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【陰謀論】フラットアースを優しく論破するスレ  第23日

1 :名無しSUN:2024/04/05(金) 17:22:14.96 ID:oCU8+GXG.net
※前スレ
フラットアースを優しく論破するスレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sky/1603859571/
第2日
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sky/1640783571/
第3日
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sky/1644411309/
第4日
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sky/1651226136/
第5日
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sky/1659147697/
第6日
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sky/1667016158/
第7日
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sky/1683881717/
第8日
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sky/1686835856/
第9日
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sky/1688446255/
第10日
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sky/1689912508/
第22日
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sky/1711483434/

31 :青火 :2024/04/08(月) 09:43:59.30 ID:6U/culJm.net
愚者の船(上) K・アン・ポーター

第一部 84ページより

くさい港の空気を充満させ、蚊を満載して、船はその夜おそく碇をあげた。

一等船客にかなりの新しい客が加わったが、彼らは、すでにわがもののような関心を船にいだいていた最初からの旅客たちから、はじめは闖入者のように見られた。

六人の騒々しい、混血らしい、キューバ人学生は、夜ふけまで人目をそばだてていた。

数組の夫婦者は、まずはうるさいにきまっている子供たちを連れて乗りこんでいた。

夕食がすむと、学生たちは行列をくみ、そっとしておいてもらいたいと念じているおとなしい人たちが憩うデッキチェアのまわりを行進し、

人びとが本を読んだり、トランプをしたりしている船内を練りまわり、眠ろうとつとめている人たちの窓の前を通って、甲板をぐるぐるまわり、

駆けることができなくなったかわいそうなあぶらむし(ラ・クカラーチャ)の歌を次から次へとわめいた。

32 :青火 :2024/04/08(月) 09:44:36.53 ID:6U/culJm.net
第一節ではマリファナ煙草がなくなったから、

第二節ではそれを買うお金がないから、

第三節ではぜんぜん足がないから、

第四節ではだれも愛してくれないから、

と学生たちは、お互いの肩に手をかけて縦にならび、足を踏みならして歩きながら、さいげんもなくあぶらむしの不運をならべたてた。

33 :青火 :2024/04/08(月) 09:46:07.81 ID:6U/culJm.net
愚者の船(上) K・アン・ポーター

第一部 87ページより

ジェニー・ブラウンとエルザ・ルッツは、むしあつい船室で、なごやかな沈黙のうちに、髪をとかし、寝る支度をしていた。

船上の生活についてしばらく話したり、あたりさわりない噂話をしたり、罪のない意見を交換したりして、二人の間は大へんうまくいっていた。

エルザは、母親の警告にもかかわらず、同室者のやさしい、どちらかといえば几帳面なやり方をみて、急速に警戒心をとき、

ジェニーが甘く匂う化粧水や泡立てクリームのような軟膏を何べんも塗って顔の手入れをしているあいだ、うっとりとしてそばにすわっていた。

34 :青火 :2024/04/08(月) 09:47:11.98 ID:6U/culJm.net
学生たちの咆えるような声と踏みならす足音が、これで三度目であるが、彼女たちのすぐ頭上の甲板にひびいた。

波やエンジンの音を凌ぐその騒音は舷窓から流れこんできた。

いままたエルザは頭をあげ、もの思いに沈んだ表情で耳をかたむけた。

「もう船は男の子でいっぱいね」と彼女は、ほとんど期待に胸をふくらませていった。

「ほんと」とジェニーはいった。

「あの人たち、ひとつの歌しか知らないみたいなのは困りものだけど」

35 :青火 :2024/04/08(月) 09:48:48.73 ID:6U/culJm.net
エルザは、舷窓の下の寝椅子から、重大なうちあけ話をはじめた。

「わたしは、小さいときから、恋を信じなさい、情愛ぶかい人になりなさい、そうすれば幸福になれる、と父から教えられてきたの。

でも母はそんなこと見せかけにすぎないというわ。

時どきどっちが本当かわかったらいいな、と思うの――わたし、母を愛してるけど、父のほうが正しいんじゃないかと思うの」

「きっとそうだと思うわ」とジェニーは少し目をさましていった。

「父は生まれつき陽気な人柄で、楽しむことが好きだわ。

ところが母は笑えない人なの。

笑うのは馬鹿な人間だけです、人生はだれにせよ笑えるようなものじゃありません、というの……

36 :青火 :2024/04/08(月) 09:50:40.20 ID:6U/culJm.net
いつか小さいときにこんなことがあったわ……

スイスの田舎では、子供もみな、ちっちゃな赤ちゃんまで、パーティへ連れていく習慣だったの――母が最初のダンスを父と踊ろうとしなかった。

だからもちろん、父はだれとも踊ることができなかったの。

そこで父は母にいったんだわ。

『よーし、わかったよ。ぼくはあんたよりすてきなパートナーを見つけよう』

そういって父は箒をもって、それを相手に踊ったの。母をのぞく全部の人がおもしろがったわ。

母はそれからというもの、その晩は父に話しかけようともしなかった。

37 :青火 :2024/04/08(月) 09:50:58.21 ID:6U/culJm.net
それで父はビールを浴びるほど飲み、ひどく陽気になり、家へ帰る途中でだしぬけに

『さあ、踊ろう』

と母にいって、腰をとり、母の足が地面からはなれるまでぐるぐるふりまわしたの。

母は泣いたわ。でもどうして泣くのかわたしにはわからなかった。

じっさい悪いことじゃなくて、おもしろいことなんですもの。

ところが母は泣いたの。わたしも泣いたわ。

38 :青火 :2024/04/08(月) 09:53:29.84 ID:6U/culJm.net
それから、かわいそうに、父はしゅんとして一緒に歩いたの。

今になって考えれば、父だって泣きたかったんだと思うわ。

母は、父が冗談をいっても、一度だって笑ったことがないわ。

それなのに父ったら、いつも冗談ばかりいうの。

ひどいとおもうときもあるわ。それくらいわたしだってわかるわ。

「あら」とエルザはいった。

暗闇の中のその声は、悲しみ、いぶかるように、ゆっくりとしていた

「お母さんに似てきたみたい。

わたしって、ひとをおもしろがらせたり、楽しませたりできないんだわ。自分のことばかりいって、恥ずかしいわ。

39 :青火 :2024/04/08(月) 09:55:17.34 ID:6U/culJm.net
でもだまってすわっているのがつらくてたまらないときがあるのよ。

わたしにはどっかへんなところがきっとあるんだわ。

でなかったら、男の子がダンスにさそってくれるはずだもの」

「この船には踊ってもいいような男の子は一人もいないといっていいくらいよ」とジェニーはいった。

「国にいるときなら、目にとまらないような連中ばかりだわ」

「でもここはわたしの国じゃないもの」とエルザはいった。

「それにわたしには国というものがなかったの。なぜって、メキシコでだって、

一緒に外出するのを許された男の子たちは、わたしのスタイルを好まなかったんですもの……

40 :青火 :2024/04/08(月) 09:56:27.23 ID:6U/culJm.net
母はあなたとそっくりのことをいったわ。

『心配しなくてもいいのよ、エルザ、スイスへいけば、あなたこそ娘らしい娘だ、ほんとうのスイス娘だと思われますからね。

スイスではあんたのような娘が好かれるのよ。くよくよするのはやめなさい。国へ帰ったら万事うまくいきますからね』

「もちろん好かれるわよ。遠い国から来た娘さんというわけで、珍重されるわよ」とジェニーは彼女にいった。

そして与えることのできない助けをもとめられたかのように、こまやかな気がかりをおぼえたのであった。

41 :青火 :2024/04/08(月) 09:57:42.14 ID:6U/culJm.net
このしょげた顔の若い娘にとって、スイスへ行ったところで、どんな希望があるだろう。

顎は二重にくびれ、首の付根には甲状腺腫のように脂肪がひだをなし、肌は油を塗ったようにぬめぬめとし、

褪せた灰色の目には魂の輝きが見えず、にぶい色の髪はいたずらに濃く、尻は大きく、足首の太いこの娘にとって。

恰好のいい鼻、恰好のいい口、まあ見られる額、それで全部だ。

あまり食欲をそそらない肉の小山には、ひらめきというものが、生気が、ひとかけらもないのだ。

そしてその内部では、若々しい純真さや憧れが、苦しみ、混乱した、世間を知らぬ心が、かたつむりのように彎曲し、

重なりあった、暗い本能が、やみくもに手さぐりしていたのだ。

42 :青火 :2024/04/08(月) 10:00:15.25 ID:6U/culJm.net
>>38
×ゆっくりとしていた
〇ゆっくりとしていた。

43 :青火 :2024/04/08(月) 10:02:36.41 ID:6U/culJm.net
愚者の船(上) K・アン・ポーター

第二部 95ページより

ローラの双子リックとラックは、ローラとチトーが目覚めないうちに、早々と起き、音をしのばせて身支度した。

彼らはアルマンド、ドローレという名前なのだが、自分たちでそれを改め、

メキシコのある新聞に連載された彼らの気にいりの漫画の主人公の名を採って、自分たちの名前としていた。

漫画の主人公リックとラックは横紙やぶりのワイヤヘアであったが、

彼らはこの二匹の犬の冒険を毎日うらやましさで胸をいっぱいにしながら、むさぼるように読んだのである。

二匹のワイヤヘア――もちろん本当の犬とはかけちがっているのだが、

二人の崇拝者には、自分たちがなりたいと望んでいる本ものの悪魔に思われたのだ。

44 :青火 :2024/04/08(月) 10:04:01.54 ID:6U/culJm.net
甲板はまだじっとりと濡れ、朝の陽差しをうけてゆらゆら蒸気をたちのぼらせていた。

わずか数人の船員だけがのろのろと動きまわっている。

リックとラックは書きもの部屋の一つへはいり、

前もって計画していたかのように、インクびんのコルク栓を抜き、びんを横倒しにした。

しばらくのあいだ二人は、インクが新しい吸取紙のほうへ流れ、絨毯へこぼれおちるのを見守り、

それから沈黙したまま船の反対側へ行き、

フラウ・リッタースドルフがデッキチェアへ置きぱなしにしておいた小さな羽根まくらに目をとめ、

一言もいわずにそれをつかんで船の外へほうりすてた。

きまじめな顔つきで二人は、どうしてそれがすぐに沈まないのか不思議に思いながら、波に揺られて上下するさまを眺めた。

45 :青火 :2024/04/08(月) 10:05:10.66 ID:6U/culJm.net
愚者の船(上) K・アン・ポーター

第二部 147ページより

左舷でシューマン医師は、円盤突きのゲームをしているそばを、やっている人たちのほうを見ずに、

しかし彼らのほうへ向って「今日は」と会釈しながら、注意ぶかい足どりで迂回した。

そして同時に、ほとんど見るとはなしに、二人のスペイン人の子供リックとラックが、

船で飼っている立派なとら猫を、背中をなでたり、頤の下をくすぐったりして喜ばせているのを見た。

46 :青火 :2024/04/08(月) 10:05:43.81 ID:6U/culJm.net
猫は、快感に酔いしれた表情で、背中を弓なりにまげ、二人が抱きかかえるままにさせていた。

猫は、ものうげな、だらしない、無様な恰好で二人に抱かれていた。

そして官能の陶酔のために自分にたいする彼らの意図の性質を手おくれになるまで理解することができなかった。

47 :青火 :2024/04/08(月) 10:06:40.88 ID:6U/culJm.net
けわしい顔つきで、リックとラックは手早く猫を手すりへもちあげ、船の外へ押しだそうとした。

猫は、体をこわばらせ、前足の爪を手すりへくいこませ、気負いたち、後足の爪で激しくひっかいた。

背中が弓なりに曲り、尻尾は乱れた一本の羽毛のようになった。

鳴声もたてずに、必死にあらゆる武器を総動員させて戦った。

48 :青火 :2024/04/08(月) 10:08:36.92 ID:6U/culJm.net
シューマン医師は、跳ぶようにして進み出て、子供たちをつかみ、手すりからひきはなした。

子供たちは大急ぎで猫を連れもどした。

猫は、彼らの手からおろされ、甲板を横切り、円盤突きのゲームをしている人びとの間をぬけてほうほうの態で逃げた――

それはふだんならしないようなことだった。

なぜなら、礼儀正しい猫なのだから。

49 :青火 :2024/04/08(月) 10:09:48.18 ID:6U/culJm.net
子供たちはシューマン医師をじっと見あげた。

長いひっかかれた傷から血をにじませた、彼らのむきだしの腕からとつぜん力がぬけるのを、つかんでいる彼の手は感じた。

シューマン医師は、しっかりと二人をとりおさえながら、しかし老練なやさしい目つきで、

彼らの盲目的な、隙のない敵意、その冷酷な狡猾さにびっくりしながら、しばらく彼らの目の奥を見つめた――

しかし、獣ではない、人間なのだ。

そうだ人間だ、それだけにかえっていたましいのだ、と医師は考えながら、手をゆるめた。

50 :青火 :2024/04/08(月) 10:10:43.75 ID:6U/culJm.net
愚者の船(上) K・アン・ポーター

第二部 254ページより

無言で、身じろぎもせずに、彼らは予期した情景を貪るように見つめた。

リッツィとリーバーは、大煙突を背にして床へ身を寄せてすわり、争い、笑い、もみあっていた。

彼は彼女の膝をもてあそぼうとし、彼女は片手でめくれたスカートをひきずりおろし、もう一方の手で彼を軽く押しのけている。

リックとラックはもっと面白いことが起るのを待ったが、骨ばった女は逃げ、太った男をほとんど仰向けにつきとばした。

彼女のブラウスの胸がほとんどベルトまではだけていた。

子供たちは見るべきものがまったくないのを知って顔をしかめた。

51 :青火 :2024/04/08(月) 10:13:00.57 ID:6U/culJm.net
きーきー声をあげ、頭をうしろへそらした女の狂おしい目は、とつぜんリックとラックをとらえた。

彼女は、かん高い、今までとは性質のちがう金切声をあげた。

「あら、見て、ああ、見てよ、ああ――」彼女は長い腕を彼らのほうに振りながらいった。

「いったいここで何をしているんだ? 恥知らずの小童くん」

とリーバーは、いくぶん咽喉をつまらせて、しかし厳しい父親のような調子を出していった。

「あんたたちを見物していたんだよ」とラックは生意気に答え、舌をつきだした。

リックもそれに加わり、「つづけな。よさなくたっていいんだぜ。だれか来たら教えてやるからさ」といった。

52 :青火 :2024/04/08(月) 10:14:34.28 ID:6U/culJm.net
この幼い子供の皮肉によって心の底から衝撃を受けたリーバーは、唸り声をあげ、彼らをひっつかまえようとして突進した。

しかし彼らは彼の手の届かぬところへ跳んで逃げた。

「うせろ!」とリーバーはほとんど我を忘れて叫んだ。

リックとラックは、彼らを追ってあっちへ跳びはね、こっちへ跳びはね、殴りつけようとしていたずらに空を切り、

勢いあまってくるりとまわるリーバーを見て無邪気に喜び、じっさいに手を叩いて踊った。

彼らは彼のまわりを猛々しくとびはねながら、叫んだ。

「一ペソおくれ、くれなきゃ人に言っちゃうぞ――一ペソおくれ――」

53 :青火 :2024/04/08(月) 10:15:57.64 ID:6U/culJm.net
「お化け!」とリッツィはしゃがれ声で叫んだ。「恐ろしい、ちっちゃな――」

「一ペソおくれ、一ペソおくれ!」とリックとラックは、なおもリーバーのまわりを横向きにまわり、

いともやすやすと彼の打撃をかわしながら、歌うようにいった。

リーバーは、闘牛場の疲れきった牡牛のように頭を垂れ、喘ぎながら立ちどまった。

彼はポケットに手をいれた。

一ペソが床にあたって音をたて、ころがった。

リックはそれを足で踏んだ。「この子にも一ペソおくれよ」と彼はいった。

「この子にも一ペソ」彼の表情はきびしく、冷静で、用心ぶかかった。

リーバーはもう一ペソほうった。

54 :青火 :2024/04/08(月) 10:17:13.63 ID:6U/culJm.net
リックは、両方を手早く拾い、片手に握りしめ、ラックをうながした。ラックはすぐに彼のあとにつづいた。

駆けていくうちに、彼らはどこか階段のてっぺんあたりで衝突した。

そして二人とも同じものに目をとめ、それについて同じことを考えた。

救命ボートのうちひとつ、帆布の覆いが一部ほどけているのがあったのだ。

それが垂れさがっていて、もっと広く開けることが楽にできそうだった。

彼らは締め具にあたってみた。びっくりするほど容易にはずせた。

彼らは垂れさがった帆布をたくしあげ、無言のまま、まずリックが、ついでラックが身をよじらせて中へはいった。

55 :青火 :2024/04/08(月) 10:18:09.10 ID:6U/culJm.net
やがて太った男とやせた女が彼らの前を通りすぎた。

女はブラウスのボタンをとめ、二人ともひどく怒ってるような顔をしていた。

女はふり返り、彼らのほうをうかがたが、彼女の目にははいらなかった。

やがて彼女は階段につまずき、太った男が彼女の腕をとった。

「気をつけてくださいよ、わたしの美しいひと」とかれはやさしくいった。

56 :青火 :2024/04/08(月) 10:19:26.07 ID:6U/culJm.net
リックとラックは中へとびおり、暗がりのなかで体をもつれさせて笑った。

「あたいのお金をよこせ」とラックは、リックのあばら骨にむしゃぶりつき、爪をくいこませて、荒々しい口調でいった。

「あたいのお金をよこせ。よこさないと目玉をむしりとってやるから」

「取りな」とリックは、金をぎゅっと握りしめたまま、同じ口調でいった。「さあ、取りな、やってみなよ!」

必死の格闘と思える恰好でからみあいながら、二人はボートの底へころげていき、胸に膝をあて、髪をかきむしって、すさまじい争いを展開した。

57 :青火 :2024/04/08(月) 14:08:36.84 ID:6U/culJm.net
>>55
×彼らのほうをうかがたが、
〇彼らのほうをうかがったが、

58 :青火 :2024/04/09(火) 09:07:53.20 ID:85L5zEsn.net
愚者の船(上) K・アン・ポーター

第二部 110ページより

「奥さま(マイネ・ダーメ)」と彼は彼女を呼んだ。

もっとくだけた奥さん(フラウ)のほうが彼女には望ましかったのだが。

「なくなるはずはございません。ちょっと置場所がわからなくなっているだけです。

わたしがさがしてお届けいたします。何しろ、ちっぽけな船ですし、枕が自分で船の外へ出るはずもございませんからね!

ですから、どうぞ、奥さま、ご安心なすってください。じきもって参りますから」

フラウ・リッタースドルフは、グリーンのヴェールをぴったり頭にまき、耳の上でゆわきながら、

あの二人のおそろしいスペイン人の子供が数フィートはなれたところに立ち、獣のような好奇心をたたえた目でじっと見つめているのに気づいた。

59 :青火 :2024/04/09(火) 09:09:00.93 ID:85L5zEsn.net
彼女は、𠮟りつけるように目を細めて、彼らを見返した。

それは、彼女が、イギリスのある地方で家庭教師をした時分に、イギリスの教え子にたいしつねに効き目のあった表情だった。

「何かなくしたの?」と小さな女の子はものおじしない甲高い声でたずねた。

「そうよ。あんたが盗んだの?」とフラウ・リッタースドルフはきびしい声で問い返した。

これを聞いて彼らは妙に動揺の色を浮かべた。体をもじもじさせ、邪な目くばせをかわした。

小さな男の子はいった。「どうしてそんなことをいうんだい」そうして二人は子供らしからぬしゃがれた笑い声をあげ、逃げ去った。

60 :青火 :2024/04/09(火) 09:09:55.86 ID:85L5zEsn.net
彼女は、あの二人をこの手につかまえているならこっぽどくお仕置きしてやるんだがと考えながら、

手すりによりかかっている明らかにアメリカ人らしい若い二人連れの近くに歩みよった――

アメリカ人のどういうところがそう思わせるかわからないのだが、アメリカ人というのはどう見てもアメリカ人以外のものに見えない。

ヨーロッパの最下層のくずと黒人の混ざり合いによるあの驚くべき国の漸次的な雑種化は、

けっきょく、特徴をあげることが不可能な、平均的容貌と精神をもたらしたにすぎなかったのだ――

61 :青火 :2024/04/09(火) 09:10:52.49 ID:85L5zEsn.net
>>60
×こっぽどくお仕置
〇こっぴどくお仕置

62 :青火 :2024/04/09(火) 09:12:04.95 ID:85L5zEsn.net
フラウ・リッタースドルフは、少々耳が遠いためあまり多くのことを立聞きできるとは思っていなかったし、

また極度の近視のため近くででなければこまかな点まで見わけることができなかった。

彼女は、記憶力が弱く、断片的な人生観や観察や思い出や省察をまじえて、日常の生活を細大もらさず書きとめることを甚だ好んでいた。

長年にわたって彼女は、何冊も何冊ものノートを、鮮明な、洗練された、こまかい字で綴ったごく短いメモで埋め、

それをきれいさっぱりしまいこみ、二度とのぞいてみたことがないのだ。

63 :青火 :2024/04/09(火) 09:13:50.44 ID:85L5zEsn.net
彼女は、金色の帯のついた万年筆を動かして英語で書きとめた――

「あれら若いアメリカ人は、気どって、いつもお互いを氏名で呼びあっている。

たぶん彼らがお互いの間で守っている唯一の儀礼といえよう。

たいへん不細工(ゴーシュ)なやり方である。

あるいは、こうでもしなければ世間に名前を売りこめないと考えているのかもしれない。

64 :青火 :2024/04/09(火) 09:14:39.48 ID:85L5zEsn.net
ジェニー・エンジェル――本当の名はジェーンであろうと思う。

ドイツ語でいえばヨハンナ・エンゲル、このほうがはるかにいい――そして男はデイヴィット・ダーリングである。

後者は、アメリカ人がよく使う愛情表現であるが、またありふれた苗字であると私は信ずる。

まったく当然のことだが、心の冷えきったイギリス人はこの愛情表現を使うことがアメリカ人にくらべてはるかに少ない。

65 :青火 :2024/04/09(火) 09:15:27.96 ID:85L5zEsn.net
ダーリング Darling は Dear(親愛な、いとしい)という語の指小語 Dearling の訛った形と思われるのだが、

これが Darling と発音しているように聞こえるのだ。

イギリス人というのは、若干の語をだらしなく発音するからである。

率直にいって、あの国における七年間の難行苦行のあいだ、このだらしない話し方にはついぞ慣れるということができなかったのである。

66 :青火 :2024/04/09(火) 09:16:42.68 ID:85L5zEsn.net
当然のことながら、わたしは英語をミュンヘンの学校で完璧に習得し、またつねに正しい英語を聞いていた。

そのあとであるから、イギリス人の話し方はわたしにはひどく粗野におもわれたのである。

ああ、異郷に身をおきしにがき年月よ!

ああ、人の顔色をうかがうあの恐るべき子たち。

彼らの愛情をついにわたしは獲ちうることができなかった。

そしてまた彼らは何としてもドイツ語をおぼえることができなかった。

67 :青火 :2024/04/09(火) 09:17:35.01 ID:85L5zEsn.net
イギリス人ならば、けっきょく、デャーリングと呼ぶだろう。

そして読むことが嫌いなために、音声的に、もしくは彼らがいうように耳で、

彼らの言葉を学んでいるらしいアメリカ人なら、彼らが強調することを好んでいるらしい文字、Rの音をつけくわえるだろう。

それはそれなりに甚だ興味深いものがある」

これを読みかえし、彼女は、しまっておくのはもったいないくらいよく書けていると判断し、

無二の親友であり、遠い昔の学校友だちであるゾフィー・ビスマルクに手紙で出そうと考えた。

68 :青火 :2024/04/09(火) 09:18:46.68 ID:85L5zEsn.net
愚者の船(上) K・アン・ポーター

第二部 104ページより

ベベは直りかけている、とフラウ・フッテンは判断した。

朝食をすませ、ベベに食べさせるものをもってかえり、夫と相談しながら食べさせてみたところ、ベベは旺盛な食欲を示したからだ。

「ほんとによかったわ」とフラウ・フッテンは彼の食べぶりを頼もしげに眺めながらいった。

69 :青火 :2024/04/09(火) 09:19:59.96 ID:85L5zEsn.net
「これほど立派な本能と感情を具えた子なのに、ほかの動物とおなじようにかしこまって下を向いて食べるのがとても残念ですわ。

こんな格好をするのは惜しいくらい立派な子なのに」

「そんなこと、この子はちっとも気にしていやしないよ、ケテ」と彼女の夫はいった。

「この姿勢のほうが、体の構造からいって、楽なんだ。体を起こして食べるのは、この子にとっちゃ自然でもないし、正しくもないのだ。

愛犬に食卓で食べるしつけをしようとしているのを見たことあるが、相手が迷惑しただけで、さんざんの骨折りも無駄に終ったものだ。

ベベは十分満足している。少しも不服はないと思うよ」

70 :青火 :2024/04/09(火) 09:20:36.73 ID:85L5zEsn.net
フラウ・フッテンは、いつもの通り夫の言葉によって確信をとりもどし、

安心して、ベベの頸輪に綱をとめ、そろって早足に散歩に向った。

甲板を七周すれば健康のための散歩としてちょうどころあいの距離になる、とフッテン教授は計算していた。

71 :青火 :2024/04/09(火) 09:21:34.54 ID:85L5zEsn.net
しかしベベは、最初は勢いがよかったのだが、三周目になると次第におくれ、

四周目の半ばで例のごとく嘔気におそわれて立ちどまり、その場でひどい醜態をさらす羽目となった。

フッテン教授は、ひざまずいて彼の首をだきあげ、

フラウ・フッテンはバケツの水をもってきてもらうために船員をさがしに行った。

72 :青火 :2024/04/09(火) 09:22:53.74 ID:85L5zEsn.net
数フィートはなれたところから哄笑がわきあがるのを彼女は聞いた。

少しも愉快そうではない、耳ざわりな笑い声である。

スペイン舞踏団の声であることに気づいて、彼女は背筋を寒くした。

彼らはいつもかたまってすわり、前ぶれもなしに、陰気な顔をしたまま、おそろしい笑い声をあげるのだ。

そしてしょっちゅうだれかを嘲笑しようと待ちかまえている。

彼らは、信じられないほど滑稽な存在であると考えているかのように相手を直視して笑うが、しかしその目は決して笑うことがなく、

ひとを冷笑しながらも、自分たちは楽しんではいないのだ。

73 :青火 :2024/04/09(火) 09:24:11.15 ID:85L5zEsn.net
フラウ・フッテンは、さいしょから彼らの存在に気づき、彼らを恐れていた。

彼らが夫とかわいそうなベベを眺めていることは、そのほうを見なくても彼女にはわかった。

彼女の考えた通りだった。

彼らは、一団となってきて、このうち棄てられた活人画のそばを通りぬけ、

すれちがいざま、冷酷な目を彼女の頭から足の爪先まで走らせた。

歯をむきだし、身の毛もよだつ笑い声をあげた。

74 :青火 :2024/04/09(火) 09:24:59.62 ID:85L5zEsn.net
彼女は、自分の肥満した体つきを、年齢を、太い足首を思いしらされた。

ほっそりとした若々しいスペイン人は、辛辣な嘲笑的な目でじろりとにらんだだけで、彼女を、彼女のすべてを侮蔑したのである。

75 :青火 :2024/04/09(火) 09:26:08.57 ID:85L5zEsn.net
彼女は船員をみつけた。

船酔いには慣れっこになっている、善良そうな四角い顔をした、大柄な、感じのよい若者である。

彼は、水をもってきて、ベベの不始末のあとかたづけをし、立ち去った。

フッテン夫妻は、デッキチェアのそばにベベを横たわらせ、バスタオルをたたんで顔の下にあてがい、

重くるしく黙りこくったまますわり、あの下劣なやつども、一等に乗ることを許すべきではなかった本当のよた者どもにばかにされたと感じていた。

三等船客の中にだって、一等に乗る価値のある立派な人が大勢いることをフラウ・フッテンは確信した。

76 :青火 :2024/04/09(火) 09:27:32.83 ID:85L5zEsn.net
愚者の船(上) K・アン・ポーター

第二部 130ページより

エルザの母親は、朝早く、朝食の前に、きっぱりした、やさしい、母親らしい言葉づかいで娘に話しかけ、

男性にたいしてあまりしゃちほこばった態度をとる必要はないのだと教えた。

あの恐るべきスペイン人や気違いじみたキューバ人学生に目をくれてはならないのは当然である。

しかしけっきょく船には何人か好ましい男性がいるのは事実である。

77 :青火 :2024/04/09(火) 09:28:29.39 ID:85L5zEsn.net
結婚をしてはいるけれども、フライタークさんはダンスがお上手である。

妻帯者であろうとそうでなかろうと、よいパートナーとつつましく踊るのは少しも害にはならない。

デニーさんも、アメリカ人ではあるけれども、いい方だ。

少くとも一ぺんぐらいは踊ってみてもいいかもしれない。

それにハンセンさんがいる。どこからみても申し分のない方である。

78 :青火 :2024/04/09(火) 09:29:47.35 ID:85L5zEsn.net
「慎みぶかくしなさい、分別をわきまえなさい、といっても、

べつにまっすぐ前を見たまま一言も口をきかずにすわっていなさい、ということじゃないんですよ、エルザ。

ハンセンさんはわたしが信用できる方です。どんな場面にたちいっても必ず紳士らしく振舞う方だと若い娘が信じていられる人です」

エルザはびっくりするほど勇敢にいった。

「あの人の顔が気にいらないわ。あんまりぶすっとしているんですもの」

79 :青火 :2024/04/09(火) 09:31:36.54 ID:85L5zEsn.net
「わたしはぜったいに容貌で男の人をえらんだりしません」と彼女の母親はいった。

「美男子は往々にして人を誤りやすいものです。

結婚を思うなら、一家の長たりうるべき堅実な性格の人をさがさなくてはなりません。着実な、ほんとうの男性を。

ハンセンさんが不機嫌そうな顔をしているなんて、わたしは思いません。真面目なだけです。

船に乗っているそんほかの人たちはほとんど、これまで見たこともない悪い人ばかりです――

ふしだらなな踊り子と一緒の、あの男の踊り手たちはどれもあきれはてた人間ばかり――まったく恥ですよ」

80 :青火 :2024/04/09(火) 09:32:44.59 ID:85L5zEsn.net
「ハンセンさんはあの人たちがアンパロと呼んでいる女の人からぜったいに目をはなさないのよ」

とエルザは絶望的な口調でいった。

「ハンセンさんはあの人が好きなんだもの、わたしなんか好きになりっこないでしょ、ママ。

今朝だって二人がぴったり寄りそっているのを見たわ。

ハンセンさんはあの人にお金を渡していたの、きっとそうだと思うわ」

81 :青火 :2024/04/09(火) 09:33:57.32 ID:85L5zEsn.net
「エルザ」と母親は衝撃をうけていった。

「何てことをいうんです。いっていいことと悪いことがあります。そんなところ見たりしちゃいけませんよ!」

「仕方がなかったのよ」とエルザは悲しそうな表情でいった。

「お部屋から出たら、廊下にいたんですもの。十フィートもはなれていなかったわ。そばを通らなければならなかったの。

あの人たちはわたしに目もくれなかったわ。でも、ハンセンさんが私のこと好きになるなんて、信じられないわ」

82 :青火 :2024/04/09(火) 09:35:09.16 ID:85L5zEsn.net
「気にしなくていいのよ、かわいいわたしの娘」と母親はいった。

「あなたはだれのものでもないあなた自身の美徳と資質があるんです。腹ぐろい女たちなんてこわがる必要はありません。

男の人というものは、最後には善良な女のもとへもどってくるものです。

そのうちあの女は行倒れになり、あなたには立派な夫が見つかりますよ。くよくよするのはおやめなさい」

この会話は、エルザを元気づけるどころか、すっかり滅入さらせてしまった。

アンパロの後をひきついでハンセンに愛してもらうという見込みは、何としても魅力的といえないからである。

彼女は、うなだれ、膝の上に手を組んだ。

83 :青火 :2024/04/09(火) 09:36:09.32 ID:85L5zEsn.net
しばしみじめな沈黙ののち、彼女の母親はいった。

「ねえ、それであなたの気が晴れるなら、国へ帰ったら白粉も買ってあげましょう。

何といっても、ほんとうの若い淑女らしくしていい頃かもしれないものね。

気ごころの知れた人たちのところへもどるんだし。そう、白粉を買ってあげることにしましょう。あなたの好きな色のを」

84 :青火 :2024/04/09(火) 09:37:52.55 ID:85L5zEsn.net
「ここの床やさんでも売ってるのよ」とエルザはおずおずいった。

「何でも種類がそろっているわ。すずらんの香りがするのもあってよ。ラシェル一番というの。わたしのぴったりの色なの。

髪を洗ってもらったとき、偶然目にとまったんだけど……わたし……」

勇気を失い、彼女はくちごもった。

85 :青火 :2024/04/09(火) 09:39:25.09 ID:85L5zEsn.net
「いくらするの?」と母親は財布をあけながらたずねた。

「四マルク」とエルザはいい、驚きと喜びのあまりどもりながら立ちあがった。

「ああ、マ-マ-ママ、ほ-ほ-ほんとに、買ってもいい?」

「そういったでしょう」と母親はいい、金をにぎらせた。

「さあ、きれいにして、朝御飯を食べにいらっしゃい」

エルザは太い腕でずんぐりした母親に抱きつき、しがみつき、涙を浮かべた目をふるわせ、彼女の顔に接吻した。

「およしなさい、もう結構よ」と母親はいった。

「大きな赤ちゃんみたいじゃないの」

86 :青火 :2024/04/09(火) 09:41:22.77 ID:85L5zEsn.net
愚者の船(上) K・アン・ポーター

第二部 168ページより

ハンセンが不器用なため、それにあわせて単調に輪を描いただけのことなのだが、

アルネ・ハンセンとアンパロは、エルザが腕をのばせば届くくらいのところで踊りをやめた。

不思議に思ったエルザは、上目づかいにアンパロを見つめ、その謎を解こうとした。

エルザの目に、あるいは頭に、べつにいわくらしいものは認められなかった。

アンパロは、だらしなく、あまりにくらい感じだが、それなりに美しかった。

しかし彼女は愛想のよい態度をとろうなどという気配を露ほども示さなかった。

微笑すらうかべず、むっつりした顔をしていた。ほとんど口もきかなかった。

少しうんざりし、癇癪をおこしているようにさえ見えた。

ハンセンの踊りが熊みたいだったのを見て、エルザは満足した。

87 :青火 :2024/04/09(火) 09:54:55.55 ID:85L5zEsn.net
>>82
×滅入さらせてしまった。
〇滅入らさせてしまった。

88 :青火 :2024/04/09(火) 19:43:29.23 ID:85L5zEsn.net
>>79
×船に乗っているそんほかの人たち
〇船に乗っているそのほかの人たち

89 :青火 :2024/04/10(水) 07:22:36.30 ID:I+qy/ZHH.net
愚者の船(上) K・アン・ポーター

第二部 290ページより

今晩もまたアルネ・ハンセンに自室をあけわたしてきたペペは、時計の針を気にしはじめた。

アンパロは、いくら金を稼ぐためとはいえ、あいつに時間をかけすぎる、と判断した。

以前にも彼女は、ほかの男を相手に、度度そういうことがあった。

そしてどんなに殴っても彼女のその癖はなおらなかったのだ。

しかし、もう一度やってみよう。

ただしヴィーゴへ着いてからだ。ヴィーゴならば、彼女が好きなだけ泣きわめいても、だれも気にするものはいない。

90 :青火 :2024/04/10(水) 07:23:48.80 ID:I+qy/ZHH.net
彼は、爪先だちで、船員のバケツやブラシのそばを通りぬけ、三等船室を見おろす手すりの笠木の上に立った。

だれもが、おちつき、すこやかに眠っている。

その光景を見ただけで、彼は大きなあくびをした。

数人のものはキャンヴァス・チェアに長々と体を横たえ、またあるものは堅い、木肌をむきだしたベンチにべったりと横になり、

他のものはハンモックのなかでかたつむりのように体をまるめていた。

青い仕事着を着た一人の男はハンモックと十字を描いて横たわり、片方の側に頭を、もう一方の側に、大きな、曲った、汚い素足を垂らしていた。

91 :青火 :2024/04/10(水) 07:24:57.89 ID:I+qy/ZHH.net
ペペは彼らのすべてをよく知っていた。

彼は、彼らと同じように、アストゥリヤス人だった。

そうだ、時として彼はアンダルシーア人にすら親近感をおぼえることもあった。

しかし下にいる連中のだれともつきあうのはまっぴらだ!

もし彼が彼らのように間抜けだったら、彼らの間で、あるいはスペインのあばらやののみやしらみのなかに、眠らなければならなかったかもしれない。

自分の素足の上に蛇がとぐろをまいたかのように、彼は激しく身震いした。

92 :青火 :2024/04/10(水) 07:25:52.21 ID:I+qy/ZHH.net
幼年時代の記憶にある人びととおなじように叫び、歌い、踊り、喧嘩し、悪態をつくこれらすべてのアストゥリヤス人たちは、

いま、その大部分のものは、おとなしい死骸のような態度で、比較的もの静かなアンダルシーア人やカナリア諸島人にかこまれ横になっている。

朦朧とした、白い月光のもとで、掛布は彼らに死体公示所へ運ばれるのを待つ死体のような外見を与えていた。

93 :青火 :2024/04/10(水) 07:27:13.23 ID:I+qy/ZHH.net
ペペは、ハンモックの両側に頭と足を垂らしている男をえらび、

火のついた煙草を、男の腹をくるんでいる乾いた布のひだの間に、器用に投げとばした。

これでやつは目を覚ますだろう!

とたん三人の男がとびあがって起きた。

その一人である、牡牛のような声で歌う男としてペペの記憶にある、おそろしく大きな、太った男は、煙草を見つけ、指の間でもみ消した。

なおも上の手すりから体をのりだしているほっそりとした男に向って、こぶしを振った。

「牡山羊(カブローン)め!」と彼は、おどけたメキシコ訛りで、いたけだかに叫んだ。

94 :青火 :2024/04/10(水) 07:28:04.90 ID:I+qy/ZHH.net
出帆の日に徘徊してまわっているのを見かけたぽん引きの一人であることに気づきながらも、彼はからみつくような嘲りの口調にきりかえた。

「ぽん引き野郎(プート)!」と彼はいった。

「ここへおりて来い。そうすりゃ俺たちは――」

95 :青火 :2024/04/10(水) 07:28:52.74 ID:I+qy/ZHH.net
やがて他の者も目をさまし、仲間に加わり、騒ぎはじめた。

ペペは、気づかわしげに後をふりかえり、船員たちが騒ぎたてる音に気づいたのを知った。

船員の一人が彼のほうへ歩みよってきた。

もちろん険悪な態度はとらず、のっそりと、おだやかに、馬のように大股に、何が起ったかを調べねばならぬ義務を果たそうとして。

ペペは、笠木からおり、白鳥のように優雅に、しかしそれよりずっと早く、反対の方向にむかった。

96 :青火 :2024/04/10(水) 07:29:35.27 ID:I+qy/ZHH.net
部屋へ戻ると、アンパロは乱れた髪にブラシをかけていた。

噛みつかれたように見える彼女の口のまわりに、口紅がひどくにじんでいた。

下の寝だなが例のごとく狼藉の跡をとどめていた。

97 :青火 :2024/04/10(水) 07:31:14.84 ID:I+qy/ZHH.net
「どうだい?」と彼はいった。

むっつりとおし黙ったまま、彼女は顎でうしろを示した。

彼は、すえた匂いのする枕のひとつをもちあげ、手ざわりのたしかな緑色の紙幣を見つけた。

「この前より多いな、いいぞ」

と彼は、紙幣のしわを伸ばし、数えながらいった。

アンパロは顔をしかめていった。

「それだけ稼ぐのは骨だったんだよ。あいつときたら、『もう一ぺんやったらもう五ドル出す!』といいつづけなんだ。

おまけにもとで分はとろうというんだからね」彼女は洗面器の蛇口をひねった。

98 :青火 :2024/04/10(水) 07:32:15.69 ID:I+qy/ZHH.net
「何をしているんだ」とペペは、着物を脱ぎはじめながらたずねた。

「体を洗うんだよ」と彼女はなおも顔をしかめながらいった。「汚れたからさ」

「あまり手間どるなよ」と彼はいった。

その語調から合図をうけとり、彼女はかすかに身震いした。興奮が小波のように肌を走った。

彼女は、布に石けんをつけ、体を洗いはじめた。彼は、興味なさそうに、しかっし体を洗う彼女の手の動きを熱心にたどった。

彼は、下着まで脱ぎすて、横になった。

99 :青火 :2024/04/10(水) 07:33:16.22 ID:I+qy/ZHH.net
「ずいぶん時間をかけたじゃないか」と彼はいった。「いくら金のためとはいってもさ」

「余計なことはいわないでおくれ」と彼女はいった。「どんなふうだか今いっただろ」

「余計なこと?」と彼は、うすら笑いをうかべていった。

おそろしくすばやく、また静かに起きあがり、彼女の肩甲骨を平手で激しく打った。

そこならば、痛いけれども、傷がつかないからだ。

100 :青火 :2024/04/10(水) 07:34:04.74 ID:I+qy/ZHH.net
ついでに彼は、片方の手で彼女の項をつかんで激しくゆさぶり、もう一方の手で背筋をなでおろし、げんこつの一撃でしめくくった。

彼女の目ぶたはたるみ、口は唾で満たされて濡れ、乳首が凝固した。

「さあ、急ぐんだ」と彼はいった。

「急ぐのはいやだよ」と彼女は、つきはなすような言葉で媚態を示し、汚れきた綿毛のパフで白粉をはたいた。「疲れてるんだもの」

101 :青火 :2024/04/10(水) 07:34:46.17 ID:I+qy/ZHH.net
「いつまでそんなことをしているんだ」と彼はいい、パフを奪い、投げすてた。

「それじゃあの男に何もかもくれてやったというのか。またどぶに捨ててしまってその気はないというのか。体中の骨をへし折ってやるぞ」

「牡牛みたいな男なんだよ、相手は」と彼女はいった。「疲れるのは当たり前じゃないか」

102 :青火 :2024/04/10(水) 07:36:02.68 ID:I+qy/ZHH.net
彼女は寝だなのそばに立っていた。

彼は、彼女の片方の手首をつかみ、自分の腕をかるくひねって彼女のバランスを失わせ、倒した。

彼女は無抵抗に全身を彼の上に投げかけた。

踊りで鍛えた二人のしなやかな脚は、一瞬、蛇の巣のようにからみ合い、もがいた。

103 :青火 :2024/04/10(水) 07:36:22.04 ID:I+qy/ZHH.net
彼女を少しでも喜ばせることのできる男は彼しかいなかった。

彼女は、自分を喜ばせるためには、彼が彼自身を喜ばせるのにまかしておくだけでよかった。

彼女は、商売として相手にする男たちの退屈な攻撃のときは、守銭奴のように自分を守り、ペペにたいして自分を吐きだしたのだ。

104 :青火 :2024/04/10(水) 07:37:03.79 ID:I+qy/ZHH.net
ペペは、猿のように巧妙で、蛙のように長くつづく。

彼は、彼女がほかの男に気があるのではないかと疑うとき、嫉妬のためと称して、しばしば彼女を折檻する。

しかしもっとも激しい折檻のあとでしばしば彼は、甘美な疲労感のなかに二人の骨が溶けるかと思われるまで何時間も交わる。

彼は、気のすむまで彼女を殴ることができる。

なぜなら、彼女は、彼が与える快楽に倦むことは決してないのだから。

105 :青火 :2024/04/10(水) 07:37:40.73 ID:I+qy/ZHH.net
ペソであれ、フランであれ、ドルであれ、その他の何であれ、

彼女の稼ぎを残らずとりあげようというペペの意志は、釘のように堅かった。

マドリードに小さな自分の劇場を開くために貯めているからだ。

そこでは、呼びものの踊り子として、アンパロを使えるかぎり使うつもりでいた。

106 :青火 :2024/04/10(水) 07:38:18.48 ID:I+qy/ZHH.net
彼女は、稼ぎの一部をペペには渡さずしまっていた。

彼がそれを知ったら、少くとも彼女の頸を締めるぐらいのことは疑いもなくやるだろう。

しかし彼は知らなかった。

アンパロは、いつかは、ひとりだちのスターとなって、いたるところを巡業し、金持になり、有名になるつもりでいた。

偉大なパストラ・インペリオのように。

107 :青火 :2024/04/10(水) 07:40:22.78 ID:I+qy/ZHH.net
愚者の船(上) K・アン・ポーター

第二部 136ページより

エルザは、もじもじし、ビールのグラスを握りしめた。

ハンセンは、何の興味もない無生物の物体でも見るような目でちらりと彼女のほうを見て、目をそむけた。

彼女の母親は必死に彼女の父親の視線をとらえようとしたが、失敗した。

ルッツは自分の身の上話に夢中になっていて、ハンセンにしか話しかけなかった。

「あなたの国から観光客を送ってください。わたしもあなたの極上のバターを少しは買いましょう。

国にはバターもあります――スイスには何でもありますが、しかし十分じゃないものですから……」

108 :青火 :2024/04/10(水) 07:41:27.34 ID:I+qy/ZHH.net
今度はハンセンが、いんぎんにバターやチーズ、そしてまた卵やベーコンの輸出について少しばかり語った。

しょげきったエルザは、ハンセンもアンパロにはバターの商売の話などしないだろうと信じた。

でも、彼がほんとうにひねくれた、つきあいにくい顔をしていて、かえってよかった。

それにお父さんと同じように退屈な話をする。

この人が好きじゃなくて、好きになったことがなくて、よかったわ。

わたしのことをこの人に好きになってもらいたくもないわ。

109 :青火 :2024/04/10(水) 07:43:05.89 ID:I+qy/ZHH.net
しかし、彼女は彼に無視されて深く心を傷つけられていた。

まるで彼が彼女を侮辱するためにそうしているように思われたのだ。

とにかくこの人は年をとりすぎている――少くとも二十八ぐらいじゃないかしら。

彼女は、ものうげに深い息を吸い、背筋をのばし、きらきらと波間におどる朝の光へ視線を移した。

無言のまま、心のなかで、彼にたいする健全な不満を数えあげた。

彼の身だしなみの悪さ、不様な長い脚、大きな足、ふわふわした柔毛質の眉。いやだわ、こんな人。わたしはぜんぜん違う男の人がいい。

110 :青火 :2024/04/10(水) 07:44:45.87 ID:I+qy/ZHH.net
背の高い、やせぎすの、黒い髪をした、若い学生がいた。

この世の何ものも、何びとも恐れていないかのようにけわしい目つきをして、

列の先頭に立って気違いのように甲板を跳びまわり、

わけのわからないスペイン語の文句――彼女には理解できないある種のスラング――をわめきちらしていた。

かつて、彼は、仲間と一緒に彼女の前を通りすぎたとき、彼女のほうを見つめて、体をのりだし、

まるで二人の間に秘めごとがあるかのように顔の半面をほころばせた。

彼の視線は彼女の目に矢のように突き刺さり、彼は跳びはね、歌いつづけたのであった。

111 :青火 :2024/04/10(水) 07:45:31.89 ID:I+qy/ZHH.net
あの人こそわたしが望む男性だ。

彼女は、他の人たちに見られないように顔を手のひらで覆った。

心の中にこみあげた熱い、甘美な感情が顔に出はしないかと恐れたからだ。

「エルザ」と母親は心配そうにたずねた。「どうかしたの? 気分が悪いの?」

「いえ、何でもないわ、ママ」とエルザは、顔から手をはなさずにいった。「光がまぶしいの」

112 :青火 :2024/04/10(水) 07:46:40.05 ID:I+qy/ZHH.net
エルザの祈りによって呼び出されたかのように、まさにその学生がバーに姿をあらわした。

彼は、とびはねてもいなければ歌もうたっていず、仲間の二人と一緒にものうげに歩いていた。

しかし、彼はしゃべっていた。

その声が彼女の耳にがんがんとひびいた。

113 :青火 :2024/04/10(水) 07:47:31.60 ID:I+qy/ZHH.net
「ラ・クカラーチャ・ミステイカ」と彼は役者のように派手な抑揚をつけていっていた。

「神秘のあぶらむし自身、昆虫の女王がこの船に乗っている、激烈な理想主義の権化そのものが。

ぼくは彼女を見た。彼女はここにいる。真珠や何もかもそのままに。囚人として」

「ラ・クカラーチャ、ラ・クカラーチャ」とほかの二人は猿のように本能的な悪意をこめて合唱した。

114 :青火 :2024/04/10(水) 07:49:16.01 ID:I+qy/ZHH.net
愚者の船(上) K・アン・ポーター

第二部 140ページより

話題は次へ移ろうとしていた。

しかし彼らの注意は、学生たちのテーブルのやや人目をそばだてる騒ぎに向けられた。

若者たちは、椅子から立ちあがり、階段のほうへ向かってお辞儀をし、

一人が張りさけるような声で「万歳(ビバ)!」と叫んだ。

入ってきた婦人は、おそろしく旧式な、作法が身についた人間らしい、あらたまった会釈をし、

ボーイの後にしたがって小さなテーブルへ歩みより、学生たちに背を向けて一人で席に着いた。

彼らは、妙に意地悪な視線をかわしながらまた腰をおろし、ナプキンで口を拭くふりをして巧みに笑いをかくしていた。

115 :青火 :2024/04/10(水) 07:50:09.28 ID:I+qy/ZHH.net
彼女は、五十ぐらいの年輩で、それほど遠くない過去まですばらしい美貌を保っていた人のように見うけられた。

おそろしく高価なものらしい衣服を身につけていた。

着古したものではあるが、それでも彼女の現在の境遇にはそぐわない優雅すぎる衣装だった。

耳と頸のまわりと左手の二本の指に大きな真珠をつけていた。

右手には、駒鳥の卵ほどもある、明るい色の、きずがいっぱいあるエメラルドを小さなダイヤモンドで囲んだものらしく見える指輪をはめていた。

116 :青火 :2024/04/10(水) 07:52:39.63 ID:I+qy/ZHH.net
ひどく細い、繊細な、太い血管が浮きでた、老人くさい手は、ひっきりなしに動いていた。

親指をかるく内側へ曲げた手は、わけもなくテーブルのはじから膝へ動き、

組んだり、ほぐれたり、宙にぱっとばされたり、かすかに震えたり、髪やガウンの胸元へ行ったりして、

まるで婦人の意志とは別個の意志をそなえた生きもののように見えた。

117 :青火 :2024/04/10(水) 07:53:12.11 ID:I+qy/ZHH.net
彼女は、その手をのぞけば、身じろぎもせずにすわり、

ややかたい表情で、上体をまげ、皿のそばの献立表を読んでいた。

部屋にいあわせたすべての人が彼女のほうを振りむき、注視していた。

118 :青火 :2024/04/10(水) 07:54:00.64 ID:I+qy/ZHH.net
「でも、どこから」とフラウ・リッタースドルフは船長にたずねた。

「どこから乗ったんですの? だれもあの人が船に乗るのを見かけませんでしたけど。その前のヴェラクルスの町でも」

と彼女はあやふやな表情でテーブルを見わたしていった。「少なくとも、ここにいる方はどなたも」

119 :青火 :2024/04/10(水) 07:54:51.61 ID:I+qy/ZHH.net
「むりもありません」と船長は重々しくいった。

「あの方は――スペインの伯爵夫人(コンデサ)なのですが――ほかの乗客が乗る数時間前に内密に二人の警官に連れられてきたのです。

警官は、わたしが航海のあいだあの方を鎖でつなぐか、あるいは少なくとも船室に監禁するとでも考えたのでしょう。

すぐ三等船室に連れていこうとしました。

どんなことをした人であろうと、貴婦人をそんなふうに扱うことはわたくしにはできません」と船長はいった。

120 :青火 :2024/04/10(水) 07:55:39.01 ID:I+qy/ZHH.net
彼の目はやさしく貴婦人の乗客への注がれていた。

じっさい、この名流婦人、まぎれもない貴族、

つつましい彼の船にはめったに迎えることのできない種族を眺めるのが嬉しくてたまらないめつきであった。

121 :青火 :2024/04/10(水) 07:57:38.41 ID:I+qy/ZHH.net
「あの手!」とリッツィは叫んだ。「あの手はどうしたのかしら?」

「いまは相当神経が弱っていられるようです」とシューマン医師はいった。

「あの方の立場から考えれば、むりのないことと思われますが。近いうちにご気分がよくなるでしょう」

そっけない職業的な口調、目差しだった。

「いささか容色に衰えが見えますな」とリーバーはいい、非難をこめた七対の目で見つめられてたちまち自分の不用意を悔んだ。

「たしかに若くはありません」とシューマン医師はいった。

122 :青火 :2024/04/10(水) 07:59:14.26 ID:I+qy/ZHH.net
「ラテン・アメリカの政治犯を」と船長は鋭い目で一人一人ねめまわしていった。

「額面通りにうけとるものは、まぬけとしかいいようがありません。

わたくしは、あの方が危険な革命党員である、国際的スパイである、暴動・反乱の温床からべつの拠点へ扇動的なメッセージを運んでいる、騒擾を教唆しているなどと告げられました

――こうしたたわけた話がどうして信じられましょう。

123 :青火 :2024/04/10(水) 08:01:38.07 ID:I+qy/ZHH.net
わたくしの意見をいわせて頂くなら、

あの方は、刺激的なことを好み、いたずらをはじめ、自分が何をしているのかを少しも顧慮することなくいたずらをくりかえす、

あの裕福で、高貴な有閑婦人の一人なのです――どんな種類の政治であれ、政治にたずさわるすべての婦人についてそういうことができます!

そしてそんなおせっかいのあげく、われとわが指をひどく火傷してしまわれた。まあ」と彼の声はやわらいだ。

「これであの方も懲りられたことでしょう。これ以上罰をつけ加えることはわれわれはするべきではありません。

あの方は、ともかく、テネリフェへ行かれるだけです。楽しい航海をとあの方のために願っています」

124 :青火 :2024/04/10(水) 08:02:50.14 ID:I+qy/ZHH.net
「いかにもうやうやしげに彼女に挨拶したあの学生たちは」とフッテン教授は考えこみながらいった。

「メキシコでよく見かけた革命家タイプとは違うようだ。

ああいう連中は、親たる者の義務をないがしろにする裕福な両親によって嘆かわしいほど甘やかされた子弟なのです。

メキシコでは、いや中・南・北米全土を通じてあまりにもはびこっているタイプの若者です。

われわれの学校でわれわれドイツ人の青少年を彼らの影響から護ることが絶えざるわれわれの課題の一つでした。

ぜったい間違いのないドイツ的生活とドイツ的躾けの方法との結合に訴えることにより、かなりの成果をあげることができたといえるのは御同慶のいたりですが」

125 :青火 :2024/04/10(水) 08:05:45.87 ID:I+qy/ZHH.net
「革命党員が真珠をつけているなんて、想像してみたこともなかったわ」

と自分だけべつのことを考えていたフラウ・リッタースドルフはいった。

「あれがほんものであるとしての話だけど。でもあやしいわね」

「ああいう身分の方が身に着けているのですもの」と小柄なフラウ・シュミットは敬意をこめていった。

「ほんものと考えていいのだと思いましてよ」

126 :青火 :2024/04/10(水) 08:07:08.29 ID:I+qy/ZHH.net
愚者の船(上) K・アン・ポーター

第二部 144ページより

「軽喜歌劇一座(サルスエラ)の人たちを見てごらんなさいよ。ぜんぜん気味がわるいわ、そう思わない?」とジェニーはいった。

どういうわけか、このスペイン人の一座が人間であるとは彼女には思えなかったのだ。

優雅な所作で野卑な感情をたえず表現している、等身大のあやつり人形のように思われた。

彼らのしかめ顔、怒りや不機嫌や嘲笑や侮蔑のしぐさはどれもあまりにとってつけたように、型にはまっているように見えたので、とても本当とは思われないのだ。

そのどれも生きた人間のしぐさとは信じられなかったのである。

127 :青火 :2024/04/10(水) 08:07:57.65 ID:I+qy/ZHH.net
スペイン人たちは、伯爵夫人(ラ・コンデサ)が姿をあらわしていらい、彼女からほとんど目をはなさずに見つめていた。

激しい憎しみをこめた目差しで見つめていた。

彼らは、むっつりした顔つきで、お互いにそっと突っつきあい、囁きをかわしていた。

食べながら、顔の向きをかえて、視線をたえず彼女の上に注いでいた。

128 :青火 :2024/04/10(水) 08:08:56.64 ID:I+qy/ZHH.net
「彼らが彼女から盗もうと計画しているなら」とジェニーはいった。

「実行しないうちにとっくにその計画をさらけだしているわね。

あのペペという男はさっきから彼女の真珠から一度も目をはなしていないわよ。

それもほんとむりもないわ――ねえ、デイヴィット・ダーリング、すてきじゃない?」

「いいものらしいね」とデイヴィットはいった。

129 :青火 :2024/04/10(水) 08:09:44.56 ID:I+qy/ZHH.net
「でもぼくには十セント・ストアの真珠と区別がつかないがね。ほんものの真珠をそばで見たことがないんだ」

「ダーリング、お里が知れるみたいよ。ねえ?」

「ああ、その通りだよ」

「でも、少くとも美しいということだけは認めるでしょ?」

「どうかな」とデイヴィットはいった。

130 :青火 :2024/04/10(水) 08:11:15.08 ID:I+qy/ZHH.net
「なにしろぼくは真珠が買えるような身分の人間にたいして偏見をもっているからね。まともな判断はできないよ。

すばらしいものかもしれないがね。ぼくにはどうでもいいってことさ」

「そこまで譲歩するなんて、あなたとしては上出来よ」とジェニーはいった。「ほんとに上出来だわ」

「ほんものでないということがわかっていたら、もっといいと思うんだがね」とデイヴィットは、興味を失い、つまらなそうにいった。

「そうよ、ダーリング」とジェニーはとつぜん華やいだ口調でいった。

131 :青火 :2024/04/10(水) 08:12:12.00 ID:I+qy/ZHH.net
「わかってるわよ、あなたってそういう人よね――でもそうかといって、生きた女より人形のほうがいいというわけじゃないでしょう?

ほんとに妙な話だけど、わたしはあなたもほんものの真珠も大好き――ねえ、これはどういうことなの?」

彼女は彼に微笑みかけた。

その笑みが彼女の顔をまったく好ましい感じに変えるさまを彼が眺めた。

彼はいとしげに笑顔をかえした。お互い美しく思われた。

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