2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

長篠・設楽原決戦の真実その2

111 :人間七七四年:2022/05/16(月) 16:20:19 ID:a6ZqBsDc.net
実は信長公記には信長が追撃を熱心にしなかった事が記されている。そしてそれは武田勝頼が逃げ果せたことからもわかる。一度設楽原と長篠城までの地図を見て欲しい。勝頼含めた武田軍は長篠橋近くから北上する鳳来寺街道を通って逃げた。何故逃げられたのだろうか?長篠城には徳川・織田軍4500人が居たのに?信長が本気で追撃戦を考えていてそれが実行可能だったとしよう。すると信長は即座に長篠城に命令を出す。伝令は間に合わないが狼煙がある。事前に伝えた内容しか送れないがこの場合
「敵逃走中有海原にて迎撃せよ」
「我苦戦中ただちに設楽原へ向かえ」
等五指で間に合うだろう。それを見たら(当日は晴れていた)長篠城兵はただちに逃げてくる武田軍を攻撃してそこで武田は詰んでいただろう。ここら辺は一騎討ちの場所で迎撃に向かない、という反論はある。だから武田は前進したのだ、長篠城兵だってというかもしれないがこの時設楽原の織田徳川本隊もやってくる。絶対に逃げられなかったはずだ。

総レス数 1001
320 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★