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テーラワーダ仏教を論破するにはどうすればよいか?

898 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/15(木) 20:51:41.05 ID:Xx7htV6O0.net
世間法がリアルなら功徳を積んで天に生れるということを目指せるかもしれないが
出世間法にリアリティを感じる人にとって世間にとどまることは
出世間法を知らない人よりもより苦しさや痛みを感じるのではないだろうか

899 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/15(木) 20:56:57.51 ID:h15Wi7I8a.net
苦しみの感じ方も、楽しみみの感じ方も人それぞれだから、自分の考え方を
他人に押し付ける積もりは毛頭ない。
皆、夫々に体験し、その経験を元に取捨選択してゆくしかない。

900 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/15(木) 20:57:13.02 ID:Xx7htV6O0.net
たとえば持戒や瞑想や布施が世間法における積徳の業である、
それによって未来や来世でもっと豊かに報われますよ、
というなら話なら自分にとっては分かりやすいのだけど

901 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/15(木) 21:07:57.12 ID:h15Wi7I8a.net
解脱が目的で無いなら守る必要の無い戒もあると思う。
例えば「不飲酒戒」があるからといって、調理にミリンさえ使わない
上座部もある。
また麻薬も一切禁止と云う。しかし重篤な病気で、強い痛みの伴う時は
痛み止めとしてモルヒネも使うべきだと思う。
そのように全て頭ごなしに禁止するのは、どこかの宗教の「輸血は一切
行わない」にも良く似ていて、人間としての常軌を逸している。
酒も麻薬も宇宙自然が与えてくれているものと考えれば、それらを
人間の生活に有用すればよいことであって、乱用しなければ全く問題
無いと思うが・・・。

902 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/15(木) 23:30:14.74 ID:d63VcLsva.net
しかしその考えがエスカレートして、現在もまた、上座部仏教教団は戒律が破られ放題なのが現状。
皆さん、サンガに甘い夢を見ないでね。

903 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/15(木) 23:30:17.42 ID:pUH9jTFj0.net
>>900

それであってるけど?
布施で生天、持戒で欲楽天、瞑想で波羅蜜を積み、智相応の三因心で生まれる

904 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/15(木) 23:43:46.69 ID:kXHfXuCs0.net
>>901
衣食住薬の四資具は認められているから、医療用の麻酔や痛み止め
までは禁止してないでしょう。
そこまで禁止っていう話は、聞いたことないけども。

905 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/15(木) 23:56:04.29 ID:OJRXIZ6+a.net
>>889 それは全く違います、正しく修行のステージを進めていくと、無常、無我、苦を知り、四聖諦を知り、生物プログラムが組み込まれた人間のからくりを実際の感覚で知るらしいのです。

906 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/15(木) 23:57:28.62 ID:OJRXIZ6+a.net
>>887 それが残念ながら違うらしいのです、研究できる資料もわずかで、研究してる人も少ないみたいですが。

907 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 00:46:10.84 ID:5yieRpYq0.net
>>895 >>898
テラワダの師によっては、生まれ変わりの転生でなく、精神的と物質的の現象
の生成消滅の継起で、実体的な魂が場所を移っていく物語(虚妄)とは分けてる
ようで、そこは無我と矛盾せず拍手。
例えば、信仰宗教の例だと、
人は期待に応えるモノ、欲求に応えるモノに執着、意識付与して同化され、
自我、アイデンティティを構成させるが、それでも遅かれ早かれ心が満たされず、
もんもんとしている。思想以外のモノによっては、喪失の苦が伴う。
そういう自己意識付与して同化させたモノ、思想等の束縛からの解脱を説くのが
出世間法でもあり、想いに依存してない人は自由で、かつ想いがもたらす苦の滅に
繋がり、来世を妄想せず、今ここの事実に生きるマインドフルネスでもあり、煩悩に翻弄され
ない浄化の自己ってことかと。一切は自己ならざるもの、生まれ変わりを想うより、
まずそこでしょ。しかし初期仏典でも変容はある、四段階の一つ目の悟り段階で天界が
約束されてるとかね。学者が初期でも最古層とするSnの4〜5章に注目の必要あり。

908 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 00:49:40.76 ID:btCSS3/7a.net
>>887 日本対○○という構図では見てません。
仏陀直伝という割には、ウソや腐敗の歴史があることを指摘したいだけです。
スマ氏は嫌気がさして日本に逃げ込んできたのかも、それほど上座部もひどいです、大乗よりは幾分改変されたとしても、パーリ経典を後世に残してくれているのは助かります。

909 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 01:26:42.62 ID:H4ib0v820.net
だいたい

Tatiyampi Saṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi(タティヤンピ・サンガン・サラナン・ガッチャーミ)
(三度、私はサンガ(僧)に帰依いたします)

なんて仏陀は本当に言ったのか?
サンガの既得利権を守るために三帰依などでっち上げた可能性はないか?

910 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 04:10:24.81 ID:N4e8YHHV0.net
比丘個人とサンガは分けて判断した方がいいと思う。
例えば、不祥事を起こした警察官が何人かいたとしても、
警察という組織が犯罪組織というわけではない。

100点満点の比丘ばかりではないが、尊敬と信頼に値する比丘も確かにいる。
サンガ全体としてみれば、戒律を守っていると言える状態のサンガは確かにある。

911 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 04:39:51.05 ID:pA3HPAxUa.net
>>907
済まないが、何を言っているのかイマイチよう分からん・・・・。
頭の悪いヲレにも分かるように、モット平易な言い方で教えて貰えないだろうか?

912 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 08:28:34.69 ID:MJjFKUQt0.net
上のほうに貼り付けた写真があるでしょ、
老婆が言うには

「広瀬川というのが流れていて、
 そっちのほうに広瀬座というのがあったんだよ」

913 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 08:30:15.16 ID:MJjFKUQt0.net
「住んでいたところは、もう少し山の方だったかな、山の上の方」

914 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 08:37:51.73 ID:MJjFKUQt0.net
「家に凄い刀が飾ってあった」と言っていたり

「馬に乗り、刀を差し・・・城が・・・」

このような話、何だろう

915 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 09:01:18.72 ID:MJjFKUQt0.net
りゅーま りょーま?が何やら、そのような事も言っていた

それとカク?

何の話なんだろう、漫画 アニメ?

916 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 09:06:42.62 ID:MuxhX0sm0.net
>>909
そのサンガの既得権益とやらを最初につくって信者に布施しろと教えたのは仏陀でしょ

917 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 09:36:49.78 ID:MJjFKUQt0.net
『真 奥の細道』検索してみて

http://www.google.co.jp/webhp?hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiT_eKe0ZLPAhWGI5QKHSqEBMEQPAgD

カッパのようなキャラクターがいたり、
これが伝説の神仏習合?

口のところが嘴のようになっているでしょ

918 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 09:43:17.10 ID:MJjFKUQt0.net
ビックリマンのスサノオみたいな感じがするんだよな

919 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 10:04:25.39 ID:MJjFKUQt0.net
この話をしていたのかな『天上天下唯我独尊 銀』

画像検索してみて、それと『力夫氏』
検索すると出て来る写真など

力夫氏=□□力夫

家の先祖だという謎の写真も、
かなり詳しいような気がする

920 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 10:08:02.72 ID:MJjFKUQt0.net
キュウリ 葱の華・・・あと何かのイモ類の葉だと言っていた

その他

921 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 18:53:48.02 ID:5yieRpYq0.net
>>911
実体的な魂が場所を移っていく生まれ変わりではないとスマナサーラをはじめ
テラワダの師は説いていることが確認できます。
簡単に書けば、精神的と物質的の現象の生成消滅の継起の輪廻(転生)であると。
次に、人は外的なモノで心を満たそうとします、所有物、地位、評価、快楽、思想、
そして信仰宗教、しかしそれらを得ても無常で、一時的または永続的に心を満たすことは
なく、渇望し続けるのですが。出世間法は、そういう外的なモノに執着、意識付与して、
自我を構成(自己意識強化)させるのでなく、そういう思想、観念等の束縛からの解脱な
わけでして、思い込み、偏見、先入観、信念体系等、人にはバイアス、心のフィルターが
あり、自分に都合いい解釈や固執をもします。これは排他性があり争いの元にもなり、
思考に支配されず、思考を道具として使うには、そういったバイアスの影響を受けずに、
何かに囚われず、今ここの事実に生きることが推奨され、さらに核心として、
この比類なき私と思うことへの分析、洞察から始まり、その結果、一切は自己ならざる
諸法無我という仏智から、利己性を帯びる仮構の自己(我執)を克服し、こだわりの多い
束縛された人間から、開かれた人間へと転換することで、心の平安のみならず、その願いは
自分の来世という妄執でなく、他の生命に対する(偽善でない)慈愛となって顕れます。
と、私の自説でなく、上座の複数の僧と学者の解説から短くまとめたものです。以上

922 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/16(金) 21:29:52.96 ID:Jlv+Sgjs0.net
>>903
自分のアンテナの問題かもしれないけど
日本のテーラワーダ系では>>921さんの書いたような内容が主で
功徳を積んでよい境遇、天に生れよう、ということはあまり説かれていない
のではないか、という感じがしております。

923 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 04:30:16.87 ID:s/8fPbgQ0.net
現代人は頭で考えて(頭で考えるからこそだが)輪廻転生がないと思ってるから、
スマさんは現代人の理解に合わせて語ってるだけだと思うよ。

輪廻転生を前提に語ったら、速攻でカルト認定されて布教の成功はほぼ不可能でしょう。
ゴータマ仏陀の仏説が輪廻転生を前提に語られていることは、教学と瞑想を進めていけば、自分でわかることだけどね。

ダンマは賢者によってめいめい知られるべきもの、だから。
徐々にわかってくれば良いということでしょう。

924 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 08:02:53.50 ID:BGAd+2iJ0.net
>>923
と思うよ。という主観でなくて、そこはスマナサーラをはじめどの師もヒンドゥ
のような魂の引越しのことでないと明言しているが、別にそこに固執することなく、
無常、無我(非我)、空、苦、より、まず私の輪廻、来世のことを自己中心性に
<考えます>って先にくることがもう笑うけど、最古層のSnの4-5章を目を通してなく、
後に融合した転生思想マンセーでもいいけど、そこに固執する私で自我強化
していることに気づきましょう。貴方に名色について誤認があるようですので。

925 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 09:48:46.99 ID:3uzFxq8p0.net
>>924
自己中心性とか固執とか自我強化とか言ってることが悉くブーメランで草生える

926 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 10:11:30.03 ID:s/8fPbgQ0.net
名色の生滅というミクロのレベルで観ても
輪廻転生というマクロのレベルで観ても、
おなじように無常、苦、無我。

輪廻転生のレベルで観る話は、修行の段階が八正道の正定に達した
修行者(主に出家僧)には話しても分かる。

そうでない人たちには、ミクロレベルの話だけして納得してもらうのが
妥当と、スマナサーラさんが布教するにあたって、そう判断したのだと思う。

本当は肉体の自我のほうが幻なのだが、、
ひとは正定に至るまでは、その幻が考えたことが正しいと思ってる。
そういう段階だということ。
だからこそ三宝に帰依する必要がある。

仏陀が説いた輪廻転生は”思想”ではない。
思想というのは、幻であるところの自我が考えた、その思考の産物。
智慧のある者が語る輪廻転生の実際というものは、ただの観測事実。

>>651 あたりにも書いたが、「魂が輪廻」するという発想は
肉体の自我を実体視しているからこそ出てくるもので、的外れ。

927 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 10:13:33.65 ID:s/8fPbgQ0.net
心というか、自我は複数の要素が寄り集まってできている構造物なので
「魂」というひとつの塊として完成品があるわけじゃない。

欲界心が消えても、色界心は依然としてある。
それはもう観ればありありとわかる。

928 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 10:17:34.24 ID:BGAd+2iJ0.net
>>925
それ言わないと気がすまないで書いたの、自分の中にあるユングの投影ね。

929 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 10:18:37.69 ID:s/8fPbgQ0.net
地球の上で暮らしている人間は、地球は平らなものだと思っていた。
でも宇宙に飛び出して、振り返ってみれば、丸い地球がありありと見える。

瞑想が智慧の段階に達したならば、心が実際にはどうなっているのかも
そのように、ありありとはっきりと確認できる。

五蓋が滅した状態ではじめて、幻でない、思考の産物でない、心の本当の姿
が見えてくる。

930 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 10:38:48.68 ID:BGAd+2iJ0.net
>>926
思想でなくてもそこに固執していることを指摘しているんです、それと仏陀が
肯定的に説いたのではないことは、古層の中の最古層仏典から明らかです。

Sn.864「人が来世に関していだく希望とその成就とは、何にもとづいて起こるの
ですか?」
Sn.865「また(形而上学的な)断定は何から起こるのですか?」
この後は自分で探して。
ついでに、
Sn.798「ひとが何か或ものに依拠して「その他のものはつまらぬものである」と
見なすならば、それは実にこだわりである、と<真実に達した人々>は語る。
それが故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、にこだわっては
ならない。」
Sn.898「想いに依存している人々は、流転する迷いの生存に誘き込まれている。」
Sn.799「自分を他人と「等しい」と示すことなく、他人より「劣っている」とか、
或いは「勝れている」とか考えてはならない。」
Sn.803「いずれか一つの偏見を特に重んずるということもない。」

931 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 11:13:33.41 ID:BGAd+2iJ0.net
>>929
魔境かと。
後に転生と融合した初期仏典を鵜呑みなら、
神通力の、空を飛び、壁をすり抜けることも鵜呑みなのだろうか。
最古層の教えを一度チェックを。

932 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 13:26:05.21 ID:HQgYQODq0.net
>>931
スッタニパータ 第五章 一七、学生ピンギヤの質問より

1121
師(ブッダ)は答えた。
「ピンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害われるのを見るし、物質的な形態が
あるが故に、怠る人々は(病いなどに)悩まされる。ピンギヤよ。それ故に、そなたは怠る
ことなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態に戻らないようにせよ。」

1122
「四方と四維と上と下と、これらの十方世界において、あなたに見られず聞かれず考
えられずまた識られないなにものもありません。どうか理法を説いて下さい。それをわ
たくしは知りたいのです。−この世において生と老衰とを捨て去ることを。」

1123
師は答えた。
「ピンギヤよ。ひとびとは妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは
見ているのだから、それ故に、ピンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、
再び迷いの生存に戻らないようにせよ。」
『ブッダのことば スッタニパータ』 中村 元(訳) 岩波文庫


中村先生はスッタニパータ1122偈をゴータマの神格化を示しているものとして言及され
ている。
参考:『ゴータマ・ブッダU − 原始仏教U』 中村 元(著) 春秋社

933 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 13:39:38.58 ID:HQgYQODq0.net
>>924
こんなことをいう学者もいるよ。

『死語・輪廻はあるか--「無記」「十二縁起」「無我」の再考』
森 章司(著) 東洋学論叢 (30), 180-158, 2005-03
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005274325

2,「十二縁起」説の再考 より

このように「四諦」説や「無常・苦・無我」説などの原始仏教の教えは,すべて衆生は
生老病死の「輪廻」の苦しみを繰り返すから,ここから解脱しなければならないという
教えであって,縁起説とて例外ではないということである。とするならばむしろ輪廻は
縁起説や四諦説や無常・苦・無我説の基礎になっているのであって,輪廻はこれらと
一枚のものであり,先に紹介した仏教学者が言うように決してレヴェルが異なる低俗
な教えではないということになる。

934 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 16:15:29.61 ID:s/8fPbgQ0.net
>>931
言葉にした時点で、話者と聞き手の思考を介するから、
そこで言葉と思考の迷路に迷い込む。

本当に納得するには、自分で瞑想をして自分で確かめるしかない。
精神現象はモノとして取りだして証拠として提示することはできないし
言葉や思考を超えた領域を、言葉で伝達することはできない。

お釈迦さまは説法を通してやってのけたけどね。

935 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 16:18:56.10 ID:s/8fPbgQ0.net
>>930
吉本新喜劇ですね。

936 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 16:20:57.32 ID:s/8fPbgQ0.net
とにかく、この手の唯物末法仏教が多すぎる。
死んだら消えてお終いと断定するのは断見。

その見解が、観察による洞察智ではなく、知識と思考の産物だということをまず自覚するべき。

937 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 16:25:21.82 ID:s/8fPbgQ0.net
まず、瞑想してないでしょ?
そこからだよ。

938 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 18:59:30.78 ID:3uzFxq8p0.net
>>928
は?ユング?

939 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 19:07:36.79 ID:36KFV0Db0.net
>>938
ユングとかニーチェ知らんなら人の心理を手籠めにする
宗教者とかやらんほうがいいよ^^

940 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 19:35:23.33 ID:HQgYQODq0.net
>>928
ユング心理学における投影だとすると、自身の影を相手に投影してしまい、
その結果として攻撃的になっているということ?
それを自覚しているのならば解決策は自ずから見つかるのでは?

今はネットで簡単に検索できるから便利だね。

人間関係の理解と改善に役立つ「投影」という自我の防衛機制
http://cocorocarada.com/1434

941 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 20:35:27.76 ID:ZjkE1pRE0.net
>>931
2500年前と比べると、ずいぶん科学が進歩して、(自分も含めて)人類の
多くはすでに迷信から抜け出したと思っていませんか。

2500年前は、ずいぶん迷信が多かったでしょう。
ところが、人類の心身の構造自体は当時とほぼ変わってないんです。
2500年程度じゃ、そうそう大きく変わりません。

いまでも人間は迷信の中にいます。

942 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 20:39:13.46 ID:s/8fPbgQ0.net
戒定慧の三学を修めることによって、はじめて人は迷信から自由になれます。
慧というのは思考の結果ではないので、思考によって到達することは絶対に不可能です。

戒定慧を修めることができない人は、智慧のある人、つまりブッダをはじめとする
三宝に信をもつことで、擬似的に智慧の恩恵にあやかることができます。
三学を修めていない段階では、その人にはまだ智慧がないからです。

943 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 20:51:30.60 ID:C5R34KM90.net
四信五品抄の以信代慧ですな

944 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 21:01:52.72 ID:dtlIttsf0.net
ちなみに智慧て、現代科学の知識じゃないってことでいいんだよな?

945 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 21:11:57.34 ID:ZjkE1pRE0.net
じゃないでいいと思います。
智慧を持った人たちが科学を牽引するようになったら、事態が変わるかも知れませんが、
解脱の智慧は出世間の知恵なので、世間の知恵とはあくまで無関係というか、無接点かもしれません。
分かりません。

946 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 21:15:53.57 ID:s/8fPbgQ0.net
現代科学の主流は物質還元主義なので、
精神そのものを科学の対象とすることができません。

物理的実在でないものを精神的には確かに現象として
あると認められるかどうか、そこが分岐点になると思います。

947 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 21:16:31.81 ID:eWySgO33a.net
世間の知恵とはあくまで無関係ではないだろうよ。
無関係のように思えても、対比的に考える以上、それなりの関係は有ると云える。

948 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 21:19:51.07 ID:s/8fPbgQ0.net
仏教用語でいうと名色識別智(名色分離智)が最初の分岐点で、
それに続く洞察智の開発が、この分野における進歩とそのまま対応していくものと推測されます。

949 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 21:56:33.53 ID:C5R34KM90.net
世俗諦と勝義諦の関係?

950 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 22:09:02.24 ID:VFp4GR0dl
キリストにも色々宗派がある様に、仏教にも色々あって良いんじゃ無いかなィ

951 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 22:06:06.35 ID:s/8fPbgQ0.net
ひとことで言ってしまうと、それだと思います。
あるいは、もし何かご存じなら教えて下さいませんか。

952 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 23:17:51.18 ID:3uzFxq8p0.net
>>939
いや知ってるけどユングなんか持ち出して権威付けする神経が理解しかねる

953 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 23:20:54.89 ID:36KFV0Db0.net
>>952
釈迦とかスマナサーラとか持ち出して権威付けする神経とどう違う?

954 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/17(土) 23:57:42.53 ID:3uzFxq8p0.net
>>953
長老はともかく釈尊まで貶めるような言い方は気になるな

955 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 00:02:45.98 ID:AMxJJJx70.net
すべての宗教は虚妄であると思っている人にとって、
すべての宗教者は詐欺師かアホかのどちらかでしかないからな。

956 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 00:10:15.59 ID:Awvk40hJ0.net
釈迦を釈尊とか言って、崇めたつる精神も
ヒットラーをハイルマインヒトラー!って崇めたつる精神も構造は同じ土壌
崇拝対象が違うだけで、精神的構造としては、同じなんだけどな。

957 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 00:13:00.32 ID:AMxJJJx70.net
こういう事情があるもので
   ↓
>>942-943

958 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 00:18:47.59 ID:AMxJJJx70.net
智慧の領域がブラックボックスであることを悪用して、仏教の構造をそのまま転用すれば
ものすごい強力なマインドコントロールのカルト宗教も作れる。
そんで、実際にやった奴がおった。
歴史上、世界中を見渡せば何人もおったやろ。

959 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 00:20:15.51 ID:AMxJJJx70.net
来世、確実に地獄行きだろうがな。

960 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 00:29:26.36 ID:Awvk40hJ0.net
宗教だけじゃなくて、色んなとこでそう言うマインドコントロール
は行われてるよ。仏教だけの専売特許じゃない。
役割取得の為に、権威付けが組織になり、信仰としての仏教 経典 聖典等と呼ばれてしまう
これに相当するものは一般社会では社訓で有ったり、統括で有ったりするわけよ。
経典だろうが、教科書だろうが、同じ。そこに事実性があるかないか違いは有るかも知れんが。

961 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 00:41:44.11 ID:AMxJJJx70.net
なので、麻原を崇め奉ることと
釈迦牟尼を釈尊と崇め奉ることに何の違いがあるのかと問われれば、
大いに違うし、まったく違うと答えることになる。

962 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 00:50:00.90 ID:Awvk40hJ0.net
麻原彰晃は一時的にでも、成功を納めてる。
一般仏教宗教者が、僧籍や仏門で無ければ
成仏出来ないと言う概念を壊し、誰にでも正覚の可能性が有る
と説いてたはず。両極端過ぎて、良いとこまで消そうとするのは
好きじゃねーなwww

963 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 02:12:33.33 ID:ApxOQ1Bo0.net
まあ瞑想による変性意識を思想を超えた真理などと信じてるような人はみんなオウム予備軍でしょ

964 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 02:55:52.66 ID:AMxJJJx70.net
普通の人は、瞑想をしてもまだ思考と感覚の中にいることがほとんどで、
そこから抜け出せていない。
それは厳密には瞑想ではなくて沈思黙考という方が正しい。
meditation ではなく contemplation。

瞑想が本当に成功すると、自我は消える。
思考と感覚の産物である自我が消えている時、そこに思考の産物はない。

「瞑想による変性意識を〜」との指摘は、実際には沈思黙考による
意識状態の変化のことを言っているはずで、それはまだ思考と感覚の
産物であるところの自我の範疇を出ていない。

思考の産物が思考の範疇を超えたものであるはずがない。
それが智慧でないことは誰が”考えて”もすぐに分かる。

戒→定→慧と進んではじめて分かることなので、話しを聞いても
納得できないのは仕方がないことではあるのだが。

965 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 02:59:16.79 ID:AMxJJJx70.net
変性意識という指摘をする時、その意味を具体的に描写してみると
要するに脳内物質が脳内で生みだした脳内現象であるところの妄想
に過ぎない、ということが言いたいのだと思う。

とするならば、こうした考えの人たちは、例えばブッダの禅定は何だと
思っているのだろうか。

966 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 03:38:49.17 ID:AMxJJJx70.net
自我の実感は、思考・感情と感覚など、複数の要素で構成され、
生じているもの。

例えば犬や猫も、それぞれの身体に生じる五感の感覚や思考・感情に
よって自我の実感を形成している。
そしてその自我は、思考・感情と感覚から生じるものである以上、
同時に思考・感情と感覚によって、その限界を規定されてもいる。
犬は犬らしくしか思考できないし、猫は猫らしくしかできない。
犬や猫の自我は、犬や猫の限界を超えられず、人間のようなレベルで
理性を働かせることもできない。

これと同様に、人間もまた身体に生じる五感の感覚や思考・感情に
よって自我の実感を形成している。
そしてその自我は、思考・感情と感覚から生じるものである以上、
同時に思考・感情と感覚によって、その限界を規定されてもいる。
人間は人間らしくしか思考できない。
人間の自我は、人間の限界を超えられず、人間の限界を超えたレベルで
理性を働かせることもできない。

967 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 03:46:58.84 ID:ApxOQ1Bo0.net
まあ妄想し瞑想してなさい
オウム予備軍で止まっていられるならばな

968 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 03:55:20.18 ID:jepFTZCz0.net
上座部仏教は素晴らしいけど出家至上主義は日本では無理

969 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 04:58:53.38 ID:AMxJJJx70.net
わたしはゴータマ仏陀と麻原は全然違うと思う。

970 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 07:00:41.17 ID:iNGWP0tF0.net
>>968
中国とビルマの国境地域ではあまり出家僧と関わらず村の在家信者だけで回ってるコミュニティもあるよ

971 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 09:52:43.35 ID:YXMhpF820.net
ある人が瞑想することよって特有の「智慧」が生じたとして、
それがブッダの教えた、或いは体験した智慧と同じものであると
どのようにして確かめることが出来るのだろうか

972 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 10:42:20.85 ID:ApxOQ1Bo0.net
>>964は三学を修めるとブッダと同じ智慧が芽生えるようなことを言ってるな
まず出家をしないとな
在家のままで煩悩や執着を捨てられると思うなよ
それが出来たらブッダを超えてるってことだからな

[増上戒学]
1 出家   如来出世・聞法・信・熟慮・財産親族を捨てる・出家
2 戒    小戒・中戒・大戒

[増上心学]
3 根律儀  眼耳鼻舌身意の六根の防護(馬を御する) 
4 食量知  一日一食(傷に薬・車軸に油)
5 覚醒勉  日中初夜後夜は障害法から心を清め、中夜は念じて獅子臥 
6 念正知  四威儀(行住坐臥)を知ることと所作の自覚
7 満足   衣食に満足してどこにでも行く(鳥の翼)
8 断蓋   欲意欲・瞋恚・惛眠・掉悔・疑(借金・病気・牢獄・奴隷・荒野)
9 四禅   初禅・第二禅・第三禅・第四禅(石鹸・湖・蓮・白布) 

[増上慧学]
10 心身の智 肉体と心を知る(宝石と糸) 
11 意成身  心の身体を化作する(ムンジャ草・短剣・蛇)
12 神足通  多端神変(陶工・象牙細工師・金細工師)
13 天耳通  神と人の声を遠近ともに聞く(ティンパニー・小太鼓等)
14 他心通  生ける者の心を知る(鏡に映るほくろの有無)
15 宿住通  前世を無限に思い出す(村から村への旅)
16 天眼通  生ける者の死と再生を見る(交差点の高い建物)
17 漏尽通  苦の四諦と漏の四諦を知る(澄んだ湖)

973 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 13:40:59.22 ID:E3bx0h1A0.net
Sn.794「かれははからいをなすことなく、(何物かを)特に重んずることもなく、
「これこそ究極の清らかなことだ」と語ることもない。
結ばれた執著のきずなをすて去って、世間の何ものについても願望を起すことがない。」

Sn.795「真知によって知ったからといって、あるいは真実に見ているからと
いって、かくかくであるというようにきめてしまって信念にすることがない。
したがって欲望ある世界のあれこれを欲望することもなければ、欲望から自由に
なった世界のことごとを希求することもない。このようなひとであるならば、
この世間にありながら、「これが最高究極のものだ」という信念をもつこともない
のである。」

2チャンネラー仏教者の信念は、自我構築のアイデンティティとなっている。

974 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 18:28:48.53 ID:Awvk40hJ0.net
漢字文化圏で、表現文字に真とか正を
入れることに拠って、正しいかの様な生理的錯覚が起こる様に
文を書く典型的な、詐欺www

975 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 19:32:59.15 ID:eBPfDE5k0.net
>>973
訳者を明示していないけれど、Sn.794とSn.795の訳者が違うのは何故?
意図的にそうしたのか、それともコピペ元がそうなっていたの?

Sn.794は中村元(訳)『ブッダのことば スッタニパータ』(岩波文庫)。
Sn.795は荒牧典俊(訳)『スッタニパータ [釈尊のことば]』 講談社学術文庫。

Sn.795
真のバラモンたるひとは、幾重にもなった有限性の限界を超越している。このようなひ
とであるならば、真知によって知ったからといって、あるいは真実に見ているからといっ
て、かくかくであるというようにきめてしまって信念にすることがない。したがって欲望
ある世界のあれこれを欲望することもなければ、欲望から自由になった世界のことごとを
希求することもない。このようなひとであるならば、この世間にありながら、「これが最
高究極のものだ」という信念をもつこともないのである。
荒牧典俊(訳)

Sn.795
(真の)バラモンは、(煩悩の)範囲をのり超えている。かれが何ものかを知りあるいは見
ても、執着することがない。かれは欲を貪ることなく、また離欲を貪ることもない。かれ
は〈この世ではこれが最上のものである〉と固執することもない。
中村元(訳)


>2チャンネラー仏教者の信念は、自我構築のアイデンティティとなっている。

中村元訳には「信念」という訳語が出てこないんだな。「信念」に固執しているのは誰?

976 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 20:48:17.27 ID:E3bx0h1A0.net
>>975
何かにしがみつき執着固執、自己と同化して○○主義という
自己意識強化(自我強化)の点では同じ。
名色分離智と言いながら、輪廻からの解脱の「げ」にもなってないでしょ。

977 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 21:54:46.06 ID:iNGWP0tF0.net
(構って欲しいんだろうな…)

978 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 22:17:20.11 ID:03jJvwGW0.net
・・・・モゴモゴ( ̄〜 ̄;) ←何か言いたいらしい

979 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 22:52:10.59 ID:eBPfDE5k0.net
Sn.795の中村訳と荒牧訳を比べてみると両者の考え方の違いが出ていて面白い。

中村訳「かれは欲を貪ることなく、また離欲を貪ることもない」
荒牧訳「したがって欲望ある世界のあれこれを欲望することもなければ、欲望から
自由になった世界のことごとを希求することもない」

岩波文庫の訳注を読んでみると中村先生の考え方がわかる。
ブッダゴーサの注釈を読むのは無理としても、石飛道子先生の本を今度読んで
みようかと思った。2160円か・・・

知的好奇心から経典を読むのも面白いよ。

980 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/18(日) 23:49:02.70 ID:IDN4dbPP0.net
>>971
パーリ三蔵、瞑想内容の詳細については特にアビダンマに照らして
確かめるのが、テラワダの伝統的な確認方法のようです。

師弟間で瞑想指導が行われる時、瞑想の状態が仏教が正定と定める
九次第定に合致するかどうか、アビダンマと体験内容を照らし合わせて
確認されます。
例えば色界禅定なら五蓋と五禅支によって確認します。

981 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/19(月) 05:33:47.41 ID:xI/xQqjJ0.net
その謎の写真、むかーし、この周辺に住んでいたんだよ

『伊達郡 猫稲荷』

982 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/19(月) 05:59:43.91 ID:xI/xQqjJ0.net
猫稲荷の話?老婆のほうが詳しいと思う

「山の上の方に住んでいて、凄い土地を持っていた」
「家に凄い刀が飾ってあった」
「蚕を飼っていて、機織りをしていた」

「」
「」
「」

983 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/20(火) 00:32:53.81 ID:YtTIxfbm0.net
日本に正法の灯火が途絶えることのなきよう。

984 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/20(火) 01:28:44.57 ID:wysxzLK50.net
日蓮
「法然は間違っていて、その教えは浄土経典の『唯、五逆と正法(法華経)を誹謗するものを除く』という誓文にも反するし、
遠くは釈迦の肝心の経である法華経の「この経を誹謗する者は地獄に落ちる」というような戒めにも反するものである。」

985 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/20(火) 02:58:14.24 ID:45ohIB5P0.net
>>983
善哉、善哉

986 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/20(火) 05:46:00.40 ID:2uVYkYeh0.net
謎の刀の話

飾ってあったというだけで、
斬りつけるような刀ではないと思う

写真でわかる、雰囲気的に違う、神職か僧?なのかな

987 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/20(火) 05:50:48.81 ID:2uVYkYeh0.net
写真

実物を持っている、
モレ(仮)や家族にしかわからない話

988 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/21(水) 01:51:40.57 ID:tTAEc8c/0.net
マハシ式のヴィパッサナー瞑想をやる
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/esp/1259857071/

989 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 00:44:48.66 ID:Qh5GDm9R0.net
なかなか真実を突いているレスを見つけたので、貼っておく。
やはり、生まれた時点ですでに負け。二度と生まれてこないように解脱をするのが一番だな。
終わりなき輪廻を超えるための道こそ、仏道の本質であろう。

136 名前:マジレスさん :2016/09/24(土) 00:02:46.02 ID:G7BN9Ykt
たまに、「一生分の大金を稼いで、夢のセミリタイア生活!」なんて言うけどさ。
ま、気持ちはよく分かる。でも、ふと冷静になって考えてみたらさ・・。

「生まれてない者は、すでに、そのセミリタイアと同じ境地にいるんじゃねw?」
しかも、死ぬほどの努力をして大金を稼ぐような苦労を、一秒たりともする必要なく、
その自分の利益を追求する過程で、誰かを傷つけ泣かせることも一切なく、しかも長い労苦の果てに得た満足を失う恐れとも絶対に無縁のままで。

生まれてない者は、なんの欲望も必要も一切感じないワケだが、それって、
生まれた者が自分の全ての欲望や必要を十二分に満たしたがゆえに、お腹いっぱいになって無欲無心になったのと実質、同じじゃね?

ゼロ=無限大。 原点にして、すでに頂点。 何も足さない、何も引かない。
生まれない者、これすでに、完全体。このあまりに意外過ぎる灯台下暗しこそ、人知の最終到達点だと思う。

990 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 00:54:25.11 ID:dZaPyMhPa.net
>>989
まぁ、人それぞれだがその考え方には賛同できないわ。

991 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 01:05:35.06 ID:uK3aLtj80.net
>>989
「楽」への執着、
「楽をしたい」という欲、
「楽じゃないのは嫌だ」という恚り。
それを自覚できない無知。

涅槃は精進の先にあるのだから、そのメンタリティのままでは
まずいのではないか。

992 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 01:47:25.96 ID:EI6+vyvhM.net
自分が産まれてきたことは取り消せない
せめて産む側にならないようにする

993 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 01:59:18.13 ID:dZaPyMhPa.net
まるで生まれ来ることが罪悪でもあるような言い方だなや。

994 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 02:02:37.07 ID:dZaPyMhPa.net
生まれ来ることには大きな価値があると思う。決して楽なこの世の「生」では
ないが、だからこそ魂は多くの学びを経て成長する。
生まれこないことが良いのでなく、生まれきて大きな学びと成長を得ることが
重要で貴い事。

995 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 04:17:47.03 ID:uK3aLtj80.net
いや、もしかしたら真実を突いてるのかもしれないが、
そうだとしても、やっぱり涅槃の境地を言葉で表現しちゃいけないのかもしれない。
たとえ真実を突いていても言葉にした時点で誤解と曲解は免れないっしょ。

996 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 10:13:50.18 ID:K8hEuVu60.net
あくまで「二度と生まれない」というのは「無限に繰り返される輪廻」の
リアル感とセットになっているので、「今、生まれていなかったら」という
仮定は無意味というか、ありえないんじゃないでしょうか。

あくまで、人間に生まれて仏法に接することが出来たという時点で
終わりのない輪廻のなかでの大チャンス、確変タイムです、というのが
仏教だと思います。

とはいえ、輪廻を終わらせて一切が完結することが人生の目的である、
という見通しは人間の一般的な生活に対して、どことなくネガティブな
イメージをもたらしてしまう可能性は否定できないかもしれません。

997 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 14:48:39.54 ID:8rWT07xm0.net
今我々が生きている世界は虚妄であってしかも苦である
解脱して真理の世界である涅槃に行けるのは人間として生まれている間だけなのでその間しっかりと修行すべし

998 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 18:17:58.52 ID:GWLCDUuOa.net
>>997
普通の人は、今我々が生きている世界は虚妄だなんって思ってないし、
苦もあれば楽もあると思っている。
それが日本の極普通の考え方だよ。

その所謂「普通の考え方」を、どうやって「虚妄で苦の世界」と悟らせるの?

999 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 19:09:09.21 ID:8rWT07xm0.net
>>998
小学校教育に仏教を取り入れて、
真実は一切皆苦、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静であることを叩き込む
スッタニパータの蛇の章くらいは暗唱させる

1000 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 19:21:23.94 ID:XX50l3Yaa.net
>>999
夢を語るのも時には良い物ですが、今はモット現実に即した話をしましょう。

私も個人的には学校での宗教教育は必要だと思いますし、強制はしないが
日本の国の宗教は「神道・仏教・修験道」だと定めても良いと思ってます。
でも、現実にはその様な事はありえません。
ですから、>>999のような提案も夢物語です。

1001 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 20:13:29.31 ID:K8hEuVu60.net
人生、楽あれば苦もあるけど、全体的に人生をほどほどによいものであると
肯定しつつ、命が尽きればあの世、または日本的天国に行くというふうに
漠然と考えているのが普通の日本人でしょうね。
自分の周囲はだいたいそうです。

1002 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 20:30:31.31 ID:8TboAXz40.net
>>997
今のこの世界が「虚妄」だなんて、お釈迦さんも誰も言ってないでしょ。
縁起によって生成されているというだけで、仮りそめではあっても、今この瞬間には
実体はある。だからお釈迦さんといえども、毒キノコを食えば腹を壊すし、死ぬ。
この世は永遠不変ではない、しかし全てが幻のようなものでもない。

それら不変でないものを不変であると錯覚するから「苦」が生まれる、というだけ。

1003 :名無しさん@京都板じゃないよ:2016/09/24(土) 20:35:22.95 ID:uK3aLtj80.net
苦しみがある。
苦しみは因縁によって生じる。
苦しみは因縁によって滅する。
苦しみを滅する道がある。

苦しみを滅する道とは、八正道である。
すなわち、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。

八正道を修めることは、そのまま三学を修めることに等しい。
正語、正業、正命は戒である。
正精進、正念、正定は定である。
正見、正思惟は慧である。

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