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殷〜西周こそ熱い時代!!!!!

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/01(日) 19:35:10.98 ID:AQMHAfDs0.net
殷末期の忠臣とか熱すぎるわ

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/02(月) 08:19:25.70 ID:wzTNS+MX0.net
('仄')パイパイ

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/02(月) 17:49:08.05 ID:p75oLJdw0.net
飛廉こそ真の忠臣

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/03(火) 19:48:23.57 ID:cjplUmeHO.net
この時代を扱ってる小説で宮城谷氏以外のを読んでみたい

通史じゃなく

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/05(木) 23:07:18.74 ID:pw0Lntkh0.net
>>4酒見賢一の『周公旦』は面白かった

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/14(土) 21:45:05.88 ID:rXP2nHV70.net
>>4
封神演義

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/16(月) 13:07:24.18 ID:9Jy+G3MaO.net
>>4
狩野あざみの『天邑の燎煙』とか?

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/28(土) 21:57:10.79 ID:xm1PGbar0.net
諸星大二郎の「太公望伝」でしょ

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/04(水) 17:36:19.12 ID:yLJZ7gjk0.net
PHPの太公望
買ったはいいけどまだ読んでないのを思いだした

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/06(金) 19:35:45.99 ID:+bhl0sws0.net
自民党、グッジョブですわ。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html

☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/12(木) 21:58:59.31 ID:HeUd5rlK0.net
書ける

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/03/21(土) 17:23:58.12 ID:+bHar2mi0.net
安西篤子もこの辺の時代の話を書いてなかったか?
短編集か何かに入ってた気がする

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/19(金) 05:15:35.57 ID:D0Wbx/6J0.net
中国文字史としてもこの時代は重要。
商金文から西周金文へ、そして春秋になって各地の書体が創成されていく。
特に商金文の形が愛嬌且つ不気味で良い。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/21(金) 22:26:30.79 ID:2JAtQ3190.net
幽王のクズっぷりとか?

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/25(日) 02:14:54.89 ID:D8ErsYkl0.net
商と周は文王の前から婚姻でいとこの関係らしかったが
なんか周の男系に祖丁の血が入ってるみたいだけどどういうこと?
さすがに武丁の血は入りはしないけど
いまいち十支族が見えてこないが詳しい資料とかないかな?
文王の嫁が紂王の妹で武王の叔父が紂王なんだからただの御家騒動で兵隊挙げるとか異民族の政略結婚だとしても最初から狂っている

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/14(土) 20:06:20.76 ID:Rw86L2xg0.net
        【警告】  死亡者数、戦時中なみの勢いで増加中!!  【警告】



川崎病の年間患者数、史上最高に 1万5千人を突破、ピーク時を超える 最初の報告は水爆実験後。本当の原因は被曝
震災以降に死亡者数が、第二次大戦に匹敵するほど急増している
厚生労働省によると平成23年から平成25年の累計死亡者数は360万人以上に急増。今の日本は太平洋戦争時の時と同じくらいの勢いで人が亡くなっている
https://twitter.com/tokai amada/status/664927655544795136

除染袋回収の作業員5人 疲労で動けず、自衛隊など救助  疲労じゃないだろう、被曝障害だろうよ 死んだように眠る人々(写真多数)
http://s.ameblo.jp/kaito000777/entry-12031605335.html

【川島なお美の食べて応援が恐怖すぎる】自宅でも進んで食べて応援
1年後・軽くぶつけただけで肋骨骨折 2年後・眼球から出血は半年に一度 3年後・胆管に腫瘍、血液検査は異状無し 4年後・逝去 夫は片目失明、愛犬もがん
https://twitter.com/2ch_NPP_info/status/648256313571479552

・・・ 今も、原子力緊急事態宣言中… 対策本部長は安倍首相。


       放射能テロ犯の安倍が核兵器を密造している!?

三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信 三菱重工の重役でもあるらしい
これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある 書けばツイッターで速攻削除されている
https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272

安倍晋三の兄が関与している三菱重工 核開発疑惑について いくつかツイートしたが、反応がないから変だと思って、自分のタイムラインを調べてみたら、
完全に削除されていた 私のツイートで、安倍政権に都合の悪い情報は速攻削除されている これは驚いた ここまでやるのか
https://twitter.com/toka iamada/status/664016524592574464

先ほど、まだ数分以内に、三菱重工の核開発疑惑について、いくつかツイートしたが、検索しても出てこない 多くの人のタイムラインに出てこない ツイート直後に消されてしまったようだ
https://twitter.com/toka iamada/status/664015521830952960

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/14(土) 20:06:58.37 ID:Rw86L2xg0.net
総理大臣が自分のフェイスブックで市民デモを「恥ずかしい大人、左翼の皆さん」と罵り、
ファッシズム政権の終わりは、いつでも残酷な結末しかない。安倍晋三はどんな殺され方をするんだろう?
https://twitter.com/tokaia mada/status/605899171313246209

安倍晋三・自民党の進めている高濃度放射能汚染地への帰還政策は、完全に大量殺人です。必ず安倍晋三は下獄することになります
貧富の差拡大は小泉内閣における新自由主義路線。だから小泉が今さら反原発を口にしても違和感が強すぎて、どうにもならない
副島隆彦・リチャードコ シミズ・中矢伸一・藤原直哉・鎌田實・江川紹子 何か変だと思った連中は、全員、安全デマ吹聴に回った
https://twitter.com/tokai amada/status/592518352393764866

「福島県連盟」とやら、この人たちは「地域発展のため原発が必要」と強硬に誘致し、今度は「放射能被曝で人が死ぬことはない」と現実直視を拒否
放射能安全説とマーガリン安全説を唱える連中は、見事にかぶっている。発言主 山崎毅は、福島で放射能安全セミナーを行っている。
春香クリスティーンらが経産省の「核のゴミ処分=原発再稼動」をPR! 復活する原発ムラ広告に群がるタレント達
https://twitter.com/desler/status/485689064561987584

まんげつ(放射脳デマ除染隊) 「放射脳のみなさん、この鼻血と低線量被曝の因果関係は証明されたのでしょうか?」
リチャード輿水         「放射能コワイコワイ病」罹患者のみなさん、科学を知り、論理的に物事を判断いたしましょう。」
http://richardko shimizu.at.webry.info/201510/article_79.html

副島隆彦[1792]
「ホテル 放射能」を建設しようかと、考え始めています。また、私たちの愚かな「放射能コワイ、コワイ」派の敵どもが、私のこの「ホテル 放射能」の話に飛びついて、ギャーギャー騒ぐでしょう。
本当に、この愚か者たちは、自分の脳に張り付いた放射能恐怖症で、生来の臆病さと、ものごとを冷静に考えて判断する能力がないから、
救いようのない者たちだと、思います。福島では、誰も死なない。こん微量の放射能のせいで、発病して死ぬ者はひとりもいない。そのように断言します。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/13(土) 02:57:09.94 ID:fhS+sp740.net
>>15
族をまたいだ婚姻は実質的に人質の要素もあったんじゃないかな?
二つの集族が有効的だから婚姻を結んだんじゃなくて、対立要素満載だからこそお互いに人質を交換してお互いに手を出しにくくして共存を図るという。
武王、呂尚、周公旦が殷を討つのに以上に慎重だったのも記録には残っていなくても婚姻による人質となっていた人が多数いた可能性を想像させる。

資料じゃなくて、あくまで想像の話になってしまうけども。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/19(金) 02:17:49.79 ID:lcPcLMD30.net
>>16
チョ翼様の祖国は、偉大なる中国様の楽浪郡で羨ましいですな

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/14(月) 10:00:50.40 ID:H7haG7PU0.net
文王の四友好き
その一人の南宮括が随の祖先だと知ったときは感動した

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/03(日) 06:59:19.27 ID:E4uir6LL0.net
典韋がたとえられてた悪来が大した猛将じゃなかったような・・・

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/03(日) 11:04:45.65 ID:rracLZWx0.net
猛将じゃなくて剛力。腕力が強かったんだろう。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/11(月) 06:12:27.09 ID:jYb5i3XY0.net
殷は東に出兵繰り返してる間に国が疲弊したところを周に討たれた訳だが
周のやったことってただの裏切りだよね

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/11(月) 18:33:09.46 ID:9uaP9BAC0.net
イングランドもデーン人とかと戦って疲弊した隙にノルマン人に征服された。
よくあること。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/12(火) 01:53:05.20 ID:u7Pw75pb0.net
>>22
彩芽〜

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/13(水) 19:18:05.84 ID:ltdUSQm50.net
>>23
殷は殷で周がまわりのまつろわない異民族を攻撃して勢力拡張してて
なんか怪しいことを崇侯虎が忠告してるのに無視してるし

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/11(水) 03:44:34.43 ID:P3cNsoyK0.net
周も季歴が殺されたりしてるからな
殷と周は単純な上下関係以上の軋轢があっただろ

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/23(月) 14:14:09.54 ID:2f/+iXwiO.net
文王も生きてたら「ばーっかじゃねーの」とか言って帝辛にゲロ浴びせてたかな

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/26(木) 00:37:59.47 ID:4BVSdiGH0.net
殷周革命は近世中華帝国の明→清の交代と似たようなものを感じる
王朝がドタバタしている間にかつて臣従してた勢力が辺境で巨大化
ドサクサに紛れて中央進出→天下王朝の椅子にいつの間にか座っていた

>>24
ウェセックス朝、デーン朝、ノルマン朝、プランタジネット朝

中世イングランド王国は複雑怪奇で面白いね

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/26(木) 01:03:09.53 ID:rtET60Vt0.net
無思慮王とか無策王とか酷い言われようのイングランド王エゼルなんとかさん不憫

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/26(木) 23:47:03.16 ID:r8n5GD7O0.net
>殷周革命は近世中華帝国の明→清の交代と似たようなものを感じる
>王朝がドタバタしている間にかつて臣従してた勢力が辺境で巨大化
>ドサクサに紛れて中央進出→天下王朝の椅子にいつの間にか座っていた

天朝となって暫くすると大規模な反動が発生するとこまで同じwww

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/27(金) 07:08:05.90 ID:qpgb9bbE0.net
司馬遷とかいう偏執歴史家の西周無視っぷりは許し難し。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/27(金) 10:59:53.17 ID:Nu5PUf+c0.net
たぶん史料が司馬遷の時代にすらそんなに残ってなかったんだろうなあ…

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/27(金) 14:32:19.49 ID:Drz0Uf+b0.net
申侯 犬戎 無能

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/27(金) 20:11:56.54 ID:Jt7H0UeW0.net
竹書紀年「…………」

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/28(土) 00:34:39.09 ID:ARSV8Vkj0.net
西周の滅亡は謎だよね
少なくとも幼稚な史記の狼煙エピソードが原因で滅んだわけじゃない

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/28(土) 14:57:24.70 ID:E5JHmbmA0.net
魏 安釐王墓 有能

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/29(日) 06:28:43.98 ID:4xBpnXys0.net
魏の安釐王墓も有能なのかもしれないけど、竹書紀年って確か魏の襄王墓だったような。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/30(月) 06:13:19.39 ID:MfNfa55w0.net
1700年以上前に襄王墓から出土→整理→散佚→(不完全な復元)、古本・今本

先秦の出土文献は浪漫がある

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/31(火) 00:25:36.59 ID:Kk00pVj50.net
戦国魏の公式国家記録である竹書紀年は完全であれば史記を遥かに超える信頼性を持つ第一級資料だけど※リアルタイムの戦国期に限る。
当スレの本題、殷〜西周の部分は説話、あんまあてにならない。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/31(火) 07:50:36.09 ID:q6xzfAYl0.net
そらな、昔すぎやねん

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 00:38:51.53 ID:BbHUHS0n0.net
周の穆王とかいう旅行家

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 05:04:12.83 ID:jigG0AlA0.net
西王母旅行より穆王に献上された謎のアンドロイドの方が気になる

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 00:20:24.06 ID:GpfuR+qy0.net
>>37-39
いちおう襄王墓説が主流だが安釐王墓or旧家から見つかった説もある
但し場所おかしいから伝世文献に載ってる上記の説は全部間違ってる可能性が高い

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 00:22:17.43 ID:GpfuR+qy0.net
>>43
曹叡「ワイも動く人形興味ある」

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 07:19:38.33 ID:MGF1pC9y0.net
確かに出土したとされる場所が魏と趙の国境地帯なんで変ですね。
王墓は王都の近くにあるはずだし。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 20:12:15.75 ID:GpfuR+qy0.net
戦国魏の有力封建貴族のお墓である可能性が高そうだな

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/08(水) 01:11:06.80 ID:Abw6ZeXz0.net
この時代の事を記載した出土文献つーと近頃は清華簡が熱いね
もう一回ほど清華簡に匹敵する掘り出し物が見つかれば・・・

>>42-43
穆天子伝読んだけど難解すぎて面白くない(苦笑)

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/10(金) 15:56:16.67 ID:S5gSeK2J0.net
先秦期の遺物は先秦文明が消滅して墓荒らしに対する抑止力(畏敬の念や監視)が崩壊した後世(特に楚漢/三国魏晋南北朝)破壊しつくされてほとんど残ってないのよ。残念ながら

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/10(金) 19:59:10.78 ID:XDUZeaII0.net
大陸は地質が脆く風化しやすいのも痛いね
加えて黄河の氾濫で大量の土砂に埋没してしまう

汲家書は本当に運が良かった(散逸したけど)

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/11(土) 17:57:41.44 ID:5RuvNM/u0.net
????「西周は司馬遷の創作!」

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/11(土) 19:47:50.58 ID:s+psurY90.net
М御大の西周論に触れるのはNG

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/14(火) 01:51:45.31 ID:W1lKspnr0.net
史記は個人の事業だから無責任なこと書くし雑なところも当然多い。
しかし西周抹殺論は思いつきをテキトーに主張しちゃった程度の物だから……


最近、繋年読んで改めて思ったが褒姒の子ってなんで“伯”盤なんだろうな?
まるで何の問題もない正統な後継者みたいじゃん。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/14(火) 07:05:47.98 ID:YfEko2dG0.net
>まるで何の問題もない正統な後継者みたいじゃん。

平王&有力諸侯「貴様、世界を敵に回したいようだな、、、」

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/14(火) 17:17:27.50 ID:W1lKspnr0.net
中原の諸侯に加えてあの秦も平王派だから怖いなww

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/14(火) 23:01:14.47 ID:jn0df6t/0.net
周携王「(´・ω・`)ショボーン」

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/15(水) 07:32:23.69 ID:NbIoY9pc0.net
世界氏スレに貼られたトンデモ説

・ 「夏」 ・・・ 日本の縄文文明

・ 「殷」 ・・・ インダス文明

・ 「周」 ・・・ シュメール文明

前漢の武帝が司馬遷を牢獄につないで無理矢理書かせた捏造歴史書「史記」を読んででも、
絶対に真実は理解できない・・・・・らしい(笑)


【三代】夏殷周を語る【理想】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284560044/777-780

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/15(水) 07:33:41.70 ID:NbIoY9pc0.net
777 :こんなオカルトな説を見つけた。。。:2016/06/14(火) 22:31:18.74 0
53 :   :03/03/07 02:51 ID:???
NAME:白根 英夫

(略)

54 :Å番外編・日本原理主義 /白根:03/03/07 02:54 ID:???

(略)

さて、僕は、邪馬台国など封印されている日本の古代史を、これから暴露していくつも
りだが、中国の古代の歴史の概要は、次ぎのようなものであって、日本人は中国人によ
るニセの歴史観から解放されるべきだと思う。

55 :53 54:03/03/07 02:55 ID:???
古代中国の「夏」王朝は、日本の縄文時代人によって開かれた世界文明のことであって
この世界文明は、古代オリエントからアフリカ大陸・南北アメリカ大陸・オーストラ
リア大陸・そしてヨーロッパを除くユーラシア大陸全体に広がっていたのです。

古代インドのインダス文明や、古代オリエントのシュメール文明は、この日本の縄文人
によって開かれた世界文明を継承した文明です。 このことは古代日本の神代文字で、
いままで解読不能であったインダス文字などが解読できた事実によって明らかなことで
す。

司馬遷(前145頃-前86年頃)という古代中国の歴史家は、前漢の武帝によって、牢獄に
つながれたまま「史記」を書かされましたが、その古代史は、日本の縄文人の世界文明
を「夏」と置き換えていますし、同様に次の「殷」王朝は、インダス文明のことで、
さらに次の「周」王朝とは、シュメール文明のことです。
だから、いくら「夏」「殷」「周」を中国領土内で探しても見つからないのです。(笑

そして「周」の後の「秦」は、アッシリアやバビロニアに滅ぼされた古代イスラエルの
12部族のうちのユダ族が中心になって建国した王朝です。 そして秦の始皇帝もユダヤ
人で、秦始皇帝の側近の方士の徐福もユダヤ人でした。
ここで言うユダヤ人とは、現在のアシュケナージ・ユダヤ人とは異なるセム系民族の
ことで、全部、日本に渡来してきて混血してしまいました。

発掘された秦の始皇帝稜を中国政府が公開しないのは、なんと全てペルシャ仕様の遺物
だけだったからです。 司馬遷は、前漢の武帝によって「史記」を書き終わったあとに
歴史偽造の秘密を漏らさないように殺されてしまいましたが、現代の中国人も、この
偽造史書である「史記」の虚偽が発覚するのを恐れて始皇帝稜を公開できないのです。


【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/15(水) 07:35:12.70 ID:NbIoY9pc0.net
(上からの続き)

56 :右や左の名無し様:03/03/07 02:58 ID:???

紀元前の弥生時代の日本に、秦帝国(前221-前206)を動かしたユダ族が大挙して渡来
してきました。 これ以外にも縄文時代末期から弥生時代前期にかけて、縄文人の末裔
であるシュメール・エジプト・インダス文明の担い手であった渡来人(イスラエル・
スキタイ・エジプト・インド、その他、ポリネシアン・アフリカン)が全部、日本に
来ているのでした。 日本の古代遺跡からは、その証拠が豊富に発掘されています。

この当時の「倭国」は、土着の縄文人の豪族の国々(この筆頭が邪馬台国です)と、
渡来人の国々との間で内乱状態だったのでしたが、姻戚関係を結ぶことによって混血化
していき、縄文時代とは異なる金属文明である弥生時代化が進んだのです。 

「魏志倭人伝」での邪馬台国は、現在の北部九州地方・山陰地方から近畿地方の日本海
沿いに展開しており、それと対抗していた「狗奴国」とは、失われたイスラエル10部族
の国であり、南部九州地方・瀬戸内海 四国地方・近畿地方に展開していたのですが、
最終的に倭人の「狗奴国」が平和的な姻戚関係を結ぶことによって大和朝廷を建国した
のです。

朝鮮半島の「馬韓」「辰韓」「弁韓」は、その後に「高句麗」「新羅」「百済」と国名
を変えましたが、この3国は、「倭国」と、それに続く「大和朝廷」によって完全に
コントロールされていたのです。

弥生時代や古墳時代の日本(倭国)は、朝鮮半島の3国を徹底的に任那日本府によっ
てコントロールしており、また原住民の民度向上のためのテコ入れをしていたのです。
朝鮮半島と日本海は、日本(倭国)と大陸との通商ルートであり、同朋民族の渡来経路
だったので、大和朝廷としては、何が何でも統制下に置いておく必要性がありました。

57 :右や左の名無し様:03/03/07 02:58 ID:???

飛鳥時代の聖徳太子が、かつての植民地人にすぎない古代中国の末裔「隋」(581年
-619年)に向かって「日の没する処の天子へ書を下す。 つつがなきや」と卑下した
外交文書を送付したのも当たり前のことだったのですが、その後の663年の「白村江の
戦い」で日本が「唐」(618年-907年)に敗北していらい、唐の占領軍が日本に進駐し
てきて、かつての正しい歴史記録文書(日本史と世界史)をすべて焼却してしまい、
神代文字は廃止されて漢字文化一色になってしまったのです。

この「白村江の戦い」での日本の敗北は、日本国内に蔓延した仏教を原因とする日本の
指導部の無能化(平和主義と、客観性を無視した主観性重視の傾向)のためであり、
また神国を自覚しない民に対する神罰と、法華経という至高の仏法を護法しない民に
対する仏罰とも言える現象です。 これによって縄文時代の世界文明の記録も、渡来人
の記録も全て消されてしまったのてすが、これも、よくよく考えてみると、神様の計画
だつたのかもしれません。

しかしながら、ようやく21世紀に至り、全世界の諸学者が「日本はシュメール粘土板
文書に書かれていた楽園の”ティルムン”であり、旧約聖書でいう”東の方・エデンの
園”であり、日本人は神の民だった」と理解しはじめているのです。    (続く)




【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/15(水) 07:37:15.33 ID:NbIoY9pc0.net
 「殷」(イン) → 「イン」ダス文明

 「周」(シュウ) → 「シュ(ウ)」メール文明

ここまでは韻を踏んでいるので面白い。だが、

 「夏」 → 日本の縄文文明

これはどうやって結びつける?????

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/01(金) 10:21:27.48 ID:vfhuvjli0.net
 
 
      「商」において膨張する集団がコントロールされる。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 17:40:21.11 ID:Dpv08RkP0.net
2015年

7月11日  任天堂・岩田社長(55)死去(病み上がりならず)

2016年

6月25日 『悩みのない世界へようこそ』のスピリチュアルTV主催者テディ小泉(52)さん、脳梗塞で倒れ、心筋梗塞で死去。
https://twitter.com/teddykoizumi
7月2日 昨日、友人が脳梗塞で倒れ頭を打ち家でトイレの前で亡くなっていた。40歳だぜ!俺は放射能汚染が本気で憎い
https://twitter.com/leon20000312/status/749244634488987649
7月2日 ブロガーのサランさんが今日日本で心肺停止で亡くなったそうです。倒れる前日までブログが更新されてて
https://twitter.com/kmhn980205/status/749226132105334784
7月17日 競走馬の急死が続いている。中京競馬場4R、フラットアプローチ号が第二コーナーで転倒、競走中止。原因は心不全。


りうなちゃん。2歳を過ぎたころ「放射能があるから砂は触れない」「葉っぱは触っちゃだめ」脳腫瘍で死去
https://twitter.com/Tom oyaMorishita/status/648628684748816384

UFOや核エネルギーの放出を見る視力を持つ子供たちがどんどん生まれてくるでしょう。

マイト レーヤは原発の閉鎖を助言されます。
マイト レーヤによれば、放射能は自然界の要素を妨害し、飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落します。
マイト レーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じです。

日本の福島では多くの子どもたちが癌をもたらす量の放射能を内部被ばくしています。
健康上のリスクは福島に近づくほど、高まります。福島県民は発電所が閉鎖されれば1年か2年で戻って来られるでしょう。
日本の近海から採れた食料を食べることは、それほど安全ではありません。汚染されたかもしれない食料品は廃棄すべきです。
問題は、多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、日本政府が、原子力産業を終わらせるおそれのあることを何も認めようとしないことです。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 01:02:33.49 ID:sQMU4xH40.net
周の末期に興味がある
西周と東周に分裂していた時代に

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/14(金) 01:32:42.65 ID:UhCjOQcv0.net
しかし七大国ですら質の高い史料が全然足りない戦国期の周には語るべきことが・・・(学者レベルでも多分無理)

65 :陝西富平人@\(^o^)/:2016/10/20(木) 19:18:02.56 ID:S4qZ0TWH0.net
>>63
戦国期の楚と周、秦と周の関係に興味がある
前者は周に相当浸透しているし後者は意外にも尊王的

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/20(木) 23:09:28.96 ID:bq7xZS4r0.net
>>63
つうかあの時期に弱小がよく分裂出来たもんだ、と
もう周王朝でもないただの国なのに

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/20(木) 23:46:36.24 ID:5jX8/qsw0.net
>>65
なんか秦は戦国でもまだ覇者認定もらってるよね

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/22(土) 21:02:06.48 ID:+RAKcSyL0.net
戦国周王室はかつての天皇家みたくそれなりの金をくれてやれば認定くれそう。

戦国中期の秦は穆公への回帰を掲げて富国強兵を進めた政権、保守的な姿勢は理解できる。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/23(日) 04:25:40.87 ID:3XFHF1mt0.net
>>68
大概の富国強兵改革はイコール既得権益持ってる臣民の反発→弾圧を伴うので大義名分が必要、いつの時代も改革者が通る道は変わらんな

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/23(日) 23:59:55.43 ID:unASM2yL0.net
商鞅「……」

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/24(月) 00:37:28.69 ID:hPR5Tni00.net
正しいことをやってる(or孝公にやらされてる)けど人気皆無の商鞅たん
絶対君主制と功臣の軋轢は続く

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/24(月) 18:43:01.44 ID:P9L7syXk0.net
政権を象徴するワードを首邑に冠する宗周、成周のカッコよさは異常
○陽とか○安とかいうどこにでもある凡ネームに甘んじる秦漢晋唐宋なんていらんかったんや!

73 :邯鄲人:2016/11/14(月) 20:50:08.54 ID:wCU8/GSV0.net
周原とか周公(家)もいいよね…

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/15(火) 21:43:16.46 ID:uOvuE6X40.net
・岐阜の由来(信長が命名※諸説あり)
・王岐山(現中国最高指導部)

周ほどではないが《岐山》もなかなかのパワーワード

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/16(水) 00:00:12.13 ID:4YHY/gWT0.net
こんなところで王岐山さんの名を見るとは

後世姫姓があんまいなくて寂しい…

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/16(水) 15:09:09.87 ID:mpgZS4kG0.net
姓といえば、、、、
周の支族たる鄭の公族子産を「子姓なので殷王室の末裔であろう」
と書いてる超時空小説家がいたな

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/16(水) 22:52:50.29 ID:8jEfwBOS0.net
>>76
やべぇな

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/17(木) 21:17:25.71 ID:Cq/68pMv0.net
あの先生はそれ以外にも色々やらかしてるけど、それでも現役の中国史小説家ではたぶん宮城谷先生に次ぐ作家なんだよね。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/11/18(金) 19:55:25.40 ID:Ejod3VXk0.net
殷も西周も君主の徳に問題があったせいで滅んだように司馬遷は描いてるけれどなんかしっくりこない

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/12/03(土) 19:26:22.24 ID:pOGom0FB0.net
知識人層「だってその方が都合いいし」

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/12(木) 20:32:21.11 ID:xJ6NMs6M0.net
昭王「問題があったとすれば武徳だな」

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 17:36:26.68 ID:gNtZ/aTV0.net
周の武力拡大は長江流域でストップした
古代中国文化圏の限界も大体長江流域
やっぱ武力がすべてやで

83 :陝西富平人@\(^o^)/:2017/01/23(月) 07:43:32.25 ID:XQ17HM5M0.net
周昭王率いる王軍(西之六師?)は漢水に沈む,関中政権の江漢併合は秦昭王期を待たねばならない

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/23(月) 16:22:59.88 ID:RNXL8EZx0.net
無念の敗死から700年後の偉業達成か…
そういや秦ってネオ周王朝だな

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/23(月) 20:12:40.14 ID:LrP7l2hV0.net
楚都陥落で完全にパワーバランスが崩壊し秦一強時代に入る
事実上の天下王朝だな

>>83
西六師とか殷八師っていいよね・・

86 :邯鄲人:2017/01/24(火) 23:40:14.92 ID:YgfKMWgC0.net
天子六軍という発想は、元を辿れば西六師に行き着くのかな?

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/25(水) 16:15:01.71 ID:mXVbXA/I0.net
この時代はまったく分からねぇんだよな…

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/25(水) 23:56:32.05 ID:TydqML1C0.net
犬戎だっけ?周を滅ぼしたの

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/25(水) 23:57:42.76 ID:TydqML1C0.net
ageといた。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 08:00:43.13 ID:y3t8C+bb0.net
韓(西周)とかいうどマイナー国家

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 09:37:56.05 ID:hxQ8yiiJ0.net
魏(西

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 09:38:47.57 ID:hxQ8yiiJ0.net
魏(西周)もなかなか地味

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 10:35:46.39 ID:4BT4zva90.net
にしあまねさん?

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/27(金) 20:02:01.61 ID:y3t8C+bb0.net
BC650あたりまでに滅んだ国の扱いがなあ

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/30(月) 21:19:03.05 ID:KPV8XLrP0.net
>>78
作品数だけなら引けを取らないwwww

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 14:19:13.25 ID:W+xJnq+/0.net
>>78
中国史小説の大家の陳先生が最近亡くなられたし、宮城谷先生も結構な歳だし
中国史分野って後継者いるのか?

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 15:41:13.50 ID:77yH6UNs0.net
>>77
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1478499576/44
ここまで来ると、もはやギャグ

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/31(火) 16:21:52.62 ID:wWVv5fjp0.net
宮城谷さんレベルの人はいないね、中国史小説が売れる時代じゃないし

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/06(月) 20:13:23.74 ID:tNAOYdAq0.net
西周中期以降における晋と周王室の親しさを知れば春秋期の作品をより楽しめる。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/07(火) 08:35:02.00 ID:3azRypQ/0.net
西周中期の世の中ってどうなっていたんだろう?
そんなに晋と親しかったのか

101 :邯鄲人:2017/02/07(火) 21:53:10.83 ID:Rn6sMEei0.net
>>100
その頃から、王朝にとって北方の安全保障が喫緊の課題となり、北国の重要性が増す
在地の周族系諸侯晋は北防の要といえる位置にあり、協力援助を通して王と晋の関係強化が進んだ。

恐らく晋侯は、クーデターで宗周を逐われた周脂、を支え、共和政権に対抗した勢力の有力者(妄想)

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/09(木) 17:33:56.02 ID:E06vY84L0.net
そこで中央に影響力を持ち始めた感じだな

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/09(木) 22:15:51.56 ID:nVt7Q+dm0.net
なるほど文候以前から結構存在感があったのね

104 :邯鄲人:2017/02/11(土) 00:10:52.82 ID:7S8lDLAJ0.net
今更だけど>>101は正確さを欠くから訂正、脂、〜共和〜宣王期だから西周後期

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/11(土) 18:21:36.46 ID:zoQ/NwLc0.net
成立と滅亡の経緯はやたら扱いデカいのに早くも最盛期の康王あたりから存在感のなくなる空白時代
ここらに古代中国人の世界観/歴史観の限界がありますな

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/11(土) 18:53:55.11 ID:iq2gYHPH0.net
>>105穆王の時が領土的には最盛期って気がする
ただ無茶やったせいで綻びが出るっていう漢の武帝みたいな感じだな

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/12(日) 01:16:20.07 ID:0qDDGOK20.net
そこで漢武を例に挙げるのはちょいと違和感
漢は武帝死後、滅亡の瞬間までアジア大陸に君臨した無敵の帝国だし

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/12(日) 11:49:24.67 ID:B/4gWFGF0.net
内部でゴタゴタしていることと、
対外的に劣勢かどうかは別物だもんな。
まったく関係がないわけではないけど

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/26(日) 18:09:48.63 ID:E2SdFSQn0.net
35:54脅迫

10:40
https://www.youtube.com/watch?v=WTdY7h129Mk

110 :陝西富平人@\(^o^)/:2017/05/05(金) 17:27:46.68 ID:GN1rGy6I0.net
>>86
六師は最古に属する伝世文献である詩経にも謳われ金文に初見する時期も早い
西周の頃から王軍を象徴する存在になっていたのではないかと

>>88
そうですね、幽王以前から度々王軍や内外諸侯と交戦している勢力です

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/07(日) 17:07:18.21 ID:daO89XUN0.net
犬戎又作猃狁

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/08(月) 21:40:33.63 ID:HEIVc1QJ0.net
>>110
国語の最初のほうにもいましたね。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/12(金) 23:39:47.50 ID:P5bye4Aj0.net
周はなんか唐突に事故死したイメージ。
関中って中原には強くて東に伸びるけど逆に蛮族の侵入には弱い印象。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/13(土) 01:50:07.90 ID:r/S5m3660.net
>>113
脂、の追放、宣王の治世の失速
西周が崩壊するフラグはそれまでに立っていたし唐突って感じはしないな

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/13(土) 20:40:04.26 ID:PFgZaoe60.net
安史の乱くらい唐突かな
いきなりマッハで首都がアボーンするところが

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/13(土) 21:26:05.58 ID:yFWlU97L0.net
西周諸侯が次々没落してからの滅亡じゃないもんなー
むしろ周王室だけが唐突に滅亡した後、有力諸侯が跡継ぎ盛り立てて殴り合えてるくらいだし

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/13(土) 21:44:21.63 ID:+0Mn08Ix0.net
諸侯が力つけたから相対的に王室が没落するんだろ。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/13(土) 22:33:25.43 ID:Lvn+HtAt0.net
共和以前の史料が少ないから唐突に死んでるように見えるけど
昭王が溺死したあとからいろいろと不穏だったんだと思うよ
イメージ的には安史の乱以降振るわなかった唐とかぶるね

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/15(月) 07:47:36.86 ID:9Zxa37E30.net
事前に衰退していたことが史料にもあるわけだから、
突然死みたいな扱いはないでしょ。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/15(月) 09:27:23.16 ID:ipNdLJCk0.net
史書にある褒姒のエピはほとんどが後からの作り話だと思うけれど、
彼女を偏愛して申后を殺そうとしたのは事実に近いと思ってる。

>>116
元正后の実家が滅亡を主導してるんだから唐突に見えるのかもね。
申侯にしてみたら、幽王はゆるせないけれど、完全に周を滅ぼす気は
なかったのかも。孫が正嗣なんだし。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/15(月) 16:25:41.19 ID:SHwsKwUH0.net
共和のあとを受けて立ち国人に配慮しつつ円滑に王権の統一を成し遂げた長い宣王中興時代の直後に軍事的に滅亡
一応唐突でしょ
実質的に武王以前の状態まで縮小した国土の修復に成功し勢力圏は再び山東や南陽盆地まで拡大されてた

だからこそ珍妙な笑わない王妃の狼煙エピソードで無理やり説明してるわけで

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/15(月) 19:05:25.25 ID:YMDqBi6e0.net
確かに、陝東地域の経略は,かなり進展していますね…
王師の主力と思われる西六師&殷八師は成周付近に所在していたそうなので,陝西の防衛戦力に問題があったのかもしれません

有名な申伯と幽王の説話についてですが,申と称す勢力は複数存在する模様なので要注意
『竹書紀年』に宣王が申戎を征伐し破った記述があります

>>112《周語上》「穆王将征犬戎」
最初も最初ですね 笑

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/15(月) 19:07:02.88 ID:ZSLD9C0R0.net
宣王は墨子明鬼編にある、処刑した杜伯の幽鬼に射られて死んだエピソードを見ると
治世後半が専横化して周囲の恨みを買っていたようだ。墨子の記述の信憑性も検討が必要だが。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/15(月) 22:18:27.23 ID:9Zxa37E30.net
治世後半に失速する君主って多いよねw

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/15(月) 22:37:48.96 ID:WzWG7xr80.net
堂々たる天下王朝ともなれば各方面に強力な軍を置いて二正面三正面作戦は義務みたいなもんだが(現中国が沿岸部を守るべく第一第二列島線を目指しながら内陸のシルクロードを固めるように)
西周にその力は残念ながらなさそうだな。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/16(火) 07:21:39.61 ID:IIFY/Z6N0.net
少なくとも幽王のころにはそんな力はなかっただろうな。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/17(水) 16:28:19.51 ID:/24A+sGi0.net
>>122
主力軍は中原に駐屯してたのか?
じゃあ王都の安保を担ってた軍事力はなんなんだ?
>>126
つか古代の四方辺境に進出して諸侯守っても直接的な国益に繋がらんしな大赤字の王朝中枢が疲弊するだけ
近現代なら地方住民を雇用したりインフラ整えて物流を増やせば内陸地域発展の起爆剤になるし
インフラ建設担当する国営企業や軍需産業からの莫大な税金という形で金も回収できる

128 :陝西富平人@\(^o^)/:2017/05/17(水) 22:33:34.51 ID:81Z3Uupf0.net
>>127
122です

・王朝中央直轄の親衛軍、いわゆる虎賁(左右虎臣)
・関中王畿(畿内,陝西省)に点在する王朝直轄軍事拠点に駐屯する兵
・内諸侯(関中王畿の諸侯)の軍事力

正直言ってよくわかりません

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/17(水) 23:51:08.63 ID:/24A+sGi0.net
あーなるほど王都の守備すら諸侯の軍事力を頼らなければいかんシステムなのね
遠隔地なら兎も角近畿もそのザマではちと危ういな

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/18(木) 07:09:27.90 ID:W8nldiTv0.net
宣王の後期に軍事でやらかしてるしな

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/18(木) 09:29:00.22 ID:WU8JOnyK0.net
董卓って、紂王を尊敬してたんだろうな。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/18(木) 23:38:15.73 ID:d1sWafjZ0.net
そういえば妲己たそもこのスレの範疇か

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/19(金) 00:48:51.59 ID:WskUET1H0.net
妲己ちゃんと褒ジちゃんはどっちがより絶世の美女か

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/19(金) 19:41:03.71 ID:kRMiG0S30.net
だっきちゃんbyちゅーおー

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/21(日) 17:43:45.62 ID:1pEVtGv30.net
>>128-130
宣王がやらかしてるっつーか王の軍事支援と有力諸侯の力を合わせてようやく一進一退ギリギリの攻防になる位強い蛮夷の軍がヤバイ

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/21(日) 21:09:19.56 ID:osI4hhtB0.net
共王以降は事績がほとんど伝わってなくて次は追放された刺王の時点でお察し

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/21(日) 22:39:56.39 ID:7Sbkl4bX0.net
本当は資料がいろいろあったんだろうけど
史記書く時点では失われていたんだろうなあ

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/23(火) 00:24:48.28 ID:RX5fQq0M0.net
時代の下るうえに焚書という言い訳のきかない秦代の記述すら貧困ですし
殷周の資料製作力や史料保存意識を過大評価しないほうがいいと思われ

社会の生産力技術力は青銅器文化(クソデカ銅鐸等)が栄えた日本の弥生時代後半期と大差ないし多くは望めない

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/23(火) 21:31:17.81 ID:D9kgn2aQ0.net
六師壊滅と昭王敗死で関中引きこもり化

周王の威信が低下して徐々に諸侯への抑えが効かなくなる

祭祀・礼制を強化して威信アップを狙う
儒教的な諸礼の基礎が表れ始める

周軍弱体化が進み、諸侯の軍事力に頼るようになる

それではいかんと脂、頃から東方南方経略を本格化
山林沼沢にもバシバシ進出して軍事費を補う

周王と国人の諸権益が対立し、ついに国人暴動
脂、が追放されて宣王が擁立される

宣王も脂、路線を踏襲しはじめる
関中内外の諸侯にも見放される

幽王死亡、携王擁立
幽王死後に平王がすぐ即位してたかは怪しい

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/24(水) 01:41:03.46 ID:kGtE6cTZ0.net
>>139昭王の死後、穆王が外征しまくって領土的には西周の最盛期になったんじゃなかったっけ?

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/24(水) 20:03:03.04 ID:AmMLZS1b0.net
たぶん某書のコピペ省略版なんでこまけぇこたぁ気にスンナ

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/24(水) 21:28:01.01 ID:5zawRGr/0.net
穆王の事績は扱いが難しい
一応史実だけど歴史学的には・・・・・

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/24(水) 21:50:01.54 ID:OOJTui9M0.net
活発に軍事を行うことの功罪は、
しばしば論争の的になってきたよね。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/24(水) 22:22:40.86 ID:SYb/5QuD0.net
殷の最盛期も周に滅ぼされる直前の紂王の時だもんなぁ。
滅ぼした側の周からはひどい言われようだけど。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/25(木) 11:45:23.27 ID:FURa9N/u0.net
領土拡大する為には戦争しか無い訳で、攻められる側からしたら、
ひどい王ってことになるわなぁ。
特に太公望は羌族で、羌の人は牧畜を生業にしているから、
あまり大集団にならず捕まえやすかったらしい。
卜文なんかにも、「羌を得るか?」なんてのが多いとか。
祭祀の犠牲や生産奴隷にされてた訳で。
ヤラレる方(太公望)にとっちゃ、たまったもんじゃないわな。
恨み骨髄でもしょうがないじゃね?

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/25(木) 22:36:43.49 ID:WTVnx3990.net
なんか宮城谷作品っぽいノリ

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/25(木) 23:20:36.85 ID:4FYOqOq+0.net
太公望の素性は不明だけど、姜姓だから羌族じゃないか、という説はあるね。
羌族は姜の別種とも言われてるから。

羌は二本足の羊の象形とも言われて、羊のようにお供えにされていた。

でもwikipediaによると紂王こと帝辛は羌族をお供えにするのをやめたらしい。
「3. ^ 陳舜臣『中国五千年』(上) 講談社<講談社文庫> 1998年 57頁。 陳舜臣によると、
生産が増えたために、殺害するよりも働かせた方がよいという判断したのか、羌族が昔に比べて
容易に捕獲出来なくなったとの説を述べている。」

148 :145:2017/05/26(金) 01:45:19.18 ID:VseYOLQC0.net
>>146
宮城谷さんてより、陳さんの方かな?

>>147
完全に止めちゃいないよ。数減らしたけど。
陳さんの「中国の歴史」なんかだと、農業奴隷とか兵隊奴隷とか、
酷使したみたいなこと書いてる。
後、すごいことも書いてたな。
殷の人に、人間を犠牲にしたらひどいと質問したとして、
「え?!あれ(犠牲にする他の部族)は人間ですか?」
と答えるだろうって。
こんなのりで犠牲にしていたようだし。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/26(金) 01:54:24.99 ID:48Dn2Uyh0.net
陳さんが、奴隷が多かった証拠として上げてるのに、
殷墟の遺跡で、農具が大量に納められた倉庫の後が出土したことを
上げていたな。
そんなものがあるってことは、仕事が終わった後に農具を回収して
いた訳で、完全に奴隷たちは今の刑務所並みに管理されていたんだろうな。
軍隊の兵士もそうで、だから周との戦争も闘う気ゼロだったと。
殷が負けて解放されるのを待っていたと訳だ。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/26(金) 06:01:09.83 ID:z0dO+A580.net
まあ自分たちとは違う民族や種族は
人間扱いしていないのは今でもそうだし

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/27(土) 22:51:44.26 ID:73DDpsJf0.net
そりゃあ周に負けるわなって感じだな
よく殷は何百年も中原を支配できてたなって思う

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/27(土) 23:59:52.30 ID:JjUMMabX0.net
>>143
なにか勘違いをされているような・・・・・?
それは近代的な歴史学ではなく前近代的な論争でしょう
扱いが難しいとは伝説的な穆王の事績を事実と認めてよいのかとい事です

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/28(日) 00:30:26.12 ID:Z752gYEf0.net
史実論争と
評価論争が
同時進行してにぎわってるな。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/28(日) 00:42:14.63 ID:FBAE+v7W0.net
>>151
殷は衰退と中興を繰り返してたみたいだよ。
衰えると遷都するを繰り返していたのは明かのようだし。

あと、殷の滅んだのは「酒の飲み過ぎ」も一因ってあった。
陳さんの中国の歴史には。
まぁ、それが正しいかどうかは不明だけれど、酒を主に、
贅沢になり過ぎて、その贅沢を続けるために、他を侵略して、
人や財物を略奪する必要があったと。

周公丹は首都で成王に付いていたから、領国は息子に治めさせて
いたんだけれど、その息子に政に付いて色々と指示しているが、
役人が酒を飲んだら処罰するとしておきながら、殷人は酒を飲むのは
しょうがないから、最初は意見しろってあるってさ。
周公ですら、殷人は酒飲みだから徐々に禁酒に持っていけと
考えていた訳だなw

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/28(日) 21:18:36.77 ID:IoUNbXkx0.net
>>154確かに史記を読むだけでも殷王朝は何回か衰えてるし
殷王朝を再興した君主なんてのが何人か出てくるな

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/29(月) 02:16:50.35 ID:qw0bT3AP0.net
高宗武丁が一番有名かな。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/29(月) 09:29:41.82 ID:dCQnGH2U0.net
1つの王朝が何度も衰退と中興を繰り返すなど、他に例がない
実態は別王朝なんだろう

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/29(月) 10:41:48.33 ID:5yqx5w6c0.net
アケメネス朝ペルシャのダレイオス1世みたいにか?ありうるな。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/30(火) 00:31:51.86 ID:r7mFqQZm0.net
>>157
確か、殷の王って十干を称した10の王族の持ち回りって説あったよね。
十干を氏族名?にしてるから、紂王は帝辛と称したと。
部族内部の抗争を続けていたのかもね。
遷都したのも、自分の力が一番強い領地に移していたのかも。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/31(水) 00:36:37.80 ID:Zbdy+jjk0.net
十干諡号は殷に限らず、主に陝東系の集団に広く見られてるから
十の氏族による持ち回り云々の仮説は成り立たない

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/31(水) 10:15:53.13 ID:eyb8fLOO0.net
>>160
十干諡号が他の例があるとしても、それで殷のシステムを完全否定は出来ないのでは?
少なくとも、甲骨文なんかから明にされていることだと、非世襲で必ずしも、実子相続では
なかったとあるけれど。
史記(必ずしも正しいとは限らないが)の系図でも、兄弟相続とかあるだろ。
実は兄弟ではなく、他の近しい氏族からの襲位だったのかもしれないよ。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/05/31(水) 12:51:36.00 ID:XpAIM3Aj0.net
でも部族社会では兄弟相続って割とあるし、疑う根拠としては弱い。
十の部族って多すぎて如何なものか。新羅は三つの王統があるけど。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/01(木) 01:04:22.39 ID:EM+ewPYs0.net
>>161
大馬鹿だな
殷王室だけでなく諸侯や小氏族に至るまで
十干使ってる氏族がみな10に別れていたとでも?
そんなこと言い始めたら姜斉も
初期は10の氏族が持ち回りで諸侯を務めていたと?

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/01(木) 08:14:14.46 ID:B1kmd69U0.net
だから、他に例があるけれど、それが殷のシステムと同じとは言えないでしょ?
殷が特殊だったのかもしれないし。

>甲骨文なんかから明にされていることだと、非世襲で必ずしも、実子相続では
なかったとあるけれど。
ここがポイントでしょ。
殷の封建制度がまだまだ発展途上だっのかもしれないし。
それに10の氏族全部が王位に関係した訳ではなくて、早くに滅んだ族もあるし、
中心なのは、ほんの数部族だったと主張されてるし。
他の意見を否定するばかりじゃ、進歩はないと思うよ。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/01(木) 22:13:52.95 ID:uBLmphp80.net
本当にアホの子やな
十干諡号を使っても殷だけ持ち回りで
諸侯は違うとでも言うのかな?

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/05(月) 00:39:22.74 ID:hady54/20.net
しばらく賑わってたけど、
とうとう息切れか・・

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/05(月) 20:48:15.88 ID:tLvKp9gg0.net
原因「陳とかいう素人作家の本で古代史を語る時代遅れロートルどもに俺が近年の出土資料に依拠した最新学説を教えてやんよ」

中英板は極めて少数の人間で回してんだからここの住人はスレに出没する人種についてはなんとなく把握済だ
すぐに察して撤収しますよそりゃ

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/10(土) 13:32:17.18 ID:Gjb8mlsf0.net
十氏族()

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/12(月) 18:54:32.30 ID:6ZfwE74C0.net
>>152穆王の時代の青銅器が遠方にも発見されて
これは穆王が周王朝の領域を積極的に広げていた証拠であるという解説かなんかを見た事があるな

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/06/16(金) 11:02:01.36 ID:LmKliyB+0.net
穆王が会った西王母は西王国の書き間違いっていう話も

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/25(火) 21:50:23.01 ID:r/CqcEzF0.net
西周の諸王でも実際は春秋五覇の事績と大して変わらんだろう
周辺の外諸侯には顔がきく程度

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/28(金) 16:18:15.39 ID:29DLL+q40.net
そもそも周王が直接支配できない土地を諸侯に委ね(押し付け)たんだから、
全土に強大な権力を及ぼしたということはなんいだろうな。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/09/03(日) 16:39:57.57 ID:pVqghYSt0.net
☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/11/28(火) 05:29:47.63 ID:lJu/BXxy0.net
商は存在自体は神話

確かに商集落と青銅器文化は存在するが、集落規模が小さいのと、当時の中国の文明力的に商王朝、もっといえば周王朝は存在しなかった

まだ商は十分な農業社会を確立できなかったし、中国が農業+ちくさん開拓が進むのは春秋以降
そして鉄器による大開拓はおよそ戦国時代に始まった

よってそれ以前の王朝や文明史観は嘘
ルーツ神話としても嘘がある。中国は確かに先に商ー周ー沿岸人口が発達したが、規模糞小さくて
戦国前の北京ー周ー沿岸人口は50万にも満たなかった

しょせん開拓と人口拡大は戦国のしかも秦からはじまった文化で、秦以外は文化技術はあっても
殖産化と農業拡大に失敗した

というか秦の領土みればまるわかりなんだけど、中国の秦ってのは当時の農業圏+人口集中帯なんだ
その他の文化地域はまだらな農耕集落が散らばってるだけで、当時の日本やASEANの人口規模、農業規模、ブンド規模と大差がない
そして部族連合はあったけど、連合とすら呼べなくて

実質戦国といっても、秦1国王朝対部族の歴史に過ぎず、国家、連合と呼べない部族に過ぎない。
そして周ー商はどうも雑に作られたルーツ神話で歴史ではない。

中国史が史実として始まったのは、実質秦で始皇帝の7代前くらいからであり、そこからだね。
中原じゃなく、西安から歴史と文化が発達した歴史館がただしい

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/10(水) 21:07:00.33 ID:nLHiZfaU0.net
>>174
究極的に言うと支那60年の歴史アルネ

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/21(日) 21:16:10.93 ID:pwfNp4910.net
商はオーストロネシア系
周はチベット系

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/01/23(火) 19:56:35.48 ID:wfgKp9If0.net
殷って実際何年続いたの?

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/06/25(月) 11:58:41.26 ID:8TKhtQ/n0.net
800年だっけ

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 01:14:30.13 ID:BvTOEIYv0.net
西周時代の金石文がもっと見つかって、
各諸侯の歴史が明かされるといいんだけどな

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/30(月) 04:17:16.17 ID:4OUkuVBQ0.net
最近では邑姜の墓とされるものが発見されたみたいだが
続報がないんだよなぁ
まだ調べているんだろうけど

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/09(木) 20:32:26.53 ID:CCB8XCf40.net
春秋の起年B.C.722からは、歴史と認めていいだろう
あんな資料を創作するのは難しいと思われる

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/11(土) 23:36:38.92 ID:znvPG2cc0.net
問題は同時代資料が見つけっても書いてあることが事実かは分からない

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 15:56:33.86 ID:cqvzD6na0.net
金石文って滅多に書かないものだったよね
他の記録はないのかしら

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/21(火) 18:21:38.61 ID:d7LpUmAT0.net
あるとしたら木簡とか竹簡だけど甲骨や金石と違って状況によっては腐るから難しい。
今の所出土してるのは戦国時代くらいまでかな。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 00:28:48.67 ID:+2XGuEzJ0.net
ああ、石とかに残したのしか後世に残らないのは悲しい
実は当時も紙が流通していたなんてないよね

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/25(土) 01:09:43.88 ID:Uxy3YB610.net
紙は漢の時代に発明されたからそれ以前には無い。紙が無いから竹簡なんだから。
それに紙だって腐る。紙が残る状況なら竹簡のほうが残りやすい。
後世に残すことを期待するときは石に刻むんだよ。石碑とか。
甲骨は後世の誰かに読んでもらうためじゃなくて占いの記録だからコピーとかしてないのに
ピンポイントで埋めた場所が掘り返せたから大量に発見されたけどそうじゃなかったら
未だに何も見つかってなかったかもしれない。

あと春秋戦国から漢くらいまでは絹布に書いたりもした。帛書と呼ぶ。馬王堆帛書とかが有名。
絹は高価だし傷みやすいから数は少ない。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/08/26(日) 17:58:36.76 ID:A5RDgSQN0.net
石は最強ですね、さすがの古代中華もエジプトやローマ遺跡の圧倒的威容を前にすると色褪せてしまう。

しかし金石文や簡牘が残ってるだけでも有難いと思わねば。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/03(月) 19:44:41.83 ID:/pYjZuq/0.net
風俗や建築物の想像図とか見る限り、ヴィジュアルはかなり地味な時代だね

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/04(火) 02:17:48.54 ID:Qs8dUmh20.net
>>174
商王朝の頃って、新石器時代後期と変わらない部族社会だよね
ほぼ同時期の呉城文化からも同規模の遺構が見つかっているし、
後の権力者達が良い様に利用しただけ(特に支那共とかw)
ただ、文字に関しては商=二里崗文化が進んでいたのは事実
商周辺文化の出土記号が絵文字としての手段から抜け出せずにいたからな

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/05(水) 23:08:57.11 ID:ZaNqdlIj0.net
かんのじだいでも掘っ立て小屋みたいだしね

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 00:31:10.45 ID:4H6crhGt0.net
それでも周辺から見れば文明レベルでは圧倒してるんだよなぁ

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 05:47:33.19 ID:75NGHJBM0.net
殷のごちそうって何だろうね
松屋のカルビ以下なのかな

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/10(月) 07:44:02.60 ID:Z8SztGGS0.net
豚らしい。牛とか羊かと思ってた。

http://zeushi-kun.jp/news/2013/12/11/01/

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/09/16(日) 16:55:57.26 ID:hNrjZdDC0.net
>>192
商王朝だと、
主食は粟の饅頭に肉の煮込みや塩漬け肉
副菜は漬け菜
デザートは氷室で冷やした牛乳や桑・柿の他に桃が珍重された
あと、人肉たる双脚羊も忘れちゃダメ

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/10/16(火) 20:35:24.76 ID:NUDWm+000.net
>>176
日本人は両方の特徴がある!

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/09(木) 17:29:09.14 ID:4/nMLMAR0.net
>>138
金文や遺構もそれなりに発見されてると言えるのでは
史記程まとまった文書はたしかにないけど
そういうのがあの当時でも豊富にあるのはエジプト、メソポタミア位じゃない?

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/09(木) 20:33:41.01 ID:O0wsUgHL0.net
>>174
ソース一切なしでここまで妄想語るのも凄いね
まああれか、百田さんとかソースなんだろうか

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 19:12:05.33 ID:jFRJIRqn0.net
西周の半ばの時期の面白い話ない?

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 20:45:40.81 ID:64hrWYtU0.net
西周の半ばっていうと繆王が西王母に会いに行った頃?

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 20:50:39.65 ID:64hrWYtU0.net
あれ、誤字があった。穆王に訂正。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 20:53:06.49 ID:li1Efvn00.net
西王母って実在したの?

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 21:28:04.07 ID:D5HapkXo0.net
10 名前:学籍番号:774 氏名:_____ 2019/05/23(木) 21:23:34.59 ID:eyS//C2P11学籍番号:774 氏名:_____2019/01/20(日) 00:01:29.67ID:qZcjrSce

パイパンオメコ小宇根孝代の心臓が血ノ海 火の海

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 21:58:47.38 ID:64hrWYtU0.net
>>201
判らないから面白いんでないかい。伝説の駿馬が引く馬車で駆けて行ったってロマンがある。
ちなみにその時の御者が趙氏の始祖造父。巧みに御したんで趙城に封じられて趙姓の始まりとなった。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/27(月) 19:56:55.23 ID:uy70Vcgc0.net
>>201

西王母=メソポタミアのバベルの塔があったあたり  という説もあるが。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/12/12(木) 23:09:26 ID:txD3szZH0.net
武庚禄父あげ

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/23(木) 20:59:32 ID:fblI+d1G0.net
やはり夏はシュメールか

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/24(金) 15:08:31 ID:ziRAg9KY0.net
>>206

それはない。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/24(金) 21:22:35 ID:aZYkj8720.net
金文や卜辞の原文の直訳が読みたい

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/27(月) 21:37:51.45 ID:NLo5nml10.net
https://i.imgur.com/siQtYu5.jpg

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/29(水) 21:08:47 ID:ftT/BwJl0.net
憲法を変えて地獄

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/30(木) 20:19:57 ID:mjFkpB9M0.net
サルゴンはこうてい

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/21(金) 21:30:56 ID:UxYmIMmk0.net
夏はシュメール

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/29(土) 12:03:29 ID:Zr+jiHng0.net
周の祭祀も永嘉の乱で途絶えたのかな

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/27(金) 21:38:34 ID:conxGVo/0.net
もっと以前に途絶えている

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 00:35:39 ID:ktoCNZHs0.net
漢代に復活して二王三恪に従ったんでしょ

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/10(日) 22:52:46.02 ID:a4YJreH0A
その時代?それは彼方方の物語に最も多く描かれる時代の一つ?
この時代正直何者達が何をやっていたというのか…
甲骨文ていうのがありますけどでもあれは独特か?
分からないですねえ、インダス文字とかもっと昔の時代に使われてた訳でしょう
それにしても中南米のインカ帝国とかが残している文字と饕餮文は似ているね?
あれらはどうして似ているか?
似すぎというか…というかどっちもハプロQがやってたですかね
なんというか彼らの人身御供好きは…奴隷制も好きみたいだしね彼等
分からんね…殷は克殷で終わったしインカはスペイン人が滅ぼした
彼等の迎えた結末も何か似てるような気しますね
問題は彼方方がこの時代の再来望むかどうかだけど…
でも彼方方こういうの悍ましき慣習として伝えているしね…
それにしても饕餮文とか何があれを作らせた?
彼等の表現技法は何だかやっぱり中南米のそれに近いね
でも中国ではあんまり性器みたいな形のアーティファクト知られてないですね
そこが中南米と違ってるっていうか…

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/10(日) 22:59:04.51 ID:a4YJreH0A
その違いは何なのか…緯度?
要するに中華はそういうのをアーティファクトで作る文化にならなかった
一方で中南米は性器みたいなものとか多い
でも何か似てるんですよ、殷代の青銅器にも顔とか彫られてるの一部あるけど
それらはどうにも中南米人の雰囲気あって…
所で日本には何かあるよね?性器象ったアーティファクト祭る伝統が
あの伝統は中国由来とは思えないですけど…
それともそういうのやったら中国追い出された?
分からないですね…中南米から来たという風に考えるとまたちょっと彼方達の歴史学に
挑まさせられるから何とも言えないですけど…

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/10(日) 23:06:19.88 ID:a4YJreH0A
夏王朝がシュメールじゃないかっていうのはそれずっと考えてそういう風な
具合してるんだけど、インカってカインの捩りか?
殷と夏でインカだしカインでしょ?
それはBibleのCainだからちょっと彼等の子孫がどうしたって話をし出すとまた
イヤーな話になるよね…
でも夏王朝がシュメールだとするとシュメール系どうして中原に来たか?の疑問
これが浮上する
どうしてかという説立つ?
個人的にはこう考えるよ、要するにシュメール人て南イラク人だった訳だけど
彼等は北のアッカド系と東のエラムと抗争していた…
彼等がどうやって中国まで?海路か?陸路か?
難しい所だ。でもカシミール地方は彼等の通路になった、そう考えないですか?
もう一つベンガル地方の北の方から南中国に陸でいけそうだけど…
そっちは夏や殷とは別の文明か?
いずれにしても渡来したシュメール人達が甲骨文作ったと考えるかどうか
インダス文明系との混成集団という事も考えられますか?

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/10(日) 23:10:50.60 ID:a4YJreH0A
つまりシュメール人はインダス文明圏経由で中華まで来たんじゃないか
と考えられませんかね?
そうするとインダス文字みたいのを甲骨文にした、と考えてみる
インダス文字は原エラム文字から?
彼等は楔形文字の方は捨てたかそれ式でエラム文字の線画?そうすると甲骨文みたいに…
でも彼等のあの青銅器は何由来でしょうか?
シュメール人があれらを作るだろうか?インダス文明人にしても…
ハプロQはやっぱり何か一癖あるね、饕餮だってあの人らっぽいし…

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/25(火) 23:19:32 ID:vlz+0jQq0.net
夏はシュメール
殷はインダス
有り得ないが絶対に違うとは言えない

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/27(木) 15:38:13.44 ID:XGtHI0Y6c
不正選挙の本質は、元警察官・仙波敏郎氏が告発しているように、
「期日前投票はすべて(投票箱を)開けて、中の票を操作」していること
://twitter.com/shantiphula/status/1160903845318254593

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 22:28:16.16 ID:C+2CmkUJ0.net
アホ?

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/30(日) 16:11:30.02 ID:CMJhzpGM0.net
恐らく夏は周のでっち上げ
何しろ王の名前からして殷のパクリになっている
似た名前の王が何連続もするのは偶然では有り得ない
どっかの国の王がジンム・スイゼイだったらおかしいだろ

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/30(日) 17:50:47 ID:rat0zv/+0.net
>>223

王の名は創作であっても、夏王朝そのものは実在したのではないかな?

王朝というほどの規模ではないだろうが。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/30(日) 20:36:20 ID:TL/JdtjB0.net
 そりゃ漢字を発明だか普及だかさせたのは商朝だから仕方なかんべえ。発音を商人に合わせてりゃ自然とそうなるわな。
 むしろ歴代を悪行三昧ででっち上げなかっただけマシなレベル。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/30(日) 21:18:59 ID:CMJhzpGM0.net
問題なのは、夏王朝の証明はできていない、文字がないからってのを適用すると
絶対に証明できないことになる

殷の文字はかなり進歩した状態だから前のがあったはずだ説もあるけど
武丁が三年でさっと作った可能性もあるし(優秀なら一気に作ることは可能かと)
もしかしたらインダスかどっかから持ってきた可能性もあるし
武丁より前の王で一つも発見されていないからないんだろうなあ、、、

巴蜀文字は文字じゃない説もあるけどヵなんとかって文字も
文字だったとしても殷とは無関係か関係薄そうだしなあ

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/30(日) 21:23:19 ID:CMJhzpGM0.net
ウィキペディアとかで国の名前は発見されていない云々言っているけど
大邑商とかは言っているしギリシャでもアテネだテーベだスパルタだって都市名だけだしな
都市の名前だけしかないんだろう
帝乙が架空説もあるけど文武丁とかいて周で文武帝乙とか書いているんなら
それなんだろうなあ

何でも周の甲骨では殷王を衣王と呼んで、自分達の君主は王または周方伯らしいけど
この衣は国名?都市名?なのかな???
それとも周王を天王と呼ぶように何らかの衣を着る王ってことなのかな

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/30(日) 22:30:48 ID:TL/JdtjB0.net
 もし仮に夏がフィクションだとすると絶対的におかしなことが多数生じる。まず紀国などや穎川(司馬遷が記述)沿いの人たちが夏の裔と自称してたのは何だったんだという話。
 そして姫周の一員とも謂うべき、鄭の子産が禹王を絶賛してたのは何だったのか。そこまで理想的だったかは疑うべきだろうが、逆にここまで被支配階層の始祖を持ち上げる必要もあるまい。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/31(月) 10:36:54 ID:k1HFu2ku0.net
禹や啓、后羿などはエピソードが残ってて彼らを祖先と信じる人たちがいたんだろうけど、夏王朝の途中の王たちには名前もエピソードも残ってなかったから、殷の王様の名前かりて、時間的空白うめたんでしょう
そういう意味では連続性ってのは途中で途切れていたんだろうな、って思う

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/06(日) 10:03:00.69 ID:SzzjvQPOm
> 在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
> 日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
> よく分からないけど、済州島の流刑者の白丁が大阪に密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、
> 日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??
>
> 市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
> そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
> そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
> そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
> 今では在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
> 遠くからでも、わざわざ在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
> この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日だ。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/06(日) 20:55:36 ID:8V6V+twJ0.net
口伝でも系図は残るらしい
だけどエピソードは残らないとか
夏も殷もあったとしても全国政権ではないみたいだし
普通にあちこちに敵対勢力がいた
おまけに周を滅ぼしたけんじゅうとかも野蛮人扱いしていたけど普通に戦車を使っていたらしいし

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/08(火) 20:21:22 ID:ae0JqpT/0.net
>>194
既に、キョウって字、一文字で、羊の下に二本足だよな
やっぱり、キョウは人間じゃなくて家畜だったんだろうな

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/09(水) 21:52:28 ID:oUbuAg0d0.net
高度な使い方でカシャクとか
そんなの文字がなけりゃ同じ音の使うぐらい普通にありそうなんだけど

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/12(土) 07:11:25.32 ID:ZS9q3B6A0.net
>>232
それって白川静説だっけ?
できすぎな感じするんだよね

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/12(土) 13:07:39.80 ID:4lzEnukv0.net
>>228
神の子孫を名乗るのもどっかのにほんにいるし
美化されたり、架空の人物を素晴らしいと言うのもよくある

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/13(日) 04:45:41.46 ID:m5o2f6kD0.net
二本足の羊が食用のヒトになったのはいつごろだろう?

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/13(日) 10:33:15.56 ID:GXFZMuJW0.net
殷の時代の甲骨文字の時点で杞国は存在しているのでこれが夏の末裔の国なんだろう
周の時代に再建された杞国は後杞とでもいうべき存在で殷の時代の杞は前杞だと思う
杞と啓は発音同じだし関係あるだろう
ただ杞を夏と呼んだのは周人かと

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/13(日) 13:32:09.87 ID:8JwyB81z0.net
甲骨文字、卜辞で周の最古は周原甲骨らしい
しかし、東の部族と殷の討伐を共闘しようとしていたとか
要するに殷滅亡少し前ぐらいの記録しかない
季歴は王季とあっていたようだが王をつけたり本当に殷末期である
孤高担保は書かれてはいるが、同時代資料はないらしい
すると周が文字を知ったのは本当に最近でしかなかったようだ
殷も文字を隠し続けたのだろう
そうなると杞も夏の子孫だとしても記録できなかった
口頭の伝承もないのが気になるが、、、王名ぐらい残りそうではあるが
殷の王と似通っているということは、やはり伝わっていなかったのだろう

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/13(日) 13:36:08.22 ID:8JwyB81z0.net
発音が同じというのは本当に正しいのだろうか
上古音の再現は結局は推定でしかないし有力な説でも3つぐらいあったりする

契丹古伝では殷は倭だと書いてあるらしい
またY染色体ハプロ遺伝子では殷は西、周と秦は東の出身らしい

バクトリアとかを夏と呼んで、ローマを大秦と呼んでいるのは
秦は夏より遠い地域という感覚なのではないだろうか

また、インダス文字が甲骨文字に似ている
殷も古代ではインダスのように短い文しか書いていなかったようだ
モヘンジョ・ダロの民族が殷人かは分からないが
甲骨文字がかなり高度に発展していると言うのならそれは元はインダス文字ではないだろうか

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/13(日) 13:40:35.38 ID:8JwyB81z0.net
>>236
最初からだよ

日本でも桓武天皇は死刑を廃止した
しかし、坂上田村麻呂が連れてきた蝦夷の王阿弖流為を処刑している
これは、要するに日本人は東北人を人間だと考えていなかったことになる
つまり、人種差別は許せないと言いながら平然と日本人差別をする欧米人のようなものだ

残念ながら、奴隷は人間ではなかった
基本的に性欲処理に使って飽きたらころしたり食肉にしたりする
犯した女が産んだ子も家畜としか考えていない
家畜だから平気で、男は去勢する
平気で足を切ったり、目を潰したりする
何の躊躇もなく、足を切れば逃げにくいだろう程度で簡単にやる
相手をかわいそうだとは少しも考えない

だって、奴隷は言葉が通じて性欲処理にも使えて食肉にもなる単なる家畜でしかないのだから

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/13(日) 15:20:44.13 ID:blKC8+jD0.net
羌は祖先の霊に供える大事なお供えで一度に20とか30とか必要になる。
数が足りなければ狩ってこなければならない。単なる家畜とは違います。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/13(日) 16:16:06.56 ID:GXFZMuJW0.net
孔子が生まれるより遥か以前の西周時代に既に杞は夏人を自称してた
だが三皇五帝は戦国時代初頭にまとめられた伝説だろう。
特に三皇は戦国時代以前にはさかのぼれない。
禹に関しても西周初期の金文から名が存在しているものの洪水神扱いで夏の始祖とはされていない。
神であって人ではない。夏人が信じていた神様の事でしょう。時代が下って夏人の末裔たる
杞人が禹こそが夏の始祖と言い始めたと。
天照大御神とかと同レベルの存在。実在の人物とは言えない。

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/13(日) 17:35:53.08 ID:8JwyB81z0.net
>>241
それは牧場の牛もいるけどバッファローを狩りに行くようなもの
祖先の霊の多くのいけにえなんてたまにしかない

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/13(日) 17:47:34.12 ID:8JwyB81z0.net
文字で分かるのは武丁から
殷の始祖の上甲とかは架空だろうし
武丁の数代前以前は分からないだろう

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/14(月) 20:39:12.23 ID:2YkBUWgH0.net
夏商殷周秦漢新漢魏晋宋斉梁陳隋唐梁唐晋漢周宋呉

意外に数が少ないな
玉璽を失った後晋の出帝が最後の皇帝である

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/14(月) 20:57:37.89 ID:Cq6d+dg50.net
>>242
 そこで私は三皇を三王朝の祖神説を唱えたい。順番が真逆になるが女渦は夏朝の、伏犧は商朝の、神農はずばり后禝だろう。
 農耕と牧畜のどちらが先か知らんけど、安定性が高まったのはどちらが先かは充分に考察するべきと思われ。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/14(月) 21:00:34.36 ID:Cq6d+dg50.net
>>244
 逆にそこで「上甲微こそ契の原型ではあるまいか」と思えない己の貧弱な想像力を自嘲してなされ。

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/15(火) 07:19:22.55 ID:WTEMi72n0.net
シュンが帝コクのことではないかとか
系図が矛盾だらけとか
無懐氏が黄色の前の最後だったり、フクギの前だったりする
よく考えたら公金等って黄帝と関係あるのかも

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/20(日) 10:44:59.77 ID:s/piQxoK0.net
カコウトンは14再でひとをころした
シンブヨウは13再でひとをころした

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/20(日) 11:18:16.74 ID:s/piQxoK0.net
荘子は言った、「帰りなさい。私は泥の中で尾を引きずって生きるつもりだ。」と。

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/20(日) 11:18:49.02 ID:s/piQxoK0.net
南海の帝王を儵といい、北海の帝王を忽といい、中央の帝王を渾沌という。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/20(日) 11:19:15.40 ID:s/piQxoK0.net
儵と忽とが、ある時一緒に渾沌の(治めている)地で偶然出会った。

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/20(日) 11:19:36.08 ID:s/piQxoK0.net
儵と忽とは、渾沌の恩に対してお礼をしようと相談して言うことには、

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/20(日) 11:19:58.36 ID:s/piQxoK0.net
「人には皆七つの穴(=目・耳・口・鼻)があって、それを使って見たり聞いたり食べたり呼吸したりしている。

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/20(日) 11:20:26.52 ID:s/piQxoK0.net
(ところが)この渾沌だけには(七つの穴が)ない。試しにこの穴を開けてあげよう。」と。

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/09/20(日) 11:20:45.45 ID:s/piQxoK0.net
一日に一つの穴を開け、七日目に(七つの穴を開け終えると)渾沌は死んでしまった。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/14(水) 20:53:05.81 ID:swvOSXi30.net
現代中国のここ数十年の急激な発掘・研究により、後期新石器時代末期において中国各地で文化が発達し、その中の幾つかの大集落は都市文明の段階にまで到達していた。

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/14(水) 20:53:36.32 ID:swvOSXi30.net
新石器時代で最大の集落と言われる陶寺遺跡は中国では「最古の帝都」「堯の都」と言われている。

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/17(土) 19:35:12.71 ID:Qj7M6PyU0.net
周公ってあるけど王は周王じゃない

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/17(土) 22:37:44.20 ID:p55Rly740.net
>>258
 唐じゃなくて陶(姫曹の首都)なのかい? こりゃ根深いねえ。

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/18(日) 16:16:59.32 ID:MACBilP60.net
>>260
ウィキでも普通に二か所にいてそれを並べた氏で呼ばれたとかあるよ
まあ、おそらくトウと発音していたのに別の字を当てただけだろうけど

※トウは仮の発音だから当時はタウと呼んだとか言わないでね

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/18(日) 17:51:33.86 ID:hDqNWw7W0.net
 解説ありがとうございます。華々しいぎょうせきなんてどうでもいいから、当時の労働時間とか解明されるといいなあ。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/18(日) 19:05:32.22 ID:MACBilP60.net
>>262
官人は基本職場で寝泊まりでたまに休みをもらって帰宅みたいだよ
だからずっと勤務ではある

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/19(月) 20:33:32.43 ID:bPxNBvUj0.net
>>263
 もしかしてスパルタ邑の先駆? かなり厳しそうだなあ……

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/21(水) 19:37:49.73 ID:u8MVTaDd0.net
>>264
いや、中国の漢からそうみたい

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/23(金) 11:10:41.16 ID:uAfgBJqS0.net
>>247
貴殿ゾ板にいたな?
考察スレで見た文体

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/23(金) 19:53:23.74 ID:2cn5vkNo0.net
 もしかしてゾイド板? おれそこに書き込んだこと一度も無いよ。
 まあ、世の中には思考が似た人もいるんだろうな。

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/24(土) 22:30:47.03 ID:sEtDPce80.net
何故、西周は滅んだのか

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/25(日) 17:00:39.31 ID:wNKxOl3T0.net
>>268
犬ジュウも戦車を使ってたみたいだし
野蛮人扱いしていながら実質中原の人間とあまり変わらない
周の力も衰えていたしたかが申と犬ジュウに滅ぼされる程度だから

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/25(日) 20:51:49.44 ID:S/ZzbDBy0.net
 いやー、犬戎はともかく申姜族が「たかが」はどうかと思う。なにせ屈巫に「息(姫族)と並んで楚の重要な防衛線」と言わしめたほどの連中だよ。

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/10/31(土) 18:05:33.49 ID:Ye6bO+Qj0.net
>>239
ソースは消されているけど最古の甲骨文は紀元前1620年頃のもの
天気予報でも儀式の記録でも祭祀の記録でもなく練習用の習字だから今後の発見が期待される
甲骨文の前段階と言うのは陶器記号が有力だが、
商王朝前期にモヘンジョダロ側から何らかの文字表記システムが齎されたのかもよ?
インダス文字の起源も最近では定説の原エラム文字とは別に先ハラッパー期(紀元前3200〜2900)の遺跡で
モヘンジョダロのインダス文字同じ記号が刻まれた土器が出土してる
恐らく文字システムだけをエラムから導入していたと思う
フェニキアアルファベット勢力が強くなる以前はシュメールとエラムの文字システムが地中海・北アフリカ・インドに加えて
東アジアにまで及んでいたならロマンがあるね

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/01(日) 13:08:57.71 ID:gXzKWdZD0.net
 それなら商より周や巴蜀の方が先に作成してないとおかしくない?

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/07(土) 21:27:16.07 ID:cX601fNL0.net
恐らくシュメール文字がインダス文字になってそれが蜀から殷に行った

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/09(月) 15:44:09.70 ID:RuaXEmgs0.net
蜀文字は甲骨文の祖である新石器時代後期・晩期の黄河中原の記号体系とは別系統だと思う
最古のものでも2900年前だからそれより古い前段階の文字が見つからないと無理かも

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/12(木) 22:49:23.07 ID:ttBp570k0.net
文字という概念がない時に最初に発明したのは凄いが
かなり古代でも牛や羊のマークぐらいなら書く気がする

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/14(土) 12:44:40.61 ID:1oVV7sfp0.net
巴蜀文字の初期はインダス文字に似ていると言われている。古来から蜀(成都)
巴(重慶)を古蜀と言い蜀と巴は時に争い時にまとまりを繰り返してきた。
最終的には両者は統一を果たす。
その古蜀王朝の南に昆明族と言われる部族が存在しており古蜀王朝からは独立した勢力だが交流は盛んであった。その昆明族の地からインドへの道が険しいながらも先秦時代より存在しておりインドと行き来できた。
中原からは遠いので殷や周はインドとは関われなかったけど、古蜀王朝は昆明族を通して間接的にインドとつながっている。

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/17(火) 06:31:29.74 ID:WvFdu4Z20.net
>>240
家畜に性欲はわかないと思うがな

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/17(火) 20:48:08.53 ID:6Cbptf850.net
>>277
アメリカで黒人奴隷に産ませた自分の子を平気で売り払っていたよ
アメリカ白人の考えでは黒人やアジア人に魂はないから人間じゃない

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/20(金) 14:19:29.80 ID:DfR5uMsG0.net
人間の性欲って本当すごいからな
昔の娯楽のない、より野生に近い時代の人間なんて美醜関係なく若い女は襲われてたんだろうな

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/20(金) 20:14:16.97 ID:ymoMEPI50.net
>>279
石器時代で子孫を残せた男は15分とか17分の1らしいし
学者は綺麗事を言うけど
南米とかを見れば男はみなごろしにされて女は子供を産まされたってことだろうね

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/20(金) 20:15:52.18 ID:ymoMEPI50.net
劉邦が五十六万の兵で彭城を落とした時は老婆から幼女までみんなおかされたとか
アフリカとかでも女も男もみんなれいぷされたとか

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/24(火) 05:35:15.37 ID:cyKeSwKw0.net
>>278
黒人奴隷は奴隷であって家畜じゃないし
黒人奴隷に白人がいちいち欲情してたとしたら
アメリカは黒人ハーフの比率がもっと高くなってるはずだけどな

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/24(火) 05:57:03.31 ID:cyKeSwKw0.net
そもそも古代中国で奴隷を持てる身分の男は平民以上の女に不自由しないだろう。
奴隷=性奴隷って発想は現代的な少なからず人は平等って価値観の上で尚且つモテない男の妄想に見える
奴隷を持てる身分の男が女なら誰でも良いってなるわけない

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/24(火) 07:24:01.42 ID:hwhBEMIg0.net
確かに奴隷持てる金持ちなら、良い女も寄ってくるだろうしな

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/11/24(火) 16:36:28.77 ID:HXt9WboQ0.net
大航海時代、船に羊や山羊を積んで性欲処理してた白人の性欲を舐めるな

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/12/06(日) 14:12:53.64 ID:9uEWuF820.net
 忠武侯は英明高邁であり、長江のほとりで策を捧げ、
 呉を引き寄せて蜀と連盟させ、我が朝を正統の地位につける算段をした。

 遺命を受けて宰相となり、武備・文治共に整備し、
 徳による教化を徹底させ、人々を導き風俗を美化し、
 賢者も愚者も競い合って、皆その一身を忘れて奉公する事となった。

 領内を落ち着かせて四方を安定させると、
 幾度も敵地に臨み、その威光を輝かせて大国を消耗させたが、討ち滅ぼす事なく終わったのは残念である。

                                                        諸葛丞相を賛える

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/04/17(土) 19:03:27.84 ID:fkjUKRuC0.net
どうしても偽善者を生んでしまう後漢の郷挙里選。

後漢の皇帝が、親政ができなくなると、途端に偽善者で、

実際の実力のない者が力を握る。

第二、第三の王莽が力を握るわけである。

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/02(日) 03:10:50.85 ID:bq4bK6mL0.net
なぜ光武は、東方で勝利したか。理由は、4つ。
1つ。光武の個人的な指揮能力。桃郷で、張歩をやぶり、臨菑にいった。
2つ。劉永、董憲、張歩の連盟が、ゆるかった。光武が睢陽を数ヶ月かこんだとき、救わなかった。蓋延は、劉永の部将を斬ることができた。さいごには分散して、平定された。佼彊、蘇茂、周建など。
3つ。東方の勢力のもと、地方の守令がそむく。劉永が淮陽でやぶれ、虞県にゆくと、妻子を殺された。サン県の慶吾は、劉永を斬った。周建が死ぬと、子らは入城をこばまれた。張歩と蘇茂が、斬りあった。
4つ。東方の勢力は、兵糧や輜重をかろんじた。寇恂のように、つねに供給するルートがない。2回目に光武が劉永を淮陽でかこみ、城中は食い尽くした。029年7月、光武が昌慮で戦い、五校をまねく。五校は食い尽くして、撤退した。董憲は朐県で、食い尽くした(張歩伝)。光武紀は、029年に斉地をたいらげてから「田畝をふや」した。光武が生産を回復しないと、東部は飢えた。陳俊伝で、百姓はよろこんだ。耿弇は、張歩12郡をとり、10余万をえてから、郷里に返した。農民は流亡して、生産ができなかった。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/03(月) 06:38:33.54 ID:Bl+K7U8u0.net
>>288

まあ要するに光武とそのブレーンが優秀だったということだな。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/07(金) 14:50:39.22 ID:ksyUv8GI0.net
>>282
ほぼ100%白人の血が混ざっているらしいよ

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/07(金) 17:48:24.86 ID:ksyUv8GI0.net
>>283
何かで族滅になった場合に、奴隷は入らないから
奴隷に子供を産ませていれば、族滅されても自分の血を残せる

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/07(金) 18:05:50.01 ID:ksyUv8GI0.net
>>277
3日抜かないとおかしくなるよ

>>279
見た目とかより味が大事

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/09(日) 09:42:44.76 ID:L8CaJ0pR0.net
現在のアメリカにいる黒人のほとんどが白人の血が混ざっているらしい

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/24(月) 19:32:31.04 ID:aOHksp8z0.net
九年たっても洪水は治まらず、何の成果も挙がらなかった

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/24(月) 19:34:03.73 ID:aOHksp8z0.net
鯀はよみがえり、禹を生んだ

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/05/24(月) 19:35:45.80 ID:aOHksp8z0.net
有蘇氏は『封神演義ほうしんえんぎ』でもよく知られる妲己だっきの出身氏族です。後年は「有」の字がなくなり「蘇氏そし」となり、戦国時代には秦に対抗するために6ヶ国の合従を説いた蘇秦そしんを輩出しました。

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/06/15(火) 19:56:50.58 ID:KlWls/HW0.net
魏滅蜀漢之戰 季漢防衛線 戸数二十八万 口数九十四万 兵士十万二千 官人四万

漢城 兵力五千
護軍 綏武將軍 蔣斌

樂城 兵力五千
監軍 王含

陽安関 兵力五千?
關中都督 傅僉
(前)武興督 蔣舒

漢中黄金囲 兵力五千?
黄金囲督 柳隠

剣閣 兵力四万~五万?
(左?)大將軍 録尚書事(領益州刺史?)平襄侯 姜維
仮節 右車騎將軍 并州刺史 中郷侯 廖化
左車騎將軍 冀州刺史 都亭侯 張翼
輔國大將軍 平尚書事 南郷侯 董厥

成都召還 兵力三千〜八千?
巴東都督 右(大?)將軍 閻宇

巴東 兵力二千
巴東太守 羅憲

南中六郡 兵力五千〜一万?
監軍 安南將軍 建寧太守 霍弋

江由関 兵力五千?
守將 馬邈

涪城 綿竹関 兵力一万?
行都護 衛將軍 平尚書事 武郷侯 諸葛瞻
武郷侯世子 諸葛尚
尚書 張遵
尚書郎 黄崇
羽林右部督 李球

成都城 兵力二千?
漢皇帝 劉禅

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/06/15(火) 20:40:38.49 ID:QbPIB+8P0.net
封神演義は中国4大奇書から外れるけど
5か6番目に数えられる知名度だよね?

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/04(水) 00:14:39.40 ID:tr2k2wSb0.net
ヘ耆麟馭叡阿解治巫軻牟。曰芝辣漫耶。~祖初降于此故稱曰秦率母理之京。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/04(土) 19:21:14.19 ID:1OUEQvC10.net
>>298
入ってんじゃね?

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/09(木) 20:18:24.01 ID:/6LCZ+C00.net
一例として、杜甫の「春望」の前半部を挙げてみよう。

国破山河在  国破れて山河在り
城春草木深  城春にして草木探し
感時花濺涙  ときに感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
恨別鳥驚心  別れを恨みては鳥にも心を驚かす

さて、この詩は日本人から見れば、こまことに情緒たっぷりに描かれているように思えるが、それは漢詩を「日本語化」しているからに他ならない。つまり、日本語の中にある情緒が、漢詩の読み下し文をも情緒的にしているだけのことである。

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/09(木) 20:19:36.30 ID:/6LCZ+C00.net
日本人は、故国を失った杜甫の心境を「想像」し、彼に同情するが、杜甫自身は、この詩の中で、彼自身の内面を長々と書いているわけではない。いや、漢文という表現形式上、それは書けない。

たしかに、この詩には「感」「恨」あるいは「驚」という、感情に関係した文字が使われている。しかし、これらはまことに平凡な文字であって、なにも詩人ならではの創意があるわけではない。

日本人が日本語で、これと同じように平凡な表現をすれば、「月並み」と評されるはずだ。だが、漢詩の場合には、それ以上のレベルの情緒を表現することは技術的に不可能なのである。

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/10(金) 09:58:05.26 ID:wHCo3i220.net
四大奇書とか令和になっても未だに安納努にだまされてる奴がいるのか

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/11/29(月) 06:41:32.17 ID:Rb/umubP0.net
匈奴はトルコ系
匈奴はトルコ人
匈奴はテュルク
匈奴はツルク
匈奴は北方民族

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/13(月) 21:51:18.68 ID:pW1STQDJ0.net
ほかに、
上党、斉、隴、洛陽盆地、郢(のちの江陵。楚の都)といった
エリアもある。
しかし、他エリアとの関係性が深く、
独立しきれるかというと歴史上微妙なので除外する。
それぞれ秦の始皇帝が天下統一するまでは割拠独立できたが、
それ以後はできなかった。

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/13(月) 21:51:22.03 ID:pW1STQDJ0.net
ほかに、
上党、斉、隴、洛陽盆地、郢(のちの江陵。楚の都)といった
エリアもある。
しかし、他エリアとの関係性が深く、
独立しきれるかというと歴史上微妙なので除外する。
それぞれ秦の始皇帝が天下統一するまでは割拠独立できたが、
それ以後はできなかった。

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/01/17(月) 17:24:47.09 ID:0JcLQzDv0.net
スペルカード

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/08(火) 13:51:59.60 ID:lWpYdoKU0.net
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1
三監の乱

これは周王朝にとって実は最も重要な戦い。牧野の戦い以上に重要だと思うね。
この戦いを制して周王朝の覇権は確立されたようなもの。
複雑に入り乱れてて何かと興味がひかれる。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/17(木) 23:20:17.50 ID:minneupI0.net
かん、さい、かくだっけ?
実際は殷の自発的な反乱だったとも言われてるけどどうなんかね

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/19(土) 23:23:14.98 ID:QUn/R5Xe0.net
殷代甲骨文によると、殷代の領主層には「侯・伯・子・婦・田・老・師・亜・小臣・䑳・邑」等
の複数の君主称謂があり

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/19(土) 23:42:28.29 ID:giQKkhOd0.net
>>310
そういうのもっと知りたい
どこで調べればいいの?

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/20(日) 14:08:33.78 ID:PJhEUke70.net
<反周の三監軍>
殷の武庚(紂王の息子)
管叔鮮(三監:周公旦の兄)
蔡叔度(三監:周公旦の弟)
霍叔処(三監:周公旦の弟)
應(殷とつながり深い諸侯)
薄姑(殷とつながり深い諸侯)
奄(殷とつながり深い諸侯)
唐(殷とつながり深い諸侯)
菅(殷とつながり深い諸侯)
蔡(殷とつながり深い諸侯)

徐(殷とも周ともつながりはないが周に反抗した諸侯)
淮夷族(殷とも周ともつながりはないが周に反抗した東方の夷人)

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/20(日) 14:15:44.54 ID:PJhEUke70.net
<周王朝>
成王(周王)
周公旦(周摂政)
召公奭(周とつながり深い諸侯)
斉太公望(周とつながり深い諸侯)
衛康叔(周とつながり深い諸侯)
魯伯禽(周とつながり深い諸侯)
召(周とつながり深い諸侯)
北燕(周とつながり深い諸侯)
薛(周とつながり深い諸侯)
宋(周に味方した紂王の息子)

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/20(日) 14:23:27.82 ID:PJhEUke70.net
>>312
熊、逄も(殷とつながり深い諸侯)追加
>>309
春秋系統や竹書紀年やそれに先立つとされる逸周書では史記と同じ記述だが
楚の歴史書とされる清華簡『繋年』に異説も載っているね。

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/20(日) 15:02:06.64 ID:PJhEUke70.net
重複削除と追加をしたので三監軍を訂正します
<反周の三監軍>
殷の武庚(紂王の息子)
管叔鮮(三監:周公旦の兄)
蔡叔度(三監:周公旦の弟)
霍叔処(三監:周公旦の弟)
應(殷とつながり深い諸侯)
薄姑(殷とつながり深い諸侯)
奄(殷とつながり深い諸侯)
唐(殷とつながり深い諸侯)
熊(殷とつながり深い諸侯)
逄(殷とつながり深い諸侯)

徐(殷とも周ともつながりはないが周に反抗した諸侯)
淮夷族(殷とも周ともつながりはないが周に反抗した東方の夷人)

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/20(日) 16:03:17.34 ID:fzl09+MR0.net
めっちゃ寝返ってんじゃん

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/23(水) 00:05:23.76 ID:6rGo/g+50.net
鯖移転してスレッド順ぐちゃぐちゃになってるなage

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/23(水) 06:53:39.36 ID:3BZToqxU0.net
>>311
立命館の何とか秀樹さんがそういうの色々やってるみたい

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/23(水) 20:54:02.46 ID:3BZToqxU0.net
谷だった

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/24(木) 13:06:19.05 ID:TTZi2iyt0.net
>>316
牧野の戦いは一瞬で決着ついたみたいだからね。殷が東方の反乱鎮圧で疲弊した所を
突然周が寝返って奇襲かけて一気に倒した感じだし。大掛かりな本能寺の変みたいなもんだったかも?
まだまだ殷派の勢力が大勢の残ってたから周の天下を認めない奴らが沢山いたのだろう。
周はルーペで見ないと読めないような小さな甲骨文字で反殷諸侯に共闘呼び掛けている。
なぜあんな小さな文字かと言うと密書だからデカイ文字だと押収された時にバレてしまうからだろう。
小さい文字だったら殷の役人なんて「なんだたの骨か」で済まされる確率が高いしね。

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/24(木) 19:22:22.85 ID:oQFeULg30.net
役人ぐらいだと字が読めなそうだしね

ただ、主力が東方に出たすきをだったし
その後の三監の乱とかも
敵の中枢を討ち果たしても軍の主力が健在という結構やばい状態

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/25(金) 13:46:34.85 ID:yah8ythm0.net
考えてみると、周の武王は言ってみれば成功した明智光秀だったのかもね
そうだとしたら殷に豊臣秀吉が居なかったのは幸いした。
周原で見つかった甲骨文字が待針で書いたような小さい字でこんなの読みにくいのに
なぜと思ったけど、内容が他の諸侯に打倒殷を呼び掛けているような奴だったから
殷に悟られないようにわざとあんな小さな文字にしたのか。

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/26(土) 14:14:45.71 ID:v50btI4Q0.net
秀吉も偶然がなければ天下を取れなかった

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/27(日) 13:56:48.25 ID:aQUfPc3l0.net
紂王は信長系統の能力と性格してたんだと思う。だから史記とか封神演義の無能な暗君
と言うのは周が紂王を打倒したことを正当化するために矮小化したものだと思う。
甲骨文字だと積極的に東方遠征繰り返しているしかなりやる気満々。
堕落して遊び惚けてたという事は無いだろう。ただ苛烈な性格は周囲から恐れられる。
やられる前にやってしまえと思う奴も出てくる。

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/27(日) 13:56:56.91 ID:aQUfPc3l0.net
紂王は信長系統の能力と性格してたんだと思う。だから史記とか封神演義の無能な暗君
と言うのは周が紂王を打倒したことを正当化するために矮小化したものだと思う。
甲骨文字だと積極的に東方遠征繰り返しているしかなりやる気満々。
堕落して遊び惚けてたという事は無いだろう。ただ苛烈な性格は周囲から恐れられる。
やられる前にやってしまえと思う奴も出てくる。

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/27(日) 21:08:38.03 ID:i8+H7DLa0.net
発達障害説もあるね、曹操も

言葉で言っても一般人に伝わらなかったりする

学歴の話はやめてくれと言っても
大学のサークルでとか高校の部活でとか

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/01(火) 18:16:05.28 ID:zxtX1epl0.net
>>324
いまの信長って周旋能力の化け物と認識されてるけどな……

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/02(水) 18:52:36.55 ID:yFDv1mMq0.net
美化もあるけど意外に保守的って話もある
有名人は美化される傾向にあるから

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/03(木) 19:08:46.14 ID:7nclb5pP0.net
>>320
軍の主力が東方にいたらしいのと
三監の乱が実は遥かに激しかったらしいから
殷の中枢部は落とせても、強大な軍事力は残存、東邦諸侯もそのままなんだよね

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/04(金) 18:56:21.20 ID:QyZyxzf10.net
克殷よりも三監の乱の方が大戦争だったそうだから
殷の国力がかなり温存されていたと思う
後の世で言えば首都を落とされただけで各地は健在
主力は東方に行っていたから周連合軍と戦ってもいない

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/05(土) 14:26:57.05 ID:6YRx9uk80.net
三監の乱の経緯

序盤戦:周公旦の兄と弟である三監が周公旦に反乱

中盤戦:武庚が周の混乱に乗じて殷の住民とともに挙兵

終盤戦:異民族である淮夷族を討伐

と3段階に分けられると思う。序盤戦の頃は周王室の内紛みたいな感じでどっちも本気で相手を
殲滅しようとしてたわけじゃないから小競り合いの連続に終始してたみたい。
だがこれに殷の復興を唱える勢力が挙兵したので途中から大戦争に変わった。
最初の頃それほどまでに戦争の規模が大きくなく、周軍も適当に戦って一度撤退しているし
これは最初は相手が身内だったからだと思うね。でもそれどころじゃなくなったと。

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/05(土) 14:32:07.04 ID:6YRx9uk80.net
周は短期間に三回に分けて侵攻している。一回目は本当にただの小競り合いで終わっている。
二回目からが本当に殷の残党との戦いだろう。三回目は遠くまで進攻してて現地の淮夷族
との戦いが主目的。

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/06(日) 15:48:29.09 ID:PJQt3cxw0.net
残党と言っても、殷の主力軍と戦わずにだったから
劉邦が彭城を落としたけど強大な楚兵はそのままってのに近い状況かと

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/06(日) 15:49:25.05 ID:PJQt3cxw0.net
そう言えば、王子聖を旗頭にだから、殷の残党は分裂しないで1人の下になんだよな

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/08(火) 18:59:23.77 ID:cAZ419WR0.net
なるほどねえ
孔子が周公旦が尊崇することこの上なかったのは孔子時代の魯国が三桓による本家凋落を周公旦に習って納めようという意思表示でもあったのかも知れんね

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/12(土) 14:10:01.27 ID:vaMW0CRf0.net
封神演義では紂王の息子二人が登場しており武庚と微子啓の兄弟がモデルで
子供として描かれるケースが多いが実は二人とも成人らしいね。
武庚は三監の時に反乱起こして、微子啓の方は周に付いて後に宋に封じられる。

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/12(土) 21:17:18.32 ID:CgJkL7Bg0.net
封神演義で殷侯とか言われてた息子達
王子聖をろくし聖とかろくしコウともいうから
その音が伝わったのかな

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/13(日) 06:01:40.82 ID:rj+oQ0To0.net
>>336
武庚は紂王の息子だが
微子啓は紂王の兄だべ

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/13(日) 06:42:58.04 ID:9WxX4WOC0.net
封神演義だと微子啓と微子●(忘れた)の2人が兄として登場してなかった?
読んだのがずいぶん昔だからあんまり覚えてないけど何か2人いた気がする

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/13(日) 09:34:42.55 ID:pY5nm04T0.net
封神演義においては微子啓と微仲ではなく仲衍でもない微子衍と
さらに紂王の伯父の微子に比干の息子の微子徳なんて四人もいる
あと殷郊と殷洪兄弟とは別に武庚はちゃんと存在してるし
殷郊は太歳が北宋あたりに擬人化して神格化された殷元帥が
元代あたりから殷てついてるから殷の紂王の息子設定ができたとかそんなんだぞ

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/14(月) 11:40:19.90 ID:FA5Tk9vV0.net
>>338
紂王が先王を文武丁としていて
殷侯王子聖も丁の子らしいから紂王の弟かもしれない

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/14(月) 13:34:01.57 ID:naps3VUv0.net
封神演義とかの物語系も含めていろいろごっちゃになっているよな〜
中国人でもだいぶ紛らわしいみたいだし
三国志演義以上に神話とか物語性が強いしね。はっきりいってファンタジーだし。
でも歴史的事実もちゃんと描かれているから完全架空でもない。

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/14(月) 15:22:09.33 ID:lVs92z4A0.net
>>325
信長もずっと暴君扱いだったからね
改革的あるいは保守的な面がクローズアップされたのはつい最近

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/14(月) 19:02:27.67 ID:H6lDgnDI0.net
>>343
明治時代の書物では暴君扱いは既にされてないけどね

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/15(火) 19:20:48.97 ID:3ryl+IXf0.net
帝乙は恐らく文武丁の音だけ聞いて文武帝、ぶんぶてい、ぶんぶていい
ていいつか>?ってかんじのまちがいかもしおれn

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/15(火) 19:21:42.24 ID:3ryl+IXf0.net
文武丁なんて文と武を両方使うわけないだろってのが卜辞に刻まれていたわけだし

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/16(水) 12:20:42.63 ID:LOBbKful0.net
まあ文が先代のって意味かもしれんけど

太丁って方が合ってそうだし
文武丁みたいな文と武を両方使うなんて間違いだろと思われたのかも

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/16(水) 12:21:42.20 ID:LOBbKful0.net
まあ文が先代のって意味かもしれんけど

太丁って方が合ってそうだし
文武丁みたいな文と武を両方使うなんて間違いだろと思われたのかも

もしくは文丁と武丁よとかって意味だったりして

でも殷の紂王は先王を文武丁って一貫して読んでるんならやっぱり
文武丁が正しいんだろうな

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/03/18(金) 13:32:54.49 ID:Brb69icN0.net
文武丁を文武帝乙と周が書いて、史記は太丁と書いた

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/05/28(土) 05:48:46 ID:5abdAkrd0.net
>>313
燕は召の移植先の一つでは?

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/06/03(金) 07:54:31 ID:B3KGVRU20.net
古舘伊知郎 ズバリ! 4630万円より「コロナ予備費の使途不明金11兆を追及すべき」
://twitter.com/tospo_prores/status/1529357726299860993?s=20&t=fOnwm7XIjSUBYBS0bWKWIw
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352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/06/04(土) 00:16:02 ID:y9VoDBWK0.net
召公から燕に転封して反発なかったのかね

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/06/04(土) 11:53:43 ID:ZB5q1C6O0.net
栄転?

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/13(水) 18:31:49 ID:sRoLl7XL0.net
過疎っとる

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/19(火) 21:08:48 ID:YTifLK360.net
炎帝の子孫が武王に封建されてるってのは後世の創作かね

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/20(水) 10:00:22 ID:02LNZQ+B0.net
どの時代からあれ創作されたんかねぇ
三皇五帝の子孫が封じられたのは

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/21(木) 21:04:30.44 ID:R8eTCrFQ0.net
漢初に封じられた殷の子孫とかも冷静に考えて見つかる訳ないよな

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/23(土) 11:04:56.51 ID:F6/9Zizy0.net
殷の子孫を名乗る子孫だからセーフ
孔子も殷の子孫じゃなかったっけ?

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/23(土) 12:17:49.16 ID:/Kl6ZRGR0.net
>>358
あれは孔子の妄想というか推察だったはず

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/23(土) 19:52:35.96 ID:6CrvOY6N0.net
>>356
おそらく春秋後期から戦国時代だろうね
漢以後は基本的に古代を鵜呑みにするようになる

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/23(土) 23:46:35 ID:6CrvOY6N0.net
殷周辺りの歴史は史実と創作半々

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/24(日) 17:46:21 ID:oSTzUgR+0.net
漢(蜀漢)については、記述が少なく実態はわかりにくい。
しかし、諸葛亮が漢中において兵を屯田させていること、
丞相府として開府していることから、
丞相府統括としての隋唐におけるような府兵制となっていたのではないかと思われる。
諸葛亮の蜀漢における絶対権力、
軍事上の機動性を考えると、その可能性が高い。

劉備の死後、全ての軍隊が諸葛亮の統括にしか見えないのはそのためである。

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/24(日) 17:53:15 ID:95ywMlre0.net
>>362
誤爆?

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/24(日) 18:01:48 ID:oSTzUgR+0.net
卜辞に、王 作る 三師 右 中 左とある

二十等爵の更の序列も右、中、左の順である

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/24(日) 18:08:44 ID:oSTzUgR+0.net
異民族と漢人の区別はないものとした。

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/24(日) 18:09:44 ID:oSTzUgR+0.net
東京は嫌いだ

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/24(日) 20:40:33.45 ID:TaVgnChU0.net
誤爆ですな

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/24(日) 21:30:02.03 ID:8BMLXp410.net
なんかありらこちらに書いてるっぽいからただの連投荒らしだと思う

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/24(日) 22:14:17.49 ID:TaVgnChU0.net
加上説じゃないけど後世に創作されすぎて実像が掴めない

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/29(金) 23:59:37 ID:D/T7BcvL0.net
ta胃攻性の君主になれなかった節がある

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/30(土) 00:03:58 ID:e5kvSuVW0.net
科挙の勉強法から
理解して暗記するのは無理だと分かった
覚えた後でないと理解できない

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/31(日) 14:07:55 ID:HU6GYogo0.net
夏の末裔とされる杞は甲骨文字にも登場する(多分夏の本当の名前は二代王の啓と同音の杞)
が三皇五帝の内、三皇は戦国末期で五帝が春秋中期を遡る事はないようだ。
おそらく後から何らかの伝承をまとめて三皇五帝としたのだろう。

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/05(金) 18:41:46 ID:K/J0fveg0.net
夏をクと読むらしいし、くにの意味なんだろうね

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/05(金) 19:15:16 ID:LCZ37VBW0.net
>>369
二千年前に生きてた光武帝から見てさらに一千年前の出来事だもの
武王やら周公やら名前が残ってるだけでも凄いよ

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/05(金) 19:26:40 ID:NFUuViwz0.net
禹=神武天皇
黄帝=天照大神

神であって人間ではない

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/07(日) 19:18:51 ID:YGzyYoQi0.net
王子聖を天子聖と書いているものがあり
天子は大子であり、大子は太子を意味する

つまり、殷では、天子は王より格下であった
正確には次の王になる人のことであった

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/07(日) 19:58:04 ID:XJmh9r470.net
伯夷叔斉って儒教の聖人ってことになってるけど
父の遺言に逆らって国を捨てた叔斉は不孝ではないの?

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/07(日) 20:05:24 ID:YGzyYoQi0.net
むしろ主君の悪逆を止めようともしていないし
忠義に凝り固まった老人だから

嘘かもしれないけど君主が人を斬りたくなったら黙って首を差し出すのが何進の務め
紂王が悪逆でも反抗してはいけないだからね

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/08(月) 00:57:45 ID:E5i/kvLF0.net
何進かわいそすぎワロタ

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/08(月) 08:29:38 ID:6RXvkS6u0.net
×何進
〇家臣

主君が悪逆でも家臣は反逆してはいけないって価値観
親が毒親でもやっちゃいけないように

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/08(月) 21:24:56.68 ID:+kHemXub0.net
Q 親の罪をとがめない舜をどう思いますか
A 背負って尭の治世が届かないところまで逃げろ

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/09(火) 11:13:39.15 ID:q0m4JgTo0.net
孝は忠より明らかに上らしいから
親と主君なら迷わず主君をやれが儒教の価値観だから

この宗教?は物凄く山賊・盗賊・極悪人であっても
日本と違って親〇しは許されない

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/10(水) 08:41:07.08 ID:KS4frbel0.net
文王の子で伯邑考だけ異質な感じが凄い
名前の意味すら謎だし

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
武王の弟達は皆、国名叔だから
叔は弟で、武王が仲、次男で
長男は伯だから、伯の邑である考さんか
考という領地を治めている伯、兄さんって意味じゃ?

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/11(木) 21:52:27.33 ID:SeK0OoTt0.net
周公旦は周を治める姫旦だけど。

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
姫周公旦とは呼ばれてないでしょ

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
他の兄弟を見るに伯は長男の意だろうが、邑と考に関しては正直よくわからん
両方とも諱なのか
片方は何かの称号なのか

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
考は若くして死んだって意味とか聞いた覚えがある

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>387
伯の字も排行(兄弟順)、名前、字(あざな)以外に色々使われて
爵位、国名、氏族名、姓(名字・家名)や覇者とかあり過ぎてね

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>386
姓をつけて呼ぶか呼ばないかも色々だしね
周公旦もブオウノオトウトデナクべつしぞくせつあるしね

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
召公?ではなく?

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>391
名前の後に姓とかってのも古代にあったし
王〇とか、后〇とか、侯〇とか、君〇みたいな言い方もあるし
殷も大邑商とか天邑商とか王邑とかで
普通〇邑なのに邑〇って言うこともあるからねえ、、、

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
さっき書けなかったけど
英語でアルファベット3文字か4文字の略称を

ヴイ・アイ・ピーみたいに言ったりオペックみたいに言ったりで
アルファベットで読むのと続けて単語みたいに読むの両方あって
非ネイティブにはどっちにするか区別が分かりにくい

語学の勉強でそっちの人には言いやすいからそうなっているのが
非ネイティブにはこの場合はこうでと覚えないといけないのとか

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
ついでに叔も弟の意味で言っているのと叔父の意味で言っているのがあって紛らわしい

酷いのになると大敗と書いて負けたのと
敵を大いにやぶった、つまり勝ったのと両方あるんだよなあ・・・

殷では父は父世代の全員に使われる、つまり伯父・父・叔父の区別がない・・・

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>392
上古の帝は◯帝じゃなく帝◯っていうしね

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/12(金) 17:54:42.33 ID:u72d32S+0.net
帝〇、例えば、帝雲とかもいるけど、雲の帝なのか、帝の雲なのかも分からん
帝または上帝っていうけど、全てを束ねる者だから、帝だけで最高神っぽい
帝臣とか帝五玉臣ってのもいるけど

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>392
ちょっと違うけど
下って春秋中期、(百里)孟明視、西乞術、白乙丙という風変わりな三人組が登場するしな

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
春秋時代は(後世からみると)変な名前の人が多い
四文字もざら

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/13(土) 14:04:18.69 ID:kGGjeveb0.net
>>398
一文字だとシューとかジュンとかみたいなのばかりになるからじゃね

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/13(土) 14:20:02.99 ID:h3satCul0.net
もともとは長めの名前を持つ文化がわりとあったけど徐々に滅んだんだろうな

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/13(土) 14:32:13.16 ID:izJ+CtiW0.net
孔子に関するエピソード読んでると
お前本当に中原の人かと突っ込みたくなるような複姓複名のオンパレード

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/13(土) 18:16:34.70 ID:lirL7daH0.net
中原自体が、河を下ったり河南平原を抜けてきた征服者の植民地ですからねぇ

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/14(日) 14:14:52.86 ID:SFT72xrK0.net
春秋期くらいの中原は被征服民的な存在もまだまだいただろうし
衛が蛮族に敗走して中原を逃走するような時代だし
後世よりも言語が多様そうだな

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/14(日) 14:18:31.24 ID:o1Hvmwnp0.net
>>401
そんなにいたっけ
例えば誰?

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/14(日) 16:53:36.69 ID:aVlEyo0x0.net
>>404
公山ひかくとか叔孫なんとかとか季孫、仲孫、司家なんとかとか

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/14(日) 19:15:35.18 ID:SFT72xrK0.net
一番変わってるのは子羽こと澹台滅明だろうなあ

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/14(日) 20:12:09.41 ID:aVlEyo0x0.net
孔子で気になるのは魯公が出産祝いに鯉を贈ったって逸話
嘘っぽいけど長男の名前を孔鯉にしてるんだよなあ
その時、孔子は18か9で小役人だったはずなのに
平社員の子供が生まれるから贈りものする社長ってのも珍しいのに何でだろ?
孔子の家は名門?とんでもっぽいけど実は季孫氏の子説が正しい?

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
南宮?

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>407
名門とはいえないと思うけど
系譜を信じるならそれなりの血筋で下級貴族以上の家ってことになるかな

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/15(月) 08:30:12.04 ID:OS4qWALG0.net
孔子の子供が生まれた時に鯉を贈ったのはドラマとかでも出る逸話だけど
魯の君主がわざわざ下役人の出産祝いを贈るってのが何かおかしい
全員に贈っていたとしたら、かなりの負担になるだろうし
やはり、身分は低いけど何か特別な存在だったのかなあ

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
なにかきっかけがあればあり得ない話じゃないが
まずは後世の潤色を想定すべきかと
孔子にまつわる話を創作したい人は山ほどいたろうし

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/19(金) 11:17:46.86 ID:PkWG9U5f0.net
幽王期~平王期ってあんまし青銅器出てないのかな

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
青銅が貴重だったんだろうね

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
孔子が魯公の愛人だったという説もありえるのではないですかな?
塚本青史なら、これに麻薬もからめて濃厚なホモのキメセクを書きそうだワァ!

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/21(日) 19:47:28.84 ID:xkKh5hyf0.net
覚醒剤も昔は栄養剤ぐらいの扱いだし

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/23(火) 16:41:57.04 ID:7FzNWwr30.net
>>404
四文字の名前の人が結構多い

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>406
キラキラとかいうレベルじゃない

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/27(土) 07:35:37.53 ID:JFw3Ptx10.net
中国が失われたら商売上お得意様の日本も困るのに

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/27(土) 07:52:30.70 ID:JFw3Ptx10.net
壺ウヨが出す話はみんな古すぎるんだよなあ
そろそろ頭アップデートしろよ

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/27(土) 08:06:13.70 ID:JFw3Ptx10.net
馬鹿は馬鹿なことしか信じない、納得しない

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/27(土) 08:12:16.34 ID:JFw3Ptx10.net
フィリップ

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/27(土) 08:17:54.72 ID:JFw3Ptx10.net
夏の末裔とされる杞は甲骨文字にも登場する(多分夏の本当の名前は二代王の啓と同音の杞)
が三皇五帝の内、三皇は戦国末期で五帝が春秋中期を遡る事はないようだ。
おそらく後から何らかの伝承をまとめて三皇五帝としたのだろう。

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/27(土) 08:18:59.07 ID:JFw3Ptx10.net
フィリップ・モチャラス男爵

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/27(土) 08:28:18.75 ID:JFw3Ptx10.net
王子聖を殷侯として商侯としなかったのは商の名を使わせたくなかったのだろう

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/27(土) 08:29:51.30 ID:JFw3Ptx10.net
周原甲骨で周方伯や王と呼んでいるのに周侯と呼ばないのは
侯は良くない意味なのだろう

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/27(土) 08:31:06.42 ID:JFw3Ptx10.net
公子嬰とあり、秦王子嬰なら
公子子嬰の子子と子が続くのを間違いと誤認したのではないのだろうか

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>416
例えば?

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/07(水) 05:32:48.36 ID:MmfpnT5b0.net
>>427
項ヤヤマ

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/07(水) 05:34:24.42 ID:mRc5dnKe0.net
小人

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/08(木) 10:11:27.15 ID:lBcrUXQR0.net
>>427
公山〇●とか

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
日本滅ぶべし

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
>>430
公山なんだよ

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
公山不擾が費という町でクーデターを起こした時、孔子様を招聘した。

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/10(土) 10:39:56.75 ID:xRsgEBy10.net
歴史書は「ひとつの時代が終わった」と考えたとき、作られる。

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/10(土) 10:40:55.51 ID:xRsgEBy10.net
『マレー年代記』は、ポルトガルにマラッカを陥落させられたときに作られた。『日本書紀』は、7世紀の白村江の戦いを動機にして書かれた。
『マレー年代記』がそうであるように、歴史書が作られた時代の状況は、よく伝える。歴史書が描いた、対象の時代の状況は、分らない。

陳寿『三国志』に当てはめる。三国後期や西晋は分るが、後漢末は分らない、ということになる。

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/10(土) 10:41:40.26 ID:xRsgEBy10.net
『魏志倭人伝』は孤立した記録だ。3世紀の中国を知らねば、どういう偏向がある記録なのか分らない。

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
スレチ

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/19(月) 13:18:28.06 ID:Tlg4ZW7E0.net
>>427
>>432
公山不擾

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/19(月) 17:18:31.68 ID:kUFVm/wq0.net
公山不狃
公山弗擾ともいう

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
力公山ともいう

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
それは言わない

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/22(木) 13:53:36.51 ID:uj4OfD1z0.net
               ____
            ,. -'"´      `¨ー 、
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      i へ___ ヽゝ=-'"/ ●   _,,>         ヽ
      ./ / ● > ='''"  ̄ ̄ ̄             ヽ
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     /    i   人     ノ               l  明教大要!
    ,'     ' ,_,,ノ  `─-‐' ヽ               l
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443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/22(木) 14:05:04.30 ID:uj4OfD1z0.net
                        , -yー 、           ////
                  ハハノハxィハ           ////
                      从{ト,ljr_7}}}       ////
                  乂ハ r┐从ト- 、   // n/     持  み
                   r<  レ}ー }ド’ 〃ヽ// r「l !
               ′ l    ト-イ  {{/  //`¨′     っ  ん
              /    !   j  l   /  //
    行          /   /  /   |/  //               た  な
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.     く         〈     {  / //  /!                   な  丸
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    ぞ           〉 , -‐ | ///|   }l             !! 太
             く ∨ r-L_ / 人  ハ
    ォ         >ー-{  r’7ーく  \/\               は
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444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/22(木) 14:09:08.60 ID:uj4OfD1z0.net
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    |         `ー ノ    ヽ.ー '       |  マニさんは、
    |     "⌒(____人____)⌒゙       |  フレーシュタグ・ローシュン(光の使者)なんだお!
.    \         |,/⌒'⌒ヽ|       /
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445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/22(木) 14:10:33.16 ID:uj4OfD1z0.net
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          |     ヽ_   _ノ   ヽ_  _ノ     |
          |    ''"⌒'(    i    )'⌒"'     | 仏夷瑟徳烏慮?。本国梵音也!
           \       `┌,─'^ー,,-┤       /
            \     `ー -- -一'     /
            /                 \
           / ̄ ̄ヽ;               ヽ
           (「    `rノ                |
           ヽ   ノ              i   |
           i´ ̄ ̄`i                 l   |

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/09/22(木) 14:11:35.01 ID:uj4OfD1z0.net
                       _____
        ,..-‐-、__       / ヽ   /  \
       /       ヽ    // ,.-、ヽ  ' /,..-、 ヽ
      /  '´`ー―−イ    /  ヽゞ-' ノ   ヽゞ-' ノ ヽ
     . / ./ ̄ \   }  ./:::::::⌒ i´  人  `i ⌒::::::::::ヽ   摩尼光仏!
     / ', -、   \.ノ―、|      `‐‐'  `--'       |
    . / /   \    ヽ   l|       |-‐┬‐-|         |   マニさんは光の仏陀なんだお!
   /   ヽ   \  /  l \     ヽ___/       /
  ./     入   .}‐〈   } __\              /
  /       <  _,イ__,-`ー ':.:.:.:.:.:.:.ヽ`ー―‐.、    .,..-‐‐ト、
  \      ̄ /|:.:.:.:.|:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:|:.:.:.:.:.:.:.:.:.:\  /:.:.:.:.:.:l:.:.\
   `ー――‐ '   |:.:.:.:.|:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ト、:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.ヽ ':.:.:.:.:.:.:.l:.:.:.:.:.ヽ

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
ハドラー

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
通り魔を頭のおかしい異常者扱いして安心しようとする世間

通り魔は普通の人間である

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
韓王韓信

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
皇祖

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
ずるぼん

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
大魔道士

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
ギュータ

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
バルゴートの杖

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
自分の命で済むなら賭ける価値はある

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
勇者とは勇気ある者・・・!そして真の勇気とは打算なきもの!相手の強さによって出したり引っ込めたりするのは、本当の勇気じゃない!!

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/10/27(木) 01:56:00.66 ID:roDWZImg0.net
公山さんって今でも残ってるのかね

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/11(水) 23:34:44.90 ID:5TO+/Ia00.net
三監の乱って調べてみると思ってた以上に大きな反乱だったんだな
下手したら周王朝も殷滅ぼした後にすぐに滅んでたかも

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/26(木) 13:15:59.71 ID:opvA4bxU0.net
そもそも本当に三監が反乱を起こした側なのか疑問視されてるね
史記よりも古い記録では三監は旧殷に滅ぼされている側だったり

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/01/29(日) 22:43:14.67 ID:UUZQU3Le0.net
史記と金文じゃだいぶ記述も違うみたいだしな

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/01(水) 19:54:48.84 ID:X8Gmq06J0.net
反乱だとまずいから内部の争いということにしたってのがね

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 11:01:37.95 ID:k+z+8Iyn0.net
漢も隋も統一直後に乱で滅びるかもで上手くいったか失敗したかの差だね
秦も持ちこたえれば秦が続いたし
漢も呉楚の乱とか普通に滅びる可能性あった

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 11:12:55.93 ID:k+z+8Iyn0.net
>>457
極少数ならいるんじゃないかな
日本でも豊臣さんいるし
直径ではないだろうけど
孔子の妻のケンカン氏は歴史上この人1人しかいないらしいけど

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 11:28:14.72 ID:k+z+8Iyn0.net
後漢を滅ぼしたのは、袁紹と袁術である

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 11:28:46.44 ID:k+z+8Iyn0.net
見落としがちだが、董卓への叛乱は、王匡がはじめた。

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/05(日) 11:30:36.40 ID:k+z+8Iyn0.net
外戚の争いを演じ、皇帝を取り替えたのは、梁冀も董卓も同じ。

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/14(火) 12:51:31.83 ID:oT+QbS+40.net
熱い時代

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/15(水) 19:08:18.83 ID:8irg/5oK0.net
何人かの人材を抜擢している。

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/18(土) 18:09:07.59 ID:AULEDvci0.net
香港 740万人
澳門 68万人

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/18(土) 18:36:44.16 ID:AULEDvci0.net
世民 は 『公羊伝』隠公六年 にある 「天子 は三公 を公 と称 し,王 者之後 は公 と称 し,其 の余大 国は侯 と称 し,小 国は伯 ・子 ・男を称す」(代) の 「公 ・侯 ・伯子男」 の三 等制が金文資料 の内容 と類似 す るこ とを指摘す る。

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/19(日) 19:41:14.18 ID:JncogV6A0.net
三監の乱の三監は史記より大分古い竹書紀年でも反乱起こした側と書かれているし当初は
単なる周王朝内の小規模な内紛程度だったのが、三監を討伐した直後に殷の遺臣の反乱に
変化したって所かと。三監が被害者説もあるけどね。でも別の資料でも三監が乱後に処罰された
とも言われているし何もしてなかったとは思えない。

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/19(日) 19:45:08.43 ID:JncogV6A0.net
歴代王朝の統一前後はよく王族の身内で内紛が起きるケースが多い。また反乱起きる前に
さっさと身内を討伐して反乱を未然に防ぐケースもあるしね。

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/22(水) 14:17:36.91 ID:ytPazE1P0.net
広義の意味での「三監の乱」はおそらく最初の1年目の小競り合い程度で終わっている。
2年目から戦争が本格化しているし、周王室の内紛→殷勢力の反乱→異民族討伐と段々
拡大している感じ。三監が反乱したのが呼び水になって大規模な戦争になったと思うね。

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/02/22(水) 14:22:51.80 ID:ytPazE1P0.net
>>462
西晋も王族同士の内紛で自滅したしね〜
統一直後は有力な親族をどう抑えるかが重要だね。前漢はどうにかうまくやったけどさ
統一直後に親族が反乱起こしたり処罰したりのオンパレードです、王朝を長続きさせるには
親族との対立を抑えることがまず重要になってくる。

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/10/29(日) 08:48:42.66 ID:o6mTJuKr0.net
本当は別姓でも文王の子供として擬制血族になってるやつ多そうだよな

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/25(日) 09:20:12.85 ID:EHNlw7aC0.net
彼が元祖だという説がある。

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