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【西涼】 董卓 【猛将】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 14:02:34 ID:Dki/eEXM0.net
 董卓(生年不詳 - 初平3年(192年)4月23日)は東漢末期の武将。字は仲穎。董紹の子で、兄に董擢、弟
に董旻がいる。子の名は不明。隴西郡臨洮県の出身。若い頃より武芸に優れ、性は豪胆にして快活。軍人
となり、異民族の戦いなどで功を立て、勢力も拡大。霊帝没後、洛陽に入って献帝を擁立し、朝廷で権勢を
ほしいままにする。長安に移った後も専横を続けたが、養子の呂布に殺された。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 19:44:37 ID:6ZnMCvuYO.net
異民族の血を引いていたとか聞いたけど本当のところはどうなんだろう?

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 19:48:47 ID:AGK+BCTy0.net
隴西の出身なら異民族の血は多少なり引くだろう。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 20:01:51 ID:BzzoZsPk0.net
童貞に見えたのは俺だけじゃない

5 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/31(日) 20:07:49 ID:AGK+BCTy0.net
>>1を見て基本的なことを考える。

呂布が養子だったらどこか記録に「董布」という語句があっても良さそうなもんだが。
ググっても日本語のページは出てこない。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 21:51:49 ID:VkC9ed+80.net
>>2
秦ですら異民族。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 04:00:13 ID:3WnQHvm2O.net
三戦で立てろや

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 12:10:24 ID:MNh/yLG20.net
>>7
却下。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 15:47:35 ID:BsG5OiwH0.net
ちょっと実際以上に悪く言われているところがあるね、この人は。
多少はまじめに政治をやろうとしていたふしもあったようだし。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 00:05:07 ID:i8y5QgF+0.net
相国って、今までに誰が成ったんですか?

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 01:13:57 ID:6Arslhlg0.net
しょーかだけ

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 01:40:30 ID:sQgCPkgF0.net
悪事っていうけど遷都は曹操が献帝を許に移してるし皇帝の廃立なんかその後勝手に皇帝を僭称した奴等に比べればマシだし
陵墓暴きも専門の職を作った魏には劣るし
貨幣の偽造も経済の混乱をとめようとする政治だし
三国志の英雄なら誰でもやってることばっかなんだよな
トウタクに限ったことじゃないけど敗北者は実像異常に悪くかかれるからな

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 03:45:29 ID:8usyoPeH0.net
陽城の件は擁護できん

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 11:34:15 ID:v6mzOWGL0.net
改革が急過ぎたよな。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 12:16:38 ID:iuuVYtjl0.net
ブレーンにしようとしてた清流派の連中にそっぽ向かれて
結局裏切られたって感じだね。この人。

まあ、清流派の連中にしても、辺境上がりの野蛮な軍人に
頭下げたくなかったんだろうけど。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 15:20:10 ID:O8SaJtfJ0.net
>>10
相国についたのは、蕭何と曹参という建国の大功臣だけだったので、
それ以降、漢代を通じてみんな遠慮していた。永久欠番のような存在になっていた。
それを董卓はやっちゃったわけ。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 23:25:57 ID:chzumGqP0.net
曹操を戦国大名に喩えると織田信長っていうのがよく聞くが
曹操より董卓のが信長に近い気がする
曹操は家康っぽいような

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 23:28:46 ID:vx7wTb160.net
松永久秀の方が近くないかな。

東大寺への放火とか、将軍暗殺、どうも実際以上に悪く貶められているあたりとか。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 01:10:06 ID:7WTiivPdO.net
家康が曹操ってw
司馬一族系だろ、家康のやり口は。


20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 13:45:25 ID:7BnuuoTj0.net
董卓 = 松永久秀
曹操 = 織田信長(+豊臣秀吉?)
劉備 = ?
孫権 = 伊達政宗?
司馬懿 = 徳川家康


21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 18:41:45 ID:ZpCwVxlz0.net
まあこういっちゃなんだが
所詮、戦上手なお山の大将でしかなかったような。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:20:40 ID:N0l9qyHa0.net
むしろ木曽義仲

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 23:41:57 ID:4eCPVGmN0.net
>>21
でも黄巾賊討伐には失敗しているよね。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 13:33:29 ID:r2t43b9l0.net
機知に富み、士卒の気持ちがわかる親分肌の人間であったらしい。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 13:59:55 ID:5v0z+TDa0.net
士卒の気持ちがわかったからこそ
涼州兵を野放しにして於いたんでしょ?

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 14:33:23 ID:kUQs2Tdn0.net
客観的に見ても、野蛮だった面は否定できんな。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 14:11:06 ID:17GBGVst0.net
よく悪の董卓に対して、殺された執金吾の丁原が善人化されるけど、
董卓の涼州兵が、西方の異民族を引き入れていたなら、
丁原も北方の異民族を引き入れていたわけで、普通に略奪もやっているね。
呂布からしてあれだし。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 22:57:49 ID:NQQ4Olx/0.net
>>19-20
・・・まぁ、三戦から流れた人も多いからな
所詮こんなレベルのやつしかいないか

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 23:55:05 ID:tbK0B4hv0.net
>>27
もし丁原が、董卓を殺す側だったら、
丁原が暴政を敷いた三国志の悪役になったかもね。
羌が匈奴に代わるだけで。



30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 02:13:12 ID:qlgOQugU0.net
面倒見がよくて、羌族や配下の士卒から人望があったってことは、
かなり「侠」の精神を兼ね備えた人だったんだろうな。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 13:45:35 ID:gJ/WKUBy0.net
>>27
事実、丁原は何進暗殺のドサクサで孟津を焼き払って略奪してたらしいよ
あれ?てことは一連の混乱の原因作ったのは丁原?

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:43:32 ID:oC9Op4Pf0.net
演義とかじゃ、悪の巨魁董卓に立ち向かう正義の執行者みたいな感じで描かれているのにね、丁原。
>>29のような場合だったら、董卓が悲劇のヒーロー、善人になっていたかもね。


33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 10:37:40 ID:cyd7BHX0O.net
結局、軍閥の主導権争いだったわけだ

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:36:28 ID:DXfOL84EO.net
この人自ら皇帝になるつもりだったのか、それとも漢朝を復興させようとしていたのかどっちなんだろ

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 01:48:20 ID:YzDiO1970.net
愚帝を廃したしな

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 15:22:40 ID:4+a9Ykwc0.net
少なくとも最初の方は、まじめに政治をやろうとしていた節がある。
でも、清流派の人士は、董卓を野蛮人と見下して従わなかった。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 20:06:42 ID:1WO9lVP70.net
当時って、養子になっても姓は変わらなかったの?

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 20:54:51 ID:MrIOV/aC0.net
>>32
リカクシみたいに「小者が足を引っ張り合った」風になるんじゃないの

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 21:02:29 ID:aT+Uxr4k0.net
>>37
変わる

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 21:27:36 ID:1WO9lVP70.net
>>39
じゃあなんで呂布は董布にならなかったの?


41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 21:51:25 ID:XBI+gojf0.net
養ってないからじゃね

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 22:58:23 ID:MrIOV/aC0.net
「とうふ」とかかなり弱そうだからな

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 23:14:26 ID:1WO9lVP70.net
そもそも丁原の養子だったんだし、丁布じゃなきゃおかしかったんでは?

最終的に独立したせいで、登場時から呂布なのかな…

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 00:24:11 ID:lLUiGB9d0.net
実際は名乗っていたのかも

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 00:26:13 ID:fv7JvUlm0.net
丁原の養子ってのは演義だけでしょ?

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 18:36:17 ID:fEyXJ+Pn0.net
>>38
李カクは外交手腕を発揮して、中華の三分の二を得た。
郭シは張遼よりも前に「百を以って万を討つ」の実践者、
小者は言い過ぎ。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/08(木) 09:32:12 ID:M8oit8+C0.net
董卓が遷都を強行した頃の長安ってどんな感じだったのかな?
相当荒れていた?

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 15:53:27 ID:9xWguDnZ0.net
三戦にこんなスレがあるでよ
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1150081236/

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 23:14:10 ID:eNXqlyvr0.net
何進の兵を吸収したあたりとか、なかなかやることが巧みだわな。

>>48
もう落ちてるよ……

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 17:32:47 ID:HDfYMP950.net
董卓は真実の姿を随分ねじ曲げられたキャラだろう
乱世でここまでのし上がってくるのはただの馬鹿ではない
それなりのカリスマもあっただろうし実際良い政治をしようとした跡もある
朝廷の守旧派から田舎者として蔑まされ思い通りの政治ができなかったんだろうな


51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 17:34:13 ID:tZmllhCe0.net
>>49
もう一ヶ月も前だからなw

李カクに対する考察が物凄く濃密だった。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 23:02:39 ID:AfLa1Gt70.net
>>50
清流気取りの名士たちから馬鹿にされて、
ぶち切れたんじゃないかと……

53 :七資産1970:2007/03/15(木) 23:16:55 ID:ye4HDfh70.net
清流派が非協力的だから圧政で締め付けたのだろうか

董卓死後も
董承だったか董昭だったか・・一族の者は宮廷に使えていたらしいが

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 23:47:53 ID:7gjEYvmj0.net
一族?

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 10:57:40 ID:pOag7Fkq0.net
一般的に有名な董承とは別に、
董卓の親族にも同姓同名の別人がいたはず。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 12:24:45 ID:QHc2VgO9O.net
それ同一人物

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 01:07:20 ID:Y1I2V+J+0.net
違うという説もあるでしょ
でなきゃ死は免れてない

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 21:01:14 ID:e44wusui0.net
一般的に有名な董承は、董卓配下だぞ。
でも、董卓暗殺時は李カクらと牛輔の指揮下にいた。

董承が皇族の姻戚になったのは、献帝が曹操に奉戴されてから。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/12(木) 02:00:39 ID:K9UmPke0O.net
後漢書董卓伝を見る限り、娘を貴人とし曹操を排除しようとして失敗した董承は、董卓時代に牛輔の部曲にいた董承と同一人物。
別人はまずあり得ない。
その董承が董太后の親戚の可能性は極めて低いが、董卓と同族の可能性は高い。
董卓が董太后の同族を称していたから、董承も便乗していたのではないだろうか。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 15:55:36 ID:e84VeZ/A0.net
太っていたのかな?

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 17:24:33 ID:QaAPvk670.net
>後漢書董卓伝を見る限り、娘を貴人とし曹操を排除しようとして失敗した董承は、董卓時代に牛輔の部曲にいた董承と同一人物。
別人はまずあり得ない。
それはそれで何処をどうしたらそんなことが 出来るのか? という疑問が

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 01:17:29 ID:Bn2UAgopO.net
>>61
初めは李カクの下にいた
諸将の反目と衝突の混乱の中を巧みに遊泳し、関中脱出を指導したことで朝廷内でトップクラスの地位に就いた
そこで、地位や影響力を確固たるものにしようと娘を後宮に入れたり、董太后の一族を称するようにしたのだろう

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 08:05:41 ID:8ZHDe8sA0.net
最初トップクラスの地位にいたのは楊奉・韓暹・張楊だがな。
董承はそこで曹操を呼び寄せて、その三人を蹴落とした。
そこから董承は衛将軍とか車騎将軍とか昇進を始める。

でも考えてみれば曹操は正真正銘の逆賊で、
朝廷としては勤皇の袁術派と結んでおきたかったんだから、
朝廷に対する裏切り行為なんだよな。
(楊奉・韓暹が政治に干渉してくるのを嫌ったとあるが、
 車騎の楊奉と大将軍の韓暹は政治に干渉して然るべき地位だし)
そして、曹操が専横すると今度は曹操を殺そうとして返り討ち。

袁譚レベルの節操の無さと浅はかさだと思うんだが。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 08:48:16 ID:Bn2UAgopO.net
>>63
三国志董昭伝だと楊奉が曹操受け入れに積極的だったように見えるけどこのあたりどうなんだろうね

しかし勤皇と言っても、傀儡としていた点では董卓、李カク、張・楊・韓、袁術、曹操みな変わらないと思うんだけどね
権威を利用する以上は今の皇帝を認めるしかない、という程度の「勤皇」でしかないんじゃないのかね

それと、より強い宿主を探して離反やクーデターを繰り返すってのも王允だって曹操だってやったことで、董承がことさら節操が無いとは言えないんじゃないかな

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 09:25:21 ID:vxke3IXD0.net
曹操はその「表面上の勤皇」すらなかったから。
朝廷が派遣した刺史追い出して刺史自称したりするくらいだからな。
袁紹と曹操は「逆賊」。李カク・楊奉&韓暹・袁術らは(表面上かもしれないけど)「勤皇」。

それに、李カクや楊奉・韓暹や袁術は
さほど朝廷を無視した行動をしているようには思えない。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 12:27:36 ID:Bn2UAgopO.net
>>65
曹操や袁紹と袁術らを比べたら、袁術たちの方が相対的には勤皇だね、確かに
細かいことだろうけど俺は「勤皇」という単語が見る者に誤解されるんじゃないかと思ってね

あと、自分たちが皇帝を擁立している以上、皇帝を(表面上)尊重するよ、そりゃ
擁立してる彼等自身さえ尊重しない皇帝には誰も従わないでしょ

袁術は皇帝を奪われると自分の即位という大逆をするわけで、少なくとも彼の勤皇が所詮は「自分が利用、擁立出来る皇帝に対する尊重」でしかなかったのは明らかじゃない?

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 12:38:54 ID:vxke3IXD0.net
袁術の即位か…。
あれは袁術の自暴自棄に見えるんだよなぁ、俺には。

袁術が即位する前に、
天子奉戴した曹操は袁術・公孫サン・楊奉・韓暹を朝敵認定して賞金かけた。
袁術にとっては結構ショックな出来事だったんじゃないかと思う。
詳しくは三戦板のhttp://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1171016552/で語られてるけど。

勤皇って表現がアレなら、「朝臣との関係」にしてみようか。
李カクは(袁術もだけど)朝臣との関係は非常に良好だったように見える。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 20:11:06 ID:jCfdZMqeO.net
>>63
董承は楊奉たちを蹴落とす前から衛将軍だよ

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 23:21:54 ID:b2lp7f/30.net
>>67
あれは暴走だったねえ。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 04:00:12 ID:73vwtWpkO.net
だが、それがいい!…ん?ペロ…これは、ハチ蜜!

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 01:09:12 ID:Dh7IxZo80.net
プーさん乙。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 13:59:40 ID:J1EeiIxM0.net
三国時代のレベルの高さは曹操が証明している。

春秋時代は匈奴に負け続け
劉邦は匈奴にぼろ負けした。
曹操は騎馬民族に勝利し、ほとんどを服属させた。
夏侯淵も戦果を挙げた
晋以降は立場が逆転した。
五胡南北朝宋は異民族政権
明は日本にぼろ負けw
中華民国は語るに及ばず
中国はアメリカ、ソ連、ロシアに勝てない

つまり
三国時代>>>>>>>>>>>他の時代

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 01:02:57 ID:56RmJ1Do0.net
秦を除いたのはなぜ?

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 09:06:12 ID:nj4/3zPO0.net
王匡を攻めた董卓軍って、本隊?それとも李業か徐栄?

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 23:55:50 ID:JYmG7b+E0.net
>>50
最近は曹操の再評価が盛んだけど、
いつか董卓が輝く時代も訪れるんだろうか?

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 07:09:23 ID:KJ7fgvIt0.net
>>75
訪れつつあるような気がする。
ただ、董卓再評価を追い抜く速度で李カク再評価が。
wikiの李カクの記事(中国版)とかすげぇ。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 18:49:39 ID:UqzWgn9j0.net
>>75
三戦板では再評価終了
すげぇ英雄って結論

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 01:44:19 ID:3NckviT80.net
英雄では無いな。
なりそこねたと言うのなら同意できるが。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 14:22:46 ID:Aoxrqusa0.net
英雄になるには、媒体となる、董卓を正義のヒーローとした物語が必要

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 15:07:59 ID:vIZiD6zC0.net
814 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 2005/08/13(土) 15:54:51
董卓演義
1巻、董卓の生い立ちと異民族との馴れ合い
北方の異民族たちとの遊侠ドラマ。リカク、カクシ達との出会い。

2巻、異民族との戦いと黄巾の乱
北方の異民族達との戦い、三顧の礼で李儒を迎える、漢王朝の崩壊。

3巻、董卓の上洛と呂布の登場
董卓の天下取り、王允との出会い、第2の主人公呂布の登場

4巻、反董卓連合と連環の計
董卓の精神崩壊、華雄の死、董卓軍武将の活躍、宿敵孫堅の死、連環の計

5巻、李カクの復讐と呂布の逃亡
董卓の死、李カクの復讐、王允の死、呂布の転戦

6巻、徐州の争奪と張繍の抵抗
劉備との出会い、張繍とカクの曹操との戦い

7巻、僭帝との争乱と呂布の最期
猿術との戦い、呂布の最後、エンディング

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 15:30:32 ID:Vb6I+h490.net
臍蝋燭は悲劇ですか

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 23:02:46 ID:+2z9mIWX0.net
>>80
後半をいかに魅力的に描くかが鍵だな。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 12:09:45 ID:UqrezopO0.net
>>80
董卓の三顧の礼ってお礼参りみたいで恐そうだな

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 13:37:31 ID:6aNHYp9L0.net
>>65
>朝廷が派遣した刺史追い出して刺史自称したりするくらいだからな。
袁術だってやってますけど?

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 09:31:01 ID:1Z7p5ZkJ0.net
項羽の刀ひろったんでしょ、この人

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 16:16:44 ID:Pi/+lJ2K0.net
ロシアの悪鬼スターリンも董卓の末裔だったら否定できまい!!!

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 19:40:40 ID:dcPZOMcs0.net
>>85
民間伝承?kwsk

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 22:57:15 ID:hJE6ZSV60.net
>>86
それは有り得んでしょ。
けど、董卓ってホントかなり悪く描かれてるけど、実際のところはどうだったんだろうか?


89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 23:52:02 ID:rfYQJZH1O.net
>>87
横レスだが、三国志集解にあった話の筈。
拾った(というか掘り出した)剣を蔡ヨウが鑑定して
項羽の剣と言ったんだとか。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 17:23:20 ID:QpW2uasd0.net
>>40
結局、この矛盾を王允を突きつけられて呂布は殺害を決意したそうな。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 18:10:55 ID:b9tVNCuR0.net
トウタクのやったことで一番なぞなのがなんでわざわざ「操りやすい無能な」少帝を廃して「聡明な」献帝を擁したのか

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 18:20:57 ID:wNeBwebI0.net
>>91
傀儡なんだから能力はそもそも問題じゃない。「聡明」なんてのは擁立するときの名目に過ぎないから。
少帝は宦官と何太后が擁立した状態だから、反宦官を標榜し宦官を滅ぼした清流派の官僚たちの支持を得るにはそうでない皇帝を擁立する必要があった。
それが献帝だっただけだよ。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 14:18:23 ID:udPkBF0Z0.net
董卓は何故か王允を粛清しなかったよな

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 14:21:13 ID:5GI6aNRY0.net
>>93
協力者だもん

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 19:13:41 ID:a0Q2ucF20.net
王允って何気に汚い奴?

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 20:22:37 ID:TmutqHmK0.net
>>95
多分一般的認識では汚くないと思う。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 21:07:01 ID:sGWyg49s0.net
へその油を燃やされてたらなきついて処刑された忠義者いたよな
誰だっけ

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 14:21:17 ID:aiUfDjMR0.net
>>97
蔡ユウ?

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 10:57:10 ID:8dSHHz0P0.net
蔡ヨウじゃね?

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 11:05:47 ID:htOwWKlA0.net
いや、蔡ヨウは王允の側にいて嘆息してたはず
死体にすがりついたのは別の人だったよ

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 17:58:44 ID:A6OC4ylI0.net
董卓の母ちゃんは90歳だったから、董卓自身の年齢は殺されたときには60歳ぐらいだったのだろうか?
30歳過ぎの袁紹を小僧呼ばわりしてるからやっぱりそれぐらいかな。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 20:00:06 ID:CP6t3lRaO.net
トウハクって孫もいた品

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 23:46:59 ID:tNCtVGPI0.net
50歳は超えていたはず。


104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 21:25:25 ID:vHTTPsXzO.net
董卓は桓帝期最後の年(167)に羽林郎になってる。
羽林郎は若者しかなれなかったと思うけど…。
この若者、というのを仮に20歳前後と規定すると霊帝崩御の年(189)には42歳前後ということになる。
しかしそうなると董卓の母は高齢出産になるし、
15に満たない(ということは少なくとも10以上か?不明)孫がいたというが、
この歳でそんな歳の孫がいるわけがないだろう。
ということは「若者」の規定を改めるべきなのか。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 21:37:48 ID:AuLbay7k0.net
洛陽を破壊した時に公主やら宮女やらを姦略してるわけだが、
はたしてこれに董卓本人が加わっていたのかどうか。
おそらく史料から察するに50は越えていたと思われる董卓がそこまでビンビンでいられるのかという疑問がある。
或はやはり母親の高齢出産で、40代だったのかもしれない。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 01:29:29 ID:nVrcEjzG0.net
老いて尚壮健って言葉を忘れずに

ぱっと思いつくだけでも劉邦とか
咸陽入城後、真っ先に女に襲い掛かってるし

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 20:49:25 ID:aXxA91cY0.net
>>104
董卓は出身がちょっと特殊だし、20代後半ぐらいであった可能性も十分にあるのでは?

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 21:47:38 ID:t46Jy5kHO.net
>>107
羽林郎は「隴西、天水、安定、北地、上、西河の六郡の良家(由緒ある家門ってことね)の若者」がなった。
董卓はこの条件を満たしており、かつ武芸に秀でていたため羽林郎に任命された。
私は浅学なので、董卓の出身がどうして
「20代後半で任命された可能性」を示唆するものになるのかわからない。
俺としても「可能性」を否定するわけではないが、なぜその理由なのか疑問に残る。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 00:00:49 ID:V3xKUjnmO.net
>>100
李儒だっけ?

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 01:17:11 ID:IkEEaw150.net
三国志や後漢書には董卓は精兵を率いているという記述が多いわけだけど、
実際は、黄巾の乱の平定に際してはかなり負けてるよな?勝ったという記録より負けた記録の方が多い。
なぜ負けた?

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 08:56:02 ID:kJYZnxWk0.net
1、単に董卓の将としての力量が低かった
2、騎馬民族相手とは勝手が違った
3、黄巾討伐の時に率いていたのは董卓の私兵ではなかった
4、はなからやる気が無く真面目に戦わなかった

理由としてはこんなところか

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 02:31:07 ID:jmeVjRa00.net
>109
違うと思う
もっと一発キャラだったような

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 03:17:08 ID:rbP/agiO0.net
童貞

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 13:42:59 ID:pUCHbQCC0.net
>>112
ちょっと漢籍電子文献の三国志董卓の項を読んでみたが、

主簿田景前趨卓尸,布又殺之

ここの主簿の田景がそうじゃね?

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 17:47:49 ID:GNWiDQ/M0.net
董卓は有能な人物を任用してるが、結局のところは漢を滅ぼした後の自己の基盤作りだもんね。
だとすると、やっぱり散々言われてきた通り、「残虐無比」な人間という評価が妥当だな。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 07:34:23 ID:vAflAFCD0.net
吉川英治の三国志は54歳で死んだとしているが、母親が90歳ということを考えると当時としては不自然だな。
プラス5〜10歳ぐらいするいいかも。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 23:40:21 ID:MbaOYmVL0.net
>>105
宮女はともかく、公主まで好きにできたんだろうか?


118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/09(金) 22:03:48 ID:hFP7RbxyO.net
若い頃は気前が良く優しかったと聞いたが…

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 05:21:23 ID:VaXL/Akc0.net
ホリエモン=董卓

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 06:00:47 ID:SMU1k5iB0.net
違うわタコ

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 12:13:24 ID:Vr19iOdm0.net
>>118
そういう所はあったんじゃないかな。
実際、考えてみたんだが董卓の場合
混乱する時期に権力を手に入れ、それを維持するには
なかなか難しくて恐怖政治しか、彼には選択がなかったのかもしれん。

甘い所見せれば、漢臣連中から総スカンくらって都落ちしそうだしな。
彼が無欲ならともかく、権力を維持するには
恐怖政治しか方法がなかったというのは、気にせいだろうか。

誰か、考えてみてくれ。






122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/16(金) 16:48:29 ID:uIyya3Cm0.net
まあ、恐怖政治しかなかったかもな。
それにしても暴虐やりすぎの感はあるw
何処までが真実なのかは不明だが、明らかにやりすぎだったのだろう。

自分の城築いて、金銀・食料を溜め込んでるなど
すでに曹操と器が違いすぎる。

曹操は時代によって高評価されたりしてるが、
この人の評価は、タイムマシンでもって証明でもしないと
永久にダメだろw

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 12:53:47 ID:PNH+TnkI0.net
資料が少なすぎるしな

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/19(月) 01:27:07 ID:roGv5Wc80.net
>>116
父親の董君雅が潁川輪氏の尉の時に潁で生まれた次男だから董卓の字が仲潁なわけじゃん?
普通、人の官位を言う時、細かく経歴を言う場合でもないと最終官位で呼ぶわけだけど
董君雅の場合、何見ても尉までしか見られないんだよね
栄達してやっと出来た子という可能性もなきにしもあらず
その場合、父親も母親も結構年齢がいってても不自然じゃない

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 19:01:13 ID:GDrUEdmU0.net
恋姫無双では白髪ロリで気弱になってたな。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 09:53:32 ID:OLqrEA5H0.net
董卓は改革者?

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 20:47:08 ID:ktK5RqaG0.net
董卓と童貞って字が似てるよね

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 14:27:35 ID:JEQDbTQn0.net
         し!     _  -── ‐-   、  , -─-、 -‐─_ノ
  イ 酒    // ̄> ´  ̄    ̄  `ヽ  Y  ,  ´     )   董 え
  ケ 地    L_ /                /        ヽ  卓  |
  メ 肉    / '                '           i  !? マ
  ン 林    /                 /           く    ジ
  だ が    l           ,ィ/!    /    /l/!,l     /厶,
  け 許    i   ,.lrH‐|'|     /‐!-Lハ_  l    /-!'|/l   /`'メ、_iヽ
  だ さ    l  | |_|_|_|/|    / /__!__ |/!トi   i/-- 、 レ!/   / ,-- レ、⌒Y⌒ヽ
  よ れ    _ゝ|/'/⌒ヽ ヽト、|/ '/ ̄`ヾ 、ヽト、N'/⌒ヾ      ,イ ̄`ヾ,ノ!
  ね る   「  l ′ 「1       /てヽ′| | |  「L!     ' i'ひ}   リ
   l . の   ヽ  | ヽ__U,      、ヽ シノ ノ! ! |ヽ_、ソ,      ヾシ _ノ _ノ
-┐  は  ,√   !            ̄   リ l   !  ̄        ̄   7/
  レ'⌒ヽ/ !    |   〈       _人__人ノ_  i  く            //!
人_,、ノL_,iノ!  /! ヽ   r─‐- 、   「      L_ヽ   r─‐- 、   u  ノ/
      /  / lト、 \ ヽ, -‐┤  ノ  キ    了\  ヽ, -‐┤     //
ハ キ  {  /   ヽ,ト、ヽ/!`hノ  )  モ    |/! 「ヽ, `ー /)   _ ‐'
ハ ャ   ヽ/   r-、‐' // / |-‐ く    |     > / / `'//-‐、    /
ハ ハ    > /\\// / /ヽ_  !   イ    (  / / //  / `ァ-‐ '
ハ ハ   / /!   ヽ    レ'/ ノ        >  ' ∠  -‐  ̄ノヽ   /
       {  i l    !    /  フ       /     -‐ / ̄/〉 〈 \ /!

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 10:11:23 ID:TmekNx8W0.net
董卓:織田信長
董旻:織田信忠
李儒:森蘭丸
王允:明智光秀
李カク:豊臣秀吉
牛輔:柴田勝家

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 02:04:23 ID:kgf0AOrM0.net
>>128
董卓馬鹿にすんなお(´・ω・`)

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 00:53:15 ID:zvl66q/l0.net
【董仲穎】董卓軍系列を語るスレ【李稚然】
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1171290713/l50
董仲穎の私が帝になったら・・・軍師李儒
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1150081236/
三国志/董卓は本当に悪人だったのか?
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1109979049/l50

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 15:56:52 ID:tSzrHh4/0.net
>>129
柴田勝家は郭じゃ?

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 03:52:43 ID:RtVkCgSO0.net
董卓の維新を回復しよう!
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1017/10171/1017154353.html

>>131のスレとは打って変わって、↑のスレではものっそ酷評。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 05:47:12 ID:ayVNHAiE0.net
裴松之注董承曰く 「郭は数百の兵で、数万の李カク軍に勝ちますた」

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 14:51:37 ID:FIR3fGDu0.net
董卓:織田信長
李儒:森蘭丸
王允:明智光秀
董旻:織田信忠
李カク:豊臣秀吉
郭:柴田勝家
樊稠:佐々成政
万歳塢:安土城
未央宮:本能寺


徳川がいねーな

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 19:20:41 ID:XNf7PQ1e0.net
      r ‐、
      | ○ |         r‐‐、
     _,;ト - イ、      ∧l☆│∧  良い子の諸君!
    (⌒`    ⌒ヽ   /,、,,ト.-イ/,、 l  
    |ヽ  ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒)     裏があるから「おもてなし」だ!
   │ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /    
   │  〉    |│  |`ー^ー― r' |    気をつけよう!
   │ /───| |  |/ |  l  ト、 |   
   |  irー-、 ー ,} |    /     i
   | /   `X´ ヽ    /   入  |

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 19:51:09 ID:XPzCMtPR0.net
137

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 20:17:29 ID:UvINxkeK0.net
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/drama/1098881123/601-700
よかったら遊びに来てくださいね。



139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 18:44:20 ID:GaqQGKEi0.net
子飼いの軍人達を顕職につけず、広く人材を登用したのは評価できる
でも引き上げてやったそいつらに裏切られてまくってバグったんだろ

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/19(土) 06:57:40 ID:+1Qzbs7W0.net
237 :愛蔵版名無しさん :2008/05/29(木) 15:18:53 ID:???
蒼天じゃ董卓は子飼いの将校を
顕職に付けなかった事を評価されてるけど
実際は一族で独占してる

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 12:42:46 ID:P2KMJns90.net
だが実権のある役職には就けてないんだよな

142 :董卓:2008/10/15(水) 18:29:43 ID:dxkFLaUA0.net
董卓が滅茶苦茶になったのは、当時の漢王朝の「儒教思想」があったからだと
思うが?なぜなら儒教思想では、「家柄」「外見」「忠孝」の3つが重んじられていたからだ。
さしずめ董卓などは漢朝の官僚らから見れば、「どこの馬の骨とも分からない奴」
「見た目が醜いから、中身も醜いだろう」等、言われて舐めた目で見られていたからであろう。
その事に対して、董卓は激怒し、滅茶苦茶な行いをするようになったのだと思われる。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 19:52:23 ID:uyGMRRfh0.net
>どこの馬の骨とも分からない奴
父の董君雅は潁川輪氏の尉で立派な役人
どこの馬の骨とも判らないってわけじゃあないよ
しかも董卓を中央政界に引き込んだのは袁隗
他ならぬ清流派の中心人物の一人

144 :董卓:2008/10/15(水) 20:06:23 ID:dxkFLaUA0.net
すんません。私の知識が浅はかでした。でも、少なくとも清流派の中には
董卓の事を、たかが辺境の一将軍とみて、軽んじてる輩もいたのでは?

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/21(火) 02:49:02 ID:WnxgBfSlO.net
それなりに信用してたであろう袁紹に逃げられてからおかしくなったような気がする

146 :董卓:2008/10/21(火) 14:53:17 ID:nlVwlHmN0.net
その通りだと思う。初めは真面目に国を立て直そうとしていたが、袁紹や曹操
など信頼して人達にいずれも裏切られたため、国を立て直すのが馬鹿馬鹿しくなり
己の権益・欲望に走ったものだと思われる。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 01:31:00 ID:GqEW1Cn70.net
>>146は違うんじゃないか?
国家という概念自体今と大分違うからその辺は明言できないと思う

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 16:53:39 ID:UAW1mSDp0.net
国を立て直そうとしたというより、
恩義ある袁隗を立てたんじゃないかな。
そうやって、袁家に力いっぱい配慮していたのに、
袁紹に逃げられて逆ギレしたんだと思う。

149 :董卓:2008/10/22(水) 21:41:46 ID:1g+ALtVL0.net
では官吏の登用等は袁隗の恩に報いるためですか?

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 22:38:29 ID:GqEW1Cn70.net
恩に報いるかどうかは董卓ならぬ自分らには判らんことだから別の見方も出来る
上手い具合に洛陽の実権を把握した後、今度は自分が清流派の大将になったつもりかもしれん

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 18:43:59 ID:GEG9cUlB0.net
荊州刺史に任じた劉表が孫堅を殺した後に洛陽奪還してさらに東で略奪までやってたり
壷寿を冀州牧に任じて黒山賊を使って袁紹を苦しめたりと
遷都後も対外戦略は結構上手くいってたイメージがある

152 :董卓:2008/10/29(水) 22:22:24 ID:pU85QY1o0.net
実際董卓が殺された本当の理由は「呂布が身の危険を感じ、そこを王允等につけ込まれた
」からだと思われる。正史にも「董卓は呂布に戟を投げつけた」とか、「呂布は董卓の侍女と
密通し、それが発覚するのを恐れていた」とも書かれてある。その事を王允に相談すると、
王允は、士孫瑞らとともに董卓暗殺計画を練っていたので、その呂布の話を利用し、
呂布に董卓暗殺をそそのかし、味方に引き入れ、董卓を殺したものと思われる。


153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 00:23:18 ID:T3IMec360.net
>>152
味方に引き入れっていうが元々王允と呂布は同じヘイ州出身で味方同士だぞ

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 01:15:43 ID:AuFI6f0/0.net
>>153
それを味方というのはどうよ
三人が特に関係のない朝臣同士だったならともかく、
呂布は董卓の億の間に出入り出来るほどの「侍臣」だぞ

しかし「本当の理由は」と言うが、>>152以外に何か
一般に普及している董卓の誅殺の事情があったっけ?

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 03:58:30 ID:gGlwD/G/O.net
貨幣改鋳してハイパーインフレを起こした
虐殺を頻繁に行う
子飼いの連中を厚遇するようになって清流派名士を蔑ろに
それ以外にも過去の少帝廃位とそれに伴う強引な改元とかやってる独裁者を除こうとするやつは沢山いるだろ
実際失敗した荀ユウ達の董卓暗殺計画とかあるんだし

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 18:26:00 ID:AuFI6f0/0.net
>>155
それは呂布に付けこんだ王允側の動機と同じだろ?
>152がことさらに「本当の理由は」と言った理由がよくわからん。


157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 18:30:30 ID:IpH57M6U0.net
>>154
涼州人とヘイ州人の派閥争い

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 18:35:09 ID:AuFI6f0/0.net
>>157
それは>>152よりも人口に膾炙していない。
一般の三国志好きの多くはそこまで気にしてないだろう。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 20:15:25 ID:N8MkmwYY0.net
>>156
王允の理由は別でしょ
>>155みたいな理由で董卓を殺そうとしてる連中は投獄された荀攸達以外にも多くいたみたいだから
董卓をどうにかしないと、もしも董卓が殺された場合はずっと董卓政権の中枢にいた自分も責任取らされるって王允は考えたはず
そんなときに同郷で董卓軍閥の呂布が董卓を恨んでるってのを知って、呂布を引き込んで董卓暗殺に踏み切ったんだと思う
董卓の悪政を正そうって考えがあるなら蔡邕みたいに諌言してるはず

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 21:01:39 ID:nUpjUr4q0.net
>>159
それは一理も二理もあるな。
>>152とは噛み合ってないようだが…まあいいや

161 :董卓:2008/11/04(火) 08:29:19 ID:aMuArLnH0.net
要は王允は後世の史家達に董卓の重鎮・片腕の様に書かれるのが嫌だったのだろう。
もちろん漢朝を救うという意味もあったのだと思うが。


162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 08:38:30 ID:Euiu+Zw60.net
>>161
ちゃんと調べろよ
王允がどんだけ奸物だったか調べりゃ分かるよ

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 20:33:59 ID:G8E8c9Kf0.net
>>162
ジュンイクとどっこいどっこいのクワセモノだよな

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 21:59:49 ID:fzSQsCym0.net
その割には二人とも殉死ということになってるけどな。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 23:21:49 ID:G8E8c9Kf0.net
>>164
それくらいクワセモノってことさ

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 23:50:02 ID:fzSQsCym0.net
死後の霊がか?w>クワセモノ

167 :董卓:2008/12/02(火) 18:18:54 ID:eSImHvBE0.net
卓卓卓!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 05:39:40 ID:FuMRPFQy0.net
童貞仲穎

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 19:18:45 ID:INEbdJoT0.net
>>162
とりあえず董卓死後の事後処理とかみてると
忠臣なんかなじゃなくて
既得権益侵されたくないand董卓と共倒れは勘弁って理由で
謀叛起こしたのはわかるが他に奸物エピソードあるの?

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 13:43:47 ID:K6W4sAay0.net
>>169
その事後処理が悪辣

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 11:00:43 ID:HUONm1qb0.net
涼州出身で固められた董卓の部曲を赦すか赦さないかなど、
他の情勢と比べて為される政治的判断に過ぎないよ。
官位では最高で牛輔の中郎将でしかない。
董卓を誅した以上、その部曲をも排除するという選択肢は普通にありえる。
呂布らはその武力を警戒して敵に回すなと言った。
王允は完全排除を目論み、失敗した。
それだけだ。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 10:23:25 ID:wFhZ+UFC0.net
>>171
そこじゃない
自分が董卓に阿った王允が政権奪取後は
自分以外の董卓に阿った奴の大半を鏖にしたりしてるのが悪辣

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 15:17:13 ID:PWhzG/WV0.net
はて…初耳だな
王允がやった粛清というと、
・皇甫嵩を遣わし董旻他一族を皆殺しにした
・董卓の部曲を赦免しなかった
・董卓が任命した将校には涼州人が多くいたため、それらを罷免した
・過去董卓の辟召を受けており、故にか董卓の死を歎じた蔡ヨウを殺した

くらいしか見当たらないなあ
逆に王允と共謀したのは董卓に任命された名士高官なんだよ。

太僕・魯謙 光祿大夫・士孫瑞 司隷校尉・黄エン 騎都尉・呂布、李肅 議郎・鄭泰
相国長史・何?(別件で獄死)司空・荀爽(病死) 衛尉・張温(露見して誅殺)

近衛軍兵、禁中、董卓の相国府まで及ぶ一代包囲網を造ろうとしていたとわかる。
この顔ぶれと荀爽・荀攸の関係を考えれば、荀攸が投獄された一件と王允の企てには
粗密は解らないが連携があったと見るべきだろうね。
その後、徐栄(幽州人)や胡軫(これに至っては涼州人だ)など、
董卓の下で山東軍と戦った人間を用いて牛輔・李カクと戦っている。
董卓に阿って皆殺しにされた奴とは一体誰のことだろう?

王允の野心を否定はしないがね。
董卓から王允にかけて、朝廷は機能を維持していた。頭が代わっただけだ。
董王の交代は後漢で永く行われてきた権力闘争の延長線上にある。
董卓の代で任命された多くの三公もその後の朝廷に仕え続けた。
前の独裁者が任命した廷臣を根こそぎにする必要なんて無いんだよ。


174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 16:55:59 ID:wFhZ+UFC0.net
長安士庶鹹相慶賀,諸阿附卓者皆下獄死

董卓に阿った奴は皆獄死したそうだが?

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 18:41:20 ID:PWhzG/WV0.net
どこに書いてあるのかとびっくりした。
三国志董卓伝かあ。
その一文の実態はどれほどのものだったのかね?

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 20:25:40 ID:wFhZ+UFC0.net
多少邪悪な董卓は滅んだ感を出すためにオーバーかもしれんが
王允が自分を棚上げして董卓に阿って長安にいた奴をぶっ殺しまくったのはほぼ事実だろ

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 20:36:22 ID:PWhzG/WV0.net
だから、誰が殺されたことを以って事実とか言ってるの?
後漢書の漢臣達の記録からはそんな気配を読み取ることは出来ないなあ。
董卓に諂った記録のある涼州人の皇甫嵩や、胡軫さえ生き残ってるのに。
董卓の周囲が無傷だったというのもありえないだろうが、
せいぜい相国の属官や特別の股肱くらいだろうね。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 20:38:15 ID:PWhzG/WV0.net
この時期の高官で死者が多く出たのは、李カクに長安を落とされた時と、
東帰して追撃を受けたり困窮したときだね。
董卓の時期に三公九卿として任じられていた人物もこの時にバタバタと死んでる。


179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 21:08:57 ID:wFhZ+UFC0.net
>>177
殺されたから立伝されてないんだろ
董卓の取り巻きで片付けられちゃってるよ
その中でも特に優秀な蔡ヨウはちょっと名前残っただろ

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 21:11:40 ID:xTYjwaws0.net
董卓の取り巻きは殺された
董卓時代の三公九卿らの大臣は取り巻き扱いされていないから殺されなかった
それだけのことじゃん

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 21:16:53 ID:PWhzG/WV0.net
その通り。つまり董卓の時代において、朝廷は機能を維持しており、
董卓はそのナンバー1、王允はナンバー2、三位以下にもそうそうたる顔ぶれが並んでいた。
のちに董卓を殺して王允が一番になり、機能をそのまま受け継いだ、という前例通りの権力闘争なんだよ。
王允が他の例に比べて別段悪辣なことをしたわけではないと、解っていただけたようだね。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 21:44:10 ID:xTYjwaws0.net
董卓の時の王允って司徒と尚書令を兼任してるんだよな

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 07:17:18 ID:dnbPZMOcO.net
でも悪辣な奸物であることにゃかわりない

184 :董卓:2008/12/07(日) 11:06:58 ID:IRFrEiJR0.net
王允にしたら董卓を殺す、3つの目的があったんだろう。
@後世の史家達に董卓の片腕ごときに書かれたくない。
A自分がトップに立ち、権力を握りたかった。
B漢朝を董卓の専横から救い、民衆を助けたかった。
多分@とAの可能性が高いが、それは各々の判断にまかせる。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 13:36:55 ID:g4WcXR+/0.net
>>183
そうだな。陳蕃と同じくらいの奸物だな。こいつはひでえや

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 15:06:32 ID:u9bK+7I00.net
陳蕃とは全然違うだろ

187 :董卓:2008/12/08(月) 18:36:00 ID:EleJr81x0.net
蒼天やったら張カンに殺された。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 01:38:40 ID:9HXKGV8xO.net
あれ?例の人、来ないね。

189 :董卓:2008/12/12(金) 18:48:03 ID:6xQUeBZn0.net
誰なん?例の人って?

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 15:38:13 ID:p2LIPUmp0.net
        _,,:-ー''" ̄ ̄ ̄ `ヽ、
     ,r'"    '、"/     `ヽ.
    /"      く 7       ヽ
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  /   ::__         _,,. -ーi、  |
 |   _{,__`ニ_=;、、 !',i./,. -_'_´´  |
  〉"l,_l "-i_´,rュ'>;::)  r、,/(rェュ,ノ ゙レr-{   ./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | ヽ"::::''   ̄´.::;i,  i ``` ´" ̄r';' }   | 久々に遷都
 .,!;;; l ::.  ....:;イ;:'  l 、     ,l,フ ノ   | 都とは雄渾なる地であるべき
'";;;;;;|_i"ヽ;:...:::/ ゙'''=-='''´`ヽ.   i l"  < なんだよな 今の都はか細くひ弱で汚わいを
.i';;;;;;.i| ::゙  ::´~===' '===''`  ".|;;;;;;;,、  | 覆い隠してとり澄ましておるから困る
;;;;;;;;;i{  ::  、 :: `::=====::" ,    |;;;;;;;;;;ヽ  \________
;;;;;;;,'/ト、 ::. ゙l;:        ,i' ,l' ノト、;;;;;;;;;;;i
;;;/ .| \ゝ、゙l;:  /``,ー,,/;;,ノ;r'" :| \ ;;;;!
'"   |   `''-、`'ー--─'";;-'''"   ,|   \_

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 17:09:18 ID:RgDDRAEP0.net
>>1
誰が俺を評価しろと言った。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 00:33:13 ID:j1hN9+R+0.net
(・∀・д・) 天に確たる意思などなく、地に確たる歴史などない。

193 :董卓:2009/02/16(月) 11:27:01 ID:Z5V0ijL80.net
董卓マンセー。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/17(火) 11:24:29 ID:SPSxl0EN0.net
>>131
>【董仲穎】董卓軍系列を語るスレ【李稚然】
http://mobile.seisyun.net/cgi/read.cgi/ex21/ex21_warhis_1171290713

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/17(火) 11:53:18 ID:sTS79ZRx0.net
楊奉に萌えるスレになってたぞ最後w

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/18(水) 21:59:39 ID:xv5en3R/0.net
http://chinesegarden.jp/china/totaku.html#TK10
>戦闘のプロフェッショナルである孫堅軍以外での戦闘では董卓軍が連戦連勝。
>雅な生活から地方の反乱は討伐部隊に任せっきりであった袁紹以下旧後漢勢力が
>勝てる相手ではなかったとは史書が記すとおり

これってマジ?どっからの引用だろうか。
これの前の文章に
>董卓はなんども涼州の精鋭相手に戦闘を起こしているが、
>董卓軍と涼州軍、両者の間では本気の殺しあいが行われることがほとんどなかった
>(中略)董卓出撃とあわせて涼州軍が上手い具合に撤退するという一見すると八百長試合を繰り返していたのである。
とあるが、これが本当だとすれば八百長試合になれきった董卓軍が
反董卓連合軍と比べて戦慣れしていたとはとうてい考えられないのだけど・・・・・

董卓軍は反董卓連合軍に圧勝していたのか?
董卓軍は何度も涼州と八百長していたのか?
その根拠は何処に?



197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/18(水) 22:52:54 ID:/0+fBmmW0.net
徐栄が曹操・孫権を破り、
李カクが朱儁を破ってたはず。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/18(水) 22:53:26 ID:/0+fBmmW0.net
孫堅のほうだったw

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 00:10:18 ID:Dg3a0f1R0.net
>>197
徐栄が破ったのは曹操だけでは?

>徐栄が曹操・孫権を破り
その出典はどこだろうか。

"董卓の部将徐栄と遭遇し、これと戦闘になって敗北"
(http://www.project-imagine.org/search2.cgi?text=wei1-1;lang=Jp;option=HrHc)
と正史の魏志1巻曹操伝にあるが、ここに記されてるのはあくまで曹操だけであって
孫堅を打ち破ったとは書いてないんだよね。

ちなみに孫堅伝だと孫堅軍は一度董卓の総攻撃の前に敗れた後、陽人での戦で
華雄を討ち取るなど大勝。これから董卓は孫堅を恐れて長安に遷都・・・・・

これでいくと
徐栄が孫堅をやっつけたことがあったにしろ無かったにしろ
董卓のとっつぁんは一敗にビビッテ遷都したチキンということになってしまうのかな


200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 00:28:21 ID:6kkfcJ5c0.net
>>199
ビビってというか董卓視点では連合軍は一枚岩に見えなくもないから
大事を取って遷都したってことだろう
また、一枚岩をこの遷都でバラす意図もあったと見ていい

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/19(木) 00:47:33 ID:2C7Mc/U50.net
>>199
後漢書董卓伝より。
190年。
各地で略奪を働いていた徐栄を討つために、
孫堅が予州兵を率いて出陣する。
梁県で遭遇戦となり、徐栄は孫堅軍を撃破した。

同じ時期に董卓軍の胡軫・呂布・葉雄が孫堅に敗北している。
場所も同じ梁県。どっちが先かは不明。

曹操に関しては貴方の言ったとおり。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 21:03:18 ID:h5mfo5uE0.net
徐栄が孫堅を破ったのは190年。遷都自体はこの年。
洛陽周辺で焦土作戦を取るが、董卓自身は洛陽に留まる。

翌191年、体勢を立て直した孫堅は胡軫と呂布を破って洛陽に迫り、
董卓と会戦、撃破して洛陽に入城する。董卓は黽池まで退き、後に長安へ撤収する。

二つの董卓伝と孫堅伝を総合する限りでは、こんな感じ。
遷都は防御の縦深を取るためだろう。まして焦土にされたあとでは、
仮に討伐軍全軍が本気出して洛陽まで進出したとしても、兵站に負担がかかりすぎて
長安まで攻めることは難しくなる。現に孫堅も洛陽を保持できなかった。

記録に残る限り、董卓軍にまともに勝てたのは確かに孫堅だけだね。
>>196のリンクの書き方は、まあwikipediaなどなら即修正ものだが
個人のサイトなら構わんのじゃないかな。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 22:33:41 ID:LlR1kIho0.net
遷都って河東にまで及んでいたという白波賊の影響はないんだろうか
史料じゃ十万余なんて勢いで荒らしまわってたみたいで、牛輔を差し向けても
駆逐できなかった様だけど

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 22:45:39 ID:h5mfo5uE0.net
と言って、関中は関中で韓遂・馬騰を始めとした軍閥が蜂起しているから、その見方はあんまり意味が無いんじゃない
白波賊の患よりも、現実の脅威としてそのとき河内には袁紹と王匡が進出しているわけだから

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/08(水) 20:02:48 ID:9wQxoOxc0.net
董卓が童貞すてた瞬間を見てみたいよな

206 :董卓:2009/05/05(火) 14:04:51 ID:775pF/4F0.net
どうでもいい事聞くけど武陽隠士て奴知ってる?

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 20:07:11 ID:LXAFUCE00.net
董卓の覇道おもしろす

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 18:41:52 ID:qw7O7Ski0.net
age

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/13(日) 12:33:04 ID:5XzMRy2N0.net
 | 三_二 / ト⊥-((`⌒)、_i  | |
 〉―_,. -‐='\ '‐<'´\/´、ヲ _/、 |
 |,.ノ_, '´,.-ニ三-_\ヽ 川 〉レ'>/ ノ 
〈´//´|     .........   ......'''ノヘ|     
. r´`ヽ /       .)  (   /i/   
. |〈:ヽ, Y    .‐=・=-  -・=‐ |/  
. \ヾ( l     'ー-‐' ヽー-‐' |、   「天皇陛下の韓国訪問、韓国の皆さんが歓迎してくれるなら結構なこと」
 j .>,、l       ノ(、_,、_)\ |))
 ! >ニ<:|      / ___  |      ___,. -、
 |  |  !、      くェェュュゝ  |      ( ヽ-ゝ _i,.>-t--、
ヽ|  |  ヽ      ー--‐  ./      `''''フく _,. -ゝ┴-r-、
..|.|  |    ::ヽ       /_  _,.-''"´ / ̄,./´ ゝ_'ヲ
..| |  |    _ ̄ ̄ ̄ ̄ |  ̄  ̄ ̄ / _,. く  / ゝ_/ ̄|
:.ヽ‐'''!-‐''"´::::::::::::::::: ̄ ̄`~''‐-、_    / にニ'/,.、-t‐┴―'''''ヽ
  \_:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\ /  /  .(_ヽ-'__,.⊥--t-⊥,,_
\    ̄\―-- 、 _::::::::::::::::::::__::/  /  /   ̄   )  ノ__'-ノ
  \    \::::::::::::::`''‐--‐''´::::::::::/  / / / ̄ rt‐ラ' ̄ ̄ヽ ヽ
ヽ  ヽ\   \:::::::::::::::::::::::::::::::::::::/      /    ゝニ--‐、‐   |
 l   ヽヽ   \:::::::::::::::::::::::::::::::/           /‐<_   ヽ

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/21(金) 01:53:58 ID:Zr9+OtLc0.net
李粛「孫堅が死んだとは、おめでとうございます!」
董卓「その反対だ、ガッカリした!」
李粛「そーですか」

董卓「孫堅と勝負する日を楽しみにしていたのだ。本物の戦士と戦士が命を賭けて戦う…
    この手で捻りつぶしたかった…が!夢は断たれたな…。」

董卓「それにしても…人はなぜ私を独裁者と呼ぶのだ!そして逆賊と!
    私の望みはひとつ!騎馬戦術を完璧に極めた兵隊をつくること!
    権力のためでも悪のためでもない!天下のためだ…!!
    呂奉先はその理想の兵隊の第一号だ、二号三号と続けば最強の軍が出来る!
    軍が天下に散らばり私に逆らう者を一掃するっ!!その時天下はこの董卓を英雄と仰ぐ
    桃源郷が誕生するのだ…!天下が平和と幸福に満ち、生きるものすべて、
    私という君主にこうべをたれるであろう…!!」

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/25(火) 04:35:03 ID:a+Uxz8wA0.net
  楽しい連合合戦         博山炉の香り                お前軍師は?
              朝服                   博山炉の香り
   宮女とデート         初めての夜襲     奥の間         初陣

            鳴らない銅鑼       朝    屋敷まで聞こえてくる火砲の音
 一日中篭城                   服
     リ        お前評定は?     ___        初   悪名高い貴殿とは・・・
     ア                     /  ↓  \       陣
     雄     漢詩大会        / ─    ─ \            忠臣は二君に仕えず
                        /  <○>  <○>  \
  〜殿こそ我が主君・・・  餓    .|    (__人__)    |    配下は全員兵士と狩りへ・・・
                  狼   8\    ` ⌒´    /8
 高潔の士     いい匈奴      /       ↑     \        連合合戦楽しかった?

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/27(木) 21:49:31 ID:9CMZP9Dc0.net
  _     _                ____
/  \ /  \              iii ■ iii
|   ∧□∧   |              ミ゚Д゚,,彡 謀反するの?
  ( ´;ω;) これはワクチンだよ・・・  (ミ 董 ミ)  ワシどこも悪くないよ?
  /   o├==l--              ミ   ミ   なんで泣いてるの?
  しー-J                    ∪ ∪

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/11(金) 10:36:50 ID:QotcgpBfO.net
董卓ってウンコする時呂布や股肱の臣に手伝ってもらわないと出来なかったらしいけど本当?

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/12(土) 07:42:41 ID:sO9aEpW+0.net
蓋勳

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/19(日) 23:22:08 ID:ygNyZms80.net
三戦板最初のスレを飾った人物でもある

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/20(月) 00:16:42 ID:73sQq3K80.net
董卓が牛を殴り倒したって演義の設定だっけ?

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/26(日) 00:53:59 ID:XR6Rq5Zt0.net
牛を引きずって倒したのは史実

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/11(火) 15:16:27 ID:jWo/JqWR0.net
それはキョチョだろ

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 13:39:46.33 ID:xZQKDSs/0.net
董卓の遷都の目的は、長安のほうが周りを要害に囲まれていて、
また涼州に近かったから?

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/21(木) 16:20:24.61 ID:1pcoOsLM0.net
馬騰を警戒したから

というのはまずありえない

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 19:57:01.27 ID:5DFU2b490.net
その頃の馬騰は警戒する必要すらないチンカスのミジンコ

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 16:54:31.10 ID:dSYsfwZb0.net
実際本拠に近かったから、というのはあるだろうね
洛陽の董卓は実際はそれほど多数の兵を抱えていなかったとされる
そんな状況で袁紹が皇帝がいる都市への攻撃を躊躇しない態度を見せたから
これは蛮行であり、他の諸侯もそこまでする事は考えていなかった

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 15:34:18.10 ID:5BbrVbDT0.net
逆に馬騰と韓遂から要請があったみたいな話しもある


関西で警戒する相手がいたのだとしたらコウホ嵩だろうな

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 14:01:53.68 ID:LyhAIPfj0.net
孫堅軍に洛陽を脅かされたのに相当びびったのと
その前に皇甫嵩を軍と切り離して呼び寄せたから
関中が空いたっていうのがあるんじゃね

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 14:09:19.25 ID:VU7n6CPF0.net
長安に遷都する方がメリット多いんだろ。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 20:11:22.99 ID:jGvrySR3O.net
>>225
そのメリットを聞いてんだろ?

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 00:36:40.26 ID:2aMlrqpP0.net
単純に守りにくい

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 14:20:10.78 ID:x/sCgTBT0.net
帝を反乱軍の魔の手から守るため。
董卓は史書で逆賊にされた

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/17(日) 20:37:05.46 ID:n1Gu2+Xa0.net
>>226
長安は涼州に近い。
涼州兵は若者を補充し易くなる。
逆に丁原から奪った并州兵は根拠地が遠くなって、弱体化する。
自分に忠実な涼州兵の割合を増やしたほうが董卓に有利。

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 13:31:00.09 ID:RDIJevI90.net
ピーチ姫ってどう考えてもマリオとクッパの二股かけてるよね…  両者を争わせる、貂蝉みたいな女
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/news/1321761677/

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/22(火) 21:08:55.37 ID:jamqANVp0.net
ルイージを忘れるな

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/08(土) 19:20:15.43 ID:Ez/aKQhP0.net
保守董卓

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/15(土) 20:34:27.80 ID:kVRNcl+X0.net
董卓

董旻 董璜 李儒

呂布 李粛

李確 李暹 李別 宋果 楊奉 左霊

郭 伍習 崔勇

張済 張繍 張先 胡車児 賈詡

樊稠 王方 李蒙

徐栄

華雄 趙岑 胡軫

牛輔 胡赤児

盧植 皇甫嵩 朱儁

王允 黄琬 伍瓊 蔡邕 華歆 許靖 鍾繇 司馬朗 荀爽

楊彪 楊密

董承 王子服 呉碩 呉子蘭

楊g 王昌 尚弘



董卓自身の軍勢に加えて後漢の臣までいるという魅力的な勢力
それが董卓軍

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/16(日) 09:00:29.94 ID:YxVJGlcD0.net
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1342898312/808
永遠に続く争いを終わらせるために、署名をお願いします。


235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/22(土) 07:10:58.53 ID:WLnjBrOP0.net
>>233
楊定と段煨と裴茂も追加で

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/05(木) 17:35:43.19 ID:DVjeayaj0.net
再評価の時代来ず

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/08(日) 03:48:38.99 ID:rCe0vTj40.net
  ●●●絶対に虫歯にならない方法●●●
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1103251322/26-28

――この掲示板に優秀な書き込みをして、総額100万円の賞金をゲットしよう!(*^^)v――

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/07(水) 19:08:44.21 ID:3pLDpGZg0.net
俺は董卓が好きでね。
彼のように生きたいと思ってる。

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 15:36:15.35 ID:Y4vMrgGK0.net
じゃあまず異民族に牛やヤギでも配って来い

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/10(土) 12:42:25.88 ID:776fJJKD0.net
明日に向かって討つべし!

  おもしろ三国志 董卓討つべし(LIVE)
    https://www.youtube.com/watch?v=HGEHtNt7NwE

  おもしろ三国志 董卓討つべし(2007年)
    https://www.youtube.com/watch?v=d6gjL1MrreQ

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/25(木) 19:04:31.45 ID:z3K+z5+Y0.net
相国大師なんだよね
そうこくたいし

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/05(金) 19:25:52.54 ID:irp8RHJy0.net
習近平って董卓みたいに見える
皇帝になれるかな?

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/12(日) 20:54:52 ID:2QAyFJuS0.net
「董卓」が嫌われる理由って何?
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1594553507/

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/29(土) 16:58:18.19 ID:6IvVKp0/0.net
蒼天航路の魔王気取りはダメだな
董卓には図体のデカい小者感が必須なのだよ

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/06(月) 18:09:17.10 ID:ELGuLOi20.net
>>241
相国は辞めていなかったのかな
太師兼相国なのか、相国から太師になったのか

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/10(金) 20:46:56.22 ID:T7uOkSml0.net
董卓は何で呂布に殺されたの?

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/11(土) 09:10:12.33 ID:6wa332uJ0.net
1987年5月ごろ、鳥取県の海岸に無人の古いボートが漂着しているのが発見された。
脱北者が乗っていたボートだったらしいが、中に残されていた食料はすべて腐敗していた。
ボートからは手帳も発見されており、ハングル文字で「途中で遭難した」事が記されていたらしい。
日付は1980年になっておリ、最後のページには「天までそびえる巨大な灯台が見えた。助かった」とだけ書かれていたという。

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/11(土) 09:17:34.96 ID:6wa332uJ0.net
ある冬の朝。デンマークの片田舎で身元不明の死体が発見された。
その太った老人は、検死の結果数百メートル以上の高さから「墜落死」していることが判明した。
死体は周りに高い建物など何一つない村の広場の真ん中で見つかったというのに。
1996年、12月25日のことである。

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/11(土) 09:18:17.35 ID:6wa332uJ0.net
イギリスの昆虫学者ピーター・マイルストンは、ある日樹海へフィールドワークに出かけ、そのまま失踪した。
彼のテントから見つかった日記によると、彼はまず両手ほどの大きさのアリを発見し、その翌日にはレトリバー犬
くらいの大きさのカブトムシを見たという。「テントがどんどん広くなっていく」などと意味不明な言葉も残されていて、
誰もが彼は錯乱して樹海で遭難したと思い、日記の文字がだんだん小さくなっているのを気にとめた者はいなかった。

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/15(水) 19:21:15.70 ID:8irg/5oK0.net
後世における評判は最悪ですが

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/18(土) 18:20:26.34 ID:AULEDvci0.net
…………畜生

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/11/27(月) 18:18:02.00 ID:hIcqIL8Qz
海外の環境団体はあらゆる妨害活動から破壞活動、首相の自宅にまで侵入したりと素晴らしいが日本はヘタレだらけ、せめて広島の平和公園
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(成田)Тtps://n-souonhigaisosyoudan.amebaownd.com/
(テ囗組織]ttps://i.imgur.com/hnli1ga.jpeg

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/08/22(火) 22:34:41.26 ID:q2dN7QA10.net
君のやる気を尊重して、一緒に頑張ろう。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/01(水) 12:03:16.19 ID:ssd8LZze0.net
>>244
人を嫌って根に持ち続ける陰険さと異民族もや流浪の名家層を取り込む懐の深さを合わせ持つ野心家っていう意味では横山三国志の董卓の方がイメージとしては近いかな

蒼天航路の董卓は豪快に過ぎて偏狭さが足りない

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