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石田三成の挙兵 ★6

1 :人間七七四年:2023/07/01(土) 17:55:14.09 ID:pp0jbPin.net
石田三成が上杉討伐で挙兵をしない、もしくは合戦
勃発後に挙兵していたらどうなっていたか。
※前スレ
石田三成の挙兵
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1646589302/
石田三成の挙兵 ★2
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1659567400/

石田三成の挙兵 ★3
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1667713567/

石田三成の挙兵 ★4
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1675638266/

石田三成の挙兵 ★5
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1681718599/l50

60 :人間七七四年:2023/07/05(水) 17:45:53.89 ID:kPBz+I/v.net
そもそも城攻めなんて守る方が圧倒的に有利なんだから
士気旺盛な死兵がホンの数百居るだけで手に負えなくなる
攻める方も全力を注ぎ込めればまだ良いが次の戦いがあったりすれば損害無視で攻め立てるなんて出来ない
だから城攻めは守備側の気力を萎えさせてしまう事が重要になると

61 :人間七七四年:2023/07/05(水) 17:59:13.46 ID:+ljnf+zf.net
そもそも畑谷城を落とした時にそれなりの被害出して、腹いせみたいに虐殺やらかしてるからな上杉
直江兼続は本当に名将だったのか?

62 :人間七七四年:2023/07/05(水) 18:01:37.13 ID:kbu0mDQd.net
>>59
ああ確かに移封以前の方がきつかったかも
他の家では移封がきっかけで騒動が起きてるのに徳川はむしろ移封のおかげで家中統制が進んだ
三河譜代だけでなく今川武田の旧臣も取り込んでいたわけだから本当によく何もなかったなと感心する
三河時代は慢性的にあった松平一門のゴタゴタもこの頃には全く無くなっていたし

63 :人間七七四年:2023/07/05(水) 21:30:50.89 ID:T7T/7Ey8.net
>>48
その2万vs1千だったのは実質数日でしょ

動けなくても後詰が来てたら
その警戒はしなきゃいけないわけで
2万で攻めれたのは援軍が睨みを利かすまで

64 :人間七七四年:2023/07/05(水) 22:16:03.34 ID:fAsUJmne.net
景勝は家康が上洛したら佐竹と共に関東を攻撃する事を約束してる。そして八月末の時点で伊達も最上も上杉に降伏してる
ただし景勝は東西両軍の戦況を知らない、史料からすると岐阜城の戦い以前から情報が止まってる
だから敢えて降伏してる最上を攻めたのは西軍が優位と思ったが故の選択だったんだろう
単なる領土的野心とか言われることもあるけど西軍が負けたらどれだけ領土を得ていても無意味なのは景勝だってわかってたろうし

65 :人間七七四年:2023/07/05(水) 22:27:41.65 ID:MiO/pnq5.net
>>64
降伏してない
あれは上杉方の書状で言ってるだけでしょ
それこそポジショントークじゃないの?

降伏していた最上を攻めるとか上杉は狂ってるのか?

66 :人間七七四年:2023/07/05(水) 22:36:23.15 ID:MiO/pnq5.net
8月末の書状っていつのかな?
自分が知ってる8月25日の書状は写しだし、あれ宛名が書き換えられておかしくなかった?

内容も確か、「内府が江戸に戻った。私景勝は関東に出陣すべきですが、思いがけず最上と伊達が見合わせたので、
奥口の手当を整えてから関東に専念するつもりです。しかし、来月中には佐竹義宣と相談して是非行動に移したいと思います。
関東の仕置については、最上も伊達も私の指図次第で味方すると申しております」

だったかな? 訳間違えてたらごめん

これに対して最上や伊達が上杉に降伏しました、って書状あったか?
9月初めに確か直江が春日か誰かに「景勝が関東に出馬します。伊達に同陣要請しますので、関東静謐中の警戒をしてください」
とかあったかね?

全部上杉側が都合よく言ってるだけで、伊達と最上は本当に降伏してたのか?
降伏していたなら人質出すか何らかの姿勢を見せている必要があるはずだが

67 :人間七七四年:2023/07/05(水) 23:00:29.22 ID:MigA6PAL.net
伊達も最上も降伏してるぞ
ただし上杉はこれらを受諾してないしこの件が問題となったこともないので裏で家康の許可を得た時間稼ぎだったのも間違いないが
そして景勝の選択もそんなにおかしいものじゃない。確かに岐阜が落ちて西軍が終戦ムードと知っていたら狂っているがその情報が上杉には届いていないんだから
仮に伊達最上両方と和睦したらその領土が手に入らない。一方は取れるだけ取りたい
そんなスケベ根性が出たとしても不思議じゃない。景勝視点では西軍は勝ってるんだから

68 :人間七七四年:2023/07/05(水) 23:04:43.55 ID:MmqH85gO.net
>>67
そんなことよりも豊臣本家が仲良く西軍と参拝していた史料を出してください
あと、おねが秀吉の正室ではなく側室、妾だという根拠もw

69 :人間七七四年:2023/07/05(水) 23:05:15.84 ID:MiO/pnq5.net
徳川方か東軍側で伊達と最上が降伏したと言ってる書状はどこかにあるのか?
秀忠が8月23日付で出した書状には「宇都宮が当面手すきになりました。ですので真田表の仕置のために明日、出馬するつもりです」
とある。最上や伊達が上杉に降伏していて、秀忠がこんな書状出していたとしたら大問題だぞ

70 :人間七七四年:2023/07/05(水) 23:05:26.97 ID:MmqH85gO.net
>>67
あ、いつもみたいに無視しないでくださいね
ちゃーんとお返事ください

71 :人間七七四年:2023/07/05(水) 23:36:39.04 ID:+V3CihfF.net
>>66
8月25日付景勝書状は真田家文書に写しじゃなく原本が伝存してるぞ
訳は大体あってるけど最上・伊達は指図次第で味方になると申しているではなく、指図次第でこちらに恭順するだろうだな

8月18日付直江兼続宛最上義光書状で義光は景勝の指図次第で一万の兵でどこへでも出馬すると上杉に恭順の意を示している

しかし同じく8月18日付で戸沢政盛が義光に提出した起請文で「家康と秀忠を粗略に扱わない」
と誓約していることから上杉への恭順の姿勢は義光の時間稼ぎだということが分かるので降伏していたと言えんね

72 :人間七七四年:2023/07/05(水) 23:42:22.29 ID:+rsnop/d.net
お互い景気のいい話して遠隔地ゆえに情報の精査が出来ないから
エコーチェンバーみたいな現象が起こってる

73 :人間七七四年:2023/07/05(水) 23:50:37.42 ID:+V3CihfF.net
>>66
9月初めの直江書状は9月3日付本庄繁長宛のものだな
この書状見ても分かる通り、降伏していたとはとても言えない内容
伊達も最上も孤立して単独で上杉とぶつからないよう上杉に恭順する姿勢を見せつつ
交渉して時間稼ぎをして秋田や南部、戸沢、本堂なんかと通信して手を結んでたってことだな

伊達に関しては
「関東出馬の際には政宗も同陣するだろうか。もしそうでなければ
伊達の家老を数人を出させて、三千でも五千でも出兵させる。
万一事が戦局が有利に展開しなくとも、関東が静謐の内は伊達が背かないよう備えることが第一だ」

最上に関しては
「最上の件は政宗同様ずっと様子見をしていると聞いているので、交渉を継続することは聞き及んでいる。
手堅くいけば最上も思い通りになるだろう。万一上手くいかず最上が交渉を
引き延ばすようであれば、世間への聞こえも良くないので一働き申し付ける。
もし政宗から手切れすると言ってきても、こちらから使者を遣わし和睦交渉を続けるのが尤もだ」
また「奥口筋への出兵は最上との交渉の結果次第だ」とも言ってる

74 :人間七七四年:2023/07/06(木) 00:08:31.00 ID:pBUTB6NS.net
また妄想馬鹿が放火してんの?

75 :人間七七四年:2023/07/06(木) 18:34:18.39 ID:rMV5vyYv.net
景勝も家康が上洛するとなったら関東を攻撃するつもりだった
仮に上杉軍が破茶滅茶に強くて最上なり伊達なり倒せたとしても西軍が負けたら改易される運命なんだから
それがわからんガキじゃない

76 :人間七七四年:2023/07/06(木) 19:49:00.31 ID:5IoC0+bT.net
謙信の頃はやたら強かったけど景勝の頃の上杉って全然強くない

77 :人間七七四年:2023/07/06(木) 21:16:27.42 ID:Y48nOq9X.net
>>69
徳川の認識は関係なくね?伊達も最上も徳川の家臣じゃ無いんだから

78 :人間七七四年:2023/07/07(金) 10:15:41.77 ID:arpEA4mO.net
結城秀康が与力と2万くらいで下野に布陣しているのに上杉がどうやって関東を攻撃するのだろう
佐竹も2万近い数いるし
これだけでも互角だから白河付近か下野北部あたりで睨み合いになる事は間違いない
そのうち徳川本隊が戻ってきてしまうと伊達と最上も間違いなく上杉を攻撃するし
関東に一歩踏み込んだくらいで詰む未来しか見えない

79 :人間七七四年:2023/07/07(金) 11:41:53.21 ID:vZEChFVk.net
小説ドラマのような挟み撃ちの戦略とるなら
上杉の他最低でも佐竹は確実に味方に取り込んで動かさなきゃダメか
上杉佐竹が協働して家康を挑発して待ち構えるとか
上杉一家だけじゃやれることに限度ある

80 :人間七七四年:2023/07/07(金) 12:45:06.84 ID:vW/dzL4a.net
佐竹家中はみんな徳川派だから義宣がゴネて上手くいっても中立
上杉につく可能性はゼロと言っていい
家康なり秀忠なりの本隊が戻ってきたら徳川方として参戦する事になるだろう
伊達と最上も矢面に立つのが嫌で二股外交をしているけど徳川派だし
結局どうあっても袋叩きの可能性が極めて高く戦略として成り立っていない
上杉勝利のシナリオは石田らが西国で徳川派を破って関東まで攻め上がってくるという状況になるしかないけど
あまりにも運任せで勝率が低すぎるわ
仮に石田方が優勢でもどんだけ時間がかかるか分からんし

81 :人間七七四年:2023/07/07(金) 15:33:58.35 ID:ykbsDQ1m.net
景勝は家中統制が下手
転封騒動の果てが勝ち目のない戦であってもしょうがない

82 :人間七七四年:2023/07/07(金) 16:45:45.09 ID:dZAmcaTH.net
>>77
それだけ言うなら、二次資料でもいいから最上と伊達が上杉に降伏していたと書いている
ものがあるなら出してください

83 :人間七七四年:2023/07/07(金) 16:48:17.18 ID:dZAmcaTH.net
>>75
景勝はどう考えても世間知らずのガキだろ
関ケ原後の慶長6年8月だったかね、家臣に宛てた書状に家康がなかなか上杉に対する処分を決めないから
「もしかしたら許されるかも。所領も安堵されるかも」
とか抜かしてるんだけど

84 :人間七七四年:2023/07/07(金) 16:49:26.19 ID:dZAmcaTH.net
>>77
そもそもなぜ上杉は、最上が降伏していたなら最上を攻撃したのかね?
理屈にあわないやん

85 :人間七七四年:2023/07/07(金) 18:45:41.51 ID:GkxzzKJH.net
>>84
最上領を分捕らないと、福島から越後までのルートが確保できないからだろ
上杉の願いは越後に帰ることだけなんだから

86 :人間七七四年:2023/07/07(金) 19:08:45.28 ID:7f4MmJUh.net
光成氏は上杉は何方か一方とは和睦して残りは落とそうとしていたと書いてるけど多分そんなところ
降伏受諾したら敵国全部貰えるなんてワケも無いし
我々が奇妙に思うのは当時西軍が垂井まで落ちてるのになんでそんな強気なのって点だけどこの時上杉は西軍の正確な戦況を知らない。九月二十一日にも徳川が散々に負けたとか書いてるくらいで浦島太郎よ
家康が上洛したことにすら気付いてなかったからこんな事になると

87 :人間七七四年:2023/07/07(金) 19:44:52.53 ID:G+U6aNFu.net
>>86
伊達が関ヶ原勝報を得たのは9月30日(晦日)
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/18-1-2/55/0065?m=all&s=0065
次の日には奥羽に広まり、直江が景勝の指示で撤兵したのが10月2日
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/18-1-2/58/0006?m=all&s=0006
撤兵指示含めればほぼ同時に関ヶ原の報はつかんでますけどね

88 :人間七七四年:2023/07/07(金) 20:00:06.02 ID:G+U6aNFu.net
関ヶ原本戦当日の9月15日、伊達家は大津の京極が東軍についたと知る
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-3/36/0010?m=all&s=0010

こういう日付感なんですけどね
そんなことより西軍首脳と秀吉愛妾wが仲良く参拝していた根拠はいつ示してくれるんですか?
史料示せばいいだけでしょう

89 :人間七七四年:2023/07/07(金) 20:07:53.49 ID:CE+pkzn4.net
>>87
伊達も掴めてないって言いたいの?何の意味あるかわからんけど

90 :人間七七四年:2023/07/07(金) 20:22:47.10 ID:hXLI8aGO.net
昔の人って足早いよな

91 :人間七七四年:2023/07/07(金) 20:23:36.88 ID:G+U6aNFu.net
>>89
家康が政宗に送った関ヶ原勝報は9月15日当日に佐和山で書かれている
要するに近江から奥州まで書状が(スムーズにでも)届くのは半月かかるってこと
電話もテレビもネットもない時代なんだから情報のズレは当たり前だし、その渦中でポジショントーク入れるわね

じゃあ上杉は情報が遅いかというと大日本史料読む限りそうでもない

92 :人間七七四年:2023/07/07(金) 20:29:01.78 ID:dZAmcaTH.net
9月15日の家康書状は確か佐和山も落とすとか書いてなかったか?
その頃はまだ落としてなかったはずなのにな

そもそも石田と上杉の通信が8月中旬から確認できてないんだよな
西軍は連携が本当に取れてない

93 :人間七七四年:2023/07/07(金) 20:32:25.18 ID:hXLI8aGO.net
主要街道は封鎖すんでしょ

94 :人間七七四年:2023/07/07(金) 20:41:11.67 ID:G+U6aNFu.net
>>92
ソース出してるんだから自分で読んでくれよ

95 :人間七七四年:2023/07/07(金) 20:57:42.16 ID:ykbsDQ1m.net
西軍の敗報は都合がいいから東軍がわざと情報を流した可能性が高い

96 :人間七七四年:2023/07/07(金) 21:31:15.93 ID:BeyWn0mF.net
上杉が情報知らない事を補強してるだけで何の意味もない情報だね…

97 :人間七七四年:2023/07/08(土) 15:05:49.69 ID:6dFI41Rk.net
岐阜落城の知らせも届いてないんだから単純な距離以上の要因もあった

98 :人間七七四年:2023/07/08(土) 16:09:43.95 ID:hDuasamk.net
>>62
祖父も父も家臣に殺されてるのに徳川史観で鉄の忠誠心とか持ち上げられてたからな
西に進出した足利軍団が将軍の威光を利用して新しく得た領地の統制をしようとしたように、完全に新しい関東に移ったことで家康を立てていかないとやっていけなくなったというのはあるだろう

99 :人間七七四年:2023/07/10(月) 03:50:42.39 ID:kO94PHSE.net
石田三成は忠臣すぎた
諸大名は秀吉の恩顧より将来のことや現実の恩賞にあった
三成のような忠臣にはそれがわからなかった

100 :人間七七四年:2023/07/10(月) 08:55:41.92 ID:4crzaFKE.net
>>99
だから忠臣じゃないって
何度言えばわかるんだよ
忠臣は家康だよ

101 :人間七七四年:2023/07/10(月) 10:36:33.78 ID:XwuOARt7.net
主君を殺す忠臣w

102 :人間七七四年:2023/07/10(月) 11:00:27.64 ID:cGhyHVa/.net
>>92
関ヶ原だと地理的に上杉が上方と情報交換するルートは
真田領を越える沼田ルート
佐竹領を越える関東ルート
の二つくらいしかない
沼田ルートは真田信幸が西軍に与すると見せ掛けて実は東軍だったので東軍の情報源になっており
関東ルートは徳川領を越えるという至難の道
三成と吉継の小規模反乱と見られてた初期なら兎も角豊臣家まで参加した大規模反乱と知られた八月になるともう機能しない

103 :人間七七四年:2023/07/10(月) 12:42:33.16 ID:bCGXdz09.net
家康が忠臣って……

104 :人間七七四年:2023/07/10(月) 13:01:39.00 ID:oDJTDztI.net
家康は一門筆頭の陣代やで
だからこその上杉討伐は私戦じゃないから

105 :人間七七四年:2023/07/10(月) 13:56:35.48 ID:4crzaFKE.net
>>103
反乱を起こした三成を
豊臣政権トップとして
撃破したんだから忠臣やで

106 :人間七七四年:2023/07/10(月) 15:04:20.32 ID:bCGXdz09.net
主筋を滅ぼす忠臣www

107 :人間七七四年:2023/07/10(月) 15:09:58.37 ID:AmH8bMcE.net
家康は関ヶ原の時点で既に専横を極めていたしな
だって自分の所に人質を集めていたし
完全に立場を利用して私物化していたわ

108 :人間七七四年:2023/07/10(月) 15:31:31.17 ID:JhTMU3rg.net
>>107
それの何が問題なの?
徳川よりもトップに立つべき大名なんていないやろ

109 :人間七七四年:2023/07/10(月) 16:40:35.32 ID:yoQrO4p2.net
あくまでも西軍の大将は毛利だから負けたのは全部毛利のせいだ
そもそも何であんなに部隊を分ける必要性があったのか
石田はあくまでも先鋒でしかない
それなのに全部石田のせいだとか
お前ら頭悪すぎ
相手の大将家康は現場まで来てるのに毛利は大坂で引きこもりでは負けるわな
まあちんばんじー並みのお前らごときが語るなんて身の程知らずだわな
黒田官兵衛を味方につけていたら勝てたのは確かだが
石田は秀吉の数々の失策の後始末をさせられたな

110 :人間七七四年:2023/07/10(月) 16:50:25.86 ID:AmH8bMcE.net
>>108
忠臣かどうかって話してるのに何で関係ない話をするの?

111 :人間七七四年:2023/07/10(月) 16:55:37.74 ID:JhTMU3rg.net
>>110
だから忠臣である必要などないって言っているんだよ

112 :人間七七四年:2023/07/10(月) 18:14:43.46 ID:qf4mYmta.net
というか三成視点ではもうどうしようもないだろ
どうやっても東軍先手衆に気付けないし気付いたところで間に合わない

113 :人間七七四年:2023/07/10(月) 20:24:42.49 ID:jzt2RD8Q.net
>>109
意味無き部隊の分散には見えるね。

実の所、あの場合抑えるべきは清須だけと言っても良い状況なのに。
あそこさえ押さえれば、東軍は兵糧の不安で安易に東海道に出れないんだから。

114 :人間七七四年:2023/07/10(月) 21:13:42.36 ID:k/ofVoqE.net
>>112
普通に会津征伐軍が引き返してくる可能性なんて想定出来るだろ
まあ唐入り時の豊臣のグダグダをみれば元々その程度なのかもしれんが

115 :人間七七四年:2023/07/10(月) 21:16:52.57 ID:ort+gFDJ.net
全てはテルリンが馬鹿だからな
ご先祖様の大江広元なら楽勝で勝てたのにな
テルリンってこいつ何もしてないんだよな
馬鹿のクセに野心だけは家康並み
ほんま笑わせるわ
石田が全ての権利を持ってたら勝てた
あの島左近がいるからな
毛利にも安国寺という切れ者がいたのだが
所詮坊主の言う事等聞かないか
せめて小早川隆景がいれば
キッカー広家は家康のスパイだし
能無しの野心家って信長の馬鹿息子信雄かい
家康は基本無能だが運に助けられた
本来石田よりも劣る雑魚だが相手はそれ以上の雑魚テルリンだから勝てた

116 :人間七七四年:2023/07/10(月) 22:10:02.48 ID:+yj5T0Xq.net
>>114
三成には不可能ってことなのだ
そもそも兵も少ないし清洲付近に兵を置いて観測するのも危険
もしかしたらその役目を犬山に期待したかもしらんけどこいつら降伏してたからなぁ

117 :人間七七四年:2023/07/10(月) 22:41:29.29 ID:k/ofVoqE.net
>>116
そんな西軍挙兵の首謀者の一人なら無能だし
仮に首謀者じゃなくてもそんな状況の西軍に参加したのなら
やっぱり無能というかまあ自己責任だな

118 :人間七七四年:2023/07/10(月) 23:10:31.38 ID:cGhyHVa/.net
三成は大坂に嫡男がいるから好き勝手は出来ない
それに三成が大垣に着いた時兵数は一万五千、これじゃ清洲は落とせん
清洲に動きありと騒いでも増援は来ません、ってなればもう打つ手は

119 :人間七七四年:2023/07/10(月) 23:58:47.76 ID:k/ofVoqE.net
人質といっても嫡男の重家は既に秀頼に出仕しており官位も持っていたんだから
自身だけでも西軍に参加することも可能だったわけでそれは言い訳にはならんと思う

120 :人間七七四年:2023/07/11(火) 07:51:58.89 ID:tCxJO2fQ.net
嫡男が西軍本拠地で囚われの身な訳で十分人質じゃないの?
しかも佐和山は西軍勢力に囲まれてる上に三成本人も隠居同然で兵力も無いに等しい
大谷吉継に入られた時点で割と運命決まってた感がある

121 :人間七七四年:2023/07/11(火) 09:01:21.40 ID:y6xKF8AJ.net
石田重家は大坂城で幽閉されてたの?それに跡取りだった仙石秀範や津軽信建とかは父親が東軍でも西軍に参加しているし
それに三成本人に兵力が無いのなら石田勢六千人は誰が率いてたのということになるわけで
佐和山が西軍に囲まれていたといっても越前と美濃は中小大名の寄せ集めでさらにその向かい隣りには前田家と福島家がいたし
それで西軍が伊勢攻めを開始したのは東軍先鋒隊が清州に到着した後だったから別にまだ運命が決まっていた訳ではないんじゃないかな

122 :人間七七四年:2023/07/12(水) 18:45:48.65 ID:MpZ4BEoF.net
>>118
1万5000は少なすぎる
保科正光書状(8月29日付)で大垣城に2万以上はいたらしい(これもまた少なすぎると思うが)から、速攻をかけていたら
東軍が西上してくるまでに落とすことは可能だった

しかし現実は、三成が8月9日に大垣城に入城する体たらく
8月1日に伏見落城。伊勢侵攻作戦発動が8月6日
西軍は時間を無駄遣いしまくっている

123 :人間七七四年:2023/07/12(水) 19:05:32.08 ID:6XxDDUwP.net
無理でしょ
八月初旬に大垣には一万五千しかいない
遅くても数週間、早けりゃ数日で清洲には後詰がくるのはわかってる
大垣空にして数日以内に清洲落とすなんて無理
宇喜多軍一万が来てたけど待ってるうちに岐阜を落とされた

124 :人間七七四年:2023/07/12(水) 19:19:11.67 ID:tb6YjPer.net
まあ三成程度の人物じゃ無理かな
信長か全盛期の秀吉みたいな人物が総司令官なら全く逆転していたかもしれないが

125 :人間七七四年:2023/07/12(水) 21:56:40.42 ID:utVy/qIo.net
仮に家康だって無理
清洲ほどの城がすぐに落ちるわけもないしましてそこの兵力が数十なんてことも有り得ない
守備側は攻撃側の三倍に比するとして五千人もいれば攻撃側は勝てないし仮に三千人程度でも長期戦は避けられない
そしてそこに東軍が戻ってきたら、まぁ絶対戻ってくるんだが決戦か退却かの選択になる
やるなら美濃方面に厚く兵を配置するしかなかったけど三成にそんな権限は無いので詰み

126 :人間七七四年:2023/07/12(水) 22:45:59.10 ID:XOaXu/tK.net
そもそも西軍なんてものは存在しないからな
三成と行動を共にしていたのは宇喜多くらいのもので他は反徳川とか恩賞目当てに勝手に動いていただけで三成の指揮下にある訳では無いし
三成の指示なんて聞いていないし当然ながら従う気も全くない
だから実際の三成方は2万強くらいの戦力しかない

127 :人間七七四年:2023/07/12(水) 23:20:59.84 ID:3LXy9NHs.net
三成も寝耳に水での急遽の挙兵と言われてるが
輝元が首謀者の一人なのは間違いないが奉行衆だとおそらくは大谷刑部が旗振り役なのかね
朝鮮での経験だけじゃどうしようもなかったか

128 :人間七七四年:2023/07/13(木) 14:49:42.62 ID:dn3imETs.net
伊勢に戦力を振り過ぎ

129 :人間七七四年:2023/07/13(木) 21:37:44.80 ID:eZj9hwDP.net
そもそも2万とか兵力不足とかそういう問題じゃない
まず後からどうにでもなる地域(四国・田辺・大津・伏見・伊賀上野)などに兵力を分散して次々と送ってる点
兵力を分散しまくることは一番愚かだってこと西軍側は誰か知らなかったのかよ

130 :人間七七四年:2023/07/14(金) 07:55:09.89 ID:hhGsmnd0.net
>>129
まず伏見を抑えない選択肢はさすがにないだろ、京における豊臣の象徴的拠点だし
後、北陸の前田に対する備えを考えると田辺は外せん、前田の足止め成功は結果論だし
大津はあの時点で放棄すると美濃方面が孤立するから士気低下を防ぐためにも攻めざるを得ない
四国は瀬戸内の安全確保を考えると毛利視点抑えない選択肢はない
その中で扱いが軽くてもいいのは伊賀上野位だろう

131 :人間七七四年:2023/07/14(金) 10:19:24.72 ID:eaOKBGN8.net
兵力もそうだけど人事にも問題ある気がする
例えば前田攻めには前田家と親しかった宇喜多を当てた方が調略面も期待できたんじゃないか?
大垣に縁も所縁もない石田三成入れて仇敵の福島正則のカチあわせるよりも大谷吉継あたりを入れて三成は佐和山から兵站維持させた方が良かったのでは?
三成の能力を疑う訳じゃ無いけど政敵相手に調略とか難易度が高過ぎる

132 :人間七七四年:2023/07/14(金) 20:46:34.17 ID:Stte2pgd.net
>>129
それは認識甘いよ
畿内やその隣国にまとまった抵抗勢力残すのはあり得ない
それらに対して押さえの兵力が必要になり別への戦力集中は結局叶わなくなる

四国については毛利が上方に戦力集中させるには瀬戸内の制海権が必要なので
それを脅かし得る四国を放置してたら毛利は参戦できなくなる

結局史実で負けた戦場に全軍集中したらという馬鹿げたことを言ってる

133 :人間七七四年:2023/07/14(金) 21:16:23.04 ID:h8WbqGf5.net
とはいえ戦力の集中を失敗したら負けるのは世の常で西軍も典型例
四国や九州なんて攻撃した結果その為に東軍の攻撃拠点を軽視する事に繋がり、しかも岐阜失落後のリカバリも効かないという

134 :人間七七四年:2023/07/15(土) 09:24:41.51 ID:5mzDNiBj.net
>>132
加藤嘉明も藤堂高虎も生駒一正も主力を率いて会津陣にいて、小川祐忠は西軍、来島長親は毛利に協力しているのに、
誰が瀬戸内の制海権を脅かすんだ? それだけの戦力や水軍持つ奴がどこにいんの?

単に領土欲むき出しにして加藤に攻め込んで、わずかな留守の兵士に三津浜でぼろぼろにされたのが毛利とかいう大馬鹿だろ
それすら油断しまくって留守の部隊にぼろぼろにされたんだけど

135 :人間七七四年:2023/07/15(土) 09:44:41.22 ID:vrRJCsSD.net
輝元からすれば秀吉に奪われた本来毛利の物だった瀬戸内海交易権を取り戻したい一念だったんだろう
豊臣家まで巻き込んだ大乱なら「瀬戸内海はあげるから」って条件で和睦になってもおかしくないと読んでの挙兵
だが徳川家康を甘く見過ぎてたな

136 :人間七七四年:2023/07/17(月) 08:00:38.12 ID:vyknxMJ5.net
というか輝元ってアホでしょ
9月15日の関ヶ原当日に家臣に手紙で「領国よろしく。こちらは大丈夫だよ」とか言ってる呑気な書状出してるし
輝元は危機感とか緊張感とかないの?

137 :人間七七四年:2023/07/17(月) 08:09:02.84 ID:mS6RnJKz.net
輝元はあくまで大坂に陣取って日和見していただけだから
本人はどちらに付いている気もなかったので気楽なものだったでしょ
徳川と石田で潰し合いして疲弊するのをのんびり高みの見物していた訳だし

138 :人間七七四年:2023/07/17(月) 11:15:58.38 ID:tPXAp3fl.net
関ヶ原で趨勢が決まるとは家康以外誰も思ってなかったから

139 :人間七七四年:2023/07/17(月) 11:39:19.67 ID:qIMwU1S8.net
家康だって思ってないよ
毛利が脱落しても三成たち奉行衆が大阪城に立てこもられたらどうなるかはわからないんだし

唐入りの幕引きや小牧長久手からの秀吉への臣従など家康は終わらせ方を知ってるけど輝元は知らないと思うわ
始めるのは難しいが終わらせるのも同等以上に難しい

140 :人間七七四年:2023/07/17(月) 12:13:47.61 ID:6X/+fB+n.net
秀吉が妹と母親を人質に出すまでしたから家康は家臣を説得することが出来
秀吉に降伏することが出来たんやろ

141 :人間七七四年:2023/07/17(月) 12:29:25.16 ID:FT8l7wMU.net
>>136
こちらと言っても輝元が居た大坂のことじゃなく美濃口のことだけどね
美濃口は丈夫に申し付けているのでこちらの思い通りになっていると伝えてる
まあ楽観的なのはその通りで当該書状から焦りは全く伝わってこない

逆に広家は現場に居ただけあって9月12日付の国元の家臣宛書状では
「味方人数ハはるはる多候、乍去いかニもかたまり不申候」と現状を伝えている

142 :人間七七四年:2023/07/17(月) 13:33:20.18 ID:tPXAp3fl.net
大坂城に篭ったら家康の思う壺
秀頼さまを助けるって名目で大坂城を総攻撃するだけ
仮に秀頼が家康討伐の改めて出してももう豊臣にはマトモな軍隊は居ないんだから詰み
輝元にしても本国と連絡補給を断たれて死地に押し込まれるからそんなことに巻き込まれたく無いので豊臣を見捨てて逃げの一手しかとれない
そもそも西軍の主力は関ヶ原で散ってて後はカスしか残ってないし

143 :人間七七四年:2023/07/17(月) 13:59:48.82 ID:IvYYgijY.net
ロリなのにババー嫁にさせられた家康の気持ちも考えてやれと

144 :人間七七四年:2023/07/17(月) 14:14:29.70 ID:vyknxMJ5.net
岐阜城落とされて、大垣城も危機的状況でよくあんな呑気な書状を出せるよな
輝元は頭おかしい

145 :人間七七四年:2023/07/17(月) 14:15:40.03 ID:vyknxMJ5.net
まあだから8月29日の保科の書状で「輝元が来ても撃退できるでしょう」なんて言われてるんだと思うが
リアルタイムで馬鹿にされてる輝元

146 :人間七七四年:2023/07/17(月) 14:21:53.88 ID:tPXAp3fl.net
西軍は家康の上洛を掴めてない、というか家康はバレないように行軍してるから西軍には青天の霹靂だったはず
輝元からすればいざとなれば豊臣を売って瀬戸内海利権を貰うつもりだったはずで楽観的でも仕方ない
それが関ヶ原で急転した

147 :人間七七四年:2023/07/17(月) 14:35:49.28 ID:6X/+fB+n.net
>>143
寝なきゃいけないと思ってないか

148 :人間七七四年:2023/07/17(月) 15:03:55.60 ID:FT8l7wMU.net
>>145
正確には撃退できるじゃなく後詰すること自体が難しいのではと保科は言ってるけどね

149 :人間七七四年:2023/07/17(月) 17:09:36.47 ID:QSe2Pgqo.net
家康の出陣掴めてないって本当かよって史料みたら
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-3/37/0008?m=all&s=0004&n=20
例の有名な三成の愚痴書状
たしかに9月12日時点では三成は知らなかったんだな

「輝元御出馬無之事拙氏体は尤と存候、家康不被上には不入かと存候へ共、下々は此儀も不審たて申事に候事」

11日に清須に家康は入ってる

150 :人間七七四年:2023/07/17(月) 17:20:40.03 ID:tPXAp3fl.net
家康はまず秀忠に徳川本隊を預けて真田攻めをさせてその裏で兵を分けて上洛した
だから上杉も佐竹も石田も毛利も家康が赤坂に向かってる事に気が付かなかった
気付いた時にはパニックだったろうさ

151 :人間七七四年:2023/07/17(月) 18:37:31.40 ID:FT8l7wMU.net
南宮山の吉川や益田は9月12日に知ったみたいだな

(慶長5年)9月12日付祖式長好・佐々木長綱宛吉川広家書状
「内府も被出候よし申候、ぎふ・いぬ山被越候間、被出候事ハ此節にて候此節にて候、菟角大事まて候大事まて候」

(慶長5年)9月12日付榎本元吉宛益田元祥書状
「今朝内府御人数着迄者、何たる沙汰も此方ニハ無御座候つる故、不遂注進候」
また後段では
「私事茂今日参上之覚悟之處、爰元右之仕合候条、承届候者と存不罷上候、此等之趣宜預御披露候」

と、益田は大坂まで参上しようとしたがこのような状況(家康到着)なので、それ
に対する指示を受けるまではと思い動かなかった。この件はよろしく輝元へ披露頼む
とあるので、輝元もこの時点では家康の動向は知らなかったことになるな

152 :人間七七四年:2023/07/17(月) 18:49:46.66 ID:QSe2Pgqo.net
>>151
へーおもしろい
どっちも焦りがすごいw

153 :人間七七四年:2023/07/17(月) 19:16:55.15 ID:CXybNwcG.net
それで輝元に伝えるかどうするのか考えてる内に制限時間来ましたよと

154 :人間七七四年:2023/07/17(月) 20:24:32.22 ID:44WggbIe.net
石田らにしてみれば遭遇戦だったんだよな
まさか家康本隊が近くまで来ているとは思わなかったからろくな準備も出来なかった
おまけに小早川や毛利は勝手な動きをするし追い詰められて已む無く山に登って迎え撃つしかなかった

155 :人間七七四年:2023/07/17(月) 21:00:51.34 ID:CXybNwcG.net
家康、十四日朝に赤坂布陣
大垣城軍議、東軍と決戦を決定
その後、夜までの間に小早川秀秋松尾山占拠
松尾山は大垣の補給路を前にする重要拠点なので家康に詰まされてる

156 :人間七七四年:2023/07/17(月) 23:12:35.81 ID:+09QIa+V.net
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-3/40/0022?m=all&s=0022
一次史料ではないが卜斎覚書

「九月二日小田原、筑前中納言殿(小早川秀秋)より使者永井右近所へ来候、(家康は)せかれ(未熟者)の申事実儀にてはなく候とりあい候事無用と御定」
「八日、白須賀、筑前中納言殿使者来、御前には不出、よき御あいさつと申候」(家康に取り計らってくれってことかな)

こういうの見ると一日に重い腰を上げて江戸を発った家康に勝利の確信はなかったように思えるんだよね
吉川の最終的な裏切りも決戦前日
ついでに秀忠はこねえでイライラマックスってのは理解できる
後世の人間は家康が勝ったことを知っているからなんでも深謀遠慮だーみたいに結びづけがちだけど

157 :人間七七四年:2023/07/18(火) 05:37:14.59 ID:hGpzj8Ob.net
西軍挙兵で力関係が大きく変化してるはずなんだけど距離が遠く日が浅く情報が少なすぎるからな
東軍も会津征伐の流れと利害関係でくっついてるだけとも言えるし畿内にいる小早川は使者と書状だけで信用できるかどうか
家康から見れば実質五里霧中の大博打
関東大返しとも言える西上戦

158 :人間七七四年:2023/07/18(火) 06:57:53.27 ID:F9LItAof.net
家康が小早川秀秋を落とせると踏んで上洛した可能性はかなり高い
まず秀秋は西軍の指示に従って無い。東軍は西軍の配置情報をかなり正確に把握してるけど小早川秀秋が大垣城に入ってると書いてる。これは事実と異なる。情報源は西軍だろうしこれは秀秋が西軍の指示を無視してる事を意味してる
次に北政所で、北政所は西軍の中心人物と繋がりがあり西軍の為に行動してた。北政所の助命と引き換えに東軍に参加せよって言えば味方になるだろう
そして秀秋は朝鮮出兵で秀吉に領土を奪われて家康に復して貰った。恩を感じていたかもしれない
西軍がこんな危険な立場の存在を無視していた理由が分からないけど止めようが無かったのかもしれない

159 :人間七七四年:2023/07/18(火) 07:30:51.43 ID:2D39tHW8.net
>>158
愛妾くんだから「上洛」の意味も知らないんだね
妄想を書くのはいいんだが、きちんとした用語と史料的な根拠も示してもらわんと
「可能性は高い」というパワーワードで済ましちゃダメ絶体

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