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劉備が天下統一できなかった最大の原因その5

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/04/17(水) 22:11:51.08 ID:RFA23TCc0.net
前スレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1495692159/

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 10:08:22 ID:OapIYUvB0.net
>>634
劉備はそこで間接的に曹操の援護しちゃう形になったのが痛いね
張魯と馬超韓遂は利害が一致してるからその辺上手く使えたのに
孫権は位置的に連携が無理なのは仕方ない

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 10:20:04 ID:nYMdxTYZ0.net
>>636
しかも張魯が漢中での治世を曹操からも高く評価されるほど上手くやっていたから余計にな
馬超と提携し曹操に対抗するのに必要な兵糧を格安で提供とかの支援の他に上庸方面から荊州北部への陽動までやれれば長江水域全体の戦力配置変えて対応しないといけなくなって曹操軍の金と兵糧を無駄に消費させることもできちゃう
そうなれば孫権の目も北に向く可能性も

可能性だけの話ならだけど
戦術的な勝利はあり得ても中原制覇した後の曹操に独力で戦略的な勝利を得ることは不可能なんで諸勢力の連合がどのタイミングなら可能だったか?
スレの趣旨からしたらそこで劉備がその連合を合併するなり乗っとりが可能だったかを考えると劉備が中華統一が可能だったかどうかが分かりそう

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 11:31:58 ID:z2vtbrQ20.net
>>635
にないで

>>637
仮に曹操が赤壁撤退に失敗して本人が死ぬもしくは一年以上消息不明になったらいけそう
そのときに号令をかけるのは献帝

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 12:18:58 ID:FgkUSYpn0.net
ifを含んでしまうが、龐統の上策取り入れて益州を速攻で武力制圧した直後かな
馬超、劉備、孫権の3方向とか夢膨らむな

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 12:40:30 ID:8m4Sbe9X0.net
やから劉備は徐州で曹操に撃破された段階でもうノーチャンスなんやで

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 12:52:04 ID:SEWvDSas0.net
そうだね、8年も無駄に劉表の食客になったことを考えると徐州での敗戦がノーチャンの
決定的要因だと思う。
仮に朱元璋が劉備になったら行ける?
曹操の徐州城攻略を撃退できるの?

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 12:52:29 ID:nYMdxTYZ0.net
>>639
何かの幸運があって棚ぼたでというのではなく劉備自身の判断で状況を変えられた最後のタイミングは益州での上策するかどうかの時だろうね

ただこの上策採用だと益州を得るのは早くなるけど、劉備への信頼が薄まってしまい史実以上に劉備や主要人材が益州の統治に時間を掛けなければならないリスクが高まったかも

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 16:48:39 ID:wRkd5Be/0.net
曹操配下のとき討伐の密書検定からもらったらすぐに謀反起こすような戦略のなさ
張良みたいのが当時いたらまた違ってたろうに

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 16:56:25 ID:/Ig1UWSD0.net
二度目の徐州統治から袁紹の依頼による汝南活動期に袁紹が曹操に勝利したら結構目がある
袁紹は長生きせず後継者争いが起こる流れなので間隙を縫って中原を抑える事も可能

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 17:57:36.40 ID:SEWvDSas0.net
車騎将軍の董承殿をうまく活用できないかな?
劉備が旅立つ前に関羽と張飛を一般兵に
化けさせてボディーガードにつけて
帝の挙兵の機会を待んだよ挙兵したら内外呼応して許昌を落として帝を救う

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 18:26:33.58 ID:nYMdxTYZ0.net
>>643
当時の状況考えると黄巾の乱から反董卓同盟までで軍閥達に名前を売り官途につき実務経験を積んでいるところ
儒学系学者以外にも存在を知られるようになって前途が開けたんだから出自からしたら大成功だと思うんだけどね

戦略的な動きがそもそも可能だったか?
劉邦が張良を得た時期は項羽麾下だけど一軍を任されこれは自由に使える
そして他の同じような立場だった反乱軍の将とも付き合い方次第でその後主導権を握れる可能性がそもそもあった

その時点で考えられる世界の限界、野心の及ぶ範囲というのは変わる
その時期がきて世界の限界が広がりそこで新たな展望を持ってそれを目指すというのが立志でその可能性が高まるのを天命を得るというのかなと

劉備が自分が漢王朝の再興なり、新王朝の創立なりを志すには曹操との決別と10年以上の対立が必要で環境としては自前の勢力を持つことが必要だったかも

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 18:38:36 ID:5lOvTEhN0.net
曹操配下と仮定したなら赤壁で負けた時が独立するとき
要するに符堅に対する慕容垂やら姚萇の立場になればいい

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 19:37:53.73 ID:UEPK3rJR0.net
>>647
それは結果論ではないのかね
赤壁で敗れることはあらかじめ予想できることではないし曹操がそのまま天下を統一することだって考えられたわけだし
もちろん曹操も百戦百勝の不敗の名将というわけではないのだから独立のタイミングは他にもあっただろうけれど

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 21:42:16 ID:FgkUSYpn0.net
曹操から独立するのは史実のタイミングしかないと思う
あとは董承に乗っかって曹操討つくらいだろうが、成功率低そう

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/10(金) 22:42:56 ID:hwzUTAQa0.net
謀反起こすにしても曹操が来たら負けると分かってて独立選ぶなんてガイジ過ぎる

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 03:44:10.68 ID:dfkYryUA0.net
>>647
そもそも赤壁は劉備が逃げたから起きた事であり、劉備が逃げなかったら曹操は急いで呉に攻める必要があっただろうか?
もし曹操が攻める選択をしても、劉備がいなくて単独の場合はたして孫権は会戦に踏み切っただろうか?
やっぱ劉備が曹操の下にいるなら赤壁の戦いが起きる確率は極めて低いと思う

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 08:01:41.27 ID:eJZdb2OY0.net
>>646
>儒学系学者以外にも存在を知られるようになって
そこまで有名だったのか?

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 09:55:22.51 ID:2P5bS9780.net
>>651
そうなると官渡で独立になるか?

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 15:31:58 ID:cnztwJg50.net
劉備が仲達の養子になって司馬劉になればよかったんじゃね?

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 17:06:53 ID:Bi8KuFf60.net
その場合、司馬備になるでは?

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 17:21:06 ID:Sia4tJbW0.net
劉備 161
司馬懿 179
養子になるなら司馬防 149

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 20:59:05 ID:uGAq4wdq0.net
ごめんなさい、ドラマで曹叡が曹爽に「司馬懿がいて生きたここちしない
やつは長年に兵を束ね、門下は多く朝野にまで及ぶ」といってたけど、
実際に司馬一族はどの時点からどこまで曹操軍や魏に影響があったの?
もし曹操が兵を挙げた時からすでに司馬一族が絶大な影響があったとしたら
若い段階で劉備が司馬一族との親交を深めてたら、
将来魏を内部から切り崩せたかもしれない?

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 21:50:47.53 ID:cULknhib0.net
結果から逆算しすぎやろ

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/11(土) 23:06:08.22 ID:gUvMXHK80.net
>>658
ダメな歴史ラノベ作家の思考よな
曹爽に転生したってクソも結果から逆算して弟は使えないだの何晏はどうしようもないだのグダグダ書いて司馬氏与党のケ艾を何故か裏切らせるというチョンボやらかしてた
バタフライエフェクトというものを一切考えてないとボロクソの評判だったのも当然だしカクや今の流れにも一緒のことが言えてしまう

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 09:10:37 ID:95qcZ1eW0.net
賈詡の次は司馬懿か…

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 10:51:58.98 ID:IxRSqcAf0.net
具体的にどうやって切り崩すと言うんだね

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 10:55:42.09 ID:IxRSqcAf0.net
というか司馬一族が、劉備が有利になるように動くというのが全くイメージできない

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 11:37:58.78 ID:XwQjPuPN0.net
>>659
確かにここのスレって天下統一できなかった要因を語るんであってあの時にあれをすればよかったこれをすればよかったを語るところではない気がするけどね
スレ1からその話を切り出したのはどこのだれだってか

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 12:30:00.85 ID:IxRSqcAf0.net
天下統一できなかった原因として語られるのが、まずは荊州失陥と夷陵のコンボ
それからそもそも曹操と比べてスタートが遅かったという話と、劉表の所で足踏みした7年
後者2点を注目する時に、当時何をしたら良かったかと考えるのは良いと思うんだけど
さすがに司馬懿はなぁ・・・
何か妙な創作物に影響されたのかと思うような話が飛び出してくる

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 13:20:05.59 ID:XwQjPuPN0.net
>>664
言ってることわかるけどそんなこと言ったら司馬懿だの郭だの言う人がでてくるじゃないですか
夷陵も荊州も7年も曹操も孫権も同じぐらい失態はしていた思うのでそういう発言は求めないかとでどうすることもできない分野で原因をいうのが正解な気がするけどね
例えば曹操の人事には公正性と一貫性があって人材が多かったできる人は昇進しできない人は落ちぶれる
劉備は自分のカリスマ頼みで人事は年功序列だったとかね

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 13:28:59.96 ID:QlC8DM9T0.net
バックアップしてくれる一族がいたのとそうでないの差が大きいのもあるよな

667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 13:42:27 ID:mrOj+6dD0.net
劉備の失敗は曹操に助け求め保護されたくせに勝てる見込みもないのになぜか曹操に対し謀反を起こしたこと
10年近く時間を無駄にした

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 13:42:52 ID:JneFTIVz0.net
むしろ、いかがわしい系譜と自分の才覚で三国の一角をとっただけでも十分すごい。

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 14:08:53 ID:IxRSqcAf0.net
>>665
「正解」と言われても困るが・・・665の考えた正解を共有しないといけないのか?
そしてつまり人事が原因だったということ?

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 14:24:36.88 ID:62PHenF00.net
>>668
系譜はいかがわしくない真っ当なものだよ
(当時は根拠なく劉姓名乗ったら犯罪)
前漢の皇族の血筋なんて履いて捨てるほどいるから大して希少価値が無いってだけ

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 14:29:38 ID:62PHenF00.net
>>665
夷陵の戦いや荊州失陥は曹操や孫権には有り得ない劉備陣営独自の性格によるものや
そんな事も理解出来ないんじゃ三国志のイフを語る前にもっと勉強した方がええやろ

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 14:52:54 ID:zrJWx0nF0.net
>>670
その理屈だと黄巾の劉辟も皇族だったってことになるんだが
劉邦の血統以外の劉氏なんて当時いくらでもいた
項羽の叔父項伯らのように劉氏への改姓を許された例もあるし
劉備の系譜がどの程度信用できるかは祖父より先に遡れない程度の信憑性しかない

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 15:02:39 ID:NqdswLT10.net
夷陵の戦い 蜀に荊州出身がたくさんいたからそのための遠征、関羽弔いはその出汁に使われた
荊州失陥 劉備漢中軍と全く連動してない関羽の襄陽攻め、劉備と関羽は入蜀以降全くあっていないからほぼ独立勢力と化しているといっても過言ではない
仮に関羽が襄陽取っても劉備のいうこと聞いたか甚だ疑問
関羽を更迭しない限り荊州失陥は免れない

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 16:32:42 ID:62PHenF00.net
>>672
黄巾の乱には農民だけじゃなく普通に官吏豪族も加わってるから劉辟が前漢皇族の血筋である可能性は普通に高いよ(だからこそ劉備が連携したとも見れる)
劉備の祖父は歴とした県令で劉備の家自体は没落したのに一族のツテで盧植の門下に入れたりと明らかに特殊な家系
後年魏の時代になって匈奴の王族が劉姓を名乗れるようになったという事実から漢の時代は新たに劉姓を名乗る事に縛りがあった事が読み取れる

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 16:47:42 ID:62PHenF00.net
>>673
会わなかったら独立勢力ひなるなら陸遜の晩年も独立勢力やな
そもそも藩濬が劉備の代理である治中従事として内政を取り仕切ってるのに仮節持ってるだけの関羽が独立勢力な訳ないやろ
奇説の殆どがまともに史書を読めない妄想なのが良く分かる

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 16:50:31 ID:62PHenF00.net
そういう意味じゃ
それぞれが私兵を抱える豪族である呉の家臣の方がよっぽど独立勢力と言える

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 17:05:27 ID:IxRSqcAf0.net
関羽が暴走しててコントロールできなかった説までは納得できるが、独立勢力だったは飛躍しすぎだよな
面白い発想だとは思うが

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 19:30:58 ID:zrJWx0nF0.net
>>674
先に挙げた項伯の他にも劉邦に仕え長安を首都に定めた功績を讃えられ劉氏の名乗りを許された婁敬(劉敬)などもいる
また、劉邦は祁姓劉氏を祖とされているが劉氏には他に姫姓劉氏がある
西晋のちに前趙に仕えた劉殷、その曽祖父後漢の光禄大夫劉陵などが挙げられる
このように、漢代を通じて劉邦の一族以外にも劉氏は存在していた
劉氏=漢の宗族というのは明白な誤りだよ
劉備がそうでなかったかどうかははっきりと言えるものでもないが

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 21:04:17 ID:WuYMS+9G0.net
三国志の知識しかない情弱なんだからほっとけよ

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 21:33:51.09 ID:62PHenF00.net
>>678
それらは別に劉姓を勝手に名乗ってた訳じゃないよ
別の系統がある事と勝手に名乗れない事とは矛盾しない
誰も劉邦の子孫以外の劉姓を認めないなんて書いてないやろ?

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 23:37:43 ID:zrJWx0nF0.net
>>680
どうも論点ずらされてるな
最初の論点は劉備の系譜はいかがわしいかどうかだったろ
よしんば先主伝にある通り劉備が中山靖王劉勝の子、陸城亭侯?劉貞の末裔であるとして、漢武帝期に劉貞が爵位を失ってから劉備の代まで250年あまり系譜が遡れないんだからいかがわしいと言えばいかがわしいということになる
劉備の祖父劉雄が孝廉を経て県令になってるところなどから見ても、琢郡劉氏が地元では由緒ある家柄だと見做されていたことが窺えるがそれらは傍証に過ぎない
日本の戦国時代に例えるなら三河の豪族松平氏が、「実は我々の本姓は徳川氏で清和源氏の末裔なんです」って言い出した話程度の信憑性しかない

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/12(日) 23:44:56.21 ID:zrJWx0nF0.net
>>680
あとついでに聞いておくけど、さっきから言ってる劉氏は勝手に名乗れないって話は一体何を根拠に言っているんだ?

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 05:38:32 ID:1CTP917D0.net
>>681
そりゃ爵位を失って史書の記録から消えた系統なんて傍証で考察するしかないのはしょうがないけど
属尽制度の研究で取り上げられる程にはいかがわしくない
時代を考えれば松平氏とと並べるのは流石に見当違い

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 05:44:12 ID:1CTP917D0.net
>>682
南匈奴の単于(劉淵)の家系
彼らが劉姓を名乗るのは明らかに魏晋朝時代からである状況を見ても劉姓を名乗る事に制限があった事は推察できるでしょ
名前や字ですら皇帝と被る事を忌む時代背景が有るのに皇帝と同じ姓を勝手に名乗れると考える方が無いわな

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 07:53:56.00 ID:UJqKpwzy0.net
曹操は曹氏と直接血がつながってたかな?

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 09:22:35.94 ID:bwIWzfV60.net
よく言われている荊州失陥が無くても劉備の天下統一って無理そうじゃね?
夷陵の戦い回避で劉備の寿命が10年延びたとしても魏も呉も滅ぼせなさそう
結局どこかで関羽あたりが大チョンボやらかして巴蜀に追いやられる同じような未来になりそう

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 09:39:31.45 ID:BS8OJ7Wr0.net
>>686
劉備だけだと言われる通り無理で終わっちゃうから「劉備+劉禅」と拡大解釈するしかないかな
俺は、劉備の代で魏くらい占領してて天下統一のレールができてるくらいならOK程度で考えてる

どうせ仮定だらけになるんだし、話題が膨らむ方向でいいんじゃないかな

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 09:47:06.46 ID:BcZSSJ5n0.net
>>686
それを言ったらこのスレの存在意義がなくなってスレ終了ですよ。

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 10:04:20.09 ID:1CTP917D0.net
>>686
そもそも呉が悲願レベルで絶えず荊州狙ってるからガチで守り固めてても守り通せるか怪しいし魏が有利になる
魯粛みたいな劉備に少し譲歩しつつ北に当たらせるって戦略自体が孫権始め呉の将軍豪族から受けが悪かったんだろうね

内部からのクーデター以外の可能性だと
徐州時代に袁紹と上手く連動して官渡前に曹操が死んでくれるとか
赤壁の時に曹操が死んで呉の目が北に向いてくれるとか
曹操が早いタイミングで死んでくれる以外に目が無い様に感じる

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 10:10:39.88 ID:bwIWzfV60.net
いやすまん
これを結論にして「このスレ終わり!」なんて言う気は無いんだ

蜀が魏を攻めてる間に、魏は呉を唆して荊州を取るように仕向けるだろ
結局同じような未来になりそうだなと
その時に荊州の守りも完璧にできてたら呉も諦めて北伐するかも知らんが
呉は合肥より荊州欲しがりそうだからなぁ

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 10:23:18.77 ID:1CTP917D0.net
>>690
利権が欲しい豪族はもちろん
純軍事的には荊州の長江流域全部抑えないと安心出来ないから孫権や呂蒙みたいな軍人が欲しがるのも当たり前

単刀赴会で有名な魯粛主導の和睦に孫権が内心納得してなかった可能性は高い

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 10:38:00.40 ID:bwIWzfV60.net
魏を倒すには呉の協力が必要
その呉は蜀との同盟より荊州を欲しがってる
蜀は魏を攻めるために荊州が必要
蜀のお国柄的に魏より先に呉を潰すのはありえない
呉と魏は組めるが、蜀は魏と組めない
厳しいが、時間の経過で打倒魏の理念が薄れてきたら呉を併呑してから魏と戦うのもあり?
羅憲あたりですでに呉に領土をくれてやるなら魏に渡すってノリだったし

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 10:52:13 ID:1CTP917D0.net
>>692
羊コと陸抗の例からも正面から長年対峙してると恨みもあるにしても親近感が湧くんやろ
それに降伏後の劉禅が殺された訳でもなく羅憲自身を含め継続して用いられてる状況だから漁夫の利を狙って攻めてくる呉に反発するのは当たり前とも言える

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:17:34.41 ID:bwIWzfV60.net
羅憲を責めてるわけじゃないぞ
創業当時の理念なんて薄れてしまうのは当然であって(劉備も死んでるし)
憎しみや怒りの感情なんて実際に被害を受けた被害者でもないなら、そもそも維持が難しい
蜀は建国当初、とにかく魏を叩くのが国是だったけども、時間が経って冷静になれば魏を叩く以外の国策もとれるようになるのでは、と言いたかった
思考の変化の例として出したのが羅憲

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:18:46.96 ID:bwIWzfV60.net
長年対峙していれば親しみも沸くとはいうが、羅憲って武官じゃなくて呉相手の外交官だったので親しみ度合いは呉のほうが上なのでは
まぁそれでも呉が何か失礼をやらかして羅憲は内心では呉を嫌ってたってのもありそうだし
国が滅び、同盟国が攻めてくる状況ってのも凄まじい
呉が国益を優先するのも当然だが、羅憲が感情的になるのもわかるよ

感情を抜きにしても羅憲の行動は合理的で正しい思うよ
呉に仕官するより魏に仕官するほうが未来ありそうだもんね

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:30:32.63 ID:1CTP917D0.net
>>694
上手いこと呉を占領出来たとしても難しいやろね
むしろ侵略に掛かるコストの分だけ魏の有利に働く
だからこそ三国はそこそこの時間鼎立出来たんやろ

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:38:07.84 ID:1CTP917D0.net
>>695
羅憲は感情の面だけじゃなく当時の戦略状況を踏まえて呉を批判してる
曰く「蜀が滅びれば呉も危険なのに呉は蜀を助けるどころか混乱に乗じてハイエナするアホだから滅びろ(意訳)」
全く持ってその通りになった

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:43:07.73 ID:bwIWzfV60.net
あれって劉禅の降伏が早すぎたんじゃなかったっけ
助ける時間も無かったとか思ってたが、ここの時系列詳しくないから間違ってるかも
呉が末期だったのはその通りでしたね

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:47:20.81 ID:1CTP917D0.net
>>698
そんな事関係なく呉が永安を攻撃しようとしたからこその上の発言

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:50:54.90 ID:bwIWzfV60.net
>>696
まぁ呉を責めてる間に魏が何かしてくるわな
勢力図を維持したまま、どっか弱体化した国の領土をじわじわ侵食するくらいしかないかね

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:52:20.49 ID:bwIWzfV60.net
>>699
関係なく言ってたんだw
羅憲はおもしろいやつだな

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 11:58:36.61 ID:1CTP917D0.net
>>701
タイミングの遅い援軍を装って結果として永安を攻撃してきたんだから
劉禅の降伏とは関係なく羅憲の発言は面白くもなんともない正論だよ
最初からそのつもりが無けりゃ永安攻撃なんてしてこないやろうし

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:01:47.08 ID:1CTP917D0.net
>>700
というか魏が分裂等して弱体化しない限り当時の蜀に目はないやろ
司馬懿のクーデターが中央だけの話で晋の国力が落ちなかった事で万事休す

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:18:35 ID:bwIWzfV60.net
>>702
劉禅の降伏の有無は重要だと自分は思うな
そりゃいざとなれば蜀の領土の取ることも想定してるんじゃない?
蜀も相当末期の頼りない感じに見えるが
実際、この時期に劉禅も降伏してるし
呉の視点、援軍出しても助かるようには見えないなら領土欲しくない?
戦略的に間違ってる?

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:20:07 ID:bwIWzfV60.net
>>703
それは同感ですね
クーデターがあったと他国が知ったのは全部終わった後だったっぽいし
八王の乱も統一しなきゃ起きない事件だろうからやっぱ晋の勝ちかな

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:30:46 ID:1CTP917D0.net
>>704
呉はおそらく蜀の敗北を見越して最初から永安を奪うべく行動してた(少なくとも羅憲にはそう見えた)から降伏の有無は関係ないよ
降伏直後の混乱時を狙うのは「近視眼的な」戦略としては間違ってないけど
そんな小知恵でどうにかなる状況でも無いだけに蜀の地を戦場にしようとしてるのは許せんやろな

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:33:03 ID:r+X1jIUw0.net
>>689
あとは孫策が暗殺されず劉表を殺害して官渡前に北上した時くらいか
流石に曹操も南方への警戒を優先して袁紹に全力を注げなくなる
一応同盟してるのに一番恐れられてたからな

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:40:52 ID:bwIWzfV60.net
>>706
長期的に見て、呉は黙って見てるのが正解ってこと?
まぁ「助けろや」ってことか

>蜀の地を戦場にしようとしてるのは許せんやろな
あとこれはすごく納得。共感できるわ
やっぱ魏に渡すべきなんや

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:53:17.54 ID:0qbW+ZoD0.net
>>706
とはいえ援軍要請来て1ヶ月以内に援軍向かわせてるので
言われる程遅くないかと
関羽の時は荊州が危機に陥ってから1ヶ月以上経っても
蜀の誰も援軍出す気配すらなかったぞ

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:54:29.39 ID:chvf2OGs0.net
>>707
呉が天下統一する一番のチャンスもここだしこの時期は一番のターニングポイントだったやろな

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 12:55:53.12 ID:bwIWzfV60.net
呉が劉禅降伏後の蜀に協力的だったとして、どうにかできたのかね
姜維と鍾会のアレを支えるのか?
当時の蜀って助ける価値あるか?

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:01:10.04 ID:chvf2OGs0.net
>>708
もっと早く本腰入れて魏と戦えってとこやろな
陸抗の羊コとの仁政競争なんて羅憲の視点からしたら噴飯ものだったやろうしな

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:05:40.09 ID:bwIWzfV60.net
>>712
呉も北伐してたけど魏に勝てず、成果が出せなかったんじゃないか?
長江を越えて戦争するのはキツかった

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:12:13.09 ID:chvf2OGs0.net
>>711
どうにも出来んやろ
それこそ呉が残ってる内に八王の乱ぐらいの混乱がすぐに起こらない限りは

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:22:03.55 ID:chvf2OGs0.net
>>713
無理してでも成果を出さなきゃジリ貧やけどな
孫皓が暴君化したのも状況に絶望したからって説もあるぐらいやし

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:31:32.50 ID:bwIWzfV60.net
>>715
呉も無理しててアレなんだろ
戦争のために税金上げて国内では反乱増えてたし
人間が足りなくて僻地まで行って人狩りまでしてたんだから、どう見ても無理してる
蜀も成果出せてないんだから、魏がよく守ったと見るべきか
やはり守勢が有利と見るべきか
魏を責める時って蜀は山を越えなきゃいけないし、呉は川を越えなきゃいけない
魏ですら川を越えて呉を責めるのは失敗してるんだから

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:39:13 ID:chvf2OGs0.net
>>716
関羽が襄樊包囲落城寸前まで攻めてるから能力とタイミングが合えば無理な話では無いよ
後に南方の国力が高まったとはいえ洛陽まで軍を進めるケースも有るんだし

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 13:52:18.75 ID:bwIWzfV60.net
>>717
当時の呉はこれが限界だったと主張したいだけだ
ただでさえ国策で内部分裂してる状態だったんだから
能力とタイミングが合うって、かなりの僥倖で、狙って得られるものじゃないと思うよ
これを得られなかったのが呉の瑕疵というのは気の毒かと

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 14:10:41 ID:1CTP917D0.net
>>718
なお永安掠め取ろうとする余力はある模様
羅憲視点だとそう写るやろな

それが呉の限界だとしたら
瑕疵というよりも孫権の体制が確立して以降の仕様とも言える結末なんだろうね

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 14:22:05 ID:bwIWzfV60.net
>>719
滅亡寸前の蜀軍と大正義官軍の魏軍を比べるんじゃないよ
しかも指揮とってる羅憲て当時は文官だったんだよな?いけるやろ!
羅憲てあの時まで指揮したことあったのかな?よく持ちこたえたよな
籠城だけじゃなくて歩協撃破してるし
現場のテンションを見てみたかった

>孫権の体制が確立して以降の仕様とも言える結末
そう思うよ
豪族のラジコン皇帝になればうまくいったのかな?
でも孫家の覇王のDNAがそれを許さなかっただろうなと思う

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 14:28:15 ID:j00IOSzU0.net
呉は蜀をとられたら統一王手食らうってのが分かってないみたいやね

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 14:38:09 ID:1CTP917D0.net
>>720
孫策に比べて半ばラジコン皇帝だったのが
下手に独裁色強めたのが孫権の晩年だよ

即位当初は孫策繋がりの人材がコントロールしてたけど彼等が亡くなった後は豪族の利害代表状態

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 14:39:59 ID:1CTP917D0.net
>>721
根本的にどこまで行っても赤壁前の魯粛の発言が国の形だったんやろな

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 15:18:44 ID:bwIWzfV60.net
?芝の話も残ってるし、蜀がとられたら終わりってのはわかってただろ
あとはどう頑張っても延命にしかならない
さっさと降伏するのも、優勢な魏に領土を渡すのも国民のためには悪くない選択肢だった思う

蜀も呉も北伐で国力を疲弊し続けるだけで成果を出せなかったのがいけなかった
いけないというか、これが2国の限界だったと見てる
どっちかの国のせいって話じゃないと思うんだが

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 15:22:52 ID:KzA+Brov0.net
弱者連合で大敵に当たるのに共食い始めたら大敵にはその共食いの結果に関わらず弱った方から殲滅できるからね

弱者連合自体が既にリスクの高い選択なのにその根本を自分で噛み切りに行く呉の姿は魏にとっては滑稽だっただろう

あの関羽ですら単独で守れなかった荊州を蜀と対立して独力で維持できんの?モマエ?w
襄陽方面から江陵攻めつつ建業直撃狙いもこっちはできんのよ?分かってんの?w

蜀が漢中から出てきても長安近くまでおびき寄せて補給切れ待つこともできるし無駄無駄無駄!w

回線切って逝ってヨシっ!
みたいな?

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 15:30:46 ID:bwIWzfV60.net
曹丕さん成仏して

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 17:14:19 ID:r+X1jIUw0.net
>>722
呂壱とか皇帝お墨付きの中央集権体制構築の担い手だったのに豪族に足元掬われたって典型的な例だからな
呉は政治体制の脱皮をさも悪事のように書き記して失敗を善行だとするからタチが悪い
豪族に媚びて宗族殺して権力をバラバラにした孫休とかいうガチガイジが孫皓を狂わせる決定打になってしまった

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 22:27:52 ID:UJqKpwzy0.net
司馬宣王のための諱はここでは使う必要ない

729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 22:40:10 ID:aXb+4sYI0.net
>>727
君みたいに現代の価値観で歴史を語る馬鹿者には永久にわからないことだよ

730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 22:49:03 ID:7ktNuhaH0.net
生産性がないことしか書けないけど言い返さないと気が済まない>>729であった

呉の豪族ラジコン政権は後漢のもう一つの末路であり六朝の原型なのは常識だぞ
それを永久に分からないことと抜かすほど高尚に思ってるお前の脳みそが残念過ぎる

731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/13(月) 23:02:04 ID:bwIWzfV60.net
ラジコン皇帝って悪くないよな

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 01:35:47.90 ID:WmsTKwYW0.net
呉と東晋以降の南朝の共通は文化くらいやろ

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 01:55:01.12 ID:Ig5QTyCV0.net
>>732
君みたいに現代の価値観で歴史を語る馬鹿者には永久にわからないことだよ

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 02:06:36.72 ID:62yDeTFt0.net
>>732
土着豪族と亡命士族の連合体の地方政権という点では孫呉も東晋も同じだが
実権を亡命士族が握ってるのが東晋、土着豪族が握ってるのが孫呉と差異はあるね
そういう意味ではむしろ東晋は蜀漢に近いのでは?

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 02:22:55 ID:y9mBJTfB0.net
魏の制度を踏襲して蜀漢みたいに亡命士族が権力握って土地は呉って
東晋って三国志の集大成みたいな国だな

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 03:26:07 ID:J5rCT4ZK0.net
>>698
263年05月 魏の蜀征伐決定
263年05月 呉の交州で呂興が反乱(-271年まで続く)
263年08月 三路より魏軍進入
263年09月 漢中陥落
263年10月 ?艾が剣閣迂回して江油制圧
263年10月 蜀から呉へ救援要請 呉は寿春・沔中を攻撃 更に蜀へ援軍準備
263年11月 蜀降伏
263年12月?呉の盛憲が永安到着 羅憲と交戦状態に
264年01月 鍾会の乱 鍾会・姜維・?艾ら死亡
264年02月 呉の歩協・留平が永安到着 羅憲と交戦して敗北
264年02月 呉の陸抗の援軍到着して永安包囲 羅憲は陳騫に援軍要請
264年03月 劉禅を洛陽に移送 霍弋魏に降伏
264年07月 胡烈の援軍により呉軍撤退

ざっくりだがこんな時系列
呉の援軍が永安に到着した時点で蜀は存在していない
呉は蜀を助ける時間も無かったのが正解
羅憲はその時点で姜維みたいに蜀を復興する計画立てる訳でもなく
呉の援軍支援して永安明け渡して魏と交戦するのを選ばず
魏の人間として呉と対決する道を選んだ以上呉と交戦するのは必然
まあ忠誠を誓う劉禅を魏に人質にされている以上仕方ないが
それにしてもいつもは陳寿の三国志は捏造とかいう奴よく見るのに
それよりも信憑性の薄い資治通鑑(晋書)の羅憲の発言に誰も突っ込まないのはある意味滑稽

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