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【仏教】ヒキが仏道修行するスレ その⑤【瞑想】

1 :(-_-)さん:2022/08/30(火) 17:07:25.65 ID:40jwloe/0.net
・相手を傷つける言葉をはかない
・頭ごなしの説教をしない
・過度なレスバトルをしない
・熱くなってる事に気づいたら1~2分瞑想してから書き込みましょう

前スレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/hikky/1584582596/
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/hikky/1635444793/ ④

714 :(-_-)さん:2023/02/04(土) 09:53:37.24 ID:YBRAoBoT0.net
孤独を癒してくれるかどうかは、心の持ちよう次第だが、孤独も孤独じゃないのもどっちもいいもんじゃん、と少し思えるようにはなる。

715 :(-_-)さん:2023/02/04(土) 11:22:44.08 ID:rq8wE1Ig0.net
>>714孤独はタバコ2箱吸うぐらいダメージデカい、そんでiqも下がるしデメリットがえげつない。…まあ孤独は孤独のメリットあるからいいけど。0にするのは難しいから極力孤独感を減らしたいと思てる

716 :(-_-)さん:2023/02/04(土) 22:35:55.20 ID:a69F2hhd0.net
まずは孤独や孤独な自分を責めない事だなぁ。日本人は孤独=悪みたいなレッテル貼りしすぎ。都会はそうでもないが田舎にいたらさらにひどい。

心の持ちよう、と書いたのは、自分の本質をどう想定して瞑想に臨むかにもよるから。

慈悲の瞑想のように、肯定的、慈愛、調和のような世界を想定することによっても、あるいは逆にタマネギの皮を剥くような自我否定の連続の修行で逆に自分の本質に到達できる可能性もある。
どちらを選ぶかは人それぞれで、いろいろ試してみるといいと思う。

717 :(-_-)さん:2023/02/05(日) 21:42:57.20 ID:AyieIEfE0.net
頭陀第一のマハーカッサパだって月2回の布薩会には参加してたわけだしな
まぁサンガの律で決まってたわけだから仕方なしに参加してたのかもしれんが

718 :(-_-)さん:2023/02/06(月) 00:25:31.05 ID:3kT4ZIWX0.net
少し前に禅とマインドフルネスの違いや共通点の話題が出ていたので少し調べてみた。

円覚寺のホームページに少しその記述があって、マインドフルネスでは自然呼吸の観察といった観察瞑想(観)が重視されるのに対して、禅ではもともと丹田への意識集中と呼吸コントロール(長く吐いて長く吸う)といった集中瞑想(止)を重視しているとのことだった。おそらくそれが口伝を重視してきた現在の日本の禅瞑想、少なくとも臨済禅の基本なんだろう。

蓑輪さんの本によると、一方の道元ももともとは必ずしも観察(観)を軽視していたわけではなさそうだ。

719 :(-_-)さん:2023/02/06(月) 02:10:39.16 ID:FskWi31p0.net
>>701
「客観的に見つめているという営みは「(客観的に見つめている)自分が在る」という無明を前提とした営みだからね。」と断言されていたので、禅では観の修行はしないのかと受け取ったのですが、あくまでもあなたの個人的な見解に過ぎなかったのですね。

私の早とちりでした。失礼しました。

720 :(-_-)さん:2023/02/06(月) 02:15:53.72 ID:FskWi31p0.net
自分でも調べてみたのですが、曹洞宗での瞑想について蓑輪顕量氏は次のように述べてます。やはり観の修行はちゃんとしているようです。

「曹洞宗も、臨済宗と同じく、坐禅と歩行禅をよくおこないます。坐っているときには、入息出息観をおこないますが、時には「数息観」をおこなうことも同じです。坐禅の最中は、心の中に生起してくる様々な心の働きを、ただ眺めるように観察します。

曹洞宗では「眺める」という表現がよく使われますが、これは「注意を振り向けて、しっかりと把握する」こと、すなわち「念処(ねんじょ)」を言い換えた新たな表現ではないかと思います。

なお、道元が示した「只管打坐」(ひたすら坐禅に打ち込む)が、昭和に活躍した沢木興道老師(1880~1965)の影響で推奨されるようになりました。坐禅をしているときに、呼吸や心の働き、身体の起こす様々な変化を、ただ「眺めている」ことが勧められますが、そこには明らかに「観」の意味を見て取ることができます。」

(『瞑想でたどる仏教』 蓑輪顕量 著、p.150)

721 :(-_-)さん:2023/02/06(月) 10:30:15.59 ID:PxLNfdQp0.net
自分もちょっと気になっていた。
第三者視点で自分を見つめてる時、心は平静になってると感じることが出来るし、

小池龍之介さんの座禅入門に

痛みに痛がる人ではなく
痛みを観察する人になりましょう

と書かれていて納得したので。

>>687は更にステージが進むとその第三者視点すらも消えていくという話なのかなという気がした。
確かに第三者視点も自分といえば自分だし。
それをいえば、瞑想しようと選択してるのも自分だし。
しかし、ただただ眺めてる状態、例えるなら意志のないカメラが風景を写している状態は無我かもしれないと思った。

722 :(-_-)さん:2023/02/06(月) 12:11:36.36 ID:V4wfmOu50.net
>>721
そうそう
687だけどそれが言いたかった

723 :(-_-)さん:2023/02/06(月) 13:06:47.79 ID:PxLNfdQp0.net
良かった、間違ったやり方(ただ見ている。ができてるかどうかは別として)をずっと目指してきたのかと不安になった。
客観的、第三者視点という書き方が良くなかったんだね。
人を表す言葉だと能動的なニュアンスが付随するから。

ただ見ている、がどういう状態かより的確に捉えられるようになった、ありがとう。

724 :(-_-)さん:2023/02/07(火) 15:28:49.22 ID:XmYHyn8A0.net
割り込んで恐縮だが、自分の身体的な内部であれ外部であれ、純粋な観察行為(観)を続けて、722や723は見つめる自分が無くなるという感覚が実際に生じてるの?
自分の感覚では、瞑想訓練を続けると雑念や異想念が最初ほどしつこく現れなくなるが、自分という感覚は無くならず逆に研ぎ澄まされる感じなんだが。身体を動かしたり何かを考える時もその感覚は同じ。

725 :(-_-)さん:2023/02/07(火) 15:34:30.86 ID:XmYHyn8A0.net
逆に特定の瞑想対象への没入(止)訓練を続けると、亡我的な融合感覚が続き、身体を動かす際も自分という感覚が薄れる感じがする。

726 :(-_-)さん:2023/02/07(火) 20:25:34.69 ID:VlbbiBl60.net
敢えて言うならその両方かなぁ
そもそも「感覚がなかったことに気づいた」というか「起きたまま寝ていたことに気づいた」というか……
ネルケ無方氏も「只管打坐は止と観の両方の要素がある」とか言っていた記憶が
自分も大悟していると自負はできないから間違えている捉え方だったら済まないけど

727 :(-_-)さん:2023/02/07(火) 20:26:07.00 ID:VlbbiBl60.net
ちなみに687です

728 :(-_-)さん:2023/02/07(火) 20:35:41.81 ID:VlbbiBl60.net
とにかく「現在進行系・リアルタイムで無我の自覚をするorしている」ということはできないと自分は思ってる。
色々な禅僧の話を聴いていても皆それと似たようなことを言ってるし、八千頌般若経を読んでもべつにズレた見解ではないと感じたから、これに関してはそれなりに自信をもって言える。

729 :(-_-)さん:2023/02/07(火) 21:15:05.71 ID:IAIxtogA0.net
臍下丹田に心を置くより
法界定印の手のひらに心を置くと非常に落ち着く

730 :(-_-)さん:2023/02/07(火) 23:18:29.15 ID:uIzBc9h+0.net
>>724
無くなるはなった覚えないです。

眠りに落ちるような感覚のあとに、
肉体から意識がすっと離れたように感じることはよくある。
ゲームコントローラーを通して自分の体と繋がってるような気持ち。
自分が言ってる第三者視点とはその時の身体感覚。

731 :(-_-)さん:2023/02/08(水) 07:54:21.00 ID:V6CiznKm0.net
>>713
善悪共に皆ながら    
輪廻生死の業なれば
すべて三界六道に    
うらやましき事さらになし

阿弥陀仏に帰命して   
南無阿弥陀仏と唱うれば
摂取の光に照らされて  
真(まこと)の奉事(ぶじ)となる時は
観音勢至の勝友あり   
同朋求めて何かせん
(一遍)

732 :(-_-)さん:2023/02/08(水) 08:26:34.62 ID:92xfwXjc0.net
称名念仏はさすがに気持ち悪いわ

733 :(-_-)さん:2023/02/08(水) 09:19:00.33 ID:uOSRcUVk0.net
じゃあこれはどうか

「放てば手にみ(満)てり」
『正法眼蔵』弁道話

734 :(-_-)さん:2023/02/08(水) 10:29:03.82 ID:V6CiznKm0.net
>>720
不思量底(ふしりょうてい)を思量(しりょう)せよ。不思量底如何(いかん)が思量せん、非思量、此(こ)れ乃ち坐禅の要術なり。

と普勧坐禅儀にあるので、観とか止とか分別するのも違うのではないかと思う。

735 :(-_-)さん:2023/02/08(水) 10:51:15.01 ID:JdrIBhOA0.net
>>726
なるほどね。ちなみに自分も寝る前や疲れてる時瞑想を行うとそういう感覚になって、寝落ちした後も瞑想の効果が継続している感覚になることがある。

意識こそないけど、恐らく脳が継続した処理を行っている(つまり瞑想の効果が持続している)んだと思う。

また体調も良くて瞑想が深い時、気づくとかなりの時間が経っていることもある。

736 :(-_-)さん:2023/02/08(水) 11:07:19.22 ID:JdrIBhOA0.net
教義的解釈から離れるけど、瞑想の手順で言うと観察と集中は同義ではないと捉えている。

「観察」は文字どおり、受動的に仔細に見つめる(といっても目だけじゃなく五感どれでもいい)事をいい、見つめる対象(題材)は自分の内、外、あるいは両方など多岐に及ぶ。そこでは異想念や雑念は締め出して観察に徹する。

これに対して「集中」の題材は、そうした自分が作り出したものではない題材そのものでもいいが、その他自分が生み出したイメージ、音韻であることもある。後者の集中の行としては密教系の修行が代表的だが、陶酔とか幻惑に陥りやすいのでどちらかと言うとタブー視される。

737 :(-_-)さん:2023/02/08(水) 11:36:04.90 ID:JdrIBhOA0.net
なので、特定の対象を仔細に観察するためには対象への意識集中も必要になる。一方でゲームみたいに雑念を次々とやり過ごす内的な観察をするのなら、それを眺める側の精神統一的な作業(集中)が必要になる。(切り離せない)

禅がわかりにくいのは、手順が合ってても間違っててもいいんだが、こうした内的な手順をあまり説明しない点で、強いて言えば姿勢や鼻柱を保つ事、呼吸を静めることくらいだ。

738 :(-_-)さん:2023/02/08(水) 15:18:05.68 ID:3SxUr9l80.net
確かに集中と観察ごっちゃになりがちだ。
集中はなんか力んでるイメージある。
一点集中で光が見えてくるというのをまだ体験したことない。

739 :(-_-)さん:2023/02/08(水) 15:24:38.79 ID:3SxUr9l80.net
piti(喜悦)って、苦から楽に変化するときの溶解するような(アルコールが内蔵に染み渡るときのような)感覚では。
だから苦が消えると、もうpitiは起こらなくなる、そして苦がほとんど消えてしまうと、平静だけが残る。
って考えると辻褄が合うなと。

740 :(-_-)さん:2023/02/08(水) 15:37:21.91 ID:GIY2Ya180.net
>>731
頭大丈夫

741 :(-_-)さん:2023/02/09(木) 09:28:50.95 ID:7Y7x1z0j0.net
意志や力み、気負いが入り込むと集中ができないので、「集中」は意外と難しいね。

集中と観察を同時に行うための最適な瞑想の一つが呼吸観察で、力んでると呼吸が自然にならないため、おのずと身体のあちこちを緩めないといけない。

742 :(-_-)さん:2023/02/09(木) 20:32:15.75 ID:pBXNkuuv0.net
腹から声を出すと、丹田の力みが溶けてく。
腹から低い声が出ている人の言葉には説得力がある。

楽しく、気分が高揚するとき、他者との比較による優越感によってそれが起こってる。
落ち込むときその反対が起こっている
優越感なしに楽しい状態はあるか?

743 :(-_-)さん:2023/02/09(木) 21:18:12.14 ID:pBXNkuuv0.net
オレはすごいんだぞと言うことにこだわらない。
なにか思いついたとき、自分が初めて発見した、自分は特別なのだ、
は執着。
他人の考えのほうが優れていることに気づいたら張り合わない、貼りあえば張り合うほど苦しみが増す。

744 :(-_-)さん:2023/02/10(金) 12:26:20.29 ID:y4l0y7/10.net
他者によってもたらされたものか、自分によってもたらされたのかにこだわり
より優れた意見、理にかなった意見を認めることが出来ない、否定しようとする働きは
私はすごい、私は他者よりも優れているという強い自我、執着。

他者と話していて、なにか嫌な気持ちが発生するのは
本当は相手の話が理にかなっていると気づいているのに、
それを否定したいという矛盾が自分の中で生じるから。

745 :(-_-)さん:2023/02/10(金) 17:11:35.52 ID:y4l0y7/10.net
「私はもう大丈夫」と念じると
自分自身に対して慈悲を与えてるように感じる。

インナーチャイルドを癒やすってことが自分には必要かも。
瞑想中に出会う、今の今まで忘れていたような懐かしい感覚は
きっと心を閉ざす前の子供の頃の感覚なんだと思う。

アダルトチルドレンという言葉、子供のような大人を意味するのかと思ってたけど
大人のような子供(大人の役割を自分でしなければならなかった子供)を指すんだね。
その時の不安感とか苦しみが癒やされることのないままずっと続いてるけど気づいていなくて

第三者視点で自分を観察できてる時、同時に子供の頃の自分を見つけることが出来る気がする。

746 :(-_-)さん:2023/02/10(金) 18:00:04.14 ID:y4l0y7/10.net
自分に子供はないが
子供がいる人って、
自分の子供を愛することで、
自分自身の過去であるインナーチャイルドを癒してることになってるんじゃないだろうか。

747 :(-_-)さん:2023/02/10(金) 18:19:27.38 ID:ALrr6lwi0.net
自分は大丈夫、という以上に、人間の中には創造性に富んだ無限の価値が有るということに気づくのが、仏教を始めとした宗教の大きなテーマ、目的でもあると思う。

気持ちが沈んだりトラウマに悩まされる人は自分自身を矮小化してしまうけど、こうした高い価値は誰でも等しく持っている。ただ、発見するのが難しいだけだ。

748 :(-_-)さん:2023/02/10(金) 18:28:28.17 ID:ebcSOXvb0.net
悪人正機についてどう思いますか

749 :(-_-)さん:2023/02/10(金) 19:44:06.95 ID:y4l0y7/10.net
>>747
自分もそう思う。
同じ意見なのに、何故かあなたの言葉で否定されたような気分になってしまうことが多い。

>>748
苦しみの大きい人(悪人)ほど
気づいたとき、
苦から、楽に転ずるときの勢いが強さがあると思う。

正しい人は救われる必要が元から無いというのも思う。

750 :(-_-)さん:2023/02/10(金) 19:45:05.69 ID:ebcSOXvb0.net
犯罪者でも更生できるのが宗教だと思ってるけどわからんよね

751 :(-_-)さん:2023/02/10(金) 19:56:50.64 ID:y4l0y7/10.net
どこにいても苦しみはあると思うんだけど、
人を殺したような人は、とんでもなく深い苦しみを自分で背負ってしまっているので
気づきのあと、
それを取り返すためにとても長い修行が必要で
そんな地獄の縁から戻ってこれた人は、周囲から見て菩薩のような人間になっててもおかしくないというのは思う。

752 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 05:45:56.73 ID:wwVZJYWS0.net
質問です。ネガティブ思考を無理やり消してるんすけど大丈夫ですかね?

753 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 06:11:07.11 ID:t5ZF00FC0.net
>>752
無理やりって具体的にはどうやってですか?

754 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 06:36:51.55 ID:t5ZF00FC0.net
消そうとして消すこと出来ないと思うので、
意識をそらすしか自分は方法を知らない。

瞑想的には、意識を思考から身体感覚に持っていき(そらし)
なんやかんやあって向き合えるようになったら
もうその思考は問題ではなくなってるって感じだと思う。

755 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 07:00:48.14 ID:wwVZJYWS0.net
>>753
ネガティブな事湧いたら~(恐怖とか)
〇〇(自分の名前)その思考は必要か?と自分自身に言ってディヒュージョンするやつです。頭に自分の名前があるのはサードパーソン化(三人称)してるからですね。それで瞑想って雑念とか判断せずに眺めるだけじゃないですか?こうやるとすぐネガティブな考えから一時的にですけど囚われなくなって、でもネガティブな感情があってこそ生き残れたと思うから良くないと思うんですよね

756 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 07:02:25.15 ID:wwVZJYWS0.net
>>754それと頭に自分の名前を入れてあたかも自分じゃない自分を演じてやってるんですけど二重人格とかにならないですか?

757 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 07:03:18.90 ID:wwVZJYWS0.net
>>754
参考にします~

758 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 07:45:57.29 ID:t5ZF00FC0.net
そんなやり方あるの知らなかった。
そのやり方が言語領域でサードパーソン化させるのだとしたら、
瞑想は身体感覚でサードパーソン化させるようなものかもしれない。
準備運動すっ飛ばしていきなり本番に望むイメージ。
うまくコントロールできて、実際にそれで乗り越えていける勇気がある人なら問題なさそうに思う。

過度な自己追い詰めループ系のネガティブからはなんとしてでも離れたほうが良いと思うし。
離れるだけなら問題ないと思うんだが、
現在の自分にとって都合がいいだけの脳内ルール改変はしないほうが良いと思う。

想像で書いてるので全部を鵜呑みにはしないでほしい。

759 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 07:48:42.17 ID:t5ZF00FC0.net
そのやり方が言語領域でサードパーソン化させるのだとしたら、
>準備運動すっ飛ばしていきなり本番に望むイメージ。

演劇の舞台で、人って文字を手に書いて飲み込むとか、
観客をにんじんとということにしておく
みたいなw

760 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 07:57:24.16 ID:t5ZF00FC0.net
すみません、ちゃんとやったこと無いのに
上から目線で書いてしまった。
自分に対して自分の名前で呼びかけるだけでも少しドキッとする感覚がある。
これを習慣化させると強力かもしれないと感じた。良いか悪いかはわからない。

761 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 15:33:18.60 ID:+coG3v5A0.net
生死の中に佛あれば、生死なし。
またいはく、生死の中に佛なければ、生死にまどはず。
こころは夾山(かっさん)・定山(じょうさん)といはれし、ふたりの禅師のことばなり。
得道の人のことばなれば、さだめてむなしくまうけじ。
生死をはなれんとおもはむ人、まさにこの旨をあきらむべし。
もし人、生死のほかにほとけをもとむれば、ながえをきたにして越にむかひ、おもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。
いよいよ生死の因をあつめて、さらに解脱(げだつ)のみちをうしなヘり。
ただ生死すなわち涅槃(ねはん)とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし。
このときはじめて、生死をはなるる分あり。

生より死にうつるとこころうるは、これあやまりなり。
生はひとときのくらゐにて、すでにさきありのちあり、かるがゆゑに、仏法のなかには、生すなはち不生といふ。
滅もひとときのくらゐにて、またさきありのちあり、これによりて滅すなはち不滅といふ。
生といふときには、生よりほかにものなく滅といふときは、滅のほかにものなし。かるがゆゑに生きたらば、ただこれ生、滅きたらばこれ滅にむかひてつかふべしといふことなかれ、ねがふことなかれ。

この生死は、すなはち佛の御いのちなり、これをいとひすてんとすれば、すなはち佛の御いのちをうしなはんとするなり。
これにとどまりて、生死に著すれば、これも佛のいのちをうしなふなり。
佛のありさまをとどむるなり。

いとうことなく、したふことなき、このときはじめて、佛のこころにいる。ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもていふことなかれ。
ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛のいへになげいれて、佛のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ佛となる。たれの人か、こころにとどこほるべき。

佛となるにいとやすきみちあり。もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のために、あはれみふかくして、かみをうやまひ、しもをあはれみ、よろづをいとふこころなく、ねがふこころなくて、心におもふことなく、うれふることなき、これを佛となづく。
またほかにたづぬることなかれ。

正法眼蔵生死

762 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 16:09:50.12 ID:wwVZJYWS0.net
>>758
自分の都合のいいようにはしない方がいい⟵そうなんすよ、だからディヒュージョンでその思考は必要か?ってあるんです、必要ならいるって答えてその事について考えで対策を講じれる訳です。
言ってなかったけどやる時はアニメキャらが言ってるのを想像してやります。
そこで役に取り憑かれるみたいなないですかね?

763 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 19:44:49.13 ID:+coG3v5A0.net
この生死は、とりもなおさず仏の御いのちである。
これを忌避し捨てんとすれば、まさしく仏の御いのちを失うことになる。
逆にこれを大事にし過ぎて生死に執着すれば、それも仏の御いのちを失って、ただ上辺だけで仏らしくしているに過ぎない。
生死を厭うことなく、執着することもなくなったとき、そのときはじめて仏のこころが分かってくる。
ともあれ、あれこれ揣摩臆測するな、言葉でもって言おうとするな。
ただ、我が身と我が心をすっかり忘れ去ってしまい、すべてを仏の家(仏の世界)に投げ込んでしまって、仏のほうからの働きかけがあって、それに随っていくようにしたとき、力も入れないで、心労もせず、迷いを離れて悟りを得ることができる。
そのようにすれば、誰も心を悩ませることはない。

764 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 22:22:25.78 ID:t5ZF00FC0.net
>>762
必要かどうかを
決める段階って直感によってですよね、
でも直感のフリした、都合の良い思考の可能性を気にしていたほうがいいかも。
世間一般でこれは良いとされている考え方(例えば少年ジャンプ系漫画の正義感)と遠く離れてないなら
その直感は信用して良い気がします。

取り憑かれる、二重人格的とかに関してはわからないですスマソ。

765 :(-_-)さん:2023/02/11(土) 22:26:55.50 ID:wwVZJYWS0.net
>>764
ありがとうございます

766 :(-_-)さん:2023/02/15(水) 15:17:19.23 ID:xXhg2ENC0.net
仏って言葉がすごいわからなくしてると思う。
ある人物みたいなイメージがある。
根本エネルギーでいいじゃんって思う。

767 :(-_-)さん:2023/02/15(水) 22:32:04.41 ID:Vnzfz8nT0.net
そっちの方が勘違いするだろ

768 :(-_-)さん:2023/02/19(日) 20:32:32.68 ID:wPg0eWKj0.net
いままで生まれてきたすべての生物が、生命を終える時の死の恐怖を一人で乗り越えてきたのだと思うと信じられないような気持ちになる。
今生きてる人も全員が死の恐怖にたった一人で対峙しなければならない。

769 :747:2023/02/20(月) 12:04:42.51 ID:D0Sfrh2U0.net
>>749
それは申し訳なかった。
自分の心や自分自身を大事に思う気持ちは文章から伝わってくるよ。
幼い頃を含め、自分自身を認めて受け入れることはとても重要だと思う。

770 :(-_-)さん:2023/02/20(月) 15:10:16.13 ID:ZuCDxH2f0.net
>>769
こちらも刺々しい言い方をしてしまった、すいません。

自分は一人称が定まってなくて、今までの癖から語尾を丁寧語にするのもすごく抵抗がある。
以前は俺と言っていたが、いまはその一人称は自分には合わないなぁと思い。
こういったこだわりって結構強い執着かもしれないですね。
そういう点でなんとなくあなたと自分は似ている気がすると勝手に感じてます。

771 :747:2023/02/21(火) 20:02:08.64 ID:26SVibtu0.net
>>748
親鸞のいう「悪人」は、大まかには、人間誰しも大小こそあれ過ちを犯すので誰しも大なり小なり悪人なのだ、さらに言うと善悪の真の判断は阿弥陀仏(のような高次元の智慧を持つもの)しか出来ないので、衆生凡夫は何が善で何が悪かわかっていないという説だったと思う。

仏説の解釈から少し離れるけど、実際には非常に重要な示唆だと思う。

人は悪(というか試行錯誤)を繰り返しながら成長するので、自由な選択肢がとれること、つまり善も悪もこの世には必要で、それを選択しながら少しずつ賢くなる、と言うことと、

ある物事について「何が悪か」ということのラインを引くのは実際にはそんなに簡単、単純じゃなく、過去の経験や結果から多面的に検討しないとわからないと言うことだ。

772 :(-_-)さん:2023/02/22(水) 20:55:34.10 ID:ur+iKnm10.net
人に優しくすることって、元を辿っていくと優越感のへの渇望のような気がしてる。
そうじゃない人たちより、私のほうが優しい、優れた人間であるという自己イメージによって
優越感のような快感が発生してる。
良いことをすると気持ちいいってそれじゃないかと。

でもそれが良いことなのか悪いことなのか(自然なことなのか、不自然なことなのか)わからない。

773 :(-_-)さん:2023/02/23(木) 09:58:30.06 ID:5stukb620.net
末期癌の家族を在宅で看取った時に思ったのは
口当たり良くフワッとした優しさを振り撒く人は
少しでも自分に責任かからないよう行動するというか、気がつくとフェイドアウトしてる。

逆に態度や言葉も厳しく甘い事は言わないような人達が最後までガチの行動で助けてくれた。
優しい自分に浸ってる時間があったらひたすら「行動」に費やす人達というか
それまでは優しい人というのは前者を指すんだろうと思ってた

優しさって感じ方も表現も個人差あるから正解があるのかわからないけど、けっこう価値観変わった出来事だったな…
自分の人生すらロクに責任持てない自分は、結局後者にはなれないだろうな
それでも瞑想は続けるけども

774 :(-_-)さん:2023/02/23(木) 13:48:54.20 ID:MGALgYPc0.net
自分が責任が負わない範囲で関わるっていうのわかる気がする。

775 :(-_-)さん:2023/02/24(金) 01:25:23.56 ID:W2zLDFRA0.net
>>773
覚悟の差だろうな
前者は楽に自分の思い通りになるようなところまでしかやろうとしない
後者は自分の思い通りにならないor思い通りになりにくいところまでカバーしようとしている
ちなみに私も前者です

776 :(-_-)さん:2023/02/24(金) 01:26:39.11 ID:W2zLDFRA0.net
>>772
ちょっと仏教とはズレるけどこの記述内容を思い出した

https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/fujita_taniguchi/22307

777 :(-_-)さん:2023/02/24(金) 03:41:19.23 ID:eysDTo+R0.net
自分にできそうにないことに手を出さないって正しいという考え方もできる。
中途半端に手出しされて途中で投げ出されたら、余計にどちらも傷つきそう。

778 :(-_-)さん:2023/02/26(日) 16:12:05.87 ID:i34yTR+F0.net
今の朝ドラ

貴司「歌、作れませんでした」

北條「これ本歌取りなの?恋心が隠されてる?(頷く貴司に)なんで隠すのよ。心の奥までさらけ出しなよ。そんな及び腰だから僕の求めてる短歌が作れない。人の心を揺さぶる熱い短歌をね。自分でも分かってんでしょ。そんな中途半端な気持ちで歌集は出せない」

貴司「怖いんです。心の奥を、さらけ出すのが。昔から人とぶつかるのが怖くて」

北條「わかるよ。繊細な人間は得てして臆病だからね。人とぶつかり合わずに上辺だけの付き合いしててもいいよ。そしたら拒絶されることもないし、傷つくこともない。まあ、恋心ひとつ伝えられないけど。けどさあ、もったいないよね。梅津さん、せっかくのマグマに蓋(ふた)しちゃって」

>人とぶつかり合わずに上辺だけの付き合いしててもいいよ。そしたら拒絶されることもないし、傷つくこともない。

これはある意味仏教が求める涅槃への道だよねw

779 :(-_-)さん:2023/02/26(日) 19:51:45.20 ID:6ZJR4yDa0.net
なに言ってんだこいつ🤔

780 :(-_-)さん:2023/02/26(日) 22:39:57.90 ID:aB5uFoav0.net
オープンマインド出来ないのは、隠したい自分がいる、失いたくない我があるってことだと思うから、
オープンマインドすることは執着を捨てることと同義だと思うので、
少なくとも自分にとっては、仏道修行の一つだわ。
無我=涅槃なのかはよくわからないけど。

781 :(-_-)さん:2023/02/27(月) 14:04:14.21 ID:Sj4hP6pr0.net
>>778
スッタニパータでも釈尊とバラモンが問答でぶつかってるやん

782 :(-_-)さん:2023/02/27(月) 14:07:00.85 ID:Sj4hP6pr0.net
そもそも「甘露の門は開かれた、耳あるものは聞け」って梵天勧請のときに述べてるんだから、機が熟していないものからは拒絶されるのが仏教であり法の自覚でしょうよ。

783 :(-_-)さん:2023/02/27(月) 14:08:57.98 ID:Sj4hP6pr0.net
あ、これは布教段階の話だったわ>>782

784 :(-_-)さん:2023/02/27(月) 14:10:58.99 ID:0Nb6SFY50.net
菩提にもと樹なく
明鏡もまた台に非ず
本来無一物
何れの処にか塵埃をひかん

785 :(-_-)さん:2023/03/01(水) 13:22:52.74 ID:OzYFL5hD0.net
すまんスレが見当たらないからここで質問していいか
魔境に囚われているというかたまに満喫してるんやが最近遊ぼうと思って体外離脱を試みたんだがいつもと違って体は自由に動くんだが視界が天井を映して固定されてて動かないんだ
全然面白くないのでなんか解決策ない?

786 :(-_-)さん:2023/03/01(水) 13:26:59.56 ID:Z0BCem950.net
>>785
あなた死んでない?

787 :(-_-)さん:2023/03/01(水) 13:33:43.19 ID:OzYFL5hD0.net
>>786
いやいや
ガチの幽体離脱じゃなくて
現世のリアルを夢で再現して自由にやりたいことして遊ぶジャンルがあるのよ空飛んだりな

788 :(-_-)さん:2023/03/01(水) 14:20:19.97 ID:OzYFL5hD0.net
金縛り自体が寝る直前を詳細に再現した夢で
天井が見えるのだけど実際は目を閉じて寝ている電気消したのについてたりする
本来ならそのまま起き上がると夢で再現された世界を自由に出来るし二次元キャラ召喚したり押し倒したりできる
最近体から抜けきれなくて頭首だけ固定されちゃって胴体手足はなにも踏ん張るところがないからバタバタするだけで面白くないから
解決策ないかなと思ったんだけど聞くとこ間違えたかな
でも瞑想したりするんでしょ?ここの人

789 :(-_-)さん:2023/03/01(水) 16:20:27.40 ID:60BgRz+L0.net
アファメーション(寝る前に夢絶対見るぞ!って自己暗示)5ヶ月やってるけど見れない…体質とかあるの?

790 :(-_-)さん:2023/03/01(水) 16:40:17.60 ID:OzYFL5hD0.net
>>789
瞑想したまま寝落ちしたら大体夢見るだろ
5ヶ月夢見ないとか普段どんな生活してんの?
ショートスリーパーか?
強制的に見るなら次の日休みとかに2時間刻みでアラームセットすりゃどっかで夢見れるわ

791 :(-_-)さん:2023/03/01(水) 16:45:00.69 ID:60BgRz+L0.net
>>790
ありがとう。瞑想で寝落ちしてみる。

792 :(-_-)さん:2023/03/01(水) 16:51:42.26 ID:OzYFL5hD0.net
あっごめん自己暗示で夢をみたいのか
そういうのは長期スパンやで

793 :(-_-)さん:2023/03/01(水) 16:53:46.44 ID:60BgRz+L0.net
>>792
瞑想以外で何見てる? やっぱイメトレ?

794 :(-_-)さん:2023/03/01(水) 17:04:41.29 ID:OzYFL5hD0.net
>>793
数数え法やな
体外離脱の前準備
横になって目を瞑り1から順に数えていって間違えたら最初から
そうすると意識が混濁してきて耳鳴りや意味不明な言語とか太鼓の音が聞こえたりする
その後全身が細かく振動するから肩を回して起きると体外離脱まあ夢が見れる

795 :(-_-)さん:2023/03/01(水) 17:13:12.51 ID:OzYFL5hD0.net
サマタ瞑想からマインドフルネスに移行する感じに似てるね
サマタ瞑想で数かぞえてマインドフルネスで内観を観察して変化を感じたら起き上がる
なれないうちはガチの方の体が起きて失敗する

796 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 09:15:53.01 ID:7C3rnSnw0.net
ざっとスレの長文読んだけども
彼は感情と思考に振り回されてるのかそれともわざとそのように見えるように感情を操っているか
前者ならそれこそ瞑想するときに湧いてくる雑念、思考、自我を観察するといいんじゃないか
自我というのは完全には止めれないが観察する過程でオートでベラベラ喋る自我と湧いてくる自我に気付く自分と2つの存在に気がつく
気がついたからどうやねんと思うかもだがまずは実感、体験してみて

後者ならまあほどほどに

797 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 09:38:44.33 ID:7C3rnSnw0.net
感情を自由に操れるようになると
実社会で大変生きにくくなる
感情が全てマニュアルになり能動的になってしまう
悲しめなくなるのではなく悲しまなければとスイッチをいちいち押さなくてはならなくなる
怒りなどの持続維持がものすごい疲れる
メリットとしては四苦八苦が能動的になる
苦しみ悲しみたければスイッチを押せばよい
嫌なら押さなければよいとなる
もはや死の恐れもない
愛する人の別れは流石に悲しみたいならそうしたらよいだけ

798 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 09:44:59.17 ID:7C3rnSnw0.net
よくあるパターンで怒らなければならない場面でスンとしてると他からなんで怒らないのと言われポカーンとする
これがほんとに面倒くさい上手くやれば場の雰囲気や共感性を駆使しやれないことはないが
全部マニュアルなんだわ

799 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 09:52:59.50 ID:7C3rnSnw0.net
慈悲の瞑想ってあるじゃない?
あれに似てるんだが悲しみたいと自分で操作した場合オートで自然に悲しみが湧いてくるより悲しめる持続にはかなり疲れるが
楽しい、面白いも自分で操作するほうが何倍も
効果があるのもメリットか三昧効果だね

800 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 10:07:44.95 ID:7C3rnSnw0.net
自我が鳴りを潜めている状態で逆に瞑想中に雑念をわかせようとするとこうなる
…きょう…おっおっ…お昼ごはん…おっおっ…美味しかった… 
となる
ここまでくると自身にたいして傍観者となる

801 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 10:50:40.43 ID:7C3rnSnw0.net
感情と自我は肉体に付随しているものと気付く
そして感情にはパラメータがあり感度の調整ができる
個人差があって苦しみのみ下げて快楽だけ上げるといったことが出来る人もいれば快楽と苦しみの感度が比例する人もいる
お釈迦さまがある人に感動するようなものを聞いたり見たりするなとおっしゃったが対機説法なのでその人にあった教えである

802 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 10:56:45.58 ID:7C3rnSnw0.net
大乗仏教や色々あるが基本的な釈迦の教えかたとしての対機説法をやっていると言える
日本の仏教は日本の風土にあった専用の説法
中国の仏教は中国の風土にあった説法を弟子がカスタマイズしたといえる

803 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 11:01:26.70 ID:7C3rnSnw0.net
感情と自我が肉体に付随したものとすると
感情を操り自我を観測できる「私」とはなにか
魂がーとか阿頼耶識がーとか業力がーとかあるけれど基本的には文や言葉で理解し仏教を勉強することに意味はないことはないがそれだけでは駄目なもよう
やはり瞑想により体感することが重要で後に釈迦がおっしゃったことはこういうことかと理解するべきだと思う

804 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 11:17:50.86 ID:uMEt4pPi0.net
>>797
そうそう。あの後もそのまま続けたら廃人みたくなった。やから今は別の脱フュージョンしてるし思考に囚われたら最終手段としてやけど使ってる

805 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 11:46:49.53 ID:7C3rnSnw0.net
>>804
思考に囚われるというのも必要である場合がある
肝心なのは「あえて」「思考に囚われる」や
「あえて」「この世に絶望してみる」というアプローチでなければならない
もっと簡単にいうとラノベを読んである程度の感情移入をして楽しむべき
ラノベの主人公と100%リンクしてしまうと苦楽に耐えられなくなるということ

806 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 11:58:02.15 ID:7C3rnSnw0.net
対機説法として
病気で今夜がやまの修行者が私は極楽浄土へ行けるでしょうかと釈迦の弟子に尋ねた
その弟子はこう言った頭の中をお花畑にしなさいそしてありとあらゆる楽しいことを想像しなさいと
修行者は言われた通りにし極楽浄土へと旅立つ
そこへ見ていた釈迦が言う
なぜお前は極楽浄土などにいかせたのか
お前なら彼を解脱に導けたであろうと
事実彼にはその力があり可能ではあった
しかし修行者の時間があまりに短いため最大限
彼にとっていいようにした
勿論釈迦が見ていることも知っていたしそう言われるだろうと予測していた
かりに解脱に失敗して地獄にいくくらいなら極楽浄土に行かせてあげようと思ったのだ
釈迦自身もいっているが私の話を信用するな
文字に残すなというのはその場その場でいう説法はその人専用だからである

807 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 12:07:44.88 ID:7C3rnSnw0.net
今この現世で対機説法するならば
日本に住む者なら輪廻転生も信じるものが多いことから
肉も食ったし虫も殺してるし酒も飲んでる
だろうから戒律はとりあえず横に置いといて
今世中に解脱なんとかしろ来世から畜生道だから詰んでるから今抜けるチャンスいつ来るかわからんぞ

モラルが酷い国や感情を操れるだけのサイコパス
お前らはまず八正道

808 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 12:07:57.99 ID:uMEt4pPi0.net
>>806
意味わからん

809 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 12:16:04.60 ID:7C3rnSnw0.net
「あえて」これは結構つかえる
究極執着から逃れる手段に思う
「あえて」悟りを開く努力をする
「あえて」悟りから離れてみる
悟りを開きたい心と開きたい執着心の矛盾を解決するパワーがあるくね?

810 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 12:28:54.80 ID:7C3rnSnw0.net
>>808
恐らく釈迦が弟子の立場なら弟子と同じようにしたし弟子も実際修行者の前にいるのが釈迦なら同じように修行者に施したということ
臨機応変にやれと言う事本質を見失わず
他の修行者にした説法を全く違うやつにするなと言う事
その人の価値観に沿って寄り添って説法する
弟子は釈迦に言われずともそうしたし釈迦ならそうするだろうと思ったから修行者の今際の際をみてない釈迦を無視した

811 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 13:31:11.98 ID:7C3rnSnw0.net
自我を観察していくうちに自我とは自身の生まれたときに発生し環境で構築されている
いわば苦の塊であると言うことに気がつく
そんな自我に意識を向けるとそれに翻弄されるのは自明の理
じゃあどうすんの?
理解したあとどう対策すんの?
と言葉や理屈で固めてそれが真理だとしても意味がない
瞑想により自我と私とこの世を観測し体験する必要がある

812 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 13:35:06.69 ID:7C3rnSnw0.net
したらば感情を自由に操作出来るようになり
苦からの開放を得ることが出来る
そっから先はしらん解脱のかの字もわからん
更に客観視する必要があるんだろうが
理屈では理論としてはあるものの圧倒的に体験が足りない
今世で解脱出来んのかこれ?

813 :(-_-)さん:2023/03/02(木) 13:39:37.10 ID:7C3rnSnw0.net
とりあえず馬鹿正直に色欲界と無色界を執着をすてながら行き来している
敢えて色欲界に溺れるなどしている
釈迦も無色界の先は何もないといっているし
色欲界の横道に涅槃あったわっていってるので
トレースするしかねえ

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