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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part15

1 :人間七七四年:2018/06/07(木) 10:31:53.47 ID:iRzdXPIr.net
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part14
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1525775487/

2 :人間七七四年:2018/06/07(木) 10:32:23.59 ID:iRzdXPIr.net
史実時系列表

8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月20日 島津義弘大垣到着
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信迎撃失敗岐阜へ敗走
同日   島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略
同日   東軍先発諸将赤坂に布陣
同日   秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日   西軍の北陸方面守備担当京極高次が大津城に帰城、東軍方として
      兵3000で籠城する
      付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約1万5千がこれを攻める
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
同日   家康清洲入城
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着
同日  小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠
同日  西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 家康大津入城、秀忠大津に到着

作戦練る際の参考に。あと訂正等あればよろ。

3 :人間七七四年:2018/06/07(木) 10:35:17.96 ID:iRzdXPIr.net
8月22日木曽川渡河美濃侵攻時の東軍陣容(兵数は福島覚書準拠)

上流渡河組:池田6500、浅野5000、堀尾4000、山内2600、有馬豊氏2200、松下重綱1000、
        一柳直盛ら計21300〜22000

下流渡河組:福島6500、黒田1300、加藤1600、細川2000、田中4000、藤堂1500、筒井1000、
        京極1500、本多俊政、生駒一正、松倉重政、神保相茂ら計20000〜22000

下流渡河組の後続として本多忠勝、井伊直政。

犬山城の抑えとして中村一氏代理の中村一栄ら3000〜4000

清洲城守備:石川康通、松平家清、奥平貞治、(松平忠吉)ら5000〜8000くらい?

これとは別で徳永寿昌、市橋長勝らが8月中旬頃より木曽川方面の西軍諸城攻略して暴れてる。


あと木曽川渡河後は大垣城からの後詰阻止隊として黒田、藤堂、田中の陣容。


東軍先発隊が35000だとすると実際はこんなもんでしょうか。

上流渡河池田隊:15000 下流渡河福島隊:14000
犬山城抑え:3000 清洲城守備:3000

4 :人間七七四年:2018/06/07(木) 10:43:24.69 ID:iRzdXPIr.net
美濃・尾張方面東軍西軍兵力集結状況

8月10日 石田、小西大垣到着(6700、5000)
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着(35000)
8月20日 島津義弘大垣到着(1000)
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城(18000)
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣(9600)
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣(約2万?)
9月11日 家康清洲入城(33000?)
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着(38000)

ちなみに「9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)」

これは8月下旬以降、垂井〜赤坂を東軍に押さえられているため、
近江伊勢の白瀬峠を越えて大垣南方から入城という遠回りをしているようで、
東軍が垂井を押さえていないのなら2〜3日は到着が早くなる。



8月20日時点での西軍戦力表
大垣城:石田5700、小西5000、島津1000、計11700

岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、計7000

犬山城:石川貞清400?、稲葉貞通・稲葉典通1400、稲葉通重400、稲葉方通150?、
     加藤貞泰1200?、関一政900?、竹中重門150?、大坂弓鉄炮衆2400?
     計7000

伊勢桑名、長島周辺(推定):明石掃部3000〜8000(推定)

近江草津:宇喜多秀家10000〜15000、(宇喜多は明石掃部と足して総計18000)

伊勢国内:安濃津城攻略に向けて、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、


秀信は渡河迎撃時の6530から少し割り引いて計算、そのまま計算なら秀信6330になる。

5 :人間七七四年:2018/06/07(木) 10:46:51.61 ID:iRzdXPIr.net
関東方面在番状況

宇都宮城:本丸結城秀康、蒲生秀行、二の丸小笠原秀政、三の丸里見義康、
       宇都宮城総計約18000?

大田原城:大田原晴清、那須資景、福原資保、千本資勝、大田原増晴、岡本義保、
       伊王野資友、服部正成及び伊賀衆。

黒羽城:本丸岡部長盛及び甲賀衆100、二の丸服部保英及び伊賀衆100、三の丸大関資増、千本義定

鍋掛:皆川広照、水谷勝俊

蘆野口:蘆野政泰、  伊王野口:伊王野資信、

烏山城:成田泰親
厩橋城:平岩親吉
高崎城:諏訪頼水

江戸城:本丸松平康元、石川家成、松平清宗?、菅沼定盈、諏訪頼忠
     西の丸武田信吉、松平康忠、天野康景、
    

特記点としては、6月下旬頃より家康の指示で、大田原城、黒羽城は1000人規模の人足を
動員しての防備強化普請を行っている。
同じく宇都宮周辺も、秀忠、秀康らによって約一ヶ月間強化普請を行っている。
兵数については不明部分も大きく、わかる方いれば補足、訂正等よろ。

6 :人間七七四年:2018/06/07(木) 10:50:07.98 ID:iRzdXPIr.net
岐阜城後詰決戦の叩き台のプラン。
これを修正、補強していけばいいかんじのものができそうに思います。
以下コピペ。

403 返信:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 21:01:03.29 ID:0UWAuM7R
>>374
長篠の合戦を例とすると長篠に武田の大軍が迫り寡兵だった長篠城はありとあらゆる通路を瓦礫で塞ぎ籠城して火縄で応戦。
そして籠城で時間稼ぎに成功して織田・徳川連合は設楽に到着。
織田・徳川連合はすぐには長篠城へは向かわず武田軍からは大軍だと見えないように丘陵地に兵を伏せ野戦築城。
そして夜間に別動隊を進軍させ夜明けと同時に奇襲して武田軍を翻弄。
痺れを切らした武田軍は織田・徳川連合本隊のいる設楽に進軍。
そして武田軍は大敗。

これを岐阜城で再現するには岐阜城で籠城させ時間稼ぎをして大垣城などから別動隊を編成して夜襲などを行い撹乱。
宇喜多や伊勢方面軍が到着したら岐阜城に向かい石田三成を使って三成を毛嫌いしている福島正則らを挑発。
岐阜城を囲う軍団と宇喜多石田軍に進軍してくる軍団に別れたら数の優位は西軍になるので迎撃。
部隊を分けずに動じなかったら岐阜城部隊と挟み撃ちにする。

そして東軍先鋒隊にもし勝つことができたなら東軍先鋒隊は退却することになる。
しかし木曽川を渡っているために渡河できる退路に東軍が殺到することになり大混乱。
甲冑来たまま深い河に入りまともに退却できなくなったり兵糧弾薬武具を脱ぎ捨てて泳いで逃げれば再軍備に時間がかかるようになる。
東軍に渡河させるのがデメリットじゃなく一網打尽にする千載一遇のチャンスにできる可能性がある。
そして東軍先鋒さえ壊滅させることができたなら徳川家康は江戸から出ることができなくなる。
岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。

7 :人間七七四年:2018/06/07(木) 10:54:07.72 ID:iRzdXPIr.net
史実での岐阜城は黒田、藤堂、田中の大垣からの後詰阻止隊を抜いたとして、
東軍21000〜23000対岐阜城2000〜3000.
それでも戦力比7〜11倍。単純に戦力比で落ちてもおかしくない計算。
それに加え敗走後の低士気状態、秀信の微妙采配、守備兵戦力分散、
ろくにしてないであろう籠城準備(野戦築城含む)
そりゃ1〜3日で落ちるだろう。

これを島津義弘1000を加え、8000で籠城準備もするなら落ちないか、落ちても東軍は甚大な損害を被ると見る。
29000対8000でも戦力比約4倍。この条件での攻城例がほとんどないように、一般的にこの戦力比、
守備兵数で力攻めは考えにくい。それでも力攻めするならその根拠を提示すべき。

8 :人間七七四年:2018/06/07(木) 10:57:15.13 ID:iRzdXPIr.net
798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 15:21:52.18 ID:aAd9kU2e [2/6]
それから8月19日付井伊直政、本多忠勝宛黒田長政、徳永寿昌、奥平貞治連署状からは
村越茂助の件もあってか木曽川渡河は成功しようが失敗しようが損害が多かろうが
相当の覚悟で敢行するつもりのよう。
木曽川渡河美濃進攻を「天下之勝負」と捉えているみたい。
なので、多少の戦力差(目安としては1.5倍くらいまでか?)なら後詰決戦に応じる可能性は
けっこうあるように思える。
もちろん合理的判断で清洲に撤退する可能性もある。五分五分と見る。

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/19(火) 14:11:49.52 ID:KJmLICXK [1/3]
上のほうで東軍先鋒が大坂や大垣城より援軍来たら退くって言ってる人いるが

徳川家康文書の研究 中巻 8月22日付文書によると
井伊直政と本多忠勝の戦況報告では竹ヶ鼻城を落とし、
明日岐阜城を包囲して攻撃する予定であること、
来ないと思われるが万一大坂から後詰が来た場合は先にその援軍を抑えて大垣城を攻撃すると家康に送っている


もし大坂方から後詰が出たならば、岐阜は押し置き、まずは後詰の軍を食い止めて
大垣城に付け入って乗り崩す。
これも諸将は評議で一決した。

※付け入って とは、敗走する敵を追撃し、そのまま敵の城に攻め込む戦法

とある

岐阜城後詰め決戦は発生するよ
岐阜城は付け入り戦法されたからすぐ落ちた

9 :人間七七四年:2018/06/07(木) 11:00:35.26 ID:iRzdXPIr.net
703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/22(金) 13:14:03.72 ID:jiua8RjV [14/17]
岐阜城が落ちず秀信軍が無傷で健在
墨俣付け城も27日の宇喜多到着で攻めに転じることができるので付け城阻止
9月2日の大谷吉継ら到着で完全に上回ることができるので
木曽川の西から東軍を駆逐でき木曽川を挟んでの大軍による渡河防衛が完全に機能し
関ヶ原でのぶつかり合いが木曽川になり
大軍通しの戦いでも関ヶ原と違い渡河防衛では渡河部隊との少数の戦いになるから完全に膠着
後は大津城を降した名将の立花宗茂らも合流

膠着になると上杉が最上を降しフリーになり野心ギラギラの伊達もどうなるか…

10 :人間七七四年:2018/06/07(木) 11:03:48.46 ID:iRzdXPIr.net
810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 22:35:55.59 ID:aAd9kU2e [5/6]
それと木曽川挟んでの膠着状態になった場合、東軍はおそらく犬山城を狙ってくる。
西軍はすみやかに伊木山、鵜沼を占拠し野戦築城、犬山城にも援軍送って増強するべき。
対秀忠でおそらく最前線になる。
伊木山に毛利秀元&吉川広家、鵜沼に小西あたり配置するといいかも。

個人的には家康、秀忠が来る前に和睦するのを強く推したい。

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 23:24:51.03 ID:aAd9kU2e [6/6]
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着後西軍のなすべきことは木曽川渡河迎撃と秀忠迎撃。
正直兵力が足りない。
対前田は以前にも述べたように田辺城組を敦賀に5000、北ノ庄に1万ほど援軍派遣すればいいと思う。
前田利長は利政抜きでおそらく兵18000〜2万(丹羽3000を付け加えるなら21000〜23000)と思われるので、
北ノ庄の16000〜17000、敦賀5000で抑えられると思われる。
この情勢なら双方とも積極攻勢はしないと思われる。
おそらく北ノ庄で対陣。

大津組の立花、筑紫、小早川秀包計5000は美濃方面に向かうと思われるが
毛利元康はわからない。この情勢なら輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思うが。
小早川秀秋の動向はまったくわからない。

輝元、元康美濃出陣ならなんとか兵力は足りる。

11 :人間七七四年:2018/06/07(木) 11:06:53.65 ID:iRzdXPIr.net
以前のスレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>6
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>7
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
大垣城:石田5700、小西5000、計10700

8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川15000、安国寺1500、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊19600南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>6の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>10

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か

東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後


家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる

8月下旬〜9月上旬までが勝負

12 :人間七七四年:2018/06/07(木) 11:10:09.76 ID:iRzdXPIr.net
岐阜城関連

岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf

山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。


歴史遺産と都市文化創造V――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf

近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf

13 :人間七七四年:2018/06/07(木) 11:13:20.25 ID:iRzdXPIr.net
毛利の兵力及び西軍の戦力布陣状況

毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)

毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)

こんなかんじになる。
あとは別枠だと、小早川秀包1000(大津)くらいかな。

なので、秀就がどこにいるかにもよるけど、輝元が出陣しても兵は5000しかいない計算。
毛利約120万石で41500人動員ならけっこうがんばってるほうだとは思う。

まず伊勢方面隊戦力
毛利秀元&吉川広家15000、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、長曾我部盛親2100、
鍋島勝茂9800、堀内氏善300等約29700

その他伊勢の在番、守備隊等
滝川雄利400、山崎定勝400、中島氏種?390、蒔田広定370あたり。

瀬田守備隊
相良、秋月ら約6900、

美濃、近江周辺立花宗茂3900、
推定佐和山在番筑紫広門500、
推定大坂の小早川秀包1000、

あとはよくわからんが伊賀在番7000、新庄直頼とかのことかな?

こんなかんじかな。

なので草津の宇喜多が美濃に援軍に行ってもまだ瀬田守備隊6900と立花宗茂3900の10800がいる。

大坂は輝元5000、小早川秀包1000、増田3000、前田1000、その他大坂城在番衆詳細不明ってとこかな。

14 :人間七七四年:2018/06/07(木) 11:16:36.47 ID:iRzdXPIr.net
伏見城攻防戦について
大雑把に
7月19日朝 城方鳥居勢が城外に出て近隣を放火
19日夕方 西軍が伏見近郊に到着し始め散発的に銃撃戦がある
20〜21日 西軍が外堀に取りつく。銃撃戦が激しくなる
22日 宇喜多、小早川、鍋島到着
23〜24日 西軍の銃撃が昼夜に及ぶ
25日 宇喜多秀家が陣立てをあらため諸将の攻め口を決める
26〜28日 西軍昼夜銃撃
29日 石田三成督戦に訪れる
30日 西軍力攻め、総攻撃4回敢行。城方死傷50余、西軍死傷500余
8月1日午前0時 松ノ丸で甲賀者の内応により火災発生、名護屋丸にも延焼
これを機に西軍突入、松の丸、名護屋丸陥落
午前10時頃より総攻撃再開、島津、治部少丸突入、治部少丸陥落
午後3時 伏見城落城


こんなかんじ。たしかに石田が来るまでは銃撃戦ばっかり。
だが西軍もまともに兵力が到着したのは22日で、仕寄って堀埋めて
30日に力攻めしてみたが大損害。
8月1日に城方の内応が出たのでそれを機に陥落。

これ城方の内応がなかったらもっと長引いてた可能性あると思う。
力攻めの寄せ手の損害数が大きすぎる。
伏見城は相当な堅城だったということだと思う。
瀬田で東軍を迎え撃つ、という方針になるのも無理はないと思う。
この彼我損害比ではもっと早い日時に力攻めしてても落ちないと思う。

15 :人間七七四年:2018/06/07(木) 11:19:54.19 ID:iRzdXPIr.net
宇喜多秀家に早期に援軍要請案

順番にいこうか。まず西軍の基本戦略は、内府違いの条々の効果により大多数は帰国し
雲散霧消するはず。
もちろん徳川に味方する者もいるだろうがそれほど多くはない。
それら東軍の想定行動は上杉への抑えを残し2〜4万程度が西上してくるか、
関東に引き籠って西軍の迎撃態勢を整える。
西上してきた場合は浜松か尾三国境付近で東軍を迎え撃つ(清洲の福島が味方する前提)。
関東に引き籠った場合は年末か春ごろに西軍の大軍で関東に進攻する。

これが8月初頭時の西軍の基本戦略。7月下旬の伏見攻城時には瀬田で迎え撃つつもりだったが
予想以上に味方が増え、越前、美濃の勧誘もほぼ成功し、前田も引き返したので
こうなったと思われる。

で、その西軍の想定通りに情勢が推移する可能性はもちろんあるので、基本戦略通りに軍事展開すればいい。
(個人的には既に戦力配分で疑問部分が多いがとりあえずそれは置いとく)

しかし少なくとも8月14〜18日頃には想定外の事態が起こる。
清洲の福島は味方せず、東軍と思われる軍勢数万が清洲周辺に集結しつつある。

この時点で西軍の方針は木曽川で東軍を迎え撃つ、に変わる。

ここまではいい。しかし数万(約3万)を木曽川で迎撃するには美濃の西軍戦力では足らない。
なのでこの時点で木曽川迎撃の為にすぐさま美濃への援軍要請をする。
この時点で援軍要請しても木曽川迎撃に間に合うかは微妙だが、
大垣、岐阜、犬山が籠城し数日持ちこたえれば後詰決戦は可能になる。
岐阜が落ちてから援軍要請しても遅い。

なので、具体的には一番近いのが桑名付近の明石掃部と草津の宇喜多計18000なので、
8月18日時点で宇喜多に援軍要請すれば8月21〜22日には大垣に到着できる。

・8月18日に宇喜多に援軍要請し、21日に大垣到着できれば木曽川で渡河迎撃、
間に合わないなら大垣、岐阜、犬山は籠城、この作戦方針の徹底。


西軍の基本戦略を尊重しつつ軍事的対応で合理的に勝ちを模索するなら
このあたりで岐阜城後詰決戦に至る。

16 :人間七七四年:2018/06/07(木) 11:24:10.27 ID:iRzdXPIr.net
以上、時系列表等参考になるものと有力案のコピペ終了。

訂正等は遠慮なくよろです。

17 :人間七七四年:2018/06/07(木) 11:32:00.79 ID:iRzdXPIr.net
その他の案としては、
美濃主攻もしくは北陸主攻案について

乃至政彦・高橋陽介著「関ヶ原の合戦はなかった」の208頁に
秀元、吉川はこう主張したが輝元の意向を受けた益田元祥に説得され
伊勢攻略に従ったとある。

「美濃・北陸両方面への処置を堅固に申し付けるのがよろしいかと思います。
伊勢方面は、さしあたってのところ重要ではありませんので、人数を出す必要はありません」と。

内容的に書状っぽいけど出典はよくわからない。
とりあえずこれが事実ならば、秀元、吉川の主張が採用され、美濃主攻もしくは北陸主攻が
あってもおかしくはないと思う。
美濃主攻なら西軍主力による東軍先発隊の木曽川渡河迎撃、
北陸主攻なら数的優勢でなんとか前田を降伏に追い込むか和睦で味方につける、
このいずれか、個人的には美濃主攻が勝算が高いと思う。

問題点は、だれがこの案の採用に同意するかという部分だと思う。
輝元や奉行(増田、長束)は小田原征伐のようなゆったりした展開を想定していたものと思う。
まずは丹後、伊賀、伊勢と近場を制圧し、安濃津攻略により伊勢湾制海権の確保、
関東に向けてじっくり進軍していく、と。

しかし当面の西軍の脅威となりうる存在は、前田と西上してくるであろう東軍で、
これに対処するには北陸と美濃に兵を送るという秀元、吉川の主張は当たり前ではある。

個人的には、増田と長束が自領の安全確保の優先と、輝元の毛利水軍を活かすための
伊勢攻略優先の結果、伊勢主攻になったのではないかと思う。

石田だか秀元だか吉川が「奉行衆は戦がわかっていない」と嘆いたらしいが、たしかにそう思う。

毛利元康あたりが秀元、吉川の主張を擁護してくれれば美濃主攻、北陸主攻は有り得ると思う。

18 :人間七七四年:2018/06/07(木) 17:55:45.65 ID:z5nwdtty.net
小早川隆景が生きてればな〜

19 :人間七七四年:2018/06/07(木) 18:05:26.17 ID:s+rVs/KG.net
またテルをグーで殴って止めてただろうからな

20 :人間七七四年:2018/06/07(木) 18:13:51.50 ID:PA//ZG3a.net
ここで秀頼さえ生まれていなければ、と思ってしまった私はクズ

鶴松長生きしたりや石松丸秀勝とか信長四男の秀勝とかが長生きしてくれていればと思うこともしばしば。

21 :人間七七四年:2018/06/07(木) 19:13:16.53 ID:0DyL5txo.net
関ヶ原の段階では秀頼はまだクズと断ずるには早すぎるし若いのが罪なのか、動乱が起きるのが罪なのかどちらとも言えない

22 :人間七七四年:2018/06/08(金) 02:59:04.17 ID:BZ6v0ItI.net
そういや織田秀信と東軍による岐阜城の戦いは元城主の池田がいたから籠城はよくなかった、みたいな話あるけれど
鳥居元忠と西軍による伏見城は前パートのスレの話だと伏見城在番を奉行衆大体経験してるわけで、それならある程度城の構造とかもわかってそうだけどこちらは10日くらい持ちこたえてるよね

もちろん岐阜城と伏見城なんて構造も規模もてんで違うから単純比較にはならないけれど後詰が全然来ない籠城で、攻め手に城の構造に精通した人間がいるといった共通項もあるんでどういった差が明暗を分けたのかってのは知りたいですね
あ、ただ秀信が無能だったからだよみたいなのは身もふたもないというか、彼なりに勝算あっての行動だとは思うんで、無能以外の理由も知りたいですね

23 :人間七七四年:2018/06/08(金) 05:14:24.04 ID:DNVikQcT.net
>>22
岐阜城の戦いはその前に野戦があって兵力を消耗してた。(多分最大の要因)
河田木曽川渡河の戦いとか米野の戦いね。

あとは岐阜城は濃尾二カ国の領主が建てた城で、伏見は天下人が本気を出して立てた城という違いもなのかな?
小早川東軍説で伏見城攻防戦の最初はやる気があんまりなかったというやつもあった。

勝ちが確定した戦だと兵力の消耗を嫌って戦意が低くなることもあるらしいからそれもあるかもしれない。
岐阜城を攻めた東軍は後がないから必死だけど、伏見城を攻めた西軍は今後無数に続く戦いの前哨戦に過ぎないからあんまり兵力を消耗したくないだろうし。

岐阜城って竹中半兵衛以来、約40年で5回か6回のハイペースで陥落してるから守りにくく攻めやすい城だったのかもしれない。

24 :人間七七四年:2018/06/08(金) 06:20:47.32 ID:DNVikQcT.net
岐阜城は野戦せず、ひたすら籠城していればって思ったけど、岐阜城無視して他に攻め込まれるかもしれない。
三方ヶ原みたいなことをやらず、岐阜城に普通に攻め込むとして、3倍どころか兵力さが5倍6倍もあったから後詰なしには落城必至だけど。
それでも兵力差4万対2000の伏見城よりは有利なんで1日ではなく、単純に数日かかるとは思う。

間に合うのかなあ。岐阜城後詰め。以前の議論に戻っちゃうけど。

25 :人間七七四年:2018/06/08(金) 08:32:02.58 ID:8MvGortK.net
普通に考えれば岐阜城は持った

それから仮に落ちたとしても最善を尽くしたのであれば
あれこれ言われる言われはなかった

26 :人間七七四年:2018/06/08(金) 08:59:27.96 ID:+sxuuuy6.net
信忠の織田家家督継承時に与えられた本拠地が岐阜城だからね。
普通に考えたらその天下人の後継者の本拠は巨大な城。
秀吉が秀信に岐阜を与えたのも巨城で格式だけは与えたという事だ。
秀信は援軍も来ない状況の兵力でただ守りきることは不可能と判断したのだろう。
そこで決戦で敵にダメージを与えようとしたのが若さ。
配下に敵を城下に引き込んだゲリラ戦を出来る器の武将でもいれば良かったんだけど。

27 :人間七七四年:2018/06/08(金) 11:51:01.04 ID:8MvGortK.net
認めたくないものだな

28 :人間七七四年:2018/06/08(金) 12:30:16.36 ID:BZ6v0ItI.net
確か渡河中の敵を迎撃してるわけで、割と相手に損害を強いる作戦を取ってますよね
渡河中の戦闘で渡河側が勝つって割と珍しいと思うんですけれど、なんでこれ東軍勝てたんですかね

また5,6回のハイペースで落ちてる岐阜城ですが
尾張の織田からの侵攻はずっと防いでいたわけで
尾張方面からの侵攻にだけは強いみたいな城なんですかね?

29 :人間七七四年:2018/06/08(金) 13:32:44.18 ID:DpcZrVrn.net
>>28
確かにそうなんだけど、尾張系諸将にしてみれば勝手知ったる場所だから渡河可能点をすぐに見つけて突破できるのは不思議ではない。
池田の旧領主、福島の隣接領主としての強みはこの辺で発揮されたのかも?

30 :人間七七四年:2018/06/08(金) 13:38:13.91 ID:RIonCeHr.net
岐阜城は巨大すぎてまだ全容が解明されてない城ってとこかな?
調査の度に新たな発見があるし。

岐阜城陥落もやっぱ寡兵守るには広すぎるってことじゃない?

31 :人間七七四年:2018/06/08(金) 14:17:45.34 ID:nfkXd1XZ.net
俺はここで何度も野戦で負けた後に、寡兵で守るには岐阜城は大きすぎてキツイから落ちたって言ってたんだが
水が無かったとか散々に言われてたぞw

32 :人間七七四年:2018/06/08(金) 14:19:29.78 ID:nfkXd1XZ.net
あと、池田輝政が岐阜城の弱点知ってたからだとかなw
基本、明確な弱点が存在する城なんてほぼ無い。
あったらそんな城に存在価値ねーだろw

33 :人間七七四年:2018/06/08(金) 14:51:22.15 ID:d4nbsP4D.net
全力侵攻厨が、普通に考えれば一番現実的な岐阜城後詰め決戦策を出されたら
俺の全力侵攻策が一蹴されてしまうと、あの手この手で貶めてたからな
相手にしたら負けを相手にしてたやつらが悪い

34 :人間七七四年:2018/06/08(金) 16:15:16.94 ID:OCNaeAds.net
>>32
関ヶ原後すぐに廃城されたけどなw

35 :人間七七四年:2018/06/08(金) 17:42:04.38 ID:8MvGortK.net
欠陥城?
いずれにしても野戦よりマシ

36 :人間七七四年:2018/06/08(金) 21:46:25.38 ID:3ByvlF4n.net
秀信は出撃しないとマズイんじゃないかなあ。
例えば、東軍先鋒が直接大垣に向かったとして(無論、岐阜を権勢出来る程度に)
東軍が「秀信がこちらに寝返った」という噂を流したとする。
その状況で秀信がなお籠城を決め込んだ場合、大垣勢は秀信をどう見るだろうか。

まあこれは極端な例だけど、東軍先鋒が岐阜を無視して大垣に向かった場合に
自分の立場が悪くなると秀信が考えた可能性はけっこうあるように思う。
秀信は西軍に参加させてもらったメンバーだと思うので、西軍首脳部に
「自分は東軍と積極的に戦う気があるのだ!」とアピールしないと予定通りの報酬が
手に入らないと考えたのかもしれない。

37 :人間七七四年:2018/06/08(金) 22:58:27.76 ID:nfkXd1XZ.net
そんな流言飛語はすぐにバレるだろ・・・

38 :人間七七四年:2018/06/08(金) 23:16:43.59 ID:n6xovoFj.net
>>33
一番現実的なのは清須急襲策だろ。
小山会議で盛り上がっただけで、その空気はまだ伝わってきていないのだから抵抗すべきか逡巡するだろ。
清須を落として東海道にフタをする。
これで美濃も有利になるし北陸にも兵を回せる。

39 :人間七七四年:2018/06/08(金) 23:32:29.41 ID:B1B7NppI.net
東軍には秀信の父親を切腹に追い込んでおきながら、自分だけ逃げのびた有楽斎がいるからな
有楽斎を前にびびって籠城するのは、秀信にとって死よりも耐え難い屈辱だろう
秀信には兵力差や後詰めがどうこう以前に有楽斎を殺すための突撃以外に選択肢がなかった

40 :人間七七四年:2018/06/08(金) 23:49:57.16 ID:CTjV5Yai.net
信長みたいなことをしてみたかったんだよ

41 :人間七七四年:2018/06/09(土) 00:03:07.11 ID:hF3ZI4AO.net
秀信は見殺しにされた
将来秀頼に仇成す可能性があったからかな

42 :人間七七四年:2018/06/09(土) 00:57:03.21 ID:WmGtx6fq.net
んー、やはり岐阜城防衛時の秀信の行動は謎が多くて憶測だけが飛び交ってしまうなぁ
この辺りの行動研究してる本とかないかなぁ

43 :人間七七四年:2018/06/09(土) 02:29:27.44 ID:EPQw4WOi.net
野戦は論外
防衛する気がない

44 :人間七七四年:2018/06/09(土) 06:12:11.49 ID:tNrqqA/P.net
秀頼に似ているかもしれないけど、秀信は偉大過ぎる祖父と父親の幻影で、桶狭間の戦いみたいなことをしたかったんじゃないかな?
信忠も武田家をあっさり打倒してたりするし。
流言飛語については一応、清須同盟もあるから、若干の信憑性はあるかもしれない。

しかし、いったん籠城しても三方ヶ原の家康みたいに野戦をやらざるを得ない可能性もあるしなあ。

45 :人間七七四年:2018/06/09(土) 06:33:30.76 ID:Pf48RL0X.net
織田家の家訓で一歩でも外へ出て戦えってのがあったからなぁ・・・
それ守れば勝てるって思ったんだろ。祖父と父親が勝ってたんだから。
状況が全く違うって理解出来なかったんだろうな。お坊ちゃんだから・・・

46 :人間七七四年:2018/06/09(土) 07:57:54.34 ID:dozIkSmF.net
>>36
石田の援軍が岐阜城に行ってるから
そこからある程度の情報は来る。
まぁ多少は疑心暗鬼になるかもしれんが。

47 :人間七七四年:2018/06/09(土) 08:02:32.42 ID:I71o2h/s.net
たとえ負けても自分が殺されることは無いだろう
というへんな安心感の上にたったギャンブルじゃないかな
敵の総大将は祖父の弟分だし、向かってくる奴等はもともと家来筋か陪臣たちだし
うまくいけば自分が戦場に立つだけで、敵は総崩れになるぐらいのドリームを見ていたかもな

48 :人間七七四年:2018/06/09(土) 08:10:26.99 ID:EPQw4WOi.net
ドリーマー過ぎる

桶狭間以上の劣勢

49 :人間七七四年:2018/06/09(土) 12:05:44.85 ID:tNrqqA/P.net
>>47
否定できないなあ。
高野山であと10年か20年くらい長生きできていれば、豊臣や徳川の身内扱いで領地が貰えてもおかしくないし。

秀信を西軍に引き入れたことが敗因の一つか?
でも濃尾では織田の名前は強かったみたいだし、美濃方面での初動に遅れる可能性もあるから、秀信東軍だと逆に劣勢になるかもしれないけど。

50 :人間七七四年:2018/06/09(土) 12:07:52.74 ID:xFXIfbw6.net
岐阜城が何回も落ちてるという事実に対しては、
ろくに抗戦もせず降伏開城したケースなんかは
城自体の防御力ではなく、後詰めが来ない等
外的要因理由で「落ちた」場合があるであろうから
その点については十分留意する必要があると思う。

51 :人間七七四年:2018/06/09(土) 13:50:25.58 ID:aOadGnEj.net
岐阜城は稲葉山城のころからちょくちょく落ちてるけど、城の規模や構造も結構変わっていそうだ。

ところで清須強襲案だけど、清須城を攻め落とせるの?
清須城留守組の兵力がわからんのだけど、西軍の当初の目論見は会津征伐軍の自然崩壊と北条征伐の再来狙いではなかった?

仮にできたとしても、清須城陥落を情報封鎖するのは不可能だと思われるので、東軍先鋒と家康隊、秀忠隊とせっかく分断できていた東軍が全部まとめて東海道を上洛してきそうなんですけど。

そこで誰か内応させることができればいいのだけど。できなければ逆に不利になりません?
でも、西軍も伊勢越前北九州を無視して、東海道に全軍突っ込めばどうにかなるかもしれないか?毛利の動向も小早川を除けば西軍で固まりそうだし。

52 :人間七七四年:2018/06/09(土) 14:57:33.80 ID:WmGtx6fq.net
そういや西軍が狙っていた会津討伐軍の瓦解がほぼ起きず、西軍討伐軍に再編されてこっち狙ってきてることに気づいたのってどのタイミングなの?
確か書状だと三成は真田昌幸が意図的に隠していた節があるとはいえ信之が東軍についてたことすら気づいてなかった感じもあるんだっけ?

53 :人間七七四年:2018/06/09(土) 15:31:48.03 ID:pwTVTEGs.net
http://cannonballtours.com/

54 :人間七七四年:2018/06/09(土) 20:14:05.83 ID:M6zoevf6.net
>>52
清須に集結するまでは絶対に気付いてない無い
なお、家康の指示で西軍の勧誘に耳あたりの良い返答をしていた

55 :人間七七四年:2018/06/09(土) 20:46:33.54 ID:WmGtx6fq.net
>>54
清洲に集結したタイミングでなお気づいてないってのはなかなか鈍臭いというか希望的観測で居すぎたのか
なんというか本当に決起してからえらいグダグダしてたんですね、西軍

56 :人間七七四年:2018/06/09(土) 20:52:03.45 ID:1p3SqS8U.net
>>55
希望的観測の方が大きいでしょうね。
下手に攻撃して迷っている相手を一斉に敵対させるのも問題だし。
味方にしたいのなら刺激したりせず、融和ムードは崩すべきじゃありませんからね。
まあ現実は残酷なもんでしたけど。

57 :人間七七四年:2018/06/09(土) 20:58:10.66 ID:tNrqqA/P.net
毛利や浮田が東国情勢に疎いのは仕方ない。北条征伐や東北仕置以降は特にかかわる理由がないし。
下手に情報網を構築して秀吉に疑念を持たれる方がはるかにヤバイ。
一方、東軍諸侯が西国情勢にも詳しいのは違和感がない。上洛や朝鮮出兵で情報が必要になるから。これは仕方ない。

しかし、なんで奉行衆は東国情勢をまともに把握できていないんだ?
上杉とか佐竹は石田の担当だったのだからそれなりに情報網を構築していてもおかしくないのに。

58 :人間七七四年:2018/06/09(土) 21:06:52.82 ID:muDWbX7d.net
>>57
石田は襲撃事件で奉行クビになったからその辺のつてが一旦切れたのかも。
それに上杉は意図的に遮断した可能性がある。上杉征伐の原因って結局は
上杉が豊臣政権の統制に従わなかった事が理由だから、上杉に悪意があった場合は
内情を悟られぬようあえて断ち切ったとも考えられる。
佐竹は……徳川が壁になっちゃったんじゃないかなあ。

59 :人間七七四年:2018/06/09(土) 21:25:19.22 ID:M6zoevf6.net
徳川は徹底的な情報封鎖していた感があるし

60 :人間七七四年:2018/06/09(土) 21:43:15.18 ID:muDWbX7d.net
そういや思い出したんだが、上杉(と直江)って確か徳川との融和を考えてた
藤田信吉を事実上追い出したような形にしてなかったっけ。
正確には藤田は出奔だけど。

61 :人間七七四年:2018/06/09(土) 22:04:09.47 ID:tqQkTByO.net
>>60
藤田信吉って、山内上杉家臣だったのに北条に属したと思ったら武田に走り武田が滅びると滝川一益へ。
本能寺が起きると上杉景勝のもとへとまあ、節操ないなあとしか思えない浮遊だけの武将だからなあ。
その後の取り立てられ振りを見ると、家康の内部崩壊工作要員にしか見えないね。

62 :人間七七四年:2018/06/09(土) 22:06:38.49 ID:cRWhsBk9.net
徳川との連絡役で板挟みになって、じゃあ徳川でいいやとなっただけじゃね
上記のようにフットワーク軽い武将だし

63 :人間七七四年:2018/06/09(土) 22:18:48.26 ID:sBccL3H0.net
【カミカゼ高齢ドライバー】 ペダルが、ロシアンルーレット状態、車が線路に飛び出し列車と衝突…死亡
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1528546399/l50

64 :人間七七四年:2018/06/09(土) 22:24:55.89 ID:6dbpzr/M.net
>>62
何がフットワーク軽くだ。節操がなくて関東で信用が無い武将じゃないの?
機密を持って出奔されては困るから大事は任せられないよ、この手合いは。

65 :人間七七四年:2018/06/09(土) 22:30:59.84 ID:rXxbF0Kr.net
豊臣政権の討伐対象にならないように家康相手に弁明に努めているのに
内通者扱いして出奔させる方が無茶苦茶だわ

66 :人間七七四年:2018/06/09(土) 22:33:48.90 ID:SiGLOrN/.net
>>51
清洲早期攻略案については、主張する者が、 いつ、だれが、どうする、を述べないので
判定(議論)しようがない。
ポイントとしては、日程的問題、兵力的問題、8月14日には清洲に来る東軍先発隊35000に
どう対処するのか、このあたり。

>>52
わたしも清洲集結で様子がおかしい、と感じたあたりじゃないかと思う。
西軍の敗因のひとつだろうけど関東方面への情報収集を怠っている。
ただ、擁護できる点としては、家康はなにもしてなくても上方から、
増田長盛、鳥居元忠、京極高次、その他大勢から上方情勢の注進が来たのに対し、
逆に関東情勢の注進が西軍にもたらされたというのを聞いたことがない。
佐竹、お前関東にいてなにしてたってかんじ。
関ヶ原後、西軍に積極的に加担したような都合の悪い書状は全て焼却処分されてるだろうし。
それでも黒田、細川、藤堂、池田あたりを含む軍勢が西上しつつあると把握してたら
のんびり尾張の勧誘はしていないと思われる。
迎撃態勢を取るはず。それをしてないということは、知らなかった、となると思う。

67 :人間七七四年:2018/06/09(土) 22:42:22.56 ID:SiGLOrN/.net
>>46の追記。8月上旬、秀信は石田と連携して尾張の勧誘やってるからというのも
付け加えとく。
美濃衆の犬山在番指示は秀信の影響が大きいと思われる。
それだけ西軍に積極的に動いてるのに東軍に寝返るというのもおかしい。

68 :人間七七四年:2018/06/09(土) 22:46:31.60 ID:WJrAvjc0.net
>>66
恐ろしい可能性だが、西軍(特に奉行衆)は内府違いの条々を出した時点でこの戦いは『終結した』と考えたのかもしれない。
この時点の家康の大義名分は豊臣政権筆頭大老である事。しかしそれは内府違いの条々で奉行が剥奪している。
つまり、西軍視点では上杉征伐軍を始めとした諸将が家康の言う事を聞く理由が最早ないのだから、
『皆、いやほとんどが豊臣政権に従って帰国するだろう』と予測した可能性がある。
で、江戸征伐は諸将が戻ってから改めて陣立てすればいいし、諜報もその後でよかろうと考えたのかも。

69 :人間七七四年:2018/06/09(土) 22:51:08.50 ID:WJrAvjc0.net
>>67
そうは言うが、西軍に従って伏見を攻撃した小早川があの様だしなあ。
後、秀信はともかく老臣の木造や百々が秀信に東軍に味方するよう説得していた事実もある。
つまり、彼らが秀信を説き伏せてしまったと考えるかもしれない。

70 :人間七七四年:2018/06/09(土) 23:07:38.54 ID:tNrqqA/P.net
>>61
藤田のことはよくわからないし、あんまり話すと完全に話がそれるけど、彼って上野か下野の国人でしょう。
あの辺の国人領主が安全保障を求めてあっちこっちにふらふらしているのはそんなに変なことじゃないと思うけど。

71 :人間七七四年:2018/06/09(土) 23:29:11.27 ID:6dbpzr/M.net
>>70
けどさあ北条氏邦を養子に迎え入れたなら重臣として尽くせばいいじゃん。
面白くねーやと武田に出奔してみたり、
その武田への恩義に報いもせずにいつの間にか遊泳して滝川家臣にという辺り、
国人領主としてやむを得ない行為というよりは無節操さの印象が先立つけどなあ。

72 :人間七七四年:2018/06/10(日) 01:48:48.71 ID:joSERVgU.net
>>66
>>68
お二方の意見を鑑みると、奉行衆は東国の情報収集しなくても勝てる、くらいに踏んでたって感じなんすかね
上杉と徳川の政治的対立を利用して畿内一時占拠までやったしたたかさはどこへ行ってしまったんだってくらい楽観ぷりなんですね

スレの主題的にはこの楽観っぷりさえテコ入れすればまともな相撲取れたんじゃないか感

73 :人間七七四年:2018/06/10(日) 02:51:13.67 ID:irQdPdBQ.net
>>71
じゃあさあの地域の国衆で節操のあったとこてどこよ

74 :人間七七四年:2018/06/10(日) 02:51:55.18 ID:wj2zQQZw.net
そのぐらいじゃ無理だろ

75 :人間七七四年:2018/06/10(日) 02:54:49.63 ID:wj2zQQZw.net
節操ないぐらいのしたたかさがない奴じゃ戦国は生き抜けんしな
秀吉ありきの奉行衆に一番足りない分野
こいつらが合戦で勝つすべなんて最初からない

76 :人間七七四年:2018/06/10(日) 03:07:02.98 ID:yWXz69C9.net
西軍はチームワークがアレだったよな
もし長束正家、増田長盛、毛利輝元が必死になって戦ったら西軍の勝利は揺るがなかったと思うよ。
四国へ送った軍隊を最初から全て東海方面へ送り
増田と長束が豊臣家の金穀を両手に抱えながら最前線に来るだけで
負ける要素はどこにも見当たらなかった。

77 :人間七七四年:2018/06/10(日) 04:33:50.68 ID:wj2zQQZw.net
>>76
毛利はまだしも奉行のザコ二匹なんてなんの影響も無いだろw
節操なかろうとその時々の権力者に従って黙って算盤弾いてりゃ良かっただけの連中

78 :人間七七四年:2018/06/10(日) 04:35:52.87 ID:ZnHttlGy.net
家臣のなかで言うこと聞かん坊なんてどこの地域にもいるだろ
島左近やら後藤マタベエやら。
わがままな家臣の責任まで親方の責任にされても困るわな

79 :人間七七四年:2018/06/10(日) 07:14:07.14 ID:bL9ca6MZ.net
戦国末期で名を売る機会ももう無いんだから、
藤田信吉も伏見の上杉屋敷に籠って鳥居元忠ばりに壮絶に散れば良かった。

藤田信吉が籠城すれば家康も東軍緒将も迂闊に動けないぞと慎重になり西軍が勝てた。

80 :人間七七四年:2018/06/10(日) 07:56:27.28 ID:NMVnqHsl.net
>>76
奉行と毛利(上杉も)じゃ目的が違うからな。
奉行は徳川を中央政権から排除したい。毛利(上杉)は自領を拡大したい。
特に毛利なんか家康(奉行も)が毛利の西国における優位性を認めさえすれば、
徳川征伐すら取りやめて徳川と手打ちしそうだ。
大体、毛利からすれば奉行だって潜在的な敵勢力だしな。毛利の勢力を脅威に感じたら、
徳川に対してやったような事をしかねないし。

81 :人間七七四年:2018/06/10(日) 08:06:18.11 ID:yWXz69C9.net
>>77
滅茶苦茶影響があった。
増田は旧秀長領の代官もしており
秀吉直轄領を数多く代官している事から
莫大な金穀を管理していた。
長束正家も豊臣家の財産の管理運用を任されていた。
彼等が即座に金を差し出せば浪人や農民兵を20万人は即座に雇う事ができた。
実際、三成はそう命じたが
増田・長束「確かに我らは莫大な金や米を預かっているがこれは秀頼様のもので私どもの私物ではない」と断ってる。

82 :人間七七四年:2018/06/10(日) 08:08:10.21 ID:+lBkktIw.net
>>81
そんな史料はない

83 :人間七七四年:2018/06/10(日) 08:09:16.83 ID:yWXz69C9.net
一方、上杉は持ってる金を全てばらまいて10万人もの農民を勢子として雇ったと言われてるよな
直接、戦には参加しないが革籠原周辺の山々に旗を持って太鼓や法螺貝を鳴らしワーワー言うアルバイト

84 :人間七七四年:2018/06/10(日) 08:11:55.42 ID:yWXz69C9.net
三成としては自分たちが負けたら豊臣家が滅びるのは必定だから
増田・長束に豊臣家の金は全部使っちまえと命じてるが
彼等は「横領は嫌だ。勝っても負けてもそれでは我らは罪人ではないか」とテコでも動かなかった。

85 :人間七七四年:2018/06/10(日) 08:15:38.73 ID:+lBkktIw.net
ID:yWXz69C9 が言うような内容の史料は一切存在しない。ただの妄想

86 :人間七七四年:2018/06/10(日) 08:46:52.95 ID:tHYjwVFY.net
>>72
楽観っぷりをテコ入れして東国の情報収集をした場合、家康と、それにしたがって東国へ向かった部隊の動きにビビった西軍が史実より早く瓦解する様が脳裏に浮かびますが…

87 :人間七七四年:2018/06/10(日) 09:05:33.34 ID:zTtIxH8R.net
>>86
その場合、美濃主攻になるだけだと思う。
戦力はあるのだから。

88 :人間七七四年:2018/06/10(日) 09:43:15.52 ID:8lCiLAXO.net
本当は輝元が犯人だったけど三成を首謀者にした

表舞台から外されて
家康を潰して来いって言われた
ご奉行に戻してやるって

それで輝元が潰してこいっていうのは
合戦じゃなくって思い切って当たれって意味

89 :人間七七四年:2018/06/10(日) 10:22:55.69 ID:uYHqXsmV.net
自分を含めて美濃趣向といっても、美濃以外の場所をどこまで手抜けるのかな?

伏見は時期と位置的に最優先だし、大津城は場所がやばい。
越前も多少は兵を送らないと、前田に制圧されるか中立化する。あと、大谷軍の兵の士気が持たない。
伊勢も一騎打ちのエピソードがなくなっちゃう(個人的には超重要)。無視していいわけじゃないし。

九州も無視したら相良秋月高橋鍋島立花がめんどくさい。
四国も藤堂地味加藤の軍を動揺させることができるから軽視できないし、蜂須賀領接収しないという選択肢は厳しい。
それぞれに送る兵の数を減らすことはできるけど、どこまで減らせるんだろう。

90 :人間七七四年:2018/06/10(日) 11:08:57.09 ID:WeO0/Hcd.net
秀信が三成の誘いに乗らず東軍の勝ち馬に乗ったら
戦後どれほどの恩賞貰えたのだろうか

91 :人間七七四年:2018/06/10(日) 11:49:11.16 ID:HC95Sg/D.net
岐阜城?
あそこ?やばいよね?
東軍でも西軍でもどっちでも。
秀信が東軍についたら?
真っ先に西軍に攻められて、
秀信の人生は変わらなかったと思う。

92 :人間七七四年:2018/06/10(日) 12:34:06.64 ID:98fva/k2.net
秀信は祖父縁の地であり豊かな土地の尾張が欲しかったんでしょうな
東軍には福島正則がいたから東軍につくと尾張は貰えない

93 :人間七七四年:2018/06/10(日) 12:39:57.01 ID:fkVkcl/Q.net
>>89
秀元と吉川広家が美濃に行くだけでいい。
もしくは宇喜多。
極端に振る必要はない。
バランスを踏まえた上で主力をどこに送るか。

少なくとも言えることは、伊勢主攻は兵力の無駄使い。

94 :人間七七四年:2018/06/10(日) 16:23:31.60 ID:Sxuf39U3.net
伊勢国を抑えないと、伊賀・大和経由で近江・大坂に抜かれる

95 :人間七七四年:2018/06/10(日) 17:38:19.27 ID:e3vJiL63.net
>>94
それは東軍主力が伊勢に来た場合。
しかし東軍主力が尾張から伊勢に行くには
大量の舟を用意する必要がある。すぐにできることではない。
そして伊勢には有力な東軍戦力はいない。
従って早急に伊勢を攻略しなければならない理由はなく、
伊勢の優先順位は低い。
最低限桑名を堅持できていれば、
もし東軍主力が伊勢に来たとしても
美濃からの後詰めで東軍の退路を断つことも可能。

96 :人間七七四年:2018/06/10(日) 18:03:59.25 ID:bL9ca6MZ.net
>>94
そこで留守城の清洲強襲だな。
清洲を落とし東海道を封鎖してしまえば伊勢は熟柿のごとき物よ。

97 :人間七七四年:2018/06/10(日) 18:31:57.98 ID:Sxuf39U3.net
>>95
伊勢国に拠点はあるし、船に関しては元々伊勢・三河湾は海運が盛んな場所
軍船も東海道の大名が朝鮮役に建造された安宅船等が返還されているかと

そもそも朝鮮役で大軍の渡海を実際に行った直近の経験を持つ西軍の大名が、
そちらをより警戒するのは必然とも言える

98 :人間七七四年:2018/06/10(日) 18:48:36.83 ID:DKG1eYo7.net
英雄たちの選択で磯田氏もとにかく東海道の諸城を制圧して
東軍所属の城主たちに揺さぶりをかけるべきだったと言ってるね

99 :人間七七四年:2018/06/10(日) 20:06:43.93 ID:yRfsEuar.net
伊勢は伊勢で重要だからな。安濃津他東軍の橋頭保もある

100 :人間七七四年:2018/06/10(日) 20:46:37.42 ID:yWXz69C9.net
尾張から伊勢の渡し船を西軍の九鬼と村上水軍がバンバン沈没させればいいじゃん

101 :人間七七四年:2018/06/10(日) 20:59:58.69 ID:yRfsEuar.net
九鬼さん東軍素通りさせるばかりでやる気ないからなぁ
本隊は陸路桑名だから海上がんばってもたかが知れるし

102 :人間七七四年:2018/06/10(日) 21:03:20.40 ID:Sxuf39U3.net
>>100
毛利水軍が出張るのは9月からだし
九鬼は知多沿岸を荒らしたが、それが限界とも言える

103 :人間七七四年:2018/06/10(日) 22:00:03.30 ID:2P71Pw2w.net
東軍にも九鬼、いますけどね。

104 :人間七七四年:2018/06/10(日) 22:11:05.65 ID:ZnHttlGy.net
水軍ってのは名前ばかりで実は野良海賊

105 :人間七七四年:2018/06/10(日) 22:21:40.24 ID:uYHqXsmV.net
九鬼は隠居した父親が西軍で、当主の息子が東軍

106 :人間七七四年:2018/06/10(日) 22:43:35.19 ID:BTvKOVj5.net
>>98
少人数の伏見城に莫大な時間をかけた西軍が東海道の諸城を制圧できるわけがない
しかも伏見城と違い、少し粘れば東から応援が来るのは分かりきっているからより難しい
磯田は番組を盛り上げるために言っているだけで検討する価値はない

107 :人間七七四年:2018/06/10(日) 23:36:55.38 ID:uYHqXsmV.net
まあ、伏見はマジの名城だけど、東海道の諸城がそこまですごいわけじゃない。
岡崎や浜松、駿府とかは家康の元居城で地元民の動向がちょっとよくわからん。家康や秀忠が上方や名護屋と関東を往復している関係で、1年に1度くらいの頻度で旧領へ「帰ってきている」のが気になる。
とはいえ、楽な戦いとは言えないけど無理とはいえないとも考える。
もちろん全力で西上してくる東軍10万強?と西軍主力推計10万(分散してる可能性あり)が衝突するまでの時間によるけど。

個人的には濃尾国境で膠着状態を作りたい。その間に西軍優位の和睦でまとめてもいいし、西国を制圧してもいい。
朝廷と秀頼は軍事的に抑えてるし領地と切り離せている諸侯もおおい。東方には上杉佐竹もいる。
畿内&瀬戸内海周辺の生産力でゴリ押しできるから時間は西軍の味方といえる。
西軍が団結できていればという大前提だけど。

108 :人間七七四年:2018/06/10(日) 23:45:33.18 ID:29GZO1+A.net
上杉征伐に参加した伊勢の東軍方、富田信高、稲葉道通、古田重勝らは舟70隻で伊勢に帰還したとある。
全部でどうだろ、多めに見積もって2000人くらい?
2000人で70隻なら東軍2万を輸送するなら舟700隻必要、となる。3万なら1000隻。
700隻もそんな簡単に集まるわけがない。
少ない隻数でピストン輸送するというのもあるが、時間が掛かるのと、
舟が少なければ少ないほど、以後の補給が困難になる。

ちなみに70隻は8月25日付中川秀成宛有吉立行・松井康之連署状。
参謀本部編 関ヶ原の役だと三河の吉田から兵300で小船百余隻に分乗、とある。

従って東軍主力が伊勢に来る緊急性は低い。
伊勢攻略は安国寺、長束、長曾我部、鍋島の14000〜15000くらいで十分。

桑名に明石掃部3000〜8000、
安濃津攻略に上記14000〜15000、この配置でいい。


というかそれ以前に東軍が伊勢になにしに来るのかと。
安濃津で籠城するのか、救助に行くのか、桑名を攻めるのか、
いずれにしても退路はないんだが、その高リスクを承知でなにしに。

それと>>17の秀元、吉川の主張の出所はこれっぽい。
「吉川広家自筆覚書案」
伏見之城へ人数差寄、責口被申付候刻、勢州へ可相働之旨、奉行衆相談被相究候、
惣別濃州北国両口之仕置、堅被申付候て社尤候、勢州さしむかひたる儀にもあらす候間、
出勢無詮候、雖然、(以下略

109 :人間七七四年:2018/06/10(日) 23:52:00.61 ID:uYHqXsmV.net
>>94
伊勢から大和の紀伊山地や布引山脈を越えるって結構ハードル高くないですか?
家康の伊賀越えくらいの少人数ならともかく、数千とか数万の大軍だったらきついような。
伊勢の北畠氏が大和南部に影響力を有していたというので不可能じゃないかもしれませんけど。

もちろん、警戒するべきですし、親徳川派の安濃津城とかはしっかり潰すべきですけど、長宗我部や鍋島だけでいいような。

110 :人間七七四年:2018/06/11(月) 00:32:12.25 ID:tuu95eRk.net
普通に東海道行くだけで大津やね

111 :人間七七四年:2018/06/11(月) 07:00:43.28 ID:Z0I+dSKi.net
>>72
楽観視をどうにかするのは実はほぼ無理。
何故なら、奉行衆が内府違いの条々で突き付けたのは「豊臣に従うか否か?」の2択だから。
ここで楽観視をしないという事は裏を返せば豊臣政権の力を疑う事、即ち
『豊臣政権は実質秀吉政権でしかなく、秀吉死後は何の力もない』という事を認めるのと同義だから。
毛利はともかく、奉行や宇喜多にそれ出来ると思うか?

それなら最初から総大将の毛利が全権を持てば、と思うだろうがそれも駄目。
奉行の本来の目的は自分たちが中心となって全国政権の豊臣政権を運営する事だから。
そもそも奉行視点家康が自分たちの邪魔をして豊臣政権を専横してるから挙兵したのに、
毛利に全権を与えたら徳川のポジションに毛利が入るだけだから関ヶ原を起こす意味がない。
毛利に天下を譲るなら話は別だが、そんなもの奉行が許容するはずがない。

112 :人間七七四年:2018/06/11(月) 08:15:39.63 ID:kZNy+BTz.net
確かにそうだ。厳しいなあ。

秀次粛清後の御掟に家康利家秀家輝元景勝らが秀吉とともに連署した時点で、秀吉を中心とした大大名の連立政権、室町幕府と同じような状態へ決定的に変化したはずなんだけど。奉行たちはそれに気づいていないというか、意図的に目を背けているようにも見える。

晩年の遺書が複数あることを考えるといろんな人に、その人に都合のいいこと、その人が言って欲しいことを言いまくっていたのかな?
例えば奉行には「三成、お前らこそが豊家の真の年寄だ!」みたいな感じで。

仮説に仮説を重ねてるけど、それをどうにかできれば東軍結成を予想できた?

113 :人間七七四年:2018/06/11(月) 08:34:45.15 ID:hSx0RDyq.net
磯田のテレビタレントとしての発言なんかをいちいち真に受けんなよw

114 :人間七七四年:2018/06/11(月) 08:35:45.28 ID:RNrZdRQc.net
>>111
それ同じイメージが徳川にも与えられてるよね
豊臣の力の象徴として徳川が兵を出してる現実があるわけで。

115 :人間七七四年:2018/06/11(月) 08:49:32.61 ID:vWGaaKuI.net
>>112
西軍より、東軍側に意識の変化がないと厳しいだろうね。
簡単に言えば、諸大名が豊臣政権の力を過大視してくれないと無理。
要するに、内府違いの条々を見て「家康には悪いが、政権がそういってるなら…」
と、諸大名が家康の元を離れて帰国するような事態にならないと話にならない。
とはいえ秀吉生前なら間違いなくこうなったろうし、その秀吉が死んでからわずか二年。
たった二年でこんな事態になるとは奉行たちはおろか、家康にも予想外だったと思うぞ。
家康でさえこの時点では『政権内で自分の権勢を高める事』しかしてないんだから。
もし家康が政権の形骸化に気づいてたんなら、彼の行動は支離滅裂もいいところだし。

116 :人間七七四年:2018/06/11(月) 09:01:27.37 ID:YFKCgulW.net
割と家康にとってもギャンブルだったとは思うよ。
正則が「俺は尾張へ帰る!おまえら豊臣の忠臣だと思うなら俺についてこい!」なんて言ったら
状況がどう動いたかサッパリ分からないし。

117 :人間七七四年:2018/06/11(月) 09:21:43.14 ID:SQ7+TLtW.net
>>108
船は使い捨てでは無い

なお、文禄の役に黒田長政が動員した船は536艘
朝鮮役後の日本はかなりの船腹過剰の状態と考えられる

118 :人間七七四年:2018/06/11(月) 09:53:00.13 ID:YFKCgulW.net
現在でもそうだけど伊勢から大阪に入るのは至難の業だぞ。
名阪自動車道(高速道路なのにほとんどが無料区間)走れば分かるけど
普通に山だよ。当時は名阪も無いわけだしあそこを徒歩で大軍が通るなんて
まず不可能。

119 :人間七七四年:2018/06/11(月) 10:16:21.41 ID:+RX/46WT.net
直接大坂に向かわんでも南近江侵攻されたらまずいだろ。大津に入られたら極めて厄介だ。
(この時点では京極は西軍として行動してるので東軍の攻略対象に出来る)
おまけにここを制圧されると石田や長束の尻に火がつくから戦線離脱せざるをえない。
というより、美濃方面の西軍が事実上孤立するんで奪回の為に転身するしかないだろう。
その可能性を消すためにも伊勢には大軍を置かざるを得ないと思うぞ。

120 :人間七七四年:2018/06/11(月) 10:56:01.13 ID:yOz0XssS.net
>>119
逆。東軍が伊勢に来たら撃滅の絶好のチャンス。
退路は海か伊勢の東軍方の城に逃げ込むしかない。
大坂、近江の戦略予備と美濃の主力で挟撃すればいい。
岐阜城陥落が東軍先発隊伊勢にて壊滅に変わる。

121 :人間七七四年:2018/06/11(月) 10:59:51.80 ID:tuu95eRk.net
史実の大垣でも挟撃して殲滅すればよかったのにね

122 :人間七七四年:2018/06/11(月) 11:00:39.57 ID:yOz0XssS.net
3万を撃滅できるチャンスなんてそうそうない。
ここで戦略予備の出し惜しみは勝機を逃す。

123 :人間七七四年:2018/06/11(月) 11:17:08.54 ID:nIkKINnA.net
>>122
誰が被害担当役やるの?断言するけど毛利は絶対嫌がるよ。
万単位の兵とぶつかるってそれ要は猫の首に鈴付けるネズミの役目なんだけど。
それと、そもそも西軍は上杉征伐軍が万単位でこちらに反抗してくる事をほぼ予想してないんで、
殲滅どころか浮足立つ可能性が極めて高いとは言っておく。
史実の関ヶ原はありゃ岐阜陥落とかの想定外が立て続けに起きて追いつめられたからであって、
この状況だとかなり事態を楽観視してる可能性が高いから。
だから東軍の方が間違いなく士気も戦意も高いからへたすりゃ西軍が大崩壊するよ。

124 :人間七七四年:2018/06/11(月) 11:20:11.70 ID:Qp6iULa8.net
>>119
そもそも歴史的に東の勢力に近江に侵入されると畿内の勢力は崩壊するのがパターンだな

125 :人間七七四年:2018/06/11(月) 11:25:17.49 ID:YFKCgulW.net
家康が高速で美濃に駆け付けたように
輝元が高速で美濃に駆け付ければ西軍は負けてなかった。
どう考えても秀元たちは西軍で戦わざるを得ないし
秀秋ですら輝元にびったり貼りつかれたら本人の意志と関係なく西軍の兵士として使われた。

126 :人間七七四年:2018/06/11(月) 11:34:41.56 ID:Z/HXz8mC.net
そもそも伊勢に東軍がくる前提だけどどうして?

結局、東軍は福島他の先鋒と家康隊、秀忠隊、結城秀康隊のそれぞれ約三万に兵力を分散させてくれた。
これを各個撃破しないと勝ち目は無い。

せめて東軍先鋒を潰さないと。
そのために桑名あたりに数千から一万程度を置いて清須城を圧迫するならともかく、伊勢あちこちに何万も置くのは流石に余計だと思う。
無限に兵力があるなら警戒のために置いて置くのはいいけど、西軍にそんな余裕はない。
限られた兵力は可能な限り美濃(岐阜城とか)や桑名の防衛と清須城&尾張制圧を優先するべき。

127 :人間七七四年:2018/06/11(月) 11:40:53.36 ID:GQc1q88r.net
>>125
大坂城がら空きにしてどうするのさ。豊臣家は贔屓目に見ても西軍支持とは言い難いし、
奉行の増田だって旗色不鮮明なんだけど。
念のためにいっとくけど、秀就じゃ輝元の名代にはならんし、一門じゃ格の問題で奉行は抑えられんぞ。
ちなみに秀就じゃダメな理由は大老輝元の後継者と決まってないから。太閤遺言で後継大老となってるのは秀忠と利長のみ。
豊臣家視点では輝元の元養子である秀元後継の方がずっといい。秀元は豊臣の姻族であり、貴重な身内だから。
勿論秀元はもう輝元養子をやめてるけど、豊臣家からすればそんなの関係ないしね。
従って、名代が出来るとしたら秀元位だ。しかしその秀元は遠く美濃にいる訳で。

128 :人間七七四年:2018/06/11(月) 11:42:54.01 ID:yOz0XssS.net
>>123
被害担当役とか意味不明。
海戦の夜戦の探照灯照射役のようなことを言っているのならば
通常は旗艦が担う。

東軍の士気については、そりゃ背水の陣なんだから高いでしょう。

129 :人間七七四年:2018/06/11(月) 11:46:59.47 ID:GQc1q88r.net
>>126
だから、そもそも東軍が結成される事すら予想してないんだって。
それに福島は味方になる予定だったんだから清州攻撃する必要ないの。
勿論史実では大変な事になったよ。でも、その解決には>>111の問題をクリアする必要がある。
これをクリアしない限りどうにもならん。

130 :人間七七四年:2018/06/11(月) 11:52:23.25 ID:YFKCgulW.net
土地勘があれば分かるけど伊勢から奈良とか大阪に進むのは無理。
おまえら名阪自動車道を取らないで山中歩いて行ってみな。
遭難して死ぬから。大軍で通る?アホかw

131 :人間七七四年:2018/06/11(月) 11:54:45.32 ID:YFKCgulW.net
蛭子さんのバス旅とか
ワッキーの地名しりとりを見た人は分ると思うよ。
現在でも三重と奈良の間はバスが通じてないし秘境だし
誰がどうやっても滋賀ルートで行くんだ。
地図で見たらとんでもない遠回りだけど標高的な事を考えると
決して遠回りではない。

132 :人間七七四年:2018/06/11(月) 12:03:00.87 ID:r8r9WnAP.net
名阪国道な

133 :人間七七四年:2018/06/11(月) 12:16:24.16 ID:yOz0XssS.net
>>129
論点のすり替えをするな。そんなことは問題ではない。
伊勢の過剰戦力を美濃に投入するだけ。
その合理的説明は既にしている。
そして東軍が伊勢に来る可能性と
来た場合の想定が論点。

134 :人間七七四年:2018/06/11(月) 12:30:36.97 ID:vyAIPhN4.net
>>133
あのね、過剰じゃないの。というより、美濃にそんな大軍送る必要ないの。
大垣と岐阜がすでにラインとして機能してるんだから美濃はそれで十分なの。
岐阜陥落はそもそも想定外であんなもん前提にする方がおかしいんだから。
むしろ近畿地方で西軍が後制圧してないのは伊勢だけなんだからそっちに大軍送るべきなの。
西軍の行動は政治クーデターに近いから、まず足元を安定させないと。
そうしないと「やっぱり家康がいないと政権が安定しないな」って意見が大きくなってしまうから。
伊勢を制圧すれば東日本からの蓋にもなるしね。

135 :人間七七四年:2018/06/11(月) 12:43:55.73 ID:YFKCgulW.net
いや、東軍も伊勢路を通って10万の大軍を大坂へなんて絶対に考えてないし
考えてたらキチガイだ。
別動隊で数千という規模で山地へ送り込むくらいならありえたかもしれないが。

136 :人間七七四年:2018/06/11(月) 12:46:36.52 ID:YFKCgulW.net
東軍と西軍が関ヶ原で対峙したのは偶然ではない。
東軍は必ず近江を通らなくてはならないので100%の確率であのルートは通った。
実際、家康はそこに全軍を集めた。
一方西軍は見当はずれな伊勢に軍の大半を分散させた。
負けるべくして負けた戦だ。

137 :人間七七四年:2018/06/11(月) 13:17:43.07 ID:7bIlnA0o.net
戦争のセンスの無いヤツは往々にして地図を丹念に塗り潰すように勢力を拡げようとする
そこで考えることはいかにして地図を効率よく塗るかということであって、それが必要かどうかは視野の外になりがちになる
西軍にとって伊勢攻略とはこういうこと

138 :人間七七四年:2018/06/11(月) 13:21:23.42 ID:YFKCgulW.net
>>137
スプラトゥーンをやってる感覚だったんだろうね。三成と輝元は
へぼ将棋、王より飛車を可愛がりだ

139 :人間七七四年:2018/06/11(月) 13:39:09.78 ID:A3uj5anf.net
そりゃ奉行がやってるのは戦争ではなくて政治だからな。
相手を上回る大義名分をもって孤立した相手を全国政権の物量で押しつぶすという
秀吉が九州や小田原でやってた事をやろうとしただけだもの。
だから奉行が積極策を取ろうとしないのは当然。それよりも諸大名を集結させて
数の暴力で押しつぶす方が安全確実なんだもの。
むしろ下手に突出して手痛い敗北を屈し、(九州で仙石がやらかしたように)軍全体が動揺する方がよほど怖い。
政治的にはすでに大義名分を得てる以上慌てる必要はないのだ。(実際はそうじゃなかったけど)
だから積極策なんてのは奉行からしたら『政治というものを理解していない』んだろうよ。

140 :人間七七四年:2018/06/11(月) 13:46:24.42 ID:7bIlnA0o.net
輝元の動きは中央政権が誕生するまでの戦国大名そのものだし、上杉は条件の制約があるとはいえ、やはり似たような行動を取っている
むしろ家康が例外で、中央でのクーデターを鎮圧する軍司令官の動きを見せている
…ていうのは過大評価かね?
秀忠は中仙道を道々鎮圧しながら進む予定だったみたいだし、家康も江戸でもたついてたし、そう誉められたもんじゃないかもしれん
ただ、結果として家康は敵の主戦力撃破を目指しての行動になったけど、西軍は経済的な価値の高そうなエリア等の支配という、この戦役自体には影響が薄い行動をし、それが致命的な戦力の分散に繋がってしまった
ここから考えると、毛利ら西軍首脳たちは戦役後に豊臣政権からの半離脱と割拠を考えていたんじゃなかろうか

141 :人間七七四年:2018/06/11(月) 14:14:14.73 ID:Z/HXz8mC.net
>>140
景勝は戦国大名的だけど、輝元は応仁の乱以降の室町守護大名に近いのでは?
具体的には大内氏みたいな感じ。
徳川宇喜多奉行は小さい意味での幕府の一員のような。
前田はよくわからん。

142 :人間七七四年:2018/06/11(月) 15:16:52.55 ID:UpPu6+fI.net
>>126
どうすれば西軍が勝てるかを考えた場合、
普通はその見解になる。
東軍主力の想定進攻ルートは美濃が本命で、
そこに抗しうるだけの戦力を充てるのは当たり前。
足りなければ援軍要請も必要。
木曽川で迎撃するならそれに必要な戦力を
美濃に集めなければならないがやってない。

伊勢の投入戦力が過剰ではない根拠は
さりげなく何も述べられていない。
安国寺、長束、長曽我部、鍋島ではなにが
不足なのか説明してないから。
もしくは「過剰」の意味がわかってない。

143 :人間七七四年:2018/06/11(月) 16:04:26.33 ID:MFuktb4O.net
伊勢主攻論を擁護すると、伊勢の富田他を瞬殺して武威を高めつつ、九鬼水軍を陸からの圧迫で完全に西軍化する。
その後に、村上水軍なども加えて東海道や江戸への海賊的な方法で圧迫を加える戦略は有りだと思うんです。
九鬼水軍が「オレのシマを荒らすんじゃねえ!不愉快だ!今から俺たちは東軍だ!」となる可能性もありますが。そこは考えないことにする。

でも、最優先は岐阜城陥落の阻止だと思います。岐阜城(と場合によっては桑名城)に兵を集めて戦線を膠着させつつ調略戦をするか、清洲城速攻(騙し討ちで開城させるのが最高)でいくか。
団結さえできれば(多分これが一番難しいけど)時間は西軍の味方
秀頼と天皇、畿内の生産力に加えて藤堂加藤細川などは領地と切り離されているからじわじわと弱体化する。西日本に比較的多い蔵入地や豊家の財宝は軍事力で横領できる。

なので、取り敢えずは岐阜城を守らないと話にならないと思うんですね。
西軍が兵力が抽出できそうなのって伊勢しかないと思うんですよ。田辺組は信用できないからいない方がいいし。越前や四国九州もあれ以上手抜くと多分負けるから。

144 :人間七七四年:2018/06/11(月) 16:11:30.25 ID:MaPmWxgD.net
>>142
違う、そうじゃない。そもそも西軍は上杉征伐軍が大挙して戻ってくる事を想定してないの。
だから美濃に戦力を過剰投入する事が無駄なの。余ってる分を伊勢に振り向けた位の認識。
だって内府違いの条々を出した事で諸将は徳川を見捨てて順次大坂に帰国する予定なんだから。
ちなみにIF展開でも想定させようとするのはほぼ無理です。想定しようとすると>>111の問題に抵触します。

145 :人間七七四年:2018/06/11(月) 16:26:39.40 ID:xgJ96169.net
結局、明応の政変の再現に失敗した時点で、西軍の構造上、おおかた詰んでるのな

146 :人間七七四年:2018/06/11(月) 17:52:43.26 ID:ux1ItNsb.net
>>144

わたしが認識している「当初の」西軍の基本戦略はこれ。

「西軍の基本戦略は、内府違いの条々の効果により大多数は帰国し
雲散霧消するはず。
もちろん徳川に味方する者もいるだろうがそれほど多くはない。
それら東軍の想定行動は上杉への抑えを残し2〜4万程度が西上してくるか、
関東に引き籠って西軍の迎撃態勢を整える。
西上してきた場合は浜松か尾三国境付近で東軍を迎え撃つ(清洲の福島が味方する前提)。
関東に引き籠った場合は年末か春ごろに西軍の大軍で関東に進攻する。

これが8月初頭時の西軍の基本戦略。7月下旬の伏見攻城時には瀬田で迎え撃つつもりだったが
予想以上に味方が増え、越前、美濃の勧誘もほぼ成功し、前田も引き返したので
こうなったと思われる。」


で、
>そもそも西軍は上杉征伐軍が大挙して戻ってくる事を想定してないの。

これの根拠はなに?なにか書状でも残ってるの?
それとも「徳川以外の」上杉征伐軍のことか?
だとしても徳川西上の可能性が消えることはないし、その想定をしてる。


>ちなみにIF展開でも想定させようとするのはほぼ無理です。想定しようとすると>>111の問題に抵触します。

これあんたが勝手に思ってるだけ。


で、
>違う、そうじゃない。

違わない。反論するなら伊勢の投入戦力が過剰ではない理由と
安国寺、長束、長曽我部、鍋島ではなにが不足なのかの説明をすること。

147 :人間七七四年:2018/06/11(月) 18:15:09.17 ID:kjRKIjC+.net
>>146
確か、三成が昌幸に出した書状でそんな感じのがあったな。
後、島津義弘も西軍首脳部がそんな想定してた事を言及してた書状があったみたいよ。
過去スレのどっかで書き込みがあった。
それと、伊勢が足りないじゃなくて、美濃にそんな過剰に送る必要がないって言ってる。
真面目に聞きたいんだけど、なんでそんなに美濃に軍勢送りたいの?
別に徳川と短期決戦する必要なんか微塵もないんだけど。西軍からみたら大義名分はこっちにあるんだよ。
征伐軍の連中が詫び入れて戻ってきたら諸大名糾合して江戸征伐すりゃいいだけじゃん。
豊臣が得意とする大義名分と力押しのコンボすれば戦術も戦略も一切いらんぞ。軍勢配置とか考えるだけ無駄。
これが一番安全確実でバカでも勝てるのに、なんでわざわざハイリスクな前進をする必要があるんだ?

148 :人間七七四年:2018/06/11(月) 18:17:00.86 ID:LWdPlJc6.net
>>144
理解できたけど、それでも美濃に兵力を集中させる方がいいんじゃないか?
順次帰国するにしても、私恨問題で伏見に行った池田、細川、黒田、藤堂、加藤嘉明あたりも帰国すると踏んでいたのか?
取り返しがつかないくらいに親徳川派の経歴を作っているのに。

清須城を占領できないにしても、軍を監視するために岐阜城とかに兵を置いておくのは異常でも何でもない。
軍勢なんて何をしでかすかわかったものじゃない。強訴しようと御所に行ったら、うっかり将軍を殺しちゃった三好三人衆みたいに。
治安上の理由と、帰路で問題を起こさないように威圧するためだね。
帰国後にすぐさま東海道東征させるためにも美濃に兵力を集結させるのは問題ない。

というか、私が欲しいのは、美濃に兵力を史実以上に集結させる口実やバタフライであって、史実じゃない。

149 :人間七七四年:2018/06/11(月) 18:26:24.75 ID:kjRKIjC+.net
>>148
帰国するでしょ。豊臣政権からの命令なんだから。豊臣御為掲げたくせに豊臣政権の力を疑うのか?
少なくとも婚姻問題で家康に付いた上に、三成襲撃事件の後、三成を事実上蹴落として
奉行代理に就任した大谷は西軍に味方したんだから。他の連中だって味方になると思うだろ。

150 :人間七七四年:2018/06/11(月) 18:41:22.82 ID:SQ7+TLtW.net
通常、帰国する場合は東海道を通るから、伊勢国なのよね

151 :人間七七四年:2018/06/11(月) 18:53:13.21 ID:SbcWv1YR.net
どのみち内府違ひの条々の効果を見定めるのに多少の時間が必要だから
八月上旬は積極攻勢に移るのは無理じゃね

152 :人間七七四年:2018/06/11(月) 19:31:26.94 ID:7bIlnA0o.net
>>148
美濃に西軍が決戦兵力を集中させる理由

一つは各地にバラ撒いてしまった軍団が史実よりも早く仕事を終えて、次の指示を受けるためにたまたま美濃に集結したタイミングで、東軍先遣隊が攻勢を開始した場合
これは味方のやる気のある軍団で各地を押さえて速やかに機動するということができれば可能かな
その間、美濃方面が去就不安な軍に頼むことになるから、ギャンブル要素が強いけど

二つ目は西軍がはじめから決戦志向でいき、各地の派遣軍をやめて可能な限りの最大戦力で東海道に押し出すことだけど…そんな強烈な指導力をもつ人物なんて、西軍どころか当時の日本にはいなかったから、机上の空論になるな

考えてみたけど、史実より積極性のある西軍首脳部の行動が偶然かみあった場合と、なろう系小説の主人公みたいなやつが降臨した場合の2つぐらいしか思い付かない

153 :人間七七四年:2018/06/11(月) 20:40:27.07 ID:SQ7+TLtW.net
東軍が伊勢国に向かうというのも、家康の謀略の可能性がある

154 :人間七七四年:2018/06/11(月) 20:51:30.12 ID:YFKCgulW.net
>>153
ありえるな。
でも謀略だとしても戦略的に数万の兵を伊勢国に向かわせるなんて事は一目ありえないから
そんなのに引っかかるというのはどんだけ三成たちは戦に疎いかということだと思うが。

155 :人間七七四年:2018/06/11(月) 20:53:37.42 ID:DGRQVKrF.net
>>151
そもそも内府違ひの条々は会津征伐に参加する途中の西国大名を関所で止めた時に
彼らに事情を説明するために作成した文書であって
別に全国にばら撒いたわけでもなければ、東軍に対して掲げたものでもないけどな
題名が仰々しいから勘違いされているだけ

間者を使って内府違ひの条々を入手した東軍大名はいるかもしれないが
正式に東軍に出したわけでもない文書で東軍を切り崩す効果はないだろうな

156 :人間七七四年:2018/06/11(月) 20:53:43.90 ID:tuu95eRk.net
東海道伊勢方面は東軍の拠点が複数残っており伊勢諸将の去就も未定の未制圧地域で東軍の侵攻は容易な状態だったわけで
制圧が済んで岐阜、大垣、佐和山の重層防衛ラインの出来ている中山道とは違ちがってろくな防衛拠点の無い
桑名取って東海道北上すればそのまま瀬田まで行ける西軍にとっては柔らかい脇腹なわけで
できるだけ動員して可及的速やかに制圧して防衛体制整えるのは西軍にとっては必要な戦略だったでしょ
防衛体制整ってる中山道の端の岐阜が落ちても致命的だったつうのに
防衛体制整ってない東海道はガッツリ侵攻されても大丈夫で平気とか理屈が合わないよね

157 :人間七七四年:2018/06/11(月) 20:56:52.95 ID:8Wp6iuIe.net
他は一切構わずに全軍で江戸城目指して江戸を落とす。

158 :人間七七四年:2018/06/11(月) 21:00:04.36 ID:YFKCgulW.net
岐阜城に西軍の兵を詰めてない時点で戦勘が無いと言われても仕方ないと思うが。
どう考えても西軍の最重要拠点を放置してる時点で西軍の奴等も「これは駄目だ。西軍を裏切ろう」と
思ったはずだし。

159 :人間七七四年:2018/06/11(月) 21:04:57.93 ID:ew0HbOSj.net
進言はしたけど三成が聞き入れなかったってことか

160 :人間七七四年:2018/06/11(月) 21:12:30.94 ID:YFKCgulW.net
広家や秀秋は裏切り者だったわけだけど流動的だったし
輝元も「東軍に勝てるなら戦ってもいいよ。勝てそうもなかったら和解の方向でお願いね」と広家に頼んでたわけだし
岐阜城を落とされてなかったら広家は裏切らない可能性も十分にあった。
秀秋は徹頭徹尾ほぼ東軍だったけど位置的に西軍を裏切るのはギャンブルだった。岐阜城が落ちてなければいけない
秀秋はいつまでも高宮でうろうろしてたと思うよ。

161 :人間七七四年:2018/06/11(月) 21:34:45.70 ID:/bUvbXGJ.net
家康が出陣しなければ広家は西軍として動くし
秀秋は仮病のまま

家康は岐阜城が落ちなければ出陣しない

162 :人間七七四年:2018/06/11(月) 21:41:13.07 ID:NUiVtX0E.net
小早川秀秋は仮病つうか、十台前半ぐらいで黄疸が出るぐらいの肝臓病だったらしいからなぁ…

163 :人間七七四年:2018/06/11(月) 22:11:23.89 ID:ux1ItNsb.net
>>156
>制圧が済んで岐阜、大垣、佐和山の重層防衛ラインの出来ている中山道

尾張からの木曽川渡河迎撃するにしても、各城籠城しての後詰待ちでも
兵力が足りないでしょ?
あと信州方面中山道からの進攻を迎撃するなら、岐阜周辺ではなく、
東濃(苗木、岩村)が適地。本来なら東濃制圧も急がなければならない。

>防衛体制整ってない東海道はガッツリ侵攻されても大丈夫で平気とか理屈が合わないよね

伊勢守るのが目的じゃなくて東軍を撃滅するのが目的。
東軍主力が伊勢に来るなら>>120

164 :人間七七四年:2018/06/11(月) 22:17:12.76 ID:Z0sKn+bb.net
やっぱ藤田信吉が上杉屋敷に籠城でしょ。
藤田「難癖許すまじ、五大老の1人である上杉の言い分に聞く耳を持たぬとはなんたることじゃ」
藤田「かくなるうえは上杉の力をみせてやる」
と鳥居元忠ばりに籠城戦を繰り広げることで東軍武将の心胆寒からしめるのだ。

165 :人間七七四年:2018/06/11(月) 22:26:46.84 ID:SQ7+TLtW.net
>>161
東軍先鋒が出陣した段階で、後は直政・忠勝の判断を待つだけ

166 :人間七七四年:2018/06/11(月) 22:43:35.67 ID:ux1ItNsb.net
>>152
伊勢主攻についての吉川広家の見解については、>>17>>108で触れてるけど、」

「伏見之城へ人数差寄、責口被申付候刻、勢州へ可相働之旨、奉行衆相談被相究候、
惣別濃州北国両口之仕置、堅被申付候て社尤候、勢州さしむかひたる儀にもあらす候間、
出勢無詮候、雖然、(以下略」

当時の毛利の軍事担当といえる吉川広家がこのような見解をしているのだから
現代の我々からみてもおかしいと感じるし、当時の武将吉川広家から見てもおかしかったわけでしょう。

さっき思い出したんだけど、秀元はたしか「もっと兵力がないと伊勢攻略は難しい」というような
主張というか反対をしていた気がする。これに対する輝元の回答は、
「もう元康くらいしかいないのでこれ以上の増派はできない」みたいなかんじだったような気がする。
秀元の主張には裏がありそうなので保留するけど。

美濃で守ってその間に他方面を攻略する、でもいいんだけど、守れないんじゃ意味がない

守れるだけの兵力が足りない、ということになる。

167 :人間七七四年:2018/06/11(月) 23:03:32.80 ID:ux1ItNsb.net
>>150
草津、亀山、熱田、嵩山(現愛知県豊橋市付近)、見付(現静岡県磐田市付近)、島田、駿府、
これ上杉征伐軍の兵糧給付所の場所だけど、たしかに東海道。

でも鍋島等近江愛知川通るってことは関ヶ原経由だよね、
けっこう大名ごとにルートはバラバラだったんじゃないかな?

168 :人間七七四年:2018/06/11(月) 23:26:57.67 ID:tuu95eRk.net
>>163
>>120これの何が根拠

169 :人間七七四年:2018/06/12(火) 00:39:24.07 ID:4HpEkcNu.net
>>162
2年弱で死んでるからマジで病気説は普通にあり得ると思ったけど、うわあ。
10代前半でそれなら、粛清の恐怖と戦いながら生きる秀吉晩年のストレスも加わるのか。
そうなると、仮病じゃなくて普通に病気の可能性も十分あり得るな。

秀秋が会津征伐直前に急逝するIFとか?

>>167
多分、関ヶ原が一番楽だと思うけど、鈴鹿峠や鞍掛峠も使えないわけじゃないかと。
少人数なら天候次第で他の峠も使えるでしょうし。

でも、関ヶ原ルートが一番楽そうです。次点が鞍掛峠や鈴鹿峠かな?こっちは長束領の甲賀とかを通り上洛できます。
他はちょっと平成時代でもきつい。現代でも冬季や降水量で封鎖されることもある。

170 :人間七七四年:2018/06/12(火) 01:53:47.72 ID:4C0L21Zl.net
仮に伊勢攻略軍が居なくて
東軍主力が普通に伊勢から突き抜けて来たら
どう戦うんだろうか

171 :人間七七四年:2018/06/12(火) 02:14:31.35 ID:G9ec4Dc2.net
あんま変わらん気が
このまま近江突っ込むぞーと気勢を上げる先鋒軍を家康が止めて関か亀山でポスト関が原かな
岐阜城陥落同様に防衛線突破されてるから毛利は日和て小早川は裏切ってるはず

172 :人間七七四年:2018/06/12(火) 05:37:26.03 ID:Onrj+9gB.net
例えるなら東海道が函谷関、伊勢路が武関だろ。
前者が大手門なら後者は搦め手裏口
大挙して伊勢路に来る可能性など最初から1%もないよ。
大渋滞してしまう。
数千くらいの部隊を伊勢に送る可能性は十分にある。
海路も空いてたら当然、直接堺へ上陸させる部隊も1000単位で出しただろう。

173 :人間七七四年:2018/06/12(火) 07:03:56.65 ID:nrgYiSnI.net
まあ史実の東軍の行動を前提にして言ってるんだろうけど、
その前提が実際に周知されていたなら西軍も史実ほど集まらんだろうし、
何よりも毛利が乗ってこないだろう。
気になるのは実際に計画通り上杉討伐が行われたとしたら、
史実の西軍挙兵のタイミングからみてもあっさり終わると思われてたのかな?

174 :人間七七四年:2018/06/12(火) 07:44:21.26 ID:4HpEkcNu.net
>>173
上杉は100石あたり10人の動員を仮にしたとして12万人、現実には8万か9万を動員できればいい方
一方、征伐軍は家康隊秀康隊秀忠隊先鋒合わせて10万人に長宗我部小早川鍋島なども加わり12万ほど
さらに越後の堀や伊達最上、東北諸侯も加わるから20万近く、戦略を戦術でひっくり返さないと敗北必至
白河決戦案も領土の半分近くまで攻め込まれている状態での決戦になる。
飛び地に近い庄内平野からの動員が失敗する可能性もあるし、最上や伊達の殺る気はたくさんある。
全方位から攻撃されるので上杉は少なくとも4つから5つに戦力を分散させる必要がある。
1年持てばいい方じゃない?
ここまで不利だと上杉家中からも裏切りが出かねないし。

証拠はないんだが、上杉は家康の動員力を図り間違えたのでは?
直接利害関係のある徳川家と伊達最上堀以外は動員できないと勘違いしていたとしか。

175 :人間七七四年:2018/06/12(火) 08:17:29.17 ID:s4kwqEJ6.net
上杉は、政権乗っ取りを狙っていた家康が中央から簡単に離れられるとは思っていなかった
それを見越したうえで中央政権はお前にやるから地方で割拠させろという強談判のつもりだった
ところが家康は政治家である前にまず戦士であり、遠征軍を私兵化してその軍事的圧力で豊臣を傀儡化することを選んだ
もし相手が家康ではなく毛利輝元だったら、直後の関ヶ原での主力決戦の避けっぷりからみて、上杉の狙いは成功したかもしれない
上杉は家康を甘く見すぎていた

176 :人間七七四年:2018/06/12(火) 08:19:59.45 ID:Onrj+9gB.net
談判するより先に城や砦の建築及び浪人のスカウトをガンガンしてたのだから
強談判説は根拠が薄い気がする。

177 :人間七七四年:2018/06/12(火) 08:22:21.85 ID:Onrj+9gB.net
万一、家康が東下しなくとも必ず景勝は堀領と最上領を侵略したよ。
そうしないと莫大に抱え過ぎた浪人武将たちに約束した土地や金をあげられないから。
破綻しないためにも徳川に攻めにきてもらわないと困っていた。

178 :人間七七四年:2018/06/12(火) 08:49:14.49 ID:P3Q9lrFJ.net
中山道は河尻秀長の苗木城辺りで蓋をして内側の美濃掃討戦、
東海道は清洲で蓋をして桑名との間を掃討戦を済ませて持久出来るでしょ。
カッコつかなくなった前田利長は隠居して利政が率いればいい。

179 :人間七七四年:2018/06/12(火) 09:10:11.73 ID:G6p2lrM2.net
そういや、前田は内心西軍で、利長とかも内通していたけど、人質がいるから泣く泣く東軍にって言うのは信じていいの?
前田征伐とか松前氏の件(松平と前田で松前というかなり屈辱的な扱い)とか西軍につく動機はたくさんあるけど。

それなら芳春院が大坂にいて問題なく西軍に前田がつけたというifもできそうだから。
前提条件が厳しいけどさ。美濃方面の軍を5000から1万ほど追加できそうじゃない?
主力は越後の堀攻めになりそうだけど。
美濃の兵を増やさなくても、堀家救援のために秀忠隊の一部ないし全部を吸引できそう。

180 :人間七七四年:2018/06/12(火) 11:15:38.87 ID:Z/fxABlx.net
>>179
前田については、一応東軍だけど戦況が西軍優勢になれば
西軍につくのも考えるってかんじのスタンスかと思う。
一応利長の家臣宛て書状では
「利政がいうことを聞かないので困っている。
家康にどう取り繕えばいいかわからない」
的なことを述べている。

181 :人間七七四年:2018/06/12(火) 11:24:56.01 ID:hQ4Wri3O.net
利家と同じことしとるw

182 :人間七七四年:2018/06/12(火) 12:11:41.85 ID:s4kwqEJ6.net
>>176
なんで?
砦があったほうが相手の戦意を挫けるし、上杉の本命の敵は徳川じゃなくて自分の周辺大名だよ
徳川が中央政権に居座り乗っ取ることを最優先してくれれば、集めた将兵は近隣を切り取るのに役に立つし、報奨も与えられる
上杉の狙っていたのは応仁の乱の再来だよ
逆に聞くけど、徳川が天下の軍を率いて征伐に来たら、寄せ集めの兵と急拵えの砦で防げると思うほど、景勝が楽観主義者だと思うのかい?

答えは簡単
景勝は家康が中央から離れられず、上杉に譲歩してでも中央政権の乗っ取りを優先するとみていたのさ
そして家康が何枚も上手だったということ

183 :人間七七四年:2018/06/12(火) 12:15:02.93 ID:s4kwqEJ6.net
>>176
談判するより先に軍備するの当たり前でしょ
きみ何言ってるの?
俺に手を出すとアンタが損するぜ、てやるから強談判になるんじゃないか
相手が強硬な態度に出てからイソイソ軍備はじめたらただのマヌケじゃん

184 :人間七七四年:2018/06/12(火) 13:35:23.45 ID:nrgYiSnI.net
関ヶ原の時に防衛の為に整備されたとされる砦の跡地を実際に発掘調査してみたら、
実際には明治維新の時のものだったていう話し聞いたことあるけどどうなんだろ。

185 :人間七七四年:2018/06/12(火) 13:42:14.82 ID:P3Q9lrFJ.net
>>184
「聞いた話」ほど当てにならない物はない。
会津防衛に適した地点は変わらないだろうし、上杉が構築した同じ場所に陣地を設けてもおかしくない。

186 :人間七七四年:2018/06/12(火) 15:32:04.89 ID:5UaxVgyI.net
>>180
前田利政がというより、前田家中が大老として家康討つべしの勢いだったんじゃない?
当主以外は利家の遺訓通りに動けばいいと信じ切った感じでさ。

187 :人間七七四年:2018/06/12(火) 15:56:20.02 ID:46nL7/6A.net
>>186
利家の遺訓で家康討つべしってどういうことかいな?
秀頼さまへご謀反仕り候衆のところ?
でも前スレからずっと話されてた通りどっちが謀反かというと西軍だよね

188 :人間七七四年:2018/06/12(火) 16:15:41.00 ID:DfNuXUn0.net
家康が天下を狙ってるというのはまともな頭を持ってりゃみんな分かってただろうからな。
前田家中に家康を阻む考えが有って当然だわなあ。

189 :人間七七四年:2018/06/12(火) 16:47:50.41 ID:UYycmCwd.net
秀吉の意向通りに豊臣政権で政務取ってたら天下狙ってることになるんか

190 :人間七七四年:2018/06/12(火) 16:59:01.44 ID:3gWY9AUf.net
天下取り(藤原氏)でも他家にとっては脅威ですわ。
藤氏も決して無血で権力を獲得したわけではないし。

徳川も徳川で秀頼成人前に圧倒的なヘゲモニーを確立できないと蘇我氏や三浦氏のようになりかねない。
小鹿範満かもしれないが。

191 :人間七七四年:2018/06/12(火) 17:41:14.60 ID:I6Bc1a9q.net
前田利家も死ぬ間際だけ忠義ぶったことやってる逸話があるけど、基本前田なんて自分ところだけが大事の割り切り武家だけどな

192 :人間七七四年:2018/06/12(火) 20:56:57.70 ID:jXkD7d4h.net
豊臣からして自分のところだけが大事の割り切り武家だ

193 :人間七七四年:2018/06/12(火) 21:46:47.07 ID:MAtrVRWN.net
>>188
まともな頭を持ってりゃ天下を狙っている時の信長や秀吉に抵抗した連中の大多数がどういう末路を辿ったか
みんなが嫌というほど分かってただろう
特に前田なんて最前線で一番知っている家だ

浅井や柴田などを見てきた前田が自分が同じ立場になろうとするかな?
石田派みたいに奉行として権勢を振るえないなら死んだ方がマシという特殊な立場か
ど田舎で育ってそんな歴史を知らない大名でもない限り
賢い大名ならいい加減学習して、命がけの抵抗なんてするもんじゃないと理解する方が常識的だろう

194 :人間七七四年:2018/06/12(火) 21:57:37.03 ID:nrgYiSnI.net
>>184

これ革籠原防塁の話だった。
気になったんで帰ってからぐぐってみたら
福島県史料情報第26号の慶長五年「白河決戦」論の虚実で触れられてた。(http://www.history.fcp.or.jp/shiryojoho/shiryojoho26.html)

前田は上が豊臣になろうが徳川になろうがどっちでもいいんじゃないかな、
主家の織田や上司の柴田に対してとった態度みればわかりそうだけどw
まあそもそも西軍≠豊臣だけど。

195 :人間七七四年:2018/06/12(火) 22:02:21.64 ID:nrgYiSnI.net
>>194
リンクうまく貼れてなかった

http://www.history.fcp.or.jp/shiryojoho/shiryojoho26.html

196 :人間七七四年:2018/06/12(火) 22:03:39.22 ID:P3Q9lrFJ.net
>>189
前田を脅して利家妻を江戸に人質に取れという秀吉の意向通りに豊臣政権で政務取ってたという世界?
パラレルワールドの話は他でやってくれ。

197 :人間七七四年:2018/06/12(火) 22:43:00.06 ID:UYycmCwd.net
>>196
加賀征伐は利家死後の話だよね?死後のことまでわかってるなんて利家は魔術師さんかな?
ついでに言えばなぜ加賀征伐が起きたのかといえば利家の遺言も守らず利長が帰って家康との関係悪化したからだよね?

ボケにしてももうちょっと面白いネタのフリ方してくれないと

198 :人間七七四年:2018/06/12(火) 23:34:30.31 ID:MAtrVRWN.net
そもそも加賀征伐が起きた理由は
増田・長束・玄以の三奉行が利長による家康暗殺計画を主張したからでしょ
家康は政務を執る筆頭大老として奉行の訴えを聞いて対処しただけ
まさに秀吉の意向通りに豊臣政権で政務を取ってたという証拠だろう

199 :人間七七四年:2018/06/13(水) 00:11:36.26 ID:MWchMdSt.net
本当に暗殺計画なんてあったと思ってるとか草

200 :人間七七四年:2018/06/13(水) 01:14:41.47 ID:GEHU1yVy.net
異心ありの報告あったことは確かじゃなかったっけ?

201 :人間七七四年:2018/06/13(水) 01:32:31.56 ID:qBWMID9d.net
>>197
帰ったからじゃねーだろ。利家の遺言ですからと加賀から兵8000を呼び寄せて常駐させれば家康との関係は悪化しなかったのか?

202 :人間七七四年:2018/06/13(水) 01:38:00.21 ID:wfx0aU5Z.net
>>186
前田利家と言う男をよく知ってる前田家中の人らで
利家が本気で家康と対立すると思ってた奴なんていないと思うわ
下手な勝負には出ないが面子だけは保つ
それが出来る優秀な政治家

203 :人間七七四年:2018/06/13(水) 01:56:59.51 ID:GEHU1yVy.net
>>201
帰ったからに決まってんじゃん
前述されてるけど利長は大老の後継、それが無断で帰って関係悪化しない訳ないじゃん

204 :人間七七四年:2018/06/13(水) 08:49:07.56 ID:MWchMdSt.net
無断で帰る訳がないだろ。。。

205 :人間七七四年:2018/06/13(水) 11:07:06.72 ID:e19vGHnn.net
>>178
東濃での中山道迎撃態勢構築についていろいろ考えていたんだけど、
これはこれでけっこう難しい。織田の対武田迎撃に似てる。

まずこの辺りの拠点としては苗木城、岩村城、明知城(恵那市のほう)、鶴ヶ城あたり。

そして敵の想定進攻ルートとしては、中山道馬籠峠、伊那谷からの神坂峠、
濃三信国境付近からの上矢作方面(現R257)、いわゆる岩村口、この3か所。

本命は馬籠峠だが、武田征伐で信忠本隊が使ったのは岩村口の上矢作方面ルート、
神坂峠は難所ではあるが古来からある道。

で、防御拠点なんだが、馬籠城なるのものがあるので調べてみたが砦に近い。
とても防御拠点としては使えない。
岩村城の支城みたいなのはたくさんあるんだが、兵力に余裕があるならそれらに
分散配置でもいいんだが、万を超える敵の想定と西軍の限られた兵力では、
拠点に兵を集中して籠城し後詰を待ったほうがいいように思える。

具体的には苗木に2000ほど、岩村に5000〜8000ほどだろうか。
それと両城とも位置がけっこう微妙で、籠城してしまうとあまり中山道には
脅威を与えにくい位置にある。
苗木は木曽川北西岸、岩村は中山道から少し離れている(直線距離で約10km。
そして苗木と岩村もけっこう離れており(直線距離で約18km。大垣→岐阜とほぼ同じ)
密な連携は取りにくい距離ではある。

ではそんな微妙な東濃での中山道迎撃はやめてしまえばいいかというと、
東濃より後方で有効な迎撃が行える場所は犬山付近。
犬山を拠点に、鵜沼と伊木山に陣地構築、そして猿啄に監視所と烽火台の設置。
これで「中山道」には有効な迎撃を行える。
しかし中濃から迂回して直接岐阜に行くとか、善師野(犬山南方)もしくは内津峠から
尾張に行く手段があり、
中山道から進軍してくる東軍を止めることはできないという大きなデメリットがある。

個人的には、合流を阻止できないくらいなら東濃で迎撃態勢を取った方がマシだと考える。

206 :人間七七四年:2018/06/13(水) 11:52:12.81 ID:GEHU1yVy.net
>>204
無断で帰ったから言ってんだよ
君さては都合の悪い文書は全部徳川史観とか言って端から勘定に入れないタイプだな?

207 :人間七七四年:2018/06/13(水) 12:19:26.64 ID:e19vGHnn.net
それと将来的な攻勢構想も考えた場合、木曽谷通るにせよ伊那谷通るにせよ、
中山道からの関東進撃、上田の真田への救助もしくは合流、
あるいは岩村口から三河への支作戦の実施(やるやらんは別、選択肢として残す意味)、
これらの観点からも東濃制圧の必要性はそれなりにあり、
東濃制圧し迎撃態勢及び攻勢準備態勢を取る、というのは悪くないように思う。

208 :人間七七四年:2018/06/13(水) 15:36:10.61 ID:1oFtAEef.net
家康が美濃赤坂に到着させてしまった諜報力

209 :人間七七四年:2018/06/13(水) 22:03:45.51 ID:A/ormruS.net
>>13の伊勢方面の在番、守備隊の「中島氏種390?」は中江直澄っぽい。
愛知県史資料編13織豊3には中江直澄とある。

210 :人間七七四年:2018/06/13(水) 22:27:14.08 ID:A/ormruS.net
ところで素朴な疑問なんだけど、通説的には西軍(上方勢、京方、秀頼方等)の
総大将は毛利輝元とされてるけど、これの根拠って何?
なにかに明記されてる?

211 :人間七七四年:2018/06/13(水) 23:35:07.66 ID:D9qWNf6f.net
本当は輝元が犯人だったけど三成を首謀者にした

表舞台から外されて
家康を潰して来いって言われた
五奉行に戻してやるって

それで輝元が潰してこいっていうのは
合戦じゃなくって思い切って当たれって意味

212 :人間七七四年:2018/06/14(木) 01:01:45.14 ID:gIs3RvSN.net
俺が三成なら黒田如水に関八州を任せるからこちらの指揮官になってくれと頼む

213 :人間七七四年:2018/06/14(木) 01:22:49.93 ID:FcRR6e7f.net
相手にもされんだろね

214 :人間七七四年:2018/06/14(木) 01:26:12.52 ID:MqkrXxcv.net
>>201
確か噂だと利家の遺言はこんな感じ。
「前田家の動員力は最大で25000なので8000ずつに分け、大阪に8000、国元に16000置くように
そして、少しずつ大阪の兵と国元の兵を入れ替えさせよ」

この遺言実行されたら、家康は完全に封じこまれる気がすんだけど?
大体さ、この時点での上方での徳川の兵力って色々口実付けても3000行かなかったらしいし。
大阪に8000常駐で、秀頼傅役の権威で守られてたら家康も何も出来ない。

215 :人間七七四年:2018/06/14(木) 01:49:08.29 ID:OG9qcdMJ.net
あの時点の黒田如水に関八州とか悪ふざけかw
関西圏の人間が秀吉に九州にとばされあげくにグダグダだらけの関東に移転とか左遷なみの待遇だわな
しかももう隠居の立場なのにまだ馬車馬のように働かせるつもりかよ、となるわな

せめて機内だよな。
まあそもそも三成が他家とちゃんと交渉できるような人間なら金吾も関白の餌にひっかかるわな
三成も全然苦労しないだろうよ

216 :人間七七四年:2018/06/14(木) 02:11:50.36 ID:PaHGVDba.net
>>210
これっていうやつは言いにくい。

公家の日記(西洞院や言継卿他)、宣教師の報告書や日記、看羊録などは大体輝元総大将だったはず。
状況証拠は輝元が大坂城西の丸にいて、宇喜多や他の奉行が前線にいたこと。

高橋陽介『一次資料にみる関ヶ原の戦い(改訂版)』(星雲社、2017年)は大体全部が輝元が総大将扱い。
同書120頁、「輝元御出馬之事、拙子体は尤と存候、家康不被上には、不入かと存候へ共、下々は此儀も不審たて申事に候事」
上は「東軍総大将家康は関東から動けない!西軍総大将輝元も安易に大坂を動くと鼎の軽重云々なので、動くのは慎重に」という感じ。(解釈あってるかな?)
同書124頁、三成の書状に「当分御成敗有之間敷人質妻子、宮島へ御下可有之※(興と欠)、御分別不可過候事」ということで(当分処刑しない)人質が芸州宮島に移されていること。

状況証拠と一次資料のおおくは輝元総大将扱い。ただ、同時に西軍の事を奉行衆扱いしているというのもある。
秀頼の後見が家康から輝元に変わったという日記を公家の女官が書いてもいるとかなんとか。

他の出典もあったはずだけど、今、本が手元にないから勘弁

217 :人間七七四年:2018/06/14(木) 05:25:27.19 ID:LqdngHd6.net
>>216
その解釈があってるなら、西軍はやはり家康が関東から前進する事想定してないな。
これ確実に長期戦前提で動いてるだろ。
それなら無理して前線押し上げるより、伊勢制圧して足元固めた方がいいわ。

218 :人間七七四年:2018/06/14(木) 06:00:19.22 ID:3MpM1Ppu.net
>>216
>「輝元御出馬之事、拙子体は尤と存候、(以下略

これ多分9月12日付増田長盛宛石田三成書状だね。
「西軍総大将輝元」はあくまで意訳だね。

やっぱ公家の日記とかの西軍総大将扱いとか状況証拠だけなのかな?

輝元出陣の件(輝元が出陣しないのは)はわたし(石田)ももっともだと思う。
家康が来てないのなら特に必要はないと思うが、下々の者はなぜ輝元が出陣してこないのだと噂するであろう。
あたりかな?

219 :人間七七四年:2018/06/14(木) 06:40:44.56 ID:3MpM1Ppu.net
なぜ「輝元西軍総大将」の確認をしたいかというと、
たしかに大坂の輝元と増田が司令部的役割をしている。
どこかにいったん情報を集約しないとだれがどこにいてなにをしているか、
敵がどう動いているのか味方が把握できないから。
そして輝元は自家の者には指示を出しているが、他家の者にも連署ではなく単独署名で
指示を出しているのかなと。
輝元は総大将的なことはしているが、家康のように厳然とした総大将ではなく
総大将的なかんじがしてるので。

つまり西軍の軍事方針、軍事行動については輝元の号令一下ではなく、
有力メンバーによる協議で決める、といった体、あくまで西軍は連合体の体かなと。

220 :人間七七四年:2018/06/14(木) 08:09:18.91 ID:aMyl10PX.net
>>214
それ、いくら金かかるの?
という話

221 :人間七七四年:2018/06/14(木) 08:21:29.29 ID:PaHGVDba.net
以下は、高橋陽介『一次資料にみる関ヶ原の戦い(改訂版)』(星雲社、2017年)が全て出典

失伝した資料の存在を無視していると言われるかもしれないけど、西軍は奉行の命令という形式をとった命令が多いそうで。
兵糧と軍資金の管理をしているのは増田長盛のようです。(長盛宛三成書状に「何度も言ってるけど兵糧とカネを出し惜しみするんじゃねえ!」って感じの文言がある)

家格、戦歴、官位その他で圧倒的な徳川家康がいる東軍と、輝元秀家奉行衆とほぼ同格なのが複数いて、せいぜい同輩中の首席程度の西軍が同質なわけないですよね。

大阪の状態はよくわからないけど、濃尾の方では長束と安国寺の同意なしには何も出来なかったとのこと。三成は提案しかできないとのこと。

ところで、高橋の91頁
「内府、会津・佐竹を敵に仕、僅かに三万の人数を持、分国十五城を抱え、二十日路被上事、成物に候哉、(中略)右分別も無之、自分の人数一万、上方勢一万計洛に上り候共、尾・三の間ニ而可討取儀、誠に天の与ニ候」八月六日真田宛三成書状、古今消息集
とあるけど、徳川の実際の動員数って約8万でいいんだっけ?この書状だと、三成は三万人しか動員できないというようなことを言っているけど。

222 :人間七七四年:2018/06/14(木) 08:44:54.67 ID:6AvzHGkW.net
>>221
西上できる徳川方の兵が三万だと三成はなぜかおもってたということでしょうね

223 :人間七七四年:2018/06/14(木) 08:49:53.95 ID:3MpM1Ppu.net
>>221
徳川240万石+秀康10万石、計250万石。75000〜8万人ってとこかね。
これに家康に味方する者の兵力が加わる。
家康本隊3万(33000)、秀忠隊38000(徳川以外込み)、宇都宮の秀康18000(蒲生、里見等込み)
井伊、本多、松平忠吉、江戸及び東海道等各城在番衆、

だいたい計算合うと思う。

で、三成が、上杉と佐竹が西軍として関東で徳川と対峙していれば、4〜6万はその対応に必要だから
2〜3万くらいしか西上しないだろう、って予測じゃない?
250万石で3万人はどう考えてもおかしいし。

224 :人間七七四年:2018/06/14(木) 08:53:36.33 ID:6AvzHGkW.net
>>214
あのさ前田を家康に告発したの奉行衆なんだよ
なんか家康以外は一枚岩だとおもってる人いるんだよね
そんな事したら今度は周囲や奉行衆から前田が警戒されるだけじゃん

225 :人間七七四年:2018/06/14(木) 08:58:27.21 ID:b+1Nvn7n.net
>>219
だって毛利に全権与えたら勝っても徳川のポジションに毛利が入るだけで
奉行が関ヶ原起こした意味ないじゃん。
しかもその場合毛利の専横は徳川よりも派手にやる可能性が高い。
何故なら徳川レベルだとひっくり返されてしまうから。誰だって権力を奪われたくはないしね。
だから奉行は絶対に毛利に全権を渡せない。従って戦略や政略には、基本的に
奉行の意向を反映せざるを得ないと思う。少なくとも毛利家臣団の意見が優先されるとは思えん。

226 :人間七七四年:2018/06/14(木) 09:14:54.76 ID:PaHGVDba.net
>>222
>>223
なるほど。
そうですよね。自分は古文書読み初心者なのでかたじけない。

たしかに、上杉と佐竹で約170万石、上杉南下の場合は、伊達や最上を吸収している可能性もあるから敵兵は六万人を超える可能性もあるのかな?
だとすると、家康はかなり思い切った兵の割り振りをしていたことになるけど。あと、徳川に近い周辺大名も動員できたのか。

227 :人間七七四年:2018/06/14(木) 09:20:41.30 ID:R4qzIufr.net
三成が真田にあてた書状なんだろ?少なく見積もるのは当たり前じゃん。
徳川軍は20万人です。なんて書いたら真田が東軍につくだろ。

228 :人間七七四年:2018/06/14(木) 09:30:18.33 ID:3MpM1Ppu.net
>>221
>濃尾の方では長束と安国寺の同意なしには何も出来なかったとのこと。

これね、たしかにそのひとはそう主張してる。

しかしわたしはこの説はどうも腑に落ちない。
毛利と奉行衆の同意がなければ作戦行動できないというのなら
西軍の敗因は輝元、増田、長束であって、石田、宇喜多、大谷の責任ではない。

229 :人間七七四年:2018/06/14(木) 09:40:00.16 ID:RkvHC641.net
>>228
言いたい事がよくわからないんだけど、石田が首謀者として斬首されるのがおかしいって事?
石田は単に責任押し付けられただけでしょ。割を食う役の人って古今東西どこでもいるし。
嫌な言い方するけど「あいつ処刑されるならそれでいいわ」位のやつもいそうだよ。
加藤清正とか襲撃事件の時の三成の処分を手ぬるいとか言ってたらしいし。

230 :人間七七四年:2018/06/14(木) 10:47:32.66 ID:PaHGVDba.net
>>228
三成への処罰がおかしいということ?
三成が処刑されたのは、敵を作りすぎたのと、多分こっちの方が大きいと思うけど、決戦直後に捕まっていて、自らを守る軍勢や領地も失って自衛できなくなったことだと思う。
この時代は罪刑法定主義や司法の独立なんかないし。

単に総大将を三成にするべきだというなら概ね同意する。濃尾方面に限っていえばそれなりに良さそうな判断をしているし。
ただ、それを毛利や宇喜多が許容できたかというと大いに疑問だけど。

231 :人間七七四年:2018/06/14(木) 11:27:43.10 ID:ZanfBQ9G.net
>>214
延々と大規模動員するのは結構な負担だから前田家の財政的に持つの?
あと、前田の駐兵は徳川の駐兵を正当化する根拠でしかない。前田が8000の兵を置くなら徳川はさらに追加で8000の兵を置くことができる。あるいはそれ以上の兵も置けるかもね。
それと、前田に8000の兵を置くことを許されて、徳川に許されない理由は?

あともう1つ、大坂に兵をおきすぎると奉行衆や淀が反応して、徳川と手を組んで前田を排除しに行く可能性は潰せていますか?

232 :人間七七四年:2018/06/14(木) 20:12:49.44 ID:cV9+Ess8.net
岐阜城の陥落が早すぎたな

あそこで簡単に落ちなければ

233 :人間七七四年:2018/06/14(木) 20:50:24.05 ID:aMyl10PX.net
家康が戦後に加納城へ移転した点からも、大した城ではなかったのだろう

234 :人間七七四年:2018/06/15(金) 02:46:14.52 ID:YePh23MD.net
>>233
籠城よりも先に行った野戦で秀信の兵はかなり損耗してたから、これに関しては岐阜城の防御は計れないかなぁ
岐阜城が防御拠点として頼りにならないから打って出たとかならまだ分かるけど

信長が稲葉山城を防御拠点じゃなく見せるための城として大規模リメイクしてたとしたら可能性あるかも?安土城も防御度外視と言われること多いですけど

235 :人間七七四年:2018/06/15(金) 05:25:14.66 ID:7+UyDBxu.net
さすがに1日とは想定してなかったろ

壊れかけの城とかでもなかったろうし、俺でも3日はもつわ。

236 :人間七七四年:2018/06/15(金) 06:07:54.22 ID:X2pC4Q6I.net
いや、家臣の統制にも失敗しての落城って結果だからね?

237 :人間七七四年:2018/06/15(金) 08:41:24.14 ID:1LATVnoT.net
関ケ原も1日で決着したし

238 :人間七七四年:2018/06/15(金) 09:25:10.50 ID:VoeUgIrw.net
確か岐阜城陥落の経緯は
野戦で負けて兵力減少、逃亡もしていたと思われる。
池田隊と福島隊が手分けして岐阜の町を焼き払い、打ち壊す。
どの隊か不明だが、試しに岐阜城を攻めてみたら無人で抵抗がなくびっくりする?(これは創作の可能性もある)
(後詰にきていた石田隊が諦めて撤退する?)
(後詰め撤退に影響された可能性あり)30人ほどまで減少した家臣全員に直筆の感状を渡して秀信降伏

30人というけど、他家に仕えたら秀信時代よりも高禄だったという逸話があるので、領地をもらう身分の上級武士が30人程度ということかもしれないけど。
ただ、籠城時点で致命的な人手不足というのはほぼ全ての史料に共通しているから事実と思う。

239 :人間七七四年:2018/06/15(金) 09:27:17.51 ID:MHjsTg9R.net
山城は曲輪間の連絡が困難だから、各個撃破されやすい
近世の山城は曲輪間の連絡が取れやすいように、城域を狭めた上で
尾根を石垣で平坦化している

ただ織田秀信からすれば、縮小を含む従来の岐阜城の否定は
受け入れられないだろう

240 :人間七七四年:2018/06/15(金) 09:35:57.42 ID:CFkxU3Qj.net
>>238
その30人の状態は残るは天守を残すのみ、の時じゃない?

241 :人間七七四年:2018/06/15(金) 10:08:09.32 ID:CFkxU3Qj.net
>>236
家臣の統制とは? 佐藤方政の逃走のこと?
野戦で負ければ逃走もあると思うが。

242 :人間七七四年:2018/06/15(金) 10:12:55.52 ID:CFkxU3Qj.net
>>239
そうはいっても峻険な岩山城では帯曲輪とか堀切作る工事自体がかなり困難じゃない?
それなら惣構線の強化のほうが工事が楽だと思うけど。

243 :人間七七四年:2018/06/15(金) 11:14:39.52 ID:IKfBU6V8.net
>>242
それなら家康の様に、岐阜城を廃城にして新城を造った方が良い
勿論、随分前から行う必要があるけど

244 :人間七七四年:2018/06/15(金) 12:30:46.36 ID:N89095+6.net
戦国時代前期なら山城で堅城なら月単位〜半年は持ってたけど
戦国時代後期は抱え大筒、大鉄砲などの柵などの守りや障害物を破壊する兵器が出てくるから
戦国時代前期で通用した戦術が後期には通用しない
秀信は経験が浅かったから野戦に出てから籠城すれば良いという考えになったんだろうけど
抱え大筒、大鉄砲がある時代に籠城準備も無しで籠城すりゃ簡単に落ちる
抱え大筒、大鉄砲でもビクともしないように籠城準備として瓦礫で通路を塞ぐ、壁を強化する、
深い空堀を掘る等をしてガチガチに城郭を固めないともう耐えられない時代
戦国時代後期に山城が廃城になり、資材をリサイクルして集約し、
大きな城郭の石垣と水堀で固めた平城、平山城に換えたのはその理由

245 :人間七七四年:2018/06/15(金) 13:44:17.81 ID:8o022mZP.net
>>243
そりゃ軍事的にはそれもいいけど、13万石くらいの
秀信には荷が重いでしょ、毛利や上杉じゃないんだから。
空堀、土累、柵の簡易築城でもそれなりに
効果はあるんだから
惣構線の強化のほうが現実的だと思うが。
あとは>>244の言うように籠城準備だね。

246 :人間七七四年:2018/06/15(金) 13:45:56.26 ID:G8kKkEtd.net
大垣城の奴らが見放したから

247 :人間七七四年:2018/06/15(金) 13:49:35.23 ID:LVUlq28z.net
そもそも籠城は後詰めがいなきゃなんにもならない

248 :人間七七四年:2018/06/15(金) 14:40:04.02 ID:pkVQLKGa.net
上田合戦とか武田と上杉の小田原城攻めなんかは後詰めなしで籠城側の勝ちじゃなかったっけ

249 :人間七七四年:2018/06/15(金) 14:46:36.00 ID:3fLlYkZO.net
勝つには家康と刺し違えるか、秀忠を暗殺して時間稼ぎをするしかない。
秀忠が死んでもし家康がショックのあまり倒れたり錯乱したらもうけもの。
しなくても多少の時間稼ぎはできる。
最も実行犯とその徒党は殺されるかも知れんが。

とにかく時間稼ぎして家康の寿命が尽きるのを待つしか手はないと思う。

250 :人間七七四年:2018/06/15(金) 15:31:21.03 ID:IKfBU6V8.net
>>245
逆に身代に合った城を造れる
それに10万石強なら高崎城クラスは造れる

251 :人間七七四年:2018/06/15(金) 15:50:12.55 ID:SMZ8vBZZ.net
新岐阜城作るところから始めるのか、気の長い話だな

252 :人間七七四年:2018/06/15(金) 18:01:04.39 ID:LVUlq28z.net
>>248
第一上田城攻めは徳川が攻めてるうちに上杉が応援にくる可能性が高かったんじゃなかったか
北条徳川もあまり長いこと上田にかまけてられる状態てなかったし。

第二の上田城は微妙だがやはり上杉の動向が気になるかな、まあ上杉にそんな余裕もないか
第二は秀忠を遅延させるのが目的だったこともあるし時間稼ぎ降伏こみの籠城っぽい作戦だな
後詰めを最初からあてにしてなかっただろうな

北条せめの上杉の場合はまわりは敵味方いりみだれてるし、北条に組みしてる関東勢も結構いるからそれの応援待ちはあるでしょ
あの時点で武田や今川はどっち寄りだったかな…
まあ謙信コワーな武家多かったからヤバイはヤバイんだろうけど

253 :人間七七四年:2018/06/15(金) 18:41:18.16 ID:IKfBU6V8.net
>>252
そもそも第二次上田合戦は存在しない

254 :人間七七四年:2018/06/15(金) 19:28:42.09 ID:t707yu5g.net
>>250
問題点が二つある。
どういう理由で築城するの?タイミング的に秀吉生前になると思うが。
家康警戒の為なんて馬鹿正直に言ったら秀吉に間違いなく殺されるよ。
末期の秀吉って明らかに家康に縋ってる部分があるし。
少なくとも警戒より信頼レベルの方がよほど高い。

二つ目。そもそも秀吉って秀信に飾り以上の役割を求めてるの?
仮に上の理由をもっともらしくごまかすにしても、いきなり築城とか秀吉が警戒しそうだぞ。
秀信はただの大名ではなく一応豊臣家にとって旧主にあたるから、
ちょっとでも切れ者っぽいところを見せると、秀頼の脅威になりかねんとか考えそう。
末期の秀吉はかなり猜疑心が強くなってる感じがするし。下手すると秀信が「病死(物理)」しそうだ。

255 :人間七七四年:2018/06/15(金) 19:55:18.74 ID:YePh23MD.net
>>253
今まで言われていたような合戦ではなかっただけで合戦自体はあるんじゃなかったっけ?

256 :人間七七四年:2018/06/15(金) 19:58:28.84 ID:IKfBU6V8.net
>>254
井伊直政も箕輪城から高崎城を新規築城している
同じ様に街道近くに新規築城することで同時に宿場を整備したいとか、
後は山城は負担が大きいとか

秀吉としても秀信が自発的に、信長の威光を解消すると判断し許可するかも

257 :人間七七四年:2018/06/15(金) 19:59:29.66 ID:IKfBU6V8.net
>>255
刈田を起因とする小競り合いが家譜にあるだけ

258 :人間七七四年:2018/06/15(金) 20:28:08.97 ID:rbBHTUDc.net
>>256
威光解消か。なるほど、そういう考え方もあるな。
実際はそう思ってなくても、そう誤認させる可能性はあるかもしれん。
完全に納得まではしないけど、回答ありがとう。

259 :人間七七四年:2018/06/15(金) 20:52:10.06 ID:cdr/KKWU.net
この時期まで何もしてこなかった男が威光解消なんて行動にでたらかえってあやしまれるよ
それに秀信が少しでも切れ者ならそもそも西軍に参加なんてしない

260 :人間七七四年:2018/06/15(金) 21:08:48.33 ID:7qm2DxIe.net
新城構築については百々がいるんで、
それなりにいいかんじの縄張りの城作りそうだなというのと、
新城適地をどこに想定してるのか気になっただけで、
具体的に関ヶ原戦役でなんとかなることではないとは思ってる。

261 :人間七七四年:2018/06/15(金) 21:22:27.79 ID:m0WStBDz.net
>>253
あのな。最近の新書読んだ程度でそれが全てと思うなよ?
何より負けた鳥居元忠や渥美源吾が書き残してるんだ。あったに決まってんだろ。

262 :人間七七四年:2018/06/15(金) 21:33:35.27 ID:+KvMK3/J.net
鳥居元忠は伏見城で討ち死にした後に中仙道部隊に加わり第二次上田合戦に参加したのか
これまでにない斬新な新説だな

263 :人間七七四年:2018/06/15(金) 21:34:10.11 ID:+7RRH34d.net
岐阜城って城下町とリンクしているタイプの城だし、安定度の高い濃尾と、不安定な東北への監視を兼ねた家康家臣の行動は必ずしも比較できないと思う。
もし岐阜城の減築(という表現でいいのかな?)をしたいなら、天正地震や慶長伏見地震で岐阜城が倒壊したっていう設定ならいいんじゃない?
天正地震なら大垣城や帰雲城も崩れてるからそんなに違和感はない。

失火とかだと秀信の管理不行き届き扱いされて粛清されそうだから無しかなあ。個人の感想だけど。
というか、秀信って下手に存在感をみせると粛清されかねないから人為的なものはリアリティに欠けるのでは?別に歴史小説を書くわけじゃないけど。

264 :人間七七四年:2018/06/15(金) 22:19:12.51 ID:+7RRH34d.net
>>248
かつては兵農未分離で田植えや収穫といった農繁期になったら兵を返さないといけなかった。
というか戦争自体が農閑期の出稼ぎ的略奪だったりもする。
なので、農繁期まで粘ったら兵站線や兵の士気的に撤退に追い込まれる。これが小田原城不敗の要因。
基本的に後詰無しの籠城は、合戦の主導権を敵に渡し、周辺の領地の刈田や略奪を黙認し、一日でも早く敵軍に撤退してもらうのを天に願う戦法なので、勝ちといわれても結構きつかったりもする。

一方岐阜城は、敵の常備軍化も進んでいるし、敵本拠地がすぐ南にあるから兵站線の心配もない。
後詰めなしにはジリ貧でしかない。

上田の方は粘っていたら敵軍に別の戦線ができたから、勝手に撤退したようなものなので、交通の要衝にある岐阜城との比較はきついかなあ。
それが籠城側の勝ちなんだけど。真田と上田城ははっきり言って無視できる程度の存在だから勝てたといえる。(ファンがいたらごめん)

265 :人間七七四年:2018/06/15(金) 23:31:10.99 ID:a01OJ4k+.net
局地的な城単体の籠城戦の勝ち負け言っても意味がない。
伏見城は落ちました、安濃津城は落ちました、でも勝ったのは東軍。
その結果が戦局にどう影響するかは重要だけどあくまで局地戦の結果でしかない。

岐阜城の場合、後詰がない前提というのがそもそもおかしく、
史実の部隊展開だったとしても、長く見ても2週間ほど粘っても西軍の後詰が来ないという
根拠のほうがない。
西軍が大垣周辺に3万以上の軍勢が集結しているにも関わらず、
岐阜城を見捨てるデメリットを上回るメリットがあるというなら提示していただきたい。

266 :人間七七四年:2018/06/15(金) 23:41:53.70 ID:ugiR2hfW.net
岐阜城を見捨てれば東軍への内通がしやすいというメリットがあるだろ
東軍本体と本格的に事を構えてからでは内通できないというデメリットは見過ごせない

267 :人間七七四年:2018/06/16(土) 00:32:07.70 ID:0wUz0ev7.net
>>266
内通すると西軍が勝てるのか?
あとそれはだれなのか具体的に挙げてください。

268 :人間七七四年:2018/06/16(土) 05:35:09.33 ID:GHDnRjxL.net
>>266
岐阜城落とされたらデメリットだらけだろう

まず内通がしやすい?調略できる奴が西軍にいない

そして第二に井伊や本多に軍艦として見守られて尚且、親家康&三成憎しばかりの東軍先鋒隊とどうやって内通するのか?

最後に岐阜城が落ちると>>9の木曽川対陣による渡河防衛が不可能になる
岐阜城突破された時点で東軍先鋒隊や後続、家康本隊もぞろぞろと木曽川を渡ってくるので関ヶ原の二の舞になるぞ

269 :人間七七四年:2018/06/16(土) 06:07:01.30 ID:910PA0gk.net
>>266は皮肉だろ・・

270 :人間七七四年:2018/06/16(土) 06:55:19.15 ID:3ZqHm+hj.net
退くほど東軍の行動に選択肢が増えて話がおかしくなるな。
前に出るんだよ、受けに回らないことが西軍勝利の道だ。
留守城の清洲をいきなり落とす、さらに東に進み浜名湖決戦だ。

271 :人間七七四年:2018/06/16(土) 07:09:56.60 ID:i5pkHB31.net
>>266は石川貞清以外の
内通してた諸侯の心境だろうな

272 :人間七七四年:2018/06/16(土) 08:55:14.03 ID:/77Vg1Gt.net
>>271
稲葉一族はそれなりに西軍としてやる気あったでしょ。
岐阜城が落ちてやる気なくしたけど。
まぁ総じて犬山城衆は戦況次第でどちらでも
戦う日和見臭が強いけど。

273 :人間七七四年:2018/06/16(土) 09:56:36.33 ID:GAR8/iAV.net
犬山城組からしたら岐阜城瞬殺は寝返るのに好都合だっただろうな
岐阜城が落城しなきゃ日和見の選択を続ける選択肢もあったが迷う必要がなくなった

274 :人間七七四年:2018/06/16(土) 10:29:34.47 ID:TRHIcZeG.net
>>270
二大老・三奉行で家康を非難して始めた戦なのだから
前に出て命を懸けることは二大老・三奉行を中心にやってもらわないと受け入れられないだろ
西軍大名だって二大老・三奉行の臣下ではないのだから
口先や紙の上だけで勇ましい言葉を並べて、危険な戦は他人に押し付けでは士気も上がらないよ
本格的な東進をしたいなら秀家だけでは不足であり、輝元や奉行全員の出陣が必須だろうね

275 :人間七七四年:2018/06/16(土) 10:48:37.44 ID:7IVf0pip.net
>>273
日和見が多かったからなおさら即行で既成事実作る必要あったのに
伏見で時間取られすぎた
岐阜城落として慌てて家康が西上したのも好機は逃がすまいと当然

276 :人間七七四年:2018/06/16(土) 11:09:03.87 ID:bzsDpuSq.net
そら総大将がいなくても岐阜城落としちゃう東軍と主力以外は見物人みたいになってる西軍では勝負になんないよ

277 :人間七七四年:2018/06/16(土) 14:25:19.19 ID:76YACD3t.net
関ヶ原好きなお前らに質問

ゲームで関ヶ原やりたいのだが、何かお勧めある?

出来れば携帯機がいい。

ps2の決戦は好きだった。

278 :人間七七四年:2018/06/16(土) 14:30:53.49 ID:ht6vSjVS.net
ない
あっちけ逝け

279 :人間七七四年:2018/06/16(土) 15:47:57.38 ID:g3wDi9/S.net
のぶやぼのシナリオであったな
黒田官兵衛で西も東も滅ぼしたった

280 :人間七七四年:2018/06/16(土) 18:06:20.16 ID:3ZqHm+hj.net
>>279
そのシナリオ、伊達と上杉はどっちが面白そう?

281 :人間七七四年:2018/06/16(土) 18:29:12.87 ID:t3W98+yL.net
>>277
Vitaで信長の野望 戦国立志伝でもやっとけ

282 :人間七七四年:2018/06/16(土) 18:52:39.56 ID:Y0gV6nzj.net
>>280
面白いのは伊達かもな
上杉プレイはキツいだろう

283 :人間七七四年:2018/06/16(土) 19:50:52.65 ID:zapxpptf.net
そういや清洲城は百万石時代の織田信雄が大規模改修したんだよな

284 :人間七七四年:2018/06/16(土) 20:19:12.76 ID:wX5FObWc.net
岐阜攻防戦の頃って小早川何してたっけ?
あいつが旗色不鮮明で近江をうろちょろしてたら大垣から大規模援軍出しにくいかも。
つーか、あいつ秀吉の元養子で秀頼に何かあった場合の後継候補でもあるから
伊勢に入って諸侯糾合して東軍に寝返ったら面倒な事になりそうだな。

285 :人間七七四年:2018/06/16(土) 20:42:29.80 ID:Jp4bC6bR.net
上杉なんて謙信の威光以外なんにもほめるところ無い武家

286 :人間七七四年:2018/06/16(土) 20:48:30.42 ID:DatgHegk.net
>>284
佐和山城から距離1キロの高宮というところで長期対陣してる。
ここで美濃と大坂の通信を遮断し佐和山城内への調略を仕掛けてた。
バリバリの東軍である事が明らかで三成と吉継は刺客を放ってる。

287 :人間七七四年:2018/06/16(土) 20:56:49.51 ID:AHRaqCKe.net
>>285
織田家よりはマシかとw

288 :人間七七四年:2018/06/16(土) 21:15:08.86 ID:xEcdBV9m.net
>>285
無知なキミ、上杉家はもともと関東管領だろが

289 :人間七七四年:2018/06/16(土) 21:23:11.60 ID:uTm0w0cG.net
でも景勝が憲政殺しちゃってるから言いたいことはわからんでもない

290 :人間七七四年:2018/06/16(土) 21:23:39.41 ID:5wu8fl3n.net
>>286
これ岐阜に大規模援軍無理だろ。小早川が邪魔にも程がある。
こいつがいる限り西軍は積極策とれんわ。
つーか、秀頼に万が一があったらこいつが豊臣後継者になる可能性高いのに
刺客放つとか西軍も無茶を…あ、宇喜多がいるから秀秋殺しても別にいいのか。

291 :人間七七四年:2018/06/16(土) 21:43:52.94 ID:0Ng9b7tG.net
>>290
よくわからない木下一族から適当に引っ張ってきてもいいんですぜ。
浅野家でもいいかもしれないけど。最悪足利義昭の息子が生きてるし、秀信もいるし

292 :人間七七四年:2018/06/16(土) 21:58:37.27 ID:0Ng9b7tG.net
推敲せずに送信しちゃった。ごめんなさい。

清洲城速攻案は個人的には好きなんだけど、そんなにすぐ落とせるかな?
領地を侵犯して、周辺に陣城や付城を築いて包囲するくらいならともかく、合戦するのはリスキーかなあって思う。
敵兵の規模も伏見城と同じ。裏切りを誘うのも厳しいし、さすがに兵の数が足りないということもないだろうから、8月14日までに落とせるかな?
清洲城が攻められているといわれたら秀忠隊とかも、全部ではないにしても東海道に来るんじゃないかな。家康隊の1万ほどをくっつけて。
浅野と真田(兄)に1万ほどの兵をつけておけばどうにかなるだろうし。

それと、伏見城はあれ以上迅速な攻城は無理だと思う。
以前出てきた伏見城の一部に奉行(徳善院とか?)がいて、その奉行が西軍につくという案ならもう少し早くなるだろうけど。

293 :人間七七四年:2018/06/16(土) 22:18:09.66 ID:3ZqHm+hj.net
>>292
何も外曲輪を力攻めで攻略することから始めなくていいんだよ。
二大老と三奉行の連署で豊臣家が福島家に預けている米を取りに来ましたってことでいいでしょ。
福島家の私財ではないのだから断れる道理は無い。
入り込んでしまってから隙を衝いてどんどん押し込んでしまえばいい。
公儀の人数に無闇な抵抗をしたら大変なことになる。
着手が早ければ早いほど成功するよ。
毛利輝元が家康に清洲に預けて有る兵糧を送ろうと思い立ったことを陪臣が拒絶は不可能だから。

294 :人間七七四年:2018/06/16(土) 22:22:27.75 ID:DatgHegk.net
>>293
三成は機転がきかないな

295 :人間七七四年:2018/06/16(土) 22:23:03.07 ID:uTm0w0cG.net
その理屈が通用するなら渡辺官兵衛の美談が成立しない

296 :人間七七四年:2018/06/16(土) 22:25:32.63 ID:qJ4jD+PM.net
>>293
家康からそんな話もきてないのに?位置関係上どう考えても先に関東から使者が来るし、
そういうのは普通関東から人が派遣されるもんだけど。
大体総大将が家康なんだからそういう判断は家康がする事であって、
後方が勝手にそんな判断する事は越権行為としかいいようがないんだが。

297 :人間七七四年:2018/06/16(土) 22:48:13.84 ID:bTkCS/EP.net
あぁ、いいこと思いついたわ、予め断っとくと、わたしは清洲早期攻略はリスクが大きいと見るので
反対の立場だが、
>>167を参照していただきたい。日時が早くないとだめだが、
上杉征伐に参加のフリすれば熱田まで疑われずに行ける。
これをヒントに作戦立ててみては?

298 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:00:08.68 ID:0Ng9b7tG.net
>>293
簡単に考えすぎでは?
公儀の命令は断れないけど引き延ばすのはいくらでもできるぞ。
陪臣にとって主君の主君は赤の他人だ。確かに建前に近いし、「忖度」の対象ではあるけどね。
それに、福島正則が豊家から預かったものを家臣の判断で勝手に引き渡すのは謀反の類になる。
なので「主君福島左衛門大夫の御命令なしに引き渡すことはできません」で本人が返ってくるまでは引き延ばせる。

なし崩しに兵を入城させればいいといっても、ごく少数の使者に護衛程度なら問題ないけど、軍勢レベルになったら拒否されても文句は言えない。
領国に無理に軍勢を近づけると警戒されてそのまま籠城戦になる。城の近くに軍勢を置いたらそれだけでも宣戦布告だよ。

公儀の人に無暗な抵抗?預け先に事前連絡や同意もなく兵糧を回収するのって、福島家の面目をつぶしていませんか?
戦場で死ぬかもしれない任務を命じることは許されるけど、武士の面目をつぶす権利は主君でもないぞ。

299 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:08:16.62 ID:DatgHegk.net
>>298
実際に正則の家臣が
「主君福島左衛門大夫の御命令なしに城を引き渡すことはできません」と言ったんだよな
その事を帰城した正則が激賞した。

300 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:10:27.49 ID:DatgHegk.net
でも正則の家臣の圧倒的多数は「秀頼様のために城を引き渡すべきじゃね?」って意見だったらしいし
そんな議論をしてる間に多くの兵を連れて城を奪い取るべきだった。
というか最初から万余の兵を清州に連れて交渉したら一瞬で城は明け渡されてた。
戦にすらならない。

301 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:21:55.32 ID:3ZqHm+hj.net
>>298
大老毛利輝元は当時の豊臣政権二番目の権威でしょ。
家康率いる現地の兵の進退の話ならともかく、
留守を任された毛利輝元の後方支援活動を「ちょっと一週間ばかり待ってください正則に聞きますから」
とかは、特にまだ何も起きてない時点で拒みようがないでしょ。
日の本で家康の次に恐ろしい存在なんだぜ?

302 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:23:56.57 ID:rEtoQUfe.net
普通待たせるだろ

303 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:28:36.29 ID:DatgHegk.net
いや、三成は手ぶらで入手できた岐阜城に満足して
同じ手を清州城にも用いようとしたんだと思う。
そりゃ万余の兵で信秀を脅迫したら逆効果で織田信秀は東軍になったかもしれん。
でも清州城へは圧倒的武力で留守兵を脅迫すべきだったね。
普通に城は奪えた。争いすら起こりようがない。

304 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:30:45.93 ID:rEtoQUfe.net
無理くせぇな

305 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:32:04.74 ID:qJ4jD+PM.net
>>302
で、その一番恐ろしい家康からの命令が関東から一切きてないんですけど。
さっきも書いたけど、そういう話があるのなら確実に家康や福島の使者が関東から
くるはずだし、輸送も関東側からやるでしょう、普通。

306 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:37:47.18 ID:RnDVm/xn.net
>>299
西軍が開城を求めてきたのを拒絶したのと豊臣家が預けている米の受け取りに来ただけの豊臣家の大老毛利輝元の使いを拒絶って全く意味が違うでしょ。
福島家の家臣程度が末広がりに妄想して何でもかんでも拒絶出来るもんじゃないって。

307 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:41:08.00 ID:DatgHegk.net
とりあえず軍事力を背景にして言わなきゃ相手が言う事を聞かないのは常識だよな
安倍がトランプの言う事なら何でも聞いて日本人の生命と財産をバンバン捨ててるのは
トランプが凄まじい軍事力を持ってるからだ。
単なるビジネスマントランプ相手だったら安倍ですらナメプする。

308 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:46:40.70 ID:6Wo8JWdh.net
>>305
輝元が思いついた話なんだから東からは何も来ないでしょ。
家康は筆頭なだけで、箸の上げ下ろしまでいちいち江戸から輝元に指図するような間柄じゃないぞ。
福島家の米を差し出せという話ならさておき、預け米の受け取りの場面で男の意地や面目的な情操を常時起動させてたら流石に馬鹿過ぎ。

309 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:47:03.50 ID:qJ4jD+PM.net
>>306
一応聞くけど、「豊臣政権筆頭大老である内府殿からの書状で指示されたら許可します」
って言われたらどういう対応する?

310 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:51:59.28 ID:qJ4jD+PM.net
>>308
つまり上杉征伐総大将の家康の許可も取らずに勝手に自己判断でやってると?
うん、絶対拒否するね。総大将を無視して何勝手な事してんだって話だ。
報告・連絡・相談なんてのはいつの時代も基本中の基本だよ。

311 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:58:33.45 ID:M2YpVHTy.net
>>310
輝元って留守総大将だろ。
上方の変事への即応を任されている立場で、何か作戦の必要が生じたんだなあと察するのが普通。

312 :人間七七四年:2018/06/16(土) 23:59:27.33 ID:3ZqHm+hj.net
>>310
係長と平社員じゃないんだから。

313 :人間七七四年:2018/06/17(日) 00:02:56.77 ID:8jILmCSo.net
三成のもう一つの誤算は三成が思ってたより正則は遥かに馬鹿だった事だよね。
家康が勝ったら豊臣家を潰す事が本当に分からなかったんだろうか?
蜂須賀とか黒田長政はハッキリ分かってたはずだぞ。

314 :人間七七四年:2018/06/17(日) 00:11:14.92 ID:1FaAu1uW.net
>>310
えっ?
社長の留守を任されたテル副社長がこの機会に倉庫を整理しておこうと庫内の棚を移動しろと命じた時に、
現場の作業員が「ちょっと待てよ、ヤス社長はこのこと知ってるのか?社長が来るまで俺はテコでも動かねーぞ」って凄んだら作業員はクビだろ。
副社長に何も権限が無いような言い様はおかしい。米移動の権限ぐらいはあろうよ。出兵を命じた訳でも無いんだし。

315 :人間七七四年:2018/06/17(日) 00:55:51.62 ID:UIL+dyWr.net
>>308
豊臣家から正式な指示が出てないなら普通に無理
輝元に命令される言われもない

316 :人間七七四年:2018/06/17(日) 01:10:46.88 ID:9dOFdHY3.net
相手にしても無駄。ただのオウム

317 :人間七七四年:2018/06/17(日) 01:12:05.68 ID:8jILmCSo.net
江戸時代も「福島の城渡し」という有名な事件が起きたらしいね
正則は秀忠から改易を言い渡され広島城へ接収の使者が向かったが
福島治重や可児才蔵を始めとした家臣達が「主君の自筆の書状を見ない限り城は明け渡さない」と
幕府を相手に一戦も辞さない態度を示したと。

318 :人間七七四年:2018/06/17(日) 01:15:13.72 ID:LiH9Zz1d.net
>>313
将棋何かで良く有るけど、初心者には良い手に見えるけど上級者には相手がこの手を使えば
終わるってのが有るよね。
浅野や黒田は解って東軍付いてるよね、ここ儘行けば最終的に大阪囲んで秀頼公に切腹させる
結果に成るかも?って。
それでも、浅野家や黒田家の安泰の方が優先って。
福島って、第三者から見れば見事な裏切りかましてから、「パンダ、ココア?」ってほざいてる
馬鹿に見える。

319 :人間七七四年:2018/06/17(日) 01:30:40.19 ID:UIL+dyWr.net
そのバカな福島が関ヶ原では大活躍してるのがなんとも皮肉な話

320 :人間七七四年:2018/06/17(日) 01:35:37.83 ID:8jILmCSo.net
その馬鹿の福島に尾張という最重要国を与えた猿が一番馬鹿だったわけだが

321 :人間七七四年:2018/06/17(日) 01:44:48.79 ID:dgiQBrF+.net
>>288
その威光がボロボロだったから謙信に上杉家が譲られたわけで

322 :人間七七四年:2018/06/17(日) 01:47:04.77 ID:p3ch8gs1.net
>>321
アホか。永享の乱とか享徳の乱とか知らんのか。つかおまえ歴史をまともに勉強したこともないな

323 :人間七七四年:2018/06/17(日) 02:29:32.43 ID:7Mlu6lx0.net
まぁ、若干スレチにはなるけど
すでに家康主導の下豊臣家が成り立ってるんだから家康が勝てば元に戻ると考えるわな

あとまぁ最近の説じゃ普通に豊臣家を徳川庇護の下生かそうとしてたのに自爆&自爆で家もろとも滅んだのが秀頼だからなぁ

324 :人間七七四年:2018/06/17(日) 05:40:04.14 ID:7gzvabGJ.net
>>322
だから謙信が就いたころの上杉なんてくそだって話だろ
おまえこそATAMA悪すぎ

325 :人間七七四年:2018/06/17(日) 08:44:15.13 ID:DfqYWSd8.net
>>305
家康をはじめとする上杉征伐軍を喜ばせるサプライズ的な何かって話にすればいいさ。
これなら福島正則に〜はバカヤロー、サプライズになんねーだろで済む。
この時代の人はノリが大事だし、輝元はこういう話なら実に上手いからな。
大老の威光も相まって通らないはずがない。清洲は無傷で落ちる。

326 :人間七七四年:2018/06/17(日) 08:51:55.59 ID:dqRwVetl.net
落としたはいいが激高しないですかね
人質確保で従わせようと思ったら強烈な反感持たれたように
さすがに人の感情無視しすぎでは

327 :人間七七四年:2018/06/17(日) 09:09:04.93 ID:UIL+dyWr.net
>>325
福島本人はアホだが家臣は実直だから無理だ

328 :人間七七四年:2018/06/17(日) 09:46:19.04 ID:mgtjwlTV.net
>>314
副社長が本社を武装占拠して前社長の息子を人質に取っていれば
拒否していいに決まっているだろ
むしろ拒否どころか犯罪者副社長一味を逮捕するのが人として当然の行動だろ

329 :人間七七四年:2018/06/17(日) 10:04:03.24 ID:mgtjwlTV.net
>>325
武装蜂起してクーデターを決行したことがとっくに明らかになっている状態でサプライズとか馬鹿でしょ
伏見城の徳川家臣を殺害したのもガラシャを自害に追い込んだのもサプライズとか言い張るのかよ
福島家臣でなくても犯罪者輝元一味に罰を与えるのが正当だと分かる
馬鹿は馬鹿な案しか思いつかないのはしょうがないけど、輝元一味が犯罪者であることをまず認識しないと

330 :人間七七四年:2018/06/17(日) 10:13:50.62 ID:dkjLJ3zd.net
家康が留守の大坂城を預かっているのって輝元だっけ?
奉行の増田だと思っていたけど。彼も西軍だから名前を変えればいいけど。

>>308
>男の意地や面目的な情操を常時起動
「俺の家臣が宿屋の主人に宿泊拒否され面目をつぶされた!京都にいる奈良人を皆殺しだ!」とかやってた室町時代に比べたら多少忍耐強くなった印象はあるけど、
まだまだ「意地」とか「面目」みたいなのを常時起動してるのばっかです。佐久間嘉右衛門と伊那図書(昭綱)の切腹とかその典型としか。

>>314
その例示は違いますね。というか肝心の清須城占領が抜け落ちていませんか?

豊臣グループの資材を子会社の福島倉庫(株)が預かっている。
豊臣グループの平取締役の一人から、急に資材を返せ、ついでに清洲倉庫を明け渡せと言われる。
しかし、資材の管理権を有する福島倉庫の福島社長は不在だし、すぐに連絡は取れない。

しかもその取締役に資材を回収する権限があるのかも不明。徳川豊臣G専務と福島社長は一緒になんかやってる。
豊臣Gの社長は植物状態で入院していて、取締役同士の抗争が酷いそうだ。

だったら、社長に連絡を取るまで待ってくれと言いません?
もっというと主君の許可なく豊家からの預かり物を動かしたら越権行為で謀反になりかねませんよ。事前に授権や委任をされていたなら話は別ですけど。

331 :人間七七四年:2018/06/17(日) 11:27:36.69 ID:n/eq7kvD.net
>>277
エポックの関ヶ原

箱を小脇に抱えれば携帯もできる

332 :人間七七四年:2018/06/17(日) 11:50:42.31 ID:f4fTvKxk.net
福島のことをアホとかいう人がいるけど、
そもそも豊臣家臣の三成や奉行衆が豊臣家に無断で国を二分する内戦起こして、
女と幼児しかいない豊臣家では対処出来ない軍事政権として致命的な事態になったんだぞ。
まあ三成がアホだったのを認めたくない人が殊更に福島のことを言ってる気がする。
それに豊臣家も織田秀信みたいに現実を受け入れれば生き残るのそんなに難しくなかったろ。

333 :人間七七四年:2018/06/17(日) 12:27:46.54 ID:mgtjwlTV.net
そもそも三成ら奉行連中は十数年間も誰より政権中枢部で働いてきたわけで
その十数年間を使って、家康を筆頭大老として招聘する必要がないほど豊臣を立派にすればよかっただけ
逆に言えば、三成ら奉行連中が豊臣を守るための仕事をまったくしていないから家康が招聘された

福島でなくても奉行連中をリストラして家康主導を認めるのは当然だよ
それなのに奉行連中は自分の失政を認めるどころか武装蜂起して暴れだしたのだから
福島が三成たちの謀反を鎮圧しに向かうのは職務として正しい
西軍が勝つ方法を探したいなら、三成たちが悪いことをまず認識しないと何も始まらないよ

334 :人間七七四年:2018/06/17(日) 13:31:29.71 ID:yc2hPB41.net
関ケ原現地で首実検された大物ってだれがいる?
石田、安国寺、小西は京で処刑、宇喜多は薩摩まで逃亡、大谷は家臣が埋めた

335 :人間七七四年:2018/06/17(日) 13:32:56.53 ID:i9mNumih.net
蒲生とか

336 :人間七七四年:2018/06/17(日) 13:40:44.72 ID:i9mNumih.net
>>332
関ヶ原関係なく福島正則はアホでしょ
粗野な部分は大目にみても
自分の嫡男に跡を継がせる為に徳川の養女と縁組していた養子を餓死させるとか正気の沙汰じゃないな

337 :人間七七四年:2018/06/17(日) 14:39:39.45 ID:7Mlu6lx0.net
>>336
関ケ原後の正則のなんか抜けてるっぷりと西軍挙兵時の果断な正則はほんと別人レベル
なんやろ、関ケ原勝利の立役者になって調子乗ってたんかな

338 :人間七七四年:2018/06/17(日) 20:23:17.93 ID:1GBq17Jk.net
清洲を早期に占拠もしくは攻略すると主張してるひとたちは、清洲を取ってどうしたいのかが
よくわからない。

西軍が早期に清洲を占拠した場合の想定される東軍の行動は、
・那古野台地(那古野城跡辺り)に陣城を築いて清洲に対峙する。
(ただし清洲まで6kmほど距離があるが、他に対清洲の適所は庄内川南東岸くらいしかない)
・小牧山を占拠し拠点化。
・犬山への調略工作を行う(成否は別)。
・家康の到着を待つ。

こんなかんじじゃないだろうか?
一旦岡崎まで後退して家康を待つ、という可能性もあると思うが(おそらくこれが西軍の想定に近い)
福島はいるし兵も35000もいるなら那古野まで進出すると個人的には見ている。

その東軍の想定企図を潰すには、
・1、先に小牧山を占拠、拠点化する、
・2、熱田、鳴海、笠寺辺りを占拠し陣地構築し東海道封鎖、

ただしいずれも弱点があり、1は兵力分散を招く、
2は現名古屋市緑区辺りの丘陵地帯からの進出(迂回)を止めるのは不可能、
かつ鳴海、笠寺あたりは迂回されると退路を断たれる。


西軍が早期に清洲占拠しても当面は双方動きが取れず膠着化すると思う。
(西軍は兵力不足、東軍は有効な攻撃対象がない、ただしどちらかが小牧山を占拠した場合
その関連での野戦が発生する可能性はあると思う)
家康が到着すると動きが出ると思う。
秀忠も到着すると東軍優勢は明確になる。西軍は美濃、尾張と守る箇所が多く兵力分散
傾向が出る。

これなら岐阜城後詰決戦案のほうが東軍先発隊を撃滅できるチャンスがある点と、
美濃で兵力の集中運用ができる分勝利確率は高いと思う。

339 :人間七七四年:2018/06/17(日) 20:34:27.89 ID:9dOFdHY3.net
清洲占領できんから無意味

340 :人間七七四年:2018/06/17(日) 21:27:09.81 ID:IuCBtEAw.net
ふーむ、清洲が西軍の手に落ちた辺りからの話を繰り広げた方が面白そうやな。

341 :人間七七四年:2018/06/17(日) 21:28:59.20 ID:8DIW9XeO.net
清洲が西軍の手に落ちたら
福島家中が発狂して大変だろう

342 :人間七七四年:2018/06/17(日) 21:29:45.20 ID:HUzDRmUQ.net
おっ、清須が落ちれば伝統の小豆坂合戦再びかっ!?

343 :人間七七四年:2018/06/17(日) 22:00:39.94 ID:7ZQOjnUT.net
清洲が落ちたらは戦術論ではなく東軍の士気低下や政治的な効果が主眼だろう

344 :人間七七四年:2018/06/17(日) 22:05:28.51 ID:ENs01cGO.net
>>336
秀吉が秀次一派にした仕打ちよりはるかにマシじゃないの、それ?
別に大したことじゃないと思うけど。

345 :人間七七四年:2018/06/17(日) 23:25:31.10 ID:7Mlu6lx0.net
>>344
秀次一派を族滅してでも秀頼を後継にするというのはまぁよくある御家騒動でしょ
対して正則の場合、すでに自分の進退を握ってる相手である徳川家との縁戚を手ひどく反故にしたわけで、なんでそんなことしたのレベルじゃないかな
発狂してたってのがほんとなら話も変わるかもだけど

とはいえその後も城修繕で問題起こしまくってるから、ほんと正則耄碌してたか福島家中が暴走状態だったんじゃないかなー感

346 :人間七七四年:2018/06/17(日) 23:47:18.73 ID:7vNREQnC.net
JCOMで関ヶ原の特集やってるな

347 :人間七七四年:2018/06/18(月) 00:06:14.90 ID:Cr4UKMtG.net
そもそも徳川本体が到着する前に東の圧勝なんだから
最初から西軍に勝ち目がなかった
つまり西は長期戦じゃ勝負にならないから関ヶ原を戦場にして東の戦力が整う前に叩こうとした

348 :人間七七四年:2018/06/18(月) 00:40:15.05 ID:YZi1kWT/.net
>>344
福島正之は秀次と似たような関係やなぁ正則の姉の子供らしいが
関ヶ原前に婚姻させて1608年に餓死
まさか餓死させた後8年も家康が生きるとは思ってなかったかも知れんけど
しかも満天姫は子供居たんだぞ、浅はか過ぎるわ
因みに1605年には秀忠は将軍に就任してる

っで正則が川中島に転封されるが、最初は津軽が予定されていた
なんの因果か津軽信枚の正室が満天姫や

まぁ結局のところこの福島正之と満天姫の子供も短慮で福島家再興を夢見て暴走し満天姫に毒殺されるんやが

349 :人間七七四年:2018/06/18(月) 02:30:35.52 ID:Iuoq8kOO.net
>>299
しかしさあ、そのセリフを秀頼公の許可なく清須城を家康に献上した男が言うんだから
恥知らずは強い。

350 :人間七七四年:2018/06/18(月) 03:18:07.65 ID:Faz+QtQ1.net
秀頼公関ケ原の時7歳なのにどう許可取れと
年少だから家康が政務やってたのに

351 :人間七七四年:2018/06/18(月) 04:44:10.33 ID:dOvB57et.net
献上と言うより、進軍するのに城を開けておきますから使ってくれっていう建前がまずあるよな
あげたわけじゃないっていう。

352 :人間七七四年:2018/06/18(月) 05:02:33.31 ID:LJ8/JdIQ.net
>>350
家康は政務なんてやってないぞ?
豊臣家の金で鷹狩りやってるだけで。

353 :人間七七四年:2018/06/18(月) 05:29:48.54 ID:S2w/cMSJ.net
>>352
お前は何を言っているんだ。
秀吉死後の豊臣政権なんかトラブルが発生しまくってて、大変だぞ。
息抜きしてないとまではいわんが、何もしてないはさすがにありえん。
政務とらずに遊んで過ごせるんだったら、家康だって年なんだからそうしたかったろうよ。
もう隠居したっていい位なのに、秀吉が遺言で政務やれって言うから仕方なくやってたんだが。
実際家康幕府開いたら2年で隠居したしな。

354 :人間七七四年:2018/06/18(月) 05:39:53.25 ID:LJ8/JdIQ.net
>>353
どんだけお人良しなんだ?殆どの問題は家康絡みだろうが

355 :人間七七四年:2018/06/18(月) 07:23:38.78 ID:SMYwoJHR.net
>>354
武断派に三成が殺されそうになってたり奉行らが事を荒げてたり
宇喜多が勝手にゴタゴタしてたり豊臣の屋体骨がガタガタだったのは
家康なんも関係ないかと

356 :人間七七四年:2018/06/18(月) 07:57:58.63 ID:tQ7IsK/9.net
脳内で持論が完成しちゃってて
家康の悪口を言いたいだけなんだろ

357 :人間七七四年:2018/06/18(月) 09:12:30.68 ID:Faz+QtQ1.net
パート15にも渡るこのスレでいまだに秀吉没後の家康の忙しさ分かってないとか、もはや僕は文字一ミクロンも読めませんって自己紹介ですやん

358 :人間七七四年:2018/06/18(月) 09:56:44.03 ID:cRUr5VOE.net
パートワンからのヤツはおらへんやろ

359 :人間七七四年:2018/06/18(月) 20:42:11.56 ID:/KLorNgO.net
西軍、というか石田の美濃・尾張方面の展望としては、
7月30日付真田昌幸宛石田三成書状からは、
美濃、尾張(福島が味方する前提かな?)で人留めを実施して
上杉征伐から帰ってくる者一人一人をねちねちと問い詰めるつもりでいた。

しかし戦況は刻一刻と変化していき、
8月5日付真田昌幸・信之・信繁宛石田三成書状では、
福島説得中、だめなら伊勢方面隊といっしょに清洲を攻撃するつもり、となる。
上杉征伐から帰ってきた連中(東軍先発隊)が尾張、三河辺りまで来ていると認識はしている。

8月6日付真田昌幸宛石田三成書状では
上杉征伐から帰って連中はほぼ東軍という認識になっていると読み取れる。
同時に加賀野井重望という者が三河池鯉鮒で口論になって水野忠重を刺殺したらしい、
同場に居た堀尾吉晴も負傷
と報じ(発生日時は7月19日か?)し、
中村一氏も病死した(7月17日死去か?)と報じている。

池鯉鮒事件と中村一氏病死については、8月10日付佐竹義宣宛石田三成書状でも報じられている。


これらのことから、西軍は諜報活動を怠っていたと思っていたが、
人数は少なかったかもしれないが、浜松、三河、尾張辺りに物見は出していたと思われる。
で、8月6日に浜松、三河方面からの物見が帰ってきて、早速書状に認めたのではないかなと。

ちなみに家康も池鯉鮒事件については
7月25日付上田清兵衛・鈴木次兵衛・鈴木久兵衛(水野忠重家臣)宛徳川家康書状で
水野勝成を後継とするよう伝えている。

次に東軍先発隊については、一団丸ごと清洲に向かったのではなく、
先発隊と後続隊があった模様で、少なくとも池田輝政、藤堂高虎、井伊、本多は後続。
8月5日付福島正則宛徳川家康書状では、
池田輝政、藤堂高虎、井伊直政を送ったのでよく相談し云々。

あとは参考として8月11日付田中吉次(非吉政)宛加藤嘉明書状に
今日池鯉鮒まで来た、城下を通してほしい、とある。

360 :人間七七四年:2018/06/18(月) 21:10:09.37 ID:/KLorNgO.net
で、>>359に個人的解説を付け加えると、「一人一人問い詰める」とか三成の
嫌らしい性格がよく出ていると思う。そんなだから嫌われるってわからないのかな?
しかもわざわざ書状に書くとか。

で、東軍先発隊清洲集結については、清洲以西の者が留まるのはわからんでもないが、
清洲以東、浅野、中村、山内あたりが来だしたあたりで、「なんかおかしい」と疑念を持ち、
8月6日、物見帰還で、井伊、本多東海道行軍中の報告で確信に至ったのではないかと思う。

361 :人間七七四年:2018/06/18(月) 21:23:57.16 ID:/KLorNgO.net
>>358
わたしもPart6か7あたりからだからねぇ、それ以前がどんなかんじだったのかよくわからん。

362 :人間七七四年:2018/06/18(月) 21:26:04.33 ID:NGQvJs9k.net
>>358
私はPart3辺りからですね。さすがに最初のスレにはいなかったなあ。

363 :人間七七四年:2018/06/18(月) 21:29:04.48 ID:b+/wP4uI.net
>>360
我らが上
我らが正義という気持ちが強かったのかな
書状を時系列に並べてどのように認識していてどう変化したのかを見れば
どこでやり直しすればよかったか分かりやすいと思う

364 :人間七七四年:2018/06/18(月) 21:41:22.34 ID:aGMy1ziU.net
東軍大名だって秀次事件や朝鮮出兵で学習しているからな
奉行が糾弾騒動を起こしたら低姿勢をとったり糾弾を受け入れてはいけない
奉行を殺すつもりで反発しないと自分の身が危ない

三成たちは秀吉時代の感覚が抜けず、昔と同じノリで糾弾すれば
会津に向かった大名が自分たちに頭を下げに戻ってくると考えていたけど
こういう時代錯誤な発想が西軍の敗因と言ってもいいくらいだろう

365 :人間七七四年:2018/06/18(月) 21:54:11.19 ID:6cNcisZh.net
>>363
スタートで豊臣御為を掲げたようなもんだからなあ。
まあ家康に対抗するには豊臣の権威に縋るしかないし、これ自体は割とうまい手だったんだが。
多分一番書状(内府違いの条々)にダメージ受けたの家康だと思うし。
問題は諸大名(上杉征伐に参加した連中の大半)にほとんど書状の効果が出てないんだよね。

366 :人間七七四年:2018/06/18(月) 22:01:40.06 ID:Cd19vIht.net
豊臣家の同意を得ての挙兵ならもう少しいい展開になっていただろうけどねえ
後からでも同意は得られる(あるいは必要ない)と思っていたならそれこそ主家軽視の暴挙になってしまう

367 :人間七七四年:2018/06/18(月) 22:17:35.46 ID:/KLorNgO.net
>>363
8月6日に石田は西上する軍勢は東軍と認識していたと仮定するなら、
西軍の尾張進攻作戦は8月6日からなら問題ないと思う。

368 :人間七七四年:2018/06/18(月) 22:26:24.28 ID:stWCMYZ7.net
しばしば豊臣家の同意とか意思とかいう方がいらっしゃるけど、具体的に誰の意思が豊臣家の意思になるんですか?
家康?秀忠?利長?淀殿?北政所?はたまた当時小学校1年生相当の秀頼?あるいは木下一族や浅野親子?

369 :人間七七四年:2018/06/18(月) 22:26:59.05 ID:HMwuHlh7.net
>>367
その日からは無理。>>2を見る限り、石田と小西が大垣に入ったのが10日だから。
指揮官役が多分いないので行動が出来ん。
で、14日には東軍部隊が清州に入ってるんで事実上最速でも4日しか時間がない。
ほぼタイムオーバーだな。
おまけに小早川が17日には独自行動を開始するんでそっちを無視する事が出来ん。

370 :人間七七四年:2018/06/18(月) 22:45:16.37 ID:/KLorNgO.net
>>369
秀信と犬山城衆がいるよ?あと尾張侵攻作戦発動に伴い大垣城詰めを小西か
石田のみにするという手もある。

言っとくけどわたしは清洲攻略には否定的なのであまり突っ込まないでね。
手段はあるよ、というだけだから。それが成功するかは別で。

371 :人間七七四年:2018/06/18(月) 22:52:55.04 ID:Cd19vIht.net
>>368
本来であれば秀頼だけど幼児なので淀殿、北政所、あるいは家康が秀頼の承認を得る形を目指す
一番いいのはその人たちの連署だね
そこまでいけば豊臣家の意思と強弁することもできる

372 :人間七七四年:2018/06/18(月) 23:40:07.83 ID:/KLorNgO.net
それと個人的に思うことは宇喜多秀家の大坂出陣が遅いんだよね。
先発隊明石掃部を北伊勢に送ってはいるが、自身が大坂出陣し京の醍醐を
通ったのが8月15日。
草津到着が8月16〜17日くらいかな?
たしかに伏見攻略後2週間近く大坂でなにしてた、ってかんじ。
何で読んだか忘れたけど、大坂でぼけっとしてるので奉行衆に促されて秀家も出陣したとか?
浪人の徴募、訓練してたとかいう説も聞いたような気がするが、
せめて8月10日に草津にいてくれれば木曽川渡河迎撃も十分間に合う。
石田も8月6日に尾張方面の危険な兆候を掴んだのなら宇喜多秀家にすぐさま
出陣を促すべきだったと思う。草津で待機でいいから。

373 :人間七七四年:2018/06/19(火) 00:06:39.37 ID:Tr9XkNNw.net
>>372
いきなり草津か。
まあ秀忠の背後を襲うのも有りか。中山道は西軍が多いし真田と挟み撃ちして撃破も良し。
上州沼田から武蔵を睨めば家康は江戸に釘付けだな。

374 :人間七七四年:2018/06/19(火) 00:08:18.87 ID:kIQIZBzq.net
近江草津な

375 :人間七七四年:2018/06/19(火) 00:19:32.53 ID:Tr9XkNNw.net
>>374
でもさあ、中山道には敵はいないし、上田で攻防を繰り広げている秀忠を討ち取れば、
岐阜城なんかよりよほど心理効果はデカいんじゃないか?
先に動いて大打撃を与えてこそ西軍に活路は開ける。
美濃主攻ってのはこういう事だろう。

376 :人間七七四年:2018/06/19(火) 00:26:55.55 ID:gWu2Sb69.net
>>375
中山道進軍するにはまず美濃の東濃を制圧しなければならない。

377 :人間七七四年:2018/06/19(火) 00:27:40.13 ID:udle3Haq.net
岐阜と桑名に兵を籠めて堅持する間に宇喜多隊が暴れ回る訳か。
秀忠撃破後に真田昌幸を軍師に関東を窺えば上杉は関東乱入も可能だな。
伊達の石高は上杉の半分だから、直江兼続を残しておけば抑えられる。

378 :人間七七四年:2018/06/19(火) 00:40:15.09 ID:34nVJTKm.net
>>376
うむ。苗木城までも西軍だからな。
東美濃を抑えた西軍の電撃戦で秀忠の首は討ち取られた。
慌てた仙石秀久の返り忠で碓氷の天険は封鎖され東軍の通過は不可能になった。

379 :人間七七四年:2018/06/19(火) 00:40:40.57 ID:yNbePYZn.net
>>372
浪人の募集と訓練をしていたというのが本当なら、そっちを手抜くのは問題になるね。
宇喜多騒動で結構な数の上級武士が出奔して、そこから1年くらいなので軍の再建が不十分だった可能性もある。

あるいは輝元と秀家が権力闘争していた可能性もあるのかな。この仮説を裏付ける資料は多分ないけど。
朝廷工作をしていたのかもしれないし、周辺の寺社やなんかへの工作かもしれない。

380 :人間七七四年:2018/06/19(火) 02:34:38.96 ID:ABCMkZaW.net
>>355
池田輝政・福島正則・加藤清正・黒田長政
この四人は家康の娘婿だぞ。実の娘は池田輝政だけだがな。
これで家康関係ないとか草生えるだろ。

宇喜田の騒動は大谷と榊原で収拾が付きそうだったのを
家康が榊原に仲裁を辞めさせたために悪化した。

どっちも見事に関わってるだろ。

381 :人間七七四年:2018/06/19(火) 06:46:55.27 ID:6PEKWOM5.net
>>380
家康が政務を担当してるんだから事態の収拾に家康が関わるのは当たり前だろ。
事態放置する方がむしろ問題だ。大体両事件の家康の宇喜多や石田に関する処分はかなり軽いぞ。
宇喜多は家臣数名の追放処分にすぎないし(蒲生騒動と比較してみよう)
石田の処分については清正とかは軽すぎるとか怒ってて、家康を排除しようとか言ってるんだが。

382 :人間七七四年:2018/06/19(火) 06:56:19.08 ID:lPCLQlaL.net
>>381
年寄爲五人、御算用聞候共、相究候て、内府、大納言殿へ懸御目、請取を
 取候而、秀ョ樣被成御成人、御算用かた御尋之時、右御兩人之請取を
 懸 御目候へと、被成 御意候事、


家康に政務を見ろなんて書いてない。
三成達五奉行(五大老)が政務を行い、最後に利家と家康に
確認して貰え。という程の意味。

そもそも五大老(年寄)とは俗に言う五奉行の事であって
利家・家康・宇喜田・上杉・毛利が五奉行であるというのが最近の定説。

383 :人間七七四年:2018/06/19(火) 07:38:32.41 ID:fyC6ZgIJ.net
>>382
そういう説もあるというだけで定説ではない。勝手に定説にするな。

384 :人間七七四年:2018/06/19(火) 08:01:08.88 ID:i0FL4KjH.net
>>382
財政の決済は家康・利家とも読めるのだが
これは本来は主君の役割

385 :人間七七四年:2018/06/19(火) 08:04:35.79 ID:S/wG+CEC.net
淀が決裁権を行使すればよかったのに
淀は実質的には豊臣政権のトップでしょ?

386 :人間七七四年:2018/06/19(火) 08:09:42.32 ID:Wp2nkCuu.net
秀吉は新しい役目を作ってそれに家康を専念させるとか考えなかったのかね
検非違使や征夷大将軍的なもので蝦夷地・樺太・シベリア探検と開発を家康の役目とするとか。

387 :人間七七四年:2018/06/19(火) 08:32:27.11 ID:i0FL4KjH.net
秀吉生前から豊臣政権にとって家康は欠くべき存在なのに

388 :人間七七四年:2018/06/19(火) 08:33:03.38 ID:udle3Haq.net
>>381
>事態の収拾に家康が関わるのは当たり前なのに、
>大谷と榊原で収拾が付きそうだったのを
>家康が榊原に仲裁を辞めさせたために悪化した。
見事に事態を放置していて大問題じゃん。

389 :人間七七四年:2018/06/19(火) 08:37:02.14 ID:iWQNRtXT.net
俗に言う五大老、家康利家他は秀吉遺言において「五人の衆」と呼ばれている。
俗に言う浅野や三成などの五奉行は「五人の者」と呼ばれている。
五人の者(つまり奉行)が出した文書では五人の者のことを年寄と呼び、五人の衆のことを奉行と呼んでいる。
しかしながら五人の者以外の、公家や大名などの書簡や手紙などでは家康他五人の衆を年寄と呼び、三成他の五人の者を奉行と呼んでいる。
>>382が出しているのは浅野長政子孫の広島浅野藩に残っていたものでは?

それに政務というのが年貢の徴収や大坂城の管理みたいな日常的雑務の類ではないのか?
武家政権において大切なのは、大名間の紛争調停と領地宛行や家督継承の承認、寺社や公家の荘園保護、これらを強制執行するための武力制裁の発動になる。これを奉行だけで行えたのか?

なお、大老呼びは東照大権現がただの家老では不都合だったのか、不敬とみなされるのを恐れたのか、大老制度成立以降の江戸時代になってから呼ばれるようになった。

晩年の秀吉は「その人が聞きたい秀吉遺言」を乱発していた可能性もあると思う。
自分はちゃんと確認していないけど、景勝を除く四大老五奉行で「これ以上秀吉が領地についてうわごとを言っても無視しようぜ!」とかいう誓紙があるそうだし。

390 :人間七七四年:2018/06/19(火) 08:45:09.15 ID:iWQNRtXT.net
>>386
松前氏の既得権はどうするのかというのは無視して。

合戦における出撃順にもマナーがあって、基本的には領地が近い順に出撃する。
蝦夷やシベリアへの出兵になるなら一番最初に出撃する権利を得るのが津軽や南部、次に秋田や伊達最上など、その後に上杉や蒲生、佐竹などがきて、ようやく徳川に出陣できる権利が発生する。
文禄の役におけるが比較的わかりやすいかな?概ね領地が朝鮮に近い順になってるから。

391 :人間七七四年:2018/06/19(火) 09:01:53.68 ID:Wp2nkCuu.net
>>390
お取り潰しに決まってんじゃん
蠣崎なんてwww

ちなみに幕末時、幕府は松前から領土を召し上げて蝦夷地を直轄地にしてるし。
でもあまり経営が上手くいかなくて結局は放棄して松前に返してあげた

392 :人間七七四年:2018/06/19(火) 12:09:41.43 ID:ikldi7m5.net
宇喜多騒動でいつ大谷と榊原だけで事態が収拾しそうなタイミングがあったの?

393 :人間七七四年:2018/06/19(火) 15:10:21.96 ID:KH0nOMSI.net
>>392
ソースは司馬遼太郎だったりしてw

394 :人間七七四年:2018/06/19(火) 18:21:49.40 ID:0G2dAjwE.net
>>388
事態を収拾しようとしたけど、立場上強引に解決出来なかったってだけだろ。
つーか何、家康に政権を専横して独裁でもしてほしいのか?
手をひくってのは要するに、宇喜多を改易したり減封したりする気はないって事だぞ。
まあ個人的な意見だけど家康はもっと独善的に政権運営すべきだったと思うけどね。

395 :人間七七四年:2018/06/19(火) 19:44:50.22 ID:fyC6ZgIJ.net
だれも出さないので敢えて出してみるが、北陸主攻だった場合、
前田は早期に降参して中立化もしくは西軍側に付くだろうか?

最悪のパターンは前田は西軍に味方するのを拒否、金沢に籠城し
西軍主力が北陸に釘づけにされるケース。

396 :人間七七四年:2018/06/19(火) 19:50:05.91 ID:kIQIZBzq.net
なぜ誰も出さないか考えてみよう

397 :人間七七四年:2018/06/19(火) 19:52:51.40 ID:fyC6ZgIJ.net
>>396
だから「敢えて」出してるんだよw
なんか面白い案とか解釈とかあるかなと思って。

398 :人間七七四年:2018/06/19(火) 20:29:53.10 ID:yNbePYZn.net
>>395
人質のまつ(芳春院)存在があるから結構抵抗するのでは?
東軍もガラシャや大坂にいる人質の件があるから殺すのは最後になると思うけど。
内心西軍だから大谷の謀略にわざと騙されて説まであったし。

前田とまじめに争うことになれば最低でも、3万人、宇喜多の全軍と越前組は必要になる。安全を期すならこれでも足りないとおもうけど。
越前美濃間は平成でも交通の便は悪いし、加賀に入ると飛騨の山地を超えることになる。
なので美濃で危機が起きると事実上近江経由になるので、敦賀愛発関に長浜あたりを経由し関ヶ原から美濃に入るルートになる。
すると(前田の存在を無視できたとしても)最良の想定でも1週間くらい持っていかれるだろうね。しかもこれは救援要請が来てから。
前田のことを含めると、半年から1年程度のスパンでないと事実上美濃救援は不可能になる。
というか下手したら大津城や田辺城の開城すら数週間から1ヶ月程遅れるかもしれない。

すると吉川や毛利秀元という輝元の権威が落ちて喜ぶ連中が完全に美濃と伊勢を掌握する。
ついでに他の東軍先鋒組の動向が変化するとも思えん。というか義兄弟同然の宇喜多と前田が争うという想定もおかしいけど。
あとはまあ、お察しください。

内容をまとめると、西軍必敗の案、こんな作戦を実際にやったやつがいるとしたら「東軍」最良の名将とか呼ばれかねない。

仮にあり得るとしたら、吉川、毛利秀元の軍を北陸送りにするくらい。それでも貴重な西軍を失うことになるし、伊勢の制圧すらできずに敗北する。
小早川は言うことを聞かないだろうし。

399 :人間七七四年:2018/06/19(火) 20:32:36.73 ID:fyC6ZgIJ.net
一応補足するなら、8月初頭の北陸方面隊に越前諸将、丹羽、これに毛利秀元・吉川が加われば
35000〜40000くらいにはなる。
あとは能登七尾の利政がどう行動するか読み切れない部分がある。
だいたい利長25000、利政6800ぐらいだろうか。

400 :人間七七四年:2018/06/19(火) 20:42:39.43 ID:fyC6ZgIJ.net
>>398
概ねわたしも同じような考え。
一応メリットとしては、「前田が早期に西軍方になった場合」
西軍前田が越後方面に進出できること、あるいは近江、美濃方面の戦力として使用できること。
越後の堀の対応次第では上田の真田救出も可能になったりとか、
夢は広がるが、それに賭けるにはあまりにもリスキーだなと。

401 :人間七七四年:2018/06/19(火) 20:48:14.95 ID:JzNfE67N.net
美濃主攻で信濃の秀忠の背後を襲うってのはいいね。
兵は神速でこそだ。
史実の東軍は拙速を恐れずに進んで勝利したからな。
徳川主力軍団の撃破で東軍の士気低下、瓦解は見えた。

402 :人間七七四年:2018/06/19(火) 20:53:12.57 ID:udle3Haq.net
イメージ的には家康がいる方が本隊だけど、軍団的には秀忠軍こそが徳川の主力部隊だものね。
真田宇喜多連合軍が徳川軍を壊滅させるの一報こそが東軍崩壊の決定打だ。

403 :人間七七四年:2018/06/19(火) 21:12:34.49 ID:mes15xUd.net
美濃と伊勢制圧されて西軍が帰れなくなるな。西軍が孤立して各個撃破されるのがオチか。
毛利が史実のように手打ちして東軍主力が大坂に入り、西軍に正式な追討令が出されて終了。
ま、宇喜多はほぼ瓦解するな。本領制圧されるだろうし。真田も信之が東軍だから
そういつまでも抵抗はするまい。……うん、あんまり面白くないな。

404 :人間七七四年:2018/06/19(火) 22:23:33.62 ID:zv6F321R.net
ふむう
秀忠隊が包囲殲滅されたところからならそうはなるまいよ
何しろ徳川の虎の子部隊が消滅だからな
東海道の武将は各々自分の城に篭って模様眺めだな

405 :人間七七四年:2018/06/19(火) 22:37:41.23 ID:yNbePYZn.net
秀忠の背後を攻撃するって、美濃主攻というよりは信濃主攻論と呼んだ方がいいような。まあ、これはどうでもいいことだけど。

東軍先鋒や家康隊と秀忠隊で挟み撃ちにされるんじゃ?
本国が制圧されたり、連絡を絶たれたからといっても、軍が直ちに崩壊するわけじゃないと思うけど、長期戦や持久戦ができなくなるよね。
兵站も大丈夫かな?あの距離だと盗賊匪賊レベルでの攻撃もきついし、略奪で現地調達をしても、あの頃の信濃に十万弱の軍勢を養えるのかちょっと疑問になってきた。

>>399
確かにそうなんだけど、あの頃の前田家って兄弟間での分離がそんなに進んでいたのかな?
単純に石高だけでなく、家臣それぞれの動向で兵力が動きそうでもあるけど。
なので、利政方の兵が多くなるかもしれないし、逆にほとんどの兵が利長方につくのもあり得そう。
印象論ですけどね。妙にスムーズに利政改易が進んだだなあという感情からの意見です。

>>400
越後の堀については、上杉の越後への野心もあるだろうし、領地関係をしっかりしないといけないから、スピーディーにいっても1ヶ月はかかりそう。
上杉に越後をあきらめさせるか、堀に別のいい領地を宛がわないと徹底抗戦されそう。

406 :人間七七四年:2018/06/19(火) 22:43:45.30 ID:xX2vSYlL.net
西軍がもっと果敢に動くって事だな、ワクワクするねえ。
桑名と清洲で西上を抑え堅持する内に秀忠の敗報が届く訳か。福島池田以外は徳川から離反だな。
そういえば、池田輝政って親父や兄弟や姉婿を家康に殺されたのに、復仇に燃えないで家康に犬忠義を発揮してるのは何なの?

407 :人間七七四年:2018/06/19(火) 22:53:52.63 ID:Ns79bTWf.net
前田家中の武闘派は挙って家康討つべしだからな。
家康を利する戦闘では士気が上がらず、10分の1しか兵力の無い丹羽長重に散々に打ち破られて金沢に逃げ帰る始末。
東軍としての積極的な軍事行動には以降誰も従わなかったからなあ。形ばかりの動きに終始した。

408 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:03:46.50 ID:mes15xUd.net
なんで秀忠が敗北する前提なんだ。つーか包囲殲滅って…。
いいな、西軍部隊と東軍部隊がぶつかって必ず西軍が勝てると考えられる奴は。
自分はそんな楽観にも程がある予測はとてもじゃないが立てられんよ。
なんで西軍勝たせる方法でとにかく前進って発想しかないんだろう。
後顧の憂いをなくすって発想はないのかな。後方の足固めに徹するべきだと思うんだが。

409 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:03:53.89 ID:vKnM6DQp.net
>>400
真田救出はやるべき。
近道の中山道を駆け抜けるのが一番速い。
俺、毛利秀元が好きなんだよなあ。この剛毅な将が秀吉忠撃破の大手柄を立てたなら、
金吾中納言位の別家を立てられる所領は確実かなあ。

410 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:15:00.68 ID:1XC4IjlL.net
>>408
秀忠は真田に負けてるんだなあ。
その際に敗走する秀忠を豪将毛利秀元が散々に打ち破り秀忠の首を取るっ。
後顧の憂い云々で田辺だの伊勢だの大津だので手詰まりだった。
電撃戦の各個撃破こそが西軍勝利の唯一の道ぞな。

411 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:15:30.00 ID:mes15xUd.net
>>409
それ輝元が困るんですけど。秀元があまりにおおきな手柄を立てると、
豊臣家側で秀就ではなく秀元を後継にしようとする動きが出るかもしれんから。
秀元は豊臣家の姻族で貴重な身内だし。同じ姻族である徳川が排除される以上、
一門が壊滅状態の豊臣家がそういう事をする可能性は十分ある。
勿論この時点で秀元は輝元の養子をやめているが、この手の騒動は本人にその気がなくても
周りが勝手に騒ぎを大きくする事があるし。下手をすれば毛利家は分裂してエライ事になるかもしれんぞ。
ちなみに上役によって勝手に御家の後継者が変えられる事はあります。

412 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:16:14.06 ID:yNbePYZn.net
>>406
藤堂は残るじゃろ。はっきり言って家康の家臣並みにつかえてる。
関ヶ原後のことだけど、家康を訪れた近衛を接待しているんだが、これは本来は井伊とか榊原みたいな家老級がやる仕事なんだよ。
近衛が日記か手紙に「藤堂が家康に媚びすぎていて気持ち悪いんだけど」的なことを書いてる。

あと東海道組は残るかな?話は別だけど、三成を露骨に殺しに行った七将は西軍に行けるのかな?
小早川や京極はよくわからん。細川も溺愛している妻を殺した連中を許すとは思えない。
そう考えると思ったより残りそうだが。個人的にはむしろ福島あたりがあっさり寝返りそうだと思うな。

池田については、戦場での敗北であんまり根に持ちすぎるのは「恥ずかしいこと」だから。
だって、敗死したのはその人が「弱かった」からじゃない。特に父親については実質総大将として惨敗したんだし。

秀次事件で秀次妻子が皆殺しされたっていうけど、正確には池田の妹である若御前は生き残っているの。正室だったのに。これは秀吉が家康に配慮したからだといわれてる。
あとは領地がよりにもよって三河だったからじゃない?
もっというと、秀吉が斡旋して家康次女(督姫)を娶ったのを見るに、家康側近大名であるのは秀吉の意向だと考えることもできる。

413 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:19:58.03 ID:mes15xUd.net
>>410
別に部隊が壊滅した訳じゃないんだけど。楽観論にもほどがあるよ。
頼むからそんな突っ込めばどうにかなるみたいな発想しないでもらえんか。

414 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:25:23.55 ID:kIQIZBzq.net
関ヶ原本戦で西軍が勝てば西軍は勝てる。並の話やね

415 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:26:55.36 ID:uVSp7aH3.net
>>412
いやあ、戊辰戦争時の藤堂家の振る舞いを見ると、家に伝わる性根ってのは争えないよ。
あくまで家康が勝ち馬という思い込みでの高虎の阿りだからな。
秀忠敗死ルートって面白そうだな。家康は結構な歳だから後継者が亡くなった東軍武将の徳川への目線も大分変わる。
すんなり結城秀康後継ともいかないよね。

416 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:36:58.88 ID:udle3Haq.net
結城秀康の人気の高さもかなりの物だけど、
秀忠家臣団は同母弟の忠吉に付くだろうし、後ろ楯が井伊直政だからかなり強力。
徳川は真っ二つで身動きとれなくなるな。

417 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:37:48.73 ID:LF7ESyC8.net
>>415
お前戊辰戦争について司馬遼太郎の小説くらいしか知識のないタイプだな。

418 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:39:38.00 ID:yNbePYZn.net
第二次上田合戦は小規模な合戦はあったけど、それだけをもって秀忠隊壊滅確実とか言いすぎでしたね。
時間を空費させたことを見れば大勝利なんですけど。

ところで真田真田言ってるけど、お兄ちゃんの信之がかわいそうだから昌幸・信繁(幸村)って呼びません?
確かに信之は短命(享年93歳)だったせいか影が薄いけど、晩年は実戦経験のある最後の武将の一人として結構人気だったんですよ。

419 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:51:13.25 ID:Zz0puLHz.net
>>418
特に実戦で活躍が有った訳でもない北条安房守が軍学者として名を馳せた頃の話?

420 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:51:56.35 ID:fyC6ZgIJ.net
なんつーか、もう少し時系列考えてほしいんだが、信濃主攻とかは無謀でしかない。
美濃主攻で東濃制圧したあたりで清洲に東軍先発隊集結する。
その対応で東濃に守備を残して急いで犬山、岐阜に戻り、さて敵はどう出るか、といったところ。

信濃については木曽方面は入口の妻籠城からもう東軍。
伊那谷は京極。どちら行くにしても清洲の35000放置して信濃進軍はない。

しかしこの状況において西軍が有利な点は、東軍は美濃進攻するには木曽川渡河を
しなければならないが、西軍は犬山付近、あるいは東濃から尾張へ安全に行くことができる。
東軍はどこ攻撃するにしても挟撃のリスクがある。
もちろん西軍は密な連携が必要だが。

421 :人間七七四年:2018/06/19(火) 23:57:12.51 ID:Sl8d+xp+.net
>>408
後方の足固めとかクソ過ぎだろ。
天下人だって後から考えたら危ない橋の1つや2つは渡ってるっつーの。
石橋を叩いてる間に敵がぼけらあっと座視してくれてんのか?西はもっと動かないとダメなんだよ。

422 :人間七七四年:2018/06/20(水) 00:00:03.21 ID:OhPnUfAG.net
>>420
清洲の西軍35000を放置して秀忠救援にもいけないし東軍絶対絶命だな。

423 :人間七七四年:2018/06/20(水) 00:06:18.80 ID:b2HBY4i/.net
>>422
清洲の西軍35000とは?

424 :人間七七四年:2018/06/20(水) 00:08:49.19 ID:YwlC+8D8.net
なるほど
清須陥落ルートはこう活きるのか
宇喜田秀家に吉川広家に小早川秀秋の3万5千か
でもそんな事より
東海道の武将が自分達は家康の軍勢を阻むために大封を与えられたのだとハッと目覚めれば家康を関東に封じ込められて西軍勝利

425 :人間七七四年:2018/06/20(水) 00:18:34.92 ID:k1knExgY.net
>>421
こんな挙兵自体が危ない橋でしょうが。スタートで大坂抑えられた事が奇跡だぞ。
しなきゃいかんことはこの奇跡を維持する事に決まってるだろ。即ち、専守防衛。
足固めとして伊勢を制圧して美濃・伊勢・近江の連携を強化。
対東の防衛ラインとして機能させればそう簡単には陥落しないはずだ。
すべき事は拙速より巧遅だよ。東に行くのは後方の憂いをなくしてからだ。

426 :人間七七四年:2018/06/20(水) 00:23:40.75 ID:OhPnUfAG.net
まあでもさあ、伏見の騒動の時に七将もどうするつもりだったんだろうね。
三成の屋敷の治部少曲輪に軍勢で迫るって、伏見城に攻め込むことじゃないか。
三成は家康にすがることで姑息感が増して武闘派の味方がいない事態になった気がする。
徹底交戦の構えでいれば「佐吉もやるもんだ」と福島加藤辺りは氷解した気がするんだけど。

427 :人間七七四年:2018/06/20(水) 00:25:56.85 ID:k1knExgY.net
>>424
西軍はそれを期待して内府違いの条々をばらまいたんだと思うよ。
だから史実の西軍は言うほど駄目な政略をしていた訳じゃない。
家康を関東に足止めさせる程度の効果はあったし。(家康が西進したのは岐阜陥落後)
真面目な話、西軍勝利IF考えるんだったら戦術や戦略なんぞより、
『内府違いの条々の中身をどう変えたら諸大名が西軍に味方してくれるか』
ってのを真剣に検討すべきだと思う位だ。これなら戦乱で豊臣政権が有名無実化する可能性も減るし。

428 :人間七七四年:2018/06/20(水) 00:31:32.69 ID:b2HBY4i/.net
>>426
七将襲撃のときの石田はやる気満々だったでしょ。
ただ大坂を徳川方に押さえられたので形勢不利を悟って輝元が折れて
急派した吉川広家が伏見に着いたときには既に一件落着してた。

429 :人間七七四年:2018/06/20(水) 00:37:10.32 ID:K7hQ4yZ2.net
>>425
カエサルのルビコン渡河とか調べてみなよ?
確かに最初は迷ってるけど、一度賭けたら流石カエサルって動きしてる。
一個軍団「定数で6000、実際はそれ以下」しか居ないのに大隊ごとに分散して即攻でローマ
を落とし、国庫の中身を手に入れ、執政官に任官して正当性を手に入れ、更に息も付かせず
南イタリアのポンペイウス派の根拠地を占領、相手の募兵能力を削ぎ、結局二ヶ月でイタリアを
完全に覆してんだよ。
北陸に出るにしろ、清須を占領するにしろ、7月中に行動起こすくらいにして戦果を拡大しないと
負けると思う。

430 :人間七七四年:2018/06/20(水) 00:43:10.11 ID:b2HBY4i/.net
>>427
そんなもので勝てるなら七将襲撃の時で勝ててる。

西軍が勝つためにはどうやって敵主力(東軍)を撃滅するか。
撃滅できれば勝てるし、できなければ勝てない。

431 :人間七七四年:2018/06/20(水) 00:44:21.14 ID:co8WgykR.net
>>425
そのモタモタで東軍先発隊に押し込まれただろうにバカぁ?
逆だ逆。清洲からさらに東にどんどん攻め込んで徳川に嫌な記憶を蘇らせるんだ。
ズバリ浜名湖三方原決戦だ。
ガチガチになって動けない徳川軍の前に秀忠を敗死させた真田赤備え登場。
再び糞を漏らしながら敗走する家康。

432 :人間七七四年:2018/06/20(水) 00:50:09.65 ID:aAM9Q9Fw.net
>>380
三成がこいつらに殺されそうになってた事自体は家康はなんもやってないだろうに
むしろそれ自体が家康の指図だったとしたらそれこそ豊臣の屋体骨はとっくの昔にガタガタだっただけ
その遠因は秀吉自身の後年の失策が大半だが
奉行が政治的に無能だからでもある

宇喜多がもめ出したのなんかそれこそ家康なんも関係ないだろ
康政に仲裁までやらせる羽目になっていい迷惑でしかない

433 :人間七七四年:2018/06/20(水) 01:11:20.34 ID:UX4W5Ir0.net
三成は官僚として優秀だったけど軍人としては凡夫すぎるよな

434 :人間七七四年:2018/06/20(水) 01:14:33.11 ID:b2HBY4i/.net
七将襲撃については、光成準治著 関ヶ原前夜 を読んでみるといいよ。
そこそこ解説されている。

同書には輝元からの救援要請を受けた吉川広家は、
出雲富田もしくは安芸広島から約3日で西宮に到着、さらにその日の夜には山崎、
推定翌日に伏見という超強行軍で吉川広家が上京したと解説されている。
(吉川広家が閏3月9日に「只今西宮に到着、今夜山崎まで行く云々」の書状より)

435 :人間七七四年:2018/06/20(水) 01:49:32.46 ID:7vH3FXGK.net
>>433
それ以上に政治家としてダメダメかと

436 :人間七七四年:2018/06/20(水) 02:07:24.74 ID:0YMXVslX.net
三成は後方支援と兵站補給の専門家なんだよ。
大将にも政治にも向いてねえ。

437 :人間七七四年:2018/06/20(水) 02:09:58.17 ID:0YMXVslX.net
しかし、戦下手って江戸時代の流説は無いな。
関ヶ原の布陣と戦いを見ても、かなり巧妙だ。
まあ、島左近や家来の手腕だとしても、それは将としての功だからな。

438 :人間七七四年:2018/06/20(水) 03:10:38.01 ID:K7hQ4yZ2.net
>>432
政権の役職で有る五奉行を私的に襲うって本来なら謀反って見なされても不思議じゃ無い
ですよね?
それを大老で有る家康が放置するならねえ?まあ悪意を疑われても当然。

439 :人間七七四年:2018/06/20(水) 03:19:38.50 ID:klfrvtu5.net
なんであの措置が放置したことになるんだ???

440 :人間七七四年:2018/06/20(水) 04:00:25.48 ID:ehZjvf9e.net
>>432
自分は七将騒動は家康が後ろで糸を引いていたと思うが(だって4人も親戚が起こした反乱だし)
更に事後処理として、七将はお咎め無しで何も騒いでない三成だけ蟄居。
これで徳川に異心アリと思わなければどうかしている。

仮にそうでなかったとしたら、大老職として余りにも力不足だろう。
家康は後事を利家や他の大老に頼まれたのだからな。
それでいて家康の力不足で七将が反乱を起こしたのに三成だけを蟄居にするという
身内贔屓の裁定を下す。これでは西軍が起こるのも仕方ない。


榊原の仲裁だって大老として率先して仲裁するべきも関わらず
豊臣の直臣として大谷刑部が一肌脱いだのに家臣の榊原を自ら止めて
職務放棄。

これで家康は豊臣の将来を考えて政務を行っているとか言われても
ディベートにしか聞こえないよ。

441 :人間七七四年:2018/06/20(水) 04:14:47.01 ID:klfrvtu5.net
だからいつどのタイミングで榊原と大谷だけで宇喜多騒動が解決しそうになって、それを家康がいつ放置して悪化させたのかとか出典書けや

442 :人間七七四年:2018/06/20(水) 05:28:05.19 ID:K7hQ4yZ2.net
仮に、江戸時代で考えて見なよ、老中なり若年寄りを武功派大名が私的に襲うって
普通に幕府に対する謀反扱いに成るでしょ。
だから逆に言うと、大老の徳川家康の暗黙の了解か支持が無ければ有り得ない。

まあ、家康が直接五奉行を襲うと露骨過ぎるから、加藤や福島を利用しただけ
だと思う。

443 :人間七七四年:2018/06/20(水) 05:43:33.79 ID:klfrvtu5.net
結局君の想像かいな

444 :人間七七四年:2018/06/20(水) 05:51:50.41 ID:RP/YuhIq.net
>>398
前田は親も息子も本音では徳川と事を構える気なんてさらさらないよな
メンツをつぶされない限りおとなしいのが前田の基本路線

445 :人間七七四年:2018/06/20(水) 05:59:30.01 ID:RP/YuhIq.net
>>410
たかが上田攻めが成らなかったから真田の勝ちとかないわ
それが通るなら関ヶ原後に真田が没落なんてしないわけでね
戦術で勝った、戦略で負けた、とかフォローいれるまでもなく昌幸は時流を読めてないただの頑固者で終わる話

446 :人間七七四年:2018/06/20(水) 06:05:24.31 ID:RP/YuhIq.net
>>437
巧妙なのにぶっ潰されるオチつきww

447 :人間七七四年:2018/06/20(水) 06:34:39.35 ID:IDwL+bkm.net
>>442
別スレだか過去スレだか忘れたけど、襲撃事件は三成に対する罷免要求にすぎないんじゃないか
って考察してた人がいたなあ。その人がどういう根拠で言ってたかは知らんが。
その要求が罷免というよりは三成の切腹や改易という過激なものだった為、後世において
彼らが三成を無理やり殺そうとしてたと誤解されたという話。
要するに、七将側はあくまで政権に三成を切腹させるよう働き掛けたと。

448 :人間七七四年:2018/06/20(水) 07:49:28.15 ID:9pwNmKc4.net
西軍主力が北に行けば
東軍先発隊を押し止めるものがいなくなる

先発隊が北軍の退路を断った時点で
西軍崩壊

449 :人間七七四年:2018/06/20(水) 07:56:02.05 ID:WqG+q2iN.net
秀忠があれだけ苦労して上洛した中山道を、それ以上のスピードと
混乱無しで抜けれるとはとても考えられない

450 :人間七七四年:2018/06/20(水) 10:04:11.03 ID:4qnlpR8D.net
>>440
三成に関しては、奉行として余りにも力不足だったのだから解任と蟄居処分は仕方がない
現場とコミュニケーションがまったく取れない、秀吉の威光を振りかざして押さえつけることしかできない三成は
秀吉死後の豊臣では使い道がないお荷物だよ
奉行は貴族ではなくて現場と協調して仕事をしなければいけない吏僚なのだから
秀吉の寵愛をいいことに態度が悪くクレームが殺到している三成が奉行を続けることは無理があった

七将については、お咎め無しになるのは当然だろう
現代だってクレームを付けた側ではなくて、クレームを付けられた側が処分されるのが常識だからな

451 :人間七七四年:2018/06/20(水) 10:30:36.31 ID:zvAXmLfr.net
>>447
切腹要求だとするなら、切腹要求=殺そうとした(意図)、でしょ。何言ってんの?
罷免要求ならその権限が家康にあるのなら家康に訴えるべきで、
大坂の石田を襲おうとしたら伏見に逃げられた、今度は伏見に向かう、
どう見ても石田に対する襲撃でしょ。
石田を七将で追いかけまわして石田に「辞任しろ、腹を切れ!」とでも言っていたと?

452 :人間七七四年:2018/06/20(水) 10:54:59.64 ID:4qnlpR8D.net
奉行の仕事は遊びではなくて、命がけで豊臣の政権運営に尽くすことだからな
朝鮮での講和失敗、関白と太閤の取り成しにも失敗、朝鮮から帰還した武将からの三成の不快な振る舞いに対する抗議が多数となれば
三成の不手際に対して命による償いを要求することは理不尽でもなんでもないだろう

453 :人間七七四年:2018/06/20(水) 11:01:22.29 ID:ZiXLiH81.net
>>451
訴訟である以上、相手が来ないと裁判にならんからな。(別に一方的な弾劾裁判でも構わなかったろうが)
三成を訴訟の場に引きずろうとしたら逃げたって事じゃないの。
何を理由に七将が三成を訴えたかまでは知らんが。
裁判所(つまり家康の所)まで三成を強引に連れ出そうとしたなら辻褄は合うだろ、多分。
まあ悪意を持ってみれば三成が敗訴確定とみて不利を悟り逃げ回っていたとか。

454 :人間七七四年:2018/06/20(水) 11:04:01.89 ID:X2W+zKFA.net
もともと秀吉の独裁政権での行政経験や習性しかないんだから
秀吉死後に集団指導体制とろうってんなら三成ら五奉行は総とっかえすべきだったんじゃね?
特に三成なんぞは独裁政権官僚の典型なんだから最も排除すべき有害な存在だろ

455 :人間七七四年:2018/06/20(水) 11:13:46.38 ID:9pwNmKc4.net
訴訟なら、しかるべき相手に訴えるべきで
自力で相手を確保することではない

やはり私闘で殺そうとしたのでは

456 :人間七七四年:2018/06/20(水) 11:31:13.07 ID:QjOjU6pQ.net
家康が誠実じゃないとか偏ってるとか言ってるひとがいるけど、前近代における司法って、別に公平公正である必要もないし、真実に即している必要もないんだよ。
過ちは修正されたとか、ルール違反を罰せられたって、社会が納得して認識するのが重要なんだよ。
社会が納得する過程において、実際に公平公正であったり、真実に即している方がいいことも多いけど、必ずしもそうではない。

七将襲撃の時は、領地関係が凍結された状況下でいくつもの大名を改易したらそのあとどうするのさ。
むりに七将を処罰して、軍事的に抵抗されたら厄介なことこの上ない。
一番穏便に済ませる選択肢だよ。あれは。事なかれ主義的だけど。愉快不愉快は別にして。

もっと言ったら、襲撃時点の家康三成関係は良好と判断したほうが妥当で、家康にメリットがあるのか?関ヶ原の敵味方関係ですべてを逆算してないか?
・秀吉の死を三成が最初に報告したのは家康
・家康が大坂に滞在するときは石田家の屋敷に泊まってる。
・徳川との決定的な対立を回避し続けている佐竹や、家康の子供として行動している秀康が三成の護衛に来ている。

457 :人間七七四年:2018/06/20(水) 12:19:05.35 ID:TvC7j4Dv.net
襲撃事件って結構変なんだよね。
・普通こんな無茶をしたら相手もただでは済まないはずなのに、
三成側が報復をしようとしていない。強く抗議をした様子もない。
・襲撃した側も報復行為を恐れているようにみえない。
この件で襲撃側の評判が悪くなったようにも見えない。
・豊臣家も七将を咎めず、三成処分を止めようとした形跡がない。

これ本当に三成が一方的に殺されそうなだけの事件だったのかな?なんかおかしい気がする。

458 :人間七七四年:2018/06/20(水) 12:30:38.42 ID:+THNTmMn.net
七将襲撃時の対立軸としては、
石田、毛利、(小西)、(増田)対七将。
家康については背後でなにかしら指示した
可能性は否定できないが、表面上は中立。

石田が抗議とかのレベルではなく、
戦寸前の状態。

459 :人間七七四年:2018/06/20(水) 12:56:35.00 ID:9pwNmKc4.net
抗議しても無駄という状態だったんだろう

むしろ逆ギレしかねない

七将側は、自分たちが絶対正義

460 :人間七七四年:2018/06/20(水) 12:59:49.27 ID:9pwNmKc4.net
戦国時代は決闘もありだったんだろう

江戸期も果たし合いは認められていたんじゃないか

461 :人間七七四年:2018/06/20(水) 13:01:04.74 ID:klfrvtu5.net
秀吉没後の家康の裁定が公平じゃないのではないかと疑問が残るといえばいいのに
宇喜多騒動は大谷と榊原だけで事態収拾しそうなのを悪化させた、とか
七将襲撃も七将側がみんな徳川の縁故だから裏で糸引いてた、とか 
推論をさも断定のように扱って、挙げ句出典も出さないとか、デマゴギー拡散の手法すぎて悪質やろこんなん

462 :人間七七四年:2018/06/20(水) 13:33:30.39 ID:eqxjzIVI.net
>>481
レスアンカーつけてもらわんとだれに言ってるのかわからん。

463 :人間七七四年:2018/06/20(水) 14:15:08.88 ID:M1F9LJHQ.net
これは481コメの人のコメントセンスが試されるな… 

464 :人間七七四年:2018/06/20(水) 14:43:00.09 ID:uFNCaGJG.net
>>455
その考えが正しいと仮定した場合、おかしな事がある。
関ヶ原戦役の発生後、西軍は内府違いの条々をばらまいて、上杉征伐軍を始めとする
諸大名を味方にしようとしているのだが、どうも襲撃組も味方に出来ると思っている節がある。
特に福島は絶対味方すると思っていたようだ。
もし、襲撃組の望みが三成の殺害であった場合、彼らの目的は結局達成できていない訳だ。
改易どころか減封もされず、奉行こそクビだが彼らが代わりに奉行になれた訳でもない。
こんな不本意な結果で西軍に味方する筈がないのだ。
ところが史実の西軍はどうもこの点に関して楽観視しているようにしか見えない。何故?

465 :人間七七四年:2018/06/20(水) 15:25:44.76 ID:wT56aUFx.net
>>461
そもそも関ヶ原の時点で、豊臣一族で一番の実力者って徳川家康だからな。しかも秀頼の将来の外祖父で秀吉から政権を委託されてるんだから。

これで奉行ごときが文句言うのがおかしい。そもそもてめえら秀吉の時に好き勝手やってただろって言いたくなるし。

466 :人間七七四年:2018/06/20(水) 17:26:53.34 ID:ubG4bHtE.net
>>461 ID:klfrvtu5

人が仕事で書いてないからって好き放題言ってくれるなw
宇喜田騒動については本当に沢山の出典がある。

・看羊録
・当代記
・鹿苑日録
・慶長年中卜斎記

俺は日本史学部だったんで読んで教授達に質問したりした結果を述べてるんだが
これら読んで調べた事とかある?あればそんな疑問出て来ないはずなんだがな。

467 :人間七七四年:2018/06/20(水) 17:28:24.30 ID:ubG4bHtE.net
ID:klfrvtu5

むしろ君が読んで家康の裁定こそ正しかった!と言えるような
史料があったら教えてくれ。寡聞にして知らないものでね。

468 :人間七七四年:2018/06/20(水) 17:54:25.46 ID:X+kD1sKF.net
>>464
本当に福島が味方すると考えていたとは思えない

内付近いあたりで、協力要請したのだろうか

469 :人間七七四年:2018/06/20(水) 18:12:32.99 ID:WqG+q2iN.net
七将襲撃は三成や輝元がこれに乗じて、兵を挙げてクーデター起こす計画もあった
こういう最近判明した事情を知らないと、家康の無血で終わらせた判断を正しく評価できない

470 :人間七七四年:2018/06/20(水) 18:17:08.57 ID:M1F9LJHQ.net
>>466
宇喜多騒動は大谷と榊原だけで事態収拾しそうなのを悪化させたという論拠を詳しく教えてください。

471 :人間七七四年:2018/06/20(水) 18:25:09.96 ID:y2rRwL9y.net
秀吉死後の豊臣政権は最近ほんといろんな話が出ていて訳わからなくなりそうだな…。
どの情報を取捨選択するかによって解釈が180度変わってしまう事件もありそうだ。
自分は浅学なものでネットで得た情報とか話を参考にして解釈した書き込みしか出来ないけど、
資料とか解説本とか集めまくってる人なんかは凄いと思うし、同時に大変だなと思う。

472 :人間七七四年:2018/06/20(水) 18:48:55.97 ID:mcrJcHcB.net
>>464
秀次を自害に追い込む為に積極的に動いていた顔触れじゃない?
画策した奉行衆と高野山まで大軍を引き連れて押しかけた福島とさ。

473 :人間七七四年:2018/06/20(水) 18:49:01.52 ID:klfrvtu5.net
>>466
出典書いてくれてんね、ありがとう
で、その論拠となる箇所提示してよ

474 :人間七七四年:2018/06/20(水) 18:51:35.40 ID:mcrJcHcB.net
>>458
宇喜田や佐竹もいるんだから個人の腕っぷしだけの七将なんて一蹴されて終わりじゃね?

475 :人間七七四年:2018/06/20(水) 19:05:53.45 ID:W23yKiBQ.net
>>448
なるほど
そうならないために清洲城から宇喜多吉川小早川の3万が東進する訳か
小豆坂で東西膠着状態だな

476 :人間七七四年:2018/06/20(水) 19:40:17.99 ID:ywgnU9kv.net
宇喜多騒動の仲裁で榊原と大谷はヘマやったんじゃなかったっけ?

477 :人間七七四年:2018/06/20(水) 20:07:06.90 ID:m/dlzt2W.net
>>457
七将襲撃を秀吉死後の政局争いという観点で考えちゃうとわかり難くなるんじゃないか
慶長の役で処罰された大名の名誉回復運動と考えればシンプルになる
唐入りはほとんどの大名が損しているから数少ない受益者である(ように見える)熊谷福原垣見といった軍目付と
彼らの派閥領袖の三成の失脚というのが穏当な落し所なんだろう

478 :人間七七四年:2018/06/20(水) 20:10:17.97 ID:WqG+q2iN.net
>>476
両名の格では収まりが付く問題では無かったのだろう
宇喜多騒動なんて天下人の裁定が必要なレベルだし

479 :人間七七四年:2018/06/20(水) 20:26:28.32 ID:ZX8Ge9HV.net
>>477
ああ、唐入りか。しかし本当に政権に悪影響しかなかったな、アレ。
そういえば福原はなんか凄く嫌われてたと聞いた事があるな。

480 :人間七七四年:2018/06/20(水) 20:49:45.03 ID:bjituO3z.net
>>466
何を習ったのか知らんが
宇喜多騒動は大谷らの仲裁は失敗に終わり
家康の介入裁定により収束したんだろうが

481 :人間七七四年:2018/06/20(水) 20:50:36.67 ID:uak7LTzn.net
>>452
ぶっちゃけ秀吉がそもそも力不足だったんだよな
五奉行はそのままダメな流れをひきついだ盆暗どもって感じだな

482 :人間七七四年:2018/06/20(水) 20:56:01.97 ID:uak7LTzn.net
>>460
惣無事令を忘れるなよ

483 :人間七七四年:2018/06/20(水) 21:04:36.44 ID:QjOjU6pQ.net
>>479
尉山の戦いについて秀吉に報告するのが(三成義弟の)福原の仕事なんだけど、彼の報告によって黒田長政や蜂須賀家政が秀吉の逆鱗に触れたらしい。
それが讒言なのか、事実なのか、秀吉の耄碌なのかはわからないけど、武断派の何人かが処罰された。
彼らの主観では福原と石田の罪と認識していたのだろうね。少なくともそういうことにすれば、名誉回復も比較的簡単だし。

個人的には秀吉の耄碌した判断じゃねえかっていう疑念はあるけど史料はないので何とも言えん。
傍証は福原他が告発の褒美として領地を加増されてることね。経緯はどうであれ告発の褒美なんて怖いよ。和解できない敵を作るようなものなのに。

484 :人間七七四年:2018/06/20(水) 21:20:25.22 ID:qp6nL9i4.net
>>466
ふむふむなるほどもっと聞かせてくれ

それにしても西軍が中山道と東海道を先手を取って進軍していくというのはいいね
秀忠が敗死という所から始まる話は面白し

485 :人間七七四年:2018/06/20(水) 21:26:46.32 ID:OhPnUfAG.net
関白秀次公を追い込んだ人々は全て滅んでるよね。因果応報って恐ろしい。

486 :人間七七四年:2018/06/20(水) 21:34:45.26 ID:ZX8Ge9HV.net
>>485
追い込んだというよりは見捨てたと言った方が近いけど、山内は生き残ってるな。

487 :人間七七四年:2018/06/20(水) 21:49:01.52 ID:X+kD1sKF.net
>>475
小早川は離脱
吉川はいざというときに役に立たない可能性がある

宇喜多だけでは東軍先発隊に撃破される

488 :人間七七四年:2018/06/20(水) 21:55:02.39 ID:X+kD1sKF.net
>>482
惣無事令は喧嘩も禁止?

489 :人間七七四年:2018/06/20(水) 22:37:46.14 ID:jziVyxyI.net
>>488
そりゃそうでしょ
争って天下人の手をわずらわせるのを防ぐのが目的なんだろうし

490 :人間七七四年:2018/06/20(水) 22:54:08.63 ID:X+kD1sKF.net
>>489
喧嘩禁止なら七将も処分だな

491 :人間七七四年:2018/06/20(水) 23:05:58.06 ID:QjOjU6pQ.net
>>488
「喧嘩」停止令は別にあるけど、これは民衆レベル庶民レベルでの村落間の水利権やなんかの争いで武力闘争を禁止するのが中心だと思われる。
惣無事令にしても喧嘩停止令にしても御掟(大坂城中壁書)みたいにわかりやすいものじゃなくて、判例や書簡からその存在があると推定されているだけだけど。

御掟3条に喧嘩口論は我慢したほうの勝ちとある。大名間の紛争は御掟追加の6条にあるね。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920348/229
ただ、この規定も執行する能力が政権にないと空文だけどね。

492 :人間七七四年:2018/06/20(水) 23:15:43.97 ID:2KspLkh8.net
>>490
七将の件に関してならアレ純粋な襲撃とは違うと思う。なによりおかしいのは、三成のみが処分されている事。
どうも三成処分に関しては家康だけでなく豊臣家側も人を出して検討を協議してるらしい。
要は豊臣政権(というより豊臣家)はあれを訴訟扱いにしてる可能性がある。
ただし、判決は七将の予想よりずっと軽いものだったようだが。

493 :人間七七四年:2018/06/20(水) 23:26:36.14 ID:pnB/l8Bm.net
>>466
どっかから持って来た史料だけを偉そうに羅列しないで
どの史料に君の主張している事がどう書かれているか原文と解釈を挙げてくれないか?
もちろん、大西泰正とかの宇喜多関連本は読んでいるよね?

494 :人間七七四年:2018/06/20(水) 23:49:31.03 ID:tdea0rQB.net
>>440
事の発端は朝鮮出兵で武断派の不満が溜まってた事で
それ自体が豊臣政権の大きな失政
そこで現場調整できないどころか対立して張り合うとか考えうる最悪の展開引き起こしておいて
ケンカ両成敗にしてもらおうとかどこまで甘ったれてんだ
家康の利になる裁定をされたくなければきちんと隙を見せずに
自分で治められれば良かっただけ
家康は火に油を注いだのはあるだろうがボヤを出したのも消せずに火事までいったのも豊臣の自業自得と奉行連中の能力の低さが招いた事だ
奉行は政治に口など出さず大人しく金勘定だけしてれば良かったんだよ

495 :人間七七四年:2018/06/20(水) 23:52:17.02 ID:QjOjU6pQ.net
そういや三成も伏見城にこもっているんだよね。
確か徳善院玄以も巻き込まれて一緒に籠城する羽目になったような。衡平なのかな?

感覚の違いな気もするし当時は別の発想なのかもしれないけど、強訴にしかならなかった七将と伏見に行った三成では伏見を私用した三成の方が罪が重いかな?

496 :人間七七四年:2018/06/21(木) 00:00:05.62 ID:Y5A0GNPt.net
しかし481はレスアンカーがついたレスになったね(笑)

>>494
奉行の仕事って検地とかもあるし、大名家臣団の領地の再配分も一緒にやるから政治に口を出すなって無理なような。
普通に官僚みたいな仕事をしていても結果的に政治に口を出すことになると思うんだけど。

497 :人間七七四年:2018/06/21(木) 00:59:56.43 ID:R4y6CKKP.net
>>496
それも秀吉の権力ありきの仕事
実力ない奴が本来請け負っていい業務じゃ無いから辞退すればいいだけ

498 :人間七七四年:2018/06/21(木) 01:52:01.76 ID:EUD5zgR9.net
単発ID多いなw

499 :人間七七四年:2018/06/21(木) 02:04:08.47 ID:Q/jO9Tl7.net
光成準治著 関ヶ原前夜より引用

毛利元康宛毛利輝元書状(日時欠)

治少より、小西・寺澤越され候わば、ねらいたて仕り候者一向珍事なく結句手おきたる、
今においては仕合わせ候条、此方より仕懸けらるべく候、左候わば、
輝も天馬のごとく罷り下り、陣取あまさきへ持ち続け候様にと申され候事

光成氏訳
石田三成から、(使者として)小西行長と寺沢正成が来られました。
石田三成は「私の命を狙った者達は全く成果を挙げることができず、
むしろ、手をこまねいている今はよい機会ですので、
こちらから仕かけられるのがよいでしょう。そこで、輝元も天馬のように都から下って、
陣営を尼崎へ敷き続けるように」と申されました。

500 :人間七七四年:2018/06/21(木) 02:18:49.38 ID:Q/jO9Tl7.net
>>469
クーデターというより七将、もしくは徳川派との戦争じゃない?
吉川広家の兵1500+あとどれだけ兵がいたのかわからんけど、
七将から仕掛けてるんだからこれに反撃するのは謀反ではない。
むしろ七将が奉行を襲撃してるんだから謀反と言える。

501 :人間七七四年:2018/06/21(木) 03:03:32.68 ID:Q/jO9Tl7.net
>>495
>強訴にしかならなかった七将

七将がだれになにを訴えたの?

502 :人間七七四年:2018/06/21(木) 05:39:49.73 ID:YihDntZA.net
>>469
クーデター?出典は?

503 :人間七七四年:2018/06/21(木) 05:53:42.47 ID:dpl0iGzE.net
政治戦争でも負けた三成ってこと
そんだけの話

504 :人間七七四年:2018/06/21(木) 07:12:39.27 ID:RifVTpXg.net
それなら野党の連中はみんなクーデターって呼ばれるのか?

505 :人間七七四年:2018/06/21(木) 08:04:50.85 ID:kAhKn1Fm.net
死闘禁止なら利家と家康が騒動を起こしたときも
問題になるはずだが何ら処分がない

つまり合戦規模でなければいいんじゃないか

襲撃は厳密にはアウトだが
死傷者が出ていない

506 :人間七七四年:2018/06/21(木) 08:42:51.90 ID:3LN/u9U/.net
>>500
三成はともかく、輝元が兵を挙げての介入は問題悪化を推進している
>>502
兵を挙げて家康と対抗しようとしているからクーデター

輝元としては七将襲撃を名分として兵を挙げて、七将の後ろ盾と規定した
家康から政権の主導権を奪取しようとしていた
やっていることは関ヶ原合戦と全く同じ

なお七将がどの程度の兵を動かしたか今ひとつ不明

507 :人間七七四年:2018/06/21(木) 08:44:15.74 ID:6aV6kqJb.net
>>471のひとも言ってるけど、最近いろんな新しい発見や新説が出てきたりしてるんだから
それらの説に同意するしないは別にして、ある程度は把握してないと
議論がかみ合わないと思う。

個人的にお勧めは、光成準治著 関ヶ原前夜、 外岡慎一郎著 「関ヶ原」を読む、あたり。

前者は西軍大名に焦点を当ててる、一次史料重視スタンス、ただしやや偏った見解あり、
後者はサブタイトルが「戦国武将の手紙」で、書状中心、
前田、大谷、法陸方面がわかりやすい、あまり偏った見解はない。


前スレの岐阜城情報もコピペしとく。


国史跡岐阜城跡で石垣が新たに見つかりました!
http://www.city.gifu.lg.jp/32568.htm

一部抜粋
<山城としての岐阜城の評価について>
・ これまでの岐阜城の概念(山上の詰城+山麓居館という二元的構造)を
考え直させる大きな発見。



やっぱ岐阜城は巨大山城かも?

508 :人間七七四年:2018/06/21(木) 08:46:39.91 ID:ZBylAXMT.net
裁定は時の権力者の差配次第とか言っちゃダメ?
何事も深く介入しなかった秀頼らは本当に権力者なのか

509 :人間七七四年:2018/06/21(木) 08:54:27.12 ID:kAhKn1Fm.net
秀頼は幼児だから政治はできない
淀黄身には権限がない

政務は大老と奉行で行う
承認は秀頼だが実質的に拒否できなかった

510 :人間七七四年:2018/06/21(木) 09:47:21.06 ID:Y5A0GNPt.net
>>508
当時の秀頼は小学校1年生相当の子供だったのをお忘れでは?
あと、淀や北政所みたいな女性は基本的に権力がないぞ。戦国時代は例外もちらほらあるけど。普通は権力を有する男性の妻や母として、権力を有する男性の意思決定に影響を与える形でしか権力はない。

豊臣家における女性の強さは致命的なまでに一門がいないので相対的に目立っているだけ。

511 :人間七七四年:2018/06/21(木) 10:11:09.89 ID:Y5A0GNPt.net
>>471
固定概念を突き崩したいならこれかな?
高橋陽介『一次資料にみる関ヶ原の戦い(改訂版)』(星雲社、2017年)

具体的には
大谷は北陸に行っていない。北陸から美濃に行ったのではなく、伊勢から美濃に行った。
脇坂安治とかは大津城で京極と共にいたので関ヶ原にはいない。
関ヶ原の戦いは松尾山の小早川を攻める西軍の側面をつけた戦い。
九月十四日に毛利は東軍に降伏し、それ以降は東軍として行動している。吉川の書状に「敵」や「味方」と表現されているけど、九月十四日までは東軍を敵、西軍を味方としているけど、以降は西軍を敵、東軍を味方として表現している。
家康は桃配山にはいなかったと推定される。

同書における関ヶ原の布陣図
小早川(松尾山)

宇喜多
東軍→石田 島津

512 :人間七七四年:2018/06/21(木) 11:02:43.85 ID:6aV6kqJb.net
>>511
わたしそのひとはトンデモ系と認識してる。白峰氏なんて比じゃない。


>大谷は北陸に行っていない

たしか8月上旬に越前のどこかに大谷が禁制出してたような…。

>脇坂安治とかは大津城で京極と共にいたので関ヶ原にはいない

このひとが超注目してる、9月17日付松平家乗宛石川康通・彦坂元正連署状
(真実スレの>>14にも書状内容貼られてる)には、

小早川秀秋、脇坂、小川親子、この4人が裏切った(略 と書かれてる。


なんつーか、全然裏取りせずに「この書状には書かれているから」的に
誤認、勘違いをあまり考慮せずぶち挙げてるんだよね。

まぁネタとして面白半分に読む分にはいいかもだけど。

513 :人間七七四年:2018/06/21(木) 11:40:45.38 ID:Y5A0GNPt.net
>>512
私も正直そう思います。
個人的経験として、教科書やなんかで刷り込まれた固定概念をぶっ壊して、偏見を無くすのには非常に役に立ちましたけど。

514 :人間七七四年:2018/06/21(木) 11:52:36.36 ID:gmcnhX6H.net
>>511 が必読本なのは間違いない。

515 :人間七七四年:2018/06/21(木) 12:41:29.73 ID:fkPzexzF.net
>>511は確かに必読本
三成が笹尾山に布陣していないとか
鶴翼の陣ではなかったとか
小早川は開戦から東軍だったとか
西軍は通説よりもあっという間に負けたなんて説も
この人の他にも白峰や呉座や乃至なんかも提唱し定説が覆えされつつある

516 :人間七七四年:2018/06/21(木) 12:42:54.21 ID:fkPzexzF.net
あと大谷は開戦から早い段階に「討死」しているとか

517 :人間七七四年:2018/06/21(木) 18:30:18.46 ID:nkcqFBml.net
西はまるでいいとこ無しだな

518 :人間七七四年:2018/06/21(木) 19:13:57.39 ID:1IPGyln0.net
なんか学校の授業で習った関ヶ原の内容と全然違う…

519 :人間七七四年:2018/06/21(木) 19:49:58.43 ID:uZE1lFoT.net
>>505
司法権の独立や法の下の平等とか、法の支配の成立した現代の発想じゃ無いですかね。

特に封建時代の法律って、犯罪を処罰するべき人が罪を犯したら処罰しようがないんですよね。立法司法行政が同一人物の利害で恣意的に動かされるので。
しかも、法の恣意的な運用が権力者の美徳扱いになることすらある。

だから、処罰がない=問題が無いっていうわけじゃ無い。処罰がない=問題が無いか処罰できないくらいにやばいっていうのが妥当では?

政権の最有力者二人を含む数十人の諸侯に対する処罰なんて、それこそ関ヶ原の戦いみたいな軍事的大勝利無しには不可能ですよ。秀吉存命中でも家康と利家の両方を罰するのは難しそうにも思えるし。

そもそも、あの頃の豊臣政権はある意味において無政府状態と言えるのだから処罰がまともにできないのだから。

520 :人間七七四年:2018/06/21(木) 20:02:41.09 ID:Xt29L0lT.net
>>519
言いたい事はわからんでもないんだが。
武士って「法は定めるし、それを守らないとは言わないが、それよりも
面子や意地、(自分の中でだけ通る)道理を優先する」って考えの方が強そうな気がする。

521 :人間七七四年:2018/06/21(木) 20:06:20.01 ID:uZE1lFoT.net
前田の話が少し出ていたけれど、前田征伐がらみで芳春院(まつ)が大坂にいたら前田を西軍にできていたのでは?
そうなれば越前組は伊勢や美濃に回せる。そうでなくても、前田と越前組で越後の堀(こいつを西にするのは上杉がらみで難しそう)を攻めてもらって東軍を吸引できたのでは?
流石に飛騨から美濃に入るのはハンニバル的というか敢闘精神に満ちあふれ過ぎていると思うけど。

秀忠隊や家康隊が減るだけで、肝心の福島や池田とかはどうしようもないかもしれないけどね。

人質系でいくとガラシャをきちんと捕縛しておけば細川もこちらに引き込めるような。田辺組も他に回せるし。
もちろん田辺組はちょっと怪しいのが多いからどうするべきかはなんともいえないけど。

というかちゃんと人質を殺しておくべきだったと思うのですよ。豊家の軍を自称しているんだから。

522 :人間七七四年:2018/06/21(木) 20:11:37.53 ID:uZE1lFoT.net
普通に敦賀や関ヶ原経由で美濃にきて貰えばいいのか。
それなら越後の堀への疑念も持たせられそうだし。

前田も前田で寝返りそうだけどね。弁当の人や輝元みたいに。

523 :人間七七四年:2018/06/21(木) 20:20:35.40 ID:8wtxiFTA.net
>>519
あなたのおっしゃる通り司法権の独立や法の下の平等とか法の支配の成立してない時代ですので、
処罰されなかったのなら問題なかったのでしょう。
まあ語弊はありますけどヤクザの幹部連中のイザコザに、
合法だの非合法だの言ってもしょうがないのかもしれません。

524 :人間七七四年:2018/06/21(木) 20:28:57.17 ID:2HK4BnAw.net
>>521
利長が西軍につくかな?前田征伐のきっかけになった家康暗殺計画を家康にチクッたの、
西軍中核の奉行たる増田と長束なんだけど。
家康は元々婚姻問題の時は敵対してたし、手打ちとはいえ完全和解かは微妙だったかもしれん。
しかし、奉行は少なくともその時は前田に味方していた訳で。つまり、利長からみると西軍に味方するというのは
『自分をいきなり裏切った元味方に頭下げて協力しろ』ってのと同義じゃなかろうか。
しかも前田征伐によって前田家は存亡の危機に陥り、徳川に対抗出来る最大派閥は崩壊するという
とんでもない事態になってしまった。
こんな状況で事態の元凶が「徳川倒しに協力しろ」とかいってきたら怒るんじゃないか?

後、現実でも「裏切った味方に頭下げる位なら、敵対してた側にに協力する」って考えの奴、まれにいるし。

525 :人間七七四年:2018/06/21(木) 21:30:53.16 ID:mH3vCXon.net
>>520
そんな奇麗事いう武士は江戸時代だろ

526 :人間七七四年:2018/06/21(木) 21:33:18.30 ID:QDraEJA5.net
>>521
それ結局まつも間違って殺害しちゃって高台院や前田本気で激怒
四条河原に並ぶ首が増えた上に悪逆非道として後世に伝わる最悪のシナリオしか見えてこない

527 :人間七七四年:2018/06/21(木) 22:38:38.71 ID:07rboun9.net
>>524
そういや増田とか長束は何を考えて前田云々を家康にチクったの?
浅井朝倉が信長を挟撃したみたいに家康を窮地に陥らす考えならまだしも。

528 :人間七七四年:2018/06/21(木) 22:56:10.56 ID:Y5A0GNPt.net
※史料がパッと探してなかったので100%妄想です。
奉行が前田家による家康暗殺計画を捏造したんじゃないの?
そして前田征伐になったところを後方から宇喜多や毛利を使って徳川打倒
しかし前田が想像以上にビビって(非難できないけど)無条件降伏したから計画はお流れ。
まつが大坂ではなく江戸に行ったのも奉行からまつを守るため。

傍証は、関ヶ原後の上杉の弁明で
「いや、俺は即座に上洛できない理由を奉行に行ったんですよ。なのに奉行は問答無用だ上洛しろと無茶を言ってきたんですよ。物理的に無理なのに。それで仕方なく蜂起したんです。悪いのは奉行です。俺じゃない」
というようなことを言っていたと記憶していたから。これについては自信がないけど。

>>526
すごく簡単に想像できるのが嫌なんですけど、まあ、そういうのは思いつか中たことにして、まつを人質に西軍に加担させられたということにすれば。

529 :人間七七四年:2018/06/21(木) 22:58:19.21 ID:v8B5ZW10.net
秀吉没後、はなから奉行と徳川が揉めてた訳じゃないしなぁ、前田派閥を先に追い落としたいくらいの考えだったんじゃない?

530 :人間七七四年:2018/06/21(木) 22:59:14.99 ID:BbDtVrjS.net
>>528
考えてるのは前田が征伐回避の為の人質を大坂で管理する形にする事で前田を奉行の制御下に置き、
前田派を実質奉行のコントロール下において、徳川に対抗する為の手駒(軍勢)にする事かな。
正直、虫のいい話だとしか思わんが。

531 :人間七七四年:2018/06/21(木) 23:11:26.51 ID:3LN/u9U/.net
関ヶ原合戦以外の前田征伐や七将襲撃等における家康陰謀論も、
家康の計画通りならばあまりにも家康の処分が手緩すぎるからな

532 :人間七七四年:2018/06/21(木) 23:15:13.47 ID:rxMQ9IYC.net
>>527
あくまで仮定の話だけど奉行たちで豊臣政権を牛耳りたいという欲求があるとすると
秀頼を抑えるのに徳川や前田といった豊臣家と関係の深い有力者は邪魔な存在だからね
加賀征伐で浅野(親徳川の奉行、北政所の養家)、大野治長(淀の乳母子)が連座したのも興味深い

533 :人間七七四年:2018/06/21(木) 23:21:26.07 ID:p1Z20y5W.net
1、本当にそういう噂があって職務に忠実に報告した。
2、家康のマッチポンプに引っかかった。(よく言われる陰謀論)
3、邪魔な同僚の浅野をハメようとした。
4、前田と徳川の仲をこじらせて敵対させようとした。

考えられるのはこの辺だが、確定的な資料が残ってるわけじゃないから何とも言えんな
無難なのは1でそれを単に家康が前田への踏み絵に利用しただけの話かなぁ

534 :人間七七四年:2018/06/21(木) 23:52:47.40 ID:6aV6kqJb.net
前田征伐について仮説を立ててみる。基本、妄想。

まず七将襲撃が起こり落着する。
普段からあまり浅野長政と仲のよくなかった石田は、浅野が七将を扇動して襲撃させたと読んだ。
(七将襲撃でも浅野長政ってなぜか動きがないよね、息子は七将で、石田、増田、長束との
仲介をしたようにも思えない。玄以はまぁあまり利害対立なさそうなんで中立もわかるが)

その報復として増田が家康に家康暗殺計画の密告をする。
しかし増田、長束の狙いは浅野長政の失脚で、前田はおまけ。前田はとばっちり受けた形。
なので、石田が家康の指示?で越前に兵を出したのも、
「浅野に味方するなら前田も同罪」という意味で。

しかしその後家康が上杉征伐を開始したので、これ以上の家康の専横は豊臣にとって
危険と判断し西軍挙兵。
福島も浅野長政に扇動されただけなので豊臣を守るために味方すると思った。

>>533でいくと3のパターンの場合の妄想。一応なんとなく筋通らない?

535 :人間七七四年:2018/06/22(金) 00:30:15.96 ID:hX1e0h6o.net
>>534
概ね妥当じゃないかな。
最後の方は豊臣というよりは自分たちの権力にとって危険と読み替えた方がいいようにも思えるけど。

徳禅院は治部と一緒に伏見にいるね。
正確には伏見城の管理は奉行が順番にやっていて、たまたま玄以が担当の時に七将襲撃がおきてそのまま巻き込まれたのが妥当なのかな?

浅野が怪しいというのはもっともだけど、増田や長束も静かだよね。(無知なだけならすまない)
基本、不自然なまでに影が薄い佐竹が目立った行動をしているのもよくわからんけど。これは偶然かな?

536 :人間七七四年:2018/06/22(金) 08:05:13.31 ID:VZLFrt4o.net
石田は佐竹や宇都宮にはフォロー入れてたけど
浅野はその逆の動きしてたっぽい。
なので奉行内主導権争いに端を発し、
それが家康にも飛び火したという仮説。

537 :人間七七四年:2018/06/22(金) 09:31:06.04 ID:QQ20v4kv.net
五奉行が悪い意味でいい仕事してるよね
秀吉という主を失って統一した行動取らなくなって
大事な場面でそれぞれ敵にアシストして豊臣政権崩壊に貢献

538 :人間七七四年:2018/06/22(金) 11:55:08.02 ID:zs/b4GXI.net
豊臣子飼いの奉行は無能ばかりだからな

539 :人間七七四年:2018/06/22(金) 12:33:01.27 ID:BhRU6qcN.net
無能では無いが数が少なすぎて、特別で替えの効かない特権階級と誤解した
で、徳川家が来たら同等以上の奉行が低所領の上数も沢山いて、存在意義を
喪失することを恐れたと

540 :人間七七四年:2018/06/22(金) 12:42:35.34 ID:MVI33dtE.net
つうか君らは関ヶ原合戦の真実スレにそろそろ行きなよ。
ピッタリなスレが存在するのに、そこではなく西軍が勝利する道筋を語るスレで史実考察に終始するのは只のたちの悪い荒らしだ。

541 :人間七七四年:2018/06/22(金) 12:48:48.84 ID:wlaNbsGt.net
前田を味方につけられないかという問題提起に対して史実の洗い直しをしてるだけ

542 :人間七七四年:2018/06/22(金) 13:10:38.62 ID:VZLFrt4o.net
>>540
わたしは散々立案してるよ?
清洲早期占拠主張するひととかは
いつ、どうやって、その後の展望とか全然説明しないじゃん。

だからネタ振り的に北陸主攻を振ってみたんだけど。
で、その前田についての関連だと思うけど。

543 :人間七七四年:2018/06/22(金) 13:56:17.13 ID:2Ikjrt6N.net
>>542
関連ってどこまで続くものなの(--;)
起点が関連だからってどこまでも引き延ばせる訳ではないと思う
注意が入ったらそろそろやめなよ

544 :人間七七四年:2018/06/22(金) 14:21:33.89 ID:Fkp2mtzS.net
西がダメすぎてドリームも見れない

545 :人間七七四年:2018/06/22(金) 15:50:46.95 ID:CJXNzg97.net
最初に奇跡が起こり、次も奇跡が…て感じで続かないと、西軍のドリームは厳しいからな
東軍にアクシデントが起こり〜は「西軍がどうやったら」には含まれないだろうしな

可能性としては東海道に主力を最大限集中投入し、もの凄い奇跡のような快進撃を起こす〜ぐらいの展開が無いと、後は何をやってもジリビン臭いな

546 :人間七七四年:2018/06/22(金) 16:32:38.54 ID:p1j05g2X.net
自分が清須速攻案をいろいろ言っていたのは、岐阜城陥落でただでさえ団結力の少ない西軍が崩壊し始めたから、グイグイ攻めて軍事的であれ政治的であれ勝ち続けないと負けると考えたから。

時間的にかなりタイトだけど
七将関連で伏見城内に奉行の兵を置いたままにする。
前田征伐関連でまつを大坂に置く。
西軍決起後はきちんと人質を確保する。
そして出来るだけ迅速に伏見城を落とす。いつまでというのは指定できないけど25日くらいとか?
そこから迅速に美濃へ主力を移動する。
岐阜城あたりに布陣した西軍は当面の敵味方識別を終えて清須を敵認定し、余裕を持って8月10日までに攻略し、防衛線の準備を固める。

出来ることなら、主力は三河尾張国境で睨み合いにしたい。
その後は人質を使って細川や前田を味方につけつつ、西国に孤立した東軍勢力を制圧する。
一年以上持久できれば藤堂や加藤なども本国と軍隊が切り離されているから自然崩壊を始めると思う。
そして西軍は四国三カ国と丹後尾張とかをほぼそのまま戦力化できるので西軍優位
東北情勢や信濃を計算できていないけど、国力差で押し勝てるかなあって。
せめて有利な条件で講和できると思う。

九州については初期は防戦に徹して大友家再興とかで時間を稼ぐ。中国四国と近畿があれば東国と九州の二正面作戦はいけるはず。

戦利品、特に四国の扱いで毛利と宇喜多と長宗我部と奉行達が争いそうだけど。
尾張の扱いで織田秀信が揉め事を起こしそうだけど。

七将襲撃あたりからいじくりまわす、かなり都合のいい想定ですけどね。
岐阜や桑名を拠点に清須からの攻撃を防ぐのは攻撃の相手に渡してるようなものだし、ちょっと西軍の兵力的負担が大きすぎるので、戦線を削減できればという感じです。

小早川についてはなんで寝返ったのかよくわからんし、史実以上にいいところ、例えば東軍からの尾張防衛戦で西軍主力に背後からの一撃を食らわせそうでもあるけど。

547 :人間七七四年:2018/06/22(金) 16:50:55.35 ID:VApFwzJY.net
早期侵攻の最大の欠点は史実でせっかく兵力の分散の愚を犯してくれてた東軍が
それどころじゃないと一軍にまとまって対抗してくる可能性が高いことだな
第二には近畿の制圧を後回しにして背後の安全を確保してない等々他にもマイナス要因も多い
早期東進決戦論は根本的に正面戦力不足の西軍の有利には働かない

548 :人間七七四年:2018/06/22(金) 17:02:58.08 ID:VApFwzJY.net
秀忠軍が信濃に入り東軍の分散が確定してからの岐阜後詰決戦か
攻勢に出るなら先に手を出して清州を包囲した後に東軍先鋒を叩く清州後詰決戦で各個撃破を狙うべき
清州を落としてしまうと東軍先鋒が西軍と早期に戦端を開く理由がなくなり浜松で停止され
伊那路を南下してきた秀忠軍と東海道の家康軍と合流されてよろしくない

549 :人間七七四年:2018/06/22(金) 17:17:07.72 ID:Z+11rDzU.net
清洲が早期に落ちるとは思えない

最悪攻城戦中に救援が来て
包囲を解いて退却中に襲われて西軍崩壊

良い点はこのシナリオだと敗走して
三成らは逃げ延びることができる

550 :人間七七四年:2018/06/22(金) 17:39:49.60 ID:QQ20v4kv.net
問題はまともにぶつかったら士気の違いで勝てないことだよね
最速で火事場泥棒するしかない
既成事実を積み上げれば調略も成功しやすい
ただ押し負けたら恨みを買いすぎて史実よりもっと酷い目に遭うはず

551 :人間七七四年:2018/06/22(金) 17:56:15.72 ID:USqNJU7E.net
>>548
西軍が早期に清洲を占拠した場合、
東軍が清洲を奪還する理由としては、
福島の居城だから、というのがあるよ。

552 :人間七七四年:2018/06/22(金) 18:28:30.55 ID:Z+11rDzU.net
清洲は落ちんと思うが仮に落ちた場合
家康は岐阜も落ちていないので様子見
東軍先発隊は西軍主力と対峙

秀忠隊が美濃に現れた時点で
西軍主力は退却せざるを得ない

清洲に守備隊を置けば東軍先発隊を拘束できるが
抑えを少し置いて主力は西軍主力を追撃するかもしれない

うまく逃げ切れればいいが
場合によっては捕捉されて大打撃
特に秀忠隊に退路を遮断されると致命傷になる

553 :人間七七四年:2018/06/22(金) 20:17:22.58 ID:hX1e0h6o.net
>>2
異論はあるかもしれないけど、追加したいなと思って。家康のやつが多いかな?wikiだから間違いもあるかも。
6月2日 会津征伐を関東諸侯に通達
6月6日 会津征伐に関する軍議
6月16日 家康、大坂出陣
6月18日 家康、伏見出発
7月1日 家康、江戸到着
7月2日 秀家、出陣式
7月12日 前田、増田、長束(以下三奉行)輝元に大坂出陣を要請
7月15日 輝元、広島出発
7月17日 三奉行「内府ちがひの条々」、細川ガラシャ自害
7月19日 輝元、大坂城入城、伏見城攻防戦開始、秀忠が会津へ出陣
7月21日 家康、江戸から会津に向け出陣
7月22日 秀家、伏見到着
7月25日 伝「小山評定」
7月26日 東軍諸将、西進 利長、金沢を出陣
7月29日 三成伏見到着

554 :人間七七四年:2018/06/22(金) 20:18:05.86 ID:hX1e0h6o.net
不要かもしれないけど。
part1
https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1477558509/
part2
https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1484991108/
Part3
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1487680538/
Part4
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1492312819/
Part5
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1496748424/
Part6
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1499775019/
Part7
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1502195081/
Part8
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1505981945/
Part9
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1509028014/
Part10
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1512519887/
Part11
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
Part12
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1517843376/
Part13
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1522672144/

555 :人間七七四年:2018/06/22(金) 21:01:40.94 ID:Rn7Kjlwn.net
>>546
さらっと読んだけど…無理やな。
とりあえず、伏見に奉行の兵を置いたままってのが、まず無理。
そんな不穏な状態で家康はのこのこ上杉征伐に行くほど馬鹿ではないと思う。
大体、奉行は上杉征伐に関しては「家康が遠征すると上方で変があった時に対応出来ない」
って理由で反対してたらしいので、(どの口がとは思うが)このIFだと家康がそれ受け入れると思う。
つーか、関ヶ原って家康が上杉征伐に行かないと発生しないので、下手に大坂の状態を西軍有利にすると、
そもそも家康が上杉征伐に出陣するっていう絶好のチャンスを作れなくなるんだよね。
だから関ヶ原前に西軍が有利になるよう仕込むのって難しいと思うわ。

556 :人間七七四年:2018/06/22(金) 22:48:54.84 ID:xm8xMIc9.net
奉行衆による伏見城の輪番の在番制を維持できれば伏見攻略は5日は短縮できる。
家康が家臣を伏見に在番させたのがいつからかよくわからんが、
七将襲撃後〜上杉征伐前あたりだとして、在番制を維持する方法がいまいち思いつかないんだよね。
前田、毛利は家康に表面上は恭順状態、宇喜多は家中騒動、上杉は会津、
他の大老が反対できる状況にない。
増田、長束、玄以が、「秀吉が決めた制度を勝手に変えるのは反対」と抵抗するくらいしか
思いつかない。
状況的には家康はそんなの無視して強引にでも伏見に家臣を入れそうだし
奉行が家康に抵抗できるような雰囲気でもなかったと思われる。
だれか名案ある?

次に西軍が早期に清洲を占拠した場合、当然岐阜も落ちてない。
なので、秀忠隊はなにかしらの東軍先発隊大勝、もしくは家康出陣がない限り、
予定通り信濃制圧、つまり上田攻略を行うと思う。
史実では真田昌幸は秀忠隊を足止めした名将扱いだけど、
上田攻城戦が開始されれば、兵力的に2週間ほど粘った後、降伏開城ではないかと思う。
長谷堂並みに、もっと粘る!という方がいればその論を興味深く聞いてみたい。
家康がいつ出陣するかは読めないところがあるけど、
最終的には出陣すると思う。

そして芳春院(まつ)が伏見を出発し、江戸に到着したのが慶長5年6月6日。上杉征伐の直前。

557 :人間七七四年:2018/06/22(金) 23:14:28.39 ID:hX1e0h6o.net
>>556
家康伏見入りをするのは不可能に等しい。
なぜなら秀吉遺言において「家康が伏見の天守に行きたければ行っていいよ」といっているから。

だけど「天守」なので治部小丸みたいな曲輪に奉行の屋敷があるんで、そこを維持するのはできる可能性があると思う。
たしか伏見城には豊家の金銀なんかも保存されていたはずだし、京に近いから公家の接待にも使えるので、前田玄以と長束あたりなら伏見に奉行の兵を置く口実はあるんじゃないかな。

家康の伏見入城は3月13日で10日に三成を追放した直後といっていいね。
9月には大坂城西の丸に移るけど。(正確には大坂の石田三成や正澄の屋敷にいったん滞在してから)

558 :人間七七四年:2018/06/22(金) 23:43:25.24 ID:hX1e0h6o.net
家康伏見入りを阻止するのは不可能に等しいだ。

岐阜城陥落はなくても、清須が落ちてしまったら池田輝政の三河吉田城もピンチになるから秀忠隊も救援しに行くんじゃないかな。
あるいは、そのまま信濃を突っ切って岐阜城を北から攻めて、清須奪還軍を戦略レベルで支援するとか。
いずれにしても、そのまま上田攻め続行はのんびりとしすぎているような。

559 :人間七七四年:2018/06/22(金) 23:43:25.50 ID:hX1e0h6o.net
家康伏見入りを阻止するのは不可能に等しいだ。

岐阜城陥落はなくても、清須が落ちてしまったら池田輝政の三河吉田城もピンチになるから秀忠隊も救援しに行くんじゃないかな。
あるいは、そのまま信濃を突っ切って岐阜城を北から攻めて、清須奪還軍を戦略レベルで支援するとか。
いずれにしても、そのまま上田攻め続行はのんびりとしすぎているような。

560 :人間七七四年:2018/06/23(土) 00:04:24.74 ID:PcV9zR6E.net
たしかに言われてみれば秀忠隊が史実通りに信濃制圧に向かうかどうかからまずわからんよね。
上杉方面の戦況判断の兼ね合いもあるし、
秀忠に援軍として三河に行くよう指示しても不思議ではないわな。
ちょっと予測がしにくいね…。

561 :その:2018/06/23(土) 00:24:58.38 ID:PcV9zR6E.net
戦略レベルの予測となるとちょっと難しいね、作戦レベルの予測なら合理的に考えれば
割と容易なんだけど、戦略レベルだと司令官の考え方次第だから。
例えばこのケース、秀忠隊を信濃制圧に向かわせるか、三河に援軍に行かすか、

35000もいるなら岡崎、吉田で籠城してればそう簡単には落ちん。
その間に信濃制圧を優先しその後美濃へ進軍し、合流ないし挟撃する。

尾張に西軍主力がいるならこれを敵主力撃滅チャンスとみて三河に援軍を送る。

どちらもそう悪くない。

562 :人間七七四年:2018/06/23(土) 00:55:08.50 ID:h12r6wX7.net
清洲城がその前に落ちないだろう
2、3重のある堀のある城だから伏見城より厄介

563 :人間七七四年:2018/06/23(土) 01:06:11.57 ID:eHbxbLDo.net
一番最悪なのは清州を囲んでいるときに背後から東軍先鋒と家康隊秀忠隊が突っ込んで来ることだろうからな。
そして多分そうなる。すくなくとも家康隊や秀忠隊合わせて6万?はいなくても、福島他3万だけでも十分脅威になる。
やっぱきついかなあ。

564 :人間七七四年:2018/06/23(土) 01:17:28.96 ID:eHbxbLDo.net
そもそもどんな状態になれば西軍の勝利と言えるんだっけ?

565 :人間七七四年:2018/06/23(土) 01:57:38.41 ID:+Z7dfrPQ.net
>>519
法の恣意的な運用って、江戸時代には多いですよね。
殿中での横死は取り潰しのはずなのに、重症って建前で仮養子の弟に相続許すとか。
井伊直弼が首を取られたのは有名な話なのに、幕府から見舞いの人参送るとか。

かと言うと、福島正則みたいに言い掛かりみたいな感じの取り潰しも有るし。
横車を通すのが実力者の明かしみたいな感じもする。

566 :人間七七四年:2018/06/23(土) 03:07:15.32 ID:5YZGE8hk.net
>>565
福島は言いがかりどころか完全に福島が幕府舐め腐った結果なんでそこの認識は改めた方がええと思うで
笠谷和比古先生の徳川幕府の大名改易政策を巡る考察がpdfで読めるんで読むといいかも

567 :人間七七四年:2018/06/23(土) 05:31:10.92 ID:fUQIITxA.net
>>565
権力者なんてもともとそんなもんでしょ
奇麗事ばかりちゃんとしてるなら独裁者なんてこの世にいないよ

568 :人間七七四年:2018/06/23(土) 06:37:38.20 ID:TGh3zaoz.net
NHKでメッケルの話しがやってたな。マジだったのか。

569 :人間七七四年:2018/06/23(土) 06:48:05.50 ID:An2+y2rj.net
>>564
理想を言うなら、敵主力を撃滅し、西軍有利な内容の和睦。

570 :人間七七四年:2018/06/23(土) 07:13:51.41 ID:pgmB2ZOD.net
>>565
あんまりいうとスレ違いだし板違いになるから言いたくないけど、晩年の福島は家康の養女と婚姻した義理の息子を殺したりしているから弁護できないし、耄碌したとしかいえん。
無嗣改易のルーズ化は殺人を生業とする連中の失業なんてヤバイから。由井正雪の乱もあったし。

571 :人間七七四年:2018/06/23(土) 11:52:09.26 ID:HghPXaiM.net
福島正則は最期までまともじゃないし世の中舐めきってる池沼やろ
息子も揃いも揃って池沼揃いだから改易大正解なんだよなぁ

572 :人間七七四年:2018/06/23(土) 12:30:50.50 ID:R3i5wiEg.net
福島正則の改易の序章は伊奈図書事件から始まってるんだと思う

573 :人間七七四年:2018/06/23(土) 13:05:36.46 ID:h12r6wX7.net
福島正則改易の件は本多正純が後に嫌疑にかけられてなかったっけ

574 :人間七七四年:2018/06/23(土) 13:14:44.68 ID:JaLhUswR.net
この知的障碍者に最重要地点の尾張国をあげた時点で終わり国だ。

575 :人間七七四年:2018/06/23(土) 14:11:55.41 ID:/AIfmaZz.net
http://i.imgur.com/ejkADqD.jpeg

576 :人間七七四年:2018/06/23(土) 14:30:14.42 ID:6FlIsP8G.net
>>574
そもそも福島が尾張の領地を貰ったのは
奉行連中が秀次を謀反の罪で糾弾して粛清に持ち込んだからだろ
奉行が豊臣を蝕む癌細胞なんだから仕方がない

577 :人間七七四年:2018/06/23(土) 15:32:51.84 ID:bVvvOvvM.net
書き忘れたけど、まつが伏見を出発したのが
5月13日っぽい。
まつ奪還方法も考えてみたけど難しいように思う。

578 :人間七七四年:2018/06/23(土) 19:36:35.10 ID:BQBGI/FB.net
伊奈図書を切腹に追い込んだのは、福島正則やり過ぎたな。
そりゃあ家康もずーっと恨むわな。

579 :人間七七四年:2018/06/23(土) 19:52:59.92 ID:+mU4NFoP.net
改易したのは秀忠だけどね
甘い家康よりも舐め腐った態度を取ったら、改易食らった

580 :人間七七四年:2018/06/23(土) 21:25:54.94 ID:iM/SEBhV.net
わたしも概ね>>547>>548のひとの見解と同じ。

目的は敵主力の撃滅であって伊勢や尾張の占領ではない。

清洲(尾張)を早期占拠することによって、なにか敵主力(東軍先発隊)を撃滅する
方策があるのかなと思ったけど、だれも挙げてない。
膠着化させるだけなら木曽川で十分で(犬山の守りは必要だが)、
ただし、膠着化というか美濃の防御、木曽川渡河迎撃する戦力すら足りないので
わたしは美濃主攻を推している。
最低でも東軍先発隊3万数千清洲到着の時点で
さっさと十分な兵力の援軍を呼ばなければならない。


>>547のひとも言っているが、西軍は期待のできる戦力が東軍よりも少ないので、
作戦的には敵の各個撃破(東軍先発隊、秀忠隊、家康本隊)、
戦略的には、日本の一撃講和論や、ドイツのバルジ攻勢の戦略企図と同じく、
一時的でいいので、敵にこれはだめだと思わせて有利な条件で講和(和睦)するのを
目標とするしかないと思う。


それで、早期清洲占拠で他に特にないなら岐阜城後詰決戦案の弱点に触れたいなと思ってるけど。

581 :人間七七四年:2018/06/23(土) 21:35:44.85 ID:rYrzFt4E.net
西軍の勝利条件は比較的予想しやすい。
バラバラなのは許容するとして。

具体的には毛利、宇喜多、奉行で別れる。
毛利はおそらく大内氏と細川氏を併せ持つような感じかな?
当時の領土に伊与、阿波、讃岐、淡路、豊前を加えて豊後に傀儡があると大坂に直撃できる能力を維持しつつ、
瀬戸内海と日本の対外貿易を牛耳れるようになる。

宇喜多については秀家の威信回復と大老としての復権かな?領土欲は否定しないけど状況証拠もない。
私の妄想通りの毛利に対抗したければ播磨は必要かな?できれば摂津や丹波も欲しいところ。

奉行については自分たちが天下人たる豊家の「年寄」になること。名実ともに。
浅野を追い落として石田の復権と大谷の奉行入りもあるかもしれん。
逆に三奉行的には石田の帰還を歓迎していないかもしれないけど。
そのためには現大老の勢力を弱めること。少なくとも徳川一強を無くすこと。大老同士の勢力を均衡させること?


ちょっと曖昧かなって思うのはむしろ東軍
場当たり的にできた敵をとりあえず打ち倒そうというイメージがある。
東軍先鋒組は自分たちの安全な帰国と地位のために西軍打倒を目指しているけど、徳川はとりあえず勢力を拡張したいという感じが秀忠隊から見える。
第三戦線の脅威を早期に潰すという目も見えるけど。

582 :人間七七四年:2018/06/23(土) 22:09:56.34 ID:Hxig34L/.net
川で防衛は無理だろ。
清洲から、更に東進して浜松三方ヶ原決戦。徳川の心を攻めるんだよ。

583 :人間七七四年:2018/06/23(土) 22:24:26.38 ID:A9+468zx.net
>>580
いやね、西軍の挙兵直後は増田が家康に手紙出してるくらいで、豊臣家が支持するか
微妙な情勢だったじゃないですか。
小山の軍議はその時点の情報でやってるし、東海道の豊臣恩顧の城献上もその
延長線上だし。
しかし、其の後情勢は変化して内府違いの条々なんて物がね。
家康から見れば東軍先鋒が丸ごと消滅する可能性まで有ったと思うんですよ。
だから、即攻かけてたら、意外と東軍先鋒なんて崩壊した可能性も?

584 :人間七七四年:2018/06/23(土) 22:33:46.06 ID:RwF61mzf.net
無いやろな

585 :人間七七四年:2018/06/23(土) 22:45:52.05 ID:JaLhUswR.net
西軍が清州を落としたと仮定したら東軍は兵糧が無いので戦わずして西軍の勝利だよ。
鍋島が東軍の米を確保したわけではなく清州城にあった莫大な備蓄米を食って戦ってたわけだから。

586 :人間七七四年:2018/06/23(土) 22:55:06.89 ID:NE+s3jWP.net
>>585
つかさ西軍勝利と仮定したら西軍の勝利ということでイインジャネ(@_@)

587 :人間七七四年:2018/06/23(土) 23:19:19.02 ID:iM/SEBhV.net
>>585
参考までに聞きたいんだけど、清洲の備蓄米ってどれくらいあったの?

それから
8月4日付福島正則宛徳川家康書状
尾州明地所務等之儀従其方可被仰付候、
為其令申候、恐々謹言、

清洲の備蓄米なくても短期的には刈田と徴収でしのぐと思うよ。
足りなければ家康が関東から輸送するだろうし。

588 :人間七七四年:2018/06/24(日) 07:21:33.01 ID:/iZA8l/+.net
色々考えたけど結局さ、
山内一豊を味方に付けたほうが勝ちっていう戦いだったんだよ

経験、人脈、地勢、コミュニケーション能力、運
どれもこれも西軍に足らないものばかりだ

嫁に頭下げて旦那さんを西軍に下さいって頼んでたら勝てたんだよ!(´;ω;`)ブワッ

589 :人間七七四年:2018/06/24(日) 07:22:10.74 ID:909qZ+CR.net
何かの文献に清洲に運ばれた米の量の目安になりそうなのあったな・・・なんだったっけw
まあそれは置いといて、確か福島って家康に城寄越せって言われたの断ってるよな?

590 :人間七七四年:2018/06/24(日) 07:37:40.34 ID:g4IN14aP.net
>>589
会津征伐時の話の上、憶測だけどね

591 :人間七七四年:2018/06/24(日) 07:50:16.37 ID:xbINq5ay.net
>>588
で、嫁が頭よくて西につかないというオチも

592 :人間七七四年:2018/06/24(日) 08:12:29.99 ID:909qZ+CR.net
>>590
いや、俺が知ってるのは秀吉が生きてた頃の文献だったと思うんだが・・・

593 :人間七七四年:2018/06/24(日) 08:42:48.87 ID:DXAjVE7N.net
>>583
清洲が落ちれば驚いて東軍先鋒は雲散霧消だな。

594 :人間七七四年:2018/06/24(日) 09:50:54.85 ID:TYAG0EgE.net
その清洲城をどうやって落とすかだな

595 :人間七七四年:2018/06/24(日) 10:18:14.38 ID:909qZ+CR.net
伏見に時間かかってなければ到着は可能だな。
清洲をどうやて落とすか・・・そこまで兵は居ないけど
清洲は堅いからなぁ。3万で攻めたとして、数日はかかるだろうな。

596 :人間七七四年:2018/06/24(日) 10:32:04.17 ID:/SzM81/Z.net
3万人いたら1秒もかからず降伏だよ。
実際、西軍が城の明け渡し交渉をしたところ
大半の兵士が「そりゃ西軍に城を明け渡すべきだろ」と議論が決まりそうになったそうだし。
でも「西軍が連れてきてる兵士が少ないし引き延ばそうか」と最終的に決した。

597 :人間七七四年:2018/06/24(日) 11:27:18.72 ID:F0IMjo+j.net
東軍先鋒と曖昧な言い方をせずに福島正則と言えば良いのに

598 :人間七七四年:2018/06/24(日) 11:28:46.61 ID:fSlXz0Sl.net
https://www.youtube..../watch?v=_t675VZJgl4
時代を超えて受け継がれる
日本人の心意気。

599 :人間七七四年:2018/06/24(日) 11:39:20.51 ID:xbINq5ay.net
>>596
それができなかったのが上田城なわけで

600 :人間七七四年:2018/06/24(日) 11:40:26.02 ID:AYWzaaZT.net
>>599
そもそも上田城は少し小競り合いが有ったくらいで秀忠隊の都合で勝手に撤退しただけなんだが

601 :人間七七四年:2018/06/24(日) 11:44:07.92 ID:p6FoyxNO.net
城攻めなんて十分下準備しての兵糧攻めの長期戦が当たり前なのに
本戦迄の手慣らしにちょっくら攻めとくかぐらいのノリだったからな

602 :人間七七四年:2018/06/24(日) 12:13:06.76 ID:FV/1IcVa.net
直江兼続が最上領を制圧出来ていれば違っただろうな。その後、伊達と共に関東に南下してたら
東軍は関ヶ原に兵を割けないわけで。国力差は圧倒的なのに
時間を無駄にした直江兼続が最大の戦犯

603 :人間七七四年:2018/06/24(日) 12:33:45.36 ID:XyAZIQ2z.net
>>593
そんなことない
むしろ福島は逆上して戦力10倍

逆に佐和山が落ちれば西軍崩壊
大将の本拠が落ちれば敗北と同義

604 :人間七七四年:2018/06/24(日) 12:36:11.13 ID:XyAZIQ2z.net
伊達は旧領回復優先

上杉は渡さんだろうし

605 :人間七七四年:2018/06/24(日) 13:03:16.53 ID:/u0d7tBr.net
>>603
そういえば関ヶ原で負けても西軍大名は誰も佐和山を目指さなかったな
他の大名はともかく三成本人すら別方向に行くし
宇喜多や島津に至っては大坂城すら無視して薩摩に一直線だからな
島津はまだ分かるけど宇喜多は何を考えているのか
撤退してどう建て直すかというプランが西軍の中に何もない
終始、行き当たりばったりな行動なのが西軍の根本的な問題だろうね

606 :人間七七四年:2018/06/24(日) 13:34:25.90 ID:Ehhh5eL2.net
確か関ヶ原で負けたら南方へ撤退すると事前に打ち合わせていたはず。

宇喜多については、下士官や尉佐官レベルの弱い軍隊が攻めは良くても守りに弱く、一度崩れると再編成が極めて難しいというのはそんなに珍しくはない。
宇喜多秀家の戦後は一度地元の土豪の保護を受けている間に毛利が完全に降伏、一度大坂の宇喜多屋敷に帰還したのちに前田家の黙認の下に島津領に亡命した。
島津については組織的撤退に成功して一度大坂に行ったけど、輝元がアレなので生贄にされる前に帰還したという経緯のはず。

というより三成は全責任を押し付けられただけで、実際には総大将でもなんでもない。

607 :人間七七四年:2018/06/24(日) 14:33:37.16 ID:nvsWvWrJ.net
秀吉は秀家の育て方いろいろ間違えたんじゃないか

608 :人間七七四年:2018/06/24(日) 14:46:53.36 ID:gdgY/Ub5.net
便利なコマとして育てた。自分がいなければ家も保てないぐらいなら、間違っても歯向かってこないだろ

そして見事に役たたずに

609 :人間七七四年:2018/06/24(日) 14:49:37.39 ID:E/Nfl9D+.net
>>603
佐和山なんて落としても三成が騒ぐだけで
西軍には何の痛手もないぞ。

610 :人間七七四年:2018/06/24(日) 14:51:35.65 ID:iREr/E/3.net
秀家が合戦直後に捕まってたら間違いなく首謀者として斬首確定だったからな
命が惜しければ逃げるしかない
大阪に逃げても輝元は守ってくれないのはわかってたんだろう

611 :人間七七四年:2018/06/24(日) 14:55:50.87 ID:+C9tr13D.net
島津は実質全滅
義弘も切腹しようとしたはず

島津の全将兵全滅の覚悟で義弘を落した

義弘が腹減ったと言ったら殿様は食わんでいいって
言われたとか

612 :人間七七四年:2018/06/24(日) 15:21:48.28 ID:Ehhh5eL2.net
佐和山が落とされたらまあ、西軍は大パニックだよね。たぶん。
でもそれは濃尾や伊勢軍との連絡や兵站が事実上寸断されたるし、ほぼ確実に畿内への東軍進出が確定するから。

613 :人間七七四年:2018/06/24(日) 15:44:50.17 ID:k//zWcOq.net
敦賀、桑名、佐和山、大津、伏見、大坂が本拠だとしたら、このあたりは重要拠点。
地図見ればわかるはず。

しかしなぜ桑名に氏家なんだろう。清洲が福島だから氏家でもいいか、ってかんじなんだろうか。

614 :人間七七四年:2018/06/24(日) 16:07:59.80 ID:k//zWcOq.net
本拠が大坂だとして、対東国最終防衛ラインは、大津・伏見のライン。
ひとつ前は敦賀・佐和山(関ヶ原)・桑名のライン。

615 :人間七七四年:2018/06/24(日) 16:32:05.76 ID:g4IN14aP.net
>>814
』大津・伏見はどちらも東軍側の上、落城済みw

616 :人間七七四年:2018/06/24(日) 16:50:51.86 ID:hSeZZKR7.net
>>596
あっという間に清洲が落ちて、桑名と清洲の重大拠点が西軍だからな。
堅持しつつ中山道をひた走って秀忠の背後を襲えば秀忠敗死。

617 :人間七七四年:2018/06/24(日) 17:48:03.56 ID:k//zWcOq.net
瀬田・宇治と言ってもいいけどね。伏見はある程度は後始末したみたいだけど、
上部構造物はほとんど燃えちゃったみたいだし、
大津のほうは落城してすぐ関ヶ原敗報で後始末ほとんどしてないだろうから
どちらも城としての防御力は半減以下の状態でしょうね。

618 :人間七七四年:2018/06/24(日) 18:10:48.57 ID:nvsWvWrJ.net
毛利としては徳川とは示談で済ますつもりだったのに最高裁までいっちゃったってかんじかな。

619 :人間七七四年:2018/06/24(日) 18:59:42.22 ID:k//zWcOq.net
>>583
自城を家康に提供してる状況では、一部日和見しだす者はいるかもしれないけど、
池田、福島、藤堂、黒田、細川、浅野、堀尾、あたり親家康派はたいして影響受けんでしょ。

じゃ、それ以外影響ありそうなのはだれがいるかというと、
山内、有馬豊氏、、松下重綱、加藤嘉明、田中吉政、筒井定次、京極高知、
中村一栄くらいしかいない。

東軍先発隊を仕切ってるのは親家康派だろうしそれ以外は消極姿勢示す程度に終わるんじゃないかな。

西軍が兵7万(東軍先発隊の倍)で清洲を落とした、とかなら東軍先発隊崩壊の可能性も
ありそうだけど、同数程度では大きくは影響しないと思う。

620 :人間七七四年:2018/06/24(日) 19:07:09.87 ID:k//zWcOq.net
それと白峰氏は石田三成書状と>>587徳川家康書状を根拠に
8月上旬福島正則清洲在城説を唱えている。

個人的にはいまいち根拠が弱いように思うが、たしかにいたともとれるかな?と。

621 :人間七七四年:2018/06/24(日) 19:41:19.59 ID:+C9tr13D.net
>>619
山内は神家康だろうし
京極は
絶対不利なのに東軍に兄弟がなったぐらいの東宮派

この二人は東軍でいい

田中も福島らと行動を共にするだろうから
西軍になるのはほぼいない

小早川とか無理矢理西軍にされたのに
離脱したのもいるし

622 :人間七七四年:2018/06/24(日) 19:43:31.43 ID:+C9tr13D.net
>>620
財情はどうかと思うが、包囲されたら
後詰めに来るのは確実

包囲したままだと撃破されるから
西軍は包囲を解くしかない

623 :人間七七四年:2018/06/24(日) 19:47:02.41 ID:GbmgzM9Z.net
>>616
隙あらば史実考察を始める荒らしは放っておこうぜ
スレタイに沿った話を出来るまともな人間を辛抱強く集めよう
清洲陥落ならば徳川も両睨みとなり身動きできなくなるよな
東北では圧倒的な存在となる上杉が動けるようになる
より強力な態勢で最上攻めに向かえるので庄内から谷地更に山形城に北から迫り長谷堂攻防を無効化する
降るか玉砕か伊達に逃れるか

624 :人間七七四年:2018/06/24(日) 20:03:35.59 ID:BnDk59i0.net
>>619
徳川に城を接収された後は別だけど、田中吉政はよりにもよって領国が三河岡崎なので、彼や周囲の上級武士はよくても兵隊がついていくかどうか。
10年たってい入るけどさ。それなりに影響力を残していそうではある。関東と上方を何度も往復する関係で機会はあるし。

清須を落としたければ伏見攻略と並行して美濃と北部伊勢を完全でないにしても制圧して清須攻城を開始しないといけないのでは?
10日で終わるにしても伏見攻略と同日には開始しないと、攻城戦で疲弊したまま東軍3万5000と戦うことになる。
攻略後に兵の休息と防御体制の再構築とか必要だし。

625 :人間七七四年:2018/06/24(日) 20:11:49.89 ID:TYAG0EgE.net
>>620
7月19日福島正則宛の家康書状によると

早々にそこまで出陣したことを御苦労共、上方雑説のため人数(福島正則の軍)は西上させて、御自身(福島正則)は是(江戸)まで来るように。
詳しいことは黒田長政・徳永寿昌が述べるので詳しくは書かない。

という書状を送ってるから清洲から江戸に来るまでこの書状を受け取り
受け取った後は福島正則のみ来て、軍は清洲に引き返したって話だね
馬だけで早々に江戸に来て黒田長政・徳永寿昌に何か指示か説得を受け
早々に馬で清洲に戻れば可能な日数だよね

626 :人間七七四年:2018/06/24(日) 20:41:21.14 ID:mqOIbPKz.net
確かに、親徳川って言ったって秀吉が死んで数年の事だもんな。
福島政則なんて家康から嫁を迎えていた後継者を殺してしまったりと親徳川の連中なんて一皮剥けば然程の忠誠心も無いね。

627 :人間七七四年:2018/06/24(日) 20:58:27.51 ID:NPeXKhoX.net
>>626
西軍がそんな風に本気で思ってるんだったら、積極策とる必要一切なくなるね。
西軍は伏見制圧した上で内府違いの条々ばらまいているんだから。
つまり、上杉征伐軍を始めとした諸大名は徳川に従う理由がなくなるのだから、
皆大坂に帰ってくるか、最悪でも自領に帰ってくるはずだろう。
従って、西軍は慌てず騒がず美濃や近江で諸大名が西軍に頭下げに来るのを待ってればいい事になる。
少なくとも清州を慌てて攻撃する必要は一切ないな。わざわざ降ってくる相手の城を襲って怒らせる必要はない。

628 :人間七七四年:2018/06/24(日) 21:09:50.38 ID:/CRlw5HF.net
>>625
しかし清洲は西軍に既に接収されていたというこのスレの展開ですなあ。
ドミノ現象で駿府まで帰り忠だっ!!
徳川と豊臣軍の激突は三島辺りに。

629 :人間七七四年:2018/06/24(日) 21:46:21.25 ID:k//zWcOq.net
まとめると、尾張早期進攻案の問題点は、
清洲を落とす(占拠する)メリットがあるのか、という点と、
そもそも清洲が落とせるのか、の2点。

630 :人間七七四年:2018/06/24(日) 22:03:28.65 ID:m4NmDPBo.net
>>628
どうやって清州を陥落させるの?福島家臣が受け入れた以外で具体的な方策頼むわ。
懸念とか問題点諸々放置してそんな事言われても困惑するし。

そもそもさあ、西軍が事前にそこまで色々仕込みを入れられる状況なら、
家康は大坂と秀頼放置して安易に上杉征伐になんか行かないと思うんですけど。
関ヶ原って家康が大坂と秀頼をがら空きにして上杉征伐に向かってくれるっていう
反家康派からすれば望外の幸運がないとまず成立しないってのを念頭に置かないと。

631 :人間七七四年:2018/06/24(日) 22:10:37.12 ID:xbINq5ay.net
>>611
鬼とかふたつ名をもつ武将は結局単なるイノシシ武者なんだよな
義久が義弘をもてあますのもわかるわ
義弘は馬鹿すぎ

632 :人間七七四年:2018/06/24(日) 22:12:24.92 ID:xbINq5ay.net
>>619
山内も家康派になるだろ
あれが西につくとは思えないよ

633 :人間七七四年:2018/06/24(日) 22:31:28.88 ID:p6FoyxNO.net
>>626
秀吉が生きている時からそいつらと徳川との関係は良好だったと思うが
秀吉と家康は縁戚だしな

634 :人間七七四年:2018/06/24(日) 22:34:54.29 ID:xJlXBxMX.net
>>631
家康が出馬するまで実質的に家康の代わりを務めた井伊の赤鬼は
徳川家臣筆頭の文武両道で単なるイノシシじゃないぞ

635 :人間七七四年:2018/06/24(日) 23:00:27.65 ID:nvsWvWrJ.net
>>630
それ多分いつものあらしだから無視でいいよ

636 :人間七七四年:2018/06/24(日) 23:16:05.51 ID:ZulKJ8+z.net
>>633
そうかもしれないけど、家康はそこまで派閥作りが上手ではない気はする。
前田派が徳川に対抗できるというのがよく考えるとおかしいから。
前田は家康の3分の1程度の石高しかない上に、秀吉と直接的な姻戚関係でもないのに。
ただ、利家が死んだ途端に外的要因であっさり派閥が崩壊した事を考えると、
利家の派閥形成能力が極めて高かったと言った方が正しいかもしれんが。

637 :人間七七四年:2018/06/24(日) 23:27:46.77 ID:/CRlw5HF.net
>>635
下らねー自演してんじゃねーよ。
ここは西軍勝ちスレだから。
いつもの荒らしってのはお前の別IDのm4NmDPBoみたいな、
「いやーそうはならないだろう」と潰しにかかってくる奴のことだわ。
東軍が着々と地歩を固める流れにしたい奴等は東軍スレを立てたり関ヶ原の真実スレに行ってください。

638 :人間七七四年:2018/06/24(日) 23:33:06.59 ID:rHj3jcQH.net
おやおや

639 :人間七七四年:2018/06/24(日) 23:36:21.75 ID:M8xWvRVB.net
>>636
するとこのスレで進んでいる秀忠敗死ルートならば東軍は相当グラつくね。
なんだかんだ言って家康は当時の常識的にいつ鬼籍に入ってもおかしくない年齢。既に秀吉が認めた後継である秀忠がいるというのは重石になってるんだよね。
平重盛が亡くなったようなもの。

面白そうな展開になっても水を差すように東軍が勝つんだ勝つんだと長々展開してきた人はそろそろ去って欲しい。この人こそ荒らしだわ。

640 :人間七七四年:2018/06/24(日) 23:43:42.75 ID:pEGj77/q.net
>>637
いや、それ(西軍勝利)を考えるスレなのはまあいいんだけどさ。
ただ、西軍が事前に家康に勝てるような仕込みをしようとすればするほど、
そんな状況で家康が安直に上杉征伐なんぞ行く筈ないじゃんというジレンマが……。
例えば、上の方で伏見に奉行の兵を…って言ってるのがいたけど、仮にそれをした場合、
「じゃあ上杉征伐の先鋒として手持ちの兵でお前らが先行しろ。上方はわしが抑えるから安心しろ。」
とか家康に言われたらどうすんのかと。豊臣政権の命令って形なら普通拒否とか出来んし。
当然だけどこの展開で清州攻撃はただの謀反だし、上杉に合流したら討伐対象にそいつらが追加されるだけ。

641 :人間七七四年:2018/06/24(日) 23:56:25.53 ID:/CRlw5HF.net
>>640
前田から上杉と同格である五大老に次々難癖を付けているのが家康だけなのだから、
家康自身が行かない限りどうにもならんでしょ。

奉行衆を上杉に向かわせたところで伏見攻めの前半みたいなチンタラ攻防するだけで戦況は進展しない。

自分の家督が危ないと焦った大将秀忠が革籠原で一網打尽で首を取られ、
家康は田沼意知を喪った田沼意次のように権勢を失っていくという流れでも西軍は勝利ではあるね。

642 :人間七七四年:2018/06/25(月) 00:11:44.90 ID:W1l604K+.net
天下人と言ってもいい権勢を誇った三好長慶も跡継ぎの三好義興が亡くなるとみるみる力を失ったもんなあ。
こうして前例も有るし家康も有るかもね。

建武の中興前の鎌倉攻めも名目上の大将は新田義貞ではなく足利の幼児だもんね、
上杉討伐軍も家康が行かないなら大将を秀忠にしないと体裁も取れないし家康の意思を反映出来ない。
別の大将ならユルい条件で講和して帰りそう。

643 :人間七七四年:2018/06/25(月) 00:21:13.13 ID:yy/1T2b0.net
>>640
いや、史実で奉行が家康の出陣止めてるらしいんだよ。
家康が中央から離れると、上方で異変があった際に対応できなくなるって。
(後の展開考えるとお前らが言うなって話だが。また、征伐そのものに反対してる訳ではないのに注意)
で、家康が出陣したのはそれはない、つまり異変が起きないと思ったから。
しかし、反家康派(つーか、奉行とか宇喜多とか)が不穏な動き見せてるなら家康だって当然警戒するでしょう。

ちなみに、上杉征伐自体は秀忠が名代でも普通に成立しますよ。
秀忠が家康の後継大老である事は太閤遺言にも記載されてますから。
なお、上杉は絶対負けます。豊臣政権率いる全国の諸大名対会津の上杉では勝ち目ないからです。
これで上杉勝てるなら最初から豊臣政権に従わずに豊臣滅ぼして天下取れます。

644 :人間七七四年:2018/06/25(月) 02:09:50.10 ID:ui5R6VpD.net
>>637
清洲には沢山の兵が居たとか言い張る連中だろ。相手しない方がいいよw

645 :人間七七四年:2018/06/25(月) 02:44:17.13 ID:33aXTBQE.net
>>631
義弘のどこがバカ?

むしろ放置した義久がバカ
普通なら減封だが来るなら来いと言ったら本領安堵

646 :人間七七四年:2018/06/25(月) 02:48:43.75 ID:33aXTBQE.net
>>636
対抗軸がなくなった

上杉は遠方すぎる
輝元は器量不足
秀家は能力不足

利長は期待の新星だが

647 :人間七七四年:2018/06/25(月) 02:52:19.61 ID:33aXTBQE.net
秀忠死んでも秀康がいる

秀康が死んでも忠吉がいる

あとは御三家とか

648 :人間七七四年:2018/06/25(月) 03:04:33.83 ID:ui5R6VpD.net
秀康は豊臣贔屓だから秀康が当主になれば豊臣は安泰だぞ

649 :人間七七四年:2018/06/25(月) 03:20:40.87 ID:33aXTBQE.net
そりゃわからん

豊臣が存続する可能性はあったと思うが

650 :人間七七四年:2018/06/25(月) 05:48:07.43 ID:LBYUdHma.net
>>625
そういえばその書状もでしたね、忘れてました。

651 :人間七七四年:2018/06/25(月) 05:51:42.75 ID:uBOxJQrs.net
>>646
その利長を叩き潰しに走ったのが奉行だしなあ。家康はそりゃそんな機会があれば全力で乗っかるだろうし。
豊臣は豊臣で前田にフォローもしないし。
正直、前田が徳川に人質を出したのってあてつけの部分もありそう。
後ろから攻撃してくる奴らや助けてもくれない上役に頭下げる位なら、徳川に媚びてやるわみたいな。

652 :人間七七四年:2018/06/25(月) 05:59:41.33 ID:PC3hgby1.net
福島県史料情報第26号
http://www.history.fcp.or.jp/shiryojoho/shiryojoho26.html
の慶長五年「白河決戦」論の虚実でも述べられてるけど、
白河南方の革籠原で上杉が迎撃するという話は後世の創作だよ。
あと結城秀康が豊臣贔屓てなにか根拠あるのかな?

653 :人間七七四年:2018/06/25(月) 06:38:43.65 ID:mt4ekd3u.net
>>652
「桶狭間じゃない田楽狭間だ」
の類いだろそれって
今さら鬼の首取ったみたいに持ち出してくるなよ

654 :人間七七四年:2018/06/25(月) 08:55:08.64 ID:WnVDtvAV.net
とりあえず前田茂勝は近江愛知川で引っ掛かってるね。増田と長束はわからんが。

655 :人間七七四年:2018/06/25(月) 09:51:51.41 ID:WDEv1HHP.net
>>653
その場合、上杉が征伐軍と本気で戦う意志があったか、一次史料では確認できなくなる

656 :人間七七四年:2018/06/25(月) 11:01:46.05 ID:mI6YMMtN.net
秀忠敗死って可能なのか?
あり得ないとは言わないけど榊原や浅野が命がけで守るだろうに。
秀忠本人も自分の価値は十分理解しているだろうし。撤退路も中山道や甲州道中、伊那路とかもある。
進んでいるとは言うけど、西軍主力が信濃に突っ込んでいけば秀忠隊は壊滅して秀忠敗死しかない。
これではいくらなんでも考察としては乱暴に過ぎる。
具体的には、いつどこで合戦が行われてどういう風に秀忠が敗死するかまで詰めないと。
その間に清須が奪還されて、美濃がピンチになったら意味がない。

清須にしても野戦じゃなくて攻城戦なんだから時間がかかるのは当然。
戦前の清須守備隊に西軍に迎合する意見が多かったことが、清須城が短期間で陥落することを意味しない。
もちろん損害度外視の無理攻めなら兵力差で押し勝てるだろうけど、その後の福島池田他の東軍先鋒組に勝てるか?

正直、岐阜後詰案が一番リアリティがあると思うんだけど。
ここで東軍先鋒組を殲滅や壊滅させれば、あとは北条征伐の再来をやればいいし。

657 :人間七七四年:2018/06/25(月) 11:16:22.41 ID:5aLAOjaE.net
内府ちかひの条々に従い東軍瓦解
江戸包囲のほうがよっぽど説得力ある
それくらい意味不明な西軍信濃突入案
前田どうすんのさ
ルート封鎖されたら畿内と分断してどうすんのさ

658 :人間七七四年:2018/06/25(月) 11:46:58.68 ID:hljK8uCd.net
>>645
いや馬鹿だろ
ろくに兵がだせないなら大坂に行かなきゃよかったわけで。
当主の義久も反対してるのだから無理する必要はない。
あげく家康につくのだか西軍につくのだかはっきりしないまま戦場に居続けて兵を壊滅させているのだから。

659 :人間七七四年:2018/06/25(月) 12:44:17.64 ID:kRD1KqRb.net
>>656
浜松決戦だとか信濃進攻して秀忠敗死とか
言ってるひと全く詳細述べないからどうしょうもないよ。

660 :人間七七四年:2018/06/25(月) 14:08:23.88 ID:jQng6a/e.net
秀忠隊が本隊とは言わないが
正統徳川軍で四天王や軍師もついてる
相当な無能でもない限り討死はない

秀信は数倍の敵と戦って敗走したが死んでない

関ヶ原本戦で西軍は歴史的敗北をしたが
大名クラスは死んでいない

どうして同数の徳川軍が必ず負けて
秀忠が必ず死ぬのか

むしろ西軍が敗走する

あるいは両者が決定打がなく膠着

膠着すれば東軍先発隊が回り込んで来て
西軍は必ず負ける

661 :人間七七四年:2018/06/25(月) 14:23:14.22 ID:fuGBzEQl.net
四天王は榊原だけやん

662 :人間七七四年:2018/06/25(月) 16:04:05.96 ID:jQng6a/e.net
酒井はいなかったか?

663 :人間七七四年:2018/06/25(月) 16:11:55.60 ID:vmvIpEiz.net
四天王(の1人である榊原が)いるっていうのと四天王(の全員が)いるっていうことですかね。

徳川四天王の酒井忠次は関ヶ原時点で死んでいますけど。
当時中山道にいたのはむすこの家次

664 :人間七七四年:2018/06/25(月) 16:28:30.91 ID:Jd1H7ghS.net
西軍が勝利する方法を考えるってのは
何の根拠もなく都合のいい設定のIFを作るって事じゃないんだけどな。
清州は陥落した事にしますだの、秀忠はどこから出て来たのかもわからん西軍部隊に
殺された事にしますだの言われてもなあ。
そんなのただの脳内チートであって、西軍が勝利する方法でもなんでもないだろ。

665 :人間七七四年:2018/06/25(月) 17:53:10.12 ID:La6gaAbU.net
相手にしてるやつがアホなだけ

666 :人間七七四年:2018/06/25(月) 18:11:18.15 ID:JD1uEwki.net
清洲については留守居兵力がわからないという点と、
福島本人と率いていった兵がいつ戻ったかで
白峰説もあるので、落ちるかもしれないし
落ちないかもしれない。
なので落とせたという仮定の話自体は悪くはないと思う。
ただし、落とせない可能性があるというリスクは
認識するべき。

667 :人間七七四年:2018/06/25(月) 18:46:40.05 ID:hzJmhsh+.net
>>636
利家の能力云々はこの際置いておいて利家程戦歴のある人物が他にいるか?
神輿としては充分だろ

668 :人間七七四年:2018/06/25(月) 18:56:40.42 ID:yZRN2jdo.net
>>667
戦歴云々でいうならそれこそ政権内での派閥が徳川一強じゃないとおかしい。
戦歴豊富で石高は前田の3倍はあり、おまけに豊臣との縁戚もばっちり。
にもかかわらず、前田派が徳川に対抗できるレベルなのが凄いんだよ。
反家康、ってだけじゃ一枚岩でまとまるのは意外と難しいし。

669 :人間七七四年:2018/06/25(月) 19:11:21.42 ID:PC3hgby1.net
>>666
福島正則は清洲24万石だから5人役とすれば総数12000くらいか。
会津と関ヶ原に連れて行ったの6000くらいでいいのかな。

670 :人間七七四年:2018/06/25(月) 19:14:56.81 ID:86+tcZf3.net
利家は旧織田系の代表的な存在だったのが大きいんじゃ
やっぱ豊臣政権て織田政権を相続して成立した側面があるから旧織田系の影響力は無視できない

671 :人間七七四年:2018/06/25(月) 19:27:44.82 ID:PC3hgby1.net
>>670
家康て旧織田系と戦国大名の両方の系統を持ってんだよね。

672 :人間七七四年:2018/06/25(月) 19:38:32.94 ID:yZRN2jdo.net
>>671
しかし、関ヶ原戦役では織田一門は皆西軍に…と思ったが、有楽が東軍だな。
つまり、織田一門全体でみた場合、保険はかかってる訳か。
どっちが勝っても織田が壊滅する事は無い、と。

673 :人間七七四年:2018/06/25(月) 20:58:52.79 ID:Mel068pH.net
秀吉死後の状況だけ見ていると少し不思議に思うかもしれないけど、秀吉晩年から見ればそんなにおかしくはない。

秀吉を別格としたら
家康>>>利家>>>>>>他の年寄や奉行達くらいの力関係だった。
なんでも、秀吉が本格的に体調を崩すまでは秀吉家康利家の三人が一緒に大名や公家のお屋敷訪問をしたり、茶会を開いていたそうで。
三人の関係が基本的には良好であったようだし、この三人が特に強い権力があった模様。

ただ根本的な体力や経験とかでは、利家が明らかに劣っている。
利家はどうしても信長配下の一武将でしかなかったけど、家康は(偶々そうなっただけにも思えるが)今川包囲網wとか北条包囲網とか秀吉包囲網とかやってるし。

象徴的なのは官位かな?家康が大臣で利家が大納言、でも秀忠秀康息子の二人が中納言で差をつけられてる。
そして輝元や景勝の中納言任官は徳川秀忠よりも遅いので現役の大名当主でありながら、嫡子に過ぎない秀忠よりも宮中序列が下になる。

そんな感じだから家康に対抗するための神輿を作るとしたら利家しか選択肢が無い。
旧織田系諸侯の代表者としての側面も大きいとも思うけど。
これが「前田利家派」じゃないか?

674 :人間七七四年:2018/06/25(月) 21:04:30.98 ID:8Gwg8QMS.net
家康はハッキリ豊臣政権を簒奪しようとしてたのが誰の目から見ても明らかだったけど
利家は傍目には簒奪する気が全く無いように見えたからというのもあると思うよ。
本心は利家に聞かなきゃ分からないけど傍目にはそう見えたとしいえ。

675 :人間七七四年:2018/06/25(月) 21:11:05.74 ID:RekSul6H.net
>>674
政権内での権勢拡大自体はしてたように見えるけど、簒奪するようには見えんなあ。
ポジション的には完全に藤原氏や執権北条だし。
反家康派が恐れたのは、自分たちが朝廷における橘氏や大伴氏、あるいは
鎌倉における比企や和田、三浦の役を押し付けられる事だったんじゃないかな。

676 :人間七七四年:2018/06/25(月) 21:30:16.70 ID:Mel068pH.net
実際上の権力を秀頼に「返す」つもりなら淀殿と家康の結婚が成立していてもいいと思うけどね。
徳川家臣団とかを納得させるためにも。

その代わりに家系図がヤバいことになるし、今度は徳川家が足利義満時代の土岐や大内のように潰される懸念も出てくるけど。
皇室と藤氏ではなく、細川家と三好家、京極家と浅井氏、斯波氏と朝倉氏、そして大内氏と陶や毛利に例える人も多そう。史料はないけど。

677 :人間七七四年:2018/06/25(月) 21:34:25.54 ID:wUO/T+71.net
利家は信長配下では目立ってなかったからな
信長からしたら勝家の配下の陪臣扱い
秀吉と同期な友達で勝家を裏切って秀吉に付いたってだけで豊臣政権内で出世しただけだし

678 :人間七七四年:2018/06/25(月) 21:43:04.88 ID:biHuNkEN.net
家康の簒奪の一環のように言われることの多い利長に帰国を勧めたって話あるけど、出典江戸時代中期の三壺聞書だよね?
実際のとこどうだったん?当時的にほんとに家康は利長に勧めた様子のある書状とかあるの?
もしくは逆になんで利長帰ってんの的に驚いてる様子とかわかるのないかな

679 :人間七七四年:2018/06/25(月) 23:01:27.79 ID:dax9l0h+.net
見落としがあったので>>359に追加。
8月20日付京極高知宛徳川家康書状には
三河から美濃・尾張方面へ行くようにとの指示がある。

なので、少なくとも池田輝政、藤堂高虎、京極高知、井伊、本多は後続。

それと東軍先発隊陣容は>>3にあるけど、
東軍先発隊のうち、池田、福島、藤堂、黒田、細川、浅野、堀尾、山内、京極が親家康派と言えるなら
残りは有馬豊氏、、松下重綱、加藤嘉明、田中吉政、筒井定次、中村一栄くらいで
兵力全体の約7割は親家康派。

それと>>2に追加事項
6月6日 芳春院(まつ)、人質として江戸に到着
9月9〜10日 尾張の野間・内海にて毛利水軍が合戦

野間・内海合戦については詳細不明。毛利の乃美景継、村上景広が参戦、
九鬼水軍、熊野水軍の参加があったかは不明。
海戦だったのか上陸後戦闘だつたのか不明。
毛利方が討ち取った首の数が2日間合計で140以上なので、西軍勝利の合戦かな?

野間・内海合戦詳しいひといたらよろです。

680 :人間七七四年:2018/06/25(月) 23:58:32.80 ID:mI6YMMtN.net
>>679
ありがとうございます。>>553も加えたら一レスからあふれちゃいますかね?
そして加藤(伊予)と筒井(伊賀)以外は親徳川派か東海道の大名になりますね。

一瞬返忠とか考えていたんですけど筒井以外にはリスキーすぎて現実味がないなあ。
そういや、史料は全力で隠滅されてそうですけど、東軍諸大名を西軍に誘うものってどれくらいありましたっけ?
岐阜城後詰戦とかで西軍有利にならなければ意味がなさそうですけど。

681 :人間七七四年:2018/06/26(火) 00:21:13.10 ID:dYE0AwHt.net
三成は利家も政権簒奪狙ってる!と決めつけてたからなあ…
出典は武功夜話だけどw

682 :人間七七四年:2018/06/26(火) 06:11:49.22 ID:/BrhemYd.net
武功夜話にそんなの載ってたっけ?
利家は流石に天下は狙ってないだろ・・・健康問題もあるし。

683 :人間七七四年:2018/06/26(火) 06:17:57.06 ID:/BrhemYd.net
家康が天下を狙ったのも、自分の健康に自信があったからだろうな。
そりゃお医者さんごっこ大好きの健康ヲタクだしw
じゃなけりゃ58くらいだっけ?そんな気力は普通ないだろ。

684 :人間七七四年:2018/06/26(火) 08:46:56.35 ID:2EB1R9jJ.net
健康に自信の有るジーサンならごまんといるけど、結構すぐ寝たきりになるからなあ。
家康があそこまで当時の平均寿命を越えて生きるとは予想出来ないでしょう。
政治家とかも権勢が衰えてくる。
家康にあそこまで集まった理由が良くわかんないんだよねえ。
利家が亡くなれば家康の寿命もそろそろ見えてきたと考えての三成の行動は解るが。

685 :人間七七四年:2018/06/26(火) 09:07:19.89 ID:nFckm5B5.net
子供産ませる体力があるのは実証済みなので

686 :人間七七四年:2018/06/26(火) 09:17:13.88 ID:vSgwSbIR.net
極論的には1年速く家康が死ねば豊臣は残ったかもしれん

687 :人間七七四年:2018/06/26(火) 09:19:02.94 ID:Xg44fbbI.net
>>609
佐和山が落ちたら近江東部を完全に失うのと同じことなんだが。

688 :人間七七四年:2018/06/26(火) 09:28:40.62 ID:ggezJM3P.net
>>686
秀忠がいるから、それはさすがに…

689 :人間七七四年:2018/06/26(火) 09:37:06.74 ID:f2fsVhMj.net
家康が健康そうに見えていて、実際に結構走り回っているのと、秀忠と秀康の出来が良かったんでしょう。きっと。
確か秀次事件の時にとんでもないスピードで上洛していたはず。(1日100キロくらいだったかなあ)
利長と利政は正直家康の子供二人と比べて若干見劣りする気がする。他は子供がいないか幼すぎて判断できない。(当主も十分現役だけどね)

それと血縁関係が近親交配敵にどうなの?ってレベルで豊家とくっついてるのも大きいだろうね。

690 :人間七七四年:2018/06/26(火) 09:49:17.94 ID:f2fsVhMj.net
野間・内海合戦については初めて知って勉強不足を改めて痛感。
以前に東軍が伊勢に上陸云々という方がいたけど、西軍が知多半島や三河に上陸ってのはさすがに非現実的にもほどがありますかね。

691 :人間七七四年:2018/06/26(火) 09:56:17.76 ID:nFckm5B5.net
毛利水軍を伊勢に移動させるまで相当な時間を要している

692 :人間七七四年:2018/06/26(火) 09:56:57.26 ID:+9YO2jti.net
>>688
家康でも困難だったのに秀忠ができるとは思えない

外堀埋める前ね

693 :人間七七四年:2018/06/26(火) 09:59:22.59 ID:IBo0POLb.net
毛利水軍が最初から三島沖や江戸沖にきたら家康にとって超脅威だよ
大砲を積んで沖合からぶっ放すだけでも。

694 :人間七七四年:2018/06/26(火) 10:47:53.57 ID:nFckm5B5.net
>>693
それ李舜臣が朝鮮半島における日本軍の兵站線を遮断したと同レベルの主張

695 :人間七七四年:2018/06/26(火) 10:48:40.41 ID:+9YO2jti.net
黒船かよ

696 :人間七七四年:2018/06/26(火) 11:04:09.51 ID:ptUv9+8J.net
>>679の訂正
毛利方が討ち取った首の数が2日間合計で240以上です。打ち間違え。


それと東軍方は、師崎在番:松平家信、小笠原広勝、小笠原信元、
知多郡大野、常滑在番:戸田尊次、清水政吉。


野間・内海合戦は詳細不明で、知多半島の地元の市史、毛利水軍のだれかの書状、
上記東軍知多在番衆の書状、このあたりでなにか合戦内容わかるの残ってないですかね?

697 :人間七七四年:2018/06/26(火) 11:09:29.86 ID:IBo0POLb.net
小栗上野介が箱根の関を閉じて
幕府艦隊で三島の官軍をバカスカ砲撃しようと献言したんだけど
アホの慶喜や勝に却下されたんだよな。

698 :人間七七四年:2018/06/26(火) 11:09:41.26 ID:ptUv9+8J.net
>>690
輝元、恵瓊、増田、長束の構想としては伊勢制圧後、水軍衆使って伊勢方面隊を
知多もしくは鳴海、熱田あたりに上陸させて清洲を挟撃、もしくは三河へ進攻ってかんじ
だったんじゃない?
だけど実際には9月9日時点では上陸させる部隊が伊勢にはいないわけで。

699 :人間七七四年:2018/06/26(火) 11:20:16.92 ID:f2fsVhMj.net
野間が現美浜町で内海が現南知多町ですね。
野間・内海合戦は郷土史レベルでも情報少なそうです。

700 :人間七七四年:2018/06/26(火) 11:23:50.36 ID:ptUv9+8J.net
逆に言えば、伊勢方面隊は美濃大垣へ後詰に行かず、
9月5〜8日くらいまで安濃津で待機してれば、
知多、鳴海方面への上陸作戦が決行された可能性がけつこう高いように思う。
ある意味「中入り作戦」とも言えるかな?

いや、その場合家康本隊と合戦か!家康の熱田到着が9月10日だね、こっちのが面白い?
たしかなにかの記録で、家康が熱田の沖合に九鬼の軍船が見えた、とか残ってたよね?

つまり伊勢方面隊、石田の援軍要請を断り伊勢に待機、予定通り9月9日に鳴海に上陸作戦を
決行、伊勢方面隊と家康本隊で第2次桶狭間。

701 :人間七七四年:2018/06/26(火) 12:08:28.61 ID:vz5NQd+n.net
>>700
船でどれだけの兵を運べるんだ?
家康本隊は3万。同じ数くらい運べる水軍が存在するとでも?
しかも、上陸軍は退路が海路しかないから、陸地で敗れたら間違いなく全滅しかねない。
相手がしかも家康では。

702 :人間七七四年:2018/06/26(火) 12:13:16.76 ID:ptUv9+8J.net
9月9日鳴海上陸作戦案もうちょっと詰めようか、
まず石田の援軍要請に対し、大垣城での後詰決戦よりも、
予定通り毛利水軍の到着を待って9月上旬に尾張・三河への中入り作戦を実施する、
それによって赤坂の東軍を孤立、補給線の寸断を計る。
それまで大垣は籠城し固持すること。輝元、増田連署で。

上陸地点としての適所は尾張、三河どちらにも行ける地点として熱田、鳴海、大高の辺り。
東海道も寸断できるので鳴海が適所。
家康は9日岡崎、10日熱田なので、9月9日、西軍が熱田、鳴海制圧、
9月10日、西軍の作戦方針次第だが、主力は清洲へ、別動隊は三河へといった形になるかな?
で、10日の午前中に三河方面別動隊と家康本隊それぞれの先鋒が接触。
三河方面別動隊は清洲攻略隊の到着まで鳴海まで一度後退し待機、
清洲攻略隊は家康出現の報に清洲は諦めて鳴海へ急行。
家康本隊は強行軍してきてるので、こちらもやはり一度沓掛、刈谷、もしくは岡崎まで後退するかな?

わたし的には尾三国境付近で伊勢方面隊と家康本隊で数日は膠着すると思う。
赤坂の東軍は救援に行こうにも動けない。動けば大垣城勢に追撃を受ける。

焦点は秀忠が命令通り赤坂へ向かうか、東濃岩村口から三河へ向かうか。

どうかな?

703 :人間七七四年:2018/06/26(火) 12:22:15.08 ID:ptUv9+8J.net
>>701
舟は準備期間が約2週間あるからその間にかき集めるしかないですね。

たしかに野戦で負けると全滅しかねないですね。勝つか、上陸地周辺拠点があれば
問題ないんだけど。
逃げれる場所が大垣ではたしかに遠いよなぁ。木曽川も越えなきゃだし。

704 :人間七七四年:2018/06/26(火) 12:23:47.71 ID:rbXsQW4U.net
純粋に家康の政務の方が他派閥の政務より評判よかったとかそういうアレってないの?
他の連中政治あかんし家康がええわ、みたいなの

そういうのであれば普通に良い政治するだけでおのずと家康と対抗できるくらいの人気出せそうな気もするけど

705 :人間七七四年:2018/06/26(火) 12:24:56.35 ID:6ruYb7DW.net
水軍って言葉に夢みすぎだよな

706 :人間七七四年:2018/06/26(火) 12:25:44.76 ID:IBo0POLb.net
でも毛利水軍は大阪湾(対織田)と長島(対織田)と小田原城(対北条)の海上を封鎖した実績があるから
水軍に関しては対朝鮮戦でも鍛えられてるし圧倒的に西軍>>>>>>東軍
これを有効活用せずに四国や九州に水軍を散らした事が敗因だろ。

707 :人間七七四年:2018/06/26(火) 12:27:02.01 ID:IBo0POLb.net
一応、玄界灘を超えて10万人以上の兵士を朝鮮半島に運んだんだから
江戸に10万人運ぶなんて赤子の手をひねるより楽勝だろ。

708 :人間七七四年:2018/06/26(火) 12:27:12.01 ID:3Oi+Pear.net
家康はグイグイ前に進むイメージがあるので岡崎への撤退は違和感がある。
軍の疲弊がどの程度かにもよるけど、別働隊の兵力が家康隊に比べて劣勢と考えるのが妥当だから、西軍三河方面隊と合戦しそう。
あるいは清須入城を目指してさらに前進するかな?

709 :人間七七四年:2018/06/26(火) 13:07:32.75 ID:Mu3+YkNT.net
>>707
朝鮮までの過酷な船旅を何度もやらされて水軍は疲弊しきっていたのだろう
関ヶ原の頃にはもうボロボロに燃え尽きていたんだよ

710 :人間七七四年:2018/06/26(火) 13:08:55.01 ID:0ue23rzd.net
徳川水軍は相当強いぞ

711 :人間七七四年:2018/06/26(火) 13:12:16.64 ID:0ue23rzd.net
小牧長久手の戦いでは織田水軍や北条水軍は徳川水軍に完敗だったしな

712 :人間七七四年:2018/06/26(火) 13:13:53.25 ID:ptUv9+8J.net
冷静に考えると、自分で言っておきながらリスクの高い作戦だなとは思う。
8月下旬に実施してれば成功率は高かったかもしれない。

それから毛利水軍、九鬼水軍、熊野水軍でどれくらいの輸送能力、戦闘能力があったのか
よくわからんね。

>>708
岡崎まで後退(というか留まる?)すると秀忠と合流しやすいというメリットがある。
家康本隊って有力武将が渡辺守綱、近藤秀用、大久保忠教、伊奈昭綱のほかは
使番くらいしかいない。これ(家康本隊のみ)で戦は不安じゃないかな?

713 :人間七七四年:2018/06/26(火) 13:16:48.29 ID:TLgUzpc6.net
尾張、三河の海岸線も無防備ってわけじゃなく
秀吉が各大名に十万石につき2隻?だったかの日本丸級の船を作らせていて
それを東軍が使えるとしたらいくら経験で勝る毛利水軍でも厳しいんじゃないか?

714 :人間七七四年:2018/06/26(火) 13:17:18.19 ID:YYyEZdUx.net
>>711
九鬼水軍なんてそれこそコテンパにやられたよな

715 :人間七七四年:2018/06/26(火) 13:18:19.63 ID:ptUv9+8J.net
>>710
野間・内海合戦で東軍が勝ってるなら江戸時代に喧伝してるんじゃない?
それがないということは、西軍の勝利だったか、毛利水軍が知多の民を200人ほど
殺しただけの盗賊行為にすぎなかったかのどちらか。

716 :人間七七四年:2018/06/26(火) 14:06:08.33 ID:+tXlGwhK.net
後者じゃね?あと盛ったか。
というか詳細不明なのに何故か打ち取った首だけは正確にわかってるんですね(^^)

717 :人間七七四年:2018/06/26(火) 14:08:47.65 ID:6ruYb7DW.net
水軍というか輸送隊に毛が生えたようなもんだわな
沿岸しか運用できないんだから

718 :人間七七四年:2018/06/26(火) 15:01:05.90 ID:2EB1R9jJ.net
>>710
徳川水軍って旧今川水軍?
北条水軍って小田原戦役後は熊野に帰ったんだっけ?
熊野水軍が関東で平気で活動出来たんだから縄張り意識云々はあまり無さげ。
というか毛利が三河で徳川を実際に打ち破っている話は初耳で驚き。
このスレで語られる清洲陥落と共に喧伝されれば東軍の中小領主はかなり揺らぐのでは。
心理面で清洲が落ちると大きそうだ。

719 :人間七七四年:2018/06/26(火) 15:59:23.60 ID:ptUv9+8J.net
>>716
9月12日付乃美景継合戦頚注文
9月9、10日で計130

9月12日付村上景広合戦頚注文
同じく9月9、10日で計116(誰がいくつ首討ち取ったか全部記載されてるんだけど
実際に計算すると117みたい、めんどくさいからわたしは勘定してないが)

足すと247討ち取ったと。
わたしが見たのは、愛知県史資料編13織豊3だが、出所は毛利家文書みたいだね。

720 :人間七七四年:2018/06/26(火) 17:01:35.04 ID:ptUv9+8J.net
一応伊勢湾派遣毛利水軍戦力の参考になるかもなので列挙してみる。

乃美景継配下、乃美清二郎、乃美主殿助、木谷右衛門尉、包久弥三郎、有田弥七郎、
村上景広配下、下見大郎右衛門、村上次郎兵衛、村上仁三郎、村上新五郎、
村上又三郎、吉田善右衛門、


それぞれ、例えば、
村上新五郎家中共に討捕 9日 頸一 児玉孫三討捕之
                    同一 村上惣兵衛討捕

                同10日 頚一 村上新五郎討捕之
                      同一 宅沼源次討捕

というふうに全部書かれてる。
一番多い者が頚3つの村上仁三郎家中 寺尾杢左衛門となってる。

721 :人間七七四年:2018/06/26(火) 19:52:00.00 ID:ptUv9+8J.net
>>702の9月9日鳴海上陸作戦案は、本来輝元、恵瓊、増田、長束らがやろうとしていた作戦で、
それがそのまま実施されたらどうなるか、というもの。
上陸作戦としては、アンツィオ上陸作戦や仁川上陸作戦と同様で、
結果はやってみないとわからない、というリスクの高いもの。
上陸後の部隊展開としては家康との桶狭間のような不期遭遇戦に突入すると思われる。
西軍としては偶然の産物であるが、家康を討ち取る絶好のチャンスとなる。
また家康本隊は>>712にあるように有力武将が少なく、
家康本隊のみでの合戦には不安が大きい。
一方上陸した西軍も撤退できる味方拠点は近くにはなく、
せいぜい鳴海に陣城構築がどこまでできるか、といったところ。

一応参考までに近隣の東軍在番衆、岡崎城在番北条氏勝、西尾城在番松平忠頼。
清洲城在番は>>3の通り。

722 :人間七七四年:2018/06/26(火) 19:58:12.96 ID:nFckm5B5.net
>>721
家康本隊の戦闘力は笠谷氏がケチを付けてからあれこれ言われるけど、
家康自身は本隊で南宮山の毛利勢を攻め落とすとか言っていて、
その戦闘力に微塵も疑いを抱いていない

723 :人間七七四年:2018/06/26(火) 19:58:26.30 ID:1Zdc/pW5.net
>>721
清洲が落ちていればビッグチャンスになるな。
この話が通ればポーランド相手に日本代表が先制点だ!!

724 :人間七七四年:2018/06/26(火) 20:08:47.35 ID:ptUv9+8J.net
>>722
そりゃ赤坂には本多も井伊もいるけど、ここではいないよ?
わたし的には部隊長クラスが渡辺守綱しかいないと思う。
宇喜多の明石掃部しか部隊長クラスがいないに近いかなと。

725 :人間七七四年:2018/06/26(火) 20:29:35.16 ID:+tXlGwhK.net
>>720
だから討ち取られたのが誰か、誰とどのように戦ってたのか解ってるの?
あと関ヶ原での毛利の伊予侵攻に村上水軍の能島と因島も参戦してるけど、
加藤喜明の留守部隊に大敗して能島当主の元吉が戦死してるよね。
唐入りの時には来島当主の通房が確か唐入りでの大名格で唯一の戦死だったはずだし、
ぶっちゃけたいしたことは無いとおもう。

726 :人間七七四年:2018/06/26(火) 20:31:33.24 ID:Yzb5ba4m.net
水上ルートを9月にもなってとるかなあ。
9日ってすでに岐阜陥落して大津が東軍に寝返ってる状態だぜ。
事実上東軍先発隊に大坂へのフリーパスを与えるようなものの気がするんだが。
東軍が京や大坂に入ったら西軍はほぼアウトだと思うぞ。

727 :人間七七四年:2018/06/26(火) 20:34:22.02 ID:vVtPbMex.net
当時の軍制を現代に合わせるなら関ヶ原時の明石全登は師団長クラスだろうな
渡辺守綱は部隊長クラスと言っていいが家康本隊には同格の者はごろごろいる

728 :人間七七四年:2018/06/26(火) 21:07:24.83 ID:g/UY8Y2Z.net
徳川は別働隊として家康の判断無しで動くのは井伊隊のみ
井伊隊だけが家康の名代として外様を率いて東海道から決戦の地へ行く予定だった
他の本多や榊原を始め名の有る徳川の部隊長クラスは中山道の秀忠隊、所謂譜代の部隊に与された
本多忠勝が関ヶ原に居たのは井伊直政が病に倒れていたからで
忠勝は供回り数百しか引率れていない
本多隊の残りの大部分は秀忠隊に付いている
引き換えに家康隊は中〜小の旗本ばかりでそれ程巨大な戦力にはならない

729 :人間七七四年:2018/06/26(火) 21:12:24.14 ID:Yzb5ba4m.net
そういや水上ルートを選択した場合、小早川を史実よりもさらにフリーな状態にする事になるけど、
その辺の対処はどうするんだ?無理やり同行させるのは不可能だと思うが。

730 :人間七七四年:2018/06/26(火) 21:14:20.92 ID:F/wbevVz.net
今の時代ですら高台に登れば海が平地が見渡せるのに
上陸急襲なんて見張りが全く存在しない世界を想定してるのか
絶賛有事中だぞしかも

731 :人間七七四年:2018/06/26(火) 21:24:44.22 ID:ptUv9+8J.net
>>725
わからない、だから>>696で聞いてる。たいしたことないかもしれないしあるかもしれない。

光成準治著 「関ヶ原前夜」では、村上元吉は阿波占領後伊予へ転戦、
村上景親は同じく阿波占領後伊勢湾へ配置替え、と書かれている。
乃美景継、村上景広については触れられていない。

732 :人間七七四年:2018/06/26(火) 21:37:57.89 ID:ptUv9+8J.net
>>729
小早川秀秋は史実通りの動きするんじゃない?この時期なら佐和山付近でしょ?
特に変わらない。

>>730
意味不明。わざわざ敵がいる常滑や師崎に上陸する馬鹿はいない。
上陸作戦は無血上陸に越したことはない。
常滑から清洲か岡崎に船団航行の報せはいくかもしれんが。

733 :人間七七四年:2018/06/26(火) 21:39:53.95 ID:+tXlGwhK.net
>>728
wikiだけど

旗本先手役
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%97%E6%9C%AC%E5%85%88%E6%89%8B%E5%BD%B9

大番
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%95%AA

>>731
阿波は戦って占領したというより毛利の威圧に屈しただけだからなぁ・・・

734 :人間七七四年:2018/06/26(火) 21:43:06.19 ID:+tXlGwhK.net
>>732
えっ奇襲上陸するつもりなの?

735 :人間七七四年:2018/06/26(火) 21:47:01.78 ID:ptUv9+8J.net
>>727
参考までに同格の者というか部隊長クラスを挙げてみてください。
あとは布施孫兵衛門くらいに思いますが。

736 :人間七七四年:2018/06/26(火) 21:49:54.35 ID:Yzb5ba4m.net
>>732
いや、史実通りならヤバいだろ小早川。このIFだと普通に東軍先発隊と合流してしまうぞ。
つーか、佐和山陥落確定じゃん。
(うまくいくとは思えんが)尾張や三河を攻撃する引き換えに美濃・近江を失いましたとか
割に合わんにも程がある。大体そのまま大坂に入られたら、西軍はゲームオーバーだろ。

737 :人間七七四年:2018/06/26(火) 22:00:22.97 ID:ptUv9+8J.net
というかこの鳴海上陸作戦案は、アンツィオ上陸作戦(チャーチル立案、というか思いつき)や、
仁川上陸作戦(マッカーサー立案、というか思いつき)同様のものが実行されたら、なんだから
軍事的にリスクが高く効果が疑問でも輝元、恵瓊、増田、長束ならやりかねん、
という作戦だというのを念頭に置いてください。



>>736
大谷らが山中村にいるやん。

738 :人間七七四年:2018/06/26(火) 22:01:55.04 ID:1Zdc/pW5.net
>>736
ただの日和見でウロウロしてるだけだろ。伏見攻めに参加して明確に西軍なんだからそんなことしないしない。

739 :人間七七四年:2018/06/26(火) 22:02:33.13 ID:nFckm5B5.net
>>728
少ない石高の者を編合して、寄騎同心制で備が編成されます
逆に大大名は分割して複数の備を編成します

740 :人間七七四年:2018/06/26(火) 22:08:14.85 ID:IBo0POLb.net
いや。小早川は明確に東軍だよ。
関ヶ原の戦いが起きたのは小早川が明らかな東軍だったからだし。
そうでなければ三成たちも陣替えをせずに大垣城の戦いになってたぞ。100%

741 :人間七七四年:2018/06/26(火) 22:31:52.04 ID:vVtPbMex.net
>>735
永井直勝、酒井重勝、大久保忠教、横田尹松、真田信尹とか多数
その上の大名クラスは酒井重忠、大須賀忠政、奥平信昌、久野宗成、松平康長、松平忠親、北条氏勝、等々

742 :人間七七四年:2018/06/26(火) 22:38:16.75 ID:StZFl7UG.net
渡辺半蔵は3千石だったっけ?めっちゃ沢山いるわな。

743 :人間七七四年:2018/06/26(火) 22:49:53.43 ID:F/wbevVz.net
船団の数が多ければ見つかるし少なければ上陸したところで
荒らすだけで拠点化できない
海上の船は遠くからでも見えるのにどうやったら隠密行動できるんだよ

744 :人間七七四年:2018/06/26(火) 22:54:21.99 ID:1Zdc/pW5.net
>>740
あんたの空想戦記は
聞いてないから。

745 :人間七七四年:2018/06/26(火) 23:14:41.01 ID:ga5v4N3b.net
>>744
小早川って、史実で西軍所属の伊藤を松尾山から追い出してその地を占拠する位には東軍だぞ。
このIFのタイミングだとスケジュール的にすでに岐阜が陥落してる上に、
大津が東軍として挙兵してるから、どう頑張っても西軍としての動きはしてくれんと思うぞ。
しかもこのIFだと史実よりもさらに美濃・近江が手薄だ。

746 :人間七七四年:2018/06/26(火) 23:34:20.00 ID:IBo0POLb.net
秀秋は高宮でただ仮病して滞陣してたわけではなく佐和山城の地勢と攻め口を良く研究し
調略も既にしてたって話もあるしな。

747 :人間七七四年:2018/06/26(火) 23:56:17.03 ID:f2fsVhMj.net
佐和山で東軍に寝返ったのは確か長谷川守知だったはず。
ここであえて、秀秋マジ病気だった説を出そう。状況証拠で無理矢理主張できる。

清須速攻については伏見城が8月1日まで時間がかかっているのに、8月14日までに山城から尾張まで移動して、清須を落として、東軍先発隊への防衛線や迎撃の準備までしないといけない。
これができないと逆効果になる。

上陸案は当時の日本での先例が少ないので断言できないけど、奇襲効果は大。
しかし、輸送可能な兵力はどれくらいなのか、兵站維持含めて数千から万人単位じゃないと厳しい。
9月11日には美濃尾張周辺の東軍は6万を超えることになる。家康隊の動きはもっと遅くなるかもしれないけど、早くなるかもしれない。

748 :人間七七四年:2018/06/27(水) 00:10:35.32 ID:IgdCNV1w.net
>>741
永井直勝、酒井重勝、大久保忠教(>>712)、横田尹松、真田信尹
酒井重忠、大須賀忠政(20歳)、奥平信昌、久野宗成(19歳)、松平康長、松平忠親(?)、
北条氏勝(岡崎城在番)、

この中で兵1000〜2000くらいで迂回、挟撃、別動隊の指揮できそうなのって
奥平信昌、酒井重忠、松平康長くらいじゃない?不安にならない?
上杉謙信でも自分で指揮するのは8000くらいがいい、って言ってたんでしょ。
仮に野戦になって左備、中央、右備だれに指揮させる?
ほとんど家康自分で指揮しなきゃならないんじゃない?
使番だけはいっぱいいるからやろうと思えばできるのかもしれないけど。

これで野戦やるなら岡崎で秀忠待ったほうがいいように思うけど。

749 :人間七七四年:2018/06/27(水) 00:12:01.60 ID:0xsxLKoM.net
ゲームかな

750 :人間七七四年:2018/06/27(水) 01:45:55.40 ID:TiolaZSe.net
>>744
小早川は最初から東軍だ
島津と同様伏見では東だと表明しそこねた
なので後々徳川に詫び状送り続けてる

751 :人間七七四年:2018/06/27(水) 05:40:07.08 ID:6JzcnC1x.net
統合失調症って大変だよね

752 :人間七七四年:2018/06/27(水) 07:24:19.38 ID:mL0YoJix.net
秀秋は調べれば調べるほど普通に東軍で活動してるのが悲しいな

753 :人間七七四年:2018/06/27(水) 08:12:55.78 ID:ey9tGxpP.net
>>748
中央は三人いる大番頭

後、旗本備は本多正重、
本戦で大名級が多く配された後列は大須賀康高の寄騎だった
久世広宣、坂部広勝が指揮したと伝わる

本隊で野戦するなら、南宮山の抑えで後列に回された大名級を
中心に旗本備の旗本が編合されることで部隊を編成するかと

754 :人間七七四年:2018/06/27(水) 08:16:08.07 ID:901Gv7CA.net
秀秋は大垣に西軍が集まる前から東軍だろ。

755 :人間七七四年:2018/06/27(水) 09:11:28.19 ID:7i3b2jLZ.net
小早川が西軍に味方する理由がない

756 :人間七七四年:2018/06/27(水) 09:27:08.75 ID:yjm1ZQMf.net
西軍だけ水軍持ってて奇襲可能という設定は
西軍だけ近代兵器持ってるとか西軍だけ義があるから勝つるとかと同レベルじゃないかな
三河沿岸で東西水軍がぶつかったらと妄想した方が燃える
西軍の輸送船を東軍が砲撃して終わりという悪夢しか見えないが

757 :人間七七四年:2018/06/27(水) 09:37:21.01 ID:RmgrX61l.net
>>755
三成「我々にお味方頂ければ秀頼様が成人するまで関白にします」
三成にそんな権限有るのかよ?
の前に秀秋が合戦で混乱した世の関白に就任するとか
戦乱の世再びどころか日ノ本の悪夢じゃないか
西軍いい加減過ぎるだろ

758 :人間七七四年:2018/06/27(水) 09:53:07.31 ID:nTOBwqhm.net
>>756
意味不明。伊勢湾制海権は西軍が優勢という想定。
東軍の水軍が反撃に出てて九鬼、熊野、毛利いずれかの水軍を撃退した記録ある?
伊勢湾制海権は西軍が優勢だったと見るのが自然。

759 :人間七七四年:2018/06/27(水) 10:07:03.47 ID:RmgrX61l.net
>>758
旧今川水軍と武田水軍を囲った徳川が駿河の水軍力を大幅に強化し
小牧長久手で九鬼水軍を打ち破っていた筈なんだが
九鬼は命からがら逃げ出して助かったが

760 :人間七七四年:2018/06/27(水) 10:42:53.96 ID:w+WMrPnT.net
>>759
九鬼の規模だと徳川水軍に勝てるわけがない。
織田信長が存命中に織田水軍を統括していたのとは違うからな。
鉄甲船もないし。

761 :人間七七四年:2018/06/27(水) 10:53:23.30 ID:TiolaZSe.net
どうやったら西軍が勝てるか、のスレではあるが
どうやっても西軍は勝てないオチだよな

762 :人間七七四年:2018/06/27(水) 10:55:16.90 ID:7i3b2jLZ.net
>>757
確かに越権行為で主君や統治行為を蔑ろにしている

ここからわかるのは三成は身の程知らずの傍若無人、
犯罪者だということ

むしろ義かなんかを問うた方が潔かった

763 :人間七七四年:2018/06/27(水) 10:58:11.77 ID:w+WMrPnT.net
>>762
三成は秀吉の奉行を務めるうちに、自分が政を仕切ってるんだと誤解したのかもしれないね。もし三成が本当に豊臣を大事に思うなら、暴走する秀吉を諌めることこそ必要だったはずだし。

764 :人間七七四年:2018/06/27(水) 11:03:31.02 ID:nTOBwqhm.net
>>759
東軍の水軍が伊勢湾で活動してた記録があるなら出して。
西軍の活動はいろいろと散見されるが。

765 :人間七七四年:2018/06/27(水) 11:21:16.86 ID:RmgrX61l.net
>>764
「織田政権の海上軍事と九鬼嘉隆」、「徳川氏の海上軍事と知多千賀氏」
史料として「家忠日記」、「勢州軍記」あたり読め

766 :人間七七四年:2018/06/27(水) 11:45:48.62 ID:ugx7vGXH.net
そういや九鬼水軍は親子で割れていたんじゃなかった?
上陸案は全体的に考察しにくいから岐阜城後詰案について考えた方がいいと思う。

>>763
暴走している秀吉を止めることができるとしたら三成他の奉行ではなく、家康他の五大老くらいじゃないですか?
浅野はそれで失脚したし。一族特権がない他の奉行なら処刑すらされかねないぞ。

秀吉最晩年に景勝を除く四大老五奉行で「秀吉が領地について譫言を言っても無視しようぜ!」とかいう取り決めがされたそうだけど。
最低でも家康と利家、可能なら他の大老も抱き込まないと秀吉は止められないと思う。

767 :人間七七四年:2018/06/27(水) 11:54:27.77 ID:nTOBwqhm.net
>>765
なるほど、見落としてた。師崎在番には千賀孫兵衛(千賀重親)もいたわ。
大野水軍、千賀水軍、師崎水軍つまり知多の水軍衆ね。
家忠日記は今読んでるの終わったら読んでみる。
「徳川権力と海上軍事」は8640円もする。高い。もっと安いの勧めてください。

とりあえず伊勢湾制海権についてはもう少し調べてみます。

768 :人間七七四年:2018/06/27(水) 12:07:33.38 ID:1yIfMCmX.net
親愛なる同志金欠よ。図書館を使うのです。
なんのための税金か。ないなら購入申請です。

専門書なんか同好の士しか読まないから我慢する。

769 :人間七七四年:2018/06/27(水) 12:15:10.67 ID:7i3b2jLZ.net
購入申請却下

取り寄せはあるかも

770 :人間七七四年:2018/06/27(水) 12:19:24.15 ID:6JzcnC1x.net
誤爆してるぞw

771 :人間七七四年:2018/06/27(水) 12:44:30.20 ID:0xsxLKoM.net
つっかえない事で有名なうちの図書館をこれ以上いじめないでください
隣町のは戦国遺文あたりなら数冊おいてるというのに

772 :人間七七四年:2018/06/27(水) 13:38:09.32 ID:7i3b2jLZ.net
何だろう、読み手が少なさそうなのは却下なんだよね

村上春樹とか何冊も
それでも待ち時間が長い

773 :人間七七四年:2018/06/27(水) 17:12:11.33 ID:qx5YZ8Om.net
>>766
それ、小早川秀秋の話ですよね。
50万石の大名を潰すと、秀吉が考えた微妙な勢力バランスを根底から覆す事に成るから
無視しとこうって話。
甥なんだから、死の床で気が変わって許したってのは如何にも有りそうで世間も納得
するからってね。

774 :人間七七四年:2018/06/27(水) 18:55:10.61 ID:F7g2cjRN.net
>>768
図書館行ってる暇ない。スキマ時間と休日の
暇なときに読んでるだけだから。
せめて4000円以内くらいじゃないとなぁ…。

学生なら大学の図書館で読み放題なんだろうが。

775 :人間七七四年:2018/06/27(水) 20:36:14.25 ID:2fNmc3fc.net
清洲落城ならば毛利が三河で徳川を打ち破った史実と相まって西軍強しの印象がかなり強まるな。
軽率な金吾中納言の幕僚辺りはまた逡巡しそうだな。

776 :人間七七四年:2018/06/27(水) 20:44:06.22 ID:tB7JFXZ+.net
尾張急襲策は次の展開に繋がって行ってワクワクするね。
岐阜城後詰めとかは持久的な物しか感じない。
あれって時間切れとか手が足りなくなって万事休すにしかならないよねえ。
奥羽は上杉佐竹が伊達最上陣営を凌駕しそうだし他の武将の戦意は薄いでしょ。

777 :人間七七四年:2018/06/27(水) 20:59:06.64 ID:mL0YoJix.net
>>776
凌駕以前にどうやって佐竹を戦わせるのか

778 :人間七七四年:2018/06/27(水) 21:16:17.12 ID:h92OerB/.net
>>777
何いってんだ?
伊達と佐竹は何度も抗争してきた相手だろ。
佐竹が意地を見せるならここだろうよ。

779 :人間七七四年:2018/06/27(水) 21:21:13.02 ID:tB7JFXZ+.net
そりゃそうだねえ。
ここの東軍厨は東軍武将はどんな苦境でも、意地があるから家康に従い続けると単純に言い張るのに、
西軍にはやたら微に入り細に入り求めてくるから。
西軍だって意地の有る武将はいくらでもいるでしょうに。

780 :人間七七四年:2018/06/27(水) 21:31:48.66 ID:tnYZl+Pd.net
>>775
毛利が三河で徳川を打ち破った史実ってなんのことですか?

781 :人間七七四年:2018/06/27(水) 21:34:10.22 ID:tnYZl+Pd.net
>>778
佐竹は義重(親家康)と義宣(親三成)で分裂しているし、無理じゃないか?

782 :人間七七四年:2018/06/27(水) 22:30:30.32 ID:aq5LlYTE.net
>>780
毛利(新介)が三河(に近い尾張桶狭間)で徳川(家康の所属してた今川軍の大将義元)を打ち破った史実

783 :人間七七四年:2018/06/27(水) 22:33:28.42 ID:gHld3HL/.net
くだらねえな

784 :人間七七四年:2018/06/27(水) 22:34:59.32 ID:5S0LS9eL.net
ひっどい史実
そんなんを出して来るんは末期

785 :人間七七四年:2018/06/27(水) 22:49:07.33 ID:pmEcxNHX.net
>>779
意地というよりは、東軍は徳川一強で婚姻や七将襲撃で共犯にされてるけど、西軍は毛利や宇喜多、上杉に奉行などによる連合になるから、団結力というか団結しないといけない必然性や利害関係が東軍と比較して薄い。
あとは史実で吉川と毛利があっさりと寝返った印象が強すぎるのもあるだろうけど。
主力となる毛利家中に爆弾もあるのも痛い。(吉川とか秀元のこと)宇喜多や徳川は当主一強体制ができてるけど。

>>780
>>696にある尾張国知多半島での合戦を三河国渥美半島と勘違いしているんじゃないですか?
知多半島で活動できる水軍なら渥美でも活動できないことはないでしょうけど。プロパガンダですよね。

そもそも清須城を本当に攻略できるの?っていう問題が解決されていない状態で清須攻略後の展望だけが先行しているんですけども。
個人的にはぐいぐい攻撃していく清須速攻案は大好きですよ。はじめの方に騒いでいた一人ですし。

8月14日(可能なら8月10日)までに、1.近江や美濃を通過し尾張国へ移動した後に、2.清須を攻略して、3.奪還を挑んでくるだろう東軍3万(場合によっては家康隊を含む6万)を迎撃する準備を整える。4、そして実際に防衛し続けるかさらに(三河などへ)攻勢に入る。
この4つを全部達成しないと岐阜城陥落以上に西軍へのダメージが大きくなってしまう。

786 :人間七七四年:2018/06/27(水) 23:11:32.30 ID:OHwxsLSS.net
>>780
ただの印象操作

787 :人間七七四年:2018/06/28(木) 05:13:16.76 ID:oeh2J8gW.net
>>779
別にそんな事思ってないけどな。大体東軍の連中もそこまで団結してないだろ。
自分はそう思ってるから『内府違いの条々を諸大名が受け入れれば勝てる』と何度か書き込んでる。
ぶっちゃけ上杉征伐軍の大半がアレ受け入れれば西軍は100%勝てるぞ。
西軍首脳部は諸大名が受け入れると思ったからあの内容で書状をばらまいたんだろうし。
しかもこのIFなら戦術とか戦略とか一切考える必要がない。どうせ関東以外ほぼ西軍になるから。

788 :人間七七四年:2018/06/28(木) 05:36:23.38 ID:QyTjsm4x.net
逆に言うと速攻案は自分達の不支持=不利を悟っていないと出ない作戦なんだよな
そしてそれを理解しているならそもそも挙兵するだろうか?という疑問に突き当たる

789 :人間七七四年:2018/06/28(木) 08:16:38.54 ID:uxf4lN3Y.net
不支持を悟ってたら家康の寿命を待つ可能性が高そうだわな

790 :人間七七四年:2018/06/28(木) 08:26:23.73 ID:cCHQxLGw.net
ここには東軍擁護したいだけの人ってもう残ってないと思う
こんな結論がループし続けるスレに残ってるようなのは
ひたすら関ヶ原のifをシュミレーションして楽みたい人か
西軍に自己投影して病んでしまった人か
どっちかだよ

791 :人間七七四年:2018/06/28(木) 08:31:13.63 ID:+9wABY8S.net
ちがいの条々の文面を変えた方がいいのと、清須に集まったあたりで説得工作をやるべきだったよね。
三成だと逆効果になりそうだから、長束とか吉川、安国寺みたいな大名クラスを交渉要員にして。
できれば加増や金銀米穀の類や、官位をちらつかせて。参議や四位、中将とか。
豊家蔵入地は減るかもしれないけど室町幕府は10万石だったそうなので問題ない。

792 :人間七七四年:2018/06/28(木) 09:20:00.55 ID:0suQhtt8.net
福島、黒田、加藤清は家康から嫁貰ったから裏切らないだろうよ。
元々、全ての始まりは家康の婚姻作戦から始まって、それに乗った連中と
気に入らなかった連中との戦いみたいなもんだからな。

793 :人間七七四年:2018/06/28(木) 09:29:11.11 ID:o3hRm+xp.net
>>792
おいおい、婚姻問題で前田と徳川が一触即発となった時、加藤は前田邸に入ってるんだけど。
つーかあれ、奉行は本気で追及する気あったのかな?
加藤が前田の所に来た時、前田や奉行が加藤に詰問した形跡ないんだけど。
もし本気で問題視してたんなら、加藤を追い出すなり、吊るしあげするなりしてたんじゃないの。

後、別方面のツッコミになるけど、大谷はこの時徳川の方に行ってるぞ。
つまり、少なくともこの時点では大谷は家康の行為を問題視してない可能性が高い。

794 :人間七七四年:2018/06/28(木) 09:32:13.98 ID:0suQhtt8.net
>>793
>おいおい、婚姻問題で前田と徳川が一触即発となった時、加藤は前田邸に入ってるんだけど。

あの時点では、まだ嫁来てねーよ

795 :人間七七四年:2018/06/28(木) 10:37:24.00 ID:+9wABY8S.net
縁組だけじゃなくって尉山の戦いでの賞罰がらみもあったという説を見たがどうなんだろうね。
秀頼の親戚を増やすという基本的なコンセプトは誰も批判できないし、大名の結婚ができないというのは全員が困るからなあなあになるのは正直どうしようもないと思う。
軍事的には前田方のほうが劣勢だったし。

それと加藤清正って関ヶ原の直前までは反徳川派。
加藤がマジの東軍だったら小西や立花、島津が美濃や近江から九州に飛んで帰ると思わないか?
小西以外は土着系大名だぞ。あの時の加藤は東軍(西軍に内応予定)にも思える。
九州情勢が大勢に影響を及ぼすのは難しいからそこまで深く掘り下げる必要はないと思うけど。

796 :人間七七四年:2018/06/28(木) 11:23:22.82 ID:B93FIjkA.net
大谷は元々家康派で関ヶ原直前に変心したと思われる

力が強いからだろうけど家康は人気

797 :人間七七四年:2018/06/28(木) 11:25:12.80 ID:B93FIjkA.net
加藤と福島は明確に秀頼派

福島は明確に反三成になったが

798 :人間七七四年:2018/06/28(木) 11:55:16.95 ID:BlGNUt+J.net
>>795
>縁組だけじゃなくって尉山の戦いでの賞罰がらみもあったという説を見たがどうなんだろうね。

清正に関して言えば、朝鮮の遺恨は間違いなくあっただろう。
清正が秀吉に宛てた書状での功の改ざんを正したのは三成で
それを逆恨みしてたし。

>加藤がマジの東軍だったら小西や立花、島津が美濃や近江から九州に飛んで帰ると思わないか?

だから領地を接してる小西は関ヶ原に4千しか連れてこなかった。
数千残しておけば、すぐに領土が取られるとは思わなかったんだろう。
島津と立花は領地接してないし、小西の後だろうから時間はあるだろう。
つーか、幾ら清正でも単独で島津に戦いは挑めないだろう。
身代も実力も違い過ぎる。

799 :人間七七四年:2018/06/28(木) 12:15:56.03 ID:UBpvVhDi.net
>>795
清正が反徳川派なんていう文献あったか?
清正は榊原康政に憧れていたなんて話はあるけど

800 :人間七七四年:2018/06/28(木) 12:22:33.73 ID:hKZon1RW.net
>>784
全くだ。
小早川を勝手に東軍扱いしたりおかしいよな。
こういう説も有ります程度の話を強引に言い張り続けるなら、
その都度毛利水軍には宇宙戦艦が有ったと唱えてそれをベースに話を進めるのもアリになるよな。

801 :人間七七四年:2018/06/28(木) 12:22:53.82 ID:bVIWJJfI.net
>>799
今持ってこれないけど、看羊録にそんな記述があったはず。
輝元が清正が西軍につくと思って誘ったけど断られて驚いた的なものもあったように思えるけどこれは記憶が怪しい。

802 :人間七七四年:2018/06/28(木) 12:22:56.96 ID:o3hRm+xp.net
>>799
襲撃事件後の三成への罰を手ぬるいと怒ってたとは聞いたな。
多分、切腹か改易にしてほしかったんじゃないの。

803 :人間七七四年:2018/06/28(木) 12:35:45.64 ID:XJRMjaQK.net
戦国自衛隊ばりに神兵が降臨するにしても、
福島正則とか前田利長みたいなヘタレ大名のとこだとあまり意味ないよな。
安房に降ってリアル里見八犬伝みたいに房総から武蔵を衝くような関ヶ原は面白そう。

804 :人間七七四年:2018/06/28(木) 12:39:25.93 ID:CwJu9bT0.net
>>800
小早川は東軍だろん

805 :人間七七四年:2018/06/28(木) 12:43:10.26 ID:RawzFgSb.net
>>804
マジかよ毛利にジェットスキー部隊が!?

806 :人間七七四年:2018/06/28(木) 12:46:06.44 ID:WzgACZ1V.net
秀秋が東軍だったのは確定してる。

807 :人間七七四年:2018/06/28(木) 12:49:32.24 ID:XJRMjaQK.net
言ってみればここは三国志演義スレですからなあ。
急に小早川東軍とか正史話を入れだすと荒れるよ。
総大将なのにテンパって、
一騎駆けしてあわや討ち取られかけた軽率な金吾中納言が何を考えてたかなんて分かりゃしないよ。

808 :人間七七四年:2018/06/28(木) 12:53:12.84 ID:tShCXc2e.net
>>800
いや小早川を勝ってに西軍にするのがおかしい

809 :人間七七四年:2018/06/28(木) 12:53:34.09 ID:bT4BHreK.net
今では小早川が最初から東軍なのはほぼ確定っぽいが
そうすると大谷吉継がえらく間抜けに思えてくるの

810 :人間七七四年:2018/06/28(木) 13:20:41.91 ID:sZVgBvEi.net
西軍はやる気の無い連中ばっかだったからな
本戦数日前の三成の書状では
「やる気が有るのは小西と宇喜多だけで大谷達はまるでやる気が無い」
と書いているぐらいだからな

811 :人間七七四年:2018/06/28(木) 13:26:05.35 ID:kTBxk/4A.net
白峰氏の考察論文

「伊勢国津城合戦頸注文」及び「尾張国野間内海合戦頸注文」に関する考察(その1)―津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討
http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=dk05912

「伊勢国津城合戦頸注文」及び「尾張国野間内海合戦頸注文」に関する考察(その2)―津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討―
http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=gk02010


参考までに。

812 :人間七七四年:2018/06/28(木) 13:46:15.71 ID:tShCXc2e.net
大谷なんでマヌケ?

元々家康派で三成についちゃったけどね

813 :人間七七四年:2018/06/28(木) 13:56:31.42 ID:kTBxk/4A.net
>>811には、
本稿で扱う野間内海合戦については、前掲『三重県史』通史編、近世1に、
「九鬼義隆西軍に加勢」として立項され解説されている中で、「九月九日・十日両日
尾張知多半島(愛知県)先端部付近での戦闘」であり、
「当時の知多半島は、長島城主福島正頼が預かっていたとみられる(『新訂寛政重修諸家譜』
第二一)ので、北伊勢において東軍に付いた長島城の背後、
ひいては岐阜方面に集結しつつある東軍の背後を脅かす作戦を実行したのであろう。
この作戦には瀬戸内水軍が主となったものと思われ、
これに九鬼水軍が参加したかもしれない。」としている。


と述べられている。

814 :人間七七四年:2018/06/28(木) 15:28:20.52 ID:Xh+hC0Kh.net
>>800
勝手にもなにも小早川は伏見攻めのあとに徳川に言い訳と詫び状送って叛意のないことを必死に釈明してる

815 :人間七七四年:2018/06/28(木) 15:29:28.91 ID:Xh+hC0Kh.net
>>809
だから必死に西軍になってくれと石田は説得にあたってる
大谷はのんびりしてる

816 :人間七七四年:2018/06/28(木) 15:58:02.25 ID:wU59wz/N.net
>>814
ただの両天秤じゃん。
小早川秀秋は寝返りを気に病んで発狂死したのだから西軍だろ。

817 :人間七七四年:2018/06/28(木) 16:07:42.78 ID:nfIKDA8F.net
病気で若死にしたことと東軍についたことになんの因果関係も実証できないのに自信満々なのすごいなー

818 :人間七七四年:2018/06/28(木) 16:31:45.55 ID:rSHvEvql.net
小早川については8月17日までは西軍といっていいのでは?

西軍の指揮系統を離れて佐和山とかをうろついてる時点でもうアウトで武力制裁も視野に入れるべきなのに、事なかれ主義的に後回しにしてしまい松尾山の合戦の上で占領とかいうのは西軍惨敗の原因の1つとしか言えない。
じゃあどうすればよかったんだよって話になると兵力が不足していて、岐阜城陥落が防げず非常に厳しいのだが。

東軍との合戦中に裏切られたら最悪以外のなんでもないし。

819 :人間七七四年:2018/06/28(木) 17:03:59.43 ID:Xh+hC0Kh.net
>>816
両天秤とまではいかないよ
確かに万一西軍行きが全くないわけではないからね

ただし元から東より
基本的に秀吉には冷遇され五奉行とも不仲
家康には恩もある
伏見でまさか西軍発生でまわりは敵だらけとあって島津同様伏見攻めをせざるを得なかった
その後は一貫して徳川恭順をしめしている
小早川の武勇と血筋があるから石田とかは攻めるに攻められなかっただけ

820 :人間七七四年:2018/06/28(木) 17:54:05.04 ID:6893XLKf.net
小早川が西軍に味方する理由がない

821 :人間七七四年:2018/06/28(木) 17:54:58.16 ID:6893XLKf.net
秀秋に武勇はない

822 :人間七七四年:2018/06/28(木) 17:56:55.64 ID:6893XLKf.net
合戦中に裏切られたのではない
元から東軍

大谷は準備していた

823 :人間七七四年:2018/06/28(木) 18:26:04.10 ID:ntH0o+QP.net
ちょっと質問なんだけど、書状で、
小早川秀秋が内応した、と当時の言葉で表現すると
金吾中納言京方と手切れとなり、
あたりの表現になるかな?
逆心、って言葉使う?

824 :人間七七四年:2018/06/28(木) 18:34:01.93 ID:qHGEy3Ya.net
反逆の金吾

825 :人間七七四年:2018/06/28(木) 18:42:03.46 ID:wF5lX142.net
>>823
手を返され、とか

826 :人間七七四年:2018/06/28(木) 18:48:07.38 ID:6893XLKf.net
書状の表現はわからん

書状は伝聞をもとに主観で書くので何とも

ここで秀秋は西軍と書いたからと言って…

827 :人間七七四年:2018/06/28(木) 19:15:41.88 ID:0/4gNT9k.net
加藤清正
関ヶ原時は黒田の援軍行ったり、小西の宇土城攻めたり九州の西軍相手に戦っている
もっとも小西の居城宇土城の攻防戦では船を沈められたり、宇土城周辺の湿地帯に足を取られて大苦戦
結局時間切れで宇土城開城となった

今でも宇土城周辺は湿地帯で攻めにくいのはみて取れるが、清正は小西勢を完全に舐めてたと思う

828 :人間七七四年:2018/06/28(木) 19:18:39.19 ID:okRWW1Bz.net
>>823
伏見攻めの時点では(内心がどうあれ)間違いなく西軍として行動してるからね。
秀秋は確か大坂まで海路で来ている筈だし、京や大坂の人から見たら
「秀秋は西軍に味方しているんだな」と思ってもおかしくない。
秀秋が西軍を無視するようになったのは西軍が美濃・伊勢方面に移動してからだから、
そりゃ事情と未来を知らない京や大坂の人は、逆心しただの、むほんしただの言うだろう。
当時の庶民や知識人だからって事情を完全に理解して正確に記述してるとは限らんしね。

829 :人間七七四年:2018/06/28(木) 20:17:58.91 ID:+9wABY8S.net
>>823
筆者の立場によるんじゃない?
なんだったか忘れてしまったが、足利義輝が三好長慶に「謀反」したという表現も見たことがある。
あれは力関係がそうだったのもあるだろうけど。

「返り忠」とか「手切れ」とか「謀反」という表現はその人がそう思っていた、もしくはそういうことにしたかった。ということでしかない。
裏で進んでいた交渉とかは部外者の公家や宣教師とか普通は知らないし。
言えるのは一見して小早川は西軍のように見えていたし、他の西軍も小早川を西軍として扱っていた。そして西軍から東軍に寝返ったこと。
そして当時の京都なら西軍に都合のいい表現にした方が身の安全を図れると考えたのかもしれない。

筆者が東軍や小早川家の人なら「手切れ」とか「内応」とかそういう感じの表現になるんじゃない?
和睦とか、改心とか、返り忠になるかもしれないけど。

830 :人間七七四年:2018/06/28(木) 20:18:14.73 ID:huFbZAhp.net
>>821
あるでしょ
唐入りの時に突出する形の武威を示した
まあそんな程度他でもあったかも知れないが。
細川やすおきもそうだけど若いなりの勢いはあったわけで。

831 :人間七七四年:2018/06/28(木) 20:52:56.69 ID:wnbMMhjz.net
>>830
猪武者みたいな突出で大叱責を受けて減封じゃなかったっけ?
その手を武威とは言わんでしょ。
運動会の騎馬戦とかでも緊張し過ぎて合図の前に飛び出して真っ先に打ち取られる手合いは必ずいるじゃん。
あれを誉める人なんて見たことない。

832 :人間七七四年:2018/06/28(木) 21:27:18.47 ID:+9wABY8S.net
「全軍我に続け」方式は無線のない時代だと割と有効なんで何とも言えない。現代でも士気的に有効だし。
蒲生氏郷もにたような戦法だったともいう。あと三方ヶ原までの家康も。

それに秀吉が死んだとほぼ同時に無かったことになってる減封なのでその妥当性はお察しなんじゃない?
減封が不当だとしても、秀秋に武勇があることの証明になるとは言えないけど。家臣団は決して無能ではないはず。

833 :人間七七四年:2018/06/28(木) 21:54:40.54 ID:OdpqjZpT.net
朝鮮での秀秋は、加藤を助けに行ったことで武断派と文治派の抗争に巻き込まれたという側面が大きい
石高の大きい秀秋が武断派に入ったら不利になると文治派が危機感を抱いて秀秋を叩き始めて
それを元養子を邪魔に思った秀吉が減封処分のために利用した

別に秀秋は武断派に入ろうとしたわけではなく、流れで助けに行っただけだから完全に文治派の誤解だし
そもそも戦場で露骨な派閥抗争を持ち込むことはご法度なのに派閥抗争を仕掛けた文治派に責任がある

834 :人間七七四年:2018/06/28(木) 22:37:32.02 ID:px9FG8zA.net
>>832
全軍我に続け方式と一緒くたにするのもどうかなあ。蒲生も家康も一部将に過ぎない立場の時のお話じゃん。
50万石の太守である上に秀秋の血筋や立場を考えたら、自ら突撃して人質になったり万が一にも討ち死にしたら相手は喧伝して物凄く士気を上げてくるぞ。

835 :人間七七四年:2018/06/28(木) 22:43:30.68 ID:JKkR9k2h.net
金吾19才

836 :人間七七四年:2018/06/28(木) 23:01:47.50 ID:XJRMjaQK.net
豊臣の一族を捕らえたということで人質交換の交渉からスタートだね。
…ダメじゃんやっぱ。
ところで、秀秋の優遇っぷりはどこかに見所有ったの?
文芸方面で名を残している木下勝俊の方が平時には良さげなのに。

837 :人間七七四年:2018/06/28(木) 23:05:00.46 ID:QlW5uZuf.net
>>823だけど、小早川秀秋は最初から東軍だった、ってのが定期的に現れるので、
ならその東軍は小早川秀秋をどう認識していたのか、というアプローチの仕方してみれば
いいんじゃないかなと思ったまで。
真実スレの>>14>>15あたりも参考になるけど、けっこうバラバラかな。

東軍が小早川秀秋を味方あるいは味方する予定というような認識してたか
味方ではないような認識をしていたか。

小早川秀秋がどうこうって小早川秀秋視点ばっかりだからさ。別視点で。

838 :人間七七四年:2018/06/28(木) 23:18:28.94 ID:px9FG8zA.net
>>837
まあ何度も連呼すればいずれ通るという考えの輩はほどほどで無視しとかないとな。
最初から東軍なんて言うけど、物凄く優勢だったらそのまま西軍のままだったタイプでしょ小早川秀秋は。その時は東軍行動なんて取ってないよ。

839 :人間七七四年:2018/06/28(木) 23:22:28.46 ID:EAT4xl2C.net
戦争全体の最初からと、関ヶ原での決戦の最初からが混同されている気もするかま

840 :人間七七四年:2018/06/28(木) 23:44:12.58 ID:S3QDlYIR.net
>>838 つまり史実では物凄く東軍優勢だったんだな…
で、西軍が松尾山に波動砲でもブチ込んで秀秋を味方にすれば君は満足なのかな

841 :人間七七四年:2018/06/28(木) 23:54:09.84 ID:V6LhzFAP.net
>>838
小早川抜きで物凄く有利になれるなら
小早川別に要らないというジレンマ

842 :人間七七四年:2018/06/28(木) 23:55:04.70 ID:QlW5uZuf.net
>>840
じゃ聞くけど東軍である小早川秀秋が東軍の伏見城を攻撃した、と。
その後伊勢の安濃津が攻撃されても無視して、大津で京極が挙兵しても後詰もせず、
佐和山付近をうろうろしていたと。
こんなんで東軍なのか?味方見捨ててるやん。

843 :人間七七四年:2018/06/29(金) 00:06:21.47 ID:V7zyGyMo.net
秀秋の動きは謎だが最初から東軍
三成に味方する理由がない

家康が討死にしたらどうなるかはわからん

844 :人間七七四年:2018/06/29(金) 00:07:17.68 ID:dWUkFx11.net
>>840
伏見の時点で東軍宣言は出来ません。
何故ならこの時点では周りすべて西軍なうえに、徳川の情報が一切入っていないからです。
西軍のクーデターが完全に成功する可能性もゼロではないですから、
この時点で無茶するのはただのアホです。(鳥居は家康の家臣なのでまた話は別)

京極は小早川と事前連絡を取ってないみたいですからそんな無謀な挙兵に付き合う必要ないです。
だいたいその時点ですと、すでに東軍先発隊が岐阜陥落させてますから、
兵力や安全性考えても、そっちと合流や連携を優先すべきですね。
で、西軍が抑えていた松尾山を占拠する事で東軍にアピールしたと考えるべきでしょう。

845 :人間七七四年:2018/06/29(金) 00:08:37.52 ID:dWUkFx11.net
あ、>>840じゃなくて>>842だった。

846 :人間七七四年:2018/06/29(金) 00:31:45.99 ID:oVWZnd32.net
>>842
そうだよなあ。近江に居るんだから最初にさっさと大津城に入って東軍の旗を掲げて岐阜と大津で西軍を挟み撃ちすればいい。
佐和山付近をウロウロしても制止出来る力が西軍には無いのだから出来ないはずが無いよなあ。
いつでも奇襲されておかしく無い場所よりか安全かつ堅固な大津城に入ればいい。東軍ならこうだよな。

847 :人間七七四年:2018/06/29(金) 00:41:03.86 ID:1QLrPH/i.net
秀秋を西軍にしたい病にかかってる人たちがいるね

848 :人間七七四年:2018/06/29(金) 01:13:13.45 ID:BVPDn81f.net
>>847
なんでだろう

849 :人間七七四年:2018/06/29(金) 01:14:09.91 ID:3/Kc94E6.net
>>844
京極高次は家康に連絡してる。小早川秀秋が東軍なら家康からその情報なり
指示が小早川秀秋にいくはず。
家康の書状見れば家康は他方面の戦況を各地の味方に報告してる。
もちろんこれ(情報の共有)は西軍もやってる。
家康が小早川秀秋には京極大津にて籠城の情報を敢えて流さないもしくは
後詰を指示しない理由はなにか。

あるとすれば家康は小早川秀秋が大津の後詰をする必要はないと判断した場合。

9月8〜10日頃の戦況判断としては小早川秀秋が大津の後詰に行けば
おそらく西軍は大津攻城を停止し瀬田で小早川秀秋と対峙状態になる。

また、もし家康が小早川秀秋に松尾山の占拠を指示したのなら
それは9月12日頃清洲にいたとき、となる。(それ以前の可能性はある)

もしくは佐和山を包囲もしくは攻城するよう指示することもできたはず。


大津の後詰をさせず、佐和山も攻めず、松尾山に行くよう指示した理由はなにか。


もしすべて小早川秀秋が独断で行ったのなら
家康は小早川秀秋が味方(東軍)とは認識していないとも言える。

850 :人間七七四年:2018/06/29(金) 01:19:28.60 ID:V7zyGyMo.net
秀秋では佐和山を落とせない
大津は入城できれば戦力になった
しかし捕捉されて撃滅される可能性がある
京極は秀秋を信用しなかったかもしれない

結果的には秀秋は最良に近い形で本戦に参加できた

851 :人間七七四年:2018/06/29(金) 01:20:35.80 ID:V7zyGyMo.net
秀秋を西軍にすれば
西軍の敗因を全て押し付けられると考えている

852 :人間七七四年:2018/06/29(金) 01:26:09.23 ID:V7zyGyMo.net
大津と家康が連携していたとも思えない。
絶妙のタイミングだが、連携していたら死守したような
あるいは徳川の兵を入れるとか

853 :人間七七四年:2018/06/29(金) 01:27:03.95 ID:3/Kc94E6.net
>>844前段
それを日和見と言うんじゃないの?西軍が勝ちそうならそのまま西軍でいようという。




あと西軍でないなら東軍という馬鹿げた思考やめてほしいんだけど。
石田に味方する理由がないから東軍?

じゃ氏家は東軍西軍どっち? 佐竹は?

854 :人間七七四年:2018/06/29(金) 01:32:17.63 ID:1QLrPH/i.net
秀秋は最初は「伏見城に入れてくれ。俺は東軍だ」と言ったが
鳥居元忠に「おまえなど信用できるか!味噌汁で顔洗って出直してこい!」と相手にされず
兄の木下延俊に「姫路城に入れてくれ。俺は東軍だ」と言ったが
「おまえなど信用できるか!出てけ!」と塩をふられ
大津城でも田辺城でも相手にもされず、佐和山城でも攻めるかと付近をうろうろしてたんだよな。

855 :人間七七四年:2018/06/29(金) 01:48:48.76 ID:bw+0OwJq.net
わかった
秀秋は西軍でも東軍でもなく第三極
しかしあの状況で第三極は許されるはずもなく

秀秋は三成に味方する理由はなく
むしろ親家康

でも第三極
第三極がたまたま西軍を攻撃

856 :人間七七四年:2018/06/29(金) 01:50:04.70 ID:bw+0OwJq.net
佐和山は落とせん
工場中に三成が後詰めに来たら撃滅されかねん

857 :人間七七四年:2018/06/29(金) 01:57:27.77 ID:1QLrPH/i.net
黒田官兵衛は本気で秀秋を第三極の旗頭にしようとしてたんだよな。
九州に留まりなさいと。上京は不要だよ。
本当は自分が九州を荒らしまくって天下を争う際の神輿にしようと思ってた。
脳味噌からっぽの秀秋は担ぐのには都合よかったから。

858 :人間七七四年:2018/06/29(金) 02:08:19.04 ID:1uCCuKM/.net
関ケ原時点で旗幟鮮明だから東軍派と、西軍挙兵時点では西軍だから西軍から寝返ったよで話が平行線たどってないかい?
どの時点を起点にするとか決めた方がええんでわ?

859 :人間七七四年:2018/06/29(金) 02:15:43.48 ID:QeyQvWsq.net
見た目は西軍、頭は東軍、その名は小早川秀秋!ちゅうだけやろ。
西軍の認識と当人の認識をぶつけてるだけだからずっと平行線

860 :人間七七四年:2018/06/29(金) 02:18:16.13 ID:1QLrPH/i.net
でも秀秋が官兵衛のアドバイスにしたがって1万余の兵力を持って九州に籠れば
関ヶ原は決着が付かず長期戦が予想されてたわけで
秀秋と官兵衛で九州は容易に席捲できたんだよな。
楚漢激突時の韓信にような立場で天下を狙える好位置につけただろうに。

861 :人間七七四年:2018/06/29(金) 02:28:07.56 ID:QeyQvWsq.net
長期戦にはならんやろ

862 :人間七七四年:2018/06/29(金) 02:37:19.32 ID:1QLrPH/i.net
>>861
なんで?

863 :人間七七四年:2018/06/29(金) 02:40:15.84 ID:QeyQvWsq.net
秀秋が裏切る前に西軍の先鋒は崩れれ始めてたというし
関ヶ原が自体が起きない可能性も大垣城水攻めして先進めばいいだけ

864 :人間七七四年:2018/06/29(金) 03:28:11.18 ID:1QLrPH/i.net
大垣城水攻めして先進めば長期戦確定

865 :人間七七四年:2018/06/29(金) 03:30:13.32 ID:1QLrPH/i.net
そもそも短期で終わった理由は関ヶ原が1日で終わったからではないよ。
小早川秀秋、黒田長政、福島正則の三名が戦後処理を迅速に済ませ
大坂城開門に成功したからだ。
秀秋が居なければ大坂城引き渡しに相当な困難が生じ短期で済むわけもなかった。

866 :人間七七四年:2018/06/29(金) 08:02:49.25 ID:z9MA8jKZ.net
小早川が大坂開城させたという根拠は?

867 :人間七七四年:2018/06/29(金) 08:34:06.94 ID:6cPjGnqe.net
>>836
まともに使える木下一族だったからじゃないですか?
この仮説だと、他の木下一族は秀秋以上にどうしようもない人材だったという結論になりますが。

まず、大名としての能力と文化人としての能力って別じゃないですか。

別に北畠信雄様や織田信雄様を批判しているわけじゃないけどw
例えそれがお飾りな御神輿でも大名をするには完全なボンクラではダメじゃないですか。
最低限の公平さとか中立性とか、自分の能力を客観的に評価しつつ、家臣たちのやる気が消え失せない程度のカリスマは必要なわけですよ。
徳川時代初期までは武将としての軍事的な能力も重んじられていましたし。

長嘯子がどうして伏見を出たのかはわかりません。逃げ出したのか追い出されたのか。
もし逃げ出したなら論外です。
追い出されたなら面目を保つために伏見攻城に参加していないと戦国大名とは言えません。
他の経緯ならなんとも言えませんけど。
武士の主君としては猪武者のほうがまだマシという結論になると思います。

868 :人間七七四年:2018/06/29(金) 08:52:33.39 ID:z9MA8jKZ.net
秀秋は大名としての器量はない

ただし自分から斬り込む気持ちはあった
しかしマトモな大名はやらない

869 :人間七七四年:2018/06/29(金) 11:11:58.09 ID:z9MA8jKZ.net
伏見攻めは秀秋はやりたくなかったと思う
重臣らと合議して、やるしかないという結論に至ったかと
時事ネタで言うと、ボール回して本戦に行った
本戦で一応結果出したしね

870 :人間七七四年:2018/06/29(金) 11:40:20.03 ID:1uCCuKM/.net
>>868
織田信長とか最上義光とか、自分から切り込んで銃弾をその身に受けたことまであるけど
まともじゃないんかあいつら

871 :人間七七四年:2018/06/29(金) 12:01:03.30 ID:z9MA8jKZ.net
>>870
信長はいつの話?

長篠でやったら武神

大将討ち取られたら負けだよ

872 :人間七七四年:2018/06/29(金) 12:09:06.16 ID:YXMERu31.net
>>870
信長が銃撃受けたのって行軍中じゃ
最上義光は長谷堂で兜に銃撃くらってるね

873 :人間七七四年:2018/06/29(金) 12:16:38.15 ID:0yVEmRBy.net
>>870
信長の話しは聞いた事ないぞ?まさか忍者に銃撃されたって話しじゃないだろうな?

874 :人間七七四年:2018/06/29(金) 12:18:29.54 ID:QeyQvWsq.net
天王寺合戦

875 :人間七七四年:2018/06/29(金) 12:47:23.37 ID:1uCCuKM/.net
あれ?天王寺合戦で信長先陣切って突っ込んだ時足に鉄砲で軽傷負ってなかったっけ?
違うなら恥ずかしいから忘れて

とはいえ最上も信長も先陣切って突っ込んでるよね?これは合ってるよね?

876 :人間七七四年:2018/06/29(金) 13:15:28.64 ID:LQoNjyNv.net
>>875
信長は基本、先陣切って戦ったりしないぞ・・・息子の信忠が槍働きしたら怒ってた位だからな。
天王寺では隊は指揮したぞ。兵が少なかったからな。ただ怪我したって話しは聞いた事ない。

最上義光は鉄砲傷は知らないが、若い頃から勇猛な武将だったから
あるかもね?強盗相手に大立ち回りして父に刀貰ってるし。

877 :人間七七四年:2018/06/29(金) 13:46:31.32 ID:z9MA8jKZ.net
信長も自分で刀を振るったとかあるかもな
でもそれは普通じゃない

姉川で先陣を切ったりしたらバカだし

狙撃されて死んだ当主がいても不思議じゃないが
聞かないね

878 :人間七七四年:2018/06/29(金) 14:29:32.49 ID:bzm/qkuW.net
>>876
あー、ごめんなさい
最前線で戦うって意味を先陣切ると誤用してましたわ

怪我の話ないのかー、やたら聞いたことあるから怪我してるもんだとばっかり思ってましたわ

完全にスレチになってしまってほんと申し訳ないんやけど
総大将と馬廻り衆って言ってしまえば組織で最強の戦力な上に死なせる訳にも行かないから無理矢理でも兵が前に出る訳で、戦場において現状打破のために切り込むっての割とありだと思うんだけどどうなんすかね?

879 :人間七七四年:2018/06/29(金) 14:54:44.61 ID:MggCZFWw.net
天王寺のケガは割と有名な話だと思うが

880 :人間七七四年:2018/06/29(金) 14:59:53.18 ID:3UlDkUSN.net
>>878
井伊直政が兵を置き去りにして自ら突出したのは有名ですね

881 :人間七七四年:2018/06/29(金) 15:06:24.60 ID:6cPjGnqe.net
自分も悪いけど、この流れは小早川秀秋が西軍のまま(あるいは西軍になる)かどうかの流れなんだよね?

正直、武将や大名の敵味方関係のIFに関してはバタフライ効果の幅が大きすぎて話がまとまらないから史実どおりでいいんじゃないかな?

882 :人間七七四年:2018/06/29(金) 15:11:38.15 ID:xPTknvKo.net
森武蔵は?

883 :人間七七四年:2018/06/29(金) 15:29:16.19 ID:z9MA8jKZ.net
サッカーで言うとディフェンダーはキープ力強いから前線に投入しようみたいな

例えとしてうまくない

社長が掃除するとか
そういう社長もいるか

大企業の社長が毎日お茶くみするとか

884 :人間七七四年:2018/06/29(金) 15:35:42.14 ID:ZL9jixmE.net
>>881
>史実どおりでいいんじゃないかな?

では小早川は東軍でいいのですね

885 :人間七七四年:2018/06/29(金) 15:45:37.76 ID:1QLrPH/i.net
いや、天王寺で普通に銃創を追ってるぞ信長

886 :人間七七四年:2018/06/29(金) 16:09:32.13 ID:XzOulnI6.net
>>878
兵の士気や忠誠心を上げる戦法としてはマジで有効だと思います。
WW2を「全軍我ニ続ケ」とばかりに最前線で戦った辻政信はかつて指揮下に置いた兵士とその家族の熱烈なる支持を受けて参院選全国区の第3位になった。
辻政信の立てた作戦とか人格とかはちょっと……になりそうなんですが。(個人の意見です)

やっぱり後方の陣地や岩陰に隠れて偉そうに命令する指揮官より、最前線で一兵卒とともに戦う指揮官のほうが人気があるし士気も高い。
戦国時代になると、軍隊に一度勢いがついたらなかなか修正が聞かないので、敵に向かって前進していく部隊にしやすいでしょう。

ただ、武将の馬廻って基本的に次世代を担う幹部候補生の中でもエース級の人材がなるんですね。
これが消えて、マジでやばいことになったのが、戸次川の戦い後の長宗我部家で、次期当主まで死んだからまあ、お察しください。
そういうリスクもあるのでハイリスクでハイリターンな戦法だと思います。(さしてリターンがない時もあると思いますが)

武将といっても戦場にいるわけですし、場合によっては自分自身も戦う必要があるでしょうね。
特に乱戦になった時や自前の兵力が少ないときとかは。
小早川への処罰は秀吉の耄碌や秀頼可愛さによる偏見も否定できないけど、必要性が薄いのに最前線で戦ったという評価も否定できない。

>>884
伏見の時は西軍として活動したけど、指揮系統を離れた8月17日には東軍扱いでいいと思う。
西軍(伊藤)と合戦した9月14日以降は完全に東軍。
寝返ったとか裏切りとかそういう善悪や正義とかの価値判断をしたい人がいるみたいですけど。

887 :人間七七四年:2018/06/29(金) 16:30:33.33 ID:1uCCuKM/.net
えー・・・、結局信長天王寺合戦で怪我負ってるでいいの?

>>886
やっぱそういうハイリスクハイリターンであって、やったから無能とかやらないから無能とかいうものじゃなくケースバイケースで見ていくべきものなんですね
小早川金吾が最前線で切り込んだって時は他の最前線で切り込んだ大将と比べてそんな変な状況だったんですかね?
確か誰かの救援のために突っ込んだはずだと記憶してますが

888 :人間七七四年:2018/06/29(金) 16:32:39.53 ID:z9MA8jKZ.net
状況次第だけど救助したとかなら褒められてるはず

889 :人間七七四年:2018/06/29(金) 16:36:31.04 ID:aPSLQ9cr.net
徳川秀忠すら銃創あるんやけど
しかもどこで撃たれたかわからん
銃撃されるなんて割とよくあったのでは?

890 :人間七七四年:2018/06/29(金) 17:01:45.02 ID:71oHqJet.net
息子の忠長が江戸城西の丸で鴨を鉄砲で撃ち取って秀忠激怒事件があったし
忠長にやられたんじゃね

891 :人間七七四年:2018/06/29(金) 18:23:04.66 ID:cOwnweXY.net
大津とか安濃津とかいうけど、
せっかく期せずして埋伏の毒を仕込んだ形になったのに、
そんな中途半端なところで家康がネタばらしさせるわけがないんじゃないか。
小早川の兵力だって一万五千とも八千ともいわれてるし第一あの状況で勝てる訳無いじゃないか。

892 :人間七七四年:2018/06/29(金) 18:52:06.36 ID:A3vKFQK0.net
>>877
三村は銃殺されたらしいぞ、宇喜多の刺客に。
まあ最近宇喜多直家に関する事はだいぶ講談が混ざってるって話も聞いたが。
>>890
さすがにそれはないだろ。そんな事件があったら家光側近が大喜びで公表しまくると思うぞ。
家光の政敵を排除する大チャンスだし。

893 :人間七七四年:2018/06/29(金) 19:36:23.44 ID:XqWiUrQ2.net
家光はむしろ忠長の処分を引き伸ばした
即座に勘当したのは秀忠

我々が思っている以上に苛烈な人物だよ、秀忠は

894 :人間七七四年:2018/06/29(金) 19:37:00.17 ID:tJ/1EdAF.net
>>884
いや小早川は従来通りの西軍だろ。
新説は関ヶ原の真実スレや日本史板で追究してくれ。

895 :人間七七四年:2018/06/29(金) 20:00:47.46 ID:A3vKFQK0.net
そういえば小早川は西軍を離れた後、佐和山の武将の調略をやってたって
聞いた事があるけど、それって本当なの?

896 :人間七七四年:2018/06/29(金) 20:06:09.01 ID:1QLrPH/i.net
小早川は従来通りの東軍だよ

897 :人間七七四年:2018/06/29(金) 20:19:51.31 ID:XzOulnI6.net
>>895
それはたぶん長谷川守知のこと

898 :人間七七四年:2018/06/29(金) 20:22:03.36 ID:BVPDn81f.net
>>894
だから東軍だって

899 :人間七七四年:2018/06/29(金) 20:36:20.69 ID:XzOulnI6.net
途中送信失礼
小早川はいつの時点かは不明だけど長谷川守知を調略している。
佐和山周辺にいた時に調略したという主張も、合理的に思えるけども、本線の結果を見て寝返ったというのも説得力があるので何とも言えない。

>>894
別にあなただけじゃないんですけども。
それはいつまで西軍でいつから東軍になったという認識ですか?
9月14日までは西軍で9月14日以降は東軍という認識でいいですか?
それとも9月15日の本戦で東軍になったという認識ですか?

小早川が伏見城を攻めたり、大坂城の兵糧米を受け取っているのに東軍というのはさすがに同意できないけど。(内心は別)
西軍の指揮系統を離脱したり、無許可で佐和山周辺にいたり、松尾山を武装占拠した状態で西軍と言われてもなんだかなあと思います。

900 :人間七七四年:2018/06/29(金) 20:38:33.83 ID:rvh5w2hr.net
>>897
ああ、うんその人だ。それって本当の話なのかなって思って。
それが本当なら、小早川が少なくとも西軍に味方するつもりがない有力な根拠になりそうだし。
奴が西軍のつもりなら、西軍に所属してる武将の調略をする必要はない訳で。

901 :人間七七四年:2018/06/29(金) 20:42:17.14 ID:z9MA8jKZ.net
小早川が三成に味方する理由がない

大谷だって親家康

902 :人間七七四年:2018/06/29(金) 21:12:00.04 ID:s9Q7ttSb.net
>>891
アホくさ。
なんで家康が関ヶ原で一大会戦というのを予知してるんだよ。
こりゃ小早川秀秋は従来通り西軍だな。

903 :人間七七四年:2018/06/29(金) 21:21:53.09 ID:z9MA8jKZ.net
秀秋が予知したのかもしれない

そうなると通説に反して秀秋は天才

904 :人間七七四年:2018/06/29(金) 21:22:03.99 ID:HlkWIXa2.net
小早川秀秋は伏見城攻城参加したように表面上は西軍に属する。
その後、近江を放浪し挙動不審な行動をとるが、西軍に対し敵対する行動は
松尾山の占拠までは取っていない。

かといって東軍に内応を約する類のもの、もしくは家康が小早川秀秋に対し
なにかしらの指示を出したとみられる証拠(書状等)もない。

状況証拠としては東軍に利すると思われる行動をしているが、
家康もしくは東軍諸将が小早川秀秋を味方と認識していたと思われる証拠もない。

従って小早川秀秋を東軍と断定するものは憶測しかない。
松尾山の占拠で状況証拠は強くなり、大谷を攻撃したことで、反西軍は確定した。

黒田長政が小早川秀秋に対しなにかしらの取次をしていたようだが、
そのあたり以降であるならば東軍の可能性を検討できると思われる。

従って、小早川秀秋は西軍に属し伏見城を攻撃したが、その後去就不明、挙動不審な
行動をとるようになり、松尾山を占拠したのち西軍を攻撃、
その後東軍として佐和山城を攻撃する。

これが通説。これ以上でも以下でもない。

東軍だと断定するなら証拠を出したら?

そんなものがないから現代でも小早川秀秋はなぜ松尾山を占拠したのか?などが
議論されているんだろ。



憶測だけで断言するな。

905 :人間七七四年:2018/06/29(金) 21:25:25.57 ID:QeyQvWsq.net
家康に何度も使者出して連絡取り合ってますがな

906 :人間七七四年:2018/06/29(金) 21:26:47.27 ID:rvh5w2hr.net
>>904
はあ、長文御苦労さまです。
でも、ここ、そういうスレではありませんので、関ヶ原の真実スレにでも
書き込んでいただけないでしょうか。

907 :人間七七四年:2018/06/29(金) 21:34:18.93 ID:QeyQvWsq.net
必死すぎ

908 :人間七七四年:2018/06/29(金) 21:36:27.34 ID:HlkWIXa2.net
>>886
>寝返ったとか裏切りとかそういう善悪や正義とかの価値判断をしたい人がいるみたいですけど。

これどの部分のこと言ってるのか指摘してもらえる?
家康もしくは東軍諸将が小早川秀秋をどう認識していたか、味方と認識していたのか、
少なくとも家康が味方と認識していないなら小早川秀秋が勝手に東軍名乗ってるだけ、となる。

善悪正義?どこに書いてある?

909 :人間七七四年:2018/06/29(金) 21:40:32.93 ID:BHjyfN2E.net
金吾黄門

910 :人間七七四年:2018/06/29(金) 21:49:01.37 ID:iJN6cJ+I.net
>>906
それは小早川秀秋は最初から東軍、って言いだしたやつに言えばいい。

911 :人間七七四年:2018/06/29(金) 22:06:54.55 ID:iJN6cJ+I.net
>>905
それは知ってますよ。ただ最初のうちは追い返されて会えなかった、
面会まで至ったときの詳細はいまいち覚えてないんだけど。

というか>>859なだけですけどね。
否定しないと、肯定したととられるのはいやなんで。

912 :人間七七四年:2018/06/29(金) 22:17:22.46 ID:VI8XGI12.net
伏見城攻めたから表面上西軍、というのも状況証拠からでは?

まあ秀秋に西軍の敗因をなすりつけるなら松尾山で突然寝返る展開が丁度良いんだろうね
勝つ為に抑えるなり味方にするにはどうすればとか端から考えるつもり無さそうに見える

913 :人間七七四年:2018/06/29(金) 22:17:59.71 ID:tJ/1EdAF.net
>>903
ま、まあ予知出来たのなら小早川秀秋は天才だよな。
俺が小早川秀秋ならば毛利両川として吉川広家を張り倒して、
毛利秀元と一緒に石田三成や宇喜多秀家を討ち取ってしまうな。
黒田官兵衛に先駆けて九州を平定し天下二分の計だ。

914 :人間七七四年:2018/06/29(金) 22:23:41.24 ID:tJ/1EdAF.net
>>912
明確に伏見の徳川兵を攻めて殺した事は状況証拠じゃないでしょ。
空弁当でも使ってたのなら状況証拠と言えるがな。

俺は黒田官兵衛が構想していたとされる第3極は実は小早川秀秋が狙っていたことだと主張するぜ。
これなら西軍でなくなればすぐさま東軍という訳でもない。

915 :人間七七四年:2018/06/29(金) 22:30:24.46 ID:iJN6cJ+I.net
>>912
全文において意味不明。敗因をなすりつけるとか誰も言ってない。

>勝つ為に抑えるなり味方にするにはどうすればとか端から考えるつもり無さそうに見える

じゃあその方法をあんたが立案したら?どうぞ、待ってますわ。

916 :人間七七四年:2018/06/29(金) 22:32:02.39 ID:1OR4tTbh.net
>>2をみると、8月14日に東軍の先発隊が清州に到着してて、
8月17日に小早川が西軍から事実上の離脱をしてるな。
>>2の内容が信用できるかはおいといて、やけにタイミングがいい感はある。
想像をたくましくすればの話ではあるけど、東軍方が何か書状で連絡した可能性はあるね。
もしくはこの時点でもう小早川は西軍ヤバいと感じたか。

917 :人間七七四年:2018/06/29(金) 22:42:29.25 ID:tJ/1EdAF.net
>>916
いや違うよ。
浮遊感を出しておいて第3極の旗を掲げる予定だったんだよ。
ドクロマークの中2病的なやつを。

918 :人間七七四年:2018/06/29(金) 22:49:36.63 ID:iJN6cJ+I.net
>>916
小早川秀秋は憶測でしか語れない部分が多すぎるので、あまり触れない方が
いいと思うんだけどねぇ。
小早川秀秋の書状って、伏見攻城のときに出した禁制以外でなにか残ってる?

919 :人間七七四年:2018/06/30(土) 00:11:55.48 ID:WOXitQwe.net
>>837
定期的もなにも現在の定説だよ

920 :人間七七四年:2018/06/30(土) 00:16:22.44 ID:WOXitQwe.net
小早川が西軍なら関白をえさに説得する意味がない

921 :人間七七四年:2018/06/30(土) 01:01:42.45 ID:dY54JcUh.net
>>870
>>873
信長は長良川合戦からの撤退戦で追撃する斎藤義龍の軍相手に
自ら殿軍として船の上から火縄銃でスナイプして追い散らすという
離れ業をやってのけるキチガイ
マトモなわけないw

922 :人間七七四年:2018/06/30(土) 04:12:32.12 ID:/Z/+mU+V.net
>>919
その定説とやらはだれが唱えているのか?

923 :人間七七四年:2018/06/30(土) 05:40:59.89 ID:A0TSQzic.net
信長ってピンチになる事が多い気がするけど、家康も信玄戦や決死の伊賀越えや大阪夏の陣の幸村でピンチになってるんだよね

924 :人間七七四年:2018/06/30(土) 06:09:01.02 ID:WOXitQwe.net
>>922
最近の歴史研究で関ヶ原ものを読むといいよ
小早川西軍なんて誰も言ってない

925 :人間七七四年:2018/06/30(土) 06:51:22.59 ID:26yz6nd2.net
学者でもまだ小早川西軍て言ってるんじゃないの?

小早川独立軍か

926 :人間七七四年:2018/06/30(土) 07:03:07.47 ID:maBTdwd6.net
>>924
ああ、あんたの好きな歴史小説かあ小早川東軍ってのは。
あんたの構想をベースに語るスレじゃないからもう来るなよ。
以降は誰もまともに取り合わないぞ。

927 :人間七七四年:2018/06/30(土) 07:22:12.15 ID:W+0gxMBp.net
>>924
だからだれが唱えてるのかと聞いている。

928 :人間七七四年:2018/06/30(土) 07:34:48.20 ID:0u+kKqyY.net
>>913
そんな議論有りなら、例の場面で西軍に参加して福島隊攻めるけど。
稲葉、平岡なんて本陣に呼び寄せて監禁すれば良い。
幾ら家康が野戦の名人でも、東軍先鋒が崩壊して負兵が雪崩現象で支えるの無理だし。

家康の首取れば、それまでの日和見なんて問題に出来る訳無いし。
仮に家康逃亡しても、大名級がボロボロ討ち取られるんよ、家康でも立て直せんでしょ。

929 :人間七七四年:2018/06/30(土) 07:52:10.10 ID:fObUb5fE.net
>>928
徳川の主力は秀忠と共に有るから立て直せる。
毛利が大大名で有り続けるのが肝でしょう。
石田三成与党と宇喜多程度の乱なら我らが平定しますから、
家康殿はそのまま上杉と対陣なさってくださいと書状を送る程度だよ。
膠着状態の家康を尻目に西国を平定すれば、真の西軍である毛利一族の勝利の雄叫びだ。

930 :人間七七四年:2018/06/30(土) 08:19:57.58 ID:26yz6nd2.net
学者は小早川天才説も唱えているの?

931 :人間七七四年:2018/06/30(土) 09:02:55.50 ID:67eP7B/A.net
小早川を西軍にしたい人は小早川に責任を押し付けたい人達なの?

932 :人間七七四年:2018/06/30(土) 09:03:30.60 ID:67eP7B/A.net
なんかあまりにも頑な過ぎるんだけと

933 :人間七七四年:2018/06/30(土) 09:25:43.28 ID:S7qxVA1D.net
スレチだから真実スレ行け

934 :人間七七四年:2018/06/30(土) 09:31:38.28 ID:ijZgfBNm.net
小早川秀秋は最初から東軍ということでFAだな

935 :人間七七四年:2018/06/30(土) 09:32:29.13 ID:6Ospfs8U.net
>>915
>じゃあその方法をあんたが立案したら?どうぞ、待ってますわ

ここはそれを語るスレだと気付いていない…?

936 :人間七七四年:2018/06/30(土) 10:03:54.77 ID:26yz6nd2.net
西軍の敗因を誰かに押し付けたいという奴はいる
西軍は本当は勝っていた、敗けたのは悪いやつがいて
そいつに全責任がある
西軍が敗けたのは西軍の責任ではない

だから小早川は西軍でなければならない


日本が敗退してたら
西野が責任追求されただろう

937 :人間七七四年:2018/06/30(土) 10:33:39.76 ID:lrmWsi9I.net
小早川秀秋の行動は>>904

938 :人間七七四年:2018/06/30(土) 10:53:45.09 ID:9NRUFKC1.net
なんか小山評定はなかった!の頃の流れになってるなw
粘ってる人がいるのはそうしないと石田や大谷が大間抜けになるからなのか?

939 :人間七七四年:2018/06/30(土) 10:57:40.58 ID:S7qxVA1D.net
まだ単発IDの自演やってんのか?暇すぎだろ

940 :人間七七四年:2018/06/30(土) 11:18:22.29 ID:26yz6nd2.net
思うに石田贔屓というよりも
関西か大阪至上主義

関東もんには好きにさせない
関西の方が優れている

石田ファンはいたとしても
内心敗けたのは理解しているはず

941 :人間七七四年:2018/06/30(土) 11:39:36.09 ID:yH92HOpk.net
>>939
これひょっとして相手にしたらだめなやつかな?
非論理的で馬鹿としか思えないし議論にもなってない。

942 :人間七七四年:2018/06/30(土) 12:17:51.11 ID:ijZgfBNm.net
そういえば佐和山で「小早川秀秋のバカヤロー!」と叫んでいた
戦国武将好きの自称歴史タレントの女がいたね
この人がテレビでやってた戦国時代のクイズで殆ど何も答えられなかったのは笑った

943 :人間七七四年:2018/06/30(土) 12:19:27.92 ID:ijZgfBNm.net
てか単発って小早川秀秋は西軍!の人か

944 :人間七七四年:2018/06/30(土) 12:24:49.48 ID:ijZgfBNm.net
あの白峰や光成も小早川は最初から東軍だったと認めてるのに

945 :人間七七四年:2018/06/30(土) 12:28:00.87 ID:ZAm8qYoC.net
>>927
小説じゃないよ
むしろ西軍にいた裏切った、なんてのが小説だよ
あと最近の研究本読めば東所属がよくわかるから、誰がとか言わずまず読めよ
古いままでいるからそんな意見なんだよ

946 :人間七七四年:2018/06/30(土) 12:28:47.45 ID:k64/RLE4.net
>稲葉、平岡なんて本陣に呼び寄せて監禁すれば良い。
映画「関ヶ原」では金吾が三成の義に感動して東軍攻撃を下知したら稲葉平岡に監禁されていたな…

947 :人間七七四年:2018/06/30(土) 12:34:20.55 ID:fYOcVJi0.net
>>945
へー、小早川秀秋が東軍という君が作った同人誌かあ。

948 :人間七七四年:2018/06/30(土) 12:34:52.09 ID:ijZgfBNm.net
>>946
典型的シバリョの司馬史観だわな

949 :人間七七四年:2018/06/30(土) 12:35:22.60 ID:gzpl6AXn.net
小早川は少なくとも前日から東軍やろ

950 :人間七七四年:2018/06/30(土) 12:35:53.79 ID:5555zZOh.net
IDコロコロ必死だね、君。そろそろ相手にされなくなるよ

951 :人間七七四年:2018/06/30(土) 12:37:25.45 ID:5555zZOh.net
あごめん>>947宛ね。そして自分のIDがなかなかな件

952 :人間七七四年:2018/06/30(土) 12:54:26.45 ID:fObUb5fE.net
>>941
そうそうID:S7qxVA1Dは相手にしたらだめなやつだわ。
自演がどうこうしか言わないから非論理的で馬鹿としか思えないし議論にもなってないよなあ。

953 :人間七七四年:2018/06/30(土) 13:29:01.58 ID:g+sTHc0b.net
三成が東軍に寝返れば西軍が勝てたのに、三成が東軍に行こうとしないのだから
小早川が西軍を見限って東軍に行くのは仕方がないだろ

954 :人間七七四年:2018/06/30(土) 13:30:00.01 ID:La6pW4pV.net
>>945
例えば誰?

白峰?

955 :人間七七四年:2018/06/30(土) 13:43:56.31 ID:4mnt+Uc6.net
>>944
それどこに書いてある?

956 :人間七七四年:2018/06/30(土) 14:05:52.05 ID:zA7nZgKT.net
小早川は東軍でしたってのも分かるけど位置の都合とはいえ伏見城を攻撃してしまった以上、
西から東に裏切ったと言われても仕方ないと思うが…元々東軍でしたってのもこれもご最もだけど
答えのでる論争なの?

957 :人間七七四年:2018/06/30(土) 14:14:34.43 ID:ZAm8qYoC.net
>>947
悲しいねえ、物をしらない人は

958 :人間七七四年:2018/06/30(土) 14:16:21.73 ID:ZAm8qYoC.net
西軍は布陣がよいだの、兵数そろえただので石田アゲしてる人いるけど

それで負けてるならやはりよほどの無能石田三成

959 :人間七七四年:2018/06/30(土) 14:25:09.70 ID:4mnt+Uc6.net
>>944
一次史料重視の白峰氏、光成氏が小早川秀秋について
言及してるならとても興味深い。
なにに書かれてる?
小早川秀秋って史料が全然ないから。

960 :人間七七四年:2018/06/30(土) 14:28:15.50 ID:4mnt+Uc6.net
まさかとは思うけど、風説の流布とか名誉毀損じゃないよね?

961 :人間七七四年:2018/06/30(土) 14:44:41.37 ID:gzpl6AXn.net
白峰の著作とかいくらでも転がってるだろw

962 :人間七七四年:2018/06/30(土) 14:52:50.53 ID:ijZgfBNm.net
小早川を西軍とか西軍は健闘していたとかいう人は最近の本を全然読んでないようだな
とりあえずネットでもググってみれば

https://hatebu.me/entry/sekigahara

https://www.news-postseven.com/archives/20170711_584706.html

963 :人間七七四年:2018/06/30(土) 14:55:41.92 ID:XI1gypUB.net
いい加減「最初」がどの時点を指してるのかはっきりしろと

964 :人間七七四年:2018/06/30(土) 14:59:27.50 ID:ijZgfBNm.net
小早川は本戦1ヶ月前には徳川に味方したい旨を書状に何度も書いているんだよな

965 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:04:59.15 ID:cFUMK/y5.net
>>962
布陣図も近年、明治期に作られたフィクションだと明らかになったと書いてあるね

966 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:14:12.23 ID:cFUMK/y5.net
開戦後すぐに奉行達数人が東軍についたってこいつらも内応済みで東軍と言っていいような

967 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:16:13.39 ID:La6pW4pV.net
西軍が瞬殺されたというのはありえん

何万もが一瞬で負けるとかない

968 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:20:13.89 ID:cFUMK/y5.net
>>967
そもそも何万もが動いて無いとなぜわからない

969 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:32:44.97 ID:ijZgfBNm.net
それこそ西軍はバラバラだったんだよな

970 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:33:22.20 ID:XPT4Du62.net
>>956
彼一人がやってる小早川東軍ダーの戦いだからね。
みんな気づいているのに本人だけああだから参るよ。

971 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:36:00.63 ID:XPT4Du62.net
>>969
そういうスレじゃないから関ヶ原の真実スレにどぞー。

972 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:37:54.66 ID:ijZgfBNm.net
>>971
>>967>>968へのレスだから

973 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:39:30.12 ID:ijZgfBNm.net
>>970
てかIDころころ変えるなよ

974 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:41:30.26 ID:cFUMK/y5.net
小早川は西軍ダーは一人だろ

975 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:44:23.48 ID:La6pW4pV.net
>>968
何千?

976 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:45:46.07 ID:La6pW4pV.net
小早川西軍ダーは一人

他にもいる?

977 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:47:36.38 ID:YcYm9ppp.net
WIKIだと家康家臣の奥平貞治が小早川の軍監に付けられてるな。
ただ、いつ付けられたのか記入されてないね。

978 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:54:40.76 ID:cFUMK/y5.net
>>977
小早川秀秋が本当に信用出来る人物ではなかった事は確かなようだね
まあ内応してくる奴を100%信じろって方が無理

979 :人間七七四年:2018/06/30(土) 15:57:48.72 ID:YcYm9ppp.net
>>978
しかし、その割には京極や脇坂には軍監付けられた様子がないんだよ。
いったいどういう基準なんだか。

980 :人間七七四年:2018/06/30(土) 16:01:54.49 ID:VQe89k6P.net
奥平貞治が秀秋の軍監というのは後世の捏造で、
本戦では寄合衆として本戦に参加して普通に戦死

981 :人間七七四年:2018/06/30(土) 16:28:20.47 ID:cFUMK/y5.net
福島正則とかにも軍監に井伊直政が付けられただろ

982 :人間七七四年:2018/06/30(土) 16:35:31.59 ID:Rt5amVTF.net
>>977
そいつ戦死してるしな・・・w
普通、他家からの戦目付けって、戦死するような働きしないだけどね。
しかも小早川は大軍だし。

983 :人間七七四年:2018/06/30(土) 16:53:48.23 ID:6Ospfs8U.net
つまり…何をどうやっても西軍は負けるので
次スレは不要という結論ですか?

984 :人間七七四年:2018/06/30(土) 17:01:47.27 ID:cFUMK/y5.net
>>983
結束力がまるでないから何をどうやっても無理だね
主導権を取るというかう利害関係の繋がりすら功を成していない
徳川を相手に戦をやろうとした時点で無理

985 :人間七七四年:2018/06/30(土) 17:07:46.44 ID:La6pW4pV.net
いや西軍ダーがいる限り、我々は戦い続ける

あと最近の学説ではというのを掘り下げたいが
提唱者名は秘密のようだ
でももしかすると出てくると期待

986 :人間七七四年:2018/06/30(土) 17:08:46.21 ID:ZAm8qYoC.net
関ヶ原の最初はいつから、なんてのは現実的には伏見攻めからだろうな。

小早川は唐入り時の奉行衆の仕置きを家康に取りなしてもらってるあたりから完全に東軍だろう
ただ伏見攻めに関しては孤立化を危惧したため西軍と同調せざるを得なかった。
以後は一貫して徳川に書状をおくって弁明しまくっている。
態度としては京極と変わらない。
島津が似たように思えるがあちらはいつまでもどっちつかずのまま、完全に愚の骨頂。お家の危機は薩摩という中央から離れた地に助けられただけだわな。

小早川への鉄砲催促も近年ではなかったとされているわけで。
小早川も裏切り者とかいい風評被害だよな
小早川ほど結局後世につたわる嘘の悪評に迷惑した武将もおるまいよ
愚図だのなんだの言われるやつが関白をえさに西軍に誘われたりするわけもないし、武威にとぼしいならなおさらいらないだろ
そうでないからあんなに西軍に乞われたわけだ。

987 :人間七七四年:2018/06/30(土) 17:11:22.91 ID:ZAm8qYoC.net
>>978
内応じゃなくて普通に親徳川
そしてはっきりと東側だと表明している
だから逆に西軍は西についてくれと頼みにいってるわけでな

988 :人間七七四年:2018/06/30(土) 17:12:05.78 ID:ZAm8qYoC.net
>>983
実際西軍の勝ちがありうるか、でいったら無理筋がみんなわかってるからね

もう魔法で勝つしかないんだよ

989 :人間七七四年:2018/06/30(土) 17:25:52.68 ID:Z1/h0jsR.net
次スレたてました。

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part16
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1530344370/


てか、残り少ない時点で少しはレスするの控えろよ、次スレ案内が入れられん。

990 :人間七七四年:2018/06/30(土) 17:28:24.04 ID:La6pW4pV.net
そんなこと言うなら950で建てればいいじゃん

気がついたの今なの?

991 :人間七七四年:2018/06/30(土) 17:32:56.69 ID:Z1/h0jsR.net
>>990
今日はたまたま早く帰ってこれたから急いで立てたんだよ。
常時在宅じゃないんだから。

992 :人間七七四年:2018/06/30(土) 17:34:52.18 ID:Z1/h0jsR.net
つか>>962のリンクはなに?9月14〜15日のことしか書かれてないじゃん。
それ以前は?

993 :人間七七四年:2018/06/30(土) 17:53:35.33 ID:8rIHutlR.net
>>986
状況が悪いから仕方なく西軍についてその後家康に必死に弁明したから元から東軍

これ解釈次第じゃどっちにも振れるんじゃない?

994 :人間七七四年:2018/06/30(土) 17:59:43.31 ID:fObUb5fE.net
>>985
そういうスレじゃないから。
関ヶ原の真実スレに行ってくんなまし。

995 :人間七七四年:2018/06/30(土) 18:08:54.11 ID:SFMUf7KN.net
>>989
乙乙感謝です。

996 :人間七七四年:2018/06/30(土) 18:18:24.39 ID:La6pW4pV.net
別に仮想戦専門スレじゃないんでしょ

997 :人間七七四年:2018/06/30(土) 18:22:47.91 ID:5555zZOh.net
に、したいIDコロコロが一人頑張ってるだけ

998 :人間七七四年:2018/06/30(土) 18:26:22.97 ID:Z1/h0jsR.net
9月14〜15日における西軍の短時間壊滅説、いわゆる白峰説。

その内容は9月17日付松平家乗宛石川康通・彦坂元正連署状
(内容は真実スレの>>14に書かれている)
この内容通りだったとすると史実はこうだった、というもの。

簡単に説明すると、
なぜか西軍の所在をしっかり把握してた東軍先鋒に、濃霧のなか突如奇襲され、
大谷陣が混乱&壊滅、その混乱が西軍他隊に波及するなか、
その抜群のタイミングで小早川、脇坂、小川が寝返り西軍を挟撃。
そして混乱状態は西軍全体に波及し、西軍は潰走。
石田、宇喜多、小西、島津、大谷ら3万数千が短時間で壊滅した、とするもの。


このスレでなにかしらの主張を連呼するならば白峰説は踏まえた上での発言だろうと
思うのは当然で(いや、知らなくてもいいけど、その場合は低姿勢でよろ)、
「小早川秀秋は最初から東軍」、と主張するならば、「最初」とは伏見からだろう。

そして東軍というからには家康が味方だと認識しているのは当然で、それがないならば
小早川秀秋が勝手に東軍を名乗っているだけとなる。
小早川秀秋は何度か家康に使者を送っているが、最初の数回?は追い返されている。
家康からしたら当然で、伏見で鳥居を殺した奴がなにしに来たのか知らんが聞く耳など持たんわ、
となるわな。

東軍に入れてもらえない小早川秀秋が最初から東軍などおかしい、その主張をするなら
証拠を出せ、となるのは当たり前の流れ。
京極高次は家康と書状のやり取りをしており書状も残っているが小早川秀秋の場合はない。

だから「小早川秀秋は最初から東軍」と主張する者が証拠を出せばいいだけ。

999 :人間七七四年:2018/06/30(土) 19:20:47.08 ID:6Ospfs8U.net
秀秋の去就は重要な問題だものね

ここぞというタイミングで裏切ってもらわないと
「秀秋のせいで西軍は負けた!!!」
という展開に持ってけないからね
そりゃー東軍説に「だけ」必死で証拠を求めるわな

1000 :人間七七四年:2018/06/30(土) 19:26:19.09 ID:Z1/h0jsR.net
>>999
本戦の話なんかどうでもいいんだよ。「最初から東軍」の話をしてるんだよ。

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