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長篠・設楽原決戦の真実その2
- 107 :人間七七四年:2022/05/16(月) 14:17:35 ID:a6ZqBsDc.net
- そして追撃戦については信長は熱心では無かったと史料から窺える。それは二十六日黒印状にて「勝頼も川に浮かんでいるのかも」程度に書いてるからね。
実際問題、武田軍が通れない道は織田徳川軍にも通れない。
織田軍が追撃する為にはまず鉄砲隊に射撃中止の令を出して後に工兵隊が空堀の上に渡し板を設置、そこを通って攻撃隊がこれまた泥濘の上を川越えして行った。大人数が動ける状況じゃない。
では「山に逃げ」云々は何か?これは非常に簡単。武田兵は「織田徳川軍が追ってこない」とは思わない。恐怖に駆られ逃走した挙句山に迷いまた川に溺れた。これらは追撃戦が無くても発生するのである。
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