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東京都内観光 その72

688 :列島縦断名無しさん:2023/09/27(水) 00:19:35.07 ID:g0aRRo0E.net
旧古河庭園

1914年頃、財閥の邸宅競争の中で古河財閥三代目古河虎之助が邸宅、庭園を建設
(江戸末期には戸川播磨守下屋敷)

邸宅の設計は、鹿鳴館や東京国立博物館、岩崎邸(現存4つの重要文化財を設計)と同じジョサイア・コンドル
庭師は、近代作庭の先駆者、小川治兵衛(平安神宮神苑、円山公園など現存7つの名勝を作庭)という豪華布陣

1926年頃には本宅は転居し、迎賓館として利用、また汪兆銘を匿うなど隠れ家として利用された
1945年進駐軍接収
1952年接収解除、その間に古河家の相続税未納により関東財務局へ
1955年北区民の運動により関東財務局と東京都が賃貸契約され一般開放
1989年30年放置されて荒廃した洋館の修復工事完了

旧岩崎邸庭園

江戸時代を通じて榊原康政から始まる榊原家藩邸だった土地、舞鶴藩牧野邸、桐野利秋邸をへて
1878年岩崎弥太郎邸
1896年ジョサイア・コンドルによる洋館建設、迎賓館として利用(コンドルは岩崎家との結びつきが強かった)
1945年米軍が接収し、キャノン機関本部となる
1953年日本政府に返還される
1969年司法研修センターなど建設のために敷地が三分の一になる
1994年文化庁に移管
2001年東京都移管、一般開放開始
2003年旧岩崎邸改修完了

殿ヶ谷戸庭園

1915年、大正時代、富裕層の別荘地となっていた国分寺村に三菱合資会社総理事などをつとめてのちに南満州鉄道副総裁になる江口定条が別邸随宜園を建てる
作庭は八芳園などを手がけた仙石宗太郎
1929年、岩崎彦弥太(三菱四代目総帥、三菱合資会社社長岩崎久弥の長男、戦後の公職追放により岩崎総帥になれなかった本流の後継者)に売却され庭園が作庭され直すなど大規模改修
1972年頃から国分寺市民の運動により1973年東京都が買収方針、彦弥太の長男、岩崎寛弥より買収、一般公開

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