【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 6 【徳川】
- 1 :人間七七四年:2019/09/19(木) 19:55:04.33 ID:3TUgKCsk.net
- 慶長3年(1598)8月18日に豊臣秀吉が亡くなると、豊臣政権内部の対立が激化し、慶長5年9月15日には関ヶ原合戦が起こり、徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍が激突。
この合戦に勝利した徳川家康は慶長8年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。
けれども大坂城には秀吉の遺児豊臣秀頼が母淀殿とともに未だ健在で、徳川家を凌ぐ権威を保持したまま君臨していました。
この豊臣家と徳川家という二大権力の最終決着戦となり、戦国時代最後の大合戦となったのが「大坂の陣」です。
慶長19年10月〜12月には「大坂冬の陣」、翌20年5月には「大坂夏の陣」が起こり、慶長20年5月7日に大坂城は落城し、翌8日に秀頼・淀殿が自害して豊臣家は滅亡しました。
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- 113 :人間七七四年:2019/09/28(土) 15:13:19.14 ID:0OFQdtpP.net
- 淀と大野一族が豊臣の方の癌だったなあ
- 114 :人間七七四年:2019/09/28(土) 16:09:29.51 ID:zSSvwC8K.net
- 大野は下の弟がね
兄の方は関ヶ原前にやらかした感じだけど
- 115 :人間七七四年:2019/09/28(土) 17:35:48.65 ID:0q5AvROe.net
- 治長は且元追い出しをやってしまったのがね
その後は現実知ったのか和平結ぼうと頑張ってたけれど、自分が且元へやったのと同じように弟に襲撃されてるからなぁ
淀君はもう何度も何度も言われてるし少しくらい研究読んで欲しいのだけれど、最初から現実的融和路線
いわゆる大砲飛んできて日和って和睦みたいな話も、豊臣優勢だったという事にしないとお話的に面白くないからで終始劣勢のまま物資尽きかけてたのが実際のところ
秀頼本人とその近臣が異常に過激路線
- 116 :人間七七四年:2019/09/28(土) 18:21:02.20 ID:zSSvwC8K.net
- 淀君の君って一昔前から女性に対する蔑称にあたり失礼だから淀殿と呼ぶべき流れになったけど、秀頼誕生周りを調べたらそう呼ばれるのも仕方ないと思うようになったわ
何としても自分を価値ある存在にしたかったのかねぇ
- 117 :人間七七四年:2019/09/28(土) 20:16:54.32 ID:Gzd6GTTv.net
- 小笠原権之丞は実在人物なのか?
- 118 :人間七七四年:2019/09/28(土) 20:45:35.15 ID:0q5AvROe.net
- 信用皆無の史料にしか出てこない人物の実在を聞かれても
- 119 :人間七七四年:2019/09/29(日) 07:12:12.18 ID:MvM7osr+.net
- >>116
それよくわからんのは姫君とか若君とかは蔑称なのだろうか?
- 120 :人間七七四年:2019/09/29(日) 09:32:08.28 ID:+mJQUHvc.net
- 真田大助は実在の人物なのか?
- 121 :人間七七四年:2019/09/30(月) 22:38:10.48 ID:g1Ht/Kot.net
- https://youtu.be/VHZanWSmweg
- 122 :人間七七四年:2019/10/03(木) 07:04:47.35 ID:825xiWWj.net
- 大助は幸昌という祖父の名を逆にした諱が気になるな
- 123 :人間七七四年:2019/10/03(木) 17:29:54.79 ID:ltP4Zoz7.net
- >>116
そもそも淀君呼びが蔑称というのは
一部の研究者が出してきた珍説ですよ
- 124 :人間七七四年:2019/10/03(木) 21:56:02.28 ID:YHIXL/en.net
- 君主のことを指すところから始まった君って呼び方が蔑称ってそもそも意味不明だものね
遊女に〜君って呼び方が多いからきっと蔑称だったはずだってのが主張だったみたいだけど
天璋院篤姫も篤君呼びを当代でされてたはずだし、他にも君呼びの女性はいっぱいいる
むしろ遊女側を最大限の敬称で客が呼びたいなり遊女たちが箔をつけたくて貴人の呼ばれ方を真似しただけじゃないかね
今でもSM嬢を女王様なり様づけで呼ぶのと同じ感覚で
- 125 :人間七七四年:2019/10/03(木) 23:01:55.72 ID:ltP4Zoz7.net
- 将軍正室の江与がそもそも君呼びされてるからね
- 126 :人間七七四年:2019/10/06(日) 19:25:44.40 ID:gjfAu4kW.net
- なんかここ過疎ってるね。閉鎖的で特定の意見しか認めないなら、スレッド閉めた方がいいんじゃない?
- 127 :人間七七四年:2019/10/06(日) 20:14:49.31 ID:XoVewkF3.net
- 戦国板的にはめちゃめちゃ書き込みあるだろここ
- 128 :人間七七四年:2019/10/06(日) 20:20:24.04 ID:Dw+HiBzK.net
- >>126
かわいそうに、いじめられたの?
- 129 :人間七七四年:2019/10/07(月) 22:43:50.57 ID:EhjVXJIq.net
- 下手うっても何故か死なない信雄が下手打つ前に逃げたあたり城内の雰囲気はお察しだったんだろうな
- 130 :人間七七四年:2019/10/08(火) 06:30:40.66 ID:rvieH+mL.net
- 信雄は途中まで主戦派寄りだった説もある
本当に戦交えようの空気になって名ばかり大将にされそうになったから逃走決めたけど
信雄を大将にして名目上は織田vs徳川になってたら面白そうだ
- 131 :人間七七四年:2019/10/08(火) 08:43:29.06 ID:eN9uzDF7.net
- 信雄はびっくりして大坂からバックレ、板倉に内通して、龍安寺に身を隠した。次に織田長益を総大将にせんとしたというのは事実か?
- 132 :人間七七四年:2019/10/08(火) 10:40:41.13 ID:yay87vt9.net
- 織田の系譜で妙にやる気満々だったのは頼長だったかな
- 133 :人間七七四年:2019/10/08(火) 11:13:15.38 ID:yay87vt9.net
- 片桐排斥事件の時に信雄はすぐに徳川に異心なしって旨の書状を京都所司代に出してるし、穏便に済ませたかった派じゃないかね
- 134 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:14:05.99 ID:/JcU/pd5.net
- ゴリゴリの開戦派に総大将として担がれかけたんだから調子のいいことを言ってた可能性が高いんじゃないか
出典は忘れたが片桐暗殺にも当初は加担してたらしいが
- 135 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:31:31.16 ID:yay87vt9.net
- >>134
それは聞いた事がないなぁ
そもそも襲撃されそうな事を片桐に伝えたのがほかならぬ信雄だし
開戦派に担がれかけたからってのはちょっと根拠として薄いんじゃないかな
あの時点で信雄以上の実戦経験と家柄の人いないから担がれただけともとれるし
- 136 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:35:25.02 ID:wLO4teta.net
- 信雄、あれでもあの時点の大坂方では数少ない
万単位の兵を指揮したことのある大将なんだよな
官位も元内大臣とかなり高いし
- 137 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:39:10.33 ID:eN9uzDF7.net
- そうなんだけど結果がさんざんだからなぁ。
- 138 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:42:40.16 ID:EmXJtriS.net
- 一番最初に逃げた人物に期待をかけるしかないとはもう無理だな
- 139 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:43:55.94 ID:ZvMabYLn.net
- 中身はともかくガワだけ見たら神輿としては十分というか適任なんだよな
二度目の改易食らってまたまた拾われた恩があるんだから呑むと思ったのかも
- 140 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:49:39.83 ID:yay87vt9.net
- 三介殿、大坂の陣と同じ発端で同じ運命になりそうだった小牧長久手の戦でちゃんと軟着陸してるから
ただそのあと移封イヤイヤして秀吉キレさせただけで
ほんと大坂の陣って収拾つけられなかった小牧長久手じゃないかな
- 141 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:53:00.01 ID:ef/+lx/Y.net
- 信雄くん小牧長久手初期は活躍してたのに
陸路の池田森と海路の滝川九鬼を撃退してるよ
- 142 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:56:19.43 ID:BijVnTka.net
- 伊賀でやらかして信長に大目玉食らい
本能寺の事後処理でへまをやらかし
織田家復興に熱心だった信孝を秀吉の片棒担いでぶっ殺し
わざわざ自分から秀吉に喧嘩売って大事な伊賀と伊勢を切り取られて臣従する羽目になり
馬鹿でもアホでも勝ち組になれた小田原でKY発揮して改易され
関が原でも秀吉との関係をとりなしてくれた家康に味方せず改易され
こんなのでも当時の大坂にあっては最上位の人材なんだよな…
で、その人材にスパッと見切られてるんだから最初から終わってる
- 143 :人間七七四年:2019/10/08(火) 17:17:22.80 ID:BijVnTka.net
- 流石の信雄もこの時期には自分の立場を理解していないとどうなるか身に染みていただろうし
主家のプライドに拘泥する秀頼一派を諫めはしたかもしれん
てか、信雄という全てを失った好例が目の前にあるのに開戦一本槍の連中は異様だわな
- 144 :人間七七四年:2019/10/08(火) 17:45:48.89 ID:ZvMabYLn.net
- 有楽ですら重鎮扱いだったというのがね
- 145 :人間七七四年:2019/10/08(火) 18:10:12.17 ID:eN9uzDF7.net
- 有楽の息子が総大将やらせろと言い出したのは、皆からよってたかって潰されるのを予期したうえで、城を退去する口実が欲しかったという解釈で良いか?
- 146 :人間七七四年:2019/10/08(火) 18:29:34.62 ID:yay87vt9.net
- >>145
有楽と息子頼長とはだいぶ考え方に隔たりがあるように見える
過激派な頼長に有楽が巻き込まれる形だったんじゃないかな
とりあえず親子とはいえこの二人が一枚岩って考えは危険だと思う
- 147 :人間七七四年:2019/10/08(火) 18:44:34.83 ID:BijVnTka.net
- まあ一部で言われるように長益が徳川方の内通者だったなら頼長も同じだろうがな
内通者が秀頼の名代までやってたことになるわけだが…
- 148 :人間七七四年:2019/10/08(火) 18:55:05.40 ID:H7PIIAIx.net
- >>134
浅井一政自記にも
常心より佐々雅楽助が使者としてたてられ(片桐を成敗するかもしれないという噂がある旨を)片桐に知らせた
それまでは何の沙汰もなかった
とあるし流石にその線は薄そう
- 149 :人間七七四年:2019/10/08(火) 19:01:47.91 ID:ZvMabYLn.net
- 有楽が穏健派担当で頼長が強硬派担当だったのだろう
- 150 :人間七七四年:2019/10/08(火) 19:48:42.28 ID:WEigtgkf.net
- そんな担当っていうように分けてたわけではあるまい。親は親、子は子だよ。
頼長は勝手に強硬路線煽って冬の陣の後駄目だこれって抜けただけだろ。
- 151 :人間七七四年:2019/10/08(火) 20:16:22.38 ID:KfM0iWci.net
- 頼長って冬の陣でなにか失態を犯してなかったっけ
それで居辛くなったというのはないかな
- 152 :人間七七四年:2019/10/09(水) 01:36:46.36 ID:IDRXncec.net
- >>151
自分の隊で喧嘩騒ぎが起きてる間に藤堂隊に攻め込まれてその間指揮しなかった、でしたっけか
統率できなくてへそ曲げたんですかね
- 153 :人間七七四年:2019/10/09(水) 03:25:23.59 ID:L+hiNqnm.net
- それこそのぶおや有楽が家康からなんらかの確証を貰ったから逃げ出したんじゃないの
そもそも冬で主戦派だった理由も謎だし
- 154 :人間七七四年:2019/10/09(水) 09:23:17.74 ID:IDRXncec.net
- >>153
内通してたってのも疑惑だけで一切確証もないしなんで
とりあえず主戦派だったのがブラフだよ、って言える確証でもない限り、そう見るのは難しいかと
薄田が博労淵でやらかしたのは家康と内通してたからだとか、豊臣方のやらかしは全部内通してたからだと言えてしまう
- 155 :人間七七四年:2019/10/09(水) 10:18:10.92 ID:L+hiNqnm.net
- まあ所詮人間のやることだから
直近に帰参した立場だったから強硬な立場で歓心を買おうとしたのかもしれない
明らかに死亡フラグが立ったのぶおは真っ先に逃げた
頼長長益は豊臣への義理立ても出来たし明らかに情勢が悪いから玉砕する前に退散したと
でも何かあっても変では無いとも思うけどね
- 156 :人間七七四年:2019/10/09(水) 11:46:38.55 ID:1CPUvQm1.net
- 有楽と息子頼長が強硬派と穏健派というのが面白いな。
大野道犬と大野治長兄弟も同じ感じじゃなかったっけ。
道犬が治長を切って重症を負わせたけど、あれは演技じゃなかったと思う。
- 157 :人間七七四年:2019/10/09(水) 12:50:29.37 ID:y2b2bwYj.net
- それこそ淀と秀頼も穏健派と過激派に分かれてるので
とことん親子、兄弟で認識のズレが表面化しまくってるね
- 158 :人間七七四年:2019/10/10(木) 10:15:19.16 ID:cr4sB+/u.net
- 織田を凋落させた信雄やそれを見ていた淀の世代は諦めモード
若い世代はイケイケの印象
- 159 :人間七七四年:2019/10/10(木) 10:45:47.49 ID:xVx1r5E1.net
- 諦めとイケイケというか
ちゃんと状況把握できてる方と向こう見ずとの差というか
牢人衆ですら又兵衛あたりは状況把握してるし、中立組の真田ですらこれ死ぬわって認識してるし
- 160 :人間七七四年:2019/10/10(木) 22:45:45.12 ID:ovkZSwu8.net
- まあ徳川の方も家康は穩便派、秀忠は強硬派に分れているしね
と言うより父親の余光に縋り我儘勝手にやってきた豊臣に対して
家康が甘いだけで秀忠や徳川家臣連中の態度の方が普通だと思うけど
豊臣恩顧の大名も呆れて見限っている感じだし
- 161 :人間七七四年:2019/10/14(Mon) 21:28:27 ID:uYS6DIzB.net
- 家康にしてみれば、ここまでくればさすがに臣従するだろうと思ったんだろうなぁ
- 162 ::2019/10/14(Mon) 21:38:07 ID:qrq/6fPw.net
- つか二条城会見の時点で常識的には臣従なのよ。実際徳川家から豊臣への
年頭礼は止めているにも関わらず、豊臣家からは徳川家に行っているし。
客観的には誰が見ても豊臣は徳川に服したという状況だったと考えられる。
- 163 ::2019/10/16(Wed) 16:43:00 ID:HEJIt1bS.net
- 喉元すぎたら熱さを忘れたんだよ。バカだから
- 164 ::2019/10/17(木) 09:40:22 ID:rKzwNJ8k.net
- 織田三介信孝を死に追いやり、柴田、滝川を攻め滅ぼし、秀吉から謀反人の濡れ衣を着せられた時点で、ようやく手を握ってはならない 相手と手を握っていたことに気づかされた
- 165 ::2019/10/17(木) 09:51:24 ID:EFnbXBW2.net
- >>164
信孝殺したの信雄だぞ知恵なし
- 166 :人間七七四年:2019/10/17(木) 10:49:45 ID:uRg/hq1+.net
- 改易前の振る舞い見てても信雄ってちょっと池沼入ってると思う
その池沼にすら見捨てられる豊臣…
- 167 ::2019/10/17(木) 11:02:47 ID:HR70+Mcb.net
- なんだかんだ言っても信雄は秀頼のような世間知らずの箱入り息子ではなかったからな
それなりに己の器量と実力を思い知って生き残るために何が必要なのかわかってた
秀頼はなまじ親父が天下人でなおかつ成人するまでまともに外の世界を知らずにいたのが致命的
完全に夜郎自大の勘違い、武家としても公家としてもやっていけそうにない中途半端な
始末に負えない存在に育ってしまった
- 168 ::2019/10/19(Sat) 08:28:18 ID:dxZD8dsj.net
- 結局大坂の陣って、
自分の事を天下人と勘違いしているボンクラ大名が暴走して公儀に反抗してきたので叩き潰された
という認識でいいの?
- 169 :人間七七四年:2019/10/19(土) 11:13:44.72 ID:xU9iNC/p.net
- ちょこっと花火上げて健在アピールしたら誰も擁護に回ってくれなくて
意地になってもう一回やったらサクッと潰されたボンクラだよ
- 170 ::2019/10/19(Sat) 14:23:53 ID:4FygV4TR.net
- 御家騒動的性格もだいぶ混じってそうなのよね豊臣方
元々が家中の事の殆どで奉行する事になってた淀派の片桐への襲撃未遂事件だし
- 171 :人間七七四年:2019/10/20(日) 21:07:37 ID:Bt573DO6.net
- >>168-169
研究者ででも秀頼評価しているのって福田千鶴くらいしか知らないし、実際才器の欠片も感じられないからなぁ
- 172 ::2019/10/20(日) 22:45:41 ID:14zyGfgr.net
- 評価を行おうにも若死にすぎて起こした事績が大坂の陣くらいしかないので他で評価のしようがないってのもありますね
統治に関しても実権を淀から譲られてたのか、譲られてたとしてもその期間はかなり短いでしょうし、そも徳川の代官に肩代わりしてもらいながらの統治だし
言うならば答案用紙に空欄多数で数少ない記述されてる所も間違ってたから0点、ってのに近いですかね
ゆえにロマンを求める方は空欄に深い意味を見出そうとするんでしょうけども
- 173 :人間七七四年:2019/10/21(月) 20:17:15 ID:rEz9JTXx.net
- つっても大坂の陣の時点で二十歳超えてるからなあ
この年齢で実権を渡してもらえなかったもしくは取り返せなかったのなら
周りの人間から器量を評価されてなかったということだし
実権を握っていたなら一連の顛末はいい点数をつけようがない
- 174 :人間七七四年:2019/10/21(月) 21:18:38 ID:7/sAdKnZ.net
- 癇癪起こして立ち上がり、特に何するわけでも無くそのまま座る
秀頼の人生は座布団のシワを少し増やしただけのこと
- 175 :人間七七四年:2019/10/21(月) 21:47:44 ID:1elt2ogG.net
- 大阪の陣で対徳川主戦派は秀頼側近連中なんだけど、、あれも
秀頼がそうだったから周りもそれに従ったのか、逆に側近連中が勝手に秀頼を祭り上げたのか、
それすらわからんからな。
- 176 :人間七七四年:2019/10/21(月) 22:09:22 ID:9DmQ5TJY.net
- そりゃ十代で初陣してなければそうなる
- 177 :人間七七四年:2019/10/21(月) 22:20:08 ID:eiE/HKhC.net
- 長曾我部元親は数え年で二十三、徳川秀忠は数え年二十二で初陣じゃなかったっけ
- 178 :人間七七四年:2019/10/22(火) 04:29:12.03 ID:V440KBiD.net
- だからみんなダメダメなんだよ
- 179 :人間七七四年:2019/10/22(火) 16:55:59.30 ID:ePAMpKzE.net
- 毛利がダメだったのも元就のせいだったのか
- 180 :人間七七四年:2019/10/22(火) 19:47:57.90 ID:JI0jLpRP.net
- スケベったらしく佐野道可を入城させている毛利輝元は、毛利元就の孫だ
- 181 :人間七七四年:2019/10/23(水) 01:47:56 ID:eSvd5rFs.net
- どちらに転んでもいいように
万が一のための二股保険を忘れないソツの無さこそ輝元が名将たる所以よ
大坂方にどうせ勝ち目ないんだから一点張りでいいだろ、なんていうのは愚将がすること
関ヶ原の時もそう
総大将なのに、じゃないんだよ、むしろ自分が総大将というハイリスクハイリターンのヤバい地位になるからこそ
負けた場合に全て失うのを回避する保険は用意しておかねばならん
つまり敵に通じるパイプ(吉川)を用意しておき、いつでも引き返せる状況を作って置くことが必要だったのだ
さすが知将元就の孫よ
世間一般で格好いいとされる基準からは確かに外れる、しかし、その事と能力とはまるで別の話だ
この区別が判らん奴が多いから輝元の評価が不当に低いんだよな
- 182 :人間七七四年:2019/10/23(水) 13:17:20.04 ID:1bOM0HS/.net
- 取り潰し寸前だったのを吉川に救ってもらっただけなのに知将もクソもあるかよ
元就の血を引くなら吉川をも犠牲にしてでも100万石の大大名として生き残っただろうよ
- 183 :人間七七四年:2019/10/23(水) 13:43:52 ID:2w0Y2V0W.net
- 上方に四万動員したのも全て吉川のせいですってか
- 184 :人間七七四年:2019/10/23(水) 14:09:05.26 ID:DpZDwmNR.net
- 保険と背負わなくてもいいリスク背負うはてんで別の話
ましてや佐野道可の事件においてはその保険のせいで怪しまれてるんだから
- 185 :人間七七四年:2019/10/23(水) 14:15:39.37 ID:Nqs6PsjL.net
- 佐野道可事件は輝元が派遣したのか勝手に出奔したのか史料的にはなんとも言えん
- 186 :人間七七四年:2019/10/23(水) 14:57:59.56 ID:X4lDp+Q9.net
- >>181
次は道端に落ちてる犬のウンコにでも美点を見いだしてやってくれ
- 187 :人間七七四年:2019/10/23(水) 16:16:16.17 ID:L9lc1oHm.net
- 自分的には光成氏の言う
最初は知らなかったけど、知ってから悪さ考えて黙認してたって認識が近いんじゃないかなって
真田とか黒田は確認できてすぐに、独断で家中の人間が豊臣に付いた事を強調してすこぶる厳しい扱いしてたでしょ確か
- 188 :人間七七四年:2019/10/23(水) 16:58:23 ID:xj1yqt/i.net
- 淀が傾国のなんたら 妲己とか褒姒と同じ
- 189 :人間七七四年:2019/10/23(水) 17:13:21 ID:yBAwLBBs.net
- 20年だか前に出奔した縁も遠い佐野道可が大坂城に入って輝元に何か良い事あんのか。ちゅうのが
- 190 :人間七七四年:2019/10/23(水) 17:19:55 ID:A0ir/Ph3.net
- 吉川廣家が単独で徳川方との和議のために動いているのを後から知り、輝元があとからそれに乗った。
合戦前日の起請文には、吉川ほか、福原式部少輔も、連署しており、毛利家全体の総意だと、信じるに値するものだと考えられる、こう光成氏は指摘している
- 191 :人間七七四年:2019/10/23(水) 17:23:35.89 ID:Nqs6PsjL.net
- その説、南宮山には輝元側近たちも在陣していたんだから、輝元に知られず和議を
行うなんて事が可能とは全く思えん。普通に輝元にも話は通っていたと考えるのが
自然だろ。
光成氏の説はこういっちゃ何だがロマンチックすぎる。
- 192 :人間七七四年:2019/10/23(水) 18:43:47 ID:nLmRBgjV.net
- そういう話は関ヶ原スレでやってくれ
- 193 :人間七七四年:2019/10/24(木) 08:16:34.38 ID:sx2prC2T.net
- 淀も秀頼も日曜日朝迄の命
- 194 :人間七七四年:2019/11/06(水) 20:13:24 ID:h6gSUCR9.net
- >>176
秀頼の場合、結局戦場にも出なかったし、戦闘の指揮をしたわけでもないから
初陣すらせずに死んだ事になるような気がする
- 195 :人間七七四年:2019/12/27(金) 23:07:42.78 ID:wT7D9nl/.net
- なんで片桐且元を追放したら徳川に攻められたの?
- 196 :人間七七四年:2019/12/27(金) 23:32:57.94 ID:qHp8f0W6.net
- 片桐は徳川からも扶持を受けていたこと、片桐は徳川の指名で豊臣家付家老を担当してからである。
- 197 :人間七七四年:2019/12/28(土) 01:19:49.16 ID:MegngOMD.net
- つか片桐且元は徳川より所領を安堵されている徳川大名であり、これを攻めることは
江戸幕府の所領安堵権を否定したものとなり当然討伐対象となる。
- 198 :人間七七四年:2019/12/28(土) 01:28:40.57 ID:LDDEet+1.net
- 茨木城に立てこもった片桐は、京都の板倉に通報し、援軍の要請もしている。
- 199 :人間七七四年:2020/01/05(日) 15:52:47.46 ID:t/y5Sr6T.net
- ときどき本光国師日記とか駿府記を徳川方の記録だから信頼ならないとか言い出す奴いるよな
- 200 :人間七七四年:2020/01/05(日) 17:56:08 ID:8ttfBre3.net
- 実際豊臣方に良いところ何もないからなぁ
難癖つけるしかないんだろう
- 201 :人間七七四年:2020/01/05(日) 21:40:01.48 ID:xEpQmylr.net
- 兎に角、徳川をどうしても悪にしたい輩もいるからね
- 202 :人間七七四年:2020/01/06(月) 05:34:46 ID:OnHzA7PV.net
- 単純に片桐且元は大坂方の和睦派、大野一派は開戦派だったってことでしょ
- 203 :人間七七四年:2020/01/06(月) 14:04:18 ID:2JNzXjO+.net
- もうちょっとややこしい。
譜代の家老である片桐且元らは徳川体制への恭順派
大野修理ら淀殿側近は反片桐派
秀頼側近層の織田左門や木村長門、渡辺糺などが主戦派
- 204 :人間七七四年:2020/01/06(月) 23:15:07.68 ID:zrwP46Fc.net
- それは言葉を捏ね繰り返してるだけでしょ
- 205 :人間七七四年:2020/01/06(月) 23:17:27.10 ID:YI10xKFU.net
- 淀殿と大野治長は開戦後一貫して和睦派だからそこはまぁ分けた方がいいんじゃない?
片桐は淀殿配下っぽいけども
- 206 :人間七七四年:2020/01/06(月) 23:26:23.06 ID:2JNzXjO+.net
- 大野治長ラインは徳川との開戦までは望んでおらず、基本的には片桐と同じ、
徳川体制と共存した豊臣家の存続を目指してた感じだしな。
ただ片桐派と大野派の権力闘争が起こり、大野派が主戦派だった秀頼側近層を引き入れて
片桐の追い落としを成功させてしまったことで、話が混乱した。
- 207 :人間七七四年:2020/01/07(火) 00:03:57.49 ID:CJXPBsFf.net
- その辺の史料って浅井一政自記くらいしかないのか?
- 208 :人間七七四年:2020/01/07(火) 00:31:12.69 ID:DPAH4Adz.net
- 大坂城の蔵書史料にいっぱいありそうだけれども
- 209 :人間七七四年:2020/01/27(月) 21:52:31 ID:gebDCx1Y.net
- https://i.imgur.com/nHCKNCe.jpg
- 210 :人間七七四年:2020/03/01(日) 10:41:16 ID:5MLAmD90.net
- 偶には趣向を変えて大坂の陣の史料を一つ
関ヶ原に比べ探し方がまだよく分っていませんが
島津家文書から、家久あて山口直友書状
- 211 :人間七七四年:2020/03/01(日) 10:41:45 ID:5MLAmD90.net
- 山口直友書狀
尚々、御人數御殘候て、御上洛尤存候、將又此書狀惟新樣へ早々可被成御屆候、?入そんし候、以上、
追而申入候、去五日に兩 御所樣御出馬被成、則七日に御先手之御人數押入、
將軍樣御自身被成御詰、同七日之申ノ刻に、本丸殿主燒申候、翌日八日に秀?御切腹、同御袋御自害、
其外女房衆數輩自害候、大野修理も相果申候、又諸牢窂人幷大坂之侍衆、悉相果申候、可御心安候、
将又、越中殿去六日に 御目見被成、」仕合殘所無御座候、然者貴樣之儀、急度御上洛候て、被成 御目見可然存候、
早々御人數者不入儀御座候、不及申候へ共、御急被成御上洛㝡存候、猶堀弥右可被申上候、恐惶謹言、
山口駿河守
五月九日 直友(花押)
奧州樣
人々御中
參
- 212 :人間七七四年:2020/03/01(日) 13:46:21.12 ID:JNCBuBA9.net
- 織田信包の死がすべて
犯人は大野治長
- 213 :人間七七四年:2020/03/16(月) 21:48:54 ID:MY581Azw.net
- 慶長十九年の秀頼の申し出を断る家久の書状
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