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何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのか

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/03/20(月) 22:49:13.76 ID:hugaVazr0.net
魏は国力差を活かしきれてないのか、あるいはそこまで国力差が実は無かったのか

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/30(日) 22:48:57.17 ID:gswAnPHL0.net
>>628
親周瑜で気に入りの魯粛に進言されて初めて孫権は周瑜を召し返してたんだが

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/30(日) 22:51:29.00 ID:gswAnPHL0.net
正直魯粛が鄭宝について行ってれば呉は堕ちてたとおもう

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/31(月) 09:29:51.40 ID:eZN/CB+M0.net
周瑜がまとめたと言っても長対陣になったらボロボロ崩れていったと思うけどなあ

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/31(月) 10:22:23.71 ID:aH21q0b50.net
>>632
程公の人望に賭けろ

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/31(月) 16:07:07.03 ID:gD0UidOP0.net
>>632
崩れるの折込済だから黄蓋の偽降計が成功した
まあ長期対陣すると官渡みたいに両陣営崩れて
お互い崩れたり登降したりするのは普通にある

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/31(月) 18:24:47.91 ID:eZN/CB+M0.net
>>634
曹操と孫権の勢力比は官渡とは比べ物にならないから曹操の方が崩れる可能性はかなり低いだろ

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/12/31(月) 20:14:33.25 ID:reLRHx720.net
>>635
低いもなにも曹操は疫病での撤退が主な原因だぞ

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/01(火) 13:23:59.21 ID:mMInB3/9O.net
人が土地の風土に合わないっのは決定的な差だからな。

あの場で対陣を繰り返せば、曹操軍は何度でも大規模な疫病に見舞われるな。

ストレスが体調を崩して、重病にまでなるんだろう。

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/02(水) 01:09:45.03 ID:eqpZQ4Xn0.net
人口密集、不衛生な環境、不安定な食糧供給による栄養の欠乏…
軍隊生活は伝染病の集団感染を引き起こす危険要素を幾つもはらんでいる
特に、張羨の乱、赤壁の戦い、樊城の戦いなどの建安年間における荊州の戦乱では疫病の発生が史書に記録されている
傷寒雑病論の作者張仲景こと張機も、建安年間に孝廉に推挙され太守として長沙に赴任したところ、疫病によって親族二百人のうち3分の2を喪ったことから医学の道を志したという
西暦2世紀末から3世紀初頭の荊州はそれだけ疫病が蔓延する危険地帯だったってこと
余談になるけど、周瑜、魯粛、呂蒙などの呉の優秀な将軍が荊州で病死したこともこれによって説明がつくはず

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/02(水) 11:14:18.61 ID:370q+Nt3O.net
そんな時代に大規模な切開手術を麻酔もなしに受け、術後には二次的な感染症にすらかかっていない。

術中は大量出血しながらも、睡眠効果を誘発する飲酒までしていた。
当時は当然、無菌室も輸血もない。

疫病地獄の世界でこんな手術受けても、なんともない関羽さんは本当に超人過ぎるな。

死因が病没な常人程度ではまず生還不能だろうな…。

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/02(水) 14:30:59.31 ID:th3eckBR0.net
>>639
そういう関羽真理教布教いらないから

もっと危険で不衛生で死亡率高かった宮刑も
前漢の頃には処方確立してとっくの昔に死亡率減っている
同時代の華佗は開腹手術したという記録が残っているし
肘の一部切開して骨削った関羽はそこまで生命に危険な手術ではないので
麻酔無しで手術に耐えたのは凄いが特別超人という訳ではない
関羽よりも治療した医者を褒めるべき

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/02(水) 15:27:39.53 ID:370q+Nt3O.net
二次的な感染症に関しては、本人の異常耐性以外にどうやって説明するんだ?

関羽は切開手術中に肉食べて、酒まで呑んでたんだぞ。無菌室とはほど遠い不衛生環境だぞ。

さらには大量出血しながらの意識を失いかねない飲酒。
当然、そんな状態で意識失ったら現世に帰ってこれないだろう。

上辺だけでものいっちゃあかんぞ。

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/02(水) 22:37:52.31 ID:gudpfvNV0.net
関羽の手術談義すんの?
まずはアルコールって当事は痛み止めの意味が合ったね
大規模な手術って肘だからね
自分の触ってみてごらんすぐ骨だから
後医者がヤブ過ぎる
完治した後に大分経ってから毒って
破傷風でも腕を落とすレベルだよ

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 11:45:24.85 ID:rn9FO0Y/O.net
単純に関羽がリアル超人だったという話ですよ。
病没が死因な連中にはまず耐えられるような手術ではなかったろう、という理由も込めて。(当時の環境的に)

中国の正史には功績多大な戦略家、戦術家は多いが、関羽のような超人的な人物は、いうか大規模手術を簡易な戦場医療で完治させてしまうような超抗体の持ち主なんて関羽しかいなかったんじゃないの?

戦略、戦術は素人でもこのような超人は居るだけで戦局に影響するでしょうよ。ほぼミュータントだもの。

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 13:46:47.31 ID:RkQ5NcS60.net
まあ、肘が痛覚があまりない部位とは言え
麻酔なしの切開手術だからな。
それに耐えただけでも超人だが、談笑しながら
酒まで飲んでたからな。

当時の酒が痛み止めになった?
最近RDR2でもプレイした?
ウイスキーなら西洋医療が未発達の時代には
痛み止めみたいに使われてたけどな。
しかも、痛み止めというのは術後の断続的な痛みの軽減に効果があるわけであって
術中の痛みを大きく和らげる、もしくは全く感じなくなるほどの
現代医療の麻酔レベルの信頼性があるわけでもない。

大規模とらえられるのは、関羽伝に盆に血が溢れかえる程と
書かれてるからだろう。
当然、輸血がなければ疫病に侵されて病没するような常人なら
そのままお亡くなりになられるわな。
疫病蔓延な世界での不衛生環境下での戦場医療だから
当然に本人の抗体も頑強でなければ、二次的な感染症にも当然かかる。
これも、病没が死因の武将では同じような手術には耐えられない理由にもなるな。

このような正史のデータをもとにすれば、関羽という武将は非常に稀で特異な武将で
曹操のように最前線においておけば、敵大将目掛けて遮二無二突っ込んでいき
敵味方の被害を最小限に抑えて、敵軍を沈黙させる働きが期待できる。

ホウ徳戦で額に矢が刺さっても戦えたという記述もあるが
これにしたって、なんの根拠もなしに兜をかぶっていて兜に矢が弾かれた
などというデマなどより、関羽ならば頭骨の厚みで脳に矢が届かなかった、とか
考察論を立てるほうが賢いと思う。関羽は常人ではないからな。

曹操も関羽を手元に置き続けられれば、南方攻略は楽になれたかもな。
曹操は騎兵を中心とした戦術指揮官を多く抱えてはいるが
被害は敵だって、出さずに勝つのが覇者の理想だろう。
(いずれ敵国だった国も自分の国になるので)
関羽の顔良斬り(刺し?)は便利すぎる戦い方。

関羽だけは俺も単独で戦況に影響できるような超人だったと思う。
プライドが高く、強情が過ぎるのもそんな人物だからだろう。
自分も他人と変わらないと自覚できていたのなら、唯我独尊を気取るはずもない。

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 16:16:08.85 ID:66Q653fU0.net
関羽信者って正史もまともに読め無いのかな?
とりあえず戦場医療って何に?

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 17:12:13.65 ID:rn9FO0Y/O.net
戦場での簡易医療だと思ってもらえればいいかな。関羽は武人なんだから、戦場の陣地で手術を受けていても不思議じゃないでしょ。
それと煽ることしか出来ないのなら消えてくれない?知識がないのはただの恥だよ。

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 19:53:17.51 ID:goDzOGNt0.net
史料の断片的な情報を想像力で膨らませても妄想は妄想でしかない
それを知識と言われても、あなたがそう思うのならあなたが好きなようにしてください、ここ以外の場所で、としか言いようがない

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 20:19:34.61 ID:66Q653fU0.net
>>646
それが肘の手術と何の関係があるの?
いきなり妄想垂れ流しされても

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 22:40:13.56 ID:rn9FO0Y/O.net
答えられなくなったら妄想呼ばわりで締めるのか?
元より断片的な情報しかないのが正史だろうに。
てか、当時の中国の酒が痛み止めになる。なんてトンデモ妄想はスルーなのか?
妄想の飛躍度合いが一番酷いだろ。

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/03(木) 23:46:47.69 ID:66Q653fU0.net
自分で勝手に痛み止めの定義を決め付けて妄想って言われてもw

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/04(金) 00:55:20.94 ID:nwqWpXoYO.net
トンデモ妄想の原因は>>640>>642だな。

それは俺じゃないから分からんわ。
上辺だけで中身がないからスッカスカな意見だから、理由を詳しく聞きたいところだが逃げたのかな?

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/04(金) 03:03:20.33 ID:ibnQob8L0.net
長い文書いても中身があっち行ったりこっち行ったりでなあ

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/04(金) 13:42:15.93 ID:McEwXnUP0.net
要点は関羽が凄かったか。当時の医療技術が凄かったか。
だな。

・共通点:当時は疫病が全国的に蔓延していた。

⦿関羽が凄かった
 ・大量出血を伴う切開手術を輸血も麻酔もなく、不衛生環境下で行い
  二次的感染にもかからなった。
  
  超人と呼ぶには十分な説明かと。

⦿医療が凄かった
 ・全般的に具体的な説明はなし。
 
>>640より「もっと危険で不衛生で死亡率高かった宮刑も
  前漢の頃には処方確立してとっくの昔に死亡率減っている 」

  もっと危険で不衛生 と 処方確立 の具体的説明の欠如。

  更に二次的感染は不衛生環境下での細菌感染によるものなので
  無菌室のなかった時代に、その被害を完全に
  抑えられる医療技術、薬方の説明不足。
  中央、地方の医療機関の充実、医学会の発展の説明も必須。
  でなければ、関羽の執刀医が同等の薬方と知識を揃えられていた説明にもならない。

 >>640より
  「同時代の華佗は開腹手術したという記録が残っているし
   肘の一部切開して骨削った関羽はそこまで生命に危険な手術ではないので
   麻酔無しで手術に耐えたのは凄いが特別超人という訳ではない 」

  
  ・開腹手術と腕の切開手術の出血量の違いの説明の欠如。
   出血量が多ければ、腕の切開手術でも命に係わるため。

  >>642
「まずはアルコールって当事は痛み止めの意味が合ったね 」

   ・どういうことなのか?これもまた具体的な説明がない。
    アルコールはどれくらいの度数、酒量なら痛み止めの効果を発揮し
    それが断続的な痛みが続く切開手術に耐えられるものなのか?
    技術的に生成可能だったのか、現代の麻酔並みの信頼度があるのか、の説明不足。


>>639からのまとめを書いてみたが
関羽の超人っぷりは説明が簡単だが、当時の医療技術の説明は東洋医学の専門家でもないと
無理なんじゃないの?    

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/04(金) 16:22:54.48 ID:pd/acrFo0.net
>>653
とりあえず正史の記述を丸飲みしてるのがな
肘が完治してから曇りや雨の時に痛む程度で
しかも時間が大分経ってからの骨に毒って診断ミスだし

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/04(金) 16:44:56.80 ID:NOZYSpE50.net
だからスレタイが読めねーのかな
ここは関羽のすごさを語るスレでも古代中国の医療技術について語るスレでもないのだけれど

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/04(金) 17:09:59.48 ID:HBJW7Bcy0.net
約一匹、>>639に猛烈に噛みついてるのが居るからな…。
答えられないならスルーすればいいものを。
関羽真理教布教だの、関羽信者だの煽ってる姿には懐かしさすら
感じるがいい加減に絶滅してほしいわ。

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/06(日) 18:32:43.98 ID:a9R6hr/I0.net
俺は司馬懿の深謀遠慮だと思うね
司馬懿が本気なら、孔明死後の蜀なんてあっという間に司馬懿に滅ぼされてるよ
死せる孔明生ける仲達を走らすは、ただのショー


じゃあ何で司馬懿は孔明死後の蜀を滅ぼさなかったか?
蜀を滅ぼせば、その軍功は大きすぎて、洛陽の宮廷から呼び出されて処刑される可能性大
だからあえて孔明死後の蜀を滅ぼさないようにしたんだろう

曹叡も愚かだよ
俺が曹叡ならば、孔明死後直後に魏延が勅命で処刑されたとの一報が入ったら、
すぐさま司馬懿を大都督に任命して30万の大軍を与えて漢中へ攻め込ませ、
同時に合肥には兵5万を派遣して満寵の指揮下に置かせ、
呉への守備を固める
そうすれば蜀を滅ぼせるか、少なくとも漢中は切り取れた
何せ魏延は長く漢中の長官であり、漢中の要害を知り尽くしていた名将軍だが、
その魏延がいないんだからね

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/06(日) 19:39:52.71 ID:xSFGTv2D0.net
愚かというか、曹叡は良くも悪くも現状の領土で満足してた気がする

だからほとんど外征やらないし、
孔明が死んでやったことと言えば、もう安心じゃ宮殿建て放題!!でしょ

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/06(日) 21:28:10.33 ID:ydsl95M30.net
晩年に司馬懿に遼東遠征を命じてたじゃん
まぁ公孫淵があくまで背かなければそのまま放置してたかもしれんけど

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/06(日) 23:24:26.95 ID:xSFGTv2D0.net
なんか話ずれてるなぁ

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/08(火) 17:32:25.27 ID:cB0ycXCW0.net
曹操があと5年長生きしていた場合、
関羽の仇討に出陣した劉備が夷陵の戦いで陸遜に大敗したという知らせを受けた曹操が、どう対応するのか気になるね
うまくいけば蜀は滅亡し、曹操が成都に入城。
陸遜なら息子の陸抗と違って永安宮(白帝城)を落とせるだろうけど、
益州での戦果はそのぐらいだろう。
天下は三分せず二分(しかも圧倒的に魏が優位なまま)となる。
曹操の跡を継いだ曹丕と呉の戦いもまた、史実と違ったものになるだろう

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/08(火) 18:27:04.69 ID:gM0RhW5i0.net
曹操が健在なら、劉備が呉へ東征する前提も絶対といえるかわからん

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/08(火) 22:36:24.03 ID:MB8+83r00.net
流石に曹操が健在なら迂闊に出兵はできないんじゃないかと思ったが、
その少し前に荊州兵だけで魏に喧嘩売ってるやつがいたのを思い出した

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/08(火) 23:57:49.33 ID:MB8+83r00.net
つまり当時の蜀は曹操舐めてる感あるし、
平気で夷陵出兵くらいやるかもしれない

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 00:59:16.49 ID:cFmWXXOS0.net
その舐めてた奴がぶっ殺されたばっかやんけ

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 01:43:53.85 ID:aOlew9/i0.net
曹操がもしも長生きしたらってifだけは考えられねーんだな
曹操は30年もの間広大な中国大陸を所狭しと縦横無尽に駆け巡っていたから
正直よく持ったなっていう感想しかわかないしあれ以上生きられる生命力を持った怪物だったらとっくの昔に中国大陸統一してたわ

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 05:41:44.16 ID:2QIlpMNo0.net
洪武帝「30年程度でへばるようでは英雄にはなれん」
天命帝「じゃあ子孫も同じくらい有能っていうifはどうよ」
始皇帝「そもそも統一に30年もかかるか?」

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 11:16:41.55 ID:JlZicAhJO.net
そもそも曹操の求心力が低下して、息子に権力のない飾りの地位に追いやられそうだ。
献帝とセットで自身の君主の座の禅譲も迫られたりな。

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 12:24:05.09 ID:LZ+BAbLh0.net
氷河期だから補給線の伸びる益州方面は攻めにくかっただろうな

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 22:53:09.70 ID:wE/l7AR90.net
>>667
始皇帝はスタート地点が良すぎるのでNG

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/09(水) 23:05:53.55 ID:BzKNq8RP0.net
「秦始皇や漢武の風を持つが、この2人にはわずかに及ばない」と劉曄に評されたのが皇位に就く前の曹叡

即位後は始皇帝や武帝のような大宮殿を建設したのは共通してるが

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/10(木) 01:26:22.75 ID:0FoUWDFc0.net
それって劉曄の機知を示すエピソードってどこかで見たな
曹氏でなく袁氏の種なのを「わかるやつはこれで察しろ」っていう

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/10(木) 02:03:53.58 ID:AqFwft230.net
○○は実は○氏の種ではないってネガキャン呂氏の乱からのテンプレだから
献帝も霊帝の子ではないってネガキャン袁紹にやられてる

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/10(木) 22:10:10.04 ID:f9h9CIao0.net
>>673
桓帝辺りから皇帝の親が侯とか亭侯とかの馬の骨だから
ぶっちゃけ皇帝が馬の骨の子だろうが知ったこっちゃない
梁冀が劉志(桓帝)でなく劉蒜を皇帝にしていれば
また後漢の命運も変わってきたと思うが
劉蒜は曹操の養祖父の曹騰と不仲なので
曹操と劉蒜系皇帝との関係は献帝の場合よりも厳しいものとなっていただろう

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 17:17:03.29 ID:LVxQDZ+W0.net
氷河期で思い出した
赤壁の曹操撤退って疫病では無くて寒波による凍死なんじゃないか
予定外の戦線の膠着で冬支度が出来なかったのが原因か

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 17:39:54.22 ID:IH8qFR7r0.net
氷河期てw寒冷期じゃないの

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 17:53:02.56 ID:LVxQDZ+W0.net
>>676
長江が氷る事があるほど寒い時期なのを知らないのかな?

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 19:36:45.55 ID:kV7h6T7I0.net
最近、三国志の出来事をなんでもかんでも寒冷期のせいにする風潮って何なん?

そういう研究成果や史料でも出てきたん?

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 21:20:07.48 ID:riRfD/wu0.net
三国志に限らず最近の古代とか中世の研究って寒冷化現象を前提にしてるんじゃね。

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 21:35:00.33 ID:IH8qFR7r0.net
地球寒冷化→凶作が続く→飢饉が慢性化→食いつめ者があふれる→野盗増える→
政治の無力化→民衆は新興宗教にすがる→農民一揆増える→武力でのしあがる時代→
これすなわち乱世

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/11(金) 22:10:20.02 ID:Z+CtGddG0.net
後漢皇帝じゃなく太陽が悪かったんや!

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/12(土) 07:08:50.18 ID:D09W7RH+0.net
>>681
いや、売官は悪政だろ

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/12(土) 14:03:53.14 ID:XTBsQXzQ0.net
レコード大賞への批判は禁止ですよ

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/12(土) 21:04:52.57 ID:t7Ugsk1V0.net
それは太陽が
させたことだよ
夏の太陽が♪

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/13(日) 01:59:15.87 ID:w8zfRXss0.net
太陽が眩しいから・・・宦官に政治任せっきりでもかまへんか・・・

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/13(日) 20:21:12.61 ID:tjCwM+P90.net
結論として漢王朝は亡びて当然だな

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/13(日) 22:29:00.14 ID:x1H5pfBQ0.net
>>686
たぶん中原の万民(知識人層)も、そう思ってたのだろう
朝廷が腐敗し黄巾の乱から端を発した乱世で国土が荒廃し、
もはや漢王朝に天下を統治してほしくないというのが中原の万民の気持ち
だから曹丕が帝位を簒奪して漢を滅ぼしても、誰も反発をみせなかった
劉備からすれば、中原の万民は曹丕の帝位即位に激怒するはずだ
万民は漢王朝の支配こそ願っているはずだと思っていたので、完全に当てが外れた

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/13(日) 22:56:16.86 ID:ZaXD2mEg0.net
でも、曹操が死んで曹丕が皇帝になった時期に地味に涼州で反乱が起きてるんだよね
蘇則が張既と協力してすぐに鎮圧してるがね
まぁこれは漢魏革命とは無関係な反乱かもしれんけど
あとちなみに、曹叡の正妻郭皇后は元は涼州の豪族の生まれだったんだけど、父親がこの反乱に連座したことで婢女に落とされて宮中入りしたんだとさ

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 12:03:46.80 ID:0J7svsxX0.net
初期の五胡政権の漢王朝リスペクトも西晋アンチってだけで漢王朝を懐かしむとか漢室復興とか真面目に考えてた訳ではないし

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 17:16:09.03 ID:+geDRalG0.net
>>681
飢饉が起きるのは正しい政治が行われていないから
つまりは後漢皇帝が悪い
日本の戦国時代もそんな思想だったよね

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 18:17:29.50 ID:h+hNDqDT0.net
そりゃ凶作=飢饉では無いからな
金が無いからって売官なんて悪政してたら駄目だろ

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 19:05:46.09 ID:3JqJQwjg0.net
売官は清もしてたからセーフ

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 20:50:13.36 ID:h+hNDqDT0.net
>>692
セーフじゃねーよ
売官でまともな人材を遠ざけて宦官を内に呼んでまともな政治ができるか

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 22:03:56.95 ID:MGdcHIH70.net
売官制度なんてのは近世フランス、あるいはイギリスなんかでも行われていたし世界史では珍しいものではないんだよね
我が国でも江戸時代に御家人株を買うことで裕福な町人が士分になることもあったわけだし
制度そのものの問題ではないよ

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 22:13:54.84 ID:h+hNDqDT0.net
太尉や司徒を売ったのと同列に扱ってるのが間違ってる

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 22:37:33.98 ID:MGdcHIH70.net
三公なんて録尚書事が付いてなきゃ名誉職と同じじゃん

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/14(月) 23:06:21.29 ID:0J7svsxX0.net
霊帝は地方官まで売ってたからアウト

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/15(火) 02:02:13.43 ID:bs+9Xjy90.net
>>695
曹操が西園八校尉に抜擢されたのも父親の曹崇が銭一億万を投じて太尉の地位を買ったからなわけで
曹操にとっては売官制度が出世の追い風になった一面は否めないね

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/15(火) 11:21:12.57 ID:9bN2hVI20.net
つうか売官のおかげで地方で苛斂誅求が激しくなったと聞くんだが

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/15(火) 11:31:13.51 ID:2FRjhAf20.net
>>699
地方官まで売ったからな。
所謂「三公」は名誉職で災害が起きたりしたら簡単に罷免されるけど地方官はそうも行かないから搾取し放題。

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/16(水) 09:43:48.21 ID:wMGtWuI60.net
現在行われている公共施設の命名権売却も、ある意味で売位売官制度の名残とみることもできる

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/18(金) 17:07:57.46 ID:4m/LmQ9D0.net
>>701
逆だろ
命名権売却はそのお金で運営費に充ててチケットなんかの値段が下がるが
売官の場合は勝手にチケットの値段を上げてその差額を私腹に入れんだぞ
なんか一人だけ後漢時代の売官の重さを理解してないな

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/19(土) 20:58:04.44 ID:vIWMpg6kO.net
金の力で現人神に成りたがる小物は、どんな時代にも居るんだな。

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/24(木) 09:29:54.30 ID:3yAl8hxO0.net
>>658
宮殿工事は諸葛亮の存命中の太和年間でもうやってる

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/01/24(木) 10:12:15.82 ID:KwzgC8nJ0.net
秀吉のような知略に長けた英雄がいなかったから

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/01(金) 05:39:40.10 ID:kw5MSu6+0.net
主要な所抑えちゃったからもういいやってなっちゃった
蛮族としか思ってなかったんだろ

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 03:47:59.46 ID:Midiaszi0.net
普通に魏は何回も呉と蜀に侵攻かけて失敗を重ねてるんだぞ?
主要なところ抑えてたから良いやなんて思ってなかった

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 06:57:14.10 ID:76wL9pTm0.net
>>707
蜀って2回目で落として無かったか?
そんな何回もって回数では無いだろ

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 07:59:23.80 ID:gF8zTCnw0.net
姜維との戦いで数万人、諸葛恪との戦いで数万人とそれぞれ損害の記録がある
戦術的には相当な打撃、当時の人口からしたら国力に響くほどだったんだろう
戦術レベルで蜀、呉は大変優秀でそれが魏の物量、人口に対抗する状態が続いたんだろうな

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 11:29:47.84 ID:Z2Vh6VYd0.net
>>708
230年に曹真が、244年に曹爽が征蜀の軍を率いて退いてる
なので鍾会は3回目だね

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 18:50:14.40 ID:rgfLvgAa0.net
>>710
曹真のって大雨で途中で引き返しだろ
あれって戦争まで行っていたか?

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 19:30:17.36 ID:8Kxn3R810.net
共産や社民党員じゃあるまいし
万単位の軍勢動員して敵国に攻め込むのが戦争じゃないって
なかなか斬新な意見だw
日本人の平和ボケもここに極まれりって感じがする。

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 19:50:14.08 ID:MhaH4XcZ0.net
>>712
歴史を知らんのか?
計画だけで頓挫なんざ普通だぞ

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 20:09:34.96 ID:nM8tctDB0.net
北魏あたりも南伐が負けた時には大雨とか理由に撤退してるからな

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 21:47:33.96 ID:160wyWRU0.net
調べてみると曹真による太和四年の征蜀ってかなり大がかりなものだったんだな
斜谷道に曹真、子午道に張郃、西域から陸水路を通って司馬懿、武威からも兵が出てる
長雨で計画が頓挫してなかったらどうなってたかわからんね

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/02(土) 22:00:10.57 ID:MhaH4XcZ0.net
後主伝で諸葛亮が城固、赤阪で待ち受けたけど曹真は大雨で撤退した書いてあるな
肝心の諸葛亮伝ではそれさえ記述が無いから衝突は無かっただろうな

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/03(日) 01:55:54.97 ID:QGMPTtms0.net
飛行機輸送機があれぱどうかね
国土が広すぎて、右上から左まで行くのも大変だろ

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/03(日) 05:58:34.28 ID:bRbIuSfK0.net
夏侯覇が蜀征伐で先鋒をつとめ、蜀軍に囲まれピンチになったが何とか切り抜けたという記述がある
後、司馬懿が蜀の城を落としたりしてる

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/03(日) 20:05:27.35 ID:WgI6dZdn0.net
蜀が涼州を獲得していたら

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/03(日) 23:27:33.44 ID:8CpH/kAa0.net
>>710
孔明と魏延が死んだ直後の234年、235年に魏は大軍で蜀へ攻め込んでおけと思うわ
絶好の機会を逸した
魏が天下を統一できずに三国鼎立が長引いたのは、魏が好機を逸していたからというのも一因だな

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/04(月) 11:08:04.76 ID:HOFscGrf0.net
優れた将帥なら自分の死後に十分な備えを残してるだろうし
内政に関してだって後継を複数指名して念入りに体制を固めた諸葛亮のことだから
魏側もそういうのを警戒してたんでそ

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/06(水) 01:28:56.83 ID:57c9RtZL0.net
曹真の蜀侵攻失敗は兵力では損害少なそうだが
食糧などの補給物資の損害はかなり大きそうだな

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/06(水) 01:58:36.68 ID:76PJ26w10.net
明帝曹叡の代に度支尚書司馬孚の献策で(涼州天水郡) 上邽に冀州の農民を五千人移住させて屯田兵としたと晋書司馬孚伝にあるが、これはおそらくその埋め合わせの措置なんだと思う
蜀の北伐が兵糧や輸送の問題で頓挫していたのと同じ理由で魏の蜀侵攻もまた困難であったのだろうな

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/06(水) 09:01:14.26 ID:e/o5E/Am0.net
>>723
埋め合わせというか
蜀の狙いの一番が涼州の安定化阻止だって事に魏もある程度気付いていたって事やろ

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/07(木) 23:40:04.35 ID:SB656nn80.net
>>719
荊州統一も欲しい
せめて襄陽だけでも関羽が落としていたら

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/08(金) 08:19:39.95 ID:I4ZfiwRU0.net
涼州と荊州持ってる蜀ってまんま北周やんけ。
その北周にしても粱と北斉の自滅がなかったらかなり厳しかったし

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/08(金) 14:01:58.29 ID:P5gqd/+R0.net
>>719
1回目の北伐の時に魏延の策を採用して長安落としてあとは函谷関を固めてれば良かったんじゃね?

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/08(金) 22:21:35.92 ID:IBltIl+f0.net
>>727
その前に劉備が荊州ではなく長安を攻めるべきだったな
そうすれば孫権が北上する可能性が有ったのに

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/08(金) 22:48:00.69 ID:C3OkDjZe0.net
実際劉備がなぜ即位後涼州に侵攻しようとしなかったのか不思議に思う
あの時期、麹演らが反乱を起こしていて魏の涼州統治に綻びが生じていたはず
まだ馬超も存命だったし介入の糸口は十分あったのにね
荊州方面も重要だが外交で先延ばしにする策も取れたと思う
後知恵でしたり顔で語るのもみっともないかもしれんが

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/02/08(金) 23:57:45.87 ID:uqvwNzHr0.net
身内の荊州閥が地元の支配の安定を求めたのでは?
平家打倒の旗印で挙兵した頼朝も配下の上総氏あたりの要請で関東の安定を最優先して
佐竹氏あたりを討伐してたはず。

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