石田三成の挙兵 ★6
- 1 :人間七七四年:2023/07/01(土) 17:55:14.09 ID:pp0jbPin.net
- 石田三成が上杉討伐で挙兵をしない、もしくは合戦
勃発後に挙兵していたらどうなっていたか。
※前スレ
石田三成の挙兵
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1646589302/
石田三成の挙兵 ★2
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1659567400/
石田三成の挙兵 ★3
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1667713567/
石田三成の挙兵 ★4
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1675638266/
石田三成の挙兵 ★5
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1681718599/l50
- 211 :人間七七四年:2023/07/21(金) 08:06:29.91 ID:Y/+8Rdr/.net
- >>209
お前こそWikipediaのわけわからん講釈に騙されてるぞ
二次史料だけど「関ヶ原始末記」を見てみろ
あれなぜか秀忠と真田のことは一切触れてないからな
なぜかWikipediaは秀忠のあの行動は全て伝達が遅いからいけないんだーとされているが
- 212 :人間七七四年:2023/07/21(金) 09:48:27.44 ID:jHKBUTzf.net
- 秀忠が出撃したのは真田攻めの為で大垣攻めとは無関係なんだから遅参も何も無い
てか家康がそう言ったって話に繋がるからね何故か無視されてるけど
- 213 :人間七七四年:2023/07/21(金) 11:03:58.11 ID:sYnJuLBK.net
- 家康がなんで真田攻めなんて暇な事をやらせたのか謎だわ
家康は執念深い男だから昌幸への恨みを晴らすチャンスとばかりに攻撃を命じたのだろうか
- 214 :人間七七四年:2023/07/21(金) 11:07:41.29 ID:N+J8zgCg.net
- 家康が怒ったのは遅参じゃなくて兵をバラバラにして慌てて関ヶ原まで来たことでしょ
- 215 :人間七七四年:2023/07/21(金) 11:08:13.41 ID:N+J8zgCg.net
- >>213
元々家康は長期戦になるだろうと思ってたからでしょ
- 216 :人間七七四年:2023/07/21(金) 11:24:00.61 ID:t9o4asiU.net
- 家康が上洛したら上杉と佐竹が関東を攻撃するのがミエミエだから。西軍の戦略は昌幸のお陰で家康に筒抜け
真田は上杉との交通を三成に依頼されていたからここを大軍で封鎖して万が一も起きないようにした
ついでに秀忠にド派手に行軍させる事で家康の軍勢から目をそらせるという思惑もあったかもしれない。上杉は秀忠の行軍は察知していたけど家康の行軍は察知出来てなかった
- 217 :人間七七四年:2023/07/21(金) 12:22:41.56 ID:RyxEwOAa.net
- 秀康と与力だけでも上杉の戦力と同等だし
佐竹も徳川派だから上杉に攻撃する事はあっても徳川に攻撃する事は有り得ない
堀、最上、伊達も上杉が国を空けて関東に進軍したら指を咥えて見ているとは到底思えない
どう考えても上杉が関東に南進する選択肢があったとは思えないわ
実際にやらなかったし
- 218 :人間七七四年:2023/07/21(金) 12:48:27.09 ID:7GeS+Vu4.net
- >>216
またお前か
- 219 :人間七七四年:2023/07/21(金) 12:50:48.82 ID:Yv1m0cXS.net
- 司馬遼太郎ですら例のファンタジー小説で客観的にみて江戸が攻められる可能性は皆無と切り捨てていたな
関ヶ原前はあれだけ上杉直江を準主役級にカッコよく描いてたのに
いざ西軍が挙兵すると挟み撃ちの戦略も上杉も無かったこといなかったことになって
家康にとって何の脅威にもならず最後まで出てこない
仔細に描写していくとボロが出るから作品のファンタジー世界から抹殺して無視を決め込んだんだろうな
- 220 :人間七七四年:2023/07/21(金) 13:00:14.28 ID:typOadhJ.net
- 実際のところ上杉は何がやりたかったのか謎だわ
- 221 :人間七七四年:2023/07/21(金) 13:05:50.14 ID:N+J8zgCg.net
- 皆元の分裂時代に戻ると思っていたんでしょ
一度信長に臣従した畿内周辺の連中が足利義昭ー毛利ー本願寺側に寝返りまくったのと一緒
結果を知ってれば勝者に逆らってアホかとなるけど当時からしたら足利将軍が巻き返して京都に返り咲くのが当然だった。秀吉が統一したとは言え分裂している状態の方がまだまだ馴染みがあった
- 222 :人間七七四年:2023/07/21(金) 13:20:45.32 ID:pSw9nF3i.net
- 景勝にそんな考えがあったとは到底思えない
そもそも仕掛けたのは家康だし
前田は徳川の攻撃を上手く回避したけど上杉は出来なかったというだけの話だわ
- 223 :人間七七四年:2023/07/21(金) 14:17:59.32 ID:4VCtfkWi.net
- >>217
佐竹は西軍でこれは家康も掴んでたこでは?増田長盛書状に「上杉と佐竹は一味」とあるし佐竹は家康に人質出すのを拒否して敵対一歩手前まで踏み込んでる
だから東軍だったと主張するのに大減封喰らった
- 224 :人間七七四年:2023/07/21(金) 15:28:29.88 ID:UNOTqTy4.net
- >>223
佐竹は隠居の義重、筆頭家老の義久、次弟の盛重、寄騎家臣衆など家中の大半が徳川派
特に盛重は上杉打倒に燃えていたので早々に南奥に出陣し秀忠にそれ以上動かないよう止められている
義重と義久も一貫して徳川につく事を主張していたけど義宣が煮えきらないので結局義久は自分の手勢を連れて出陣し信濃で秀忠と合流している
義宣にしても上杉に加担したい訳ではなかったんだよな
単純に三成に取られている人質を見捨てる事が出来なかっただけで
だからあくまで我々は豊臣の臣下であるから秀頼に対する忠義を尽くすという主張をして
どちらかも攻撃をされないように水面下では両方と交渉して動かなかった
家康の人質要求に対しても既に豊臣家に人質をだしているのに更に出すのは道理に合わないと言っている
尤もである
従って上杉に加担する意思はなかったし、加担しようもなかった
最悪内部分裂してしまうし
- 225 :人間七七四年:2023/07/21(金) 15:36:22.42 ID:N+J8zgCg.net
- 佐竹なんて何したって理由付けて飛ばされてたわ
強いて言えば住んでる家の立地が悪かった
- 226 :人間七七四年:2023/07/21(金) 17:15:02.97 ID:i0NVXc4Z.net
- あんな江戸の近くに70万石の外様とか目障りどころの話ではないわな
しかも500年も土着して強固な地盤を持っている
おまけに本物の河内源氏
- 227 :人間七七四年:2023/07/21(金) 18:26:33.81 ID:xtAqcWdn.net
- >>226
血統は上杉氏に替わってたような
- 228 :人間七七四年:2023/07/21(金) 19:16:22.85 ID:9LWhe+V1.net
- >>220
実際のところ何かをしたというより単に難詰されて逆ギレしただけだからな
あえて何か主体的にやったことを探そうとするなら「太閤の禁じた年賀の持ち逃げ」だけ
- 229 :人間七七四年:2023/07/21(金) 19:21:54.89 ID:i0NVXc4Z.net
- >>227
上杉から婿を入れただけで血統は変わっていない
- 230 :人間七七四年:2023/07/21(金) 19:38:36.91 ID:v1cpUurZ.net
- >>210
何か話が噛み合わないと思って208の自分のレス見返したら青野ヶ原と書いてるな
これはミスだわ、申し訳ない
正しくは「家康が赤坂に着陣して先陣衆が動き、家康も前線に陣を移した」ね
「内府着ニ付而、至青野か原、悉先陣衆ハ打出、㝡前陣所へ者内府被入移候」
はしょらずに訳すと、内府が(赤坂に)到着したことにつき、青野ヶ原へ悉く先陣衆が打ち出し、内府も前線の陣所へ移られた
家康が移った前線の陣所とは勿論青野ヶ原(垂井)のことね
とりあえず訂正
あと認識の違いについては>>194で自分も触れてるよ
各人に認識の差があったのはその通りだと思うけど、主要人物だけが知って
いたとは史料では確認できない以上断定できないと思うし首肯しかねる
- 231 :人間七七四年:2023/07/21(金) 21:11:50.79 ID:dFNpNOV5.net
- 景勝はただの馬鹿だろ
慶長6年5月3日付甘糟宛景勝書状で余りに楽観的なこと書いている
「心やすかるべく候」とか、世間なめてるだろ
- 232 :人間七七四年:2023/07/21(金) 21:16:41.08 ID:j24pGf6e.net
- >>224
尤もへったくれもなく西軍派じゃん
徳川の要請を拒否してるんだから
家康が豊臣公儀から追放されたと認識してた事になる
当たり前だけど人質提出を拒否することは「敵対」を意味するからねこの時代
- 233 :人間七七四年:2023/07/21(金) 21:30:06.55 ID:v1cpUurZ.net
- >>231
景勝が上洛するにあたり心配して書状を寄越した甘糟への返信として安心してくれと言ってるだけじゃん
心配する家臣に余計心配させるようなことなんか言うわけない
- 234 :人間七七四年:2023/07/21(金) 22:04:49.08 ID:cB8A4r3Q.net
- 西軍と上杉を繋ぐ連絡路は二つしかない
一つは真田領沼田を越えるもの
二つは佐竹領を経由するもの
真田昌幸が三成と親しいことから期待された沼田ルートは肝心の沼田を押さえる信幸が東軍に属した事で逆に西軍の機密情報を東軍に教える穴になった
佐竹ルートは機能はしていて景勝と義宣は頻繁に連絡してるが佐竹家が徳川への人質供出を拒否した事で徳川に西軍加担を確信されて完全に封鎖された
史料的に言うと七月末くらいまでは機能していて上方の情報を上杉に伝えていたけど八月に入ると情報が遮断されてる。それで上杉には伏見陥落までの情報しか無かったようで「家康が負けて苦しい」と言う内容しか残ってない。当然、家康の出陣も感知できてない
- 235 :人間七七四年:2023/07/21(金) 22:15:15.03 ID:dFNpNOV5.net
- >>233
仮にも会津征伐の原因作った首謀者なのに、楽観的すぎないか?
まだ領国の守り固めといてくれとか書いたならわかるけど
- 236 :人間七七四年:2023/07/21(金) 23:33:55.70 ID:v1cpUurZ.net
- >>235
よく読めよ
「今度上洛ニ付而、申越通喜悦候、仕合よく可令帰国候条、可心安候」
この度の上洛について連絡をもらいうれしく思う。首尾よく帰国できると思うので安心するように
どこが楽観的なのかさっぱり分からん
ごくごく普通のやり取りじゃん
- 237 :人間七七四年:2023/07/22(土) 00:01:50.83 ID:hPI8GwwC.net
- >>232
だから人質出してるじゃん
家康はあくまで豊臣家の大老としての立場で言っているのだから
- 238 :人間七七四年:2023/07/22(土) 00:12:10.77 ID:uXKpT/qO.net
- >>236
たぶん首尾よく帰国出来ると思ってるという所が楽観的だと言ってるんじゃないか?
- 239 :人間七七四年:2023/07/22(土) 00:52:57.93 ID:uXKpT/qO.net
- ふと思ったんだが東軍内で脇坂安治が裏切るのを知っていたのどれくらいいたのだろう
- 240 :人間七七四年:2023/07/22(土) 08:23:00.87 ID:xSytw7vm.net
- REVELATION
資金源
フロント/天下り
フィクサー
汚職/集団ストーカー/盗聴/盗撮/揉み消し
揉み消し加担
- 241 :人間七七四年:2023/07/22(土) 09:39:05.76 ID:whrJ3ENr.net
- 上杉と佐竹は八月に同盟を結んでる
結城朝勝宛上杉景勝・直江兼続書状には佐竹と上杉が同盟した旨が記されてる
ちなみにこの結城朝勝だがこいつは元々宇都宮家に入っていた
それが浅野長政による宇都宮事件の結果、親戚である佐竹家に身を寄せており関ヶ原の時代を迎えた
つまりここには浅野長政とそのボスである徳川家康への憎悪が現れてる
- 242 :人間七七四年:2023/07/22(土) 10:23:31.83 ID:6DIeVFI1.net
- >>241
8月19日付の書状のこと言ってるんだろうけどそれなら結城朝勝宛直江兼続書状だぞ
景勝は連署してない
- 243 :人間七七四年:2023/07/22(土) 12:14:33.86 ID:AYuMXE1V.net
- 入ってるもなにも結城朝勝は宇都宮国綱の弟
佐竹も宇都宮も徳川派だったけど結城朝勝や車斯忠という変な奴は上杉方に引き摺り込もうと画策していたんだよな
- 244 :人間七七四年:2023/07/22(土) 12:55:24.90 ID:eppdzZRN.net
- >>242
景勝「も」送ってる
すまないね
- 245 :人間七七四年:2023/07/22(土) 12:56:51.60 ID:ca0zp6OM.net
- 佐竹義宣は家康と断交したと宣言してるしそれを咎める佐竹一族もいない
まぁ西軍とみて間違いない。伊達政宗も佐竹を警戒して兵を配置するよう命令出してる
当然、徳川家康も警戒してた
- 246 :人間七七四年:2023/07/22(土) 15:35:31.73 ID:6DIeVFI1.net
- >>244
そういうことか
8月19日付結城朝勝宛直江書状は景勝書状の副状だしな
- 247 :人間七七四年:2023/07/22(土) 16:45:17.62 ID:uXKpT/qO.net
- ただ上杉の言う通りになるなら伊達も最上も上杉に従属してる事になるからな
- 248 :人間七七四年:2023/07/22(土) 16:58:27.81 ID:uEJ5Dlyz.net
- 佐竹は徳川方として出陣しているのに西軍とか意味不明
水面下の二股工作なんて最上や伊達もやっているし
- 249 :人間七七四年:2023/07/22(土) 17:00:44.88 ID:WAkf6Rfi.net
- 上杉も家中や周囲に味方がいるように見せないと崩壊するからホラ吹きまくってたんだろうな
佐竹も伊達も最上もみんな上杉側だと
- 250 :人間七七四年:2023/07/22(土) 17:10:10.41 ID:6DIeVFI1.net
- みんな単独で上杉と当たりたくないから二股外交してる
9月上旬の直江書状見ると既に恭順の意を示してる伊達と最上に対して交渉継続
するよう言ってるし、上杉だって彼らが完全に従属してるとは全く思ってない
- 251 :人間七七四年:2023/07/22(土) 18:27:54.71 ID:hzDtHv0v.net
- >>248
出陣したのを途中勝手に反転した挙句、家康からの人質供出命令を拒否して「手切」になった
つまりこの時点で佐竹家は西軍です
だから戦後家康から改易された
- 252 :人間七七四年:2023/07/22(土) 18:32:13.68 ID:hzDtHv0v.net
- 減封だったすまない
伊達も最上も上杉と交戦してる中、佐竹だけ無傷どころか上杉と同盟してる訳で言い訳は効かなかったろう
そんな訳で佐竹が徳川派っぽく振る舞ったのは二股外交というより獅子身中の虫を狙ったものである可能性がかなり高い、ていうか景勝からはそれを期待されてる
- 253 :人間七七四年:2023/07/22(土) 19:53:22.07 ID:uXKpT/qO.net
- 佐竹の場合はそんな上等なものではなくて
単に家中の意思統一がはかれなかっただけな感じかする。どちらかというと因幡鳥取の宮部家に近いんじゃないか
- 254 :人間七七四年:2023/07/22(土) 19:58:12.48 ID:5EZaPe7w.net
- 家中の意思統一は取れてる、厄介なことに
家康への人質供出を非難する者が誰も居ないし代わりに人質出した奴も居ない、つまり全員西軍派
ただ佐竹の戦略は「家康が上洛したら関東攻撃」しか無かったからそれまでスパイとして活動してた
と思ってたが家康にはバレていて上洛を隠されていたのでクソの役にも立ちませんでした、それで家中にも東軍派が居たことにして生き残ろうとしたんだろう
- 255 :人間七七四年:2023/07/22(土) 23:08:49.39 ID:6DIeVFI1.net
- 二次史料だけど義宣家譜によると家康からの人質供出を断った後、8月10日に義重の勧めで
家臣を江戸へ遣わし、石田・上杉に味方せず上杉の関東乱入を防ぐことを家康へ約している
その一方で8月5日付岩井信能宛直江兼続書状では
昨日義宣より使者が遣わされ申すには、内府からの人質供出を断ったのできっと
手切れになるだろうからご加勢を頼むとの要請があり、直江はこれを快諾したとある
義宣家譜の話の真偽の程は分からんけどもし本当なら立派な二股外交と言えるな
- 256 :人間七七四年:2023/07/23(日) 04:56:29.09 ID:cHWwNM73.net
- 最上義光物語では、義光が景勝に味方するとかいって軍資金をせしめて、騙されたとわかって激怒した上杉が最上を
攻めたことになってるな、義光が東軍に属したのは駒姫を殺された恨みによるものとされてるけど
要は景勝がバカだったんじゃないのか
庄内をめぐって争った仇敵を味方になんかできるわけないし
- 257 :人間七七四年:2023/07/23(日) 08:45:10.20 ID:NjbOSPPI.net
- 景勝に秀忠が出陣するから何が狙いか教えてくれと言われて家臣を秀忠のところに送り込んでたりするから完全なスパイ
ただ人質拒否したその胆力の無さが致命的で家康にはバレてたんだろうね
家康上洛の情報は掴めなかったんだし
- 258 :人間七七四年:2023/07/23(日) 09:44:35.07 ID:cHWwNM73.net
- 小説やドラマでは景勝はよく謙信に劣らない武将、わずかに劣る程度の武将とされていて
ゲームの話で悪いけど、信長の野望でも謙信みたいにとびぬけてはないけどかなり有能にされてるんだよな
でも、景勝の時代の上杉は本当に強かったんだろうか
- 259 :人間七七四年:2023/07/23(日) 10:07:41.67 ID:K5BdR5Ea.net
- 戦国時代の武将としては普通
ただ天下まで見据えた戦略眼は無かった
- 260 :人間七七四年:2023/07/23(日) 12:32:49.09 ID:+sjE7mEs.net
- >>256
いや、戦国大名なんて生き残りや利益の為に仇敵と手を組むのは別に不思議でもないだろ
変に意地を張って御家滅亡するよりよほどマシなんだし
>>258
ゲームとかだと謙信が尖り気味な能力してるせいで能力の総合値が景勝>謙信になってる事が
あるらしいから笑える、どう考えてもそんなわけないと思うんだが
- 261 :人間七七四年:2023/07/23(日) 12:39:36.22 ID:OCOIv+VV.net
- 御館の乱で武田に東上野割譲したのは上策だろ
おかげで仇敵北条と直接戦わなくて良くなった
- 262 :人間七七四年:2023/07/23(日) 13:16:51.32 ID:Sk9SpQp+.net
- >>259
何を偉そうにw
お前の千倍は有能だよ
- 263 :人間七七四年:2023/07/23(日) 13:39:33.13 ID:cHWwNM73.net
- ゲームだと謙信の能力(特に戦争関連)が異常すぎる
ひとりで統一できてしまうレベルだからなあ
- 264 :人間七七四年:2023/07/23(日) 14:51:02.09 ID:GjxQ9xPJ.net
- 景勝は西軍が決起するまで西軍首脳部とも石田三成とも佐竹義宣とも連絡してない
それは戦国時代は通用したけどこの時代、特に徳川家康には通用しなかった
- 265 :人間七七四年:2023/07/23(日) 15:52:14.71 ID:cHWwNM73.net
- そもそも関ヶ原の時点で相手があまりに小粒すぎるでしょ
家康に対して輝元や景勝や三成とか、相手になるわけない
- 266 :人間七七四年:2023/07/23(日) 16:39:39.12 ID:YNs5jyIJ.net
- 大坂城占拠して好き勝手やってた家康が秀頼を捨てて出撃した大チャンスだから
同じように大坂城取れば勝てると思ったんだろ
家康>豊臣だったから勝てなかっただけで
- 267 :人間七七四年:2023/07/23(日) 17:32:23.17 ID:VtJu6Roz.net
- いつになったら「家康上洛」を改めるんだろうな
そんなんだから史料も研究者の論考も平気で読み間違えるんだよ
ゲームがどうのも流入しだしてなんだかね
- 268 :人間七七四年:2023/07/23(日) 17:42:55.04 ID:YNs5jyIJ.net
- 家康が関ヶ原終わったら江戸に帰ったと思ってる人来たな
- 269 :人間七七四年:2023/07/23(日) 19:32:19.15 ID:IimHGLOE.net
- 九月の家康上洛を否定する人間なんかいなくね?白峰氏にしろ光成氏にしろ「上洛」としてたはず
理由は八月二十五日宇喜多秀家宛上杉景勝書状
「内府上洛議定に候はば、佐竹と相談せしめ、万事を抛り関東乱入の仕度油断無く候の条」
家康が上洛するなら佐竹と連携し全てを投げ打って関東を攻撃します、とある
この「内府上洛」とはなにか?っていえば家康が軍隊引き連れて西上する事じゃないの?大垣、佐和山といった西軍拠点が健在なのに家康がそれらを無視して京・大坂に入る事を意味してるはずがない、かといってこれらが東軍先手衆に取られてた時を意味してるとも思えない。戦争が終結してるじゃないか
- 270 :人間七七四年:2023/07/23(日) 19:34:24.72 ID:IimHGLOE.net
- つまり景勝は「家康が西に向かう」事を「上洛」と呼んでることになる。それは会津の方言?西軍に宛てた書状なのだからそれもあり得ない
だから誰もが「家康が西に向かう」事を上洛と表現するしそれを否定する事に意味があるとは思えない
実際この後家康は関ヶ原、大垣、佐和山と鎮圧して九月二十七日に大坂入城となってる
- 271 :人間七七四年:2023/07/23(日) 20:15:22.87 ID:cxmJBMyD.net
- REVELATION
資金源
フロント/天下り
フィクサー
汚職/集団ストーカー/盗聴/盗撮/揉み消し
揉み消し加担
- 272 :人間七七四年:2023/07/23(日) 20:33:01.26 ID:rVp7YQtc.net
- 輝元って毛利は西国九ヶ国、徳川は東国八ヶ国で
自分のほうが勝ってると思ってそう
大坂の秀頼を押さえて奉行も味方にして、五大老のうち毛利宇喜多上杉を敵に回した徳川からどうして皆が離反しないのか不思議だったんじゃない
- 273 :人間七七四年:2023/07/24(月) 03:26:55.29 ID:DtQr4KHQ.net
- 関ヶ原あたりが日本史上でも情報格差は少なかったんじゃないの
縦横の繋がりや豊臣政権の性質上、おおよその情報は可視化されてそう
大名家間でも個人の性格まで考察してた時代だと思う
- 274 :人間七七四年:2023/07/24(月) 09:15:25.03 ID:97rfRzX6.net
- 大名が離叛しないのはわかっていたろう
狙いとしては秀頼の命令を出す事で反当主派が決起することだったんじゃないか、前田でそんな事が起きてる
当の徳川でそうした動きが無かったのと家康が強過ぎて話にならなかっただけで
- 275 :人間七七四年:2023/07/24(月) 16:21:15.86 ID:UL3RR5/M.net
- 前田利政は出陣拒否してるだけでべつに決起してるという程の事はしてないんじゃない?
というかこの事について秀頼は別に関係なさそう
- 276 :人間七七四年:2023/07/24(月) 17:49:42.31 ID:kOEhPVcC.net
- 利長が利政は西軍に与したと言ってるので
実際まさにこれから西軍を倒そうって時に反逆した訳で割と有罪
こうした例が多数起これば西軍の思う壺だったろう。起きないうちに家康が事態を収拾してしまったから不発に終わったが
- 277 :人間七七四年:2023/07/24(月) 19:05:09.62 ID:srLCvNuY.net
- >>276
別に確証がある訳じゃないから、邪推の類であると言われれば返す言葉もないけど、
この手の話って、主流派がいい機会だからと目障りな非主流派に適当に罪をおっかぶせて
追い落としに使うというパターンがあるからホンマかいなと思ってしまう
- 278 :人間七七四年:2023/07/24(月) 19:39:32.75 ID:KpCHpFgv.net
- 主君からの出陣命令を拒否するのは立派な謀叛じゃないの?少なくとも利長を馬鹿にしてるのは確か
理由として人質が大坂にいるってのが言われてるけどそれ言ったら東軍諸将の多くも同じだし何なら利長だって同じなんだし
- 279 :人間七七四年:2023/07/24(月) 19:39:46.43 ID:zHz1KkNE.net
- 利政は動かなかっただけで決起するつもりはなかったと思うけどね
一次史料からは西軍に人質取られてるから動かなかったとしか確認できないし秀頼の命令云々は無関係だな
利長は9月5日付村井長頼宛の書状で利政の人質が上方にいるため能登衆が動かず、
それ故8月中旬には越前国境まで再出兵したかったがそれも成らなかったと言っている
また後段では利長を主君とも親とも仰ぐ以上は人質を捨てるくらいの覚悟が
必要だ、とも言ってるから人質の問題により動かなかったことは明白
- 280 :人間七七四年:2023/07/24(月) 19:48:54.59 ID:9DEnU9wH.net
- >>270
そうじゃなく「家康が単に西に向かっただけ」なんて奇妙な想定はしてないだけかと
西という方向に行っただけではなく京を押さえるための行動なのは普通何の疑問も持たないくらい当然
当時政権の政庁のあったのは伏見で、政権に権威を、あたえてるのは朝廷なんだから
まさかと思うけど京都は無視されたと思ってる?
- 281 :人間七七四年:2023/07/24(月) 19:56:40.67 ID:xgQRMpf9.net
- つまり家康が「上洛」したって表現に何の問題も無いと
さっぱりしたな!
- 282 :人間七七四年:2023/07/24(月) 20:36:11.48 ID:JyYrawMJ.net
- >>279
その九月五日の書状で利長は能登衆から人質を集めたと書いてるぞ
利政が女恋しさに動かないだけでそんなことするか?
しかも利政だけが大坂に人質いるならともかく利長だって同じ身で家康についてやってる。それを知って拒否してる利政ってなんなの?
西軍と協働しようとしたら利長に先手を打たれて能登衆を制圧されたってだけじゃないか?
- 283 :人間七七四年:2023/07/24(月) 21:23:05.16 ID:zHz1KkNE.net
- >>282
左馬助など能登衆の人持ちは大方人質を出したって部分の記述か
まあ万一の決起を恐れてのこととも取れなくはないが、それよりも家康へ利政が
動いてないことがバレた時のためのアピールの意味合いが大きいんじゃないかね
「かやうの事にてはかゆかす候事、てんとうつき申かと存候、かやうの申ひらき、
大ふへ申されす候事候間、われわれのめいわくすいれう候へく候」
と、利政が動いてないことはとても内府へは報告できないと言ってるし、万一家康から
詰問があればすぐ能登に出兵できるように人質を取ったと取る方が自然な気がする
- 284 :人間七七四年:2023/07/24(月) 21:44:10.76 ID:0Bww0HTo.net
- 取り敢えず利政が西軍に与する危険人物なのは確定なんだろ
利長が大坂の人質を半ば見捨てて徳川に賭けてるのに利政は女が可愛くって動けませ〜んなんて舐めてんのかって話だし
隙を見て挙兵するつもりが計画が露見したのと西軍勢力が壊滅して孤立無縁で動けなくなり最後は利長に縁切りされて終わりと
西軍が勢力強めてたら何してたかわからんかったね
- 285 :人間七七四年:2023/07/24(月) 21:49:49.76 ID:zHz1KkNE.net
- >>284
舐めてるかどうかは知らんが書状からは人質のために動かなかった、これしか分からんからな
西軍と協働しようとしたけど利長に先手打たれた云々は史料で確認できない以上お前の推測でしかない
- 286 :人間七七四年:2023/07/24(月) 21:54:54.07 ID:zHz1KkNE.net
- >>284
あとお前は一々ID変えないと話せないんか?飛行機飛ばしとんのか知らんけど一々鬱陶しいねん
- 287 :人間七七四年:2023/07/25(火) 12:40:47.83 ID:LoKW1nBQ.net
- 出陣拒否って謀反だからな
そりゃ西軍だったことになる
利長が即座に能登衆の首を押さえてるのもポイント高いな
- 288 :人間七七四年:2023/07/25(火) 13:23:35.75 ID:v1nBFhMa.net
- >>45
歴史系の板に出る5chにいる奴より有能ってのは馬鹿にしてるのか褒めてるのか未だによくわからない
- 289 :人間七七四年:2023/07/25(火) 13:56:15.05 ID:0n8Vh0ST.net
- そもそも利長は東西どちらにも色よい返事をしていたんじゃないのか?
真田昌幸に宛てた石田三成の書状で、「羽肥前は公儀に対して毛頭疎意にするつもりはないとの覚悟でありますが
ただ老母を江戸に差し出していますので、内府へ粗略ない対応を先に致しています」とある
三成は堀秀治も西軍と見なしているし、このあたり上杉と三成との間で認識が全然異なっている
- 290 :人間七七四年:2023/07/25(火) 13:58:48.22 ID:0n8Vh0ST.net
- 後日に三成が真田に宛てた書状では
「肥前は老母のせいか、未だに味方するとの申し出がありません。丹五郎左が兵を出すので、北国へ人数を派遣しました」
とあるので、ようやく利長がどちらに対しても色よい返事してただけじゃねーか、と気づき始めたのかと思われる
- 291 :人間七七四年:2023/07/25(火) 14:00:36.04 ID:LoKW1nBQ.net
- 利長は早くも七月には西軍を攻撃してるから最初から東軍
- 292 :人間七七四年:2023/07/25(火) 14:53:54.00 ID:LoKW1nBQ.net
- 具体的に利長の行動を羅列すると
まず七月二十五日に利長は丹羽長重領湊浦に禁制を出してる。二十六日には福富村に到着、着々と丹羽領侵攻を進めてる
八月一日までに伏見城が攻撃された窮地との一報を受けると伏見城を援護するべく小松攻めを止めて山口氏が籠る大聖寺を攻撃、三日には山口親子諸共大聖寺を落としてる
西軍は度々利長に誘いをかけていたようだが利長はそれに行動で答えたということになる
- 293 :人間七七四年:2023/07/25(火) 16:35:34.95 ID:a9ml4nbb.net
- >>292
出典明記した方がいいよね
それほぼ藤井氏の論文からの丸パクリだろ
- 294 :人間七七四年:2023/07/25(火) 18:38:47.83 ID:Jf1EX9Q6.net
- 利長は最初から東軍だった、ってのは明らかなんだが実はそれは西軍の手紙からもわかる
西軍の書状に「前田利長が味方になった」と明記してるものは無い、その内容は「公儀に逆らう気は無いけど母親が江戸にいるから」ってものでどこを切り取っても西軍に与するものじゃない
八月五日石田三成書状で「利長が丹羽長重を攻めた」とあるからこの頃には西軍もはっきりと認識してたろうが
文面からして利長の遠回しな断りの文言を意図的に良いように解釈したんだろうけど
ところがそんなものは利長の小松攻めという現実には何の力もありませんでした
- 295 :人間七七四年:2023/07/25(火) 19:13:55.08 ID:GXqmrwgX.net
- >>293
話にならないバカ登場
ここは論文審査会じゃないし君は歴史学の教授じゃありません
- 296 :人間七七四年:2023/07/25(火) 21:48:25.00 ID:fu+7Pq8U.net
- そもそも江戸に芳春院がいる時点で利長が味方になる可能性など皆無でしょ
三成とか西軍首脳部の情報判断、処理能力少しやばすぎないか?
- 297 :人間七七四年:2023/07/25(火) 21:58:51.41 ID:a9ml4nbb.net
- >>295
おっ、丸パクリくん効いちゃったかw
藤井氏の論文から引用したくらい簡単に書けばいいのに
盗っ人猛々しいゴミに相応しい居直りだな
便所の落書きだから何やってもいいと思ってるこういうバカはほんと救いようないな
- 298 :人間七七四年:2023/07/25(火) 22:19:32.65 ID:s1jWmvhf.net
- 三成のは方便でポジショントークしてるだけだから
差し引いて考えるのが普通で真に受ける奴ってアスペかなにかだろ
- 299 :人間七七四年:2023/07/26(水) 10:16:13.52 ID:XqRTBFbn.net
- >>296
利長の妻は大坂にいるから
あと利政の様に「人質が大坂にいるので西軍に味方する」って言う連中が多数出ればどうなるかはわからなかった
まぁ大抵は利長がやったように即制圧なんだが
- 300 :人間七七四年:2023/07/26(水) 20:39:29.10 ID:imxz9kxQ.net
- 芳春院人質以前にそもそも利長の弾劾も奉行噛んでるでしょ
問題にしたの増田で人質提出で治めたのが家康
これも石田の切腹→隠居と同じでフィクションだと全部家康が黒幕で仕組んだとかされがちだけど
実際にその根拠があるかというとない
>>281
その表現には問題ないけど小早川の内通を待って上洛始めたというのは無理があるね
- 301 :人間七七四年:2023/07/26(水) 20:41:59.11 ID:1chE2uyo.net
- 利長は反家康派筆頭と言われるときがあるが
実は利政の方がヤバい奴
こいつ家康暗殺計画が露見した時には徳川との決戦を主張したっていうタカ派
- 302 :人間七七四年:2023/07/27(木) 02:32:41.24 ID:ma88Fqy0.net
- >>300
まあ連座した浅野長政とか秀頼側近の大野治長は奉行絡み臭いよな
- 303 :人間七七四年:2023/07/27(木) 06:29:17.56 ID:P8eYqgXj.net
- >>299
8月上旬に利政の出陣拒否が判明して、9月上旬の時点で能登衆は大方利長へ
人質を出したとあるから一ヶ月程は経過してるし即制圧したとは言えんね
- 304 :人間七七四年:2023/07/27(木) 11:15:54.43 ID:rezCUHoC.net
- 西軍のしたことは秀頼の名による惣無事令の否定だからね
当主や他国に不満がある奴は「あいつは東軍、秀頼さまに刃向かう輩」といって戦争ふっかけることが出来る
惜しいのはそうした動きが当の徳川家なんかで全く起きなかったのであんまり影響を与えなかったことくらい
まぁ佐竹が西軍になったり利政が謀反して前田軍の動きが止まったりと全く何の影響も無かった訳じゃ無いんだけど
- 305 :人間七七四年:2023/07/27(木) 22:03:59.55 ID:6bwBOCwB.net
- 細かく言うと八月十三日の出陣命令に利政は従わず、九月五日までに能登衆から人質を集め終わってるね
- 306 :人間七七四年:2023/07/27(木) 22:05:18.80 ID:TDdWiQdA.net
- 世界的にどの歴史を見ても、時代や政権の末期ってろくな人材がいなくなるんだよな
ひとりだけ頭飛びぬけた人物を除いて
この場合は家康がそれだった
家康に対して石田三成だ毛利輝元だ上杉景勝だって、この程度の奴らが対抗できるわけないやん
単に所領とか兵力の問題だけじゃない
渡り歩いてきた修羅場の数や経験、器や度量など全てにおいて隔絶しすぎている
三成ごときがどうして相手になれようか
- 307 :人間七七四年:2023/07/27(木) 22:47:50.60 ID:P8eYqgXj.net
- >>305
利長が人質集め始めたのは8月13日付利政宛利長書状の動員要請の結果を
受けたことによるものだけど、利政はその少し前に既に出陣拒否してる
9月5日付利長書状「まつ人しゆうち入候て、おいさし物いけなをし申候而、二日中ニはたらき可申候と存候」
と、本来なら金沢帰還後の2涛後には出陣しbスかったけど利瑞ュの出陣拒否に草ュの出陣拒否に荘ってと続いてb「る
つまり8月13日の動員要請は2度目の要請ということになる
出陣拒否が判明してから利長も少し様子見してた期間があるが、トータルで見ると約一ヶ月
- 308 :人間七七四年:2023/07/27(木) 23:11:11.50 ID:TDdWiQdA.net
- >>307
なんか文章がおかしいけど、コピペした際にミスった?
- 309 :人間七七四年:2023/07/27(木) 23:15:25.96 ID:P8eYqgXj.net
- >>308
ん?どこがおかしい?コピペなんかしてないけど
おかしいところ指摘してくれ
- 310 :人間七七四年:2023/07/28(金) 00:24:09.05 ID:gvWuObId.net
- 2涛後には出陣しbスかったけど利瑞ュの出陣拒否に草ュの出陣拒否に荘�チてと続いてb「る
- 311 :人間七七四年:2023/07/28(金) 01:09:08.05 ID:a5LR810d.net
- >>310
なにこれ?ギャグ?
お前がバグってるやんけw
この部分がおかしいってことか?
「本来なら金沢帰還後の2日後には出陣したかったけど利政の出陣拒否に遭ってと続いている」
それはお前が9月5日付前田利長書状読んでないから理解できないんだよ
先ず全文読んでこいよ、でないと話にならんわ
これがお前がおかしいと指摘してる部分の翻刻と大意ね
「三日に大せう寺へ取かけ、そくしニせめほし、山口おやこうち取候、すなわち越前へはたらき可申と存候所に、
ふしミのしろ一日ニおち申候由候、其上越後いつきおこり申候由、久太よりちうしん候間、まつ人しゆうち入候て、
おいさし物いけなをし申候而、二日中ニはたらき可申候と存候、孫四郎おんなとも、上方にい申ニつゐて、
孫四郎色々の申分候、のとい申人しゆおたて候ましきよし申候間、此中のしゆえことわり申候」
3日に大聖寺落とした後利長は越前へ出たかったが、1日に伏見が落ちたり、堀秀治から
越後で一揆が起こったと注進があったりして、先ず金沢に帰還して戦の準備を整えて2日の内には
再出陣したかったけど、利政が人質が上方にいるとからと言って出陣を拒否した
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