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【蜀の悲願】 北伐 【軍師諸葛亮】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 12:21:16 ID:ARwXX2Z70.net
 223年、劉備が亡くなり劉禅が跡を継ぐと、諸葛亮は蜀の政治の全権を握る。そして、呉との関係を改善した上で、魏に
対する北伐を計画した。
 227年、準備を終えた諸葛亮はいよいよ北伐を決行する。北伐に当たって上奏した『出師表』は名文として有名である。
 1度目の北伐で、諸葛亮はかつて蜀から魏へと降った孟達の調略を企図したが、司馬懿に察知され、孟達は討たれた。
 最初に躓いたものの、諸葛亮の作戦は続行され、翌228年に漢中より北へ進攻した。
 諸葛亮は、趙雲を囮に使って魏の曹真の裏をかくことに成功、南安・天水・安定の3郡を奪った。魏はこれに対して張郃
を派遣、諸葛亮は再度趙雲を囮に使い、要衝街亭に鍾愛していた馬謖を配する。ところが、馬謖は諸葛亮の指示を無視
して山上に布陣したために、張郃率いる魏軍に大敗を喫してしまう。
 街亭での敗戦で、蜀軍は全軍を撤退させ、諸葛亮は馬謖を敗戦の罪で誅殺し、自らも降格として丞相から右将軍となっ
た。これが「泣いて馬謖を斬る」の故事である。もっとも、諸葛亮が右将軍となっても、他に蜀を運営できる人物がおらず、
実質上は丞相であった。
 その年の冬、諸葛亮は2度目の北伐を決行する。しかし、曹真に作戦を先読みされたために、戦局は優位に進まず、食
糧の不足もあって撤退した。
 更に翌229年には3度目の北伐が決行され、陳式に武都・陰平の両郡を平定させた。この功績によって、諸葛亮は再び
丞相の地位に復帰する。
 その次の年230年に4度目の北伐が行われるが、食糧不足で撤退に追い込まれる。この時に、魏の張郃を討ち取った。
 そして234年、諸葛亮は5度目にして最後の北伐を決行する。この戦いで諸葛亮は屯田を行い、持久戦の構えを持って
五丈原で、司馬懿率いる魏軍と長期に渡って対峙する。だが、諸葛亮には健康問題が生じていた上、頼りにしていた呉も、
荊州と合肥の戦いで魏に大敗を喫し、司馬懿は防衛戦に徹した。
 234年8月23日、諸葛亮は陣中で病没し、蜀軍は全軍が撤退した。その際、魏延と楊儀との間に争いが生じ、魏延が殺
される事件が発生している。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 22:03:06 ID:hLWsGe24O.net
2ゲットなら劉禅

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 00:25:11 ID:mtsTLmn1O.net
3getなら孟達

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 14:17:09 ID:IdEoaSXbO.net
4getなら月英

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 18:18:25 ID:qs15dPtQ0.net
もし蜀漢が関中を制圧できていれば、
その後の展開もだいぶ変わってきていたかな。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 18:26:50 ID:8Qowvdwb0.net
劉備が関中を制圧していたら違っただろうね。
それ以降だと、まぁ無理だろうなぁ。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/14(日) 23:57:23 ID:X6I2hBEg0.net
劉備が漢中を平定した勢いで関中も平定、
ちょうど曹操も死に、
孫権もその勢いを恐れて荊州に手を出すのは控え、同盟復活、
劉備と孫権が手を組んで、曹操死後の魏に挑む。


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 13:50:20 ID:DZp+vL+i0.net
でも、魏が守勢に徹したら、攻め込むのは難しいんじゃないかな。
戦線が膠着状態に陥ったところで、
蜀と呉の同盟に綻びが出始めるようなことになりそう。

9 :名無しさん@お腹いっぱい:2007/01/15(月) 17:47:27 ID:8mQxaMwy0.net
劉備が白帝城で死んだ時、諸葛亮が劉禅を皇帝に立てたのはなぜなんでしょうか?
諸葛亮が、蜀の皇帝になっていれば、天下は蜀のものになっていたかもしれませんね。


10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 19:17:17 ID:oXbTndro0.net
蜀の人間は漢の皇帝に仕えてるという大義からあるからじゃね?
孔明は漢の大義>自分の名声と考えたんだと思う

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 19:36:48 ID:vqDfjfZb0.net
陳友諒化しそう>乗っ取り

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 23:43:28 ID:bAr99ni90.net
>>9
劉備も、本気で諸葛亮に皇帝の位を譲る気はなかったんじゃないか。
ああいうふうに言っておいて、諸葛亮が、
「はい、私が跡を継いで即位します」
とでも言おうものなら、たちまち謀反だとして捕らえて処刑へ。
そのへんは、諸葛亮も分かっていて答えたんじゃないかと。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 23:46:45 ID:P5zqpHR+0.net
普通に考えて無理だな。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 11:02:38 ID:eqnoPpCV0.net
諸葛亮は蜀の最高実力者だったわけだし、
本気で頑張ったら簒奪できたかな。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 12:19:40 ID:MVkFL2ZDO.net
>>14
李厳の言葉なんかを見るに、一部には待望論というか「曹操と同じようにやるんだろ?」みたいに思われてたフシもあるよね

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 15:11:23 ID:zJ7sKQdb0.net
魏ならともかく蜀のトップになったってねぇ

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 15:35:22 ID:7ChzSpV5O.net
まぁ、緒葛がどうあがいても魏を倒すことは不可能だけどな

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 16:04:50 ID:KkwY9sLx0.net
荊州に関羽じゃなくて趙雲置いといたら、違った展開もあったかな?

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 17:25:07 ID:W9BXhbLA0.net
魏呉に攻められ終わり

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 20:11:35 ID:EEfhJMGo0.net
趙雲は史実上はたいした活躍の場もなく五虎将軍の中でも官位も一番低くおくりなも低く
実はたいしたことがなかったという説がある。


21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 20:30:08 ID:KkwY9sLx0.net
じゃあ、鳳雛を失って伏龍が荊州を離れた時点で破綻は避けられなかったんだね。


22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 21:22:56 ID:apKaGFBG0.net
だから諸葛亮が援軍率いて益州に入るのは予定内の行動だって
益州で直接成都を突かなかったのも時節にあった作戦
丁度呉から援軍の要請が来てたので、帰ると見せかけて強襲するチャンスだった

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 23:32:40 ID:aKSMRl0S0.net
>>21
孔明が居たら大丈夫というものでもない。

24 :名無しさん@お腹いっぱい:2007/01/17(水) 00:08:03 ID:AL9gC3Lx0.net
劉備も劉禅も民のためとか言っておきながら、結局は欲に溺れて
最終的に蜀は降伏という形で、消滅。
やっぱり、どれだけ心の優しい人物でも欲望には勝てないんですね。
日本でいうと、豊臣秀吉とか・・・

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 08:54:31 ID:8du7fsfI0.net
>>24
色々言いたい事はあるが
別に最初から民のために戦ってたわけじゃないと思うぞ

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 23:13:02 ID:8L1XOCrm0.net
劉備もなかなかの奸雄だね。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 14:28:40 ID:IAH4Z1xf0.net
孔明も南蛮を平定してからは北伐をせずに国内の固めと皇帝の調教に力を入れれば良かったのに。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 16:12:13 ID:nP7um9Dc0.net
北方版みたいに雍州以西を奪うって案は?


29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 23:47:13 ID:cfIuXVAX0.net
>>26
蜀を奪ったのも、劉備自身の主導っぽいしね。
諸葛亮が持ち上げられた分、劉備は落とされている。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 04:01:47 ID:oNjVRTSl0.net
そもそも孔明が勝ったといえるのは四回目の北伐ぐらいだろ
曹真にも勝てなかったし

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 10:51:21 ID:IbPeGSvP0.net
三回目で郭淮にも勝ってる

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 11:48:20 ID:V3v4Iqf10.net
街亭で馬謖がやらかさなかったら、長安くらいは取れた?

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 11:51:05 ID:zMUwOzr50.net
>>27
そうすると魏がどんどん富国しちゃって幾ら堅牢な蜀でもゆくゆくは滅ぼされる。
孔明は攻めるしかなかったんだぉ。


34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 12:16:49 ID:J+7f6Twb0.net
>>1
改行くらい覚えろょ

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 12:56:19 ID:3U9AujMN0.net
>>32
一時的に攻め取れても、それを維持し続けるのが大変な負担になったんじゃないかな。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 16:11:43 ID:hsTLgqI00.net
魏も呉もほっとけば内乱が起こって勝手に滅びそうな感じだったけどな

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 16:13:23 ID:Iq4Vd2tB0.net
後背の涼州を確保した上で長安とれれば食料補給は楽になるよ。
あの地域は秦王国の時代に潅漑工事を済ませてあって
穀倉地帯なんだからね。
次の収穫期まで持ちこたえればOK。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 20:27:55 ID:v/ODXrh/0.net
陝西から甘粛にかけての辺りって、当時は今ほど乾燥していなかったのかな。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 23:39:51 ID:5pQWJ/5H0.net
>>37
そーだっけ?
なら、なぜ東漢は長安に都を置かなかったの?

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 04:53:54 ID:KFKSfBsb0.net
>>31
あれは魏延のおかげでしょ、軍事能力は孔明より魏延のほうが数段優れてると思う。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 10:31:10 ID:A5vtSmVV0.net
魏延じゃなくて陳式のおかげだろ
それも孔明の指示を受けての戦いだし

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 13:52:06 ID:PkVX2E5X0.net
孔明って劣化張良ってイメージなんだけど人材不足で
前線に立たざるを得なかった劣化韓信ってところか?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 14:18:16 ID:KFKSfBsb0.net
というか司令官になったショウカ

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 22:36:14 ID:fyKb4L4w0.net
いちいち劣化○○とか程度の低いこと言うなって

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 23:28:58 ID:TbeUwEWj0.net
劣化ウラン!
と書こうかと思ったけど
下らないから止めた。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 00:25:52 ID:JnEjPgmo0.net
とりあえず長安を取るんだろ?
話はそれからだ

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 12:49:56 ID:HJ+hcfDF0.net
>39
中国大陸全体からみて長安を都にすると不便なんよね。
後、春秋時代以来中国の文化の中心は晋(趙・魏・韓)のあたりで
洛陽はそのあたりだけど長安は昔の秦だからね。
やっぱり華やかさが欲しければ長安から遷都したくなるじゃん。



48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 15:10:48 ID:uyW5DGbW0.net
長安は場所が広く取れるけど、防衛上はあんまりよくない。

洛陽は小さめだけど、防衛に適している。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 16:04:28 ID:1Hfqndy30.net
>>46
魏延ですか?

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 16:48:20 ID:tb4iMdOn0.net
どの三国志の本読んでも孔明はかわいそうだな
あれだけ頑張ったのに結局志半ばで亡くなっちゃんだもの
最後まで戦ってきたのはいったいなんだったんだろうね

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 17:35:27 ID:JJiFoZL30.net
長安取れたら自動的に雍州以西が手に入るの?
洛陽や関中を伺いやすくなるの?

北方の小説だと、長安取れば魏は遷都を余儀なくされるし、
今までのような楽観はできなくなるって出てたけど。

詳しい人、教えてください。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 20:04:54 ID:A0D/jr2/0.net
ていうか李カクシ討伐してからいつの間に長安復活してたんだ?
大廃してたんだろ?

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 21:37:27 ID:jeemdOQVO.net

 ヘイヘ〜イ、オマイラ〜♪
♪ ∧_∧
  (´・ω・) ))
(( ( つ ヽ  ♪
  〉 とノ )))
  (__ノ^(_)
http://society4.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1145305314/
 タノシソ〜ウダナ〜♪
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 (( (・ω・`)
 ♪ ノ ⊂ ) ))
 ((( ヽつ 〈 ♪
   (_)~ヽ_,)

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 00:48:06 ID:/Yk6FYOf0.net
>>52 鍾ヨウの治績じゃねえの?

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 00:51:18 ID:8KJPYyId0.net
もともと、赤眉に荒されてかなり落ちてたんじゃなかったっけ?

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 01:25:32 ID:lHE16nw/0.net
蜀漢ってある意味、今の韓国や北朝鮮みたいな感じの国家だったのかな。

何百年後かに誰かが「北朝鮮演技」みたいな小説をかいたら、
金イルソンやジョンイルが劉備並みの英雄として人気者になったりするのかも。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 02:38:07 ID:ddIUOum2O.net
いくらなんでもそれはやめてくれ
朝鮮に孔明みたいな民衆に慕われる政治家はいないだろ

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 04:26:19 ID:NCWSj9l+0.net
トンデモ説が出たなw

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 22:06:49 ID:yHsGYBFBO.net
孔明は第一次北伐の街亭の戦いで愛弟子の馬稷を大将に任命したのがだめだったな。蜀の諸将も経験豊富な奴を使ったほうが良いといっていたし、街亭で負けていなかったら長安を取れていたかもしれない。
軍才はあっただろうから。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 22:11:18 ID:uRZ8IMym0.net
よく言われるけど街亭ってそんな重要な戦いなのかな
仮に防げたとしてその後長安落とすとか涼州を平定するとかの軍事的結果が出る可能性ってどのくらいなんだろう

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 23:39:04 ID:8KJPYyId0.net
>>56
弱者は共通点はであることしかないだろw

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 10:20:42 ID:mO0xSwiz0.net
>>60
北伐の報だけで三郡が降伏
徐バク、游楚なんかの踏ん張りはあったが、街亭で時間を稼げれば
そこで涼州の東側のどっかの城抑えて魏軍本隊をガッチリ食い止められた筈
そうするともうあとは涼州を切り取り放題

問題なのは馬謖が蜀軍の先鋒が確保失敗した事

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 18:10:57 ID:73PZlEAl0.net
本当に起死回生だったんだね。街亭って…

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 12:09:03 ID:cwjCahzi0.net
バショクを起用した孔明が無能だっただけのお話

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 16:04:18 ID:mgfN0Wf2Q.net
呉と共同作戦とかやったの?
二方向から攻めた話とか聞いた事無いけど

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 20:52:36 ID:YwFWynfT0.net
時間の誤差ありまくりだけど一応やったよ。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 23:25:25 ID:INpdK2G90.net
>>65
メールか携帯が使えれば、うまく連携できたと思うよ。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 23:44:04 ID:8IXy9T0C0.net
蜀がソフトバンクじゃなかったからしょうがないよ

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 23:59:06 ID:INpdK2G90.net
>>68
それだと、圏外で使いものにならないと思うよ。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/27(土) 00:15:16 ID:E/uaLKWk0.net
おまいらがゆとりだということがよくわかった

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 00:14:00 ID:d1qdNSKR0.net
んにゃ、んなものは無かったな。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 10:41:49 ID:GPJO0s/80.net
先ずは呉を攻めて荊州を奪還してから魏を攻めればヨカッタのに

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 06:23:49 ID:1hvKItfj0.net
>>72
呉と魏に同時に攻め込まれるんじゃね?

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 02:30:08 ID:7yYDTzlf0.net
そういや、どっかの本に劉備と諸葛亮は筆談で話してた(中国は地方ごとに言葉の差が大きいため?)って書いてあったんだけど、
本当かな?

本当だったとしたらら、劉禅とはどうだったんだろ…
出師表とか…

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 09:07:17 ID:i56Jc+6aO.net
諸葛亮って荊州に流れてくる前はどこらへんにいたんだろ?

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 11:38:42 ID:pAyLzjkk0.net
あの広い中国なんだから、現在でも地方ごとで言葉の差はかなり激しい。
日本だって、何言ってるかほとんどわかんない方言だってあるよね。
で、勿論当時の中国も地方ごとで色々方言があり、
漢代にはずばり『方言』なんて本を書いた人もいる。
ただ、実際に当時どれほどの差があり、どの程度通じたかは具体的にはそれほど分かってない。
劉備と諸葛亮に限らず、言葉が通じず筆談したなんて記録なんて残ってないし。
ひょっとしたら、三顧の礼の時筆談で会話してたかもね、くらいの想像のお話。
劉禅のころって、さすがに十年以上たてば普通外人だってどうにかなるんじゃない。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 12:20:44 ID:VRwp1TmI0.net
言語と方言は厳密な区別はできないそうだ。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/01(木) 20:33:00 ID:7yYDTzlf0.net
>>76
>劉禅のころって、さすがに十年以上たてば普通外人だってどうにかなるんじゃない。

それもそうですね。
ただでさえ、同じ文化圏の人間同士なんだから。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 11:26:04 ID:D9OD0r1c0.net
>74
劉備は近隣の徐州にもそこそこいたし、
それから荊州北部に入ってから少し経って諸葛亮に会っているのだから
筆談しなくても通じると思う。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 12:23:13 ID:0Ld7YI6C0.net
方言を通訳するのが役目の官職なんかも、あったのかな…
南蛮や涼州、交州なんかは言葉が中央とは全然違いそうだ。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 12:26:32 ID:jt04zEVQ0.net
学のない土人ならともかく師から学問を学んだ士大夫層なんかは違う地域のものでも通じる言葉(主流となる地方の言葉)も話せた(つまりバイリンガル)と思うがな。
どうなんだろう?

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/02(金) 23:25:05 ID:IZtifpwf0.net
広東とかを除いたら、北方はある程度通じるんじゃないか。
日本でも、関西弁、東北弁、九州弁も理解できないことはないし。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 00:15:35 ID:39cAuQMx0.net
孔明って土着じゃなくて
流れてきた文化人の子じゃなかった?
玄徳も学問してるし筆談は必要か?

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 15:34:53 ID:XILg3lo00.net
劉備が使いこなしていた魏延や李厳に裏切られ
劉備が注意していた馬稷に大事を任せて失敗する

劉備って意外に優れた人物だとおもうけどな
特に人材登用と運用がすばらしい
実は劉備は孔明の弱点を補っていたと思う

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 17:09:49 ID:E2PKen/O0.net
>>84
三戦板でもなかなか見られない恥ずかしいレスだな。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 17:17:46 ID:cJex2FIy0.net
全くだな

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 18:48:58 ID:TTpvWC9B0.net
孔明は人の手柄を自分のものにして丞相に帰り咲いたのが素敵

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 18:53:28 ID:E2PKen/O0.net
>>87
陳式を派遣して武都・陰平を平定した時も自ら動いて郭淮らを牽制して動けなくさせてたよ。
馬謖では失敗したがこっちは成功した例だね。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 23:53:27 ID:T/219OKK0.net
>>88
武都・陰平って生産力ない僻地で魏にとっては守るべき価値が少ない、
蜀にとっても景気づけってだけで実利はないところだしね・・・
撤退した郭淮を追撃で破ったとかなら価値も出てくるのだろうけど

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 00:16:57 ID:u4nFwE5T0.net
>>89
でもあの二郡を抑えておけば成都と漢中を分断される可能性が低くなるから戦略的には意味があったとは思う。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 00:17:59 ID:vPnRdLOT0.net
>>89
生産力はある
涼州の3割くらいの人口があったと考えられてる
ついでに漢中の裏側の守りを固める戦略的な意味でも必要

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 00:23:20 ID:u4nFwE5T0.net
>>91
結構移住させられていた筈なので、生産力自体はそれよりは下がっていたと思うよ。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 17:42:27 ID:Vdkl9XRS0.net
>>90>>91
第一次北伐でスルーされてるから、それらの理由は薄いんじゃないか?
漢中の守りを固める目的からしたら真っ先に攻略対象にならんとおかしい

武都・陰平がどっちに帰属してたとしても、それほど大きな兵力の駐屯はさせない
(かつ、できない)だろうから、戦略的意味の大きさが実感できない・・・

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 18:09:13 ID:u4nFwE5T0.net
>>93
第一次北伐では街亭で魏軍を抑えつつ、その間に涼州を切り取ってしまおうという算段だから別に問題ないだろ?
またその後、涼州が魏への帰属を固めつつあったので武都・陰平を抑える必要性が高まったとは考えられないか?

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 21:25:44 ID:Vdkl9XRS0.net
>>94
相当好意的な解釈をすればそう考えるのかもしれないが・・・
西南端の陰平はともかく、武都は天水や南安へ出るときの通過地点だし、
そこを無視しているあたりで重要性が大きいとはとても思えない。
あと街亭が涼州固めるまでの足止めってのは演義での話で、
史実では魏軍との決戦の先鋒・前哨戦と思うが。

自分は第三次北伐に関しては、一次二次で失敗した穴埋めや士気低下対策として、
とにかく名目だけでも勝ちを得るために防備の薄い武都・陰平を獲りにいった、という見方が妥当に思う。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 21:28:55 ID:KZ6A+y/x0.net
戦略的要所なら再度とりかえすだろうしな。
とりあえず孔明を丞相に戻したかっただけだと思う。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 21:45:24 ID:u4nFwE5T0.net
>>95
馬謖が先鋒なのと魏への抑えであることは矛盾しないよ。
諸葛亮はその間、北伐に呼応した安定・天水・南安の三郡の平定に向かってるのは事実だし。
武都や陰平は三郡を平定しちゃえば簡単にものにできるでしょ。
住民が移住させられて生産力も下がってることだし。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 21:46:30 ID:u4nFwE5T0.net
>>96
漢中と同じで魏にとっての価値と蜀にとっての価値が違ったってことだろうな。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 22:15:05 ID:Vdkl9XRS0.net
>>97
>諸葛亮はその間、北伐に呼応した安定・天水・南安の三郡の平定に向かってるのは事実だし。
なんか微妙に時系列がおかしいんでは?馬謖の街亭への派遣は三郡の平定後の可能性が高いでしょ?
蜀が三郡(南安、安定、天水)を降伏させたから張コウが迎撃に出てきたんだし。

>武都や陰平は三郡を平定しちゃえば簡単にものにできるでしょ。
三郡には魏軍がいなくてあっさり降伏してるくらいだから、
三郡押さえるのを待つまでもなく、支隊派遣するだけで抑えられたはずだが。
あなたがいうように重要なら、補給路確保の意味でも抑える方が妥当。
結局、統治のリスクが収入・防衛などの実利に対して劣るってこと。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 23:58:30 ID:u4nFwE5T0.net
>>99
諸葛亮が祁山に向かうと三郡が呼応、それを落ち着かせつつ馬謖を先鋒として派遣、本体が向かうまで張郃を抑えさせとく。
こういう流れでしょ?
反乱分子もあるわけだし、呼応してくれたからはいそうですかと何の手当てもせず、前進することはできんと思うが?

> 三郡には魏軍がいなくてあっさり降伏してるくらいだから、
> 三郡押さえるのを待つまでもなく、支隊派遣するだけで抑えられたはずだが。
> あなたがいうように重要なら、補給路確保の意味でも抑える方が妥当。

三郡を押さえればすむ話。
だから後回しにした。
その後、三郡の呼応などが期待できなくなったので、まずは武都・陰平を抑えて漢中・成都間の防衛を強化しつつ、涼州侵攻の別ルートの確保を図った。
優先順位の話。

> 結局、統治のリスクが収入・防衛などの実利に対して劣るってこと。

何を根拠に?

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 00:25:22 ID:p9Lk8Zot0.net
電撃作戦ではスルーしたけど、それが失敗して武都・陰平は先に抑えておきたい土地になった。
政治的な意味でも勝利が必要だった。
この二は同時に浮上した。
という事かのう。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 00:37:47 ID:TxPznCLF0.net
>>100
馬謖を先行させたのは、単純に本隊に先行させただけと思うが。
三郡の対応を優先させるために先行させたわけじゃないでしょ。
三郡が降伏した報が伝わってから張コウ派遣されるまで時間的余裕があるわけだし。

>三郡を押さえればすむ話。だから後回しにした。
>優先順位の話。
本隊派遣しないと取れないのならその優先順位もまだありうるかもしれないが・・・
状況からすれば労少なくして確保できるものなんだから後回しにする意味がない

しかも、魏軍を迎撃できれば三郡に限らず涼州諸郡がなびくのだから、
三郡安定>魏軍迎撃(>>武都)って優先順位付けは根本的に間違ってる。

>武都・陰平を抑えて漢中・成都間の防衛を強化しつつ、涼州侵攻の別ルートの確保を図った。
武都・陰平を確保した後、別ルートなんて北伐では使ってないんじゃない?
四次は一次と同じだし、五次は一次で趙雲たちが使ったルートでしょ。
そもそも武都・陰平確保による漢中・成都間の防衛を強化ってのが必要性薄いよね・・・
実際そのルートで侵攻してきたのは蜀滅亡のときトウ艾が使ったくらいで、
しかも鐘会が蜀の主力を牽制する形になったから出来た話だし。

>何を根拠に?
魏・蜀それぞれのの武都・陰平に対する行動からの推論だけどさ。逆に聞くが
>漢中・成都間の防衛を強化しつつ、涼州侵攻の別ルートの確保を図った。
などは推論ではなく、史書などの根拠があるということか?

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 01:07:38 ID:M9KEYhb80.net
>>102
> 三郡が降伏した報が伝わってから張コウ派遣されるまで時間的余裕があるわけだし。

諸葛亮が出撃したのが228年春。
張郃が馬謖を破ったのが同じく228年の遅くとも2月上旬。
時間的余裕があると思えんが?

> 本隊派遣しないと取れないのならその優先順位もまだありうるかもしれないが・・・
> 状況からすれば労少なくして確保できるものなんだから後回しにする意味がない

その時点で三郡を押さえ後背の憂いをなくし、関中で魏軍と激突。
既に趙雲らを別働隊として動かしており兵数に余裕はなかったし、その時点で優先順位が低かったので後回しにした。
別に問題はないと思うけど?

> そもそも武都・陰平確保による漢中・成都間の防衛を強化ってのが必要性薄いよね・・・

> >漢中・成都間の防衛を強化しつつ、涼州侵攻の別ルートの確保を図った。
> などは推論ではなく、史書などの根拠があるということか?

地図を見れば明白だと思うけど?
あんなどてっぱらに楔を打ち込めそうな地勢の地域をいつまでもほったらかしにしておくわけにはいかんだろ?
蜀の場合、補給線を保ちつつ梓潼郡に侵入されたらアウトだよ。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 01:53:07 ID:35TXPNWQ0.net
張既伝注魏略の游楚の記述を見れば、当時蜀が隴西郡まで兵を派遣したのが分かるので、
規模は不明ながら、諸葛亮が隴西一帯の平定を行おうとしたのは確かだと思う。
また、隴西諸郡の内、広魏郡は降っておらず、郭淮も上邽にいたわけだから、
三郡が降ったからと言って、すぐさま隴西が安定したわけではないと思うよ。

少なくとも、張郃の迎撃に全力を傾注できる状況ではないね。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 21:24:51 ID:FglIUV6l0.net
武都・陰平は険しい山岳地帯で道路が非常に貧弱。
故にこのルートを大軍が行軍すると輜重が追尾できず補給切れになる。
武都・陰平の価値が低いのはそのため。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 21:45:43 ID:DeiJTBqG0.net
武都と陰平郡の攻略って、実利はさておくにしても、街亭と陳倉で躓いた事に
対する国内世論への配慮も大きい気がするんだけど

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/05(月) 23:44:30 ID:GkjDKC4p0.net
北伐は蜀の存在意義なり

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 00:15:48 ID:L1VDnuly0.net
士気も上がるしね。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 00:22:00 ID:KIKl4+L40.net
>>105
武都経由で諸葛緒率いる3万が、陰平経由でケ艾率いる3万(内1万は間道を南下)が、
それぞれ剣閣まで前進できている事を考えれば、隴西にしっかりした物資集積基地を設ければ、
それなりの大軍を剣閣まで前進させる事はできそうだが。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 02:30:59 ID:fsZZR5WT0.net
>>103
>時間的余裕があると思えんが?
そんな長期間手を当てないと無理な状態なら、
魏軍の迎撃を放っておいて時間をかけるのは浪費でしかないでしょ。
諸葛亮本人があたらないとできないことでもない。支隊を押さえにおいておけば済む話。

>その時点で優先順位が低かったので後回しにした。
後になったとしても優先順位はそれほど高くならない。
一次は速度重視で無視したとしても、重要なら二次で陳倉攻める方優先するのもおかしい。

>地図を見れば明白だと思うけど?
平面図の直線距離だけで判断されても・・・
あの辺で補給線を保つのは相当国力がないと無理。
かつ、侵入できても守る側が備えていれば破るのは難しい。
それが乱世になるたびに蜀に地方政権ができた理由でしょ。


>>104
そりゃ安定には達してないにしても、支隊を押さえに残しとけば済むんではないですかね。
本体がにらみ聞かさないと駄目な状態だったらば、兵の損耗を嫌って
極力安全な策を取った諸葛亮なら、魏の援軍が来た時点で失敗を悟って撤退してると思う。
史書にも馬謖を先鋒として派遣したって記述が多いから、本隊が迎撃に向かう方針だったと見てよいのでは?

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 22:56:29 ID:+L+nj30P0.net
ところで当時の関中一帯って、今と環境がだいぶ違ったんだろうか?

現在ほど乾燥が進んでいないとか。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/06(火) 23:23:14 ID:L1VDnuly0.net
秦〜西漢の頃はかなりの穀倉地帯だな。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 00:46:31 ID:Xj7XI4ph0.net
薪用に木を切りすぎて乾燥したって聞いたな。
唐以降に開封に都が移ったのも木が豊富だったからとか。
ホントかどうか知らんけど。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 01:00:21 ID:uPX9hHGV0.net
>>110
游楚の事は既に述べているが、実際は、更に徐邈の南下もあって、
隴西は意外と戦力を割かざるを得ない状況だったと思う。
ただ、>>103の意見とは少し異なる。

両軍の配置を考えると、諸葛亮は内戦作戦の態勢にあったように思える。
従って、西か東、どっちを先に撃破するかという選択を迫られていたわけだ。
「援軍を撃破すれば隴西は自然と治まる」という游楚の言葉もあるし、
諸葛亮自身は張郃を優先して撃破しようとしたと思う。
ただ、最初から張郃に全力を注ごうとしたわけではなく、
張郃本隊の動向を掴んだ時点では、隴西や上邽など、十分な戦力が諸方に散っていたと思う。
張郃到着前にこれらを陥落するのが理想だからね。

つまり、馬謖の役目は単なる先鋒ではなく、やはり時間稼ぎ。
しかし隴西を平定する為の時間を稼ぐと言うわけではなく、
隴西を平定する為に分散していた軍を集結させる為の時間稼ぎ、と見るのが妥当だと思う。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/07(水) 23:41:42 ID:A40pXmtM0.net
。。。。。曹真。。。。。
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170830908/

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/08(木) 01:14:48 ID:Fy3/oVQF0.net
>>114

>103氏のいうような平定する為の時間稼ぎっていうのは、
相手側の心理考えたら、近くまで援軍来てる状態では抵抗も増すし、
降伏する可能性も減るしで不利な要因が増えるだけのように思いますが、

>つまり、馬謖の役目は単なる先鋒ではなく、やはり時間稼ぎ。
>しかし隴西を平定する為の時間を稼ぐと言うわけではなく、
>隴西を平定する為に分散していた軍を集結させる為の時間稼ぎ、と見るのが妥当だと思う。

この見方には大いに納得ですし、賛成です。
馬謖が敗れたら即撤退したことから推測して、
馬謖にはその時点で動かせる範囲でのかなりの兵力が与えられていたんでしょうね。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/08(木) 23:42:47 ID:tg8IHOQq0.net
第五次で悉くを率いて十万だった事、第一次では趙雲らを別に派遣している事などを考えると、
この第一次の時の戦力は多くて6,7万だったろう。
また、撤退時に西県の住民を連れて行っている事を考えると、
祁山周辺にいて、且つある程度の戦力は保持していたと考えられる。
游楚だけなら5千を超えるような戦力は率いていないだろうが、
徐邈も来てるので、隴西方面は1万以上を残置する必要があると思う。
また、上邽の郭淮も数千という程度だったろうけど、その監視にはやはり1万近い戦力は必要。
あとは渭水方面がどうか、という事だが、これはよく分からん。

諸葛亮自身の戦力、上邽、隴西等に割く戦力を考慮すると、
馬謖の戦力は1万は超えるにしても、2万は大きく超えないんじゃないかな?

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/21(水) 15:40:10 ID:s196tS9x0.net
『 孔明ハード 』

兵糧確保の為に街亭に馬謖を潜入させた孔明。
だが、それは魏軍の巧妙な罠だった。

「孔明の布陣は 私に崩される為に築いてきたんですものね」
「いつもの力が出せれば…こんな魏軍なんかに…!」
「よかったじゃないですか 馬謖のせいにできて」
「んんんんんんんっ!」
「へへへ おい、曹真を用意しろ。みんなで滅ぼしてやる」
(耐えなきゃ…!!今は耐えるしかない…!!)
「蜀漢の生涼州ゲ〜ット」
(いけない…!劉禅から無断で軍を奪っていったのを悟られたら…!)
「生馬謖様の生打ち首を拝見してもよろしいでしょうか?」
「こんな奴らに…くやしい…! でも…裁いちゃう!」(ズバズバッ
「おっと、漢中まで退却してしまったか。甘い恐れがいつまでもとれないだろう?」
それから蜀は後から侵入してきたケ艾によって滅ぼされた

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 23:57:45 ID:jj31+fY/0.net
北伐 = 蜀という国家の存在意義

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 23:29:23 ID:1aOMKual0.net
北伐は政治活動也

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 09:18:39 ID:LgnOuQicO.net
領内引き締めに使えるしな

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 23:54:49 ID:sZj+e9B80.net
はわわ

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 14:42:14 ID:0nlyQ7GH0.net
>>120>>121
軍事行動を続けて、緊張状態を持続させれば、政権の求心力を高めることができるね。
二代目の劉禅は、初代の劉備に比べると致命的なまでにカリスマ性に欠けるわけだし。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 02:31:53 ID:ualw5Dy/0.net
MIKIは何で泣いてるん?

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 12:16:07 ID:nJIYDMvA0.net
>>113
開封に都が移ったのは、それより単純に、
江南に直結する経済の中心地として栄えていたからだと思う。
開封をしっかり押さえておくだけで、相当な財源となるから。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 13:33:17 ID:aIstgZzV0.net
>>125
それ以前、唐の皇帝が、長安では食料が届くのが遅すぎて
洛陽までわざわざ出向くという、失笑すべきエピソードがある。
これは中国という国家が、いかに江浙の生産力に頼っていたかを示すものだけど
隋の運河の利便性も語っている。

その流通路にあって、一旦陸揚げされるところに、大梁、つまり汴州の街があったというわけ。
朱温がここに封ぜられたのは、確信犯的だったんじゃないかと…
春秋のころの梁とでは、立地条件は雲泥の差といえるかな。
ちなみに、近郊には陳留がある。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/25(金) 15:41:07 ID:hhCz9CNN0.net
あのへんは、黄河の流れ自体が大きく変わってしまうからね。
数百年違うと、地形もかなり違うと思う。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 23:56:42 ID:Mo3M6hjg0.net
三国志・蜀将討議スレッド17
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1180445040/

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 23:57:53 ID:klSFM2rT0.net
>>126
唐の時代はそうだけど、古代の関中は穀倉地帯だったわけでしょ。
この後漢末〜三国の時代辺りの関中はどんな感じだったのかな?

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 13:22:26 ID:yX6seAIj0.net
長安の人口は前漢で24万、後漢末だと10万と推定され、
またこの時期では長安への食料供給は関中の生産で間に合ったとされる。
このあたりにヒントが隠されているかも。

一方で唐代では人口100万を養うには関中の生産力は不足しすぎたともされる。

関中の農業生産力は内乱による社会システムの崩壊から立ち直れば
唐代も秦もあまり変わらないような気もする。
秦の開発でピークに達して基本的にはそのまま横這いというイメージ。
内乱と平定で生産が上下するみたいな。

ただ、農作物が畑作であまり河が広範囲に氾濫しないのなら
潅漑は塩害をもたらすので長期的には農業生産力はジリ貧になるが。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 22:30:14 ID:4y9NRpXUO.net
蜀にとっての北伐=国内引き締め
魏にとっての北伐=司馬懿のための軍閥維持策
決戦なんて起こりようがない

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 06:39:38 ID:a82izyRX0.net
>>130
華北は漢代に森林の伐採が進んで、乾燥化が進んだみたいだし、
唐代あたりになると、漢代の頃より農業生産力がやや落ちていた気がする。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 10:47:54 ID:V3c6qb9S0.net
関中は秦の時代に開発を進め過ぎたのかもね。
当時は先進地域となれた反面、以降の開発余地がなくなってしまった。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 12:25:06 ID:X2z0DkZt0.net
開発の余地ってなんだよwwww
森林伐採や塩害で土地が枯れただけ
イースター島の文明が滅んだのも、オスマンが没落したのも全部森林伐採のせい
それが文明史

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 12:50:23 ID:xYCMorHA0.net
人の手が入っていない平野。
それが開発の余地。
しかしそこに人が集まると開発余地はなくなる。
その上で、森林伐採とかがはじまるわけだ。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 17:18:59 ID:FVGEt08g0.net
諸葛亮は不運過ぎる
自分に出来ない事を補ってくれると思ったホウ統、法正、馬謖が次々死亡
作戦の立案なんかもほとんど一人でやったんだろうなあ

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 23:22:05 ID:1W/BLGO50.net
■最強は■五虎将軍■誰だ■
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1188962254/

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 14:03:05 ID:ijJ23HLS0.net
今の蜀道↓

http://home.focus.cn/msgview/1398/76563796.html

http://www.yododo.com/photo/5A7400EA0FF566ED010FF629D726006E
http://www.yododo.com/photo/5A7400EA0FF566ED010FF629D7A3006F
http://www.yododo.com/photo/5A7400EA11A03AE90111A0DA00040287


139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 14:42:26 ID:O6AMGzuw0.net
北伐の頃の蜀の軍師は・・・

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 15:13:33 ID:4l3LBCEe0.net
>>138
蜀って、よくもまあ早いうちから中国に入れたものだと思う。
普通、あんな地勢なら中原からは国家としても、民族としても、
独立した存在になっていそうだし。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 15:29:19 ID:lK1u6IzI0.net
流刑の地だった蜀… というか四川の地は
それだけ政争でやぶれた知識人も多く流されたので
かならずしも野蛮な気風ではなかったのだろう。
しかし、だからこそか、四川という地方は中国史の中で
異彩をはなつ存在といえる。
統一王朝も、ここの統治には苦労しているようだ。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 20:59:52 ID:hutohQZk0.net
日本でいう四国みたいなものだな
野蛮ながら政治犯が流されたり貴族が移住したり海賊がいたり
江戸時代にはよそ者に統治されたり現代では日本の3%の力しかなかったり

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 23:44:44 ID:sNQ57bUJ0.net
諸葛亮の評価は
優れた軍人であり、ずば抜けた政治家
で合ってる?
天才的な軍事的才能を持つは言いすぎだよね?

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 00:44:49 ID:r89iVYdH0.net
諸葛亮は朱子学で過大評価されている
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1190128235/

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 15:27:56 ID:QpzsAkeYO.net
劉備に皇帝を譲ると言われたのは孔明だけじゃなくね?
李厳も言われたのに何故触れないんだろ?
しかも蜀という国の中の位では李厳の方が孔明よりも上位だし。北伐は李厳と魏延で行ったら良かったんじゃ。
魏延も軍師に任命されてたし。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 16:39:20 ID:fa5zScBqO.net
要するに篤実さと謹厳さが売りの官僚だからな。
魏延のほうが将帥としてはるかに大器だろう。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 02:58:12 ID:Kc+bu+130.net
魏延と比べるなよ
李厳ならいい

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 02:35:24 ID:auWokST20.net
>>118
クリムゾン自粛汁

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 23:39:58 ID:hIQykCx/0.net
>>140
最初、秦に編入され、その秦が天下を統一したのが大きかっただろうな。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 19:40:03 ID:StA8lDg/0.net
中国史上最強の軍師は誰だ?
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1192760012/

151 :名無し@孔明:2007/10/20(土) 07:54:22 ID:4lCzlsnz0.net
馬稷みたいな若者を先陣に送ったのがいけないんだよwここは関羽の息子関興を行かせて後詰で馬稷を送ったほうがよかったのでは?
それより王平ナイス!

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 15:42:32 ID:iUP7/uCkO.net
馬謖が駄目なんじゃない。
見方によっては手堅く持久戦に持ち込もうとしたとも言える。
敗因は馬謖にあるんじゃなく張合βの卓越した戦術眼。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 16:08:32 ID:IhTycGxG0.net
関興とか冗談きついです

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 18:49:06 ID:ajhQRtGF0.net
>>152
ただでさえ兵站が弱いのに持久戦選ぶなんて、卓越した戦術癌だな。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 20:07:38 ID:iUP7/uCkO.net
>>154
アホ発見www

お前は当時の蜀軍の動向を調べ直せ。
もし馬謖が一月でも張合βを足止め出来れば北伐は成ったも同前。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 20:16:19 ID:DrnG7hTE0.net
馬謖の役目としては、ロウセイが掌握できるまでの時間稼ぎでしょ
1ヶ月で城が落ちるかは妖しいが
あと、囮にかかった曹真が戻ってくるかもしれんしな
実際は馬謖が張コウを上手く抑えてても、難しいとこだったと思う

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 20:48:57 ID:7v6PA6BKO.net
もし日本がミッドウェー海戦で勝ったとしてもサンフランシスコまではとてもいけなかっただろうしな。
国力差が違うの、国力差が。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 20:52:44 ID:iLysiTKY0.net
日本の場合は国力差もだが、向上心がなかったことも大きい。
強大な相手に、どうすれば勝てるか、を考えなかった。
兵器の開発もだし、国家戦略にしても基本はゴリ押しでなんとかなるだろう、と。
その辺は、諸葛亮独裁の蜀とは、かなり違うところだとは思うがな。

あるいは日露戦あたりが、諸葛亮時代で、太平洋戦争は姜維末期の頃とか?

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 18:01:32 ID:f50HwOZx0.net
後漢代の四川省に製鉄所、「蜀」建国の理由に迫る発見か

中国・四川省の古石山(こせきさん)遺跡で、愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センターと
成都市文物考古研究所などの日中調査隊が、後漢代(1世紀ごろ)の製鉄遺跡を発見した。

中国の中心部である中原(ちゅうげん)以外で、漢代の製鉄跡が見つかったのは初めてで、
221年に劉備が、この地域に三国時代の「蜀(しょく)」を建国した理由を解明する上でも
重要な発見として注目される。同大で27日午後に報告される。
秦の始皇帝(在位・紀元前221〜210年)が現在の四川省に鉄生産の役所を置いたとの
記録があることから、調査隊は同省内で昨年から発掘調査を行ってきた。その結果、
今年6月に、成都市蒲江(ほこう)県の古石山遺跡から、高さ1・5メートル、幅最大1メートルの
レンガ造りの製鉄炉の跡が出土した。炉は4メートルほどの高さがあったと推定され、
日本では幕末から明治にかけての製鉄炉と同じ規模という。

調査に携わった村上恭通・愛媛大教授(考古学)は「諸葛孔明や劉備たちは
山間部の蜀に追い込まれたというよりも、鉄を得るために
積極的に入っていた可能性がある」と推測している。

(2007年10月27日14時32分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20071027i506.htm?from=main5


160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 18:37:19 ID:RWglqk1e0.net
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1193473859/l50

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 19:17:00 ID:dPLtISBhO.net
戦術的に街亭の戦いで山頂に陣を取る方法をとった馬謖の行動は決して間違いでは無い



162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 23:54:09 ID:cPj72IaIO.net
間違いじゃないが、決して正解じゃない。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 00:57:44 ID:DwfrcYhf0.net
だから劉備の遺言がきいてくるんだよな

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 10:04:46 ID:lXzeeDUIO.net
>>161
同意。
馬謖の使命は「魏軍の足止め」
街亭で持久できればよいだけ。

張合βの使命は「蜀軍の掃討」
すみやかに街亭を通過してロウ西を奪回しなければならない。
そうなると街亭の馬謖軍に対し全力で攻撃しなければならない。
ならば馬謖が山上に布陣して持久の構えを取るのは当然の戦術。

そこで、あえて速攻を捨てて包囲断水を行った張合βの戦術は奇策といえる。
「急がば回れ」とはいうものの、現実に採用するには大胆な策だろう。
馬謖もまさか張合βが決戦を挑まないとは予想できなかっただろう。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 17:42:28 ID:ufRKr44U0.net
完全必勝などありえんのだから
情報が物を言うからな
ちょうこうが上手だっただけだ

山頂に陣を取る方法を愚作だの軍律違反だのいうのは
後付だろ 

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 17:51:47 ID:n4VUG7yQ0.net
>>164
そう考えると、張郃のいくさ上手ぶりがうかがえるな。
愚将なら、やっきになって攻めて、逆落とし喰らってたかもしれんし。
でも、馬謖が諸葛亮の指示を無視したのは、本当のことなんでしょ?
そこをはっきりしとかないと、諸葛亮の人事下手とか言って衝いてくる人もいるしね。



167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 18:22:48 ID:lXzeeDUIO.net
>>166
命令違反というか、
「将、外においては君命にも受けざる所あり」
の典型だと思う。

我々も孔明も、街亭の地形を実際この眼で見たわけではない。
現地指揮官である馬謖と張合βのみが現地を見ている。
そこで馬謖は「高所に布陣して防衛が最善」と判断したんだし
張合βはそれを見て「包囲して枯渇を待つのが最善」と判断したのだろう。

つまり馬謖と張合βとの「現場経験の差」が顕著にあらわれたと言える。
それはすなわち「当時屈指の名将張合β」
に対抗できる将器が存在しなかった事こそが
蜀の最大の敗因だと言える。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 20:41:01 ID:Z+EvVAaW0.net
>>167
で、現場をみた王平は反対しているわけだが。

現場を見ていない司令官と、現場をみた味方の経験豊富な将と敵の当時の屈指の
名将が「山上布陣は駄目」といっているのに、馬謖の策を当然とかいうのは無茶。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 21:41:12 ID:lxbFs1lOO.net
実際に裾野から山頂を攻めるのは大変だよ…逆なら守るにもっとも適している…これは現代戦でも同じ、山頂の攻城戦など攻めるのはもう大変…馬謖はセオリー通りの布陣をした。当時の兵器や軌道力からいったら尚更なのだがね…なぜ孔明が山頂布陣を禁止したのかはわからん…


170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 21:46:24 ID:lxbFs1lOO.net
山頂から一斉に攻めいられる恐怖は心理的にも大変な物…
更に当然ながら見通しが利くので敵の動きもわかりやすい…

それらをさしひいてもダメってのはよほど欠陥な場所だったのだろうか??


171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 21:58:12 ID:lXzeeDUIO.net
>>168
王平は敗戦の中でも功績を挙げ処罰を免れている。
つまりは生き残った側の人間。
その言い分が完全に時系列的に正しいとは言えない。
勝者は後出しジャンケンが出来る。

張合βの読みが外れて、馬謖軍に十分な水と食料があり
包囲戦が時間の浪費となった可能性だってある。
いや張合βも心の底では危惧していたに違いない。
結果は勝利できたが、本来なら非常に投機的な戦術。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 21:58:54 ID:I5qm5Row0.net
はい、問題です。
蜀軍山頂に布陣。
魏軍に遠巻きに包囲されました。塹壕を掘られて持久戦態勢。
味方はきません。
山頂には水、食料が余りありません。
どうなると思う?


173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 22:06:36 ID:WxDO2fEsO.net
>>168
王平は確か第一次北伐が初陣じゃなかった?

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 22:12:32 ID:lXzeeDUIO.net
>>168
あと史書を確認したが、
孔明も王平も「山上布陣はダメ」とは言ってないが?
「水路を捨て高所に布陣した」とはあるけど。
それって結果論じゃない?

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 22:21:59 ID:lXzeeDUIO.net
>>172
はい、問題です。
蜀軍山頂に布陣。
ロウ西諸郡は救援を待ち望んでいます。
蜀軍は一万強。こちらは数倍の兵力があります。
この街亭の敵を撃破すればロウ西まで一躍駆け付けられる交通の要衝。
でも山上の敵に頭を押さえられた状態では足止めされてしまいます。

あなたが魏将ならどうしますか?

1、全力で蜀軍を攻め、ロウ西に急行する
2、山上の蜀軍を無視し、退路を絶たれる覚悟で強行突破する
3、ロウ西の救援を後回しにし蜀軍を包囲する

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 22:23:04 ID:qE+9IrdX0.net
謖舍水上山、舉措煩擾、平連規諫謖、謖不能用、大敗於街亭。(王平伝)
謖違亮節度、舉動失宜、大為郃所破。(諸葛亮伝)

馬謖の敗因は、
1.水路を捨てて山頂に陣取ること。
→水源を捨ててしまったことがより悪手と思われる。
2.指揮が煩雑を極めた。
→要するに指揮が下手。

水源を絶たれたことにより戦略的に不利に追い込まれ、戦闘指揮そのものもダメ。
これで勝てたら不思議の勝ちだよな。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 22:30:47 ID:qE+9IrdX0.net
>>175
急がば回れという俚諺もある。
街亭さえ撃ち破れば蜀軍は引き返すしかないという状況なら、
優先度は隴西諸郡の救援よりも諸葛亮が来るよりも先に街亭を陥とすことの方が上だったんじゃないかな?
史記にもそんな話があったよね?

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 00:37:00 ID:NrN/wIOH0.net
補給こそが北伐のテーマ。
蜀軍のか細い桟道を伝って秦嶺山脈を越える補給ルートというハンデは想像以上に大きい。
大軍を動かすには大量の食料がいる。
大体、撤退の事由は食料不足。
諸葛亮をもってしても、このハンデは克服することは出来なかった。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 19:05:09 ID:c5LosMPJO.net
馬謖も兵法に通じ、あの孔明が後継者と言わせるほどの麒麟児だよ…
水も食料も乏しいなかであえて、その地に陣を張ったってのは凡人にはわからん何かがあったのだろう…確かに王平は幾多の戦いの勇者だが凡人だよ…


180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 19:14:00 ID:c5LosMPJO.net
魏軍も、馬謖に対向して張った陣に、山頂からと片方からの蜀軍に挟み打ちにされたら全滅の恐れだってあった…
それほど山頂に張る陣は高い優位性がある
多少の水や食料のハンデがあっても通常ならぜがひにでも高い場所に陣を取るのが普通

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 19:16:38 ID:No4hO7YG0.net
>>179
劉備はアイツはダメ!って言ってんじゃん

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 19:23:15 ID:XxWb+8ogO.net
馬謖にとって最大の誤算は張コウが攻め寄せてこなかった事。
まさか急ぐべき魏軍がゆったりと兵糧攻めしてくるとは予想しなかっただろう。
というか、この張コウの戦術は普通なら悪手だな。
百戦練磨の張コウだから採用できたわけで、
そこらの駆け出しの武将なら間違いなく攻撃して撃退されていただろう。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 20:44:21 ID:v4V6Nx6U0.net
>>180
食料や水を確保して高所を維持するのが普通。
よほど短期で決着をつけたいのなら輜重を切り捨てることもまれにあるが、
飲食にハンデを抱えても高所を取るのが普通なんて聞いたこともない。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 20:45:43 ID:LG8frYvr0.net
馬謖が短期決戦を望んだのはわかるがそりゃ博打ってもんだと思うが

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 20:51:02 ID:c5LosMPJO.net
そうだな、馬謖もそれを狙ってたんだろな…長期戦は予想外だったんだろ…
孔明は実は勝てる戦いしかしない臆病物だったのではないか?って気がする…

馬謖に普通に陣を張るように指示って、勝つというより負けない算段だったのでは?って気さえするけど…
孔明はホンとに天才だったのか??

臆病物だったんじゃねえのか?

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 20:54:34 ID:c5LosMPJO.net
馬謖は蜀の食料不足を知っていたからあえて、その作戦を取ったはず…

蜀の食料不足は慢性的なもんだから、短期決戦しか無いと馬謖は踏んだんではないか?

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 21:04:55 ID:Kb/n9U/10.net
>>185
諸葛亮が天才かどうかはともかく、勝てるいくさしかしない、というのは誉め言葉だよ。
本来、名将というのは戦うべきときと、退くべきときを心得ている者を指す。
少数で大軍を破るのだけが名将というわけではないからね。
かといって、実戦なく不敗とかいわれてもアレだけど。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 21:22:16 ID:c5LosMPJO.net
孔明は総参謀長、軍司令長官、軍大臣を全て兼任しての絶対権限を持ってたんだから悪い意味の問題も起きるよな…
組織の硬直化とか考えに逆らう奴は悪者扱いとか(魏延とか?)


189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 21:34:46 ID:XxWb+8ogO.net
>>188
それはないだろう。
そんな小賢しい事をする人物が古今の名宰相と呼ばれるわけがない。
軍司令官としての手腕はともかく、組織の長としては比類なき人傑。

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 21:42:34 ID:cqWxKka00.net
ID:c5LosMPJOは基本的な事をまず押さえろ。
街亭への派遣にさいして馬謖が課せられた任は諸葛亮の本隊が来るまでの時間稼ぎ。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 22:20:57 ID:NrN/wIOH0.net
だから、馬謖は応用が利かなかったんだって。
孫子の兵法を知っていても実戦で活用できたのはむしろ王平の方。
基本に拘泥しすぎて、百戦錬磨の張コウに見透かされた。
給水路を捨てるなんて下の下。喉の渇きに、人は耐えられるものではない。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 22:51:16 ID:PClwPpjIO.net
食糧さえ不足してなければokだったの?
魏に高地に陣をしかれた場合のデメリットは?



193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 23:20:56 ID:cqWxKka00.net
>>192
「舉措煩擾」「舉動失宜」から考察するに馬謖は指揮がダメだったみたいだから意味なさそう。
馬謖は一知半解の見本な感じ。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 23:54:29 ID:XxWb+8ogO.net
馬謖は「パーフェクトゲーム」を狙いすぎたんだろうね。
街道に布陣して、魏の攻撃を防ぎつつ戦略的に後退して
張コウの疑心を誘う戦術をとれば充分な時間稼ぎにはなった。
それで敗退しても結果として任務は達成となる。

ところが、「逆落としに迎撃して撃滅する」という欲をかいたがために
老練な張コウの前に惨めに敗れ去った。

策士策に溺れるというか才気走りすぎて自滅したというか…

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 08:57:47 ID:uyq/90u20.net
>>182
何で兵站で有利な迎撃側が急がなければいけないと思った?
本当に急ぐべきは兵站の弱い蜀軍だろ。

>>187
勝てる戦しかしないのは確かに褒め言葉だが、孔明の場合しっかり負けてるから。

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 12:57:58 ID:QeX18EZ60.net
>>185
>馬謖に普通に陣を張るように指示って、勝つというより負けない
算段だったのでは?って気がする…

仮に、そうだったとしても馬謖が自分勝手に決めて
大敗北を喫するよりマシ。
それに君が臆病者だと思う孔明に取って代われるほどの
人材が蜀にいるのかな。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 13:33:11 ID:QUjcVn59O.net
>>195
>何で兵站で有利な迎撃側が急がなければいけないと思った?
>本当に急ぐべきは兵站の弱い蜀軍だろ。

この場合は逆。
当時の情勢をよく考慮しなければならない。
蜀はすでに3郡を降した。
いま必要なのは魏の正面兵力の撃破ではなく
降した3郡の防備態勢を固める時間。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 14:37:34 ID:yDVpy/Id0.net
>>196
劉備の信用の篤かった魏延や呉懿が普通に適任。
特に魏延は対魏戦線の最高司令官だしな。
あと、孔明の北伐は単に荊州派閥の地盤強化の為の出兵だろ。
わざわざ周囲の反対を無視してまで馬謖を先陣に据えたぐらいだ。
結果は失敗に終わり、更に馬謖が脱走騒ぎ起こして処刑と散々だったが。
その後の北伐は、形だけ右将軍に降格しつつ実権は全く手放さなかった事を見ても、
初回の失点分を取り戻す事が第一目標と見るべきだろう。
その年の内に陳倉へ出兵して再び敗退、翌年更に出兵して今度は住民拉致に成功し、
非常にあっさりと丞相の地位に返り咲いている。
その程度の功績でなれる程、丞相の地位は安く無い筈なんだがな。

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 13:26:14 ID:iojTzPYI0.net
>>198
まあでも、魏延や呉懿が孔明の変わりをやったとしても
結果的に魏には勝てなかったんじゃないかと
思ってる俺は間違ってる?

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 13:44:14 ID:z3hYj8oF0.net
>>199
街亭を馬謖の代わりに呉懿や魏延が守っていたら十分勝ち目はあったんじゃないかな?
王平なんか街亭の時も231年の時も張郃の攻めを凌いでるところを見ると、王平自身の抜擢は難しいものの歴戦の勇将であれば街亭を守りきれた可能性は高いと思う。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 15:25:24 ID:iojTzPYI0.net
レスありがとう。そういう考えもあるんだな。
そういう大事な要所を孔明は何故、馬謖なんかに任せたのだろう。
馬謖ってこれ以前に、この大任を任されるような功をあげてたっけ。
それとも、ただ孔明は自分の息の掛かった部下に
任せたかっただけかな?

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 01:49:27 ID:1hjxV5gw0.net
やっぱり心を攻めるが上策がきいたんじゃね

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 07:09:21 ID:SQDtbmzu0.net
でももともと馬謖の任地で動乱が起きてるわけだしな…。
弟子の不始末を師が拭ったわけだ。
劉備が「口先だけの男だから、大事は任せてはならぬ」という表現は的を射ている。
馬忠の評価も当たってるね。
「(夷稜戦で)私は黄権を失ったが、代わりに弧篤(馬忠)を得た。これは世の中に賢者が少なくないと言う事だ」と尚書令の劉巴に語っている。


204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 13:14:40 ID:XvcKYSRn0.net
元々馬氏と孔明は親戚の可能性もあるそうだし、
単なる身びいきだよ。

成功の可能性が有ったのは第一次だけなのにな。

四次以降になると、仲達や明帝ら魏首脳陣には
補給が繋がらないことを見透かされて、
ダラダラと持久戦に持ち込まれ如何ともできなくなった。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 15:38:39 ID:IlZW2l5ZO.net
なぜ街亭に馬謖を派遣したのか仮説を立ててみる。

街亭守備軍の規模が理由じゃないだろうか?
長駆して街亭まで進出する部隊であるため、数万もの軍勢では到着に時間がかかる。
そのため、馬謖に与えられた軍は一万以下と推察される。
このあたり兵力の記述あったっく?「大軍」とあった記憶はあるが。
一万以下で、工作兵など設営隊を同行したとすれば
実戦部隊は五千強ぐらいかも知れない。
五千強程度の戦闘指揮官としては魏延や呉懿だと役不足。
馬謖など部将レベルが適任となる。

街亭の敗因は、蜀軍の年功序列人事がもたらしたものと仮説してみる。

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 11:07:54 ID:ifk7Z6HoO.net
孔明が三軍の長
この場合、総参謀長兼軍司令長官兼軍務大臣兼任が悪い方にでたと思う。
孔明に法正なり鳳統なりの有能な副軍師がついていればなあ

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 11:29:26 ID:tD04ZSnm0.net
>総参謀長兼軍司令長官兼軍務大臣兼任が悪い方にでたと思う。

孔明はなんでこんなに兼任したんだろう?
他にふさわしい人材がいなかったからか
孔明が私欲で独占したか、どっちなんだろう?

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 12:25:28 ID:0LaPiBQb0.net
曹操とおんなじことだと思うが

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 12:58:49 ID:Gf3XZ7/z0.net
ある程度権力と権限を集中しておいたほうがやりやすいという事もある
だからといって兵の裁判までやるのもどうかと思うが

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/15(木) 10:05:17 ID:pEKODIGS0.net
武都は曹操の漢中強制移住の煽りで無人に近かったようだな。
張飛と馬超が武都に陣取ってるのに城を出て戦い曹洪に敗れているのも、
城に篭っても補給が出来ず、遠征してきた曹洪より先に飢餓状態になる恐れがあったからだろう。
そうすると武都が20年後にほとんど無視されたのも頷ける。

曹操の漢中放棄は最後の統一好機を逃して守りに入った証拠という見方が一般的だが、
蜀の北伐の芽を毟り取ったという点では、自分の死後を見据えていた慧眼といえる。
漢中近辺20万戸が関中に行ってるんだから防衛生産能力も上がっていたんだろう。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/15(木) 21:34:42 ID:zjynSMfy0.net
>>210
>蜀の北伐の芽を毟り取った
>漢中近辺20万戸が関中に行ってるんだから防衛生産能力も上がっていたんだろう。
これは表現がちょっと違うだけで、「守りに入った」そのものじゃないのか?

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/16(金) 06:50:51 ID:e5z0+99J0.net
鳥の肋よのう。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 17:00:54 ID:LRAg0j7e0.net
なぜ街亭に馬謖を派遣したのか

手柄を立てさせて自分の後継者にしたかっただけだろうよ

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/17(土) 17:25:04 ID:G39Qng8cO.net
そんなの稀によくあること

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 04:19:22 ID:SuBdvbCU0.net
蜀が魏を滅ぼす可能性ってのはほとんど無かったんだよね?

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 11:04:29 ID:vy1Nu/AJ0.net
まあ、滅ぼせるより失敗する確率のほうが格段に高かったのは事実だ

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 11:40:23 ID:rFSQmkec0.net
諸葛八卦村ってなんかインチキくさいな。


218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 22:20:01 ID:5GpOMx5l0.net
日本での落ち武者が祖先の村みたいもんだ
日本中国問わず世界中でよくあること

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 20:17:09 ID:E1vUx7Un0.net
アンチ孔明スレにおける諸葛亮ファン+シンパ+擁護派のみなさん
アンチに対する大勝利おめでとう! 結局、感情的な中傷以外の有効な反論は全くでず
奴らの正史読みの浅さを露呈しました!
中立的な歴史ファンも基本的に味方してくれました

魏晋バイアスのかかった正史に対する疑念など読み応えばっちしのスレでした
(連中のレス以外はね)
これで安心して中国英雄最高の知名度をもつこの人を好きといえます!
ありがとうございました!

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 03:52:59 ID:qrGh/LwP0.net
諸葛亮って漢民族?

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 21:01:23 ID:wEaYfEHeO.net
寒民族

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/12(水) 10:30:06 ID:10CpU6mNO.net
諸葛村ってさ

呉や魏の諸葛氏の子孫が作ったんじゃないの?

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/13(木) 03:29:45 ID:jxUsTOGp0.net
「漢中は蜀と切っても切れぬ物で、中原側から維持するのは無理」
って曹操とかは言ってたけど、何で姜維はあっさり取られたん?

あと蜀は国土自体が自然の要害で劉備も奪い取るために攻めた時は
かなり苦戦したのに、何故あんなあっさり陥落したん。

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/13(木) 08:34:58 ID:ZpQNagIj0.net
>>223
鐘会は実は超天才軍略家
+
防衛ラインをちょっと弄ってる隙に攻め込まれた

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 21:02:13 ID:9G1NH5/20.net
>>223
つ > 「中原側から維持するのは無理」

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 00:42:25 ID:2+fWghbl0.net
>>223
兵士が居ない
武将の裏切り

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 00:44:15 ID:2+fWghbl0.net
>>222
諸葛孔明の息子の次男が祖って話だよ
鐘会の時に亡くなったのは息子と長男で次男は無事だった(ついて行ってない?)

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/11(月) 20:11:17 ID:MKizApWm0.net
>>223
あっさりには盗られていないいないじゃろ?

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/15(木) 07:47:06 ID:8kP0qY120.net
劉備と諸葛亮って、守ってる敵には何もできなくなるね。
呉のシュウユ、リクソンみたいに守ってる敵に火攻めを・・・とかして欲しかった。

北伐で思ったのが、魏の進行が長雨で失敗した時、魏延を涼州に進行させてるよね。
北伐にカウントされてないような気がするのだけど?

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/16(金) 00:17:01 ID:1P7MGxNs0.net
諸葛亮は絶対に大きな被害が出ないような戦い方をしてる
見通しが悪くなったら即撤退
撤退戦でやたらと敵将を殺してるのも始めから撤退することを前提に侵攻してるからじゃないのかってくらい

大敗を厭わずに攻めまくった姜維が北伐開始して10年で蜀が滅びたの考えるとこの路線が正しかったんだろうけど

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/21(水) 07:16:02 ID:9F6Zrd+t0.net
やはり諸葛亮は一代の傑物だったと思うよ。
器用貧乏と言えばそれまでかもしれないが、それでも内政兵站戦略戦術の全てで一定の結果を残している。
これで蜀にもう少し人材がいれば、天下統一とは言わずとも、もう少し存続はできたんじゃなかろうか。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/21(水) 21:26:08 ID:5XQHPuaY0.net
費禕が暗殺されて姜維を止められる人間がいなくなるまではそんなに問題なかったと思う

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/22(木) 20:37:08 ID:K0gu9qs40.net
>>229,>>230
諸葛亮は撤退時に追手を返り討ちにしたのは言うまでもなく
231年の北伐で司馬懿に大勝した時も「迎撃」で勝利している
(王平伝や漢晋春秋を見る限りではそうなる)
だから「受け」の場面で強かったのは確かだろう

逆に守勢の相手だと司馬懿はもちろん
陳倉の郝昭や234年に渭北を守る郭淮にすら勝てなかった
だから「攻め」の場面は苦手だったのだと思う
(蜀漢の軍隊の特徴かもしれないけど)

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/24(土) 11:38:53 ID:oAYNz0O20.net
魏は騎馬メインの機動力、蜀はそれに対抗する弓等の火力に重点を置いたとかって見た事があるな。

それにしても、蜀の勝ちパターンってなんだろう?
劉備だって入蜀とか漢中争奪戦で勝ってるし、諸葛亮は南蛮平定で・・・
北伐は・・・

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/22(土) 11:01:53 ID:kO7ir0Nh0.net
堂々正面からの会戦なら孔明たんの右に出る者はいない
機動でもって敵軍を誘導してやることができればなー
陣地戦とかつまんねーじゃん

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/22(土) 18:07:47 ID:wSCiPzDV0.net
>>233
対照的に、姜維は強襲型だったな。
大敗したからは、誘導・迎撃にシフトしたみたいだけど・・・・・

蜀の勝ちパターンは、人材が早世しない。
これに尽きる気がする。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/24(木) 11:36:02 ID:9+tgVUFD0.net
宝刀が生きていたら北伐は成功していた

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/24(木) 12:49:12 ID:HnISRfNUO.net
安直…

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/24(木) 16:16:16 ID:Vw436pjB0.net
>>237
蒼天航路ですねわかります

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/24(木) 16:17:59 ID:Vw436pjB0.net
ホウ統か、法正と勘違いした

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/24(木) 20:53:08 ID:OwN7DDqA0.net
>>237
その場合蜀の権力構造はどうなってたのだろうか?

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/05(月) 19:24:34 ID:viRj5vFF0.net
>>241
元々ホウ統は諸葛亮の友人兼子分だから権力構造的には
諸葛亮→ホウ統+史実の面々くらいの形で治まるだろうね

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/08(木) 13:12:13 ID:HKjzjMUS0.net
蜀の勝ちパターンは分からんが、蜀が勝ちパターンを永遠に逃したのは
荊州が陥落した時だろう。
北伐にしても、別方面から同時侵攻すれば何かあったかも知れない。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 18:33:21 ID:0XnbGGhE0.net
かといって関羽の件がなかったにしてもいつまで荊州を保持できたか微妙なところ

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/21(土) 20:46:12 ID:lzc8utax0.net
>>235
ただ諸葛亮(蜀漢)側が何をどう思おうとも,
魏は自分の立場で対応すればいいだけだからね。
相手に正面決戦を避けられた時点で対応できなかった時点で,
諸葛亮は「それだけの器でしかなかった」と言わざるを得ないわけで。

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 00:25:40 ID:8d3x9ye/0.net
十分に守備され迂回余地のない地点におかれた要塞を攻略するなんて
重砲も爆撃機も無い時代じゃ無理だよ。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 07:51:21 ID:XsWzccak0.net
>>246
陳倉はともかく他は違うだろ。

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/22(金) 01:11:26 ID:3AFPah4m0.net
>>230
やっぱり政治家が本業の人だから大敗のリスクは負いたくなかったのだろうね。
存続させるのならその路線で正しいのかもしれないけど
本気で勝つ気があるなら総力をあげて決戦に望むしかないと思うのだけれど.

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/22(金) 02:27:17 ID:iyzC4aA2O.net
とはいえ所詮蜀漢は漢復興スローガンを除いてしまったら、只の巴蜀地方政権でしか無くなるんで
王朝と政権の正当性を維持する為には、北伐の様な軍事行動は必要にならざるを得ない訳で。

諸葛亮はある程度というか発案者故に、どこまで蜀漢の国力でやれるかその辺りは理解してやってたが
本気で蜀漢の国力を傾注してやっちゃうと姜維みたいになっちゃうし。
スローガンの為のパフォーマンスも兼ねた軍事行動とマジ軍事力でマジで魏打倒とでは、同じ北伐でも性質が異なってしまう。
まあ姜維は姜維でスローガンの呪縛から逃れられなかったともいえるけど。

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 14:09:03 ID:+jYDrgWK0.net
やっぱり、漢中方面一方向からの侵攻作戦では無理があった
荊州方面からの同時侵攻作戦・・・・・・これが実現していれば・・・・・
鳳統、法正みたいな早逝組こそ、蜀にとって必要な人材だったのも残念
姜維は、>>249の通り北伐の呪縛で柔軟性に欠けていた気はする

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 19:30:03 ID:uSVc+3U9O.net
魏からすればどんな相手であれ、攻め口が漢中方面のみであるのが決まってる。
そこを万全の態勢で守れば魏側に余程の失陥が無い限り凌げるものな。
国力と補給路の確かさは到底蜀が及ぶ所では無いから。
だから蜀は呉の北伐参加を重視してたけど、呉は全国統一やら漢復興は端から念頭にはないんで蜀程本気にはなる筈もない。領国が保全されればどうでもいい訳だし。

やっぱり荊州失陥は致命的。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 17:34:43 ID:nlCN2Sre0.net
呉の世界観は、中原中心じゃなく江南中心だったみたいだからなぁ・・・・
蜀は常に中原を見ていたが、呉との温度差は大きかっただろう

関羽が北上の時期をもう少しズラしてれば、呂蒙も本当に死んでたのにな
まぁ、陸遜いるから結局捕まるだろうけど

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 23:20:54 ID:hUyRAY5J0.net
長安の西方、街亭で行われた北伐第一戦
先鋒馬謖軍が壊滅し、趙雲・ケ芝の囮軍も打ち破られ惨敗だった。
本営に響く失望のため息、どこからか聞こえる「だから長安を突けと言ったのに」の声
無言で撤退の準備を始める兵士たち。丞相の諸葛亮は独り幕舎で泣いていた
益州戦で手にした栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できる君主と将軍たち……
それを現在の蜀で得ることは殆ど不可能と言ってよかった

「どうすりゃいいんだ……」諸葛亮は悔し涙を流し続けた
どれくらい経ったろうか、諸葛亮ははっと目覚めた
どうやら泣き疲れて眠ってしまったようだ、冷たい床机の感覚が現実に引き戻した
「やれやれ、帰って内政の建て直しをしなくちゃな」諸葛亮は苦笑しながら呟いた
立ち上がって伸びをした時、諸葛亮はふと気付いた

「あれ……?本陣に人の気配がある……?」
幕舎から飛び出した諸葛亮が目にしたのは、祁山の本陣を埋めつくさんばかりの蜀軍兵士だった
千切れそうなほどに蜀漢旗が振られ、地鳴りのように軍楽隊の銅鑼が響いていた
どういうことか分からずに呆然とする諸葛亮の背中に、聞き覚えのある声が聞こえてきた
「孔明、出陣だ、早く行くぞ」声の方に振り返った諸葛亮は目を疑った
「か……関羽将軍?」  「なんだ孔明、居眠りでもしてたのか?」
「ち……張飛将軍?」  「どうした孔明、われら悲願の長安攻略戦の始まりではないか」
「劉備さま……」  諸葛亮は半分パニックになりながら部隊配置を見上げた
子午道:関羽 黄忠 法正 駱谷道:張飛 馬超 ホウ統 斜谷道:趙雲 魏延 諸葛亮
 本陣:劉備 馬良
暫時、唖然としていた諸葛亮だったが、全てを理解した時、もはや彼の心には雲ひとつ無かった
「勝てる……勝てるんだ!」
姜維から羽毛扇を受け取り、本陣へ全力疾走する諸葛亮、その目に光る涙は悔しさとは無縁のものだった……

翌日、幕舎で冷たくなっている諸葛亮が発見され、吉村と村田は病院内で静かに息を引き取った

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 21:43:33 ID:5wcuZEy00.net
蒋エンは上庸方面から攻め込もうとしてたけど寿命で未完の計画になってなかったっけ
孔明も姜維も立てなかったところを見るとダメな計画だったのかな?
蒋エンは軍事的に優秀には思えないし

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 02:24:14 ID:Lp3tayU40.net
船で漢水を下る計画だな
成功すればいいが失敗すると簡単には戻って来れない
実行してれば第二の黄権が生まれたかもな

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 05:34:02 ID:h84XHrXb0.net
正史『三国志』 二十巻
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1288181797/

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/16(水) 21:36:49 ID:bbW0wtAp0.net
>>251,>>252
呉自体はとりあえず自己勢力の維持が第一目標で,
魏に屈服するのも蜀に屈服するのも嫌なのは同じ。
その上で,うまくいって中華統一できたらいいな♪って感じだからね。

いわゆる蜀信者や諸葛亮信者やらがそのことを全く考慮しないで,
諸葛亮の北伐に協力しないとか何とか文句を言うのは,
他人には他人の価値観があるってことを分かっていないからだけど。
(魏呉間の戦いがどれだけあったかなんて知らないだろうから。)

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/22(火) 17:28:12.57 ID:Q+txs6j+0.net
どんな考察をするのも自由。違うと思うのならその理由を言えばいいだけ。
気に入らない意見をなんでも信者扱いして馬鹿にするのはやめたら?
他人には他人の価値観があるんだから

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 21:48:21.56 ID:M8W4wBKS0.net
>>258
そりゃあ,考察するのは自由だし,根拠が示されていれば一意見として尊重されるべきだ。
自分と異なる意見だからって,それだけで他人の主張を否定しちゃいけないのも当然だ。
でも,根拠もないのに自分の都合だけで主張していたら,馬鹿にされるのは当たり前だろう。

で,呉が蜀の北伐に協力しなければならない根拠なんてあるのか?
逆に,蜀が呉の北伐に協力しなければならない根拠なんてあるのか?
234年を除けば,両者とも好き勝手にしか動いていないのだが。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:00:24.85 ID:E1+DX5uK0.net
食料が・・・足りません・・・

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 07:11:51.85 ID:tmqRTF530.net
>>260
そういえば,諸葛亮って自力で麦を刈り取った記録はあるけど,
現地民から食料を供出してもらった記録はないな。

隆中対では食料持参で歓迎してもらえると言ってたけど。

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 15:12:13.35 ID:g8T1xlrE0.net
2chでも最下位争いをする過疎板で独り言ですか

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 20:22:38.11 ID:E1+DX5uK0.net
>>262
独り言、がんばってください!

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/21(火) 00:18:06.07 ID:vX/ZYXad0.net
ほしゅ

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 16:03:55.09 ID:VjGz9A/j0.net
諸葛亮が今の日本の総理だったら何をするだろうか…

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 02:42:06.00 ID:NNGCyZ1p0.net
諸葛亮のような全て自分でやらないと気が住まないタイプは過労死するだろうね

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 22:59:32.96 ID:rBboxklOO.net
>>249
出兵のタイミングは良いとは言わないが悪いとも言えない
魏の兵站構築の難しさは蜀程ではないがあまりよくない
ただ攻めきるべきで攻めきれなかったりと疑問があるのも確か
名将ではないけど凡将でもない指揮官としては一流だが
まあ結果論として武運は無かったな

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 23:01:58.74 ID:6nMAXI7P0.net
モンゴメリー シバイ
ロンメル   諸葛亮




269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 07:04:54.03 ID:HFCuD8Xt0.net
>>267
逆に守るほうだったら,ほぼ完璧に任務を遂行できたと思う。
諸葛亮の慎重さは,負けちゃいけない場面では力を発揮するだろうから。
しかし,勝たなきゃいけない場面でも慎重すぎたから勝てなかった。
守る側だったら名将扱いで,攻める側だったら良将止まりか。

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 14:08:47.43 ID:FjAiy7qo0.net
俺ならできたな

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 17:00:08.05 ID:Mm7Ac3040.net
やっぱりできたか〜

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/08(土) 10:28:06.21 ID:rTcR4D/M0.net
ですね

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/08(土) 10:44:59.69 ID:jlMYD+WyO.net
陳沈と運黄っかっこ良いよね

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/08(土) 22:18:47.59 ID:A7Oa+WWEO.net
国力の差、蜀の人材不足は孔明といえど如何ともし難い

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/09(日) 00:58:50.40 ID:68paqpMW0.net
北伐で魏国内の動揺を誘いつつ、呉と連携して軍事侵攻が狙いだったと思うが、
国内は司馬懿が平定、呉はヘタレだった。

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/09(日) 01:00:16.16 ID:H8005wIg0.net
プロボクサー迫田大治選手(横田スポーツ所属)は我が皇国の星です!
【反在日国粋主義者】界の若きチャンピオンです!
http://mimizun.com/machi/machi/tama/1317574365.html
【反在日国粋主義者】のみなさん後援会発足にご協力と寄付をお願いします!

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/11(火) 00:56:49.95 ID:7ISMis1o0.net
司馬懿と君主劉禅が運の尽き
国力差が開く一方で君主がバカなら
自分の死後の先が見えて無理な北伐を強行したと思う


278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/29(土) 23:09:44.78 ID:zeb9IVec0.net
>>269
蜀に引きこもっていたら魏から当分(呉をどうにかするまでは)放置されていただろうから
防衛戦で将才を発揮する機会は得られず、一宰相として終えるだけだろう
それに前線は魏延が守る、孔明は援軍を送り出す側だから将としての評価は得られない

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/30(日) 10:32:57.82 ID:5kKqiDeP0.net
>>278
それは諸葛亮が魏側で守っていたらって話。

そりゃ諸葛亮が蜀に籠っていたら放置されるのは貴説のとおりだけど。

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/01(火) 02:37:08.69 ID:yLs9EW8M0.net
>>279
孔明が魏に仕えるなんて言い出してたら
爆裂!超熱血史家の裴松之に怒られるで?

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/07(月) 20:38:27.42 ID:0igJVRsj0.net
蜀ってなんやかんや言っても所詮諸葛亮の独裁国家だったからな。

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/01(木) 16:28:40.71 ID:/YfKLVZZ0.net
曹操や司馬懿と違って忠臣のまま死んだ

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/07(水) 07:26:13.52 ID:rbD6qzMDO.net
姜維の北伐と比べてどっちが成功率があったか

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/07(水) 17:39:04.61 ID:1Hod99kt0.net
成功率は何とも言えないが、諸葛亮は国力の案配を見ながら北伐をやってたから
長期計画として適宜に作戦遂行が可能だったが
姜維の場合、北伐に国運を賭け仕掛けていたので勢い自転車操業気味になり
トウ芝らが抑えを掛けてる内はよかったが重しが無くなった途端にご存知の通り。

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/15(木) 12:49:44.00 ID:/lcRKCgl0.net
攻めの脅威、守りの所轄か…

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/16(金) 20:47:25.41 ID:GHvWRyv/0.net
功績序列を今作るとしたら、どうなるかな?top20位で

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/21(水) 19:13:42.94 ID:RTp1I5SP0.net
>>286
それは守り切った曹魏側の話なのか。
それとも勝てないまでも一応頑張った蜀漢側の話なのか。

仮に双方合わせて考えるのだったら,
最初(228年)には自ら長安に赴き,
最後(234年)には司馬懿の軽挙妄動を戒めることで,
長安以東に動揺を波及させなかった曹叡がトップになると思うのだけど。

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/09(月) 18:03:04.59 ID:4pn9+HMA0.net
関羽はなんで士大夫と強調しなかったのかね
士大夫と強調して呉の動向に慎重になってれば荊州は失わなかったよ。
そもそも、関羽は士大夫を嫌ったのかね?
わけがわからないよ

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 18:20:34.52 ID:NXFeOmo0O.net
そもそも関羽を荊州のトップに置かなきゃならない劉備一党の人材不足が悪い

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/11(水) 21:36:22.22 ID:66PtGFKI0.net
関羽は夏候惇や夏侯淵の同類だからトップに置くのは仕方がない。
せめてその脇を固めればよかったのだろうけど,
主流派が益州に行ってしまって残留者が二流扱いされたからグレるのも仕方がない。

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/29(水) 15:44:09.73 ID:2CnSP4Bn0.net
荊州は関羽じゃダメだよ〜
黄忠・魏延などの荊州武将と趙雲で守れば十分に守り切れた
変なプライドのある関羽じゃね・・・

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/29(水) 16:34:34.26 ID:RTkg+OL60.net
新参の2人と当時は近衛隊長レベルの立場の人間じゃ難しいでしょ。
どうしても劉備の信頼出来る人間を置かないと安心出来ないから
残留するなら関羽か張飛のどっちらかになるわけで。

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/29(水) 19:43:36.16 ID:BPh6dDtY0.net
魏延じゃ実力は十分でも箔が足りない
そいつがそこにいるだけで相手がビビるくらいいでないと

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/08(木) 22:53:12.12 ID:lVinRxEB0.net
関羽には独自に兵を動かす権限を与えたのが不味かったな。
特に『仮節』を与えるべきではなかったわ

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/07(月) 07:57:44.50 ID:rXGgQiks0.net
鎌倉高校卒業
多摩美術大学卒業

牧野恵美子は
腹黒い

296 :kafka:2012/05/11(金) 21:08:29.75 ID:LF4imkND0.net
蜀の土が貧弱た。食糧が足りない

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/05(木) 09:43:11.85 ID:8zF21mVL0.net
蜀は天府の地とか言われていたのに・・・
生産<消費だったのかな?

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/28(土) 13:39:08.95 ID:saRpTyq30.net
諸葛亮大丞相様は逆族魏を打たんとした英雄
だって考えてみ
蜀は国力ないんだよ、だからやられる前にこっちが打って出なきゃ
守るのは難しいんだよ

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/03(金) 06:42:59.28 ID:RUR8qKZA0.net
蜀の面積は日本の約2倍あるので国力ないはいいすぎ
関羽は徐州時代にカヒを守りきった実力者。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/14(火) 13:48:02.04 ID:OCDbVHTy0.net
事を謀るは人に在り、事を成すは天に在り。

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/14(火) 13:50:08.15 ID:OCDbVHTy0.net
漢丞相諸葛亮


302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/14(火) 13:59:54.61 ID:OCDbVHTy0.net
諸葛亮の考えは弱い蜀漢と呉が結んで強い魏を討ち滅ぼし、
その後に蜀漢と呉で天下を争うと言うも。


303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/14(火) 16:27:12.87 ID:K9305eqD0.net
「諸葛亮孔明は私と同じ普通の人間じゃない
234年八月に五丈原で流れた星はこの銀河を統括する情報統合思念体が
押した諸葛孔明の解除スイッチ、そしてそのスイッチを押されたら
孔明は消えてなくなるはずだった、だけど肉体は残され
その抜け殻は漢中に葬られた
そして私も今年8月23日に情報統合思念体によって
解除スイッチを押される、その時にもまた星が落ちる」




         _/: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :\
     ー=ニ ァ: : : : : :/: : : :/: /: : : : :、: : : :`ヽ: : : : ヽ
        / ,: : : :〃: :/: : /: │: : : : :lヽ: : : : ハ: : : : :.ヽ
.       / / : : //: :/: : /: : │: : : : ::|: :!: : : : i|: : l: : : :ヽ
      / イ : : : l |: :│: :j : : ∧: : : : :l: :|\: : i|: :│: : : :.\
      l/ |: : : :| l: :∧: :ハ: : l  '.: : : :ハ j  ヽ i|: :│: : : :}
      ││: : l|│ナ下/-ヽ |  ヾ: :/_ム'― 弋|: :│: : ! j
        j. │: : |i V ,ィテ圷、ヽ   ∨ ィチ示k l: : ト: : W
         ヽ: : |  ハ` Vf:::::i}       Vf:::::i} Y|: : ム N
          ヽ |ヘ i l  ゝー'       `ー'' ハ!: :,) }i|
            `l: :ヽム        '         /:/: :ルイ
            ', : : |ヘ、     ‐       ィ' /: :/
            ヽ: :lヽ >,、       イ/7: :/
            \! V厶|>ー <レ_'/ //
              , '´/ノ      L、 /
               ,.-'   | ___._   | `ー、
         _..-‐'´     |´  _` ー<|   `ー、_

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/16(木) 20:00:57.85 ID:I8hSgEMB0.net
日本はNarutoのペインみたいなもの。次の未来の礎になった。
http://www.youtube.com/watch?v=7QQzmAQ7wEc&feature=related

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/09(日) 20:52:07.83 ID:M/ycNk2F0.net
http://www.dailymotion.com/video/xti4jn_yyyyyyyyyyyyyyyyy_news

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/21(土) 06:20:27.94 ID:DRV6Q4pD0.net
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/09(月) 19:40:14.85 ID:UGpYgylp0.net
劉禅がダメ君主で宦官黄コクに入れ知恵されてるのを知りながら

どうして諸葛亮は陛下をおいさめしておいてくれ、と文官に頼んだのか

あれだけなにからなにまで自分が自分が、と他人に任せることをしない諸葛亮なのに。

要するに人使うの下手くそか

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/11(水) 07:08:19.84 ID:Vt1B8bvTO.net
どこからつっこめばいいのかな

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/03(金) 07:16:29.30 ID:I98gereu0.net
まとめると諸葛亮はなんでも自分でやろうとして追いつかなくなった人材の運用が下手な奴だったということだね

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/03(金) 23:57:47.70 ID:BoU1Xz8V0.net
>>309
マルチすんなよクズ

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/04(土) 02:10:31.98 ID:dPFi+6K20.net
だからさ、これをマルチとかいうのはバカ丸出しだろう
これだから諸葛亮ファンはw
まだギエンガーとか言うのかww

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/04(土) 04:42:21.73 ID:M6lTsq0q0.net
エルチすんなよラグ

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/04(土) 14:11:44.56 ID:MdZpa6Oy0.net
マルチがどうのは別にしてもバカがまとめるとなんて言い出すからおかしくなる

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/04(土) 15:52:32.18 ID:UgJseoJr0.net
なら、そこを言えばいいのに
マルチマルチとさわぐバカ

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/29(月) 05:27:39.18 ID:cA/7Ut6u0.net
諸葛亮は勝ったら自分の手柄
負けたら馬謖よろしく部下のヘマ

ただそれだけの話

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/15(火) 14:43:12.36 ID:rVhMwbuyO.net
孔明は5000人の暗殺部隊を鍛錬して曹一族と孫一族を倒せば天下取り可能

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/04(木) 17:57:15.12 ID:dwRDUwcY0.net
【助けて】

うぎぁぁああ!!IKEAで買ったテーブルがいきなり破裂した!

夜中にドーンって音がして見たらガラスバキバキで破片が4m以上飛んで……重いもの載せてないし熱い冷たいもない
これってどうしたらいいの?IKEA対応事例?
https://twitter.com/minopu/status/760534645297393664


実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。三宅洋平の得票では、

豊島区ではなんとゼロ票 
中央区ではゼロ票。
江東区ではゼロ票、
荒川区ではゼロ票 
足立区ではゼロ票 

通常、こんなことは考えられない。


慶応の学生です。大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにム サシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 19:18:52.10 ID:6UAtkhi/0.net
これから巻き返して行こう


     /⌒ヽ
    / ^ ω^j、姜維
 _, ‐'´  \  / `ー、_
/ ' ̄`Y´ ̄`Y´ ̄`レ⌒ヽ   
{ 、  ノ、    |  _,,ム,_ ノl  
'い ヾ`ー;'´ ̄__っ八 ノ
\ヽ、   ー / ー  〉
\ \`ヽ-‐'´ ̄`冖ー-く
|| \ \         \     ∧_∧
||   \ \         \  ( ´Д`) 
||    \ \         \ /     ヽ
||      \ \         / |  | | 黄皓
||       \ \∧_∧ (⌒\|__/ /
          ヽ(     )朕は降伏する    ∧_∧   てめーの指図は受けねえ
           /   く          \  (    ) 
           |     \           \/    ヽ
     劉禅  |    |ヽ、二⌒)       / |   |  魏延

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/18(水) 05:00:33.82 ID:CO0jtoQf0.net
賀正(2年分)

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/20(日) 20:54:59.62 ID:MjW05FHo0.net
北伐で孔明が司馬懿を火攻めにした時雨が降りだし伐ち逃がしたというのは史実なんすか?

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/24(日) 16:52:45.09 ID:BvJpF+QL0.net
>>320
それにしてもおかしい
孔明は天文に通じていていつ雨が降るか分かっていたはずではないのか

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 16:27:20.61 ID:rzoIluIU0.net
疑問に思うんだが
諸葛亮の戦闘力は呂布程度の可能性があるよね
戦争に関してかなり詳しいから武術くらいはやってないのが不思議なんだよね
それに赤壁で周瑜に命を狙われてるのに
計画的に逃げてるし
まるで、自分の能力を隠す様にね

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 16:27:59.73 ID:rzoIluIU0.net
疑問に思うんだが
諸葛亮の戦闘力は呂布程度の可能性があるよね
戦争に関してかなり詳しいから武術くらいはやってないのが不思議なんだよね
それに赤壁で周瑜に命を狙われてるのに
計画的に逃げてるし
まるで、自分の能力を隠す様にね

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/01(土) 16:28:02.60 ID:rzoIluIU0.net
疑問に思うんだが
諸葛亮の戦闘力は呂布程度の可能性があるよね
戦争に関してかなり詳しいから武術くらいはやってないのが不思議なんだよね
それに赤壁で周瑜に命を狙われてるのに
計画的に逃げてるし
まるで、自分の能力を隠す様にね

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/12(水) 00:53:40.98 ID:6baHzjEo0.net
諸葛亮は身長高かったらしいな 農耕もやってたみたいだし 意外と筋肉質だったかも?

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/23(火) 01:56:40.79 ID:S9OIoiTc0.net
関羽を相撲で転がしてるのが孔明

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/23(火) 12:05:03.67 ID:C+D3CWsXO.net
>>326
張飛「池の魚がデカくなってませんか?」
劉備「地鎮じゃと。四股を踏む事で地鎮をして邪気が散るので、生き物は安心して成長するから大きくなるのは当然じゃ、とな。」
張飛「あの体勢を長時間も…四股を正しくするだけで体力を使うのに」
劉備「五体に気力が充実するまで待っておる」
諸葛亮は万を持して気力の全てを大地に叩き込む。ゆらゆら揺れる新野城。
張飛「へぇ。」

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/16(土) 14:51:53.74 ID:Jmjb30yUO.net
すごく人間離れした描写が多いのに洛陽は無理だとしても長安が落とせなかったのは子供心に不思議だった。

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/29(月) 15:28:15.88 ID:R70ECGvw0.net
山本伸一の一行は、中州賓館に一泊することになり、宿舎に移った。

 突然の訪問にもかかわらず、中国人民対外友好協会の河南省分会の関係者が、熱烈歓迎
してくれた。

 夜には、食事を共にしながら、歓談のひとときがもたれた。

 伸一は、河南省分会の責任者に言った。

「雷雲のために、憧れの鄭州に泊まることができ、こうして新しい中国の友人と出会えま
した。雷雲に心からお礼を言わなければなりません」

 笑いが広がった。

 鄭州の人びととの、せっかくの出会いである。伸一は、この機会に、未来にわたる強い
友誼の絆を結ぼうと思った。

 それには胸襟を開き、どこまでも誠実と情熱を尽くし、魂と魂の触れ合う対話をするこ
とだ。

 語らいは弾み、河南省の文化や歴史について話に花が咲いた。そして、三国時代には、
中原は魏の国の曹操が制していたことから、話題は「三国志」に移っていった。

 伸一は語った。

「私の恩師である、創価学会の二代会長・戸田城聖先生は、『三国志』などを青年に読ま
せ、指導者論や人間学などを講義してくださった。

 その先生がお好きであったのが、蜀漢の名宰相・諸葛亮孔明の晩年をうたった、『星落
秋風五丈原』の歌でした。

 これは、日本を代表する詩人である土井晩翠の詩です。

 今日は訪中団の青年たちが、皆さんにこの歌を披露いたします」

 拍手が起こった。

 同行の青年たちが、立ち上がって歌い始めた。

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/21(月) 00:14:09 ID:rPIedLx50.net
諸葛亮についてしってることwwxwwxwwxwwxwwxwwxwwxwwxwwxwwxwxwx
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1571579306/

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/21(月) 07:46:57.04 ID:AAi2zG5Z0.net
>>325

ハルク・ホーガンみたいな体型だったらイヤだなあw

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/24(木) 09:08:04 ID:iZ8wczzW0.net
足手まといどもが居なければ・・・
孔明単身だったら魏を滅ぼせたのに

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/24(火) 23:09:07 ID:ZCWKKTV10.net
孔明「屯田しながら北伐くるちいお…」魏延「アホくさ…そんな事してたら国力の差が開くだけやろ!俺に長安急襲させーや」
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1577180633/

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/25(水) 06:15:15.23 ID:S2/3Zueh0.net
>>333

>魏延「アホくさ…そんな事してたら国力の差が開くだけやろ!俺に長安急襲させーや」


中国の軍事専門家は
「成功する確率は50パーセント」
と言っている。

司馬懿も持久戦より短期決戦を嫌がっていたから、
魏延の強硬策は意外と悪くなかったのではないかな?

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/25(水) 06:20:18.24 ID:S2/3Zueh0.net
47 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (中止WW d712-5ADh)[]
投稿日:2019/12/24(火) 23:53:04.38 ID:uEENkLOi0EVE

ホウ;統士元が健在で北伐担当してたら長安直撃採用してたろうって言われる



              ↑


ホウトウは蜀侵攻の時にも
「成都への強行軍」
を上策としているから、おそらくそうだろう。

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/25(水) 06:23:13.15 ID:S2/3Zueh0.net
26 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (中止 9fde-vyMa)[sage]
投稿日:2019/12/24(火) 21:21:03.93 ID:ypV4X7xm0EVE

むしろネパールあたりに引き籠って100年くらい耐えようぜ



             ↑

          これはこれで面白いw 

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/25(水) 23:35:46 ID:Y3tg1fP60.net
長安奇襲は一度は成功しても維持するのが無理やろ

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/18(土) 21:36:11.88 ID:AQl6v1ad0.net
はっきり言って危険は大きいけど劉邦の時みたいに
それぐらいやらなきゃ勝つ可能性はない
安全にやれば魏も防備を固めるし守られたら落とせない

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/20(月) 00:19:34 ID:lnGdo8A40.net
劉邦が成功したのは項羽が斉の反乱の方に行ってたというのが大きい
魏は即、蜀の動きに対応してたからな

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/23(木) 20:57:47 ID:fblI+d1G0.net
魏には敵が職と語しかいないから、、、
楚はあちこち敵だったし

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/23(木) 23:54:24 ID:64FbJMSY0.net
というよりも四川と江南を除いて魏が全土を領有してるのに対して、
項羽は18諸侯に分封してる時点で全く違う

蜀が北上すれば直ぐに広大な魏領に進出するのに較べて、劉邦が侵攻した地は
個々がいうなれば独立した三秦
項羽の楚ははるか東方にあって国力も情報の伝達の速度や確実性も魏に大きく劣る
劉邦が成功した前例があるといっても殆ど比較材料にならん

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/24(金) 21:25:57 ID:aZYkj8720.net
五割の成功率じゃやらんだろ
五割の確率で日本を滅せるなら命でも捧げるけどさ
十八王はどれも弱いからな
項羽は斉すら滅せない
古代といい呉は斉にこだわるのか

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/29(水) 21:09:21 ID:ftT/BwJl0.net
やらんな

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/29(水) 21:15:01 ID:ftT/BwJl0.net
成功しても馬超止まり

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/30(木) 20:16:00 ID:mjFkpB9M0.net
危険

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/09(日) 09:12:43.05 ID:klLD9W+Q0.net
権威で言うとこんな順番でいいの?

 大将軍
 驃騎将軍
 車騎将軍
 衛将軍
 (征○大将軍)
 (鎮○大将軍)
 前将軍
 左将軍
 右将軍
 後将軍
 征○将軍
 鎮○将軍
 平○将軍
 安○将軍
 雑号将軍
 偏将軍

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/21(金) 21:37:35 ID:UxYmIMmk0.net
前後左右の順番だと思うけど

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/25(火) 12:39:22 ID:+2wZz92A0.net
宇宙大将軍はどの辺なの?

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/26(水) 20:29:58.44 ID:WVeOcMY50.net
>>348
大将軍の遥か上に決まってる。
類似品に鎮国公総督軍務威武大将軍総兵官なんて、高いんだか低いんだか職位の高低グッチャグチャなよくわからんのが後世に出てきたけど
でも宇宙のデッカさにゃあ勝てねぇさ。

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/13(金) 20:06:55 ID:U+0N2g7g0.net
>>349
前後左右将軍の偉い順番は?

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/18(水) 19:50:27 ID:JiEhZsD40.net
悪魔将軍はどの辺?

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/01/31(日) 17:18:47.78 ID:8SCN7GcO0.net
浸透襲撃って人のYouTubeが好き
最新作からは第二次北伐

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/01(月) 05:00:00.39 ID:xbrkoZOX0.net
浸透襲撃さんとかはどうも少し日本を美化したり軍人寄りの考えだけど
動画はよく見ています

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/01(月) 22:14:55.00 ID:sEAOF/FI0.net
美化してるかな?

自分はゲームでしか知らないニワカだから、浸透襲撃さんの動画凄くワクワクして見てる

当たり前だけど、国家戦略・軍事行動って深いなぁーと面白く見てる
第二次北伐シリーズも今後も楽しみ

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/02(火) 06:17:46.81 ID:xWofwx1m0.net
>>354
何か多少マイルドだけど戦前の日本軍人の考えに近い気がする
蜀の荊州領有のように
日本の満洲領有のように
論理的に考えれば必要で重要な場所であっても
そこを領有することによるマイナス点
呉が納得しなく戦争になってそこを失い大損害
アメリカが納得しなく戦争になってそこを失い大損害
それを無視していると思う
それと正攻法でまともに戦争をするなら正論ではあっても
場合によっては外交官特権で小型核爆弾を持ち込むとか
税関を突破する必要もなく空港で爆発させるとかってのもある
アメリカも軍事的には正しいことをやっても
結局憎悪を駆り立ててテロリストを増やしている
日本だって刑罰で脅して愛国心を口にしていても国を憎む者が増やして、、、

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/02(火) 06:19:33.61 ID:xWofwx1m0.net
長安を取っても維持できなくても

ショウカンがカンタンを破壊したように長安を破壊して復興困難にするだけでも
打撃はある

非難はあっても、住民をギャクサツしなかったと美化することも可能

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/02(火) 06:23:14.09 ID:xWofwx1m0.net
動画は面白いと思うよ

当時は情報が十分に入らないのと伝達速度も遅い
それと騙されたのを馬鹿にしても
現実にも今も似たようなことで騙されるのは多い
作戦だと後付けで知っているのでないと、偽投降かどうかの区別はできない

それと当時の社会と人間をまともな人間や社会だと考えてはいけない
今もだけど嘘を言うのなんか普通、資料に書かれた記録も怪しい

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/02(火) 06:29:33.57 ID:xWofwx1m0.net
ウキンの兵士をハンジョウに送って兵糧をみたいなのも
実際に短期決戦やられたり、兵士を見捨てるもしくは別の所に行かせるとか

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/06(土) 19:10:54.29 ID:EdPYTeaH0.net
関羽の娘の嫁入りも孫権は妹を劉備から戻らせたりこんなのと縁組したくないでしょ

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/07(日) 23:54:10.59 ID:2SpJjEWS0.net
馬謖って登山するときの傲慢なふるまいとか
敵前逃亡するような外道ぶりと
いざ処刑されるときの潔い振る舞いのギャップが凄くて戸惑う
処刑すると決めた諸葛亮に感謝の言葉すら述べているし
斬らなきゃ反省して大人物に成長したのではと思ってしまう

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/08(月) 06:35:30.98 ID:YiKYX2yz0.net
>>360
あれがなければ、馬謖が後継者
初陣?で上手くいかなかったけど経験を積ませれば
あるいは参謀や支援に徹すれば良かったんだろうね

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/22(月) 07:06:58.32 ID:BcdSnasF0.net
>>360
わざと悪く残されてるんだと思う
馬謖自身が孔明に自分の処刑を訴えたらしいし
馬謖が生きていれば楊儀も魏延も後継者争いをしなかっただろう

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/25(木) 13:26:39.53 ID:RJpeLxEs0.net
良く知らなかったけど孔明の息子って馬謖より断然酷いな
親父から北伐を託された姜維を黄皓と結託して左遷した挙句
防衛戦で無能丸出しの指揮とって蜀滅亡させるとかw
こんなん劉禅以下の評価だろ

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/25(木) 23:10:35.94 ID:iQvysX100.net
>>363
史実の姜維は諸葛亮から北伐を託されてなんかいないぞ
諸葛亮が後を託したのはショウエン・費イの二人

後、姜維は戦果を大きな挙げる事ができないのに軍権を離さず戦い続けたので国内が疲弊し
そのせいで姜維は国内の支持を失っていたので左遷しようとしたのは当時の世論に沿った行動だった
それと姜維は結局、左遷されてない

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/26(金) 08:53:09.81 ID:CvgQEI390.net
>諸葛亮が後を託したのはショウエン・費イの二人

これ厳密には前者だけよ

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/02/26(金) 22:53:16.27 ID:d3E4z0JI0.net
本来は馬謖が孔明の後継者だった

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/01(月) 16:06:00.09 ID:9wYeVMGs0.net
馬謖はそろそろ再評価されてもいいころだな

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/03(水) 10:04:38.99 ID:4XiE7A0q0.net
五丈原で諸葛亮が長生きしてたら戦いはどうなってたろう?
結局兵糧不足で撤退して、翌年以降も北伐継続?

魏軍も勅令で抑えたとはいえ諸将の不満も溜まっていたから、長引くようなら一度ぐらい決戦してた?

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/03(水) 18:54:53.16 ID:UE+uLoIU0.net
>>368
いや、孔明の死後に国力ボロボロになっているから無理だと思う
城や砦に完全に籠られると力攻めじゃ落とせない
魏は後方支援含めて二十万の兵がいたから勝つのは無理だと思う

それ以前に、魏が推定していた蜀の総兵力は九万
国内に一定数置かなければならないから遠征軍は最大五万程度のはずなのに
十万の軍で攻めているからかなり無理をしている

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/04(木) 13:36:43.04 ID:C3HcypF20.net
第一次二次でもう無理ってくらい力を出し切ってたのによく続いたよ

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/04(木) 21:29:58.01 ID:az+LP+qb0.net
>>370
陳倉の戦いでも攻城兵器持ち込んだり
最後の北伐は司馬昭が推定していた蜀の最大動員兵力の二倍の軍(10万)とか
色々とおかしい

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/04(木) 21:35:17.45 ID:G9NZcmTW0.net
数などあてにならない

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/04(木) 23:43:41.65 ID:oDfQ+7NR0.net
234年に北伐を決行した理由は、これ以上は魏との国力差が開きすぎると焦った?
実は出陣前に諸葛亮が体調を崩していて死ぬ前に漢室復興を為したかった?(武田信玄みたいに)
蜀漢の存在意義が漢室復興なので、結果如何に拘わらず出兵する必要があった?

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/05(金) 01:34:07.90 ID:ozVrKFaa0.net
>>370
二次は三次のための伏線みたいな感じがするしそこまで無理してる感じがしないな
四次は魏軍と数度にわたって局地戦をする事となり割と無理してるように感じるが

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/05(金) 07:23:31.59 ID:Vx4waIO60.net
>>369
>>368

五丈原に行って持久戦にしたのが間違いで
もう一つのルートを選んで短期決戦に持ち込めば勝敗は五分五分だった。

司馬もこっちを警戒していた。

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/05(金) 16:56:37.69 ID:1+yiGJIi0.net
一次が駄目だった時点で終わりだったのよね

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/06(土) 06:45:50.22 ID:LgvNet7u0.net
>>375
あなたの口座のお金を全部FXに注ぎ込んで勝てばいいってのと同じような意味だよ
できる?

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/06(土) 06:47:23.61 ID:LgvNet7u0.net
>>376
八王の乱みたいなのが起きた時にどさくさに紛れてやればいい
他が弱体化すれば30年戦争後のプロイセンみたいに相対的に強国になれたりする

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/06(土) 09:17:29.15 ID:LgvNet7u0.net
>>363
東大法学部卒の法曹や官僚が恐ろしいぐらい無能なようなもの
自白なんて拷問や脅迫で無理矢理言わせているだけ

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/07(日) 16:12:40.81 ID:W0Dq2HG50.net
事後孔明ってレスほしいの?

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/08(月) 04:25:42.20 ID:BWD102zx0.net
>>366
仮に馬謖が諸葛亮死後も生存したとしたら官位はどうなってた?
ショウエンよりも先に大将軍になってた?
それとも内政がショウエン、軍事が馬謖の二頭体制とか?

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/08(月) 09:35:37.54 ID:K/EUT/XQ0.net
諸葛恪のように一時権勢を握るけど粛清されてたんじゃね

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/08(月) 19:53:27.11 ID:rkBdQ0/V0.net
>>381
確実に孔明の後継者になっていたから
ショウエンの官位をそのままに思えばいいと思う
ただし、ショウエンのように失脚するかもしれないけど
長生きすれば意外といけるかも
リョウカでさえ車騎将軍になれたし

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/08(月) 20:56:04.69 ID:oV0wUAee0.net
>>383

> ただし、ショウエンのように失脚するかもしれないけど

失脚したっけ?

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/09(火) 00:38:27.26 ID:Ahq3Iqdq0.net
浸透襲撃さんが新作投稿してる

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/09(火) 22:05:21.05 ID:SEnocOMJ0.net
>>384
軍事活動を起こせなくされたのと
ヒイもロクショウショジになって独裁的な権限がなくなった
病気のためってことになってるjけど

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/10(水) 14:47:43.19 ID:UYSdXyKt0.net
ヒイも内心では諸葛亮時代の頃から北伐に反対だったのかな?
姜維時代の張翼みたいに決まったからには全力で協力するタイプみたいな。

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/13(土) 12:40:33.16 ID:/md2uC3U0.net
>>387
死ぬ直前でも基本反対だけどはっきり言うとまずいから明言は避けたりしていた
それでのらりくらりと交わすからキレて暗殺された説も、、、

最も利益の大きいものが犯人なら、彼の死で一番得したのは、、、

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/16(火) 17:15:39.20 ID:LTTH22kS0.net
>>381
現実の歴史を考えれば
尚書令、益州刺史から将軍号を進めていって
大将軍録尚書事領益州刺史として、その内大司馬に昇格して
魏とか滅ぼせたら丞相を超えた功績とかで丞相になれたかもしれない

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/16(火) 18:25:44.12 ID:0GD6T9J90.net
諸葛亮って曹真おびき寄せたり二次は三次の陽動作戦って言われてるしどのあたりが臨機応変苦手かわからないんだけど

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/17(水) 20:02:42.87 ID:Ls99ZzzU0.net
>>390
事前に戦略を立案するのは得意だが
膠着状態になったり不利な状況になった時に逆転するのは不得意なので
そういう意味では応変の才に欠けるっていうのは正しいと思うんだよな

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/18(木) 07:17:47.80 ID:wShMJ5wJ0.net
>>391

> 膠着状態になったり不利な状況になった時に逆転する

この時代にこれができた人は誰かいたっけ?

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/18(木) 22:43:22.35 ID:wuJ5myPo0.net
>>392
曹操、劉備、陸遜など

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/19(金) 01:13:55.30 ID:aF/cRhZ10.net
>>393
劉備ってそんな時あったっけ?
馬謖がやらかす前まで3群寝返らせて四次は司馬懿を子供扱いしてる諸葛亮凄い
しかも遠征で疲れてる少ない蜀兵で

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/19(金) 01:36:23.84 ID:nYhLx6/+0.net
>>394
漢中で夏侯淵と戦ってる時に膠着状態になってる
むしろ分隊が敗走したりと不利な状態かもしれない
そこから張コウに攻撃しかけて夏侯淵が張コウに兵を分ける状況を作って
逆転勝利してる

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/19(金) 04:35:31.45 ID:aF/cRhZ10.net
諸葛亮じゃなく劉備+法正のほうが北伐は上手くいったのかな
郭嘉に法正は匹敵するらしいし

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/19(金) 15:32:46.28 ID:ZvfJKJMQ0.net
法正と黄権以外に戦略対応可能なのいなかったっぽい
別動隊を率いさせるべき張飛は部下いじめから暗殺だったし

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/19(金) 17:42:55.81 ID:aF/cRhZ10.net
五丈原で死ななきゃまだ活躍できたかもな
まともに統率したことないのにドンドン戦上手になっていったし

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/19(金) 17:52:19.33 ID:nBjpmzYl0.net
誰しも死ななきゃ活躍は続くだろう

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/19(金) 19:35:06.69 ID:ZvfJKJMQ0.net
>>398
20年長く生きても魏を打ち破るのは無理だったと思う
おまけに姜維とかも出世しなくて孔明死後の混乱も酷くなったかと

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/19(金) 20:47:07.41 ID:aF/cRhZ10.net
>>399
伸びしろがあるって意味、曹操以上の傑物だろ
政治や外交は曹操より諸葛亮のほうが得手だし

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/19(金) 21:11:06.08 ID:EQNPHRjd0.net
北伐続けてもやめてもいいこと無い
孔明はいい時に死んだ

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/19(金) 21:43:40.15 ID:ZvfJKJMQ0.net
というか蜀と魏で主力の武力衝突ほとんどなくて
数ヶ月行って帰ってきただけでその後国力ボロボロになってるんだよな
人口90万の国で10万の遠征軍出すってのが無茶なんだよな
孔明の最後の北伐は以上に力を入れて無理してるからやはり寿命分かっていたのかな

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/19(金) 23:34:26.22 ID:3xa1d3Sk0.net
>>403
ひどいやつだな諸葛亮

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/19(金) 23:43:57.02 ID:21gJB+IR0.net
迷惑やろうだねw

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/20(土) 00:05:26.11 ID:CaLsuDIB0.net
>>402
ていうか北伐してなかったらこんな評価されてないだろ
超一流の内政家で終わってる

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/20(土) 06:54:51.51 ID:RU5kLpJ90.net
>>403
そんなやり逃げみたいなことはやらないだろ
やらないよね

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/20(土) 07:32:55.80 ID:Zn4bnDhG0.net
引き際は考えていたと思う多分きっと
本人の見立てより早く死んだんだと思うよ

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/20(土) 10:21:47.79 ID:CaLsuDIB0.net
>>393
劉備が遠征で疲労してる蜀兵で曹真・司馬懿相手にあそこまで戦えるかな

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/20(土) 15:12:07.05 ID:n1Adw/BC0.net
北伐関係なしで一流の内政家?
一流の功績あった?

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/20(土) 18:43:15.90 ID:CaLsuDIB0.net
>>410
むしろ本文は内政じゃないの?
遠征しまくりで反乱おきないしボロボロの蜀を立て直してるし

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/20(土) 19:10:49.92 ID:RU5kLpJ90.net
誰と比べて
どんなことをやって
それは歴史でどれくらい重要?
超一流で同レベルはどんな人物?

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/20(土) 21:59:17.73 ID:pr8wTG1t0.net
>>412
陳寿曰く管仲、蕭何に匹敵する

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/20(土) 22:37:27.52 ID:CaLsuDIB0.net
>>413
名将十哲に入っている時点で
管仲らより評価高い

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/20(土) 22:55:38.59 ID:pr8wTG1t0.net
>>414
それは将軍としての評価であり
413は内政家としての評価を聞いてるような気がするが?

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/21(日) 13:38:47.87 ID:iGvhAyDp0.net
>>415
劉備「曹丕の10倍」
司馬懿「天下の奇才」
陳寿「管仲、簫可に匹敵」
司馬徽「得れば天下を狙える」
諸葛亮「管仲、楽毅に比する」
これが自他の評価

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/21(日) 14:10:25.92 ID:iGvhAyDp0.net
内政 屯田 蜀科の制定

戦略 呉との同盟 天下三分の計

遠征 益州攻略 反乱鎮圧 北伐

文化 出師の評

発明 雲梯 連弩 木牛流馬 饅頭

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/21(日) 20:47:21.39 ID:DJU3OF3c0.net
北伐の時の政治手腕を評価されていると思っていたから
>>406の言わんとすることがわからない
どのような内政の実績があり北伐なしだと超一流の内政家なのか

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/22(月) 09:35:28.50 ID:A6PuodhN0.net
>>418
今の世間を見ていると、絶対に不可能なことで分かりやすいことしないと評価しないんでね

コロナを抑えて、景気を回復させてをやらないと駄目みたいなこと言う人いるし

コロナ患者を諸外国より抑えて、景気の悪化をGDPマイナス50%に抑えても駄目

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/22(月) 11:42:36.22 ID:A6PuodhN0.net
炎興元年、季漢の皇帝劉禅は、成都に迫った魏将ケ艾に対して降伏した。

後主伝注に引く王隠蜀記によると、その降伏の際、尚書郎の李虎が士民簿を提出しており、そこには以下のように書かれている。

項目 内容
戸数 28万戸
人口 94万人
兵数 10万2千人
吏数 4万人
米 40余万斛(約850万リットル)
金銀 各2千斤(各440kg)
錦綺綵絹 各20万匹(各44万平方メートル)
その他の物資 上記と同程度

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/22(月) 12:08:51.54 ID:nq7YM0BQ0.net
>>417
こう見ると実績凄い
曹操と並び称されるだけはある

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/22(月) 21:44:45.58 ID:xgFtqpMC0.net
>>419
意味不明
不可能なものは実績にはできない
実績になった時点でそれは不可能ではない

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/23(火) 15:50:02.68 ID:D9EF8p3v0.net
>>422
絶対に実現不可能なことをやれないから無能扱いする世間ってこと

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/23(火) 21:02:57.31 ID:uAXF+dCd0.net
無能扱いの話ではなく
超一流の内政実績(北伐抜き)を聞いているのでは?

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/23(火) 21:07:59.91 ID:D9EF8p3v0.net
>>424
記録がなくて分からないけど内政の問題は言われてないからねえ
何より内政で国力を充実させないと遠征軍は出せないでしょうし

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/23(火) 21:46:06.55 ID:swkTTwQD0.net
わからないって好きに想像できていいね

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/24(水) 10:58:39.20 ID:55j3rGSf0.net
>>426
ただ姜維を考えると、彼よりはうまく内政をやれていたと思う
もっとも姜維は都に帰れないありさまだったけど

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/24(水) 13:46:34.50 ID:TMxWdUJo0.net
>>416
管仲には匹敵したけど楽毅ほどの軍才はなかった

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/24(水) 15:28:24.18 ID:55j3rGSf0.net
>>422
この世で最も優秀で最も人望と権限がある者でもできないってこと
パラレルワールドじゃないけど数千兆の異世界があっても
そのどれでもできないような最初から無理なことをやらないから駄目だって言う世間の人達

コロナをゼロにして日本の経済を復活させ犯罪をなくすぐらいの無茶苦茶なこと言うから

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/24(水) 15:30:34.10 ID:55j3rGSf0.net
>>422
数万の兵で魏軍を破り、涼州・雍州を取り、長安を落とし
人民の支持を集め、魏賊を降伏させ、漢皇帝を洛陽に迎え、天下を太平にする

↑これができないから無能だとか言っている人間がいるってこと

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/24(水) 15:31:55.37 ID:55j3rGSf0.net
>>422
豚が空を飛ぶ方がまだ可能性が高い

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/24(水) 22:48:21.49 ID:NrRtOe3E0.net
諸葛亮の北伐は曹丕が生きていたら決行されない?
孟達は裏切らないだろうし。

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/25(木) 21:12:13.86 ID:STwH3xkh0.net
>>429
無理なことがどうとかはどうでもいいけど
北伐と関係ない内政の実績で超一流のものを教えて

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/26(金) 19:49:22.71 ID:F5i5yY+C0.net
>>432
それでもやるだろうね、やらない選択肢はないから

>>433
反乱を起こさせなかったとか、あれだけの軍事行動を起こせるぐらい国力を高めたとか
日本で言えば、兵士1300万以上、公務員500万人以上みたいな異常なことやってるから

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/26(金) 19:55:09.52 ID:F5i5yY+C0.net
>>433
諸葛亮は丞相、録尚書事、益州牧を兼ねているから
国政のトップであり、内廷のトップで法案の拒否権・議決権を持ち
蜀の支配領域は益州のみであるから、国家の全地方自治体のトップということになる
地方政治のトップでもあるから、国家公務員と地方公務員の人事権を握っている
軍事・内政・外交・司法・立法の全ての権力を握った最高権力者
周囲の目や評判のためにできないことや自分を形式的な降格をすることはあっても
蜀の最高権力者であり、全ての決定権がある独裁者である
なお、戦地にいてもショウエンを通して内政もやっていて
刑罰も20叩き以上、つまりほとんどの裁判は自分でやっている有様

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/27(土) 23:50:25.58 ID:GwHlKPDk0.net
>>432
孟達が誅殺されても北伐したじゃん

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/28(日) 08:18:14.05 ID:hGBxoEzS0.net
詳細情報がないと妄想が捗る

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/30(火) 11:15:34.16 ID:GYDMR3LG0.net
>>436
それでもするしかないからね
司馬懿がいなくなるまでなんて待てないし

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/03/30(火) 20:32:02.20 ID:XhQmK9VS0.net
孟達戦は援軍の向かう先が変

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/05(月) 20:54:39.87 ID:yqMbzL9N0.net
孟達討伐は大袈裟に書かれてそう

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/06(火) 08:25:35.15 ID:wW+Aw2La0.net
実は諸葛亮の権限は董卓と同様
相国と丞相で名称が違うだけ

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/24(土) 15:52:37.52 ID:M/UoE4KZ0.net
諸葛亮の死後の季漢の指導体制

尚書令 蒋琬
尚書僕射 李福
尚書 馬斉 姚伷 楊戯

右監軍 姜維
中典軍 胡済
前領軍 張翼
督漢中 車騎将軍 呉壱
後典軍 王平

中軍師 楊儀
前軍師 ケ芝
後軍師 費禕

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/24(土) 17:21:14.05 ID:h3qAM1eT0.net
董允は?

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/24(土) 19:26:58.24 ID:M/UoE4KZ0.net
>>443
侍中・虎賁中郎将

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/25(日) 16:10:57.37 ID:3b5fOTHJ0.net
>>444
官職変わっていないみたい

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/09(日) 09:48:56.29 ID:L8CaJ0pR0.net
孔明は劉邦処刑がなあ

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/09(日) 13:34:00.05 ID:FOwpXR1e0.net
諸葛亮や姜維は降格した後も軍権を握り続けていたけど、他に降格した後も軍権を握っていた人物って他にいる?

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/09(日) 20:37:47.84 ID:L8CaJ0pR0.net
>>447
形式的な将軍号が下がっただけで軍を率いる権限は変わっていないよ
姜維は後将軍・行大将軍事で大将軍のことをやるって官職?か権限持っていたし

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/09(日) 20:38:57.74 ID:L8CaJ0pR0.net
そう言えば、曹操が大将軍から司空・車騎将軍に官職落としたり
司馬懿が大将軍から太尉に官職を落としている?ね

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/09(日) 23:19:08.42 ID:L8CaJ0pR0.net
>>447
形式的に責任を取るために降格するのはあるんじゃないかな
嫌な奴を左遷するために形式的に栄転させるのは曹操や王陵や司馬懿の例があるし

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/13(木) 02:59:22.68 ID:bHd/x+wS0.net
>>411
214年??月〜214年??月 (山賊)(巴郡)
218年??月〜218年??月 馬秦・高勝(秭帰郡盗賊)
218年??月〜218年??月 高定(越巂郡蛮族)
220年??月〜220年??月 孟達(宜都郡太守)
220年??月〜220年??月 申耽(上庸郡太守・征北将軍)
220年??月〜220年??月 申儀(西城郡太守・建信将軍)
222年12月〜223年03月 黄元(漢嘉郡太守)
223年??月〜225年03月 雍闓(益州郡豪族)
223年??月〜225年03月 朱褒(牂牁郡太守)
223年??月〜225年03月 高定(越巂郡蛮族)
223年??月〜225年09月 孟獲(建寧郡豪族)
225年??月〜22?年??月 (南蛮族)(雲南郡他)
226年??月〜229年??月 (南蛮族)(建寧郡他)
227年??月〜227年??月 張募(広漢郡山賊)
231年??月〜231年??月 (羌族)(汶山郡)
233年??月〜233年??月 劉冑(南夷豪帥)
233年??月〜233年??月 (獠族)(牂牁郡)

劉備が益州陥落させてから諸葛亮死亡まで
蜀で確認されるだけでこれだけ反乱造反起きてる
遠征しまくりで反乱おきない というのは正しいとはいえない

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/13(木) 08:30:07.09 ID:eHw4X1MR0.net
遠征中(北伐中)なら、228年以降の3件では反乱はほぼ異民族のみかな
劉冑については詳細全く不明だからなんとも言えん

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/14(金) 04:33:44.66 ID:ufj3mzj40.net
>>451
北伐中では最後の3つだけじゃん、よく調べたな

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/15(土) 01:54:22.55 ID:cKojZBr50.net
申耽申儀とか雍闓朱褒高定とか一つにまとめていいだろ
やはり反乱少ないな

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/15(土) 03:24:56.45 ID:3Dblpuaq0.net
基本、異民族の反乱の方が多いけど
そこは魏も呉も変わらんな
魏は漢民族による反乱も多いが

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/15(土) 06:30:49.45 ID:12DQSeKf0.net
何か蜀の兵士は異民族ばかりだってのを見たんだけど
素人のブログだけど
よそものの老人たちが将軍で、異民族が兵士で、地元民は軍にかかわらないとか

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/15(土) 14:25:49.82 ID:PI7kKFqM0.net
>>455
面白い事に劉備が漢中侵攻して関羽が襄樊攻めている後漢末に反乱多くて
献帝が文帝に禅譲して魏が成立すると反乱激減しているという…

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/15(土) 14:28:40.74 ID:PI7kKFqM0.net
>>452
南蛮族の反乱は北伐中まで続いている模様なので+1件
呂凱は諸葛亮が南征から帰ってすぐの南蛮族反乱で死亡

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/15(土) 14:30:37.64 ID:PI7kKFqM0.net
>>454
むしろ実質益州1州で20年弱でこれだけ反乱起きてるのは
反乱少ないとはいえないのでは

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/15(土) 17:35:38.14 ID:12DQSeKf0.net
多分、魏や呉も反乱多そう

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/15(土) 17:41:40.11 ID:CD2/kbwG0.net
>>460
魏や呉も反乱起きているが
例えば呉(揚州・荊州・交州)は益州の3倍反乱起きてて同程度だと考えると
そこまで反乱起きてないので益州の約20年で反乱十数件は多い
魏や呉なら毎年反乱起きてる計算だからな

魏や呉が反乱多いと主張するなら
自分で調べて書き出してみるのをお勧めしたい
これは自分で調べてみるのが一番理解出来る案件なので

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/15(土) 18:16:22.49 ID:5N7hnCIn0.net
益州って他の州より郡の数も多いし州一つだけなら人口も多いから
ただの州一国とは考えない方が良いと思うな

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/15(土) 18:26:14.51 ID:pSBOuh8U0.net
>>462
その意見もわかるが
よく魏と呉と蜀の比率が4:2:1と比定されるケースが多いので
国の規模として魏や呉の半分以下と考えると
反乱も半分以下と考えるのが普通では
しかし調べてみると魏や呉の反乱よりも多少少ない程度で
国の規模考えると少ないとはいえない

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/15(土) 20:58:08.10 ID:lK9h1jth0.net
まあ中原と違って異民族が結構な割合いた南蛮まで含めてるから多いのはあるだろうけどな

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/15(土) 21:53:28.79 ID:1Csd9cmj0.net
>>464
魏も領内に匈奴や鮮卑や烏桓や氐など
呉も領内に山越や武陵蛮や百越など
異民族だらけなのであまり条件は変わらない

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/16(日) 08:44:16.59 ID:2gS3cTRi0.net
異民族も記録とは違って結構文化的だって話もある
西周が滅びた時も犬ジュウは戦車を使っていたらしいし
恐らく周と異民族でたいして違わなく見えると思う

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/19(水) 21:58:20.10 ID:yfg5eHdF0.net
異民族で文化が違うだけで未開とは違うからな
胡服の話でも分かる通り

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/20(木) 07:05:26.59 ID:QrnDQ+Wu0.net
変な文字で野蛮な異民族扱いしているけど
何かたいして変わらないどころか説によっては中国よりも文明的だという話も

日本の遣隋使とかが都に行ってさも素晴らしいようなものを見せられても
都に行くまでに貧しい人達を大量に見ているから
さすが隋は凄いとは考えてくれなかったらしい

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/20(木) 12:01:23.03 ID:sa9vHh+C0.net
そんな記録あったか……?

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/20(木) 18:47:27.32 ID:QrnDQ+Wu0.net
>>469
どっかで聞いた怪しい話だけど

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/25(火) 00:03:18.56 ID:kiqhl0f00.net
北伐って、結局、司馬懿の権力強めただけ?

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/25(火) 01:57:07.63 ID:e38RphLW0.net
んー、なぜそう思うか書いてみて

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/25(火) 07:58:24.65 ID:pQzZHNiu0.net
司馬懿が権力を握る切っ掛けは曹爽の蜀攻めの失敗
もっと前ならば曹丕に気に入られて録尚書事になったから
曹爽は司馬懿側が司馬師の兵三千しかいなくて、皇帝がこちら側にいるのだから
勝つ見込みはあったし、駄目なら蜀に亡命すべきだった
その方が高位の官職はもらえ、実権はないだろうが金持ちとして暮らせた

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/25(火) 08:59:43.95 ID:QaAYSJeE0.net
せめて皇帝擁したまま許都に籠ったらどうなってたかは見てみたかった気はする

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/25(火) 11:54:59.35 ID:yf+NM1JI0.net
>>472
対北伐の大都督?として魏を守るという成果をあげた。戦争で成果をあげた奴の声はでかくなり、支持もされるし、誰も逆らえなくなっていくみたいな。あくまで想像です。

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/25(火) 11:56:19.20 ID:yf+NM1JI0.net
>>473
3000しかいなかったのか

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/25(火) 13:11:13.92 ID:e38RphLW0.net
>>475
演技レベルの話か
もう良いよ

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/25(火) 14:33:27.45 ID:pQzZHNiu0.net
>>476
首都を抑えるのにそれだけで十分みたい
逆に曹爽の身内は都に残っていなかったから兵ゼロなのかな

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/29(土) 20:50:34.42 ID:aMySBZG/0.net
司馬一族は魏の簒奪といい八王の乱といい政争好きな迷惑一族

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/30(日) 14:34:26.62 ID:/R+0ElK+0.net
晋って名前が悪いのかも
春秋の晋も同族を滅ぼしたり、途中から世継ぎ以外の公子は全員国外追放
そして、卿の嫡子を公族とした

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/30(日) 19:34:12.23 ID:/R+0ElK+0.net
しかし、魏がその研究を始めた時には、諸葛亮の作ったシステムは解体され、残骸しか残っていなかった。それを断絶させたのは姜維である。姜維の最大の罪は、蜀を滅ぼした事ではなく、諸葛亮の軍事制度を後世に残さなかった事である。

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/30(日) 20:41:16.87 ID:/R+0ElK+0.net
諸葛亮の北伐の目的というか、最終目標は長安制圧なんだろうけど、その手前で狙っていた基本方針は祁山を経由して雍州と涼州を分断して涼州方面を制圧し、第二の補給地点を確保することで長安へと東進することにあった。

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/30(日) 20:42:04.72 ID:/R+0ElK+0.net
諸葛亮の第一次北伐と共に、雍州の三郡である漢陽(天水)安定、南安の三郡が陥落というか降伏している上に、諸葛亮は趙雲を箕谷に布陣させて囮にし、諸葛亮は自ら涼州方面に進撃しているので、諸葛亮の基本方針は雍涼分断、そして制圧が目的だったのが分かる。

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/31(月) 11:03:08.50 ID:aJ1I5xjg0.net
内政、外交、発明、人格、忠誠心、撤退戦は三国志でトップ
人事が不得手かな?馬謖の件があるし

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/31(月) 11:09:12.65 ID:vWQtYqwd0.net
良いところまで行って馬謖がポカした一次はおいといて
二次以降の北伐軍を韓信レベルの名将が率いていたら天下統一出来たんかな
大国のくせに引きこもり戦法に徹していた魏軍に勝つにはどうすれば良かったんだろう

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/31(月) 12:38:02.20 ID:aJ1I5xjg0.net
>>485
韓信一人じゃ無理だな、長安まで

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/31(月) 12:40:26.81 ID:StLi2XO70.net
陳倉まで奇襲で行くにも西側から回り込んでも普通は兵站破綻で頓挫するレベルやからな

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/31(月) 19:48:50.95 ID:XCp978vK0.net
>>485
三国志で孔明が言っているように
長平の戦いで白起が言っているように
相手が城や砦から出て来ないのでは戦いになりません
当時というか大砲の発明前は籠城されたら力攻めで落とすのは無理

相手を挑発して城から出させるのも駄目だったし
水攻めとかができる場所にないし、裏切り者も作れない
こういう場合は相手の兵糧が尽きるまで囲むってのが最善だけど
蜀軍はいつも数ヶ月で兵糧が尽きているから無理

悲しいことを言えば、荊軻のような刺客を送るか
李牧のように失脚させて処刑してもらうとかしかないかも

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/31(月) 19:50:42.30 ID:XCp978vK0.net
ついでに言えば、防衛の魏側が予備含めて二十万の兵で守っていて
蜀軍総兵力の倍以上いるのだから力攻めなんてまず無理
剣閣を守る蜀の精鋭四万を十五万近い魏軍で落とせなかったんだから

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/31(月) 20:48:21.81 ID:aJ1I5xjg0.net
劉禅のせいで撤退したの演義?

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/31(月) 20:57:54.82 ID:XCp978vK0.net
>>490
史実では多分ないと思う
というか劉禅は完全に諸葛亮を信頼して何も邪魔をしていないのだから
死後の人事も李福が聞いたと言った内容そのままにしている

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/06/01(火) 16:59:57.62 ID:5duz1dMA0.net
内政、外交、発明、忠義は中国史トップクラスで統率、計略は三国志トップクラス

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/06/01(火) 18:50:31.99 ID:Rp8O574v0.net
秀吉の朝鮮出兵を批判した金持ちがあの戦いの軍事費の半分でも高麗王に贈れば尻尾を振ってきたとか
秦が諸国の重臣を数十兆円?の金で買収したり
陳平が黄金4万斤で項羽に離間の計をかけたり
そういうあくどい裏金を使わないでまともに勝つのは無理かと

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/06/01(火) 21:01:52.12 ID:sPnVzQFO0.net
>>491
諸葛亮の事を貶した奴を処刑したぐらい敬愛していたんだよな

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/06/02(水) 20:18:19.68 ID:qsRvkAEe0.net
妻の不倫でDVをでっち上げられ妻の訴えで息子ともども処刑されました

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/06/06(日) 14:07:17.58 ID:rMQ2H2An0.net
この文章を書こうと思ったのは、以下のサイトで着想を得たからです。
『それとも三国志?』に掲載中の「転職」の美学―孟達・黄権より。
「転職」には機を掴むことが重要である。
その例として、孟達と黄権が挙がっている。二人には共通点がある。二人とも初めは劉璋の配下、次に劉備、さらに曹丕の下へ「転職」した。しかし孟達は司馬懿に殺され、黄権は魏で厚遇を受けた。そういう指摘だ。
黄権と孟達を比較するというのが面白いと思ったので、ぼくも二人について考えてみたい。二人が好対照を為していることに、気づいてなかったよ!

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/06/15(火) 18:53:35.92 ID:KlWls/HW0.net
魏滅蜀之戦最終防衛軍

漢行都護衛将軍平尚書事武郷侯諸葛瞻
漢武郷侯世子諸葛尚
漢尚書張遵
漢尚書郎黄崇
漢羽林右部督李球

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/06/15(火) 19:47:29.06 ID:KlWls/HW0.net
魏滅蜀漢之戰 季漢防衛線 戸数二十八万 口数九十四万 総兵力十万二千 官人四万

漢城 兵力五千
護軍 綏武將軍 蔣斌

樂城 兵力五千
監軍 王含

陽安関 兵力五千?
關中都督 傅僉
(前)武興督 蔣舒

黄金囲 兵力五千?
黄金囲督 柳隠

剣閣 兵力四万?
(左?)大將軍 録尚書事(領益州刺史?)平襄侯 姜維
仮節 右車騎將軍 并州刺史 中郷侯 廖化
左車騎將軍 冀州刺史 都亭侯 張翼
輔國大將軍 平尚書事 南郷侯 董厥

成都召還 兵力三千?
巴東都督 右(大?)將軍 閻宇

巴東 兵力二千
巴東太守 羅憲

南中六郡 兵力五千?
監軍 安南將軍 建寧太守 霍弋

江由関 兵力五千?
守將 馬邈

涪城 綿竹関 兵力一万?
行都護 衛將軍 平尚書事 武郷侯 諸葛瞻
武郷侯世子 諸葛尚
尚書 張遵
尚書郎 黄崇
羽林右部督 李球

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/03(火) 18:12:49.70 ID:1DdzgpTK0.net
魏は意外と反乱続きで乗っ取られたり上手くやれば勝てたかもしれない

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/04(水) 00:41:55.81 ID:tr2k2wSb0.net
於是。辰以蓋馬大山爲固。以奄淥大水爲城。拒漢、碎破其眞敦之志。

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/08(日) 17:01:18.73 ID:C1t9FuyC0.net
>>499
>魏は意外と反乱続きで

大きな反乱は後漢末期と魏末期に集中していて
諸葛亮の北伐の時代はむしろ魏が安定してて隙が無いので無理ゲー

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/11(水) 10:56:06.87 ID:bVbRdiGX0.net
>>501
諸葛誕やカンキュウケンの時に(ブキュウケン?)
関中の兵士も引き抜いてきているから思っている以上に魏は兵力に余裕がない感じで
司馬懿の粛清とか色々あるところからも
蜀が魏を滅ぼせる可能性は実はあったんだと思う
燕討伐の4万の兵もどうも対蜀防衛の兵だったっぽいし、
これって疫病が1回はやっただけで崩壊するかもしれん

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/11(水) 15:49:32.83 ID:aKAFedXW0.net
>>502
諸葛誕や毌丘倹や公孫淵の反乱は
全て諸葛亮死後なのでな
諸葛亮存命の時に起きてればわからんが
死人が魏を滅ぼすのは不可能

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/11(水) 21:40:47.90 ID:bVbRdiGX0.net
ショウエンが生きていれば

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/12(木) 10:56:47.33 ID:abPpzlor0.net
【ゆっくり解説】北伐に関する一考察(街亭の戦い前編)
https://www.youtube.com/watch?v=tmt3quzaVkU

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/12(木) 11:10:05.41 ID:ZfIfzbYZ0.net
>>505
浸透襲撃さんすき

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/12(木) 13:32:01.31 ID:abPpzlor0.net
時々あれって思うけど結構よく見ている
ゲームでも馬謖の知力が姜維より高いって馬謖が生きていれば後継者だったのかな

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/12(木) 14:07:56.99 ID:TAeIXULf0.net
順番逆で、諸葛亮が後継者扱いしてたからゲームで知力が高く設定されてる

実績だけ見ると2,3賢しいこと言った程度でしょ

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/12(木) 22:38:06.73 ID:abPpzlor0.net
王平の知力が20と高くて姜維が23?だか4で馬謖が25?諸葛亮が26で
他が10代だったような。。。

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/14(土) 07:18:42.90 ID:b8zeMC220.net
王平ってかなり頭が悪くて知ってる文字は自分の姓名字含めて7つ
一桁の足し算すらできなかったって話だ、現代だと重度の知的障害者

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/14(土) 08:07:03.07 ID:UW/Xa3N+0.net
文盲はともかく足し算はどこ既出だ?
兵法書他人に読んでもらえば深く理解したとあるし、障害者とか結論だすのも意味不明

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/14(土) 08:44:12.66 ID:giOIEgeE0.net
>>510こそガチの知的障害者なのがはっきりしたってこと

たとえ文字を知らなくても他人の読み上げたものは本質を理解できる
戦場でも兵の統率や用兵は隙が無い
これのどこが知的障害者なのやら

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/14(土) 13:45:37.49 ID:YlFt8FFY0.net
当時も義務教育があったと思ってるんじゃね?

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/14(土) 14:59:26.80 ID:WzzIGavw0.net
口述筆記させた文章は理に適っていたみたいだ
少なくとも>>510みたいな頭おかしい文章書く奴より賢いのは間違いない

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/14(土) 15:28:31.48 ID:5m8/mIDq0.net
>>510
教育を受けていなければ世界最高の知能と素質を持つ人間でも
文字は書けないし、引き算もできません「

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/14(土) 15:29:15.02 ID:5m8/mIDq0.net
というか誇張かもしれないけど
司馬懿の息子でさえ趙庶人は書が読めないと書かれているんだよな

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/14(土) 19:07:09.89 ID:BGspJ7A+0.net
陳寿の評価が支離滅裂で出自もよく分かってはないけど蜀に降って以降の軍歴で言えば魏延、呉懿に次ぐ
魏延亡き後、漢中太守になった呉懿の副将格
呉懿死去後は漢中太守に昇進して魏方面の前線総司令官で諸将を指揮して防衛完遂

この時期の蜀ではチート級の将軍や

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/18(水) 19:30:03.06 ID:QHCoIThF0.net
「宣帝紀」のなかで司馬懿は、諸葛亮についてコメントする。弟の司馬孚に言ったことには、

「志大而不見機、多謀而少決、好兵而無權」

意訳すると、

「志はデカいが、チャンスを見逃す。あれこれ頭で考えるが、行動に移せない。たびたび出兵はしてくるが、一本調子だ」

と。酷評だが、陳寿の意見とも一致するから、あながち無視できない。

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/18(水) 23:18:31.27 ID:QHCoIThF0.net
北伐の理由は「漢朝復興」だとされていて、少しスケールを落とすと「長安奪取」をステップにした「魏朝討伐」「天下統一」となっている。
専守防衛では、弱小っぷりが改善しないから攻めた。むしろ、自分から攻めに行っていないと、いつ攻め滅ぼされもおかしくなかった、という「防衛のための攻撃」という話すら出ている。
ぼくは曹丕の考え方と行動を見ていて、北伐の動機は、もっと次元が低いと思った。「自己PRをしないと無視される」というのが、切実なモチベーションなんだ。

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/19(木) 18:26:58.50 ID:8fjoXUSl0.net
中学生の感想やな

521 :北伐は:2021/08/20(金) 12:18:53.71 ID:+u+W8VBb0.net
でも、まあ、本当の目標(可能性がある)は涼州を取って、長安奪取だと思うよ
そうすれば、元の漢の都に帝を戻せたとなるし
董卓政権も支配権力は長安辺りしかなかったらしいから
長安を取れれば、国力を倍増させて董卓並の力を得られる
要するにここまでいけば、国内で内乱とかにならない限り、すぐに滅ぼされることはなくなる

522 :コピペ:2021/08/20(金) 12:33:59.22 ID:+u+W8VBb0.net
こんなのあったんだけど、、、

諸葛亮は南征して、麻薬の栽培を心得ている孟獲の心を掴んだ。南中を降したおかげで、蜀漢は麻薬大国になる。
徴発できる兵数が少ない蜀は、麻酔による治療で、傷兵を短期間で復活させた。諸葛亮の連年の北伐が可能になったのは、麻薬のおかげだ。

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/23(月) 11:52:08.10 ID:z4HK8YgG0.net
中学生なのに偉いな

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/26(木) 20:09:39.47 ID:WujBriQM0.net
諸葛亮と姜維、どちらも己の才能に合った組織を以って、大事業を完遂せんとした人物と言える。その組織が、それを作り上げた人物にしか動かし得ないという点で、両者は共通している。
だが、片や己の能力をいかに組織に還元するかを求め、片や己の限界を高める為の組織を求めた。
個を重視する姜維と、組織を重視する諸葛亮、両者を単純に比較する事はできないが、個人の才能という点では姜維に軍配が上がろう。

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/30(月) 12:12:44.29 ID:yHuEfuQo0.net
>>518
曹操も劉備が思いつくのがわずかに遅いと

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/30(月) 12:38:57.19 ID:JoogKzsU0.net
司州方面よりかはシルクロードの交易権の方が重要そう

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/30(月) 15:44:58.44 ID:yHuEfuQo0.net
異民族との交易や利用、野蛮人扱いしてるけど十分魏や漢とたたかえるんだよな

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/31(火) 18:44:55.20 ID:wzksYcK90.net
演義だと勝てるチャンスが何回かあったのに周りに足をひっぱられて負けたけど
正史だと最初の北伐以外チャンスないように見える

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/31(火) 19:41:56.31 ID:mDokhf3n0.net
>>528
最後のチャンスは、諸葛誕の乱の時だったと思う
この時は蜀の防衛部隊すら引き抜いて行っている
この時に蜀と呉が総動員して互いに十万以上の軍で攻めれば可能性あったかもしれない
もっとも五丈原でなく東に出るべきだと思うけど

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/31(火) 20:22:39.11 ID:J033IXmb0.net
第四次の北伐は局地戦で勝ってるし
魏側も物資が不足してたから
大雨で輸送が困難な状況にならなかったら可能性あったんじゃないかなって思う

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/31(火) 21:09:29.68 ID:mDokhf3n0.net
実は魏もかなり苦しんでいたみたいだし
防御に徹しろって勅命も野戦して万が一負けたらやばいからだろうね

諸葛誕の時に蜀側の兵を裂いているということは
蜀呉の防衛線がギリギリで全然余裕がなかったってことだろうから

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/31(火) 21:18:00.64 ID:mDokhf3n0.net
劉禅の不興を買い処刑された李邈は生前に「諸葛亮は権力に執着し強力な軍勢を率いて、前漢の外戚の呂産・呂禄と霍禹のように専制かつ独裁的に振る舞っておりました。彼は狼虎のように機会を狙っておりました。諸将を統括する宰相の勢力が強大な場合は、辺境の長官に赴任させてはならないもので、わたくしは常に危惧を感じておりました。現在、諸葛亮が逝去したのは、陛下のご一族にとって安泰の結果となり、辺境の異民族は安堵したということでありまして、これは多くの人々にとって喜ぶべき事であります」と上奏した。

533 :北伐メンバー諸葛亮と趙雲除く:2021/09/04(土) 12:35:51.68 ID:1OUEQvC10.net
前督部鎮北将軍領丞相司馬涼州刺史都亭侯魏延
前軍都督領扶風太守張翼
牙門将裨将軍王平
後軍領兵使安漢将軍領建寧太守李恢
同副将定遠将軍領漢中太守呂義
兼管運糧左軍領兵使平北将軍陳倉侯馬岱
同副将飛衛将軍廖化
右軍領兵使奮威将軍博陽亭侯馬忠
撫戎将軍関内侯張嶷
行中軍師車騎大将軍都郷侯劉琰
中監軍揚武将軍ケ芝
中参軍安遠将軍馬謖
前将軍都亭侯袁綝
左将軍高陽郷侯呉懿
右将軍玄都侯高翔
後将軍安楽侯呉班
領長史綏軍将軍楊儀
前将軍征南将軍劉巴
前護軍偏将軍漢城亭侯許允
左護軍篤信中郎将丁咸
右護軍偏将軍劉敏
後護軍典軍中郎将宮
行参軍昭武中郎将胡済
同諌議将軍閻晏
同偏将軍爨習
同裨将軍杜義
武略中郎将杜祺
綏戎都尉盛勃
従事は武略中郎将樊岐
典軍書記は樊建
丞相令史董厥
帳前左護衛使竜驤将軍関興
帳前右護衛使虎翼将軍張苞

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/04(土) 22:26:54.30 ID:1OUEQvC10.net
孔明「劉禅様のためにはこれが最良です、子どもを殺したぐらいで女々しく泣くんじゃありません」

劉備「子どもを殺したのが哀しいんじゃない、忠臣を知らずに殺してしまったのが哀しいんだ」

と、孔明のKY振りを劉備に強調させている上に、この会の末尾の作者のまとめで「こんなこと(劉封謀殺)をやった孔明は犬や豚以下の糞野郎だ」とまで言ってるからね。

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/08(水) 18:24:26.49 ID:FMBqdZUb0.net
>>529
無理だと思うよ
諸葛誕の乱(257〜258年)前に姜維は段谷の戦い(256年)でケ艾に大敗して
魏が蜀側の兵を裂いても問題ないぐらい蜀の北伐力減衰している
なので諸葛誕の乱の際にも姜維は北伐しているが
魏は蜀側の兵を諸葛誕の乱に裂いているにもかかわらず普通に撃退できている

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/08(水) 18:36:53.91 ID:Q4wWtpNG0.net
そうなんだ、、、
ああ、諸葛誕もカンキュウケンかブキュウケンの時に一緒に反乱を起こしていればな

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/24(金) 22:22:38.95 ID:GIGB7ffd0.net
三国では魏はそこまで圧倒的な力があるわけではなかった

総兵力
魏598000(推定)
呉230000(滅亡時)
蜀102000(滅亡時)

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/27(月) 21:19:26.66 ID:X6YbJ1un0.net
ああ日本でも

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/28(火) 14:48:38.75 ID:zqmr4N1D0.net
滅びて悲しかった国は蜀漢だけ

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/11/29(月) 06:55:41.55 ID:Rb/umubP0.net
匈奴はトルコ系、匈奴はトルコ人、匈奴はテュルク、匈奴はツルク
匈奴は北方民族、匈奴は北方遊牧民
犬戎は周と同族に近い
越は呉と同族に近い、呉は異民族、呉の姫姓は偽り
秦は異民族
楚は異民族
晋は異民族、晋の姫姓は偽り
北魏は異民族、隋は異民族、唐は異民族、宋も異民族
今の中国人は北方民族の子孫
タイは夏人
倭人は庶殷
漢は秦なり
この世の文字は全てウルクの文字が起源、甲骨文字はインダス文字なり
人間は存在価値がない動物
日本人はいじめが大好き
アメリカ人はいじめが大好き
スウェーデン人はいじめが大好き、スウェーデン人はアジア人差別が大好き
イギリス人はいじめが大好き

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/02(木) 20:16:07.15 ID:lzYo6/LK0.net
浸透襲撃さんのYouTubeチャンネルで第4次北伐解説が始まった

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/02(木) 20:35:43.67 ID:CTyR2RuG0.net
あの動画、キャラの掛け合いに鬱陶しいもんを感じる
夷陵なんかのっけからくどくてかなわん

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/03(金) 04:17:34.64 ID:ogiT9lws0.net
あの人の解説も推測の上に推測を重ねてばかりで時代ごとに変わる地名と場所の間違い多過ぎて話にならん

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/04(土) 15:27:58.84 ID:7FgLsBM40.net
蜀軍の荷物の量とか恐らくというかほぼ確実に
今でも自分がやっているように必要な物をどれだけ持って行かないかだと思う
あれもこれも必要だとやると膨大な量になってしまう

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/07(火) 20:13:14.61 ID:7EQgmtsb0.net
>>542
>>543
そうなんですね。。
シロートの自分は滅茶苦茶面白く見てる

北伐に限らず中国史のおすすめ動画あったら教えてください
鳥人間さんは、話速が遅いのとキャラの掛け合いが苦手

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/07(火) 23:18:59.21 ID:NDQQ0Pid0.net
>>545
youtubeの歴史解説動画は間違いや解釈の間違いなどが多いから興味を持つ入り口としてはありでも
解説されている内容はスポーツ新聞並みの怪しいもんだと思っといた方が良いかも

下手な動画見るよりは横山三国志を読んだ方がまだ三国志演義レベルの知識としては正確だと思う
それぐらいyoutubeの動画解説レベルは低い

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/08(水) 12:25:19.28 ID:FSpW0GYc0.net
浸透襲撃と危険な鬼太郎はjominianにちょくちょく酷評されてる印象

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/08(水) 14:32:20.44 ID:3doxQ+yF0.net
装甲猫さんとかでもこの時に将来こうなってこうなるが分かっていないと
みたいなのがあるけど実際にそこまで細かく読めなくても
もっと言えば裏切る気がなくても裏切りそうって思っただけで
始末するのが歴史だから、そこまで分かっていなくても普通にやるじゃんとか

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/08(水) 15:35:26.05 ID:3doxQ+yF0.net
大陸における高位の官職の名称

太師、太宰、太傅、太保、大司徒、大司馬、大司空、司徒、司馬、司空、司空、
相邦、相国、太尉、御史大夫、少傅、令尹、大丞相、丞相、右丞相、中丞相、
左丞相、仮左丞相、冢宰、大宰、大宗伯、大司寇、右師、左師、司寇、仮王、
領尚書事、録尚書事、平尚書事、省尚書事、尚書令、阿衡、宰衡、周公、卿士、
右卿士、左卿士、卿、正卿、上卿、亜卿、侯伯、大将軍、将中軍、佐中軍、
将上軍、佐上軍、将下軍、佐下軍、尚父、仲父、亜父、都督中外諸軍事、
都督六合諸軍事、宇宙大将軍、摂皇帝、仮皇帝、真皇帝、摂政王、親王、王、
国王、郡王、行人、衣王、周方伯、小伯、伯、天王、尚書左僕射、尚書右僕射

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/08(水) 15:48:15.27 ID:3doxQ+yF0.net
中原の官職の偉いと思われる順

@太師
A太宰
B相邦
C相國(相国)
D太傅
E太保
F大司馬
G大将軍
H太尉
I御史大夫

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/08(水) 15:56:12.52 ID:3doxQ+yF0.net
中原官職順序

@太師
A太宰
B相邦
C相国
D太傅
E丞相
F右丞相
G中丞相
H左丞相
I仮左丞相
J太保
K大司馬
L大将軍
M太尉
N大司徒
O司徒
P御史大夫
Q大司空
R司空
S司城

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/01/17(月) 17:15:14.22 ID:0JcLQzDv0.net
行都督督軍の行は「ギョウ」と読むのか「コウ」と読むのか?

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/19(土) 23:32:37.49 ID:QUn/R5Xe0.net
“ 周化 ” 過程と君主称謂の変遷との対応関係をまとめてみると、[「伯仲叔季孟」への分族化
及び姓の自称→称「公」→称「侯」]という称謂の段階的導入過程が想定される。

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/20(日) 13:22:52.22 ID:Xz4Cvx1S0.net
>>552
ギョウトトクトクグン

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/19(木) 19:13:01.15 ID:J0rL3XbW0.net
テスト

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/12/05(火) 16:31:18.61 ID:ibDnZRg50.net
師走保守

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/15(金) 19:22:39.54 ID:3xmL8F2i0.net
立二十又一年は幽王の即位からだと思う

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/15(金) 19:24:21.81 ID:3xmL8F2i0.net
「先主の諱は備であり、その字義は具(完結する)である。後主の諱は禅であり、その字義は授(さずける)である。劉氏はすでに完結した、当に人に授けるべしというのと等しいことになる。」

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/15(金) 19:24:46.48 ID:3xmL8F2i0.net
先主諱備、其訓具也。後主諱禪、其訓授也。如言劉已具矣、當授與人也。

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