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テーラワーダ仏教を論破するにはどうすればよいか?

1 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/08/06(土) 11:12:55.82 ID:trQQ2SSv0.net
テーラワーダ仏教者やその影響を受けた人たちの、日本仏教は仏教じゃない、本当の仏教は伝わっていないという主張に対抗できない現状。
反論できずに悔しい。なんとか彼らに理論的に対抗する方法はないだろうか?

644 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/03(土) 22:18:07.80 ID:ZZXMO2Y4x.net
テーラーワラーダに限らず、上座部は皆そうだろうよ。

自分には全く未知の世界だら想像でしかないが、解脱はそんなに
魅力的なことなのか?
輪廻転生しないことがそんなに素晴らしいか!?
ただただ平穏で喜怒哀楽の無い世界かと思うと行きたいとは思わない

645 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/03(土) 22:58:59.38 ID:Il1R/V0y0.net
nrew

646 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/03(土) 23:16:30.25 ID:+3H9RU540.net
>>644
スッタニパータ第5章には、解脱した先の世界が語られています。

1088 トーデイヤさんがたずねた、
「諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、
──かれらはどのような解脱をもとめたらよいのですか?」

1089 師(ブッダ)は答えた、
トーデイヤよ。諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、
──かれには別に解脱は存在しない。」

1090 「かれは願いのない人なのでしょうか?  あるいは何かを希望しているのでしょうか? 
かれは智慧があるのでしょうか? あるいは智慧を得ようとはからいをする人なのでしょうか?  
シャカ族の方よ。かれは聖者であることをわたくしが知り得るように、そのことをわたくしに説明してください。あまねく見る方よ。」

1091 [師いわく]、
「かれは願いのない人である。かれはなにものをも希望していない。
かれは智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからいをする人ではない。
トーデイヤよ。聖者はこのような人であると知れ。かれは何も所有せず、欲望の生存に執著していない。」
http://hosai.world.coocan.jp/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm?guid=on

647 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/03(土) 23:30:41.24 ID:587B/wtv0.net
>>644
正直にいうと魅力的ではない
だから上座部の在家にも阿羅漢ではなく遠い未来に仏や独覚になることを目指す人もいる
(もちろん菩提心から仏を目指す出家僧侶もいるが)

ただ個人的な経験を話すと、
一時的に自我意識が希薄になる経験をしたときがあって、心がものすごく軽くなって平安を感じたことはある
あのときはこのまま自己存在が消滅しても自然に受け入れられると思った

648 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/03(土) 23:43:29.87 ID:fQL1U6U60.net
>>643
信じている人もいるでしょうし、
知っているから知っている通りに知っている人もいます。

前者の信仰は信仰です。
後者の信仰は事実に立脚した確信です。

おなじ宗派の同じ流派に属していても、瞑想の進捗の違いによって
まだ輪廻なんて本当だろうかと疑っている人も当然います。
その人がある日突然、やっぱりあったと言い出すわけです。

瞑想の深度があるポイントを超えたことが一度でもあると、
そういう風な認識の一大転換が起きます。

649 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/03(土) 23:45:46.35 ID:fQL1U6U60.net
信じていない人もいます。
その人も自分は正しい仏教徒だと認識しているでしょうし、事実、正しい仏教徒でしょう。
ただし修行の段階は異なりますし、理解の深さも異なります。

650 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/03(土) 23:52:56.73 ID:fQL1U6U60.net
上の方でもさんざん書きましたが、
心が脳から発生しているなら、脳が死んだら心は消えてなくなるでしょう。
身体こそが我である、我の本体である、我の源であるという見解ですね。
その前提が真なら、輪廻転生などあるはずがありません。

心(自我) ← 肉体(脳)

↑ほとんどの人は、上の図のように、肉体(脳)から心(自我)が生じている
 という風に思っています。人間の肉体に生じる五感の感覚が起点になって
 いるから、そういう風に感じるんです。

↓でも本当はこうです。

心(自我) ← 肉体(脳を含む) ← 意識

651 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 00:01:06.03 ID:wzXONAkg0.net
肉体(脳を含む)が死ねば、それに相互依存して生じていた心(自我)
は消えますから、それを以て消えてなくなるように見えるのです。

心(自我)とは、影絵に喩えるなら映し出された影です。
肉体は絵で、意識は光源です。

絵が破れてしまうと影も消えます。
しかし光源の光が消えてなくなるわけではありません。
そうかといって、光源が無常でないわけでもありません。

無常、無我なのに何故輪廻するのか、主体は何なのかという問いも
問いそのものにある前提が的外れなので、聞かれた方もすぐには
答えられないんです。
まず前提の間違いを指摘することになってしまう。

652 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 00:13:45.64 ID:wzXONAkg0.net
大乗仏教も菩薩道も、とても立派なことだと思います。
思いますが、上記のようなことを踏まえているのといないのとでは
月とスッポンの違いがあると思います。

慈雲尊者(真言宗)や、白隠禅師(臨済宗)などは、言行録などから
読み取る限り、ちゃんと分かっておられたと思いますよ。
龍樹尊者もそうなんじゃないですかね。

智慧は瞑想の先にはじめて到達されるものです。
瞑想(三昧、正定)なしに智慧が生じることはあり得ません。

哲学的理解は知恵ではあっても、まだ智慧(パンニャー)ではありません。
そこははっきり言わないといけないので、嫌われるでしょうけど言っておきます。

653 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 00:35:55.60 ID:/riSUwyda.net
瞑想による輪廻への気づきなどはこっくりさんで10円玉が動くからくりと一緒だな
その人のもつ潜在意識がその人の望ましい回答が出るように10円玉を無意識に動かすのと同様に
瞑想している者で最初から輪廻転生を信じている人は瞑想中に輪廻転生を体験するのだろう

多分古代エジプトの人が瞑想したら殆どの人は
死後は最後は死者の裁判に掛けられ、天秤の上に抜き取られた心臓が置かれ、
駝鳥の羽根よりも重いかどうかで有罪か無罪が決められ、無罪だと楽園に行くという体験をするだろう
死者の書に書いてある通りであるがそれを信じていない一部の人を除いては同じような体験をするだろう

654 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 00:49:20.01 ID:wzXONAkg0.net
幻覚や妄想を体験する場合、まだ思考が働いてるということだから
その時の心には貪瞋痴(より正確には五蓋)が働いてる。

精神統一だけの状態には五蓋はない。
幻覚や妄想もない、というかできない。

それはその瞑想時の心の状態を正直に観ればわかる。
だから戒律と指導者がとても大事。

655 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 00:58:24.19 ID:wzXONAkg0.net
他宗教の聖者たちが言っていることも、よくよく読み返してみると
表現や語彙が違うだけでたぶん同じような経験をしていると思われる。

なぜなら、人種が違っても身体の医学的構造や働きは共通である
のと同様、宗教が違っても精神の構造や精神が統一されるメカニズム
は同じなので、キリスト者が祈りの最中に経験した話なんかを読むと
やっぱり似たようなことを言ってる場合がある。

そして、ご多分に漏れず神秘主義だの異端だの言われてて笑ってしまう。
キリスト教徒が、キリスト教をキリストの言葉に忠実に理解すると神秘主義
と言われる。

仏教徒が、仏陀の言葉通りに仏教を理解したというと脳内妄想と言われる。
いやいや、逆ですよ。

656 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 00:59:20.90 ID:76OzOKKIa.net
>>654
君はテーラワーダではないな
2ちゃんに大量に発生している禅宗のなんちゃって覚者さんだろ

657 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 01:01:49.96 ID:wzXONAkg0.net
所属する宗派はテーラワーダ仏教ですよ。
それにわたしは自分のことを覚者だなんて言ってません。
悟りはまだずっと先。

658 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 06:42:11.08 ID:rl7VbSMGx.net
>>651
分からないので、解説をお願いできませんか?

>肉体(脳を含む)が死ねば、それに相互依存して生じていた心(自我)
>は消えますから、それを以て消えてなくなるように見えるのです。

人が肉体から離れても、死の直前の強い意識(執着)によってこの世に
留まったりすることがあります。
その場合、自我は消えてないのではないでしょうか。
つまり、肉他は滅んでも、肉体と相互依存して生じていた心(自我)は
必ずしも消える訳ではない・・・・違いますか

659 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 06:54:03.08 ID:wzXONAkg0.net
>>658
ご指摘の通りだと思います。
わたしの少ない経験の範囲ですと、最初から自我を手放す方向でしか
瞑想に入れたことがなかったため、その経験に基づいて、それが全体
であるかのように話してしまっていました。

全体を網羅的に把握して、それを正確に言語表現するというのは、
かなりの離れ業に感じられます。
正直、本当は人様にお話しするような段階ではないと思います。

660 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 07:09:17.62 ID:rl7VbSMGx.net
>>659
早速の補足説明有難うございます。

>全体を網羅的に把握して、それを正確に言語表現するというのは、
>かなりの離れ業に感じられます。
>正直、本当は人様にお話しするような段階ではないと思います。

確かに形の無いものを言語で説明するのは大変な事だと思います。
とくにその「形の無いモノ」は本当に人それぞれ。またその人でも時間経過に
よってその捉え方、感じ方がことなりますから難しいでしょう。
でも、だからといって「人様にお話しするような段階ではない」と言い切って
発信を止めないでください。
皆発展途上なのですから、お互いに発信する事で「気づき」があったり、新たな
見方を知ったりするのではないでしょうか。

ですから、夫々皆思う所を発信して、互いに学び合うことが大事かとおもいますが・・

661 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 07:55:40.82 ID:3kKbPKG60.net
>>654
あなたの指導者は日本テーラワーダ教会にの僧侶ですか?
よろしかったらその指導者のお名前を頂戴できますか?

662 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 08:01:16.76 ID:vqNnI1BP0.net
解脱云々より単純に地獄に行きたくないなあ輪廻を信じているもんで
昨日肉食ったしミニスカ姐ちゃんを目で犯したしな

663 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 08:35:29.75 ID:rl7VbSMGx.net
肉食ったりミニスカ姐ちゃんを目で犯したくらいじゃ地獄へは行けないと思う。
この世に人間として生まれてたことは、まだ罪の清算が済んでないから最履修として
生まれたとも考えられる。
そして人間として生きる以上、罪を犯さないで生きる事は無理。絶対に無理!

だから、要は善悪のバランスだろうと思う。
肉食ったりミニスカ姐ちゃんを目で犯した以上に良い事。徳を積めばよい事でしょう。
お釈迦様の弟子で、999人人殺しをしたアングリマーラの話も有ります。

664 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 09:03:26.67 ID:lRwP5d2dx.net
今朝のNHKラヂオ第二、宗教の時間は「佐々井秀嶺」師の話だった。
誰にでも真似のできる事ではないが、この人のような生き方も素晴らしい。

インド仏教を率いる日本人僧侶の破天荒人生
http://toyokeizai.net/articles/-/77267

665 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 09:12:40.35 ID:Z0U6ClyDx.net
思うに、この今の時代に、そしてこの日本に生まれて生きているだけでも
前世に可也の「徳」があったのでは?と思えてしまう。

輪廻転生。皆夫々に親やその生まれ出る境遇を全て承知した上で生まれ来るとも
云われるが、本当にそうなら、先ずはこの日本を選んだだけで大正解なのかもしれない。
敢えて苦難を選び北の隣国や、中東二でも生まれていたら魂の浄化向上どころか
自身の命の存続すら危ぶまれる。

それをツラツラ思うと謙虚に精進せねばとも思うが、しかしながら欲望・煩悩の炎は
消しがたいw

666 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 09:21:26.97 ID:feBpFIEca.net
日本の既成仏教を支えているのは、ほとんどがお寺の子息です。
もちろん、私のような在家出身者も少数ながらいます。
彼らは(私も含めて?)一見まじめそうに見えます。
かつて釈尊もそうだったように、自分の意志で決断して仏の道に入ったわけですから。

ところが、本人はまじめにやっているつもりでも、はたから見れば「すこしずれている」ということが多いのです。
私もそうですが、「変わり者」といったらいいのか、「こわれもの」といったらいいのか……。
事実、一般社会で通用しなかったから仏道に入ったという人も少なくありません。

仏教により自分自身の問題を解決しようとしているわけですから、
それなりに真剣に修行に励んでいるのは間違いありません。
ただ、出発点にあるのは「自分の問題が解決できればよい」という
自己中心的な考えなので、そこには仏の慈悲はありません。
ですから、「仏教の冷たさ」は決して他人事ではなく、誰よりも「私自身の冷たさ」のことでもあります。

私のこれからの課題は「もっと人にやさしくなろう」ということです。
http://best-times.jp/articles/-/1918

667 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 09:40:33.84 ID:lW/bvbdGx.net
「やさしさ」って難しいんだよね。

本気で相手の事を考えれば、厳しく接する事が「やさしさ」でもあるし、
下手な「やさしさ」は物事をついつい曖昧にしてしまい、甘やかしにも繋がる。
「やさしさ」は常に相対的なものだし、一定ではない。

668 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 11:22:10.58 ID:NCJbUg1D0.net
>>659
>わたしの少ない経験の範囲ですと、
連投して推論と典拠のない自説を力説していらしたようですけど、
魔境、野狐禅ですよね、臨済は瞑想内の幻影は槍で突き刺せと教えたし、
脳学者は、瞑想中における神経伝達物質の濃度変化が、知覚に影響与え
現実を簡単に捻じ曲げますし、アポフェニアもググってみて下さい。
まして輪廻というバイアスがあるからこそ、なおさらです。
人間の構成要素に意識も入ります。瞑想観測意識が真我とでも言いたそう
な語りですが。せめてスッタニパータでも最古僧の4章5章とか相応部での
関連はあっても禅定を極めた先に悟り解脱はないと示した理由は何かとか、
最低限の知的準備をして力説なさったらいかがでしょう。
それと見解に固執して自我を構築していることにも気づいて下さい。

669 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 12:28:38.57 ID:SzWWE4U20.net
>>665
わかる

670 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 13:27:09.18 ID:uSXXMXFva.net
テーラワーダの指導者は形而上のことでも瞑想を極めれば真実なる答えが見つかると教えているのかな?

671 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 13:32:22.14 ID:SzWWE4U20.net
業不可思議と仏知不可思議あと虚空不可思議?だっけ
資料あたってないからめっちゃいい加減だけどナ

瞑想したって分からないことぐらいある・・・(キバヤスィ

672 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 13:32:23.37 ID:uSXXMXFva.net
>>654
色界禅定では五蘊は働いているし
無色界禅定でも色以外の四蘊は働いてるだろう

滅尽定目指して瞑想を極められるよう頑張って下さい
http://way-to-buddha.blogspot.jp/2011/06/blog-post_11.html?m=1

673 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 15:43:20.61 ID:wzXONAkg0.net
>>672
瞑想の妨げは、五蘊(色受想行識)ではなくて五蓋(欲貪、瞋恚、昏沈、掉挙、疑)ですね。

>>668
やはり話さない方が良いのかもしれません。
この流れで和尚や寺の名前を出すと、正しい三宝に対してオカルトや迷信という印象を受け付けてしまうことに成りかねないので。

674 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 15:48:33.86 ID:wzXONAkg0.net
>>670
ヴィパッサナー瞑想で開発される十六の智慧のうち、最初が名色識別智です。
そこではじめて精神現象と身体現象を本当に分別できるようになってきます。

形而上と形而下という分類は、西洋哲学の分類ですが
名法と色法という分類は、それとはまた分類の仕方です。

身体を上半身と下半身に分類したり、五体と分類したりするのと同様、分類の
仕方が異なります。

675 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 16:16:08.57 ID:wzXONAkg0.net
幸せを感じた時、その実感は形而上でしょうか。
物理的に実在しないので、その幸せはないのでしょうか。
あるいは、脳みそからホルモンを取りだして、これがわたしの幸せですと言うのでしょうか。

苦しみを感じた時、その実感は形而上でしょうか。
物理的に実在しないので、その苦しみはないのでしょうか。
あるいは、脳みそからホルモンを取りだして、これがわたしの苦しみですと言うのでしょうか。

仏教のアプローチはそれとは違います。

676 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 16:53:06.00 ID:wzXONAkg0.net
>>668
意識を光源に喩えた時、光源も無常であると述べています。
無常であるものが真我でしょうか。

悟りの智慧はヴィパッサナー瞑想によって開発されます。
わたしが述べているのは、名色を実相レベルで見抜く洞察力を伴ったヴィパッサナーです。
禅定による洞察力は、ヴィパッサナーの土台です。

ここでいう意識を英語で言い換えると
意識とは conscious mind のことで、
思考とは thinking mind のことです。

瞑想とは meditation ですが、そこにあるのは基本的に意識(conscious mind)のみです。
(厳密には違いますが、単純化しないと話せないので、そういうことにしておきます)

思考(thinking mind)があるなら、そこには妄想が入り込む余地があります。
みなさんのいうバイアス、迷信のことです。
それらの妄想やバイアスは、思考のあるところにあります。

(山下良道さんも thinking mind という表現をされるようですが、
わたしは別にそこの門弟というわけではありません。
これは経験者なら同じようなことを言うはずです。)

677 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 16:54:16.52 ID:wzXONAkg0.net
瞑想中に思考しているのは、正確には maditation ではなく contemplation(沈思)です。
思考のあるところに妄想があります。

678 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 19:26:18.59 ID:NCJbUg1D0.net
>>676
私は、あろうが なかろうが四諦の教理に影響ないので気にしてません。
しかし現代人に輪廻転生を証明して、その解脱の教えですと説くより、
今ある苦の対処、生きやすくなる処方箋を出してくれる方が需要があるわけで、
自殺者やウツ病患者が多い国ですし、マインドフルネスも流行るでしょう。

>名色を実相レベルで見抜く洞察力を伴ったヴィパッサナーです。
名色により六処→触→受→渇愛→取→有→生→愁、悲、苦、憂、悩は
お馴染みですが、貴方は9取で、輪廻転生に執着、10有(仮構され、11生(自我の
構成要素の一つとなり続けます。取は、渇愛が高じて固着化、ハマり込み。
ですので、受→愛の段階でサティ(気づき)が必要でしたが、
11に進んだ貴方は、輪廻転生思想の束縛から、自己ならざるものである
と智慧によって観て、繋縛されない自己、それら思想、観念、見解と自己の
脱同一化して、自主的立場(真人)になられては、いかがでしょう。

テーラガーター715
「われには、われが、かつて存在したという思いもないし、またわれには、
われが未来に存在するであろうという思いもない。潜在的形成力は消滅
するであろう。ここに何の悲しみがあるであろうか。」

679 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 19:41:36.71 ID:EC4m6y/8x.net
>>674
ヴィパッサナー瞑想で開発される十六の智慧のうち、最初が名色識別智です。・・・と
ありますが、その「ヴィパッサナー瞑想で開発される十六の智慧」について
分かりやすく書かれている本やネット上の記事がありましたら教えて頂けませんか。

680 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 21:46:06.08 ID:+18yQ5IQ0.net
>>679 672ではないがウ・ジョーティカの「自由への旅」という本は
もうお読みですか。まだでしたらおすすめです。
検索すればPDFファイルが見つかるはずです。
名色識別(分離)智以降の観智も詳述されていますし、とても読みやすいです。

681 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 21:52:03.25 ID:tXO2VC3Mx.net
>>680
有難うございます。早速調べてみましょう。

682 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/04(日) 23:21:14.18 ID:wzXONAkg0.net
>>679
この辺りにまとまっています。
http://www.shinzenho.org/shinzenho/m_vipathana.php
http://www.geocities.jp/bodaijubunko/3paauk.htm
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/06/30/070008

>>680
ありがとうございます。

683 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 02:25:18.63 ID:H/RH5qvla.net
このスレ俄然気持ち悪くなってきたな
お前ら瞑想に凝りすぎだ
坊主になるわけではないんだからそんな知識は無用
それだけ瞑想法を覚えて一体どうするというのだ
単なる内向きな趣味か?

684 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 05:44:05.65 ID:SBK3kXX80.net
お前らさっさとテーラワーダを日本仏教の論点から論破する方法考えろよ

685 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 06:44:22.51 ID:IfeTsZ7J0.net
テーラワーダとかヴィパッサナーとかの言葉の響きがオウムっぽい

686 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 06:52:58.32 ID:IfeTsZ7J0.net
僧侶以外の信者は「在家」と呼ばれ、輪廻転生を信じ、より良い来世のため、
現世で良い行いを重ねて功徳を積むことが一番大切なこととされている。
在家の男性は一生のうちに何度か仏門に入って(最低3日から数か月)戒律の中で僧侶と同じ生活を行う。
功徳を積むための方法は、僧侶への托鉢やお寺や僧院への寄付などが一般的。
最大の功徳は、@仏塔(パヤ−)の建立で、
以下、A得度式の主催。B僧院の建立。C僧院へ井戸や釣鐘を寄進。
D僧侶を招いて行う共同の食事の主催。E僧侶への布施。F一般の人に対して行う親切。などとされる。
上座部仏教が伝わって以来、バガンで仏塔や僧院が次々に建てられていったことからも
功徳を積むことの大切さ証明される。
http://centralpark-travels.com/?page_id=1870

在家信者を輪廻で脅して、より良い来世のために功徳を積ませると称しては
寄進やお布施を集めてるのではないか?
また、その功徳の順番は誰が決めたのか?

687 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 07:02:26.28 ID:G+pEyzrNa.net
>>679 ですが、>>682 のご案内有難うございます。

688 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 11:24:17.33 ID:1d7Fo7+60.net
>>684
テーラワーダ自体は否定も肯定もしないというか、同じ仏教なんだからケンカするな、
ってとこだけど、そのテーラワーダの威を借りて「日本仏教は仏教じゃない!真の
仏教はテーラワーダだけ!」とか言ってる信者には、とりあえず上座部の依拠してる
経典の成立を問い質してやればいい。

689 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 12:08:02.47 ID:H4IcO1ara.net
>「日本仏教は仏教じゃない!真の 仏教はテーラワーダだけ!」

そんなコトを云ってる奴は居ないと思うよ。

690 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 18:06:56.58 ID:HYAhJmrPa.net
麻原を単なるペテン師、弟子たちを洗脳された狂信者と見るべきではない。
講和録を読めば、麻原が彼なりに仏典を読み、ヨガの神秘体験を通じて一定の宗教的境地に至っていた事は明らかだ。
だからこそ彼は弟子たちを強力に指導し、無差別テロを行わせるだけの指導力を持ちえたのである。
初期のオウムの出版物には、麻原が弟子たちに瞑想やヨガの修行を命じ、彼らが様々な心理状態を体験しながら、
内なる「真の自己」に覚醒していく過程はそれなりの説得力を持って描かれている
(オウムが幻覚剤を使用するのはこのような麻原と弟子との関係が崩れてからだ)。
八〇年代末、「自分探し」等の言葉がバブルの中流行する中、オウムがある種の若者にとって
それなりの機能を果たしていた事を認めなければ、逆にこの事件の本質を見失ってしまう。

同時に、オウムに最初から現在まで顕著に見られる姿勢は、麻原も弟子たちも、
日本の伝統仏教に何らの関心も示していない事である。
オウムは原始仏教への回帰を説き、その要素を最も純粋に引き継いでいるものとしてチベット仏教を評価するが、
日本仏教については、インド、チベットから直接伝わらず、中国を介したため変質し、
原典が完全な形で伝わらなかったので評価に値しないと切り捨てる。
だが、思想とはそのような単純なものではなく、ブッダの教えは原典を読まなければ理解できないような狭いものでもない。

チベット仏教であれインド仏教であれ、ブッダその人が説いた教えそのものが残っているわけではない。
古の聖者同様、ブッダは著作を残さなかった。
生き方そのものが一つの思想であり、その生き方を通じて語られた言葉を、弟子たちが編纂したのが仏教の始まりである。
その限りで、いかなる宗教も「解釈」によって始まるのだ。
原始仏典を原語で読み(勿論オウムでの「読み」自体が麻原の「超訳」なのだが)そこからブッダが語ったと思われる言葉を捜してゆけば、
最も純粋な仏教が現れるというオウムの発想は、余りにも歴史伝統を無視したものである。
http://miura.trycomp.net/?p=727

691 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 18:30:08.07 ID:fLCZ9Vx/0.net
テラワダにも日本仏教にも、解釈が唯物末法仏教になっちゃってる人は沢山いてる。

692 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 19:03:09.16 ID:oh/6cUhu0.net
言い方を変えれば、仏陀の教えは原典を読んだところで理解できるような簡単なものではない。

693 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 19:04:25.69 ID:oh/6cUhu0.net
仏陀自身がそうであったように、仏教は思想ではなく実践であるぞよ

694 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 19:16:11.74 ID:fLCZ9Vx/0.net
体験として理解される空じゃなくて、空理空論になっちゃってる人とかな。

695 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 20:07:35.10 ID:oSno1eaD0.net
>>686
ブッダは在家の人に対して布施や持戒で功徳を積んで、
良い境遇(天)に生れることを勧めているそうですので、
現代のテーラワーダのならわしはブッダの考えに近いのかもしれません

「日本仏教は仏教じゃない!真の仏教はテーラワーダだけ!」
みたいな意見はネットではたまにみかけますね

あと、日本仏教は歴史的経緯によって存在していて否定しないけれど、
今はブッダ直説、あるいはブッダに近い仏教が伝来しているのだから
テーラワーダをやればいいじゃない?みたいな意見もありますね

696 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 20:15:46.22 ID:isAQ938Ha.net
「日本仏教」は仏教じゃないと云う人もいるだろうが、「日本仏教」という
独特な仏教なんだよね。だからテーラワーダとは異質の仏教だと捉えればよい。
真の仏教とか、真の仏教ではないとか、そのような比較をしても意味が無い。

697 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 20:50:04.76 ID:l4WN0qX0a.net
有名なテーラワーダのバックには、大富豪の華僑などがお布施してるから、鉄筋の瞑想センターを建てたり、日本で布教できるのだよ、
どの長老も中国人の悪口は言わないだろう。

698 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 21:36:01.89 ID:30LaDOt6a.net
>>694
スマナサーラなどは色はリンゴで空は果物とか滅茶苦茶なことをいってるぞ
般若心経の不生不滅 不垢不浄 不増不減も単なる言葉遊びで片付けて全く空というものを分かってない
スマナサーラこそ空理空論になっちゃってる人だな

699 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 22:05:16.60 ID:fLCZ9Vx/0.net
大乗仏教のひとたちの話を聞いていると、
止観の瞑想を通して到達した智見ではなく、
中論などの経典や、経典の解説書を読んで理解したときに生じる
納得感をもって「宗教体験」と呼んでいる節が見受けられる。

初期仏教と瞑想の実践を踏まえる立場から見ると、
それじゃない感が否めない。

700 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 22:06:28.74 ID:fLCZ9Vx/0.net
訂正
× 大乗仏教のひとたち
○ 現代日本の仏教徒を自認する人々の多く

701 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 22:31:10.20 ID:qKGTekAE0.net
>>688
分かってるなら是非正しい説明をしてほしいものだが

702 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 22:32:01.96 ID:qKGTekAE0.net
ごめミスった
>>698
分かってるなら是非正しい説明をしてほしいものだが

703 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 23:17:54.03 ID:Td8X3KQFa.net
>>701
およそ、縁起しているもの、それを、われわれは空であること(空性)と説く。
それは、相待の仮設(縁って想定されたもの)であり、それはすなわち、中道そのものである。

中論偈24-18

分かる人は中論のこの偈だけで分かる

分からないなら
http://oujyouin.com/engi5.htm
上のサイトを熟読すれば分かるようになる

空性とは色などの五蘊の上位概念ではない

縁起によって仮に和合(仮設)しているのが空性であり、一切は仮設なので実体はなく、
実体がないので分別・識別することは本来は出来ない
→色即是空

しかし目の前には縁起によって仮設された物体、頭の中には縁起によって仮設された心の働きが確かにある
世俗諦としてこれらにとりあえず名称と形態をつけて分別・識別する
→空即是色

704 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/05(月) 23:58:12.78 ID:fLCZ9Vx/0.net
問題は、
止観の禅で名色を見た場合の智慧が直接体験であるのに対して
論理的、哲学的に理解された空は、この智慧を伴わないっちう点なんよ。
それはあくまで空に関する思考、空についての概念でしかない。

そこがわかるかどうか。
瞑想しないと本当には分からないので、いくら言葉で指摘しても永遠に
堂々巡りではあるんだけども、

だから瞑想して。

705 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 00:00:10.00 ID:Fhg2yGBm0.net
龍樹尊者は自分で空を説明できたでしょ。
それは体験的理解から出てきた言葉だと思うんよ。

でも、日本の大乗仏教徒のほとんどが、知的理解から言葉を発してて
そこが到達点だと思っちゃってて、その先に進みそうな気配がぜんぜんない。

706 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 00:03:12.50 ID:Fhg2yGBm0.net
テラワダで一生懸命瞑想して、智慧に達している人たちは、見方によっては
日本仏教、大乗仏教の再興をしているとも言える。
廃仏毀釈以降の日本仏教が失ってしまったものを取り返そうとしている。

707 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 00:45:25.05 ID:Fhg2yGBm0.net
言葉は必ず思考を介するので、
思考の領域に属さない事柄を言葉で表現しようとした時点で
本当はすでに別物になってる。

708 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 00:45:53.63 ID:D7Jh1yVi0.net
みなさんは毎日何時間瞑想してますか?

709 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 01:29:34.90 ID:WqlltBvta.net
>>704
何の知識もない状態で瞑想して何かを見つけてもそれが真理とは限らんよ
真理かどうかを測る道標もないだろう
瞑想して独善的な答えを見つけることも多々あるだろう
般若心経一つまともに読めないスマナみたいな人物に指導されたりしたら尚更のことだ

しかし
>だから瞑想して。
この言葉は最早ギャグとしか思えんw
君はこのスレを盛り上げるために道化師を演じてるのかな?ww

>>707
その通り
端的に言えばそれが色即是空空即是色

710 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 01:34:50.21 ID:Fhg2yGBm0.net
瞑想のやり方は、お釈迦さまが教えた通りにやるのが一番ベストっていう立場。

711 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 01:56:07.59 ID:eAul7haW0.net
>>710
何がお釈迦さんの教えた通りなのか。文献学的に言えば、上座部やテーラワーダの
依拠する経典さえ、お釈迦さんの金口の直言からは程遠いと今は分かっていると
いうのに。
瞑想すればそれらが正しいと判る? そういうのを循環論法という。

712 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 02:26:51.68 ID:D7Jh1yVi0.net
ま、瞑想に限らずとも
皆さん毎日何時間修行をしてるんですかね
寺づとめの人は長くとも4時間ぐらいとか聞いたことがありますが

713 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 04:23:15.36 ID:2fmB83ay0.net
瞑想の方法は一通りでなく、寝禅でもできるし
散歩しながらでもできるし、日常生活のふとした瞬間に
リラックスした一瞬が瞑想ということもある。

714 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 04:33:38.35 ID:2fmB83ay0.net
自分はただの俗物学者だが、色即是空・空即是色の意味だけは理解できた。
それ以外のことは知らんがな。
この時空には色界(物質界)に重なり合って空界(量子力学的な世界、
同時にエーテル界やアストラル界を含む解釈が可能な世界)
が存在することを認識してしまったんだろうよ。
それを第七感、第八感の領域までチャクラを開いて悟らなければならんから
難しいんだろう。ちなみに自分は、そういう超能力は全然ないので
単純に学問だけで解釈してる俗物だけど。

715 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 04:45:00.69 ID:2fmB83ay0.net
上座系は釈迦牟尼を根本に据えてるので思想的には禅系の上位互換かな。
日本の禅系はスタイルを真似てるだけなので微妙だが、
方向性としては間違ってない。
しかしもっと重要な論点は問題は顕教と密教の差異で、
「悟りを開いたから一体なんなんだ、そんなことはどうでもいい」
という意見が衆生の間では多いわけで、自分もそんな感じだな。
「悟りなんかどうでもいいから、とにかく現世利益をよこせ」
というわけで、最近は釈迦牟尼・サキャ如来スタイルなんぞ
ほったらかしで密教の召喚呪術に傾倒してる。

716 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 04:51:08.23 ID:2fmB83ay0.net
密教の場合は、既に悟っている神仏を呼び出して
様々なことを依頼する方式を採用してるのだろうね。
もちろんそんなことは常人には不可能。
しかし自分が悟るよりはまだ簡単ということで
諸々の神仏を呼び出してるのかもしれん。
といってもそんなことは常人には無理だけど。

717 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 05:22:24.50 ID:2fmB83ay0.net
あと、鳩摩羅什は妻帯してたらしいね。
天台の評判もあまりよろしくない。書物に詳しいだけの
頭でっかちな学僧だったという評価が定着しておりますな。
(天台は法力ゼロだったということ)
それでも相対評価で、門徒の中でも一番マシだった学生さん
として評価できそうなのは道元かな。臨濟系もいいけど貴族趣味的な。
天台系で最も劣悪な劣等生、不良だったのが日蓮だね。

718 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 05:24:56.51 ID:2fmB83ay0.net
天台というか最澄も「学者」だったわけだよ。
法力がないんだから。貴族で金持っててお勉強ができるだけの。
だからマオに法力で負けたわけ。貧困でも賎民でも法力があったのがマオ。

719 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 05:31:07.87 ID:2fmB83ay0.net
「日蓮拝む阿呆ほど救い難い愚者はなし」という格言があるとかないとかね。
これは、日蓮系の外道は愚鈍の分際で驕りたかぶる傾向が著しく、
他者の話を一切聞かず、迷妄に囚われた状態で猪突猛進する事実が由来です。

720 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 05:40:20.37 ID:2fmB83ay0.net
議題の本旨に戻ると、テラワダ系はおそらく釈迦牟尼の
足跡を辿ることによって同じような境地を目指してると思われ、
それはそれで良いのだけど、たぶん行為だけ同じようにマネしても
時代や環境や素質が異なる場合、古代サキャの慈恩如来と同じ結果は
得られないと思うね。学者の勘だが。

721 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 05:42:54.38 ID:SRad1SVza.net
かなりの人が形而上学議論に陥っている、まさに経典でかかれているとおりの罠で、テーラワーダを論破してない。
テーラワーダ教団に対しては、パーリ経典が元なので理屈では敵わないのだよ、教団自体の矛盾を突く以外は欠点がないのだ。

722 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 06:26:15.16 ID:2fmB83ay0.net
いや別に、テラワダ系は釈迦牟尼佛と同じ悟りを目指す方法としては
(相対的に)最もすぐれた方法かもしれないとは思ってるがね。

※それとは別の問題として(自分はただの俗物学者なので)、
サトリには興味がなく、現世利益を得る方法として天部祈祷や
呪術の類に興味を持ってるだけさ。

六道輪廻を解脱するようなレベルの高尚な思想・精神などは、
つまり天界よりも上の異次元のことは今のところ関心ないな。

723 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 09:34:45.70 ID:KWvOL/GLa.net
>>710
アーナパーナサティ・スッタの瞑想法がベストってこと?

最近、テーラワーダ仏教が流行ってます。ヴィパッサナー瞑想法は本当に釈尊が伝えられたままの瞑想法なのでしょうか?みなさんは、どうお考えですか? #知恵袋_
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1260840727

724 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 09:45:36.58 ID:JCuSrIQqH.net
どうお考えですか?って・・・遠い昔のことだし素人に判断のつくことではない。

725 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 13:34:41.88 ID:RmrGZ4in0.net
>>717
>天台
>書物に詳しいだけの頭でっかち

ぐぐると、

智の時代には、経典に学ぶ必要を認めずただひたすら座禅を行う人々や、
仏教の学問のみに没頭して修行には無関心な人々がいました。
智は前者を「暗証の禅師」と名づけ、後者を「誦文(じゅもん)の法師」と呼び、両者とも厳しく批判しました。

って文章がでてくるんだが。

修行して
「大蘇開悟」「華頂降魔」の悟りを得たってあるじゃないか
その書物に詳しいだけってのは間違いだろ


>天台は法力ゼロだったということ

日本まで伝わって多くの人を教化したってことで偉大な法力って気がするが
千年以上たった今でも天台小止観にお世話になっているひとは多いだろ
三大部も大手宗派の土台になって現実に人々を救っている。偉大な法力だ

てか、ここでいう法力ってどういうのを言ってんの
何食ったか当てたり未来予知したりとか?

726 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 13:54:17.12 ID:Fhg2yGBm0.net
>>711
阿羅漢たちによる結集と、それを書き記したパーリ三蔵経典が一番近いはずだよ。

瞑想してない人が文字だけを頼りに進んでいくと、必ず自分が理解できる範囲に
収まるように再解釈してしまうからね。

727 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 13:58:49.69 ID:Fhg2yGBm0.net
>>712
在家で仕事しながらだと、朝2時間、寝る前2時間、合計2時間。
できればお昼時にもう1時間。
普段も、ずっと何割かは瞑想に意識をおいてておく。

生活のなかで瞑想するというより、瞑想のなかで生活する。
生活のなかで戒律を守るというより、戒律のなかで生活する。

そういう風にできれば、在家で社会生活をしながらでも瞑想は
進んで行くと思います。

戒律は最低でも五戒。八斎戒なら文句なし。

728 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 14:54:29.83 ID:Fhg2yGBm0.net
訂正
朝起きてすぐ1時間、寝る前1時間、合計2時間

729 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 15:07:32.15 ID:Fhg2yGBm0.net
>>723
修行法について説かれた一番重要な経典は、大念処経(長部)と四念処経
(中部)という認識です。
基本的にパーリ三蔵全体が重要という認識ですが、詳細は勉強中です。

具体的な瞑想法については、止禅だけでも四十種類。
観禅による名色の観察は詳細を究めていて、まるで外科医が内蔵や血管や
骨格等、人体の組成を詳細にみていくように、名色を見ていきます。

各流派の違いは、どれを入り口としているかの違いに過ぎないのかも知れません。

730 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 15:25:44.51 ID:Fhg2yGBm0.net
>>723
出入息念経に、出入息への気づきを通して集中力が養成されるなら
これが最上である、と述べられているようです。

実際にやってみて分かってきたことですが、呼吸は常にいつでも自分と
共にあるので、いつでも常に瞑想するのに最適な瞑想対象なのだと感じます。

蛇足ですが、パーリ語の文法どおりに発音すると、
アーナーパーナー・サティと書くのが近いはずなんだけど、誰もそうは
書かないですね。
書くのも面倒だし、発音しづらいもんね。

731 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 18:05:47.09 ID:yozedoK70.net
>>703
それは色即是空(、仮設、中道)としか言ってないでしょ

732 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 18:06:57.75 ID:yozedoK70.net
空性は実に色である(空即是色)の説明にはなってない

733 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 19:14:10.55 ID:pfnidkyFa.net
>>731-732

色即是空→根本智
空即是色→後得智

分からなかったらとりあえず後得智でググってみよう

734 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 21:52:32.99 ID:lEfTNhPR0.net
>>726
瞑想修行を絶対視、特別視、こだわりとかは、執着であり、束縛であり、
とSn.798
Sn.799、智慧についても徳行についても、世の人と自分を比べて一面的な考えを
もってはならぬ。とあり、
Sn.782では、自分の修行について問われてもないのに、
自らまくしたてる論者は、凡愚にして聖ならざる者の論である、とも
Sn.856、依りかかることのない人は、理法を知ってこだわることがないのである
かれには、生存の断滅のための妄執も存在しない

私も瞑想がいつのまにか習慣化しているけど、
仏典には、瞑想修行なく説法だけで阿羅漢になった者もいるし、
名色識別智の前に最低限の知的準備がないと、瞑想そのものに自己意識付与や
瞑想している私(立派)というアイデンティティを構成、自我の構築ということになる
こと気づいたらいかがでしょう。

735 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 23:31:28.39 ID:qqkK9J5wa.net
>>722 正直でよろしいと思う、ステージが上がると気持ちが変わってくるはずです。
>>723 在家向けにアレンジしたもので、戦後に普及させた瞑想法概念や実践法である。

736 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/06(火) 23:51:07.87 ID:yozedoK70.net
>>733
空而有諸法なら分かるけどまたしても説明になってないな
なぜ空性が実に色なのか
空性であるのは実に諸々の法であるならまだ分かる

737 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/07(水) 00:23:07.41 ID:GUVK5l2N0.net
>>736
空即是色という言葉だけで捉えるからそういう疑問が生じるのですよ。
空即是色は色即是空と対になる言葉であり教えです。


色即是空の空は概念では無自性とか無分別とかで説明できますが、実は言葉を超えた真理であります。
しかし、単に空を観じて空に執着しているなら、
それは形而上学的な空を認識してるに過ぎず、もはや空ではなくなってしまいます。
その状態を空病と言います。

空と昇り詰めて、そこから空即是色と色の世界に還ってきてこそ、
空は人生に大きな意味を持ち、完成されるとされます。

738 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/07(水) 00:24:37.86 ID:cWfsoaMZ0.net
>>726
だからさぁ、根拠がそれだけじゃあ弱いんだよね。パーリ語の経典の成立は
5世紀頃ってのが今の定説な訳で、それだと大乗の漢訳より遅いのよ。
そもそもパーリ語で書かれてるって時点で、お釈迦さんの言ったことそのもの、
とするのは早計よ。お釈迦さんが使ってた言語はマガダ語であって、パーリ語
そのものではない(と言われている。本当のところはわからないけど)。
今伝わってるパーリ語の経典群が、サンスクリットからの翻訳、あるいは漢訳
からの再翻訳である可能性だってある。

そんな理屈はどうでもいい、瞑想すれば何が真実か判る、と言うのなら、それはもう
カルトの論法だよ。

739 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/07(水) 00:31:49.35 ID:pZy9QfAi0.net
>>738
>パーリ語の経典の成立は5世紀頃ってのが今の定説な訳
誰が言ってるのそれ
パーリ経典の範囲確定はまさに5世紀頃だけど

740 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/07(水) 00:35:04.59 ID:5SmJnyus0.net
>>734
テラワダにおいて、あるいはパーリ経典にもとづく仏教実践において
仏道を歩むこととは、すなわち戒定慧の三学の修習のことだと思いますし、
八正道の実践とは、これも即ち戒定慧の三学の修習そのものであるはずです。

また、聞法のみで預流果や阿羅漢果に到達した方というのは、過去世の波羅蜜
ですでに三学を修めていたはずです。

それ以外は特に反論しようと思いません。
ご指摘の通りでしょうし、仰る通りでしょう。

戒定慧の三学の修習を通してしか到達し得ない境地、理解し得ない智慧があります。
それは哲学的思弁や知的理解のみによっては到達できない領域です。
この点は、哲学的思弁のみで仏教を理解し、それが仏教の到達点だと思っている
方々には、伝えておく価値がある情報だと思います。

741 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/07(水) 00:35:18.40 ID:7WHvmQ5I0.net
こういったものにこそ、
真実が隠されているんだよ

・バカ殿
・だいじょぶだ教

742 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/07(水) 00:37:01.36 ID:7WHvmQ5I0.net
腰に刀。
謎の白い馬に乗っている。

「上様」「余は何々だ」という台詞

743 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/07(水) 00:38:55.17 ID:7WHvmQ5I0.net
>>742
暴れん坊将軍の話

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