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劉備が天下統一できなかった最大の原因その2

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/26(金) 19:28:34.94 ID:wwlYLqGiO.net
前スレ
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1239870016/

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/27(土) 14:57:27.44 ID:uuWfI/8wO.net
劉備には優秀な親族が少なかった

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/27(土) 19:43:05.39 ID:uuWfI/8wO.net
蜀は何故、バラバラだったのか

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/27(土) 21:08:55.90 ID:N4GraLOg0.net
殆ど諸葛亮に国を乗っ取られたようなもん。
蜀漢起こしてから玄徳が自分で決めたのって
関羽への弔い合戦くらいじゃないか?

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/27(土) 21:58:27.52 ID:uSFgxmDkO.net
>>4
まぁ夷陵は荊州奪還にも必要な行動でもあったから、問題があるとしたら出兵のタイミングだけだったろう。
時期尚早だったから諸葛亮も「法正が居たら止めたのに」と歎いたのであって、諸葛亮の三分計プランでは荊州は必要不可欠だから
条件が整ってたなら、夷陵の時期でも諸葛亮は反対しなかったろう。むしろ奨めたかもしれない。
そこまで劉備も私情のみで出兵した訳でなく、これからの蜀の未来の為に必要な荊州奪還+関羽の仇討ちという一石二鳥を狙ったもので
少なくとも劉備本人はそこまでやれる自信があった。
ただ、案に相違して物の見事に取り返しの付かない大敗北を喫する羽目になったというだけで。


劉備没後、諸葛亮に事実上牛耳られたのには同意。
でも地盤を失い、地元益州閥・劉備古参閥より立場が弱くなった荊州閥の一員で劉備の信頼のみがその地位の根源だった諸葛亮がそこまでやれたのには
派閥自体が弱くとも人間力など能力で彼を凌駕する程の人物が、益州閥にも古参閥にも居なかったのがそもそもの原因。
そう、蜀には人材が少な過ぎた。
ホウ統が存命なら補佐にもライバルにもなったろうし、法正が居たなら早くに益州の自分に反対する人物を粛正し益州閥の領袖となってたからライバルにも
益州閥権益の主張を強くして諸葛亮と対峙したかもしれない。
また劉備没後に関羽・張飛が居たなら、これまた諸葛亮に対峙する事があったかもしれない。
だが劉備が没する前に彼等は一人残らず死んでいる。
だから諸葛亮は牛耳れたといえる。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/27(土) 22:16:25.20 ID:uuWfI/8wO.net
対峙つうか、後の魏延以上の内紛になっていたように思う。

劉備が呉との復讐戦で荊州返還までで終われば良かったかもだが、終われない辺りが私情による戦いの末路なんだろうな

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/27(土) 22:20:48.74 ID:uuWfI/8wO.net
ISと同じく、落としどころがない。
あそこもちゃんとした指導者がいれば、一国として存在しているんだろうが、五胡十六国みたいに、上がどんぐりな人材でいないんだろな

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/28(日) 12:23:21.17 ID:ezghLgtl0.net
たかが古代の幼稚な政治もどきな低レベルな世界が
IS並ねえ…
あの時代の連中なんて政治らしい政治なんて出来てたのか?
民意なんて基本的に無視するから戦争ばっかりやってんだろ。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/28(日) 13:50:36.09 ID:EWRN/xhW0.net
ISがパレスチナみたいになれる?!
アラファトみたいなカリスマがいれば?w
スピンアウト禁止ね。

諸葛亮が魏延を恐れなければ、馬謖を信じなければ
北伐は成功したのかな?それよりも魏も魏で国の結束に
揺らぎがあった訳だから、武力闘争より司馬一族に内通
すりゃ良かったんじゃないか?

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/28(日) 14:23:09.13 ID:51x7ceVw0.net
蜀が単独で魏を倒すなんてゲームじゃなきゃ無理
資源、人材、まるで及ばない

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/02(木) 07:25:46.68 ID:EXi5Dr520.net
本来なら力を合わせて魏に対抗すべき呉と蜀が
荊州で潰し合いして一番の大国が漁夫の利を得ちゃったからなあ
あれで両国とも国力が疲弊して対抗できなくなった

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/03(金) 15:32:26.02 ID:pG8NlsPLv
オレに何ターンか操作させてくれば…

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/04(土) 19:25:31.69 ID:kc1gPK4n0.net
>諸葛亮の三分計プランでは荊州は必要不可欠だから

魯粛の天下二分計では別に荊州は呉のもので問題ないんだがな
諸葛亮の三分計は所詮魯粛らの天下二分計に寄生しただけの計
むしろ益州が呉の範疇外で勝手に魏に取られる方が憂慮すべき事態

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/05(日) 16:23:00.62 ID:Zp16pskF0.net
魯粛が長生きしてれば呉と蜀の争いは避けられたはず
魏が大国化する前に両国から魏を倒すチャンスがあったかもな

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/05(日) 17:33:10.36 ID:GDEnHVFa0.net
魯粛の存在は大きかったよなあ
天下二分の計は勿論だが、関羽相手に全く怯まず荊州分割統治の交渉に当たるとか

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/05(日) 20:13:36.75 ID:5qSkq3C7O.net
>>15
劉備の天下取りとか別にして、少なくとも現在知られる三国時代にはなってない。
南朝が蜀呉いずれになるか判らないが南北朝が早期に始まってるよな、多分。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/06(月) 13:59:27.94 ID:k8EVjqLD0.net
>>10
一概にそうとも言えないんじゃないか?
絶対有利の体制から、転がり落ちるように滅びた国なんかいくらもあるし

徐州にしっかり根を張って、曹操に従属しつつ機を待った方が天下に近かったかもな
妙に優遇されてたし、あのままいったら政権下で重要なポスト貰えたんじゃないか?

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/06(月) 18:03:32.87 ID:dAwPFFrP0.net
徐州時代に呂布が曹操の本拠地で暴れてた時に加勢して曹操滅ぼせば天下取れたかもな

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/08(水) 01:16:29.40 ID:LIS1rUrmO.net
>>17
そーだな、それこそ大勢力だった袁紹なんかが典型例だもの。

前スレでも劉備の天下取りのチャンスは徐州とは出て来てた。上手く立ち回れば王朗の様に高官になったり三国時代の公孫政権みたいにしぶとくやれたかも。
間違えたら袁術モドキにもなれず、厳白虎と同じ程度の終わりだろうけど。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/08(水) 21:26:11.93 ID:9dxmrnij0.net
北斉と北周のように蜀の側から転化を撮った例もあるからな
荊州と長安アリで敵は暴君続きでこちらは英主という差があるが

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/08(水) 21:56:31.04 ID:XkRyyFqk0.net
北周は、春秋戦国の秦と同じで
関中が本拠+蜀ってパターンなような

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/09(木) 08:45:16.58 ID:mTzcD+V60.net
三国時代末期の魏や呉の内情見るに蜀は荊州を呉にさっさと渡し
益州+漢中の天然の要害にがっちり拠って、魏や呉のミス待ちでも良かったかも

まあ劉備の代での天下は無理だけど

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/09(木) 12:34:01.88 ID:lIK16RJGO.net
>>22
劉備が長生きしてたならその手もアリだったんだが、劉備没後は蜀の存在理由が漢復興イデオロギーになっちゃったから
定期的に北伐しなくちゃならない縛りが付いてしまった。
荊州〜蜀建国時は完全に劉備のカリスマが柱だったから、劉備が居なくなったら別の何かを国の中心に立てないとダメだったからねぇ。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/10(金) 01:18:38.46 ID:JJvoTP070.net
天下三分の計、天下三分と
隆中対の事ばかりを説いていますが
所謂、後の世の“balance of power“
勢力均衡策の事であって、この構想が無ければ劉備は単なる一部将に過ぎない訳ですよ。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/10(金) 16:39:08.08 ID:uaJDOXCV0.net
徐州時代に呂布陣営が裏切らず曹操への盾として機能し、袁術の侵攻も阻止
これが前提条件だな

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/11(土) 00:50:57.08 ID:CCAiSV5gO.net
張飛が酔っぱらわない、同僚を虚仮にしないとか

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/11(土) 01:23:11.86 ID:CCAiSV5gO.net
そういや、陳宮は何であんなに呂布にくっついていたんだろう。劉備に行きそうだけど
鶏頭牛後とか張遼がいたからとか?

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/12(日) 21:35:29.41 ID:369Ka8+q0.net
対曹操(袁紹)のために呂布を利用するつもりだったんだろう

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/13(月) 13:51:37.11 ID:dNE1CK/a0.net
>>25
それに加えて徐州で独立勢力状態の臧覇、陳登が完璧に臣従してやっとスタートライン

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/13(月) 19:23:21.47 ID:3JjRj/Uz0.net
200(年)前後が
一番華やかだな。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/15(水) 13:11:30.72 ID:Gxhz/6Kq0.net
徐州時代の劉備が安定しちゃうと、曹操が官渡で負けて
袁紹があっさり天下握りそうな気もする

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/16(木) 01:04:32.40 ID:cZXicYa70.net
http://imgur.com/delete/jCyDwfqT2MMeupg

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/18(土) 15:41:02.27 ID:PpysMMgb0.net
そうしたらエンショウが劉備を追い出して逃げた劉備は流氷を頼り孫権と同盟して赤壁か
歴史は繰り返す
ソウエイはエンキの息子だし司馬一族が台頭してきて同じ結果に収束するな
でも曹操とソウヒとソウショクがいないから詩の世界への影響は大きい

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/18(土) 21:35:02.31 ID:ZbDXwlTi0.net
項羽と劉邦のとき

韓信(魏)
劉邦(蜀)
項羽(呉)

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/19(日) 05:31:00.05 ID:JK2TLApt0.net
袁のお家騒動でちゃっかり・・・

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/21(火) 13:18:12.83 ID:rTvVe4QB0.net
呉も蜀も諸葛一族が仕切ってそこで終わり
現状維持で手一杯

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/22(水) 12:31:41.19 ID:aYD4eim1O.net
これは意外な新説、諸葛一族が政府の中枢を占めたりトップになると「天下は取れない」。
天下を目指さなかったらどうなるかはわからないけど。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/22(水) 14:22:35.20 ID:Ovs2e5+x0.net
合肥城が早期に落ちて呉軍が魏領内に深く攻めれていれば、劉備にも目はあった気がする
漢中戦以降の凋落は無かった気がする

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/07/22(水) 18:28:10.90 ID:ENkpeW+l0.net
蜀も巴も華夏じゃねえしな

台湾にいる国民党が中国奪還を語るようなもの

敵国でクーデターでも起きない限り無理だから

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/06(木) 09:53:07.70 ID:Gk4XhOPn0.net
>>29
袁紹と曹操がどっかで泥沼の消耗戦をやってくれれば完璧だな
それでも袁術あたりにころっとやられそうだけど

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/12(水) 09:38:57.97 ID:bEvMpFB0O.net
郭嘉や荀いくが曹操と袁紹の比較していたが、劉備の方が袁紹と比べてみると、人が悪いし迷いも少ないしな。身内贔屓するほど身内がいないが、基本的には人材を重んじる。
曹操が注目するだけの王才はあるんだろう。
ただ、呂布討伐から劉表逃走までの劉備なんて、保身のために袁紹を苦境に陥らせた感があるし、呂布に使者が捕まってバレたが曹操と密約交わしている。
劉表や劉障の部下が危険と思ったのは無理無いかも

天下獲れなかったのは、仁を掲げる割に余計な乱を起こして、遠回りしたのが原因かな

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/14(金) 13:54:36.77 ID:r9m6Lfv8O.net
荊州返還で、諸葛謹と本国が約束したのに関羽が承諾せずに追い返したという辺りは、無用な不信感や対立生むだけで良策に思えない
あれは策謀ではなく、関羽のスタンドプレイだったのかな。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/16(日) 16:59:10.51 ID:SwWCcT5m0.net
関羽があそこで無下に追い返さずに、息子の一人くらい結婚させてやれば
関羽死亡、仇討からの大敗…という蜀の大転落は起こらなかったかもね

また、劉備も仇討の途中で呉が折れた時点で、引き上げておけば
早死にする事もなかったかもしれない

あとは孫尚香を連れ戻してさっさと子供産ませておけば色々変わったかも
しれない
というか、60代でピチピチな嫁さんを名目上でも貰えたのだから、さっさと
やっとけと

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/16(日) 23:53:27.42 ID:lbVJ0nSi0.net
ほう統と法正が孔明くらい長生きして荊州が取られなかったら万一可能性があるくらいってレベルじゃね?

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/17(月) 09:23:39.56 ID:33+RXtdUO.net
寿命はどうにもならんが、呉に対する対応はよろしくないなと思う

劉備・孔明「三郡返します」
関羽「策謀だ。返すか」
劉備・孔明「病気で会えん。視察でいません」

舐めてんのかと思われても仕方がない

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/19(水) 08:13:17.37 ID:NdkaAfh30.net
重臣の曹豹、許耽に背かれてる時点で微妙だわな

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/19(水) 11:43:13.59 ID:sKy5Kf8fO.net
>>45
北朝鮮の拉致被害調査みたいなことやってる感じ

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/26(水) 02:26:41.30 ID:4fTbtQdI0.net
山岳地で平地も少なく異民族の土地

荊州がないから不便なだけ

川で移動とかそんなレベル

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/04(金) 10:58:06.64 ID:Bx4NgPPk0.net
呂布軍が徐州劉備に完璧に臣従してればワンチャンあったかもな

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/13(日) 02:07:00.09 ID:sjwdJuDE0.net
でも、対魏戦略としては荊州失陥後も蜀の北伐に呼応して呉も軍事行動を起こしてる

魏視点で見たら蜀も呉も侵略者・反乱分子として同じなわけで、荊州をどっちが領有しようと結果は同じ?

後はタイミングの問題だけかなと

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/13(日) 08:32:19.26 ID:DsCvBIKJ0.net
>>44
その上で、曹操死亡後、曹丕に軍事勝利を重ねて求心力を失わせるのに
成功して、三兄弟が10年ぐらい存命なら、天下統一の可能性は30%ぐらいはあるかも
五胡時代なら、これぐらいの国力差はすぐ逆転するし

曹操が死ぬまえに、関羽の北上・荊州失陥と関羽の死が痛い
結果から見れば、曹操が死んだ後に行動していれば、
呉も尻馬に乗るだろうし、基本的に呉には王朝の正統性がなく、
劉備なり献帝なりの封王になろうとするだろうから、天下統一の可能性もあっただろう

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/14(月) 01:07:26.14 ID:yY2bpYkW0.net
予知能力者じゃないんだから曹操がいつ死ぬかなんてわからんだろw
関羽だって年寄りなんだし待ってられねーよw

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/17(木) 06:30:25.64 ID:NC0JUnlw0.net
>>38
まあやたら大器扱いされてるけど現実問題として只の戦下手だからな孫権自身は
劉備陣営以上に使える人材が次々と早死したりしてるし孫呉も

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/17(木) 23:10:39.49 ID:fwx8upbUO.net
張昭が立派になってと感動したくらいだしな

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/24(木) 02:25:36.20 ID:2j2w5CGN0.net
そもそもカンウが死ななければ曹操を呪い殺さないので曹操の寿命ものびてしまう

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/24(木) 12:32:46.32 ID:tvTPiwEOO.net
いや呪詛とか何とかでなくても持病で死ぬだろ。
多分華佗などのエピソードからして、曹操の病は脳腫瘍とかの類だったんだろうし。
どっちにしろ当時の衛生管理レベルでは、いくら切開手術が出来た所で細菌感染で炎症起こして曹操はアボンなんだから。


ナンボなんでも「脳腫瘍や難病は誰かからののノロイですっ!(キリッ)」なんて事言うなよw

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/24(木) 13:20:11.08 ID:ylJmte+O0.net
曹操の頭痛って40代くらいから発症してなかったっけ?
脳腫瘍にしてはずいぶん長生きしたな

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/24(木) 20:14:01.92 ID:JrWXzdpTO.net
>>56
持病で死ぬことを知ってないとアカンがな

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/04(日) 01:07:22.48 ID:YYDCZGT90.net
華佗のエピソードとか言う割には
華佗は曹操が死ぬとっくの昔に死んでるがな

頭痛と目眩の原因は脳腫瘍の他にも

・偏頭痛
・低血糖
・血圧の異常
・感染症
・薬の副作用
・妊娠の初期症状
...etc

とか色々原因あるので脳腫瘍と断定するのは浅はか過ぎる
脳腫瘍だったらとっくの昔に発症して死んでる

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/04(日) 10:00:33.95 ID:Kc0b/6de0.net
これは妊娠だな!劉備との子だな

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/04(日) 22:49:06.23 ID:zaDJ213/O.net
なんで劉備なんだ。
しょっちゅう床を一つにしてたという夏侯惇の子の可能性が高いだろ。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/08(木) 15:40:13.87 ID:kn5duDjr0.net
最大の人口集積地である益州と荊州
貨幣経済の要になる良質な銅山を多数保有する漢中

これらを手にしていた瞬間があるんだから、魏の撃破がまるっきり絵空事だったわけでもない気がする
やっぱり関羽の北上失敗、夷陵でのダブルパンチが痛すぎた

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/22(木) 12:21:17.12 ID:DXUsm32fO.net
一国任されて魏から怖れられ、呉からは婚姻関係を求められる。
関羽、王様気分だったんだろうな

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/22(木) 22:22:41.58 ID:zhUE+Hwu0.net
桃園の誓いからずっとやってきて長兄が王様になったわけだから
軍師とかその他の役職が増えても内心は「自分たちが昔からやってきて
今の状態を築いたんだぞ」っていう慢心はあったと思うんだよな
孔明に対しても、ある種認めてはいるけど「青二才が」とも思って
たかもしれない

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/23(金) 22:26:36.32 ID:E4dz69GFO.net
劉邦に比べて、人間関係固まってるな。劉備て

徐庶に青二才エピが無いのは、人斬った剣客という過去があるからなんだろうか
徐庶て筋骨隆々、いかにも出来そうキャラなんかな

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/27(火) 11:35:35.92 ID:nRb/CrTI0.net
劉邦は人が利で動くのを上手く利用して敵を滅ぼしたからな
劉備はそういうしたたかさが足りなかった気がする
義を重んじすぎた

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/27(火) 17:28:44.10 ID:HFYYZhz4O.net
曹操暗殺計画から、劉表の世話になるまでの劉備は義人には思えん

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/27(火) 20:26:56.55 ID:1ywoZ0bd0.net
義を重んじるなら、公孫サン配下から脱却した挙句に敵だった袁紹の息子を孝廉・茂才に挙げたりしないような

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/27(火) 22:38:29.17 ID:HFYYZhz4O.net
勅使を鞭打って逃げたりしないしな

劉表劉璋の配下が警戒したのも無理はない

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/27(火) 22:48:18.84 ID:k36yGfAPO.net
戦の駆け引きと自身の生き残りに関わるしたたかさはあるけど、総じて人を操るような人の心底の機微に通じるしたたかさは劉邦に較べたら乏しいのが劉備かな。
義に厚いとか言われるが、実際はそうでなくある種の不器用さがそう見えさせてただけでなかろうか。
真に義理堅いなら、>>67>>68みたいな事態は無い訳で。
とはいえ、糞真面目に義を貫いてたら劉備は生き残れなかったろうけど。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/28(水) 06:49:34.97 ID:l3iPBgwo0.net
身内には義理堅いが敵や他人にはそうでもないんだろ
DQNによくあるじゃん

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/28(水) 22:33:25.69 ID:9cMV4MY10.net
このスレの結論は、劉備=DQN ってことね

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/29(木) 17:13:21.26 ID:5hAVhDUb0.net
>>70
劉邦が優れてるというか項羽のポカが多すぎんだよ

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/31(土) 07:45:47.97 ID:6kiK1YdF0.net
>>72
どう見ても柳眉や劉邦なんて町のチンピラどものリーダーじゃん

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/31(土) 08:06:02.26 ID:BjYGcjzRO.net
まあまあ、そうはっきり本当の事言わんでも。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/31(土) 10:21:03.40 ID:rEZUaoWX0.net
そもそも、このスレは劉備が天下を取れる流れとか
考えるのか?
ありがちな三国志蜀アンチスレの劉備叩き編にしか見えないが。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/31(土) 16:43:16.35 ID:Eri6Vi330.net
前スレはそれなりに劉備の天下統一ルートを真面目に考えてたぞ
まあ、謎の超人パワーを発揮するかor曹操がどこかで自爆するかの2択しかなかったけど

正直、劉備は正当に評価するのがかなり難しい人物だと思う
過大でも過小でも誰かが噛みつかざるを得ない上に、知識量によって何度でも評価が反転しちゃうし

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/31(土) 16:54:16.38 ID:Eri6Vi330.net
 聖人、主人公、漢の後継者、大正義蜀漢
→ゴロツキ、ただの傭兵、漢の僭称者、演義の美化が激しすぎるw
→優秀な軍事指揮官、傭兵から群雄に成り上がった英雄
→生存するのに必死だっただけ説、公孫サン・陶謙・曹操・袁紹・劉表を渡り歩いた、中山靖王の子孫は完全に僭称
→軍事指導者、当時でも現代でも社会的に評価しづらい人物、赤壁〜蜀取りまで史料の抜けがあるような気がしてならない

etc
こんだけ評価が分かれれば(しかもこれでもまだ一部分でしかない)、自分の気に入らない解釈に出会うことは不可避

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/01(日) 12:20:50.06 ID:5oOpP6mH0.net
劉備の天下統一ルートを考えられないようなら
このスレは劉備アンチスレに変更か、破棄でいいよな

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/02(月) 22:59:01.20 ID:EcOjl6Nq0.net
結論的に言えば
呉の裏切りにより、関羽の北上が頓挫したからだろ
このころの魏は許で吉本の乱、鄴で魏諷の乱があり、洛陽から数日の場所で
賊が関羽に呼応し、荊州刺史まで関羽に降伏しているガタガタ状態だし
もし、関羽が襄陽・樊城を落とし、洛陽まで迫れば関羽や劉備に靡く勢力
はもっと大きくなるだろうし、魏を滅ぼすことも決して不可能ではなかったろ
史実通りいけば魏はさらに曹操の死による混乱もあるしな
だからそれを潰した呉の裏切りが劉備の天下統一失敗の最大の原因じゃね

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/02(月) 23:04:44.72 ID:5jtXJNFk0.net
>>80
える しってるか
関羽は樊城で普通に徐晃に敗れてる

曹操と孫権の和睦が確かにダメ押しにはなってるけど、
あのまま関羽が北上を続けられた未来を見るのはちと楽観的すぎる

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/03(火) 00:25:37.49 ID:1XuBNlNV0.net
>>81
確かに関羽は徐晃に敗れているが、まだ襄陽の包囲は続いており
また劉備が漢中王になった後、すぐに成都に帰還しているのはおそらく関羽救援のためだろうし
劉備が関羽の後詰に入り、関羽を支援すると共に、自身も北伐に当たれば曹仁、徐晃を破り荊州を治めるのも不可能ではないだろ

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/03(火) 11:08:30.19 ID:HIKHh0Vc0.net
ケイシュウを抑えたまま長安まで落とせて初めて魏打倒の算段が立つレベル
ホクシュウとホクセイがそれ、ホクセイ側の内紛で弱体化してやっとホクシュウが勝てた
魏蜀もソレだろう

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/03(火) 11:58:29.99 ID:H74lUEAq0.net
>>82
襄陽すら落とせないのに北進は無理だな
兵站も呉国境の兵糧庫略奪している時点で破綻は目に見えてる
あと劉備が本気で関羽救援するのなら成都に帰還してる場合ではない
漢中から川下って孟達劉封拾って駆けつけた方がまだ間に合う
関羽の失敗を呉の裏切りに責任転嫁している時点でオhル

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/03(火) 12:33:53.93 ID:ypIuELPw0.net
>>80
勢いってのもあるからな。
関羽の攻勢の大きなところは巨大な魏軍相手に侵攻戦で
圧倒的な戦果を上げたところにもあるな。
魏の内部の反乱分子を更に揺さぶって、西方の劉備が東進を開始
関羽の北進に呼応すれば、魏の内部崩壊も誘いつつな勝利はおさめられたかもな。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/03(火) 17:03:02.47 ID:1XuBNlNV0.net
>>84
劉備が間に合わなかったのは呉の襲撃であり、これがなければ関羽の支援には
十分間に合うだろ
占領したばかりの上庸の劉封孟達を拾うのも現実的ではない

呉主伝の呉の裏切りを知ってもぐずぐずしていたというのも襄陽が陥落寸前
で決断が遅れたというのを表しているし、また逆算ではあるが襄陽の守将の呂常は221年に死ぬ

劉備が関羽を支援すれば襄陽を落とすのは可能だろう

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/04(水) 13:28:40.49 ID:3JrYkxh20.net
関羽の北上の頃に呉が合肥攻めて劉備が長安攻めてれば天下は取れたかもな
つくづく呉との関係悪化が悔やまれる

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/04(水) 21:26:56.14 ID:lTj2yUQs0.net
関羽の攻勢限界はジョウ陽までじゃないかな。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/04(水) 23:13:25.27 ID:r0Z0IC2F0.net
関羽軍単体なら襄陽が精一杯だろうな
呉との国境から兵引き抜いてるくらいだから、あのままなら襄陽を落とせても北進どころか維持すら危うい

まあ、そうやって呉に対する備えが薄くなったから、
劉備が救援できないほど&呉に攻められたと知った関羽が打開策を打つ間もなく、荊州が取られてしまったわけで

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/05(木) 03:50:57.06 ID:zFIJwQ010.net
>>87
長安獲れてもまだ魏は倒せないだろ
北周が北斉を倒すのにどれだけ辛抱強く待ったことか

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/07(土) 00:54:58.70 ID:/KdymqU80.net
>>85
于禁とホウ徳を破った程度では勢いにならない
裏陽も樊城も落ちず徐晃や趙ゲンの援軍で完全に止められてる
万が一徐晃や趙ゲンの軍を破っても夏侯惇、張遼、温恢、裴潜、呂貢、臧覇の援軍もあるし
曹操自ら親征もするだろう

征服後張魯はじめあらかたの民を根こそぎ中原に移動して捨て地と化した漢中と違い
各地で反乱でも三重四重の備えが発動する荊州方面の進攻は呉との連携が無ければ詰んでる
関羽が呉との外交を疎かにした時点で結果は決まっていた

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/07(土) 05:51:43.63 ID:mmfwd/WqO.net
孔明が言ったことを軽く見たのが仇になったな

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/07(土) 13:36:40.91 ID:BzoqU+UZ0.net
>>91
対関羽戦にそこまでつぎ込むってのが問題だな。
第二、第三の内乱が起きないとも限らないから夏侯惇あたりは
安易に関羽戦への投入は危険。
曹操の親征もやめておいたほうがいいというか、時期的に曹操自身が
戦力外だろう。既に寿命を切れる寸前。親征中に逝ってしまうかもしれんぞ。
張遼も引っ張ってしまうと、対呉戦線にも穴があく。

呉の外交を疎かにした時点で結果は決まっていた、という点は同意できるが
魏にしてみれば、呉はいなければ関羽の攻勢で本当に形勢を
ひっくり返されていてもおかしくはなかったぞ。

于禁、曹仁、徐晃の名将三人で関羽の攻勢を退けることが出来た
事実からすれば、関羽を撃退しただけに過ぎないのなら
次の関羽の北上に備えて、曹仁と徐晃は関羽戦に備えなければならない
内乱に備えて、夏侯惇は動かせない。
張遼は関羽&呉軍に備えた過剰なオーバーワーク。曹操は対戦中に逝去。

関羽戦は魏軍もギリギリだったよ

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/07(土) 14:09:03.74 ID:V5EgR5fC0.net
>>91
さすがに劉備もそれだけの連中を関羽単独で破らせるつもりではないだろ
漢中太守にした魏延の台詞からも劉備が漢中からではなく荊州北上を主に
考えていたことが分かる
漢中王宣言後、成都に戻ったのも長江を下った方が荊州支援には速い
からだろうし、襄陽は関羽討伐後に呉が奪っていることから見ても関羽が包囲中から
かなりピンチな状態だったろう
襄陽さえ落とすことができれば漢中-襄陽間を連結し、防衛線を敷くことができる
そうすれば一時的に魏が関羽を破ったとしても次の北上ではさらに蜀が有利にたつことができる

その中で、曹操の死という変異が起きれば魏もどうなるかはわからんだろ
曹操死後曹彰が璽綬を奪おうとしたり、後継問題の不和も抱えているしな

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/07(土) 22:33:10.43 ID:mmfwd/WqO.net
関羽は英傑だったんだなあと思うが、やはり傲慢な性格が仇になったか
理念先行型のブラック企業の社長的な

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/07(土) 23:31:43.96 ID:KcREQCBt0.net
関羽が北伐で相当無理をしたのは史料から読み取れるが
そこにブラック企業云々に直結する精神がよく分からん。何が言いたいんだ?

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/08(日) 12:30:57.06 ID:JRql+S5W0.net
関羽の性格が仇になったというより
関羽を裏切った連中は目先の利益しか見えてなかった、ということだな
蜀の四奸に孫権、全員魏のブレーンの思惑に踊らされた

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/08(日) 13:04:11.02 ID:D3aBuQkw0.net
>>97 関羽が息子と孫権の娘との婚姻を受け入れなかったのは関羽の傲慢な性格のため。
それが後に仇となったのは事実。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/08(日) 13:19:11.06 ID:JRql+S5W0.net
それを利用したのが司馬イ達だろ
関羽を討って、孫権が得られたものは荊州だけで
防波堤のなくなった危険地帯を自分達で守らなくてはならず
呉も関羽を討ってしまった時点で、呉の天下統一も夢となって消えた

関羽はその武勇と義心から後に国家、国民の守護神として
民族を超えた中華圏の大英雄に昇華したが、孫権に残ったものは裏切り者の汚名のみ

魏の提案にホイホイ乗ってしまったばかりに
孫権は現代至るまで汚名を残す事になってしまったな
これも事実

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/08(日) 21:43:52.50 ID:oXDSf4nP0.net
蜀の家臣が呉の君主と縁組するほうが傲慢だと思う今日この頃

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/08(日) 22:45:36.08 ID:ilKhNoRg0.net
そう考えると、孫権と関羽の縁戚関係を持とうとした意味って何なんだろうな
劉備(益州)と関羽(荊州)の関係悪化を狙ったんかな

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/09(月) 00:08:14.18 ID:HTryGQIiO.net
それだけ関羽は英傑ではあったんだろ

自滅した感じだけど

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/09(月) 19:58:40.21 ID:aEe0Dq6yO.net
>>101
中国での婚姻とは二つの家(一族)同士が利用し合う関係になる意味がある。
後世には科挙及第者が一人出れば、当人の一族ばかりでなく姻族もその利益に与ったように
昔から何か利益を得るために氏族同士の婚姻は重要だった。
この場合、当時の劉備集団では最高位の重臣になる関羽との婚姻は孫権にとり
劉備と孫夫人の婚姻と同じく荊州取りの布石とすべき一手だったのだろう。
婚姻を結ぶ事で孫権は関羽を自分が利用する相手としたかったのだ。

関羽が孫権からの婚姻申し出を断った事は傲慢と言われるが、孫権から姻族として利用されるのを回避する意図があったなら
その点に於いては関羽の意向は必ずしも悪手であったとは言えなかったのでは。
もしこの時点に於いて関羽がまずかったとすれば、この謝絶を劉備ら首脳陣へ相談を一切せず自らの判断で決めてしまった事。

この婚姻の謝絶が後に関羽の北伐の蹉跌になるが、極端な話関羽が北伐しないまま荊州保全に努めていた場合は
孫権側からの人間関係からの介入する余地がない、呉としては抜き難い止めの釘として効いていたかもしれない。
しかし関羽が北伐で動き、荊州内の軍事力が変動したが故に婚姻謝絶で面子を潰されて
そうでなくても荊州領有を目指しながら叶わない呉側には関羽に対し一層何等遠慮すべき理由が無い状態になっていた。荊州問題の呉内の緩衝だった魯粛も既に亡い。
平時なら付け入る隙を与えない一手が、乱時に転じて付け入る隙に変じたという事なのだろう。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/09(月) 20:49:44.41 ID:UQx5AuRc0.net
孫権も関羽の圧倒的な強さは恐れてたんだろうな。
魏と直接向き合うことより、同盟中にも関わらず
関羽が近くにいることの方がより脅威に感じていればこそ
魏からの提案にも応じたんだろうし。
大国の君主たるものが、たかが長男を侮辱された程度で
同盟破棄までは考えないだろうし、デメリットしかないから
そんなこともしないだろう。
関羽の脅威に対して渡りに船な提案でもあったんだろうな。
あの時期の関羽は魏呉が連携しないと倒せないほどに強いことが
皮肉にも、孫権の裏切りで分かってしまうんだよな。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/09(月) 22:02:17.74 ID:E1KSYJSI0.net
関羽ってなんでそんなに強かったんだ?
そんなに強きゃけいしゅう入るまでもっと劉備もらくだっったんじゃないの

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/10(火) 00:38:41.47 ID:aEeNQ9WX0.net
>>105
関羽が強いんじゃなくて、関羽に与えられた権限のデカさとそれを発揮した頃の環境がヤバい
実質、最盛期・劉備政権のナンバー2で、ちょうど宿敵・曹操軍が落ち目になってた頃

急場で兵力が足りない時期で于禁七軍が水没したり、
漢中・襄陽二正面作戦で曹操が長安で立ち往生するなど、運も戦略も綺麗に決まっていた

その両方が破綻した辺りからは残当な結果だったが

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/10(火) 20:59:32.42 ID:sLUhHKxd0.net
>>106
関羽は天敵の楽進相手には悲惨な戦績だったので
楽進が前年に無くなったのも大きいか

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/15(日) 22:13:39.04 ID:IPIfJGrU0.net
劉備はむしろ天下統一したら価値が無くなる
結局悲劇の主人公としてなんとなく持ち上げてやるくらいがお似合い
諸葛亮もそのたぐい

要するに負けキャラが基本線
歴史のifで勝ちキャラに転じたら途端に無価値
負けたから、これだけ注目あびてるわけで。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/18(水) 09:51:44.47 ID:6YRf0TGm0.net
>>91
于禁の降伏で魏の予備兵力はほぼ空だぞ

>>107
赤壁直後の劉備軍だしやむ得ない部分はあるけどな

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/19(木) 08:12:07.49 ID:gpZDdlyM0.net
徐州で魏に背かず臣従してれば機を待てば史実の司馬氏になれた気もする
飼い殺しの可能性もなくはないけど

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/19(木) 12:57:11.60 ID:Kk2zaS6fO.net
暗殺騒動に巻き込まれるんじゃない
献帝、それしか知らないし

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/19(木) 13:40:02.80 ID:7nAlVpS90.net
余と君だ!

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/19(木) 16:51:53.50 ID:gpZDdlyM0.net
>>111
袁術の残党狩り、袁紹との決戦があるんだから
劉備が史実みたいな行動起こさなきゃ、厚遇してくれると思うんだが

呂布軍があのまま劉備に臣従ってストーリーも夢があるけどね

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/19(木) 18:59:39.31 ID:5jdSaAjT0.net
仮に劉備が曹操に降っても
張繍みたいに針の筵の中で最終的に自害に追い込まれ
子孫は言いがかりつけられて改易だろうな

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/19(木) 19:53:17.01 ID:hmFdhuuI0.net
>>114
刑州候にしてあげる

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/19(木) 21:29:21.93 ID:Kk2zaS6fO.net
荀親子でさえも、あの末路だしな

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/20(金) 01:02:12.44 ID:fgCPUFXp0.net
>>109
予備兵力空のはずの魏なのに
寡兵の徐晃と趙ゲンで進撃止められてるけど
その後実際に張遼、裴潜、呂貢は徴用されて援軍として駆け付けてるし
曹操も漢中で戦った後なのに実際に摩陂まで夏侯惇付きで親征してた

漢水の氾濫で于禁が壊滅して魏軍がギリギリだったとしても
結局徐晃と趙ゲンが到着した時点で襄陽樊城を抜けなくなったんだから無理だろ
あのまま戦っても蜀の援軍よりも魏の援軍の方が早く着くし数も多いから
遅攻してればさらにジリ貧になるだけ
漢中戦と漢水の氾濫無しで一度もまともに襄陽樊城に到着できなかった関羽の実力を過大評価ぎみ

>>94
>漢中王宣言後、成都に戻ったのも長江を下った方が荊州支援には速い

その援軍が到着するよりも魏が豫州兗州徐州揚州青州の兵かき集めて援軍送る方が速いのだが
それよりもそもそも誰を援軍に送るんだ?
張飛馬超黄忠趙雲魏延とか漢中戦参加組は張遼よりもオーバーワーク
すぐ動かせる余剰兵力は魏よりも少ないぞ

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/20(金) 06:33:32.13 ID:pVSnZHbQO.net
孟達てそんな理屈だったかもしれないけど、仲間の見殺しはダメよ

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/20(金) 10:45:46.36 ID:0h9XzdP/0.net
>>117、
結果論からいえばそうだけど曹仁からの降伏意見もあったようだし
魏建国以来の大ピンチだったのは間違いないだろ

しかし関羽は1万そこらの兵力でどんだけ強気なんだよ

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/20(金) 20:31:26.49 ID:LM0HDD2M0.net
現代の情報万全の世界観でものいうのもなんだが

関羽はホントにまわりの敵国の力量も図れないただの猪武者にすぎなかったんだな
それまで生き残れたのも運だけ

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/20(金) 20:39:54.59 ID:r3ZiJCHo0.net
それでも曹操のコレクト心を刺激する何かはあっったんでしょ?

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/20(金) 21:03:12.50 ID:SFBUeVSf0.net
>>113
確かに夢のあるドリームメンバーだな
騎兵バカ一代って感じ

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/20(金) 22:38:41.33 ID:+uteum4/0.net
>>117
許や鄴で反乱がおき、洛陽周辺まで賊が関羽に呼応してた魏でそれだけの州の
兵をかき集めたら第二、第三の内乱が起きて、関羽討伐に全力をもってできるのか

総戦力は魏の方が多いが背後や足元の不安を抱えているし、一時的に関羽を破ったとしても
曹操が死に、各州の兵がすっからかんになった魏は次回以降の関羽や呉の北上に内乱鎮圧でまともに対抗できんだろ



総戦力は魏の方が多くても背後の不安と、どうなるか分からん呉を抱えている

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/20(金) 22:43:09.50 ID:+uteum4/0.net
>>123
途中で書き込んでしまった

総戦力は魏の方が多くても背後の不安と、どうなるか分からん呉を抱えている状況はまだまだどうなるか分からん

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/21(土) 00:04:26.80 ID:RMi61a+60.net
まさしく結果論だけど、関羽の北伐に呼応して呉が北上してたらそれこそ魏はまずかっただろうな

しかし関羽の北伐は、于禁七軍の壊滅でド派手ではあるんだけど、徐晃と趙儼との戦いで膠着してる辺り
精一杯甘く見ても襄陽陥落が上限で、その先の展望が薄いな
益州の劉備が駆けつけるか、呉が徐州方面で大躍進するかしないと打開されないし
そうなると最早、関羽の北伐とは到底言えないし

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/22(日) 19:18:04.14 ID:SZd3P9YU0.net
そうおもえば、関羽の北上にあわせて、東は孫権、西は劉備が北上できれば魏を倒す最大にして最期のチャンスだったんだな

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/22(日) 21:56:38.03 ID:UTKOfOvd0.net
関羽はどうして独断にひとしい北伐してんの?
蜀本体と同時進行しないといけないだろうに。

マジ馬鹿なの?

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/22(日) 22:08:06.21 ID:bsV84vaI0.net
格下の黄忠がかこうえん撃ち取ったり弟が活躍していたので功を焦った

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/22(日) 22:17:13.17 ID:IsGbBK+Y0.net
>>127
同時進行してるから、劉備は漢中で勝てたんだよ
劉備は、荊州の関羽を犠牲に漢中を確保した、とも言える

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/25(水) 09:16:47.85 ID:a6giVp6X0.net
>>122
それに加えて臧覇、陳登が臣従すればやっと徐州統一だな
そこまでくれば色々選択肢も増えてくるんだろうが

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/26(木) 09:06:29.93 ID:wEvbST3h0.net
>>130
それなら袁術、曹操にもむざむざ破れないだろうな
史実でも呂布が反旗ひるがえすまで、呉景相手に優勢に事を進めていたし

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/27(金) 15:17:00.39 ID:3HXUJz4b0.net
でも結局関羽と張飛でもめ事起こすんだろw
徐州の失敗は張飛から荊州の失敗は関羽からw

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/27(金) 17:05:41.25 ID:fJUdM0aV0.net
>>132
呂布に野望がないならただの喧嘩で済むだろ、たぶん

それにしても曹豹って徐州政権下の重臣で、張飛より高位だよな?
関羽にしろ張飛にしろ身内に敵を作りすぎなんだよ

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/27(金) 22:08:30.64 ID:MlW1h6pn0.net
呂布に野望なければ平原で牧畜してたろ

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/29(日) 23:27:20.04 ID:fum4vLZ60.net
自分のマイナンバー入りのTシャツを着るさゆふらっとまうんど(平塚正幸)

マイナンバー通知カード拒否が全国規模で起こっていますhttps://m.youtube.com/watch?v=f-zmXEqYyVA


マイナンバー通知カードを受け取ってしまっても、市町村に送り返そうhttps://www.youtube.com/watch?v=_f3I2RTC17s


311東日本大震災は人口地震テロ さゆふらっとまうんど(平塚正幸)https://m.youtube.com/watch?v=XiK9DeIMt14

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/11/29(日) 23:35:58.07 ID:mMyrOyJT0.net
マイナンバー大好物です

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/05(土) 08:46:23.45 ID:ngzF4HPm0.net
>>134
周りに流されてるだけで呂布個人が野心家って印象はないな

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 09:18:47.99 ID:0E6w/m1l0.net
>>126
結局はここだよな
呉が一時的でも合肥を抜けて魏領に浸透できていれば

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 10:37:54.04 ID:oQUtw6rb0.net
曹操って劉備を警戒しすぎというかなんでそこまで劉備つぶしに躍起になったのかと思う
劉備が徐州で曹操に反旗ひるがえしたとき曹操は袁紹と対峙してるのに主力率いて襲撃してつぶし
長坂も襄陽とったばかりなのに逃げた劉備に騎兵五千で追撃
汝南でゲリラ戦はじめた時も一族最優秀の曹仁に攻めさせて芽のうちに潰してる
劉備が呂布にやられて逃げてきたときには左将軍なんて他の軍勢連れて帰参してきた連中に比べても破格の待遇で迎えてる
劉備ってそこまで評価されるような実績あげてたっけ、教えていただきたい

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 10:58:19.41 ID:oQUtw6rb0.net
続き
他の群雄とかも劉備への評価がえらく高い
トウケン>>救援に来た劉備に四千の兵を与え、死に際して州牧の位を譲る
コウユウ>>徐州牧の位を継ぐことを拒否する劉備を説得して就かせる、陳群、孫乾らを紹介
袁紹>>官渡の戦いで顔良文醜とともに先陣を任せ、その後後方攪乱に向かわせる
劉表>>家臣らが反対するも劉備を受け入れることは北方に鉄の盾を置くようなものといい迎え入れ厚遇
厚遇してないの公孫サンくらいのような気がする(頼ってきた劉備を青州に送るが与えた兵は千人くらい)

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 14:09:20.01 ID:NzJhae1l0.net
>>139
演義では、ってことだろ
史実ではせいぜい有力武将をかかえてる政敵くらいの認識じゃないか

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 21:08:51.85 ID:yrOzGNod0.net
客観的に見て、劉備軍団の軍事力は相当高いよ
純軍事的に普通に脅威的な傭兵集団。味方なら良いけど敵なら速攻で潰しておきたい
ちょうど根拠地を持たない根無し草だから、早い内に叩けば長期戦にならないし

汝南の戦いに関しては、曹仁を派遣するほどの脅威というよりも
袁紹との戦いで少ない兵力の、更に少ない一派遣軍で劉備を叩きのめした曹仁の凄まじさを評価してあげてほしい
普通に考えると、なんで曹仁が勝つんだってレベルでおかしい戦い

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/08(火) 22:33:07.87 ID:E9n5/bxB0.net
>>140
劉備は騎兵を扱うことができ、軍事面では曹操軍でも曹操以外に対抗できず、
曹操すらも支援や基盤がしっかりあれば赤壁、漢中といったふうに破ることができる
後漢末最強クラスの将軍であり、
教養面でも盧植、陳紀、鄭玄の教えを受け、孔融や陳登から陳紀、華歆と並び尊敬を受ける
名声のある知識人で
人格面でも太史慈や袁紹からよく他人を救う、信義のある人物と評価されていることから
軍事面や、名声、人格といった面で曹操に対抗できる人物として各陣営から歓待されるのは不思議ではない

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/16(水) 08:32:41.31 ID:Kskanr0u0.net
その後を歴史を見ると、魏と呉の自壊待ちで蜀に引きこもりが一番いいんだろうけど
建国の魏打倒という国是が邪魔すぎるんだよな

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/16(水) 12:30:54.74 ID:SSKHw9pYO.net
>>144
でもなぁ漢中王勝手に名乗っちゃった時点で
反曹操主体の現漢王朝・かつ漢初代の劉邦の正統を継ぐという旗幟をおっ立ててしまったし、漢→魏への禅譲で曹魏打倒は正統なる漢復興という論旨に直結してしまう縛りを作り出してしまった。
これで反曹のリーダーに成り得たが、同時に必ず魏は倒すのが絶対条件となり
魏との講和共存や若しくは埒外で黙って魏呉の共倒れを待つ事すら選べなくなった。
蜀の天下統一云々以前に国の存続方針まで縛りが付いては、誰がやっても大変だわな。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/16(水) 14:25:18.62 ID:HKBobPwv0.net
呉のように時に臣従したふり、をすべきだったよね

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/16(水) 14:25:48.15 ID:HKBobPwv0.net
呉のように時に臣従したふり、をすべきだったよね

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/25(金) 07:55:10.84 ID:RpPVcxaL0.net
満寵が弱腰で、呉が呼応して合肥攻めしてれば

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/26(土) 20:47:25.65 ID:o2hXs9sB0.net
魏=(呉+蜀)×2

どうあがいても勝てない
晋の武帝が堕落したのも統一して緊張感が無くなったからだし
3国のままなら打ち破るのは不可

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/26(土) 23:35:50.78 ID:31qx45cK0.net
>>149
魏領の大半は戦乱によってズタボロで、住民もガンガン逃げ出してるからそこまでの国力差はないだろ

よく出る人口比較のソース自体、戸籍限定だし

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/27(日) 01:38:45.84 ID:MThkCpCz0.net
戸籍=政府が利用できる税・人的リソースの指標にはなるから
大幅に間違ってはいないような

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/27(日) 01:44:50.04 ID:AGJUCuLQ0.net
元々華北に住んでた人が黄巾の乱で江南に移住したけど
魏が安定しだしてから戻っちゃったみたいだね
昔から江南は面積の割に人口が少ないのが悩み

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/27(日) 10:47:58.12 ID:fQL4kgc20.net
劉備と孔明が統治するようになってから
蜀っていまの北朝鮮みたいな感じになったんだろうなぁ
アホみたいに遠征繰り返して

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/28(月) 06:12:31.12 ID:LLsDktwjO.net
>>152
だって三国時代辺りまで、まだ江南は(中原的価値観経済観からして)蛮地な所が多いし。
南北朝に到って「江南=豊かな地域・文化の発信地」へ認識が変わるけど。その辺は多少呉がセッセと蛮族駆逐に精を出してたお陰でもある。
>>153
劉焉・劉璋乙!と言いたい所だが、実際そうなんだよね。
それまで中原の抗争の埒外というか辺境故に(漢中との小競り合いはあったにしろ)比較的免れてたのに、劉備が入川したせいで物の見事に巻き込まれてしまった。
いずれは中原の戦乱や体制の変動に大きく巻き込まれたにせよ、劉備が巴蜀を領有しなければ少なくとも中原を奪る為に必死になって四川の人財を傾ける事態にはなってはいない。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/29(火) 10:51:18.38 ID:NqaJqt6XO.net
時代の変革を感じて、張松を派遣したんだろうけど

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/29(火) 20:27:01.91 ID:r9ewM27EO.net
>>155
まー結果劉璋は政権を失うは、それから魏の蜀併呑まで益州は中原を奪還し漢再興というスローガンに振り回されるはと散々な羽目に。
後から見ると、劉璋政権と住民としては踏んだり蹴ったりのオチ。


とはいえ今は四川の観光資源にはなったからアレかもしれんけど。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/29(火) 20:37:36.77 ID:UfYFkkUO0.net
そういう意味じゃ、官渡と赤壁と荊州失陥の3つかな?
三国鼎立にパワーバランスが大きく傾いたのは

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/30(水) 12:20:18.53 ID:Yu/EjzVXO.net
統一は無理でも内政充実させて国を維持は無理だったのかな

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/31(木) 09:09:21.03 ID:9EFcUQ/xO.net
諸葛亮顧命の費イ、蒋エン、董允らが存命だった頃は可能だったけど、彼等以降漢復興スローガン抜きにしても正味で内外政に力を奮える人材自体が居なくなったから無理。
軍事専門の姜維がその内外政総てを担い切れず結局外征ばかりに集中したけど、それには内政が人が居なくてどうしようもないから
戦争で国内の意識を引き締め、魏に勝利する一発逆転狙いしか手が思い付か無かったのもある気がする。
完全なバクチ発想だけど。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/31(木) 09:22:58.15 ID:9EFcUQ/xO.net
>>157
だろうね、官渡が無ければほぼ袁紹一強(でも一代で統一までは困難かも)
赤壁が無ければ曹操がほぼ統一に手が届く
荊州失陥が無ければ、場合によって南北朝が速まる可能性ありだから。
その内劉備に天下の目が多少なりともあるのは赤壁で曹操が戦死、荊州の関羽北伐で許陥落と曹操政権の殲滅がなった時だけか。
官渡では劉備にほぼ天下取りの目は無い。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/12/31(木) 19:27:39.07 ID:NatJQFNj0.net
姜維って一番初めに(魏の)上計掾として出仕してるから政治の素質がないわけではないと思うんだよね
諸葛瞻や陳祗と仲違いせず内政を任せられれば&董允の言うとおり黄皓を重用せずにいれば前線に集中できただろう
軍事担当も劉備時代からの古株の廖化&張翼が姜維の下にいるんだから夷陵以降の蜀の人材不足は深刻

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/01(金) 21:19:25.63 ID:gbGvu9Yj0.net
>>158
食うか食われるかの時代だからねえ

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/03(日) 11:30:03.90 ID:oZbbOXgR0.net
もっとも漢の賊を討つという建国の理念を無視したら遅かれ早かれ崩壊だろう

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/04(月) 00:13:47.23 ID:oZbp8wwTO.net
韓非子は内政を充実させよ、と言ってたけど戦争しないとじり貧てのは皮肉な感じがするな

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/06(水) 06:28:28.80 ID:DGE1LV1gO.net
魏延の作った拠点を次々壊して首都陥落をはやめた姜維を軍事担当責任者にしている時点でアウト

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/06(水) 09:16:56.07 ID:8OvJ+ki+0.net
>>130
夢がある展開だわな、それ

そういや陶謙って異民族・黄巾討伐に功績ある名将だよな
それを支えた部下、丹陽兵は劉備が吸収できたのかな?

>>165
魏が新たな侵攻ルート開拓したから、無用の長物になったんじゃなかったか?

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/07(木) 00:38:40.33 ID:VM0cT8Lm0.net
天下13州の内、魏が9州、呉が3州、蜀が1州だろ
話にならんわ

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/07(木) 12:48:20.86 ID:HwH8LQam0.net
>>167
戊辰戦争みたいな例もあるから、一概に国力差がついたから負けってわけじゃない

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/07(木) 14:43:48.02 ID:0SJc6zQM0.net
小が大に勝つには、兵器や戦術に大きな差がないといけないよなあ。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/07(木) 14:54:46.12 ID:e/t4fQCv0.net
ほんと蜀の住民って地獄の苦しみだったろうな

諸葛亮って、曹操の比にならないくらいの大悪人だったんじゃないの

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/07(木) 16:38:52.32 ID:0SJc6zQM0.net
三国時代なくして、曹操が天下統一していたら、少なくとも北方への備えはまともに機能したんじゃないか。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/07(木) 16:40:29.07 ID:0SJc6zQM0.net
五胡十六国を知ってしまうと、赤壁の戦いも何だか悲しく思えてくるね。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/07(木) 20:24:52.41 ID:rRBSHeTnO.net
>>171
統一すれば安定、という流れなら袁紹でもよかった。
分裂状態、かつ小国程国家予算内に占める軍事費の率は高まり領民の負担も重くなる。
中原及び周辺地域に消耗を強いたのが三国時代といえる。

そして晋を経てやって来たのは北や中央アジア由来のヒャッハーな皇帝のオンパレード…

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/07(木) 20:33:38.35 ID:+ysq2jXr0.net
いや、曹操も袁紹もすでに北方の軍団を自戦力として使ってたし
南匈奴とか中原にいたから仕方ないんじゃね?

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/08(金) 03:57:36.41 ID:HaXWnSWY0.net
騎馬民族の侵入を防ぐために秦が万里の長城建設

賦役に耐えられなくなって戦乱へ

騎馬民族の手を借りて戦乱を終らす


なんなん?

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/08(金) 23:35:32.00 ID:xKp47ZCP0.net
しょうがねえよ
現代日本の電車通勤サラリーマンを軍隊にぶちこんでもすぐには使い物にならないのと同じで
強い軍隊を即時的に作るなら、l慣れてる奴らを引っ張ってくるのが一番簡単なんよ

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/09(土) 18:25:44.02 ID:CiQCX3Nm0.net
>>170
でも正史には諸葛亮を恨むものは無かったとある
皆、諸葛亮の誠実な人柄を知ってたからだろう

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/09(土) 19:07:33.86 ID:UxTKpXek0.net
中行説も匈奴の強さは生活の中で馬に乗ったり騎射をしたりするから戦いとなれば男は全員軍隊としてすぐに使えるけど
漢は城壁と軍頼りだから一般市民は戦いに使えないと批判してるしな

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/15(金) 08:56:16.84 ID:Kh/kTBaK0.net
漢中戦のゴタゴタ利用して涼州・隴西に雪崩れ込んだ方が良かったんじゃないかな?
荊州制圧ほどの美味みはないだろうけど、馬超のコネが強力なうちに

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/15(金) 12:28:03.91 ID:TNQgwtoMO.net
>>179
漢中の時は諸葛亮健在でホウ統死んでるから、国家指針の立案も諸葛亮が握ってた筈。
当時は荊州も領有中だから、荊州閥の彼も地盤を失ってないので後顧の憂いは無い。
そんな状況で涼州へ食指を伸ばさなかったのは、まだ益州内に不安があって戦線の延びすぎを恐れたのかも。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/21(木) 17:21:21.35 ID:METp3PGe0.net
>>179
涼州を取らないと西の重要拠点・長安を伺えないけど
漢中戦後の疲弊した蜀漢に涼州を奪取・維持する能力があるかどうか
まあ史実で北上した荊州の余剰戦力をひっこ抜けば可能かもな

全部上手くいっても潼関を突破できるイメージが無いけど

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/21(木) 19:36:56.55 ID:KaMDBhoA0.net
そもそも呉は魏に降伏して、そのあと魏とまた争って何がしたかったんだ?
強国放って、小国同士が争うってそりゃ勝てんわ

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/22(金) 10:28:43.04 ID:w9YakIey0.net
孫権は劉禅と同じで王様生活さえできれば余は満足じゃってタイプだから
中国統一とか漢王朝復活のようなお題目がない国だっただけ

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/22(金) 12:08:14.67 ID:dwizvE5a0.net
>>183
その割には石亭の戦いを始め外征を繰り返すという謎
そもそも夷陵の翌年には曹丕が南下してきてるし

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/22(金) 15:00:37.21 ID:QpKjKA8P0.net
各人の思い込みを尊重しょう

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/22(金) 19:09:59.07 ID:w9YakIey0.net
孫権は基本的に火事場泥棒的な戦争とか魏や蜀と連携して戦争のフリだけのような戦が多いw

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/23(土) 16:49:18.46 ID:/XmVwSd9O.net
孫策から言われた一国を保持が国是だったんだろうけど、維持に頑張っても暴君でおじゃんになる君主制は寂しいなあ

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/26(火) 10:29:03.49 ID:vJBSmuIj0.net
北上前年に長沙・桂陽を奪われてるのに、呉に一切の対策をしなかった関羽もどうなんだろ?

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/26(火) 23:43:27.28 ID:6SdjqhIQ0.net
?狼煙台作ったりびほうやふしじん配置してるやん

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/27(水) 10:06:45.04 ID:bEOeCe/nO.net
懲罰居残り組だから、ふて腐れて仕事せず、機能しなかったという悲しさ

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/27(水) 11:05:15.66 ID:pJau3+bu0.net
やっぱ徐州時代しかチャンスは無いんじゃないか?
まあ呂布軍・臧覇・陳登がいて徐州を治めていたとは言いにくいけど

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/28(木) 01:39:05.56 ID:p+0MtkBo0.net
>>188
万全の対策をしてたから呉は関羽が襄陽を離れるまで全く手が出せなかったんやで

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/28(木) 05:30:24.95 ID:ObS3afJy0.net
そういう対策じゃなくて呉と婚姻関係結んでがっちり同盟しろって感じだよなw

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/28(木) 08:47:27.98 ID:p+0MtkBo0.net
>>193
婚姻程度じゃお互いいざというときにはあっさり裏切るってのは劉備のときに証明済みだしなぁ…

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/28(木) 10:36:42.33 ID:KJ+5Y52z0.net
>>191
そいつらの勢力吸収、曹操に臣従寄りの同盟、袁術の侵攻を弾き返すという無理ゲーを乗り越えれば
魏の騒乱に付け込んで天下を狙えるかな?ってレベル

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/28(木) 10:49:24.98 ID:Z4XWtUaH0.net
中原に割拠する以上、早期に曹操との対決は避けられないだろう。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/28(木) 13:06:07.13 ID:FkuFI7iV0.net
奥に引きこもって
異民族と同化するしか生き残る道なんかないよ

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/28(木) 13:58:24.46 ID:RpDoHkBU0.net
でも曹操って異民族に関しては完全に対策できてたよな
やっぱ戦乱の時代のほうが中国って強いのかもね
下手に統一して平和になると異民族にボコボコにされる

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/28(木) 22:08:06.89 ID:mtsPZf/Z0.net
晋も途中まではある程度対策出来てたんだが・・・司馬穎が劉淵に翼を与えなければ

普通に石勒も奴隷にされるぐらい抑えられたのにな・・・

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/29(金) 16:26:52.14 ID:zsBXw5ZL0.net
>>196
徐州を完全支配+呂布軍という>>195の条件ならそう簡単には負けないだろ
時間かけると袁紹軍も動き出すだろうし

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/29(金) 17:20:13.12 ID:Crhfe5tU0.net
嫌われ者の関羽が幅利かせてる間は劉備は大成しないよ
孔明を得て関羽と離れてからやっと劉備は花開いた

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/29(金) 22:12:25.27 ID:o9S4kkNk0.net
>>201
とはいっても荊州を任せるに足る人材って他にいないだろ
馬超が同格と言えば同格だけど、新参の上に出来るだけ涼州近くで運用したいだろうし

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/29(金) 23:13:40.39 ID:tAHt7oHI0.net
荊州こそ孔明に任せればよかったな

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/29(金) 23:18:44.96 ID:IthX9oGE0.net
少なくともこの時点での諸葛亮はそこまで地位高くないからな
それこそ各所から不満が噴出するぞ

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/29(金) 23:33:33.33 ID:QhxoLHVh0.net
荊州を誰に任せたら良かったか、というよりも
天下を狙うには荊州・益州が必要だが、荊州は呉の国家戦略上常に狙われ続ける
という構図をどうにかしないと、誰が荊州に残っても史実と同じ展開辿るぞ

天下を狙う以上、前線に兵力が集中して後方が疎かになる、なんて状況何度でも巡ってくるだろうし

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/30(土) 09:15:47.47 ID:cuP6IR72O.net
>>205
どうしようも無いわな。
呉はまだ交州やら南方や国内の蛮を抑えられずにいて開発なんて夢のまた夢状態だから、目の前の荊州が欲しくなるのは止められないし。

そりゃあ、呉を潰せば荊州問題は完全解決するけど無理だよね。(時期によって)曹操か魏が隙見て侵攻してくるだろうから。

手としては益州領有時点で呉に荊州をそっくりくれてやる事で、それを餌に蜀は江東方面を呉に押さえてもらいつつ、凉州など北方攻略に傾注
それら攻略した地域を押さえたら、そこで呉に魏の切り取り放題を条件(多分呉はその状況なら徐州辺りを欲する)に魏攻略を図る他無いだろう。

でも諸葛亮とか荊州閥が基盤を失うのを嫌がるだろうし、凉州の物資・地勢がどこまで魏攻略の益に立つかが。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/30(土) 12:02:18.75 ID:r/JqWvM60.net
発想を転換して
曹操に仕えて魏臣になって後に簒奪を狙ったらいかがか
んで国号を蜀に変えればOK

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/30(土) 13:54:32.55 ID:tBlL+13a0.net
北伐しないかお茶濁す程度で済ませるか呉みたいに名目臣従で時間稼いでれば勝手に内紛するだろうから
そこまで待ってれば良かった

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/30(土) 15:20:35.54 ID:UPzaSdQ60.net
どうせ呉に荊州を取られるんなら
魏・呉同盟が成立するくらいの大勝を収めてしまった関羽が悪い、と言ってみる

実際、于禁七軍を降伏させてから補給事情が悪化してるんだから
いっそのこと于禁に負けて荊州方面は膠着、ただしヨウ州方面では勢力拡大
という形で北伐が進展していけば良かったのかもしれん

蜀漢が大きく勢力を落としたのって、関羽の荊州失陥と夷陵の戦いという荊州絡みなんだし
史実よりも少ない損害で荊州から撤退できたらいけるんじゃなかろうか

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/30(土) 15:34:55.72 ID:g++dGuxi0.net
荊州から撤退したらもう終わりじゃないかなぁ

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/30(土) 22:59:35.59 ID:rS/51f/5O.net
関羽の外交感覚が低かった

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/30(土) 23:47:56.88 ID:qh73Z8Gd0.net
関羽が于禁に敗れて、ある程度の兵をまとめて江陵に撤退していたら
さすがに呉は手出ししなかっただろうな
それでもなお魏と挟撃する約束を守って開戦しただろうか

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/31(日) 00:26:43.30 ID:PrhdzDfp0.net
于禁率いる3万が江陵に迫っている状況だし
魏がなお脅威なら蜀に肩入れしそうだな
まあ、挟撃する意思決定がいつなされたのか次第だけどさ

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/31(日) 22:37:27.55 ID:Z/9UWH5O0.net
なんか関羽が孫権との婚姻を拒否ったことを執拗に責め立ててる人いるけどあれ別に受けても拒否しても劉備にお伺い立てても結果は何も変わらんだろ
そもそも関羽に縁談持ちかける前から曹操と通じて挟撃の計画進めてたわけだし宣戦の名分にも全く使われてないし

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/02(火) 11:23:59.71 ID:PYaA0JTp0.net
>>209
于禁七軍に降伏後に攻城戦を引き上げ、撤退でいいんじゃないか?

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/03(水) 21:42:38.10 ID:RbgATYAq0.net
中国の強国って崩れる時はホント一瞬だから全く勝機がないとは言えない

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/03(水) 21:45:43.17 ID:O5/x7p720.net
夷陵で序盤圧倒したときに有利な条件で講和しとけばよかったのに
そうすれば関羽の敵も取れて荊州も取れてこの後に劉備が死んでも
孔明ももう少しやりようがあったかもしれない

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/03(水) 23:09:53.32 ID:4EJ4n2Va0.net
>>209
元々劉備と孫権は赤壁の頃から運命共同体
魯粛の長江全て抑えて中原に抗する天下二分の策を元に共に行動している

ただ途中で劉備が孫権の意に逆らう行動が多々あったのでおかしくなっただけ
早めに劉備がお亡くなりになってけっこう呉に(というか実は魯粛に)忠実な
諸葛亮が切り盛りしていれば関羽横死や夷陵のムダ死にが無くもっとうまく行けたかもしれない

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/04(木) 12:24:32.76 ID:DybgOMvpO.net
>>218
それだと関羽の荊州失陥や夷陵そのものは回避出来るけど、劉備陣営で恐らく内紛が起きる。
劉備没後間もない内は幼君輔政の名目で諸葛亮が辣腕を振るえるが、劉備子飼いの義兄弟らの古参や養子とはいえ荊州失陥が無ければ存命してる成人した劉封らなどが
何等かの理由で諸葛亮に不満を抱いたら劉禅・諸葛亮派と劉備陣営古参派の二つ、最悪諸葛亮・古参・劉封らの若い世代を奉じる派閥の三つ巴の内紛が起きるかと。
それは永安の托孤までは諸葛亮が劉備陣営内で力を有しているのは、劉備の厚い信任の下にあるためで
劉備の信任が支えてないと、まだ陣営に入って浅い荊州の人員故に何時失脚するか不安定な存在だからだ。
劉備が早期に没した場合、劉禅に拠るしか諸葛亮の権力の源泉は無く
劉禅自体が幼いから、その信任も脆弱な権限でしかない。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/04(木) 18:57:18.80 ID:UdwTtpSlO.net
剣客の徐庶の方が、周囲からの信任あったんじゃないかと思えたりする

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/04(木) 23:11:40.42 ID:DybgOMvpO.net
徐庶来るまで、基本一種の傭兵軍団で脳筋集団に近い連中だから
剣客だと心情的に馴染みやすいよな。

そこへ行くと諸葛亮ら荊州から参入した連中は法家とか学者な人達が主体だから、脳筋な古参には違和感あったろう。
ただ関羽は諸葛亮に宥めすかされて喜ぶし、張飛は士太夫を敬うから義兄弟そのものは意外と諸葛亮とは馬があったかもしれないけど。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/05(金) 08:57:18.64 ID:t1GzdbWa0.net
呉との外交不安がある状態で何も荊州から攻め上がらなくても
成功すれば敵の本拠を突けて、一気に事態を好転させれるって誘惑は分るけど
涼州制圧に傾注するべきだったとと感じる

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/06(土) 23:12:15.45 ID:BJjHLVMr0.net
>>219
初めから劉備陣営が孫権陣営の一部なら問題なかったのだが
周瑜が言ってたように劉備は酒池肉林の傀儡僭主にしておいて
関羽張飛が配下として使うのが南朝勢力にはベストだった
しかし現実問題劉備が言う事聞かないのは仕方ない
ので劉備死後に諸葛亮含め劉備陣営残党が呉に吸収されていればよかった

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/06(土) 23:58:47.53 ID:+gpl0iPW0.net
マイナンバー通知カードを返還することで、マイナンバー制度を廃止させることができます

マイナンバー通知カードを受け取ってしまっても、市町村に送り返そうhttps://www.youtube.com/watch?v=_f3I2RTC17s

311東日本大震災は人口地震テロ さゆふらっとまうんど(平塚正幸)https://m.youtube.com/watch?v=XiK9DeIMt14

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/11(木) 18:45:40.67 ID:Ye3fKhZ1O.net
>>197
反三国志の曹植・曹彰兄弟かよw

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/13(土) 10:55:30.38 ID:h3iXCp090.net
首陽山で蕨を食べながら過ごそう

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/13(土) 12:50:10.20 ID:qXRYHv3H0.net
聖人劉備として孔子朱子路線を狙えば
影響力や評価で曹操なんか遥かに凌駕できるかもな

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/13(土) 14:29:28.84 ID:EvBYZlSq0.net
定期的に聖人劉備って出てきて思うんだが、演技準拠で統一云々を語るのってどうなんだ?
正史準拠のインテリヤクザで語らなきゃ絶対ダメって訳じゃないけど
根本の土台が違いすぎて、議論になるのか疑問に思ってしまう

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/13(土) 16:56:39.70 ID:hyftyG8pO.net
いや普通に無理だろ。
中原回復までの戦略からしてもう噛み合う筈がない。
まして戦術レベルじゃ、聖人君子と梟雄ではやる事なんか雲泥の差なのに。

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/13(土) 17:13:22.59 ID:KDLEg+9W0.net
曹操「劉備どのは帝にかけあって蜀王にしてあげる」

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/13(土) 19:42:37.18 ID:KDLEg+9W0.net
戦術に長けた諸葛亮だが、結局は戦略が上の司馬イにまるで勝てなかったわけだ
劉備も寿命がもうすこしあれば諸葛亮に任せないでなんとかしたかもな

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/13(土) 20:07:27.25 ID:xWT8mMdZ0.net
劉備少年、儒を志す

儒家として高名になる

名著を著す 弟子もたくさんできる

曹操、中原を支配

劉備先生、嘆いて首陽山にこもり餓死 (首陽山がどこかは不明)

朱熹「劉先生の事を夢にみなくなったとは、老いたな」

うーん兄弟に合わせて桃園兄弟で餓死したほうがいいか

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/13(土) 22:27:38.86 ID:HAtRgciH0.net
神亀といえど終る時有り

神亀=諸葛亮の事。
不思議な事に劉備と孔明はDBの亀仙人と亀。
つまり神懸かりな治世を行う亀であっても寿命と人材の薄さ
から蜀の国は“終る“と予想していた孟徳。

カリスマを喪った蜀はまとまりがなく滅びた、とさ。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/14(日) 16:12:55.79 ID:i3QAI3yhO.net
>>232
桃園兄弟じゃあ無理だ。
劉備が儒者なのはともかく、どう考えたってあの関張が首陽山で山賊始めて食糧確保してしまうから
飢え死にする訳無いし、兄弟の未来は梁山泊の好漢みたいな未来しか見えない。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/14(日) 16:31:06.91 ID:69dPYXB00.net
>>234
張飛「兄者、饅頭が手に入りましたぜ」
劉備「なかなかうまいのう。しかしこの辺りは獣はあまりいないはずだが」
張飛「たまたま珍しく旅人が山に入ってきましてね」

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/14(日) 16:57:43.86 ID:eZ/08oq00.net
劉備「げえっ関羽の・・」

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/02/23(火) 09:39:04.06 ID:uGAYTwrJ0.net
☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/14(月) 21:23:04.96 ID:vF2Ph8uG0.net
なんか劉備天下統一の躓きは関羽荊州にあり、みたいな感じになってるけど、そもそも劉備の優柔不断だと思うんだよね
さっさと劉表の後継いで荊州とってればもっと早く魏と対等になれてたような気がする
まあその前に張飛の酔っ払いがチョンボしなければ、ってのもあるんだが、劉備の最大の問題は大志の前の小事にこだわりすぎたことじゃないかね?

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/14(月) 23:21:37.65 ID:nr8VMsytO.net
というより劉備が大志らしいものを抱きだしたのは、寧ろ赤壁後の荊州を領有し始めてからだろう。
それまでの劉備はどちらか言えば成り行き任せに近いから、場当たり的対応が多い。
荊州領有まで徐州牧など一時を除けば傭兵隊長としての活動ばかりだから、場当たり的対応でも「臨機応変」と言えたしそれでも軍団は保てた。
しかし荊州という土地を得た事で、長期的政治の視野も持たなくてはならなくなってから
漸く大志らしきものを得たのでなかろうか。
諸葛亮など、もっと早く地盤固めして欲しい幕僚からしたらその自覚は遅すぎたんだけど。

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/15(火) 12:19:02.87 ID:/D1Ca/jz0.net
>張飛の酔っ払いがチョンボ

何かやらかしたっけ?
徐州失陥は張飛と曹豹との諍いが原因なので酒は特に関係ないが

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/15(火) 17:00:13.53 ID:DnUAa6uw0.net
>>238
蔡瑁達と荊州争奪やりながら、魏の南下を防ぐのは無理だろ

徐州時代に声望と軍事力を欲して呂布一党を迎えたのはいいとして、呂布にフリーハンドを与えすぎて裏切られたのは痛かった
ちょっとずつ呂布の部下を吸収、分割運用してやるぐらいの狡猾さがあれば

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/15(火) 22:08:29.45 ID:cIyFyAWHO.net
呂布を迎えたのは、世間に良いとこ見せたかったんかな

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/15(火) 22:11:55.08 ID:SO0CwYvv0.net
普通に、敵の敵は味方理論でしかないような

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/16(水) 00:14:10.44 ID:lLsUvNQi0.net
あの時点での呂布は皇帝を蔑ろにして専横を極めた董卓を討ったもののその董卓の残党に都を逐われたある意味不遇の英雄のような立場で民衆からも人気があったからな
だからあの袁紹も一度は手元に置いたし袁術も誼を深めようとしたわけで
その英雄が弱小勢力の自分を頼って来たのならそれは受け入れざるを得ないだろう

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/16(水) 00:42:11.43 ID:WJ1hNWYj0.net
>>244
袁紹って、呂不の使者を追っ払って、しかも追討軍まで出したんじゃなかった?
演義?

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/16(水) 03:28:34.11 ID:o1WZVT/C0.net
人中呂布 馬中赤兔

おいおい
袁紹に協力して張燕を破った際の、正史に燦然と輝く名場面を無かったことにする気なのか・・・

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/16(水) 05:54:28.70 ID:eTMdfLAyO.net
>>241
高順は無理としても張遼や陳宮を逃したのか
ついでに臧覇も入る可能性もあったのか

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/16(水) 05:58:25.90 ID:od0zfV8vO.net
反対に陳グンに逃げられる
烏丸兵がいなくなるのもこのあたりだろうな

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/16(水) 08:11:44.53 ID:OJBjXJoM0.net
>>247
臧覇はそもそも徐州の半独立勢力だぞ?
劉備との仲も良好だったみたいだし、呂布から徐州奪われなきゃ段階的に臣従してきた

>>248
丹陽兵も精強だからそこは問題ないんじゃね?

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/16(水) 08:29:04.31 ID:eTMdfLAyO.net
>>249
だからそう言ってるだろ
何のために分けて書いたと思ってるの?

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/16(水) 12:37:06.56 ID:hXrGHpfC0.net
袁紹は一時的に呂布を受け入れてるよまだこの頃は地盤も弱かったから賊退治に利用してる
横山漫画だと最初から追い返してるけど

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/16(水) 13:06:32.93 ID:aXinEKt90.net
げえ 呂布!!


てか名前に「布」の字つけるって 当時の中国じゃ割と好まれる字だったのかね「布」

文「醜」もひどいが

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/16(水) 15:14:18.74 ID:eTMdfLAyO.net
でも士弱とか晏弱とか子蝸○悪とか春秋戦国時代にもあったから流行りなんじゃないか

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/16(水) 15:17:55.90 ID:WJ1hNWYj0.net
魏無知とかもいたな

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/16(水) 15:36:21.04 ID:od0zfV8vO.net
悪い名前をつけて災いを祓うとか、強さを得る風習なかったかな
最近だと悪魔ちゃんみたいな

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/17(木) 04:52:09.65 ID:RFeJATep0.net
>>255
調べたら辟邪名ってのが出てきたな
ただ文醜の名前がそうかと言われると違う気はする
あれは「汚いモノ」を名前に使うんであって「汚い意味の文字」を使うわけではなさそう
そもそも子供を病魔から守るためのまじないで大人になったら改名するのが一般的だったようだから成人である文醜がそのままってのも考えにくいかな、と

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/17(木) 10:21:36.22 ID:QmPRUWtP0.net
白川静によると成立的には悪い意味はなかったそうだけど
醜いの意味ができたのもそんな後代とは思えないな
醜也みたいな言い方は史記でもあるだろうし

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/17(木) 10:39:01.84 ID:KKJfuqFJ0.net
文醜って子供じゃないだろ・・

魏無知だけじゃなく公孫無知もいたから、突き抜けたキラキラネームって訳でもなさそう
あと、蛮夷の人物には音を漢字に当て字する際、わざと悪い字を使ったらしい。
卑弥呼なんかも、モロに卑とか付いてる。

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/18(金) 11:39:27.16 ID:DzOUQ+W/0.net
てか、記録として諱(本名)は残されてるけど、普通は字を使うんでしょ?
または官名とか通称で呼ぶ訳で。
親か主君以外は諱は呼ばない訳で、その場合でも主君なら官名、
おやなら愛称でよぶんじゃなかったっけ?
露骨に諱は呼ばないような。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/18(金) 12:04:16.81 ID:bY9gYWBLO.net
子産だと
字は子産
姓は姫で
国氏
諱は僑で公孫僑
官職は正卿
で簡公と子国(父親)、上司は僑と呼んでいいんだよね?

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/18(金) 21:28:13.43 ID:6g9aqz5QO.net
厳密には自分の主君(後世には皇帝は全ての人間を諱で呼べる)、(実養問わず)親、また何等かの学問や宗教上の師匠は諱で呼べる。
上司だと職務上で目上ではあるが、諱を呼ぶか否かで言えば一般の他人と立場が同じなので無礼になる。

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/19(土) 19:45:43.67 ID:v47HXYgh0.net
                若すぎるよ。。K-1 Krushのジャッジ崎田学氏(38)が、心不全により死去



               【福島閉鎖】    マイトレーヤの緊急テレビ出演内容    【県民救出】

                        マイトレーヤは原発の閉鎖を助言されます。
                    日本もさらに多くの原子力発電所を作ろうとしています。
            多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、彼らは幻想の中に生きています。
マイトレーヤが公に話し始めるとき、彼はこのことについて話されるでしょう。彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じである。
            マイトレーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。
   Q 福島県民は永久に避難すべきでしょうか。A 発電所が閉鎖されれば1年か2年で戻って来られるでしょう。
UFOや核エネルギーの放出を見ることはエーテル視力を持つ子供たちがどんどん生まれてくるにつれて次第に生じるでしょう。

2歳を過ぎたころには「放射能があるから砂は触れない」「葉っぱは触っちゃだめ」などと口にするようになったという。りうなちゃんは去年の暮れ、脳腫瘍のために亡くなった。
                  https://twitter.com/Tom oyaMorishita/status/648628684748816384

                   免疫システムが弱体化し、この崩壊の結果がアレルギーです。
    人々は肺炎やインフルエンザやHIV/エイズなどたくさんの病気に抵抗することができなくなっています。
増加するアルツハイマー病の原因となっており、より若い人々に起こっています。認知症の過程は放射能汚染によって加速します。
あらゆる種類の癌の増大もまた核放射能によるものです。慢性疲労、癌、エイズなどの多くの病気を引き起こします。
世界中で病気、主に皮膚、心臓、肺に関する病気の発生率が上昇しています。ずっと昔に征服された病気が今また復活しはじめています。
 汚染による死者の数は、他のいかなる原因よりも多いです。河川の汚染は社会に対する犯罪と見られなければなりません。
  注意欠陥障害(ADD)と注意欠陥多動性障害(ADHD)の主な原因は環境汚染、特に核放射能(最大の殺戮者)です。
マイトレーヤによれば、核爆発は自然界の要素を妨害する。飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落は必然である。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/20(日) 17:39:43.43 ID:GZsYdnmH0.net
すげーどうでもいいけど諸葛亮と献帝って同い年で同年に死んでるんだなあ

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/20(日) 18:27:40.94 ID:Kj+AVONRO.net
実は入れ替わっていた……?

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/21(月) 09:54:00.19 ID:mXcf6ei90.net
皇帝から追い落とされた献帝が庶人と入れ替わって劉備に仕え、漢王朝の再興を目指したというのは世田話としては面白いな

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/21(月) 10:06:11.75 ID:QMEhsvYP0.net
いや入れ替わってたらずれるというか
ネタでも同い年同年に死んだからって入れ替わりの根拠にはならなくね?

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/21(月) 12:08:13.10 ID:IK40qPle0.net
>>265
皇帝から追い落とされたってより、献帝ってなんども流浪しているじゃん。
逃亡してる時に偶然庶民の子と入れ違って、お互いに波乱の生涯を送るとかw

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/21(月) 13:43:58.32 ID:bnn8cAhqO.net
正体を知っていた劉備が、崩御直前に蜀を治めよと言ったというのはそれもあったのだ

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/21(月) 19:12:11.00 ID:+tovboYz0.net
献帝とかの「献」の部分って誰が考えて名付けたんだろう?
文醜の醜の字で醜帝とかにならなくて良かったね

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/21(月) 20:17:24.79 ID:JWA/xvxk0.net
悪諡にしても醜なんか使われたことない・・・よね?
悪いと霊とか幽とか
つっても諡法とか厳密に守ってたんかな。五胡五代の混乱期とか変なのいそう

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/21(月) 20:20:12.66 ID:jjEDdXen0.net
蜀漢側からの諡号が孝ビン(愍)帝で、魏側からの諡号が孝献帝
誰が選定したか史書に記載あったかなあ

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/22(火) 08:39:08.96 ID:qgCJsttzO.net
諡号なら楚の共王の話が好きだな

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 05:06:53.38 ID:vnv9154y0.net
実家に力が無かった
天下を志したのが遅かった
根拠地を得るのが遅すぎた
とにかく出遅れたことに尽きる


あんまり酷い皇帝とかだと死後に格下げされて王扱いで贈名することもあるね
後漢三国時代なんかはまだ皇帝が乱立する前だからあまり酷い名前にもしないだろうけど

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 13:42:56.16 ID:K6+vEisA0.net
劉備陣営に漢の三傑の1人を加えれるとしたら
誰が一番有益なんだろう
やはり韓信?

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 14:42:29.13 ID:Jdp/RLc70.net
劉備が天下を志し始めたのはいつ頃なんだろうか

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 17:43:25.25 ID:D/PUYVHp0.net
徐州受け取った時点で、ようやく色々語れる資格が手に入った感じだけど
本格的に動き出すのは、諸葛孔明と出会ってから以後だなあ
徐州時代は袁術と呂布に振り回されてて、余力ゼロだし

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 19:47:57.48 ID:Vn/p1c8K0.net
蜀に入って固定化したころに韓信がいても
北伐して魏を叩き潰すのは難しい
逆に初期からいると独立しそう。下手すると謀反で殺されるw

とりあえず初期に張良に出会って天下取りのグランドプランを教えてもらうのが一番かな
劉邦自体それだし。

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 21:06:59.63 ID:2ocU5G/Y0.net
>>274
独自の人脈を持ち、長期の遠征に耐えられる国を作った蕭何じゃないか?

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 21:16:29.00 ID:Vn/p1c8K0.net
内政と補給なら諸葛亮でいいんじゃないの

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 21:42:16.18 ID:MTmL4OFu0.net
諸葛亮は一人で蕭何と張良兼任みたいなもんだからな
そして韓信まではいかなくとも将として兵を率いるのは劉備その人が当時でもトップクラスの実力
劉備陣営に一番足りなかったのは実は三傑ではなく人材を集める力を持った劉邦だったという感じ

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 21:44:35.72 ID:gga8/tsD0.net
いや人材は多い
ただカンヨウやソンケンじゃショウカには劣ってただけだ

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 22:12:38.92 ID:D/PUYVHp0.net
劉邦が統一まで行けたのは、項羽と殴り合ってる時に横から殴りに来る孫呉のような勢力がいなかったおかげ
と言ってみる

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 23:05:03.18 ID:Vn/p1c8K0.net
軍才じゃずっと上でも固める力がないし
曹操より倒しやすかったかもね
項羽が下手打ってくれなきゃそううまくいかない

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 23:08:56.89 ID:0aJaXl/GO.net
曹操が強大過ぎただろうし、袁紹から劉表までの離脱ぷりが評判悪かったんじゃないだろうか。

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 12:17:48.33 ID:z3Ym5ge80.net
>>282
レス欲しがってそうなので無理やりレス
劉邦の時にも章邯・司馬欣・董翳・魏豹・陳余・田広など
横から殴りに来る勢力がいたけど
殴られる前にあらかた韓信が片づけた訳で

あと孫呉に殴られたのは今までの理不尽の積み重ねの怒りが爆発した感がある
劉備陣営に一番足りなかったのは漢の三傑よりも誠意大将軍

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 12:42:53.71 ID:0AvjjOSu0.net
呉に誠意があったかと言われるとかなーーーーり疑問が残るけどな

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 13:10:38.97 ID:z3Ym5ge80.net
>>286
瀕死の劉備陣営を助けて共に曹操を打ち破り追い払って
荊州の多くを獲り返したり貸し与えたりしただけでも十分誠意あるだろw
それをことごとく掌焼いたのは劉備陣営の方が主因

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 14:40:11.11 ID:0AvjjOSu0.net
劉備を傘下に収めたい呉(周瑜・魯粛)と地盤を確保したい劉備の化かし合いで劉備が上手だっただけというような気が
孫権側も妹に阿斗ちゃん誘拐させようとしたり結構えげつないこともしてるしな

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 15:32:16.21 ID:jN9LQNdx0.net
誠意とかいう微妙なもんより三傑のがいる

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 15:35:17.14 ID:fxf7PAZp0.net
>>279
諸葛亮とその一党だけじゃ手が足りず、補給が潰えたのが北伐の敗因だぞ?

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 18:42:09.37 ID:agIUiNgQ0.net
ショウカがいたら北伐が成功したのかあ?
まだ韓信がいたほうが成功確率が上がるわ
諸葛亮は本領発揮してんだからあとは軍事的名将。

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 22:39:47.98 ID:nQQBkMvsO.net
>>288
赤壁直後に張遼に大敗してるし、二面やるまで力が無かったのもあるんじゃない

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 03:07:34.42 ID:Vg9ZInpl0.net
孫権は天下統一の野望とかないしな
劉禅と同じで小国でも王様なら余は満足じゃって感じでしょ

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 06:51:47.77 ID:7S6MV5V90.net
合肥落とせなかっただけですごい言われようだなあ

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 07:38:06.86 ID:zHjbSpsT0.net
三傑のイメージは↓みたいな感じなんだけど、

蕭何→内政や補給(政治家)
張良→戦略(軍師)
韓信→戦術(名将)

蜀に必要だったのはどの要素か皆分かれるね...ってことは人材でない要素か全て足りないか(笑)
全て足りない割には長く残った気もするね。
個人的には三傑じゃなくて謀略に長けた印象の陳平が有益な気がしてきた。

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 10:33:04.42 ID:7/9D6KZO0.net
孫権が帝位に就いたのも自分の領土を守るため半ば仕方なくだしな

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 11:55:29.81 ID:JcUUcKBC0.net
>>295
国としてみれば微妙だけど州としてみれば相当豊かだからな、益州
魏も長い戦乱の影響で、データほどの戦力は捻りだせないし

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 22:43:01.41 ID:TQ6kHmnZ0.net
>>297
相当豊かな益州のはずなのに漢中戦後関羽の救援部隊すら出せず見殺しにしたのは何故でしょう?
ちなみに長い戦乱で疲弊したはずの魏は同時期に曹仁救援に
最低12部隊約5万の兵をかき集めて援軍出したらしい・・・

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 22:55:49.12 ID:aSlgL+EY0.net
いくら豊かっつったって劉璋降してから1年も経ってないのにそんなまとまった兵力出せるわけが無い
成都に先駆けて落とした上庸でさえまだ周辺が定まらなくて援軍を出せないと言っている有様なのに

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 23:45:23.53 ID:1OxvO+JM0.net
漢中って三国志ぐらいでしか注目されてないよねえ
他の時代で漢中ってどんな扱いだったんだろう

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 23:50:13.97 ID:aSlgL+EY0.net
>>300
楚漢争覇は?
そもそも漢中王は劉邦リスペクトなんだし

まぁ扱いとしてはド田舎通り越して秘境レベルだけど

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 23:59:42.86 ID:7S6MV5V90.net
新末後漢初の騒乱でも漢中出てくるで
更始帝配下の漢中王劉嘉とか、新末の劉備と言っても良さそうな群雄を渡り歩いた延岑が漢中で蜂起してたりとか

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 00:03:38.30 ID:qVr4h26a0.net
>>299
劉璋降したのは214年(建安19年)
漢中戦は219年(建安24年)

成都に先駆けて落とした上庸とか言ってるが頭大丈夫か?

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 00:24:27.89 ID:6xfcqJvr0.net
何がそんなに気に触ったのかしらんけどそういう言い方は感心せんな

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 01:37:02.21 ID:HpMIiUSG1
>>297
ケ輔や郭睦は劉備からの援軍じゃね?

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 01:38:14.11 ID:HpMIiUSG1
間違えた>>298

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 01:51:00.67 ID:JsIAau+i0.net
>>300
司馬勳の庭

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 04:33:13.53 ID:PbXHtddS0.net
漢中って別の国みたいな印象あるけど益州の一部でしょ
益州、荊州、揚州は面積だけは広い

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 04:39:07.13 ID:PbXHtddS0.net
>>298
まあ孫権を甘く見てたのとあまりに電光石火に呂蒙にやられたんで救出する間もなかったのでは?
ちょっと前までは北上して曹操を震え上がらせてたからなぁ

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 08:29:26.28 ID:cRRPQLAX0.net
>>298
劉備サイドも漢中戦やってたんだが?

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 10:31:33.32 ID:b5kMJT110.net
于禁七軍が水没したのが建安24年8月
徐晃が関羽を破ったのが建安24年10月
孫権が関羽を処刑したのが建安24年12月

曹操が長安に撤退したのが建安24年5月
劉備が漢中王に即位したのが建安24年秋
劉備が孫権の奇襲と関羽の死を知ったのが建安24年12月

漢中王即位が于禁七軍水没を受けてって感じがするので
関羽が朗報は送るけど、敗報は送らなかった可能性が微レ存

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 10:34:31.53 ID:b5kMJT110.net
徐晃に敗北した時点で救援要請貰っても、2ヶ月で益州から荊州に軍を送るのは少しキツイ気もする

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 22:39:06.49 ID:qVr4h26a0.net
>>304
確かに言い方が悪かったと思いますスマソm(_ _)m
以後気をつけます

>>312
確かに準備期間含めるとキツイ気もしますが
夏侯淵や司馬懿の電撃作戦速度からすると2ヶ月で軍送れないのはただ単に怠慢としか思えない
関羽は増援に苦労して背後の対呉兵力削ったり上庸などに増援要請して断られたりなので
ただ単に益州に予備部隊や余力が無かっただけなのが真実のような気がする

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 22:46:31.33 ID:b5kMJT110.net
>>312
予備兵力に乏しいのもそうだけど、
劉備陣営としては孫権の奇襲を予測してなかったように見える
徐晃に破られたと言っても、徐晃の軍が荊州四郡攻略するような状況じゃないし

孫権が攻めてくるのを予測してなかったのは劉備陣営の甘さかもしれんが
合理的に考えれば、あの時点で孫権陣営が曹操陣営を助けるような手を急速に打つはずがなく
名分的に考えても、まず政治交渉から入ってその後軍事行動に入るのが定石だろうと
高をくくってたのかもしれん
孫権陣営が、かなり近視眼的に荊州を奪い取った節があるし

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/02(土) 21:19:02.44 ID:tmcmlcbgO.net
関羽の危機に手を打たなかった孟達劉封
反骨の勇将魏延
李厳がつむじを曲げるからと処刑を免れたその部下の苟安
李厳も虚報で蜀軍を撤退させた

肝心なとこがバラバラな気がする。

そこまで優れてなくても、曹休曹真曹仁みたいな親族の存在てのは大きいのかな

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/02(土) 21:59:02.01 ID:OLEvO5iL0.net
その中だと曹真は引き取って育てた他人の子だから劉封と立場はそう変わらんけど優秀さが段違いだったな

しかし曹操も同世代以前の親族の姿が少ないけど劉備に至っては同世代以前の親族が影も形も見えないってのは逆に凄いな

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/02(土) 22:30:58.24 ID:tmcmlcbgO.net
彭義も馬超唆して孟達と魏に行こうとするし、入蜀時はわかってる風なキャラだったが、単に裏切り者か

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/04(月) 01:13:00.69 ID:KWgmU/YL0.net
蜀は明けても暮れても人材難だな

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/04(月) 06:44:12.38 ID:63WJctCq0.net
神「この100を割り振りなさい」
劉備「OK。将軍に60、軍師に40だ。」
神「関張と孔明をやろう」
劉備「うーんまあ上出来か?」

神「この1000を割り振りなさい」
曹操「OK」
劉備「ちょっと待てや」

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/04(月) 16:14:15.57 ID:SBhlpdzo0.net
劉備と曹操が一番戦力が近いときって徐州時代だよな
このころは袁紹、袁術のほうがさらに強くて曹操は本拠地を呂布に荒らされてて滅亡のピンチ
この時点でどうにかできてれば天下統一できたかもな

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/05(火) 18:44:50.23 ID:Inq4eL170.net
王郎とか陶謙の全盛期を支えた臣下が残っていて、劉備に付いていればなぁ

仏教徒と自称皇帝はいらないけど

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/05(火) 20:03:11.01 ID:MThNyvO0O.net
有力なのが曹操についたてのは、それほど劉備に魅力がなかったんじゃない

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/05(火) 20:40:50.48 ID:Inq4eL170.net
>>322
極度のコネ社会だし仕方ない部分もある

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/05(火) 23:44:35.92 ID:mUW7IvyJ0.net
王郎って孫策にぼっこぼこにされて旧時代の人間扱いされてたのに
その後曹操に仕えて魏王朝の三公に上りつめて曹叡時代まで生き残るとはなぁ

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/05(火) 23:54:34.35 ID:7anNoj7a0.net
統一事業は後になるほど誰も対抗できなくなってくからな。
スタートダッシュを決めねばどんな名将も自陣を守るので手一杯。

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 08:18:39.23 ID:cNJAKiqZ0.net
>>320
曹操に2度も攻められて国内ボロボロだし、友好的とはいえ独立勢力も点在してるから
積極的に攻めれる状況ではなかったと思うぞ?
だからこそ対曹操の盾として呂布を招き入れて、城まで貸したわけだし

>>325
一回の大敗、内乱で瓦解する大勢力も多いから、それまで徹底的に防戦ってのも間違ってはないんだけどな
蜀漢の国是的には無理な話ではあるんだけど

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 12:53:10.83 ID:aW1qtBWI0.net
>>322>>323
曹操は潁川の名士層の人脈を早くに味方に付けたしね
荀イクのお陰で芋づる式だった

劉備はそういう名士層の人間との縁があまりなかったのが痛かった

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 13:36:56.63 ID:rRUFAPaZ0.net
名士との縁は結構ある
ただ交流のある名士のいる地盤を維持できなかっただけで

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 14:58:05.27 ID:6F0CNjmpO.net
やはり劉邦は異質だよな
20代で独立→統一だしな

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 15:27:25.08 ID:JVl4/lMR0.net
曹操の特技は粘り強さ
普通はあれだけ四方を敵に囲まれてたら滅ぼされる

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 16:34:31.12 ID:48hUxx4p0.net
>>329
20代で独立ってなにから
親からw?

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 17:55:40.21 ID:JVl4/lMR0.net
袁術が落ちぶれる前に袁紹と和解して曹操を挟み撃ちにすれば袁家の王朝出来ただろうな

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 19:17:43.51 ID:uL4KlTa+0.net
>>329
劉邦が反秦の旗揚げしたの四十代後半だぞ
若い説採っても三十代後半

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 19:59:43.05 ID:fdA1KkeZ0.net
                【緊急重大告知】      テレビに注目      【左翼戦闘準備】


                       日本から始まる世界的株式市場の大暴落


   終いには政府にも支えることができなくなり、日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻します。
それが最終的な暴落であることがはっきりするや否や、マイトレーヤは出現するでしょう。彼は「匿名」で働いております。

   非常に間もなくマイトレーヤを、テレビで見るでしょう。マイトレーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。
     テレビやラジオを通してマイトレーヤと名乗らずに、彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。
        彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。

Q マイトレーヤはテレビに出演されましたか。A はい、日本、インドネシア、ベトナム、マレーシア、インドです。インドが一番最近です。



  日本で始まる株式市場の崩壊は世界中に反響するでしょう。その後すべての政府の優先事項が変わるでしょう。
 新政権は民意を反映し、先に食物と住宅、次に健康と教育、最後に防衛です。国民を裏切ると、自殺につながります。 

 差し迫る株式市場の暴落は商業主義の結果です。商業主義とは、他の人々が飢えている間にお金を儲けることです。
かれらは自分の財産を隠し、そして犯罪的雰囲気さえも創出しています。最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。



マイトレーヤによれば、核爆発は自然界の要素を妨害する。飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落は必然である。

                   免疫システムが弱体化し、この崩壊の結果がアレルギーです。
    人々は肺炎やインフルエンザやHIV/エイズなどたくさんの病気に抵抗することができなくなっています。
あらゆる種類の癌の増大もまた核放射能によるものです。慢性疲労、癌、エイズなどの多くの病気を引き起こします。
増加するアルツハイマー病の原因となっており、より若い人々に起こっています。認知症の過程は放射能汚染によって加速します。

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 20:22:55.67 ID:xbdILuJV0.net
>>333
このスレで劉邦の話をやるのはどうかと思うが
挙兵時20代後半説を唱えている学者はいるぞ
40代後半と断言出来るだけの情報は史書にはないぞ

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 21:03:49.60 ID:uL4KlTa+0.net
>>335
劉邦の生年は紀元前256年説が主流で紀元前247年説もあるのは知ってる
挙兵時は陳勝・呉広の乱から程ない紀元前209年なので挙兵時の年齢は

・劉邦の生年が紀元前256年:約47歳
・劉邦の生年が紀元前247年:約38歳

挙兵時20代だといえるのは劉邦のライバルの項羽

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 21:08:14.78 ID:uL4KlTa+0.net
ちなみに劉邦の没年と没年齢からの逆算で劉邦の生年が推測されているが
出典は

・劉邦の生年が紀元前256年説:史記
・劉邦の生年が紀元前247年説:漢書

らしいような

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 21:10:32.00 ID:JVl4/lMR0.net
項羽は20代で死んだ

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 21:11:31.06 ID:JVl4/lMR0.net
前者の説だと劉邦と始皇帝はほとんど年一緒やな

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 21:32:48.68 ID:48hUxx4p0.net
>>335
学者て誰?年取ったおっさんが通説としてあるし、
陳舜臣宮城谷他の作家も大抵それに従ってるが。
20代説なんてあったとしても珍説扱いじゃないのそれ

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 21:38:56.45 ID:xbdILuJV0.net
>>340
佐竹靖彦の劉邦読もう
あれが珍本扱いなら、俺は何も言わんよ

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 21:42:21.62 ID:xbdILuJV0.net
>>337
劉邦の没年齢が記載されてる箇所教えてくれ
割とまじめにちゃんと書いてあるのなら確かめたい

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 21:56:00.30 ID:48hUxx4p0.net
>>341
今度読むわ。
でも普通に考えて定番の解説書や認識が嘘で、ある本の説が正しい
的な話は胡散臭いなー。学会とかで認められてんの?
認められてて今はそっちが主流なら、20代を当然の史実として言ってた>>329が正しかったとも言えるけど
そうなの? 

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 22:37:19.51 ID:xbdILuJV0.net
>>343
それは学者に聞いてくれ
>>341で紹介した本だと中国でも似たような論文出してる人がいるらしいけど
劉邦20代後半説が支配的かどうかは俺には分からん

あくまでも俺は、20代後半説を提示してる学者もいるよ、って言いたかっただけだし
20代後半説がどれだけ妥当かは本読んだ人で決めればいい
それだけに>>337が気になる。劉邦の没年齢なんて記載がどこかにあればこの辺の議論まるごと無意味になる

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 22:44:52.07 ID:QfhJqfCP0.net
>>341
劉邦が張耳の食客やってたのと時期合わなくね?
少なくとも魏滅亡後は張耳はお尋ね者だから食客養う余裕は無くなってたはずだし
魏滅亡の紀元前225年時点で劉邦が18歳未満というのは無理ありすぎるだろう
紀元前209年の劉邦蜂起の際に20代の辻褄思い付かんぞい
旗揚げ時で数え29歳、張耳に仕えたのが数え14歳が下限なんだろうが……実年齢13歳の食客ってあり得んだろ

佐竹何とかさんはそこらへん解決してるん?

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 22:54:40.59 ID:xbdILuJV0.net
>>345
史記の張耳陳余列伝の冒頭あたり読めば分かるけど、
劉邦が張耳の客になったのは魏滅亡後な

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 23:10:24.44 ID:fKmuBsnE0.net
>>346
張耳が外黄令やってた時期と魏滅亡前後の時期は重複するし、劉邦が外黄令の張耳に仕えた時期も滅亡前後になる可能性はあるが
これらは魏滅亡後のお尋ね者になる直前の話だから紀元前225年を下るのは難しいだろ

秦が魏滅亡後数年間も魏の外黄令だった張耳を放置してたというストーリーは無理あるわ

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 23:16:30.64 ID:xbdILuJV0.net
>>347
俺に無理あると言われても知らんがな。司馬遷に直訴してきてくれ
ちなみに史記の該当箇所↓

秦之滅大梁也,張耳家外黄。
高祖為布衣時,嘗數從張耳游,客數月。
秦滅魏數歳,已聞此兩人魏之名士也,購求有得張耳千金,陳餘五百金。

魏の滅亡後、外黄に家を構えたこと、魏滅亡から数年後まで外黄に留まっていたこと
魏滅亡から亡命するまでの数年の間に劉邦が客として数ヶ月間留まったと史記に書いてある
この記述を無視したいんなら、それなりの根拠が必要だと思う

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 23:19:51.49 ID:xbdILuJV0.net
あと、まだ話が続くようなら↓みたいな楚漢戦争のスレでおいで
向こうは過疎スレだし、内容的に色々議論するのに最適だと思う

項羽と劉邦 その4
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1457530173/

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/07(木) 05:38:55.30 ID:Qf/oj/ky0.net
>>348
時系列を混同してるけど
劉邦が食客してたのは「数歳」の前、魏滅亡時であって
数歳の間に食客してたとはどこにも書いてない

也の用法は「〜の時には」が妥当だから、「秦が魏を滅ぼした時には、張耳は外黄に家す(もしくは家した)」
でここから劉邦の記述になるから、魏滅亡時の文脈になってるんだよ
都合よく「数歳」のところに劉邦の記述を潜り込ませるのは良くない

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/07(木) 05:46:59.02 ID:Qf/oj/ky0.net
>>344
ちなみに劉邦の没年根拠は太平御覧に書いてあったはず

20代挙兵説は何を典拠にしてるん?

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/07(木) 07:57:30.75 ID:RkUd3DJ10.net
>>341
この人唐宋専門だったような……

話を劉備に戻すと平原相を足掛かりにして青・冀の間で勢力を扶殖した方が実家の幽州とかにも近く
師である盧植のコネクションも活用できて良かったんじゃないのかな〜と思えるんだが

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/07(木) 08:31:17.97 ID:TZZ/3WLK0.net
最初はそのつもりだっただろうけど親分の公孫瓉が
王族殺すわ、役人連中と折り合い悪いわ、袁紹勢力に連敗だわで沈みゆく船だったからな

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/07(木) 09:32:28.95 ID:RkUd3DJ10.net
>>353
そういや盧植先生も最終的には袁紹に与したんだったよなぁ……

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/07(木) 13:46:43.26 ID:TZZ/3WLK0.net
>>326
呂布がそのまま小沛守って劉備に臣従してれば面白かったな
呉景相手にも優勢に事を進めていて、あのままいけば袁術軍は追い返せただろうし

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/07(木) 15:22:30.84 ID:mVDnrIrGO.net
曹豹て徐州じゃ名士だっけ。
ゲームだと散々評価だけど無能じゃないだろうし、劉備に訴えずに呂布に城獲れと唆す辺り、同僚から反感を買ってたのかな。
荊州絡み見てるに、関羽だって相当傲慢そうだし。

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/07(木) 20:23:42.60 ID:AtRCRho40.net
君主が領民から信頼得るのは時間かかるよね
孔明が荊州をサクッと奪っちゃいなよーとかホウ統が益州をサクッと奪っちゃいなよーとかけしかけても
劉備は中々動かなかったけど義を重んずるのもあるけどサクッと奪っても領民に反発されるのをわかってるからだよな
伏竜鳳雛は才能はあっても初期の頃は机上の空論って感じ
孔明も北伐の頃には身にしみて感じたんだろうな

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/08(金) 12:00:51.76 ID:TGrBZuLm0.net
>>356
陶謙が丹陽時代から頼りにしてる重臣だから、まあ名士と呼べるだろうな
精強な丹陽兵を率いていたみたいだし

劉備軍が助っ人として来た時からの付き合いの曹豹、許耽から背かれるって
張飛はどんだけのことやらかしたんだろうか?

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/08(金) 13:19:17.92 ID:70hGWfU/O.net
昔、何の雑誌だったか、三国志ゲームの記事か忘れたけど、関羽は部下には優しくても同僚と目上には傲岸、張飛は目上には丁寧だけど、同僚と部下には横柄て書かれてあった記憶がうっすらとある

心もとない記憶だが、それ通りなら、援軍に来たからと顎で使ったり、普段から偉そうだったんじゃないかな

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/08(金) 15:56:09.59 ID:Ry1sFW2I0.net
>>355
関羽、呂布と独立遊軍が多すぎて史実以上にバタバタな陣営になりそうだな

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/08(金) 22:16:15.40 ID:q0uvgU1vO.net
>>360
まぁ関羽は劉備がそばに居る限り抑えが効くけど、呂布を抑えるのは無理だよなぁ。
どうせ隙有らば陳宮とかが煽っちゃうだろうし。

寧ろそんな連中を劉備が顎で使うように当たり前に纏められたら、もっと早い段階で華北に地歩を築いて
おかげで何時まで経っても袁・曹やその他の小勢力と入り乱れて纏まらず、華北は混乱し続けそうだ。

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/08(金) 22:31:22.66 ID:q0uvgU1vO.net
>>357
なんせ益州奪取後の続発した小反乱に手を焼いてるからね。
直接劉備に益州奪りを奨めたホウ統は死んで居なかったし、隆中対で荊・益二州奪取を示した若き日の見立ての甘さを知ったろうな。

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/08(金) 22:36:10.64 ID:70hGWfU/O.net
陳宮も袁紹か袁術行けばよかったのに、流浪の頃から呂布に付き合うなんて物好きだな
鶏頭牛後を地で行ったのかな

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 03:46:08.97 ID:MA/oJKAV0.net
細かい話ではあるけど鶏口牛後ではなかったか

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 04:21:55.93 ID:nNArxyJK0.net
陳宮はブレーンが揃ってる曹操や袁紹じゃあんま出世できないし面白みがないって感じで
頭脳集団が皆無な呂布陣営に人生賭けた感じ

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 08:22:15.23 ID:h+M1j6+40.net
>>365
あいつ呂布陣営でも反乱企ててるぞ?

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 08:51:48.25 ID:+QQqzARfO.net
>>366
実際にあったのかな反乱は?
陳宮は呂布のスポンサーだったから不問にした→わかる
高順の兵権をとりあげた→わからない
高順が正しいなら両方不問でいいのでは?
ただそれだと陳宮が黙っていたのが説明はつかないのだけど

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 11:14:51.28 ID:GvmPdEL40.net
>>314
>名分的に考えても、まず政治交渉から入ってその後軍事行動に入るのが定石だろうと
>高をくくってたのかもしれん

もう少し先の孟達もそうだが自分を過大評価して相手を過小評価して
結果認識を大きく外し誤ちを犯して致命的なミスをするのは蜀の伝統か

自分は好き放題やってるのに相手に同じような事をされると想定外だったようで
後頭部を殴られたと火病る韓国の姿はもしかすると当時の蜀に近いのかもしれないw
こんな事書くと在日やチョンが騒いで劉備は韓国人とかまたお得意のウリジナル発動しそうだがw

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 18:10:54.81 ID:ROGNXP0h0.net
史書き書かれてるほど
呂布が酷い奴じゃないってこと

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 18:27:05.61 ID:M0X+4zpQ0.net
>>369
五胡十六国時代だったら呂布以下のド畜生がうじゃうじゃいるからな
晋の徐龕とか郭默とか人間ここまで屑になれるのかという外道の見本市状態

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 21:58:04.04 ID:MA/oJKAV0.net
呂布は意外と謀略や外交を駆使しているし
最初は主簿として取り立てられていたり
わりと地頭は良いんじゃないかと思われる節もあるしな

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 22:08:44.87 ID:I89w6lnA0.net
>>371
少なくとも教養有る階層出身ではあるよな
文書業務できたということは

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/11(月) 17:22:47.68 ID:GLk9kD/z0.net
馬超存命中に雍州と涼州を本気で取りにいって、確保できれば
劉禅時代にワンチャンあったと思う

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/11(月) 17:44:14.16 ID:Q37wmmd90.net
五胡十六国に先駆けてテイ族・羌族を傭兵として本格的に軍に組み入れて運用してたら面白かったかも
潜在人口200万〜300万は固いはず

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/12(火) 10:05:16.51 ID:RwtLEO150.net
馬超が四十半ばで早死にしたのはちょっと誤算ではあったのかもな

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/12(火) 23:28:05.86 ID:PGQdJMSlO.net
彭義や孟達と反乱を起こさなかったのは英断

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/13(水) 17:22:13.13 ID:W6FRr09B0.net
たった一人の人材じゃどれほども状況は変わらないだろうが
田豫、袁渙、陳羣あたりの俊才が離れていったの惜しかったな
魏という大国だからこそ、存分に活躍できたのかもしれないが

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/14(木) 11:36:50.24 ID:KmA+XztY0.net
徐庶や石韜は埋もれてしまった

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/14(木) 13:12:12.24 ID:NQTN2O3p0.net
そいや徐庶も劉備陣営入ってるはずなのに、赤壁以降は出番ないね
入蜀したのか、それともケイ州に残ったのか

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/14(木) 15:25:50.50 ID:XMvou/im0.net
どこまで本気で言ってるのか知らないけど徐庶は赤壁前に曹操に下ってる
晩年は徐州にいたらしいが

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/14(木) 17:01:00.43 ID:AupMGC6x0.net
徐庶は曹操の下で御史中丞(三品官=州刺史・郡太守と同格)まで出世してるので諸葛亮の見立て(徐庶なら州刺史か郡太守くらいにはなれる)は非常に正確だったといえる
でも当の諸葛亮本人が徐庶が御史中丞と聞いて「徐庶でその程度にしかなれないんじゃ魏は人材豊富なんだなぁ」とか完全に昔自分が言ったこと忘れてる

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/14(木) 21:51:36.45 ID:UIol2gBr0.net
馬超が彭義・孟達と組んで劉備に叛旗を翻したら第二の呂布と陳宮だなw

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/14(木) 21:56:32.63 ID:SgsbM8VH0.net
彭義なんて日本のエセ三国志(三国演義)の吉川や横山の読み過ぎ
中国人に彭義と言ったら鼻で笑われる
この板的には彭羕と呼ぶのを推奨

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/14(木) 22:11:33.60 ID:SzMlzhaO0.net
魏は人口多いから人材がってよく言うけど
まあ少ないよりはいいとしても
人口の母数に比例して良い人材が手に入るってのは変じゃね
統一王朝の滅亡間際とかろくでもない人材だらけになることが多々あるけど
あれも人口はたくさんいたはずだし、運・偶然も関係する。
現代でもスポーツなんか人口が多いほど凄くなるわけじゃない。

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/14(木) 22:23:39.77 ID:XMvou/im0.net
基本的には人口が多く文化水準が高く治安が良ければ
制度や人事に問題がない限り人材は増えるものだよ
斜陽の王朝なんて大抵権臣が有能な人物を左遷させたりしてるじゃない
治安も悪化してることが多いし

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/15(金) 01:00:17.87 ID:a1DSpVK20.net
>>383
そこまで他を貶しておいて文字化けしてるのは見事なオチと言わざるを得ないな

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 10:28:58.82 ID:JoJNFQET0.net
おいらのPCでは文字化けしてないお(^ω^)

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 12:14:29.57 ID:nRuOfVjH0.net
2chMateからだと表示されてるけどJaneStyleからだと表示されないな
これだから環境依存文字は

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 16:13:04.06 ID:PGSOyGbbO.net
関羽は劉備だから下についてたけど、荊州での活躍ぷりを見ると一国の主にはなれる器があったのかな
ただ、かなり頑固な感じだから、一国の主になっても柔軟な外交できずに崩壊しそう

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 22:01:41.98 ID:YcnaHdbP0.net
まぁ関羽統治下の荊州は劉備と同盟した半独立勢力みたいなもんだよな

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 22:33:26.39 ID:0K2DGi1f0.net
とりあえず赤壁で曹操を討てなかった関羽が全部悪いってことでどう?

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 22:47:56.47 ID:POJOLlLQ0.net
演義乙

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 23:19:50.44 ID:I6iySseT0.net
あ、正史じゃないとダメだった?

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 23:24:28.24 ID:PGSOyGbbO.net
関羽死後の蜀呉の争いで、使いの諸葛謹が「呂蒙と険悪になって」みたいなことを関羽との戦になった原因みたいなことを言ってたけど、そんなことあったっけ?

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/17(日) 00:29:11.76 ID:bxMGDkTu0.net
>>394
関羽が北上して曹操と戦っていた時に
兵糧確保のために孫権支配下の土地から食料を収奪したことを指すんじゃね?

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/17(日) 03:26:49.05 ID:F80e6Mlz0.net
関羽って一時期は荊州9郡のうち5郡を支配してたんだな
後に魯粛との交渉で2郡返還になって
魏、呉、蜀でそれぞれ仲良く3郡ずつ支配
さらに関羽が滅ぼされると、魏と呉で山分け

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/17(日) 12:24:16.76 ID:rrQNV/Mr0.net
>>394、392
確認不足だと申し訳ないのだが、
呂蒙の襲撃の理由なんて言って無いと思うけど?
諸葛瑾伝に劉備との交渉の文章があるけど、荊州奪取の理由は一言も書いてない。
ただ、大局を見てくださいという内容のみ。

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/18(月) 06:22:49.84 ID:9O4XzaQsO.net
せいぜい東呉の徳王と同レベルだろうな

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/18(月) 19:06:53.39 ID:MsaRr+Mk0.net
関羽が群雄化したら君主としては民も兵も良く治めるし戦も強いだろうけど
あの知識人階級との折り合いの悪さと外交感覚じゃなあ
まあ公孫サンぐらいになるかもしれないけど

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/19(火) 12:36:33.86 ID:54UxCIB5O.net
まぁ荊州以上は領土が拡がらないよな。
領土を拡げたら、そこの土地の士紳との良好な関係作りが必須だけど
関羽の日頃の態度では、徐州時代の劉備よりも地元士紳の支持が得られそうもない。

だからといって士紳を尊敬したという張飛なら上手く行くのか、というとそれも疑問。
なんとなしに劉備三兄弟は三人で一人分、常に三人セットで行動しなきゃいけなかったのかも知れない。

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/19(火) 13:22:48.32 ID:SVccQt0k0.net
武勇を頼りに傲慢ってまんま孫策だな
こういうタイプは長く国を保てない

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/19(火) 19:46:28.83 ID:De+eYS6w0.net
孫策は若くて美男子だったらしいのでまだ主に女性層が許すだろうw
女性じゃなくても虞翻みたいな変わり者の地元士紳は支持してたしな
まあ孫策は親親戚の孫氏呉氏繋がりのコネや功績もあるので関羽よりはかなり有利

関羽はもっと若くて美形で変態じゃなければまだ可能性(ry

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/20(水) 00:41:35.82 ID:QEOqlfVY0.net
髭が美しいからいいじゃん

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/20(水) 00:46:25.88 ID:DU3ZwhYbO.net
けど実際に髭で受けたのは「名はあるけど実権はない」献帝だけだからなあ…
別に曹操とて武勇などの能力は買っていたけど、髭を買ってた訳で無いし。

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/20(水) 08:03:10.43 ID:gZP1MQRX0.net
虞翻さんは孫策を新時代の英雄で王郎を旧時代のゴミみたいに言ってたけど
孫策はとっとと死んで王郎は魏王朝で3公に上りつめたでござる

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/20(水) 13:42:54.29 ID:iA3ozpp50.net
益州のサポートを期待できないタイミングで北進始めたのは痛かった
許昌周辺が暴動祭りで好機なのは分るんだけど

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/20(水) 16:47:23.65 ID:1cUj6Qdn0.net
周瑜が孫策を従えて勢力を作っていれば・・・

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/20(水) 20:27:37.49 ID:ipRZ2rII0.net
正史とかの容貌や風貌が美男や美女としか書かれてないのは、権力ね。権力。
思うに辮髪という奇怪な髪型が時の権力者の後退した前髪と引っ詰めた髪型に由来する事を考えると、権力者の悪評は書ける相手と書けない相手がいるから。

因みに、曹孟徳は中国史における思想の一番柱孔子の一族を絶やした本人。

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/20(水) 22:46:21.24 ID:1E5dweAx0.net
>>407
周瑜は周瑜で短絡的なところがあるからなあ
意外と簡単に敵の挑発に乗っちゃうし、孫策と周瑜が入れ替わっても結果は同じだったような気がする

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/21(木) 07:57:41.62 ID:dwytGAmi0.net
名士コンプレックス持ちの孫策は早死にして正解だろうな
あれ以上暴れてたら豪族の支持失って、勢力が空中分解してた

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/21(木) 11:21:23.56 ID:DzA1kjnj0.net
晩年以外はバランス取れてた孫権が君主になってよかったわな

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/21(木) 15:56:12.59 ID:zv5bs/8N0.net
孫権のお陰で劉備は飛翔したけど
同時に孫権のお陰で天下には届かなかったって感じだな

二宮の変も見方によっては
力のある豪族を連座させてその力を削いだという見方もあるそうだが
まあ好意的に見てもデメリットの方が上回ってるわな

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/21(木) 18:31:46.24 ID:dwytGAmi0.net
蜀と呉で連携してるうちは、魏も戦争の主導権を握れず、圧されていたんだから
もうちょっとぐらい我慢して蜀との同盟してれば良かったのに

合肥が抜けず、蜀が漁夫の利を得ているのが気に食わなかったのかな?

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/21(木) 19:37:49.62 ID:9XsEWg0F0.net
>周瑜は周瑜で短絡的なところがあるからなあ
>意外と簡単に敵の挑発に乗っちゃうし

周瑜が短絡的なところあったっけ?
「おのれ孔明!」的な三国演義チックな話以外で

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/21(木) 21:06:28.92 ID:1n+pyayw0.net
そもそも周瑜・魯粛亡き後の呉に天下の野望は無い
そして魏も少なくとも曹操の代では天下を諦めている
そこで呉がずっと狙っていた荊州の領有権を餌に共同で蜀、というか関羽を攻めようと持ちかけられたらそりゃあどう動くかは自明の理というやつでして

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/24(日) 04:43:10.27 ID:LWxnQiDB0.net
ゲームの三国志6辺りでは各武将に思想みたいのが設定されてたけど
孫権は割拠で自分から侵略させると不満溜めるタイプだったな

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/24(日) 13:23:50.24 ID:ZdwGbURr0.net
周瑜は覇権、魯粛は王佐で、孫権とは方向がズレてたな。
陸遜が割拠で一致してた。ちな張昭は安全。

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/26(火) 15:21:59.77 ID:L3A8067i0.net
関羽、馬超級の超大物がもう2人ぐらいいればな

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/26(火) 19:57:05.98 ID:JcBzmsmw0.net
一番大事なのは荊州の維持
ホウ統が死なずに孔明を荊州に残せてたら・・・とは思うな
あとは法正が長生きしてればなあ
漢中攻略戦以降も蜀のターン継続できただろうし

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/27(水) 12:04:42.00 ID:AiUj3W2eO.net
蜀の策に引っ掛かるくらいだから、そこまででもないんじゃない
関羽と孔明、ホウ統と孔明の対立ありそうだし

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/28(木) 09:51:47.01 ID:5KGtB9vy0.net
>>418
徐晃に樊城包囲を解かれたとはいえ、襄陽占領出来る目算はあったわけだし
呉を牽制出来るだけの大看板がもう一人いれば、北上は成功したかもな

ただ関羽みたいに、どこからともなく一万の水軍用意出来ちゃうような人材は
流石にそんないないと思うが

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/28(木) 21:14:54.31 ID:5XIdk45V0.net
>>418
張飛&趙雲&黄忠「すまん…」

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/28(木) 23:15:25.92 ID:j4yAeftl0.net
関羽はまぁ荊州のことがあったから色々と考えられるんだが、馬超はもう少しうまく活躍させられなんだかなぁ

北方との交渉では諸葛亮よりは顔がきくと思うんだが

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 00:53:52.21 ID:DkUJhtxJ0.net
果たして足りなかったのは将軍なのか参謀なのか

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 01:14:19.94 ID:Rt8G6GmH0.net
足りぬ足りぬは工夫が足りぬ

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 02:06:24.29 ID:kMkI7kl/0.net
関羽は、人妻好きな赤面のおっさんだけど、普段は髭を袋に入れて、髭がよだれや食べ物で汚れないようにしている清潔好きで、春秋左氏伝を諳んじる割には名士が嫌いで、諸葛亮に貰った馬超より髭殿はすごいの手紙を見せびらかす、割と愛すべきキャラだよね。

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 03:44:15.29 ID:DkUJhtxJ0.net
関羽は演義とか物語の反動で嫌われやすいけど
正史の関羽ぐらい隙があった方が愛着湧きやすい感はあるね


馬超は経歴的に前線都市を任せるような使い方はできなかったろうし
使者として派遣するわけにもいかないし、劉備より早く死んじゃったしでなあ

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 09:07:20.70 ID:xRVnJWPK0.net
>>427
魏や呉でも
張燕や臧覇や太史慈などの曲者の独立勢力出身梟雄を
飼い慣らして時には重要な戦役で使ってるからな
徐州の呂布の件から推測すると
劉備には馬超みたいな梟雄を使いこなす能力が足りなかったと思われ

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 10:08:37.12 ID:qnwZX3a70.net
馬超「むむむ」

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 10:51:58.35 ID:Jok8r03L0.net
なにがむむむだ!

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 13:15:47.93 ID:EkF0tS0t0.net
漢中王になって馬超に涼州刺史の位を与えた(つまり馬超に涼州を攻略させようとした)矢先に死んじまったから使いこなす能力もへったくれも無いんだよなぁ

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 13:19:19.73 ID:EkF0tS0t0.net
地盤固まってさあこれからってところで劉備陣営で数少ない別働隊で大軍を指揮できる3人(関羽・張飛・馬超)が立て続けに死ぬっていうのはまさに天に見放されたかのような不運だわな

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 15:30:43.58 ID:qnwZX3a70.net
関羽・張飛は爺さんだからどっちにしろ長生きしそうもないが馬超はまだ若かったのになぁ
5虎将の息子もこれといった武将でもないしほんと人材が出なかったな

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 16:06:46.78 ID:pq83GNG+0.net
>>431
馬超が帰順して数年間飼殺しにしてるので
逸材の持ち腐れしてるだけにしか思えないが
それも含めて使いこなす能力無いというのなら>>428に同意
飼殺しして馬超にさせてたのは反乱分子一匹退治ゴキブリホイホイで退治させただけ

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 16:24:25.41 ID:pq83GNG+0.net
>>431
馬超が帰順して数年間飼殺しにしてるので
逸材の持ち腐れしてるだけにしか思えないが
それも含めて使いこなす能力無いというのなら>>428に同意
飼殺しして馬超にさせてたのは反乱分子一匹退治ゴキブリホイホイで退治させただけ

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 16:47:18.78 ID:fJ6cB8wp0.net
>>434
馬超は漢中攻略戦で一軍率いてなかったっけ?

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 19:19:47.99 ID:uJ5Iin5F0.net
日本のせいで中国の若者の「三国志」観が崩壊
http://news.searchina.net/id/1608706?page=1
われわれは日本のアニメ・ゲーム文化によって洗脳された

また我々の勝利か

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 21:19:47.69 ID:CPSoe0f20.net
>>422
張飛はまだしも後ろ二人は貫目が足りないんじゃないか?

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 01:25:39.26 ID:eA88o3qL0.net
>>436
霍峻なんかは長生きしてれば活躍しそうだったのに惜しいな

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 07:52:59.51 ID:6WyScjN20.net
>>431
あの時点で涼州を平定出来てれば、その後の防衛・侵攻が楽になってたんだけどな

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 08:42:23.81 ID:xvguI+GJ0.net
そんなに簡単に平定できるわけねーだろw

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 11:36:04.24 ID:7ErMa0e10.net
とはいえ旗頭が馬超ならその後の諸葛亮や姜維の北伐よりは難易度低かったろうな

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 11:51:25.20 ID:xvguI+GJ0.net
董卓時代どころかリカクカクシ時代でも追い散らされてるのに
曹魏から雍州涼州奪取なんて不可能w

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 15:07:25.89 ID:6WyScjN20.net
>>443
北伐でちょいちょい取られてるけどな
魏にとっても長安から主力を送り込むのが決して楽な土地じゃないし

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 15:19:20.35 ID:btNbt1qC0.net
一番ありそうで案外劉備が統一するイフやった架空戦記の漫画小説とか見ないな
あるんかね

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 15:53:35.38 ID:smpN76JG0.net
地雷祭りの反三国志が一番有名だろ

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 16:16:01.76 ID:8+KGFZSvO.net
つか日本ではなまじ反三国志の存在が知られたから、わざわざIF三国志を書こうとする程の人間にとり最早使えないネタになってしまったんでないか。
例え書いても、反三国志に触発されただのなんだの程度の評価が必ず付いてまわるのは作家としてツマランだろう。

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 16:20:47.74 ID:kyCLIfD/O.net
孔明が周瑜に掘られるとかしかないな
ログインの「……といいつつスボンをおろしながら」とか

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 16:27:07.55 ID:kyCLIfD/O.net
小説家になろうみたいに、董卓転生だな

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 16:43:54.91 ID:d7eTHQ3X0.net
>>443
リカクシ時代て馬超まだ18とかだぞ
従軍はしてたかもしれんけど全く参考にはならんだろ

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 17:38:46.14 ID:5UVa1FqX0.net
>>450
たぶん、馬超のことじゃなくて
劉焉(益州政権)と馬騰(涼州の顔役)が共謀して献帝奪取狙って失敗した話じゃね
まあ、益州から涼州・関中狙うのは無理と結論づけるよりは、
李カク・郭シがイメージより優秀だったという話でいいような気がするけどな

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 18:21:20.56 ID:kyCLIfD/O.net
18歳て立派な歳だと思う

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 18:42:02.09 ID:gcpDAZ6r0.net
>>451
その二人、戦争屋としては相当優秀だしな

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 23:24:27.26 ID:TRi6PjN00.net
>>451
賈クの存在も大きい気がする。
ついでに潼関の戦いでの馬超の敗因は賈クの離間の計
によるところが大きいし。

455 :FJネクスト不買運動:2016/05/01(日) 01:06:54.54 ID:t11S6BX4O.net
そうですね

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/01(日) 03:36:08.49 ID:b4/qCk/x0.net
郭シって実際かなりの武将だったらしいね
ゲームじゃなんであんなに過小評価されてるのか
味方と争って勢力瓦解させた挙句最期が惨めだったからなんだろうけども

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/03(火) 09:43:24.19 ID:ZwA2vjQA0.net
糞の絞り汁飲んだからだと思われ

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/05(木) 15:30:49.43 ID:ydWrMsTV0.net
劉備たちがとてつもないミス、転換点があるわけじゃないし
どうしもIFを考えると他勢力のミス、降って湧いた幸運を妄想せざる得ない

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/05(木) 18:49:40.47 ID:YXOFVcP9O.net
ホウ統が死なないかな

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/05(木) 19:38:47.03 ID:hhb+uKI2O.net
あの時ああすればとかの行動如何でなく、誰か居ればとか死ななければなど自身の努力が通じないレベルの条件でないとどうもならんとは。

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/05(木) 19:46:37.18 ID:YXOFVcP9O.net
魏や呉に比べて仲悪い印象で、ああすればとしても取り持つ人がいないとどうにもならない気がする

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/05(木) 20:56:54.81 ID:THWcQzgE0.net
>>458
強いていうならやっぱり徐州時代かな?
張飛と陶謙重臣が争うわ、従属勢力の呂布がその尻馬に乗って暴れ出すわ、それに徐州の豪族勢が同調するわで全体的に脇が甘い

袁術戦は優勢だったし、大過なく呉景を追い返していれば大分展望は開けていたと思う

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 01:37:27.98 ID:/aVe0ono0.net
だって劉備さん漢中取った時が絶頂期で
天下まであと一歩とかそんなに惜しい所まで行ってないもの
そこまで行ってればあの時こうしてればみたいなことも言えるだろうけども

人材難、地盤を持てなかった、時期を逸した
の3つぐらいしか言えないさ

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 03:08:53.53 ID:2vA0wa7R0.net
徐州時代も元々劉備直系と陶謙派の折り合いが悪くて分裂して争うのは時間の問題だったらしいね

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 08:40:30.99 ID:M/l7vjIB0.net
>>462
徐州を継いで、袁紹閥に入ったのに
呂布を受け入れるって謎行動がそもそもの原因だな

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 15:57:51.17 ID:QI1TjwSSO.net
陶謙時代に痛い目見たから、劉表から荊州獲るのも慎重だったんだろな

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 22:00:03.12 ID:74BFHdij0.net
劉邦と劉備どこで差がついたか気になりますね…

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 23:01:24.40 ID:QI1TjwSSO.net
混乱の極みにある秦末とある程度の軍閥が出来てる漢末、ライバルの差とか、儒教が中心となってるとか差というか違いというか

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 23:05:07.51 ID:WtDeuHMM0.net
どこで差がつくも何もそもそもスタートラインから何から何まで違いすぎて比べるのも馬鹿らしい、というか比較しようがないレベルじゃないか?

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 23:10:09.91 ID:lb/Aa1dh0.net
割と真面目に共通項が、姓が劉氏、くらいだしな

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 23:33:26.54 ID:mXs58iV00.net
劉邦は項羽相手にギリギリ踏ん張ったけど劉備は曹操相手にケツ割りまくりだからな
劉邦並の土俵際の強さがあれば……

それと夷陵の一戦で致命傷というのも情けない
劉邦なんて彭城と白登山の少なくとも二回致命的敗戦喫してるけど元気に最後まで戦ってたぞ

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/07(土) 01:08:34.59 ID:AeSxVrXPO.net
演義じゃ劉備は義の人扱いだけど、曹操離脱から劉表に流れるまでの経緯で、当時だと義を知らない人て叩かれてそう

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/07(土) 03:57:15.58 ID:aVabkpyj0.net
三国は後漢末からの長い乱世で各地の州刺史や豪族がしっかり武装してるから
簡単に版図を塗り替えることは難しい膠着状態だったしなあ
劉備はあれだけ出遅れて地盤もない状態から良くあそこまで勢力拡げたよ

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/08(日) 21:21:01.47 ID:WVIP5nCg0.net
>>466
それにしても決断が遅すぎでしょ
龍鳳揃い踏みの状態でも劉備の決断が遅すぎて国一つとれないんだから

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/09(月) 10:32:45.42 ID:Ba+YpuDY0.net
>>472
袁紹の支配から外れて、好き勝手やってる曹操と対立したのは別におかしくないだろ

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/09(月) 11:11:02.16 ID:3EWGSqxHO.net
>>475
関羽引っ張りこむからて、そのまま逃げただけでしょ

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/12(木) 15:12:02.72 ID:SPy7xv8r0.net
劉備は統一ビジョンがない戦争狂に見える。
大軍率いて暴れたかったから、最後はヘマした。

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/12(木) 20:25:21.39 ID:1AzEO+MYO.net
曹操と対立の元となった、陶謙を何故助けにいったのか
公孫讃から脱するため?

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/12(木) 21:06:25.47 ID:uTHWDuMO0.net
劉虞との件と前後してたし
公孫さんに将来性が無いから見切りつけて
公孫さん系の陶謙を助ける名目で離脱したんじゃないかね
一緒に行った田階とも別離して陶謙勢力に潜り込んでたしさ

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/12(木) 22:38:37.49 ID:nBc+YxdF0.net
徐州に行くのと同時期に、当時袁紹に仕えていた盧植の門下生ですーって言い出してるから
公孫サンを見限ったんだろうな

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/13(金) 17:04:35.96 ID:J7eaPoCsO.net
曹操と対立することとなって、袁紹も滅びてしまって蔡瑁から狙われ劉璋配下の親曹操派から疎まれる結果に
集まったのはホウ義や魏延、孟達とか変わり者ばかりに

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/14(土) 05:21:55.85 ID:R4bGmlig0.net
劉備劉邦劉秀劉淵で順位つけるとしたらどうなると思う?

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/14(土) 05:57:03.32 ID:2MxPejLF0.net
>>482
劉邦>劉秀>劉備>劉淵

挙兵時点だと劉淵さんが一番恵まれているのに微妙な結末
でもこの人野戦で戦った記述ゼロなんだよな

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/14(土) 06:17:05.53 ID:lR5MVAFk0.net
劉秀≧劉邦>劉淵≧劉備

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/14(土) 16:56:13.23 ID:ise4JxSh0.net
劉淵は挙兵してから比較的短期間で亡くなってるしなあ

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/14(土) 20:19:21.11 ID:0wg4MUw30.net
劉邦も実績はともかくそんなに優秀だとは思えないんだよね
個人的には劉秀>劉邦≧劉備>劉淵って印象

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/14(土) 21:59:26.98 ID:Ino4D/Km0.net
>>486
三傑が有能だからと言ってしまえばそれまでだが
家臣抜きの単品評価だとむしろ
劉備>その他三名
くらいの開き出てくる
それくらい劉備軍閥の層が薄かった

劉淵は旗揚げぐらいしかしてないし評価難しいわ
眠れる獅子が起きたら本当に凄かったけどすぐ死んじゃったようなものだし

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/14(土) 22:47:39.95 ID:OhW64HbkO.net
>>487
そんなに凄いなら、陳羣に逃げられないと思う

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/14(土) 22:53:53.36 ID:bDfz/R9m0.net
>>487
わりかし見逃されてるが劉邦は王になるまで韓信おらんのやで

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 00:08:30.73 ID:HOqF1qyJ0.net
劉邦っていっつも過小評価されるよな

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 01:51:13.11 ID:aNNWR7ay0.net
創作の影響は根強いからなあ
項羽と劉邦の呪縛から逃れるのはまだまだ遠いね
劉備の聖人君子像はそろそろ払拭できそうな兆しが見えてるけど
逆に創作になってない劉秀、劉淵は正当な評価なのか調べないといけないのが難しい

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 01:57:10.95 ID:JJw7nzc70.net
司馬遼太郎の「項羽と劉邦」が原因じゃね?劉邦がとんでもない無能でアホなやつにしか思えなかった
何回も読み直したくらい面白い小説ではあるんだけど

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 03:41:19.86 ID:iPvRJZb70.net
劉邦は無能ではないよな
たしかに個人武勇では項羽のほうが上だし
軍を率いては韓信には敵わないだろうけど
統一後の諸王の反乱はほぼ劉邦が単独で潰してんだよね
そのさい冒頓には負けたけど

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 04:23:36.30 ID:7mSRdMT/0.net
度量がでかく臣下を活かすのが最大の能力という伝統通りの描き方だったような

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 06:07:24.80 ID:C4cVHbkH0.net
劉秀なんかは本人もめっちゃ優秀だと思うけどなあ
あまり物語にはなってないから地味かもしれないけども

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 08:31:26.41 ID:blwxGSGY0.net
>>495
劉邦に比べて頭の回転、行動が遅い
人格者かと言われればそうでもなくて敵対する劉姓皇族の粛正はえげつなくやってる
公孫述はあそこまで追い詰める必要はなかった(強硬策に出て不要な反発を招いた)
蜀を蹂躙した中央勢力って結構少ないぞ、降伏促して領袖を許すパターンの方が多い
(劉備と劉璋、劉禅、桓温と李勢、北宋と後蜀)

イメージとやってることが食い違う(悪い意味で)のは劉邦と一緒

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 14:10:10.40 ID:9Xu1EpQW0.net
蜀を蹂躙したのは略奪大将軍呉漢だからな
任命したTOPの責任問うなら劉秀貶しもある程度仕方ないけど
それ含めても総合的には有能良主だったという評価が妥当では
蜀遠征で岑彭が死んでなければなあ

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 14:19:06.97 ID:blwxGSGY0.net
>>497
聖人君子や完璧超人ではないわな

ぶっちゃけ聖人君子だと天下取れないもん
覇道交えないと無理

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 15:13:10.39 ID:+IVdS+6b0.net
劉邦は項羽と言うライバルや旗揚げのきっかけになる始皇帝の悪質政治等
ドラマチックというか支える重臣も含めてドラマの主役がいっぱいいるんだよね
まあそれに匹敵するのが三国志の英雄たちなんだけど
それに比べると劉秀はドラマの背景は劉邦と同じなんだけどライバルも倒すべき相手も部下もみんな地味なんだよねw

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 15:21:02.21 ID:QmIOguXS0.net
宮城谷氏の草原の風が尻切れトンボみたいに言われていたけど
劉秀の伝記の後半を盛り上げるのは至難の業だと思う
赤眉平定までは熱い展開も多いんだが

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 17:38:24.92 ID:4w7e01qyO.net
>>492
エピソード混ぜるの上手いからな
何をしたわけでもないろくでなし像が出来上がってしまった

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 17:57:53.54 ID:QmIOguXS0.net
>>501
史記メインで読んでいたから劉邦粘り強いのーというイメージしかなかったな
大人になって初めて他人と楚漢に関して話し合う機会があったときに司馬遼太郎の劉邦像の存在を知った

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 18:48:27.17 ID:4w7e01qyO.net
坂の上の雲の秋山好古は酒飲んでばかりだし、竜馬がゆくの竜馬は八巻までウロウロして船沈没と船中八策くらいしかやってない。
飄々としながらも、快刀乱麻を断つ感じで描いて、イメージに合うから受けが良いんだろうな。

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 19:37:57.90 ID:ta65gZ/Q0.net
光武帝の完璧超人って胡散臭いんだよね。
頼朝も家康も劉邦も劉備も曹操も唐太宗も洪武帝も
非情とか冷酷とか言われる面がたくさんあるけど、じゃなきゃ天下取りにいけん。
執金吾とか言うけど、実際本当に何の欲も野望もないならそれで終わるはず。
宋太祖は本当に仕方なく継いだんだと思えるし、石刻遺訓で柴氏を守ったけど
そんな人物だからこそ暗殺された疑惑も。

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 21:08:06.83 ID:ptnW4JmT0.net
・劉備、呂布軍を抱えた上で徐州を維持、安定化
・曹操VS袁紹の決戦で袁紹完勝
・決戦後に袁紹死亡。袁家お家騒動開始
・劣勢の袁譚が交流のあった劉備を頼る

天下握るならこれぐらいのご都合がなきゃ無理

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/16(月) 17:14:53.13 ID:sU+sf9ZL0.net
>>505
徐州を完全に掌握したんなら、揚州攻めやるんじゃないか?
陶謙の遺臣たちの本拠もそこだったわけだし

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/16(月) 22:55:52.31 ID:23rptzKj0.net
はああ?
義の人劉備が同族の劉?を名分も無いのに攻撃するわけないだろJK

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/16(月) 23:10:04.33 ID:kb2mjyrr0.net
孫策にビビる劉ヨウ陣営から劉備を招く使者がきるかも

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/17(火) 10:57:12.65 ID:RWdbuNnw0.net
>>507
北部は袁術の勢力だろ

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/17(火) 17:06:37.90 ID:HFwCfIR20.net
>>505
なんかそれ袁尚に負けそうじゃね?青州+徐州で対抗出来るもんかな

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/18(水) 02:38:41.25 ID:9wown4760.net
袁術勢力に怯える劉ようが同族のよしみで劉備に援軍要請
劉備入呉、袁術と戦うふりをする
やがて劉備と劉ようが戦うようになる
追い詰められた劉ようは今度は袁術に援軍要請
袁術は孫策を送り込むが、孫策は劉備に心服して家臣になる
孫策が裏切ったのを見て劉ようは戦意喪失して降伏、劉備が呉王になる。

史実の入蜀が呉で再現されるわけだ
胸熱だな。

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/18(水) 10:24:07.61 ID:XEnH+IT50.net
>>511
揚州全域に手を出すと山越対策で中原の争いからハブられそう

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/18(水) 10:26:13.63 ID:wRctUmZV0.net
少なくともこの時点で孫策が袁術を裏切る理由が無いんだよなぁ…

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/19(木) 12:18:18.81 ID:0LzQwdIY0.net
Bとは(バンタ・カボ・キョッポ)と呼ばれた人達で、
一般の民よりも(分⇒部)が落ちるという所から(分落民→部落民)と呼ばれていた。
バンタは動物の首切り役。カボはその動物の皮むき係り。キョッポは皮むきが済んだ後の解体作業員と言った感じです。
ランク的にはバンタはカボより偉い感じの地域が多く、キョッポはその下に位置する。

バンタとカボは江戸時代の穢多・非人、キョッポは近代(1968年)以降に朝鮮半島から渡来した人が殆どで現在では主に豚飼いと牛飼いが多い。
戦後はアメリカユダヤ系秘密結社と結託し日本の食糧を独裁し、全ての食品の管理・販売を完全独裁している。
(スーパー・デパ地下・コンビニ等)第三セク○ーなど税金公金施設/建物ほぼ全域!
参考動画↓

https://youtu.be/MZ2OGC58Js0

https://youtu.be/lE_A4bjzd5g

https://youtu.be/rgIcG2chs38

朝鮮キョッポの得意技は施設内での毒ガス攻撃!税金公金施設内で目鼻喉に異常を感じたら部落民/同和民の仕業と思え!
花粉症の誘発ガス! エアコンや緊急時酸素等供給ダクトを使ったピンポイント攻撃。
(ショッピングモール・ホームセンター・家電量販店・ドラッグストア・カフェ・イオン創価)いわゆる弱者対策事業/同和秘密利権
このガスを吸い込み神経が刺激され精神が高ぶり帰り道の運転中交通事故!
攻撃に気付かない間抜けな日本人、気付いても対処出来ない愚かな人種 (天声を語るフランス人より)   コピペ希望。。。

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/19(木) 17:05:57.83 ID:3UhZ4JM70.net
>>510
曹操が介入できないぐらい疲弊、高幹が静観の構えなら何とかなると思う
袁譚、ああ見えて戦上手だし

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/19(木) 19:22:03.37 ID:uhh3tsUb0.net
素直に袁譚を後継者にすれば滅びずにすんだかもな

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/19(木) 19:31:26.76 ID:4z8Y63oe0.net
>>516
冀州名士や一族の信望は袁尚の方があったみたいだからな
あと袁譚は青洲の統治に失敗してるし

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/19(木) 20:32:44.35 ID:ClUZqoDM0.net
袁尚で8割型固まってたのにしゃしゃり出てきて一族滅亡まで行った袁譚という畜生

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/20(金) 18:42:07.96 ID:QfLlYIsF0.net
袁紹が後継を指名しないで死んだのに慣例を無視して後継者になろうとした袁尚とその取り巻きの方が畜生度は高いのでは

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/20(金) 22:15:01.01 ID:RO7Q/KWEO.net
ちゃんと決めなかった袁紹が悪い
長男が継ぐものてのは不合理に思えるけど、好みや優秀さで決めるよりは基準がしっかりしていると思う
じゃんけんルールと同じで、納得しにくいけど、まあしゃあないかという

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/21(土) 01:17:59.71 ID:ZtFMAAY80.net
孔明は劉備の意志を継いだのだから、孔明ができなかったとも言えるな
そしてその元凶は馬謖の丘の上での陣取り
今、キングダムで丘の上を陣取った方が勝ちみたいに書いてるけど、
孔明や司馬懿に言わせれば愚の骨頂。取り囲んで下から火責めで
一巻の終わりだからな

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/21(土) 04:41:49.30 ID:2b4pC2cg0.net
馬謖も悪いし李厳も悪いし
孟達がすぐ討たれなければってのもあるし
?昭の一世一代の奮戦に遭ったり
まあとにかくついてないわな

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/21(土) 11:14:15.27 ID:IL3r8EK+0.net
演義だと全部司馬懿の手柄になってるけど
馬謖を街亭で破ったのは張コウだし
陳倉に堅固な城築かせたのは曹真なんだよなぁ

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/21(土) 17:42:19.74 ID:LWuTCMUq0.net
なんとなくだが、馬超らの涼州の諸豪が関中抑えていた時に(確か憧関まで支配してたはず)蜀を取れなかった時点で詰み
蜀とって馬超らと連合取れてたらかなり展開変わってた、荊州とられても何とかなったんじゃなかろうか

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/21(土) 21:38:36.93 ID:PG+8MGXM0.net
>>524
歴史に詰みなんかない
マジで馬鹿みたいな理由でどんでん返しがちょくちょくある

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/21(土) 21:55:13.48 ID:8pCCwUWr0.net
>>525
赤壁とかその類の最たるものだと思う
孫権も劉備も当時の曹操と比較したら木っ端勢力、ふたり手を合わしても勝ち目なんぞ薄々だったのに
最終的に三国鼎立まで持って行きやがった

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/21(土) 22:09:35.07 ID:sN2o5vkR0.net
>>524
蜀獲りの因果関係が無視されてるから、涼州が曹操に征せられる前に蜀を獲るってあり得なくね?

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/22(日) 10:33:58.45 ID:UiHNbLnP0.net
馬超の勢力は一時的に城を占拠しただけで平定した訳じゃないからなぁ

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/23(月) 20:54:49.51 ID:Dh0A1uon0.net
高所に陣取るのは間違っていない
補給線をぶった切られて、孤立しちゃうのが不味いだけで

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/24(火) 06:17:15.69 ID:T6WmY89P0.net
高所への布陣は周囲を見通せるし、戦いに望んでは高所の利で交戦も優位に立てる
孫子も視界の良い高所に陣を構えることを勧め、またそのような敵には攻撃するなと言ってる

馬謖の場合は高所に陣取ったことよりも水場を捨てたことと
指示が複雑で軍が混乱していたこと、砦を使わなかったことが敗因でしょ
馬謖の一件を以て高所への布陣をm9(^Д^)プギャーするのは違うわな

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/24(火) 06:22:35.61 ID:1hx6znzkO.net
地形をよく考えず、兵法にあるからと高所とったのはな

韓非子の靴を買うのに忘れたメモを取りに帰った話みたい

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/24(火) 11:49:40.68 ID:IL7U/XEe0.net
関羽北上前年に呉が全力で荊州2郡を取りに来た時点で
劉備が戦争か融和かの答えを出しとくべきだったかもな

533 :名無しさん:2016/05/25(水) 20:12:23.75 ID:/EflBskZ0.net
5代10国の時と一緒
どうあがいても北の国には勝てない
終了

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/25(水) 22:19:19.79 ID:IrK8AGcK0.net
李牧、曹操は対策出来てたぞ

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/26(木) 09:42:41.65 ID:vaoiQfsw0.net
>>534
蜀、呉、袁紹も出来ていたよ

というか中国史では、戦乱状態のときは割と異民族撃退できてる
王朝が安定してきて戦備が緩むと駄目だけど

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/26(木) 15:08:42.77 ID:NBBxJBWI0.net
現在のヨーロッパで国力増強で移民を入れたがるのと一緒だぞ
短期的に国力増強になるが二世三世になってから悪影響が出てくる
三国時代は中央で勢力を伸ばせないから三国ともに辺境の異民族を取り込もうとした
その結果が五胡十六国時代の到来だ(古代の漢民族としての中国の滅亡そして元異民族が漢民族を名乗るようになる)

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/26(木) 15:56:25.04 ID:omXOulEi0.net
昔は人口=国力だったけど
今は社会負担が大きくなるだけで国力増強にすらならないでしょ
トランプがメキシコの国境封鎖やりたがってるのもそのため

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/26(木) 17:12:44.81 ID:0H/VTMY9O.net
民族のイデオロギーが細かく別れて、強くなりすぎちゃった

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/27(金) 10:29:35.75 ID:aZztTUrD0.net
>>505
仮想戦記並のアシストだな

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/02(木) 08:26:01.55 ID:3QI3wDn60.net
呉が合肥突破、関羽の北上成功、蜀呉の同盟継続
これぐらいのハンデは欲しい

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/03(金) 01:08:29.07 ID:m2oTotI+0.net
劉備は根っからの戦争好きなだけで、ビジョンはなかった。
実際、指揮能力は高い。

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/03(金) 01:27:32.65 ID:UYpxBXMuO.net
曹操暗殺計画に加わったのが決定打で、常に反曹操派として生きていかなければならなくなった。

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/03(金) 01:32:26.96 ID:UYpxBXMuO.net
いや、陶謙救援か

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/03(金) 12:32:57.93 ID:0/sJOX4qO.net
でも陶謙の後に徐州を得てから後に事実上の曹操麾下に入って、曹操の計らいで正式に官職を与えられたり皇族の末席へして貰ったりと極端に急接近してるからなあ。
やはり曹操暗殺計画に乗ったのが運命の分かれ道になるんだろう。

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/03(金) 14:29:07.55 ID:qUnyuGjC0.net
>>541
赤壁後はキッチリした展望があるだろ

関羽が千載一遇の美味しすぎる餌にパクついて、それを見た呉が荊州パクついて崩壊しただけで

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/03(金) 17:26:21.39 ID:UYpxBXMuO.net
>>544
断ってたらその場で殺されたかもしれないし、難しいとこだな

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/03(金) 18:01:43.30 ID:h/3X93Rv0.net
諸葛亮と並んで称されてるのに全く話題に出ない黄権さん、、、

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/03(金) 20:27:52.77 ID:OtABtuQ90.net
夷陵の敗戦がなければ黄権の評価やその後の活躍は段違いになってたろうな

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/04(土) 06:22:56.26 ID:Eh+DTRgV0.net
劉備が自力で天下取れる可能性なんて0%だ
しいて言うなら曹操の部下だった時に暗殺計画にくみせず
曹操の最大の側近として力を付け曹操の死後に簒奪するくらい(家康のやり方)

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/04(土) 12:10:11.17 ID:mmhl+BdrO.net
献帝もどうしたら復権できたか

兵が無いなら、個人レベルでも剣を学んで頼もしさを磨き、暗殺ばかりの陰謀をしない。
やり方が暗くてついてこない。

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/04(土) 14:29:05.42 ID:v7P21dHaO.net
足利義輝じゃあるまいし、剣豪皇帝になってもねぇ。
献帝としたら、余りに幅を利かせる権臣を斥けられたらどんな策でも何でも良かっただけだろうけど。
とはいえあの時点で曹操を殺すなり排斥するなり出来たとしても、漢復興になるかどうかは怪しいけどな。

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/04(土) 14:58:26.67 ID:NVtU2zQD0.net
献帝が復権したとしても、曹操よりも善政が敷けて
地に落ちた漢王朝の権威が取り戻せるとは思いにくいな

まあやるとしても曹操は排斥せず、大勢の朝臣を前にして
堂々と弁舌でもって自ら政治を執る旨とその正当性を主張するべきかもな
曹操を排斥できたとしても国がまた分裂だろうし

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/04(土) 15:02:47.60 ID:mmhl+BdrO.net
義輝は伝説を残したし、劉備や曹操にしても剣豪ではなくても、前線で戦えるだけの強さはある。
武は末技とはいっても、他力本願ではねえ。
その分警戒されて、義輝になったかもしれないけど。
でも献帝のやってたことは義昭より暗い。

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/04(土) 15:11:10.67 ID:mmhl+BdrO.net
献帝て良いこと何もやってないから、賢かったから余計不幸になった感じ

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/04(土) 23:09:30.42 ID:yUdvHuF60.net
やはり子供の頃から傀儡の皇帝の場合はいつまで経っても傀儡の皇帝に甘んずるイメージ
特に後漢は子供皇帝が続いたからな

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/05(日) 01:32:57.75 ID:B79CBUjuO.net
西暦300年にも満たない時代だと、教訓話も少ないだろうし、ビジョンや方向性が大事という考えも生まれにくいだろうな

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 07:00:02.88 ID:DdyXKdWEO.net
劉協は賢かったかどうかも不明
董卓が暗愚な劉弁を廃し聡明な劉協を担いだ事になってるが、それをきっかけに漢の正統性は喪われ
袁ショウは劉虞を担ごうとし、袁術は帝位を詐称し、一説には劉表や劉焉も皇帝の如く振る舞ったとされてる
後漢の歴代皇帝の中で劉弁は比較的高齢で即位していて、独裁をしたい董卓が劉弁の分別を嫌ってイエスマン劉協を据えた可能性があると考えてる
少なくとも漢に好意的なら間違っても臣下による帝位のすげ替えは行うべきではなかった

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 09:21:38.66 ID:s6A5dyaI0.net
董卓は暴虐政治が非難されたのだろう
皇帝を排すのは霍光もやってるし後に司馬師もやってる

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 13:08:30.26 ID:aSDG7PYc0.net
まあ劉弁が受け答えも満足にできないアホで劉協が聡明だなんていうのは
劉弁を廃して年少の劉協を推戴する理由付けに過ぎない可能性もあるわな
ただそうである確証も何処にもないからな

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 14:11:55.31 ID:NWOf9HF70.net
桓温が東晋で皇帝の廃立をやったときも皇帝の資質や能力を理由に引きずり下ろしていたけど
実際の廃帝は決して問題児ではなかった
廃立の理由なんて後付けでどうとでもなる

母后の実家の政治力とかの方がずっと重要だと思うわ

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 18:11:13.46 ID:DdyXKdWEO.net
まぁ、劉協で漢を再興しようと思ったら董卓に担がれた後、官渡で袁紹が勝利して担いでもらうか
比較的に曹操と実力が近かった徐州時代の劉備に曹操を倒してもらうかしないと曹丕で確実にタイムリミット
徐州の劉備がもっと踏ん張ってくれたら曹操の徐州虐殺が起こらず、避難しない諸葛ファミリーや魯粛なんかが助けてくれんかな?

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 22:14:11.16 ID:OZXaoENTO.net
>>561
無茶はアカン、曹操の徐州虐殺の時まだ諸葛亮は13歳位だし魯粛も22歳かそこら。
後年の活躍と能力をその時の連中に求めちゃいかんだろ。

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 23:18:35.77 ID:DdyXKdWEO.net
>>562
チートの陳登もなんだかんだ州牧劉備に協力的だったし、二張や陳羣などわりと人材宝庫だった徐州
陳登の外交戦略で公孫サン陣営から袁紹陣営に鞍替え出来てたし、徐州に根を張れてればかなり有力な勢力になれた気がする
まぁ、根を張らせず攻め潰した曹操様が流石だったんですけどね

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/07(火) 04:37:39.01 ID:Kk9UoDGT0.net
曹操がいち早く頭1つ抜けたのは屯田のおかげとも言われてるね
呂布、曹操、劉備、袁術で争ってた頃は飢饉が頻発してたから
飯が食える曹操陣営に兵は集まったんだろう

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/07(火) 07:57:33.43 ID:FhxTfWhb0.net
>>563
地盤を固める時期に呂布が領土をジャックしたからな

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/07(火) 12:54:24.86 ID:kvWjgppn0.net
曹操は呂布や劉備にジャックされなかった
劉備は曹操にジャックされた
ここでうまく基盤を固めていればねえー…

でも、北に袁紹南に孫策西にはもちろん曹操
その後も出口ないよ(笑)

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/07(火) 17:54:15.38 ID:lNPbvxCkO.net
もしも劉備が徐州を袁紹派として固めていたら、逆に曹操は袁紹派を止めなかった気もするがね
青州も袁紹の影響力が大きくなっただろうし
この時期の曹操の拡大は、陳登が内通者として呂布をコントロールした事とその後に孫策・孫権の兄弟を封じ込めた事が極めて大きい
陳登を曹操にあげないだけでも官渡が怪しくなるレベル

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/07(火) 18:03:47.44 ID:ngg6+jtI0.net
劉備が徐州に留まってれば田豫も再合流した可能性高いだろうしなあ

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/07(火) 18:12:54.23 ID:6wcZ209I0.net
田豫って劉備軍初期メンバーにして別れてから魏で大活躍した将軍だっけ?

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/08(水) 19:42:02.47 ID:eE/uamUpO.net
>>547
劉璋時代の王累とともに、ビジョンの見えない忠勤がにマイナス評価

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/08(水) 20:02:38.66 ID:e+G1iDSy0.net
>>569
そう
魏軍において知識人階級でもない外様でありながら
叩き上げであそこまで上り詰めたし大変な実力だと思う

劉備が徐州をキープ出来てれば陳登も劉備に属してただろうし
陳羣やら知識人もいくらか劉備の元に集まったはずだから
ここで飛翔できなかったことが一番天下から遠のいた感はあるね

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/08(水) 20:52:16.42 ID:lhtgYLPj0.net
>>571
でも田豫離れた理由って劉備に見切り付けた感じじゃね

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/09(木) 12:38:10.23 ID:krsVpGk8O.net
袁紹と曹操の二択に於いて曹操を選んだ田豫が、徐州で割拠に成功した場合の劉備と曹操でどちらを選択するかは不明
ただ、田豫の母親の病気を劉備が慮った事が事実なら、袁紹と曹操の実力差が挽回不可能なほど開いてるであろう事も含め、劉備の所に帰った可能性はある
呂布には辛辣な陳登も劉備には非常に協力的だったし、劉備も劉表に対して「陳登の才能に互する人物は歴史書の中にしか居ない」と語るほど評価してた模様

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/09(木) 13:27:27.04 ID:BvoaSDMR0.net
田豫は曹操陣営になっても仕事は北方の鎮圧任務が主だったから
幸いにも旧主劉備とは戦うことがなかったな

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/09(木) 17:29:39.71 ID:LBdtphS8O.net
曹操が配慮したんじゃない
裏切られても困るし

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/09(木) 17:34:56.07 ID:LBdtphS8O.net
劉備としては劉邦の出身地だし、曹操としては居着いたら一大勢力になりそうだから排除したかったんかな

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/10(金) 07:30:07.84 ID:vx2EpmY2O.net
田豫とセットで扱われる牽招も劉備と馴染み深いぞ
太平御覧に義兄弟の契りを結んだ記述ある

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/10(金) 08:10:07.78 ID:BVbOY+fq0.net
裏切った陶謙遺臣達にも良いポストにつけて、配慮はしてたんだけどね
焚き付けた奴(袁術?)が上手かったわな

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/10(金) 08:51:44.98 ID:trOFxLc70.net
陶謙派って麋竺、糜芳の他に居たっけ?

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/10(金) 10:02:47.17 ID:vx2EpmY2O.net
孫乾

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/10(金) 18:29:51.50 ID:LGaBOjCNO.net
どちらかと言うと、劉備より関羽と張飛に政治的配慮が欠けていた感じに見える
単純な身分の上下では計り知れない程に複雑な勢力の集積地だった徐州で、目上には気を使う張飛も、部下には気を使う関羽もバランスを取る作業が出来たとは考え辛い
どちらも老後まで引きずる欠点だから若い内は更に酷かっただろうし

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/11(土) 22:12:03.20 ID:cCBzKwGZ0.net
>>578
後漢書だと袁術陛下が兵糧20万石で呂布を煽ったって書いてあった。

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/11(土) 22:14:38.52 ID:8edEx4530.net
呂布の性格をよく分かってるな偽皇帝

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/12(日) 10:53:00.45 ID:AkySXQts0.net
なお、兵糧の約束は袁術の領で大飢饉が起きた為に反故になった模様。

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/20(月) 15:26:27.52 ID:3CI+aidTU
【BS11:エンターテイメント】 <あのスターにもう一度逢いたい>放送時間:毎週火曜日 よる8時00分〜8時54分 http://www.bs11.jp/entertainment/5748/

586 :nanasi:2016/06/24(金) 16:04:15.76 ID:t4jP48Ss/
有名なお医者様は財布を5つ持っている
医師収入調査:製薬会社から3000万円の副収入を得ている人も

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43425

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 11:23:14.01 ID:4Sj/mlhu0.net
曹操さんが有能過ぎだ

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 14:52:21.51 ID:x3mQPheP0.net
それなら曹操は天下統一してなきゃならなかったよな

曹操が天下統一できなかった理由を探った方が三国の真っ当な評価下せそうな気がする

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 15:09:41.23 ID:C52Y+a9Z0.net
する気なかったんじゃね?

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 15:51:25.14 ID:TC0upcLc0.net
>>588
風が吹いていないときの曹操はショボい

魏って漢帝国のスクラップ&ビルドに失敗して変なオブジェをこさえてしまったようなもの
何がやりたかったのか真意がつかめん

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 16:40:05.71 ID:JrMJQpI80.net
やっぱ降伏してくると思った孫権に歯向かわれて南方進出に失敗したからだろうなぁ
あれ以降勢力の拡大より地盤固めに入ってるし

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 17:24:44.73 ID:1hHRtYs/O.net
何度も死にそうなくらい大敗してるのに、国力の回復が早いな

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 17:50:30.26 ID:dgZmwSxz0.net
曹操さんは赤壁の失敗が痛い

じゃなぎゃ曹操の代で統一できたかな

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 18:09:17.74 ID:w8PsxluR0.net
五胡十六国でも華北統一までサクサク進んでもその後グダグダとか良くある

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 18:44:06.75 ID:JrMJQpI80.net
長江越えるのが如何に難しいかの見本だよな曹操さん

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/08(金) 09:51:57.36 ID:iEq0vlwg0.net
天険|超えられない神の壁|>>>>>>>人間の城塞

しゃーない

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/08(金) 14:05:51.72 ID:S9C0e/hZ0.net
>>595
西晋も隋もそうなんだけど
大規模な軍団を上流・中流・下流と連鎖的に長江のラインにぶち込むのが正解なんだろう
逆に途中でその戦い方を変えて寿春で会戦して東晋の野戦兵力の殲滅を目論んだ前秦は
史上まれに見る惨敗を喫している

徐州や豫州、荊州といった1コ正面の戦場に注力して作戦しても間違いなく失敗する地勢

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/09(土) 04:29:49.65 ID:fRfU8aU60.net
モンゴル帝国も襄陽落とすのに大分苦労してたな
大きく迂回して雲南の更に外の大理国を下したりもしてたし
5年の包囲でようやく襄陽と樊城を落としてた
顎州(江夏)を落としてからは南宋は総崩れになってたけど
それでも臨安(杭州)無血開城させるまでは更に2年要してる

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/12(火) 16:43:09.87 ID:LHYHpLLq0.net
リデルハート曰く天険よりも人間の方が怖いそうな
地形は計算できるけど人間は計算できないからね

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 10:23:59.07 ID:Yyh+A5R80.net
そりゃ中国の歴史見ればわかるかな

敵に強すぎる将や名臣がいる場合は離間の計で殺すのが一番。関羽さんも後方の守備が寝返されたせいで退路が絶たれ敗死。

国家滅亡する時は大抵奸臣が敵国の賄賂に籠絡され、バカ殿を誑かして国家の棟梁を殺しまくる

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 14:08:10.14 ID:jsTvvluo0.net
>>597
統一に成功した勢力はまず上流の蜀を取ってそこから下流に向かって攻め込んでるのか
そういえば秦も蜀を取ってから対楚が有利になったんだよね

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 15:46:36.16 ID:TmJTna0J0.net
>>601
東晋は自分らが呉を滅ぼしていた経験があったから前秦の作戦に主導的に対応することができた可能性が高い
前秦が益州で造船し始めたら東晋はすぐに益州と襄陽に攻撃仕掛けて前秦の出鼻挫きに掛かっているから

前秦は慕容垂という究極兵器がいたお陰で襄陽の東晋軍撃退後間を置くことなく豫州に作戦し寿春に圧迫を与え対晋侵攻を強引に継続させてしまった
ただ結果として寿春正面での最終決戦を東晋は予期していた可能性が高いので肥水の大どんでん返しに繋がってしまったという皮肉
苻堅は柔軟に反応して謝安の戦争指導の裏を突こうとしたけど謝安の方が少しだけ勝負強かったのと謝玄が有能な軍事指揮官だったために惨敗を喫してしまった
朱序を捕虜にして桓沖が荊州に釘付けになったことで桓温級の指揮官がもういないとたかを括っていたら最後の最後に東晋の切り札を切られた形

しかし東晋ではこの一年後に桓沖、三年後に謝安、五年後には謝玄まで相次いで亡くなってボンクラの司馬道之の専権体制に移行していったわけだから
苻堅はもう少し時期を選んでから侵攻してさえいれば天下統一できた可能性が高い

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 16:12:45.47 ID:VGL35dFC0.net
符堅は家臣みんな反対してたのになんであそこまで拘ったんだろうな

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 16:31:48.17 ID:TmJTna0J0.net
>>603
東晋が健在のままだと国内の反乱分子が寝返る可能性が高かったから
苻堅は傍系からの簒奪者であり、苻氏そのものがテイ族の中ではあんまり名門でもなかったから権威という面で立場が非常に弱かった
「成り上がり者」の苻堅は即位以来26年の時間ではこの権威の弱さを解決できなかった
(肥水の直前にさえ身内の王族に反乱されてる)
この先十年二十年経とうがおそらく権威確立は難しかっただろう

だから華北統一の勢いに乗じてでも東晋を倒さないといつ寝首を掻かれることになるか不安で堪ったものではなかったのではないか?
苻堅は戦争ではほぼ負けなしで自分なら東晋を滅ぼせるに違いないと慢心していた部分もあったから

でもそんな苻堅を一番知り尽くしていた王猛がやめろ言ってたんだからやめた方がやっぱり良かったんだよな

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 16:37:58.23 ID:TmJTna0J0.net
曹操の場合はそもそも曹操自身が無敵将軍でも何でもないのに赤壁に突っ込んでいったのかよく分からん

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 16:39:13.50 ID:VGL35dFC0.net
>>604
そういや親族反乱が結構多かったんだっけ。
北魏みたくガッチリ華北の支配権確立してる政権じゃないんだよね

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 16:54:02.68 ID:Yyh+A5R80.net
>>605
無敵のやつなんていねえわ

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 17:13:29.96 ID:TmJTna0J0.net
>>607
白起、韓信、李靖レベルなら無敵と言えないか?

曹操はどちらかと言えば石勒とか高歓のような「トータルで辛勝」みたいなやや運任せなところのある将軍だろう
風が吹いていないと苦戦する

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 18:09:59.50 ID:6IaBnpRj0.net
日本に抗議するって 馬鹿じゃん
抗議するなら 仲裁裁判所に抗議しなさい
だから中国は世界から馬鹿にされて 笑いものにされる
いい加減気づけよ 国際ルールを守らないと どんどん孤立することを
習近平は 近年稀にみるアホな政治家だな いや政治屋だな

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/14(木) 20:01:58.73 ID:Q0kDQ8SV0.net
李靖ってやたら最強言われるが
何の戦いで勝ったの?主要3つ4つ教えて
彼我の戦力と状態、戦術と具体的な経過は?

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/14(木) 21:09:41.43 ID:+qw5Vgu20.net
>>610
対蕭銑戦(主将は李孝恭)→水軍を指揮して江陵を包囲・陥落させる

対突厥
李靖が唐軍10万余の総指揮(東突厥は数万か)
@定襄の戦い→李靖直率3千騎で夜襲し東突厥軍を鐵山に敗走させる
A陰山の戦い→東突厥滅亡

対吐谷渾
唐軍4万、吐谷渾は不明
吐谷渾の焦土作戦に対し兵が飢えることを覚悟で李靖は追撃を敢行し滅亡に追い込む

他にも小さいのが何個かあった気がする

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/15(金) 05:10:06.33 ID:b6JAERO80.net
李衛公問対だと諸葛亮を絶賛しているから
人によっては諸葛亮が李靖に多大な影響を与えたみたいに言うこともあるけど
戦績から見るにどう考えても影響受けていないのは明らかで
李衛公問対偽書説の重要な傍証

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/15(金) 08:25:31.82 ID:uBfmRnAM0.net
戦略戦術の全てにおいて最強は孫子の著者孫武だろ

強国の楚を滅亡寸前まで追い詰め、越を滅ぼし、弱小の呉を春秋最後の覇主に登り詰めさせた

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/15(金) 08:39:50.29 ID:oNaQgR1z0.net
>>607
項羽「俺は旗揚げしてから八年間敗北した事はなかったぞ」

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/15(金) 09:21:31.69 ID:uBfmRnAM0.net
>>614
なお、最期

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/15(金) 10:53:12.60 ID:LL7nsAoa0.net
越は滅亡してないし
最後の覇者は越王勾践だぞ

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/15(金) 16:09:13.74 ID:PbmuUZvu0.net
春秋の呉の隆盛は半分は伍子胥によるものじゃないかな
孫武は近年まで実在が疑問視されていた(孫子兵法は曹操による偽作説まであった)し
対楚戦で活躍したのは事実だけど事績はあまり判明していない

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/16(土) 20:21:03.01 ID:wrlHlEp90.net
孫武なんか姫兵以外なんも具体的なもんないと思ってたが
ウィキ中国語は割りと色々書いてんな。
これどこに出典あんだろ?戦国策かなんか?
孫子呉起以外の世家とか?

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/16(土) 22:51:31.19 ID:VPGRk3Aa0.net
>>618
主に史記
日本語ウィキもいろいろ書いてんじゃん

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/17(日) 00:07:43.44 ID:OZG9ffcz0.net
>>619
主に史記て。史記なら史記のどこか聞いてんのに

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/17(日) 02:28:02.62 ID:fDnGtRpD0.net
孫武は史記に伝記立ててるだろ

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/17(日) 06:44:22.38 ID:LUQVsQ2D0.net
最後の覇者の越も戦国中期に楚に滅ぼされてんだな
越の末路って何気にあんま触れられないね

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/17(日) 15:04:30.44 ID:PrNYaTdC0.net
>>621
その伝記を訳探して読んできてごらん
>>618で俺が言った「孫子呉起以外の世家とか?」の意味が分かるよ

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/17(日) 16:49:40.13 ID:tRWxzU260.net
>>622
司馬遷の時代には史書が散逸してて、
晋代に竹書紀年が発掘されてようやく句践以後の歴史が判明したくらいだしなあ

>>623
wikiの記述みてる分だと、孫武の事績というよりも
孫武が将軍をやっていたであろう時期の呉の活躍(呉太伯世家や春秋の記述)を
そのまま持ってきただけにも見えるな

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/17(日) 17:21:39.50 ID:crE/xLlQ0.net
>>601
>統一に成功した勢力はまず上流の蜀を取ってそこから下流に向かって攻め込んでるのか

必ずしもそうでもない
東漢(後漢)なんかは下流から蜀に攻め込んで統一している

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/19(火) 00:27:09.62 ID:/6A1BvnT0.net
関羽を荊州の太守にしたのか最大の過ちだと思う
関羽は武功には秀でた人物だったかもしれんが大局を見極めるだけの知略は持っていなかった
武人としては優れていたが大将としては頑固者すぎた
呂蒙に比べて役不足だったのは否めない事実だろう
荊州こそ諸葛亮が太守をつとめ、補佐に諸葛亮の命令に忠実な趙雲あたりつけておけば天下3分の計は盤石だっただろう

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/19(火) 03:06:54.68 ID:xB94wquE0.net
当時の諸葛亮はぽっと出の若僧。
名門出の秀才で弁も立つが、軍を率いたことはなく、太守や県令の経験すらない。それがいきなり荊州の都督なんて誰も納得しないだろう。

例えると、仮に小泉進次郎が将来名政治家になるとしても、今すぐ副首相を任せられるかどうか?無理だろ。

孔明が蜀内外に存在感を示したのは、劉備親征(夷陵)の前夜に益州牧兼司隷校尉に抜擢されたとき。それまでは劉備のブレーンに過ぎなかった。その後劉備に後事を託され丞相に就き、ようやく軍権を持てた。
いくら孔明でも、軍や組織を思い通りに動かすには、この程度のキャリアは必要だったということ。

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/19(火) 10:29:15.60 ID:jl4KX1BD0.net
関羽さんはあの時代でも超名将だぞw
襄陽樊城を包囲した時曹操さんが慌てて遷都を考えるほどの。

欠点は高慢過ぎた

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/19(火) 12:13:15.39 ID:7PpS4VWLO.net
ぽっと出なはずの剣客の徐庶には孔明みたいな不協和音な逸話がないから、よほどの偉丈夫だったのだろうか

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/19(火) 12:26:13.03 ID:ts/BrkZF0.net
なお蜀人の評価は関張のニコイチ扱いの模様

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/19(火) 13:29:55.49 ID:iAwSg4/s0.net
軍師は帷幕で策を練って提言するまでしかできない。命令を下すのはあくまで君主。
入蜀の際に龐統が上中下の策を示して、劉備が中策を採用した図式だな。

諸葛亮が実際に軍を率いたのは南征が初めて。
それでも40過ぎの人間が一国の軍を自在に指揮するのは滅多にないことだろうね。

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/19(火) 17:29:51.12 ID:7PpS4VWLO.net
>>630
敵より身内からの評価が低いのはありがちな気がする

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/19(火) 18:38:00.59 ID:hRxpeTZr0.net
>>632
その人三戦の方でもおんなじこと言ってるただひたすら関羽が嫌いなだけの人だから…

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/19(火) 18:51:42.94 ID:WRKDaMph0.net
諸葛亮が軍を初めて率いたのは入蜀なんじゃ?

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/19(火) 20:12:55.01 ID:KurnUPwa0.net
入蜀の時って将として軍を率いてきたのか
張飛軍趙雲軍とただ一緒に移動してきただけなのかわからんな

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/19(火) 23:23:00.90 ID:fXBKgeSK0.net
不思議な事なんだが。
蜀漢を興してからの蜀を支えたのは皮肉にも“塩“であって関羽のエピソードと深い塩の生産力が辺鄙な蜀を支えた。

それとは打って変わって、劉備に仕える前の諸葛亮は“梁父吟“という曲を好んでいて三人の傑士と二つの桃との義勇が歌われたこの曲と三国志演技の桃園と三兄弟の誓いのエピソードとの相関は深い、のだろうか?

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 00:23:29.46 ID:qhvYqLLV0.net
不思議な日本語なんだが。

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 07:57:04.63 ID:jWFGc0V30.net
>>635
その後も内政専門だったから移動しただけなんじゃね。

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 17:18:50.61 ID:vLzEmWas0.net
>>636
何言ってるのかワケワカメ(´・ω・`)

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 21:48:50.92 ID:ZAa5JwFZ0.net
>>628
司馬懿や蒋済は全く慌ててないけど
そして獅子は兎を狩るにも全力を尽くすの如く
孫権駆り出したり援軍5万12陣営送り出したり
完全に関羽の息の根を止めに入っているな

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 22:13:28.77 ID:57d99iqHO.net
魏は人材豊富だな

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 22:16:23.74 ID:tKK3Okpw0.net
慌ててないわけじゃなくメリットとデメリットを天秤にかけてデメリットが大きいから曹操を押し止めただけでしょ
そしてその関羽を討つために孫権まで繰り出した結果荊州の統治権の放棄=天下統一の完全放棄という大きな代償を支払うことになったわけで

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 22:55:08.35 ID:ZAa5JwFZ0.net
>慌ててないわけじゃなくメリットとデメリットを天秤にかけてデメリットが大きいから曹操を押し止めただけでしょ

あの状況で遷都はネガティブな下策でデメリットしかないような
メリットって何すか?

>そしてその関羽を討つために孫権まで繰り出した結果荊州の統治権の放棄=天下統一の完全放棄という大きな代償を支払うことになったわけで

荊州の統治権の放棄・天下統一の完全放棄には同意しかねる
天下統一の完全放棄した輩が長江の中州占領したり
蜀の弱小化にかこつけて侵攻して蜀滅亡に追い込んだりしない

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/21(木) 21:06:26.12 ID:9D3MgzCw0.net
関羽が独断で魏を攻めたのは有り余る才能を持ちながら50〜60まで将軍としての武功が何もないことに加えて
張飛が蜀でバンバン戦功をあげ馬超黄忠という新参も活躍している
関羽ぐらいプライドの高い男なら「俺のほうがすげえよ、俺は一人で魏を倒せるんだぜ」となるのは当然だ

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/21(木) 22:24:50.14 ID:3BZUfs2Q0.net
が、顔良斬りという武功が・・・

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/21(木) 23:18:26.20 ID:cCznyjfG0.net
関羽の北伐を独断って……
関羽を非難すると見せかけて、蜀の軍事体制を盛大にdisりたいのかいな

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/21(木) 23:58:37.45 ID:g8u3QnVv0.net
さすがに独断だったらそう書かれてるだろうw

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 01:57:51.54 ID:AIeigi900.net
将軍としての武功が何もないっていうのは非常にユニークな解釈だと思いました(こなみ

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 05:40:05.65 ID:tIdWaEw00.net
>>644
50〜60の頃は軍事行動全て楽進に阻まれたからな・・・
天敵楽進が死んだのでやらかしたくなる気持ちはよくわかる

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 10:24:13.95 ID:PUjxFJaE0.net
>>645
曹操「雲長は良くやってくれたわ。
でも、人妻は全部俺のものだから雲長にはやらんぞ」

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 10:43:38.75 ID:/QSsyev40.net
>>644
関羽は若い頃から天下に名だたる武将だぞw
だからこそ劉備軍総出で漢中攻略に行く時に荊州留守を任された

襄樊攻めだって後方の味方の裏切りにあったから失敗した。当時諸葛亮趙雲張飛とかが後方にいったら少なくとも負けはしなかった

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 02:42:14.84 ID:V7oqnPj80.net
>>649
曹仁さんの事も触れて下さい

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 10:55:58.22 ID:hq6mda9bO.net
頼りになる親族がいると違うな

養子の劉封と義兄弟の関張だけじゃな

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 11:17:34.20 ID:yMuTAD1l0.net
未だにあちこちでごっちゃになってるけど関羽と張飛は旗揚げのときからの古参で尋常じゃないくらい信頼してはいたけど義兄弟ではないぞ
張飛が関羽に兄事していたという記述があるのみだ

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 12:00:11.59 ID:lbAF0Wqp0.net
一緒に寝てるから兄弟でしょ?(801脳)

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 12:17:12.44 ID:o1L0LoDS0.net
でも曹丕が曹一族を冷遇してから一族の結束が弱くなって司馬一族に乗っとられたね

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 12:23:25.91 ID:lbAF0Wqp0.net
何処の馬の骨かわからんガキンチョを後継者に据えた明帝が悪い。
アレで士大夫層から愛想尽かされて司馬一族に主導権取られた訳で。

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 12:38:25.69 ID:h9xor1oU0.net
曹叡も一応血統に疑惑はあったわけでしょ
曹魏って劉備をバカにできないくらいの馬の骨感を感じるのだが
しかもわずか50年程の間にもかかわらず

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 13:01:38.46 ID:7TTzwyhv0.net
劉備は関羽・張飛を失ったタイミングが最悪過ぎると思う
外征で使える歴戦の将軍失ったらそりゃ蜀に引きこもるほかありませんわ

しかし旗印クルクル変える孫権って正統性皆無なのに何であそこまで呉人たちの指示を得られたんだろ
曹氏の治世が嫌だだけでは説明できないだろ

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 13:09:34.96 ID:lbAF0Wqp0.net
>>658
流石に決起しても一族ゼロの大徳さんと曹一族とは比べられんわ。

>>659
孫権って言うか江南政権の主権者って
豪族の利害調整が仕事だからな。
軍隊も殆ど部曲(私兵)で占められてるし。

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 13:12:08.14 ID:7TTzwyhv0.net
>>660
豪族の連合政権という性格であるならば寧ろ魏による切り崩しがいくらでも効きそうなものなんだが
あの変な結束は一体何なんだよ

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 13:59:34.79 ID:hq6mda9bO.net
それだけ呉は豊かで、政治も上手くいってたんかね
外には魏蜀と緊張感もあって

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 14:09:08.60 ID:Ygxb1dAZO.net
>>661
多分江東の豪族達は魏など外部の権威に自らの所領・権益を保障されるより、それは自力で確保すべきと考えていたのでは。
地域外の権威・権力に重く信頼を置かなかった辺りは、他所者を信じない田舎の人々という案配だろう。
ただそのままではそもそも豪族の所領は広くはなく、そんな彼等が個々に分かれて争うなら結局お互いの衰滅に到る訳だから
権益保障の為の連合こそが自ら達には相応しく、何等かの理由で孫氏がその連合の頭を務める形になったのだろう。
他所者を信じない、同じ権益保障で結び付いた地元勢の連合だからこその結束かと。

ただ孫権は皇帝となり晩年に近付いてから、そんな自分達孫氏のみのワントップでない呉の現況に不満を抱くようになり
あの酒乱と耄碌の愚行と言われる一連の行動に入ったのかもしれない。目的は目障りな豪族達の力を削ぐ事。
でも孫権がやはりアレだったのは、呉という国家は連合だからこそ成り立つ国家で孫氏だけでやっていける所でないのに
皇帝になまじ就いたために、妙な自信とプライドを肥大化させてた事なんだろう。

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 14:11:39.77 ID:lbAF0Wqp0.net
呉蜀は曹叡末期当たりから住民の逃亡が頻繁に起きるようになるから、民政はお察しって感じ。

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 14:31:23.72 ID:Ygxb1dAZO.net
蜀は蜀で建国当初から軍事に傾き過ぎた国家で、内外軍政全てに目が行き届く人が居ないと直ぐに金を食う軍政に国力を吸い取られ、自然と酷政へ向かってしまう。
あれだけ北伐など軍事行動をしても、土地も碌に増えないから食糧事情は良くなる訳も無く
攻めた地域の住民を人狩りしてでも、減り行く住民を足さなきゃならんような自転車操業。

呉は呉で従来の豪族への税に加え、年追う毎に呉という国家自体への負担も増えていわば二重課税。
それに南方開発もまだ途上の時代だから、国力の根源は結局従来の住民に頼るしかない。
これでは住民が楽出来る余地など全然無い。

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 18:29:46.62 ID:ne/lu/qn0.net
>>652
曹仁と関羽が直接まともに戦ったのは219年の襄樊攻めが初だったりする

200年に劉備が袁紹の元を離れて汝南で後方攪乱してた時
関羽は劉備の元に居た可能性はあるが不明
ちなみに曹仁はその時劉備を撃破して劉備は敗走して
荊州の劉表の元へ逃亡している
その頃張飛は夏侯覇の従妹を人攫いしているので
関羽も似たようなことしていたかもしれんw

209年に南郡で曹仁と周瑜率いる連合軍が戦闘したときは
関羽は別動隊で襄陽目指して進軍していたので曹仁とは直接戦っていない
ちなみにその時襄陽を守備していたのが楽進で
関羽は楽進に撃破されている

212年頃も関羽は魏国境へ攻め込んでいる
楽進・文聘と国境で衝突しているが戦況は芳しくなく
その頃益州に滞在中の劉備が劉璋に兵や兵糧を借りるとき
関羽の苦戦をネタに使うほど

劉備が益州を手に入れてからは関羽は魏方面へ侵攻している様子はない
219年の襄樊攻めが初だったりする
まるで関羽は218年に逝去した楽進と対決するのを避けてたの如く

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 09:30:37.45 ID:seky7f+T0.net
>>666
劉備の蜀入り以降は対呉関係が緊張していたから対魏で動けなかっただけでは

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 10:15:54.20 ID:ZYvUl7Bn0.net
>>667
呉は実は蜀(劉備)側の不法行為(領土返還拒否、食料強奪、侵略、滅亡による魏への領土売渡、etc)以外では
蜀に対して軍事行動を起こしていない
それは蜀滅亡まで変わらないので呉は実は裏切り者じゃなく忠実な律儀者すぎて感動するぞ

対呉関係が緊張して動けなかったというのは
蜀の呉に対する後ろめたさの表れ

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 11:41:06.13 ID:0k3W+0g40.net
>>668
曹操(司馬懿・蒋済)と共謀して関羽を背後から殺しに行ってるんですがそれは

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 11:43:52.60 ID:0k3W+0g40.net
というかそういった軍を起こす為の大義名分なら蜀にだって魏にだってあるわけで
そこを挙げて呉が律儀だと言うなら三国全て驚くほど紳士だぞ

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 11:45:45.52 ID:0k3W+0g40.net
まぁとにかく蜀(関羽)が悪いっていう結論ありきで話してるぽいから言っても無駄かもしれんが

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 12:58:04.09 ID:ZDubROeR0.net
対呉に関しては劉備は背信行為繰り返したからなw

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 13:05:45.70 ID:ZYvUl7Bn0.net
>>669
少なくとも関羽の不法行為が皆無で関羽が呉に対して有益な存在なら
曹操(司馬懿・蒋済)と共謀して関羽を背後から殺しに行かなかったと思うが
関羽が襄樊攻めに関して最低でも武陵・零陵を割譲するとかして
呉の全面協力を仰いでいれば少なくとも呉と事を構える事態にはならなかった
魯粛伝や呂蒙伝みれば昔から荊州のもめごとの数々は劉備や関羽の側から仕掛けて
魯粛や呂蒙がそれを穏便に友好的な態度で接して事を荒立てないようにしてたようなので
それが積み重なって我慢の限界を超えて関羽殺害・荊州奪取に向かった気持ちもわからなくもない

>>670
>>671
その境地が見えているのに
蜀は常に正しい 魏や呉は悪い という結論ありきで話す行為に疑問を抱かないのは池沼

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 13:19:36.65 ID:j6ZMuHJJ0.net
呉って孔明が死んだ直後に巴丘に軍勢を集めて、火事場泥棒的に蜀をうかがってるんだが
使者の宗預に孫権がやり込められたあの恥ずかしいエピソードは無かったことになっているのかw

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 13:35:31.54 ID:ZYvUl7Bn0.net
諸葛亮が没したとき呉は、魏が衰退に付け込んで蜀を奪い取るのではないかと懼れ、巴丘の守兵を一万人増やした。
これは蜀への救援を図り、また魏の侵攻に備えたものである。
ところが蜀のほうでも永安の駐留兵を増やして巴丘に対抗しようとした。
宗預が使者として呉に赴いたとき孫権は
「呉と蜀はいわば家族のようなものだが、なぜ永安の守備兵を増やしたのか?」
と聞いた。宗預は
「東の巴丘が増員すれば西の永安も増員します。これは情勢次第なのであって問いただすまでもありますまい。」
と答えた。孫権は大いに笑って宗預の剛直さを認め、ケ芝・費禕に次ぐ敬意をもって愛した。

↑これは呉も蜀も共に同盟国として当たり前の事をし
孫権も宗預も当たり前の問答をしたまでの話で
これが恥ずかしいエピソードに見える>>674はとても恥ずかしいのではw

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 14:04:05.54 ID:j6ZMuHJJ0.net
>これは蜀への救援を図り、また魏の侵攻に備えたものである。

蜀の滅亡時に永安を攻撃して火事場泥棒を図った史実が無ければ
こういう麗しい同盟国の友情話にも説得力が出てくるんだけどね

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 14:12:49.22 ID:ZYvUl7Bn0.net
>蜀の滅亡時に永安を攻撃して火事場泥棒を図った

その時既に永安や羅憲は魏の所属だ
羅憲は永安への救援要請を魏の陳騫に使者を送っているし援軍も魏の胡烈が向かっている
昔は永安や羅憲も同盟国だったが呉が永安を攻撃した時点で完全に敵国所属なんだから
火事場泥棒という表現は色眼鏡で見ているからに過ぎない

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 00:18:59.87 ID:IH6EltpI0.net
蜀を滅ぼしたのは魏であって、呉ではないのに、その事実を直視したくない余りに前者でなく後者を恨む癖は、時代を超えた真実といって差し支えないのだな。

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 00:24:17.82 ID:IH6EltpI0.net
一般論としても、同盟とは形式的なものでなく、普段からの信頼醸成が重要なのは明らかな。
それを差し置いて、やれ背後を突かれただの、当にその勇は匹夫のものにして、髭袋の中で暖めておけばよかったものを、身の程を弁えぬからあの様よ。

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 00:32:15.90 ID:UZZEoOPh0.net
呉が援軍でもちょこっと出してくれてたら蜀も持ちこたえれたケースでしょ

こういうケースないわけではない
五胡十六国の時、東晋の桓温の前燕への北伐に対し前秦が援軍を送り出して前燕の窮地を救ってる

戦争終結したあとにノコノコやって来て意味もなく蜀の領地領民に攻撃加えてきたら「火事場泥棒」という表現になっても間違いではないだろ
「蜀の解放」でも旗印にして魏軍を攻撃するならともかく

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 00:58:24.12 ID:1QeBVN/60.net
呉もあそこで蜀を放置したら蜀が大きくなりすぎるから危機感あっただろうし
仮に関羽に過失が無くても同盟なんてお構いなしに荊州を取りに行ったと思うけどな

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 05:11:41.25 ID:HMI7sIBv0.net
荊州の領有は呉の悲願だからな
だからあれだけあの手この手と策を弄して関羽を討ちに行った

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 05:43:52.74 ID:HMI7sIBv0.net
大体が呉蜀の同盟なんて左手で握手しながら右手の武器で相手を刺し殺す隙を狙い合う関係だからな
信頼がどうのなんて当人達に言ったら鼻で笑われるだろ

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 05:58:33.82 ID:p30/2vXy0.net
>>680
蜀の降伏が早くて呉の援軍が間に合わなかったので蜀が持ちこたえれられなかったのは
蜀の力不足であって呉のせいではない
羅憲が魏に降伏した劉禅に忠誠誓って魏への点数稼ぎを選択したから呉と死闘になったのであって
本当に蜀復興を望んでいたなら呉軍を受け入れて共に成都目指して進軍する手もあっただろう
羅憲が忠臣といえるのは劉禅と魏に対してであって
姜維が偽りの降伏でケ艾と鍾会との政争の隙をついて蜀復興を計画したのに比べて蜀の忠臣といえるか疑問
羅憲が呉の力不足を嘆き呉の行動を詰っているのに
自身と蜀の力不足による降伏を反省しないのは欺瞞に満ちた言動に過ぎない

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 06:28:06.15 ID:8yGvwjQi0.net
>>684
蜀を本気で取りたかったら対魏で敢えて蜀に援軍出して
魏・蜀両者が疲弊した後に攻め込めばいいじゃん・・・・という王猛的発想
北からと違って東からの方が蜀落としやすいわけだし

むしろ呉って本気で蜀取りに行ってたの?

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 07:07:00.56 ID:8yGvwjQi0.net
263年5月 魏が伐蜀開始
263年10月 呉が蜀漢救援の為に寿春、南郡、?中等へ牽制行動
263年11月 魏が蜀漢を滅亡させる、呉は兵を退く

翌264年正月に姜維が誅されて
成都での反乱が永安に伝播しそうになったのを羅憲が制圧して
264年2月に呉が救援を装って羅憲を攻撃開始

時系列で見ると264年11月に救援やめた時点で呉は蜀漢を見捨てている
その後は火事場泥棒で無くて何なのだろう
対魏というなら普通に寿春か荊州を攻めようぜ

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 18:53:20.07 ID:rgwcQW2S0.net
>>643
もし樊城を抜かれて、許昌を突かれたら曹操政権は半身不随になるんだが

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 22:31:33.92 ID:p30/2vXy0.net
>>684
救援やめた時点で呉は蜀漢を見捨てているのではなく
蜀漢が滅亡したから兵を退いたのだろう
そもそも蜀漢から呉へ救援要請が届いたのが263年10月
普通に考えて救援が間に合うはずはないので蜀漢の滅亡の原因を呉のせいにするのには無理がある

>264年2月に呉が救援を装って羅憲を攻撃開始

何故呉が救援を装って兵を出したのかは謎だが
反乱を企画した姜維に呼応してか霍弋の無事を確認したのかのどちらかか
しかし呉から蜀漢に入るには必ず永安を通過するのは
過去に劉備然り呂岱然り張飛趙雲諸葛亮然り
なので永安の通過を邪魔された時点で戦闘になるのはありうる事

たとえ友軍だったとしても行く手を阻まれたら戦闘になっても然るべしなのは
劉邦が関中入りして秦が滅亡した時に函谷関を閉ざして
項羽を激怒させて函谷関を撃破された事からもわかる事
伊達政宗も大阪の役で敵の明石全登勢を攻撃するのに
前を塞いで邪魔な味方の神保相茂ごと鉄砲で撃ち掛けて全滅させているがお咎めなし
ましてや既に味方とは言えない行動をしている羅憲なら撃ちかかられても仕方ない

>その後は火事場泥棒で無くて何なのだろう

まあ普通に魏vs呉の抗争だろうね
蜀漢が滅亡しているんだから

>対魏というなら普通に寿春か荊州を攻めようぜ

これは孫呉の国是を知らないと理解できないが
孫呉の国是は魯粛の天下二分計を元にした長江割拠による中原勢力への対抗であり
何よりも長江を反中原勢力で維持する方が大事
なので蜀漢の滅亡に関して寿春や荊州を攻撃するよりも
長江沿いを抑える事を優先したのは当たり前
まあそれが永安一つ抜けず失敗したのでは呉の滅亡も遠からずなのは羅憲も予想した通り

孫呉の国是は呉滅亡後に東晋政権へ旧呉臣やその子弟が多く参加し
違った形で孫呉の国是を実現しているのに対して
蜀漢の国是は漢室の復興のはずなのに蜀漢の滅亡後は
旧蜀臣はそうした気概も無く魏に吸収されて知らぬ間に消滅している感が悲しい

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 23:06:38.09 ID:8yGvwjQi0.net
>>688
能書きはどうでもいいから通鑒の「?聞蜀敗、起兵西上、外託救援、?欲襲憲。」を
ひっくり返してみろよ、これ以上の侮蔑はなかなかねえよ?
凄いよなそれだけ長文並べて「火事場泥棒」否定できないって

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 00:02:46.86 ID:XzXC5uUK0.net
>>689
なんだそれ晋書出典じゃん
晋書はイエロージャーナリズムの塊扱いなので
そういう表現は疑ってかかるもんだが
所詮は言葉尻で遊ぶ曲学阿世の輩か

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 05:28:04.73 ID:/w3ij9980.net
>>690
じゃあ別出典よろ

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 12:50:48.15 ID:9KzZsQD60.net
火事場泥棒の根拠崩れたんだから、>>691が別の根拠を探すのが筋。

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 14:59:26.05 ID:kAQjTViQ0.net
まあ蜀の滅亡時に呉軍が間に合っていても役には立たなかっただろうな
羅憲に負けるような連中がとうがいに勝てる訳無いし。

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 15:24:45.07 ID:wPiNsrOC0.net
>>692
別出典出さない限り「火事場泥棒」評価のままなんだが……知恵遅れなんかな?

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 15:30:18.46 ID:CkiRmIG10.net
何を今更

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 17:40:48.03 ID:kAQjTViQ0.net
まるで末期の姜維や陸抗のごとくこのスレで頑張っている
呉は実は裏切り者じゃなく忠実な律儀者すぎて感動するぞ君(長い・・・)は火事場泥棒という表現がそんなに嫌なのかなw

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 17:52:42.02 ID:CRpBSXZ00.net
つか豪族連合体の孫呉は目先の利益追求しちゃうのは仕方ないけとな。

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 23:47:17.12 ID:jPxI80dH0.net
乱世なんだから火事場泥棒大いに結構

勝てば正義

情けないのは士気も低く精鋭がいるわけでもない永安の守備軍に蹴散らされた挙句

増援まで出して半年包囲したのに落とせない呉軍のかませ犬っぷり

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 23:54:47.65 ID:TTM3ECsh0.net
羅憲率いる2000人以下の永安を落とせなかったのは陸抗の汚点だわな。

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/28(木) 03:03:19.77 ID:Rdoy9Bb/0.net
準備もない状態でいきなり今すぐお前蜀取りに行けと言われたら
いかな名将でも勝てるもんも勝てないわな

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/28(木) 19:31:13.29 ID:fgSTbDxU0.net
>>700
それを火事場泥棒という

自分で放火した家に盗みに入るのはただの放火+強盗

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/28(木) 21:14:22.15 ID:Rdoy9Bb/0.net
前々から準備してた遠征でなければ
兵の練度も士気も低いし地理的に不慣れな地域で兵站も安定しないし
それじゃ勝てないだろうって言いたいだけなんだけど
火事場泥棒だったらなんなの?

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/28(木) 21:35:06.17 ID:B7h0UQx/O.net
なんかこう、南シナでやってることと変わらんな
欲望が露骨というか

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/28(木) 21:38:05.29 ID:gY/qGjb20.net
露骨でも勝てれば劉備の蜀取りよろしく一生懸命正当化してもらえるから、
ここまで呉が批判されるのは失敗したから、に尽きちゃうんだろうなあ

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/28(木) 21:43:53.71 ID:8EV6Swyl0.net
劉備って何で流れ流れてるうちに諦めてくれなかったのかね?
蜀だって劉備さえ来なければ豊かなままでいられただろうに
劉備の私欲のために男は兵隊にとられ、納めた税は戦費に使われ
一気に最貧国へ

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/28(木) 23:27:11.25 ID:B7h0UQx/O.net
死にたくないだろう
生きるには強くならなければ

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/29(金) 01:21:38.91 ID:ArfzaJnV0.net
大徳さんは基本的に自己都合で生きてるからね

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/29(金) 07:02:19.67 ID:X1qb8Vqn0.net
>>707
それは曹操も孫権も一緒だろ
三人とも機会主義的だからイマイチ感情移入できない

特に孫権
危機的状況を切り抜ける謀略家としては傑物だと思うが

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/29(金) 07:25:06.03 ID:FwW7Cmxs0.net
呉は叛服常無いし和睦も同盟も臣従もまるで気にせず背後を突いたり
偽計を何度も駆使したりしてえげつない狡猾な立ち回りを見せてるから
ピュアな視点で見てる人なんかは呉のアンチになること多いね
乱世なんてどこも彼処もそんなものだと思うけど

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/29(金) 07:52:25.93 ID:XbRoZgWy0.net
>>709
蜀漢に思い入れある人は呉のアンチになって妥当だと思うわ
上げ潮ムードの時に荊州に乱入されてその後の中原進出の可能性潰されたわけだから

そこまでやっておいて呉の中原経略が六朝の中でもショボい方だから更に非難が高まるわけでして
淮北まで何とか取れていればここまでアンチされなかったような気もする

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/29(金) 08:00:28.69 ID:XbRoZgWy0.net
とは言え東晋も成漢取るまでは中原の覇者である後趙相手には押し込められていたから仕方ないと言えば仕方ないのだが
蜀漢を取りに行かないあたりが孫権の限界なんだよな

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/29(金) 10:05:32.00 ID:EiIOVN1y0.net
東晋も孫呉の豪族連合政権をコピペしたようなもんだからな。
地元の豪族が西晋の貴族連中に変わっただけで皇帝は初代から置物。

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/29(金) 11:35:58.43 ID:sOyTv1HM0.net
>>711
身内が最大の敵だし

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/29(金) 12:31:52.51 ID:WzEmNTbt0.net
>>713
王敦「せやな」
蘇峻「せやせや」

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 21:26:17.83 ID:BSPIZryv0.net
袁家分裂まで徐州を維持できたらワンチャン

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/04(木) 15:36:06.64 ID:vteUtFk/0.net
徐州維持できて徐州の名士層の人材と田豫が残せてたらと思うけど
そうすると荊州益州の人材が来なかった可能性もあるし難しいとこだな
ただ徐州時代を逃すともう曹操が手を付けられないから
結局徐州維持できなかったことが最大の原因なんだろうなあ

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 16:42:47.72 ID:y2vRsKQ1O.net
呂布を使いこなせればな

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 17:16:07.72 ID:6poAoqcQ0.net
陳羣「あんなギリワン追い出せって大徳さんに進言したのに」

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 20:23:53.54 ID:MKwxqXaa0.net
>>717
呂布陣営を飼い慣らし、袁術を追い払えば袁紹閥でも美味しいポジション貰えるだろうしな

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 21:28:20.82 ID:bDb/7ozt0.net
もし劉備の陣営に三傑が居たとしても物量戦に持ち込まれたら抵抗できないし、人材の問題ではない気がするけどな…

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 22:11:30.57 ID:9GQ3uDI3O.net
曹操て大敗が結構ある印象だけど、国力の回復が異常に早い気がするんだが。
劉備は呉に大敗してじり貧になったのに
そんなに当時の北土は豊かだったのかねえ。

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 22:14:45.99 ID:E6+gq9Yo0.net
当時は人口の大半が華北に集中してたからな。
南北朝時代でも北魏の方が人口は圧倒してたし。

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 00:15:38.53 ID:OXhoHnIw0.net
古代は個人の力で割りとなんとかなるよ。
韓信がボコボコにぶっ叩き続けてくれるなら戦局は一気に変わるし
張良がいたらここでよく出る早期に○をすればいい系を実際にやるよう導いたかも。
ある意味守備の名宰相だけ代替がいたから統一できずとも蜀を固めた結果に釣り合ってる
現状でいいなら要らないが天下を望むなら欠かせない人材ですとかいって韓信登用したけど
登用しなかったのが蜀かもね

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 01:54:39.99 ID:OAIdcHozO.net
羅憲が韓信だったのかも

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 03:17:57.24 ID:kGHE0pIt0.net
楚漢戦争の時代は烏合の衆の挙兵も多く
数年で電撃的に終わった動乱だけあって相手に準備が足りなかったりで
いきなり全面戦争になってなし崩し的に勝敗が決まったりすることも多いからなあ

三国時代は良くも悪くも長引きすぎて各勢力が手堅くなりすぎたし
戦争の質自体がまるで違うから、楚漢の時代の英雄がいてもどうにもならなかったかもよ


>>721
魏呉蜀の国力差が7:2:1とか8:2:1とか言われてるし
貿易や文化なんかの中心も全て中原にあったからな

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 06:16:35.65 ID:rADxM0Qm0.net
>>725
毎度人口の話が出るたびに疑問に思うんだが
何で魏はその国力がありながら天下統一できなかったんだ

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 06:55:39.69 ID:BddW91MJ0.net
>>725
烏合の衆の挙兵もいきなり全面戦争でなし崩し的に勝敗が決まるのも三国志でよくあることでは
というのはとりあえず置いといて
どうにもならないってことはないよね。
政治的な立ち回りで張良がジュンイクみたいについててくれれば大きく変わるし
韓信にしたって実際戦力差をひっくり返してきた。それを全部相手が準備不足とかで片付けたら名将なんかいなくなる。
そもそも国力差があるんで何もできませーんってな設定のポンコツ三傑なら
物量とか関係なくいてもいなくても変わらんと思われる

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 07:44:39.38 ID:InxB0MTg0.net
>>726
蜀と呉だけを相手にできたなら統一できただろうけど
他に相手をしなければならかった騎馬民族が山越、南蛮に比べて厄介だったのと
中原の人たちにとって300年以上中原を支配していた漢が偉大で
忠誠を得るのが大変だったんだよ

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 07:47:25.49 ID:InxB0MTg0.net
>>728
中原の部分は長江より北側に置き換えた方が適切かも

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 08:18:51.00 ID:/YVE+gw10.net
魏末〜西晋に鮮卑の反乱起きてるけど鎮圧するのに9年くらいかかってるからな。

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 17:31:21.08 ID:rADxM0Qm0.net
>>728
完全に判断ミスですな

曹操ってやっぱ荀ケいなくなってから劣化が激しいような気がする

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 22:09:21.53 ID:DQL9tLBN0.net
元々華北統一までのビジョンはあってもそれ以降の戦略とかなかったし

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 22:31:25.19 ID:qigLyPXa0.net
華北統一のビジョンすら怪しいだろ、曹操
献帝担いでいるんだから後漢復興路線で最後まで行くべきだった
良けりゃ東晋における琅邪王氏ぐらいの地位は固めれたかもしれんし、悪くても後漢歴代の外戚の上の上は目指せたろ

なぜ劉秀と看板かけて中身王莽を目指す

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 07:11:54.47 ID:yoUHFAtf0.net
蜀は優秀な武人は多かったけど明らかな文官、軍師不足だったな
圧倒的に魏に優秀な軍師(荀掾E荀攸・程G・郭嘉・賈詡・司馬懿)が多すぎた
劉備陣営で大活躍した徐庶が2軍扱いというのも人材の差が如実に表れている
せめて龐統が生きていれば荊州は取られなくて済んだかもしれんな

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 07:58:26.87 ID:lUdJY4pW0.net
徐庶の御史中烝ってエリートコースじゃね。

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 08:10:07.09 ID:qrP5Ws/D0.net
>>731
大軍率いての決戦で悉く決めきれてないのが痛い

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 09:36:54.70 ID:MprzXdSs0.net
同じぐらいの大兵力だと劉備や孫権の方が強いくらいに感じる >>曹操

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 09:45:11.73 ID:MprzXdSs0.net
劉備は関羽の敗戦後十年間ぐらい国力増強に努めた方が良かったんじゃないかな
防戦だったら蜀は十分に守りきれるだろう

魏と呉が互いに攻め合って疲弊してたところで漁夫の利を狙う、これでいいじゃん

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 10:02:16.36 ID:lUdJY4pW0.net
華北が復興しちゃうと避難民がどんどん華北に戻っちゃうからな

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 17:04:05.48 ID:dsWYswWO0.net
曹操は献帝を担がなかったらたぶん華北統一できてないよなあ
明らかに政治力で平定進めてる(軍事力ゼロというわけではないが)
全部が全部自分の実力だと勘違いしたせいで赤壁以降行き詰まったんだろうな

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 17:39:00.25 ID:Xtrabasj0.net
漢の復興を掲げ無かったらジュンイクとかは曹操につかなかっただろうね

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 21:29:19.83 ID:vI1kTWyt0.net
>劉備は関羽の敗戦後十年間ぐらい国力増強に努めた方が良かったんじゃないかな

その頃には劉備も法正も黄忠も馬超も趙雲もお亡くなりになってる
張飛も部下に殺されてたかな
劉備は馬に乗らなければすぐメタボになる体質だから
十年間何もしないのは戦三昧と同じくらい寿命が縮む

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 16:16:48.78 ID:EJ+Jh6+50.net
徐庶は劉備陣営で大活躍ってほどのことしたか?

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 18:58:02.75 ID:wso+lS5a0.net
孔明さん引換券として大活躍

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 04:16:20.90 ID:ZqT659qA0.net
劉備、関羽、張飛は三人セットでしか力を発揮できない人達だから離ればなれで行動したのが最大の失敗だった
劉備は1人だといろんな能力が足りないし、関羽は1人だと周りの意見を聞かないし、張飛は1人だと酒浸りになってしまう
メーガス三姉妹みたいに誰か欠けてはいけない人達なんだわ

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 06:02:34.13 ID:P8O62a4U0.net
関羽の補佐のために孔明を荊州に置いとくべきだった

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 12:11:51.86 ID:555gk3HN0.net
一人でも結構勝ってるんだがなあ

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 12:37:45.27 ID:3rgdF2pe0.net
演義の読みすぎ

というか演義すら読んでない臭いがプンプンする

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 13:00:38.81 ID:vVMBscQV0.net
永安あたりに張・趙・超か孔明おいて拠点作っとけばねぇ

てか関羽さんも襄陽攻めたりしないで引き篭もってりゃ良かったのに。
まぁ劉備本隊の北上作戦に連動してたからしゃーないってのもあるかもしれないけども

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 13:06:58.32 ID:9Iy1uH3a0.net
>>749
人口集積地である襄陽を取っておかないとじり貧だし

関羽の態度もどうかと思うが、北上前年に暫定的に荊州問題の手打ちを行ってるのに
最悪のタイミングで再度侵攻してくる呉も大概だろ

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 14:33:08.43 ID:555gk3HN0.net
まだ周辺国が安定してない援軍が見込めない時期だったから
もう少し時期を待つべきだったけど
関羽の場合、中原での叛乱を扇動していたから
自らも動かないと全員見殺しってことにもなるし
漢中に呼応する形だったりで動かざるを得なかった感じもあるよね
于禁を捕虜にした時点で引き上げていれば最高の形になったろうにね結果論だけど

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 14:44:47.06 ID:fATpCGpy0.net
>>748
三戦やゲーム板から来たやつばかりにだからね。

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 15:46:28.51 ID:9Iy1uH3a0.net
>>751
結果的にはそうだけど、樊城包囲が突破されてなお襄陽攻略できるって状況なのに
絶対優位の包囲中に、「援軍叩いて戦果上げたし帰ろうぜ!」とはならないだろ

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 15:56:03.21 ID:qgDwKoZ10.net
第二次合肥攻略戦が上手くいって、徐州に雪崩れ込めていれば孫権も荊州についてブチブチ言わなかっただろうに

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 16:07:27.19 ID:fATpCGpy0.net
合肥は南北朝の時代でも難攻不落で有名だったからな。
なお韋叡さんはアッサリ陥落させた模様

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 17:44:58.16 ID:qgDwKoZ10.net
>>751
魏が混乱して戦力を逐次投入しか出来ない、あのタイミング以上の好機ってなかなか無いだろ

徐晃の軍も急造部隊だったし

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 18:00:29.58 ID:3rgdF2pe0.net
そもそも孫権が何をしたかったのかが未だに分からない
まさかあそこから天下なんて本気で考えていたわけでもあるまいに

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 18:09:12.74 ID:frCBhxPa0.net
東晋みたく自分の利権だけガッチリ確保して後は知らんって考えだろ。

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 18:26:52.97 ID:2IcluBLG0.net
>>758
東晋時代の方が劉宋とかより真面目に北伐やってるんだが
謝玄の北伐は最前線が冀州まで推進してる

孫呉って最大でどこまで北上したんだっけ?

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:52:09.71 ID:SksMkTF70.net
>>756
それ以上に蜀が関羽に追加戦力を投入できない時点でオhル
劉備も呑気に漢中王僭称してる場合じゃないだろ
急造部隊でも追加戦力を逐次投入できた魏と
全く追加戦力を投入できなかった蜀との差は歴然
あのまま呉が戦闘参加しなくても関羽の進撃は先が見えていたよ

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:55:53.58 ID:SksMkTF70.net
>>759
遼東、高句麗

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 21:17:37.25 ID:P7TAQo2j0.net
ケイ州とった上に関羽も倒しちゃったら、
劉備が目の色変えて呉に攻めてくるだろうって
わかりきってたのに よくやっちゃったなぁ

関羽の首 魏に送りつけて責任転嫁をはかるくらいだから
ヤバさはわかってたんだろうに

わかってた割にはろくに備えも整えず劉備の侵攻許したよなぁ

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 21:21:58.42 ID:jY+BpnPG0.net
>>762
夷陵の戦いって三つ巴の場合二番目と三番目が潰しあう(併合するわけではない)という絶対にやってはいけないパターンだよな

まあそのチャンスを全く生かせなかった一番目がいるようだが

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 21:33:31.61 ID:n/YLOGP+0.net
蜀漢から見たら孫呉は、必要不可欠な同盟国だが
孫呉から見たら蜀漢は、天下三分(同盟国)か天下二分(討伐して併合)かの選択肢の一つでしかないからなあ

蜀漢って余力のないジリ貧国だから、
最適解を取り続けざるを得なくなって、物語として見た場合非常に分かりやすい

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 22:38:13.08 ID:SksMkTF70.net
>>762
それだけ荊州獲るのは孫堅以来の悲願でもあり価値もあり国力倍増
まあ孫呉にとっては貸したもん返してもらっただけかもしれんが
劉備が大軍で攻めてきても215年の事もあり孫呉的にはそんなに脅威には思ってなかったのではと思う
実際夷陵の戦いは孫呉はろくに備えも整えずで異民族の後方攪乱や陸遜の指揮不足による混乱もありながら
劉備率いる諸将が力不足なのか進撃が三峡内で止められ孫桓籠る夷陵(西陵)も抜けず
逆に孫呉の反攻で両手に溢れるばかりの蜀将が討ち取られ蜀軍壊滅状態で
尚且つ直後に魏から三方面で攻め込まれても跳ね返す余力も孫呉にあったからな
劉備は関羽存命時から基本的に孫呉ナメてるので侵攻したかもだが
結果的には致命的な負けになったので基本的に孫呉はナメちゃいかん

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 22:50:36.43 ID:2IcluBLG0.net
孫呉が凄いのは分かるが
やはり曹丕が無能、諸葛亮の十分の一なだけはある

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 00:08:51.21 ID:BSV//Jol0.net
>>766
それこそ曹丕時代には何もできず,
魏が安定してしまったた曹叡期にようやく北伐を始めた諸葛亮に,
どれだけの才能があったとでも言うのか。

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 00:32:11.61 ID:Il1wdSUv0.net
曹丕は親征で結果出せなかったのと
人事で依怙贔屓が多かったせいで過小評価されがちだと思う

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 01:52:01.75 ID:Nzr21zQG0.net
呉は防御戦は異様に強い
しかし侵略戦はいまいち弱い

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 05:47:51.51 ID:F83wtkAR0.net
>>769
馬産地と接してなくて騎馬の安定的確保が難しそうだから機動力不足が原因なんじゃない?
東晋も北伐が結果出すようになったのは吐谷渾と接する四川を領有して以降だし
「歩騎」の記述が出てくるのも大体その時期以降だったような

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 06:01:09.61 ID:F83wtkAR0.net
>>768
さすがにその二点の失敗は大きくないか、特に人事面が致命的
過小評価と言うか妥当な評価のような

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 10:06:33.54 ID:7gWdL3Pl0.net
>>763
まあそれだけならあの時点で魏に降伏してるからまだ理解出来なくもない
その後10年足らずで魏に反抗してるのが意味不明

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 10:40:19.96 ID:H9y+s5i+O.net
場当たり的な感じはするな
呉はあれで完成されているようなものだから、守勢にまわると対外活動はおまけみたいになって、あんな感じになるのかも
日本の守勢にまわった大名つうと毛利や北条イメージだか、どうだったんかな

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 10:44:56.29 ID:N4c9X/VF0.net
>>772
魏に降伏して呉王貰った時点で呉の目的達成しているからな
皇太子の孫登取られるの拒否し続けてたら魏側がキレて攻められた

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 11:11:18.06 ID:/2svb+bc0.net
そんな孫権を屈服させられなかった曹丕、曹叡もなかなかのもんだわ

孫権に看板がないのは自明だったわけだからせめて呉を潰すまでは禅譲しない方が良かったと思うんだよな

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 13:42:27.73 ID:hlKItl7U0.net
>>763
葬式は質素にやれ 喪とかやるなよ って遺してあったつっても
やっぱり曹操が亡くなるってのは魏にとっては重大事だったろう
つか曹丕は曹丕でちゃっかり禅譲させて皇位ついてるしね
定軍山や樊城の戦いで国力も相当疲弊してたろうし禅譲にとやかく言う輩も居たろうから
内政重視してたんだろう
なんだかんだで222年には呉攻めてるしね

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 13:44:59.57 ID:s5v+4GJk0.net
曹丕が帝位につくまでは幼帝ばっかりだったからね。

778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/12(金) 19:52:24.76 ID:MPmfk2JA0.net
山本太郎

愛媛県の伊方原発が再稼動される。正気とは思えない判断だ。東電原発事故や熊本地震から一体、何を学んだのだろうか?
http://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-12189491723.html


マイト レーヤは原発の閉鎖を助言されます。
マイト レーヤによれば、放射能は自然界の要素を妨害し、飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落します。
マイト レーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じです。

日本の福島では多くの子どもたちが癌をもたらす量の放射能を内部被ばくしています。
健康上のリスクは福島に近づくほど、高まります。福島県民は発電所が閉鎖されれば1年か2年で戻って来られるでしょう。
日本の近海から採れた食料を食べることは、それほど安全ではありません。汚染されたかもしれない食料品は廃棄すべきです。
問題は、多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、日本政府が、原子力産業を終わらせるおそれのあることを何も認めようとしないことです。

注意欠陥障害(ADD)多動性障害(ADHD)、慢性疲労、あらゆる種類の癌の増大、呼吸そのものが脅かされています。
世界中で病気、主に皮膚、心臓、肺に関する病気の発生率が上昇し、ずっと昔に征服された病気が復活しはじめています。
汚染による死者の数は、他のいかなる原因よりも多いです。河川の汚染は社会に対する犯罪と見られなければなりません。
免疫システムの崩壊の結果がアレルギーです。人々は肺炎やインフルエンザやHIV/エイズなどに抵抗できなくなっています。
認知症の過程は放射能汚染によって加速します。増加するアルツハイマー病の原因となっており、より若い人々に起こっています。


2011年
3月18日  「致死量の放射能を放出しました」東電の小森常務は、こう発言したあと泣き崩れた。
        事故に直接責任のある清水・勝俣に20億円を支払い、事故当時の経営陣は全員、全額退職金を税金から分捕って逃亡

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/16(火) 22:31:48.25 ID:vi3GDg9P0.net
関羽は荊州や世評の評判からみても

根回しの層が浅くて、民衆の世評は抜群に良かったという人物

これでは、実際 したたかに立ち回る呉にかなうわけねぇよ

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 00:03:27.56 ID:Iar2ioEB0.net
>>779
関羽が荊州や民衆の世評が抜群に良かったという割には
襄樊からの敗走中に呂蒙の鎮撫の様子聞いて
軍の大半が脱走して孫権に降伏している事から
民衆の世評が良かったというのには疑問

関羽が今みたいに関帝として祀られているのも
関羽死後かなり経って道教絡みで神にされたからであり
関羽の時代に祀られていたというのは演義のフィクションにしか感じない
関羽のちょっと後の時代の羊コみたいに死後荊州の民衆から祀られたという話も気管支

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 10:39:00.84 ID:fdXlhSJvO.net
>>780
関羽が実際に祭祀されたのが明確なのは唐代の初め。
若き日の隋の煬帝の師だった天台宗開祖智ギが、怨霊となっていた関羽に説法して成仏させた、という伝説が唐の初期に現れ
唐の高宗が寺の伽藍神として祀れと命じた話がある。
実際には元々民間で疫病神を追い払う神になっていた関羽を、天台宗が布教の種に利用した可能性が高く
死後間もなく神として祀られた、としている現在の関帝説話の様な感じではなかったらしい。
関羽の出身地の解州で祀ったのが先、というのもあるけど関羽在世時に肝心の解州でそれ程関羽の支持が高った訳でなく(大体劉備・蜀漢の勢力圏ではない)
解州塩業者が中華全土に手広く活躍するのはそれより結構後の時代なので、ちょっと無理がある。

782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 12:22:29.83 ID:22MD7iWc0.net
関羽頼って地名が三国志の呉書に出ていて
関羽と甘寧が死後早い段階で荊州で水神として扱われてたような話も多いけどな

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 12:54:02.11 ID:fdXlhSJvO.net
甘寧は宋か明の地誌にも廟の記事があるから、結構息の長い信仰があったみたい。
でも現在は遺ってないようだから残念。
他にも三国時代の人間で死後さして経って無いのに神にされてたような、名前忘れたけど。

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 16:46:20.91 ID:N5QgkAL60.net
潘濬は、正史の記載を見る限り、文武に秀でた人物で、関羽との関係さえ良ければ、呂蒙の作戦の巧さを置いたとしても、荊州がそんなに容易に落ちるとは思えない。

関羽と諸将との関係が悪いことは、益州は気づいていたのであろうか。それとも、知ってはいても、関羽以外に、例えば、諸葛亮も含めて、信頼できる人物がいなかったのであろうか。

785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 20:26:59.15 ID:a4wbM9j10.net
潘濬は関羽(劉備)との関係より荊州の安泰を取ったんじゃないの

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/23(火) 08:04:23.40 ID:77+DW1Pm0.net
>>784
手紙エピソードとか読んでると関羽の性格がアレなのは孔明はわかってる感じ

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/24(水) 02:56:30.96 ID:sjG5XtCw0.net
>>785
潘濬は蒋エンの義弟(潘濬の妻の兄が蒋エン)
同時期他にも麋竺の弟糜芳(劉備の妻の兄)や
幽州からの古株(?)の士仁とかも呉に下っているな
外様というよりも譜代の人物が何人も蜀から呉に下っている

荊州の安泰もあるが
赤壁の戦いの時とか一時期呉蜀は同一勢力と言っても差し支えなかったから
上が関羽でも孫権でも現代人が思うほどそんなに違いがなかったのでは

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/27(土) 17:03:09.68 ID:zd2pQ3ON0.net
>>691
当事者の伝には全く記述が無く
魏志三少帝紀と
呉志三嗣主伝に少々
魏志と呉志とで完全に目線が違って面白い

あとは霍峻伝の注に習鑿歯の襄陽記が載っているが
これが晋書羅憲伝や資治通鑒の元記事になっているのは確実
ただし習鑿歯は完全なる贔屓目線で書くので有名な人物で
羅憲の名前を「羅献」と書いたり明らかな間違いも多々あるので
習鑿歯の記事全てを鵜呑みにするのは愚か者の行為

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/27(土) 22:33:13.41 ID:p5YGQB5M0.net
習鑿歯は同時代人からも突っ込まれるほど斜め上の論説とか発表してるからな

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/30(火) 17:10:55.07 ID:SUTsM74b0.net
陶謙遺臣の武官たちに背かれたのは痛かった
徐州豪族達との関係も良化してたし、呉景との戦争も優勢だっただけに

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/30(火) 17:15:09.40 ID:X5deo7kj0.net
袁術にならまだ分からなくもないが呂布に乗っかった徐州の連中は何したかったんだ?

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 08:12:42.69 ID:mVUKN/xa0.net
>>791
劉備から冷遇されるどころか、割といいポスト貰ってたんだけどね
マジで演義みたいに劉備家臣たちと折り合いがつかなかったのかも

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 12:30:06.15 ID:AXDU6OWs0.net
徐州に来たばかりの頃の劉備軍なんて
戦に明け暮れてた山出し集団みたいなもんだったろうしな

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 14:12:27.69 ID:jMPwdjSW0.net
蜀入りしてからも劉備陣営って人間関係のトラブル多いからその頃からあったんじゃね。

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 14:59:23.54 ID:mVUKN/xa0.net
呂布が寝返らず劉備に従属し、袁術の侵攻も跳ね返したとして
次の一手はどうなるんだろうか?

曹操や乍融が徐州を無茶苦茶にしてるから、しばらくは動けないか
それとも返す刀で揚州攻めか

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 15:47:50.02 ID:6w3lDMj20.net
徐州時点で劉備と呂布が手を結んだら呂布の方が立場が上になるんじゃない?

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 16:01:23.82 ID:DxqghIHX0.net
呂布はこの時点では兵糧が切れかけてるから劉備に頼った訳で。

798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 18:41:53.16 ID:9y7KjI6qO.net
>>793
督郵ぶん殴って逃げた過去もあるし、評判は良くなかったんじゃない

799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 18:48:31.01 ID:sia2hrwt0.net
そりゃ一族がついてこない時点でお察しだし

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 18:58:09.33 ID:gqxqm+vG0.net
関羽や張飛、趙雲、黄忠は庶人階級だったのかどうか気になる(馬超は曲がりなりにも士人だったろう)

801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/01(木) 01:16:12.65 ID:QuYnXP8O0.net
劉巴「皆、兵隊野郎ですよ。同じ空気すってるだけでこの身が汚れる思いです。まあ一番おぞましいのはデカ耳のオッサンですけど。」

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/01(木) 08:18:05.82 ID:WIu7nE7M0.net
>>795
流石に袁術を揚州まで追っかける余裕はないだろ
ボスの袁紹からその指令は来るかもしれないけど

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/01(木) 09:02:40.04 ID:tiIX616k0.net
>>801
士人でも軍事に携わる人間はいるし、弓術や馬術(戦車操法もかな)は一応必須教養だったはずだから
軍人がみんな非士人扱いだったわけではないと思うが

劉巴の逸話だと張飛は庶民だったぽいのな

804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/01(木) 12:21:06.89 ID:TtZjxfHfO.net
平原から徐州じゃ、文化慣習の違い、方言だってあるだろうし、蜀なんて日本人と中国人が一緒に過ごすようなもんなんじゃない

805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/01(木) 17:25:52.99 ID:WIu7nE7M0.net
>>801
なんだかんだいって蜀の法律作りに熱心だった能臣

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/01(木) 18:53:37.07 ID:kkWuK/qI0.net
張飛関羽は庶人じゃないのかな、肉屋に塩の密売人じゃないっけか
趙雲は故郷の郡に推挙されて義勇兵率いてたり
なんかちょっと毛色が違いそうなイメージもあるけど
黄忠は良く分からないね劉表時代はわりと待遇良かったようだけど

807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/01(木) 18:59:01.78 ID:V0HDB52t0.net
>>806
庶人の関羽から見下される士大夫層……そりゃ嫌われるわ

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 12:10:15.84 ID:HF2b0Rko0.net
関羽に見下されていた黄忠は
劉表の元で中郎将
曹操の元で仮裨将軍
劉備の入蜀後に討虜将軍
漢中平定で征西将軍

一方の関羽は
曹操の元で偏将軍
劉備が荊州任されると盪寇将軍

関羽が前将軍に黄忠が後将軍に任じられるまで
関羽の方がずっと格上かと思ってたが意外とそうでもない
黄忠は功績積み重ねて順調に出世していて
長年特に軍績なく雑合将軍のまま据え置かれている関羽とは違う
逆に関羽が前将軍に任じられる前は黄忠が格上とも思えるので
関羽が黄忠と同格にされてキレる理由がよくわからなくて笑えてくる

809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 12:15:26.23 ID:kByJxwvS0.net
関羽の性格を誇張する為の演出的創作だろうな

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 14:08:22.93 ID:/gEyZlnF0.net
そりゃ長年献身的に仕えてきたNo.2とぽっと出の新参が同格って言われたら気分悪くするのは当然だと思うが
それに軍績(軍功のこと?)が無いとは言うがそもそも黄忠が来た頃にはもう関羽は局地的に部隊を指揮して勝ち負けを競うような立場じゃない

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 14:42:39.72 ID:H7sCi6hk0.net
赤壁以降の劉備軍団の中核は荊州勢中心だから黄忠の厚遇も別に変じゃない。

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 19:12:27.89 ID:G74BKsdw0.net
股肱よりも外様を厚遇するのは自然だけどな
馬超の待遇なんかももろそれでしょ

813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 20:58:04.37 ID:KNyTDKPp0.net
>>810
黄忠が来た頃って関羽は周瑜のパシリやってたり
局地的に部隊を指揮して楽進や文聘に敗れたりしてたような
劉備が益州行って関羽が荊州総督に任命されてようやくNo2の権力手に入れたといえる

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/06(火) 11:30:44.21 ID:zNVmRdCG0.net
>>795
曹操、袁紹の仲が悪化するまで地場固めだろ

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 16:22:31.74 ID:i/h6C7HSO.net
対抗馬の袁紹が倒れたのは痛いな
でも曹操との戦をしたのは、劉備の進言がきっかけのひとつでもあったんだっけ。田豊は反対してたけど

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 18:32:16.49 ID:s3NBqyiL0.net
劉備はなにげに袁紹の長男の考廉の推薦人だったりする

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 18:38:11.29 ID:xiiprFOB0.net
>>816
その経歴だったら間違いなく皇族の身分詐称なんてあり得ないと思うんだが
未だに身分詐称をほざいている奴とか見かけるんだよなあ

818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 18:47:15.77 ID:8L2Bml/t0.net
劉備の出自は陳寿や注釈入れた裴松之も内心疑ってる記述があるから仕方ない。

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 19:31:36.47 ID:4OLXTpHr0.net
典略にしても皇族の子孫という扱いは変わらないと思うのだが

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 20:09:04.97 ID:puPjIlMu0.net
多分母親の身分が低い庶子扱いなんじゃね。

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 20:59:06.93 ID:Y4vMrgGK0.net
本物だろうとそうでなかろうとその出自を利用するなら本物のように立ち振る舞うだろうさ
それに劉備は曹操の所にいた時にお墨付きを貰ってるようなものだったしな

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 21:15:37.58 ID:4OLXTpHr0.net
>>821
そこは逆だろ
孝廉出身の祖父を持ち盧植に師事して学を修め(身に付いていたかどうかは別にして)
三十代前半で豫州刺史や徐州牧におさまった新進気鋭の若手群雄である劉備に
つい最近まで献帝廃立を目論んでいた袁紹の子分だった宦官の孫曹操のお墨付きなんて何の保証にもならんよ

寧ろ曹操は積極的に劉備の名声や実力を利用した方

823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 21:16:11.75 ID:0c0jtdUq0.net
孝廉の推薦人ならば皇族に違いない、って確かに言えることなの?

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 21:18:33.03 ID:0c0jtdUq0.net
劉備って時期によって先祖を変えていた、という記述をどっかで読んだ記憶があるけど
明確に誰の子孫なのか確定したん?

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 21:28:04.95 ID:puFbajCT0.net
>>823
推薦人になるにはある程度の名声はいるけどそれが皇族の証明にはならんな

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 21:31:24.70 ID:ptnAagGH0.net
>>824
一族が殆ど付いてってないからその辺りはまったく分からん。

だから裴松之も「親の宗廟がちゃんと伝わってないのは困る」ってコメントしてる訳で。

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 21:33:51.79 ID:T4UOs/gx0.net
異民族や黄巾賊や反乱盟主にも劉姓いるのに
劉姓というだけで皇族扱いしたがるのは頭が弱い

前もって言っとくが異民族で漢皇帝の血が入ってようが異民族は異民族だ

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 21:43:01.26 ID:6THfnJoq0.net
劉淵「ワイ、創作じゃ阿斗ちゃんの子供か孫にされてるんやけど」

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 21:43:20.72 ID:4OLXTpHr0.net
>>824
そういう話がよく出るけどさ
いちいち十数代にもわたる祖先の名前が記載されている人物なんてほとんどいないんだけど
同じく前漢系皇族の末裔であった劉焉も間は空白だ(と言うか父親、祖父の名前経歴さえ不明)

劉焉の賢良方正推挙パターンを見ていると劉雄が馬の骨というのは考えづらい
郡内の高官、豪族たちの推薦がないと孝廉推挙なんてほぼ無理な話なわけで
勝手に元皇族を名乗っている馬の骨を推挙するほど郡の官吏たちも間抜けではない
一応郡で一人枠という狭き門だから否が応でも注目されるわけだし

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 21:54:00.37 ID:4OLXTpHr0.net
東晋で司馬睿が牛氏の子孫とまことしやかに囁かれてた噂ではないけど
対抗勢力から言わせれば血統の粉飾疑惑なんて最高の攻撃材料ではある
曹叡とか変ないちゃもんつけられてるわけだし

何で劉備にはそういう攻撃がなかったのか
タク郡なんて曹操の支配下でいくらでもスキャンダル掘り起こせそうなのに

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 22:05:23.58 ID:Y4vMrgGK0.net
>>822
お墨付きは朝廷からだよ
曹操暗殺持ち掛けられたり朝廷側に認められてるようなものだったじゃない

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 22:09:25.55 ID:bMy4O2qx0.net
劉備が皇族の末裔じゃなくてただの成り上がり系図偽造野郎って証明無理だと思うの

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 22:15:48.98 ID:T4UOs/gx0.net
>>830
劉備の場合は劉宋の創始者劉裕のケースに近いのではないだろうか
親が下級役人以下の下賤の者で誰が見ても血筋が明らかに怪しい場合は
血統の粉飾疑惑なんてノーダメージで攻撃材料にもならん

血統の粉飾疑惑は曹叡とか司馬睿とかみたいに
親が王侯貴族みたいな高貴な身分で初めて攻撃材料に使える

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 22:31:17.59 ID:2eXlIuIj0.net
スキャンダルに一番弱いのは勝手に「漢」を名乗っちゃった劉備・劉禅なのでは
家系図粉飾の一点だけで信望失うような……

835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 23:36:02.28 ID:i/h6C7HSO.net
朝廷から認められてるし、禅譲した後の大義名分にもなってるんじゃない

836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 00:31:35.52 ID:0WHlcR6x0.net
>>823
ならんな
ただ思ったより劉備の名声高いってのがよくわかる

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 01:14:35.98 ID:vz49u5tnO.net
ただ何で国を興しながら、最後まで宗廟建てなかったのかはかなり謎だわな。
少なくとも漢中王宣言以降なら、劉備に王国の主の自覚はあったんだからその時点で国主の祖の為の廟を建てても不思議でなかったんだし
せめて劉備没後に廟を始めて起こしてもいいだろうにそれすらもしない。
幾らなんでも、実際の漢の宗廟がまだ献帝(のちの山陽公)とその子孫の管理下にあったから建てられなかったなんて理由とも思えないが。
大体蜀漢的には献帝は禅譲の時に「崩じ」、それまでの漢は「魏に滅ぼされた」筈であった訳だから。

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 01:29:02.37 ID:6JuJahPV0.net
>>836
ただの流れの傭兵隊長では推薦人には成れないもんね。

>>837
曹丕や孫権や司馬炎は勿論作ってるし
匈奴の劉淵でさえ宗廟作ってるからなぁ。

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 01:39:14.12 ID:tRVkKgmyO.net
名声は旗揚げ時からあったが、素行が悪すぎて親族がついてこなかったのかな

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 01:47:51.11 ID:tRVkKgmyO.net
旗揚げ時…朝廷の使者打つような無謀野郎
徐州前後…処世術には長けて、口に蜜あり腹に剣あり的に袁紹も信用
劉表以後…歳喰って何やってんだ俺とちょっと反省

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 07:12:30.59 ID:KvPBol630.net
>>833
劉裕は魏書では項伯の子孫で真っ当な劉氏の子孫ではないと北魏からいちゃもんつけられてるのだが
身元が怪しいというのはこういうことを言うのだろう

で何で劉備にこの手の系図偽造指摘という同時代の資料がないの?
裴注ですら史料が散逸してしまって残念だというスタンスなのに

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 07:19:03.59 ID:KvPBol630.net
>>837
劉備は国を興したのではなくてとりあえず漢を継いだ立場だから漢代にあれこれ揉めた七廟を改める必要なかっただけなんじゃないのか

漢の祖廟を更新するのは劉備が天下統一して王朝の完全復興成し遂げた場合でしか無理だろ

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 08:10:08.65 ID:39D15IOS0.net
>>840
この鞭打ち事件から孝廉推薦人に成り上がる過程も謎だわ。

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 09:41:51.46 ID:KvPBol630.net
劉備の場合、高唐県令への任官がおそらく二十代後半の頃の話だろうから
コネ孝廉の曹操の頓丘県令任官には負けるにせよそこそこのスピード出世だと思う
平原国相の頃には下級の士たちに対しても身分に分け隔てなく待遇した話が残ってるから
この時点で下級の士族とは身分が懸隔していたことが伺える

山東地方で県令を務めた祖父劉雄の旧縁とか何かがあったのだろうか

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 10:13:32.71 ID:vz49u5tnO.net
>>842
確かに漢の継承者として、益州に宗廟を建てなかったのはそれで言えるな。
第一、出師表で諸葛亮が劉備の死を「崩」でなく「崩ソ」と統一した皇帝の死と区別してる点からもそれは蜀漢の共通認識だったろう(先帝創業はあくまで文飾上の表現だろうし)。

ただ個人的には漢中王の時点で「諸王の家廟」は起こしても構わないのが、何もしなかったのがちょいと。
確かに漢中王から蜀漢皇帝までの期間が短く内外で戦争ばかりしてるから、単に建てる暇が無かっただけかもしれないし
劉備自身がその手の体裁を調えるのに余り拘わらなかっただけかもしれないけど。

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 11:40:07.71 ID:6jk1PN0y0.net
陳寿が後主伝で「行事の多くが遺漏してた」つってるからホントに宗廟立ててないのかも

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 12:23:17.00 ID:KvPBol630.net
>>845
大義親を滅す、劉備が王号を称した後家廟祀ったりしたら「あの人が王位に就いたのは自分の家のためだったみたいよ」と陰口叩かれるくらいなら
むしろ漢王朝復興まで我が家のことすら顧みないというポーズを示して「あの人は無私の人なんだなあ」と思われた方が得な場合もある

光武帝の場合は元帝を継ぐ形を取っており、本貫の近くに四廟は立ててるみたいなので
劉備がそれに習うとするとリアルに天下統一まで四代前の祖を祭祀できなくなる
それはそれで有りかも

848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 21:20:10.86 ID:VTWiVJ730.net
     /\__/\
    / △    △ ヽ
   /           ヽ
   / / ̄\/ ̄\  |  才能の無い奴は
   | |   0   0  ヽ .|  何やってもダメなんですよおおおお
 .  ヽ|゛゙ (^ヽ_ノ^) ゛゙|ノ
    \_`── '_/ 

849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 22:51:51.35 ID:1xKSPjK90.net
女々しすぎなんだよ。
英布を見ろ英布を。
劉邦「なぜ叛いた」
英布「ただ皇帝にならんとするのみ!」

これこそ英雄。君側の奸を討つだの実質終わった王朝へ建前の忠義だの

850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/10(土) 01:37:36.53 ID:B71srJkI0.net
冒頓単于「劉邦?俺に土下座したヘタレね」

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/10(土) 06:42:46.22 ID:3fNYNAUqO.net
赤龍王なら、「オラァ悪かったぜ!」て笑いながら怒鳴って土下座。立ち上がった後、「喧嘩やめねえか!」と単于と目と目が合うシーンを挟んで、「……良いだろう」と何故か和睦

852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/10(土) 07:45:42.61 ID:Vggoll1G0.net
何でIDコロコロ変えてまでこんな下らないレスしてるの

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/10(土) 10:03:52.08 ID:VRGiiFGIO.net
>>847
漢中王の時からそんな方針なら、蜀漢が劉備没後イデオロギー国家になったのも仕方ないわな。
実態が支配地域も結構狭く、外部への経路も多くは険しく少ない地方軍事政権でしかないのに、中原制覇を目指さなければならない無理ゲー。
これで人材も荊州以降増える所が徐々に減るじゃなあ…国はあるから天下に目がありそうなのに、実は国が出来た時に詰んでいる。

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/10(土) 10:15:32.43 ID:6apMi8kS0.net
>>853
劉備の場合、袁紹の敗北後は本貫地から離れた荊州で必死こいて人脈とかを作っても曹操と孫権に掻っ攫われたりとか本来なら詰みゲーの状態を無理やり延命させた印象。

855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/10(土) 12:43:11.25 ID:776fJJKD0.net
劉備がこの歌を歌わなかったから

  おもしろ三国志 董卓討つべし(LIVE)
    https://www.youtube.com/watch?v=HGEHtNt7NwE

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/12(月) 09:04:07.96 ID:AHMJp3Rc0.net
>>854
本当にちょっとしたことで昨日と今日の優劣がひっくり返るのが歴史だし
別に無駄な抵抗とは思わないな

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 10:01:16.45 ID:elaAO2zD0.net
張飛と呂布の相性が良かったら、どうなってただろうか。
関羽、張飛、呂布この3人使いこなせたらすごそうだよね。

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 10:19:47.73 ID:une8uFLt0.net
部隊長としては実際どうなんだろうね その3脳筋

859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 11:09:32.86 ID:mF42m7XL0.net
呂布のほうが年上で劉備を弟と呼んだりして、呂布自身も自分のほうが格上だと思ってそうだが
そんな状態で呂布をずっと配下にできるとは思えない

860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 11:18:14.26 ID:2RRH0hRyO.net
知名度は抜群にあったろうし、石田三成が島左近を部下にした時くらいの差があるんじゃないの

861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 15:18:17.29 ID:VRUs80Lt0.net
呂布よりも陶謙派の武将がちゃんと懐いてれば・・・って感じ

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 17:16:41.20 ID:2RRH0hRyO.net
陳親子は引っ掻き回している連中に思えてあまり好きじゃない

863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/20(火) 21:40:08.90 ID:+Cfk4ODQ0.net
朝鮮大学校「日米を壊滅」 正恩氏へ手紙、在校生に決起指示 2016/9/20(火)
朝鮮大学校(東京都小平市)が5月、日米壊滅を目指す手紙を北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長に送っていたことが19日、分かった。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6215019

在日は朝鮮戦争から逃げてきた北朝鮮シンパが多いので韓国より北朝鮮の思想で在日社会全体を動かそうとします

864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/21(水) 18:24:57.01 ID:Bfqy5GZA0.net
>>858
呂布は後漢書読む限り騎兵を数千人程度の指揮がやっとって感じ。
関張コンビはこの時点では不明。

865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/21(水) 18:25:34.62 ID:Bfqy5GZA0.net
>>862
陳親子は地元の利権とアンチ袁術だから

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 01:00:01.50 ID:AVEASP2i0.net
>>865
途中からアンチ孫権になってなかった?
陳登生きてたら孫権に好き勝手されなかったのになあと曹丕が言ってたような

867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 01:05:14.79 ID:DqYKxdDn0.net
>>866
陳親子がアンチ袁術になったのは身内やられたのが原因だけどアンチ孫家は・・・孫策のやり方がエグかったのかね。

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 22:48:02.04 ID:OsqSimKX0.net
陳親子って陳紀陳羣の方かなと思う俺は三国志検定一級
陳ェ陳忠かなと思う香具師は三国志検定段認定

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 14:01:05.79 ID:ReUPooLk0.net
陳羣陳泰だった…

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/24(土) 18:29:04.02 ID:asJUFmxP0.net
陳羣と陳登が同世代だから
陳羣陳泰だと陳矯陳騫との比較になるので

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 09:05:57.34 ID:42oCwgRD0.net
漢中戦後の余勢を駆って涼州・雍州の支配に乗り出せば蜀防衛も楽になったんじゃないか?
北伐を見るに魏もこの辺の支配はガバガバだったし

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 09:38:38.35 ID:EzrLzSYV0.net
漢中奪取後は余勢を駆って漢中と荊州の間の上庸を取ったけどな
それ以上の兵力的余裕はさすがに無かったんじゃないの?

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 10:28:11.47 ID:42oCwgRD0.net
>>872
そりゃ上庸を長期維持出来てたらでかいわな。孟達が裏切らなきゃなぁ
やっぱり関羽関連が全ての発端だわ

呉に合肥突破に成功してもらって徐州夢中で、荊州の事を一時忘れてくれないと話にならんな
呉が背後つかなきゃ襄陽城は取れてただろうし

874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 10:33:31.55 ID:PmEyzpDM0.net
>>871
その辺りは和帝の頃から実効支配の難しい地域。しょっちゅう反乱起きてる

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 10:35:46.74 ID:EPeeEUs00.net
東晋とかは運が良ければ国境線が長江北岸まで捩じ込まれていた時期であっても
泗水経由で彭城とか魯まで侵攻することもできてたのに呉はそのあたりの冒険心に欠けるよね。
東晋は寿春からの北上経路をメインの前進経路としてはほとんど使わなかったという事情もあるけど。

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 22:42:43.31 ID:qUM6GoD50.net
そもそもなんでそんなに頑なに抵抗してたの?
しかも割と無関係に平和に暮らしてた国乗っ取って民衆巻き添いにしてまで
天下統一という夢見る病?

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 00:08:03.22 ID:khECSvwCO.net
曹操暗殺計画に端を発して、捕まると死ぬから
袁紹も劉表もダメで、自分で何とかするしかなくなった

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 00:29:14.92 ID:ovTV3FBJ0.net
てか曹操に表立って歯向かわずに、
曹氏簒奪まで雌伏。
簒奪後にクーデターで献帝復位。曹氏族滅。
機を見て自らに禅譲。
後の劉裕みたいにはいかんかね。

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 01:15:04.36 ID:9DpEDtN50.net
献帝一派がとち狂って劉備に曹操暗殺計画を持ち込んだのが全ての元凶かもな

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 02:49:44.42 ID:q/qbKWFK0.net
蒼天みたく献帝本人は知らずに家臣が勝手に動いたのかも。

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 07:54:56.67 ID:4SRd8iAS0.net
後漢朝廷ってすぐに権臣粛清しようとするよな
制度的に問題ありすぎるだろ

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 13:34:34.92 ID:khECSvwCO.net
大したビジョンも無いのに都合悪くなったら暗殺なんて滅びて当然
武技は末技というけど、最後の拠り所は自分だし、一軍を率いる人は強い
身体は鍛えてないとダメだね

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 13:42:00.94 ID:fu+UC+vk0.net
少なくとも曹操は劉備を気に入っていたし劉備も曹操の下で高い官職もらってお互い上手くやってたのに劉協の阿呆がなぁ

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 15:18:16.83 ID:qvK4SoE50.net
ひょっとして劉弁が皇帝のほうがマシだった?
ボンクラのほうが変な野心持たない分傀儡として余計な事しなそうだしw

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 16:50:33.41 ID:FwA+WT5h0.net
>>876
それを言い出したら袁紹・曹操も董卓に従っておけよって話になる

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 17:06:34.26 ID:4SRd8iAS0.net
献帝にしろ長安政権時代からの高官たちにしろ御輿にしては重すぎるんだよ
後先考えずに担いだ曹操が見通し甘すぎる話

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 18:25:21.99 ID:khECSvwCO.net
>>884
大概は出来る方より凡庸な方を選ぶと思うが、実際はわからんしな

888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 19:05:12.77 ID:+bGWQ6LA0.net
>>884
そもそも弁がボンクラなのかも怪しい。

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 06:19:06.11 ID:AkudRMWR0.net
>>883
兵5万と朱霊、路招の二将を与えて、袁術討伐やらせてるところ見るに相当信頼してるよな
一族筋でもない劉備に一軍を率いさせちゃうとか

890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 06:32:54.95 ID:WV1cbD180.net
劉備が曹操の劉備評通りの人物だったなら
劉備を腹心にして一方面軍を任せることができるようになれば
曹操が都にいてももう一人の曹操が前線に出てるようなもんだろうしな

891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 06:33:51.18 ID:HkPM6hBJ0.net
劉備は、曹操の下でうまくやれば司馬懿の所まで行けたかな。
士太夫出身ではないから、貴族層と上手くやれなかったかもしれないが。

892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 06:47:05.29 ID:/mvHQFn50.net
>>891
劉備は曹操の下でうまくやれば張繍の所まで行けたかなと思われ
曹操と上手くやれても曹丕とは上手く行かない気が

893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 07:55:09.24 ID:wSO8Vg2U0.net
>>891
劉備は普通に士族層
庶人出身扱いされてたことあったっけ?

894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 08:03:56.79 ID:sF6CIcbR0.net
>>889
先主伝だと曹操は献帝迎えてからすぐに劉備に鎮東将軍(2品)と宜城亭侯の爵位与えてるんで相当早いうちから期待かけてる。
アンチ袁術の先鋒扱いなんだろか

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 08:06:41.90 ID:wSO8Vg2U0.net
劉備のキャリアってその時点で豫州牧と徐州牧経験しているから
下手な官職だと飼い慣らせないレベルの人物だと思うけど

896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 08:09:00.17 ID:6G4ja2RD0.net
>>891
劉備は袁譚の孝廉の推薦人になってるから最低でも中流以上の名士だよ。

母親の身分が低そうだから嫡子扱いじゃなくて庶子扱いだったんじゃ無いかと想像するが。

897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 08:10:20.94 ID:AkudRMWR0.net
>>892
数々の諸侯を懐柔した劉備がその辺のさじ加減間違えるとは思えないけどな

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 08:49:44.63 ID:a1CH1Guz0.net
>>896
乱世だったと言え三十代のうちに高唐県令、平原国相、豫州牧と順調に出世しているところを見ると
上流扱いでもおかしくなかったんじゃないかなあ

家柄(没落皇族の末裔、祖父孝廉)、実力、名声、人間的魅力
これだけ揃ってたら怖いものなしだよなあ
献帝ともども曹操の手に余る存在だわ >>劉備

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 11:23:40.12 ID:yig/9aa5O.net
朝廷の使者を鞭打っても、後ろ楯ありそうだな

900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 11:31:32.97 ID:a1CH1Guz0.net
劉備に対する曹操暗殺の密勅って凄い謀略
これ以上ない二虎競食の計だわ
劉備にしてみれば曹操よりも献帝たちをぶん殴りたかったんじゃねえかな?

劉備も袁紹に着くしかなくなるわ

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 12:30:18.50 ID:AkudRMWR0.net
>>898
曹操陣営におけるダントツナンバー2になるな

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 12:59:08.04 ID:a1CH1Guz0.net
>>901
劉備は孫権と組んだ時もそうなんだけど
他人の下に付くにしては地位と実績が高すぎるんだよなあ

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 14:37:32.46 ID:XDjoOcNL0.net
曹操暗殺未遂って2〜3回あったよなw

904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 14:54:41.48 ID:yig/9aa5O.net
董卓暗殺後の王允が大したことなく混乱させたように、董承や伏完がなっても混乱しただけだろうな

905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 22:41:44.23 ID:q6w/uqd80.net
>>899
その後も職務放棄とかやってるしな。

ただ、創作にしづらいキャラだよなぁ
実家の権勢バックにして好き放題やる
劉備とか蒼天劉備(まんまヤクザ)以上にブーイング来そうだし。

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 22:46:26.91 ID:NIcjMiPV0.net
>>900
最近の創作だと(蒼天や孔明のヨメ)劉備は曹操と上手くやってんのに暗殺の話無理矢理持ち込まれて慌てて逃走って話になってるけど、実際こんな感じだったんだろうなw

907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 22:48:16.90 ID:a1CH1Guz0.net
>>905
祖父劉雄にゆかりある人間が多そうなんだよな、劉備が任官してた地方って
幽州で仕官するよりは山東の方が都合が良さそうな感じだわ

劉備が幼年期に東郡范県で暮らした可能性ってどれくらいあるんだろ
それとも孫とかは任地までは連れていかないものなんだろうか

908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 23:00:45.46 ID:a1CH1Guz0.net
>>906
痴漢冤罪から逃れる唯一の方法は逃走しかない、という話と似ているなあ

事の真偽に関わらず一度かけられたら弁解不能な嫌疑の最たるものだと思う >>有力者暗殺の密勅
朝廷の武勲No.1と推定No.2とで殺し合わせるってなかなかの策略だろ
自分たちもただでは済まないレベルの自爆テロだけど

909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 00:22:46.38 ID:j1tvIbuYO.net
郭シと李確でやってるしな

910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 21:14:23.97 ID:XumdC1hi0.net
>>898
曹丕は人間性に難があるので好嫌の差が激しい
曹丕は孟達みたいな裏切り者にも仲良くなれるから
劉備相手にも一見うまくいきそうに見えるが
劉備の曹丕評と曹丕の劉備評をみる限りお互い根本的に相手を見下しているので
そういう関係は最終的にうまくいかなくなるケースがほとんど

>>901
劉備は曹操陣営内の外様では結構高い身分だが
ダントツNo2かというとそこまで高くないと思う
例えば当時曹操配下の鍾ヨウ・張既らに属していた馬騰は
前将軍・仮節・槐里侯だから劉備と比べても遜色ない
馬騰の上司の鍾ヨウでも侍中・尚書僕射・司隷校尉・東武亭侯なので
劉備が曹操陣営内で抜きん出た存在というのには無理がありそう

911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 21:39:18.81 ID:40v8Ax3b0.net
>>910
総合力的な意味での2という意味では?
鍾ヨウに外敵との会戦を任せられるかと言うと少し心許ない

曹魏が本気で天下取りに行くチャンスって2が司馬懿だった頃の曹叡の時期しかないような気がする

912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/04(火) 08:13:07.27 ID:85vIcPx50.net
>>910
馬騰は早々に馬超に世代交代して、自前の兵・地盤が無いのがなぁ
結局息子の暴発に巻き込まれちゃってるし

>>911
曹叡はともかく司馬懿は、補給が心もとなく兵数も劣る蜀軍に結構野戦でやられてるからな
結局、蜀の内部崩壊まで待つのが正解だったんじゃね

913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/04(火) 08:49:19.63 ID:X/xxPUA10.net
補給は魏側も四苦八苦してなかった?

914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/04(火) 09:00:57.66 ID:rwCiSja80.net
この頃は涼州や雍州の実効支配が完全じゃなかったからね。

915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 05:48:59.02 ID:t3+PKlBL0.net
>>911
曹操がもし自分で行かないで外敵との会戦を任せるとすると
本当に任せられるのは夏候惇夏侯淵曹仁曹洪辺りの親族
劉備がたとえ優秀だとしても外様と親藩との一線は越えられない

曹魏が本気で天下取りに行く最大のチャンスは赤壁辺り
荊州降伏させる前に孫呉に官職与えて恭順させ劉備と組ませず
荊州降伏後劉璋も恭順させておけば
劉備は呉巨の元に逃れるしかなく反曹操勢力が片付くのも時間の問題

916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 06:22:06.95 ID:1LTUt9Yn0.net
>>915
赤壁の頃ってまだ後漢じゃね
献帝を頂いているうちは天下統一可能だっただろう
むしろできなかったことの方が問題

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 08:47:35.90 ID:w4/M4tZf0.net
劉備には可愛そうだが、
赤壁の辺りで乱世を終わらせれば、五胡十六国の混乱は避けられたかもしれない…。

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 08:59:54.55 ID:76xOJogH0.net
劉淵「ワイは漢王朝の兄弟分やからセーフ」

919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 15:40:08.86 ID:AfZmqU0B0.net
>>917
赤壁で「劣化劉邦の劉備」や「戦下手の孫権」に負けた人が悪いと思うよ

920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 18:30:05.95 ID:h/hse6RsO.net
やはり天才軍師諸葛孔明の存在が大きい

921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 21:19:08.59 ID:Js0D2mRq0.net
天下統一を急ぎすぎたかもな
荊州を後5年くらい固めればよかったかも

922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 21:26:51.53 ID:3tQ9G2AJ0.net
でもあそこでゆっくりしてたら
他の群雄も準備を整えてしまう可能性も高い
勢いでなし崩しを狙うのも大事だと思うよ

923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 21:30:14.24 ID:1LTUt9Yn0.net
そもそも荊州取った時点で孫権って別に曹操と敵対してなかったと思うんだが。
むしろ婚姻関係とか結んでなかった?

924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 21:39:59.77 ID:h/hse6RsO.net
呉は毛利や北条状態で、あとがフワフワ
呉という天下は獲っているからかな

925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 23:58:10.05 ID:A/m44QOr0.net
五胡十六国時代の群雄も華北統一まではサクサクすすむけどそっから先は結構詰まったりするからなぁ。
前秦や北魏も南朝を征服できんかったし。

926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 00:47:17.72 ID:BEag0YY50.net
ほとんどの場合膠着状態になって内部崩壊待つしかないもんなあ

927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 01:02:04.75 ID:0sBmuaa80.net
>>923
197年頃に曹操の息子の曹彰が孫賁の娘と結婚しているな。

928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 01:04:07.11 ID:Akc3VYFf0.net
>>926
隋の文帝が陳を征服した時がまんまそれだし。
まあ、宇宙大将軍が大暴れした時点で南朝は詰んでた気がせんでもない

929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 06:03:03.96 ID:U1fMDzdi0.net
>>928
たとえば劉宋の戸籍人口は500万人ほどだったらしいが
梁代における経済政策の失敗や侯景の反乱、蜀・江陵の失陥等を経て
陳の戸籍人口は200万人ぐらいまで激減してしまった(推定人口は1,000万人ほどいた可能性はあるらしいが)
これではどんなに頑張っても当時推定人口3,000万人の隋には勝てなかっただろう

南朝を詰ませたのは内部分裂ではなく政府の統制力や人口管理能力の低下の方だと思う

930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 07:07:20.28 ID:kRjZ+6Ay0.net
孫権は赤壁後も劉備から官位推挙してもらったりしてて
後漢朝廷ってむちゃくちゃな状態だなあと思わされる

曹操はなぜ自分でコントロールしきれない後漢朝廷なんかを担いだりしたのだろうか

931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 00:20:17.02 ID:57Lu4SAl0.net
劉備は

魏のチングンを先に配下にしたのにあんまり献策聞かないからみかぎられたんだよ


やはり水滸伝みたいに仁義だけの893すたいるだからだと思う


ソウソウはエリートだから、しっかり文官を大事にしてる

932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 00:22:37.55 ID:57Lu4SAl0.net
むしろ馬超こそ

魏を倒せる逸材だった

しぬのが早すぎた

933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 02:09:14.29 ID:W7A+Q4nj0.net
ねーよw

934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 09:17:51.68 ID:i+vy1unA0.net
>>931
結構気に食わないからって粛清したりしてるぞ

935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 09:51:30.44 ID:A4QXo8w70.net
曹操が見限った配下といえば荀ケが真っ先に思い浮かぶ
しかし仮に荀ケが劉備に仕えたとしても活躍出来ただろうか?

936 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 10:44:06.50 ID:hPjBWjN80.net
荀ケは結構長いこと袁紹のもとに居たんだよねえ

937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 10:52:06.02 ID:r7NXAf4Q0.net
>>935
劉備は謎の朝廷パイプ持ってるから必要なさそう

938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 06:46:15.29 ID:mrFMoMtM0.net
>>934
まあなw
だが劉備はしょせんは田舎の893

好漢なれど無学もの、
現代ならば中卒高卒の集まりだから高学歴は集まらなかった

曹操は慶応大学みたいなもんだから、知識人も集まってきた

東大卒の諸葛亮が加入してからやっと知識人も集まってきた感じだな

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 06:46:52.42 ID:mrFMoMtM0.net
youtube で
水滸伝をみろ

よくわかる

940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 06:59:18.60 ID:Caz8Ohft0.net
徐州時代は結構知識人との交流あるんだがなあ
その前から孔融とかとも懇意にしていたし

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 07:04:06.45 ID:zvRDZjwa0.net
徐州時代のツテ一部除いて全部ブチ壊して荊州に逃走
徐州時代残ったのは糜竺糜芳孫乾などの微妙に使えない人材
有能な陳羣陳登田豫などは永久にオサラバ
そんな劉備が誇らしい

942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 07:19:05.28 ID:u0CjsUCI0.net
>>938
曹操の孝廉の倍率は慶応大学なんてレベルではないのだが(まあ祖父や親父のコネというのもあるのだろうけど)
東大→国家一種→25歳になって被選挙権得たらすぐに政令指定都市の市長に当選(その後の衆院議員になるまでの道筋確保)みたいなエリートコース

943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 07:34:19.62 ID:jqYHoWh1O.net
曹操、袁紹や劉表など一国の代表から認められるが、部下からは危険視される。
劉備は今なら誰のタイプに近いだろう

944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 08:15:33.22 ID:5BzAHKDm0.net
>>941
寡兵で地盤の無い劉備陣営を支え益州・荊州過半を取らせたんだから相当有能だろ、そいつら
糜竺、糜芳は曹操にも厚遇されてるしな

945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 09:44:59.01 ID:SGqDBjlL0.net
むしろ人材面で劉備に優越していたのになぜ高学歴エリート曹操は単なるヤクザ劉備を滅ぼせなかったのか気になる

946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 09:48:00.44 ID:SGqDBjlL0.net
劉備と孫権を貶めれば貶めるほど無能感が増す曹操と曹丕
劉備や孫権は有能な群雄だったことにした方が曹操の相対的な評価も上がると思うんだけどなあ

947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 10:06:46.11 ID:KBHX0KgA0.net
曹操は劉備を目の敵にしても良さそうなのに
割と泳がせてたってか尊重してたんじゃないかね
貶めるようなことはしなかった

948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 10:09:27.69 ID:rigjshzz0.net
曹丕の劉備に対するdisりと壮絶なブーメラン
曹丕って長生きしてても天下取れてないよなあ、あそこまで戦下手だと

949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 10:14:08.79 ID:ikajFobC0.net
>>948
劉宋の文帝と被る感じ。

950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 11:34:42.37 ID:ATgJquHP0.net
君と余だ

951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 12:12:26.47 ID:r7v6Lmu80.net
>>941
糜竺と孫乾いなかったら劉備は諸葛亮が出てくる前に終わってる
徐州時代を評価されたのが、後に徐州出身者達からの厚遇に繋がってるかもしれない

952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 12:23:55.64 ID:r7v6Lmu80.net
あと、徐州虐殺は曹操が天下を取れなかった要因の一つとして重いと思う

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 14:28:19.26 ID:mrFMoMtM0.net
>>945
劉備はいまは893でも

血筋は劉邦だからな

それに関羽 張飛 趙雲と三国時代トップクラスの猛将が配下についていたから戦争は強かった

だがいかんせん戦略と補給 内政ができる知識人がいなかったので、曹操には時がたつごとに差をつけられた

954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 14:31:16.18 ID:mrFMoMtM0.net
劉備は怖いだろ


曹操は正統派エリートなのに

劉備はどこの一平そつかわからんやつ

それが時代屈指の猛将が付きしたがい
いくら攻めても生き残るんだからな

ほかの敵なら全部倒せたのに劉備だけなぜ倒せない‼と曹操は思っていたはず

955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 14:33:48.68 ID:WxJv9mnl0.net
>>954
いまだにこんな人いるんだな

劉備がこんなイメージになった原因って何だろう
蒼天航路か?

956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 14:51:30.03 ID:mqhyC55k0.net
>>955
横山吉川の時点で莚売りの貧窮キャラだからな。
個人的には先主伝の「先主は母と莚を売って生計を立てていた」って「中流豪族としてのステータスが保てなかった」って比喩でホントに莚売ってたかは疑問。

957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 15:06:19.51 ID:WxJv9mnl0.net
>>956
先主伝における「少孤」はまあ分からなくもないが
別に「貧」判定は受けていないから販履織蓆していたとしてもそこまで生活は苦しくなかったのではないのかな
履き物やムシロも綾や絹製だったとすると劉備の母ちゃんがそれなりの工場経営者に見えてくるわ

「編む」じゃなくて「織る」だから草蓆ではないような気がするんだよね

958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 15:10:45.54 ID:2Jz/CqzF0.net
曹操と劉備が終生のライバルという見方も唾つけたほうがいいかもとか思う

959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 15:23:03.68 ID:r7v6Lmu80.net
劉備は公孫賛から離れるまで幽州の方で役人として普通に出世していったんだよな
張純の乱の頃に部隊長やって、そこからが出世街道のスタートのはず

960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 16:53:09.51 ID:k3gO5dj70.net
劉備は若いころから中央に留学したり官の職に就いたるしてる一端のエリートで蒼天みたいな無頼とは全く真逆の人間なんだけどな
というか蒼天劉備は司馬遼の劉邦の影響受けすぎ

961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 17:00:26.65 ID:M8cSGF9Q0.net
劉備のヤンキー的なイメージは若い頃の「読書を楽しまず遊んでいた」と鞭打ち事件だろうねw
アレで勉強嫌いのヤンキー的なキャラ付けがなされた

962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 17:07:18.75 ID:+CjP6NT30.net
>>961
本当のヤンキーというのは孫堅みたいな犯罪者スレスレのやつのことを……
いや孫堅は普通に犯罪者だよなあ

963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 17:13:20.31 ID:mrFMoMtM0.net
劉備は893だろ
水滸伝の宗江だよまさに

仁義を最大限においた893

振る舞われた 婦人の肉とかありがたく食ってんだしさ

964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 17:14:36.25 ID:mrFMoMtM0.net
それよりも


なんでホウトウはしんだのさ?

ホウトウ生きてりゃ長安まではとれたろ

965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 17:14:52.30 ID:+CjP6NT30.net
ネタだと信じたい。

966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 17:20:39.65 ID:apgq9VOx0.net
>>962
孫堅は親父の名前が不明なのが凄いw

967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 17:27:23.44 ID:9MfD+Jdp0.net
>>960
中央に留学してたっけ?
それってどこ読めば分かる?

968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 17:28:32.47 ID:Jwd17y3d0.net
しかし袁術がよく孫堅を懐柔出来たよな
最後だってある意味袁術のために死んだようなもんだし

969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 17:36:52.52 ID:UJ0QMNkh0.net
後漢書袁術伝だと袁紹も孫堅がトラブル起こして袁術陛下が後ろ盾になった的な事書いてあった

970 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 17:47:48.19 ID:UrzY9d360.net
>>960
でも蒼天劉備のキャラは大好きだわw

971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 18:59:21.31 ID:mrFMoMtM0.net
そもそも

水鏡先生はどの程度のすごさがあったのさ

知識人のなかで知名度はあったみたいだが

ジョウヨウとラクヨウはどっちが知識レベル高かったのさ?

972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 19:01:11.32 ID:9MfD+Jdp0.net
一度壊滅して曹操が復興諦めた洛陽と、知識人の避難所だった劉表健在時の襄陽だと比べる必要ないんじゃないかな

973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 19:02:43.71 ID:50h6dgsG0.net
当時の華北や関中は無法地帯だからな。

974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 19:19:43.88 ID:mrFMoMtM0.net
>>972
じゃあ当時のケイシュウは時代イチ知識人がいたのか

諸葛亮 ホウトウ ジョショははたしかにすごいんだけど

カクや司馬懿、ジュンイク、と比べたらやはりカクと司馬懿には勝てないんじゃないかな

975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 19:55:14.57 ID:9MfD+Jdp0.net
賈クは涼州出身で元董卓軍在籍者。司馬懿は司隷出身で知識人と言っていいかもしれん
が、知識人=軍事で勝てる人って認識、ちょっと大雑把すぎやない?

976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 20:24:04.60 ID:Caz8Ohft0.net
馬超が魏を倒せる逸材とか言ってた人にマジレスしたらアカン

977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 20:34:48.17 ID:9MfD+Jdp0.net
おお、ID見てなかったわ
すまんかった

978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 21:30:42.74 ID:mrFMoMtM0.net
バカ野郎
たしかにカクは 策略が得意なだけかもしれんが

馬超は長安をとりかけ 曹操が都を変えようか悩ませたほどだぞ

馬超に器がもっとあれば、ラクヨウまでは行けてたろ

979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 21:32:06.83 ID:mrFMoMtM0.net
しかし三国志で気になるのは

なぜ凄まじい豪傑が三国初期にしかいないんだろうな

戦が激しくなり育つ前にしんでたのかね

980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 21:55:33.05 ID:HNWljmZm0.net
>>967
これって微妙な話だけど
盧植が官を去っていた時期が熹平四年(175年)以降の九江蠻の反乱鎮圧から時期は不明であるが盧江太守を拝するまでの間
光和元年(178年)までには確実に中央に復帰している
それまでの四年足らずで盧江太守(一年余り)、議郎、侍中、尚書の四職を歴任していたとすると幽州に帰ってのんびりと後進育成なんてやってる余裕は無かったと推測できる
特に休職期間中に太學石経に関する上書を行っているがこれは幽州にいては内容を確認するのが困難なことだろう
併せて著作活動やってたことを考えると太學のあった洛陽で休職してた可能性のほうが高いと思う

「幽州で教育してた」説の根拠って何かあったっけ?

981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 21:58:34.45 ID:jqYHoWh1O.net
>>979
その辺りは吉川三国志に書かれてある通りで受け取って良いんじゃない

982 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 22:01:08.85 ID:LPxc0DUh0.net
>>979
豪傑ってまさか小部隊指揮官としての能力を言ってるんじゃないよな?
そんなの評価されるのは群雄割拠で泡沫勢力が乱立している時だけだぞ
レスするだけ無駄だと思うが

983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 22:03:14.44 ID:LPxc0DUh0.net
三国志の名将は後半に集中しているイメージ
ケ艾(蜀討伐)、杜預(討呉プランニング)、王濬(討呉の立役者)
前半の名将は陸遜と諸葛亮くらい

個人的には姜維と諸葛恪が好きだがこいつら名将に入れるには負けが痛すぎる

984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 22:15:22.19 ID:qXe+d4Oh0.net
>>983
万単位の損害出して挽回出来なかったからなぁ。

985 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 22:19:02.05 ID:9MfD+Jdp0.net
>>980
あー、なるほど太學石経に関する上書から洛陽に居たんじゃないかって推測してるのね
幽州で教育してた説は、詳しくないからさっぱりだけど
後漢書公孫サン伝の「從タク郡盧植學於侯氏山中,略見書傳。」をどう解釈するかに掛かってるんじゃないかなあ

986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 22:25:17.98 ID:LPxc0DUh0.net
>>985
【糸侯】氏山ってのが洛陽の東の【糸侯】氏県にあるからねえ
幽州では見つからなかった

987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 22:26:43.72 ID:9MfD+Jdp0.net
>>986
それが本当なら洛陽説をはっきり証明してる記述になるね

988 :975:2016/10/08(土) 22:28:48.27 ID:HNWljmZm0.net
>>985
>>986と同じで何かの記事でずっと司州の糸侯氏県にいると思ってた
何の記事だったかなあ

989 :975:2016/10/08(土) 22:41:58.88 ID:HNWljmZm0.net
と言うかwikisourceで後漢書見たら普通に司州のコウ氏県の糸侯氏の字だったわ

でも正確に言うと洛陽ではなくて山の中なんだよなあ
劉備は洛陽まで下りて遊んでいたわけか、アカン奴や

990 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 22:42:18.83 ID:9MfD+Jdp0.net
ちょっと早いかもしれないけど、>>985踏んだから新スレ

劉備が天下統一できなかった最大の原因その3
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1475934085/

991 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 22:47:29.43 ID:dhKxGn+60.net
>>989
袁紹同様名士の庶子特有のお気楽な立ち位置って奴。

992 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 23:01:30.63 ID:jqYHoWh1O.net
上からの流れだと、劉備は

工場みたいに筵を生産していて、肉売り張飛と塩売人の関羽と懇意。学問は有り、周囲の後ろ楯もあって異例の出世スピードで取り立てられたが、曹操暗殺計画で台無し

で良いのかな

993 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 23:06:24.07 ID:9MfD+Jdp0.net
後漢書公孫サン伝だと>>985だけど
三国志の公孫サン伝だと、「遣詣タク郡盧植讀經」になっとる
この箇所に関しては後漢書のほうが情報量上だからこっちを信用していいと思うけど
なんで三国志には情報が抜けたのか考えないといけない

994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 23:06:55.65 ID:9MfD+Jdp0.net
>>993
こっち→後漢書

995 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/09(日) 00:01:43.19 ID:ETCRrDjh0.net
>>990


では聞くが


カンシンはなぜショウカにそこまで見込まれたのか?

なぜショウカはカンシンだけ追いかけて引き留めたのか?

996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/09(日) 00:04:18.88 ID:ETCRrDjh0.net
劉備が天下統一できないのは


理想にこだわりすぎたからだよ


いくらでもチャンスはあった

全部自分の仁義へのこだわりで捨てた

997 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/09(日) 00:31:56.19 ID:DKCzHStJ0.net
こういう変なオッサンを排除できないからみんなTwitterとかに流出しちゃうんだろうな。

998 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/09(日) 02:49:11.12 ID:3K16kCaG0.net
2ちゃんとしたらば掲示板ってオッサンの溜まり場化してるからな。
なおTwitterも

999 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/09(日) 04:21:58.40 ID:F0aWLTNG0.net
>>990


1000 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/09(日) 10:02:13.49 ID:q7lkeN/30.net
祖父は孝廉、師は大儒盧植、孝廉を通った公孫サンは兄貴分

劉備も治世だったら四十ぐらいで孝廉に挙げられていたかもな
幼くして父親失ったけれども母ちゃんの仕事をしっかり手伝っていて孝行息子だ何やらで

1001 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/09(日) 10:20:06.56 ID:6XxeUTJN0.net
>>1000
盧植はなにげに曹操からも尊敬されてて
袁兄弟の首取ったあとの帰りに盧植の祭祀とかやってたりする

1002 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/09(日) 11:35:45.26 ID:q7lkeN/30.net
比較的常識人だった曹操が簒奪一歩手前まで悪堕ちした理由が分からん
簒奪しないと曹氏が前漢の霍氏のように滅ぼされる虞があったからだろうか
(赤壁より前までの)功績を考えると族滅されていいような一族では無いと思うのだがな

1003 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/09(日) 12:14:41.28 ID:CqI5j3Eh0.net
>>1001
馬融や鄭玄との関係や議郎・地方官・中郎将時代の実績を考えると本当に何でもできるスーパーマンに見えてくる

1004 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/09(日) 12:30:01.67 ID:amrxl2rQ0.net
袁紹が仮に河北から南下して天下に号令かけようとする態勢になっていたら劉備はうまく立ち回れたのだろうか?
意外と優柔な曹操相手だから遣り繰りできていたような気がする。

1005 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/09(日) 12:31:39.03 ID:amrxl2rQ0.net
そしてこのまま埋めに入る。

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