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五胡十六国時代について語るスレ

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/22(火) 02:10:17.63 ID:4ejMYDhi0.net
なかったので

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/22(火) 08:33:17.25 ID:qgCJsttzO.net
ついに復活

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/22(火) 14:55:05.00 ID:YowIpYmpO.net
今度こそスレ完走できるのだろうか(´・ω・`)

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/22(火) 15:04:37.07 ID:qgCJsttzO.net
というか何故かの即死判定やったからな

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/22(火) 15:07:05.63 ID:qgCJsttzO.net
そういやイチ乙忘れてた
この時代の小説ってほとんどないよな
田中とか書いてくれないかな?

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/22(火) 17:55:37.93 ID:tmAx+MOI0.net
内容やレス数考えると、南北朝とセットにしたスレにしたいけど、
なぜかそれでスレ立てると消されるから仕方ないね

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 06:13:11.72 ID:PghKzcCHO.net
これは消されずに続くのだろうか?

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 06:53:13.59 ID:WaefXr0o0.net
>>5
祥伝社文庫で「苻堅と王猛」(小前亮)が出てる

魏晋南北朝スレでも感想書いたけど東晋・前燕・前秦の三つ巴感がイマイチ
悪い作品ではないけど慕容恪と桓温の扱いが良くなかった

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 07:19:34.97 ID:X1/tjj230.net
>7
なんとなく、なぜこのスレが問答無用で即消されてるのかわかった気がする
もしこれも消されたら次はそこに気を使って立ててみるよ

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 08:13:15.14 ID:SxyUnIfgO.net
後趙は石勒が石虎を取り除いた場合どうやったんかな?
長期政権になったのかな?
石虎配下が反乱起こしたかな?

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 09:11:25.89 ID:nLFlC/EP0.net
北魏が華北を統一したのは奇跡的だな
しかし前趙、後趙、前秦や南燕に比べて語られることが余り無いのは何でだろうな
時代によって五胡スレと南北朝スレと分かれるのも原因かな

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 12:15:03.43 ID:OOQQTW100.net
>>10
軍の重鎮である石虎を殺すと、支持勢力が反乱するだろうな。十八騎のキ安は間違いなく、石虎支持派だろうし。まあ、石勒であれば新規勢力を取り立てて、新たな軍の有り様を決めると思う

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 12:46:54.01 ID:43mItXz10.net
>>11
過去の研究だと前燕との比較研究があったような気がする
辺境から中原に浸透した異民族王朝北魏の先行形態として前燕は位置付けることができるとか何とか
詳しくは忘れた

前燕は少なくとも慕容コウ時代から「魏武晋文輔政故事」を建前に晋から天命を引き継いで行こうと考えていたようで
北魏も中原進出に当たりどちらかと言えば後趙石勒のような曹操・司馬懿否定路線よりかは前燕の「魏武晋文輔政故事」
的な感覚で勢力拡大していったんじゃねーかな?かなり憶測が入ってるけど

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 21:30:22.05 ID:X1/tjj230.net
劉淵の挙兵(304年)から淝水の戦い(383年)までで三国志なみのボリュームあるから・・・

拓跋一家の建国も十分ドラマティックなんだけどね

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 21:51:20.27 ID:U6wP8S9o0.net
この79年間に一体国がいくつ滅んだのやら分からんな

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 22:23:28.21 ID:Ezdu9Ysl0.net
宮城谷先生が五胡十六国の小説を書くとしたらどこから書き始めるかな?
曹操の烏桓征伐あたりかな

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 22:37:03.54 ID:WaefXr0o0.net
>>15
泡沫勢力をカウントしなきゃもう少しすっきりするだろうけどな
公孫?とか陶謙とか韓遂の方が勢力大きかったんじゃないかと思えるくらいの小国とかあるし

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/23(水) 22:47:00.50 ID:U6wP8S9o0.net
>>15
全盛期の宮城谷先生なら南匈奴降伏から書き起こしてた

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 04:06:54.71 ID:OfHtOucWO.net
>>13
北魏が土徳を水徳に変更したのは華北統一後だから意識的なものは別にして石勒や苻堅あたりを飛ばしてはないよ

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 06:29:12.48 ID:kr+szPO80.net
>>19
慕容儁の時に前燕も晋を継承して水徳にしようとしていたけど
最終的に韓恒の提言で趙の水徳を承けて木徳に決定したんだよな
慕容?時代の晋継承路線は一体何だったのかと

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 14:33:16.42 ID:PEgwhy1K0.net
羊皇后はもっとメジャーになっても不思議じゃないのにな
炎、妲己、褒姒、驪姫、夏姫、西施、虞美人、呂后、王昭君、貂蝉、楊貴妃、則天武后、陳円円、西太后
この中に入れそうなレベルなのに地味な晋、マイナーな五胡十六国だからか

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 14:47:55.63 ID:OfHtOucWO.net
>>20
やはり現実的に趙という事実は無視出来ないよな
むしろ北魏の路線変更は漢化政策の一環と安定政権への自信なんだろうな

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 16:28:00.77 ID:z8TnaQMd0.net
>>22
どっちかと言えば劉宋の中華王朝としての正統性の無さの方が後押ししてるかと

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 18:15:41.37 ID:9LXvK/ye0.net
劉裕とその仲間たちの曲者ぶりが好き

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 19:36:43.38 ID:MIte78OO0.net
>>21
挙げてるのが傾国の美女だったり恐妻だったり架空人物だったりで基準が曖昧だなww
確かに王昭君や蔡文姫と比べて羊献容は詩にも詠まれないしイマイチ地味だね
帰ってこれなかった王昭君や悲憤詩を詠んだ蔡文姫は異民族に蹂躙された漢民族に同情されただろうけど
羊献容は八王の乱と洛陽の陥落に翻弄されたとはいえ本人が最終的に満足しちゃってるからな

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 19:59:39.01 ID:4wAeFTG50.net
>>25
とはいえ、晋の皇后時代のことを考えれば、最期は幸せに逝けたのは喜ばしい。政務にも参加できてたし

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 20:12:18.57 ID:MIte78OO0.net
>>26
そうだね、奪われた女ではあるものの劉曜は大切にしてくれたし
恵帝時代と比べれば劉曜の隣での後半生はよっぽど幸せだったろう

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 20:32:23.00 ID:4wAeFTG50.net
>>25
とはいえ、晋の皇后時代のことを考えれば、最期は幸せに逝けたのは喜ばしい。政務にも参加できてたし

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 21:55:04.32 ID:O8qc0ikK0.net
劉曜のこと抜きでも皇后に立てられたり廃位させられたりが6回もネタとして秀逸

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 22:31:01.41 ID:symcoO1oO.net
羊 献容たんの人生劇場(女の花道)

286年  生まれる
 ↓
300年  14歳で恵帝の皇后となる
 ↓
301年  司馬倫が皇帝位簒奪→皇后廃位 
 ↓
301年  司馬倫あぼーん→復位
 ↓
304年2月  廃位
 ↓
304年7月  復位 
 ↓
304年8月  廃位
 ↓
304年11月 復位
 ↓
305年4月  廃位
 ↓
305年11月 復位
 ↓
305年11月 廃位
 ↓
306年6月  復位
 ↓
306年11月 恵帝死去。皇后位を去る
 ↓
311年  洛陽が前趙の劉曜らの攻撃を受けて陥落 → 無理やり劉曜の嫁にされる。3人の子をもうける。
 ↓
316年  長安が陥落して西晋アボーン
 ↓
318年  劉曜が皇帝に即位。皇后に立てられる。
      劉曜「俺と恵帝と比べてどう?」
      羊「あなた最高よ。ワイルドな男って素敵!あなたに逢えて良かったわ。ああん、幸せ!」 
 ↓
322年  享年36。劉曜マジ泣き。立派な墓を建てる。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 22:40:33.52 ID:O8qc0ikK0.net
恵帝の子供を産まなかったのが勝因だな

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/24(木) 23:08:33.52 ID:kr+szPO80.net
>>29
その手のネタだと徐龕の寝返り回数もなかなかのレベル

回数ネタの金字塔、石勒の州刺史抹殺記録 【胡注参照】
(314年王浚が石勒に滅亡された直後、劉)?知石勒無降意,乃大懼,上表曰:
「東北八州,勒滅其七;
 【勒入?,殺都督東燕王騰 ※都督司・冀二州
 寇信都,殺冀州刺史王斌
 襲?城,殺?州刺史袁孚
 攻新蔡,殺豫州刺史新蔡王確 ※都督豫州
 襲蒙城,擒青州都督苟晞 ※仮節 都督青州
 克上白,斬青州刺史李ツ
 攻信都,殺冀州刺史王象
 攻定陵,殺?州刺史田徽
 襲幽州,擒王浚 ※尚書令 大都督
 除李ツ、田徽,王浚承制所授,是滅其七也。】
 先朝所授,存者惟臣。勒據襄國,與臣隔山,朝發夕至,城塢駭懼,雖懷忠憤,力不從願耳!」
……都督クラスをここまでぶち殺したのは後にも先にも石勒ぐらいでは

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/25(金) 00:35:12.24 ID:oACU9hQX0.net
清河公主(臨海公主)は羊献容の娘じゃなかったっけ
彼女も奴婢にされたりボロボロで東晋まで逃げて来たり散々な人生だな

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/25(金) 07:49:55.71 ID:4JKF9ApXO.net
叛服常習者なら呂護もいるな

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/25(金) 07:57:08.39 ID:uJhC+K9/0.net
藁をもすがる思いの司馬睿に見捨てられるレベルのクズだからな、徐龕

李矩を見捨てて逃げた郭默ですら重用されたというのに

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/25(金) 19:33:02.11 ID:sW4yFDmx0.net
>>33
清河公主(臨海公主)は賈南風の次女っぽいが・・・

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/25(金) 20:34:33.55 ID:oACU9hQX0.net
>>36
太平御覧 巻一百五十二 皇親部十八 公主上
《晉中興書》又曰:臨海公主,惠帝第四女,羊皇后所生。初封清河公主,未出,適值永嘉亂,傳賣長城民錢溫。溫以送女,女遇主甚酷。主自告吳興太守周禮以聞,於是殺溫。及女適譙國曹統。

指摘ありがとう、御覧では晋書と違い羊献容説を採ってるんだ
どちらかが間違ってるんだろうけど重要なのは母の名よりも公主本人の境遇だと思うので

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/25(金) 20:36:47.45 ID:gOtk2liF0.net
>>33
羊献容の立后が300年11月で恵帝が崩御したのが307年1月
一番早く生まれた場合でも永嘉の乱の時点で数え11歳(301年生)
奴婢として使役するのは不可能ではないだろうが……幼すぎないか?

晋書だと確かに賈南風の二女になってる
羊献容の娘って太平御覧が典拠なんだろうけど
廃立を繰り返されて動向が不透明な時期の多い羊献容の娘よりは
ガキ生むのに四苦八苦してた賈南風の娘という方が史料的な信頼性は高いと思うがなあ
末娘ならまだしも二番目だし

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/25(金) 20:45:05.07 ID:gOtk2liF0.net
ただ、羊献容の娘説も捨てがたい部分があるんだよな

羊皇后が劉曜に語った
「恵帝はは亡国の暗夫、一人の妻と一人の子と自分自身の三人さえ、庇う事が出来なかった。」
という発言に出てくる子と言うのが清河公主という可能性があるかもしれない

今となってはこれ以上確かめようのない話だろうけど

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 10:08:34.97 ID:rp5Os5QK0.net
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      |  :.:_イ .:.ヽ.   (二フ , イ :.:.:!:.ヽ     なんであたし
   :.  / rィイ | :.:.ヽ: >r/`<ノ .:.::.}ヽ、\:.   皇后を廃位されたんですか?
      / ∧l;l ! :.:.:.://{二 ̄ .} ..:..::リ//ハ.:\
 :.  / .{. ',ヾ、ヽi .:.:.{ /(^`  |.:.:.:.//: : :.}: . ヽ.:.
   / /  ) ヽ ヾ、ヽ:.ハ ヤ{   ∧/.-‐'": : |:.:. i ',
  ./ .,イ .:..} : :\ヾレ'ハ ∧__ノノハヾ、  : : : l:.:.: .ハ ',
  { /| .:.:ハ : : :i Y {ヾ`Yヽニン'ノ}: : } : : : :/:.:.:/ }:.}
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          / `Y;{. . . .|;|. : : : 

羊献容

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/26(土) 15:35:08.35 ID:KM374/ee0.net
>>39
羊献容の娘は恵帝との間に1人居たのは確かなのだろうが
清河公主だったとは限らないだろうな
史料の混乱もあるのでもしかすると
始平公主や弘農公主や哀献公主との混同の可能性も

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 09:26:58.76 ID:qPcr5GDG0.net
日本の文明化と中国の野蛮化は
西ローマ崩壊後、西欧が暗黒の中世に入り文明は忘れ去られ土人化する一方、
ローマの文化を継承した東ローマやイスラムが繁栄したのに似てる。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 09:39:26.09 ID:UaIPgn3P0.net
>>41
哀献皇女が末娘だと仮定した場合、恵帝の公主全員が羊献容の娘でなくなってしまう
哀献皇女は数え8歳の頃に詩を読んでその才を称賛された逸話が残っているが賈南風よりも先に逝去していて
そうなると出生がどんなに遅くても293年になってしまい(賈南風の殺害は300年)
当時の羊献容は7歳(数えで8歳、286年生まれ)、どう考えてもほかの公主の出産は無理になる

記事が何も残っていない始平公主が案外羊献容の娘の可能性が一番大きいかもしれない
河東公主は300年に結婚している上、武帝の娘説があるくらい年喰ってるっぽいし
清河公主は>>38みたいな感じだし

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 18:51:44.71 ID:Ip71wAZV0.net
今回のスレは生き残りそう……

しかしヒロイン枠って羊皇后の他にもいそうだけどな
石勒の劉皇后とか
東晋明帝のユ皇后とか
前秦苻登の毛皇后とか

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 19:28:18.54 ID:XoAZNeiw0.net
時期ごとに勢力図の地図が欲しい

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 21:33:49.57 ID:0asZiFB90.net
毛寶はモーホー
石虎が咳き込んだ
苻堅は老けん
姚襄はん、養生しいや
チ鑒痴漢で逮捕

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 22:36:02.00 ID:qPcr5GDG0.net
>>45
五胡十六国地图 China Map of Five Dynasties and Ten Kingdoms Period
https://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 23:05:39.04 ID:XoAZNeiw0.net
>>47
ありです
いろいろ面白かった

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 23:24:12.42 ID:kTEtsrE90.net
今度のスレはそこそこ長生きだな

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/27(日) 23:49:26.80 ID:xiP7ehBn0.net
その動画おもろいな
後趙が華北統一しそう…と思いきや次の瞬間バラバラに
前秦が華北統一…と思ったら次の瞬間バラバラに
視覚化されるとカオスさが沁みてわかる

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 00:03:58.63 ID:JkR8akUi0.net
年表みてると中国の王朝って大抵250〜300年で交代してるな
国の寿命ってだいたいそれ位なのかもしれん
中共もいつまで続くかな?100年を超えればまず上出来か

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 00:10:45.65 ID:OYtwlv760.net
室町時代や江戸時代も250年前後だから似たようなもんだな

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 00:14:59.49 ID:sBQNR73r0.net
>>47
桓温の枋頭の戦いがイチイチ細かいな
思わずニヤリとさせられるところが多い
姚襄のジプシーっぷりとか、お前は劉備かと

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 04:53:59.17 ID:hq7Aev+N0.net
どうでもいいけどその動画のタイトル間違ってるよね
Five Dynasties and Ten Kingdomsって五代十国やん
五代十国の動画もあるのかと思って期待しちゃったぞ

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 07:33:13.68 ID:0pklPqFc0.net
姚襄主君で、李農、冉閔が補佐って形ならかなりイケるんじゃないか?冉閔は自分が上に立とうって気はあまりないみたいだし、李農は参謀や補佐の方が向いてるし。姚襄は上から下まで、かなり慕われていたみたいだし

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 18:12:00.76 ID:ClU1ZWmVO.net
姚襄と冉閔との関係が石虎と冉閔のそれのような形なら良いが、そうでないと裏切られる可能性がかなり高そう

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 22:06:23.87 ID:kVKQ+8rf0.net
前スレ貼ったら落ちるかな

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 22:47:31.23 ID:TTHaNybs0.net
やはり南・北・朝という単語に反応してるんかな

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/28(月) 23:24:34.19 ID:hq7Aev+N0.net
               __
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         /j/三三三三三三三三三三ヾ
         l::||::::              |l  
        / ̄\ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′||   その3文字書いたらダメなの?
      r┤    ト::::: \___/     ||   滅九スレされんの?
     /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ    
      |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
      |   _)_ノヽ\  ハ // /    ヽ   
     ヽ____)ノ      ̄ ̄ ̄   /     ヽ

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 01:41:21.21 ID:PiPrh9wB0.net
     _,,,.. ----‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐---- 、
    ||  lヽ  ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
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    /:::::::::   \ 朱棣 /   \  夷狄討伐なら俺様の出番だぜ!南匈奴だろうが鮮卑だろうがかかってこいや!
   /:::::::::: ヽ ●     ● ′ /   
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ヽ___) ノ

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 12:20:05.29 ID:LwNp/lVE0.net
>>55
当の姚氏自身が天下取りなんて希望してなかったからな〜
苻氏が関中割拠に積極的だったのはそれだけ漢化していたということなのだろうか

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 19:11:41.49 ID:kLkoOIcX0.net
ギリシア人「パルテノン神殿作ったわ」
ローマ人「水道や道路を作ろう」
ゲルマン人「ウホウホ!ウホホホ」

インド人「錆びない鉄柱建てたぞ」
漢人「万里の長城できた!」
五胡「ウホオオオオオオオオオオオ」
倭人「ウホウホウホウホ」

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/29(火) 21:27:58.19 ID:YhRyJJUH0.net
そういえばこの時代がちょうど日本史の空白の4世紀か
まだ倭人はお子様だったんだから大人の漢人さんがしっかりしてくれんと

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 00:16:50.07 ID:cbFmAE2B0.net
??って結構がんばってたんだなあ

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/30(水) 18:23:55.06 ID:IMwoTdHX0.net
五胡十六国の名将・猛将を挙げてみる。今回は漢(前趙)。名将・猛将を挙げるにあたり、自分の中で基準はあるにはあるが、けっこう主観も入ってしまってる。あとは、これはと思う人物を挙げてもらうとありがたい。

【漢(前趙)】
・王弥:飛豹の異名を持つ劉淵の旧友
劉淵服属前は青州を中心に荒らし回った有名な人物であった。劉淵服属後は周囲勢力の平定、洛陽攻略に功があった。
・劉曜:千里駒及び神射の異名は伊達じゃない
対西晋戦線の総指揮官として洛陽、長安を落として西晋の息の根を止める。後趙の石虎を一蹴するなど軍才は文句なし。
・劉胤:劉曜譲りの軍才の持ち主
前涼軍に大勝し、その存在を刻みつける。その存在に前涼は前趙に攻め込むのを止めるほど。
・平先:剛勇を誇る陳安を問題にせず
陳安との一騎打ちで、彼の得物を弾き飛ばして完勝をおさめる。この一戦で陳安の命運は尽きたも同然となった。
・遊子遠:文武の才を兼ねた逸材
前趙成立直後の大規模反乱をわずかな兵で鎮圧し、心服させた。石勒との決戦時に生存していれば、歴史が変わっていたかもしれない。
・劉岳:前趙の軍事を支える劉曜の従弟
仇地、前涼戦で活躍する。後趙戦で石佗を斬り、その後は洛陽攻略寸前まで石生軍を追い詰めた。
・劉霊:乱を望んで、中原を暴れ回る
暴れ牛を止め、暴れ馬を追い越すほどの豪傑だった。劉淵服属後、石勒と共同して冀州攻略にあたり、漢の北方攻略を担当した。
・趙染:西晋より降りて、力量を発揮する
西晋より降り、主に劉曜の麾下で対西晋戦線を戦った。劉曜に献策して、奇襲を仕掛けるなど活躍した。
・劉翼:劉淵から認められた豪傑
驍勇で知られ、射術に長じていたため、人々は関羽張飛の再来と呼んでいた。平陽の城門を軽々と越える身体能力の高さで、劉淵から只者でないと高く評価された。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/31(木) 17:13:09.55 ID:ltvhkPXv0.net
宗教を調べてて思ったんだが、漢人の思想と仏教の輪廻転生ってあんまり合わない気がするんだ

この時期に仏教が広まったのは、遊牧民らが(精神的にか、物理的にかはともかく)
多数中国に入りこんだのと関係あるんだろか

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/31(木) 23:08:25.26 ID:2BVoHusX0.net
>>66
>この時期に仏教が広まったのは、遊牧民らが(精神的にか、物理的にかはともかく)
>多数中国に入りこんだのと関係あるんだろか

紀元3世紀頃にようやくサンスクリット仏典が漢訳仏典に翻訳されてきた頃だからな
例えば三国志(歴史書)もちくま版の訳本が出てようやく認知されたのと同じ

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/01(金) 18:30:36.60 ID:Ju3YNAx20.net
>>44
毛皇后で画像検索すると襦袢姿で拷問されてるにがあるな

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/02(土) 10:04:32.58 ID:K4KHTCsh0.net
結局、中国人の世界観は陰陽五行説のように世界を認識しようとする探究心にあり、
絶えず世界の認識、把握に向う、最近の言葉でいえば“科学的”な人間は、
皆中国人ということになる
中国人には根本的に宗教心というものが乏しい
いにしえの神がみを人間化して、帝王に仕立てあげて、あくまで人間の問題として説明しようとしたように、
司馬遷がいにしえの神がみを想像物であるといって切ったように、合理的で、
世界の諸問題は人間の問題であり、自然は人間がコントロールし、解明というよりも
理解するべきものという人間的な、あまりに人間的な人びとで、だからある意味、
自己中心的に陥りやすい
自分たちは世界を合理的に理解しようとする人間であるという自信が、、
科学者が科学は絶対であるという自信からしばしば絶対的な振舞いに陥るように、
原始的な宗教、人間(文明)的な振舞いから遠い辺境の人間を野蛮視する文化を中国において育んだ
一方で、そういう中国的ではない野蛮人は往々にして宗教的に孤立した世界観をもっており、
世界を探求しようとする意欲に乏しく、部族的であり、根本的に部族であることをやめない
モンゴル人や満州族がまさにそれであり、特に満州族は頭を剃るという大変奇抜な、
中国人からすれば奇異な胡習を中国人に強制してまで部族というものを守ろうとした
(ちなみにモンゴル人も辮髪だったが、モンゴル人は中国人には強制しなかった)
その点、キリスト教も普遍的な宗教であると同時に部族的な、孤立的な、
世界を理解しようとする探究心を削ぐ、世界を自ら規定する、ある意味部族的な宗教であり、
自ら世界を認識しようとする探究心を削ぎ、抑え込む、強制力を伴う宗教ではあるが、
そこから却って科学というものが発達し(アンチテーゼとしてなのか知らないが)、
中国においては、昔は火薬を発明したりしたが、根本的に科学を生み出さなかったのは
なんとも皮肉

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/02(土) 11:10:09.47 ID:wa5vmHvn0.net
>>69
後漢の頃には地震計を開発したり算術書とか起草されたりいるしシナ人が科学的な思考をできないというのは認識誤りだと思う
明後期から急激に官営の製鉄所とかの営業が衰退していって清代には完全に営業停止したとかいう話だから
その頃に産業構造に何か環境的な要因が影響して科学技術に対する関心が失われていったのでは

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/02(土) 18:10:05.36 ID:9LJPmac60.net
五胡十六国関係ないけどすごい興味深いなぁ
どこかに然るべきスレは無いだろうか

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/02(土) 20:16:53.01 ID:wa5vmHvn0.net
>>71
五胡十六国前後だと曹魏の科学技術者である馬釣とか南朝宋・斉に仕えた数学者の祖沖之とかおるぞい
科学分野においては決して停滞の時代ではなかったと思う

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/02(土) 21:54:25.88 ID:q2ZOmcB70.net
中公から出てる『中国の科学』は面白かったな
晋書天文志の和訳が載ってるのでスレチではないはず

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/02(土) 23:48:44.19 ID:9LJPmac60.net
ちがう、そうじゃない
五胡十六国時代限定の科学情報とか、そんな小さな話を求めているのではないッ!

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/03(日) 09:06:11.13 ID:x/kYeF9g0.net
五胡十六国の名将・猛将を挙げてみる。今回は後趙。この国の雑多な家臣構成は見てて面白い。人種、境遇、身分と違う者同士を組み合わせ、それで中原を治めた石勒はやはりすごい。そうせざるを得ない環境だったのもあるが。

【後趙】
・石勒:死んでなければ負けじゃない。ゾンビ並みの復活力
多くの敗戦も苦にせず、最後には勝利する。劉曜との洛陽決戦では、終始先手を取って劉曜を捕える大勝をおさめた。
・石虎:石勒の弟にして、石勒軍のジョーカー
破った相手は数知れず、切り取った領土は五胡十六国随一。石勒は明確に相手を破りたいときは、必ず彼の軍を動かした。
・孔萇:石勒の躍進を支えた爪牙
石勒の勢力拡大に貢献し、段末破を破り、幽州を平らげた。一定以上の結果を残す、計算できる名将。
・石生:石勒の養子にして、前趙との戦端を開いた攻防に優れる将
洛陽を前趙に渡さず、逆襲に転じるきっかけを作った。前趙、東晋と戦い、石虎との戦いでも堂々と渡り合った。
・郭権:石虎に認められた、“ますらお”
石生とのコンビで石虎軍との戦いを優位に進める。石生死後も、独立して石虎との戦いを継続した。
・姚弋仲:石虎も恐れぬ剛直な男
梁犢の乱は後趙の武将を次々に破った。要請を受けて、討伐に加わるとたちまち梁犢を破り、反乱を鎮圧した
・支雄:十八騎の一人にして、石勒股肱の臣
東晋、劉コンとの戦いに活躍する。石勒死後も段遼との戦いに参戦した。門臣祭酒として、胡人の訴訟問題も担当した。
・キ安:十八騎の一人にして、大都督として東晋を掠す
東晋、劉コンとの戦いに活躍する。石虎支持をいち早く決めて、征討大都督として荊州・揚州北方を征圧した。
・桃豹:十八騎の一人にして、数々の戦歴を持つ
祖逖に敗れるも、河南において長期戦を展開した。劉曜との洛陽決戦にも参戦し、段遼との戦いには水軍を率いて活躍した。
・麻秋:負け戦が目立つけど、その名を聞けば泣く子も黙る
蒲洪、段遼に勝つなど、負けばかりではない。相手があまりに格違いなだけ。勇猛さにかけては定評があり、泣く子に“麻胡”が来ると言えば泣き止んだという。
・王擢:後趙の西方戦線でなくてはならない存在
石生に招かれて以来、後趙の西方戦線で活躍した。前涼と一進一退の攻防を繰り広げ、後趙滅亡後は諸勢力の間を渡り歩き、存在感を示した。
・石瞻:勇猛果敢に戦い続けた冉閔の父
敵方から石虎の養子となる。以後、東奔西走して戦場を駆け巡り、西晋、東晋との戦いで活躍した。
・郭敬:流転の末に巡り会えた石勒の恩人
石勒が年少の頃から、彼の大器を見抜いて様々な便宜を図った。奇策を用いて荊州北部の基盤確保に努め、民心を得ることも忘れなかった。
・石聰:石の姓を与えられて勇躍した晋人
東晋との戦いでは、石生を破った郭誦、李矩を破り、さらには寿春を落とした。劉曜との決戦に参加し、活躍した。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/03(日) 10:42:56.01 ID:0h2k4STm0.net
>>75
十六國春秋だかに徐光と桃豹の字があったような気がした
個人的には李農あたりの字が知りたいところだが

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/04(月) 16:57:45.52 ID:0KpMc1qG0.net
韓非子の矛盾みたいな空論よりも、
赫連勃勃の弓鎧みたいな実利あふれるエピソードのほうが好き
殺すのはやりすぎだけど

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/04(月) 23:00:28.92 ID:9XHNm82a0.net
中国といいギリシャといい
文明発祥の地がなぜか今は土人化してる法則

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/04(月) 23:14:26.37 ID:9XHNm82a0.net
フン族が西進してた頃、中国では五胡十六国時代だったし、この遊牧民が東西で活躍してたのってやっぱ関係あるの?

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/04(月) 23:29:54.62 ID:0KpMc1qG0.net
噂によると4世紀ごろ、地球全体が寒冷化したという説が

そして騎馬民族たちが暖地へ大移動、ローマや中国では不作も発生し大いに荒れたと

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 18:19:57.54 ID:QfhJqfCP0.net
>>80
中国における寒冷期は後漢当初から始まっているらしいので寒冷化が民族大移動の引き金だったと言い切れないところもある
どちらかと言えば人口動態で匈奴、烏桓、鮮卑の人口増大が起きた可能性の方が大きいのでは?
オルドス〜モンゴル高原でそれらの人口を許容できなくなった結果騎馬遊牧民族の南下が起きたのではないかと

三国時代に結構な人口が日本や朝鮮半島、モンゴル高原に吸収された可能性も考えてみてもいいかもしれない

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/06(水) 20:00:44.92 ID:fdA1KkeZ0.net
                【緊急重大告知】      テレビに注目      【左翼戦闘準備】


                       日本から始まる世界的株式市場の大暴落


   終いには政府にも支えることができなくなり、日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻します。
それが最終的な暴落であることがはっきりするや否や、マイトレーヤは出現するでしょう。彼は「匿名」で働いております。

   非常に間もなくマイトレーヤを、テレビで見るでしょう。マイトレーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。
     テレビやラジオを通してマイトレーヤと名乗らずに、彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。
        彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。

Q マイトレーヤはテレビに出演されましたか。A はい、日本、インドネシア、ベトナム、マレーシア、インドです。インドが一番最近です。



  日本で始まる株式市場の崩壊は世界中に反響するでしょう。その後すべての政府の優先事項が変わるでしょう。
 新政権は民意を反映し、先に食物と住宅、次に健康と教育、最後に防衛です。国民を裏切ると、自殺につながります。 

 差し迫る株式市場の暴落は商業主義の結果です。商業主義とは、他の人々が飢えている間にお金を儲けることです。
かれらは自分の財産を隠し、そして犯罪的雰囲気さえも創出しています。最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。



マイトレーヤによれば、核爆発は自然界の要素を妨害する。飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落は必然である。

                   免疫システムが弱体化し、この崩壊の結果がアレルギーです。
    人々は肺炎やインフルエンザやHIV/エイズなどたくさんの病気に抵抗することができなくなっています。
あらゆる種類の癌の増大もまた核放射能によるものです。慢性疲労、癌、エイズなどの多くの病気を引き起こします。
増加するアルツハイマー病の原因となっており、より若い人々に起こっています。認知症の過程は放射能汚染によって加速します。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/09(土) 07:04:30.74 ID:M0X+4zpQ0.net
>>79
ローマやサーサーン朝、曹魏で顕著立ったけど
軍の編成において騎兵、特に重装騎兵の役割が増大したことで
騎馬遊牧民の傭兵化・文明圏内地移住が大々的に行われていったことが
その後の民族大移動の遠因になっているんじゃねーかな?

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/10(日) 11:55:15.66 ID:9j5Lr8It0.net
>>78
「明治」の出典は易の「聖人南面而聴天下嚮明而治」だが
「夷狄(清)に征服されてしまった中国に代わって日本が明の治を受け継ぐ」
というもう一つの意味が込められてるとも言われてる。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/10(日) 16:15:36.30 ID:YAOxPXVS0.net
西晋の時代頃に鐙の発明で騎馬兵の戦線投入が簡単にできるようになったのも大きそう

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/10(日) 20:16:30.48 ID:ckTVJMyR0.net
「十六国」と仏典に出てくる「十六大国(マガダ国とかコーサラ国とか)」て何か関連性あるの?
十六という数字に意味はないと概説書では説明されているけど
となると当時の漢訳仏典から名数を剽窃したという可能性は十分にあったのでは?

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/11(月) 01:08:49.83 ID:oC8O9bZU0.net
>>85
武器や防具も鉄製が増えた印象

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/11(月) 12:32:43.25 ID:8k+53SaR0.net
鐙無しで股で挟んで乗馬するのめちゃくちゃ難しいらしいな

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/11(月) 22:07:08.18 ID:z8XH0mnO0.net
関羽は青龍偃月刀を携え、赤兎馬を駆っていた

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/11(月) 22:08:39.86 ID:z8XH0mnO0.net
カエサルと始皇帝ってどっちがすごいの?

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/12(火) 06:36:25.69 ID:BizcnFoq0.net
陳安や冉閔が二刀流していたのも鐙あればこそ、といった感じか

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/12(火) 12:21:20.99 ID:jF9oN/dO0.net
>>91
鐙の発明者って誰なんだろうか

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/12(火) 17:00:02.65 ID:UDiGM72y0.net
必要は発明の母って言葉あるけど、これは意味深な言葉でね
例えば蒸気機関は、産業革命の時に発明されたと思ってる人も多いが、
実際は古代ローマの時点で発明されてる
けど当時は労働力>>>燃料だったから、誰も必死こいて実用化・量産化しようなんて思わず、忘れ去られた

まして鐙のような単純な道具を数百年誰も思いつかないとは考えられない
思いついたのは誰ってよりも、鐙が普及する社会情勢とはなんだったのか(というか三国時代以前はなぜ出てこなかったのか)
を考える方が重要だと思う
特に歴史を語る上に於いては

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/12(火) 17:34:50.65 ID:zGrr9stu0.net
>>93
片鐙は紀元前から存在していたはずだから、両鐙が普及するブレイクスルーがあったのだろうね

歩兵の対騎兵戦法を突き崩す凄まじい衝撃力としての重装騎兵のニーズから一気に普及したんじゃないのかな?
前漢か〜後漢を通じて漢民族の対騎兵戦法はそこそこ進歩していたのは事実で
騎兵側からのカウンターとして両鐙による衝撃力増大という図式

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/13(水) 00:14:50.13 ID:K1ywn2VN0.net
おそらく世界最古の学徒出陣を強行したであろう殷浩
「(352年9月)浩以軍興、罷遣太學生徒、學校由此遂廢。」

桓温に弾劾されたけど仕方ないよぉ・・・・

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/13(水) 12:21:46.59 ID:kix5moaxO.net
浄土宗の阿弥陀経に姚秦クマラジュウ出て来て笑ったわ

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/13(水) 22:18:33.04 ID:n3SY//Id0.net
五胡の漢化についていえば

五胡十六国 20〜40%
北魏 60〜70%
隋唐 100%

って感じか

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/13(水) 22:44:56.66 ID:K1ywn2VN0.net
(349年4月頃 石虎死亡)
349年5月 冉閔らによって都督職を解任されたことを恨んだ苻洪が枋頭に帰藩し晋に来降する。
349年11月 苻洪率いる衆10万余りが西帰を開始
350年正月 関中にいた麻秋が冉閔の誘いに乗って王朗を襲撃、その後苻雄に捕えられる。
350年正月 姚弋中が姚襄に苻洪を攻めさせたものの返り討ちにされ多大な損害を受ける。
350年3月 苻洪が麻秋によって毒殺され、苻健がその衆を継ぐ。
350年8月 趙の車騎将軍 王朗の司馬であった杜洪が晋の征北将軍・雍州刺史を自称して長安に割拠した。
351年正月 苻健が王号を称し大秦(前秦)を興す。
351年正月 前年に幽州の令支からわざわざ南下してきていた段龕(段蘭の子)が青州をもって晋に来降する。
351年4月 晋の梁州刺史 司馬勳が杜洪の支援要請に応じ歩兵・騎兵3万を率いて関中に侵攻、五丈原で苻健と対峙するが敗れる。
351年5月 趙の?州刺史 劉辟(又は啓)が?ケン城をもって晋に来降する。
351年8月 魏の徐州刺史 周成、?州刺史 魏統、荊州刺史 楽弘、豫州牧 張遇らが廩丘、許昌等をもって晋に来降する。
351年8月 魏の平南将軍 高崇、征虜将軍 呂護が洛州刺史 鄭系を捕えるとともに河南・河東・河内をもって晋に来降する。
351年11月 趙の右丞相 姚弋仲が晋に来降する。

これだけ帰順者が相次いでおいて神州を陸沈させたままの東晋って

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/13(水) 22:51:26.64 ID:K1ywn2VN0.net
この頃年1回くらいのペースで積極的に北伐していた司馬勳さん
桓温でさえ朝廷を憚って自制していたというのにいくらなんでも制御不能過ぎるだろ
チョホウさんなんて代陂で李農に敗れたただの一戦で心労で死亡している
一方司馬勳さんは毎年負けが込んでいるというのに全然堪えた様子が感じられない

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/14(木) 00:10:01.59 ID:Wl3ahytr0.net
>>98
冉閔と慕容恪の怪物対決の裏番組ではあるがこれはこれで面白い
北伐したいあまりに恫喝のため軍を動かしていた桓温が会稽王に説得されてビビって兵を退くのが何だかカワイイ

しかしこの頃の拓跋部って勢力拡大の大チャンスなのにビックリするくらい何もしてないのな

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/14(木) 10:07:48.40 ID:roI4WPko0.net
かなり内訌に勤しみすぎてかなりヘタレてたからな

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/15(金) 01:40:18.27 ID:QetnV3Rm0.net
三国時代も鮮卑は内ゲバばっかやってた印象

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/15(金) 11:18:58.73 ID:qrtzyV890.net
拓跋部は分割相続、末子相続の傾向が強いから代替わりの度に骨肉の争いに陥ってるよねえ
慕容部も似たり寄ったりだったけど儁の世代がうまく切り抜けたことで雄飛するのに成功した感じかな
でも慕容霸(垂)継承問題は前燕滅亡の遠因になってるし相続って本当に難しい問題だと痛感させられる

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/15(金) 15:04:20.00 ID:pBdanvFb0.net
最も強い奴が継ぐって風潮がどうしても遊牧民は根強い気がする

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/15(金) 15:47:17.94 ID:qrtzyV890.net
>>104
慕容部の儁、恪、垂の三者は誰が継いでもそこそこ成功しそうな感じがするだけに相当迷う人選かと

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/15(金) 17:29:52.43 ID:AS9iVhQEO.net
垂では評の野心を抑えられない

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/15(金) 19:10:50.79 ID:cDP8VmsU0.net
よくわかる?五胡十六国  適当に作ったから間違ってるとこあると思う
│          涼州        │      関中    │ 山西 │ 河北 │遼東│山東│四川│江南
├―――――――――――┼―――――――┴―┬―┴┬――┼――┼――┼――┼――
│                │          後趙    │    │後趙│    │後趙│成漢│
│            前涼      │                  │ 代 │    │前燕│    ├――┘
│                ├―――――――――┤    ├――┘    └――┤  東晋
│                │                  │    │                │
├―――――――――――┘         前秦     └――┴――――――――┴――┐
│                                                            │
├―――――――――――┬――┬――┐  ┌―┬――┬――――――――┬――┘
│            後涼      │    │    │  │  │西燕│      後燕      │
├―――――┐    ┌――┤    │    │  │  ├――┘          ┌――┤
│      北涼│    │    │西秦│後秦├―┤  │                │南燕│
├――┐    ├――┘    │    │    │  │  └―――――┬――┼――┘
│西涼│    │      南涼│    │    │夏│              │北燕│
├――┘    └――┬――┼――┴――┘  │    北魏      │    │
│                │西秦│              │              │    ├――――――――
└――――――――┴――┴―――――――┘              └――┤     劉宋

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/15(金) 21:44:31.40 ID:Ztp7su7q0.net
>>106
慕容評って野心家と言うよりは350年以降に獲得してきたあらゆる権益・システムに対する現状維持派の側面の方が強いと思うんだ
ギョウを攻略したり東晋から河南を切り取ったりと慕容評の功績って決してバカにはできない
恪がいなくなったら宗室の重鎮という立場も相俟って前燕の輔政筆頭を任せられるのも当然と言えば当然
表立って批判する要素があんまりないだろ、明確な失政も前燕滅亡寸前までなかったわけだし

ここまで書いてきて思ったが桓温も慕容垂も政府中央から警戒され過ぎてたという立場は同じなんだよな
政治改革路線を旗印にして専横に成功したのが桓温でそういう多数派工作や権力闘争する才能に乏しかったのが慕容垂

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/15(金) 22:01:28.29 ID:Ztp7su7q0.net
悦綰は病死なのか慕容評が荘園摘発を憎んで暗殺したのか
それとも慕容垂が勝手に慕容評に殺されたことにしたのか
それが問題だ

通鑑が慕容評暗殺説を採用しなかったということは燕関連の史書の記述にはやはりというか何というか潤色多いんかな

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/15(金) 22:41:05.27 ID:1/L1WctV0.net
最近になって知ったが、司馬光の頃は十六国の史書が残ってたんだよなあ

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 02:04:07.81 ID:SpDV3Ktn0.net
資治通鑑が何気にわかり易かったりする

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 05:14:50.47 ID:q0j/r5A+0.net
>>111
魏晋南北朝部分の編纂を担当した劉恕が良い仕事してくれたおかげもあるし胡注が細かい部分まで網羅してくれてるのも大きい

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 08:28:33.52 ID:DJkz33wM0.net
突厥でも中央アジアあたりまで行ってるし
フン族匈奴説もあながち間違ってはいないように思える

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 10:30:44.57 ID:JoJNFQET0.net
モンゴル帝国でもチンギスの孫が普通に欧州まで到達してるしな

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 12:19:50.02 ID:RzLA/VX6O.net
段部の祖先の主人の痰を口で受け止めて飲み込む風習変態過ぎる

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 14:23:02.39 ID:DJkz33wM0.net
おしっこで顔を洗うってマジかよ
こりゃ漢族に野蛮人扱いされるのも、漢化した後に祖先を恥じるのも分かるわ
それを石碑にした某漢人が処刑されたっけ

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 19:09:37.29 ID:fKXdkDfo0.net
そりゃユウ婁じゃないか?
文化が独特過ぎてもっとも不潔な東夷として嫌がられてた

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/16(土) 20:29:42.15 ID:RzLA/VX6O.net
おしっこといえば段末波
崔浩も護送車に押し込まれておしっこかけられたらしいけど

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/17(日) 18:08:37.96 ID:Jli9wsgY0.net
>>116
排出された瞬間は限りなく無菌に近いから思ったよりは清潔なんだぜ
砂漠の汚水とかよりはキレイなんじゃねーかな

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/18(月) 05:57:06.43 ID:hexKr+Co0.net
変な質問かもしれないけどこの時代モンゴル人は何してたの?
全く関わらなかったの?それとも鮮卑か匈奴のどっちかがのちのモンゴルなの?

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/18(月) 06:49:12.09 ID:ODftphQK0.net
>>120
唐代にモンゴルが最初史書に登場してきた時は東胡・鮮卑の後裔である室韋の一部族としてだったので
このころは鮮卑(地域的には慕容部か宇文部)あたりの下級構成部族として遊牧生活送ってたんじゃないかな

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/18(月) 07:10:11.35 ID:OVc/njHwO.net
郁久閭社崙のシャロンって響きすき

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/18(月) 16:51:30.88 ID:hexKr+Co0.net
>>121
なるほど 南下しなかったor北へ帰った鮮卑族の末裔ってとこなのかな

しかしあの辺は、中国に近づくほど軍事力が下がる法則でもあるんだろか
十六国の皆さん<拓跋だし、宋<遼<金<モンゴルだし

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/19(火) 10:02:42.71 ID:4Gu1e3W20.net
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    /:::::::::   \ 朱棣 /   \  >>123俺様は漢民族だが夷狄より質実剛健たぞ!
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ヽ___) ノ

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/19(火) 19:47:52.07 ID:De+eYS6w0.net
>>119
まあ今でもアフリカの水不足の地域は
普通に家畜の排尿で顔洗ったり髪洗ったりしてるから

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/19(火) 20:29:11.74 ID:CqeBRb2C0.net
そんなに水不足ならそもそも顔洗わなければいいのにと思ってしまうが
”飲む”の方がまだ納得できる

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/19(火) 22:31:52.59 ID:P1DKULdf0.net
1000まで行った最後の五胡スレ
ttp://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1326368108

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/20(水) 15:08:54.44 ID:PGrJIAf00.net
吉林省とか黒龍江省の辺りは作物育てやすいはずなのにこの頃は全然価値にきづいてないのかな

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/21(木) 12:08:01.45 ID:8M91xwPp0.net
五胡十六国の名将・猛将を挙げてみる。今回は成漢。この国は最初の益州流入からの約10年間くらいが一番熱いと思う。敵味方、かなりの将兵の血肉で国が興り、固まっていくのは胸熱。
それを過ぎると、あまり話題がないというのも、益州は一度固めてしまうと、引きこもりにはいい環境なんだろう。

【成漢】
・費黒:南方戦線のエキスパート
成の南方攻略に大きく貢献する。南方の事情に精通し、的確な進言を行い、李寿から軍事を委ねられた。
・李驤:李特の弟にして、成の勢力を拡大させる
成の成立、反乱の鎮圧、北・西・南への勢力拡大に活躍した。成の初期より、軍事の要として東奔西走した。
・李蕩:李特の子にして、決死の戦いで父を救った
李特に従って、各所の戦いに活躍した。張徴との戦いで、李特が危機にあったとき、敵軍の重囲を破って救い出した。休む間もなく追撃し、ついには張徴を討ち取った。
・李庠:李特の弟にして、成建国の引き金となる
文武の才に優れ、人々から文鴦、関羽、張飛のようだと評価された。彼の死に民衆の誰もが流涕して悲しみ、成建国の流れが生まれた。
・李離:李特の妹婿にして、成の基盤作りに貢献する
李雄と共に西晋軍を撃退する。巴西での西晋軍をことごとく破り、漢中に侵攻して勢力の拡大に貢献した。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/21(木) 15:04:24.91 ID:8sDdkqOtO.net
任回は?

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/21(木) 21:53:34.73 ID:BPnXjOLJ0.net
神道も仏教も多神教だが日蓮宗だけは一神教的性格が強い
日蓮も「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」と唱えて他宗を激しく攻撃するなど排他的
自らの信仰が絶対正しく他は邪教という点はキリスト教やイスラム教に似てる

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/21(木) 21:56:55.60 ID:BPnXjOLJ0.net
儒教だと朱子学がもっとも原理主義的

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/22(金) 07:52:17.21 ID:JaHO+M4x0.net
>>130
戦歴的に物足りないかと思って、前回も今回も除外した

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 10:57:41.59 ID:uiUxOnRN0.net
五胡十六国の名将・猛将を挙げてみる。今回は前燕。ここらへんの戦闘系の充実ぶりは素晴らしい。戦歴もそうだが、それなりにエピソードもあって、キャラも立っているのはいい。
五胡十六国時代の序盤から中盤まで存在し、中央にも深く入り込んでいる国だし、当然と言えば当然なんだけど。

【前燕】
・悦綰:後趙の大軍に寡兵で城を守り切る
後趙の大軍に対し、逃げようとする将兵を鼓舞して、千人余で城を守り切った。呂護、冉閔との戦いでも活躍した。
・賈堅:慕容儁や慕容恪も愛した、抜群の射術を持つ老将
六十歳を超えて、精妙さをほこる弓術に人々は感服した。十倍の兵に対してもひるまずに自慢の弓術で渡り合った。
・慕與根:長く前燕に仕えた歴戦の宿将
石虎の進軍に恐れた慕容コウを止めて、力戦して侵攻を食い止める。各方面に参戦し、前燕の中原進出に寄与した。
・慕容仁:慕容カイの子にして、決して揺るがぬ遼東の守護神
宇文部、高句麗から遼東を守る。特に高句麗軍を撃破してからは、高句麗は遼東侵攻を行わなかった。
・慕容翰:慕容カイの子にして、数奇な運命に翻弄される
慕容カイの頃は軍の中心として各方面で勝利を重ねた。一時、前燕から離れたが、帰参後は宇文部、高句麗との戦いに活躍した。
・慕容恪:慕容コウの子にして、五胡十六国随一の将器の持ち主
石虎、冉閔という当代の猛将に勝利し、前燕の中原進出、最大版図の原動力となった。その存在は他国にとって脅威でもあった。
・侯青:従軍すれば先頭に立っての陥陣営
騎射に優れ、従軍すれば先頭に立って敵陣を落とし、慕容儁から張飛に比されるほどだった。
・鮮于亮:大恩に大功で応えた国士
石虎に仕えたが、敗れて前燕に仕えた。高句麗戦で数十騎を率いて敵陣を犯した。後趙戦でも活躍して、その名は広く知れ渡った。
・悉羅騰:三軍に冠する武勇にして、精妙な囲碁の達人
桓温との戦いで慕容垂と共に戦い、反乱者を捕らえ、敵将を斬る活躍を見せた。囲碁の達人であり、これに並ぶ者はいなかった。
・悦綰:死命を果たし、国の滅亡を阻む
後趙の大軍が城に迫るも、断固として屈せず守り抜いた。反覆常ない呂護を捕らえ、姚襄と呼応して冉閔を破るなど活躍した。
・傅顔:数々の戦いに参加した勇将
反乱者の李黒、慕輿根を討ち果たし、東晋の北伐を阻んだ。慕容恪と共に呂護を破り、前燕の軍事行動を支えた。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 11:00:25.01 ID:uiUxOnRN0.net
>>134
悦綰、2回書いていた。申し訳ない

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 11:37:46.97 ID:APtJEXfJO.net
封奕と陽ブ

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 11:48:17.58 ID:APtJEXfJO.net
皇甫真

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 12:44:59.33 ID:JpVBnHqc0.net
>>137
呂護征伐の時ぐらいしか活躍してなくね?

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 13:51:47.49 ID:fZn9CazB0.net
>>134
慕容評ぐらい入れたれよ

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 13:54:50.93 ID:uiUxOnRN0.net
>>139
王猛との負けっぷりがすごくて入れなかった

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 20:06:33.93 ID:NJGw858H0.net
>>129
成漢に関しては華陽国志と載記記事が補完関係にあるぞ、
片方にしかない記事がけっこうある
載記で判らなかった年代の特定ができるから見てみて

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 20:20:50.07 ID:fZn9CazB0.net
>>140
桓温に大敗北を喫した傅顔が列挙されている不思議

桓温に遷都寸前まで追い詰められ国力は衰退の一途のなか国内情勢を知悉している慕容垂が
よりにもよって前秦に亡命して前燕侵攻に荷担しているとあっては防ぐ手だてもほとんどないだろ
史書ではこのあたりの記述で慕容評の無能さを強調しているけど同じ条件で持ちこたえれるやつってそんなにいねえよ

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/23(土) 21:04:26.01 ID:APtJEXfJO.net
李雄が如く

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/24(日) 10:47:51.67 ID:l0METeXg0.net
>>63
南朝に朝貢してた割には仏像は北魏様式ばかりなのよね

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/24(日) 20:13:38.07 ID:aBQH6tAvO.net
李雄の母の羅氏って隻眼なんやっけ?
かっこええわ

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/27(水) 20:29:38.66 ID:xxvigXRD0.net
>>134
指揮関係とか率いた部隊の規模とか分からないから誰がどう凄いのか伝わりにくい

五胡も都督制採用してたのかな?

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 15:16:37.58 ID:U7cvIacR0.net
勒靭

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/29(金) 19:36:26.57 ID:nsitsOltO.net
王石
弥勒

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 04:53:05.34 ID:bE1reVVT0.net
改めて見ると高歓は結構な戦歴だなあ

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 07:46:02.45 ID:JLhy/FCi0.net
>>149
渤海高氏なのかそれとも鮮卑なのか、とても気になる

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 11:31:24.55 ID:pOgEUeHt0.net
文化的侵略?日本のせいで中国の若者の「三国志」観が崩壊 「われわれは日本のアニメ・ゲーム文化によって洗脳された」


古代中国で魏・呉・蜀が覇権を争った三国時代の話は、おもに「三国志」として日本でも広く認知されている。
日本でも、原典に忠実な小説から始まり、アニメ・ゲーム文化との邂逅により、数え切れないほどの派生作品を生み出してきた。
これらの作品は中国にも「逆輸入」されているが、そのために中国の若者における「三国志」に対する認識の崩壊が生じているという。

 中国メディア・騰訊網は11日、「文化的侵略? 日本のアニメ・ゲームが若者の『三国』に対する認知を破壊した」と題した記事を掲載した。
記事は、日本のアニメ・ゲーム業界において三国時代のストーリを題材にしたものが続々と出現、「史実に基づかない多くのシーンが、中国の若者の頭に浮かぶようになった」と説明。
「われわれはすでに、日本のアニメ・ゲーム文化によって洗脳された世代の人間なのだ」と論じた。

 そのうえで、「一騎当千」、「龍狼伝」、「SDガンダム三国伝」、「恋姫†無双シリーズ」など、「三国志」から派生した作品の一例として紹介している。
そして「中国の古典名著が異邦人によって書き改められている。5000年の歴史文化を持つ大国のメンツはどこにあるのか」とした。

 以前、「三国志」と並ぶ中国古典の名著である「西遊記」が中国より先に日本でテレビドラマ化され、三蔵法師を女性が演じたことを知った中国のネットユーザーから衝撃の声が出たことを紹介したことがある。
三蔵の「女性化」にしろ、「三国志」の非常に大胆な派生にしろ、中国では「国宝」的な作品ゆえ、実現は難しかったのではないだろうか。

 もし、これらの作品によって中国の若者の「三国志」観が崩壊することを危惧するのであれば、原著に忠実で、かつ彼らの興味を引くような文化コンテンツを自前で作り上げるべきだろう。
単に「小説を読め」と言っても、なかなか振り向いてはくれない。(編集担当:今関忠馬)


http://news.searchina.net/id/1608706?page=1

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 20:56:58.17 ID:Ec8iu1ZP0.net
中華圏の絵描きどもも歴史ネタをガンガン描いてくれればいいのに
ゲームや日本の美少女イラストに影響を受けたような絵ばかり
画力あるのに勿体ないわ

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 21:30:41.09 ID:xAWwp1iqO.net
石勒女体化とか奴隷上がりだからエロそう

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/04/30(土) 21:33:43.26 ID:k0qJuxWl0.net
>>153
石虎の皇后の一人である鄭皇后が戦場売春婦から成り上がったっぽいんだよな
皇子産みまくって一発逆転……なお

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/01(日) 01:05:21.33 ID:t11S6BX4O.net
吉野健太郎の卑怯なTwitterで検索しよう

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/01(日) 06:52:54.30 ID:wv/P5upg0.net
性別が変わろうとも苻堅の凋落劇はやはり惨めだろう、きっと

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/01(日) 07:49:47.32 ID:0iIgFAUd0.net
苻堅から漂うまどマギ臭

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/01(日) 07:53:20.03 ID:n7LrdsoI0.net
女体化ネタは好きではないが苻堅は演義劉備以上にヒロイン属性が強いと思う
石勒はオス過ぎて女体化のイメージが湧かん
石虎はドジっ娘

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/01(日) 10:41:39.33 ID:X028/drV0.net
>>150
まあ鮮卑やろ順当に

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/01(日) 14:15:06.18 ID:x3vXygRU0.net
>>158
慕容沖「せやな」

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/01(日) 15:51:36.27 ID:n7LrdsoI0.net
>>160
竜陽の道より百合百合しい方がええやろ

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/03(火) 08:39:05.08 ID:dFLGOtJb0.net
>>158
石勒に女性キャラのAA当てて例の名言言わせても違和感バリバリだもんなぁ。

ラオウとか勇次郎のAAじゃないと説得力ぜんぜん出ないw

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/03(火) 11:20:06.85 ID:xCORC14F0.net
【1949年以降に皇帝を称した人物一覧】 exp板
原題「【......】1949年以後中國称帝人物一覧表 」

【大中華佛国】(1947〜1953,1983)
 初代皇帝・石頂武(位1947〜1953)
  …反乱を計画し、人民政府により処刑。

 2代皇帝・石金キン(位1983)
  …石頂武の子。1983年に農民をやっていた「丞相」李丕瑞の補佐のもと即位。
   湖南省醴陵県(当時)の農村で再建国するが、県の公安局に鎮圧される。

【道徳金門皇帝】
 丁興来(位1981〜1990)
  …盲人。大別山で道徳金門教を創始して皇帝を名乗り、
   「正宮娘娘」「西宮娘娘」「宰相」などの21人を位に封じ、「仙印」41枚を下賜する。
   交通が不便な地域だったため、即位して10年後にやっと当局に発見され処理される。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/03(火) 11:21:02.64 ID:xCORC14F0.net
【中原皇清国】
 正皇帝・張清安 位1982
 副皇帝・廖桂堂 位1982
  …皇清を年号として大巴山に建国。
   張清安は「玉璽」や「後宮」を持ち、丞相と文武百官を任命。『天律森吏』の書を頒布。
   四川省巴中県(当時)を首都に定めようと計画し、巴中四川劇団の建物を皇居とする。
   さらに台湾に対して「蒋介石を威国王に封ず」という綸旨を発し(郵便局を利用)、
   「朕を救うため親征せよ」と命令。
   結果、決起前に県の公安局によって滅ぼされる。

【聖朝国】(1980〜82)
  …皇帝・林文勇
   大巴山の儀隴山区に建国するも、県の公安局に鎮圧される。

【ユーホアン大帝】
  …1982年に大巴山に住む曹家元がユーホアン大帝を自称するも、
   まもなく滅ぼされる。

【朱仕強】
  …1980年に大巴山の朱仕強が皇帝を称するも、
   7日後に人手を連れた村書記がやってきて滅亡する。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/03(火) 11:22:47.29 ID:xCORC14F0.net
【大聖王朝】(1986〜1988)
  …女皇帝・晁正坤(位1986〜1988)が山東半島に建国。
   巫術をおこない、童貞を集めて「後宮」を築く。
   県の人民政府により鎮圧。

【万順天国】(1990〜1992)
  …皇帝・李成福(位1990〜1992)。唐王朝の末裔を名乗る。
   河南省(豫州)西部で安民党と万李起義軍を組織し、
   農村が都市を包囲する方式により、唐王朝の皇帝位に返り咲き西安に首都を置こうと考える。
   その後、派出所の警官3名によって滅亡。

【その他】
  …皇帝・姓名不詳。70年代末か80年代初期に即位。
   計画生育政策(一人っ子政策)への反対をきっかけとする。
   農村で建国して皇帝を名乗り、大軍(数百人)を率いて県城に攻め入り県の医院を攻略。
   医院内の医師・看護士全員を捕虜とし、計画生育用品をすべて破壊。
   その後、人民解放軍の迅速な反撃によって県医院は包囲され、
   皇帝は軍を率いて頑強に抵抗したが一敗地にまみれ捕虜となる。
   この皇帝は死刑にならず、なぜか無期懲役となった。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/04(水) 22:46:13.17 ID:APzR8UFZ0.net
曹操といい苻堅といいあと一歩の所で大敗北しちゃうのよね
劉秀や朱元璋くらいの英雄でなければ中国を一代で統一するのは困難か

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/04(水) 23:00:12.30 ID:9XvfNmG30.net
華北と江南を一息に統一するのは至難の業なんじゃろ
西晋以降、唐を例外として、歴代中華王朝は華北・江南の一円支配に数代かかってる

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/04(水) 23:02:57.34 ID:9XvfNmG30.net
明忘れてた

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/04(水) 23:03:42.75 ID:slKopeUt0.net
曹操も苻堅も親征に拘って下手こいてる
複数の戦場で並行的に作戦を進行させる場合は現地の指揮官たちに委任させるやり方の方が効率的で
最高司令官としての君主は全般指揮しやすいところ、まあ結構後方になるんだろうが
少なくとも最前線の戦場まで出てこない方が良いと思うんだよね

ひとつの戦場で戦略的な目標が達成できるというのであれば親征も間違ってはないのかもしれないが
苻堅の場合、益州、荊州、豫州、徐州でほぼ同時に作戦してたから苻堅に第一線まで出てこられると
戦争全体のコントロールに不均衡が生じるおそれがあり具合が宜しくない

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/05(木) 01:15:14.48 ID:mVw2s0Ck0.net
     _,,,.. ----‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐---- 、
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171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/05(木) 01:36:00.31 ID:Cdsw0Mh/0.net
>>170
成果も微妙ですやん
オイラート撃滅できてさえいれば土木の変もあそこまでの大敗にはならなかったでしょうに

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/05(木) 08:49:17.61 ID:sVHxGwn+0.net
長江を渡るには十分な準備と備えが必要だからね

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/05(木) 10:09:55.60 ID:QyVxeruY0.net
>>168
毛沢東もね

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 01:22:16.08 ID:idqkRuc10.net
>>167-173
その辺は、煬帝が運河で南北を繋げちゃったのが歴史の大きな転換だったと思う
あの国は水路で繋がるかどうかってのがでかいみたい

まず戦国〜漢は、黄河流域+その他辺境みたいな感じの国体だった
孫権が江南の開発を進め、そこからは南北に分かれるのが常態化した
隋以降は分裂状態は長期化しなくなった

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 01:25:26.94 ID:l8zIdoWE0.net
東晋がアレだけグダグダでも長く持ったのだって孫権が江南のインフラ整備をしっかりやってたとこもあるしね。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 01:59:28.35 ID:vK1rC0R+O.net
慕容宝は凡庸だが脳が露出した慕容農の頭を手術した天才的外科センスは凄い

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 06:20:15.64 ID:l8zIdoWE0.net
これかw
http://blog.livedoor.jp/masudazigo-2nd/archives/1509119.html


その後会の遣わした仇尼帰に襲われて重傷を負い、これを捕えて山中に逃亡した。
出頭すると宝はこれを怒鳴りつけて言った。
「なんということか」
農の傷は骨が破れて脳が露出するほどのものだったが、会が退けられて逃亡した後に宝が自ら手当てをし、死を免れた。

スーバードクターKもビックリだわw

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/06(金) 20:58:22.21 ID:HuyINqjL0.net
>>175
単純に華北からの人口逃避の継続的な受け皿になり得たからでしょ
孫呉なんて魏が安定してきた途端に難民が北帰し始めたぐらいにグダグダだったわけだから

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/07(土) 21:30:56.00 ID:NlQMhzmw0.net
華北が継続的に荒れてるからやむなく故地を捨てた人が建康を目指したからね

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/08(日) 21:02:55.84 ID:Z5ZqAvOM0.net
上がぐだぐだだったからこそ現地領主が勝手に開発した説もあるな。開発領主制的な

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/08(日) 21:45:57.56 ID:fLAdDzl+O.net
塢主ってやつがそれじゃないん?

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 20:08:11.70 ID:hopCZnhS0.net
王朝が続くのはだいたい3代
軟弱になって蛮勇な多民族、部族に滅ぼされる。繰り返し

ってサラセンの歴史家が書いてた

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/15(日) 20:19:55.63 ID:nKXhsRDV0.net
まぁ間違ってはいないし…

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/16(月) 22:06:44.03 ID:LJqSK6Vf0.net
ローマ人「蛮族め・・・」

ゲルマン人「チビww」

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/20(金) 09:02:37.10 ID:8MfpbW1o0.net
               ,  ‐ ´  ̄ ̄ `ヽ、
              /     、    、 \
              ,.'./  .:/ ;小:.. ヽ:. :\:.:.ヽ
    .        //:.:.:.:/.:./:. ./ i ヾ:.:.丶:. ...ヾ:ー'、
           //,':.:... :.:厶:./- ヽ 弋:.‐\:.:.:. 丶:\      >>161私のと私の姉と苻堅の3Pって需要あるの?
             ! |:l:j:.:.:´/ ィ天t、   ィ天女、-、:.. ヘ、:.ヽ
             ! | :.!.:.:.:ハ´ち;;;j    ち;;;;j !K }ヽ:.、.! ヽ!
             ヽヾj:.ノ小 `::::.   '  ::::´ ハイ: |`リ  ノ    
           、_ノイ:..:.:リ;:ゝ-‐っ ー-   イ:.l::|:. i |
          /´/:.:/ ‐<>.、 _., .イ_.l:.:l::|:. i |
         /_/∠ ァ┐l !ノーソノl  ̄ ヽ、」::|:. .:i:ハ
       , ./´   `∨イしリ  / ハ  / ヽ ̄`ヽハ
      / |====、∧/  >‐/{ヽ‐‐<   l    l ヽ  r/7-、_
    , '   /     / /   7〃 {{ヾ〉\   |/ ̄ |  厂し' / /┐
    .   /     / /  /   {{.   \  |    | ,/=(_/_/_,人
       |     / / イ    o. {{       \|    l/     'ヾ、/

慕容沖(359〜386)

姉とともに苻堅の寵童。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/20(金) 22:15:38.48 ID:wWw76z830.net
>>185

苻堅に悪気はないんだから、赦してやれよ慕容沖

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/21(土) 01:59:39.63 ID:nY8fgFVm0.net
.            /     /.: : : :/: : : ; : :/: : : : :,: :,: : :.'l; : : : 'l; ヽ    / |  ヽ: : :\
         /|    /: : : : : /: : : /: :/|.:|.: : : :|: :l: : : :l: :,: : : 'l; ヽ    l   .l: : : ハヽ.
         /: : : l. _,,z7: : : : : : l: : : :l: : /.l|:|l: : : : |: :l,: : : :l: l.: : : :l,: :|   l     |.: : : :ハミ;
.       /_;,z=ニi''" i': : : : :l: :l: : :l.;|: / ||:|l|: : : : ト; :l; ;,;_:l: :l.: : : :|: :|__,ノ    ト .,: : _ハ`  
     , - '"    \ |l: : : : l.: :l: : |;||-|  ||:|.ll.: : : :|.ヽ:lヽ.:¨|'i-、: : |.: |ヽ、  _ノ   /.〉|   私は
.     \_   _ /`|l: : : : l: : l.:イ| |:l  'l:| lヽ.: : :| ヾ ヽ.:|ハ: : : :|.: |   ̄    /  .|.:|
       `V:)´     /|.l.:|: : :l.: :l: :| ,t==z, l|  \: | ,r==z,|: : : |.:_:|   \_/:`ヽ/|:|   全ての人を救いたいの!
       |(    / | l:|.: : :l: :ll: |/んノ心     ヾ んノ心.|: : : |´-|   入.: :| |: |: :| |:|
.       l| 'ーl´.:^lヽ_,,l|ヽ: :ヽ.:l: | {:::i::j:::リ         {:::i::j:::リ|: : : |...l lt-'´/:|: /':,|:/|: | |:|   漢人も胡人も平和に暮らせる国を作りたいの!
            \: :|\: \:\:ヽ;|'. ゝ- '"     ,     ゝ- '".|.: :/ー'/.:|: /: :|/: : |!. |/. |'
            /:`'.: : :\: : :|`l: iヽ "" ""  、  ,  "" ""|: /:-t'´://: :/: : : ´':.'
        ( ー'-=z_ニー' i、.:|`'l: 'z、               ., :|:/: : :_|;/-‐--‐t_,,z'" ):,     そのためなら何でもするの!
        `7- 、    `ヽ_'ー--; :|: |`: :t- .,  _ ..: :i: :/´:|.:l´ r=ニシ- '` _./、.: :':,
        /: ;ノ/\    `ヽ. /ヽー=ニノ_: |ー----‐|: : |: ':_;:-y、r|  /    /‐-t_|_ :_.:':,
.        // __  \_    .lヽ }/ `i\ ー----‐'冫 _,r' ( | | ノ   /   __  ̄ )
      γ´ ,.イ´ /       /ノ .〉、  `i_ `.     ´ _r"   )'/ /   /   (_ 〉: : ̄: ':,
      ,:ー:'´: i/ ./`l  ,、  / l _) )  `i、_ ´ r''"      /l/ 弋      ,:=,,_` ' : 、: : ',
     ,:'.: : : :,.' /^|,_/ / | .l-'./ /  o oγ'Y´o o    ( `iー、ヽ._  r: 、 \ノ` : 、._): : ':,
    ,:'.: : : :,(_/`i '/ /三| l ノ リ      弋リ           ̄`iーゝ_, >、\l\ \: : : : : : : ',
   ,:'.: : :/: : : /: :ゝ(_ノ   冫' ,イ-'     _r-' "'ー、_.       |ー--−'ゝ,_).:`ー ': : : : : : : :':,

苻堅(338〜385)
前秦の天王 五胡十六国前半の名君

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/21(土) 06:26:21.34 ID:XNr60XMc0.net
苻堅の前燕併合ってあり得ないくらい短期間で達成したよな
後趙と前趙の場合も電撃的ではあったが、それは石勒が狙って成功させた作戦だったわけだし
国力的にはそもそも後趙の方が圧倒していた

前燕平定は国力的にはかなり難しかったような気がする
棚ぼた要素はあったかもしれないが素直に凄えわ

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/24(火) 17:09:18.54 ID:u2b5XGCN0.net
         ,....::::::::: ̄ ̄:::::::`ヽ、
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     ,:::::::::::::::l::::::::/::::イ:::::/::リ:::::/!:::::::::::|:::/  ///     苻堅陛下貴方の優しい事はよく知ってるわ
    ,:::::::::::::::::!:::::イ::イ_/l::/l:::/ /:::l:::::::l:/  ///
     !:::::::::::::::イ::::l 之zソ` l/ l/_/_::/::::://  j_/_      でも絶対に東晋に攻め込んじゃダメよ
    ,:::::::::::::::/|:::::|       fチ〉/::::/イ  / //
    /::::::::::::://!:::::!     、  ´ 〃::イ/__ / //       信じてるからね。
  ,/:::::::::::::/-、',::::ト、  ´  '  , イ::::://;;;/ / lー,.
  /:::::::::::::/三三、:l-`, ー:::''"´/ l::::リ /;;/ /o // l
.,/::::::::::::::/,-三三',:!三|∨`ヽ´ |::::l/"´ /  l/ ,/
::::::::::::::::/ ̄ ̄`ヾ'、三!-、:.:.:':, l::/   / //' / , -、_
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::::/::l      ', \:.:.:ヾ!  \:.l   l_/ l      ////
,イ:::::::::、      、 \:.:',   ヘ!   ,-'、    ////
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l:::::l:::::::, ヽ      ヽ      |  ///\_:.:.:.:/
、::::',:::::::::. ',       ',      ///////`,/
 ,::::'、::::::::.. 、       ヽ  / ̄ ̄//////

王猛  325〜375 
 北海劇(山東省寿光)の人。字は景略 苻堅から「我が諸葛孔明」と絶大な信頼を寄せられた前秦の宰相

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/24(火) 19:22:19.27 ID:3IA1Vw8a0.net
>>188
所詮軍閥が適当にたてた国だから
軍が敗れた時点で官吏も人民もあっさり見放したんだろうな

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/24(火) 19:26:08.05 ID:3IA1Vw8a0.net
>>169
現場に任せる→軍閥化
よくある話やんけ

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/25(水) 07:23:59.47 ID:vOA+FlYL0.net
征服した奴が別の国建てるだけだわな。司馬昭は上手かったなー両方とも殺しちゃうんだもん

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/28(土) 01:54:15.59 ID:O4DkLC9C0.net
新スレが 建ちましたぁ〜♪

坐禅と見性第109章そもさん!熱波!天変地異か。 [無断転載禁止]©2ch.net
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/psy/1463212499/


ブッダの生涯  中村元博士 - 2:31:51
https://www.youtube.com/watch?v=gJsZgi-5XTY

ブッダの言葉 スッタ ニパータ 中村元博士 - 2:29:24
https://www.youtube.com/watch?v=V0VaUxjlM04

ブッダ大いなる旅路 - 16 本の動画
https://www.youtube.com/watch?v=jmsB0bBHd6I&list=PLXE1az6DZP-1c34brzTsmlbcr60CE0oEw

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/29(日) 23:24:10.41 ID:0ui8IvYL0.net
急な出費でお困りの方是非ご活用下さいm(_ _)m
http://komattarasoudan.seesaa.net/?1464091301

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/01(水) 18:44:36.11 ID:6DG5+oUV0.net
非漢民族が漢文明を受け入れる五胡十六国こそ日本国家誕生の時代
倭と漢の文明が融合して大和ができた

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/02(木) 14:01:25.40 ID:sqXwRffa0.net
やっぱ胡族のせいで分裂が長引いたんだろうなー。他の時代であんなに長く小国乱立したことなんてないし

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/02(木) 22:14:24.91 ID:U1sooLTt0.net
春秋・戦国「せやな」

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/02(木) 22:27:11.40 ID:njF8T/T20.net
五代十国「ワイの時代の方が荒れてる気が」

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/03(金) 10:38:29.69 ID:EFzSFs0B0.net
>>198
100年も経ってないやん

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/03(金) 17:07:47.41 ID:ssBHFeL90.net
肥水の戦い後とか東晋首脳部の反謝安派が完全に足引っ張っているからねえ
王氏に始まり、ユ氏、桓氏、そして謝氏と有力な貴族政治家が頭ひとつ抜け出ることに
猛烈な抑制力がかかる東晋政界はかなり異様な世界だと思うわ
派閥均衡というかつての自民党的世界観

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/05(日) 10:53:08.94 ID:6sa4k/KF0.net
会稽王司馬cって北伐に関してだけは積極派なんだよな
担いだ人間の意向に染められやすい傾向があるというだけで
でも皇位継承争いから身を遠ざけるためには信念とかそういうものは余計だと思っていたのかもしれない

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/05(日) 17:54:51.22 ID:zkqSuh/C0.net
中国历史地图 Historical Atlas of China
https://www.youtube.com/watch?v=-foZ5RcCm8U

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 11:58:36.16 ID:NWOf9HF70.net
苻堅(親父の苻雄もだが)はブチャイクだったと史書に書かれているけど
曹操みたいに容貌コンプレックスとかあったのかな?

慕容垂を過度に尊重したりしたのも偉丈夫な彼に気圧されたりした複雑な側面があったからだったりして

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 13:56:05.95 ID:2feMGv2c0.net
毛「禿でも皇帝になりましたが何か?」

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 19:59:08.89 ID:KkmHlwWM0.net
慕容垂はイケメンだったんやろな。苻堅を殺さなかったし風格があったんだろう

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/06(月) 20:48:11.72 ID:YFjvugy20.net
>>203
日本のweb上で見かける苻堅はかわいらしいデザインが多いな
中国のゲーム画像とかだとさすがに異民族っぽい感じだが

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/07(火) 08:54:17.41 ID:59HS9U0f0.net
http://mukankei151.blog47.fc2.com/blog-entry-11619.html

劉淵はガッツって言うよりシャアのイメージ

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/07(火) 10:10:22.99 ID:TATUPSQZO.net
劉淵はなんか全盛期過ぎた年寄りのイメージ

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/07(火) 13:12:45.27 ID:C0sBTV+K0.net
劉聡を挟まず劉曜になっていれば・・・

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/07(火) 15:07:21.02 ID:TATUPSQZO.net
劉曜の運の悪さは異常
石勒の悪運の強さも異常

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/08(水) 04:10:42.47 ID:DNc2twMb0.net
そもそも劉淵の旗揚げがせめて40歳前後なら

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/08(水) 10:36:03.22 ID:O50bCxud0.net
40歳の時が八王の乱の開始の年だからその頃旗揚げしても難しいな

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/08(水) 19:42:16.78 ID:MgTI7QAe0.net
北魏とフランク王国

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/09(木) 22:30:32.57 ID:jPioF5Hw0.net
北魏が中華帝国第二ラウンドのはじまり、
フランクはヨーロッパ第二ラウンドのはじまりという気がする

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/10(金) 07:22:15.88 ID:3nuGbETD0.net
北魏よりも劉裕の登場による南朝の変容の方がはるかに中華第2ラウンド開始っぽいような
名実ともに南朝貴族政治全盛期の終焉だったわけだし

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/11(土) 08:25:52.05 ID:cCBzKwGZ0.net
北魏当たりから南朝から北朝への亡命が出てくるんだったっけ

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/11(土) 12:28:37.14 ID:qJVr9jct0.net
劉裕が権力握ってからじゃなかったっけ

探せば東晋から華北諸政権への亡命者がいるかもしれんけど
桓氏一族すら族滅せずになあなあで共存できる東晋のゆるさ考えれば
数は少ないんじゃないかなあ

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/12(日) 11:52:17.18 ID:AkySXQts0.net
南朝から北魏に亡命した皆さんのコメント

簫宝寅「斉を出る喜び」
王粛「斉に居ると自分までダメになる」
劉昶「北魏に来て良かったと心から思った」
裴叔業「宋や斉では誰を信用して良いか解らなかった」

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/12(日) 13:31:35.60 ID:usNtVhql0.net
在日米軍は出て行けとか、沖縄独立とか言ってる連中は
チベットがどういう末路を辿ったかちょっとは知った方が良い
吐蕃の頃は唐も一目置くくらいだったんだが今は…

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/12(日) 13:50:24.89 ID:VFOg4T0a0.net
>>219
その点琉球は弱すぎたな
「日本」が誕生する前にヤマト王権でさえ手を焼いた隼人の子孫が
強すぎるっていうのも勿論あるけど

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/12(日) 13:56:12.79 ID:JzYYFhw50.net
しょっぱなから皇帝が置物扱いされる東晋のグダグダ感

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/12(日) 16:12:08.96 ID:6MyEY3PJ0.net
正直南遷した時点で滅亡してもおかしくなかったので
皇帝が置物になる程度で王朝が続くなら上出来の部類の気が

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/12(日) 17:08:08.65 ID:Q0Oo+qvU0.net
輔政の筆頭司馬イクですら置物感半端ないからな

穆帝=1歳 当然置物
崇徳太后=臨朝称制する置物
司馬イク=録尚書六條事でありながら恵帝と同レベルとdisられる置物
何充=録尚書事だけで病気で瞬殺
蔡謨=気がつくと庶人にまで落とされている頑固者

誰が政治的な決断しているのかさっぱり分からん

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/12(日) 17:32:51.91 ID:zu9HzShrO.net
南朝のシェフ毛脩之

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/12(日) 17:49:02.25 ID:aNic+JTW0.net
南朝の釣り師 謝玄

226 :sage:2016/06/12(日) 22:22:06.33 ID:+naivp3p0.net
https://www.youtube.com/watch?v=L46IUTOiomA

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/13(月) 23:11:59.95 ID:DxlBwqzZ0.net
>>219
吐蕃って一時長安を占領したろ
蛮族が中国中枢を失陥させたのって犬戎以来の快挙だぜ・・・

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/14(火) 00:02:34.76 ID:vrMkTYCq0.net
劉聡「・・・」

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/14(火) 02:23:08.53 ID:3aRrD7Jd0.net
>>227
赫連勃勃「俺様も占領してますが」
>>228
劉聡さんは漢化してるせいかヒャッハー感が足りない

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/15(水) 00:20:31.18 ID:1U5SzTL00.net
司馬昭「蜀を思い出されることでござろうな」

劉禅「ここの暮らしは楽しいので蜀を思い出すことはありませぬ」

司馬昭「・・・」

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/15(水) 18:01:15.35 ID:HJv1LPaa0.net
AT「神輿に価値が無ければ我が蜀臣が疑いの目で見られることもあるまい・・・」

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/17(金) 19:33:10.95 ID:zbEdHVuW0.net
慕容?イの圧倒的無能さに比べれば劉禅は何ぼかマシ
秦・晋・燕三国の中で国力的に頭一つ抜けてたであろうに
東晋の幼帝とどっこいどっこいの意志薄弱
やったことは前燕を滅亡させたぐらい
なぜあそこから滅亡できる

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/17(金) 22:52:43.30 ID:/fnZpUoI0.net
余計なことをしないというだけで神。在位40年の記録はそこらの凡君に破れる記録ではない
孫皓や煬帝のような小才子が安楽な治世を築けたか。神輿として大変優秀

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/17(金) 22:57:12.81 ID:0xS6beAp0.net
>>233
李雄も安定した治世という意味では劉禅と似たようなものなのかもな
仮に李雄が健在だったとしても桓温に負けて併合されたような気がする

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/18(土) 03:35:30.95 ID:UWDPmS7i0.net
>>233
万暦帝「在位年数ではワイも歴代皇帝トップクラスやで」

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/18(土) 08:54:12.92 ID:ohM+NGhX0.net
>>235
蓄財に夢中になったのでアウト。斬首や

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/18(土) 12:11:54.14 ID:eHT8Ol2v0.net
孝武帝も無能で凡庸だったが東晋の最盛期を築くのには成功している
有能で空回りするよりは無能でも粛々と現状維持できた方が人々には有益

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/18(土) 12:13:37.89 ID:GrSYn1cv0.net
蕭鸞「死んでいく者が哀れで涙が止まらないのっ!!」

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/18(土) 21:20:05.55 ID:UWDPmS7i0.net
劉禅何気にすごくね?
泰平の世ならまだしも乱世において曲がりなりにも在位40年だしな

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 08:46:06.86 ID:6+ipUZkx0.net
>>239
上には上が居て
古代エジプト第6王朝にペピ2世というファラオが居って(ry

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/19(日) 09:57:13.69 ID:KT/IyvTe0.net
張賀度と張貉同一人物説があったが
上古音だと賀度が ga:ls・da:g(ガー・ダーグみたいな感じ)
貉がmgra:g(グラーグみたいな感じ)
になるっぽいから確かに同一人物の可能性は否定できない

後趙でも張賀度や王朗みたいなまともな人間が粗方冉閔に殺され尽くしている一方で
ろくでもない高昌、李歴、張平、張遇、呂護とかがのうのうと生き残っているのを見ると
とても複雑な気分になるわ

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/20(月) 12:26:01.10 ID:aYaVj5UY0.net
ハンガリーに匈奴の攣テイ氏の末裔がいるかどうか
アッティラがレンテイ家のDNA持ってたらあり得るかもしれない

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/20(月) 18:12:44.76 ID:ItIgBCir0.net
晋書の海西公紀を読んでいたら枋頭の戦いの箇所が明らかに記述混乱してるなあ
まあ林渚の戦い(通鑒だと六月)の捷報が遅れて建康に至った可能性も否定できないけど
さすがに九月の慕容垂との決戦直前は無えわ
海西公紀だと七月になぜか慕容垂に勝っちゃってるし
ただ気になるところを発見した

枋頭の撤退開始が九月丙申(太陽暦だと10月3日頃?)
襄邑で追撃を受けた日が九月辛丑(太陽暦だと10月8日頃?)
わずか6日間で5万の桓温軍が枋頭→東燕→倉垣→襄邑と距離にして約240qを踏破していることになる
40q/日はかなりの強行軍、後退作戦としては相当の速度
そりゃ落伍者も出てきて負けることになるわ
騎兵主体の慕容垂は高みの見物だったんだろうな

でも主要な指揮官、参謀たちの死者はゼロだったわけだから
残存1万をキープできただけでも御の字だったのかもな
前燕みたいに戦後国がガタガタになったわけでもないし

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/20(月) 21:37:51.22 ID:DDirpGbr0.net
>>242
アッティラは欧州蹂躙した恐怖の大王ながら
美女との結婚式の初夜で鼻血止まらなくて死んだファンキーなお方

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/21(火) 00:15:39.71 ID:5UBSjErv0.net
>>244ファンキーというよりギャグ漫画のキャラみたいな最後だなw

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/21(火) 00:57:38.80 ID:GfjJb0UY0.net
>>243
頭が生きてることが一番大事だからな。一将は得難し

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/21(火) 06:45:43.13 ID:ofYKLvCk0.net
>>246
桓温だけでなく前鋒務めた朱序やケ遐・司馬の?彝・参軍の?超・掾だった王c・謝玄みんな健在だったから
逆に言うと慕容垂取りこぼし過ぎですわ

桓温の前燕北伐って見方によっては赤壁の戦いの東晋バージョンみたいなものなのかも
燕と秦に同盟組まれて頓挫するあたりとか

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/21(火) 08:31:28.98 ID:cDCZQ0Kp0.net
慕容垂は符堅から自立した時も脇が妙に甘い印象

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/21(火) 15:09:10.47 ID:vPvO0Aww0.net
可愛い子はみんな乗ってるミニセグウェイ!!
https://www.youtube.com/watch?v=L1qEPrP5D7I

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/21(火) 19:00:27.84 ID:ofYKLvCk0.net
>>248
あの時期の慕容垂はたぶん一番格好悪い

それと慕容恪が段龕に手を焼くのも結構情けない
それだけ段龕と廣固城と東晋の増援が強かったということかもしれないが

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/22(水) 07:39:51.12 ID:jScurazlO.net
段羆は名将なのだろうか

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/22(水) 09:23:47.53 ID:FVKowGnJ0.net
荀羨は地味に名将だと思う
謝尚は凡庸、でも運だけは良い

東晋はこの二人の後の都督がひたすらショボい

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/22(水) 10:04:50.79 ID:jScurazlO.net
賈堅かわいそう

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/22(水) 19:38:27.39 ID:tFiJbGEI0.net
突如晋から4年ぶりに帰ってきて
ある日いきなりフェードアウトしている前秦の太尉・大司馬・都督中外諸軍事の苻安が気になる
苻生が簒奪された直後に太尉は苻侯に都督中外諸軍事は苻法に引き継がれているから
苻生と一緒に殺された可能性高いんだろうけど(その前に死んでいたのであれば絶対に史書に残るクラスの大物)

張平や姚襄と折衝していたのが苻安っぽいんだよなー
あー畜生、史料が足りねー

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/23(木) 20:19:49.25 ID:3eRRwCXn0.net
>>217
謝安のバランス感覚と敢えてそれに乗った桓温の度量の深さの御蔭だな
劉裕登場以降は本当に酷い
劉裕じゃなくて桓玄が南朝を継いでいた方がマシな世の中だったんじゃないのか?

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/24(金) 08:51:31.18 ID:/N4Pc1gi0.net
     _,,,.. ----‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐---- 、
    ||  lヽ  ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
    ||  l }   |  |  |  |  |  |
    ||  l }   |  |  |  |  |  |
    || /ノ   ノ  ノ  ノ ノ  ノ  ノ
    || //___________//
   (||//______○______//
    /:::::::::   \ 趙匡胤 /   \  >>255五胡十六国には俺様のようなぐう聖はいないのか?

   /:::::::::: ヽ ●     ● ′ /   
  / ̄\::::::   \___/   /    
 ,┤    ト::::::::.  \/    ノ
|  \_/  ヽ
|   __( ̄ |
ヽ___) ノ

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 00:23:06.43 ID:HkSPAvIt0.net
>>256
2ちゃんにおけるぐう聖は、劉秀から趙匡胤に完全シフトか?
劉秀は不自然過ぎる上に、呉漢に略奪させすぎだからな

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 00:44:07.13 ID:iVoUcNW00.net
申し訳ないがこっちにまで飛び火させるのはNG

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 01:16:43.45 ID:D42ZA0sr0.net
司馬炎が何気にぐう聖

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 05:09:39.80 ID:3vlNyDuP0.net
慕容恪しかおらんやろ

なお他国の宰相クラスは極めてゲスい模様(王猛、桓温)

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 08:52:16.74 ID:fltaNjBW0.net
慕容根とか言うぐう畜

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 12:40:49.33 ID:ZoF/l67sO.net
輿だろ

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 13:36:30.96 ID:3vlNyDuP0.net
>>262
史書でも表記揺れが普通にあったと思う

十六國春秋だと「符」堅とか
背中のアザから苻姓にしたんじゃなかったのかよ

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 13:55:58.00 ID:TMpEL2lV0.net
                                } `丶
     / ̄ ̄\           「 \  __   -┴ ァ  \       / ̄ ̄\
.    /                  ´         /    ヽ   /
   |   華   |          \        __ く/      .   |    僕.  |
   |   北   |          ∨ __     '⌒ Y      }  |   と  │
   |   の   l           _|{ '⌒ r:‐ヘ    八      ,′  |   契.   |
   |   華   |       / 八    、:::ノ  イ 丶.   /   |   約.   |
   |   者  │ ,  ⌒\/ ,   / ーァ    T´ {    \/\   |   し  │
   |    に   | ( (⌒ >く/  / . : /     ',: :ヽ :    〈) )  |    て   |
   |.   な   | 丶\{/ : : :/: : :./       ヽ-ヘ : : : //、           /
   |    っ   l  /\\_∧: : ,′|  i  i | ∨∧// : : :\_\___/
   |    て   | (__ ゚: :。 :ーァ‐' : ;  |  |  | |  ー‐く: : : : :。: ゚ : _ノ
   |    よ  │  /. : : :。人: : :.:!   |  |  | |     \: 。 : : : :)
        !    /  (_/{:_:/  \:{.    { ,'    ノ    \_ノ ̄
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                    / / ̄ ̄ ̄\ \
                   'ー‐        ー


崔浩(381年 - 450年)字は白淵
北魏太武帝に使えた漢人宰相。北魏の統治機構の整備に貢献し軍事面も
柔然討伐や夏、北燕、北涼の征服に貢献するが、国史の編纂で鮮卑の実態を石碑に書いた事を糾弾され粛清

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 20:26:48.41 ID:7kYggjH/0.net
崔浩は焦り過ぎた。年なんだから何代かかけるつもりでやれば良かったのに

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 22:21:09.03 ID:yPwJ2wZi0.net
>>258
どういうこと?

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 23:06:40.82 ID:I57x3mbA0.net
鐙の歴史

鐙が出現するまで、騎乗者は両足の大腿部で馬の胴を締め付けて乗馬していた。
姿勢は不安定で、馬の激しい動きに追従するのは難しかった。
特に軍事目的で馬を利用する場合、不安定な姿勢で武器を使うのは極めて困難であり、
それを行うのは特殊技能であり、幼い頃からの鍛錬が必要であった。
鐙のルーツは西晋時代の中国もしくは満州に在り、
確認できる最古の物は各々302年と322年に埋葬された鮮卑と東晋の墳墓から出た陶馬俑であり、
実物として最古の物は北燕貴族の馮素弗の副葬品である。
5世紀には朝鮮半島や日本でも使用されていた。
紀元前5世紀頃の古代インドで発明された物に、
繊維製や革製の鞍の前方からぶら下げた2本のロープの先を輪っか状に結び、
真っ直ぐ前へ伸ばした足の親指を引っ掛け楽な状態を維持する物があったが、
騎乗時の保持を目的とした物ではなく現在使われている鐙と直接の繋がりは無い。
他にも中西部アジアの遊牧民族のサルマタイ人が片鐙を取り付けて馬の背に乗る時の補助として使用した。
欧州では7世紀頃になるまで鐙は確認されなかった。鐙はユーラシア大陸をペルシアからイスラーム諸国へ、
そしてビザンツ帝国に伝わり、それからフランク族へと広まった。
鐙が登場すると馬上で踏ん張ることができるため、騎士は敵に向かって突撃をすることができるようになり、
騎兵の戦闘力は飛躍的に向上した。また幼い頃から馬に親しんだ騎馬民族の騎兵に対し、
農耕民族の国家の騎兵であっても対抗ができるようになった。
高い軍事力を持つ騎士は社会的にも認められ、騎士の発言力が増すようになった。
また中国でも、鐙の登場以前の主力武器は槍や矛等の刺突武器だったが、馬上での安定性が増した事により、
大刀のような斬撃武器や鞭のような打撃武器が用いられるようになった。

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/25(土) 23:17:17.86 ID:I57x3mbA0.net
関羽は赤兎馬に乗って青龍偃月刀を振るっていたが
鐙なしであれはかなりの上級者

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/26(日) 10:29:10.60 ID:mJYNVLWB0.net
        l: : : : : : : : . : . : /: : :/  l: . .       ヘ.        :::::..
        |: : : : : : : : : : : /|: :./   !:{. : : : . .  | l  |: : .     :::::::.
        |: : : : : : : : : : :;'"|:.:厂¨ ‐-{ :_: : : : : : ! |:.:.:|、: : : . .   ::::::::.. 
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.          |:.: :.: : : : : : .:.|く:¨- ミ弌 、|:l ': : : : : : :|  l:.リ    \::|_」  ',     私は鮮卑の皆が誇りを持てるような歴史書を造りたかっただけなのに
.         |:.: :.:. : : : : .:.:|(__)   `ヾ:!:l 丶:. :. : :! ィ二 .. __     {_ .. .::
           |:.:l:.:.:. : : : :.:.:|  //〃  jノ   \ : :| '─… - ミヽ  }: : : : :::::     崔浩があんな事を石版に書くなんて……。
          |:.:|:.:.:. : : ..:.:.:|                \|  〃// (__),':. : : : .:::::
   「 ̄ ¨¨ l:.:|';:.:.:. : : : :.|.         ..:!           /:. : : : : ::::::
.  / |   |   |/| ';.:. : : .:.:.:|:\        ′          ,ハ: : : .:.:.:./::/l
  | |  |   |. | '::.:. ..:l.:.:|::::::.丶     ̄`ー-‐-        /.:;'.:.:.:.:.:.:/::/ l     どうして?こんな酷い事するんだろう…。
  | |  |   |. |  ゙、:.:. |.:.:|∨Vレ'!` 、    ``       , イ .::::/.:.:.:.:.::/レ′ l
  | |  ヽ   !    \|:.: !  〈 }     .    ,.  -‐ / メ|//.:.:.:.::〃  /   l
  | |   ヽ  ヽ      \|  |      `¨´   /    /.:.:.::/   /    l

太武帝 (408〜452)
北魏三代皇帝 北魏全盛期を築いた名君。皇帝自ら親征して柔然の可汗を敗死させたり夏、北燕、北涼を征服し長安を占領し西域との通商も回復。
内政では漢人宰相の崔浩を重用し中華王朝化を図るも空気の読めない崔浩が国史の獄をやらかして反動化。
450年には宋をフルボッコするも宦官宋愛に撲殺

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/26(日) 15:45:51.58 ID:wfnlY0LN0.net
>>268
そもそも関羽は赤兎馬に乗ってないので論外

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/26(日) 15:54:12.93 ID:aXU6yVe60.net
名馬に乗っていた記述あるのは冉閔か
矛と長刀の二刀流
三國志演義並みにキャラ作られ過ぎだろ、こいつ

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/26(日) 15:55:52.69 ID:mJYNVLWB0.net
>>271
水滸伝の董平のモデル臭い。

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/27(月) 12:29:17.22 ID:Gg+W7QMn0.net
代や劉衛辰は柔然を服属させれていたのに
北魏はずっと手を焼いていたのが合点いかない
国力的には北魏の方が前代よりも明らかに充実しているだろうに

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/27(月) 22:46:10.73 ID:sEV1Rw5Y0.net
北魏はだいぶ漢化したから柔然の嫌悪感買ったのかね

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/27(月) 23:36:54.40 ID:ct1+KnTY0.net
前の前の前ぐらいのスレで苻堅が帝号除いて天王号にした理由は傍系からの簒奪による不徳という建前ではなく
もっと別の本音の理由があるのではないかと提起したことがあったが
これって普通に秦の子嬰や後趙の石祇と一緒で「皇帝号名乗り続けるのは無理ありすぎる、ごめんチャイ」パターンのような気がしてきたんだよね

桓温の侵攻を退けたとはいえ354年〜355年にかけては干魃や飛蝗の害、自分達が実行した清野作戦で関中は大飢饉になっていて
苻生はそれでも前涼にちょっかい出したりとか晋や燕と小競り合いしたりとか戦争状態を継続していた中で
357年簒奪以降の苻堅は反乱鎮圧以外の軍事行動はほぼ停止(大部分が張平対策)して内政に集中するように方針転換
366年に東晋の南郷に侵攻するまで10年近く引きこもり状態を貫徹した
これができたのも帝号を去ることで東晋と間合いを切ることができたからであって帝号を僭称し続けた前燕は358年から慕容恪が死ぬまで
ずーっと東晋の北府軍と河南で戦争し続けるはめになった

無論帝号ひとつで戦争が回避できるわけでは無いのは重々承知ではあるが三国鼎立という特殊な情勢であったがゆえに
引きこもって漁夫の利狙いという形を現出させることができたのだと思う(つまり結果オーライのどんぶり勘定的な戦略)
苻堅って理想主義者のドリーマー扱いされること多いけど本当はしたたかな策略家的側面を有している煮ても焼いても食えないタイプなんじゃないかな

ほんでもってこの筋を採用した場合、苻堅による苻生殺害の理由が苻生が暴虐だったからなのではなく
苻生が民力の保護を省みずに対外攻勢を仕掛けたことによる国力の疲弊増大に危機感を抱いた苻堅による
対外政策論議のもつれがあったと推測できそうなんだよね
ほぼ妄想に近いけど可能性はゼロではないと思う

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/28(火) 08:50:59.37 ID:uVRzFJ5j0.net
彡イ ̄`ヾ《トヾ|リ/リノ/,ィ彡=<三ミヽ≦ミヽ, 
彡! 、  \ヾ川リ_/      |ミ三≧三三ミヽ
ノノ  \  `ー'¨./  ,   Uミ三三彡ニミヾ|
',ィ三ヽ      〉 /  /     \彡イ三ミヾリ             劉邦に会ったら韓信や彭越と先陣を競うだろう
〈!⌒ヾミ\_」 ,′ ,/__,.イ三ミヽ   トニ三ミミ}({  
 弋辷xミ_| | ,/彡三彡'´ ̄`ヾ |辷彡'ミミ|ノ`ー'            劉秀に会ったら雌雄を決するだろう
     ̄´ ヽ  レ'´.<弋t三ァオ'´  リラ./ミヾミヽ     
        .}      `  ̄´    / /!ヾ、トミ三彡'⌒  
/´_,ノ l'¨ /_ -、 ヽ        , イノ .ト} ||ミ三≧ヽ           大丈夫たるもの日月が明るく輝くように物事を行うべきである
/ r‐'  `(_)、..ノ   \_   /,イ}  ト巛ミ三≦三ミヽ      
∧. {〈__,x─-'-、     、`ヽ/)_ノ   lヾミ三三ミヾ}} ヾ!       曹操や司馬仲達のように孤児や未亡人を欺き
∧  `iヾニニ:.ミヽ___,リ /'´    .∨リ))ミ))ヾ川ト、_   
 ∧   `ー--‐'´   //       .| ̄\‐、ノ((ミ三彡'⌒    狐のように天下を取る真似はこの俺は絶対に出来ねえ! 
  ∧ /´ ̄ ̄ヽ   , イ          ト、  |::..\ミ三彡'⌒
━━━━━━━━━━━━━━━━━

石勒(274〜333)
後趙初代皇帝 奴隷出身で文盲のハンデを抱えながら華北を制圧し帝位に就いた傑物
熱心な仏教徒で仏図澄を保護したり国史の編纂を推奨するなど文化事業にも
熱心な名君

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/28(火) 18:37:15.41 ID:coWnjXJ50.net
>>276
昔は石勒が好きだったけど
年取ってきたら簒奪以降の石虎と愉快な仲間たちのイケてなさの方が愛着湧くようになってきたわ
愛すべきダメ君主みたいな感じで

同じ理由で完璧超人の慕容恪よりもコミュ障天才肌の慕容垂よりも
人間臭すぎる慕容儁の方が良いなあと思えるようになってきたり

これを突き詰めて拗らせていくと姚萇好きになっていく

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/28(火) 19:47:21.45 ID:eWwx+cnmO.net
姚萇と尹緯大好き

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/29(水) 21:35:05.57 ID:FX6bGbCB0.net
普通に石勒好きだわ。劉曜殺したのはいただけないが

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/30(木) 00:38:24.66 ID:IusIFMyrO.net
石虎ウイルスに感染した李寿

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/06/30(木) 12:41:56.29 ID:OCW7L7UG0.net
>>280
成漢には悪いがあそこの記述はクスッとする

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/01(金) 15:19:47.50 ID:1Ph6BYxv0.net
                     /⌒ヽ        _//
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         ,'::/!:::| ::j::〃うハ \l トイ:ハj}::::∧|从 〃     }
         V:::|:::j :小{!V辷!    辷ソ W:::}\{〃     ノ    予は非才だけど
        //|:∧:: ハ     rー┐ _,ィ|:::::/〃〃   }.:.:.:.{
              レヘヘ::{:个 ‐z‐ゝー厂ヽ リ/〃〃   んー'´     王位についた以上国事に精励し、
                 j∧{  /\ ∀ /∨ 〃〃   .:.ノ
                |   {><}  |      .:./         ……精励し?あれ?
                r|  ∨゙∨  l|)、.:.:.:.:.:.:,;ノ
               rイヘー‐ヘ‐/`ヽ、}__ト、:.;,ノ
               い「 〉=<)(>=〈_,/ ノ
              弋_>、_j_j_/`ー′

            【石虎】字は季龍 後趙三代目君主

          石勒の甥。劉曜親子を捕らえるなど後趙の華北支配に貢献。石勒の息子弘から簒奪して天王に就く。熱心な仏教徒でもある。

              
.

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/01(金) 20:37:07.16 ID:RzV/OP2f0.net
>>282
前涼相手に遠征戦力溶かしちゃうくらいだったら
成漢の滅亡阻止するように軍事支援しておけば良かったのに・・・・

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/02(土) 13:22:55.20 ID:BZGpuZCK0.net
                  ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ
          o      イ二二二二二∞∞∞∞ 二二二二イ
               __    _,.-.‐メ::ヽ-,ヘ/:. .: .:.:`,ヘ,ィ:ヽ、∧         ○
                /j´::`ヽrュ,r":.;/: : :;;; : : : .: : : : :.:|: : : : :::λ~`ヽ、   o
             /;;;|: : : メ;;ヘ;:/: : : ::/:.;|: ::/ヘ;. : : : ;|: : :ヽ;: : :`ヘ;;;;;;;\     __/⌒)´`>
             ヽ;j:/::/;;;;;;/: :: : :. :/:;/ |::/   |: .: .:/`ヽ; :|:: : : :.:∧;;;;;;;;〉/~`| |`τ' " )
    ◯        /: : |;;;;;/: :/:.: :.:/ノ `|/-‐  |: .:/‐-‐∨: : : : : : :.:ヘ;;/´    | | ζ 丿
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         /;/ /: : : : : ヽ|: : :| ..:::::::::::  ,.-─-、 ..::::::.〈::.:|:.:/|/:.:|:>   /
         '"´   /:.: ::/|:.::ハ: : :ヽ、.:::::::.. /     i :::::::丿::|/、: : ::|   /   >>283麻秋何やってんの!
   (⌒ヽ,ヘ、     /: ;/  |;/ ヽ、:: ::ヽ、.  {     j _,ィ´:.:|リ `ヽ::|,/
  / ヽ Y_,ノiヘ、    '"´    ,ィ´ ̄ヽ;:. ::`>`-‐‐π爪  |::.:/  ,/.,/      遠征軍は12万が全滅じゃないの!!
  { ヽ ,メ ノ j `ヽ、.      /     \::::|\ \_,/ |  |:;/i  i/'"
  ./ゝ、' / ,/    Y^Y⌒゛‐-     | ヽ:|  \_/ヽ/  '" | |
 /|__,,/ /     ` }:::     `ヽj  \ /´"~{_}~ ̄\,/  |          君子営の漢人の言う通りにすれば良かった!
 |_\ ,.,/         j:::      /   Χ_,,/||^||\_,,/、  j
 \ ̄"              __/     \   || :||  /  |          
   `‐-──-、_    __,,-‐"´〉::::::      \ :||  ||:/    |
          `‐-‐´     /::::::        `||∨||    
.
【石虎】

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/02(土) 22:08:11.15 ID:J0C6W/890.net
やっぱり夷狄は駄目ってはっきりわかんだね

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/02(土) 22:35:26.72 ID:uMUQ7azt0.net
陳安と石虎からは猛虎魂を感じる
特に陳安は許?に憧れて「虎侯」とまで名乗った筋金入りの虎キチやからな

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/02(土) 22:40:49.06 ID:Ky+YgEfN0.net
.        l.      `丶、
        l      / i \.   ,イ
.       l      7 /   〉 //
       l      / /   / / i   /ヽ    __ ___
.       l     / /   /  { | /ヽ  ヽ´ ̄   !
        l    / /    i ,.-ヘ レ' //ハ   ヽ`ー 、  l
      l     ̄.i r--〜/        \  ヽ  ヽノ
      i'⌒i     い彡/          \    i
       l  l' ̄`丶、  ヽ/ / il  ト、 ヽ.  ヽ__ゝ  ヽ
.      l  l     \  i !  li _l_ヽ  ト、´、iヽ i   ヽ        /`ヽ
      l  l        ヽ从!  lト´ l__\ j >===.,i    ヽ    /  /  __
       l  l        iハ!ヽ ik /´ ̄`      |   i lハ   /  /. / 〉
.        l         ` ト、ハ         ///|  l .l i ハ /  // /   ヤッホー胡人のみんな元気してるー?じゃあ死んでー!!
     l  l    [二二二] | il∧   r '´ ̄ !  l リレルr/7´  、.  /
.     l  l               | li i i> . __ヽ.____ ノイ !レ'/ i ! ー‐‐ォ´ ̄〉
     l  l      [二二二] .| ハl ト、k r‐}   /7´    l t__ァ‐´(二 フ
.    l  l             V  r'´ ̄/〈______//     ゝ._> +‐'´
    l  l         /> ri´ ̄  /~ー‐了/i    、 ___ ___ /
.    l  l          // / l  ,.-'´     i l !      フ´
    l  l.        </ ノ レ'   /    l i ゝ. __ ,. <ヽ
.   l  l         /  /         ヽヽ       \
   l  l         /  i    、      ヽヽ         \
.   l  lr<⌒ヽ、_____r'`ヽ /ハ    ヽ.       \\        ̄ ̄`i
  f´`ー〉`ヽヽ    ヽ  V/ .}             /\\         lヽ
 〈 `、__i  ,. | i     i // i            , i  \\       l /
.  t ー し' .ノノ       V/  ノ  丶、     _, '   !/´ ̄ \\     .//
   T T´く __  __.ノ/  /              〉.     \\   //
   l l        / !  !             _,ィ!       \ ー.' /

冉閔(?〜352)
石虎の仮子 勇猛を石虎に評価され後趙の重臣になるも石虎死後の混乱を利用し天王を自称。漢族至上主義を打ち出し胡人の虐殺を実行するも東晋からも呆れられ前燕に敗死。

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/02(土) 23:03:12.61 ID:uMUQ7azt0.net
沛王石沖率いる10万の叛乱軍を平棘で撃破した2か月後に東晋の北伐を代陂で完膚なきまでに叩きつぶす李農と言う名の鬼畜

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/03(日) 21:53:31.10 ID:KCRsCyHP0.net
>>277
濃い、濃すぎるぞwおまいw

後秦面白そうだよね。親父や兄貴の人生も要注目だし


290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/04(月) 00:13:36.02 ID:AhqdYSkv0.net
異民族殺しをがんばったのに孤立して死んだ冉閔カワイソス

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/04(月) 07:06:06.19 ID:HPVEor8z0.net
>>290
さっさと帝号を除いて東晋に降伏していれば状況はかなり変わっていたと思うぞ

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/04(月) 10:09:56.96 ID:nKRx50RKO.net
三国志演義に慕容烈とかいう奴いたけどこの時代既に慕容氏っていたのか?

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/04(月) 12:25:34.00 ID:gvPbgEq20.net
>>290
まぁ伝国の玉璽を異民族から約半世紀ぶりに取り戻したのは評価したいが
異民族よりクズなので特に可哀想ではない
まだ劉琨とかの方が

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/04(月) 16:02:15.59 ID:AhqdYSkv0.net
劉琨はほんとよく頑張ったわ。でも救援に行くの絶対無理な立地やわ

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/04(月) 17:25:27.22 ID:GPfRnlnV0.net
温キョウがちゃっかり東晋で重用されてるのがやるせない……

やはり家柄とかの方が大事なのか?

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/04(月) 22:10:24.43 ID:dJyIdX970.net
この時代で関羽クラスの猛将は冉閔くらいかね

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/04(月) 22:46:10.31 ID:4DF5khTZ0.net
>>292
三国志以前の後漢末、檀石槐が鮮卑を統合した際に中部大人として「慕容」の名が現れているのが初出
氏族としては3世紀前半の慕容莫護跋が魏の公孫氏討伐に参加したのが最初の登場
(慕容?カイの祖父)

演義の慕容烈は登場した地域と時期が微妙にずれている感じかな

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/05(火) 00:26:32.00 ID:DcB3eqfOO.net
>>296
関羽になぞらえられた奴いっぱいおるな
前涼の索苞とか前秦のトウ羌とか

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/05(火) 06:54:57.73 ID:siHziSIj0.net
中国の猛将で五本の指を挙げるとしたら
項羽、呂布、関羽、あと2人誰だろう?

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/05(火) 09:14:41.09 ID:7JewM1nm0.net
項羽、楊大眼、李克用、呉漢、耿夔、当たりかな

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/05(火) 16:02:22.56 ID:bsMdkKHT0.net
南宮長万

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/05(火) 17:23:14.62 ID:Uu27tPgo0.net
尉遅敬徳

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/05(火) 18:28:47.92 ID:DcB3eqfOO.net
>>302
これ

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/05(火) 22:31:29.82 ID:vlKyAUNU0.net
五胡十六国縛りだと
石虎(後趙)、姚襄(後趙・東晋)、冉閔(後趙・冉魏)、ケ羌(前秦)、慕容垂(前燕・前秦・後燕)
東晋入れていいなら
桓石虔、劉牢之、劉裕あたりを加えたい

しかし猛将とは一体何なんだろう

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/05(火) 22:49:39.91 ID:DcB3eqfOO.net
呂光も強くね
張虫毛に勝ったし

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/05(火) 22:55:06.95 ID:siHziSIj0.net
S 皇族
A 官僚、大手役員、大学教授、医者、大地主
B 大手社員、優良中小役員、専業主婦
C 中小社員、自営業、農家、公務員、兼業主婦
D 非正規社員
E 生活保護受給者、ニート
F 犯罪者

異論ある?

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 00:03:57.36 ID:/LV1eMCKO.net
司馬熾「せやな」

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 00:14:50.37 ID:MD9EFUYb0.net
>>304
それなら猛将というより名将かな

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 00:42:57.73 ID:/LV1eMCKO.net
名将なら謝艾

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 06:47:58.09 ID:pLaxbvKU0.net
>>306
司馬勳「せやせや」

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 06:59:00.84 ID:VrNUz+hK0.net
>>306
謝安(ワイはどっちに入るんやろ……)

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 07:02:33.42 ID:lfGHgP8d0.net
>>306
桓温「皇族?置物のスペアね」

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 15:21:48.72 ID:YfQ9u6Gr0.net
>>312
桓温以外の貴族たちも同じ認識だろ

考えてみたら前燕なんて暗君一人出ただけで滅亡しちゃったけど
東晋は何人幼帝が即位しようとも体制が揺るぎもしなかったというのはトンでもないことなんじゃないのか?

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/06(水) 17:06:35.49 ID:pLaxbvKU0.net
>>308
名将というのは勝つべき勝機に確実に勝てる将軍を指すべきではなかろうか

割と勝利の算段をしっかり組み立てているタイプとしては石勒、慕容恪が秀逸かなあ
慕容恪が戦いの前に理詰めで解説する場面が好き
お馬鹿な生徒役で傅顔が窘められるのも好き

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 04:05:34.31 ID:3ZKlg5qX0.net
乞食坊主から皇帝にまで上り詰めた朱元璋こそ世界一の成り上がり

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 17:51:35.46 ID:qER1ngIoO.net
慕容翰すき

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/07(木) 18:13:30.74 ID:2UKTzZIW0.net
魏晋南北朝と言えば傍系からの簒奪が一大ムーブメントを巻き起こしていたわけだが
慕容翰や慕容恪が帝位に就けなかった前燕にある種の爽やかさと一抹の寂しさを感じる

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/08(金) 02:46:15.32 ID:/AzO+b+AO.net
西秦の焦遺すき

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/09(土) 10:16:17.71 ID:mIYXFJde0.net
敢えて慕容評名将論を提唱しその評価のあり方に一石を投じてみる

主要な戦績
@343年 慕容儁とともに代(拓跋部)を攻撃する
A350年 勃海で自立していた賈堅を攻撃し捕虜とする
B351年 魯口の王午討伐を担当、南安において王午の将鄭生を斬る
C352年 ?を攻略し冉智らを捕虜とする
D358年 慕輿根の支援を受け上党の馮鴦を攻撃し野王へ敗走させる
E359年 傅顔とともに東阿において諸葛攸の北伐軍を撃破
F364年 李洪とともに河南を攻略する
G370年 30万の兵を率いて王猛の軍歩騎6万の阻止を図るも大敗、戦死者5万、捕虜10万余りの大損害を受け?に敗走する

最後負けてるから評価下がっちゃうのは仕方がないけど
枋頭の戦いより前の段階だと慕容垂と同じくらい勝っているような気が

慕容垂の戦績(枋頭の戦いまで)
@342年 慕容翰とともに慕容?の前鋒として高句麗遠征に参加
A344年 宇文部征討において敵将渉夜于を斬り宇文部を潰走させる
B350年 慕容部南侵開始、後趙の征東将軍ケ恆を敗走させ安楽・北平の兵糧の接収に成功する
C352年 繹幕県で自立していた段勤を降伏させる
D357年 勅勒(高車)を8万の兵を率いて攻撃し捕虜・斬首10万、馬13万頭を得る
E365年 慕容恪とともに洛陽攻略に参加、陥落後は征南大将軍・荊州牧・都督十州諸軍事として魯陽に出鎮する
F369年 林渚において桓温の北伐軍に敗れる
G369年 撤退する桓温5万の軍を襄邑に追撃し8千騎でこれを大破、首級3万を得る

載記には載ってないけど慕容垂が敗れた記述が海西公紀と桓温伝にはあるから、おそらく慕容垂負けてるっぽいんだよなあ
だから対桓温戦で苦戦した原因は慕容垂が敗れているからのような気がしないでもない

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/09(土) 10:39:14.19 ID:mIYXFJde0.net
全盛期の慕容部は慕容恪は言わずもがな
慕容垂、慕容評のほかにも慕輿根、陽?、悦綰、皇甫真、傅顔、慕容臧、李洪らが控えていたわけで
桓温しか決戦兵力のなかった東晋から見るとかなり層が厚く感じられる

367年前後で慕容恪、封奕、陽?、悦綰たちが一挙に没しているのも地味に痛かったか
それにしても枋頭の戦い直前までの前燕は無様に捩じ込まれすぎではある

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/09(土) 12:45:19.75 ID:rEbF5cYf0.net
慕容翰は父親生きてたときは輝いてたな。国を追われ、戻ってからも大功をあげてたのにハッピーエンドにならないとこは、悲劇の名将というのがしっくりくる

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/09(土) 14:15:59.88 ID:jxyYDDte0.net
遊牧民系の集団は母ちゃんの身分が結構重要なのだろうけど
母親の氏族が良い生まれか代々の姻族とかじゃないと扱い悪くてかわいそうになるわ

東晋なんて二代目明帝からして母親の身分が低いの関係なく即位しているからなあ

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/09(土) 21:32:09.78 ID:R6cccDkK0.net
333年は、石勒、慕容カイ、李雄と時代をリードしてきた人物が亡くなってる。八王の乱からの一時代の一区切りみたいな感じがする。まあ、それで終わらずに、さらなる混沌があるんで面白いんだけど

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/09(土) 22:31:49.16 ID:OnLBqph/0.net
>>323
330年代は実は東晋の動きの方が面白い
ユ亮が陶侃死んだ後に豫州から江州、荊州まで勢力広げて「さあ、北伐だー!」と意気込んでいたところに
全力で冷水をぶっかける後趙という流れが実に小気味いい

東晋がその後北伐再起するまでさらに10年も費やすことになったけど
その後は何度負けても諦めずに北伐続けるようになるのが不思議

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/09(土) 22:37:44.77 ID:IT/I2FLY0.net
石虎が前燕遠征失敗した所に追い打ちかけようという庾亮の判断は正しい
だからこそ無理してでも電撃的に先手を打って叩いた

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/09(土) 22:46:50.92 ID:OnLBqph/0.net
>>325
石勒が死ぬ間際に慕容も前涼も無視して荊州侵攻を開始したのは実は最善手なんだよな
あそこで荊州取れてたら蘇峻の乱でボロボロになってた東晋滅ぼすのは容易だったと思うわ
慕容攻めに行った石虎の圧倒的な戦略センスの無さ

327 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2016/07/10(日) 18:52:03.02 ID:58Wbe85N0.net
陶侃が頑張ってたからなあ
石勒と死ぬ順番が逆だったら東晋は滅亡してたでしょ

328 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2016/07/10(日) 19:37:19.40 ID:izqIl0sD0.net
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          〈   |: :::j: : : :::| _____  |:: :/ j/ __j/__ |:. :|:::: :| j;/ _〉
          |\.__|: :/|、: : :::j ≡≡ア j;ノ    オ≡≡|:. :|:::: :|__,ィ':|君主営の漢人の言う通りにしただけなのに
          j: :j: ::|:/`|::ヽ:;/}U U      U U|: :j::: /::: :j: :|
          ノ;ノ∨´::ゝ|_:_: :ハU U      U Uハ/|:/::: :;人::|
          '´   ∨:::〈〈〈rv、:ヽ、 U (二二二.)U  jノ_:::_´::__:/  `
             ∨}二二二~{::|`>-\_ .=]<´._j }:j }:〉j〉〉
                `}"二二二{::|ノ   {_j  {_./  ゛}二二二~{
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【石虎】

329 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2016/07/10(日) 19:45:27.75 ID:Cjvwh1vb0.net
>>328
石虎は簒奪の際に程遐や徐光といった君子営の漢人たちを排除しているから
あんまり関係は良くなかったんじゃないの?
どちらかと言えば十八騎の古参を重用している感じでは

石勒時代の有能な養子連中は完全に排除
それに代わって石虎の息子たちが将軍や藩公に収まっていった流れなんだろうけど
如何せん石虎の倅たちは頭が悪すぎた

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/10(日) 20:22:50.79 ID:58Wbe85N0.net
劉隗とか東晋からの亡命組をブレーンにしてたんじゃねえか
石弘から嫌われていた連中も石虎の味方になったんだろ
劉隗の孫が東晋に帰参してるから胡人至上主義にどっかでなったんだろうなあ

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/12(火) 20:07:58.24 ID:GKqjlo+m0.net
>>313
東晋の実態は貴族たちの連合政権で、かつぐ神輿だから幼帝とか白痴(安帝)でもかまわない。
ってかかえって都合よかったりする。
しかし、前燕はまっとうに君主や皇族の力が強かったから、善政してなかったりしたらあっというまに崩壊する。

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 00:54:22.39 ID:QQA+jNfRO.net
郭黙ってめっちゃ自己中だな

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 05:13:57.27 ID:41So68Oz0.net
世界名将録復活しとるやん!

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 09:01:23.01 ID:cU1jl4Bc0.net
郭黙が李矩を見捨てて逃げたのは酷い

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 15:15:13.24 ID:TmJTna0J0.net
>>332
徐龕、張遇、張平、呂護あたりもなかなかのものだぞ

東晋って北伐はすれど華北に残留せざるを得なかった士人・豪族・領主層が建康における官界の序列にどうやっても組み込めないシステムになってるよね
これじゃあなんぼ頑張って北伐しても華北の漢族の指導者たちは東晋に靡かないで自立するか異民族でもいいから自分たちを重用してくれる領袖に服属するに決まってるわ
どうにかならなかったのか?

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/13(水) 23:19:34.71 ID:41So68Oz0.net
しょうがないけど腰の定まらない奴が多いな

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/14(木) 00:20:29.97 ID:mz5HHVDE0.net
           ,‘=ニ三三三≧= 、::::::::`ヽ
         /'´:::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヾ|::::::::::::::`
       ,.'::::::::::::/::::::::i|::::::::ト: : : :ヽ:::|::::::::::::::::::::ヽ
      /: : : | : /!: : : | | : !:| |:::::::::::!::|::::::|:::::::::::::::::ヽ
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       ,:::::_/|:_:|_ !:::::| ‘,:|__ヽ::i!::!::::::,:::::|:::|:::::::::::::!
      i:::::::::{ .!::|! ヽ:|   ''¨万恣拆:':::::/:::::!:::|:::::::::::::|
      |:::!:::,|,ィ恣ヽ `    ` ¨¨´/:::::/:::::::, -!:::::::::::::!         >>335
      ヽ:!::!、 ‘¨´ ノ       /:::::/:::::::::!` |::::|::::::::|
      /::::`::{              ,'::::::,:::::::::::,'-'/:::::!::::::::i
      ,::::/:::∧      _     !::::::::/::::-/¨´:::::::!::::::::!        東晋に仕えても要は恒温みたいな簒奪者の走狗でしょ?
      /:::,::::::{ !ヽ    'ー`   //::::/:::::::/::::::::::::::|:i::::::::,
    ,:::::i!::::::!i::::::,\        /,':::,/,':::::/:::/:::::::::,':::!:::::::::,       私は天下を救う英主に仕えたいの。符堅陛下のようなね。
    !::::|!:::::::i!::::::::/|`.. 、 __ oO:´:/:::::::,イ_/:::::::::/:::::|:::::::::‘,
    |:::::!::::::::|::::::::!/:::::::!::::::| ,:::::://:::::/ニ{:::::::/:,'::::::::|!:::::::::‘ 
    |::::|!::::::::,::::::/::::::::/:::::r'/::::/´:::::/三:|::::/::::::::::::::!|::::::::::::::,
    |:::::!::::::::i!::::'::::::::,、 -‐!,':::::,::::::::/三ニヽ,:::::::::|!::::::|.i::::::::::::::::,

【王猛】

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/14(木) 10:07:14.90 ID:lWGynjV80.net
>>337
王猛は苻堅以外の人間は心底どうでもいいと思っていそう

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/14(木) 10:12:40.94 ID:lWGynjV80.net
慕容垂が365年以降も都督十州諸軍事を保持していた場合、369年の桓温の侵攻で河南攻略された責任が全部慕容垂の責任になるんだけど

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/14(木) 10:34:38.11 ID:lWGynjV80.net
>>319
慕容垂よりも慕容評の方が慕容恪の援護の役割を果たしている
少なくとも方面司令官としてキッチリ仕事こなしたのは慕容評の方

最高司令官の大司馬としては下手こいたが

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/14(木) 10:40:38.46 ID:lWGynjV80.net
>>331
慕容垂が前秦の内紛に突け込んで367年以降許・洛の兵を率いて関中に侵攻していたら桓温の北伐が十中八九成功していたと思う
慕容恪没後の多難な時期に二正面作戦のリスクを平気で背負うことのできる慕容垂の戦略能力は優柔不断な慕容評とどっこいどっこい

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/14(木) 10:45:15.99 ID:lWGynjV80.net
何が言いたいかというと
慕容恪の遺言の「呉王の才能は私に十倍する云々」は史書の潤色が趣味だった慕容垂の創作だと思うの

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/15(金) 22:52:24.78 ID:mheseJE60.net
単于元輔、都督禁衛諸軍事、車騎将軍時代の石虎直率3万〜4万には勝てる人間が見当たらない

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/16(土) 10:40:43.34 ID:BVkSFxdM0.net
>>233
蜀は劉備のカリスマ性と孔明の辣腕でなんとか保ってた国で、
これを魏相手に保持するのは二代目の劉禅としたらあまりに条件が悪い。
しかし、親らの遺産を食いつぶした形になったとはいえ、40年も国を保持し、
しかも国を荒れさせることなく魏に降伏し、天寿を全うしたんだから、有能じゃないにしても無能でもない。
君主として中くらいのレベルを下回ることはないレベルだろ。

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/16(土) 11:33:47.04 ID:6fc46eXA0.net
>>233>>344
歴史学者と違うことを言う俺って恰好いいだろ(ドヤ顔)

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/16(土) 11:37:29.78 ID:fXY9GQu80.net
>>344
成漢の李勢ぐらいの無能さだと思うよ
史上最低というほどではない

真の無能というのは全盛期引き継いだ国を滅亡させる奴(自分で全盛期築いた場合は除く)

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/16(土) 11:41:26.05 ID:BVkSFxdM0.net
学説というか通説に対する異論だよ。
劉禅がここまで叩かれるのは蜀漢正統論や演義の影響がでかい。
五胡十六国や東晋だけ見ても劉禅よりアレなの結構いるしな。

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/16(土) 11:44:57.41 ID:BVkSFxdM0.net
>真の無能というのは全盛期引き継いだ国を滅亡させる奴

北周の宣帝か

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/16(土) 11:46:17.61 ID:DvyIjbvH0.net
>>342
アレは大徳さんが臨終の時に孔明さんに「丞相よ卿の才能は曹丕に10倍する」つったエピソードの引用じゃね

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/16(土) 12:07:52.59 ID:VZKHrrbTO.net
王買徳が勃勃に真っ向から進言するとこは文章だけなのにヒヤヒヤする

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/16(土) 12:41:03.95 ID:DvyIjbvH0.net
武烈って諡号からしてヤバイ臭いが漂ってる

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/16(土) 21:25:50.77 ID:BVkSFxdM0.net
冉閔は羯族をはじめ南匈奴らを虐殺したけど
鼻が高く鬚が多いが匈奴の外見的特徴であったことから
外見のみで巻き添えに殺された漢人が半ばを占めた

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/17(日) 03:44:49.01 ID:znmqGm/FO.net
袁紹の宦官狩りと同じだな

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/17(日) 08:12:24.53 ID:COi5JPfe0.net
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./. . . . 〃. . . /. . . |. . . |. . . _.l/) :|  ⊥     |!  (´\\ .ヽ .} .l{ ヽ. . . . l. . . . . . . |. . ヽ
,  //. . . . /. . ./|. . . | / / / / 八     |ヽ ヽ  V }  | .|  | 〉 〉. . . |. . . . . . . |. . . |   >>352そんな……
. / /. . . . /. . /. .l!. . . !/ l  1 / // )     ! \.ハ  V|  !.ノ // /. . . . .!. . . . . . :|\ |
   /. . . . イ. /. . :|. . :/〈  |  | |  // .∠ム   :|__.. ム ゙   〃 ∧. . . . |\. . . . :|     漢人も胡人も同じ人間なのに・・・
  /. . //レ. . . ./| / ハ l  V  |/ /    ヽ  l!    /        .∧ |ヽ. . :|. . . \. :l!  
  / / /. . . . /| :|/ / ∧         气     ヽ j  ィ弌/      / | :!. \:|. . . . |ヽj
 〃   | . . . / | /|  | | ∧      ヽ          /      /! :| |\. . . . . . . | 
      |. . . / | ./ /!:| ∧      ';    '     {      / | ∧!  \ . . . :|
      |.  /  .レ  / N | ∧        ! r -―― ヽ  !     / :! / :l   \  :|       
      | /    /  | :| ャ       } `.._ー‐‐_ .´ <ハ/  ̄ ̄ .レ  l     ヽ j
      |./   /   ヽj/   ̄ ̄\/    Π     /      |  ヽ             こんなの絶対におかしいよ!
         {     /        \__ .l:l__ _/       ハ    1 キュルルルル…
【符堅】

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/17(日) 10:51:21.66 ID:k7FbuCei0.net
ゲルマン人はメイスやモーニングスターを持ったモヒカンたちがヒャッハーしてるイメージ

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/18(月) 18:14:12.15 ID:QylfSfUW0.net
>>343
劉曜ェ‥‥

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 12:43:43.47 ID:cLaLmmt90.net
>>354
苻堅は晩年の発言のせいで民族融和の理想主義者的側面が強調されているきらいがあるけれど
本質的には戦上手だった父苻雄の嫡子に相応しい戦争屋という性格の方が強いんじゃないかな

民族融和も突き詰めていけば侵略の正当化みたいなものなわけで
戦争の結果生じる犠牲には悪く言えば無頓着
表現に気を使ったとしても避けることのできない尊い犠牲として一定数許容してしまう性格の持ち主だと感じる

アレクサンドロス三世ほどは誇大妄想狂ではないが、ナポレオンくらいには野心でギラギラしている感じかな
王猛退場後、戦争を愛する性格に歯止めが効かなくなったような気がする

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 14:28:48.61 ID:1mdrGvYl0.net
河南一帯を回復した桓温、謝玄、劉裕はベリサリウスくらい評価されてもいいと思うんだけど
南朝の北伐で世間的に一番評価されているのは洛陽まで行ったけど爾朱栄に撃退された陳慶之という現実

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 15:44:28.08 ID:jWFGc0V30.net
宇宙大将軍「ワイも陳慶之に負けてるしな」

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 16:22:12.89 ID:ppBjSTYP0.net
>>359
梁を実質的に滅亡に追い込んでいるけどそもそもそんなに強くないのな
斛律金、段韶あたりの方が遥かに格上
似たような領域を保持していた前燕で言ったら慕輿根みたいな微妙なポジションだろう
名前だけが一人歩きしている

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 18:12:28.63 ID:Zn/U9FQ10.net
劉邦に韓信と張良

ユスティニアヌスにベリサリウスとナルセス

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 19:45:26.99 ID:ZBHm0q5C0.net
前燕侵攻時に袁瑾を東晋にけしかけて漁夫の利を指一本許さない王猛の狡猾さ

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/20(水) 19:58:09.76 ID:ZBHm0q5C0.net
>>361
ベリサリウスに配当される兵力の少なさを例えるなら祖逖の方が妥当では

ユスティアヌス=元帝
ベリサリウス=祖逖
ナルサス=王導?

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/21(木) 00:13:27.13 ID:of1G7Azl0.net
王買徳って情報が少ないけど、長安攻略後はどうなったんかな

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/21(木) 11:50:27.25 ID:DRgSrf4T0.net
梁の脆さはギャグレベル。やっぱ長過ぎても駄目なんすねえ

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/21(木) 15:39:25.89 ID:5Pu700Kv0.net
>>365
北伐がせいぜい陳慶之の火事場泥棒レベルが限度だからな
それも計画性皆無の出たとこ勝負
それに比べたら東晋の中期以降の北伐はよく計画されていると思うわ
その完成形が劉裕の北伐

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/21(木) 18:13:36.85 ID:5Pu700Kv0.net
南朝の軍事能力は東晋時代の劉裕をピークに低下の一途

貴族政治真っ盛りの東晋の方が寒門軍人を出自とする劉宋より軍事的に優勢だったというのは皮肉だろう
門閥政治と言いながら地方を任せられた軍事貴族たちがそれなりに実力主義で選ばれる場面があったからだろうか
桓温と謝玄の抜擢のされ方は象徴的ですらある

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/21(木) 19:32:23.43 ID:29csD53q0.net
三国時代あたりから蛮族を傭兵として使い始めて
八王の乱で諸侯が大々的に使用したせいで力をつけちゃうのよね
司馬炎が臣下の言うとおり蛮族を北に戻しておけば
華北が蹂躙されることもなかっただろうに・・・

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 00:59:37.15 ID:52fFRqf60.net
遊牧民を大々的に登用したのは光武帝の頃から
まだ陶謙に身を寄せたころの流浪の傭兵時代の劉備や公孫瓚や袁一族をはじめとして多くの群雄が雑胡を率いて記述がある
司馬一族の暴政がなければずっと漢の忠実な傭兵として機能していただろうに

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 08:51:42.07 ID:PUjxFJaE0.net
晋書の劉淵ファミリーの記述が事実なら、劉淵や劉淵の外祖父劉宣は西晋で出世したがってたから重用してやりゃ良かったのに。

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 10:28:40.71 ID:XMi7M2zB0.net
徙従論は正統的だったとしても、実際問題可能だったのかって疑問もあるよね。

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 10:41:12.96 ID:tD8wYP4F0.net
一度小作農化した異民族たちを元の居住地に帰還させるのはかなり難しいんじゃないかな
それこそ益州みたいな独立運動が起きた可能性も

異民族をうまく分割統治し続けるシステムが構築されていれば良かったのだろうけど
どうしてもその時期の異民族統御官の個人的な資質や能力に依存せざるを得ないからなあ

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 11:25:18.62 ID:PUjxFJaE0.net
三国時代でも田予〜陳泰〜ケ艾の流れが切れた途端に鮮卑族が暴れだすからな。

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 12:19:49.55 ID:aZz0TaBJ0.net
石勒は王莽以降の急進的儒教国家体制下における統治者交代の理論的背景としての禅譲システムに対し
「有徳者(要は強いヤツ)」による武力放伐で統治者交代しようぜー、と訴えたイノベーター

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 12:30:34.36 ID:PUjxFJaE0.net
石勒は実は孟子の湯武放伐理論(池沼君主はぶっ殺そうぜ理論)の信奉者だったのか。

ウン。東晋の人士とは全く合わんな。

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 14:38:33.79 ID:LivDGlgV0.net
前趙建国のロジックはかなり特殊(匈奴と漢は兄弟だから天下を継承しても構わないよね的な何か)だったけど
後趙は「実力で天下取る」というシンプル過ぎる建国理念だからなあ
秦、前漢、新、東漢、曹魏、西晋いずれとも異なる建国プロセスを辿っており強いて言うなら前漢が一番近いのだろうか
先行する諸王朝を概観してみたら確かに劉邦の前漢リスペクトに至るのも分かる気がする
秦(戦国の雄国)や後漢(劉氏の血統)、前趙(匈奴単于の血統)みたいに貴種性がない以上は仕方のない選択とも言えるが

石勒とそのブレーンたちは王朝の正統性確立のために史書の研究を相当やりこんでいたんじゃないのかな

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 15:18:29.55 ID:LivDGlgV0.net
系図偽造(前趙に疑惑あり)や讖緯(王浚)に走らなかったのは石勒の素朴さの現れなんだろうが
これがプラスに働いたかマイナスに働いたかは評価しにくいところ

蒲洪は「草付応王」の讖文で苻姓に改めることにより、三国時代のテイ族の王苻健の後継勢力であることを主張する形をとっている
これはプラスに働いているっぽい

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 15:27:02.25 ID:PUjxFJaE0.net
石勒の発言って陳勝の「王侯将相寧んぞ種有らんや」を意識してるっぽいしね。

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 16:26:43.92 ID:LivDGlgV0.net
石勒の言い分は極端に言えば北斗の拳のヒャッハーな世界観の是認だから(その後石勒が拳王か聖帝として君臨する予定の世界観ではあるが)
身分の保証や秩序の維持、既得権益の保護を求める人々には受けが悪いし
対抗勢力であり王権の正統性を辛うじて保持している匈奴単于の劉氏や晋王朝が存在し続ける限り
石勒による本領安堵や官位のバラマキは空手形にしかならないという非常に危うい状況だった
これを軍事的成功によって強引に押しきった石勒はかなり勝負強い
おそらく孫権を上回る

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 17:30:48.11 ID:LivDGlgV0.net
ちなみに自己の政権の正統性確立の難易度に関する評価

劉邦(項羽を滅ぼして確立)>石勒(東晋残存)>孫権>曹丕≧劉備
こんな感じ

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 18:52:42.07 ID:LivDGlgV0.net
>>369
石勒は自分の出身部族を軍団として率いたわけではなくそこらへんの盗賊や難民、漢人知識人たちを雑多に集めて軍団を編成している
こういうイレギュラー的な怪物が自然的に発生してしまった場合、異民族傭兵を統御する機構がいくら整っていても無意味だと思いますわい
自分の出身部族当てにせずにここまで暴れられると手の打ちようがない
王浚や劉コンは比較的異民族をコントロールできていたのだが石勒にいいように切り崩されたのが不憫

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 19:41:42.82 ID:vpd4TBGJ0.net
君子営の要になる張賓が早期の内に手に入ったのは豪運だな

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/22(金) 20:43:54.08 ID:52fFRqf60.net
ローマ帝国=漢

ゲルマニア=匈奴

フランク王国=北魏

東ローマ帝国=南朝

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 01:08:00.78 ID:pZ5NdCPf0.net
北魏は東・西ゴート王国みたいに蛮族が文明地に進出しただけ
けどカール大帝はザクセン戦争で、ヨーロッパのフロンティアを東に拡大できた
北魏は中国のフロンティアを越えてなさそう

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 08:18:50.03 ID:kJ8INv9I0.net
>>384
北魏は代の頃よりモンゴル高原に対する支配力が低下して柔然の勃興を許しちゃってるのがなあ
スケールが全盛期前秦にどうしても劣る
全盛期前秦は漠北が分裂傾向にあったとは言え膨張し過ぎだろう
瞬間最大風速では隋唐に匹敵するんじゃないのか

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 08:38:50.20 ID:8t36/JiO0.net
北魏は南北に挟まれつつ上手く国家経営したと評価するべきか
結局滅亡する直前まで前秦を越えられなかったと評価するべきか大いに悩む

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 08:52:01.83 ID:1JzldPM70.net
部族の漸進的な解体とか農業改革とかで北魏は五胡十六国の華北のまとまりの無さを長い時間かけて処理することには成功したと評価するよ

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 09:15:15.33 ID:1lhp4Xii0.net
北魏は支配の密度では前秦よりはるかに上だろう
前秦は所詮、点と線レベルでは

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 09:23:45.36 ID:8t36/JiO0.net
北魏の東西分裂の過程を見ていると言うほど部族制が解体されていたか疑問に思う
特に山西一帯はかなり濃厚に温存されていたように感じる

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 09:35:22.29 ID:pZ5NdCPf0.net
>>385
五胡や北朝は浸透王朝
遼や金、元は征服王朝

前者は原住地を放棄して、征服地に移り住み
後者は原住地を保持しつつ、征服地を統治したけど
何が違ったんだろう

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 10:09:57.24 ID:OltFSQAv0.net
東晋の頃は中原経略が亡命王朝としての政治的最終目標になっていたけど
劉宋になってから明らかに優先順位が低下したような気がする、東晋中期のような連年の北伐は鳴りを潜めている
(それでも文帝は頑張った方だが)
北魏は案外劉宋の成立にかなり助けられていたのでは?

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 11:39:53.91 ID:5i03cDsA0.net
司馬勳の方が姜維より優秀で諸葛亮並みの将器って言ったりすると三國志好きからは怒られたりするの?
石勒>曹操・司馬懿論と同じくらい暴論だとは思うけど

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 13:43:30.19 ID:J08S8Ab20.net
どっちも大したことないという意味では間違いではない。ただ諸葛亮の本領は政治家だからなあ

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 13:50:28.10 ID:lbAF0Wqp0.net
北魏は初代皇帝が息子に殺されるって展開なのに何故か揺るがない印象。

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 15:20:00.75 ID:M6n/Fj1D0.net
その後比較的有能な君主が宣武帝まで続いたからな

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 17:00:07.74 ID:MaRSxqtl0.net
時代もあったんだろうけど、安定感では五胡〜北朝で随一だわなあ

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 18:42:53.49 ID:7dQsE7TuO.net
後趙の孔萇

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/23(土) 22:30:04.66 ID:S0TKOGK70.net
馮太后と献文帝とか言うおねショタ

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 05:03:07.14 ID:6mNMxGyK0.net
北魏の部族制解体時に南朝が北伐して「君たちの部族を○公に封じてあげるよ」とかやってたら
北魏は普通に混乱してたんじゃなかろうか?
テキ氏や慕容氏あたりは乗ってきそう

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 05:12:59.66 ID:qkt8+D+80.net
>>393
司馬勳も梁州刺史で地方のヒラ政治家でしかなかったのですが(将軍号もなければ都督州軍事ですらない)
東晋の地方官並みの蜀ってショボくね?

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 07:36:48.93 ID:plS/kA/c0.net
曹操が仮に西晋末期の漢人群雄として身を立てた場合
苟晞レベルまで行けるかどうか怪しい反面
王・劉の仲違いとかに際したらそれに乗じて河北を平定しちゃいそうな期待感もある

石勒が鮮卑相手の野戦に分が悪いから仮に曹操が突騎手に入れてたら石勒は普通に負けると思う
相性は覆すのが難しいだろう

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 08:02:45.67 ID:plS/kA/c0.net
石勒の降伏した群雄を後でサクッと処刑する癖は何とかならんのかな
お試し期間終わったらポイ捨て同然
苟晞、段兄弟、祖約……探せば他にもいるだろう

困窮した流民や異民族、初期に自分に帰順した君子営や匪賊以外に対して冷酷過ぎる

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 08:17:23.40 ID:plS/kA/c0.net
石勒の軍団には革命戦争真っ只中のド左翼革命勢力並みの排他性を感じる
そりゃ徙民しないと河朔から人口流出する一方ですわ

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 08:17:59.39 ID:gCdrHZLQ0.net
>>402
白紀「えー?降伏した奴生き埋めとか素敵やん?」
項羽「秦人は糞じゃ。撫で切りぞ、根切りぞ。秦人どもは皆殺しじゃ」

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 09:57:31.05 ID:wDhEyPSK0.net
>>339
自己レスになるが資治通鑒の368年の慕容垂の侍中・車騎大将軍・儀同三司任命の記事に基づき宮中に召還されていた場合
外鎮しているより政策決定に大きく関与できる立場にあったわけだから、桓温侵攻を指をくわえて見てたボンクラ政治家ということになる
晋書にしろ通鑒にしろ368年〜369年の慕容垂は官職の割りに「何もしてない」
干されていたというには官職が立派すぎる、実権の無い閑職ならばほかにごまんと準備できたにも拘わらずにだ
(たとえば空位の太師にでも据えて兵権を剥ぎ取っておけばいい)

慕容垂関連の史書の記述は引っ掛かる部分大杉

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/24(日) 22:55:35.67 ID:uSz5K+o30.net
慕容垂は他国に亡命して祖国を滅ぼすという何だかなあ‥‥な人
仇池の楊安の上位互換

楊安はかなり優秀な人物だけどさ

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/25(月) 02:50:05.48 ID:J7TM37nu0.net
伍子胥@楚人「平王殺すべし慈悲はない」

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/25(月) 07:17:45.13 ID:SvNW6lgj0.net
>>398
ばばショタなんじゃないのか

北魏後半の破滅に向かって行く様は三国志の後漢末に近いものを感じるわ
姦雄としてのし上がっていく高歓とか演義の曹操みたいで素敵

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/25(月) 09:42:32.91 ID:OH8K22Gi0.net
中書令李松「死ね!石閔=サン!死ね!」
殿中将軍張才「死ね!石閔=サン!死ね!」
石苞「死ね!石閔=サン!死ね!」

中領軍石成「死ね!石閔=サン!死ね!」
侍中石啓「死ね!石閔=サン!死ね!」
石暉「死ね!石閔=サン!死ね!」

龍驤将軍孫伏都と羯士三千「死ねい!石閔=サン!死ねい!」

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/25(月) 10:34:29.64 ID:q/Nt636T0.net
唐王朝は拓跋国家の最終ランナーと評されることがあるけど
晋書を修する時、何で魏書みたいな拓跋部至上主義で編纂しなかったのだろう
拓跋部が陰薄いのは、まあ事実なんだろうけど、魏書とのギャップで困るわ

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/25(月) 12:14:41.01 ID:uRb/gbIx0.net
晋書は司馬一族がカッスカスに書かれてんのが不穏

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/25(月) 12:22:59.55 ID:wtf4WGCs0.net
本紀が薄すぎて不安になる

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/25(月) 17:15:53.51 ID:HWav4zT30.net
魏書の偽晋司馬叡伝は構成が謎
濃いところ(蘇峻の乱とか)は濃いのに薄いところ(北伐関連)は端折りまくり
不徳の王朝というのを強調したいのだろうけどかえって編者の杜撰さが際立つ
晋書はこれに比べたらどこの勢力も満遍なく記述されててバランス良いと思う
そこまで貶められる史書なのか疑問

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 09:23:37.09 ID:+ye+RHka0.net
秦 漢族
漢 漢族
新 漢族
晋 漢族
隋 鮮卑
唐 鮮卑
宋 漢族
元 蒙古族
明 漢族
清 満州族
民国 漢族
中共 漢族

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 09:45:47.24 ID:vsXpxejz0.net
       ____,....
  ,. ‐';ニ"´ニイ:i!:、ヽ:.:`ヽ、_
/.:///:.イ:.|:|:|i:.:ヽ:.、ヽ:、ヽ、
:.:/:/./://:|:.:|:!:|:|i:.:.:゙,:.:.:.リ:.ヽ\
./:.:/:/:.:.//ハ:.:i:.:l:.:.i:.:.:i:.ヽ`:|:!:.:ヽヽ
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/l!:/.:.:/|!.|:.:./ハ:',:|:ヽ:、|!:.:.:.ハ:.||:.',:.i:、:',
!|l,:!:.:.:.:|.| |レ/∧:l:メ!:.ヽ:.:|:.|/:.i:.リ:、',:|:.i:.i    >>414明は燕賊に乗っ取られてからは後元とでも読んで欲しいな
:|l.|:.:.:.:|!.:|:.//¬i:.{‐、.:|.ト、:l:|、:.!:.:.i:ヽ|:.|:|
i:.:| |:.:.|l:.:.l/ィ示ヽミ !.メ| 〉ヽ!:|_!:.|:i.:N:.|
:.:.l!:l、.:.:l、:l`ヽ::ノ_, ' リ |i |.,.ィl、.|::!||:.メ:リ   
、:.l!.N、:い!.        !く:::ソ } |:.:|/:/
!:i、.i!リ ヽ!         , `~ /|:ノ:/
:.i|:iN  `      .: ノ  /:!レ/′    
:、l:|ハ     、____    /::i/'′
小| ヽ     `''ー‐`''  /|/l
:.:トヽ  \       /                      r‐-、r‐-、r‐-、r‐-、
N|`ヽ   ヽ、    , '´      ┌───────┤  ||  ||  ||_..._|‐───────┐
``'''‐- ..,_   iT"´           | ー──────‐ |_...._||  ||_...._|ヽ_,ノ. ─────── |
、_    ``''‐N、           | DEATH NOTE .ヽ_,.ノ|.-‐.|ヽ_,ノ                   |
 `ヽ、      i          | ─────────. `ー' ー‐─────────‐ |
、   `ヽ、   |           |    燕族簒位     :                 |
、`ヽ、   \  |          | ──────────‐ :. ──────────‐ |
 \ \   ヽ.|ヽ         |                   :                  |
   ヽ ヽ   |  \          | ──────────‐ :. ─────


方孝孺(1357年−1402年)明時代の人。建文帝に仕えた儒者。燕王に正論を述べたが故に族滅される憂き目に

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 10:10:28.24 ID:UZZEoOPh0.net
>>414
唐は鮮卑化した趙郡李氏説も根強い
そもそも混血や文化の混淆を繰り返しているから綺麗に分類出来ないと思うがね
東晋明帝の血脈が鮮卑系かと問われたらスパッと回答できないでしょ

だが高歓、テメーは駄目だ

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 16:37:53.99 ID:aXeQXxpc0.net
三国志関連のクラスタのキチガイっぷりは異常
曹操disるのに何でよその時代の人物引っ張ってきてまで虚仮にするのかね?

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 19:44:10.33 ID:+ye+RHka0.net
>>385
前秦が天下統一を急いで瓦解したから
北魏はじっくりいこうと考えたんじゃね?

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 20:55:11.92 ID:aXeQXxpc0.net
ヤメル言うて糞みたいなツイートが続くのが草不可避
マジ屑やなあ

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 20:57:39.26 ID:aXeQXxpc0.net
恥という概念が無いのが凄い

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 21:13:12.88 ID:4UvPw4/i0.net
>>418
じっくり行こうとして柔然と南朝に挟まれたのはどうかと思う
後趙並みに身動き取れてないような
あの時は慕容恪という規格外がいたから戦況動いたけど

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 21:22:05.87 ID:MLeU4XW90.net
五胡スレは結局慕容恪最強に戻っての来ちゃうのが嫌い

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/26(火) 23:48:25.88 ID:Gr9UXaG/0.net
慕容格は最強って言うよりぐう聖だろ?

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 00:07:22.21 ID:ewDCO9k4O.net
蘇峻は酒に酔わなければ最強なのでは

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 03:19:09.74 ID:1NjYrvhB0.net
誰も突出してないから混迷を極めてるんじゃ

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 10:07:20.19 ID:wPiNsrOC0.net
>>425
苻堅は傑出してただろう
簒奪直後は好機が来るまで虎視眈々と雌伏し続けることができたのに
東晋に対してだけは辛抱できなかったのが本当に悔やまれる

謝安が強心臓過ぎるのがいけない
呉とかだと丞相張悌が自棄っぱちになって晋軍に突撃していってたけど
当時の東晋も似たような状況にあったにもかかわらず迷わず勝ちに行っているという狂気

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 19:16:23.57 ID:rVkjXALl0.net
ローマ皇帝とか美少年をはべらしてるイメージあるが中国皇帝にはそれがない
どうしてなんや?中国人ノンケなの?

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 19:31:08.41 ID:mP7RLyvj0.net
一応海西公司馬奕の廃位の理由の一つに男色があったと思う

あと苻堅がまだ12歳だった慕容沖を寵童にしたりとか

世説新語の雅量篇では桓温とチ超が怪しいのを仄めかしている
まあチ超は「髭参軍」と称されるくらい雄々しい男だったわけだけど
桓温の場合そもそも謝奕(謝玄の父)との時点で怪しい
鬼嫁のせいでついついそっちに走った可能性も

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 19:39:38.99 ID:TTM3ECsh0.net
>>427
断袖って語源があってだな。

中華皇帝のホモネタだと劉邦がバイなのが衝撃。

>>428
符堅は慕容沖と沖の姉の3Pだからな。

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 19:43:48.80 ID:/6Xi6bBF0.net
前漢の哀帝と董賢が有名かな

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 19:44:28.68 ID:mP7RLyvj0.net
>>429
自らの性的嗜好のせいで身を滅ぼしているからな、苻堅
苻生が道行く兄妹に「オラッ!今すぐセックスしろよ!」とキチガイ発言してたけど完全に同類ですわ

女好きすぎる石虎が異端のような気も

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 19:45:00.64 ID:mP7RLyvj0.net
なぜホモネタになると人が湧いてくるのだ・・・・解せん

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 20:53:28.76 ID:rVkjXALl0.net
>>429
>中華皇帝のホモネタだと劉邦がバイなのが衝撃。

漢と書いて「おとこ」と読むのはそういうことだったのか
納得

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 20:55:53.37 ID:rVkjXALl0.net
塾女真
生女真

なんかエロいわ

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 21:38:52.79 ID:0bamEQ7Y0.net
劉邦にだったら俺抱かれてもいいかも
包容力高いし

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 21:43:47.51 ID:TTM3ECsh0.net
>>434
熟女真→非処女
生女真→処女

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 22:21:23.97 ID:ewDCO9k4O.net
王導と周ガイ(周浚の子)もホモホモしかったけどすれ違ってしまった

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/27(水) 23:43:08.34 ID:rVkjXALl0.net
宗教ネタ、開祖カップリングも興味深い。
釈迦と阿難、イエスとヨハネの師弟関係がホモエロティックなものとして語り継がれ、
ずばり「結婚」とまで言及されていた。

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/29(金) 09:19:55.85 ID:XbRoZgWy0.net
苻堅が女役だったら笑える

長安に桓沖、謝安、司馬曜の邸宅を作り何をするつもりだったのか
脳みそが乙女脳っぽい

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/29(金) 09:58:09.77 ID:XbRoZgWy0.net
男脳の例 石勒
降伏したやつはごちゃごちゃ言わんと埋めりゃあええんや

男脳の例 石虎
街道の道すがらに妃妾たちの屋敷を作って道すがらセックスしまくるよー

苻堅
王景略(*°∀°)=3 ムッハー!
慕容垂(*°∀°)=3 ムッハー!
清河公主(*°∀°)=3 ムッハー!
慕容沖で姉弟丼(*°∀°)=3 ムッハー!
桓沖(*°∀°)=3 ムッハー!
謝安(*°∀°)=3 ムッハー!

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/29(金) 20:52:52.53 ID:mSyPSO5z0.net
性欲が強くないと乱世のトップにはなれんのやな

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/30(土) 00:13:26.72 ID:8paqnsHfO.net
そら三国志の公孫康とかインポだからダメ君主扱いされてるし

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/30(土) 00:13:57.60 ID:8paqnsHfO.net
公孫恭だったわ

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/31(日) 11:51:11.18 ID:x9b+tpOS0.net
司馬奕が廃されたのも子無しという部分で仕方なかったのかな‥‥。

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/31(日) 19:07:14.07 ID:aJjJT0Kp0.net
宋の文帝は恵まれた環境で北伐を実行できた唯一の南朝君主だと思うんだけど
何であそこまで失敗したんだか
二回目とかマイクロマネジメントの失敗例として使えるくらいgdgd

宋の孝武帝以降は完全に内向き国家に変容したイメージ

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/07/31(日) 19:38:21.59 ID:aJjJT0Kp0.net
史書の予言書めいた記述や会話は基本的に信用しないことにしているが
石勒の目の前に現れた爺さん(鹿)の「王彭祖、正に図るべし」は印象深い
何で何の関係もない爺や鹿に言わせる、ファンタジー感満載だろう

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 10:05:35.55 ID:Mh45Z6Cj0.net
>>445
檀道済「絶許」

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 12:00:01.87 ID:rA3kNpZ00.net
劉宋の北伐は政権の正当性担保するためのポーズ的な側面があるからな
劉裕は洛陽あたりは「辺境」だと思っていたらしいし
無駄に熱意に溢れていた桓温の北伐とは何もかもが違いすぎる

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 17:20:53.64 ID:SfQ3Vb9w0.net
軍事的功績を打ち立てて簒奪まで持っていった点で劉裕と曹操はそっくりだな
その後勢いを駆って敵対勢力にガンガン侵攻した子孫たちが統一戦争で挫折した点も含めて
さらに軍事的に行き詰まって最終的には簒奪されてしまうところもそっくり

劉裕が不人気なのは曹操ほど愛嬌のある失敗してないからかな?
それともやはり文学的才能か

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 20:00:22.20 ID:iYy3uPdK0.net
洛陽から離れた時間が長くなりすぎたというのもあるけど長江挟んで都としっかり連携取るのは難しいよねぇ
洛陽とってもヘタすると軍閥がよからぬことを考えかねないし維持も難しいしで政治的パフォーマンスで終わりがち

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 21:10:50.26 ID:08Be/88y0.net
劉禅「五胡十六国、南北朝、明朝にも酷いのいっぱいいるのになぜ朕が中国史上最低の暗君扱いなのだ・・・orz」

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 21:26:51.75 ID:EHCLvA+X0.net
謝玄の北伐はその最中に司馬道子と謝安の政争が本格化し(385年4月)
謝安が病死(385年8月)した翌年386年3月には朝議で
「戦役長引いて負担が増大しているから戍兵(国境警備)置いて帰って来やがれ」と
強引に北伐の幕引きが図られている

慕容垂を最大限に苦しめて中山に逼塞させた謝玄・劉牢之主従の北伐はこうして終わった
おそらく慕容垂も?ギョウに遷都したかったんだろうけど苻丕が城民を晋陽に移住させた後だったから
拠点にしようにもできなかったというのが実情ではなかろうか

東晋は西では386年6月に桓石民が弘農の初制圧に成功しており、楊亮が洛陽の衛山陵に鎮して
雍州を窺う等優勢な態勢を確保していた
西晋の領土回復まで今一歩まで来てたのに平気で見送れる東晋首脳部の無能さがヤバイ
北伐やめたのに司馬道子政権は民衆の負担を緩和させる処置は取らず後の孫恩の乱の種を播くというおまけ付き
このアホ息子に比べたら司馬cは宰相としてはかなりまともだったと思う

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 21:36:52.73 ID:EHCLvA+X0.net
>>451
三国志演義のせい

両晋十六国だと司馬衷がぶっちぎりで暗君
最盛期からわずか三年で前燕を滅ぼした慕容?イがそれに次ぎ
(どうしたらあそこから滅亡できる)
簒奪・度重なる民衆の徴発・後趙リスペクトで成漢を一簣に傾けた李寿もなかなか
劉禅は暗君グループの中では全然マシですよ

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 21:50:52.74 ID:08Be/88y0.net
北斉と北周も暗君暴君で自滅したようなもんだしな

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 22:00:22.89 ID:EHCLvA+X0.net
>>454
劉宋と南斉も暴君度高めだと思う

劉宋の司馬家&功臣&宗族粛正はやり過ぎ
東晋ですら悲壮感と場末感が漂ってるのに劉宋は暗鬱さと暴虐までついてきやがる
北魏もそりゃ劉宋以降は舐め腐りますわ

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 22:18:02.72 ID:Mh45Z6Cj0.net
>>451
多分胡亥の方がイメージ悪いぞ。

>>453
あと出師の表で生活態度にまで注意されたのもイメージ悪いんじゃね。

>>455
劉宗が北魏になんか仕掛けても北魏がそれ以上にぶん殴ってくるもんね。

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 22:30:41.55 ID:sJI+Gy6a0.net
北斉の後主以下はいないな
北周、突厥、陳と周囲全て敵に回しながらそれを撃退してきた強国を一代で滅ぼす暗君

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 22:35:27.45 ID:fLJlJbUY0.net
北斉の高氏は人格破綻者で戦争マシーンじゃないと逆に托卵を疑いたくなるレベル

高洋を見ていると安心する

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 22:40:49.69 ID:iYy3uPdK0.net
高洋と比べると石虎の方がまだ怒ったり殺したりする理由に一応理屈は通ってるのでまともに見える

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 22:47:08.67 ID:Mh45Z6Cj0.net
高洋はシグルイの虎眼先生みたいな感じだしな

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 22:47:14.79 ID:z/UAsxZY0.net
蘭陵王も即位したら血が騒いだのだろうか

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 22:53:00.78 ID:fLJlJbUY0.net
>>459
石虎はやろうとしていたことだけは理解できるからな
ロリコンだったのもおそらく自らの血筋に匈奴単于の屠各種の血脈を取り込もうとしての行為だったと思われるし
強引な建設事業も華北のインフラ再建を考えると必要悪だったと言えなくもない
何より男だったら際限なくハーレム拡張したいじゃん

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 23:10:51.77 ID:08Be/88y0.net
司馬炎「せやな」

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 23:13:07.77 ID:08Be/88y0.net
司馬炎「俺、熱しやすくて冷めやすいから、政治も女も」

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 23:32:47.01 ID:EHCLvA+X0.net
苻堅の名君と暴君のごちゃ混ぜ感

・簒奪者、庶兄も排斥した疑惑あり
・三回か四回…数えるのが面倒になるくらい身内から反乱起こされてる
・王猛に注意される性生活(バイセクシュアルとしてだが)
・暗黒面に落ちて以降は虐殺もCHA-LA HEAD-CHA-LA
・独善的で議論になるとすぐに「ハイ論破」みたいなノリ、ああ言えばこう言う
・王猛に政治任せたのも見方によっては恩倖政治のはしりみたいなものだろう

…あれだな斉の桓公みたいなタイプ
慕容垂は大器晩成と放浪の貴公子だからまんま晋の文公

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/01(月) 23:42:34.52 ID:fLJlJbUY0.net
>>460
参合陂前後の慕容垂が曖昧状態〜覚醒した虎眼先生っぽい
苻堅におべっか使うあたりは「これは慕容垂が身につけた処世術なのである」とかナレーションが欲しい

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/02(火) 00:43:34.30 ID:8CUMni280.net
中国历代帝王The emperor of China
https://www.youtube.com/watch?v=wbzZIHgoVQI

中國皇帝大全
https://www.youtube.com/watch?v=U5C7B96uX28

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/02(火) 08:18:11.79 ID:3oqRyc+o0.net
>>465
劉聡のやらかす→家臣から突っ込まれて反省→またやらかす→家臣から突っ込まれて反省の無限ループも凄いわ

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/02(火) 16:58:29.90 ID:NyW8lTs60.net
孫権かな

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/02(火) 19:53:24.61 ID:z9glFTUl0.net
五胡君主と比較すると曹魏君主(と言うか曹丕)も孫呉君主(耄碌孫権)も全然常識人の範疇だな

石勒みたいにやってることは極悪非道なのになぜか名君扱いされている人間が一番危険だと思う

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/02(火) 19:58:55.91 ID:z9glFTUl0.net
でも何となく「禅譲=陰湿」、「放伐=爽やか」なイメージあるよね

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/02(火) 21:27:14.66 ID:+P2G0LpX0.net
九品官人法(貴族政治)の東晋と民族融和の前秦が激突して前者が完勝を収めるという映画やドラマだったら間違いなくNGが出る超展開
子供のころから平等主義や協調性、多文化共生の大事さを教えられていた身としては愕然とした
こんなことあっちゃダメだろ、と

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/02(火) 21:57:43.28 ID:tdUaFheP0.net
魏晋南北朝時代だと劉禅の在位は梁武帝についで2位なのかな?

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 07:28:44.98 ID:eYOukpba0.net
今朝の読売新聞読んでいて思ったけど
こういう討論型形式の授業で学生・生徒たちの成績をつけていくようになると
最終的に知識の有無や企画力じゃなくて単に話術の巧みな人間が育成されていくようになるんじゃないかと思った

清談も最初は人物評価のための一つの要素でしかなかったものが肥大を続けそれだけが唯一の物差しになってしまったのではないかな
面接だけじゃ当人の能力は計れないと思います

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 07:46:27.39 ID:4uWGsRmp0.net
五胡十六国時代最高の名君が苻堅なら最低の暗君は李寿かね

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 10:17:36.71 ID:BTBZ5i+C0.net
>>473
軽く東方年表みたけど多分そうだね。
それに沮渠蒙遜と劉宋文帝が次ぐか。

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 11:10:45.57 ID:l160DjGj0.net
>>475
結果論でいくと最高は李雄になるような気がする、終わりよければ全て良し
苻堅は晩節がただただ悲惨なので

スペックで行くとバランスの良い苻堅、劉曜か一点豪華主義で石勒(戦略・謀略)、慕容垂(戦術)あたりが名前が上がるのだろうか

最悪の暴君という意味では冉閔になるんじゃないのかね
暴君は無能じゃ勤まらないという意味も加味して

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 13:09:30.50 ID:l160DjGj0.net
それにしても曹操、劉備、孫権の三人は突き抜けたとこ無いけどバランス取れてて五胡君主たちと対称的だなあ
曹操は何だかんだ言って魏晋南北朝だと高スペック

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 13:35:00.10 ID:4uWGsRmp0.net
あっちの「中国の歴史上の名将ランキングを作ろう」みたいな掲示板があったよ
議論の叩き台になってた10位までの顔ぶれは、

1位 孫武
 「孫子兵法」作者、中国軍事学の父
2位 呉起
 「呉子兵法」作者、戦国第一名将
3位 李靖
 「李衛公兵法」作者、あらゆる条件下で常に勝利を手にした騎兵戦の天才、唐の世界帝国への道を切り開く
4位 韓信
 楚漢戦争第一名将、前漢建国の立役者、古兵法の整理にも功績
5位 李世民(唐・太宗)
 唐の事実上の建国者、史上最速で中国を統一、2位の李靖の主君
6位 岳飛
 南宋を救った英雄なれど、悲劇的な最期を迎える、岳家軍は軍事組織として非常に優秀
7位 劉秀(後漢・光武帝)
 後漢建国者、粘り強く河北を平定した経緯を見れば、昆陽の戦いの奇跡は決して偶然にあらず
8位 曹操(魏・武帝)
 魏の事実上の建国者、「孟徳新書」作者、名将であるが戦勝と共に敗北もまた多く劉秀には劣る
9位 陳慶之
 南北朝最高の名将、七千の兵で数十万の北魏軍に挑み、連続四十七戦全勝の奇跡を演出
10位 柴栄(後周・世宗)
 五代十国最高の英主、若死しなければ間違いなく中国を統一していた

周瑜が17位、諸葛亮が23位、陸遜が29位だったYO!

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 14:11:47.63 ID:l160DjGj0.net
>>479
魏晋南北朝で入るべきは高洋と劉裕の外道二大巨頭だと思います

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 14:14:51.76 ID:mM37zrMw0.net
バラバラな組み合わせだな

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 14:17:05.82 ID:4uWGsRmp0.net
中国皇帝の暗君連中で打順組んだ

1(中)蜀漢孝懐帝
2(二)後漢霊帝
3(三)北宋徽宗
4(一)西晋恵帝
5(遊)明万暦帝
6(左)南斉昭粛帝
7(右)陳後主
8(捕)北斉後主
9(投)北周宣帝

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 15:40:35.88 ID:9LkVlYbE0.net
>>482
くせえからこういうのやめろよJカス

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 16:16:04.53 ID:W7x/VJQ10.net
>>482
明英宗とか後漢安帝とか抜けてる
ってか馬鹿の語源の胡亥がないだけでもうね

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 17:33:49.20 ID:HvpMKK4dO.net
尹緯が好きすぎてつらい

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 18:31:24.23 ID:IzCpA9UZ0.net
何一つ頭抜けたものがなかったのに一隅への割拠に成功した姚萇の不思議さ
慕容垂の場合は出来て当然みたいな感じがするが姚萇の場合無理ゲーにしか感じられない
二十歳そこそこの苻堅に蹴散らされた苦い経験もあっただろうに

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 20:46:24.51 ID:4uWGsRmp0.net
>>230
姜維の件もあったばかりだし旧臣下達が疑われて粛清されないよう
神輿になる気はないと証明するためにアホ演じてただけだろうあれは

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 21:11:40.24 ID:SUyr5RWy0.net
>>480
外道つっても劉裕があくまでも仕事って感じなのに高洋はマジモンのシリアルキラーって感じ。
殺し屋1とかシグルイとかノリ

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 21:33:34.18 ID:JfTwAf3m0.net
>>488
情が一切感じられない劉裕の方が外道ポイント高いと思います

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 21:42:12.29 ID:SUyr5RWy0.net
劉裕は白起さんとかと同じで「殺す必要があるから殺すんだ」だからね。

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 21:46:46.22 ID:aMKhidTE0.net
やったことの残虐さは高洋が断然上だけど、結構人間臭い部分もある。
劉裕は政権掌握の過程で障害となる人物を淡々と消していった感じで、暴君ではないけど、凄い不気味。

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 21:49:04.67 ID:oyizHRBo0.net
姚萇が決起したときには関中あたりの混乱を収拾するだろうと考えられてたって話も見たから、一廉の人物とは思われてたんじゃないかな
苻登になかなか勝てなくてそうした人たちの期待を裏切ってたみたいだけど

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 21:50:31.17 ID:I6z/t8aH0.net
>>490
弟はともかく兄貴の知恵遅れは殺さんでも良かっただろ

劉裕は一見豪放磊落に見えるけどどうしても小心者(と言うか利害に鋭敏すぎる)な本性が見え隠れするのが気になる
劉牢之見捨てる時とか特に

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 21:54:10.87 ID:JfTwAf3m0.net
>>491
両者のはるか上を行く石勒・石虎の2000万パワーズ
この二人に比べたら劉裕も高洋もまだまだ殺し足りないな

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 22:02:35.99 ID:JfTwAf3m0.net
>>492
姚萇に一体何を期待してたんだ その人たちは
・・・・と思ったが司馬勳相手に救援を要請したこともある関中の豪族たちだからな 目曇りまくり

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 22:15:52.76 ID:SUyr5RWy0.net
>>494
この2TOPに冉閔とか言う残虐超人がいた後趙。

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 22:21:32.77 ID:4uWGsRmp0.net
これから巻き返して行こう


     /⌒ヽ
    / ^ ω^j、姜維
 _, ‐'´  \  / `ー、_
/ ' ̄`Y´ ̄`Y´ ̄`レ⌒ヽ   
{ 、  ノ、    |  _,,ム,_ ノl  
'い ヾ`ー;'´ ̄__っ八 ノ
\ヽ、   ー / ー  〉
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|| \ \         \     ∧_∧
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||    \ \         \ /     ヽ
||      \ \         / |  | | 黄皓
||       \ \∧_∧ (⌒\|__/ /
          ヽ(     )朕は降伏する    ∧_∧   てめーの指図は受けねえ
           /   く          \  (    ) 
           |     \           \/    ヽ
     劉禅  |    |ヽ、二⌒)       / |   |  魏延

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/03(水) 23:12:34.61 ID:L5T7a42O0.net
後趙は残虐超人以外にも苻洪、姚弋仲がおったし悪魔超人として呂護や張平というゲロクズもいたからなあ
その一方で姚襄と苻堅は後趙出身とは思えないくらい爽やかな風が吹いていると思う

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/04(木) 00:03:38.98 ID:ERc7J/1T0.net
>>479
いまだに陳慶之入れなきゃダメなの?
「南北朝最高の名将」って晒し上げ型のいじめかよ

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/04(木) 02:20:53.73 ID:SPPhFY7h0.net
>>479
浅く中国史をかじった程度の中学生レベルの評価だな

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/04(木) 07:24:29.53 ID:wQOAERrQ0.net
>>456
慕容イも生活態度の悪さを李績に指摘されたことがあったが
(父である慕容儁は李績の発言こそ箴言であり、これを尊重するように慕容イに指導した)
逆恨みした慕容イは即位後慕容恪から李績を尚書右僕射に就任させたいという申し出があった時
「全てのことは叔父上に託しますが、李績のことだけは私に独裁させていただきたい」
と報復人事発動、慕容恪にかかる負担が増大した上に干された李績も憤死

劉禅以下

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/04(木) 07:57:17.10 ID:YL7nH+hk0.net
幼君担いでそれでもなお領土広げまくった慕容恪は諸葛亮越えるよなあ
桓温も苻堅も手も足も出せなくて慕容恪死ぬまで何もできなくなってたし

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/04(木) 11:04:14.10 ID:lUkz+ly20.net
>>479
群雄割拠で地方政権が小粒化してた時期の李世民よりも北斉をキッチリ滅ぼした宇文憲の方が凄いと思うし平陳を計画実行した楊素も上位に入っていいと思う
それより何より李世民は高句麗遠征の失敗がキツイ
実力的には朱棣より下だろうな

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/04(木) 13:25:47.60 ID:NzxqF9Qz0.net
>>479
郭子儀の名前抜けてるとかありえん

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 08:49:52.06 ID:2M/piWIA0.net
>>503
李世民は自分より弱い奴にはキッチリ勝って勝ち点稼ぐタイプ。

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 11:15:06.76 ID:oZE4gTxO0.net
>>505
自分より強いやつに最終的に勝つタイプは必然的に敗けがつくから勝率は下がる
石勒ぐらいしか思いつかんが
苻堅は肥水前までは負けなしのはずだから百戦百勝はやはり善ではないんだろうな

李世民は劉黒闥の水攻め失敗→取り逃がし→突厥と組んで捲土重来してきた劉黒闥に唐軍ピンチ→李建成がナイスリリーフという一件があるから
所々穴があったことが分かるし統一事業の各司令官の運用も李淵がやっていた痕跡があるのが分かる
韓信や白起なは負けるけどリアリティーのある強さだろう

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 17:35:21.64 ID:8lxluZBz0.net
毎度気になるのが慕容垂と慕容恪が不敗の名将みたいな扱い受けてること
慕容恪は段龕に撃退されたことあるし魏昌では冉閔の森林錯雑地形利用した歩兵による対騎兵戦闘で損害受けてる、まあ最後は両方とも滅ぼしてるけど
慕容垂は桓温、劉牢之に黒星つけられてて最終的には逆転劇を収めてるものの後者の方は東晋が急激な政策転換で撤退しなかったらかなりヤバかっただろう

内容的には慕容恪の方が戦績良いと思うのだが慕容垂が格上扱いなのも謎

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 20:01:05.31 ID:6UAtkhi/0.net
>>502
強大な魏相手に弱小の蜀であそこまで奮戦した諸葛亮と比べたらあかんよ
カリスマ性だと劉備と苻堅がいい勝負かな(そしてどっちも晩年は・・・)

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 20:02:34.91 ID:6UAtkhi/0.net
石勒って曹操や司馬懿をボロカスに言ってた割にはこの二人を超えられなかったことね?

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 20:18:14.76 ID:zIKOpxPZ0.net
>>509
超えた超えないで話すなら東晋の政権首脳部の認識としては
後趙は在りし日の曹魏と互角と言う評価だった(太常蔡謨の発言より)
荒れるの承知で言うなら曹操とは同レベルと言っていいだろう

二人とも謀略で態勢が不利になった敵を奇襲的に打撃するスタイル
優劣つけにくいんだよなあ

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 20:24:55.38 ID:zIKOpxPZ0.net
>>508
苻堅は軍事的才能には恵まれていたがカリスマ性は決定的に欠けていた
カリスマ性が備わってたらそもそも兄貴の苻法が粛清される必要性がなかった
その後の身内の度重なる叛乱も苻堅の王権が極めて不安定だった証左だろう

劉備に比されるカリスマはどちらかと言うと苻堅に討たれた姚襄の方だと思う
まあ晋書だと「孫策の儔」と評されているが

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 20:52:36.94 ID:8lxluZBz0.net
>>508
諸葛亮が慕容恪の立場だったら1面の棘城の戦いでまず詰む
当時の前燕の置かれた立場は魏が成都包囲してるような情勢だったからな

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 22:18:10.93 ID:6poAoqcQ0.net
>>509
石勒の出自からしてこの二人はdisられるからね

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 22:21:22.61 ID:6UAtkhi/0.net
蛮族出身の奴隷とか乞食坊主の朱元璋よりスタートラインでは下かな

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 22:32:24.69 ID:zIKOpxPZ0.net
石勒は魏書だと馬賊になる前から戦闘スキル高めの設定になっていて
それにより部族の諸胡から信頼されていたように描写されてる
晋書載記の晋人と仲良しで苦労人な石勒とのギャップを感じるなあ

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/05(金) 22:41:26.13 ID:zIKOpxPZ0.net
と思ってたが載記でも「長而壯健有膽力、雄武好騎射」の記述は若年時にあったな
完全に勘違いだった

しかし石勒の父親は何をやらかしてこんなにも嫌われていたんだろうか

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 06:49:18.76 ID:STya+8StO.net
石勒の生き様が漫画化されたら汲桑が兄貴分みたいに美化されてめっちゃ人気出そう

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 08:18:47.70 ID:MeKLkyJ50.net
>>517
石勒=ガッツ
汲桑=グリフィス
だもんね。

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 09:08:19.06 ID:H+YHTZr10.net
>>518
勝手に十八騎を捧げるなよw

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 12:23:07.75 ID:Q7EVZnTF0.net
ゲス枠:屠伯

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 12:27:49.06 ID:Q7EVZnTF0.net
慕容とかは、慕容三代とかで小説やってみるといいかも

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 13:22:19.25 ID:KeX43lO30.net
ゲス枠って石勒の敵も味方もゲスしかいねーから
ヤクザ映画みたいなものだろ

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 15:25:39.99 ID:E6+gq9Yo0.net
劉淵がインテリヤクザで石勒がストリートチルドレン上がりの武闘派だからね。

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 20:10:20.68 ID:F/8JLKrJ0.net
内部抗争がほとんどだからな、石勒
まあ洛陽戦は盛り上がるけど、曹嶷とかいつの間にか滅んでいたりする奴は不憫だわ

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 20:17:45.19 ID:dIrxRI/b0.net
苟晞いなかったら普通に汲桑が一大勢力になってたのかもな

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 20:22:09.48 ID:F/8JLKrJ0.net
>>525
むしろ王彌・曹嶷の青州組が勢力伸ばしそう

二人の子孫が前燕の時代まで山に隠れてた話の信憑性は如何

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 20:32:22.31 ID:dIrxRI/b0.net
あぁそうか、王彌も苟晞に負けて勢い止められたんだったな
しかしまぁ大車輪の働きだな苟晞

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 20:39:55.07 ID:F/8JLKrJ0.net
どちらかと言えば王浚・祁弘(+鮮卑の騎兵部隊)主従が健在のままの方が石勒や王彌にとっては苦しかったと思う
たぶん前趙そのものが鮮卑に押し潰されてもっとカオスになってた可能性も

王浚勢力が健在だと慕容部の勃興もあり得なかっただろうから結構複雑な話なんだよな

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/06(土) 23:15:34.29 ID:STya+8StO.net
祁弘の死に方もあっけないな
霧で道に迷ったんだっけ?

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 01:21:32.21 ID:m92hGAvC0.net
乱視だから今までじゅんきだと思ってた

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 08:24:44.08 ID:rADxM0Qm0.net
>>529
@祁弘石勒を討つために廣宗まで派遣されるが途中で大霧に巻き込まれる
A兵を何とか道に戻そうとする
B石勒がなぜか霧中にいて遭遇戦
C石勒祁弘を斬る

三段階目がいろいろとおかしい
載記には記述無くてなぜか王浚伝にあるお話

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 09:32:33.51 ID:U1dbWmej0.net
五胡から唐代までは仏教が盛んだったけど
宋代になるとまた儒教一辺倒に戻ったがなんでや?

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/07(日) 23:58:41.11 ID:oLOKvu/Z0.net
ほうほうの体で南に渡った王(琅邪)と馬が天下を共にしようとしている傍らで
なぜか幽州から新王朝を立ち上げようとしているもうひとつの王氏(太原)

結構王浚ってロックじゃね?

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 18:57:23.06 ID:MprzXdSs0.net
どんな凡将であっても石勒相手になら一回くらいは勝たしてもらえそうな雰囲気がある

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/08(月) 22:25:17.51 ID:gfcZ5ohl0.net
袁世凱が袁術の末裔だったら面白いな
皇帝名乗っても全く支持されず不遇のうちに亡くなったところとか似てる

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 06:48:27.88 ID:3GdcF7kL0.net
祁弘がよくわからん事故で死んでしまったのは王浚にとっては致命的だったな
実際随分弱気になって石勒の偽降伏を喜んでしまった

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 07:31:11.02 ID:kHeB3k3Q0.net
石勒の「頭を潰せばそれで終わりや」みたいな戦い方がエグい

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 19:07:35.63 ID:kHeB3k3Q0.net
ケ羌が後漢のケ禹の子孫で苻堅がケ氏は名君(光武帝と自分)に巡り合えて幸運だな云々
と惚気るエピソードが十六国春秋にあったと思うんだけどケ羌ってそもそも漢人なのか?
変な名前だからてっきり異民族だと思ってたわ

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 19:49:14.69 ID:27O3RSlK0.net
萬俟、司馬、上官、歐陽、夏侯、諸葛、聞人、東方、赫連、皇甫、尉遲、公羊、
澹台、公冶、宗政、濮陽、淳于、單於、太叔、申屠、公孫、仲孫、軒轅、令狐、
徐離、宇文、長孫、慕容、司徒、司空

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 19:50:23.56 ID:27O3RSlK0.net
完顔阿骨打
ヤンキーの刺繍みたいだが人名でつ

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 19:57:14.01 ID:kHeB3k3Q0.net
>>540
漫画家だろ

それでも禿髪樹機能のインパクトには勝てん

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:22:04.55 ID:vsHKOblH0.net
郁久閭シャロン←お嬢様っぽい

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/09(火) 20:49:34.27 ID:lE3iL01f0.net
昔上古音を調べたとき
各のつく字の音が「グラク」みたいな感じで凄いエキゾチックだと思った

慕容恪をバヤン・グラクとか読むと凄い異民族っぽい

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 03:22:24.39 ID:K55wPQvKO.net
ころころ呼盧古

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 08:28:10.44 ID:3f++DnKH0.net
全盛期の漢の頃よりも魏のほうが遊牧民に対して優勢だったのは何でだろう
鮮卑、氐、匈奴、烏丸とほぼ総なめ状態だったな

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 11:22:40.67 ID:LbZ5neFn0.net
気候変動による大幅な人口減は異民族も同じなんじゃない?
とてもじゃないが住んでられないから中原に自分から移ってくるような連中までいたし

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 11:30:32.37 ID:2IcluBLG0.net
>>545
全盛期の漢は河西回廊を直接統治してたけど
曹魏の頃は涼州支配そのものが動揺していてそこを蜀漢につけ込まれたのはご存知の通り

匈奴に関しては前漢武帝期における漢・匈奴戦争によって匈奴帝国が事実上崩壊して以降の
ショボショボの匈奴しか相手にしてないので一概に曹魏が上とは言い難い

晋も八王の乱さえなかったらあそこまで異民族に一方的にボコられてなかっただろうし

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 15:34:25.27 ID:1kb6yiMf0.net
なぜ北魏は司馬炎や石虎が禍根を絶ってくれた(であろう)宦官制度を盛大に復活させたんだろう
宦官のせいで政治が乱れるくらいなら後宮に美女うん万人囲う方がはるかにマシだと思う

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 15:36:53.02 ID:LIeQ5w3q0.net
その後宮の美女を管理するには、、、、、

宦官使えばいいんじゃね?

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 15:49:44.52 ID:fATpCGpy0.net
>>547
後漢でも章帝の時代に北匈奴が滅ぼされて南匈奴は従属してたしね。
涼州の実効支配も和帝期に班超いた頃ぐらいしかできてなかったんじゃないかと。

西晋は八王の乱がなくてかつ皇帝が清並に名君ツモりまくっても、やっぱり胡人の殺戮チャンピオンズリーグを数十年遅らせるだけだったんじゃないかと。

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 15:50:40.76 ID:1kb6yiMf0.net
石虎みたいに女尚書や女武官を揃えれば解決や
拐ってきた女の子をちゃんと能力別でヤル用と事務用で選別してたらしい
女の子拐うのはどうかと思うが

女武官とか吉田沙保里みたいなのばっかだったんだろうな

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 15:50:58.46 ID:fATpCGpy0.net
>>549
宦官いないと皇帝や后妃の生活が成り立たないしな

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 15:57:56.32 ID:2IcluBLG0.net
>>550
班超親子が西域から撤退して以降後漢の涼州支配はガタガタになっちゃったけど
それでも前漢時代も含めれば相当長い期間統治はしてたぞい

西域まで足を延ばすのは曹魏では不可能だったと思う

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 17:56:38.68 ID:K0RH1Jtb0.net
石虎は宦官使ってたんじゃない?

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 18:20:12.83 ID:1kb6yiMf0.net
>>554
使うには使っていただろうが少なくとも権力持たせるようなことはしなかった

北魏は何でああなったのか

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 19:34:30.15 ID:3f++DnKH0.net
>>552
日本みたいに女官を使う手もあったんじゃない?

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 19:40:04.88 ID:frCBhxPa0.net
>>556
後宮の人数が桁外れで皇族や后妃の教師から護衛や衣食住までってなると女官のみじゃ限界あるし。
つか日本は古代は通い婚とかやってたからシモ関係はフリーダムなんじゃないか。

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:05:31.00 ID:PrFZ6HS40.net
>>557
司馬炎の後宮の一万人って女官入れての規模らしいから女だけで何とかなりそうじゃね

それはそうとして司馬炎ってそこまで子供多くないんだな
楊艶だけで六人生んでるみたいだし誰彼構わずという感じでもなさそう

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:11:55.33 ID:frCBhxPa0.net
司馬炎の後宮一万人って自身の性欲処理とか子供って名前のスペアを量産するとかって目的より権威拡大の手段の一つだもんな。

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:38:27.48 ID:j+8KRRNZ0.net
女が女を管理なんて無理がある

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/10(水) 20:54:08.55 ID:SksMkTF70.net
>>558
玄関に盛り塩して笹飾ってる女の所ばかり行く事になるからそうなるな

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 00:31:33.90 ID:CawzvX3F0.net
東ローマでもイスラムでも一番高価なのは美少年の奴隷(去勢済み)

>>560
でも大奥って男子禁制だったことない?男で入れるのは将軍だけだったし

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 00:43:22.74 ID:GUIyUJFN0.net
>>557
限界なんてねえ 為せば成る

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 05:52:10.70 ID:F83wtkAR0.net
>>562
苻堅は間違ってなかったんやなあ

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 06:47:09.33 ID:dG/pG9Xp0.net
                   ,=]:::::::::::: ̄::::::::::::‐...、
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       /.'´ .l::l::::::::,:匕´l::i': : : :l:::::::/: |l.-‐,,,,'i;/ョョョュ.}:i|:::::::::::::::::l::::::::::::::l      符堅陛下!何度も言ってるでしょ!
          l:l:::::::/i:|/: :;匕ニ、 :'l;:::/: : ! "'l/l///l/}.リ|ll:::::::::::::::::::l::::::::::::::l     姉弟丼はやめなさいって
         .l:l:::::/:::i,rチマ;l//ヘ : :V: : : : :. い ; ;.! | :' l:::::::::::::::l::::|::::::::::::::|
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         .|:::|:::::::::::::::|‐-‐'´   ヽ    ` ´   |::::::::::::::::::|::|:::::::::::::::|     下半身は鬼畜なのね……!
         .|:::||:::::::::::::::l                .|:::::::::::::::::;l|:|:::::::::::::::|
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          ヽ  ';:::ハ|:::!‐''ニニ''r'''l'-‐   ``"''‐ 、,´.'´ `ヽ、::::::::::|::::',

【王猛】

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/11(木) 06:54:14.16 ID:F83wtkAR0.net
王猛は諫言してると見せかけて
「もっとアタシを見て」的な嫉妬心と虚栄心が見え隠れするのがヤンデレ度高い

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/12(金) 06:33:35.87 ID:fdFBCvGJ0.net
仮に王猛が三国時代に生まれていて劉備に仕えていたとしても
劉備みたいに自分で戦略考えるマンだと王猛の持ち味は生かせなかっただろうな
王猛はどちらかと言えば曹操と相性が良さそう、口の悪さと譜代の連中と大喧嘩するという欠点を除けば

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/12(金) 07:46:20.52 ID:ErG0UN5G0.net
符堅ほどじゃなくても曹操もなかなかフリーダムな下半身だしな

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/12(金) 08:25:07.49 ID:E80mK55R0.net
曹操の陵墓発見の手がかりになった後趙魯潜墓誌の魯潜さんだけど
太僕卿だったらしいから石虎時代のギョウにおけるビックリ建造物とか女騎士の装備とか作ってた責任者に当たるんだろうな

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/12(金) 22:26:53.23 ID:e7SZIgiy0.net
魏・呉・蜀→晋が統一
北周・北斉・陳→隋が統一
宋・遼・西夏→元が統一

なぜなのか?

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/13(土) 09:02:17.31 ID:qi6lRcFw0.net
>>570
楊堅は司馬炎の三倍ぐらい棚ボタ
宇文憲、尉遅迴、韋孝寛等々の格上面子が次々と退場した上に
暗愚な宣帝と幼弱な静帝というボーナスステージ
臣下にも恵まれるなど歯車の噛みあい方が素敵

とりもなおさず宇文憲をあっさり殺せる宣帝の頭の悪さが一番ヤバイな
宇文憲が簒奪系な人物だったら宇文護誅殺の時点で我が身可愛さにすでに叛乱しとるだろうに

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/13(土) 10:48:52.70 ID:Bj1YZReL0.net
>>571
おまけに敵の陳も後主が超絶暗君で弱体化していたしな

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/13(土) 11:07:06.62 ID:qi6lRcFw0.net
文字通り「暗君乱立」だわ

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/13(土) 13:52:01.42 ID:WNSYjnVB0.net
後趙は解飛とかいう人が建築に携わってたをやじゃなかった?
事故があって石虎に殺されてたような気がする

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/13(土) 13:58:09.69 ID:WNSYjnVB0.net
>>574
石虎に処刑されたのは成公段とかいう別人でした

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/13(土) 17:44:16.75 ID:xGene7yx0.net
後趙って本当に悪役だな
誉めてる記述があんまり無い

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/13(土) 20:01:47.14 ID:JsPUToXnO.net
国のイメージカラーからして水徳の黒だもんな

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/13(土) 20:57:22.25 ID:0NORJq5b0.net
三国時代で言えば黒山賊とか韓遂とかサク融みたいなのが間違って途中で曹操殺しちゃって代わりに華北で王朝開いちゃったようなパターンだからな
間違いなくNG出る展開

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/14(日) 05:20:15.58 ID:z4mr4LbZO.net
サク融も仏教徒だったな

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/14(日) 07:42:51.38 ID:4WJydlRn0.net
その後趙にほぼ勝ててない東晋(祖逖を除く)
局地的とは言え前燕や前秦相手には勝ったことあるのに

祖逖を憤死させる元帝の無能人事
あれさえなかったら普通に石勒は河北から出てこれなかったと思うわ

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/14(日) 07:56:05.31 ID:lgyIGe100.net
>>576
資治通鑑の胡注は好意的だった気が

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/14(日) 10:42:00.46 ID:dcocn5fK0.net
>>580
祖逖が名将だったので元帝の無能人事に文句言いたくなるのもわかるが
俺は内ゲバで無能の諸悪の根源の王敦のせいかなと感じている

あと祖逖の後を継いだ弟の祖約のクズで無能ぶりにも目を向けよう

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/14(日) 13:56:26.15 ID:4WJydlRn0.net
世説新語徳行篇の祖約がキレイな祖約過ぎて吹くわ
祖逖みたいに幼年期の学業放棄してた感じでもなさそうだし

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/14(日) 14:09:33.05 ID:4WJydlRn0.net
しかし東晋が祖逖生存時に確保できていた豫州・エン州南部までその後も保持できてたら
その後の情勢もだいぶ違ったんだろうな
青州の曹嶷は内応仕掛けたら転んでくれそうだし
河南の李矩たちも結構持ちこたえてくれた可能性が高い

豫州あたりの人間にとっては祖逖>石勒だけど、石勒>東晋だったということなんだろうか

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/14(日) 16:55:48.51 ID:fQevGwAx0.net
石勒の懐柔策で「石勒も悪い人じゃないよね」と祖逖が生きてるうちから豫州の人達に印象づけてたのが活きたっぽい
あっさり取り返せたからな

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/14(日) 17:08:13.41 ID:Eyo/4LHA0.net
不良が雨の中野良猫にエサをあげるアレか
それを見てた他の学生が「○○君は不良に見えて実はいい人なんだ」と感動して勘違いするパターン

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/15(月) 08:32:07.80 ID:q3EK7jZj0.net
戦略的な話になるが
綱渡りな選択肢を常に最適解に導いた石勒・張賓コンビは実際のところ評価するの難しいよな
一歩間違えたら滅亡やむなしのハイリスク・ハイリターンのオンパレード

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/15(月) 09:21:00.65 ID:OJbMAefU0.net
成功すればそれでええんちゃう。他に確実な手段があったわけでもなし

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/15(月) 12:02:18.43 ID:EYHHMHIx0.net
対代・劉琨と対王浚の張賓の献策は実に的確だった
特に対王浚で病床から「二旬(20日)で滅ぼせる」と断言したとこがかっこいい

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/15(月) 12:09:25.85 ID:q3EK7jZj0.net
後趙は国家の態勢としては余りにも敵が多すぎて四周全部敵に囲まれたのは宜しくなかったと思う
拓跋部と段部ですら敵ではないけど味方でもない程度だったわけだし
禅譲強行して圧政強いた曹魏よりどん詰まっているわ

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/15(月) 17:49:59.22 ID:LBtRi+rR0.net
>>589
中国史全体で見ても上位に入る謀略だと思う

諸葛亮に足りなかったのは石勒のこういう際どい戦い方なんだろうな
・・・・他の誰も真似できそうにないけど 無理してする必要もないだろうし

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/17(水) 00:05:19.40 ID:weYbO3c80.net
五胡十六国で唸らされる戦いを列挙するとしたら
後趙が好きな人、慕容部が好きな人、東晋が好きな人で意見別れそう

個人的には王猛の対前燕戦役がトップ

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/17(水) 02:44:10.78 ID:GpUJlKZtO.net
謝艾すき

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/17(水) 17:47:19.54 ID:3eCCuDZZ0.net
記憶に残る戦いが多いのは慕容垂
→枋頭の戦い(369年)、襄陽攻囲戦(378〜379年)、?水前哨戦(383年)、平城攻略(396年)
参合陂で親征しなかったのだけは痛恨のミス(病気説あるけど)

?水前哨戦で荊州行って桓沖を撤退させた後に間髪入れずに豫州行ったり機動力半端じゃなさすぎるだろ

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/17(水) 19:02:42.01 ID:43gd6rrS0.net
終戦時の米大統領トルーマン

「猿(日本人)を『虚実の自由』という名の檻で、我々が飼うのだ。スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を解放すれば、真実から目を背けさせることができる。」
https://twitter.com/toka iama/status/765657758196637696


◆「得票0に疑義」と提訴 参院選でJAM組合員
http://www.sankei.com/affairs/news/160809/afr1608090021-n1.html


実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。三宅洋平の得票では、

豊島区ではなんとゼロ票 
               中央区ではゼロ票。
                          江東区ではゼロ票、
                                      荒川区ではゼロ票 
                                                足立区ではゼロ票 
                                                           通常、こんなことは考えられない。

慶応の学生です。大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにム サシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。


ヘルマン・ゲーリング

「国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、
 平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしてると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」
https://twitter.com/neko_aii/status/765532497778139138

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/17(水) 20:01:59.85 ID:GpUJlKZtO.net
晩年も拓跋虔を破ってるのがカッコイイ

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/17(水) 22:22:08.25 ID:3eCCuDZZ0.net
十六国時代は一度の会戦で国境ラインが大きく変動すること多いけど
三国時代はあんまり変動しなかったのが不思議
合肥〜寿春付近、西陵付近で何度か交戦してるのに大勢に影響あんまり無い感じ

まあ十六国の頃の豫州とか徐州とか人住んでいたか怪しいくらい興廃してそうだからなあ
それに比べたら魏呉ともに国境にかなり兵力ベタ張りしてたんだろうか

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/17(水) 23:14:50.36 ID:3eCCuDZZ0.net
前秦も前燕も桓温に、それも4万〜5万程度の兵力で首都まで攻め上がられていて
防衛体制がガタガタ過ぎる印象を受ける
桓温が攻城戦を厭わない性格で物資をガンガン前線まで投入できるくらい東晋が本気だったら
多分354年も369年もどっちも首都落ちてたような気がする
桓温が攻城戦で消耗するのを避ける性格(それと東晋の台所事情)だったのが幸いしたか

城攻めで長期滞陣を厭わない慕容恪はやっぱり変わり者だなあ
精鋭騎兵で会戦するのが得意と見せかけておいて物量で押し切る戦い方もできるってのは柔軟性高い

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/17(水) 23:38:52.23 ID:DzqnVU7d0.net
肥水の戦い前に群臣たちがネチネチ猛反対してたけど
383年に先に東晋に侵攻された時点でもう苻堅の考え方の方が大正義だよな

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/18(木) 10:57:40.09 ID:pgBQAcaW0.net
俺は国境を固めとけばいい派だなー

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/18(木) 18:42:26.14 ID:8PJANe920.net
でも姚萇とか慕容垂とか苻融とかそこそこの指揮官いるのに飼い殺しって勿体なくね?
慕容垂あたりは羊コとか杜預みたいに滅晋の上奏してきそう

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/18(木) 23:14:56.74 ID:pgBQAcaW0.net
>でも姚萇とか慕容垂とか苻融とかいるのに

まさにそれが動いちゃいけない理由やろ

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/19(金) 03:07:07.35 ID:gVuhrV+60.net
歴代帝王の在位期間 (年数が同じ場合は同順とした 一部文字化けのため諡号を削除してます)

@ 清 4代 聖祖康熙帝(1661年 - 1722年) 61年
A 清 6代 高宗乾隆帝(弘暦、在位1735年 - 1795年) 60年
B 周 37代 赧王(姫延、在位紀元前315年 - 紀元前256年) 59年
C 周 5代 穆王(姫満、在位紀元前977年? - 紀元前922年?) 55年
D 前漢 7代 武帝(劉徹、在位紀元前141年 - 紀元前87年)54年
E 周 13代 平王(姫宣臼、在位紀元前771年 - 紀元前720年) 51年
F 遼 6代 聖宗文武大孝宣皇帝(文殊奴、耶律隆緒、在位982年 - 1031年)49年
G 周 35代 顕王(姫扁、在位紀元前369年 - 紀元前321年)48年
G 明 14代 神宗万暦帝(朱翊鈞、在位1572年 - 1620年)  48年
I 梁 初代  高祖武帝(蕭衍、在位502年 - 549年)  47年
J 周 11代 宣王(姫静、在位紀元前828年 - 紀元前782年) 46年
J 北宋8代 道宗仁聖大孝文帝(査剌、耶律洪基、在位1055年 - 1101年)46年
L 周 26代 敬王(在位紀元前520年 - 紀元前476年) 45年
M 明 12代 世宗嘉靖帝(在位1521年 - 1566年)45年
N 唐 9代 玄宗至道大聖大明孝皇帝(李隆基、在位712年 - 756年)44 年
O 北宋 4代 仁宗(趙禎、在位1022年 - 1063年) 41年
P 蜀漢 2代 後主(劉禅、在位223年 - 263年) 40年
P 南宋 5代 理宗(1224年 - 1264年)40年

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/19(金) 13:08:17.34 ID:IYPe2V760.net
>>602
結果的に大敗したけど別に慕容垂も姚萇も朱序のような背信はやってない
異民族に対する信頼度の低さは南征を控える理由にならんだろ

苻堅指揮下の有力な将軍の出自なんて
ケ羌(漢人・安定ケ氏)、張シ(不明)、楊安(テイ、仇池王族)、王猛(漢人・北海王氏)、
姚萇(羌族)、慕容垂(鮮卑)と外様が大半
おそらく略陽のテイ出身なのって梁成、苟萇、呂光ぐらいなのでは?

王猛は苻堅の寵愛をいいことに姚萇と慕容垂の粛清を訴えていたけどお前も略陽の苻氏からみたら
部外者でしかないだろと言いたい

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/19(金) 18:05:18.38 ID:0m1WFYo+0.net
東晋だと桓温、劉裕とかが小説で向いてそう。桓温、劉裕ともに配下は個性派ぞろいだし。桓温は軍事のライバルは事欠かないが、劉裕はそういうのが、あまりいないのがなあ

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/19(金) 20:37:10.75 ID:9L5k0QWh0.net
桓温は苻雄や姚襄、慕容垂とか当代一流相手に普通に戦いに行って局地的に勝ったりしてるからな
劉裕は慕容徳や姚興といった一線級が退いた後の北伐だからどうしても棚ボタ感が強い

しかし一番北まで突き抜けたのは劉牢之という罠

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/19(金) 21:20:09.87 ID:3lakjAvv0.net
>異民族に対する信頼度の低さは南征を控える理由にならんだろ
ええ・・・(困惑)

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/19(金) 21:47:22.94 ID:IYPe2V760.net
>>607
困惑しているのはこっちだよ
有力将軍が外様ばかりの苻堅軍で何を言っているのかと
前燕すら攻撃できなくなるぞ

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/19(金) 21:53:00.99 ID:WzTqN3ae0.net
てす

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/20(土) 03:45:51.49 ID:95eeyop70.net
最近中国ドラマ見てこの時代のこともっと知りたくなったから、
興味持てるようになんか面白いエピソード教えて

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/20(土) 07:27:24.32 ID:fFR8Hobn0.net
@自らチンコもぎ取る「萬人敵」張シ
Aチンコの腫物が破れて失血死する後秦武昭帝
B薬物中毒で若死にした東晋哀帝、嫁さんも同時期に死んでいるから多分ヤク決めセックス常習者

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/20(土) 11:39:21.55 ID:Idl+09XAO.net
苻登の人肉部隊怖すぎるわ

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/20(土) 11:44:23.57 ID:fFR8Hobn0.net
42人も子供産ませた性豪 姚弋仲
そりゃ石虎とも気が合うわ

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/20(土) 19:35:55.07 ID:3VLFyrvA0.net
>>610
主人公候補その1→奴隷から成り上がった虐殺大好きな復讐鬼、戦ったら殺す/降伏してきても埋める
主人公候補その2→戦争の天才だけど帝である兄の死に伴い甥の即位後宰相職も兼任するはめになって実質過労死
主人公候補その3→旅の途中で宿を求めてきた尼僧の風呂を覗きに行く朝廷の軍事責任者
主人公候補その4→ペドフィリアとバイセクシュアルを国中に知られた十六国一の名君
主人公候補その5→上記名君を支えたスーパー宰相、政治謀略戦争何でもござれ、ただし性格はゲロ以下、嫉妬の固まり・ヤンデレ
主人公候補その6→頭のネジが外れたギャンブル中毒同然の上流貴族、主人公候補その3とその4を社会的に抹殺、世間の評価は雅風に優れる……どこがだよ
主人公候補その7→一度は滅亡した部族の復興を目指す少年遊牧民、周辺の国が殺し愛をしてたお陰で棚ボタ的に華北統一への端緒を築く、一応実力はある
主人公候補その8→チベット系羌族の統率者だが見た目は冴えない上に能力も父親や五番目の兄には遥かに劣っていてそれがコンプレックス、低スペック野郎の星
主人公候補その9→建築と手工業を奨励するのが好きな十六国一の暴君、とは言えその3が名君と言われる世界での基準だが
主人公候補その10→吉川忠夫先生の『劉裕』を読んでください

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/20(土) 19:55:58.42 ID:3VLFyrvA0.net
主人公候補番外編その1→所属した国を二度も滅亡に導いた梟雄中の梟雄、事あるごとに野心家扱いされ逆ギレして出奔とか反乱とか
戦争には鬼のように強いが緒戦では驚くほど役に立たなかったことが少なくとも二回あり、その二回とも戦後二年以内に首都失陥の憂き目
史書の脚色が得意、気がつかないうちに喋っていないセリフが追加されることも(後世あまりにも脚色がキツくて修正された)

主人公候補番外編その2→貴族でチャラ男でエリート官僚というこの時代だとどうみても主人公候補たちの噛ませ犬みたいなキャラ設定
一度は崩壊した部隊を建て直し100万とかいうあり得ない大軍団による侵攻を撃退して中国史に残る大逆転劇を成し遂げた最大の功労者
展開が熱血スポ根作品みたいでキャラに全く合ってない
本質的に貴族主義万歳野郎なので民族融和とか平等主義とかが理解できない

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/20(土) 19:57:26.14 ID:0CzSCnxA0.net
祖逖、劉曜は主人公だと弱い気がする。ライバルキャラでこそ光る。
姚襄は…あの人望とかは主人公クラスなんだが、宮城谷の爽やか描写でキレイに仕上げてもらうといいが

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/20(土) 20:05:44.02 ID:3VLFyrvA0.net
>>614
自分で書いていて思ったが三國志の曹操、劉備、孫権よりはまともな人格の人間が多い気がする
人格ヤバイのは石勒と赫連勃勃と王猛ぐらいだろう

石勒、慕容恪、慕容垂、桓温、王猛、拓跋珪、劉裕辺りは曹操にも勝ちそう
石勒あたりは暗殺してでも勝ちにいきそう

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/20(土) 20:07:57.92 ID:3VLFyrvA0.net
逆に姚萇は三國全員に負けそうな危うさを秘めている
姚萇だから仕方がない

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/20(土) 20:48:40.61 ID:trsodobN0.net
中国ドラマって馮太后あたりかな
五胡十六国時代も末期と言うか体感的には南北朝時代

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 01:34:59.42 ID:4sCLQBLd0.net
>>614
どれもすごい面白そう
ちゃんと読めるとこある?
誰か詳しく教えておくれ

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 02:26:33.25 ID:6YAe1tLY0.net
孝文帝が洛陽に遷都した当たりから真の「北朝」って感じ。

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 03:53:34.32 ID:8NBUXElv0.net
>>616
劉淵が若ければ主人公格なんだけどねぇ。創作だと阿斗ちゃんの息子か孫って設定にされたりするし。

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 08:43:46.04 ID:6JEV98mo0.net
>>620
主人公候補その1 石勒(後趙明帝)
『晉書(載記)巻104〜巻105』
主要なライバル
@王彌 『晉書(列伝)巻100 王彌伝』
A王浚 『晉書(列伝)巻39 王沈伝附伝王浚伝』
B劉コン 『晉書(列伝)巻62 劉?伝』
C祖逖 『晉書(列伝)巻62 祖逖伝』
D劉曜 『晉書(載記)巻103』

虐殺者、腐れ外道として紹介したが史書での石勒に対する評価は概ね好意的なものになっている
主要なライバルには漏れたが『晉書(列伝)巻63 李矩伝・段匹テイ伝』もできれば押さえておきたい
和訳については漢詩サイトの『たけのこ−詩解』さんのところで石勒や劉曜の載記は読める
可能であればwikisourceで直接原文に当たってもいいかもしれない

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 09:51:55.21 ID:6JEV98mo0.net
>>620
主人公候補その2 慕容恪
『晉書巻109 慕容?載記』
『晉書巻110 慕容儁載記』
『晉書巻111 慕容イ載記附伝慕容格伝』
主要なライバル
冉閔 『晉書巻107 石季龍載記附伝冉閔伝』

前燕最強の将軍・宰相
防衛戦・追撃戦・伏撃・攻城戦・大規模戦役……何でもできる戦争の天才
政治面では寛容的・妥協的過ぎたため後々禍根を残すことになる
なお桓温は慕容恪が生きている間は決して正面決戦しようとしなかったほどその軍才を恐れていた模様

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 10:14:43.78 ID:6JEV98mo0.net
>>620
主人公候補その3 桓温(東晋大司馬)
『晉書(列伝)巻98 桓温伝』
『桓温から謝安に至る東晋中期の政治 −桓温の府僚を中心として− 金民壽』
『東晋中期の貴族政治と江南豪族社会 −桓温・謝安の政治をめぐって− 李済滄』
『桓温の「省官併職」政策とその背景 川合安』
『世説新語』においては主役の一人

主要なライバル
@成漢 李勢 『晉書(載記)巻121』
A東晋 殷浩 『晉書(列伝)巻77』
B前秦 苻健 『晉書(載記)巻112』
C羌族 姚襄 『晉書(載記)巻116』
D前燕 慕容垂 『晉書(載記)巻123』(ただし両者が戦ったのは『晉書巻111 慕容?載記』
E東晋 謝安 『晉書(列伝)巻79』

真面目に調べ始めると泥沼にはまる東晋中期の代表的な政治家・軍人
会稽王司馬cとの関係とか権力構造とかいまだに解明されていない部分も多い
主役というよりは魅力的なピカレスクヒーローの方が向いていると思う
あと嫁さんが怖い

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 10:50:41.09 ID:UjgPO0+00.net
                  ト、‐- 、              , - ―.ォ
                       |: \  \         / /: : :.|
                      l: : : ヽ  `   ̄ ̄  ´  /: : : : /
                  ': : /              \: : /
                     У ,               `く
                     / /                 ヘ ヽ     ボクこそ主人公に相応しいよね!禽獣のような蛮族に文明を教えたのだから!
                 / /  γ::o,      γ::o,  ハ  ヽ
              ,、  /  i   ヽ::ノ        ヽ::ノ  .i  ヘ‐- 、__
              ヽ\,    、      、 _  ,      /   ヘイ/,> ,
                 ヾ_」   /\.      `´` ´     /ヘ   /イ     >、
              / ヾ,.、 λ  `ー‐ァ----  r一 '   入/"   i\       \
         __ /    `>く}ヘ    /     ヘ   /厶へ     \__   ヽ
     , -‐" =      /  `´    i       | /      \        =二ァ
      ̄フ二__二, _・ /           j       l'        `ー-`、_三――"   ’
          /  ̄          /   |  /   ヽ、            ̄     /
  , -、     /             / 、|  | ,    ├‐- 、                 |
  ({      ./                |  ヘ |.i  /  |   `              丿
  ヾー--‐' ´           ,> ' ̄ ̄|  ハ l.| {  .j                /
   `ー-  ___ > '       ヽ  i | |  ノ   人                /

【崔浩】

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 11:15:20.99 ID:6JEV98mo0.net
>>620
主人公候補その3 苻堅(前秦宣昭帝)
主人公候補その4 王猛(前秦丞相)

参考文献は小説で『苻堅と王猛(小前亮)』が出版されているので
最初はそれから入った方が楽、姚玲に萌えろ

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 11:28:55.90 ID:6JEV98mo0.net
>>620
番号ずれてた
主人公候補その6 謝安(東晋太保)
『晉書(列伝)巻79 謝安伝』
『世説新語』の実質的な主人公だと思う

主要なライバル
@桓温(前述)
A苻堅(前述)
B司馬道子『晉書(列伝)巻64 簡文三王』

桓温の簒奪の野望を挫き苻堅の南征を?水で破砕したことにより、陽夏謝氏を南朝きっての名門に押し上げた剛腕政治家
桓温の改革路線を後退させた、余りにも貴族主義的などと否定的な評価も多い

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 11:44:53.04 ID:6JEV98mo0.net
>>620
主人公候補その7 姚萇(後秦武昭帝)
『晉書(載記)巻116』

主要なライバル
@苻丕『晉書(載記)巻115』
A苻登(同上)

苻堅に滅ぼされた姚襄の弟、前秦に降伏した後は苻堅の忠実な将軍として各地の遠征に活躍した
肥水の敗戦後、反乱を起こした慕容泓の鎮圧に苻堅の息子である苻叡とともに出陣した際に
姚萇の忠告も聞かずに猪突猛進した苻叡があっさり戦死
その報告と弁明の使者を苻堅に送ったところ使者が瞬殺されてしまい自分も粛清されると恐怖した姚萇はそのまま自立
その後前秦と戦争を続けて、苻堅を自殺に追い込み長安を占拠する等後秦の礎を着々と築いていったが
前秦の滅亡には至らず、最終的には苻堅の亡霊に悩まされ陰嚢が腫れ上がり出血、失意のまま死亡する
384年以前は村人A並みの存在感だったが384年から393年に亡くなるまでは前半生とうってかわって大活躍する

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 12:12:09.81 ID:KS9QN9tu0.net
劉淵は石勒、劉曜の指標的な存在で必要だな。 もしくは、劉淵の視点で八王の乱から五胡の始まりを描いていくのも面白そう

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 12:30:53.12 ID:6JEV98mo0.net
また番号ずれた
主人公候補その7 拓跋珪(北魏道武帝)
『魏書(帝紀)巻2 太祖紀』

主要なライバル
@匈奴鉄弗部 劉衛辰
A柔然、高車、庫莫奚等の遊牧勢力
B後燕成武帝 慕容垂

北魏は官名とか人名とか独特過ぎてとっつきにくい

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 12:35:50.37 ID:6JEV98mo0.net
>>630
石勒主役に持ってくるなら劉淵の存在は避けては通れない気もするけど
どっちかと言えば石勒と劉聡の関係をどう整理するかの方が重要だと思う
どこまで互いに疑心を抱いていたのか、あるいは親密だったのか

石勒自立時の発言を見ていると実はそんなに険悪だったとも思えんのよね

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 12:46:28.60 ID:6JEV98mo0.net
主人公候補その9 赫連勃勃(夏武烈帝)
『晉書(載記)巻130 赫連勃勃』

主要なライバル
北魏道武帝 拓跋珪

迷惑をこうむった方々
@後秦文桓帝 姚興
A劉宋武帝 劉裕

統万城建設の逸話や殺戮や謀略を好んだ性格のため暴君扱いされることも多いんだけど
明らかに石勒より殺してないと思うんだよなあ……
父親は拓跋珪に討たれた鉄弗部の劉衛辰、頭おかしいのは明らかに遺伝

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 13:09:44.30 ID:6JEV98mo0.net
主人公候補番外編その1 慕容垂(後燕成武帝)
『苻堅と王猛(小前亮)』でも準主役みたいな待遇で登場、人格者っぽい
しかし載記読んでみると発言は兎も角行動が梟雄過ぎてヤバイ
正史劉備よりも危険な狂犬

主人公候補番外編その2 謝玄(東晋車騎将軍)
『晉書(列伝)巻79 謝安伝附伝奕之子玄』

謝安の甥で桓温の大司馬府時代の府僚、その後は桓温の弟桓豁の征西府で司馬を務め
377年に北府軍団を統べる建武将軍、監江北諸軍事、?州刺史、廣陵相として着任
北府軍団はおそらく桓温が369年の枋頭の敗戦で結構損害を受けていて、謝玄が北府軍を
編成したという評価も敗戦からの立て直しの側面を評価したものだと考えられる
野球名門校から底辺校へと転校してきた元エリート球児が廃部寸前の野球部を立て直して全国大会に挑むノリである
そこから379年の彭城での戦い・383年の洛澗での戦い・同年肥水の戦いと前秦相手に三タテする
実績だけだと主役適正十分なのだが……
性格が派手好き、出世志向強すぎ、釣りが趣味、親父がアル中等あんまり主役に宜しくない
料理の仕方次第だとは思われるが……桓温から上手にバトンタッチするようなストーリーが描ければ面白いかもしれない

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 13:12:40.07 ID:7PgmtTnT0.net
>>631
ゲンジバンザイが初登場するしね。

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 13:19:00.90 ID:6JEV98mo0.net
ここまで書いておいてアレだが
漢文読めるのであれば『資治通鑒(胡注)』が一番分かりやすいと思う

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 14:37:09.72 ID:wzpJmWbb0.net
まあ、この時代に関しては軸になる小説が必要かなと思う。軸になる小説があって、さらに枝葉として変化球のような人物を主人公に据えることもできそう
前趙で育った経験ある司馬勲とか、粗狂と評された司馬楚子とか個人的にいいかもと思う

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 21:33:43.84 ID:vlWHLbIG0.net
小説とかよりはゲームとかの方が面白そうだけどな

ただ普通のSLGにしてしまうと途中で滅亡した後趙とか350年以降武将が出てこなくなって自動的に詰みそう
周辺侵略して武将狩りだーッ!……あれ、これが徙民……?

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 21:39:20.76 ID:uwl89RpF0.net
・八王の乱〜後趙の河北制覇
・後趙崩壊〜ヒ水の戦い
・桓玄簒奪〜劉裕の北伐

という感じにシナリオを分ければええのよ
実際、前秦苻堅以前と以後で、華北も華南も勢力図の変遷ガラッとかわるんやし

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 21:44:52.76 ID:KS9QN9tu0.net
>>637
訂正
楚子→楚之

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 21:59:19.24 ID:KS9QN9tu0.net
姚萇は苻堅に殺されるという恐怖から、後秦を作ったわけだが、それがなかったら忠実に仕えていただろうか?でも、それだと尹緯とかの出る幕ないし。
苻堅の元に、姚萇、寶衡、楊定、苻登、呂光らがいる状態なら、後燕と勢力を二分するとこまで持ち直せる可能性は十分あると思うが

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/21(日) 22:16:01.07 ID:6JEV98mo0.net
>>641
関中で頽勢を挽回できれば冀州で苻丕が持ちこたえることができるようになり
もしかしたら慕容垂の方が東晋に降るアナザーストーリーが生起したかもしれない

慕容垂が中山に首都置いた理由はギョウが余りにも疲弊しすぎたのと
東晋の北伐と言う脅威があったからだと思ってる
まあほかにも拓跋部との連携とかいろいろあったとは思うが

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/22(月) 20:52:30.15 ID:0p44lO+n0.net
>>626
ゲルマン人に支配されるローマ人
五胡に支配される漢人
トルコ人に支配されるアラブ人・イラン人

蛮族を傭兵として雇ったはいいが
今度は自分たちが支配されるケースはよくあるよね
歴史は繰り返すって本当やわ

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/22(月) 23:17:06.09 ID:vMyuxmcd0.net
苻堅(と言うか苻氏一家)は意外と図讖が好きっぽい
王猛が遺言で図讖に関する学問禁止とまで諌止してるというのに…

何と言うか失敗した光武帝みたいなものか

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/23(火) 09:50:10.21 ID:46FWDbrK0.net
慕容翰って最期が悲劇的だから、イメージが美しい感じがする
でも、戦歴は30〜40年くらいあるんだよな。ほぼ、第一線で活躍してるし 父が生きてる時は本当に主柱並みな働きぶり
そりゃ、慕容コウが嫉妬するわけだ

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/23(火) 12:24:05.47 ID:+9BTrbL90.net
慕容翰の功績で大なのは
どちらも出戻り後になるけど宇文部滅亡と高句麗制圧の二つだたと思うんだな

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/23(火) 16:49:35.69 ID:Xd7j5vWF0.net
>>641
後燕は参合陂のわずか一戦でガタ来ちゃうハリボテ国家だからなあ
前燕は1,000万の戸籍人口を擁していて最大40万の動員が可能だったけど後燕はその四分の一すら掌握できてなかったのではなかろうか?
少なくとも5万の野戦兵力損害受けてその後立て直せない状況というのは相当ヤバい

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/24(水) 00:29:15.44 ID:DuyfRZs50.net
思い出建国みたいなもんやし

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/24(水) 00:54:04.17 ID:Sh04np6G0.net
慕容農、参合陂までは名将と言ってもいい活躍してたのに、なぜに参合陂以降はポンコツになってしまったのか
別人入れ替わったかのようなダメダメぶり

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/24(水) 17:37:37.01 ID:q7ZtjoYe0.net
>>649
慕容農クラスはこの時代の名将には入れれんでしょう
インフレが加速する

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/24(水) 21:36:55.02 ID:q7ZtjoYe0.net
>>644
自レスになるが
苻堅が五将山に逃げ込む際にも讖書を口実に行動している
胡注では苻堅のこの行動を「最初は図讖を禁止していたというのに、その?倒錯繆の何と甚しいことよ」とバッサリ

苻堅も図讖に頼らないとやってられない事情でもあったのだろうか

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/24(水) 22:01:11.79 ID:q7ZtjoYe0.net
386年3月に北伐中であった謝玄が朝廷に対して
朱序で梁國を保持し自らが彭城に鎮して「北固河上西援洛陽」する旨の意見具申をしているが
この戦線整理の消極策ですら当時の東晋政権首脳部(司馬道子たち)は蹴っている

この時点で既に東晋政権の正統性というやつは大きく動揺してしまっていたのではないのだろうか?

たとえば北伐による中原回復を訴えて、たとえ一部であっても成功させるような人間が出てきてしまったら
その人間の方が司馬家よりも江南政権の盟主・庇護者に相応しいという流れになってしまうからだ
ただでさえ幼弱な君主が連続している司馬家にとっては自分たちの政権の正統性がゆらぐようなアクションは
たとえ本音はどうであってもとるべきではなかったと思う

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/25(木) 19:33:05.47 ID:vrgDa9zZ0.net
やっぱ中国を一代で統一しようと思ったら
劉秀や朱元璋、毛沢東くらいのやり手じゃないと厳しいのかね

李世民や趙匡胤の場合は前任者のお陰で地盤が固まってたし

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 18:54:25.88 ID:+vY/LtQb0.net
>>653
劉秀ぐらいの立ち回りの上手さがないとなかなか難しいよな
兄貴の粛清に際しては「私は無関係です、兄貴は屑だから喪も発しません、赦してちょんまげ」
赤眉の西進は華麗にスルー
更始政権の一員でありながら更始と赤眉の交戦では洞ヶ峠、幸先よく更始帝死亡
関中地域が疲弊して赤眉軍がギブアップしたところで本腰入れて平定開始

正直石勒に匹敵する冷徹さの持ち主だと思う

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 20:28:47.09 ID:DIRctH+e0.net
石勒「光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう(キリッ」

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 21:15:56.94 ID:DIRctH+e0.net
フン族が黒海北岸に侵入したのが375年頃だけど
冉閔が支那で南匈奴らを虐殺したのが350年だから
冉閔の虐殺を逃れた南匈奴とかがフン族なのかも

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 21:40:25.36 ID:gsHvqDQw0.net
>>656
鐵弗部とか独孤部とか賀蘭部とか普通にオルドス一帯に居座り続けていたぞ

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/26(金) 22:44:45.12 ID:+vY/LtQb0.net
石虎、呉漢という虐殺・略奪大好きな騎兵部隊の有能指揮官

石勒VS劉秀は面白カードだと思う
讖緯とかに頼り過ぎず現実主義的な判断を速断できるところで石勒に分がありそうにも見えるが
軍事のNo.3以降の層の厚さで劉秀が有利なのも否めない
石勒は突騎・鉄騎に敗戦を喫することが多く幽州の騎兵部隊連中を多数擁している劉秀軍団は
たぶん相性が最高に悪い

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/27(土) 01:28:16.57 ID:tbWTbXUb0.net
桓温と謝安の親父が共に全裸で騒いだ友達ってマジ?

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/27(土) 02:55:34.37 ID:4zTXVPWR0.net
そういや呉漢って五胡十六国や五代十国にいても違和感ないくらいのぐう畜だよね。

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 02:41:07.40 ID:i3jDMaCq0.net
>>658
残虐超人冉閔の事もたまには思い出して下さい

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 03:32:34.09 ID:GbvymHZp0.net
>>660
公孫述が岑彭でなく呉漢を暗殺してれば全員幸せだったのに

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 07:16:03.60 ID:FswrReaI0.net
野獣先輩周瑜説

・容姿端麗
・焼いてかない?←赤壁の戦いでの有名な作戦
・大先輩「曹だよ」←敵は曹操であると諸葛亮に説かれた
・24歳←周瑜が孫策の配下になったのも24歳の時
・歌手←周瑜は音楽に精通していた

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 12:17:49.20 ID:XBndCwYh0.net
三国志のすぐ後の時代だし、比較も比喩も三国志の人物が使われることが多いな。でも、涼州方面の関羽張飛に比された方々が、それ以降の活躍がない件は‥

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 17:14:12.46 ID:BB+H6WeI0.net
 γ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ
  |  王猛はこの苻堅にとっての諸葛孔明| 
  |  これからも徳の薄い私を導いてね   |
  |                        |
  ゝ___  _____________,ノ
       V                       _._,., - --- 、__
         _,-‐ ' "' 'フ________         ., -'´. . . . :.:.:.:.:.:.:.:.:.:`ヽ、
    ./´二ニ=/:´   、./     ``ヽ、___   ./.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ
  _,-=fニ'´..,./!: .   .j:   .i /    ヽ!,  /:.:./-ヲ"‐`-ヽ_、:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.ヽ
 ´ /.../ノ. ./iト、. .:ノ: .: l//  ./ / .l ヽj:/:j:.i:.:.j:.:.l:.:.:i:.:.:、`:ヽ;:l:.:.:.:.i:.:.:.:.:.:.:`,
  ./:. /.:/. : /: lヽ!ヽ1:.: i レ ,∠__ィ .j、 .iヽ!:l:.:l:.j l:.:.j:.:.j:、:.ヽ:.:.:`:l:.:.:.:.';:.:.:.:.:.;_j、_    はいはい、陛下の口癖ね。
 /: /_:,ィ'. : : j: : l :';ヽ_!: :. .l: l_ノ_ノ'__`l' .jl l. .lヽ'!l:j'lf-l:.:.l;.:..l、!、:.i、.:.:ィ=f-、j:/i´,イ´
 .:/´j/イ .ノ!-t.!:: Y'ヾ: : . l:.l ./r':l'l. / l、: l`:ヾ:k'トr,'、:!ヽ:f'トr、」j_::l:.:l:._,イ!:.:.レ':j
 j ノ'イ:.ノj .: : lヽ'"i,f´'、: : .ヽ!  .i;j ´ i'.!:.j:::::::::! !;:j ` ヾriミ'、!_l:j::/ll.l:ヾj、,j、     おやすみなさい。
_,.レ´ l./.ノ. : :.:ハ: : ヽヾr!,: : :..ト、 '''''''   !, ソi::::::::lj."'',    .!;ィ,j゚`j:Vj:.:`ト、::`-ト,`_
    レ'.: :./: .'; : :.'、:.ト,ヽ.: :.i.ヽ   、_/ j.!::::::;::lヽ、 _  ~"''`./l:/j:.:.:j::::ト、::ヽ``    明日も良い夢を……。
   ./:.:/.: : : :j'、: : ヽ!ゞ、ヽ:.l: ...   ノ .l ';.:::j.l:l ノ:::ヽ`_____ ,ノ.ィ:/j:.:./j:';::.ヽ:ヾ'、
 /_.;-/ . : : : !: :ヽ: . ヾ-.ヽヽ!l``‐ri:::ト, !. ';:::l .ソ::::::::::::j..j'i. .j.|ノ//:.:/:::::::::::..ヽ:ヽヽ,
'.-'´ ./ . : : : :!: : : :'i、: ..ヽ. . .`=-r、!ヽ!.  !, .〉,:!'ifヽ'":´:.ノ.!'´/イ:/:.:,イト、::::::::::::..:.ヾ、:::ヽ、_
  / . : : : :.j: : : : :!..ヽ、:.ヽ. . ヾ.j .iヽ、.  〉: トjl    j   . j/:ノ´ヽ/'it-、:::::::::..:ヽ、::::::`
./.. . : ,: : : .i:l: : : : !.i. .l. .ヽ、ヽ.ヽ ヽ!. ヽ'j:.  ',ll`,  .ノ  . ノ/    ll.j ヽ:::::::::::::....ヽ、
. : . :_/ /i :j: : : :.l ,ヽl. . .l. . ``ヾ、_ ヽ,_j,.ヽ ._ン,-'.´,  ./´   ,_,_,、jl/  〉、::::::::::::::::::.
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:/./,.'/  l:.l. ', : :! :.!/l. . i. . . . . .  .ゝj'´`ヾ´ヽ-、ヒニ// `/ 〉'"、  _,-!'"´ . /     `
./ .//   l',l ',: :lヽ`ァ__/. . . . . . ./ュ'、. .    ./'`7`-ァ'、_./i:、_:,-'´    :./
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 ̄!'  ̄`` ̄i"r`-',=、-ッミ、ヽ_. . : . : . : .  . . ヽ、_/:、_: : !_./     `ヽ、/_

【苻堅】                     【王猛】

王猛さんは苻堅から、「劉備に於ける諸葛亮の如し」と絶大な信頼を寄せられたそうな

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 18:04:12.54 ID:llZHO2aW0.net
王猛は王佐タイプ的に荀ケ、周瑜、諸葛亮の誰にも似てない
まあ上記三名の家柄が良すぎるから仕方ない

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 18:47:38.58 ID:llZHO2aW0.net
>>661
冉閔が本格的に活躍し始めるのって石虎死んだ後だからねえ
石虎崩御の時点でも上位に石斌、李農、姚弋仲、蒲洪、麻秋あたりが控えていて
冉閔が主役に躍り出るなんて誰も予想できてなかったと思う

しかしながら冉閔は慕容恪率いる騎兵部隊を上手に森林地帯に誘い込んで騎兵の機動力を殺しつつ
歩兵戦力で減殺するという鉄騎キラー
石勒とは逆パターンで光武帝配下の烏丸兵率いている連中には最悪の相手だと思われる

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 21:16:21.81 ID:kdDGu1X50.net
王猛が曹操・曹丕に仕えた場合
→両雄並び立たず、口の悪さが原因で普通に処刑されそう

王猛が孫権に仕えた場合
→家柄が低い根なし草だから小部隊の指揮官で一生終わりそう
口の悪さで処刑された家臣はいないので何とか生き延びるか

王猛が劉備・劉禅に仕えた場合
→法正の上位互換、夷陵敗戦回避からの荊州奪回・陸遜謀殺ぐらいは平気でやらかしかねない
北伐しないで十年以上引きこもりプレイによる国力増強からの怒濤の関中攻略……て諸葛亮の上位互換もできそう
運が悪いと張飛に虐められて死ぬ

つーか三国志の主君ってロクなやつがいねーな
劉備一択じゃねーか

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 21:27:14.13 ID:MJgme8HE0.net
>>668
最後の張飛に虐められて死亡、はやたらリアリティがある

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 21:33:13.11 ID:kdDGu1X50.net
>>669
魏の場合曹丕に虐め抜かれて憤死のオプションがある

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/28(日) 22:38:33.52 ID:b2pxVKRD0.net
曹丕は仲の良い奴には無茶苦茶激甘だったりすっけどね。

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/29(月) 11:48:28.98 ID:t1l9Hkig0.net
曹叡が子鹿を射れないのを見て曹丕は後継者にしたっつーけどすげー疑わしいわ

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/29(月) 11:59:04.87 ID:l3l5dQiU0.net
>>672
曹叡も嫁殺しやってなかったか?

あの一家は性格に難あり
口先は達者で自分を飾りたがりなところが鼻につく
でも豆腐メンタル

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/29(月) 12:31:51.95 ID:JdOkc5KuO.net
曹休の子孫の曹チョは聖人だろいい加減にしろ!

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/29(月) 14:46:31.98 ID:kyfPX4vt0.net
王猛さんは息子の名前が不穏

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/29(月) 20:18:33.28 ID:00bmOGqs0.net
曹操一家もクズだけど
王猛も底無しのクズだよな
クズ最強決定戦の様相

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/29(月) 21:04:24.25 ID:JdOkc5KuO.net
慕容令だっけ?
王猛にはめられたの

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/30(火) 17:55:56.61 ID:aBClx0fK0.net
苻堅>石勒=曹操>拓跋トウ>石虎

ぐらいのイメージ、華北の覇者
石勒と曹操の優劣で悩む
よく石勒>曹操みたいに言う人いるけど
明確な優劣無いような気がするんよ

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 08:03:45.73 ID:mPn80XGp0.net
明確に3代以上継がせた曹操と精々2代の石勒なら曹操だと思うけどなあ。軍事能力は分からんけど

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 08:11:48.09 ID:Or1M9AUI0.net
結果なら明らかに曹操>石勒だけど、スタートが余りにも違いすぎるからな

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 11:17:44.98 ID:ho4q4Jii0.net
曹操は献帝推戴して後漢の権威やら国家機構やらありとあらゆるもの利用し尽くして何とか華北制覇に漕ぎ着けたけど
石勒は自立宣言以降周囲を全部敵に回した上でなおかつ既存の権威(晋皇室や屠各種)全否定しながら修羅の道を邁進
その果ての(涼州と幽州の一部を除く)華北制覇だからやってることの難易度は明らかに石勒の方が上なんだよな

曹操は袁紹の推進してた献帝の首すげ替え→他の皇族擁立による体制刷新路線を裏切って既存権力フル活用路線に日和ってしまった
これは目先の選択肢には敏感だったけど長期的な展望が欠落していたことを意味する

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 13:52:15.64 ID:gqxqm+vG0.net
曹操陣営には石勒陣営No.2である石虎に勝てそうな将軍が曹操を含めてもいないような気がする
曹操が勝つとしたら石虎軍が後退中とか軍が大混乱に陥ってるとかそういうオプションがないとキツイ
歩騎4〜5万率いて州をガンガン陥落させまくる凶悪な遠征軍司令官というのは曹操陣営だと本当に曹操本人しかいねえもんな
于禁とか夏侯淵出したら間違いなく狩られるだろうし

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 14:03:54.29 ID:8vmXXiXF0.net
曹操は光武帝の真似してたけど光武帝に対する呉漢的な存在はいなかったもんな。

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 15:05:30.86 ID:fZss1Q0PO.net
苟晞対于禁
王弥対許チョ

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 15:11:40.40 ID:gqxqm+vG0.net
>>684
許チョに対応する人間は陳安一択だろ

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 15:24:56.67 ID:gqxqm+vG0.net
>>683
冷静に考えると光武帝の真似をするなら後漢朝廷は担いだりしちゃいけなくて見殺しにするべきだったんだよな……

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 17:18:45.43 ID:fZss1Q0PO.net
>>685
せやな

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 17:29:15.41 ID:JFxQZ9cr0.net
          ,>─.:::.──- .ィ─-、._
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    {::::/  ,.! ! !:.:.|:.| :| :| ', :!:!:}: : : ',;;;;ィ゙
    ヽ ! .{: :{:| | | 」|:.| :|: :ィ‐十ト|:|:} : : }:::::\   曹操と違って石勒様には私がついてますから♪
   / |/{ |.!.| {斤人|ヽj\| .レ゙リリル: :ノ::::ィレ′
   ヽ:::::.{',从|レィ==、   ィ==x .リ/:|」|
     ├┤| :沁 ::::::::    :::::::: ノ/: : !     高僧にして超能力軍師の私がね。
     |:.:.|',| : :人    r─‐┐  ハ/  /:|
     |:.:.|::| : : |> , `.-- ' ,∠// /! :|
     |:.:.|::|   .:|ィ‐=_,,} ー  {.__//゙ /_.| i|
     |...:|::| ! :リ.|::::{_   __.//゙ / ヽ!|
     |:.:.|:.| ! / /_,ヽ.∠ィ'/ /─=||
     |:.:.|:.| / /─'、,..ィ‐-、_,..|:|  |_    ||
     |:.:.|:.i!:../. :::      .:. . |:∨ ゙<  小.
     |:.:.|:.{ !      :∨:: . ヽ`>、 ∨ |. )
     |.:.:| | {     .:::      :} ! :!

【仏図澄】 233〜348 
 亀茲出身。ガンダーラで学んで310年に入洛し、永嘉の乱後は石勒の軍師となり後趙滅亡や華北支配に貢献。
道安を始めとした弟子も多数育て仏教の普及に貢献。
数々の超能力エピソードは「高僧伝3巻」に収録

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 21:16:25.09 ID:p0sTXJPy0.net
石勒は韓信が北伐中に劉邦(この場合は前趙)から独立したらというifの好例
劉邦は曹参とかアタッチさせてたから韓信の野心にギリギリのところで抑止が働いたと考えられる

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/08/31(水) 23:47:56.05 ID:mFUrlvXK0.net
しかもメッチャ怖い項羽的な存在もいないしね。

あえて言うなら項羽に殺された義帝が
東晋かな。
そういや義帝も東晋の皇帝と似たような置物扱いだったし

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/01(木) 10:23:38.03 ID:b1Vmxz6J0.net
>>682
後退中にいつもカマ掘られる石虎のケツの穴のガバガバさ
攻め一辺倒すぎるわ

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/01(木) 11:47:30.13 ID:k5zilqfz0.net
戦争に強い政権の特徴
・君主(宰相)が外征軍の将として有能
・その君主(宰相)と同等以上の軍事手腕を持つ将軍が在籍
・最後の手段として戦略予備を温存・拘置

この条件で220年代の三国志を俯瞰すると
魏は曹操が有能な軍事指揮官であり国力も最大であったものの曹操に次ぐ将軍が不在であった
曹操没後はそれに加えて曹丕の軍事的無能さにより統一の機運を大きく後退させることになっている
呉は理想的な状態で孫権と陸遜で二個作戦正面を担当できる体制となっている
ただし戦略予備では魏に対して大きく劣っているので蜀との連携は不可欠だった
蜀は当初劉備・関羽で二個作戦正面を担当していたけど戦略予備不在という決定的弱点により樊城で大敗を喫し
夷陵の際には張飛不在という悪条件で遠征を敢行して記録的大敗を演じてしまった
その後は最早単独でまともに魏に当たれる体制を構築することは不可能になってしまっている

翻って石勒の軍団を考察してみると石勒自身は局地的戦闘から数万を越える兵力同士の大会戦までやっておおせる歴戦の知将であり
No.2の石虎は攻勢作戦であれば石勒を越える猛将、時代を代表する名将と言っても過言ではない存在であった
後趙自身は四方を敵に囲まれていたため予備戦力の造成には難儀することは多かったが
状況に応じ東晋正面の防衛戦力を引っこ抜いて予備として配当する等、柔軟に戦略予備の抽出を行ったりした
こういった運用は博打でしかないが戦況がよく見えているからできる采配なのだと思う

こうしてみると将としての石虎の優秀さと曹丕の無能さが際立つ

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/01(木) 14:43:14.65 ID:k5zilqfz0.net
前趙が後趙に滅ぼされたのは国力差も大きかったかもしれないが
支作戦として并州正面(壷関方向)から後趙を牽制できる指揮官を328年の時点で失っていたことが大きかったと思う
仮に劉岳が捕虜とならずに劉曜の指揮下で出陣できていたならば石勒は洛陽正面に全戦力を投入するという博打を打つことはできなかった可能性がある
(あくまで劉曜が二軸で作戦した場合の仮定ではあるが)
劉曜が戦巧者だった庶子劉胤に劉岳の代役を任せるという冒険ができていれば或いはと思わされなくもない

戦域が大きければ大きいほど作戦正面を分割して委任するという判断が必要になってくる
委任に堪えうる将がいない勢力はそれだけで不利な態勢へと追い込まれていくことになるわけだが
曲者なのは宗室的軍事封建制という特徴を持つ五胡諸政権においては宗室出身の軍事的No.2は往々にして君主の猜疑の的になりやすいことである
あるいは逆パターンで殺られる前に殺るというNo.2が簒奪を図ることもある
何事もバランスが大事ということか

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/01(木) 22:58:13.78 ID:QFE4+wVD0.net
>>690
キン準の乱が起きなければ匈奴漢は普通に東晋滅ぼせていたんじゃねーのか?

とも思ったが祖逖が頑張ってる時期だから少し厳しいか
元帝が王氏排除に動き出したのは漢の分裂とか勘案してのことだったかもしれんしな

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/02(金) 15:56:14.56 ID:q2jsqtj60.net
劉聡が悪い定期

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/02(金) 16:20:33.90 ID:Q+B1ox5l0.net
劉聡期には石勒がかなり自立の度合いを高めていたけどそれでも君臣関係は成立していたからな
ホイホイと暴君説には乗っかれん

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/02(金) 17:31:08.43 ID:PSgwgXh7O.net
呼延晏
游子遠
陳元達
3文字が揃ってると安心感ある

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/02(金) 17:51:13.48 ID:Q+B1ox5l0.net
>>697
游子遠は字っぽい
攸あたりが本名だったけど北魏孝荘帝元子攸の時代に避諱に引っ掛かって十六國春秋漢趙録を書き直したのでは?と妄想

そんなわけねえか

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/02(金) 19:41:34.80 ID:dQsox3ku0.net
劉聡←劉曜
石虎←慕容儁
苻生←苻堅
慕容儁←慕容垂
慕容評←慕容垂
苻堅←慕容垂
王猛←慕容垂

こんな感じでdisられてる気がする

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/02(金) 23:03:27.94 ID:dQsox3ku0.net
苻堅が臣下たちの諫言に耳を塞いだり讖緯にトチ狂ったりする描写は王莽のオマージュのような気がする
百万の兵を率いて敗れた苻堅の傷口に塩を擦り込むえげつない行為

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 01:39:27.06 ID:h96tSzkH0.net
姉弟丼はオリジナルじゃね

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 08:32:28.84 ID:v1wXjvBL0.net
>>694
懐帝愍帝に続いて元帝も匈奴皇帝の
宴会でお酌させられるとか草不可避

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 09:25:17.61 ID:dzB3AZtB0.net
百万を呼号して負けた苻堅と王莽だけど
苻堅の負け方はその後の惨状(華北で食糧不足による大飢饉)とか敗残兵を最終的に十数万再編成したとか
記録されているから納得できなくはないのだけど
王莽の場合どっから兵が湧いてきたのか全く意味不明なのが困る

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 09:46:40.60 ID:dzB3AZtB0.net
連年戦争状態にあったのは前秦も新も似たようなものなのだが
前秦は曲がりなりにも征服戦争を成功させて領土や領民も順調に拡大させていた
歴戦の古参兵たちが疲弊したリ農業従事者への負担が増大していたりしたのも仕方がないところであろう

翻って王莽の方はと言うと
紀元11年(以降紀元は省略) 匈奴との外交問題が拗れてその侵攻を招く
30万の遠征軍を準備しようとしたが招集要領や兵站上の問題から
遠征軍を出撃させる前に并州〜平州にわたる地域の荒廃を惹起してしまった
辺境の衆民たちは王莽の無謀な徴発により流亡・逃散に追い込まれるか匈奴に捕獲されてしまうかのいずれであった

この際討ワイ将軍だった厳尤が遠征の負担を計数的に説明してくれているのだが
「匈奴討伐のために30万の兵力と300日分の糧食を徴発することは
東は海・岱、南は江・淮から徴発してはじめて準備することができます。
兵の集結・物資の集積までの道のりを計算してみますと一年経っても集まることはないでしょう。
兵の先に到着したものはその集結地を野に曝され続けることにより
軍の練度・士気は衰え、また資材は損耗し、その軍としての衝撃力は用いるに足るものでは
なくなってしまっていることでしょう。」

早い話が軍を集結させて作戦準備をするにはとてつもない準備所要が発生するという話なわけである
ちなみに苻堅の南征は382年の4月には構想が練られ始め同年8月には益州で水軍建設が開始されている
寿陽への進軍開始は383年8月、一年以上にわたり作戦準備が進められていた計算になる
およそ遠征とはみなこのように計画されるものであろう

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 10:02:26.77 ID:dzB3AZtB0.net
王莽の軍事活動について簡単におさらいしていくと

12年、ほとんどトラブルメーカーでしかない五威将帥の連中が西南蛮夷の句町王国に赴いて
その王号を侯号に貶めた
王の邯はこれに激怒し抗議したが新の地方官により騙し討ちにされてしまう
邯の弟の承が兵を起こし兄の敵を討った
新では州郡(益州地域)の兵を挙げてこれを攻撃させたが降伏させることはできなかった

12年、厳尤が高句麗を討伐

13年、焉耆が背いて都護但欽を殺害、「西域遂に瓦解する。」

14年、匈奴との和平工作は難航

14年、益州蛮夷悉く叛き再び益州大尹を殺害する
王莽は平蛮将軍馮茂をして巴・蜀・ケン為において吏士を集め民衆から物資を徴発して西南夷を攻撃させた
(本格的な西南蛮夷反乱鎮圧の開始)

15年 匈奴との和平交渉は小康状態

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 11:08:16.49 ID:dzB3AZtB0.net
16年7月以降、平蛮将軍馮茂が句町を撃つも士卒の疾疫による死者が70%〜80%にのぼった
また民衆の財産什のうち五を取り立てた
益州は消耗してしまい馮茂は結局勝つことができず、召還され獄に下されて死んだ

16年冬、王莽は諦めることなく寧始将軍廉丹と庸部牧(益州牧みたいなもの?)史熊を派遣した
天水・隴西の騎士及び巴・蜀・ケン為の吏民10万を大規模に動員した
輸送部隊を合わせて20万の軍勢をもって句町を攻撃させた

(この軍編成の部分は興味深い、戦闘部隊(おそらく戦闘支援部隊も含むであろう)と
後方支援部隊の比率が概ね1:1となっており兵站の重要性が認識されていたことが
分かるからである、またこの比率を他の兵力に当てはめて考察しても良いかもしれない)


緒戦で斬首数千級を得たものの糧食の補給が続かず士卒は飢疫した
王莽は廉丹と史熊を召還したが、両名は更なる軍師の調達を行えば必ずや勝利を収めることができると請願した
これにより再び大規模な徴発が行われることとなった

この徴発に対して就都大尹の馮英が諌止するが王莽は馮英を免官する
馮英の批判の内容は「費用は既に億単位で数え、吏・士で病魔に冒されて亡くなったものは70%にものぼります。
廉丹・史熊の追加徴収は民衆の財産のうち什の四を取ることになりますが、梁州をズタボロにすることはあっても
勲功を遂げることはあり得ません。是非兵を収めて屯田し、明設購賞せんことを願います。」

(この諫言から、益州・梁州の財源や動員兵力、糧食が枯渇し始めていたことが窺える
并州〜平州にかけての地域を合わせると新王朝の東北部と西南部は実効支配が揺らいでいたことになる
赤眉・緑林の反乱が起きる前の段階で既にヤバイ)

16年、越雋蛮夷の任貴が太守牧根を殺害した
この年西域において焉耆が背き、五威将帥の王駿、郭欽らが殺害された

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 12:38:06.25 ID:dzB3AZtB0.net
17年、詳細は割愛するが会稽長州において瓜田儀の反乱、琅邪において呂母の反乱、
荊州において緑林軍の反乱が発生する

18年、琅邪の樊崇がキョにおいて兵を起こし百余人を率いて泰山へと入った
反乱勢力は一年の間に数万を数えるまでに膨れ上がり、また徐州・エン州にも反乱は飛び火した
王莽は使者を派遣して郡国の兵を発し樊崇らを攻撃させたが克つことはできなかった

19年、更始将軍廉丹が益州を攻撃したが克つことはできなかった
益州夷は起兵して郡守を殺害し、越雋夷もまた叛いて吏人を殺略した
廉丹に替えて大司馬護軍の郭興、庸部牧の李ヨウをもって蛮夷を攻撃させた

19年、太傅羲叔の士孫喜が江湖の盗賊を掃討した

19年、関東では連年の飢饉により東海の刀子都の反乱軍に投ずるものが続出し
その勢力は6〜7万に至った

20年、鉅鹿で馬適求による反乱未遂→誅殺

21年、魏成(魏郡)大尹李焉による反乱未遂→誅殺

21年、王莽は太子羲中の景尚、更始将軍護軍の王黨に兵を率いらせ青・徐の賊を攻撃させるとともに
國師和仲の曹放を援軍として郭興のもとに派遣し句町を撃たせたが皆克つことはできなかった
むしろ軍師の放縦は百姓をさらに困窮させた

21年秋、隕霜殺菽、関東大饑、蝗害

この年荊州牧は2万人を動員して緑林軍を攻撃した
賊帥王匡は雲杜において迎え撃ち荊州牧の軍を破り数千人を殺害、悉くその輜重を鹵獲した
緑林軍は兵力を5万にまで増大させると雲杜・安陸の間を転撃した

翼平(城陽郡)連率の田況は18歳以上の民を徴発すると4万人余りの部隊を編成した
赤眉軍は(田況を恐れて)敢えて翼平郡を侵さなかった、が、田況は王莽に諫言したことで更迭されてしまう

(光武帝挙兵前なのに既に新が詰んでる気がしないでもない、もう43万の徴兵なんて不可能だろう)

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 15:24:49.59 ID:dzB3AZtB0.net
21年、南郡の秦豊が衆1万人を集めて反乱、また平原の女子遅昭平も数千人を集めて反乱

22年2月、赤眉軍の樊崇が太師羲仲の景尚らを殺害する
「関東、人相食む。」

22年4月、太師王匡、更始将軍廉丹らが(赤眉の)衆賊を討つために派遣される
匡と丹が率いた精鋭士卒は合わせて10数万人、通過した地域では略奪が繰り広げられた

(益州に続いて青州・徐州正面でも現地調達で兵糧を賄わなければならなくなった模様
しかしながら既に関東では大飢饉が発生して食人が起きている状態)

緑林賊が疾疫により半減、南郡に入った下江兵と南陽郡に向かった新市兵とに分裂
王莽は司命大将軍の孔仁に豫州を管轄させ、納言大将軍の厳尤と秩宗大将軍の陳茂とで
荊州の緑林軍を撃たせようとしたが、彼らに配属されたのは吏・士百余人程度であった。

(この時点で徴兵すら長安周辺では立ち行かなくなった可能性が高い、厳尤の恨み言が胸に刺さる)

22年、蝗が東方より飛来、天を蔽う程であった

流民の入関するもの数十万、これに備蓄から施しをするための官を置いたが
小吏たちが備蓄食糧を勝手に横領したため70%〜80%が餓死した

22年秋7月、新市軍の王匡らが随に侵攻、平林の人陳牧、廖湛らが千余人をもって呼応(平林軍)

22年冬、東平郡無鹽の索虜恢らが挙兵、賊に付いて城ごと叛く
(官軍の)王匡と廉丹は攻撃してこれを抜き、斬首すること1万余級であった
赤眉の別校董憲は衆数万を率いて梁郡にいたが、(官軍の)王匡らは進軍して董憲を討とうとした
→成昌の戦い、王匡の軍は敗走し廉丹が戦死した



この時点における新の実効支配領域は三輔周辺の郡国と豫州の北部地域ぐらいにまで
縮小していたものと考えられる
その三輔周辺でもすでに徴兵は困難であり兵を養う兵糧も派遣先で現地調達しなければならない状態になっていた
ここまで逼迫した新軍の台所事情を考えれば43万と謳われる兵力の準備は不可能であったと言わざるを得ない

前秦が100万を呼号する兵力を動員した時期でさえ、その国家人口は2100万人程度と見積もられている
当時の新の三輔周辺の郡国の人口を合計すると
三輔(243.6万人)、安定+天水+隴西(64.1万人)、北地+上郡+西河(151.5万人)
弘農郡(47.6万人)、河南郡(174万人)で約680万人ほどの規模だったと考えられるが
前秦と同じく総人口の5%動員で準備できる兵力を見積もってみると34万人程度となる
三輔周辺は既に疲弊しきっており徴兵の満額回答は困難であったことを考慮すると
いかに新軍が23年3月に43万を呼号する軍を起こしたことが荒唐無稽か分かると思う

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 18:04:12.41 ID:DkL6lLDz0.net
仇池の楊一族からは、あの楊大眼が輩出されているので、猛将の家系なんだろうかと思う
楊安、楊定とかは前秦の名将と言ってもいいくらいだし、楊難敵は前趙、成の攻撃を撃退してる
楊飛龍とかは、ムダに名前カッコいい

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 18:13:51.06 ID:DkL6lLDz0.net
仇池の楊一族からは、あの楊大眼が輩出されているので、猛将の家系なんだろうかと思う
楊安、楊定とかは前秦の名将と言ってもいいくらいだし、楊難敵は前趙、成の攻撃を撃退してる
楊飛龍とかは、ムダに名前カッコいい

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 18:14:51.52 ID:DkL6lLDz0.net
二重に書き込んでしまった
すまん

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 18:19:50.40 ID:dzB3AZtB0.net
>>709
苻堅時代の前秦だと楊安より上の指揮官って
ケ羌、慕容垂、王猛ぐらいしかいなくて
同レベルで姚萇、苻堅、苟萇、呂光
梁成、張シ、苻融よりはずっと上だと思う

前秦は華北統一するだけあって層が厚いわ
東晋なんて謝玄の抜擢が無かったら桓沖ぐらいしか駒いなかったわけだし

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 20:24:06.45 ID:dzB3AZtB0.net
苻堅の名誉回復のため?もう少しだけ続ける

成昌の敗戦の後、國将の哀章は自ら山東の平定を請願する
王莽は哀章を山東に派遣し、敗走してきた太師王匡と協同して赤眉に当たるよう指示した
また大将軍の陽俊を派遣して敖倉を守備させ、司徒王尋に10数万の兵を率いさせ洛陽に駐留させた
大司馬董忠は北軍・中塁において士を養わせ射撃を練成させた
大司空王邑は三公の職務を一手に兼任した

23年正月、緑林軍は10数万まで膨れ上がり、厳尤・陳茂の討伐軍を返り討ちにして宛の包囲を開始する
同じころ青州・徐州の赤眉軍はその勢力を数十万まで拡大させていた

23年3月、緑林軍の王鳳、劉秀が潁川郡南部の昆陽、定陵、エンを降伏させた
王莽は厳尤・陳茂の敗報を聞くと司空王邑を司徒王尋と合流させ兵を発して山東を平定するよう命じた
王邑は洛陽に到着した、各牧守自ら率いる州郡の選りすぐられた精兵を合計すると43万人にものぼり
号して100万と触れ回った

23年5月、王邑と王尋は南下して潁川に出で、厳尤・陳茂と合流した

ここで問題の43万の動員になるわけだが
>>704で厳尤が指摘している通り30万の兵と兵糧を集めるだけでも相当な時間がかかるはずなのに
王邑はわずか2か月で大軍を動員して潁川(おそらく郡治の陽テキ)まで南進を開始している

当時の洛陽は戸数が52,839戸であり、一家族約5名で計算した場合人口は約26万人となる
また陽テキの戸籍人口は前漢末で10.9万人ということが分かっている

簡単な計算になるが26万人の都市に43万人の新規流入人口があった場合
その都市の食糧の年間消費量は単純に2.65倍となる
仮に食糧備蓄が一年分余剰があったとしても8か月目で枯渇する計算になる
陽テキの場合はさらに悲惨である、都市人口が10.9万人から約54万人に増えることになるので
年間消費量は4.9倍、同じく一年分の余剰穀物があっても5か月で空っぽになってしまう
当時の関東では連年のように飢饉が発生しており計画的な食糧備蓄も滞っていた可能性が高く
状況はこの計算よりもずっと悪かったに違いない
食糧備蓄が現在の日本の水準と同じ約2か月程度で計算すると洛陽は5か月、陽テキは3か月で
食糧が空っぽになり住民は餓死してしまうことになる
このような問題を回避するための手段はひとつであり、部隊を分割して複数の前進経路をあてがい
それぞれの都城にかかる負担を分散するほかない
洛陽→潁川→昆陽とひとつの経路で43万の大兵力を現地調達で給養し続けるのは不可能と言っていいだろう

苻堅が百万を超える大軍を益州(姚萇)、荊州(慕容垂)、豫州(苻融、苻堅本軍)、徐州(梁成)と分割して
前進させたのは兵站上の制約から当然の軍事行動だったわけである

こうした兵站上の問題や徴兵の所要時間を考慮するならば
43万の大兵力を王邑・王尋らが率いることは不可能であり
現実的な数字を考えるならば、王尋が洛陽に駐屯させた10数万のうちから一部を抽出して派遣したというのが
実際のところだったのではないのだろうか?

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 21:45:55.68 ID:dzB3AZtB0.net
これで最後

百万の大軍を擁した大遠征とは言っても昆陽の戦いと肥水の戦いでは内容が全く異なる

昆陽の戦いは計数的な裏付けがほとんど存在しない空虚な数字でしかない上に
軍事作戦としてもそこに新の建国以来最大の兵力を指向させる必要性が薄い会戦であった
対して肥水の戦いは性急かつ強引に推し進められたものの計数的な裏付けは存在し
また複数の戦域にまたがって計画された天下統一に相応しい戦役と言って良い内容である

仮に昆陽の戦いの位置づけを洛陽から出撃した10万程度の新軍を殲滅した戦いですというものにするなら
更始帝劉玄配下の諸将による関中侵攻戦は劉秀の戦功が霞むくらい鮮烈な大勝利である
23年8月に始まった侵攻戦は9月には長安・洛陽を陥落させて王莽を滅ぼしている
劉玄を核心とする勢力の軍事的成功はその政権の正当性を担保するものである
これに離反して自立した銅馬政権の正当性は何が担保してくれるのであろうか?

既に記録されている歴史的な事件を全て修正することは極めて困難である
だから小修正で事件の位置づけを少しずつ、そして相対的に変位させるほかない
「劉秀が新軍の遠征部隊主力43万を殲滅させた、だから更始帝政権は呆気なく関中を征服できたのである」
「ゆえに新王朝滅亡の功績はその主力を壊滅させた劉秀に帰するのだ」
宣伝戦としては極めて優秀な手口だと思う
むしろ劉秀の人間味が増すようにさえ感じる

ここまで書いておいてアレだが
河北転戦前の劉秀が苻堅と戦ったらあり得ないくらいボロ負けすることだけは確信している
将軍一人でリアル百万に勝てる気がしないわ
東晋でさえ淮水・長江という天然の障害を活用しつつ桓沖の西府軍10万と
謝石・謝玄の北府軍8万で上手く遣り繰りしながら戦ったというのに

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 22:26:15.11 ID:dzB3AZtB0.net
>>711
延々とスレ違い気味のワシよりは許されると思う

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 22:35:39.28 ID:5GGEh9NY0.net
まー確かに後漢スレ向きの話題ではあるかもね
向こうでやるとまた荒れそうだけどw

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 22:41:30.67 ID:dzB3AZtB0.net
>>716
苻堅擁護がメインのつもりだった

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 23:16:26.43 ID:8CC70BE00.net
触れていいのかどうかすごく悩んだぞww
一戦線に百万の兵力を一軍で投入するのがあり得ない、辺りが興味深かったわ

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/03(土) 23:36:05.76 ID:dzB3AZtB0.net
>>718
三国末期の平呉ですらもっと数少なかったからなあ、確か晋軍総兵力20数万
秦が楚(兵力30数万)を滅ぼすのでも60万ちょい
隋が陳(兵力20数万)を滅ぼすのに50数万

これらと比較すれば苻堅もそこまでキチガイではないな
むしろ西晋が省エネ過ぎる
杜預すげえわ、さすが武庫

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/04(日) 02:53:38.21 ID:9u5oxqKu0.net
西晋は統一前から軍縮やってるからね。

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/04(日) 04:42:22.96 ID:kXBPqdBv0.net
人口大減少時代だものな

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/04(日) 06:35:20.76 ID:k+ooFauA0.net
>>721
言うても新末ほど兵隊さんたちを損耗してたとは思えないけどな
後漢統一から20年後で2100万だったらしいから
西晋の統一後1600万だったことを考えれば実はどっこいどっこいだったのかも(西晋でも統一20年後はもう少し多かった可能性あり)

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/04(日) 10:56:04.92 ID:oo+6e8w90.net
後漢最盛期は6000万いたんだよなぁ…

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/04(日) 12:08:03.33 ID:Lr81U6DU0.net
前秦って久方ぶりに上郡、北地郡、西河郡を回復した政権のような気がする

後漢以降の関西の支配力低下こそが五胡侵入の遠因
何であんなことになってしまったんだろうな?

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/04(日) 14:13:16.96 ID:Js+UdM/U0.net
確か後漢って和帝と班超親子が健在だった頃は関西どころか中央アジアまで影響力あったのに、安帝の頃には羌族の反乱で潼関から西が無政府状態になるとか言う惨状なるんだよね。

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/04(日) 17:27:03.32 ID:bBIlOopA0.net
後漢が徐々に崩壊していく2世紀後半を見ていると時代は違うけど
「あー、周王朝もこんな感じで衰退していったんだろうなあ」と思わされる

関中に籠ると中央集権的な軍国主義体制を志向する政権が生まれやすいような気がする
洛陽に展開すると関東の地方勢力の利害調整に振り回されることが多くなっていくような・・・・

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/04(日) 21:26:09.70 ID:Lr81U6DU0.net
五胡諸族のそれぞれのエスニック毎の人口がどれくらいあったのか気になる

感覚的に拓跋部は凄い多い
劉コンの増援でいつも涌いてくるイメージ

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 00:17:14.88 ID:wRc/sgWx0.net
石勒が319年11月に二十四郡・二十九万戸をもって趙王を称して自立した時点の
推定の人口が約190万人(口数/戸籍を6.6人で計算)

戸籍人口とは別に前年の318年に平陽を攻撃して獲得した巴帥諸羌羯の規模が
十余万落、推定の人口が約200万人以上(一落を20人で計算)となるので
胡漢合わせて400万人を超えるぐらいの勢力だったと推定される

前述の二十四郡に該当する河北の地域の西晋時代における戸籍数が
だいたい60万戸程度となるので、漢族のみで400万人ぐらいいた模様
人口減少が50%って酷いなあ

ここから先、後趙の版図に収まった地域の人口に関する資料は存在しないのだが
強引に宋書から劉宋時代の統計資料を引っ張ってくると
・青州:40,504戸、402,729人
・エン州:29,340戸、145,581人
・豫州:22,919戸、150,839人
・徐州:23,485戸、175,967人
ざっくり合計で11.6万戸、87万5千人となる(長江流域の僑州を除く)
西晋時代と比べると青州以外は激減(西晋時代の20〜35%程度)

これとは別に関中を陥落させた際の徙民の数字を計算すると
329年に行われた秦隴から司州・冀州への羌族・テイ族の徙民が十五万落(約300万人)
333年に行われた雍州・秦州から関東への華戎の徙民が十余万戸(約66万人以上)

333年までの後趙版図内の人口は約850万人+αぐらいになりそう
并州と河南の人口が不明だし、関中にどれくらいの規模の人口が残ったかも分からない
戸籍漏れとか含めると900万前後ぐらいが妥当なような気がする

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 00:23:27.92 ID:wRc/sgWx0.net
三崎先生の後趙の人口予測値(約600万)は多分徙民の累積数ベースで出しているような気がする
でも建国時の二十九万戸は結構無視できない数字だと思う
激減したと見るべきか、意外と残っていたと見るべきか

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 03:20:38.72 ID:bxBp3g/D0.net
仮に400万とすると動員可能兵力は12万くらいか?

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 15:04:42.20 ID:yreTiJrt0.net
>>730
その国の若年人口一世代分潰す気でなら20%はイケる、400万人の場合だと80万人
フランスは第一次世界大戦で総人口の20%(約800万人)を動員して140万人戦死させている

おかげでフランスは未だにこの100年前の傷痕に苦しめられているけど
(人口動態を建て直すためにアルジェリア移民を大々的に本土に流入させ、その後のテロや独立運動の温床となった)

ここまで動員できる条件は文明・宗教同士の絶滅戦争で両国のナショナリズムや信仰心が極限まで高揚されること

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 15:08:03.31 ID:yreTiJrt0.net
過去の実績としてここまでイケると紹介してみたけど
実際は五胡の異民族たちにそこまでの愛国心や帰属意識なんてないので20%動員は厳しいというのが本音

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 17:08:29.13 ID:jwEhpHwQ0.net
民族主義が強そうなの拓跋部くらいかな。

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 17:28:28.94 ID:FBQmf6vpO.net
張九齢が安禄山は反骨の相があるから処刑しろって進言したら唐の皇帝に王衍が石勒を知った逸話を引き合いに出すなとか言われてるんだな

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 18:49:04.31 ID:t7Y0inN80.net
>>734
安禄山を狼子野心とまで言い切ってるからよっぽどの諫言ではあるな

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 20:33:12.55 ID:AewxWZA20.net
北魏の武将連中は、けっこうな猛将揃いだな
さすがに華北を統一するだけのことはある

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 20:58:10.33 ID:t7Y0inN80.net
北魏最強の将を爾朱栄とか言ったらやはり怒られるんだろうか
どうも太武帝期以降の将たちからは小粒感しか感じられない
南朝も劉裕以降は評価に値する北伐を企画できたヤツおらんし

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 21:09:16.99 ID:jRbgyJ4Z0.net
爾朱栄下手こかなきゃ統一行けたと思うんだけどね
部下が綺羅星のような面子揃ってるもん

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 21:15:38.68 ID:Cn7teoFS0.net
個人的には桓温>謝玄>劉裕だなあ
謝玄の瞬間最大風速が凄いし
負け犬根性染み付いていた東晋の反撃の狼煙を上げた桓温も渋い

劉裕は相手がショボくて盛り上がりに欠ける
勃勃にカチ込めよ、負けてもいいからさ

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 21:25:27.04 ID:Cn7teoFS0.net
KOEI系のSLGとかで人物毎に能力値が設定されているけど
謝安の狂ったかのような勝負勘は絶対に数値化できないと思う
知力とかいうのでは表現できん

強いて言うなら超強運なんだろうけど本人は大真面目に勝ちに行ってるからなあ
勝手に晋の命運をbetしてさ

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 22:08:40.54 ID:+FmQmKtI0.net
>>737
太武帝と崔浩のコンビで華北から関西まで制圧しちゃうからね。

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 22:36:25.84 ID:mWH8kU5G0.net
>>741
石勒&張賓>苻堅&王猛>太武帝&崔浩>慕容儁&慕容恪だなあ
特に上位2組の華北経略の手法は残虐なる知能犯ですわい

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/05(月) 22:45:06.48 ID:pcTSN8iw0.net
宋の文帝は東晋の頃みたいに貴族軍人の実力者に強力で独立的な指揮権付与すべきだったと思うの
現場指揮官を御せなかったという点では殷浩と同レベルかも?

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/06(火) 01:25:14.39 ID:sTMgD5fO0.net
于栗磾とか、黒槊将軍とか呼ばれて、後に詩の題材にもなってるし、拓跋虔も凄い武勇の持ち主だし、北魏初期の武の双璧ではないかな

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/06(火) 06:59:43.93 ID:IRR0+XEm0.net
>>730
実際のところ後趙の軍団構成は
・石勒直率軍 歩兵騎兵混成の3万〜4万
(石弘に配した禁兵1万が含まれるかは不明)
・石虎の遠征軍 歩兵騎兵混成の4万〜5万(騎兵は3万程度か)
・石生の司州方面軍 規模不明
・石瞻の徐州方面軍 規模不明(対劉曜戦では転用か?)
・石堪及び石聡らの豫州〜揚州方面軍 それぞれ騎兵8千以上
・孔萇の幽州方面軍 規模不明
……これだけだとよく分からないというのが実情

洛陽での劉曜との決戦の際の戦力が成皋に集めた石勒直率と石堪、石聡らの豫・揚から引っこ抜いた軍で歩兵6万、騎兵2万7千
これに高候で敗れた後に再編成された石虎軍歩兵3万が加わるので
後趙が動員できる兵力は概ね12万前後という見積りはかなり妥当な線だと思う
各地にベタ張りにされてる戦力の+αがあるんだろうけど

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/06(火) 11:54:19.25 ID:2q1ewuqM0.net
孔萇はなぜに幽州方面に移ったんだろうか
石勒軍中屈指の戦巧者なわけだし、幽州騎兵を統率させて、劉曜との戦いに使えば面白かったんだけど
別に桃豹あたりに幽州任せてもよかったと思う

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/06(火) 12:15:15.00 ID:IRR0+XEm0.net
>>746
実は328年の段階では亡くなっていた説

死亡記事あってもいいくらいの人物だと思うんだかなあ

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/06(火) 21:01:25.50 ID:bWQiD5h+0.net
死んでるってのは割とありそう
パッタリ出てこなくなるからね

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/06(火) 22:08:16.23 ID:X0GRWK170.net
小説とかなら325年の宇文部と慕容部の抗争で宇文部への援軍に出て壮絶に戦死させる展開になるな>孔萇

昔勝手に人物像を妄想していた頃は成都王穎の平北将軍府以来の府僚で成都王没落後は魏郡周辺で勢力回復しようとしてたけど
王浚らに討滅されて雌伏せざるをえなくなった寒人ベテラン武将を思い描いていた
王浚と段部絶対殺すマン

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/06(火) 22:49:01.75 ID:sTMgD5fO0.net
慕容部、宇文部、段部で、幽州はけっこう乱れていたとは思うが、孔萇ほどの名将を早い段階で幽州方面に行かせてる
段末波は完全に石勒シンパなわけだし、彼との関係を強固にしていけば、孔萇が幽州に張り付けになることもなく、南へもっていける
やっぱ、詳しいのは散逸した趙書の中かな

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/07(水) 12:56:11.74 ID:JR9rQFZA0.net
三國志だと有名な会戦に参加した人物たちが多く立伝されてることもあり魏界隈はみんな活躍ばかりしてるように見えるけど
晋書とかの「石虎が△△を撃ち□□を抜いた、坑○○人」程度の記述の方が戦果大きかったりして
三國志インフレしすぎだろと突っ込みたくなる

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/07(水) 13:33:34.67 ID:F1Ej0Wtu0.net
>>751
蜀志なんて劉禅に女取られた記述しかない奴でも立伝されてるからな。

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/07(水) 14:33:15.25 ID:O3VlAyFL0.net
王師敗績の四文字を見るたびに切なくなる

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/07(水) 21:49:27.52 ID:frEivWPS0.net
三國志以外の史書だと趙儼みたいなタイプが活躍際立つけど
三國志は演義の影響なのかなぜかその指揮下にあった楽進とかが目立つから違和感がある

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/08(木) 22:32:50.90 ID:2eXlIuIj0.net
実際のところ劉淵の系図の怪しさってどれくらいなのだろうか

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/09(金) 22:04:18.19 ID:Iqf05v2o0.net
>>750
別に段部が完全に石勒に靡いていたとは思えないけどな
全力結集さえできれば勝てる相手だったわけだし

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/10(土) 01:41:21.03 ID:O2DQuaCq0.net
>>755
劉淵「ワイ、創作じゃ何故か阿斗ちゃんの子供か孫にされてるんやけど」

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/10(土) 07:55:00.41 ID:Y2OHYOjk0.net
>>757
閲覧の難易度で明らかに晋書>創作品(平話、続三国志)だから
劉淵が劉禅の子孫なんて認識持っているのは極めて少数派だろう

杉山先生の著作(遊牧民から見た世界史)の影響で意味は分からんがとんでもない英雄みたいなイメージ持ってる奴の方が多いんじゃないのか

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/10(土) 08:15:12.79 ID:zbwm7AHh0.net
「遊牧民から見た世界史」は冒頓とか劉淵の箇所は楽しそうに書いてんのに、武帝の頃に匈奴をフルボッコにした衛青や霍去病をガン無視してんのが草不可避。

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/11(日) 10:51:12.71 ID:8aPty5YC0.net
劉聡はともかく前線に進出した記録の残っていない劉淵が石勒や苻堅並の英雄扱いされているのは若干違和感
政治家としては滅茶苦茶有能だと思うし胡漢巻き込んだ反晋革命の理論構築とか天才的とすら言えるんだけど
軍事的には結構手詰まり感が強いんだよなあ

劉聡の代になって環境が好転できたのは素直に劉聡が軍事的に突出してたからなんだと思う

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/11(日) 17:42:59.26 ID:Zo0df7pg0.net
劉聡自身は将軍としては可もなく不可もなく的な感じだったが
皇帝になってからの華北経略は結構冴えていた方だと思う
并州に逼迫しかけていたところから洛陽陥落、その後石勒に関東(江漢まで戦線拡大)を劉曜に関中を攻略させて
漢趙の最大版図獲得しちゃってるからな

劉淵とは違った意味で君主に向いているような

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/11(日) 18:05:48.46 ID:lbAJIdZh0.net
蕩陰の役でも劉淵は留守番してたっぽいもんなぁ。

晋書読んでも武は嗜みとして身に着けただけで文人のイメージが強い。

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/11(日) 22:27:49.58 ID:Zo0df7pg0.net
311年頃の石勒による荊州、揚州への侵攻が石勒自身の発案なのか
それとも劉聡からの指示なのか、結構気になるところではある

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/11(日) 22:40:43.21 ID:AdbNUmH70.net
劉淵にしても劉聡にしても王や皇帝って言うより反晋勢力の盟主って感じ

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/12(月) 00:39:03.32 ID:oEaZtoDx0.net
夏 ?
殷 ?
周 ?
秦 ?
漢 漢族
新 漢族
晋 漢族
隋 鮮卑
唐 鮮卑
宋 漢族
元 蒙古
明 漢族
清 満州 

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/12(月) 00:43:15.23 ID:oEaZtoDx0.net
よく漢族は五胡と混血して劣化したというが
三国時代でもアレなのいっぱいおるやんな

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/12(月) 01:48:16.70 ID:oEaZtoDx0.net
陳舜臣曰く、支那で最も栄えていたのは南宋だそうだよ。
北部は経済的にも農業的にも負担にしかならないって言ってる

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/12(月) 02:52:00.27 ID:WxHyAUlK0.net
春秋時代の方がヒャッハー系が多い事について

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/12(月) 07:15:07.14 ID:ZJWd32vf0.net
>>765
隋唐はあくまで鮮卑の文明ではなく漢×鮮卑のハイブリッド文明という認識だな
古代中華帝国や漠北の遊牧帝国とは別物

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/12(月) 09:28:36.23 ID:Y/Dj+kHP0.net
前秦と同じで上半身が中華帝国で下半身は胡人のお兄ちゃんなんやろ(白目)

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/12(月) 09:51:38.59 ID:ZJWd32vf0.net
>>770
前秦が急激に胡漢融合&に傾いたのは前燕征服以降

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/12(月) 09:59:13.00 ID:ZJWd32vf0.net
失敗した

前秦が急激に胡漢融合&テイ族分封に傾斜しはじめたのは前燕征服以降だと思っている
あれでそれまで以上に多くの漢人や鮮卑を抱えるようになってしまったから彼らを統合するため
&実力で統制するための理念とシステムが求められるようになったからではないかと

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/12(月) 17:37:09.26 ID:cMC8pBBN0.net
苻一族ってスペック的には優秀だと思うけどな まあ、猛将的な方だけども
それらを使いこなせたら、前秦も脆くは崩れなかったはず
苻堅の度量がアレなのか、あまりにも苻堅以降の一族の扱いは不憫すぎる

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/12(月) 19:15:46.79 ID:oEaZtoDx0.net
中原は豊かな大地だったが五胡十六国時代で滅茶苦茶になってしまった
「ローマの穀倉」と評された肥沃な北アフリカがヴァンダル族のクソッタレな統治で砂漠に飲み込まれたように

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/12(月) 19:43:41.73 ID:ZJWd32vf0.net
>>774
華北の都市から人口が消えたお陰で森林資源が回復した説があるらしいぞ

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/12(月) 22:55:40.25 ID:zw2K+qIS0.net
北アフリカの砂漠化が進行したのは、11世紀に入って遊牧民が勢力を伸ばしたのと気候変動が原因だしなあ

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/13(火) 02:22:37.08 ID:Dz5i9Tpw0.net
>>760
劉淵は自立前から他国から名士が交際を求めてやってくると言う人望が謎だわ。
三国志で言うと二袁クラスの人望。

778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/13(火) 04:59:48.74 ID:4Jji0EE90.net
実は通典の食貨志を見る限り
魏晋の時代より北魏のほうが戸数が増えている

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/13(火) 08:13:01.26 ID:xvv46Az60.net
北魏って何気に内政とか真面目にやってるからな。農業の教本もこの時代にできたし

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/13(火) 09:00:27.22 ID:Wgl0Wz/K0.net
>>779
俺の卒論

料理の部分が地味に面白い

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/13(火) 09:18:13.34 ID:xPvOWTKG0.net
これか

http://togetter.com/li/999530

結構アッサリしてそう

782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/13(火) 09:41:03.88 ID:Wgl0Wz/K0.net
>>781
斉民要術のレシピは乳製品と穀物の発酵関係が多めだから
こういう現代でも通じるメニューの選定には苦労する
謎の植物「葵」とか今では失われた食材も散見されるし

酢豚やカルパッチョが印象深かった

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/13(火) 09:46:18.76 ID:Wgl0Wz/K0.net
斉民要術は北魏の時代に編纂されていて当時の北魏方言の影響が強く固有名詞で分からないのが多いんだよね
訳された熊代幸雄先生たちには本当に頭が上がりませんわ

しかしながら三国時代の料理として紹介するのはやや不適当な気もする

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/13(火) 09:58:48.79 ID:j/EChfjU0.net
三国時代で乳製品を喜んで食ってそうなの曹丕ぐらいだろうな

785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/14(水) 10:35:40.60 ID:edfSLp2D0.net
Twitterで「慕容恪がネット上で神格化されているのが解せない」みたいに言っているやつがいてワロタ
見えない敵と戦いすぎだろ

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/14(水) 15:07:11.76 ID:x8W3No6QO.net
そいつこのスレにいそうなんだが

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/14(水) 18:41:55.75 ID:COi8tppG0.net
語れる場所が限られてるからねぇ

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/14(水) 19:35:49.53 ID:aQAfKHdH0.net
慕容恪は神格化されるほど知名度無いだろ

ライバルの冉閔の方が神格化されていると思う、主に中国本土で

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/14(水) 19:47:14.04 ID:x+AkYbNH0.net
                  ト、‐- 、              , - ―.ォ
                       |: \  \         / /: : :.|
                      l: : : ヽ  `   ̄ ̄  ´  /: : : : /
                  ': : /              \: : /
                     У ,               `く
                     / /                 ヘ ヽ     野獣のような蛮族を教化したボクの方が冉閔より神格化されるべきだね!
                 / /  γ::o,      γ::o,  ハ  ヽ
              ,、  /  i   ヽ::ノ        ヽ::ノ  .i  ヘ‐- 、__
              ヽ\,    、      、 _  ,      /   ヘイ/,> ,
                 ヾ_」   /\.      `´` ´     /ヘ   /イ     >、
              / ヾ,.、 λ  `ー‐ァ----  r一 '   入/"   i\       \
         __ /    `>く}ヘ    /     ヘ   /厶へ     \__   ヽ
     , -‐" =      /  `´    i       | /      \        =二ァ
      ̄フ二__二, _・ /           j       l'        `ー-`、_三――"   ’
          /  ̄          /   |  /   ヽ、            ̄     /
  , -、     /             / 、|  | ,    ├‐- 、                 |
  ({      ./                |  ヘ |.i  /  |   `              丿
  ヾー--‐' ´           ,> ' ̄ ̄|  ハ l.| {  .j                /
   `ー-  ___ > '       ヽ  i | |  ノ   人                /

【崔浩】

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/14(水) 21:31:13.65 ID:JnyQJ5+80.net
余計なことしなけりゃ・・・いずれは爆発したか?崔浩は年齢的に無事だったかもしれないけど

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/14(水) 22:23:27.15 ID:UIsX3RG40.net
慕容恪にまで手を出さずに、批判する為に必死に論文とか読み漁ってる光武帝まででやめとけよwww

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/14(水) 22:39:06.80 ID:c5BvZ5M00.net
後漢スレでやれ

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/14(水) 23:06:59.12 ID:ysUkmh5X0.net
>>790
個人的には太武帝も崔浩の仕事内容を把握してて黙認してたけど、鮮卑の過激派の意見が強すぎて庇いきれなくて見殺しにしたって印象。

石版の逸話なんて国家事業なんだから全文とまでは言わずとも、ある程度の内容は把握している筈だし。

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/15(木) 00:22:30.03 ID:+WYolZbb0.net
石板にして衆目に晒したのがね・・・以前のことはぼかしときゃ良かったのに

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/15(木) 00:38:39.75 ID:xDaZqJCY0.net
太武帝に好意的にみたら「流石に爺さんの頃の蛮行はいくら何でもボカすだろう」って思ってたら、ド直球に書いちゃったんで粛清するしかなかったのかも。

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/15(木) 06:23:34.37 ID:RAAhPwYO0.net
王猛の方が明らかに崔浩よりも胡族を煽っていくスタイルだったと思うが、よくもまあ天寿を全うしたな

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/15(木) 12:01:08.18 ID:mQhAXsiz0.net
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798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/15(木) 21:21:18.47 ID:NUozS9jx0.net
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      ,::::/:::∧      _     !::::::::/::::-/¨´:::::::!::::::::!        私は符堅陛下を天下人にする事しか興味ないの
      /:::,::::::{ !ヽ    'ー`   //::::/:::::::/::::::::::::::|:i::::::::,
    ,:::::i!::::::!i::::::,\        /,':::,/,':::::/:::/:::::::::,':::!:::::::::,       胡人だろうが漢人だろうが。他の雑魚の事など興味ないわ
    !::::|!:::::::i!::::::::/|`.. 、 __ oO:´:/:::::::,イ_/:::::::::/:::::|:::::::::‘,
    |:::::!::::::::|::::::::!/:::::::!::::::| ,:::::://:::::/ニ{:::::::/:,'::::::::|!:::::::::‘ 
    |::::|!::::::::,::::::/::::::::/:::::r'/::::/´:::::/三:|::::/::::::::::::::!|::::::::::::::,
    |:::::!::::::::i!::::'::::::::,、 -‐!,':::::,::::::::/三ニヽ,:::::::::|!::::::|.i::::::::::::::::,

【王猛】

799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/15(木) 22:35:48.94 ID:1xBavY700.net
>>798
崔浩には清河・博陵崔氏という門地的なバックボーンあったけど
王猛には援護してくれる親戚とか財産となる荘園とか何も無かったっぽいのがね

経略バカ一代だな
名誉すらどうでもいいレベルのバカ

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/16(金) 07:35:16.88 ID:+PKFwEqh0.net
>>785
理由がゲーム脳過ぎて呆れたわ

801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/16(金) 08:46:42.46 ID:BO/PZOIp0.net
>>799
そういう意味では王猛は諸葛亮より張良や劉基の方が近いのかなぁ。
性格は真逆だけど。

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/16(金) 09:41:58.87 ID:NENhK1W40.net
しかし孤立してるからこそ無視されたとも言えるかもしれない。大きな勢力だと絶対他の勢力に目をつけられるからな
多くの席がウマルから

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/16(金) 11:38:05.61 ID:OIGzUqqx0.net
>>801
自ら一軍を率いて遠征したりしてるので縦横家や戦略顧問止まりの両者よりはスペック的にはより多芸かと
ただ張良の外交戦略の妙味には少し劣るのではないかな
対東晋外交戦略をもっと具体化できてればね〜

804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/16(金) 23:19:29.36 ID:uDibsiGn0.net
王猛この時代では一番好きかも

805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/16(金) 23:26:27.31 ID:ECo40XV30.net
>>804
高スペックなのに人間臭いのが好き

諸葛亮はそこが弱いんだよな
いい子ちゃんぶってるのが鼻につく

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/16(金) 23:27:32.12 ID:SbTZXmd60.net
名前だけ見ると猛将に見える

807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/17(土) 06:44:23.43 ID:k8xLg15L0.net
崔浩ってただの占い師なんじゃ……
「王猛は苻堅にとっての管仲、慕容恪は慕容イにとっての霍光、劉裕は司馬徳宗にとっての曹操」という発言は言い得て妙だけど

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/17(土) 08:14:53.57 ID:Ol4T9QKy0.net
>>806
なお息子はキラキラネームな模様

809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/17(土) 09:27:44.02 ID:k8xLg15L0.net
それと崔浩による劉裕評、慕容垂評も好き

「劉裕の方が慕容垂に勝ります。慕容垂は父祖世君の資に乗じており、その生まれはとりもなおさず尊貴なものでありまして
関東の同類どもがこれに帰順したことは闇夜の蛾が火炎に集まるのと同じようなもので
ほんの僅かに力を加えるだけでも功績を断てるのは容易なことでした。」
「劉裕は寒門微賤から身を起こしており、尺土の資産も持ち合わせておりませんでしたが
一兵卒としての活躍にとどまることなく武勇を奮い広く天下に呼びかけたことで桓玄を族滅し
北には慕容超を捕らえ南には盧循を打ち砕き、晋の国運が衰えるや遂にはその命運を掌握する立場へと登り詰めました。(以下略)」

劉裕べた褒めされ杉

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/17(土) 09:29:35.73 ID:k8xLg15L0.net
>>808
永、皮、休、曜ってそこまでキラキラでもなくね?

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/17(土) 09:32:02.43 ID:zx6umwvn0.net
>>810
王猛の孫だったわ失礼。
しかし「悪を鎮める」とか凄すぎ

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/17(土) 09:38:43.59 ID:HsdyGv/l0.net
慕容恪は霍光や周公旦と同じ役割を担ってたけど見事に果たしきったよなあ
身内で仲違いしがちな鮮卑を見ているとその有り難みが実感できる

813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/17(土) 20:02:33.51 ID:5rlyfhcj0.net
>>811
桓豁「……。」

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/17(土) 23:44:24.67 ID:7+PLRRbI0.net
>>703
この粘着君が後漢スレ廃墟にしたの?

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/17(土) 23:51:44.92 ID:/3Uogn5A0.net
慕容恪が神格化されているというなら「この戦役は虚飾にまみれている!」と指摘すればいい
光武帝批判するこのノリでな、説得力はある

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/18(日) 01:13:12.54 ID:WdjS2MPN0.net
慕容恪はむこうと違って明らかに粉飾まみれな訳じゃないから無理でしょ

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/18(日) 02:55:19.77 ID:EqhzDzWy0.net
>>812
鮮卑族拓跋部のお山の大将感は異様

818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/18(日) 09:17:59.08 ID:+udrJhYa0.net
>>765
隋と唐は自称では漢人だな。まあ、拓跋や宇文と違い、その可能性が
ゼロではない。もっとも、鮮卑と混血しまくりで文化的にも鮮卑の影
響が強いが。
逆に鮮卑の中では拓跋みたいな名門ではない成り上がりなので、漢人
の名族出身を騙ったのかも。

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/18(日) 13:42:25.10 ID:+udrJhYa0.net
移民なんてダメなのは、歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった

三国志時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れたが、その後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代だったのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である

今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志時代の中国人や古代ローマ人に親しみを感じるのはそれは当然なのである
寛容と人の良さが発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ

このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!!

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 00:00:21.85 ID:II7BfxfR0.net
隋は統一するだけあって名将も良将も多かったのに崩壊しちゃって勿体ないなあ

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 05:43:01.25 ID:YDrqENYR0.net
>>820
宇文憲、韋孝寛、遅尉迴らが揃っていた頃の北周の方が強そう
隋メンバーは彼らに比べると二軍イメージ

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 07:34:57.90 ID:YDrqENYR0.net
>>807
崔浩が慕容恪を周公旦になぞらえることができなかったのはやはり異民族蔑視がおったからなのかなあ
先代の実弟で幼君を補佐する宰相筆頭格、軍事的な成功を収めてその武勲を称えられるのって霍光じゃなくてまんま周公旦じゃん

823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 08:13:54.22 ID:fM5zAJ+g0.net
>>822
むしろ「禽獣でも中華の礼法を学べば聖人になれる好例」とか持ち上げてると思ってたわ。

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 08:27:53.32 ID:rYG71lIC0.net
もう殆ど統一秒読みの段階で宇文邕がポックリ死んだからな
あとは内部崩壊した陳を始末するだけの簡単なお仕事だったのに実に惜しい

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 08:29:38.43 ID:cswp/Lcb0.net
多分一番楽な仕事だよね。
西晋の司馬炎より楽な仕事。

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 08:55:12.92 ID:YDrqENYR0.net
>>825
当時の西晋は禿髪樹機能の乱に直前まで患わされていたから平呉の条件はあまり良くなかったんだよな

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 09:07:43.25 ID:BvVUvly60.net
当時の西晋は軍縮やってるせいもあってか樹機能の乱の鎮圧に10年くらいかかってるからね。
そりゃ劉淵出馬の話も出てくるわなぁ

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 12:24:51.88 ID:t9ISUd/F0.net
>>817
猗盧あたりから乞那ぐらいまでの拓跋部の内紛ラッシュは異常

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 22:23:09.67 ID:wifTevWb0.net
王猛の諡が武
桓温の諡が宣武
慕容恪の諡が桓

慕容恪が武のつく諡じゃなかったのは意外だし王猛に文がつかなかったのも意外

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 22:27:25.00 ID:xK2vpewV0.net
王猛は「忠武」かと思ったわ

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 22:28:57.45 ID:H6WplNiS0.net
>>828
衛瓘「ワイの対立煽り良くできてるやろ?」

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/19(月) 23:04:03.23 ID:gC/Pz/eq0.net
>>824
武帝は北斉滅ぼした後すぐに陳から江北を奪取してるからな
あの勢いなら楊堅が長い間準備して取り掛かった全国統一も2、3年で達成してたはず

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/20(火) 01:51:07.74 ID:mHgSFea90.net
>>827
その後も軍縮するとか司馬炎つっかえ

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/20(火) 05:32:20.49 ID:Bbtzb3U/0.net
三国時代の人口減少がヤバいという話はよく出るが隋末唐初の人口減少もヤバい
隋末の609年で戸籍890万戸、人口4,600万人だったのが639年の唐太宗の治世初期には300万戸未満、1,235万人にまで落ち込んでいたことになるから

835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/20(火) 09:11:27.96 ID:/hdRzE2e0.net
>>834
煬帝「ワイ、冤罪やから」

836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/21(水) 00:18:41.55 ID:bEtBmumr0.net
>>832
滅亡時の陳は戸籍五十万戸の人口二百万人、孫呉を下回る弱小王朝

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 11:11:31.55 ID:McNQ8Cz20.net
北周と北斉は長期間にわたって相互に国境線で不毛なドンパチ繰り返していたけれど
石勒と劉曜、苻堅と前燕あたりの東西対立は瞬殺で終わっているのが気になる

宇文泰はそこまで戦上手ではなかった印象(トータルで高歓の方が上かなあ)、宇文護は文句なしの戦争駄目マン
よくもまあ北周生き残ったな

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 11:14:42.02 ID:lbyEy3Cw0.net
石勒vs劉曜の場合は、劉曜の後を継いだ息子が勢力縮小を行ってなし崩しで崩壊していったイメージ
前秦vs前燕の場合は、前燕にとって華北の領土は征服地でしかなくて
体勢立て直すために本拠地目指して撤退を繰り返したらなし崩しに滅ぼされたイメージ

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 11:47:44.23 ID:McNQ8Cz20.net
>>838
慕容部飛躍の原動力となっていた亡命漢族士人たちは前燕の関東経略に伴って本貫地に大部分が戻っていた可能性が高いから
関東捨てて今さら遼東に撤退したとしても捲土重来なんてできない状況に追い込まれていたと思うんだよね

地味に荘園摘発施策のせいで漢族士人たちの支持低下でもしていたのだろうか

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 12:14:35.94 ID:XOwxrVB10.net
>>788
神ではないけど五胡十六国時代を眺めてみても慕容恪以上に武勲が凄い人間って
石勒、石虎、苻堅、拓跋トウあたりに限定されてしまうような気がする
これら四者で比較してみても慕容恪は石虎を撃破したことあるし苻堅も慕容恪に対して野戦は挑めず潼関に閉じ籠らざるを得なかった
自ら軍を率いて華北に覇を唱えた石勒、拓跋トウはさすがに上だろうが
それでも堂々の第三席(石勒≧拓跋トウ≧慕容恪)には確実に入る人物だと思う

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 12:22:18.22 ID:Q/KjJ8Uo0.net
劉曜も石勒も年取っててどっちか先に死んだら相手に滅ぼされるかもしれないとお互いに危惧してたと思う
だからどっちも無理を押して洛陽付近で一気に決めにかかった。

正直石勒の方が後継者に関しちゃ自信なかったと思うし。

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 14:06:50.98 ID:Jh73aIvA0.net
慕容部や拓跋部は数で押すイメージが強い

後趙崩壊後の慕容儁による南侵も二十万の軍を擁しての大規模なものだったわけで

逆にこれで勝てなかったらボンクラの烙印押されてしまう可能性あったかもしれない、苻堅みたいに

逆に苻堅はそんな大軍でもないのに前燕も代も滅亡させているんよねえ

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 17:23:19.93 ID:MDzMzJOO0.net
石虎時代、前燕は中原に進出できなかったとこを見ると、石虎の威光というのは強かったんだろうな

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 18:00:23.13 ID:XOwxrVB10.net
>>843
石虎は曹操や司馬懿級の名将だからもう少し評価上がってほしい人物ではある
苻堅や高洋・高演・高湛あるいは李世民みたいな有能傍系簒奪組なのに
暴虐の限りを尽くした酒池肉林系のデブみたいなイメージが定着しちゃってて不憫

蔡謨の評価(往年の魏に匹敵する、北伐は到底不可能)がもう少し定着してくれればな

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 18:18:24.80 ID:XOwxrVB10.net
石虎のボロ負けは二回とも後退してる最中のものなんだよなあ
劉曜の大軍にビビって撤退中にブスリ、棘城の包囲が失敗して泣く泣く撤退する際に若き日の慕容恪からブスリ(どんなに年取ってても多分20歳)
正面から戦ってたらもう少し善戦しただろうに
姚弋仲に叱られた時もそうだけど実は豆腐メンタルっぽい→石虎

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 20:38:47.02 ID:Jh73aIvA0.net
苻萇が傷がもとで夭逝せずに苻健の後を継いでいたら

前秦はあるいは慕容部のように宗族の権勢の強い政体となり

苻堅政権とは全く異なる発展の仕方をしたかもしれない

苻生、苻堅、苻洛のような勇将たちが揃っていたことを鑑みれば

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 20:48:25.02 ID:QU9C6bKE0.net
慕容垂が警戒されていたのは能力や功績じゃなくてただ単に慕容儁の代わりに太子に立てられそうになった事実に尽きると思うの
生けるお家騒動と言っても過言ではない

848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 23:30:44.98 ID:MDzMzJOO0.net
>>846
苻萇が生きていれば、よっぽどのことがない限り、一族が離反することはないしな
一族は軍事面においては粒揃いだし、これはこれで見てみたかったかも
でも、それだと王猛が出てこれないかな

849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/22(木) 23:49:54.52 ID:Jh73aIvA0.net
>>848
王猛は苻堅と巡り遭うことがなかったら隠逸の士として野垂れ死ぬほかなかったかと

慧眼においては苻堅と桓温に差は無かったが

その待遇に当たっては苻堅の度量が勝ったと見るべきか

桓温の用意した高官督護の官も決して低いものではなかったと思われるが

850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 08:47:03.39 ID:k3JyBZT10.net
ノリと勢いで皇帝名乗っちゃって東晋との熾烈な抗争に突入しちゃった慕容儁の評価は難しい

関東の士族たちにしてみれば今更東晋の施政下に戻ったとしても後趙の統治下でその政権に消極的ながらも参画していたという過去は消せなかっただろう

だから慕容儁を担いで自分たちの朝廷を立ち上げて何とか地位や名声の保全を図ったと考えられなくもないが

東晋と前燕との十年以上にも及ぶ長期の戦争状態は遂に前燕を破綻させてしまい苻堅・王猛に乗ぜられる結末に至った

慕容儁は東晋を戴きながら王位に留まりつつ華北を制したる後に禅譲なり何なりかの方策により天下を獲得した方が良かったのではないのだろうか

なまじ武力に恃んでしまったがために国力を疲弊させて滅亡に至ったことがただただ惜しい

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 09:54:25.45 ID:k3JyBZT10.net
北府と前燕の抗争を横目で眺めつつこの隙に乗じようと目論んでいた桓温と王猛はやはり同じ穴のムジナ

王猛の方が一枚上手であったと見るべきか、あるいは桓温の侵略の傷跡が深かったと見るべきか

852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 18:15:19.65 ID:0mw8fIx/0.net
宮城谷あたり、姚襄とか小説にしてくれんかな
宮城谷の爽やか補正を受けた姚襄を見てみたい

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 18:43:28.01 ID:lyDFC7n20.net
>>852
香乱記みたいに徳義を明らかにするために大勢力に抗い続ける展開で行くんかいな

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 19:26:54.00 ID:qENVhP3Z0.net
姚襄主役だと石虎の描写がかなりキモになってくる
ありきたりな暴君描写では姚弋仲の石虎に対する友諠が欺瞞に満ちたものに陥ってしまう虞がある
かと言って聖人君子なんかには絶対に描写できない、かなり難しい素材なんじゃないかな

あり得る線としては石勒や「王者としてのあるべき姿」に対するコンプレックスを抱えて七転八倒しつつ
豪奢を好み規律心がルーズであるがゆえに息子たちや配下の漢族・胡族への統制力の弱さに思い悩む
豆腐メンタル気味の軍人皇帝というのが程よい着地点かと

姚弋仲はそんな石虎の内面を慮って敢えて支えてやろうと義侠心に絆されるお人好し
蒲洪は後趙の泥船さに見切りをつけてて何とか自分たちの部族が生きながらえるようにあれこれ悩む苦労人
王朗や張賀度をはじめとする崩壊しつつある後趙朝廷を何とか支えようとする忠臣の面々
既にデッドロックを迎えた後趙を打倒して漢族王朝を樹立しようと企む李農、冉閔たちの叛逆グループ
こういった連中の陰謀劇として話を進めて行けばそこまで大きな破たんはしないような気がする

東晋と慕容部を絡ませるとかなり面倒臭くなるだろう
特に慕容恪と桓温は間違いなく姚襄を喰うくらいキャラが強烈だからなあ

855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 19:30:52.50 ID:lzY/nUI+0.net
小説より漫画的なキャラ多いからなぁ
シグルイとかベルセルクとかの世界

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 19:39:25.57 ID:qENVhP3Z0.net
とどのつまり人気のない後趙政権とどう向き合うかという問題を抱えたかなり面倒くさい人物だと思うんですよ、姚襄は

その点慕容恪は遠慮なく後趙を悪役として叩ける強みがあるし
桓温もまた演義曹操的なピカレスクヒーローとして描写可能ではないかと
苻秦も力技で苻堅を聖人君子として描いて行けば何とかなる
後趙に最後まで従ってた姚氏集団だけ割を食っちゃってるような気がする
姚襄本人は本質的に東晋にしろ後趙にしろ尊王の士なはずなのに
どんどん逆臣として追い詰められていく様が不憫でしかない
天下に本当の信義を明らかにしていくという滅びの美学路線で押し切るしかないのかなあ

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 19:42:36.03 ID:XiTIeLDX0.net
符堅は聖人君子でしょ(ただし下半身除く)

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 19:58:54.50 ID:qENVhP3Z0.net
>>857
キレたら粛清とか平気でやっちゃうし
兄貴を謀殺した疑惑を考えたりすると
李世民と石虎を足して二で割ったくらいに見える

李世民は身持ちが良かったんだよな
カミさんを素直に褒めるべきか

859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 20:38:18.08 ID:qENVhP3Z0.net
やっぱ桓温主役→謝玄リリーフが一番シンプルで面白く五胡十六国を描けるような気がするんだよなあ

謝玄が桓温から兵法や将軍としてのあり方・生き様を学び
仲の悪かった同僚のチ超からはチ氏がその礎を築いた北府軍団を託され
謝安からは謝家の矜持と糞度胸を引き継ぎ
新たに北府軍を再編した謝玄が枋頭の敗戦で失った栄光や仲間たちとの絆を
かつての桓温のようにもう一度追いかけていくというストーリーは十分にアリだと思う

桓温の大司馬府の掾から桓豁の征西府司馬への累進と、逆臣とも言うべき桓氏にどっぷり与している官歴で
しかも謝安の親挙による北府軍団長への推薦とか反発の嵐が吹き荒れたことは予想に難くないけれど
それを彭城の戦功でねじ伏せる流れにはある種の様式美すら感じる

オシャンティーな青年貴族で上昇志向バリバリのいけ好かない性格と言うのが
いま一つブレイクできていない要因なんだろうな

860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 21:57:08.42 ID:4IBPB0Lf0.net
>>854
>姚襄主役だと石虎の描写がかなりキモになってくる
>・・・(中略)・・・姚弋仲の石虎に対する友諠が欺瞞に満ちたものに陥ってしまう虞がある
参考までに、韓国ドラマの「太祖王建」に、最初主人公の王建と良好な関係で名君英傑らしかった弓裔(クンイエ)がじょじょに暴君になっていくから一つの描写としては参考になる。
日本が出てこないからよほどの韓国嫌いでない限り楽しめる。

861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 22:00:43.63 ID:0mw8fIx/0.net
民衆が姚襄についていき、たとえ離れても、居場所が分かれば、すぐに追いかけるほどの謎の人徳パワー
なかなかにいないと思うし、香乱記のような感じになりそうだけど、面白そうだ

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 23:18:40.96 ID:qENVhP3Z0.net
>>861
えーと韓信並みに人格否定される役回りは……桓温か?
苻堅も慕容儁も徳に欠けるとdisられそうだな

韓信は別にどうでもいいけど香乱記の劉邦と項羽のdisられ具合は半端じゃねえ

863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 23:25:38.14 ID:WVkEYD2i0.net
韓信に親でも殺されたのかって疑うくらいdisられてたけど
項羽と劉邦はそうでもなくない?
田横(斉)から見たら、あいつらって英雄じゃなくてただの詐欺師の侵略者なんだ、ってスタンスだし

864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 23:38:26.13 ID:lyDFC7n20.net
>>863
まあ韓信は徳に欠ける屑人格なのは確かだけど
あそこまで書かんでもいいよね

865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/23(金) 23:40:26.32 ID:lyDFC7n20.net
>>860
たとえ一瞬でもキレイで爽やかな石虎が登場したら前代未聞の出来事だと思う

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/24(土) 01:17:10.34 ID:qT3vK/JE0.net
石勒から見たら簒奪した田斉は曹魏や西晋と同じようなもんだろ

867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/24(土) 09:03:21.93 ID:0pxdKWQ10.net
>>860
石虎は若い頃から残虐だったみたいだから年取ってから急に…みたいなパターンとは違うんじゃ

演義曹操みたいな悪役の方が向いている人間だと思うんよ

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/24(土) 14:36:19.07 ID:HrtTqoJe0.net
沮渠蒙遜とかを、この時代の真田家みたいな扱いで書いてみると、巧みに大国と結んで北涼の拡大に努めたっていう具合で調理するのもいいな

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 00:51:19.62 ID:+juaqGE30.net
>>857
趙匡胤の次くらいにぐう聖だな
基本的に前王朝の一族は滅殺されるけど、この二人はそれをしなかったどころか厚遇してるし

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 06:40:16.78 ID:avxVDi+a0.net
>>869
・従兄の苻生を弑逆して簒奪
・兄貴の苻法謀殺容疑

血塗られた簒奪劇演じてるぞい
本人は大真面目に聖人君子目指してたのが滑稽だが(自分を光武帝になぞらえたり)

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 06:50:48.70 ID:avxVDi+a0.net
苻堅は討ち滅ぼした前燕王朝の首脳部を朝廷の官員として登用しているのがユニーク
多民族国家ということを強く認識しての政治的なパフォーマンスだったと見ることができると思うが
王猛が進めていた比較的学力に重点を置いた官吏登用も興味深い

ただ、それが貴族政治全盛の東晋には堪えられなかったのだと思う
統一なんかされてしまったら身分秩序が崩壊して素性の知れぬ異民族たちが自分たちの官品の上に位置付けられてしまうかもしれないという悪夢
そりゃ死ぬ気で戦いますわ

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 07:12:51.27 ID:6PyTGuEI0.net
後漢王朝が異民族討伐に多額の国家予算と膨大な人的資源を注ぎ込みまくって崩壊していった過程を学んだ人間であれば
軍縮して民力回復に努めたり異民族統治にも苛烈な武力弾圧とか塞外への強制排除は回避するように努めたりするものだと思う

司馬炎は比較的正解をチョイスしてた人物だと思う
外戚関係を除けば

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 07:42:25.00 ID:4mtQu4CV0.net
司馬一門だからと言って幼児まで封王したのは失態だったな
次世代を担って欲しい意図は汲めないでもないが結果はご覧の有様だった

874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 08:22:45.02 ID:6PyTGuEI0.net
東晋の中期頃から見られ始める外戚は中央から転出して外鎮するというシステムはよく出来ていると思う

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 10:03:54.96 ID:Ax2s0rIa0.net
慕容恪に神格化とかケチつけてたやつが「劉曜は泥酔で負けたんじゃないやー」とか妄想全開してて草

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 10:08:28.24 ID:W78+FiEO0.net
劉曜「ワイ、献容たんのいない辛さを酒で紛らわせてただけだから」

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 21:13:36.99 ID:MDBpI+yB0.net
五胡がアル中なのはデフォに近いからねえ
モンゴル人は酒に弱い遺伝子持ってないらしいから(持ってるのは中国の南東部にルーツ持ってるモンゴロイドが多いらしいが)
おそらくその祖先に近い匈奴たちも浴びるように呑みまくっていたんだろうな

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 21:50:56.60 ID:MDBpI+yB0.net
現代のモンゴル遊牧民も馬乳酒でカロリー摂取している側面があるらしいので
嗜好品として呑んでいたというよりも食生活の一環で呑みまくってた可能性もあるのかも

特に石勒との決戦は年を跨ぐ寒い時期に当たっているから呑まないとやってられない感じだったのでは

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 21:59:03.21 ID:4mtQu4CV0.net
寒冷化真っ盛りの時期だったらしいからね
ロシア人が気付けにウォッカやるぐらいの感覚で飲むんじゃないの

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 22:21:51.02 ID:12yLLJbd0.net
酒毒と荒淫による短命皇帝多すぎ問題

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/25(日) 23:43:35.28 ID:1rZxQVkG0.net
>>880
部下の宦官に殺された家があると聞いたのですが

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 07:14:24.07 ID:SU0cqbN30.net
328年8月の高候の戦いで劉曜軍(おそらく十余万)が石虎軍歩騎四万を撃破
この戦いはその後の記述(死体が二百里以上にもわたって続いた)
から石虎軍の壊滅と言っても過言では無いくらいの惨敗だったと考えられる
劉曜は同じ月のうちに洛陽の石生に対する水攻めによる攻城戦を開始

11月、石勒が徐光に反撃を諮った時に徐光から
「劉曜は十万の精兵を率いながら洛陽一城を百日経っても陥落させることができていません(後略)」
という発言が出ており劉曜軍は完全に城攻めの態勢にシフトしてしまっていたことが分かる
おそらく長期的な野営を見据えた宿営地が築かれ攻城兵器も建造されていて
即座に野戦に打って出ることができないかなり鈍重な状態に移行していたのではないのだろうか

石勒が成皋に行動を秘匿させながら分進させてきた諸軍を終結させたのが12月乙亥の日
その五日後12月己卯の日に劉曜は捕虜となったわけだけど(通鑒参照)
石勒の奇襲的な侵攻に対応が遅れたのは仕方がない部分あるにせよここまで急激に敗退を演じたという背景には
やっぱり酒の飲み過ぎでまともな判断力低下してたからだったとしか擁護のしようがない
酒飲んでなかったら勝てたか?と言われれば微妙だけど

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 08:33:55.97 ID:bFySn0zG0.net
>>879
ロシアでガチで寒い地域ってボールペンのインクがすぐ凍って壊れるらしいからね。

>>881
奴隷に殺されたって家もありますな

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 10:00:38.82 ID:PPvyPFXd0.net
劉曜としてはおそらく遠征軍主力を率いていたであろう石虎軍を既に殲滅していたから
石勒が率いて来れる洛陽救援軍は最大でも精々四〜五万くらいという油断があったのではないのだろうか
蓋を開けてみたら石勒は豫州とかからも兵力引っこ抜いて予想の倍にもなる歩兵六万、騎兵二万七千で攻め込んできやがった
前趙軍十余万と言っても今の今まで攻城戦の態勢にあった軍隊だったわけだから全部が全部五日間の短期間で防御準備なんかできなかったことだろう
(五日目に劉曜は捕虜となっているので交戦開始はもっと早かった可能性すらある)
そもそも石勒軍の編成や態勢すら正確に把握できていなかったかもしれない(漠然と大軍が来ていることは認識していたようだが)

石勒が成皋に至るまでその行動を秘匿しきったこととおそらく局地的にではあるが相対戦力で優越できるぐらい大軍をかき集めたことが勝因なのだろう
劉曜が酔っ払っていたことは石勒の勝利を傷つける要素ではないと思う

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 10:52:17.91 ID:PPvyPFXd0.net
石勒がリスクを冒して洛陽への救援を企てた背景には程遐の具申にあった「金庸城には糧食が豊富にあります、持久戦が有利でしょう」
という現状分析から「むしろ今こそ劉曜を一戦で葬り去る好機」と判断したからなんだろうな
洛陽が陥落しないという前提で敢えて劉曜を城攻めに縛り付けておいて身動きを取れなくさせたところに大軍で隠密的に急襲・機動打撃する

意図してなかった石虎の惨敗や洛陽包囲を逆手に取った秀逸な作戦プランだと思う
これこそ後趙(石勒)相手にはなまじっか勝つ方が危ない所以だろう

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 11:21:52.85 ID:PPvyPFXd0.net
石勒がやったのは370年の前秦による前燕侵攻の際に王猛が晋陽・壺関を陥落させ路川で大勝したあとにノコノコ親征しに来た苻堅を
慕容評が敗軍を再編成して逆襲に打って出て秦軍を壊滅に追い込み苻堅を捕虜にしてしまうようなキチガイストーリー

石勒は頭がおかしい

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 14:42:40.36 ID:Fg9yfKKE0.net
十六国といいながら洛陽まで進出して中原の覇権握ったことのある政権は
前趙(匈奴)→後趙(羯)→前燕(鮮卑)→前秦(テイ)→後秦(羌)→北魏の六か国しかいなかったわけだから
北魏が統一事業進めていた時期はプレ南北朝・北朝移行期として分離してしまって
それ以前の時期は華北五か国と東晋の並立期として捉えられるべきなのではないのかな。
東晋五僭朝とかそんな名前で。
涼州の泡沫政権とかどうでもいいじゃん。

888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 17:30:51.17 ID:KCS0Eurf0.net
そんぐらい混沌としていたという証左として十六国は必要。語呂も良い

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 19:11:58.64 ID:Fg9yfKKE0.net
>>888
根拠はないけど仏典に出てくる「十六大国」のパクりなんじゃないかと個人的には推測している

890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 19:45:32.52 ID:C0JJuQnu0.net
そんなこと言ったら三国志は一国志になるじゃん

891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 20:02:50.81 ID:SU0cqbN30.net
>>890
色んなところで指摘されてるけど
「魏がダメぽだったから晋が天命を継承しました」という建前から
「魏書」ではなく「三国志」に貶められたという理解でいいんじゃない?

892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 20:17:01.91 ID:V6X2XNN80.net
呉は論外として、魏と蜀って結局どちらが正統なの?

893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 20:27:18.76 ID:SU0cqbN30.net
>>892
むしろ呉はイギリスから独立したアメリカ合衆国的な爽やかさがある
蜀は○○革命で仕方なくドイツ領に亡命した△△朝的な寂寥感(そんなのはイギリス史だと存在してないが)
むしろ魏の存在意義に悩む

894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 22:16:27.23 ID:QRZDNZxA0.net
どう考えても魏でしょう
献帝を愍帝と呼んでる人なんていない

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 22:26:24.96 ID:BVp2hj1y0.net
>>894
劉淵「ワイは季漢の後継者やから劉協さんを愍帝って呼んでるで。」

896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/26(月) 23:11:12.76 ID:QRZDNZxA0.net
でもおたくの国が劉協の子孫族滅させたやん

897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/27(火) 08:37:17.30 ID:xUx2eIvJ0.net
>>892
東晋としては世相的に蜀漢
魏って東晋から後趙に重ねられたりして扱い悪いよね

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/27(火) 10:32:30.24 ID:Chpz9mXm0.net
王猛は管仲というジャンルを超克することはできなかったが
諸葛亮は諸葛亮という一ジャンルを築いた点で少しだけ優越していると思う

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/27(火) 17:49:07.89 ID:fBxW6C8/0.net
元法僧という齢72歳で北魏朝廷に造反し天子を名乗った挙句
梁に亡命して83歳まで長生きしたトンでも爺さん

900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/27(火) 19:30:15.23 ID:5APhYjzY0.net
>>898
後が続かなかったのが悪かったな

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/27(火) 19:54:17.91 ID:Chpz9mXm0.net
>>900
存在感は凄かったやん
簡文帝の桓温に対する「諸葛亮みたいに次の幼帝も補佐してね」の遺言に登場とか

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/27(火) 20:44:20.72 ID:UY5QygMt0.net
北魏でも王猛の一族が厚遇されてるのを見てると伝説の人ではあったのかね。

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/27(火) 20:53:38.06 ID:fBxW6C8/0.net
北魏だとケ羌の子孫が地味に活躍してるのが気になる

904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/28(水) 00:25:05.95 ID:65xUSWXo0.net
>>898
主君がみっともない最期を遂げなきゃいけないから管仲タイプって実は難易度高いよな

905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/28(水) 23:39:43.62 ID:bfIy9CQs0.net
この時代のゲームがやりたいわ

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/28(水) 23:44:46.34 ID:65xUSWXo0.net
苻堅の能力設定で揉めそう
なぜか政治と魅力高めで軍事関係は低めの能力……
絶対に逆なんだよなあ

907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/28(水) 23:57:02.15 ID:65xUSWXo0.net
東晋はかなり下駄履かせないとゲームバランスが崩壊しそうな気がする
陶侃や桓温、桓豁、桓沖、朱序、謝玄以外で北からの猛攻に耐えれそうな武将を登場させにくい感じがするから
謝尚とか荀羨あたりを強めにしておかないと360年代に前燕に滅ぼされそう

908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 00:01:27.33 ID:HlTtN9dW0.net
戦国史で、東晋十六国(永嘉の乱シナリオ)とか鉄火紅塵(劉裕の北伐シナリオ)とか朔風乱舞(高歓挙兵シナリオ)とかやれよー

909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 00:07:04.04 ID:ztERVG6e0.net
>>908
桓温シナリオって昔あったんだっけ?

910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 00:08:33.09 ID:BP3HtGN50.net
>>907
南朝は君主でも菩薩皇帝ぐらいしかバランスとれた能力持ってんのいなさそう

911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 00:13:40.47 ID:ztERVG6e0.net
>>910
最終兵器劉裕さんがおるやろ

でもバランス良いのは桓温なんだよなあ

912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 00:17:26.45 ID:9UHX1/es0.net
慕容恪をありきたりな全能力90台後半の完璧超人にするか
それとも政治と知謀は70〜80台に下げて武力110統率95ぐらいの戦争マシーンにするかで
全然違ったゲームになりそうな気がする

913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 00:29:35.74 ID:Xp+GZKl60.net
>>910
頑張っても東晋明帝司馬紹が前線に立てる限界だと思う
宋文帝劉義隆レベルでも軍事能力高くないからなあ

914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 00:40:34.71 ID:2HSp7Ti80.net
艦船が建造できないと淮水以南は機動や補給が困難になる補正を入れてほしい

915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 00:53:12.73 ID:HlTtN9dW0.net
>>909
一応、今も遊べるはずだけどバランスが大味すぎて良作とは言いがたいんだよなあ

戦国史的に、後趙と前秦の崩壊後のシナリオって
「大勢力なのに大規模に北伐しない東晋」を再現するのが厄介すぎる

916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 01:02:09.86 ID:2HSp7Ti80.net
>>915
そこで九品官人法を東晋側に枷として設定して恵まれた家柄とある程度の年功積まないと大軍団の指揮官できないようにさせるのですよ
若造から抜擢できるのは特別イベントで謝玄のみとか寒門や五胡からの降伏組を軍団長にしようとすると貴族たちから猛反発が起きて忠誠が下がるとか

でも前秦崩壊後の北伐は386年頃まではかなり北上して一度は慕容垂も敗走させたりしてるから
東晋がそこまで引っ込み思案というイメージもない

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 08:55:11.89 ID:EPeeEUs00.net
石勒が政治力低い曹操扱いされそうなのが‥‥ね。
実務的な政治力と多数派工作とかの政治力は別物だと思うのだが、加えて独創的なプランニングの能力も。

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 09:31:58.15 ID:EPeeEUs00.net
と言うか絶対的に設定された能力値というのは本来はおかしいと思う。
能力値談義やランクづけというのは麻薬的な楽しみがあるけれど人間はそんなに単純なものでもない。
寡兵率いて大軍を撃破できる戦場の名将が長期間大範囲の戦役では無能を露呈するということは実は珍しくない。

919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 09:51:54.70 ID:9buZKW980.net
ある年を境に突然能力が大幅低下させないと

920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 09:58:29.45 ID:EPeeEUs00.net
>>919
晩年極端に衰える奴って梁武帝ぐらいのような。
苻堅は死ぬ直前まで孤軍奮闘してるけど指揮能力は低下していないし。

921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/29(木) 23:59:50.17 ID:ikihNTxW0.net
>>915
東晋が北伐するタイミングというのは実は華北の政権が急激に崩壊した直後に集中してて

311年の永嘉の乱→祖逖の北伐(313年〜321年)
349年の石虎崩御→チョホウ、殷浩、桓温の北伐(349年〜356年)
383年の寿陽の役→謝玄の北伐(384年〜386年)

これって実は華北からの亡命者たちを募兵して北伐戦力に転用してるっぽいんだよな
後趙崩壊時とか東晋朝廷は夷をもって夷を制すとか考えながら動いていそう

922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 10:21:22.65 ID:bQJcq7Vg0.net
石勒が死んだときもやろうとは思ってたけど石虎が強くてダメだったな

923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/30(金) 12:27:16.01 ID:4SRd8iAS0.net
>>922
慕容部も代替わりあったし陶侃も亡くなってたし
石勒崩御後の北伐はタイミング宜しくない

石虎の鎮圧が手際良すぎたのが一番の理由だけど

924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 01:04:12.48 ID:wSO8Vg2U0.net
前秦という名のポンコツ国家

925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 11:21:55.78 ID:wSO8Vg2U0.net
前秦の政権運営って圖讖で動き過ぎじゃね?
後趙は瑞兆多かったけど前秦は圖讖が目立つ感じ
前燕に圖讖出てきたかと思ったら苻堅の記事だったくらい圖讖好きなのはどうかと思う
王猛が禁止しようとしてしなかったらもっと酷かったんだろうか

926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 14:27:42.92 ID:38fJyEkL0.net
北宮純、かなりの名将なのに漢に降ってから、死ぬ寸前まで活躍ないのは何でだろ
干されたのか

927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 16:32:17.96 ID:QeK9WS4n0.net
北宮純、かなりの名将なのに漢に降ってから、死ぬ寸前まで活躍ないのは何でだろ
干されたのか

928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 21:52:01.20 ID:ykGQNDdv0.net
五胡十六国や東晋と倭国の関係が気になる
いわゆる空白の4世紀

929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 22:12:02.55 ID:Z3RLIb9z0.net
なーんも残ってないからなんとも言えん
使者送るのはやっぱ強いしっかりとした国が生まれてからでないとわざわざやらんだろうし

930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 22:25:30.33 ID:gFSj0t8l0.net
そういや雄略天皇もこの時代の人なんだよなぁ

931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 22:55:32.68 ID:a1CH1Guz0.net
>>930
雄略天皇は多分5世紀末ぐらい

劉裕が山東半島回復してから倭国が南朝に朝貢するようになったとか言われているけど
それ以前は前燕や後燕に朝貢しに行かなかったのだろうか?
まあ高句麗の軍門に降らなかった倭国が鮮卑に屈するとも思えんのだよな

932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 23:22:47.70 ID:a1CH1Guz0.net
通鑒だと377年春に高句麗と新羅までは前秦に朝貢しに来ているんだよね

933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/01(土) 23:55:01.32 ID:kna/lwUF0.net
朝貢が儲かるものじゃなかっただけじゃぇの?

934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 09:42:07.71 ID:rF/KXa9g0.net
実は倭国はめちゃくちゃ勤皇の士で
五胡風情に朝貢できるか!と東アジアで一人気を吐いていたとかだったら笑える

935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 15:49:09.35 ID:O3r3+0jx0.net
>>926
いや、マイナー将軍でしょ
むしろ埋没する程度の将器だったのでは?

936 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 17:24:48.78 ID:nQ/QLR690.net
今回のスレは何か穏当に終わりそうだな
でも次スレ後漢末期から始めて隋唐直前まで入れたらまた落とされちゃうのかなあ

937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 18:25:38.97 ID:MXoRyFr30.net
何で入れる必要あるの?今のスレで穏便にすんでるなら、そのままでいいじゃん

938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 18:49:36.11 ID:nQ/QLR690.net
>>937
スレタイ偽装だからなあ

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 20:38:50.28 ID:asDB69z50.net
別に五胡のまんまでええわ

940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 20:49:56.99 ID:nQ/QLR690.net
個人的にはもうすこし東晋にもスポットを……

東晋の概説書とか実は無いよね
五胡は三崎先生の良著があるというのに

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 21:07:16.62 ID:k1nQ5Ybd0.net
たしかに魏晋南北朝でまとめられがちやね
東晋貴族の盛衰とか北府と西府とか結構面白いのにね

942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 21:16:53.60 ID:hBVTL4Mj0.net
別に川勝義雄の講談社学術文庫でいいじゃん。
・・・・とも思ったが東晋政治史だけでも意外と分量少ないな。

・琅邪王政権の勃興期、祖逖の北伐
・王敦の乱、蘇峻の乱による政権の危機
・王導・チ鑒・陶侃の三頭体制
・ユ亮兄弟らによる北伐機運の興隆
・桓温の登場と征蜀、三度の北伐
・省官併職、土断等の政治改革の進展
・桓温の簒奪工作と謝安らの抵抗
・前秦との本格的な抗争、肥水の戦い
・中原回復の決定的挫折としての謝玄の北伐
・司馬道子による皇親政治と東晋政権の腐敗
・東晋貴族政治の危機と孫恩の乱
・盧循の乱と桓玄の楚建国
・劉裕の北伐、晋宋易姓革命

これらに文化史とか経済史を組み合わせたらかなり面白い内容になると思う。
東晋も五胡と一緒で主役不在と言えば不在なんだな。
桓温や劉裕みたいに悪役として魅力的な人物はいるけど。

943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 21:24:49.07 ID:nQ/QLR690.net
感覚的な話だけど
東晋史と五胡諸政権の動きが密接にリンクした概説ってないような気がするんだよね
単純なセクショナリズムとも思えないのだが

944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 21:34:31.58 ID:hBVTL4Mj0.net
東晋の北伐を真面目にカウントしていくと実は相当な数になるからなあ。
殷浩だけでも少なくとも二回以上やってるっぽいし。
潰された北伐もユ亮、ユ翼、チョホウと結構多い。
升平年間〜興寧年間の前燕との戦争なんて「洛陽陥落、沈勁処刑」で終わりだしw

945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 21:41:39.73 ID:XumdC1hi0.net
>>931
倭の五王の最初の三人が仁徳天皇の息子説があるので
もしそれが本当だとしたら桓温や謝安や劉裕らが生きてた時代に
仁徳天皇が生きてたと思うと面白い

946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 21:54:11.02 ID:xmsM4JAI0.net
広開土王に負けたのは応神か仁徳になるのだろうか
仲哀が敗死してたりするとしっくり来るような気がしないでもないが(→その後応神系王権成立)

947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 22:59:35.12 ID:hBVTL4Mj0.net
慕容恪が南征してた時期に前燕軍が主に戦っていた相手は主に北府軍になるが、
その北府軍のトップにあれこれ指図をしていたのが会稽王司馬cとすると途端に有能な政治家に見えてくる。
なお河南は慕容評たちによって軒並みに削り取られました。

948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/02(日) 23:10:42.24 ID:tZUgPEY10.net
後趙では石勒晩年に洛陽遷都の構想があったようだが
前燕や前秦ではそういう建議なかったのだろうか
前秦あたりは長安よりは洛陽からの方が東晋侵攻の指揮しやすいように見えるのに

949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 00:22:30.12 ID:y6JFnS740.net
洛陽は対東晋目線だと最前線すぎるから、南朝が滅びるか大人しくなるまで遷都は難しいんじゃない?

950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 20:47:29.21 ID:40v8Ax3b0.net
>>949
北魏は洛陽に遷都したせいで北海王元コウによる北伐喰らって陥落させられてるもんなあ

951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 21:58:15.31 ID:40v8Ax3b0.net
>>947
慕容部は河南に雪崩れ込むよりは
太行山脈を超えて関中に攻め込んだ方が良かったと思う
当時の河南は既に人口稠密地帯でもないし獲得するメリットがあんまり見当たらない

952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 22:41:53.60 ID:DR1Sj+qK0.net
慕容恪にしてみれば洛陽まで取ったことでようやく潼関、蒲阪の二経路から前秦侵攻を窺うことができるようになったと思うんだけどね。
慕容恪が急死しちゃったから前秦に殴り込む予定があったのかそれとも東晋との戦闘を継続しようとしていたのか今となっては判定できないのが残念。

苻堅が慕容恪の西進にビビって陝城に自ら入ったという流れは逆を言えば蒲阪の方は仮に攻められてもそう簡単に失陥しないという期待値があったのだろうか。

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/03(月) 22:57:13.64 ID:DR1Sj+qK0.net
慕容恪と慕容評はどう見ても執政タイプではなかったが、この点では慕容垂も結構怪しい。
慕容儁没後における前燕最大の不幸は慕容儁みたいに政務と戦争を全般指導できる人材がついぞ現れなかったこと。
名将三人いてもそれを使いこなす指導者不在だったのが辛い。

954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/04(火) 05:24:53.16 ID:WoktMZIS0.net
慕容垂の存在にdisられているせいでイマイチ評価が芳しくないが
遼東・前燕・後燕・北燕・南燕含めた君主の中で一番優れた君主は間違いなく慕容儁だろう

若干慕容恪に戦略的な部分の功績が喰われてしまっているような気もするが
対後趙・冉魏の総司令官は一応慕容儁

955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/04(火) 18:45:02.71 ID:4TcUcuOo0.net
儁は何というか島津4兄弟の義久的なポジションだな

956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/04(火) 20:31:48.56 ID:xWkoQuyd0.net
慕容垂を推す人は素人だと思うの
載記読んだら絶対に嫌いになる

957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/04(火) 20:37:40.16 ID:xWkoQuyd0.net
384年以降の慕容垂は逆立ちしても350年慕容儁に勝てない現実は直視するべき
慕容儁は垂のこと上手く使いこなしている
少なくとも干してなんかいない

958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/04(火) 21:00:42.56 ID:rwsRCZFK0.net
このスレの光武帝disと慕容恪disり野郎が別人っぽい
つーか光武帝disってた奴何者なんだよw

959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/04(火) 22:14:04.79 ID:WoktMZIS0.net
慕容部は変な癖あるよなあ。

慕容儁はねちっこいし、慕容垂はアスペっぽい。慕容徳は狡猾な機会主義者丸出し。
性格に癖がないのが慕容恪……かもしれないけど元勲を平気で粛清したりするあたり
社稷第一優先の無私野郎っぽいのが人間味の無さを感じさせる。
そしていつもスルーされる慕容納。

960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/04(火) 23:35:37.73 ID:WoktMZIS0.net
※史通巻十二より
前燕慕容カイ、コウ、雋、イ。
有起居注,杜輔全疑「詮」字?旁。
録以為『燕紀』。
後燕垂、寶、盛、熙。
建興元年(386年),董統受詔草創後書,著本紀並佐命功臣、王公列傳,合三十卷。
慕容垂稱其敘事富贍,足成一家之言。
但褒述過美,有慚董、史之直。
其後申秀、範亨各取前後二燕,合成一史。

慕容垂の史書編纂時における人間臭さ。
「ただし(後燕書の)褒述は美辞に過ぎ、董統には史の値に慚愧するところがあった。」
こういうの好きですよ。

961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/04(火) 23:37:21.01 ID:WoktMZIS0.net
もしかして「史の値」じゃなくて「史書記述の率直さ」かもしれない。

962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 00:35:02.26 ID:rKknRsLL0.net
>>961
董、史って何となく人名っぽくない?
春秋時代に時の権力者におもねなかった史官のエピソードで
晋の趙盾に対する董狐、斉の崔杼に対する3人の史官があるから、それかも?

963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 18:29:44.06 ID:1LTUt9Yn0.net
崔浩といい、劉知幾といい、意外と慕容垂もdisられてるな。
崔浩は何か嫌な思い出でもあったのか?

964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 21:03:04.98 ID:+8d2L9HY0.net
慕容垂の子育ては石虎と同レベルかそれ以下だからなあ
兄弟の骨肉の争い(未遂)で苦しんだ過去を持つ人間がまったく懲りずに子供・孫世代に火種を撒いていくって最悪だと思う
この点で慕容皇光に一番似ているのは慕容垂なんだなと実感させられる

965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/05(水) 21:38:38.12 ID:HIb4UxSI0.net
五胡君主で子育てに成功したやつなんて一握りだろ……姚萇ぐらいしか思い浮かばん
子供が出来た人間に育ってもたいてい親がやらかしてるし(劉曜、苻堅)

後継者たる長子を人質に出して平気で見殺しにできる石勒と諸王子が殺しあって後継争いしているのを見て喜んだ赫連勃勃は問題外

966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 00:47:13.01 ID:XUtMrQ8j0.net
>>965
李世民「子育てはちゃんとしないといかんよ」

967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 07:04:13.29 ID:ltXz8YAU0.net
>>965
石勒が長男見殺しにしたって記述あったっけ?

968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 07:29:01.92 ID:v4f5NG/m0.net
>>967
314年に劉コンのもとに世子石興を人質として差し出している
322年に石弘が世子に立てられる際に
「先是,勒世子興死,至是,立子弘為世子,領中領軍。」という記述があり
石興が既に亡くなっていたことが分かる

劉コンは劉聡や石勒とその後も戦争状態が継続しているので
人質として送られてきた石興を送り返した可能性は限りなく低い

969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 18:25:20.38 ID:ZUzczLmK0.net
あーそれか
確かに一時的な信用を買うためだけに見殺しにしたかもな

970 :968:2016/10/06(木) 18:59:39.68 ID:v4f5NG/m0.net
若干飛躍があるのは承知しているが

石興が必ずしも劉コンの人質に出されたわけではない、という意見ももっともで
載記だと時期はおそらく314年前後に劉聡から石興に対して上党国世子・翼軍将軍・驃騎副貳の官位が送られている
だから劉コンに送られた人質は別の人間ではないか?という意見はむしろ正しい

しかしながら石勒の第二子である石弘が313年生まれの幼子で人質に出されなかったことを考えると
その上の子である長子石興しか劉コンに送るにふさわしい子息は存在しない
(この時代の人質は劉コン→拓跋部や桓宣→陶侃の例を見てみてもある程度年喰ってるパターンが多い)
石勒には兄弟に関する記事がほとんどなく、部落解散時にほとんど生き分かれた可能性の方が高い
(母親の王氏とともに手元に戻って来たのが甥っ子の石虎だけだったわけだからほとんど生き分かれているよなあ)

また劉聡から石興に送られた官位についてだが
単なるタイムラグという可能性もあるし
あるいはどっちにしろ表には出せない人質だったから黙って受け取るしかなかったという線も考えられる

ちなみに十六国春秋だと石弘が第三子となっているため
劉コンのもとに人質に送られたのは第二子の名前が知られていない子息だったのではと一件落着する模様

971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 19:09:22.62 ID:v4f5NG/m0.net
通鑑だと劉コンは石勒が降伏してくるというのを信用して漢趙攻撃に打って出ようとするのだけれど
石勒が拓跋部の一万余家の部族民を内応していたため身動きが取れなくなり
石勒は降伏するつもりなんて無かったというのが分かって恐懼したことが記されている

ここまで本気で騙せたと言うことはかなり信頼性を担保できる人質だったと思うんだよなあ
石興か名の知れぬ第二子
どっちにしろこの時亡くなってる可能性が高い

972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 21:22:48.27 ID:kRjZ+6Ay0.net
拓跋部というエンドレス子育て失敗国家
時々まともな子供が生き残って頑張るという凄いシステム
北魏に突入したあとの母殺しとかコントだわ、悪いのは子種の方だろ

973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 22:03:05.41 ID:nJg0TszF0.net
桓温の子育て失敗ぶりもなかなか
府僚のことはあんなに上手く育てたのに

974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 22:43:13.67 ID:Fd+NPZJg0.net
>>892
正統性があるのは魏。
唐が漢→前魏→晋→後魏→北周→隋の流れを唐の正統性の歴史にしてるから。

975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/06(木) 23:23:52.61 ID:v4f5NG/m0.net
逆説的ではあるが劉裕の北伐や簒奪が北魏の華北統一の原因になっていたような気がする
東晋が無能皇族による恩倖政治に堕落していってたから仕方がないといえば仕方がなかったのだろうが
政権の改革を求める衆意そのものは間違っていなかったと思う

しかしながら劉宋は晋を継ぐには門地が糞過ぎた

976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 10:54:24.45 ID:r7NXAf4Q0.net
川本芳昭の論文で似たようなアプローチのあったような……

977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 11:52:37.81 ID:r7NXAf4Q0.net
劣化曹操・桓温にしか見えんよな、劉裕
軍事に関しては黄河の北まで侵攻して慕容垂と争った元上司である劉牢之の方が上だろうし

978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 17:02:08.18 ID:SRH5d9ki0.net
劉裕簒奪以降華北から南朝への亡命者が激減、ほとんど見られなくなったという話だから。
皇帝としてはこれ以上の失態はないよなあ……軍人としてはこの上なく優秀なのに。
曹操の軍才と曹丕の見通しの甘さ・冷酷さを併せ持つ、まさしく魏晋南北朝を体現するような男だわ。

979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 17:40:19.37 ID:MVuFbk320.net
結果としては北朝の士人の南朝への未練を断ち切る事になって北魏の華北制覇に繋がってくからな。

980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 18:48:06.32 ID:V+EVRc6Y0.net
梁の時代になると結構な数の将が南朝に移ってくるんだがな
短期の亡命先みたいな感じでやってくる奴がそこそこいたしそのまま梁に仕えるやつも

まぁ寛容が過ぎてとんでもない危険物まで引き取って死んでしまうんだが

981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 18:56:36.62 ID:zyWiJXiR0.net
>>899の元法僧とか有名どころだと陳慶之の北伐に一枚噛んでる元コウとかか。

982 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 19:10:04.61 ID:zyWiJXiR0.net
>>980
独孤信まで引き取っていたような・・・・。
やっぱイケメンは得だわ。

983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/07(金) 23:38:23.93 ID:jBvyKJHg0.net
咸陽、洛陽、成都、建業、長安、開封・・・

984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 00:14:10.55 ID:S5QlC86i0.net
ドラゴンブレイドでネタにされたけど、中国の西域辺境部隊は漢の時代に、古代ローマ軍と戦ってたんだっけ

>漢書の陳湯(ちんとう)伝に書かれた記録に由来しています。
 陳湯は、前漢時代の西域担当の武官でした。
>「100人あまりの歩兵が、魚の鱗のような陣形や
 盾を組み合わせた見たこともない戦法を使い
 土で出来た城の背後の木で造られた砦に籠っていた」

985 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 00:16:56.21 ID:S5QlC86i0.net
>>983
杭州忘れんな

986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 02:18:22.12 ID:LPxc0DUh0.net
さすがにそろそろ次スレか
ちょっくらスレ立て試みるわ

前みたいに瞬殺されないように気をつけないと

987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 03:24:26.93 ID:LPxc0DUh0.net
立てた

次スレ
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1475862510/

残りは名将議論でもして埋めるか

988 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 04:05:57.76 ID:s3ZeFexz0.net
ぼくは遊子遠!

989 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 09:18:25.29 ID:LPxc0DUh0.net
十万以上の大軍を率いて戦役を遂行した将・君主
・西晋王衍(将士十余万) 311年 苦県で石勒軍(推定騎兵二万)と交戦、包囲されて矢を射撃し続けられたため軍は壊滅
(共和政ローマ対アルサケス朝のカルラエの戦いに似てる)
・西晋賈疋(衆十万) 311年 黄丘で侵攻する劉曜軍を撃破し関中から漢軍の排除に成功
・代公拓跋猗盧(二十万) 312年 晋陽において劉曜軍を撃破し(落馬して死にかけた模様)劉コンの晋陽奪回を支援
・前趙劉曜(二十八万) 323年 涼州の張茂を攻めるも、精兵が少なかったこともあり張茂の帰順をもって撤兵
・前趙劉曜(帯甲十万) 328年 高候で石虎軍(四万)を破り続いて洛陽に石生を包囲
 ※後趙石勒(歩兵六万、騎兵二万七千)がこれに反撃し洛陽において会戦、前趙軍を撃破(斬首五万)して劉曜を捕虜とする

・後趙石虎の段遼討伐 338年3月 水軍十万(桃豹、王華)、前鋒歩兵騎兵七万(支雄、姚弋仲)、主力推定二万以上(石虎、郭太、麻秋)
 ※段遼の勢力は壊滅し、一時的に幽州が後趙の支配下に入る
・後趙石虎(戎卒数十万) 338年5月 棘城に慕容コウを包囲するとともに遼東の諸県を次々と降服させる
 ※慕輿根が十数日間にわたり防戦を続けたことで後趙軍は撤退を余儀なくされる
 ※撤退する後趙軍に対し慕容恪が騎兵二千で追撃、斬首三万級を得る(冉閔のみが軍を全うして撤退)
・後趙麻秋 347年4月 衆八万をもって涼州の枹罕を包囲、石虎はさらに劉渾率いる歩兵騎兵二万を増援
 ※前涼の謝艾が三万の兵を率いて迎撃し麻秋軍を大破、獲首虜一万三千級
・後趙麻秋 347年5月 後詰の石寧軍二万余と合流、再編成した十二万の軍で涼州に再侵攻
 ※7月 前涼の謝艾(歩兵騎兵二万)が前鋒の王擢らを敗走させ、8月には麻秋本軍も撃破し涼州の防衛に成功

五胡十六国前半だとこんな感じか

990 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 09:34:03.70 ID:LPxc0DUh0.net
大軍になり過ぎると統制が効かなくなって逆に敗戦するイメージ
直率四万限界説はやはり説得力あるなあ
石勒や石虎が勝ちまくってたのも大抵四万前後ぐらいの部隊規模

991 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 15:14:29.78 ID:LPxc0DUh0.net
続き

・後趙梁犢(衆已十万) 349年 涼州に流刑になった元東宮の高力たちを煽動して後趙に反乱
 ※李農、張賀度らが率いる歩兵騎兵十万を新安、続いて洛陽において大敗させる
 ※石斌、姚弋仲、蒲洪らによってケイ陽で大破され、梁犢は斬首となり反乱軍は尽滅

・後趙石沖(衆十余万) 349年 石遵の簒奪を糾すため燕において挙兵、ギョウに向け南進する
 ※李農、冉閔率いる精卒十万の軍に撃破され石沖は賜死、兵卒三万余りが生き埋めとなる

・前燕慕容儁(選精兵二十余万) 350年2月 慕容霸、慕容恪らを率いて後趙への親征を開始

・後趙石コン(兵十万) 350年4月 冉魏への討伐の軍を起こし邯鄲まで進出
 ※魏の衛将軍王泰の軍に敗れ一万余りの死傷者を出し敗走

・冉魏冉閔(歩騎十万以上) 350年11月 襄国の石祇政権への包囲攻城戦を開始
 ※姚襄二万八千騎、前燕悦綰の兵三万の増援を受けた後趙の石コン軍の攻撃を受け大敗、将士の死者十余万

この後しばらく十万を超える大軍の戦役や会戦は減少
桓温が関中への北伐時に王猛に対して「俺っち鋭兵十万を率いて百姓を残賊から救うためにやってきたんだけどさあ……」
みたいに自慢話し始めるのだが、この時の桓温軍は四万のはずなので司馬勳と王擢が六万程度いたという話なのだろうか

・前燕慕容垂(歩騎八万) 357年 塞北に出でて勅勒(テュルク系部族)を討伐、捕虜斬首十余万
(勅勒の方がおそらく十万を超える大軍だったのではないかということでピックアップ)

・前燕慕容評(中外精兵三十万) 370年 前秦の王猛軍(六万)の阻止を図るも
王猛から「慕容評、彼奴こそ真の奴才よ。億兆の衆と言えども畏るるに足らず。況や数十万をや!」と虚仮にされた挙句
シ路川において惨敗を喫する、当初斬首・捕虜五万余り、さらに十万余りの斬首・捕虜を王猛軍は獲得した

・前秦苟萇(歩騎十三万) 376年5月 使持節・武衛将軍として毛盛・梁熙・姚萇らを率いて前涼討伐開始
 ※8月に前涼軍を撃破して張天錫を降し前涼を滅亡させる

・前秦苻洛(幽冀兵十万) 376年10月 北討大都督として?難・ケ羌・張シら率いる歩騎二十万と合流し代国討伐開始
 ※劉庫仁(十万)を撃破、直後に拓跋寔君が代王什翼ケンを弑逆して代国は大混乱に陥り秦軍により制圧される

やっぱ華北統一すると動員力グッと増えるな

992 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 15:56:42.22 ID:LPxc0DUh0.net
あとはざっくり行く
・前秦の襄陽攻城戦(378年〜379年) 司令官は苻丕
 ※内訳は苻丕軍七万、石越軍精騎一万、慕容垂・姚萇軍五万、苟池ほか四万

・東晋の襄陽攻撃(383年5月) 司令官は桓沖
 ※内訳は西府軍十万、前秦の援軍が来たことにより早々と撤退

・肥水の役(383年8月〜) 司令官は苻堅
 ※内訳は前鋒苻融二十五万(慕容垂三万を含む)、主力歩兵六十万、騎兵二十七万(梁成五万を含む)
 ※対する東晋軍は桓沖がおそらく十万で荊州で防御、謝石・謝玄らが八万で寿陽正面に展開

・慕容垂のギョウ攻略(384年) 慕容部・丁零・烏桓の衆二十余万でギョウの苻丕を攻撃
 ※年末に東晋軍謝玄麾下の劉牢之・滕恬之二万がギョウに増援・糧食補給
 ※385年4月 劉牢之の攻撃を受けて遂にギョウ包囲軍が撤退、その後慕容垂は劉牢之を撃破するも
 ギョウを攻略できず劉牢之がギョウに入城するに至る(その後劉牢之も保持できず撤退)
 ※8月に苻丕がギョウを放棄して晋陽に入ったことでようやく慕容垂はギョウを制圧することができた

五胡十六国後半はあんまり詳しくないのだが
ここまで概観してきて大軍の指揮に長けていた人物ってほとんどいないな
慕容垂からして内容が酷い

993 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 16:04:18.56 ID:LPxc0DUh0.net
四万〜五万を率いて活躍した将帥たちも必ずしも大軍を指揮した人々に決定的に劣るわけでもなさそう

石勒、桓温、慕容恪、王猛、劉牢之あたりは兵数で劣っていても勝っちゃうあたり、やはり名将か

994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 16:45:54.31 ID:LPxc0DUh0.net
西晋で討呉の役を興すかどうかで揉めるのもこれなら分かる気がする
曹魏・西晋の場合は東興の戦いや西陵の戦いでボロ負けしている実績もあったから
とてもじゃないが大部隊で攻めるリスクは犯したくないという勢力が一定数いたとしても不思議じゃないし

995 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 17:14:11.43 ID:+CjP6NT30.net
苻堅の失策で致命的なのは、姚萇を意味もなく造反まで追いつめてしまい、慕容沖との二正面対処を強いられるようになったことだから
ヒ水の敗戦は必ずしも致命傷というわけでは無かったと思う。

996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 17:31:24.67 ID:e/bl5Ol40.net
姚萇の扱いは致命的だったな コレなければ、後秦はなかったわけだったし

997 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 18:22:43.87 ID:e/bl5Ol40.net
>>995
けども、石越や張シとかも兵1万を超える軍が動かせないってのは、そうとうなダメージなのは確か

998 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 18:44:39.30 ID:s3ZeFexz0.net
やっぱり劉邦は神なんやなって

999 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 20:30:40.91 ID:LPxc0DUh0.net
>>998
劉邦を過小評価してほかの初代皇帝を持ち上げる人たちが悪い

劉邦の評価は石勒のものが的確過ぎる

1000 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/10/08(土) 20:32:04.47 ID:LPxc0DUh0.net
>>1000万、ということで次スレ以降お願いします

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