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三国志名将二十四選 3スレ目

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/22(土) 19:58:49.20 ID:xPXqKp+50.net
劉表が最強とか知的障害でも抱えてんのかよ。
劉表は群雄としてじゃなく刺史として、しかもある程度後漢の権力と権威があった時代に赴任しただろ。
豪族を懐柔したってのも懐柔したというよりは迎合して媚びただけだし。
事実後継者に長子を選べないほど、専横されてた。

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/22(土) 20:47:37.61 ID:fJDHqfD6I.net
無駄に暴言を吐くのは何の意味があるんですかね
知的障害というのはブーメラン発言にしか見えないと思いますけど

というか反董卓連合の時に後漢の権力権威がそんなにあったとは驚きですね
劉焉や陶謙と混同してるんじゃないですか?

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/22(土) 20:58:08.71 ID:fJDHqfD6I.net
孫堅を戦死させ袁術を追い払い孫策より大勢力を築いた劉表が、江南最強群雄でないというなら誰が最強になるのか
頭の良い >>294 に是非教えていただきたい

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/22(土) 21:15:02.04 ID:nClH3jCo0.net
なんでそんな無駄にケンカ腰なの

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/22(土) 21:37:57.63 ID:1N5VExWVP.net
荒らしたいのか寂しがり屋なのか

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/23(日) 00:14:48.93 ID:zSfVVXHa0.net
>>294
荒らしなの? 構ってちゃんなの? ただの馬鹿なの?

まあ三国だけから選ぶなら 関羽や孫策も確定枠に入るんでは
後漢とか群雄とか西晋とかからも選ぶなら微妙なラインかもしれんけど

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/23(日) 00:49:47.38 ID:MM/emE1P0.net
しかし、相変わらず末尾Iが目立つスレだ
PやO、iと比べると相当にレアなはずなのに

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/23(日) 02:16:46.64 ID:TWG6wpKj0.net
そりゃこんな過疎板の住人なんてある程度固定されてるだろ
>>294みたいのがそういうレア末尾だと良かったんだけどなぁ(嘆息

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/23(日) 02:41:14.81 ID:zSfVVXHa0.net
>>300
前スレの時から大半が固定だぞここのスレ民
固定住民は鬱陶しいから去れってことか? 多分、一気に過疎るぞ

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/23(日) 07:27:32.90 ID:MrTBHgjn0.net
史料に拠って語れる人が煙たいので、暴言をもって排除を試みるも、いなくなったらなにもできずにスレを消滅させてしまうか
コーエー三国志程度の内容しかない短行のレスが時折つく過疎スレにしてしまう>>294みたいな暴言野郎の未来がみえる・・・

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/23(日) 09:02:48.87 ID:2l+B5kJo0.net
>>294に異常に固執してる人は何なんだ?
自演を疑うわけじゃないけど、しつこすぎない?

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/23(日) 09:57:06.11 ID:zSfVVXHa0.net
とりあえず董卓の乱(189)→官渡大戦(200)までの勢力拡大比較整理


ゼロから始まって数州を支配
1位:曹操:領地無し→河南四州を支配

一郡から始まって数州を支配
2位:袁紹:渤海太守→河北四州を支配

ゼロから始まって一州を支配
3位:劉表:領地無し→荊州を支配
4位:呂布:領地無し→徐州を支配→曹操により滅亡

ゼロから始まって数郡を支配
5位:孫策:領地無し→揚州江南を支配→横死して孫権へ
6位:袁術:領地無し→揚州江北を支配→曹操により滅亡

一郡から始まって数郡を支配
7位:公孫瓚:遼東属国長史→幽州西部を支配→袁紹により滅亡

最初から刺史や牧
8位:陶謙:徐州刺史→徐州を支配→病死して劉備へ
9位:劉焉:益州牧→益州を支配→病死して劉璋へ


議論枠の麴義(袁紹) 黄祖(劉表) 呂布 孫策の四人から選ぶなら、まずは麴義?
孫策の強みは、孫策軍の主力はあくまで孫策ってところか
名将周瑜がどれくらいのウェイトを占めていたか不明だし何とも言えないが
呂布における高順もそうだけど

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/23(日) 14:51:31.91 ID:z8U9YP3wI.net
末尾Iだと書き込んじゃいかんのか(困惑)


孫堅
age
当時無敵と思われていた董卓軍を撃破した唯一の将軍
袁術軍として豫州で多少の武功を挙げた
sage
曹操より有利な条件で戦ったが、やはり徐栄には大敗
劉表戦というか黄祖戦で戦死

孫策
age
五年で揚州江南の四郡を平定
黄祖を撃破している
sage
自力で勝てた戦いが意外と少ない
勢力規模の小さい相手としか戦ってない
北上=陳登攻め に失敗
北上=陳登攻めリトライ? の準備中に横死

二人とも死亡時期が早いからage材料が少ないのに、sage材料がけっこうあるんだよなぁ


もし関羽と孫堅が戦ったら、孫堅軍により関羽軍は撃破されるも、単騎で突出していた孫堅が関羽に斬り殺されて戦死、ってことになるイメージ
孫堅を孫策に変えても同じ結果になりそう

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 03:52:32.80 ID:PTKnXOVc0.net
>>306
一人が自演で騒いでるだけだから気にしないでいいよ

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 09:20:59.08 ID:TDhzSYsk0.net
>>306
正史準拠のスレで「孫堅が関羽に斬り殺されて」ってどういうこと?
本気で言ってるのかオーバーに言ってるのか分からないけど話が飛躍し過ぎでしょ

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 09:24:21.03 ID:MgrwaRnA0.net
イメージで言ってるだけなのにそんなに噛み付かんでも。

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 09:50:15.35 ID:pKgsz5C80.net
単騎で突出して死んじゃうような将は名将と呼べるか疑問だってことが言いたいんじゃないの>>306
なんか最近>>308みたいなの増えたねこのスレ

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 19:17:06.30 ID:wZoxT8PQO.net
後漢後期 永和5年(西暦140年) 13州の人口ランキング

1位 益州 724万人(152万5千戸)

2位 荊州 626万人(139万9千戸)

3位 豫州 618万人(114万2千戸)

4位 冀州 593万人(90万8千戸)

5位 揚州 434万人(102万1千戸)

6位 エン州 405万人(72万7千戸)

7位 青州 371万人(63万5千戸)

8位 司隸 310万人(61万6千戸)

9位 徐州 279万人(47万6千戸)

10位 幽州 204万人(39万6千戸)

11位 交州 111万人(27万戸)

12位 并州 69万人(11万5千戸)

13位 涼州 42万人(10万2千戸)

数字はおそらくいい加減なので、参考程度に
そして司隸は董卓の遷都に、豫州は袁術の悪政と曹操の略奪に、徐州は曹操の虐殺に、壊滅的被害を出したと考えられる

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 19:23:29.07 ID:wZoxT8PQO.net
>>311続き
したがって何州切り取ったと言う数字は、あまり考察に相応しくないと思う
州ごとの格差がかなり大きいからね

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 22:03:58.45 ID:pKgsz5C80.net
>>豫州は袁術の悪政と曹操の略奪に

これは初耳
どこソース?


>>312

人口格差も考慮に入れて考えればいいだけの話じゃね?
てか格差があっても州郡という行政単位で平等に分けられているのにはそれなり以上の意味があるんであって、数字が考察に相応しくないというのはおかしすぎっすよ

例えば涼州は人口少ない割に城の数は異常に多かったりして、それはつまり後漢の支配が行き届いていない危険地帯ということだったり、戸籍に載ってないだけで人口が多かったりする証拠なわけで、
平定する価値や難易度ってのは、他にも色々な要素が絡む

一番分かりやすい基準が、何州を何郡を平定したかっていう数字であることは間違いないことだよ

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 22:31:30.75 ID:TDhzSYsk0.net
曹操の豫州の略奪って人口を大きく減らすほど激しい物だったの?
人口下降率が高い順にも並べて欲しいな

個人的にはその後の動乱よりも、黄巾で荒れた青州や冀州が荒廃してたと思ってたんだけど

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 22:41:02.25 ID:pKgsz5C80.net
>>314
俺はそもそも曹操が豫州で略奪したということ自体を知らんかったんだけど、正史のどこに載ってることなのか教えてくれ

影響力が及んでいただけで直轄支配していたわけでもない袁術の悪政ってのもわからん

豫州が荒れた原因ってそれこそ黄巾や李傕じゃないの

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 07:33:43.55 ID:FHzZsCXPI.net
ID:wZoxT8PQOは言ってることが意味不明だからスルー推奨
ID:TDhzSYsk0みたいなホイホイ騙される"教えて厨"はこのスレ来ない方がいいよ
つーか人口下降率が高い順なんて明確な情報があるわけないでしょ
陳寿がサボったせいで後漢書と晋書にしか資料載ってねーのに

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 17:43:15.58 ID:8dV+O4Vu0.net
蜀はもうちょい資料ほしかったなあ

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 20:02:58.52 ID:Fiwq5Ep90.net
蜀は何で史官置かなかったんだろうな
何か記録として残したくない何かがあったのではないかと勘繰ってしまう

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 20:12:48.56 ID:bKo0BsgZ0.net
>>318
そもそも史官を置ける余裕が無かったとか…

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 21:49:46.47 ID:8dV+O4Vu0.net
流石に史官置けるだけの余力がないほどとは思えないがなあ

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 00:10:34.29 ID:dvtMdkUT0.net
議論が停滞すると話が脇道に逸れた挙句に荒れかける・・・。
2スレを費やしてようやく16人まで決めた確定枠が、いかに大変なものだったか。最近の流れ見てて実感しました。

3スレ目に入って新しく決まった(?)のは、司馬懿と田豫だけ?
夏侯淵は微妙に出た反論は叩かれたが、結局有耶無耶に…。

今の議題は要するに、夏侯淵を確定枠にするのかしないのか。
しないとしたら、夏侯淵以上と言える名将は議論枠の中で誰がいるのか。
皇甫嵩や徐栄は? 麴義や呂布は? 孫堅や孫策は? 関羽や魏延は?
っていう流れでカオスになっているわけですよね。

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 01:43:38.05 ID:j07bFOtE0.net
その中だったらやっぱり実績的にも夏候淵だと思うけどなあ。
なんでこんなにネガティブに見られてるんだろ。

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 04:42:44.61 ID:fP7CvO680.net
夏侯淵以上の名将なら黄忠で良いよ

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 07:33:06.41 ID:dvtMdkUT0.net
>>323のような荒らしも最近急に増えましたよね・・・。なんでこんなスレになってしまったのか。
同じ理屈で孫堅以上の名将が黄祖(呂公)とか、関羽以上の名将が潘璋(馬忠)とか言い出すんですね、わかります。

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 11:13:01.48 ID:LjClQLUe0.net
あれは黄忠というより劉備と思うけどな

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 18:57:14.55 ID:WarqLOHm0.net
鍾会はどうなんだろ
野心が大きすぎて最後失敗したが

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 22:11:57.62 ID:DsIsWdsPO.net
あの時代を代表する優秀な人物のひとりだったと思うよ。

司馬昭のもとで蜀討伐の大将として出征する以前から、司馬師のもとで淮南の反乱鎮圧のために、優れた策謀を買われて参謀として従軍したり、
政治についても大事な懸案となれば必ず彼も参与した。

蜀に降った夏侯覇も姜維に対して、「鍾会が魏の朝政を執るようになれば、蜀にとって由々しき事態となる」と注意喚起してるしね。

相当な切れ者だったんだと思う。

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 22:55:42.48 ID:VcAbStLm0.net
>>318
仮に後ろ暗い事多々なら、それはそれで逆に優先して置くんじゃねw
余所に好き勝手書かれるよりは先手を取って捏造する方がいいもんな

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 02:13:24.45 ID:F6lzX0+b0.net
三国時代の選出は奇跡的なくらいバランス良い
魏西最強:曹真
魏南最強:司馬懿
魏東最強:満寵
魏北最強:田豫
蜀軍最強:諸葛亮
呉軍最強:陸遜
三国最強:ケ艾

対して後漢末期は明らかにバランス悪いよ
後漢末最強:曹操 次いで劉備←わかる
曹操軍最強:曹仁 次いで五将←わかる
孫権軍最強:周瑜 次いで呂蒙←わかる
劉備軍最強:張飛←ファッ!?

関羽がいないのは違和感ヤバい
劉備軍最強:関羽 次いで張飛←こうなるべきじゃないの

個人的には夏侯淵より先に関羽を昇格させたいなぁ

黄忠を挙げてる人がいるけど、選択肢にも入らないと思うよ
赤壁で曹操を撃退した名将は、黄蓋ではなく周瑜
漢中で夏侯淵を撃殺した名将は、黄忠ではなく劉備

劉備軍における黄忠なんて、曹操軍で言えば曹純、孫権軍なら甘寧
この程度のポジションを名将なんて言わないし、言っていたらキリが無い

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 03:37:33.12 ID:vwkB548v0.net
お髭さんは未知数な部分が多過ぎて、ハッキリしてる戦績だけではさすがに確定枠は厳しい。
放浪時代の記録とかがもっと残ってればと思うけど、期待値込みで評価するわけにもいかないしな。
最強武将とかだったら関羽でもいいかもしれないけど。

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 03:46:34.71 ID:GL5r2eJF0.net
残っている事績から劉備の配下の中で最も優れた将が張飛である、というのは間違ってないと思う
ただ、確定枠かというと大きく疑問符を付けざるを得ない

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 05:36:39.93 ID:irm28qgI0.net
劉備軍という事だと完全に張飛がトップで違和感は全くないな

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 06:40:58.13 ID:fsTCbEx9O.net
夏侯淵は確定でいいよ
敗北(戦死)は名将を完全否定する材料にはならない
漢中戦は劉備軍をただただ誉めるべき(あの時の劉備軍は間違いなく全盛期)
彼の功績は張コウとかがいたからという説もあるが、彼等を指揮して大局的な勝利としてきたのだから
涼州の韓遂や宋建、羌はザコではないだろう
蜀において夏侯淵を討ち取った事が大手柄になってるんだから、名将に値する

劉備の張コウ>夏侯淵発言は、軍を引き締める為の劉備の統率術だよ、きっと(ゴメン、これは根拠無いです。でも劉備ならこうするんじゃないかなぁ)

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 09:30:21.71 ID:eVprOQG+0.net
関羽は残っている記録の多くが負けだから評価するのは難しい
劉備軍が大きく領土を刈り取った蜀入りでも関羽は留守番してるし

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 09:45:53.22 ID:F6lzX0+b0.net
そうなるかぁ
でも夏侯淵を確定枠に入れても、まだ5枠も残るんだけど(>>259
だったら関羽もワンチャンあるんじゃね?

夏侯淵以外に有力候補っていうと、麴義か孫策らへんでしょ?
政治能力というか協調性の無さで半ば自滅したって意味では、関羽と大して変わらんだろこいつら

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 10:29:14.74 ID:eVprOQG+0.net
関羽入れるなら呂布入れたほうがまだいいような気がする
というか孫策とか呂布みたいな猛将タイプは負けも大きいけど勝ちも大きい
それに比べると関羽は勝ちの記録が殆どなく劉備軍が躍進したときも留守番をしてる
そもそも>>259の議論枠は他にも優秀な将が多いのに関羽を24人にいれる要因が少なすぎる

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 12:42:49.70 ID:HrPRMfSN0.net
>>329
>ファッ!?

あっ・・・(察し)
超理論で関羽を無理矢理入れようとする奴が居着いてると思ったら、
なんJから流入してきたガキかよ

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 13:29:05.87 ID:F6lzX0+b0.net
>>337
その程度の言葉尻で見当違いなレッテル貼りをできる神経が理解できんが
んで、お前のその何の中身も進展性も無い煽りはいったいどんな意味があるんだね
マトモに議論する気も無い荒らしが突っかかってくんなや
既に何度もこのスレでそういう輩は叩かれてんのに懲りないもんだ


>>336
一人お留守番を任されたことは能力を最も信頼されていた証だと思うんだけどね
まあ結果的に失敗してるからこれはアレだけど

官職も役割も評価も関羽は張飛の一歩上なわけで、陳寿は総合的に判断して関羽が張飛より上だと思ったから関張馬黄趙伝という順番にしたわけだ
それが年齢差などにも起因しているとしても、もし関羽が張飛にハッキリ劣るのだとしたら、劉備も魏の参謀達も含めて皆、人を見る目が無さすぎるということに

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 13:32:58.92 ID:vwkB548v0.net
関羽を確定枠にするならまずその前に姜維でも入るんじゃなかろうか。

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 14:02:01.27 ID:GL5r2eJF0.net
>>338
その辺の推測が成り立つこということは過去にも何度か意見が交わされてるんだけど、このスレでは確定している実績を重視していこうっていう意見のほうが今のところ優勢
俺個人としては貴方の考えに近いんだけどね

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 14:16:04.55 ID:F6lzX0+b0.net
>>339
姜維は関羽の劣化版にしか俺には思えないんだけど・・・
魏将には基本的に勝てなかったって意味では同じだが、数少ない勝ち星を比較した時に王経では于禁龐徳の相手にならんでしょ
文官から見捨てられて大失敗したって意味では、荊州失陥した関羽より蜀を滅亡させた姜維の方が明らかに酷い

>>340
まあ関羽は「名将である」と言える材料も多いけど「名将じゃない」と言える材料も多いから、そうなっても仕方ないとは思ってるんだけどね
この時点でどういう反応が返ってくるか興味があったからふっかけてみただけで

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 14:27:07.50 ID:rAlzD8oEO.net
関羽はやはり荊州失陥のマイナスが大き過ぎる。
如何なる経緯を経てどんな理由があったにせよ、荊州方面総司令としてこの地を守り切れなかったことは事実。
劉備軍の大局的な勢力図を、大きく失う方向で塗り変えてしまった。
このことは後の蜀漢の北伐戦略にも大きく影響し、諸葛亮の思い描いていた荊・益両方面からの北進を事実上頓挫させ、諸葛亮・姜維による魏討伐をより困難な状況に追い込んでしまった。

単に失地をしたということではなく、一国の戦略方針にも多大なダメージを与えてしまった将を、名将と呼ぶにはかなり疑問に感じるな…。

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 17:08:20.48 ID:vwkB548v0.net
>>341
確かに関羽は大物を下してはいるけど、
姜維がやってる魏に大勝したり領土を切り取ったりはしてないわけで、
相手云々よりもそういった実績の方が重要だと個人的には思うんだよな。

まあどちらかと言えば自分もそんなに関羽sageはしない方だから、
関羽をフラットな視点から再評価するというのには賛成なんだけどね。

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 17:44:09.07 ID:eVprOQG+0.net
>>338
1人留守番って単純に他に任せられる将がいなかったんじゃ
劉備の股肱の臣といえるのは関張
事実最初に下?の留守を任されたのは関羽じゃなくて張飛だった
しかし張飛は城を乗っ取られてしまうという失態を犯した
その後曹操を裏切ったときは今度は下?は関羽に任せた
関羽がこの後捕らえられたのは劉備が逃げて置いてかれたためで関羽に責任はない
しかも関羽は曹操に厚遇されたにも関わらず忠義かは分からんが劉備の元へと帰ってきた

時は流れて赤壁の後劉備は荊州を奪ったがこの後劉備は益州を攻めなくてはいかず誰かに重要拠点の荊州の守護を任せないといけなかった
新参の連中だと裏切るかどうか分からないし張飛は過去に城を奪われたことがある
そうなると単純に消去法で任せられるのは関羽ぐらいしかいない気がするんだ

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 18:10:45.32 ID:F6lzX0+b0.net
>>342
うん、まあ、そこは反論しようがないんですけどね
関羽は名将だと言い張れる材料も結構あるから、どういうポイントを重視するかで評価が変わるんじゃないかってことを言いたかった

>>343
姜維は領土切り取りに成功したことはなかったような・・・? 記憶違いかもしれんけど
住民拉致はよくやってて、小国の悲哀を感じる

>>344
完全に同意だけども、それって要するに張飛よりも(留守番)能力を信頼されてたってことになるんじゃないか?

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 18:16:31.19 ID:eVprOQG+0.net
>>345
まああの時点では張飛よりは留守番役として信頼されていただろうね
ただそれが能力を評価してなのか他にいなかったから選んだのかが分からんからなあ
そして結局その信頼を裏切った結果となったから評価し難い

正直張飛もこの後恨まれていた部下に殺されてるから部下の統率取れていたと言い難い
だから関羽の変わりに荊州任せられていたとしても失敗していた気はする

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 18:27:15.06 ID:eVprOQG+0.net
個人的に名将になるには運も必要だと思うんだ
どんなに力量があっても無能な上司の元についたり活躍の場が与えられなかったら歴史の闇に埋まっていくだろうし
関羽と張飛の大きな違いはそこだと思うんだよねえ
蜀入りという敵を撃破懐柔していくという将の仕事を与えられた張飛
荊州の統治や防衛という味方を統率し民を慰撫し外敵に備えるという統治者としての仕事を任せられた関羽

関羽が蜀入りで活躍できなかったとは思わないし張飛が荊州を防衛できたとも正直思えない
ただ張飛のほうが名将として活躍できるチャンスを与えられた結果張飛は関羽よりも将としての実績を残すことは事実
だから張飛が名将入りされるのは当然とは思うけど関羽が名将入りされるのは違和感がある

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 18:33:05.46 ID:NEkAeL390.net
張飛に荊州任せてもいずれ暗殺された可能性は高いが
部下の統率という点ではむしろ引き締まってたと思うよ
張飛突然死んでも軍営は混乱しなかったのだし
ムチ振るった相手を側においた浅慮が一番の問題だったわけで

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 18:43:08.18 ID:eVprOQG+0.net
>>348
単純に側にいた人たちが張飛の苛烈な罰を一番受けるポジションだったってことじゃないかなあ
劉備に戒められるほどの厳しさが引き締まりを生んだんだろうけどその結果殺されてるってのは減点されるべきとは思う
結局は加減や部下をしっかり見ることができなかったってことだし

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 18:58:59.55 ID:F6lzX0+b0.net
>>347
「関羽が蜀入りで活躍できなかったとは思わないし張飛が荊州を防衛できたとも正直思えない」ってとこまでは完全に同意見でいて、結論は俺と真逆なのだなぁ
その論理展開自体には納得せざるを得ないけども

ただ関羽は、曹操に捉えられた時に「劉将軍の下に帰りたい、だが殺さず厚遇してくれた曹公の恩にも報いたい、だから大功を立ててから去る」と誓って、それを即座にやり遂げた事実がある
即座にってところがポイントで、機会が来るのを悠長に待ってたわけじゃなく自分から掴みに行って、そして世に轟く武功を挙げて速やかに遂行した
あの手腕を見る限り、適した職場(戦場)さえ与えられていればどれだけ活躍しただろうかと思ってしまう
まあ、このスレのように客観的な事実を重視してブレにくい堅実な選出をしていく方式では、関羽は不利だねやっぱり・・・

>>348
張飛の一番の問題点は、部下を日常的にシバき殺すサディスティックな性格とか、その部下を側近に置く無頓着さじゃなくて、「劉備がそれを常々注意していたのにやめなかった」ってことだと思うんだよなぁ
上司の言うことを聞かない部下はダメでしょ・・・

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/27(木) 19:02:53.83 ID:eVprOQG+0.net
>>350
関羽は名将になれる器は十分あったとは思うよ
ただ名将にはなれなかった
それが関羽だと思う

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 07:53:48.17 ID:mlgNZDKH0.net
>>259の議論枠から個人的に除外したい人物。

諸葛恪:ほぼ一発屋。丁奉のおかげで勝利と言えなくもない。再戦での負け方が酷すぎ。

鍾会:将としては一発屋。完全にケ艾のおかげで勝利。戦中も戦後もグダグダ。

羅憲:ほぼ一発屋。しかも攻戦じゃなく守戦。偶然スポットが当たっただけで立場的には小物。

陸抗:ほぼ一発屋。しかもそれが部下の反乱鎮圧。羅憲に勝てなかった人。

杜預:ほぼ一発屋。王濬のおかげで勝利。というかあの状況で負けたらただの愚将。

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 09:24:04.82 ID:4P+Admj80.net
羅権は確かに外しても良いと思うけど、杜預、鍾会を外すのは無理があるだろ。
特に杜預は確定枠でも良いと思う。
王シュンのお陰というのはあり得ない。王シュンがいなくても絶対に成功してたはず。

というか三国時代の一角である呉蜀を滅ぼした総司令官は確定枠に入れて良くない?
おそらく当時代で最大級の兵力を率いた将軍でもあるわけだし。
例えば楽進なんかは、終盤に少し将軍らしさを見せたからあんま言われないけど、
若い頃の活躍なんて匹夫の勇に頼った兵隊長レベルの活躍なんだよな。

楽進を入れるのに異論は無いけど、序盤に活躍した人間って華々しいけど、終盤の人間に比べて小粒過ぎる気がする。
もっと大軍を指揮してなおかつ国を滅ぼした将軍は評価されても良いはず。

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 09:34:52.45 ID:TgcZ9WG+0.net
そりゃ序盤のほうが敵の数や奪い取れる領土の数が多いから華々しくなるのは仕方ない
後一発屋は外すべきって意見には反対したいな
杜預やショウカイみたいに部隊長や参謀として活躍していたからこそ将軍を任せられているんだろうし
そしてその信頼を見事に全うしたならば評価されてしかるべき

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 10:21:06.70 ID:LEaX8eUQ0.net
>>353
漢の全盛期の6000万人の人口はその頃は600万人にまで減少してて兵もそれに比例してる

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 10:43:52.10 ID:mlgNZDKH0.net
>>353
意味わからん・・・貴方の理屈だと、三国時代に生まれただけで有利になりますな。
後漢末期は少数しか率れなくても戦果を残さなきゃいけない時代。
三国時代は大軍を統率するのがメインワークの時代。

あと失礼だけど、正史読んだことないでしょう。
楽進が「終盤に少し将軍らしさを見せた」だけなんて思ってる人がこのスレにいることに驚愕しました。
別軍司令官として曹操軍で最も活躍したと言えるのが楽進なんですけどね。河北四州平定戦を何だと思っているんでしょうか。

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 10:52:10.20 ID:mlgNZDKH0.net
>>354
確かにそうなんですが、鍾会はケ艾がいなければ失敗していた可能性も高いですよね。
この辺の捉え方は人によって違うのでしょうけど、ケ艾と鍾会がどちらも確定枠に入る必要はないと思ったのですよ私は。

まあ>>353さんも仰る通り、一国を滅ぼした将軍を外せという私の意見はちょっと無理がありましたね。

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 13:22:46.51 ID:CIqe3f470.net
羅憲の男前エピソードは好きだけど、記録が残る分にはほぼっつーか完全に一発屋だよなぁ

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 13:54:08.06 ID:t5GKmlSmP.net
羅憲の状況で部下が最後まで士気を維持して付いて来るというのは相当なものではある。
ちょっとでも人格・能力に隙があれば首を差し出されてるもんなw
とはいえ流石に実績が少なすぎで、100選でも微妙なレベルか。

羅憲が呉・孫休にあっさり降伏する人物だったなら、勢力を増した呉がもっと粘れてた可能性はあるかね。

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 13:57:10.46 ID:O4NQw9iD0.net
>>341姜維はどちらかというと、劣化馬超だな
異民族とのコネといい、騎兵を使った戦い方といい

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 14:58:22.37 ID:mlgNZDKH0.net
姜維の能力は馬超より高かったと思うけどな。詰んでる状況でよくあそこまで頑張ったよ。
同時代の将が対等な条件下で戦ったら、ケ艾以外は姜維に勝てないんじゃないかな?
ただ郭淮や陳泰を押しのけて姜維を24選に入れるのも違和感あるので、姜維も脱落候補の一人かな…。

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 15:05:00.99 ID:vnZ4LxG50.net
鶴田浩之 3.11 東北大震災 東日本大震災 震災商法 サイコパス 寄付金ロンダリング 犯罪者
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岡村いずみ 岡村いずみ 岡村いずみ 岡村いずみ

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 20:04:51.32 ID:qz57oOqeO.net
姜維は、諸葛瞻・董厥らとも北伐についての考え方は違うし、黄皓は宮中を乱すしで、援軍を申し立てても成都の対応は鈍く、やきもきしながら孤軍奮闘してるって感じだ。

恐らく蜀漢による中華統一以前に、蜀政権内における自らの発言力を取り戻せない限り、この戦争は大きく制限を受けるものになることも分かっていたのだろう。
だから必死に戦果を追い求め、度重なる出兵をした。

少し後になるが蜀の滅亡時、姜維は魏の鍾会に降った。
そして鍾会と手を結び、魏(司馬昭)との対立を画策する。

姜維は鍾会の反乱を利用し、後に彼を殺して蜀の再興を狙っていたと言われるが、俺はそうじゃないと思う。
姜維と鍾会の親交は日に日に深まって行ったというし、当初はどうであったかはともかく、彼の鍾会に対する信頼は本物になって行ったと思う。

蜀将だった時の、何を言っても響いてるのかもはっきりせず、対応も愚鈍な成都に比べ、
鍾会は頭の回転も早く決断力にも優れ、自分が献策したこともすぐに取り入れ実行に移してくれる。
ここに至って姜維は、将としての喜びを実感したのではないだろうか。
この男は共に天下を論じるに足る男だ、と。
年齢は親と子ほど離れているとはいえ、名将は名将を知る、といったところか…。

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 20:19:16.22 ID:O4NQw9iD0.net
>>363劉禅に密書を送ってるから、やっぱ蜀復興を考えてたんじゃない?

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 20:33:02.07 ID:zj7qIzxc0.net
龐統もたかが劉循や張任ごときに
1年かかっておまけに戦死しているからな

よく孔明の批判の槍玉に法正や龐統の
軍師能力を上げるバカがいるが

司馬懿も大軍以てしても
孔明に追撃もできず局地的に負ける有様
 
淵や張任劉循と司馬懿では格が違うよ

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 20:43:19.52 ID:qz57oOqeO.net
>>364
やっぱそうなっちゃうかなw?

でも姜維は単純に鍾会を利用しただけとは思えないんだよね。
親密とかそういうレベルで仲が良かったようだし。

劉禅達に比べ、打てば響くような利発さを備えている鍾会は、今老境に至り姜維が長年忘れかけていた将としての何かを沸々と甦らせてくれるような存在だったかと思えてね。

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 20:56:50.73 ID:O4NQw9iD0.net
>>365法正が蜀の軍師で別格とされているのは劉備が曹操を破った時の参謀だからというのが大きいと思う
まあ曹操と戦ってた時の法正の具体的な功績といえば、不利になった時退却するよう進言した事ぐらいだけど

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 21:02:33.94 ID:TgcZ9WG+0.net
近年では軍師として評価されてるのは法正だけじゃないかな
鳳凰のほうは最近は呉との外交分野での期待ぐらいしか話されてない気がする
どっちにしてもここは武将スレだから軍師はそもそも場違いだが

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 21:08:28.60 ID:6yKL6rMD0.net
なんで突然法正や龐統や司馬懿の話が出てくるんだろ?
脈絡ないように思えるけど、誰かの話と繋がってるの?

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 21:16:25.10 ID:mlgNZDKH0.net
三戦板住民が誤爆でもしたんじゃね? なんか頭悪そうだし

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 00:12:34.06 ID:sISvNv0SI.net
陸抗は軍政家としてならトップクラスに優秀だし、将軍としても有能な部類であることは間違いないんだけどな一応

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 01:02:55.93 ID:Y5j4HYIoO.net
あぁ、陸抗は優秀だね。
西陵の戦いでの見事さを目の当たりにした、かの晋の羊コをして「陸殿は当代の名将、その知略において私の及ぶところではない。
かくなる上は武を用いて攻めるのではなく、徳と慈悲によって対処すべきであろう」と、晋の強大なバックグラウンドをしても決戦を避け、徳治政策に切り替えたくらいだからね。

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 01:33:24.56 ID:lgHhScLP0.net
陸抗は呉にとっての孟珙みたいなもんなのだろうとは思うけど、
二十四選に入れるにはちょっと実績が足りないかなって気がする。
呉の晩年を支えた軍政家だったとは思うし、減点材料もあまりないけど、
羅憲が抜けなかったというのが大きいかねやっぱり。

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 01:57:31.40 ID:EBc8d+g20.net
>>368三国志軍師二十四選をやっても面白そうだな

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 02:25:37.81 ID:Y5j4HYIoO.net
羅憲かぁ…、こいつも傑物で本来なら巴東の守将などやっているような人材ではなく、魏の蜀侵攻に対して姜維と共に防衛戦を張るべき人材だったのだろうが、黄皓に嫌われてこの地に飛ばされちゃったんだよね。

名将同士のガチンコとなると「攻者3倍の原則」で守備側がやはり有利か?
…と思いきや、羅憲2千に対し陸抗の増援3万以上かぁ、3倍どころの差じゃないね。
これで半年包囲して陥とせないとなると…、諸葛亮 vs カク昭の陳倉攻防戦時より大殊勲だな、羅憲は。

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 03:06:34.26 ID:ivvKl/9B0.net
超寡兵な上に母国が既に滅んでいるという状況で、民の人心を安んじ兵の士気を高いまま保ち続ける…
マジカルな次元の話で、人格、政治力も備えた傑物なのは堅いところだわな
「大殊勲」を誇ることも認められる事も目指さず、意地でやってのけたんだろうというのも凄いw

永安を陥落させられないまま孫休がよくわからん死に方をするし、結果的に呉の滅亡を年単位で早めたかも知れない

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 03:21:49.01 ID:Y5j4HYIoO.net
そうだね、それとこの白帝は、かの劉備が臨終を迎えた地。
先帝臨終の地で、迎え撃つは先帝を死の縁に追いやった陸遜の子・陸抗。

因縁めいたものを感じるねぇー。
因縁の地で因縁の相手との決戦。
元蜀将の意地とプライドにかけても、こいつにだけは絶対にこの地は渡さん!という、羅憲のほとばしるような覇気がこの偉業を支えてそうw

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 04:31:34.74 ID:n/N7EMPP0.net
でもぶっちゃけ羅権の奮闘ってあんま意義の無い戦いだったよね。
魏の侵攻から耐えたんなら、蜀の臣として功績を残してるけど。
魏に併呑された後、蜀をハイエナしようとやってきた元同盟国の軍を魏んために戦うって良く分からん。

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 05:07:01.23 ID:K4EnCu7t0.net
>>374
軍師系はどこもそうだけど
まず軍師の定義で大荒れしてろくに決まらない

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 07:29:11.24 ID:sISvNv0SI.net
>>375
カク昭の陳倉守備は、曹真によって準備万端で完全にお膳立てされてたからなぁ
準備不足な上に本当に援軍が来てくれるかもわからん孤立無援の永安を守り切った羅憲は、カク昭とは次元が違う凄さ

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 08:22:34.68 ID:L9gWo/KA0.net
>>379
参謀、軍師、名知将とかで良いんじゃね?

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 08:52:25.49 ID:sISvNv0SI.net
>>381
別スレでやれ

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 09:06:07.70 ID:xNTbZfyr0.net
軍師とか将みたいに明確な功績が残されてるの少ないから間違いなくぐだる

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 10:09:33.52 ID:i2MbXz0/0.net
冷静に考えれば、経験のない小役人や農民でも
名将軍になれるんだよな…口八丁の参謀も然り

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 14:45:51.04 ID:Y5j4HYIoO.net
>>378
確かに意義って意味では無意味に近いかもね。
思うにあれは魏のために戦ったってのは非常に薄いんじゃないかな。
言うなれば元蜀将、いち個人としての意地のため戦った。
母国は滅びたけど、せめて最後に因縁の相手に一矢報いて、先帝の仇を討ってやりたかった、みたいな。

もっとも、その後の自らの身の振り方を考えて、もはや残った呉では蜀をも併呑した魏(晋)を倒すことは不可能。
ならばここで一丁華を咲かせて、魏(晋)に恩を売っておく方が得策か、…なんて考えからなら、結構先見の明があり計算高い人物だけど。

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 16:03:15.91 ID:ghlxgkdAP.net
羅憲の状況でその手の計算が透けてしまうと、人が付いて来なくなってすぐ詰みそう。
てか、冷静に計算した上で勝機十分と判断して選んだ道がアレだとすると、それはあまりに凄すぎるw

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 16:12:05.14 ID:i2MbXz0/0.net
鐘会と変な友情が芽生えた可能性も否定できんな。
あんなボンクラのために、また蜀の民を兵隊に徴兵して巻き込むこと
を美化するのは難しい。

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 16:15:33.72 ID:sISvNv0SI.net
諸葛恪と姜維は似てるところも多いけど、二十四選に入る可能性があるほどの名将は姜維の方だけだと思う
姜維の敗戦は姜維以外に責任転嫁できる部分も多いけど、諸葛恪の敗戦は完全に諸葛恪自身の失態だし

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 17:47:08.56 ID:Y5j4HYIoO.net
あの合肥新城攻防戦に際し、呉の諸葛恪は20万と號する大動員を掛けその攻略に向かった。
対外的には蜀の姜維に使者を派遣し、同時に出兵の約束を取り付けている。
合肥新城の守将は魏の張特、駐屯する兵力はわずか数千。
この報を受けた魏の大将軍・司馬師は、弟・司馬昭を雍州に向け郭淮を助けて蜀の姜維の侵入を防がせる一方、胡遵・カン丘倹に呉の諸葛恪の方を当たらせることにした。
…このへん魏の層の厚さと他二国との国力差を感じさせるな。

しかしこの魏の張特、先に名前が挙がってたカク昭・羅憲らと同じく、大兵力を相手に見事城を守り通したのだが、
先の二名とは違い、ここではあまり名前が挙がってない印象があるな…。

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 18:13:25.46 ID:sISvNv0SI.net
>>389
カク昭も最近ちょっと話題になっただけで、名将候補として挙がったことは無い気が
張特の手柄も、都督揚州諸軍事の毌丘倹へ帰趨すると考えている人が多いんじゃないか?
諸葛誕では諸葛恪に勝てなかったら毌丘倹に交代して防がせたって書き方なわけだし
まあ曹真のように将を選出して派遣したり城の強化を指示したりと積極的に関わったわけでもないから、毌丘倹ではなく張特の手柄として良い気もするけど…

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 18:49:59.90 ID:Y5j4HYIoO.net
確かに最終的に呉の軍勢を撃破したのはカン丘倹だもんな。

しかしあの張特の計略は見事だよね。
弁の立つ者を諸葛恪の陣に遣わして「我が魏国の法律では、敵に城を囲まれて守ること百日にして援軍が来なければ、城から出て降伏しても家族の者が罪に連座することはありません。
今、将軍に囲まれて九十余日になります。 どうか数日のご猶予を頂き、百日してから軍民を率いて投降させて頂きたい」と、数日時間を稼いで、その間城中の家屋をひっぺ返して、それを材料として城の補修を済まし、
「呉の狗どもに降ってたまるか。 さあ、もう一度かかって来い!」ってんだから、中々痛快で切れる男だよ、張特はw

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 19:55:17.69 ID:i2MbXz0/0.net
それだけで昔の世界は天才切れ者扱いだもの。
東大理学部行きたかったわ…。昔の世界は良いよなぁ
簡単に賢人になれちゃうからさ

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 20:24:02.04 ID:Y5j4HYIoO.net
いや、こういった計略を成功させるには単に頭が良いってだけじゃなく、人間心理を上手く利用したり、命懸けで実行するわけだから胆力も備わってなきゃならないし、考えるよりも遥かに大変なことかと…。

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 21:01:14.91 ID:sISvNv0SI.net
合肥新城は満寵が手掛けた堅城ということで、他よりはイージーモードだったとも思う
城を守るのに肝心なのは、兵力よりも物資だろうし

赤壁時に孫権が合肥を攻めた時なんて守将の名前すらわかってなかったはずだけど、劉馥の余徳だけでずっと耐えてたり

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 22:33:46.34 ID:i2MbXz0/0.net
>>393
でも個々の人間でもそれくらいの能力有していないか?
昔の英雄とか参謀とかそもそも学を納める機会も広く門戸を開かれてた
訳でもなかったからね。

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/01(土) 23:34:53.20 ID:Y5j4HYIoO.net
有しているかもしれない。
そして、それを実戦で開花させた者だけが史書に載るような業績を打ち立て、歴史に名を刻むのだろう。

学を納め勉強が出来れば良いというわけではなく、名将・名参謀たるには、敵を知り、地理を知り、状況を見極め、何よりも人というものをよく理解していなければいけない。
所詮相対するのは人。
目の前に立ちはだかるそいつの心理を読み、出し抜かない限り、劣勢側に勝利などあり得ないからね。

そういったことを勉強は出来て秀才の馬謖と、勉強は出来なくとも人生から多くのことを学び戦いでも生かして来たトウ艾の二人が、我々に多くのことを教えてくれる。

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/02(日) 02:18:11.56 ID:FTZ/ucL90.net
というか記載された事柄以外のことも当然起こってるんだし
簡潔に後世に伝えるために記述されてるだけで

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/02(日) 04:42:23.80 ID:kAMiOTIE0.net
机上オンリー、ボードゲームの巧さ的な意味での能力だけならともかく、実際に自分の命をかけ、人に命を懸けさせて…となるとな

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/02(日) 07:33:15.76 ID:igRfuKvm0.net
あと、社会情勢もある。
魏晋貴族社会の始まりに位置する三国時代ってのは
どんどん寒門の出世が望めなくなってくる。
士流は士流で、またヒエラルキーが存在して家門のしがらみ
があり、思うままに動けなかったり。

張徳が思い切った(相手をおちょくったような)策が打てたのは
麾下の統制がうまくいっていた証拠なんだろうなぁ。
そこに日頃の努力がうかがえる。
非協力的な味方では、攻囲されている極限状態でよく為せる
ことではないだろう。

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/02(日) 07:33:59.72 ID:sJS2WdJI0.net
三国志最長の籠城戦は公孫瓚の易京かな? 結局陥落してるけど

というか麴義は確定枠に推したい
三国のどれとも関わってない部将なのにあんだけ事績が伝わってるって物凄いと思うんだけど

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/02(日) 08:10:50.90 ID:V0z1i3BF0.net
鞠義は最後、公孫サンに大敗したのが印象に悪いな

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/02(日) 09:15:06.32 ID:FTZ/ucL90.net
キクギは袁紹躍進の立役者と言えるからなあ
残念ながら魏蜀呉にあまり関わってないせいか記録がそこまで残ってないけど残された戦績だけ見るとかなり優秀だ
最後の大敗は易京という袁紹本隊が数年取り囲んでやっとこさどうにかなる場所であったし

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/02(日) 14:32:46.81 ID:sJS2WdJI0.net
麴義だけじゃなく黄祖もなぁ…
孫堅だけじゃなく徐琨や凌操らをも戦死させてるわけで、本来は孫堅や孫策を上回る名将だと思うんだけど
基本的に呉側の記録しか残っておらず敗戦扱いしか伝わってないせいか「負けまくってるのに全く領地を失わず敵の大物を殺し続けた謎のゾンビ野郎」になってしまっているからなぁ
孫呉二大名将の周瑜と呂蒙が前軍となってようやく討ち取られるまで、孫堅戦死以来15年以上
江夏の守護神って意味では文聘に劣るかもしれんけど、その密度自体は文聘以上だよ間違いなく

呂布は…呂布入れるくらいなら臧覇入れようぜって思うから別にいいや

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 02:00:06.56 ID:+aMD4GPD0.net
他に三国以外の後漢の群雄で確定する可能性がありそうなのは陳登かな

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 08:02:31.75 ID:qD8TWU+U0.net
皇甫嵩は董卓に服従して役立たずの置物に

徐栄は孫堅を撃破したが孫堅は呂布や董卓を撃破

李傕と郭は徐栄を戦死させ呂布を撃破

郭は李傕を寡兵で撃破

董卓周辺人物では郭が一番の名将かもしれんな(笑)

どいつもこいつもイマイチなのは間違いないけど


>>404
陳登の実力は底知れないけど、活躍期間短くね? 実績が足りない
長生きしてれば臧覇や文聘を超えてただろうけど

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 11:46:02.52 ID:UXSSyoNG0.net
少数精鋭を率いて軍の先頭に立って無双する呂布のような猛将を、
名将と呼ぶか否かで選出が大分変わると思う。
というかそこを統一してないから議論がこんがらがってる。

呂布を入れるなら、公孫瓚や関羽や甘寧、文鴦、丁奉みたいのも入れてく必要あるし。
逆にそういう匹夫の勇を除外するなら、匹夫の勇に関する功績を度外視して考えてく必要がある。
俺は大軍を独立した指揮系統で元帥として率いて連戦連勝するような人間が名将だと思うから呂布や丁奉みたいのは入らない思う。
逆に大軍を率いて一国を滅ぼした杜預は入れるべきだと思うよ。

そうすると後半の人間に比重が置かれると指摘する人がいるけど、それで良いと思うんだよね。
というか今の選出じゃ前半の武将が有利すぎて偏ってる状態だと思うよ。
陳登を例に挙げれば、孫策を破ったのも
徐州の一部の軍を率いて、揚州の一部の軍を率いた武将(軍の規模は不明)を破っただけでしょ。

407 :406:2014/03/03(月) 11:53:27.33 ID:UXSSyoNG0.net
杜預を入れるべきだという意見を補足するけど
例えば、楽進は○○城を占領したとか于禁は○○郡を占領したとか言うけど
杜預は一国を占領してるからね。
当然一国の下には無数の郡や城があり、
杜預の下には複数の城や将を斬った武将がいるだろうし、于禁や楽進の役割を担う武将を更に統括したのが杜預。
兵の衆寡を考慮しても名将に選出されるだけの武功がある。

逆に杜預が前線に出て自ら城に一番乗りとかしてたらそれこそ匹夫の勇の極み。
大将がそういう小さな武功を建てても誉められる事では無い。

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 13:30:19.31 ID:qD8TWU+U0.net
>>406
そんな理由で議論が混乱したことなど一度も無いだろw
肝心なのは実績だ実績
べつに陣頭で突撃してようが後方で指揮してようが、同じ結果を出してれば同じ程度の名将だよ
いったい何を言ってるんだ?

公孫瓚と関羽と甘寧と文鴦と丁奉を匹夫の勇で同一視するのも無理がありすぎ
時勢や官職など基本的な情報を把握せず、漠然としたイメージだけで語っているだろう
Wikipediaとかのネットで中途半端に正史齧った程度の知識を持ってる人間にしか見えんぞ、残念ながら
厳しい言い方だけど、前からキミの意見はいつも的外れだから、少し勉強し直してから来たらどうだい


>>407
そりゃそうだろ
そんなわかりきったことを「お前らわかってないんだろ」のノリで説明するのはやめた方がいいって
ここのスレ民でそんな馬鹿なやつはいないよ間違いなく
そんなことはわかった上で今の確定枠と議論枠に落ち着いてんだろ

杜預がまだ議論枠なのは、杜預じゃなくてもやれたと思われてるからじゃないの? 知らんけど
余人では出来ないことをやり遂げるのが名将
まあ時勢に恵まれたことも含めて、私は杜預は名将だと思うけどね

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 13:38:26.76 ID:qD8TWU+U0.net
あぁそれと、やたら楽進と于禁を小物だと思ってるみたいだけど、魏の五人からもし誰かを下げるならどう考えても徐晃だよ
役割も地位も功績も、五人の中では圧倒的に小物だから
同類を纏めた巻の列伝順は嘘をつかない
そうと思えないのは、多分キミが演義系のイメージに囚われているからだと思うよ

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 14:12:59.94 ID:tLJzFj2O0.net
>>405
郭レは呂布と一騎打ちもしてたはずだし、意外と猛将だったのかもしれないな。
董卓系列の武将は戦犯的な扱いで実像より小さくされがちだろうし。
まあそれでも名将とはほど遠いだろうけども。

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 14:58:57.90 ID:R0pnbW/j0.net
徐晃は魏の5,6番手を失点なくずーーっと務めてた感じ
曹操や張遼、曹仁、夏侯淵等に吸われない徐晃個人の働き、大手柄と言える派手な実績というと…樊城くらい?

徐晃を外すべきなんて微塵も思わないけど、魏の中だと「大物」とは言い難い地味で堅実な名将だわな

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 16:17:44.75 ID:eK6dC5OJ0.net
魏で五番手なら十分二十四には入るよ

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 00:21:27.80 ID:2gy40Y7F0.net
こんなこと言うとアレだけど…。
領地拡大に貢献せず留守番も失敗した関羽がエントリーしてるのに、三国志最強の留守番役こと夏侯惇がエントリーすらしてないのは???

曹操が徐州に遠征すれば夏侯惇が兗州の本城を守り抜き、曹操が河北を転戦すれば夏侯惇が河南を後詰し、曹操が西に目を向ければ夏侯惇が東を担当。
絶大な権限と広大な範囲を常々任されながら、関羽や張飛のような失敗を一度もしたことが無い。
軍位や爵位の昇進スピードも桁違いだし、二十六軍=約10万人という後漢末期とは思えない大軍の都督を大過無くこなしている能力は半端じゃない気が。

まあ領土拡大には貢献してないし、戦功自体も少ないけど。
軍事上の功績は大きいけど戦争上の功績は少ない?と言うべきか。

いや、夏侯惇が24選に入る名将だとか思ってるわけじゃないですけど。
でもケ禹を名将と呼ぶ界隈もありますからね。そういう意味では夏侯惇も名将になるかもと。
このスレではどういう扱いになるんでしょうか?こういうタイプって。

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 01:34:33.45 ID:HSXbF7S10.net
集めた兵士に反乱起こされたり、呂布に捕われて部下に救出されたり、
顔面に矢を受けて失明したり、劉備のついでに高順に蹴散らされたり、
李典に止められたのに劉備を追撃してぼろくそに負けたり、
悪意を持って書けば酷いことになるけどなw

夏候惇は軍政家であって、君主の絶対の信頼を得て人を束ねる人物としてはこの上ないけど、
それと名将であるかどうかは全くベクトルが違うと思うよ。
武将としての夏候惇は、取り返しのつかない失敗をしなかったに過ぎない凡庸な武将。
関羽は取り返しのつかない大失敗をしたけれど、少なくとも一人の武人としては当代一流だし、
軍を率いても一応大物を下していて、議論ぐらいはできる武将だからね。

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 01:52:58.22 ID:YgF9c+Fi0.net
曹操陣営屈指の重要人物なのは間違いないけど、兵を率いる武将としてはなぁ
まぁそれでも、名将か否かという事なら「名将」にカテゴライズされても別に文句はない

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 08:15:15.66 ID:2gy40Y7F0.net
あぁ…確かに夏侯惇の優秀さって軍政家とかそういう方面であって、将としては微妙ですね…
そういう意味ではやっぱり、将としても戦果を残している関羽や陸抗の方が上なんですな

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 10:33:12.49 ID:6mlYMI99O.net
陸抗は、陸遜と孫策の血を併せ受け継いだ「100パー名将にしかなりませんやん!」という最強の血筋を持つ男。

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 11:25:56.96 ID:+jjqr4TTO.net
血統の良さなら陳泰もスゴいだろう
実績も申し分無い

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 11:31:24.66 ID:2gy40Y7F0.net
>>417
陸遜並みの防戦の上手さと、孫策並みの城攻めの下手さを兼ね備えた、奇跡のハイブリッド!
間違いなく孫策の血を引いてるw

>>418
陳泰は凄いですよね
何が凄いって、戦術眼で郭淮どころかケ艾をも上回ってるのが凄い

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/04(火) 20:04:42.86 ID:tK+xN1EY0.net
>>405
董卓周辺なら董卓でも良いんじゃね?
個人的能力も結構高かったよな
武勇なんか呂布の次くらい

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 00:01:36.10 ID:/KgBhD4lO.net
魏の夏侯尚は中々名将かと。
西城・上庸・房陵など三郡を攻略して魏の版図の拡大に貢献。
官位も征南将軍・荊州刺史・仮節都督南方諸軍事と重きをなす。(まっ皇族ってのもあって出世に拍車を掛けてんだろけど)
荊州の任地では異民族鎮圧や開発を進め、任地の繁栄に貢献。
曹丕が呉を攻めた際には征南大将軍として諸軍を統率し、曹真と共に江陵を包囲して諸葛瑾の水軍を撃破。
大敗らしい大敗もしてないし中々のもの。

…ってかこいつの父親って誰よ?
当時の超有名一族で名前が分からないなんて…。

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 00:28:13.45 ID:XiFvNAmiI.net
夏侯尚は前に>>102で一刀両断されてるな
名将だけど、魏にはこの程度の名将は割といるよな〜みたいな
曹丕のせいっていうか半分は自業自得だけど、あそこで変な死に方せずもっと長生きしてれば更に実績を立てれただろうに惜しいことだ
まあ曹休みたいに勝ちすぎて調子に乗って最後に陸遜によって大敗してたかもしれんけど

後漢末の頃、沛の夏侯氏は曹氏と違って完全に没落してたっぽいから、父親の名前が不明なのはべつにおかしくないんでは?
没落してた割に巨大な一族だったようだし、大勢いる夏侯一族の子供達の中から特に優秀だった尚クンが曹操の目に止まって任用されたんだろう

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 17:16:11.98 ID:P6Zu4hjS0.net
若死
政治的立場の悪さ
記録漏れor抹消

確定枠になるには強運が必要

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 17:38:54.85 ID:lOI2g+Xh0.net
まぁ不運な奴なんて議論枠にすら居ないわな
一定以上の強運は大前提

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 17:48:45.50 ID:QqHpuAq50.net
その中でさらに運がいい+実力が合わさって確定枠の高みに登れる

夏侯尚が生きていたら実績を積み重ねそうだけど
曹真曹休司馬懿とポジが被るし実際どうなるかわからんなぁ

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 17:58:14.31 ID:XiFvNAmiI.net
李典李通は長生きしてれば、臧覇文聘を超える武功を成していたかもしれない
朱霊は記録が残っていたなら、曹操軍の異姓武将では徐晃に次ぐ第六位の実力者だったのだから議論枠には入っていたはず
でもこいつら、このスレでは全く触れられんからな

司馬氏と対立して三族皆殺しにされた曹真と夏侯尚と王淩と毌丘倹と諸葛誕
間違いなく史家の筆法により功績を省略されているが、そこを考慮していくとキリが無い
それでも曹真は確定枠に入ってるし毌丘倹は議論枠に入ってるけど……こいつらパねぇわ

あくまで実績という分かり易くブレにくい基準を重視するこのスレでは、もしもっと長生きしてたらとか、もしもっと記録が残っていたらとか、妄想込みでの評価が必要になってくる連中は不利
一般的な三国志ファンによる孫堅孫策関羽への評価はこのスレでの評価よりかなり高いだろうが、あれはそういった期待値を含んで評価しているからだろうし

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 18:05:32.03 ID:lOI2g+Xh0.net
孫堅孫策は三国の1つの祖として活躍と「悲劇」を熱心に描かれるし、関羽は人によっては三国志と言う物語の主役にもなり得るキャラだからなぁ

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 18:14:52.74 ID:P6Zu4hjS0.net
孫堅孫策の高評価がなかったら
コーエー三国志で呉プレイする人がいなくなってしまう

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 18:21:36.81 ID:XiFvNAmiI.net
陸抗への評価も、巷では実績を超えて高いけど、あれも悲劇のヒーロー補正が入ってるんだろうな
陸抗伝読んでると、もうお前は充分頑張ったから親友のいる晋に亡命しちゃいなよ、って言ってあげたくなるし
病弱キャラで謙虚で有能、陸遜の子で孫策の血を引いてて、絶望的な状況で孤軍奮闘して最期まで国を憂いて死んだ
そりゃ妄想炸裂しますわ

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 23:14:30.14 ID:/KgBhD4lO.net
>>426
例えばそこに挙がってるような名士武将連中を、間違いを起こさず次々と葬り去った司馬師・司馬昭なんてかなり有能な人物だと思うんだけどな。

ひとつの判断ミスが功績を台無しにしたり生命を左右する中、間違いを起こさず当初の目的を完遂するって結構重要なことだと思うんだよね。

司馬師は、魏帝や李豊が中心となった暗殺計画、淮南でのカン丘倹の乱、どちらも政権を揺るがす大事に見事察知、対処している。

司馬昭は、これまた魏帝を中心とした誅殺計画、淮南での諸葛誕の乱、蜀漢征伐の経営判断と、全て成功に導いている。

思うに、例えば于禁や楽進なら直接兵を率いる将として、関羽なら一州を預かる総司令の立場としてそれぞれ評価するならば、
司馬師・司馬昭のように国家のトップに立つ将も、その立場に応じた評価があってもいいと思うんだよね。
いやむしろ、こういった立場の人物こそ、直接国家や政権に影響を与えかねない案件ばかりなのだから、一介の将とは判断の重味が違ってくる。
それに加え国家運営力と経営判断など。

ってことで俺は司馬師・司馬昭の二人を有能な名将として提案したいんだけど…、政治家色が強いと一蹴されちゃうかな?

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 23:41:16.02 ID:iHqKRqSG0.net
>>426孫堅孫策の評価が高い故に、この二人を破った黄祖・陳登の評価が高くなる

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/05(水) 23:54:48.26 ID:XiFvNAmiI.net
>>430
なんじゃそりゃ…
その理屈だったら、孫権や司馬炎だってその二人を上回る名将だわな、功績的に
ついでに姜維と戦ったのは司馬望とか言い出す気かいな
このスレをどういう方向に持っていきたいのだ…

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 00:14:16.62 ID:7xKIintd0.net
まあ呉志を読んでると、江東四郡を本当に平定したのって孫策じゃなくて孫権(というか程普や賀斉)じゃね?って思えてくる時はある
孫策がイマイチ確定枠になりきれない原因の一つはこれな気がする

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 00:52:34.98 ID:dT5c5n1bO.net
>>432
やっぱそうなるか…。
いやそれぞれの戦役の功績を、どこまで上の英断による功績として還元するか、って視点で考えてみたんだけど…、そう言われたら全て国家元首に帰趨しそうだから議論にならなくなるな。

スマン、司馬師・司馬昭のことは無かったことにしてくれ。

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 00:55:52.00 ID:0cFTSmmN0.net
>>430
それはもう名将とかそういうのではなく、政治力とかの世界だと思う。

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 08:05:13.21 ID:7xKIintd0.net
というかそういう視点だったら、司馬兄弟よりもまず曹叡の名前が上るんじゃないか

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 09:49:23.79 ID:dT5c5n1bO.net
確かにね。
ただ、上の人も孫権や司馬炎を例として挙げてくれて、あなたも今曹叡を挙げてくれてるんだけど、
俺の当初の思いの中では君主までアップするつもりは無く、あくまでも「臣下の立場=将」という概念のもとに司馬兄弟を挙げさせてもらったんだよね。

でもそれは俺が勝手に想定した概念なので、上の人やあなたが言うように「それなら君主まで還元しなきゃおかしいんじゃないの?」と言われれば、まさにその通りなんだけどね。

俺が国家の上将軍としての司馬師・司馬昭を挙げたのは、色んな英雄・名将と呼ばれる人物があとちょっとのところで、たったひとつの判断ミスのせいで、功績を汚したり生命を落としたりして散って行った。

当時の司馬兄弟とてそれは同じで、中央・地方問わずあらゆる所に政敵がいた。
もし彼らが成し遂げた事績の中で、ひとつでも判断を誤ったものがあれば恐らく失脚=死が、たちまち彼らの頭上に舞い降りたことだろう。
しかし彼らは何ひとつ判断を誤らず、世に功績を打ち立て生涯を全うした。(もっともその功績とは必ずしも国家のためではなく、自らの御家の利益=国家の利益、と利害が一致していたからではあるが)
そこを買っての提案だったんだよね。

そして功績の在り処。
例えば、将の意図しなかった兵独自の見事な活躍と機動によって得た勝利も、功績としては将の名前で記される。
ならば、将の活躍で得た勝利も、その戦略的判断を下した「将の将たる者」にも還元されて然るべきではないかと思ったわけなんだ。

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 10:45:48.26 ID:JP6rRTeq0.net
一理はあるけど区切りが難しすぎるしキリがないし、そもそもの正確・詳細な情報自体も少ないからなー
大雑把にざっくりだと全て君主へ…で面白くも何ともなくなる

まぁそっち基準でやり始め仮にある程度の結論が出たとしても、「それはそれとして」でこのスレでは脇に置いて終わりだわ

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 11:32:45.39 ID:dT5c5n1bO.net
おっしゃる通り。
俺の提案した内容は「君主まで還元しなきゃおかしいんじゃないの?」という、上の方々の指摘によって既に破綻を迎えている。

幾ら自分なりの君臣の線引きによって選んだとしても、あなたの言う通り「俺独自の」では意味がないし、何より皆をそれに付き合わせるわけにも行かない。

よって、どうか俺の司馬兄弟の提案は忘れて欲しい。

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 14:33:08.17 ID:4KNBQU1m0.net
そんな簡単に忘れられるわけないじゃない!

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 15:25:43.73 ID:ashaI6xJO.net
まぁ司馬兄弟の話はもういいだろう
優秀な兄弟である事には変わらないから

議論枠の中から、夏侯淵はそろそろ確定させよう

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/06(木) 20:33:03.87 ID:7xKIintd0.net
夏侯淵は確定してると思ってた
今の議論って>>259を基準に進んでるんじゃないの?
文句言ってた人も一部いたようだけど反論されて沈黙してますし

低評価しかないとかそもそもウソだからな…
宋建瞬殺した時とか曹操から絶賛されてるし、有名な「三日で五百里〜」もある
そんであんだけ実績あるんだから確定でしょう

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 09:25:43.44 ID:J0AuvIsaI.net
夏侯淵は確定枠で良いでしょ 魏将はハードル上がりすぎ
というか>>259からここまでで選出が全く進んでないって…
こういう議論って終盤になると団栗の背比べになって難しいんだな、うん
今のところ誰が有力候補なんだ? 俺は姜維を推したいんだけど…

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 09:49:51.04 ID:YYQs7Uy90.net
キクギ、カン丘倹、朱然は入れたい
後の2人は悩むなあ
杜預は入れてもいいかもしれない
姜維は正直入れる理由が分からない
一時的に魏の領土を荒らしまわったけど本腰入れられたら壊滅したってのは馬超と同じで馬超を入れないんだったら姜維を入れる理由も特にない

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 10:29:36.02 ID:J0AuvIsaI.net
>>444
あぁ、毌丘倹を忘れてたわ…
遼東平定では司馬懿の副将に推挙され、高句麗遠征では無双し、揚州で諸葛恪を撃退
大功ばっかりやなこいつ
最期に反乱して潰されたという欠点がなかったらとっくに確定枠やろ

朱然は…魏では議論枠にも入ってない胡質と何度か互角に張り合ってるレベルだからなぁ
これを凄いと見るか見ないかは人によるんかな

んで、なんで馬超???
姜維と馬超は条件違いすぎるやろ
馬超は自分のホームグランドで暴れながら追い立てられていっただけ
姜維は敵地に攻め込んで戦ってる
何より後漢末期〜三国時代後半までの時間経過により、魏とそれ以外の国力差の開きが倍増してて、姜維の方が圧倒的に難易度高いんやで

郭淮と陳泰の防衛能力の高さは否定しないが、姜維に対して決定的なダメージを与えるまではいかなかった
段谷の戦いでケ艾に粉砕されなければ、姜維も蜀漢ももう少し長持ちしただろうに

まあ少なくとも、鍾会よりは姜維の方が間違いなく名将
鍾会の大軍運用手腕は三国時代でも屈指だけど、それ以外にあまり褒めどころが無い
ケ艾がいなかったら姜維に防がれて失敗してる

杜預の場合、そもそも敵将に姜維のような強敵がいなかった上、当時の呉は中央も地方もボロボロで離反と謀反が続出する完全末期状態
崖に片手でぶら下がってる自殺志願者の指を、寄ってたかって踏み潰して突き落とした感じ
ケ艾のように、名将でないと不可能なチート技で攻略したなんてことも無いし

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 13:38:56.67 ID:jFWwnjT50.net
ちなみに毌丘倹が攻撃した時の高句麗ってどのくらいの国力だと推量されてるの?
公孫淵を攻めあぐねた毌丘倹が直後に快勝してるよね。
司馬懿から戦い方学んでたっていうのも考えられなくは無いけど、
国力が弱かったり兵法が発達してなかったりしたんじゃないの?

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 14:04:25.51 ID:J0AuvIsaI.net
高句麗は周辺諸国とずっと戦乱を繰り返してたから、兵法が発達してないなんてことはない
遼東公孫氏とも一進一退の攻防を繰り広げてたが、公孫康の時代には高句麗が負けてる
国王直下の兵が二万程度ってことを考えても、郡以上州以下の勢力で、要するに遼東と大して変わらんかそれ以下
毌丘倹が凄いのは、中原からすれば完全に未開の地だった高句麗まで大遠征して大勝してることだな
情報の無い土地はマトモに行軍するだけでも大変なのに

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 14:43:26.82 ID:CiRF2A/K0.net
杜預は名将か名将じゃないかで言ったら間違いなく名将だろうけどな。
異民族戦でも活躍してるし、張政も撃退してるし、
他に誰も呉を攻めたがらない中、機を見逃さなかった点も大きいと思う。
長期戦になる可能性もあった中で軍議を押し切った判断力と、
呉の士気を挫き破竹の勢いで呉を下したのは杜預の手腕であって、
誰でも良かったなんてことはならないんじゃないかなあ。
呉が態勢を整えたら城を落とせなくなるし、
呉は懐が深いから遷都されたらもう呉を滅ぼせなくなると言われていたわけだし。
どういう情勢であれ一国を滅ぼした功績というのは低く見てはいけないと思う。
戦術よりは統治とか戦略面で優れた武将だとは思うけれど。

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 15:10:31.51 ID:J0AuvIsaI.net
>>448
そうだねぇ…郭馬の反乱を鎮圧する為に呉軍が交州へ寄っていた隙を突いた決断力と判断力は褒められていいと俺も思う
邪魔な賈充を黙らせ、失敗を恐れて撤退したがる諸将を無理矢理引っ張って呉討滅を断行するのは、当時の面子では杜預にしか出来なかったかも
しかしまあ杜預本人も言ってるように、羊祜のおかげな部分も大きく、作戦決行が認められたか認められなかったかだけの違いと言えなくもない
何よりあまりにも戦いの規模が大きすぎて各軍が各地で各自に行動しているせいで、杜預が果たした役割が限りなく薄まっているのが微妙さに拍車を掛けている
総司令官として全体をコントロールしていたと言えるのは司馬炎であって、極論すれば杜預は六軍の内の一軍でしかない
首都を落としたのも杜預じゃないしな
蜀討滅で鍾会が果たした役割の方がまだ全然大きいくらいだよ

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 15:33:44.30 ID:J0AuvIsaI.net
つーか、呉の滅亡が杜預の功績って風潮は何が原因なんだろう?
あれほど手柄が分散する戦いは無いと思うんだが

首脳部は司馬炎と賈充と楊済
作戦立案は羊祜と張華
益州軍が王濬と唐彬
荊州軍が杜預と胡奮
揚州軍が王渾と周浚
徐州軍が司馬伷
豫州軍が王戎

杜預が名将だとかそういうレベルの戦いか?これ

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 18:41:36.26 ID:5MiW8+KH0.net
「杜預が一国を滅ぼした」と繰り返すのは違和感凄いわな
好判断で多少滅亡を早めた、というならわかるけど

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 19:08:23.14 ID:J0AuvIsaI.net
しかも最も大軍(七万)を率いていたのは王濬で、呉討滅の主力軍はこいつなんよ
杜預が大軍を統括してたって勘違いしてる人がたまにいるけど、違うからね
杜預と王濬と王渾の活躍は、誰かが突出しているというほどの差は無い

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 19:15:51.09 ID:CiRF2A/K0.net
杜預一人で呉を滅ぼしたなんて思ってないし、言ってもいないでしょ。
ただ杜預が率先してなければ機を逃して泥仕合になってた可能性も高いわけで、
国の方針を確定させたオピニオンリーダーなわけでしょ。
その上で総司令官として呉討伐を完遂させたのだから、相応の評価はあっていいのではってだけ。
戦果は各将軍のものだけど、総司令官は自分で潰した敵の数だけが功績となるわけではないのだしさ。
まあ情勢的に呉は黙って待ってれば勝手に自滅してた可能性もあるけど、
杜預sageをしたくて仕方がないならともかく、ある程度の評価はされるべきだと思うだけだよ。
べつに確定枠入りさせろって騒いでるわけじゃないんだけどなあ…。

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 19:23:51.10 ID:J0AuvIsaI.net
なんか勘違いさせてしまったみたいだけど、べつに杜預sageがしたいわけじゃない
というより割と好きな人物だしね、左伝ヲタ的に考えて
燻銀な祖父の杜畿の方が好きだけど

ただあんまりこのスレでは呉討滅戦に踏み込んだ議論をしてなかったみたいだから、言いたかったことをゴチャゴチャ書いてみただけ
杜預も名将の一人だとは思ってるよ
まあ今の確定枠19人に比べると見劣りするなとは個人的に思うけど

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 19:28:06.18 ID:J0AuvIsaI.net
>>453
……って、アレ?
だから、杜預は総司令官なんかじゃないよって話だったんだけど
総司令官ってソースは何なのさ

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 19:29:38.69 ID:5MiW8+KH0.net
俺も別にsageる意図なんてないわな
議論枠内だと普通に上位だと思うし

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 20:57:23.35 ID:CiRF2A/K0.net
正確には都督荊州諸軍事、荊州方面軍の総司令官だったね。
戦そのものの総大将が賈充なのは分かってたけど、
討呉は羊祜が中心になって押し進めていた事業だし、
杜預はその羊祜の後を継いでるから、総司令官だという印象が先行していた。
こういうイメージを持ってる自分のようなにわかが多いのかもな、
征呉と破竹はセットで扱われてるのもあって。

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 21:22:58.84 ID:J0AuvIsaI.net
まあ晋書でも羊祜と杜預が同巻に立伝されてるし、それに比べると王濬たちの列伝は下の方だからね
「破竹の勢い」のインパクトも加わって勘違いしがちなのかも
というか俺も昔はそんな風に思ってた気がするし

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/07(金) 23:19:56.42 ID:J0AuvIsaI.net
話を戻して、残り五枠を私的見解で選ぶなら

後漢末期前半
魏:陳登
呉:孫堅 孫策
他:皇甫嵩 徐栄 麹義 呂布 黄祖
この中から一人だけ選ぶなら100%麹義

後漢末期後半
魏:臧覇 文聘
蜀:関羽
関羽を推したい人の言い分には共感するけど、ここは素直に臧覇で

三国時代前半
魏:曹休 郭淮 毌丘倹
蜀:魏延 王平
呉:朱然 朱桓 諸葛恪
粒揃いだけども、毌丘倹のインパクトが頭一つ抜けてるかと

三国時代後半
魏:陳泰 王基 鍾会
蜀:姜維 羅憲
呉:丁奉 陸抗
普通に考えれば陳泰か王基だろうけど、背景を勝手に考慮して姜維を一押し

あと一人は呉から誰か入れたいけど、イマイチ微妙なのしかいない気がするのよなぁ
賀斉も一瞬思い浮かんだけど、その分野だったら上位互換として梁習や張既のような怪物が控えているし

もういっそのこと樹機能が確定枠で良いんじゃないかな…
杜預もビビって更迭されてるし、異民族マスター牽招の子の牽弘もこいつの乱で死んでるよな、たしか

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 02:08:21.89 ID:qD7ziNL50.net
禿髪樹機能は蜀が存在してる内に立ってれば…と思わずにはいられん
細かくはわからんけど、どう考えても知謀もカリスマ性も相当なもんだよなぁ

まぁ晋が根本から揺らぐと大暗黒時代が継続してしまうわけで、誰が喜ぶかと言えば微妙だけども

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 08:39:19.85 ID:sEmKz1yx0.net
姜維は背景を考慮してって考えで過大評価されすぎな気がする

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 09:40:45.55 ID:PwT3cpFX0.net
・6選・
後漢
魏:曹操
蜀:劉備
呉:周瑜
三国
魏:ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜

・12選・
後漢
魏:曹操 曹仁 張遼 楽進
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:満寵 ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜

・18選・
後漢
魏:曹操 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜

・24選・
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃 臧覇
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 郭淮 毌丘倹 陳泰 王基 ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜

三国内だけで実績重視の選出するならこんな感じかなぁ、というイメージ。
実績重視にすると途中から魏将しか入らなくなるよね、当たり前だけど。
公平なような不公平なような、微妙な感覚だわこれ。

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 09:46:19.36 ID:v68xafov0.net
周瑜がなんで6選に入ってるの?
逆に周瑜のどんなとこを評価したの?

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 10:12:01.14 ID:PwT3cpFX0.net
>>463
ん? また正史三国志をちゃんと読んだことが無い人か。このレベルのツッコミがこのスレで来ると萎えるわ。
>>50 >>353 >>406 >>446 と同じ人?
解説するのも面倒臭いから、中国名将百選スレでも読んできたらどうかなと。
三国志の確定枠は曹操とケ艾だけ、議論枠は周瑜だけ。6選どころか3選でも入るよ周瑜は。

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 10:21:41.58 ID:PwT3cpFX0.net
不要な暴言は荒れる元だったな。申し訳ない。猛省してもう黙っときます。
まあ端的に言っても周瑜は、黄祖を討ち取り曹操を撃退し曹仁を追い払い益州遠征司令にも任命されてたんだから、少なくとも呉から誰か選ぶなら周瑜しか有り得ないかなと。

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 11:31:00.76 ID:jZL/srZoO.net
中国人であるジョン・ウー監督『レッドクリフ』でも、定番の劉備陣営ではなく周瑜を主人公に据えスポットを当ててるとこをみると、本国の人達にとっても特別な英雄なのかねぇ。

まぁ題材が赤壁だからってのも大いにあるけど。

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 12:45:47.94 ID:qD7ziNL50.net
三国志の京劇で髭なしの色男タイプのキャラで主役を張るのは周瑜と趙雲くらいな気がする
趙雲は実績という意味では本当に微妙…というかそれ以下なのに、あっちでも超人気なんだよな

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 13:47:56.56 ID:AlAO0EGTI.net
>>461
姜維のことは贔屓目入ってるからあんま気にしないでくれ

客観的に選出したら俺も>>462の人とほぼ同じになるかなぁ
6選は劉備より曹仁を入れたいし、12選は張飛より于禁を入れたいけど

まあ本当に公平さに拘るなら、三国外からも選ぶべきだとは思うが
特に群雄では最大勢力だった袁紹軍から誰も入らないのは拙いので、やはり麹義を推したくなるねぇ

異民族も…檀石槐はともかくとして、樹機能はギリギリ三国志の範疇に入るんじゃないかなと
軻比能はやられ役になってることが多いが、樹機能が魏晋に与えた被害は諸葛亮や陸遜を大きく上回る
馬隆マジックでよくわからんやられ方してるのが何とも言えない気持ちにさせるけども…
諸葛亮の八陣図はいいとして、いったいどんな磁石使ったら鉄兵の動きを止められるんだよと

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/08(土) 18:58:10.98 ID:GhZQtMKm0.net
>>467
呂布も髭なしだった希ガス
まぁこのスレには全く関係ないけどな

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 08:29:15.47 ID:+ejotfwh0.net
姜維と陸抗には「滅亡寸前の弱小国家を背負って頑張ったで賞」をあげたい

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 08:56:55.05 ID:G+hs4+000.net
呉はラジー賞の大本命ですね。

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 09:25:52.79 ID:wGdgk6+IO.net
結局、一度優勢に立った魏の優位性は、最後まで覆らなかったね。

赤壁や漢中攻防戦、馬超や孫権との戦いを経ても。

また、それを覆させなかった曹操の人材収集、国家体制作りに、一将としての能力を超えた総合賞をあげたい。

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 10:05:47.33 ID:+ejotfwh0.net
>>471
呉将の「名将だと思ってたけど実績はそうでもなかった」感の多さはヤバい
コーエー三国志で贔屓にされてるのは蜀将じゃなくて呉将なんじゃないかな

>>472
劉備と孫権が地方で割拠できたのは、人民が黄巾以来延々と続いた中原の騒乱を避けて地方へ疎開していたからってのが大きい
曹操と曹丕によって中原が安定すると地方に疎開していた人民が帰郷し始め、国力差は時間が経つほどに開いていって最後は蜀も呉も滅亡

特に呉は、領土が広いのに人口が少ないから国力低下が大問題となり、山中や海外へ人狩り活動をし始める始末
魏の都督は州単位、蜀の都督ですら郡単位なのに、呉の都督は県単位ってのが、いかに呉がスカスカな国だったかを現してるかと

まあ魏は蜀に呉に東夷に鮮卑にと全方向を敵に囲まれてるのに、蜀や呉は魏だけを相手に戦っても勝てなかったんだから、その差はお察しデスね

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 11:21:15.45 ID:wGdgk6+IO.net
しかしそんな強国・魏も内患には勝てなかった…

「魏武がつき、三司馬こねし天下餅、座りしままに食うは安世」だったね。

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 12:08:19.30 ID:+ejotfwh0.net
>>474
だから三国志後半はつまらんのよな、三国共通で君主も武将も大抵が小粒な上に内乱の時代になるから
司馬氏もよく見ていくと、司馬懿司馬師は優秀だが、司馬昭司馬炎は結構微妙だし

陸機の弁亡論でも「かつての曹操軍や劉備軍は名将揃いだったが、当時の呉軍はそれを撃退した。呉を滅ぼした晋軍には名将なんて一人もいなかったのに、呉は内部から崩壊していたから負けた」みたいなことを言っている
このスレでも杜預が大した名将じゃないことは証明されたみたいだし、統一戦なのにここまで盛り上がりに欠けるって悲しすぎるわ

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 12:49:57.65 ID:wGdgk6+IO.net
司馬懿、司馬師は優秀ってのは同意だけど、司馬昭もかなり優秀だよ?
司馬炎は普通の人って感じだが。

司馬昭の凄いところは抜け目ない性格と、先人が通ってきた道をしっかりと学び、自らの人生に活かし切るところ。

当時は司馬家が権力を握ってはいたが、どこまでその力を振るえるのか、どれほどの影響力なのか、兄・司馬師が体現してみせてくれた。
皇族に連なる寵臣を三族皆殺し、皇帝を廃立。
ここまでやっていいのかと、兄・司馬師の手法や振舞いを見て司馬昭は学んだと思う。

そして、晋公・晋王への昇進と簒奪への足場固めの手法は、ご存知曹操のやり方をしっかり学び取り実践に移している。

兄や先人からたくさんのことを学び活かし切る、抜け目なさと合わせてかなり頭の切れる人物だ。

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 13:43:04.00 ID:PE+FS3WK0.net
>このスレでも杜預が大した名将じゃないことは証明されたみたいだし

いやいやいや、
確定枠に入らないだけで普通に名将だぞ。

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 13:49:02.66 ID:+ejotfwh0.net
>>先人が通ってきた道をしっかりと学び、自らの人生に活かし切るところ

王儀「は?」
曹髦「あ?」
陳泰「え?」
王経「ん?」


>>曹操のやり方をしっかり学び取り実践に移し

曹操「献帝に殺されかけたことはあっても、献帝を殺したことはねーです」

曹操が献帝を殺してたら、絶対もっと魏は早期滅亡しただろうよ
皇帝殺害という汚点の大きさを舐めちゃあかんぜよ


>>抜け目なさと合わせてかなり頭の切れる人物

賈充や鍾会のような輩を重用しすぎたせいで色々と問題起こしたり、司馬昭は抜け目無さとは程遠い人物だわ
父と兄が優秀だっただけで、本人はせいぜい及第点レベルだろ

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 14:34:41.59 ID:wGdgk6+IO.net
皇帝殺害は致し方のないところだよ。
あの時曹髦は凄まじい覇気をもって先陣を切り、司馬昭の首を取らんとしていた。
「皇帝に刃を向ける気か!」と怒声を放つや、迎撃に出た兵は畏れおののき動きを止める。
放っておいたら、その権威を盾にした行軍に手出しできず、司馬昭の府に乗り込んで首を取られてしまうだろう。
止めるには、無茶でも殺す以外無いんだよ。
背に腹はかえられない、というやつだ。

曹操の時も司馬師の時も、皇帝自らが突っ込んで来たわけじゃない。
だから殺さずに済んだんだ。

それと、賈充や鍾会は有能な臣だ。
問題のある人物達だが、それ以上に司馬昭の役に立った。
だから有用した。
その内鍾会は反乱を起こし、もはや害にしかならないと判断したらきっちり始末をつけている。
対して賈充は反意を見せず、これまでの功も、そしてこの先も役に立つと判断したから、皇帝弑逆を陳泰に詰め寄られて世間に対する体裁が悪くなろうとも殺すことはしなかった。
白黒つけるところはしっかりつけている、人使いに長けた男だよ。

父と兄が優秀だっただけで、本人はせいぜい及第点レベルなのではなく、父と兄が優秀だったおかげで多くのことを学び、その二人よりむしろ落としにくい手強い人物になった気がする。

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 14:45:07.32 ID:+ejotfwh0.net
殺す以外無い、とかどんな考え方してんだよ…
貴方とは議論できそうにないから諦めるわ

鍾会がいつか乱を為すことは幾人からも忠告されていたのに、結局反乱を起こさせあわや一大事となり、何より不世出の名将ケ艾をこんなくだらないことで失い
そして賈充がどれだけ呉討伐の足を引っ張り続けたか

まあ司馬昭ファン?がどういう考え方してんのかの参考にはなったよ
歴史上の人物は解釈次第で何とでも言えるのが面白いっすね、はい

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 14:52:46.39 ID:gpcIa53K0.net
横からだが賈充はそもそも呉を飲み込むこと自体に消極的
実際晋としては呉を飲み込まないほうが長生きできていたかもしれない

というかなんでさっきから武将じゃないやつについて語ってるんだ
三国志名君二十四選でも立てればいいのに

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 14:55:30.21 ID:CfUMKrG40.net
司馬炎は圧倒的優位な状況下にありながら死に体の呉と禿髪樹機能に散々苦戦させられ、
どうにか統一しただけの人…という感じだなぁ
その後の平時の働きも酷いし

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 14:58:47.71 ID:Wb+PWb3v0.net
鐘会の乱なんて起きる前に潰れてるのにあわや一大事ってどういうことさね

議論(というか意見の交換)を途中で放棄するのは自由だけど捨て台詞を吐くのはよろしくないな
しかも
>歴史上の人物は解釈次第で何とでも言えるのが面白いっすね、はい
っていうのはそのままブーメランになるぞ

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 15:02:51.49 ID:CfUMKrG40.net
確かにそれは煽りにもならんわなぁ

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 15:03:12.12 ID:+ejotfwh0.net
>>481
いつの間にかこういう流れになってた
スマソ

>>483
勿論ブーメラン込みで言ったのよ
というか議論放棄した時点で私の敗北宣言

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 15:06:24.06 ID:+ejotfwh0.net
>>鐘会の乱なんて起きる前に潰れてるのに

あの乱が成功してたら蜀にまた国が誕生してた
あわや一大事、って何か間違ってるか?

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 15:20:59.29 ID:wGdgk6+IO.net
>>480
どういう考え方してるって、だったら逆に訊くけどどうやって止めるんだい?
揺るぎない決意をもって殺しに来てるんだよ?
しかも賈充の配下以外は畏れおののいて皇帝に手出ししようとしない。
止めるにはもうああするより仕方ないじゃない。

鍾会がいつか乱を為すことは司馬昭も薄々気付いていた。
しかし蜀征伐の具体案を示し、群臣達が無理だと反対する中できると言ったのは彼だけだ。
だから危険を承知で彼に任せた。
トウ艾が死んだのはその巻き添えを食った形だが、司馬昭にとってはそれはそれで悪い状況でもなかった。
蜀討伐の二大功臣がいれば、その後の自らの計画の障壁となる可能性もある。
反司馬の盟主にでも担ぎ上げられれば厄介でもあるしね。
そして賈充がどれだけ呉討伐の足を引っ張り続けたかってのは司馬炎の時代のことでしょ?
そんな先の時代にどんな議題でどんな主張をするかなんて、その時点の司馬昭に分かる筈ないじゃない。
少なくともその時点の司馬昭にとっては有能な臣だと判断したから、節を曲げてまで生かしておいたってことだよ。

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 15:28:04.92 ID:+ejotfwh0.net
>>487
なんでこの流れで司馬昭の話を続けようとするんだよ
5日にも不自然な流れで司馬兄弟マンセーしてたよな
このスレで話題にする連中じゃないと言われてんだろ
私の解釈を貴方に認めてもらうのは諦めたから、貴方の解釈を私に認めさせるのは諦めてくれ
まあもう発言しないから、何とでも言ってくれていいけど

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 15:49:43.41 ID:wGdgk6+IO.net
いや、何をぶっきらぼうに半ギレしてるのか知らないけど、見解を述べ合ってるんでしょ?
あなたが、有能ではないと主張したのに対し、俺は有能であると主張した。
ただそれだけのこと。

無駄なけなしを入れるばかりで議論もできないならもう結構。

ただ、自分と考えが違うからといって無闇に攻撃的になるのはどうかと思うよ。

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 16:19:59.05 ID:+ejotfwh0.net
とっくにこっちは議論放棄してんのに、ここまで余計に粘着されるとは…
日本語が読めねーのかこいつ
最初に杜預や鍾会じゃなく司馬昭で突っかかってきた時点でスルーすべきだったかしら
かつての関羽信者なみに鬱陶しいわ
関羽はこのスレで議論してもいいが司馬昭にはその資格すら無ぇって何回周りから言われれば気が済むの

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 18:07:56.59 ID:PE+FS3WK0.net
無駄な暴言は自分の品位を貶めるだけだよ。

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 18:41:10.47 ID:U0vduAfC0.net
>>490そんな喧嘩腰だから、余計な反論を受けるんだよ

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 19:12:06.59 ID:VCzcWlcF0.net
>>490
周りからっていうか、お前からだけだと思う。

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 19:48:53.11 ID:D0H2YpYr0.net
しかし皆さん色々お詳しいですなぁ

陳泰って誰? ってレベルのあっしにゃ皆さん三国志博士っすわ

何かそういう細部?まで記述されてるような読み物とかあるんですかな?

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 20:49:56.30 ID:yM4nicTK0.net
うるさいぞ曼才

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 22:11:56.65 ID:K6rh0k0a0.net
関羽、夏侯淵あたりが確定じゃないのに
かなり早く死んだ周瑜が確定してるってのは結構凄いな
やっぱ無敗なのと、でかく重要な勝利を上げてるのが大きいのか

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 22:47:56.57 ID:DUTHRhe40.net
夏侯淵は確定入したんじゃなかった?

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/09(日) 23:53:51.17 ID:+ejotfwh0.net
>>493
私だけじゃないよ
ちゃんとスレ読みましょう

>>494
http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A3%E5%8F%B2-%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97-%E5%85%A88%E5%B7%BB%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%99%B3/dp/4480080406
正史も知らないレベルだったら中英板は難しいだと思うから、三戦板の方に行った方がいいんじゃないかな・・・
一応ネットでも正史三国志の和訳は読めるけど、陳泰を知らないくらいだから読んでも理解できんでしょうし
http://home.t02.itscom.net/izn/ea/kd3/00.html
http://www.project-imagine.org/mujins/sanguo/
http://www.3guozhi.com/20.html

>>496
夏侯淵は確定してるはず

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/10(月) 00:07:07.34 ID:BHgD9PWiI.net
議論が煮詰まってきたようだけれど、
議論枠外で名将の取りこぼしが無いかなと三国志を読み返していたら、"曹洪"に目が止まり、
先入観を取っ払って事績をなぞっていくと、想像以上。

全然話題にならないけれど、張飛と張り合えるくらいの名将かも?
失点もほぼ無いし、議論枠どころか確定枠も狙えるんじゃないかなと。

あえて張飛と対比させてみると

主君の危機を救う
張飛:長坂で橋を切り落とし、曹純の追撃を防ぎ、大敗した劉備を生還させる
曹洪:ケイ陽で馬を譲渡し、ベン水で船を調達し、大敗した曹操を生還させる

呂布戦での活躍
張飛:呂布に急襲されて下邳を失陥
曹洪:帰還軍の先鋒となって范を占拠し食糧を調達

県城平定
張飛:巴郡を侵攻し通過した諸県全てを攻め落とす
曹洪:済陰郡と山陽郡と河南尹の諸県10以上を攻め落とす

張郃との決戦
張飛:巴郡の住民を移住させていた張郃を大破する
曹洪:官渡を攻めていた張郃を降伏まで追い込む

張飛vs曹洪
張飛:馬超と組んで作戦失敗
曹洪:曹休と組んで作戦成功

まあ曹仁や張楽于張徐と比べたらやや劣るかもしれないけれど、
全体で見れば間違いなく名将の部類かなと。

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/10(月) 01:05:40.52 ID:FRVbSsB00.net
曹洪は序盤の活躍が半端ない
少なくとも官渡あたりまでは夏侯淵や曹仁よりも重要な役割を果たしている
ただ残念なことに、品行があまり良くなかったり人の上に立つタイプではなかったせいか人材の層が厚くなってくると次第にフェードアウトしてしまった

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/10(月) 10:01:25.25 ID:CzBduDlx0.net
魏は名将が多すぎて過小評価されてるのは結構いる
国力の差がって意見もあるけど

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/10(月) 10:40:42.28 ID:BHgD9PWiI.net
三国時代に入ってからなら、国力差って理由で魏将のハードルが上がって、夏侯尚や王昶クラスの名将でも脱落してしまうのは分かりますけど、
曹洪が活躍してた頃に、国力差なんて要素は無いと思うんですよね。
というか、その圧倒的な国力を誇る魏という最強国を創り上げたのが、後漢末期の曹操軍なんですから、名将だらけになるのはむしろ当然な気がします。

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/10(月) 21:15:09.63 ID:wTiBzkbi0.net
>>499張飛と曹洪を比較するのは無理があると思う
張飛の長板での活躍は武勇を示すものであるのに対して、曹洪は曹操に対する忠義を示すもの
張コウとの戦いも張飛の場合は張コウを撃破して大勝、曹洪の場合は防いだだけで(これでも十分凄いが)張コウが降伏したのは讒言によるもので曹洪の功績とするには微妙

まあ、それでも失点が少ないし名将だと思うけどね曹洪

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/10(月) 22:43:41.48 ID:zOUk2f3n0.net
長坂の殿軍は相当評価していいはずだよね

殿の任務を成功させて尚且つ自分も生きているなんて、軍が瓦解寸前の撤退戦では珍しいこと。

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/10(月) 22:50:39.32 ID:BHgD9PWiI.net
>>503
たまたま比較しやすかったから張飛を持ち出してみただけで、深い意図は無いのですw

裴松之も疑問を呈していますが、張郃が降伏した原因は讒言ではないとされています。張郃が勝手に降伏したせいで袁紹が大敗したなんて張郃伝に書けるわけないので、あんなふうに書いてあるのだそうです。(三国志集解)
張郃が降伏を決断するまで曹洪が防ぎ切れなければ、袁紹が中原の覇者になっていたと考えれば、曹洪の功績は非常に大きいかと。
袁氏の本拠地である鄴を攻めた時もそうでしたが、曹操は自身が本陣を離れる時は必ず曹洪に任せていますしね。
なぜか曹洪の功績って曹洪伝に載ってないことが多いので分かりにくいのですが…。

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/11(火) 00:36:44.07 ID:lufhKLlY0.net
張郃の降伏は必然だと思うがなぁ
曹操の本陣を攻めることに反対していた張郃をその本陣攻めの主将に据えたっていうことは、もし成功すれば献策が間違っていたことになるし失敗すればその責を負わないといけない
完全に詰みでしょ

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/11(火) 00:46:01.61 ID:Eu4NeyqA0.net
議論漏れチェックね
とりあえず三国時代は都督の変遷を調べてみたが、まあ未だ議論されてない連中で確定枠狙えるほどの名将は流石にいないかな?

西方面軍司令官(都督雍涼二州諸軍事)
220年:曹仁(都督荊揚益三州諸軍事)
220〜231年:曹真(222〜231年:都督中外諸軍事)
231〜238年:司馬懿
238〜243年:趙儼
243〜249年:夏侯玄
249〜255年:郭淮
255年:陳泰
255〜262年:司馬望・ケ艾
262〜264年:鍾会・ケ艾

南方面軍司令官(都督荊州諸軍事)
220年:曹仁(都督荊揚益三州諸軍事)
220〜225年:夏侯尚
225〜227年:(裴潜・文聘)
227〜231年:司馬懿(都督荊豫二州諸軍事)
231〜24?年:(胡質)
24?〜259年:王昶
259〜261年:王基・州泰
261〜263年:鍾毓・陳騫

東方面軍司令官(都督揚州諸軍事)
220年:曹仁(都督荊揚益三州諸軍事)
220〜228年:曹休
228〜238年:満寵
238〜240年:(王淩)
240〜251年:王淩
251〜253年:諸葛誕
253〜255年:毌丘倹
255〜257年:諸葛誕
257〜259年:王基
259〜268年:石苞

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 08:38:06.45 ID:XppTvYFX0.net
諸葛誕の「狗」って貶し言葉だっけ?褒め言葉だっけ?

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 08:57:12.61 ID:DG3qFnyn0.net
>ここでの「狗」は「功狗」、「功ある者」の意味で、つまり彼への賞賛であり、魏・呉での名声は高かったという。 by Wikipedia

だそうだ

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 09:08:46.70 ID:XppTvYFX0.net
へぇ、Wikipediaでそういう有益な情報が載ってる記事もあるんだね
正史を雑に簡略化しただけの粗末な記事が多かったから今まで無視してたけど

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 09:17:51.43 ID:DG3qFnyn0.net
めどいんでWikiからコピってきたけど一応出典は世説新語ですん

>此所謂 乃功狗之狗 謂如韓盧宋鵲之類 雖非龍虎之比 亦甚有功於人

まぁつまり後世の創作エピソードの可能性大ですわw

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 09:38:40.12 ID:XppTvYFX0.net
あ、そうなのね・・・でも名声が高かったのは事実みたいよね
死罪を犯した者でも助けるというアレな行動のおかげか部下から慕われ、最期は田横の故事に例えられたと
まあ曹叡からは、名声だけの愚物扱いされてるし、実力が伴っていたかは甚だ疑問だが

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 10:20:45.96 ID:wFBRAOV3O.net
諸葛誕は評価的に中々複雑な人物だよね。

良い所もあれば悪い所もあるという、言わば人間らしい人物。

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 10:56:32.63 ID:XppTvYFX0.net
王淩→行政官として有能
毌丘倹→将軍として有能
諸葛誕→?

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/12(水) 13:24:02.40 ID:wFBRAOV3O.net
名声はあるが、将としては「桂馬の高上がり」…かな。

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/13(木) 09:25:56.02 ID:YICAaYYOI.net
州泰と石苞は中々の名将だな
同時期のケ艾と王基がズバ抜けてるせいで相対的に地味に見えるけど

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/13(木) 16:56:33.30 ID:MdmonXK/0.net
王基とか杜預世代の三国末期の人間が、于禁とか張飛とか、後漢末期の名将をどう考えてるのか気になってたけど
年代的には今の若者が第二次世界大戦で活躍した将軍を想うのと、同じような境遇なんだな。

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/13(木) 17:14:29.82 ID:YICAaYYOI.net
于禁や張飛は軍部のほぼ頂点にいた歴戦の将軍なわけで、まさに「建国の大功臣」だからな
まあ于禁は魏建国の功臣を祭るイベントでハブられてた気がするがw

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/13(木) 17:43:29.72 ID:b1FNhU1HO.net
>>517
そう言われるともう読み物の中の人間達って感じだなw

後漢末の動乱から三國時代までひとつの時代として見ていたが、言われてみるとそんなに世代が違ったんだと改めて実感する。

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/13(木) 19:13:39.38 ID:3GIyhGsi0.net
司馬炎が即位したのが曹操生誕110周年記念の年だからなぁ
今から110年前っていうとケ小平が生まれた年だからもう歴史上の出来事と言って差し支えないよなぁ

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 09:30:52.22 ID:tXrSv6hE0.net
19人目の確定枠が夏侯淵
20人目は誰?

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 10:14:05.24 ID:RjObedBt0.net
毌丘倹でもういいんじゃないか?

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 10:38:15.92 ID:tXrSv6hE0.net
やっぱりカン丘倹か
俺もそれに一票

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 20:00:47.45 ID:P2qOvnWF0.net
今確定枠ってどうなってんの?
>>2に夏侯淵と誰を足して19人?

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 20:28:18.02 ID:tXrSv6hE0.net
なんでそんな質問が今更出てくるのだ
スレ読み返せばわかるだろ
半年ROMれ

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 20:48:54.07 ID:tXrSv6hE0.net
って、どうやら半年ROMってなきゃいけないのは俺の方だな
今スレ読み返してたら確定枠なのにsageられてるヤツが多すぎて、どこまでが確定枠なのか理解できなくなってきた

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 21:42:30.24 ID:k7WLnmjo0.net
最後までひとりよがりの我儘ぶっこいた奴の妄想が確定枠だよ。

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 22:23:37.75 ID:LE/K8M4K0.net
後漢と強姦って似てるよな

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 00:03:54.36 ID:sGRBBXbZ0.net
現代の私立文系でも名将や名軍師になれる能力などたかが知れている

530 :2:2014/03/15(土) 00:23:24.54 ID:SEpiymYt0.net
暫定意見に対して、異論が出るかどうか。異論に対して反論が出るかどうか、その反論に対して切り返せるかどうか。
議論スレですから、そうやって決めていくしかないと思いますよ。よって、「ひとりよがりの我儘」などが通ったことは無いかと。

>> 259の時点で確定枠を
後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 (毌丘倹) ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜
と一旦整理させて貰ったのですが、
ここまではこのスレの結論として良いのですよね?(違うのでしょうか?)

夏侯淵や張飛を落選させる動きも一時的にあったようですが、結局は確定枠に落ち着いたと捉えていました。
この時点で19枠(残り5枠)、紆余曲折を経てあまり議論自体は進んでいないようですが…。
今は20人目として毌丘倹を昇格させる流れになっている(?)みたいですね。

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 00:46:03.35 ID:E7rpX6xi0.net
>>530
確定枠に異論はありません
昇格に関しては、議論枠中だと臧覇、毌丘倹かなあ、功績から考えると

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 12:44:23.47 ID:+TZIelqs0.net
>>1000近くになると意図的にスレの延命処置的に
暴れだす奴が出てくるよ。
何故か、その時はそういうヤツへの賛同も増えてしまい
「結論は出なかった、次スレへ」という茶番劇のループ。

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 13:44:49.73 ID:wJlhWuRA0.net
結論を出すことが目的ではなく、議論を楽しむスレなんで。

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 14:05:40.40 ID:AMjuj1T00.net
24人が決定して目出度くスレ終了、さようなら、というのが嬉しいかといえば微妙ではある

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 12:03:05.47 ID:z/B8wfNs0.net
ランキングには影響しないけどあいつも結構名将だったなーとか駄弁るのが良い

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 12:32:01.21 ID:tIcquune0.net
もう名将談義スレでいいんじゃね?
ランクを決めて締めにしないんじゃ選出する意味がない・・・。

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 13:21:44.43 ID:/GAlMs2C0.net
どうせ誰にも異論がない形での確定なんてできやしないでしょ。
ある程度の枠を決めて議論したり雑談するのが面白いんじゃん。

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 13:44:16.22 ID:AUFjG4Se0.net
正直カン丘倹まで確定にしてはいいと思うけど後4人を選ぶのって難しすぎる

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 17:53:16.62 ID:OXDXvOHi0.net
>>538 同意だな

たまに混ざってくるニワカは論外としても、
正史三国志(や後漢書や晋書)という同一史料を元に議論してるのにここまで18人目以後が停滞するってことは、
要するに三国志の名将がそのくらいしかいないってことだろ。

>>462がわかりやすいけど、
なんかもう名将を選ぶというより残り物(というか同程度の良将が揃ってる魏)から個人的にマシだと思うのを選ぶみたいなノリになっていきそう。

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/16(日) 20:41:55.07 ID:jDfL+XGK0.net
勝敗、実績重視だと終盤は魏(晋)以外からは選べないしなぁ
でも、陸抗や姜維等と較べて同条件でも上か、能力的に上かといえば何とも言えず、どうにも低調に

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 01:10:44.75 ID:VK5n57GlI.net
蜀は劉備と張飛と諸葛亮、呉は周瑜と呂蒙と陸遜
魏の一線級と比較しても遜色無い名将が、三人ずつもいると言うべきか、三人ずつしかいないと言うべきか
蜀も呉も他の面子がイマイチすぎて、四人目と言い切れる存在がいない気がする
人によっては関羽や孫策、姜維や陸抗なんかがそれに当たるんだろうけど
三人目までと比べて、なんか急激にランク下がった感が否めない

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 14:13:01.62 ID:MI/M7EVJ0.net
劉備の軍事能力って過小評価されてるがめちゃくちゃ場数踏んで只者ではない老獪さも持ち合わせてる
同じような条件下なら何人が勝てるかどうかクラス

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 15:30:23.87 ID:HjwgH5gK0.net
そりゃ曹操が唯一認めてる英雄だしねえ。

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 15:52:27.17 ID:U22nLcnz0.net
劉備自身、曹操が直接率いている軍以外には基本的に必勝だと思ってた節があるし、それが過信ともいえない実績だわな
まぁ、劉備も曹操も負けるときは負けるけどもw

演義や光栄ゲームどっぷりという人だと意外に思うのかも知れないけど、このスレだと別に過小評価はされてないね

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 15:55:59.13 ID:VK5n57GlI.net
>>542
いつ劉備の軍事能力が過小評価されたのさ…
このスレにそんな演義脳のやつおらんでしょ

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 16:02:05.61 ID:VK5n57GlI.net
>>544
劉備を寡兵で粉砕できるほどの名将は、後漢末では曹操と曹仁の二人だけだろうと思う
高順の時は兵力不明でよくわからん
長阪も含めれば曹純もカウントされるのかもしれんが、あの時の劉備軍って実態は5000未満だろうしノーカン?

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 17:23:58.73 ID:EQNiSX5R0.net
夷陵の敗戦は無かったことにされてるの?

名将と言っても、寡兵を率いた兵隊長くらいが見合ってる人だと思う。
戦術的な用兵も苦手なように思えるし、現場指揮官的な印象。

ネットでは劉備を名将と言わなきゃ即にわか認定みたいな、右に習え的な風潮があるけどさ。

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 17:31:55.21 ID:HjwgH5gK0.net
夷陵の失点を遥かに上回る加点があると判断されてるからこその名将評価でしょ。
破った敵将の名前を並べてごらんよ。
相手より国力で劣る情勢なことも多いのだし、これで名将じゃなかったら
どれだけの数の三国志の名将が名将と言えなくなるのかって感じだと思うけどなあ。

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 18:24:15.04 ID:M5iWDRYz0.net
劉備の軍事能力って関羽の能力込みじゃないのか?

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 19:37:49.91 ID:U22nLcnz0.net
そりゃあ麾下の各将や近い位置に居る同格の将・部隊の存在等は常に影響が在るだろうけど、そんなもん全員が全員そう
1つの要素、状況ではあるけど、明確に排除して考える事なんて無理だから別にいいわ

数千、数万の軍を長期間動かす以上、下級官僚的な連中の能力も大きく影響するけど、それも計れるものでもないしなぁ

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 19:43:07.97 ID:enSjc4Hr0.net
劉備は勝つときは勝つけど負けまくってるイメージ

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 20:05:34.25 ID:VK5n57GlI.net
劉備は最期の陸遜戦を除き、自分から仕掛けた戦いには必ず勝ってる
自ら切り取った領土も曹操の次に多いし
特徴としては、やたら長期戦が得意ということと、敵地の奥深くに食い込んでも自分の優位を保てる謎の戦場構築能力

逆に、仕掛けられた戦い、というか騎兵による急襲には弱い
だから中原で曹操軍(曹仁)や呂布軍(高順)と戦うと負けてる
曹操軍との戦いでも漢中での山岳戦では完勝してるのに

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 20:07:36.31 ID:ll/lylEI0.net
>>551
逆じゃね?

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 20:20:38.87 ID:VK5n57GlI.net
>>547
そもそも劉備を寡兵で撃退したからこそ、陸遜は名将と言われてるのに
劉備が名将じゃないとか言い出したら、陸遜の武功が8割くらい消滅してしまう
そうなったら陸遜は、呉で三人目の名将としての地位すら危うい気が

>>549
入蜀の時も夏侯淵討伐の時も曹操撃退の時も関羽はいないんだが?

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 20:45:49.75 ID:HDt9ogcv0.net
名将としての地位もなにも勝手にこのスレで決めてることだろ。
元よりこのスレ自体が歴史的事実を無視することを容認してる上で成立してるわけだから
拗れた話は纏まらんよ。

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 21:23:26.64 ID:VK5n57GlI.net
>>元よりこのスレ自体が歴史的事実を無視することを容認してる上で成立してるわけだから

関羽厨ってなんでこんなにキチガイなの?
ヤバくね?

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 21:31:01.01 ID:HDt9ogcv0.net
どうした?このスレのルールを述べただけだろ、俺は。

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 21:33:01.97 ID:U22nLcnz0.net
なんだこの人w

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 23:51:04.60 ID:wcWUtIPZ0.net
>>549関羽が居ない時の方が劉備の勝率高いのに?

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 23:55:03.15 ID:wcWUtIPZ0.net
>>554夷陵の戦いってだいたい兵力が互角か、あるいは劉備側の方が少ない可能性もあるんじゃなかったっけ?

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 00:05:12.15 ID:v8iVDcck0.net
>>557 お前の言う歴史的事実って何なの

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 02:25:11.00 ID:g7yQgT4H0.net
劉備は名士参謀陣がいた頃は、快調だったのに参謀が消えた瞬間夷陵だからなぁ。
参謀作る前は、寡兵で流浪して匹夫の勇で戦ってただけだし。
大軍を率いた事が無い&率いた瞬間負けたのは事実だし、寡兵を率いれば強いけど大軍は苦手な名将と言ったところか。

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 02:35:55.41 ID:bdhgi+Ii0.net
甘寧と間違ってるかのよう

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 07:38:20.13 ID:v8iVDcck0.net
夷陵の戦いって当初は劉備が連戦連勝してたのに、大軍率いた瞬間負けたってどういうことだ

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 09:12:41.69 ID:g7yQgT4H0.net
>>564
勢いで攻め上がっただけでしょ。
でも大軍の運用方法知らなかったから、陸遜に隙を突かれて撃破された。

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 13:29:35.45 ID:Sf7Rypus0.net
夷陵の戦いも、序盤は優勢だったからな
演技と同じく
もしケイ州を分捕れたらまた違う三国になってたかも

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 15:33:16.67 ID:gek3L9hDO.net
諸葛亮の戦略構想が成就した上での北伐が可能というわけか。

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 23:44:47.26 ID:fZE5L2Mi0.net
大軍ってどのくらいの兵数を言うのよ?
入蜀や漢中で夏侯淵、張郃や曹操と戦った時は大軍とは言わないの?

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 01:11:01.38 ID:YyQ0TzQq0.net
結論が完全に決まっていて、勝ったら勢い、負けたら実力という人に何を言っても…

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 02:24:20.25 ID:Z4WFp4To0.net
夷陵の戦いの兵力は蜀が4万、呉が5万
実は呉軍の方が数が多い
漢中の戦いは兵数がわからないが
諸葛亮が劉備に援軍を送った事から
夷陵より数が多そうな気がする

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 04:52:43.84 ID:gtKV8XrNO.net
夷陵の戦いでは、呉は拠点の殆どを蜀軍に陥とされ、絶体絶命のピンチに乾坤一擲の火計で大逆転。
この陸遜にしても赤壁での周瑜にしても、ここ一番での火の使い方が実に上手いね。

そしてピンチから一転しての大逆転の鮮やかさが、日本の「桶狭間」を見ているようだ。

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 09:44:07.01 ID:yJt8qk1+0.net
話変わるけど、記録の残りにくい敗者(三国外)と、記録の残ってる勝者(魏蜀呉)を、同一基準で比較するのは無理があるんじゃないの
つーか、三国外勢力に不利すぎ
徐栄や麴義や黄祖なんて、列伝どころか付伝すら無いわけだし
極論すれば、敗者だから名将じゃないと言えなくもないのかもしれないけど
別枠で三国外名将○選とかやった方が逆に公平になると思う

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 14:32:31.92 ID:AxRGH6CH0.net
それ言ったら蜀成立以前の劉備軍だって記録があまり残ってないわけだし

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 18:37:36.65 ID:GJutpD/u0.net
むしろここで妙に評価の高い張飛なんて指揮官としての具体的な功績は張郃撃退くらいしかないんじゃね?

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 18:39:33.42 ID:GJutpD/u0.net
おっとミスった、こっちか
>張郃

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 18:48:03.05 ID:LWFMMNuE0.net
入蜀と曹操の荊州侵攻の際の殿とかもだな

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 19:03:24.42 ID:GJutpD/u0.net
長坂では実際には戦ってないしなぁ
入蜀も「平定した」ってあるだけで何したか全く分からんし

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 19:38:12.58 ID:yJt8qk1+0.net
ID:GJutpD/u0が正史を読んだことないってことだけは分かった

張飛伝の四分の一は入蜀戦の記述なんだが…

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 19:45:00.79 ID:3zaTekXi0.net
厳顔を撃破した張裔を破った通過する場所全てで勝利収めた
法正に「張飛の数万の軍勢が既に巴東を平定し〜」と脅しの材料に名を使われる。
十分だろ?

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 21:12:05.51 ID:GJutpD/u0.net
「具体的な功績」というのは勝った負けたではなくどう勝ったか、どう負けたかという意味で書いたつもりだったので言葉が足りなかったのは申し訳ない
勝った負けたでいいなら徐栄だって麹義だって十分に記述があるしな

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 22:40:34.68 ID:V2DEdr9gO.net
張飛と関羽は保留で

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 23:07:33.70 ID:8Xj90HxR0.net
張飛道連れにすんなや義兄

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 01:04:51.11 ID:GTZuDHKw0.net
張飛は確定でいいでしょ。

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 05:32:04.88 ID:nX7K5/ijO.net
張飛贔屓にすんなや義兄

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 11:48:12.24 ID:7WTwfetPI.net
李傕と郭って意外と武功多いんだな

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 13:19:39.99 ID:S4TL4G+10.net
張飛は別に評価高く無いだろ。
というかこのスレの初っ端から批判されてるじゃん。

どっちにしろ、24人の中には入る将軍だと思う。

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 16:19:14.92 ID:dSuKpTiu0.net
残りの二十四選の候補に、呉の朱然を推したい
曹真・夏侯尚・張コウの魏の名将達に攻撃を受けながらも江陵を守った手腕は凄いと思う

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 16:22:34.55 ID:GTZuDHKw0.net
>>585
郭レなんかは結構な猛将だったみたいだしな。
まあ董卓一派は諸悪の根源扱いだから歪められてる部分も多そうだけど。

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 20:24:56.19 ID:7WTwfetPI.net
朱然の江陵防衛戦はたしかに凄い
が、それ以外に大功が無い気がする
朱然伝だけ見てるとわからんけど、意外と敗戦も多いし

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 20:56:08.09 ID:sApA2nmH0.net
それこそ戦の結果だけなら赫々たるもんですよね李カク
呂布・徐栄・朱儁を破るとか

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 22:14:39.81 ID:7WTwfetPI.net
>>590
劉焉馬騰の軍も、李傕郭に壊滅させられてなかったっけ

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/20(木) 23:25:17.82 ID:nX7K5/ijO.net
涼州の将兵の、戦場での強さの由縁とは何だろう

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 00:00:04.49 ID:D6BmNuG7O.net
>>590
賈クのおかげって事は無い?

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 00:12:52.10 ID:MpwJFRjR0.net
>>592
安直な話だけど、やっぱり騎兵の質じゃないかな。
塞外や西域の遊牧民族と絶えず抗争してるんだから、精鋭も揃ってるだろうし。
騎射なんて西か北の人間じゃないと滅多にやらないしな。
あと関西や塞外の人間は儒教の理の外にいるから、意識の違いってのもあるかもしれない。
中原なんかの人間とは倫理観が違う狂犬のような人物も多いしさ。

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 02:27:15.22 ID:5muK4n3dI.net
でも最強の烏丸と言われた遼西の蹋頓は、曹純の馬術に負けて斬られてるしな…
曹彰や田豫牽招や梁習も、烏丸や鮮卑や匈奴をボッコボコにしてるし
中原の騎兵が、北や西のそれに劣るとも一概には言えないんじゃないか

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 03:02:42.99 ID:MpwJFRjR0.net
>>595
べつに反論ってわけではないんだけど、その辺は戦略や戦術もあるんじゃないかな。
以夷制夷って言うんだっけ、互いに争わせて連合させないって戦略も効果を発揮していたし、
田豫なんかは調略もかなりやってたじゃない。
もちろん騎馬でも塞外民族に負けない優れた将軍がいたことも確かだけどさ。

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 23:11:51.93 ID:5muK4n3dI.net
そういえば張既は軍政だけじゃなく軍事にも大活躍してるが、議論枠にも入ってないのな
曹洪や夏侯尚の時も思ったけど、魏将ってハードル上がりすぎじゃないの…?

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/22(土) 00:32:19.33 ID:ajY/brnQ0.net
魏志武将列伝

後漢末期
武帝紀:曹操
二公孫陶四張伝:張繍
諸夏侯曹伝:夏侯惇・夏侯淵・曹仁・曹洪
鍾繇華歆王朗伝:鍾繇
程郭董劉蒋劉伝:程c
劉司馬梁張温賈伝:劉馥・梁習・張既
張楽于張徐伝:張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃
二李臧文呂許典二龐閻伝:李典・李通・臧覇・文聘・呂虔・許褚・典韋・龐徳
任城陳蕭王伝:曹彰

三国時代
文帝紀:曹丕
明帝紀:曹叡
諸夏侯曹伝:曹休・曹真・夏侯尚
劉司馬梁張温賈伝:賈逵
満田牽郭伝:満寵・田豫・牽招・郭淮
徐胡二王伝:徐邈・胡質・王昶・王基
王毌丘諸葛ケ鍾伝:王淩・毌丘倹・諸葛誕・ケ艾・鍾会

蜀志武将列伝

後漢末期
先主伝:劉備
関張馬黄趙伝:関羽・張飛・馬超・黄忠・趙雲
劉彭廖李劉魏楊伝:劉封

三国時代
諸葛亮伝:諸葛亮
劉彭廖李劉魏楊伝:魏延
黄李呂馬王張伝:李恢・呂凱・馬忠・王平・張嶷
蒋琬費禕姜維伝:姜維

呉志武将列伝

後漢末期
孫破虜討逆伝:孫堅・孫策
劉繇太史慈士燮伝:太史慈
宗室伝:孫賁・孫輔
周瑜魯粛呂蒙伝:周瑜・魯粛・呂蒙
程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁伝:程普・黄蓋・韓当・蒋欽・周泰・陳武・董襲・甘寧・凌統
朱治朱然呂範朱桓伝:朱治・呂範
賀全呂周鍾離伝:賀斉

三国時代
呉主伝:孫権
宗室伝:孫韶・孫桓
張顧諸葛歩伝:諸葛瑾・歩騭
程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁伝:徐盛・潘璋・丁奉
朱治朱然呂範朱桓伝:朱然・朱桓
陸遜伝:陸遜
賀全呂周鍾離伝:全j・呂岱・周魴・鍾離牧
潘濬陸凱伝:潘濬・陸凱
諸葛滕二孫濮陽伝:諸葛恪

未だ議論漏れは結構ありそう

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/23(日) 18:45:25.65 ID:KBLomYu+0.net
臧覇の評価が低いのが気になる
後漢末に限って言えば、曹軍の異姓武将では張郃徐晃よりも臧覇の方が、重要な働きと武功を重ねてると思われるのだが
昇進スピードや仮節タイミングを見ても、張遼楽進于禁>臧覇>張郃徐晃
張郃は三国時代になっても大活躍しているから確定枠なのはわかるが、徐晃が確定枠なのに臧覇が議論枠なのは何故なのだろう

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/23(日) 20:28:27.78 ID:pGOsvu4x0.net
臧覇は確定枠でもいいんだろうけど、魏将のハードルの高さが影響してんのかね。
剛胆な猛将だし、徐盛に負けたのと晩年の疑われる行動以外に欠点もないのにな。
演義であまり出番がないせいでゲームなんかでも微妙な扱いだし、地味なイメージなのかねえ。

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/23(日) 20:58:48.67 ID:KBLomYu+0.net
>>600
臧覇が徐盛に負けたことなんてありましたっけ…?
臧覇伝にも徐盛伝にもそんなことは書いてないような

呉主伝には「臧覇が徐陵を襲撃して数千人を斬首捕獲したので、全jと徐盛に追撃させて数百人を斬首捕獲した」とある
これを以て「臧覇が徐盛に負けた」とするのは無理があるのでは
更に細かいことを言うと「全jと徐盛」と書いてある以上は、全jの方が主体かと

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 00:11:25.68 ID:8KipXWwwI.net
徐盛はなぜかコーエーとかでの評価は高いんだよな
張遼戦で味方(賀斉・潘璋)の足を引っ張りまくったことは無かったことにされてるのかしらん

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/25(火) 14:45:19.94 ID:4gDTIvi30.net
三国外勢力での最強は、
北:麴義
中:呂布
南:黄祖
ってのがスレでの評価だけど、戦績で言えば呂布よりも郭が上だよね

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/25(火) 15:53:47.11 ID:oY9PHVE30.net
呂布は勝ったり負けたりムラが大きい

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/25(火) 19:20:47.19 ID:4gDTIvi30.net
誰か一番の名将なのかすらハッキリしない旧董卓軍(徐栄 呂布 李傕 郭)や、
勝ってるのか負けてるのかよく分からん戦いばかりやってる黄祖はともかく、
明らかに河北最強の麴義がなんでまだ確定枠に昇格できてないのかが疑問だったり

http://www.project-imagine.org/mujins/3pedia/%E9%BA%B4%E7%BE%A9

最後の負け(?)と死に様はちょっとマイナスだけど、プラスの方が圧倒的だから勘弁

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/26(水) 07:18:10.70 ID:FmVc+Mqg0.net
単純に「三国」には当てはまってないからじゃね

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/26(水) 13:26:33.78 ID:LMmkNtsW0.net
コウソンサン、タイシジあたりは議論枠にも入らんの?

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/26(水) 13:39:49.97 ID:WY44DLCQ0.net
>>607
むしろどうやったらその二人が議論枠に入れると思ったのか
太史慈なんて三国志名将50選でも入れるか怪しいだろw
武人24選とかなら入ってくるんだろうけど

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/26(水) 16:59:35.48 ID:1Cc+K3Oy0.net
董卓は議論枠に入っても良いよな?

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/26(水) 17:45:44.73 ID:6a93kpMX0.net
董卓は敗者側の人間だから悪く書かれてるし、判断が難しいんだよな。
ほとんど一代であそこまで成り上がったこと、人事や立ち回りを見る限り並みの人間ではないと思う。
黄巾戦や、その後の羌族戦での敗戦をどう見るかだな。
まあ黄巾戦では、戦果を挙げて中央に招集されて軍を没収されたくないから、
敢えて負けて地元に割拠し続けたと見る人もいるようだし、
羌族戦でも唯一董卓の軍だけが大きな損害を受けずに勢力を保ち続けたし、
弱くて負けたというよりも政治的な駆け引きっぽいのがな。
議論枠には入ってて良いと個人的には思う。

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/26(水) 18:46:56.13 ID:EMZ1Akri0.net
>>602
コーエーのは演義基準だからな。
細かいことなんて気にしないのよ。
商売は売れてナンボだからね。

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/26(水) 18:52:18.66 ID:WY44DLCQ0.net
董卓は群雄割拠以前における軍事の天才だけど、議論枠は無理じゃね?
董卓が嫉妬した名将皇甫嵩ですら、雑魚専ってことと空気化のおかげで議論枠
董卓が畏怖した名将孫堅にしても、武功の少なさと黄祖戦の敗死により議論枠
董卓がこの二人を超えることは有り得ない以上、わざわざ議論枠に追加する意味は無いんじゃないかと

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/26(水) 19:24:43.48 ID:0zb0hbry0.net
>>611
>コーエー能力値(笑)
そそ。演義基準。
あと人気どころの武将の能力値は基本過大気味に盛ってるよね。

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/26(水) 19:42:10.50 ID:XFu31Cpv0.net
まぁ日本に限らずごくごく一部のヲタ以外にとっては三国志=演義だからそれが正解なんだよな
元々人気があったりマンガ等のヒットで旬なキャラなんかは、能力を盛って盛り上げるのも業界とってプラスだろうし

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/27(木) 00:09:58.87 ID:cJ3yx+1/0.net
呂布を寡兵で撃退した臧覇ですら未だ議論枠なのに、呂布の出る幕なんて無い

呉の四人目を選ぶなら孫策か朱然かな
孫堅よりは孫策だろうし、三国時代では朱然が第一候補でしょ

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/27(木) 09:53:14.82 ID:c+YhG2zQ0.net
俺は孫策より孫堅と思うな。黄祖は不運だし

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/27(木) 11:07:33.28 ID:cJ3yx+1/0.net
不運じゃなくて自業自得の必然でしょ
大した意味もなく不用意に単騎で突出してたんだから
これを不運で片付けるのは贔屓が過ぎる

まあ孫策も似たようなことやってるけど
許貢残党襲撃時はダメだったけど、太史慈エンカウント時は切り抜けてるし
太史慈の時に孫策が死んでれば孫策の評価は更に下がってただろうし、200年の暗殺も切り抜けれてば評価は上がってただろうし

大将が不用意に突出する以上は、それへの対処も実力の内でしょ
関羽がもし顔良斬りに行って戦死してたらただのバカじゃん
孫堅の単騎徘徊はそれと同じ

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/27(木) 17:40:27.74 ID:AzZ3eK4v0.net
水準以上の運なんて名将の前提条件で、本当の意味で不運なら名を残す前にあっさり死んでる
そもそも不運、悲運とされる死に様も、大体は致命的な見落とし、不注意のせい

矢傷等と無関係な病気により夭逝はまぁ「不運」に入ると思うけど、そっちは運云々では語られないんだよな

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/27(木) 17:44:36.32 ID:xIXag//30.net
呂布が李カクや郭シに敗れたのは、王允のせい。
兵卒に分配すらせず、造反のもとを生じさせたズブ文官の王允。

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/27(木) 17:46:44.44 ID:xIXag//30.net
臧覇は寡兵で呂布を追い散らしただけ。
曹操もトウ卓配下の雑魚に苦戦した。

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/27(木) 18:57:52.02 ID:cJ3yx+1/0.net
>>618
だよね

>>620
???

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/27(木) 19:39:01.35 ID:cJ3yx+1/0.net
三国時代では朱然とか言ったけど、丁奉も捨てがたいな
小将から叩き上げて大司馬まで昇進って…
武功も数多いし、都督揚州諸軍事の石苞を離間計で排除した大殊勲もあるし、もっと注目されてもいい名将

623 :▼▼▼経済板荒らし〜元ナマポ受給者の知能▼▼▼:2014/03/27(木) 22:24:35.33 ID:VtZc+TZI0.net
下記スレ量産、2ちゃんねる経済板荒らし、自称坂本陽@豊中市

「糞汁は経済板から消えるべき」
「産業歴史博物館設立実行委員会(エンジン博物館)」
※スレタイに「北斗の軍」と入ってるスレ立てもこのクソ野郎の仕業

(´-ω-`)y-~(禁煙マスター) ← 史上最悪の中年荒らし (トリップを変えて別人になりすます技も覚えて来たようですw)

こいつのズリネタ          http://ameblo.jp/garo-farann/image-11515076726-12507503444.html


得意技:情報漏洩、ナマポ受給、糞ブログコピペ、ケムトレイル、人工地震、かまってちゃん、驚異の前言撤回w、都合が悪いとすぐ話題脱線

ナマポで助けてもらい  http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1354090242/78
日本人滅びろ発言  http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1342954026/993

情報漏洩をきっかけに   http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1326591504/646
                 http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1342954026/926
別れの挨拶1!     http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1356935230/329
別れの挨拶2!    http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1354090242/303
別れの挨拶3!     http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1356855992/54
そして告発の逆恨み!    http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1342954026/996
                   http://ameblo.jp/garo-farann/entry-11462157964.html
精神異常をきたした  http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1374582405/318
超低学力!       http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1369571885/587

さらにロリコンも暴露! http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1376273900/580-629

何を言ってるのか?   http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1375448326/597
無駄にスレを作ってる張本人w  http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1349421194/256

これはひどい    http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/eco/1372265052/512

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/28(金) 00:05:36.49 ID:0d/7SpxO0.net
呉の孫堅→孫策(→)陸遜→陸抗も良いけど、魏の劉馥→劉靖→劉弘も凄まじい家系だよね
直系でここまで名将が続いたのは他に無いんじゃないかな
防衛体制を確立することで事前に侵攻を防ぐのも、実戦以上に名将の仕事だと思うんで

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/28(金) 18:54:35.98 ID:NJx4dX610.net ?2BP(123)
スコットランドの英雄の子孫がペリー

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/45/296.html

ペリーの母方に、スコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスがいた。

( http://music.geocities.jp/jphope21/01/7/89.html )

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 13:22:55.30 ID:iekfTcRq0.net
荀搖s嘉賈詡の名前がなんで無い?

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 15:05:12.98 ID:7Ywzl/cJ0.net
将として軍を率い戦った記録が一定以上ないと枠外になるわな

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 15:41:26.84 ID:iekfTcRq0.net
名将の定義ってそれか?

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 15:52:28.05 ID:PLu8x+n4O.net
それだけじゃないだろうけど、政治的に優位を築いた人達や的確な提言等で勝利を導いた人達より、直接軍を率いて敵を打ち破った武官タイプの方がこのスレでは評価が高そうではある。

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 16:47:13.00 ID:QKY1oZMx0.net
その辺の扱いは将じゃなくて参謀だろう。
司馬懿や諸葛亮のように、自ら軍を率いてガンガン戦ってるなら名将扱いもできるけど、
ほとんど献策しかしとらんやん。

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 19:02:06.07 ID:7Ywzl/cJ0.net
>>628
名将以前にそもそも「将」の方の定義から外れてるんじゃね?と

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 20:41:29.16 ID:PLu8x+n4O.net
孫子の謀攻篇に「百戦百勝は善の善なる者に非るなり。 戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」とある。
つまり戦に勝ち続けた将を最高とは見なしていない。
上中下策でいうと、下とは行かないまでもせいぜい中くらいなのである。
ならば上策である「戦わずして〜」で敵を屈服させ続けた奴こそが真の名将ではないか!ということになるが、実際そんな将は三國時代どころか歴史上にもいない。(そんなにコロコロ敵を籠落できるくらいなら、そもそもこの世に戦争など起こり得ない)
ならば次点である戦に勝ち続けたことを名将の定義とするしかないかというところだろうか。

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 21:24:42.86 ID:dvtE9kk+0.net
>>628
名将の定義自体がないんじゃないの?
このスレでは外れているが、中国の国家認定で名将の頂点に立っているのは関羽だ。
同じような価値観を持った人間が集まってその区画ごとに「名将の定義」なるものが
設定されているのかもしれないな。

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 22:11:03.53 ID:2YEi7ums0.net
国家認定って名将検定一級とか?

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 22:57:18.20 ID:PLu8x+n4O.net
関羽が名将の頂点に国家認定されてるのか!?
しかし用兵の巧みさなら秦の白起や前漢の韓信には及ばないだろうし、個人武勇を評価してなら北魏の楊大眼や唐の尉遅敬徳、西楚の項羽、同時代にも呂布などがいる。

もはや戦績とは無関係な義理堅さや神格化オーラがその地位へ押し上げているとしか…?

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 23:10:48.11 ID:8R9OSU+Z0.net
張良やケ禹の入っているアレのことを言っているのかな?
商人の手による死後の人気や、神様としての評価は戦績には関係ないしねえ

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 23:13:31.30 ID:iekfTcRq0.net
名将って戦績だけじゃないだろ。
個人戦では呂布に及ばないかもしれないが、呂布に荊州任せたり出来るか?
このスレでは張飛>関羽みたいになってるけどより重要な役割を任されてるから結果的に目立たなかっただけで、例えば張飛が留守をしてたら曹仁于禁らを防げたかと言われたら疑問。

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 23:29:16.68 ID:uekfIE3C0.net
荊州任せられる武将に関羽以上の適任がいたかっつったら確かに疑問だけども
だからといって実際に重要な役割こなした張飛と荊州失陥した関羽だと比べるべくもないかと

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 23:36:23.09 ID:2YEi7ums0.net
実際に荊州を陥落させている以上
荊州を任せられないって点では呂布と同等

そもそも本人同士でトーナメント戦ができない以上
記録にある戦果で比較するしかない。
記録に無いけど○○ならできたはずなんてのは主観的願望にすぎん

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 23:39:31.47 ID:ICeqfLapO.net
ところでこのスレ住人的に、名将No.1を強いて言うなら誰になる?

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 23:50:57.77 ID:PLu8x+n4O.net
俺ならやっぱトウ艾かなぁ。
戦略も含めた総合面、壮大な実績なら曹操だろうか。

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/29(土) 23:55:59.53 ID:uekfIE3C0.net
俺も曹操かトウ艾で悩みどころ
まあでも曹操でしょうね

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 00:15:31.75 ID:7xNkAtV80.net
まぁ曹操だろうな

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 00:30:45.32 ID:6EcCgGfO0.net
一人に絞るとどうしたって曹操が外せなくなるからつまらんですわ
No.1よりNo.2,3,4あたりを決めた方がよっぽど楽しそう

ところで臧覇の議論はどうなりましたっけ

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 00:33:31.76 ID:9knBwrFe0.net
まぁ、迷う程度の差なら将を余技でこなすような曹操でいいや、と思ってしまうな

人間性偏重の人だとトウ艾は評価が低くなるのかね
ちょっと前に演義準拠の光栄三国志でも能力値トップになって、微妙に話題になってたなー
誰?とw

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 07:03:09.45 ID:TocKqHFqO.net
人望の無さが仕事の成果に影響するなら考慮に入れる必要があるけど、彼の場合成果は大功をもって充分に出せてたから大丈夫かと。

皮肉なことに成果ではなく、寿命を縮める方に影響しちゃったけどね。

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 10:02:08.58 ID:/aIxv6UD0.net
曹操は名将の枠に収まりきらない、三国志一の英雄だからなぁ
個人的には将というくくりには入れたくない傑物なんだけど

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 10:55:58.51 ID:7xNkAtV80.net
でも「名将ではないのか?」って聞かれると名将だとしか言えない。

少なくとも皇帝という上位者が存在する以上、
将の括りも間違いじゃ無いんじゃ無い?
気持ちは分かるけどね。一介の将というには多才すぎるし

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 12:22:33.35 ID:3gNtv9Ht0.net
>>635
根本的な考え方が違うんだよ。
中国に関わらず、現代にまで強く存在を感じさせてくれる人物は
「今」の感覚で捕らえる。
関羽に関しての昔話は、偉大なる関帝様の人間時代の話。
なので正史、演義のような微差は気にしない。
天下第一の名将であることすらも、現代の関帝パワーの余波程度に過ぎないもの。
世間知らずな史家や史学生のみがこの一般常識の枠から外れているから
彼らだけが妙な嫉妬に駆られて箱庭のような世界を作りそこに引き篭もる。

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 14:11:13.46 ID:6EcCgGfOI.net
No.1と2は曹操トウ艾っぽいけど
No.3は誰になるだろうか

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 14:37:33.37 ID:9knBwrFe0.net
普通に張遼、曹仁かな

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 15:25:49.64 ID:SPucmaL7I.net
>>649
いい加減にしろよキチガイ関羽信者
お前の妄言と煽りのせいで中英板で関羽がどんどん忌避されていってるの分かってんの?

そうやって史学を見下すのは勝手だが、じゃあなんで正史準拠のこのスレに粘着してんの?
箱庭から抜け出せてないのはお前の方だよ

みっともないし邪魔なだけだからもう書き込むなよ、な?
マトモな人間は誰もお前の言うことなんて聞かないからさ

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 15:28:20.62 ID:TocKqHFqO.net
俺は楽進かなぁ。

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 15:33:29.61 ID:N2qxFox20.net
孔明は早慶レベル
曹操は東大文1

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 15:53:47.17 ID:forri7Hq0.net
中国史最強スレで暴れてたアホでしょ。
ここは正史準拠としっかり書いてあるんだから無視しとけばいいのに。
虚構ばかりの正史なんてとか言い始めるんだろうけどな。

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 16:11:22.21 ID:6EcCgGfO0.net
やっぱNo.3辺りになると意見割れてくるみたいだな
俺は曹仁かな

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 16:29:54.21 ID:TocKqHFqO.net
でもやっぱ上位は魏将が強いね。
例え曹操が仮に名将じゃなかったとしても、この人材を傘下に集めたってだけでも飯食ってけるw

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 17:33:16.31 ID:3gNtv9Ht0.net
>>652
中英板そのものが箱庭程度・・・なんて言っても怒る?
現実世界での事実を述べただけとしか言えないんだが
一つだけ言っておくよ。
「キチガイ」なんて言葉を使うのは俺だけにしておけよ・・・。
ネット依存が激しくなると現実との見境がつかなくなるからな。

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 17:47:34.63 ID:TocKqHFqO.net
まぁ、あなたの言わんとしている所も分かるが、多分着目している点が異なるんだよね。

俺達はやっぱ名将を選ぶという主旨から、どうしてもその実績を重視する。
しかしあなたは神格という言わば見えない力によって関羽は昇華されているんだよ、と言う。
話がだから噛み合わないと思う。

このスレでは神格・関帝としての見えない力はどうでもいいんだよね。
人間・関羽がどのような実績を残した武将かが問題であって。

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 18:40:01.44 ID:3gNtv9Ht0.net
すまん。>>633の俺は別にこのスレでの選出方に異議を唱えたのではなく
現在の中国や台湾などのごく一般的な考え方を述べただけなのよ。
「名将の定義」そのものがこのスレと現実世界では異なるってことだけをね。

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 18:48:54.36 ID:6EcCgGfO0.net
まあいざその神格化されるような関羽も
神格化される前の関羽で実績だけを見てみると
張飛>関羽になり得るってのが醍醐味なわけですよ

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 18:53:08.68 ID:9knBwrFe0.net
まぁ、一般的に大事にされてるような各種イメージ等を取り払ってナンボという評価姿勢だからね
てか、その辺はむしろ敵視に近いレベルw
まずは五虎将と呂布!みたいな歴女雑談スレになっても嫌だしなぁ

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 19:36:32.30 ID:TocKqHFqO.net
>>660
そうだったのか。
ちなみに興味本位で訊くんだけど、本場の中国や台湾では名将談義をする時、神格としての力も考慮に入れちゃうのが一般的なのかい?

それならそりゃ関羽がトップに踊り出てくるのは当然だろうけど…、人間達の偉業を語り合う中で抽象的な神の力を混在して語るってのは非科学的でナンセンスに感じるなぁ。
これも価値観や文化の違いってやつなのかねぇ…。

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 19:54:31.45 ID:N2qxFox20.net
曹操の成し遂げたことは万人にも無理かといえばそうでもない

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 19:58:30.03 ID:forri7Hq0.net
あまり構うと居着くからやめとけって。
議論することが目的の人だから、スレが過疎るまでずっと吹っ掛けてくるよ。

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 21:13:55.65 ID:N2qxFox20.net
諸葛亮は追撃をかわす名将
演技の司馬懿だけではなく正史の司馬懿も諸葛亮
の陣形の後を見て奇才といった

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 21:45:35.60 ID:TocKqHFqO.net
宣帝紀にて司馬懿は諸葛亮を評して
「志は大きくとも機会を逃し、あれこれ頭で考えるが行動に移せない。たびたび出兵はしてくるが一本調子だ」と酷評もしてるね。

諸葛亮は名将には違いないが、勝つというよりも負けないことを重視するあまり、奇略を用いた大胆な用兵術においては他の名将達に一歩譲る感じだね。

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 21:49:26.20 ID:6EcCgGfO0.net
中国名将百選スレだと確定枠は曹操トウ艾の二人で
更に議論枠に周瑜のみが控えてたって感じなんだな

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 21:59:51.44 ID:TocKqHFqO.net
あぁ、中国史全体で考えると白起や劉秀やら李靖やら化け物クラスがゴロゴロしてるもんな。

そんな中で三國からは曹操とトウ艾、妥当ではあるし立派なことだよね。

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 22:01:38.47 ID:7xNkAtV80.net
中国史全体で見ると、劉秀みたいなのが居るからなw
なぜあの環境であんな化け物が生まれるのか分からん

中国大陸自体が蠱毒みたいなものかも試練

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 22:02:45.64 ID:7xNkAtV80.net
被ったw

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 22:27:32.02 ID:N2qxFox20.net
数が違いすぎる。あの少数の軍勢で軽率に司馬懿や曹真の大軍に奇襲ができなかった
のは当然。
せっかち夏候淵とは違うぞ

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 22:43:47.47 ID:TocKqHFqO.net
あと蜀の軍政を一手に握る元帥としての重責から、冒険をしたくてもできない立場だったんだろね。

国力で遥かに劣る自軍では、ひとつの大敗が命取りになり、それを契機に魏の大攻勢を招く危険もあると考えると。

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 22:47:25.03 ID:7xNkAtV80.net
あの少数って言うほど兵力に差があったっけ?
官渡の戦いの方がまだ差が大きくなかった?

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 23:02:37.18 ID:6EcCgGfO0.net
まあ数を理由にするなら
少数ながらに頑張っちゃって結果出した人たちも同じ時代にいるわけですしね

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 23:09:10.29 ID:N2qxFox20.net
その少数とは度合いが違う。敗北すれば蜀の再起は困難。

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 23:10:12.46 ID:QBF7Q0ev0.net
諸葛亮自身が奇襲を得意としていなかったのも理由にあるのじゃないだろうか
奇襲に必要な騎兵や軽装兵の運用は諸葛亮の戦歴を見るかぎり、得意じゃなさそう

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 23:35:02.33 ID:TocKqHFqO.net
中華の大陸での戦争は歩兵が中心だもんね。
この時代軽騎などを効果的に運用したのは公孫サンや曹操、あと異民族混じりの馬超ら関中軍閥くらいじゃなかろうか。

ただ、蜀軍も姜維の時代になり騎兵の比率も増え、効果的に運用した事績があるね。
こと騎兵を用いた機動戦術では、諸葛亮より姜維の方が上手だよね。

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 23:39:58.28 ID:7xNkAtV80.net
>>676
まるで官渡で曹操が負けても再起は容易だったかのように言いますね

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 23:50:55.35 ID:TocKqHFqO.net
それは>>679の人の言い分の通りだと思う。
曹操も諸葛亮も背負ってるリスクや重責は同じ。
ひとつの大敗が自勢力の壊滅を招く。
そんな中で大胆な戦法をとった曹操と、慎重にことを運んだ諸葛亮、それぞれ個性が出てて面白いね。

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 00:11:16.02 ID:Th4U3Xdk0.net
その姿勢の違いには、
自分で興した勢力と、託された勢力っていう
背景の違いもあるだろうなあ。

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 00:15:02.54 ID:VfpY7NPf0.net
曹操の場合は博打を打たないと、即滅亡ってほどに追い詰められてたしなあ

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 00:24:51.30 ID:0EcN1njlO.net
あぁ、なるほど。
いい所に着目してる。
さばけた言い方をすると曹操は「作ったのは俺だから潰してしまっても誰に対して後ろめたいものは無い」
対して諸葛亮は、劉備から託されたわけだから、そのように開き直るわけにも行かない。
無論、曹操が潰してしまってもいい、などとは露ほども考えてないだろうけど、何ていうか…最悪のどん詰まりを想像した時の精神的負担みたいなのは両者では違ったかもね。

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 00:33:57.42 ID:D/l0H+la0.net
夷陵による国力低下がある意味トラウマになってるんじゃないの諸葛亮
曹操は赤壁経験する前だったし官渡は

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 00:45:00.89 ID:xlIuGLYF0.net
曹操は相手に恵まれたし、幕僚や配下も豊富にいたが、諸葛亮は
たった一人だった

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 00:47:05.68 ID:ygqm0Qif0.net
おおおいいいい
関羽が駄目なら曹操も負け戦たくさんあるのになんでだよ
死にかけの目に何度もあってるし、赤壁の大敗とか関羽の荊州とかと同レベルじゃないか?

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 00:54:44.52 ID:VfpY7NPf0.net
>>686曹操は大負けを帳消しにしてもいいぐらいの勝利がたくさんあるから
対して関羽には帳消しにできるほどの勝利がない

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 00:56:36.73 ID:RtitKR960.net
>>685
恵まれてるって言えるほど楽な相手じゃ無かったと思うけど>>袁紹
諸葛亮にもそれなりの部下は居たでしょ。魏延とか馬謖とか馬岱とか

>>686
赤壁が本当に大敗だったかは別として、
赤壁の敗戦⇒早期統一頓挫、国力現状維持
荊州の失陥⇒北伐の事実上頓挫、国力激減
同一視はできないかと

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 00:57:22.13 ID:0EcN1njlO.net
そして結果残したものが違う。
関羽は単純に領土を失っただけだが、曹操は死にかけたことはあっても勢力の優位性は保った。

立場やシチュエーションが違うので同じ大敗といえども同列では計れないが、結果残したものがやはり違っている。

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 00:59:56.05 ID:0EcN1njlO.net
ちょっと内容被ったねw

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 01:04:05.48 ID:D/l0H+la0.net
それに赤壁から国力立て直したのは曹操自身だけども
荊州失陥から国力立ち直らせてくれたの関羽じゃなくて諸葛亮ですしってのもありますし

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 01:09:05.47 ID:ygqm0Qif0.net
なんか定義が変わってる気もするな

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 01:13:05.33 ID:D/l0H+la0.net
>>685
その幕僚や配下を豊富に囲ったってのも曹操の手腕の内って話

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 01:16:37.10 ID:8rAJ/vIU0.net
それは完全にそうだよなー
半ば以上に趣味的だけど、間違いなく素晴らしいこと

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 01:25:39.30 ID:0EcN1njlO.net
逆に諸葛亮は自らの意のままに采配を震えるように、半ば独裁に近い丞相府を自ら望んで作ったと考える。

諸葛亮が望むのは、アイデアを出してくれる幕僚というよりも、アイデアは自分が出すからそれを忠実に実行してくれる手足となって動く人材を望んだように思える。

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 01:32:48.38 ID:Th4U3Xdk0.net
まあ諸葛亮自身が一番できる子だったわけだし、
諸葛亮の戦略が崩れるのって大抵内側からだったから、そこは仕方ないかもね。

清濁合わせ飲み、必要とあらば乾坤一擲の賭けにも出られる曹操と比べてしまうと、
やっぱりちょっとスケールが違う感じはしてしまうよな。

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 01:48:05.81 ID:0EcN1njlO.net
うむ、要は人使いの上手さや方法なんだよね。
曹操は大権を持ち完全独裁かと思いきや、意外とボトムアップの方法をとっている。
むしろ諸葛亮の方が完全トップダウン方式だよね。

だから諸葛亮は一人で戦っている、政治も軍事も一人で受け持って大変だ、と言われるけど、実際それは自由に采配を振るうため自ら望んでそうしてるから仕方ないんだよね。

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 01:48:36.07 ID:D/l0H+la0.net
馬謖のことは諸葛亮も劉備の言うこと聞いてりゃ良かったのになあ

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 02:01:28.94 ID:0EcN1njlO.net
まさか趙括だとは思わなかったんだろね。
同じエリートにしても、鍾会のように使える人材だと考えてたのかも。

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 10:33:27.71 ID:4m7U3OU10.net
鍾会はエリートだけどそれなりに下積みしたりしてるからなあ

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 10:38:30.12 ID:+cgZ2/OdI.net
>>686
敗戦帳消しになるほど活躍したのって別に曹操だけじゃないよ
劉備も最後はやらかしたけど帳消しできてるし
それに細かい負けなら帳消ししてる名将たちもおるよ、張飛もその一人だし
単にこの場合は関羽が実績より敗戦のがデカすぎただけでしょ

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 12:53:18.30 ID:0EcN1njlO.net
>>700
生来の天才的頭脳に加え、大変な努力家でもあるんだよね、この人。
その上母親は英才教育を叩き込む。
これで性格良くて人望集めてたら、まさに天下を争う傑物になってたよね。

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 18:20:49.05 ID:ygqm0Qif0.net
>>687
曹操の敗戦を帳消しに出来るほどの勝利ってどんなのがある?

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 18:22:04.75 ID:ygqm0Qif0.net
>>701でもいいや

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 18:58:36.16 ID:0EcN1njlO.net
あなたが今尋ねていることや>>686の主張ってのは、恐らく戦争をまさにその戦いの場だけでの勝った敗けたに限定して考えているから、関羽の敗戦と曹操の赤壁での敗戦は同レベル、という結論に結び付いているんじゃないかな。
言わば狭義の意味での戦争。

しかし広義の意味では、その戦役後、その将が支配していた勢力はどうなったか、どのような戦後処置をしたか、そもそもその将は生き残ったのか戦死してしまったのか等、様々な点でこの両者の敗戦には違いがあるように思うけどな。

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 19:10:35.35 ID:w9fy+BlE0.net
>>686
中国史最強武将スレでも覗いてごらん。
逆にそういうスレでは関羽最強には異論の唱えようもなかった。
まあ、愚痴愚痴言ってるのもいたけど結局は沈黙してしまったよ。
正史だけでも関羽の最強は十分に証明されている部分はある。
ただし、個人的な武勇としてね。
武神として祀られるには十分な強さだし、同僚が孫悟空やナタなんかであるあたりも
共通点として納得できる。
彼らだって、軍隊を率いるなんて器用な芸当は持ち合わせていなかった。
武神として転生するほどに超人的な武勇を誇るがきわめて大雑把。
正史の関羽はこんな感じだろう。
将の中の将、すなわち名将てのは繊細かつ、丁寧な仕事をこなすエリートだと思う。
関羽に天才だの、エリートだの、そんな言葉似合うかね?(褒め言葉)

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 19:28:25.33 ID:aRIlGL5MI.net
劉備は劉備で夷陵の敗戦はまあ人材不足に追い打ちかけるっつう余計なことしたけども
関羽の荊州失陥に比べたらマシだしな
曹操の赤壁はそもそも名のある人物に痛手がないからなぁ

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 19:35:05.27 ID:w9fy+BlE0.net
関羽に対しては中国でも大失意荊州なんて言葉で
心情への同調か、はたまた正史基準でのダメ出しか
巧妙なニュアンスで述べられることもあるな。
褒め言葉でもあり、スラングでもあるのかもしれない。

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 19:50:15.77 ID:RtitKR960.net
>>703
官渡の戦い・袁家追討⇒河北統一(中華最大勢力化)
潼関の戦い       ⇒涼州、雍州制圧

赤壁の敗戦で荊州の大部分を失ってもその後も支配地は拡大したから。
荊北に足がかりは残ってたし。

ところで208年9月の劉j降伏から赤壁までの数ヶ月間は
曹操の版図に荊州を加えてもいいのだろうか?

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 19:50:45.39 ID:rop6QTX90.net
しかし荊州失陥はある意味どうしようもないんじゃねーの
張飛置いときゃいいわけでもない

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 20:00:53.42 ID:ygqm0Qif0.net
>>706
というかこのやり取りをしながら、
このスレの名将の定義をはっきりさせよう、
ってことw

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 20:11:35.71 ID:4m7U3OU10.net
今まで散々、このスレ内でも関羽議論は散々なされとるのにまだするんか
上のほうにあるけど関羽と張飛では能力には大きな違いはないのかもしれんが結果を見ると張飛ほどの功績は関羽にはなく関羽ほどの失敗が張飛にはない
だから名将として上げるには張飛は適切でも関羽は無理
今の時代から将を見るには結果を見る以外判断のしようがないもの
当時の論評も編集された結果だしそれは判断材料の一部にはなっても明確な材料とは言えない

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 20:19:10.62 ID:Th4U3Xdk0.net
>>710
それ言い始めると最終的には龐統が戦死しなければ…ってアレに行き尽くしな。
関羽以外に適任がいなかったと言う他ない。つまりどうしようもなかった。

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 21:57:13.47 ID:QnEVXrzCO.net
関羽への同情だが、どっちみち孫呉は荊州を狙うだろうし、魏呉に挟撃食らったら上位名将陣でも失陥はあり得るだろう
だが曹仁&満寵なら凌ぎそうで怖い

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 22:19:35.49 ID:8rAJ/vIU0.net
政治でどうにかしない限り、ほぼ誰でも必敗の情勢ではあるなぁ

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 22:24:24.29 ID:Th4U3Xdk0.net
魏呉がオールスターメンツで全力で落としに掛かってるしねえ。
付け入る隙を与えてしまった関羽はお粗末としか言えないけど、
しっかり関羽を研究して油断を誘った呂蒙が見事だったとも言える。

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 23:24:59.45 ID:0EcN1njlO.net
ああいう難しい局面を任されるのは、外交もできる諸葛亮みたいな人物の方が合ってるかもね。
もし戦争になっても手堅そうで、おいそれと本拠地を空けて攻めに行ったりしなさそう。

逆に北伐は関羽みたいな勢いのある攻めってのも見てみたいw
魏延の長安急襲案も採用して、猛将二人で息が合いそうw

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 00:42:49.98 ID:6n58v5Q/0.net
徐晃の援軍来る前に樊城落とせなかった時点で詰みだわな

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 01:29:18.76 ID:VYtt73gt0.net
諸葛亮下の蜀ってすげえ民としては住みにくそう
搾取・徴収されまくり そして文句言おうものなら速攻で弾圧撃滅されそう

『魏がわるいー 呉の横暴を正すためー』
とか、いかにもそれっぽい善の立場ぶって民を酷使しまくってそう


と、それとはまた別で
諸葛亮は、関羽の荊州を精査してそこから色々学んで後に活かしたんだろうねぇ
特に支配地管理の術みたいのを

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 01:44:07.34 ID:FOlJ+T+V0.net
諸葛亮下の蜀なら呉は同盟国だろ

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 01:55:05.02 ID:VYtt73gt0.net
>>720
諸葛亮が宰相かましてた頃の、って言った方が正確でした@@;

劉備が夷陵の戦い起こしたあたりから、もう蜀の民は無理してたように思う

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 02:09:39.91 ID:vwDNaLG20.net
そうでもない
蜀は民衆叛乱の記録もないし世界史的にも珍しく上が苦しい割に下はわりと恵まれてた時代ぽい

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 02:15:36.50 ID:k/+PBJBC0.net
>>719
スレチに反論するのもアレだが、信賞必罰の法治国家だったろ諸葛亮時代の蜀は。
多少窮屈かもしれないけど、管仲・蕭何に匹敵するとまで言われてる統治・政策が、
搾取徴収弾圧で押さえつけてただなんて本気で思っているのか?
あんなに少ない人口で戦争を繰り返してるのに国が保ってて、
劉備死後の南方の反乱1回以外内乱もないなんて奇跡のような統治っぷりだぞ。
後世だけでなく同時代人の評価もすごく高いし、政治家としての諸葛亮はこの時代では普通に最高峰だろ。

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 02:17:41.02 ID:VYtt73gt0.net
そうなのかぁ

当時の蜀っていう地勢としては、呉に何十万
そして魏に何十万×2,3回もやらかすのってものすごい搾取だと思うんだけどなぁ

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 02:22:38.53 ID:VYtt73gt0.net
>>723
ああ、スレチでしたね  すいません

奇跡のような統治 まさにそうだったと思うんですよね
外征に向けての動員・金銭・食糧が膨大なんですよ、当時の蜀の生産量に比べて


なんであんなのが出来たんだろう? そこなんですよね
よっぽどえげつない民への搾取   、でもしてないと。  つか搾取しても集めきれるかそんな食糧?
そして年単位での動員

カリスマとか忠誠心ってのを超えすぎてる気がするんですよね

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 03:34:17.69 ID:pYbB4DWh0.net
蜀は鉄や塩がたくさん取れる土地だったし、絹という名産もあったし、三国の内、一番貨幣経済が上手くいってた国だから
貿易とかで外征における出費を賄う事ができたのかもしれない

後、蜀の民に負担をかけないために、南方の異民族を搾取してた可能性もある
だから、南方では反乱が多い

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 04:00:25.68 ID:6n58v5Q/0.net
凄く話遡るんだが
カン丘倹と臧覇はそれぞれ確定枠いれるかどうしますか?
カン丘倹は確定っぽい話になってたけども

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 13:12:23.02 ID:J6e3LvSA0.net
冉閔、石一族に散々お世話になっておきながら
石一族皆ごろしってとこがすごいね

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 22:47:51.53 ID:l/ko5m0Z0.net
当時は資本主義じゃないし経済発展とかあんまり外征と関係無いと思うんだよなぁ。
まず食糧が飽和してるわけじゃないから、金があっても米が買えないって事も多々あったと思う。
戦時中の日本もそういう状況があったらしいし。

魏とは勿論の事、呉ともそんな活発な貿易できてたとは思えない(そもそも貿易なんて概念あったのか?)。

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/03(木) 01:17:08.80 ID:O31ElSh00.net
日本の戦国時代は日本にしては食糧難な時期だったし、当然資本主義ではなかったけど
戦でモノを言ったのは金なんだよな

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/03(木) 19:28:21.86 ID:mgNsK0jp0.net
>>723「劉備死後の南方の反乱1回以外内乱もない」

本気で言ってるのか?
黄李呂馬王張伝を読んだことが無いんだろうか

732 :mage:2014/04/03(木) 20:35:21.86 ID:xKawttwJ0.net
張コウを物差しで見ると、司馬懿とか諸葛亮って袁紹ぐらいの力量かな、と
思う。袁紹時代に張コウは曹操は難敵だから正面から当たるより後方かく乱
して揺さぶった方が良い、と進言して拒否られてるし、烏巣焼き討ちも現地
に急いで守備すべしってのも拒否られてる。

司馬懿も後方に回り込んで補給路を断つように動いてみたら?と言うの拒否
られてわざわざ正面決戦なんかやられてるし、最後も反対した追撃やらされ
てるからね。どっちも貴族社会のようなものを目指してた感じだし、半端な
プライドが見え隠れしてるように張コウは感じたんじゃないかな。

まあ袁紹は麴義が代わりに、と言うのは納得だわね。

733 :mage:2014/04/03(木) 20:37:27.05 ID:xKawttwJ0.net
あら、最後文字化けしてる人もいるかな。キク義ね。

734 :mage:2014/04/03(木) 20:51:57.97 ID:xKawttwJ0.net
諸葛亮と司馬懿の比較に関しては攻めた方が負ける、だからね。もし諸葛亮
の方が強い、と言うのなら234年の時は挑発とかしてないで自らが軍を率いて
攻めれば良かった。

待ち構えてる相手を攻めると言うのは余程兵力や将の力量に差がないと無理。
結局、両者にたいした差がなく、自らが別働隊を率いて戦う訳でもないから
カメのように閉じこもる状況になるのは必然なのよね。

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 00:03:04.60 ID:/1tBCUo80.net
私的二十四選

後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
他:麴義
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 毌丘倹 ケ艾
蜀:諸葛亮 姜維
呉:陸遜 丁奉
他:樹機能

臧覇や陳泰も捨てがたいけど、これ以上魏将を増やすのも…と思ったので
樹機能の出現があと十年早ければ、姜維&丁奉と連携して三方向で暴れられたのになぁ

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 00:09:13.05 ID:/1tBCUo80.net
と思ったけど、鮮卑と蜀と呉って離れすぎてて連携は無理か
軻比能と諸葛亮と陸遜もイマイチ連携できてないし…

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 02:34:59.74 ID:GbpnpKzbO.net
移動手段に馬や船しか無い時代に、日本の何倍もあるあの広い大陸の距離だからなぁ。

例えば蜀側で魏の隙を見つけてチャンスとばかりに呉と連携しようにも、連絡しに行って何十日、呉側の討議で何日か要して、また返答持って帰って来るのに何十日…、もう敵も味方も情勢変わって作戦自体オジャンになっちゃってるよなぁ。

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 02:42:54.05 ID:2yIuVYv00.net
それなりの戦力を誇る「敵の敵」が居てくれるだけでも、当時の蜀にとってはデカいんじゃね
緊密な連携が取れればベストだけど、そうじゃなくてもかなり楽になりそう

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 07:12:32.44 ID:OWWZ5+J20.net
>>734
諸葛亮=袁紹
というのは中国歴史小説家の宮城谷さんも言ってた

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 08:48:55.82 ID:ZblUn3550.net
ここはそれなりの評価されてるとこに、自分だけのマイナー武将いれてニヤニヤするとこ?
俺も高校生のときそんなことしてたなあー(核爆)

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 10:05:04.24 ID:/1tBCUo80.net
>>737 >>738
228年が一番チャンスだったと思います
田豫が軻比能に包囲され、曹休が陸遜に敗北し、そのタイミングで諸葛亮が北伐
しかし田豫は牽招に救出され逆撃し勝利、曹休は賈逵に救出され後任は満寵が赴任、北伐自体も失敗
あの時に魏の領土を切り取れなかったらもうダメですな

>>739
氏の書く北伐は面白かったが、涼州勢は游楚だけ注目されて徐邈が出なかったことが不満でした

>>740
何言ってんだこいつ…
自分だけのマイナー武将(笑)なんて正史読者間で存在するのか?

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 10:54:17.87 ID:fuTMjC920.net
というかここで上がってるのって基本メジャーなやつらだよな
功績がないと上げられないからそれなりに目立つやつが多い

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 11:03:17.33 ID:5bEHkWoi0.net
坂口和澄は尊敬する

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 12:34:41.45 ID:ToTI5I/d0.net
某ゲーム基準で考えればマイナーなんだろ
(核爆) なんて使うあたり、学もなさそうだし

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 18:16:49.81 ID:ZblUn3550.net
核爆に釣られんなハゲ
樹機能って誰だよ

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 18:18:19.51 ID:ZblUn3550.net
>>741
正史読者(笑)
お前読んでないだろwww

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 18:23:49.88 ID:2TpckX5x0.net
後出しかっこいいなあ

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 18:38:16.91 ID:GbpnpKzbO.net
>>745
樹機能は正しくは禿髪樹機能。
河西鮮卑・禿髪部の首領だよ。
西晋時代に挙兵し涼州方面で暴れた。
かつて鍾会・トウ艾の蜀漢征伐にも従軍した胡烈・牽弘といった歴戦の将をも打ち破って戦死させたくらい戦上手で、民衆からの徳望もあったこの時代きっての傑物だよ。

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 18:45:32.03 ID:L1x4jVcL0.net
ID:ZblUn3550は荒らしなのか真性なのか…

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 19:08:14.25 ID:L1x4jVcL0.net
>>748
バカをまともに相手しなくていいよ

ついでに樹機能が戦死させたのは、涼州刺史の蘇愉(蘇則の子)も追加で
秦州刺史の胡烈は胡遵の弟、涼州刺史の牽弘は牽招の子
秦州刺史の杜預さんも樹機能には勝てなかったわけで、ケ艾亡き後の最強武将は間違いなくこいつだなぁ

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 19:10:25.28 ID:L1x4jVcL0.net
訂正:胡遵→胡奮

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 19:41:16.81 ID:GbpnpKzbO.net
うん、恐らく樹機能はトップクラス。
ちなみに彼に関わった人物ついでに挙げると、胡烈って結構名将だと思うんだよね。
樹機能戦前に陳騫に「胡烈・牽弘は勇敢だが策が無いから樹機能を倒せないだろう」みたいな予言めいたこと言われてるけど、淮南の叛乱鎮圧や鍾会を出し抜いて謀反を未然に防ぐなどを考慮する限り、それまでの時点の彼を見て思慮の浅い人物という結論に行き着くとは思えない。
恐らく陳騫に箔を付けるため後付け設定されたものと思われるし、樹機能相手に敗れたことでそのような設定が付けられたのなら、少々酷なように思われてならない。

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 20:34:07.25 ID:L1x4jVcL0.net
>>752
陳騫と胡烈牽弘の違いは、名士かそうじゃないかの違いかねぇ
陳登と陳羣に推挙された陳矯の子であり、晋書の列伝第五に列された建国の大功臣だからなぁ

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 20:42:18.85 ID:L1x4jVcL0.net
淮南の叛乱鎮圧といえば、>>735で姜維よりも、魏の王基を確定枠に入れたいな
末期の対呉戦線が内外共に治まったのは、ひとえに王基の働きによるものじゃないか

だいたい郭淮や陳泰も確定枠に入ってないのに、姜維なんて入れてる場合じゃない
国力差が〜なんて言い訳は通用しないことは、それこそ樹機能の戦果によって証明されている

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 20:47:07.50 ID:5bEHkWoi0.net
名馬はそれだけで国力みたいなもん

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 21:00:59.13 ID:GbpnpKzbO.net
ただ、樹機能の敵としてトウ艾はいなかったが、姜維の敵として真正面にトウ艾という稀代の名将が立ちはだかっていた、という事実も考慮する必要はあるかもね。

王基も名将には違いないが、姜維もちょっとクセあるけど名将のひとりかなとも思う。

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 21:41:34.62 ID:L1x4jVcL0.net
>>756
いやいや、姜維の戦歴においてケ艾と戦い始めるのは後半部だけだから、関係ないよ
姜維が樹機能ばりに郭淮と陳泰を戦死させる、とまでは言わないがせめて撃破できていたら、「ケ艾のせいで勝てなかったけど姜維もかなりの名将だね」とか言えるだろうけど

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 23:16:45.10 ID:OWWZ5+J20.net
樹機能は時代的にも民族的にも、
グレーライン×グレーラインだと思うんだけどこいつも三国時代の人間に入るの?

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 23:57:16.74 ID:J3ektgeII.net
姜維よりは臧覇を入れたいぞー

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 23:59:10.01 ID:L1x4jVcL0.net
>>758
統一王朝による時代区分では、漢〜220年〜三国〜280年〜西晋、だから、入るでしょ

でも蜀も魏も滅亡してる時期だし、中華の外の異民族だし、樹機能を三国志の名将とするのは違和感あるかもね
枠がギチギチってこともあるし、樹機能は抜いていいかも

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 00:26:08.18 ID:+c2rTfi60.net
麴義を確定枠に入れれば二十一人

後漢
魏:曹操 夏侯淵 曹仁 張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃
蜀:劉備 張飛
呉:周瑜 呂蒙
他:麴義
三国
魏:曹真 司馬懿 満寵 田豫 毌丘倹 ケ艾
蜀:諸葛亮
呉:陸遜

残り三枠の候補は、魏の臧覇・郭淮・陳泰・王基、呉の孫策・朱然・丁奉、蜀の姜維らへん?

呉は賀斉を入れていいと思うんだけど、山越という微妙な相手だからか、結局は内乱鎮圧に過ぎないからか、このスレではあまり評価されてないのよな
対外戦線じゃないから実態がよく分からんってのもあるんだろうけど、賀斉伝ではまさに連戦連勝で戦い方も名将っぽい様子が具体的に記されてる

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 06:59:59.45 ID:YSDGi5hD0.net
蜀の馬忠・張嶷的な

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 08:46:03.52 ID:+c2rTfi60.net
馬忠と張嶷は功績が二分割されるからな
賀斉はほぼ賀斉だけで転戦してるわけで

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 10:32:06.18 ID:DRaaC3aW0.net
何度も負けてる樹機能さんがなんだって?(木亥火暴)

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 13:12:19.87 ID:623z/KaN0.net
お、アトミックバスーカやな。
誰か巻き込まれるかな?

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 14:49:28.28 ID:A0BG2NbX0.net
今の早慶マーチ文系の人間をこの時代の能力値に換算すると
大体どれくらいなんだろ。平均値は70以上は確定か?高卒と駅弁理系は
アスペっぽいから何やらせてもダメだろうけど。

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 14:57:42.44 ID:q2O+kxM90.net
名士になれるんじゃないの
そして弾圧されて竹林ニートってお前らと同じやん(笑)

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 15:22:38.78 ID:A0BG2NbX0.net
現代は大物ばかりになってしまったのか。まあこの時代は寒門出身は
徐庶もいるといえばいるが。名門と仲間にお見知りおきしてもらうことが大事だね。

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 15:24:26.94 ID:A0BG2NbX0.net
石ロクは中卒以下のDQN。駅弁理系は職人だろうか。トウガイは
農学部兼dqn特攻隊。

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 16:28:19.53 ID:vaIPvDhKI.net
トウ艾は三国志だけでなくて中国史名将でも生き残れるレベルだから
貶めようとしたところで無駄だよ

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 17:20:08.84 ID:+c2rTfi60.net
竹林の七賢には憧れるだろw

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 18:29:29.55 ID:i8WwmZ5F0.net
名門だろうが功績残さないと評価されないのは歴史が物語ってるだろ。
東大卒だろうが記録が功績が無けりゃ、
荀揩フお友達(名無し)で終わりだよ。

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 18:34:40.82 ID:3DAy7XgX0.net
以前から度々同じような書き込みをしてる荒らしなんだから構うなよ。

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 18:42:33.03 ID:GSIY2DAO0.net
曹操や荀ケはむしろ東大理3上位合格確定だろ。
進振りであえて理学部行くような怪物だったに違いないぞ。高校の数学や物理なんかで
ヒーヒー言っている英雄がどこにいるというのか。それは論外すぎるだろ。

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 18:45:11.52 ID:i8WwmZ5F0.net
最近このスレ来たばっかだから知らなかったけど昔からいるのか
こういうの見てると「逆学歴コンプ」ってあるんだなって思うわ

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 18:55:58.15 ID:/vNvL0BE0.net
>>高校の数学や物理なんかで
>>ヒーヒー言っている英雄がどこにいるというのか。

ある時代のある王朝創始者たちをまとめて敵にしているのが笑える。

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 19:39:59.26 ID:GSIY2DAO0.net
sousoui

778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 19:55:35.04 ID:623z/KaN0.net
>>776
雑学レベルの学問なんざ元々覚える必要のないものだからな。
学歴というものがいかに社会で役に立たないか、を証明した
農民上がりの皇帝さん達。

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 20:09:57.86 ID:+c2rTfi60.net
というか、くだらない雑談がしたかったら三戦板にいけばいいのに
ここは「正史準拠の三国志名将議論スレ」だということをお忘れなく

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 20:11:04.83 ID:623z/KaN0.net
へーい

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 06:05:32.54 ID:kNGqBScz0.net
酷い人材不足だったのにさ何で孔明は徐庶を引っ張って来なかったんだろう?
姜維を得た時めっちゃ喜んだんだろ?
徐庶は後継者にはならんがかなり役に立った筈というか徐庶以上の人物って殆どいないし
蜀には智の面で優れてるのなんて孔明とホウトウと姜維と法正位、魏呉には沢山w
もし関羽の補佐に徐庶がいたら三国志はもっと面白くなってた

782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 06:35:25.23 ID:so+GFcPW0.net
一度劉備の元を離れて魏に仕官した人間をそう簡単に呼び戻せるわけないっしょ。
てか史書に残るような実績はないのに、なぜ徐庶以上の人物が殆どないと言い切れるのだろうか。
まあ魏でそれなりに出世したってことは優秀なのだろうから、いたら役には立っただろうけど。

関羽の補佐云々なら、龐統が戦死せずに諸葛亮が荊州に残るifのが興味はあるかな。
てかどれもスレチやね。

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 08:17:09.81 ID:8OdLBhXM0.net
>>778
>>雑学レベルの学問なんざ元々覚える必要のないものだからな。

そこは俺の考えは少し違ってて、学力はもとより一芸に秀でたものを発掘し
いかに建設的な方向で使えるか、というのが重要なのだと思う。
雑学などを必要がないというのではなく、それをもっている人をどう使うか。
それが肌でわかっているのが天才で、知識としてシステム的に就学しているのが、ここでいう
高学歴なんじゃないかな。
一人でできることなどしれているので、いかに多くの逸材を見出し使うか。
それができれば君も英雄だ!

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 09:11:14.54 ID:PtZ6fvHS0.net
私立文系でも英雄候補になれるところがいい

785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 10:14:26.68 ID:jQcndMHK0.net
なんかここ最近、演義レベルの知識で紛れ込んでくる奴や、荒らしやバカが増えたな…
春だからか?

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 11:28:59.64 ID:1Ynheq6k0.net
俺様は三国無双と蒼天航路しか知らん

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 12:27:31.72 ID:SN/OZm4MI.net
なるほど春だからか

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 12:45:03.77 ID:7ipDlXiw0.net
>>783
でも、史学なんて普通に就職で役に立つ知識じゃないよな。
持っている人をどう使うか、って言われてもな。
めんどくさい雑学バカの面倒を観る部署なんてどこの会社にもないだろ。
逸材ってのは社会に必要とされている人材のことだからな。
中卒の逸材も居れば、有名大卒の戦力外なんて例も数多い。

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 12:52:22.57 ID:jQcndMHK0.net
だから別スレでやれって
日本語が読めねぇのか

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 13:34:46.44 ID:PtZ6fvHS0.net
まあ数学が駄目奈のは中卒と私立文系に共通しているから
私立文系での業界で中卒の逸材も出るのも道理といえば道理
ウヒヒヒヒヒヒ

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 19:52:31.33 ID:H65lEKMzO.net
とりあえず二十一人は確定?

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 22:28:30.34 ID:SN/OZm4M0.net
麹義の確定枠入りは
三国以外所属はどうするかを決めてからのほうがよろしいと思われる

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 23:50:19.34 ID:mnxwS2ksO.net
俺は三国以外所属も認めたらいいと思う。
狭義では三國に分かれてからだろうけど、広義では袁紹や董卓といった人物達も立派に三國志の登場人物として含まれるわけだし、ならばその袁紹の飛躍に貢献した麹義も考慮に入れてやるべきかと。

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/07(月) 00:30:33.40 ID:7GRd81au0.net
関羽と張飛って逆でも同じような功績と失敗した気がすんのなw

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/07(月) 00:37:41.32 ID:UKq5A4L+0.net
>>791
確定でいいんじゃない?
残り三枠の候補としては>>761で挙げられた以外にもいると思うんだけどね

>>792
個人的にはむしろ逆
キク義がいなかったら、三国内だけで二十四選してもよかったと思う
キク義がいるからこそ、三国以外は除外という条件を設けたくはない
そんな理由であれほどの名将が選出から漏れるのは…と

>>793
なにしろ袁紹が築いた勢力は、蜀どころか下手すると呉より大きかったわけで
その最大の立役者であるキク義は入って然るべきじゃないかなぁ

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/07(月) 01:21:09.54 ID:+zjJ+KJl0.net
とりあえず>>1の議論枠と定義外枠から>>761の確定枠人物除いて貼っとく
あと三国以外所属は定義外枠から議論枠に移動した

・議論枠・
後漢
魏:臧覇 文聘 陳登
蜀:関羽 馬超
呉:孫策
他:黄祖 呂布

三国
魏:曹休 郭淮 王淩 陳泰 王昶 王基 鍾会
蜀:魏延 王平 姜維 羅憲
呉:朱然 朱桓 諸葛恪 丁奉

・定義外?・
群雄割拠以前
呉:孫堅
他:皇甫嵩 徐栄

晋呉二国時代
呉:陸抗
晋:羊祜 杜預 王渾 王濬

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/07(月) 03:07:28.04 ID:X2deDe6i0.net
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。
天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。天然パーマ男死ね。バケモン。気色悪すぎ。

798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/07(月) 08:06:29.43 ID:UKq5A4L+0.net
22人目は色んな意見が出てるが、青徐二州を制し揚州でも暴れた臧覇を推したい
魏は多すぎるから他から選べ(?)ってことなら、やっぱ丁奉で

>>796
議論枠は議論の末にもっと絞られてたよ一応

799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 19:24:32.03 ID:BaHYvw3QI.net
姜維と丁奉を比較するなら、丁奉の方が名将だと思う
排除に成功した相手を見ても、王経より石苞の方が明らかに名将だし
丁奉には東興の戦いでの大功もあり、他に細かい武功も多い
臧覇より丁奉をまず確定枠に推薦したい

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 22:21:10.40 ID:TQnrUoGo0.net
>>799
姜維と丁奉の比較は置いといても、ゾウハと丁奉なら流石にゾウハの功績の方が上だろ

801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/08(火) 22:28:51.30 ID:mTveIfED0.net
天然の要塞があるのと無いの(平地かそれに近い)とでは、
後者を維持し続けてる奴の方が凄いに決まってる

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 00:34:26.35 ID:iNXlu5lS0.net
臧覇軍閥の勢力圏って、なにげに物凄くデカいよね

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 02:09:43.76 ID:XeLH7rMn0.net
UFC 102 - : アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ vs. ランディ・クートゥア
https://www.youtube.com/watch?v=tpvWLa7SJ-c

UFC 105 - : マイケル・ビスピン vs デニス・カーン
https://www.youtube.com/watch?v=KHwj_1Jn8L4

UFC 146 - : ロイ・ネルソン vs. デイブ・ハーマン
https://www.youtube.com/watch?v=qJA16o7tCt4

UFC Fight Night 31 - : ティム・ケネディ vs ハファエル・ナタル
https://www.youtube.com/watch?v=e-x0ijoxsv8

804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 23:37:21.95 ID:4atOKx+Y0.net
魏から楽進徐晃イラネ
呂布孫策丁奉入れる
まだ2枠残る

805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 00:37:40.82 ID:yZxYV5PY0.net
確定枠に対して意味わからん文句つけるやつって、荒らしなのかバカなのかどっちなんだろうね?

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 00:59:32.75 ID:yZxYV5PY0.net
そもそも、もうマトモに議論したい人達はスレから去ってる気がするな・・・
>>259の時点で19人まで決まってたのに、そっから500レス以上経過して新しく決まったのがカン丘倹とキク義だけってな
>>500前後くらいまでは有意義な議論が進んでいたようだけど、以降は初心者と荒らしとバカと信者が定期的に出現してグダグダじゃん

807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 01:14:07.39 ID:CW655ltS0.net
というか明確な結果だけ見ると後の3人ってわりと好みの問題になっちゃうんだよねえ

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 01:49:14.86 ID:HB2qPpZd0.net
楽進って三国鼎立前の魏では筆頭に近い位置にいると思うけどな。
この手の子がすぐ否定するのってゲームだと地味だからなのかねえ。

809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 01:51:51.07 ID:llKsE23n0.net
ゲームやらんけど、テンプレに理由列挙してくれ
新参者にはよくわからん

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 02:15:32.82 ID:/lsm+2kb0.net
>>806
毎回思うんだけど、そんなキツく選出に拘る必要あんの?
この板で実質的に人がいる三国志のスレがここだけなんだから、
議論スレ兼みたいな感じで良いじゃん

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 02:37:02.05 ID:v1NJOV2P0.net
なんだかんだで21人目まで決まったんだし
ここまできたらあと3人議論して決めたい気もするが

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 07:27:36.41 ID:VENP1th40.net
「19人?21人?決まった」と言われても、その感覚が全くないんだよなー

曹操、曹仁、曹真、張遼、楽進、于禁、張コウ、徐晃、ケ艾、満寵
劉備、諸葛亮、張飛
周瑜、呂蒙、陸遜

この先はほぼ進んでないと思う

813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 08:46:02.58 ID:yZxYV5PY0.net
>>809
テンプレって>>2のこと?
新参でも正史を嗜んでる人間なら少なくとも>>2には納得できるやろ
>>2の選出を見て「まぁそうなるわな」じゃなくて「なんでそうなるんだ?」と思う程度の知識ならこのスレ来ない方がいいで

>>810
俺もそう思うけど、最近は議論にすらなってないじゃないですかぁ…

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 08:47:50.36 ID:llKsE23n0.net
挙げてハイ納得しろ、じゃ、正史読んでるも何も無いってw
プロセスも書かないと

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 08:50:46.58 ID:llKsE23n0.net
強さ議論スレ系統でも
単に挙げただけのがある・
言いっ放しで新参に厳しいのがいるんだよな〜

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 08:56:08.62 ID:4h1YIK3e0.net
>>814
過去スレ読めば?

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 09:34:46.59 ID:yZxYV5PY0.net
>>814
「挙げてハイ納得しろ」じゃねーよ
このスレは3スレ目だ
「プロセスも書かないと」って、それただキミが教えてもらいたいだけなんじゃねーの?

818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 12:44:04.18 ID:llKsE23n0.net
それじゃ>>813で正史読んでるなら納得して当然とか
知識って言い方する必然性が無いじゃん
嗜んでたって疑問符が付くもんは付くんだし

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 13:55:52.56 ID:v1NJOV2PI.net
少人数ならプロセス纏めてテンプレするのもまあアリだったかもしれんけど
21人分のテンプレとか…過去スレ読めってなるな

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 13:58:37.77 ID:F3DGLcdG0.net
ぶっちゃけ劉邦でもただの40代の初老の幸運じいさんだっただけで
君主の能力とか胡散臭くないか。孫策はすごかったけど孫権は絶対
兄の真似は出来んだろ。ただのできのいい凡人。

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 15:26:53.35 ID:v1NJOV2P0.net
誰も劉邦孫策孫権の話なんかしてないのにいきなりどうした
誤爆?

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 16:09:19.50 ID:EEjIPyJRI.net
>>818
面倒臭い人だなぁ
結局、何が言いたいのか
意見を述べる時には具体的にな

823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 16:12:23.00 ID:EEjIPyJRI.net
今の21人で、そんな納得し難いような奴なんているかね?
その時にはキチンと把握してなくても、名将だと紹介されて興味持って調べてみれば納得できるような連中ばかりじゃね?
張飛や夏侯淵のように異論が出るやつもいるけど、それはこのスレ内でちゃんと議論されてるしさぁ

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 17:43:12.23 ID:v1NJOV2P0.net
そんなことより22人目候補について話そうぜ
臧覇か丁奉かが人気のようだけど

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 18:32:16.46 ID:kevNKSjv0.net
>>820
劉邦や孫権をそのような評価を下すことが許されるのなら
「孫策はただの自滅した名士殺戮マニア」
とも評価を下して良い訳で。

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 18:32:37.91 ID:yZxYV5PY0.net
普通に考えれば臧覇が上だけど
魏将には謎のハードルがあるからな
曹洪や夏侯尚ですら議論枠から切り捨てられるレベルのやつが

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 18:33:24.72 ID:yZxYV5PY0.net
>>825
スレチに触るなよ

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 18:57:14.32 ID:/iGPZA7W0.net
孫策の良さは孫権という異なる才も認める鷹揚さにあるんだがなあ。
間違っても、臨終に自分の功績だけを誇って往く人じゃない。

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 19:17:38.72 ID:F3DGLcdG0.net
後継者に対して何もお前には取り柄がないなど言う男はいないだろ
豪族連合なんだからなおさら

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 19:47:31.22 ID:/iGPZA7W0.net
魏も豪族、というよりは名士連合なんだけど、曹操は、後継者達を
なじるような事を言ってるけど。例えば、曹沖が死んだ時、曹丕達に
これはお前達の幸運、とか言ってる。太子問題を放置した事からも、
後継者をそこまで慮るというのは、指導者の絶対条件なのか。
まあ、孫策は臨終だったから、現役の曹操とは違うだろうけど。

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 20:08:36.01 ID:F3DGLcdG0.net
組織は基本連合だけどな。近代兵器で一部の層が握ってしまった近代でも一部の層の
連合でもある。今や近代兵器だ。核を権力者が握ってしまった。

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 20:33:14.46 ID:yZxYV5PY0.net
雑談がしたかったら(ry

最近の流れで薄々理解してたが、もうダメだなこのスレ
議論したい人達が次第に去っていった理由がよぉく分かったよ

1スレ目からいる住民が未だ残ってるのか知らないが、今までありがとうございました ノシ

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 20:42:08.26 ID:llKsE23n0.net
>>823
調べれば凄い、ってだけなら24人どころじゃないわけで。
何故選ばれたのかと同時に何故選ばれなかったかも重要だから、プロセスが大事であり、
現状は押し付け=納得しろでしかないわけ
面倒臭いどころか、シンプル過ぎるほどシンプル

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 20:45:54.39 ID:HB2qPpZd0.net
中英板は過疎板だけど、それでも夕方から22時ぐらいまでは子供率は上がるのだし、
そんな時間帯に流れが思い通りにならないからとムキになってるのもどうかと思いますわ。
話になる人とだけ話せば良いのよ。

835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 20:51:54.32 ID:/iGPZA7W0.net
>>831
>近代兵器で一部の層が握ってしまった近代でも一部の層の連合

徴兵制時代とは違って、募兵制だから、エリート化が進んではいるかも
知れんね。ただでさえ、繊細な近代兵器は扱いが難しい。誰でも使える
代物ではない。ただ、当時の豪族連合というのは、門閥だから、今ほど
組織間の移動が自由で、制限されていない事は無いと思う。
渡邉義浩さんが「三国政権の構造と名士」なんかで書いていたけど。

>核を権力者が握ってしまった。

核兵器というのは、保有数が圧倒的に少ないから、ロシアのような国でさえ、
核兵器というのはシビリアンコントロールの下に管理されている。だから、
通常兵器よりも遥かに権力に近い兵器だとは言えるでしょうね。
核抑止を説いたリデルハートが、戦争予防を説いた孫子を絶賛したとか聞いた
事があるけど、その延長線上かな。

836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 21:01:52.68 ID:llKsE23n0.net
外交兼ねて偵察して構わない文官はメディアみたいなもんだもんな
文官殺すのはネットワーク切断するくらい悪い事

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 22:54:10.87 ID:CW655ltS0.net
どうやら俺は違うスレに紛れ込んでしまったようだ
まさか三国時代の中華を語るスレに核とかロシアとかリデルハートいう単語がでてくるはずがないしな

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 00:15:42.13 ID:ClXddhIzI.net
>>833
キモいよお前
ROMるって言葉知ってる?

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 00:17:30.33 ID:YUGhKy9l0.net
三国時代を分析する上で、現代と比較して分かりやすく解釈しても良いじゃないか
24選原理主義者氏ねよ

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 02:51:47.14 ID:313AGy0uO.net
二十四撰をどうでもいいと考えてるのに、このスレを開けた理由を逆に知りたい。

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 04:09:20.99 ID:jse3lxXJ0.net
>>837
三国志の時代に中華って単語はあったの?

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 09:15:37.43 ID:p5JqW6q70.net
>>841
え?

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 12:41:59.05 ID:dhq8As0p0.net
1スレめから見てないが
ここの二十四って数字は何で二十四になったんだ?
武田か何かか。凌煙閣だったら凄いけど

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 13:31:13.98 ID:zW+SZwbzI.net
>>839
いつからここは「三国時代を分析するスレ」になったの?
スレタイも>>1も読めないとか、日本語の勉強からやり直した方がいいよw

>>843
初代>>1のフィーリングじゃない?
中国的にキリの良い数字としてよく使われるのは「二十八」なんだけどな

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 08:40:50.49 ID:kIxKZj9o0.net
陳寿の呂布の評価と同じで個々の連中の評価などあてになるものか

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 09:52:31.45 ID:bw1dfuVk0.net
賈逵とか名将の部類じゃないの?
ちゃんと将軍号も持ってるし

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 12:10:52.90 ID:14p4g6Vg0.net
このスレ内で収まる話ならいいんだが、他の板へのドヤ顔自慢とかやめてくれんかね。
こんなスレのチラ裏妄想撒き散らされても困るよ。

848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 13:10:35.43 ID:Lwz7Qvg5O.net
もっともな事は言ってるな。度々そういう事があったのなら申し訳ないと思う。
ただ、たまたま一回や二回あったくらいなら、例外なのでそちらで処理しといて欲しい。

849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 13:23:27.28 ID:kIxKZj9o0.net
黄権は広漢を最後まで劉備群から守り通した
淵は異民族のカス相手だろ
最後はじーさまにやられてアボン

850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 13:34:49.91 ID:h4C7eTKI0.net
>>844
適当に二十四か
俺としちゃ全部網羅で108将とかのが面白そうだけど
とても決まらんだろうな

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 23:24:05.04 ID:gU+XtFAr0.net
108選じゃ名前が残ってるほとんどの武将が選出されんじゃん
108人ランキングならいけるかもしれないけど

852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 23:50:12.83 ID:5fCiqSlFO.net
このスレ住人にはKOEI三国志プレイヤーはいるのかな?
三国志ゲーで言うと名将24は統率力BEST24って事だよね
まぁだからどうしたという話だが

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 23:59:24.82 ID:8hQq16dNO.net
議論が停滞してそうなので話を戻す意味も兼ねて、俺は鍾会を推薦してみる。
鍾会は大軍運用手腕の他にも謀略、作戦立案能力もピカいちだ。
剣閣で姜維と対峙する羽目になったのは、彊川口にて魏の金城太守・楊欣に敗れた姜維の退路を断つよう、橋頭の押さえを鍾会から命じられた諸葛緒が、
陽動に引っ掛かって任地を離れ、剣閣へ逃げ込まれてしまったためだ。

司馬師、司馬昭の懐刀として淮南の叛乱では謀略を巡らし、蜀征伐でも見事な侵攻作戦を練り上げた。
鍾会は、司馬昭が蜀征伐を企図していることを知ると、陣を置く場所から食糧基地に至るまでの克明な表示と、どこから軍を出しどこへ退却するか、全て理にかなった克明な地図を献上し司馬昭を唸らせている。

司馬昭は心強い献策を得て朝議に臨む。
当然議題は蜀征伐についてだ。
曹操以下、その時代時代を代表する魏将達が幾度も試みて、現在まで誰も達成し得なかった大事業。
当然朝議でも群臣達は皆達成不可能と考え反対に回った。
起案者の司馬昭と鍾会だけが可能という見通しを立て、反対派を退けて蜀征伐を決行した。
司馬昭はこの大事業を、魏国と自らの栄達の決定打として懸けていた。
その神経細かそうな司馬昭を大いに納得させたのだから、余程見通しの立った現実味のある作戦案だったのだろう。

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 00:09:16.85 ID:VMuN0gM60.net
俺的名将序列
後漢:曹操>>>周瑜>曹仁>劉備>>張遼>楽進>呂蒙>于禁>張飛>張郃>徐晃>夏侯淵
三国:ケ艾>>>諸葛亮>陸遜>>満寵>曹真>司馬懿>田豫>毌丘倹
異論は認める。ただし正史未読者、テメーはダメだ。

鍾会はね、当時「子房」と呼ばれたことからも分かるように、参謀としての功績の方が目立つから。
将軍としては一発屋なことと、その一発がケ艾の働きによるウェイトが大きいことが、このスレ的にはネックになってるんだろうね。

855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 00:27:13.69 ID:7HGrkhF+O.net
それは確かに分かる。
ただ当初の作戦案通りに行けば、鍾会は姜維が立て籠る前の手薄な剣閣をあっさり抜き四川盆地に至る筈だった。

その作戦にブレーキをかけ姜維と対峙する羽目になったのは、前述の通り味方である筈の雍州刺史・諸葛緒の動きだ。
彊川口にて楊欣に敗れた姜維は、帰路を断たれ橋頭をも諸葛緒に押さえられたとの報を聞くと、天命尽きたとうなだれた。
そこに配下の寧随から進言がもたらされる。
「魏は橋頭を遮断したが、そのために却って雍州そのものには兵が少ない筈。
孔函谷から一気に雍州を衝くよう装えば、諸葛緒は陰平の兵を撤収して雍州の救援に向かうだろう。
その時将軍は反転し、剣閣まで走ってそこを拠点とすれば良い」

案の定諸葛緒はこの陽動に引っ掛かった。
気付いて姜維の捕捉に向かったが、1日遅く間に合わなかった。
諸葛緒は白水の鍾会の陣に出頭し罪を乞うた。
鍾会怒る。「私は貴公に橋頭を守って、姜維の退路を断てと命じた筈だ。
何故それをしくじったのだ?
そして今回はまた私の命令を得ずして勝手に軍を動かし、よくも敗れてくれたな。」
諸葛緒弁明する。「姜維は雍州を襲うように動きました。
私は雍州に間違いがあってはと、軍を率いて救援に向かい、姜維はその隙を突いて逃げ出しました。
私は姜維を追って剣閣まで来ましたが、意に反して敗れたのであります。」
鍾会再び激怒。「この馬鹿者が!姜維ひとり雍州へ向かって何ができる?
雍州へ向かおうが所詮、袋のネズミだ。 だが、剣閣は天下の要害で、これを攻め落とすのは容易ではないからこそ、橋頭で姜維の退路を遮断せよと命じたのだ。」

怒る鍾会は諸葛緒を処刑しようとした。
しかし諸将が必死にとりなしたためその場で命を落とすことはなく、濫車に乗せられて洛陽の司馬昭に処分を委ねられることになった。

このことは諸葛亮における馬謖と同様、幾ら優れた総司令官でも離れた地にいる部下の迂闊な行動までは制御し切れないから致し方なしと考える。

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 00:52:17.95 ID:SBlOdSWY0.net
>>854
ぶっちゃけ曹操ケ艾二人をトップに置いたら
あとの残りはどうにでも変化しそう

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 01:00:59.40 ID:FnU8uiOP0.net
>>854
諸葛亮高すぎないか?
そしてそれに対して司馬懿が低すぎるように思える

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 01:10:28.01 ID:SBlOdSWY0.net
あえて並べるなら後漢と三国分けないほうが分かりやすい

859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 01:19:04.08 ID:AJW8nuCn0.net
諸葛亮の過大評価が過ぎると思う
あんなの24選にやっと入るくらいの人間だよ

一段階「諸葛亮SUGEEEEEEE!!!!」
二段階「諸葛亮はカス」
三段階「いや、正史でも諸葛亮は強いからw」←この段階の奴が大杉

確かに名将ではあるけど、二段階の頃の反動で過大評価しすぎ。

860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 02:09:12.38 ID:SBlOdSWY0.net
それはそれで過小評価じゃないか?
まあでも比べるなら俺も陸遜>諸葛亮かな

861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 03:08:58.39 ID:7HGrkhF+O.net
司馬懿ももう少し上かもね。
諸葛亮と対比すると、諸葛亮は自国に侵攻されないための攻勢を行った司令官、司馬懿はどのような結末にすれば自軍の勝利となるかを遠大な戦略眼で見抜いていた司令官。
どちらも甲乙つけ難い。

諸葛亮との戦役と、孟達や公孫淵との戦役、勝ち方にも色々あることを教えてくれる。

老獪さを増した後半生の彼はかなりの名将。

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 05:48:38.81 ID:AJW8nuCn0.net
司馬懿が持久戦に徹した、みたいな風潮あるけど守備側なんだから当たり前なんじゃないの?
むしろ
「諸葛亮って奴はなんで攻撃してこないの?」
「え!?もう帰ったの?何しにきたんだよあいつ...」
みたいな感じだったんだと思う。

863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 06:32:23.26 ID:7HGrkhF+O.net
そうだろうね。
司馬懿としてはこの戦役は引き分け=勝利なのよ。
敗けなければ勝ち。
第一の目的は蜀軍を旧都・長安に至らしめなければ良い。
それが魏の中央からの方針及び司馬懿サイドとしても戦略的勝利と考えていた。

864 :862:2014/04/13(日) 06:56:01.30 ID:AJW8nuCn0.net
北伐を他の戦いで考えれば、
袁紹が曹操妥当を掲げて南下するも、黄河を渡ってる最中に敵に叩かれると危ないから、
渡河せずに持久戦に持ち込んで、そのまま兵糧尽きて撤退するのを何度も繰り返してるようなもんだと思うのよね。
曹操からしたら「え?何がしたいの...」って思うでしょ。
もちろん戦力差とかは全然違うけど立場的な話だとそうなる。

865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 07:46:08.13 ID:7HGrkhF+O.net
確かにねw
ただ、諸葛亮の北伐と官渡戦役の比較はちょっと前にも議論に上ったんだけども、
その時は曹操と諸葛亮、共に劣勢側の司令官としての資質や戦略志向だったんだけどね、諸葛亮はその性格が非常に手堅い、まさに石橋を叩いて渡るような人物なんだよね。
だから思い切った奇策や戦術はとれない、しかし反面、眼を覆いたくなるような大敗もしない。
一長一短なんだよね。

そしてもうひとつは諸葛亮側の戦略構想。
これは一般に言われてるような、先帝の遺志を継いで倒魏興漢を本気で目指してたとは俺には思えないんだよね。
諸葛亮は冷静で利口な人物だ。
彼我の国力や戦力差くらい充分理解してるし、大国・魏を倒せるなんて思ってない。
前述したようにあくまでも蜀を存続させるため、魏につけ入る隙を与えないための攻勢だと思うのよね。
大国・魏を倒せないまでも、せめて先帝が作ったこの国を守り通すことが、先帝の遺志を絶やさずご恩に報いることだと。

だから諸葛亮サイドとしても大敗だけは避けなければならない、それを第一に考えるのと総司令官としての重責が、そのような一見消極的とも見える戦術に表れてるのかもしれないね。

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 07:48:56.15 ID:VMuN0gM60.net
いや皆さん、司馬懿が防衛に徹して自軍の被害を抑えてればそう言えますけど、何回も余計な事をして自軍に多大な被害を与えてるじゃないですか。
晋書宣帝紀だけじゃなく、ちゃんと三国志諸葛亮伝・張郃伝・辛毗伝やその注釈を読んでくださいよ。
其の辺を鑑みると、対北伐での司馬懿はそこまで高く評価できません。
其の後の司馬懿は当代随一の名将になりましたけどね。

867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 08:04:47.54 ID:VMuN0gM60.net
>>855
鍾会はなんだかんだで、当初の立案とは異なる現実に適時対応し、全体的な戦略を破綻させずに蜀を滅亡させているからね。
将軍のどの部分を重点的に評価するかで、残り枠の選出はだいぶ左右されると思うな。

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 08:11:16.82 ID:7HGrkhF+O.net
>>866
確かに張コウを失ったりと度々痛い目には合っている。
しかし大括的な目的は達成した。
将として大切なのはここなんじゃないかな。
プロセスも確かに大事、しかしもっと大切なのは当初の目的を達成するという結果を出すことなんじゃないかなと。
魏の強大なバックグラウンドがあればそんなこと容易ではないかと言われるかもしれないが、当り前のことを当り前にするというのは意外と難しいこと。
官渡での袁紹も赤壁での曹操でさえ、その当り前のことが如何に難しいかを物語ってくれている。

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 08:33:01.71 ID:7HGrkhF+O.net
>>867
まさにその通りだと思う。
その場の状況に適宜対応する頭の回転の早さが彼にはある。
そしてこれはひとつの推測だが、事ここに至っては正道と奇策、双方を用いて蜀征伐を成し遂げるしかないという戦略に切り替えたのではないかと。
つまり、自分が正道として蜀の主力である剣閣に籠る姜維にあたる。
その間に陰平の間道を通って綿竹関に出る奇策をトウ艾と分担したと。
どちらかが成功すれば蜀征伐の目的は達せられる。
結果はトウ艾の方が先に着き、鍾会は蜀の主力をその間引き付けておくという名アシストをしたわけだ。

無論、鍾会は頭も切れるが人一倍上昇志向も強い野心家だ。
自ら進んでアシスト役なんかに回るわけがない。
恐らく彼の目論見では、トウ艾の作戦は十中八九失敗に終わる、しかし自分が時間が掛かろうとも正道で剣閣を抜けば目的は達せられるではないか、くらいの算段はしてたんだろね。

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 08:42:22.66 ID:AJW8nuCn0.net
昜の奇襲って鍾会の命令じゃないでしょ?
単に我が強い二人が暗黙の競り合いみたいの始めて、
鍾会が剣閣に手こずってる間に奇策を用いた昜に出し抜かれただけじゃ

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 08:53:47.12 ID:7HGrkhF+O.net
二人が会って話し合った可能性は高いと思うよ。
無論、鍾会はトウ艾の奇策など鼻で笑ってたと思うけど。
鎮西と征西、仮にも二人の大将軍が、何の連携もとらず一介の将みたいに単独で独自行動するなんてことは軽率だし考えにくいと思うんだよね。

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 10:21:15.45 ID:a4OOeiIb0.net
個人的には、名将108選よりは名将24選のままで
武力24選、参謀24選、etc…ってやるほうが面白そう

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 10:36:33.52 ID:VMuN0gM60.net
>>872
武力はともかく参謀って24選したらほぼ全員になる気がw

874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 12:06:28.86 ID:T1tV2BWr0.net
>>761に特に異論ないな
あと三人選べばいいんじゃないのか

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 18:41:03.39 ID:55xCsofD0.net
>>862諸葛亮と司馬懿は2度戦ったわけだけど
最初の戦いは諸葛亮側も別に司馬懿と戦う必要は無くギ山を攻略する事が蜀軍の目的だった
直接対決で司馬懿に勝利し、華陽国志によると魏側の方が先に食料不足する事態に陥っていたので
大雨により、食料輸送が困難にならなければ諸葛亮が戦略的にも勝利する可能性が高かったと思っている

2度目の戦いに関しては諸葛亮が死んで蜀が退却する事になったのであり、食料が無くなって退却したわけじゃない
まあ諸葛亮が死んで無くても、魏側が万全の準備をしていたから結局蜀軍は退却する事になったと思うけど

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 18:55:35.34 ID:i5YAfo9J0.net
まぁ第一次が最初で最後のチャンスだったってのは認めるよ。
それが魏の興亡につながるかは別問題だとしても

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 19:39:09.75 ID:VMuN0gM60.net
>>857 >>859 >>860
反論する時は具体的に言ってほしい。
人材も国力も不足した蜀の軍で、郭淮に勝利し司馬懿を痛撃し張郃を討ち取った諸葛亮が、名将でなくてなんなのか。
劉備を大破し曹休を痛撃した陸遜は凄いけど、諸葛亮の方が明らかにもっと凄いと思うんだがな。

>>862
司馬懿は持久戦に徹することができてないし、諸葛亮の攻撃をモロに喰らってますがな。

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 19:41:53.10 ID:FnU8uiOP0.net
司馬懿の真価は対諸葛亮での防衛戦ではなく対公孫淵や呉のような侵攻戦の拙速な行動だと思う

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 19:44:21.61 ID:FnU8uiOP0.net
>>877
諸葛亮が名将でないとはいっとらんよ
ただ大きな戦果をもたらした事がなく将を何人か討ち取っただけの諸葛亮を他の将より上にする根拠が弱いってだけ
大軍に攻められたがそれを追い返した防衛戦や相手の重要な領土を奪い取った侵略戦のような戦果がこれといって見当たらんからさ

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 19:45:57.24 ID:55xCsofD0.net
>>877どういう点で陸遜より諸葛亮の方が上なのか言って欲しいな

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 20:09:50.15 ID:i5YAfo9J0.net
>>877
諸葛亮の実績って王双と張郃を討ち取ったくらいで
北伐自体が「勝てずとも負けない戦い」の上、結局成果ほとんど出せてないじゃんw

実績有る劉備をほぼど同兵力で撃退した上、蜀の指揮官を多数討ち取った陸遜より上?

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 20:15:07.30 ID:55xCsofD0.net
>>881いちお、武都と陰平の二郡を取ってるぞ
まあ、大した戦果じゃないけど

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 22:00:05.33 ID:SBlOdSWY0.net
>>877
自分も他の人と似たような感じだな陸遜>諸葛亮の根拠は
石亭もだがやはり樊城と夷陵かな

樊城:房陵南郷を落とす、関羽敗死、荊州奪還
夷陵:馬良王甫程畿傅トウ張南沙摩柯など蜀将敗死、劉備撃破

俺も諸葛亮が名将じゃないなんて言ってないじゃないかい
それとあなたがいう郭淮張郃を破った諸葛亮陸遜よりスゲーって言ったら
陸遜が破った劉備関羽は大したことないんだなってことに
北伐と違って樊城夷陵ははっきり白星なわけだし

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 00:10:57.29 ID:eLkqeOfCI.net
残り三枠を決める流れに全然入らないけど大丈夫か
>>1000までに24選終わらせて次スレは「語るスレ」にした方が良いよな

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 07:27:11.03 ID:srSdGHWv0.net
個人的には正史準拠の能力値決めるスレが好きだったんだけど無くなったよね
この24選決まったらあのスレ復活させてよ
名将に限らず政治家や君主について語りたい人も多いだろう

886 :mage:2014/04/14(月) 21:04:23.81 ID:tmQXecAA0.net
張コウの出身地、河間郡バクだっけか、あそこの張氏は自称だが張耳の子孫
を謳ってたから、張コウもその席に名を連ねる人物だったとすれば実は結構
な名族、と言うことになる。

こういうのを知ると司馬懿はもしかしたら名族としての張コウを疎ましいと
感じて排除したのかもなあ、とちょっと思ってしまう。

887 :mage:2014/04/14(月) 21:13:57.54 ID:tmQXecAA0.net
武都と陰平については漢中攻防で曹操が退却する際、そこの地域が
孤立することを恐れて住民を大量に移住させているんだよね。

異民族とか数万戸が曹操に従って移住したとあるから人数で言うと
20万人以上とかになるのかな。根こそぎ移住させているから、あの
二郡は空白地帯に近い状況。そこまで徹底する曹操がある意味では
すげえと思う。

888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 22:11:03.97 ID:1GHxIllV0.net
>>886司馬氏も名族だから、例え張コウも名族出身だとしてもそんな理由で排除するとは思えないなあ
それよりも、単純に張コウが成りあがりものだったから疎ましく思っていたって方がありそう

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 22:37:17.92 ID:ZaEBj7MX0.net
>>887
張既が曹操に数万戸の三輔長安に移住を進言してて、張既自身は武都の五万余人を扶風天水に移住
杜襲は八万余人を洛陽とギョウに移住させたってあるね
酷い大移住っぷり…なんでここまでやったw
劉備が関羽に呼応して北上しなかったのもこの移住が原因にあったんだろうか

890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 23:22:32.07 ID:1jmEVlFFO.net
>>886
>>888
司馬懿の張コウ謀殺説の根拠付けとしては興味深い切り口だけど、あれはやはり素直に司馬懿の軍事的采配ミスだと思うんだよね。

司馬氏は何かと腹黒さと陰謀説が付きまとうから、色んな憶測が飛び交っても致し方ないのだけど、少なくとも司馬懿と司馬師までは魏の繁栄を考えそのために力も注ぎ取り組んだ忠臣だ。
無論、司馬家の栄達と権力基盤強化も含めてだけど。
それが本格的に簒奪まで視野に入れ出したのは司馬昭のしかも後半生からだ。
この人の行ったことやイメージが後世から見ると非常に悪いため、遡って司馬懿や司馬師の事績にもそれぞれ何か裏があるのでは、と黒い理由付けがされて行くのだろうね。

891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 23:40:56.73 ID:eLkqeOfCI.net
名族とか成り上がりとかじゃなくて、軍事上のライバルじゃないの、司馬懿と張郃って
張郃は車騎将軍だから、司馬懿の次点なわけで
しかも張郃と司馬懿は全く意見が合わなかった
そりゃ排除されますわ
司馬懿の得意技「保身」の延長上でしょ

張郃の心境としては、官渡の時のトラウマが蘇ってただろうね
あぁ、あの時も自分が反対した作戦をなぜか自分がやらされて敗北したなぁって
袁紹に似てるのは諸葛亮というより司馬懿だな

892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/14(月) 23:49:22.58 ID:wQ8fM0Uv0.net
何とも言い難いなー
可能性はそりゃあ普通にあるし、仮にそうなら面白いけども

893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 00:02:39.54 ID:dpX+LtG10.net
>>889
張既も地味に名将だよね
個人的には郭淮より好み

894 :mage:2014/04/15(火) 01:20:38.19 ID:9XKHNq8k0.net
張コウは成り上がりだったとも思えないんだよね。例えば名前とかの付け方
を見ると、名と字はそれぞれ古典の中からの言葉を引用しちぇいるし、コウ
は(文と武)の才能を併せ持つ、と言う感じの意味だし、雋と乂は両方とも
非常に優れた(抜きんでた)と言うような意味。

抜きんでた文武の才能を併せ持つ、と言う意味の名前をさらりとつけれると
言うのは相当インテリでないと無理じゃあないかな。少なくとも学者の資質
を持った人間じゃないと難しいと思うし、成り上がり武将ではこういう洒落
た名前はなかなか付けられない。

895 :mage:2014/04/15(火) 01:26:04.31 ID:9XKHNq8k0.net
そういう素地があるからこそ同郷の人間を学者として推薦とかできたのだろうし、
張コウはそんな気はなかったかもしれんが、冀州閥が伸びるのはケイ川閥の連中
にしてみたらあまり面白くはないのかな、とも少し思った。

まあ陰謀説を推したくなる人がいるのもわからんでもない、と言うだけで自分も
そういうのは無くて司馬懿の采配ミスと思ってるけどね。

896 :mage:2014/04/15(火) 01:37:30.12 ID:9XKHNq8k0.net
ちなみに司馬懿の戦績を見ると勝利の多くは速戦により相手を急襲して、と
言うものなのよね。逆に言うと諸葛亮のようにきっちりと陣を整え待ち構えて
いる相手はあまり得意ではない。本来はそうなる前に打ち破ることが司馬懿の
本分だから。

逆に諸葛亮は陣地の構築は得意だがそこから軍を柔軟に動かすのが苦手。まあ
そんな二人だからこそ、攻めれば相手に蹴散らされ、互いににらみ合うだけの
世紀の凡戦になる訳だけどね。

897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 01:49:39.63 ID:OGUxUvUk0.net
成り上がりの劉備が備とかいう意味分からん名前なのは親が適当に付けたからなのか?
でも玄徳ってなんかの文章の言葉だし父親は官僚かなんかだよね

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 01:50:28.99 ID:OGUxUvUk0.net
と思ったら字って自分で付けるのか
つまり漢字の分からない母親が適当に「備」って名前付けて
慮植に習った劉備が自分で玄徳って字つけたのか

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 01:58:33.87 ID:N3YVEHfi0.net
言われてみると、他に名が「備」という奴は思い浮かばないな
誰か居るだろうか

900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 07:11:24.14 ID:O/ALbATcO.net
多分…いない?
他にも司馬師の「師」や司馬炎の「炎」、孫権の「権」、曹丕の「丕」などもいないかな?

このへんは皇帝ゆえ避諱の影響もあったりするのかな?
そういや劉備も皇帝か。

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 07:15:11.87 ID:O/ALbATcO.net
>>896
俺もそう思う。
司馬懿と諸葛亮の特徴をよく言い当ててると思う。

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 07:55:34.75 ID:8JgSaA430.net
黄権

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 08:14:19.11 ID:O/ALbATcO.net
いたーw
そうか黄権かぁ、なるほど。

904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 09:23:55.38 ID:dpX+LtG10.net
断言する
あと三人は決まらない
もう語るスレになってるもんw

905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 09:56:50.70 ID:OGUxUvUk0.net
息子に炎って付けるって相当だよな。
今で言うDQNネームみたいなもんだろう。

にしても晋って確か金徳の王朝だよね。
金徳の王朝なのに火×2の名前の皇帝って...
司馬炎が生まれた時にはまだ魏だったにしろ、魏は土徳だし。

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/15(火) 11:27:18.71 ID:O/ALbATcO.net
司馬昭の行った魏からの簒奪計画が、漢より不当に皇統を奪い取った横暴なる魏を懲らしめ、再度皇統を正しく導く、という義憤を胸に秘めた大義からであったなら…、
端的に言うと魏にイジメ抜かれて皇位まで奪い取られた漢の仇討ち、のつもりであったなら、漢=火徳の後(上)に再度火(徳)を灯す、それが我が息子に託す願いだ、という意味で「炎」としたのかもw

司馬炎が生まれたのが236年、諸葛亮が五丈原に散った2年後か…、まだまだ曹氏の天下であり司馬氏がそこまで上り詰めるなんてその時点では考えないよなぁ、司馬昭が超能力者でもない限り。
大体司馬家の正統を継ぐのは司馬師だし、この後男子が生まれたら当然家督はそちらに行く。
次男である司馬昭が、その時点で我が子にそんな大それた夢を抱く筈もないか。

我ながら苦し過ぎるこじつけだったw

907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/03(土) 09:28:47.38 ID:d7Xa+dgPh
人を殺すと地獄に堕ちるとかお孑ちゃまみたいなこと言ってるオトナには唖然とするよな
騒音に温室効果ガスにコロナにとまき散らさせて,気侯変動させて海水温上昇させてかつてない量の水蒸気を發生させて、
土砂崩れに洪水.暴風、猛暑.大雪にと災害連發させて地球破壞して,静音が生命線の知的産業に威力業務妨害して根絶やしにして、
医療崩壊させて助かる命まて゛奪い取って多くの無辜の住民の生命と財産を破壞して私腹を肥やしてる齊藤鉄夫ら
世界最惡の殺人テロ組織国土破壞省だのJАLた゛のΑΝАた゛のクソアイヌドゥた゛のクサイマ‐クた゛のゴキブリフライヤ―だの
テロリス ├を皆殺しにしたら、人のみならす゛多くの生命が救われるんだから、と゛んな理屈をこねたところて゛,明らかに天國行きた゛ろ
税金て゛票買って腐敗を謳歌してきた腐敗の権化を討ち取った民主主義の教祖山上大先生も完全に天国行き確定だし
少しは物事を論理的に理解できる人としての最低限の能力くらい身に着けよう!

創価学會員は、何百萬人も殺傷して損害を与えて私腹を肥やし続けて逮捕者まで出てる世界最悪の殺人腐敗組織公明党を
池田センセ━か゛□をきけて容認するとか本氣で思ってるとしたら侮辱にもほと゛か゛あるぞ!
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908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/07/31(月) 22:25:53.45 ID:JkPP39EM4
震災ガ━とか税金泥棒が防災ガ−とかテ゛夕ラメほさ゛いてるけと゛.クソ航空テ口リス├が莫大な温室効果ガスまき散らして気候変動させて北極
南極の氷とかして海面上昇させて津波猛威化させたせいて゛数千人は人為的に殺害されたってのに滑走路倍増させて都心まで数珠つなぎでクソ
航空機飛ばして土砂崩れに洪水.暴風.猛暑、大雪,森林火災にと災害連發させて住民殺しまくって私腹を肥やすルフィ顔負けの強盗殺人を
繰り返して.数千円て゛クソ鯖落とすほと゛の地球破壊殺人セ─儿まて゛スル━しておいてモク├−だの自己滿娯楽とか堪能してんし゛ゃねえぞ力ス
数千円て゛莫大な温室効果カ゛スまき散らせるとか地球破壊に対する補償と゛ころか税金払ってない証拠た゛ろ,これに加担して孑に地球破壊を教え
込む羞恥心の欠片もないクズ親と,子を持つ資格のない金クレほざいてる税金泥棒層か゛━致してるのは間違いないわな,クソ航空機のせいて゛
石油需給逼迫して工ネ価格に物価にと暴騰して貿易赤字.コロナ運び込んて゛マッチポンプワクチンて゛ボロ儲け.接種率に比例して心不全爆増
温暖化によって鳥ウイ儿ス猛威化して鶏卵価格暴騰,騒音で知的産業壊滅に勉強まで妨害してクス゛親の孑によるヰラヰラ犯罪まで爆増中だろ

創価学會員は.何百萬人も殺傷して損害を与えて私腹を肥やし続けて逮捕者まて゛出てる世界最悪の殺人腐敗組織公明党を
池田センセ‐か゛囗をきけて容認するとか本氣で思ってるとしたら侮辱にもほと゛か゛あるそ゛!
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909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/09/13(水) 20:17:46.42 ID:zEhaPMumG
ヒ゛ックモータ ─を非難するのが犯罪者だけという滑稽な事態になってるな、樹木を枯れさせたとか麻薬賭博暴カ贈収賄税金泥棒バカひき逃け゛
差別主義猥褻セクハラJKレイプ地球破壊犯罪者の代名詞スポーツという犯罪推進のために明治神宮外苑の3千本もの巨木を伐採するデ夕ラメ
小池百合子や、力による一方的な現状変更によってクソ航空機倍増させて都心まで数珠つなぎで鉄道の30倍以上もの莫大な温室効果カ゛スまき
散らして気候変動させて海水温上昇させてかつてない量の水蒸気を日本列島に供給させて土砂崩れ、洪水、暴風,熱中症にと災害連発させてる
世界最悪殺人テロ組織公明党天下り犯罪集団国土破壊省斉藤鉄夫が何寝言ほざいてんだか、世界的に森林火災に気温40度超え連發、
日本列島も40度超え連発させて國民をさらに殺す気滿々のテロ政府を放置するのは自殺と同義だそ゛
渋滞で環境破壊しまくり清瀬市の歩道の樹木とか明らかに税金の無駄,そこを自転車レーンにするのか゛環境対策た゛ろ
フランスとか車道を一方通行にして自転車レーン作ってるくらいた゛が、このテ□政府をふ゛っ潰さないとお前らの生命と財産は奪われる一方な
(羽田)tТps://www.call4.jp/info.php?tУpe=items&id〓I0000062 , ttPs://haneda-project.jimdofreе.com/
〔成田)ttPs://n-souonhigaisosУoudan.amebaownd.com/
(テロ組織)Τtps://i.imgur.com/hnli1ga.jрeg

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