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【中国四千年】 夏王朝

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/09(金) 23:34:11 ID:/vMYzZSZ0.net
中国の教科書を信じて夏王朝について語りましょう。
実在の可能性。妄想なんでもあり。だって四千年も前のことだからね

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 18:17:52 ID:2UvPaNue0.net
三星文字(春秋以前の蜀の国の文字、解読できたら中国政府から億の賞金)だっけ?とインダス文字とロンゴロンゴ(イースター島の文字)は
確かに似ている。ただ単に似ているだけで全く関係は無いかも知れんが。
殷の未発見の都市をピラミッドのよう(去年も大量に未発見の遺跡が発見された)に人工衛星から探すのも手。中国政府が嫌がるのは目に見えているけど。
そこで中国版ロゼッタストーンでも見つかって甲骨文字が完全に解読されたら夏もある程度は分かると思う。
ヒエログリフ(解明)、楔形文字(解明)、甲骨文字(半分解析)、インダス文字(未解明)
もう一つはインダスとメソポタミアが交流していたので楔形文字とインダス文字の両方が書かれた碑文でも
発見されればインダス文字も解明され三星文字だっけ?も解明されるかもしれない。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 02:10:25 ID:z+W0N1AiO.net
兎王と湯王




77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/28(土) 04:42:47 ID:twvf1tlo0.net
>>69
めがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/28(土) 10:08:49 ID:MCilX7OH0.net
なに、赫連勃勃がおKなら竇建徳もいいの?

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 23:57:23 ID:pd83y76u0.net
「巴蜀文字」はどうなってしまったんでしょうか?
これが夏が実在したための証拠の文字ではないんでしょうか?

>> 30



80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/21(金) 17:27:15 ID:S2eY3fC90.net
初代禹王とその父は実在しない。そして、7代目予〜13代目廑までは日本の欠史八代と同じく
架空の存在。
つまり夏王朝は初代啓から始まり途中で異民族の侵入で王朝は一旦滅び、その後復興。
初代啓から途中の異民族の侵入による滅亡をはさんで9代150年〜200年と言うのが
真実に近いと思われる。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 22:08:14 ID:5VLVENXA0.net
>80
在ったかどうかもわからないのに??

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/09(木) 23:32:23 ID:ehOSxGOu0.net
>>81
何も無かったと考える方が無理があるぞ。神武東征は架空で神武天皇も実在しなくても
モデルになった人物や出来事はあったと考えるのが自然。
禹は神武天皇みたいなもんだ。祟神天皇が最初の実在の天皇とされており啓に相当すると思われる。
神武天皇も祟神天皇も両方とも「ハツクニシラススメラミコト」つまり始めて国を開いた天皇という意味。
二代目の王である啓も「開く、開ける」という意味で初代王だという意味になる。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/26(水) 21:08:05 ID:z1Dtbs5+0.net
この王朝世界史の教科書にも載ればいいのに…
センター試験とかでも出てほしい

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 21:48:11.76 ID:9iRPpNfL0.net
夏は無理でしょ。
同時代の文字資料が出なきゃ。
中国共産党が夏といっても、他から見れば、前殷(前商)でしかない。



85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/02(土) 16:28:47.34 ID:b+cDouWh0.net
>>84
何らかの文字資料が見つからないとね。邪馬台国と一緒だ。遺跡が見つかるとすぐ邪馬台国発見と騒ぎ立てるしね。
夏は二里頭の甲骨文字に似ている刻印記号が甲骨文字の前身だと判明するまで証明のしようが無い。
殷中期の遺跡はまだ発掘中で新展開がありそうだし未発見の西周王墓からも文字資料が出るだろうから夏の正体も
だいぶ判明すると期待される

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 09:18:56.42 ID:zWgtp/Xd0.net
夏王朝の王名が、殷王朝の王名と被ってるとこもあるしね

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 15:52:15.44 ID:YjGuv+8a0.net
>>86
被っている王名と被って無い王名があり、被っている方は水増しした疑惑が濃厚
夏は実際よりはかなり小さな存在だったと思われる。
あくまでも周辺豪族の中で一番大きかった程度で近い力を持った連中は他にもいっぱいいたと思われる。
強大な夏を倒した殷を更に倒した周は凄い国だと印象付けるために実態よりも大きく長く続いた王朝に見せかけたと。
実際の夏は二里頭周辺から杞国があったあたり限定の勢力でしかなく、471年も続いたわけでもなく150年程度しか続いていないと思われる。
二里頭自体が471年も続いたわけでもなくもっと新しいしね、大体大きく見積もっても200年程度だし

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 15:55:39.09 ID:YjGuv+8a0.net
周王朝の連中は間違いなく夏の存在を知っていた。しかし、夏と呼称するのは西周中期から。
それ以前には杞国しか存在していない
だから杞こそが夏の自称であろう(杞は西周どころか殷墟から出土した甲骨文にすらその名が出て来るほど古い国)

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/27(日) 11:38:25.14 ID:DNL0ceP90.net
バクトリアを大夏と呼んだ意味はバクトリアが夏の故郷と言う意味だったり?
アンダーソンの中華文明西方起源説みたいだが

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/16(日) 06:01:37.66 ID:fkLu43xX0.net
来月NHKスペシャルで夏王朝の特集やるみたいだぞ

91 : 忍法帖【Lv=7,xxxP】(-1+0:8) :2012/09/16(日) 18:09:39.27 ID:C5TO/RmH0.net
すげえな


92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/17(月) 00:11:52.36 ID:29HkR6t40.net
NHKスペシャル|中国文明の謎 第1回中華の起源 〜夏〜(仮)
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/1014/

2012年10月14日(日)
午後9時00分〜9時49分

広大な国土と膨大な人口。ますます存在感を高める中国。
世界の古代「四大文明」の中でも、ただ一つ中国文明だけは、
4000年以上にわたってほぼ同じ地域で同じ文明を維持して繁栄を続けてきた。
その謎を、王朝の誕生から始皇帝の統一までの文明揺籃の時代に探るシリーズ。
第一集は最古の王朝「夏」。「中華」という言葉は、かつて「中夏」とも書かれた。
「中華」の源流である「夏」王朝は、中国のいわば邪馬台国とも言える。
今まで、最古の王朝と考えられていたのは「殷」だった。
「夏」は「史記」などの文献に登場するものの考古学の裏付けがないことから、
多くの研究者は「幻」と考えてきたが、近年の発掘で、ついに実在が確認された。
「夏」が誕生した紀元前2000年頃は、
黄河流域だけでなく南の長江流域などでも多様な文化が同時多発していた時代。
その中で「夏」が王朝になることができた理由とは?

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/28(金) 02:02:36.44 ID:SIQ1b4YH0.net
赫連勃勃

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/08(月) 12:49:39.62 ID:nmzNOkVl0.net
今、知った。録画準備完了

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/20(土) 00:52:19.08 ID:XEYls+Mr0.net
見たけど「華夏」という言葉を押しまくってる部分は早送りしたわw
「一つの中国」を強調する共産党の宣伝みたいで胡散臭かった
Wikiで調べたけど文献でちょこっと出てくる程度の単語
番組中ではえらく大げさに扱ってたけどw

でも宮殿の意匠についての考察はおもしろかった

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/20(土) 02:49:58.66 ID:8HHDu2a60.net
牛の角を突っ込まれてゴミと一緒に捨てられてたって、
中国は夏の時代からエグかったんだな。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/20(土) 09:15:13.45 ID:tSig1N1N0.net
>>96
股に思いっきり刺してたよな>牛の角
手口まで同じとは
死者に不必要な痛めつけをするのは今の中国と同じ

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/20(土) 11:32:36.05 ID:uQJkj4Rk0.net
人豚とかな…
読んだのがガキの頃でキツかった

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/21(日) 05:03:53.07 ID:HVb/zhTC0.net
牛の角で陰部刺された女性が出てきたのは、陶寺遺跡だろ。
あれを夏王朝の遺跡に含めるのは、大陸の学界ですら多数説ではないと思うが。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/22(月) 21:56:20.53 ID:Vbf9WrcS0.net
ん?別にNHKでも夏王朝とは言ってないんでは?
夏と同時期の別の地域から出てきた遺骨で
番組では「一方、夏では〜」って構成だったし

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/30(火) 02:07:51.43 ID:RvWUgQuw0.net
Nスペへのツッコミ
ttp://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20121016/p1


102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/13(火) 05:48:45.92 ID:QfuNLxo/0.net
1回目は中共の異民族支配正当化のプロパガンダ臭が酷かったな
2回目はそれなりにまともな構成になっていたが
殷の処刑についてはヒストリーチャンネルの生贄特集が詳しかったね

夏王朝についてははっきり言って小さな都市国家程度の話であって
同時代に同じ規模の都市国家は長江流域にも複数あったのはもう明らかじゃないかな
あくまで中原中心の中国史が正史だから二里頭遺跡=夏としてるだけで
はっきりしてる殷周の流れに対して長江流域の蛮族を夏に否定することは難しい
まぁ夏の時代の威信財とかが出てこないことには王朝扱いするのは無理だと思う

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/15(木) 02:59:20.38 ID:WCVOe34B0.net
一番画数の多い字って、料理店の創作&ステマかよ。
龍×4の方が画数多いし。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/06(木) 16:42:06.51 ID:fgCMevRw0.net
http://dokuritsutou.heteml.jp/

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/17(木) 23:20:00.17 ID:0n7fKWh40.net
NHKにしては頑張ったほうかもな
中華思想が政治的方便だとはっきりさせてたし
まぁ「何千年にもわたって中国は一つで在り続けた」とか言っちゃってるけどさw
チベット、ウイグルの独立の動きに対して孫文や毛沢東が中華民族持ちだした話とかは
要するに民族自決を無視した一方的な中華思想による支配って話だし

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/02(土) 21:20:19.60 ID:dumwssBz0.net
NHK BSプレミアム
2013年2月7日(木)
19:30〜21:00(90分)

古代中国 よみがえる英雄伝説「伝説の王・禹〜最古の王朝の謎〜」

俳優・中井貴一が中国古代史の謎に迫る。
司馬遷が記した「史記」には、最古の王朝「夏」は全土の治水に成功した「禹王」によって建てられたとある。
これまで神話に過ぎないとされてきたが、近年の発掘調査から、夏王朝の実在が明らかになろうとしている。
また、王朝成立以前、中国各地には、いくつもの文化が繁栄していたことも明らかになった。
その中で禹が中国最初の王となり得た理由は?
最新の考古学から禹の実像を探る。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 17:10:05.30 ID:rvN327rN0.net
司馬遷も「三皇は史料や口伝が少なく史実とは思えないので史記には載せないと明言しているし」
「五帝も実在の人物とは思えないが何らかのモデルとなった史実はあったと思うので参考程度に載せておく、だがその中でも黄帝は
一番実在性が乏しい」と言っている。「黄帝について語られる物語が一番少ない上に人によって逸話が全然違うし
教養ある人は黄帝について口を濁すばかりで良く分からない」とも言っている。
司馬遷が歴史に詳しい古老達から色々取材しても黄帝はあいまいな存在だったと言うわけだ。

実在性の低い順
三皇>黄帝(五帝の中で一番実在性が低い)>他の五帝>禹>夏王朝
の順だろうね。竹書紀年や西周中期の金文に既に禹(この時は神であって夏王朝の始祖としては扱われていない)や夏王朝
の名が出ているのに対して三皇や五帝は戦国時代まで時代を下らないと名前が出てこない。
中でも黄帝は神武天皇と比較されるようなものだから、実在しないでしょうね

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 17:17:17.61 ID:rvN327rN0.net
三皇・五帝(黄帝以外)=天津神・国津神
黄帝=神武天皇
啓=祟神天皇
夏王朝=大和朝廷
こうすれば分かりやすい、二代目夏王朝の王である啓は「開く」と言う意味であり
ハツクニシラススメラミコト(神武も祟神も同じ同音で呼ばれている)みたいなもので
おそらく真の初代夏王朝の王
夏王朝の後裔の「杞」と「啓」は現地の発音だと同音だし、関係はあるだろう
予想だが夏の自称は「杞」だったのではなかろうか?殷の時代の甲骨文字からも「杞国」や「杞侯」と言う
国や貴族の名が出て来るからかなり昔からあるようだしさ。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/29(月) 16:35:54.28 ID:gedQVegp0.net
文字を読めない人でも「杞」と言う国の名前と「啓」と言う王の名前が発音が
一緒ならば同一の存在と考える事はできる。杞国であり啓国であるともとれる。
だから杞国は「啓の国」ともとれる。杞が夏王朝の末裔と言うのもまんざらでもないだろう。
何しろ杞自体が二里頭文化の範囲内にあるし。
宋の初代王の微子と長子口も同一人物であると呂氏春秋に書かれているし。
これに比べたら杞と啓の違いなんて微々たるもの

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/07(火) 11:44:38.72 ID:cY6kvg060.net
夏王朝=大和朝廷


これは違うだろう。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/08(水) 23:03:23.84 ID:lYw6VFIy0.net
夏王朝=邪馬台国
殷王朝=大和朝廷

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/09(木) 04:12:01.16 ID:B+FoD51DP.net
残念ながら日本の場合は邪馬台国とヤマトの関係を正史で否定してるからなぁ
実際は邪馬台国=ヤマトだし中途半端に神功皇后が卑弥呼みたいなヒントは散りばめてるが
中華帝国に朝貢し柵封されたという事実を認められなかったから

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/11(土) 01:27:42.96 ID:BVKOkENP0.net
夏殷周秦漢晋隋唐宋元明清

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/13(月) 21:23:30.65 ID:Sv2N7XnJ0.net
>>112
それまでずっと1000年以上にわたって邪馬台国=ヤマトコクって呼ばれてきたのに
江戸時代に本居宣長が突如アレは九州の女酋長、だから邪馬台国=ヤマタイコクと呼ぼう
と言いだしてからおかしくなった気もする

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/17(金) 11:54:05.42 ID:tcGo6EoFP.net
>>114
皇国史観が否定された戦後も何故かヤマタイコクのまま
この辺りは皇国史観と反天皇派の利害が一致しちゃってるんだよね
邪馬台国がヤマトだと日本の統一国家(ゆるい連合だけど)の歴史が一気に200年くらい遡るから困るんだろう

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/20(月) 12:34:16.39 ID:aONlvV0t0.net
邪馬台国は今は九州説が有力なの?

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/20(月) 15:24:16.98 ID:oHbu7BY5P.net
現在の
九州説の論拠 魏志倭人伝と吉野ケ里
近畿説の論拠 魏志倭人伝と巻向の大規模な遺跡の発掘

まぁはっきり言って町興しとか京大と東大の抗争とか除けばどこにあろうが大した意味は無い
日本に邪馬台国があったという事実が重要なわけで

 

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/20(月) 15:59:47.63 ID:aONlvV0t0.net
なるほど
しかし中国の史書にも載ってるような重要な国家が何処にあったかすらはっきりしないと言うのは…

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/20(月) 21:45:50.15 ID:oHbu7BY5P.net
>>118
張政が19年間邪馬台国の軍事顧問として活動してた説もあるんだけどね
彼は邪馬台国の位置を正確に把握していたのは間違いない
彼は最終的には帯方郡の太守になってるが邪馬台国の位置をあえて正しく報告していない
ここからは妄想だが彼は邪馬台国の基盤を盤石にした武官であり邪馬台国との強いつながりを持った故に
いざとなれば邪馬台国に逃亡する事も考慮したんだろう
魏志倭人伝にある邪馬台国までの経路を報告したのは張政の前に邪馬台国に派遣された梯儁だろう
梯儁は一大率(北九州)までしか来ていない可能性が高い
だから途中から途端に国の位置関係に関する記述が曖昧になる

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/21(火) 10:56:03.00 ID:AiAgBsa/0.net
>>117
意味はあるんじゃないの?
特に九州説を採用するなら日本の年表が大幅に変わってしまう可能性もあるのでは

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/27(月) 14:31:50.87 ID:XBFSj2sY0.net
>>119
朝鮮戦争終結してからだいぶ経った後だけど、北朝鮮で楽浪郡か帯方郡の遺跡から
張政の墓ではないかと言われるものが発見された。あと王仁で有名な王氏の墓も複数見つかっている。
でも北朝鮮は財政難で発掘調査とか表面的な部分しか見てないから、遺跡は手つかずのままなんだよ。
高句麗時代の遺跡とかもほったらかしだし。もったいない。コンクリートで作った檀君陵の建設はしたけどさ。
半島が統一されたら日本からも学者を派遣してちゃんと調査して欲しいね。
楽浪郡の遺跡は間違いなく古代の日本の姿を発見する事に繋がるし。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 23:38:23.64 ID:uCFmOgcVP.net
張政の墓が見つかったのは知ってるけど
そこに邪馬台国絡みの物があるかといわれると

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 15:02:03.20 ID:2RPzvdrdO.net
夏王朝って一年中夏でさぞかし暑苦しい王朝だったんでしょうね
現在の赤道直下の国みたいに
一年中水着姿でみんな暮らしていたとか?

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 16:01:33.95 ID:2RPzvdrdO.net
夏王朝は東南アジアにあった説も多いので

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/10(金) 06:21:12.56 ID:5I55srdV0.net
殷も存在したんだから夏もあったんだろ

古代人がわざわざ真っ赤な嘘を書くわけがない
見栄を張る嘘は書くかも知れんが

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/10(金) 12:37:00.23 ID:hXB4ENwK0.net
殷(商)には文字があった。
夏にはない。

もっとも殷に先行する王朝があった事は間違いないだろうが、それが夏かどうかは分からない。
ただの小規模な都市国家かも知れない。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/10(金) 21:40:41.22 ID:bvprZum20.net
真っ赤な嘘を書く筈が無かったら黄帝や神農氏も王朝を開いたんだな。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/11(土) 01:57:13.15 ID:VA9PZ9db0.net
文字文化の出来た殷時代に口伝で残っていた夏について記述が残った
それが後々まで伝わったって話だろうから
実際夏とみられる遺跡も見つかってるしこれはこれでOKなんじゃないの?

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/13(月) 11:49:07.07 ID:W26Eqzb/0.net
一応二里頭から文字状の記号は見つかっている、ただ解読はできていない
三皇五帝は戦国時代より昔にさかのぼる事は出来ないが夏王朝は西周までさかのぼれる
三皇五帝の実在を証明するの天照大神の実在を証明するようなもの
つまり不可能って事
特に三皇に至っては五帝以上に実在を証明するのは不可能

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/13(月) 11:50:46.16 ID:W26Eqzb/0.net
夏人の自称は今も不明のまま。彼らの自称は杞が有力視される。
殷だって自称じゃ無くて周が呼びだした蔑称だし、本来の自称は商

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 21:48:07.70 ID:/TAJirEEP.net
二里頭文化の前にも宮殿状の建物を有する邑が存在したし
なんらかの都市国家みたいなのはあったんだろうな

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 22:03:35.42 ID:bIWaCD0L0.net
夏王朝なんて三内丸山みたいなもんだろ
王朝と呼ぶのは無理がある

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 22:05:25.49 ID:bIWaCD0L0.net
>>125
それが古代から中国の歴史書は嘘ばっかりなんだな
韓国は言うに及ばずだが中国の歴代王朝、記録者は嘘つきだらけだから
あと伝説の場合もあるがそれをそのまま歴史にするわけにはいかないだろ

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/21(火) 22:34:28.75 ID:IJCLfm4B0.net
夏(杞)の痕跡は商代には既にあるんだがな。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/28(火) 18:19:59.48 ID:AS6Fa6tm0.net
>>132
三内丸山は夏王朝以前の竜山文化とかそんなのに相当する。三内丸山は日本書紀にも古事記にも
それらしい伝説なりなんなりは痕跡すらない。
夏王朝があったとされる二里頭遺跡は纏向遺跡に相当するもので、三内丸山ではない

それはそうと二里頭も纏向も今は畑になっていてその土地は個人の所有物になっていて、冬しか発掘できない

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/30(木) 00:43:22.07 ID:aTBHPZ4l0.net
>>133
殷墟と甲骨文字の発見で『史記』殷本紀の基本線がびっくりするほど正しかったことが証明されたのが、はや20世紀初頭のことなんだが……。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/30(木) 01:35:13.96 ID:uR/M3N4T0.net
二里頭の記号は文字と言えるのかどうか
古ヨーロッパ文字みたいなのもあるからな

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/01(土) 20:28:00.78 ID:E8yNV8bN0.net
>>137
甲骨文字っぽさもあるけど、ただの線という感じもするしな

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 12:37:30.34 ID:mfX5/8Co0.net
堯舜禹の禹が始祖って事になってるが
さすがに伝説の域を出ないな

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/07(月) 21:45:50.15 ID:xB0wMphh0.net
>>139
西周初期の記録によると禹は夏王朝の始祖とは関係ない。夏人を始めとする複数の部族が信仰していた神様
西周中期の夏王朝の記録によると初代帝王は啓とされている。
禹は天照大神とかそういうレベルの存在
啓は祟神天皇ぐらいのレベルの存在
啓=杞(同音異義語)は初めて開くという意味でハツクニシラススメラミコト
彼らが信仰していた神様である禹が夏の初代王とされるようになったのは戦国時代初期から
堯舜に至っては戦国時代中期より昔に遡る事はない

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/10/31(金) 16:11:49.05 ID:VXM3bcMG0.net
焚書坑儒がなければなぁ
あそこで失われた資料を口伝とかもフル活用して修復したのが司馬遷って感じだろうか?

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/03(火) 07:55:56.56 ID:lrxDQbEK0.net
夏王朝は黄河文明として教科書には載ってた気がする

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/09(月) 06:33:38.97 ID:T4y96Kl40.net
12世紀〜13世紀の西夏とかんけいあるのでしょうか?

夏のあった領土の西の部分が西夏だったとか・・・

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/09(月) 08:52:52.60 ID:7IORBih/0.net
まぁ大河の流域にはどこでも文明あったんだろうな

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/17(火) 21:52:35.12 ID:VI2TguTU0.net
>>133
司馬遷なんかは当時としてはかなり真面目な記録者の部類だろうな。
三皇は「とても本当とは思えん」、五帝は「モデルがいたのかもね」だもんな。
始皇帝が呂不韋の子だと断定しちゃったりもしてるけど。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/18(水) 01:46:20.56 ID:BYpVDnSH0.net
殷より前の王朝が夏か分からないっていうのは詭弁だろ
殷より以前に存在し、かつ殷によって滅ぼされて継承された政権があったのならそれが無条件で夏だ

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/18(水) 14:00:23.21 ID:f91YfvhdO.net
ただ、系図にある王たちが実在していたかどうかは解らない。
傑王の履癸っていう別名だけは、十干が付いていて商朝との関連性が感じられる。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/19(木) 21:37:03.38 ID:KOgOsy0I0.net
そりゃ証明されてないからね

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/04/09(木) 19:26:27.10 ID:H1+hI9gO0.net
夏王朝と商王朝の先祖の名前が被ってるという話もある

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/03(日) 22:34:50.48 ID:6e6rJtxV0.net
禹の時に揚州と荊州から象牙が献上されたという
記述があるが、ゾウがいたってことかね?

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/04(月) 04:22:17.97 ID:Fynto/r90.net
紀元前の中国大陸に象や犀がいたのは、わりと知られている話。
安陽殷墟からも象の骨が出てるよ。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/04(月) 12:43:50.37 ID:aFN/+3TA0.net
文字文化がなく記録が残ってないだけで
大昔から人の交流や貿易はあったんだろうね
日本も帥升の後漢朝貢が最も古い記録だけど
いきなり帥升が洛陽まで使節団送り込めるわけ無いし

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/04(月) 14:22:19.53 ID:XVzDrOTf0.net
中国の象ってナウマン象みたいな象?
インド象に近かったの?

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/05(火) 01:39:00.60 ID:8HFVD5HS0.net
>>137
先史中国は先史ヨーロッパと同じく表意記号王国。
旧石器後期から鉄器時代までとスパンは長い。
二里頭期でも中国各地の遺跡からは結構見つかっている。
それら各地の記号が二里崗早期に商へ集まって甲骨文なったのか、
二里頭独自に発達したのかどっちだろう?
かの有名な白川静は陶器記号説を否定して、二里崗後期に甲骨文が成立したって言っている。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/05(火) 23:22:13.42 ID:ChDN7lSr0.net
中国を九州に分けたのって禹だっけ?

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/09(土) 18:57:18.83 ID:r8YlhrdC0.net
>>155
そう。
二里頭期は洪水やらで各地が荒れていたから(有名な長江良渚遺跡からも洪水堆積層が見つかっている。)、
各地の作物を集めて管理をし、そこから間接的に支配していったのだろう。
それが九州伝説の元になったんじゃないか?

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/11(月) 14:04:41.66 ID:WKGiN++c0.net
禹は西羌の出身ってマジですか?

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/29(金) 17:20:07.49 ID:LE/fBnG90.net
>>154
まあ、甲骨文の起源に関してはまだ机上論の段階だからな。
ただシュメール絵文字や初期のヒエログリフ、インダス文字のどれかが甲骨文の起源と言うのは
荒唐無稽だがな。(東洋嫌いな欧米の学者の見解か?)
上記の三大古代文字と同時期に漢字の原初形記号が見つかってるからな。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/02(火) 17:45:39.24 ID:+LPreEVV0.net
>>153
インド象だよ

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/16(火) 21:28:12.58 ID:7N06EQUq0.net
高度な文明が突然現れたのは殷

青銅器と漢字が完成体で登場した

当然起源は、シナの遥か西方に思われる

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/19(金) 04:42:09.41 ID:D0Wbx/6J0.net
>>154>>160
中国土着の絵文字(陶器記号)・言語体系があったと思われるが、4000〜3500年前頃に
メソポタミアからの文化(青銅技術や騎馬、天文学等)の流入が起こった
それと同時に入ってきたメソポタミアの文字システムと中国各地で使われていた文字体系・言語が
組み合わさって出来た文字が甲骨文なのかもな

ただ、長江下流域で栄えた良渚文化は当時としてはシュメールと並んで優れた文化だったと思う
文字列らしき陶器記号を記した土器も出土してるし
勿論、今のシナ人とは関係ないけど

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/01(水) 19:56:11.46 ID:MDyQnK2d0.net
>>133
そういう薄っぺらいこと言っちゃいかんよ。嘘にもいろいろあるだろ

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/20(月) 00:08:22.34 ID:PZ63YICo0.net
湖南はトチャになるから漢民族の祖先とは別だね

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/24(金) 19:07:11.04 ID:59Ts807m0.net
http://i.imgur.com/yJsSits.jpg

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/01(土) 18:46:57.28 ID:E908hfvP0.net
こうて

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/01(土) 19:11:38.55 ID:E908hfvP0.net
黄帝の熊と蛇のトーテムをくっつけて龍にした逸話があるけど

これって両方とも荊蛮や楚だと思うんだが
華夏は渭水と囲われた湖北や四川の民族?だよな

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/17(月) 21:43:49.71 ID:mE5SD9Zv0.net
>>166
その逸話が成立したのはもはや漢民族に統一された後だから
古代の諸民族ごとの神話に分析するのは無理

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/19(土) 13:11:20.92 ID:v3hUNbsu0.net
殷より前にあった王朝が夏と名乗ってなかったかもしれないから夏は実在しないかもしれない(キリッ っていうのが日本では主流だけど、
じゃあ殷も周より前にあった王朝は商を自称してて殷なんて国号じゃなかったから殷は実在しないと言えるよね

夏が存在しないなんて詭弁もいいところ

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/19(土) 13:57:04.51 ID:USx0/yKc0.net
それとこれとは話が違う。殷の前にあったのが王朝と呼べるのかどうか自体が疑問視されているのだ。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/19(土) 17:14:03.58 ID:Ed2GvGt90.net
しかも甲骨文字だと商は自称じゃなくて都市名でしかないという

夏王朝は文献しかないからな……、実在してたと断言するのは相当危険だわ

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/19(土) 22:19:44.44 ID:USx0/yKc0.net
忘れてたけど大邑商(殷墟)だもんなぁ。確かに都市名だわ。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/21(月) 21:51:22.26 ID:zDQwriZN0.net
ダイナスティーの定義は何よ?

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/16(金) 21:11:36.43 ID:w1+4eSbt0.net
アナトリアのハッティ絵文字(ヒッタイト象形文字)が西に伝わりクレタ島で線文字Aとなり
東に伝わり甲骨文字と巴蜀文字(夏文字?)に進化した説を唱えてみる
線文字Aと甲骨文字は良く似ているしね
ハッティ絵文字は本当に絵を文字にした感じでこっから甲骨文字や線文字Aに進化したと思いたくなる

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/30(金) 19:20:31.73 ID:4QVntuMh0.net
>>173
すごいトンデモだなオイ
>>161を読め
あと、線文字A・ヒッタイト絵文字はクレタ絵文字が起源で、
巴蜀文字はインダス文字か中国の原文字が起源

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