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劉備が天下統一できなかった最大の原因その5

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 22:11:51.08 ID:RFA23TCc0.net
前スレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1495692159/

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 17:49:42.57 ID:tOuxz/Yp0.net
>>139
流民化したり支配が及ばなくなって戸籍管理出来なくなったり等々
実際に生きてるかどうか以外の要素も大きいかもしれんし

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 18:17:18.64 ID:KevwCzgT0.net
>>140
その程度で9割以上の人口が消えるのは無理がある

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 18:21:35.58 ID:tOuxz/Yp0.net
>>141
当然災害なんかでの人口減もあるやろ
疫病流行れば一発で10万100万単位が逝けるし

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 21:34:17.44 ID:KevwCzgT0.net
>>142
9割も人口が消えてるって三国時代以外在るのかな

10、100万程度で9割には届くわけがない

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/25(木) 23:24:46.76 ID:7r1dytjp0.net
>>143
時代下ると有名な蜀の大虐殺が有るよ
本当かどうか分からんが殺した人数は9割じゃ効かない

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 17:56:48.05 ID:etAkvV1G0.net
屠蜀

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/26(金) 23:51:36.76 ID:j++YFZKO0.net
蜀の人口が300万から2万くらいになったやつか
中国は怖いのう

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/27(土) 00:16:39.98 ID:PMU5cTRo0.net
あれも最近じゃ誇張されてるとかマンジュがヒャッハー方が酷いとか言われてるな

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/28(日) 20:06:35.12 ID:ZEeHQ1j/0.net
新末後漢初、公孫述を破った呉漢が公孫述の一族郎党を皆殺しにして成都で掠奪を行なったり、三国末、綿竹で諸葛瞻を破った昜が現地に京観を築いたり、蜀って案外虐殺に縁深い土地だったりして…
まぁ、長い中国の歴史の中では決して珍しいことではないのかもしれないが

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/28(日) 21:18:31.10 ID:Xm8DTdJQO.net
秦よりも酷な時代ばかり
秦や商鞅が酷といっても、貴族や有力者の犯罪も見逃さないから酷て部分もあるしな

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/29(月) 00:59:12.62 ID:oXhSclj90.net
「天子は百姓でなく士大夫と共に天下を治めるものである」

記録を残す側の意識はこんなもんだからなあ
士大夫層の既得権益にメスを入れた王安石なんかも長く史書では誹謗されていたし

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/01(水) 11:32:06.22 ID:0lBziKGRO.net
そのツケを一気に回された清朝末期…。

世界に目を向けて、その世界の強さと向き合って中国をあらゆる面で進化させた最強商人達が居なかったら、中国は今頃はロシアの属国と化してたな。

正史を真実と捉え、本当の真実に対処出来なかった盲目的現象が近代にまで存在していたってのも驚きだけども。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/06(月) 00:00:44.78 ID:LvLjPj4E0.net
曹操が袁紹に勝った時点で、曹操派の統一は確定だから
赤壁で負けたのと、原因で統一出来なかったけど
魏には優秀な文官、軍師が多いから間違える事もなかったし

劉備はスタート時点で国力差がありすぎるのと、場所的に恵まれてないから無理

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/06(月) 14:09:39.78 ID:+AAjP6YN0.net
徐州を維持できていたらワンチャンあったけど
陳羣にも泥船だからやめとけ言われてたし機会に恵まれなかった感はある

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/06(月) 14:41:15.07 ID:uhNip0Kh0.net
>>153
徐州は守り難く維持が難しいからなあ

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/10(金) 03:52:59.97 ID:ihibEExz0.net
あまり正史のことは知らなかったけどネットやら本やらで調べてみたら中原にいた頃に劉備が知り合った人ってその後推挙されて曹操のところや呉で大出世した人多いんだな

入蜀から帝位に着くまでの間でも一気に所帯が大きくなるなかで30前の蒋琬、費禕、董允とかほぼ平の事務官を抜擢して結局彼等がその後の国政の要になっていったり

人を見る目があるということはもちろんあるんだろうけど、そのレベルの人士と交流できるだけのネットワーク持ってないとそもそも知り合えないだろうと思うと演技路線での劉備から全く違う人物像浮かんできて新鮮

ここに書き込んでる他の人達は今更な事なんだろうけどw

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 00:54:01.87 ID:q3/gPwkV0.net
確かに史料を漁ってくと劉備の人脈の広さには想像以上に驚かせられるね
ただ、スレタイに沿って意地悪な意見を言わせてもらうけど、劉備は多くの人傑と交友して彼らから高い評価を得ていたけれど、少なからぬ人間が劉備を命を懸けて仕えるに値する主君とは見なさずに離れていってしまったことも言えると思う
牽昭、田豫、太史慈、陳羣、袁渙、陳登、徐庶、潘濬、孟達、黄権etc...
彼らのうちの何人かを繋ぎ止めることができていたら違った未来もありえたのでは?

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 02:09:25.86 ID:UkJjgnse0.net
荊州ぐらいまでは天下なんて考えてもいなかっただろうし
中原の覇者たちと比べたらやっぱりそっちに付くよねってなるわなあ

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 04:37:17.33 ID:f8Obaj4E0.net
>>155蒋琬、費禕、董允らは諸葛亮ら名士達の推薦が大きい
もちろんそれらの献言を聞き入れて抜擢した劉備も偉いが

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 10:53:57.19 ID:eXXoCt7L0.net
>>156
そもそも、劉備が知識人層を人材として使う様になったのは諸葛亮が入ってからだろう
荊州で諸葛亮をはじめとする司馬徽派と言える人材が揃いだしたから文官=知識人が増えたと思う
その前まではタダの傭兵みたいなものだよ

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 11:10:22.74 ID:OFbKVt8r0.net
>>159
傭兵って何やねん
演義でも正史でもないミラクル解釈やめーや

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 11:12:34.68 ID:eXXoCt7L0.net
特定の領土持たずに、兵隊だけ連れて色々な群雄の下についているんだから傭兵みたいなものだよ
客将って扱いだろうけどな

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 11:18:09.80 ID:Qtj3zlvU0.net
どっちかって言うとコネ使って渡り歩いてる方が近いぞ

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 11:18:45.97 ID:/eqkISdX0.net
>>156
なるほど確かに後半の部分納得です
ただ曹操に推挙された人は曹操に仕える意識と共に献帝を擁していたのもあって漢王朝の朝臣になるという意識を持っていたというのもあるのかなと
袁術の影響下にあった漢王朝の朝臣、土豪クラスの人は袁術が曹操と対立していたこともあって曹操に顔向けできない面もあり孫策の元に流れたりと

その時点での立場なり影響力、何より漢王朝の力の有無などで人の流れが大きく変わっていただろうことを思うと曹操はやはり天の時を得ていたんだろうと改めて思います。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 11:25:55.51 ID:Qtj3zlvU0.net
当時は自称皇帝とか自称王とか腐るほどいたけど袁術陛下の場合ビッグネームすぎて影響力が各方面に及んでるから……

呉書なんて必死こいて「孫家は代々漢王朝の忠臣です!」ってアピールしてるし

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 13:50:01.38 ID:E8fPCI6r0.net
でも簒奪者から王に封じられた上に皇帝まで名乗っちゃったね

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 13:56:48.61 ID:rWu8FCtQ0.net
>>162
いや、地元兵では無く流れの兵がメインだから傭兵って捉え方も的外れでは無いな

>>164
そりゃ劉備が王を僣称してんだから大義名分としては充分過ぎるだろ

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 14:10:00.85 ID:y9kJjYSmO.net
忠義者が少なかったからだろうな。幾ら優秀でも、己が身可愛さに忠義を全うせず敵国に寝返るような奴が居れば、天下なんて取りようもない。

劉備の原因ではなく、その時代には忠義者が貴重な存在で、劉備には義兄弟や古参連中にしかそういう存在は居なかった。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 14:12:58.18 ID:rWu8FCtQ0.net
>>167
?
劉備自身が劉ショウを裏切ってるじゃん

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 14:13:28.00 ID:kp9DSHoa0.net
「傭兵とは金銭などの利益により雇われ、直接に利害関係の無い戦争に参加する兵またはその集団である」

劉備は基本的に漢の地方官を渡り歩いているので傭兵ではない
劉備が陶謙なんかと金銭による雇用関係にあったことを証明する史料はない

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 14:18:03.71 ID:rWu8FCtQ0.net
劉表の下に行ったのが袁紹の指示で曹操の後方撹乱が目的
まさに傭兵らしいと思うけどな

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 15:46:45.85 ID:q3/gPwkV0.net
なんていうか、劉備のおかしな所って土地に対する執着が薄い所なんだよね
領土があるから兵糧を蓄えられて、兵糧があるから兵士を集められて、兵士がいるから戦争することができるのに
群雄として自立するためには領土が根本になっているのに、特に前半生の劉備は「一所懸命」になろうとせずに、自分の命が危なくなるとすぐに領土も配下も家族も捨てて逃げてしまう
封建領主としてみると完全に失格だよね
領民や家臣を守ってくれる強いリーダーとは到底呼べないもの
何かと劉備と比較される高祖劉邦だって配下を見殺しにしたり家族を捨てて敗走したりしていたけど、要害の地である関中や敖倉を守り抜くことで最終的に勝利者になることができたわけで

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 16:47:10.74 ID:flXwtN+W0.net
劉備は漢朝の臣なんだから勝手に自立するわけにはいかんだろ
豫州だって徐州だって朝廷から任命された上で統治しようとしていたんだから
勝手に割拠しようとしていた袁紹みたいなやつの方がおかしいんだよ

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 17:06:06.69 ID:g9hnbHNVO.net
その袁紹に鞍替えしちゃったが

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 17:12:56.89 ID:E8fPCI6r0.net
>>171
それ拘ってたら益州行く前に死んだだろ

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 17:21:21.35 ID:CDFIoxdx0.net
劉備=傭兵説って昔大澤のアホが流したデマだろ
未だに信じてる馬鹿がいるのか

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 17:26:26.35 ID:85T/5ehV0.net
>>175
大澤(地雷魚)って資料の検証とかもちゃんと出来ないガイジやしね

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 18:11:14.20 ID:q3/gPwkV0.net
傭兵と言ったら乱暴だし、ものの例えにしても不適切な表現だと思うけど、入蜀までの劉備は自立した群雄だったとは言い難い状態だったのもまた事実だと思うな
なんて言うのが適切なのか難しいけど

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 18:21:00.44 ID:g9hnbHNVO.net
渡り者、厄介者
そんな中じゃ優しい表現か

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 18:24:42.82 ID:rWu8FCtQ0.net
無理だな
袁紹の下に居た事実が献帝の否定だから

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 18:42:23.84 ID:1qMV5gjC0.net
>>171
実家にそもそも力がなく官職を離れてしまうと経済的にも行き詰まり、要職についている人物のネットワークからも外れたり自身の立場がなくなると地方の軍閥との繋がりも期待できないというのがまずあったんでしょうかね?
人的ネットワークに加われたからこそそのネットワークに加われる基本になる官職というのをどうしても手放せないという思いが他の人より強かった。

例えば曹操や袁紹だと実家に戻って無職でもまずお金には困らない。
黄巾の乱から董卓の登場までの間に要職についていた親族が粛清されたり、一族内で揉めたりあったものの漢王朝内では相変わらず強い縁故が維持され地元では封建領主的な力も持っている。
孫堅の場合は官職に頼った縁故はそもそもなかったようですが僻地ではあっても領主としてそれなりに力を付けている。

その辺りの差が劉備と他の人物との拘る部分の差になって表れたのかなとみなさんの書き込みを見て感じました。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 18:57:57.13 ID:yUngNbT9O.net
>>178
客将、位だろうな。
でも客将とて豫州・徐州時代を考えたら最適とも言えないし。
軍閥かなあ、いや袁紹とか曹操クラスは軍閥と言えるけど、その下僚として転戦した劉備には不適か。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 19:15:59.86 ID:easboPQN0.net
普通に軍閥でええやん
現代的に言えば聞こえは悪くなるけど武装集団

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 19:19:04.93 ID:easboPQN0.net
>>156
そもそも名士は地元に根ざす事が多いから
土地的な基盤をなかなか持てなかった劉備について行く方が奇特なんだよ

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 20:47:35.85 ID:y9kJjYSmO.net
劉備軍は水滸伝の梁山泊好漢のモデル集団みたいなもので、法治国家の建設には向かなかったのかも。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 21:05:15.06 ID:AinG8vJm0.net
これはどこから突っ込めば良いのか…

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 21:28:00.44 ID:y9kJjYSmO.net
どこからでもいいぞ。具体的によろしくな。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 21:41:38.02 ID:AinG8vJm0.net
>>184
フィクションである水滸伝と後漢末の群雄割拠状態との比較分析は可能なのか?

アナーキーな好漢集団と漢の官僚だった劉備のどこに共通点が見いだせるのか?

法治国家という近代西欧の国家概念を後漢末に適用しようとする意図は?

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 22:53:12.52 ID:y9kJjYSmO.net
水滸伝の梁山泊好漢の主要なキャラは、劉備軍の人物をモデルにしている人物が多く、義侠の精神性の繋がりがあること。

彼らには国家レベルの法律基準がなく、全ては感情的な自分たち中心の勧善懲悪の理念で動く。

法がなければ国家とは言えないだろう?法治国家とは方便で使ったまで。

関羽の仇討ちで呉征伐の大軍を起こした劉備は、自分の感情を優先した義侠の精神性の持ち主で、そういう共通点から、梁山泊好漢との接点として述べさせて頂いた。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 23:27:22.90 ID:pUxbGOiM0.net
>>178
劉備に一番しっくり来るのが寄生虫だろ

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 23:37:27.99 ID:itVGRk/l0.net
演義と正史の区別がついてない残念な方がいらっしゃるようで・・・

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/11(土) 23:43:22.20 ID:y9kJjYSmO.net
なんだ?煽るだけで降参か。話にならないな。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 00:44:02.27 ID:K12jdQmH0.net
>>188
>法がなければ国家とは言えないだろう?法治国家とは方便で使ったまで。

あの…蜀科はご存知ですよね?演義ベースの知識しかなかったとしても知っている筈

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 03:16:42.15 ID:Zo8qokes0.net
三国の中でも蜀が一番法でガチガチに縛りかけてて評判悪かったもんな。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 03:22:45.14 ID:2Wnsof9y0.net
荊州は実利あるから関羽のことだけっていうのは疑問

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 07:51:57.55 ID:wmXeWT110.net
>>188
三国志演義劉備と巷の俗説の仁俠劉備とが混ざり合っててその上水滸伝と勝手に関連付けてるから完全にキメラな理解になってる
そんな劉備像はあなたの頭の中だけですよ

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 08:01:04.60 ID:DfBsnpI/0.net
>>194
魏や呉が捕虜にした蜀人に龐統の弟や習鑿歯の先祖を始めとした荊州勢が結構いるので実際は荊州勢の意見を止められなかった可能性も

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 11:32:48.82 ID:K12jdQmH0.net
>>193
蜀科の具体的な内容が明らかでない以上、魏や呉と比較してどうこう言えるものではないと思うんですけどね

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 11:42:06.79 ID:I0x+uuEf0.net
劉備の関羽敵討ちは看板のみで実際は江陵を取り返すことが最重要目標だったという人もいるみたいですね。
魏への侵攻ルートが危険な漢中から長安、もしくはその迂回ルートになる武都、天水から長安という難しいことになって魏への侵攻がほぼ不可能になるからというのがその理由だそうで。

史実では江陵奪還はならず結局漢中を起点とする北伐はことごとくとん挫。
戦闘そのものでは優位になった時も補給の問題でせっかく獲得した長安付近の拠点も放棄して退却するしかなかったことを考えると上記の考えは説得力がありますね。

ではなぜ江陵奪還が目的なのにわざわざ関羽の敵討ちという看板を掲げたかという理由については魏を刺激せず呉が魏と再び共闘させないためということを挙げられていました。
魏を討伐するには江陵が必要だから江陵を取り戻すという名分で劉備が夷陵から荊州へ進軍すれば当然「荊州の次はこっちに攻め込む気か。それなら呉の防衛に協力しよう」と魏が考えるのは当然のこと。
関羽とは色々衝突しながらでもギリギリのところで蜀との決別は回避してきた呉が樊城攻略中に蜀との同盟をうっちゃってまで取った江陵を呉もなんとしてでも守りたいので魏との共同戦線が可能ならそれを実現するために動くだろうと。
蜀は荊州も失い国力が激減した中で呉と魏の両方と同時には戦えないので江陵奪取の直接の相手になる呉に魏が付かないような良い名分が欲しい。
それで関羽の敵討ちという劉備と関羽の関係を考えると誰もが納得の御旗をかざすことにしたと。

ざっとこのような意見で素人の私にとっては説得力のある意見に感じましたが、みなさんどのように思われますか?
劉備は関羽の敵討ちが最優先で呉へ侵攻したのか?
それとも江陵を含む荊州の奪還を目的に呉へ侵攻したのか?

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 12:21:46.96 ID:soMTD/AzO.net
>>195
小説嫌いのアレルギー出過ぎでしょ。
そもそも、正史は歴史の真実ではないんだから、正史と小説では記述の差がある、ということが基本的に正史と小説を隔てる壁になっている。

ただし、劉備と梁山泊好漢の共通点は儒教の「義」で繋がっている。
これが劉備と水滸伝を繋げ、水滸伝を見れば好漢達は報復の義を善し、として行動している。

劉備は関羽の仇討ちのために報復の義による行動に入ったが、それを政治屋の諸葛亮から反対された。

儒教の義という共通点から正史と小説の存在の行動理念の一致を考えてみたわけだが、理由のない否定は単なる小説嫌いにしか見えないな。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 12:32:02.82 ID:K12jdQmH0.net
大丈夫かなこの人…
お薬飲んだ?

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 14:32:20.40 ID:WXkGxhce0.net
>>198
そりゃ、仇討優先だろ。
てか、お前は知識の引き出しが全くないんだな。
素人ならハナから黙ってろ、って話だ。
話のレベルについていけてないんだからな。

先主伝(抜粋)

最初、先主は孫権が関羽を襲撃したのを怒り、東征向かわんとし
秋七月、諸軍を統率して呉征伐に向った。
孫権は手紙を送って和睦を請うたが、先主は激怒していて許さなかった。


これがすべてだろ。
劉備は極めて感情的な行動を取っている。
基礎となる正史の記述にも目を通してないのか?
そこからのキーワード的な繋がりの「義」という点にも目が向いていない
(というか、水滸伝未読なだけの知識不足か?)
正史と小説の繋がりを儒教特性の五常 仁、義、礼、智、信 の義から
抽出していることもまるで無視。

更にはお前は自らの自問自答による妄想解釈が酷くて
原典との着地点が合ってない。
ついでに言えば見にくい。他人への自論の理解を促すなら
改行くらいはちゃんとやってくれ。

知らないことは恥ではないが、知ったかぶりは恥になるんだよ。
無理ならついてこようとしなくていいんだよ。
知識はもっと広域的に身につけたほうがいい。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 15:12:46.51 ID:HU8oQVF40.net
しかし関羽が死んでから1年半放置
その間にやってる事はのんびり劉封粛清や皇帝僭称
怒ってる割にはどんだけタイムラグが

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 15:32:27.68 ID:HU8oQVF40.net
>>189
薛綜「蜀とは何でありましょう。犬(犭へん)がいると獨(独りという字)になり、
犬がいないと蜀となりますな。よく見ると目を横につけて(罒)身をかがめ(勹)、腹には虫が入っております。」

「蜀」という言葉自体寄生虫含んでるからな

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 15:52:55.87 ID:I0x+uuEf0.net
>>201
ちなみにあなたのレベルは_

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 16:31:24.14 ID:JBvuBcRR0.net
感情に任せて攻め込むわけないでしょ

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 16:59:25.55 ID:WoAgwn/C0.net
>>193普通に諸葛亮の統治は評判良いし
諸葛亮死後もショウエンが死ぬまでは問題なかったぞ
費イになって恩赦をやる回数が増えて色々言われるようになってる

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 17:55:44.08 ID:soMTD/AzO.net
>>205
攻め込むわけがない、言われても正史の記述は覆らないからな。
正史の記述すら否定して、過程の妄想を膨らませて正史の記述との接点を合わせず、自分の妄想を押し通そうとすることにプライドを感じてるなら、俺はそんな底辺の吹き溜まりの仲間入りなんてしたくはないので、これで失礼するよ。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 18:19:16.07 ID:8UAx6MGv0.net
魏では無く呉を攻める大義名分が無いんだから感情論でも当たり前なんだよなあ
結局、そういう前後が理解出来ないで記述通りしか語れないなら本当二度と来ないほうがいいね

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 18:22:21.76 ID:5XGLGFWI0.net
Twitterあたりだと三国志警察案件になりそうなくらい酷い妄想

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 18:36:43.51 ID:8immHhQO0.net
>>208
普通に魏の手下になって荊州奪ったんやから名分は十分やろ
むしろ劉備の死後孔明が皇帝名乗った孫権と同盟結び直す方が名分なくて理由づけに苦労してる

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 18:47:40.69 ID:8UAx6MGv0.net
>>210
残念だがこの時期は弱いんだ
劉備が献帝を死んだ事にした皇帝を僣称してさらに魏と呉は戦争中だったから
要するに魏を助けてるんだよ

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 18:57:53.54 ID:Y4lx0wBZ0.net
劉備が称帝した時期の蜀っておそらくは内部がガタガタだった可能性が。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 19:03:22.90 ID:K12jdQmH0.net
劉備が荊州の領有権を主張する根拠となるのは、劉備が孫権の上表の下で漢の荊州牧に任じられたことの一点にしかないわけだからね
そんなものは孫劉同盟が決裂し、漢魏革命で後漢が滅んだことで白紙になってしまったわけだし
例えば、劉備が漢の正当後継者として漢の領土を不当に領有する逆賊孫権を征伐するといったことを大義名分に掲げたとしたら、孫権との妥協を難しくすることになり、魏につけ入る隙を与えてしまう
劉備が関羽の仇討ちを名分にしたのはそこじゃないかな?他に名分がないもの

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 19:44:13.44 ID:K12jdQmH0.net
>>212
蜀臣の大多数が劉備を皇帝に推薦する上言に名を連ねてはいるものの、費詩や張裕、癕茂や劉巴などは即位に反対していたわけだしね
左遷したり別の理由をつけて粛正したりして即位反対派を黙らせてはみたものの、劉備には外征を成功させることで自身への求心力を高めなければならない事情があったと言えると思う

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 20:00:32.92 ID:K12jdQmH0.net
>>214
×癕茂◯雍茂

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 20:22:13.59 ID:8UAx6MGv0.net
>>213
孫権はさらに関羽討伐の後に漢から荊州牧に任命されてる

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:00:29.56 ID:WoAgwn/C0.net
雍茂と劉巴が皇帝即位に反対したという記述は信憑性が薄いと思うぞ
零陵先賢伝にしか無いエピソードだし
蜀書だと劉巴は皇帝に即位する際に報告文や任命書を作成したと書かれていて
劉巴が即位に反対派だったとは思えない

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:08:43.98 ID:i4IPfGyE0.net
劉備の称帝って親とか祖父の宗廟作ってなかったりとか手続き的にも雑なんで称帝しないと求心力出せない事情とかあったんじゃ。

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:16:39.83 ID:2Wnsof9y0.net
>>213
結構準備してるしそんな感じっぽいな

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:18:07.56 ID:5XGLGFWI0.net
>>218
後漢の天子七廟の存在を考慮すると劉備が自分の祖父や父を祀るのはさすがに常識外れだろ
蜀漢は後漢を簒奪でもしたのか?という話になる

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:40:31.54 ID:EGw1gi3o0.net
>>217
劉巴のような高尚と呼ばれる人物が献帝を勝手に死んだ事にする
気量の狭い事を反対する事は自然だと思うがな
僣称に否定したからって仕事をしないとは=にはならないし

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:42:57.99 ID:I36Wx/440.net
劉協は「愍(殺された皇帝が貰う諡号)」って諡号からして殺されたと勘違いしたか意図的に殺されたと宣伝したかのどちらかやろね

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:43:53.01 ID:8immHhQO0.net
>>213
別の記述じゃ荊州名士からの推戴やけどな
そもそも当時の孫権の身分じゃ劉備を推挙するどころか逆に劉備から徐州牧と車騎将軍代行に推挙してもらってる状態やぞ

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 21:48:28.09 ID:8immHhQO0.net
そもそも劉備は自ら上奏して劉Kを荊州刺史にしてるから事朝廷工作においては孫権の力は必要無いんだよなあ

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:10:37.20 ID:8UAx6MGv0.net
>>224
それで劉備が漢から任命された荊州牧の孫権を攻める理由は?

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:14:53.84 ID:SylwewF00.net
>>225
そもそも呉が荊州牧の劉備に攻め込んでるやん
そして夷陵の時は既に劉備は皇帝で孫権は漢の臣下ではなく魏の臣下になっとる

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:19:38.52 ID:8UAx6MGv0.net
>>226
荊州戦は王を僣称した劉備討伐を漢からの要請
夷陵は劉備が攻めなければ魏の臣下になってないから理由にならない

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:33:35.23 ID:SylwewF00.net
>>227
荊州に最初に手出ししたのは漢中王前やけどな
あと魏の臣下なのは夷陵関係なく曹丕の禅譲を認めてるからや

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:38:01.07 ID:8UAx6MGv0.net
>>228
先に手を出したのは国境線を荒らした関羽だよ
魏と戦争中の呉を攻めた事実は変わらんぞ

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:41:17.12 ID:SylwewF00.net
そもそも孫呉は他の群雄に先んじて皇帝を僭称した袁術の基盤を受け継いだ勢力で結局正当性もなく皇帝名乗ってるんやから
安全保障上何としても欲しかった荊州争奪についていちいち名分的な擁護する必要ないやろ

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:43:17.21 ID:8UAx6MGv0.net
>>230
擁護じゃなく事実なだけ

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:46:08.86 ID:UcTKswr80.net
道義性抜きにした話で、荊州失った劉備が失地回復を図って最終的に陸遜に敗れた戦役以上の意味はないと思ってるんだけど
何でこんなに熱くなってんの

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:47:39.18 ID:SylwewF00.net
>>229
それ以前に普通に荊州江南を攻撃しとるけどな

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:49:38.93 ID:SylwewF00.net
>>232
そもそも孫呉の荊州攻略自体が孫堅の頃からの道義もクソもない念願やったからな

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 22:54:52.55 ID:8UAx6MGv0.net
>>233
何時の話だ?
関羽が国境線を荒らしたのは魯粛が江夏赴任からだけど

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 23:02:56.70 ID:8UAx6MGv0.net
>>234
どうした?
劉備に道義があると思ったのか

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 23:19:56.07 ID:2Wnsof9y0.net
>>230
中華において名分ほど大事なものはないぞ。簒奪する時もアホみたいな手順踏まないといけないんだから

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 23:46:05.40 ID:r67F1Bw1O.net
アメリカも名分づくりは上手いな

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 23:48:45.56 ID:i4IPfGyE0.net
建前って大事やからね。
余程の恵まれた奴じゃない限り本音だけで生きていくのは不可能

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/05/12(日) 23:49:17.24 ID:K12jdQmH0.net
土地とは徳ある者に帰するものであって常ならざるものだって関羽の部下も言っているがね
単刀赴会でこういう言質を引き出した魯粛ってなにげに良い仕事したと思う
呂蒙はそれを引き継いで平和裏に荊州に入り領民を顧みずに兵糧を収奪していた関羽の手から荊州を解放して、病人には薬を配り租税を免じ掠奪を禁じて徳を以って荊州を治めることに成功したのだから
士大夫にとっての名分は置いといても、領民にとっての徳義において孫呉は荊州を治める正当性を手にしていたのではないかな

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