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【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 6 【徳川】

642 :人間七七四年:2022/10/22(土) 19:28:37.14 ID:tlmPzEqC.net
そもそも徳川家康を秀頼を助けようとしたという偽プロパンダのために
秀頼が蔵に隠れたということになっていたらしい
実際は千畳敷で徳川に降伏しょうとしたところ徳川軍がなだれ込んできて
うち時にしたらしいです

643 :人間七七四年:2022/10/22(土) 22:43:24.39 ID:I8iixlBW.net
>>642
嘘やで

644 :人間七七四年:2022/10/23(日) 18:33:29.49 ID:hhlc3cZz.net
織田や徳川と違って豊臣宗家はこれからどれだけ研究が進もうが未来永劫最終的に悪だわ
大坂の陣に限っても大坂方にしか非がないじゃねえか

645 :人間七七四年:2022/10/23(日) 20:55:16.90 ID:/3c74E2Q.net
細川忠興の秀頼評、実際は母親の言うこと全く聞かないからお袋様専制は間違ってるけど、大人のくせに無能非力だから乳飲み子という評価は間違ってない

646 :人間七七四年:2022/10/30(日) 20:03:52.19 ID:fg0O+jSv.net
国松は豊臣家の庶長子に生まれてしまった以上もし仮に万が一豊臣家の天下が続いたとしても史実のほうがよっぽど幸せに思えるような人生が待ってる可能性高そう

647 :人間七七四年:2022/11/07(月) 09:53:57.08 ID:lG1cKYkm.net
まあ秀頼なんていう、助ける気ならその厳命が行き届いてるはずの奴をうっかり殺すとかないから最初から殺す気だったのは知れる

648 :人間七七四年:2022/11/07(月) 10:10:21.22 ID:56W0jM5/.net
2度も公儀に対して兵を挙げたんだからそりゃ生かしとけないでしょ
何度も生き残るチャンスはあったのにことごとく蹴ったのは豊臣の方
大坂の陣当時はもう主従関係ではなくなっているから豊臣はただの反逆者でしかない

649 :人間七七四年:2022/11/21(月) 02:02:43.95 ID:ZGEJ/S9H.net
徳川との婚姻関係とか少なからずいる恩顧の大名たちとか本来なら天下を失っても豊臣家を残すために大きなプラスになるはずのものだったのに、教育が先代からの甘やかし路線を継がざるを得なかったせいで秀頼が人間社会から隔絶された野生児と同レベルの非常識に育ったから悉くマイナスにしかならなかったのはもう芸術的ですらある

650 :人間七七四年:2022/11/21(月) 16:03:57.46 ID:aQG82no5.net
主君じゃないとか
暗君だったとか
未だに律儀とか信じてるのかね
素直に野心の為ですでいいと思うんだけど
何でこう言い訳ばかりなんだろ
未だに小説信じてるのだろうな。じぃさんは

651 :人間七七四年:2022/11/21(月) 17:58:12.62 ID:v+Ji0XXf.net
何の野心?

652 :人間七七四年:2022/11/21(月) 19:42:32.70 ID:r4FH9VTu.net
表向きは○○の為と言いつつ野心の為で何もおかしくない時代だしな
バカは表向きの事だけ信じるのかもしれんが
和平交渉してる時は他の事を考えてはいけないんだとか1ビット脳な老人も居るし
大笑い

653 :人間七七四年:2022/12/28(水) 20:33:06.21 ID:Vj/sr4dN.net
秀頼より取り柄のない人は日本史で見てもおそらく一人いるかいないかだけど、江戸時代が長らく平和だったのはある意味こいつが日本史上最悪レベルの暗愚だったおかげなんだよな

654 :人間七七四年:2022/12/29(木) 12:14:41.09 ID:2b/Ed0zU.net
【水俣病】 被害者が死ぬのを待つ環境省 【銀歯】
://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/nanbyou/1575029903/l50
sssp://o.5ch.net/1zgmf.png

655 :人間七七四年:2022/12/29(木) 17:34:31.05 ID:Pb3O9R3G.net
戦国で唯一正義が悪を滅ぼした戦い

656 :人間七七四年:2022/12/30(金) 15:44:14.95 ID:cN+27Ct3.net
大坂は物資の集積地だから幕府としては直轄化することになり、参加大名に功績があっても土地の配分はもう不可能で、かなりの部分を感状で済ませている。
藤堂や井伊が加増を受けたが、忠昌や忠輝は不満を表明した

657 :人間七七四年:2022/12/31(土) 11:54:21.89 ID:XFSViU7X.net
大坂の陣に比べると、やる気ゼロの大名を大量に巻き込んで自爆することで
たった一日で日本の半分を配分できるようにした三成は凄いな
あんな奇跡みたいな自爆テロは繰り返せないのだから仕方がない

658 :人間七七四年:2022/12/31(土) 18:38:55.03 ID:VJdFgvcf.net
西軍についた大名矢面に使って功績立ててもこれでチャラなで逃げれば良かったのに
景勝なんて頼んでもいないのに大野軍12000相手に後退せず全力で戦ってくれちゃってしかも追い返しちゃって褒美は感状と絶賛コメントで家臣ともどもよろこんじゃってまー単純なこと

あわよくば当主死んでもらえてラッキー

659 :人間七七四年:2023/01/01(日) 20:47:54.31 ID:te3nQ442.net
寝返る可能性を捨てきれんだろ。実際輝元は一族を変名で城の中に送っていたし

660 :人間七七四年:2023/01/02(月) 04:10:57.98 ID:x1aTHcV1.net
あれだけ国力差あって寝返る馬鹿なんていない
徳川がどーしょうもないほど無能で悪政しまくって民から恨み買ってたとかならまだしも名君家康いまだに健在
上杉軍のように西軍についた大名は徳川に気に入られてなんとかして取り潰しから逃れようと必死

あと寝返り組を先鋒で使うなんて当たり前のことだぞ

信長公記でも上洛戦で寝返り組の美濃三人衆が先鋒命じられるだろうから頑張ろうとしてたら後方待機命じられて信長様は不思議な方だと書かれてい?

伊達に寝返った猪苗代なんかも奮戦してただろ

661 :人間七七四年:2023/01/04(水) 13:03:09.34 ID:Zcp4FfKq.net
>>659
どうなんだろうな
あんなの送ってもなんの担保にもならんとおもうが

662 :人間七七四年:2023/01/05(木) 15:41:36.68 ID:QEpvfT/w.net
佐野道可って大坂の陣の20年以上前に毛利家追放されてて毛利家とは無関係
大坂に集まった多数の牢人の中の一人でしかないって説もあるんでしょ?

663 :人間七七四年:2023/01/06(金) 01:35:16.20 ID:csXKuAg8.net
・片桐且元を西方が殺そうとしたから交渉打ち切りになった説
・片桐且元の裏切り説

どちらかによって評価が変わるわね

664 :人間七七四年:2023/01/06(金) 02:02:03.91 ID:ZzSTlaaK.net
片桐且元はやるだけの事はやってそう
どのみち且元に裏切られるようでは秀頼に問題があると思う

665 :人間七七四年:2023/01/06(金) 05:55:57.10 ID:cZWBg/20.net
要するに豊臣贔屓
信雄を裏切った三家老は正しい
秀頼を裏切った片桐は許せない

666 :人間七七四年:2023/01/09(月) 13:35:23.70 ID:SEiO7mEj.net
秀頼は引き籠りマザコンのイメージで誤魔化されているけど
実際は家臣の忠言に耳を貸さない暴君で、気に入らない人間を石垣から突き落として殺害とか平気でやるからな
片桐も暴君秀頼に精一杯尽くした方だろ

667 :人間七七四年:2023/01/12(木) 19:33:08.80 ID:cp+gSo01.net
豊臣の外交姿勢に問題あったって話も。
正使が出てるのに女を送ったのが最高に良く無かった。どうあれ悪い結果しか招かん。

668 :人間七七四年:2023/02/11(土) 15:09:23.01 ID:42AFYB9E.net
真田昌幸が大坂方10万人を率いていたら、徳川幕府軍に屍の山を築かせたのは
想像に難くなく、豊臣家は存続できたと思う。
ここで重要になるのは、真田昌幸に一切横やりを入れず、自由にやらせておくということ。
気候、地形、心理、情報、物、などあらゆる奇策・策略を用いて、圧勝すると思う。
馬上筒、地雷火、投擲弾、簡易型迫撃砲、空中炸裂弾など当時の技術力で作れるであろうから、
これら新兵器も真田昌幸は大胆に駆使して、徳川幕府軍を翻弄すると思う。

669 :人間七七四年:2023/02/11(土) 16:29:56.41 ID:3fRfRuYW.net
独身、友達無しで毎日信長の野望やってそう

670 :人間七七四年:2023/02/13(月) 19:19:33.15 ID:D3plmlH3.net
大坂の陣で立花宗茂や加藤清正が徳川方について豊臣方の真田昌幸と対決したら
どうなるかも気になるな。個人的には、真田昌幸に勝ってほしい。

671 :人間七七四年:2023/02/13(月) 21:58:43.92 ID:xMBWT2ug.net
まるで立花宗茂が大坂の陣に参陣してないような言い方じゃないか

672 :人間七七四年:2023/02/13(月) 22:49:10.30 ID:BiPyJ28X.net
飛騨守宗茂は御伽衆兼御書院番頭格として徳川方で参戦しておる。

673 :人間七七四年:2023/02/17(金) 00:00:32.56 ID:MghNbB4g.net
乳子秀頼
片桐且元は無能では無いが力量不足
大野一族は論外
七手組は小物、裏切り者揃い
信雄、有楽斎は空気
木村重成は小僧

このラインナップで勝負するとか罰ゲームやろ

674 :人間七七四年:2023/02/19(日) 19:53:54.42 ID:60cJ0Ifd.net
真田信繁は馬上筒、地雷火、投擲弾、簡易型迫撃砲、空中炸裂弾、
といった新兵器を開発できる才能がありそうだから、豊臣家からの援助で
ぜひ開発・生産してほしかった。

675 :人間七七四年:2023/02/19(日) 20:16:38.30 ID:cRuzVvJl.net
はいはいわろすわろす

676 :人間七七四年:2023/02/19(日) 20:41:14.03 ID:60cJ0Ifd.net
真田信繁って他の戦国武将とは一味違う魅力を感じるんですよね。
もちろん、徳川家康を追い詰めたっていうのはあるんですけど、
兵器開発でも優秀な気がします。

677 :人間七七四年:2023/02/19(日) 21:13:16.93 ID:cRuzVvJl.net
真田信繁なら戦術核で徳川軍を撃退できるよ^_^

678 :人間七七四年:2023/02/19(日) 21:24:18.63 ID:60cJ0Ifd.net
第一次世界大戦では、毒ガスが使用されたけど、大坂の陣当時は毒による暗殺も
近づいて、やろうと思えばできた。有名なのが徳川家康による加藤清正暗殺じゃないかな。もちろん、これは真相ははっきりしてないみたいだけど。
ただ、当時使われていた毒を毒ガスのように生成させることに成功すれば、
普通に使われていたと思う。
真田信繁は天才だから、何年かかけて開発できそうな気がする。

679 :人間七七四年:2023/02/19(日) 21:42:18.40 ID:0DH/uliN.net
大坂の陣だと大坂城に徳川のスパイが紛れ込んでるのがなぁ
雇い者を大量に入れたらそうなるよ

680 :人間七七四年:2023/02/22(水) 17:34:41.38 ID:sOkPzu28.net
大坂の陣当時に手動式のガトリンクガンがあれば良かったなと思う。
真田信繁にぜひとも有効活用してほしかった。

681 :人間七七四年:2023/02/22(水) 23:52:38.20 ID:FZSXUV44.net
大坂の陣当時に原爆があれば良かったなと思う。
真田信繁にぜひとも有効活用してほしかった。

682 :人間七七四年:2023/02/27(月) 14:13:37.07 ID:GnLV1p1f.net
弩が復活したりしなかったのかな
火薬や鉛の節用になり矢の再利用も可
防衛側が使えば城壁の上から堀下に逃げた敵を狙えるし
練度も要らず最大の弱点である速射性もあまり問題にならない

683 :人間七七四年:2023/02/27(月) 23:43:30.94 ID:tZ8QjS8O.net
アホか君は

684 :人間七七四年:2023/02/28(火) 08:24:51.52 ID:H1d/VKBx.net
明日の夜7時から大坂夏の陣で家康は幸村に撃たれて
死んでいたというのがテレビでやるよ

685 :人間七七四年:2023/02/28(火) 16:46:41.49 ID:NA+vqTYB.net
徳川家康が真田信繁に討たれていたとしても、普通に隠蔽されるよね。

686 :人間七七四年:2023/02/28(火) 19:23:21.92 ID:r8O+VuBa.net
真田信繁に突撃されて本陣から駕籠にのって逃げた家康であったが
前日に討ち死にした後藤又兵衛に討ち取られてしまうのであった

687 :人間七七四年:2023/02/28(火) 19:32:40.62 ID:nNCWc4Yh.net
大坂冬の陣が始まる前に東へ向けて進軍していればどうなっていたか?
ここはひとつ、真田信繁に大坂方10万人の指揮権を授けて思いっきり暴れさせてやりたかったものだな。

688 :人間七七四年:2023/02/28(火) 23:03:22.81 ID:1wWncijj.net
なんで秀頼みたいな引き籠りデブのためにそんなことをするんだよ
これまでにも関白殺害を誘発したり奉行に大乱を起こさせたり
引き籠りデブのくせに日本中に迷惑をばらまいてきたんだから
せめてデブが死ぬ時くらい大坂の外に迷惑をかけるなよ

689 :人間七七四年:2023/03/01(水) 00:31:12.98 ID:1S2uA7+2.net
>>687
包囲殲滅されて終了
はい次の真田ガイジ

690 :人間七七四年:2023/03/01(水) 08:27:35.68 ID:xXKkAePj.net
真田に本陣を蹂躙された時も糞を漏らしたんだろうか?

691 :人間七七四年:2023/03/01(水) 20:58:18.59 ID:6MMpGvqz.net
気に入らない侍女を鞭打ち刑
邪魔な関白を妻子もろとも殺害
代わりに来た筆頭大老も気に入らないので軍を使って殺害を計画
大坂を出るのが嫌だからと浪人を集めて暴動

秀頼は周囲の忖度を含めると日本史上最悪レベルの暴君だろ
しかも本人は単なる無能ニートというのがさらに悪質と言える
秀頼なんて最初から生まれなければよかったのだけど
生まれたにしてももっと早く死んでほしかった

692 :人間七七四年:2023/03/02(木) 08:33:10.31 ID:Lu+UUXBC.net
昨日のテレビ、信繁を一切使わず幸村で終始してたね(笑)

693 :人間七七四年:2023/03/02(木) 10:00:40.70 ID:8SDfGH3O.net
テレビは見てないがあえて名前を幸村で通すのはそういうスタンスなんでしょ

694 :人間七七四年:2023/03/03(金) 16:24:32.02 ID:qGYV461G.net
テレビによれば、徳川家康は後藤又兵衛に討ち取られたみたいだけど、
それはもっと有名になってもいいのではないかな。

695 :人間七七四年:2023/03/05(日) 10:12:33.34 ID:LHx3YO6C.net
アンチ秀頼の意見も分からないわけじゃないが。
秀次事件は秀頼自身の意志は関係ないだろ。ほかも二次史料依拠のネタを本気にしてもなあ。
今川家裏切り、一向宗弾圧、嫡男殺し、正室殺し、豊臣家根絶やしと家康もかなりエグいことはしてる。それでも家康が名将中の名将であることには変わりない。
秀頼レベルで史上最高レベルの暴君というのは違和感あるな。

696 :人間七七四年:2023/03/05(日) 10:21:55.65 ID:LHx3YO6C.net
ていうか、アンチ秀頼ではなくて、家康盲信派なのか?
史上最高レベルの暴君だから、死の床にあった旧主から頼む頼むと懇願されていた息子を殺してしまっても、孫を磔にしても仕方ないだろ、ということにしたいのかな。
単に家康も聖人君子ではなく、覇権のためには手段を選ばない権力者の一人だったというだけで、結果的に江戸時代の安定を導いたのだから、それでOKだった、でいいと思うけどな、

697 :人間七七四年:2023/03/05(日) 12:23:07.90 ID:LHx3YO6C.net
国松は磔じゃないな。
市中引き回しの上、斬首だったわ。すまん。

698 :人間七七四年:2023/03/05(日) 13:27:51.51 ID:XHMoN5El.net
槇島昭光ってなんで負けたのに家康に許されて細川家に仕えられたんだろ?

699 :人間七七四年:2023/03/07(火) 00:07:48.20 ID:sUi6VjQ5.net
秀頼本人は無能な引き籠りニートデブでしかないけど
そこに痴呆症になった親父、ヒステリーな母親、三成みたいな奸臣などが組み合わさって
生まれてきてはいけない放射性廃棄物レベルの迷惑なゴミが出来上がった
秀頼が大坂の陣まで生きていたこと自体が許されない犯罪だろう

700 :人間七七四年:2023/03/07(火) 07:04:02.10 ID:e22pWefK.net
お前もその仲間に入れてやるってんだよ!

701 :人間七七四年:2023/03/07(火) 14:05:00.79 ID:Sutto4b9.net
不思議なのは、秀頼の首級が大坂の陣直後に発見されなかったことなんだよな。
資料を見ると、既に戦闘は終わってるし、井伊勢に囲まれてるし。

702 :人間七七四年:2023/03/08(水) 01:17:50.19 ID:QSw1yvck.net
>>695
家康みたいに自分の意思で最善な手段と信じて実行したうえで成功したなら問題ないけど
秀頼の場合、本人はろくに意思のない脂肪の塊でしかないのに
周囲が脂肪の塊を忖度して勝手に虐殺や武装蜂起を繰り返して自滅していくからな
正直言って秀頼本人は有能か無能かのスタートラインにすら立っていない置物
周囲の忖度も含めるなら日本史上でもトップに君臨するほど迷惑な置物だけど

703 :人間七七四年:2023/03/10(金) 09:46:19.01 ID:iY4AvGDR.net
まあ、情勢変化は本人のせいにはできないよ。長州征伐失敗は家茂のせいか、戊辰戦争は慶喜のせいかと考えれば、それぞれの責任はあるだろうが、個人で全てが変えられるわけじゃない。

704 :人間七七四年:2023/03/10(金) 10:09:12.26 ID:jI2Ay4CQ.net
個人ができることと言えばいかに情勢を見極めて身を処すかだが秀頼にはそれができなかった

705 :人間七七四年:2023/03/10(金) 13:00:58.15 ID:AqPhcBaW.net
徳川家にとってベストシナリオだったのかどうかといえば、大坂の陣は微妙だよな。
将軍職と関白職の流れを見れば、関ヶ原後、政権を豊臣に渡す気はなかったのは明白。

706 :人間七七四年:2023/03/10(金) 13:03:25.26 ID:AqPhcBaW.net
でも、関ヶ原後、15年経ってから滅ぼそうとは思ってなかったんじゃないか。
家康が先に死んでしまう可能性がある。
豊臣家をコントロール下に置きたかったなら、なぜ関ヶ原前に確保していた大坂城西の丸から出てしまったのか。

707 :人間七七四年:2023/03/10(金) 13:05:44.49 ID:AqPhcBaW.net
前田家に本多を置いたように、大坂城西の丸に譜代や久松松平とか置いておけば、もっとうまく豊臣家をコントロールできたのに。

708 :人間七七四年:2023/03/10(金) 13:30:30.98 ID:DosdyEod.net
アンチ秀頼の味方をするわけじゃないけど、秀頼側は外交努力が乏しすぎたよな。
自ら江戸屋敷をつくって豊臣家の威勢を見せつけるくらいで良かったのに。

709 :人間七七四年:2023/03/10(金) 13:33:55.93 ID:DosdyEod.net
江戸にいる大名たちのサロンに入っていかない時点で、いざという時の後詰めとか期待できない。
秀吉は敵勢力のたらし込みがうまかったのに。

710 :人間七七四年:2023/03/10(金) 14:17:36.79 ID:C7pgGt7a.net
片桐且元が「豊臣は江戸の普請を免除されました。一見豊臣を立てているように見えてその裏には大きな意味がある」って言ったらしいけど(慶元記)
徳川から意図的な仲間はずれ食らってたのか、豊臣を立てた結果そして豊臣が受身になった結果全てを失ったのか

711 :人間七七四年:2023/03/11(土) 07:43:50.70 ID:n5cnGqLy.net
まあ、そこらへん徳川も陰湿ではあるよな。
もしかしたら豊臣の暴発は徳川の目論み通りだったのかもしれないが、だとしたら危険すぎる統治。
双方に犠牲も出たし、家康、秀忠が豊臣暴発より先に死んでたら動乱の時代に逆戻りしていたかもしれん。

712 :人間七七四年:2023/03/11(土) 07:49:27.51 ID:n5cnGqLy.net
俺らは結果を知ってるから、歴史はその通りに進んだに違いないと思いがちなバイアスかかりやすいけど、よーく調べてみると、結構危ない橋を渡ってたりするよな。

713 :人間七七四年:2023/03/12(日) 14:58:08.38 ID:67lTBfK2.net
慶元記による片桐且元の指摘(全十一条)だと
1 秀忠の将軍宣下の時大坂に知らせが無かった
2 大坂にいる大小名に江戸参勤の命令が無かった
3 外国の大使が大坂に来ない
4 秀頼と千姫が不仲だと知っているのに関東から旗本一人が上ってくるだけ。
とか言われてるけど徳川の戦略なのか豊臣の失敗なのかが微妙にわからんのう

714 :人間七七四年:2023/03/13(月) 08:41:00.91 ID:I+/rUjav.net
徳川の戦略だったという印象は強いけど、だからといって豊臣の失敗がなかったわけではないんだよなあ。
片桐はともかくとして、板倉や井伊とは親密な関係を築いておくべきだった。
トラブった時に弁護してくれる人物がいるかいないかで、随分違う。
自分たちは主筋という建前があるのなら、それこそ自分たちを凌駕する実力を持つ家来との関係には意をそそぐべきで、足利将軍家の事例を知らなかったわけじゃないだろうしね。

715 :人間七七四年:2023/03/13(月) 12:42:03.92 ID:g4CkBf3n.net
豊臣家の舐めた態度を止めれる人物が誰もいない時点で終わりやろ
加藤清正、浅野幸長、前田利長が生きていれば豊臣の挙兵は停めれたかもしれん

残ってるのが正則じゃな

716 :人間七七四年:2023/03/13(月) 13:45:32.03 ID:Fbk8gIJ6.net
>>714
足利将軍家以前に父親である秀吉の事績を知らないわけがないだろうに
信雄とか長益とか織田家の人間が身近にいることに何も思わないんだから

717 :人間七七四年:2023/03/13(月) 13:55:12.77 ID:vx3uYDkn.net
別に現代社会での社長の息子でも相関関係がわからない、興味もないという人も多いから秀頼みたいな箱入り息子だとまともに育ってない気がする
学校すら行ってない訳だし

718 :人間七七四年:2023/03/13(月) 14:59:06.89 ID:Fbk8gIJ6.net
秀吉はその辺の社長と一緒にできるようなクラスではないし
秀頼のように早くに父親を亡くしてその生涯に興味を持たなかったら
周囲の人間も含めて人としてどうかしてる
当時は学校とかないからこそ武功話とかを先達に聞いて学習する時代で
主に貴族的な教養らしいが秀頼が教育を受けたという話は残ってるわけだし
大体父親の事績に関心がなければ徳川家に対して主筋だなんだという話にはならないだろう

719 :人間七七四年:2023/03/13(月) 16:31:27.48 ID:h2KwdhMF.net
そりゃ傅役の前田利家が責任だろうし

720 :人間七七四年:2023/03/14(火) 08:50:14.84 ID:UqSWwLin.net
利家死後、関ヶ原後は、徳川方の人間を教育係にすれば良かったのにな。
家康の異父弟とか、酒井、大久保、鳥居…。候補はいるんだから。
それだけで徳川に対する敵対意識は減殺し、暴発を防げた可能性もある。

721 :人間七七四年:2023/03/14(火) 08:54:27.52 ID:UqSWwLin.net
豊臣家の孤立からの暴発を狙っていたとしたら、15年は長すぎる。
家康はもちろん、秀忠だって先に死んでたかもしれん。
家康が死ぬ直前に暴発してくれたのは、徳川にとってラッキーだったにすぎない。信玄みたいに戦場で倒れることもあんるだから。

722 :人間七七四年:2023/03/14(火) 10:43:14.82 ID:A++dk1Tm.net
家康は関ヶ原後豊臣を見捨てていくけどこれもどうとでも言えるから正解はわからんと思う。秀頼の養育係を決めるのは豊臣の仕事で徳川の仕事じゃないとか

723 :人間七七四年:2023/03/15(水) 11:04:05.80 ID:F6L1Ey1t.net
ちなみに片桐且元はクビにして欲しかったらしい。

724 :人間七七四年:2023/03/16(木) 12:54:57.57 ID:1Yy0JpW0.net
片桐は武将としてはそれなりだけど、そんなに大物じゃないからなあ。
徳川と豊臣の取次役としても荷が重すぎる。

725 :人間七七四年:2023/03/16(木) 18:58:45.55 ID:6Ua1EYuB.net
たとえ物凄く且元が有能だとしてもそれなりの地位と権限を与えないと無理

726 :人間七七四年:2023/03/16(木) 20:01:48.77 ID:sop+Tcru.net
方広寺の件も片桐兄弟は殆ど触れなかったらしい

なのに尻拭きさせられる悲哀…

727 :人間七七四年:2023/03/16(木) 23:06:16.44 ID:PW5r6XqD.net
そもそも縁故採用の大野一族が幅きかせてるのがもっとやばいでしょ

728 :人間七七四年:2023/03/17(金) 10:19:35.64 ID:ct6DtIHM.net
コネが幅利かせるのは仕方ない。他に人材居ないのが悪い

729 :人間七七四年:2023/03/17(金) 11:41:04.56 ID:ckdpC3Sb.net
松平定勝あたりを大坂城西ノ丸に入れとけば、いろいろうまくいったかもな。
秀頼の牙を抜いて、適当な頃合いで屋根の修理かなんかを理由に転封してもいい。
徳川の娘以外の正室を許さず、豊臣家は家康の子孫が継ぐ。絶えたら徳川家から養子。

730 :人間七七四年:2023/03/17(金) 22:59:52.52 ID:ckdpC3Sb.net
状況としては圧倒的に有利なのに、大坂の陣は小田原の戦いに比べて攻撃側の犠牲が大きすぎる。
2段階に分けたのも一般には評価されることが多いが、本当は愚策だったんじゃないか。

731 :人間七七四年:2023/03/18(土) 00:08:02.31 ID:jZRvvmE1.net
氏政には切腹を受け入れる良識はあるが
淀・秀頼なんて自軍の犠牲がどうなろうが切腹する気なんて一切ないのだから比較にならないだろ
2段階に分けたのも砲弾が本丸に届いたことで淀・秀頼が怖くなったから一時的に講和になっただけで
豊臣が戦うかどうかなんて淀・秀頼の気分次第で決まるからな

732 :人間七七四年:2023/03/19(日) 10:44:01.79 ID:YPEgHx9z.net
夏の陣で豊臣方の浪人減ってるのは何故?

733 :人間七七四年:2023/03/19(日) 11:18:47.37 ID:F/Bh4fM2.net
そりゃ裸の城にされたから
もうアカンとどんどん逃亡したから

734 :人間七七四年:2023/03/19(日) 11:20:14.50 ID:IHy05fKT.net
冬の陣で勝てないと分かった離職組と豊臣が徳川と和睦したときの条件で牢人衆を解雇するって事になっていたのでクビにされた整理解雇組。あと最大閥の織田が抜けたからそれについていった連中、徳川から送り込まれたスパイが離脱。こんなところだろう。

735 :人間七七四年:2023/03/19(日) 13:24:45.71 ID:5DCPR++V.net
ところが家康は外堀の一部を埋めるだけと約束したにも関わらず
内堀も全部埋めたから牢人共を解雇する必然性が無くなったんだよね

736 :人間七七四年:2023/03/19(日) 13:31:49.34 ID:Ix3I84MW.net
豊臣の同意無し説は否定されてなかった?豊臣が抗議した史料が全く無いから。元々全て埋めるのが和睦の条件だったからやっただけっていう。堀埋めるのは戦意無きを証明するものだから妥当ではある。なのに戦争吹っかけたのはアホの極みだけど。

737 :人間七七四年:2023/03/25(土) 11:30:16.43 ID:rGPCAj9l.net
>>736
NHKで特番があったのよね
オネエキャラの城郭研究家も出演していた

豊臣方は自ら内堀も埋めて浪人を自発的に退去させようとした

738 :人間七七四年:2023/03/25(土) 11:32:56.40 ID:rGPCAj9l.net
浪人が出ていかないなら豊臣秀頼が城から逃げ出せばよかったのだが、不可能だったのだろう

739 :人間七七四年:2023/03/25(土) 11:48:54.23 ID:tRlknUAs.net
本当に浪人を排除したかったんなら、徳川方に要請すれば良かったと思うがなあ。堀の埋め立てをやってくれたんだから。
豊臣と真田、毛利ら浪人衆との関係は、そう単純ではなかったんじゃないかなあ。

740 :人間七七四年:2023/03/25(土) 12:53:57.72 ID:BKnLAGhS.net
言ってみれば秀頼はトラブルの元凶なのに
徳川家から何かを引き出そうと条件闘争したのがまずかった
ならいっそのことお前ごと葬ってくれようとなるわな

741 :人間七七四年:2023/03/25(土) 13:13:22.03 ID:kP+kp6Gj.net
豊鑑だったかな。牢人衆の為の恩賞を徳川に頼んだら「牢人衆をクビにしないとかまだ戦うつもりなのか」って黙殺されて夏の陣になったとか。片桐兄弟が居ないから交渉も出来なくなってたんだろうか。

742 :人間七七四年:2023/03/25(土) 13:35:08.29 ID:BKnLAGhS.net
大坂の陣に参加した浪人の罪は不問にするけど
彼らに対する処遇を含めた責任は豊臣家でとってねというのが
講和の落としどころなのに幕府に負担を求めているわけだからね

743 :人間七七四年:2023/03/25(土) 15:49:23.69 ID:rGPCAj9l.net
浪人衆は戦力というだけではなく市中で暴行や略奪をすることが問題だった
初期の新撰組もそうよね

744 :人間七七四年:2023/03/25(土) 16:20:30.98 ID:M78EwDqX.net
冬の陣で傾いた天守閣を秀頼が夏の陣までに作り直していたというのは真実ですか?

745 :人間七七四年:2023/03/25(土) 18:30:42.12 ID:1CPG5Xte.net
ソースがわからんけどあってもおかしくはない…のかな

746 :大野治長:2023/03/26(日) 01:06:17.50 ID:DyBsoiGk.net
豊臣家は!牢人衆を養うために、戦をしているのでは無いっ!

747 :人間七七四年:2023/03/26(日) 01:06:47.89 ID:86Zrl89v.net
根本的なことを言えば制御不能なレベルで浪人を雇い入れる時点でもう間違ってる
統制不可能な不穏分子の大軍なんてどうするつもりだったんだ
軍の指揮権を正規雇用ですらない一時雇いなんぞに渡せる訳ないんだから
軍勢をまともに出撃させることすら不可能だし、籠城するなら必要以上の人数など
物資の無用な消耗を強いるから邪魔なだけ、本当に何を考えていたんだか

748 :人間七七四年:2023/03/26(日) 02:00:35.99 ID:DpV0qaVz.net
>747
有力家臣でもある片桐追放して浪人雇いまくったらバランス取れないんだよね
親族枠の織田も心中するつもりまではないし

749 :人間七七四年:2023/03/26(日) 02:39:26.52 ID:V5tCrRbj.net
古今東西、自分達を守る為に外部勢力を招き入れ瓦解していくのは定番やからな

750 :人間七七四年:2023/03/26(日) 02:43:56.17 ID:E3cBhB1D.net
西ローマ帝国や中国の王朝もそうよね

751 :人間七七四年:2023/04/12(水) 17:04:26.96 ID:LzGAlfEx.net
なんなら平家物語にも書いてあるっていうしなぁ…

752 :人間七七四年:2023/05/25(木) 10:41:12.44 ID:im4kRTAS.net
片桐追放して家康の勧告はねつけて浪人雇い入れて決戦
それはそれでありだと思うが最期蔵に追い詰められた時助命嘆願の使者を出したのは情けなさすぎる
秀頼可愛さか自分の命惜しさか知らんが

753 :人間七七四年:2023/06/04(日) 20:20:52.91 ID:WxuCymxR.net
片方の総大将たる秀頼がどんな戦略を持っていたのかとか何を考えていたのかとかどんな行動をしていたのかってのが不思議なくらい語られない
幼少ならともかく20歳超えてこれだけの大戦でここまで空気の総大将も珍しい

754 :人間七七四年:2023/06/04(日) 23:28:33.05 ID:ri39WpuU.net
一挙手一投足淀の言いなりなら秀頼の意思なんて誰にも分からん
秀頼自身もわかってなかったろう

755 :人間七七四年:2023/06/05(月) 09:46:04.23 ID:qZ+UR3r6.net
秀頼淀のロボット説ってどの辺からきてんだろね?
司馬遼太郎の「城塞」が有名だけど

756 :人間七七四年:2023/06/05(月) 10:35:38.93 ID:jKKn0dan.net
秀頼の文書とか集めて調べたら人となりがわかるだろ
秀頼のはないの?

757 :人間七七四年:2023/06/08(木) 14:06:31.10 ID:ankoz5l3.net
豊鑑だと淀君どころか牢人衆すら指揮できて無い描写がされてたが…

758 :人間七七四年:2023/06/08(木) 22:38:10.93 ID:HbNT4+I0.net
秀頼も若年ととは言え当時であれば元服もとうに終えた一介の武将
その秀頼の文書が一通も残っていないと

759 :人間七七四年:2023/06/08(木) 22:52:46.54 ID:11ufq/wE.net
あるにはあるけど人柄が伺い知れるようなもんじゃないな
一番有名なのは家康宛の自筆書状で家康から贈られた鷹の礼状でめっちゃ達筆
あと高台院宛の自筆書状で寒中見舞い状があるな
他には秀頼の黒印で発給してる知行宛行状が数通ある

760 :人間七七四年:2023/06/09(金) 12:32:26.05 ID:r5djSPMw.net
イギリスからカルバリン砲4門、セーカー砲1門が陸上げした瞬間
真田忍者達が奪う

761 :人間七七四年:2023/06/09(金) 12:50:57.33 ID:EbDmZmPy.net
それなら家康暗殺でいいんじゃね?

762 :人間七七四年:2023/06/09(金) 14:07:25.73 ID:r5djSPMw.net
>>761
暗殺を試みるが半蔵に阻止される
だがこれは家康警護に目を向けさせる為の作戦

才蔵とサスケはイギリス製大砲を大阪城に持ち帰った

763 :人間七七四年:2023/06/09(金) 17:58:30.20 ID:DtMtN4MY.net
持ち帰ってどうする
そいつらの装填速度は?
流弾じゃないんだから大軍相手には嫌がらせにしかならんぞ

764 :人間七七四年:2023/06/09(金) 19:39:16.68 ID:EL/E5k+z.net
一方長州一藩に惨敗を喫したのが幕末の徳川

765 :人間七七四年:2023/06/10(土) 10:55:52.37 ID:uWG8Hdii.net
大正の円本の真田幸村は榴弾砲も戦車も装甲車も地雷も機雷も使うんだぜ

766 :人間七七四年:2023/07/13(木) 06:16:26.76 ID:wc7WxJoU.net
秀頼の人間性は夏の陣の終局で大坂の民を見殺しにして蔵に閉じこもって自分だけ助かろうとしたところに全てが現れてるから、やっぱり豊臣宗家の血筋は世のため人のためには根絶やしにされても仕方のない卑しく浅ましい邪悪の血統だわ

767 :人間七七四年:2023/07/23(日) 18:02:03.42 ID:oYgbHpOY7
また岸田異次元増税憲法ガン無視地球破壞軍國主義文雄か゛今度は中東にまで丿コノコ莫大な温室効果カ゛スまき散らしながら世界中にハ゛カ晒して
しかもどのロで脱炭素だのとほさ゛いてやか゛んた゛か、力による一方的な現状変更によって都心まで数珠つなき゛て゛鉄道のз〇倍以上もの莫大な温室
効果ガスまき散らすクソ航空機倍増させて氣侯変動させて世界中で土砂崩れに洪水、暴風.猛暑.干ばつにと災害連發させて核攻撃の何倍もの
人的物的被害を与えてるクソテ囗リス├が□シア非難とか笑わせんのもいい加減にしとけや、気候変動による世界の難民の数は1億人を超えて
いるわけだが.日本でも洪水やクソ航空騷音によって住む場所を追われる被害者た゛らけ,豪雨やら灼熱地獄によって被害を受けた連中は被災者
て゛はなく、テ口政府による人為的なテ囗によって破壞され殺されたんだといい加減理解して立ち上がれよな.被災者支援た゛のと白々しい増税と
利権のネ夕にされて生命と財産を奪われるマソ゛体質マジキモチワ儿ヰそ゛.プ‐チンや金正恩は.このテ゛夕ラメジェノサヰドプ囗パガンダテ口
国家の本質を追求して正当性をアピールすれば、世界的な悪者は日本に原爆落とした世界最悪のならず者國家とその─味だと八ッキリするだろ

創価学会員は,何百萬人も殺傷して損害を与えて私腹を肥やし続けて逮捕者まで出てる世界最悪の殺人腐敗組織公明党を
池田センセーが口をきけて容認するとか本氣て゛思ってるとしたら侮辱にもほどがあるぞ!
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768 :人間七七四年:2023/07/30(日) 15:29:19.87 ID:OVRRx/4A.net
ガマンすべきことはガマンする

769 :人間七七四年:2023/08/08(火) 18:36:52.96 ID:m54KdJzq.net
REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担

770 :人間七七四年:2023/08/24(木) 06:01:08.91 ID:J78voILE.net
それって他にも方法はないの?

771 :人間七七四年:2023/11/21(火) 20:09:52.61 ID:utu60f5X.net
方法は淀君が駿府翁の指示に従い、江戸下向、大坂を退去し、大和広隆寺に違法

772 :人間七七四年:2023/12/24(日) 19:51:49.20 ID:Wi6sSehM.net
米蔵に閉じこもって秀頼と淀殿の助命嘆願は情けない
どうする家康では描かなかったな

773 :人間七七四年:2024/03/03(日) 19:30:02.41 ID:mF3noIHv.net
大坂冬の陣のあと、家康の提示に従い、大坂を明け渡し、大和西大寺、又は、伊勢朝熊山に異邦を受け付けるべきでした。また、淀君は駿府で人質を受け、秀頼は江戸に産近甲龍を

774 :人間七七四年:2024/03/05(火) 17:14:35.51 ID:mEJYZKj2.net
家康のこと何も分かってないな
生かしておくわけないだろ

775 :人間七七四年:2024/03/09(土) 21:03:14.89 ID:EFsaNYLe.net
>>764
大名で徳川に勝てたのは毛利敬親だけか

776 :人間七七四年:2024/03/10(日) 01:24:40.31 ID:bT6hfwyA.net
>>774
そりゃ秀頼みたいにまともな領国経営もできない無能なくせして二度も天下を乱す大乱を起こした挙句家臣や領民を見殺しにして自分だけ助かろうとするクズなんて生かしておく価値無いからな

777 :人間七七四年:2024/03/23(土) 16:35:58.70 ID:XAkg07nA.net
心情的に豊臣方の勝利の目を幾分かは見立ててあげたい処だが、戦略戦術よりもまず兵站ですよ。

開戦前に確保に走っただけあって米だけは向こう1年弱は持つ計算があったけど矢弾の供給源が存在しない。
どこも売ってくれないから。矢を竹から切り出すのだって限界がある。
馬の飼料だって足りてたんだか足りてなかったんだか。
冬の寒さに城内で燃やせるものを壊して燃やしていたのも兵の戦意低下の一因となっている。

兵站面の不安を解消してはじめて勝つ為の戦略を定める処に前進できる。

778 :人間七七四年:2024/03/26(火) 20:43:51.19 ID:MgYjTlT/.net
>>777
その辺を問題にするのなら大量に浪人を雇い入れる時点でもう間違っているとしか…
必要以上の人数を城に入れたところで物資の無用な消耗を強いるから邪魔なだけだし
勝手なイメージだが飲み食いも派手にやりそうだ、腹が減っては戦が出来ぬというからな
運用も難しい、拠点の一部の防衛担当程度ならともかく出撃させるには信用がなさすぎる
夏の陣においてさえ、連携に失敗してるという話があるから戦術的にもあまり期待できないし

779 :人間七七四年:2024/03/26(火) 22:56:37.10 ID:qR/7K0Yy.net
>>778
■兵の質
 関ヶ原改易家浪人から何から、日ノ本の中でもはや摂河泉しか潜む場所が無かったっていうね。もう14年も経ってるし。
 島津でさえ大坂までは行かないという精神的で消極的な支援しか出来なかった。
■出撃策
 初手から籠城した先に何があるのかというと、大御所が運悪く寿命で落命するかもしれない位で他に無いんだよね。
 大御所あるいは将軍の首級ひとつのみ狙う出撃策はデメリットよりも可能姓の方が見込まれますかね。
 朝廷公家などへの対外的な宣伝の意味でも。

780 :人間七七四年:2024/03/28(木) 10:31:19.18 ID:YlCjs62j.net
本多忠勝も「平家物語を読んでみなさい。そこに諸国からかき集めた兵は簡単に逃げるとある」って牢人衆を雇う危険性を教えてたりするしそうした逸話は山ほどある。それでもやらないといけなくなるのが追い詰められた証か

781 :人間七七四年:2024/03/28(木) 12:03:17.00 ID:rwxpkl41.net
本当に欲しかったのは西国の有力大名だろうけどどの大名も無視またはお祈り書状または八丈島から泳いでこなかったしね。

782 :人間七七四年:2024/03/28(木) 18:09:03.48 ID:xvTl4s7C.net
秀吉の威光なんかほんと大したことねーな
存命時も諸大名はボケた下賎の猿はやくしね、くらいにしか思ってなかっただろう

小牧長久手の時点ですでに
家康>秀吉の印象は全国に知れ渡っていたのでありましたw

783 :人間七七四年:2024/03/29(金) 10:03:33.18 ID:jSv7CN7E.net
御恩と奉公は一代限り、なので代替わりしたら新しく御恩を提示して人望を集めないといけない
一代で成り上がった豊臣にはそれしかなかったけど60万石では幕府には勝てない

784 :人間七七四年:2024/03/29(金) 16:00:17.68 ID:+VB23AEJ.net
関ヶ原敗戦直後であれば毛利は戦意は無いけど大坂城で大軍と健在、立花は戦意旺盛で軍勢もある、上杉だって気が変わる可能姓もある。
それから年月が経過して家康は将軍になり後継の秀忠に譲って日ノ本への支配体制が摂河泉を除いて盤石に。色々と無理よね。

785 :人間七七四年:2024/03/30(土) 19:15:31.31 ID:YnpIQJa0.net
天皇践祚の上洛を機会に、胸襟を開いて、歓談したいとの、御下知である。

786 :人間七七四年:2024/03/30(土) 19:47:51.45 ID:XF87aN/+.net
小牧長久手の時点ですでに
家康>秀吉の印象は全国に知れ渡っていたのでありましたw

>秀吉に人質取られ、小牧で味方勢力だった長宗我部、雑賀、佐々を見殺し
小牧後こんなに無様で何言ってんだw

787 :人間七七四年:2024/04/02(火) 09:24:52.41 ID:XbE94hUW.net
家康なんて三河の一向一揆や今川氏直の頃から約束なんて守ったことないのにな
こんなクズを信用する大阪方……

788 :人間七七四年:2024/04/02(火) 10:53:12.24 ID:hLKVFhBr.net
だが家康が明確に秀頼を殺そうとした同時代の史料って残ってないんよ。むしろ家名存続の為の逃げ道を提供している。
逆に秀忠が許さなかったし意を汲んだつもりの井伊隊が山里曲輪の隅矢倉を取り囲んで「○ね!○ね!」と
ドッカンドッカン撃ち放って自刃の圧をかけたので詮無しとみんな自刃して放火して滅亡したのが真相。
家康は自分の目が黒い内に豊臣家に滅んで欲しかった「のかもしれない」。だがそれを示す史料は無い。

789 :人間七七四年:2024/04/02(火) 11:08:38.42 ID:nv7nNAbI.net
家康は約束は守ったからな
その後豊臣が牢人衆から恩賞せびられて破産しても徳川の知ったことじゃないし

790 :淀殿:2024/04/02(火) 12:37:35.26 ID:98nry0if.net
会いたければ、家康が大坂に出向くがよい。わが叔父、信長公に散々世話になった、三河の田舎大名めが!無礼であろう!

791 :人間七七四年:2024/04/02(火) 19:15:08.31 ID:LVORlQnS.net
>>790
朝廷の官位とか位階で考えると家康の方が立場上のはずだが、しかもそうしたのは秀吉だぞ
そこら辺に文句つけたいなら秀吉に言えばいい、大体関白にもなれなかった奴が何言ってんだ

792 :人間七七四年:2024/04/02(火) 19:56:43.68 ID:0nwpyKmm.net
冬の陣で荒れた大坂城を復興して戻す、復興相には松平下総守忠明を充てる。だから、秀頼は数年、大和か伊勢に移転せよとあれだけ駿府翁は言ったのに、秀頼は言うことを聞かなかったのである。

793 :人間七七四年:2024/04/03(水) 11:38:13.31 ID:tAyOnnIT.net
家康が約束守ったことなどあったっけ?

794 :人間七七四年:2024/04/03(水) 12:00:40.67 ID:SIKT3yZa.net
清洲同盟が真っ先に出てくるじゃろ。先入観や決めつけから一旦離れて自分の見解に疑問を挟む処からしなよ。

795 :人間七七四年:2024/04/03(水) 13:55:27.47 ID:6VvTKI06.net
豊臣の命令で嫌々娘を秀次の側室に出したら連座で殺される
豊臣の命令で朝鮮出兵したら恩賞を貰うどころか讒言されて処罰を受ける
豊臣の命令で上杉征伐に出たら内府違いの条々で糾弾される
豊臣家ってのは約束を破るどころか命令に従った相手に嫌がらせするのが趣味なのか?
で、お次は
秀頼「豊臣の命令だ。諸大名は豊臣に従い徳川幕府を討て。従わない奴らは太閤殿下の恩を忘れた不忠者だ、裏切り者だ」
ってか?
誰が従うんだよ馬鹿馬鹿しい
実際滅んで当然の糞一族と思われてるから大名は誰も味方に付かず除名嘆願もしなかったんだろう

796 :人間七七四年:2024/04/03(水) 14:24:27.62 ID:XoqFbXd5.net
家康と秀吉じゃ現代人と原始人くらい知能の差があった
律儀者と死ぬまで信じ込む馬鹿が秀吉
チョロ過ぎ

797 :人間七七四年:2024/04/04(木) 10:11:25.78 ID:JNxe6kAK.net
少しでもまともな知能があれば律儀者なんて思わないよな
家康なんか

798 :人間七七四年:2024/04/04(木) 10:54:19.28 ID:fXIe+Om/.net
「思わないよな」じゃなくて同時代の資料ベースでそれを示さないと歴史に相対する正しい姿勢とはいえない。
不明瞭な処に無理して結論を急ぐ事はないですよ。それは歴史研究者が一番禁忌にしているやつ。

799 :人間七七四年:2024/04/04(木) 12:34:35.88 ID:MjYdVoLJ.net
まあ、秀吉の隣にいたら誰でも律儀者に見えるだろうな
気分次第で人を嬲り殺すエテ公を「明るく陽気な人たらし」だなんて思い込む知能の低い人以外には

800 :人間七七四年:2024/04/04(木) 13:36:24.70 ID:SUboY9Pk.net
大坂の陣は豊臣家が間違った外交を続けた結果なので家康云々はどうでもいいレベル
家康から任命された執事でれっきとした大名を殺そうとしたらどうなるかわかってたろ

801 :淀殿:2024/04/04(木) 15:14:13.26 ID:L3MMyHPe.net
ならぬ。家来の呼び出しに、何ゆえ主人が出向かねばならぬのじゃ。考えても見よ、家康は、亡き太閤殿下に、大老にまで取り立てていただいた御恩も忘れ、亡き太閤のおん血筋、秀頼公を二条城にまで呼びつけるとは、言語道断

802 :人間七七四年:2024/04/04(木) 16:36:54.63 ID:b6ccFB6r.net
大坂60万石で子飼いの兵力が1万5千
浪人が10万も押し寄せてきちゃうと思わなかったんじゃないの
せいぜい5千くらいだと思って呼んでみたら想像以上に膨れ上がって
収拾つかなくなったとか

803 :人間七七四年:2024/04/04(木) 17:54:52.50 ID:fXIe+Om/.net
>>802
子飼いの兵って七手組よね?。実戦経験がまるでないし始めから徳川に内通する気満々の将も居たね。
日ノ本全国もう潜む処は摂河泉しかなかった訳で10万でよく済んだものよ。

804 :人間七七四年:2024/04/04(木) 20:31:41.94 ID:mQGlPi3u.net
徳川家出奔して七手組になった青木は冬の陣後に豊臣家出奔!
徳川家に帰参、一万石

805 :人間七七四年:2024/04/04(木) 20:31:52.90 ID:DlekX2TE.net
徳川家出奔して七手組になった青木は冬の陣後に豊臣家出奔!
徳川家に帰参、一万石

806 :人間七七四年:2024/04/04(木) 21:54:59.95 ID:sQn8IfWG.net
この板どんな過疎スレでも家康批判したとたん何処からともなく家康厨が湧いてきて擁護しだすの最高にキモい
あの徳川の子孫とやらにバイト代貰って監視してるのか?

807 :人間七七四年:2024/04/04(木) 22:00:16.25 ID:mQGlPi3u.net
そうなんです。俺のスパイクも、お袋が得川のパートで働いて買ってくれたもんなんです

808 :人間七七四年:2024/04/04(木) 22:23:31.57 ID:fXIe+Om/.net
>>806
何言ってんの?。一次史料にもあたらず夢みたいな事を書き連ねるんだったらそこに徳川推しだの豊臣推しだのの区別はないよ。
比率で滅んだ方に夢見がちなのが多いから目立ってるだけ。

809 :人間七七四年:2024/04/04(木) 22:40:02.81 ID:C6RLxjHJ.net
>>806
キモいのは感情論でしか物を見れないお前だよw
誰を批判したとか擁護したとかどうでもいいわ

異論があるなら史料を根拠に反論すればいいんだろうけど、この手のアホは
史料なんて当然見たこともないだろうし小説とか漫画が関の山ってとこかな

810 :人間七七四年:2024/04/05(金) 09:09:27.41 ID:MYJHzVuu.net
秀頼もしっかり考えて行動せんと

811 :人間七七四年:2024/04/05(金) 09:18:55.83 ID:Dcc8Hnu+.net
散々、徳川史観で歴史や思想、生活様式まで長年統制し歪めた側が同時代とか一次史料とか最高に笑わせてくれるw
流石は歴史学者さんの言うことは違うねw
まあ令和の時代になってもその呪縛に捕らわれてる知能の低い馬鹿がいるんだから素直に凄いわ

812 :人間七七四年:2024/04/05(金) 09:47:57.76 ID:EFjwxwdz.net
>>811
ほんとに何言ってんの?本気?
「徳川史観で書かれた史料」が一次史料や同時代史料と呼ばれる訳ねーだろ・・・。
徳川史観と呼ばれる時点で「同時代の一次史料、例えば書状、第三者の日記、感状などの古文書」ですらないんだよ。
判り易い例でいうと『甲陽軍艦』は一次史料じゃないんですよ
生まれてから一度も「一次史料」「同時代史料」で用語の意味を調べた事すらないのが丸判り。

笑わないから今まで何の媒体で歴史に触れてきたのか書いてみ?

813 :人間七七四年:2024/04/05(金) 11:11:57.02 ID:MYJHzVuu.net
豊臣は徳川が鐘銘に難をつけてると思ってたかもしれないけど徳川が問題視してたのは豊臣が牢人衆集めてた事で次元が違う。豊臣は政治・外交を見る力が弱過ぎた

814 :人間七七四年:2024/04/05(金) 14:22:36.32 ID:+GQi8a71.net
>>811
境界知能くんは一次史料に触れたことないんだな
徳川史観とやらで書かれた一次史料って何?あるなら見せてよw

815 :人間七七四年:2024/04/06(土) 08:54:38.47 ID:PXnLt8u0.net
>>814
境界知能くんの言う一次史料って
<徳川史観で書かれた一次史料>
山岡荘八著「徳川家康」
NHK「葵 徳川三代」
NHK「どうする家康」
他「水戸黄門」「暴れん坊将軍」等
<歴史の真実が書かれた一次史料>
司馬遼太郎作品全般
隆慶一郎著「影武者徳川家康」
NHK「秀吉」
NHK「真田丸」
他「花の慶次」「戦国無双」等
こんな感じかなw

816 :人間七七四年:2024/04/06(土) 11:05:09.34 ID:KuRdtkjB.net
まてまて多分武将の能力基準はコーエーのぶやぼシリーズ準拠も入れてやらんと

817 :人間七七四年:2024/04/06(土) 14:50:23.17 ID:KjljqDcV.net
>>815 ゲームとコミックとアニメが抜けてるな

818 :人間七七四年:2024/04/07(日) 17:06:20.43 ID:gQ3G2y6c.net
じゃあ当時の豊臣がなすべきだった正しい外交ってどんなの?

819 :人間七七四年:2024/04/07(日) 17:33:05.35 ID:hGxtUjuw.net
ふつうに方広寺建てて
ふつうに右大臣やって
千姫とぱこぱこやって跡継ぎ作ってればよかった

なんで家康健在なのに大坂側から喧嘩うってんの?
バカなの? 死ぬの?

820 :人間七七四年:2024/04/07(日) 18:29:46.43 ID:1Z+iYpJh.net
>>818 単発IDくんは何か読んできたの?タイトルを教えてよ。
歴史を振り返って「正しい」だの「正解」だのは主観でしかないと思うけどね。
最大公約数で平たく言えば「片桐且元の持ち帰った条件のいずれかを飲んで徳川の覇権を認めて一大名として存続する」が
お家が生き残るにはベターな手だとは思うよ。滅ばされる口実を与えない事。関ヶ原から14年も経って誰も味方してくれなくなってる。

821 :人間七七四年:2024/04/08(月) 16:32:32.92 ID:yZZ3RVOM.net
>>815
1次史料で出してきたのが現代の小説やドラマって……
こんな相手にレスしてたのが恥ずかしくなるくらいのド低能ぶりだな
信長公記とかにしても筆者の当時の主従関係やら何やらで必ず何かしらのバイアスがかかるということも理解出来ないんだろうな
頼むから俺にこれ以上レスするなよ
議論するレベルですらないから

822 :人間七七四年:2024/04/11(木) 10:27:45.23 ID:RVhg7leU.net
片桐且元が徳川家に出した十一箇条の要請書の中に「我々は家康さまから執事をするよう言われてましたが全く役割を果たせてません、方広寺でも我々が関われず仕事になりません」と書いたというから既に豊臣家全体が危険な状態だったっぽいんだよな

823 :人間七七四年:2024/04/13(土) 22:03:24.80 ID:77RmdwML.net
真田という浪人が隊士を集め赤備えの甲冑まで揃えたことが信じがたい

824 :人間七七四年:2024/04/13(土) 22:33:30.79 ID:BG15O8if.net
>>823
長野の個人宅で見つかった鉄製の部分に赤味が鮮明に遺る甲冑
(昭和9年の箱書きには「海野小太郎ご誕生の祝いの品として、京都から下賜(かし)され(た)」との記述がある。)だけど、
「降幡学芸員は「真田信之(信幸)が家臣に赤い甲冑を薦めた古文書が残るほか、
弟の信繁が赤備えを旗印にしたのも赤の派手さが勇猛さを演出することを理解していたからではないか。
真田家に伝わる赤備えは、血筋の正当性の証にもなっている」と話す。」と。

「大坂夏の陣で、徳川軍との激戦の末に散った信繁らが身につけていた赤備えは見つかっていない。」が
「見された赤い甲冑はそのルーツとして学術的な史料価値が高い。」と。

大河ドラマにも登場 「真田の赤備え」は幻ではなかった 赤い甲冑を発見 長野の個人宅で保管 真田宝物館で公開中
https://www.sankei.com/article/20170315-SOS2VJULBVLCPDUKNUXKKTAKDE/2/

数千人分の甲冑を赤く染めるのは無理にしても旗は赤く、主要な武者の甲冑は赤くは出来た可能姓もあるかもね。

825 :人間七七四年:2024/04/14(日) 06:44:45.72 ID:9GCxF1hB.net
この時代の浪人ってある程度の手勢を持っている場合もあるって聞いたことがあるな
浪人衆でも上位組はそういう奴らだった、らしい
本当かどうかは知らん

826 :人間七七四年:2024/04/14(日) 08:04:20.42 ID:XR751wyT.net
立花宗茂なら付いてきた家臣に食わせてもらってたな

827 :人間七七四年:2024/04/15(月) 00:52:03.17 ID:PMxd0Jr1.net
>>825 大坂籠城衆の主立った将でいえばこんな感じ。実戦経験を積んでいたりある程度の指揮を任せられる「手勢」が居たかどうか怪しいよ。

・真田信繁:130人~300人の幅(家族や百姓を含む) ※Wikipedia
・後藤又兵衛:情報に到れず。乞食生活も経ていたので寄り添った家臣が居たかどうかすら怪しいレベル。
・長宗我部盛親:従者6人 ※Wikipedia
・毛利勝永:小舟で土佐を離れたので恐らく嫡男と次男と3人で。 ※『真田より活躍した男 毛利勝永』 / 今福匡
・明石全登:4,000? ※大西泰正氏「明石掃部の研究」には、「大坂御陣山口休庵咄」の中の、掃部が「四千の人数を率いて入城し、のちに素性不明の者を抱えた」という記述が取り上げられ(史料として一部が抜粋されています)、素性不明の者について、「それが或いはキリシタンかという想像もできなくはない」と書かれています。 
 ※『大坂御陣山口休庵咄』は1639年~1727年にかけて発表されたもので同時代史料ではない。行き場を失ったキリシタンを引き連れたという解釈が自然。

主立った籠城諸将は大坂城に入城してからより格下の浪人衆を改めて麾下の将兵としてあてがわれたと考える方が自然だと思いますよ。

828 :人間七七四年:2024/04/22(月) 19:26:10.11 ID:3ZO9P19Y.net
豊臣家は政権から転落してキリシタン弾圧の権限を失ったわけだが、キリシタン容認に変更したわけでもない。なのに明石全登が大坂方に与した理由がよく分からない。秀吉在世中は散々弾圧していたのに

829 :人間七七四年:2024/04/22(月) 20:11:34.70 ID:zR9OCYqd.net
徳川の専横が許せなかったんだろ

830 :人間七七四年:2024/04/22(月) 20:44:57.44 ID:Hh2YfLED.net
どのみちキリシタンが日本で生きてくには豊臣に味方するしかなかったんだろ
何もしないのはノーチャンス

831 :人間七七四年:2024/04/22(月) 23:12:43.47 ID:3XUUaG+J.net
現在進行形で禁止してる政権は徳川だし>>827によれば明石は手勢を率いてたようだから
戦力欲しい豊臣が勝った暁には信仰認めるとか何とか調子いいこと言ったんだろう
明石は豊臣だろうが徳川だろうがどうでもよくて信仰認めてくれさえすればよかっただけ

832 :人間七七四年:2024/04/23(火) 00:05:32.02 ID:JIbXz2EL.net
>>831
同意だけど「手勢」じゃなくて「信徒」だと思うよ、老若男女込みね。明石ジュスト殿が我々を導いてくださるといった体でついてった辺りかと。
関ヶ原の後は黒田如水の弟でキリシタンの黒田直之にかくまわれていた時期もあったららしい。

833 :人間七七四年:2024/04/23(火) 14:36:57.78 ID:sEIViaXk.net
他の大坂牢人五人衆と比べて目立った戦働きがないのは主体が実戦経験豊富な牢人ではなくて単なる信徒だったせいだろうか?
空振りに終わった夏の陣での精鋭300人がほんとの実戦力だったのかも

834 :人間七七四年:2024/04/23(火) 18:42:13.68 ID:K37vKLHq.net
明石掃部は逃げ延びて仙台藩が匿ったとか、彦根藩兵に討ち取られたとか、諸説有ってまるでハッキリしない。困ったもんだ。

835 :人間七七四年:2024/04/23(火) 19:24:55.86 ID:81KP4FFQ.net
(慶長20年)6月7日付松井興長他宛細川忠興書状
「明石掃部于今行衛不知候、大略長崎へ可下かとの各推量ニ候、
自然其元舟付ニかゝり候事も可在之候間、急度可相改事肝要候」

戦後すぐの頃は明石は長崎へ下ったとの噂があったようで、忠興は船改めをするよう家臣たちに命じてるな

836 :人間七七四年:2024/04/23(火) 19:37:51.35 ID:JIbXz2EL.net
伊達家は信繁の娘達や明石掃部まで忙しいね

837 :人間七七四年:2024/04/25(木) 18:24:13.42 ID:c/diH4j1.net
京都所司代板倉勝重の息子を豊臣家附家老として迎え、家政をすべて見て貰う。
豊国大明神の神号廃止を朝廷に頼み、摂家待遇を返上する。
また、淀君は江戸で人質として過ごし、
お拾は駿府にて養育を受ける
養育掛は本多出雲守忠朝、青山因幡守秘成、
松平下総守忠明が受け持つ。
このようにへりくだれば、徳川家も軟化し、ウフ様が死ぬこともなかったと存じます

838 :人間七七四年:2024/04/26(金) 13:23:51.14 ID:NoUwDr9x.net
喜連川足利家みたいに格式だけ上位で小藩として存続するなら生き延びる道もあったと思うけど、
摂津河内和泉六十万石と大坂城をどうするかという問題が。
大和転封という話があったけど、大和一国で四十万石くらいだから、大坂を離れることも含めて大減封になってしまう。
やっぱり穏便に徳川幕府体制に組み込まれていくのは難しいな

839 :人間七七四年:2024/04/26(金) 21:21:43.91 ID:m3Xlk0v8.net
となると完全に公家化ルートなんだが、これは五摂家が許さない。
折角秀吉逝去でほぼ回収出来た筈の摂関職をまた豊臣に掠め盗られる事態は何としても避けたい。
そして徳川も朝廷の統轄を五摂家に任せる方が楽だし後の公家諸法度の理念と朝廷・公家の統轄の実際は正にその路線。
摂家であるのはダメ、徳川が清華成だから同格は徳川的に嫌がるだろうが他にも清華成の武家は居るから多分通る
公家化ルートで収まろうとすると豊臣は所領の九割近くと居城の喪失と摂家から清華に落としてやっとでなかろうか。
一公家で数十万石クラスの所領の保有は江戸初期の公家徳川双方からして脅威でしかない。

840 :人間七七四年:2024/04/26(金) 21:34:50.08 ID:Y/CMRXY3.net
>>839
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1601/18-2-3/1/0077?m=all&s=0077

近衛さんが徳川に怒ってますが
上記を読んで感想お願いしますね

841 :人間七七四年:2024/04/26(金) 22:16:26.11 ID:SkTmnBHI.net
淀、秀頼が大和で我慢できていれば姻族だしそのまま行けたんじゃないのかな
初期に紀州家と結びついたらどう転ぶかはわからんけど

842 :人間七七四年:2024/04/26(金) 23:26:50.45 ID:m3Xlk0v8.net
>>840
そういや豊臣はそもそも近衛の猶子として関白職に就いたから
近衛としては歴とした身内のままなんだよな、豊臣氏と賜姓され別家となっても
豊臣からも近衛からも最後まで絶縁してないので変わらず身内の家。
猶子は本家の家督相続なんかは基本無いが絶縁するまで完全に身内や親族扱いとする慣行だから。
近衛家的には身内の豊臣が摂家として尊重され続けるのは当然で、その身内を(理由はどうあれ)
攻撃した清華で武家の徳川は格上の自家を攻撃してきたも同然。
近衛家としては無礼かつ身内への攻撃で怒るのは至って自然だろうと思う。
ただ近衛はともかく他の四摂家の意向としてはどうかだし、また当時の政治力学的に
近衛が豊臣を全力カバーするのは当然無理な相談な訳で。結局怒りの声を挙げる程度しか出来なかったかと。
もっとも近衛を始めとする朝廷公家全体が大領を持つ武家としての豊臣を公家に取り込み
徳川ら武家に対抗していこうという意図が実はあったのなら話は別。
でも豊臣だけで徳川など武家を相手に回わすのなんて無謀だったのがこの大坂の陣なんで。

843 :人間七七四年:2024/04/27(土) 00:10:47.05 ID:wuTVQC0v.net
>>842
すいません
慶長六年の日記なんですけども
リンクを読んでないですね?

844 :人間七七四年:2024/04/27(土) 20:10:00.07 ID:N+MZjBCB.net
別に怒ってない定期

845 :人間七七四年:2024/04/27(土) 20:16:09.31 ID:y+fj8yS3.net
主計頭清正と紀伊守幸長は、やはり毒を飼われたとみるべきであろうや?

846 :人間七七四年:2024/04/28(日) 20:09:58.01 ID:ctiyW8YU.net
まず間違いないだろうね

847 :人間七七四年:2024/04/30(火) 08:37:04.57 ID:fVMNyYVf.net
散々利用して邪魔になったら毒殺か、家康汚いわ

848 :人間七七四年:2024/04/30(火) 10:25:45.36 ID:GLLMdGPp.net
また病気がぶり返してるな

849 :人間七七四年:2024/04/30(火) 10:56:26.57 ID:oXz6pPBW.net
>>845-847ってまさかのID切り替えながらの自演ですか?
それはどうでもいいんだけど陰謀論に傾くなら根拠や出典を添えてくれ。

850 :人間七七四年:2024/04/30(火) 12:34:50.36 ID:H8qvjeu2.net
根拠なくID切り替えを疑うのだって陰謀論じゃねえか

851 :人間七七四年:2024/04/30(火) 13:11:36.93 ID:oXz6pPBW.net
えっ大坂の陣の話をしてくれません?

852 :人間七七四年:2024/05/02(木) 10:43:10.74 ID:ie2mDVHi.net
自分の軍団以上に傭兵を雇えばそりゃもうね

853 :人間七七四年:2024/05/06(月) 08:01:01.44 ID:dFvuEi7G.net
根拠や出典を添えてくれwwwww

854 ::2024/05/06(月) 15:29:24.81 ID:m+XJd2NM.net
フィクションや願望の話をしたいんだったら別の板に行けば?

855 :人間七七四年:2024/05/07(火) 07:47:10.13 ID:911INxGG.net
家康様の批判する奴は許さない
出ていけ!ってかあ?
流石は陰険な家康の信者だわw

856 ::2024/05/07(火) 10:17:00.89 ID:8QIRu9pL.net
またこいつか・・・。家康だろうが秀頼だろうが同時代史料ベースで語ってくれるなら同列だっつーの。何でそこが判らない。

857 ::2024/05/09(木) 11:44:40.54 ID:SFRjr47B.net
じゃあ天王寺の戦いの話ししようぜ
何で東軍ってあんなに弱かったの
特に徳川軍
夏の陣全体:東軍16万5千 大坂方5万5千 3対1
天王寺・岡山の戦い:14万対3万5千(実質2万)7対1
家康本陣に突入した大坂方はどう多くても10対1を切っていただろう
それがあの有り様
圧倒的な数の差で何とか勝っただけ
徳川軍のどこが精鋭だ?
家康のどこが野戦の名手だ?
最初から統一指揮が出来てれば大坂方が勝ってただろうな
こんな戦力差で首獲られてたら義元や隆信以上の無能として名が残っただろうに

858 ::2024/05/09(木) 13:01:04.14 ID:kb9rr+fk.net
>>857
普通「天王寺の戦い」とは呼ばない。「天王寺・岡山の戦い」よ呼ぶ。自分で5行目に書いてんじゃん・・・。
両軍の兵力の出典は何?俺も目を通す。
他にも書きたい事はあるけどまずは順を追って。

859 :人間七七四年:2024/05/09(木) 15:26:27.86 ID:EJcL3vDG.net
>>857
開戦劈頭の大坂方の攻勢部分のみを切り取って見たらそう見えるだけ

軍事的に見て、最終的に大坂は全戦力を喪失して5万の兵力がおよそ3時間で壊滅し、総大将は自刃している
幕府方にも大名が複数討死するなど損害はあったが、大勢に影響はなかった

本陣に突入されたとか馬印が倒されたとかうんこ漏らしたとかどうでもいいのよ
結果的に完全勝利やろが

860 ::2024/05/09(木) 16:02:40.27 ID:kb9rr+fk.net
>>857
もう少し尋ねたい。

>それがあの有り様
の処だけど具体的にはどこのどの部分?。
別に映像記録が残っている訳ではないけど通説では真田隊は幕府方の前線部隊を粉砕し壊滅させながら前進した訳ではなく
松平隊の備の角を掠めて又は削って家康本陣へと前進していった。
なので後から持ち直した幕府方の大軍に退路を断たれそうになったので真田隊は撤収した。

>圧倒的な数の差で何とか勝っただけ
野戦では数が物を言うのは軍事の常識であるし(詭道で勝つのは極例外)「何とか」には共感するけども
大御所の首級を上げられなかったのでいずれ数で負けるのは至極予想された結果だよ。

>徳川軍
という呼称は辞めてくれ。外様も居ただろ・・・。

>どこが精鋭だ?
そんな事どこに書いてあったの?。豊臣方浪人衆の方が代替わりしてまるで実戦を経験してなかった幕府方大名よりも
実戦感覚を失ってなかったのは一般的な見解だよ。

>野戦の名手だ?
これ攻城戦なんだけど。もしかして「家康は野戦の名手だが城攻めは苦手に違いない」と巷間よく言われている
ステレオタイプを真に受けてる?(家康が出馬していない徳川軍が二度上田城を落とせなかった処も含めて)。
対今川戦、対武田勝頼との戦闘を細かく振り返ってみ?。家康は付城を用いて敵方の城を包囲して陥落させる実績に長けてるんだけど。

>最初から統一指揮が出来てれば
タラレバに付き合ってあげるけれども一応名目的には秀頼が総大将の体だし織田信雄・織田長益なんてのも居た。
天王寺・岡山の戦い当日は真田に軍配が預けられたけれども大野治長が前日から全軍に周知していた訳ではない。
この程度しか出来なかったのが大野治長の限界であり豊臣方の限界だったんですよ。

861 ::2024/05/09(木) 16:17:41.38 ID:kb9rr+fk.net
大事な事だけどこれだけの大軍に対して家康が「右翼前へ」とか細かな部隊への指示を出していた訳はもちろん無くて
各々の部隊の裁量に任せていたのは考えるまでもなく当たり前の事ですよ。そこに野戦の名手だのなんだのは関係無いです。
例えば長久手の戦い一つだけとってみてもいいけど豊臣方にそれに匹敵する戦果を挙げた事のある将が居たのかどうか。

862 ::2024/05/09(木) 16:59:10.28 ID:kb9rr+fk.net
フォローも入れておくけど昔司馬遼太郎の『関ヶ原』『城塞』を読みふけっていた事は家康憎し豊臣方推しだったぞ。
今は歴史的事象を俯瞰して見る様になったし江戸期になってから書かれた軍記物やその他書物はまず疑ってかかる様にしている。
あと著作を買えまでは言わないけど(出来れば買ってほしいけど)現在進行系で研究を進めている歴史研究家の
先生方の論文や見解に目を通す様にした方がいい。

863 :人間七七四年:2024/05/09(木) 17:04:00.33 ID:fNybK9iv.net
そもそも家康が戦上手なんて後世のファンタジー
生涯に二度も馬印を踏み潰されて逃げ回った武将なんてまずいない
関ヶ原だって数に劣るの石田宇喜多らに苦しんだし
だいたい戦国時代だって瀕死の今川を攻撃して遠江を手に入れたくらいしか実績がなく
格上を倒していって何ヶ国も切り取った著名な戦国武将達と比べると酷いものである

864 ::2024/05/09(木) 18:19:38.31 ID:kb9rr+fk.net
関ヶ原って開始早々小早川が裏切って一刻(2時間)でケリがついたというのが最近の主流な。
またID変えた?。聴かれた事にも答えずに?

865 ::2024/05/09(木) 19:22:30.05 ID:kb9rr+fk.net
>>863>>862をまるで読解出来てないのな。

866 :人間七七四年:2024/05/09(木) 22:54:36.34 ID:NQdNqBx6.net
そもそも小早川は別に石田や宇喜多の味方じゃない
勝手に行動していて指揮下には入っていない
というか身分的に石田が命令できる訳もないし
石田、宇喜多と大谷らの小部隊だけがいわゆる西軍の戦力なんだよ
それを徳川らが大軍でリンチしたという形
それでも数時間戦いが続いた

867 : 警備員[Lv.15][苗]:2024/05/09(木) 23:23:51.33 ID:kb9rr+fk.net
そうだね。伏見城の戦いの事もあるから西軍の監視の目が強い時期には動くに動けなかった。
伊勢に流れて自由が効く様になってから好きに動き出したとみるべきか。
参謀本部編の関ヶ原布陣図も否定される見方が強い。

868 :人間七七四年:2024/05/10(金) 13:42:27.24 ID:d6rh+9oE.net
大坂の陣の殆どは後世の創作で豊臣方は大して対抗出来ず負けたって話だし

869 :人間七七四年:2024/05/10(金) 23:44:44.35 ID:RSg8Ty+U.net
平山先生の説だと
家康が苦戦した理由て
合戦初期に敗退した本多・小笠原勢の一部が
後陣まで入ってきて陣形が乱れたんじゃなかったけ?(それを見て味方崩も連鎖でおこって)

立て直し後は押しつぶされて
豊臣方が壊滅したのは上で指摘されてる通り

870 :人間七七四年:2024/05/11(土) 15:11:39.94 ID:jY/W4dqB.net
大坂でも苦戦しまくり活躍したのは外様大名ばかりというね
伊達、藤堂、上杉いなかったら徳川本陣まで勢いづいた敵が乱入してひっくり返ってたかもしれん

871 :人間七七四年:2024/05/11(土) 17:16:10.61 ID:jY/W4dqB.net
>>868
出たー後世の創作とか言っていっさいソース出さないやつ
お前そればっかだなw馬鹿だろ
お前それしか言えないの?

872 :人間七七四年:2024/05/11(土) 17:58:49.49 ID:jY/W4dqB.net
>>868
お前のソース

ユーチューブ

正解だろ
お前簡単にコロっとなんでもホイホイ信じるもんなアホだから

873 :人間七七四年:2024/05/11(土) 19:34:20.32 ID:jY/W4dqB.net
>>868
お前の好きそうなネタ

関ヶ原は短時間で終った

!New 大坂の陣は短時間で終った

次は何だい?
本能寺の黒幕?w
家康、秀吉、毛利、朝廷とか信じてそうこの馬鹿w

874 ::2024/05/11(土) 22:19:01.87 ID:6HujP1R5.net
>>873
「関ヶ原は短時間で終った」は単発IDとは違う俺が>>864で書いたんだけどね。
書状等を加味するとそうとしか解釈できない。英雄達の選択でも紹介されていたと思う。

>>868の「!New 大坂の陣は短時間で終った」
こっちは人生今まで生きてて初めて目にした。

875 :人間七七四年:2024/05/13(月) 11:34:21.93 ID:l2YDp1TQ.net
大坂の陣で徳川が苦戦した、なんてのは後世の創作では出てくるけど一次史料には少ないし
関ヶ原で島津が家康本陣に突っ込んだ、みたいな逸話で面白いけど信じるかと言われたら眉唾みたいなね

876 ::2024/05/13(月) 16:53:41.58 ID:5B3n9fFS.net
浅井一政という近江浅井氏に連なるものが大坂方にいて『浅井一政自記』という戦功覚書を遺している。
この内容を現都立大の史学博士の堀智博先生が解析しているんだけどなかなかに興味深い。
・(恐らく毛利側ではなく真田側で)戦端を開いたのは浅井一政である(戦功誇張で持っている可能性有りかと)。
・戦端を開いた後も味方諸将と書簡のやり取りをしている(戦術的に味方の位置を把握する為と戦功申告の為の両面か)
・真田や毛利の突撃に触れている訳でもなく「(書簡の取り交わしの話の後に)その後豊臣方の軍勢が崩れ始め」とかなりあっさりしている。

877 :人間七七四年:2024/05/14(火) 08:17:07.38 ID:ndEmxN3t.net
家康信者ってほんと家康の分身みたいで気持ち悪いな
特に>>858とかのどうでもいいことに難癖つけるところは広寺鐘銘を連想させるし
>>860の一字一句に粘着的に反応するところが城内の餅の値段を小僧に直に聞いたり
せこせこと頻繁に味方を陣代えする神経質の家康そっくり
まあ家康そっくりってのは信者にとってはかえって褒め言葉かもしれんが

両軍の戦力比はWikipediaで充分だろ
Wikipedia(笑)というならお得意の同時代史料とやらで信()者の意に添う根拠や出典を添えてくれ
Wikipediaの参考資料となった「大日本史料」や「日本戦史 大坂の役」以上のな
そもそもこの戦いは一方が恥を晒して、一方がほとんど壊滅した混乱した戦場だったので客観的な史料なんてないだろうし徳川としてはひた隠しに葬りたい戦い
ただし戦力比に大きな矛盾はないはず
大野治長の本隊と明石全登隊は秀頼の出陣待ちと作戦ミスにより本戦には参加していないし幕府軍が圧倒的多数だったのは家康信者がいかに詭弁を弄しようとも変わらんよ
天王寺・岡山の本戦で戦ったの大坂方は天王寺口の真田信繁、毛利勝永ら14,500
岡山口の大野治房ら4,600のせいぜい2万弱だろう
対する幕府軍はどう少なめに見ても10万は遥かに越えてる
家康危うしなんて全て後世の創作だと信者は言いたいだろうが
勝ち戦にもかかわらず徳川家中の処分が大量に出てる時点で醜態は明らか

878 ::2024/05/14(火) 08:39:58.42 ID:ksm95maZ.net
>>877
あのさ、答えもしないで他人を貶める事に全力を出してないで真面目に答えろよ。それこそ周囲に呆れられるぞ。
自らが書いた>>877を他人の目線のつもりで読み直してみろ。

>Wikipediaで充分だろ
通常Wikipediaからのコピペは猛烈に馬鹿にされる。但し注釈で出典を添えているケースもあり、
その出典に辿り着いて資料名や史料名、著者名を書けっつってるの。手間を惜しむか惜しまないかだけの話だ。
少なくとも
・両軍兵力
・「それがあの有様」
・「どこが精鋭だ?」
この3点についての出典(Wikipediaが出典とした処でいいから)を出して。誰々の研究論文のPDFとかに辿り着いたりするから。
お前と俺らの複数の目でダブルチェック(社会では重要)を行いたいだけなんで。
それをやらないと「それってあなたの感想ですよね」案件にしかならないっつーの。

重要な事だが 俺 は 家 康 信 者 じ ゃ ね え
夢みたいな事を書いてもいいけど(江戸期編纂の軍記物とかだろうが)出典は添えろって話だ。

879 ::2024/05/14(火) 09:07:46.73 ID:ksm95maZ.net
>>877
>一字一句に粘着的に反応するところ
アホか?書かれた事を一つ一つ検証するのは 当 た り 前 だ。
「城内の餅の値段を小僧に直に聞いたり」←出典を出せ(知ってるけど皆に周知させたい)
「せこせこと頻繁に味方を陣代え」←出典を出せ
「大日本史料」や「日本戦史 大坂の役」←関ヶ原布陣図も同じだが明治期のものは論外なんだよ
「そもそもこの戦いは一方が恥を晒して、一方がほとんど壊滅した混乱した戦場だった」←そこまで断言・名言する根拠は何?
以降は割愛するが別の機会に尋ねるかもしれん。

いいか?否定したくて神経質にあげつらってるんじゃねーぞ?
書いてる事を一つ一つ皆で検証する事が大事だから一つ一つについて出典を出せっつってるの。何で最初から添えない?
出典も添えずに何だかんだ書かれてもお前の感想でしかねーんだよ。
それは家康ageでも豊臣ageでも同じ話だ。それを判れ。

880 :人間七七四年:2024/05/14(火) 20:37:47.39 ID:we7UQPXz.net
>>875
うろ覚えだけど
「日本一の兵で」有名な
島津家臣が国元にあてた手紙には
大御所様半分負けみたいなニュアンスのこと書いてなかったけ?

881 : 警備員[Lv.20][苗]:2024/05/14(火) 23:07:00.50 ID:ksm95maZ.net
>>880
→「真田日本一の兵」の手紙の主は島津忠恒『薩藩旧記雑録』(手紙は慶長二十年(1615年)六月十一日付け)。
 島津は冬の陣も夏の陣も参陣していなくて忠恒は又聞きで真田信繁の評価を書いた。

→「大御所様半分負けみたいなニュアンスのこと」を書いたのは細川忠興のはず。
 「はず」と書いたのは手持ちの書籍でもググってもなかなか該当する情報に到れなかったから。
 豊臣方に細川興秋と毛利勝永が居て武勲を挙げているので盛っている処はあるかもしれん。
 尚、忠興はかなりの手紙魔で関ヶ原の戦いより後だけでも2,000通の書状を出している。

俺は別に毛利と真田の大御所本陣への突撃を否定している訳じゃねーぞ。
「いつ」「誰が遺した」「何」をベースに歴史上の事象と向き合いながら語るべきだと主張してる。
ゲーム・アニメ・小説・偏って取材不足でステレオタイプな民法の歴史特番・結論有りきのYouTuberの動画、そしてコンビニに置いてある様な歴史カテゴリのムック本。
こういうのを論拠としても別にいいし責めもしないけどその見解なりの出典にしっかり辿り着いてから自分の意見を披露して欲しい。

あとな、歴史に絶対の正解とか無いんで少しでも不明瞭な点があればそれは「判らないままでいい」んですよ。
歴史研究家達は皆断言・明言を極端に避けてるぞ。

882 :人間七七四年:2024/05/14(火) 23:20:44.40 ID:IwUNPDHD.net
>>880
その書状にはないけど似たような記述なら細川忠興の書状にあるな

(慶長20年)5月7日付細川忠利宛細川忠興書状
今日七日午ノ刻ニ、大坂江少シ御寄被成候處ニ、茶磨山ゟ岡山迄取續六七萬も可在之候、「此方之人数を立、
自是ひた物無理ニ合戦を懸候處ニ及一戦候、数刻相支申候、半分ハ此方へ、半分ハ大坂江勝申候へ共、
此方之御人数之段数多ニ付御勝被成、不残相果候、」度々之せり合中々推量之外ニ候、本田雲州も討死、
小笠原兵部殿も手を負候、是ニ而推量可在之候、我等事先書ニ申入候様ニ、鉄炮頭三人其外小性計にて大坂へ参、相合戦候事、

「」の部分だけど大意は、こちらより人数を立て無理に敵へ攻めかかり、数刻の間攻撃を防ぎ戦った
半分はこちらが、半分は大坂方(豊臣方)が勝ったが、お味方多勢により勝利し敵を残らず討ち果たした

要するに局地戦で互角の勝負をしたってことだろうね
結局お味方多勢により勝利したと言ってるし
ただ後段では本多忠朝の討死や小笠原秀政の負傷を報じていて、敵の強さが想定外だったとも忠興は言ってるな

883 :人間七七四年:2024/05/14(火) 23:26:48.21 ID:we7UQPXz.net
細川書状とごっちゃになってたスマン
失礼した

884 ::2024/05/14(火) 23:32:13.79 ID:ksm95maZ.net
>>882-883 貴重な書き込みを有り難う。助かります。

885 :人間七七四年:2024/05/19(日) 16:25:22.43 ID:R9MgfZ0Z.net
明石掃部、関ヶ原の戦いで敗れた西軍武将の一人として知られていますね。しかし、その最期は謎に包まれており、仙台藩に匿われたという説、彦根藩兵に討ち取られたという説など、諸説ある状況です。

近年、明石掃部に関する史料の調査が進み、その最期をめぐる研究も活発化しています。最新の研究成果によると、以下のような説が有力視されています。

1. 仙台藩に匿された説

従来から有力視されてきた説です。明石掃部は、旧主である宇喜多秀家と共に仙台藩に逃亡し、そこで匿われたというものです。この説を裏付ける史料として、仙台藩の記録に「明石掃部」という人物の名が記されていることが挙げられます。

しかし、この説には疑問も残されています。例えば、明石掃部が仙台藩に匿されたという明確な記述はなく、また、仙台藩がなぜ明石掃部を匿ったのかという理由も十分に説明されていません。

2. 彦根藩兵に討ち取られた説

近年有力視されている説です。明石掃部は、関ヶ原の戦いの後、各地を逃亡していましたが、最終的に彦根藩兵に追いつかれ、討ち取られたというものです。この説を裏付ける史料として、彦根藩の記録に「明石掃部」を討ち取ったという記述があることが挙げられます。

しかし、この説にも疑問点があります。例えば、明石掃部がいつ、どこで討ち取られたのかという具体的な記述はなく、また、討ち取られたという確証となる遺物なども発見されていません。

3. その他の説

上記以外にも、明石掃部は海を渡って海外に逃亡したという説や、農民に扮して身を潜めたという説など、様々な説があります。しかし、いずれの説も確たる証拠に基づいているわけではなく、真偽は不明のままです。

886 :人間七七四年:2024/05/20(月) 00:31:43.44 ID:DoXxH9Va.net
>>885はあちこちでテキトウなことをほざき散らかしている荒らし。
コピペの疑いもあり。

887 ::2024/05/20(月) 04:40:53.28 ID:cIDEcRoc.net
出典を書いてないからね、論外

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