2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

◆奥様が語る昭和の思い出101◆(ID有り)

996 :東京下町:2019/05/23(木) 12:59:37.38 ID:ghiCJ0oK0.net
>>995
人口が密集していた東京はどうだったか。当時の地方の農家のように、
至る所に肥溜めを設けるわけにはいかなかった。そのため、東京に暮らす
住民の排泄物は、東京湾に捨てられていた。いわば、東京湾が肥溜め
だったのである。

バキュームカーがまだこの世に登場しなかった頃だから、おわい屋が、
桶を担いで住民の家を一軒一軒回り、排泄物を汲み取っていた。そして、
それを運搬する専用の船 (おわい船) で運ばれて東京湾沖へ捨てられていた。
当時、環境がどうのこうのという概念が、まだなかった時代だから、
当たり前のことだった。 

そんな人間の排泄物は、東京湾内に棲む魚の格好のエサになった。
魚にしてみれば、上質のエサだった。そのため、魚が群がった。東京湾内の
魚は、ちょうど養殖場の生け簀の中で育てられているようなものだった。
そしていつしか、東京湾は豊富な漁場になった。

近くに山々が連なれば、森林の枯葉が堆積して土が肥やされ、雨水が
栄養分を川に運び、発生した植物性プランクトンが 海に流れ出て、豊富な
漁場ができる。ところが、東京湾の周辺にはそのような山々がない。その
役目を果たしたのが、人間の排泄物だった。肥溜め代わりになっていた
東京湾には、人間の排泄物から溶けた多くの栄養素が含まれていたため、
野菜に群がる虫のごとく、多くの魚が群がった。そうして、豊富な漁場として
育まれていった。

人間の排泄物によって育まれた東京湾。生野菜を食しなかったように、
周辺の人々は魚を生で食べなかった。 人間の排泄物を食べた魚を、人間が
食べられるように食酢で手を加えた寿司。それが江戸前寿司だった。
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sushi/1099406639/170

総レス数 1001
289 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200