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劉備が天下統一できなかった最大の原因その5

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 22:11:51.08 ID:RFA23TCc0.net
前スレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1495692159/

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 22:12:26.00 ID:RFA23TCc0.net
取り敢えず新スレ立てたのだ

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 22:13:47.67 ID:RFA23TCc0.net
劉備の祖父は孝廉で察挙されとるから劉備もそこそこ頭良さそう

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 22:16:22.16 ID:RFA23TCc0.net
劉備は音楽を好んでいたわけだけど後の東晋では雅楽が失われて四苦八苦してたそうなので乱世において音楽好きは貴重だと思った

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 22:23:28.44 ID:RFA23TCc0.net
もしかしてニーズなかったか

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 23:03:41.58 ID:gZBxIubP0.net
娼婦のような淫靡な音楽は耳が腐る。やっぱ男は清談っしょ

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 23:58:26.76 ID:Fm3yncHbO.net
>>5
厳密な雅楽は儀礼とセットだから、儀礼しないと雅楽もしない。漢代には村レベルでも色々儀礼があったそうで、敬老の儀礼とかを役人がしてたという。だから儀礼してる限りはどんな鄙でも雅楽もなされてきた。
それだけ後漢末〜三国の時期に朝廷すら儀礼をしてるゆとりは無いと長らくしなかったり、簡略化してきた結果だろう。
でも劉表なんかはする資格も立場でも無いのに、勝手に荊州で郊祀してたりするんだよな。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/18(木) 00:41:15.08 ID:VqBEAa0s0.net
劉備は若い時は勉強せずに遊んでたそうだが
劉備の発言から後で勉強した事が窺えるんだよな

劉備「陳紀先生や鄭玄先生のとこで学んだ」とか言ってるし

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/18(木) 05:36:45.73 ID:Hzeh7txU0.net
陳センセイも小説で書いてたけど劉表の居候やってた時期に勉強しなおしたんじゃないかと。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/18(木) 08:47:33.19 ID:NVGOjUCI0.net
陳紀や鄭玄から学んだというところから、劉備が公孫瓚の下で平原相になった頃から豫州刺史を経て陶謙から徐州を譲られたあたりだと推定できる
劉備が平原相になる前の平原相が陳紀だし、鄭玄はこの時期徐州に避難していたようだから
劉備が豫州刺史の時に陳紀の息子陳羣を別駕従事に抜擢しているのは勉強を教えてもらった返礼だったりするのだろうか

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/18(木) 18:58:14.89 ID:to0+Twoz0.net
そもそも叔父の支援で当時の大儒の一人である盧植の元に行ってる時点で地元の期待の星ぐらいではある

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/18(木) 19:04:18.16 ID:SBvK7AuG0.net
劉備も後漢が崩壊しなかったらそこそこの年齢で孝廉に挙げられて郡太守ぐらいまで務めて引退していたのかもしれん
そう考えると大した出世だとは思う

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/18(木) 19:13:15.58 ID:to0+Twoz0.net
>>12
後漢がどういう状態で継続してるかにもよるかな
黄巾の乱止まりで董卓が現れずに群雄が割拠しないという事であれば最終的に州の刺史や牧ぐらいは狙えた可能性は高い
そもそも曹操の元に居た時点で左将軍だからね

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/18(木) 20:07:30.50 ID:OmKdNCtm0.net
劉備が平原令〜相やってた時代に暗殺者送った劉平って人物って同姓だけど一族だったのかね。
それとも単なる偶然か

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/18(木) 21:50:08.67 ID:to0+Twoz0.net
>>14
前漢スタート早々に同族同士殺しあってるんだからどうでも良くね?

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/18(木) 22:03:15.08 ID:dpfmXvj80.net
なんかに推薦したのも劉平だった気がする

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/18(木) 23:53:18.11 ID:NVGOjUCI0.net
なんか劉備が公孫瓚の下で平原令になるまでの経歴って情報が錯綜しててよくわかんないよね
張純の乱の鎮圧に参戦しただの、西園軍の募兵に協力して丹陽に向かっただの、その途中で下邳で黄巾の残党を鎮圧しただの、洛陽で曹操の挙兵に協力しただの…
一度地図を見ながら足取りを辿りながら考えたんだが全部本当とは思えんっちゅうか、いや実際事実とは異なる記述も混じってそうだけど、各地を転々としてて大したバイタリティだよ

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 00:08:19.39 ID:Ujw5C3hy0.net
濟水〜泗水を使って移動すればそこまで不自然な移動でもないと思うんだけどね

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 00:11:13.29 ID:2aMFeIbL0.net
音楽を楽しむ=馬鹿騒ぎみたいに考えるから蒼天劉備みたいなもんが出来ちまうんだよ
ムスッとした顔で黙って楽しんでもいいだろうが!

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 00:34:34.92 ID:zheVEcbd0.net
三国志演義にしろ蒼天航路にしろ劉備の学歴や士人としての側面が軽視されてるのは何でなんだろ
布衣の人扱いされてるけど美しい衣服を好んだということは士族としての礼装は一通り揃えていたものだと認識しとるんだが

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 00:38:40.24 ID:YVFiAg4D0.net
盧植門下で遊んでばかりいたと言われているから 故郷の人間からカス扱いされているから まともに勉強している感がない

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 00:46:20.98 ID:VlXg4d5B0.net
>>21
先主伝にそんな記述あったっけ?

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 01:01:06.62 ID:cjcbXOz60.net
>>20
美服はともかく狗好きは単にギャンブル好きだっただけなんじゃないかと

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 01:41:32.00 ID:gaFKlKkv0.net
走狗は跋扈将軍こと梁冀さんの趣味の一つに挙げられてるくらいだし、当時の士大夫層の価値観的には好ましくない類の娯楽だったんだろうなと思う
劉備の学識知見は過小評価されていると思うけども、やっぱり劉備の人柄は大衆受けするタイプでインテリ層からの評判は良くなかったんじゃないかなって思う

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 01:59:08.71 ID:PUyedQy60.net
孔融も劉備を評価してるから名士受けも良さそうな気がするが
孔融の場合、単にピンチの時に助けてもらったからってだけな気もするな

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 06:51:55.96 ID:+7J24BHrO.net
曹操と違ってこれといった一族の協力もなく、関羽張飛も怪しい出。あの時代にひとりっこというのも考えにくい
劉邦みたく、鼻つまみ者だったんじゃないかと想像してしまう

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 07:18:11.19 ID:Ujw5C3hy0.net
>>26
曹操も本人の兄弟はなぜか少ないのがね
遠縁か姻族の夏侯氏ばっかじゃん

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 07:30:18.55 ID:cjcbXOz60.net
曹操の兄弟姉妹はやっぱり陶謙の部下に殺されちゃったんじゃ。

この頃の曹操って金も人もカッツカツでスポンサーの衛茲や親友で謀将の鮑信にも死なれてどん底の時期。
本人も不安だからどっか避難させたら陶謙の領地周辺に逃げ込んであぼ〜ん。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 07:41:24.71 ID:+7J24BHrO.net
実弟には曹徳他何人かいるようだ

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 08:28:57.57 ID:Ujw5C3hy0.net
袁紹や曹操こそ一族の鼻つまみ者って印象があるのだが

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 08:36:40.90 ID:hgWIaxTm0.net
袁紹と曹操と劉備の共通点って庶子っぽいとこかな。
袁紹はお察しの通りで曹操も字が孟なのは庶長子っぽい。
劉備も親父が死んで家から出されてるのをみると正室の子ではないだろうし

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 08:44:22.60 ID:91jB0a2o0.net
というか出世する為の投資は金が掛かるから近親に嫌われる事が多い
陳平の例が分かりやすいかな

近親という意味だと劉備こそその影が見えない
故郷が故郷だけに異民族に殺されたか劉虞を殺した頃の公孫瓚にやられたか気になるところ

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 08:49:37.39 ID:VlXg4d5B0.net
劉備が正妻の子かどうかは断定できないと思うけど
洛陽への遊学は別に家から追い出されたわけではないでしょ
その後涿郡に戻ってきて張世平や蘇雙と交遊関係をもったみたいだし

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 08:49:50.82 ID:hgWIaxTm0.net
交際費もバカにならんからね。
晋書陶侃伝でも陶侃のオカンが髪を売って陶侃の交際費を捻出したエピソードとか記述されてたし

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 08:53:30.64 ID:91jB0a2o0.net
曹操に至っては家の金使っての私兵やからな
寄生してた親類関係からは総スカンやろ

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 08:55:28.34 ID:VlXg4d5B0.net
劉備はその点張世平と蘇雙から借りた金だからな

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 08:57:55.71 ID:91jB0a2o0.net
>>36
というかその頃には留学費支援してくれてた叔父等親族がどうにかなってた可能性もある

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 09:07:14.38 ID:hgWIaxTm0.net
>>33
「先主は若くして弧となり母と筵や靴を売っていた」って記述はオカンの実家で生活してたって意味じゃないかと。

>>35
曹操が徐栄に負けた後に夏侯惇と丹陽兵集めに行ったのって、地元の名士でスポンサーの衛茲が戦死して顔出せる状態じゃなかったとかありそう。つか親父もそれで避難してたのかも。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 09:31:08.99 ID:9ZV9hxdZ0.net
劉備が傭兵隊長だったとか言ってるやつらは絶滅してくれねえかな

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 10:19:44.08 ID:+7J24BHrO.net
何かしら戦なり政治なり何らかに関わらないと歴史に名を残すのは厳しいだろうが、劉備には親戚もいないのがな
養子の劉封くらい

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 10:22:57.69 ID:eXnFceL20.net
劉備の孫(劉淵)が晋王朝を倒して漢王朝を復興させるやろ?(三国志平話脳)

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 10:41:52.99 ID:91jB0a2o0.net
>>41
匈奴部族のクリスチャン名みたいな劉姓はNG

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 10:58:06.52 ID:VndcTEnA0.net
関係ないけど
匈奴が劉姓を名乗り出したのは劉淵の父親からなんやな
曹魏になって劉姓を名乗る事が許されたんやろな

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 12:14:00.55 ID:gaFKlKkv0.net
そもそも劉豹と劉淵の血が繋がってるのかも怪しくね?
それを置いといてもなんで単于を差し置いて右賢王の一族が劉姓を名乗ることを許されたのかとかツッコミどころが多すぎる

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 12:49:27.98 ID:VndcTEnA0.net
>>44
正しくは漢王朝が終わって誰でも劉姓を名乗れる様になったという事

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 18:56:56.78 ID:pzob1EuZ0.net
晋書の曹操の匈奴5部分割→匈奴に劉姓を名乗らせるの流れは実際はもっと後に名乗らせてたって説もあるな。
曹操が生きてた時点では漢王朝まだ存在してたしいくらなんでも勝手に劉姓名乗らせたとかは考えにくい。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 20:22:02.75 ID:+7J24BHrO.net
劉邦の時代まで遡ってその末裔と自称かな

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 20:24:46.29 ID:Ujw5C3hy0.net
南匈奴左賢王の家を貴族階層として魏の支配体制に組み込んだものだと思ってた

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/19(金) 20:28:58.35 ID:e6m2JAam0.net
>>46
普通に考えてそれが許可されるのは
禅譲後の曹丕時代以降でしょ

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/20(土) 01:09:35.10 ID:M0Rddbf9O.net
北の平原から南の果ての蜀
山内家が土佐を治めた時も、長宗我部家の地侍と尾張からの武士の対立が幕末まで尾を引いてしまったが、蜀の対立もなかなかのものだったんだろうな
徐州荊州も混ざっているから尚更

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/20(土) 01:17:55.37 ID:sEARFKRA0.net
蜀の出身地からの対立って言うほど史書の中では見れないからなぁ
李厳が益州派と言われる事多いが
荊州出身で益州だと割と嫌われていて諸葛亮ら荊州派に組する事で出世した男だし

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/20(土) 02:52:37.91 ID:xUZvjfC70.net
派閥云々より当時の蜀って議論好きが多くて揉めてる印象

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/20(土) 06:10:54.63 ID:Py79Yu8V0.net
>>51
荊州が残っていれば対立する余裕も有ったんだろうけどね
夷陵で対立する様な余裕が吹っ飛んだ

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/20(土) 19:14:54.07 ID:iuTcofki0.net
そもそも荊州閥益州閥云々の穴は蜀首脳部の純粋な益州出身者の少なさ
その数少ない益州出身者をまとめるとこいつらに閥なんて形成出来るか?としか言いようがない
益州出身者で尚且つ旧劉璋に仕えてて政治的な地位が高そうなのが早々に離脱した黄権という…

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/20(土) 22:01:10.48 ID:Mt5rNijK0.net
元々の出身が陳留だから益州閥とは違うと思うけど、呉壱なんかは妹が劉備に嫁いでるくらいだから政治的発言力を持っててもおかしくなかったんじゃないかと思う
現に、順当にいけば魏延か呉壱が抜擢されるであろうというところで敢えて馬謖を街亭の守将に抜擢してるあたり、諸葛亮は呉壱を敬遠していたんじゃないかって邪推したりw

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/20(土) 22:09:43.23 ID:sEARFKRA0.net
蜀で一番対立が激しくなったのって諸葛亮死後の事だと思う
北伐派と反北伐派で争ってる事が史書から窺う事ができる

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/20(土) 22:49:03.55 ID:M0Rddbf9O.net
劉備と孔明からの呪縛から解き放たれたしな
魏と和するのが選択にあるのはおかしくはないと思う

弱国とは言っても、春秋戦国の韓ほどの狭さや周りが強国ばかりでもないから、韓非子の言う内を固めよで生き延びる方法はあっただろうけど、そこの調整できずに姜維と夏候覇を暴走させてしまって放棄してしまったのが、劉禅の国主としての無能さというとこかな

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 00:24:13.96 ID:wlUGNvW30.net
諸葛亮死後30年北伐やらないで過ごすってのも無理だろ

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 07:17:01.23 ID:2Ll2XEt70.net
むしろ隴西ちほーに軍人拠点作らせないための北伐やし

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 10:43:31.25 ID:IPr+/0PK0.net
>>55
いや、派閥形成出来るぐらいまともに権力のある外戚なら孔明の指揮下に入って北伐に参加なんて使われ方しないと思うわ

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 10:45:51.91 ID:9BHKgAXm0.net
>>59
いや作ってるけど?
司馬孚が度支尚書の時に諸葛亮の北伐に対抗するために上邽で屯田を開拓させてる
いや、そういうことが言いたいんじゃないんだろうけどさ、北伐は魏に侵攻拠点を作らせないための前方防衛戦略であるって捉え方は正しくないと思う

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 19:26:08.00 ID:8lxjJiaN0.net
>>25
高慢ちきの陳登さんもだぞ

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 19:30:01.71 ID:8lxjJiaN0.net
結局孔明って第一次と第三次しか成功してないのよね
魏とのがっぷり四つはほとんど全敗で追撃を撃退したくらい

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 20:07:34.31 ID:21BVSfyV0.net
一次も三次も成功とは言えない

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 20:15:08.12 ID:8lxjJiaN0.net
まぁね
でも一定の戦果を得たといういみでは

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 21:20:06.10 ID:px+cjz0j0.net
五胡〜南北朝の北伐見てても漢中方面はあくまで別働隊(せいぜい数万程度)のルートやから……

本隊はあくまでも荊州や徐州から攻め上がるのが定番

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 21:45:35.52 ID:VmVR2K1P0.net
周瑜の引き抜きに成功してたらかなり良い線行っただろうな
周瑜「関羽張飛使えば偉業も成せる」

要するに優秀な将と参謀が足りなかったんだよ蜀は
関羽も張飛も将になる器量は無いからな。名兵と言ったところ
使う人間が優秀であればあるほど関羽張飛の武力を存分に活かせる

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 22:50:38.64 ID:8SNc89lC0.net
>>64普通に3次は成功だろ
二郡を奪ったんだから

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/21(日) 23:56:22.60 ID:2Ll2XEt70.net
>>67
そもそも周瑜は蜀とり成功してたら桓温みたいなポジションになってたかも

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 21:46:32.56 ID:vkOwYHYM0.net
>>67
何言ってんだ?
その周瑜が欲しいって言ってる将が関張やん

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 22:03:58.45 ID:YiqSA68R0.net
周瑜も大概怪しいから

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 22:14:16.27 ID:4c2lI6qI0.net
>>70
将って指揮を執ることも含まれる。周瑜は関張を使えば、と言ってるから一つの駒としてって意味でしょ。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 22:24:02.49 ID:/NlSzT4s0.net
裨将であっても将は将だろう

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 22:24:58.59 ID:/NlSzT4s0.net
個人的には軍師中郎将時代の諸葛亮も将だと思うぞい

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 22:42:59.50 ID:mTNfEAK30.net
ホントに手勢を任されずに軍師的役割に徹した人物っているの?

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 22:52:45.82 ID:o0rTKCBU0.net
後の時代だと府僚でも記室参軍とか諮議参軍に任じられた人は兵を率いてなかったと思う
逆に長史(本来であれば府僚の長)みたいな人が監諸軍事・郡太守・雑号将軍やったりしてる
司馬やヒラの参軍事も将軍号もらったりしてるしね

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/22(月) 22:54:56.13 ID:x2eJPkgR0.net
>>75蜀だと法正ぐらいじゃね?
ホウ統は流れ矢で死んだとあるからもしかしたら前線に立ってた可能性とかありそう

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 05:14:44.89 ID:0sGWz2oF0.net
蜀は武力が無かったんだよな
シンプルに弱かった
そしてトドメに知恵もなかった
これじゃどうしようもない
三国の中でどう見ても蜀だけが
能力、武力共に低いのは火を見るより明らかだもの

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 05:20:07.05 ID:rhMFK9XL0.net
そんな弱小国を数十年も滅ぼせなかった魏や呉はどれだけ無能だったんや?

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 05:37:09.04 ID:0sGWz2oF0.net
文字通り三つ巴、その他諸々だからでは?
あっちをやればこっちが
こっちをやればあっちが

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 06:23:25.64 ID:/lHyOp8I0.net
蜀は将も兵も足りず
呉は内情バラバラの守備専で騎馬無し
魏は中原の混乱からの回復待ち
三者三様の事情ですわ

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 06:28:28.85 ID:/lHyOp8I0.net
三国時代って孔明の隆中対に魯粛が呉の都合をねじ込んで生まれた産物だと思うわ

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 07:39:19.19 ID:Skm56/Of0.net
>>82
魏呉の南北時代に蜀が益州で引きこもっただけだろ

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 07:45:11.16 ID:rhMFK9XL0.net
>>80
東晋十六国時代に生起した三つ巴情勢だと第二勢力が第三勢力を食ったパターン(@後趙A東晋B成漢、三つ巴は329〜347)と
第三勢力が第二勢力を食ったパターン(@東晋A前燕B前秦、三つ巴は352〜370)とがあってだな
三つ巴だから必ずしも長引くものでもないのでは?

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 08:02:24.39 ID:ldIYyEey0.net
>>83
魏呉の南北時代が成立する条件は曹操の南下前に荊州を抑える事
曹操孫呉の二正面で戦ってた劉表を落とせなかった時点で無理無理

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 08:20:53.59 ID:UPzsNl1K0.net
何気に劉表有脳説

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 08:26:21.36 ID:PAXRm3vz0.net
群雄割拠は基本的に「みんな凄くてみんなクズ」な状態だしね
無能だと簡単に滅ぼされて割拠すらできない

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 08:38:14.82 ID:82QgYJW90.net
>>86
実際劉表はかなり有能だよ
元々党錮の禁の対象になる程の名声を持ってて
任地先でしかない荊州で名士を服属させ主に袁術と後に曹操とやり合えてたぐらいやし

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 09:57:12.22 ID:IKq2mpL9O.net
>>83
公孫度「オイコラ、ワシら省くなや」

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 10:19:37.20 ID:82QgYJW90.net
>>89
袁術「侯の自称陰で王様気取りのヘタレが」

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 12:50:08.21 ID:Skm56/Of0.net
>>85
隆中対が南群を呉に取られた時点で破綻してるからなあ

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 13:20:20.68 ID:82QgYJW90.net
>>91
三国鼎立の状況は隆中対を利用して魯粛が生み出した状況みたいなもんやし

魯粛はかなり早い段階で劉備を利用した三国鼎立に舵を取ってる節があるんだよなあ

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 14:47:07.03 ID:0sGWz2oF0.net
>>84
いや、三つ巴、その他諸々で明らかに長引いてるだけの話じゃん

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 17:10:54.30 ID:1zK/6QKq0.net
200年までに中原かそれに近い地域に足掛かりを得てないとダメだったと思う
曹操が袁家を飲み込んだらもうあとは消化試合

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 17:20:18.00 ID:vwkc0mgv0.net
消化試合が80年も続いたん?
まるで朝鮮戦争やな

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 17:35:41.49 ID:Yp01uJgP0.net
魏と晋が戦ってたせいで長引いた

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 17:47:18.44 ID:ETQ6Mynr0.net
>>95
北魏の華北統一から隋の天下統一なんて150年くらいかかってるで

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 17:56:56.36 ID:vwkc0mgv0.net
それのどこが消化試合なん?っていう
よく曹操が河北統一してからは消化試合って言うやついるけど80年も優位を保ちながら統一を果たせなかったのってどれだけ魏の連中は無能揃いなんだよっていう

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 18:04:29.27 ID:TXsCsC+P0.net
>>98
司馬昭が第一人者になった途端に蜀併合だからな
曹丕にしろ曹叡にしろ無能の烙印押されても文句言えないと思う

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 18:15:42.99 ID:0NbyMjHi0.net
曹操が無能なら劉備は・・・
家畜かなんかだったのか?

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 19:54:43.50 ID:o5GsVjFf0.net
曹叡はともかく曹丕は軍事的には明らかに無能だったからな…
司馬昭はちょうど蜀が姜維派と反姜維派で分裂してた時だったからラッキーだったとも言える

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 20:02:37.80 ID:82QgYJW90.net
単純に魏の国力回復待ちやろ
時間が経てば経つ程中原から流れた人々は戻るし元々の生産力の差が広がっていく
いくら蜀や呉の国土が豊かでも結局は人が1番の資源やし

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 20:10:13.84 ID:rhMFK9XL0.net
>>102
人口がどれだけ回復したのか証明できなくね?

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 21:02:54.34 ID:82QgYJW90.net
>>103
そもそも
これまで証明出来る様な意見出てきたのかな?

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 21:10:22.17 ID:FosfxTME0.net
>>104
自分で中原に人口戻ったとか言ってる割に根拠無かったんか

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 22:14:32.61 ID:Rb9tzJoa0.net
>>92
違うよ
魯粛は揚、荊州による長江での防衛ライン構築で後の南朝の礎になるのに対して
隆中対は荊、益州取れれば良いなぐらいだぞ

>>103
後漢末期は寒冷期で長江も凍るプチ氷河期だぞ
北部ほどダメージがデカイし魏は戸籍に対して人口が少ないだろ

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/23(火) 22:34:32.65 ID:o5GsVjFf0.net
>>106隆中対の一番大きなポイントは呉との同盟を提案した事だと思うわ
魯粛が先に提案したものは最初同盟者を想定したものでは無かったからな

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 00:09:39.99 ID:L7XqR1C+O.net
半年くらい書き込みなかったのに、ちょっと書き込みあったら一気に消化する不思議なスレ

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 00:12:39.21 ID:WnJrpnXV0.net
>>106
後漢末は別に寒くもなく暑くもなくだよ
ただ史書に南北関係なく旱害蝗害疫病が頻発してるから異常気象ではあったんやろな

傾向として蝗害は北やろうけど疫病は南やろうね
呉の武将の早死が多いけど当然ながら武将に限る訳が無いという事

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 01:17:55.28 ID:WnJrpnXV0.net
>>106
だから荊州確保に劉備を利用して益州に追い出しつつ荊州の権益を奪って呉に都合のいい三国鼎立に持って行ったんだよ

礎は礎であって南朝ではない
魯粛は単に当時の呉の力では単独で益州まで確保するのは不可能だと冷静に分析して現実的に対応しただけだよ

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 01:28:13.76 ID:2iZAhoo50.net
>>107
劉備が独力で曹操に対抗することが不可能である以上、孫呉と結ぶという発想自体は自然なものというか画期的なものではないと思うがね
問題なのは、どうやって孫呉との同盟を締結するのかってこと
孫呉と荊州(劉表)はずっと領土を巡って険悪な状態にあったから、そういう情勢をどうやって覆すのか、隆中対には具体的なプランが無い
結局のところ魯粛がやってきて何もかもお膳立てしてくれなかったら画餅で終わっていたかもよ

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 01:40:49.79 ID:WnJrpnXV0.net
>>111
当たり前だけど劉備は劉表じゃないよ
孫呉も劉表に勝てず曹操が荊州固めたら万事休すの手詰まり
劉備との同盟は独立のラストチャンスだったんだけどね

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 01:57:31.28 ID:2iZAhoo50.net
>>112
孫権も天下への野心を捨てれば曹操の下で有力諸侯として生き残る道もあった
張昭ら呉の主流派はその考えだったし、周瑜も呉単独で曹操に対抗する考えだった
それらを覆したのは魯粛が孫権を説得したことで果たされ、結局のところ劉孫同盟の締結は魯粛なしでは不可能だったことは否定できないんじゃないかな

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 02:14:34.35 ID:WnJrpnXV0.net
>>113
否定も何も
同盟からその後の展開まで三国鼎立の形を事実上作ったのは魯粛やって何度も言ってるやん
あと当時の孫権は孫呉の神輿以外に価値が殆ど無いから降伏しても諸侯とか厚遇されん
と魯粛が孫権を説得してるんだが?

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 04:47:02.52 ID:l0OC8txD0.net
孫呉が南朝に与えた影響は建業を整備してくれたことくらいだろ
防衛ラインが東晋以降は漢中〜襄陽〜淮水の線になってるから孫呉とは条件が合致しないわけだし

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 04:52:13.15 ID:9cVIX0oD0.net
曹操は何で軍を江南に差し向けたんだろうな
孫権の集団内の要人を許昌の朝廷に引き抜いていくとかもっとやりようがあったんじゃないのか?

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 07:45:14.51 ID:WnJrpnXV0.net
>>116
地元名士が多いから降伏はともかく引き抜きに応じ難いやろね
そして徐州系はいつものアレ

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 09:06:35.69 ID:R9FroY2X0.net
>>116
華キンで成功、張紘で失敗、あんまり効率良くない
魯の字の降伏派ネガキャンはあんまり額面通りに受け取るな

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 10:01:56.59 ID:z85czr7sO.net
>>116
中途半端に江南が孫氏と諸豪族連合として軍事力を持ち固まってたからだろう。
これが江東四氏などが個々に独立し軍を持ってる程度なら、それぞれを引き抜き&討伐で選択しながら江南を取る流れが出来てたろうけど
なまじ地盤に固執し保持を目的として豪族同士固まってたから各個に引き抜き出来ないし、軍事規模からも中途半端に大きい孫呉をそのままは危険過ぎて丸抱えも出来ない。
曹操の年齢的も焦る頃だから、荊州を落とし軍で押し潰す方にしたんだろう。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 10:13:30.39 ID:WnJrpnXV0.net
そもそも荊州は長江上流で呉の首根っこ
和戦どちらにしろ優先出来るならするのが当然やろ

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/24(水) 15:08:05.62 ID:wqbNsBK9O.net
>>108
妄想合戦はカンガルーボクサー達の大好物。
そういうことです。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 01:02:02.18 ID:KsoW3M0+0.net
>>103
どれだけ回復したのかは証明できないかもしれないけど常識で考えれば魏の人口増が一番多いんじゃない?
三国の人口増が同じくらいだと思うの?

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 09:50:32.59 ID:Tr+GlfSA0.net
そもそも増えてねえし人口

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 13:35:05.14 ID:tOuxz/Yp0.net
>>123
証拠は?

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 13:36:32.86 ID:tOuxz/Yp0.net
まあ三国時代と晋初期で全体の人口はかなり増えてるのは資料に有るから
人口比的に魏が一番増えてるというのは推測出来るやろね

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 13:55:02.45 ID:KevwCzgT0.net
>>125
つーか、なんで人口が激変したと思ってる?

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 14:06:42.94 ID:tOuxz/Yp0.net
>>126
別に激変する必要ないやろ
三国時代から晋に掛けて増えてる事実からどの地方が一番増えるかを推測するだけやし

まあ三国時代初期と末期の数字が分かれば一番良いんだろうけど見つからんしなあ

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 14:17:10.00 ID:jTm/30dD0.net
人口の増減なんて

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 14:34:44.15 ID:KevwCzgT0.net
>>127
後漢末期で人口が大幅に減ったことを知らないのかな?

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 14:40:21.85 ID:tOuxz/Yp0.net
>>129
三国時代から晋にかけての事を言っとる
後漢末期に激減したのは百も承知

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 14:51:43.76 ID:tOuxz/Yp0.net
>>128
現代ですら人口の力は大きいのに
中世以前に至っては人口=国力みたいなもんやぞ

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 15:06:45.76 ID:KevwCzgT0.net
>>130
だから原因はなんだと思う?
減った理由も無く只魏が増えたなんて根拠が無いよ

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 15:17:19.44 ID:tOuxz/Yp0.net
>>132
史書レベルだと全国的な各種災害と戦乱による流民化やね

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 15:45:34.92 ID:Tr+GlfSA0.net
>>125
ねーよそんな史料
むしろあるなら出してくれよ

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 15:52:13.84 ID:tOuxz/Yp0.net
>>134
後漢書や晋書の地理誌
通典なんかに残ってるよ

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 16:00:46.66 ID:pU2RtjM80.net
蜀は滅亡から280年までの十数年間で戸籍人口が28万戸94万人から約30万戸(推定100万〜200万人)ぐらいまでしか回復できてないわね

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 16:01:02.68 ID:Tr+GlfSA0.net
だから肝心の三国志に地理志が付いてないからどのような推移で後漢末から西晋まで至ったのかが語れないだろうて

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 16:04:18.56 ID:tOuxz/Yp0.net
>>137
三国の人口は通典
そこからは人口比からの推測するしかないって事

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 17:28:05.72 ID:KevwCzgT0.net
蜀は滅亡の前のだいたい30年ぐらいは引きこもって人口が増えてるから
一番人口が少ない時は157年から9割以上は消えてる計算になる
天安門以上の虐殺か天変地異が無ければ無理だよな

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 17:49:42.57 ID:tOuxz/Yp0.net
>>139
流民化したり支配が及ばなくなって戸籍管理出来なくなったり等々
実際に生きてるかどうか以外の要素も大きいかもしれんし

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 18:17:18.64 ID:KevwCzgT0.net
>>140
その程度で9割以上の人口が消えるのは無理がある

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 18:21:35.58 ID:tOuxz/Yp0.net
>>141
当然災害なんかでの人口減もあるやろ
疫病流行れば一発で10万100万単位が逝けるし

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 21:34:17.44 ID:KevwCzgT0.net
>>142
9割も人口が消えてるって三国時代以外在るのかな

10、100万程度で9割には届くわけがない

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 23:24:46.76 ID:7r1dytjp0.net
>>143
時代下ると有名な蜀の大虐殺が有るよ
本当かどうか分からんが殺した人数は9割じゃ効かない

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 17:56:48.05 ID:etAkvV1G0.net
屠蜀

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 23:51:36.76 ID:j++YFZKO0.net
蜀の人口が300万から2万くらいになったやつか
中国は怖いのう

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/27(土) 00:16:39.98 ID:PMU5cTRo0.net
あれも最近じゃ誇張されてるとかマンジュがヒャッハー方が酷いとか言われてるな

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/28(日) 20:06:35.12 ID:ZEeHQ1j/0.net
新末後漢初、公孫述を破った呉漢が公孫述の一族郎党を皆殺しにして成都で掠奪を行なったり、三国末、綿竹で諸葛瞻を破った昜が現地に京観を築いたり、蜀って案外虐殺に縁深い土地だったりして…
まぁ、長い中国の歴史の中では決して珍しいことではないのかもしれないが

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/28(日) 21:18:31.10 ID:Xm8DTdJQO.net
秦よりも酷な時代ばかり
秦や商鞅が酷といっても、貴族や有力者の犯罪も見逃さないから酷て部分もあるしな

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/29(月) 00:59:12.62 ID:oXhSclj90.net
「天子は百姓でなく士大夫と共に天下を治めるものである」

記録を残す側の意識はこんなもんだからなあ
士大夫層の既得権益にメスを入れた王安石なんかも長く史書では誹謗されていたし

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/01(水) 11:32:06.22 ID:0lBziKGRO.net
そのツケを一気に回された清朝末期…。

世界に目を向けて、その世界の強さと向き合って中国をあらゆる面で進化させた最強商人達が居なかったら、中国は今頃はロシアの属国と化してたな。

正史を真実と捉え、本当の真実に対処出来なかった盲目的現象が近代にまで存在していたってのも驚きだけども。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/06(月) 00:00:44.78 ID:LvLjPj4E0.net
曹操が袁紹に勝った時点で、曹操派の統一は確定だから
赤壁で負けたのと、原因で統一出来なかったけど
魏には優秀な文官、軍師が多いから間違える事もなかったし

劉備はスタート時点で国力差がありすぎるのと、場所的に恵まれてないから無理

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/06(月) 14:09:39.78 ID:+AAjP6YN0.net
徐州を維持できていたらワンチャンあったけど
陳羣にも泥船だからやめとけ言われてたし機会に恵まれなかった感はある

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/06(月) 14:41:15.07 ID:uhNip0Kh0.net
>>153
徐州は守り難く維持が難しいからなあ

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 03:52:59.97 ID:ihibEExz0.net
あまり正史のことは知らなかったけどネットやら本やらで調べてみたら中原にいた頃に劉備が知り合った人ってその後推挙されて曹操のところや呉で大出世した人多いんだな

入蜀から帝位に着くまでの間でも一気に所帯が大きくなるなかで30前の蒋琬、費禕、董允とかほぼ平の事務官を抜擢して結局彼等がその後の国政の要になっていったり

人を見る目があるということはもちろんあるんだろうけど、そのレベルの人士と交流できるだけのネットワーク持ってないとそもそも知り合えないだろうと思うと演技路線での劉備から全く違う人物像浮かんできて新鮮

ここに書き込んでる他の人達は今更な事なんだろうけどw

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 00:54:01.87 ID:q3/gPwkV0.net
確かに史料を漁ってくと劉備の人脈の広さには想像以上に驚かせられるね
ただ、スレタイに沿って意地悪な意見を言わせてもらうけど、劉備は多くの人傑と交友して彼らから高い評価を得ていたけれど、少なからぬ人間が劉備を命を懸けて仕えるに値する主君とは見なさずに離れていってしまったことも言えると思う
牽昭、田豫、太史慈、陳羣、袁渙、陳登、徐庶、潘濬、孟達、黄権etc...
彼らのうちの何人かを繋ぎ止めることができていたら違った未来もありえたのでは?

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 02:09:25.86 ID:UkJjgnse0.net
荊州ぐらいまでは天下なんて考えてもいなかっただろうし
中原の覇者たちと比べたらやっぱりそっちに付くよねってなるわなあ

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 04:37:17.33 ID:f8Obaj4E0.net
>>155蒋琬、費禕、董允らは諸葛亮ら名士達の推薦が大きい
もちろんそれらの献言を聞き入れて抜擢した劉備も偉いが

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 10:53:57.19 ID:eXXoCt7L0.net
>>156
そもそも、劉備が知識人層を人材として使う様になったのは諸葛亮が入ってからだろう
荊州で諸葛亮をはじめとする司馬徽派と言える人材が揃いだしたから文官=知識人が増えたと思う
その前まではタダの傭兵みたいなものだよ

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 11:10:22.74 ID:OFbKVt8r0.net
>>159
傭兵って何やねん
演義でも正史でもないミラクル解釈やめーや

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 11:12:34.68 ID:eXXoCt7L0.net
特定の領土持たずに、兵隊だけ連れて色々な群雄の下についているんだから傭兵みたいなものだよ
客将って扱いだろうけどな

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 11:18:09.80 ID:Qtj3zlvU0.net
どっちかって言うとコネ使って渡り歩いてる方が近いぞ

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 11:18:45.97 ID:/eqkISdX0.net
>>156
なるほど確かに後半の部分納得です
ただ曹操に推挙された人は曹操に仕える意識と共に献帝を擁していたのもあって漢王朝の朝臣になるという意識を持っていたというのもあるのかなと
袁術の影響下にあった漢王朝の朝臣、土豪クラスの人は袁術が曹操と対立していたこともあって曹操に顔向けできない面もあり孫策の元に流れたりと

その時点での立場なり影響力、何より漢王朝の力の有無などで人の流れが大きく変わっていただろうことを思うと曹操はやはり天の時を得ていたんだろうと改めて思います。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 11:25:55.51 ID:Qtj3zlvU0.net
当時は自称皇帝とか自称王とか腐るほどいたけど袁術陛下の場合ビッグネームすぎて影響力が各方面に及んでるから……

呉書なんて必死こいて「孫家は代々漢王朝の忠臣です!」ってアピールしてるし

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 13:50:01.38 ID:E8fPCI6r0.net
でも簒奪者から王に封じられた上に皇帝まで名乗っちゃったね

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 13:56:48.61 ID:rWu8FCtQ0.net
>>162
いや、地元兵では無く流れの兵がメインだから傭兵って捉え方も的外れでは無いな

>>164
そりゃ劉備が王を僣称してんだから大義名分としては充分過ぎるだろ

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 14:10:00.85 ID:y9kJjYSmO.net
忠義者が少なかったからだろうな。幾ら優秀でも、己が身可愛さに忠義を全うせず敵国に寝返るような奴が居れば、天下なんて取りようもない。

劉備の原因ではなく、その時代には忠義者が貴重な存在で、劉備には義兄弟や古参連中にしかそういう存在は居なかった。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 14:12:58.18 ID:rWu8FCtQ0.net
>>167
?
劉備自身が劉ショウを裏切ってるじゃん

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 14:13:28.00 ID:kp9DSHoa0.net
「傭兵とは金銭などの利益により雇われ、直接に利害関係の無い戦争に参加する兵またはその集団である」

劉備は基本的に漢の地方官を渡り歩いているので傭兵ではない
劉備が陶謙なんかと金銭による雇用関係にあったことを証明する史料はない

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 14:18:03.71 ID:rWu8FCtQ0.net
劉表の下に行ったのが袁紹の指示で曹操の後方撹乱が目的
まさに傭兵らしいと思うけどな

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 15:46:45.85 ID:q3/gPwkV0.net
なんていうか、劉備のおかしな所って土地に対する執着が薄い所なんだよね
領土があるから兵糧を蓄えられて、兵糧があるから兵士を集められて、兵士がいるから戦争することができるのに
群雄として自立するためには領土が根本になっているのに、特に前半生の劉備は「一所懸命」になろうとせずに、自分の命が危なくなるとすぐに領土も配下も家族も捨てて逃げてしまう
封建領主としてみると完全に失格だよね
領民や家臣を守ってくれる強いリーダーとは到底呼べないもの
何かと劉備と比較される高祖劉邦だって配下を見殺しにしたり家族を捨てて敗走したりしていたけど、要害の地である関中や敖倉を守り抜くことで最終的に勝利者になることができたわけで

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 16:47:10.74 ID:flXwtN+W0.net
劉備は漢朝の臣なんだから勝手に自立するわけにはいかんだろ
豫州だって徐州だって朝廷から任命された上で統治しようとしていたんだから
勝手に割拠しようとしていた袁紹みたいなやつの方がおかしいんだよ

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 17:06:06.69 ID:g9hnbHNVO.net
その袁紹に鞍替えしちゃったが

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 17:12:56.89 ID:E8fPCI6r0.net
>>171
それ拘ってたら益州行く前に死んだだろ

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 17:21:21.35 ID:CDFIoxdx0.net
劉備=傭兵説って昔大澤のアホが流したデマだろ
未だに信じてる馬鹿がいるのか

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 17:26:26.35 ID:85T/5ehV0.net
>>175
大澤(地雷魚)って資料の検証とかもちゃんと出来ないガイジやしね

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 18:11:14.20 ID:q3/gPwkV0.net
傭兵と言ったら乱暴だし、ものの例えにしても不適切な表現だと思うけど、入蜀までの劉備は自立した群雄だったとは言い難い状態だったのもまた事実だと思うな
なんて言うのが適切なのか難しいけど

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 18:21:00.44 ID:g9hnbHNVO.net
渡り者、厄介者
そんな中じゃ優しい表現か

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 18:24:42.82 ID:rWu8FCtQ0.net
無理だな
袁紹の下に居た事実が献帝の否定だから

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 18:42:23.84 ID:1qMV5gjC0.net
>>171
実家にそもそも力がなく官職を離れてしまうと経済的にも行き詰まり、要職についている人物のネットワークからも外れたり自身の立場がなくなると地方の軍閥との繋がりも期待できないというのがまずあったんでしょうかね?
人的ネットワークに加われたからこそそのネットワークに加われる基本になる官職というのをどうしても手放せないという思いが他の人より強かった。

例えば曹操や袁紹だと実家に戻って無職でもまずお金には困らない。
黄巾の乱から董卓の登場までの間に要職についていた親族が粛清されたり、一族内で揉めたりあったものの漢王朝内では相変わらず強い縁故が維持され地元では封建領主的な力も持っている。
孫堅の場合は官職に頼った縁故はそもそもなかったようですが僻地ではあっても領主としてそれなりに力を付けている。

その辺りの差が劉備と他の人物との拘る部分の差になって表れたのかなとみなさんの書き込みを見て感じました。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 18:57:57.13 ID:yUngNbT9O.net
>>178
客将、位だろうな。
でも客将とて豫州・徐州時代を考えたら最適とも言えないし。
軍閥かなあ、いや袁紹とか曹操クラスは軍閥と言えるけど、その下僚として転戦した劉備には不適か。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 19:15:59.86 ID:easboPQN0.net
普通に軍閥でええやん
現代的に言えば聞こえは悪くなるけど武装集団

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 19:19:04.93 ID:easboPQN0.net
>>156
そもそも名士は地元に根ざす事が多いから
土地的な基盤をなかなか持てなかった劉備について行く方が奇特なんだよ

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 20:47:35.85 ID:y9kJjYSmO.net
劉備軍は水滸伝の梁山泊好漢のモデル集団みたいなもので、法治国家の建設には向かなかったのかも。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 21:05:15.06 ID:AinG8vJm0.net
これはどこから突っ込めば良いのか…

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 21:28:00.44 ID:y9kJjYSmO.net
どこからでもいいぞ。具体的によろしくな。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 21:41:38.02 ID:AinG8vJm0.net
>>184
フィクションである水滸伝と後漢末の群雄割拠状態との比較分析は可能なのか?

アナーキーな好漢集団と漢の官僚だった劉備のどこに共通点が見いだせるのか?

法治国家という近代西欧の国家概念を後漢末に適用しようとする意図は?

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 22:53:12.52 ID:y9kJjYSmO.net
水滸伝の梁山泊好漢の主要なキャラは、劉備軍の人物をモデルにしている人物が多く、義侠の精神性の繋がりがあること。

彼らには国家レベルの法律基準がなく、全ては感情的な自分たち中心の勧善懲悪の理念で動く。

法がなければ国家とは言えないだろう?法治国家とは方便で使ったまで。

関羽の仇討ちで呉征伐の大軍を起こした劉備は、自分の感情を優先した義侠の精神性の持ち主で、そういう共通点から、梁山泊好漢との接点として述べさせて頂いた。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 23:27:22.90 ID:pUxbGOiM0.net
>>178
劉備に一番しっくり来るのが寄生虫だろ

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 23:37:27.99 ID:itVGRk/l0.net
演義と正史の区別がついてない残念な方がいらっしゃるようで・・・

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 23:43:22.20 ID:y9kJjYSmO.net
なんだ?煽るだけで降参か。話にならないな。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 00:44:02.27 ID:K12jdQmH0.net
>>188
>法がなければ国家とは言えないだろう?法治国家とは方便で使ったまで。

あの…蜀科はご存知ですよね?演義ベースの知識しかなかったとしても知っている筈

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 03:16:42.15 ID:Zo8qokes0.net
三国の中でも蜀が一番法でガチガチに縛りかけてて評判悪かったもんな。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 03:22:45.14 ID:2Wnsof9y0.net
荊州は実利あるから関羽のことだけっていうのは疑問

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 07:51:57.55 ID:wmXeWT110.net
>>188
三国志演義劉備と巷の俗説の仁俠劉備とが混ざり合っててその上水滸伝と勝手に関連付けてるから完全にキメラな理解になってる
そんな劉備像はあなたの頭の中だけですよ

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 08:01:04.60 ID:DfBsnpI/0.net
>>194
魏や呉が捕虜にした蜀人に龐統の弟や習鑿歯の先祖を始めとした荊州勢が結構いるので実際は荊州勢の意見を止められなかった可能性も

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 11:32:48.82 ID:K12jdQmH0.net
>>193
蜀科の具体的な内容が明らかでない以上、魏や呉と比較してどうこう言えるものではないと思うんですけどね

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 11:42:06.79 ID:I0x+uuEf0.net
劉備の関羽敵討ちは看板のみで実際は江陵を取り返すことが最重要目標だったという人もいるみたいですね。
魏への侵攻ルートが危険な漢中から長安、もしくはその迂回ルートになる武都、天水から長安という難しいことになって魏への侵攻がほぼ不可能になるからというのがその理由だそうで。

史実では江陵奪還はならず結局漢中を起点とする北伐はことごとくとん挫。
戦闘そのものでは優位になった時も補給の問題でせっかく獲得した長安付近の拠点も放棄して退却するしかなかったことを考えると上記の考えは説得力がありますね。

ではなぜ江陵奪還が目的なのにわざわざ関羽の敵討ちという看板を掲げたかという理由については魏を刺激せず呉が魏と再び共闘させないためということを挙げられていました。
魏を討伐するには江陵が必要だから江陵を取り戻すという名分で劉備が夷陵から荊州へ進軍すれば当然「荊州の次はこっちに攻め込む気か。それなら呉の防衛に協力しよう」と魏が考えるのは当然のこと。
関羽とは色々衝突しながらでもギリギリのところで蜀との決別は回避してきた呉が樊城攻略中に蜀との同盟をうっちゃってまで取った江陵を呉もなんとしてでも守りたいので魏との共同戦線が可能ならそれを実現するために動くだろうと。
蜀は荊州も失い国力が激減した中で呉と魏の両方と同時には戦えないので江陵奪取の直接の相手になる呉に魏が付かないような良い名分が欲しい。
それで関羽の敵討ちという劉備と関羽の関係を考えると誰もが納得の御旗をかざすことにしたと。

ざっとこのような意見で素人の私にとっては説得力のある意見に感じましたが、みなさんどのように思われますか?
劉備は関羽の敵討ちが最優先で呉へ侵攻したのか?
それとも江陵を含む荊州の奪還を目的に呉へ侵攻したのか?

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 12:21:46.96 ID:soMTD/AzO.net
>>195
小説嫌いのアレルギー出過ぎでしょ。
そもそも、正史は歴史の真実ではないんだから、正史と小説では記述の差がある、ということが基本的に正史と小説を隔てる壁になっている。

ただし、劉備と梁山泊好漢の共通点は儒教の「義」で繋がっている。
これが劉備と水滸伝を繋げ、水滸伝を見れば好漢達は報復の義を善し、として行動している。

劉備は関羽の仇討ちのために報復の義による行動に入ったが、それを政治屋の諸葛亮から反対された。

儒教の義という共通点から正史と小説の存在の行動理念の一致を考えてみたわけだが、理由のない否定は単なる小説嫌いにしか見えないな。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 12:32:02.82 ID:K12jdQmH0.net
大丈夫かなこの人…
お薬飲んだ?

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 14:32:20.40 ID:WXkGxhce0.net
>>198
そりゃ、仇討優先だろ。
てか、お前は知識の引き出しが全くないんだな。
素人ならハナから黙ってろ、って話だ。
話のレベルについていけてないんだからな。

先主伝(抜粋)

最初、先主は孫権が関羽を襲撃したのを怒り、東征向かわんとし
秋七月、諸軍を統率して呉征伐に向った。
孫権は手紙を送って和睦を請うたが、先主は激怒していて許さなかった。


これがすべてだろ。
劉備は極めて感情的な行動を取っている。
基礎となる正史の記述にも目を通してないのか?
そこからのキーワード的な繋がりの「義」という点にも目が向いていない
(というか、水滸伝未読なだけの知識不足か?)
正史と小説の繋がりを儒教特性の五常 仁、義、礼、智、信 の義から
抽出していることもまるで無視。

更にはお前は自らの自問自答による妄想解釈が酷くて
原典との着地点が合ってない。
ついでに言えば見にくい。他人への自論の理解を促すなら
改行くらいはちゃんとやってくれ。

知らないことは恥ではないが、知ったかぶりは恥になるんだよ。
無理ならついてこようとしなくていいんだよ。
知識はもっと広域的に身につけたほうがいい。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 15:12:46.51 ID:HU8oQVF40.net
しかし関羽が死んでから1年半放置
その間にやってる事はのんびり劉封粛清や皇帝僭称
怒ってる割にはどんだけタイムラグが

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 15:32:27.68 ID:HU8oQVF40.net
>>189
薛綜「蜀とは何でありましょう。犬(犭へん)がいると獨(独りという字)になり、
犬がいないと蜀となりますな。よく見ると目を横につけて(罒)身をかがめ(勹)、腹には虫が入っております。」

「蜀」という言葉自体寄生虫含んでるからな

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 15:52:55.87 ID:I0x+uuEf0.net
>>201
ちなみにあなたのレベルは_

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 16:31:24.14 ID:JBvuBcRR0.net
感情に任せて攻め込むわけないでしょ

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 16:59:25.55 ID:WoAgwn/C0.net
>>193普通に諸葛亮の統治は評判良いし
諸葛亮死後もショウエンが死ぬまでは問題なかったぞ
費イになって恩赦をやる回数が増えて色々言われるようになってる

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 17:55:44.08 ID:soMTD/AzO.net
>>205
攻め込むわけがない、言われても正史の記述は覆らないからな。
正史の記述すら否定して、過程の妄想を膨らませて正史の記述との接点を合わせず、自分の妄想を押し通そうとすることにプライドを感じてるなら、俺はそんな底辺の吹き溜まりの仲間入りなんてしたくはないので、これで失礼するよ。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 18:19:16.07 ID:8UAx6MGv0.net
魏では無く呉を攻める大義名分が無いんだから感情論でも当たり前なんだよなあ
結局、そういう前後が理解出来ないで記述通りしか語れないなら本当二度と来ないほうがいいね

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 18:22:21.76 ID:5XGLGFWI0.net
Twitterあたりだと三国志警察案件になりそうなくらい酷い妄想

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 18:36:43.51 ID:8immHhQO0.net
>>208
普通に魏の手下になって荊州奪ったんやから名分は十分やろ
むしろ劉備の死後孔明が皇帝名乗った孫権と同盟結び直す方が名分なくて理由づけに苦労してる

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 18:47:40.69 ID:8UAx6MGv0.net
>>210
残念だがこの時期は弱いんだ
劉備が献帝を死んだ事にした皇帝を僣称してさらに魏と呉は戦争中だったから
要するに魏を助けてるんだよ

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 18:57:53.54 ID:Y4lx0wBZ0.net
劉備が称帝した時期の蜀っておそらくは内部がガタガタだった可能性が。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 19:03:22.90 ID:K12jdQmH0.net
劉備が荊州の領有権を主張する根拠となるのは、劉備が孫権の上表の下で漢の荊州牧に任じられたことの一点にしかないわけだからね
そんなものは孫劉同盟が決裂し、漢魏革命で後漢が滅んだことで白紙になってしまったわけだし
例えば、劉備が漢の正当後継者として漢の領土を不当に領有する逆賊孫権を征伐するといったことを大義名分に掲げたとしたら、孫権との妥協を難しくすることになり、魏につけ入る隙を与えてしまう
劉備が関羽の仇討ちを名分にしたのはそこじゃないかな?他に名分がないもの

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 19:44:13.44 ID:K12jdQmH0.net
>>212
蜀臣の大多数が劉備を皇帝に推薦する上言に名を連ねてはいるものの、費詩や張裕、癕茂や劉巴などは即位に反対していたわけだしね
左遷したり別の理由をつけて粛正したりして即位反対派を黙らせてはみたものの、劉備には外征を成功させることで自身への求心力を高めなければならない事情があったと言えると思う

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 20:00:32.92 ID:K12jdQmH0.net
>>214
×癕茂◯雍茂

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 20:22:13.59 ID:8UAx6MGv0.net
>>213
孫権はさらに関羽討伐の後に漢から荊州牧に任命されてる

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:00:29.56 ID:WoAgwn/C0.net
雍茂と劉巴が皇帝即位に反対したという記述は信憑性が薄いと思うぞ
零陵先賢伝にしか無いエピソードだし
蜀書だと劉巴は皇帝に即位する際に報告文や任命書を作成したと書かれていて
劉巴が即位に反対派だったとは思えない

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:08:43.98 ID:i4IPfGyE0.net
劉備の称帝って親とか祖父の宗廟作ってなかったりとか手続き的にも雑なんで称帝しないと求心力出せない事情とかあったんじゃ。

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:16:39.83 ID:2Wnsof9y0.net
>>213
結構準備してるしそんな感じっぽいな

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:18:07.56 ID:5XGLGFWI0.net
>>218
後漢の天子七廟の存在を考慮すると劉備が自分の祖父や父を祀るのはさすがに常識外れだろ
蜀漢は後漢を簒奪でもしたのか?という話になる

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:40:31.54 ID:EGw1gi3o0.net
>>217
劉巴のような高尚と呼ばれる人物が献帝を勝手に死んだ事にする
気量の狭い事を反対する事は自然だと思うがな
僣称に否定したからって仕事をしないとは=にはならないし

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:42:57.99 ID:I36Wx/440.net
劉協は「愍(殺された皇帝が貰う諡号)」って諡号からして殺されたと勘違いしたか意図的に殺されたと宣伝したかのどちらかやろね

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:43:53.01 ID:8immHhQO0.net
>>213
別の記述じゃ荊州名士からの推戴やけどな
そもそも当時の孫権の身分じゃ劉備を推挙するどころか逆に劉備から徐州牧と車騎将軍代行に推挙してもらってる状態やぞ

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:48:28.09 ID:8immHhQO0.net
そもそも劉備は自ら上奏して劉Kを荊州刺史にしてるから事朝廷工作においては孫権の力は必要無いんだよなあ

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:10:37.20 ID:8UAx6MGv0.net
>>224
それで劉備が漢から任命された荊州牧の孫権を攻める理由は?

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:14:53.84 ID:SylwewF00.net
>>225
そもそも呉が荊州牧の劉備に攻め込んでるやん
そして夷陵の時は既に劉備は皇帝で孫権は漢の臣下ではなく魏の臣下になっとる

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:19:38.52 ID:8UAx6MGv0.net
>>226
荊州戦は王を僣称した劉備討伐を漢からの要請
夷陵は劉備が攻めなければ魏の臣下になってないから理由にならない

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:33:35.23 ID:SylwewF00.net
>>227
荊州に最初に手出ししたのは漢中王前やけどな
あと魏の臣下なのは夷陵関係なく曹丕の禅譲を認めてるからや

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:38:01.07 ID:8UAx6MGv0.net
>>228
先に手を出したのは国境線を荒らした関羽だよ
魏と戦争中の呉を攻めた事実は変わらんぞ

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:41:17.12 ID:SylwewF00.net
そもそも孫呉は他の群雄に先んじて皇帝を僭称した袁術の基盤を受け継いだ勢力で結局正当性もなく皇帝名乗ってるんやから
安全保障上何としても欲しかった荊州争奪についていちいち名分的な擁護する必要ないやろ

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:43:17.21 ID:8UAx6MGv0.net
>>230
擁護じゃなく事実なだけ

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:46:08.86 ID:UcTKswr80.net
道義性抜きにした話で、荊州失った劉備が失地回復を図って最終的に陸遜に敗れた戦役以上の意味はないと思ってるんだけど
何でこんなに熱くなってんの

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:47:39.18 ID:SylwewF00.net
>>229
それ以前に普通に荊州江南を攻撃しとるけどな

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:49:38.93 ID:SylwewF00.net
>>232
そもそも孫呉の荊州攻略自体が孫堅の頃からの道義もクソもない念願やったからな

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:54:52.55 ID:8UAx6MGv0.net
>>233
何時の話だ?
関羽が国境線を荒らしたのは魯粛が江夏赴任からだけど

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 23:02:56.70 ID:8UAx6MGv0.net
>>234
どうした?
劉備に道義があると思ったのか

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 23:19:56.07 ID:2Wnsof9y0.net
>>230
中華において名分ほど大事なものはないぞ。簒奪する時もアホみたいな手順踏まないといけないんだから

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 23:46:05.40 ID:r67F1Bw1O.net
アメリカも名分づくりは上手いな

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 23:48:45.56 ID:i4IPfGyE0.net
建前って大事やからね。
余程の恵まれた奴じゃない限り本音だけで生きていくのは不可能

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 23:49:17.24 ID:K12jdQmH0.net
土地とは徳ある者に帰するものであって常ならざるものだって関羽の部下も言っているがね
単刀赴会でこういう言質を引き出した魯粛ってなにげに良い仕事したと思う
呂蒙はそれを引き継いで平和裏に荊州に入り領民を顧みずに兵糧を収奪していた関羽の手から荊州を解放して、病人には薬を配り租税を免じ掠奪を禁じて徳を以って荊州を治めることに成功したのだから
士大夫にとっての名分は置いといても、領民にとっての徳義において孫呉は荊州を治める正当性を手にしていたのではないかな

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/15(水) 19:52:33.85 ID:/nBKtVI80.net
劉備ほど道義を重要視した群雄もいないだろうなぁ

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/15(水) 19:58:26.06 ID:R414Ze2Z0.net
朝廷無視して自立に踏み切った時期は最後発でしょ、劉備

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/15(水) 23:58:42.85 ID:31lWEPb40.net
>>241
だから同族で恩人の劉ショウを騙し討ちして益州を奪ってるよ

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 08:48:37.71 ID:Xp1hiKmJ0.net
>>241
表面上だけな

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 12:37:15.35 ID:AOeBOsbFO.net
蔡瑁が警戒するのもわかる

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 13:44:40.72 ID:plQo1NSv0.net
>>243
朝廷に反逆の意思有りな親父を説得しなきゃいけなくて朝廷から派遣されたのになんとなく基盤を継いじゃった劉璋を皇族として尊重する必要無し 
それと劉璋から劉備が受けた恩って何よ?
劉表がそれを主張するならわかるが

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 13:58:20.98 ID:PKv75yHt0.net
>>246
青泥で関羽がピンチだから兵や食料を貰ってるだろ

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 14:03:29.40 ID:PKv75yHt0.net
>>246
それとどんなに屁理屈言おうが劉ショウは益州牧だから
王を僣称する劉備よりもまとも

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 15:14:40.26 ID:lYO+EbTV0.net
あれって曹操が簒奪の前段階で魏王に就任したことに対して漢朝をバックアップするために取った行動でしょ
普通にセーフじゃね
どこが悪いのかイマイチ分からんわ

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 15:25:38.61 ID:cD6YN0qp0.net
後漢は王の僣称はアウト
バックアップなら袁紹の劉虞のように誰か立てれば良かった

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 16:21:07.01 ID:Wtzvjt0b0.net
でも劉氏以外が王になったら殺せって高祖が言ってたし・・・

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 16:23:07.59 ID:xq79OwII0.net
その後も呂氏の王とか出てるから不良皇帝の遺言なんて殆ど重んじられてないな

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 17:07:45.53 ID:lYO+EbTV0.net
>>250
その理屈だと劉虞も立てれないのでは?

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 17:15:30.95 ID:cD6YN0qp0.net
>>253
魏への禅譲後にだぞ

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 18:43:01.39 ID:N1bJMgxV0.net
荊州牧は劉表が、益州牧は劉焉が死んだらその息子のものだって当たり前みたいに言うけど
公や王と違って州牧って勝手に世襲できるもんちゃうやろ

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 19:22:44.64 ID:ZMBHmtvQ0.net
>>255
後漢の時点で太守や刺史が在職中に死んだ際に後任が来るまで息子や親族が臨時で代行するみたいな前例はあったみたいだよ
劉璋の場合、派遣されてきた後任の刺史を追っ払ったみたいだけど最終的には朝廷から地位を認めてもらったし問題ないか

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 19:27:16.89 ID:DjXCwL9D0.net
この当時爵位の世襲禁止とかぶち上げてた(後漢書楊彪伝より)曹操とか言う権益破壊者

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 19:28:10.10 ID:lYO+EbTV0.net
>>254
それだと曹魏に不満を抱く旧漢朝の朝臣や地方官たちにオルタナティブとしての受け皿を準備できなくね?
魏成立後に王を名乗っても機を失してないかい

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 20:02:53.78 ID:twezI6Yc0.net
曹魏に不満を抱く旧漢朝の朝臣や地方官なんて
東漢から曹魏へ禅譲する頃には中原にほとんど存在しないので
受け皿有ろうが無かろうがどうでもいいな

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 20:10:25.47 ID:qZzGzNFY0.net
>>255
劉キ全否定だな
そうすると劉備の荊州牧も正当性かま無くなるな

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 20:59:48.51 ID:D+DZLYsn0.net
劉備が漢中王を僭称した時期の関羽の北上であれだけ曹操周辺が泡食ったり反乱起きたりしたわけだから
劉備は十分に受け皿になり得たと思うぜ

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 21:17:04.36 ID:twezI6Yc0.net
>>261
反乱は吉平の乱や侯音の乱が起きた218年~219年初がピークで
劉備が漢中王を僭称した後は未遂で終わった魏諷の乱とか
首謀者がわからない程度の群盗騒ぎなどの出がらししかない
曹操周辺が泡食ったとかいってもすぐに兵士掻き集めて
劉備が1年半準備して夷陵の戦いで率いた軍以上の兵士を
わずか2~3ヶ月で掻き集めているからな
その結果中原では雨降って地が固まり曹魏に対する反乱分子ほぼ0で
職は2個師団のうちの1個師団壊滅で領土ほぼ半減
受け皿なにそれおいしいの?状態

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 21:29:36.98 ID:qZzGzNFY0.net
>>261
王を僣称した朝敵として魏呉に大義名分を与えて
荊州を失っただけだよな

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 22:02:08.73 ID:YZoullKJ0.net
もし関羽の北上が成功して呉も魏領に侵攻してたら
中原の反乱はもっと膨れ上がっただろうな

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 22:03:54.47 ID:YZoullKJ0.net
>>263漢中王を名乗ったから魏と呉が大義名分を得たとはあまり思えないな
その事で劉備が支持を失ったとか特に無いし
劉備が漢中王を名乗らずとも関羽北上のタイミングで呉は普通に荊州を攻めてたと思うわ

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 22:04:27.43 ID:qZzGzNFY0.net
>>264
徐晃単独に負けてるから意味の無いifだな

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 22:06:59.55 ID:YZoullKJ0.net
>>266だから徐晃に勝って北上成功したらという意味だよ

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 22:09:23.58 ID:cD6YN0qp0.net
>>265
荊州を呉が攻めた一番の理由は劉備や関羽が信用出来ないって呉書に書いてあるな

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 22:11:22.04 ID:twezI6Yc0.net
>>264
ラッキーなワンパンで于禁の七軍壊滅させても
呉方面の予備兵引き剥がして前線投入して樊城それ以前に
襄陽すらも落とせないのに寡兵の徐晃に進撃止められてる程度じゃ
関羽の北上が成功する要素はほぼ無い
そうこうしているうちに曹仁には数万規模の援軍がすぐそこに
あと本格的に戦闘していないとはいえ
一応関羽の北上と同時期に孫権も合肥に進軍しているんだが

まあ関羽に援軍よこす余力も無いのに悠長に漢中王や蜀漢皇帝名乗ってる時点で
北伐自体ムリゲー
関羽も魏や呉を恨むよりも非協力な身内を恨みたくなるのもわかるわ

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 22:40:12.54 ID:YZoullKJ0.net
>>269正直、于禁の七軍壊滅は劉備も関羽も想定外だったと思うんだよな
関羽の北上は劉備の漢中侵攻や上庸侵攻のサポート程度のものでそこまで本格的な北上では最初無かったと思う

思わぬ大勝利+魏領で反乱が勃発という事態に目がくらんで周りが助ける余裕が無いのにそのまま北上したってのが実情だと思う
結果的には劉備と関羽の戦略ミスだな

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/16(木) 23:15:55.78 ID:AOeBOsbFO.net
魏…天下統一
蜀…漢王朝再興

呉は国体保持と「あわよくば」領土拡張くらいか
毛利元就みたいに、守りに入ってちまちま拡張だと後世じゃあんま人気でないだろうな

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 00:28:20.83 ID:JJcXzDPq0.net
孫呉は人口と軍馬が致命的に足りてないからな。
東晋も北伐やれるようになったの成漢潰してから吐谷渾のルートで軍馬調達できるようになってからやし

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 00:54:11.61 ID:E5FHyKpI0.net
>>272蜀漢は軍馬足りてたんだろうか

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 01:48:09.42 ID:AjhKufVv0.net
呉主伝を見てると馬を献上した公孫淵に爵位を与えたり遼東まで馬を交易しようとして高句麗と揉めたり絶縁中の魏と交易して馬を求めたりやたらと馬絡みのエピソードが多く孫権が軍馬を集めるのに苦心していた様子がうかがえる
あと蜀が搦ナを派遣して蜀呉の通交を回復させた時に蜀は馬を二百匹贈っているな
まあ千匹万匹気前よく贈ってやるような余裕は蜀にはなかったんじゃないかな

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 06:08:20.26 ID:JJcXzDPq0.net
>>273
孫呉よりは面積狭いぶん足りてたんじゃ。孫呉はやっぱり面積広い割に人口も狭いし温暖だから馬が長生きしないしキッツいよ。
長江バリアーあってもキツイ

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 06:42:06.26 ID:15YYCupQ0.net
そもそも畜産学的に長江まで南下すると馬の労働力が急激に低下することを20世紀のドイツ人農学者が解明している

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 10:33:45.22 ID:UahOa4tO0.net
>>268
そりゃ呉の立場で最初から取る気満々でしたとは書かんやろ
基本的に劉備が放浪続きな影響で荊州争奪周辺の史実ってほぼ呉史の記述だよりになるんだよね
二宮の変でも言われてる事だけど史書を書いた側の意図も考えなきゃアカン

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 10:53:42.81 ID:RhvFoCTf0.net
陳寿も蜀志の方じゃ孫呉に辛口だけど呉志の方は資料提供者が呉人だからあんまりキツイツッコミ入れられんし、そもそも呉人の言い分検証する資料と時間が足らん(正史執筆期間は実は2年程度)
あと蜀はやはり関係者が死に過ぎ。
関羽の遺族も鍾会の乱に巻き込まれて全滅だし廖化もしばらくして死んでる。反論したくても関係者が死んでて「おかしいなぁ呉人に都合良すぎやろ?」と思ってても反論する材料がない。

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 11:26:56.34 ID:C44WYVxA0.net
>>270
于禁の援軍が災害で壊滅してなかったらまあ樊城の包囲は続けられなかっただろうからね。
川を挟んだ南向こうの襄陽(位置確定してないみたあだけど、まあそうだとして)の更に南まで一時退却かな。

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 13:21:51.33 ID:IjDzRd2/0.net
本人の伝では直接の批判はせずに
他のとこでチクチクやるのが史書の常だからな

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 14:04:28.92 ID:UahOa4tO0.net
>>278
そも陳寿は執筆者というより編集者やからな
これは司馬遷なんかも同様で全国の資料を収集し取捨選択し編纂する事がメイン

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 14:12:56.02 ID:UahOa4tO0.net
>>275
それでもこの頃はまだ鐙が発明されてないから南北格差はマシな方やったろうね
異民族兵の数も限られてるだろうから弓騎兵自体が少ないやろうし

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 15:16:47.34 ID:6Agc0woWO.net
>>281
なければ作るが、チャイナイズムだけどな。NHKのgoshisonって番組の三国志編で関羽の子孫を名乗る人が一万人くらい居て吹いたよ。
もう正史の記事とか現代では通用しないんだな。

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 16:09:53.86 ID:UahOa4tO0.net
>>283
曹丕が皇帝になった途端に匈奴の王族が劉氏を名乗ってるんだし
そりゃ関羽の子孫だって1万人くらい出てくるやろ
ぶっちゃけ二千年も経てば普通にそのくらい増えてもおかしくないし

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 16:47:41.94 ID:a4r1M+FmO.net
>>283
そいつらの起源は清雍正の頃に「探し出された」関木越の後裔と称する人物からで、乾隆帝の時に聖人の裔という事で五経博士の世襲と爵位を賜ってる。
それ以前の記録は全く無い。


ここまで言やあ、分かるな?

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 19:51:45.69 ID:egMs9Ac90.net
五経博士なんだw

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 19:55:27.17 ID:AjhKufVv0.net
龐会が関羽の子孫を滅ぼしたって話の出典は王隠の蜀記じゃなかったっけ
ソースが胡散臭いからフェイクとは限らないし事実関羽の子孫は歴史の表舞台から姿を消してるしなんとも言えないけど

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 20:00:51.67 ID:6Agc0woWO.net
正史の性質上に忠実ということだな。絶対権力の皇帝の言い分に是非は問わない。それが中華の天子の特権。

皇帝が関羽の子孫を探し出せば、正史上はそれが真実になる。

正史ってこういうものだしな。
歴史の真実に迫りたければ、歴史学でなく考古学でもやればいい。
中国の正史が権力者にとって都合のいいものなんてのは、知ってる上でそれを関帝信者の乾隆帝を介して利用して、自身らが関羽の子孫であることを正史上で証明した現代の中国人は賢いよな。

正史の利用法に長けてる。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 20:05:05.21 ID:02dWfxMk0.net
鍾会の乱って皇太子や張翼や蔣琬の息子二人も死んでて関羽の遺族もそれに巻き込まれたんやろ。
で王隠が後付で「どうせ龐会がやったやろ!」と書き残したとか

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 20:59:14.29 ID:a4r1M+FmO.net
>>286
結構有名人の末裔に「五経博士」を与えるのは、清ではよくやってた恩典。
下手な実務官より、役割の曖昧な名誉職で太傅の様な高位すぎる官でも無いのが蔭位の官として最適だったのだろうけど、本当によく使われた恩典。
関羽の場合は、春秋の愛読者だった伝承もその原因の一つと思われる。
関羽の末裔に対する爵位は清朝滅亡まで保持されたが、孔氏の衍聖公や顔回・曾子・孟子らの爵位の転変と違い
どのようになったか明らかではないが、民国初期から軍閥の時期までにうやむやになり消えたようだ。

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/17(金) 23:03:21.87 ID:6Agc0woWO.net
儒仏道共に民国になってからは、三教合一の巨大民間信仰になって神仙仏の信仰だけが尊いものになったからな。
儒教道徳に固められたら文化が崩壊して、今の中国になっていなかったら、中国はとんでもない後進国に落ちぶれることになったろう。
劉備やライバルの曹操は、保守と革新の二大規範だったな。護るべき大切なものの保護は劉備だが、必要のないものをぶっ壊す力は曹操が有していたという皮肉。

無理な話かもしれんが、劉備が曹操を傘下に置ければ天下統一は得られたかも。
劉備が〜というのはスレタイに従ってということで。

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 00:01:52.04 ID:DvQCUTgx0.net
>>291
まあ曹操についても同じ事が言えるけどね
劉備が曹操の配下のままであれば一代で統一出来てたやろうね

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 00:32:52.39 ID:/WiBuymf0.net
文句なら帝や董承さんに

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 00:34:45.28 ID:y4EgzUOJO.net
そっちを選んだ袁紹や袁術が、いかに巨大な存在だったかてことか

安国寺が信長を高転びすると推測するのをあてにしたり、AmazonやGoogleがソフトバンクや楽天に負けるようなもんだったかもな

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 07:41:43.12 ID:Mt81ng/m0.net
>>277
書かないと言っても
劉備は陸中対の頃から弱いから益州を盗ると決めてるし
張松や法正は出世がしたいから裏切ってると蜀書に書かれてるが

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 09:28:19.25 ID:AJ92fRWW0.net
>>295
孫呉も弱いから荊州を優先したんやで
強いなら普通に徐州経由で中原に出たっていい

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 15:17:18.50 ID:PJr3YUP50.net
陸地で正面同士で陣張り合ったら数の力と経済力、人口の差でまあ勝ち目ないしね
水軍優位な川を利用しやすい荊州で対峙なら十分に迎え打てるという点で劉備も孫権も共通している
逆に同じ思惑だけにその長江以南の主導権を劉備と孫権が対立するのは当たり前という

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 16:30:09.62 ID:AJ92fRWW0.net
>>297
違いとしては
孫呉にとっては防衛の最重要拠点で
劉備にとっては統一の重要拠点だった
どちらを評価するかは好みの問題

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 17:56:45.48 ID:Mt81ng/m0.net
>>298
別に呉も統一拠点として使っているが
蜀がイチャモンをつけたから兵を過剰に置けなくなっただけだから

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 20:24:32.43 ID:AJ92fRWW0.net
>>299
そういうのはせめて
合肥落としてもう少し先まで進んでから言ってくれませんかね

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 20:52:23.81 ID:crdhoYhH0.net
>>300
そいうのはせめて遼東から高句麗まで到達してから言ってくれませんかね
海なし県のだ埼玉さんよ

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 20:53:51.16 ID:HbWom80W0.net
>>300
もう少し勉強したら?
合肥は落としてる
魏は危険と隣り合わせで合肥新城まで戦線を下げてるんだよ

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 20:57:16.18 ID:HbWom80W0.net
>>300
エセ関西弁の君は早く

>>233の呉が荊州江南を何時攻めたのか教えて

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/18(土) 23:07:23.48 ID:rNMwv8jR0.net
地元さえ良ければそれでよしの豪族連合の呉に統一やる気ないのは当たり前でしょ
諸葛格みたいにたま〜にやる気過剰なやつが出ても、即袋叩きで引き摺り下ろされる国だからねえ

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/19(日) 07:12:01.29 ID:OgG1iwuS0.net
地元さえ良かったのであれば呉の士人は孫権なんか押し込めて曹魏に降伏すりゃ良かったんじゃねーの?

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/19(日) 07:52:09.91 ID:1nFyivMw0.net
司馬睿「王と司馬はフレンズ。はっきりわかんだね」

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/19(日) 09:43:16.23 ID:wQxQTlFyO.net
>>305
その大チャンスの赤壁の折に、諸葛恪よりイケイケドンドンで信頼も能力もそれなりな周瑜やら天下二分の魯粛とかが健在だったからねぇ。
ああいう強硬派が居ないか無力な勢力だったら、多分アッサリ孫呉は国家として確立する事無く南朝の基盤も造れず曹魏(赤壁頃ならば漢)に吸収でしょ。
で、南方開発は遅れる可能性大なので、リアル南北朝の時代にまだ江南の各蛮達が元気ハツラツというカオスワールドに。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/19(日) 14:08:43.68 ID:vuMwzlmP0.net
いわゆる越の辺りは孫権が皇帝即位後もまだ5000から万の単位で軍勢率いて暴れてたみたいだからな

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/19(日) 22:45:59.60 ID:L/NwmDzF0.net
>>278
それ以前に三国志は蜀人の陳寿が編纂したから
蜀志>呉志の扱いなんだが
劉備は尊称の先主で孫権は呼び捨てで権だぞ
蜀びいき以外には「おかしいなぁ蜀人に都合良すぎやろ?」が多々

例えばイメージでは荊州の劉備支配が盤石だというのが一般的だが
重箱の隅つついて読めば実際はそうでもないことがわかる
諸葛亮は長沙桂陽零陵の租税は取ってたけど
黄蓋が太守の武陵はアンタッチャブルで
普通に荊州内を黄蓋やら呂岱やらが反乱鎮圧やら遠征やらで闊歩しているからな
215年に湘水で国境線画定するまでは荊州内は劉備も孫権も影響力等しかったと思うよ

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/20(月) 02:35:10.46 ID:jVobbQ0C0.net
陳寿は中立の立場にはいないからな
陳寿は基本的に魏(と晋)を正統としつつも、隙あらば蜀age、魏sageを入れてくる
そして呉やその他の勢力のことはナチュラルに見下している
そういう陳寿史観から脱却しない限り、三国時代の実情は見えてこない

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/20(月) 08:06:18.61 ID:j29s2TEBO.net
実情なんて歴史学じゃ限界があるけどな。

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/20(月) 08:10:23.04 ID:moKmk+U20.net
そりゃ陳寿センセイは元々は西晋で既に起きてた諸葛亮ブームに釘を刺すつもりで「諸葛亮集」を出したけど蜀志の大半は蜀の地方史の「益部耆旧伝」や「益部耆雑記」「季漢輔臣賛」などがベースになってて「よっしゃこの際地元ageしたろ!嘘書いたら不味いけど都合の悪い事は書かなきゃええんや!」的な感覚はあったろうからね。

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/20(月) 12:44:02.33 ID:c4FZL+l+0.net
編集マジックね

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/20(月) 20:49:35.34 ID:b3AVK8gX0.net
三国志の実情?
あからさまな嘘を羅列する韋昭よりは陳寿の方が信用出来るだけの話

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 10:25:42.17 ID:96MA3vBa0.net
韋昭=センセイはまず「孫家が袁術陛下の故吏」って言う黒歴史を漂白化するって難事業から史書を書き始めるとか言う無理ゲーやらされてるから

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 11:25:33.33 ID:h/zHYCuZ0.net
しかもそれはみんなが知ってるから漂白できないっていうね

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 14:06:18.23 ID:YVXKOEDh0.net
孫呉が袁術陛下の故吏ってのは、孫堅が袁術の上表で行破虜将軍、領豫州刺史に任命されたのを指してるのか?
でもそれって孫権が劉備の上表で行車騎将軍、領徐州牧に任命されたのとどう違うんだろうかって疑問

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 14:21:37.50 ID:YVXKOEDh0.net
孫権にとって義父でもある袁術と父の代から付き合いがあったのと、ペテン師劉備に妹を嫁がさせてたのとどっちが黒歴史なんだろうか?

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 14:25:49.99 ID:x7B0Yppo0.net
ペテン師度は曹操がぶっちぎりだろ
劉備嫌いな人はそこらへんの判断基準が少しズレてるよ

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 15:23:16.63 ID:mxQ055Iq0.net
>>315
それって公孫?、陶謙、劉表が董卓の故吏と同列になるな

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 17:43:27.25 ID:pMSDlMn20.net
>>319
その辺りは
ゲスの極み乙女の川谷絵音がゲスなのと
ベッキーがゲスなのとの差

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 17:44:53.41 ID:xy8Qc7eF0.net
>>321
劉備は廃皇后や漢臣粛清なんてやってねえんだよなあ…

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 18:03:48.89 ID:mxQ055Iq0.net
>>322
同族親殺ししたのは劉備と呂布ぐらいだろ

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 18:56:38.91 ID:ZFVxkSmM0.net
親殺し劉備
同族殺し劉備

どこの世界線から来た人?

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 19:12:22.15 ID:TSy1LvpE0.net
>>324
同族を攻めたのって劉備以外いた?

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 19:19:18.44 ID:IwxewWEW0.net
>>320
こうしてみると劉備は親董卓派だよな

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 19:29:49.24 ID:ZFVxkSmM0.net
>>325
袁紹と袁術
しかも遠縁の劉備劉璋と違って兄弟〜従兄弟という血の近さでやってる

州牧の劉虞殺してる公孫瓚や劉繇を追い出してる孫策よりかは劉備の方が良心的

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 19:38:04.38 ID:aZa7gWBAO.net
>>319
曹操は兵戸制や屯田兵制とかペテンかな

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 19:46:29.84 ID:wZ8oxkOL0.net
自分の子供殺している孫権もヤバイだろ

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 19:49:09.82 ID:sBF+7qzF0.net
大徳さんの「先主はしばしば家族を失う」には妙な酷薄さを感じる

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 20:01:30.32 ID:fAd36JIj0.net
この手の話で劉備を貶めようとすればするほど曹操や孫権、袁紹のヤバさが明るみに出るのは日茶飯事

孫堅孫策ははじめからヤバいけど

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 20:35:40.29 ID:wPtnldOA0.net
劉ショウから兵や兵糧をおねだりした挙げ句に弱いってだけで
益州を盗んだ劉備が一番屑だろ

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 20:39:16.92 ID:yTzFEdd00.net
劉備以前に国盗りに精を出してた曹操とか袁紹、劉表、孫策ってどれだけ屑なの?

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 20:44:45.66 ID:wPtnldOA0.net
>>333
同族で世話人
親の様な人物を攻めたんだよ
中国だと親や親の様な人物を裏切るって屑だからな

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 21:49:02.84 ID:qff66d+40.net
>>323別に劉備は同族を殺した事は無いぞ
やり方は卑劣だけど益州を手に入れた後は劉璋を保護したしな

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 22:04:13.81 ID:qff66d+40.net
劉備の益州乗っ取りは卑劣なやり方なのに
蒼天航路じゃないがそれに対する非難がほとんど無いのが気になるわ
劉璋の統治がよっぽど酷かったのかと思ってしまう

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 23:12:34.23 ID:mxQ055Iq0.net
>>336
陳寿=センセイの忖度だろ
董卓派の事実も必死で隠してるし

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 23:27:18.78 ID:qff66d+40.net
>>337何アホな事言ってんだ?
陳寿以外の史料でも劉備の益州乗っ取りを非難するものが少ないし
董卓派だとかそんな事が書かれたものなんて全く無いぞ

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 23:39:37.26 ID:+qCOMOyC0.net
董卓派って表現はじめて見た

でも仮にそんなのがあったとしても董卓存命当時の袁紹派?は反政府勢力になっちゃうだけだと思うんだけど

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 23:40:35.73 ID:+qCOMOyC0.net
袁紹と曹操、劉表あたりは本来なら族滅なんじゃね?と思う

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 23:45:34.46 ID:YVXKOEDh0.net
>>336
劉備は益州平定に三年かけているからな
劉璋方についた豪族たちもそれだけ抵抗したということだし、劉備もまた無理攻めはせずにじっくり時間をかけて根回しをしながら現地の豪族たちのコンセンサスを得ていったということじゃないかな
逆に言うと益州の平定だけに三年もかけてしまったのが劉備の天下取りを阻んだとも言える
劉備だって自分の寿命があと十年しかないって知ってたらそこまでのんびりしてられなかっただろう

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/21(火) 23:46:23.16 ID:APbDn3qr0.net
>>328
革新的政策と言えば聞こえはいいが争乱によって持ち主がいなくなった土地を火事場泥棒しただけなのに我が物顔で流民に貸し付けて絞っただけなんだよねw
>>336
むしろホウ統のイヤミと演義劉備のしつこい躊躇のせいでここだけ妙に現代目線丸出しな侵略的観点で見られてるとすら感じるわ

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/22(水) 02:10:25.35 ID:gUmPMWon0.net
曹操だって袁家滅ぼすのに8年かけてるからな
最後まで抵抗されるとそんなもんだろう

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/22(水) 06:56:36.31 ID:3HhYKW7eO.net
>>342
そのまま荒れ地を放置して、残った農民から搾っていたのがこれまでのやり方なら随分マシだろう

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/22(水) 07:46:09.73 ID:TgbO+NzC0.net
あちこちで兵を率いて土地を荒らしまくっていたのが曹操というのがたちの悪い冗談なんだよなあ
曹操の本籍地の譙郡の人口減少とかヤバい

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/22(水) 11:07:35.54 ID:S8QSKJy+0.net
>>342
南宋辺りまでは大徳さんの蜀とりって批判的な意見もあったから現代的価値観ってのも違うんやないかと

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/22(水) 11:10:24.84 ID:S8QSKJy+0.net
>>345
通鑑とか読んでるとナチュラルに屠城って表現が何度も出てきて草
そりゃ嫌がられるわな

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/22(水) 11:21:02.40 ID:zg949gsf0.net
まあ劉備を袁術に差し向けたらその後ほぼ独立勢力化しちゃったりそこに呂布が逃げ込んで八方敵に囲まれたりした曹操だからなあ
完全に自分の管理下に置かない可能性を感じたら後々の憂いを取り除くために殲滅、殲滅、殲滅ってなっていくわな
劉jと張魯下す時には敵は南方向に固まってたのもあって土地は回収して官位与えて身柄確保とソフトランディングしてるから必要に応じてだろうね

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/22(水) 11:32:29.21 ID:f95H3+uS0.net
曹操と気分屋なところあるからな
孫権も酒が入ると判断怪しくなるし

劉備が一番まともなんだよなあ

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/22(水) 11:37:37.39 ID:S8QSKJy+0.net
>>349
孫権って酒でやらかした事はなかった気が

酒でやらかすってのは
泥酔して敵軍の捕虜(劉曜)
泥酔して皇帝を殴打(高澄)
泥酔して家臣の家に行って惨殺(高陽)
これを酒でやらかすと言うんやで

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/22(水) 12:55:23.78 ID:Kfr1Y+Q40.net
孫権は酔った勢いで虞翻の処刑を命じて、シラフに戻った後に「俺が酔ってるうちに下した命令は無効」って言った逸話があるな
酒つながりで言うと、宴席にかこつけて楊奉や楊懐、高沛を謀殺した劉備のやり口は悪質かつ陰湿

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/22(水) 13:00:56.25 ID:S8QSKJy+0.net
劉備は髭が薄いのをからかった奴を殺したエピソード見てても景帝(周亜夫餓死事件や廃嫡した皇太子をイビリ殺したエピソードあり)の血筋を思わせる地味に酷薄なところがあるわな。

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/22(水) 15:04:39.89 ID:NzuQ0v09O.net
>>352
となると、現代のヒゲナシ劉備画書いてる漫画家や同人誌作家は誅殺対象だな…

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/22(水) 15:50:37.11 ID:QEoDM/fc0.net
明治天皇や金正恩でさえ女体化されてる現代は別腹やぞ

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 00:12:25.09 ID:nm3UIVRE0.net
>>352
劉備は感情を顔に表さないが恨みを忘れないタイプだからな
仮に天下を取ってたら文字の獄とか陰湿な粛清をやらかしていたんじゃないだろうか

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 14:47:14.19 ID:lPytPb9b0.net
>>352
というか正しく劉邦の末裔やん

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 21:12:50.20 ID:yFkAdh9TO.net
>>352
朱元璋「そこはかとなく、親近感を覚えるのう。苦難の中より身を興し、一国を建てた所とかの。」
羅貫中「それ劉玄徳の堪忍大度は、皇上の勝れし御聖徳には及ばねど親しきもの有るが故にございます(本当に似てるのはゲスな点だがな!)。」

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 21:34:42.39 ID:9foLZxR40.net
劉備嫌いなやつが劉備をゲスいとdisる

曹操、孫権のゲスエピソードが紹介される

このパターンばっかりなんだよな

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 22:09:34.28 ID:P0yQzoES0.net
>>358
スレタイ読みな

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 22:19:40.51 ID:XPImttT00.net
孫家も揃ってゲスやし
袁家も揃ってゲスやし
その他群雄も何だかんだでゲス
一周回って曹操が一番マシまであるで

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 22:27:59.03 ID:9foLZxR40.net
曹操は徐州の虐殺がね…

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 23:35:05.41 ID:nm3UIVRE0.net
>>358
好きとか嫌いとか勝手に話を矮小化するなよな
スレタイに即して言えば、劉備は歴史の敗北者であり何故敗北に至ったのか検証するのがこのスレの本旨なんだし
根拠もなく劉備を美化したり他の群雄をあてこすったりするのは単なる話題逸らしでしかない、迷惑だ、他でやってくれ

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/23(木) 23:44:15.07 ID:cIsS7bn30.net
たまに劉備に先祖でも殺されたんかってくらい狂っている奴おるよなw
演義で美化されてるぶん怨念が深いw

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/24(金) 00:21:50.86 ID:qwCO78/uO.net
天下統一が出来なかった理由だから=歴史の敗北者ではないわな。
連綿と続く史観の中で当代の歴史書のみで良い評価を得られた。
…なんて安易な勝ち逃げが許されるほど歴史は甘くない、とは後の三国時代を巡る歴史観が証明している。

漢の残滓程度に縋っただけでも、この時代の正統を受け継げるほどに領土の差など無意味なもの。天下統一を見なかった三国時代には実質的な勝者など居なかった。

劉備は名実的な正統を宣伝したから、分裂王朝時代の正統になり得た。言わば、歴史の勝者となった。

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/24(金) 00:46:46.76 ID:+4yLQbBI0.net
その勝者とか正義っていう尺度が主観なのがね
球技スポーツみたいに得点を競う、陸上競技の時間や距離を競うという誰が結果を見ても分かる指標じゃないから
人によって付ける点が違う主観ジャッジでは誰が何を言っても反対する人は必ず出る

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/24(金) 01:26:36.27 ID:qwCO78/uO.net
個人主観ではなく歴史上の事実を述べただけだぞ?
南宋期の国内事情と朱キの孔明押しが相まって、天下統一を見なくても歴史の勝者として語られる事例を作った。劉備は歴史の敗者ではないよ、天下統一は出来なかったが。

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/24(金) 05:55:08.99 ID:3QGoS+/i0.net
蜀漢は東晋と違って中原の人士を吸収できなかったからなあ
東晋もそこまで多いわけではなかったけど豫州人を相当政権に取り入れていた
やはり荊州南部と益州という地勢に問題があったか

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/24(金) 07:42:12.04 ID:8VbBC5rjO.net
巨大な橋が出来たのがつい最近で、それまではワイヤーゴンドラで谷を越えていたというから、当時は推して知るべしといったとこか

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/24(金) 08:00:08.30 ID:U3p3PhZd0.net
>>367
その東晋は中原に戻れましたかね

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/24(金) 08:05:17.65 ID:3QGoS+/i0.net
>>369
洛陽は三回奪取(356年〜365年、384年〜?、416年)してるし
長安も一回落としてる(416年)
まあ416年の戦果は劉裕の北伐だけど

蜀漢はやっぱ人口少なすぎるよね

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/24(金) 08:26:36.18 ID:HuYgMNXT0.net
>>366
朱熹=センセイって劉備の蜀取りには批判的だった気が

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/24(金) 09:48:35.54 ID:LTi5qdym0.net
>>370
桓温やっぱりチートやな

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/24(金) 15:17:48.02 ID:ZBwf4KgPO.net
漢中王・巴蜀本拠地は高祖に倣える縁起の良い立場だけど割拠してないとね

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/06/20(木) 01:45:30.50 ID:LXlxHqqu0.net
https://i.imgur.com/yRR4iMy.jpg

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/08/23(金) 18:34:17.63 ID:ZlKOshzd0.net
藤林丈司

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/09/17(火) 20:19:21.49 ID:likN/ZNu0.net
藤林丈司

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/21(月) 22:39:59.34 ID:xHxPaUqx0.net
玄徳は荊州失墜以降は南南に目を向けるべき

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/22(火) 07:47:31.64 ID:XGWlHmRE0.net
>>377
それは南漢とか越漢とかを建てろって事か

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/22(火) 07:47:43.36 ID:XGWlHmRE0.net
>>377
それは南漢とか越漢とかを建てろって事か

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/27(日) 19:03:15.65 ID:UEQJbbqz0.net
対魏という意味ではどっちが荊州領有しても大局に変わりないんじゃないかというところで呉の合肥攻めが成功してたらワンチャンあったかも?

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/10/29(火) 22:47:56 ID:0Zo7qXNH0.net
呉の合肥淮南方面の侵攻は
何故か孫権死後の方が深かったという謎

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/11/24(日) 00:26:10 ID:QCGTd9qx0.net
ついてなかったから

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/14(火) 05:57:22.69 ID:hrlYCnZa0.net
単純に張遼や満寵が無双して付け入る隙が無かったからだろう
曹操や曹丕は完全に呉の方を警戒して毎年の様に呉と戦争して主力がほぼ呉に向いてたのもある

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/14(火) 06:44:20 ID:/TGtBNUQ0.net
無双してるのに呉の領土が奪えないって
それって本当に無双なの?

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/14(火) 07:23:58 ID:hrlYCnZa0.net
呉に攻めるとなると水軍で戦わないといけないからそうなると勝てないだけ、逆を言えば呉は陸上戦では魏には不利
三国の国境線は上手い具合に出来てるよ

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/26(日) 09:33:57.23 ID:SYLRQI0E0.net
関羽なんていう独断で北伐する忠誠心なくて独立心旺盛なやつにケイシュウを治めさせる致命的ミスする無能やから統一なんてまず無理やろ

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/01/27(月) 05:36:31.71 ID:NLo5nml10.net
https://i.imgur.com/16EufRI.jpg

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/21(金) 21:13:34.98 ID:UxYmIMmk0.net
>>386
人材がいないってことを忘れている
関羽より素晴らしい人材がいなかった

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/24(月) 23:46:12 ID:P31tPH590.net
陳羣が入ればなー

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/25(火) 01:54:38.65 ID:PmZ+qux70.net
徐州を維持できなかったことが全てだわな
徐州を維持できれば名士層も結構取り込めたわけだし
まあこの情勢で徐州牧になるのはリスクに見合わないからやめとけって
その陳羣に言われてたわけだけども

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/02/25(火) 13:41:20 ID:zJ09K9St0.net
リスクもあるけど、徐州牧を引き受けて初めて元徐州牧を名乗れるわけだから、そのメリットをとったのだろう。

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/13(金) 05:35:05 ID:YDjw12nh0.net
そうなりゃ完璧に名士様だもんな

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/18(水) 21:07:03 ID:RgMBdTrs0.net
>>342
それさえ他の人は思い付かなかったし
持ち主がいなくなった土地を有効利用しているだけ

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/19(Thu) 18:46:56 ID:9aTk88R10.net
>>388
攻めだけなら関羽は完璧だったからね。
魏の主戦力級が束になってようやく魏単独では追い返せる程度。
呉が裏切ったのは、関羽軍の方が
魏と対峙する以上の脅威でもあったからってのもあるんだろうな。

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/20(金) 04:06:53.59 ID:LuTLe9Yz0.net
呉が裏切ったのは、関羽の方が弱いから。おつむが。
魏のことも何度もだまして成功したこともあるが、致命傷までは与えられなかった。

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/20(金) 13:50:26 ID:KHKTCSFz0.net
なんで関羽アンチって知識のレベルどころか、次元そのものが低いんだろうな。
ちゃんと三国志読んだことあるんかな。

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/20(金) 17:16:44 ID:GZ4U7i6b0.net
関羽は評価する人間が信者もアンチも極端すぎるわ
もっと公平に見る事ができないんだろうか

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/20(金) 17:32:31 ID:KHKTCSFz0.net
関羽信者の言い分は間違ってないんだよ。
ただ、語る場所が違ってることが多い。
宗教、神話板にゲームだったら、コーエー三国志でもメガテンでも
物凄い神に進化したことを語ればいい。それは間違ってない。
アンチは本当に単なるアンチだからねえ、何も生み出せない…。

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/21(土) 08:43:47 ID:NDEsqJFS0.net
個人攻撃しだしたらもう議論にもならない単なる同レベルの争いだぞ

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/21(土) 14:15:06 ID:ncNoQ8Ic0.net
関羽への個人攻撃はハンパない時期あったよね。
あれはなんだったんだろう。

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/22(日) 15:48:12 ID:446KSE3n0.net
龐統が死んだことが一番影響大だと思う
伏龍鳳雛どちらかいれば天下を取ることもできると水鏡先生が言われた
だが、関羽と張飛の孔明への態度は身に余るものがあった
しかし龐統には張飛が土下座するぐらい尊敬していた それは義兄弟の関羽も同じこと 
関羽は天下無双の知勇兼備の豪傑でかつ傲慢の男である
そんな関羽張飛を心底臣従させ尚且つ軍師である龐統を失ったのは極めて大きい
蜀を取った後で龐統に荊州を任せればよかった 関羽は孔明には従わずとも龐統には従ったはず
龐統の家族は襄陽城にいるし、荊州に対する人脈は、山奥で引きこもりだった孔明よりもはるかに上だったはず
だから呂蒙や陸遜が背後をついても龐統の指示に従っていれば
北は曹操を防ぎ、南は呉と和す鉄則が守られていたに違いない
そうして蜀荊州を固めておけば、いつかは中原に派兵できるチャンスもあるはずだ

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/22(日) 19:06:42 ID:BXa6Mrph0.net
>>401
張飛がホウ統を尊敬したのは演義だけの話
関羽はしょっちゅう士大夫と衝突してたので
ホウ統と仲良くやれるとは思えない

後、史実の諸葛亮と関羽の関係は普通に上手くいってるぞ
士大夫と喧嘩する事の多い関羽だけど諸葛亮とは手紙のやりとりをしたり仲良くやれている

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/22(日) 19:57:53.25 ID:446KSE3n0.net
あなたの思えないのと演技の描写なら演技を重要視するだろ
あながち演技が嘘っぱちと完全なる証拠もないしな
仲悪かったとしたら魏延と龐統を漢中にとどめればいい
孔明と魏延は仲悪かったが龐統とは仲よかったはずだ
そしたら仲いい孔明と関羽は荊州におれるから蜀荊州を固められるはずだ

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/23(月) 03:22:50.02 ID:LTFn3Dzy0.net
まあ?統が戦死しなければ孔明さんを荊州に残すことができただろうし
そうすれば関羽のポカもカバーできた可能性は高くなるわな

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/23(月) 07:33:03.33 ID:IuZSZjzc0.net
中華統一目指すなら関羽の北伐止めるより
呉への根回しor于禁捕虜待遇or樊城攻略
いずれかをクリアできる副官が欲しかった

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/23(月) 07:43:24.67 ID:lqALF/KFO.net
それだな。
呉に対して露骨な敵意を見せつける様な真似をしないだけでも
状況は大分違っただろうな。

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/23(月) 18:36:21 ID:WFF8wUfS0.net
>>403
そもそも演義にも関羽とホウ統が仲良かったとか書かれてないじゃないか
張飛が演義ではホウ統を尊敬していたから関羽もそうだったとは普通ならない
陳寿の三国志には張飛は知識人を尊敬していたが逆に関羽は士大夫に対して傲慢だったとあり相反する性格だと書かれているんだから

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/23(月) 18:37:49 ID:WFF8wUfS0.net
>>403
>孔明と魏延は仲悪かったがホウ;統とは仲よかったはずだ
後、これも無根拠
演義にも史書にも魏延とホウ統が仲良かった事を示すものは何も無い

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/23(月) 20:21:56 ID:zyBldIFu0.net
仲悪かったらホウトウが魏延を従わせればいいだけ軍師なんだから
孔明と関羽も同じ
要は荊州と漢中にそれぞれ軍師がいることが大事だ

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/23(月) 21:03:57 ID:pX/GPxaR0.net
陳平と張良どちらもいなかったら劉邦は天下取れなかったからのう

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/24(火) 00:01:06 ID:kwja5EGK0.net
これは劉備だけじゃなくて、曹操にも孫権にも言えるけど
三国共に天下取りのプランを実現できる戦略家が居なかったんだろう。
この時代のバランス感覚はとても難しいと思う。
感情的にならない素質みたいなものがないと、天下には手が届かない気がする。

中国史にも名を轟かせる一騎当千の豪傑、天才戦術家、一流政治家のみが集まると
こういう局地的な展開になるというのは面白い。

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/24(火) 06:35:13 ID:+6BUn+PD0.net
龐統が生きていれば彼に軍事を任せ、孔明が内政を担当したと聞くが
官職で行くとどうなる?
龐統が大尉で孔明が大司徒かな?

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/24(火) 07:52:51.09 ID:8sd174O10.net
>>411
最高級品の食料を合わせたら
最高に旨い料理になるわけでないようなもんだな。

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/24(火) 19:12:04 ID:Q8YrS9lk0.net
三国時代は人口が少なすぎて天下統一には全然足りなかった。

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/24(火) 19:17:26 ID:Q8YrS9lk0.net
龐統は荀?の兄弟と呼ばれた人物。本人も帝王の秘策を考えるのが仕事だといってる。

諸葛亮は楽毅のようになりたかったわけだから、役割は違ってきていただろう。

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/25(水) 14:31:43.24 ID:6uP9KILn0.net
曹操は統一できるチャンスはあったが蜀の重要性に気付きもしない無能だった

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/25(水) 20:55:52.31 ID:kx4+Qg5B0.net
龐統は正史>>>演技だと思う
呉の人間と仲がよかったからな
荊州は安泰だった
魏延と黄忠の荊州勢で固めておけば人脈を通じていい人材もくるからな

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/26(木) 04:07:10.49 ID:eTx+W9EB0.net
龐統は周瑜の下にいたこともあるしな

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/26(Thu) 12:11:44 ID:rkZ1cqmc0.net
正史では軍師中郎将
演義では副軍師

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/26(Thu) 20:29:13 ID:zePd6+UW0.net
>>412
中軍師

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/27(金) 11:59:18.54 ID:6Rcwf6Nv0.net
龐統は死が早すぎたのが残念。
36歳とかでは十分な評価ができない。

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/27(金) 21:24:31 ID:conxGVo/0.net
馬超も曹丕も四十代で死んだ
始皇帝も織田信長も私もだ

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/27(金) 21:40:30 ID:conxGVo/0.net
「ごじゅういっさいでしぬ

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/29(日) 09:08:32 ID:de44zVwp0.net
>>405
呉への根回しなんて一番非現実的
主君である孫権が荊州穏健派であった魯粛に不満を覚えて、
強硬派である呂蒙を軍事の筆頭に据えて荊州攻略を画策してる以上、
だれがどーやってもムダ、関羽の態度なんて些事
だから于禁捕虜待遇も同様に無意味

意味有るの樊城攻略だけだろうけど、
そもそも樊城が失陥寸前だから魏呉同盟が成立する訳で
魏呉の交渉が成立する前に樊城を攻略するって相当な難易度
演義孔明くらいの神ががった人間でもいないと無理じゃね

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/29(日) 20:39:29.18 ID:1ItKXnHj0.net
荊州を領有しながらってのが無理
呉と同盟を滅亡時まで結べたのは荊州が呉のものになっていたから
そうでないといつ攻められるか分からない状態が続く

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/30(月) 00:42:10 ID:dOyv8Bj/0.net
折角長江上流抑えてたのに関羽のチンカスが劉備と連動せず襄陽勝手に攻めたせいで荊州失陥して呉を潰す機会がなくなった
劉備勢が中原目指すならまず呉攻略して南北朝状態にするしかなかった

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/30(月) 02:09:38.34 ID:wNKDoQsa0.net
んで、教訓はなんなの?

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/30(月) 18:23:35 ID:9MWx6UhJ0.net
関羽アンチの暴走が始まると暫くスレが荒れる
同時に自演も始まる
しかし、知識の幅の狭さからくるワンパターンな
正史での荊州における失敗談ばかりで自演もバレやすい

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/30(月) 20:39:14.55 ID:x66Qr7d+0.net
歴史の未来を知っているなら関羽以外に荊州を任せるしかない
そうなるとやはり孔明を置くしかないだろうな
それとも趙雲か
だけど趙雲の場合は張飛とか言うこと聞かないだろうなあ

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/30(月) 20:39:56.98 ID:x66Qr7d+0.net
どうでもいいけど趙雲や関羽に子供がいたのはショックだった

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/30(月) 20:46:27.00 ID:P+T89x0D0.net
>>428
魏スレでボコボコにされたアフォのコピペやんw
神として崇められてるから当時の歴史にも干渉できるという旨の発言は笑った

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/30(月) 22:14:02.11 ID:9MWx6UhJ0.net
ウソもつく。これも追加だな>関羽アンチ

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/30(月) 23:20:30 ID:M+3GfrJE0.net
>>429
趙雲は太守クラスの武将ですらないわけだが
本営配置の騎兵隊指揮官

蜀建国直後で関羽以外で荊州任せられる可能性が比較的高い3人
孔明 残念ながら法正、?統、張松死亡でもう成都からは離れられない
李厳 劉備に降って間もない上に巴蜀の治安維持責任者で巴蜀から出せない
黄権 劉備に降って間もなく広陵方面まで軍の運用範囲が広がり水軍の再編で多忙、他に水軍の編成と指揮官ができる人がいないから荊州に出せない

呉との外交を上手くやりつつ主に魏への防衛という2点で当時の官職やら能力でこの3人以外はないんじゃない?
呉懿は旧主劉焉、劉璋に重用され実践経験と人望の点では定評があったものの外交面と治政の実績は見えない上に降って間もない
巴蜀の地と人に通じているので彼にとって未知の地である荊州にやるよりも蜀の地でこれまでの経験値を活かしつつ劉備陣営に新たに加わった人材のまとめ役を果たしてもらう方が成果が出せる

蜀や漢中を手に入れるために失った人材の惜しさよ
荊州を失う原因は関羽が元凶というより人材の不足だと思う

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 07:57:11 ID:OrQuITNT0.net
>>432
0428 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/03/12 17:51:01
>>425
ID分身というのはPCとスマホなど使い分けて書き込むこと。
IDのナンバーが異なるので、多人数だと思わせることが出来て(本人だけはそう思う)それでマウントを取りたがる古典的手法。

関羽アンチの場合は、正史での失敗談を針小棒大に広げ、霊異や武廟での扱い、演義評価などは無視するので分かりやすい。
IDが違っても、知識の幅が狭いので特定も容易い。

0440 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/03/12 22:13:27
関羽を擁護するのが屁理屈なら
呉を擁護するのは屁理屈にはならんのか?
呉の道理が正しいのなら、歴史書から物語に移っても悪役化なんてしないんじゃないのか?
その淵源は正史上での行いに起因してると思われるが。

この基地外発言で正史を覆そうとしてる時点でなぁ

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 08:35:42.19 ID:JtGZ7VCK0.net
思ったけど、荊州さえおさえておけば、貧しくて連絡も不便な益州なんていらなくね

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 08:58:22 ID:tPZU9gi80.net
荊州だけだと人口の問題がね
戸籍人口増える=兵数増えるだから益州は必須でしょう

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 09:53:57.50 ID:2w/3YjtN0.net
関羽擁護ガイジがまたまた暴れてるの?

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 10:53:56 ID:hmJyvtBe0.net
>>436
おまけに荊州は当時から病魔の巣窟だからな
ここに拠点を置くと人的資源が湯水のように消費されていく
ジョウ陽が多くの北朝の防衛戦になるのは、病魔の北限だから

劉備の本命は政治的な意味が絶大な漢中であり、そこを取れば後背地となる蜀は売ってつけの貯蔵庫になるという算段
手を出すのはある意味必然だったが、荊州が失陥したことで漢中が多方面から狙われる地になってしまったがため、已む無く本拠地も蜀に置いたという状況

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 13:20:45 ID:hBes+fOj0.net
要は自分の先祖と思いこんでる高祖の真似したわけか

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 13:53:28 ID:MQISTGp90.net
荊州が病魔の巣窟なんじゃなくて
江夏周辺が年中高温多湿な地域だから現地人以外には厳しくて
特にカラッとしていて涼しい気候で生まれ育った北方人が病気になりやすいだけだぞ

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 15:19:42 ID:zFbMnvJI0.net
>>439
漢帝国の踏襲の意味もあっただろうけど蜀の入り口になる漢中を魏に制圧されたままだと蜀はこの方面裸だからね
戦略的な判断の方が大きいかった
できたら長安への迂回ルートの確保も含めて天水方面にまで進みたかっただろうけど漢中落とすまでにかかった時間と消耗した人員と物資も膨大で漢中攻略で仕方なく終わったような気がする

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 18:36:59 ID:ie55ZYEY0.net
>>434
関羽アンチが論破された証拠をご丁寧に拾い上げてしまったように思えるのは気のせい?

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 19:15:29 ID:jFFpQmsm0.net
>>442
気のせいというか歪んでる
正史の失敗を演義や信仰で覆そうとする発想はあまりにも拙い
これが良ければヘイト創作もオウムも全て正義になる

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 19:54:11 ID:qaC1/cRL0.net
荊州を維持しながら呉と友好ってのは
竹島どころかチェジュ島を実効支配しながら韓国と友好を結ぶようなもので無理だろ

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 21:01:09 ID:MNnM4Ol90.net
>>426
関羽が勝手に襄陽を攻めたってのは違うと思うけどね
関羽の北上後に鉞が与えられたり、襄陽攻めに否定的な記述が無い以上、
あれは劉備の承認、或いは追認があったと考えるのが妥当

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 21:55:17.74 ID:FRUFI6Uf0.net
壱の秘剣 劉備は承認してるから独断じゃない

これは勝手に権限以上の外交をしている上
劉備は関羽を一切援護しなかったことで砕け散るなまくらである

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 22:54:14.51 ID:0DUree9L0.net
どうしたんだいきなり脈絡もなく

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 22:58:34.20 ID:ie55ZYEY0.net
>>443
とりあえずお前に絡まないことするわ。

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 23:20:26.65 ID:OrQuITNT0.net
>>448
現実を直視して壊れたかw
俺が来るまでもなかったな

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 23:35:59 ID:qqkDVC9H0.net
漢中での戦い後
すぐに曹操が死んだりしたら劉備にワンチャンあったかもな
孫権も魏を攻めた方がチャンスありそうと思うかも

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/03/31(火) 23:40:55 ID:aNkwZkIa0.net
江夏は今の武漢市の一部
コロナがアメリカの研究通りなら22度湿度50%で活動停止するってことやから今もコロナが流行中やが高温多湿ならそのうち収まるはず

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 07:56:33 ID:Lz1f31C50.net
横山三国志をみると、龐統が死んだあと孔明、張飛、趙雲が荊州から出陣
だから龐統が生きていれば荊州は孔明、関羽、張飛、趙雲で足固めできた
劉璋は人望がないから、黄忠、魏延だけでも、勝手に自滅していくだろう。
そこで馬超、馬岱も加わり、法正、李厳、呉懿、厳顔、孟達、雷銅、呉蘭も加われば
漢中を攻める戦力としては十分になる

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 08:43:17 ID:7kaNufR50.net
横山三国志を根拠にするなよ

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 12:28:50.61 ID:Y1pHFS7s0.net
劉備が無頼漢のせいで失敗したからこそ朱元璋は粛清を抜かりなくやったのが感慨深いな

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 15:14:42.71 ID:3u6VmlcH0.net
無頼漢云々じゃなくて人材が足りんかった
もし粛清までやってたら関羽、張飛、簡ヨウ
らまでいなくてそれこそ荊州も任せる人おらず、蜀、漢中攻略も先鋒大将おらんし、成都の政務も新参の中下級官吏に任せることに

現実的に罪や短所には目をつむり、功績の顕彰と長所を活かさないと劉備は劉表死去した時点で終わっている

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 15:24:47.75 ID:2JZKbv760.net
このスレは「劉備が天下統一できなかった最大の原因」で長続きしてるけど
天下統一可能なフラグとか書いた人居るの?

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 15:28:32.99 ID:+4LLiNlX0.net
龐統が戦死しなかったら荊州を関羽と諸葛亮で抑えててなんとかなったんじゃね?(適当

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 16:59:05.42 ID:uV4OGRaz0.net
>>454
朱元璋は天下を取ってから粛清した
劉備は天下取れてないんだから粛清する余裕なんて無い
劉備も劉封とか粛清したりしてるけど

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 17:36:00 ID:K12Yv62j0.net
曹操の代わりに中原に生まれて親が官職を買うなど環境を整えてあれば天下を狙えた可能性もある。
劉備は自分の上司が務まる人間を見つけられなかったが、必ずしも天下取りを狙っていたとは言えない。

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 18:17:59.20 ID:m3gC/8pl0.net
>>459
ソレもう劉備じゃない別の人前提じゃないか…

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 18:38:53.43 ID:5cbB4XE70.net
漢中とったあと荊州とられる前に長江上流というアドバンテージ生かして建業落とすしかなかった
南朝みたいな勢力範囲になってれば次代以降にワンチャンス
しかしあの当時こういう戦略を描くのは難しい
周瑜がやろうとしてたが肝心な大義名分がない

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 19:10:05 ID:7kaNufR50.net
江南は豪族の力が強いから劉備みたいな余所者には制御不可能。

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 20:41:06.08 ID:3u6VmlcH0.net
陸氏との対立構造は曹操、劉備が生きている間は一時休戦になっていたけど陸遜が実績を挙げて声望を得るとまた警戒されて対立が露わになったしな

そう思うと時を得て勢力を拡大したのは曹操だけでなく劉備も孫権もだった
そして地の利と人の和も劉備が漢中を取った時で大きな節目になってパラダイム転換が起きた

魏は曹操が死去し新体制への移行
呉は親劉備派の魯粛が没し強大になった劉備への警戒と実力行使してでも念願の荊州領有を目指す呂蒙と陸遜が戦略担当になった
蜀は始めて魏領内への侵攻が可能なだけの国力と要衝の地を得た

パラダイムの転換に伴って魏と呉の戦略の障壁が関羽の守る荊州になった
関羽個人の技量ではこれに抗し得なかったのでは?

ありえないけど漢中王劉備が荊州に諸葛亮、黄権、張飛、趙雲と戻り入れ替わりで関羽を漢中に駐屯させていたら荊州を失わずに済んだか?
それを考えると荊州を失った理由が関羽にあったかどうかという問いにある程度の答えが出そうだけど
どうでしょうな

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 21:01:30 ID:7kaNufR50.net
荊州が争点になったままの状態で、呉を納得させるような外交ができたかどうかというのがポイント。
関羽が当時、呉との友好関係を信じていたのだとすれば甘すぎる。
一方で、外交そのものに関しては関羽に任せずに劉備と諸葛亮が責任持ってやるべきだったのは明らか。
呉は荊州を返却させるという大義名分があったのだから、蜀は低姿勢の外交で何年か粘るべきだった。
人材の頭数でなんとかなる問題ではない。

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 21:29:43 ID:j5nTBpxm0.net
>>446
劉備が関羽を擁護しなかったって、
そもそも劉備が関羽非難を聞いたという記述が無いんだから
劉備が擁護する機会がある訳ないじゃん、アホなん?

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 21:45:09 ID:j5nTBpxm0.net
荊州問題もさることながら、
劉備はあまりに順調に勢力を拡大させ過ぎたんだよ
曹操は言うに及ばず、孫権にさえ生殺与奪を握られるくらい小兵だった劉備が
いつの間にか曹操>劉備>孫権くらいまで急上昇したもんだから
曹操も孫権も危機感を抱いて当然な上
加えて関羽が長雨を利用して思いもよらぬ快進撃をするもんだから
曹操・孫権同盟が成立してしまった

逆説的には関羽の北進は順調すぎた為、失敗したとも言える
少なくとも孫権>劉備の状況がもうちょっと続けば、劉備・孫権同盟は継続したかもしれない

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 22:11:27.65 ID:uV4OGRaz0.net
>>464
関羽はむしろ呉を全く信じてないからこそあんな態度とったと思うな
関羽を攻撃する前、孫権は曹操に臣従する形をとっている
それまでは関羽は呉に対して喧嘩売るような事はなかった

関羽の問題は呉を信用しなかった事ではなく、舐めてた事と
荊州にいる武将達が簡単に裏切ってしまう人望の無さだと思う

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 22:19:28.97 ID:7kaNufR50.net
>>467
その程度のことで呉との外交を投げ出したらいかん。
関羽は客観的な情勢では最弱だったわけだから。
外交は演じきった方の勝ち。

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/01(水) 22:48:07.41 ID:NaawjeQO0.net
>>465
ついに日本語すら読めなくなったか
南無南無

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(Thu) 07:51:38 ID:BaAujhz90.net
劉表の旧家臣が、劉備が劉表の正当後継者であると認めていたのなら
早々に荊州統治を盤石のものにできたわけだ
その状況であるなら兵力は即時十万は確保できる
その兵力で逆に関羽張飛趙雲で許都を攻めれば帝は救える
そのあとで帝に曹操追討令の勅命を呉や涼州に出してもらう
どうだ?これで行けるか?

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(木) 09:04:08.58 ID:GiRctywk0.net
>>470
おそらく劉表死亡直後のことだろうが
その頃は南下しようと曹操が30万近い兵力集めてるところだぞ
遠征もしてないし疫病にも苦しんでいないからまず勝てないでしょ

天下取れるタイミングは荊州益州支配した後しかないと思う

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(Thu) 11:19:24 ID:xxjqFEyH0.net
その時点では関羽も張飛も旅団長クラスの経験もないわけだが
曹操軍が強かったのは中原を制圧する段階で親族の有力な武将が防衛を含めて兵站管理を含めたマネジメント経験を積み重ね治政でも太守として経験があって駐屯軍を曹操とその幕僚に頼らずに担える陣容になっていた
これが多方面に軍を分けても兵站が破綻しないシステムを作る基礎になり、孫権や劉備の勢力との決定的な差になったと思う
まだ若かった司馬懿も赤壁では兵站事務を既にやり始めていてこの時点でその経験値に限れば関羽超え
単純に兵力を引き継ぐだけで戦争が可能な状況になる訳じゃない

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(Thu) 11:39:20 ID:mCOJNF590.net
戦争で一時的に勝っても、その領土の維持はできない。
許昌を取ってあとどうするんだ?

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(Thu) 12:26:36 ID:GiRctywk0.net
荊州を落とされたのが痛いのは間違いないけど夷陵の敗戦も同じくらいヤバイよね
劉備の代ではないくなるけど、適度なところで講和結ぶかそもそも開戦せず
リソースを対魏の北伐にまわせれば、長安奪取・維持できたかも

このスレで誰か書いてた荊州閥離脱の可能性次第かな?

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(木) 13:03:19.95 ID:BaAujhz90.net
30万あっても曹軍も袁紹掃討で統率じみた対応は取れないだろうし、
吸収した袁紹の敗残兵は烏合の衆の寄せ集めだから、
袁紹との戦いで体制が整う前に荊州から全軍急襲すれば行けるんじゃね?
荊州全軍なら10万ぐらいは集まるだろう 許昌の攻城戦の際に帝から反乱軍を形成して内部から撹乱もできるしな。
さらに官渡の戦いで袁紹に媚を売った将軍文官に働きかけ内部での切り崩しを図り時間稼ぎもできるはずだ。方法はいくらでもある
帝さえ奪取できれば、錦の御旗で
曹操を逆賊に選定できるし
劉璋、孫権、馬騰も
従わねければならないから兵力や
兵站や領土にも困らん
帝さえ奪取できれば漢王朝は復興できる
可能性はぐっと上がると思う。

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(木) 14:04:30.05 ID:es4JLK6P0.net
>>474
魏を攻めることを見据えるなら、それこそ荊州奪還したかったんじゃないかな
山を越えてから戦闘とかエグすぎる
当時の蜀から見れば荊州を奪った指揮官の呂蒙も消えた所だったし、勝算あると見たんでは
結果、夷陵でボロ負けしたけど、劉備の野望の成就のためには必要な賭けだったような気がする
荊州ないとジリ貧だし
呉側にとっても同じだから両国とも必死で守らなきゃいけない土地だったね

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(Thu) 15:04:45 ID:es4JLK6P0.net
陸遜が関羽に送った手紙を読んだけど思ってた以上にごますりまくってて笑えた
関羽は諸葛亮が自分を褒めた手紙を来客らに見せびらかしてた逸話もあるしお調子者すぎるのでは
領土争い真っ最中の相手国の40歳のおっさんからあんなにグイグイ来る手紙もらって「こいつ怖い」とは思わんかったんかね
思わず真に受けたから油断したんだろうけど
関羽の欠点として挙げられる傲慢さよりこの浮かれ具合のほうが致命的だったような気がする

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(Thu) 15:47:06 ID:5ioHAD1b0.net
>>477
それだけの行動しても黙認されていた上、劉備の事後承認で歯止めがかからなくなった
当時の関羽は荊州を自分自身のものであり呉が手を出すわけがないと考えていたんだろう
特に南荊州の太守が関羽に寝返ってた例もあるから、人望もあると思い込んでいてもおかしくない
軽率すぎる行動の根拠は自信過剰と偶然の幸運によるもの

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(木) 17:26:58.15 ID:sOMxSzs00.net
油断ってそもそも、自他共に認める超有能な人が陥るものだろうしね。
警戒を怠らない臆病者ってのは凡人の証よ。

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(木) 19:49:26.34 ID:BjlL29Z70.net
>>479
バカは風邪をひかないと同じ原理だな
俺は風邪を引くからバカじゃないと自己暗示をかけるも、元をただせば俺は風邪をひかないと浮かれてるバカが風邪をひいたというオチ
関羽が驕り高ぶっていたのも、自分にはそれが許されるし他の奴が俺を配慮すると過信した結果
士大夫への対応や独断の淵源も、塩賊あがりのなまじ悪知恵を機知と聡明さがあるからだと勘違いしてたから
こう紐解いていくと、関羽は成長できる機会を尽く潰してて可哀そうに思えてくる

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(Thu) 20:50:48 ID:enDlGjbe0.net
>>477
本当に優秀な人間は自己評価で生きる。
関羽は典型的な承認欲求のかたまり。
現代にも掃いて捨てるほどいるな。

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(木) 21:10:55.81 ID:jrGk2L5E0.net
>本当に優秀な人間は自己評価で生きる。
これはこれで幻想だけどな
世に出る優秀な人間は承認欲求が強い方が多い
自己評価だけで完結できる人間はそもそも世に出る欲が無いでしょう

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(木) 21:16:03.45 ID:Bx/irEx10.net
それは劉表が荊州を失った根本的な要因なの?

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(木) 21:20:42.42 ID:jrGk2L5E0.net
関羽は呉や足元の警戒が疎かで身を滅ぼしたのは間違いないが
あの時期の北上は千載一遇の機会であり、またあまりに上手くいきすぎた
曹仁を何時の間にやら籠城にまで追い詰められ、
援軍に来た于禁・ホウトク等の7軍を長雨を利用して壊滅させるなんて
普通では有り得ない戦果で、劉備の快進撃も含めて全てが順調すぎる。
今まで劣勢が常だった関羽はある種の万能感に陥っちゃったのかもね

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(木) 22:16:43.53 ID:8lU6EZlW0.net
いくら節があるからといっても漢中から関中攻略の出兵ないときに出兵するのはガイジ
敵に各個撃破されるだけ

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(木) 22:16:51.87 ID:enDlGjbe0.net
>>482
それは承認欲求と評価をうける必要性がごちゃ混ぜになってる。論理的でない。
関羽は武勇はたいしたものだが、頭脳は同レベルではない。

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(木) 22:40:34.98 ID:PzuTekJO0.net
于禁を降服させた事と魏の領内で反乱が勃発した事からイケる!って思ってしまったんだろうな
洪水は于禁だけでなく関羽にとっても不幸な結果を生んだと言える
関羽の北上って最初は劉備の漢中奪取や上庸奪取のためのサポートのためでありガチで攻める気は無かったように思う

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/02(Thu) 23:03:32 ID:sOMxSzs00.net
>>480
遥か後世には、その士大夫達が自らの身の保身のために積極的に関羽信仰を広めたってのは面白い話だよなあ。
民衆達は心から関羽を愛していたが、国家がその影響力に縋って、その国家で上級職に就くために士大夫達は関羽の偉大さを喧伝する。
確かにバカは風邪をひかなかったな。いや、バカは風邪をひかないが真実になったというべきか。

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/03(金) 00:31:08 ID:Hhj/eF610.net
劉備が漢中奪取後に襄陽攻め始めてるんやから全く連携とれてない

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/03(金) 02:22:52 ID:zLZJPShs0.net
樊城で曹仁と満寵殺せたら未来はだいぶ変わったな

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/03(金) 02:54:07 ID:zLZJPShs0.net
劉備陣営って涼州とったら荊州返すって言ったんだっけ
絶対嘘だと思うけど

仮に荊州奪還されないまま涼州とったとして、蜀はどうしたかね
荊州返さずに反抗できなくなるまで呉を叩くか
それとも本当に返して呉と一緒に魏を叩くのか
どっちが得だろう

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/03(金) 07:46:31.42 ID:mzUjHjAe0.net
>>487
荊州軍だけでどこまで攻め込む気だったのかが不明だもんなぁ。五胡十六国時代に荊州軍率いて北伐やった東晋の桓温も北伐やる時は荊州軍だけじゃなくて益州や涼州の別働隊に陽動作戦やらせてそれでも洛陽の一時的な占拠がやっと。

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/03(金) 19:35:46.99 ID:4iMuaxh50.net
桓温は貴族連中に足引っ張られまくりやからしゃーない
動員兵力50000程度じゃなにもできん

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/03(金) 23:46:07.79 ID:dj0z3/cN0.net
でも関さんの率いてた兵力も多分同じ程度じゃね。
徐晃伝で関さんの迎撃に出た兵力が5千程度とかやし

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 07:47:13.85 ID:fIFTPLp40.net
最初に呉から荊州襲撃を受けた際に出せた兵力が号して3万だから、
北進当初はせいぜい2-3万、後から対呉の守備兵を引き上げて+αってところだろうか。

曹仁が数千で籠城しているところへ送った于禁+ホウトク3万の援軍は、
敵に対して対等あるいは優位になる兵数を向かわせたと想定すると、
やはり関羽軍の兵力は2−3万程度が妥当な気がする

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 08:05:13.53 ID:fIFTPLp40.net
関羽の兵数を考えると北進が漢中戦の只中でなかったのは仕方ないと思える
曹仁を攻撃したとしても自身と同数以上の兵力が援軍に来る可能性が高い訳で、
ある程度勝算が無いと北進自体ままならない、
仮に大敗でもすれば漢中の戦線に悪影響を及ぼす

他方で「それならば北進自体するなよ」という意見もあるだろうが、
そもそも曹仁は関羽征討が目的で荊州に赴任してる以上、
時期を待てば自軍よりも優位な兵力をもって攻勢を掛けられるのは明らかで、
仮に呉と連携して攻撃されれば益州からの援軍を間に合わず荊州を失陥する可能性もある、
そういう状況下で長雨の兆候+曹仁の不備という絶好の好機が訪れたので、
思わずそれに飛びついてしまった(劉備も追認)、というのは理解出来なくもない

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 10:49:32 ID:AQV9NiBR0.net
魏と呉が協力して荊州を落としに来るという未来を想定して動いたとしたら、尚更コントみたいな結末だな

関羽の運の上振れと下振れがすごい
さすが神にもなる人間はもってるモンが違うなと思うわ
撤退用に準備してた船も見つかって燃やされてるとか
荊州失陥は何度も語られてるけど面白エピソード多すぎ
参戦メンバーも豪華だし

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 11:23:39 ID:63aSeIlF0.net
当時の三国の代表格が揃い踏みだからな
それだけ荊州をどこが領有するかで形勢が大きく左右されるほど鍵になるエリアだったということになる
魏が荊州全体を押さえることになれば長江の水域の半分を抑えた上で劉備を蜀の地に封じ込められるし、呉の水軍の半数はそっちの防衛に回さざるを得なくなって魏が苦しんだ下流域での攻防も楽になる

呉は上手く魏を引き込みつつ出し抜き広大な土地と長江上流域まで抑えて魏からの防衛ラインを強化しつつ動員兵力を増やすなどの基本的な国力が大幅に増す

荊州を失なった劉備の蜀は結局はモグラ叩きのモグラ役でしかも頭を出す穴は漢中という一箇所しか残らんから魏としてその穴から出てくるのを待ち構えてハンマーを振り下ろすお仕事になった

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 11:53:22 ID:fIFTPLp40.net
長雨の兆候を察して攻勢を仕掛け、曹仁を籠城まで追い詰め、
指揮が取り難い洪水の仲、于禁を撃破し包囲網を構築したのは優秀な戦術家と言えるし、
その作戦行動を実行できる軍隊を育てた手腕も評価できる
他方で曹操と孫権の協調を察せなかったので戦略家としては失格で、
呉への警戒を持ちながら、目の前の大きすぎる成果に目が眩んでしまった

仮定になってしまうが、于禁軍が壊滅しない方が呉への警戒も解けず、
関羽もあっさり引いて、呉の付け入る隙も無かったかもしれない

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 12:00:36 ID:PcAmk69G0.net
やはり于禁さん良い仕事しすぎや

なお、末路は

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 13:25:35.14 ID:hXtM/+9Y0.net
戦略としては、蜀はなんとか呉をなだめて荊州を借り続けるしかなく、皇帝を名乗っていても冷静に行動したかったところ。

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 13:57:58 ID:AQV9NiBR0.net
でもたとえ呉をなだめすかす対応をしていたとしても、呉から見れば本当に返ってくるかも疑わしい
返ってくる条件を蜀が満たした時には呉より強くなっててそのまま潰される恐れもある
なんかちょうど関羽が1年も襄陽を包囲してるしなぜか荊州の警備が薄い。奪うならここで奪うんじゃね

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 14:36:34 ID:sZqP7v1e0.net
そういう面もあるが、その背景に呉がひたすら卑屈なふりして下に出たやり方があり、それは理知的なやり方だと思う。

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 15:25:15 ID:AQV9NiBR0.net
それは同感ですね
バカだアホだとナメられても、口先だけで譲歩を引き出したり相手を操るような軍人、政治家は有能だと思います
ただ呉相手に通用したかってことですよね
自分たちで使ってる手ですからね
関羽の呉に対しての無礼とかは関係なく、呉は隙があれば奪ったのではないかなと思っています
蜀が下に出てたとしても、領土を返さないという事実を見られてしまうかと

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 15:37:08 ID:S/gi9BI90.net
もちろん、大義名分なく荊州を領有し続けるのは相当大変だと思うし、その意味では同感です。

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 17:08:48 ID:s9snELEG0.net
>>497
前半の関羽の破竹の快進撃を「運が良かっただけ」とかいう人も居るけど
関羽の現在の神格の玉皇上帝は、人間の運命すらも自在に操れる存在である、と
言われている。
その現在の神格の力を使って、歴史に介入し「人間の自分を創造して過去の事象」
に溶け込ませた歴史ロマンの欠片もない、オカルト的現象のように捉えても、関羽という人物にはしっくりくるのよね。

詳しい出生時期も不明で、詳しい死因を不明。
死後に霊験を顕してると既に正史の段階で人間らしいリアリティもない。
腕を削る手術にしても、不衛生環境化での切開手術に、大量出血状態の人間が酒を飲み麻酔効果が現れてしまいそうな自殺行為に、あの想像を絶する激痛に耐えられる人間なんて居るの?と思えるような手術。
人間の身体構造は誰であれ変わるものではないのだから、猛将や豪傑なら耐えられるという単純なものじゃない。生物として異種。

人〜神への関羽史を俯瞰してみると、本当に関羽は人間じゃなかったのでは?と思えるようになってきたよ。

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 17:15:21 ID:OldpoESn0.net
大義名分なく皇帝になったのがいるくらいやからそんなもんなくても荊州を領有し続けるのは余裕。

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 17:18:17 ID:sZqP7v1e0.net
関羽の武力は本物だよ。曹操配下時代にちょっと出かけて帰りには顔良の首を持ってた男だ。これが史実なのだからすごい。将軍としてもカリスマ性があったのだろう。
でも戦に勝っても戦略上勝てないのは項籍だってそうだし。この辺の経緯が運に左右されているという感じはない。

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 17:55:51 ID:AQV9NiBR0.net
実際劉備は孫権に領有権を認めながらも、実効支配していることを理由に返還を断ったんだっけ
こんなんお互い武力で維持するしかなくなるよなぁ

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 18:03:33 ID:A0wLateA0.net
>>509
荊州の劉備政権って劉表政権の後継だし突っ張らざるを得ないところがあるから。

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 18:52:59 ID:XbUqG5UR0.net
>>508
歩兵部隊に運よく単騎で潜り込んで、天蓋に乗ってた顔良を切っただけでは

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 20:16:53 ID:sZqP7v1e0.net
>>511
運というよりは、顔良が無警戒のときを狙って突っ込み、準備ができる前に殺したらしい。

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 20:20:09 ID:fIFTPLp40.net
荊州貸与については相水を境に劉備・孫権で領土を分割して以来は、
公的には解決している筈だけどね
荊州分割以来、両国で貸与が継続されているという記述は無いし、
関羽襲撃の際も大義名分として挙げられてもいない

結局のところ、呉が描いた楊州方面からの進軍が進まないから、
荊州南部を領有しないと割譲さえままならない、という事情ゆえの侵攻
こうなると劉備が如何に大義名分を立てようと無駄だろう
孫権の侵攻はなるべくしてなった必然

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 23:12:29 ID:chRFna050.net
>>512
劉備の部下やから油断してた説がー番しっくり来る

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 23:18:28 ID:fd7hTYgf0.net
南京防衛考えると江陵と武漢あたり最低抑えてないと上流から攻め込まれたらあっという間に攻略されちまうから孫権ー派は必死にもなる
しかし圧倒的に有利な立地やったのに何で劉表は孫権討伐をしなかったのか

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 23:32:42 ID:ym+USZrn0.net
水軍がなかっただけ説

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/04(土) 23:59:10 ID:mrqhNvKZ0.net
>>515
リターン少ない蛮族の地だから被害出してまで得る必要がない
黄祖に守らせておけって扱い
呉が開発を続けて異民族を皆殺しにしたおかげで晋代には貿易拠点になり得るようになった

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 00:21:35 ID:CxAVS6/C0.net
>>515
甥の劉磐を豫章郡の諸県に派遣してしばしば攻撃しているよ
太史慈や潘璋に防がれてるがね

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 02:36:25.92 ID:CxAVS6/C0.net
読み直したら潘璋の方は劉磐が攻撃したとは書いてないな
劉表軍の誰かなんだろうけど
劉表って荊州に引きこもってるイメージだけで語られがちだけど、劉焉の死に乗じて甘寧らの反乱を扇動して劉璋と抗争したり、自分の息のかかった頼恭、呉巨を交州刺史、蒼梧太守に任命して交州進出を図ったり、割と積極的に勢力拡大に努めてるんだよね

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 06:07:21 ID:4r5K1EaK0.net
董卓の乱以降中原が軍閥の構想の激戦区でそこに軍人が集中して比較的落ち着いた荊州には文人文官が流れてきてたのも大きいかもね
そんな中では黄祖はかなり異例な軍人で劉表配下ではキャリア能力が高かった
だからこそ孫堅を罠にハメることができこれを討てた
孫策だから敵を討てたけど

そして黄祖が討たれた後は孫策に対しては劣勢が続いた

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 07:17:29.79 ID:z2eLhKYP0.net
上流から攻め込んでも上陸するだけでも大変だろう。
しかも万一負けたときどうやって逃げるんだ?河を遡るの?
なんか馬謖並みの作戦だな。

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 07:52:43 ID:+eDNKoBk0.net
>>515
荊州と呉は敵対していて
三国志で呉から弔問の使者が来て周囲は驚いていたレベルだから

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 10:04:41 ID:BW70sSYy0.net
>>514
劉備の部下だったと言っても、
会ったことも無いであろう関羽を、
顔良が一目見て劉備の部下だと認識できるとは思えないし
曹操に投降している可能性だってあるのに油断はありえない

そもそも戦場で一軍の将に所に武器を持って突っ込んで来るやつを、
味方だと認識出来るという状況が何より考え難い
というか味方が同じ行動しても警戒されるレベルの状況だろう

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 10:08:49 ID:TlSwY1i70.net
桓玄とか建康追われた連中があっさり西上して逃げおおせてるんだよなあ

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 10:25:56 ID:ubwNO+vIO.net
関羽はイケメンの敵

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 12:34:36 ID:ccXlxL5d0.net
>>525
マイナーオタの敵というべきでは?
人気者の宿命よ。

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 15:29:51 ID:gKROcAlD0.net
>>521
馬謖は愚行ではなく蜀の目的を果たすための最善策を行った
百戦錬磨の張コウが後出しジャンケン出来るようにしてたからこそ負けた
by姜維マニア

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 18:08:42 ID:z8rXECmm0.net
>>527
しょうもない釣りをやるなとは言わないが姜維の名前出す必要ある?
そこまでしてこんな過疎スレ荒らしたいん?

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 18:15:30 ID:h73gTFkl0.net
>>520
黄祖が討たれたのは孫権の時代じゃね?

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 18:18:21 ID:h73gTFkl0.net
>>522
そう考えると荊州にいながら呉と同盟する天下三分の計を考えだした諸葛亮は当時としては画期的な思考の持ち主だったんだなって思うわ
日本の話で言うと長州と薩摩が同盟するみたいな

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 18:47:23 ID:BW70sSYy0.net
庇護者である劉表、同族の劉璋の土地を有すべきと進言し、
全く関係ない孫呉は盟すべきと言うんだからね
劉璋については内通者が出る事さえ予見してるし
当時の劉備からすれば夢物語だっただろうね

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 19:12:54 ID:5xYgqL/t0.net
>>528
季漢書でぐぐれ
荊州失陥すらも美辞麗句使って正当化してる蜀大好きなサイトだぞ
ここの基地外も絶頂射精すること間違いないぞ

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 20:26:11 ID:5DFhRcpJ0.net
>>529
すまん、その通りだ
黄祖軍撃破で黄祖本人は逃亡できて生き残っている

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 21:35:25 ID:z8rXECmm0.net
>>532
絶頂射精している基地外ってどう見てもお前のことじゃん

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 21:45:03 ID:CxAVS6/C0.net
>>532
あそこは俺も読んでるけど>>527みたいなことが書いてあった記憶ないな
何事も結論を蜀賛美に結びつけるきらいはあるけれど、そこに至るまでの論拠や出典はしっかり示してるし参考になるサイトだと思う

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 21:58:24 ID:enaLIh6+0.net
>>535
今年出来立てホヤホヤの記事
馬謖は築城する時間がないから山を防衛陣地にしたが
張コウは短期決戦をせず補給線を絶つという持久戦をした結果馬謖は士気崩壊したという話

築城なんかしようものなら張コウは速攻で潰しにかかるから実力以前に詰んでましたよということ

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 22:09:08 ID:KSHstOmD0.net
蜀賛美とかw
三国時代評価してるなんざガイジ確定w

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 22:18:41 ID:z2eLhKYP0.net
劉表軍に韓信がいれば揚州に攻め込んだか分からんけど。

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 22:23:13 ID:z2eLhKYP0.net
>>536
張郃が急いでくることが分かってたのに築城が求められていた、ていうのは少し苦しい解釈だな。
もちろん、馬謖が間抜けなわけではなかったという意見には意味があると思うが。

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 23:04:54 ID:h73gTFkl0.net
あそこは結構陰謀論に飛び付く事あるから注意が必要だわ

費イが自分の出世のために他者を陥れる人物であるとしてたが
割と悪意のある解釈だと思ったな

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 23:06:01 ID:h73gTFkl0.net
姜維を贔屓するあまり姜維が有利になるような解釈が多いんだよな

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/05(日) 23:48:56.55 ID:+eDNKoBk0.net
ヒイが殺された理由は陰謀でなければ不明だけど
各じゅんの恨みをかったのかな

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 00:07:02.68 ID:6EauNCYm0.net
そんなもん今更わかるわけねーだろ知恵遅れ

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 01:09:09 ID:CR9/I+O50.net
>>542
最初は劉禅を殺す気だったが近づけないので
無警戒の費イを殺した

当時、魏による各国首脳部を狙う暗殺事件が蜀以外でも起きてたので
費イ暗殺事件もその一環だろう

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 09:23:56 ID:IAHC91jX0.net
>>544
その時には既に司馬家が専横してたから状況が違う
孫権狙った時は曹爽が政治してた(失敗したが)
さらに費イは魏の主力をあまり痛めつけずに曹爽を失脚させた恩人でもある(大打撃を被ったのは異民族)
おまけに対外政策では引きこもりを推奨し開府して軍組織して攻めろと劉禅にケツ叩かれるまで動かなかった消極性
こいつが消えたところで魏にとってのメリットはほぼない

暗殺が魏の意図だとしたら、費イの開府を見て反射的にやってしまった感じか
結果的に後任が姜維であり、トウガイのちちくり合いで済んだのが不幸中の幸いだが
費イの死後はどうあがいても蜀の勝ち筋が見えんわ

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 09:56:12 ID:7ZK4/jb90.net
費禕が死んでまあ劉禅も北伐推進派やからというのもあるがすぐに魏を攻撃
これで得をしたのは誰か

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 11:16:39 ID:3QW2Us1O0.net
官渡の戦いで荊州から曹操の背後をつくのは
できたのかな?呉は蔡瑁に任せて

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 12:44:40 ID:g2d1b9Fb0.net
劉表のことか!

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 12:57:22 ID:g2d1b9Fb0.net
曹操と袁紹が盟を結んでいる間は常に両者と協調して袁術、孫堅と対峙

曹操が袁術を滅ぼして以降は袁紹と結び曹操と対峙し曹操が苑の張繍を攻めると張繍と結び防戦

その後官渡の戦いでも袁紹支持に回るが荊州南部で反乱が起き劉表はこれを親征するため不在
そのため袁紹には援軍は送れず
なおこの時家臣団は曹操側につくことを進言しているが劉表はこれを拒んでいる

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 13:32:16 ID:3QW2Us1O0.net
張繍の参謀カクがいらんこといわなかったら、官渡の戦いは長引いていたな
逆に劉備が冀州から荊州に逃れるときにカクを引き抜くこともできたかもしれない
カクが劉備に加わったらだいぶ状況は変わったと思うが
光栄ゲームならやるだろうが

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 15:26:52.01 ID:g2d1b9Fb0.net
>>550
袁紹死後に袁家掃討や烏丸征伐を始めた時に劉備が劉表に曹操の手元には精鋭がいないので許許都方面への進出を進言しても退けたぐらい腰が重いからなあ

カクが劉表傘下に加わるだけではダメだろう
可能性があるとしたらやっぱり官渡前、張繍と結んでいた時に攻勢をかけるしかなかったけど防衛には成功したけど追撃に失敗して大損害出してしまったからな

しかも当時はまだ荊州南部は劉表の統治が及んでないので国力としては張繍と劉表合わせても曹操に及ばない

孫策が曹操との関係を良くしていたことと孫策死後孫権はまだ少年で豪族連合の江南の取りまとめ以外できない
袁紹はまだ曹操と袂をわかっていない

劉表による勢力の合従連衡はこの時点ではできない
全てが曹操にとっては優位になるようなタイミングだったから劉表による曹操勢力への反攻は無理だと思う

後は劉備が劉表に対してクーデター起こして無理矢理勢力を乗っとる離れ業しかないけどこの時の劉備の手勢の少なさとほぼ劉表の好意のみで匿われていた状態でクーデターしても劉表の家臣団が団結して潰されるシナリオしかない

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 16:14:28 ID:nTLDACUc0.net
三国時代の合戦って参加人数少ないからショボい

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 20:11:33 ID:3QW2Us1O0.net
劉表についてから早い段階で曹操を倒す
ことがダメなら
袁紹と一緒に関羽張飛趙雲で官渡の戦いで曹操を倒して、倒した後で隙をついて袁紹を倒し
天下統一というのはどうだ?
どちらのパターンも孔明が北伐で成功するよりは可能性高いと思うが。

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 20:36:38.78 ID:W4oKQd+n0.net
>>553
どさくさに紛れて献帝を始末して曹操にそれをなすりつけられたら良かった
そうしたら劉表は年長皇族と称して袁紹と組んで済し崩しに皇帝になれる可能性が高い
劉虞の息子が懸念材料だが曹操倒した後の交渉次第だな

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 20:43:47.47 ID:csQN0F130.net
>>553
袁紹に勝つには劉備が最低でも徐州位は持ってることが大前提(持ってても無理だろうが)
ということは徐州で曹操の攻撃を防ぎきったってことになるぞ

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/06(月) 23:29:31 ID:3QW2Us1O0.net
袁紹の軍門に下るんだよ
顔良と文醜を倒した関羽とかなら袁紹から信頼はあつくなる
袁紹の信頼を得て袁家を乗っ取るんだ
さらに食糧庫は3兄弟に任せて守り切ればぐっと信頼は厚くなる
司馬懿だって最初から大名じゃなかった臣下で最終的に曹家をのっとった

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 01:20:14 ID:X5mA5UQW0.net
>>545
本来なら劉禅を暗殺する予定であり
費イは妥協故の暗殺って事を忘れてるぞ

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 01:45:38 ID:zlD3mtSl0.net
>>556
司馬家の乗っ取り成功は曹氏ぽっと出の上に宦官と外戚禁止の縛りかけてたから成功しただけやぞ

和帝の頃から三公出してるガチセレブの袁家では乗っ取りは難しいわ

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 06:25:58.71 ID:oZ3ESktT0.net
>>556
>顔良と文醜を倒した関羽
演義の話か?

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 08:12:30.32 ID:GT1SI4oP0.net
袁紹の傀儡皇帝として祭り上げてもらって袁紹が天下統一すれば
劉備が天下統一したといってもいいよね?

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 08:17:19.67 ID:ZafxyAbe0.net
演義とかいう架空のもの持ち出して議論に入るやつなんて荒らしとそう変わらんな

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 09:12:53.55 ID:0jpVUu260.net
関羽なら顔良と文醜なくとも袁紹の信頼は得られると思うがな
まあそれは置いておいて
顔良が味方と勘違いして関羽に打たれた方を信じるのか?今までの武将でそんなやついるんか?味方を敵に間違えるのはあるけど
顔良って相当アホなやつだな
そんなやつがいたら正史には残さんがな
恨み辛みでそう正史に書かされたとしか思えん

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 10:23:35 ID:O6wRF92K0.net
袁家の衰退の一番のターニングポイントは孫策早死に孫権が曹操に媚びるか、西涼が曹操についた事だろう
袁家優勢の流れにするなら孫策の寿命はどうにもならんとするなら他の事はともかく西涼はなんとかしないと結局手詰まり
郭援と馬超で蹂躙するはずがまさかの馬超(厳密にはホウ徳)に郭援が討たれるという最悪の計算外
そりゃ、鍾会があれだけの事をやらかしても親父がこれだけの大仕事してたら三族皆殺しには出来ないわ

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 10:54:42 ID:/OQmVao40.net
>>557
それの説得力がないからこそ話題になってる
何故劉禅が殺せなかったかや郭循の人となりが明確に記されていないのも拍車をかけた

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 11:25:56.18 ID:7yFz6aaW0.net
>>563
孫策が曹操と誼を通じてた事が実は孫策死後にこそ曹操、孫家の命運を決定付けていたように思う

曹操は江南から長江を渡って襲いかかって来られない状態だからこそ華南の開発を行いつつ許都の最大の危険分子だった朝廷内の反曹操派の粛清と張繍撃破が可能になった
そしてそれに成功したからこそ対袁紹との戦いに全力を向けることが可能になった

この間に曹操に逆らわず江南の維持と有力豪族との折り合いを着けたからこそ孫権は後の赤壁以降の対曹操勢力になり得た

華北まで手に入れた曹操に対抗する勢力はあってもこれを打ち破る勢力はついに現れなかった

仮に孫策存命でも曹操とは長江を境界とする相互不可侵の関係維持して孫策は荊州方面へ進出したかなと思う

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 14:09:23 ID:0jpVUu260.net
劉備は199-208年まで何をしていたんだ?ってところか 水鏡先生に
いい人材がいないから苦しむと言われた演義は置いておいて
一騎当千はいても先を見通せる人材はいなかったのは事実。そう考えると
早い段階で賈詡をやはり味方につけることだな
賈詡なら曹操への帰順や曹操の世継ぎ問題や赤壁でも助言は的確だった 処世術や謙虚さも
あるから雲長に睨まれることもない
味方にできれば8年も待たずに
早い段階で漢王朝復興へ
のシナリオを用意してくれるはずさ

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 15:13:06 ID:VH0anCsg0.net
ゲームじゃあるまいし、簡単に呼び掛けたらハイそうですかで来るわけないだろ

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 16:21:01 ID:odwVoxAQ0.net
劉備についた人材にはそれだけの理由があるだろう。
陳群や陳登が劉備につかなかったのも。

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 16:40:06 ID:9T49MF7s0.net
>>568
その二人はわかりやすいわ
陳羣→劉備が呂布呼んだ事で見限る
陳登→心情的には劉備シンパだけどアンチ袁術を優先

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 17:01:07.61 ID:uTh6htWR0.net
陳羣陳登とくに陳羣に逃げられるようでは統一なんか無理

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 17:04:29.46 ID:0jpVUu260.net
俺はカクの先見性と謙虚さにかける
そんな陳登や陳羣の比ではない
劉備見たら、自分が使えるべき君主と思うんじゃないかな
はいそうですかはあり得る

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 17:49:53 ID:O6wRF92K0.net
>>571
劉一族をウリにしている以上リカクシに進言してあのヒャッハー状態を引き起こした奴とは組めなくね?

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 19:01:35 ID:wKEXt/sz0.net
それと劉備は割と強情で人の言う事聞かないんじゃなかったっけ?
陳羣の進言聞かないで去られたり、ホウ統と喧嘩して君臣両方悪かったですねとかホウ統が上手い事言って仲直りしたりなかなか軍師としては扱いづらそうなエピソードがある
そういう性格も含めて上手く操れたのが法正だけでそれで劉備の軍師=法正みたいになってた様な

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 19:14:59 ID:X5mA5UQW0.net
>>571
先見性を考えたからこそ曹操に付いたんだろう

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 19:29:42 ID:X4rkFzjD0.net
>>573
劉邦の子孫自称してるんだから少しは先祖見習えよなw

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 19:33:42 ID:X5mA5UQW0.net
>>575
劉邦も割と強情で自分の意見押し通して失敗したりしてるぞ

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 21:45:37 ID:0jpVUu260.net
>>572
>>574
だから曹操に会う前に劉備にあうことが条件だ
劉備の漢室の復興という壮大な目標を聞けば、「あなたこそ真の主君」となっていたはず
カクは董卓やリカクシの部下だったからダークのイメージがあるが意外と正義感は強い
その証拠にリカクシの暴走を抑えたり張済の未亡人事件で曹操に天誅を加えている 
カクさえいれば劉備の天下取り計画が8年早く行動にうつされていたと思う
それができなかったから8年も劉表のところでのうのうとするしかなかったし
わざわざ益州みたいな辺境の地まで行く必要もなかった
8年のブランクと先を見通せる人材に会えなかったのは大きい

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 23:21:44.44 ID:cIY7VtuP0.net
>>577
いや、そもそもその時期の劉備が漢朝復興を目標に
してたかどうかも怪しそうだが。
勿論漢中王を称した時以降はスローガン的に言わないと
整合性が取れないから、漢朝復興は間違いなく公に言ってたろうが
荊州逃げ込む以前は其処まで考えてたろうか?
劉備は生き延びる術として独特の嗅覚を備えてたから
各地の群雄の遊撃隊の如き小軍閥として渡り歩いたけど
生き残るために動いてるとは思えるが
高邁な目標あっての行動にしては行き当たりばったり過ぎな。
別に劉備をくさす訳ではなく、乱世を渡り歩く嗅覚とそれを活かす戦闘力は当時間違いなく随一の人物だ。

が、荊州時代から赤壁・益州へ至る前の劉備は下手に硬直した目標を持たない故に生き残り得たんではないか。但し、周囲が反曹の旗手と思い込んでた節はそれ以前からあったみたいだけど。
賈栩自体も漢朝復興の為に毎度行動してた訳でないから、対立した曹操の下にも平気で行く訳で。寧ろ何だかんだで曹操は献帝を抱えて正統性は保持してるから
曹操気に入らないなら俺の所こようず漢朝復興するし、と誘われても余程反曹の意図がないとねえ。

曹操気に入らないから

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/07(火) 23:25:48.90 ID:EPE8RayF0.net
正義感で動いていたわけではないだろう
何より劉表の元にいた時の劉備の待遇とその勢力を考えてたら小役人になれるかどうかがやっとの仕官にしかならん
劉備の元に荊州の無官の知識人が集まり始めたのは劉表死後
劉備なら何かをするという期待そのものは消えてはいなかったことの証左

ただ劉表配下で主だった人材はみな劉綜の元にそのまま残っていて劉備の元に集まったのは劉表配下であっても非主流派で出世の道は基本的に閉ざされていて劉備に賭ける博打を打ったというのが実情

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 05:37:36.85 ID:jI/nVddF0.net
>>577
>だから曹操に会う前に劉備にあうことが条件だ
都合の良い条件が多すぎだな

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 06:11:14 ID:CI4gJB6P0.net
>>573
正史の劉備はキレやすいからな(督郵むち打ち、ホウ統と喧嘩、蒋琬を殺しかける、髭が少ないのをからかった学者を処刑など)
演義とほぼ人格別物

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 07:36:07 ID:nSpG0anT0.net
たとえ、劉備には当時スローガンがなくてもカクなら劉備見ただけでわかるよ
曹丕世継問題、赤壁に対する的確なアドバイス、
張繍事件でもなお曹操につけという先見の明
凡人が考える劉備に賭ける博打とはわけが違う
博打でも必ずサイコロがチョウになる博打だ
劉備が切れやすくても処世術で切り抜ける
それらは大尉として77歳まで生きた実績が物語る
都合がいい条件だなといっても、当時劉備に先を見通す人材がいなかったのは事実で
孔明が出てくる8年も前にそういう人材を探し出す必要があるならカクがいるよと
そしてカク獲得はできなくはないよと言ってるだけだよ?
光栄のシミュレーションゲームで199−200年で劉備でプレイしたら
曹操が動く前にかならず獲得に動くだろ?その反論で十分だよ

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 08:00:41 ID:VrPOyMgp0.net
こりゃあ自粛だな

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 10:16:22 ID:playOxFC0.net
願望で語る人来てるね

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 10:17:21 ID:aWxUFkDD0.net
劉備は徐州継ぐ前は軍事を相談出来る田豫、政治を任せれる陳羣と人がいなかった訳じゃないよ
一番の問題は諸葛亮が来るまで例えば荀?や周瑜みたいなその地方の名士に顔が利く様な存在がいなくてそいつだけで終わってたからね

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 10:24:45.35 ID:aWxUFkDD0.net
仮定の話なら田豫なら関張と扱いは同じだから劉備も割と言う事を聞くだろうから地元に帰らない仮定なら適材かもね
他の人材だと劉備に言う事を聞かせれるとなるとどうしても法正になるから諸葛亮が信念を曲げて法を無視して特別扱いして死んだらあいつさえ生きていたならと嘆いたわけで
黄権とか進言する能力ある人は結構いたけど、言う事を聞かせるのが難しいのよ

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 11:02:29 ID:vcJHMwfk0.net
>>584
真人様の別人格
我尽ロマンを否定されたら史書全肯定モードになって
他人の推論全否定して荒らし回るから無視推奨
魏スレがそれで一時壊滅した

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 11:17:26 ID:VrPOyMgp0.net
関羽がサイボーグだったらどうにかなった
もしくは蜀が核武装していたら余裕で魏呉を屈服させられた

というぐらいのファンタジーを語られても

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 13:04:30 ID:nSpG0anT0.net
願望ダメならスレの意味ないし
そんなに非現実的なこと言ってない
カクと陳羣じゃ曹一族がいる中
大尉まで出世して余生満喫できたカクに
太刀打ちできるわけ無かろ
先を見通せる人材が8年も早く手に入れることが
わかってるなら話早いと思うがの

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 13:07:04 ID:9FhPsR0H0.net
賈クなんかと接点0なのにどうめしかえかえるんだ
あまりにもゲェジすぎる

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 13:24:35 ID:Ma8/mel60.net
論理的じゃないから願望って言われてるんでしょ

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 13:26:55 ID:mRHDaO3d0.net
三国志と戦国はこの手のガイジが発生するのはデフォ

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 13:32:11.63 ID:k7nyTUeK0.net
ifの話はいいけど真面目に話したいならゲームがどうとか言わんほうがいい
というかやっぱり読んでても思考の展開の仕方がゲームだなとしか思えないわ

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 15:00:33.50 ID:rA1kF+uU0.net
長文君きてたか

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/08(水) 23:11:59 ID:7dthkA9N0.net
>>591
んで史書持ち出して人の推論を否定するほうにシフトするときはこういう論理に鞍替えする
俺様のことを否定したからお前らなんて否定されて当然だとするため
反実仮想分析と妄想を混同して叩くわけ

126名無しさん@お腹いっぱい。2019/07/24(水) 15:19:41.44ID:Y1+DKDfyO
>>123
たった1人のリサイタルですよ。ifに可能と不可能があるとか言ってしまう時点で誰の言うことも聞かないだろう

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(木) 08:00:28.58 ID:p2qDGHuS0.net
劉備を助けるのがなぜ賈詡にとって得策なのかを説明しないとナンセンス。

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(木) 08:06:48.56 ID:eSWFpgra0.net
賈詡本人である必要はないんだろうが、賈詡並の人材がいたとして
劉表の食客状態の劉備がどう動いて天下取りの土台作るか説明しない以上妄想としか言えないな
あの段階で荊州乗っ取れるとかあまりにも非論理的だ

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 10:11:55 ID:qsyZpjpW0.net
曹操に後ろの不安が無い状態だから曹操を恐れて孫呉が譲歩してくれただけなのに早く荊州取ると孫呉が敵に回るだけでしょ
孫呉に大義名分を与えない上手いやり方でもあるなら知らんが

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 10:15:04 ID:qsyZpjpW0.net
まだ益州とか親交があったらしい交州からの方が現実的じゃないかな?
荊州は周りに曹操と孫権と接してるのが致命的過ぎる

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 11:25:51 ID:to6jUEOb0.net
まあ劉備が曹操、孫権と並ぶかそれ以上の立ち位置に至る現実的な状況は事実通り
もしくは徐州行った時点で袁術と結んで曹操から青洲奪う魔界入り覚悟のシナリオしかないんじゃないかと思う

袁術と呂布が結んだ後では袁術と袁紹は完全に対立
袁紹がまだ華北を押さえ切れておらず中原に同盟者が必要だからこそ曹操との良好な関係があった
し、袁術の漢王朝からの独立の動きも見過ごしてもらえてた
この時期なら徐州劉備が反曹操に動いても袁紹は曹操に援軍を出したりはできない
そして董卓軍の残党の呂布や張繍は曹操領を狙っているんで曹操も全力で劉備に当れない
そして孫策はまだ袁術の庇護の元で独立勢力ではなく江南は地元の豪族と朝廷から派遣された太守が対立して大勢力はすぐには生まれない状況

陳珪、陳登親子が劉備に曹操から独立を促した背景もこの情勢ならチャンスありまっせ!ということだしね

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 12:17:32 ID:eSWFpgra0.net
比較的実現しそうな仮定としてなら
劉備が逃げずにいて、官渡で袁紹勝利も跡継ぎ争いで分裂、再び群雄割拠にってのはどうだろう
この後どうなるか予想できんがワンチャンあるんだろうか

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 12:33:05 ID:qsyZpjpW0.net
袁家のとこにいる時なら関趙が再加入した前提でもブレインが手薄なのが気になるな
袁家が分裂してそこからとか新しく迎えれるチャンスはあるとは思うけど
徐州の時の方がその辺が劉備にしては充実してるからチャンスあるんじゃないかな?

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 12:44:26 ID:eSWFpgra0.net
徐州支配時だと曹操から守り抜く方法が全く思い浮かばないんですわ

ブレインについては、曹操の所のがどう振る舞うかだね。
妄想としては荀?とか、献帝の信頼厚い劉備のところ来てくれればとは思う

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 12:59:52 ID:to6jUEOb0.net
>>603
単独だとね
徐州離れた後は他の人も書いている通り立場が食客になる
これが一番問題で劉備が自分の意思で動かせる軍勢はほぼない上に外交すらサポートするぐらいしかできない

それなりの勢力ではあるけど孤立している袁術や董卓の残党は小さな勢力ではあっても劉備と結ぶ選択肢は高確率である
はみ出し者連合が献帝を擁する曹操に歯向かうんで完全に朝敵にされる大義名分を与えてしまうけれどこの連合が曹操を凌駕し始めれば専横の曹操を倒せという大義を立てられる

実力がない勢力の大義名分ほど無意味なものはなく実力のある勢力の野心は体裁さえ整えてしまえば大義名分になる

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 13:22:14 ID:8qdeyd/S0.net
徐州陶謙に譲られた後曹操にさっさと降り曹操の一部将として動き回り機を見て謀反の方が食客ルート回避できそう

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(木) 17:19:32.35 ID:jb/cyKXu0.net
>>605
陶謙に徐州譲られる様な名声を持ってる時点で粛清の危険が天元突破してるコースやけどな

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 18:05:22 ID:j5fqd4RS0.net
>>606
>徐州譲られる様な名声
あったのか?
陶謙は、曹操にやられた後でガクブルだったからでは?

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 18:25:13 ID:1eXc7nL90.net
どの時点が、一番天下がとれなかったことを決定付けた分岐点だったの?
ここの下から選んでくれる?
184年 黄巾の乱
189年 反董卓連合
195年 曹操の台頭
200年 官渡の戦い
208年 孔明の出廬
214年 益州平定
219年 軍神包囲網
220年 三国鼎立
227年 出師の表
234年 星落秋風五丈原

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 18:25:26 ID:to6jUEOb0.net
平原の相として成果をあげて民衆からの支持は高かったのと黄巾の乱から陶謙の麾下におさまるところまでの戦歴でいうと官位や勢力の大きさ抜きにすれば曹操、袁紹、公孫瓚、袁術らエリートクラスと五分だからね

しかもほぼ勝ち続けている
当時の陶謙配下で劉備以上の戦歴ある人物は多分いないかと
曹操の武力行使がまたあり得る状況ではこの点が高く評価されていたかも

劉備本人の気持ちとしては曹操に歯向かうことをこの時点で選ぶ可能性は無いだろうけど、環境としてはこのタイミングが曹操に対抗するには一番良いタイミングと言えるのでは?

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 18:27:20 ID:to6jUEOb0.net
>>608
劉備という主語なら年齢も含めて益州平定が限界だと思う
益州平定に時間かけ過ぎたかな

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 18:36:24 ID:V+9x5quq0.net
先祖と崇めてる劉邦も長いものには巻かれろで各勢力転々として楚陣営に潜り込み機を見て独立
劉備はせっかく徐州でー勢力築いたのに四散させたわけやからアホ過ぎる
官僚組織整備できる陳羣とかも居たのに

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 18:57:35 ID:U8iBe5an0.net
>>609
そこまで勝ち続けてるか?
ちょくちょく負けてるような気がする

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 19:00:13 ID:U8iBe5an0.net
>>607
孔融を助けたというのが名声という意味でもコネという意味でも
劉備が徐州譲られるのに大きく作用したように思う

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 19:18:21 ID:jb/cyKXu0.net
>>607
ガクブルだったなら曹操に降伏しとるやろ
死ぬ間際に譲ってるんぞ

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 19:30:24 ID:jb/cyKXu0.net
>>612
黄巾の乱から活躍してて
英雄記の記述だと反董卓連合には曹操と共に参加し
袁紹と争う公孫瓚の元で青州の平原の相(郡太守に相当)を務めるほど勢力拡大に貢献してる
元々盧植門下の上に孔融を助けたりと名士層受けも良いし
袁紹から独立を果たそうとしてた曹操と共に注目株の一人だった可能性は高い

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 19:44:09 ID:j5fqd4RS0.net
>>614
曹操の父親殺しちゃってるのに降伏しても殺されるだけだろ?

>>615
名士層受けが良いとは思えない

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 19:48:50 ID:jb/cyKXu0.net
>>616
劉備に徐州譲ったのは死ぬ間際やから殺されるとか関係ないわ
そして孔子の末裔助けて名士受け良くならん訳がない

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 19:57:04 ID:5ys4D00i0.net
>>617
太史慈もそれだと同じはずなのに、孔融救出後もあいつを重用するとなんて言われるか分からないみたいな扱いだったからそれだけで名士受け一気に良くなるのは無いんじゃないかな?

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 20:07:35 ID:r/H6Ce0G0.net
>>618
太史慈は公文書毀棄して遼東まで逃げたお尋ね者だしその後の不遇も致し方ないのでは?
それを言ったら劉備も督郵を暴行した前科者だけど

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 20:21:41 ID:jb/cyKXu0.net
>>618
元々有名な儒家である盧植門下で
陶謙の援軍で徐州に来てから陶謙の死までの短期間に孔融だけじゃなく陳登や鄭玄といったいった名士儒家の支持を得るぐらいの人望や

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(木) 20:34:30.88 ID:jb/cyKXu0.net
191年に公孫瓚の元にみをよせてから
194年には援軍に入った徐州の地で豫州刺史に推挙されるというスピード出世
袁紹曹操の様なエリートでもないのに異常としか言いようがない

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(木) 20:48:25.71 ID:ewqPaDVg0.net
公孫瓚が劉備を正しく評価して適所に使ってくれたおかげで実績を積めたと言えるだろうね
ただ借り物の兵士や役人が多くて子飼い武官や役人を持たなかったというのは劉備が飛躍する上で一番大きな壁だっただろう

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(木) 20:57:17.77 ID:NItK2Ouy0.net
益州を得た後の劉備に賈詡、つまりは陳平みたいな人物がいれば〜
とからなまだしも、官途前の劉備に賈詡の如く人材が居たところで大勢に影響はない
劉備が曹操に及ばぬ以上、張繍にしたように、曹操に降る事を勧めるだけでしょう

賈詡は優れた策謀家であり身の処し方も抜群にうまいけど
劉備みたいな弱小勢力を天下に導くタイプの謀士ではない
それだったら諸葛亮がもっと早くに生まれて劉備仕えれてば〜、
荀ケが劉備に仕えれてば〜とかの方がまだ可能性ある気がする

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(木) 21:04:03.07 ID:jb/cyKXu0.net
ちなみに
曹操を頼った瞬間に爵位貰って諸侯となり鎮東将軍と豫州牧を兼任し
呂布を討った後に左将軍に昇進した(袁紹が大将軍で曹操が車騎将軍やってた時代)
この頃は単独で呂布軍とやり合ったり曹操の部下を率いて袁術討ったりと別働隊として大活躍
そのまま曹操の下にいたらあっという間に天下統一されとったやろな

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(木) 21:24:19.02 ID:jb/cyKXu0.net
>>622
黄巾の乱デビューの叩き上げやからな
既に実績十分の孫堅公孫瓚やエリートコースの袁紹曹操等に比べて出遅れ過ぎたのが難しい所
中央にいなきゃ名声得られないけど争いが激し過ぎて生き残るので精一杯なのが劉備の半生

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 22:04:25 ID:U8iBe5an0.net
>>625
黄巾の乱まで官職を経験している群雄が多い事を考えると
黄巾の乱でデビューの劉備は曹操、孫堅と比べるとやっぱ若くて
その差が中原での争いを分けた気がするなぁ
まあ劉備も出世スピードはかなり早いけど

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/09(Thu) 22:16:13 ID:jb/cyKXu0.net
>>626
年齢的には袁紹曹操孫堅より5歳ほど若く普通ならいづれかの群雄の配下となって活躍する世代だからね
遅れてきた群雄という意味では呂布と似ているんだけど名士層への受けの差が大きい

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 00:22:45.72 ID:QgVvn/VX0.net
朦朧して夷陵

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 01:13:45.06 ID:Evad7w0m0.net
>>613
劉備の学問の師匠の一人に鄭玄がいて孔融とマブダチなのが
大きいかと

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 01:15:46 ID:Evad7w0m0.net
>>627
劉備は盧植、鄭玄、陳キ(陳羣の親父)の師事してその学閥を巧みにつかってのし上がった感じ。

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 01:23:12 ID:UEPK3rJR0.net
陳紀、陳羣父子と鄭玄は孔融とも交友を持っていたな
華陽国志にある劉備が陳紀や鄭玄の元で政治学を学んだという話も孔融絡みのコネクションだったのかもしれない

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 05:09:43.05 ID:/Ig1UWSD0.net
新野時代も司馬徽つながりで徐庶孔明得て
伊籍に馬兄弟に藩濬蒋琬と軒並みゲット
更には黄忠魏延ら荒くれも支持
甘寧が荊州残ってたら確実に拾われそう

公孫瓚から始まり陶謙呂布曹操袁紹劉表劉璋と警戒されながらも必ず用いられ重用される

何この全方向好かれキャラ?

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 07:10:59.03 ID:SEWvDSas0.net
潼関の戦いで、馬超の反乱に呼応して
劉備と孫権がの北方進撃は可能だったの?
そもそも中国国家って4000年も北方の異民族に常に脅かされてきたじゃん?
反乱は涼州だけではなかったはずではと思うけど
そもそも袁紹や曹操は北方の異民族の脅威と南方制圧とのバランスは
どうとっていたの?万里の長城では不足すぎるでしょ

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 08:04:21.59 ID:FgkUSYpn0.net
>>633
劉備は張魯と対峙してたので、ある意味北方進撃(防衛)
孫権はむしろ南(交州)向いてた
連携するには離れすぎてたね

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 08:20:12.33 ID:/dNcZ//+0.net
徐州献上して曹操の部下としてはたらいて曹操が都から離れたとき献帝にないで独立のが勝算高かったろう

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 10:08:22 ID:OapIYUvB0.net
>>634
劉備はそこで間接的に曹操の援護しちゃう形になったのが痛いね
張魯と馬超韓遂は利害が一致してるからその辺上手く使えたのに
孫権は位置的に連携が無理なのは仕方ない

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 10:20:04 ID:nYMdxTYZ0.net
>>636
しかも張魯が漢中での治世を曹操からも高く評価されるほど上手くやっていたから余計にな
馬超と提携し曹操に対抗するのに必要な兵糧を格安で提供とかの支援の他に上庸方面から荊州北部への陽動までやれれば長江水域全体の戦力配置変えて対応しないといけなくなって曹操軍の金と兵糧を無駄に消費させることもできちゃう
そうなれば孫権の目も北に向く可能性も

可能性だけの話ならだけど
戦術的な勝利はあり得ても中原制覇した後の曹操に独力で戦略的な勝利を得ることは不可能なんで諸勢力の連合がどのタイミングなら可能だったか?
スレの趣旨からしたらそこで劉備がその連合を合併するなり乗っとりが可能だったかを考えると劉備が中華統一が可能だったかどうかが分かりそう

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 11:31:58 ID:z2vtbrQ20.net
>>635
にないで

>>637
仮に曹操が赤壁撤退に失敗して本人が死ぬもしくは一年以上消息不明になったらいけそう
そのときに号令をかけるのは献帝

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 12:18:58 ID:FgkUSYpn0.net
ifを含んでしまうが、龐統の上策取り入れて益州を速攻で武力制圧した直後かな
馬超、劉備、孫権の3方向とか夢膨らむな

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 12:40:30 ID:8m4Sbe9X0.net
やから劉備は徐州で曹操に撃破された段階でもうノーチャンスなんやで

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 12:52:04 ID:SEWvDSas0.net
そうだね、8年も無駄に劉表の食客になったことを考えると徐州での敗戦がノーチャンの
決定的要因だと思う。
仮に朱元璋が劉備になったら行ける?
曹操の徐州城攻略を撃退できるの?

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 12:52:29 ID:nYMdxTYZ0.net
>>639
何かの幸運があって棚ぼたでというのではなく劉備自身の判断で状況を変えられた最後のタイミングは益州での上策するかどうかの時だろうね

ただこの上策採用だと益州を得るのは早くなるけど、劉備への信頼が薄まってしまい史実以上に劉備や主要人材が益州の統治に時間を掛けなければならないリスクが高まったかも

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 16:48:39 ID:wRkd5Be/0.net
曹操配下のとき討伐の密書検定からもらったらすぐに謀反起こすような戦略のなさ
張良みたいのが当時いたらまた違ってたろうに

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 16:56:25 ID:/Ig1UWSD0.net
二度目の徐州統治から袁紹の依頼による汝南活動期に袁紹が曹操に勝利したら結構目がある
袁紹は長生きせず後継者争いが起こる流れなので間隙を縫って中原を抑える事も可能

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 17:57:36.40 ID:SEWvDSas0.net
車騎将軍の董承殿をうまく活用できないかな?
劉備が旅立つ前に関羽と張飛を一般兵に
化けさせてボディーガードにつけて
帝の挙兵の機会を待んだよ挙兵したら内外呼応して許昌を落として帝を救う

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 18:26:33.58 ID:nYMdxTYZ0.net
>>643
当時の状況考えると黄巾の乱から反董卓同盟までで軍閥達に名前を売り官途につき実務経験を積んでいるところ
儒学系学者以外にも存在を知られるようになって前途が開けたんだから出自からしたら大成功だと思うんだけどね

戦略的な動きがそもそも可能だったか?
劉邦が張良を得た時期は項羽麾下だけど一軍を任されこれは自由に使える
そして他の同じような立場だった反乱軍の将とも付き合い方次第でその後主導権を握れる可能性がそもそもあった

その時点で考えられる世界の限界、野心の及ぶ範囲というのは変わる
その時期がきて世界の限界が広がりそこで新たな展望を持ってそれを目指すというのが立志でその可能性が高まるのを天命を得るというのかなと

劉備が自分が漢王朝の再興なり、新王朝の創立なりを志すには曹操との決別と10年以上の対立が必要で環境としては自前の勢力を持つことが必要だったかも

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 18:38:36 ID:5lOvTEhN0.net
曹操配下と仮定したなら赤壁で負けた時が独立するとき
要するに符堅に対する慕容垂やら姚萇の立場になればいい

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 19:37:53.73 ID:UEPK3rJR0.net
>>647
それは結果論ではないのかね
赤壁で敗れることはあらかじめ予想できることではないし曹操がそのまま天下を統一することだって考えられたわけだし
もちろん曹操も百戦百勝の不敗の名将というわけではないのだから独立のタイミングは他にもあっただろうけれど

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 21:42:16 ID:FgkUSYpn0.net
曹操から独立するのは史実のタイミングしかないと思う
あとは董承に乗っかって曹操討つくらいだろうが、成功率低そう

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 22:42:56 ID:hwzUTAQa0.net
謀反起こすにしても曹操が来たら負けると分かってて独立選ぶなんてガイジ過ぎる

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 03:44:10.68 ID:dfkYryUA0.net
>>647
そもそも赤壁は劉備が逃げたから起きた事であり、劉備が逃げなかったら曹操は急いで呉に攻める必要があっただろうか?
もし曹操が攻める選択をしても、劉備がいなくて単独の場合はたして孫権は会戦に踏み切っただろうか?
やっぱ劉備が曹操の下にいるなら赤壁の戦いが起きる確率は極めて低いと思う

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 08:01:41.27 ID:eJZdb2OY0.net
>>646
>儒学系学者以外にも存在を知られるようになって
そこまで有名だったのか?

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 09:55:22.51 ID:2P5bS9780.net
>>651
そうなると官渡で独立になるか?

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 15:31:58 ID:cnztwJg50.net
劉備が仲達の養子になって司馬劉になればよかったんじゃね?

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 17:06:53 ID:Bi8KuFf60.net
その場合、司馬備になるでは?

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 17:21:06 ID:Sia4tJbW0.net
劉備 161
司馬懿 179
養子になるなら司馬防 149

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 20:59:05 ID:uGAq4wdq0.net
ごめんなさい、ドラマで曹叡が曹爽に「司馬懿がいて生きたここちしない
やつは長年に兵を束ね、門下は多く朝野にまで及ぶ」といってたけど、
実際に司馬一族はどの時点からどこまで曹操軍や魏に影響があったの?
もし曹操が兵を挙げた時からすでに司馬一族が絶大な影響があったとしたら
若い段階で劉備が司馬一族との親交を深めてたら、
将来魏を内部から切り崩せたかもしれない?

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 21:50:47.53 ID:cULknhib0.net
結果から逆算しすぎやろ

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 23:06:08.22 ID:gUvMXHK80.net
>>658
ダメな歴史ラノベ作家の思考よな
曹爽に転生したってクソも結果から逆算して弟は使えないだの何晏はどうしようもないだのグダグダ書いて司馬氏与党のケ艾を何故か裏切らせるというチョンボやらかしてた
バタフライエフェクトというものを一切考えてないとボロクソの評判だったのも当然だしカクや今の流れにも一緒のことが言えてしまう

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 09:10:37 ID:95qcZ1eW0.net
賈詡の次は司馬懿か…

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 10:51:58.98 ID:IxRSqcAf0.net
具体的にどうやって切り崩すと言うんだね

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 10:55:42.09 ID:IxRSqcAf0.net
というか司馬一族が、劉備が有利になるように動くというのが全くイメージできない

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 11:37:58.78 ID:XwQjPuPN0.net
>>659
確かにここのスレって天下統一できなかった要因を語るんであってあの時にあれをすればよかったこれをすればよかったを語るところではない気がするけどね
スレ1からその話を切り出したのはどこのだれだってか

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 12:30:00.85 ID:IxRSqcAf0.net
天下統一できなかった原因として語られるのが、まずは荊州失陥と夷陵のコンボ
それからそもそも曹操と比べてスタートが遅かったという話と、劉表の所で足踏みした7年
後者2点を注目する時に、当時何をしたら良かったかと考えるのは良いと思うんだけど
さすがに司馬懿はなぁ・・・
何か妙な創作物に影響されたのかと思うような話が飛び出してくる

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 13:20:05.59 ID:XwQjPuPN0.net
>>664
言ってることわかるけどそんなこと言ったら司馬懿だの郭だの言う人がでてくるじゃないですか
夷陵も荊州も7年も曹操も孫権も同じぐらい失態はしていた思うのでそういう発言は求めないかとでどうすることもできない分野で原因をいうのが正解な気がするけどね
例えば曹操の人事には公正性と一貫性があって人材が多かったできる人は昇進しできない人は落ちぶれる
劉備は自分のカリスマ頼みで人事は年功序列だったとかね

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 13:28:59.96 ID:QlC8DM9T0.net
バックアップしてくれる一族がいたのとそうでないの差が大きいのもあるよな

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 13:42:27 ID:mrOj+6dD0.net
劉備の失敗は曹操に助け求め保護されたくせに勝てる見込みもないのになぜか曹操に対し謀反を起こしたこと
10年近く時間を無駄にした

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 13:42:52 ID:JneFTIVz0.net
むしろ、いかがわしい系譜と自分の才覚で三国の一角をとっただけでも十分すごい。

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 14:08:53 ID:IxRSqcAf0.net
>>665
「正解」と言われても困るが・・・665の考えた正解を共有しないといけないのか?
そしてつまり人事が原因だったということ?

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 14:24:36.88 ID:62PHenF00.net
>>668
系譜はいかがわしくない真っ当なものだよ
(当時は根拠なく劉姓名乗ったら犯罪)
前漢の皇族の血筋なんて履いて捨てるほどいるから大して希少価値が無いってだけ

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 14:29:38 ID:62PHenF00.net
>>665
夷陵の戦いや荊州失陥は曹操や孫権には有り得ない劉備陣営独自の性格によるものや
そんな事も理解出来ないんじゃ三国志のイフを語る前にもっと勉強した方がええやろ

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 14:52:54 ID:zrJWx0nF0.net
>>670
その理屈だと黄巾の劉辟も皇族だったってことになるんだが
劉邦の血統以外の劉氏なんて当時いくらでもいた
項羽の叔父項伯らのように劉氏への改姓を許された例もあるし
劉備の系譜がどの程度信用できるかは祖父より先に遡れない程度の信憑性しかない

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 15:02:39 ID:NqdswLT10.net
夷陵の戦い 蜀に荊州出身がたくさんいたからそのための遠征、関羽弔いはその出汁に使われた
荊州失陥 劉備漢中軍と全く連動してない関羽の襄陽攻め、劉備と関羽は入蜀以降全くあっていないからほぼ独立勢力と化しているといっても過言ではない
仮に関羽が襄陽取っても劉備のいうこと聞いたか甚だ疑問
関羽を更迭しない限り荊州失陥は免れない

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 16:32:42 ID:62PHenF00.net
>>672
黄巾の乱には農民だけじゃなく普通に官吏豪族も加わってるから劉辟が前漢皇族の血筋である可能性は普通に高いよ(だからこそ劉備が連携したとも見れる)
劉備の祖父は歴とした県令で劉備の家自体は没落したのに一族のツテで盧植の門下に入れたりと明らかに特殊な家系
後年魏の時代になって匈奴の王族が劉姓を名乗れるようになったという事実から漢の時代は新たに劉姓を名乗る事に縛りがあった事が読み取れる

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 16:47:42 ID:62PHenF00.net
>>673
会わなかったら独立勢力ひなるなら陸遜の晩年も独立勢力やな
そもそも藩濬が劉備の代理である治中従事として内政を取り仕切ってるのに仮節持ってるだけの関羽が独立勢力な訳ないやろ
奇説の殆どがまともに史書を読めない妄想なのが良く分かる

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 16:50:31 ID:62PHenF00.net
そういう意味じゃ
それぞれが私兵を抱える豪族である呉の家臣の方がよっぽど独立勢力と言える

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 17:05:27 ID:IxRSqcAf0.net
関羽が暴走しててコントロールできなかった説までは納得できるが、独立勢力だったは飛躍しすぎだよな
面白い発想だとは思うが

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 19:30:58 ID:zrJWx0nF0.net
>>674
先に挙げた項伯の他にも劉邦に仕え長安を首都に定めた功績を讃えられ劉氏の名乗りを許された婁敬(劉敬)などもいる
また、劉邦は祁姓劉氏を祖とされているが劉氏には他に姫姓劉氏がある
西晋のちに前趙に仕えた劉殷、その曽祖父後漢の光禄大夫劉陵などが挙げられる
このように、漢代を通じて劉邦の一族以外にも劉氏は存在していた
劉氏=漢の宗族というのは明白な誤りだよ
劉備がそうでなかったかどうかははっきりと言えるものでもないが

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 21:04:17 ID:WuYMS+9G0.net
三国志の知識しかない情弱なんだからほっとけよ

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 21:33:51.09 ID:62PHenF00.net
>>678
それらは別に劉姓を勝手に名乗ってた訳じゃないよ
別の系統がある事と勝手に名乗れない事とは矛盾しない
誰も劉邦の子孫以外の劉姓を認めないなんて書いてないやろ?

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 23:37:43 ID:zrJWx0nF0.net
>>680
どうも論点ずらされてるな
最初の論点は劉備の系譜はいかがわしいかどうかだったろ
よしんば先主伝にある通り劉備が中山靖王劉勝の子、陸城亭侯?劉貞の末裔であるとして、漢武帝期に劉貞が爵位を失ってから劉備の代まで250年あまり系譜が遡れないんだからいかがわしいと言えばいかがわしいということになる
劉備の祖父劉雄が孝廉を経て県令になってるところなどから見ても、琢郡劉氏が地元では由緒ある家柄だと見做されていたことが窺えるがそれらは傍証に過ぎない
日本の戦国時代に例えるなら三河の豪族松平氏が、「実は我々の本姓は徳川氏で清和源氏の末裔なんです」って言い出した話程度の信憑性しかない

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 23:44:56.21 ID:zrJWx0nF0.net
>>680
あとついでに聞いておくけど、さっきから言ってる劉氏は勝手に名乗れないって話は一体何を根拠に言っているんだ?

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 05:38:32 ID:1CTP917D0.net
>>681
そりゃ爵位を失って史書の記録から消えた系統なんて傍証で考察するしかないのはしょうがないけど
属尽制度の研究で取り上げられる程にはいかがわしくない
時代を考えれば松平氏とと並べるのは流石に見当違い

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 05:44:12 ID:1CTP917D0.net
>>682
南匈奴の単于(劉淵)の家系
彼らが劉姓を名乗るのは明らかに魏晋朝時代からである状況を見ても劉姓を名乗る事に制限があった事は推察できるでしょ
名前や字ですら皇帝と被る事を忌む時代背景が有るのに皇帝と同じ姓を勝手に名乗れると考える方が無いわな

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 07:53:56.00 ID:UJqKpwzy0.net
曹操は曹氏と直接血がつながってたかな?

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 09:22:35.94 ID:bwIWzfV60.net
よく言われている荊州失陥が無くても劉備の天下統一って無理そうじゃね?
夷陵の戦い回避で劉備の寿命が10年延びたとしても魏も呉も滅ぼせなさそう
結局どこかで関羽あたりが大チョンボやらかして巴蜀に追いやられる同じような未来になりそう

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 09:39:31.45 ID:BS8OJ7Wr0.net
>>686
劉備だけだと言われる通り無理で終わっちゃうから「劉備+劉禅」と拡大解釈するしかないかな
俺は、劉備の代で魏くらい占領してて天下統一のレールができてるくらいならOK程度で考えてる

どうせ仮定だらけになるんだし、話題が膨らむ方向でいいんじゃないかな

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 09:47:06.46 ID:BcZSSJ5n0.net
>>686
それを言ったらこのスレの存在意義がなくなってスレ終了ですよ。

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 10:04:20.09 ID:1CTP917D0.net
>>686
そもそも呉が悲願レベルで絶えず荊州狙ってるからガチで守り固めてても守り通せるか怪しいし魏が有利になる
魯粛みたいな劉備に少し譲歩しつつ北に当たらせるって戦略自体が孫権始め呉の将軍豪族から受けが悪かったんだろうね

内部からのクーデター以外の可能性だと
徐州時代に袁紹と上手く連動して官渡前に曹操が死んでくれるとか
赤壁の時に曹操が死んで呉の目が北に向いてくれるとか
曹操が早いタイミングで死んでくれる以外に目が無い様に感じる

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 10:10:39.88 ID:bwIWzfV60.net
いやすまん
これを結論にして「このスレ終わり!」なんて言う気は無いんだ

蜀が魏を攻めてる間に、魏は呉を唆して荊州を取るように仕向けるだろ
結局同じような未来になりそうだなと
その時に荊州の守りも完璧にできてたら呉も諦めて北伐するかも知らんが
呉は合肥より荊州欲しがりそうだからなぁ

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 10:23:18.77 ID:1CTP917D0.net
>>690
利権が欲しい豪族はもちろん
純軍事的には荊州の長江流域全部抑えないと安心出来ないから孫権や呂蒙みたいな軍人が欲しがるのも当たり前

単刀赴会で有名な魯粛主導の和睦に孫権が内心納得してなかった可能性は高い

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 10:38:00.40 ID:bwIWzfV60.net
魏を倒すには呉の協力が必要
その呉は蜀との同盟より荊州を欲しがってる
蜀は魏を攻めるために荊州が必要
蜀のお国柄的に魏より先に呉を潰すのはありえない
呉と魏は組めるが、蜀は魏と組めない
厳しいが、時間の経過で打倒魏の理念が薄れてきたら呉を併呑してから魏と戦うのもあり?
羅憲あたりですでに呉に領土をくれてやるなら魏に渡すってノリだったし

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 10:52:13 ID:1CTP917D0.net
>>692
羊コと陸抗の例からも正面から長年対峙してると恨みもあるにしても親近感が湧くんやろ
それに降伏後の劉禅が殺された訳でもなく羅憲自身を含め継続して用いられてる状況だから漁夫の利を狙って攻めてくる呉に反発するのは当たり前とも言える

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:17:34.41 ID:bwIWzfV60.net
羅憲を責めてるわけじゃないぞ
創業当時の理念なんて薄れてしまうのは当然であって(劉備も死んでるし)
憎しみや怒りの感情なんて実際に被害を受けた被害者でもないなら、そもそも維持が難しい
蜀は建国当初、とにかく魏を叩くのが国是だったけども、時間が経って冷静になれば魏を叩く以外の国策もとれるようになるのでは、と言いたかった
思考の変化の例として出したのが羅憲

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:18:46.96 ID:bwIWzfV60.net
長年対峙していれば親しみも沸くとはいうが、羅憲って武官じゃなくて呉相手の外交官だったので親しみ度合いは呉のほうが上なのでは
まぁそれでも呉が何か失礼をやらかして羅憲は内心では呉を嫌ってたってのもありそうだし
国が滅び、同盟国が攻めてくる状況ってのも凄まじい
呉が国益を優先するのも当然だが、羅憲が感情的になるのもわかるよ

感情を抜きにしても羅憲の行動は合理的で正しい思うよ
呉に仕官するより魏に仕官するほうが未来ありそうだもんね

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:30:32.63 ID:1CTP917D0.net
>>694
上手いこと呉を占領出来たとしても難しいやろね
むしろ侵略に掛かるコストの分だけ魏の有利に働く
だからこそ三国はそこそこの時間鼎立出来たんやろ

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:38:07.84 ID:1CTP917D0.net
>>695
羅憲は感情の面だけじゃなく当時の戦略状況を踏まえて呉を批判してる
曰く「蜀が滅びれば呉も危険なのに呉は蜀を助けるどころか混乱に乗じてハイエナするアホだから滅びろ(意訳)」
全く持ってその通りになった

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:43:07.73 ID:bwIWzfV60.net
あれって劉禅の降伏が早すぎたんじゃなかったっけ
助ける時間も無かったとか思ってたが、ここの時系列詳しくないから間違ってるかも
呉が末期だったのはその通りでしたね

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:47:20.81 ID:1CTP917D0.net
>>698
そんな事関係なく呉が永安を攻撃しようとしたからこその上の発言

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:50:54.90 ID:bwIWzfV60.net
>>696
まぁ呉を責めてる間に魏が何かしてくるわな
勢力図を維持したまま、どっか弱体化した国の領土をじわじわ侵食するくらいしかないかね

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:52:20.49 ID:bwIWzfV60.net
>>699
関係なく言ってたんだw
羅憲はおもしろいやつだな

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:58:36.61 ID:1CTP917D0.net
>>701
タイミングの遅い援軍を装って結果として永安を攻撃してきたんだから
劉禅の降伏とは関係なく羅憲の発言は面白くもなんともない正論だよ
最初からそのつもりが無けりゃ永安攻撃なんてしてこないやろうし

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:01:47.08 ID:1CTP917D0.net
>>700
というか魏が分裂等して弱体化しない限り当時の蜀に目はないやろ
司馬懿のクーデターが中央だけの話で晋の国力が落ちなかった事で万事休す

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:18:35 ID:bwIWzfV60.net
>>702
劉禅の降伏の有無は重要だと自分は思うな
そりゃいざとなれば蜀の領土の取ることも想定してるんじゃない?
蜀も相当末期の頼りない感じに見えるが
実際、この時期に劉禅も降伏してるし
呉の視点、援軍出しても助かるようには見えないなら領土欲しくない?
戦略的に間違ってる?

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:20:07 ID:bwIWzfV60.net
>>703
それは同感ですね
クーデターがあったと他国が知ったのは全部終わった後だったっぽいし
八王の乱も統一しなきゃ起きない事件だろうからやっぱ晋の勝ちかな

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:30:46 ID:1CTP917D0.net
>>704
呉はおそらく蜀の敗北を見越して最初から永安を奪うべく行動してた(少なくとも羅憲にはそう見えた)から降伏の有無は関係ないよ
降伏直後の混乱時を狙うのは「近視眼的な」戦略としては間違ってないけど
そんな小知恵でどうにかなる状況でも無いだけに蜀の地を戦場にしようとしてるのは許せんやろな

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:33:03 ID:r+X1jIUw0.net
>>689
あとは孫策が暗殺されず劉表を殺害して官渡前に北上した時くらいか
流石に曹操も南方への警戒を優先して袁紹に全力を注げなくなる
一応同盟してるのに一番恐れられてたからな

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:40:52 ID:bwIWzfV60.net
>>706
長期的に見て、呉は黙って見てるのが正解ってこと?
まぁ「助けろや」ってことか

>蜀の地を戦場にしようとしてるのは許せんやろな
あとこれはすごく納得。共感できるわ
やっぱ魏に渡すべきなんや

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:53:17.54 ID:0qbW+ZoD0.net
>>706
とはいえ援軍要請来て1ヶ月以内に援軍向かわせてるので
言われる程遅くないかと
関羽の時は荊州が危機に陥ってから1ヶ月以上経っても
蜀の誰も援軍出す気配すらなかったぞ

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:54:29.39 ID:chvf2OGs0.net
>>707
呉が天下統一する一番のチャンスもここだしこの時期は一番のターニングポイントだったやろな

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:55:53.12 ID:bwIWzfV60.net
呉が劉禅降伏後の蜀に協力的だったとして、どうにかできたのかね
姜維と鍾会のアレを支えるのか?
当時の蜀って助ける価値あるか?

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:01:10.04 ID:chvf2OGs0.net
>>708
もっと早く本腰入れて魏と戦えってとこやろな
陸抗の羊コとの仁政競争なんて羅憲の視点からしたら噴飯ものだったやろうしな

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:05:40.09 ID:bwIWzfV60.net
>>712
呉も北伐してたけど魏に勝てず、成果が出せなかったんじゃないか?
長江を越えて戦争するのはキツかった

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:12:13.09 ID:chvf2OGs0.net
>>711
どうにも出来んやろ
それこそ呉が残ってる内に八王の乱ぐらいの混乱がすぐに起こらない限りは

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:22:03.55 ID:chvf2OGs0.net
>>713
無理してでも成果を出さなきゃジリ貧やけどな
孫皓が暴君化したのも状況に絶望したからって説もあるぐらいやし

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:31:32.50 ID:bwIWzfV60.net
>>715
呉も無理しててアレなんだろ
戦争のために税金上げて国内では反乱増えてたし
人間が足りなくて僻地まで行って人狩りまでしてたんだから、どう見ても無理してる
蜀も成果出せてないんだから、魏がよく守ったと見るべきか
やはり守勢が有利と見るべきか
魏を責める時って蜀は山を越えなきゃいけないし、呉は川を越えなきゃいけない
魏ですら川を越えて呉を責めるのは失敗してるんだから

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:39:13 ID:chvf2OGs0.net
>>716
関羽が襄樊包囲落城寸前まで攻めてるから能力とタイミングが合えば無理な話では無いよ
後に南方の国力が高まったとはいえ洛陽まで軍を進めるケースも有るんだし

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:52:18.75 ID:bwIWzfV60.net
>>717
当時の呉はこれが限界だったと主張したいだけだ
ただでさえ国策で内部分裂してる状態だったんだから
能力とタイミングが合うって、かなりの僥倖で、狙って得られるものじゃないと思うよ
これを得られなかったのが呉の瑕疵というのは気の毒かと

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 14:10:41 ID:1CTP917D0.net
>>718
なお永安掠め取ろうとする余力はある模様
羅憲視点だとそう写るやろな

それが呉の限界だとしたら
瑕疵というよりも孫権の体制が確立して以降の仕様とも言える結末なんだろうね

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 14:22:05 ID:bwIWzfV60.net
>>719
滅亡寸前の蜀軍と大正義官軍の魏軍を比べるんじゃないよ
しかも指揮とってる羅憲て当時は文官だったんだよな?いけるやろ!
羅憲てあの時まで指揮したことあったのかな?よく持ちこたえたよな
籠城だけじゃなくて歩協撃破してるし
現場のテンションを見てみたかった

>孫権の体制が確立して以降の仕様とも言える結末
そう思うよ
豪族のラジコン皇帝になればうまくいったのかな?
でも孫家の覇王のDNAがそれを許さなかっただろうなと思う

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 14:28:15 ID:j00IOSzU0.net
呉は蜀をとられたら統一王手食らうってのが分かってないみたいやね

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 14:38:09 ID:1CTP917D0.net
>>720
孫策に比べて半ばラジコン皇帝だったのが
下手に独裁色強めたのが孫権の晩年だよ

即位当初は孫策繋がりの人材がコントロールしてたけど彼等が亡くなった後は豪族の利害代表状態

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 14:39:59 ID:1CTP917D0.net
>>721
根本的にどこまで行っても赤壁前の魯粛の発言が国の形だったんやろな

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 15:18:44 ID:bwIWzfV60.net
?芝の話も残ってるし、蜀がとられたら終わりってのはわかってただろ
あとはどう頑張っても延命にしかならない
さっさと降伏するのも、優勢な魏に領土を渡すのも国民のためには悪くない選択肢だった思う

蜀も呉も北伐で国力を疲弊し続けるだけで成果を出せなかったのがいけなかった
いけないというか、これが2国の限界だったと見てる
どっちかの国のせいって話じゃないと思うんだが

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 15:22:52 ID:KzA+Brov0.net
弱者連合で大敵に当たるのに共食い始めたら大敵にはその共食いの結果に関わらず弱った方から殲滅できるからね

弱者連合自体が既にリスクの高い選択なのにその根本を自分で噛み切りに行く呉の姿は魏にとっては滑稽だっただろう

あの関羽ですら単独で守れなかった荊州を蜀と対立して独力で維持できんの?モマエ?w
襄陽方面から江陵攻めつつ建業直撃狙いもこっちはできんのよ?分かってんの?w

蜀が漢中から出てきても長安近くまでおびき寄せて補給切れ待つこともできるし無駄無駄無駄!w

回線切って逝ってヨシっ!
みたいな?

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 15:30:46 ID:bwIWzfV60.net
曹丕さん成仏して

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 17:14:19 ID:r+X1jIUw0.net
>>722
呂壱とか皇帝お墨付きの中央集権体制構築の担い手だったのに豪族に足元掬われたって典型的な例だからな
呉は政治体制の脱皮をさも悪事のように書き記して失敗を善行だとするからタチが悪い
豪族に媚びて宗族殺して権力をバラバラにした孫休とかいうガチガイジが孫皓を狂わせる決定打になってしまった

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 22:27:52 ID:UJqKpwzy0.net
司馬宣王のための諱はここでは使う必要ない

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 22:40:10 ID:aXb+4sYI0.net
>>727
君みたいに現代の価値観で歴史を語る馬鹿者には永久にわからないことだよ

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 22:49:03 ID:7ktNuhaH0.net
生産性がないことしか書けないけど言い返さないと気が済まない>>729であった

呉の豪族ラジコン政権は後漢のもう一つの末路であり六朝の原型なのは常識だぞ
それを永久に分からないことと抜かすほど高尚に思ってるお前の脳みそが残念過ぎる

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 23:02:04 ID:bwIWzfV60.net
ラジコン皇帝って悪くないよな

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 01:35:47.90 ID:WmsTKwYW0.net
呉と東晋以降の南朝の共通は文化くらいやろ

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 01:55:01.12 ID:Ig5QTyCV0.net
>>732
君みたいに現代の価値観で歴史を語る馬鹿者には永久にわからないことだよ

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 02:06:36.72 ID:62yDeTFt0.net
>>732
土着豪族と亡命士族の連合体の地方政権という点では孫呉も東晋も同じだが
実権を亡命士族が握ってるのが東晋、土着豪族が握ってるのが孫呉と差異はあるね
そういう意味ではむしろ東晋は蜀漢に近いのでは?

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 02:22:55 ID:y9mBJTfB0.net
魏の制度を踏襲して蜀漢みたいに亡命士族が権力握って土地は呉って
東晋って三国志の集大成みたいな国だな

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 03:26:07 ID:J5rCT4ZK0.net
>>698
263年05月 魏の蜀征伐決定
263年05月 呉の交州で呂興が反乱(-271年まで続く)
263年08月 三路より魏軍進入
263年09月 漢中陥落
263年10月 ?艾が剣閣迂回して江油制圧
263年10月 蜀から呉へ救援要請 呉は寿春・沔中を攻撃 更に蜀へ援軍準備
263年11月 蜀降伏
263年12月?呉の盛憲が永安到着 羅憲と交戦状態に
264年01月 鍾会の乱 鍾会・姜維・?艾ら死亡
264年02月 呉の歩協・留平が永安到着 羅憲と交戦して敗北
264年02月 呉の陸抗の援軍到着して永安包囲 羅憲は陳騫に援軍要請
264年03月 劉禅を洛陽に移送 霍弋魏に降伏
264年07月 胡烈の援軍により呉軍撤退

ざっくりだがこんな時系列
呉の援軍が永安に到着した時点で蜀は存在していない
呉は蜀を助ける時間も無かったのが正解
羅憲はその時点で姜維みたいに蜀を復興する計画立てる訳でもなく
呉の援軍支援して永安明け渡して魏と交戦するのを選ばず
魏の人間として呉と対決する道を選んだ以上呉と交戦するのは必然
まあ忠誠を誓う劉禅を魏に人質にされている以上仕方ないが
それにしてもいつもは陳寿の三国志は捏造とかいう奴よく見るのに
それよりも信憑性の薄い資治通鑑(晋書)の羅憲の発言に誰も突っ込まないのはある意味滑稽

737 :698:2020/04/14(火) 07:27:58.43 ID:Lr1OwH/q0.net
>>736
ありがとう
晋書だから羅憲の発言も眉唾だと思ってる?
他の史書とも照らし合わせて吟味するんだろうけど、自分は勉強不足もあってそこまで判断できないわ
蜀が国体を維持できなかったのは蜀自身のせい、蜀を滅ぼしたのは魏だと思っているから
羅憲が純粋に呉を詰ってるとしたら、その思考に違和感あったんだが晋書が都合のいいように書いていると言われれば納得できる

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 07:55:26.79 ID:oqRY0WU70.net
晋書の時点で蜀漢正統論はあったりそれにのっかったんやろ

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 08:19:53 ID:J5rCT4ZK0.net
>>737
晋書の羅憲伝は習鑿歯の襄陽記の丸写しらしいので明らかに蜀よりの視点
裴松之に「名前が羅献になってるぞ」と突っ込み入っているので
いい記事も書くが酷い記事は酷い習鑿歯らしいというか
羅憲の発言だけみると>>708みたいに「助けろや」と
まるで玄倉川水難事故の犠牲者みたいな思考にしか思えんので違和感しかない
呉の記事は呉の視点だから全て胡散臭いと騒ぐ奴が
羅憲の発言については完全スルーという面白い現象だったのでつい

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 09:04:50 ID:Lr1OwH/q0.net
>>739
どうもありがとう勉強になりました
羅憲の違和感が解けましたわ

永安を呉から守り魏に渡したり、魏の援軍要請したり、行動は魏の人間
同盟国の呉が助けないのが酷いと言いながら、自分は魏の味方をして同盟国に対して利敵行為を働いている矛盾
蜀が滅んだのは国力が疲弊して魏から守れなくなったからで、劉禅も降伏を選んだ
自国への内省や、蜀を滅ぼした魏を恨むでもなく、呉を批難
この思考が本当に謎だった
行動だけ見れば魏に降伏してるし別に違和感ないんだけど、発言が変なんだよな

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 09:05:55 ID:AoqS6Bkn0.net
>>735
蜀と違い名族連中がほぼ反北伐やし内乱ばかり起きるし挙国一致出来たのが皮肉にも劉裕くらいの時やしかなり違う

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 11:39:58.40 ID:wdYBIXLu0.net
>>741
そこらへんが呉と一緒なのよな
既得権益さえ守れたらいいから北伐するのは権益を持てない奴やそれへの当て馬ばかり
孫皓がダルマにされて強行できなくなってるような状態とも言える

>>741
羅憲の教育を受け晋にもしっかり登用されてる羅尚がヒール扱いされているところを見るに
史家が味方したかどうかの差が二人の評判を変えただけであり
無難かつ堅実で立場の範囲内の行動しかしてない本質は同じに思える

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 12:04:33.64 ID:Lr1OwH/q0.net
そうだねぇ
自分は言葉より実際にどんな行動をしたかを重視するんだけど
言葉や文字というのは、口では何とでも言えるし、後から何とでも書けるんだな

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 12:15:09.13 ID:rrT0LirH0.net
呉の天下統一なんかまず無理やが東晋は色々と惜しい時期はあった
劉宋以降は天下統一する気配が感じられず呉を受け継いでる訳でもないのに呉とおなじく引きこもってしまい挙げ句宇宙大将軍の乱で建康壊滅
その後は北朝勢力にいつ飲み込まれるかが焦点になってしまった

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 12:22:22 ID:dLKiDtIj0.net
>>744
華北が大乱から北朝に収束回復していくにかけて南朝が手出しできなくなるって事情もあるやろな

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 12:31:54.67 ID:Wvw3UaP40.net
北魏が東西分裂直後なら梁武帝もまだ呆けてなかったし陳慶之もいたしワンチャンあったと思うが肝心の蕭衍が中原の異民族の駆除をする気がなかった

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 12:48:19 ID:i0D9ueemO.net
陳覇先が北斉を大破したのも結果的には呉が蜀を叩いた様な物か。

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 13:04:54 ID:gKqYwtwN0.net
北魏分裂により相対的に梁が東魏西魏より上になったのに弱い西魏と組んで東魏に対抗だもんな
普通は東魏と組んで西魏討伐でしょ
弱い方から叩く

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 17:02:56.21 ID:8b0BWKN40.net
すいやせん
姜維と王平はなぜ蜀にあれほど
献身的だったのですか?
魏は夏侯覇や王平は見たいな人材は
ざらにいるんですか?
なら蜀が勝てるわけないですね

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 17:07:06.61 ID:wdYBIXLu0.net
>>748
あわよくば弱い勢力を戦わずして取り込もうとしたんだろう
大友と組んで島津を叩いたり反北条勢力と組んで北条を叩いた豊臣の手口と同じだが
圧倒的な差がない状態で行った挙げ句梁自体が迷走したのだから救えない
まあ目論見が成功しても六鎮の乱の原因からして内乱祭りになるのは目に見えてはいるが

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 17:51:21 ID:gK+2JrQp0.net
周瑜の目論見通り呉は魏と組んで蜀を早々と潰すべきやったね

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 18:44:44.00 ID:UNsYcj+00.net
>>751
黄祖倒すのですらとんでもなく時間が掛かってるのに永安(白帝城)抜く力ないやろ

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 19:31:31 ID:Lr1OwH/q0.net
永安ってそんなに抜きにくいのか?

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 19:40:31 ID:UNsYcj+00.net
一番の敵は有力豪族の本拠地である揚州(呉)からの距離
誰も本気になってやりたい奴おらんやろ

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 20:22:20 ID:Q+R9vS7g0.net
江陵から向こうは魏との対抗だけで言うと現実的な拡張範囲超えるからな
魏を凌いでその先に天下二分、天下統一まで見据えるなら必要になるって話で

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 20:30:34 ID:dLKiDtIj0.net
そもそも周瑜の目論みは劉備軍閥吸収しての天下二分やからなあ
孫権の代になって中原で戦い慣れしてる兵や将軍に不安があるんやろな

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 21:07:22 ID:Lr1OwH/q0.net
劉備吸収の時点で計画倒れだな

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 21:28:31 ID:dLKiDtIj0.net
>>757
だから魯粛の案になるんやけど
孫権や他の将軍豪族にとっては「そんな事より荊州だ」って感想になる

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 21:53:00.67 ID:Lr1OwH/q0.net
荊州重要だしね
劉備に守らせるにしても、劉備陣営が呉より弱小勢力であることも必須条件の一つなんじゃないかな
防衛の要を握られてるだけに呉より力を持たれたら困る
無理に奪ったのは劉備陣営が怖くなってきたのもあるんじゃないかい

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 22:37:37.78 ID:Lr1OwH/q0.net
言われているように蜀の土地は攻めるのも大変、維持も大変なんで呉以外のどこか弱小勢力に持たせておきたかった
それを劉備陣営に押し付けた
陸遜は夷陵で蜀が反抗できなくなるまで叩き、まぁ魏に攻められてエグい国難を迎えたけどなんとか乗り切った
蜀とも再同盟できてラッキー
なんか呉を執拗に攻めて来た曹丕も死んでラッキー
これで周瑜の考えた天下2分の計に近い、安定した形まで持って行けた
陸遜はしばらく内政に専念できるだろう・・・と思ってたら孔明が北伐に誘ってきて孫権が乗っちゃった
北伐に反対したら孫権と関係が悪くなって家臣団も北伐派と非戦派で真っ二つになって呉は滅んだ

蜀と再同盟しないで孔明に北伐の話を持ち出させないほうが良かった?

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 22:46:52 ID:y9mBJTfB0.net
>>749
王平は元から益州出身で益州育ちだから
地元志向の人間なんじゃないだろうか

姜維は自身の発言とか見る限り
栄達を望んでいる人間だから
人材が足りてない蜀の方が自分の能力を活かせて上に立てると思ったんだろう

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 22:52:12 ID:y9mBJTfB0.net
>>760
孫権と臣下の関係が悪くなって国が衰退したのって
北伐関係無く後継者争いによるものじゃない?

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 23:00:31 ID:Lr1OwH/q0.net
>>762
あ、ごめん。そこは陸遜が北伐に反対したら陸遜と孫権の関係が悪くなったってこと
二宮の前からすでに豪族同士で対立してて、表面化して爆発したのが二宮
呉を攻めたがってた曹丕が死んで、外圧が緩んだ途端に国策で揉めて仲間割れ始めた感じ

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 23:04:31 ID:8b0BWKN40.net
>>761 なるほど、ありがとうございます。

765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 03:37:48.41 ID:25iMduxo0.net
陸遜は合肥攻撃には反対しとらんやろ
(むしろ助攻ともいうべき襄陽攻撃までしてる失敗しとるけど)
合肥は建業から目と鼻の先にある拠点だから豪族連中にもそれなりに意味のある攻撃なんや

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 03:45:35.82 ID:25iMduxo0.net
陸遜の姿勢は「卑しい者達の売名目的の言葉に耳を貸さないよう願った」って辺りに集約されとるな
これ甘言に注意しろって諫言に聞こえるけど豪族を代表して孫権に見え始めた側近重用に釘を刺してるんだよね

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 07:17:03 ID:GAZl+ye40.net
蜀とられると長江上流から船で攻め込まれるから呉としては滅亡の危機になってるんだよなあ
なので防衛上蜀不要はありえない

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 08:57:49 ID:KO7RvHto0.net
>>765
曹丕が死んだあとくらいに陸遜は兵役の軽減と税の緩和を主張してる
もう(ひとまずは)国内だけ守って領土広げる気は無かったんじゃないかね
反対が言い過ぎなら慎重論だったてことで
それで孫権はこのまま専守防衛を貫いていてもそのうち手詰まりになると反論し、北伐を始める

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 09:06:01 ID:KO7RvHto0.net
>>767
そうだね。不要と言ったつもりはないが・・・そりゃ蜀も統治できりゃいいんだが
でも現実に呉には蜀を占領統治する力が無いとしたら、呉を攻めることができないレベルの勢力に守らせるのがいいんじゃないかね
山があるから魏から自衛するくらいはできるんじゃねって

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 09:11:51 ID:mko0q+3q0.net
>>737
劉昫「『晋書』は諸書を参考に詳しく書かれている。ところが、編纂に当たった史官は文士・歌詠みが多く、
デマや誤報、くだらないゴシップを喜んで書いているような程度の低い連中で、広く異聞を集め、
所々で評論家ぶって美文を書こうとしているが、真実を追求していないので学者はひどくバカにしている」

晋書はイエロージャーナリズム的扱いで史書としての評価は三国志よりも遥かに下だから
晋書の発言部分なんて信憑性は小説の類と変わらんからな
それを信じて評論するID:1CTP917D0とかは三国演義を基に歴史評論する奴らと変わらん

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 09:25:08 ID:RYZX+/pT0.net
鮮卑出なのをごまかすための国家事業的な隠蔽のために作られたのが晋書やし

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 10:03:18 ID:25iMduxo0.net
>>768
呉にとって合肥は取りたい土地だとは思うよ(普通に場所が建業に近すぎて危険)
ただそんな合肥ですら呉の豪族連中にとっては取れたら良いなぐらいに陥るところが呉の病巣とも言える性質

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 11:38:46 ID:d8f65MeR0.net
建業防衛の価値的にいうと蜀>合肥
煬帝の大運河出来るまでは合肥ルートからのみの建康攻略はすべて失敗

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 12:36:16.04 ID:+Pl/t22u0.net
>>773
武漢が呉攻略の最重要拠点
ここを晋は抑えたからこそ大船団を安定して投入できた

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 14:16:45.01 ID:25iMduxo0.net
>>773
現代の視点から結果論で当時を語るという歴史を見る際に一番やっちゃいけない事を軽々やってて草

濡須口塞いで必死に守ったから保たれたのであって合肥からの攻撃に脅威を感じてたのは五度に渡る大規模な攻撃で示されてるよ

776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 15:18:50.02 ID:uHdstCYk0.net
配置されていた武官が都督以外では国内ナンバーワンの経験値な人ばかりだったのを見れば分かるしね
首都防衛司令とも言うべきポジション

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 17:28:52 ID:2BGld8Io0.net
ふわっとしたこと言ってないで典拠を示せよ
晋書のことバカにできなくなるぞ

778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/15(水) 18:21:41.31 ID:lIXbqK8a0.net
寿春合肥方面からの侵攻は例え騎兵含む100万の兵が来ても8万くらいの寡兵でさえ防ぎきることが出来るが
上流からの船団はそれなりの数を揃えないと南京防衛は厳しい

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/16(木) 14:58:52.78 ID:849Vnqc+0.net
夷陵の戦いってどんな真実だったの?
本当にその敗戦で孔明が蜀単独の軍事行動
で魏攻略は無理と判断し呉と同盟でしか
なし得なくなると決めた決定的敗戦だったの?

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/16(Thu) 16:02:12 ID:9+dVAcv90.net
西晋や隋のように長江上域から船で荊州に攻めこめば勝てるのに劉備のみボロ負けした

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/16(Thu) 16:38:13 ID:WUto5dlg0.net
>>780
水軍は関羽が使ってて壊滅か投降したやろな
船の準備は金と時間が掛かる

782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/16(Thu) 18:58:07 ID:/I/5Y1R+0.net
その辺は黄権にきいて

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/16(Thu) 19:31:24 ID:RQYdcrbw0.net
>>779
魏というか曹丕が完全に蜀ガン無視で呉さえ倒せば天下統一出来ると魏始まって以来の主力をまとめて投入するくらいにはヤバい敗戦だったよ
将軍クラスがまとめて死亡か投降していてそいつらがそこでいなくなってなければ北伐の層も厚く登山家の出番もなかったかと思われる
全員がそうとは言わないが生きていたら王平みたいに北伐で台頭してきたのもいただろうと

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/16(Thu) 19:32:34 ID:6gXCCVbn0.net
>>781
先主伝に呉班、陳式が水軍を率いて夷陵に屯して長江東西を挟んだってあるだろ
一次史料にすら目を通さず適当ぬかすなボケ

785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/16(Thu) 19:42:04 ID:OsWjOlWo0.net
戦死者だけで万を数えて投降者なんかも含めると数万の損失だし
黄権や馬良を始めとする人材的な損失も相当大きかったからなあ

786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/16(Thu) 19:46:24 ID:/I/5Y1R+0.net
馬謖「しめしめ」

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/16(木) 20:17:36.72 ID:X2/WvkK00.net
劉備は戦を知らないとドヤってるが蜀軍が押してるときに建業に攻め込まない曹丕って戦略眼ゼロ

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/17(金) 00:51:22 ID:qx5H6S5X0.net
関羽の猛攻で魏が消耗してた
蜀は荊州を失った

それらと対照的に呉だけは消耗少なく荊州を得た
そして蜀は荊州奪還のために劉備が自ら出兵

さてこのタイミングで魏が呉に攻め込め込んで何のメリットが?
魏と蜀の連携はまず蜀建国の経緯からないわな
そしてもし蜀の攻勢に乗じて建業方面狙う動きを魏が見せれば、荊州の一部を蜀に譲ってでも講話をまとめて魏への防衛に専念するわな

魏は消耗した後で蜀の動きに乗じて呉を侵攻しようとしているのに呉と蜀があっさり元鞘に収まるのを促した上で結局呉と単独で向き合うなんて事になったらそれこそ間抜けだわな

そしてその程度の予想ができない奴はまあいないわな、お前さんを除いて

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/17(金) 01:06:16 ID:0RqsGz8r0.net
曹丕の失敗は夷陵の後、呉を攻めた事だよ
ボロボロ状態の蜀を攻めて滅ぼすべきだった

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/17(金) 02:07:12 ID:KWvbQfpL0.net
禅譲を前後して涼州では酒泉の黄華、張掖の張進、西平の麹演、雍州では馮翊の鄭甘などの反乱が頻発してたからな
蘇則、張既らによって鎮圧していたものの
後方が政情不安で兵站の確保もままならないまま蜀征伐を強行していたとしても上手くいっていたと思えないな

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/17(金) 05:38:38 ID:iVJ9KeeB0.net
このへんの戦争の動機は窮鼠猫をかむのようなもの
圧倒的勝ち戦以外は避けるのが常套
ただし示威行動としての出陣は除く

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/17(金) 08:20:13.77 ID:F/WD6MXZ0.net
曹丕「魏から蜀への本格的な侵攻の準備がどんだけ大変か想像出来んアホがおるんやな」

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/17(金) 10:16:27 ID:7Sfuamrm0.net
曹丕の行動を予測した朱然が止めたからあれだけフルボッコではあるけど蜀はあの程度ですんだわけで
曹丕が呉に攻める意思を見せずに蜀側に軍勢を集めていたら朱然が止めたかは分からないから呉への対応や内乱に追われる状況で内通者も当然出るだろうから守りきれたかは分からんよ
たった五年かそこらであそこまで立て直した諸葛亮は蜀じゃ傑出した逸材よ、普通はそのまま滅んでおかしくなかった

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/17(金) 10:40:26 ID:olYPhOFN0.net
>>793
おまえさんみたいにゲーム脳の人間は北の国境すべて安全地帯だとか思ってるんやろうなあ

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/17(金) 10:49:22 ID:1qj8O9qk0.net
三国関連スレは演義の内容が史実と思ってる奴らがほとんどやからなww

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/17(金) 17:40:30.77 ID:7Sfuamrm0.net
>>794
その後呉に攻めた規模考えたらそれを回せば攻める余力はあるでしょ
長年に渡って呉攻めで浪費した後の完全に不意をつかれた北伐ですら曹真達を回せるんだから

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/17(金) 19:02:31 ID:r8367hEq0.net
>>796
防衛戦と遠征を一緒にする馬鹿

798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/18(土) 08:00:47 ID:QnuBr62B0.net
三国志演義がうそってなんでわかるの?
中国政府が孔明の偉大さを証明するためにお金使って
本当に東南の風が吹いたことを証明したけど
でも史記が正史なら演義も正史扱いでしょ?
○○〇斬られた司馬遷がまともに真実かけるわけないし・・・

799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/18(土) 08:51:49 ID:+G2fGak+0.net
一度病院行ったほうがエエで

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/18(土) 10:06:31.65 ID:aZlmI3v70.net
明シンパを増やすために作られた誰が書いたかよく分からない小説と三国時代に生きていて晋朝につかえた人物、どちらの書き手に信憑性があるのか

801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/18(土) 10:09:08.84 ID:7YA7MgFwO.net
流石に釣りだろ

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/18(土) 12:58:09 ID:dQTgKpzu0.net
たまに本当にそうだと思い込んでいる人がいるから怖いんだけどな

謙信が女だった説をブログで生理の話題含めて語る女とかいるし

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/18(土) 13:24:14 ID:QnuBr62B0.net
>>799-802 ちゃんと意味をつかめよ
正史も演義も全部嘘だろといっているんだが
だいたい今だってまともな感染者数も死者も伝えていない中国が
正しい歴史を残したとは考えられない
信憑性は全部ない
うその正史とうその演義なら土俵は同じってことだろ

804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/18(土) 14:03:14 ID:I2o6JNMo0.net
正史は本当の事実を歪曲し、権力者のための歴史の事実
演義は正史から続く人物評で更に高評を得た英雄、没後に霊異を顕し神となった元人間の伝説と神話

ウソでくくるのなら、どちらもだが悪質なのは正史
仮に中国共産党の正史なんてものが書かれたら大躍進政策、文化大革命の大失敗に
天安門事件なんてものは触れられることすらない
というほどにアンフェアな歴史として書かれてしまう


演義を嘘かホントなんていうのは、北欧神話のオーディンやインド神話のシヴァが実在したのか?的なことを追求したがろうとするナンセンスにも似る

中国の場合は正史=史観 の絶対性はなく、現に三国時代の史観は小説である演義が中心になっている

三国時代のみならず、正史との整合性の合わない史跡なんて中国には数多い
唯一の真実と言えそうなのは、確かな物証(それも信じるかによるけど)による考古学検証が十分になされた曹操の死因が虫歯の悪化によるもの、とかそういうものくらいよ

805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/18(土) 14:33:13 ID:h/6VxszS0.net
反三国志の作者みたいな事を言ってて草

ファンタジー史観や俺史観の定番の台詞やんけ

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/18(土) 14:55:06 ID:7YA7MgFwO.net
全部嘘さそんな物さ

807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/18(土) 19:00:34 ID:FK5p4sl40.net
>>805
妄想モードの真人様に触れてはいけない

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/18(土) 19:20:45 ID:7YA7MgFwO.net
清史ってかんせ

809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/18(土) 21:54:40 ID:p6Pi5Su00.net
三国のうちじゃ、劉備が最も覇王がら遠い
むしろ曹操が天下統一してもおかしくなかったが
無類の女好きが災いしたのか

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/18(土) 22:15:30 ID:cd4jLycG0.net
女好きでなく長江の天険なめくさってたアホ

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/19(日) 08:29:31 ID:/zN+1X6N0.net
ドラマ見たけど、ドラマの陳羣がいうには
司馬一族は代々続いている漢の豪族で重要な役職にいたのか
これじゃ御家人筆頭の足利家と同じじゃん
天下取る下地は劉備よりもはるかに上だな
ムシロ売りから北の激戦区を乗り越え、南へ行き益州まで取った劉備はよくやったほうだと思う

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/19(日) 08:51:20.62 ID:/t9KEa5MO.net
ここはドラマや演義準拠で語るスレなんですねw

813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/19(日) 09:21:35 ID:/zN+1X6N0.net
これうそなんですか?司馬懿の先祖は河内で定着した豪族なんでしょ?
河内といえば黄河対岸の洛陽と許昌の中間地点ぐらいかな
漢室復興できた劉秀も河内を足掛かりにしたからてきたんじゃないですか?
河内豪族の司馬一族のかかわりもあったのでは?と思ってもなんら不思議じゃないと思いますが。
日本でいうと鎌倉幕府において足利氏と同じくらいの有力御家人のような気がします。

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/19(日) 09:57:28.32 ID:AHTO+TSf0.net
は?

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/19(日) 10:10:09 ID:7vZeDBfs0.net
義経って平泉脱出して北海道経由で中国大陸に渡ってジンギスカンになったしね

あと喫茶店に黒の革ジャン来てバイクで乗り付けカウンターでコーヒーを飲む客は実は仮面ライダーの中の人だしね

とかと同じレベルの話をされても

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/19(日) 13:26:41 ID:MNKoG7VV0.net
劉備が天下統一できなかった最大の原因

・史実で天下統一が出来なかった劉備の天下統一の可能性
 そして、その天下統一の可能性を妨げたであろうと思われること

これを好き嫌いの感情論抜きで話
ってこと自体が無理だったのよ
スレとのテーマ性はそれるが>>804のような既成事実にアンチ感情による
嫌悪感をむき出しにしてるようでは、今後も「劉備が天下統一できなかった最大の原因」を
中立的観点から話せる様な冷静さを期待できるのかね?

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/19(日) 14:07:08.31 ID:xWuSQ+nI0.net
孔明がしんだ後どうなったか知らないのが書き込みしてそう

818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/19(日) 16:04:44 ID:3LFnfuzf0.net
陳寿があれだけ祖国を贔屓して書いた三国志を悪質とはこれいかに

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/19(日) 16:29:22 ID:Z5HlBzE60.net
>>818
陳寿いなかったら蜀漢なんて成漢とかと変わらん扱いだったのにな

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/19(日) 17:04:28 ID:EMy84Sc90.net
司馬懿の中華ドラマの宣伝を書き回っているやつが暴れてるの?

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/20(月) 14:39:47.89 ID:ylEILrhV0.net
>>816
史実ってなんだっけ
中国はまともに史実を書き残せてるかな

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/20(月) 14:59:20.64 ID:EtpHXHz80.net
古代でちゃんとした歴史書残してるの中国とローマと中東しかないぞ

823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/20(月) 15:10:31.69 ID:ylEILrhV0.net
どこがちゃんとした歴史書なんだ?
当時逆らったらやつを殺して認めさせただけだろ?

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/20(月) 15:18:02.65 ID:ylEILrhV0.net
俺は正しい歴史書を朱元璋に見せる気は無いな
あいつなら片っ端から歴史家に誤りを認めさせるに違いない
それにそういうやつが1人や2人いたっておかしくはない
史実は嘘っぱちだから
議論は三国志演義やドラマでいいよもう
みんなわかるし議論も活性化する
俺が許す
おい、ドラマーはいいよ出てきて喋れ
俺が許す

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/20(月) 22:15:20 ID:WODglwOd0.net
>>819
それはちと違う
蜀漢は隋唐に至るまで色んな王朝の正当性のために使われてる
例えば匈奴漢は劉備にも廟号を贈って前後蜀漢全てを継ぐ正統王朝だと喧伝した
東晋も匈奴漢が滅んだ後に桓温の台頭を防ぐため蜀漢正統論を造り上げ漢晋春秋に至った
前秦もまたテイの服属元であった蜀漢を持て囃し漢初のガバガバ政治を理想とした

演義以前にもこれだけ政治的に利用されているのが「劉姓の漢」のブランド力
北周か後燕が全てを飲み込み鮮卑を是とする歴史を全土に布くか
宇宙漢が統一して漢のイデオロギーを高次に発展させた文明を築くか
元が漢民族を虐殺して中国全土を予定どおり草原にしてしまうかしないと
蜀漢こそが正統だという負け犬ウィルスがミミズのように地面から這い出てくる

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/20(月) 22:37:26 ID:sC/TujoL0.net
人生の負け犬もネットでは饒舌で勇ましいだなw

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/20(月) 23:58:19.06 ID:ar/JXKoN0.net
桓温は業績見る限り簒奪する気があったとは思えない
慕容垂に負けたのが痛かった

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 00:27:50 ID:hQ+yoAlj0.net
でも現に息子の桓玄は簒奪を行っているじゃないか
桓温が曹操のなり損ないならば桓玄は曹丕のなり損ないだったってことだよな
曹操はともかく、曹丕ってわりと過小評価されがちだけどこういう同類と比較するとわりとマシな部類だよは

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 08:43:35 ID:1YVdqO8m0.net
>>828
曹丕は継承が危ぶまれたのを年齢とリアリスト思考で勝ち残り実力をつけた
比較対象としては永楽帝や揚広や李世民が近い

それに対して桓玄は物心つく前に一族が権力の絶頂を手にしていて年上もみな自分のために動くもんだから勘違いしてしまった
比較対象としては司馬炎が適切

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 09:19:33 ID:vXpOc8py0.net
三国演義に三国時代の史観を奪われた時点で正史の方が負け犬なんだけどな。

骨子となる武廟評価、関羽と張飛の逸群の武勇、講談師の英雄譚。
朱子学での正統逆転を得て、更には張飛と諸葛亮の超人化
そして神格化した関羽を取り込んだ史観は民衆、インテリ、権力者と全ての人間に
受け入れられた。

その史観をファンタジーに満ちたフィクションであり異端と
勉強不足の未熟者が叩いたところで史記の五帝本紀を見ろ、と博学な識者に
突っ込まれてお終い。
本来の本紀に描かれている真の王者は神話上の英雄のようなもの。
陳寿はそれを勝手に改変して人間レベルにまで「本紀」に書かれている英雄のレベルを落とした。

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 09:26:40 ID:P2XmpLcZ0.net
桓玄は司馬道子倒した後すぐ簒奪せず劉裕みたく弱体化した鮮卑叩いて親父並の実績あげれば足元すくわれることもなかったのに
まあ親父がどれだけ名族に足を引っ張られたか知らなかったのだろう

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 10:55:57 ID:o2SuvIro0.net
まーた後付け宗教で歴史上書きできる論のアホ沸いてるな
それ認めたらオウムすらも正義になるっつーのに…

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 11:26:45.52 ID:IokBLVqM0.net
後付けありなら実は劉備が統一してたけど後の権力者により今のように書きかえられてた説もありになるのにそれすら気付かない真性ガイジ

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 11:47:14.89 ID:QkF35Cue0.net
>>830
まず字統とか字通を開いて「歴史」の勉強しなさい。

835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 14:00:39 ID:vXpOc8py0.net
>>832
>まーた後付け宗教で歴史上書きできる

それが中国の三国時代の歴史観だからね
民衆の支持を得たい権力者が民衆本意の小説を持ち上げ、権力者に媚びるインテリも
それに従った
ただし、若干の抵抗はして儒教の要素も取り込ませた
だから、明の時代の三国演義の関羽は半神半人のような存在なのに、清の時代の改訂版では忠義の模範となる人間になった
権力によって作られた正史が、より大きな権力を持った存在に呑み込まれてしまった、という歴史があるんだよ

証明のしようのない歴史の真実などインテリは勉強しない
社会に通用しない無駄を学ばない賢さがあるからいい立場に就けるのよ
他人を煽って自分の意見が通用するのなら誰も「勉強」なんてしない

836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 14:26:04 ID:PaehQGJQ0.net
勉強の意味が中国ではそもそも違うこと知ってなさそう
そして自分の信じたいものだけが正史扱い
真実人様の戯れ言ここに極まれり

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 14:32:10 ID:vXpOc8py0.net
正史扱いじゃなくて、史観が正史基準ではなくなる歴史観がある。と言ってるんだが?
正史は正史のままよ
ただ、史観の正統ではなくなる
民衆レベル、すなわち社会の常識としては、そういう無駄は学ぶ意味もなくなり
社会に出ても役に立たない存在に落ちぶれてしまう
臨機応変な社会構造に適応できてないからね

正史は正史として存在している、ただ知りたい人だけが雑学として
自分の趣味にしている程度

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 14:36:40 ID:PaehQGJQ0.net
だから、明の時代の三国演義の関羽は半神半人のような存在なのに、清の時代の改訂版では忠義の模範となる人間になった
権力によって作られた正史が

と発言した矢先にこれである
3歩歩けば忘れる目出度い脳味噌なのだろうか

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 18:41:01 ID:vXpOc8py0.net
何が言いたいのか、よく分からないんだけど…。
どういうツッコミなのか説明してくれない?

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 18:54:29 ID:lSrNm/eV0.net
アリに人の言葉は理解できないという話だよ

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 19:17:32 ID:hQ+yoAlj0.net
相手してやるからつけ上がるんだよ

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/21(火) 20:52:14 ID:op9jAxuYO.net
ほぉ
乾隆帝が関羽に帝号を追贈したのは
神→人への降格の意図だったのか。

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/26(日) 01:45:06 ID:8SyQN/290.net
三国志−研究家の知られざる狂熱−
https://ddnavi.com/serial/sangokusikyounetsu/

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/26(日) 12:57:28.55 ID:V7d/jSi40.net
三国志に劉備にオカンはつきもんやとおもとったわボケ

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/27(月) 12:26:54 ID:ruo+R+ru0.net
>>836
>勉強の意味が中国ではそもそも違う
内容的には歴史学というより民俗学に近くない?

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/27(月) 13:22:48 ID:vFktCVgq0.net
民俗学が史観の中心になってるのが中国における三国時代だしね。
有名史跡のほとんどが三国演義やそれ以前の民間伝承によるものだろうし。
三国時代の「常識」を三国演義によることは間違いでもなんでもない。

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/27(月) 20:26:56 ID:idqxkoRc0.net
なにいってだこいつ

848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/27(月) 22:34:46 ID:HzQxdIET0.net
その有名史跡とやらは80年代以降の国家による
「観光地」政策の一貫で整備されたのばっかりで
民間伝承もへったくれもねえのに…
琢郡の三義堂も改装以前は既に学校施設に転用されてから
更に年数が経って廃墟手前になってたし
あの武侯祠ですら80年代以降の大改装後の姿でしかない。
中には元は小さな廟で位牌しか置いてなかった所が
いまや巨大化門扉塀付き、どう見ても最近作の写実的人物像がデカデカと鎮座する徐庶祠とか噴飯モンだぞ。
ンなもん真に受けちゃあ、さぞかし当時観光整備政策を推進した中共の役人がホルホル喜んだろうよ。
文革の徹底的な更地と以降の中共の徹底的な大改装舐めたらアカンw

849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/28(火) 06:22:17 ID:yZWyj9ks0.net
杜康潤センセイも描いてたけど曹操の地元なんてディズニーランドみたいなアミューズメントパーク化されてたからな(笑)

発掘調査(竹簡など)とかはともかく民間伝承()なんぞ
あてにはならんわ

850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/28(火) 09:40:23 ID:wpg6S5QZ0.net
つまり、中共に潰されるほど本来の歴史は脆いんだろ。
本来の歴史記述に信用性もおけずにリスペクトもされないから、歴史に聖域もなく
大衆支持もないためやりたい放題にされる。

中国国内のツアーでもパチモン兵馬俑の旅なんて多いからな。
有名なあの兵馬俑に?って思ってたら、近所のお手製人形が数体並んでるだけの
チープなモドキ兵馬俑に連れていかれた、とかね。


民主的に支持の高い「史跡」はよりグレードアップしていく。
これは皇帝制の時代の中国と何も変わらんだろう。

噴飯モンなのは実際にそれを見ても
「本来の歴史書の記述こそ真実」と疑わない、ウブな心と
中国の史観は既存政権が塗り替えていくという本当の事実に気が付かない
その鈍感さだよ。

正史は権力者を持ち上げるために史書官が意図的に事実を捻じ曲げたという
性質も皆知っているから、それを逆手にとって現代の史跡も都合のいいように
変えられていくんだよ。

歴史学者程度が中共逆らって生きていける国なのか?っても疑問だし
権力者の決定には逆らえないその姿があるから、本来の歴史は社会から信用されないんだよ。結局は史書を書く人間なんてのは常に権力の犬だってことを現実で証明したんだからな。

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/28(火) 22:23:14 ID:TkFphKPa0.net
おちんちんきもちいいお(´;ω;`)
まで読んだ

852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 08:54:09 ID:5Ecg2zM60.net
竹簡なんて原人の落書きを社会が鵜呑みにしてたら
三国演義の周倉や水滸伝の魯智深の墓なんて作られないわな。

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 09:22:56 ID:VgjNXBF50.net
東アジアの古代史研究とか理解する気ないのは草 
さすがは低学歴DQNが多い三国志ヲタだけあるは

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 09:46:53 ID:5Ecg2zM60.net
自分の世界を認めない社会を見下して、自分の世界を自分の中で高尚なものに引き上げる。
そりゃ、社会はそんな視野の狭い甘ったれを認めることもないわな。

855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 09:50:12 ID:VgjNXBF50.net
見下されてる自覚あるの草
流石経歴に3流大学とか高卒とかがデフォの三国志ヲタも社会的にはDQN扱いの自覚はあるのか(笑)

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 12:33:41 ID:5Ecg2zM60.net
「東アジアの古代史研究」の社会認知が低く立場も弱い

ってことなんだが?
学歴で通用するほど社会は甘くないだろ。
現に「東アジアの古代史研究」こんなもん学んだところで
就職先もなくただ無駄になったんじゃないか?

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 16:40:14 ID:ngONoDQd0.net
馬鹿すぎて草。
学歴いじりがそんなに堪えたか(笑)
余程のFラン&成績最悪とかじゃない限りそこそこの大学卒業してれば研究がマイナーだろうが余裕で就職できるわ(笑)

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 18:40:23.68 ID:5Ecg2zM60.net
その就職が先細りしなきゃいいけどな。
コロナの影響で1次産業の重要性が増した今において
これからの世の中学歴なんて通用しないぞ。
その無駄なプライドが足引っ張らなければいいけどな。

859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 18:46:38 ID:K56V4ST60.net
そもそも延々とスレ違いの事話してるのが見苦しい
学歴の話も中国史の信憑性の話も別のとこでやれや

860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 19:00:33 ID:aQahAJmC0.net
真人さま効きすぎて笑うわ

861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 19:16:15 ID:PU/ysOZn0.net
いやー、玉子だけ欲しいのにスーパーのチラシの玉子0円に引っ掛かって
要りもしない物1000円分買わされて平気な人にツッコむのが如何に無益か思い知らされたわ
こんな人相手なら五毛さん騙すのらくらくホンやで。中共の観光チラシを丸鵜呑みなんだもの

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 20:02:28.37 ID:H1bYi7GF0.net
喩えが下手過ぎる

863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 21:57:16 ID:EIZ1recr0.net
家系詐称で偽善者の劉備が統一できるほど世間は甘くはない

864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 22:04:16 ID:EkmiGVXb0.net
地域差あんのかな?
ちな千代田区住みやけど生まれてこのかた卵は一個200円前後くらいが普通やったで
今は高校のときに告白されて付き合った彼女が奥さんで料理家事は任せっきりやけど、それでも4個もあれば100円越えると思うで

865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/29(水) 23:38:23.08 ID:E8kS6Bnd0.net
隙あらば自分語り

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/30(Thu) 01:43:09 ID:QC9EwvHb0.net
>>852
その原人の落書きが無ければ周倉も魯智深も居ないわけだから
どちらが上かという話でなく、どちらもあればこそなんじゃないの

ただ、市井の伝承なりは事物の肥大歪曲が著しいから、
より実像を捉えるためには史料を優先して研究すべきと思う

民俗学的見地から歴史を探るのも、どのように世間に伝播したかを知るには面白いけどね

867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/30(Thu) 09:17:06 ID:ndaop5060.net
>>863
金日成「そうでもない。」

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/30(Thu) 10:10:36 ID:Lb6bMjWv0.net
>>867
アンタはソ連の後ろ楯つーデカいタニマチ無けりゃ目もなかったし、人民軍居なけりゃアンタの子孫は残ってすりゃいねぇじゃねぇか。
流石に天下は無理だったが、腕一本で地方政権立ち上げた劉備とは格下も格下。

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/14(木) 03:19:02.62 ID:JnXTc2/k+
>>863
少なくとも皇族なのは事実でしょ
曹氏とか舜の末裔とか周朝の末裔とかその時々で詐称してるし

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/05(金) 23:11:08 ID:kueKW+Mk0.net
劉備も曹操も遅い
スピードがなさ過ぎ

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/06(土) 09:33:09 ID:hXo0K5NC0.net
そう?
曹操は30−40代で中原制覇や長安制圧まで終えて劉備は50代から荊州半分と巴蜀獲得と実働年からしたら猛烈なスピードで領土拡張してるけど

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/13(土) 14:36:48.26 ID:0LGZttVw0.net
あの領土を考えたら早い方だよな

873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/13(土) 16:07:04.28 ID:aat8B5/r0.net
まあ歴代の中華統一した王朝が
本格的に統一事業に乗り出してから統一までの期間って案外短いことが多いからな

874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/13(土) 17:06:54 ID:AuV9HDfEO.net
勢いでやらないと駄目なんだな。
膠着すると敵も内政を固めてしまう。

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/18(木) 19:55:44.00 ID:VthIAiGY0.net
赤壁でミスらなかったら曹操が天下平らげていただろうから
むしろ赤壁がイレギュラー

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/18(木) 20:05:59.69 ID:TFjaa06s0.net
>>875
劉備が降伏してりゃ孫権が介入する事も出来ずに荊州全部が曹操のものやからな
徐州での反乱に始まり汝南での嫌がらせがあり赤壁後の入蜀から漢中攻略による割拠に至る
劉備が曹操に反抗してなきゃ普通に一代で天下統一しとるわな

そんな二人だけど(だからこそかもしれんが)お互いリスペクトしてる感じなのが面白い

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/19(金) 01:11:31 ID:1dndYCCY0.net
まあリアリストな二人が相手を過小評価することはないわな

878 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/19(金) 10:30:12 ID:2MfgQyRp0.net
劉備降伏したとしても他の統一した連中より戦略が劣ってる曹操じゃ孫権程度の軍閥相手でも長江攻略は無理

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/19(金) 10:38:58 ID:UFXvKZfm0.net
>>878
地図も読めんのか…
荊州全土手に入れるって事は長江攻略したのと同義やぞ
呉がなんで必死に荊州を手に入れようとしたのか全く理解してないのは草も生えん

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/19(金) 13:37:59.74 ID:mJCS5mHD0.net
劉備降伏したとしても重要拠点の江陵夏口手に入れてないやん

881 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/19(金) 14:24:23 ID:OxQRIHNc0.net
>>880
マジで何言ってるんや?
別に劉備降伏しなくても長板の戦いで江陵確保してるし劉備が降伏すれば劉備が非難した劉?の拠点である夏口も手に入るやん
とりあえず無駄にレスする前に赤壁時の状況ぐらい調べてくれよ

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/22(月) 21:24:08 ID:L7vVtV200.net
劉備降服してたら孫権も曹操と戦うという判断を下してなかったかも

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/22(月) 23:41:10 ID:2h8t/bjc0.net
曹操は呉孫権は降伏か臣従するやろ、みたいのがあったんやないかな

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/23(火) 00:35:23 ID:WaR+0FKW0.net
体裁だけでも臣従をして武力衝突さえ発生する事態にならなかったらわざわざ征伐しに行く必要があるようなところじゃないしな
呉越で蛮王やるのは勝手、だが俺に逆らうなが通るならそれで良し
漢中という厄介なところに豊かな自治区をやっていた張魯なんかも降伏しその時の食料の取り扱いが抜群だったので結局中央で高官に任じられ候に封じられ子供たちも厚遇されたし

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/23(火) 02:16:46.78 ID:vP1Lz4vl0.net
劉備は天下三分に預かれただけ、ラッキー

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/23(火) 03:53:08 ID:cVWWX7DV0.net
劉備が孫権煽らなければ劉?降伏からなし崩しで統一できてたやろな
劉璋も帰服の使者を曹操に送ってたぐらいだったし

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/23(火) 10:12:54.89 ID:KhRf8oMY0.net
益州攻略からするのが筋やったのにいきなり荊州攻めして自滅
曹操の戦略眼ないのに救われたかんじやね

888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/23(火) 11:04:06.11 ID:MvC9hPZL0.net
>>887
そもそも攻める前に劉Nが降伏してる
それに劉備が反発したから長板で叩いたけど夏口に依って劉Kを擁しなおも抵抗の意思を見せたから討伐に動いたってのが赤壁の状況

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/23(火) 11:38:09 ID:KhRf8oMY0.net
江南攻略は上流からの水軍も使った複数方向からの攻撃がセオリー
それか一方向からなら元軍みたく用意周到に作戦練り物量集めて何年も時間かけ敵を疲弊させてから攻め落とすくらいしか無理
曹操は短期決戦で失敗した
赤壁負けた後も益州が帰順申し出してきたのに荊州攻略の重要拠点なのを全く理解せず劉備に掠め取られた

890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/23(火) 13:32:31 ID:MvC9hPZL0.net
>>889
その時期は益州以前に涼州と漢中が大変だからそもそも益州になんて兵を送れん
あと漢中の張魯対策を優先してるから敵対してる劉璋陣営に良い顔出来ないって側面もある

891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/23(火) 16:07:10 ID:hMAhQ0L80.net
張松の伝見てもやっぱり曹操は益州軽んじてたとしか思えんな

892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/23(火) 16:33:32 ID:ePpcBWD2O.net
辺境の地で、主が凡庸だから脅威ではないだろう

893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/23(火) 16:45:18.21 ID:cyD1s2Tp0.net
涼州が鶏肋なんだから、益州はもっとコスパ悪いだろ。

894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/23(火) 16:51:42.66 ID:MvC9hPZL0.net
>>891
>>892
劉備が入蜀せずに漢中確保してたなら大した脅威じゃないやろね

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/23(火) 16:54:01.97 ID:MvC9hPZL0.net
>>893
鶏肋は涼州じゃなく漢中ね
昜が涼州に拠点作るまで漢中は陸の孤島状態だから劉備相手に魏が確保し続けるのはコスパ悪いんやろね

896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/23(火) 19:32:40 ID:ePpcBWD2O.net
>>894
当時の劉備はオワコン扱いだから、蜀が獲れるとは思ってないのだろう
現代なら誰が近いだろうな

897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/24(水) 06:42:47.55 ID:iG8MCdxu0.net
まさに火事場泥棒

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/24(水) 19:51:32.43 ID:KwiRyya40.net
益州と漢中は曹操にとっては直接支配する旨味はなく侵攻にかかるコストと失敗のリスクを考えたら不要
一方荊州の一角のみ領有の劉備にとっては曹操に対抗するには資源が足りず何としても手に入れたい地域
孫権にとっては劉備に一時預ける形になっている荊州南部を返還してもらうには劉備に益州を取ってもらいたいという状況

内部の閨閥と中央官人からの転出人材が主流の劉焉、劉璋勢力の中で地方役人あがりで出世の道がない人にとっては劉備による政権奪取は自身の人生を切り拓く活路
特に悪政の実績はなく比較的治安の良い益州で一波乱起こすには劉備の引き込みしかないと命がけで手引き

劉備は条件的には益州を得やすい状況だったけどその先の戦略が難しいな

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/24(水) 20:09:28.11 ID:aLqR3tEXO.net
法正、永年、張松、孟達と、劉備に協力したのはひとくせあるのばかりだしな
関羽張飛に徐州閥。荊州閥もいるから難しいな

劉焉もかつては、北から来た人だったわけだけど

900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/24(水) 20:28:52 ID:yWdsKbkf0.net
言うて呉の様に地元豪族の権力がどんどん大きくなるのも微妙やけどな

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/24(水) 20:41:29 ID:aLqR3tEXO.net
孫皓は武田勝頼みたいに、中央集権にしようとして失敗したのかな

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/24(水) 22:50:05 ID:ykhhsfrO0.net
その点東晋は亡命貴族と地元豪族のバランスをうまくとってたよな
司馬道子出るまでは

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/27(土) 06:32:44 ID:DmFGUkal0.net
国力の劣る蜀が勝つには漢の後継ってのを餌に魏国内で大規模な反乱がおこるのを待つしかない
諸葛亮の戦略は間違ってはいない

904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/30(火) 18:26:07 ID:Oh1ANALn0.net
うん

905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/06/30(火) 19:29:25 ID:1EBhAR1E0.net
ううん

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/01(水) 06:43:13.11 ID:KsJ2p2tq0.net
>>901
というより江南貴族合議制の末期症状に苦しめられて壊れた
バカ孫休のせいで皇帝の権威を守れる臣下がいなくなり陸凱みたいなのが跋扈していて統率を取ることが不能
西晋が攻めた時に連鎖反応で諸将が降伏したのもそのせい

対して東晋は皇帝権力が最初からゴミ(王敦にRKOされて皇帝が命乞いするほど)だから貴族が切り取り放題で肥えたから
国が傾いたり貴族の権益を邪魔しない限り皇帝や将軍を害さなくなったのが大きい

907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/01(水) 08:17:46 ID:q1YAChfV0.net
皇族が江南豪族のところに避難してきたってだけやからな
そりゃ権力持てる訳がない

908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/02(Thu) 08:36:34 ID:KfBFGYKX0.net
でも土着豪族排除して北来貴族が侯景の乱まで牛耳ってたやん

909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/02(木) 14:27:11.74 ID:kDlJ9o8j0.net
>>908
西晋時代から桓氏みたいにそれなりの家系のやつも流れてきてた上に
大物中の大物である琅邪王氏の王敦が江南全部丸め込んだからな

910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/03(金) 19:25:48 ID:ibtuTapU0.net
琅邪王氏が大物中の大物になれたのは王敦が荊州を占拠したおかげ
それがなければ東晋が成立しなかったくらいの大成果
なんでお飾りみたいなのに兵権取り上げられそうになったらそらぶちキレて建康に押し寄せますわ

911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 00:12:34 ID:2+wKaNBg0.net
玄徳も孫権の妹と69とかしたのかな

912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 04:18:51.98 ID:hXfHXaUq0.net
アナルセックスだぞby北方謙三

913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 08:59:34 ID:fhKE5meP0.net
司馬懿みたいに曹操の下で勢力伸ばしてクーデターが成功率高そうだけど
名家でもない地方の傍流劉姓が中央で勢力拡大するってのも無理ゲーだと気付く

914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 10:22:38 ID:fu6IkH2N0.net
>>913
皇室とは無関係の
単なる劉さんだし

915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 11:08:47 ID:0nYTeju60.net
皇叔やぞ
一般人じゃないんだぜ

916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 11:41:02.81 ID:u7+z6zOk0.net
親戚が学費出してくれて先生が廬植で兄弟子が公孫瓉。
一般人よりは恵まれている。
とはいえ、三国時代の諸侯の中ではダントツで恵まれていない。

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 12:38:34.24 ID:5f9GP34Q0.net
>>916
諸侯の基準にはよるが董卓や張燕孫堅辺りよりはい気がする
最初から中央とのパイプがある程度持ってるのは大きなメリット

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 13:23:07 ID:fhKE5meP0.net
>>917
傍流の劉姓に中央とのパイプがある訳ないやん
肝心の盧植が黄巾後と董卓政権時と二回失脚してるぐらい中央で不安定やし

919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 17:43:02.47 ID:hXfHXaUq0.net
所詮、劉氏といえども地方の没落貴族でしか無いんだよな

920 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 18:00:18.71 ID:Gm/YuV6mO.net
吉川版や北方版三国志もだけど、劉備が何やりたかったかよくわからない

曹操は天下狙う
詩や孫子を解釈したり、才能が溢れちゃってる

孫家は父はともかく、兄の早逝で子ではなく弟に継がれた上に、豪族の連合体と複雑で、毛利元就的守勢な感じになるのはわかる気がする
劉備は劉虞みたいになりたくないなーと、その場に合わせて、生き残ろうとしたらこうなった感

921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 18:07:50.11 ID:hXfHXaUq0.net
>>920
北方版劉備の目的ってかなり分かりやすくない?
とにかく劉氏を皇帝とする世界を永続させる事
北方謙三曰く日本の天皇制みたいな志向を持っている

922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 18:15:40.67 ID:Gm/YuV6mO.net
>>921
そういった多角的に解釈する物語を通して、実際の劉備という人物が何やりたかったのかなという印象

923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 18:32:15.68 ID:QC5jgLAw0.net
先祖の中山靖王劉勝って子が120人いたっていうけど、つくりすぎだろ

924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 18:36:47.13 ID:PsVk+vRR0.net
劉備が天下志したの結構晩年だろうからなあ
それまでは初めの頃はとにかく出世、中頃からは反曹操ってだけに見える

925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 19:10:56.22 ID:dR9fZOUw0.net
>>923
実際は栄養関係や医療技術で殆ど幼年で死んでたろうし、女子も多い。
でも間違いなく実在してた考古学的証拠が現存してる人物ってのが恐ろしい。

926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 19:35:00.29 ID:ooWzzQWd0.net
正史の解釈で良くないか?

若いときから輿にのる身分になりたいとは思っていた。
その意味で政治の世界に入るための人脈作りをしていた。
実際諸侯の端くれぐらいになってみると、みんな大したことないことに気づいた。
曹操はまずまずの人物だったが、劉備を部下として活かせるまでの器量ではなかった。
他の諸侯の下にもついてみたが、劉備を部下として活かせる者には巡り会えなかった。
最終的に、人の下につくのではない形が自分には必要であると理解した。

927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 20:15:11 ID:kskZp3230.net
劉宋や西晋時代の司馬氏と比べれば同族でバトロワしてないだけ120人つくってもまだまし

928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 20:16:21 ID:kskZp3230.net
南斉も酷かったな

929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 21:35:36.44 ID:EsgYslu4O.net
なにいってんだこいつ

930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 22:54:17 ID:fhKE5meP0.net
>>920
そもそも曹操自体がどう見ても最初から天下を狙った感じがない
二人とも最初は明らかに漢王朝の下での立身と大業を目的にしてる
ぶっちゃけ曹操や劉備よりも先に漢王朝を見捨てたのは袁術の影響を受けた孫策であり孫権やろなあ

931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 22:58:22 ID:r2c4Q+rv0.net
曹操が天下を狙わなければ劉備は曹操の下に居続けたのかな

932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/08(水) 23:40:37.09 ID:i9ZJVAgJ0.net
献帝周辺や漢朝維持したい勢力に担がれるだろうから
曹操の下で安穏とってのはむずかしそう

933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/09(Thu) 03:26:10 ID:MFMIsJyW0.net
というか曹操暗殺計画に巻き込まれなければ曹操の元で安泰だったんじゃないの

934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/09(Thu) 07:08:39 ID:Y3WQlRlT0.net
>>931
劉備は面従腹背
相当な野心家だから人の風下に立てない

935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/09(木) 08:01:29.65 ID:vYWApOdk0.net
>>932
曹操は曹操で力を付けるほどに家臣から押し上げられるからな
この2人一緒に反董卓の挙兵したり劉備から弔問の使者送ったりと個人的には結構気が合ってる感じがするけど立場が絶対に並び立たせない状態やね

936 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/09(木) 14:25:37.68 ID:9HXjCPPD0.net
慕容垂も野心家だよな
劉備と違い戦争はめちゃくちゃ強かったから華北統一行けそうやったのに寿命のせいで

937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/09(木) 22:05:33.95 ID:KKIbjjUp0.net
>>932
> 曹操は曹操で力を付けるほどに家臣から押し上げられるからな
> この2人一緒に反董卓の挙兵したり劉備から弔問の使者送ったりと個人的には結構気が合ってる感じがするけど立場が絶対に並び立たせない状態やね

並び立たないことはないけどな
別に漢王朝丞相に劉家傍流を自称する劉備がそれを助けるために仕えるってのはおかしくない
曹操の子の代になってからそのまま後継の曹丕に仕えても
司馬懿だって他の漢王朝の高位高官家出身者でもみな曹家の家臣として献帝の禅譲を見届けたわけで

問題は劉備がそれを受け入れるかどうかなだけで受け入れず曹家と反目して漢王朝を外で見ていて禅譲後に自分が皇帝即位だからそもそもそういう野心があったというだけだ

938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/09(木) 22:38:41.54 ID:yDKUB874O.net
曹操暗殺計画がターニングポイントだったのだろうが、劉備は袁譚とも仲良かったらしいし、当時の袁家の盛況さからすると、袁家を選ぶのは当然ではあるんだろうな

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/09(Thu) 23:56:36 ID:WXL+z9Gt0.net
劉備は曹操の軍師達に殺せと提言されたりめっちゃ警戒されてたから
暗殺計画が無くてもそのうち曹操の下を離れてただろうな

940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 03:39:12 ID:3K0s0wxc0.net
どっちに転んでも大丈夫なようにあらゆる所にコネクションを作っておいてた感じだよな
さすが寝業師

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 05:14:53.22 ID:RBnEghZx0.net
劉さんのおちんちん舐めたい

942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 06:45:35.11 ID:MDA8YPSB0.net
>>937
劉曄なんかの近親の皇族違って自前の軍閥持って出世してるからそれ自体が難しいんやで
部下の突き上げも有ればその軍事力を利用しようとする連中も後を絶たない

943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 08:50:58 ID:52EjcGcm0.net
>>938
もし汝南に行かずに袁紹軍に残っていたら、その後の劉備はどう行動したろう?
客将の身分だから官渡の戦いの結果は多分変わらないとして、袁紹が死んだ辺りで河北を離れた?
袁譚派に付いて運命を共にした?

944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 09:25:06.25 ID:wILLZeCq0.net
>>943
それを恐れたから袁尚に後を継がせたい袁紹に追い出されたとも言えるし
それに巻き込まれたくないから理由を見つけて早期に離脱したとも言える
残ってても展望無さそうな過程だからあまり意味がない

945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 10:45:04.64 ID:/VvB5++7O.net
曹操の勝利と袁家の崩壊は、現代だと何が近いかな
国力人材など、端から見たら袁家が勝つなのは明白だけど、いざ戦ったら脆かった

巨人の重量打線くらいしか思い浮かばないや

企業は競争と言っても互いでどうにかするわけじゃなく、需要にあわないとか経営破綻など自滅が多いからピンとこない

946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 12:20:42.99 ID:E/rcRHd70.net
劉邦の子孫って東晋の頃にはほぼれいらくしたよな

947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 15:31:20 ID:0GvppP/50.net
>>945
袁家も自滅
大塚家具みたいに内部での抗争ばかりで顧客(名士様)を顧みなかったから見捨てられた

948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 19:55:58 ID:zMcQ+QCd0.net
>>935
劉備が反董卓の兵を挙げたって正史で記述あったっけ?
あの頃劉備は公孫?配下の客将って印象で、公孫?も特に董卓に兵を向けられるような状況じゃなかったし

949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 20:27:30.29 ID:wju6Gths0.net
華北に領土を持っている間は袁家に留まっただろうけどさすがに遼東まだでは付き合わんやろ

950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 21:47:08.35 ID:NCvsHLbt0.net
>>948
曹操と反董卓の挙兵を行ったというのは
同時代の人物である王粲が残した英雄記に書かれた記載でかなり信憑性のあるもの
劉備が明確に公孫瓚の下に居たと分かるのは反董卓連合が解体して各群雄が割拠する状況になってからで正史上の劉備における空白期間になってる

951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 21:50:38.13 ID:fm8ksVJV0.net
この時代って次の五胡時代を知れば知るほど小物しかいないという印象

952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 23:12:13 ID:zMcQ+QCd0.net
>>950
サンクス 英雄記か
正史本編には記述ないみたいだけど陳寿は引用しなかったのは故意かな

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/10(金) 23:57:23 ID:95XxKkI4O.net
裴注では引用されてる?

954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 00:09:00 ID:eG+l15oF0.net
>>952
仮に本当だとしたら曹操にとっても劉備にとっても黒歴史にしかならないだろうしね
陳寿の執筆姿勢は曹髦の一件でもわかるように、物議を醸しそうなことは敢えて書かないってスタイルだし故意に無視したのかもしれないよね

955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 01:24:45 ID:ciDVAztJ0.net
>>947
名士さまの分裂だぞ...

956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 01:27:50 ID:ciDVAztJ0.net
べつに劉備の離脱は袁紹がヤバいからとかじゃなくね
遊撃してたら袁紹が破れちゃっただけで

957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 01:28:55 ID:ciDVAztJ0.net
>>953
裴註です

958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 01:33:07 ID:ciDVAztJ0.net
>>954
いうほど黒歴史か?

959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 01:33:11 ID:ciDVAztJ0.net
>>954
いうほど黒歴史か?

960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 01:45:01 ID:ciDVAztJ0.net
>>926
これにほぼ同意
なまじ曹操と劉備が同等の器だったから長引いた
どちらかがどちらかを従えてたら統一なったなしだと思う

961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 02:19:18.49 ID:iUhT3BZZ0.net
>>958
蜀の正史としては劉備が曹操と一緒に行動したのは黒歴史なんじゃね?って事なんかもしれないけど
普通に対呂布戦線の時は共同してるもんなぁ

962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 06:11:43.04 ID:WjetUv5D0.net
呂布の時は後漢王朝の家臣として一緒に戦った形だけど反董卓の時はそういう形じゃなかったから(おそらくほぼ曹操の私兵配下)って事は考えられる

963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 09:18:08 ID:ciDVAztJ0.net
>>962
私兵ってことはないんじゃないかな
官歴をみるにおそらく劉備は下密丞だし、募兵はともにしたけど挙兵は別々っぽく書かれてる
それに曹操と同道してる記述はないし

964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 10:06:05.08 ID:jJzKZixG0.net
>>960
陳寿に
「好機を得るための機知や、行動の根幹をなす戦略では、
魏武(曹操)に及ばなかったため、勢力の基盤となる領土も、
その才能の差に準じて狭かった。」
と言われているので曹操と劉備が同等の器なわけない

965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 10:29:33.69 ID:GSm/+Dmq0.net
>>963
当時はおそらく高唐県令だろうけど中央集権色の強い漢じゃ県令程度にまともな軍権ないから挙兵するとしたら私兵だよ
(配下の尉は警察署長程度で太守クラスになってやっと配下に司馬とかついてまとまった軍が動かせる)

966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 10:38:09.91 ID:ciDVAztJ0.net
>>965
酸棗に行った感じはないし、募兵はしたけど麾下ではなさそう 
青州に属する高唐尉ってことは、刺史焦和との行動じゃないかね

967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 10:40:24.86 ID:ciDVAztJ0.net
>>964
能力では及ばないかもしれんな
ただその劣る劉備を配下として屈服させられず敵として殺すこともできなかった曹操と王者としての器量の面では似たようなものだろ

968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 11:05:42 ID:Az7S44h40.net
>>966
その可能性もあるけど刺史が兵を起こす時に県令や県の尉を動かすってのは微妙やね

この頃の劉備はすぐに仕事辞めてるから時系列を整理するとこんな感じかも

下密丞を辞職

都で曹操に会う

沛で反董卓の挙兵

焦和と帰って高唐県尉になる

高唐県令に昇進したものの黄巾残党なんかで青州が崩壊して脱出

公孫瓚に雇われる

969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 11:07:32 ID:kCr/uhh90.net
ぶっちゃけ曹操の金で兵を集めて挙兵したのかもしれん

970 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 13:20:08 ID:ciDVAztJ0.net
>>968
下邳賊を討ったのは何進の募兵の最中だし、そのまま下密丞に任じられたてはいないと思うな
下密丞は董卓政権の叙任で間違いないはず
洛陽に帰還してから下密丞に任じられ、その時に曹操とともに洛陽を出たんだと思う
あと英雄記を読むと、ともに募兵はしてるけど、挙兵は別々な書き方。劉備の沛挙兵は賛同できない

971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 13:22:09 ID:ciDVAztJ0.net
曹操の挙兵は曹操のカネじゃなじゃなくて曹洪家のカネだと思うんだよな。曹操の生家とその財産は洛陽にあるし
汴水で大敗した時も曹洪のツテで復活してるし

972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 13:41:33 ID:G4x+mWQL0.net
>>970
下密の丞は理由も書かれず辞職してる
そしてわざわざ「後に」と時間経過が明記されかつ功績不明で高唐の尉に任じられてる

正史先主伝で不自然に雑な記述になってるこの時期に反董卓の活動してたと考えると自然な流れにはなる

後は既に故郷を離れ時間も経過し糜竺とも出会ってないこの頃の劉備に兵を集めるだけの資金力があるのかって問題が残る

973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:04:45.84 ID:ciDVAztJ0.net
>>972
下密丞を辞した後に曹操と募兵し、連合側の高唐尉になったってのは同意

挙兵は焦和(もしくはそれに連なる官吏)のバックアップだと思う
逃亡したくせに何進の募兵に抜擢されたり、曹操の募兵に協力したりしてる
名声も実力も知れてたと思うし、高唐のある平原は劉備が最初に名を挙げた地域

974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:06:16.03 ID:ciDVAztJ0.net
備甞在京師,後與曹公俱還沛國,募召合衆。會靈帝崩,天下大亂,備亦起軍從討董卓。

曹操と挙兵したとは読めないと思う

975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:11:56.04 ID:FCOCJjDQ0.net
あと下密の丞の任じられたのが董卓政権下ってのも微妙かな
何進の命で募兵に向かった毌丘毅に従った際の功績というなら霊帝の晩年(曹操が就いた西園八校尉が設置された頃)の事で良いと思う

正史の記述からこの頃の劉備は頻繁に都に出入りしてた可能性が高く曹操と意気投合していたとしてもおかしくはない(それ以前に黄巾の乱で鄒靖配下だった劉備の事を知っていた可能性もある)

976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:16:03 ID:ciDVAztJ0.net
>>975
劉備が参加した何進の募兵って鮑信王匡張楊張遼と同じヤツだと思うのね
だから揚州まで行って下邳で戦って、ってなるとどうしても何進が死ぬ
だからどう考えても董卓政権

977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:20:34 ID:ciDVAztJ0.net
あと英雄記を読むと、別に劉備と曹操が共に洛陽を脱出したとする必要もないと思うのね
「かつて劉備は洛陽にいた。後に曹操と劉備は沛に帰還して募兵して云々」
二人が共に沛に移動して募兵したってことを言うだけ

978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:36:00 ID:4/QZhUFw0.net
>>974
「後に曹操と共に沛に帰って兵を募り合流した」事と「劉備もまた兵を起こして反董卓連合に従った」事の時間的な繋がりがいまいち良く分からんな
最後が「劉備も反董卓連合に加わってたんだよ」って事実を強調するだけの文なら合流してる時点で一緒に挙兵してる様なもんなんだけどね

979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:45:22 ID:ciDVAztJ0.net
曹操の募兵に劉備が協力したのは確定だけど、挙兵びまでは同行してない書き方
たしかにその後の劉備の決起の資本はなんだろうなぁ

劉備の経歴名声と人集めの才能があれば無一文でもイケるか...?

980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:48:14 ID:2bUiOUkY0.net
>>976
それはなんとも言えないよ
後漢末は反乱祭りの影響で中央の兵が絶えず不足してて都度募兵してるからね(劉備自身が私兵で募兵に参加して官職得てるし)

981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:49:15 ID:2bUiOUkY0.net
あと下邳は揚州じゃない

982 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:52:48 ID:ciDVAztJ0.net
>>980
一番確からしいと時期だとは俺は思うな
何進が各地に幕僚を派遣して募兵を行ったのはこの時期以外に見えないから
たしかに確定はできないけど、有力だと自負はある

983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:54:09 ID:ciDVAztJ0.net
>>981
揚州(丹陽)へ募兵しに向かう道中の話だね
言葉足らずですまん

984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:54:53 ID:oFBVVkzO0.net
>>979
後半は前半の具体的な行動の意味を説明した文って感じだけどね

985 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:56:55 ID:ciDVAztJ0.net
>>984
霊帝死後に群雄が挙兵したけど、劉備も挙兵したよ、とだけだね
曹操とともに、とは無いからうーん

986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 14:59:49 ID:u1sVfl/00.net
>>982
まあ董卓政権の状況を見てすぐに職を辞したのかもしれないから辻褄は合うのかな

987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 15:03:55 ID:xKrA567y0.net
>>985
それだけだと前半の文はなんなんだって話になるからね
後半の文全体が前半の文を倒置的に修飾してるとすれば全体の時間的な意味もすんなり通る様になる

988 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 15:04:08 ID:iGaUJIkEO.net
>>979
ムシロ売りといっても工場というし、塩売りやってた関羽や張飛の伝手でそこそこの金はあったんじゃないのかな

司馬遼太郎の「燃えよ剣」で言うと、道場の急場しのぎに佐藤家から援助してもらったけど、天下に出るにはもっと大きな支援が必要みたいな

どちらにしても、いつも親族の影が薄いのが気になるけど

989 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 15:09:43 ID:6xnOKM1W0.net
>>988
そもそも涿郡にいた劉備の一族の話は挙兵以降不自然なほど全然出てこない
ぶっちゃけ張純の乱辺りに巻き込まれて滅んでる可能性もあると思う

990 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 15:27:28 ID:ciDVAztJ0.net
>>987
曹操と挙兵したにしても麾下というより共同経営者の立ち位置だろうね
のちに劉備は曹操を離れて焦和が管轄する青州についてるし

991 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 15:28:35 ID:ciDVAztJ0.net
>>988
初平以前だと関羽張飛はまだいないと思う

992 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 15:41:12 ID:CXzF1qnc0.net
>>990
やっぱり問題は金の出所やな
正史に書かれてない理由って事なら曹操から(曹洪の)金を借りたって考えると合点がいく
当時の劉備にまとまった兵を雇える様な金があるとは思えないし

993 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 16:39:30 ID:ciDVAztJ0.net
>>992
借りたというか、曹操が曹洪の財産を食い潰して劉備とともに兵を募った...?
劉備と曹操はこの時点では共同体だろうしね
曹操が傾けた家財は多分曹洪の家財だし、だからこそ「えっ、あいつ俺と同じくらい金持ちなん?」って驚く
この辺は完全に妄言だけど

994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 18:33:24 ID:pvm6Kqfr0.net
劉備は借金踏み倒しの常習犯だろ

995 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/11(土) 19:18:56.65 ID:ciDVAztJ0.net
根拠は?

996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/12(日) 10:08:32 ID:Cd59bvKE0.net
>>995
多分はじめての三国志チャンネルの動画でも見たんやろ
あそこ人を釣る為にやたら劉備アンチの記事や動画アップして演義アレルギー患者量産しとるからな
例えば上の劉備の反董卓参加についても正史基準とか言って裴松之注完全無視して不参加断言したりして煽ったり色々と酷い

997 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/12(日) 12:47:18 ID:nPtYFGe/0.net
はじさんにそんな影響力あるの?
嫌な世の中になったもんだね

998 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/12(日) 13:09:01 ID:AFxaL5Jw0.net
>>996
不参加断言って、はじさんの動画で?
いやーひどい

999 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/12(日) 13:33:49 ID:V0UiRgyo0.net
はじめての三国志には正史三国志を根拠として劉備の何度も繰り返される借金問題を記事にしている
糞貧乏だし、そんなもんよ

1000 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/12(日) 15:22:36.15 ID:nPtYFGe/0.net
前に炎上してたよねはじさん
問題解決したの?

1001 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/07/12(日) 17:51:47 ID:UMpr+0+b0.net
1000なら

1002 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
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