2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

項羽と劉邦 その6

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/09(土) 12:52:08.28 ID:Gds+/+wG0.net
基本的には、項羽と劉邦、楚漢戦争メインで語るスレですが
周辺人物、秦の治世、前漢建国後の事象など、語りたいことが
あるならば、何でもありで存分に語り明かすスレです

項羽と劉邦 その5
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1505863018/


過去スレ
▲▲   項羽と劉邦   ▲▲
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161621239/
項羽と劉邦 その2
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1219552075/
項羽と劉邦 その3
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1379633993/
項羽と劉邦 その4
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1457530173/

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/09(土) 12:57:28.91 ID:3iQ+Qg0+0.net
ho

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/09(土) 13:33:43.55 ID:PMhjx95s0.net
いちおつです

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/09(土) 13:48:56.71 ID:2oqGExra0.net
劉邦
http://imepic.jp/20181212/291850

項羽
http://imepic.jp/20181212/291460

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/09(土) 14:14:57.86 ID:vwyHZqYn0.net
劉邦 息子捨てて逃げる
劉備 趙雲が命がけで救った阿斗を投げ捨てる

こういうお約束なのか?

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/09(土) 16:48:50.03 ID:hvM0vYSu0.net
>>5
後者は創作やぞ。

7 :随何:2019/03/09(土) 19:35:31.97 ID:RlbfNJla0.net
漢王よ、儒者をいじめるのはやめてください

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/10(日) 07:41:49.97 ID:fxypFitZ0.net
>>1

陳平  おつ

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/10(日) 08:30:41.30 ID:CBFxd4Oy0.net
>>7
叔孫通や陸賈は優遇されてるやろ

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/10(日) 13:56:12.83 ID:jyiNWjaa0.net
陸賈本人は天寿をまっとうしたし
その子孫も粛清されたという記録がないから
本当の「勝ち組」は陸賈ということでOKか?

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/10(日) 22:16:15.82 ID:kTK1xi1t0.net
>>1

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/11(月) 07:14:19.45 ID:ru4Frdcb0.net
>>10
陸賈か。横山光輝の項羽と劉邦と史記とではキャラデザインが全然変わっていたな
そんなこと言えば陳平や韓信、蕭何とかもそうだけど

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/11(月) 08:25:01.81 ID:VF61UYEd0.net
王陵なんか若者が髭はやしたオッサンになってた

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/11(月) 19:56:22.65 ID:HxaxEdMg0.net
始皇帝というと、ほとんどの人が冕冠(前後に簾みたいなのを垂らしたいかにも帝王らしい冠)
を被った姿をイメージすると思うが、意外にも始皇帝は冕冠を廃止してるんだよな。
冕冠はいかにも絶対権力者に相応しく、ある意味中国皇帝のアイコン的存在なのに。
ちなみに前漢も秦に倣って冕冠を用いず、冕冠が復活したのは後漢の明帝から。

つまり始皇帝はもとより、漢の高祖も、絶大なイメージのある武帝も、漢を中興させた劉秀も
冕冠は被らなかった。
意外と地味な姿だったのかな。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/11(月) 19:59:11.77 ID:HxaxEdMg0.net
ゆえに、こんな感じの始皇帝像は誤りである

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/Qinshihuang.jpg

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/11(月) 20:05:32.16 ID:qkRE8pn/0.net
光武帝も冕冠の絵しかないよね?
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/62/Han_Guangwu_Di.jpg

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/11(月) 20:46:28.99 ID:pLrC+9OZ0.net
正直邪魔だろ、イライラしそう

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/12(火) 01:17:08.23 ID:iZ6gOCMv0.net
高祖は竹の冠だっけか

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/14(木) 12:29:45.36 ID:xdNLbf770.net
>>12
何回か小便チビってそうなキツネ目ヘタレ外交官が風格あるご隠居みたいになってるのなんか笑える

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/14(木) 20:09:26.93 ID:ZKHeOffg0.net
楚漢戦争というけれど、劉邦自身も楚の人間なんだよな。
劉邦の出身地の沛は楚の版図だった。沛は今でいう徐州あたり。ちなみに項羽が楚の本拠とした彭城も徐州。
徐州というとまず南方のイメージはないな。どちらかというと黄河文化圏だろ。
それだけ楚の支配域が広大だったのか。

楚人は髪を剃り、身体に入墨を彫っていたというから、黄河文明とは根本的に異なり、
中原の人間から見れば蛮族そのものだっただろうが、
項羽陣営はもとより、沛出身の劉邦・蕭何・曹参・夏侯嬰・盧綰・樊噲・周勃・王陵、さらには韓信までもが楚の人間で、
漢王朝の中枢の大半は楚人だったりする。
楚人が秦を倒し、楚人同士の争いの後、楚人が天下を取った。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/14(木) 21:17:56.16 ID:sEFESi8N0.net
楚言うても郢(江陵)と陳郡と寿春とで地域的な特徴が全くことなるからなー

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/15(金) 02:58:58.92 ID:hXoQfOO70.net
戦国秦(中後期)〜統一秦の最高指導層から漂う強烈な楚臭を想起すれば今更な話とも言える


甘茂(楚地出身):丞相

向寿(宣太后一族、親楚の話あり):宰相格?

宣太后(楚人、親楚の話あり):側妾→太后

穣侯(宣太后弟とされるが姓は魏氏):相国

華陽君(宣太后弟、楚に仕えていた時期がある模様):宰相格?

華陽太后(楚人、親楚の話あり):王后

昌平君(後に楚王を称す):宰相格?

李斯(楚地出身):丞相

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/15(金) 04:36:44.60 ID:llc1+ysg0.net
秦の末期、6国の末裔が国を再興したけど
庶民はともかく、支配階級のほうは
地元愛とか郷土意識とか何処まであったんだろ

斉に居づらくなって亡命とか
地元で仕官できなかったから秦で仕官とかあるし

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/15(金) 06:31:48.88 ID:hXoQfOO70.net
一地域を統合する専制的領土国家が成熟するにつれて支配層の流動性は狭まる方向だったと思うが
同時に圧倒的強者秦による七雄国境の破壊が進行しており…

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/15(金) 17:16:30.15 ID:92WRu5Nf0.net
血生臭い戦国時代がやっと終わったのに庶民は昔を懐かしんで戦争してでも旧に復したいと思ったんだろうか?

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/15(金) 20:15:29.85 ID:Rx0GshDA0.net
宮城谷昌光の「香乱記」はそこらへんの秦末から楚漢戦争時代の地方の独立意識とか良く書けてたな
あれは主人公田横の贔屓の引き倒し以外は良い作品だった

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/15(金) 20:22:23.83 ID:0vzcRWkl0.net
楚漢戦争が面白いのは
項羽が一方的に勝ちまくって、劉邦が一方的に負けまくってるのに、
毎回劉邦はゾンビのように復活し、
「勝っても勝っても終わりが見えず、永遠に勝ち続けないと負ける」
という無理ゲーに項羽が追い込まれてしまうところ。

結局項羽が息切れし、和睦に応じてしまって、それが彼の命取りになった。

こういう不思議な状況になったのは
蕭何の優れた兵站能力、別動隊である韓信の旧六国切り取り、彭越のゲリラ戦
によるところが大きいのだろうけど。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/16(土) 00:53:53.20 ID:CPnl8T+50.net
>>25
とんでもない労役ある上に死刑死刑&酷刑ばっかりでたまったもんじゃねーだろ。法律が緩やかだったらあんな大反乱になってねーわ

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/16(土) 01:06:42.45 ID:PtPbBALq0.net
武帝の時も労役軍役増税のオンパレードでちほーでは反乱祭りだった空な。たまたま上手く鎮圧できただけ

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/16(土) 09:42:42.29 ID:1hyO65mu0.net
やはりさっさと軍備も解除した光武帝が素晴らしいという結論になるな
普通は肥大化した軍事力の解体は難しい
だから外征に走りやすい

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/16(土) 09:50:41.61 ID:AQXauaQI0.net
ただ光武帝って言うか後漢は関西や西域の経営サボってたんで、そのツケを西晋が払わされるハメになったのがねぇ。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/16(土) 09:54:05.49 ID:1hyO65mu0.net
三国時代に人口激減してそれの埋め合わせに
周辺異民族引き入れたのが三国だからね
それが五胡十六国時代の要因なわけで

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/16(土) 12:47:15.29 ID:3RUbmVKc0.net
>>31
むしろ前漢以上に西域の軍事行動お盛んじゃね→後漢

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/16(土) 13:41:43.96 ID:vBSuepuu0.net
>>33
涼州以西への軍事回数は増えてるけど、西域に限れば前漢の方が上じゃね
2世紀以降は班勇除けばほぼ撤退状態だし

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/16(土) 14:34:12.44 ID:3RUbmVKc0.net
班超一家除いたらそりゃお通夜状態になるに決まってる

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/16(土) 16:16:19.80 ID:tHG5Qjkt0.net
>>35
順帝バカだよな
班超の孫の班始の妻と不倫しときながら
班始に咎められて逆ギレして班始を腰斬とは
俺が順帝なら班始を腰斬りにせずに西域都護に任命して追放するわ

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/16(土) 16:26:36.75 ID:1bogReSx0.net
しかも通鑑によると班始のヨメは班始に「土下座しながら私と愛人のセックスを見てなさい」と言って殺されてるからねw

当然、班始への同情は集まり助命嘆願が相次いだのに順帝が処刑を強行

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/17(日) 01:54:35.72 ID:1Yz9zsVR0.net
寝取られ男の哀れな最期

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/17(日) 09:01:04.90 ID:MnMYYCMY0.net
陳平「中国こえー」

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/17(日) 12:48:06.98 ID:LQKugEgL0.net
Wikipediaで班始の妻と順帝が不倫の関係にあったって出てるけどソースはどこなんやろ?

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/17(日) 17:56:19.22 ID:GX1ViMXO0.net
劉邦は実は三度も項羽を裏切ってるんだよな。


「咸陽を押さえたのはただ項将軍をお待ち申し上げ、将軍にお渡しするためでした。今後は仰せの通り巴蜀の僻地に引きこもり、
 二度と中原には顔を出しませんのでどうかお許しください」
「・・・・・・・と思わせといて、関中を奪還して、お前の留守中に本拠の彭城も占領しちゃったよーんw」

「項王よ、参りました。劉邦めは潔く降伏いたします。みずから身を屈して項王の陣地に参り、ひれ伏して大王の靴を舐めますのでどうか寛大なご処置をお願い申し上げまする」
「・・・・・・・と思わせといて、降伏した漢王は偽者(紀信)で、オレは関中に逃げ込んで再起をはかってるよーん、ざーんねんでしたプゲラ」

「項王よ、無益な消耗戦はもうやめて和睦しませんか? 天下を二分しましょう。中原の半分と江南はすべて大王、あなたのものです。
 今後はお互い国境を侵すことなく末永く共存共栄をはかりましょう」
「・・・・・・・と思わせといて、また背後から攻撃して今度こそ項羽の息の根を止め、オレが天下を独占しちゃうよーんw」

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/17(日) 17:58:56.91 ID:M103sZD/0.net
そりゃ宮城谷センセーから「人を騙す事しか取り柄のないクズが作った正義なき政権が漢王朝」とかdisられるわなぁ

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/17(日) 18:18:44.70 ID:H3CSdQzH0.net
先に楚の懐王を裏切ったのは項羽の方なんじゃねーの
項羽が劉邦を批難できるとは思えんが

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/17(日) 19:18:15.61 ID:ysiv/cfk0.net
>>41
こんなもんに騙されて殺しきらないから負けるんだよ。劉邦が百戦百敗とか言われるけど言い換えると
そんだけ戦闘に勝っても項羽は劉邦も彭越も田横も殺せてない
誰にも止め刺さないでまとまった軍を撃破したらすぐ旋回とかやってるから最終的に敗北した

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/17(日) 19:26:54.21 ID:1orXLllO0.net
>>44

彭越はニック・ボックウィンクルのように逃げまくっていたからどうしようもなかった。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/17(日) 21:07:57.14 ID:lF8X+jDw0.net
宮城谷とかいうワンパターン逆張り物書きの評価なんてクソほどの価値もない

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/17(日) 22:05:02.54 ID:bUGgkXRU0.net
項羽がやらかした宋義謀殺や義帝弑逆に比べたら劉邦の欺瞞的な兵略なんてクリーンな方だと思うんだけどねー
復興楚朝を武力で乗っ取った悪党相手にクリーンに戦わなきゃいけない道理なんてないでしょ

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/17(日) 22:10:01.73 ID:j6f9yz/I0.net
義帝殺した時点でもう項羽に大義はないからね

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/17(日) 22:33:27.00 ID:if3p4IKq0.net
でも宋義が謀殺されたのは本人が悪い。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 00:39:14.74 ID:LuQ4xfLg0.net
>>27
項羽は初っ端から息切れしているような

>>44
最初から最後まで、漢の根拠地関中を一度も脅かすことなく終わった項羽
力不足は明らかで負けるべくして負けたっぽい

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 00:41:36.28 ID:mqKA3w4Y0.net
范増って義弟殺しも止めてないしなんか二流な気がするな
楚から流出した陳平と韓信のせいで負けたようなもんだし

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 01:27:43.90 ID:QGscA+YF0.net
>>47
表向き恭謙というけど上将は殺す、君主も殺す、亜父の言うことも聞かない、誰もかれも疑い報酬は渋い
戦闘が強いだけのカスですわ。こんな呂布の上位互換みたいな奴が勝ちぬけるわけがなかった

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 09:12:34.19 ID:KAQN0eTH0.net
懐王は陳勝よりも権威ないからしゃーない。
御所巻食らって「王と馬はフレンズなんだよ!食べないでくださ〜い!」と叫んだ東晋の皇帝並の権威のなさ

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 09:20:03.96 ID:/menVKX40.net
最後は叔父の項伯までさっさと裏切ったからな
項羽は中途半端に器用貧乏だったのが運の尽きだな
ある程度自分で何でも出来ちゃうから

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 10:43:30.87 ID:Q8cPeOaW0.net
何故か最後まで項羽に忠義だてしてた魯の住民

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 10:45:00.57 ID:EmFFC6ET0.net
>>53
権威が利用できそうだったからこそ項梁が担いだのでは

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 10:45:48.22 ID:EmFFC6ET0.net
>>55
腐っても魯公だし
むしろ彭城の方が住民感情悪かったんじゃね

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 10:53:16.91 ID:/menVKX40.net
あの最後に出てくる渡し船の漕ぎ手ってその後どうなったんだろうな?
項羽の名馬貰ったけど川に飛び込んで死んじゃったし

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 16:27:19.19 ID:LuQ4xfLg0.net
実際には存在しない人なんじゃないかな

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 17:15:25.70 ID:+j9CSmgT0.net
項羽はあんなに政治音痴なのに短期間だとはいえよく天下を取れたもんだなと思うわ

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 17:46:22.16 ID:uDT5KZF50.net
剣術を習っても上達せずつまらないといい、万人を相手にする物がやりたいと兵法を習った
という割には怪力の大男に育って挙兵から最期まで自身の武勇頼みで終わってませんか項籍さん

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 18:07:29.95 ID:k22OGQWi0.net
小説の題材としてはどうやってもつまらなくなりようがないくらい
原作にあたる史記の漢楚の争いの記述が面白すぎるというね

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 20:03:08.82 ID:QGscA+YF0.net
しかしかなり席次が上の功臣でも事績がよく分からん奴が多いな

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 20:05:29.13 ID:mlL5N/Ph0.net
>>61 
一応背水の陣やってるし・・・

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 20:38:39.18 ID:MwlYkGe40.net
劉邦の裏切りはみな彼の賢臣が勧めたもの。

巴蜀を脱して関中を奪い、項羽と対峙するよう勧めたのは韓信。
「天下をお望みなら韓信を重用しなさい」と言った蕭何も、事実上謀叛を勧めたことになる。

紀信を囮にして「金蝉脱殻の計」を提案したのは陳平。

項羽との和睦後に「楚は疲弊している。滅ぼすのは今しかない」と、再度盟約破棄をそそのかしたのは張良と陳平。


劉邦は彼らの意見を聞き入れて、天下統一に成功した。
しかるに項羽は、早くから劉邦の奸物ぶりを見抜いた范増を抱えていながら、彼の意見を容れずお役御免にしてしまった。
皇帝就任後に劉邦が言った「卿は一を知ってぬを知らぬのだ云々…」の内容の通りである。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/18(月) 20:40:08.29 ID:MwlYkGe40.net
>一を知ってぬを知らぬのだ

一を知って二を知らぬのだ

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/19(火) 06:45:40.87 ID:0XpDOJ1m0.net
ぬぬぬ

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/19(火) 20:24:24.07 ID:JVOstZ+y0.net
項羽と劉邦 king's war 全部見たけどさすがに壮大だった。

張良より陳平のほうが風格あったような気がしたよ。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/19(火) 22:32:37.42 ID:0WL43ofC0.net
陳平はイケメン枠だからしゃーない

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/19(火) 22:36:04.94 ID:vdzUJRwN0.net
婦女子の様な風貌を持つ男と珠の様な美男子を左右に従えた竜顔の君主か
想像してみるとすごい絵面だな

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/19(火) 23:42:11.40 ID:SQVvmam30.net
張良は中性的で華奢な美少年タイプだからな
病弱だったみたいだし
貫禄がないのはしゃーない
今でいうと羽生結弦みたいな外見?

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/20(水) 00:02:02.53 ID:7Bm2gNPS0.net
蕭何は今で言うと将棋の羽生名人のような外見?

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/20(水) 00:51:26.24 ID:BAzGR4zB0.net
光栄三国志13より
蕭何
https://i.imgur.com/1eB9ODP.jpg

張良
https://i.imgur.com/BclboAQ.jpg

ほかにも少しいるよ
http://sangokushi13wiki.wiki.fc2.com/wiki/%E5%8F%A4%E6%AD%A6%E5%B0%86

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/20(水) 01:42:12.68 ID:a13RdxGK0.net
なぜ現代日本の肥を参照するw
張良も蕭何も伝統中国の画があるやろ

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/20(水) 05:49:27.08 ID:Q+gY7k9i0.net
>>70
どこぞのインテリヤクザみたい

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/20(水) 08:33:45.22 ID:DkSF0JKl0.net
昔の光栄ゲームのパッケージ絵は骨太でカッコよかったんだけどなあ
今は角の無いイケメン風絵ばっかになって残念

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/20(水) 14:34:56.30 ID:EFFTUj+y0.net
やっぱホームベースみたいな顔が一番イケメンだよな

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/20(水) 20:35:30.15 ID:rWrsPQ9T0.net
コーエーの肖像画は相変わらず仰々しいなw
三国志もだけど

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/20(水) 21:19:40.75 ID:rWrsPQ9T0.net
漢王朝の成立と同時にDQNたちが一躍王侯になったが、彼らの間で会話が合ったのかな?

蕭何: 「陛下、春秋五覇の一人であった晋の文公の治世は…」
陸賈: 「陛下、顔回は孔門にあって学才、徳行ともに第一位とされ…」

高祖、盧綰、樊噲、周勃、韓信、彭越、黥布、王陵: ギャンブルと女の話

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/20(水) 22:11:51.50 ID:8gTc24EA0.net
五胡の群雄だけど奴隷上りの文盲なのに部下に史記や漢書を読ませて勉強してた石勒の異様性が際立つな

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/20(水) 22:48:19.13 ID:LgH4KXo40.net
ロワンなんて沛時代からの知り合いでただのチンピラだもんなw

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/20(水) 22:54:36.60 ID:K1h8JqmY0.net
後の世の,衛子夫皇后は、徳の高い人だったのかな。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/21(木) 13:09:34.39 ID:ogo7fQyt0.net
最後が悲惨じゃん。
亭主が耄碌したお陰で、皇后なのに自殺させられた。
子供も殺されたし。
衛青はすでに死んでて良かったよなぁ。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/21(木) 15:49:34.06 ID:kmU/xi9P0.net
子供も殺されたしじゃなくて、皇太子が巫蠱の乱で誅殺されたのに連座して自殺させられたが正しい。
寵愛を失っていたのは事実だが。権力者の寵愛なんてそんなもん。それと衛子夫自身の評価を
混同してはいかん。
衛青の子らは皇太子に連座して処刑されたけどこの時霍去病が生きていたら霍去病と弟の霍光も
連座してたかもしれん。そしたら歴史が変わってたなぁ。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/21(木) 18:47:39.81 ID:operyfxh0.net
権力者の寵愛は余った桃

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/21(木) 22:10:43.64 ID:kmU/xi9P0.net
余ったじゃなくて「食べ残し食わせたやがったな!」だろ。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/21(木) 22:23:31.08 ID:LLr78nIH0.net
挙げ足取り頂きました。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 00:51:18.47 ID:YOREnVvV0.net
武帝も晩年は、酷かったよな。

結局、慢心したツケは還って来るのかな。

賢皇 衛子夫 を、DVDで見てる。衛子夫役の黒髪の女優さんが美しい。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 02:39:23.98 ID:wAaKGNtT0.net
むしろ衛青と霍去病を登用したこと以外終始クソ野郎な印象しかない

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 07:03:57.14 ID:YOREnVvV0.net
張騫を西域に派遣したり、初期の頃は善政もしてたけど

途中から壊れ始めたんだよな。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 09:50:23.41 ID:f1SZ5DIs0.net
武帝の悪評の代表は司馬遷のチンポ切り落としたことだろうな

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 10:14:49.91 ID:YOREnVvV0.net
或る意味始皇帝並みかそれ以上の事するからね。

評価は始皇帝とどちらかな。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 10:28:21.82 ID:f1SZ5DIs0.net
始皇帝も悪の権化みたいな扱いだけど
秦の悪政と言われるもののほとんどは二世皇帝と趙高によるものだからなぁ

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 10:59:01.62 ID:RC9p94Qd0.net
漢武帝と乾隆帝って生きざまが被るよね

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 12:02:26.50 ID:T8Cf+mvk0.net
>>93
つか史記と漢書を読み比べると武帝末期と胡亥の描写がまんまやからね。

反乱祭りとかまんまだし。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 18:09:28.82 ID:LA4M7S1w0.net
武帝はずっとやりたい放題やってただけだからなあ。前半は貯金があったから大丈夫で
後半金がなくなっても絞り取りまくって使いたい放題してたから叩かれただけで。本人がやってることは何も変わってない
国庫に関わらずやることが変わってないのがまずいんだけど

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 21:25:26.56 ID:wAaKGNtT0.net
始皇帝みたいな人間不信に振り切ってる訳でもないから単純に器が小さく感じるエピソードが悪目立ちする

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 21:31:41.33 ID:YOREnVvV0.net
衛子夫は、元バックダンサー上がりなんでしょ。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 21:44:30.06 ID:YYnFoDkg0.net
>>97
裴松之も「武帝は李陵の家族を皆殺しにするカス。黄権の家族を保護した劉備はぐう聖」とかdisってるしな

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 21:58:59.10 ID:YOREnVvV0.net
皇帝の姉といっしょになったんだもんな。衛青は。

夫婦仲はよかったのかな? かなり上の女房だろ。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 22:20:46.71 ID:rRw2eBjg0.net
>>98
ドラマを見てバックダンサーと書いてると思いますが、平陽公主の推しメンです。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 22:42:41.70 ID:VbU081RY0.net
>>93
んな訳なかろう
統治期間正味1〜2年に過ぎない二世皇帝時代は始皇帝体制の延長
秦の悪政つったら大抵法と徴発の過酷さ、焚書坑儒、万里の長城が挙げられるが
すべてに始皇帝が係わっておるぞい

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/22(金) 23:26:04.90 ID:jbPTN7PJ0.net
小説 『張騫』を読んでみようかな。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/23(土) 04:49:18.84 ID:7hIrfwJf0.net
あの時代に
中国大陸をポンッと出されて、
「じゃあ道つくろっか!」言われても想像できないよなあ

今の思考と知識と技術だって、中国大陸に
どんな施策敷くかとか考えつかないもん

あの当時でよく道路作ろうって考えついたな
現場の声きちんと汲み上げてないと、
そこに思い至らないだろうに

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/23(土) 08:45:56.41 ID:Btmyuzeg0.net
現場の武将(マブダチの信やおねだり王翦)あたりから交通インフラの整備とかはしつこく言われてたんやろな。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/23(土) 08:59:08.78 ID:MCSuKJfu0.net
秦軍の甬道という後方連絡線を築城する概念が凄いと思うわ、圧倒的な国力による力技
一方で兵站をパージした項羽が兵站の防御を固めていた章邯たちを撃破するあたり戦術の妙味が確認できて面白い

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/23(土) 09:14:45.78 ID:VRAXNz8d0.net
何気に忘れられがちなのが対匈奴用エリート兵を率いていた王離(王翦の孫)も項羽は倒してる。

これで秦に支配されていたオルドス地方が匈奴に再び実効支配され、匈奴の漢土への侵攻が始まり漢vs匈奴の抗争がスタート。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/23(土) 10:09:28.95 ID:ihna+v2Z0.net
この時代は大将の強さが全てだからな
韓信みたいな天才が出て来ても項羽は自らの武勇で簡単に包囲を突破できるし

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/23(土) 10:20:55.42 ID:VRAXNz8d0.net
灌嬰の伝だと灌嬰の軍に敗死したとかかかれてるので項羽の最後はなんとも言えない。
まあ司馬遷は項羽大好きなんだろうけど。
(あと伍子胥とか復讐系)

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/23(土) 11:11:23.49 ID:5Bp3sabm0.net
漢に対して多少の底意はあるよね>司馬遷

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/23(土) 11:35:55.35 ID:VRAXNz8d0.net
中行説や韓王信、盧綰は後の世なら「漢奸(売国奴)」の一言で終了するのに同情的に書いたりるし匈奴の風習も蔑視せずに丁寧に描写してるしな。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/23(土) 12:46:23.57 ID:I/x2aRdm0.net
チンポ切られたら本人は平等に書こうと意識しても
無意識のうちに批判的になるだろうな

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/23(土) 20:00:24.16 ID:h1BX/HmU0.net
>>104
いや生物舐め過ぎじゃね?人間のそれも支配者なら当たり前の発想だろう
故に住居と住居、町と町を繋ぐ通り道は秦帝国以前から世界中に存在する
先進文明からの知識技術導入が困難な中南米も独自の巨大道路網を建設した

>>107
王離の兵がエリート部隊と分かる記述なんてあったっけ?
あと匈奴のオルドス領有は劉邦が冒頓に土下座した頃じゃろ多分

>>109
まぁ灌嬰傳の記述の方が現実的でしょうね
項羽はかなりの大軍&官吏と共に敗走、ほどなく灌嬰軍に捕捉され五等分

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/23(土) 20:48:48.71 ID:0QQkNBEC0.net
>>113
横からになるが、史記匈奴列伝だと、
頭曼不勝秦,北徙。十餘年而蒙恬死,諸侯畔秦,中國擾亂,諸秦所徙適戍邊者皆復去,於是匈奴得ェ,復稍度河南與中國界於故塞。

ってあるから、司馬遷の認識としては匈奴のオルドス領有は秦末の騒乱時みたいだあね

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/23(土) 22:46:09.48 ID:h1BX/HmU0.net
>>114
微妙なところ、司馬遷もよく知らないだろうし
ちなみに漢高祖の二年に蒙恬が築造した河水付近の塞を漢が保守した記録がある

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/24(日) 03:39:27.96 ID:CdtTaZBs0.net
信玄が参考にしたのって
ぶっちゃけ始皇帝だよな

まるぱくり

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/24(日) 19:03:27.75 ID:ELDdByUe0.net
韓信が健在だったら、当時の匈奴にも勝てただろうか??

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/24(日) 19:30:22.62 ID:VhSmkzCd0.net
健在韓信「匈奴に味方して劉邦と蕭何と呂后殺そう」

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/24(日) 20:39:09.70 ID:FIVnQLSF0.net
ロシア国防省「東アジアの地震の多い某国は数十年にわたり、地震を偽装した地下核実験を繰り返している」
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1550888671/l50
自衛隊の中に熊本人工地震を発生させた連中がいることは震源地が自衛隊駐屯地地下であることから自明。
http://open.mixi.jp/user/38378433/diary/1953066799
そればかりか、いま熊本の地下から出ている放射線量が「謎の赤丸急上昇中」だというのだ。
https://quasimoto2.exblog.jp/22729487/

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/24(日) 21:15:20.19 ID:CaKFA+GH0.net
高祖と幼なじみだったロワンでさえも
謀叛を疑われて最後は匈奴に亡命、冒頓単于からは厚遇されて東胡王に封じられたんだよな

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/24(日) 22:47:23.59 ID:ehbcTFaC0.net
謀反を疑われてっていうか思いっきり通謀してたやんロワンさん

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/24(日) 22:54:23.38 ID:aH48J5950.net
功臣粛清(未遂も含む)で無実だったのってパニック起こして右往左往してた彭越と明らかに劉邦が耄碌していたことが伺える樊噲のケースぐらいなんじゃないの?

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/24(日) 23:48:21.38 ID:fp6x3pnJ0.net
幼馴染だったというだけで対匈奴の防衛線任されても困るわ

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 00:39:36.50 ID:pkU/Z+uj0.net
ロワンの前に燕王だった臧荼も何故劉邦に反乱起こしたのか不明だな

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 01:01:39.19 ID:PnUXk0WA0.net
>>118
それは違う韓信じゃねーか!

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 01:13:28.30 ID:Wd7YZxq/0.net
>>122
さすがにハンカイまで疑うのは異常だよな
案の定すぐに劉邦死んだけど
始皇帝みたいに体に良いって言われて
水銀とか変なもの食ってたのかも

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 02:31:38.08 ID:4wFOVS5o0.net
自分に疑いの目を向けさせないように
周りの忠臣を悪く言ってた奴とかいるかもな

兄嫁の元ニートさんとか

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 02:59:53.17 ID:qBGennun0.net
たぶん劉邦だけじゃなく、粛清した方もされた方も謀反した方も全員不安に押し潰されて豆腐メンタル化してたんやろな

特に北部辺境を任された諸将は、
保身(とりあえず匈奴に内通)or裏切りはしないが戦ったら負けるのでチビって逃亡のどちらかになる可能性が高い

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 09:35:00.66 ID:1z9s+Oyy0.net
>>128
それも元はと言えば韓信をはじめとする戦上手を劉邦が粛清した結果だからなぁ
劉邦自信が匈奴の捕虜寸前になってるし

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 09:36:46.78 ID:1z9s+Oyy0.net
会社でも学校でも一緒だけど「〇〇があなたの悪口言ってますよ」って
平気で嘘を吹き込む奴一定数居るよね?
そういうのを君主が側近にしたら途端に政治が乱れるんだよね

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 09:55:39.88 ID:qZrr7ArY0.net
韓信だったら、匈奴に戦で勝利できたかな?

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 10:37:46.56 ID:qBGennun0.net
>>129
韓信がいようが彭越がいようが負けると思うな、劉邦の親征は変わらないだろうし
そもそも彼らが匈奴から漢土を守る盾になってくれるほど殊勝な連中ならまず粛清されん気がするぞ

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 12:04:34.54 ID:E3ZzFqpc0.net
>>126
死にかけの所に、兄弟以上の存在で絶対の信頼を寄せていた、ろわんの裏切りを知って心身ともに衰弱。
そこにあの讒言(ハンカイ残しておくと如意&セキ夫人が危険)は相当効いただろうなぁってのは想像できる
耄碌してなくてもこれはキツイ

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 12:07:29.20 ID:E3ZzFqpc0.net
>>132
同感ですね
韓信や彭越などマジで何考えてるのかわからん奴らに大兵授けて国境に置いておくとか考えただけで怖ろしすぎるw

冒頓にボコられた後も韓信を起用する動きがみられなかったことから
劉邦は再び彼に兵を授ける気は起きなかったのかな

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 12:34:44.34 ID:ao5qbtN30.net
>>129
韓信も彭越も劉邦が命の危機なのに大盤振る舞いの恩賞を約束しなければシカトして助けに来ないような奴らだぞ?
安全に使い続けようとしたら漢の全領土を支払っても足りない

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 13:52:35.00 ID:HjMkos5Z0.net
劉邦も韓信の兵をホイホイ取り上げてたから、お互い不信の種は撒かれていたのだろう

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 19:43:34.27 ID:cJUjGXWx0.net
>>133
ろわんって裏切ったっけ?

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 20:53:08.30 ID:1DXhmH/i0.net
だから忠実な番犬の灌嬰がいるのですわ、
とりあえず灌嬰がいなければ劉邦は2回ぐらい死んでますがな。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 20:56:54.80 ID:0k6KsK5n0.net
灌嬰が裏切ってなかったら呂氏の専横はまだまだ続いてただろうな

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 20:57:07.87 ID:lXK8Blxl0.net
何だ、ロワンの方が裏切ってたのか…
Wikipediaだと、ロワンは
「劉兄ィは病気ゆえに健常な精神状態でないだけだ、回復したらきっと許してくれるだろう」
と信じていたが、ロワンの期待も虚しく劉邦はそのまま病没し、一連の粛清劇を主導していた呂太后が実権を握るに及び、
もう駄目だと観念して匈奴に亡命したとあるが。

幼なじみというだけで王にまでしてもらったのに裏切るとは薄情な奴だな

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 21:04:14.25 ID:9HSHkyo20.net
>>133は劉邦の視点から書いたものであって盧綰が謀反を企てたというのはあくまで讒言だろう。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 22:03:05.46 ID:lXK8Blxl0.net
劉邦は晩年に猜疑心が強くなったけど、実は元から人間不信やコンプレックスみたいなのがあったのかもしれない。

沛では素行不良のごろつきとして疎まれていたし、家族からも鼻つまみ者にされていた。
兄嫁とは特に仲が悪く、皇帝になってからも彼女の子(劉邦にとっては甥)には当初なんの爵位も与えなかった。
太公の度重なる口添えでようやく侯に封じたが、名前は「羹頡侯」。
沛にいた頃、劉邦が仲間とともに実家で飲み食いし、兄嫁に羹(あつもの)のおかわりを頼んだが
兄嫁は鍋を頡(こす)ってもう中は空っぽだと言わんばかりに拒絶した。
実は羹はまだ残っており、劉邦は兄嫁の嫌がらせを長年恨んでいた。
その復讐に、兄嫁の子に「羹の鍋をこする侯」などというふざけた名前をつけた。

沛公として立ち上がったとき、生まれ故郷の豊の留守を雍歯に頼んだ。
ご存知の通り劉邦嫌いの雍歯はすぐに裏切るのだが、このとき豊の住民も一緒になって劉邦に反旗を翻した。
怒った劉邦は豊を攻めるが逆に敗れ、楚軍に援軍を要請するという羽目に陥る。
生まれ故郷に裏切られるというのは劉邦にとっては大変なショックだったし、面目丸つぶれで
劉邦にとっては非常に辛い出来事だったらしい。
この恨みも終生忘れず、皇帝になってから沛に永代免租の特典を与えたが、豊だけは除外した。
(のちに沛の父老の要請で豊にも与えたが)

闊達な人柄で知られた劉邦だが、このように何か陰気で後ろ暗く、執念深い一面もある。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/25(月) 23:35:26.00 ID:gRXhdxW00.net
king's war全部見終わったけど、面白かったなあ。
チンピラ時代の劉邦と雍歯の水源を巡るくだらない喧嘩の仲裁に入った忙しいショウ様が「さっさと帰れ、このクズどもが」って言うシーンが笑えた。
真面目過ぎて滅びた項羽が気の毒なくらい、劉邦陣営は人間らしい欲に忠実なクズばかり笑
義理や仁義すら、世の中をさっさと平和にする為の道具に過ぎない。恩義とは別に論功にドライな韓信も魅力的。
みんな腹の底では自分が可愛いのに、なんやかんや利害を調整してさっさと天下が落ち着つかせた劉邦も好き。
超人や聖人が多くて、長く熱すぎる三国志のドラマより、人間味が感じられて面白かった。
英雄なんて現実はあんなもんなんだろうなっていうリアルさ。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 00:24:02.69 ID:MchSHw230.net
>>137
反乱を起こした陳キと匈奴に通じて、陳キと八百長戦争してた
そのため陳キがなかなか滅びず、漢にとって長期の患いとなった
(陳キの乱は鎮圧に1年以上もかかった大乱だった。対して、同時期に起きた英布の乱は約3か月で鎮圧)

>>140
受動的裏切りというか、先走った家臣に引きずられた形でなし崩し的に背いた感じ
ここら辺の事情はややこしいので検索してみて

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 00:26:57.30 ID:MchSHw230.net
>>141
陳キの乱が終結した後に、投降した陳キの副将の自白からロワンの背信行為がバレた
ろわんの背信行為は劉邦にとって信じがたいものだったようで
都への出頭命令→査問官の派遣と慎重な手順を踏んで、事の真偽の確認を行った
しかしろわんは出頭に応じず、査問にも仮病を使って査問官(しんいき)に会おうともしなかった

そうこうしているうちに、複数の匈奴筋から匈奴にろわんの家臣が逃げてきて、あれこれろわんのために働いている事がわかり、
ここに至って、ろわんの裏切りが明らかになり、ついに劉邦は激怒した

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 00:56:37.48 ID:dlnoGOaP0.net
>>142
とりあえず人を罵倒するという癖も持ってるしな。その後話を聞けるのが凄い所だけど

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 07:22:14.51 ID:5OD9UfWu0.net
秦末楚漢の人、というか史記がカバーする時代の人はこうこうこういう人の典型として単純化して説明されがちな気がするけど、本当はどれにもうまく当てはめられない複雑怪奇で得体の知れないおっかない人物だという気がするよ。
大王朝を建てるような人はみんなそうかもしれないが、この人は特にね。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 09:31:49.83 ID:P1+8Z40O0.net
まず巷で語られてる劉邦像からして史記を踏襲してなかったりするからな

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 09:34:53.78 ID:SAa+QeyX0.net
>都への出頭命令→査問官の派遣と慎重な手順を踏んで、事の真偽の確認を行った

この時代一度疑われたら助かる可能性まずないからな
これを慎重な手順と見るかロワンを都に出頭させるための罠と見るかは見方が分かれるでしょ

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 15:30:28.82 ID:38+YVKiw0.net
結局匈奴の軍事力が尋常なレベルじゃなくて韓王信にしても盧綰にしても漢の援軍来るまで持たないから、匈奴と交渉したり通謀した訳やからね。
史記や漢書を読む限り匈奴は最低でも十万近くの騎兵を動員できるけど漢は二万程度。史記平準書によると皇帝専用の馬車の馬もろくなのがいなかったとか書かれてるので、牧畜業が壊滅状態だったか牧畜を営む連中(おそらくは胡人)が漢に非協力的だったかどちらかではないかと。

これじゃ韓信や彭越がいても結果はたいして変わらず匈奴への和親はさけられなかったのでは

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 16:53:39.27 ID:NiOYk84T0.net
中国の将軍の中で、匈奴との戦いの相性が良くて、かなりの戦果を上げた人というと
衛青と霍去病以外では誰がいるの?

だいたい苦戦している印象があるが。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 17:02:47.88 ID:38+YVKiw0.net
李牧忘れてんのか

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 18:38:46.61 ID:k7GCE27M0.net
李広
認めて貰えてなかったみたいで哀しい

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 19:09:42.05 ID:kdrhRYYe0.net
李牧と蒙恬と李広は鉄板やろ

あと酷吏だけど郅都も匈奴から恐れられてたらしい

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 19:26:31.40 ID:+eK91n3X0.net
李広と武帝は絶対性格合わなかったろうなと思う

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 19:59:23.43 ID:MGX6epVZ0.net
>>154

> あと酷吏だけど  


このあとの人名が文字化けして読めない 

カタカナで書いてほしい

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 20:00:30.88 ID:MGX6epVZ0.net
ああ  シツ都  だな。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 20:41:22.41 ID:4bd8C8KH0.net
蒙恬は大軍をもって匈奴を破ったとか。

衛青はなんであんなに匈奴にたしいて強かったんだろうか。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/26(火) 23:33:43.72 ID:Vs9EoPsK0.net
買収などによる内通者がいたと俺は思ってる

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/27(水) 06:59:25.17 ID:U8BvyMey0.net
>>151
相性が良いと言えるほど匈奴の主力を連破した戦国末〜前漢の中国武将はほとんどいないと思われ
テンプレ2人以外に李広蒙恬李牧の名が挙がっているけど

李広は大部隊を率いる将軍としてはパッとしなかった
蒙恬は匈奴を駆逐したとされるが戦った相手の戦力がよくわからない
と、李牧以外の2人はちょっと見劣りする

李牧にしても十万騎以上を殲滅したという列伝記事は無紀年&数字が大味でやや怪しい(趙世家に対応する記事なし)

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/27(水) 08:00:33.69 ID:ydIo8Deg0.net
となると,衛青くらいか。

霍去病は、武帝が優遇しすぎだし。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/27(水) 08:08:45.15 ID:t3wNpaMl0.net
長城以北に攻め込む場合は敵と遭遇できるかって運要素もあるから。

だだっ広い平原じゃ斥候出すのも無理だし

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/27(水) 08:53:13.62 ID:qpXn/5aJ0.net
西域の蛮族である秦ですら騎馬民族を恐れて長城築いたくらいだから
関わりたくないのが本音だろうね
征服したところで馬以外何の価値もない草原だし

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/27(水) 09:23:23.32 ID:NbDvGPyw0.net
後の北魏(鮮卑拓跋部)も突厥や柔然対策に長城の増築を行ってるしな。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/27(水) 20:12:53.70 ID:Zeb9kipC0.net
衛青は、元奴隷同然だったのは本当の話なんだろ。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/28(木) 10:39:13.80 ID:Y/2tgnE50.net
龍且や鍾離 眜は、どうかな?

いずれも楚の猛将だよな。まあ韓信にはかなわなかったけど。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/28(木) 18:15:36.17 ID:LNqeUHq90.net
李牧や蒙恬は冒頓単于が現れる前の地方政権程度の勢力しか持ってなかった匈奴を撃破しただけだから
大帝国となった匈奴を撃破した衛青と霍去病には劣ると思う

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/28(木) 20:02:26.27 ID:wE708CH30.net
> 西域の蛮族である秦

秦はもともとチベット系だっけ?
後年の前秦(五胡十六国時代、苻堅が華北を統一したやつ)は明らかにチベット系(氐族)だが。
司馬遼太郎氏によると楚はタイ語圏だったらしいし、
秦にせよ秦を倒した楚にせよ、どちらも元は非漢族だったんだな。

まぁそれを言い出すと隋唐は鮮卑だし、宋も突厥になるんだが。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/28(木) 20:13:21.70 ID:eeAfubkv0.net
平陽公主 は衛青に対してどうだったんだろうか?

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 00:23:50.44 ID:5O0w9IDF0.net
>>168
まぁ「漢」民族っていうくらいだからなー
始皇帝の統一から漢帝国の長期統治による一体化があってこその漢族だと思うわ

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 00:59:27.45 ID:ASCRPMFk0.net
>>166
猛将というよりはモブ将
楚将には史実上の存在感が絶対的に足りないという致命的な欠点が…

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 07:28:51.19 ID:63fvucRS0.net
この際、自らの死期を悟った劉邦は、「死後どうすればよいのか」
と問う呂雉に対し、「(丞相・相国の)蕭何に任せておけばよい。
その次は曹参が良かろう」と言い、さらに何度も「その次は?」と聞
く呂雉へ「その次は王陵が良いだろうが、愚直すぎるので陳平を補
佐とするとよい。だが陳平は頭が切れすぎるから、全てを任せるの
は危ない。社稷を安んじるものは必ずや周勃であろう」と言った。
(ウィキペディア)

            ↑

陸賈の名がないのが気になるといえば気になる。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 09:56:29.78 ID:GYcm6Lsi0.net
項羽と劉邦 king's warの、見た目はダサいけど韓信大ハマりだよな。

あと、賢皇后 衛子夫 の衛青はまたイケメンなんだよな。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 11:46:37.66 ID:itqgezKg0.net
韓信はナードっぽい外見がハマる

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 12:18:05.69 ID:NnvMZVKc0.net
韓信はオタクっぽい奴が適任だろ
どこに行っても採用されない見た目の貧弱さ

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 12:23:43.96 ID:5nbfHP6t0.net
韓信は就職力はあると何度言えばw

項羽時代が門番で漢時代が接待係→兵站担当→大将軍と就職力そのものはある

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 12:24:46.50 ID:WlzFAw1Q0.net
>>172
陸賈は在野の人
丞相や相国にはならないので
名前が挙がらないのは正解

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 12:36:33.75 ID:5IWV9sqS0.net
韓信は体はデカかったかったから貧弱なヤツが演じたらまずい

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 12:37:02.78 ID:5nbfHP6t0.net
陸賈は基本的に儒学者だからね。
保身力がハンパないんで政治家っぽく見えるけど

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 12:51:03.31 ID:GFZWEZdn0.net
>>176
秦の時代には官僚になれなかったから就職力に関しては劉邦以下
英布(罪人)より上だが彭越(漁師)よりは下

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 12:58:53.79 ID:O2q5n5zZ0.net
>>178
見た目がオタクでもカラダがデカいやつはいるからなあ
門番はピッタリだな

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 13:01:35.76 ID:WlzFAw1Q0.net
>>178
アンガールズ田中が演じるのが最も近い

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 13:19:07.71 ID:O2q5n5zZ0.net
>>182
確かに頭が良くて身長が高くて性格があれなヤツではあるな

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 19:12:01.64 ID:ALCg4Vdu0.net
衛子夫 のドラマ見てるけど、美男美女が多いな。

衛子夫役の女優さん、スタイルいいよな。モデルか。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/29(金) 20:41:40.59 ID:7kBoP0q50.net
劉邦は就職力あるというか、沛の治安を熟知した蕭何の推挙のおかげかな。
亭長になれたのも、蛇の道は蛇で、無法者の取り締まりは無法者にやらせた方が効率がよいから。

ごろつき→亭長→沛公→漢王→前漢初代皇帝
というコースをたどったが、蕭何のお膳立てがなかったら、歴史上漢王朝は存在せず劉邦などかっぺの不良中年で終わってた。

でも懐王の傘下に入ってからはめきめきと頭角を現し、ついには二大勢力の一翼を担うことになり
項羽と関中入りを競うまでになったのだから、やはり就職力は秀でてるのかも。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/30(土) 23:29:13.49 ID:7J8Nk1RZ0.net
韓信は、史記の司馬遷も日本の司馬遼太郎も劇画『赤龍王』でも中国のドラマでも

全て気をつかって書いてるし表現してるよな。

昔、或るシミレーションゲームの取説で、確か、韓信、義経、ナポレオン、ロンメルと並ぶ兵法者と書かれてあった記憶があるよ。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 08:41:36.45 ID:nI2BuKSH0.net
九郎殿だけ格落ち感ハンパない

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 10:20:02.31 ID:2CPCP98q0.net
義経はその時代の戦のルールを破ることで勝ったわけだけど
プロレスで言えば場外乱闘に持ち込んで折り畳み椅子で殴りつけたりして勝つ悪役レスラーみたいなもんだしな
最後があんなだから判官びいきされてるけど
頼朝の下でそこそこの人生で終えてたら間違いなく「義経は汚い武将」で終ってたと思う

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 11:11:36.15 ID:VCH2qbpe0.net
なんか九郎殿が劉邦軍団にいても違和感なくなってきたなw
劉邦もとりあえず後ろから殴るスタイルだし

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 11:36:02.53 ID:tF67jUFb0.net
既出かもしれないけど
吉川英治三国志では
「韓信は勝った事のない大将」って孔明に言われてたなあ

あれは、項羽を倒すまで時間がかかったからか
戦前日本で、皇帝が無能みたいに書くと
皇室批判にとられて面倒だったから言い方変えたか
どうなんだろ

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 11:39:33.13 ID:zBiv7C9v0.net
三国志の中で引き合いに出される劉邦や韓信って負け続けたけど
最後の一戦で勝って天下を取ったって扱いだよね
実際は一進一退だし項羽が負けた戦も普通にある
三国志を先に知って楚漢戦争も調べ出したら凄い違和感あったわ

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 12:05:01.11 ID:VCH2qbpe0.net
>>190
単なるミスじゃないかなぁ。
あと吉川先生売れっ子作家だから史記とかきちんと読み直す時間なかったろうし。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 15:28:10.72 ID:NUnU0f7i0.net
>>191
楚漢戦争の最終局面以外での項羽の敗北っていつ頃の戦いでのものですか?

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 20:28:06.46 ID:k1yqs5BD0.net
韓信が、勝ったことのない大将なんて、いくらなんでもおかしいよ・・・

私見ではあるけど、韓信がもし大軍を指揮したら、匈奴、西域はおろかさらにその先にある、安息国やさらに大秦国の域まで達したかもしれない。

三国志の世界は大げさだからね。

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 20:49:48.03 ID:cxWYvlhz0.net
>>188

ニック・ボックウィンクルはもっとダーティーだ。気にするな。

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 20:51:16.45 ID:cxWYvlhz0.net
>>190

> 「韓信は勝った事のない大将」

劉邦 の誤記ではないか?

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 20:54:13.03 ID:GcWSkH2y0.net
そうかもしれないね・・・

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 21:06:47.26 ID:Tdvy6Vid0.net
韓信は勝ちまくってるだろ

旧六国を次々と平らげたしな
レキイキを見殺しにしてまで斉を攻め、救援に来た項羽の猛将龍且も討ち取った
漢の別動隊どころか第三勢力に成り得た
劉邦自身、「百万の兵を連れ、戦えば必ず勝ち、攻むれば必ず取るは、吾韓信に如かず」
と評してるし

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 21:09:53.94 ID:vfX42Tx80.net
原文だと「韓信は高祖に仕え、戦えど戦えど、ほとんど、勝ったためしのない大将であるが、最後の勝利は、ついに高祖のものとしたではありませんか。」

これただのミスじゃね。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 21:41:27.55 ID:Tdvy6Vid0.net
逆に高祖の張良評にある

「帷幄の中で謀をめぐらし、千里の外で勝利を決した」

の方が疑問。張良のせいではないが、対項羽では劉邦は連戦連敗だったじゃん。
張良(と陳平)が心を砕いたのは、むしろ如何に項羽の矛先をかわし、逃げまくるかという点だったと思う。
最後の和睦のときだけ、合意を破棄して攻めに転じたが。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 21:50:35.78 ID:GcWSkH2y0.net
韓信には、多くの歴史家や映像作家や萬画家も気をつかってるし。

後の衛青よりも評価が上を行くのがわかるよ。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/03/31(日) 21:55:04.31 ID:CHnMBt2r0.net
>>200
勝てない戦いにおいて如何に損失を減らすかということも謀に含まれる。
そうやって最終的な勝ちに持っていく方策を示したのだ。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/01(月) 00:00:32.06 ID:VrwJTFCX0.net
韓信を起用する際に、陳平張良がいろいろおぜん立てすることもあっただろう、
自立してからの韓信のわきの甘さ、諜報に対する無能ぶりが、
ひょっとして?こいついろいろサポートしてもらわないとダメなやつ?
という空気に満ちているww

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/01(月) 00:03:18.29 ID:mjnoVZZr0.net
韓信が別動隊として魏や斉を飲み込んで行ったのと
劉秀の動きって似通ってるよね?

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/01(月) 01:09:08.21 ID:YTfgwsFx0.net
>>200
対陣して戦う時じゃなくて項羽の敵を増やす、味方を減らすってことじゃないの

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 00:08:29.45 ID:alr9FLQa0.net
そういえばこの時代って
まだ元号はなかったんだよな

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 02:52:54.74 ID:toaR6h3M0.net
元号は武帝からやね。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 07:07:08.96 ID:vI2tEa1R0.net
>>203
韓信くんは
ヒキニートが戦略ゲーの知識ひっさげて
淮陰に異世界転生するラノベの主人公役とかやったらはまりそう

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 07:28:47.43 ID:x4h381Ay0.net
>>200

> 張良(と陳平)が心を砕いたのは、むしろ如何に項羽の矛先をかわし、逃げまくるかという点だったと思う。


ニック・ボックウィンクルと同じ芸風だな。

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 11:28:33.55 ID:TB2hmi5W0.net
>>209
近くにいる劉邦で勝てなくても
戦争全体として勝ちに導いたんだから
評価はピッタリやろ

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 11:31:40.66 ID:/K5cnvU/0.net
>>209
日本軍と中共みたいだ

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 11:52:09.13 ID:TB2hmi5W0.net
>>185
そもそも蕭何って
郡から中央に推挙されるレベルで有能な役人やからな
ぶっちゃけ楚漢戦争時代にまともに国として運営されてたのは関中という秦の基盤を抑えた秦の優秀な役人である蕭何のいた漢だけ
漢帝国は秦の役人である蕭何の作った秦帝国の後継国家という事
それをちゃんと理解して蕭何の功を第1等とした劉邦も何だかんだで有能だよ

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 11:58:31.83 ID:iDluD0Uf0.net
>>212
ただ単に戦争終ったから武将連中に大きな領土与えたくなかっただけじゃね?

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 12:06:42.91 ID:TB2hmi5W0.net
>>213
当然そういった下心もあるやろうけど
ただの元農民に出来る裁定じゃないよ
少なくとも項羽には絶対できない評価

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 12:15:10.48 ID:iDluD0Uf0.net
>>214
もちろん張良や陳平が入れ知恵してるでしょ

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 12:17:19.52 ID:TB2hmi5W0.net
>>215
周りを有能な人材で固められてる時点で有能なんだよなあ

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 12:19:57.62 ID:kBBtEx6J0.net
>>211
日本が本格的に交戦していたのは蒋介石の方で中共はゲリラ戦してただけ
日本が項羽で、蒋介石が劉邦、毛沢東が彭越、米軍が韓信みたいな感じ

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 12:21:47.92 ID:kBBtEx6J0.net
>>214
劉邦は元亭長なので蕭何には劣るけど一応地方官僚
亭長になるためには試験か推薦が必要なので無学な人間ではなれなかったみたいだし

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 12:30:17.13 ID:TB2hmi5W0.net
>>218
唯の亭長に出来る判断でも無いわな
ぶっちゃけ劉邦も三国志の劉備同様
部下を引き立てる儒教的な思想から過小評価されてると思うわ

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 12:43:51.41 ID:zim34n4c0.net
物語としては、無能だけど魅力のある君主が人の力を結集して戦神項羽を打ち破ったっていう展開の方が面白いから

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 12:46:11.65 ID:Y7OzKECV0.net
>>219
本当に有能なら劉秀みたいにはっきり書いてると思うけどな
むしろ実像より良く書こうとしてるのが劉邦なんじゃないの?

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 12:50:51.21 ID:TB2hmi5W0.net
>>221
戦闘に関しては
漢中入りするまで一軍閥の指揮官として普通に強い指揮官やけどな

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 12:52:04.86 ID:Y7OzKECV0.net
>>222
項羽が秦軍の主力引き付けてた事実を忘れてる

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 12:54:08.63 ID:TB2hmi5W0.net
>>223
こんな風にすぐに項羽と比較される
劉備に対しての曹操と同様に強力なライバルがいるとどうしても過小評価されがちやね
その辺はむしろ劉秀が特殊なんやろな

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 12:59:06.18 ID:Y7OzKECV0.net
>>224
比較じゃなく事実
詭弁は辞めようね

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 13:00:23.13 ID:TB2hmi5W0.net
>>225
主力以外が相手だと無能になるのか?

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 13:04:54.46 ID:TB2hmi5W0.net
その理屈で言うと
楚漢戦争の主力である項羽と戦わない韓信も無能という事になる

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 19:20:09.95 ID:Es/K/OCx0.net
劉邦はあの時代4番手くらいの指揮官じゃないのか?項羽とか韓信除けばトップクラスやろ
英布も劉邦が自分で来たらやばいけど配下がくれば勝てるって言ってたし

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 20:57:57.75 ID:teKzr/TT0.net
>>208
そして数々のネトゲーを荒らしまわり、
JOIN候と呼ばれるのであった。

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 21:14:24.73 ID:TB2hmi5W0.net
>>228
タイプは違うけど英布と良い勝負だよね
しかも有能な部下の献策を理解し採用する高い知力も持ち合わせ
ある種の冷酷さも兼ね備えた極めて優秀な軍人皇帝なんだと思う

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/02(火) 22:06:04.23 ID:FjNdqTs90.net
オマン候の??です

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/03(水) 13:46:02.75 ID:5krGcOT90.net
范増は70歳まで何をやっていたのか?  引きこもりか? 

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/03(水) 15:05:47.43 ID:uwpjOu6p0.net
太公望になり損ねた男

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/03(水) 15:25:46.88 ID:oVuX8H440.net
>>232
自分の荘園でぬくぬくしてたんやろ

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/03(水) 17:35:32.75 ID:0AGfp1KT0.net
秦につかえてたのかな?

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/03(水) 18:09:40.23 ID:tTC1BmuJ0.net
>>235
歳を考えれば
普通に他の六国に仕えてて主家滅亡後に在野に下ってた項梁の流れやろ

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/03(水) 20:21:02.99 ID:vt+9OBTs0.net
後の世の、衛子夫は、そんなにできた人物だったの?

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/03(水) 22:45:56.96 ID:K2Ub8yA70.net
楚に范増がいた一方で、漢側の爺さんにはレキイキがいたが
この老人の舌一枚で、一度は一兵も損なうことなく斉の七十余城を帰順せしめたんだよな
本来なら大功を立てた者として大いに顕彰されてもよかった
ところが韓信に斉平定の功を横取りされ、斉王からは詐欺野郎と罵られて煮殺されるという散々な結末

随何も捨て身の説得で、あの凶暴なイレズミDQNの帰順を成功させてるし、
劉邦は儒者嫌いにもかかわらず、何かと儒者の活躍に助けられている
そのせいではないにせよ、後に漢王朝が儒教を厚遇し国教としたのもむべなるかなという感じ

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/03(水) 22:55:59.97 ID:7tvt9r+K0.net
劉邦が近づけた儒者って保身チートの叔孫通先生や陸賈みたいな割と現実との折り合いを上手くつけられるタイプだよな

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/03(水) 23:21:21.18 ID:yc3iUiKH0.net
范増はこう門の会で劉邦に逃げられた時点で終ってたんだな
劉邦殺してそのまま劉邦軍に攻めかかって殲滅すりゃよかっただけ
楚王には「劉邦が謀反を企んでいたので成敗した」とでも言えばいいだけの話

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 01:05:25.85 ID:xOo96jSO0.net
>>239
というか劉邦がリアリストだっただけとも言える
儒者を嫌っていたのも基本的に彼等の言ってる事が役に立たないからであって
役に立つなら儒者とか関係なくなる辺りが素直に凄い

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 01:09:48.16 ID:xOo96jSO0.net
逆に項羽は明らかにロマンチスト
婦人の仁というのはそういう事
故郷に錦を飾るとか言って関中の重要性を理解しなかったのもその為だし
逆にそのロマンチシズムが兵の共感を生み戦場での強さに繋がっている

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 03:30:33.97 ID:mtWW2bG10.net
軍を束ねるとか州・国を束ねるとか
絶対に項羽にも直属のブレインチームがいたはずなのに
范増以外の名前出てこないよねえ

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 08:21:05.18 ID:xOo96jSO0.net
>>243
国を治めるブレーンは元県の役人で上柱国に任じられた陳嬰辺かな
挙兵時点で万単位の兵に担がれてるから人望の面で言えば正史ですら十分に下衆な劉邦()なんかと比べると本物
ただ能力に関しては蕭何の様に推挙されてる訳でもなく自ら項梁の下に付いているから程々といった所かな

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 08:27:18.15 ID:UVTe2Szj0.net
蕭何は庶民目線を理解してる下っ端役人出身で国政に参加できたのも良かったのかも。元々の資質もあっただろうけど。

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 08:37:33.60 ID:1Z/gId+r0.net
秦の時代に官吏になれる時点でただの庶民じゃないと思うけどな、蕭何も劉邦も

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 08:45:39.13 ID:xOo96jSO0.net
亭長も市の警察署長と考えればなかなかだけど劉邦周りだと蕭何がチート過ぎる
反乱起こした時点で郡のトップクラスの評価を受ける政治力を持ちながら
中央への推挙を断り劉邦を担いで反乱を起こすという時勢を見る知力も持ち合わせとるからな

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 09:15:22.23 ID:xOo96jSO0.net
あと蕭何が劉邦を担ぎ上げたのは
劉邦自身というより彼を亭長という役に就かせ辞めても殺されない様にしていた呂氏を引っ張り込みたかったと考えるのが自然
そう考えると劉邦は結婚した時点で運命が決まってたのかもしれん

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 09:37:01.29 ID:jvJ505+00.net
え、何なのこの妄想

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 10:48:18.65 ID:LC5fKetX0.net
>>248
2行目の意味がちょっと読み取りづらいので
もう少しわかりやすく書いてくだされ

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 11:19:29.22 ID:xOo96jSO0.net
>>250
劉邦が亭長になって労役者連れて咸陽に向かった後でバックれたのは有名な話だけど
亭長になったのも結婚した後だし
お尋ね者になった後でも呂氏が離れてる気配もなく捕まりもしない
そういった史実から考えると沛周辺において呂氏の力がかなり強い様に見えるし
蕭何が利用しようと考えるのも自然だろうという事

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 11:32:17.16 ID:LC5fKetX0.net
>>251
ありがとうございました

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 11:43:01.43 ID:xOo96jSO0.net
劉邦の軍閥が基本的に蕭何と呂氏によって共同経営されている組織と考えれば
韓信の粛清に積極的な蕭何の態度や劉邦蕭何死後に呂氏の専横が行われたのも理解しやすいですね

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 13:13:31.49 ID:5LJWslZq0.net
蕭何は自分のリスク回避して劉邦という奇貨を手に入れたんだから策士だよなぁ
反秦蜂起が失敗しても死ぬのは劉邦と劉邦の家族

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 13:43:31.43 ID:poNxXcGC0.net
蕭何 −家康が最も怖れた男−

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 13:47:32.20 ID:iybyjInt0.net
史記でも「蕭何と曹参は反乱がもし失敗した時に秦に家族を皆殺しにされるのを恐れて劉邦を推薦した」とか書かれてるからなぁ。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 20:23:17.08 ID:99B4nqnv0.net
まぁ「神輿は軽い方がいい」と劉邦はうまく利用されたんだろうが、
もし蜂起に成功して一大勢力になったら、その軽薄な神輿を主君と仰がなければいけないわけで(実際そうなったのだが)
やっぱりそれなりの人物を立てなきゃいけないんだよね。

いくら呂公の後ろ盾があったとはいえ、咸陽へ向かう途中労役者に逃げられ自身も沼沢に隠れたような人間に
沛の将来を託せるだろうか?
同じごろつきなら、まだ王陵や雍歯のほうが実力も風格もあっただろうし。
(実際王陵も雍歯も、劉邦擁立の際は「何で俺があんな奴の下風につかなきゃならんのだ」と協力を拒んでいる)

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 21:39:23.92 ID:zMKUMTRj0.net
基本的に史記の劉邦って人徳とか皆無やからな。
項羽倒してもすぐ反乱起こされてるし謀反の相談も教えたのは張良だけ。韓王信も一族が殺されてないのを見る限り降伏しても許された可能性が高いのに「やっぱり劉邦には従えない」と死を選んだ。

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/04(木) 22:46:03.97 ID:QDwUFqZD0.net
劉邦って末期は猜疑心の塊になってたけど
張良がさっさと引退したのがかなり影響してるんだろうな
陳平は有能だけど策略家だし政治を相談する相手じゃないし

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/05(金) 00:28:53.81 ID:b8DaMLpo0.net
子房たんは黥布の反乱までは一応政界にはいたみたいだけどね。

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/05(金) 08:58:00.42 ID:fgk4vlgw0.net
>>257
そもそも劉邦が亭長になる事を世話したのが蕭何だという話もあります
そうなると蕭何は最初から呂氏とズブズブだった可能性が高くなりますね

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/05(金) 09:41:35.93 ID:7VmRdHYA0.net
呂后は無意識にでも
「漢とは呂氏一族が建てた国」「劉邦は看板」
って意識があったんだろうか

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/05(金) 10:00:55.98 ID:IMY/Wgf00.net
それ考えると劉邦の子捨ても単にクズいだけじゃなくてスポンサーから押し込まれた嫁(なお前妻は側室扱いに)の子供をこの機会に消そうとしたと言う見方も……

やはりクズではあるけど。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/05(金) 11:31:22.26 ID:v0Tkng5D0.net
>>262
無意識どころか意識有りまくりでもおかしくないかと
オッサンになるまで劉邦を養い続け(兄夫婦との関係考えるとほぼマスオさん状態の可能性大)
陳勝呉広から垓下まで10年足らずしかない短い戦乱においても蕭何とともに絶えず留守を守っていた訳だしね
劉邦としても嫁の実家と蕭何は恩人で頭が上がらないだけに含む所も多そうですわ

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/05(金) 11:58:57.94 ID:v0Tkng5D0.net
>>258
劉邦の人望()なのは確かやけど
反乱については始皇帝の死からずっと反乱祭りみたいなもんやからじゃーないやろ
しかも劉邦自身かつての王家に全く連らない正真正銘の馬の骨な上に諸侯の殆どが少し前まで同格以上だし

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/05(金) 12:59:38.07 ID:T2S3Dh+S0.net
項羽なり田横なりも反乱祭りだったしあの時代の人間は裏切り反乱が当たり前だな
劉邦が特別人望無い方だとは思わん。品は無いが

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/05(金) 13:06:04.27 ID:v0Tkng5D0.net
>>266
旧王族の権威と実力主義が入り混じり
組織が成熟する前に状況が大きく変化する
そもそも当人に裏切りや反乱といった意識が有ったかすら怪しいそんな時代

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/05(金) 13:55:37.95 ID:YDp1cofG0.net
魏豹みたいな奴がたくさんいたんだろうな

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/05(金) 18:58:27.75 ID:AcR0Aot70.net
6国が滅んだ時って
秦によって王族は粛清されたのかな?
秦末期に再興するくらいだから
王室の子孫程度の者は、何百人もいたのかな

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/05(金) 19:13:58.29 ID:9SojLmgX0.net
楚でも羊飼いしてたガキを引っ張り出してきて国王に据えたんだからなw

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/05(金) 19:22:20.32 ID:fHo+B1EQ0.net
>>270
斉も戦国から恒例の田氏同士の争い出来る程生き残ってるしね

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/06(土) 08:51:48.56 ID:qfwQdbsX0.net
前のカキコにもあったけど、古谷の橋下支持は、単に
以前橋下と羽鳥の番組で、古谷が橋下にべた褒めされて大感激したから

こいつはゼロか百かの白黒思考だから、一度認められると感泣して一生忠誠を尽くすような態度をとるくせに
少しでも揉め事があると急に憎しみに変わり、今度は全力で敵認定して罵倒する
(桜や水島に対する変節がいい例でしょw)

古谷は橋下支持であって維新支持ではない
以前の大阪万博の批判記事でも、わざわざ松井知事の名前を出して推進派を「醜悪」「老害」「時代錯誤」
などと罵倒して、維新が大嫌いなパヨ界隈に配慮してる

まぁ橋下個人への支持であっても、プルヤのお友達の香山リカちゃんは大の橋下嫌いだし
そこはプルヤも気を遣う必要があるというか、そこまで橋下べったりにはなれないだろうなw

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/06(土) 10:34:28.02 ID:0bAhx1mi0.net
日本でも継体天皇が嘘くさい血筋で即位してるからな
秀吉が摂関家の帰属になったり松平が源氏になったりw
権力さえあれば何でもありなんだよ血筋なんて
小室圭も眞子と結婚すれば出自も不明な賤民から貴族だからな

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 01:57:11.60 ID:DmXCYU230.net
秦末の群雄たちの多くが戦国六国の王や臣下の血筋を利用したり騙ったりして成りあがったのに
そういった裏付けの無い劉邦が勝者となり皇帝になるというのが面白いな

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 03:53:36.28 ID:KT3of41c0.net
>>274
更に旧来の有力者も相当数入れ替わったりしてるし、制度や仕組みも大分新しくできたからこそ大きく反映したんだろうなと推測

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 06:14:32.97 ID:GchY3CKt0.net
>>274
信陵君→その食客の張耳→張耳が滅亡前の魏の外黄県令を勤めていたときに食客として志願してきた劉邦

というくらいには劉邦にもコネとか職歴があるわけだが

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 06:18:28.71 ID:Ro2oLJ7m0.net
孟嘗君の食客の中には鶏の鳴き真似とかコソ泥とかもいたから
食客ってだけではどれだけのもんかなぁ。

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 06:45:06.97 ID:rzuFoLS80.net
>>264
にしては呂氏は無能揃いだけどな
楚漢戦争で留守守ってたとかいってもあっさり劉太公と呂后共に項羽に捕まり
2年程人質で取引材料にされたりで呂氏達何やってたんだろね
楚漢戦争で張蒼ほどの功績も残していない呂氏が天下を私しようなんて笑止
だから戚夫人に劉邦の寵愛を奪われるんだよ

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 07:10:26.57 ID:lvrGS1I40.net
呂氏や斉王劉肥は記録消されてる可能性あるから……

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 09:42:32.77 ID:5tCFGLzb0.net
秦の法治体制って
項羽の楚が勝っていても残ったのかな
漢は、秦の領土を引き継いだり、役所の書類系を摂取したりして
ある程度は継承してそうだけど

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 09:48:02.13 ID:xswgXECk0.net
項羽はそもそも秦王朝成立以前の六国をイメージしてたんじゃ

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 10:04:26.10 ID:89aEdUws0.net
漢は当初は秦の法体系をそのまま踏襲したんじゃないかな。
劉邦は咸陽に入ったとき法三章なんてカッコいいことを言ったけど
実際天下を取るとそう単純に事が運ぶはずもなく、
右も左も分からぬままど素人が国家運営のハンドルを握る状況になってしまい
とりあえず秦の法治体制をそのまま真似した。
ただし民力の休養と農業の再興に配慮し、土木工事を盛んに行った秦のような過酷な賦役は避けている。

秦以来の厳しい法体系にメスを入れて法を緩和したのは、安定期に入った文帝の代からじゃないかな。

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 15:53:42.31 ID:xuu1uO4C0.net
>>278
歴史を見るのにこの手の安易な結果論だけで物を語る短絡バカだけはなんとかならんのかな
お前の言う事を裏返すと「項羽」以外からはちゃんと留守を守れてたって事やぞ
項羽を倒した後も戦争続きで劉邦は殆ど国にいないから特に代理者である呂后の能力は極めて高いと見てよく
後世の評価が蕭何に吸い取られてると見ても良いやろね

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 16:17:34.10 ID:xuu1uO4C0.net
>>280
>>281
秦の体制を引き継ぐ意思があるなら
その統治が一番行き届いた関中を手放す選択肢はあり得んからお察しやろね

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 16:22:14.27 ID:xuu1uO4C0.net
>>282
関中入りのエピソードから見れば
素人どころかエリート官僚だった蕭何が最初から秦の体制を継承する気満々で行動してる事が分かる

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 16:24:01.38 ID:89aEdUws0.net
高祖の一連の功臣粛清は、多くは呂后が主導したものだが、
まさか義理の弟である樊噲までもが粛清の対象になろうとは、呂后も想定してなかったろうな

幸い(?)にもやがて高祖が崩御したから、樊噲は釈放されたけど

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 16:53:00.95 ID:TcaGlTKc0.net
項羽って子供いなかったのかね?

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 17:33:16.15 ID:ZdTx+fBG0.net
項羽は武人で劉邦は政治家タイプ 英雄ともに並び立たずか

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 17:35:06.75 ID:ZdTx+fBG0.net
銀河英雄伝説ってこれぱくったんじゃね?詳しくないけど

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 21:22:40.89 ID:tL5CDYJI0.net
>>287
いたとしても幼児やろうな。
項羽死んだの31歳だし。
普通の群雄なら旗揚げしてる年齢。

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/07(日) 22:40:03.07 ID:Ro2oLJ7m0.net
>>289
皇帝ラインハルトのライバルヤン・ウェンリーは歴史学者志望だが。

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 09:59:01.39 ID:nF6h/DrV0.net
張良は、戦後、引きこもってしまうんだろう。

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 10:06:09.31 ID:VcrtwVNk0.net
>>284
柴田昇「漢帝国成立前史 秦末反乱と楚漢戦争」によるとそもそも項羽の戦後処理は自衛的な側面が強かったって解釈してる。

・宋義殺害により懐王との関係がこじれた事により自立の必要があった

・秦が滅亡したことによる項羽の軍事的存在価値の低下

・連合軍の解散により項羽の直属の兵力が減少

ざっくり言うとこの三つの理由らしい。

劉邦が関中に攻め込んだのも「章邯たちだけなら勝てるし項羽の兵力は以前ほど多くない」って計算があったからとか

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 10:22:10.58 ID:bFJ3X4ib0.net
戦争終ったら兵士を減らすのは当然と言えば当然
ただの財政負担でしかないし
まぁ反秦の動き自体が楚の懐王が盟主で以前の戦国時代の秩序がベースだから
早晩崩壊するのは目に見えてたわな
懐王が覇者的な立ち位置なんだから
劉邦は懐王との約束で漢中王になっても項羽は懐王の一武将のまま
項羽にどれほどの野心があったのかは知らんがこれじゃ部下が納得しない
懐王を殺したことで項羽は劉邦に大義名分与えちゃったわけで全てが裏目だな

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 12:29:25.58 ID:KS5i2Gmn0.net
>>293
>>294
秦を討った後に生まれた状況は漢が秦に成り代わっただけの一強時代の似非戦国時代
項羽個人の軍事的な才能で対抗出来たけど政治的には劉邦が関中抑えた時点で勝負あり
項羽自身多少は仕方が無い側面が有ったとはいえ上司を殺し主君を殺し民や兵を殺し過ぎたのも政治的にマイナス過ぎる

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 12:38:29.93 ID:D5oSX/Uc0.net
項梁が死んだことが項羽の不幸だろうな

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 15:09:24.19 ID:FGUT99/x0.net
「項羽と劉邦」
「秦が亡んでそのふたりが争う」
「最終的に項羽が敗れて漢帝国に」

遠い昔これしか知らない状態からこの時代を学び始めた時、項梁ってどこかで
項羽に殺されてとって代わられるんだろうなあとかズレた想像してた
范増の豎子って発言や、項羽の疑心暗鬼で范増が去っていったりで、俺も>>296
似た様な事を思った

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 15:55:19.56 ID:kmjlUi8w0.net
>>292

張良は劉氏ではなく呂氏が天下を掌握すると予想していたような気もするが。

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 16:51:57.47 ID:fqqkmwlT0.net
項梁と項羽って後の衛青と霍去病の関係に似てる気がするんだよね
基本的に叔父さんが苦労を買って出てるから甥っ子は好きな戦争に没頭出来てたみたいな感じが特に
衛青より長生きして分不相応な苦労を背負い込むより幸せだったのかも知れんね

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 16:55:29.39 ID:fqqkmwlT0.net
>>298
その辺は日本の北条氏と被るけど呂氏は呂后の後有能が続かなかったんやろな
というか親を追放する義時にしろ子の泰時にしろ当時の北条氏の有能率が高すぎた

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 17:48:48.48 ID:R55mFv7c0.net
>>296
項家の天下は章邯が阻んだと言っても過言ではないな

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 18:31:30.05 ID:Zm1/5ecB0.net
呂后の治世は平和で民衆は穏やかと聞くけど、宮中はアレなんだろうけど

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 19:04:31.14 ID:paxjVQlB0.net
秦末の、統一に貢献した将軍たちはどこいった?

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 19:32:37.38 ID:fqqkmwlT0.net
>>303
十数年間も経てば大体そりゃ引退よ
章邯と共に項羽に敗れた王離は王翦の孫やし生き残りの蒙恬は粛清されとる
ちなみに上に挙げた二人は北方対策で北に居たんだけど王離が国内の混乱から南に降りてきて兵の殆どは項羽に埋められた

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 19:40:03.42 ID:fqqkmwlT0.net
そもそも統一時点で結構若い王だった始皇帝が若干早死にとはいえ死ぬ所から戦乱の再開やからね
同世代の項梁や劉邦が当時の将軍の息子世代で項羽が孫世代でドンピシャな世代は范増辺りか
戦国の記憶は残りつつも世代は変わってる微妙な時代背景や

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 19:55:44.69 ID:fqqkmwlT0.net
>>301
項梁は有能なんやろうけど
楚の将軍の家出身ってしがらみ抱えて関中統治の重要性に気付いて実行出来るかが微妙なところ
何気に秦の役人に担がれた馬の骨の劉邦という存在だからこそ最適解に辿り着けた様な気もするんだよね

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 19:58:32.50 ID:TVanC7OC0.net
胡亥じゃなければ秦の治世も上手くいったんだろうな
奸臣が一人いるだけで国が崩壊するんだから怖いよな

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 20:04:31.01 ID:fqqkmwlT0.net
>>307
扶蘇を追いやった上に始皇帝が早く死に過ぎたからね
有能な二代目にスムーズに権力移譲した上で二代目もそれなりに長生きしないと長期王朝は難しいのかな

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 20:15:18.35 ID:d05XCQg20.net
泥酔した10代少女を暴行した強姦の疑いで16日までに愛知県警に逮捕されたのは愛知県立城山病院医師 高木宏だ。

昨年4月30日〜5月1日にかけ、愛知・名古屋市内の高木容疑者が賃貸契約していたヤリ部屋で、10代後半だった少女2人に酒を飲ませ、暴行した疑い。

事件を首謀した高木容疑者は、過去に4回も準強姦容疑での逮捕歴があった。その手口はいずれも自分の部屋で合コンなどの名目で飲み会を開き、参加した女性に酒を飲ませて暴行していた。

昨年7月は泥酔状態の20代女性に性的暴行を加えたとして準強姦容疑で逮捕(処分保留)。その後、9月にも別の20代女性を強姦した疑いで再逮捕されていた。

驚くのは短期間に何度も逮捕されているのに、病院側が何の処分もしていなかったことだ。

ある現役医師は「昔からレイプが発覚して病院をクビになる医師はいるが、数年たつとみな別のところに移って何事もなかったかのように勤務していますよ」と明かす。

高木容疑者は過去の事件では不起訴処分になっているとみられるが、医師免許さえあればお構いなしとはあきれる。どうやらロクに“身体検査”をしない病院が少なくないようだ。

高木容疑者が過去に逮捕された時には、女性を乱暴する動画が収められたケータイも押収されている。千葉大のレイプ事件でも被害女性を撮影し、仲間内でLINEで共有するという鬼畜行為に及んでいた。

こんな性犯罪者を野放しにして患者を診察させていた病院の罪は重い。

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2931248.htm

高木宏のご尊顔
https://i.imgur.com/OnqtRIS.jpg

愛知県立城山病院 
電話:052-763-1511

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 21:05:50.35 ID:z9mkemzr0.net
>>308
早く死に過ぎたって…50は長生きの部類、在位期間は屈指の長さ
統一を準備したとよく言われる孝公以降の秦君(昭襄と在位期間0年の孝文を除く)は20〜40代で死んでる

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 21:32:55.29 ID:0K7h/Eo20.net
>>310
そういう相対的な話じゃなくて
彼が生み出した前代未聞に巨大な帝国を子供に引き継げる様整えるには絶対的に時間が足りてないという事
結局のところ始皇帝が生み出した帝国のシステムは
陳勝呉広に始まり楚漢戦争や漢初の粛清を経て呉楚七国の乱という辺りまでの消化期間を設けなければ全国に定着し得なかった訳で
まあいくら寿命が延びても足りるとは思えんのだけどね

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 21:49:00.60 ID:z9mkemzr0.net
>>311
(…もう昭襄王の頃から(中華では)前代未聞の帝国続きなんだなこれが)

つまり巨大化させた上にまた大動員をかけて南北に大遠征
ますます制御を難しくした始皇帝は阿呆、という訳ですな

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 22:04:01.33 ID:0K7h/Eo20.net
>>312
誰も阿呆なんて言ってないやん
秦においては商鞅が仕えた孝公以来着実に進めていったシステムだったからね
始皇帝が天下統一を目指さなけりゃ秦はもっと長く保ったのかも知れんけど
その道は選ばなかったただそれだけの話やし

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 22:29:07.46 ID:z9mkemzr0.net
>>313
ああ、勘違いすまん
(バカで有名な)胡亥に継承させたから滅んだってレスしてた方とは別人だったか

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 22:40:18.96 ID:RzTpmbfd0.net
周の武王は殷周革命から2年で死んで幼い成王が継いだわけだがなんで亡ばなかったんだろう?

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 22:42:44.54 ID:ZkniRL2Y0.net
そういう時のために太公望に大国斉を与えたんじゃないのか?

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 22:46:01.61 ID:0K7h/Eo20.net
>>314
ええんやで
そもそも史実的には始皇帝は扶蘇を後継者にするつもりだったという事になっとるし

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 22:50:37.15 ID:0K7h/Eo20.net
>>315
そこは周公旦の存在やろね
実は漢も恵帝が短命やし
何気に補佐役の重要性も高いのかな

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 22:57:11.84 ID:c3/WJQ+R0.net
>>315周公旦、太公望、召公セキがそれだけ優秀だったんだろうな
武王の妻で成王の母の邑姜も優秀だったらしいしね
功臣達がいなかったら三監の乱で周王朝も秦のようにすぐ滅びる可能性があったろうな

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 23:09:14.86 ID:z9mkemzr0.net
>>317
胡亥「趙○書っていいよね…」

その扶蘇を地方に飛ばした上に自分は帝都を空ける始皇帝ェ…
きっと方士のおクスリをキメすぎたんだろうな

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 23:16:50.09 ID:0K7h/Eo20.net
>>320
状況的に急死やったんやろ
かなりヤバいもん薬として飲んでた可能性高いし

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 23:22:53.19 ID:ZkniRL2Y0.net
>>321
水銀を長寿の薬だと信じて食事に混ぜてたらしいからなぁ
確かに見た目はピカピカして奇麗だけどさぁ
巡行もあんな車に乗って何千キロも回るんだから体に悪いに決まってるよなぁ
しかも常に命狙われてるし

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 23:25:46.80 ID:ZkniRL2Y0.net
始皇帝は真人とか自称してたしもう完全に裸の王様だったんだろうな
扶蘇が諫めたら辺境に飛ばすくらいにもう聞く耳持たない状態だったし
斉の桓公みたいに周りに奸臣抱き込んじゃったらもう終わりだよね

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 23:26:03.39 ID:0K7h/Eo20.net
>>322
いうて劉邦も似た様なもんや
皇帝になる前もなった後も全国の戦場駆けずり回っとる

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 23:30:45.19 ID:ZkniRL2Y0.net
>>324
だから呂氏に簒奪されちゃったよね
まぁ呂后の息子は劉邦の息子だから厳密には簒奪されてないけど
鎌倉幕府の北条氏的なポジションで呂氏が延々と支配する可能性もあった

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 23:33:05.43 ID:z9mkemzr0.net
>>319
外様と思われる連中のおかげってのは何か違う気がする、特に太公望等は(西周資料では)空気キャラだし
やはり周王旦のお力よ

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 23:34:34.21 ID:0K7h/Eo20.net
>>325
妃と太子は留守を守るもんやから
その時点では別に簒奪とは言わんやろ
それに劉邦は遠征先で客死した訳でもないし

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 23:36:09.22 ID:ZkniRL2Y0.net
>>327
死んだ後の話だよ
劉邦が死んだ途端に呂后が最高権力者にスライドして
気に入らない功臣を遠ざけたし

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 23:43:13.45 ID:MlPDLuMi0.net
劉邦より戦場を駆けずり回った(概ね天下を平定した)初代皇帝ってほかに誰かおるんかな?

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 23:43:25.42 ID:0K7h/Eo20.net
>>328
それもしゃーない
そもそも生前から劉邦の代理やってて
まだ若い息子の後見するのは誰が良いのか考えれば他に適役もおらんし

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/08(月) 23:48:37.30 ID:ZkniRL2Y0.net
>>329
劉邦の場合は天下統一後も新征したのがちょっと異常なんじゃね?
普通は将軍に任せるところだけどその将軍を難癖付けて粛清して反乱起こされてるから
自分で征伐せざるを得ないという
しかも下手の横好き状態で結構痛い目に合ってるし

>>330
本来なら義兄弟のハンカイなんかが適任なんだろうけど
そのハンカイが呂氏に取り込まれてるのが痛かったな
王陵なんかも呂氏に恫喝されて表舞台から消えたし

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 00:01:24.23 ID:NiUvfkob0.net
>>331
有能な将軍だから王に封ぜざるを得ず
韓信以外は元々同僚や協力者やしな
対して漢側の武将は明らかに小粒
武官トップの曹参と討伐対象比べたら難しいのが分かるやろ
その辺は三国志の曹操や劉備も似た感じやしな

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 00:12:57.23 ID:WGnpt59b0.net
>>332
結果論だけど鍾離?を韓信に引き渡させて将軍にでもすればよかったよなぁ
楚では英布(九江王だけど)や龍且と同格に近かったわけだし
季布は登用して役に立ってるわけだし
英布、彭越その他の将軍で王になった奴らと軍事的な才能では大して変わらんでしょ

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 00:19:20.79 ID:WGnpt59b0.net
范増って項羽が進言を聞かずに何度も失敗してるけど
途中で「劉邦陣営に行こうかな」って思わなかったのかな?
何度も劉邦殺そうとしてるから降れば殺されると恐れたのかね?
范増は項羽にこだわるような義理はない気がするけど

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 00:22:57.18 ID:NiUvfkob0.net
>>333
いやいや英布は楚の頃から別格だよ
項羽が項梁の甥で才能が有ったからトップに収まったけど序列的には項梁に次ぐぐらいだったし

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 00:29:46.63 ID:n8ChYmZQ0.net
>>329光武帝

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 00:31:47.20 ID:NmzsRL5+0.net
>>336
平城まで遠征とかしてないでしょ
劉邦は自分で何もかんもやり過ぎなんよ

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 00:35:35.68 ID:OfFU1/Mq0.net
>>334
劉邦の出自と性格に合わんやつは多いやろ
なお項羽は劉邦に好意的だったと言われとるな

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 00:38:09.20 ID:WGnpt59b0.net
>>337
自分でやり過ぎというより自分でやるしかなかったという方が正しいんじゃね?
まぁ楚漢戦争の功臣を王にせざるを得なくそれが漢の地方支配を脅かすから
難癖付けて潰して自分の一族を王にするという流れだけど
結果的にその一族から呉楚七国の乱が起きちゃうんだからなんとも

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 00:41:51.02 ID:WGnpt59b0.net
やっぱ功績のある武将を解任して「俺にお前たちを粛正させないでくれ」と言った光武帝はさすがだよね

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 00:46:53.80 ID:OfFU1/Mq0.net
>>340
それは漢の権威が有ってこそやろな
農民出身の劉邦が元犯罪者の英布や元賊の彭越にそれを言ったところで鼻で笑われるだけやし韓信も大概な俗物やしな

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 04:11:08.30 ID:KpwtvCHB0.net
張良なら呂后死後呂氏が滅ぶことも見通していたんじゃないか
劉邦も呂后に蕭何曹参死後の宰相を聞かれて「劉家を安んずるのは必ずや周勃だろう、その先はお前の知るところではない」
と言って実際に周勃が呂氏を滅ぼして劉氏を保った
張良なら劉邦よりもっと見えていたはずだ

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 05:32:10.57 ID:xCs9m9d+0.net
劉邦は呂氏は粛清しなかったんだね

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 07:03:59.73 ID:o19wgsep0.net
「劉氏を安んずる者()」と言いながら皇帝弑逆犯の陳平()周勃()夏侯嬰()

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 07:23:55.19 ID:sRwsiWLo0.net
>>342
その話と張良および子息たちのエピソードを聞いて思う
漢功臣の中で最上位の名門出身にして後世最も著名な人物の一人であるにもかかわらず
宰相候補にかすりもしない張良って信用ないんやな、って

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 07:26:08.95 ID:sRwsiWLo0.net
>>344
文帝「なんやこいつら…」

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 07:59:49.55 ID:CobeXG5Y0.net
>>343
間に蕭何おったからな
あと外部の大物相手にしてるだけで一杯一杯

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 08:07:32.36 ID:QyTINKgD0.net
張良は韓の宰相であってあくまで劉邦の部下ではないという筋を通したんだろう

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 08:10:26.49 ID:g2Zu7Zp/0.net
>>345
たまにワンポイントで引っ張り出されてたとはいえ、基本、張良は既に引退してたからじゃないの?
>>342のエピソードに張良の名前が連なってたら、変な話になる

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 08:18:29.76 ID:QyTINKgD0.net
陳平が劉邦に拾ってもらって大出世した恩で呂氏滅ぼして劉氏の漢を守ったのに比べて
張良は劉邦が韓王に頼んで貸してもらった韓王の臣でしかないもんな
韓王成を項羽が殺さず厚遇してたらその後の楚漢戦争で劉邦に付いてすらいないはず

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 08:28:51.94 ID:sRwsiWLo0.net
>>349
個人的にそのエピソードは後付け作り話であると考えており、不自然を承知で書いてます

劉邦が死んだ後そこそこ生きている張良および息子は呂氏の専権を積極的に支援した側の人間ではないかと睨んでるぜ

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 08:31:31.60 ID:QyTINKgD0.net
息子が呂氏の権力拡大を手助けした話は有名だよね?
その場しのぎで

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 08:37:23.40 ID:k+blFw0K0.net
史記留侯世家でも張良は叔孫通先生と恵帝の師傅(叔孫通が太子太傅で張良が太子少傅)やってるしモロ呂后派なんじゃね。

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 08:39:20.47 ID:sRwsiWLo0.net
>>352
その話が事実ならば手助けどころではなく呂氏に一線を越えさせた大戦犯よ

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 08:56:34.75 ID:CobeXG5Y0.net
そもそも後継者争いで戚夫人派閥が劉邦一人
その死後に息子の命を守ろうとしたのも恵帝と劉邦の意を汲んだ周昌ぐらいのもの
つまりその時点では呂后派しか居なかったんだよ

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 09:00:05.37 ID:CobeXG5Y0.net
しかしまあ
最後まで劉如意を守ろうとしたのが
本来なら恨んでてもおかしくない恵帝と
戚夫人の寵愛に諫言してた周昌ってのが
皮肉というか面白さというかね

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 09:11:32.28 ID:ptqrqqol0.net
>>356
どこの国でもよくある側室の子供を王にしようとして正室の恨みを買って
君主が死んだ後で側室と子供が酷い目に合うパターンだよな

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 09:25:49.28 ID:nvCQ1xvi0.net
恵帝は庶長子の斉王肥が呂后に毒殺されそうになった時も咄嗟の判断で助け船を出してるし無茶苦茶性格良いんだよね。
劉邦の兄弟だと文帝に近い感じ

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 09:26:53.20 ID:CobeXG5Y0.net
>>357
そこで派閥に分かれて争わないのが元勲クラスの有能さでもあるし結論を出せる劉邦も有能
これがグダグダになると有名な三国志呉の二宮の乱みたいな事になる
まあ呉については豪族の寄り合いという難しい側面もあるんやけどね

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 09:40:38.79 ID:feyBxzxn0.net
三国でぐだってないのは蜀ぐらいだろ
曹魏とか黄昏てるし

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 09:42:46.59 ID:ptqrqqol0.net
>>358
劉肥の子孫が結構繁栄してるのが皮肉だよな
呂氏滅亡の引き金にもなってるし呉楚七国の乱でも大きな役割を果たしてる

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 09:48:56.29 ID:CobeXG5Y0.net
>>360
曹魏の初期は全然マシやろ
曹丕が呂后役を兼ねてた程度や

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 10:35:26.70 ID:ptqrqqol0.net
恵帝は高祖の次の皇帝としてはあまりにも善人過ぎたな
しかも呂チの息子なので呂氏の専横を抑えることもできない
だから恵帝を陳平や周勃も一切助けようとしなかった
何とも哀れな皇帝だよね

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 11:34:34.18 ID:NBJrsBY40.net
>>361
なお謀反率が5割を超える模様

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 12:56:40.24 ID:0XsNNdY/0.net
>>362
そら前半なら孫権も神ってるだろ。後半がね・・・魏で実権握ってたの曹叡までだし。地位は蜀が一番安定してた
人材が少ないのも良かったのかもしれないけど

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 13:10:50.99 ID:bLP2DpbC0.net
>>365
いやいや
二宮の変でやらかした孫権の後継者問題に前半も後半もねーだろ

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 19:01:06.83 ID:58ehv1BC0.net
文帝 の皇后だった人は、たしか竇皇后だよね。

武帝の時代までつかえたらしいけど、どんな人物だったんだろうか?

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 19:46:55.17 ID:n8ChYmZQ0.net
>>360皇帝劉禅が長生きしてたのも安定してた原因なのかもな
末期は宦官を重要したり姜維の暴走を止めなかったりとボロボロだけど

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 20:22:48.88 ID:0XsNNdY/0.net
>>366
(孫権の)前半が神ってる

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 20:54:31.13 ID:J7u1MMkf0.net
>>345

張良は首相(内政)ではなく参謀総長(軍事)タイプだから。

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 21:35:47.64 ID:bLP2DpbC0.net
>>368
代わりに孔明が過労死しとる

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 21:47:33.71 ID:6lyvb6bY0.net
あんな素行不良の父親と、苛烈な性格の母親から
よく恵帝みたいな温厚篤実な子供が生まれたな

事実、劉邦はこの温和な息子を「柔弱で俺に似てない」と嫌い、
また性格が良すぎたのが災いして、実の母親の蛮行にショックを受けて精神を病んでしまい、
政務を放棄して酒色にふけった挙句早死にし、皇帝としての高評価は得られなかった

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 22:03:46.71 ID:POOAr6RH0.net
わざわざ恵帝が行く便所に人豚ぶち込む呂チが怖いわ

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 22:35:13.25 ID:NmzsRL5+0.net
>>370
張良はどっちかというと外務大臣じゃね
戦争は劉邦が指揮しとるし

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 23:04:26.06 ID:OfFU1/Mq0.net
>>374
そこは普通に両方やろ
というか近代国家の役割を当てはめたら蕭何無双になるわ
内政に関する司法立法行政全てを取り仕切っとる

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 23:11:05.46 ID:NmzsRL5+0.net
>>375
張良が軍事参謀(当時の官職だと何に当たるか分からんけど)として軍事作戦を立案した例を知らんのだが

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 23:16:30.88 ID:OfFU1/Mq0.net
>>376
対秦戦争の頃から落とすべき都市や寄るべき拠点といった戦略指導を行っとるやろ
戦術ではなく戦略というまさに参謀本部の担う一番の役割を演じてる
更には休戦破って背後から襲うとか有名な作戦指導も行ってるわな

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 23:20:38.15 ID:OfFU1/Mq0.net
そもそも戦時における軍事外交自体が参謀本部の役目やし

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 23:24:43.85 ID:OfFU1/Mq0.net
なお内政だけと言った蕭何さんは
兵站という分野において有能な補給計画を立てる参謀の役割も担ってた模様

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 23:27:59.06 ID:OfFU1/Mq0.net
日本人って参謀の役割を勘違いしてる人が凄く多い気がするわ

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/09(火) 23:57:11.70 ID:NmzsRL5+0.net
>>377
張良が対秦戦争で果たした役割は自ら兵を率いて韓臣(実質的に韓の軍事指揮官)として劉邦と一緒に秦軍と戦うことだったのだが…

「沛公之從雒陽南出轘轅、良引兵從沛公、下韓十餘城、擊破楊熊軍。沛公乃令韓王成留守陽翟、與良俱南、攻下宛、西入武關。(史記留侯世家)」

指揮官と参謀は別物だよ

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:02:55.57 ID:IuO2D6b00.net
>>381
別に張良が軍を指揮した事がないなんて言っとらんわ
というか挙兵初期は蕭何ですら軍を指揮した記録もあるんやで
既に書いた通り役割を固定化する近代と流動的な中世以前を当てはめるのがナンセンス

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:04:35.42 ID:l2HPjg6x0.net
対秦戦争の頃の張良は劉邦にどこの都市を取れとかここの拠点を押さえろとは言ってないはずなんだが
陳留取れといったのは酈食其だし

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:06:55.39 ID:l2HPjg6x0.net
とは言え参謀総長とか言ってたのは別の人っぽいしこれ以上ヒートアップするのはやめとくわ

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:07:18.48 ID:IuO2D6b00.net
ついでに言えば
近代以降においても現場にいる参謀が指揮する事もあるんだわな
個人の勝手な妄想だけで参謀というものを勘違いしない方が良いよ

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:08:52.81 ID:IuO2D6b00.net
>>384
そもそも参謀というものを勘違いしてるからアカンのよ

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:09:50.74 ID:l2HPjg6x0.net
>>385
幕僚統帥はタブー
旧陸軍最大の問題点を肯定してはいかんよ

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:11:13.49 ID:l2HPjg6x0.net
>>386
全般参謀制度における参謀は指揮しないぞ
あくまで指揮官の指針や意図の具現化までが役割

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:13:16.56 ID:IuO2D6b00.net
>>387
それはあんまり関係ないよ
そもそも参謀が人事で指揮官になる事も日常茶飯事や
日本人は参謀に幻想やら拒否感やら持ちすぎだろ

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:13:48.41 ID:l2HPjg6x0.net
韓王が項羽に殺害されて以降の張良の地位はよく分からんけど縦横家みたいなことやっとるイメージ

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:14:47.44 ID:IuO2D6b00.net
>>388
普通に戦争全般の計画と指導って言えばいいんだよ
だから理解が出来てないんや

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:17:36.84 ID:l2HPjg6x0.net
>>389
指揮官に補任されたら参謀じゃなくなるのは当たり前なのでは…

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:19:45.06 ID:IuO2D6b00.net
>>392
だから現場の状況で参謀が指揮したりするケースもあるしやれちゃうって事だよ
それが良いかどうかの話じゃなくてね

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:23:53.73 ID:IuO2D6b00.net
結局のところ
参謀の役割を作戦参謀のイメージだけで考えて張良が当てはまらないって言っちゃった人がいたから無駄に話が続いただけやな

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:24:45.55 ID:l2HPjg6x0.net
>>393
辻正信の生まれ変わりかな?

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:26:31.47 ID:IuO2D6b00.net
>>395
まーたそうやってアレルギー発症するし

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:28:31.21 ID:l2HPjg6x0.net
>>394
俺は張良は間違っても作戦参謀なんかじゃねーよと言っているだけだが

作戦参謀って漢以降の将軍府で言うなら長史とか司馬、参軍事がやっとる仕事だろ
張良の果たした役割は初めから参謀の領域を越えてると言いたいだけなんよ

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:32:19.04 ID:IuO2D6b00.net
>>397
だからね
参謀ってのを作戦参謀という一部署のイメージだけで語ってる時点でアカンと言ってるんだってば
辻ーんの名前出してる辺りで変なアレルギーと視野狭窄になってるよ

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:38:44.65 ID:l2HPjg6x0.net
>>398
かといって張良が後世の太尉や大司馬のポジションかと言われたら肯定できんやろ
対秦戦争と時はどうみても韓の指揮官代理で、楚漢戦争ではどちらかというと外交に精出しとるわけでな
言っちゃなんだが現代の制度にも漢代の制度にも置き換えきらんぞ

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:40:04.56 ID:IuO2D6b00.net
上にも書いてある通り
蕭何だって補給と動員という兵站の分野で参謀の役割を担ってる訳で
一言参謀って言っても役割は色々なんやで

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:42:24.25 ID:YbQ9GRs20.net
張良は参謀やら外交官やら色々含めて軍師で良いんだよ
張良ほど軍師という言葉が似合う人物がいるだろうか

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:42:36.44 ID:IuO2D6b00.net
>>399
だから戦時の軍事外交も普通に参謀の役割だってば
各国の軍隊が一々外務省の役人通して戦略計画の調整行うと思ってるの?

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:43:31.62 ID:l2HPjg6x0.net
>>400
兵站参謀ごときが国家の動員を司る国って一体…

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:45:27.89 ID:IuO2D6b00.net
>>403
動員計画って知らんの?
めちゃくちゃ重要な仕事なんやけど
まあ日本人らしい感想なのかな?

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:48:09.00 ID:IuO2D6b00.net
>>403
結局こんな感想言っちゃう人は辻ーんと同類なんだよなあ

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 00:53:22.94 ID:l2HPjg6x0.net
>>404
編制動員は後方じゃなくて編制の職務だったような気がするわけだが
そして編制(課?)は作戦部の下だったはず

後方参謀はあくまで補給と後方支援の計画で作戦には口出せんかったはずや

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 01:06:17.04 ID:IuO2D6b00.net
>>406
そりゃ後方参謀は口出しはせんやろ
作戦に必要な物資人員が補給出来るよう頑張るだけやし
だからなんなんや?
何を言いたいのかサッパリだわ

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 01:10:04.86 ID:IuO2D6b00.net
後方だろうが作戦だろうが重要な参謀の任務なのに
なんで作戦参謀を強調する様に一々食ってかかるんやろな
辻ーんの生まれ変わりかな?

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 01:14:20.18 ID:l2HPjg6x0.net
>>407
蕭何を後方分野の参謀とか言い出したのは君やないか?
だが動員は後方ではなくて作戦の分野の話なんよ、全般参謀制度においてはね

どちらにしろ近現代の制度を紀元前に持ち込むのはナンセンスなんやけどな

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 01:17:22.04 ID:IuO2D6b00.net
ちなみに蕭何は何も言わなくても必要な拠点に兵や食料を手当てしてた
兵の指揮自体は苦手でも韓信の才能を見抜いてたり蕭何の軍事的な能力も何気に高い

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 01:20:35.83 ID:IuO2D6b00.net
>>409
後方分野なんて一言も言ってないよ
動員計画から補給計画まで参謀の役割も担ってると言ってるだけ
後方とか言い出したのはそっちだよ

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 01:27:43.45 ID:IuO2D6b00.net
ほんとマジで辻ーんの生まれ変わりを疑ってしまうわ

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 01:28:38.65 ID:l2HPjg6x0.net
>>411
400 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2019/04/10(水) 00:40:04.56 ID:IuO2D6b00
上にも書いてある通り
蕭何だって補給と動員という兵站の分野で参謀の役割を担ってる訳で
一言参謀って言っても役割は色々なんやで

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 01:32:44.44 ID:l2HPjg6x0.net
煽りとかそういうの抜きで「参謀」という用語や概念を秦漢の時代に当てはめてああだこうだ議論するのは不毛やろ
張良の果たした広範な役割や彼自身のパーソナリティーの理解に何も寄与せんのやぞ

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 01:35:25.55 ID:IuO2D6b00.net
>>413
ふむ後方なんて一言もないな
補給と動員の兵站という分野でと言ってるだけだな
それをそっちが勝手に後方だなんだと目くじら立てて仕分け出しただけやな
マジで辻ーんの生まれ変わりか?

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 01:39:24.39 ID:IuO2D6b00.net
>>414
そんなのは最初から分かってる上での当てはめやろ
なのに「参謀」と聞いた途端に「作戦参謀」の範囲で視野狭窄しちゃった頭辻ーんな人がおっただけの話や

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 05:41:33.27 ID:l2HPjg6x0.net
>>416
そもそも君は参謀制度の初歩的な知識も知らなければ張良が軍の指揮官として劉邦の関中進攻に同行していた事実も押さえとらんかったわけだが
どうやったら張良=参謀と結びつけることができるのか頭の中身拝見したくなるわ

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 08:02:38.71 ID:cnc/nXw+0.net
スレが進んでるなと思ったらバカ二人の喧嘩か

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 08:23:49.39 ID:U8S1K4T80.net
>>417
まあ残念な事に
劉邦側の記述に宛の攻略を献策したり
秦将を交渉で降す事を献策したりと
普通に戦略指導行ってるんですけどね

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 08:27:13.67 ID:U8S1K4T80.net
>>417が必死になって選抜引用した箇所のすぐ前に張良が果たした役割について書かれてて
太公望の兵法をもって献策して劉邦が採用したとあって
対秦戦争における具体例が上だったりする

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 08:30:26.31 ID:U8S1K4T80.net
紀伝体の歴史書で本人の伝だけ読んで勘違いする典型的なパターンかな?

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 08:35:11.61 ID:U8S1K4T80.net
>>417
おまけに
参謀全体の役割について話してるところで
国毎に結構違ったりする参謀組織内の部署の話を持ち出して誤魔化しながらマウント取ろうとする残念さ
マジで大好きな辻ーんの生まれ変わりなのかな?

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 08:37:25.04 ID:olLbU0O40.net
確か子房たん陳キの乱にも従軍して
たって記述あった気が

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 08:43:54.95 ID:U8S1K4T80.net
>>423
そりゃ始皇帝暗殺を計画実行する様な人やし色々出来るでしょ

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 08:59:01.08 ID:ZwKdIJEw0.net
>>422
参謀って結局何なんや
軍師じゃアカンのか?

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 09:03:32.67 ID:l2HPjg6x0.net
>>419
その時点での張良は劉邦の幕僚でも何でもない
強いていうなら楚の対秦合従に参加した韓の宰相格としての従軍
張良のポジションを読み違えてるぞ

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 09:13:05.70 ID:U8S1K4T80.net
>>425
参謀は戦争に関する事を計画指導する役割だよ
またそういう話だと軍師って何だよって話にもなるわな

流れの発端は>>370が張良を参謀総長って言ったのに対し>>374の外務大臣とか言う微妙な発言に突っ込み入れたところから始まるんやけど
俺は最初から参謀の役割「も」こなしてるよと言ってるだけなんやけどなあ

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 09:13:45.83 ID:QgvpDfiO0.net
大まかに言えば韓信は前線部隊総指揮官、張良、陳平は作戦、情報参謀、蕭何は兵站参謀
個別具体的な例を引き合いに出して張良も部隊指揮官だとか言っても意味がない

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 09:16:24.43 ID:Ror7FwjL0.net
>>425
中国語なら「謀主」が近いやろ。

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 09:18:04.76 ID:U8S1K4T80.net
>>426
何だよ幕僚って…
韓の宰相が劉邦に戦略指導したらアカンのか?
秦末の混乱した時代を見てるのに肩書きに縛られて
史書に記されてる役割や具体的な行動を否定して何の意味があるんだよ

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 09:20:46.31 ID:U8S1K4T80.net
>>428
まあそういう事
単に近代組織の何に当たる役割をこなしてたかという遊びみたいなもんや

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 09:24:42.12 ID:olLbU0O40.net
春秋戦国時代なら複数の国の官職や爵位持ってるの違和感ないわなぁ。

子房たん最初は廐将(楚の客将)って役職だし

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 09:28:56.50 ID:U8S1K4T80.net
しかも混乱した時代やからな
多彩な人間はその時の状況に応じて色んな役割をこなすもんや
上に書いた参謀将校が人事で現場の指揮官やる何てレベルじゃなく明日には宰相に任じられる様な時代や

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 09:31:58.47 ID:l2HPjg6x0.net
>>432
その点では張良は縦横家の一類型なんじゃないかと思ってるわけだけど

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 09:37:05.05 ID:x2pjAezj0.net
もしこの場に劉邦がいたらお前らのカツラを取って小便してるぞ

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 09:39:59.38 ID:U8S1K4T80.net
>>435
まあそうやろなあ
こんな所に書き込みしてる奴は劉邦が一番嫌いな類の儒者と似た様なもんやしな

カ、カツラじゃないぞ!

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 09:49:00.66 ID:T24fgxsL0.net
>>430
勝手に張良を参謀(君の定義は無茶苦茶やけど)扱いして将や縦横家的な複雑な側面を軽視しとるのは君やで
だから参謀が指揮して悪いんかとか軍事外交やるんやとか本来の参謀業務とはかけ離れた意見が出て来ておるんや

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 10:05:20.88 ID:U8S1K4T80.net
>>437
何言っとるん?
こっちは最初から参謀に収まらんと言っとるんだが?
>>375
その上で参謀の一番重要な戦略指導についての具体例まで挙げてるんやで
むしろそっちが何にこだわって絡んでるのかサッパリなんだわ

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 10:46:44.77 ID:T24fgxsL0.net
>>438
戦略指導いう言葉が存在するかどうかすら分からんが(そもそも戦略は定義が崩壊してる用語やし)
指導と名前がついたら君主や指揮官の専権事項になるぞ
スタッフ(参謀、幕僚)はあくまで助言にとどまるのが世界の軍事常識や

だから参謀という概念は張良に当てはまらんと言うとるんやけどな

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 10:58:39.04 ID:U8S1K4T80.net
>>439
参謀の役割は普通に計画と指導やぞ
実際に命令権を持つ人に対して指し示し導くから指導であって
まあ中世以前の献策に一応は近い扱いや
なんか指導という単語にトラウマでもあるんかい?
ちょっと言葉が短かったし戦略という言葉が嫌いみたいだから
それを踏まえて上に挙げた二例を現代風に言うなら
対秦戦争における劉邦軍閥への作戦指導と言った所やろね

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 11:01:45.16 ID:/CAiRZLH0.net
>>326
王にすな

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 11:26:35.24 ID:U8S1K4T80.net
宛への攻撃の進言なんてまさに指導だわな
何しろその時点で困ってる訳でも無いのに
先々の予想(作戦計画)に基づいて軍の行動を導いて修正してる

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 13:22:46.21 ID:ASnnnguv0.net
話は変わるけど
漢の呂氏と秦の呂不韋が同族だって説があるんやな
確かに資産家であり人に投資する様な行動を見ると同じ匂いがしないでも無いけど
流石にせいぜい田舎の有名人レベルの劉邦に娘を嫁がせるのはやり過ぎやろ

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 13:44:55.67 ID:QgvpDfiO0.net
奇貨にしても質が悪いよな劉邦じゃ
呂不韋は秦の皇太子になりえる人材に投資したけど

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 13:50:46.73 ID:wPYIKUT/0.net
まだこんなに元気な奴が居たんだな

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 13:57:25.71 ID:QgvpDfiO0.net
項羽がもし范増の意見を取り入れて鴻門の会で劉邦を問答無用で切り捨ててれば
それで降雨の天下が定まったかと言われるとそれは別だよなぁ
劉邦関係なく不公平な論功行賞で不満が高まってるし
斉の反乱は遅かれ早かれ起きただろうし項羽はたぶん完全に斉の反乱を鎮圧できない
そこら中で反乱が起きて項羽は鎮圧に東奔西走だろう
咸陽辺りを地盤に秦の生き残りを担いでショウカン辺りが反旗翻したら函谷関は簡単には突破できないだろうし

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 15:27:15.19 ID:ASnnnguv0.net
>>446
秦人の支持を完全に失った章邯じゃダメでしょ
三秦以外で関中をいち早く抑えた群雄が一歩リードするのは変わらずで
史実より少し戦乱期が長く続くだけな気がしますわ

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 17:08:09.23 ID:jcdCaRUc0.net
>>447
その候補がいるかだよね
あと范増がいる項羽陣営に勝つにはやはり韓信手に入れないと
でもこの時点では韓信も陳平も項羽陣営にいるんだよな

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 18:08:27.02 ID:zKjp8lZ70.net
>>448
確かに項羽は強いから
再統一は項羽が老いたり死んだりした後になるかも
つまり項羽は統一出来なさそうという事
楚漢戦争時も領地を拡大したり味方を増やしたり満足にしてなさそうなんだよなあ

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 18:40:53.62 ID:xaaksocl0.net
項羽は行く先々で皆殺しにするから救いようがない
ガキに説教されて皆殺し中止したことが一度あるけどw

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 19:33:14.28 ID:wPYIKUT/0.net
いうても兵糧がないし降兵を容れると速度が落ちるやろ。適当に斬首してそこら辺の奴任命してもまた裏切るだろうし
殺す以外にも良い選択肢がない。皆殺しよりはまた裏切られる方がいいのかもしれんけど

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 21:49:01.35 ID:cAce62jm0.net
4月12日までのpringのアプリ新規登録、せこい奴ばっかだね。
招待コード使って新規登録してもらうだけで、自分に500円入るのに謝礼しない奴ばっか。
俺は400円謝礼として送金するよ。

招待コード rguyen

上記の招待コード使って新規登録してみ。
俺はマジで500円もいらんから必ず400円送金するよ。
だから招待コード使って新規登録してくれた貴方には計900円が入って、即出金できるよ。

どうしても俺の招待特典の500円全部欲しい人は、pring内から連絡下さい。

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/10(水) 22:00:29.49 ID:zKjp8lZ70.net
>>451
少なくとも鉅鹿については兵糧が無かった筈は無いんやけどな
秦の大群が庸道作って後方と繋いで何ヶ月も滞陣出来てた訳やし
その後も何度もやらかしてる事から結局は項羽の資質が一番の要因

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 08:01:37.28 ID:xcArjjaa0.net
問題は范増が止めた形跡ないんだよな

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 09:08:18.96 ID:g0p7KIYq0.net
項羽って何でつよいんだろうなぁ?
個人としての武がずば抜けているという描写ばかりで、
将として軍として、戦術的強さがどうだったのかいまいちわからない

まあ勝ってるんだから、
戦術的強さ持ち合わせているんだろうけども

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 09:41:26.72 ID:wZSFOCak0.net
>>455
史書レベルで見えるのは
個人の武勇や兵への労りなのによる部隊の士気の高さやな
天性の兵の将たる器というべきか

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 09:43:49.61 ID:njCJqabE0.net
昔は大将の武勇一つで戦の流れ変わる時代だからなぁ
項羽もそうだし呂布もそう
張飛一人で曹操軍押し返したり

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 09:53:52.77 ID:wZSFOCak0.net
鉅鹿で船を壊したりと
自然に背水的な事を行ってる辺り
兵の心理だけは良く分かってるんだよ

それなのにというか
それ故にというか
他国の民の心理についてはサッパリ

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 10:02:17.28 ID:njCJqabE0.net
項羽って明らかにキレやすいタイプだよな

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 10:18:51.08 ID:wZSFOCak0.net
>>454
そもそも范増は史書に出番が殆ど無いからなあ

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 10:21:07.25 ID:njCJqabE0.net
項伯も項羽の足引っ張ることしかしてないよな
自陣営の幹部に敵のスパイいるんだから勝ち目ねーわ

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 10:30:14.21 ID:wZSFOCak0.net
>>461
まあ項羽の一族が一枚岩じゃなかった可能性は高いと思う
項伯って言ってみれば項梁項羽のラインから冷遇されてる系統やし

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 10:44:29.60 ID:E5Rdg0FC0.net
項羽が戦略家っぽいムーブしたのは彭城の戦いかな。
わざわざ漢軍の侵入ルート使って油断させて大勝した

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 11:09:08.89 ID:wZSFOCak0.net
>>463
政治を考慮しないレベルであれば有能なんだよなぁ

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 11:29:14.75 ID:m7mXfS7j0.net
>>464
つか政治的な失点(宋義殺害や関中放棄など)を軍事的な成果でチャラにしちゃうから政治力が殆ど上がらなかったんじゃ

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 11:36:12.48 ID:kcwCRRzV0.net
>>462
項羽は嫁の一族を厚遇してると陰口叩かれてたけど
結局最後まで裏切らなかったのは虞姫の一族なんだよなぁ
そのラインが有能という訳でもなかったのが痛いわけだが

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 11:44:40.53 ID:m7mXfS7j0.net
項羽政権(5年)は五胡十六国でもかなりの短期政権だから情報が殆どないんだよね。

南朝漢(5ヶ月)や冉魏(2年)よりはマシなだけで西燕や南燕(10年)以下の超短期政権。

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 12:20:02.65 ID:wZSFOCak0.net
>>466
残念ながら項羽に必要だったのは
滅ぶまで一緒にいる忠誠心ではなく
項羽が耳を傾ける性格で政治的な助言をする能力だったんだよなあ

項梁はそうだっただろうし
何気に蕭何を抱えた劉邦だったのかもしれない

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 12:32:17.46 ID:kcwCRRzV0.net
>>468
項梁が項羽の下にいたことなんて一度もないだろw

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 12:36:54.73 ID:wZSFOCak0.net
>>469
まあそうなんだけど
性格と能力という意味でね

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 12:39:05.16 ID:wZSFOCak0.net
ぶっちゃけ項羽は范増より劉邦の言う事聞いてる回数の方が多いやろ

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 14:19:53.58 ID:Oa+algNM0.net
史記の范増自体が出落ちキャラっぽい扱いやからなぁ。

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 15:44:00.43 ID:NKCjAeB00.net
>>472
よく范増が項羽の元から離れなければとか言うけど
別に項羽の悪行を止めれてる訳じゃ無いしねえ

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 15:50:34.05 ID:5Isr8iMD0.net
史記の范増の扱いって項羽のバカさ加減を強調するために作られたキャラじゃないかって説もあるくらいやし。

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 17:07:20.77 ID:37EY0mVr0.net
范増は楚軍の軍師的なポジションの割に
過去が全く分からないもんな

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 19:50:01.34 ID:GLo0ThSM0.net
>>458
項羽って、親分肌の人物ではあるけれど
軍を率いる将軍程度の器で、政治家としての器量はないよな

自分の集団、身近な子分達への思いやりはあるが
気が合わない相手や他国民には関心ない

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 20:19:12.54 ID:ij2HDLwF0.net
項羽については韓信が短く簡潔な言葉でズバリ的を得た評価をしてるじゃん

「匹夫の勇、婦人の仁」

思慮分別の無い血気だけの勇、細やかな優しさを見せても実際は自己中で行動が伴わない

もっともこれが本当に韓信の言葉かどうかは怪しい
おそらく結果を知っている後世の人間が脚色したんじゃないかな

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 20:36:08.84 ID:hLy2Up5A0.net
だから項梁の部下として一武将としてなら賞賛されて終わってる

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 20:36:51.99 ID:62dNDae60.net
>>477
うろ覚えで「誰かに評されてた」
くらいしか覚えてなかったからなあ

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 20:45:29.14 ID:r6Ke8VI/0.net
>>475

家族がいたと書かれていないから、70歳まで引きこもりだったのかもしれない。

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 20:50:12.65 ID:62dNDae60.net
司馬遼太郎氏の「項羽と劉邦」を初めて読んだ中学生の時
「范増って、日本人みたいな名前だな?」
なんて思ったなあ

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 20:55:58.00 ID:wb/+rXBF0.net
下の名前かよ!

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 22:16:07.19 ID:GyvJHI250.net
>>477
言うてお前も勇と仁微妙やけどな
と韓信に突っ込んでやりたくなるな
的確な評である事は確かなんやけど

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 23:05:13.05 ID:WDXRp1nc0.net
>>481
自分も似たような感じだ。
今でこそ中国人の「はん・ぞう」「ちん・ぺい」として捉えているけど、少年時代は(中国人だとわかってはいたけれど)なぜか日本人の下の名前的に2人の名前を読んでいた。

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 23:32:29.69 ID:vcUXPWV50.net
本来賞賛されるべきは項羽を倒すのに貢献して
呂氏も排除した陳平であるべきなのに
なぜか張良ばかりがもてはやされる
これじゃ勝ち逃げが一番ということになり
国のために最後まで尽くす奴が居なくなる
まぁ代替わりで粛清されるのこの手の功臣が多いのは事実だが

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 23:44:48.45 ID:Jac/ZQem0.net
劉邦の遺言も交えれば、最終的に社稷を安んじたのは陳平や灌嬰、王陵や周勃だったな
三傑は勿論、曹参に樊噲といった最古参ではなかった

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/11(木) 23:51:59.27 ID:vcUXPWV50.net
王陵さんは呂チに目を付けられて引退したが・・・・・・
灌嬰はあの時点でも討伐に大兵力与えられてたんだから凄いな
実際は呂氏の専横を嫌ってたから裏切ったけどそれに気づかれてなかったと

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 00:09:58.54 ID:6nPw6LPe0.net
>>486
文帝&景帝「陳平周勃は乱臣賊子。皇帝弑逆犯やぞ!」

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 00:24:35.79 ID:bthrJO4p0.net
>>488
周亜夫「親父がすまんな」

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 00:36:57.87 ID:bthrJO4p0.net
>>486
蕭何「そんな先の面倒まで見れませんよ」
蕭何「歳を考えて下さい」

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 00:54:02.40 ID:QhL2jIU+0.net
陳平は社稷っていうか自分の身が危うくなったからやっただけだと思う

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 04:43:46.38 ID:Vi5sK4wd0.net
兄嫁養わなきゃだから、そら必死よ

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 06:29:37.88 ID:6wNloe4z0.net
>>487

灌嬰は行商人だったから弁舌が凄かったんだろうな。

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 07:54:48.96 ID:V45eGI9s0.net
カンエイは騎馬部隊ってイメージだけどキョウド相手には活躍出来なかったのかな?

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 07:56:40.08 ID:Q0lS2hGc0.net
曹参の息子はたまたま呂産が乱を起こそうとした現場に居合わせて陳平らに報告したという功績があるぞ!

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 08:09:58.55 ID:XrAfyiCF0.net
>>494
騎兵の数が違いすぎるわ。
項羽倒した時点での漢王朝って牧畜業が壊滅してた臭いし

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 08:10:33.18 ID:XrAfyiCF0.net
>>495
文帝「でも列侯位剥奪な」

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 08:24:17.85 ID:u39s19kV0.net
>>496
対匈奴の任に就いてた秦の主力は項羽に埋められちゃったし
灌嬰自身も商人出身で乗馬が上手いって程度やしなあ

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 08:33:31.24 ID:ooBbkWzf0.net
陳勝・呉広の乱から楚漢戦争終了までたった数年なのに国力ガタ落ちだもんな
後の三国時代に中国の人口激減して周辺異民族に侵略されたのは当然だわな

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 08:42:11.07 ID:XrAfyiCF0.net
>>499
劉淵「侵略やないで。弟(南匈奴)が兄(漢王朝)の敵(西晋)を討つ義戦やぞ」

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 10:07:08.79 ID:w4USnEZo0.net
>>496
>>498
その馬と優れた騎兵の産地であるオルドスを失陥したのは誰なんでしょうねぇ
楚漢戦争で経験を積んだ精鋭、蒙恬軍に勝るとも劣らないであろう大軍勢を拙い戦でお釈迦にした人がいたようないなかったような…

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 11:52:16.05 ID:u39s19kV0.net
楚漢戦争で経験を積んだ…ねえ
秦末から楚漢戦争に掛けて「強兵」と言えるのはどの兵か
はっきり強いと言えるのは鉅鹿で戦った秦の北方守備兵と項羽配下の兵ぐらいじゃね
ぶっちゃけ他の兵
特に漢の兵なんて項羽の軍に殺されては関中から送り込む自転車操業状態で
戦争終わった頃には出涸らし状態な気がする
漢が勝てたのは関中の国力と後方撹乱のゲリラといった戦略による所が大きいしね
将はそこそこ育ったと思うけど

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 12:36:07.22 ID:7YJJGkr00.net
その関中ですら最後はカッツカツで楚や斉から住人移住させたっぽいからな

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 13:07:41.81 ID:u39s19kV0.net
>>503
しかも楚はともかく斉にしても項羽に散々な目にあってるから
兵の強さは置いておいても斉の国力の凄さが分かる

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 13:24:34.55 ID:u39s19kV0.net
結局のところ
匈奴が強大になった背景には当然英雄である冒頓の有能さがあるんだけど
それと同時に秦末から楚漢戦争に掛けての動乱で北方へ牽制がなかった事も大きい
劉邦が対応しようとした頃には完全に手遅れだったんだよなあ

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 15:20:11.94 ID:/2BIa2Jx0.net
楚の主だった兵は徒士でなく騎馬だったのかね項羽の時代は
武霊王からは主力がずっと騎馬になったんすかね?

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 15:59:30.57 ID:u39s19kV0.net
>>506
楚は普通に徒士中心でしょ
項羽と供回りがどうかは不明やけど有名どころで劉邦は戦車やね

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 16:09:48.52 ID:u39s19kV0.net
当時はまだ鐙が登場してないので南北の差が小さかった時代なんだろうなという事は予想出来る
とは言っても騎馬民族は強力なんだけどね

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 16:17:23.17 ID:u39s19kV0.net
降って三国時代の頃になると
北方民族の移住なんかで強力な騎馬部隊が当たり前になって南北の軍事格差が絶望的になっている
幽州出身の劉備も烏丸兵を率いたりとバリバリの騎馬部隊の隊長だった可能性が高い

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 16:39:10.66 ID:h4N5m6MV0.net
ID:u39s19kV0
提案だが、書き込みを数レスに分けないで1レスにまとめないか?

>>484
服部半蔵はもちろんのこと、野末陳平さんもいたしね
仕方のない事

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 17:48:58.97 ID:QhL2jIU+0.net
>>507
彭城に急行したのは牙だったんやろなあ

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 20:31:12.26 ID:Ih2kGLK80.net
敵の堅陣を破ること十六
降した城四十六座

平定した
国一つ
郡が二つ
県が五十二

生け捕った敵
将軍二名
宰相四名(柱国、相国含む)
二千石以上の高官十名

これ、漢の車騎将軍灌嬰の戦績ね。
生け捕り名人w
騎兵を自在に操る元絹商人w
しかも若造w

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 21:43:18.73 ID:5l3yCyjj0.net
韓信も二十代(推定)だもんなぁ

呂后が韓信を危険視したのも軍才だけじゃなく若さもあるかも
何しろ死んだ時点で(35)で不良皇帝が旗揚げした時と年齢変わらんから

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 22:14:43.09 ID:w4USnEZo0.net
>>502
>秦末から楚漢戦争に掛けて「強兵」と言えるのはどの兵か
>はっきり強いと言えるのは鉅鹿で戦った秦の北方守備兵と項羽配下の兵ぐらいじゃね

鉅鹿で戦った秦の北方守備兵とかいう戦闘力不明、碌に活躍しないまま皆殺し
そしてそこに存在したかすら不明な想像上の軍隊をはっきり強いと言えるのはすごいなぁ…

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 22:15:03.91 ID:JXKpdZAA0.net
閻楽、千の兵を率いて宮殿に突入する。胡亥、驚いて救援を求めるも官人みな逃げ失せて
ただ一人の宦官が側らに侍るのみ。胡亥、宦官に恨めしげに曰く、
「なぜこうなる前にもっと早く教えてくれなかったのか」

宦官:「いえ、教えなかったからこそ臣は今日まで陛下の傍にお仕えすることができたのです。
     もし臣が丞相(趙高)の野心を正直に話せば、陛下は怒って私を殺し、今日此処に臣がいることは無かったでしょう」
胡亥:「うぅ・・・」

閻楽:「天下万民の敵、胡亥よ。あなたの悪運もこれまでだ。潔く自害なされよ」
胡亥:「ま、待ってくれ! もういちど丞相と話がしたい」
閻楽:「もはや丞相にその気はござらぬ。ただ陛下の最期を見届けよと私にお命じになっただけだ」
胡亥:「頼む、助けてくれ。朕は潔く退位する。天子の座から降りて群王になる」
閻楽:「だめだ」
胡亥:「なら爵位も捨てる。民間の一富豪になる」
閻楽:「だめだ」
胡亥:「こうなったら財産も要らない。妻子ともども一庶民になる。だから命だけは助けてくれ…」
閻楽:「陛下は長々と駄弁を弄したが、丞相に報告できることは何一つない。諦めて自害なされよ」
胡亥:「うぅ・・・(涙目)」

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 22:19:36.30 ID:o/4iKCua0.net
>>514
いや
そいつらが蒙恬の元で匈奴を撃退してたんだが

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 22:23:58.44 ID:o/4iKCua0.net
鉅鹿で章邯と供に項羽と戦った王離と元蒙恬配下の兵の事を知らんとか

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 22:36:02.94 ID:w4USnEZo0.net
>>516
そいつらって鉅鹿王離軍の兵隊さんを知ってるのかね?
北辺に送られていた兵卒が強いとは限らない上に王離がどこからどの程度どの様な兵を連れて来たかわからない

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 22:44:53.11 ID:sAqfNjIf0.net
章邯の主力って秦の罪人20万人じゃなかったか?
罪を許すから戦えってやつ

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 23:08:37.60 ID:w4USnEZo0.net
一応章邯に従い大反攻を行った秦軍はそういう種類の兵卒で構成されていたことになってますね
非良民を動員し軍事に用いた記録は稀によくある

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 23:11:58.69 ID:o/4iKCua0.net
>>518
王離は蒙恬の副将でその死後の後釜やね
軍を奪われた記録も無いから反乱祭りで軍を率いて中央に戻ってきたんやろ

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 23:14:09.10 ID:o/4iKCua0.net
>>519
それは最初だけで普通に援軍等受けてます
王離もそういった将の一人
そもそも国家存亡の際に秦の一軍とも言える対匈奴兵を遊ばせとく理由が無いです

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 23:20:15.34 ID:o/4iKCua0.net
太子の扶蘇に王翦の孫の王離が
統一を知る宿将の蒙恬の元に派遣されていたのが対匈奴の北方戦線
始皇帝的には秦軍の一軍であり次世代を育てる場でもあったのかもしれんね

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 23:25:14.52 ID:w4USnEZo0.net
>>521
匈奴戦を戦った強兵?を引き抜いてきた記録もないのよね

北辺の守備軍は必要なので蒙恬と共に出征した楊翁子(仮)あたりに任せて
王離は後方上郡の郡県から予備兵力をかき集めて出動したかもしれない

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 23:27:49.97 ID:o/4iKCua0.net
>>524
その頃から匈奴の侵入が活発化してるからねえ
まあ章邯や王離が側だけ守って本国が滅んでもいいと考えるアホな将ならそうするでしょ

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 23:30:46.55 ID:o/4iKCua0.net
そもそも章邯は時間稼ぎのために登用された将
関中を城と考えた場合
それじゃあ時間を稼いで待つ援軍は何処から来るのかって事だわな

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 23:40:59.52 ID:w4USnEZo0.net
>>525
アホかもしれんし(実際関中は手薄だったと思われる)
アホでなくとも全く違う種類の敵、戦場に備えた部隊を動かすの困難かつ効果的でない場合がありますよ
現場により近い場所で軍団を編成するのはおかしなことではない

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 23:45:42.11 ID:o/4iKCua0.net
>>527
いや普通におかしいやろ
何の権限があって勝手に軍を編成するんや
しかも反乱祭りの関中の外の郡から兵を奪うとか
どう考えても不可能やろ

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/12(金) 23:50:20.94 ID:o/4iKCua0.net
対匈奴の北方守備とはいっても
それは秦兵か旧秦領の外に出て活動してる独立した機動部隊だからね
一番素早く動けるし士気の高さも保証出来る部隊

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/13(土) 01:08:42.11 ID:PcIUXaAu0.net
>>528
いや、ならどんな権限があって勝手に担当地域の守備を放棄して域外に進出するのかな?
反乱祭りというが関中周辺は東方のような大混乱は見られない
北方辺境の城塞群に駐屯する兵の後方に位置する上郡の兵を動かし
無事な郡県の兵馬を吸収しつつ山東に出る手があるよ


>>529
>外に出て活動してる独立した機動部隊だからね
>一番素早く動けるし士気の高さも保証出来る部隊

保証はできない、なぜなら貴方の空想だから
独立した機動部隊なんて記述はない、兵員が陳勝呉広のお仲間揃いという可能性もあるのよ

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/13(土) 08:37:59.47 ID:U66QrRdk0.net
>>530
将と一緒に兵を動かすのは命令が有れば比較的に容易いけど兵を引き剥がすのは命令が有っても難しい
関中周辺に反乱が少ないからといって郡や県の兵を奪うとかそれで反乱が起こったらどうすんねん

なんかもう反論したいだけであからさまに無理筋な理論並べられても呆れるだけなんだが

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/13(土) 20:09:05.17 ID:arD0SnK60.net
>>505

項羽が天下を取って匈奴と戦っていたら、そこそこ勝てそうな感じ。

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/13(土) 23:29:22.22 ID:GA6qfVXa0.net
このスレ屁理屈並べて持論曲げないバカがいるよね

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/13(土) 23:34:31.43 ID:OVeACSW60.net
はっきり言ってどうでもいい話だからNGしてる

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 08:31:00.98 ID:TtZFMGLN0.net
匈奴って何で中華支配できなかったの?

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 08:40:17.16 ID:QhdhCmtg0.net
そりゃ遊牧と略奪だけで生計を立ててたら、農耕民の統治法は分からんからなあ

実際、漢末に長城以南に定住するようになって、トレーニングを積んだら
西晋の動乱に乗じて一気に華北を占拠して政権を樹立したし、同じ遊牧民の鮮卑族は
北朝時代を経て隋唐の代で中華統一に成功した。
(この頃には匈奴も鮮卑もほぼ漢化してしまったけど…)

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 08:50:29.06 ID:KhuqlJ5C0.net
>>532
項羽の天下のイメージも湧かんし
遊牧民相手だといくら自分が強くてもなあという問題がある

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 08:59:28.38 ID:KhuqlJ5C0.net
>>536
実は三国時代は異民族に好きにされない様仲良く喧嘩してた有能な時代だったんじゃないのかと
西晋以降のだらし無さを見て最近見直してる今日この頃

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 10:36:05.61 ID:5a24vsXK0.net
>>538
後漢末期から三国時代にかけての動乱で
中国の人口が急減した結果、三国は周辺異民族の取り込みを図った
結果としてそれが五胡十六国時代の原因になってる

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 10:52:29.98 ID:aolW/1r20.net
そもそも楚漢戦争の時点で楼煩って異民族を傭兵として使ってたり胡人の商人が漢土に移住してたりするし。

陳キ、韓王信の乱も裏で胡人の商人が糸を引いてる(その後胡人の商人に規制がかけられる)

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 13:09:29.22 ID:KhuqlJ5C0.net
>>539
異民族取り込みは後漢からの流れで
三国時代は取り込みながらも抑えてた訳で
結局は西晋の動乱が一番の原因なのは変わらない

何気に三国時代は中原が異民族に荒らされる前の最後の時代だったんだよ

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 13:50:58.02 ID:zqAT5ql/0.net
豪族が力を持ち過ぎたから王族に力を持たせようのループ

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 14:40:08.34 ID:5LCg1uXH0.net
韓信「俺の話してくれてる?」

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 15:34:36.70 ID:f14XpvP60.net
>>541
後漢も安帝の頃は西羌族に潰されかけたし、たまたま強力なリーダーがいなかっただけで檀石槐みたいなのが後漢末期や三国の頃にいたら普通に永嘉の乱みたくなってたで。

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 16:31:49.88 ID:uqXF5JOe0.net
劉淵がもっと早く生まれてたら三国時代を思いっきり引っ掻き回されたかもしれんしなぁ

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 16:38:45.14 ID:f14XpvP60.net
まあ劉淵ファミリーは異民族って言うよりはエリート士大夫が近いんじゃ。

後漢末期や曹魏を西晋と比べた場合異民族が漢族化して対立煽りや暗殺が難しくなって簡単に排除出来なくなってきたって事情もある。

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 16:44:27.67 ID:XN0oDZP10.net
流石に八王が殺し合わなかったら普通に撃退されたやろ。八王の元で有力な人間が殺し合いまくったのが悪い

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 17:13:15.05 ID:KhuqlJ5C0.net
後漢末は
異民族絶対殺すマンの公孫瓚や
異民族と仲良くするマンの董卓が
何気に仕事しとるからなあ
曹操なんかも烏丸討伐したりと国内同様に異民族対策やっとるしな

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/14(日) 17:27:58.80 ID:KhuqlJ5C0.net
その前の張奐ら涼州三明も頑張ってるし
国内の混乱の割には締めてる所締めてる印象やね

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 20:02:51.46 ID:OiZQXxLn0.net
韓信vs冒頓単于を唐突に妄想した
もしも戦っていたらどちらが勝ったろう

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 21:30:29.49 ID:6h30xn4f0.net
根本的に騎兵の数が違いすぎると
最低でも騎兵数万は動員できる匈奴に対して
漢側は騎兵一万もキツイ

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 21:57:52.45 ID:YcAoNZOY0.net
騎兵に対して漢歩兵は戟で対抗してた訳だ

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/15(月) 22:15:55.70 ID:FdfvNthq0.net
騎兵に戦車は通用するのか?

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 05:44:59.01 ID:iMLsbcQ+0.net
騎馬民族は匈奴だろうがモンゴルだろうが、軍隊というより山賊の総長みたいな土人集団のイメージ

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 07:09:57.73 ID:ZR2Qmr4r0.net
>>553
古代中国の騎馬隊のメインだった重騎兵にはまだ対抗出来るけど弓騎兵には相性悪いやろね

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 08:18:20.49 ID:d215OJNr0.net
基本防御で撤退を待つしかないんじゃない?
李牧メソッドで

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 11:22:18.02 ID:Ba402ynM0.net
地形によるな
広大な平野部なんかだと異民族側の機動力相手じゃ厳しいと思うが

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 11:49:13.33 ID:cIDVdXxe0.net
野戦は車弩がなければ歩兵で騎兵の相手は無理じゃない

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 14:05:00.78 ID:Kkb45TPT0.net
>>556

匈奴相手の籠城戦は効果あったんだっけ?

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 14:13:07.37 ID:b/59NC3H0.net
馬が使えない地域なら劉邦どころか夏侯嬰でも普通に勝てるぞ

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 14:17:41.36 ID:Kkb45TPT0.net
>>560

馬が使えない地域にはなかなかやって来てくれないだろ。

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/16(火) 17:20:55.36 ID:cIDVdXxe0.net
>>559
防御が固められてる所は避けるぞ→深入りした匈奴の逃げ道を塞ぐぞ
をやって逃げられた時と結構な戦果を出した時があった気がする

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 17:19:44.79 ID:wPe6SjNR0.net
>>562
リーボック戦術やね

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 17:31:57.78 ID:Fe6Hc0ei0.net
匈奴軍がそれなりの規模の城を落城させたケースあったっけ?

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/18(木) 19:10:55.44 ID:FYA47Hmf0.net
韓信なら何かやってくれたような気がしてしまう

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 09:53:56.40 ID:R4Y97ya30.net
むしろ韓信のほうが相性わるい気がする。
北伐の時、自軍の消耗を避けるためにわなを仕掛けて待つ戦術を多用したが、
匈奴は機動力がずっと上、騎馬の速度ですべて動くから、偵察能力自体が高い。
攻撃しても、逃げ足だって早い。
しかも敵地はだだっ広い草原、ここに韓信が引っ張り出されれば負けだ、
わなを仕掛けたがかからないという状況が延々続きそうw

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 10:21:43.78 ID:qtqPHF5u0.net
韓信もなんだかんだ言ってリーボック戦術で対応しそう。
だいたい馬か足りんわな

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 00:26:43.96 ID:KBZJx5bY0.net
どうかなぁ・・・
匈奴は移動手段と同時に、
自走できる食糧として空馬を引き連れている。
漢軍は後方の補給に頼る以上、
常にそれが寸断される恐怖にさらされるわけだ。

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 01:24:02.83 ID:ZR1a7vw80.net
根本的な軍事常識が漢土の軍と匈奴の軍じゃ異なるからな

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 09:09:01.03 ID:8YWChJMt0.net
お前ら忘れてるけど韓信は特定の成功体験で戦闘してるわけじゃない
兵法書は応用しなくては意味がないと言っている
匈奴が相手なら相手に合わせた柔軟な戦をすると考えるのが妥当

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 09:22:10.87 ID:IO5CCjbL0.net
匈奴軍の場合、基本的に特定の地域にとどまって戦うって発想がないらしいんだよね。
戦うか逃げるかの二択しかない。
漢人の軍みたく優位な地形を占拠して防御陣地や付城を建設して戦うって発想がない。

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 16:29:21.66 ID:5JT8z5Zw0.net
何処がどう妥当なんだ?
どっちも「韓信ならできる」「韓信でもできない」と根拠なしの印象論で語ってるだけじゃん

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 19:17:44.68 ID:jv2YCcs/0.net
そらまあ妄想だしね

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 23:33:02.70 ID:soFlFsRI0.net
おまえら韓信が好きだな

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 23:43:39.88 ID:4oEP4KnL0.net
ニートの希望の星

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 23:57:24.33 ID:U7V2bM8S0.net
だから韓信は就職力はあると何度言えば

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 00:35:01.84 ID:sdpEgkSi0.net
だってスレタイの項羽と劉邦がDQNすぎるもの
現代日本に産まれてたら山○組とか稲○会のトップだよ
俺らと違いすぎる

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 02:52:40.15 ID:oAxsqfpO0.net
韓信は若者から「お前は図体はでかくて剣を持ってはいるが本当は臆病なんだろう」と言われてるくらいだから現代に例えるならマッチョでナイフを手に持ってるすごくこわい人かもしれない

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 06:37:19.27 ID:/lHyOp8I0.net
>>577
項羽は旧名家の御曹司
劉邦はそこそこの富農の次男坊ぐらい
後者は完全なDQNやけど前者はサイコ入ってるだけで普段はまともやぞ

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 06:41:54.68 ID:/lHyOp8I0.net
>>578
項羽の元で下っ端とはいえ近衛になってるし
その後も基本的に前線に立ってるから腕はかなり立ったんやろ

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 19:33:40.63 ID:v0XpI0Ag0.net
>>570

自身の情報収集能力低い癖によく言うよだよなw

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 20:45:29.44 ID:DTWTKSCD0.net
「俺はできる男。今はまだ本気を出していないだけ。本気を出したらこんなもんじゃない」

そして国士無双へ

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 21:11:03.26 ID:9CH/t3Ss0.net
>>582
俺たちの希望の星だ

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 00:24:47.30 ID:JqZdQmaO0.net
孔明も27で劉備に三顧の礼を受けるまでは
ニートやったぞ

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 01:23:46.00 ID:p37/fcNu0.net
>>582
ニートの言い訳じゃなくて本当の事だから凄い

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 05:50:29.20 ID:Tbci48pD0.net
>>578
アンガールズ田中がナイフ持ってても全然怖くないが

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 07:00:10.24 ID:3talCR/D0.net
>>584
長身という共通点もある
やっぱりチビはダメなんだな

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 07:04:51.94 ID:3talCR/D0.net
チビは曹操や麻生みたいな祖父が偉い上級国民でないと出世出来ない
切ないね

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 09:51:52.82 ID:FFAry55h0.net
>>584
アレはニートじゃなくて一応自分の荘園とか経営してたやろ?

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 11:11:34.33 ID:+8iMxnOf0.net
えー ニートの星だった孔明さん
実家ボンボンの上流だったのかよマジ卍ー!

あとはもう竹中半兵衛さんしかいないな

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 13:38:42.30 ID:tOuxz/Yp0.net
>>589
嫁の実家が蔡瑁縁者やからなあ
土地貰ってたんやろな

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 13:39:29.57 ID:tOuxz/Yp0.net
>>590
半兵衛も美濃三人衆の誰かの縁者やったはず

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 13:50:02.66 ID:FFAry55h0.net
>>591
正史の「亮は自ら耕す」って記述も「小さな荘園を経営してた」くらいの意味合いだと思うんだよね。

元々持ってた土地なのかヨメの実家から貰った土地かは判別つかんけど

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 15:21:22.38 ID:THU1IcM40.net
>>588
明治の武術家武田惣角は身長148cmだ。もちろん並外れた才覚の持ち主だが。
同時代の講道館四天王西郷四郎も150cmだ。

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 16:25:53.65 ID:A8UjyIFh0.net
晏嬰も背低いけど父親は政治家兼将軍か

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 16:37:43.31 ID:9gz+l0CW0.net
「チビ」と言われただけで村人を皆殺しにした孟嘗君の祖父も斉の王か
チビで血筋の良い奴は切れやすいのかね

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 19:14:16.12 ID:grbrRXP00.net
カルシウムたりねえんだろ、チビ。

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 19:18:34.69 ID:tsZ94IMx0.net
>>594
鬼の冠は読物として面白かったな

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 19:23:04.79 ID:tsZ94IMx0.net
というか、楚の兵は矮躯だったとか本当なのかな
タイ族だとそうか
引き換え斉兵は大柄だったとか
コーカソイドの血や、寒冷地だと大柄になるんだろうけど

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 00:18:06.27 ID:eMzjhjHu0.net
>>592
安藤守就の娘婿だっけ?

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 01:13:35.78 ID:w/7VF/xh0.net
で最期は誅殺。

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 01:43:40.98 ID:oun2YwQP0.net
曹操の親父さんもなんだかんだ言って
時の三公・大尉様なんだよなあ

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 06:31:13.38 ID:o+uSXL4w0.net
当時の三公は名誉職やから……

ただ当時の曹操が清流派(法家系)の期待のホープだったのは事実みたいで若き日の曹操を評価してた人間も爺さんの曹騰の故吏が中心

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 06:41:16.02 ID:opGs4gEV0.net
というか祖父さんの曹騰が名政治家だった

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 08:50:35.03 ID:9x/7w1CK0.net
チビっ子曹操

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 18:29:31.83 ID:etAkvV1G0.net
>>597
晏嬰「せやな」

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 18:43:06.48 ID:nHJI/JxS0.net
巨漢というか背が高いイメージって誰だろう

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 18:55:07.31 ID:8bBF1tsZ0.net
張飛(横山三国志的に)

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 20:08:56.38 ID:MLlrGLcF0.net
関羽
董卓(長身というより巨漢)
呂布
劉g
孔明
張昭(ひょろっとした爺)
司馬懿(上に同じ)
劉禅(イメージはウドの大木)

逆にチビのイメージ
曹操
曹丕
袁紹
蔡瑁
孫権
龐統
劉璋
張松
賈充

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 20:21:52.95 ID:MLlrGLcF0.net
スレの時代だと

長身のイメージ
劉邦
樊噲
夏侯嬰
韓信
陳平
酈食其
項羽
黥布
扶蘇
趙高

チビのイメージ
始皇帝
胡亥
范増
彭越
沛の県令
武媼

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/27(土) 09:08:41.70 ID:F/a8FK0M0.net
冒頓は2メートル近くありそう。
南匈奴の劉淵ファミリーもみんなそれくらいやったし

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/27(土) 14:26:58.45 ID:JALbiKUB0.net
つうか長身なら韓王信だろ
項羽より高い

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/27(土) 21:36:53.43 ID:6tdDO0mK0.net
韓信も孔明も平和な時代ならただのニートで終ってた
乱世になったからこそ大出世できただけ

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/27(土) 23:12:05.28 ID:wFAbsj6U0.net
つまりお前らも乱世になれば
一躍英雄になり歴史に名を残せるようになるわけだ

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/28(日) 02:44:58.26 ID:UnjnHuyC0.net
韓信は職を転々としてたってだけで
結構ずっとちゃんと働いてはいただろう

ほんとのニートの王は陳平さんだよ
彼は正に王様

後に曹操が出した求賢令だって
暗に陳平さんみたいのを求めてたしな
「優れてりゃ良いんだよ!来たれニートのコマシども!」
なんて

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/28(日) 03:12:15.68 ID:JvB3rXEp0.net
陳平の兄嫁NTRは周勃の妄想やぞ。

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/28(日) 04:53:12.24 ID:0syksZ2i0.net
スレチなのは百も承知ですが、こちらは博識の方が多いので質問させてください。


臣にしてその君を弑し子にしてその父を弑するは一朝一夕の故にあらず

読み方を教えて下さい。いくらググっても出てきません。中国の漢字は訓読みしないと聞きました。

臣(しん)にしてその君(くん)を弑(しい)し、子(こ?し?)にしてその父(ふ?ほ?)を弑(しい)するは一朝一夕(いっちょういっせき)の故(こと)にあらず

子と父の正しい読みが分かりません。学のない私にどなたか光を…。

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/28(日) 05:01:37.47 ID:0syksZ2i0.net
>>586
www

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/28(日) 11:30:06.58 ID:0/VIPGpZ0.net
>>617
正解を知ってるわけじゃないけど。
「春眠不覚暁」は「しゅんみんあかつきをおぼえずと読みくだします。暁は「あかつき」と訓読みです。
中国には訓読みはないけど読み下すという行為は日本語化の第一歩なので必要に応じて
訓読みも使います。「こにしてそのちちをしいする」で良いんじゃないのかなぁ。

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/28(日) 17:40:57.29 ID:ILqQ9YiO0.net
ギリ3傑には入ってないけど
一番人生楽しんだの陳平さんだよな
むしろ自分から目立たぬよう4番手のポジションを
キープしてたのかも。
そういうずる賢さが彼にはある。

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/28(日) 18:15:18.28 ID:0syksZ2i0.net
>>619
>>618です。ありがとうございます。質問した内容以外にあなたの書き込みも勉強になりました。

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/28(日) 19:38:56.45 ID:vdwBvdHP0.net
>>617
>臣(しん)にしてその君(くん)を弑(しい)し
も君は「きみ」でいいんじゃないのかなぁ

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/28(日) 22:21:36.97 ID:usn9icrn0.net
>>620
晩年の劉邦の粛清に恐々とし呂后政権で恐々としあまり安閑としていられたように思えない

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/29(月) 01:10:45.09 ID:F9YQahfZ0.net
呂氏って、ホントに帝位を簒奪する意志があったのかな
「劉邦をもりたてたのは自分たち」って同格意識だけだったりして

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/29(月) 04:51:18.36 ID:meuGDHu60.net
文帝「陳平、周勃、夏侯嬰、劉襄、劉章の方が明らかな帝位簒奪者やからな」

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/29(月) 19:11:39.48 ID:H38wnibr0.net
やっぱり仙人になっちゃうのが一番いいんだよ
試しに韓信もやってみ

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/29(月) 20:17:48.76 ID:HZyVzS/i0.net
今さら項羽と劉邦読んでるんだけどおかしくね?
なんでみんな張良が始皇帝暗殺に噛んでること知ってるんだ?w
ただ一人の共犯者は口を割る前に自害してるのに
これじゃ浮かばれんだろw

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/29(月) 20:27:14.78 ID:VubjfSeh0.net
>>626
呂禄か呂産のどっちかが兵権を返上した後で呂后の妹ではんかいの嫁の呂しゅに報告しにいったら呂しゅは突然半狂乱になり自分の金銀財宝を地面にぶちまけたというような
エピソードから考えると呂后の兄弟の世代は自分達の立ち位置が権力と兵力あってのものだと理解しているが、その息子達は凡人というか呂氏がどれだけ劉氏や臣下の恨みを買っているか理解しておらず自分達が王になるのはただ当然の事だとしか思っていない
ので劉氏を滅ぼそうとまでは思っていないと思います

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/29(月) 20:43:02.30 ID:uxtg6biU0.net
>>628
例えるならお飾りの将軍と北条氏みたいなの狙ってたのかもね
皆殺しにされるほどでもないのかな

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/30(火) 01:39:36.70 ID:RdBB6oY40.net
>>627
反秦ムード高まってから
「あれ実は自分がやったんスよ」って
売り込むために言ってたかもね

ほんとかもしれないけど、
どうせばれないだろうと、無関係なのに
嘘ついたかもしれんし

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/30(火) 22:34:38.67 ID:h0S2lO8G0.net
正に死人に口なしだな

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/01(水) 11:28:58.04 ID:mUvlRmCf0.net
仇叔くんの出番はあれだけか
絶対あとで登場して活躍しまくる伏線だと思ってたのになあ
やっぱり歴史は漫画みたいに行かないのか(ため息)

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 00:22:40.91 ID:T0Vnix2w0.net
結局韓信って何者なんだろうか。
出自も反乱起こしたことを理由にねつ造されてる可能性もあるけど、漢がいきなり厚遇したところを見ると、血筋自体はどっかの王族とか将軍とかなんかなんだろうけど。

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 06:35:08.55 ID:dfw+16rS0.net
>>633

孫子を読み込んでいたから、文盲でなかったことは明らか。

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 10:15:13.72 ID:rBOKBpN80.net
劉邦と楽しい仲間はマイルドヤンキー

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 10:36:59.78 ID:wHFYw5L90.net
>>633
英布「おうぞくなにそれ?」
彭越「食べものかな?」
殆どの漢の功臣「しらね」

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 10:40:28.59 ID:wHFYw5L90.net
劉邦「俺自身下級の官職にありついた富農やからなあ」

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 10:51:40.33 ID:mj28P2JO0.net
>>635
地元のコンビニで屯してそう

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 11:09:34.15 ID:L/Se9Fgq0.net
>>638
劉邦以下いちおうは職に就いてるいい年した社会人やからコンビニたむろではないやろ
劉邦は巡査部長に昇進しても相変わらず仕事をサボりまくる両津みたいなもの

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 12:30:00.37 ID:ppPj0iUd0.net
劉邦は県の環境部とかでゴミ清掃担当してるアンタッチャブルな職員のイメージ

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 12:38:11.97 ID:L/Se9Fgq0.net
>>640
中国の県は日本の市みたいなもん
で亭長は宿泊施設付き交番の長やから
町の名物になってる交番のダメ警官みたいな感じやろ

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 12:41:51.45 ID:3NLC6d2i0.net
それだけ聞くと、なんか両さんみたいだな

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 12:46:44.43 ID:L/Se9Fgq0.net
>>642
イケメンになって少し出世した中身両さんのイメージでええと思ってる

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 12:49:23.79 ID:L/Se9Fgq0.net
んでもう少し貧乏にした呂麗子と結婚してより顔が広くなるみたいな感じ
蕭何役が居ないんだよなあ

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 12:53:28.68 ID:DHuW4Ojv0.net
>>640
豪農だからアンタッチャブルな階級ではないな
町役場とか小さい市役所の土木課にいそう
他の役人には土建屋に対抗できないから蕭何みたいな役人からすると役に立つ

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 13:03:08.52 ID:L/Se9Fgq0.net
あえて言えば中川が蕭何役になるのかなあ

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 16:17:47.30 ID:xNvdiWkX0.net
檸檬じゃね?

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 19:55:03.26 ID:g2MFs98d0.net
すると項羽はラオウみたいな喧嘩上等のヤンキーか

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 19:56:54.25 ID:GuC61Ath0.net
本田速人

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 20:27:08.76 ID:L/Se9Fgq0.net
>>648
項羽は難しいなあ
外見はラオウで良いんやろうけど
内面は結構繊細な坊ちゃんな感じや
ピッタリくるキャラが思い浮かばん

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 22:13:04.16 ID:h7ZY4QYP0.net
項羽がラオウであるならば、范増がトキかな

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 22:36:52.64 ID:AInUuOJh0.net
上達しない剣術であの武勇の項羽
もっとしっかりと剣術をやっておくべきだったのでは

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 11:55:19.19 ID:PmI9mK9e0.net
獣が稽古をするかね

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 16:23:29.50 ID:/uES5Na60.net
項羽は呂氏シメときゃよかったな
しかし昔では悪女だが現代では典型的まんさんにすぎない

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 16:35:44.52 ID:8fDMXDuG0.net
あげまんだわな

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 16:42:38.52 ID:IAPdi9+C0.net
剣術ほっぽって戦術習いたがったって
言うけど、
だいたい自ら突撃ひたすら突撃!しか
描かれてないよね

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 17:04:12.26 ID:awaVwo7i0.net
自兵をあえて死地に追い込んで奮闘させる背水の陣を実践してるじゃない。

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 17:13:57.23 ID:E8fPCI6r0.net
>>650
清原

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 18:36:06.58 ID:o2WXsNrq0.net
前代未聞凶悪犯
生ける絶対凶悪

愛媛県越智郡上島町 保健士
レジェンド
西本亜希子


上島町 西本亜希子

これでググればでてくる

朝鮮殺戮殺人カルト教団
創価学会

そのテロ工作員である、伯方警察署アキヤマ課長含む創価学会員の、
日本人殺人幇助工作失敗と、
イワキテック株式会社の企業犯罪、詐欺未遂についてのことを、
俺が飲食店で言っていたことを聞きつけ、

自身がイワキテック従業員の嫁でもあるので、
拉致をしにその日本人殺人幇助工作失敗したアキヤマ課長含む三名の警察の皮をかぶったテロリストと、

地方公務員法第13条違反をし、
拉致をしにきて撃退された、

日本史に残る
生ける最凶伝説

さて、それがあるのに逃げ回っている輩が上島町職員にいる


https://www.town.kamijima.lg.jp/site/publicfacilities/680.html

0897752500
0897740755


電話番号はこちら

また世界史上最悪級の大量連続日本人殺人が疑われている、
薬物大量投与テロも発覚、
カミサカ、末丸啓二の偽造カルテ作成の為の虚偽説明による監禁、
精神保健福祉法違反が発覚している
テロ工作機関
福山友愛病院
とのテロルートを構築している

テロ工作機関
福山友愛病院
日本人への故意による薬物大量投与テロ発覚!!

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 22:42:19.86 ID:9CNmffVa0.net
項羽は呂布はどっちが強いんだろう?

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 22:48:50.32 ID:q7NcogeL0.net
ニコ生人気配信者・加藤純一と
ユーチューバー・もこうの
クリアするまで帰れない地獄の『ゲーム配信』第2弾

昨日7時〜配信中

【 #加藤純一 × #もこう 】忍者時代劇アクションゲーム「SEKIRO(隻狼)」クリアするまで帰らない生放送

Youtube(Part4)

https://www.youtube.com/watch?v=hUzj9nFqhU8

ニコニコ生放送

https://live.nicovideo.jp/watch/lv318693988

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/13(月) 06:25:36.27 ID:zhCRwmNW0.net
>>651
海のリハクとか

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/13(月) 07:13:56.73 ID:2ZVWotuK0.net
世が世ならマンの軍勢を縦横に操る希代の軍師という設定だったが
梁山泊の呉用先生ばりにヤらかしてばかりいるというあの海のリハク?

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/15(水) 15:14:03.00 ID:0hD0rJYx0.net
でも范増の言うことを聞かなかったから項羽は劉邦にしてやられたから、考えは正解でそれを用いられなかったことが失敗
まあ用いなかった項羽の失敗なんだけど

そうなるとリハクじゃなくて他の人だわな
ジュウケイの弟弟子がヒョウのためにカイオウの拳封じろと言って用いられなかったような気がするのでその人だな

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/15(水) 20:48:39.50 ID:uw7UMtKK0.net
上手くやれば張良も陳平も韓信も全部項羽の部下だったろうしな
韓王を殺さなければ張良が劉邦に再合流することはありえない

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 01:49:19.11 ID:TPHblzwX0.net
劉邦の凄いところは劉邦本人は優秀な奴を見抜けなくて重用しない状況でも蕭何、張良、曹参らがあいつは大事にしろ!って言われたらちゃんと重要な仕事を任せる部分を持っていたところだな。
助言者の方が自分よりまともと認めたらそれに従える素直さというかしおらしさ。
一方でその助言者達が自分より優れた頭脳と政治判断力、戦争の上手さを知り尽くしている分、「あいつら実は俺に取って代ろうとしてんじゃね??」っている恐怖心から猜疑心が信頼を上回ることになるけども。

ただ劉邦の後継者達はみな蕭何や張良がいかに漢帝国成立に多大な功績があったのか理解して儒教的な君臣関係の確認をするためにも蕭何、張良らの子孫が表舞台から去った後でもなんども血縁者を探し出して候に封じたこと。
俸禄だけ与えて権力は与えない上手いやり方でコントロールしつつ皇帝の恩徳の有難みも世間に示す巧妙なやり方。

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 20:26:43.68 ID:MCu+ful00.net
范増は陳平の離間の計にはめられて項羽のもとを去ったが、
帰郷の道中で「背中のできものが悪化して」死んだんでしょ?

悪性腫瘍を患っていたのなら、仮に罹患工作が無くても、項羽のもとに長くはいられなかったんじゃないかなあ。

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 21:56:30.41 ID:vJLJTnyg0.net
背中の腫物が原因で死んだってことになっているけど
実は、項羽、または陳平の手によって暗殺されてても不思議に思わない

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 22:02:43.07 ID:x/gLrWX80.net
憤死だと暗殺された場合があるけど背中の腫れ物は死んでも変ではないからなあ
家康も背中の腫れ物で死にかけてたし
自分も背中に腫れ物が出来たことがあったけど昔だったら死んでる

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 00:04:34.66 ID:egMs9Ac90.net
それは動脈瘤とかなんかな??

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 00:19:24.80 ID:Bl4ZQ5UA0.net
>>670
何の病気か俺にはよく分からないけど右肩の後ろ(一応背中で間違いないと思う)に腫れ物が出来て肩が上がらないほど腫れた
腫れ物の部分だけでなく、外科手術で中もえぐって腫瘍を取って塞ぐレベルのものだから昔だと手の施しようがないと思う
家康が灸などをフル活用して治したのは奇跡に近い
本人も治ったのは僥倖だと生涯思い続けたという

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 00:20:22.59 ID:Bl4ZQ5UA0.net
しかし腫れ物が出来たという記述自体が本当でないなら暗殺された可能性はあるね

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 01:57:31.00 ID:egMs9Ac90.net
>>672
そこはもう今更事実確認しようにも難しいんじゃないか?w
范増離脱の前提は范増の意見具申を採用せずどんどん滅亡にむかっていく項羽の姿勢でしょう。


ここでifの可能性が在りうるのは范増の言う通り劉邦の勢力を完全に削ぐか暗殺すること。
例え張良、韓信が項羽の元から離れていても関係なくなる。
もちろん上記二人が劉邦以外の誰かにつく可能性はあっただろうけど少なくとも劉邦に負けるシナリオは消える。
それだけでも項羽の楚が秦の次の王朝を開く可能性は高いと思うけどね。

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 09:37:10.51 ID:0c8OX1RK0.net
まぁ故郷に帰る途中で暗殺された可能性はあるよね
劉邦陣営にとっては目の上のたん瘤でもし復帰されると困る存在だから

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 10:19:25.52 ID:UahOa4tO0.net
>>673
劉邦が死んでも反乱祭りは終わらないよ
というか項羽が死んですぐ安定って訳じゃないし
結局は関中を手中にした人物が再統一を図る事になるんだと思う

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 11:22:15.90 ID:C44WYVxA0.net
>>675
まさにその漢中王が龍鳳だったんでね
そこの人材補強と不可侵認めた鴻門の会がターニングポイントになった
まだ劉邦にとっては客扱いだった張良に会談時に劉邦暗殺計画を知らせた項伯はこの時に劉邦からのちに婚姻関係結ぶ確約取り付けてるし。
つまり項羽は項羽の今後次第では自分は劉邦陣営入りする意思を示し、劉邦はそれを受け入れた。
その仲介役の張良はその時点で劉邦陣営に正式に加わることが確定。

有力な群雄は項羽、劉邦以外にもいたけど劉邦陣営にはロジスティックと行政チートの蕭何が食料と人員の宝庫の巴蜀を統括していて混乱が長くなればなるほど劉邦陣営優位は進む。

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 12:15:00.98 ID:UahOa4tO0.net
>>676
関中と漢中はちがうで

それはともかく
劉邦と楽しい仲間達(主に蕭何と張良)はかなり早くから関中を拠点に活動する事を狙ってた様に見え故郷に錦を飾りたがった項羽との差が激しい
もしかすると巴蜀に封建される事自体が関中への進出のしやすやを考えた工作の可能性もある
(漢中を付けて貰ったのも項伯への働き掛けの結果だしね)

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 12:38:46.85 ID:UahOa4tO0.net
項羽の十八王封建
壊れるのはあっという間だったけど決まるまでは何ヶ月も掛かってる
この間どれだけの工作が動いてたのか
ぶっちゃけ楚漢戦争の結末はこの時に決まったと言っても過言じゃないやろね

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 17:04:12.10 ID:+PEYfPBy0.net
>>678
劉邦皇帝の功臣封建もそれくらいかかったような
雍歯に封建するまで反乱談義祭りとかどんだけ

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 18:14:26.26 ID:UahOa4tO0.net
>>679
始皇帝の死から項羽の死まで10年足らず
殆どの配下と諸侯が少し前まで劉邦のはるか上位者だったからなあ
むしろ良く漢は滅びなかったよ

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 18:48:25.91 ID:HdPiecH40.net
文帝の時代になっても諸侯王や重臣って態度XLで文帝はそれを咎められないほど酷かったらしいからなぁ。
息子の景帝は周亜夫餓死事件など畜生行為で知られるけど皇帝権の確立のためには仕方のない部分もあったんじゃ

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 19:21:50.22 ID:UahOa4tO0.net
>>681
ただ
次の武帝が良くも悪くも文景の蓄えを吐き出してるから皇帝権力の拡大も良し悪し
漢は実態として秦の後継王朝だから蕭何辺りが秦の反省点として皇帝権力を意図的に制限してた可能性は有ると思う

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 20:23:13.79 ID:zOo/bTFU0.net
文帝は擁立の経緯から仕方ない部分はあったよなぁ
袁?が殺されてなければ景帝はまともだったのかな?と思ったりもするが
結局景帝に殺された気がする

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 20:40:47.83 ID:02dWfxMk0.net
周勃は周勃で「オレは文帝に殺される!」とか思い込んで当時地元の群太守やってた季布が使者を送ったら完全武装して迎えたらしいし呂后時代同様君臣ともに猜疑し合う関係だったんじゃ

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 21:30:52.18 ID:+Ik5ZwRv0.net
王だろうが任侠だろうが山賊だろうがやってることは一緒で、農民を支配して搾取。

新興国も他国に逃げて、無政府の村なり自治の町なりを支配したとか、権力を得るべく内紛に勝ったとかが始まりだろうし。

夜盗から身を起こして町を占領。その町を足がかりに県、郡を支配とかできるゲームとかあったら面白そう。ありそう。

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 21:38:26.58 ID:JJcXzDPq0.net
どこのGTAだよw

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 22:14:07.22 ID:UahOa4tO0.net
>>684
文景はもちろん呂后の時代ですら民には優しい時代だったのは皮肉な事やけどね

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 01:51:01.00 ID:IzUtYW4k0.net
前漢の中では武帝時代が庶民にとっては最悪ってのがねw
教科書では前漢の最盛期ってことになってるけど

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 02:31:13.87 ID:2T+Ywjbe0.net
匈奴叩いておかなかったら後々面倒だったかもしれんし悪いことばかりではない。生活はしたくないが

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 00:05:07.64 ID:6YH09P+M0.net
劉邦より光武帝の方がよほど傑物だと思うけど
なぜか評価低いよな

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 06:33:51.10 ID:paRvEGSQ0.net
>>690
秦と項羽という巨大な敵が居るからな
数十年前まで7国分断が当たり前だった状況で
それを統一した秦を滅ぼし再統一するって荒業成し遂げた割にはむしろ劉邦は過小評価されてるぐらいやと思うで

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 18:32:53.35 ID:jGIjE35w0.net
>>691
劉邦の場合は部下を上手く使いこなした将の将たる器ってのが評価されてるけど
劉秀の場合は基本的に自分で全部できるスーパーマンだからなぁ
劉秀をかなり小物にしたのが曹操って感じ

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 20:25:47.89 ID:HD/Ui++G0.net
曹操が光武帝よりマシなのオカルトにハマってないとこくらい。

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 20:41:18.06 ID:l6cIXtqP0.net
>>693
学者芸術家としても曹操が上やな

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 21:14:41.11 ID:l6cIXtqP0.net
>>692
だから戦った相手の格の問題や
同じ「シン」でも長い戦国時代を終わらせた始皇帝の秦と簒奪しただけの王莽の新を並べてどうかという事
ライバルにしても中国史上でも最強の一角に挙げられる項羽と比べられる相手がいるのかという事
更には前時代の王侯の権威も残っている中でガチ農民の身分から十年程で成り上がった状況とトンデモな事が多過ぎるんや

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 21:38:13.21 ID:ww/9tyyK0.net
こんな連中が天下を取るとかラノベかよって話

劉邦(40近くまでチンピラ)
張良(元貴族のテロリスト)
蕭何(郡の役人)
曹参(郡の役人)
叔孫通(胡亥のブレーン)
盧綰(不明)
樊噲(屠畜業者)
周勃(葬儀屋兼養蚕業者)
夏侯嬰(御者)
韓信(しょっちゅう職変えてるニート)
陳平(兄貴の家の部屋住みニート)
彭越(漁師)
英布(元受刑者)
灌嬰(布売り)
王陵(地元の大物ヤクザ)
季布(元項羽の武将で大侠客)
陸賈(元儒者)

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 22:21:51.95 ID:l6cIXtqP0.net
>>696
ラノベなら主人公を中年スタートにせんやろ

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/04(火) 23:09:24.26 ID:o905tOlc0.net
劉秀は兄貴が処刑された時に鴻門の会を自分一人で切り抜けたようなもんだよな
劉邦なら難癖付けられてぶっ殺されてるだろ

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 00:32:49.02 ID:C+00bkIs0.net
「劉邦と愉快な仲間たち」と書くとラノベっぽくならね?

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 00:40:51.64 ID:C+00bkIs0.net
自己レスだけどラノベっていうか指輪物語の「旅の仲間」をイメージしてる。
主人公のフロド・バギンズは50歳だし。

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 01:02:04.34 ID:ik9UFY3A0.net
>>696
逆に言うとそういう天下を取れる素材が在野で訳ありな状況にいるしかなかった周王朝と諸侯の体制がいかに形骸化していたかということだけどね。
比較的低い身分から出世したといってもいわゆる士大夫の端くれではあった人までしか採用しなかった時代とそんなもんはどうでも良くて能力あればとんでもない大権を与えられる時代の差。
漢王朝以降三国志の時代だとそれこそただの親孝行の農民から引き上げられて最終的に候になった人物が出てくる。

比較の対象としては人物と人物の能力の差よりその能力があればどこまで上り詰めることができる体制だったかの方が重要じゃないかな?

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 06:42:25.96 ID:m07yeOZR0.net
劉邦はラノベよりエロゲ属性やろ
性格とかリアル鬼畜王ランスやん

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 06:44:06.30 ID:m07yeOZR0.net
>>698
お前劉邦の土下座芸甘く見過ぎ
何回土下座してると思ってんだよ

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 06:51:30.66 ID:m07yeOZR0.net
>>701
戦国まではそうだけど
秦末は完全に実力主義で引き立てる必要すら無く王まで登り詰める弱肉強食のリアル北斗の拳時代
面白いのは同時に旧王侯貴族の権威も残っているというところで物凄く革命的な時代だったと言える

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 08:17:27.85 ID:G5Zp1brF0.net
>>702
なんか納得

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 08:20:01.79 ID:G5Zp1brF0.net
セックスしてるのを邪魔にしに来た奴にフルチンでのしかかるとかエロゲ属性が高い

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 08:35:09.86 ID:1WMSsYo90.net
ラノベは劉秀やな
幼馴染が勝ちヒロインのパターンは珍しいけど
劉備は一応王道少年漫画系か
友情やら強敵やらの要素が強い(勝利は無いんですけどね)

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 09:36:12.69 ID:WyUYXdBv0.net
>>707
王道少年漫画って物語終盤で仲間と殺しあう展開になるっけ

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 10:00:19.82 ID:1WMSsYo90.net
>>708
聖闘士星矢とかキン肉マンとかは多少
あとスポーツ物も成長してライバルになるとかは多いかな
まあ殺伐としてるから一応ってレベルや

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 10:04:02.53 ID:XVF9oo0e0.net
>>708
劉邦は違うけど劉備は勝ち負けを度外視して友情の為に自爆
王道少年マンガだと覚醒して勝つパターンだが現実は甘くない

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 10:05:01.83 ID:XVF9oo0e0.net
三国志はやはり五丈原で終わったほうがいい

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 10:11:57.35 ID:1WMSsYo90.net
>>710
負けて思いを繋ぐとかは結構王道やけどな(果たされるとは言ってない)

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 10:17:48.61 ID:26ydvo2K0.net
>>711
阿斗ちゃんの息子(劉淵)と孫(劉聡)が逆臣司馬一族を誅殺するまでが三国志やぞ

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 10:21:37.41 ID:1WMSsYo90.net
>>713
仁義なきたけしのヤクザ映画に変わったかな?

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 12:01:59.65 ID:WyUYXdBv0.net
>>709
星矢は慟哭三人関連であったけど、一応アテナのための行動という裏打ちがあったね
キン肉マンはタッグ編も王位編も仲間たちが敵対勢力に現れたけど、結局直接対決が無かったような
今連載中の後日談は知らないので不明だが

漫画じゃないので余談だが、仲間同士での本気の殺し合いはビックリマンが壮絶

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 12:16:26.32 ID:1WMSsYo90.net
>>715
かつての仲間が敵になる展開はやっぱスポーツやな
成長して上のステージに進むたびに再編されてかつての仲間と戦う構図はある意味乱世みたいなもんやし

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 12:54:14.99 ID:kXsYWmLn0.net
渚シリーズ
https://www.youtube.com/playlist?list=PLgu79fAy9DpAhOG14Ji5FXiJw4qq-3OAC

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 18:39:03.15 ID:C+00bkIs0.net
>>713
演義のネタ元の一つ三国志平話ではそういう展開だったな。

>>716
ドカベンとか?

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 18:41:05.22 ID:FJ0bDJ1Y0.net
この時代にYouTubeなくて良かったな
目立ちがり屋の韓信は炎上系YouTuberとして歴史に名刻んでも、
それで食えるから就職しなかっただろうな

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/05(水) 18:52:19.30 ID:82FwHRLG0.net
韓信はやり過ぎで垢BANやろw
あと周勃も炎上系

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/06(木) 09:29:39.66 ID:AwmAEuXU0.net
>物語終盤で仲間と殺しあう展開
ガンダムを忘れてた

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 07:23:10.44 ID:exFi566c0.net
>>696

> 陸賈(元儒者)


結局この人が一番、政治的能力が高かったような気がするぞ。

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 07:27:07.06 ID:exFi566c0.net
>>693

光武帝は天下を取ってからスピリチャルな人事をやったのはまずかった。

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 08:00:06.23 ID:yOsueuwH0.net
スピリチュアル系を思っくそ馬鹿にしてた曹丕は当時としては破格の唯物主義者やな。

光武帝の息子(明帝)の厚葬も「たかが墓なのにやたらと飾って馬鹿じゃねえの?盗賊に荒らされるだけで親に迷惑かけてるだけじゃねえかw」と小馬鹿にしてたし

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/08(土) 12:51:25.41 ID:N5UC+ZbO0.net
それは曹操の意志を継いでるだけではないのか?

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/09(日) 13:17:19.84 ID:OIOnH77r0.net
墓といえばピラミッドや我が国の巨大古墳に近いサイズの墳丘墓を劉邦や呂后が作っちゃいましたね〜
一応革命側のくせに民を苦しめた始皇帝を模倣するなんてとんでもないヤツである

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 08:41:46.27 ID:iYxiaOn+0.net
家から上げる炊煙の少なさを見て無税にしたという伝承の残る仁徳天皇の墓が
日本最大の前方後円墳だというオチと一緒でしょ

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 09:17:26.66 ID:YMpbEB+X0.net
仁徳天皇陵はマグネットパワーの鍵穴やぞ

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 12:06:49.71 ID:EbOaYd830.net
天下が崩壊しまだ内乱が関東で続いている、冒頓には土下座朝貢
都長安には郭内の住民を守る外壁すら存在しない

世が疲弊の極みにある中、推定劉邦墓と推定呂后墓の上にえっちらおっちらドデカイ山を作ってんだから
漢初の風景もなかなか複雑怪奇よな

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 13:10:47.15 ID:fHA9n8Sl0.net
>>729
まあ秦の離宮改築して使ってたら蕭何からちゃんとした宮殿作れと叱られたぐらいやし
統治的に墓ぐらいは作らなあかんかったんやろな仮にも中華を統一してる皇帝な訳やし

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 15:22:56.11 ID:lO8JV5Fl0.net
>>730
皇帝の権威ってのを見せる必要があるということだろうな
例えばトヨタの本社がプレハブじゃまずいのと一緒

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 19:31:17.76 ID:EbOaYd830.net
まあ天下の支配者たる者、意地でも作らないとダメなんだろうな
二世皇帝がそうであったように

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 19:50:59.95 ID:WdpHlsWJ0.net
薄葬を奨励した曹操がなぜか評価されてなかったりするしな

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 21:32:43.59 ID:EbOaYd830.net
曹魏は厚葬しても輿論にフルボッコにされてたと思うw

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/10(月) 21:46:57.86 ID:gg0y3eXq0.net
>>732
阿房宮はやり過ぎと判断されて
完成せずに漢代には破棄されとる

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/12(水) 18:29:32.74 ID:TOOLSoVM0.net
>>727

大仙陵の被葬者は仁徳天皇とは決まっていない。

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/15(土) 09:15:21.47 ID:p4BM4GrZ0.net
>>733
曹操って墓荒らしwしてるじゃん。
厚葬してもどうせ盗掘されるじゃんwって思ってたんだよw

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/16(日) 13:35:44.41 ID:BkkuAAUr0.net
土木工事は公共事業になる
副葬品は貧乏人への施しになる
福祉事業だな

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/17(月) 04:55:22.00 ID:X5ts+NCh0.net
現代のインフラ整備なら民への施しになるが
戦国秦漢の土木工事は強制労働、タダ働き率が高そうだしどうかねぇ…

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/17(月) 20:54:15.56 ID:oO9rIGmO0.net
>>739
エジプトのピラミッドが公共事業なのはほぼ定説やろ

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/17(月) 21:19:35.40 ID:HBdNf+j/0.net
ピラミッド建設は、ナイルの水害の被災者に対する
救済、雇用の創出の意味合いもあったらしいね

労働もそんな過酷じゃなくて
今日は二日酔いなので欠勤しますとか
そんな記録も残っているくらい

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/17(月) 22:29:43.86 ID:0YSydClL0.net
エジプトはともかく中国はあんまりそういうイメージないなぁ
庶民の救済や雇用対策なんてあったっけ?
文字通り強制労働、死んだり病気になったら使い捨てな感じ

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/17(月) 23:01:46.09 ID:X5ts+NCh0.net
>>740
戦国秦漢って書いてるのちゃんと読んでくだされ

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/17(月) 23:44:21.54 ID:X5ts+NCh0.net
>>742
経済発展、チープガバメントが極まった近世中国王朝ならそれなりにあるだろうけど
秦漢だと罪人や一般良民の強制労働が主だろうから雇用対策や救貧の要素は少なそう

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/18(火) 01:03:06.44 ID:xIlCYahh0.net
強制労働者を咸陽へ引率してたのが劉邦だろ。
で、人夫に逃げられて、逃がしたやつは処罰されるから
切羽詰まって自分も逃げて、そっから反乱の頭目になっちゃったw
皮肉なもんだよね。
もうちょっとゆるい規則・刑罰ならあのまま沛でチンピラやってたろうにw

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/18(火) 01:41:39.01 ID:/SCJyklB0.net
それか奴隷商人な
蕭何が番頭やれば大抵の商売は成功しそうな気がする

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/18(火) 06:59:58.05 ID:Zl1H5n4M0.net
劉邦みたいなタイプは不動産屋のオヤジにいそう

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/18(火) 07:03:05.07 ID:Zl1H5n4M0.net
そこそこその不動産屋が大きくなると蕭何みたいな専務が地味な事務処理(経理担当)で補佐

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/18(火) 11:18:12.58 ID:iiBERKI70.net
今の時代ならコンプライアンスとか言われて誰も残れないのが劉邦とその側近連中

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/18(火) 11:49:49.46 ID:XtXEZd2W0.net
>>749
叔孫通「せやろか?」
陸賈「せやろか?」

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/18(火) 19:05:19.94 ID:6IEeRNsD0.net
宮中で酒池肉林、チャンバラごっこはしないだろうが、その方たちも過渡期の人だしどうだろうな?
広く庶民層までマナーとか法規が行き渡った現代基準だと普通に汚職官吏枠に入りそう

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/18(火) 23:14:40.00 ID:2YdzhOBP0.net
>>751
劉邦は儒家嫌いにも関わらず
部下の有様をみて上の儒家に宮廷儀礼を決めさせて教育するぐらいにバランス感覚があるよ

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/19(水) 00:35:17.12 ID:Jj3aweNw0.net
真っ昼間妾とHしてて部下に「陛下は紂桀と同じです」なんて言われた高祖ですら、
呆れるくらいにヤクザもん揃いだったってことだよねw

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/19(水) 05:44:36.02 ID:u2PlKvl40.net
>>752
まあそれは特にバランス感覚なくてもそうするんじゃね?
成り上がりでも宮中に儀礼は必要ないと考える人はまずいないだろう
自らに新制度を創造する能力がないなら専門家に丸投げする他ない

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/19(水) 10:29:53.88 ID:RNaJfLze0.net
劉邦はチンピラで王陵は本物のヤクザだからなぁ

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/19(水) 23:45:15.96 ID:KRJANudg0.net
そんな人たちの中で蕭何って自分と回りの関係の位置づけをどう置いていたのか興味あるな
劉邦一家の中で現代にそのまま生まれてもおそらくほとんど何の問題もなく生きていけそうな人はこの人だけ
張良も他があれだからまともに見えるけど基本的に博打打ち的な策謀にテロリストの指揮者みたいな感じで到底カタギとしては生きていけまいし

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/19(水) 23:51:24.73 ID:roO3/7HQ0.net
麻生がカタギとは思えない件

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/20(木) 01:45:10.23 ID:LXlxHqqu0.net
https://i.imgur.com/yRR4iMy.jpg

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/20(木) 02:29:09.67 ID:OwnasoXI0.net
>>756
張良は経済やくざって感じするw
でなきゃ、カリスマホストw

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/20(木) 07:06:53.08 ID:F3rt50tU0.net
さすがに現代先進国にそのまま連れてきたら蕭何あかんと思うぞw
落ちぶれた貴族が危険な策謀家になるのは古今東西よくある事やし張良はわりと普通

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/20(木) 08:36:47.72 ID:U8k4MSER0.net
結局いつの時代でも劉邦や張良や陳平はいるけど
時代が合わなければただの無職やチンピラということ
それを考えると三国志の時代に活躍したのは元々ある程度の官職持ってるような奴らがほとんどだわな
劉備みたいなゴロツキ陣営は怪しいのや盗賊がたくさんいたけど

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/20(木) 08:51:10.97 ID:uyZWugGi0.net
後漢末〜西晋まではガチガチの貴族社会やからなぁ

五胡の戦乱は胡人のみならず寒門の実力派にも道が開けた時代とも言える

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/20(木) 10:55:07.68 ID:3L5S40g00.net
>>761
劉邦は単なる両さんになるだけや
ガラは悪いけど大体みんな定職ついとる

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/20(木) 19:10:19.83 ID:F3rt50tU0.net
秦が長い時間をかけて古代の大陸文明を担ってきた各地の勢力、貴人層を弾圧・撲滅
しかし始皇帝期ラスト数年から急に怪しくなって爆発、秦を主導する優秀なエリート官僚層は逼塞

まさに奇蹟、天がやくざの天下支配を望まれたのだ

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/21(金) 08:40:32.15 ID:mfKircVU0.net
劉邦の功績は項羽みたいな古い価値観の覇者思想ではなく
始皇帝の始めた皇帝制度を定着させたことだろうな
王莽が一度復古させたけどな

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/21(金) 09:10:29.68 ID:gkgGXM2V0.net
劉邦の晩年の猜疑心はよく非難されるが結果的には他姓の王をほとんど潰して皇帝と同族による支配の基盤を作った
結果論だけど

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/21(金) 09:22:00.68 ID:Mm5ZPPfz0.net
司馬遷も実は謀反や粛清された奴で同情的に書いてるの韓信と韓王信と盧綰と中行説くらいで他は「まあ残当やろ?」的な書き方やからね。

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/21(金) 10:14:30.49 ID:dXzeaqMT0.net
>>767
韓信や彭越は楚漢戦争時の行動的に残当
英布や盧綰はむしろ自身の猜疑心が原因
あと盧綰や韓王信は匈奴か近くて危険ってのもある
何より韓信粛清に見るように他姓の王を一番危険視してたのは呂氏と蕭何

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/21(金) 11:07:36.43 ID:mfKircVU0.net
呉楚七国の乱起こすのは劉氏なんだけどなw

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/21(金) 11:58:50.52 ID:dXzeaqMT0.net
>>769
曹操「やっぱしっかり中央集権やな」

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/21(金) 17:32:32.48 ID:mDzTnWmG0.net
>>765
王莽さんはそんな古臭い男じゃないのでは?
当時最良の知識人が創った最新の輿論に共鳴したナウい政治家だろォ

>>768
悪く言えば劉邦という金魚のナントカである呂后と蕭何からしたら
韓信みたいなデカすぎる元勲は排除するしかないでしょうね

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/21(金) 17:56:01.16 ID:WpB4FOte0.net
劉邦は韓信をどう見てたのかなあ
ただの軍事オタクかなにかと思ってたのかとか
初めに韓信を王から引きずり降ろした後は、このオタクは政治能力皆無だから放置しようとしてたのかもね

>>768さんや
>>771さんが言うように劉邦亡き後の韓信は危険すぎるから排除されても仕方ない

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/21(金) 19:44:12.28 ID:2mXRPS3H0.net
韓信は劉邦を裏切るのを決断するのが遅すぎたな
斉王や楚王の頃なら劉邦に不満を持つ奴らが続々と集まっただろうに

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/21(金) 23:45:31.20 ID:7k1/mhwO0.net
劉秀のように河北で独立すれば

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/22(土) 00:10:12.72 ID:ocEhfQ8V0.net
独立された結果劉邦負けたら劉邦ってチンピラ無能扱いになるだろうな…
部下の劉邦一味に至っては項羽軍団の諸将みたく有象無象のモブに

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/22(土) 01:23:12.73 ID:lVP/xmtB0.net
韓信、英布、彭越が同時に反乱起こしたら
劉邦陣営ではとても勝ち目無いだろ

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/22(土) 08:29:13.49 ID:mfCksgg30.net
逆に言えばそれをタイミングをズラして追い込んだ劉邦達がやっぱり一枚上

始皇帝の統一事業も同時に全ての国を敵に回していたらとてもじゃないが統一まではいかなかっただろうし
曹操が中原の覇者になって漢の主要地域をほぼ手中に治めたのも合従連衡を繰り返し袁紹、袁術と同時に正面衝突を避けたからだと思うけどね

ならず者の集まりから始まった劉邦も帝国を打ち立てるところまで行く過程で生き残っていくための本能的な直観と外交術が他の人物、勢力より大きく成長していたんだろうね
登場時からの能力、センスの伸びシロの大きさで考えたらやっぱり劉邦は化け物じみた英傑なんじゃないかね

778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/22(土) 08:49:15.44 ID:HhiTBlue0.net
韓信も謀反など起こそうとせずに居れば呂氏の専横の頃には
呂氏の排除に協力して晩節汚さずに済んだかもね
まぁ呂氏が韓信を謀殺しそうだが

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/22(土) 15:15:55.28 ID:+EWPTJKG0.net
韓信が天下とってたら、
楚漢斉戦争、「項羽と劉邦と韓信」とか
言われてたのかな

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/22(土) 16:13:58.47 ID:pVqMXWX20.net
そうなると匈奴が漁夫の利だな

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/22(土) 17:05:30.62 ID:ocEhfQ8V0.net
>>777
まあ粛清の巧みさ関係なしに漢の方がその他群雄よりは一枚も二枚も上だろうけどね
始皇帝の統一事業もそうだが国力がずば抜けてる、地政学上の優位はそれ以上かもしれん

劉邦たちはならず者の集まりだったかもしれんが、他も烏合の衆なのでそこで差はつかんし

782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/22(土) 17:20:57.31 ID:W4PYT1ne0.net
劉邦はそこまで下層民な感じがしないんだよね
朱元璋や日本でいうと秀吉、麻生と安倍などのなりあがり先祖に比べると

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/22(土) 22:28:29.06 ID:iFJhGGQv0.net
くだらん

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/22(土) 22:36:07.51 ID:jD3jt//h0.net
おれたちの韓信

785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 00:27:22.96 ID:qZnZtIKp0.net
この時代文字書けてる時点で賤民出身じゃないのは明らかだしなぁ

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 00:46:41.34 ID:6pQMgx7u0.net
コネがありすぎるからね、弟くんは恐らくかなりのインテリやし
上すぎず下すぎない階層、時流に乗り易い地域にちょうど良い年齢で生きてた時代の寵児ってところか

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 01:02:51.81 ID:wlww4AvC0.net
洪武帝がそうなんだが、賤民から頂点に這い上がった人間は肉親愛が強いイメージがある
劉邦の実の父親と子供に対する雑な扱いが「貴人に情無し」に当てはまってるように見えるのが気になるなあ
劉邦は他姓の王の排斥に熱心だった割に、皇太子を取り替えようとしたりと感情自体が理解しにくい

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 01:12:10.11 ID:6pQMgx7u0.net
パパンは雑な扱いとは言い切れまい
そうするより他に方法がない窮地以外では尊重していたと思われる
皇帝劉邦が遜ったとされる人間は2人、冒頓とパパン

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 01:14:59.48 ID:VQYUiFsi0.net
皇太子取り替えは愛人に泣いてねだられたからやん。
わっかり安いぞ。

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 01:15:32.73 ID:wlww4AvC0.net
周りに説得されて如意を皇太子にするのをすんなり諦めてるのも不思議だ
戚夫人が大事なら如意を皇太子にしてるよね
賤民から這い上がった人間は周りの言うことなど聞かない独裁者が多いが劉邦は晩年まで聞く耳を持った
下品で野卑な行動が多いのに感情で動かない
内面の謎が多い人物だ

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 01:18:32.64 ID:wlww4AvC0.net
>>788
それもそうだね
晩年は沛にそっくりの街を作って住まわせたり親孝行してたな

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 01:46:52.51 ID:6pQMgx7u0.net
>>790
戚夫人の件は気力充実、覇気溢れる歳だったなら実行したかもね

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 02:20:32.86 ID:AnnFLIPW0.net
>>790
周りの言うこと聞かずに張良の策に嵌まった

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 07:23:11.83 ID:hiYMaDav0.net
反呂氏よりの斉王家まで呂氏の肩持った時点で劉邦詰みな気が

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 09:58:19.25 ID:XpJmB1p50.net
>>790
「皇太子を代えたら国が乱れる」って前例がありすぎて、
周囲がいさめやすかったってのもあるかも。
晋の献公の驪姫の乱なんてかっこうのいさめるケースだし。
恵帝がトップとして今一としても、側近に優秀なのを
揃えれば問題ないのは自分が格好の例だもんなw
それと春秋戦国の一国の場合と違って、中国全土が領地なんだから、
王にすればある程度以上の身分だと思ったのかもしれない。
呂后があれほど執念深くて残虐は思ってなくてさw

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 12:32:04.29 ID:T6uen4DD0.net
戚夫人にはそんな野望もなかったのに
劉邦が愚かなことをしたせいで・・・・・

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 13:06:53.10 ID:F8SQtjES0.net
>>796
そんなことはないぞ。
息子が皇太子、次の皇帝になるってことは自分が皇太后になる訳だ。
呂后より上になるし、下手すりゃ呂后を廃后にして、自分が皇后に
なれると思ったんだろ。
ただ、愚かすぎて墓穴掘ったけれど。
如意を皇太子にしたかったら、そのように宮廷工作しないとな。
重臣達を味方に付けるとか、世論を動かすとか。
それが出来なかったんだし、皇太子争いに敗れた時点で
高祖の死後のことを考えて行動しなきゃな。
人ぶたにされて当然のアホっぽさw

798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 14:04:06.36 ID:6pQMgx7u0.net
>>794
まあ詰んだから意向を引っ込めた、という説明が一番分かり易いね
劉邦体制はいつひっくり返るかわからない恐怖と戦ってる段階だろうし

799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 14:39:55.30 ID:gxeCjGde0.net
>>782
麻生太郎の祖父麻生太吉は庄屋から炭鉱王
安倍晋三の曾祖母の兄安倍慎太郎も大庄屋から政治家
なりあがり先祖でも劉邦と同じである程度の資産家で
朱元璋や豊臣秀吉と比べると恵まれた家系

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 14:49:07.37 ID:7Wk8Qmjc0.net
そうだろうね
劉邦と似たりよったりかと
ところで明治の元勲たち(名指しはしてないけど大久保利通など)がマクニールの世界史ではっきりと「なりあがりもの」と書かれてたのがそのまんま過ぎて笑えたw

801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 14:57:50.87 ID:hiYMaDav0.net
まあ明治維新の元勲は絵にかいたようなDQNの成り上がりやからね

ハーバート・ノーマンの「明治維新は下級武士による革命」って見立てもまあ間違ってはいないんじゃ

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 15:52:45.47 ID:62ur7KBd0.net
皆さん博識で凄いなあ。やっぱり大卒とかですか?自分は中卒なので皆さんの知識には本当に感心します。

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 16:16:30.54 ID:l9+pTThY0.net
下級武士がテロで藩の実権握ってそのまま藩を踏み台にして明治政府で出世
ついには自分たちの出身母体である藩を潰して仲間だった同じ藩の士族も反乱軍として殲滅

大久保なんかは鹿児島じゃ裏切者扱いだからなw

804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 16:26:15.53 ID:0pPnok9m0.net
伊藤の俊さんみたく貧農が武家の養子に転がり込んでそのまま成り上がったとか何かの冗談のような出自ばかり輩な

805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 21:13:53.58 ID:PdHU18qT0.net
伊藤俊輔は元テロリスト
同じ元テロリスト(失敗したけど)の張良とは身分が違いすぎる

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/23(日) 21:15:01.30 ID:PdHU18qT0.net
長州藩自体がテロリスト集団

807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/24(月) 16:45:26.74 ID:uSXj5ua00.net
飲みの勢いで英国大使館を焼き討ちするDQN長州

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/24(月) 18:01:53.75 ID:EcoAlaeV0.net
>>797
劉邦の晩年は如意を如何に生き延びさせるかという腐心に明け暮れてる
だけど最後はやれるだけやって諦めた感が強く
大風歌の内容や歌う件を見ると劉邦の彼の言い知れぬ孤独感が感じられる
なお父親の意を一番汲んでいたかのような動きをしたのが恵帝という皮肉

809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/24(月) 18:07:33.85 ID:cU8Z7KF80.net
恵帝や文帝ってあの不良中年劉邦の息子と思えんほどのぐう聖やからなぁ

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/24(月) 18:31:55.20 ID:5JXG3axt0.net
恵帝は人豚見てショック受けるようなあまちゃんだからな
戦場で戦ってればもっと悲惨な死体なんて山ほど見るからね

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/24(月) 19:10:44.42 ID:EcoAlaeV0.net
恵帝に関しては如意を守れなかった事の方がショックだったんじゃないかと思う
そこに有るのは単なる情弱さではなく呂后や呂氏の専横を止められない事への絶望があったのかもしれない

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/24(月) 20:22:53.29 ID:J//u7D0c0.net
恵帝というのはあまり良い諡号じゃないのかな

813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/24(月) 20:24:32.29 ID:zwi/kqnn0.net
まぁ恵帝が死んでくれなきゃクーデターも起こせないしな

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/24(月) 20:44:45.68 ID:AdsSzUaZ0.net
恵帝って前漢と西晋でいずれも良いイメージが無いな

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/24(月) 21:00:11.87 ID:EcoAlaeV0.net
諡的には良くもなく悪くもなく
高祖は例外として周の故事に倣った文武が良い諡のツートップ
なお後年の曹操は文王に成りたかったものも息子に取られて無事武帝と諡される模様

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/24(月) 22:52:32.67 ID:hQwfEspR0.net
>>808
戚夫人や如意の孤立は劉邦の孤立、弱さでもあるでしょうからね
漢の始祖であるという看板があるから本人の地位は保たれるが

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 07:19:41.36 ID:dB0HwISG0.net
>>809
血筋よりも育ちって事だよね。環境とか教育大事。
勿論、素質面での才能も必要だけど、極論言うと側近が有能で忠実なら問題ないし。

818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 11:00:42.57 ID:OdNMnlTO0.net
>>817
洪武帝の子や孫みたいな話だ
永楽帝の子孫は洪武帝のヤバい血筋をバッチリ受け継いでるけど

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/01(月) 14:36:17.78 ID:fJ8mXBCf0.net
劉秀なら項羽とも互角に打ち合えそうだよな

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/07(日) 01:09:11.01 ID:MTqbQ9Qn0.net
韓信死すともニートは死せず!

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/07(日) 03:28:35.40 ID:qIv6Hlsz0.net
韓信はわりとちゃんと働いてる

ニートだってそれは
陳平が自分からタゲそらすために流した伝聞

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/07(日) 09:18:36.14 ID:Q5rrBqbg0.net
韓信に抜擢された警察長官って韓信がワイ淫行になった後どうなったのかな?

823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/07(日) 18:07:07.09 ID:Wl23P6V30.net
>ワイ淫行

一瞬、韓信そんなことまで……と思ってしまった

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/07(日) 19:09:25.20 ID:9EXCSGyL0.net
淮陰侯 (わい・いん・こう)

な。

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/07(日) 20:01:53.11 ID:UeQZs7hO0.net
>>824
なぜこの人は上から目線でネタにマジレスしてんだろう

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/07(日) 21:35:20.18 ID:bvDrEVtU0.net
>>822
警察長官と淫行が関連してるからわからなかった
彼なら案外に韓信に忠義を尽くして殉死するやも知れん

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/08(月) 21:45:49.29 ID:pUhdeuF80.net
全盛期と比べて人材の払底した秦は
ショウカのような地方の有能を中央に引き上げる体制を作るべきだったんやない?

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/09(火) 05:12:28.27 ID:o0QdZtHu0.net
全盛期と比べて人材の払底した秦って本当に払底してるのか?
そもそも全盛期っていつなんだ、っと

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/09(火) 09:50:24.24 ID:ue+UwWrP0.net
>>827
蕭何さんは中央への推挙を断ってるんだよなあ

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/09(火) 11:43:08.93 ID:WaItNAcg0.net
李斯が殺された時点で秦は終わったんだろうな

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/09(火) 14:32:55.26 ID:ze3ztsyl0.net
バカジュニアの胡亥を担ぐのを趙高にそそのかされた時に
断ってたらなんとかなっていたかも。
もっとも、負けてもっとひどいことになってたかもしれんw

>>828
子楚が長生きしていたらな。
案外と傑物だったかもしれない。

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/09(火) 19:34:57.07 ID:Zh0Rv4yS0.net
もしも扶蘇が二世皇帝となっていたら
どんな歴史となっていたんだろう

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/09(火) 20:51:31.19 ID:JUNif2kj0.net
>>832
何にしても治世は難しい
秦は他の六国を滅ぼした恨みを受けてる上に権力が皇帝に集中し過ぎて負荷が大きい

ちょっとしたミスで陳勝呉広みたいな乱が起こりかねない

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 02:15:59.69 ID:pLUzsI9v0.net
>>830
生前の宰相李斯が反乱軍に対して有効な措置をとったという資料が残ってない以上
李斯が殺された時点で終わったとまでは言えないのでは?
立ち位置的には反乱拡大を許した大戦犯の可能性だってあるわけで

>>831
案外と傑物だったかも、ってそうかもしれないけど全盛期や人材払底と何の関係が…

835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 02:53:30.14 ID:f/uq6Dmg0.net
>>834
いや。荘襄王の治世が長く続いたら全盛期と言えるんじゃね?
ってことw
商人上がりの呂不韋なら民衆も上手くコントロール出来たろうしw
出自に関係なく人材を登用したと思うんで。
趙姫にしたって荘襄王が生きてたら他の男には目もくれなかったろうしw

836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 06:40:22.73 ID:4GBT7E8n0.net
>>815
王朝の祖は太祖・武帝になるのが鉄則ゆえ致し方ない
それを破ったのは鮮卑王朝の隋唐から

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 08:37:23.49 ID:8E/rhzct0.net
>>836
武王「そもそもウチら周が文武の順で倣いたかったのが曹操やのにそんな鉄則ある訳ないやろ」
実際次の晋は文武の順番だし
しばらく武が優先されるのは単に遊牧民の性格が影響しただけな気がする

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 08:38:59.07 ID:dYQ3uhEo0.net
劉邦にしろ劉秀にしろ自分が戦場を駆け回った初代皇帝って
息子を軍事から遠ざける傾向があるよな

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 08:44:14.73 ID:8E/rhzct0.net
>>838
自分が戦争に出たら後継は留守番せなアカンししゃーないやろ

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 08:49:02.01 ID:8E/rhzct0.net
>>834
権力集中は嬴政の時点でMAXやからね
胡亥が後を継いだ時点で試合終了だったんやろ
皇帝と家臣(及び外戚)と宦官
この後続く中国の基本的な構造は秦の時点でおおよそ確立してる感じなんだよね

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 18:39:44.39 ID:4GBT7E8n0.net
>>837
司馬炎が文帝なのか
はぇ〜

劉邦が太祖武帝として神格化したから前漢〜隋唐までは武のほうが格上扱いなのよ

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 19:55:03.21 ID:7KAOxkGY0.net
いや武帝は武帝じゃね?

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 20:26:47.12 ID:V4oVzjwW0.net
>>841
晋の文帝が誰か調べりゃ順番すぐ分かるやろ
頭大丈夫か?

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 20:36:11.87 ID:V4oVzjwW0.net
漢も晋も皇帝の諡なんて調べりゃすぐに分かるのに頭おかしいとしか思えんな

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 20:41:52.40 ID:4GBT7E8n0.net
V4oVzjwW0
皮肉分からないんだね
残念

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 20:53:51.89 ID:V4oVzjwW0.net
ちなみに漢の太祖は劉邦で諡は高皇帝
史記の高祖ってのが何なのかは不明
んで5代目が文帝で7代目の武帝が有名
晋の太祖は司馬炎の父司馬昭で文帝
司馬炎自身は世宗武帝で曹魏と逆になってる

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 20:55:14.61 ID:V4oVzjwW0.net
>>845
ただの基地外にしか見えないから
皮肉になる訳ないやん

848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 21:52:25.42 ID:Rs08ngzV0.net
諡号と諡って違うんだなと初めて知ったw

849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/10(水) 22:21:09.04 ID:yDH9q5re0.net
>>848
廟号と諡(帝号)やぞ

850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/11(木) 06:48:50.06 ID:qh+nDurp0.net
>>839
>>838

織田信忠みたいなケースがあるからな。

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/11(木) 07:20:31.47 ID:aOl4SG030.net
家康「秀忠を軍事から遠ざけた記憶はないぞ」

852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/11(木) 07:53:20.75 ID:hWHRkt3l0.net
>>850
一応基本は別行動取ってるんだけど
タイミングが…ね

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/11(木) 07:55:16.62 ID:hWHRkt3l0.net
>>851
そこは武家の宿命やろ
とはいえ拠点を江戸にして分かれてるし
率いさせるのも別働隊だしまあ

あと死んだら死んだで替えはいるとか
考えてそう

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/11(木) 07:56:28.69 ID:STDEpyOF0.net
>>838
12歳の息子を北伐に連れて行って占領したまではいいが本国に帰らなくてはならない事態になり、息子を総司令官として置いていったため最悪の事態を招いた南朝宋の劉裕さん…

855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/11(木) 16:48:07.02 ID:HBXmykLP0.net
>>846
あれ昭さんが自分と息子用に良い諡号取っといてる感がはんぱないw

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/11(木) 18:03:03.63 ID:asqMTpMo0.net
>>838
初代はたまたま戦乱に遭遇して仕方なく自ら駆け回ってた諸勢力ボスの中で運よく生き残った人
皇帝や太子が前に出るのが良いとは思ってないはず、本人も劉秀のように軍事から遠ざかっていくケース多し


>>855
孫権「いくら兄でも中継ぎは一段sageとかないとね」

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/11(木) 18:46:13.82 ID:asRtG+Rm0.net
キョロクでショウカンはなんでまけたんやろな
楚の内情掴んでれば籠城してれば撃退してたやろ

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/11(木) 22:25:14.39 ID:KoY7vFi80.net
大功を上げたためこれを嫌った趙高による讒言で本国での立場を失っていたから援軍をもらえない、勝っても孤立無援とのこと

859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/11(木) 22:59:10.64 ID:asqMTpMo0.net
普通に考えて負けたから負けた
既に秦本国の守りが極めて弱体化するほど増援を送っていた可能性が相当にある
章邯軍が積極的に動いて有力な敵軍の一つや二つを大破するくらいはしないと…
主力軍が亀のままで逆転する戦争なんてそうそう無いと思うぞ

860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/12(金) 07:14:32.78 ID:ToKVBgZD0.net
城の中にまだ張耳が頑張ってたから

861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/12(金) 09:21:23.51 ID:mJe+p67n0.net
ショウカンって楚軍を一度は破ってるんだし
オウセン辺りと同じ評価あってもいいと思うけどな
ただの引き立て役にされてるけど

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/12(金) 10:47:34.47 ID:paeCcKHI0.net
>>859
鉅鹿の戦いの時の秦軍は王離がメインで
章邯は救援に向かったが助けられなかったという立場
おそらくこの頃にはもう政治的に進退危うくなってたんだと推察出来る

863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/12(金) 11:03:47.73 ID:ugjniifO0.net
章邯は罪人を解放して秦軍を作ったけど
天下統一時までの秦軍は
中華各地に散ってたり、世代交代で役にたたなかったりしたのかな

急造の秦軍と互角な(弱い)反乱軍
その中から新しい(強い)軍団がうまれたって事かな

864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/12(金) 12:07:53.17 ID:k1YuuESo0.net
始皇帝死後に蒙恬が自決に追いやられてるし
結構な粛清があったことは想像に難くないな
馬と鹿の逸話にもあるようにまともな奴ほどFeel so badな世界

865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/12(金) 12:09:26.93 ID:k1YuuESo0.net
手柄立ててもぬれぎぬ着せられて殺されるし
手柄立てなくても殺される
こんな秦軍で誰がまともに戦うんだって話だわな

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/12(金) 14:02:14.12 ID:V230TD7f0.net
>>863
鉅鹿で王離が負けた後も睨み合い続けてるし弱くはない
指揮官が政治的に詰んでて戦えず降伏後に埋められて全滅した
この虐殺は楚漢戦争後に北方対策が弱かった遠因にもなってそうやね

867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/12(金) 19:28:53.73 ID:0doZOIKJ0.net
こんな秦軍で誰がまともに戦うんだって
秦の為に力戦し死んでいった将官や多くの兵卒に失礼やな

たびたび二世皇帝体制から増援を得て、末期でさえ20万の戦力を預けられている章邯
他の将帥、多くの無名の郡守や尉とか正味数千〜万の戦力で戦ってたろうに

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/12(金) 19:53:55.65 ID:bKH2hxjt0.net
あっさり降伏してるってことはそういう事

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/12(金) 20:06:08.20 ID:mJUTjEAs0.net
>>862
そりゃ知ってるけど
東郡の兵と連合して劉邦軍に負ける王離軍より章邯の軍団が秦の主力軍だろうし
たぶん残存する秦軍全戦力の過半を指揮下に置いてる章邯が独力で打開すべき戦況に思えるが?

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/12(金) 21:13:23.74 ID:mbAA6sx60.net
>>869
Wikiでも分かるけど
普通に王離の軍の方が主力や
王翦の孫で蒙恬配下の爵位持ちやから明らかに章邯より軍歴も長く格上
おそらく蒙恬配下の軍を引き継いで援軍として中原に戻って来たと考えるのが妥当
章邯の命で鉅鹿を攻めたとなってるけど実態は状況に詳しい章邯からの依頼みたいなもんやろね
劉邦の戦った王離の軍とか状況的に王離自身が率いた本体とはとても考えられん代物や

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/12(金) 23:26:39.78 ID:mJUTjEAs0.net
>>870
wikiか…
そら祖父か父の家格を引き継いでる可能性濃厚な王離の方が爵位は上
章邯どころか蒙恬よりも上だろう
しかしながら章邯も官職でいえば普通に最上位の一人と言える

なにより実際に数十万の軍勢を与えられて数十万クラスの敵と連戦しているのは章邯でな
どう見ても存在感の小さい王離軍を上に置くのが妥当とはとても思えませんね

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/13(土) 13:25:29.77 ID:Jyo/IneR0.net
章邯の軍はどれだけ規模が大きくても元は陵墓の役夫というか刑徒だもの
九卿で軍籍のない章邯が兵の足りない咸陽で皇帝に請うて罪を減じる引き換えに
兵に仕立てた急ごしらえの寄せ集めだし、章邯自身も官職はあくまで九卿の末席・少府で
将軍としては新参
王離の軍は鉅鹿を攻囲して章邯の軍が輜重を担う後方支援なんだから、普通に考えれば
主力軍は王離

項羽の軍を警戒して自分は後方の南に陣したって見方もできなくはないけど、項梁を殺して
追撃せず、あとは鉅鹿を潰せば叛乱も大方鎮まると思ったからだろ

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/13(土) 13:58:14.27 ID:Uz6Q8mza0.net
章邯が趙高を殺したって記述もあるらしいけど
それだといつ項羽に降伏したんだって話になっちゃうな

874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 05:10:02.39 ID:gXdg76Ii0.net
>>872
いや君さあ…これと言った根拠ないんだから史記を無視してはいかんですよ
素直に読めば王離は章邯の命を受けて攻め込んだ、つまり属将でしかない
そこの上下関係は気にせず実力(戦績)で考えても
章邯の命で鉅鹿攻囲&劉邦軍に敗北した実績しかない王離軍は章邯の足元にも及ばない


九卿で軍籍のない章邯?将軍としては新参?

君主に信任された新参者や高位の文官が古参を差し置いて主導権を握るなんて珍しくあるまい
というかその傾向が顕著なのが我々が知る史料上の秦じゃんよ

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 08:40:14.23 ID:J402R6DF0.net
平時じゃなく有事だからね
能力があれば抜擢されるのは古今東西よくある話だわな

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 08:54:27.08 ID:C7lyLexW0.net
そりゃ王離は大軍率いていたとはいえあくまで援軍やからな
現地指揮官の指示に従うのは自然な流れ(そうじゃない人もいるけど)

しかし指揮官が主力を率いてるというのなら
鉅鹿の戦いで章邯と戦ったのはきっと宗羲なんやろなあ

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 08:58:02.08 ID:J402R6DF0.net
なんか引き下がれなくなった人が見苦しく抵抗してるね

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 09:08:52.78 ID:C7lyLexW0.net
>>877
反論出来なくなってて草

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 09:08:56.18 ID:SEIOSqRe0.net
どっちが主力かって話だったのを、章邯有能だから上だもんってっ感じか

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 09:12:23.81 ID:C7lyLexW0.net
反論してる内容は大体>>870で説明出来てるのに
とりあえず何か言ってマウント取りたいだけやからなあ

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 16:11:24.01 ID:gXdg76Ii0.net
>>877-878
荒らすな荒らすな

>>879
それは違うぞ879君
878君は「王離は爵位、軍籍的に偉いから反乱鎮圧の主力なのだ」と主張しておられる
ちなみに俺は、降伏までその他の秦軍とは比較にならない存在感(戦績)を歴史に刻み
王離に命令する立場であったとされる章邯が主将、その支配下軍団は名実ともに主力って立場

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 16:16:47.26 ID:gXdg76Ii0.net
>>880
説明って半ば君の願望やん
中原で戦った王離の力が章邯軍以上であることを全く裏付けられていないよ870

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 17:15:30.53 ID:EoHsfbaN0.net
悪いけどさ
別にどっちが主力でもよくね?

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 17:42:58.80 ID:+pean36H0.net
>>881
>>882
wikiぐらいちゃんと読みなよ
戦力的に王離30万章邯20万で普通に王離が主力や(これ出典忘れたけど一応史書の数字)
しかも>>872も言ってる様に兵の質においても王離軍の方が主力なんやで

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 17:51:51.42 ID:+pean36H0.net
加えて鉅鹿の戦いは
名前の通り趙の鉅鹿の包囲と救出が争われた戦いで精兵で大軍を率いて包囲してる王離を主力と言わないなら何が主力なのか分からん状況やねん

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 17:53:40.02 ID:EoHsfbaN0.net
ショウカンの20万人は罪人で手柄を立てれば無罪放免って約束で駆り出されてるから
戦闘意欲は正規軍の比じゃないだろうな
質、主力という表現に惑わされてるけどさ
そもそも王離の兵は正規軍だろうけど質が高いかどうかまでは分からん

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 18:04:57.73 ID:+pean36H0.net
>>886
周文倒した後に董エイと司馬欣の援軍受けてるから罪人兵の割合はかなり減ってるやろね
そもそもそんな兵が長期間に渡ってパフォーマンスを維持出来るもんじゃ無いよ

888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/17(水) 18:16:38.59 ID:+pean36H0.net
>>883
ぶっちゃけこのスレ的には大した問題じゃないわな
ただ鉅鹿の戦いにおける章邯の立場を考える事で
戦後降伏せざるを得なかった章邯の政治状況がいつ頃から発生してるのかを推察するネタになるといった所かな

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/18(木) 00:14:21.52 ID:056IUdWZ0.net
>>884
兵の質は王離が上、そんな事は史記のどこにも書いてないのよ
書いてないことを初っ端から当たり前のように言わないでほしい…レス返す気がなくなる
君くらいの空論が許されるなら
章邯軍は大反攻の成果に相応しい強兵(関中の精鋭+刑徒)であるくらいの法螺吹いても許されそうだ…

>>885
やねんやねんはもういいからさ
根拠となる具体的な王離軍の軍容、それが章邯軍より上である数字なり記述を史記から引っ張ってきてくれ
議論を続ける意味がない

890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/18(木) 00:25:53.40 ID:04791KfY0.net
>>889
王離が蒙恬配下で
特に異動した形跡も見えず章邯の援軍に来てるところから率いてる兵の質が良い可能性は高いよ

891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/18(木) 05:55:16.36 ID:056IUdWZ0.net
>>890
質が良い可能性は高い…か、うんそれならまだ分かる
章邯が邯鄲を破る頃まで音沙汰のない王離、可能性は無限
仮に蒙恬の手元にいた軍イコール趙で作戦中の王離麾下ならば良好と考えるべきでしょうね

とはいえ同時期の章邯軍と比較してという話であればそれはまた別の話になります
負けても負けても将兵(20万強という数字は眉唾だが)健在とかいう章邯軍に対して
劣勢になった途端壊滅、瞬殺されてしまった王離、実態はともかく印象に差がありすぎる…

892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/18(木) 08:52:08.82 ID:nqPxu8UW0.net
匈奴に備える王離の軍勢まで動員せざるを得なかった時点で
かなりヤバいってことだよな
それくらいの認識は趙高にあったわけだ
二世皇帝は一切知らなかったが

893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/18(木) 10:06:23.69 ID:azjmcje70.net
>>891
勘違いしてる人が結構いるけど章邯は別に鉅鹿まで無傷だった訳じゃないんだよ
連戦連勝だったのは烏合の集である陳勝呉広の軍との戦いまでで
楚軍との戦いは定陶の奇襲で項梁を討ちはしたものの東阿で負けたりと難戦してる
(油断させるためにワザと負けたって見方もあるけどそんな余裕あるか?)

楚軍(というか項羽)が強いって事もあるけど連戦続きでかなり消耗してた可能性は高い
(王離が合流するのは項梁を討たれた楚軍が一時撤退している間と思われる)

894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/18(木) 12:43:02.21 ID:nqPxu8UW0.net
楚も一度滅亡してんだから正規兵って程練度高かったとは思えないんだけどな

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/18(木) 13:15:22.02 ID:azjmcje70.net
>>894
項羽の異常さを別とすると
将軍の息子である項梁がかなり周到に準備を進めた事が大きいと思う

例えば
決起の時点で郡を掌握したにも関わらず大軍に頼らず敢えて精兵八千から始めていたりと
軍の統制についてはかなり有能だったと想像できる

896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/19(金) 14:26:16.18 ID:iRuYhQes0.net
項羽に最後まで従った28騎って項羽が再興してりゃ一軍の将になれそうな猛者ばっかだもんな

897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/21(日) 07:23:27.10 ID:fz/63OE10.net
特に何も考えてなかったけどこのスレを見て、韓信は読み書きも出来るしそこそこの身分だった(だから居候とか乞食生活も出来た、そして漢で重職に就けた)のと、劉邦は農民と言っても貧農ではなくなんなら豪農だった可能性もあるという知識を得られました。

秦と楚で旧来の権力者は大分淘汰されたし、記録が残されてない名家や権力者遺族なんて沢山居ただろうし。

斉の田単だって単なる下級役人ではなく田氏な訳で、読み書きも含め特殊な知識を持った庶民なんか居なかった時代。

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/21(日) 09:54:37.20 ID:Gt7THV2U0.net
それは江戸時代の農民や商人でも同じだしね
職人だって集団を束ねるような工房の責任者は書状を読み書きしなくちゃいけない、経費の計算しなくちゃいけないから当たり前

庶民という言葉が持つイメージと実際にその時代その仕事その場所で生きていた人の実態とは違ってアタリ前田のクラッカー
教科書的な記述はこういうイメージの上でみなが読むので実態とは離れた勘違いを生みやすい

小説や映画はそれぞれのイメージを具現化して個々をとらえていく点では受け取り手に分かりやすいけど
時代考証が根本的に間違っているものやらエピソード間を繋ぐ人物同士の関係性にフィクションの要素が入りやすくこれはこれでまた勘違いを生むんだけどね

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/21(日) 12:26:05.30 ID:q9BnmpDn0.net
>>897
そもそも読み書きを特殊な知識としたり庶民に知識が無いと思ってたりしてる時点で戦後教育の弊害だよなあ
劉邦はおそらく豪農ぐらいの出身だけど庶民出身には違いないし陳勝なんかも小作人出身臭いけどそれなりに教養ありそうだし
自給自足自治自衛が当たり前の時代なのに庶民が無能で無力な訳が無いんだよ

900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/21(日) 12:28:48.97 ID:abK4AMzG0.net
楚漢時代には紙が無い
そして俺たちには髪が無い

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/21(日) 12:44:36.75 ID:q9BnmpDn0.net
>>900
俺たちは髪の代わりになる物が無いけど
紙の代わりは竹やら使ってるやん

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/21(日) 16:37:18.41 ID:Gt7THV2U0.net
後漢末期に紙が発明されても高価過ぎて朝廷ぐらいでしかその使用はされてなかったんだっけ?
日本だと奈良時代までは公文書でも竹簡が多く古いものはクソ箆として利用されてるんだよね

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/21(日) 19:00:07.11 ID:Vn7HLeq00.net
劉邦は農民出身というのがアピールポイントだからな
陳勝・呉広の乱の後継者的ポジションだし
豊臣秀吉も下級武士の家の出身なのに農民出身だと言ってたし
田中角栄も当時なら高学歴の高専出てるのに小卒だとアピールしてた

904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/21(日) 19:04:34.95 ID:R9K3aBYR0.net
陳勝はこれぞ農民出身という感じがするな
劉邦は半グレのボスだから庶民な感じがしない

905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/21(日) 23:16:11.45 ID:KbyE9eHI0.net
陳勝って今でも中国では英雄らしいね
王侯将相いずくんぞ種あらんや
この言葉は21世紀でも通用する名言だわ

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/23(火) 02:44:57.44 ID:wDeVi1eA0.net
ユリア、お前もか
にならぶ名言だもんな

907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/23(火) 08:34:48.97 ID:JEsImvHA0.net
>>904
陳勝は没落した士大夫とか豪農のイメージや

908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/24(水) 04:25:12.83 ID:q5f8VnS00.net
陳勝は扶蘇が自殺したことを知っていたり、ただの庶民じゃないよな

909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/25(木) 22:40:42.40 ID:sajBtIPQ0.net
項羽と劉邦 King's War全話うpしてくれ

910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/28(日) 06:51:51.56 ID:6YhXxl/q0.net
>>908
噂は広まってたんじゃなかったっけ?

911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/28(日) 07:18:30.82 ID:NwdqWjfn0.net
実力を発揮する前の、とるに足らない存在だった頃の韓信や陳平の恥話もやけによく知られていたものだな。
つまらない一個人に過ぎなかったはずなのに。

912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/28(日) 08:59:39.54 ID:YzrhpFVz0.net
項羽陣営が戦時中に流した風説かもね

或いは漢政権確立後の権力争いで敵対側が流したとか

913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/29(月) 16:02:26.53 ID:BHOX1Lzi0.net
陳平は呂后に疑われる時に以前から知られてた節がある

914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/29(月) 17:40:06.26 ID:/0pDnFTO0.net
しかしこんだけ広まると、
その後の陳平と兄そして兄嫁の関係ってどうなってたのか
気になるな
陳平の奥さんもいやだったろうね
奥さんゲットするのにも陳平には逸話あったよねw

915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/07/31(水) 11:57:37.75 ID:t4W1Uhde0.net
>>914
兄はいいんじゃね?
重臣の兄弟として生活には何の不満もないだろう。
兄嫁って離縁されたし。
奥方もそれまでに5人も亭主に死なれてんだから、
出世した夫には満足だろ?w

そもそも >>913
高祖に抜擢された時の根拠の乏しい讒言かもしれんw

916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/01(木) 11:18:46.15 ID:e2t44PFE0.net
「あいつは、いかにもそういうことをしでかしそうな男だぜ」

という雰囲気があったのかもしれん

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/01(木) 16:21:29.93 ID:E9qZgBHD0.net
兄嫁離縁されたのか
可哀想だな

つーか兄嫁が離縁された、
なんて記録に残ってるもんなのかね?w

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/02(金) 00:41:29.80 ID:62zX9A7K0.net
>>917
違うで。不倫で離縁されたんやないでw
兄貴が陳平に勉学を優先させて家の作業の手伝いをさせなかった。
それに文句を言った嫁を離縁した。
ここに不倫とかは言及されてないんよ。
兄嫁との不倫てのはまさに周勃や灌嬰らからの讒言に出てくる。
前にもここだったか、どっかで話題になった時にも、
上記の理由で離縁されたのが、嫁が陳平と不倫したからじゃね?
と勘ぐられたのでは?と言われたよw

919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/02(金) 00:49:25.64 ID:62zX9A7K0.net
>>917
>つーか兄嫁が離縁された、
>なんて記録に残ってるもんなのかね?w
史記の陳平に付いての記述だよね。
史記って脚色されすぎてると思うw
項羽の最後だって、名文だけれどドラマチック過ぎw

920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/02(金) 01:26:36.32 ID:FWOBT2G20.net
始皇帝って結局人を見る目がなかったよな
趙高なんてのを重用してたし
その点劉邦はなきあとの人事までズバズバあててたし
まあ劉邦のはフィクションかも知れんが

921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/02(金) 12:55:42.50 ID:EoahKmEk0.net
功臣粛清
韓信は、本人の性格もあるけど
勲功を妬む重臣に讒言で足を引っ張られた
って書いてある本を読んだことあるけど

讒言した連中って、劉邦と同郷組とかなのかなあ

922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/02(金) 13:07:08.28 ID:byPt7YY40.net
>>921
武官は結構同情的で劉邦自身殺す所まで考えてなかった可能性が高い
劉邦が反乱鎮圧の遠征に出かけている間に殺されてる
ぶっちゃけ韓信を取り立てた恩人である蕭何が一番怪しいレベル

923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/02(金) 15:53:59.56 ID:QWZ9LTJ+0.net
劉邦以上に大きな器の持ち主だったかもな
陳平兄は

924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/02(金) 17:08:30.52 ID:cuMj4SH+0.net
>>923
アソコはデカそうや

925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/02(金) 17:23:08.61 ID:02RlIeon0.net
>>921
王になって項羽からも対等の関係とか誘われてるし
評判を落とそうという動きは必然的だよな

926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/03(土) 21:29:44.26 ID:56CW67yM0.net
>>911
韓信はともかく陳平の兄嫁NTRは周勃が言い立ててるだけやぞ

927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/03(土) 21:41:54.26 ID:4aodCM890.net
>>919
項羽の最後は司馬遷が自分でネタバレして「実は項羽は鳥江やなくて東城で死んだんやで……」ってあとがきで書いてるのは草

928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/03(土) 21:50:17.42 ID:4aodCM890.net
>>921
武官トップクラスの樊噲が韓信が王位剥奪されても腰が低かったのを見てると韓信の人格はともかく才覚や功績はそれなりにリスペクトされてた可能性が。

929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/04(日) 01:00:08.23 ID:FOJDLXUd0.net
表向きには立てている人物を内々では追い落としの謀略なんてのはよくある話かと。
ハンカイがそれに主導的だったかどうかはさておき、政治的な面と自己保身の両方考えたら乗らざるを得ないとかもあるだろうし。

人として好きかどうかだけを判断の基準にしてしまって結局敗れた項羽の姿をみな見ていたわけだからね、同時代人は。

930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/04(日) 01:58:04.56 ID:wmqDAz5V0.net
周勃って呂一族か劉漢朝救った英雄ちゃうの?
陳平さんにそんなことしてたの?

931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/04(日) 02:13:59.16 ID:nx/GiHEL0.net
>>930
文帝「陳平、周勃、夏侯嬰は皇帝弑逆の大罪人やぞ」

932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/04(日) 05:50:54.55 ID:CuHcmUeJ0.net
文帝の質問に周勃が大汗をかいて答えられなかったとき周勃は陳平に「なんで答えを教えてくれなかったんだ」と言ったら陳平は「君は丞相につきながら自分の仕事の内容も知らないのか」と笑った
周勃は陳平に及ばないことを知り丞相を辞職し以後は陳平が一人で丞相をつとめた
しかしこのあと一年で陳平は死に再び周勃が丞相になった
これは怪しい恥をかかされて恨んだ周勃が暗殺したに違いない

933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/04(日) 07:16:21.92 ID:GMhYni/m0.net
それは文帝がやらせた可能性が高い。

934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/04(日) 10:40:08.82 ID:RZEjJvmU0.net
陳平→曾孫が姦通で処刑
夏侯嬰→曾孫が姦通で処刑
周勃→息子が景帝にイビリ殺される

これはインガオホーですわ

935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/04(日) 11:38:03.16 ID:FmSz+dt+0.net
>>930
ん。まぁ、陳平がそんなに使える傑物とは思わなかったんじゃね?w
自分たちの組織のこと考えたら、こんなやつ抜擢しなくてもと
思ったのは分かるようなw
賄賂貰っていたのは事実だったようだし。
この時に、すでに張良がいたんだよな?
軍師二人もいらないと思ったのかもw

936 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/04(日) 15:08:30.69 ID:my89k0Df0.net
陳平は漢仕官当初、周勃に兄嫁と密通してたとか讒言されてるからな
仕返ししたんやろ

937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/04(日) 15:22:38.20 ID:JJt2lnmd0.net
兄嫁を巡っていがみ合う陳平と周勃
二人の丞相

938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/04(日) 17:26:06.41 ID:zwcG8DYn0.net
>>935

張良は軍師だが、
陳平は軍師ではなく政治顧問に近いのでは?

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/04(日) 17:37:41.41 ID:sur4Xtt/0.net
張良:韓申徒(司徒)
陳平:漢都尉、漢丞相

官職的には張良の方が外部の政治顧問の感が

940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/04(日) 21:18:06.92 ID:CwvWToXr0.net
春秋戦国時代なら複数の国の官職を兼任してる奴は珍しくなかったからな

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/06(火) 11:04:36.98 ID:Ztb6FgFc0.net
国士無双

942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/11(日) 02:09:02.31 ID:HcnYKMS40.net
陰謀なら陳平の方が色々合ってる感じ

943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/13(火) 10:08:45.61 ID:I/poJfHe0.net
大河ドラマ「陳平」

ご期待ください

944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/14(水) 23:59:11.39 ID:IVZiIVTO0.net
チンピラ?

945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/15(木) 08:05:44.55 ID:ZZb5FBGt0.net
主演 柴田恭兵

946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/15(木) 08:16:07.91 ID:6MooqURi0.net
兄嫁 木の実ナナ

947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/15(木) 09:04:49.44 ID:AXyueg+I0.net
>>946
いいね
ぴったりだ
古いけど

948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/15(木) 12:44:21.10 ID:m2vYOJ5x0.net
ちんぺいってなんか弱そうだよな。本人に言ったら1週間後には死んでそうだけど

949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/15(木) 12:58:48.04 ID:AYO13UNQ0.net
報いは子孫が受けるであろう

950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/15(木) 13:00:20.35 ID:AYO13UNQ0.net
>>946
兄貴は林隆三 と思ったがすでに亡くなってるか。
んじゃ、舘ひろしでwww

951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/15(木) 13:35:47.78 ID:KHmmKCs70.net
なぜ項羽と劉邦なのか?劉邦と項羽じゃダメなのか?勝者は劉邦なのに。

952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/15(木) 13:45:26.54 ID:AYO13UNQ0.net
日本じゃ「トリ」といって後ろの方が偉いからなw
ま、単純に語呂が良いからなんだろうけれどw

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/15(木) 14:59:08.31 ID:Sz5Ho2me0.net
項羽とUFO

954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/15(木) 16:12:48.75 ID:zBErJfd40.net
冒頓と項羽と劉邦が正しいタイトルや

955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/15(木) 19:57:45.76 ID:XLkEeG7F0.net
項羽と劉邦 〜家康がもっとも恐れた男〜

956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/16(金) 08:51:36.32 ID:Tx2rJ0n40.net
>>951
政権をとった順番

957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/16(金) 16:26:14.11 ID:9ZtJxDV50.net
項羽の「羽」って名前は
どういう意味を持ってるのかね?

関羽もだけどさ 親御さんはどうして息子に
「羽」ってつけたんだろ?

958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/16(金) 17:22:49.49 ID:ZxC8VCf90.net
そりゃ今でも翔 とかなまえあるだろ
未来に羽ばたけとかそういう事だろう

959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/16(金) 17:47:50.60 ID:Evfs/jJq0.net
羽虫のようにとんでいけと

960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/16(金) 18:22:55.50 ID:gFC+GjFP0.net
親につけられたのは籍だろ

961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/16(金) 19:01:50.34 ID:83vg2qOP0.net
>>960
それは字

962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/16(金) 19:38:05.15 ID:r6dIZvye0.net
>>961
籍が諱で羽が字やぞ
結構有名な筈なんやが

963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/16(金) 22:02:09.23 ID:Tx2rJ0n40.net

1、はね
2、双翼
3、軍をつかさどる星座
4、五音の中で最も高い音

さあどれだ?

964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/17(土) 00:38:57.66 ID:k/MWL2fD0.net
字って成人してから自分で付けるから、
諱と関係ある文字使うんだよね。
分かりやすいのは 諸葛孔明
亮が 「明るい」の意味だから
字を 孔明 にしたって。

965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/17(土) 09:19:23.81 ID:RtpJX7Gz0.net
諸葛亮孔明 曹操孟徳 項羽籍?

966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/17(土) 10:33:03.58 ID:KZchTOAO0.net
もっともあまり古代の記録は当てに出来ないけれどね。
劉邦なんて後付けの諱っぽいもんw

967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/17(土) 11:04:40.80 ID:PzECtO3U0.net
劉邦が「籍」って諱の美少年を寵愛してたエピソードは草

968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/17(土) 13:31:50.45 ID:jIUT6eLq0.net
>>965
項籍 羽
やで

969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/17(土) 13:51:40.15 ID:/Lk2uuuE0.net
>>966
それ司馬遼太郎辺りが始めた勘ぐりやってのが最近の定説
劉邦ぐらいの出自が単にそこまで名前に凝らないって程度やからな
その理屈で言ったら山田太郎なんて適当な名前の人物は名前を後付けしてるって事になっちゃう

970 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/17(土) 13:54:15.81 ID:/Lk2uuuE0.net
実際劉邦と大して変わらない出自の陳勝呉広にもちゃんと名前と字が有るしね

971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/17(土) 23:37:47.51 ID:QHyU23910.net
>>969
いや。司馬遼太郎さんのじゃないよ。そう思うのは。
劉邦は亭長になってるじゃん。そん時に記録に残す為に
名乗ったんじゃないか?って思ってるんよ。
大体両親だって 父・劉太公と母・劉媼
って劉家のお父さん、お母さんって意味じゃん。
字の 季 だって劉家の末っ子って意味じゃん。
そのくらい適当だったんじゃね?って思ってw

972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/18(日) 00:40:17.42 ID:DJhbhgkE0.net
>>971
司馬遼太郎がというかその辺りで流行った説って事だよ
彼の小説で有名になった説なのは確かだし
諱の記録に無いのは父親と兄ぐらいのもので
(女性は元々名前に関する記録がある方が少ない)
他の兄弟や一族の諱は普通に記録に残ってる
時代を下っても字や諱が不明な人物なんて幾らでもいるけど名前がないって事とは別問題だよ

973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/18(日) 00:41:03.54 ID:ZnjRBlcz0.net
竜宝が天下取ったために子孫は滅亡まで横死者ばかり出る家系になってしまった

974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/18(日) 00:41:20.69 ID:ZnjRBlcz0.net
劉邦が天下取ったために子孫は滅亡まで横死者ばかり出る家系になってしまった

975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/18(日) 01:32:43.50 ID:hxRshcYg0.net
劉邦のフルネームて何?

976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/18(日) 08:18:28.01 ID:J5DEkWvv0.net
   32 幸 こ  見  15. み 念  つ  則
   歳 せ み   る  セ ど 願  い  巻
   の で あ   こ  ン り で  に   千
   夏 い げ   と  チ さ あ  や  兵
   で  っ て   が  と ん っ   り   衛
   あ ぱ. く.   で  い. の た   と   は
   っ  い る   き  う パ.     げ
   た. な       た 間 ン.    た
.   :           の 近 ツ
.   :          だ で を

                     _、
                    >    ̄` V1
                     レラ         トz
                     / シV      l
.                    /  )ノ        |
                   {  イ         /
                   / ̄ヾ<いハムv <_
                 /^V     }   ` ̄ ̄ ヽ\
              {  {       ,          、
                、       /   / ̄   i }
                \___/___∠ -─―‐-∨
                 {-―─―  ̄ ̄ ̄ ¬!
                    }        j    /
                    ├-  ___ べ ___/)、
                   _厶-――/    \-一' ヘ
               (_   ̄ ̄_」    (二 =‐┘

977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/18(日) 09:27:11.61 ID:Ds2AxBaO0.net
劉 カルロス 邦

978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/18(日) 12:09:23.72 ID:PMgDdp+c0.net
>>975
劉邦
字は季
季は排行で末っ子的な意味
この頃は字も一文字である事が多い模様

979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/18(日) 15:19:32.78 ID:Pg6QyR5a0.net
始皇帝って趙高起用するくらい人材見る目ないのによく天下統一できたよな

980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/18(日) 17:03:19.29 ID:QYGn7OQA0.net
統一つってもすぐひっくり返されるようなうんこ基盤だからな
奇跡的に裏切り者が帝王学を教えてくれたり灌漑で国を富ませてくれたりしたからこそ勝てただけで保身以外の才能はうんこ
ただその保身の上手さが随一だったが故に皇帝号を至高の存在へ消化させたともいえる
今でこそ当然かもしれんが在位中に謀反で死亡なんてしてたら宇宙大将軍とそう変わらないお笑い称号になってた可能性が高い

981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/18(日) 18:20:17.45 ID:Piy7rEl10.net
秦→項羽の時代→漢

項羽時代って何て言うんだろう?
楚漢戦争だから楚?

982 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/18(日) 19:06:11.59 ID:HIBXPVv00.net
自称西楚の覇王だから西楚?

983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/18(日) 21:48:28.33 ID:GJXNsGz/0.net
あの時代に宇宙とか名付けるセンスほんとすこ

984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/18(日) 23:56:55.09 ID:QYGn7OQA0.net
>>983
一応擁護すると当時から宇宙という単語には無限大という意味があるようで、万物全ての大将軍と訳せなくもない
三皇五帝をしのぐ存在であり、天に(皇)ありながら、地上にも(帝)ある者という意味を持つ皇帝と中々いい勝負だと思う

985 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/19(月) 00:06:37.76 ID:Jowm1TUe0.net
そうなん?将軍に留まる事にセンスを感じる

986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/19(月) 08:38:12.14 ID:W5knm/2Y0.net
>>979
趙高は有能だぞ
少なくとも始皇帝存命の内は害を為さなかったし

987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/19(月) 08:44:14.89 ID:W5knm/2Y0.net
>>980
その基盤を引き継いだ漢が長く続いたんだから凄い事だと思うよ
ただ皇帝の権限が強すぎて無能が後を継いだ途端に側近である宦官の専制を許しちゃった
その後皇帝(側近)と家臣の権力バランス綱引きを永遠行ってるのが中国の歴史

988 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/19(月) 09:02:50.80 ID:VkU8+vx40.net
後漢なんて外戚には激甘なのに官僚にやたら厳しいのがもうね

989 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/19(月) 09:13:13.15 ID:iqfL3qRr0.net
>>988
その反動から
末期はやっぱり側近の宦官による専横に以降しちゃう

990 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/19(月) 09:14:48.21 ID:iqfL3qRr0.net
前漢も劉邦死後から武帝に至る流れを見ると
家臣外戚から皇帝が権力を奪っていく事が分かる

991 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/19(月) 10:11:03.20 ID:CvuzRNmj0.net
>>978
劉交「劉邦兄さんが末っ子…だと⁉」

992 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/19(月) 11:02:10.71 ID:iqfL3qRr0.net
>>991
劉邦「そりゃお前は異母弟やし生まれるまでは末っ子なのは確かやし」
劉邦「そういやお前の字の游っていかにも余り物っぽいよな」

993 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/19(月) 11:07:50.37 ID:iqfL3qRr0.net
ちなみに劉兄弟の字を並べると以下の通り
伯>仲>季>游
なんか田中芳樹の創竜伝の兄弟っぽい

994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/19(月) 11:37:46.71 ID:TZHAvAq20.net
司馬八達
司馬朗 伯達
司馬懿 仲達 
司馬孚 叔達
司馬馗 季達
司馬恂 顕達
司馬進 恵達
司馬通 雅達
司馬敏 幼達

孫策 伯符
孫権 仲謀
孫翊 叔弼
孫匡 季佐

馬氏五常
馬○ 伯常?
馬○ 仲常?
馬○ 叔常?
馬良 季常
馬謖 幼常

995 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/19(月) 12:18:24.87 ID:QGCydWME0.net
>>987
宦官はくそみそに言われるが皇帝親政を支える壁でもあるからな
内廷の立場の外戚や宗族は皇帝権力をおこぼれもらおうと食いついてくるし、外廷では官僚や貴族は自分たちの派閥を大きくしようと躍起になる
そうなると常日頃から皇帝のそばにいる宦官が重用されるようになるわけ
基本的に世襲されないというのも、それを加速させる要素になってる(女官ならお手つきによって外戚や宗族に昇格する危険性があった)

外戚によって簒奪された前漢
宦官と外戚の戦争で衰退させられた後漢
貴族によって簒奪された魏
そして宗族と外戚と戦争に嫌気のさした貴族(劉淵は異民族というよりエリート貴族だった)に滅ぼされた晋
鮮卑化する前の古代中国はどれもこのバランス感覚がクッソ難しいことになってる

996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/19(月) 20:33:35.89 ID:VFPuTY/b0.net
次スレたのんます

997 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/20(火) 00:34:43.15 ID:C4+UAoDh0.net
>>995
部族会議で皇帝決めた清っていうやっぱ有能やわ
なお

998 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/20(火) 00:37:23.76 ID:4yXYj6sw0.net
>>996
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1566228963/

999 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/20(火) 00:40:58.77 ID:nsFYgQVD0.net
>>986
始皇帝は自分がしんだ後のこと見抜けなかった訳やし人を見る目ねえよ
劉邦なんか猜疑心の塊だった死の直前でも死後の人事ズバズバ当ててその連中が呂氏誅滅してるからな
農民から天下取っただけのことはある

1000 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/20(火) 00:43:01.92 ID:nsFYgQVD0.net
>>994
楚漢戦争の頃にいたら名すら残せないような三国時代の雑魚武将の名は書き出さなくていいから

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

総レス数 1001
275 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★