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石田三成の挙兵 ★6

1 :人間七七四年:2023/07/01(土) 17:55:14.09 ID:pp0jbPin.net
石田三成が上杉討伐で挙兵をしない、もしくは合戦
勃発後に挙兵していたらどうなっていたか。
※前スレ
石田三成の挙兵
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1646589302/
石田三成の挙兵 ★2
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1659567400/

石田三成の挙兵 ★3
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1667713567/

石田三成の挙兵 ★4
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1675638266/

石田三成の挙兵 ★5
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1681718599/l50

130 :人間七七四年:2023/07/14(金) 07:55:09.89 ID:hhGsmnd0.net
>>129
まず伏見を抑えない選択肢はさすがにないだろ、京における豊臣の象徴的拠点だし
後、北陸の前田に対する備えを考えると田辺は外せん、前田の足止め成功は結果論だし
大津はあの時点で放棄すると美濃方面が孤立するから士気低下を防ぐためにも攻めざるを得ない
四国は瀬戸内の安全確保を考えると毛利視点抑えない選択肢はない
その中で扱いが軽くてもいいのは伊賀上野位だろう

131 :人間七七四年:2023/07/14(金) 10:19:24.72 ID:eaOKBGN8.net
兵力もそうだけど人事にも問題ある気がする
例えば前田攻めには前田家と親しかった宇喜多を当てた方が調略面も期待できたんじゃないか?
大垣に縁も所縁もない石田三成入れて仇敵の福島正則のカチあわせるよりも大谷吉継あたりを入れて三成は佐和山から兵站維持させた方が良かったのでは?
三成の能力を疑う訳じゃ無いけど政敵相手に調略とか難易度が高過ぎる

132 :人間七七四年:2023/07/14(金) 20:46:34.17 ID:Stte2pgd.net
>>129
それは認識甘いよ
畿内やその隣国にまとまった抵抗勢力残すのはあり得ない
それらに対して押さえの兵力が必要になり別への戦力集中は結局叶わなくなる

四国については毛利が上方に戦力集中させるには瀬戸内の制海権が必要なので
それを脅かし得る四国を放置してたら毛利は参戦できなくなる

結局史実で負けた戦場に全軍集中したらという馬鹿げたことを言ってる

133 :人間七七四年:2023/07/14(金) 21:16:23.04 ID:h8WbqGf5.net
とはいえ戦力の集中を失敗したら負けるのは世の常で西軍も典型例
四国や九州なんて攻撃した結果その為に東軍の攻撃拠点を軽視する事に繋がり、しかも岐阜失落後のリカバリも効かないという

134 :人間七七四年:2023/07/15(土) 09:24:41.51 ID:5mzDNiBj.net
>>132
加藤嘉明も藤堂高虎も生駒一正も主力を率いて会津陣にいて、小川祐忠は西軍、来島長親は毛利に協力しているのに、
誰が瀬戸内の制海権を脅かすんだ? それだけの戦力や水軍持つ奴がどこにいんの?

単に領土欲むき出しにして加藤に攻め込んで、わずかな留守の兵士に三津浜でぼろぼろにされたのが毛利とかいう大馬鹿だろ
それすら油断しまくって留守の部隊にぼろぼろにされたんだけど

135 :人間七七四年:2023/07/15(土) 09:44:41.22 ID:vrRJCsSD.net
輝元からすれば秀吉に奪われた本来毛利の物だった瀬戸内海交易権を取り戻したい一念だったんだろう
豊臣家まで巻き込んだ大乱なら「瀬戸内海はあげるから」って条件で和睦になってもおかしくないと読んでの挙兵
だが徳川家康を甘く見過ぎてたな

136 :人間七七四年:2023/07/17(月) 08:00:38.12 ID:vyknxMJ5.net
というか輝元ってアホでしょ
9月15日の関ヶ原当日に家臣に手紙で「領国よろしく。こちらは大丈夫だよ」とか言ってる呑気な書状出してるし
輝元は危機感とか緊張感とかないの?

137 :人間七七四年:2023/07/17(月) 08:09:02.84 ID:mS6RnJKz.net
輝元はあくまで大坂に陣取って日和見していただけだから
本人はどちらに付いている気もなかったので気楽なものだったでしょ
徳川と石田で潰し合いして疲弊するのをのんびり高みの見物していた訳だし

138 :人間七七四年:2023/07/17(月) 11:15:58.38 ID:tPXAp3fl.net
関ヶ原で趨勢が決まるとは家康以外誰も思ってなかったから

139 :人間七七四年:2023/07/17(月) 11:39:19.67 ID:qIMwU1S8.net
家康だって思ってないよ
毛利が脱落しても三成たち奉行衆が大阪城に立てこもられたらどうなるかはわからないんだし

唐入りの幕引きや小牧長久手からの秀吉への臣従など家康は終わらせ方を知ってるけど輝元は知らないと思うわ
始めるのは難しいが終わらせるのも同等以上に難しい

140 :人間七七四年:2023/07/17(月) 12:13:47.61 ID:6X/+fB+n.net
秀吉が妹と母親を人質に出すまでしたから家康は家臣を説得することが出来
秀吉に降伏することが出来たんやろ

141 :人間七七四年:2023/07/17(月) 12:29:25.16 ID:FT8l7wMU.net
>>136
こちらと言っても輝元が居た大坂のことじゃなく美濃口のことだけどね
美濃口は丈夫に申し付けているのでこちらの思い通りになっていると伝えてる
まあ楽観的なのはその通りで当該書状から焦りは全く伝わってこない

逆に広家は現場に居ただけあって9月12日付の国元の家臣宛書状では
「味方人数ハはるはる多候、乍去いかニもかたまり不申候」と現状を伝えている

142 :人間七七四年:2023/07/17(月) 13:33:20.18 ID:tPXAp3fl.net
大坂城に篭ったら家康の思う壺
秀頼さまを助けるって名目で大坂城を総攻撃するだけ
仮に秀頼が家康討伐の改めて出してももう豊臣にはマトモな軍隊は居ないんだから詰み
輝元にしても本国と連絡補給を断たれて死地に押し込まれるからそんなことに巻き込まれたく無いので豊臣を見捨てて逃げの一手しかとれない
そもそも西軍の主力は関ヶ原で散ってて後はカスしか残ってないし

143 :人間七七四年:2023/07/17(月) 13:59:48.82 ID:IvYYgijY.net
ロリなのにババー嫁にさせられた家康の気持ちも考えてやれと

144 :人間七七四年:2023/07/17(月) 14:14:29.70 ID:vyknxMJ5.net
岐阜城落とされて、大垣城も危機的状況でよくあんな呑気な書状を出せるよな
輝元は頭おかしい

145 :人間七七四年:2023/07/17(月) 14:15:40.03 ID:vyknxMJ5.net
まあだから8月29日の保科の書状で「輝元が来ても撃退できるでしょう」なんて言われてるんだと思うが
リアルタイムで馬鹿にされてる輝元

146 :人間七七四年:2023/07/17(月) 14:21:53.88 ID:tPXAp3fl.net
西軍は家康の上洛を掴めてない、というか家康はバレないように行軍してるから西軍には青天の霹靂だったはず
輝元からすればいざとなれば豊臣を売って瀬戸内海利権を貰うつもりだったはずで楽観的でも仕方ない
それが関ヶ原で急転した

147 :人間七七四年:2023/07/17(月) 14:35:49.28 ID:6X/+fB+n.net
>>143
寝なきゃいけないと思ってないか

148 :人間七七四年:2023/07/17(月) 15:03:55.60 ID:FT8l7wMU.net
>>145
正確には撃退できるじゃなく後詰すること自体が難しいのではと保科は言ってるけどね

149 :人間七七四年:2023/07/17(月) 17:09:36.47 ID:QSe2Pgqo.net
家康の出陣掴めてないって本当かよって史料みたら
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-3/37/0008?m=all&s=0004&n=20
例の有名な三成の愚痴書状
たしかに9月12日時点では三成は知らなかったんだな

「輝元御出馬無之事拙氏体は尤と存候、家康不被上には不入かと存候へ共、下々は此儀も不審たて申事に候事」

11日に清須に家康は入ってる

150 :人間七七四年:2023/07/17(月) 17:20:40.03 ID:tPXAp3fl.net
家康はまず秀忠に徳川本隊を預けて真田攻めをさせてその裏で兵を分けて上洛した
だから上杉も佐竹も石田も毛利も家康が赤坂に向かってる事に気が付かなかった
気付いた時にはパニックだったろうさ

151 :人間七七四年:2023/07/17(月) 18:37:31.40 ID:FT8l7wMU.net
南宮山の吉川や益田は9月12日に知ったみたいだな

(慶長5年)9月12日付祖式長好・佐々木長綱宛吉川広家書状
「内府も被出候よし申候、ぎふ・いぬ山被越候間、被出候事ハ此節にて候此節にて候、菟角大事まて候大事まて候」

(慶長5年)9月12日付榎本元吉宛益田元祥書状
「今朝内府御人数着迄者、何たる沙汰も此方ニハ無御座候つる故、不遂注進候」
また後段では
「私事茂今日参上之覚悟之處、爰元右之仕合候条、承届候者と存不罷上候、此等之趣宜預御披露候」

と、益田は大坂まで参上しようとしたがこのような状況(家康到着)なので、それ
に対する指示を受けるまではと思い動かなかった。この件はよろしく輝元へ披露頼む
とあるので、輝元もこの時点では家康の動向は知らなかったことになるな

152 :人間七七四年:2023/07/17(月) 18:49:46.66 ID:QSe2Pgqo.net
>>151
へーおもしろい
どっちも焦りがすごいw

153 :人間七七四年:2023/07/17(月) 19:16:55.15 ID:CXybNwcG.net
それで輝元に伝えるかどうするのか考えてる内に制限時間来ましたよと

154 :人間七七四年:2023/07/17(月) 20:24:32.22 ID:44WggbIe.net
石田らにしてみれば遭遇戦だったんだよな
まさか家康本隊が近くまで来ているとは思わなかったからろくな準備も出来なかった
おまけに小早川や毛利は勝手な動きをするし追い詰められて已む無く山に登って迎え撃つしかなかった

155 :人間七七四年:2023/07/17(月) 21:00:51.34 ID:CXybNwcG.net
家康、十四日朝に赤坂布陣
大垣城軍議、東軍と決戦を決定
その後、夜までの間に小早川秀秋松尾山占拠
松尾山は大垣の補給路を前にする重要拠点なので家康に詰まされてる

156 :人間七七四年:2023/07/17(月) 23:12:35.81 ID:+09QIa+V.net
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-3/40/0022?m=all&s=0022
一次史料ではないが卜斎覚書

「九月二日小田原、筑前中納言殿(小早川秀秋)より使者永井右近所へ来候、(家康は)せかれ(未熟者)の申事実儀にてはなく候とりあい候事無用と御定」
「八日、白須賀、筑前中納言殿使者来、御前には不出、よき御あいさつと申候」(家康に取り計らってくれってことかな)

こういうの見ると一日に重い腰を上げて江戸を発った家康に勝利の確信はなかったように思えるんだよね
吉川の最終的な裏切りも決戦前日
ついでに秀忠はこねえでイライラマックスってのは理解できる
後世の人間は家康が勝ったことを知っているからなんでも深謀遠慮だーみたいに結びづけがちだけど

157 :人間七七四年:2023/07/18(火) 05:37:14.59 ID:hGpzj8Ob.net
西軍挙兵で力関係が大きく変化してるはずなんだけど距離が遠く日が浅く情報が少なすぎるからな
東軍も会津征伐の流れと利害関係でくっついてるだけとも言えるし畿内にいる小早川は使者と書状だけで信用できるかどうか
家康から見れば実質五里霧中の大博打
関東大返しとも言える西上戦

158 :人間七七四年:2023/07/18(火) 06:57:53.27 ID:F9LItAof.net
家康が小早川秀秋を落とせると踏んで上洛した可能性はかなり高い
まず秀秋は西軍の指示に従って無い。東軍は西軍の配置情報をかなり正確に把握してるけど小早川秀秋が大垣城に入ってると書いてる。これは事実と異なる。情報源は西軍だろうしこれは秀秋が西軍の指示を無視してる事を意味してる
次に北政所で、北政所は西軍の中心人物と繋がりがあり西軍の為に行動してた。北政所の助命と引き換えに東軍に参加せよって言えば味方になるだろう
そして秀秋は朝鮮出兵で秀吉に領土を奪われて家康に復して貰った。恩を感じていたかもしれない
西軍がこんな危険な立場の存在を無視していた理由が分からないけど止めようが無かったのかもしれない

159 :人間七七四年:2023/07/18(火) 07:30:51.43 ID:2D39tHW8.net
>>158
愛妾くんだから「上洛」の意味も知らないんだね
妄想を書くのはいいんだが、きちんとした用語と史料的な根拠も示してもらわんと
「可能性は高い」というパワーワードで済ましちゃダメ絶体

160 :人間七七四年:2023/07/18(火) 07:35:24.54 ID:1RmD2+Ga.net
家康も味方の動きを制御するのも苦心しているからな
誰がどう動くかなんて分からなかったので家康もなかなか動けずにいた
人質を集めたりして地盤を固めていたのもあるけど
勝負は時の運というけど関ヶ原の戦いは正にそれを感じるわ
ただ、情報戦で家康の方が勝っていたとは思う
石田らが家康本隊を迎え撃つ準備をする前に決戦に持ち込めた事が一番の勝因だし

161 :人間七七四年:2023/07/18(火) 08:27:49.64 ID:Y2cQsjbZ.net
>>158
実際吉川家文書だと松尾山を奪還するべく出撃した石田三成らを見て「大垣が逃げた」と西軍は恐慌、投降者が相次いでどうしようもなくなったとあるし
家康からしたら小早川秀秋が十四日に松尾山を取れば城攻めをするまでもなく勝てると読んでたんだろうね

162 :人間七七四年:2023/07/18(火) 10:02:24.52 ID:s+5SUZwb.net
>>159
関ヶ原の後家康は江戸に戻ったとか思ってない?
司馬遼太郎だとそうなってるのかな?

163 :人間七七四年:2023/07/18(火) 20:28:26.73 ID:4ETTg/w+.net
秀秋が内通決めたのは家康が動いた後じゃない?

164 :人間七七四年:2023/07/18(火) 20:52:03.44 ID:9kubTeFx.net
内通するつもりがないのに西軍の統制を外れる行動をしてるのは不自然過ぎない?

165 :人間七七四年:2023/07/18(火) 21:21:04.70 ID:02QW1Yw1.net
西軍首脳部の陣立を無視してるからどう考えても落とせる
これが西軍の罠だったらビックリ

166 :人間七七四年:2023/07/18(火) 21:39:36.20 ID:y4q9LbgO.net
小早川秀秋の動きは、まず伏見城攻めに参加すると途中で毛利軍と共に伊勢に進軍、かと思ったら引き返し近江国に滞在
そして松尾山に向かうと城主を追い出して占拠、関ヶ原となる
東軍の掴んでいた情報だと秀秋は大垣城にいる筈でそれに従ってない秀秋は俺は徳川に就きたいと言ってるようなもの
もし徳川との交渉が失敗、もしくは露見したら西軍主力に撃たれたかもしれない局面で松尾山占拠まで持っていった秀秋の肝は中々太いんじゃないか

167 :人間七七四年:2023/07/18(火) 21:48:46.26 ID:pRkKty3A.net
>>158
>東軍は小早川秀秋が大垣城に入ってると書いてる

その根拠は8月29日付保科正光書状だけど、これは保科の聞き違いなどの
誤りによるもので東軍全体が共有していた認識ではないと思うけどね
保科はこの時浜松城に在番していて大垣の情報も伝聞によるものだからそういうことも起こり得るだろう
「大柿ニ篭候之衆ハ石田治部少輔・筑前中納言殿・備前中納言殿・小西摂津守・嶋津兵庫助、右之衆ニ而候」

現に9月1日付真田信幸宛、堀直寄宛家康書状には小早川は含まれてない
「仍大柿治部少輔・嶋津・備前中納言・小西摂津守籠居候」

10月8日付秋田実季宛最上義光書状では大谷が大垣に籠城していたとある
「大柿ニ籠居候治部・刑部・備前中納言・嶋津なと、あをのゝ原へ罷出」
情報も錯綜していただろうからこういうことは当然起こり得る

168 :人間七七四年:2023/07/18(火) 22:01:35.84 ID:y4q9LbgO.net
>>167
錯綜というには東軍の掌握してる情報に間違いが無いからなぁ。これは西軍には無い
家康は真田昌幸のお陰で西軍の重要機密を手にする事が出来たのでこの格差に繋がったんだろうけど
つまるところ家康からすれば秀秋が西軍を見限ってる事を表す証拠が複数あって、それ故に秀秋を一本釣り出来たんだろう

169 :人間七七四年:2023/07/18(火) 22:31:31.24 ID:zUL3WLzu.net
>>168
小早川が大垣にいたはずというのは東軍全体として掴んでた情報なんでしょ?
それは9月1日付家康書状を根拠に違うのではと言ってるんだけど

保科書状では小早川は大垣に籠城してる、家康書状では籠城メンバーに小早川はいない
徳川家中でも食い違ってるしどう見ても情報が錯綜してると思うけどね

170 :人間七七四年:2023/07/18(火) 22:32:30.43 ID:zUL3WLzu.net
あれ、ID変わってるけど167ね

171 :人間七七四年:2023/07/18(火) 22:34:32.89 ID:kF6GEi9P.net
小早川が伏見攻めの後にウロウロしていたのは徳川と連絡を取っていたとしか思えないな
そして家康出陣の確報を得て松尾山を占拠したと考えないと行動の辻褄が合わない

172 :人間七七四年:2023/07/18(火) 23:10:37.89 ID:9kubTeFx.net
>>169
東軍は家康がワントップなので家康の掴んでる情報が正しければそれでいい

173 :人間七七四年:2023/07/19(水) 05:25:24.70 ID:0J0JSZJL.net
家康は正確な情報掴んで全て見通して動いてるからな

ってのも司馬史観の悪影響と思うっすよね
実際は集まる情報なんて玉石混交だし精査したところでその結果が合ってるかはわからない
それは家康や三成の個人的資質とか関係なく「そういうもの」
情報技術が発達した現代でも本質的にはそうだしいわんや手紙と口コミの当時をや

174 :人間七七四年:2023/07/19(水) 08:09:00.39 ID:zN+90+97.net
西軍の指揮を離れて近江で遊んでる秀秋が西軍派と思う奴は誰も居ない
家康は岐阜城攻めと前後して秀秋と接触してるから完全に秀秋を抱え込むつもりでいたんだろ
九月十二日の三成書状にも東軍が「近江から来る大軍団の主人が徳川に内通してる」と噂して一喜一憂してるとあるから十二日時点で東軍の足軽連中すら知ってた

175 :人間七七四年:2023/07/19(水) 10:05:58.58 ID:cJpo3c0W.net
秀秋としてはこれ以上は石田方に加担したくなかったから離れた所にいたと見るのが自然ではあるな
勝手に松尾山に布陣した時点で石田方も秀秋が寝返ったという疑いを強く持っただろうけど
もう家康と対峙してしまって動くに動けないからどうにもならなかったというのが事の顛末なのだろう

176 :人間七七四年:2023/07/19(水) 11:11:09.65 ID:zN+90+97.net
吉川家文書だと秀秋が松尾山占拠したから三成達は出撃したとあるから実は因果が逆
三成達の行動は大垣城を見捨てたに等しいけど東軍が垂井まで進出してるので佐和山への道がほぼ唯一の補給線
松尾山はそこを押さえる要所、ここが東軍に取られたら大垣に未来はない

177 :人間七七四年:2023/07/19(水) 12:52:09.10 ID:7jYOLWtk.net
>>176
違うよ
吉川書状だと東軍の先手が動き家康も前線に陣を移した、すると小早川が早くも
叛意を示したので三成らは大谷陣が心許ないということで出撃したとある

吉川書状からは小早川が松尾山に布陣したから三成らが出撃したとは読めない
東軍が動いたことにより小早川が裏切ったから出撃したとしか書いてない

178 :人間七七四年:2023/07/19(水) 15:35:44.84 ID:bvvRU6Fm.net
それは時系列がおかしい
家康が赤坂に着陣したのは十四日、それを受けて大垣では軍議が行われる
その後小早川秀秋が松尾山を占拠、これは西軍の陣立を無視してるので所謂「手切れの手立て」で東軍に属すると表明したに等しい
それを受けて大垣衆は十四日夕から夜に関ヶ原に出撃、これを見て西軍特に南宮山毛利軍は大垣衆敵前逃亡を疑い動揺する、戦闘不能を悟った吉川広家は徳川に降伏する

179 :人間七七四年:2023/07/19(水) 15:38:33.04 ID:bvvRU6Fm.net
つまり広家が石田三成ら大垣衆の西進を「逃亡」と疑った事から関ヶ原布陣は予想外だった事になり、そして秀秋の裏切りは関ヶ原合戦より前だったことになる
実際西軍の置いた城主を追い出してるので秀秋の叛意は明らかだろう
もっと言えば西軍の戦略は大垣城を南宮山で支えるものだったはずで大垣を捨てて関ヶ原に逃げ込むのは論理的におかしい。徳川が突っ込んでくるのもおかしいのだが

180 :人間七七四年:2023/07/19(水) 16:34:41.93 ID:aXsYVRUF.net
小早川秀秋を暗愚とか馬鹿とか言い出したのって司馬?
自分は影武者徳川家康の漫画で見たのが初めてだが、誰が秀秋は暗愚とか言い出したのかな?

関ヶ原の対応と朝鮮出兵での指揮を見る限りは、若いながらなかなかの人物だと思う
関ヶ原は家康と通じ合って、最高のタイミングで裏切ってるし
それとも家臣の平岡と稲葉のおかげなのか?

181 :人間七七四年:2023/07/19(水) 16:46:57.28 ID:nD50lEgA.net
秀秋の悪評は当時からある
それに加えて家が取り潰された事もあって関ヶ原での寝返りも色々と尾鰭が付いて全ての責任を擦り付けられたのだろう
少なくとも通説となっている土壇場の裏切りはしていないと見るべき
どちらかと言うと毛利吉川の裏切りの方が決定打になっている

182 :人間七七四年:2023/07/19(水) 16:56:57.78 ID:qXHPLz9D.net
まあアル中にまともは判断は出来んわな

183 :人間七七四年:2023/07/19(水) 17:01:10.86 ID:OvXwyVGv.net
普通に見れば家康と秀秋が事前に示し合せていたと考えるのが自然だろ
というか前線から遠く浜松城の留守番をしていて
>>173
およそ徳川の枢密に関与してないだろう保科の誤情報をもって
家康が秀秋の事を把握してないとするのがおかしくないか
さすがに三成と一緒にするのはどうかな

184 :人間七七四年:2023/07/19(水) 17:04:57.93 ID:7jYOLWtk.net
>>178
知らんがな
お前が吉川書状を根拠に秀秋が松尾山占拠したから三成達は出撃したと言ってんだろ?
吉川書状を正しく読むとそうは読めないと言ってるんだけど
吉川広家自筆書状(吉川家文書913号)
「内府着ニ付而、至青野か原、悉先陣衆ハ打出、㝡前陣所へ者内府被入移候、然處筑中御逆意はや色立仕合候、
就其大柿衆も如山中、大刑少陣無心元之由候て被引取候、是ハ佐和山へ二重引可仕覚悟と相見え候」
正確に言うと三成らは出撃したではなく引取(退却)したと吉川は言ってるけどね

俺じゃなく吉川広家にそれ間違ってますよ、時系列おかしいですよと言えよw

185 :人間七七四年:2023/07/19(水) 18:09:29.84 ID:aXsYVRUF.net
そもそも岐阜城を落とされた時点で半ば詰んでいる
あそこから何とかするならもう残りの西軍を大垣に呼び寄せて後詰決戦をやるしかない
まあ家康はそれを読んでいたのか、松尾山を小早川に取られてそれも詰んだけど

186 :人間七七四年:2023/07/19(水) 21:54:56.98 ID:RReVNtp0.net
>>184
それはお前さんが時系列をよく知らないだけ
ここは広家はそれなりによくまとめてるんだけどね
広家は家康が到着した→東軍先手衆がやってきた→大垣衆は佐和山に撤退した
→勝ち目が無くなったので家康に降伏した
こう書き残してる
そして広家が降伏したのは十四日の夜と複数の史料にある。これは正しい
家康は寛大な人間だったろうが決戦中、しかも楽勝ムードの中受け入れる人間じゃないよ
必然、秀秋が裏切ったのは毛利軍降伏の前なので十四日の昼以降ということになる
しかもそれは家康到着の後だった

187 :人間七七四年:2023/07/19(水) 22:05:03.22 ID:9DTapybY.net
奉行派:毛利上杉奉行
一門派:秀長利休秀次家康

こっからずっと尾を引いてる対立なんだから自分を追い落とした奉行軍団に秀秋が積極的に協力するなんて有り得ねンだわ

188 :人間七七四年:2023/07/19(水) 22:47:49.36 ID:QpNPGY/G.net
九月十七日付石川康通・彦坂元正書状だと大垣城の三成らが出撃したのは十四日の夜五つ、20時頃
吉川家文書によると大垣衆出撃の理由は「小早川秀秋が裏切って山中の大谷吉継隊が危険だから」
つまり秀秋が裏切ったのは十四日夜五つまでということ

189 :人間七七四年:2023/07/19(水) 22:53:31.14 ID:9DTapybY.net
最初から味方になった覚えはねーよw

ってのが秀秋の本音だっただろうな

190 :人間七七四年:2023/07/19(水) 23:06:49.13 ID:7jYOLWtk.net
>>186
複数の史料の話なんかしてねーよ
お前が>>176で「吉川家文書で秀秋が松尾山占拠したから三成達は出撃した」
との主張に対して、吉川書状にそんなことは書いてないと言ってるのが分からんのかね

>>184で挙げた一節が三成らが大垣から退却する様子を書いてる部分だけど、東軍先手が動き家康も前線へ移動
→小早川が叛意を示す→それにより大谷陣が心配になった→三成らは佐和山へ退却するように見えたとしか読めんよ
その後にこのまま御家をむざむざと潰してしまうのは残念に思い吉川・福原
の両人で和談の準備を始め井伊や本多と交渉する場面へと続いている

他の史料と照合して整合性が取れてるかどうかとか、この一節の真偽の程は別にして、あくまでお前が
根拠とした吉川家文書913号で見た場合、秀秋が松尾山占拠したから三成らが出てきたとは読めない

191 :人間七七四年:2023/07/20(木) 11:43:07.13 ID:hGLpl0I8.net
秀秋の裏切りが決定打になったといわれるけど、岐阜城が落ちて大垣城近辺にまで東軍が進出している時点でもう西軍は終わってるんだよなあ……
仮に秀秋が裏切らずに後詰活動を動かしても、西軍が勝てる未来は思い浮かばない
それとも小早川、大津、田辺、伊勢の西軍が後詰していたら西軍に逆転勝利の目はあったか?

192 :人間七七四年:2023/07/20(木) 11:51:23.62 ID:ZUnm/XI0.net
立花宗茂と小早川秀包をどうでもいいことで使って戦場に間に合わせられなかったこととか、島津に協力させられなかったこととか、まあ1番でかいのは御座所まで用意して秀頼を出馬させられなかったこと

立花小早川島津に奮戦させることが出来れば消去法で家康についてた秀吉子飼いなんて本気で戦おうとしなくなってたよ

193 :人間七七四年:2023/07/20(木) 12:45:50.10 ID:rIASAqqz.net
>>191
秀秋と秀元吉川が石田方につけばそれだけで勝敗はもう分からんでしょ
もっとも秀秋の寝返りがなかったら家康が関ケ原に突っ込んでくる事もなかったかもしれないが

194 :人間七七四年:2023/07/20(木) 12:58:46.71 ID:st4cXgyn.net
>>188
お前が挙げてる松平家乗宛石川康通・彦坂元正連署状だと秀秋が裏切ったタイミングは
「敵切所を抱有所へ指懸、とりむすひ候刻、筑前中納言殿・わき坂中書・
小河土佐父子、此四人御味方被申、うらきりを被致候」とあるけどね
「とりむすひ候刻」、つまり開戦直後だね

秀秋が伊藤追い出して松尾山占拠したことが叛意の表れであることは否定しないよ
ただ伝聞だったり東軍諸将の認識にも差異があるから人によって違いが出るんだろう

195 :人間七七四年:2023/07/20(木) 13:03:54.87 ID:hGLpl0I8.net
>>193
小早川と毛利、吉川が内通せずにまともに戦ったとしても、勝てるとは思えないんだけど
こいつらが内通してもしなくても岐阜城陥落までは変わらない
岐阜城を落とされて赤坂まで進出されてる時点でもう大垣はどうしようもない
あそこから東軍や家康を撃退あるいは勝利するなら、西軍が本当に一丸になって決死の決戦やるしか方法がないと
思うんだけど、西軍はそこまでまとめ上げられる大将がいるか?
石田三成では絶対に無理だと思う

196 :人間七七四年:2023/07/20(木) 13:09:30.80 ID:ZUnm/XI0.net
別に秀吉の旗差して秀頼が出馬する、何なら大坂城に籠城でもいいけど
そうすりゃ負けることはないよ

197 :人間七七四年:2023/07/20(木) 14:04:48.28 ID:fqxuojpt.net
>>195
史実通りに布陣出来ていればむしろ西軍の方が有利でしょ
兵力はほぼ同等で石田方は要害に拠っているので徳川方は攻めようがない
まあ、常識的に考えれば徳川方は関ケ原になんて向かわないけどw

198 :人間七七四年:2023/07/20(木) 16:27:40.04 ID:yp/OxT4c.net
可能性を言ったら
中仙道本隊が予定どおり到着してたら西軍なんか木っ端微塵よ

199 :人間七七四年:2023/07/20(木) 16:53:32.66 ID:T8mdAfru.net
>>197
通常通り?
何のこと?
まさか従来の東軍を包囲していたような布陣のことじゃないよな?

200 :人間七七四年:2023/07/20(木) 18:07:56.37 ID:zQvPZuhg.net
中仙道は予定通りだから変わりようがない
単純に秀忠では昌幸に勝てなかっただけの話なので

201 :人間七七四年:2023/07/20(木) 18:20:37.39 ID:Rc26a490.net
普通に考えれば東軍が上杉と戦い始めてから挙兵すべきだけど
それだと長曾我部とか大谷とかそのまま家康に付いていくから
西軍の兵力が減少するんだよなぁ
ポンコツの西軍に東海道沿いの豊臣恩顧大名の城早期に抑えていくことができるとも思えんし
それでも史実よりはよほどマシだろうけど

202 :人間七七四年:2023/07/20(木) 19:23:16.76 ID:+1MziOPi.net
でも上杉討伐が開始されてしまうと徳川+与力の10万に加えて伊達佐竹堀最上に袋叩きにされる訳だし
一体どれだけ上杉が耐えられるのか疑問
下手すると上杉を降した東軍が史実より膨れ上がって西上してくるおそれも・・・

203 :人間七七四年:2023/07/20(木) 19:29:20.13 ID:9ucWbEis.net
西軍が東海道東進するのは確実だから恩顧大名は上杉攻めどころじゃないと思うけどね
徳川と結城秀康で上杉攻め続けて福島らは急いで引き返すしかないような

204 :人間七七四年:2023/07/20(木) 20:49:50.59 ID:b4dOIdts.net
>>197
その通りで関ヶ原での布陣自体ありえないので史実通りの布陣ならのIFには意味がないね

西軍の士気が旺盛で離反がないなら東軍は大垣攻略を考えるだろうけど圧倒できるほど優勢ではない
なので戦略が整うまで総攻めしないで睨み合いになる可能性が高い
そこで東軍が無理に包囲を進める場合後顧の憂いをなくして後詰できる大津城攻略部隊の存在は大きい
もっとも東軍にも秀忠部隊や前田率いる北国衆が予備戦力としているので長期戦になる可能性も高い
そうなると四国を落として毛利本国と万全の連絡を確保した意義は大きい

つまりよく言われる西軍の失策てのは実は長期戦見据えた当たり前の戦略なんよね

205 :人間七七四年:2023/07/20(木) 21:16:35.29 ID:N3wp2ZL/.net
マイナ誤送金の所沢市、現金返還が難航…千葉在住の名義人と連絡取れず

まーた行政のミスのせいで逮捕者w

206 :人間七七四年:2023/07/20(木) 21:34:18.34 ID:3EdsUSLn.net
>>190
複数の史料から導くのが歴史学なんで
吉川家文書から大垣衆が山中(関ヶ原)に向かったのは「小早川秀秋が裏切ったので山中の大谷吉継隊が危ない」から。つまり吉川家文書だけを見ても関ヶ原合戦より前に秀秋は裏切ってる
そして九月十七日石川書状から大垣衆が出撃したのは十四日夜なので秀秋の裏切りはそれまでにあった事になる。つまり秀秋の松尾山占拠がそれ

207 :人間七七四年:2023/07/20(木) 21:41:43.55 ID:3EdsUSLn.net
毛利軍は山中に行く大垣衆を見て西軍に勝ち目無しと降伏を決心するけどこれにも理由がある
徳川家康が来た事で西軍の戦略は大垣城を中心に受け止めるしか無い。岐阜に続いて大垣まで取られたら西軍は終わり。中山道を東軍に掌握されてる以上かなり厳しいが
そんな最中に山中に大垣衆が行く事が何を意味するか、敵前逃亡としか受け取られない
また西軍は大垣は近江からの輸送で保たせる事にしていたけど秀秋が占拠した松尾山はその輸送線を押さえる位置にある。垂井(青野原)まで東軍が取ってるから大垣は兵糧攻めに遭う
つまりもう詰みな訳で広家の言う通り西軍には勝ち目が無い。大垣が落ちたら南宮山の毛利も道を見失うしどうしようもない

208 :人間七七四年:2023/07/20(木) 22:50:11.26 ID:st4cXgyn.net
>>206
史料正しく読めない人に歴史学がどうとか言われてもなあ
家康が青野ヶ原に着陣して先陣衆が動き、家康が前線に陣を移した→小早川が叛意を示した→大谷陣危うしと見て三成ら退却開始

結局東軍先陣衆と家康が動いたことが事の発端になってるわけで、松尾山占拠したから出撃したとは読めないと思うがなあ
もし家康が動いてなければ三成らは大垣から出てきたかどうかも分からんし
まあお前の言う通り兵粮の問題は確かにあり、大垣での長期籠城は無理
だろうから何れにせよ松尾山の問題は解決しなきゃならん問題ではあるが
9月12日付三成書状の内容が正しければの話だけど
まあもうこれ以上話しても堂々巡りになるからこの話題はこの辺で

あとお前が頻りに引用してる9月17日付石川・彦坂連署状だと開戦直後に裏切ってると書かれてるから整合性取れてないぞ

209 :人間七七四年:2023/07/20(木) 23:00:15.14 ID:INWE/KEy.net
いまだに秀忠隊を真田が足止めしたとおもってる人がおるんやな

210 :人間七七四年:2023/07/21(金) 07:21:05.97 ID:gJ8M9bVp.net
>>208
まず現実を知らないといけない
大垣衆が山中に行ったのは秀秋が裏切ったから
つまりこの時点で秀秋が裏切ったのは十四日の事だと明記されてる。決戦のあった十五日ではない
ちなみに広家のいた南宮山からは関ヶ原が見えないというのも重要事実
石川書状については単純な話で「小早川秀秋が東軍に属してる」事実を知っていたのは徳川家康ら徳川の主要人物のみだったというだけ
秀秋は西軍の指揮を離れていて徳川派だと思われていたけど明確に手切の手立てに及ぶまでは西軍
ただ西軍の広家と東軍ではそれがいつかについて認識が異なるのは当然

211 :人間七七四年:2023/07/21(金) 08:06:29.91 ID:Y/+8Rdr/.net
>>209
お前こそWikipediaのわけわからん講釈に騙されてるぞ
二次史料だけど「関ヶ原始末記」を見てみろ
あれなぜか秀忠と真田のことは一切触れてないからな

なぜかWikipediaは秀忠のあの行動は全て伝達が遅いからいけないんだーとされているが

212 :人間七七四年:2023/07/21(金) 09:48:27.44 ID:jHKBUTzf.net
秀忠が出撃したのは真田攻めの為で大垣攻めとは無関係なんだから遅参も何も無い
てか家康がそう言ったって話に繋がるからね何故か無視されてるけど

213 :人間七七四年:2023/07/21(金) 11:03:58.11 ID:sYnJuLBK.net
家康がなんで真田攻めなんて暇な事をやらせたのか謎だわ
家康は執念深い男だから昌幸への恨みを晴らすチャンスとばかりに攻撃を命じたのだろうか

214 :人間七七四年:2023/07/21(金) 11:07:41.29 ID:N+J8zgCg.net
家康が怒ったのは遅参じゃなくて兵をバラバラにして慌てて関ヶ原まで来たことでしょ

215 :人間七七四年:2023/07/21(金) 11:08:13.41 ID:N+J8zgCg.net
>>213
元々家康は長期戦になるだろうと思ってたからでしょ

216 :人間七七四年:2023/07/21(金) 11:24:00.61 ID:t9o4asiU.net
家康が上洛したら上杉と佐竹が関東を攻撃するのがミエミエだから。西軍の戦略は昌幸のお陰で家康に筒抜け
真田は上杉との交通を三成に依頼されていたからここを大軍で封鎖して万が一も起きないようにした
ついでに秀忠にド派手に行軍させる事で家康の軍勢から目をそらせるという思惑もあったかもしれない。上杉は秀忠の行軍は察知していたけど家康の行軍は察知出来てなかった

217 :人間七七四年:2023/07/21(金) 12:22:41.56 ID:RyxEwOAa.net
秀康と与力だけでも上杉の戦力と同等だし
佐竹も徳川派だから上杉に攻撃する事はあっても徳川に攻撃する事は有り得ない
堀、最上、伊達も上杉が国を空けて関東に進軍したら指を咥えて見ているとは到底思えない
どう考えても上杉が関東に南進する選択肢があったとは思えないわ
実際にやらなかったし

218 :人間七七四年:2023/07/21(金) 12:48:27.09 ID:7GeS+Vu4.net
>>216
またお前か

219 :人間七七四年:2023/07/21(金) 12:50:48.82 ID:Yv1m0cXS.net
司馬遼太郎ですら例のファンタジー小説で客観的にみて江戸が攻められる可能性は皆無と切り捨てていたな

関ヶ原前はあれだけ上杉直江を準主役級にカッコよく描いてたのに
いざ西軍が挙兵すると挟み撃ちの戦略も上杉も無かったこといなかったことになって
家康にとって何の脅威にもならず最後まで出てこない
仔細に描写していくとボロが出るから作品のファンタジー世界から抹殺して無視を決め込んだんだろうな

220 :人間七七四年:2023/07/21(金) 13:00:14.28 ID:typOadhJ.net
実際のところ上杉は何がやりたかったのか謎だわ

221 :人間七七四年:2023/07/21(金) 13:05:50.14 ID:N+J8zgCg.net
皆元の分裂時代に戻ると思っていたんでしょ
一度信長に臣従した畿内周辺の連中が足利義昭ー毛利ー本願寺側に寝返りまくったのと一緒

結果を知ってれば勝者に逆らってアホかとなるけど当時からしたら足利将軍が巻き返して京都に返り咲くのが当然だった。秀吉が統一したとは言え分裂している状態の方がまだまだ馴染みがあった

222 :人間七七四年:2023/07/21(金) 13:20:45.32 ID:pSw9nF3i.net
景勝にそんな考えがあったとは到底思えない
そもそも仕掛けたのは家康だし
前田は徳川の攻撃を上手く回避したけど上杉は出来なかったというだけの話だわ

223 :人間七七四年:2023/07/21(金) 14:17:59.32 ID:4VCtfkWi.net
>>217
佐竹は西軍でこれは家康も掴んでたこでは?増田長盛書状に「上杉と佐竹は一味」とあるし佐竹は家康に人質出すのを拒否して敵対一歩手前まで踏み込んでる
だから東軍だったと主張するのに大減封喰らった

224 :人間七七四年:2023/07/21(金) 15:28:29.88 ID:UNOTqTy4.net
>>223
佐竹は隠居の義重、筆頭家老の義久、次弟の盛重、寄騎家臣衆など家中の大半が徳川派
特に盛重は上杉打倒に燃えていたので早々に南奥に出陣し秀忠にそれ以上動かないよう止められている
義重と義久も一貫して徳川につく事を主張していたけど義宣が煮えきらないので結局義久は自分の手勢を連れて出陣し信濃で秀忠と合流している
義宣にしても上杉に加担したい訳ではなかったんだよな
単純に三成に取られている人質を見捨てる事が出来なかっただけで
だからあくまで我々は豊臣の臣下であるから秀頼に対する忠義を尽くすという主張をして
どちらかも攻撃をされないように水面下では両方と交渉して動かなかった
家康の人質要求に対しても既に豊臣家に人質をだしているのに更に出すのは道理に合わないと言っている
尤もである
従って上杉に加担する意思はなかったし、加担しようもなかった
最悪内部分裂してしまうし

225 :人間七七四年:2023/07/21(金) 15:36:22.42 ID:N+J8zgCg.net
佐竹なんて何したって理由付けて飛ばされてたわ
強いて言えば住んでる家の立地が悪かった

226 :人間七七四年:2023/07/21(金) 17:15:02.97 ID:i0NVXc4Z.net
あんな江戸の近くに70万石の外様とか目障りどころの話ではないわな
しかも500年も土着して強固な地盤を持っている
おまけに本物の河内源氏

227 :人間七七四年:2023/07/21(金) 18:26:33.81 ID:xtAqcWdn.net
>>226
血統は上杉氏に替わってたような

228 :人間七七四年:2023/07/21(金) 19:16:22.85 ID:9LWhe+V1.net
>>220
実際のところ何かをしたというより単に難詰されて逆ギレしただけだからな
あえて何か主体的にやったことを探そうとするなら「太閤の禁じた年賀の持ち逃げ」だけ

229 :人間七七四年:2023/07/21(金) 19:21:54.89 ID:i0NVXc4Z.net
>>227
上杉から婿を入れただけで血統は変わっていない

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