀者新池を取候仕合よ相違候、中式も病死候、猶吉事切々可申承候、御用無之共可預御飛脚候、御内儀方大坂に御入候、

一段無事に候、宇多河内父子當城爲留主居今日當地へ被參候、下野事先日責伏見候節、被取合候而家中之者少々手負得共、

父子共に無事に候、可被御心易候、今度九州衆不大形 秀ョ樣へ御奉公振に候、抛命無二之體に候、輝元も同然に候、恐惶、

                           石田治部少輔

       八月六日

          眞田安房守殿

978 :人間七七四年:2018/12/23(日) 14:13:19.17 ID:uA0riSLH.net
最後に清正の書状二通、同じような書状出して媚うっている感じを多少うける

979 :人間七七四年:2018/12/23(日) 14:14:08.77 ID:uA0riSLH.net
家康側近宛加藤清正書狀

(後筆)
「女共罷下に付、其注進として大坂への便宜に遣候、大坂より才覺仕遣候へと申遣候」

 跡書

態致言上候、何方迄被成御馬候間、承度存申上候、

一 拙之女房共今月朔日熊本に至而召寄候、若御機遣被思召候はんかと存申上候事、

一 從奉行衆我等かたへ申談候はんとて、毛利壱岐守を差下之由候、書狀は相越候へ共、其身は小倉在之由候、

其後去月晦日に大坂我々留主居之ものに申付、互之誓帋之案文差越、 秀ョ樣へ御忠節此時候間、

家老之者共人質をも出罷上御奉公申候樣にと被申越候、于今不能返事候、樣子により如水申談返答可申遣候、

か樣之儀若御耳にたち候共、被成御不審間敷候、重々如水と申合在之事候間、御心安可被思召候、事三申上候へ共、

于今壹人も不罷戻候、小山より被下候我等もの壹人參着候、其已後又壹人進上申候、重而又如水申談壹人つつ進上候事、

一 此面之儀尾州C洲邊へ被成御着候御一左右承、いつれの道にも此鄰國可申付と存、如水申合候て在居候、

聊卆爾之儀仕間敷候条、御心安可被思召候、委儀は右如水相談進上申使口上に申含候、此等之趣可然樣に御披露所仰せ候、恐々謹言、

   九月七日         加藤主計頭
                   C正
     本多佐渡守殿

     西尾隱岐守殿

 跡書

急度致言上候、今度無二御奉公申上、心底立御耳御判頂戴之儀、御前に付置候小性昨日罷下口上に申聞候、

誠忝御諚共可申上樣無御座候、於此面之儀者聊無越度樣に可申付之条、御機遣被成間敷候、將又大坂より我等女房共仕合能召下候条、

御心安可被思召候、然者先度拙者もの小山より被仰付被成御下し候、口上に尾州表迄不被成御馬已前に卆爾之働仕間敷之旨被仰下に付而、

今迄相かかへ申候、はや尾州迄被出御馬濃州口御勝手之樣子も相聞候条、此方角之儀如水申談、急度相働無程鄰國申付御注進可申上候、

此等之趣可然樣に御披露所仰せ候、恐々謹言、

   九月十一日          C正

     本多佐渡守殿

     西尾隱岐守殿

跡書に重而は此印判にて可申入候間、可被成其御心得、爲其に只今おし候て進之申候、

980 :人間七七四年:2018/12/23(日) 14:14:50.95 ID:uA0riSLH.net
このまま次スレ立てられるか試してみます

981 :人間七七四年:2018/12/23(日) 15:48:54.97 ID:uA0riSLH.net
立てた。途中でやらなきゃ良かったと後悔した。
もしかしたら荒らし扱いで墜ちるかも

関ヶ原合戦の真実 Part9

https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1545542228/

982 :人間七七四年:2018/12/23(日) 15:56:55.93 ID:IN/3D5/8.net
どうする、このスレ埋める?

983 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:31:20.26 ID:IN/3D5/8.net
埋めちゃいますか

984 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:31:44.13 ID:IN/3D5/8.net
984

985 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:32:25.51 ID:IN/3D5/8.net
985

986 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:33:07.05 ID:IN/3D5/8.net
986

987 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:33:45.30 ID:IN/3D5/8.net
987

988 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:34:54.93 ID:IN/3D5/8.net
988

989 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:35:36.91 ID:IN/3D5/8.net
989

990 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:35:52.74 ID:IN/3D5/8.net
990

991 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:36:07.65 ID:IN/3D5/8.net
991

992 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:36:22.81 ID:IN/3D5/8.net
992

993 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:36:35.99 ID:IN/3D5/8.net
993

994 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:36:50.73 ID:IN/3D5/8.net
994

995 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:37:02.40 ID:IN/3D5/8.net
994

996 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:37:17.08 ID:IN/3D5/8.net
996

997 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:37:35.22 ID:IN/3D5/8.net
997

998 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:37:49.65 ID:IN/3D5/8.net
998

999 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:38:04.28 ID:IN/3D5/8.net
999

1000 :人間七七四年:2018/12/23(日) 19:38:25.81 ID:IN/3D5/8.net
1000

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