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石田三成の挙兵 ★6

1 :人間七七四年:2023/07/01(土) 17:55:14.09 ID:pp0jbPin.net
石田三成が上杉討伐で挙兵をしない、もしくは合戦
勃発後に挙兵していたらどうなっていたか。
※前スレ
石田三成の挙兵
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1646589302/
石田三成の挙兵 ★2
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1659567400/

石田三成の挙兵 ★3
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1667713567/

石田三成の挙兵 ★4
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1675638266/

石田三成の挙兵 ★5
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1681718599/l50

774 :人間七七四年:2023/08/28(月) 20:28:04.11 ID:FClMuxzR.net
秀秋が裏切って無いなら大垣城から出撃する理由も無いし決戦開始から一時間で壊滅した理由もわからなくなる

775 :人間七七四年:2023/08/28(月) 20:33:40.73 ID:+FzGAdVb.net
普通に考えればいくら当初伏見攻めに参加したとはいっても、その後西軍のいう事をロクに聞かず
ふらふらして行方不明レベルの状態になった挙句、西軍の兵が駐屯していた
松尾山から兵を追い出して居座るような奴を、西軍側が味方認識していたとか
どう考えてもおかしい、味方であると思える理由はなんなんだ

776 :人間七七四年:2023/08/28(月) 20:54:49.42 ID:rpEl5e/Z.net
秀吉の義理の甥で養子として事実上跡継ぎと目されていた時期もあったし、その点はやはり味方と見れるんじゃないの?
小早川は一応毛利両川だし、秀包の義弟になる
大垣城は垂井や赤坂に東軍が来てる時点でもう詰んでます。あのまま立て籠もってたら西軍は自滅するだけ
9月12日の三成の書状を見る限り城内にそこまで兵糧があったのかも怪しいし
それなら松尾山にいる秀秋と協力して一戦やろうと考えたのでは?

777 :人間七七四年:2023/08/28(月) 21:10:17.51 ID:pdZPgWVU.net
九月十二日石田三成書状には噂として伊勢への命令を無視したさる大軍の主が西軍を裏切って近江からやってくる云々とあってぶっちゃけ小早川秀秋を糾弾してる
わかっちゃいたが止められるものじゃなかった

778 :人間七七四年:2023/08/28(月) 21:39:00.06 ID:flx621Uu.net
>>772
松尾山は確かに厳しい。中山道の通過も横腹を突かれる危険がある。
が、入りかけていた北国街道を抜けるなら小早川秀秋の妨害は受けずに済む。

時間をかければ垂井から東軍が来るのも分かりきっているのに、なぜあんな所で停止して戦端を開いてしまったのか。

779 :人間七七四年:2023/08/28(月) 21:53:29.12 ID:NiyjQ8iz.net
前提として西軍は大垣・南宮山・佐和山で線を引いてここで東軍を迎え撃つことにした
ところが松尾山を東軍・小早川秀秋に獲られた、ここで大垣・佐和山の線が絶たれて絶体絶命
問題は毛利軍が南宮山に入っていたことでこれでは毛利は素早い展開が出来ないつまり逃げられない
大垣衆だけが逃げるなら伊勢に逃げれば良いけどそうなると南宮山の毛利軍は皆殺しにされるしそれを輝元が喜ぶとは思えない
だから三成たちは逃げなかった、ところが毛利の方が逃げてしまった

780 :人間七七四年:2023/08/28(月) 22:45:40.67 ID:S/silih5.net
何が前提だよ

吉川の乗数案とその追進はネタの宝庫だ
これの検証したらいいんじゃないの
基本的に全部信じていいと考えいるが

781 :人間七七四年:2023/08/28(月) 22:58:08.15 ID:YuoAkyfa.net
日本は国土も狭いからな
追撃戦といっても短時間の掃討戦だしそこまでアドバンテージがとれんよ(士気の変化は大きいけど
ヨーロッパや中国など国土が広いと安全地帯まで撤退もままならずそのまま軍が壊滅まであるから和睦なくして撤退は無い事がほとんどだけれど

782 :人間七七四年:2023/08/28(月) 23:25:41.36 ID:o0qU7bhY.net
石田三成が戦下手だから、で済む話じゃないの?
赤坂と垂井に東軍に進出されてから有効な手段を全然とってないまま20日間近くも何してんだと思うし
赤坂垂井に東軍が来た時点なら、まだ小早川秀秋は内通までに至ってないし、大津城も裏切ってない
何で早く他の方面にいる西軍を呼び寄せないのかと思う
あの時点で後詰決戦なり、もう大垣城はダメだと諦めて松尾山に逃げるか、あるいは近江まで突っ走るかくらいはやるべきだったと思うが

783 :人間七七四年:2023/08/28(月) 23:35:18.75 ID:Ar1r70Qi.net
>>779
突っ込みどころ多すぎ……。
そんな前提、どんな資料にあったんだよ?
どんなバカならそんな意味不明な迎撃体制を取るのか、
仮に取ったとしてなんで佐和山に軍勢がいないし、大垣を捨ててるのか。

毛利云々以下は、もはや言いがかりにも等しいだろ。

784 :人間七七四年:2023/08/29(火) 07:06:30.91 ID:/WbaSB7x.net
>>783
史料と実際の配置からそう言うことになる
九月十二日石田三成書状から長束正家と安国寺恵瓊は南宮山に毛利軍を配置した上で西軍の食糧は近江から運ぶ事を決定した。既に垂井まで東軍が取ってるので使える道は佐和山からの道のみ、つまり佐和山・南宮山・大垣のこの線が西軍の防衛線になる
ただし三成はこれに複数の点で反対していた。例えば食糧は苅田で集めるべきだったとかそも南宮山に布陣したのはおかしいとか
ただ三成には毛利軍の指揮権は無いので長盛に苦情を言うくらいしか出来なかった

785 :人間七七四年:2023/08/29(火) 07:27:15.75 ID:qPznArHn.net
そう言えば、兵数関係って確定してるの?
なんか西軍、特に毛利勢の兵数がかなり盛られている気がしてならない。

1万石300人で計算すると120万石の毛利は3万6000人しか出せないはず。

毛利は山陽山陰8カ国120万石だから、毛利輝元だけではなく、吉川広家(14万石)や毛利秀元(20万石)、
大津攻めの大将の毛利元康(備後国、石高不明)の所領もこの120万石に含まれる。

大津攻めの小早川秀包のみ、別途九州久留米に7万5000石だから2000人強を加算できるけど、それでも3万8000人。

しかもこの頃は銀山と瀬戸内海の権益も秀吉に取り上げられていたし、なんなら朝鮮戦役に大量動員したあと。

防衛戦ならまだしも、俗説の大坂城含めて計6万人も遠征出来たとはとても思えないんだよね。

786 :人間七七四年:2023/08/29(火) 11:46:59.51 ID:Is7eIy1A.net
三成が苅田を主張なんて非常識、って言うけど
大垣城の真ん前に田畑有りますって状況じゃなかったらまず東軍が苅田狼藉に来るのは明らかなのでは?
しかも収穫しないといけない西軍と小便引っ掛けるだけで儲けの東軍では難易度が違う
三成の言う通りとっとと苅田しないとマズいと思うのだが

787 :人間七七四年:2023/08/29(火) 14:35:30.36 ID:EBx6wwcB.net
三成に主導権あったなら東軍先発隊4万以上が清洲に到着した8月14日から岐阜城攻撃のために移動する22日まで一週間の猶予があるのに2万しかいない美濃にほぼ援軍来ないなんてあり得る?

この間、16日には先発隊とは別の市橋長勝徳永寿昌横井時泰らが福束城を攻略
19日には市橋徳永らが高須城高木盛兼、駒野城高木帯刀、津屋城高木正家を攻略
と東軍の攻勢が全く抑えられてない

岐阜城攻撃までに来た援軍は20日に大垣に到着した島津義弘隊1000人のみ

俺が三成なら助けて!て味方に手紙送りまくるよ

788 :人間七七四年:2023/08/29(火) 14:40:29.29 ID:Is7eIy1A.net
親友の大谷吉継を能登に配置する采配も解せない
そりゃ前田は強敵だろうけど一番厚くしたい美濃方面に置かないなんてあるだろうか

789 :人間七七四年:2023/08/29(火) 14:59:45.37 ID:3qsjzr6y.net
9月14日時点では赤坂夜襲案くらいしか手がない。
あと鳴海上陸作戦案。
なので、岐阜城後詰決戦案が一番可能性がある。

790 :人間七七四年:2023/08/29(火) 17:49:56.91 ID:eJe27tcB.net
岐阜城は竹ヶ鼻が落ちて東軍の攻撃方法が増えていた事と西軍の倍以上という圧倒的兵力差が併さって打つ手が無い
もう少し兵がいればね

791 :人間七七四年:2023/08/29(火) 18:21:01.91 ID:LxpgM+YT.net
>>741
いやだからそれがかなり恣意的でなんなら手前味噌で
どの口が言うんだって内容だって話をしてるんだが

前田浅野らはこれまで自分らを弾劾してた連中が
「それは徳川のせい」とか言い出してふざけるなってなったろね
ていうかそりゃ西軍支持なんて広がらんよ

792 :人間七七四年:2023/08/29(火) 18:43:34.35 ID:azzSMHiM.net
まぁ仲間に正当性与える為の文書で敵が何考えようが気にしないものよ

793 :人間七七四年:2023/08/29(火) 18:50:52.70 ID:kyL7jdql.net
>>791
君の想像は知らんがな
一次史料では各個撃破を怖れていた
小説は知らん
各個撃破が本音だったろうねと個人的には妄想するがね
なんで一次史料無視すんのかね

794 :人間七七四年:2023/08/29(火) 19:01:01.42 ID:kyL7jdql.net
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-7-2/24/0080?m=all&s=0079&n=20

8月8日付のこいつの真偽はいかん
一連の吉川家文書について、これが真なら価値があろうと

795 :人間七七四年:2023/08/29(火) 19:28:22.82 ID:v7nhEd3W.net
輝元や三奉行の言い分を真剣に受け取るのは危険だと思う
仮に本当に家康に潰されるかもと思ってたら打倒徳川に全力を出すだろう、何故なら家康を倒さないと身が危険なんだから
それを蔑ろにした挙句の敗北、と考えると何らか欺瞞が混じってるのは明らか

796 :人間七七四年:2023/08/29(火) 19:33:53.46 ID:sZ3JJEXM.net
>>794
黒田家文書の8月8日付黒田長政宛本多正純書状に
「御使者并御一ツ書之趣、懇申聞候、何も理相済候而、御使者返申候」とある

更に同日付の黒田長政宛本多正純条書の一条目に
「従吉川殿御口上之段、一々披露候、様子之儀者、御使者へ申渡候事」ともあり内容は矛盾していない

この二通は家康書状の副状で、家康書状は吉川に送達して正純の二通の副状は長政が手元に残したんだろうね

797 :人間七七四年:2023/08/29(火) 20:15:09.64 ID:kyL7jdql.net
>>795
なにが危険なのよ?
一次史料で連中が強調していたところですね、って指摘なのに
本心だかは分からんから個人的な妄想では本音と書いた
あとから結果を知った人間がパズルしても意味がないよ

798 :人間七七四年:2023/08/29(火) 20:20:51.69 ID:3zyivkK2.net
上で毛利の兵数に疑問を呈したのだけど、根拠とも言えない与太話がある。

自分の先祖、元はで三村氏配下の、国人とも呼べない土豪だったんだけど、
備中騒乱で毛利に降ったあと、毛利の戦に駆り出されてるのな。
当主や一族が出なくても、村人何人出して何人死んだ、褒美に何を貰った、
なんてのが、写しの写しみたいな感じで江戸時代後期に巻物にまとめられている。

西国之役(九州攻め)や東国之役(小田原攻め)、朝鮮之役(朝鮮出兵)、
それと慶長19年に松山に招集があった(多分大坂の陣?)との記載はあるのに、
関ケ原のあたりで村人を何人出したとか、何人死んだとか、ましてや褒美があったという記載がない。

ということは、関ケ原の時に毛利は根こそぎ動員はしてないのではないかなと。

ちなみに名古屋(名護屋城?)で秀吉に弓3張の褒美を貰ったのでそれをうちの家紋にしたとあったけど、
秀吉に貰ったとか絶対にフカしてるか、江戸時代後期の創作っぽいんだが。

799 :人間七七四年:2023/08/29(火) 20:24:37.85 ID:kyL7jdql.net
>>796
おお詳しくありがとう
やはり吉川の一連の書状は史料批判した上でなんだろうが、かなり有用と感じる
いつも史料を感謝感謝

800 :人間七七四年:2023/08/29(火) 20:31:51.29 ID:kyL7jdql.net
>>798
与太どころかとても貴重な話だと思います

801 :人間七七四年:2023/08/29(火) 20:50:16.93 ID:HPlbLvNr.net
>>798
面白いお話
関ケ原では毛利も吉川広家あたりが会津征伐に従軍予定だったといわれてるけど備中あたりはどうだったんだろう

802 :人間七七四年:2023/08/29(火) 22:10:38.78 ID:EBx6wwcB.net
三成の出した兵力表に幼少の秀就が一万率いてるとか書いてあるけど所在地不明で信憑性ないよな

803 :人間七七四年:2023/08/30(水) 08:08:59.25 ID:mtjsULo5.net
毛利と徳川の石高なんて過少申告してたのでは

804 :人間七七四年:2023/08/30(水) 08:32:37.81 ID:vmbdTtZl.net
>>798
根こそぎ動員なんかしたら家康にばれるはずだが
7月中旬以降にそれをやったのかねえ

だとしたら、練度の低い兵士が多いだろうから、伊予三津浜で無様な大敗をしたのも頷けるな

805 :人間七七四年:2023/08/30(水) 09:02:01.95 ID:vmbdTtZl.net
関ヶ原って確か旧暦9月15日、新暦だと10月23日だよな
三成が苅田を言い出したのが3日前だから、10月20日
その時期だともう稲刈り取ってないとおかしいんだが、戦乱で刈り取ってなかったのか?

806 :人間七七四年:2023/08/30(水) 09:44:48.73 ID:nC360GXX.net
家康は輝元から「父と思う」なる起請文を得て輝元への警戒は非常に薄かった
それに幾ら家康が伊賀者甲賀者のニンジャ部隊を組織していても全国津々浦々隅々までご存じって筈がないし

807 :人間七七四年:2023/08/30(水) 11:40:49.08 ID:a4pms3Aw.net
伊賀組御庭番服部半蔵、甲賀組御庭番水口鬼三太

808 :人間七七四年:2023/08/30(水) 12:03:56.83 ID:91zjsVlg.net
>>800
実は自分では殆ど読めなくて、亡くなった祖父に現代語訳したもらってた。
祖父は文字は読めるけど、戦史に詳しい訳でもないから、それで自分が歴史とてらしあわせた感じ。
草書で書かれているせいでまだ読めてない中盤以降、どこに持っていけば解読してくれるだろうか……。

>>801
その辺は記載がないんだよな。朝鮮出兵から大阪の陣の時期まで一気に飛んでるから。

>>804
毛利は石高的に3.6万人が限界
→根こそぎ動員しないと6万人に届かない
→毎回動員されたうちのご先祖が動員された形跡がない
→つまり兵数6万は嘘じゃね?根拠薄弱だけど……って感じ。四国も負けたのは普通に兵力不足では?

809 :人間七七四年:2023/08/30(水) 13:19:25.47 ID:rnoe6jxc.net
輝元が西軍総大将って事実を消す為に領国内の記録は徹底的に抹消したってだけでしょうね
てかそうでないと輝元のバカさが更に上がるし豊臣のアホさも際立つ

ていうか豊臣が西軍の首謀者だった可能性がまた一つ増えることに

810 :人間七七四年:2023/08/30(水) 13:36:21.60 ID:rEosxDxn.net
>>808
画像アップしてくれたら不完全ながら協力はできるぞ
ただまあ、伝え聞く範囲でも豊臣政権での動員の実態に村方から迫る一級史料(そこだけでも論文書けるな)
もしその史料がこれまで研究者や公的機関に認知されていないのなら、まずは地元の教育委員会に持ち込めばどうだろう
成立が新しいとか写しだとかは価値を毀損しない
磯田先生に持ち込んだらあなたの家系が映画になるかもしれないな

811 :人間七七四年:2023/08/30(水) 14:17:05.59 ID:vmbdTtZl.net
>>808
伊予三津浜で負けたのは完全に油断だと思う
加藤は主力率いて本州にいるんだから、留守の兵力なんてたかが知れてるし
まあ毛利軍も秀元、広家ら主力があっちだから指揮する奴らは二流だけど

812 :人間七七四年:2023/08/30(水) 16:07:46.05 ID:h4016MDi.net
秀頼の命令に加えて断ったら妻子まで皆殺しとまで言ってなお攻撃してくるとは思わなかったんだろうさ
特に讃岐阿波を容易く掌中に収めた後では

813 :人間七七四年:2023/08/30(水) 16:52:36.57 ID:qnygJbXe.net
>>806
甲賀弾正と伊賀のお弦
ソースはバジリスク

814 :人間七七四年:2023/08/30(水) 17:55:37.47 ID:FlLcBa25.net
>>773
どちらも正しい、小早川秀秋が東軍に内通したのはトップシークレットだったとすれば
秀秋は八月末から九月初頭に家康とコンタクトしていてこの時点で秀秋の東軍入りは決定、その後の動きも家康と打ち合わせされてた
ただ秀秋が裏切ったという話が知られたら如何に秀秋でも無事では済まない、何しろ既に西軍の指示に従ってないんだから秘密にするのは当然の話
だから九月十四日夜に大垣城から石田三成らが出撃した理由を知る人間は徳川家康とその側近しか居なかった。他の連中からは秀秋は戦闘中に裏切った様に見えた。秀秋が松尾山を奪った流れが見えてないんだから

815 :人間七七四年:2023/08/30(水) 18:01:50.37 ID:FlLcBa25.net
西軍視点だと秀秋は指示に従ってなく怪しいんだけどだから裏切りとは断定出来ない、ところが十四日に松尾山を奪取されて真実に気付く
味方の拠点を穏便とは言え占領した訳で言い訳は効かない、ここに秀秋東軍が確定する
このままだと松尾山近くの大谷隊が危険なので三成たちは出撃した
つまり秀秋裏切り(松尾山占拠)が見えてない者(東軍)からは秀秋は十五日に裏切ったように見え、秀秋裏切りが見えている者(西軍)からは十四日に裏切ったように見えたと

816 :人間七七四年:2023/08/30(水) 22:10:13.38 ID:lISoSwZo.net
>>740
これって豊臣を下にみてるんじゃないの?解釈次第だろうが
秀頼なら池田で良いけど徳川なんだから本多辺りってことは信尹は池田ひいては豊臣を本多以下に見てる
「俺が来てるのにあんなチンピラに応対させるのか」ってことだろう
少なくとも家康が秀頼の統制から外れてるとは認識してる

817 :人間七七四年:2023/08/30(水) 23:45:39.44 ID:rEosxDxn.net
>>816
悪いけど解釈次第じゃない
こんなの基礎の話でしょ

818 :人間七七四年:2023/08/31(木) 06:48:48.06 ID:OyKwqRAn.net
REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担

819 :人間七七四年:2023/08/31(木) 07:01:30.54 ID:+d/SXCRW.net
秀頼なら三左衛門でもいいがここは本多榊原大久保であるべき
ってことは三左衛門みたいな下っ端を使うなよって話か
貴族らしい嫌らしさあるな

820 :人間七七四年:2023/08/31(木) 09:12:44.20 ID:eEmq64AD.net
輝元の野望は秀吉に奪われた瀬戸内海権益の奪取なんだろうが
四国制圧を狙う長宗我部のことをどう考えていたんだろうか
主を無視して長宗我部軍に命令出してたみたいだから軽視してたのは間違いないらしいが

821 :人間七七四年:2023/09/01(金) 21:42:00.49 ID:GSPiOZsf.net
三成がどんなに頑張っても無理

822 :人間七七四年:2023/09/01(金) 22:02:00.69 ID:CKQ4f+zm.net
知勝有五、知可以戰、與不可以戰者勝、識衆寡之用者勝。上下同欲者勝、以虞待不虞者勝、將能而君不御者勝

戦いに勝つには五つの大事な要素があるよ、よく覚えておいてね
攻めのタイミングを逃さずに攻撃しろ、引き際を間違えちゃダメだぞ
数的有利を作れ
上から下までみんなの目的を一つにしろよ
はかりごとで相手のスキをつけ
あと、一回出撃させたら指揮官を信じろ、偉いやつが後からゴチャゴチャ言うんじゃねえ

昔の偉い人のお言葉ですよー
試験に出ますからねー

823 :人間七七四年:2023/09/01(金) 22:39:07.94 ID:IpdzDVjq.net
家に史料持ちニキは嘘マツだったのか?
残念だねえ

824 :人間七七四年:2023/09/02(土) 11:23:15.43 ID:R9qM7Jdp.net
毛利輝元が真実120万石しか持ってなかったのかからして怪しいけど豊臣公儀を征服するっていう大戦で100石辺り200人とかで徴収してる筈がない
500.600人位は徴収して戦力配置してないと戦国大名としてどうなのって感じがある

825 :人間七七四年:2023/09/02(土) 12:48:59.75 ID:Z9Ngc8yg.net
三成は忠臣ゆえに敗れた

826 :人間七七四年:2023/09/02(土) 12:59:59.89 ID:EjYFj9lp.net
三成は西軍の総大将じゃないからな
兵力配分の決定権も無かったろう

827 :人間七七四年:2023/09/02(土) 13:59:57.36 ID:2JjOJe8g.net
>>825
忠臣といえば聞こえはいいけど、要するに秀吉時代の感覚が抜けていないだけ
いつまでも秀吉時代と同じように振舞って同じように命令できると勘違いしている
勘違いして偉ぶっているからスケープゴートとしては丁度いい人材だった

828 :人間七七四年:2023/09/02(土) 13:59:59.36 ID:2JjOJe8g.net
>>825
忠臣といえば聞こえはいいけど、要するに秀吉時代の感覚が抜けていないだけ
いつまでも秀吉時代と同じように振舞って同じように命令できると勘違いしている
勘違いして偉ぶっているからスケープゴートとしては丁度いい人材だった

829 :人間七七四年:2023/09/02(土) 17:29:06.14 ID:cgqN4N76.net
>>823
嘘松ではないけど、一応うちの本家の個人情報……ってか1500年代の情報って個人情報になるのか?
名字、正式には氏?が同じで、村名が今の字そのもので、個人に辿り着くかも?なものなんで、
ちゃんとしたところに聞くのはともかく、初手5chアップはできない。

なお、教育委員会と繋いでもらえるかもしれない市役所では、そういうのは扱っていない模様。

830 :人間七七四年:2023/09/02(土) 18:32:02.73 ID:4xTGhT25.net
>>829
もちろん上段は承知
役所によって違うが役所の代表電話にかけて、「文化財保護の担当に回してください」というだけだし、直通だって普通はネット上にも載ってるよ
いつか翻刻されるときを楽しみにしてます

831 :人間七七四年:2023/09/02(土) 18:56:28.64 ID:EjYFj9lp.net
三成が西軍に参加したのは七月末な訳だけど
それはより早いタイミングで三成に計画を伝えたらいけない理由があったことになる
佐和山が反三成派に監視されてたか三成に裏切られる可能性を考えたのか

832 :人間七七四年:2023/09/02(土) 19:57:41.24 ID:dABYSzcr.net
>>824
実際120万石で51500動員してる

833 :人間七七四年:2023/09/02(土) 21:08:48.18 ID:EjYFj9lp.net
戦国時代は一概に何万石だから何人って割り切れないところあるし
隠田の様な非公式な支配地域があって不思議じゃないし国家総動員体制を敷けば幾らでも徴兵できる
また財力や人脈等でパンプアップも出来る、信長公記だと長篠前に信長は十万の兵を使って戦争してるけどこの時の信長って三百万石くらいのはずで協力者がいたか傭兵したか
輝元は西軍総大将なんだから兵力をかき集めたのは自然じゃないか

834 :人間七七四年:2023/09/03(日) 07:49:05.53 ID:mNVKXy/n.net
毛利領には石見銀山があるし

835 :人間七七四年:2023/09/03(日) 08:41:10.76 ID:WpT3mEHE.net
>>832
毛利の動員は最盛期の200万石時代に、自領の上月城包囲戦(七難八苦のマゾヒスト)の時の6万人が最大じゃなかった?

しかも関ケ原の頃って石見銀山の所領こそ毛利だけど、権益は秀吉に取り上げられていたはず。
朝鮮出兵の費用は石見銀山で賄ったなんて話もあるくらいで。

まあ、関ケ原の数年後に周防長門を徹底的に検地したら30万石のはずが50万石を超えて、
幕府に色々洒落にならないので7割の36万石にしろなんて言われた話もあるが。

836 :人間七七四年:2023/09/03(日) 10:59:07.22 ID:d5DmQHnk.net
爺やガキ動員したところで食い扶持が増えるだけでコスパ良くない。
多けりゃいいってものではない。

837 :人間七七四年:2023/09/03(日) 11:22:28.72 ID:g1iNZ4c5.net
滅びるよかマシ

838 :人間七七四年:2023/09/03(日) 11:38:11.40 ID:bIgitpNz.net
2日で大坂に数万の毛利軍が船で行けるのかね?

839 :人間七七四年:2023/09/03(日) 12:37:01.93 ID:g1iNZ4c5.net
光成準治氏が考察してるが前々から計画を立てていたら可能とのこと
つまり潮流天候の記録を調査して最も安全な時期を策定してその時に大義名分である上洛要請書が届く事を前提に軍事準備をしておけば

840 :人間七七四年:2023/09/03(日) 12:52:03.00 ID:g1iNZ4c5.net
もう一つの可能性は大坂付近の毛利秀元が上洛要請書を受けて大坂城占拠したというもの
この場合秀元は輝元から事の次第を聞かされて準備していた事になり前から輝元が計画に関わっていたことになる
どのみち「公儀から要請されたから何となしに来た」っていうお人好しじゃないのは確か

841 :人間七七四年:2023/09/03(日) 13:11:46.44 ID:3I+ckJ0Y.net
>>839
それでも無理やろ。現代だって新幹線が容易に止まるのに、そこまで完璧な天候予測立てられるとかどんな謎技術よ?

どちらかと言うと出発日、到着日を誤魔化したり、書状の日付をずらしたりしてるのでは?
現代だった契約書の日付入れる時にはとっくに取引は終わったあととかあるやろ?

どっちにしても、毛利輝元は流されるどころかガチの主犯。その上で奉行衆を売って助かろうとしたと思うわ。

現代でいうなら、この間、関西電力が西の電力会社誘ってカルテル結んだ挙げ句、
いざ危なくなったら率先して国側に寝返って無罪放免になった、あんな感じの。

842 :人間七七四年:2023/09/03(日) 13:27:38.90 ID:g1iNZ4c5.net
輝元の手元に大坂三奉行からの上洛要請書(十二日付)が届いたのは十五日のこと
なんでかというと輝元は同日付で加藤清正に書状を送って三奉行からの要請書に触れた上でご丁寧に船で出発すると言ってるから
毛利軍が十七日に大坂城を制圧したのは確かなので残るのは大坂付近の毛利軍が制圧したのか船で大坂に行って制圧したのかの問題
おそらく漁師や船乗りを総動員して経験則から安全と踏んでの作戦だったんだろうけど
江戸時代に参勤交代で事故が起きた海路って話だから危険なことは間違いないが輝元的には無視できる内容だったのかもしれない

843 :人間七七四年:2023/09/03(日) 13:38:43.89 ID:QIKul5vS.net
>>842
それらの書状の処理一式を大坂城、もしくは木津の毛利屋敷でやったとは考えられない?

あるいはそう書いておけば、常識的には輝元が大坂城に来るのはもっと後だから、それがわずか2日で入れば兵数が少なくても完璧な奇襲になる。

計画から天候まですべて読んでいたよりはよほど説得力があるけど。

844 :人間七七四年:2023/09/03(日) 14:34:54.27 ID:qEui1dIV.net
加藤清正に宛てた書状があるからこれを完全に偽書と断定する証拠が無いと厳しい少なくとも現在の研究者は否定する根拠を見出せてない
瀬戸内海は荒れる危険な海だけど誰もそこで船を出せなかったと言う様なものでもない
地元の人間なら知っていたんだろう、とすればおそらく十二日に三奉行が上洛を要請したのもそこから逆算しての可能性がある

845 :人間七七四年:2023/09/03(日) 15:16:03.66 ID:ALYdp1YW.net
秀元、元康あたりは既に木津あたりにいたんじゃないの?
吉川安国寺はもっと先行してるんだし。
で、輝元の3000〜5000くらいが準備万端で待っていれば昼夜航行で大坂着くんじゃないの?

846 :人間七七四年:2023/09/03(日) 15:20:18.43 ID:qEui1dIV.net
仮に船を使ってなかったとすると一番あり得るのは大坂付近に兵を置いておいて十二日の上洛要請書と同時に毛利秀元にも書状を届け、然るべき日数の後大坂城を占拠に向かったということ
ただそれでも輝元の速度はかなり速いことになるのだが…どのみち輝元が裏で絵図描いてた首謀者なのは間違いない

847 :人間七七四年:2023/09/03(日) 17:05:58.88 ID:+tXzNK5A.net
輝元程度が家康に勝てると考えてる時点で終わってる
やはり政権末期にはろくな人材が一方にはいないよな
これはどこの歴史も同じ

848 :人間七七四年:2023/09/03(日) 17:48:41.81 ID:HN6DTBRQ.net
豊臣政権は始まったばかりやろ!

849 :人間七七四年:2023/09/03(日) 17:57:46.33 ID:fy+vt22P.net
>>847
それは結果を見て言ってるでしょ
輝元だって負ける未来を
知ってたらやらなかっただろう

850 :人間七七四年:2023/09/03(日) 18:17:06.08 ID:6a/JGQW/.net
家康は名護屋在陣もあったし西国を自分の目で見て肌感覚で万単位の兵力を上方まで移動させるとどうかみたいな想像はできたでしょうね
輝元は不破の関を越えたことなくて、東国を見たことなかったんじゃないか

851 :人間七七四年:2023/09/03(日) 18:25:37.37 ID:rQ7l9jU+.net
7月12日付輝元宛三奉行連署状も7月15日付清正宛輝元書状も共に原本はなく写しとして松井家に伝来してる
輝元が15日に出発したことは他の史料からも確認できるし偽書とは思えん
けど、どういう経緯でこの二通の書状写が松井家に伝わったのか気になるな

15日付清正宛書状は清正が杵築の松井康之に写しを転送した可能性も考えられるけど、12日付三奉行連署状の方は入手経路が想像つかんな

852 :人間七七四年:2023/09/03(日) 18:26:26.64 ID:L1Y0Xteb.net
>>844
可能性があるというか、最低でも逆算はしないと、輝元が走れメロスみたいに飛び出していった残念な子になる。

当時の安宅船(まさか8カ国の主を小早には乗せまいて)の速度は巡航で時速4.3kmだから
距離を現広島~大阪間の300kmとした場合で約70時間。

15日の0時に書状を受け取り、朝1時に出発して、17日の23時に到着して、1時間以内に大坂城を占拠。

……出来るかっ!

853 :人間七七四年:2023/09/03(日) 18:28:09.61 ID:+tXzNK5A.net
三成は負けたから悪く言われるのは仕方ない
忠臣だが結果を出せなかった罪は大きいよな

854 :人間七七四年:2023/09/03(日) 18:32:11.64 ID:L1Y0Xteb.net
ちなみに最大戦速で時速9kmは出せるからそれで行けば……という話もあるかもしれないが、
休みなく最大戦速なんて出し続けられないし、夜の瀬戸内海をそれで突っ切れって自殺行為。

昼に高速、夜は低速、いや、巡航にしたとして、なんでそんなタイムアタックやらないといけないのかと。
海の専門家であればあるほどそんな無謀は避ける。しかも輝元が乗船してるわけだし。

855 :人間七七四年:2023/09/03(日) 18:51:54.26 ID:CBJTstz8.net
出来るも何もそれをやったと史料が言ってるんだから否定しようもない
輝元は十五日に書状を受け取ると十七日には木津につき、大坂城を占拠させた
こういうことになる

856 :人間七七四年:2023/09/03(日) 20:20:47.43 ID:BrId9ziU.net
瀬戸内海は速くそして複雑な潮が流れる、そしてその潮流に乗るのが当時の水軍
複雑だから一概にこうと出すのは出来ないんだろうけど(何せ速いところは10ノットは平気で出る潮流なんだし)仮に平均して3ノット、時速約5キロで動けるとしよう
当時の最速船である関船は時速5キロ出るから合わせて時速10キロ、広島から大坂まで300キロだとすると15日朝に出立すると16日昼には到着することになる
こう見ると17日到着はむしろ遅いんだけど軍事輸送船だし妥当なのではないか。こう紙面で計算するよりも現実の方が厳しいだろうし

857 :人間七七四年:2023/09/03(日) 20:50:27.55 ID:7ofjj3U/.net
奉行衆の手引なら大阪城西の丸占拠の兵数はそれほどいらないかもしれん

858 :人間七七四年:2023/09/03(日) 21:12:08.35 ID:Z/iYBzyG.net
>>851
ttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1600/17-6-3/8/0049?m=all&s=0048&n=20
松井家譜ね
「右書状之写共康之え御贈」
どっちも大分に送られてたようだよ

ただ、輝元の動き自体はほかの史料でも確認できるから問題ないんだが、この二状は捏造かもなあと少し疑っている
書いている人間が(もちろん文字じゃなく内容)一緒に思えるだけだし、捏造する意味もないんだけどね

859 :人間七七四年:2023/09/03(日) 21:27:25.83 ID:3w0EtV8Y.net
所々で三成は忠臣だ忠臣だ言ってる奴は何なんだ……
何の根拠も無しに言い出すから訳が分からん

860 :人間七七四年:2023/09/03(日) 21:54:44.15 ID:EsgFlScT.net
>>859
秀吉時代に多くの功績を挙げている点
奉行としては比類ない働きである

861 :人間七七四年:2023/09/03(日) 22:14:39.00 ID:7ofjj3U/.net
>>860
唐入り講和の詐称さえ無ければな
主君を欺くは佞臣の証明なり

862 :人間七七四年:2023/09/03(日) 22:27:42.39 ID:688gizc6.net
>>853
戦に勝つためには実際の総大将に忠誠を誓って戦う必要がある
西軍が勝つためには、東軍が家康に忠誠を誓う以上に全員が輝元に忠誠を誓う必要があるのに
三成のように豊臣の忠臣気取りな人間がいたら士気が低下して崩壊するのも当然だろう
三成の忠臣気取りのせいで西軍は敗北に追い込まれた

863 :人間七七四年:2023/09/03(日) 22:28:15.32 ID:LPl89aNK.net
秀吉の中国大返しの海路説があるんだけど、NHKの歴史探偵では秀吉の海路移動速度を80km15時間としている。
300km換算だと56時間。

これなら15日10時に広島を出て、17日18時に大坂に到着出来るから、一応成立する。どちらも海のそばの城だし。

ただ、関船なら漕ぎ手も戦闘員化したとしても200人程度しか乗れないから、
まともに一軍を形成できる5000人を送り込もうと思ったら25隻必要。

こんな大船団、どう考えても出撃準備を整えて連絡待ちをしていたとしか思えない。

864 :人間七七四年:2023/09/03(日) 22:29:07.26 ID:td0C4HlD.net
来島海峡付近に住んでるが潮流の速さはあんまり知られてないんよな
まー島の間さえ気をつけてれば問題そこまで無いけれど慣れてない奴だと無理

865 :人間七七四年:2023/09/03(日) 22:37:30.60 ID:rQ7l9jU+.net
>>858
なるほど
12日付連署状の方も杵築に送られてたんだな

『松井文庫所蔵古文書調査報告書』の2、3巻(関ヶ原時の松井康之関連の書状が収録
されてる)で確認してみたけど、その文言はなかったから松井家譜にだけある記述みたいだな

同書に収録されてる他の書状案とか写しだと端裏書に「忠興様へ之留」とか「主計殿
への状之留」みたいに注釈が書いてあるんだけど7月12日付、15日付書状にはないね

866 :人間七七四年:2023/09/04(月) 08:08:39.29 ID:90Ip38pw.net
輝元が何も知らなかったら陸路で時間使いながら上洛するだろうしなぁ

867 :人間七七四年:2023/09/04(月) 09:23:33.02 ID:90Ip38pw.net
輝元が僅か二日で木津に着いたのは考えられないほど早いがしかし不可能なほどじゃない
前々からの入念な準備と度胸があれば可能

868 :人間七七四年:2023/09/04(月) 10:45:17.13 ID:BZ4vMnTi.net
中国大返しは1日あたり20kmくらいだから驚くほど早くはないんだよな
美濃大返しは短時間とはいえ高速移動してしかもそのまま戦闘してるから頭おかしい

869 :人間七七四年:2023/09/04(月) 13:02:45.08 ID:D2095oId.net
>>835
他の大名家もあんな苛酷な検地したらそれぐらい増えそうだけどな、島原の松倉なんかやり過ぎて島原の乱を引き起こしたけど

870 :人間七七四年:2023/09/04(月) 14:37:34.07 ID:QqXMdj/y.net
軍事面では秀吉を超える距離と速度の中国大返しで、電光石火の大坂城占拠。
領国経営をしては、30万石をあっという間に50万国に増やす。

こう書くとあらフシギ、無能代表の毛利輝元が、何故か非常に有能に見えてくるw

871 :人間七七四年:2023/09/04(月) 14:40:29.60 ID:90Ip38pw.net
秀吉並みの準備があれば出来るということか
毛利にとって瀬戸内海は自分の海だし情報は揃ってたろうからね

872 :人間七七四年:2023/09/04(月) 14:44:36.72 ID:QxWkGXPj.net
行軍スピード1日20kmとか遅いほうだからな

873 :人間七七四年:2023/09/04(月) 20:11:48.79 ID:iEGlU0vT.net
>>865
なんなんだろうね
輝元の外交戦としては突出して早いし

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