石田三成の挙兵 ★6
- 476 :人間七七四年:2023/08/09(水) 09:25:32.09 ID:EojLlfoj.net
- だから岐阜城後詰決戦案なんだよ、結論は。
- 477 :人間七七四年:2023/08/09(水) 09:28:49.92 ID:eeiXKwvg.net
- 家康と輝元の戦略眼の違いが出てる
垂井まで取って大垣城はかなり厳しい、家康はここで小早川秀秋に松尾山取らせて大垣を完全に孤立させることにした
籠城すれば兵糧攻め、攻めてくればどこにきても挟撃の形になり勝利は容易い
対して輝元にはこれが見えてない。もし松尾山取られたらどうしようとか考えてない
ていうか徳川をどうやって倒すのかも考えてなさそう
- 478 :人間七七四年:2023/08/09(水) 09:30:29.12 ID:eeiXKwvg.net
- >>476
兵数あれば出来たかもだけど
東軍に兵力で負けてるから出来なかった
西軍の美濃方面への戦略が間違ってた
- 479 :人間七七四年:2023/08/09(水) 10:48:49.26 ID:NJfTgFvi.net
- >>477
そもそも輝元と三成の戦略目標が全く違うと思うんだよな。
三成の戦略は奉行衆による豊臣家権益の継承と打倒徳川家康。
そのためには旧織田領たる美濃尾張を抑えるのは必須だし、家康が出てきたなら決戦をする必要があった。
対して輝元の戦略は毛利を中心とした西国の権益強化。
なので不破の関(関ヶ原)より先の東国はそれほど重要ではないし、徳川とはなあなあの和睦が出来れば十分。
なので大坂城退去の時点では、毛利のみほぼ無傷で領国安堵だから輝元はかなり上手くやったことになる。
それが反故になった瞬間、稀代の愚将に成り下がったが。
- 480 :人間七七四年:2023/08/09(水) 11:00:00.91 ID:LuM+4BoV.net
- >>478
数日岐阜城が籠城して粘れば宇喜多が到着して兵数の問題はなんとかなる。
渡河迎撃策ではなく籠城策ならば岐阜城後詰決戦に至った可能性はそれなりにある。
ただそれでも決戦で勝たなければ意味ないが。
- 481 :人間七七四年:2023/08/09(水) 11:01:02.04 ID:BY7lHPUO.net
- 秀頼を奉じる西軍はその権威を使って自勢力を拡大しようとした
それは東軍諸将当人を寝返らせる事は出来なくともその配下が「秀頼さまのため」と寝返ればそれで十分だった。それで実際前田家や細川家では裏切者が出てる
ただこれは戦略としては長期戦を前提としてる。配下の裏切りだって西軍が優位にならないと積極的にはならない
家康の戦略は短期決着、まぁどっちが正しかったかはね
- 482 :人間七七四年:2023/08/09(水) 11:04:02.36 ID:BY7lHPUO.net
- 岐阜城も抵抗は無理だと思う
まず岐阜城自体が籠城戦に適してない
次に竹ヶ鼻状況が裏切ってるから後詰が難しい
渡河するところを東軍に強撃される(てか史実でもされた)
これを解決するには宇喜多軍一万では足りない最低でも五万人は居ないと話にならない
最初からもっと兵があれば…
- 483 :人間七七四年:2023/08/09(水) 13:00:22.86 ID:jWT0UYEl.net
- 以前、
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?スレで散々検討した。
- 484 :人間七七四年:2023/08/09(水) 13:55:53.25 ID:V2FBSVT5.net
- ていうかこのスレって
実質関ヶ原総合スレよな
- 485 :人間七七四年:2023/08/09(水) 17:19:41.23 ID:dyoYgJkY.net
- 三成の西軍での立場って弱過ぎて話にならないし
最近は総大将はおろか決起計画すら知らなかったのに戦争責任負わされた可哀想な人扱い
- 486 :人間七七四年:2023/08/09(水) 21:12:54.85 ID:wVa5IdE6.net
- 三成なんて奉行を辞めさせられたただの一大名でしかないからな
- 487 :人間七七四年:2023/08/09(水) 21:15:00.98 ID:gNKMzFN8.net
- 大谷吉継の誘い拒否ったらその場で殺されてただろうなってくらいの零細
三成が本隊率いていたとは言え佐和山に二千人ちょいしか居ないのが哀愁誘う
- 488 :人間七七四年:2023/08/09(水) 22:58:26.25 ID:GFNUBCGH.net
- 世襲と派閥の繋がりみたいなのがまだ豊臣政権内で成立してないからな
どの家も当主の考えが大きいからな
- 489 :人間七七四年:2023/08/09(水) 23:10:12.90 ID:dW66X0g1.net
- https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1574264307/
- 490 :人間七七四年:2023/08/10(木) 00:08:32.07 ID:WkM4wF/8.net
- >>489は関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?スレを過去ログから拾ってきた。最初の>30くらいまでにまとめてある。
ちなみにわたしが当時の>>1。
- 491 :人間七七四年:2023/08/10(木) 17:38:03.29 ID:2ac4xnhd.net
- >>485
それなんだけど、石田三成が挙兵した時点でほとんどの書状が「石田、大谷」となっているんだけど……
しかも、石田がどれも先になってるし
いくつかは毛利輝元にもなってるけど、石田と大谷が首謀者認定されている
それなのに「石田は立場が弱かった」「石田は首謀者ではなかった」とされるのはどうなんだろうか
少なくとも1598年8月末の毛利輝元と奉行の密約は三成が首謀者のはずなんだけど
- 492 :人間七七四年:2023/08/10(木) 19:15:17.57 ID:njX1Fp5i.net
- そりゃ大坂三奉行の方が先に決起しとるし
- 493 :人間七七四年:2023/08/10(木) 19:27:35.17 ID:2ac4xnhd.net
- 挙兵段階の書状で三奉行(前田・長束・増田)の名前は全く出てないよ
蜂須賀家政すら石田と大谷と言ってる
- 494 :人間七七四年:2023/08/10(木) 19:36:59.17 ID:VU/xG4/9.net
- 三成が武装蜂起してるなら兎も角三成は何もしてない。敢えて言えば大谷吉継が佐和山に居る、それだけ。どこに謀反の要素がある?
つまり火のないところに煙を立てた連中がいる
その心は「三成が決起したから諸将の人質を安全なところに移す」とか「三成が決起したので念の為毛利輝元の軍が入ります」ということ。つまりクーデターの下準備を誤魔化すため
こいつらにとって三成は口実であって必須条件じゃない。それで決起参加後も特段権限は与えませんでした
- 495 :人間七七四年:2023/08/10(木) 19:55:56.87 ID:HDgE0eK/.net
- 毛利輝元は完全に別の意図だろうな。
近年は彼がお飾りではなく、積極的にやる気を見せて動いているとされているけど、
その行動原理と結果を見る限り、家康討伐のためのやる気ではなく、
西国の支配権、命令系統を奉行衆に取られないように動いているフシがある。
その観点から見れば、大坂城を動かないのは正解だし、奉行衆が壊滅したあと大坂城に籠もってまで徹底抗戦する必要性はどこにもない。
……ただ、石田三成や大谷吉継はそれを予想しなかったのか?
よほど安国寺恵瓊が上手く丸め込んだのか?
- 496 :人間七七四年:2023/08/10(木) 20:02:16.68 ID:f9bfdDNZ.net
- 挙兵した段階じゃ東軍も正確な情報を掴んでないから石田・大谷、あるいは毛利・石田による挙兵だという認識は間違ってない
家康も奉行が絡んだ謀叛だと認識するのは7月29日付の書状からだし
まあ三成が首謀者だったとは思わんけど決起を知らなかったとは断言できんと思う
現状研究者でもそんなこと言ってる人いないし
- 497 :人間七七四年:2023/08/10(木) 20:09:51.44 ID:VU/xG4/9.net
- 知っていたら何故三成は一味に決起参加を呼び掛けてないのかって疑問がでてくる
例えば真田昌幸は三成に誘われなかったことを三成に詰った
佐竹義宣も三成から誘われず三成に書状を送ってる
上杉景勝も同じく何も知らされてない
- 498 :人間七七四年:2023/08/10(木) 20:24:18.37 ID:ru0qY0uz.net
- >>495
毛利が邪魔になるなら、戦後に奉行が内府ならぬ毛利違いの条々を出せばいいと思ってたんだろ
毛利に対して徳川と同じことをすればいいと
つか、徳川に対する行動自体、前田利長に対するやり口と事実上同じだし
そもそも、奉行は立場上豊臣政権という権威が諸侯を従わせる絶対的なものであるという
認識でなければ、権勢をふるう事すら不可能なのでこの前提を覆せない
つまり、豊臣政権の命令という形さえとれば(事実上奉行の命令であったとしても)
前田も徳川も毛利も上杉もどうとでもなる、位の超絶甘い考えだったんじゃないかと
ただ、厄介なのは関ヶ原前の時点では家康自体が豊臣政権の第一人者なのを大義名分に
してる点で(徳川の立場や権威が豊臣政権ありきで保障されてるので当然だが)
要は家康自体が割と豊臣政権の権威を利用(頼ってる)して行動してるんで、
奉行が勘違いしやすい状況が整ってしまってるんだよな
徳川でさえ、政権の権威に縋ってるのならその立場さえ奪い取れば…みたいな
- 499 :人間七七四年:2023/08/10(木) 22:03:57.68 ID:f9bfdDNZ.net
- >>497
タイミングの問題なんじゃね
割と突発的な挙兵だし単にタイミングの問題で連絡できなかった可能性は考えられる
三成は奉行職を解任されてるわけで内府違いを出す前に派手に動けば目立つだろうし
まあ知らなかった可能性ももしかしたらあるかもしれんが断言はできんよねってこと
- 500 :人間七七四年:2023/08/10(木) 22:11:34.65 ID:KcB2dozq.net
- 家康が会津征伐で大坂を発ったのが六月
大谷吉継が佐和山の石田三成に会ったのが七月初旬
三成謀反の噂が流れ出したのが七月十二日
三奉行が内府違いの条々出したのが十七日
そして三成が真田昌幸に書状送ったのが三十日(しかも返書)
何がタイミングだ?って昌幸が三成を詰るのも納得の遅さ
もし三成が決起計画を知ってたら早ければ六月、遅くとも七月十七日には書状出すのが普通
真田昌幸は三成にとって軽んじていい相手じゃないし
- 501 :人間七七四年:2023/08/10(木) 22:33:07.63 ID:HDgE0eK/.net
- >>498
仮にだが、徳川家康を追い詰める、場合によっては首を獲っている時点で、兵数的に毛利吉川勢の功績が大きすぎんか?
徳川亡き後、誰が毛利を抑えられる?
>>499
そう考えると、実は毛利輝元(安国寺恵瓊)黒幕説が真実味を帯びてくるのか?
石田三成や大谷吉継の決起計画を把握した輝元が、各所に連絡が付く前に書状を乱発して奉行衆がすぐに決起せざるを得なくする。
決起内容からして奉行衆は東国を目指すしかなく、奉行衆に足りない兵力を毛利秀元や吉川広家等の毛利譜代衆で補填して引くに引けなくする。
かたや輝元自身は、主力で大坂城を確保して各地への命令系統を掌握する。
再起を図りたい大友義統や村上武吉を使って九州や四国の権益の拡大を謀り、裏では徳川家康とは渡りをつけておく。
勝てば良し、負けそうなら毛利秀元や吉川広家にはさっさと兵を引かせ、被害は奉行衆に被ってもらう。
自身は大坂城を手土産に事前の下準備通りに徳川と講和して現状維持。
少なくとも石田三成や大谷吉継らの意図の読めない動きよりは、よっぽど納得できる説明がついてしまう。
- 502 :人間七七四年:2023/08/10(木) 23:27:02.53 ID:f9bfdDNZ.net
- >>500
7月12日付増田書状は偽書説もあるしあまり当てにならん
・佐竹
8月7日付三成書状で7月23日に佐竹から三成へ書状が送られている
書状の内容からこれがファーストコンタクトか?
・上杉
8月6日付直江書状で佐和山からの使者を懇ろに饗応するよう兼続が指示してるが、これが初めての三成からの使者かは不明
・真田
7月30日付三成書状で7月21日に昌幸からの返書が三成へと出されている
書状の内容からこれがファーストコンタクトか?
一次史料だといつ決起計画が持ち上がったのか不明だけど6月中は流石に無理がある
まあこうやって見ると遅いのは確かに遅いな
しかしあんたのように自信満々に知らなかったとは断言はできないと思うね
その辺は今後の研究に期待するわ
あと丸島氏は昌幸が事前に挙兵計画を知らせなかった不満を表したのは褒美の釣
り上げを狙ったもので、本心からではなく駆け引きと見るべきだと言ってるけどね
- 503 :人間七七四年:2023/08/11(金) 08:31:56.55 ID:S4grwbyu.net
- 三成が決起計画を知っていたら六月には動いてないと遅い
それとなく上杉や佐竹、真田に話を通しておかないと「徳川の背後を西軍勢力が脅かす」構図にならないのは明らかなんだから
特に上杉とは元取次なんだから「世話になった身なので心配」って名目で連絡は出せる
出来なかったとして七月十七日には出来たはず。本来決起前にやるべき根回しを決起後にやるのだからもう待ってましたと言わんばかりだろう
それが向こうから手紙来るまで黙ってたのは解せない
- 504 :人間七七四年:2023/08/11(金) 08:33:23.65 ID:S4grwbyu.net
- >>502
丸島氏の見解は昌幸を馬鹿にし過ぎだと思う
徳川家康と戦うってのは単純な戦じゃない
西軍が負けたら全てを喪う大博打なんだから
そんなところで駆け引き打ったとするならそれは昌幸が「家康と戦う」ことの重大さを認識出来てなかったことになる
- 505 :人間七七四年:2023/08/11(金) 09:05:01.49 ID:zr1FC+DW.net
- >>504
戦う覚悟が足りないとかそんなあやふやなもんじゃなく、実際短期間の通信で恩賞は信濃・甲斐2ヶ国にまで増えてるからな
真田と石田の最後の通信8月10日付三成書状が根拠になってるし全く筋違いなことを言ってるわけじゃない
- 506 :人間七七四年:2023/08/11(金) 10:27:32.32 ID:S4grwbyu.net
- 昌幸がタカってなくても恩賞は上がるに決まってるんだよな
それよか問題なのは三成が決起計画を伝えなかったことで真田家は意思統一が出来なかったということ。特に信幸が密かに裏切っていた事は大打撃になってる
何故三成は伝えなかったのか?というと伝えなかったのではなく伝えられなかったという説明の方が論理的
何故伝えられなかったのか、というと三成は全く決起計画を知らずまず西軍から計画を聞かないといけなかったからって結論になる
- 507 :人間七七四年:2023/08/11(金) 10:39:55.95 ID:zr1FC+DW.net
- >>506
上がるに決まってる?決まってないよw
まあ連絡は確かに遅いとは思うけどそれで知らなかったからは飛躍しすぎ
誰か研究者でそう主張してる人がいるならまだしも誰一人そんなこと言ってる人もいない
他に理由があって連絡しなかった可能性もあるし現状の史料では確認できんから断言はできないよねと言ってるわけで
まあどうせお前に何言っても聞かんでしょ
- 508 :人間七七四年:2023/08/11(金) 12:49:30.18 ID:S4grwbyu.net
- 報連相が全く出来てない三成に対して大坂三奉行と毛利輝元はがっちり連携取ってるのも対照的
三奉行が輝元に上洛を要請したのは十二日だけど輝元はこの時既に船まで用意してた
光成氏はこの上洛が異様な速度である事から事前の打合せ無しがあったとしてる
また輝元は六月に大坂に祐筆を送ってる。これによって安国寺恵瓊は輝元の命令書状を速やかに作成できた
と、三奉行と輝元は六月から既に行動してるのだが対して三成が活動を始めたのは七月末
三成は全く決起計画を知らされてなかった、だからあれほど軽んじられていたんだね
- 509 :人間七七四年:2023/08/11(金) 13:20:17.15 ID:zr1FC+DW.net
- >>508
輝元が恵瓊の要請で右筆派遣したのは7月上旬のこと
自論の主張はいいけど史料の捏造はやめようね
あと打ち合わせがあったでしょ?打ち合わせ無しがあったになってるよw
- 510 :人間七七四年:2023/08/11(金) 15:04:01.85 ID:S4grwbyu.net
- そうだっけ?光成氏の本だとだと六月だった気がしたけど記憶違いだったかな
とどのつまり三成は西軍決起計画を知らず、だから何も行動出来ないまま七月末まで来てしまった
なにせ三成が決起計画を知っていたとして真田らに書状を送らない理由が無いからね
- 511 :人間七七四年:2023/08/11(金) 18:33:03.31 ID:zr1FC+DW.net
- >>510
自分で確認してみればいい
あんたの場合史料の誤読も多いし適当なことばっか言うから史料引用しても信用ならんのよね、あと都合悪くなると逃げるし
内府ちかひは複数種類があると主張してたけど未だにお答えいただけないしなw
- 512 :人間七七四年:2023/08/11(金) 19:21:01.69 ID:F/5IlAxh.net
- >>511
辛辣かつ正論で草
- 513 :人間七七四年:2023/08/11(金) 19:34:09.43 ID:F/5IlAxh.net
- >>503
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-1/18/0064?m=all&s=0064
7月30日時点でも三成は上杉との連絡ルートがないのにあほか
この書状だと暮れから来春に関東に出陣すると三成はいっている
のんびりした認識だもんだ
- 514 :人間七七四年:2023/08/11(金) 19:51:30.66 ID:T++ncm7a.net
- 真田昌幸宛三成書状での弁明によれば家康が大坂に居る間は諸将の心がわからず発言が憚られた、何事も隠密が重要と思ったとのこと
ただこれは確かに苦しいな
徳川家康が大坂にいるってなら六月十七日には書状送れた筈だし徳川軍が大坂になら七月十七日には送れた
また隠密云々とあるけど佐和山に大谷吉継が来てるというだけで三成謀反の一報が騒がれてる。軍隊が来るより書状の方が騒がれるなんて有り得るか?三成が決起計画を知らなかったなら辻褄は合う
三成は弁明に終始してるけど昌幸からしたら真田は戦力外と言われてるに等しい訳で怒るのも仕方ない
- 515 :人間七七四年:2023/08/11(金) 21:38:05.43 ID:zr1FC+DW.net
- >>514
何事も隠密が重要?また誤訳してるぞ
「隠密之節」つまり公になってない計画の段階で昌幸に伝えても意味ないと思ったと三成は言ってる
「いつれも隠密之節も申入候ても、世上不成立ニ付てハ、御一人御得心候ても、無専儀と存思慮」
いずれにせよ隠密の段階で計画を申し入れても世間がまとまらなければ(つまり
挙兵できなければ)、貴方お一人心得ていただいても詮無きことと思慮しました
- 516 :人間七七四年:2023/08/12(土) 04:56:33.19 ID:8b40fBnQ.net
- 慶長5年6月に三成が直江に宛てた書状がなかったか?
- 517 :人間七七四年:2023/08/12(土) 07:01:40.71 ID:itAROjaH.net
- 確かそれは偽書とか言われてた気がするが
- 518 :人間七七四年:2023/08/12(土) 08:36:27.89 ID:FW5ZVdLj.net
- 三成が西軍の総大将だと思いたい人って「三成は西軍総大将だった」という前提から史料を見てるから変なことになってる
史料だけ見れば三成が総大将だった事を示すものは無いしむしろそれと矛盾するものが多い
三成が西軍総大将なら何故前もって根回ししてないのか?そういわれて「何か事情があった」という妄想以下の思考放棄に陥ってる
どれほどの馬鹿者でも家康と戦うなら一味に連絡くらいするし決起した後も放置なんてやらん
ってことは三成は西軍とは全く関係ないところにいたって結論になる
- 519 :人間七七四年:2023/08/12(土) 09:16:21.74 ID:8b40fBnQ.net
- 決起した後も放置?
少なくとも8月上旬までは真田と交信してるし、慶長5年8月2日付で出した2大老4奉行による連署書状もあるし
総大将かはともかく、首謀者の一員なのは明らかでは?
そもそも佐和山あるいは大坂から会津なんだから、簡単に連絡取れるわけない
その間には家康派の大名ばかりがいるんだし
当時なら大坂から会津まで普通なら20日、急いで8日はかかったんじゃないの? それを隠密裏にやらないと
いけないんだから時間がかかったはず
現在みたいに電話やSNSが使えないんだから、連絡とってない=放置、は如何かと思う
- 520 :人間七七四年:2023/08/12(土) 10:39:20.89 ID:FW5ZVdLj.net
- 七月十七日に蜂起してんのに三十日までダラダラしてんのおかしいだろって話なんだよな
- 521 :人間七七四年:2023/08/12(土) 11:14:13.60 ID:D0/Sl6e8.net
- >>518
史料読めない奴が偉そうっすねw
三成が総大将だったなんて言ってる奴誰もいないけどお前には何が見えてるの?
で、何事も隠密が重要って何?
お前は史料の誤読誤訳が前提になってるからおかしなことになるんだな
- 522 :人間七七四年:2023/08/12(土) 11:44:58.63 ID:5ZHO690B.net
- アスペがなんか騒いでるじゃん
滑稽だな
- 523 :人間七七四年:2023/08/12(土) 11:48:06.38 ID:5ZHO690B.net
- 何が滑稽ってアスペくんが必死に訳した内容は
何の意味も無いってところね
仮にアスペくんの訳が正しかったとして西軍は七月十七日に内府違いの条々を出して伏見城を攻撃と完全に挙兵してる
つまり三成がどうして七月十七日に真田昌幸に書状を送らなかったのかという疑問の答えにまるでならない
アスペくんと同じで無駄な翻訳、普通は何やってんだろ俺って思うけどね
- 524 :人間七七四年:2023/08/12(土) 11:54:49.41 ID:5ZHO690B.net
- アスペくんは真田昌幸が青森の豪族程度の認識しか無いんだろうしそれはそれで大切にしてほしいが歴史家からするとそうはいかない
真田昌幸は三成と親しい、どれくらいかと言えばこいつ西軍にだけ就てる。よくある蝙蝠外交もしてない。それだけ三成に賭けていた
また真田領は西軍が持つ唯一東軍勢力を排して上杉と連絡出来るので重要度は非常に高い
昌幸が怒るのも当たり前で決起以前に話をしてくれないと準備が出来ない。昌幸は決起を知らなかったので真田一族は信幸と昌幸・信繁で別行動していたので意思統一が出来なかった(犬伏の別れは明治時代の創作)
事前に一報あればこうはならんかったという話でそれで三成は本当に決起を知っていたのか怪しいって結論になる
- 525 :人間七七四年:2023/08/12(土) 12:06:38.08 ID:D0/Sl6e8.net
- >>523
訳が間違ってることを恥じるどころか開き直りとかどうしようもないゴミだな
前から言ってるけど史料にないもの思考してもそれは推論にしかならんよ
それをお前は知らなかったと断定してさも史実かのように言うのは違うよねと言ってるんだけどご理解いただけないようで
お前がアスペじゃねーかw
あとお前は昌幸は信幸が東軍についたことを知らなかったとか言ってるけど、
前にこの話題が出た時、真田家文書の所蔵先の見解が聞きたくて質問したこと
があるが、互いの動向が把握できていなかったとは考えにくいと言ってたよ
丸島氏や平山氏、黒田氏もそんなことは言ってないし現状はお前の妄想過ぎないね
で、どの歴史家がそんなアホなこと言ってるの?
- 526 :人間七七四年:2023/08/12(土) 12:51:45.54 ID:D0/Sl6e8.net
- >>524
それはあくまであんたの中の結論でしょ
さも史実であるかのように語らず史料を捏造しなければ好きにすればいい
真田の価値が高いのは三成の書状見れば一々ご説明いただかなくても分かるよ
三成は沼田越えや信幸が東軍についたと認識した後は越後経由で上杉と通信するのに真田の力を必要としてたし軽く見てないのは明白
まあ越後は味方にならんし仮に越後が使えたとしても川中島の森領を通過しなきゃならんから結局無理だったけど
- 527 :人間七七四年:2023/08/12(土) 15:17:19.01 ID:FW5ZVdLj.net
- そもそも>>515の訳には致命的な矛盾がある
決起できなければ昌幸に話しても詮なきこと、だというなら三成はどうやって決起できると言うのだろうか?
西軍は毛利輝元・宇喜多秀家と三奉行に大谷吉継とかなりの勢力が集合したもので当然彼らの間には連携がある。当然いつ決起するかも彼等は決めている
三成がそれらの話し合いに加わっていたなら当然昌幸にも話してないとおかしい
これは大きな矛盾、ここから導き出される石田三成は「西軍決起計画の存在は知っていたが、いつ決起するのか誰が参加しているのか知らず、また他人にこれを伝える事が許されてない」男だったことになる。こんな立場の男、一般的には首謀者とは言わない。使い走りの駒も同然
そしてこの程度の立場だというなら三成がそもそも決起計画を知らなかったとしても何もおかしくないし寧ろそちらの方が自然だろう
- 528 :人間七七四年:2023/08/12(土) 15:19:41.65 ID:7cWHgJTy.net
- >>525
これがホンモノのアスペか
真田家文書の所蔵先云々とかお前の頭の中で起きた事を現実みたくいうなよ…頼むからさ
- 529 :人間七七四年:2023/08/12(土) 15:28:29.61 ID:vsqmvpFj.net
- ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-6-3/13/0055?m=all&s=0055&n=20
7月20日には大谷が真田に通信している
初報でもない
これ以前に大坂の情勢を知らせた書状があったんじゃないか
この書状で挙げられた決起衆に石田の名前はないが、筆頭の「年寄衆」に入ってるんだろう
第一、石田の真田への30日書状は、真田が21日に2度出した書状への返信だよ
石田から自発的に出したもんじゃない
大谷が戦働きに出たから次第に真田担当が石田に切り替わっていっただけじゃないかね
>>527
おまえの誤訳だバーカ
知らせなかったから知らなかったんだ!ってなるかよ
その役割は大谷がちゃんとやってる
その後は三奉行も
むしろ三成は表裏比興に突っかかられている立場
- 530 :人間七七四年:2023/08/12(土) 15:35:01.12 ID:vsqmvpFj.net
- >>527
妄想を重ねてトンデモ史を編むんじゃなく、素直に史料を読めよ
あ、その要求はよそう
- 531 :人間七七四年:2023/08/12(土) 16:43:51.48 ID:D0/Sl6e8.net
- >>527
無様だねえwよっぽど悔しかったんだろうけど流石に無理があるわ
細い部分に違いはあるかもしれんけど誰が訳しても同じような意味になると思うよ
~じゃないとおかしい←これ納得できなくて駄々こねてる幼児みたいでみっともないからやめた方がいいよw
あと真田家文書の所蔵先とのやり取りのメールは保存してあるけどお前みたいなゴミに晒す気はないから嘘だと思うならそれでも結構
納得いかなきゃ自分で直接聞いてみればいい
- 532 :人間七七四年:2023/08/12(土) 17:29:08.16 ID:pYrtFzC+.net
- 真田がどうこう以前に、結局西軍の首謀者は誰なのよ?
- 533 :人間七七四年:2023/08/12(土) 17:40:43.45 ID:vsqmvpFj.net
- >>532
石田、大谷、安国寺でしょ
問題は安国寺の行動に輝元の意向が反映されていたかどうか
- 534 :人間七七四年:2023/08/12(土) 18:25:17.28 ID:KKXgIOjr.net
- 毛利は輝元の意思が重要だから安国寺の独走は考えられない
小早川隆景や吉川元春など一門衆が輝元の権威を必死に上げたのが続いてる
とはいえ東軍との講和工作以降あたりから輝元は家臣団からの押し込め状態だとも見られるが
石田は初動からは外れてるし参加しても主導権が大阪方に握られ続けてる
岐阜重視の戦略が却下され伊勢重視の戦略がとられてるし金兵糧の要請も無視されてる
首謀者は輝元と大谷じゃないか
- 535 :人間七七四年:2023/08/12(土) 18:46:22.64 ID:pYrtFzC+.net
- >>534
いや、この時期の毛利というか輝元は、小早川隆景の死を契機に中央集権体制に移行しつつあるのよ。
隆景の死により完全に別家となった小早川家や、豊臣家直参となった恵瓊とは距離を置き始めてる。
その上で吉川家どころか毛利分家(秀元)の権力も本家に集中させようとしてる。
>>533
なので、恵瓊の行動に毛利の意向はそれほど反映されておらず、吉川広家等の行動こそ輝元の本心と見て良い。
上に書いてるレスもあるけど、西国における毛利の権益強化が主軸で、東国の徳川とは、適当な所で手打ちを考えていたのだろう。
- 536 :人間七七四年:2023/08/12(土) 19:21:49.55 ID:KKXgIOjr.net
- >>535
小早川秀秋は毛利に含めてないよ
安国寺は毛利として考えてるが
中央集権体制に移行してるなら尚更輝元の意思が重要
初動の毛利の動きは積極的だし完全に一枚岩だから輝元の積極性の表れと見える
最終目的が西国権益の輝元と家康排除の大谷で違ってただけで挙兵時の首謀者としては同等じゃないか
お互いを利用しようとした同床異夢
それに振り回されたのが石田三成など中途参加者たち
- 537 :人間七七四年:2023/08/12(土) 20:39:17.26 ID:pYrtFzC+.net
- >>536
安国寺恵瓊を毛利勢にカウントすると解せないのは安国寺恵瓊の戦後の処遇。
敗走中に捕らえられたわけでもなく、毛利秀元や吉川広家と同様に戦わずに降伏しているのに、
捕縛の後斬首、六条河原に晒されるという明らかに他の毛利勢とは違う処断がされている。
7月から既に吉川広家を通じて「恵瓊が悪いんや!」って東軍とやり取りをしていることから、
毛利側は端から安国寺恵瓊を毛利勢ではなく豊臣直参として切り捨てるつもりだったと読み取れる。
- 538 :人間七七四年:2023/08/12(土) 21:28:36.92 ID:D0/Sl6e8.net
- >>537
その7月13日、14日付書状は徳川方ではなく吉川家文書として伝来してるから徳川方には恐らく発送されてないんだよな
光成氏は戦後に広家が自己弁護のために偽造した可能性もあることを指摘してるからもしそうだとしたら
吉川は端から安国寺をスケープゴートにしようとしてたかもしれんけど、輝元はこの段階じゃまだ微妙だな
8月17日付吉川広家宛黒田長政書状で輝元は何も知らず安国寺一人の責任だと
言ってるけど、この頃にはもう輝元にも話が通ってて方針は定まってそうだけど
- 539 :人間七七四年:2023/08/12(土) 21:38:12.07 ID:itAROjaH.net
- 輝元は三奉行からの呼び掛けに即日、しかも船を使って二日で広島から大坂に着いてる
この事から輝元と三奉行は事前に申し合わせていたことがわかってる
光成氏によるとこの行軍は尋常じゃない速度、更に輝元がもし何も知らなかったら陸路で時間を掛けて行軍してるはずだと指摘してる
荒れる海路になるから輝元は潮流や天候をかなり詳しく調べさせていたのは明らかで既に十七日大坂城占拠は既定路線だった
- 540 :人間七七四年:2023/08/12(土) 21:39:58.94 ID:OKeVIU1/.net
- >>531
マジもんの頭おかしい奴来たな…
くわばらくわばら
- 541 :人間七七四年:2023/08/12(土) 21:43:58.95 ID:Kb8zSwT2.net
- >>529
君はまず三成書状をちゃんと読もう!
「先づ以って今度の意趣兼て御知らせも申さざる儀、御腹立ち余儀無く候」
三成は昌幸に決起について全く知らせてないとちゃんと告白してる
つまり大谷云々は無関係です
- 542 :人間七七四年:2023/08/12(土) 21:44:00.71 ID:D0/Sl6e8.net
- >>540
ID変えて罵詈雑言しか吐けなくなってて草
消えろゴミクズ
- 543 :人間七七四年:2023/08/12(土) 21:45:09.35 ID:YZqi1pPL.net
- >>542
だってメールが云々とか言い出してるんだぜ
頭おかしいよ
どこぞの研究者にいちゃもんつけたんかな
かわいそー
- 544 :人間七七四年:2023/08/12(土) 21:46:52.23 ID:D0/Sl6e8.net
- >>543
どこぞの研究者w
無知もその辺にしとけよゴミ
- 545 :人間七七四年:2023/08/12(土) 21:52:07.91 ID:D0/Sl6e8.net
- >>543
お前コテつけろよ
一々飛行機飛ばして鬱陶しいねん
- 546 :人間七七四年:2023/08/12(土) 21:57:38.40 ID:itAROjaH.net
- 大坂三奉行も十七日までに諸将の人質を集めて決起の下準備を整えてる
その過程で玉子ことガラシャが死んだが
三成謀反云々はこれらの動きを徳川に悟られない為の偽装情報だった可能性はかなり高い
だって三成が謀反して無かったら三奉行が人質を集める事も輝元が大坂城取る事も謀反以外にとらえようがなく少なくとも人質収監は諦めることになったろうから
- 547 :人間七七四年:2023/08/12(土) 21:59:14.59 ID:Ic64uMPW.net
- >>544
だってお前
「私は真田家文書についてメールを〜」とか
し ら な い よ www
以外感想ある?どーでもいいしそもそも何言ってるかもわからん
頭の中でどんな妄想してるのかわからんしホンモノですよこれは…
いきなり腕時計自慢始めたりするヤバいタイプ
- 548 :人間七七四年:2023/08/12(土) 22:08:24.90 ID:HyEXvxAJ.net
- 例えば「三成が七月十七日前に昌幸に送った書状が真田家文書にあった!」とかならそりゃ凄いよ聞く価値もある
「メールしました!」って何言ってんだよこいつ
メールするならガキでも出来るんだわ
それともこいつの中ではメール送るってそんだけ凄いことなのか?そりゃご立派
三成が昌幸と西軍について話してる史料を見つける、ってのには遥か遠いけど
- 549 :人間七七四年:2023/08/12(土) 22:16:11.04 ID:pYrtFzC+.net
- >>538
そもそもの前提なんだけど、流石に輝元が一連の流れ自体を知らないということはない。
知ったうえで、奉行衆とは別の思惑の行動をしているという意味で、西軍の首謀者たりえていない。
そうなると、奉行衆の中で三成が中心にいないのはやはり不自然なのよ。
浅野が東軍、前田が実質中立、増田はあまりやる気なしの状態、積極的なのは長束だけでここまで大々的に動けるかと言うと……。
- 550 :人間七七四年:2023/08/12(土) 23:59:36.02 ID:D0/Sl6e8.net
- >>547
何言ってんだこのクソガイジw
お前は>>524で「真田一族は信幸と昌幸・信繁で別行動していたので意思統一が出来なかった」と言ってるな
更に以前のお前の書き込み
336 人間七七四年 sage 2023/02/25(土) 07:04:22.26 ID:itbLqPYr
佐々の書状は東軍の認識していた情報が書いてあるだけで佐々がそれらを集めたって話じゃ無いんじゃないか?日付も遅いし。むしろ真田昌幸のミスの方が大きい。昌幸は真田一家全員の意思を確認せず全員西軍に与すると思い込んでいた。
その結果真田信幸が徳川に味方した事を掴めなかった。三成は七月晦日と八月五日に信幸にも書状を送ってるから東軍の情報源はこっちだろうって話がある。表裏比興の者も息子に裏切られるとは思ってなかったらしい。
>昌幸は真田一家全員の意思を確認せず全員西軍に与すると思い込んでいた。
その結果真田信幸が徳川に味方した事を掴めなかった。
これに対して真田家文書の所蔵先の真田宝物館に昌幸は信幸が徳川についたことを把握できなかったなんてことがあり得るのか問い合わせた
ここは真田氏研究では著名な施設だからな
で、立場上断定はできないけどと前置きした上でそれは考えにくいと回答をもらったということ
手帳持ちの君には分かりにくかったんだな
しゃーない来世に切り替えていけ
- 551 :人間七七四年:2023/08/13(日) 00:08:00.63 ID:RPbSwNxz.net
- >>538
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-6-3/8/0049?m=all&s=0048&n=20
の書状読んでみ
ついでに7月29日には「各相談及鉾盾(軍事行動)候」
だった思うが輝元が書いている
じゃあきっかけはなんだといえば石田、大谷、安国寺の密談だとしかいえないな
>>541
だからなんなの?
- 552 :人間七七四年:2023/08/13(日) 07:56:25.15 ID:G1jzLBnD.net
- 三成が大谷吉継と会ったのは俗説では七月三日
別に三成は兵を挙げた訳でもないただこれだけで三成吉継謀反の噂が流れてる
十二日には増田長盛が家康に吉継は病三成が代役拒否云々と伝えてるのでこの時には既に大坂でも噂になってた
つまりもう隠すことは出来ない訳で何故書状を送らなかったのか
- 553 :人間七七四年:2023/08/13(日) 08:11:51.15 ID:9MaO7RNI.net
- >>550
何のことかわからんけど君に常識を教えてあげる
そもそも博物館の人間は歴史のプロじゃ無いぞ
「立場上断言できない」って書いてくれてるだろ?
お前さんが東大の日本史教授ってならそれ相応の対応してくれるけどただの一般人がレスバで負けた鬱憤で出したメールなんてな、プロはマトモに相手せんのよ
そのメール、ちゃんと真田氏研究家に宛てて書式整えて出したか?さもなくばそれ書いたの事務のおばちゃんだぞ
- 554 :人間七七四年:2023/08/13(日) 08:21:49.12 ID:9MaO7RNI.net
- てか見てみると確かに昌幸は信幸の裏切りを知らなかったみたいだな
七月三十日の三成書状に「信幸と信繁にも手紙出します」とあり八月になっても信幸に書状送ってる
信幸は七月二十四日に家康から書状貰ってるので最初から東軍に属してる
三成が信幸に書状を送ればそれは徳川に筒抜けになるので止めさせないといけないのに昌幸はこれを看過してる
調べてみると信幸は昌幸に先行してたので昌幸は信幸の言動を知り得なかったんだとさ
橋陽介氏が指摘したことらしいが妥当だろう
犬伏の別れってのは明治時代の創作だし信幸がしらを切れば裏切りには気付けない
- 555 :人間七七四年:2023/08/13(日) 10:57:40.23 ID:74eGSMG2.net
- >>553
事務のおばちゃんバカにしてて草
お前学芸員と学芸員補の違いも分からなそうだもんなwまあガイジだし仕方ないね
どうせ聞かんだろうけど高橋氏以外の論考も読んで見れば
お前すぐ捏造するしそのまま信用できないから高橋氏の論考もその内読んでみるわ
- 556 :人間七七四年:2023/08/13(日) 11:52:37.38 ID:ur58kJ5m.net
- まず君は何一つ反論出来てないし真田宝物館とのやり取りも何一つ意味をなして無い。マジで無駄
君は「昌幸が信幸に騙される筈がない」という前提で物を見てることに気が付いてないな。そういう見方をしてはならんと教わらなかったのか?
もし私が君ならこう聞き返すよ
「何故昌幸が信幸に騙されていたと考え難いのですか?その根拠は何ですか?石田三成は信幸が東軍に着いた後も警戒なく書状を送ってますがこれはどうお考えですか?」
わかるかな求められているのは結果じゃない根拠つまり過程なのね
学芸員にしろ事務のおばちゃんにしろそういう考えに至った根拠があるはずでそれを聞かないで何を聞いたのか?
ただこれは向こうは悪くない。聞いた君が悪い。どうせ向こうは「またメンドイ歴史オタクが来た」程度に受け取ったんだろう
- 557 :人間七七四年:2023/08/13(日) 12:16:24.33 ID:TxcVoXhe.net
- あー、白熱してる所申し訳無いけど、普段、学芸員でもそこまで考えちゃないよ。
基本的には収蔵物の劣化を防ぎながら保管し、上の指示通りにイベントや常時展示品を並べるのが仕事。
真田宝物館がどうかは他県のことだからなんとも言えないけど、
ざっと見た感じそこだけじゃなくて周囲の複数の博物館を管理してるっぽいから、
真田の親子の行き違いがどうこう、石田の書状がどうこうなんて言っても、
そんな厄介オタクの相手をする余裕もなければ権限もない。ただし、収蔵品の提供をしているなら話は別な。
(博物館の展示物って実は借り物もかなり多い。特にイベントものは大半が借り物)
- 558 :人間七七四年:2023/08/13(日) 12:22:19.49 ID:ur58kJ5m.net
- もし昌幸が信幸の裏切りを知っていたら史実のような書状は送ってないと思われる
というのも信幸が東軍ということは沼田が徳川の手に落ちたことになりそれは上杉佐竹との連携という戦略が破綻したことになり真田領が徳川軍に攻撃されることを意味している
ここに至って二人が出来ることは
・信幸を説得する
・信幸を攻撃する
くらいしかないがそのどちらともとってない。ただ漫然と沼田越えを願っているだけ
三成も親友信幸の翻心となれば説得書状の一つくらい書いたろうがそんなのも無いし
ただ信幸が裏切ったといってもそれを察知するのは至難の業だったろうから昌幸や三成の落ち度では無いかもしれないが
- 559 :人間七七四年:2023/08/13(日) 12:41:33.71 ID:RPbSwNxz.net
- >>553
研究家w
まともな教育受けてないのがまる分かり
>>558
もういいから君の誤訳トンデモ史はブログでも立ち上げてそっちでやってくれ
誤訳だって指摘されてもいつも受け入れないんだからな
史学に必要な素養を残念ながら持ち合わせていない
史学というか学問全般か
話にならんのよ
- 560 :人間七七四年:2023/08/13(日) 12:51:26.43 ID:C9+u9BMF.net
- そうやって自分に都合が悪いものを見ようとしないからバカにされるんだよ
考えてみ?昌幸は信幸が裏切ったことを三成に伝えてない何故だろう?どうして書状に一言書いておかないのか?書いておけば八月にもなって三成が信幸つまり敵に書状を送るなんて事態は起きなかったろうに
で更に考える。昌幸はどうやって信幸が裏切ったと知ったのか?信幸は西軍を攻撃した訳じゃない
信幸は沼田を封鎖して使者が往来できないようにしただけ。どうやって裏切ったとわかる?勿論いつかは気付くだろう。自分の送った使者が「消えて」しまうんだから。ただこの時代往復に五日十日掛かっておかしくない。事故事件も普通にあり得る。すぐに気がつく訳がない
君に足りないのはこうした史料理解なのだよ、こうしたところを君がどうやって解釈してるのかわからないが
あ、犬伏の別れってのは江戸時代中期くらいに創作されて明治時代に確立した作り話だよ、と付言しておく
- 561 :人間七七四年:2023/08/13(日) 12:57:07.95 ID:RPbSwNxz.net
- >>560
史料理解w
どうも今回はカチンときたみたいで長文連投してるね
史料読めないのに
- 562 :人間七七四年:2023/08/13(日) 13:58:52.55 ID:7HmAyGg5.net
- >>558の言うように三成と仲がよかったのは信幸。
三成が信幸を味方にした、あるいは説得するだろうと
昌幸が思い込んでいても不思議ではない。
あるいは真田家存続優先で昌幸信幸信繁三者合意してるのなら
東西どちらにも良い顔をするのは当たり前。
真田家に取ってどちらが勝つかより真田家存続が優先なら。
- 563 :人間七七四年:2023/08/13(日) 14:10:49.50 ID:7HmAyGg5.net
- もし信幸に、真田家当主は自分が奪ってやるくらいの意気込みがあったのなら、砥石城攻撃のときに
信繁隊に追撃してないか?
できなかった戦況だったかもしれないが、
手柄優先なら追撃しててもおかしくはない。
三者合意があったとする根拠としての状況状況証拠と言えなくはないと思う。
- 564 :人間七七四年:2023/08/13(日) 15:09:06.35 ID:TxcVoXhe.net
- >>562
あの時代に仲の良し悪しはあまり関係ないで。まあ流石に悪しの方は関係あるか。
その理屈なら徳川家康と毛利輝元は割と仲が良かったし、
関ヶ原の戦いの後ですら近況報告やお見舞いの書状のやり取りがある。
- 565 :人間七七四年:2023/08/13(日) 15:49:31.62 ID:GEvysZKq.net
- 真田信幸は七月二十四日に家康から書状を貰って東軍として認められてる。だがその事実を昌幸と三成は知らなかった
というのも信幸に与えられた任務は西軍と上杉が連絡しないよう通路を塞ぐ事で昌幸を攻撃せよといったものじゃなかった
だから昌幸が知る筈もない。それで三成は昌幸だけでなく信幸にも書状を送ってしまった
彼らが託した使者がどうなったかは不明だが仮に殺されていても気付くには相当の時間が要る
こうして信幸は西軍のフリをしてその情報を全て徳川に送っていた。上杉景勝が西軍に宛てた書状が真田家に残ってるのがそれを示してる
信幸と三成の仲は知られていたから景勝もまさか信幸が東軍とは思わなかったんだろう
- 566 :人間七七四年:2023/08/13(日) 17:17:51.87 ID:74eGSMG2.net
- >>560
真田宝物館の件は出すべきではなかったと今は反省してる
ここには細かく書かなかったがもう少し書状を引用したりしてやり取りしてるがここで全部晒すと先方にも迷惑が掛かると思い端折った
それなら最初からこの件を出すべきではなかったし自分の認識が甘かったわ
で、昌幸は二股外交こそしてないけどそこまで信頼に足りうる人物だったとは思わんね
実際に短期間で甲斐・信濃二ヶ国の恩賞を確約させてるし、丸島氏が指摘するよう
に恩賞の釣り上げのために知らせなかったとする可能性も考えられると思う
沼田越えが真田の生命線でありそれが無理だと西軍首脳にバレれば加増はないと昌幸が考えてもおかしくはない
しかし8月10日の時点で三成は信幸の動向を知ることになる
それでも越後経由での上杉の通信が可能だと三成は強調してる
真田が楔の役割を果たせると見て同日付書状で甲斐・信濃二ヶ国を約してるし、真田の価値は低下してないことが分かる
まあ当然味方は多ければ多いほどいいし三成も信幸のことをなぜ知らせなかったと詰って昌幸の心証を損ねることもないからな
そして創作とされる二次史料の長国寺殿御事蹟稿や落穂集にある三者会談があった可能性はある
黒田基樹氏も信幸は犬伏に、昌幸・信繁は天明にいて7月21日に天明で三者会談があったのではと言ってる
この辺も小山評定のように色んな研究者を巻き込んで研究が進むといいんだがな
- 567 :人間七七四年:2023/08/13(日) 19:18:55.81 ID:1F2KorZ0.net
- 書状ひとつとっても面白いよな。
1次資料扱いされる文書だとしても、
・本人が書いて、本物で、本当のことが書いてある。
・本人以外が書いて、本物で、本当のことが書いてある。(主に受け取り先が作成した写し)
・本人が書いて、偽物で、本当のことが書いてある。(主に本人の下書きや控え)
・本人が書いて、本物で、嘘や誇張が書いてある(主に戦果の過大報告や失敗の言い訳)
まずこれのどれに該当するのか、というところと調べないといけないのだから。
- 568 :人間七七四年:2023/08/14(月) 10:53:45.32 ID:zMTH/rCn.net
- 三成は勿論昌幸にも信幸の裏切りを気付く手段が無い。おそらく昌幸が真実を知ったのは徳川軍に攻撃された時だろう。そうした逸話は多い
昌幸が信頼に足るかどうかは彼が東軍に内通を持ち掛けてない事を考えれば分かるんじゃないの
どんな勢力でも生き残りの為なら両天秤掛けるのは当たり前で内心は兎も角内通を打診してるなんてのはよくある話
ただ昌幸は東軍には内通してない訳で西軍に全てを賭けてる。丸島氏の見解は外れてると思うけどね
本当に恩賞目的なら徳川にも同じ事やって払いの良い方についてるはず。西軍に全額ぶっ込んでるのに西軍に不利になる行いはしないだろう
- 569 :人間七七四年:2023/08/14(月) 11:35:12.84 ID:OuREjnbr.net
- てか昌幸もいいタマだよな
真田の周りって川中島の森忠政、小諸の仙石久秀、松本の石川三長、高島の日根野吉明、甲府の浅野長政幸長と東軍に完全包囲されてる
これで信幸まで東軍なら真田の命運は西軍主力が徳川攻めに東進してくる事しか無くなってしまう
それも覚悟の西軍一本勝負、見事だと思います
負けたけど
- 570 :人間七七四年:2023/08/14(月) 12:31:19.34 ID:vr9Xmt/j.net
- >>568
それはあんた個人の感想だから同意できないのはしゃーない
8月6日付三成書状でも「追啓、豆州儀如何候哉、無心許候」とあるから三成が知
らなかった
のは確実だし、昌幸からの返書にも信幸の動静は一切書かれてなかったのは間違いない
この書状では宇多父子の動静を昌幸に伝えているが、三成との関係だけじゃなく大谷や宇多氏との
姻戚関係により昌幸が西軍に加担したのは明らかだし、西軍に与することは既定路線だったんだろう
だから東軍と西軍で天秤にかけるつもりは端からなくて、旗幟鮮明にした上で恩賞の駆け引きをしたのではってのが丸島氏の見解だな
当初西軍首脳は昌幸に対して信濃半国の恩賞を提示しているが、短期間で甲斐・信濃二ヶ国にまでなってるのは事実だし
また丸島氏は三者会談があったことを否定してないから、その辺りでも昌幸が信幸の
動静を知ってた上で三成へ知らせなかったとする整合性を取ってるんだろうと思うよ
- 571 :人間七七四年:2023/08/14(月) 14:04:58.63 ID:9p4xqDXZ.net
- 信幸が東軍だったら沼田越え出来る訳ないんだから昌幸からしたら一大事だろう
そうなったら三成からの依頼は果たせなくて恩賞も反故にされるに決まってるんだから昌幸が三成と信幸に報告してないのはおかしい
信幸が東軍だと知りつつ黙ってました、は成り立たない。昌幸の知能レベルがドン底なら話は別だが
- 572 :人間七七四年:2023/08/14(月) 14:43:59.20 ID:RIY+VZsl.net
- 恩賞駆引説は根拠に乏しいんじゃないか
自分の知る限り西軍が真田昌幸に恩賞を提示した書状は
八月五日付真田一族宛石田三成書状
八月六日付真田昌幸宛石田三成書状
の二つ
前者で三成は小諸・深志・川中島・諏訪を与えるとし、後者で信濃一国甲斐切り取り次第にしてる
ここで問題なのは両者は一日しか間が無い
つまり駆け引きだとしたらこの一日の間に昌幸は三成に返事をしてそれを受けて三成が報酬を上げたということになる
では二人の距離はどれくらいあるか?っていうと上田城と佐和山城は距離300キロ現代で二日掛かる。戦国時代でしかも敵地を抜けるとなると三日掛けておかしくない
てことは八月五日の恩賞を見た後昌幸がそれに意見する余裕はゼロだった
この流れはどちらかと言えば三成が一方的に報酬を上げてるだけではないか?これを駆け引きというのだろうか?
- 573 :人間七七四年:2023/08/14(月) 15:10:30.49 ID:vr9Xmt/j.net
- >>572
その辺はもう上で説明してるから割愛するわ
あんたが納得いかなきゃそれでいいと上でも前置きしてるんだけどね
そう見てる研究者もいるしそれに賛同する人もいるってことだ
で、恩賞については8月5日付三成書状の
「先書ニも如被申候、貴殿事早々小室・ふかせ・川中嶋・すわの儀、貴殿へ被仰付候間、急度可有御仕置候、可成程御行此時ニ候事」
冒頭に「先書ニも如被申候」とあるでしょ
伝存してる書状だとこの一つ前の三成書状は7月30日付で恩賞の話は出てない
ということは伝存はしてないけど輝元か宇喜多辺りから信濃北半国を宛行うことを約した書状が出されていたということでしょ
丸島氏も三成たちが出した書状は8月5日までに何通届いてるか分からんと
言ってるし、上記のように伝存してる書状以外にもあったと見るべきだな
- 574 :人間七七四年:2023/08/14(月) 16:28:20.50 ID:+lucSjFf.net
- それも考えたけど八月五日時点で決まっていた恩賞が現存してなくまた書状にも残ってない昌幸の駆け引きとやらで変わるとは思えない
それに一番問題なのは仮に昌幸が駆け引き打ったとすると昌幸が信幸の裏切りを知らなかった事が確定することかな
- 575 :人間七七四年:2023/08/14(月) 18:23:36.71 ID:BpaghLGI.net
- そもそも三成と昌幸の交信って、8月6日が最後じゃなかった?
中山道、北陸道、東海道全て東軍の勢力下だから連絡が取りにくくなったのかもしれないけど、それにしては
全く交信できていないのが理解に苦しむ
三成は昌幸や上杉を重要視していなかったのか?
- 576 :人間七七四年:2023/08/14(月) 18:41:30.75 ID:vr9Xmt/j.net
- >>574
ちょっと意味が分からんけど恩賞が現存してないって何?
要するに昌幸の駆け引きはなかった、もしくは意味をなさなかったと言いたいの?
信濃・甲斐二ヶ国の加増に言及してるのは8月10日付の三成書状
「信州之儀ハ不及申、甲州迄も貴所御仕置可在之旨、輝元をはしめ各被申候事候」
浅野家文書として伝来してるし真田には届いてないと思うが加増は確かにされてるよね
そして前から短期間で信濃・甲斐二ヶ国の加増を約してると言ってるでしょ
で真田から三成宛の書状が伝わってない以上は勿論断定できないと思ってるよ
しかし恩賞の釣り上げが絶対になかったとも言えないよね
で、昌幸は信幸の動静を知らなかったと主張してるのはあんたでしょ?
自分は沼田越えは真田の生命線であり、昌幸は信幸の動静を知りつつ三成に伝えなかったとずっと言ってるんだけどね
沼田越えできないことが西軍にバレれば加増はないと昌幸は考えて知らせなかったのではということ
まあ結局信幸の動静がバレても加増が約されてるし昌幸の杞憂に終わったことになるが、昌幸もまた加増を取り付けたことを知ることはなかったと
というかこれずっと同じこと言ってるだけだな、あんたが納得できなきゃできないでもうそれでいいよ
レスもちゃんと読んでくれてないみたいだし疲れた
- 577 :人間七七四年:2023/08/14(月) 18:56:51.09 ID:xQTesBgo.net
- というか三人で会っても昌幸が信幸の本心を知らない可能性の方が高いんじゃないの
どうして馬鹿正直に信幸が徳川に着きますとか言うと思うんだって話
普通に考えたら親父裏切って追い落とそうと思ってる奴がそれを詳らかにするわけないじゃん
父上と心は同じですとか言いながら沼田まで逃げれば勝ちだし
- 578 :人間七七四年:2023/08/14(月) 18:59:32.97 ID:BpaghLGI.net
- >>577
九度山に流された後の昌幸は頻繁に信幸と書状を交わして生活費も工面してもらってるから、親ばかで裏切るとか思わなかったんじゃないの?
よくあるやん、知恵が回る奴は家族のことについては鈍いというやつ
- 579 :人間七七四年:2023/08/14(月) 19:03:34.89 ID:xQTesBgo.net
- >>575
多分六日に真田の恩賞跳ね上げたのと関係してると思うんだがこの時期東軍が西上してるのよね
それで三成にも大垣へ進出して十日には大垣に入ってる
西軍の最も楽観的な予測の一つ「東軍は内府違いの条々でバラバラ」が否定されただけなんだけど丁度西国から伊勢にかけて主力展開した後なので割とマズい展開
上杉との連絡取れないと徳川が来るのは必然としてそもそも東軍先手衆に勝てないと話にならないのでそっちに注力
で、岐阜で負けてからもう後は…
- 580 :人間七七四年:2023/08/14(月) 19:26:40.41 ID:ir222wyM.net
- >>575
信濃史料でも見てきたらどうだね
- 581 :人間七七四年:2023/08/14(月) 22:42:41.33 ID:3FHAb817.net
- >>576
ピンと来ないならこう考えたらいい
代金を倍にしないと品は渡さないという男がいる。どうしてそんなに強気なのか?もちろん品を持っているからだ
じゃあそいつが実は品を持ってなかったとするとどうなる?単なるペテン師だろう
つまり昌幸が…何の史料にも残ってないが…駆け引きとやらをしたならそれは昌幸が自分は絶対に沼田越えを達成できるという認識を持っていた事を前提とする。沼田越えが不可能と知りながら恩賞を乞うのは詐欺、ペテンであって西軍にとって害悪でしかない
昌幸が徳川とも交渉していたなら成り立つがそういう史料は一切無い、つまり昌幸は西軍に全てを賭けている。ということは沼田越えは可能、信幸は味方と信じていたことになる
もし信幸が敵と知っていたら昌幸はそれを三成に伝えていたさ、何故なら既に信幸は味方という前提で戦略は動いてる。この前提が崩れたら昌幸は敵地で孤立、しかも助けは来ない
昌幸が駆け引きとやらで恩賞を釣り上げても西軍が負けたらケツ拭く紙にしかならん
だから昌幸は駆け引きなんかしてないし信幸を味方だと思ってましたという話。だから史料に残ってないんですね
- 582 :人間七七四年:2023/08/14(月) 23:17:54.60 ID:61lvlD3j.net
- 事前準備ができてないから、と言っても、その後の三成たちの動きは酷すぎる
明智光秀が織田信長を討った後の対応に似てる
その場しのぎばかりで秀吉に最後にやられたけど
- 583 :人間七七四年:2023/08/14(月) 23:41:11.99 ID:vr9Xmt/j.net
- >>581
じゃあそれでいいよ
- 584 :人間七七四年:2023/08/15(火) 08:22:11.01 ID:z0DOy+Ks.net
- >>582
三成たちは秀吉の絶対権威の下で過ごしてきた人間であり
過去15年間に渡って常に豊臣の威光を振りかざして押さえつける立場だった
豊臣の威光を振りかざす自分たちに攻撃してくること自体が三成たちにとって理解不能の事態であり
理解不能の事態には対応できないのも当然だろう
- 585 :人間七七四年:2023/08/15(火) 08:55:34.61 ID:305D2R3f.net
- 西軍が勝たないと幾ら恩賞約束されても無意味なんだから
信幸が裏切っていたら真田は完全に東軍に包囲されてるから切り取り次第とかいわれても絵に描いた餅、なのにその事実を秘して三成に救援を求めずかといって信幸を説得することもせずそのまま負けて領土全部取られました
表裏比興の者の末路がこれか?酷過ぎる
輝元よりも戦犯だ
- 586 :人間七七四年:2023/08/15(火) 10:16:15.89 ID:dbHRkQHj.net
- 真田家存続が目的なら、目的は達成してる。
- 587 :人間七七四年:2023/08/15(火) 12:40:56.06 ID:cPNelhh1.net
- 信幸に見限られた時点で昌幸は自分が出来ることが何もないことがわかっただろう
会津征伐軍の内情も知ってるし家康から離れたのが極少数なのも知ってるし会津の状況も知ってる
上田城戦は最後の意地みたいなもの
- 588 :人間七七四年:2023/08/15(火) 12:49:49.58 ID:Js/BvMwT.net
- >>586
途中で藩主真田氏は皮肉にも松平定信の孫が養子に入って断絶したけどね
- 589 :人間七七四年:2023/08/15(火) 14:42:56.33 ID:QJXmyoM0.net
- 良い話ですがそろそろ締切。できればお早めに
https://i.ibb.co/jTq6shJ/FnG8H.jpg
- 590 :人間七七四年:2023/08/15(火) 17:17:12.86 ID:Bf0SzVOI.net
- >>589
TikTokで5000円はなんか微妙だな
- 591 :人間七七四年:2023/08/15(火) 17:41:14.33 ID:pxEkhmd/.net
- 信幸が裏切ったなら早く三成に伝えないとダメだろう
西軍は上杉佐竹が徳川の背後を脅かす事を期待してるのに沼田が使えないとなると絶望的
昌幸の独りよがりで西軍は家康の動向に一喜一憂した挙句昌幸は改易されましたなんてマヌケな話
- 592 :人間七七四年:2023/08/15(火) 18:26:57.20 ID:dbFAW2TM.net
- 三成からすれば上杉からの返事待ってたら東軍が来るわ徳川まで来るわで最悪だったな
- 593 :人間七七四年:2023/08/15(火) 22:04:21.02 ID:43zpHrgP.net
- >>592
上杉は8月末に佐竹と関東に討ちいるとか真田に言ってるけど、それを真田が三成に伝えてないんだよね
もっとも景勝もあの書状では最上も伊達も従うでしょうとか意味不明の楽観視した状況を書いてて草なんだけど
- 594 :人間七七四年:2023/08/15(火) 22:07:30.24 ID:yukhWJJU.net
- ポジショントークを真に受けて第三者に伝えるとか本当ですか?
- 595 :人間七七四年:2023/08/15(火) 22:11:46.00 ID:wc9qYCmm.net
- >>591
え?なんで??そんなことした西軍万一勝ったらヤバい立場になるやん
- 596 :人間七七四年:2023/08/15(火) 22:58:37.65 ID:Laa+PB5u.net
- >>593
その書状まず真田宛ではない
真田家文書として伝来してるけど、上田までは届いたが東軍の監視が厳しくてそれ
以上使者が進めなかったか、信幸の手に落ちたかで真田に残ったんじゃないかね
- 597 :人間七七四年:2023/08/16(水) 01:27:58.14 ID:7UoqoxD6.net
- ぶっちゃけ真田だの上杉だのがどうこうの前に、毛利吉川小早川をどうにかしろよ……。
良くて西軍を良いように利用した勢力拡大、悪けりゃ最悪のタイミングでの寝返りと、東国情勢無関係に詰んでるやん。
- 598 :人間七七四年:2023/08/16(水) 09:25:36.64 ID:LrtL3rUT.net
- 要は西軍はどの場所でも詰んでるってことじゃないのか?
本戦の大垣城でもどうにもならない状況
9月12日の三成書状では家康の出陣すら掴んでいない
ところが、吉川広家の書状では家康の出陣を知っていたような記述がある
つまり報連相が全くできていない
- 599 :人間七七四年:2023/08/16(水) 10:11:55.13 ID:4XusoTnh.net
- >>595
逆よ。伝えてないとヤバい
基本的に恩賞は奉公の対価なので「使者を沼田越えさせる」という約束を果たさないとそもそも昌幸は恩賞貰えない
下手すりゃ減封も有り得る危険な行動で三成に信幸が裏切ったと伝えて沼田越えが不可能だと伝えておかないと徳川との内通すら疑われる
- 600 :人間七七四年:2023/08/16(水) 11:01:58.22 ID:7UoqoxD6.net
- >>598
ほうれん草もなにも、吉川広家なんて7月から東軍と連絡を取り合ってるわけで、潜在的には敵じゃん。
真田にしたって、仮に心情が西軍寄りでも周り全部囲まれてるなら書状を手土産に東軍へ……くらい普通にありえること。
手紙外交でどうにかなると思って動く三成たちの考えが甘いんだよ。
それならかつての足利義昭のほうがよほど上手くやってる。
- 601 :人間七七四年:2023/08/16(水) 11:35:52.49 ID:WjqfNlfD.net
- 信幸が東軍だとすると昌幸は東軍勢力に完全包囲されてるから切り取り次第もクソも無く動けない
上杉佐竹が徳川を抑えてくれないのでまな板の上の鯉同然
頼みの綱は西軍先手衆が来てくれる事なんだが西軍が「昌幸が上杉に連絡とってくれた」と思ってると来ない可能性の方が高いという
信幸の裏切りを知らなかった事は小さな出来事だけど大きな効果を出した
- 602 :人間七七四年:2023/08/16(水) 19:36:04.02 ID:mJ4wyeaS.net
- 三成からしたら鉄板の筈だった沼田越えが全く通ってないのは予想外だったろうな
- 603 :人間七七四年:2023/08/16(水) 23:23:53.07 ID:Hwd3WIzB.net
- >>597
三成がいるから、三成のせいにする逃げ道ができて戦わなくなる
三成がいなければ毛利たちも逃げ道がなくなるから違う展開もあり得る
要するに三成が西軍にいるのが悪い
- 604 :人間七七四年:2023/08/17(木) 06:35:14.08 ID:qgiWB9+7.net
- 三成を賛美する人たちは、三成は真っすぐすぎて悪者になった
和を乱すのは三成が悪いのではなく、周りが理解しないのが悪いと言っている
- 605 :人間七七四年:2023/08/17(木) 06:38:25.87 ID:iiB90yCE.net
- 三成自体は単なるいち武将で大した権限もない
西軍決起計画すら知らされてなかった雑魚
- 606 :人間七七四年:2023/08/17(木) 07:43:12.09 ID:hiyOFzjm.net
- 三成が東軍に付いたら、東軍は三成の謀反という大義名分を失い
毛利たち西軍も三成に責任を擦り付ける戦略ができなくなり背水の陣として戦う
三成が西軍にいることが東軍に勝利をもたらしたと言える
- 607 :人間七七四年:2023/08/17(木) 12:46:44.49 ID:10ttqUF5.net
- 吉川広家は初期から徳川と通信していた割にしては和睦したのが土壇場の関ヶ原前日ってところを見ると輝元から命じられて交渉してたんだろう
輝元が担がれてる訳じゃないのは明らかというか蜂須賀家政の話を聞けばすぐわかっちゃうので広家としても西軍の売り時に困っていたと思われる
- 608 :人間七七四年:2023/08/17(木) 13:03:58.40 ID:+pbzriEs.net
- >>607
逆に言えば徳川家康の行程をしっかり把握している証拠でもあるな。
到着前に西軍を売っても仕方ないし、御誂え向きに西軍が毛利や吉川を捨て石にするかのごとく関ヶ原に撤退。
……三成達、つくづく間抜けじゃない?
まあ、最後の最後に家康に騙された輝元も間抜けではあるが。
- 609 :人間七七四年:2023/08/17(木) 14:14:38.56 ID:0FhbbsXc.net
- 大量の謀反資料を残して大阪を退城したとしたら輝元は間抜け
講和の前提が毛利は担がれただけだということだったんだし自分たちでその言い訳が通用する状況を作らないと
徳川が見て見ぬふりをしようとしても他の大名の注進を無視しきれるわけじゃない
なあなあで済ます相手としては杜撰すぎて無視したら逆に徳川に傷がつく状況だったんじゃないの
挙兵時のスピード感は強いインパクトがあったが伏見城攻めあたりから脇が甘くいいところが無い
- 610 :人間七七四年:2023/08/17(木) 14:25:11.29 ID:10ttqUF5.net
- 輝元の手元にある書状は処分出来るだろうけど
他人に出した書状を処分するのは難しいだろうし
- 611 :人間七七四年:2023/08/17(木) 14:49:48.18 ID:0FhbbsXc.net
- そこらへんをどうにかするのは毛利の仕事
むしろ最初から全面的に謝っておけば所領半減未満で済んだかもしれない
所領の全面的な安堵の為に無理な講和を選択したあげく罪を重ねて所領三分の一になった感
- 612 :人間七七四年:2023/08/17(木) 21:29:25.05 ID:zODAuO4w.net
- 上杉佐竹が徳川の背後を脅かすので徳川は動けないっていう戦略前提が崩れていたのは痛い
まぁそれが成っていたところで結局家康を少し頭痛にさせるくらいしか効果無かったかもだが
- 613 :人間七七四年:2023/08/17(木) 21:47:31.93 ID:+pbzriEs.net
- >>612
いやさ、そもそも脅かせるか?
言っているように少し頭痛くらいだろ。
軽く3倍の兵力差があるんだから、同数抑えに置くだけで上杉佐竹は何もできん。
と言うか史実は東軍の大半が引いたあとの最上を破れなかったわけで。
仮に脅かすように関東まで攻め寄せられたとして、上杉佐竹は今度は自分達の背後をどうするのよ?
- 614 :人間七七四年:2023/08/17(木) 21:55:30.21 ID:zODAuO4w.net
- 徳川の大坂城攻撃は防げたかな、程度だろうけど
- 615 :人間七七四年:2023/08/17(木) 21:59:52.07 ID:uSiIFME2.net
- 謙信なら抑えの結城秀康をぶちのめして挟撃作戦取るだろうけど景勝にそれを求めるのは酷
- 616 :人間七七四年:2023/08/17(木) 22:13:41.54 ID:+pbzriEs.net
- 大坂城は端っから毛利が降る気満々なんだから、もうどうにもならんでしょ。
結局岐阜城をたった1日で取られた時点で何をやっても詰んでる。
- 617 :人間七七四年:2023/08/17(木) 23:01:15.79 ID:ju2VXnh5.net
- >>615
謙信執政期の上杉に軍事的優越性があるとすればそれは「戦に強い」ことではなくて、
「勝ち目の薄い戦を巧みに避ける」ことだ。
史実では負けまくっているが壊滅潰走に至る前にさっさと逃げおおせた事例が多い。
仮に関ヶ原前夜の上杉指導部が謙信とその幕僚だったとしたら、
そもそも当時の情勢下で徳川に敵対しなかった蓋然性が最も高い。
それでなくても関東は上杉にとって「二度と関わりたくない地域」だったろうから言を左右に洞ヶ峠を決め込んでいたのではなかろうか。
- 618 :人間七七四年:2023/08/18(金) 06:18:37.52 ID:RpI7mS/u.net
- 謙信って大義名分とか権威に弱くないか?
- 619 :人間七七四年:2023/08/18(金) 07:00:52.86 ID:KhMg6uiX.net
- 単純に地図だけ見ると徳川は東西に西軍勢力を抱えているのに対し西軍(毛利)は背後に敵が居ない
細かく見るといる事はいるんだけど徳川に対する上杉佐竹のような巨大勢力じゃない
全兵力を東に投入できる西軍と背後にも気を払う必要のある徳川、となると西軍優位にみえても仕方ない
- 620 :人間七七四年:2023/08/18(金) 08:10:54.66 ID:CZIflP2r.net
- >>613
景勝の書状では伊達も最上も味方になるとか書いてるよ
何を根拠にしてるのか知らんけど
- 621 :人間七七四年:2023/08/18(金) 08:12:26.90 ID:CZIflP2r.net
- >>619
全兵力を東に
あの、大津城はまだ仕方ないとして、田辺城とか四国で遊兵と化してるのが万単位でいるんですが
- 622 :人間七七四年:2023/08/18(金) 08:57:18.37 ID:mNhH+QMV.net
- >>619
言わんとすることはわかるけど
もっと大きく見ると西国大名は対馬海峡を渡って朝鮮・明国と7年間戦っててて無傷の東国大名とは投入可能な兵力に差がある
玄界灘の向こうに二十万の明国軍がいるように見えてたはずなので
西軍のほうが後背に安全地帯を持ってるように見えるのはちょっとゲーム脳っぽい
- 623 :人間七七四年:2023/08/18(金) 09:53:30.65 ID:JYd5D3/C.net
- 傍目だけ見れば西軍の方が圧倒的に優位だし
ただその優位性に胡座をかいて戦略を失敗してる
西軍の方が全兵力を注ぎ込めるから優位なのに西軍の方が優位だからと土地獲りに行ってるところとか
- 624 :人間七七四年:2023/08/18(金) 09:57:16.41 ID:HQ2ZTLZ7.net
- >>622
朝鮮出兵で無傷の東国大名ってビッグネームは徳川と前田くらいしかいないのでは?
前田は会津征伐の人質で母親を徳川に出してるけど妻は大坂にいるので去就不明で残るは徳川のみ
- 625 :人間七七四年:2023/08/18(金) 09:58:26.99 ID:mZJw6nkn.net
- 兵力は西軍の方が劣っている。
指示に従わん連中は勘定には入らん。
- 626 :人間七七四年:2023/08/18(金) 12:47:41.10 ID:CZIflP2r.net
- >>624
前田利長は石田三成が真田に宛てた書状では、どうもどっちつかずの曖昧な返事をしていたらしいな
それに気づかない三成たちも三成たちだけど
だからか、木下兄弟を越前に8月5日頃に派遣してるよな
- 627 :人間七七四年:2023/08/18(金) 14:00:08.51 ID:nR+n3Z7e.net
- 7月中に清須
8月には岡崎まで制圧
- 628 :人間七七四年:2023/08/18(金) 14:00:27.96 ID:d5KUZtb0.net
- 7月中に清須
8月には岡崎まで制圧
- 629 :人間七七四年:2023/08/18(金) 20:45:16.79 ID:meyA3abn.net
- 豊臣公儀が徳川家康追放決めてる訳で全国に効果があると思うのはわかる
だが肝心要の徳川に何の動揺も無いってのが
調略すら掛けられないっていうと家康の家中統制は完璧だったんだろう
- 630 :人間七七四年:2023/08/18(金) 21:42:13.42 ID:3JZNMf++.net
- そりゃあ西軍のクーデターによって豊臣公儀(政権)が崩壊したのだから
公儀公儀言っても意味ないわな
- 631 :人間七七四年:2023/08/18(金) 21:46:23.04 ID:b7FKApF4.net
- そもそも言うほど西国優位に見えるか?
殆ど毛利頼みの歪すぎる構成じゃん。
しかも後ろが安全なら、なんで毛利は九州や四国に手を出したのかって話で、
当然それはそこが敵だったからにほかならない。
だいたい、毛利は最盛期でさえ両川含めて動員数8万人が最大なのに、
120万石のこの時代に大坂2万、大津1万、南宮山3万(吉川込み)の6万人も外征させて、
自国防衛にいったいいくら残ってるのよ。
毛利輝元が大坂城から動かなかったのって、いざという時に自国に兵を戻すためでもあっただろうし。
- 632 :人間七七四年:2023/08/18(金) 21:46:58.47 ID:b7FKApF4.net
- そもそも言うほど西国優位に見えるか?
殆ど毛利頼みの歪すぎる構成じゃん。
しかも後ろが安全なら、なんで毛利は九州や四国に手を出したのかって話で、
当然それはそこが敵だったからにほかならない。
だいたい、毛利は最盛期でさえ両川含めて動員数8万人が最大なのに、
120万石のこの時代に大坂2万、大津1万、南宮山3万(吉川込み)の6万人も外征させて、
自国防衛にいったいいくら残ってるのよ。
毛利輝元が大坂城から動かなかったのって、いざという時に自国に兵を戻すためでもあっただろうし。
- 633 :人間七七四年:2023/08/18(金) 22:09:04.67 ID:KhMg6uiX.net
- 会津征伐で国力割いてる九州や四国の東軍派大名に毛利領攻撃が出来たとは思えないけどなぁ
現実何も出来てないし
四国や九州を攻撃したのは輝元の私利私欲によるもので西軍全体としてはデメリットの方が多い作戦だった
- 634 :人間七七四年:2023/08/19(土) 08:07:21.92 ID:i4zlRwtc.net
- >>633
総大将になんの役得も無しに身を切れ身を切れ言うのもおかしな話だけどな
役得はありません、犠牲や負担はもっと増やしてください、輝元にボランティアでもしろと?
不満はわからんでもないが、毛利家をどれだけナメれば気が済むんだ
- 635 :人間七七四年:2023/08/19(土) 09:23:07.50 ID:+VfcFXQZ.net
- 利益は重要だけどそれに目が眩んで主目標を見失ったら本末転倒ではないか?
西軍決起で重要なのは戦略的に優位に立っている内に徳川を粉砕することにある。家康を討ち取る事は出来なくとも一戦して後退させれば勝ち
九州四国の東軍勢力なんて朝鮮出兵の影響で疲弊してしかも主力は会津征伐に同行してるんだから今すぐ倒す必要は全く無い
ていうか徳川を倒しさえすればこいつらがどんなに頑張ろうが結局降伏するしかないんだし全て終わった後取りに行っても良かったはず
家康と輝元の戦略眼の違いなんかなぁ
- 636 :人間七七四年:2023/08/19(土) 09:34:41.72 ID:7UgmYila.net
- >>634
実際のところ、毛利勢はかなり頑張ってるよな。
西軍の過半数以上の兵力を供給してるし、毛利勢が主攻を務めた伏見も伊勢も大津もきっちり落としてる。
対して石田三成達は、なんの成果を挙げたのかと。
八月頭から大垣城に詰めていながら何もできず岐阜城を落とされ、
余勢で赤坂まで進出されそのままどんどん兵力を溜められて関ヶ原で惨敗。
- 637 :人間七七四年:2023/08/19(土) 11:26:35.66 ID:5kblyJ+C.net
- >>636
あれがみっちゃんの限界なんだろ
準備を重ねて優位な段取りまでは作れるけど
決戦の最後の決断ができない子やねん
- 638 :人間七七四年:2023/08/19(土) 13:08:31.29 ID:4nj6c4aY.net
- 北条征伐で唯一城を落とせなかった戦下手が無理をしちゃったのがなぁ
- 639 :人間七七四年:2023/08/19(土) 13:14:06.21 ID:9d4Ag3rc.net
- 岐阜城失落は三成の失態という訳じゃない
大垣に一万、岐阜が六千に対して東軍先手衆が四万とかいう状況で将の才覚は量れない
西軍首脳部が美濃更には徳川を軽視していた事が諸悪の根源で仮に三成が秀吉でも負けてたろうさ
- 640 :人間七七四年:2023/08/19(土) 13:26:31.02 ID:YVdAM10X.net
- 東軍の情報を実質一切入手できなかったんだろうな
- 641 :人間七七四年:2023/08/19(土) 13:56:55.98 ID:pZbPKZoZ.net
- 真田から西軍の情報抜けた徳川とは違って西軍は見てから勝負だったろうし
- 642 :人間七七四年:2023/08/19(土) 15:24:20.12 ID:5zDya4fD.net
- >>636
別に石田にそこまで過度な期待も成果も求めてないから問題ないだろ
- 643 :人間七七四年:2023/08/19(土) 15:34:09.51 ID:Zr4utBeR.net
- 実際問題三成に何が出来るかっていうとね
仮に全軍で清洲を攻めても会津征伐軍が戻ってくるのは分かってるから出来て調略くらいしかない
毛利軍数万が居ればまだ話は変わったろうが伊勢で戦闘中で期待薄、そこに突っ込んでくる東軍先手衆数万
岐阜城を助けるのは当然だけど西軍美濃方面軍全てを投入した一か八かの決戦をやらないといけなくなる
- 644 :人間七七四年:2023/08/19(土) 22:16:08.62 ID:5zmiuXId.net
- これまでは無能テルリンに足を引っ張られた石田三成って言う評価だったのが、
なんだかいつの間にか三成が出来なくても仕方ない的な残念な子になってる……。
大垣の兵数で何ができたかって話だけど、伊勢攻略隊が大垣(南宮山)に着いた時点では兵数は西軍のほうが多いから、
決戦をするならこの時しかなかっただろうに、そこを無為に過ごしたのは痛い。
家康が来なかったとしても、待てば待つほど、東軍が増えるのは分かりきっているのだし。
- 645 :人間七七四年:2023/08/19(土) 23:42:56.51 ID:ZFg9Ch6o.net
- そこら辺は戦略決定者の長束正家と安国寺恵瓊の責任。三成も文句言ってるけどよく無かった
ただここら辺の戦況は無茶苦茶難しいから打つ手が見えなくなっても仕方ないかも
- 646 :人間七七四年:2023/08/20(日) 01:51:34.16 ID:gJjtF9Id.net
- 毛利目線だとクーデターしても苦しいのはわかってそうだが秀頼が幼少の内じゃないと天下狙えんから最後のチャンスに賭けたんだろ
分が悪いの知ってるから徹底抗戦もしなかった
奉行衆や島津や長宗我部など諸大名も流れで西軍になった感じ
- 647 :人間七七四年:2023/08/20(日) 02:52:14.37 ID:ff8zmJt1.net
- >>644-646
構造と因果律で物事を見ない近視眼的軍記脳。
二言目には誰が有能とか無能とか、
三言目には何処の軍勢が何万だとか何千だとか、
そういう幼稚園児並の言説しか吐けなくなる。
- 648 :人間七七四年:2023/08/20(日) 05:41:15.57 ID:fEjTO3pX.net
- >>647
何も知らないなら何も言わないほうが良いぞ
馬鹿がバレるから
- 649 :人間七七四年:2023/08/20(日) 12:29:23.53 ID:pfV93akb.net
- 敵の頭を押さえれば雑魚が飛ぼうが跳ねようが無駄
即座に西軍の息の根止めに行った家康と自国領拡張なんて考えた輝元の差
- 650 :人間七七四年:2023/08/20(日) 13:44:43.86 ID:Pw75WXxW.net
- >>645
長束と恵瓊が戦略決定者という一次史料は何かあるのか?
長束が増田、玄以と連署して出している書状は確認できるけど、長束単独で出してる書状って何かあるのか?
石田三成は真田や増田に宛てた書状とかが確認できるけど、長束あるいは恵瓊が単独で出した書状あるなら教えて
- 651 :人間七七四年:2023/08/20(日) 14:15:31.04 ID:pfV93akb.net
- 九月十二日付石田三成書状で長束正家と安国寺恵瓊の戦略に問題があると何回か触れてるのでまず二人は石田三成よりも上位の権力者
あくまで三成は大垣城の指揮官であって西軍本隊の指揮権を持ってる筈がないので当たり前と言えば当たり前
- 652 :人間七七四年:2023/08/20(日) 15:10:38.93 ID:Pw75WXxW.net
- 戦略に問題あるから上位者……
あれは三成が長束らに刈田を進めて反対された(当たり前。だいたいどこを刈田する気?)
それに恵瓊は陪臣なのにそんな奴が上位者?
- 653 :人間七七四年:2023/08/20(日) 15:48:23.63 ID:pfV93akb.net
- 九月十二日石田三成書状から大垣は食糧難に陥ってることがわかる。一万ちょいの兵しか入れてなかったのにその数倍来た訳で補給困難なのは避けられない
そういう意味では苅田は選択肢たりえる、というか早急に兵糧を備蓄しないと東軍の攻撃に耐えられるのか?って懸念がある。おそらく三成の戦略思考は短期決戦に向いていたんじゃないか
正家恵瓊は近江から補給するとしてるけど常識的に見えて結構非現実的。垂井まで取られてる訳で補給路を確立できない(伊勢から引けるならワンチャンあったのだろうか)
おそらく正家恵瓊の思考は長期戦を志向してるんだろうけど、よくある現実に向き合えないので先延ばしにしてるだけにも見える
- 654 :人間七七四年:2023/08/20(日) 16:22:55.46 ID:uxvwOE5x.net
- 東軍先手衆より兵数が少ないから岐阜城取られるし赤坂垂井まで来られても何も出来ません。
対抗できる兵力が揃っても動きません。
そのうち食糧も無くなったので何も出来ません。
……何がしたいん?
- 655 :人間七七四年:2023/08/20(日) 16:36:31.03 ID:pfV93akb.net
- そこら辺は三成じゃなくて輝元と恵瓊や長盛の責任。彼らは戦況をかなり楽観的に見ていて美濃への手当てを渋った
兵力は九州四国伊勢北国と多方面に分散して容易に移動出来ない状況で大垣には一万岐阜には六千程度、これで東軍を止めろというのが輝元の考え
元々重視してないから兵站や備蓄も十分じゃなかったろうしそこに先手衆数万が襲来、あっという間に崩されて万事休す
- 656 :人間七七四年:2023/08/20(日) 17:15:41.46 ID:U4n9y0eL.net
- >>652
安国寺恵瓊は輝元の重臣で輝元の命令を忠実に実行する右腕
三成より遥かに上位に存在する
- 657 :人間七七四年:2023/08/20(日) 23:46:49.93 ID:Tp/OsLBd.net
- さすがに石高や官位から考えて、それはないんじゃないか?
長束は五奉行でも最下位だろ
三成より格下
- 658 :人間七七四年:2023/08/21(月) 06:50:54.43 ID:VxLBchjQ.net
- 三成って奉行じゃないし
西軍は秀頼の命令で組織されたとはいえ実態は毛利によるクーデター軍なので兵隊出してる輝元がトップ、その代理人である恵瓊が次席
その下に三奉行その次が三成やら吉継やら?って組織構造だったのでは
だから三成の戦略はまるで採用されてないし三成もせいぜい長盛に伺いたてるくらいしかできてない
- 659 :人間七七四年:2023/08/21(月) 13:48:18.48 ID:NLEjoN+L.net
- 従来三成の落ち度とされてた事柄って大抵は西軍首脳部の責任なのよね
岐阜城にしても大垣岐阜合わせて二万程度で東軍先手衆と決戦するってのは難しいしそれで負けてたらマジの戦犯だし
- 660 :人間七七四年:2023/08/21(月) 17:50:08.27 ID:YWSFyKD2.net
- 7月中に清須
8月には岡崎まで制圧
- 661 :人間七七四年:2023/08/21(月) 18:39:19.85 ID:suE2IeKM.net
- そうなると、じゃあ西軍首脳部って誰なのよっていう最初の話に戻る。
長束や安国寺と言われてもその辺りだけでどうやって西軍を動かした?ってなるし、
毛利が首脳と言われても、むしろ第三勢力として考えたほうが妥当な動きをしている。
少なくとも美濃方面は輝元を含めて毛利家の意思の反映が殆ど見えない。
なんか、三成のせいじゃないと言いたいがために、三成が信雄以下の小物に成り下がってるんだよなあ。
- 662 :人間七七四年:2023/08/21(月) 19:02:04.28 ID:akF8lYhc.net
- こう言うとアレだけど、西軍って反徳川の『群れ』でしかないっぽいんだよ
ただ、それって意図的にやってる可能性もあるんだよな
何故なら奉行は徳川主導ではなく、奉行中心の合議制で豊臣政権を運営したいという
考えが透けているから、関ヶ原前の行動を見る限りは
早い話がそもそも西軍はリーダーというものをはっきりさせたくないんじゃないかなと思える
例えば毛利が西軍の主導権を完全に握ってしまうと、毛利が第二の徳川になってしまい、
奉行視点だと関ヶ原を起こした意味がなくなってしまう
輝元に豊臣政権の実権を握ってほしい、何なら天下を取ってほしいと思ってるなら話は別だが
どう考えても奉行はそんな風に思ってないだろうし
- 663 :人間七七四年:2023/08/21(月) 19:36:00.12 ID:QSVqBDtx.net
- 西軍は家康打倒を建前に急遽集められた先見性に欠けた私欲集団
つまり烏合の衆なのは間違いない
>>661
奉行職を解かれ謹慎中で大阪と連絡をとっていない三成に何が出来るかといえばねえ
戦意は高かったけど前線指揮官以上の権限は無かったみたいだし
兵の動員と兵站の権限が無いのは致命的
- 664 :人間七七四年:2023/08/21(月) 20:09:46.19 ID:suE2IeKM.net
- >>662
それだと、毛利輝元って豊臣家の支配までは望まない割と都合のよい神輿で、
しかも輝元自身それを自覚して動いているフシがある。
対徳川?ああ、勝手にやっといで。
うちは瀬戸内海の利権貰えばそれでいいから。
兵や兵糧が足りないと?よっしゃ出してやるよ。
(まあ、彼奴等が負けたら大坂城投げ捨てて家康に詫びりゃなんとかなるだろ)
みたいな感じで。
>>663
それ、本当に謹慎してるのかねってこともある。
こういう時が一番自由に動けるから、なんやかんや画策するには都合が良いでしょ。
- 665 :人間七七四年:2023/08/21(月) 20:10:46.85 ID:dnaxeqCP.net
- >>662
輝元は大坂城の西の丸に入ってるんだけど
- 666 :人間七七四年:2023/08/21(月) 20:13:10.27 ID:dnaxeqCP.net
- >>664
そのフシとやらがうかがえる史料をご提示いただきたい
- 667 :人間七七四年:2023/08/21(月) 20:58:20.57 ID:UAOvjlIB.net
- >>661
西軍の首脳は表向きは豊臣秀頼。西軍は一貫して秀頼を主人としてるし秀頼もそれを否定してない
神輿といえどね
じゃあ実態は何かと言えば毛利輝元。どこの軍隊が大坂城を占拠してるのか、誰の意向が最も西軍に反映されているかといえば輝元になる
それ以外の連中を統制するのは増田長盛筆頭の豊臣三奉行、これに三成や吉継といった連中が付き従う
輝元と豊臣三奉行は同床異夢だがそれでも狙いは対して違わない
- 668 :人間七七四年:2023/08/21(月) 21:18:54.83 ID:UAOvjlIB.net
- >>664
その可能性はかなり乏しいと思う
何故ならその場合、輝元はどうして瀬戸内海利権を確保出来ると思っていたのかという問題が起こる
瀬戸内海利権は秀吉に奪われた後その配下に配られた、その大半は東軍に属してる
西軍が徳川に負けたら常識で考えればこれらは没収されるしそもそも輝元の命が危ない。家康が輝元を殺す可能性だって十分ある
神輿でこんな危険な賭けに乗るような事は幾ら愚か者でもあり得ないと思う。もし神輿なら可能な限り西軍には関わらず、瀬戸内海利権も狙わずに風見鶏を決め込むのではないか?
- 669 :人間七七四年:2023/08/21(月) 22:30:24.46 ID:S3+ilgVx.net
- >>661
毛利の本当の狙いが西国の権益強化だったとしても、奉行衆の連署状も基本的には輝元、宇喜多の
副状という形を取ってるし構造的には輝元・宇喜多からの指示で動いてると言っていいんじゃね
- 670 :人間七七四年:2023/08/22(火) 05:26:56.78 ID:f8A5wbS2.net
- 野党連合みたいやね
- 671 :人間七七四年:2023/08/22(火) 06:28:26.35 ID:hsxjAqus.net
- まぁ軍議するだけなのでそんなに特異なものじゃない、んだろうけど
- 672 :人間七七四年:2023/08/22(火) 11:10:25.24 ID:K1GUDMd1.net
- 三成が7月初旬まで全く計画に関与してないとかあるのかな?
まあ、宇喜多秀家が7月2日に豊国社に参詣してるから、挙兵の決意したのはこの日とみていいのかねえ?
だとしても三成はそこまでタイムロスがあったとは思えないが
味舌の12日の書状では、ここ数日とあるから、これより数日前から何かしていたのは確かだろうし
- 673 :人間七七四年:2023/08/22(火) 11:41:04.72 ID:7OXWNZzU.net
- >>672
三成の動きから家康に対抗することは考えてても、この時期の挙兵という形ではなかったんだろう
上杉や真田などへの根回しも無く東国に諜報網を築くこともなく自分に主導権があるわけでもない三成から見たら無い無いづくしの挙兵
おかげで岐阜に奇襲を受けることになって木っ端微塵
- 674 :人間七七四年:2023/08/22(火) 12:03:23.18 ID:I1MXbsP2.net
- 岐阜城を失った代わり、すり潰されるだけの予定だった上杉は助かってるよな。
戦略的には、本来は東軍から大軍を引っ剥がして関東から美濃まで行ってこいさせただけでも十分な戦果。
せめて岐阜城が落ちた時点で、変に美濃に拘らずに引いて対峙していれば、
時間が経てば経つほど西軍有利に傾く。
上で私利私欲のために毛利が四国九州を狙ったと書いてるけど、
東軍勢力の西からの増援を封じるにはそこへ兵を出しておくのが最善手に近い。
- 675 :人間七七四年:2023/08/22(火) 13:08:58.22 ID:K1GUDMd1.net
- >>674
そりゃないでしょ
そもそも9月から仮に関東に向けて上杉が南下したとして、江戸を1か月で落とすとか可能なの?
慶長5年の冬はかなりの大雪だったらしいよ、もし11月が来たら、上杉は会津との連絡がとれなくなって自滅すると思うんだけど
- 676 :人間七七四年:2023/08/22(火) 13:22:15.42 ID:7OXWNZzU.net
- >>674
ところが岐阜城を失ったことで毛利は講和に動くんだ
家康も来ていないうちからな
家康着陣で実際に講和してるから毛利の戦意は岐阜落城で大きく下がったんだろう
西軍は一体となった戦略が不可能な集団
美濃から引いて対峙をしたいなら毛利に対して誰がどういう手をうつのか
前田も出てくるし九州は東軍のものになる
上杉真田との連携は無理
- 677 :人間七七四年:2023/08/22(火) 13:29:16.51 ID:5MWYWIaK.net
- 輝元の戦略眼の拙さが如実に出てるのがいきなり四国九州を狙ったところ
西国衆は朝鮮出兵で疲弊してるし更にその主力は徳川と一緒に会津征伐に同行してる、つまり西国で毛利を脅かす勢力なぞ皆無
まず徳川と交戦してそこで優位を取れば西国の猛者がどう戦おうが最後は降伏することになる
それを見通していたのが家康で雑魚は無視して一気に西軍を殺りにきた
輝元にはできなかった
- 678 :人間七七四年:2023/08/22(火) 14:16:59.63 ID:m/AdglAs.net
- 前も書いたんだけど
関門海峡と芸予水道を抑えると上方方面の物流の大半を掌握できるのよね
コメの陸送なんてやってられねえし
- 679 :人間七七四年:2023/08/22(火) 14:19:23.48 ID:01cVPDBP.net
- 織田秀信を味方にすぐさま小牧山占拠
清須城を取り囲む
大砲撃ち込んで開城
毛利が来るまえに先手
- 680 :人間七七四年:2023/08/22(火) 14:35:32.65 ID:5MWYWIaK.net
- 西国の東軍勢力、四国は蜂須賀・生駒・加藤・藤堂だけどこの内蜂須賀と生駒は会津征伐に全力を出してるので戦闘不能、残るは加藤と藤堂で何方とも主力は会津にいる。対する西軍勢力は長宗我部
九州は少し複雑だけど懸念は家康に留守番させられた結果無傷の加藤清正、歴戦の猛者黒田如水
ただ九州は大半が西軍勢力なので一進一退
- 681 :人間七七四年:2023/08/22(火) 18:31:07.52 ID:uCztJaNM.net
- >>677
過去にあった応仁の乱が相当ぐだった事を考えれば、長期戦になると読んで
先に自分の領地の拡大や後方の足場固めをするのは当然だけどな
少なくともここまでの短期決戦になったのは大半の武将にとって想定外だろ
あの如水や昌幸でさえ、この戦いは長期戦になると考えてたようだし
- 682 :人間七七四年:2023/08/22(火) 18:43:12.93 ID:d+60VQpp.net
- 三成も焦る必要なかったかもしれないがじっとしてると東軍が続々と集まってくるし
- 683 :人間七七四年:2023/08/22(火) 18:50:59.68 ID:ICJyr1MM.net
- >>681
当時の常識とか空気感とか考えないとな
秀吉が全国統一したけどまだまだ戦乱の気風は残ってたからな。何かあればまたすぐ分裂時代に戻るだろうって考える方が普通だったんじゃないかねえ
信長が室町将軍を京都から追放した後に次は将軍が巻き返すパターンってことで畿内の勢力が次々と信長から義昭に乗り替えたのと似たようなもんだな
- 684 :人間七七四年:2023/08/22(火) 20:19:08.68 ID:Hn+LmJF/.net
- >>675
別に関東まで攻め込む必要なくね?
徳川のいぬ間に付近を固めれば良い訳で。
まあ最上攻めに失敗した上杉ではどうしょうもないというのは確かだけど。
>>676
岐阜城落城後に美濃から引いて対峙するならまず近江ということになるけど、少なくともその時点では前田は抑えており、大津城は京極高次の寝返り前。
突出した最前線(しかも相手の橋頭堡付き)の大垣でどうこうするより良いでしょ。
九州が東軍って、それこそ、そうさせないために九州四国に手を入れてたのだろうに。
- 685 :人間七七四年:2023/08/22(火) 21:15:28.76 ID:+ZI720fJ.net
- >>681
それは如水や昌幸も戦略眼無いってだけでは
敵の頭を押さえ込んでしまえば手先がどう跳ねようが無意味。それが家康の戦略でその為にどう一撃加えるかを考えて絵図を描いてる
輝元の戦略は一見理に適って見えるけど実は非論理的なもの。徳川という巨大勢力と戦う以上それに全力を傾けるべきで領土拡張するならその余裕が無いとダメ
結果徳川の一撃に非常に脆弱な体勢になった挙句家康にぶん殴られて敗北、領土を失った
- 686 :人間七七四年:2023/08/22(火) 21:26:35.50 ID:+ZI720fJ.net
- >>672
三成と上杉が事前に打ち合わせてたという事前共謀説は否定されてる(否定する史料しかない)
問題は三成が何故上杉と打ち合わせ無かったのかというもので、三成は七月末にやっと真田や佐竹といった親三成勢力とコンタクトしてる
そもそも三成の役割は上杉との通信で三成も書状でそれを自負してるんだが、西軍決起を知っていたら何故動かなかったのかという話になる
一番合理的なのは三成は知らなかったから、ってもの
- 687 :人間七七四年:2023/08/22(火) 21:48:16.74 ID:JEO5H+bo.net
- いうても関ヶ原の流れは豊臣家の内紛からは大きく外れて無いからな
乱世には戻らないと思う
- 688 :人間七七四年:2023/08/22(火) 21:54:20.35 ID:Q5J3bqIj.net
- >>672
7月13日付益田・熊谷・宍戸連署状、7月14日付吉川書状の内容が本当なら安国寺・石田・大谷
が近江で会談してるんだから少なくとも7月中旬の時点で三成は計画を知ってた筈なんだけどね
ただこの二通の書状はフェイクが含まれてる可能性もあるんで微妙なところだけど
あと7月5日の宇喜多の豊国社参詣は会津征伐に関する戦勝祈願を形式的に行ったのではないかと見る研究者もいるな
- 689 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:02:28.96 ID:uCztJaNM.net
- >>685
その主張には穴がある、東軍、というより上杉征伐軍が徳川のいう事に素直に従う保証がない
なぜならこの時期の家康の大義名分は豊臣政権の第一人者である事しかないから
そして西軍は、徳川を政権から政治的に排除することを目的に内府違いの条々を出している
この書状に上杉征伐軍が絶対に同調しないという保証は実はない
たとえ最終的に受け入れないにしても、時間がかかればその分西軍は時間を稼げるし
諸侯の中に疑心暗鬼が起きる可能性だってある、そう考えれば徳川が
組織的な抵抗をすぐには出来ないと考えても不思議ではないだろう
実際家康は岐阜陥落まで関東から出ていない、情報収集や上杉佐竹の動向確認もあろうが、
諸侯が本当に反家康派と戦ってくれるかどうかの確信が持てなかったのもあると思う
- 690 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:04:01.53 ID:+ZI720fJ.net
- まぁそいつは「輝元は無関係」という為の偽物だろうね
送付されてない理由が説明できんし
- 691 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:20:04.21 ID:+ZI720fJ.net
- >>689
実はそれは非現実的と言って良いほど楽観的な思考だと思われる。根拠は正にその内府違いの条々にある
内府違いの条々では家康の罪が挙げられているが例えば「家康は勝手に縁辺した」というのがある。さて結婚は一人じゃ出来ない、そして縁辺した相手が「嫌々」徳川と結婚したなんてあり得る?
徳川に親しい連中からすれば内府違いの条々は自分達をも糾弾するものな訳で到底受け入れられない
ついで西国衆も徳川を支持するのは明らか、何故なら毛利が西軍だから。彼らは輝元が単なるお人好しで家康と決戦するとは考えない、まず自分達の領土が危ないとみる。何せ主力はこっちが持ってるのだから
- 692 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:22:33.87 ID:+ZI720fJ.net
- つまり西軍は徳川を糾弾することで却って親徳川派を一枚岩にしてしまった
更に言えば豊臣秀頼を首魁にした事で豊臣公儀による調略的調停も不可能になった
で、こうした効果があると西軍は気が付かなかったのか?というとおそらく気付いてた
西軍が内府違いの条々に期待したのは親徳川派諸将が西軍に寝返るなんて単純なものじゃなかったんだろう
- 693 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:26:29.06 ID:DHUBhRmB.net
- >>690
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-6-3/8/0034?m=all&s=0030&n=20
ほれ、こいつが大本営発表だ
説明つかないじゃなく、説明はされている
- 694 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:29:32.74 ID:DHUBhRmB.net
- >>692
君は「豊臣」が徳川を嫌いだったから、と開戦理由を主張してはいなかったか?
どうせお返事はあるまいが
- 695 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:35:34.15 ID:+ZI720fJ.net
- >>694
確かに豊臣は徳川を嫌ってたろうね。そういう史料は多いし
ただ今それは関係ない
豊臣が徳川を忌み嫌ってようがそれが東軍に何か影響与える訳が無いから
- 696 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:47:29.69 ID:DHUBhRmB.net
- >>695
そういう史料を挙げてくれるか?
北政所が西軍首脳と豊国いっていたんだ、という主張だったと覚えているが、違うよと史料提示しても知らんぷり
いまそれは関係ないと言われても、あなたの言説への信用がないんだよ
- 697 :人間七七四年:2023/08/22(火) 23:49:26.94 ID:uCztJaNM.net
- >>691
いや、西軍首脳部(奉行)は受け入れると考えていたと思うよ
縁辺の件は逆に考えれば徳川との縁さえ切れば糾弾対象にならないという事でもある
そして奉行はその立場上、豊臣政権の命令は絶対である、としか想定できない
そこを疑うという事は、事実上天下政権における自分の立場をも疑ってしまうという事だから
という事は天下政権における立場から奉行が命令を下した以上、
諸侯は徳川を見限って我先にこちらに詫び入れに来るに決まっている、
まあ徳川の手前多少の時間はかかるかもしれんが、最終的にはこちらの指示に従うだろうと
考えてもおかしくない、奉行視点では豊臣政権は絶対的存在なのだからその命令を無視して
徳川に諸侯が従うなんてことはあってはならないし、想定してはいけない事でしょう
- 698 :人間七七四年:2023/08/23(水) 08:36:02.51 ID:vhshceI6.net
- 徳川と親しくして利益を得てる連中に「家康は好き勝手してる」と伝えて何か良い効果あると思うか?何の効果も産まないと思うし奉行衆だってそう思うはず。だってその家康のお陰で良い思いしてる連中なんだから。実際家康に名誉回復してもらった蜂須賀家政は家康が独裁してる事を認めつつ受け入れてる
家康糾弾状は親徳川派には効果は無い、効果があるのは反徳川派ともう一つ、領主に反感を抱いてる連中
日本には輝元のように領土を増やしたいって連中がごまんと居る。そいつらが「あいつは秀頼さまに刃向かった」「あいつは徳川と組んでる謀反人」と大義名分を得ることになる
内府違いの条々は親徳川派の切り崩しではなくその敵対派閥を西軍に取り込む効果を期待して出したものだろう。つまり会津征伐軍が内府違いの条々を読んだとしてそれで寝返ることは考えてない
- 699 :人間七七四年:2023/08/23(水) 10:14:46.93 ID:nIWtzH7f.net
- >>696
内府違いの条々と豊臣の内心に何の関係も無いって言われてんのにアスペか?
気になるなら勝手に調べろ
- 700 :人間七七四年:2023/08/23(水) 10:24:58.97 ID:S5kTukqJ.net
- >>698
そもそもその輝元だって、小早川隆景の死去と実施誕生に伴う領地問題の際に、家康に手を突っ込まれるまでは親徳川だったからな。
そして関ヶ原で対徳川強硬派扱いされている毛利秀元だけど、
上記の騒動時に吉川広家とともに家康に助けられている。そりゃあ空弁当も食べるというもの。
- 701 :人間七七四年:2023/08/23(水) 15:25:03.56 ID:vhshceI6.net
- 内府違いの条々で家康を糾弾すれば諸将に疑心暗鬼なんて子供みたいな理屈は流石に西軍も期待してなかったはず
内府違いの条々は西軍及び親徳川派への攻撃に正当性を与える事のみを役目としてるからそれで会津征伐軍が空中分解なんて起こるはずもないしそれは想定内
実際前田細川クラスの大名ですら主人に反する連中が出てきてるから期待通りではあった、あったけど西軍首脳部が戦略を失敗したので全て水面下で鎮圧されて歴史から消えた
目先の利益に飛び付いた者の末路
- 702 :人間七七四年:2023/08/23(水) 19:58:03.60 ID:mUhYAEtD.net
- >>699
ずいぶんとご立腹だな
勝手に調べろじゃなく、こっちは根拠史料挙げてるんだけども
それから逃げるから蒸し返すんだよ、愛妾くん
- 703 :人間七七四年:2023/08/23(水) 20:12:07.84 ID:An4B5VH9.net
- >>701
味方する大名がもっと出ないと戦略戦術がどうこうで埋まる差じゃないよ
変な話戦力だけで言うと東軍先鋒衆だけでも確実に勝てるとは言えんし北陸との二正面作戦になると普通に劣勢当然の戦力差だろ
- 704 :人間七七四年:2023/08/23(水) 20:33:35.42 ID:+fFWFPqQ.net
- 家康と親しくして何らかの利益を得ていた連中、例えば福島や池田、浅野、黒田、蜂須賀、細川といった連中が弾劾状如きで空中分解なんてあり得ないしそんなことは輝元だって信じてない
現に蜂須賀家政は家康を弾劾するのに反対してるしだから輝元は家政を捕らえて全てを没収した
内府違いの条々は西軍に正当性を与えるものでその意図は達成された。ところが西軍はこの後戦略を失敗した
輝元が凡愚だったからだけど徳川の情報工作も見事だったんだろう
- 705 :人間七七四年:2023/08/23(水) 22:31:44.30 ID:Vp4k7hZf.net
- そもそも当時は奉行たちが弾劾騒動を起こすことなどよくあることだった
内々の儀を任された利休や関白を任された秀次も
秀吉の言葉を無視しているだの豊臣に反逆しているだのと弾劾され命を狙われてきた
だから東軍大名はもちろん西軍大名の大半も内府違いの条々などまじめに信じていなかった
単に自分の利益に繋げるために乗っかったふりをして利用する連中がいただけ
内府違いの条々の中身なんて正直なところどうでもよかった
- 706 :人間七七四年:2023/08/24(木) 09:55:18.41 ID:sLF0lO1y.net
- 西軍の初期戦略は真田家が味方であることから上杉佐竹と協働するというもの
内府違いの条々で西軍には正当性がある、これで全国に紛争のタネがばら撒かれた。後は当主に反感持ってる連中が立ち上がるのを待つだけ
東軍先手衆は強力といえど朝鮮出兵で疲弊した連中ばかりでよほどの数的差が無いと負けることはないし徳川は動けないのだから動きも鈍かろう
予想される徳川の動きは上杉潰し、これをしないと徳川は背中を斬られる訳で長期戦は必至
となると勝ち目があるように見えても不思議じゃない
- 707 :人間七七四年:2023/08/24(木) 10:27:14.22 ID:JqUV/JQ6.net
- 豊臣政権を守るなら、全国に紛争のタネをばら蒔いてはいけないと思うだが……
豊臣政権が天下を納めることができない証明になってしまい、実権を失う結果になるのでは。
この辺あたりって西軍の首脳はどう考えていたのかな。
- 708 :人間七七四年:2023/08/24(木) 12:13:07.50 ID:MpH4/aaQ.net
- 島津は薩摩本国から小西行景に援軍出してたみたいだけど義久も西軍として行動してたのか
- 709 :人間七七四年:2023/08/24(木) 12:22:17.08 ID:2+54gw9C.net
- >>705
内府ちかひの条々を利休、秀次と並べる発想は目から鱗だわ
なるほどおもろい
- 710 :人間七七四年:2023/08/24(木) 12:43:38.01 ID:oyyhAGKJ.net
- >>707
結局奉行衆と毛利・宇喜多で思惑が違っていたと思う。
毛利・宇喜多は前田・上杉とやられたら次は自分達だとの意識があるだろうから、紛争の種は蒔いてなんぼでしょ。
特に毛利は豊臣に忠誠どころか、徳川同様仕方なく豊臣に従っていた立場なわけだし。
- 711 :人間七七四年:2023/08/24(木) 14:03:34.88 ID:A2vUPNjF.net
- >>707
橋陽介氏は西軍のこの動きを「豊臣公儀による惣無事令の破壊」と評してる
秀吉の惣無事令とは領土その他の争いは公儀が決着させ武力衝突を禁じるもの
西軍は豊臣公儀の名によって私闘自力救済を合法化した
輝元によるささやかな報復だったのかもしれない
- 712 :人間七七四年:2023/08/24(木) 14:16:28.46 ID:VOyBkD1Q.net
- 豊臣政権を破壊したのは家康
それだけいうなら政権を秀頼が成人したら返せよ
そもそも秀頼が関白になるはずなのに、九条をその座に据えたのは家康だろ
- 713 :人間七七四年:2023/08/24(木) 14:22:40.89 ID:A2vUPNjF.net
- と言われてるけど真相は不明、ってか多分ガセ
関ヶ原戦役後で西軍の仕置、東軍諸将の恩賞査定に奔走してる家康がその最中に朝廷にも嘴入れてたらスーパーマン過ぎる
大体この時点の家康は只の内大臣、どうして誰を関白にするか決められるというのか
そんな力があったら真っ先に自分を将軍にしてるだろうに
五摂家が隙をみて家康に政治取引を持ち掛けたってのが真相だろう
- 714 :人間七七四年:2023/08/24(木) 14:56:44.40 ID:HcpuzcN5.net
- >>711
そりゃあ最晩年の秀吉の依怙贔屓で自領の領地の分配を滅茶苦茶にされ、
秀吉の死でやっと望みの通りの分配が認められたと思ったら、
今度は家康によって輝元にとっては更に酷い更に酷い裁定を下されたわけだから。
惣無事令なんか従ってられるかふざけんなとなるのも仕方ない。
- 715 :人間七七四年:2023/08/24(木) 15:20:28.00 ID:cy0EJt1G.net
- 毛利参戦の原因も結局は秀吉
秀吉が始めて秀吉が終わらせる
- 716 :人間七七四年:2023/08/24(木) 15:28:43.91 ID:Jz+MsLXC.net
- >>713
そもそも徳川との取引すらなく摂関家が独断でやったんじゃないかとすら思ってるけどね
何故ならこの時点で豊臣家側から関白を出そうとすると最有力候補が結城秀康になる
関白は16歳未満での就任前例がないので秀頼は無理(秀吉健在なら可能だったかもしれんが)
秀吉養子の秀秋は翌年死亡だからもうヤバい可能性が高いし、秀家は没落済み(行方不明)
宮様はいるけど、宮様推薦=秀康を推薦しないだから徳川に喧嘩を売るも同然、
関ヶ原後にそんな事をする勢力など、もういないだろ
要するにこの時点だと摂関家視点では徳川が潜在的敵勢力とみられてる可能性がある
- 717 :人間七七四年:2023/08/24(木) 16:12:06.05 ID:2/kB27Df.net
- 関白になるには五摂家出身かつ大臣就任歴が必要だから結城秀康は論外じゃない?
この時点では秀康は参議とかだった筈で官位が足りない
内大臣徳川家康、右大臣菊亭晴季を飛び越えて左大臣に就任出来る器かと言えば無理だろうし(ていうか親父に喧嘩売る事になるし)
- 718 :人間七七四年:2023/08/24(木) 17:41:34.27 ID:R4kvlm7e.net
- 家康の野心は見え見え
慶長16年に秀頼と会見した際にこう言ってるし
「亡き秀吉公の遺言では、お前が15歳になれば天下を渡す約束だったが、関ヶ原でこの家康を討とうとしたのは
紛れもなくお前である。だから約束を反故にされても仕方ないものと心得よ」(「慶長之記」)
これ酷すぎるだろ
当時数えで8歳の秀頼に家康を討てなんて判断ができたとはとても思えん
明らかに家康の野心が見え見え
豊臣家を守るとか、秀頼を守るとかなんか鼻からないだろ
- 719 :人間七七四年:2023/08/24(木) 18:17:03.19 ID:7HMGyCEg.net
- 西軍の失敗は真田信幸が裏切っている事を昌幸含め誰も気付かず味方と思い込んでいたことつまり前提が崩壊していることに気付かなかったこと
西軍と上杉の協働が不可能になったこと、信幸が送ってくる西軍の情報で徳川は戦略的有利を掴んだ
美濃に一万と少しでは反徳川勢力はしらみ潰しにされまた当主に睨まれて動けず粛清されるのみ
最初から上杉との協働を期待せず主力を徳川に向けていれば何か変わったろうが
- 720 :人間七七四年:2023/08/24(木) 18:17:11.56 ID:cy0EJt1G.net
- >>718
慶長之記ってどこの史料よ
文章内容からいっても後世の創作としか思えん
- 721 :人間七七四年:2023/08/24(木) 18:40:03.08 ID:HcpuzcN5.net
- >>718
そもそも論として、守る必要がどこにあるんだ?
徳川から見たら、そもそも豊臣は敵。
これは上杉、毛利なんかにも言えるけど、直接敗れた(従わざるを得なかった)秀吉が死ねば、従う義理なんてなくなる。
ましてや厚遇してるならともかく、転封を食らった徳川と上杉に、生命線たる瀬戸内の水運と石見銀山を取り上げられた毛利。
数少ない秀次を自刃させた時点で豊臣家は終わったんだよ。
- 722 :人間七七四年:2023/08/24(木) 19:04:10.92 ID:CwAw2SpA.net
- 家康は秀頼に豊臣公儀は返してあげてる
秀頼が関白になれば公儀になれたろう
- 723 :人間七七四年:2023/08/24(木) 19:07:31.68 ID:Jz+MsLXC.net
- >>721
まあ徳川は秀吉が事実上政権2番手の地位を与えたから、政権内での権勢拡大はともかく、
政権崩壊を無理に狙う必要はないだろう、豊臣政権が徳川の権威を保証している限りは、だが
言うまでもないが西軍による関ケ原の挙兵はその前提をぶっ壊した訳で
徳川がいくら豊臣を盛り立てようが、(専横しようが)それが徳川の御家安泰にならないのなら
そりゃ徳川は身の振り方を考えるわな、まあ反家康派にも言い分はあるだろうけど、
豊臣御為だか何だか知らんが随分と浅はかな事をしてくれたものだよ、西軍は
- 724 :人間七七四年:2023/08/24(木) 19:10:41.75 ID:Ee1uuTae.net
- >>708
清正の書状によると義久も忠恒も我関せずみたいな態度取ってるけど、宇土城の後巻として佐敷表まで
島津忠長や新納忠元を派兵してるじゃねーかと詰ってるから清正は義久らを西軍と見做してたことが分かる
- 725 :人間七七四年:2023/08/24(木) 19:25:13.49 ID:Ee1uuTae.net
- >>712
家康が奏請して九条兼孝が関白再任したって九条側の史料(兼孝公記)にはあるけど他の史料にも同様の記述はあるのかね
事実なら徳川方の史料に残っててもいいはずなんだけど当代記や徳川実紀にもないとこ見ると微妙
- 726 :人間七七四年:2023/08/24(木) 20:05:59.39 ID:TuLoja4A.net
- >>705
秀次事件と内府違いの条々は全く性質が違うんだよなぁ
利休にせよ秀次にせよ奉行がやったのは謀反の疑いを公儀たる秀吉に通報しただけ。それが奉行の職権内かは兎も角おかしな話ではない
内府違いの条々は奉行が公儀の命令を領主に伝えたもの
つまりこの二つは方向が全く違う、当然性質も違う
- 727 :人間七七四年:2023/08/24(木) 22:09:11.73 ID:/bK9o2x7.net
- 利休は謀反の疑いなのか?
利休にそんな兵力はどこにも無いのに、信じた秀吉もどうかしてるよ
- 728 :人間七七四年:2023/08/24(木) 22:47:43.96 ID:h9a5D7tq.net
- 同時代人も同じこと思ってたから当時から利休と秀次の謀反については懐疑的な意見が多かった
- 729 :人間七七四年:2023/08/25(金) 06:57:04.31 ID:en8U21Fg.net
- 集団摘発案件、逮捕案件
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- 730 :人間七七四年:2023/08/25(金) 10:21:35.67 ID:dM4XRNJ+.net
- 奉行ってのは基本中間管理職だからトップの尻拭いをさせられる結構哀れなポジション
- 731 :人間七七四年:2023/08/25(金) 11:30:23.35 ID:GpHPbXx9.net
- 人手が足りなかった秀吉は信長が鍛えてた近臣をそのまま雇用したけど既に自前の家臣団がある家康には秀吉の奉行衆は必要なかったんだな
- 732 :人間七七四年:2023/08/25(金) 12:26:26.17 ID:q2M87xvL.net
- >>731
増田、前田玄以もお咎めこそないけど一瞬で政権中枢からはずされて
それで何か滞ったような感じもないもんね
不可欠な存在だと思ってたのは本人たちだけで、実はたいした仕事してなかったのかも
- 733 :人間七七四年:2023/08/25(金) 12:41:24.33 ID:FfNr3WbL.net
- 増田は改易されたのに前田だけお咎めなしなん?
- 734 :人間七七四年:2023/08/25(金) 13:26:22.48 ID:dM4XRNJ+.net
- 表向きには既に病で重篤だったから
らしいが
- 735 :人間七七四年:2023/08/25(金) 15:51:22.58 ID:tUdYVV3u.net
- よく勘違いされるが、当時の家康は秀頼の立場を比較的尊重しており、物・人形のような扱いをすることを避けていた
そのため勝手に秀頼の意思を騙ったり、自分が公儀だと名乗ったり、抱きかかえて威張り散らすような真似をしなかった
家康の善意によって豊臣はかろうじて政権としての立場を保つことができたが
逆に西軍は秀頼を公然と物・人形の扱いをして軽んじる路線を取ってしまった
勝手に秀頼の意思を騙り、自らを公儀そのものと言い放ち、秀頼を無意味な傀儡に過ぎないことを見せつけたことで
豊臣の権威は崩壊して、かろうじて保っていた政権の体裁も失った
たとえ西軍を討伐しても西軍が生み出した豊臣軽視主義を取り除くことはできず
豊臣政権は西軍によって滅ぼされることになった
- 736 :人間七七四年:2023/08/25(金) 15:57:52.81 ID:kwTuT1B8.net
- >>732
奉行というのは15年間人材の入れ替わりも何もない閉鎖的で硬直化した集団だった
こういう集団は官僚としての体をなさず特権階級意識だけが肥大化していく
そのため奉行連中はたいした仕事をしないばかりか豊臣の権威で威張り散らすことが仕事になる
奉行の肥大化した特権階級意識が暴走してできたのが西軍だった
- 737 :人間七七四年:2023/08/25(金) 18:48:44.57 ID:gi4MEx3u.net
- ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1601/18-2-3/1/0077?m=all&s=0077
近衛信尹の日記、関ヶ原翌年の大坂城での年頭拝賀の記事
前も引用したやつだが、秀頼への取り次ぎが徳川秀忠だった
家康は病の床に臥せっていたので代わりに秀忠と拝謁した
取り次ぎは池田輝政だった
秀頼への取り次ぎこそ輝政であるべきで(先立つ朝廷への年頭挨拶の秀頼代行が輝政だった経緯もあるんだろう)、秀忠の取り次ぎは本多、榊原、大久保らであるべきじゃないか
秀吉、秀頼に恨みがあってもおかしくない信尹でこれ
朝廷と豊家、武家の関係はいまの常識で判断しない方がいい
前田玄以は秀頼への勅使の接遇役だったから温存されたと思われる
- 738 :人間七七四年:2023/08/25(金) 18:59:21.90 ID:tUdYVV3u.net
- >>737
1601年の年始なら秀吉によって強制隠居に追い込まれていた五摂家の九条と近衛が関白と左大臣として復帰、鷹司は官位は上がっていないが関白と同じ権限を持つ「内覧」の権利を与えられることが内示されてるだろうしな
豊臣政権は崩壊したというのが朝廷の認識だろうからむしろざまあみろという気持ちだったかもしれん
- 739 :人間七七四年:2023/08/25(金) 19:36:52.40 ID:qA3qh+Rj.net
- >>710
その前田上杉の次は云々てのも小説なんかでよくあるけどかなり恣意的な見方だよ
奉行は上杉征伐には何故か反対したけど前田浅野の疑獄事件はしっかり関与してる
史料によっては家康暗殺容疑をむしろ取り上げた立場で
それほどおおごとの容疑なのに家康は死者を出さず治めてる立場
いつ誰が吊し上げられるかわからないという危機感はあったかもだが
家康の陰謀てのはフィクションの中で何の史料もなく憶測で語られる内容だし
むしろ奉行こそ徳川→前田と次々に吊し上げてる側だし
奉行の政敵は豊臣忠義でも討つと誓紙だしてる毛利もその一味
- 740 :人間七七四年:2023/08/25(金) 19:43:51.60 ID:lav6nKMu.net
- >>738
むしろ逆で、この日記で信尹は、簡単に言えば「秀頼の扱いが徳川無礼なり」と憤ってるんだよ
朝廷世界の住人だからこその考え方かもしれないが
秀頼から朝廷への名代が池田輝政(1月18日)
家康は「煩」(病気、狸寝入りかどうかはしらん)、名代の秀忠に取り次いだのが「秀頼名代格」の一大名、池田輝政
信尹はそんなの徳川の家臣から出せよと(1月29日)
ご指摘で気付いたが、信尹は少なくとも大坂城への勅使に立つ前か直前、同日付で左大臣に環任されてるんだな
徳川に恩を感じなかったのか、実は人事は豊臣主導だったのか
そこらは知らんので教えてほしい
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1601/18-2-3/1/0070?m=all&s=0070&n=20
ちなみに秀頼名代、輝政の18日来訪に信尹は「珍重珍重」
- 741 :人間七七四年:2023/08/25(金) 20:15:33.92 ID:NeNPrGmW.net
- >>739
いや、仲間が次々とやられている、ってのは小説じゃなく一次史料、内府ちかひの一~三条に真っ先に記されている
要するに最も訴えたい箇所だよ
もっと直接的に書いているのはこの一連の書状
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-1/18/0060?m=all&s=0059&n=20
「如此一人宛(ずつ)被相果候ては秀頼様可被取立儀にあらす候て、各申談」
上記は真田昌幸への三奉行副状(7月29日)
輝元も宇喜多秀家も同趣旨の記述
これも前に引用した史料で、推論も繰り返しになるが、各個撃破されていくことへの恐怖が観てとれる
そのこと(決起)への善悪に触れるつもりはないが、「俺たちがいなくなると秀頼様を守れない」と強調しているということ
内府ちかひだと秀頼より秀吉遺訓が強調されている
まあここら辺の変遷も面白い
- 742 :人間七七四年:2023/08/25(金) 20:37:31.96 ID:GpHPbXx9.net
- >>733
朝廷にコネがあることと、ただ秀頼を守る完全中立に徹したのがよかったとか言われている
- 743 :人間七七四年:2023/08/25(金) 20:50:30.06 ID:4HE8Lz3Q.net
- 輝元も青木一矩宛の書状では真田家文書の三奉行副状と同様の文言の書状を
送ってるし、西軍首脳が殊更強調したい部分だったことは想像に難くないな
7月27日付青木一矩宛毛利輝元書状
「殊更奉行・年寄一人宛被相果候てハ、秀頼様争可被取立候哉」
- 744 :人間七七四年:2023/08/25(金) 21:35:03.41 ID:1FdbcC0v.net
- 朝廷って一千年は権力闘争してた伏魔殿だからな
嫌な奴にブーイング浴びせるような分かりやすい真似しない
一見敬ってるように見せながら破滅する姿を嗤う
喩えるなら神輿に乗せて川に放り込む
秀頼なんて正にそれを喰らってる訳でそりゃ楽しかったろ
- 745 :人間七七四年:2023/08/26(土) 10:44:39.50 ID:yX7BaKPs.net
- というか、西軍が勝つなら、東軍に勝たなきゃいかんのだけど……
西軍には核となる指導者、すなわち戦略家が全く皆無だったね
田辺城に兵を向けたり、四国に兵を向けたり
あんなところ後からどうにでもなったはずなのに
大津城は仕方ないけど
ところで田辺城に兵を向けたのは、もしかして石田三成の私怨も含まれているのかな?
真田宛の三成書状で忠興に対して遺恨があるとか書いてるし、細川をかなり恨んでいたみたいだから
- 746 :人間七七四年:2023/08/26(土) 11:02:16.51 ID:JXkhSJZP.net
- 皆1戦で全部が決まるなんて思ってなかったってことよ
- 747 :人間七七四年:2023/08/26(土) 12:22:00.93 ID:yX7BaKPs.net
- >>746
それはさすがに甘くないか?
秀吉は賤ケ岳、山崎、根白坂、山中城とどこかで必ず一戦して決めたとまではいわないが、その後の流れを完全に
掴んでしまっている
三成は秀吉の下で何を学んでいたのか?
- 748 :人間七七四年:2023/08/26(土) 12:34:09.15 ID:3udpxH2D.net
- >>747
上にあるように、三成に主導権はなかったんでしょ。
ただ、西軍にとっての誤算と言うなら、まともに1戦もせず負けてしまったこと。
いわゆる関ヶ原の合戦は、戦う前から敗走しての撤退戦・追撃戦でしかない。
- 749 :人間七七四年:2023/08/26(土) 13:24:15.31 ID:A0cPrvU4.net
- そもそも地理的に近い大名が前線を負担するのが当時のルール
だから朝鮮出兵は西国大名が前線を負担して、東国大名が後方支援だった
西軍が東進するなら地理関係は逆転して、西国大名が後方支援担当になる
自分の意思で前線に行くことは自由だが強制される謂れはない
だから毛利など西軍の西国大名にはそもそもまともに1戦をする義務はなかった
まともに1戦をする義務があった石田・大谷など東側にいる大名が悪い
- 750 :人間七七四年:2023/08/26(土) 14:43:46.03 ID:3udpxH2D.net
- >>749
いうても西国大名たる毛利は、輝元が大坂城にいたとはいえ、伏見、大津、伊勢と他の戦線全部に展開し、
関ヶ原にはその上で家康より先に着陣して南宮山に陣を構えるまでの積極的な動きをしている。
そう考えるとやはり西軍の主力は毛利で、三成達には足止め程度しか期待されてなかったんでしょう。
で、いざ決戦かと思ったら西軍が大垣城から夜逃げして追撃戦・撤退戦の様相を呈したと。
- 751 :人間七七四年:2023/08/26(土) 15:09:32.20 ID:sGl39uKO.net
- 西軍は徳川が積極攻勢には出られない事を前提としてたから東軍先手衆があそこまで鋭く動いたことは想定外だったはず
まぁ徳川は真田昌幸から西軍の機密情報を貰ってたから当然の成り行きなんだが
- 752 :人間七七四年:2023/08/26(土) 21:25:18.28 ID:LJgGvZ3I.net
- 関ヶ原で決戦の絵図を引いた家康の勝ち
当時の誰もが戦争の終結は大坂城攻めでその為の佐和山攻め、の為の大垣攻め、の為の岐阜攻めって認識
大垣攻めで西軍主力を砕いて毛利を降伏させた事で天下人になった
- 753 :人間七七四年:2023/08/26(土) 23:04:29.63 ID:x9dyGTLH.net
- 後付け軍師はもうお腹いっぱいだよ
書き込みのほぼそれだもんな
- 754 :人間七七四年:2023/08/27(日) 00:53:37.76 ID:OfLwg3u3.net
- 少なくとも関ヶ原に家康が出張ってきたのは勝算立っての事
秀忠も来てないのにわざわざ危ない橋を渡る必要性も無い
様子見で十分やしな
個人的妄想だと小早川か吉川が家康呼んだまであるぐらいだと思ってる
体裁悪いから書状等は残ってないだけで
- 755 :人間七七四年:2023/08/27(日) 08:08:56.72 ID:11/b/K5N.net
- 大垣決戦なら家康の、もっと言うなら毛利(西軍ではない)の絵図にもあったと思うが、関ヶ原での合戦は完全に想定外だと思うぞ?
後知恵と言われようと、あそこで大垣城捨てた挙げ句、近江まで逃げ切りもせず半端に関ケ原に留まるなんて、
そんな自殺行為に等しい馬鹿な行動を予測しろという方が難しい。
小早川秀秋の裏切りで兵糧が断たれるからと言う論もあるけど、近江にいた毛利元康や立花宗茂等を当てれば良かっただけのこと。
- 756 :人間七七四年:2023/08/27(日) 08:25:08.17 ID:ii00ygyq.net
- 徳川家康が赤坂に到着したその日に小早川秀秋が大垣の補給路を押さえる松尾山を武力制圧なんて偶然の筈が無いからな
味方の拠点を命令を得ずに奪取するなんて言い訳の余地無く裏切りなんだから吉川家文書の言う通り秀秋の裏切りは明らか
でそんな危険な行為を何の保証も無くやるか?下手すりゃ敵地のど真ん中で孤立するのに?
- 757 :人間七七四年:2023/08/27(日) 11:28:10.24 ID:tsxLgh8g.net
- >>755
松尾山が取られたってことは黙っていたら垂井の東軍先手衆が山中を占拠するので絶望的
そうなったら西軍には輝元出撃しか勝ち目は無いが輝元が来るまでに大垣が保ってる保証は無いぞ
- 758 :人間七七四年:2023/08/27(日) 11:56:24.16 ID:mAJJCbF/.net
- 大坂の陣の頃と違って毛利が腹括って秀頼と大坂城に籠城したらどうとでもなったよね
- 759 :人間七七四年:2023/08/27(日) 13:53:15.55 ID:11/b/K5N.net
- >>757
垂井の軍が山中を取る≒西進するなら、それこそ、その後方を突っつけるわけで。
俗説で散々言われきた、「毛利吉川が東軍の背後を突けば勝てた」を、西軍のほぼ全軍で実行できるわけだ。
関ケ原付近の山中を抑える意味は、あくまで関ケ原を通過する軍に攻撃を仕掛けられるというだけ。
大垣にいる分には、あるいは佐和山まで引く分には殆ど意味をなさないどころかただの遊兵。
補給路にしたって少し時間はかかるが伊勢路があるし、というかそうでなけりゃなんで伊勢方面に進軍したんだって話だ。
- 760 :人間七七四年:2023/08/27(日) 14:26:23.77 ID:c2mR+sBk.net
- できなくね?
山中の裏を突く道がない
- 761 :人間七七四年:2023/08/27(日) 15:38:49.46 ID:OfLwg3u3.net
- 毛利が大坂城に篭もっても無意味だろ
大坂城は放置で周りの西軍支持勢力を潰していくだけ
当時の価値観でも毛利が支持される事は無いだろな
内心でも徳川が同情されこそすれ豊臣が批判される世界線だと思うぞ
- 762 :人間七七四年:2023/08/27(日) 20:46:26.36 ID:2wPGkoFO.net
- 大垣は割と近江方面を悲観的に見てたんじゃないか。秀秋が近江から来てるんだから
それにしても関ヶ原から佐和山まで逃げたって話が無いし
松尾山から降りた小早川軍と東軍に塞がれて突破出来なかったのかもしれないが石田三成すら佐和山を目指してない
- 763 :人間七七四年:2023/08/27(日) 21:50:55.95 ID:11/b/K5N.net
- >>762
本当にそれが謎なんだよなあ。
小早川秀秋は、石田三成らが関ヶ原を抜けられそうな位置に来ても、まだ山を降りていない。
そのまま進めば西軍は南宮山勢を除いて普通に近江に戻れたはず。
なのにわざわざ挟まれる上に伊勢方面にも逃れられない地点で停止して挟撃を受けている。
- 764 :人間七七四年:2023/08/27(日) 21:54:16.17 ID:ApYcBEtV.net
- 関ヶ原に布陣するのは南宮山落とさないと大垣が完全に詰んでしまう以上仕方がない
決戦で負けて佐和山に逃げてないってのは近江は東軍の手に落ちたと判断したのか
- 765 :人間七七四年:2023/08/27(日) 23:30:02.47 ID:11/b/K5N.net
- >>764
いや、味方の南宮山を落としちゃ駄目でしょ!
それはそれとして、大垣が詰むもなにも、城に火を放って大半が退去した時点で大垣を守る気はないわけで。
- 766 :人間七七四年:2023/08/28(月) 07:06:20.51 ID:/BhpKOKl.net
- 吉川家文書だと秀秋は大垣衆が山中に行く前に裏切りが明らかになったとある
何故かと言えば松尾山を占領したから
秀秋は当時行方不明で西軍の指示に従って無かったのが突如十四日になって城主を追い出して松尾山を奪った
これはどう見ても裏切りなんだが西軍に何が出来るかと言われると急いで松尾山を奪い返すくらいしかできない
佐和山には全く兵が居ないしそもそも連絡に行けるかも不明、その上大垣は糧食不足に苦しむ始末増援が来ると言っても何日掛かるかも予想出来ん
- 767 :人間七七四年:2023/08/28(月) 07:26:43.77 ID:+FzGAdVb.net
- 仕方ないんだけど、大津の京極が東軍方になったからそっちに兵を割いたから
兵力は低下してるし、大津が陥落したのはまさに関ケ原当日なんで一四日だとどうにもならんな
かと言って、援軍待ちの選択を取るには東軍が近すぎる、秀秋の制圧タイミングが絶妙すぎる
- 768 :人間七七四年:2023/08/28(月) 09:08:21.08 ID:Kw0APkUc.net
- しかも同日に家康到着で兵力でも完全に東軍優位正に絶体絶命
大垣を捨てて逃走しようにも南宮山の毛利を逃さないといけなくて大垣衆が殿だし
- 769 :人間七七四年:2023/08/28(月) 12:38:16.39 ID:OAJch/Wy.net
- 逃げるとして東軍が追撃してきたらどうすんの問題もある
どっかで決戦するしかないけど大垣以上の好立地があるかは不明
仮に大敗したら残る拠点は大坂城のみで絶望的な戦いが始まるし
それこそ毛利領は東軍に侵食されるだろうなぁ
- 770 :人間七七四年:2023/08/28(月) 16:18:35.34 ID:S/silih5.net
- ttps://adeac.jp/ube-city-boe/text-list/d200050/ht000180
条数案をちゃんと読んでいるんだか
上記はプロが翻刻したものだから、誤字はあるが基礎史料にどうぞ
- 771 :人間七七四年:2023/08/28(月) 17:21:56.13 ID:flx621Uu.net
- >>769
逃げるなら、史実でも東軍が追撃する前に関ケ原、それも北国街道まで抜けられているのに、何故かそこで停止。
決戦なら、一応は前面に城、その後背地に城兵より多い援軍という後詰決戦の形が出来ているのに、
そこで決戦せずに、山の反対側で後詰めが機能不全になる関ケ原で決戦する意味不明。
- 772 :人間七七四年:2023/08/28(月) 18:35:20.95 ID:GH3yq9Gi.net
- 松尾山の小早川秀秋が敵なんだからそこを突破するのは非常に難しい
まず松尾山攻めをして小早川軍を追い落とさないと話にならない
家康が到着してる以上時間も無いし
- 773 :人間七七四年:2023/08/28(月) 20:24:36.13 ID:rpEl5e/Z.net
- >>772
https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
こちら見たんだけど、どちらが正しいのかな?
小早川秀秋は開戦と同時に裏切った。これが事実なら石田たちが転進して小早川と同陣してて開戦して裏切られたことになる
ところが、小早川秀秋の裏切りが明らかになったので、それを討伐するために石田たちが向かったともある
どちらが正しいんだろ?
- 774 :人間七七四年:2023/08/28(月) 20:28:04.11 ID:FClMuxzR.net
- 秀秋が裏切って無いなら大垣城から出撃する理由も無いし決戦開始から一時間で壊滅した理由もわからなくなる
- 775 :人間七七四年:2023/08/28(月) 20:33:40.73 ID:+FzGAdVb.net
- 普通に考えればいくら当初伏見攻めに参加したとはいっても、その後西軍のいう事をロクに聞かず
ふらふらして行方不明レベルの状態になった挙句、西軍の兵が駐屯していた
松尾山から兵を追い出して居座るような奴を、西軍側が味方認識していたとか
どう考えてもおかしい、味方であると思える理由はなんなんだ
- 776 :人間七七四年:2023/08/28(月) 20:54:49.42 ID:rpEl5e/Z.net
- 秀吉の義理の甥で養子として事実上跡継ぎと目されていた時期もあったし、その点はやはり味方と見れるんじゃないの?
小早川は一応毛利両川だし、秀包の義弟になる
大垣城は垂井や赤坂に東軍が来てる時点でもう詰んでます。あのまま立て籠もってたら西軍は自滅するだけ
9月12日の三成の書状を見る限り城内にそこまで兵糧があったのかも怪しいし
それなら松尾山にいる秀秋と協力して一戦やろうと考えたのでは?
- 777 :人間七七四年:2023/08/28(月) 21:10:17.51 ID:pdZPgWVU.net
- 九月十二日石田三成書状には噂として伊勢への命令を無視したさる大軍の主が西軍を裏切って近江からやってくる云々とあってぶっちゃけ小早川秀秋を糾弾してる
わかっちゃいたが止められるものじゃなかった
- 778 :人間七七四年:2023/08/28(月) 21:39:00.06 ID:flx621Uu.net
- >>772
松尾山は確かに厳しい。中山道の通過も横腹を突かれる危険がある。
が、入りかけていた北国街道を抜けるなら小早川秀秋の妨害は受けずに済む。
時間をかければ垂井から東軍が来るのも分かりきっているのに、なぜあんな所で停止して戦端を開いてしまったのか。
- 779 :人間七七四年:2023/08/28(月) 21:53:29.12 ID:NiyjQ8iz.net
- 前提として西軍は大垣・南宮山・佐和山で線を引いてここで東軍を迎え撃つことにした
ところが松尾山を東軍・小早川秀秋に獲られた、ここで大垣・佐和山の線が絶たれて絶体絶命
問題は毛利軍が南宮山に入っていたことでこれでは毛利は素早い展開が出来ないつまり逃げられない
大垣衆だけが逃げるなら伊勢に逃げれば良いけどそうなると南宮山の毛利軍は皆殺しにされるしそれを輝元が喜ぶとは思えない
だから三成たちは逃げなかった、ところが毛利の方が逃げてしまった
- 780 :人間七七四年:2023/08/28(月) 22:45:40.67 ID:S/silih5.net
- 何が前提だよ
吉川の乗数案とその追進はネタの宝庫だ
これの検証したらいいんじゃないの
基本的に全部信じていいと考えいるが
- 781 :人間七七四年:2023/08/28(月) 22:58:08.15 ID:YuoAkyfa.net
- 日本は国土も狭いからな
追撃戦といっても短時間の掃討戦だしそこまでアドバンテージがとれんよ(士気の変化は大きいけど
ヨーロッパや中国など国土が広いと安全地帯まで撤退もままならずそのまま軍が壊滅まであるから和睦なくして撤退は無い事がほとんどだけれど
- 782 :人間七七四年:2023/08/28(月) 23:25:41.36 ID:o0qU7bhY.net
- 石田三成が戦下手だから、で済む話じゃないの?
赤坂と垂井に東軍に進出されてから有効な手段を全然とってないまま20日間近くも何してんだと思うし
赤坂垂井に東軍が来た時点なら、まだ小早川秀秋は内通までに至ってないし、大津城も裏切ってない
何で早く他の方面にいる西軍を呼び寄せないのかと思う
あの時点で後詰決戦なり、もう大垣城はダメだと諦めて松尾山に逃げるか、あるいは近江まで突っ走るかくらいはやるべきだったと思うが
- 783 :人間七七四年:2023/08/28(月) 23:35:18.75 ID:Ar1r70Qi.net
- >>779
突っ込みどころ多すぎ……。
そんな前提、どんな資料にあったんだよ?
どんなバカならそんな意味不明な迎撃体制を取るのか、
仮に取ったとしてなんで佐和山に軍勢がいないし、大垣を捨ててるのか。
毛利云々以下は、もはや言いがかりにも等しいだろ。
- 784 :人間七七四年:2023/08/29(火) 07:06:30.91 ID:/WbaSB7x.net
- >>783
史料と実際の配置からそう言うことになる
九月十二日石田三成書状から長束正家と安国寺恵瓊は南宮山に毛利軍を配置した上で西軍の食糧は近江から運ぶ事を決定した。既に垂井まで東軍が取ってるので使える道は佐和山からの道のみ、つまり佐和山・南宮山・大垣のこの線が西軍の防衛線になる
ただし三成はこれに複数の点で反対していた。例えば食糧は苅田で集めるべきだったとかそも南宮山に布陣したのはおかしいとか
ただ三成には毛利軍の指揮権は無いので長盛に苦情を言うくらいしか出来なかった
- 785 :人間七七四年:2023/08/29(火) 07:27:15.75 ID:qPznArHn.net
- そう言えば、兵数関係って確定してるの?
なんか西軍、特に毛利勢の兵数がかなり盛られている気がしてならない。
1万石300人で計算すると120万石の毛利は3万6000人しか出せないはず。
毛利は山陽山陰8カ国120万石だから、毛利輝元だけではなく、吉川広家(14万石)や毛利秀元(20万石)、
大津攻めの大将の毛利元康(備後国、石高不明)の所領もこの120万石に含まれる。
大津攻めの小早川秀包のみ、別途九州久留米に7万5000石だから2000人強を加算できるけど、それでも3万8000人。
しかもこの頃は銀山と瀬戸内海の権益も秀吉に取り上げられていたし、なんなら朝鮮戦役に大量動員したあと。
防衛戦ならまだしも、俗説の大坂城含めて計6万人も遠征出来たとはとても思えないんだよね。
- 786 :人間七七四年:2023/08/29(火) 11:46:59.51 ID:Is7eIy1A.net
- 三成が苅田を主張なんて非常識、って言うけど
大垣城の真ん前に田畑有りますって状況じゃなかったらまず東軍が苅田狼藉に来るのは明らかなのでは?
しかも収穫しないといけない西軍と小便引っ掛けるだけで儲けの東軍では難易度が違う
三成の言う通りとっとと苅田しないとマズいと思うのだが
- 787 :人間七七四年:2023/08/29(火) 14:35:30.36 ID:EBx6wwcB.net
- 三成に主導権あったなら東軍先発隊4万以上が清洲に到着した8月14日から岐阜城攻撃のために移動する22日まで一週間の猶予があるのに2万しかいない美濃にほぼ援軍来ないなんてあり得る?
この間、16日には先発隊とは別の市橋長勝徳永寿昌横井時泰らが福束城を攻略
19日には市橋徳永らが高須城高木盛兼、駒野城高木帯刀、津屋城高木正家を攻略
と東軍の攻勢が全く抑えられてない
岐阜城攻撃までに来た援軍は20日に大垣に到着した島津義弘隊1000人のみ
俺が三成なら助けて!て味方に手紙送りまくるよ
- 788 :人間七七四年:2023/08/29(火) 14:40:29.29 ID:Is7eIy1A.net
- 親友の大谷吉継を能登に配置する采配も解せない
そりゃ前田は強敵だろうけど一番厚くしたい美濃方面に置かないなんてあるだろうか
- 789 :人間七七四年:2023/08/29(火) 14:59:45.37 ID:3qsjzr6y.net
- 9月14日時点では赤坂夜襲案くらいしか手がない。
あと鳴海上陸作戦案。
なので、岐阜城後詰決戦案が一番可能性がある。
- 790 :人間七七四年:2023/08/29(火) 17:49:56.91 ID:eJe27tcB.net
- 岐阜城は竹ヶ鼻が落ちて東軍の攻撃方法が増えていた事と西軍の倍以上という圧倒的兵力差が併さって打つ手が無い
もう少し兵がいればね
- 791 :人間七七四年:2023/08/29(火) 18:21:01.91 ID:LxpgM+YT.net
- >>741
いやだからそれがかなり恣意的でなんなら手前味噌で
どの口が言うんだって内容だって話をしてるんだが
前田浅野らはこれまで自分らを弾劾してた連中が
「それは徳川のせい」とか言い出してふざけるなってなったろね
ていうかそりゃ西軍支持なんて広がらんよ
- 792 :人間七七四年:2023/08/29(火) 18:43:34.35 ID:azzSMHiM.net
- まぁ仲間に正当性与える為の文書で敵が何考えようが気にしないものよ
- 793 :人間七七四年:2023/08/29(火) 18:50:52.70 ID:kyL7jdql.net
- >>791
君の想像は知らんがな
一次史料では各個撃破を怖れていた
小説は知らん
各個撃破が本音だったろうねと個人的には妄想するがね
なんで一次史料無視すんのかね
- 794 :人間七七四年:2023/08/29(火) 19:01:01.42 ID:kyL7jdql.net
- ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-2/24/0080?m=all&s=0079&n=20
8月8日付のこいつの真偽はいかん
一連の吉川家文書について、これが真なら価値があろうと
- 795 :人間七七四年:2023/08/29(火) 19:28:22.82 ID:v7nhEd3W.net
- 輝元や三奉行の言い分を真剣に受け取るのは危険だと思う
仮に本当に家康に潰されるかもと思ってたら打倒徳川に全力を出すだろう、何故なら家康を倒さないと身が危険なんだから
それを蔑ろにした挙句の敗北、と考えると何らか欺瞞が混じってるのは明らか
- 796 :人間七七四年:2023/08/29(火) 19:33:53.46 ID:sZ3JJEXM.net
- >>794
黒田家文書の8月8日付黒田長政宛本多正純書状に
「御使者并御一ツ書之趣、懇申聞候、何も理相済候而、御使者返申候」とある
更に同日付の黒田長政宛本多正純条書の一条目に
「従吉川殿御口上之段、一々披露候、様子之儀者、御使者へ申渡候事」ともあり内容は矛盾していない
この二通は家康書状の副状で、家康書状は吉川に送達して正純の二通の副状は長政が手元に残したんだろうね
- 797 :人間七七四年:2023/08/29(火) 20:15:09.64 ID:kyL7jdql.net
- >>795
なにが危険なのよ?
一次史料で連中が強調していたところですね、って指摘なのに
本心だかは分からんから個人的な妄想では本音と書いた
あとから結果を知った人間がパズルしても意味がないよ
- 798 :人間七七四年:2023/08/29(火) 20:20:51.69 ID:3zyivkK2.net
- 上で毛利の兵数に疑問を呈したのだけど、根拠とも言えない与太話がある。
自分の先祖、元はで三村氏配下の、国人とも呼べない土豪だったんだけど、
備中騒乱で毛利に降ったあと、毛利の戦に駆り出されてるのな。
当主や一族が出なくても、村人何人出して何人死んだ、褒美に何を貰った、
なんてのが、写しの写しみたいな感じで江戸時代後期に巻物にまとめられている。
西国之役(九州攻め)や東国之役(小田原攻め)、朝鮮之役(朝鮮出兵)、
それと慶長19年に松山に招集があった(多分大坂の陣?)との記載はあるのに、
関ケ原のあたりで村人を何人出したとか、何人死んだとか、ましてや褒美があったという記載がない。
ということは、関ケ原の時に毛利は根こそぎ動員はしてないのではないかなと。
ちなみに名古屋(名護屋城?)で秀吉に弓3張の褒美を貰ったのでそれをうちの家紋にしたとあったけど、
秀吉に貰ったとか絶対にフカしてるか、江戸時代後期の創作っぽいんだが。
- 799 :人間七七四年:2023/08/29(火) 20:24:37.85 ID:kyL7jdql.net
- >>796
おお詳しくありがとう
やはり吉川の一連の書状は史料批判した上でなんだろうが、かなり有用と感じる
いつも史料を感謝感謝
- 800 :人間七七四年:2023/08/29(火) 20:31:51.29 ID:kyL7jdql.net
- >>798
与太どころかとても貴重な話だと思います
- 801 :人間七七四年:2023/08/29(火) 20:50:16.93 ID:HPlbLvNr.net
- >>798
面白いお話
関ケ原では毛利も吉川広家あたりが会津征伐に従軍予定だったといわれてるけど備中あたりはどうだったんだろう
- 802 :人間七七四年:2023/08/29(火) 22:10:38.78 ID:EBx6wwcB.net
- 三成の出した兵力表に幼少の秀就が一万率いてるとか書いてあるけど所在地不明で信憑性ないよな
- 803 :人間七七四年:2023/08/30(水) 08:08:59.25 ID:mtjsULo5.net
- 毛利と徳川の石高なんて過少申告してたのでは
- 804 :人間七七四年:2023/08/30(水) 08:32:37.81 ID:vmbdTtZl.net
- >>798
根こそぎ動員なんかしたら家康にばれるはずだが
7月中旬以降にそれをやったのかねえ
だとしたら、練度の低い兵士が多いだろうから、伊予三津浜で無様な大敗をしたのも頷けるな
- 805 :人間七七四年:2023/08/30(水) 09:02:01.95 ID:vmbdTtZl.net
- 関ヶ原って確か旧暦9月15日、新暦だと10月23日だよな
三成が苅田を言い出したのが3日前だから、10月20日
その時期だともう稲刈り取ってないとおかしいんだが、戦乱で刈り取ってなかったのか?
- 806 :人間七七四年:2023/08/30(水) 09:44:48.73 ID:nC360GXX.net
- 家康は輝元から「父と思う」なる起請文を得て輝元への警戒は非常に薄かった
それに幾ら家康が伊賀者甲賀者のニンジャ部隊を組織していても全国津々浦々隅々までご存じって筈がないし
- 807 :人間七七四年:2023/08/30(水) 11:40:49.08 ID:a4pms3Aw.net
- 伊賀組御庭番服部半蔵、甲賀組御庭番水口鬼三太
- 808 :人間七七四年:2023/08/30(水) 12:03:56.83 ID:91zjsVlg.net
- >>800
実は自分では殆ど読めなくて、亡くなった祖父に現代語訳したもらってた。
祖父は文字は読めるけど、戦史に詳しい訳でもないから、それで自分が歴史とてらしあわせた感じ。
草書で書かれているせいでまだ読めてない中盤以降、どこに持っていけば解読してくれるだろうか……。
>>801
その辺は記載がないんだよな。朝鮮出兵から大阪の陣の時期まで一気に飛んでるから。
>>804
毛利は石高的に3.6万人が限界
→根こそぎ動員しないと6万人に届かない
→毎回動員されたうちのご先祖が動員された形跡がない
→つまり兵数6万は嘘じゃね?根拠薄弱だけど……って感じ。四国も負けたのは普通に兵力不足では?
- 809 :人間七七四年:2023/08/30(水) 13:19:25.47 ID:rnoe6jxc.net
- 輝元が西軍総大将って事実を消す為に領国内の記録は徹底的に抹消したってだけでしょうね
てかそうでないと輝元のバカさが更に上がるし豊臣のアホさも際立つ
ていうか豊臣が西軍の首謀者だった可能性がまた一つ増えることに
- 810 :人間七七四年:2023/08/30(水) 13:36:21.60 ID:rEosxDxn.net
- >>808
画像アップしてくれたら不完全ながら協力はできるぞ
ただまあ、伝え聞く範囲でも豊臣政権での動員の実態に村方から迫る一級史料(そこだけでも論文書けるな)
もしその史料がこれまで研究者や公的機関に認知されていないのなら、まずは地元の教育委員会に持ち込めばどうだろう
成立が新しいとか写しだとかは価値を毀損しない
磯田先生に持ち込んだらあなたの家系が映画になるかもしれないな
- 811 :人間七七四年:2023/08/30(水) 14:17:05.59 ID:vmbdTtZl.net
- >>808
伊予三津浜で負けたのは完全に油断だと思う
加藤は主力率いて本州にいるんだから、留守の兵力なんてたかが知れてるし
まあ毛利軍も秀元、広家ら主力があっちだから指揮する奴らは二流だけど
- 812 :人間七七四年:2023/08/30(水) 16:07:46.05 ID:h4016MDi.net
- 秀頼の命令に加えて断ったら妻子まで皆殺しとまで言ってなお攻撃してくるとは思わなかったんだろうさ
特に讃岐阿波を容易く掌中に収めた後では
- 813 :人間七七四年:2023/08/30(水) 16:52:36.57 ID:qnygJbXe.net
- >>806
甲賀弾正と伊賀のお弦
ソースはバジリスク
- 814 :人間七七四年:2023/08/30(水) 17:55:37.47 ID:FlLcBa25.net
- >>773
どちらも正しい、小早川秀秋が東軍に内通したのはトップシークレットだったとすれば
秀秋は八月末から九月初頭に家康とコンタクトしていてこの時点で秀秋の東軍入りは決定、その後の動きも家康と打ち合わせされてた
ただ秀秋が裏切ったという話が知られたら如何に秀秋でも無事では済まない、何しろ既に西軍の指示に従ってないんだから秘密にするのは当然の話
だから九月十四日夜に大垣城から石田三成らが出撃した理由を知る人間は徳川家康とその側近しか居なかった。他の連中からは秀秋は戦闘中に裏切った様に見えた。秀秋が松尾山を奪った流れが見えてないんだから
- 815 :人間七七四年:2023/08/30(水) 18:01:50.37 ID:FlLcBa25.net
- 西軍視点だと秀秋は指示に従ってなく怪しいんだけどだから裏切りとは断定出来ない、ところが十四日に松尾山を奪取されて真実に気付く
味方の拠点を穏便とは言え占領した訳で言い訳は効かない、ここに秀秋東軍が確定する
このままだと松尾山近くの大谷隊が危険なので三成たちは出撃した
つまり秀秋裏切り(松尾山占拠)が見えてない者(東軍)からは秀秋は十五日に裏切ったように見え、秀秋裏切りが見えている者(西軍)からは十四日に裏切ったように見えたと
- 816 :人間七七四年:2023/08/30(水) 22:10:13.38 ID:lISoSwZo.net
- >>740
これって豊臣を下にみてるんじゃないの?解釈次第だろうが
秀頼なら池田で良いけど徳川なんだから本多辺りってことは信尹は池田ひいては豊臣を本多以下に見てる
「俺が来てるのにあんなチンピラに応対させるのか」ってことだろう
少なくとも家康が秀頼の統制から外れてるとは認識してる
- 817 :人間七七四年:2023/08/30(水) 23:45:39.44 ID:rEosxDxn.net
- >>816
悪いけど解釈次第じゃない
こんなの基礎の話でしょ
- 818 :人間七七四年:2023/08/31(木) 06:48:48.06 ID:OyKwqRAn.net
- REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担
- 819 :人間七七四年:2023/08/31(木) 07:01:30.54 ID:+d/SXCRW.net
- 秀頼なら三左衛門でもいいがここは本多榊原大久保であるべき
ってことは三左衛門みたいな下っ端を使うなよって話か
貴族らしい嫌らしさあるな
- 820 :人間七七四年:2023/08/31(木) 09:12:44.20 ID:eEmq64AD.net
- 輝元の野望は秀吉に奪われた瀬戸内海権益の奪取なんだろうが
四国制圧を狙う長宗我部のことをどう考えていたんだろうか
主を無視して長宗我部軍に命令出してたみたいだから軽視してたのは間違いないらしいが
- 821 :人間七七四年:2023/09/01(金) 21:42:00.49 ID:GSPiOZsf.net
- 三成がどんなに頑張っても無理
- 822 :人間七七四年:2023/09/01(金) 22:02:00.69 ID:CKQ4f+zm.net
- 知勝有五、知可以戰、與不可以戰者勝、識衆寡之用者勝。上下同欲者勝、以虞待不虞者勝、將能而君不御者勝
戦いに勝つには五つの大事な要素があるよ、よく覚えておいてね
攻めのタイミングを逃さずに攻撃しろ、引き際を間違えちゃダメだぞ
数的有利を作れ
上から下までみんなの目的を一つにしろよ
はかりごとで相手のスキをつけ
あと、一回出撃させたら指揮官を信じろ、偉いやつが後からゴチャゴチャ言うんじゃねえ
昔の偉い人のお言葉ですよー
試験に出ますからねー
- 823 :人間七七四年:2023/09/01(金) 22:39:07.94 ID:IpdzDVjq.net
- 家に史料持ちニキは嘘マツだったのか?
残念だねえ
- 824 :人間七七四年:2023/09/02(土) 11:23:15.43 ID:R9qM7Jdp.net
- 毛利輝元が真実120万石しか持ってなかったのかからして怪しいけど豊臣公儀を征服するっていう大戦で100石辺り200人とかで徴収してる筈がない
500.600人位は徴収して戦力配置してないと戦国大名としてどうなのって感じがある
- 825 :人間七七四年:2023/09/02(土) 12:48:59.75 ID:Z9Ngc8yg.net
- 三成は忠臣ゆえに敗れた
- 826 :人間七七四年:2023/09/02(土) 12:59:59.89 ID:EjYFj9lp.net
- 三成は西軍の総大将じゃないからな
兵力配分の決定権も無かったろう
- 827 :人間七七四年:2023/09/02(土) 13:59:57.36 ID:2JjOJe8g.net
- >>825
忠臣といえば聞こえはいいけど、要するに秀吉時代の感覚が抜けていないだけ
いつまでも秀吉時代と同じように振舞って同じように命令できると勘違いしている
勘違いして偉ぶっているからスケープゴートとしては丁度いい人材だった
- 828 :人間七七四年:2023/09/02(土) 13:59:59.36 ID:2JjOJe8g.net
- >>825
忠臣といえば聞こえはいいけど、要するに秀吉時代の感覚が抜けていないだけ
いつまでも秀吉時代と同じように振舞って同じように命令できると勘違いしている
勘違いして偉ぶっているからスケープゴートとしては丁度いい人材だった
- 829 :人間七七四年:2023/09/02(土) 17:29:06.14 ID:cgqN4N76.net
- >>823
嘘松ではないけど、一応うちの本家の個人情報……ってか1500年代の情報って個人情報になるのか?
名字、正式には氏?が同じで、村名が今の字そのもので、個人に辿り着くかも?なものなんで、
ちゃんとしたところに聞くのはともかく、初手5chアップはできない。
なお、教育委員会と繋いでもらえるかもしれない市役所では、そういうのは扱っていない模様。
- 830 :人間七七四年:2023/09/02(土) 18:32:02.73 ID:4xTGhT25.net
- >>829
もちろん上段は承知
役所によって違うが役所の代表電話にかけて、「文化財保護の担当に回してください」というだけだし、直通だって普通はネット上にも載ってるよ
いつか翻刻されるときを楽しみにしてます
- 831 :人間七七四年:2023/09/02(土) 18:56:28.64 ID:EjYFj9lp.net
- 三成が西軍に参加したのは七月末な訳だけど
それはより早いタイミングで三成に計画を伝えたらいけない理由があったことになる
佐和山が反三成派に監視されてたか三成に裏切られる可能性を考えたのか
- 832 :人間七七四年:2023/09/02(土) 19:57:41.24 ID:dABYSzcr.net
- >>824
実際120万石で51500動員してる
- 833 :人間七七四年:2023/09/02(土) 21:08:48.18 ID:EjYFj9lp.net
- 戦国時代は一概に何万石だから何人って割り切れないところあるし
隠田の様な非公式な支配地域があって不思議じゃないし国家総動員体制を敷けば幾らでも徴兵できる
また財力や人脈等でパンプアップも出来る、信長公記だと長篠前に信長は十万の兵を使って戦争してるけどこの時の信長って三百万石くらいのはずで協力者がいたか傭兵したか
輝元は西軍総大将なんだから兵力をかき集めたのは自然じゃないか
- 834 :人間七七四年:2023/09/03(日) 07:49:05.53 ID:mNVKXy/n.net
- 毛利領には石見銀山があるし
- 835 :人間七七四年:2023/09/03(日) 08:41:10.76 ID:WpT3mEHE.net
- >>832
毛利の動員は最盛期の200万石時代に、自領の上月城包囲戦(七難八苦のマゾヒスト)の時の6万人が最大じゃなかった?
しかも関ケ原の頃って石見銀山の所領こそ毛利だけど、権益は秀吉に取り上げられていたはず。
朝鮮出兵の費用は石見銀山で賄ったなんて話もあるくらいで。
まあ、関ケ原の数年後に周防長門を徹底的に検地したら30万石のはずが50万石を超えて、
幕府に色々洒落にならないので7割の36万石にしろなんて言われた話もあるが。
- 836 :人間七七四年:2023/09/03(日) 10:59:07.22 ID:d5DmQHnk.net
- 爺やガキ動員したところで食い扶持が増えるだけでコスパ良くない。
多けりゃいいってものではない。
- 837 :人間七七四年:2023/09/03(日) 11:22:28.72 ID:g1iNZ4c5.net
- 滅びるよかマシ
- 838 :人間七七四年:2023/09/03(日) 11:38:11.40 ID:bIgitpNz.net
- 2日で大坂に数万の毛利軍が船で行けるのかね?
- 839 :人間七七四年:2023/09/03(日) 12:37:01.93 ID:g1iNZ4c5.net
- 光成準治氏が考察してるが前々から計画を立てていたら可能とのこと
つまり潮流天候の記録を調査して最も安全な時期を策定してその時に大義名分である上洛要請書が届く事を前提に軍事準備をしておけば
- 840 :人間七七四年:2023/09/03(日) 12:52:03.00 ID:g1iNZ4c5.net
- もう一つの可能性は大坂付近の毛利秀元が上洛要請書を受けて大坂城占拠したというもの
この場合秀元は輝元から事の次第を聞かされて準備していた事になり前から輝元が計画に関わっていたことになる
どのみち「公儀から要請されたから何となしに来た」っていうお人好しじゃないのは確か
- 841 :人間七七四年:2023/09/03(日) 13:11:46.44 ID:3I+ckJ0Y.net
- >>839
それでも無理やろ。現代だって新幹線が容易に止まるのに、そこまで完璧な天候予測立てられるとかどんな謎技術よ?
どちらかと言うと出発日、到着日を誤魔化したり、書状の日付をずらしたりしてるのでは?
現代だった契約書の日付入れる時にはとっくに取引は終わったあととかあるやろ?
どっちにしても、毛利輝元は流されるどころかガチの主犯。その上で奉行衆を売って助かろうとしたと思うわ。
現代でいうなら、この間、関西電力が西の電力会社誘ってカルテル結んだ挙げ句、
いざ危なくなったら率先して国側に寝返って無罪放免になった、あんな感じの。
- 842 :人間七七四年:2023/09/03(日) 13:27:38.90 ID:g1iNZ4c5.net
- 輝元の手元に大坂三奉行からの上洛要請書(十二日付)が届いたのは十五日のこと
なんでかというと輝元は同日付で加藤清正に書状を送って三奉行からの要請書に触れた上でご丁寧に船で出発すると言ってるから
毛利軍が十七日に大坂城を制圧したのは確かなので残るのは大坂付近の毛利軍が制圧したのか船で大坂に行って制圧したのかの問題
おそらく漁師や船乗りを総動員して経験則から安全と踏んでの作戦だったんだろうけど
江戸時代に参勤交代で事故が起きた海路って話だから危険なことは間違いないが輝元的には無視できる内容だったのかもしれない
- 843 :人間七七四年:2023/09/03(日) 13:38:43.89 ID:QIKul5vS.net
- >>842
それらの書状の処理一式を大坂城、もしくは木津の毛利屋敷でやったとは考えられない?
あるいはそう書いておけば、常識的には輝元が大坂城に来るのはもっと後だから、それがわずか2日で入れば兵数が少なくても完璧な奇襲になる。
計画から天候まですべて読んでいたよりはよほど説得力があるけど。
- 844 :人間七七四年:2023/09/03(日) 14:34:54.27 ID:qEui1dIV.net
- 加藤清正に宛てた書状があるからこれを完全に偽書と断定する証拠が無いと厳しい少なくとも現在の研究者は否定する根拠を見出せてない
瀬戸内海は荒れる危険な海だけど誰もそこで船を出せなかったと言う様なものでもない
地元の人間なら知っていたんだろう、とすればおそらく十二日に三奉行が上洛を要請したのもそこから逆算しての可能性がある
- 845 :人間七七四年:2023/09/03(日) 15:16:03.66 ID:ALYdp1YW.net
- 秀元、元康あたりは既に木津あたりにいたんじゃないの?
吉川安国寺はもっと先行してるんだし。
で、輝元の3000〜5000くらいが準備万端で待っていれば昼夜航行で大坂着くんじゃないの?
- 846 :人間七七四年:2023/09/03(日) 15:20:18.43 ID:qEui1dIV.net
- 仮に船を使ってなかったとすると一番あり得るのは大坂付近に兵を置いておいて十二日の上洛要請書と同時に毛利秀元にも書状を届け、然るべき日数の後大坂城を占拠に向かったということ
ただそれでも輝元の速度はかなり速いことになるのだが…どのみち輝元が裏で絵図描いてた首謀者なのは間違いない
- 847 :人間七七四年:2023/09/03(日) 17:05:58.88 ID:+tXzNK5A.net
- 輝元程度が家康に勝てると考えてる時点で終わってる
やはり政権末期にはろくな人材が一方にはいないよな
これはどこの歴史も同じ
- 848 :人間七七四年:2023/09/03(日) 17:48:41.81 ID:HN6DTBRQ.net
- 豊臣政権は始まったばかりやろ!
- 849 :人間七七四年:2023/09/03(日) 17:57:46.33 ID:fy+vt22P.net
- >>847
それは結果を見て言ってるでしょ
輝元だって負ける未来を
知ってたらやらなかっただろう
- 850 :人間七七四年:2023/09/03(日) 18:17:06.08 ID:6a/JGQW/.net
- 家康は名護屋在陣もあったし西国を自分の目で見て肌感覚で万単位の兵力を上方まで移動させるとどうかみたいな想像はできたでしょうね
輝元は不破の関を越えたことなくて、東国を見たことなかったんじゃないか
- 851 :人間七七四年:2023/09/03(日) 18:25:37.37 ID:rQ7l9jU+.net
- 7月12日付輝元宛三奉行連署状も7月15日付清正宛輝元書状も共に原本はなく写しとして松井家に伝来してる
輝元が15日に出発したことは他の史料からも確認できるし偽書とは思えん
けど、どういう経緯でこの二通の書状写が松井家に伝わったのか気になるな
15日付清正宛書状は清正が杵築の松井康之に写しを転送した可能性も考えられるけど、12日付三奉行連署状の方は入手経路が想像つかんな
- 852 :人間七七四年:2023/09/03(日) 18:26:26.64 ID:L1Y0Xteb.net
- >>844
可能性があるというか、最低でも逆算はしないと、輝元が走れメロスみたいに飛び出していった残念な子になる。
当時の安宅船(まさか8カ国の主を小早には乗せまいて)の速度は巡航で時速4.3kmだから
距離を現広島~大阪間の300kmとした場合で約70時間。
15日の0時に書状を受け取り、朝1時に出発して、17日の23時に到着して、1時間以内に大坂城を占拠。
……出来るかっ!
- 853 :人間七七四年:2023/09/03(日) 18:28:09.61 ID:+tXzNK5A.net
- 三成は負けたから悪く言われるのは仕方ない
忠臣だが結果を出せなかった罪は大きいよな
- 854 :人間七七四年:2023/09/03(日) 18:32:11.64 ID:L1Y0Xteb.net
- ちなみに最大戦速で時速9kmは出せるからそれで行けば……という話もあるかもしれないが、
休みなく最大戦速なんて出し続けられないし、夜の瀬戸内海をそれで突っ切れって自殺行為。
昼に高速、夜は低速、いや、巡航にしたとして、なんでそんなタイムアタックやらないといけないのかと。
海の専門家であればあるほどそんな無謀は避ける。しかも輝元が乗船してるわけだし。
- 855 :人間七七四年:2023/09/03(日) 18:51:54.26 ID:CBJTstz8.net
- 出来るも何もそれをやったと史料が言ってるんだから否定しようもない
輝元は十五日に書状を受け取ると十七日には木津につき、大坂城を占拠させた
こういうことになる
- 856 :人間七七四年:2023/09/03(日) 20:20:47.43 ID:BrId9ziU.net
- 瀬戸内海は速くそして複雑な潮が流れる、そしてその潮流に乗るのが当時の水軍
複雑だから一概にこうと出すのは出来ないんだろうけど(何せ速いところは10ノットは平気で出る潮流なんだし)仮に平均して3ノット、時速約5キロで動けるとしよう
当時の最速船である関船は時速5キロ出るから合わせて時速10キロ、広島から大坂まで300キロだとすると15日朝に出立すると16日昼には到着することになる
こう見ると17日到着はむしろ遅いんだけど軍事輸送船だし妥当なのではないか。こう紙面で計算するよりも現実の方が厳しいだろうし
- 857 :人間七七四年:2023/09/03(日) 20:50:27.55 ID:7ofjj3U/.net
- 奉行衆の手引なら大阪城西の丸占拠の兵数はそれほどいらないかもしれん
- 858 :人間七七四年:2023/09/03(日) 21:12:08.35 ID:Z/iYBzyG.net
- >>851
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-6-3/8/0049?m=all&s=0048&n=20
松井家譜ね
「右書状之写共康之え御贈」
どっちも大分に送られてたようだよ
ただ、輝元の動き自体はほかの史料でも確認できるから問題ないんだが、この二状は捏造かもなあと少し疑っている
書いている人間が(もちろん文字じゃなく内容)一緒に思えるだけだし、捏造する意味もないんだけどね
- 859 :人間七七四年:2023/09/03(日) 21:27:25.83 ID:3w0EtV8Y.net
- 所々で三成は忠臣だ忠臣だ言ってる奴は何なんだ……
何の根拠も無しに言い出すから訳が分からん
- 860 :人間七七四年:2023/09/03(日) 21:54:44.15 ID:EsgFlScT.net
- >>859
秀吉時代に多くの功績を挙げている点
奉行としては比類ない働きである
- 861 :人間七七四年:2023/09/03(日) 22:14:39.00 ID:7ofjj3U/.net
- >>860
唐入り講和の詐称さえ無ければな
主君を欺くは佞臣の証明なり
- 862 :人間七七四年:2023/09/03(日) 22:27:42.39 ID:688gizc6.net
- >>853
戦に勝つためには実際の総大将に忠誠を誓って戦う必要がある
西軍が勝つためには、東軍が家康に忠誠を誓う以上に全員が輝元に忠誠を誓う必要があるのに
三成のように豊臣の忠臣気取りな人間がいたら士気が低下して崩壊するのも当然だろう
三成の忠臣気取りのせいで西軍は敗北に追い込まれた
- 863 :人間七七四年:2023/09/03(日) 22:28:15.32 ID:LPl89aNK.net
- 秀吉の中国大返しの海路説があるんだけど、NHKの歴史探偵では秀吉の海路移動速度を80km15時間としている。
300km換算だと56時間。
これなら15日10時に広島を出て、17日18時に大坂に到着出来るから、一応成立する。どちらも海のそばの城だし。
ただ、関船なら漕ぎ手も戦闘員化したとしても200人程度しか乗れないから、
まともに一軍を形成できる5000人を送り込もうと思ったら25隻必要。
こんな大船団、どう考えても出撃準備を整えて連絡待ちをしていたとしか思えない。
- 864 :人間七七四年:2023/09/03(日) 22:29:07.26 ID:td0C4HlD.net
- 来島海峡付近に住んでるが潮流の速さはあんまり知られてないんよな
まー島の間さえ気をつけてれば問題そこまで無いけれど慣れてない奴だと無理
- 865 :人間七七四年:2023/09/03(日) 22:37:30.60 ID:rQ7l9jU+.net
- >>858
なるほど
12日付連署状の方も杵築に送られてたんだな
『松井文庫所蔵古文書調査報告書』の2、3巻(関ヶ原時の松井康之関連の書状が収録
されてる)で確認してみたけど、その文言はなかったから松井家譜にだけある記述みたいだな
同書に収録されてる他の書状案とか写しだと端裏書に「忠興様へ之留」とか「主計殿
への状之留」みたいに注釈が書いてあるんだけど7月12日付、15日付書状にはないね
- 866 :人間七七四年:2023/09/04(月) 08:08:39.29 ID:90Ip38pw.net
- 輝元が何も知らなかったら陸路で時間使いながら上洛するだろうしなぁ
- 867 :人間七七四年:2023/09/04(月) 09:23:33.02 ID:90Ip38pw.net
- 輝元が僅か二日で木津に着いたのは考えられないほど早いがしかし不可能なほどじゃない
前々からの入念な準備と度胸があれば可能
- 868 :人間七七四年:2023/09/04(月) 10:45:17.13 ID:BZ4vMnTi.net
- 中国大返しは1日あたり20kmくらいだから驚くほど早くはないんだよな
美濃大返しは短時間とはいえ高速移動してしかもそのまま戦闘してるから頭おかしい
- 869 :人間七七四年:2023/09/04(月) 13:02:45.08 ID:D2095oId.net
- >>835
他の大名家もあんな苛酷な検地したらそれぐらい増えそうだけどな、島原の松倉なんかやり過ぎて島原の乱を引き起こしたけど
- 870 :人間七七四年:2023/09/04(月) 14:37:34.07 ID:QqXMdj/y.net
- 軍事面では秀吉を超える距離と速度の中国大返しで、電光石火の大坂城占拠。
領国経営をしては、30万石をあっという間に50万国に増やす。
こう書くとあらフシギ、無能代表の毛利輝元が、何故か非常に有能に見えてくるw
- 871 :人間七七四年:2023/09/04(月) 14:40:29.60 ID:90Ip38pw.net
- 秀吉並みの準備があれば出来るということか
毛利にとって瀬戸内海は自分の海だし情報は揃ってたろうからね
- 872 :人間七七四年:2023/09/04(月) 14:44:36.72 ID:QxWkGXPj.net
- 行軍スピード1日20kmとか遅いほうだからな
- 873 :人間七七四年:2023/09/04(月) 20:11:48.79 ID:iEGlU0vT.net
- >>865
なんなんだろうね
輝元の外交戦としては突出して早いし
- 874 :人間七七四年:2023/09/04(月) 20:22:15.25 ID:hSlOTBXp.net
- 備中高松城の戦い、中国大返し、山崎の戦い、山崎城築城、賤ヶ岳の戦い、大阪城築城、小牧長久手の戦い
所領収入だけで計算したら出来ないことぐらいアホでもわかるわ
秀吉は信長からの恩賞で得た銀山がある
莫大な蓄財に既に成功している
織田家臣の謀叛からを父を守れず一目散に逃げた織田当主が独裁??ナイナイありえない
単独相続にはならないよ
織田家当主とあろう者が上様を守らず一目散に逃げたしな
信孝秀勝信雄と分割相続だ
信忠は当主の座を維持できて安土城と近江一部の3万石だろ
史実の次期当主そうだったしな
まあ尾張信雄、美濃信孝、近江信忠、丹波秀勝で分割になれば信忠はシメシメとほくそ笑むぐらいだ
残りは明智討伐の功があった宿老に褒美として
史実よりたくさん貰えるんじゃないかな
で、家臣の謀叛で一目散に逃げる当主はどれ?
今日も大荒れ間違いなしでしたね!
- 875 :人間七七四年:2023/09/04(月) 20:46:04.66 ID:Qc055GMu.net
- 瀬戸内海は速い潮が流れるけど逆に言えば荒れるということ。下手すりゃ時化て大荒れって危険もあったはず
その危険を呑んでまでやった訳だがそれだけ速く大坂城を制圧したかったということ
可及的速やかに豊臣公儀を掌握しないとならなかった
多分伏見の徳川軍が大坂入りするのを恐れたんじゃないか?
- 876 :人間七七四年:2023/09/04(月) 22:13:16.76 ID:BZ4vMnTi.net
- >>874
お前荒らしか?
- 877 :人間七七四年:2023/09/04(月) 23:14:36.25 ID:YWmbUMZl.net
- マータ関係ない信忠いきなり持ち出す
- 878 :人間七七四年:2023/09/04(月) 23:32:46.70 ID:xZHR3kR0.net
- >>870
東軍は三成が謀反を起こしたと言っているんだよ
輝元がやっていることは例えるなら、中国大返しを決めた秀吉が光秀と合流して
光秀と一緒に勝家や家康と戦うと言っているような間抜けな行為でしかない
中国大返しを決めたら謀反人三成を迅速に討ち取り、謀反鎮圧の功績で家康を圧倒するしかなかった
中国大返しを決めたのに謀反人三成を討ち取るチャンスを家康に与える輝元は
まさに無能代表というにふさわしいだろう
- 879 :人間七七四年:2023/09/05(火) 01:02:22.75 ID:tqIH4g5d.net
- 三成の価値は当時の光秀と同じどころか、それ以上といっていい
三成を倒すことは山崎どころか小田原までの全ての戦に勝利すること以上の価値がある
しかも三成本人は大軍を持っているわけでも戦経験が豊富なわけでもない
これは家康にとって史上最高のボーナスゲームが始まったと言って過言でないだろう
家康にとって最も恐ろしいことは、自分が駆け付ける前に他の誰かが三成を倒してしまうことだった
輝元が中国大返しを決めたと聞いた時は、家康が驚いたのも無理はない
しかし輝元は馬鹿だったため三成を討つ価値に気付かず、家康は命拾いした
- 880 :人間七七四年:2023/09/05(火) 14:35:26.95 ID:cgeyt3rB.net
- 輝元と三奉行の動きを見るに三成の役割って徳川の目を逸らすオトリ以上のものがないんだよね
- 881 :人間七七四年:2023/09/05(火) 14:35:27.64 ID:cgeyt3rB.net
- 輝元と三奉行の動きを見るに三成の役割って徳川の目を逸らすオトリ以上のものがないんだよね
- 882 :人間七七四年:2023/09/05(火) 17:03:26.36 ID:AbgEUf8w.net
- 毛利って豊臣政権を支えるだけの動機づけを秀吉からもらってないよな
いち早く秀吉に協力したのに得たものより失ったものの方が多い
- 883 :人間七七四年:2023/09/05(火) 18:13:21.54 ID:AvsNQEOv.net
- 徳川に次ぐ扱いを受けてたのは毛利だったのに秀吉晩年に利家が急に出世してポジションを取られちゃうんだよね
秀吉的には自分の死後は輝元より利家の方が信用できたのかな
- 884 :人間七七四年:2023/09/05(火) 18:17:28.97 ID:EuEDDbGr.net
- 戦って得ていた四国は没収
朝鮮出兵では近いからというだけで兵を送らされる
なのに東国の徳川家康・前田利家とは明らかに差をつけられる
これで豊臣家の為に働く気になるかと言えば
- 885 :人間七七四年:2023/09/05(火) 20:09:58.36 ID:Z2KKvPqn.net
- >>883
そりゃ秀吉からしたら当然でしょ
毛利家の後継が当時輝元の養子だった秀元になると思って、自分の養女(秀長の娘)を
嫁がせておいたのに、輝元に実子の秀就が誕生した上に、秀元が速攻で輝元の
養子をやめちゃったからその辺の仕込みが全部パアになっちゃったんだもの
よくまあ秀吉が秀元を後継にしろって言わなかったと思うよ
もっとも秀頼可愛さに秀次一族を属滅させた秀吉が、実子じゃなく養子を後継にしろとか
さすがに自分の事を棚に上げすぎで言えなかったんだろうとは思うが
- 886 :人間七七四年:2023/09/05(火) 20:54:11.55 ID:+xIH/zdr.net
- >>885
輝元って、色んなところでお人好しで大らかだって評価だけど、割と容赦なく粛清するからな。
いわばミニ秀吉だから、秀次事件知ってりゃあ秀元も速攻で降りるよ。
- 887 :人間七七四年:2023/09/05(火) 23:07:08.43 ID:HvPvisip.net
- 堅田元慶とかやらかしても輝元にポアされないんだな
- 888 :人間七七四年:2023/09/05(火) 23:16:21.96 ID:Y2E8Q13S.net
- 輝元の本当の人物像はよくわからん
- 889 :人間七七四年:2023/09/05(火) 23:22:38.00 ID:FiXEP52j.net
- 元旦に
殿様「今年こそ徳川を倒す」
家臣「ははー、しかしながら一年延期を」
殿様「そうせい」
これ読んだときは維新含めてははーと思ったんだが、まったく二次史料もないらしいね
- 890 :人間七七四年:2023/09/06(水) 12:11:38.98 ID:udrmpSr1.net
- >>888
60年も当主をやってるんだから、年齢、時代によって人物像が違ってくるんだろう。
爺さんに任せていた幼少期。
両川に支えられながら国人の盟主としての毛利を運営した青年期。
両川がいなくなって、自らの手に権力を集めていった壮年期。
なんとしても毛利を残し、嫡子に全てを継がせるために奔走した老齢期。
お人好しだのボンボンだのの評価は前半、関ヶ原後はお家存続の目的のためなら手段を選ばない修羅。
関ヶ原後の20年を運営した輝元が、関ヶ原当時にいれば、甘さもなくなって良い勝負をしたと思う。
- 891 :人間七七四年:2023/09/06(水) 12:30:59.35 ID:15Qx3dyl.net
- 本当最近は無能を逆張りして有能っていうのが流行ってんだな
逆に信長みたいな有能を大したことないって貶せばいいと思ってるアホもいるみたいだし
- 892 :人間七七四年:2023/09/06(水) 14:17:51.65 ID:Fg0i5NEx.net
- >>891
有能の中の無能か、ガチモンの無能かって話もあるからな。
石田三成にしても、毛利輝元にしても、関ヶ原の評価で無能扱いになってるけど、
じゃあ本当に無能ならそもそもその舞台に立ててないわけなのよ。
逆に、肝心のところで負けたら無能なのかと言えば、その基準だと織田信長も今川義元も当主敗死という無能中の無能晒してることになるが、
信長は言うに及ばず、海道一の弓取りと呼ばれた今川義元が無能なわけもなく。
- 893 :人間七七四年:2023/09/06(水) 14:25:38.63 ID:5HfKdsTB.net
- >>892
別に三成は武将として有能だったから関ヶ原の舞台に立てたわけでなく
そもそもは後方支援係だったのに返り咲きしたいからと苦手な前線指揮に無理矢理に首を突っ込んで負けた
三成は自分の適性を全く理解できていないタイプの無能
輝元は命を賭ける気もないのに西軍総大将になって安全なところから出られずに負けた
覚悟がないのに軽い気持ちで危険な火遊びに手を染めるタイプの無能
- 894 :人間七七四年:2023/09/06(水) 17:39:45.25 ID:oOiUsmf1.net
- >>882
毛利羽柴間の国境画定に合意して正式に講和したのは小牧長久手戦での秀吉と家康の講和後で、
輝元が上洛して従四位下・参議となり秀吉に謁見して武家関白制に正式に組み込まれたのは家康の後だったりする
- 895 :人間七七四年:2023/09/06(水) 17:45:46.19 ID:15Qx3dyl.net
- 信孝からも柴田からも信雄からも家康からも秀吉の背後を突いてくれと要望されてたからな輝元は
- 896 :人間七七四年:2023/09/06(水) 19:10:45.88 ID:oyBAWbLs.net
- 毛利は織田との戦いで疲弊しすぎて上杉と同じで本能寺の変で九死に一生を得ただけだし
信長死後の織田家の内紛でも実質動けなかったから中央をまとめた相手には従うしか道がない
まあ秀吉も毛利家に対しては色々と気を使ってるけど輝元を比較的軽く扱ってるのは透けて見える
あとそれ以前に輝元が中途半端な表裏比興の者
大坂の陣でも徳川に面従腹背
- 897 :人間七七四年:2023/09/06(水) 20:58:10.43 ID:Rf8vmm88.net
- 無能というよりは、根本的に天下人の器ではないというか、せいぜいが
地方大名程度の器しかないって判定になってるだけで、別に再評価とかではないよ、輝元
というより、その程度の器だからこそ奉行も西軍に引き込んだんだろ
問題は輝元、というより地方大名の野心というものを奉行が割と軽く見てたのではないかって事で
結局毛利も上杉も対徳川をしなかったとは言わんが、目先の領地拡大を推進してしまった
まあ東軍にも伊達みたいのはおるから西軍だけの問題とは言わんけど、
西軍の挙兵が結果的に諸侯の箍を外してしまった感は否めない
- 898 :人間七七四年:2023/09/06(水) 21:20:38.87 ID:UeZaIU/y.net
- 西軍が勝っても統治体制がまったく想像できないよな
大野治長程度しかいないってさ
- 899 :人間七七四年:2023/09/06(水) 22:21:32.95 ID:Rf8vmm88.net
- >>898
奉行や小西、宇喜多の息子辺りが入るんじゃないかとは思うけど
秀頼が側近に誰を採用するかにもよるから、結局は未知数ではあるな
ただ、石田の息子は高確率で側近になりそうだ、親族も割と豊臣政権に貢献してるし
次世代における石田家の存在感は結構なものになりそう
だからこそ一部の秀吉子飼いによる三成排除運動が秀吉死後に起きたのかもしれないが
- 900 :人間七七四年:2023/09/06(水) 22:56:22.17 ID:15Qx3dyl.net
- 毛利が腰抜けアホだったからアッサリ終わって家康は日本全域に渡って国替え知行割りをやれて天下を掌握したけど、家康が負けてもそうはならなかったと思われる
家康の武威は落ちるだろうけどまだ秀忠の本隊と250万石はあるわけで、各地で東軍と西軍に分かれて領土の奪い合いが行われる緩い分裂状態になったんじゃないか
- 901 :人間七七四年:2023/09/06(水) 23:01:17.55 ID:oOiUsmf1.net
- >>898
大野治長は東軍に参加してたから外されるんじゃ?
- 902 :人間七七四年:2023/09/06(水) 23:29:25.93 ID:5HfKdsTB.net
- >>895
三成からも家康の背後を突いてくれと毛利は要望されてたから
最初から最後まで毛利家の態度としては一貫している
- 903 :人間七七四年:2023/09/06(水) 23:53:21.82 ID:aFKl6Tn5.net
- 有能だ無能だという幼稚な対話は勘弁
- 904 :人間七七四年:2023/09/06(水) 23:54:26.30 ID:jv0KDyK0.net
- >>897
毛利にしても、上杉にしても、伊達にしても、地方大名にとっては本質的に敵は徳川ではなく豊臣だからな。
いつまで我慢して勢力を回復させるか。
- 905 :人間七七四年:2023/09/07(木) 00:14:56.80 ID:Io5Skvx8.net
- 関ヶ原はもっと毛利をクローズアップして語るべきだと思うなあ
もしかすると三成などよりもずっと主役であり立役者で奉行も家康も東西両軍毛利に振り回された感がある
- 906 :人間七七四年:2023/09/07(木) 00:40:06.39 ID:WFtDs5qP.net
- 輝元がいるから家康は上方を留守にし、輝元がいるから西軍はあれだけの軍事行動ができたのに、その輝元がイモ引いて関ケ原は終わるんだから迷惑な話だよな
- 907 :人間七七四年:2023/09/07(木) 01:35:35.03 ID:FvCOGRwz.net
- 三津浜でわずか数百の留守兵にぼろ負けした毛利が何だって?
- 908 :人間七七四年:2023/09/07(木) 01:38:10.16 ID:FvCOGRwz.net
- 輝元が無能なのは明らかな事実だろ
家臣の嫁に手を出したりしてるほどだし
そもそも秀吉は隆景=毛利と見ていたふしがあり、だから隆景が死んだ後に
あんな遺領裁定したんじゃないのか?
輝元ならどうにでもなると考えてさ
- 909 :人間七七四年:2023/09/07(木) 07:12:50.12 ID:IcepWVcL.net
- >>908
輝元が無能かどうかの話以前に、隆景が死んだ頃の秀吉なんてもはやまともな判断もできないボケ老人だよ。
- 910 :人間七七四年:2023/09/07(木) 11:50:33.17 ID:QSDqfe6O.net
- 輝元は三成襲撃事件解決後に家康に起請文を入れてるわけだけど
これ割と異質な気がする
家康暗殺計画関与が疑われた前田利長すらこうした起請文は入れてない訳だから
つまり何らかの危険な計画を家康に掴まれかけてたんじゃないか、この時から輝元の野望は始まっていたことになる
- 911 :人間七七四年:2023/09/07(木) 14:57:32.35 ID:3c4sBPJW.net
- 無能な策謀家
- 912 :人間七七四年:2023/09/08(金) 09:11:33.03 ID:WIEQBB5B.net
- 大坂城占拠の為に毛利軍が大坂付近に展開していたとしたらどんな名目だったのか気になる
超怪しいじゃん
- 913 :人間七七四年:2023/09/08(金) 12:48:33.66 ID:peTfGsXL.net
- ここは治部のスレ
- 914 :人間七七四年:2023/09/08(金) 13:50:54.55 ID:fNz0cnby.net
- >>912
名目というか、会津征伐に兵をだしていただけだな
- 915 :人間七七四年:2023/09/08(金) 14:59:22.90 ID:djBCVQgS.net
- 「石田三成」の挙兵なのか、石田三成の「挙兵」なのかでニュアンスが変わるからなあ。
今のところ、一連の関ヶ原において石田三成はただの下っ端、主犯は毛利と3奉行という感じだから、
石田三成に関してはろくに見るべき所がないんだよなあ。
- 916 :人間七七四年:2023/09/08(金) 16:01:37.15 ID:HpLOBF5I.net
- いざとなったら三成に責任を擦り付けて逃げる作戦を考えていたから
毛利と三奉行は主犯として挙兵できたわけで
もしも三成に罪を擦り付けることができないなら毛利と三奉行は挙兵できないよ
そういう意味では、三成がいなければ西軍は挙兵できないし
三成がいるから西軍は全力で戦えないというジレンマが成立している
- 917 :人間七七四年:2023/09/09(土) 08:40:57.51 ID:61MFD7FQ.net
- 西軍での三成って殆ど実権は無い単なる指揮官の一人だからなあ
上杉との連絡役もとってつけたような適当さだし
- 918 :人間七七四年:2023/09/09(土) 10:07:53.26 ID:33hz5jia.net
- てか、東軍が勝っても西軍が勝っても奉行衆にメリットなくね?
軍勢の半数以上を毛利に依存して勝っても、毛利が第二の徳川になるだけで。
- 919 :人間七七四年:2023/09/09(土) 10:17:21.80 ID:qatIjAQD.net
- 奉行は所詮奉行で主人の命令次第ですし
- 920 :人間七七四年:2023/09/09(土) 10:36:23.49 ID:8/nKmrzX.net
- >>918
そうなったらそうなったで、今度は毛利に対して徳川と同じ事をするつもりだったんだろ
少なくとも前田と徳川で成功してるなら(西軍勝利ルートの場合)毛利でもうまくいくと考えておかしくはない
これを繰り返せば大大名の力は弱体化して豊臣政権を牛耳る奉行の力は相対的に増大する
虫が良すぎると思うかもしれないが、室町幕府なんかはそうやって大大名の力を削いでいた訳で
- 921 :人間七七四年:2023/09/09(土) 11:44:40.52 ID:33hz5jia.net
- >>920
その力の根源は何処よ?
徳川の時には辛うじて毛利がいた。
じゃあ関ヶ原で勝った場合の毛利相手に、西軍の半分以上の兵を出していた毛利相手に誰がどれだけの兵を出すの?
- 922 :人間七七四年:2023/09/09(土) 12:04:00.11 ID:8/nKmrzX.net
- >>921
上杉や宇喜多がいるじゃないか、或いは没落した徳川や前田に奉行の名の下で復権のチャンスを与えたっていい
要は奉行がバランサーになって大諸侯をコントロールできればそれでいいんだからな
そもそもこの話は奉行がそんな風に考えてたんじゃないのか、って話であって
実際にそんなご都合主義満載の話が上手くいくのかなんて考慮してない、正直自分自身もこんなの無理だろって思うし
- 923 :人間七七四年:2023/09/09(土) 14:38:52.95 ID:b8FHvLLH.net
- 三成は隠居でしょ
家督はどこで何をしていた?
- 924 :人間七七四年:2023/09/09(土) 15:12:17.53 ID:DyLJjF6E.net
- 織田信長、今川義元、毛利元就、北条氏康、大友宗麟 等々。
隠居なんて飾りです。偉い人にはそれが分からんのですよ。
- 925 :人間七七四年:2023/09/09(土) 18:55:14.59 ID:rNVIYEv2.net
- >>923
石田家嫡男の重家は関ヶ原当時大坂にいた
他の石田と違って重家は大坂から出る事はなく関ヶ原の後に剃髪、家康に一命は許されたと言われてる
おそらく重家は家康と親しかったので西軍に拘束されていたんじゃないか。重家は三成襲撃事件の際家康に身柄を預かられた後秀頼への出仕を許された。その経緯から家康に目をかけられていたというから
- 926 :人間七七四年:2023/09/09(土) 23:55:47.77 ID:kXwS/UlL.net
- >>923
よく勘違いされるけど石田家の家督を持っているのは兄の正澄であって
別に三成が家督を持ったことなど一度もない
- 927 :人間七七四年:2023/09/10(日) 00:46:16.33 ID:0X1jb8TE.net
- 正澄は別家だろ
- 928 :人間七七四年:2023/09/10(日) 10:12:05.10 ID:X+21AA03.net
- 石田氏自体歴史も浅いし
家督云々の概念も薄かったんじゃないか
- 929 :人間七七四年:2023/09/10(日) 12:45:33.15 ID:EW+4E9w8.net
- >>924
マジレスすると早いとこ家督は早いとこ譲っとかないと、お家騒動がヤバい。
織田信長も今川義元も毛利元就も大友宗麟も、自身の時は兄弟と家督争いして相手を滅ぼしている。
- 930 :人間七七四年:2023/09/10(日) 12:56:42.59 ID:EW+4E9w8.net
- そういう意味では、上に出ている家臣の妻を強奪したという無能エピソードのある毛利輝元は、
結果的にはこれが唯一の嫡子誕生に繋がるという大ファインプレーだった。
ここの有能無能はともかく、子を残して家督を継がせる、これが大名としての最低限の仕事だと思う。
この点では織田信長は成功していたんだけどなあ……なんで信忠まで一緒に死ぬかなあ。
秀吉に関しては浮気したならそのまま子も作れよとしか。
- 931 :人間七七四年:2023/09/10(日) 16:09:07.80 ID:qibw3rJU.net
- 本能寺は信長信忠をまとめて葬る唯一絶対のチャンスを後先考えず動いた明智光秀の行動力の勝利
後先考えてないから味方が集まらず光秀も即座に終わったが
秀吉の女好きは有名すぎるから単純に秀吉に子種が無い
秀頼に関しては秀吉が自分の子供と認めた時点で秀頼が秀吉の実子かどうかはどうでもよい
- 932 :人間七七四年:2023/09/10(日) 16:24:45.65 ID:Uz6OIaTM.net
- スレチ熱弁のバカって必ずいるよな
- 933 :人間七七四年:2023/09/10(日) 18:58:47.59 ID:lHdGW1jF.net
- 信忠の名をいきなり出す
つまりあの在
- 934 :人間七七四年:2023/09/10(日) 20:23:14.18 ID:bbLxGPpw.net
- >>931
有楽斎も三法師も脱出に成功してるから、信忠も脱出出来たはずなんだよな。
>>932
関ヶ原も結局は誰が後見役として実権を握るかという、割とありふれたお家騒動のひとつ。
- 935 :人間七七四年:2023/09/10(日) 23:10:09.27 ID:GezyDwUg.net
- 家康も最初は秀頼の後見役として実権を握ろうとしたけど
三成や輝元が無能すぎたので、後見なんかやめて独立すればいいと気付いただけ
- 936 :人間七七四年:2023/09/11(月) 01:10:47.96 ID:Z98ymSWh.net
- 有楽斎は信忠が自刃して明智軍が近江に進軍してから京を脱出したんじゃなったっけ
- 937 :人間七七四年:2023/09/11(月) 15:31:25.90 ID:i9w7IIgh.net
- そもそも西軍が負けるのは当たり前
前線にまで出てくる総大将と、後方で何にもしない総大将
これじゃ勝負は最初から見えてる
- 938 :人間七七四年:2023/09/11(月) 18:41:16.64 ID:EHLKKFNZ.net
- 近年の新説を踏まえてもいわゆる西軍が政治的にも軍事的にも何ら惜しいところなく負けるべくして負けた
というのはほぼほぼはっきりしたと言ってよさそうだけど
まあ今後も旧来の関ヶ原像が一般に至るまで覆ることは難しいんだろうな
例え司馬遼太郎を墓から引きずり出して書き直させてもエンタテイメントとしてつまらないものになるし
関ヶ原後数百年かけてドラマチックな嘘創作捏造積み重ねてきた末の決定版が司馬遼太郎のお伽噺なんだから
歴史に単純明快なエンタテイメントとロマンしか求めない一般層は
今後も司馬のお伽噺を思考停止で受け売りして歴史を語ってるつもりを続けるんだろう
- 939 :人間七七四年:2023/09/11(月) 21:01:34.74 ID:7Z0kSadX.net
- >>935
というより、西軍の挙兵によって徳川が豊臣政権を支えるメリットが消滅したんだよ
だって政権内でいくら権勢を高めようと、それが徳川の御家安泰に繋がらない事を
よりにもよって西軍が証明してしまったんだ、そりゃ家康も政権存続に見切りつけるよ
>>937
前線に出りゃいいってもんでもないだろ、島津義久とかあまり薩摩から出なかったとは言うぞ
まあ秀吉には敗北したがさすがにどうしようもない、前線にいてどうにかなる相手じゃないよ
突出しすぎて孤立して敵に討たれるような奴はそれはそれで困るし、
後方にいても情報収集や整理に努め的確に各戦線に指示を飛ばせるなら問題はない
まあ輝元がその辺ちゃんと出来てたのかって言われると困るが
- 940 :人間七七四年:2023/09/11(月) 21:11:30.71 ID:Fp99SFDs.net
- 西軍の初期戦略が破綻してどうすりゃいいのかわからなくなってるのがね
徳川本隊無しに東軍先手衆が岐阜城落としたのがまず想定外だったはず
家康が上洛にきてると掴んでたら輝元の東進もあったかもしれないけど関ヶ原の前日まで掴めてなかった訳でそこから大垣に行っても間に合わなかったろうし
戦いになった時には勝ち負けは決まってるのよね
- 941 :人間七七四年:2023/09/11(月) 22:28:21.26 ID:7/1OXdVa.net
- 輝元はしょせん隆景あっての存在
隆景が死んだ時点で自分の身のほどを知って引くべきだったが、それができない時点で無能としかいいようがない
- 942 :人間七七四年:2023/09/11(月) 22:37:19.21 ID:qYp4aUVV.net
- >>940
結局は東国側である美濃を、関が原を戦いの地に選んだことが致命的だったかと。
尾張清洲の福島正則を引き入れる算段があれば話は別だけど、
むしろそこが一番石田三成と敵対していたわけで。
- 943 :人間七七四年:2023/09/12(火) 00:26:19.51 ID:g0Q6zA/s.net
- 奉行はしょせん秀吉あっての存在
秀吉が死んだ時点で自分の身のほどを知って引くべきだったが、それができない時点で無能としかいいようがない
- 944 :人間七七四年:2023/09/12(火) 06:02:42.90 ID:py96Wzd2.net
- 野戦とかどうでもいいよね
誰も味方がいなかった大坂の陣じゃもう手遅れだけど関ヶ原時点なら大坂城に籠城すればどうとでもなった
- 945 :人間七七四年:2023/09/12(火) 11:01:42.41 ID:FriLybKM.net
- 関ヶ原の時点では、豊臣家にとって家康は言われているほど脅威ではない
秀頼と家康では残された寿命が違うのだから慌てるような段階ではなく
幼児の秀頼がもうすぐ60歳の家康に焦って戦いを挑む必要は全くなかった
あくまで三成が返り咲きをしたり、奉行や輝元が権勢を握るのに家康が邪魔だっただけ
奉行や輝元の個人的な欲望のために大坂城に籠城することは許されない
大坂城外で勝てないのなら奉行や輝元が諦めなければならない
- 946 :人間七七四年:2023/09/12(火) 11:23:27.96 ID:py96Wzd2.net
- 立花宗茂とかは籠城を主張してたからな。総大将引き受けたくせに我が身かわいさに勝手に家康と手打ちした輝元がクズだっただけで宗茂の主張通り籠城してれば十分勝ち目はあった
- 947 :人間七七四年:2023/09/12(火) 11:39:13.59 ID:tkVAOpbd.net
- 岐阜も大垣も佐和山も見捨てて大坂に籠城しても
それって秀頼を盾にして不法占拠してるだけじゃね?
大坂の陣が15年早まるだけのような気がするけど
- 948 :人間七七四年:2023/09/12(火) 11:51:28.16 ID:MOn88b/A.net
- >>946
勝ち目は0だよ。
大坂冬の陣の豊臣方の兵力は9万人、夏の陣で5.5万人。
それも豊臣のために覚悟を決めたり、ほかにはもう行き場のない死兵が集まっての話だ。
対してあの時点の西軍残存勢力は大津勢が無事に帰っても3万人で、うち2万人は毛利勢。
豊臣のために命を賭ける義理もない。
- 949 :人間七七四年:2023/09/12(火) 12:03:58.43 ID:KvxhlWIY.net
- 西の丸だけで籠城するのと本丸を占拠して籠城するのじゃ天地の違いがある
西の丸だけでの籠城はありえないと思われるので本丸を攻める必要があるが、そこまでやるか?
どちらにしろ毛利にとって豊臣の価値は低いし毛利は自領に拘るから大阪籠城はやらないと思うわ
籠城して瀬戸内を取られ毛利領を攻められたら意味が無い
だからこその関ヶ原講和だし
- 950 :人間七七四年:2023/09/12(火) 12:06:21.02 ID:L1gKdoiV.net
- 西軍に豊臣軍が入ってるのに東軍がそれに動揺したって話は無いから仮に大坂城に籠城したら包囲して秀頼を渡せと言われて詰むだけだろう
仮にそこで秀頼が西軍こそ公儀と演説出来たとしても東軍がそれを聞き入れる訳もない、「秀頼は輝元に脅されてるんだ」って総攻撃加えて涙の落城するだけ
- 951 :人間七七四年:2023/09/12(火) 12:07:56.72 ID:L1gKdoiV.net
- そんで輝元としては大坂城に籠城したら囲まれた挙句毛利本土を侵略されるのは明らかだから籠城戦は出来ないだろう
かといって秀頼連れて広島へ撤退とかできるか?
- 952 :人間七七四年:2023/09/12(火) 12:08:30.01 ID:nohFKsDi.net
- みっともねえなあ、頼んでもない豊臣御為掲げといて負けそうだし尻ぬぐい手伝って下さいだとさ
いつから大坂城は毛利輝元の城になったんだか教えてほしいわ
家康が豊臣政権を私物化してるって言っといて、やる事が西軍による豊臣の私物化とか
天下を我が物にしようとしているのは一体どっちなんだって言いたくなるよ
こんな意見をよくまあ平然と主張できるな、恥って言葉を知らんのだろうか
- 953 :人間七七四年:2023/09/12(火) 12:19:51.25 ID:py96Wzd2.net
- 家康最強って言いたいだけのスレだったの忘れてたわ
1人でようやるわほんと
- 954 :人間七七四年:2023/09/12(火) 12:44:27.97 ID:KvxhlWIY.net
- 挙兵した西軍のダメっぷりを検証するスレ
- 955 :人間七七四年:2023/09/12(火) 12:50:21.67 ID:qe41OeDv.net
- 石田三成は豊臣家を守るために立ち上がっただけ
立派な大忠臣
家康は政権に野心を見せる大悪党
- 956 :人間七七四年:2023/09/12(火) 13:06:11.77 ID:6JFK5Fx+.net
- >>955
ゲーム脳かよ
- 957 :人間七七四年:2023/09/12(火) 13:55:01.02 ID:b+hQulfy.net
- >>955
逆、逆w
- 958 :人間七七四年:2023/09/12(火) 14:41:52.77 ID:e6KmBDSx.net
- >>955
それなら加藤や福島に土下座するくらいの覚悟はしろよ
もともと武功がないのに豊臣家に大迷惑をかけただけだろ
- 959 :人間七七四年:2023/09/12(火) 16:47:38.07 ID:O6Qr2Eqb.net
- 現代人の視点で考えても、関ヶ原敗走後だと大坂城退去が条件の講和はそんなに悪手ではない、
というか結果的に反故にされてるとはいえ、あれが唯一の手なんだよなあ。
他のどんな手を打っても、史実よりマシになる可能性がない。
いくら輝元が無能でも、勝敗や引き時も分からないほどの無能ではなかったとも言える。
そもそも籠城戦が出来るほど、西軍が「豊臣家を掌握」してるなら、それこそ関ヶ原の戦い自体が発生しなかった。
- 960 :人間七七四年:2023/09/12(火) 17:32:56.36 ID:O6Qr2Eqb.net
- >>955
それで奸臣の毛利輝元を大将にするどころか、半数以上の兵を毛利に依存。
完全な利敵行為のどこが忠臣なんでしょうかねえ?
ちなみに毛利を奸臣といったが、5大老でも徳川、上杉、毛利は豊臣恩顧どころか、豊臣に対して基本的に恨みしかないからな。
それぞれ自分の家が優先の奸臣で当然。
- 961 :人間七七四年:2023/09/12(火) 18:19:58.56 ID:nohFKsDi.net
- 三成の奉行職解任は豊臣家からも北政所が協議に参加して、その結果決定した事だから
それらを無視するような三成の関ケ原時の行動は間違いなく忠という観点からは許されない
大体本当の忠義者なら政権から没落や破滅を命ぜられても平然と受け入れるのが当然で
むしろ自らが政権の礎という名の犠牲になる事を満足する位じゃなきゃ駄目だろう
三成が関ヶ原の際にすべき事は(本当はおとなしく謹慎してるのが一番良いのだが)
早急に西軍首脳部の元へ駆けつけて『政権崩壊を起こしかねない天下大乱を誘発するような
暴挙を今すぐやめよ!』と説得をする事であって、西軍参加なんて論外の極みだ
- 962 :人間七七四年:2023/09/12(火) 18:45:39.85 ID:lHusTm5D.net
- 豊臣視点で重要視してたのは
徳川>前田>宇喜多>毛利>上杉
毛利はむしろ暫定的な仮想敵位置だったとは思うけどな(豊臣政権下では
- 963 :人間七七四年:2023/09/12(火) 23:50:13.99 ID:FriLybKM.net
- 三成たち奉行連中は十数年間誰よりも政権中枢部にいながら全く豊臣を守る気がなかった
そのくせ批判が高まり自分たちのクビが危うくなると慌てて豊臣を守るとか言い出す
三成たちの調子のいい態度に加藤や福島が激怒するのも当然だった
- 964 :人間七七四年:2023/09/13(水) 00:10:00.77 ID:b7TnL3lQ.net
- >>953
負け惜しみかな
- 965 :人間七七四年:2023/09/13(水) 00:46:52.38 ID:iRf6gMh7.net
- 徳川は何がやりたくて、何を成功したか、はっきり分かる。
毛利も何がやりたくて、何を失敗したか、わりと分かる。
しかし奉行衆や大谷らの小規模大名は、そもそも何がしたかったのかがサッパリわからない。
- 966 :人間七七四年:2023/09/13(水) 07:48:53.95 ID:zWyCauZG.net
- 家康最強
- 967 :人間七七四年:2023/09/13(水) 08:27:53.99 ID:wouz68eL.net
- 秀吉信者じゃあるまいし家康を最強だのスーパーマンだの化け物だのと崇め奉ることはない
ただ西軍の連中が政治的にも軍事的にもお粗末そのもので順当に敗れただけなのに
後世の秀吉信者とその係累が寄って集って嘘創作捏造を盛りまくってホルホルしてただけのこと
- 968 :人間七七四年:2023/09/13(水) 09:22:58.36 ID:SKrJt92M.net
- 家康が政権に野心が無いとか忠臣とか言ってる奴らは、前田利長に謀反の嫌疑をかけたりしたのを知らんのか
三成は確かに和を乱す爆弾で問題児だったのは事実だが、主家豊臣を守るために立ち上がったことだけは紛れもない事実
家康は豊臣を滅ぼし、その遺児まで殺して豊臣を完全に滅ぼした悪党
- 969 :人間七七四年:2023/09/13(水) 11:05:01.13 ID:pnTtLYuE.net
- >>968
奉行が讒言したから問題になったことも知らんのか
- 970 :人間七七四年:2023/09/13(水) 11:18:34.21 ID:SKrJt92M.net
- 讒言したからそれを聞き入れたのか家康
大したもんだわ
讒言かどうかの判断もつかんのか?
- 971 :人間七七四年:2023/09/13(水) 11:20:05.92 ID:SKrJt92M.net
- 讒言したんならむしろそれを機に奉行を解体したらええやん
そんな奉行ならむしろ政権にとっては害悪だわ
家康は自分の大久保事件で忠隣とか追いやってるしな
- 972 :人間七七四年:2023/09/13(水) 11:58:05.68 ID:rLiaKWU7.net
- >>968
大名らの合議で政権運営するなんてのは無理な話なんだから
豊臣政権を守るためには誰かが独裁しないといけない
- 973 :人間七七四年:2023/09/13(水) 13:14:13.03 ID:yFYhWgJ+.net
- 真っ先に遺言破っておいてどこが豊臣を守ろうとしてるのか
三成が守りたかったのは自分の権力だろ
- 974 :人間七七四年:2023/09/13(水) 13:18:20.10 ID:Lq2lAeqC.net
- 三成が主家豊臣家守る為だけに立ち上がったというのは、ちょっと無理なような…
豊臣家による統制を無視して、軍事クーデターなんて起こしたから豊臣家は統制する事ができず実権を失ったわけだし。
豊臣家のこと考えるなら、秀頼の号令のもと行わないと意味がないかと。
石田三成は、踊らせられたのかな。
- 975 :人間七七四年:2023/09/13(水) 14:00:11.70 ID:yd0a6tlr.net
- >>968
小説の話か?
- 976 :人間七七四年:2023/09/13(水) 16:04:14.26 ID:7kjlbUMl.net
- 前田利長は確かに怪しいから仕方ない
実行犯が血縁で太閤遺言に逆らって帰国、しかも親友の上杉景勝も帰ってますよとなるとね
家中にも反徳川派いるしで怪しめば怪しいという
- 977 :人間七七四年:2023/09/13(水) 16:06:47.51 ID:deQ7x1sC.net
- >>968
そもそも論になるが、徳川に豊臣を立てる義理はあるのか?
これは五大老で言えば毛利や上杉にも言えるけど、豊臣が何をしてくれたのよ?
盟友だった前田や、猶子にまでした宇喜多とは訳が違う。
戦国の世になって御恩と奉公もないけど、一方的に押さえつけられていたのだから、
秀吉が死ねばそれぞれ好き勝手に動くのは当然。
その意味で、西軍の敗因を言えば潜在的には反豊臣の毛利と上杉を味方に引き入れたこと。
奉行衆は大人しく上杉が成敗されるのを待ち、毛利が暴発したならこれ幸いにと討伐すればよかったんだよ。
- 978 :人間七七四年:2023/09/13(水) 16:52:42.89 ID:PY7YsuXz.net
- >>977
息子に秀の字をくれた。秀吉は一門扱いの者にしか秀の字はあげない
大幅に加増してくれた。石高だけなら豊臣も凌いで日本随一の大大名
高位高官をくれた
- 979 :人間七七四年:2023/09/13(水) 17:24:49.40 ID:zDbAkckE.net
- その程度なら三成の謀反を鎮圧してあげたからチャラだろう
むしろ豊臣家が家康に対して感謝するべき
- 980 :人間七七四年:2023/09/13(水) 17:47:12.47 ID:X0dO+yE3.net
- 家康が帰るように勧めながら謀反とか酷すぎるわ
- 981 :人間七七四年:2023/09/13(水) 17:48:55.90 ID:E7kq4FvG.net
- >>980
謀反だと言ってる人がいるんだから仕方ない
- 982 :人間七七四年:2023/09/13(水) 18:10:33.15 ID:pnTtLYuE.net
- 上杉の史料だと奉行が帰るように勧めたとかあったような
- 983 :人間七七四年:2023/09/13(水) 18:27:07.82 ID:dP8XUOWo.net
- >>978
大盤振る舞いした秀の字にどれほどの価値が?
豊臣秀次や小早川秀秋みたいなガチの一門衆以外で思いつくだけでも、
徳川秀忠、結城秀康、小早川秀包、毛利秀元、宇喜多秀家、仙石秀久、織田秀信、伊達秀宗、蒲生秀行。
多分検索したらもっと出てくるはず。
てか、そもそも本物の一門衆の豊臣秀次が切腹させられ、豊臣秀俊が九州に追い出される等ろくな扱いを受けていない。
- 984 :人間七七四年:2023/09/13(水) 22:20:54.45 ID:pJ38Juri.net
- 結果が残せなかったから三成が悪く言われるのは仕方ないよね
だけど三成は主家を守ろうとした忠臣だった
- 985 :人間七七四年:2023/09/13(水) 23:39:35.62 ID:R4JvTAoj.net
- >>984
黙れゴミ
- 986 :人間七七四年:2023/09/14(木) 01:15:53.14 ID:ZPbRXCJ4.net
- 仮に三成が忠臣で豊臣家を守ろうとしていたとしてもやった事は豊臣崩壊の手助けなんだよな
無能の働き者の典型例
- 987 :人間七七四年:2023/09/14(木) 08:09:33.75 ID:QEccT/P/.net
- 三成は忠臣でも佞臣でもない単なる官僚
豊臣公儀に従って豊臣公儀に見捨てられて死んだ
- 988 :人間七七四年:2023/09/14(木) 08:55:36.50 ID:3I1OMF4B.net
- 本気で疑問なんだが、なんで奉行って自分が犠牲になったり身を切るのを死ぬほど嫌がるんだ?
少なくとも自分が考える忠臣と呼べる最低ラインって主家や主君の為に
己の没落や破滅を平然と受け入れられる奴なんだが、三成ってその程度の事も出来てないんだよ
三成忠臣説なんて後世の人間の願望を仮託した物に過ぎないんだろうけど、
なんていうか、その、もうちょっと対象にする人間を選べよ、とは思ってしまう
- 989 :人間七七四年:2023/09/14(木) 11:53:26.98 ID:gNWIG9ts.net
- そらそんな奴戦国時代どころか日本史全部探して一人居るか居ないかだろ
- 990 :人間七七四年:2023/09/14(木) 12:46:12.92 ID:3I1OMF4B.net
- >>989
いや、いっぱいいるだろ 基準が緩すぎると思う位なんだが
代替わりや方針転換、用済みであるって理由だけで解任や排除されたら、反抗を一切せず
黙って静かに表舞台から去ればいいだけだぞ、こんなの誰でも出来るわ
本来ならもっと忠臣の基準なんてガチガチに厳しくしたいよ、自分なんかは
この程度じゃ世の中が忠臣で溢れかえってしまう(その基準すら満たせないのが三成だが)
- 991 :人間七七四年:2023/09/14(木) 12:57:44.22 ID:eMvg0bYp.net
- >>989
殉死って知ってる?
- 992 :人間七七四年:2023/09/14(木) 14:07:25.16 ID:SYychHdE.net
- 夏目吉信とか毛利勝永とか土屋昌恒とか
ああいうパターンのことじゃないの
- 993 :人間七七四年:2023/09/14(木) 14:26:50.59 ID:6wMFFCQq.net
- 鳥居元忠とか?
- 994 :人間七七四年:2023/09/14(木) 14:39:09.07 ID:880yqoJe.net
- そもそも日本の場合、忠臣である前に一族郎党の長だから、犠牲になれと言われてはいそうですかとはならない。
殉死でさえ多くは隠居かつ世代交代済の爺さん。
防衛戦や撤退戦での犠牲は、一族郎党の安泰に繋がるから成立する。
例えば、殿軍を任せて当主が死んだ家を、後継がいないから御家断絶な、なんてやったら家臣が一斉に離反しかねない。
- 995 :人間七七四年:2023/09/14(木) 15:05:36.84 ID:3I1OMF4B.net
- >>994
まったくもってその通り、だからこそ私はその高いハードルを乗り越えることが出来ない奴に
忠臣なんて大層な称号を与えたくないと思う
自らの御家の立場や末路をかなぐり捨ててでも、ただ、主君や主家の礎となるのであればそれこそ本望!
となんのためらいもなく犠牲になれる存在こそ忠臣と呼ばれるに相応しい存在だ
はっきり言って三成程度の存在を忠臣とか表現してもらいたくない、忠臣を馬鹿にするなと言いたい
- 996 :人間七七四年:2023/09/14(木) 15:06:14.95 ID:CDbagiyh.net
- >>991
殉死は「主君の為に身を滅ぼす」行為じゃ無いぞ
- 997 :人間七七四年:2023/09/14(木) 15:10:16.23 ID:CDbagiyh.net
- 主君の為に犠牲になれと言うのは結局のところ「秀頼には主君としての力が無い」事を他責的に押し付けてるだけ
というか輝元からすりゃ噴飯モノだろう
どうして赤の他人の為に自分が身を切らなければならない?そんな事を言う奴がまず腹を切るべきで他人に言うなって話よ
つまり豊臣の方が毛利の為にその身を削れって結論になるし輝元はそれを実行したまで
- 998 :人間七七四年:2023/09/14(木) 15:12:19.10 ID:iY2NJzj/.net
- 奉行も奉行なりに豊臣のことは考えていたんだろうがだから何なのレベルの話で終わった
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