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【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 6 【徳川】

1 :人間七七四年:2019/09/19(木) 19:55:04.33 ID:3TUgKCsk.net
慶長3年(1598)8月18日に豊臣秀吉が亡くなると、豊臣政権内部の対立が激化し、慶長5年9月15日には関ヶ原合戦が起こり、徳川家康率いる東軍と石田三成ら西軍が激突。
この合戦に勝利した徳川家康は慶長8年2月12日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きます。
けれども大坂城には秀吉の遺児豊臣秀頼が母淀殿とともに未だ健在で、徳川家を凌ぐ権威を保持したまま君臨していました。
この豊臣家と徳川家という二大権力の最終決着戦となり、戦国時代最後の大合戦となったのが「大坂の陣」です。
慶長19年10月〜12月には「大坂冬の陣」、翌20年5月には「大坂夏の陣」が起こり、慶長20年5月7日に大坂城は落城し、翌8日に秀頼・淀殿が自害して豊臣家は滅亡しました。

過去スレ
【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 5 【徳川】 [無断転載禁止]©2ch.net
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【陰謀】 大坂の陣総合スレッド 2 【南禅寺】
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【冬】大坂の陣総合スレッド【夏】
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131 :人間七七四年:2019/10/08(火) 08:43:29.06 ID:eN9uzDF7.net
信雄はびっくりして大坂からバックレ、板倉に内通して、龍安寺に身を隠した。次に織田長益を総大将にせんとしたというのは事実か?

132 :人間七七四年:2019/10/08(火) 10:40:41.13 ID:yay87vt9.net
織田の系譜で妙にやる気満々だったのは頼長だったかな

133 :人間七七四年:2019/10/08(火) 11:13:15.38 ID:yay87vt9.net
片桐排斥事件の時に信雄はすぐに徳川に異心なしって旨の書状を京都所司代に出してるし、穏便に済ませたかった派じゃないかね

134 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:14:05.99 ID:/JcU/pd5.net
ゴリゴリの開戦派に総大将として担がれかけたんだから調子のいいことを言ってた可能性が高いんじゃないか
出典は忘れたが片桐暗殺にも当初は加担してたらしいが

135 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:31:31.16 ID:yay87vt9.net
>>134
それは聞いた事がないなぁ
そもそも襲撃されそうな事を片桐に伝えたのがほかならぬ信雄だし

開戦派に担がれかけたからってのはちょっと根拠として薄いんじゃないかな
あの時点で信雄以上の実戦経験と家柄の人いないから担がれただけともとれるし

136 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:35:25.02 ID:wLO4teta.net
信雄、あれでもあの時点の大坂方では数少ない
万単位の兵を指揮したことのある大将なんだよな
官位も元内大臣とかなり高いし

137 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:39:10.33 ID:eN9uzDF7.net
そうなんだけど結果がさんざんだからなぁ。

138 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:42:40.16 ID:EmXJtriS.net
一番最初に逃げた人物に期待をかけるしかないとはもう無理だな

139 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:43:55.94 ID:ZvMabYLn.net
中身はともかくガワだけ見たら神輿としては十分というか適任なんだよな
二度目の改易食らってまたまた拾われた恩があるんだから呑むと思ったのかも

140 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:49:39.83 ID:yay87vt9.net
三介殿、大坂の陣と同じ発端で同じ運命になりそうだった小牧長久手の戦でちゃんと軟着陸してるから
ただそのあと移封イヤイヤして秀吉キレさせただけで

ほんと大坂の陣って収拾つけられなかった小牧長久手じゃないかな

141 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:53:00.01 ID:ef/+lx/Y.net
信雄くん小牧長久手初期は活躍してたのに
陸路の池田森と海路の滝川九鬼を撃退してるよ

142 :人間七七四年:2019/10/08(火) 16:56:19.43 ID:BijVnTka.net
伊賀でやらかして信長に大目玉食らい
本能寺の事後処理でへまをやらかし
織田家復興に熱心だった信孝を秀吉の片棒担いでぶっ殺し
わざわざ自分から秀吉に喧嘩売って大事な伊賀と伊勢を切り取られて臣従する羽目になり
馬鹿でもアホでも勝ち組になれた小田原でKY発揮して改易され
関が原でも秀吉との関係をとりなしてくれた家康に味方せず改易され

こんなのでも当時の大坂にあっては最上位の人材なんだよな…
で、その人材にスパッと見切られてるんだから最初から終わってる

143 :人間七七四年:2019/10/08(火) 17:17:22.80 ID:BijVnTka.net
流石の信雄もこの時期には自分の立場を理解していないとどうなるか身に染みていただろうし
主家のプライドに拘泥する秀頼一派を諫めはしたかもしれん
てか、信雄という全てを失った好例が目の前にあるのに開戦一本槍の連中は異様だわな

144 :人間七七四年:2019/10/08(火) 17:45:48.89 ID:ZvMabYLn.net
有楽ですら重鎮扱いだったというのがね

145 :人間七七四年:2019/10/08(火) 18:10:12.17 ID:eN9uzDF7.net
有楽の息子が総大将やらせろと言い出したのは、皆からよってたかって潰されるのを予期したうえで、城を退去する口実が欲しかったという解釈で良いか?

146 :人間七七四年:2019/10/08(火) 18:29:34.62 ID:yay87vt9.net
>>145
有楽と息子頼長とはだいぶ考え方に隔たりがあるように見える
過激派な頼長に有楽が巻き込まれる形だったんじゃないかな

とりあえず親子とはいえこの二人が一枚岩って考えは危険だと思う

147 :人間七七四年:2019/10/08(火) 18:44:34.83 ID:BijVnTka.net
まあ一部で言われるように長益が徳川方の内通者だったなら頼長も同じだろうがな
内通者が秀頼の名代までやってたことになるわけだが…

148 :人間七七四年:2019/10/08(火) 18:55:05.40 ID:H7PIIAIx.net
>>134
浅井一政自記にも
常心より佐々雅楽助が使者としてたてられ(片桐を成敗するかもしれないという噂がある旨を)片桐に知らせた
それまでは何の沙汰もなかった
とあるし流石にその線は薄そう

149 :人間七七四年:2019/10/08(火) 19:01:47.91 ID:ZvMabYLn.net
有楽が穏健派担当で頼長が強硬派担当だったのだろう

150 :人間七七四年:2019/10/08(火) 19:48:42.28 ID:WEigtgkf.net
そんな担当っていうように分けてたわけではあるまい。親は親、子は子だよ。
頼長は勝手に強硬路線煽って冬の陣の後駄目だこれって抜けただけだろ。

151 :人間七七四年:2019/10/08(火) 20:16:22.38 ID:KfM0iWci.net
頼長って冬の陣でなにか失態を犯してなかったっけ
それで居辛くなったというのはないかな

152 :人間七七四年:2019/10/09(水) 01:36:46.36 ID:IDRXncec.net
>>151
自分の隊で喧嘩騒ぎが起きてる間に藤堂隊に攻め込まれてその間指揮しなかった、でしたっけか
統率できなくてへそ曲げたんですかね

153 :人間七七四年:2019/10/09(水) 03:25:23.59 ID:L+hiNqnm.net
それこそのぶおや有楽が家康からなんらかの確証を貰ったから逃げ出したんじゃないの
そもそも冬で主戦派だった理由も謎だし

154 :人間七七四年:2019/10/09(水) 09:23:17.74 ID:IDRXncec.net
>>153
内通してたってのも疑惑だけで一切確証もないしなんで
とりあえず主戦派だったのがブラフだよ、って言える確証でもない限り、そう見るのは難しいかと

薄田が博労淵でやらかしたのは家康と内通してたからだとか、豊臣方のやらかしは全部内通してたからだと言えてしまう

155 :人間七七四年:2019/10/09(水) 10:18:10.92 ID:L+hiNqnm.net
まあ所詮人間のやることだから
直近に帰参した立場だったから強硬な立場で歓心を買おうとしたのかもしれない
明らかに死亡フラグが立ったのぶおは真っ先に逃げた
頼長長益は豊臣への義理立ても出来たし明らかに情勢が悪いから玉砕する前に退散したと
でも何かあっても変では無いとも思うけどね

156 :人間七七四年:2019/10/09(水) 11:46:38.55 ID:1CPUvQm1.net
有楽と息子頼長が強硬派と穏健派というのが面白いな。
大野道犬と大野治長兄弟も同じ感じじゃなかったっけ。
道犬が治長を切って重症を負わせたけど、あれは演技じゃなかったと思う。

157 :人間七七四年:2019/10/09(水) 12:50:29.37 ID:y2b2bwYj.net
それこそ淀と秀頼も穏健派と過激派に分かれてるので
とことん親子、兄弟で認識のズレが表面化しまくってるね

158 :人間七七四年:2019/10/10(木) 10:15:19.16 ID:cr4sB+/u.net
織田を凋落させた信雄やそれを見ていた淀の世代は諦めモード
若い世代はイケイケの印象

159 :人間七七四年:2019/10/10(木) 10:45:47.49 ID:xVx1r5E1.net
諦めとイケイケというか
ちゃんと状況把握できてる方と向こう見ずとの差というか

牢人衆ですら又兵衛あたりは状況把握してるし、中立組の真田ですらこれ死ぬわって認識してるし

160 :人間七七四年:2019/10/10(木) 22:45:45.12 ID:ovkZSwu8.net
まあ徳川の方も家康は穩便派、秀忠は強硬派に分れているしね
と言うより父親の余光に縋り我儘勝手にやってきた豊臣に対して
家康が甘いだけで秀忠や徳川家臣連中の態度の方が普通だと思うけど
豊臣恩顧の大名も呆れて見限っている感じだし

161 :人間七七四年:2019/10/14(Mon) 21:28:27 ID:uYS6DIzB.net
家康にしてみれば、ここまでくればさすがに臣従するだろうと思ったんだろうなぁ

162 ::2019/10/14(Mon) 21:38:07 ID:qrq/6fPw.net
つか二条城会見の時点で常識的には臣従なのよ。実際徳川家から豊臣への
年頭礼は止めているにも関わらず、豊臣家からは徳川家に行っているし。
客観的には誰が見ても豊臣は徳川に服したという状況だったと考えられる。

163 ::2019/10/16(Wed) 16:43:00 ID:HEJIt1bS.net
喉元すぎたら熱さを忘れたんだよ。バカだから

164 ::2019/10/17(木) 09:40:22 ID:rKzwNJ8k.net
織田三介信孝を死に追いやり、柴田、滝川を攻め滅ぼし、秀吉から謀反人の濡れ衣を着せられた時点で、ようやく手を握ってはならない 相手と手を握っていたことに気づかされた

165 ::2019/10/17(木) 09:51:24 ID:EFnbXBW2.net
>>164
信孝殺したの信雄だぞ知恵なし

166 :人間七七四年:2019/10/17(木) 10:49:45 ID:uRg/hq1+.net
改易前の振る舞い見てても信雄ってちょっと池沼入ってると思う
その池沼にすら見捨てられる豊臣…

167 ::2019/10/17(木) 11:02:47 ID:HR70+Mcb.net
なんだかんだ言っても信雄は秀頼のような世間知らずの箱入り息子ではなかったからな
それなりに己の器量と実力を思い知って生き残るために何が必要なのかわかってた
秀頼はなまじ親父が天下人でなおかつ成人するまでまともに外の世界を知らずにいたのが致命的
完全に夜郎自大の勘違い、武家としても公家としてもやっていけそうにない中途半端な
始末に負えない存在に育ってしまった

168 ::2019/10/19(Sat) 08:28:18 ID:dxZD8dsj.net
結局大坂の陣って、
自分の事を天下人と勘違いしているボンクラ大名が暴走して公儀に反抗してきたので叩き潰された
という認識でいいの?

169 :人間七七四年:2019/10/19(土) 11:13:44.72 ID:xU9iNC/p.net
ちょこっと花火上げて健在アピールしたら誰も擁護に回ってくれなくて
意地になってもう一回やったらサクッと潰されたボンクラだよ

170 ::2019/10/19(Sat) 14:23:53 ID:4FygV4TR.net
御家騒動的性格もだいぶ混じってそうなのよね豊臣方
元々が家中の事の殆どで奉行する事になってた淀派の片桐への襲撃未遂事件だし

171 :人間七七四年:2019/10/20(日) 21:07:37 ID:Bt573DO6.net
>>168-169
研究者ででも秀頼評価しているのって福田千鶴くらいしか知らないし、実際才器の欠片も感じられないからなぁ

172 ::2019/10/20(日) 22:45:41 ID:14zyGfgr.net
評価を行おうにも若死にすぎて起こした事績が大坂の陣くらいしかないので他で評価のしようがないってのもありますね
統治に関しても実権を淀から譲られてたのか、譲られてたとしてもその期間はかなり短いでしょうし、そも徳川の代官に肩代わりしてもらいながらの統治だし

言うならば答案用紙に空欄多数で数少ない記述されてる所も間違ってたから0点、ってのに近いですかね
ゆえにロマンを求める方は空欄に深い意味を見出そうとするんでしょうけども

173 :人間七七四年:2019/10/21(月) 20:17:15 ID:rEz9JTXx.net
つっても大坂の陣の時点で二十歳超えてるからなあ
この年齢で実権を渡してもらえなかったもしくは取り返せなかったのなら
周りの人間から器量を評価されてなかったということだし
実権を握っていたなら一連の顛末はいい点数をつけようがない

174 :人間七七四年:2019/10/21(月) 21:18:38 ID:7/sAdKnZ.net
癇癪起こして立ち上がり、特に何するわけでも無くそのまま座る
秀頼の人生は座布団のシワを少し増やしただけのこと

175 :人間七七四年:2019/10/21(月) 21:47:44 ID:1elt2ogG.net
大阪の陣で対徳川主戦派は秀頼側近連中なんだけど、、あれも
秀頼がそうだったから周りもそれに従ったのか、逆に側近連中が勝手に秀頼を祭り上げたのか、
それすらわからんからな。

176 :人間七七四年:2019/10/21(月) 22:09:22 ID:9DmQ5TJY.net
そりゃ十代で初陣してなければそうなる

177 :人間七七四年:2019/10/21(月) 22:20:08 ID:eiE/HKhC.net
長曾我部元親は数え年で二十三、徳川秀忠は数え年二十二で初陣じゃなかったっけ

178 :人間七七四年:2019/10/22(火) 04:29:12.03 ID:V440KBiD.net
だからみんなダメダメなんだよ

179 :人間七七四年:2019/10/22(火) 16:55:59.30 ID:ePAMpKzE.net
毛利がダメだったのも元就のせいだったのか

180 :人間七七四年:2019/10/22(火) 19:47:57.90 ID:JI0jLpRP.net
スケベったらしく佐野道可を入城させている毛利輝元は、毛利元就の孫だ

181 :人間七七四年:2019/10/23(水) 01:47:56 ID:eSvd5rFs.net
どちらに転んでもいいように
万が一のための二股保険を忘れないソツの無さこそ輝元が名将たる所以よ
大坂方にどうせ勝ち目ないんだから一点張りでいいだろ、なんていうのは愚将がすること

関ヶ原の時もそう
総大将なのに、じゃないんだよ、むしろ自分が総大将というハイリスクハイリターンのヤバい地位になるからこそ
負けた場合に全て失うのを回避する保険は用意しておかねばならん
つまり敵に通じるパイプ(吉川)を用意しておき、いつでも引き返せる状況を作って置くことが必要だったのだ
さすが知将元就の孫よ

世間一般で格好いいとされる基準からは確かに外れる、しかし、その事と能力とはまるで別の話だ
この区別が判らん奴が多いから輝元の評価が不当に低いんだよな

182 :人間七七四年:2019/10/23(水) 13:17:20.04 ID:1bOM0HS/.net
取り潰し寸前だったのを吉川に救ってもらっただけなのに知将もクソもあるかよ
元就の血を引くなら吉川をも犠牲にしてでも100万石の大大名として生き残っただろうよ

183 :人間七七四年:2019/10/23(水) 13:43:52 ID:2w0Y2V0W.net
上方に四万動員したのも全て吉川のせいですってか

184 :人間七七四年:2019/10/23(水) 14:09:05.26 ID:DpZDwmNR.net
保険と背負わなくてもいいリスク背負うはてんで別の話

ましてや佐野道可の事件においてはその保険のせいで怪しまれてるんだから

185 :人間七七四年:2019/10/23(水) 14:15:39.37 ID:Nqs6PsjL.net
佐野道可事件は輝元が派遣したのか勝手に出奔したのか史料的にはなんとも言えん

186 :人間七七四年:2019/10/23(水) 14:57:59.56 ID:X4lDp+Q9.net
>>181
次は道端に落ちてる犬のウンコにでも美点を見いだしてやってくれ

187 :人間七七四年:2019/10/23(水) 16:16:16.17 ID:L9lc1oHm.net
自分的には光成氏の言う
最初は知らなかったけど、知ってから悪さ考えて黙認してたって認識が近いんじゃないかなって
真田とか黒田は確認できてすぐに、独断で家中の人間が豊臣に付いた事を強調してすこぶる厳しい扱いしてたでしょ確か

188 :人間七七四年:2019/10/23(水) 16:58:23 ID:xj1yqt/i.net
淀が傾国のなんたら 妲己とか褒姒と同じ

189 :人間七七四年:2019/10/23(水) 17:13:21 ID:yBAwLBBs.net
20年だか前に出奔した縁も遠い佐野道可が大坂城に入って輝元に何か良い事あんのか。ちゅうのが

190 :人間七七四年:2019/10/23(水) 17:19:55 ID:A0ir/Ph3.net
吉川廣家が単独で徳川方との和議のために動いているのを後から知り、輝元があとからそれに乗った。
合戦前日の起請文には、吉川ほか、福原式部少輔も、連署しており、毛利家全体の総意だと、信じるに値するものだと考えられる、こう光成氏は指摘している

191 :人間七七四年:2019/10/23(水) 17:23:35.89 ID:Nqs6PsjL.net
その説、南宮山には輝元側近たちも在陣していたんだから、輝元に知られず和議を
行うなんて事が可能とは全く思えん。普通に輝元にも話は通っていたと考えるのが
自然だろ。
光成氏の説はこういっちゃ何だがロマンチックすぎる。

192 :人間七七四年:2019/10/23(水) 18:43:47 ID:nLmRBgjV.net
そういう話は関ヶ原スレでやってくれ

193 :人間七七四年:2019/10/24(木) 08:16:34.38 ID:sx2prC2T.net
淀も秀頼も日曜日朝迄の命

194 :人間七七四年:2019/11/06(水) 20:13:24 ID:h6gSUCR9.net
>>176
秀頼の場合、結局戦場にも出なかったし、戦闘の指揮をしたわけでもないから
初陣すらせずに死んだ事になるような気がする

195 :人間七七四年:2019/12/27(金) 23:07:42.78 ID:wT7D9nl/.net
なんで片桐且元を追放したら徳川に攻められたの?

196 :人間七七四年:2019/12/27(金) 23:32:57.94 ID:qHp8f0W6.net
片桐は徳川からも扶持を受けていたこと、片桐は徳川の指名で豊臣家付家老を担当してからである。

197 :人間七七四年:2019/12/28(土) 01:19:49.16 ID:MegngOMD.net
つか片桐且元は徳川より所領を安堵されている徳川大名であり、これを攻めることは
江戸幕府の所領安堵権を否定したものとなり当然討伐対象となる。

198 :人間七七四年:2019/12/28(土) 01:28:40.57 ID:LDDEet+1.net
茨木城に立てこもった片桐は、京都の板倉に通報し、援軍の要請もしている。

199 :人間七七四年:2020/01/05(日) 15:52:47.46 ID:t/y5Sr6T.net
ときどき本光国師日記とか駿府記を徳川方の記録だから信頼ならないとか言い出す奴いるよな

200 :人間七七四年:2020/01/05(日) 17:56:08 ID:8ttfBre3.net
実際豊臣方に良いところ何もないからなぁ
難癖つけるしかないんだろう

201 :人間七七四年:2020/01/05(日) 21:40:01.48 ID:xEpQmylr.net
兎に角、徳川をどうしても悪にしたい輩もいるからね

202 :人間七七四年:2020/01/06(月) 05:34:46 ID:OnHzA7PV.net
単純に片桐且元は大坂方の和睦派、大野一派は開戦派だったってことでしょ

203 :人間七七四年:2020/01/06(月) 14:04:18 ID:2JNzXjO+.net
もうちょっとややこしい。
譜代の家老である片桐且元らは徳川体制への恭順派
大野修理ら淀殿側近は反片桐派
秀頼側近層の織田左門や木村長門、渡辺糺などが主戦派

204 :人間七七四年:2020/01/06(月) 23:15:07.68 ID:zrwP46Fc.net
それは言葉を捏ね繰り返してるだけでしょ

205 :人間七七四年:2020/01/06(月) 23:17:27.10 ID:YI10xKFU.net
淀殿と大野治長は開戦後一貫して和睦派だからそこはまぁ分けた方がいいんじゃない?

片桐は淀殿配下っぽいけども

206 :人間七七四年:2020/01/06(月) 23:26:23.06 ID:2JNzXjO+.net
大野治長ラインは徳川との開戦までは望んでおらず、基本的には片桐と同じ、
徳川体制と共存した豊臣家の存続を目指してた感じだしな。
ただ片桐派と大野派の権力闘争が起こり、大野派が主戦派だった秀頼側近層を引き入れて
片桐の追い落としを成功させてしまったことで、話が混乱した。

207 :人間七七四年:2020/01/07(火) 00:03:57.49 ID:CJXPBsFf.net
その辺の史料って浅井一政自記くらいしかないのか?

208 :人間七七四年:2020/01/07(火) 00:31:12.69 ID:DPAH4Adz.net
大坂城の蔵書史料にいっぱいありそうだけれども

209 :人間七七四年:2020/01/27(月) 21:52:31 ID:gebDCx1Y.net
https://i.imgur.com/nHCKNCe.jpg

210 :人間七七四年:2020/03/01(日) 10:41:16 ID:5MLAmD90.net
偶には趣向を変えて大坂の陣の史料を一つ
関ヶ原に比べ探し方がまだよく分っていませんが
島津家文書から、家久あて山口直友書状

211 :人間七七四年:2020/03/01(日) 10:41:45 ID:5MLAmD90.net
山口直友書狀

尚々、御人數御殘候て、御上洛尤存候、將又此書狀惟新樣へ早々可被成御屆候、?入そんし候、以上、

追而申入候、去五日に兩 御所樣御出馬被成、則七日に御先手之御人數押入、

將軍樣御自身被成御詰、同七日之申ノ刻に、本丸殿主燒申候、翌日八日に秀?御切腹、同御袋御自害、

其外女房衆數輩自害候、大野修理も相果申候、又諸牢窂人幷大坂之侍衆、悉相果申候、可御心安候、

将又、越中殿去六日に 御目見被成、」仕合殘所無御座候、然者貴樣之儀、急度御上洛候て、被成 御目見可然存候、

早々御人數者不入儀御座候、不及申候へ共、御急被成御上洛㝡存候、猶堀弥右可被申上候、恐惶謹言、

       山口駿河守
     五月九日  直友(花押)

      奧州樣
          人々御中
         參

212 :人間七七四年:2020/03/01(日) 13:46:21.12 ID:JNCBuBA9.net
織田信包の死がすべて

犯人は大野治長

213 :人間七七四年:2020/03/16(月) 21:48:54 ID:MY581Azw.net
慶長十九年の秀頼の申し出を断る家久の書状

214 :人間七七四年:2020/03/16(月) 21:49:09 ID:MY581Azw.net
島津家久書狀案

不存處、從

秀?樣被成下御書、先以忝奉存候、仰被思食在儀御座候に付而、早〻可致上洛之由、被仰下候、尤雖可奉應尊意候、

先年石田治部少輔取趣弓箭時節、老父兵庫入道上方に在合候故、雖不罷成分別候、相守 大閤樣之一筋、關東雖盡粉骨、

合戰相破、御所樣天下被成御安堵候之間、當家迷惑に相究候處に、被指捨御遺恨、我等被召出、兵庫入道身上」まで無异儀被指置候、

然時者 大閤樣御一筋之御奉公に付而、當家者一篇仕候、 御書樣被成御取立、數年種〻御厚恩儀、世上に無其穩候条、

背御當代申儀者、不罷成候、御尊察所仰候、將又、正宗長銘之御脇指拜領、誠に雖奉存忝候、右之御理に候間、致返上候、

可然樣に、可預御披露候、恐〻謹言、

   刁       嶋津陸奥守
    十月十二日     家久

   大野主馬头殿

215 :人間七七四年:2020/03/17(火) 11:40:55 ID:TPTOYqzF.net
今更ながら、味方してもらえると思う図太さが凄いな

216 :人間七七四年:2020/03/17(火) 18:43:04 ID:1qMA61yh.net
現代語訳みたいのもつけろよ
読めんわ

217 :人間七七四年:2020/03/17(火) 19:18:05 ID:bFLoVXwt.net
>>216
自分で調べろよ
その手に持ってるものはおもちゃか?

218 :人間七七四年:2020/03/19(木) 18:17:48 ID:RbGc7IMZ.net
>>214の史料の出典がないな

219 :人間七七四年:2020/03/20(金) 01:47:33.31 ID:Z6Z8oOFs.net
こういうのってぱっと見偽書っぽく思っちゃうんだけどどうなの

220 :人間七七四年:2020/03/20(金) 02:25:22.07 ID:pmVmw24g.net
偽書かどうかの調べ方もあるでしょ
当時の記述方式じゃないとか、明らかに書かれてる事とその後の行動がかみ合ってないとか

221 :人間七七四年:2020/03/20(金) 23:57:37 ID:QUyQAnpV.net
>>218
出典は島津家史料になります、ついでに真田家関連で史料を二つ
前者は眞田文書、後者は大蓮院殿御事蹟稿が出典になります

222 :人間七七四年:2020/03/20(金) 23:58:10 ID:QUyQAnpV.net
信之宛幕府老臣連署狀 眞田文書

 尚以、貴殿御煩にて御越候義不罷成候者、御息河内守殿へ御人數御付、早〻當地まて可有御越候、以上、

急度申入候、仍大坂片桐市正与大野修理申分有之由候而、彼地之事外さはき申之由、板倉伊賀守方より御注進申上に付て、

駿府も御陣觸之由候間、有御陣用意、早々至江戶可有叅上之旨候、恐〻謹言、

               安藤對馬守
                  重信(花押)
   十月四日      土井大炊助
                  利勝(花押)
               酒井雅樂頭
                  忠世(花押)
  
       眞田伊豆守殿

223 :人間七七四年:2020/03/20(金) 23:58:47 ID:QUyQAnpV.net
木村茂綱宛真田信之室書狀案 大蓮院殿御事蹟稿

  返返、せうくんさま昨日廿三日おゑと御たちにて候、くわしくはよくよく申まゐらせさうらふへく候、ひきやく給候へく候、

一 いつ殿御めみへ候て、一たんのし合にて候、わつらい候まゝ、こなたにてようしやう申候へく候、いつ殿は御ちんへ御たち候はす候、

一 かわち殿、ないき殿はかり御ちんへたち候し、廿七八日にわそつとたち候、

一 かみかたいよいよ御てきれと申候、その外かわり候事候はす候、心やすく候へく候、

一 ようの事とも御座候者申まゐらせさうらふへく候、きもいり候て給候へく候、

一 ろし中きけんよく万いり候、心やすく候へく候、

一 さへもんのすけ殿、大さかへ御入候よし申候、かしく、

   又〻、かわち殿さし物いそき候、給候へく候、さかやにあるへく候なと申候、

                              ゑとゟ
       十月廿四日             久

         とさ殿
         同かみへ     

224 :人間七七四年:2020/03/21(土) 19:12:04.72 ID:bVQ0ZNT4.net
明日は仕事なので今日は史料を三つ程

225 :人間七七四年:2020/03/21(土) 19:12:32.13 ID:bVQ0ZNT4.net
矢澤ョ幸宛信之書狀    

    以上

以書狀申遣候、仍何方迄叅陣候哉、此方にて如申、此節候間、何事も無油斷肝煎ョ入候、下〻軍法〻度之儀不及申堅〻兼而可被申付候、

不可有油斷候、朝夕此方にて案入候、萬〻雲州請御指圖候て、路次中も可被罷上候、又陣中賄以下之儀むさといたし候はむ

○○藤右衞門尉下〻あつかひ候ものに堅可被申付候、河内守は若候間、萬其搆有之間敷候間、何事にも可被入念事專一に候、

菟角此時候間、被入精可給候、謹言、

    霜月四日        信之(花押)

      矢澤但馬守殿

226 :人間七七四年:2020/03/21(土) 19:13:00.54 ID:bVQ0ZNT4.net
小笠原政直宛犬甘久知書狀案  

尚以、路次中、宿以下被仰事無之やうに、上下御法度能〻被仰付、御越可被成候、御先手御法度、一段つよく御座候間、

其御心得可有之候、御うしろぞないの衆、佐渡殿なと、御あとのよし申候間、何とそ被成、それゟも先に御越候やうに、

御才覺可被成候、なかはま通は御無用に候、本道を御出可被成候、やすに御待被成候間、其分御心得可被成候、

又〻外記に被仰付、我等もの引まはし參候やうにと、御心得ョ入候、以上、

八日之御書中、八幡山におゐて、令披見候、無何事路次中御越之由、先以目出存候、

一 八日に長澤にて、御目見被成、御仕合無殘所候間、可御心易候、信濃衆は一手に被仰付候由、御年寄衆被仰候事、

一 路次中、こみ不申候て、御越候由、尤に存候、信濃樣も、やすに御待被成候付、早〻御越奉待候、

一 夫傳馬に被入御念、御引付候て、御越可被成候、先手之儀は、相替儀も無御座候、御人數も御急にても無御座候、

  長澤に八日、九日者御逗留にて候、ぜゞにも一兩日御逗留と申候、先〻、爰許迄御出候へは、信濃樣も御心易思召候はんまゝ、

  其分御心得可被成候、恐〻謹言、

  (朱書)
  「慶長十九甲寅年也、」
     十一月九日      犬 半左衛門(花押)

     小隼人樣御報

227 :人間七七四年:2020/03/21(土) 19:13:30.73 ID:bVQ0ZNT4.net
陣中目付連署狀案  

  追而、御組中へも、右之通可被仰觸候、以上、

急度申入候、仍、境へ下々罷越、猥に在之由、成P隼人殿被付置候人、幷境惣中より申來候、堅可被申付候、然者、

苅田之儀、彌御法度候間、只今之御陣取ゟ跡に而、苅り不申候樣に堅可被仰付候、被入御念、御家中下々へ能可被仰聞候、

若緩々被仰付候者、可致言上候、爲御屆如此候、恐惶謹言

     霜月十一日      鈴木久右衞門書判
                瀧川豐前守書判
                初鹿野傳右衞門書判
                眞田隱岐守書判
                横田甚右衞門書判
                城和泉守書判
                山代宮内少書判

         太田美濃守樣
               御陣所

228 :人間七七四年:2020/03/21(土) 19:14:24.50 ID:bVQ0ZNT4.net
出典は矢澤文書、御書集、譜牒餘錄の順になります

229 :人間七七四年:2020/03/21(土) 21:01:53 ID:9oZvfPqX.net
>>227の史料、苅り田に関する注意なんだろうけど、むしろ陣中目付の連中が気になるな

230 :人間七七四年:2020/03/22(日) 09:54:40 ID:w6QEephe.net
大名が代替わりで若返って経験不足な代わりに
陣中目付は武田旧臣を中心に歴戦のじじい共揃えました感がなかなか燃えるな

231 :人間七七四年:2020/03/22(日) 14:18:27 ID:G+oPhHNZ.net
山代宮内少がわからん

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