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五胡十六国南北朝を語るスレ10

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/04/14(火) 14:37:56 ID:k7+CJ9Nu0.net
カバー範囲を実態に合わせてみた。
そうしたら「東晋南北朝」のほうが
正しい気もするが、そこは通りの良さ優先で。


前スレ https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1578178389/


参考

晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91

資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm


勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/18(月) 11:32:27 ID:kkGNXO1RO.net
江南はこの頃になると開発が進んで豊かになったからね
はっきり言って、江南だけで足りちゃうから無理に統一する必要性がなくなる
それに対して中原は相次ぐ戦乱で土地が荒れ果ててた
北側の記録をみると、わりと飢饉や日照りが多い
たとえば、前燕の記録では、5月から半年間一滴も雨が降らず、大飢饉になったとある
冉閔の祟りだと震え上がった慕容儁は諡と祭祀を丁重に行って鎮めたとか
武悼天王を祀った効果があったのか、大雪を降らせてくれたで締め括られている
北朝では食っていくために豊かな江南を征服する必要性が出てくる
だからどうしても、南朝の兵は弱く北朝の兵は強くなる

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/18(月) 15:57:14 ID:nEnd4/rq0.net
北側もそんな理由で西半分が強く、東半分が弱いね
北斉の人口が2000万に対し北周の人口が900万

高歓は宇文泰をひとひねりで倒してもおかしくなかったんだけど
宇文泰の能力がかなり高かったといえる

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/18(月) 16:26:24 ID:fyG00Ibr0.net
あれは蕭衍がアホ
弱いものから倒すのが常道なのになぜか西魏とくんで東魏と対立

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/18(月) 16:35:53 ID:crWyFnTI0.net
昔から合従政策とか三国鼎立とかもあったじゃん
どっちも上手くいってなかった気もするけど

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/18(月) 16:38:26 ID:rmx3jcvh0.net
>>433
玉壁抜けりゃ早けりゃ高歓が生きてる間に決着ついてたと思うんだがな
韋孝寛は国家存亡の危機を救った

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/18(月) 16:49:55 ID:Hss74Tzh0.net
北宋「やっぱり遠交近攻だよな」

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/18(月) 18:53:30 ID:fyG00Ibr0.net
東西魏と梁は全部隣接してるんですが

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/18(月) 19:03:34 ID:PStBh+zX0.net
小関と沙苑でしっかり勝った宇文泰もすごい
あれどっちも負けたら終わってたろ

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/18(月) 20:24:16.25 ID:vUKgYtr60.net
>>433
>北側もそんな理由で西半分が強く、東半分が弱いね

概ね同意だけど
前趙後趙に関しては東半分の勝利というのが鬼籍
それに同時期に前趙後趙が存在するのも今考えるとかなり変だ
西趙東趙でいいと思うけど誰が名前つけたんだろね

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/18(月) 23:21:38.75 ID:kkGNXO1RO.net
>>440
劉氏の趙が先に滅んだから前趙
石氏の趙が後に滅んだから後趙
どちらも国名が趙だから便宜上そう呼んでるだけ

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 00:34:52.83 ID:4MYGaS270.net
そういや
西晋・東晋も前晋・後晋と言わなかったな

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 00:39:03.02 ID:BVUdtVc40.net
既出の気がするけど
便宜上、国名の前に東西南北とか前後とかつけてるからなあ
燕なんて、あちこちで建国されたから
同時代人は困ってそう

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 01:09:26.90 ID:y6EXIiUm0.net
戦国七国で唯一ぶっちぎりで人気なく誰も付けたがらない韓・・・
戦国七国でない宋にも負ける五胡十六国南北朝の無視ぶり

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 01:14:25 ID:y6EXIiUm0.net
>>442
西晋東晋は時代違うけど北宋南宋に近いケースなので
北晋南晋の方がしっくりくるのだが
多分時代違うけど間が一瞬断絶した西漢東漢に倣ったのかなと思うが
西漢東漢は日本では前漢後漢で通っているのもこれまた謎

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 06:32:44 ID:SpkF9Z+a0.net
>>444
どこかの半島の国がつけちゃいました

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 06:42:38.74 ID:80QeXp0r0.net
>>444
確かに
戦国以降で韓って国名つけたのいつあったっけ?

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 09:10:31 ID:Ni4/amnp0.net
>>441
しかもこの名称の面白いところは後趙である石勒のほうが先に趙王になっていること
劉曜が石勒への王位下賜を反故にする意味を含めて国号を漢から趙へ改めたのが原因

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 12:54:59.44 ID:geUsuxCbO.net
>>448
なんか子供のケンカみたいなことをやってるな劉曜は
国名を趙にしたから石勒にあげた趙王の称号は取り消しねー
趙王より趙皇帝のが偉いんだぞ強いんだぞバーカバーカ!って…
劉淵がなんでわざわざ国名を漢にしたのか分かって無かったのかな
漢王朝の後継者だと宣言して胡だけでなく漢人の支持を集めるメリットがあったのに

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 12:55:37.17 ID:wUY16+D40.net
>>443
晋書とか読んでると、
多分王朝名では認識してないんじゃなかろうか

「苻堅こえー」「慕容垂マジキチ」とか

蘇峻の乱における蘇峻とかと似た扱い、みたいな

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 13:30:45 ID:9WZ8fTdF0.net
どういうこと?って疑問な人はいた
https://fakelielife.fc2.net/

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 15:42:57.33 ID:U02Qrj/60.net
>>449
曜は匈度としての教養しかなかったうえ、曜が継ぐ直前に漢は事実上石勒に滅ぼされていた
だからこそ国号を趙に代えて対抗したわけ

聡も教養は同じだが漢の重要性や血筋という面では曜より資質はあったから王朝は漢のままだった
だが聡の時代も虐殺略奪やりたい放題なうえ東晋成立の大チョンボで順調に保守的な漢人の支持を失っている

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 16:37:19.60 ID:y6EXIiUm0.net
>>449
劉淵の漢は漢王朝の後継者だと宣言しているのに
東漢末裔の山陽公劉秋は劉淵存命の309年に漢に虐殺され
季漢末裔の安楽公劉恂は311年に漢に虐殺され
どうみても劉裕よりも漢王朝の後継者とは思えんバーバリアン
こんなんで保守的な漢人の支持を集めれるとか文明人の発想ではない

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 17:09:13.82 ID:BLLPt3tX0.net
当時の五胡政権に対する漢人の支持不支持って晋王朝に対する支持不支持と反比例してるイメージ

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/19(火) 22:56:34.81 ID:y6EXIiUm0.net
五胡政権支持か晋王朝支持かの二択しかないのはこの時代の不幸

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/20(水) 00:50:16.71 ID:KTyTt/nU0.net
漢人国家なのに辺境過ぎてほぼ空気の前涼・・・

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/20(水) 01:47:48.82 ID:i1Zo1vmu0.net
>>455
どっちも潰すな第三勢力になりたいやつは居なかったのか?

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/20(水) 02:02:26.24 ID:pKyv0kn10.net
>>455
どの王朝もその創始者が崇拝されるような王じゃないからね。
劉備か関羽か諸葛孔明が最終的な統一王朝開けなかったのが漢民族の悲劇。

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/20(水) 07:47:58.19 ID:ISGnJesv0.net
>>457
五胡を全部ひとくくりにするからそういう発想が出る
五胡の各国のイデオロギーはまるで別物
イデオロギー的に第三勢力は乞活や冉魏や前燕や前秦などが代表例として挙げられる

そして衝突の末に第三勢力として動くとロクな目に遭わないと懲りて出来たのが北魏
仮に後燕が北朝として君臨してたらもっと違った

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/20(水) 08:50:18 ID:/T7D3dZ40.net
>>458
「崇拝されるような王」なんてな殺されるだけの世界で何を言ってるんだ

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/20(水) 10:22:04 ID:kAEa9rPT0.net
殺されるだけの世界ではないです白雉さん

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/20(水) 11:03:06.06 ID:aS5Fpfsu0.net
>>460
例示してる対象からしてまともに相手しても全く響かない無駄な笊
無視推奨

信仰だけじゃすぐ崩壊するのは前秦で明らか
組織力だけでも北魏のようになる
それらの失敗を踏まえて統一の芽があった王朝というのは数少ないが
だからこそ面白い

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/20(水) 12:17:57 ID:R9SKmseEO.net
苻堅は頼りになるはずのテイ族を都から遠ざけて他民族を周囲に置いてからな
テイ族を遠ざけるのは危険ですと諫める臣下がいたけど
理想論に燃える苻堅は一顧だにしなかったとか

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/20(水) 12:32:05.17 ID:7ekoxbH40.net
>>463
この件は新バビロニアのネブカドネザル2世によるバビロン捕囚に通じるものがある
ちなみに新バビロニアはネブカドネザル2世死亡後信仰的崩壊発生であっさり滅亡
ちなみに新バビロニア隆盛時唯一生き残った周辺大国はネコ2世擁するエジプトのみ
結論:ネコ最高

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/20(水) 15:07:01 ID:iakeAFOq0.net
>>464
五胡時代「源氏バンザイ」
エジプト王朝「ネコバンザイ」

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/20(水) 21:08:53 ID:2X+89m2X0.net
完全に兵農分離がなされた後の江戸時代でも、百姓・町人が養子縁組や士分株の購入で武士になることは出来たけど、
一方、中世ヨーロッパでは農民・商人の生まれでも貴族・騎士になることは実際可能だったの?
ローマ帝国だと平民の出から元老院議員や軍団長や属州総督、果ては皇帝にまで成り上がる者までいて、階級の流動性がかなり保たれていたが、
中世ヨーロッパは家柄や血筋によって身分制度がガチガチに固まってるイメージがあるわ。

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/20(水) 21:51:22.74 ID:2X+89m2X0.net
中国はほんとピンキリだよ
上流は世界最高クラスの文化人だけど
庶民は未だに道端で野糞するし(女性でも)、コンビニのトイレットペーパー盗んだりする
日本の底辺DQN未満
インドもそうだが、頂点と底辺の差が最早同じ国とは思えないほどだよ

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(木) 00:42:18.47 ID:5V1Ku7Ot0.net
>>466
中世ヨーロッパは王侯貴族の身分制度はガチガチに固まっているが
一方で聖職者の方は王侯貴族と別軸で同等以上の権力あって平民からでも成り上がれる
あと特殊な例でジャンヌダルクみたいに平民なのに軍指揮官とか

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(木) 00:47:39.47 ID:FDY3VknP0.net
>>466
芸術面ではそれなりに出世できるものはいたが政治的には絶望的
武功でもジャンヌダルクが有名になるほどレアケース
知の継承手段を宗教が独占したせいで奴隷が本当の意味で奴隷に変貌した上
インフラや技術進歩の概念がルネサンスまで停滞した
ローマ→暗黒の中世は「西晋崩壊から最悪の末路を辿った中華」のモデルケース

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(Thu) 02:14:59 ID:Tr8N1aEM0.net
>>466
それどころか解放奴隷の子が皇帝になった例もいくらか

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(木) 04:12:03.21 ID:qYzktIJF0.net
石勒以外誰が?

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(Thu) 05:32:32 ID:Tr8N1aEM0.net
ローマの話だ

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(Thu) 07:20:15 ID:bv4g2wfD0.net
劉邦と朱元璋と毛沢東は農民出身よね

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(Thu) 07:25:54 ID:ca1fh7EP0.net
ディオクレティアヌスが有名だけど他はいるのかな

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(木) 07:29:30.92 ID:bv4g2wfD0.net
>>469
でも中国は西晋崩壊から五胡十六国・南北朝を経て大帝国の唐として復活したけど
ヨーロッパは無理だったな
ユスティニアヌスの頃の東ローマでも蛮族から北アフリカとイタリアを奪い返すだけで精一杯だった

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(木) 07:49:19.20 ID:nBJYkmRh0.net
>>473
毛沢さん家はなんだかんだとミニながらも一応地主さん。
劉季アニキはああでも地回りとはいえ漢人

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(木) 07:51:43.30 ID:nBJYkmRh0.net
すまん誤字した上で早漏
×漢人○官人
真に最低辺なのは朱重八っつぁん。

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(木) 07:53:03.00 ID:bv4g2wfD0.net
中国は唐末の混乱で貴族が死滅し、
宋代以降は科挙に合格して採用さえされればどんな出自でも官吏になることができた。
建前上、受験資格に制限のない科挙ではあったが、
科挙に合格するためには幼い頃より労働に従事せず学問に専念できる環境や、
膨大な書物の購入費や教師への月謝などの費用が必要で、
実際に受験できる者は大半が官僚の子息または富裕階級に限られ、
士大夫の再生産の機構としての意味合いも強く持っていた。
ただし、旧来の貴族の家系が場合によっては六朝時代を通じて数百年間も続いていたのに比べ、
士大夫の家系は長くても4〜5代程度に過ぎず、
跡取りとなる子が科挙に合格できなければ昨日の権門も明日には没落する状態になっていた。

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(木) 08:26:01.84 ID:+cTg28/d0.net
顔之推も書いてるけど勉強さえ出来れば(論語が読める程度)最悪田舎で読み書き教えるとかで生計は立てられるけど、勉強が出来ないとすぐ落ちぶれて下人みたいなポジションで生計を立てるしかないので後漢までの名士社会よりは実力主義の傾向にはなったとは言える。

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(木) 08:39:48.93 ID:eAJxN2fG0.net
>>475
全てのレベルが低下したあげくそれを改善する原動力もなかったからな
ギリシアの元老院が現代の政治家のような風土だったのに、中世から近代にかけて蛮族の親分が支配者層として君臨し続けた
それに対して中華は腐っても儒教ネットワークによって知識や官僚制度が残り続けたのが大きい
だからこそ近代では先進技術を取り入れる気概がなく一度積んだというのは世知辛い

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(木) 11:03:18.05 ID:Rrl05mSI0.net
>>477
流れ者の小作農の末っ子に生まれ少年時代に疫病で両親を失い食う為に寺の小坊主になり兄や姉と別れる。寺でも食えないため各地を彷徨う乞食坊主暮らし已む無く入った紅巾軍で一軍の領袖となった頃には兄も姉も全て亡くして天涯孤独の身だからな。

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(Thu) 11:55:44 ID:SAtPJh7/O.net
高歓に比べたら堅実で地味な印象がある宇文泰
そんな宇文泰は「開明王」という王を信仰して祀っていた
実はこの「開明王」の正体は…なんと蜀漢の姜維だった!
「開明王」とは宇文泰が信仰する姜維に捧げた諡号だったのだ

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(木) 13:02:03.96 ID:bv4g2wfD0.net
>>468
ジャンヌの家は彼女が処刑された後も、貴族としてフランス王家に代々仕えてるね

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(Thu) 15:58:17 ID:/O9gCkG+0.net
いい加減五胡の話しろよ

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/21(Thu) 21:38:05 ID:9ktKCHBq0.net
>>482
諸葛亮ならともかく姜維なのか…

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/22(金) 01:55:48 ID:0XSirtXN0.net
宇文泰は部下の劉道徳の名前を「お前はワイの孔明やから名前も亮な」とか言って劉亮に改めさせたからガチの蜀ヲタやぞ

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/22(金) 07:38:09 ID:UzwqmXLX0.net
>>486
エセ鮮卑回帰政策も漢民族文化に相当理解がないと出来ないことだし、府兵制は蜀の制度だったからな
他人の褌を自らのものとする力には長けてた

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/22(金) 07:44:45 ID:0XSirtXN0.net
周って国名の時点で儒者に媚びまくってる北周

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/22(金) 08:24:47.44 ID:O3NstvYrO.net
開明王という諡号は華陽国志に登場する古蜀王・開明氏からきているのかも

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/22(金) 12:00:58.47 ID:UzwqmXLX0.net
>>488
いちおう支配領域的には周だから身内の反発も少なかっただろうな
躍進は宇文泰らの実力の高さもあるが陳も斉がゴミだったからこそ起きた奇跡

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/22(金) 16:06:22 ID:0U61xRdV0.net
梁が東西分裂の時に潰しにいかなかったのが悪いんやが国内それなりに潤ってたからな…
北伐する理由がなくなってしまった

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 00:48:11 ID:PrTmYv1C0.net
https://www.youtube.com/watch?v=P-LhXvdqhko

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 00:55:37 ID:ylnU7HML0.net
この手のは知識皆無で見るならまだいいけど大概Wikipedia丸写しなのが分かって萎える

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 00:56:45 ID:hd/AS2Ty0.net
>>491
それで梁武帝は治世後半に仏教道楽ができたわけで
520年代後半以降も北魏がまとまってたら捨身とかやってられんよ

北の方も南の堕落に付け込む南伐どころじゃなくなった

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 06:34:39 ID:OZlkcCEq0.net
あの捨身の異様な金額は相場通りなのが所謂「スタグフレーション」を起こしていて貨幣経済が機能してなかったのか

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 08:35:09.91 ID:i/sbEvF20.net
>>493
自称プロの作家ですらそれをやらかすからな
しかも一次創作の体裁で

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 09:58:35 ID:z5f6IN9n0.net
陳慶之があんなに強かったのは兵の質せいかね
手駒の7000使い切ったら負け戦もあるみたいだし

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 10:22:07 ID:B3d/OX0H0.net
華北の騎兵にも対処できるマジもんの精鋭部隊だからそうそう替えは利かん

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 11:43:20.73 ID:5W8s6p3O0.net
>>493
観てみたが予想よりは初心者向けで良かった
本当に酷ければ👍に対して👎が1割未満で済まない
Wikipedia以上のマニアックなの期待するなら
自分で動画作るべきだな

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 11:43:21.47 ID:Ti8Ght/d0.net
滎陽攻略の下りとか蛮族過ぎてもう…

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 12:13:41.93 ID:lQ7NZMsu0.net
宇文泰は蜀漢リスペクトだったんだ。
宇文泰は大きな耳と長い腕が劉備のようだったというし、自分に文才があれば「劉備が生まれ変わって宇文泰になった」として小説でも書くが、そういうのは既にいくらでもあるかな?
三国時代では魏晋の前に飲み込まれたが、南北朝後期では最終的に統一の主流になっていったという感慨深さもあるしな。
ただ言うまでもなく北周宇文氏は楊堅によって悲惨なことになったからそのあたりが難しいか。

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 17:50:41.59 ID:eHOaNYm70.net
漢晋春秋にでも感化されたの?

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 19:43:34 ID:BF3+sR840.net
畜生集団の北朝でなく南朝が統一してたらどうなってたのか見たかった

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 20:17:55 ID:LqiukBGB0.net
>>501
北周宇文氏の血は隋にも唐にも入っている
李世民も李隆基も北周宇文氏の末裔と思えば面白い

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 21:18:49 ID:dv/cb4ki0.net
>>503
北朝系の集団は長城以北に遷都(逃亡、追放)
北からの脅威が継続
文化的には繁栄するかも

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 21:55:52 ID:PrTmYv1C0.net
大抵、北の勢力が南を征服するよね
明や中華民国みたいに南から北を征服して統一するケースはかなりレア

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 22:32:19.50 ID:rsC0Mhtf0.net
食うに困らないと強兵作るのはむずかしい

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 22:38:50.23 ID:PrTmYv1C0.net
日本だと東北と九州が強兵の産地だった
もとは蝦夷と隼人の土地

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/23(土) 22:52:22.97 ID:pwUW4Wfl0.net
太平洋戦争前も東北出身が多かったね

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/24(日) 06:48:29 ID:8KJ9jg8M0.net
平城から動かない北魏IF

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/24(日) 08:02:44 ID:3xV9fVWj0.net
>>509
太平洋戦争時の日本人最強部隊は第442連隊戦闘団

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/24(日) 09:03:54.51 ID:dgvfk4wL0.net
家族を人質に取られてるからね

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/24(日) 10:20:07.60 ID:C1nsdYrA0.net
中原に入った騎馬民族が漢化しなかったら長江が国境線に今もなったやろね

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/24(日) 12:45:34.12 ID:oP1PU+xbO.net
>>513
少数派の騎馬民族が多数派の漢人を支配するんだから
しかも漢人のが自分達より数段文明が進んでいるんだから
どのみち漢化は免れなかったと思うよ
ちなみにモンゴルが例外的に漢化しなかったのは、中原に進出する前にインドやアラビアといった進んだ文明に接していたからだといわれてるよね

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/24(日) 13:58:00 ID:3xV9fVWj0.net
>>513
淮河越えると風土違うから北の人間にとっては健康崩しやすい
遼とか金みたいに淮河を国境線にするのでは

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/24(日) 14:59:57.67 ID:FbmL/FjO0.net
モンゴルは感化しなかったけどアルタンの時代になってチベット仏教に荒ぶる魂を売った。

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/24(日) 16:00:07 ID:nV0yIoKT0.net
>>516
モンゴルもチベットも共にシャーマニズムで共通項があるからなあ。
インド密教がチベットへ導入された時に、元々密教行法にシャーマニズムがあり
更にポン教などチベットのシャーマニズムを取り込んだもんだから、すっかりモンゴルや女真好みの教義に仕上がってたんで
イスラムや西方でかち合ったキリスト教なんかよりモンゴルにとって親和性が高かった。

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/24(日) 17:10:01.77 ID:83Mt71pU0.net
日本の武士と北魏の皇族って共通点多いね

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/24(日) 17:46:46 ID:WeERzbtj0.net
源氏バンザイやからな

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/24(日) 18:31:35.28 ID:y0sAl+f20.net
遼は淮河まで来てたか?

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/24(日) 19:09:55 ID:MvTLOggS0.net
>>514
大統一を善とするなら、他の先進的な文明文化と直に接してなかった前近代中国は恵まれていたのかもしれんな
異文明を先に知ってるだけで人口圧漢化攻撃が征服者に通用しづらくなるのだとしたら

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/25(月) 03:34:11 ID:nClSckka0.net
>>520
全く来ていない。後晋末期に荒らしただけ。

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/25(月) 08:12:05 ID:17HiC1Q+0.net
>>514
アラビアはアッバース朝でルネサンス以前の
当時世界最高峰科学文明集積発展地だからわかるが
インドは当時ヨーガの発展が著しいぐらいで
唐の玄奘が仏経典求めた時代よりも文明的にあまりみるものないぞ

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/25(月) 08:49:54 ID:ihroAqcb0.net
>>521
正確に言えばシナよりも使いやすい文明なら通用しない
モンゴル以外は統一文字や度量衡もないからシナの文明を取り入れた
それは殷周に始まり金まで続く
後金はその反省を活かしたが漢字等が使いやすいがために最終的にシナに染まった

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/25(月) 12:51:19.77 ID:wQ7rMbYR0.net
>>524
数年後にそれすら消えそうだけどな

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/25(月) 16:28:35 ID:sAJsYBGN0.net
武家諸法度

>漢朝年号の内、吉例を以て相定むべし

天保って文宣帝一代の元号なんだが
これが「吉例」かねw
だから言わんこっちゃない大飢饉とか天保銭とか笑われる元号になった
当時の武士や公家が北斉の異常な一族は史書でげっそりしたんじゃなかろうか

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/25(月) 17:16:01.59 ID:rFlsEiD50.net
元和も縁起悪い元号やぞ
後漢章帝→儒教キチガイで外戚専横の原因

唐憲宗→宦官に毒殺

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/26(火) 00:27:05 ID:miUvL4TG0.net
大化とかみたいに日本オリジナル元号にすればいいのに
と思ったら令和とかになるからまだ天保とか元和とかでいいや

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/26(火) 00:30:24 ID:LUQJaSx10.net
>>528
その大化も出典は漢書だろ

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/26(火) 08:35:16.45 ID:k2Fbn1If0.net
元号はじめた漢武帝はすごいやつだったんだよ!!

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/26(火) 12:43:40 ID:PKQHkltH0.net
五胡も普通に元号使ってる時点で漢化待ったなしだったな
その意味では今では中国は元号使ってないのに
まだ元号使い続ける日本が一番漢化されとる

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/05/26(火) 14:31:08 ID:PKQHkltH0.net
元も元号使ってて中華統一前から
明に追い出された北元になっても当分の間使ってた
元号視点でいくとモンゴルも同じく漢化されとるが
国名が元だから元号使っても何か許せる

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