2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【すかいらーく】ガスト part165

396 :一名でお待ちの名無し様:2024/01/10(水) 11:31:04.90 ID:Me0ROhvJ.net
2011年3月11日14時46分55秒、大地震発生。自衛隊の動きは迅速を極めた。発生からわずか4分後には防衛省内に災害対策本部が設置され、
訓練飛行中だったP?3C哨戒機に状況確認の指示を出した。14時57分に海上自衛隊大湊基地からUH?60J救難ヘリコプターが、
15時1分に陸上自衛隊霞目駐屯地からUH?1J多用途ヘリコプターが発進。
15時25分には海自横須賀基地から13隻の艦艇が宮城県沖に向かって出港した。
北澤俊美防衛大臣(当時)は18時に大規模震災災害派遣命令を、19時30分には原子力災害派遣命令を出し、自衛隊の大規模な災害派遣が決定した。

 さらに3月14日に陸・海・空3自衛隊による自衛隊初となる「統合任務部隊」が編成され、全国の部隊が救援に向かったのである。この日から8月31日の終結命令まで、
最大約10万6000人の隊員、約50隻の艦艇、約500機の航空機が被災地に向かった。
そして半年近くの活動で約2万人の人命救助、約1万柱のご遺体収容、約1万4000トンの物資輸送、
約3万トンの給水支援など、大きな実績を挙げることとなる。

 この自衛隊の素早い動きの背景には、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災で、県知事からの派遣要請が遅れたため、
自衛隊の初動が遅れたという苦い教訓があった。また2008年の東北方面総監部主催の大規模災害対策訓練や、統合幕僚監部が作成した首都直下地震に対する災害派遣のシナリオが生かされた。

総レス数 1003
217 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200