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大阪冬の陣で秀頼が上杉謙信なみの勇将だったら

1 :人間七七四年:2009/05/23(土) 16:11:27 ID:LWiCs+fq.net
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/3/31/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%86%AC%E3%81%AE%E9%99%A3.png
大阪冬の陣の陣形見れば、豊臣方に勝機あったと思う。徳川方で戦意ありそうな主な部隊は、南方の家康、
秀忠の本隊と松平忠直隊、井伊隊、藤堂隊。西の松平忠明隊、北の本田忠政隊位。
松平忠明隊は7千位だが大半は美濃の武将、忠明の本隊は千五百、本田忠政隊は二千五百程度攻め込んできても
小兵力で対応可能。総構え内に1万5千程度残し、他は出撃可能。
伊達隊は一万、前田隊は二万、松平忠直隊一万二千、井伊隊五千、藤堂隊五千。
家康、秀忠の本隊はそれぞれ二万五千、毛利隊は七千。
寒い日の早朝、寝起きに松屋町口、谷町口、八丁目口より出撃、前田隊に一万三千、伊達隊に七千配置し
動きを牽制、A隊二万、B隊二万で井伊隊、藤堂隊を襲撃、秀頼指揮下の二万五千の本隊は松平忠直隊に挑みかかる。
寒い朝なのでせいぜい筵にくるまってしか暖のとれない雑兵は充分な働き無理でしょう。
井伊隊、藤堂隊の壊滅には半刻で充分でしょう、A、B隊二万の部隊は一万五千が家康隊、秀忠隊に備え、
それぞれ五千で忠直隊の側面を攻撃、半刻で忠直隊壊滅。家康隊、秀忠隊が自体を掌握して攻勢に出れるのはこの頃でしょう。
A、B両隊が家康、秀忠にあたり茶臼山、岡山に進出、本隊は予備隊五千を天王寺付近に残して、阿倍野村方面より家康隊後方を襲撃。
毛利隊には手出し無用と連絡、毛利も恨み骨髄の家康に手助けなんてせんでしょう。
前面と後方より襲撃されれば一刻もつか持たないか。家康隊壊滅後、
全軍で秀忠隊を攻撃、午前中に壊滅可能でしょう。
こうすれば豊臣系の諸将浅野、蜂須賀、片桐は秀頼隷下に帰参し、
家康に恨みのある毛利、上杉も徳川軍狩りを始めるでしょう。
大阪城包囲陣は崩壊、天下の帰趨も混沌としてきたと思います。


2 :人間七七四年:2009/05/23(土) 16:24:15 ID:NsNLQhwm.net
あれ?
もう夏休み?

3 :人間七七四年:2009/05/23(土) 16:46:34 ID:aWgswQXh.net
謙信公万歳!!

4 :人間七七四年:2009/05/23(土) 20:34:09 ID:TSapI9oL.net
マジレスすると、日本はまだまだ乱れるな
そして諸外国の介入を招き、日本は代理戦争の戦場となりましたとさ

〜終〜

5 :人間七七四年:2009/05/23(土) 20:38:04 ID:9VA3E5WX.net
勇将ゆーても越後のクソ田舎者でしょ

6 :人間七七四年:2009/05/23(土) 20:57:49 ID:yz4nIosB.net
秀頼が謙信公みたいだったら間違いなく歴史は変わっただろうね。
浪人達の志気も高まり、敵も油断ならないと気を引き締めてただろう。

そして毘沙門天に祈りを捧げてる最中に大砲の弾丸が飛んできて華々しい最期に。

7 :人間七七四年:2009/05/23(土) 21:15:07 ID:amIV5iez.net
謙信なみの勇将なら、幸村と十勇士を家康の陣に強襲させて捕縛、斬首の刑に処してた

8 :人間七七四年:2009/05/23(土) 21:21:27 ID:PLhITL21.net
マジレスすると謙信公が謙信公になれたのは謙信公に成れる状況があった
からというのが一番大きい。秀頼公が秀頼公に成ったのも秀頼公になる状況
があったから。
例えばさ徳川慶喜なんてのは可なり優秀な人物だったと思うが、時代の情勢
でどうなるもんじゃない。ホリエモンより賢い人物なんて普通に毎年万単位
で生産される訳だが、ホリエモンのように稼ぐ人物が毎年どのくらいでてる
か考えたら解ると思う。イチローだってそうだ、イチローより優れた身体能
力を持った人は恐らく毎年万単位で出てると思う。だけどイチローのように
スポーツで活躍出来てる人が万単位でいないだろ?

9 :人間七七四年:2009/05/23(土) 21:34:43 ID:JpLbM3Hw.net
それらの人物がどれだけ努力と苦労を重ねたかわかってる?

10 :人間七七四年:2009/05/23(土) 21:52:20 ID:V+/MZssr.net
豊臣秀頼公出陣!
父太閤秀吉から受け継いだ千なり瓢箪の馬印をかかなげながら姿を現した秀頼公に、大坂に集まった浪人衆はどっと沸き上がった。なかには亡き太閤の御子の立派な姿に涙するものもいた。
秀頼公の脇にはよりそうように真田幸村が満面の笑顔で馬を進めていた。

11 :人間七七四年:2009/05/23(土) 22:57:29 ID:nvQcm5/p.net
どうなったかは分らんが
少なくとも史実とは確実に違った結果になったろうな。

12 :人間七七四年:2009/05/23(土) 23:00:18 ID:amIV5iez.net
秀頼と大野治長が、秀吉と蜂須賀正勝に入れ替わったら?

13 :人間七七四年:2009/05/24(日) 00:06:20 ID:e4LmZF90.net
マジレスすると1615年の家康は上杉謙信よりはるかに化け物。
今川、武田、織田、秀吉、関ヶ原と経験してきた家康に軽くひねられておしまい。
家康の凄いところは戦いが起こる前にもう勝てる状態に持っていってしまってる所。
戦術だけの謙信が大将だったところでなんも変わらない。
謙信が10万率いてたら7万は徳川の手にかかって言うこと聞かない。
そう。関ヶ原の三成状態。
関東勢から嫌われまくった謙信は同じ眼に遭うよ。
そもそも1615年に豊臣恩顧の大名が秀頼に忠誠なんか誓ってると思えるところが凄い。
いたとしても福島正則ぐらいであとは寝返らない。
だいたい彼らは自分の功績に対し恩賞を与えられたんであって
永遠に豊臣に義理立てする筋合いは無いと思ってるよ。
蜂須賀、黒田なんか長年尽くしたのに加藤、福島より扱い下されたからむしろ恨んでるよ。

14 :人間七七四年:2009/05/24(日) 00:21:25 ID:CL5UN7OK.net
徳川家康と実際に会った事があるのか?・・・・ま戦国武将達は全員故人なのだから好きに妄想するのもアリだね

15 :人間七七四年:2009/05/24(日) 00:38:28 ID:ira+3AFB.net
秀頼が信玄公だったら間違いなく歴史は変わっただろうね。
真田の案を採用し、京・伏見へ向かって進撃してただろう。

そして山城との国境で倒れて自分の死を三年隠せと言って死んで軍勢は大坂に引き返したろうね。

16 :人間七七四年:2009/05/24(日) 01:07:57 ID:e4LmZF90.net
>>14
お前マジで大阪の陣で徳川に勝てるなんて思ってるの?
ネタじゃなくて?w


ああ、ゴメン。
上杉厨って上杉に都合のいいことしか書いてない旧日本海軍もびっくりな
資料ばっか見てるからこういうおかしい人ばかりなんだっけ。
豚インフルエンザ並にかかわっちゃいけなかったか。

17 :人間七七四年:2009/05/24(日) 02:23:22 ID:VX7G5+O+.net
豊臣征伐は家康よりも豊臣に恨みのある外様達が積極的に攻め立てた
蜂須賀 浅野 池田 有馬
彼らはようやく恨み重なる豊臣を叩き潰せると見て大喜びだったと思うよ

18 :人間七七四年:2009/05/24(日) 03:34:52 ID:DjP3thQ8.net
戦を始める前に勝ってる家康なら、不確定要素が多すぎるような状態にならないよう、
初めから秀頼出陣のめは潰してるだろうな。
自軍は裏切らないなんて、そんな甘い判断なんか、まずしない。
そんなこと言う奴がいたら、口では褒め称えても、内心、使えない奴だって思うだろ。

19 :人間七七四年:2009/05/24(日) 05:54:52 ID:cMzzGINo.net
秀頼は強制的引き篭もりメタボにさせられたから仕方ない
(淀君が外で運動しろと促す清正を遠ざけてしまったのも原因だが)

20 :人間七七四年:2009/05/24(日) 08:22:03 ID:IWIWC+xn.net
大阪の陣が起きないんじゃない?

21 :人間七七四年:2009/05/24(日) 09:54:52 ID:1QwxUwxs.net
>>8
謙信は14歳まで出家する予定で、そのための修行していた。戦術眼は天性の
資質で、環境が培ったものじゃない。
>>13
冬の陣の陣形は南方に城方が兵力集中すると、動きとれない陣形と思う。
原因は10万の城兵に20万の包囲陣は兵力不足でどうしても弱点
作ってしまうからと思う。
>>17
どうだろう、勝敗の帰趨が不明になれば、外様衆の基本は様子見だろう。




22 :人間七七四年:2009/05/24(日) 10:33:04 ID:NAmqHvrh.net
上杉信者として言わせてもらうが、
あまり恥ずかしい会話をしないでくれ。
謙信はあの環境だから謙信だったんだし、
そもそも謙信なら大坂の陣みたいな状況を作らない。

23 :人間七七四年:2009/05/24(日) 10:37:17 ID:MCE+eBiQ.net
謙信だったらかなり早いうちから浪人を少しずつ掻き集めながら大阪の周辺を侵略しそうな雰囲気がある

24 :人間七七四年:2009/05/25(月) 10:33:44 ID:b9WVHqTC.net
>>22
上杉信者?謙信の経歴知らないの。六歳から13歳まで寺で僧侶の修行積んでいて、長尾家
の事情で引っ張り出されて武将にされて、13歳で初陣、このときに軍事的才能
発揮。どう考えてもこの才能は天賦のものであって環境が作り上げたものじゃない。
因みに、謙信は自分は僧侶だと思い込んでいた節があった。幼少時に形成された性格
は一生変わらない。生涯不犯も僧侶なら当然だし、
景勝に手習いの手ほどきしていたのも、多分寺での修行時代に、新規入門の
小僧に手習い稽古つけていたんで、何気なしにやったんだと思います。


25 :人間七七四年:2009/05/25(月) 21:17:25 ID:Zc3SoAZ0.net
秀頼が政宗公だったら間違いなく歴史は変わっただろうね。
畿内で一揆を起こさせて所司代等を困らせていただろう。

そして20万の幕府軍が迫るとびびって白装束に身を包み、家康に頭を下げに行っただろうね。

26 :人間七七四年:2009/05/25(月) 23:16:23 ID:k+fqLf/F.net
金豚に大阪城の主をやらせて幕府相手に瀬戸際外光をやってもらいたい

27 :人間七七四年:2009/05/26(火) 12:51:04 ID:9qK4WVGB.net
政宗ほどの雑魚ならではのなせる芸当だな。なんで家康に百万石にしてもらえなかったのかよくわかるわ。

28 :人間七七四年:2009/05/26(火) 13:05:45 ID:gZj2FWPr.net
秀頼が名将だったら普通に家康に忠誠を誓ったろう。
母親を殺してでも。

29 :人間七七四年:2009/05/26(火) 14:04:52 ID:RVhMzMsN.net
>>24
ちょっw誰だオメェw
妄想タイムスリッパー?

30 :人間七七四年:2009/05/26(火) 14:51:56 ID:t0x9FLY0.net
むしろ秀頼が秀吉の御曹司以外の環境であったとしても生き残ることが出来たのか?

31 :人間七七四年:2009/05/26(火) 15:17:16 ID:gZj2FWPr.net
秀頼が産まれたときには、もう戦国時代は終わっていたと言ってもいい。
大坂の陣だって関ヶ原から15年も経っていて世の中は平和そのもの。
若者の感覚も変わっていただろう。
ほんとうに秀頼が秀吉と織田信秀の孫との間に産まれたのなら、きっと聡明だったはず。
もっと早く生まれていたら家康と戦おうなどという発想はしなかった。
というか関ヶ原にも出陣してたわな。

32 :仙台藩百姓:2009/05/26(火) 15:48:22 ID:jOAY8HYS.net
血筋からして謙信みたいな小者ではなかったでしょおね( ^ω^)
普通に秀吉が若い時期に生まれていて、秀吉後見の下で家督を継承していれば
何の問題もなかったのに運のない事ですお( ^ω^)

33 :人間七七四年:2009/05/26(火) 18:14:41 ID:+vUeffCj.net
>>31
1600年に関ヶ原出陣可能な年齢だったら、関ヶ原は無くて、諸将に命じて江戸城
攻めやってたんじゃない。

34 :人間七七四年:2009/05/26(火) 18:17:12 ID:+vUeffCj.net
>>31
1600年に関ヶ原出陣可能な年齢だったら、関ヶ原は無くて、諸将に命じて江戸城
攻めやってたんじゃない。

35 :人間七七四年:2009/05/26(火) 18:25:56 ID:gZj2FWPr.net
1600年に秀頼が成人してたら家康も簡単には動けなかったよね

36 :人間七七四年:2009/05/26(火) 18:39:27 ID:+vUeffCj.net
>>35
秀頼が成人なら文治派(光成、行長)と武断派(清正、正則)の対立も裏では燻っても、表面化
せず、家康の出番はなかったろう。

37 :人間七七四年:2009/05/26(火) 19:28:56 ID:QdmBSr2p.net
上杉謙信なみの勇将だったら?・・・・・そら優勝するわな・・・・・・つまんないねゴメン

38 :人間七七四年:2009/05/26(火) 20:24:14 ID:9qK4WVGB.net
秀頼が成人してたら、家康は諦めていたな。

39 :人間七七四年:2009/05/26(火) 22:01:04 ID:t0x9FLY0.net
しかしでかい図体さらしながら京都に行った以外に大阪城から出たこともない
淀の言いなりの腰抜け引きこもりがすでに成人していたとしても到底家康に勝てるとは思えん。


40 :人間七七四年:2009/05/27(水) 00:43:29 ID:iC+wef0C.net
あちこち素早く動き回って敵を掻き回すのが親父の戦い方じゃん
なに北条みたいに城に籠ろうとしたんだろうね?
秀吉最盛期のスタッフが殆ど大阪に残らなかったのが痛いな

41 :人間七七四年:2009/05/27(水) 10:18:58 ID:xoRoHUxi.net
>>39
秀頼が成人で関が原に出張っていたら、福島、加藤は東軍から離脱するし、小早川
は裏切らないだろう。例え秀頼本人がボンクラでも家康に勝ち目はない。

42 :人間七七四年:2009/05/27(水) 15:38:39 ID:VIPVPiSC.net
いやだからすでに成人している大阪の陣でも母親のいいなりに城から出なかったんだから
関ヶ原の時にすでに成人していたとしても母親に引き留められてそのまま城から出ずに
西軍が負けるのを傍観するだけだったろう。

43 :人間七七四年:2009/05/27(水) 18:10:26 ID:SUGZ6G/A.net
淀も一緒に関ケ原に決まってるだろ。千姫も輝元もいっしょに。まー遠足みたいなもんだわな。江戸までゆっくりと。

44 :人間七七四年:2009/05/27(水) 20:23:24 ID:OlhJqmMG.net
そのifなら、そもそも家康が律儀者の仮面を捨てないだろうな

45 :人間七七四年:2009/05/28(木) 01:24:33 ID:Gyvmbc5X.net
秀頼が成人してたら、ってさっきからひっぱてるけど関白秀次様を忘れちゃいませんかってんだ。
若くして非凡な際を発揮していた為、畿内最有力の三好一族の長老、三好笑岩に養子に迎えられるも、
やはり其の才を惜しんだ秀吉が天下を治めるには秀次をおいて居ないと三顧の礼を尽くして、
関白・豊臣政権の統治者として豊臣家に舞い戻ったあの秀次様を。
小牧長久手の戦においては自分を囮にして徳川家先鋒を誘い込み、うまく堀隊を指揮して撃退。

関ヶ原の時には既に立派な青年となっていた筈の秀次がいれば豊臣家も磐石。
大坂に家康の軍勢がたとえ10万、20万で攻めてきたって大丈夫。

だって家老の山内一豊と田中吉政がやっぱり秀次を裏切って城門開けちゃうだろ。

46 :人間七七四年:2009/05/31(日) 10:43:02 ID:AsBUM4qp.net
>>42
関ヶ原の時に成人していたんなら秀吉の目が光っている中で教育を受けているだろうから
もっとましな成長の仕方をしていた筈なんじゃねーの

47 :人間七七四年:2009/05/31(日) 19:49:50 ID:2foXKl+M.net
秀頼が謙信並みの作戦能力有していたら、大和郡山城を占領し、大阪城と郡山城
の二拠点を補給ラインにして、東西を分断し、2〜3万の部隊で東より西上する徳川方の諸将を
各個撃破したと思う。西から来る徳川方の部隊は播磨辺りから動けなくなっていると思う。

48 :人間七七四年:2009/05/31(日) 23:27:11 ID:ebY/4uqP.net
秀頼が戦争好きの謙信並みの知能だったら
朝鮮飛び越えて一気に中国大陸に攻め込む
→反攻くって日本滅亡とかになってたわ


49 :人間七七四年:2009/06/01(月) 11:19:26 ID:F6Ct1ISr.net
>>48
明はかなりへたってたから、あっさり征服してたんじゃない。

50 :人間七七四年:2009/06/01(月) 15:29:39 ID:RuXIK+iv.net
>>45
少なくとも家康は天下奪取を諦めただろうね。

51 :人間七七四年:2009/06/01(月) 18:37:39 ID:DQfwUT5G.net
 謙信級の奴が相手だったら、普通に家康も対応を変えてた。
 なんか太平洋戦争物の架空戦記でいう
「真珠湾に大量の兵員輸送船引き連れていっても史実の同じく米軍に察知されない」
みたいなご都合主義と同類のものを感じる。
 IFを楽しみたいんじゃなくて秀頼勝たせたいだけだろ?みたいな

52 :人間七七四年:2009/06/01(月) 20:31:29 ID:F6Ct1ISr.net
>>51
謙信は13歳まで出家の予定で、そのための修行積んでいたんで、誰も謙信に
軍事的才能があるなどと想像もしてなかった。偶然武将として寺から引っ張り出されて
14歳で栃尾城城主となり、初陣で三条長尾の包囲勢を打ち破っている。
家康も秀頼が軍事的才能有していたとしても、気付くことは無かったと思います。

53 :人間七七四年:2009/06/02(火) 21:21:32 ID:ecCdzOV1.net
秀頼も軍事という物と接触しない限り、己の才能に気付くことは無かったと思う
かと言って、秀頼自らが軍事に関わるのはほぼ無かっただろうしなあ

54 :人間七七四年:2009/06/04(木) 10:05:30 ID:S5o0+aUn.net
秀頼が、はは〜、と家康に土下座して礼をするだけで、
大阪城は、安泰。60万石は維持できる?じゃん。

うるさい淀母は、江戸に追放。←人質に出すともいう。

大阪は、石高の生産力でなく、商業の街なんだから充分やっていけるさ。

55 :人間七七四年:2009/06/04(木) 11:08:06 ID:UMU9IyxI.net
>>54
戦国時代の権力闘争はそんなに甘くない。徳川家は豊臣家を根絶やしにする
しか方法無かったろう。足利家はほぼ無力化していたが、豊臣家は存続自体が
危険すぎる。建前上徳川家は豊臣家の家臣だから。又豊臣系の有力大名
残っていて秀頼は何時でも核になりうる。



56 :人間七七四年:2009/06/04(木) 11:45:26 ID:7+ejqMww.net
>>55
じゃあなんで大阪の陣まであんなに時間をかけたんだろうね?
もう加藤福島ですらへこたれていてパシリ扱い。
城普請の時愚痴でも言うしかなかったし徳川政府は盤石だったろう。
家康もいつ死んでもおかしくない年で潰そうと思えばいつでも出来た。
生かしておくつもりはあっただろう。
天下人にこだわりさえしなければ良かったのに。

57 :仙台藩百姓:2009/06/04(木) 12:16:01 ID:YI2pkw4a.net
豊臣が足利より危険だとか有り得ないおね( ^ω^)
足利氏は義昭が返上するまで将軍職を持っていたし
お手紙一枚で大名を動かすぐらいの権威は残っていたお( ^ω^)
一方秀頼は関白職を継いだわけでもないし
秀吉から直接禄を受けた世代ですら既に見てみぬふりをする有様
全くもって権威のカケラもないお( ^ω^)

58 :人間七七四年:2009/06/04(木) 12:22:36 ID:sOcmVvt0.net
最初から篭城をした時点で負けは必定
仮に上杉謙信のような軍事才能があり、野戦で家康と秀忠を討ち取っても
徳川幕府の世は覆らないだろう

既に天の時も地の利も人の和も無い豊臣家は
臣従にて命脈を保つ以外に道は無い

59 :人間七七四年:2009/06/04(木) 12:28:19 ID:pHA84a6N.net
たしかに将軍職についてから大坂の陣まで時間がすごいかかってるよね。
あれは不思議。将軍になった時点で豊臣なんて徳川の家臣じゃないの?
それに気付かなかった秀頼の周辺のひとは平和ボケしすぎ。
たぶん家康としては豊臣を潰すようなことは本当はしたくなかったんだろうと思う。

60 :人間七七四年:2009/06/04(木) 13:22:40 ID:cJ10ZUAH.net
謙信でなく氏康なら、大坂方が勝つ可能性があるのでは?もちろん、一時的なものだけど。
あの時期に今さら天下をひっくり返すのは無理だろうね。


61 :人間七七四年:2009/06/04(木) 19:29:39 ID:UMU9IyxI.net
>>58
1614年の時点で、徳川本家の領土700万石、徳川系大名の領土500万石
浪人衆や外様衆には涎の垂れる獲物に見えるんじゃない。豊臣家つぶしたって
なんのご褒美も無いですからねー。

62 :人間七七四年:2009/06/05(金) 05:58:13 ID:O+7w26kD.net
最初から豊臣を潰すつもりなら、孫娘をわざわざ嫁がせるようなことはしないわな
家康としては譲歩というか歩み寄ってるのに、豊臣はいっさい妥協しないかったのが悪い

63 :仙台藩百姓:2009/06/05(金) 10:30:29 ID:RphamdTC.net
豊臣は妥協する必要がないのだから当然だお( ^ω^)
家康には大義名分がないから結局どうする事もできなかったのだお( ^ω^)
だから、なりふりかまわず暴力に訴えたと言うだけの話し
この点、家康は他の天下人に比べかなり無能であったと言えるおね( ^ω^)

64 :人間七七四年:2009/06/05(金) 14:49:09 ID:3V2HzOKH.net
講談の淀殿みたいなこと言ってんなw

65 :人間七七四年:2009/06/06(土) 19:34:52 ID:7spycyMD.net
>>63
秀頼側が本当に向こうには大義名分が無いから
攻撃してこないと考えていたり
成人になったらうちらの天下とか考えていたとしたら
恐ろしい平和ぼけっぷりだな

66 :人間七七四年:2009/06/07(日) 10:46:03 ID:fMbK/4y9.net
>>65
加藤清正が健在だったら、どうなったか判らん。
家康も清正生存中は手を出せなかった。

67 :人間七七四年:2009/06/07(日) 10:57:38 ID:EW/kC/b7.net
浅野幸長、結城秀康、前田利長もなー
でもこいつらが生きてたらって良く聞くけど
結局福島正則の二の舞になっただけじゃないのかね

68 :人間七七四年:2009/06/08(月) 00:24:53 ID:69KbnAO1.net
謙信の崇拝する神様 毘沙門天
秀頼の崇拝する神様 豊国大明神

こりゃだめだね

69 :人間七七四年:2009/06/08(月) 08:09:52 ID:gIuXJU9U.net
>>63
小早川の不審死といい大義名分の全くない大阪城といい、
人間性は最悪だな。さっさと死んで優秀な2〜3代目がいたから江戸は存続した。
あと10年生きてたら内乱だらけになってただろう。
中華思想全体主義に近い統治の仕方。

70 :人間七七四年:2009/06/08(月) 17:19:50 ID:dkmTFVZg.net
>>全体主義

時代の数世紀先を行ってるな。さすが東照大権現

71 :人間七七四年:2009/06/08(月) 19:20:32 ID:55qCTLdi.net
むしろ秀吉より早く死ぬべきだった

72 :人間七七四年:2009/06/09(火) 21:10:04 ID:mB4i2aZh.net
秀吉の実子なくして秀吉が死んだ後どうなったんだろうね。
って、やはり徳川の天下で、大坂の陣がないだけか。

73 :人間七七四年:2009/06/09(火) 21:12:26 ID:kRsjxag0.net
>>72
秀次がいることを忘れてませんか?

74 :人間七七四年:2009/06/10(水) 21:23:56 ID:Ru7hIkfz.net
>>72秀秋とか

75 :人間七七四年:2009/06/11(木) 19:05:27 ID:aDWrnPsI.net
大阪人雑魚過ぎw

76 :人間七七四年:2009/06/11(木) 23:45:26 ID:LpZm+EUH.net
>>72
史実通り、秀次一族が粛清された後、秀吉が死んだ場合の話。
秀吉の血族で次世代が残ってないね。
秀秋は正室の甥なので義理でしかないし。
秀吉の傍系の血族はどうか。
まず、秀長の娘が秀保、毛利秀元に嫁いでる。しかし子を産んだ資料がない
次に、秀次の娘二人が生存している。
さらに、小吉秀勝とお江の間に生まれた完子がいる。
血統的に、次の当主は完子の男子になるか。
その間の空白は???


77 :人間七七四年:2009/06/12(金) 15:02:10 ID:UWTS7tBQ.net
幼君の時点でアウト
しかも実子の秀頼でアウトだったのに完子の子?

78 :人間七七四年:2009/06/14(日) 07:41:13 ID:xXr8saHJ.net
仮に秀頼があの時三十半ばの壮年だったとしても
なんかかえって晩年の耄碌した秀吉に取って変わらざるを得ない事になって骨肉の争いに陥りそう

79 :人間七七四年:2009/06/14(日) 16:01:02 ID:sqSfMg9l.net
>>76
秀吉も実子いないのに秀次頃さんだろう。
万が一秀次殺した場合
秀秋は義理とはいえ子供だったから
秀秋が継ぐんじゃないかな?

秀秋ならまあ一応大人だしそれなりに勇猛だったみたいだから
一代はもったかもね。
その場合徳川は自分で天下をとるより豊臣の枠の中で
勢力をもとうとするんじゃないかな?

80 :人間七七四年:2009/07/05(日) 13:15:00 ID:eyvLM1se.net
モンハン

81 :五百石:2009/07/30(木) 02:42:28 ID:yz5N6+qj.net
秀頼が落合ふくし君にしか思えない。

82 :人間七七四年:2009/07/30(木) 07:43:17 ID:6wjTmT98.net
>>81
ここまで秀頼を貶めたレスは初めて見た

83 :人間七七四年:2009/07/30(木) 16:59:46 ID:NYaSIuNh.net
現代人で秀頼と同じ体格の有名人というと、元大関の貴ノ浪らしい。

84 :人間七七四年:2009/07/31(金) 14:37:35 ID:piwP9l9T.net
>>79
秀吉の正妻の甥の家系が永遠に就くのではさすがに揉めるのでは?
秀吉自身の傍系の生き残りとしては
・秀次の末と末から二番目の娘の二人
・小吉秀勝とお江の娘の完子
・秀長の二人の娘
この娘の男子あたりがFAになるだろう。
それまでの中継ぎだね、秀秋は。

85 :人間七七四年:2009/08/01(土) 21:35:41 ID:B53OgkjV.net
秀吉は壮年に子供ができなかったのが痛かったな。

秀頼は本人出たいと思っても淀殿が出さなかっただろう・・・

86 :人間七七四年:2009/08/03(月) 00:14:47 ID:Kvq15O/0.net
>>82
ふくしクンを馬鹿にするな!
といいたいとこだが、ふいてしまいました

87 :人間七七四年:2009/08/08(土) 09:39:52 ID:qsHFd1pW.net
>>78
秀吉は秀頼を可愛がっていたから、自身は家康のように桃山に
隠居しちゃえばいいんでない?
死ぬ前に「秀頼のことを頼む」って家康らに言ってるわけだし。
最も、壮年に出来た子と晩年にやっと出来た幼子では可愛さが
違うか。

88 :人間七七四年:2009/08/08(土) 12:01:06 ID:/f5LmJxF.net
>>87
一人息子と骨肉の争いなんてやんないよ。息子にしかられて、ショボンってするのが
せいぜい。

89 :人間七七四年:2009/08/08(土) 12:04:33 ID:aTKASybj.net
皆さんにお聞きしたいのですが

ヒデヨリはそんなにダメな男だったのでしょうか

ヒデヨリの置かれた立場を考慮してお聞かせくだされ

90 :人間七七四年:2009/08/08(土) 12:09:01 ID:S64ivuT4.net
2メートルの巨漢の秀頼公は家康の尻に折檻を加えた。

91 :人間七七四年:2009/08/08(土) 14:07:22 ID:qsHFd1pW.net
>>88
なるへそ

92 :人間七七四年:2009/08/09(日) 07:59:15 ID:QkGf6xcG.net
>>89
お母さんに対して優しい男だった

93 :人間七七四年:2009/08/11(火) 22:56:09 ID:YMiYQYjk.net
>>89
秀頼は大坂の陣が初陣?

94 :人間七七四年:2009/08/12(水) 00:27:42 ID:6d7hXCAs.net
少なくとも関ヶ原に出てないのは確かだ。

95 :人間七七四年:2009/08/12(水) 14:21:15 ID:os4M4zxg.net
大阪の陣の時に17歳だっけ。よくある軍記物の類で
側近の制止を聞かず自ら敵中に飛び込んで敵将某を討ちとって
後で親に叱られたって感じの年齢だな。

96 :人間七七四年:2009/08/12(水) 14:25:18 ID:os4M4zxg.net
>>95
年齢間違えてた。もう20歳越えてたんだな。
結構いい年齢だ。

97 :人間七七四年:2009/08/15(土) 17:26:57 ID:1gp/szyV.net
もし秀頼が謙信みたいな勇将だったら、真田幸村ほかを引き連れて
家康の陣に果敢に突撃していた。

98 :人間七七四年:2009/08/16(日) 19:17:03 ID:IAQgQRBX.net
「余は毘沙門天の化身なり!」
と、徳川と川中島の再来のような戦いを繰り広げる。

99 :人間七七四年:2009/08/19(水) 15:26:52 ID:6z3FkvCx.net
>>89
叔父の秀長に似てたとしたら、家康とは経験値の差だったと思う

100 :人間七七四年:2009/08/20(木) 17:30:37 ID:9eGU0gxL.net
秀長に似てたら補佐役向きだ

101 :歴史好き:2009/08/20(木) 20:12:37 ID:Mjm67iiI.net
>>98
秀頼の家康本陣への奇襲、やってれば成否にかかわらず戦国ドラマのハイライト
になったのに、残念。

102 :人間七七四年:2009/08/21(金) 01:00:56 ID:zACapVTI.net
年内にも秀頼が単身、茶臼山に斬り込むIF小が出るんじゃないかな?
作者が佐藤大輔というのはヤメテ!!

103 :人間七七四年:2009/08/21(金) 01:08:41 ID:yLureNof.net
秀頼って誰の子なんだろうな

104 :人間七七四年:2009/08/21(金) 01:35:54 ID:OzmNtSrp.net
冬の陣に参戦した大名0の時点で可能性無し。親戚からも見離されてるしね。

105 :人間七七四年:2009/08/21(金) 03:04:04 ID:8wQj/JV8.net
三法師ちゃんが高野山で死なず、
大坂城に入ってたら面白かったのにww

秀頼はともかく、有楽や茶々はどう思うだろうw

106 :人間七七四年:2009/08/21(金) 15:08:06 ID:mAqLZq7l.net
それいいね

関ヶ原の後に大坂城入場

ヒデヨリの後見人として

107 :人間七七四年:2009/08/21(金) 21:47:55 ID:1crzTdbX.net
家康はどう思うだろう
やりにくいわぁ〜と思うだろうか

織田・徳川同盟って、信長が死んだ時点で終了してるのかな?

108 :人間七七四年:2009/08/21(金) 23:32:31 ID:EHlSzfDl.net
秀頼が上杉謙信のようにガチホモで女と一切子作りしなかったら
豊臣が絶滅するのは確実なんだし家康と戦う意味はないだろw

109 :人間七七四年:2009/08/22(土) 00:09:15 ID:35qzn6EJ.net
>>108
いや、謙信なみの「勇将」であって、子供はちゃんと国松とか姫とかおるがな。

110 :人間七七四年:2009/08/22(土) 09:49:40 ID:GiXq5iTx.net
>>107
それはないだろう。関ヶ原では首も取らんばかりの勢いで攻めたててるんだから
織田徳川同盟は長久手までだな
ちゃんと同盟にもとづいて信雄支援してるし
でも信雄秀吉に下って臣下なっちゃうし、自分も臣下だし、その時点で同盟は終了
だって家臣どうしで勝手に同盟結ぶのは謀反だろ?

111 :人間七七四年:2009/08/22(土) 12:49:21 ID:35qzn6EJ.net
>>110
成る程!サンクス。
信雄が秀吉に降らなきゃ面白かったろうに・・・

112 :歴史好き:2009/08/22(土) 13:19:11 ID:dkfC8EMa.net
>>111
降らなきゃ首取られるだけ。戦国だから容赦なし。

113 :人間七七四年:2009/08/22(土) 14:56:57 ID:ixTGM7ZK.net
そもそも秀頼って元から勇将なんじゃね?
確か京で対面した家康が秀頼の器量の大きさにびびって
秀忠では無理なので急遽大阪攻めを決めたとかなんとか。

114 :歴史好き:2009/08/22(土) 15:01:01 ID:dkfC8EMa.net
>>113
勇将と思ったかどうかは判らないが、秀忠では対処出来ないと踏んだのは
間違いない。

115 :人間七七四年:2009/08/22(土) 16:59:49 ID:35qzn6EJ.net
戦方面でってこと?それとも政略でも?

116 :人間七七四年:2009/08/22(土) 17:34:06 ID:8PR/DnRP.net
家康>>>>>秀頼>>秀忠

こんな感じ?

117 :人間七七四年:2009/08/22(土) 17:55:38 ID:Bfwk3/ld.net
秀吉、信長はたしかに家康は恐れていた

118 :人間七七四年:2009/08/22(土) 19:09:22 ID:35qzn6EJ.net
584 人間七七四年 sage 2009/08/22(土) 12:26:18 ID:aMgoPe/y
秀忠はほとんど戦績もないし、関が原でも遅参してるから無能というイメージついちゃって可哀相だな
実際は外様の知行削って幕府体制を揺ぎ無いものにしたり、武家諸法度、公家諸法度を公布して
それ以前の政権と一線を課す体制築いたんだから偉大な政治家だろ

119 :人間七七四年:2009/08/23(日) 12:15:43 ID:uOoIsDkd.net
秀忠が戦あんまり上手じゃなかったのは間違いない

120 :人間七七四年:2009/08/25(火) 16:32:03 ID:y7OSZT/7.net
秀頼は政治に関わっていたのか?
二十歳越えだよな?

121 :人間七七四年:2009/08/26(水) 17:27:23 ID:K0h+4KvG.net
しらん

122 :人間七七四年:2009/08/27(木) 12:24:55 ID:TQ1Ml6MI.net
↑にべもない答えだ

123 :人間七七四年:2009/08/29(土) 13:37:32 ID:p7AGTmFP.net
一応、豊臣秀頼の名の下、池の治水工事とかやってるけどな
当時の工事跡の展示物がある

124 :人間七七四年:2009/08/29(土) 15:23:45 ID:UMfo2kgq.net
武略や調略方面は学ばなかったのだろうか

125 :人間七七四年:2009/08/29(土) 23:04:02 ID:bL9p0bSZ.net
籠城は間違いではない
冬の陣は講和までは豊臣方が有利だったんだから

126 :人間七七四年:2009/08/30(日) 20:21:15 ID:86pd2RDd.net
加藤や福島は徳川に超略されてしまったな

127 :126:2009/08/30(日) 21:27:45 ID:86pd2RDd.net
>>126
○調略
×超略

128 :人間七七四年:2009/09/02(水) 11:08:21 ID:c2GVMG0c.net
母親が阿呆なのが一番悪い

129 :人間七七四年:2009/09/05(土) 23:01:08 ID:SzbxA7RZ.net
大坂の陣直前の問題の仲介を伊達に頼んだらしいな。
伊達じゃなくて上杉(直江)に頼めよ。
上杉なら儀とかで援軍は出せなくても仲介はしてくれたぞ。


130 :人間七七四年:2009/09/06(日) 08:35:09 ID:mZTr5V6Q.net
関ヶ原で睨まれちゃってるのにそんな疑われるようなことするわけないだろ

直江「速やかに淀の方様御自ら江戸に下り恭順の意をお示しになられることが肝要かと存じます。できますればこの大坂城の堀という堀全てあらかじめ埋め尽くし恭順の意を疑いようのないものにしておけばかの大御所様のお怒りも消え去るに違いありませぬ。」
淀「何と!……ふっ、上杉も地に落ちたものよのう。家康の犬に成り下がりおって!故謙信公もあの世で情けなく思っておられるぞ。上杉の義も地に落ちたと」
直江「ここで恭順の意を示さねば大戦となりましょう。故太閤殿下の築かれました天下は乱れ田畑は荒れ民百姓は路頭に迷うことになりましょう。なにとぞご決断を!」
淀「その言葉、そっくりそのまま家康にしてまいれ!兵を引くのは家康の方じゃ!」

平行線をたどる両者であった…

131 :人間七七四年:2009/09/06(日) 16:03:39 ID:8T0Ofy00.net
上杉の義(笑)なんてもんはとうの昔に無いわけだが。
謙信が死んで40年近く時間が進んでるんだよ。

132 :仙台藩百姓:2009/09/06(日) 17:44:10 ID:foccfdhJ.net
いや、初めからないし( ^ω^)

133 :莫邪 ◆Bakuya.ugA :2009/09/06(日) 21:06:10 ID:d7X8J6eO.net
謙信が義と思ったものが上杉の義

134 :人間七七四年:2009/09/06(日) 21:15:33 ID:sXgzLC7N.net
義と書いてプライドと読む

135 :人間七七四年:2009/09/08(火) 19:38:40 ID:0HespFT+.net
秀頼「俺を殺せる者はいるか!」

136 :人間七七四年:2009/09/08(火) 22:07:26 ID:U+qMLQ6i.net
スレタイが悪い

『 大阪冬の陣で秀頼が戦国随一の勇将だったら 』ならどうだ?

結局、徳川の天下に変わりは無いが

137 :歴史好き:2009/09/09(水) 17:26:44 ID:FEKkA3Gm.net
>>136
秀頼出陣、奮戦で戦国ドラマ盛り上がります。秀頼十勇士なんて伝説も
できるんじゃない。

138 :人間七七四年:2009/09/09(水) 20:38:16 ID:OKKt4Yq0.net
実際には母親に逆らえない引き籠もりニートな。
こんな屑は滅多にいない。

139 :人間七七四年:2009/09/12(土) 03:22:52 ID:bUDTzr34.net
こわいよママ〜(泣)って感じでおうちから出られなかったんでしょ。
早いうちに誰かが淀を暗殺すれば変わってたかもね。

140 :人間七七四年:2009/09/13(日) 22:54:16 ID:F6OuATZQ.net
淀殿の評判が悪いのは負けたせいだ
血筋もいいし気にする事はない

141 :人間七七四年:2009/09/13(日) 23:06:54 ID:R6S6Ubhf.net
血筋が良いから何なのか

142 :人間七七四年:2009/09/13(日) 23:19:36 ID:R6S6Ubhf.net
家康は淀には長生きしてほしかった。
兵法も知らん、実戦経験も無い、で、諸将の評定にまで口を出す。
笑いが止まらなかった狸爺。
家の滅亡まで出陣もしないとはもはや武士ではない。
自身が滅亡へ導いた糞であるばかりでなく秀頼まで糞にした。
淀は武家にあるまじき女、豊臣にとって疫病神。
秀吉に嫁いで来なければ良かった。
もしくは産んですぐ淀が死ねば変わっていた。良い方に。

143 :人間七七四年:2009/09/13(日) 23:26:16 ID:nWqKTLVR.net
はじめから豊臣を滅亡させることが狙いだったのかもしれない。
そういう小説もあるね。

144 :人間七七四年:2009/09/13(日) 23:39:02 ID:jetONVtO.net
秀吉>>>>>>>秀長>>>秀次>>>>>>>>>>淀>秀頼

145 :人間七七四年:2009/10/12(月) 14:44:32 ID:S/eF7Y1K.net
勝永=信繁>>>治房>>>>>>>>>>>>謙信

146 :人間七七四年:2009/11/06(金) 10:04:34 ID:/0DR2ctx.net
>>142
秀吉死後、幼児を担いで17年ももったのは無能とはいいがたいのでは?

147 :人間七七四年:2009/11/24(火) 18:59:29 ID:47OgZyWT.net
いえ、無能です

148 :人間七七四年:2009/12/18(金) 19:55:52 ID:+gWqEH9L.net
淀君の身長は168cmで今の帰順だと180↑らしい
秀頼も180↑で今の身長に直すと2m↑
いい鎧と馬をつければ堂々たる馬上姿になって士気も上がり
豊臣の最後を飾れたろうに
城の奥に引きこもってたから講談ですら活躍できない・・・
体格だけなら他の勇将・猛将よりずっと上なのにね

149 :人間七七四年:2009/12/19(土) 15:18:45 ID:vbeKQ+qp.net
>>146-147
秀頼が無能か有能かを論じるのは、まずは彼自身がやったことを見てからだ、

ふむ、秀頼自身がやった事は‥‥

!?。


150 :人間七七四年:2010/01/19(火) 23:53:40 ID:Sv45KPma.net
秀吉でさえ上杉にビビって逃走したのに小伜ごときでは比較にならん

151 :人間七七四年:2010/01/23(土) 16:20:25 ID:h8sQmRyN.net
もしも秀頼が生後すぐに淀の方から引き離され
彼の教育係として加藤清正の元に送られたら・・・?

152 :人間七七四年:2010/01/25(月) 17:42:36 ID:iqHaiEBx.net
>>151
若くして梅毒で死亡ですね。残念です。

153 :人間七七四年:2010/01/27(水) 15:39:25 ID:RILmpl1H.net
いやいや
彼の元で日々軍学や万人の上に立つ統率術を学んで
さらに武芸の鍛錬も怠り無く続ければ
あの体格ですから諸将の畏敬を受け入れる資格のある
立派な大将になっていたと思いませんか?

154 :人間七七四年:2010/01/27(水) 15:58:45 ID:Yu8q39ZA.net
徳川が絶対に勝てる体制を持って大阪城を包囲しても
謙信公なら全部戦術レベルでひっくり返しそうな感じが・・・w

真田丸に敵が必死に突進して疲弊した所に自ら突貫殲滅した後、徳川の陣に突っ込んで蹂躙位平気でやりそうだ・・・

155 :仙台藩百姓:2010/01/27(水) 23:10:18 ID:l8XXoqKK.net
謙信は保身に抜目ないから間違いなくバックレるお( ^ω^)

156 :人間七七四年:2010/01/27(水) 23:45:19 ID:hrXBEDus.net
>>155
保身に抜け目がない人間が互角の戦闘中に自ら太刀討ちするか馬鹿たれが

157 :人間七七四年:2010/01/28(木) 07:34:51 ID:lwnumM20.net
北政所「お虎、そんな子かまうんじゃありません!」

158 :仙台藩百姓:2010/01/28(木) 10:04:17 ID:ebAOMtWb.net
謙信の戦い方っていつも他人の後ろからバカヤローって言ってサッと背中に隠れるようなやり口じゃんお( ^ω^)

159 :人間七七四年:2010/01/28(木) 12:22:43 ID:EndcsIZE.net
>>153
加藤忠広・・・

160 :人間七七四年:2010/01/28(木) 20:29:06 ID:IlwbqaXX.net
>>158
なんのこっちゃ?

161 :人間七七四年:2010/01/30(土) 06:57:03 ID:+hZfivG5.net
豊臣家そのものが、秀吉が関白就任した頃と総入れ替えしたら面白そうだ

162 :人間七七四年:2010/01/30(土) 10:17:05 ID:M2aLw4uq.net
>>160
そいつは無視していいよ。
ただの荒らしだから。

163 :人間七七四年:2010/01/30(土) 12:59:02 ID:aHBuf3p6.net
清正が傅役だったらああはならなかっただろうな。

164 :人間七七四年:2010/01/30(土) 12:59:58 ID:mHKyc/Uk.net
じゃあ誰に任せれば良かった?
市松?

165 :人間七七四年:2010/01/30(土) 16:07:15 ID:VDykbQtI.net
立花じゃない?
栗踏みつけさせて淀に斬首されそうだが

166 :人間七七四年:2010/01/30(土) 18:21:34 ID:ztp87prd.net
淀に実際そこまでの権威があったかは怪しいし、そんなトンでもない暴君だったかも怪しい

167 :人間七七四年:2010/01/30(土) 18:42:04 ID:jMU3wDnr.net
謙信って野戦には定評あるけど防衛戦はどうなのだろう

168 :人間七七四年:2010/01/30(土) 18:44:34 ID:NnfeFg0f.net
淀がアホだから豊臣は潰れた
小大名として残る道もあったのにな
織田の三法師みたく、主家筋であっても潰されることなく
小大名として残る方法もあったべさ

169 :人間七七四年:2010/01/30(土) 20:27:00 ID:l9QCKp1X.net
>>167
野戦にしてしまえばいいじゃん。

170 :人間七七四年:2010/02/02(火) 00:46:33 ID:Daa3545o.net
>>168
つか織田が残れたのは秀吉が寛容だったから
家康は心が狭いからどっちみち豊臣を潰してたよ


171 :人間七七四年:2010/02/02(火) 14:37:26 ID:mrxBp34V.net
>>164
鬼軍曹後藤基次なら或るいは・・・!

真田親子に教育させるのもまた一興

172 :人間七七四年:2010/02/02(火) 16:27:31 ID:ykjhfVlf.net
>>170
織田家すでに脅威じゃないからだろ
豊臣みたいに当主死亡後にも力持ってたわけじゃないし

173 :人間七七四年:2010/02/02(火) 21:31:09 ID:Ij9s5Iz1.net
秀頼が謙信みたいなヤツだったら、
大坂冬の陣で京都へ特攻して壮絶な討ち死にを遂げ、
大坂城は戦わずして落城

174 :人間七七四年:2010/02/02(火) 22:20:13 ID:ykjhfVlf.net
性格が謙信で技量が秀頼ならそうなるが
技量が謙信並だったら家康がまた漏らすだけだな

175 :人間七七四年:2010/02/03(水) 17:44:09 ID:ksHowCJi.net
雄叫びを上げ自ら騎馬軍勢を率いて桃配山の家康本陣に突入する秀頼・・・!!

176 :人間七七四年:2010/02/03(水) 22:14:32 ID:TL4Dlt0z.net
騎兵で正面突撃=自殺

177 :人間七七四年:2010/02/04(木) 17:53:11 ID:/JeD8aGp.net
焼味噌をひり出しながら逃げ惑う家康

178 :人間七七四年:2010/02/05(金) 00:45:32 ID:QO2EivV7.net
>>176
正面突撃してる騎兵は多いだろ
騎兵が補助戦力と化したのはかなり後期だと思うが

179 :人間七七四年:2010/02/05(金) 04:48:15 ID:9dLRqaDC.net
>>176
パイクの登場で騎兵無双はとっくに終わってるはずだが

沢山の例があるようだから、以降の歴史で
>雄叫びを上げ自ら騎馬軍勢を率いて桃配山の家康本陣に突入
こんな感じの、先陣切って騎兵による正面突撃!が成功した例を挙げてくれ
士気の低い寄せ集め相手の無双はナシな

正面突撃→歩兵が崩れない→突入強行→屑殺
正面突撃→歩兵が崩れない→突入中止→Uターン
以外のビジョンが見えないんだが、君にはどんなビジョンが見えているんだ?

180 :人間七七四年:2010/02/05(金) 04:48:59 ID:9dLRqaDC.net
ミス
>>178

181 :人間七七四年:2010/02/05(金) 19:18:41 ID:Hku/RzRi.net
>>168
 今時、そんなことを信じているのが哀れ。
今と昔じゃ淀の扱いも全然違うからな。
中学校でも、何も出来なくて秀頼や大野に幽閉されていた悲劇の女性って習うのにwww
 まぁ、これは言い過ぎの感があるが、実際淀は何にもしてないからな。
ヒステリックどころか落ち着いた美女だったらしいし、自分が人質に行くとも行っていたらしい。
何も悪い事はしていない人をアホと決め付けるのはかわいそう、だと思う。

それとも、小説の読みすぎか??

182 :人間七七四年:2010/02/06(土) 01:05:54 ID:H/+HrhH5.net
大阪冬の陣で秀頼が真田昌幸なみの謀将だったら・・・!?

183 :人間七七四年:2010/02/06(土) 02:49:29 ID:wqfCf64D.net
秀頼の側に
如水や昌幸みたいな知将がいれば滅亡はなかった
幸村みたいな40半で初陣の武将じゃ役不足

184 :人間七七四年:2010/02/06(土) 22:40:20 ID:1LtdMnXA.net
とっくに数十年前に初陣やってるだろ


185 :人間七七四年:2010/02/09(火) 00:35:50 ID:aMlG3kfP.net
>>179
無双できない≠自殺じゃあない
陣形戦が固まるまではまだまだ脳筋チャージでも一応活路はあった。
そもそも日本の騎兵の場合、パイク相手なら突っ込む前に下馬するしな。
騎射もできるし。


なんか歴史ゲーとかで凄い使い勝手良さそうだな日本騎兵ユニット…
軽騎兵よりは正面戦闘能力があって、下馬して戦えて、弓まで撃てる…山岳地帯でも移動可能
搦手に凄い欲しいなww

186 :人間七七四年:2010/02/10(水) 05:45:26 ID:lVlqE87J.net
秀頼「お外は怖いよぅ・・・。」

187 :人間七七四年:2010/02/10(水) 20:37:45 ID:GQl5R0q5.net
まあ、秀頼が謙信公なみの大物だったら
そもそも大阪の陣みたいになる前に
いろいろ手を打ってただろうがね。

188 :仙台藩百姓:2010/02/11(木) 23:13:49 ID:nzKdAUUz.net
そうだおね( ^ω^)
出家するとか言ってトンズラしたり( ^ω^)

189 :人間七七四年:2010/02/12(金) 17:08:02 ID:auZWS7Aq.net
少なくとも秀頼が積極的に動けば
徳川の隙を伺う東北諸大名&南から続々と救援に駆けつける馬鹿殿&四国蝙蝠&島津くらいには持ち込めそうだな。

190 :人間七七四年:2010/02/14(日) 14:46:41 ID:vXiJ3m/v.net
積極的な攻勢にでずとも
数年間篭城していれば家康の寿命が尽きてなんとかなったかもしれない
秀忠は戦べただし

191 :人間七七四年:2010/02/14(日) 21:05:38 ID:buUB1hJH.net
流石にそれは無理でしょw
外交やらなんやらで救援の当てがあるからこそ篭城の意味がある。
包囲してる間に徳川が体制固めちゃったら、別に徳川が戦わなくても配下の武将だけで十分過ぎる

192 :人間七七四年:2010/02/28(日) 20:08:22 ID:yW7VejLe.net
大阪落城の翌年に家康が死んだんでしょ?
財力は凄まじくあったらしいし、あのまま粘っていれば豊臣恩顧&家康嫌いの諸将が寝返って勝てた可能性も充分あると思うけどな。

南蛮人も鎖国政策を採る徳川より、輸出入に積極的な豊臣の方が好印象持ってたろうから、上手く立ち回れば南蛮からかなり良い武器買えたと思うんだよなー。

193 :人間七七四年:2010/02/28(日) 21:24:53 ID:5P0R4sbq.net
>>192
鎖国を始めたのは家光時代。家康は通商に積極的。
しかも紅毛人勢力と太いパイプあり。
斜陽の南蛮人と結んでも大した利益があるとは思えないな。

194 :人間七七四年:2010/03/14(日) 13:10:52 ID:v+BWVKVp.net
>>192
その発想は危険だな
そんな考えだと付け込まれる

正直、野蛮なだけのスペイン人なんぞよりイギリス人のが怖い。
地理的に怖くないポルトガル人はともかく

195 :歴史好き:2010/03/16(火) 15:25:32 ID:89QnaoSC.net
>>291
大阪城が数年築城続ければ、領国離れて包囲戦強要される諸大名は負担重すぎて
耐えられず、かなりの数が兵引いちゃいそうに思える、徳川本隊と譜代衆の兵だけだと
包囲続けられないし、撤退時に城兵に逆襲されて大負けするんじゃない。


196 :月孔雀:2010/03/16(火) 15:45:47 ID:W7YbZntW.net
あのさ、謙信は死んで、前田利政として生まれ変わったわけでね。
利政は、猿飛び佐助になって奮戦するんよ。
それだけだ。

197 :人間七七四年:2010/03/16(火) 15:59:07 ID:HhDLxr8C.net
>>196
面白いっすね。

198 :人間七七四年:2010/03/17(水) 19:40:22 ID:P99vmRoM.net
決戦前に便所で死体となって発見される

199 :歴史好き:2010/03/23(火) 17:26:04 ID:JLrb7n0a.net
>>198
決戦前に厠で死体となって発見される。が正しい表記でありませう。

200 :人間七七四年:2010/03/25(木) 00:00:19 ID:QYsIJzhy.net
結局、実戦経験があった武将が真田くらいしかいなかったんじゃどう足掻いても勝てなかったよな
未経験の秀頼が大将じゃ100回やっても100回負ける


201 :人間七七四年:2010/03/25(木) 00:52:49 ID:YPc5fQs4.net
明石とか長宗我部とか毛利とか後藤とか

202 :人間七七四年:2010/03/25(木) 21:41:26 ID:fYL/95F7.net
真田より又兵衛の方が上でしょ

203 :人間七七四年:2010/03/25(木) 22:12:36 ID:T5sj7aKk.net
西軍側に付いた武将達を呼び寄せて秀頼に英才教育を施していれば…。

204 :人間七七四年:2010/03/26(金) 00:49:15 ID:NNyHaHYG.net
秀長さん・・・

205 :人間七七四年:2010/03/26(金) 06:40:47 ID:YYA5y4q3.net
なぜ秀吉じゃなく謙信なみと言うのか

206 :仙台藩百姓:2010/03/26(金) 09:27:09 ID:mkP9Is0N.net
統率が100あるからじゃないお?( ^ω^)プッ

207 :人間七七四年:2010/03/26(金) 13:25:55 ID:y8PSdWHr.net
>>205
一応遠慮したんでしょ

208 :歴史好き:2010/03/26(金) 18:26:48 ID:WRFhoiKz.net
>>205
秀頼と秀吉が同一能力ならそもそも戦争にはならんでしょう。西国の諸将や、
旧家臣団を再組織する作業に専念し、淀殿の介入も許さなかったでしょう。
一番やりそうなのは、家康に徹底的にすりよって、攻撃の隙を与えず、
家康の寿命が尽きるのを待ったと思います。

209 :人間七七四年:2010/03/26(金) 19:38:15 ID:/gvxCdRf.net
おしいな、上杉謙信じゃなくて武田信玄並みの武将だったら家康もウンコちびって逃げたのに。

210 :人間七七四年:2010/03/26(金) 22:31:27 ID:XtpMnEkg.net
関ヶ原の西軍(豊臣ではないが)にしろ、大坂の役の豊臣軍にしろ、良い武将が揃っていたのにね

211 :人間七七四年:2010/03/26(金) 22:42:57 ID:wbKVH0Ie.net
 淀姫ではなく雪斎様みたいな爺やがいたら変わったかもね。
 あるいは、秀長が生きていればか…。

212 :人間七七四年:2010/03/26(金) 23:47:04 ID:y8PSdWHr.net
淀姫はいてもいなくても
余り状況が変わっていない気もするけどな。
(徳川秀忠の義姉という立場がなく、ただの秀吉の子を産んだ浅井の娘というだけであったのなら)

213 :人間七七四年:2010/03/27(土) 07:14:42 ID:mzU8WTMO.net
秀頼が千姫との間に子供を作っていたら少しは変わってたかね。

214 :人間七七四年:2010/03/27(土) 07:46:34 ID:6mvihqkj.net
大阪の段階まで来るともうまとめて家康と秀忠斬らないと延命は難しい
徳川に刃向かう気骨や戦力のある大名がごろごろいるわけがないし

215 :人間七七四年:2010/03/28(日) 02:47:22 ID:GzJsV5Cb.net
信玄じゃ万全の体制の徳川に絶対勝てなくね?
謙信なら突っ込んで無双してなんとかしそうだが

216 :人間七七四年:2010/03/28(日) 09:15:31 ID:1576Lrer.net
>>215
信玄は大抵戦う前に有利な状況つくるからな
絶対不利な状況を逆転する様な博打はしてない

217 :人間七七四年:2010/03/28(日) 16:48:43 ID:r3jLaaC0.net
でも信玄は唐突に自殺行為みたいな行動に打って出るからな。
駿河侵攻は事後に佐竹や里見と手を組んでなんとか凌いだものの
北条と上杉が足並み揃ってても危なかったし、関東諸将が反北条体制を貫いてくれたのも幸運だった。
西上作戦などもう不治の病が進行して老い先短いのが明白なのに突然実行に移して結局途中でくたばるしな。

家康に対して徹底的に土下座外交して油断させたところを突然反旗を覆して突撃をかましそうだ。
その後大反撃を食らって滅亡しそう。

218 :歴史好き:2010/03/28(日) 20:50:34 ID:qxvwbvXm.net
>>217
信玄の率いていた兵は農兵で、配下の武将の統括する兵だが、大阪城の
兵は完全な傭兵で、城主の私兵だから、百戦錬磨の信玄なら相当な
戦すると思う。

219 :人間七七四年:2010/03/29(月) 12:18:28 ID:+9GEhRqY.net
信玄は攻略戦や調略に定評はあっても、防衛戦向きではないだろ
この状況なら氏康の方が適任だろう
徳川主従は信玄のやりくちを熟知してるのもあるし

220 :人間七七四年:2010/03/29(月) 14:33:15 ID:h3NJw1QP.net
信長だったら夏の陣で本陣突撃成功してたかもね。

221 :人間七七四年:2010/04/01(木) 23:30:25 ID:KKgVm+nX.net
雷管式鉄砲を独自に輸入、製造してたら勝ってたかな。

222 :人間七七四年:2010/04/02(金) 03:53:21 ID:6Cgzz9Z3.net
>>217
不倶戴天の敵である上杉と手を組もうとした北条の自爆の間違いだろw
自分じゃ野戦もできねーから謙信に必死に頼み込んでたみたいだが
自分じゃなにもできねーヒキコモリ

223 :人間七七四年:2010/04/02(金) 10:55:34 ID:jY76NR5k.net
>>222
あれは信玄も氏康も両方愚策だろ?
揃って周りを敵だらけにしてどうすんだって話。
仲良く敵の敵と同盟してるからある意味いいライバルなんだろうな。
野戦なら氏康自身は強いぞ。
駿河で信玄も輸送を困難にされて退却してるし。

224 :人間七七四年:2010/04/02(金) 11:00:57 ID:B/bPQmKT.net
口だけじゃな 実際小田原囲まれなにもできてねーじゃんw

225 :人間七七四年:2010/04/02(金) 12:15:38 ID:je1O8OKV.net
どっちも里見がいい仕事してまともに兵を回せる状況じゃないだけじゃん。
特に謙信の方はあれだけの兵を率いてきたら誰が野戦で戦えるんだ?


226 :人間七七四年:2010/04/02(金) 12:24:19 ID:ck9I2ruo.net
なに泣き言いってんの?w 大阪に北条が篭城してって
なんのギャグだよって秀吉も苦笑するぞ?w

227 :仙台藩百姓:2010/04/02(金) 13:52:53 ID:PaMbsgcM.net
引きこもってるだけなら誰でもいいおね( ^ω^)

228 :人間七七四年:2010/04/09(金) 14:58:11 ID:ABPf5vhS.net
秀頼が生まれた時点で、育てるのをおねに任せて。
教育がかりに、武で加藤、文で石田三成をつければ文武に秀でた武将に
なりえたかな?立花とか直江だと外様扱いだから、そこは豊臣の臣がいいだろう
育てるのをおねにして教育係を浅野幸長がやるってんでもよかったが。


229 :人間七七四年:2010/04/09(金) 19:50:49 ID:un2P698I.net
いっそ秀次の方がよかった

230 :人間七七四年:2010/04/10(土) 02:18:11 ID:25OpDaob.net
秀次を殺さないでおいたら家康が力を付ける事も無く秀頼が将軍になれてたかもね。
まあその時はその時で、秀次対秀頼で戦争になってたかもしれないけど。

231 :人間七七四年:2010/04/10(土) 02:29:32 ID:g6clhVmV.net
まあいったらキリはないが、秀長に実子がいなかったのも痛いな。

232 :す@死:2010/04/10(土) 04:11:35 ID:t7OUv74k.net
毛利勝永、真田雪村にけちょんけちょんに切り込まれるくらいだもん
ここに福島や、上杉、などの歴戦の部隊が加われば
大阪方に勝ち目はあったと思う
それくらい平和ボケして弱かった徳川軍

233 :人間七七四年:2010/04/10(土) 15:46:08 ID:BAWCVsn7.net
大坂方には戦国最強レベルの武将が集まってた上、決死の覚悟で士気も高かったからある程度はしょうがない。

234 :人間七七四年:2010/04/10(土) 16:14:49 ID:8mRrF14W.net
それでも殆ど不戦の外様大藩に出てこられたらひとたまりもなかったろうね
大坂の勝機は外様の大半を抱き込むしかなかったろうね

235 :人間七七四年:2010/04/10(土) 20:58:51 ID:Id4vJmSB.net
>>232
福島、上杉が大坂方に付く根拠は?
普通にありえないと思うけど。

236 :人間七七四年:2010/04/10(土) 21:23:25 ID:POSzJ8cj.net
福島は豊臣家臣
徳川における本多に値する

237 :人間七七四年:2010/04/10(土) 23:04:29 ID:92hqy+lW.net
正則は秀吉子飼いの武将だし 
それなりに恩義を感じてるんじゃないか

238 :人間七七四年:2010/04/11(日) 19:38:44 ID:T+bVTZPH.net
じゃあ家康に貰った安芸、備後の所領を捨ててまで豊臣に味方するの?

239 :人間七七四年:2010/04/12(月) 00:50:33 ID:bogqyjvQ.net
豊臣恩顧の大名が大勢生きてたら味方してたかもね。

240 :人間七七四年:2010/04/12(月) 01:34:30 ID:CLk5gqFQ.net
ないない

241 :人間七七四年:2010/04/12(月) 07:42:07 ID:KeyexDet.net
西軍の真田信繁や後藤基次は戦に関してはトップレベルだけど、他の部隊が
弱すぎたな。
東軍には上杉景勝や立花宗茂がいるし、無理だろこれ。
最悪、城の守りに3割置いて、残り全部隊で家康本陣に突撃するくらいしか
勝機はない気がする。



242 :人間七七四年:2010/04/12(月) 07:52:30 ID:wgmpRkQI.net
どっちにしても豊臣が生き残る道は大阪を明け渡して
小大名として(1〜2万石)でやっていくしか無かったんじゃない?
高家待遇で飼い殺しの道しかなかったと思う

243 :人間七七四年:2010/04/12(月) 17:26:43 ID:11INxuvu.net
>>239

仮に豊臣恩顧の大名がほとんど生きていたとしても、政権を奪取され、朝鮮征伐など大名に負担を翔けまくった豊臣に味方する奴など皆無だろ。


244 :人間七七四年:2010/04/12(月) 17:27:34 ID:11INxuvu.net
sage忘れた。
スマソ。

245 :仙台藩百姓:2010/04/13(火) 00:25:19 ID:I7Bwxa2i.net
関ヶ原当時ならまだ豊臣氏に権威があったが大坂の陣では既に手遅れだお( ^ω^)

246 :人間七七四年:2010/04/13(火) 00:54:18 ID:eAm/mzTP.net
真田家が近畿の大名で3百万石ぐらいの大大名なら夏の陣で勝ったんじゃね?

大名は長生き中&ボケてない昌幸で

247 :人間七七四年:2010/04/13(火) 00:58:04 ID:uT5YOaf0.net
>>241
後藤はまだしも真田がトップクラスって意味不明。
過去の戦歴も実績は大谷や明石の方が遥かに上。
真田は大野レベル。同じ一発屋でも毛利のが鮮やか。

248 :人間七七四年:2010/04/13(火) 00:58:39 ID:2wYbHv7B.net
近畿で300万石は、天才だな

249 :人間七七四年:2010/04/13(火) 01:02:56 ID:opeMZbiD.net
病欠してた兄ちゃんが出てきたら300万石あっても負ける気がする

250 :人間七七四年:2010/04/13(火) 02:03:37 ID:rcLCgWDf.net
真田幸村は大坂冬の陣と夏の陣の二回しか戦をしてないから、能力はそれで判断するしか無い。
過去の戦績がどうとか言い出す方がおかしい。

後、家康は豊臣恩顧の大名が粗方死ぬまで待ってたんだから、恐れてたのは間違い無い。

251 :人間七七四年:2010/04/13(火) 02:30:39 ID:uT5YOaf0.net
恩顧大名が死ぬのを待ったって言われてもね。
そもそも大阪から恩顧大名に呼びかけどうすんのって話し。

清正は到底肥後からは上洛出来ないし、正則は腰砕け、
大阪に参陣出来そうなのは紀州浅野くらい。

後はよくて伊達がとちくるって反乱起こすの祈るくらいしか術がない。

加藤家が中国か近畿に56万石あればまだまだ勝機もあるやもしれんが…。

関ヶ原以降は親豊臣派がどんなに力結束しても、もう無理。


252 :人間七七四年:2010/04/13(火) 05:22:18 ID:rcLCgWDf.net
別に肥後からなら多少戦には遅れるかもしらんが駆けつけられるし、
福島も大坂方に勝ち目が無かったから付かなかっただけで、あると見れば付いてたかもしらん。

253 :仙台藩百姓:2010/04/13(火) 07:35:31 ID:I7Bwxa2i.net
別に大坂に来る必要ないじゃんお( ^ω^)
各地で蜂起すれば戦力削れるわけだし

254 :人間七七四年:2010/04/13(火) 12:06:20 ID:lzOwuFsJ.net
大阪方が困ってるのは
「各地で暴れてもらっても困る」
(『新徳川方の軍』が少なくなっても『徳川将軍家自体の兵数』が少なくなるわけではないから)

「大坂に来て戦い徳川軍と戦い、家康の首を取り(秀忠はついで)徳川を倒してほしい」
(とりあえず大坂方から見れば『家康さえヌッコできれば、後は豊臣の勝ち!』と思ってるらしいが)

というのが絶対的使命だからかね。

地方で親豊臣系の大大名が蜂起をしても、
関が原の真田みたいに親徳川方の数人が邪魔して足止めを食らわせ、
その間に本体の豊臣が滅ぼされたら意味ないし。

大坂方としての理想は
「大坂城で、総大将が秀頼で」「家康を『秀頼が』倒し」「その後徳川将軍家を『秀頼が』倒す」


255 :人間七七四年:2010/04/13(火) 16:31:01 ID:iQUfTdRg.net
誰も大坂方に付かなかったのは大坂方に勝ち目が無いと見ていたからで、豊臣恩顧の大名が数多く味方に付いていれば、大坂方に付く大名が続々現れた可能性もある。

256 :人間七七四年:2010/04/13(火) 19:55:20 ID:lzOwuFsJ.net
>>255
そりゃ勝ち目無いだろ。
大阪冬の陣の状態なら大坂方としては
「篭城戦で徳川を撃退してこっちのいい条件で和睦」もしくは「徳川の主力部隊の殲滅にての勝利」
位しかないんだから。

牢人が多数いても総大将が戦歴不明な秀頼と、老練の域に達しつつある家康では、
1stチョイスが家康に大きく傾くのは当然。

冬の陣時点で徳川軍を大きく削ぐ事ができ、大阪に有利な条件で和睦+大坂城がそのまま存続なら、
夏の陣の時にはそれこそどうなるかわからん状態にもなるだろうけど。

257 :人間七七四年:2010/04/14(水) 00:30:59 ID:geWE+0S4.net
なるほど

258 :人間七七四年:2010/04/14(水) 01:15:21 ID:AIFcCtCt.net
本来なら成人して政務する時点で勝負かけなきゃ無理なんだけどね。

「俺に残してくれた太閤の蔵入地を関が原で戦功あったからといってお前が勝手に分配するんじゃねえよ。
こっちが改めて分配するからお前の責任で俺に返させろ。
お前らの家臣の分についてはお前らの領地から出せよな」

まずこれ位はして最低限自分の領土の維持はしなけりゃならん。
河内摂津65万石じゃあどうあがいても勝てん。
せめて100〜150あれば互角とはいえなくてもちゃんと戦える下地が作れる。

259 :人間七七四年:2010/04/14(水) 03:09:44 ID:jehWnE3d.net
幸村さんが頑張って家康を打ち取り、まかり間違って秀忠も打ち取ったりしたら勝てたの?

それとも2人をうしなっても、当時の徳川家は盤石?

教えてけれ

260 :人間七七四年:2010/04/14(水) 06:17:02 ID:G8C5D0QR.net
>>258
返させろって言った時点で合戦になるな。
幕末の弱体化した幕府ならともかく、家康にそんなこと言って
はいわかりましたって返すわけないだろ。
初代将軍家康、二代秀忠の名で諸大名に本領安堵をしてるから、
「豊臣家が再分配します」つっても「はぁ?」って言われるだけ。

261 :人間七七四年:2010/04/14(水) 08:20:10 ID:wff9SUa8.net
朝鮮出兵さえ無ければ…。

262 :人間七七四年:2010/04/14(水) 21:56:02 ID:uJDYXjJJ.net
>>261
同意。
朝鮮侵略は世界史上稀に見る愚挙。
政略眼皆無の秀吉が、儒に徳化された朝鮮義民に敵う道理が無い。

263 :人間七七四年:2010/04/15(木) 06:06:27 ID:aNw5uOQY.net
戦国時代のバトルレベルの低さを露呈したのが朝鮮侵略だったからな
大陸の強者には通じなかった

264 :人間七七四年:2010/04/15(木) 20:16:52 ID:YlXQuSPW.net
なんだかんだ言っても国家としての総合力において朝鮮は倭に勝る
その結果を冷静に受け入れている倭漢が鳩山
在日同胞に対する数々の政策は、鳩山と小沢の政略眼が並々ならぬことを如実に指し示している
民主党、なかなかやるではないか

265 :人間七七四年:2010/04/16(金) 01:05:20 ID:TSMvfbNM.net
よくよく考えたら>>1が全部始めから終わりまで書いてるジャン。

「勇将だったら結果徳川をフルボッコにして勝利→糸冬了」

終わりじゃね?

266 :人間七七四年:2010/04/25(日) 22:53:41 ID:TUn/j1eF.net
何よりも先に秀頼の場合
家康より先に母ちゃんに勝たなくてはいけない
このラスボス並みの母ちゃんに勝たないと
次のステージには進めない・・・よってゲームオーバー

267 :人間七七四年:2010/04/28(水) 17:14:28 ID:m7Uyr9S4.net
淀を人質としてさしだしゃよかったのにね。

268 :人間七七四年:2010/04/28(水) 23:53:55 ID:XsRuGQVU.net
>>267
仕方ないじゃん。
大野や何より秀頼自身が反対したんだし。

269 :人間七七四年:2010/05/01(土) 20:39:55 ID:kyS55s9G.net
家康が突きつけた条件呑んでたら存続出来たかな?
その場合も何やかんや言いがかり付けて潰しそうだが。

270 :人間七七四年:2010/05/02(日) 00:12:11 ID:KBEha9CN.net
信雄並の高家大名で残す形だろうし大丈夫だと思う

271 :歴史好き:2010/05/08(土) 11:54:51 ID:IX464hV+.net
http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20100510/001/31-2225.html
NHKで大阪城の縄張り放送するようです。

272 :人間七七四年:2010/05/08(土) 13:37:56 ID:7w51tjK/.net
淀殿ってオナニーしてたのかな?

273 :人間七七四年:2010/05/08(土) 14:23:48 ID:5IdrXaLt.net
しないわけないでしょ

274 :人間七七四年:2010/05/08(土) 16:31:50 ID:Ic6aBggr.net
>>272
秀吉死後ってことか?
本当に大野と関わりがあったのなら、どうかわからないが
無いのなら、やってたかもな。

275 :人間七七四年:2010/05/08(土) 17:33:04 ID:fBbwTYIB.net
城を守るのだったら謙信より真田父が適任だったと思うよ。
本丸を父、真田丸を子が守れば上田、沼田の苦い思い出を引きずって
徳川兵も怖気づく。

276 :歴史好き:2010/05/12(水) 17:24:30 ID:do6xWHyg.net
http://www.nhk.or.jp/etv22/material/images/mon/top/program5_ttl.jpg
http://www.nhk.or.jp/etv22/mon/summary.html#vol2
NHKの「極める!杏の戦国武将学」って番組で大阪城攻略法を検討していました。
攻略の条件として
1)兵糧、弾薬不足。
2)兵力不足。
3)豊臣方の精神力の低下。
を挙げていました、兵糧、弾薬、兵力は充分だったが、3)が原因で落城したそうです。
豊臣方の主将に戦略眼があれば城は落とせず、家康は何らかの譲歩強いられたようです。
大和、紀伊くらいは豊臣領になってたんじゃないでしょうか。
主将は謙信でも、真田信繁でも一流の戦国武将なら家康の敗北になったようです。

277 :人間七七四年:2010/05/12(水) 19:32:42 ID:PWUML04t.net
>>1
そもそも家康につけ込まれることが無かっただろう
つまり大坂の役自体無かったということ。

278 :人間七七四年:2010/05/12(水) 20:54:03 ID:k2E+Boed.net
淀殿レベルの未亡人なら、豊臣家にいる侍にいるイケメンとやりまくってるだろう

279 :人間七七四年:2010/05/12(水) 21:17:08 ID:Vuw141Al.net
説によっては、
秀吉が死んだとき、まだ30前だしなぁ…
美人だったらしいし、血筋も悪くないから
誰かとやっていても可笑しくないよな

280 :人間七七四年:2010/06/09(水) 03:58:34 ID:nD3NBxWT.net
勇将秀頼くんのAAくらさい

281 :人間七七四年:2010/06/10(木) 09:54:37 ID:hbHrExnK.net
淀殿って押しに弱いタイプだと思う

282 :人間七七四年:2010/06/18(金) 13:31:55 ID:BLfYhwGL.net
>>281
なんで?
まあ、押しに弱いかはしらないけど、
無茶苦茶押す人なのは確か。

283 :人間七七四年:2010/06/26(土) 19:54:12 ID:k/mjshvD.net
ひとつ聴きたいのはよく結城秀康や池田輝政は豊臣恩顧と言われてるが結城秀康は
分かるような気がするが果たして池田輝政はどうだったんだろう

284 :人間七七四年:2010/07/29(木) 09:46:42 ID:fBYoEUMJ.net
豊臣うんこ。
輝政とか残りカスだし。

285 :戦国オタク:2010/09/14(火) 18:06:33 ID:mjNem3TP.net
夏の陣の戦歴調べて解ったんだが、家康、秀忠の徳川本隊メチャクチャ弱い。
両本陣に真田、毛利に兵一万程度つけて襲撃させれば家康、秀忠の首取れたろうね。
さらに松平忠直の越前勢もめちゃー弱くて一万五千の兵力有しながら、三千五百程度の
真田勢に中央突破されてる、真田勢は家康本陣が目標なんで越前勢を無視して
突っ切ってったが本来ならほぼ全滅に追い込まれてたはず。徳川諸隊が惰弱なので、
徳川幕府はボロが出ないように鎖国したり、日本の進歩を妨害したんだろうな。

286 :人間七七四年:2010/09/14(火) 18:12:07 ID:05cbF9Ir.net
まあ、結果論だわな。
>両本陣に真田、毛利に兵一万程度つけて襲撃させれば家康、秀忠の首取れたろうね。

287 :人間七七四年:2010/09/14(火) 22:55:59 ID:5/In0qJt.net
>>285
仮に開国してたとして南蛮人があちこちに潜伏した後に攻め込まれたら手も足も出ないな
しかも海外と関わる事は少なからず軍事を固めて海外の事情に左右されなきゃいかんし
民百姓を考えるなら鎖国が一番だわな

288 :人間七七四年:2010/09/18(土) 19:05:17 ID:bWfGiM+x.net
つか秀頼って優秀な人だったんでしょ?
経験がなかっただけで

289 :人間七七四年:2010/10/02(土) 00:40:12 ID:u6wT4r6u.net
むしろ秀頼じゃなく娘が生まれてたらどうなってたと思う?
誰に嫁いだだろう…そいつが次の天下人になるわけなんだよな。

290 :人間七七四年:2010/10/02(土) 02:18:53 ID:MvZAiQ7L.net
秀次の息子

291 :人間七七四年:2011/05/19(木) 19:49:34.71 ID:BcqnL+aY.net
定勝公

292 :人間七七四年:2011/05/27(金) 16:55:01.57 ID:boAE/SoM.net
淀がさっさと退場してたらどうだったかな


293 :人間七七四年:2011/09/17(土) 19:34:01.39 ID:y8tleuT6.net
大阪の陣の前に、淀殿が秀頼公の命乞いに自決してたら、豊臣はもう少し続いたと思う。
最初に石田三成が、遊び半分としか言えない覚悟で突っかけて関ヶ原が始まり、豊臣の権勢を削り
そして、淀殿を含む秀頼側近が大阪の陣を起こした。
馬鹿の相手するくらいなら
いっそ、秀吉死後、とっとと出家して家光の時代の由井小雪の頃まで雌伏してた方が良いんじゃね

294 :人間七七四年:2011/11/12(土) 00:06:50.53 ID:aeYeuJxh.net
大坂の陣はどちらが勝ってもおかしくなかった
大阪城に10万対20万 これだけなら豊臣有利
家康と淀の指揮能力の差を入れて5分
厳冬期に家康が病気にでもなれば撤兵せざるをえなくなっただろう
あるいは大砲で淀殿本人が逝っていれば大坂方の戦意は燃え盛っただろう
家康が勝ったのは全くの偶然
夏の陣は秀頼がアレキサンダー並みでないと無理ゲー

295 :人間七七四年:2011/11/12(土) 00:27:01.39 ID:4UCCFTWl.net
>>288
優秀だと証明する手段がない。
生まれてからほとんど城の中しか知らないんだから。

296 :人間七七四年:2011/11/12(土) 09:18:36.85 ID:ePMJ9l1t.net
>>293
石田三成厨に可哀想だ。
三成自身は必死だろ?
三成が首謀者だったとしたら覚悟の問題じゃなく能力の問題。

大勢力と化した徳川に、秀頼の後見人を依頼した時点で
豊臣の天下なんか放棄するべきだった。
具体的には大阪城を捨て、江戸城で成人まで家康庇護の下、暮らす。
松平姓でも貰えれば儲けくらいのノリで。
後は本当に有能なら、今川義元麾下の家康のように振る舞えば良い。

297 :人間七七四年:2011/12/01(木) 15:09:04.77 ID:4y47slGB.net
秀康が生きてれば外様の何割かは大阪へ

298 :人間七七四年:2011/12/02(金) 13:26:45.17 ID:9dQDuJPp.net
あの時期豊臣恩顧が相次いで死ななければ家康も大阪潰しにかからないまま死んでたかもね

299 :人間七七四年:2012/05/12(土) 19:33:12.22 ID:RCUO9sKM.net
北条軍は扇谷上杉軍の籠る深大寺城をパスして河越城を直接攻撃したとか。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html


300 :人間七七四年:2013/02/02(土) 16:40:10.76 ID:oxp2usOU.net
籠城の準備が整い、次々と徳川方が現れだした頃。秀頼に謙信の魂が乗り移ったら…と考える方が面白いな。

301 :人間七七四年:2013/02/03(日) 23:09:28.85 ID:DVIco1ny.net
すごく初歩的な質問なんだけど、
謙信のように「野戦に強い、野戦での戦術に秀でている」と言われる武将は
何がどう優れていたわけ?

そして、奇襲みたいなのでない普通の野戦の場合、
戦術でひっくり返せる兵力的劣勢はどれくらいが限度?

302 ::2013/02/05(火) 04:23:51.04 ID:ByHxdUXq.net
毛利勝永が十分頑張ったと思うけどな
謙信が生きてても勝永と同程度で終わったと思うが

303 :人間七七四年:2013/02/05(火) 08:14:14.40 ID:VPSkwPSf.net
出撃前に便所で死んでいるのを発見される

304 :人間七七四年:2013/02/05(火) 08:51:21.20 ID:2KxK4hHF.net
謙信は実際1人で5万と戦って勝ったよ
謙信は5000で20万の一向一揆と戦って実際勝ったよ
三国志赤壁では100万対2万で周喩が勝ってたよ
項羽が1万で劉邦200万に勝ってたりしてる

305 :人間七七四年:2013/02/05(火) 11:26:29.91 ID:WYO1Ce9W.net
多分逆に討ってでるんじゃないか?

謙信なみの勇将=戦眼、直感、知略、性分、運 までもが謙信そのもの なら勝機も見いだせると思う。

そして世はまた乱世へ…

306 ::2013/02/05(火) 14:16:56.12 ID:ByHxdUXq.net
てか大阪城取り囲まれる時点で詰み
謙信でもひっくり返すの無理やて

307 :人間七七四年:2013/02/06(水) 19:25:57.58 ID:s8/Dr2Yp.net
謙信じゃないけど「狸と瓢箪」という歴史改編SSがあったな

308 :人間七七四年:2013/02/07(木) 00:56:21.15 ID:ebse4LdI.net
>>306
詰んでるか?掘やトーチカだって機能してるし兵も食料も潤沢。
史実でも徳川は攻め切れてない上に寒さと兵糧切れの危機に追い込まれてるのが実情


指令官次第では盛り返しの可能性はあると想うが

309 ::2013/02/08(金) 01:01:00.48 ID:42slJAnz.net
でもまぁ突撃するしかないよな逆転するには
桶狭間と同じ事やらなきゃいけない

310 :人間七七四年:2013/02/08(金) 01:12:31.13 ID:njGO0dXs.net
>>1

謙信は大河「風林火山」のガクト謙信のような狂気の英雄だろう
秀頼とは生きる目的性が全く違うよ
たぶん謙信が秀頼の立場なら高野山に出家して騒乱は起こさなかった

311 :人間七七四年:2013/02/08(金) 02:06:51.35 ID:ukanswra.net
徳川勢が大阪に集まる前に短期逆転狙いで討ってでるなら分かるが

寄せ手が大阪に集まった状況ならばむしろ籠城持久策は有効だろ。
つか桶狭間(ノブ)の時より豊臣方は圧倒的に分がある。

下手に博打うたないで手堅く守り徳川方諸将に長期難戦を強いてやれば相手を苦しませ撤退に追いやる事もできる。
相手が退いてから周辺を制していけばいいのだから無理しないでいい

↑↑史実の豊臣武将もこんな感じだったと思うよ


んで俺の意見は全てを台無しにしたと言われてる淀が早くに死んでて、秀頼が謙信のごとく才があり勇猛な将であれば切り抜けれたとは思う

駄文長文スマソ

312 ::2013/02/08(金) 02:10:39.70 ID:42slJAnz.net
突撃して家康の首取らない限り一度撤退しても何度も押し寄せて来るんじゃね?
それじゃダメだ

313 :人間七七四年:2013/02/08(金) 12:53:29.50 ID:ORMmNu+U.net
戦えば絶対勝つから居たら後は楽なもんだよね

314 :人間七七四年:2013/02/10(日) 10:08:10.27 ID:TXjeRcPn.net
首なんて取る必要ない。
総崩れの返り討ちくらう時点で家康の求心力ガタ落ちだろ、大名らの動向もどうなるか…

315 :人間七七四年:2013/02/10(日) 10:21:35.42 ID:vuXXSSxX.net
幕府の求心力が落ちるのは間違いないがだからといって豊臣に一斉に寝返るなんて展開もあり得ないしな
その後の幕府の対応とその結果次第かと

316 :人間七七四年:2013/02/10(日) 12:21:12.80 ID:TXjeRcPn.net
一斉にとはさすがに思わないが、豊臣は加えて数万の兵力を擁し物質も豊富で指揮する秀頼が謙信並みの戦巧者なわけだから、
幾内くらいなら攻め寄せてきたら続々と落城ないし降伏の嵐だと思う

てか速攻で京とって朝廷利用するわな

317 :人間七七四年:2013/02/11(月) 12:47:10.44 ID:aiELkya8.net
布陣だけならふつうに豊臣が優性だな

318 :人間七七四年:2013/02/11(月) 13:59:21.09 ID:lPEgivKX.net
幸村と十勇士も居るから負ける要素なんて無かったはずなのにな

319 :人間七七四年:2013/02/13(水) 16:45:13.79 ID:GGSlwkgJ.net
幸村w
いきなり戦国IXEなみの話になったなw

謙信は確かに戦上手だけど、何十万もの兵を使えるのか、籠城は大丈夫なのか
疑問が残る。
決して万能な部将じゃないしね。
しかし、謙信なら打破してくれそうな気もする。

320 :人間七七四年:2013/02/13(水) 20:54:29.90 ID:4Lq2xGAV.net
まず謙信公が大坂城主なら家康公も攻めないんじゃね?

321 :人間七七四年:2013/02/14(木) 15:34:15.41 ID:f077t+Jk.net
いやあくまで『謙信並み』の『秀頼』だから。

ちなみに謙信はたしか初陣がいきなり籠城戦で寡兵もあり絶対絶命のはずが逆に敵将を討ち取り散々に壊滅させるという内容だし上手いよ。タイプとしては攻撃的防衛戦か


それに戦略面においても春日山城の巨大防衛網を見てもわかるように謙信は領土防衛や運用についてかなりの見識や関心をもってる

322 :人間七七四年:2013/02/14(木) 15:42:14.36 ID:oL/RlGrf.net
まぁローカルチャンプレベルでしか無いんだけどね

323 :人間七七四年:2013/02/14(木) 18:27:10.95 ID:MxNAfLHJ.net
織田軍最高峰柴田率いる55000の大軍が正面衝突で大敗してる時点でローカルレベルではない

324 :人間七七四年:2013/02/14(木) 18:35:36.52 ID:MxNAfLHJ.net
謙信は野戦が無敵すぎる

信玄は布施の戦い八幡の戦いで謙信と初めて戦い野戦で敵わぬことを悟り以後は調略に切り替えてる
氏康は寡兵の上杉先遣隊に苦戦し謙信に敵わぬと見て以降一度も野戦せず逃げ回った
氏治は地の利を生かして謙信を沼地に誘い込めば勝てると野戦挑み壊滅的打撃受けて居城捨てて逃げた
越中一揆は坂の上から数万の大軍で迎撃すれば有利だろうと謙信に野戦を挑み付近流れるびや川が一揆兵の血で真っ赤に染まる大敗を喫した

謙信には誰も敵わん

http://www.furin-kazan.jp/nagano/tatakai/zukai4_2.html
大軍なのに篭城でやり過ごそうとした孫子の具現者、武田信玄。
しかし、謙信は寡兵で敵地に奥深く入り込み絶対的不利な状況に身を置く。
信玄それを見て「もしかしたら勝てるんじゃん?」と台風に手を出してしまいコテンパンにノサレる。
上の動画は、もはや神領域の采配。さすが軍神、孫子の研究者たる海上智明が日本史で最も芸術的な戦いをする武将と推すのも理解できる。

海上曰く、信長では絶対に信玄には勝てない。
ましてや謙信とガチでやりあったらあっさり粉砕される。

325 :人間七七四年:2013/02/14(木) 18:39:38.10 ID:MxNAfLHJ.net
>>上杉謙信は17日まで加賀能登国境付近にまで軍事行動をしていた
>>・織田信長はそれを知らず18日に川を渡り23日に謙信の動きを知り撤退

天正5年9/10の丹羽長秀書状に
能登の百姓ことごとく謙信一味、末森まで通路封鎖されたと書いている。
末森は能加国境の主要通路を擁する交通の要衝。
これですでに七尾が落ちているのを織田は知っているはずで、
知らずに進軍してたらすでに七尾が落ちていたと知ってあわてて退去したところで背後を襲われたので無く、
七尾が落ちていたのを知った上で北上を続け11/3に上杉と正面から挑んで大敗したのだろう。
公記の加賀出兵記述は、
目的も状況推移も何も書いておらず意味不明の記述。
尚且つ、わざわざ記述した意味がわからん上にかなり短い内容。
あきらかに文章の大幅削除されている。

能登に遊佐の補佐で上条政繁(上杉本の公式には能登畠山出身で謙信の養子)を配置。
七尾城落城させた謙信は畠山義隆の後室(京の三条の娘)と
その子の畠山義春(上杉本の公式)を養子に迎えて、
北陸の治安維持のために越後諸将を配置して帰っているだけ。
織田側の主張では畠山の幼君は籠城中に伝染病にかかり死んだと捏造してんだよね。

公記は太田が金をもらって書いてるからな。
戦死して貧乏になった織田家の武将の一族では
太田に金を払って書いてもらえなかっただろうから
そういう不遇な戦死武将など、そもそも公記に登場しない。
そもそも三河物語の大久保も公記はデタラメばっかで
ぜんぜん武功ないやつがスゴイヤツと書かれていたりしてると書いてる。
これ太田に金を渡してよく書いてもらった結果。
池田なんて武田征伐に出陣してないのに出陣したと書いてもらって
池田家に献上してるしw
大久保が子供だから姉川の戦いなんて知らんだろとか言うアホもいるが
兄2人が姉川の戦いに参加してるから、普通に事実が聞けるしw

326 :人間七七四年:2013/02/15(金) 01:23:33.22 ID:HYloSTCx.net
戦場にでれば凄かろうが結局母ちゃんのいいなりで城の中。
ちなみに謙信は前線にでて指揮をとる、いわゆる空気や流れを読んで最善策を導く天才型と呼ばれてるので城内では実力を発揮できずに史実通りで確定だろ。

つまり大まかに言うと小早川秀秋タイプになりますな。
小早川秀秋も戦闘に入れば勇将だが、関ヶ原の通り戦闘に加わる前ではあの迷走ザマなわけです

327 :人間七七四年:2013/02/15(金) 02:05:22.65 ID:fYuSUGEo.net
謙信でも家臣団や国人衆の掌握に苦労してた事考えると下手するとそいつらよりアクの強い浪人衆をどれだけ早く掌握できるかが鍵かねえ
豊臣家への忠義と言うよりどん底からの一発逆転狙いとか旧主への仕返しだとか死に場所を求めてとか私欲で集まった連中がほとんどだったろうし

328 :人間七七四年:2013/02/16(土) 00:30:24.74 ID:8v/MeGfD.net
>>324その謙信の強さの根源である越後出身の各将はみんな冬の陣では敵勢だから、水原談話は予定通りに発言される模様です

329 :人間七七四年:2013/02/17(日) 01:14:39.85 ID:M4jwqhC9.net
冬の陣での上杉軍は激戦区で無双状態だしな。
家康「さすがに疲れたであろう」
景勝「……………」
兼続「この程度、子供同士のケンカみたいなもんすよ…と仰られています」
家康「Hou」

330 :人間七七四年:2013/03/23(土) 13:52:04.37 ID:ozPF5K0y.net
手取川って大敗レベルな割には名のある武将の首が全く挙がってないし戦死が確認されたやつもおらんから
まあ実際にはたいした戦いじゃなかったんだろう。七尾陥落で戦局的にも大した意味なかったし。
違うと言うなら具体的な打ち取られた武将名教えてくれよ。

>>325
太田の資料の方が比較的中立的だというのは学術レベルでのコンセンサス、
少なくともお前さんが拠り所にしてる上杉マンセーばっか書いてる上杉家の軍記物よりはねw

331 :人間七七四年:2013/03/25(月) 04:21:35.79 ID:PeI0ESI2.net
>>326
遅レスで申し訳ないけど
謙信の指揮は場内からでも一流なのでは?
例 唐沢山城での北条との戦い
城に篭ろうと前線であるのは間違いないし、天守閣から戦況を見るのなんて
まさに妻女山から敵の動きを見るごとくだったのでは?

とすると大逆転もありうるのでは?

332 :人間七七四年:2013/06/23(日) 00:14:42.84 ID:XbqRL8UR.net
謙信なら国崩しが天守に命中した時点で和睦とかなさそうだな。
つか籠城前に真田やら後藤らの浪人組の討って出る案を採用してそう

333 :人間七七四年:2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN ID:V9Y24EaA.net
>>330
将を損害基準として手取川の損害を云うなら川中島では上杉3000余、武田4000余の損害と言われてるが13000の兵で
主に小領主の志駄くらいしか死んでないから実際上杉の実損害は4〜500もいかない程度て事ですかな?
武田は討ち死に負傷の内容からしてまあまあ妥当かもしれんが…

ちなみに予想だが手取川で織田は退陣の形であったと言われてるから当然先頭の将は先に川を渡り謙信に捕まったのは後尾グループ。
1000はいかないまでも上杉は多数を討ったんだろうて、

んで奇襲とはいえ、数に勝るはずなのに正面きって一戦もせず、慌てて逃げてる織田をみて謙信としては織田兵は士気が低いと素直に感じたろう。

謙『弱っ!こりゃ上洛楽勝だわ』
こう思うのも仕方ない

334 :人間七七四年:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN ID:bM62UxuG.net
淀の母ちゃんに頭が上がらんかったら謙信でも同じだろ

335 :人間七七四年:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:aUYfolsP.net
大阪城の外堀埋めなければ負けなかったんじゃね
家康に騙され埋められてた時、部下が勝手に襲撃したとか言って襲えばよかた

336 :人間七七四年:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:M3j4XR8h.net
城内で大乱戦やで、火つけられるしたまったもんやないで

337 :人間七七四年:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:vhCqApUB.net
木津川口砦の戦い→徳川方の勝利(木津川口砦占拠)
今福・鴨野の戦い→徳川方の勝利(鴨野の拠点を占拠)
博労淵の戦い→徳川方の勝利(博労淵砦占拠、大阪方の守将平子正相戦死)
野田・福島の戦い→徳川方の勝利(野田・福島の拠点占拠)
その後豊臣方は残りの拠点も放棄して大阪城に逃亡
家康が時間をかけて攻めるつもりかどうかは知らないが今福鴨野野田福島あたりは
豊臣方もそれなりの軍勢派遣してるしガチ負けしてると言っていいだろ

後厭戦気分になってるのはむしろ豊臣方だわな
12/15に淀殿が人質として江戸に行く替わりに、篭城浪人のための加増を条件とした和議案が豊臣方より出され、家康はこれを拒否
また大阪方は弾薬・兵糧も不足しだし、大筒を打ち込まれると即座に和睦交渉に乗っかる。
また、朝廷から後陽成上皇の命により、17日に広橋兼勝と三条西実条を使者として家康に和議を勧告した。家康はこれも拒否し、
あくまで徳川主導で交渉を進めた。
普通に考えて兵糧問題は策源地が思いっきり攻め込まれてて収入が望めない上に
他の地域からの輸送も見込めずまた、石高に見合わない大軍抱えている豊臣方の問題だろ
徳川方はその場ではいくら不足しようと他地域から物資を輸送調達するか敵の本拠地近くで略奪しまくるかすればいいだけだし
制海権も悉く徳川方が押さえている
大名衆の離反でいってもほとんど浪人衆で忠誠など皆無に等しい大阪方から出る可能性のが遥かに高い
厭戦気分になってるのはむしろ豊臣方だわな
12/15に淀殿が人質として江戸に行く替わりに、篭城浪人のための加増を条件とした和議案が豊臣方より出され、家康はこれを拒否
また大阪方は弾薬・兵糧も不足しだし、大筒を打ち込まれると即座に和睦交渉に乗っかる。
また、朝廷から後陽成上皇の命により、17日に広橋兼勝と三条西実条を使者として家康に和議を勧告した。家康はこれも拒否し、
あくまで徳川主導で交渉を進めた

338 :人間七七四年:2013/09/07(土) 19:27:47.93 ID:gVaQ/XXH.net
秀頼が上杉謙信並なら大阪城から撃ってでて無双状態やったろう。
歴史上、源義経、上杉謙信が野戦のツートップじゃないかな。

339 :人間七七四年:2013/09/07(土) 20:39:13.10 ID:X2fNw9Br.net
まぁこれからって所で冷たくなってるのを発見されて終わるというオチなんだろうけど

340 :人間七七四年:2013/09/07(土) 23:11:24.21 ID:omgrqpD6.net
野戦に討って出るわな

2,3度勝てば
それだけで恩顧大名の雲行きも妖しくなるし
家康としても和平に乗り出したいところ

でも自分がもうすぐ寿命で死んじゃうの分ってるし
かなり焦るんだろな。

だから退くに引けなくて
結局、家康も野戦で総力戦を選択かな

で、戦の強さだけなら謙信と家康じゃ
そもそも比べようもなく力の差が圧倒的だから

最期は豊臣家が勝つ

341 :人間七七四年:2013/09/07(土) 23:44:56.64 ID:gVaQ/XXH.net
謙信なら幸村を従えて騎馬隊を駆使してあちこちで奇襲かけまくって凄いことになってたろうな。

342 :人間七七四年:2013/09/08(日) 00:46:57.66 ID:t9+kPV1V.net
親ということで淀が為景級なら一旦大坂落とされても四国に逃げ延びてDday

343 :人間七七四年:2013/09/08(日) 22:06:23.85 ID:XbqgOdIq.net
>339

warotaww

344 :人間七七四年:2013/09/08(日) 22:29:22.37 ID:UmCY5rQb.net
司馬の「城塞」は
明らかに当時の教育ママ・過保護ママ批判という意味で書いたんだろうな・・・

345 :人間七七四年:2013/11/05(火) 08:12:00.78 ID:9hz/9YVB.net
秀頼のために、
植物人間だったが意識を取り戻したあとは死んだフリをしていた信長が
姪の淀殿のたっての願いで復帰した
この設定の方が面白い気がする…

346 :人間七七四年:2013/11/24(日) 12:39:40.91 ID:rRbCCI7D.net
仮に秀頼が名将だったとしても浪人軍団で
日本中の大名相手に勝てるとは思えないのだが。

347 :人間七七四年:2013/11/26(火) 18:44:07.66 ID:KtDBoecO.net
秀頼自ら出馬して車懸りの陣で家康と一騎打ち
これだね

348 :人間七七四年:2014/01/04(土) 16:48:56.54 ID:CdKbbwe9.net
兵の数か違いすぎるからな

349 :人間七七四年:2014/01/10(金) 16:08:11.06 ID:gj9SQdAZ.net
東軍は雑魚ばっかだから意外と勝てるかもしれない

350 :人間七七四年:2014/01/10(金) 16:27:27.67 ID:7XPJpyGP.net
>>344
俺もそう思った

351 :人間七七四年:2014/01/20(月) 15:50:21.65 ID:MEdflRQ9.net
あそこで秀吉公がでてきたらどうなったか興味深い。
徳川方は総崩れになったかね。
家康固まる「ば、ばかな・・・」

352 :人間七七四年:2014/01/23(木) 23:04:23.66 ID:sWIlPGn1.net
>>351
家康「太閤?太閤なのか?」
家康「そうか」


家康「この手で殺せるんだな」
家康「信長殿、簒奪者のクビ家康が取って参りますぞ!」


気分だけでも若返ったベルセルクが突撃して瞬く間にクビを落とすんじゃねw

353 :人間七七四年:2014/01/30(木) 14:19:19.57 ID:a9HMGr1f.net
>>15
軍中で死ぬのまで同じかわろたw

354 :人間七七四年:2015/08/24(月) 10:31:22.33 ID:ecngUCeJ.net
ゲーム脳かな?一人の人間の能力じゃ絶対無理。牟田口が有能ならインパール成功したというようなもの
実際は井伊・藤堂の先鋒両隊に破られて木村、増田の様な最後を遂げるのみ

355 :人間七七四年:2015/08/27(木) 11:42:42.77 ID:qmhlwlx3.net
最後家康と一騎打ちするらしい

356 :人間七七四年:2016/02/08(月) 14:25:44.67 ID:tKHAtur4.net
https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k(マイナスタクシーサービス不足)(沖縄空港オマル凍結バイト)

https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k

https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k

https://www.youtube.com/watch?v=O1HRbHpBK9k(大阪人福祉バンクビジネス)

357 :人間七七四年:2016/07/08(金) 16:32:24.43 ID:5CR7sGyO.net
秀頼が謙信レベルといわず、大名として並の頭を持っていたなら、大坂の陣自体起こらないし、淀を人質に出したうえで大和に国替えして豊臣家存続させる。結論出てるだろ

淀の言いなりだったってのは「花のようなる秀頼様」を悲劇のヒーローに仕立てるための創作に過ぎないのであって、方広寺鐘銘事件みたいなヘマをやらかしておいて逆ギレ挙兵して自滅したのは、あくまでも秀頼の責任だよ。
一説には淀はむしろ穏健派だったというし。

358 :人間七七四年:2016/09/14(水) 17:40:03.81 ID:TYx9dURr.net
なんにもまとめられない秀頼さん

359 :人間七七四年:2017/07/29(土) 06:56:07.24 ID:i0qoWSOn.net
保守

360 :人間七七四年:2018/06/24(日) 09:33:19.59 ID:wbpUQkX3.net
おはよう

361 :人間七七四年:2019/10/27(日) 00:11:18 ID:+nbBBxOK.net
つまらん

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