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石田三成の挙兵 ★6

1 :人間七七四年:2023/07/01(土) 17:55:14.09 ID:pp0jbPin.net
石田三成が上杉討伐で挙兵をしない、もしくは合戦
勃発後に挙兵していたらどうなっていたか。
※前スレ
石田三成の挙兵
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1646589302/
石田三成の挙兵 ★2
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1659567400/

石田三成の挙兵 ★3
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1667713567/

石田三成の挙兵 ★4
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1675638266/

石田三成の挙兵 ★5
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1681718599/l50

682 :人間七七四年:2023/08/22(火) 18:43:12.93 ID:d+60VQpp.net
三成も焦る必要なかったかもしれないがじっとしてると東軍が続々と集まってくるし

683 :人間七七四年:2023/08/22(火) 18:50:59.68 ID:ICJyr1MM.net
>>681
当時の常識とか空気感とか考えないとな
秀吉が全国統一したけどまだまだ戦乱の気風は残ってたからな。何かあればまたすぐ分裂時代に戻るだろうって考える方が普通だったんじゃないかねえ

信長が室町将軍を京都から追放した後に次は将軍が巻き返すパターンってことで畿内の勢力が次々と信長から義昭に乗り替えたのと似たようなもんだな

684 :人間七七四年:2023/08/22(火) 20:19:08.68 ID:Hn+LmJF/.net
>>675
別に関東まで攻め込む必要なくね?
徳川のいぬ間に付近を固めれば良い訳で。
まあ最上攻めに失敗した上杉ではどうしょうもないというのは確かだけど。

>>676
岐阜城落城後に美濃から引いて対峙するならまず近江ということになるけど、少なくともその時点では前田は抑えており、大津城は京極高次の寝返り前。
突出した最前線(しかも相手の橋頭堡付き)の大垣でどうこうするより良いでしょ。
九州が東軍って、それこそ、そうさせないために九州四国に手を入れてたのだろうに。

685 :人間七七四年:2023/08/22(火) 21:15:28.76 ID:+ZI720fJ.net
>>681
それは如水や昌幸も戦略眼無いってだけでは
敵の頭を押さえ込んでしまえば手先がどう跳ねようが無意味。それが家康の戦略でその為にどう一撃加えるかを考えて絵図を描いてる
輝元の戦略は一見理に適って見えるけど実は非論理的なもの。徳川という巨大勢力と戦う以上それに全力を傾けるべきで領土拡張するならその余裕が無いとダメ
結果徳川の一撃に非常に脆弱な体勢になった挙句家康にぶん殴られて敗北、領土を失った

686 :人間七七四年:2023/08/22(火) 21:26:35.50 ID:+ZI720fJ.net
>>672
三成と上杉が事前に打ち合わせてたという事前共謀説は否定されてる(否定する史料しかない)
問題は三成が何故上杉と打ち合わせ無かったのかというもので、三成は七月末にやっと真田や佐竹といった親三成勢力とコンタクトしてる
そもそも三成の役割は上杉との通信で三成も書状でそれを自負してるんだが、西軍決起を知っていたら何故動かなかったのかという話になる
一番合理的なのは三成は知らなかったから、ってもの

687 :人間七七四年:2023/08/22(火) 21:48:16.74 ID:JEO5H+bo.net
いうても関ヶ原の流れは豊臣家の内紛からは大きく外れて無いからな
乱世には戻らないと思う

688 :人間七七四年:2023/08/22(火) 21:54:20.35 ID:Q5J3bqIj.net
>>672
7月13日付益田・熊谷・宍戸連署状、7月14日付吉川書状の内容が本当なら安国寺・石田・大谷
が近江で会談してるんだから少なくとも7月中旬の時点で三成は計画を知ってた筈なんだけどね

ただこの二通の書状はフェイクが含まれてる可能性もあるんで微妙なところだけど

あと7月5日の宇喜多の豊国社参詣は会津征伐に関する戦勝祈願を形式的に行ったのではないかと見る研究者もいるな

689 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:02:28.96 ID:uCztJaNM.net
>>685
その主張には穴がある、東軍、というより上杉征伐軍が徳川のいう事に素直に従う保証がない
なぜならこの時期の家康の大義名分は豊臣政権の第一人者である事しかないから
そして西軍は、徳川を政権から政治的に排除することを目的に内府違いの条々を出している
この書状に上杉征伐軍が絶対に同調しないという保証は実はない
たとえ最終的に受け入れないにしても、時間がかかればその分西軍は時間を稼げるし
諸侯の中に疑心暗鬼が起きる可能性だってある、そう考えれば徳川が
組織的な抵抗をすぐには出来ないと考えても不思議ではないだろう
実際家康は岐阜陥落まで関東から出ていない、情報収集や上杉佐竹の動向確認もあろうが、
諸侯が本当に反家康派と戦ってくれるかどうかの確信が持てなかったのもあると思う

690 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:04:01.53 ID:+ZI720fJ.net
まぁそいつは「輝元は無関係」という為の偽物だろうね
送付されてない理由が説明できんし

691 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:20:04.21 ID:+ZI720fJ.net
>>689
実はそれは非現実的と言って良いほど楽観的な思考だと思われる。根拠は正にその内府違いの条々にある
内府違いの条々では家康の罪が挙げられているが例えば「家康は勝手に縁辺した」というのがある。さて結婚は一人じゃ出来ない、そして縁辺した相手が「嫌々」徳川と結婚したなんてあり得る?
徳川に親しい連中からすれば内府違いの条々は自分達をも糾弾するものな訳で到底受け入れられない
ついで西国衆も徳川を支持するのは明らか、何故なら毛利が西軍だから。彼らは輝元が単なるお人好しで家康と決戦するとは考えない、まず自分達の領土が危ないとみる。何せ主力はこっちが持ってるのだから

692 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:22:33.87 ID:+ZI720fJ.net
つまり西軍は徳川を糾弾することで却って親徳川派を一枚岩にしてしまった
更に言えば豊臣秀頼を首魁にした事で豊臣公儀による調略的調停も不可能になった
で、こうした効果があると西軍は気が付かなかったのか?というとおそらく気付いてた
西軍が内府違いの条々に期待したのは親徳川派諸将が西軍に寝返るなんて単純なものじゃなかったんだろう

693 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:26:29.06 ID:DHUBhRmB.net
>>690
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-6-3/8/0034?m=all&s=0030&n=20

ほれ、こいつが大本営発表だ
説明つかないじゃなく、説明はされている

694 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:29:32.74 ID:DHUBhRmB.net
>>692
君は「豊臣」が徳川を嫌いだったから、と開戦理由を主張してはいなかったか?
どうせお返事はあるまいが

695 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:35:34.15 ID:+ZI720fJ.net
>>694
確かに豊臣は徳川を嫌ってたろうね。そういう史料は多いし
ただ今それは関係ない
豊臣が徳川を忌み嫌ってようがそれが東軍に何か影響与える訳が無いから

696 :人間七七四年:2023/08/22(火) 22:47:29.69 ID:DHUBhRmB.net
>>695
そういう史料を挙げてくれるか?
北政所が西軍首脳と豊国いっていたんだ、という主張だったと覚えているが、違うよと史料提示しても知らんぷり
いまそれは関係ないと言われても、あなたの言説への信用がないんだよ

697 :人間七七四年:2023/08/22(火) 23:49:26.94 ID:uCztJaNM.net
>>691
いや、西軍首脳部(奉行)は受け入れると考えていたと思うよ
縁辺の件は逆に考えれば徳川との縁さえ切れば糾弾対象にならないという事でもある
そして奉行はその立場上、豊臣政権の命令は絶対である、としか想定できない
そこを疑うという事は、事実上天下政権における自分の立場をも疑ってしまうという事だから
という事は天下政権における立場から奉行が命令を下した以上、
諸侯は徳川を見限って我先にこちらに詫び入れに来るに決まっている、
まあ徳川の手前多少の時間はかかるかもしれんが、最終的にはこちらの指示に従うだろうと
考えてもおかしくない、奉行視点では豊臣政権は絶対的存在なのだからその命令を無視して
徳川に諸侯が従うなんてことはあってはならないし、想定してはいけない事でしょう

698 :人間七七四年:2023/08/23(水) 08:36:02.51 ID:vhshceI6.net
徳川と親しくして利益を得てる連中に「家康は好き勝手してる」と伝えて何か良い効果あると思うか?何の効果も産まないと思うし奉行衆だってそう思うはず。だってその家康のお陰で良い思いしてる連中なんだから。実際家康に名誉回復してもらった蜂須賀家政は家康が独裁してる事を認めつつ受け入れてる
家康糾弾状は親徳川派には効果は無い、効果があるのは反徳川派ともう一つ、領主に反感を抱いてる連中
日本には輝元のように領土を増やしたいって連中がごまんと居る。そいつらが「あいつは秀頼さまに刃向かった」「あいつは徳川と組んでる謀反人」と大義名分を得ることになる
内府違いの条々は親徳川派の切り崩しではなくその敵対派閥を西軍に取り込む効果を期待して出したものだろう。つまり会津征伐軍が内府違いの条々を読んだとしてそれで寝返ることは考えてない

699 :人間七七四年:2023/08/23(水) 10:14:46.93 ID:nIWtzH7f.net
>>696
内府違いの条々と豊臣の内心に何の関係も無いって言われてんのにアスペか?
気になるなら勝手に調べろ

700 :人間七七四年:2023/08/23(水) 10:24:58.97 ID:S5kTukqJ.net
>>698
そもそもその輝元だって、小早川隆景の死去と実施誕生に伴う領地問題の際に、家康に手を突っ込まれるまでは親徳川だったからな。
そして関ヶ原で対徳川強硬派扱いされている毛利秀元だけど、
上記の騒動時に吉川広家とともに家康に助けられている。そりゃあ空弁当も食べるというもの。

701 :人間七七四年:2023/08/23(水) 15:25:03.56 ID:vhshceI6.net
内府違いの条々で家康を糾弾すれば諸将に疑心暗鬼なんて子供みたいな理屈は流石に西軍も期待してなかったはず
内府違いの条々は西軍及び親徳川派への攻撃に正当性を与える事のみを役目としてるからそれで会津征伐軍が空中分解なんて起こるはずもないしそれは想定内
実際前田細川クラスの大名ですら主人に反する連中が出てきてるから期待通りではあった、あったけど西軍首脳部が戦略を失敗したので全て水面下で鎮圧されて歴史から消えた
目先の利益に飛び付いた者の末路

702 :人間七七四年:2023/08/23(水) 19:58:03.60 ID:mUhYAEtD.net
>>699
ずいぶんとご立腹だな
勝手に調べろじゃなく、こっちは根拠史料挙げてるんだけども
それから逃げるから蒸し返すんだよ、愛妾くん

703 :人間七七四年:2023/08/23(水) 20:12:07.84 ID:An4B5VH9.net
>>701
味方する大名がもっと出ないと戦略戦術がどうこうで埋まる差じゃないよ
変な話戦力だけで言うと東軍先鋒衆だけでも確実に勝てるとは言えんし北陸との二正面作戦になると普通に劣勢当然の戦力差だろ

704 :人間七七四年:2023/08/23(水) 20:33:35.42 ID:+fFWFPqQ.net
家康と親しくして何らかの利益を得ていた連中、例えば福島や池田、浅野、黒田、蜂須賀、細川といった連中が弾劾状如きで空中分解なんてあり得ないしそんなことは輝元だって信じてない
現に蜂須賀家政は家康を弾劾するのに反対してるしだから輝元は家政を捕らえて全てを没収した
内府違いの条々は西軍に正当性を与えるものでその意図は達成された。ところが西軍はこの後戦略を失敗した
輝元が凡愚だったからだけど徳川の情報工作も見事だったんだろう

705 :人間七七四年:2023/08/23(水) 22:31:44.30 ID:Vp4k7hZf.net
そもそも当時は奉行たちが弾劾騒動を起こすことなどよくあることだった
内々の儀を任された利休や関白を任された秀次も
秀吉の言葉を無視しているだの豊臣に反逆しているだのと弾劾され命を狙われてきた
だから東軍大名はもちろん西軍大名の大半も内府違いの条々などまじめに信じていなかった
単に自分の利益に繋げるために乗っかったふりをして利用する連中がいただけ
内府違いの条々の中身なんて正直なところどうでもよかった

706 :人間七七四年:2023/08/24(木) 09:55:18.41 ID:sLF0lO1y.net
西軍の初期戦略は真田家が味方であることから上杉佐竹と協働するというもの
内府違いの条々で西軍には正当性がある、これで全国に紛争のタネがばら撒かれた。後は当主に反感持ってる連中が立ち上がるのを待つだけ
東軍先手衆は強力といえど朝鮮出兵で疲弊した連中ばかりでよほどの数的差が無いと負けることはないし徳川は動けないのだから動きも鈍かろう
予想される徳川の動きは上杉潰し、これをしないと徳川は背中を斬られる訳で長期戦は必至
となると勝ち目があるように見えても不思議じゃない

707 :人間七七四年:2023/08/24(木) 10:27:14.22 ID:JqUV/JQ6.net
豊臣政権を守るなら、全国に紛争のタネをばら蒔いてはいけないと思うだが……
豊臣政権が天下を納めることができない証明になってしまい、実権を失う結果になるのでは。

この辺あたりって西軍の首脳はどう考えていたのかな。

708 :人間七七四年:2023/08/24(木) 12:13:07.50 ID:MpH4/aaQ.net
島津は薩摩本国から小西行景に援軍出してたみたいだけど義久も西軍として行動してたのか

709 :人間七七四年:2023/08/24(木) 12:22:17.08 ID:2+54gw9C.net
>>705
内府ちかひの条々を利休、秀次と並べる発想は目から鱗だわ
なるほどおもろい

710 :人間七七四年:2023/08/24(木) 12:43:38.01 ID:oyyhAGKJ.net
>>707
結局奉行衆と毛利・宇喜多で思惑が違っていたと思う。
毛利・宇喜多は前田・上杉とやられたら次は自分達だとの意識があるだろうから、紛争の種は蒔いてなんぼでしょ。

特に毛利は豊臣に忠誠どころか、徳川同様仕方なく豊臣に従っていた立場なわけだし。

711 :人間七七四年:2023/08/24(木) 14:03:34.88 ID:A2vUPNjF.net
>>707
橋陽介氏は西軍のこの動きを「豊臣公儀による惣無事令の破壊」と評してる
秀吉の惣無事令とは領土その他の争いは公儀が決着させ武力衝突を禁じるもの
西軍は豊臣公儀の名によって私闘自力救済を合法化した
輝元によるささやかな報復だったのかもしれない

712 :人間七七四年:2023/08/24(木) 14:16:28.46 ID:VOyBkD1Q.net
豊臣政権を破壊したのは家康
それだけいうなら政権を秀頼が成人したら返せよ
そもそも秀頼が関白になるはずなのに、九条をその座に据えたのは家康だろ

713 :人間七七四年:2023/08/24(木) 14:22:40.89 ID:A2vUPNjF.net
と言われてるけど真相は不明、ってか多分ガセ
関ヶ原戦役後で西軍の仕置、東軍諸将の恩賞査定に奔走してる家康がその最中に朝廷にも嘴入れてたらスーパーマン過ぎる
大体この時点の家康は只の内大臣、どうして誰を関白にするか決められるというのか
そんな力があったら真っ先に自分を将軍にしてるだろうに
五摂家が隙をみて家康に政治取引を持ち掛けたってのが真相だろう

714 :人間七七四年:2023/08/24(木) 14:56:44.40 ID:HcpuzcN5.net
>>711
そりゃあ最晩年の秀吉の依怙贔屓で自領の領地の分配を滅茶苦茶にされ、
秀吉の死でやっと望みの通りの分配が認められたと思ったら、
今度は家康によって輝元にとっては更に酷い更に酷い裁定を下されたわけだから。

惣無事令なんか従ってられるかふざけんなとなるのも仕方ない。

715 :人間七七四年:2023/08/24(木) 15:20:28.00 ID:cy0EJt1G.net
毛利参戦の原因も結局は秀吉
秀吉が始めて秀吉が終わらせる

716 :人間七七四年:2023/08/24(木) 15:28:43.91 ID:Jz+MsLXC.net
>>713
そもそも徳川との取引すらなく摂関家が独断でやったんじゃないかとすら思ってるけどね
何故ならこの時点で豊臣家側から関白を出そうとすると最有力候補が結城秀康になる
関白は16歳未満での就任前例がないので秀頼は無理(秀吉健在なら可能だったかもしれんが)
秀吉養子の秀秋は翌年死亡だからもうヤバい可能性が高いし、秀家は没落済み(行方不明)
宮様はいるけど、宮様推薦=秀康を推薦しないだから徳川に喧嘩を売るも同然、
関ヶ原後にそんな事をする勢力など、もういないだろ
要するにこの時点だと摂関家視点では徳川が潜在的敵勢力とみられてる可能性がある

717 :人間七七四年:2023/08/24(木) 16:12:06.05 ID:2/kB27Df.net
関白になるには五摂家出身かつ大臣就任歴が必要だから結城秀康は論外じゃない?
この時点では秀康は参議とかだった筈で官位が足りない
内大臣徳川家康、右大臣菊亭晴季を飛び越えて左大臣に就任出来る器かと言えば無理だろうし(ていうか親父に喧嘩売る事になるし)

718 :人間七七四年:2023/08/24(木) 17:41:34.27 ID:R4kvlm7e.net
家康の野心は見え見え
慶長16年に秀頼と会見した際にこう言ってるし
「亡き秀吉公の遺言では、お前が15歳になれば天下を渡す約束だったが、関ヶ原でこの家康を討とうとしたのは
紛れもなくお前である。だから約束を反故にされても仕方ないものと心得よ」(「慶長之記」)

これ酷すぎるだろ
当時数えで8歳の秀頼に家康を討てなんて判断ができたとはとても思えん
明らかに家康の野心が見え見え
豊臣家を守るとか、秀頼を守るとかなんか鼻からないだろ

719 :人間七七四年:2023/08/24(木) 18:17:03.19 ID:7HMGyCEg.net
西軍の失敗は真田信幸が裏切っている事を昌幸含め誰も気付かず味方と思い込んでいたことつまり前提が崩壊していることに気付かなかったこと
西軍と上杉の協働が不可能になったこと、信幸が送ってくる西軍の情報で徳川は戦略的有利を掴んだ
美濃に一万と少しでは反徳川勢力はしらみ潰しにされまた当主に睨まれて動けず粛清されるのみ
最初から上杉との協働を期待せず主力を徳川に向けていれば何か変わったろうが

720 :人間七七四年:2023/08/24(木) 18:17:11.56 ID:cy0EJt1G.net
>>718
慶長之記ってどこの史料よ
文章内容からいっても後世の創作としか思えん

721 :人間七七四年:2023/08/24(木) 18:40:03.08 ID:HcpuzcN5.net
>>718
そもそも論として、守る必要がどこにあるんだ?
徳川から見たら、そもそも豊臣は敵。
これは上杉、毛利なんかにも言えるけど、直接敗れた(従わざるを得なかった)秀吉が死ねば、従う義理なんてなくなる。

ましてや厚遇してるならともかく、転封を食らった徳川と上杉に、生命線たる瀬戸内の水運と石見銀山を取り上げられた毛利。

数少ない秀次を自刃させた時点で豊臣家は終わったんだよ。

722 :人間七七四年:2023/08/24(木) 19:04:10.92 ID:CwAw2SpA.net
家康は秀頼に豊臣公儀は返してあげてる
秀頼が関白になれば公儀になれたろう

723 :人間七七四年:2023/08/24(木) 19:07:31.68 ID:Jz+MsLXC.net
>>721
まあ徳川は秀吉が事実上政権2番手の地位を与えたから、政権内での権勢拡大はともかく、
政権崩壊を無理に狙う必要はないだろう、豊臣政権が徳川の権威を保証している限りは、だが
言うまでもないが西軍による関ケ原の挙兵はその前提をぶっ壊した訳で
徳川がいくら豊臣を盛り立てようが、(専横しようが)それが徳川の御家安泰にならないのなら
そりゃ徳川は身の振り方を考えるわな、まあ反家康派にも言い分はあるだろうけど、
豊臣御為だか何だか知らんが随分と浅はかな事をしてくれたものだよ、西軍は

724 :人間七七四年:2023/08/24(木) 19:10:41.75 ID:Ee1uuTae.net
>>708
清正の書状によると義久も忠恒も我関せずみたいな態度取ってるけど、宇土城の後巻として佐敷表まで
島津忠長や新納忠元を派兵してるじゃねーかと詰ってるから清正は義久らを西軍と見做してたことが分かる

725 :人間七七四年:2023/08/24(木) 19:25:13.49 ID:Ee1uuTae.net
>>712
家康が奏請して九条兼孝が関白再任したって九条側の史料(兼孝公記)にはあるけど他の史料にも同様の記述はあるのかね

事実なら徳川方の史料に残っててもいいはずなんだけど当代記や徳川実紀にもないとこ見ると微妙

726 :人間七七四年:2023/08/24(木) 20:05:59.39 ID:TuLoja4A.net
>>705
秀次事件と内府違いの条々は全く性質が違うんだよなぁ
利休にせよ秀次にせよ奉行がやったのは謀反の疑いを公儀たる秀吉に通報しただけ。それが奉行の職権内かは兎も角おかしな話ではない
内府違いの条々は奉行が公儀の命令を領主に伝えたもの
つまりこの二つは方向が全く違う、当然性質も違う

727 :人間七七四年:2023/08/24(木) 22:09:11.73 ID:/bK9o2x7.net
利休は謀反の疑いなのか?
利休にそんな兵力はどこにも無いのに、信じた秀吉もどうかしてるよ

728 :人間七七四年:2023/08/24(木) 22:47:43.96 ID:h9a5D7tq.net
同時代人も同じこと思ってたから当時から利休と秀次の謀反については懐疑的な意見が多かった

729 :人間七七四年:2023/08/25(金) 06:57:04.31 ID:en8U21Fg.net
集団摘発案件、逮捕案件

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730 :人間七七四年:2023/08/25(金) 10:21:35.67 ID:dM4XRNJ+.net
奉行ってのは基本中間管理職だからトップの尻拭いをさせられる結構哀れなポジション

731 :人間七七四年:2023/08/25(金) 11:30:23.35 ID:GpHPbXx9.net
人手が足りなかった秀吉は信長が鍛えてた近臣をそのまま雇用したけど既に自前の家臣団がある家康には秀吉の奉行衆は必要なかったんだな

732 :人間七七四年:2023/08/25(金) 12:26:26.17 ID:q2M87xvL.net
>>731
増田、前田玄以もお咎めこそないけど一瞬で政権中枢からはずされて
それで何か滞ったような感じもないもんね
不可欠な存在だと思ってたのは本人たちだけで、実はたいした仕事してなかったのかも

733 :人間七七四年:2023/08/25(金) 12:41:24.33 ID:FfNr3WbL.net
増田は改易されたのに前田だけお咎めなしなん?

734 :人間七七四年:2023/08/25(金) 13:26:22.48 ID:dM4XRNJ+.net
表向きには既に病で重篤だったから
らしいが

735 :人間七七四年:2023/08/25(金) 15:51:22.58 ID:tUdYVV3u.net
よく勘違いされるが、当時の家康は秀頼の立場を比較的尊重しており、物・人形のような扱いをすることを避けていた
そのため勝手に秀頼の意思を騙ったり、自分が公儀だと名乗ったり、抱きかかえて威張り散らすような真似をしなかった
家康の善意によって豊臣はかろうじて政権としての立場を保つことができたが

逆に西軍は秀頼を公然と物・人形の扱いをして軽んじる路線を取ってしまった
勝手に秀頼の意思を騙り、自らを公儀そのものと言い放ち、秀頼を無意味な傀儡に過ぎないことを見せつけたことで
豊臣の権威は崩壊して、かろうじて保っていた政権の体裁も失った

たとえ西軍を討伐しても西軍が生み出した豊臣軽視主義を取り除くことはできず
豊臣政権は西軍によって滅ぼされることになった

736 :人間七七四年:2023/08/25(金) 15:57:52.81 ID:kwTuT1B8.net
>>732
奉行というのは15年間人材の入れ替わりも何もない閉鎖的で硬直化した集団だった
こういう集団は官僚としての体をなさず特権階級意識だけが肥大化していく
そのため奉行連中はたいした仕事をしないばかりか豊臣の権威で威張り散らすことが仕事になる
奉行の肥大化した特権階級意識が暴走してできたのが西軍だった

737 :人間七七四年:2023/08/25(金) 18:48:44.57 ID:gi4MEx3u.net
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1601/18-2-3/1/0077?m=all&s=0077

近衛信尹の日記、関ヶ原翌年の大坂城での年頭拝賀の記事
前も引用したやつだが、秀頼への取り次ぎが徳川秀忠だった
家康は病の床に臥せっていたので代わりに秀忠と拝謁した
取り次ぎは池田輝政だった
秀頼への取り次ぎこそ輝政であるべきで(先立つ朝廷への年頭挨拶の秀頼代行が輝政だった経緯もあるんだろう)、秀忠の取り次ぎは本多、榊原、大久保らであるべきじゃないか

秀吉、秀頼に恨みがあってもおかしくない信尹でこれ
朝廷と豊家、武家の関係はいまの常識で判断しない方がいい

前田玄以は秀頼への勅使の接遇役だったから温存されたと思われる

738 :人間七七四年:2023/08/25(金) 18:59:21.90 ID:tUdYVV3u.net
>>737
1601年の年始なら秀吉によって強制隠居に追い込まれていた五摂家の九条と近衛が関白と左大臣として復帰、鷹司は官位は上がっていないが関白と同じ権限を持つ「内覧」の権利を与えられることが内示されてるだろうしな
豊臣政権は崩壊したというのが朝廷の認識だろうからむしろざまあみろという気持ちだったかもしれん

739 :人間七七四年:2023/08/25(金) 19:36:52.40 ID:qA3qh+Rj.net
>>710
その前田上杉の次は云々てのも小説なんかでよくあるけどかなり恣意的な見方だよ

奉行は上杉征伐には何故か反対したけど前田浅野の疑獄事件はしっかり関与してる
史料によっては家康暗殺容疑をむしろ取り上げた立場で
それほどおおごとの容疑なのに家康は死者を出さず治めてる立場

いつ誰が吊し上げられるかわからないという危機感はあったかもだが
家康の陰謀てのはフィクションの中で何の史料もなく憶測で語られる内容だし
むしろ奉行こそ徳川→前田と次々に吊し上げてる側だし
奉行の政敵は豊臣忠義でも討つと誓紙だしてる毛利もその一味

740 :人間七七四年:2023/08/25(金) 19:43:51.60 ID:lav6nKMu.net
>>738
むしろ逆で、この日記で信尹は、簡単に言えば「秀頼の扱いが徳川無礼なり」と憤ってるんだよ
朝廷世界の住人だからこその考え方かもしれないが

秀頼から朝廷への名代が池田輝政(1月18日)
家康は「煩」(病気、狸寝入りかどうかはしらん)、名代の秀忠に取り次いだのが「秀頼名代格」の一大名、池田輝政
信尹はそんなの徳川の家臣から出せよと(1月29日)

ご指摘で気付いたが、信尹は少なくとも大坂城への勅使に立つ前か直前、同日付で左大臣に環任されてるんだな
徳川に恩を感じなかったのか、実は人事は豊臣主導だったのか
そこらは知らんので教えてほしい
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1601/18-2-3/1/0070?m=all&s=0070&n=20

ちなみに秀頼名代、輝政の18日来訪に信尹は「珍重珍重」

741 :人間七七四年:2023/08/25(金) 20:15:33.92 ID:NeNPrGmW.net
>>739
いや、仲間が次々とやられている、ってのは小説じゃなく一次史料、内府ちかひの一~三条に真っ先に記されている
要するに最も訴えたい箇所だよ

もっと直接的に書いているのはこの一連の書状
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-1/18/0060?m=all&s=0059&n=20

「如此一人宛(ずつ)被相果候ては秀頼様可被取立儀にあらす候て、各申談」
上記は真田昌幸への三奉行副状(7月29日)
輝元も宇喜多秀家も同趣旨の記述

これも前に引用した史料で、推論も繰り返しになるが、各個撃破されていくことへの恐怖が観てとれる
そのこと(決起)への善悪に触れるつもりはないが、「俺たちがいなくなると秀頼様を守れない」と強調しているということ

内府ちかひだと秀頼より秀吉遺訓が強調されている
まあここら辺の変遷も面白い

742 :人間七七四年:2023/08/25(金) 20:37:31.96 ID:GpHPbXx9.net
>>733
朝廷にコネがあることと、ただ秀頼を守る完全中立に徹したのがよかったとか言われている

743 :人間七七四年:2023/08/25(金) 20:50:30.06 ID:4HE8Lz3Q.net
輝元も青木一矩宛の書状では真田家文書の三奉行副状と同様の文言の書状を
送ってるし、西軍首脳が殊更強調したい部分だったことは想像に難くないな

7月27日付青木一矩宛毛利輝元書状
「殊更奉行・年寄一人宛被相果候てハ、秀頼様争可被取立候哉」

744 :人間七七四年:2023/08/25(金) 21:35:03.41 ID:1FdbcC0v.net
朝廷って一千年は権力闘争してた伏魔殿だからな
嫌な奴にブーイング浴びせるような分かりやすい真似しない
一見敬ってるように見せながら破滅する姿を嗤う
喩えるなら神輿に乗せて川に放り込む
秀頼なんて正にそれを喰らってる訳でそりゃ楽しかったろ

745 :人間七七四年:2023/08/26(土) 10:44:39.50 ID:yX7BaKPs.net
というか、西軍が勝つなら、東軍に勝たなきゃいかんのだけど……
西軍には核となる指導者、すなわち戦略家が全く皆無だったね
田辺城に兵を向けたり、四国に兵を向けたり
あんなところ後からどうにでもなったはずなのに
大津城は仕方ないけど

ところで田辺城に兵を向けたのは、もしかして石田三成の私怨も含まれているのかな?
真田宛の三成書状で忠興に対して遺恨があるとか書いてるし、細川をかなり恨んでいたみたいだから

746 :人間七七四年:2023/08/26(土) 11:02:16.51 ID:JXkhSJZP.net
皆1戦で全部が決まるなんて思ってなかったってことよ

747 :人間七七四年:2023/08/26(土) 12:22:00.93 ID:yX7BaKPs.net
>>746
それはさすがに甘くないか?
秀吉は賤ケ岳、山崎、根白坂、山中城とどこかで必ず一戦して決めたとまではいわないが、その後の流れを完全に
掴んでしまっている
三成は秀吉の下で何を学んでいたのか?

748 :人間七七四年:2023/08/26(土) 12:34:09.15 ID:3udpxH2D.net
>>747
上にあるように、三成に主導権はなかったんでしょ。

ただ、西軍にとっての誤算と言うなら、まともに1戦もせず負けてしまったこと。

いわゆる関ヶ原の合戦は、戦う前から敗走しての撤退戦・追撃戦でしかない。

749 :人間七七四年:2023/08/26(土) 13:24:15.31 ID:A0cPrvU4.net
そもそも地理的に近い大名が前線を負担するのが当時のルール
だから朝鮮出兵は西国大名が前線を負担して、東国大名が後方支援だった
西軍が東進するなら地理関係は逆転して、西国大名が後方支援担当になる
自分の意思で前線に行くことは自由だが強制される謂れはない
だから毛利など西軍の西国大名にはそもそもまともに1戦をする義務はなかった
まともに1戦をする義務があった石田・大谷など東側にいる大名が悪い

750 :人間七七四年:2023/08/26(土) 14:43:46.03 ID:3udpxH2D.net
>>749
いうても西国大名たる毛利は、輝元が大坂城にいたとはいえ、伏見、大津、伊勢と他の戦線全部に展開し、
関ヶ原にはその上で家康より先に着陣して南宮山に陣を構えるまでの積極的な動きをしている。

そう考えるとやはり西軍の主力は毛利で、三成達には足止め程度しか期待されてなかったんでしょう。
で、いざ決戦かと思ったら西軍が大垣城から夜逃げして追撃戦・撤退戦の様相を呈したと。

751 :人間七七四年:2023/08/26(土) 15:09:32.20 ID:sGl39uKO.net
西軍は徳川が積極攻勢には出られない事を前提としてたから東軍先手衆があそこまで鋭く動いたことは想定外だったはず

まぁ徳川は真田昌幸から西軍の機密情報を貰ってたから当然の成り行きなんだが

752 :人間七七四年:2023/08/26(土) 21:25:18.28 ID:LJgGvZ3I.net
関ヶ原で決戦の絵図を引いた家康の勝ち
当時の誰もが戦争の終結は大坂城攻めでその為の佐和山攻め、の為の大垣攻め、の為の岐阜攻めって認識
大垣攻めで西軍主力を砕いて毛利を降伏させた事で天下人になった

753 :人間七七四年:2023/08/26(土) 23:04:29.63 ID:x9dyGTLH.net
後付け軍師はもうお腹いっぱいだよ
書き込みのほぼそれだもんな

754 :人間七七四年:2023/08/27(日) 00:53:37.76 ID:OfLwg3u3.net
少なくとも関ヶ原に家康が出張ってきたのは勝算立っての事
秀忠も来てないのにわざわざ危ない橋を渡る必要性も無い
様子見で十分やしな 

個人的妄想だと小早川か吉川が家康呼んだまであるぐらいだと思ってる
体裁悪いから書状等は残ってないだけで

755 :人間七七四年:2023/08/27(日) 08:08:56.72 ID:11/b/K5N.net
大垣決戦なら家康の、もっと言うなら毛利(西軍ではない)の絵図にもあったと思うが、関ヶ原での合戦は完全に想定外だと思うぞ?

後知恵と言われようと、あそこで大垣城捨てた挙げ句、近江まで逃げ切りもせず半端に関ケ原に留まるなんて、
そんな自殺行為に等しい馬鹿な行動を予測しろという方が難しい。

小早川秀秋の裏切りで兵糧が断たれるからと言う論もあるけど、近江にいた毛利元康や立花宗茂等を当てれば良かっただけのこと。

756 :人間七七四年:2023/08/27(日) 08:25:08.17 ID:ii00ygyq.net
徳川家康が赤坂に到着したその日に小早川秀秋が大垣の補給路を押さえる松尾山を武力制圧なんて偶然の筈が無いからな
味方の拠点を命令を得ずに奪取するなんて言い訳の余地無く裏切りなんだから吉川家文書の言う通り秀秋の裏切りは明らか
でそんな危険な行為を何の保証も無くやるか?下手すりゃ敵地のど真ん中で孤立するのに?

757 :人間七七四年:2023/08/27(日) 11:28:10.24 ID:tsxLgh8g.net
>>755
松尾山が取られたってことは黙っていたら垂井の東軍先手衆が山中を占拠するので絶望的
そうなったら西軍には輝元出撃しか勝ち目は無いが輝元が来るまでに大垣が保ってる保証は無いぞ

758 :人間七七四年:2023/08/27(日) 11:56:24.16 ID:mAJJCbF/.net
大坂の陣の頃と違って毛利が腹括って秀頼と大坂城に籠城したらどうとでもなったよね

759 :人間七七四年:2023/08/27(日) 13:53:15.55 ID:11/b/K5N.net
>>757
垂井の軍が山中を取る≒西進するなら、それこそ、その後方を突っつけるわけで。

俗説で散々言われきた、「毛利吉川が東軍の背後を突けば勝てた」を、西軍のほぼ全軍で実行できるわけだ。

関ケ原付近の山中を抑える意味は、あくまで関ケ原を通過する軍に攻撃を仕掛けられるというだけ。
大垣にいる分には、あるいは佐和山まで引く分には殆ど意味をなさないどころかただの遊兵。

補給路にしたって少し時間はかかるが伊勢路があるし、というかそうでなけりゃなんで伊勢方面に進軍したんだって話だ。

760 :人間七七四年:2023/08/27(日) 14:26:23.77 ID:c2mR+sBk.net
できなくね?
山中の裏を突く道がない

761 :人間七七四年:2023/08/27(日) 15:38:49.46 ID:OfLwg3u3.net
毛利が大坂城に篭もっても無意味だろ
大坂城は放置で周りの西軍支持勢力を潰していくだけ
当時の価値観でも毛利が支持される事は無いだろな
内心でも徳川が同情されこそすれ豊臣が批判される世界線だと思うぞ

762 :人間七七四年:2023/08/27(日) 20:46:26.36 ID:2wPGkoFO.net
大垣は割と近江方面を悲観的に見てたんじゃないか。秀秋が近江から来てるんだから
それにしても関ヶ原から佐和山まで逃げたって話が無いし
松尾山から降りた小早川軍と東軍に塞がれて突破出来なかったのかもしれないが石田三成すら佐和山を目指してない

763 :人間七七四年:2023/08/27(日) 21:50:55.95 ID:11/b/K5N.net
>>762
本当にそれが謎なんだよなあ。
小早川秀秋は、石田三成らが関ヶ原を抜けられそうな位置に来ても、まだ山を降りていない。
そのまま進めば西軍は南宮山勢を除いて普通に近江に戻れたはず。

なのにわざわざ挟まれる上に伊勢方面にも逃れられない地点で停止して挟撃を受けている。

764 :人間七七四年:2023/08/27(日) 21:54:16.17 ID:ApYcBEtV.net
関ヶ原に布陣するのは南宮山落とさないと大垣が完全に詰んでしまう以上仕方がない
決戦で負けて佐和山に逃げてないってのは近江は東軍の手に落ちたと判断したのか

765 :人間七七四年:2023/08/27(日) 23:30:02.47 ID:11/b/K5N.net
>>764
いや、味方の南宮山を落としちゃ駄目でしょ!
それはそれとして、大垣が詰むもなにも、城に火を放って大半が退去した時点で大垣を守る気はないわけで。

766 :人間七七四年:2023/08/28(月) 07:06:20.51 ID:/BhpKOKl.net
吉川家文書だと秀秋は大垣衆が山中に行く前に裏切りが明らかになったとある
何故かと言えば松尾山を占領したから
秀秋は当時行方不明で西軍の指示に従って無かったのが突如十四日になって城主を追い出して松尾山を奪った
これはどう見ても裏切りなんだが西軍に何が出来るかと言われると急いで松尾山を奪い返すくらいしかできない
佐和山には全く兵が居ないしそもそも連絡に行けるかも不明、その上大垣は糧食不足に苦しむ始末増援が来ると言っても何日掛かるかも予想出来ん

767 :人間七七四年:2023/08/28(月) 07:26:43.77 ID:+FzGAdVb.net
仕方ないんだけど、大津の京極が東軍方になったからそっちに兵を割いたから
兵力は低下してるし、大津が陥落したのはまさに関ケ原当日なんで一四日だとどうにもならんな
かと言って、援軍待ちの選択を取るには東軍が近すぎる、秀秋の制圧タイミングが絶妙すぎる

768 :人間七七四年:2023/08/28(月) 09:08:21.08 ID:Kw0APkUc.net
しかも同日に家康到着で兵力でも完全に東軍優位正に絶体絶命
大垣を捨てて逃走しようにも南宮山の毛利を逃さないといけなくて大垣衆が殿だし

769 :人間七七四年:2023/08/28(月) 12:38:16.39 ID:OAJch/Wy.net
逃げるとして東軍が追撃してきたらどうすんの問題もある
どっかで決戦するしかないけど大垣以上の好立地があるかは不明
仮に大敗したら残る拠点は大坂城のみで絶望的な戦いが始まるし
それこそ毛利領は東軍に侵食されるだろうなぁ

770 :人間七七四年:2023/08/28(月) 16:18:35.34 ID:S/silih5.net
ttps://adeac.jp/ube-city-boe/text-list/d200050/ht000180
条数案をちゃんと読んでいるんだか
上記はプロが翻刻したものだから、誤字はあるが基礎史料にどうぞ

771 :人間七七四年:2023/08/28(月) 17:21:56.13 ID:flx621Uu.net
>>769
逃げるなら、史実でも東軍が追撃する前に関ケ原、それも北国街道まで抜けられているのに、何故かそこで停止。

決戦なら、一応は前面に城、その後背地に城兵より多い援軍という後詰決戦の形が出来ているのに、
そこで決戦せずに、山の反対側で後詰めが機能不全になる関ケ原で決戦する意味不明。

772 :人間七七四年:2023/08/28(月) 18:35:20.95 ID:GH3yq9Gi.net
松尾山の小早川秀秋が敵なんだからそこを突破するのは非常に難しい
まず松尾山攻めをして小早川軍を追い落とさないと話にならない
家康が到着してる以上時間も無いし

773 :人間七七四年:2023/08/28(月) 20:24:36.13 ID:rpEl5e/Z.net
>>772
https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

こちら見たんだけど、どちらが正しいのかな?

小早川秀秋は開戦と同時に裏切った。これが事実なら石田たちが転進して小早川と同陣してて開戦して裏切られたことになる
ところが、小早川秀秋の裏切りが明らかになったので、それを討伐するために石田たちが向かったともある

どちらが正しいんだろ?

774 :人間七七四年:2023/08/28(月) 20:28:04.11 ID:FClMuxzR.net
秀秋が裏切って無いなら大垣城から出撃する理由も無いし決戦開始から一時間で壊滅した理由もわからなくなる

775 :人間七七四年:2023/08/28(月) 20:33:40.73 ID:+FzGAdVb.net
普通に考えればいくら当初伏見攻めに参加したとはいっても、その後西軍のいう事をロクに聞かず
ふらふらして行方不明レベルの状態になった挙句、西軍の兵が駐屯していた
松尾山から兵を追い出して居座るような奴を、西軍側が味方認識していたとか
どう考えてもおかしい、味方であると思える理由はなんなんだ

776 :人間七七四年:2023/08/28(月) 20:54:49.42 ID:rpEl5e/Z.net
秀吉の義理の甥で養子として事実上跡継ぎと目されていた時期もあったし、その点はやはり味方と見れるんじゃないの?
小早川は一応毛利両川だし、秀包の義弟になる
大垣城は垂井や赤坂に東軍が来てる時点でもう詰んでます。あのまま立て籠もってたら西軍は自滅するだけ
9月12日の三成の書状を見る限り城内にそこまで兵糧があったのかも怪しいし
それなら松尾山にいる秀秋と協力して一戦やろうと考えたのでは?

777 :人間七七四年:2023/08/28(月) 21:10:17.51 ID:pdZPgWVU.net
九月十二日石田三成書状には噂として伊勢への命令を無視したさる大軍の主が西軍を裏切って近江からやってくる云々とあってぶっちゃけ小早川秀秋を糾弾してる
わかっちゃいたが止められるものじゃなかった

778 :人間七七四年:2023/08/28(月) 21:39:00.06 ID:flx621Uu.net
>>772
松尾山は確かに厳しい。中山道の通過も横腹を突かれる危険がある。
が、入りかけていた北国街道を抜けるなら小早川秀秋の妨害は受けずに済む。

時間をかければ垂井から東軍が来るのも分かりきっているのに、なぜあんな所で停止して戦端を開いてしまったのか。

779 :人間七七四年:2023/08/28(月) 21:53:29.12 ID:NiyjQ8iz.net
前提として西軍は大垣・南宮山・佐和山で線を引いてここで東軍を迎え撃つことにした
ところが松尾山を東軍・小早川秀秋に獲られた、ここで大垣・佐和山の線が絶たれて絶体絶命
問題は毛利軍が南宮山に入っていたことでこれでは毛利は素早い展開が出来ないつまり逃げられない
大垣衆だけが逃げるなら伊勢に逃げれば良いけどそうなると南宮山の毛利軍は皆殺しにされるしそれを輝元が喜ぶとは思えない
だから三成たちは逃げなかった、ところが毛利の方が逃げてしまった

780 :人間七七四年:2023/08/28(月) 22:45:40.67 ID:S/silih5.net
何が前提だよ

吉川の乗数案とその追進はネタの宝庫だ
これの検証したらいいんじゃないの
基本的に全部信じていいと考えいるが

781 :人間七七四年:2023/08/28(月) 22:58:08.15 ID:YuoAkyfa.net
日本は国土も狭いからな
追撃戦といっても短時間の掃討戦だしそこまでアドバンテージがとれんよ(士気の変化は大きいけど
ヨーロッパや中国など国土が広いと安全地帯まで撤退もままならずそのまま軍が壊滅まであるから和睦なくして撤退は無い事がほとんどだけれど

782 :人間七七四年:2023/08/28(月) 23:25:41.36 ID:o0qU7bhY.net
石田三成が戦下手だから、で済む話じゃないの?
赤坂と垂井に東軍に進出されてから有効な手段を全然とってないまま20日間近くも何してんだと思うし
赤坂垂井に東軍が来た時点なら、まだ小早川秀秋は内通までに至ってないし、大津城も裏切ってない
何で早く他の方面にいる西軍を呼び寄せないのかと思う
あの時点で後詰決戦なり、もう大垣城はダメだと諦めて松尾山に逃げるか、あるいは近江まで突っ走るかくらいはやるべきだったと思うが

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