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- 54 :※以下引用:2015/08/01(土) 00:30:43.38 ID:AVeBP7rL7
- (続き)
日本と中国の戦争は泥沼化していった。
「圓」の戦争は、その舞台を更に広げていった。その実態を示す資料が見つかった。ダンボール700箱にも及ぶ膨大な資料である。
世界20カ国に支店を持ち、日本の国際金融を一手に扱ってきた、あの横浜正金銀行。中でも重要な資料が『頭取席要録』。
世界中に散らばった金融のエリート達が、国際情勢をつぶさに分析・報告していた。
「日本の公債や株式が、日本軍の軍事行動によって下落している」と報告したロンドン(ロンドン支店)からの情報。
アメリカに支援を求める中国の財政使節団の動きを詳細に調べたニューヨーク(横浜正金銀行ニューヨーク支店)からの情報。
その中に、大蔵省や日銀が、アメリカに密かに純金(金塊)を送ったという情報が頻繁に登場する(横浜正金銀行サンフランシスコ支店へ)。
何故、大量の純金(金塊)を送っていたのか。
日中戦争が始まってから1年が過ぎ、軍事費は増大の一途を辿っていた。
軍中央では、日中戦争勃発時現地で指揮を執った板垣征四郎(1885−1948)中将が陸軍大臣、東條英機(1884−1948)中将が陸軍次官に就任していた。最大で100万を超す兵力を送っていた陸軍。
軍事費は遂に国家予算の7割を超えた。
(日本の国家予算に占める軍事費の割合は、昭和11年(1936年):47.7%、昭和12年(1937年):69%、昭和13年(1938年):76.8%)
日本は戦争に必要な石油や鉄などの戦略物資を海外に依存していた。その獲得に狩り出されていたのが、横浜正金銀行の金融エリート達。この時使われたのが、純金(金塊)だった。
昭和14年(1939年)に横浜正金銀行に入行した寺井弘治氏、89歳。大阪支店で為替業務に携(たずさ)わっていた寺井氏は、或る日、厳重な警備の下、何十もの木箱をアメリカに送るよう言われた。
「何かなぁと聞きますと、大事な金塊をニューヨークに送るので、全くシークレット・マター Secret Matter(極秘事項)だ、と。
極秘の極秘で。何で送るんですかと聞いたら、『決済資金が無いから、純金(金塊)で決済するんや』って」
日本からアメリカに密かに送られていた純金(金塊)。日本はこの時期、輸入品を決済する代価・ドルさえ不足していた。アメリカは、石油などの戦略物資に、最大の輸入相手国だった。
その戦略物資を輸入する為、政府や日銀が保有している純金(金塊)を切り崩す異常事態に陥(おちい)っていたのである。
一方、アメリカは日中戦争が始まって以降、日本への不信感を強めていた。日本の資金力を密かに分析していたことが明らかになった。アメリカ国立公文書館。
近年公開が始まったアメリカ財務省とFRB・ニューヨーク連邦準備銀行の内部資料。
「こちらが1930年代から40年代の財務省の記録です」(アメリカ国立公文書館 女性職員)
日中戦争勃発から半年後の、米財務省の極秘資料である(昭和12年(1937年)12月 米財務省の内部文書)。
「5月半ばに金塊が送られている。日本の銀行に残高は殆んど無い」
純金(金塊)に手をつけざるを得ない日本の厳しい状況(日本銀行の状態や日本の外貨準備量)をつかんでいたアメリカ。戦争を継続させることは難しいと見ていた。
大手企業の財務部門のトップを歴任し、アメリカ海軍大学で戦史を教えていたエドワード・ミラー Edward S. Miller(1930−)氏。経済という新たな視点から、日米開戦の要因を探ってきた。
「誰もが、日本はあと1年か2年で財産を使い果たして破綻するだろう、金融の専門家達は確信していました。日本は支払不能になって、中国との戦争をやめるはずだと。アメリカはそれを待っていたのです」
ところが、そのアメリカも気付かなかった資金の動きが発覚した。
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