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梶裕貴 Part16
- 68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/26(木) 11:46:49.64 ID:oQJqrueE.net
- 『声仏事を為す之を名けて経と為す』
<「声」は生命全体の響き、その人の生命、人格そのものが現れる>
「声」は生命全体の響きです。声にはその人の生命、人格そのものが現れている。
あるフランスの作家は「声は第二の顔である」と言った。姿・形はごまかせても、声はごまかせないものです。
大聖人は仰せです。南無妙法蓮華経には、一切衆生の仏性を『唯一音(ただひとこえ)』に呼び現す無量無辺の功徳がある(御書557頁)。
また、凡夫という無明の卵を温め、孵化させ、仏という鳥へと育てる「唱(とな)への母」である(御書1443頁)と。
梶祐貴さんと竹達彩奈さんの声が日本に響き渡り人々を癒してるのも定めなのです
題目を真剣に唱える声を根本として、あたたかい励ましの声、毅然とした勇気の声、
心からの歓喜の声、真剣な誓いの声、明快な智慧の声、等々に満ち満ちているの梶祐貴ご夫妻の声なのです
遠藤 大聖人は、仏の三十二相の中では「梵音声相」が第一の相であると仰せになっています。(御書1122頁)
「梵音声相」とは、音声が遠くまで明瞭に達し、しかも清浄で、聞く人を喜ばせるような声です。実際に釈尊の声も、そうだったのでしょう。
池田大聖人も、梶ご夫妻も、すばらしい声だったからこそ、人々の生命を揺るがし、蘇らせることができたのです。
池田 大聖人も『此の経は専ら聞を以て本と為す』(御書416頁)と仰せです。
だから、仏の「声」が重要な意味を持っている。「妙法蓮華経」の「経」の意義について、『声仏事を為す之を名けて経と為す』(御書708頁)と述べられるゆえんです。
貴方が声優を目指される時に先ずはお題目と真摯に向き合って学会を尋ねられてはどうでしょうか。
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