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もしも斉藤義龍や三好長慶が長生きしていたら

1 :人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:vFlGikLl.net
信長の勢力拡張はなかったのでしょうか?


それとも東(三河方面)や西(伊勢方面)に拡張していたのでしょうか?

2 :人間七七四年:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:MLOzhSQv.net
信長死亡確定

3 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:VsGmL5Mf.net
長慶が長生きしてれば足利義輝も長生きしてた?

4 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:pndvRBAn.net
まあ無理だな
美濃取れたのもアホの龍興になって三人衆が寝返ったりしたおかげだし
義龍は信長の勢力拡大抑えるだけな奴だろうが長慶が長生きしてたらどうなってたんだろうな

5 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:pmCyQR1m.net
長慶も義龍も早死にし過ぎ。

6 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:fk3tB9Qo.net
美濃三人衆なんて全員が元土岐の家臣だし忠誠度は話にもならん
義龍が劣勢になったらあっさり信長につくだろうな
浅井織田と敵に回してどう立ち回るかは義龍次第だろうが
どっちにせよ三好長慶も斎藤義龍も生誕年が1520年代だから
平均寿命考えても1570年代にはくたばる。信長の拡大スピードが遅くなるくらいの影響力でしかないな

7 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:FAGc3lkh.net
くたばるのが70年代なら義龍の行ってた宗教改革など国内の統治は行き届き
不安定な美濃の情勢はより一層解消されるはずだろ。
しかもその頃には既に龍興は幼君ではなく青年になってる。
どう考えても美濃への拡張が無理だな。あとは伊勢か三河に勢力のばすしかないけど
義龍時代は尾張国内での謀反を煽られたり劣勢だった事考えると信長のニ方面作戦は容易ではなくなるだろう。

8 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:/5Hojqrl.net
龍興暗愚説が定着してるけど、実は単に逃亡したんじゃなくて、反信長の大名に逃げて最後の最後まで信長に抵抗してるし、それは評価できる。

青年になって何事もなく家督継いでたら少しは変わってたかもしれない。

三好家に関しては長慶より義興が長生きしていたらってつくづく思う。

9 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:fk3tB9Qo.net
義龍が死ぬまでうまくやる保証はないからな
道三だって当初はうまくやっていたのに最期は非業の死

10 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:zxB5vWPh.net
義龍が活躍すればするほど織田浅井武田が同盟するだろうよ

11 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:M1qGSHV8.net
長慶生きててもな
一存は死んだまま?

12 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:zxB5vWPh.net
長慶一人が長生きしても三兄弟と義興がいなければ意味無いよね

13 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:qpUNR0L+.net
※斉藤義龍解説基本テンプレ

超過保護大名斎藤道三
信長「お父さん知多半島の今川軍の城が気になって眠れません…」
道三「おぅおぅ他ならぬ婿の頼みとあっては何とかせねばな!して場所は?」
信長「松平家忠が村木城にいて水野信元が私に援軍要請してるが私では…」
道三「わかった。ワシの手勢の安藤守就を那古野城に援軍に派兵してやろう」
信長「有難う御座います!このご恩必ず返します」
義龍「なんで尾張のために美濃兵の血を流さないとならんのか?クソ爺を殺すしかねーな!」

道三の美濃統治は不安定なもので、 木曽川長良川の大洪水と六角や朝倉や織田の攻撃による相次ぐ戦乱により、
美濃で大量の餓死者でた天文21年6月に六角が頼芸支援で攻め込んだ。
この戦いののち道三は頼芸を追放するが 越後で長尾氏が上杉の支配機構を解体出来なかったように、
斎藤氏も土岐氏の支配機構は解体できず かと言って道三には民政の新しい施策も全くなく結局、
重臣達により国主たる資格なしとして、 天文23年3月に道三も隠退に追い込まれる。
そして最後は甲斐を追放された信虎と同じく 追放か抗戦かの選択で道三は抵抗を選び討ち死にした。
ちなみに1554年に道三が隠退した翌年に 義龍が范可の署名を弘治元年12月から署名しており、
捏造信長公記は父殺しイメージを押し付けてるが この使用し始めた段階ではあくまで道三は隠退しただけで死んでないし
父を殺した范可なんて人物も史記などにも存在しない捏造。

道三独裁から重臣たちによる擁立となった義龍政権は行政を刷新し 1558年を中心に義龍は施策を次々に打ち出し
最高意志決定機関の宿老制が完成し、 用水相論の裁許を重臣連署で解決(用水相論解決は一揆的結合の浅井などでも見られる)
立政寺の門前の池で鵜を飼い網を引くのを禁止した制札も連署。
これは土岐氏の官僚機構を 国人合議制により斎藤の元に奉公人制を確立させ吸収していく動きであった。
永禄三年には印判状という文書形式を導入。 知行あてがいも貫高制が導入され
重臣合議制斎藤氏の知行軍役体系が構築されていく。
さらに上洛し将軍相判衆になり美濃国主に正式に認められ、
伊勢や近衛との縁組など家格を上げる努力をしているあたりは
越後統治の正当性を求めて対立する国人を取り込みたい長尾家と同じ動きである。
信長にはできない状態の中で義龍の矢継ぎ早の改革は評価されるべきだろう。
さらに道三への援軍でやってきた信長を危険視し、 弘治三年4/19付け高政書状(義龍)などで
末盛城主織田武蔵守信成に(信勝。通称だと弟の信行)
書状を出すなど尾張での反信長蜂起を策動し改革の邪魔をさせないよう信長を牽制。

斎藤氏が短命で滅亡したが行政文書は義龍時代に集中して遺っている。
下々の意見をすくい取り自ら政を重臣に諮る英邁な主君であるのは間違いない。 信長とはえらい違いだ。
この改革の中で別伝の乱という宗教対立が起きる。道三は日蓮宗だったが、最後まで厚遇姿勢のままで、
土岐成頼や政房や斎藤妙椿や妙純などの妙心寺派を統制できなかった。
この宗教権威への介入のため義龍は妙心寺四派のうちの霊雲派の別伝を保護し伝燈寺を開創した。
禅宗寺院の寺統権を新設された寺燈寺に任命するやいなや
土岐や斎藤に創建され尊崇を受けて来た東海派の瑞龍寺が反発。 これに同調し聖沢派や龍泉派も怒る。
そして彼らは崇福寺の快川紹喜の主導で永禄四年1/5尾張犬山の瑞泉寺に出国して会議を行い対抗。
義龍は通達は別伝が勝手にやったこととして撤回したが、 別伝の僧籍削除には断固反対し
義龍は別伝に勅願寺と紫衣着用を奏請し、さらに4/30には将軍義輝にもこれに福書してもらうことで対抗。
しかし対立中に義龍が5/11急死してうやむやになり出国していた諸老も帰国し別伝が逐電。快川は甲斐に行った。
義龍の急死で斎藤氏の宗教統制の挫折となったのは痛かった。
しかし信長がただの不良からヤクザの親分になっただけに比べて義龍は名君であるのは間違いない。

14 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:qpUNR0L+.net
内政すらロクにやってないアホ長と違って義龍は優秀だな。 幼君の龍興が稲葉山を乗っ取られたりと
美濃国衆が斉藤を見限り始めたりと信長はホントに運がいいな。考えてみたら長尾家も家格を引き上げたり、
将軍から朝倉孝景に続いて白傘袋や毛氈鞍覆を下賜してもらうことで守護の同格の権利を認めてもらい
天皇から治罰綸旨を頂いていながら 為景は家格の高い上条に組みする国人と対抗した挙句に結局、上杉方に敗北してるし、
景虎時代にも同じことをして上杉行政府たる公銭方の爆弾を抱え
越後が完全統一できたのは天正3年に新発田・竹俣ら国衆が謙信政権に参加した時とされてる。

長尾為景が越後守護上杉定美傀儡政権運営していた時と酷似していた状況が一変したことを示す権力変化の証拠がある。
天文12年2/21の達勝安堵状には「弾正忠申調られ出置く上は」と書かれ
天文8年までの従来、東尾張において達勝→信秀と出されてきた発給文書が、
ついに信秀→達勝に順番が逆になってしまう。この逆転現象は巨大な衝撃である。
謙信政権でも苦悩していた守護による政治機構が簡単に解体されていく姿が尾張に生じているのである。
(結局、後継者なく定美が亡くなり、関東管領に就任し上杉を継ぐまで越後統治の正当性が得られなかった長尾氏)
また天文13年の信秀の美濃侵攻では守護斯波義統が禁制を出すなど、信秀支持の姿勢を示している。
9月に美濃立政寺へ禁制を出した織田寛近は岩倉伊勢守の一族であり
守護斯波は言うまでも無く尾張国の大半が信秀の美濃侵攻を支持していたのは間違いない。
ここに信秀による尾張統一が達成されたのである。 信秀の時代にはすでに斯波守護権力は完全に解体されてるし
家格も財力を背景に朝廷工作して三河守まで貰ってるし
(のち三河守を家康に取られて自分が格下になったことを知り慌てた信長・・・)
すべてを解決して信長に引き継ぐ時には 道三の後ろ盾、義元とは家康を返却した時に和睦してるし
その後には内裏修繕費用を献上してもらいたい天皇の仲介により、今川方が信秀の要求に従い水野へ城を譲渡する形で信秀と和睦同盟してる。
信秀は嫡男のために心配がまったくない状態にして死んでる。

合議制は六角が重臣に強要されたり、 斎藤道三や武田信虎や長尾為景の失脚と義龍や晴信や輝虎が合議制の導入。
また今川義元が雪斎の意見に従い合議制を導入。 北条も合議制導入。秀吉の五大老制移行も合議制。
伊賀や大和や摂津や和泉も国人のコミュ二ティー間の合議。
信長は盲目的に封権制を推進し、 時計の針を逆にしようとしたから時代の空気に殺された。
快川紹喜は美濃の人心を得ていて、 それを背景に斎藤義龍と対立して京都にも飛び火してる。
それが原因で義龍は暗殺されたとする説もあるくらい。
その後の斎藤龍興は政策は180度変更し快川紹喜との宥和を図っており、
斎藤家末期の外交の手助けをして、信長から申し出て成立していた織田武田同盟の解消を目指したりした。
また義龍7回忌を指揮している。 快川紹喜を殺すことは美濃の人心を失うと言うことに等しい。
快川紹喜暗殺の実行犯の信忠まで巻き込まれたのは偶然ではあるまい。
そもそも信長が卑劣漢なのは、義龍7回忌や信玄7回忌(死去を3年秘していた為)で、国中の国人が参列し武装解除し喪に服して悼んでいる時期を狙って、
攻め込んだために斎藤も武田もほとんど抵抗らしい抵抗もせずに滅亡しており、信長が国を盗んでいることからもわかる。

幼君斎藤義興は敢闘したけど不景気で厳しかったみたいだな。
森田善明が信長が美濃を制圧できた理由を
美濃が不景気と飢餓で戦わずに信長に降伏したものばかりだったからだと主張してる。
頑強に排除されてきた西美濃攻略を諦めて、東美濃攻略に変更した信長は
内通で加治田城・黒田城/織田と戦わず降伏が小口城・鵜沼城・猿啄城/城内で内通が出て開城が犬山城
と無傷で苦労せず6城を手に入れているのは東美濃の国人達が経済的に没落していて
戦いたくても戦えない、農民が他所へ逃げている欠落と農地が荒廃していた退転状態だった
美濃の国情ゆえに武士階級も収入が無かったと主張してる。
その点、父の代から裕福な信長の尾張なら楽だったろうし、近江との街道収入のある西美濃は豊かであったろう。
そして豊かな西美濃衆が稲葉山城奪取占拠をやったりして斉藤家は落ちぶれてしまったから
かんたんに信長は美濃を手にいれたとすれば実に納得できる。

15 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:qpUNR0L+.net
1561年(永禄4年)8/28の快川紹喜書状には義龍が江南出勢し勝利したが現在も戦いが続いていると書かれ
(4月の浅井戦のこと。その後5月義龍急死)さらに【美濃は尾張半国を取っている】と書かれているのである。
(信長は義龍死去を聞いて斉藤勢が近江戦線に出張っている隙を突き即、美濃を奇襲するが大敗する)
龍興12歳1561年5月義龍の死去を聞いて急いで出陣するも敗走。さらに続けて墨俣攻防で信清の弟討死。
龍興13歳1562年永禄5年2月27日付け快川和尚→飛騨禅昌寺書状によれば←NEW
信長が美濃へ侵攻するも敗北し追撃を恐れた信長は西美濃の墨俣城で龍興と人質交換して退却したとのこと。
龍興14歳1563年新加納を進撃してきた信長を撃退。
龍興15歳1564年稲葉山を安藤と竹中に占領される。
龍興16歳1565年9月龍興三千で信長を直接討ちにきたら加治田を見捨てて信長逃亡。
ボロ負けの連続の信長は信玄の武威を借りたいがため・・・
龍興16歳1565年11月に信玄を恐れていた信長は
苗木遠山氏の娘を貰い受けて養女となして勝頼へ嫁がせて同盟を結ばせて頂いている(重要な外交政策なのに公記が隠蔽している)
これをぶっ壊そうとしたのが後の家康で元亀元年10/8に謙信へ宛てて甲・尾の縁談の儀を事切れるように風諫せしめ候と書いている。
龍興17歳1566年4月各務野へ信長がやってきたので龍興も新加納に出て決戦の姿勢を見せたら信長逃亡。
8月龍興の前に織田軍大敗木曽川溺死多数。その後もずっと木曽川での攻防を繰り返すも美濃への進出できず。
龍興18歳1567年8月に六角を通じて浅井との婚姻成立により浅井も参戦したことで美濃三人衆の内応に成功。
義龍の死の混乱に乗じてわすか二日後には信長が美濃攻撃を開始するが斉藤は撃破に成功。
しかし国内は幼君ゆえ混沌し竹中・安藤の稲葉山奪取が勃発し
稲葉山占拠は半年に及び、これを受けて信長は小牧山に拠点を移している。
結局竹中や安藤は美濃簒奪に失敗したが、斉藤家はすでに美濃国人らを統御できる力はなかったのが内外に露呈した。
六角義治と対立する六角重臣達らの支持を受ける六角義秀が義昭を上洛させるべく
浅井と織田の同盟を推進し市の婚姻を働きかけ(福田寺文書和田惟政披露状)
その話に美濃三人衆の氏家と安藤も乗り気になっていた(長政→市橋伝左衛門尉宛て書状)
これにより信長はやっと美濃攻略に成功する。
信長公記はこのあたりを全て隠蔽して美濃は信長独力で攻略できたことに捏造してるし
元亀元年6/28姉川の戦いの寸前の6/19には故六角義秀に近い
近江修理大夫が義治親子を捕縛してるのを信長が褒めてる。
この時に宮が助命嘆願してきたが貴国ノ御心次第だとも信長が言ってる。
このために義治軍が姉川の戦いに参加できなかったから信長が姉川で破滅せずにすんだだけ。
最近になって新たな事実が判明・・・龍興18歳1567年斉藤義竜7回忌法要で美濃の武将達が参列してる中で←NEW
信長がその隙を狙って稲葉山城を奪ったから落城しただけ。
これは快川和尚が実際に7回忌法要の準備をするために4月に甲斐から美濃へ向け出立してることでもわかる。
快川は法要が終わるまで半年間もの間、美濃に滞在してから年末に甲斐の恵林寺へ帰り着いている。

16 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:qpUNR0L+.net
その後の情勢


濃尾平野と伊勢湾経済圏を持つ信長がチート過ぎなのに義龍にボロ負け。義興にまでボロ負け。結局、義昭と江州様(六角義秀)と浅井と和田ら近江甲賀衆が
斉藤攻略で織田に援軍を送ったから美濃攻略できただけだしさっそく11/7に本願寺から上洛支援の書状も届くし本願寺は信長に贈り物攻勢してる。
11/9には天皇からも朝廷を守るように命じられるなど(ちょうど三好と松永が争い東大寺大仏殿を燃やした矢先)
信長上洛成功はお膳立てされてのこと。さらに朝廷は三好が奉じていた足利義栄の将軍任官申請も却下して三好三人衆に抵抗してるし
この一連の織田擁護の流れを読んで織田方となったのが三好義継と松永や柳生宗厳と大和興福寺の人たちだし。
おまけに紀伊国粉河寺と畠山高政も義昭に呼応して織田方になるし。
しかも甲賀衆は義昭上洛戦に先立ち6/23には摂津表まで進出して三好三人衆と合戦までしてるし。
しかし9/7上洛戦開始するやいきなり信長は六角義治に大敗して岐阜に戻ってるから
援軍にきた三好三人衆側勢は京へ撤退してるし。(上洛開始前から松永は三好勢兵力をずっと引き付けて戦っていた)
9/14には再度、天皇から織田へ綸旨が届いて義昭上洛の激励をされ京の御警護まで任されてる。
結局、江州様勢力が義治傘下から後藤・長田・進藤・永原・池田・平井・九里らを裏切らせて信長に内応させて箕作城を開城させて観音寺城の背後を遮させた為に
義治は敗走して上洛成功しただけ。 信長の戦下手は神レベルだよな。
昭を報じて上洛しようとした織田家は初戦で三好軍と戦い岐阜へ敗走した後
多聞院日記永禄11年9月19日京極、朽木、浅井らの使者が観音寺城に
出仕してきて屋形六角義賢に申し上げるには、すでに裏切った箕作の軍勢は一万二千になり、
その上和田山の建部源八兵衛、吉田出雲守等も寝返り義弼(義賢の弟)に味方した、
さらに勢州国司北畠氏が鈴鹿越えで近日当国に入ると伝え聞いており、
これ以上戦を引き延ばせば却って逆襲を招くので降伏してくださいと伝えた。
六角攻略で実は織田家は一切触れられてない衝撃の事実w

17 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:qpUNR0L+.net
三好政権崩壊への基本テンプレ

父祖に劣らず器量に勝りて一度は天下の乱をも相鎮めた人なりと
賞賛された長慶嫡男三好義興が22歳で死去したので長慶がボケ老人になったのが痛かったな。
この畠山高政と六角義賢の挟撃策に三好義興が芥川城で指揮して勝利したことで事実上、
畠山氏と六角氏が決定的に衰退することになり果て将軍を巡るシーソーゲームに終止符が打たれた。
そして三好は分裂崩壊し、大仏を燃やした天皇は激怒し疲弊しきった勢力群の外側にいる信長に上洛を促すことになる。
しかし北条は謙信や信玄らがなかなか死ななかった。これでは関東制覇も難しいだろう。
そういう意味では大内義隆や尼子晴久が死んだ元就もおいしい。
永禄3年に六角軍は北郡征伐に失敗し浅井長政に敗北。これをもって長政は家督を継ぎ六角からの再自立を達成(肥田・野良田の戦い)
六角は斉藤氏と共同しての浅井攻め戦略に移行。
翌年2月には逆に長政が美濃へ進攻する攻勢を示したが
3月に入るや背後から六角軍が進攻し佐和山城を落とされた(斉藤家の竹中重高への六角氏の感状あり)
しかし長政は反転し六角の退路を封鎖する動きを示すことで退却を誘い佐和山城の奪回に成功する。
またこの長期に渡る六角と斉藤との攻防の中で義龍が病死し美濃からの脅威は減少したこともあり、
畠山高政と六角義賢による三好長慶との京を巡る戦いが始まるや、長政は太尾城(米原市)を攻めるなど六角の背後を混乱させた。
このように浅井による北郡造反は畠山への援軍派兵の遅れを誘発し六角弱体化をさらに助長した。
そしてこの攻防は三好の勝利に終わり畠山の没落が確定し、
単体では三好にかなわない六角は三好と和睦を結び京を巡る戦いに終止符を打つ決断をすることになる。
三好政権に服従する義賢が騒動で家臣暗殺をして家中は一時的に統制されたかに見えたが、
義輝が暗殺されるや畠山や奉公衆や反義賢の六角家臣による義昭の近江脱出が図られ、
永禄9年4月になると義昭を左馬頭に任官させ、
一方、三好が働きかけている左馬頭義栄の将軍任命拒否を出させるなど朝廷工作を成功させた上で、
反義賢家臣や畠山や若狭武田や信長や徳川や北畠を率いて義昭が8月に上洛戦開始することになる。
しかし土壇場で信長が義昭が和睦斡旋した斎藤を奇襲する背反をした挙句に大敗し、
この上洛戦自体が崩壊し、三好の後援を受けている義賢の威勢が増し義昭は近江にいられなくなり朝倉を頼り逃げた。
そして信長の裏切りから脈なしと見た朝廷が三好が押す義栄を将軍にしてしまった。
このように義昭問題によりさらに混迷したものの、反義賢重臣たちは奉公衆と協力し、
織田と浅井の婚姻を成立させるなど上洛戦を成功させる手を打ち、
中央政界でも朝廷工作をして反三好+義賢+近衛の勢力と結託し、
ついに永禄10年に当主権限を制限する六角氏式目に同意せざるを得なくなるまで義賢らを追い詰められた。
これが可能になったのは再度、義昭上洛戦をする為であり、斎藤と義賢を凋落させることに成功。
これにより義昭は再度、近江に戻ってくる。
今回は奉公衆の他に大和衆や松永久秀も三好軍を引き付ける為に義昭上洛戦を前に挙兵させるなど辣腕を振るう。
しかしこの近江の反義賢勢力や浅井らを統合指揮して
高いレベルの朝廷工作もやってのけるだけの高い家格の持主が誰なのかわかんないんだよね。
京極は浅井の操り人形に過ぎず六角系家臣は操れないし(天文18年が京極氏奉公人奉書現存最古の発給)
信長公記から消された人物がいるのは間違いない。そもそも浅井氏が挙兵しての天文日記に書かれる
北郡錯乱・国錯乱は天文21年の六角定頼死去翌年であり、この時に浅井久政は六角軍に敗北し六角に従属したわけだが
このような大規模な近江国人を二分する近江国錯乱の理由として考えられるのは
六角義賢を六角氏相続には大きな大問題がはらんでいたのだろう。
六角義賢親子と朝廷との強いパイプを持つ近江の舊主(旧主)との対立・・・この六角分裂が義昭上洛と絡んでいくのである。

18 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:qpUNR0L+.net
信長の上洛戦を支援するために三好義継が河内津田城と久秀がいる大和多聞城を行き来し指揮を執り、
それに呼応していた畠山軍は三好三人衆の経済的権力の源泉である堺で攻防戦を繰り返して三好三人衆を疲弊させていた。
その隙を見て美濃立政寺へ移動した義昭を追って、石成友通が近江へ入り六角承偵親子と戦準備しているのを阻止するため
信長の気がまた変らないうちに義継と久秀が東大寺戦線で一斉反撃に出た。東大寺戦線が崩壊すると京が占領されてしまうので
9/4には再度、石成が東大寺戦線に駆けつけてる。これで兵力不足を見た信長が9/7に上洛戦を開始。
しかし石成は電撃的に近江戦線へ駆けつけて織田軍を9/8に大破し、また東大寺へ戻ってる。
三好三人衆は当時、和泉戦線・摂津戦線・河内戦線・大和戦線・近江戦線で大和国人や将軍奉公衆などと戦っていた。
ほかにも松永久秀の弟の子で丹波守護代内藤如安や 長慶が叔母と離縁したことに激怒して反三好に転じていた波多野秀治
反三好の姿勢をずっと貫いていた丹波の赤鬼の荻野直正などが 三好三人衆と戦っていたから丹波戦線もあったよ。
ほぼ三好三人衆は義昭擁立勢力によって完全に反三好勢力に包囲されていたと言っていい。
だから信長の無能ぶりだけが顕著に現れた形だったのに、信長はぜんぶ俺の功績とばかりに得意がっていたチンピラ脳
ちなみに大和に三好軍が侵攻した際に 危機感をもった伊賀では反三好の伊賀惣国一揆が組織されていたし
若狭国は将軍領なので、当然に若狭武田氏も義昭支持にまわってたし
頼みの綱の石山本願寺まで信長上洛支援だったから 三好三人衆は各地で兵力不足に陥り完全に涙目だった。

19 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:fk3tB9Qo.net
コピペ連投に走ったってことは要するに大したことないってことだなw

20 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:zxB5vWPh.net
アスペルガーだがが沸いたので今日のまともなレスは終了

21 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:RN47r+XX.net
レス内容が信長公記全否定だからなw
織田ちゅうがパシリ小悪党のように罵詈雑言だけを残して涙目逃亡w

22 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:Pa8Kz/Dz.net
本当に板の癌だなだが

23 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:Am3eiMWP.net
斉藤義龍はどうでもいいとして三好長慶は足利義輝との関係がどうなっているかが
問題だろう。

信長は足利義昭を奉じて上洛しているわけだから、三好長慶が足利義輝を弑逆しなければ
上洛の前提事態が無い。

24 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:RN47r+XX.net
いや、そもそも義龍が死ななければ、尾張を半分奪い取っていう義龍によって信長が討ち死にに追い込まれている。

25 :人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:+euJc/QU.net
十河一存 斉藤義龍 三好義賢 細川晴元 細川氏綱 三好義興 安宅冬康 三好長慶と
畿内の有力武将は次々病死した上に、六角も北畠も斉藤も内訌で崩壊。
足利義昭が信長の下に訪れ、六角義秀や和田や浅井の援軍を受けまくるとここまでお膳立てされたのが
信長の上洛
このうち斉藤や三好長慶は、単体で長生きしても信長はまず美濃方面畿内方面の拡張は無理だし
他の連中も二人以上生きてたらまず成功しないだろ。

26 :人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:/er+1p6d.net
詳しい基本情報テンプレは助かるわ〜。
織田厨みたいな軍記講談準拠のコーエー武将ファイル並みの知識のゲーム脳のやつの
蒙昧愚昧さを啓発できるテンプレは、
板の基本的知識の向上による議論の質的向上につながるしね。

27 :人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:6fX2UzPy.net
>>24
まだほら吹き和尚の戯言を信じているのか?だがよ

28 :人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:/er+1p6d.net
>>27
ほら吹きはお前だ織田厨。
はやく自覚出来るようになるといいな。
自覚出来ないうちは鏡に映る自分に攻撃しようとする動物ランク脳。

29 :人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:6fX2UzPy.net
だがと言われて反応した時点でやっぱりお前の自演だとバレたことわかっている?

30 :人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:34nnOIFw.net
>>25
長慶だけ生きててもなぁ…
弟達が死んでたら割とダメじゃないか
弟達も生きてる設定なら信長の台頭なんか許さないだろうが

31 :人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:C0lqBkXC.net
>>30
すでに>>11-12で出てる

32 :人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:uVMYXPds.net
いやいや、長慶には一切、歯向かわなかった松永久秀など
きちんと人材統御をしていたら内乱勃発もせず
三好王国は崩壊してない。

33 :人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:/er+1p6d.net
三好家の後継者が養子のガキじゃ従わないよな〜。
ただでさえ阿波や讃岐の三好家を統御するのは難易度高いんだから。

34 :人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:C0lqBkXC.net
それに摂津国衆と阿波国衆の伝統的な対立もある

35 :人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:jbg4BbjQ.net
義龍も長慶も長生きしたところで史実とあまり変わらないよ

36 :人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:uqSaFCa7.net
義龍長生きしたら信長の美濃方面の拡張は無理。
斉藤の瓦解要因がなくなる。

長慶が長生きしたらもっと無理。下手すりゃ信長領国の尾張まで斉藤に侵略されてアボーン

37 :人間七七四年:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:Qn5ErlIR.net
十河一存 斉藤義龍 三好義賢 細川晴元 細川氏綱 三好義興 安宅冬康 三好長慶と
畿内の有力武将は次々病死した上に、六角も北畠も斉藤も内訌で崩壊。
足利義昭が信長の下に訪れ、六角義秀や和田や浅井の援軍を受けまくるとここまでお膳立てされたのが
信長の上洛
このうち斉藤や三好長慶は、単体で長生きしても信長はまず美濃方面畿内方面の拡張は無理だし
他の連中も二人以上生きてたらまず成功しないだろ。

38 :人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:dio0wUlI.net
信長の勢力拡張ってほとんど棚ボタなんだよな

39 :人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:VAOi2YBJ.net
>>36-38
アスペルガーだがの自演荒らしなのでスルー奨励

40 :人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:7GT2hnsX.net
真っ当な意見書くとレッテル張りで議論から目を背けようとするアホが例のごとく暴れてるなw

41 :人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:JuvWs5dY.net
>>1の条件なら伊勢方面か三河方面に侵攻するしかないよな。
それでも斉藤側から尾張へ攻勢かけたりする事を想定するとかなり厳しいものがあるが。

42 :人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:RcrEBjGP.net
六角あたりに講和の仲介を頼めたりは、できないか

43 :人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:zSE9PRwc.net
信長仕方が無いので家康攻めたらフルボッコされ討ち死に終了。。

44 :人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:BcJH85u2.net
織田信長がやったことを斎藤義龍がやるだけ
武田家の滅亡は絶対不可避です

45 :人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:aY5u+CxT.net
武田が駿河遠江三河と占領して拡張の滞った織田を瞬殺して終了

46 :人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:BcJH85u2.net
上杉北条斎藤のタコ殴りを受け武田が瞬殺で終了するのは理解した

47 :人間七七四年:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:Hrgn5XJl.net
義龍の馬のたずなを引いて額づく上総守信長www
馬上の義龍に上総介っての知ってる?とか馬鹿にされるも気づかないアホ長www

48 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:FoDfsSxL.net
>>44
いやそもそも斎藤義龍がそこまで行くのは無理


歴史上斎藤家が滅んだ要因は様々あるが、一番の原因として織田−浅井の連携攻撃に
家臣団が統率を欠いて、にっちもさっちもいかなくなったため。そしてこの状況を作り出したのは
斎藤が頼みとしていた六角氏の衰退が原因。斎藤義龍が生きていても六角の衰退は止められないので
結局斎藤は敵に囲まれて死滅する。三好長慶が生存していたと仮定すると、長慶と対立していた六角の衰退はもっと早い。
最悪三好−織田の連携攻撃で美濃は瞬殺される。どちらの手に領土が渡るかは不明。


三好長慶の場合は、長慶以外の人物は例外なく史実通りに死亡すると仮定されるので、
結局三好家の衰退を止められる気配はない。ただし長慶が生存することで、足利義輝(史実では三好義継や松永久秀らに殺される)の
寿命が幾何伸びる可能性があるので、ある程度三好家の崩壊は後の話になることが予想される。


結論として、平均寿命から考えても斎藤義龍や三好長慶が生存したところで歴史の大局に影響はなく、
この2人の死亡年は1570年前半のこととなる。対立構図や各大名の状況が変わるわけではないので、
足利義昭が頼る先はやはり織田信長の可能性が高い。加算して織田信長の上洛は1573〜1575年頃の話となり、
それ以降は史実通りの反信長連合が形成されることになるだろう。

49 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:eg9Npc+u.net
>>48
結局は>>35と同じってことだな
やはり史実の修正作用は強い-

50 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:fKstjVXU.net
長慶末期には、提携していた畠山氏が完全衰退したために、
六角承偵は三好との共存体制に移行してるのに無知晒してんじゃねーよw
だから義昭の上洛戦の時に三好が六角義治の援軍に現れてるのに。
浅井と織田の同盟にしたって信長が指導したわけじゃなく受け身だから必ず起きるとは言えないし、
そもそも長慶が生きていたら義輝が死ぬことは無くなり、
義昭の上洛戦自体が発生しない。
さらに言えば、六角内訌衰退の原因は第一次義昭上洛戦での信長の斎藤への裏切り奇襲大敗が原因。
これで六角は、あくまで上洛狙い派と諦める派に大分裂。

51 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:KY/2I9Zf.net
>>48
義龍は最高意志決定機関の宿老制を作り重臣合議制斎藤氏の知行軍役体系を完成させ、
土岐氏の官僚機構を 国人合議制により斎藤の元に奉公人制を確立させ吸収していった叡主であり、
家臣団の意見を吸い上げて諮っているので、義龍が生きていれば生きているほど斉藤家臣団は団結していくし、
六角と斉藤の婚姻話が、道三の血を卑下して家格に合わない&土岐氏に遠慮してた六角義賢の反対でポシャっていたように、
斉藤は別に六角を頼みになんてしてない。むしろ信長同様にデタラメ統治をしていた道三と違って革命していた。
もっと言えば、三好軍は大津までしか進出したことがない。もともと三好には六角を潰す意思なんてもってないからだ。
それなのにお前がアホなのは、斉藤が頼りにしていた六角が三好に滅ぼされると言うトンデモなく恥ずかしいレベルの無知で信長擁護をしていることだ。

52 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:KY/2I9Zf.net
三好長慶 1522年3月
織田信長 1534年6月
斎藤義龍 1527年7月

義昭の上洛成功年 1568年

長慶 46歳
信長 34歳
義龍 41歳

当時の平均寿命で考えても生きている可能性は高い

53 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:FoDfsSxL.net
>>50
その考察は全く意味がない
まず六角・三好がガッチリ提携を結んだのは三好長慶の死後であり
しかもその目的は織田信長と結びついた足利義昭に抗するため。
足利義輝と三好長慶が存在している以上、六角と三好が盤石な基盤を築けるとは考えにくい。
よしんばそれを築けたとしても、六角と三好では勢力差がありすぎて三好に取り込まれる。
その場合六角が滅ぼされると言うよりは、三好の完全な指揮下に組み込まれることになり、いずれにせよ斎藤は三好との対応を考えさせられることになるのは変わらない。


>>51
それは「三好長慶があっさりと死んだ」『史実』の話だから全く意味がないね。
足利義輝が死んだ史実ですら、三好につくか足利につくか決めかねていたくらいの六角だし、
元より三好長慶とは多く戦争を繰り広げていて、六角がどう思っていたにせよ、三好長慶の心証は全く思わしくないことに違いはない。
結局、「三好長慶が死なない」と言うことは「足利義輝」も死なない可能性が高く、三好長慶と足利義輝の対立は続行されるわけだから
六角が足利に味方しない理由はないし、その六角と盟を結んだ斎藤も足利に味方する可能性は高い。
六角斎藤同盟は六角義賢が反対していたと言うだけで、斎藤方は大いにアテにしていたじゃん。アテにしていないのなら結ばなければいいだけだし

54 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:eg9Npc+u.net
>>53
先ず断っておくけどあんたの言っていることは正しい
その上で言うけどアスペルガーだがを相手にしているあんたは間違っている

ID:KY/2I9Zf=アスペルガーだが
ttp://hissi.org/read.php/sengoku/20130831/S1kvMkk5WmY.html



こいつは議論する気も知識も無いのにかまって欲しいがためスレ荒らしをしているだけ
そんなのを相手にしていると他のまともな人がレスできなくなる
まともな議論の場にしたいならそんなキチガイは放っておけ

55 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:CXGNq1IW.net
論破されそうになるとレッテル貼りで議論から逃げようとする織田厨のいつものパターンなw

56 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:hgyTrNBQ.net
スレの流れを見ると論破されたのはアスペルガーだがの方だな

57 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:KY/2I9Zf.net
>>53
永禄5年5/20に三好義興が河内教興寺で畠山高政に大勝利を挙げた為に
6/2に六角義賢が三好長慶と和睦してるのも知らんとかアホ杉w
お前知らんくせにテキトー書いてんじゃねーよ。
六角単独では三好にはまったく歯が立たないから、
常に六角は畠山と共同して蜂起してんの。
だけど、この戦いで畠山は決定的大敗をしてしまい、
河内を三好に奪われ、親畠山だった大和も松永に奪われ崩壊。
六角は三好との共存路線へ転換してんだよカス

58 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:GHTM7ZhD.net
嘘をつくな
共存路線の転換なんかしてない

59 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:zC+hdGWe.net
畠山は仲間の根来寺衆徒まで
根こそぎ討たれて崩壊したからな。
これで御湯殿上日記6/2の条で
三好と六角の和睦と書かれてるね。
六角が和睦したのに続いて永禄6年10/16には
根来寺も三好と和睦。
反三好の旗頭だった細川晴元もすでに摂津で長慶の庇護を受けていて、
永禄6年3/1に死去、12/20には細川氏綱も死去し、
細川管領家の争いにも終止符が打たれた。
こんな状態だから、六角には反三好の旗頭すら存在しないのに、
わざわざ三好と敵対するメリットすらない。
だいたい六角軍が京から西に進軍したことすら無いのに
畠山衰退後に本気で三好とやり合う気など無い。

60 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:EDOFe4nL.net
>>59
また自演荒らしが始まったか

61 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:PBHO/oiF.net
>>54
きょうのだがのIDは神IDだな
奴の性格をよく表してる

>>56
今日も連敗街道まっしぐらだな、奴は

62 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:7upgT10H.net
また織田厨が負けちゃったのかw

63 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:amO1UmG3.net
レッテル張りとか「だが」という言葉が聴けたら織田厨が論破されたと思っていいからな

64 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:EDOFe4nL.net
論破されたID:KY/2I9Zfが顔を真っ赤にして逃亡中

65 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:oVRdI+Ha.net
だがの池上マンセー妄想史観がもろに打ち砕かれるw

http://ja.yourpedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7

66 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:KY/2I9Zf.net
ん?そこで俺が自演することで得られるメリットってあんの?
意味不明すぎる。。。
それが俺自身のレスとしたら、別にID変える必要なくね?
つかID変える工作なんてしてないし。

67 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:EDOFe4nL.net
>>66
論破されたことを誤魔化して恥ずかしいやつだ

68 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:KY/2I9Zf.net
論破?w
えっどのレスで?w
いよいよ織田厨は統合失調症らしさを発揮し始めたなw

69 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:EDOFe4nL.net
否定されているのに気がつかないフリとはさすが
このまま逃げに突っ走るならそれでもいいぞ

70 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:zC+hdGWe.net
織田厨の脳内妄想得意技!いつもの常勝エア論破宣言www誰か精神科医を紹介してやってwww

71 :人間七七四年:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:6qqKlZy4.net
三好氏の崩壊に至っては、長慶はあまり関係が無い
長慶が生きている間は絶対に足利義輝は死なないから。
長慶が死んだ事により生かされていた義輝が死んだからな。
義輝は最後まで自分の権威を勘違いしていたと言える。

むしろ篠原長房の方が滅茶苦茶重要人物だよ
なんせ1570年前後は足利義昭+織田信長と毛利元就を手玉に取って相手にしてる
篠原長房は三好兄弟の流れを受け継ぐ最後の存在だったからねぇ。
もちろん兄弟のjr達がしっかりしていたら良かったんだけど。

72 :人間七七四年:2013/09/01(日) 05:41:51.28 ID:oCdp8nE7.net
義輝絶対に死なないって言い切れるかね
長慶の存命中に義輝が政所抑えたりして将軍の権威を高めてたら
これは自分の傀儡には収まらないかもと危機感持って永禄の変の様な出来事が起きても不思議じゃないような

73 :人間七七四年:2013/09/01(日) 09:24:28.69 ID:tR1cMrg2.net
長慶は義輝を殺すことはないね。
これは三好研究者の共通認識だし。
俺もそう思う。
義輝の策謀に呼応するのはもはや畿内じゃ丹波の細川残党国人くらいしかいないし。
丹波は松永久秀の弟の子が内藤氏を継いで丹波守護代になってて、
それを細川残党が潰せるほどの力さえない。

74 :人間七七四年:2013/09/02(月) 00:02:13.80 ID:THp4WIDB.net
北への侵攻は無理として西か東だな。
東は生産性が低いから松平と同盟して伊勢方面に進むのが一番順当か?

75 :人間七七四年:2013/09/02(月) 01:02:36.33 ID:AA54XEWl.net
相手が義龍だろうが龍興だろうが北への侵攻は既定路線
ってか義龍時代に調略はしてたし変わんねえって
変わるのは滅亡時期ぐらい、それも長くて1〜2年程度
義龍は言われてるほど有能ではないし、龍興は言われてるほど無能でもない
義龍はまぁまぁ優秀なのに違いないし、龍興も凡庸なのはその通りなんだけど、戦況変えるほどの力の差はないわ

76 :人間七七四年:2013/09/02(月) 02:06:35.93 ID:THp4WIDB.net
信長の斉藤攻略は義龍死んで10歳そこそこの龍興が当主になり
国内でクーデター騒ぎまで起きるくらい統制がグラついてたからであるし
足利義輝が殺害後嘉昭が信長の元に訪れ、上洛へのお膳立てとして浅井や和田ら甲賀衆や六角義秀らが
全面的に協力したから成功しただけであって、義龍が死ななかったり
長慶が死ななかったりしたら上洛への名分も美濃攻略の足がかりも完全に失われるから美濃への拡張は無理

現に義龍時代は手も足も出てないし、龍興時代ですら何回も負けまくってるし

77 :人間七七四年:2013/09/02(月) 07:33:40.66 ID:+g5hERiA.net
>>75に同意かな
そもそも土岐氏→長龍→義龍と代替わりの度に動揺・大混乱してるしね。
義龍の代にも寝返ってた国人いたし。
斎藤が織田に勝ったのはあくまで局地戦・防衛戦であって、しつこく調略と戦を仕掛ける事によって
斎藤側の国力を擦り減らして行って最終的に瓦解に追い込んだ。

78 :人間七七四年:2013/09/02(月) 08:26:35.36 ID:+jaQu60/.net
>>75>>77
全く根拠や具体的理由が書かれておらず、
お前の「思った」願望を駄文で書くなよ。

79 :人間七七四年:2013/09/02(月) 10:00:16.50 ID:m11jKgWp.net
>>76
クーデター騒ぎの首謀者である竹中は結局追い出されたわけだから統制が緩んでいたとは一概に言えないだろ
例えば武田なんか信虎追放や義信事件といった内紛があったが別に統制に問題はなかった

80 :人間七七四年:2013/09/02(月) 10:34:06.12 ID:LxtnxIWZ.net
>>75
義龍は尾張の半分を手に入れ信長を滅亡寸前に追い詰めているんだが。
>>77
>>義龍の代にも寝返ってた国人
誰のこと???
>>79
国人衆による領主権の否定は致命的。特に美濃は東美濃と西美濃の国衆の対立要因が大きい。
これは信玄が織田を後援するために東美濃国衆への援助を止めたからで(龍興と対立はしても国外からの敵には一致協力して排除する)
経済的に立ち行かなくなった東美濃衆が龍興との和解を目指し、その結果、西美濃衆によるクーデター勃発。
半年もの長い期間、稲葉山を占拠されたことで、裁断と発給や行政が停止したことで、
信長の小牧山城移転の妨害活動が一切できず、結果、隣接して圧力を加えられた犬山城が自落。

81 :人間七七四年:2013/09/02(月) 10:54:30.64 ID:m11jKgWp.net
だが理論によれば嫡男と重臣筆頭に謀反起こされた武田は統制ガタガタだったらしい

82 :人間七七四年:2013/09/02(月) 11:00:31.31 ID:LxtnxIWZ.net
>>81
単純同一視する偏向はよくないな。
まず君が主張することをキチンと内容説明してくれないか。
君のレスは情報量が皆無なので、なにを言ってるかまったく伝わらない。

83 :人間七七四年:2013/09/02(月) 12:16:35.38 ID:AA54XEWl.net
尾張の半分()
浅間山の噴火並にトンデモ説だな

84 :人間七七四年:2013/09/02(月) 12:26:38.22 ID:LxtnxIWZ.net
1561年(永禄4年)8/28の快川紹喜書状には義龍が江南出勢し勝利したが現在も戦いが続いていると書かれ
(4月の浅井戦のこと。その後5月義龍急死)さらに【美濃は尾張半国を取っている】と書かれているのである。
(信長は義龍死去を聞いて斉藤勢が近江戦線に出張っている隙を突き即、美濃を奇襲するが大敗する)
龍興12歳1561年5月義龍の死去を聞いて急いで出陣するも敗走。さらに続けて墨俣攻防で信清の弟討死。
龍興13歳1562年永禄5年2月27日付け快川和尚→飛騨禅昌寺書状によれば
信長が美濃へ侵攻するも敗北し追撃を恐れた信長は西美濃の墨俣城で龍興と人質交換して退却したとのこと

85 :人間七七四年:2013/09/02(月) 12:34:16.73 ID:BSRSZt4l.net
アスペルガーだが9月もお構い無く自己顕示欲大開放

86 :人間七七四年:2013/09/02(月) 12:37:08.11 ID:m11jKgWp.net
またほら吹き和尚の戯言を根拠にするだがであった
だいたい尾張半分が斎藤領なら信清の弟が信長方というのはおかしいだろうが
しかも斎藤方の防衛線をたちまち突破して墨俣まで攻めいっているし
常識的にありえない

87 :人間七七四年:2013/09/02(月) 12:56:08.60 ID:LxtnxIWZ.net
>>86
別に袂を分かつのは不思議じゃないだろ。ぜんぜんおかしくないが。

>>斎藤方の防衛線をたちまち突破して
ここわからん。具体的に詳しく。ここの説明を無視されては、
どう常識的にありえないと君が言いたいのか全く不明。

88 :人間七七四年:2013/09/02(月) 13:04:04.01 ID:m11jKgWp.net
>>87
いつ信清の弟が兄貴と喧嘩して出て行ったんだ?
ソース出せよ
あと名古屋から墨俣までどれだけ距離があるのか考えろ
その間にいた斎藤方はなにしていたんだ?

89 :人間七七四年:2013/09/02(月) 13:16:04.45 ID:m11jKgWp.net
>>82
竹中安藤程度の奴の謀反で斎藤はガタガタなんだから
嫡男と重臣筆頭が謀反起こした武田は目も当てられないよなあ
そう思わないか?だがよ

90 :人間七七四年:2013/09/02(月) 13:19:05.56 ID:LxtnxIWZ.net
>>88
>>いつ信清の弟が兄貴と喧嘩して出て行ったんだ?
>>信清の弟が信長方というのはおかしいだろうが
お・ま・え・は
自分が書いたことも忘れるのかw
俺は、袂を分かつのは不思議じゃないと返答しただけ。お前はあたまがおかしいのかw
どう常識的にありえないの説明もできずに書いてんじゃねーよ。お前は論理だてて思考できんのかw

91 :人間七七四年:2013/09/02(月) 13:23:02.69 ID:m11jKgWp.net
>>90
また不利になったらそれか
じゃあ信清弟は兄貴のところにいったってことでいいな?
そしてほら吹き和尚の戯言ということも認めろよ

92 :人間七七四年:2013/09/02(月) 13:24:25.17 ID:LxtnxIWZ.net
>>89
家臣に主城を乗っ取られた斉藤と、家臣の謀反の目を事前に摘んで却って統治の安定が進んだ信玄じゃまったく違うだろ。
むしろ内政をまったくやらず、謀反連続・最後は家臣に殺され、家臣に家を乗っ取られた信長こそ、最初からガタガタ統治だったと言える。


>>息子すらぶっ殺す悪党信玄
信玄は息子を殺したくなかったんだよ。つかそもそも殺したとはどこにも書いてないから病死だろうし。
永禄8年5月に富士山麓の勝山で、義信妻(今川からきた)のために信玄は祈祷してあげてるし、
でも6月に義信は甲斐二の宮美和神社で不穏な集会を開いた。この出席者の署名のうち17名中4名は名前に花押がない。これは反信玄決起集会に集まらなかった人々がいた証拠とされる。
そして10月に飯富を親子不仲にする陰謀の罪状で死刑にしてる。11月には去る6月より文句が多いと三枝昌貞を信玄は叱責してるし、
翌年8月に三枝を含む3人が知行を与えると言う条件で信玄に反逆を企てたりしませんと信玄に忠誠を誓ってる。その後に義信の存在がまったく無くなると鴨川氏が指摘してる。
義信は明らかに信玄に反逆し、その態度を改めなかったので自業自得で自滅した。信玄は父を追放してるだけにそれを黙認するわけにもいかなかっただろうね。

93 :人間七七四年:2013/09/02(月) 13:27:00.85 ID:LxtnxIWZ.net
>>91
>>信清弟は兄貴のところにいったってことでいいな
一次史料はまだなの?

94 :人間七七四年:2013/09/02(月) 13:35:46.97 ID:m11jKgWp.net
>>92
お前の論理なら首謀者の竹中は結局追放されていわけだから逆に統制は進んでいるな

>>93
普通に考えれば兄貴と喧嘩別れでもしないとそこにいるわな
んで喧嘩別れしたというソースは?

95 :人間七七四年:2013/09/02(月) 13:39:31.38 ID:m11jKgWp.net
あと名古屋から墨俣までにいた斎藤方はなにしていたんだろうね?
だがよちゃんと答えろよ?

96 :人間七七四年:2013/09/02(月) 13:48:18.57 ID:XZEJtnIS.net
アンチ織田と織田厨が発狂しててワロタ
二人とも妄想ぶつけあってるだけw
脳内歴史なら他所でやってね^^

97 :人間七七四年:2013/09/02(月) 13:52:44.04 ID:m11jKgWp.net
>>96
だが自演乙
不利になるといつもそれだな

98 :人間七七四年:2013/09/02(月) 16:00:52.15 ID:IuNirTfM.net
そもそも信清とか弟なんて一次史料に存在しないやつなのに織田厨はバカなのか?
弟がどう行動してたかなんてわかるわけないのにwww
永禄7年の竹中らのクーデターのおかげで小牧山城作りの邪魔が斎藤には出来ず、
小牧山城が出来たことで、
尾張丹羽郡小口城や尾張葉栗郡黒田城が自落。
それで永禄8年7月には犬山城が裸城になり自落。
斎藤家にとっては尾張領失陥の大打撃を受けているから、
竹中クーデターは国内外に斎藤の無能と瓦解を示してしまい、
永禄10年9月には伊勢長島へ義龍が逃亡することになる。
犬山城自落からわずか2年で斎藤は崩壊したことからも、
竹中クーデターの美濃内乱の影響力がわかる。

99 :人間七七四年:2013/09/02(月) 16:03:30.79 ID:IuNirTfM.net
義龍じゃねー龍興だったw

100 :人間七七四年:2013/09/02(月) 16:07:04.52 ID:m11jKgWp.net
>>98
自分で>>84で信清の弟云々言っていたくせにそれを否定するとかお前はバカか

101 :人間七七四年:2013/09/02(月) 16:20:34.22 ID:IuNirTfM.net
自分で?また見えない敵と戦ってんのかwww
だいたい信清の弟が「云々」って言葉で濁して曖昧に書いて逃げてんじゃねーよ。
信清の弟が兄陣営にいたとかお前が根拠皆無なのに勝手に判断してるだけだろアホw

102 :人間七七四年:2013/09/02(月) 16:39:56.64 ID:m11jKgWp.net
>>101
自演がバレてないと思っているのか?だがよ
自分で言ったことをなかったことにしたいだけだろお前は
んで兄貴と喧嘩したというならそれを証明するためのソース出せと言ったろうが
逃げるなや

103 :人間七七四年:2013/09/02(月) 17:02:56.31 ID:BSRSZt4l.net
アスペルガーだがは嘘ばっかりだから信憑性0

104 :人間七七四年:2013/09/02(月) 22:03:09.40 ID:e2qvVAWn.net
そもそも斎藤が尾張半国を領土としていたのなら、どこをどう分捕って尾張の半分を手に入れたんだ?
犬山城は美濃尾張の県境だから、ここが斎藤方でも尾張半分など程遠いし、
上半分で勘定すると信長本拠である清洲城すら斎藤の領地になってしまう
しかも鳴海城以東は前年まで今川義元と相争っていた土地
斎藤が美濃の上半分抑えていたら織田領が0になってしまう

105 :人間七七四年:2013/09/02(月) 22:03:47.64 ID:e2qvVAWn.net
誤:美濃の上半分
正:尾張の上半分

106 :人間七七四年:2013/09/02(月) 23:22:09.84 ID:U2bICpXq.net
快川紹喜の書状を否定するに足る一次史料は全く無し。
織田鮮人の哀願自慰願望は全く根拠になりません。

107 :人間七七四年:2013/09/03(火) 02:39:03.22 ID:VSCkrPty.net
だが理論によると
斎藤義龍が尾張半分を取ったのは美濃に住まう快川紹喜の言で
その理由は織田信長に愛想を尽かした信清弟らが離反したかららしい

・・・・ん?じゃあ斎藤義龍が信長に勝てる保証は一切ないってことだなww

108 :人間七七四年:2013/09/03(火) 08:40:36.92 ID:gavsK3pj.net
>>106
論理的におかしければそれは嘘ということになり否定される
いい加減ほら吹き和尚の嘘だと認めたらどうだ?

109 :人間七七四年:2013/09/03(火) 11:37:35.77 ID:TQQyUHFr.net
>>108
論理的におかしいか、おかしくないかの判断をするので、
判断材料となる一次史料の根拠を提示してくれ。
ま・さ・か・お・ま・え・の・嗜好で判断しろと?

110 :人間七七四年:2013/09/03(火) 12:22:09.50 ID:gavsK3pj.net
>>109
だから昨日から言っているだろうが
信清弟がなんで信長方なのか?
名古屋から墨俣までにいた斎藤方はいったい何をしていたのか?
全てお前が言っていたことを根拠にしているものだ
さあ逃げないで答えろ

111 :人間七七四年:2013/09/03(火) 12:39:51.08 ID:TQQyUHFr.net
>>110
だから俺が作ったテンプレじゃねーよそれは。
しかしお前も無知過ぎるな。パッと思い当たるだろ。
信長公記に信長配下として出陣して討ち死にと
書いてあるからそう書いたんだろうくらい簡単に思い至るだろ。
お前はほんとに無知馬鹿だな。
結局、信長がアホだから信秀死後、一年もしたら
後見役の平手が失望して自害し、
それを見て後見役の林も信長を国主たる資格なしと見限り
信長の後見役すらも呆れ果てた風聞はすぐに広まり
信長から岩倉城をはじめとして尾張半国の人たちが当時、美濃の内政を充実させていた
義龍の評判と徳を慕い斉藤に付いたくらいの想像はできるわな。

112 :人間七七四年:2013/09/03(火) 12:51:30.70 ID:gavsK3pj.net
>>111
同じレス(>>84)の中にあるのにそんな言い訳が通用するかバカ
つーか第三者のふりをするお前の自演だってバレているんだよだが
バレてないと思っているのはお前だけだ
さあさっさと答えろ

113 :人間七七四年:2013/09/03(火) 12:58:46.33 ID:TQQyUHFr.net
>>112
ちゃんと答えたんだから
今度はそっちが>>109の返答しろやカス!

114 :人間七七四年:2013/09/03(火) 13:13:21.65 ID:gavsK3pj.net
>>113
何も答えてないわ!
お前は自分の言ったことをなかったことにしたいだけだろうが
だいたい反応した時点で自演したことバラしているし
自分で言ったことには責任持て
さあ答えろ

115 :人間七七四年:2013/09/03(火) 14:06:12.24 ID:gBmgysVd.net
相変わらずクズ織田朝鮮人。

116 :人間七七四年:2013/09/03(火) 15:30:32.34 ID:gavsK3pj.net
捨て台詞吐いて逃げたか

117 :人間七七四年:2013/09/03(火) 18:13:47.36 ID:rUic17vj.net
敗北が決定すると自演荒らしに興じるアスペルガーだが

118 :人間七七四年:2013/09/03(火) 20:27:50.81 ID:PE6c9MrB.net
内通で加治田城・黒田城/織田と戦わず降伏が小口城・鵜沼城・猿啄城/城内で内通が出て開城が犬山城
と無傷で苦労せず6城を手に入れているのは10歳そこそこの幼君でクーデターが起きるほど
国内の情勢がぐらついてたからだろ。

でも義龍が生きてたらそんな斉藤の瓦解なんて起こりようもないし
三好長慶が生きてて足利義輝が生存してたら、足利嘉昭の訪問も、上洛への大義名分も、浅井和田ら甲賀衆や六角義秀らの活躍による
お膳立てもなくなり、当然美濃攻略は無理。
上洛なんて夢のまた夢

119 :人間七七四年:2013/09/03(火) 20:35:00.84 ID:rUic17vj.net
自演荒らししかできないアスペルガーだがが残念

120 :人間七七四年:2013/09/03(火) 21:07:44.13 ID:VSCkrPty.net
そもそも竹中がクーデターを起こした時斎藤龍興は16歳だから幼君でもなんでもない

121 :人間七七四年:2013/09/03(火) 21:59:41.20 ID:qKwVx6Pw.net
正答
義龍>信長

122 :人間七七四年:2013/09/04(水) 03:36:47.78 ID:g4uuE1bU.net
正答

織田信長>>>>義龍>武田信長

123 :人間七七四年:2013/09/04(水) 08:33:38.92 ID:EsXhaH8A.net
義龍より信長が優れているとする具体的根拠が一切、出せ無い件www

124 :人間七七四年:2013/09/04(水) 08:43:58.26 ID:KFDa/SeJ.net
>>123
いいから早く質問に答えろよだが

125 :人間七七四年:2013/09/04(水) 12:49:28.57 ID:FDmJH7w1.net
実際、尾張の国力がなければ
浅井>>>信長だろ。

126 :人間七七四年:2013/09/04(水) 14:04:41.51 ID:XIqvIe+v.net
そもそも信長は弟の信勝より能力低かった。
もし信勝が織田家当主だったら、
尾張内乱は起きずに超ロケットスタートで天下統一してた。

127 :人間七七四年:2013/09/04(水) 16:23:27.20 ID:K4HRpHpx.net
いや信長の方がずっと天才だったよ

128 :人間七七四年:2013/09/04(水) 16:30:14.55 ID:FDmJH7w1.net
>>127
例えば?根拠付きで具体的に書いて。

129 :人間七七四年:2013/09/04(水) 21:58:20.47 ID:6WUpEgLc.net
まぁ美濃への拡張は100%無理だな

史実で内通で加治田城・黒田城/織田と戦わず降伏が小口城・鵜沼城・猿啄城/城内で内通が出て開城が犬山城
と無傷で苦労せず6城を手に入れているのは10歳そこそこの幼君でクーデターが起きるほど
国内の情勢がぐらついてたからだろ。

でも義龍が生きてたらそんな斉藤の瓦解なんて起こりようもないし
三好長慶が生きてて足利義輝が生存してたら、足利嘉昭の訪問も、上洛への大義名分も、浅井和田ら甲賀衆や六角義秀らの活躍による
お膳立てもなくなり、当然美濃攻略は無理。
上洛なんて夢のまた夢

130 :人間七七四年:2013/09/04(水) 22:15:44.15 ID:DvZ1Yro9.net
まぁ100%なんてのは基本的に存在せんからな
武田が織田に戦略的に勝つとか太平洋戦争で日本がアメリカに勝つとかでも1%ぐらいは確率があるから。
0%なんてのは朝鮮が日本に侵略成功するぐらいだな

131 :人間七七四年:2013/09/04(水) 23:45:56.81 ID:qj3HzF8Y.net
斎藤義龍の長生きした時の業績
・織田信長はあっさり生捕り父道三の言葉を嘲笑うかのように口取りに取り立てられる
・武田信玄はあっさり討ち取られ汚い首級は諏訪衆に与えられ肥溜めの瓶に沈められる

両方の顔を立ててやったんだ
これで満足できない奴はクズ確定ということで

132 :人間七七四年:2013/09/05(木) 08:13:53.07 ID:2TCDgwGa.net
忘れてはいけないと思うのが、義龍の時代でも既に信長に圧迫を受けている
事だよね。
それだか国内は不安定だったという事だろう。
でも、長生きをしていれば、信長の躍進はなかった可能性はある。

長慶は精神障害をきたしていたから、長生きしてもあまり関係ないような。
長男と弟が生きていれば、って言う条件もつけいないといけないんじゃな
いかな。

133 :人間七七四年:2013/09/05(木) 11:14:29.79 ID:0owPLiFG.net
>>132
>>、義龍の時代でも既に信長に圧迫を受けている
意味不明。一次史料の根拠付きで具体的事例を列挙してくれ。

>>武田信玄の場合、死の半年以上前から慢性的に病にかかっており

鴨川氏が家康に一撃を加えた後に東美濃の別働隊と
信玄が合流して岐阜を攻めて信長を滅ぼせたかも知れないと主張しているが、
森田善明も新著で鴨川氏の意見に賛同して
信玄が朝倉や浅井に5月を目標スケジュールに据えていたのは
飯田から東山道を使って東美濃へ進出する際に通過する
神坂峠の雪解けを考慮していたからだと主張してるな。
信玄は野田城攻略完了して信濃へ進軍した時の」2/16には
まだ花押も書けるほど元気で、その後に急に病状悪化し急死したと。
(信玄は面倒な時は朱印で誤魔化していた)
そして信玄が死去した時期がちょうど雪解けして進軍可能な時期になっていたと。
(永禄の暦だと雪解け3月下旬から4月上旬)
だから信玄は「信長滅亡の時がきた」と自信を漲らせていたと主張してる。
(信玄が病を押して出陣したなどと書いてるのは甲陽軍鑑のネタで、
病が重くなってきた信玄が三河から引き上げて甲斐に戻るも、病が小康状態になったので
信長を倒すために美濃岩村へやってきて、織田軍1万を粉砕するも病が悪化し死んだと書いてる)

むしろ三好長慶が鬱病が死因とかいろいろ言われているが、まったく根拠なく、
長江正一氏は、長慶死去の3年前の永禄4年ごろから病だったのではと書いているほど。

134 :人間七七四年:2013/09/05(木) 12:29:06.85 ID:2TCDgwGa.net
>>133
まず、違うという根拠を示してくれw
違う違う言うだけは簡単だよw

135 :人間七七四年:2013/09/05(木) 13:15:44.13 ID:G+UQVSs7.net
違うと言う根拠もなにも、
内容皆無のデタラメを書いた織田朝鮮人に対して、
どうそういうデタラメ結論を導き出したのか理由を聞いてるということだろう。
だから織田朝鮮人が具体的事例をあげてくれないとどうしようもないだろ織田朝鮮人バカ過ぎてワロタw

136 :人間七七四年:2013/09/05(木) 14:54:28.06 ID:Gq5c70Wp.net
自演大好きアスペルガーだが!

137 :人間七七四年:2013/09/05(木) 15:34:14.15 ID:rry4N4Zd.net
どっちでもいいから早く根拠挙げて論破して鎮静させて

138 :人間七七四年:2013/09/05(木) 15:45:26.86 ID:dGPkouPr.net
史料持ってきても捏造だとか一次史料じゃねえとかゴネるんで沈静化させるのは無理
科学的調査による結果をあげても無理なんだぞ?

139 :人間七七四年:2013/09/05(木) 16:49:08.11 ID:0owPLiFG.net
>>138
はぁ?科学的もなにもお前は我田引水で曲解しまくりじゃねぇか。
だいたい文献史学をあくまで補完するために考古学ってのがある大原則すら知らんから大恥をかいたくせにwwww

140 :人間七七四年:2013/09/05(木) 16:56:24.67 ID:Gq5c70Wp.net
138氏は誰に対して言っているわけでもないのにね
これに対してアスペルガーだが顔を真っ赤にして大激怒
自覚があるが故の猪突猛進ぶりに笑えるよ

141 :人間七七四年:2013/09/05(木) 17:02:18.47 ID:0owPLiFG.net
はいはいwそんなの言外に言ってることを察することぐらいわかるわwww
あぁ、お前は朝鮮人だから日本人が空気を読む能力があるのを知らんのかwww

142 :人間七七四年:2013/09/05(木) 19:07:39.93 ID:Gq5c70Wp.net
史料を提示しても語練りとおすこと認めたアスペルガーだがであった

143 :人間七七四年:2013/09/05(木) 20:20:24.69 ID:t/9tX6aZ.net
アスペルガーだがは朝鮮人なんだから日本人のフリなんかするな
一般的な日本人は織田信長が桶狭間の戦いの勝利者だということを学校で習っている

144 :人間七七四年:2013/09/05(木) 23:49:08.03 ID:acAC6MKV.net
>>143
日本の教科書には史実しか掲載されないからね
織田信長が武田家を滅ぼすとか

145 :人間七七四年:2013/09/06(金) 03:00:58.32 ID:72HXD3Us.net
織田信長が武田家を滅ぼす
穴山梅雪が武田家を滅ぼす
武田勝頼が武田家を滅ぼす

146 :人間七七四年:2013/09/06(金) 06:21:06.15 ID:X6Hjk65A.net
スレタイに戻せば

そうなってたら、織田信長なんて名前は後世に残ってない。
武田は甲斐守護としてしぶとく生き残ってる。
長尾は長尾のままで終わってるだろう。

147 :人間七七四年:2013/09/06(金) 12:14:58.97 ID:ujhCuPbP.net
武田が生き延びるのだけは無理
他ならぬアスペルガーだが自身が大噴火滅亡説でこれを証明しているからな

148 :人間七七四年:2013/09/06(金) 16:08:34.22 ID:0I0DS03P.net
>>武田信玄の場合、死の半年以上前から慢性的に病にかかっており
得意がって上記のレスをしたところ、それは甲陽軍鑑のネタだと見事に論破されてファビョった半島人の単発ID自演大会か・・・・

149 :人間七七四年:2013/09/06(金) 23:12:40.55 ID:F21tRkir.net
武田の史料も妄想と整合性が取れなければ否定しまくるだがチョン・・・

150 :人間七七四年:2013/09/07(土) 08:00:01.21 ID:1/a8z8O/.net
>>6
義龍は親父とちがって土岐源氏の血筋だろうが

151 :人間七七四年:2013/09/07(土) 08:04:23.44 ID:1/a8z8O/.net
>>25
>十河一存 斉藤義龍 三好義賢 細川晴元 細川氏綱 三好義興 安宅冬康
一人無能の傀儡武将がまじっているわけだが

152 :人間七七四年:2013/09/07(土) 18:23:38.80 ID:/RBo65VE.net
義龍が死ななかった場合の、
信長の侵攻速度の低下(可否も含めて)がどれくらいになるかは、
判断分かれる所かな。
尼子とか長野とか若年で家督を継いだ所も同様に苦労してるようだし、
不意の代替わりの影響はかなり大きいとは思う。
長宗我部も比較的若年で継いだと思うけど、あそこはどうなのかな。

153 :人間七七四年:2013/09/07(土) 18:32:34.42 ID:MQ7Vjzsh.net
>>13>>14
やっぱり義龍は名君だなぁ。国を整備し刷新しているあたり、
いい加減統治の信長とは雲泥の差だわ。
義龍に信長は土下座してるだろうな。

154 :人間七七四年:2013/09/07(土) 23:52:46.21 ID:Sli8K5d+.net
>>152
そもそも三好長慶が長生きするなら
斎藤義龍はそっちの相手も考える必要があるし難関さは変わらんだろう
美濃三人衆はどいつもこいつも不忠揃いで頼りにならんし
信長ではなく三好に滅ぼされる可能性も普通に考えられる
三好も三好で長慶以降は壮絶な内ゲバが始まるから、結局信長有利の状況は変わらんだろう
信長の危機だった桶狭間の段階で尾張に兵を進めない時点で、斎藤が尾張に南下することは考えられんし

155 :人間七七四年:2013/09/08(日) 09:04:35.62 ID:BuSxyEOO.net
だーかーらー、畿内=天下だから三好軍は東国に全く興味ないの。
三好軍はいっくら六角に対して有利な時ですら、
大津までしか進出してねーの。
だから三好と斎藤が戦うとか脳内願望妄想トンデモ話はすんなよ。

156 :人間七七四年:2013/09/08(日) 10:36:02.08 ID:AIH2TmcV.net
>>155
いや、松永長頼が若狭に進出しようとしていたから興味無しというわけでも無いんじゃない?
教興寺以降は六角の従属で南近江も勢力圏に入ったわけだし、若狭との連絡や防衛の為に北近江や美濃に対して何かしら行動を起こすのはあるかもしれない。

157 :人間七七四年:2013/09/08(日) 12:07:35.59 ID:QrcZu6Bs.net
>>156
若狭は将軍任国なので、赤井や長慶と離婚して以来、敵対を開始した波多野との連携を嫌がり
若狭や丹後へ睨みを利かす程度に終始してたよ。
つか長頼の丹波支配は磐石じゃなかったから、若狭とか正直、どうでもいいのよ。
そもそも長頼は永禄4年に若狭武田氏に敗北してるし、
三好軍はあまり近江情勢に深入りしない理由は朝倉を刺激したくないから。
六角支援で朝倉軍がやってくるとやっかいになるから東進しない。

158 :人間七七四年:2013/09/08(日) 21:46:45.68 ID:Aq/PllMb.net
>>154
想定を広げると不確定要素大きすぎる。
斎藤義龍の勢力拡張って話ではなく、
単に信長の勢力伸長速度に対する影響に限って考えると、
基本的には悪影響が大きいのでは、と思う。

…不忠で言えば、柴田、林を抱える信長も頼りにならないとか言えるしな。

159 :人間七七四年:2013/09/09(月) 13:36:41.70 ID:kmxpiTBb.net
まあ、そもそも長慶が生きてたら、
義昭は坊主のままになるので、
反六角義賢親子の重臣国人連合による義昭上洛作戦自体が生まれず、
その結果、彼らによる浅井と織田の婚姻活動すら無くなるから、
西美濃国衆が婚姻同盟に乗って斎藤離反フラグすら立たなくなるから、
斎藤弱体化も起き無い。
それどころか尾張の半分を支配していた義龍が死なずに、
独裁をやめて重臣層を諮問機関に取り込み連名発給体制による連帯責任を達成し、
美濃国内政治刷新改革も完了してしまう。
これは信長討ち死に以外に考えられないだろ。
なんせ信長は北畠にまで苦戦して義昭による和睦斡旋仲介で信雄を人質に入れて追撃されないで退却させてもらったほどのヘタレだし、
伊勢長島の一揆に信長が殺されて終わりだろ。

160 :人間七七四年:2013/09/09(月) 14:17:50.99 ID:zAnW428B.net
浅井織田間の同盟はほぼ確定だろ
斎藤という共通の敵あるんだし
六角斎藤間の同盟はあったらしいしなあ

161 :人間七七四年:2013/09/09(月) 15:57:52.57 ID:QaPK4+QS.net
>>160
織田と浅井を結びつけるツテとなる窓口取次が発生しないから無理。
織田と浅井の間を斡旋する取次なり、差配してくれる人物が登場しなくなる。

斉藤と六角の同盟はなかった。というのも、義龍と義治が婚姻計画を進めていたが、
土岐家に配慮する義賢が斉藤の家柄をネタに家格が合わないと反対したから
(この反対意見の書状が発見されたことで、信長公記の美濃乗っ取り道三一人説が完璧に否定された)
そしてそのうち義龍自身が死去して話自体が無くなった。
斉藤と六角の同盟に関しては六角義賢が死んでくれないと成立しない。

162 :人間七七四年:2013/09/09(月) 22:15:23.25 ID:yhJm/SJq.net
アスペルガーだがの都合のいい妄想スレ

「三好長慶は東国に興味ないニダwだから史実でも攻めてないし六角や斎藤なんて絶対攻めないニダ」


「斎藤義龍は英明だからきっと信長ごとき討死させてくれるニダw史実では斎藤が南下したことなんてないけどきっとやってくれるニダw」

163 :人間七七四年:2013/09/09(月) 23:07:27.27 ID:/2dD3eNh.net
斎藤義龍の政策
史実では近江の六角を支援するため浅井と交戦中
国内では甲斐の武田に東濃を占拠され奪還を思案

斎藤義龍が英明なら権威を示すためにも美濃統一を目指すだろうよ
それすらわからんアスペルガーだがは無知すぎて話にならんわ

164 :人間七七四年:2013/09/10(火) 10:37:07.51 ID:vxfJzo51.net
義龍時代と龍興時代すら混同してむちゃくちゃなことを書いてる織田厨w
所詮、他人の書いたレスを熟読してから、自分に都合よく曲解しても根本的馬鹿は消えないなw

165 :人間七七四年:2013/09/10(火) 13:45:32.96 ID:jdzOe9BB.net
斎藤龍興が義龍を長良川で倒すなんて書いてあるどうしようもない史料もあります

166 :人間七七四年:2013/09/10(火) 19:22:53.90 ID:7Qjj50V3.net
アスペルガーだが嘘八百を駆使しても連戦連敗!
タコ殴り火達磨状態は相変わらずだな

167 :人間七七四年:2013/09/12(木) 00:58:28.19 ID:FgYrz0eT.net
永禄7年6/17信玄→金山城主長井道利宛書状
井口(斎藤)より攻撃とのことで、信州衆を派遣しようと支度したが退散とのこと。今後も加勢や城米が必要なら言って下さい。
永禄8年11月苗木遠山氏の娘を信長養女として武田と織田の同盟。
永禄9年6/13信玄→岩村遠山左衛門&苗木遠山直廉宛書状
信長や森とも入魂になってきたようで安堵しています。
私は越後を攻めますので約束通り鉄砲衆50人を急いで加勢をお願いします。
ただ苗木殿も出陣準備してるとのことで、
その志しが私に対して浅くは思いませんが、
斎藤勢が森へ攻撃すると聞き及んでいますので、
苗木殿は私への出陣を延期するのが尤もだと思います。

信玄が東美濃の金山城主長井へ兵糧や兵力支援をしていたが、
武田織田同盟により支援を切った為に、
金山城は織田軍の森の手に落ちる。
永禄5年2/27快川→禅昌寺宛で、信長が西美濃で斎藤に敗れ墨俣城で人質を出して斎藤と和議をして帰ったことが書かれているので、
信長は頑強な西美濃攻略を諦め、
武田に養女を差し出すことで同盟を結び、
信玄の力に依存しての東美濃攻略に切り換えていたのがわかる。

168 :人間七七四年:2013/09/12(木) 09:52:36.20 ID:BlsMSw0B.net
体よく利用されただけとか

169 :人間七七四年:2013/09/12(木) 12:39:10.51 ID:rE7IfGhM.net
織田厨「信長と違って信玄は裏切り三昧で信義を守らないクズ!!」

しかし見事に悉く論破されて大敗走を重ねる。

織田厨「信玄は騙されて馬鹿!利用して裏切った信長天才!」

ここまで下劣なキチガイっぷりは今まで見たことがない。
さすが反日アンチ秀吉のニダだな。。。

170 :人間七七四年:2013/09/12(木) 13:58:17.18 ID:BlsMSw0B.net
信玄が裏切り三昧なのは事実じゃんwwww
文句つけた自分の息子を寺に幽閉させてまで今川を攻め滅ぼしたクズwww

171 :人間七七四年:2013/09/12(木) 14:53:10.92 ID:rE7IfGhM.net
>>息子すらぶっ殺す悪党信玄
信玄は息子を殺したくなかったんだよ。つかそもそも殺したとはどこにも書いてないから病死だろうし。
永禄8年5月に富士山麓の勝山で、義信妻(今川からきた)のために信玄は祈祷してあげてるし、
でも6月に義信は甲斐二の宮美和神社で不穏な集会を開いた。この出席者の署名のうち17名中4名は名前に花押がない。これは反信玄決起集会に集まらなかった人々がいた証拠とされる。
そして10月に飯富を親子不仲にする陰謀の罪状で死刑にしてる。11月には去る6月より文句が多いと三枝昌貞を信玄は叱責してるし、
翌年8月に三枝を含む3人が知行を与えると言う条件で信玄に反逆を企てたりしませんと信玄に忠誠を誓ってる。その後に義信の存在がまったく無くなると鴨川氏が指摘してる。
義信は明らかに信玄に反逆し、その態度を改めなかったので自業自得で自滅した。信玄は父を追放してるだけにそれを黙認するわけにもいかなかっただろうね。
信玄は晴信を殺したとは一次史料にはないしただの急死だろ。そもそも嫡男殺したのはまずい事だと連呼してるバカ長厨は江戸幕府を作った家康が信康を殺したことはどう思ってんだw
それに本能寺の変の時に信長は秋田城介(信忠)の仕業か!と言ったと言うから嫡男の謀反は想定内のことだったようだしな。
だいたい自害に追い込んだのは家康だろ!なに混同してんだw天正6年3月に信康の岡崎城へ岡崎衆の常住を義務づけた家康だったが、
突然9月に岡崎衆に信康へ出仕することを禁止天正7年8/4岡崎から追放したと8/8に信長へ報告
9/15の銘文で信康の五輪塔。三河物語には二股城で15日に服部半蔵が自刃の検使だったと書いてる。ちなみに2/20に信長の娘の五徳が桶狭間まで家忠らが護衛して送ったと書いてる
織田厨ってなんでこんな初歩的なことも知らずに無知を晒すだけでなく武田義信のことと恥ずかしくもなく混同して書いてんの?

>>将軍家仲介の和睦を平気で反故にする信玄
いやいやそんな証拠はいっさい無い。第三次川中島の戦いの後、信玄に交戦の非難が幕府から届く3月まで甲越両軍とも戦をした形跡が一次史料からはまったく確認できない。
信玄は反論として謙信の方が従わずに信濃へ出兵して海野地方を放火したと言ってる。その後、謙信は二度目の上洛して義輝に会っている。
永禄11年3月からの義昭・信長による近じか上洛するからお前ら和睦して上洛してきて協力しろよ交渉の時も9月に謙信が武田の使者を抑留して断交宣言するなど、
武田側に非は見られない。(ちょうど謙信は今川氏真との武田挟撃の秘密交渉を成立させていた)

>>朝敵にされても、まったく動じなかった約束破りの常習犯信玄
信玄は朝敵になんてされてねーぞ・・・むしろ幕府へ宛てた逆賊信長打倒の激文を正親町天皇が取り寄せて筆写し醍醐理性院に奉納してるほど。
その後の話は同意。信長は何も考えてなかった乱暴者に過ぎない。
>>同盟を破り奇襲したキチガイ信玄
永禄12年正月7日氏照→上杉宛書状で、このたびの手切れは、年来今川殿駿越ト合、信玄滅亡之企歴然それゆえ信越雪深いみぎりゆえ駿河仕置きしようとこの一理ゆえに軍を動かした。
と謙信に氏照が、今川が武田に攻められたのも止むを得ないと情勢報告してるから、信玄が今川を討たないと逆に謙信と氏真に信玄が挟撃されていた。氏真は三河徳川の攻略を諦め、代わりに武田領侵略に路線変更していた。
ちなみに義昭の斡旋で越後と相模と甲斐の同盟が水面下で動いていたのを今川が察知して焦って俺を同盟の保証人にしてくれ除け者にすんなよと今川は参入を希望して
そんなの噂だけでねーよwと拒絶されたっぽい。だとすると今川に内緒にしていた北条も同罪だしな。武田と北条が上杉と戦っている裏で、今川が上杉と秘密同盟する表裏をしていて、
武田に起承文を出したことまで上杉に報告。武田が本庄を謀反させ 飯山城攻めし、上杉を追い込んでいる最中にこんな真似をして、
駿甲国境を封鎖するは、謙信に信濃出兵を依頼する始末。しかし信玄が一揆を依頼したために謙信は越中攻めする必要に迫られて無理だった。
ここにおいて武田が今川攻め開始。明らかに今川が関係悪化をエスカレートさせてる。
と言うか開戦に向けて今川が動いてる。

172 :人間七七四年:2013/09/12(木) 14:55:15.03 ID:rE7IfGhM.net
>>天文22年に謙信が天皇直々の「治罰」令を貰っている。が、それでも信玄はへっちゃらだし、謙信の配下も謀反。後年、謙信と信玄の和睦が成ると信玄は見返りに
>>朝廷から信濃守の官位貰っているが和睦破りで奇襲し春日山近辺まで略奪。それでも特に不利蒙ったことなし。
この頃の謙信は越後を統治するのも難しい状態で平子と松本の山俣の領地を巡る紛争は幕府の介入による解決を謙信は依頼してるし越後守護上杉家の伊達時宗丸養子問題から対立
していた揚北衆の抗争もいまだまったく解決できてない。その挙句に関東管領山内上杉まで越後に逃亡してきた。そこで混乱する越後統治の正当性と北条化した上野国への対応
として天皇権威が必要だったんで天文22年4/12治罰の綸旨を謙信は貰っているが、一方の5月には武田も後奈良天皇の綸旨と義輝の御内書をもらってる(村上氏と一進一退の攻防中)
7/23には義輝が嫡男に義の字を与える使者も甲斐に来てる。8/20には後奈良天皇が諏訪大社に自筆文書を奉納してるが
それには信玄の戦勝を祈願し信濃を安定させた上で禁裏奉公するように頼んでる。8月中に村上氏との勝敗が完全に決したことから、謙信が危機感を抱き9月に南下開始しており
それ以前の段階である謙信がもらった治罰の綸旨が信玄を朝敵にしたとする曲解捏造は非常に気持ち悪いぞ。

>>朝廷から信濃守の官位貰っているが、 和睦破りで奇襲し春日山近辺まで略奪。
いやいやそんな証拠はいっさい無い。第三次川中島の戦いの後、信玄に交戦の非難が幕府から届く3月まで
甲越両軍とも戦をした形跡が一次史料からはまったく確認できない。
信玄は反論として謙信の方が従わずに信濃へ出兵して海野地方を放火したと言ってる。

織田チョンってほんと偏執的に武田貶しに必死だが、毎回無知を晒して真性のバカじゃないのかw


314 :人間七七四年:2013/04/22(月) 21:25:30.31 ID:cfQv1sCK
元亀3年7/7付けで信玄が小里氏の背後に信長の後援があり残念でならないがとりあえず許すと見て見ぬ
フリをする方針にしたことを述べていて織田との抗争にならないよう配慮してたら
信長が11/15に岩村城を奪った小里内作へ書状を出してる。
明らかに信玄は信長との信義を守っていたら裏切られてる。

>>信長が和睦をかなり武田寄りの立場で仲介する意志
謙信と信玄の和睦の仲介は元亀3年7月はおかしい
元亀2年だと柴辻が2009年に主張して反論はいまだ無し。
家康に至っては謙信との書状の中で「信長と信玄の間をどうやっても裂いてやる」と書いてるキチガイぶりだぞw
そもそも元亀3年に和睦仲介してるのは信玄。本願寺と信長の和睦交渉を仲介して努力してたのに
信長は東美濃で小里氏を支援してた。それを察知した信玄だがそれでも最初のころは見逃して我慢していたんだが。

>>諏訪氏を裏切った信玄
武田と村上と諏訪は同盟していたはずなのに諏訪氏が突然、
関東管領上杉の軍勢を信濃に呼び込んだ挙句に
佐久郡を管領軍と分割してしまう背反行為に
諏訪と同盟していた武田と村上が激怒した挙句に、武田が管領軍を大破し
信濃で孤立無援となった諏訪氏が滅亡するのは当たり前です。

【むしろ信長の方が裏切り三昧の悪党です】

173 :人間七七四年:2013/09/12(木) 18:19:17.59 ID:BlsMSw0B.net
別にぶっ殺したと書いてないのにだがチョンはよほど隠したいことがあるらしいw
まあ、嫡男であるはずの義信を武田家菩提寺である恵林寺ではなく、
諏訪頼重を護送して自害させた寺である東光寺に義信を幽閉するという
罪人同然の扱いを息子に強いる信玄の非道さ鬼畜さに絶望したんだろうなw

同じ息子の勝頼は強引に分捕った諏訪の方から生まれてるし
つくづく某北の将軍様のような悪逆非道だねぇ信玄はwww

174 :人間七七四年:2013/09/12(木) 23:04:40.62 ID:uUW7MfkA.net
信玄が諏訪頼重を自害させたとする一次史料は?

175 :人間七七四年:2013/09/13(金) 11:25:47.96 ID:wwCH0/x7.net
高白斎記に普通にあるぞだが

176 :人間七七四年:2013/09/13(金) 11:29:20.92 ID:wwCH0/x7.net
天文十一壬寅年、七月十九日と二十一日己巳寅刻で始まる部分な

177 :人間七七四年:2013/09/13(金) 12:02:55.08 ID:bRxnFUBq.net
いやいや、そこには諏訪大祝へ預けて置いたら頼重が切腹したと書かれているだけだが?
高白斎記のどこに自害「させた」などと書いてあるんだ?
ちなみに塩山向獄禅庵小年代記でも自殺と書かれているし、勝山記でも腹を切ると書いてるだけ。
どの史料にも信玄が命じて強制的に自害させたなんて事実はまったく証明できないのも知らんのか。

178 :人間七七四年:2013/09/13(金) 14:24:38.97 ID:wwCH0/x7.net
http://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E5%AE%B3

じ‐がい 【自害】

[名](スル)自分で自分のからだを傷つけて死ぬこと。自刃(じじん)。自殺。「―して果てる」

http://kotobank.jp/word/%E5%88%87%E8%85%B9

せっぷく【切腹】

刀で腹を切って死ぬことで,自殺または死刑の方法として用いられた。

高白斎記では七月五日に「頼重甲府へ遣わさる。申刻着府。」とあり
明らかに信玄の下に諏訪頼重が護送されてるじゃん・・・七月九日には「屋形様御帰府。」とまであるしな
二十一日己巳寅刻にはついに「切腹させられる」とまであるし、どこをどう見ても信玄の手で頼重が切腹させられてるだろ・・・

179 :人間七七四年:2013/09/13(金) 14:56:14.04 ID:nOi8SMyD.net
まーた織田厨が捏造か。
諏訪大祝の扱いの不手際じゃねーかよwww

180 :人間七七四年:2013/09/13(金) 17:10:20.29 ID:wwCH0/x7.net
甲府まで運んでおいて諏訪が悪いと言われてもなwww
そもそも諏訪大祝に預けたのは他ならぬ信玄だし
頼重を死なせる気がなかったというなら無視すればいいだけだし

181 :人間七七四年:2013/09/13(金) 21:13:58.64 ID:Z7LiDOQg.net
でましたwまた織田チョン得意の曲解。

182 :人間七七四年:2013/09/14(土) 10:41:19.66 ID:NTBTrITd.net
>>181
自信があるならageなよだがさんw

183 :人間七七四年:2013/09/14(土) 11:15:42.41 ID:5uXjcqkJ.net
織田厨は常に悪意のフィルターを通して願望妄想を事実のように書く低脳だからなw

184 :人間七七四年:2013/09/14(土) 12:01:34.36 ID:O3emCoWC.net
諏訪頼重を生捕にして
武田の本拠である甲府まで運んで
俺は悪くない悪いのは諏訪だという武田w
創価やチョンを髣髴とさせる

185 :人間七七四年:2013/09/14(土) 12:46:24.37 ID:5uXjcqkJ.net
自殺しただけなのに、なぜか犯人がいると勘ぐり出すゲス織田厨w

186 :人間七七四年:2013/09/14(土) 12:49:25.42 ID:O3emCoWC.net
まあ娘を鬼畜信玄に取られれば自殺したくもなるわな

187 :人間七七四年:2013/09/14(土) 13:21:14.66 ID:5uXjcqkJ.net
信玄が諏訪頼重を殺そうとしてなかったどころか
自殺した頼重に同情したから娘を引き取って
諏訪の後継者を作ったんだろうね。

188 :人間七七四年:2013/09/15(日) 11:07:15.22 ID:dg/Zw5t1.net
三好長慶は幕府に嫌われてたから、長生きしてたら
信長との戦いは、阿波幕府対美濃幕府の戦いとかになるかも。
足利義輝と朝倉、六角が第3勢力で、
松永兄弟が長慶方になって、毛利が恐らく義輝傘下で参戦してw

189 :人間七七四年:2013/09/15(日) 13:32:35.45 ID:bpRjFnaN.net
義輝が斎藤義龍を頼る可能性はあるかもね。
義の字を貰って御伴衆になってるからね。
信長は義龍の上洛戦の先鋒になって三好長慶の前に討死か。

190 :人間七七四年:2013/09/15(日) 18:58:50.67 ID:Zh03789z.net
あんま関係無い話だけど義輝から藤や輝の字貰ってる人は多いけど義の字はそうでもないよね

191 :人間七七四年:2013/09/15(日) 22:22:09.36 ID:n/cpGf0N.net
義はなかなかもらえない。
相良が献金しまくりで義輝がついに義をあげたんだが、
大友と島津が激怒して反対したので、
公に義陽を名乗るのに13年かかったほど。

192 :人間七七四年:2013/09/15(日) 23:03:35.29 ID:PPsRBurG.net
勝成にボコられて終了

193 :人間七七四年:2013/09/17(火) 08:58:28.05 ID:PjptxjNy.net
>>187
信玄は頼重の嫡男の虎王や娘を保護してるからね。
本当に頼重を殺してたら、成長後に彼らに復讐されないように殺してるわな。

194 :人間七七四年:2013/09/17(火) 20:34:25.45 ID:0UlZYmJf.net
寅王は諏訪御料人以上に謎の存在で
いつの間にか惣領家は勝頼が継いでいる
忽然と歴史上から消えたいささか謎だらけの存在

195 :人間七七四年:2013/09/18(水) 09:26:14.33 ID:yXIXS/Km.net
信玄の次男みたいに、
ただ単に仏門に入ったからだろ。
謎もクソもないわ。
兄弟の誰かが仏門に入ると先祖が地獄に行くことがなくなると言われていて、よくある話だ。
謙信や義元だって還俗したけど、もともと出家してたし。

196 :人間七七四年:2013/09/19(木) 01:35:22.56 ID:fJCMau/y.net
>>188
>三好長慶は幕府に嫌われてたから、長生きしてたら
>信長との戦いは、阿波幕府対美濃幕府の戦いとかになるかも。

もう少し勉強しておいで

197 :人間七七四年:2013/09/19(木) 08:11:55.89 ID:3HcIzG2O.net
>>195
ソースは?

198 :人間七七四年:2013/09/19(木) 08:25:09.01 ID:I+UlB5Jz.net
>>197
ドラマ思考の人間にソース求めても仕方ないだろ。
当時は乗っ取りが常套手段だという事がいまだに理解してないで、情に
施されたとかw
それだったら勝頼じゃなくて虎王で諏訪家を復活させてるだろ。
ちなみに、武家で次男級が仏門に入るのはよくあることで、嫡男はまずないわ。
謙信にしろ、武田にしろ、義昭にしろそうでしょ。
と言うか、このスレに武田関係なくね?

199 :人間七七四年:2013/09/19(木) 09:53:02.95 ID:TNQDueqc.net
もともと諏訪家は乱立して争ってたわけで、
諏訪一族が惣領として誰を立てるかが問題だろ。
虎王は諏訪一族が諏訪家の嫡子とは認めなかったから、
父の菩提を弔う道を選んだんだろ。

200 :人間七七四年:2013/09/19(木) 11:22:21.56 ID:3HcIzG2O.net
ソースは?

201 :人間七七四年:2013/09/19(木) 11:39:07.86 ID:WNkbzU9u.net
頼重の身柄を預けた諏訪大祝の配下だった守矢頼真が
諏訪頼重と課税方針を巡り対立していた経緯もあるし、
諏訪氏の内部争いに武田氏は不干渉だった。
虎王を諏訪一族がどう待遇するかは諏訪一門で決めること。

202 :人間七七四年:2013/09/20(金) 08:16:14.79 ID:XOasu/gO.net
で、ソースは?

203 :人間七七四年:2013/09/20(金) 08:18:18.69 ID:XOasu/gO.net
と言うか、情に施されてって言うならって話だから、対立どうのうは関係ない。

204 :人間七七四年:2013/09/22(日) 17:07:17.68 ID:JWK+4w8U.net
三好家が存続する最低限の条件は長慶のほか実休と義興が生存すること

205 :人間七七四年:2013/09/27(金) 02:52:23.51 ID:K/UwZFcj.net
a

206 :人間七七四年:2013/09/27(金) 21:07:11.43 ID:q6nZHsZS.net
>>204
それじゃダメだ
二人とも有能だが義興と実休だけじゃ全てカバーしきれない
安宅と十河の支えがあってこそ阿波三好軍の実力が発揮される

阿波三好軍:実休・安宅・十河
畿内三好軍:義興・長逸・長頼
この六人が三好政権の中枢だ

207 :人間七七四年:2013/09/27(金) 23:54:53.42 ID:paaJjmkr.net
三好政権を存続させるには十河一存が湯治に同行してきた松永久秀をぶっころすこと

208 :人間七七四年:2013/10/06(日) 10:59:01.81 ID:gozLNNCN.net
松永久秀はどこでも嫌われてるなw

209 :人間七七四年:2013/10/06(日) 11:40:46.19 ID:uKpXA/RL.net
>>206
それはどうかな。阿波、讃岐、淡路は、実休・冬康・一存死後、
ほぼ篠原長房一人でまとめきってたから、3人は不要。
そもそも実休は高屋城、一存は岸和田城の城主になってて、晩年はほとんど四国不在だった。

三好長逸は、全く畿内をまとめきれず、義継に逃げられてる始末。
松永長頼は、結論から言うと、畿内どころか丹波一国で手一杯。
松永久秀も、大和一国で手一杯、和泉・紀伊の畠山の支援でなんとか戦ってただけ。

結論を言うと、三好義興と篠原長房の二人が健在であれば、
松永兄弟、三好義継、三好長治を抑え込んで、三好政権は存続できたと思う。

210 :人間七七四年:2013/10/06(日) 16:48:29.88 ID:I+F744dd.net
>>209
篠原は児島で失敗しているし長治に攻め滅ぼされているのであまり当てにならない
真面目すぎる義興は義輝と仲が良すぎて操り人形になる可能性もある

結論を言うと誰が生きていようと三好政権は織田に攻め滅ぼされて終了

211 :人間七七四年:2013/10/07(月) 09:03:00.54 ID:Tq0TwIPv.net
織田は上洛できないだろ

212 :人間七七四年:2013/10/07(月) 12:39:06.17 ID:+wrEV0Ca.net
アンチって、何でも信長に絡ませたいんだねw

それはそうと、三好軍は、国人衆の集まりのためか他の国人や一族が力を
持ちすぎ。
長慶が生きていても遅かれ崩壊が始まっていたかもしれないが、義興も生き
ていたのなら、長慶→義興を中心した勢力を作れたかも。
そうなれば、歴史と違って将軍様になれたかもしれない。

213 :人間七七四年:2013/10/07(月) 18:51:08.05 ID:mE06DXvH.net
>>212
>三好軍は、国人衆の集まりのためか他の国人や一族が力を持ちすぎ。
三好氏だけが国衆の集まりというわけではないよ
今川氏、北条氏、毛利氏、織田氏など所領を大規模に拡大したところは同じ境遇ですよ

三好氏傘下の国衆に力があるのはその先進した地域性にある
特に摂津国衆の池田氏や伊丹氏などは細川氏の時代から力をつけている
そして池田氏と伊丹氏は敵対したりしているので国衆の集まりだからといって一揆を結んでいたわけではない

その辺の歴史背景を押さえていないと頓珍漢な話になる

>義興も生きていたのなら、長慶→義興を中心した勢力を作れたかも。
>そうなれば、歴史と違って将軍様になれたかもしれない。
これも無い
義興は義輝を将軍として敬っているし取って代わる野心も無い
義興と義輝の記録は目を通したの?

214 :人間七七四年:2013/10/07(月) 19:24:22.07 ID:KSQpb4Tm.net
菅沼

215 :人間七七四年:2013/10/07(月) 19:24:43.82 ID:mE06DXvH.net
付け加え

先進した地域性について

 例えば武田氏傘下の木曾氏の所領は広い
 そして三好氏傘下の池田氏の所領は狭い
 しかしその石高は池田氏の方が圧倒的に高い

 所領の特性を見ても
 木曾氏も山林の収益はある
 池田氏の畿内の交易による収入の方がはるかに高いだろう

摂津国衆は小勢力に見えても地方国衆と比べるとレベルが違うわけですよ

216 :人間七七四年:2013/10/07(月) 19:27:26.06 ID:mE06DXvH.net
>>214
菅沼?

217 :人間七七四年:2013/10/08(火) 00:10:12.79 ID:3NWgYYi9.net
>>210
児島侵攻は2回あったんじゃないかな。
香西と四宮の侵攻と、篠原の侵攻と。
敗北したのは香西の方で、篠原の方は勝利しているように思われる。

あと男は、立場が変われば付き合いも変わる。
長慶が居なくなれば当主義興と将軍義輝の関係は間違いなく悪化する。
そして恐らく余桃の罪のように激しく憎み合う。

218 :人間七七四年:2013/10/08(火) 08:30:33.36 ID:HtWtRYXf.net
>>213
それだけ詳しくて、言葉そのままにとらえてるってのは、正直な人なんだね。
レスが長くなるので省略したのだけど、要はどれだけ自分の影響力が徹底で
きているかって話。
例えで書いてあった武将は、それが程度があるにせよ出来ているでしょ。
謙信を挙げていないのは流石。

義興の件も正直に受け入れてくれたみたいだけど、長慶→義興がミソ。
長慶が崩し、その後義興が継ぐと。
すでに敬う将軍家はありませんって事。

219 :人間七七四年:2013/10/08(火) 10:45:10.67 ID:2cFuMLiR.net
馬鹿織田厨って最初から結果を決めて
歪曲捏造し我田引水するから
いつも馬鹿馬鹿しいレスしかしない。
根拠がなく、「願望に基づく思った」ことを書く馬鹿。

220 :人間七七四年:2013/10/08(火) 19:31:11.57 ID:qReF400v.net
菅沼遼太とはアスペルガーだがの実名です
219の気痴害のこと

221 :人間七七四年:2013/10/08(火) 23:59:34.99 ID:f+ShzFnu.net
>>218
池田氏や伊丹氏は普通の国衆とは違うので先に挙げた北条氏や毛利氏でも厳しいかと
織田氏も当初は池田氏や伊丹氏を摂津三守護として扱っている
自分の影響力とかのレベルの話で考えない方がいいと思うよ

>>220
情報あり
アスペルガーだがは嘘吐きだから嫌い

222 :人間七七四年:2013/10/09(水) 14:55:05.22 ID:5dTcAdBs.net
実際には北条も毛利も国人衆には手を焼いているよな

223 :人間七七四年:2013/10/10(木) 08:06:24.50 ID:EpUXJMSR.net
>>221
普通の国衆とは具体的にどう違うの?

224 :人間七七四年:2013/10/10(木) 08:24:33.47 ID:XcEm0YMM.net
>>221
えーと、全体的な勢力の話なので、特殊な例を言っているわけではないよ。
何々がいるからって言うのは、一つの言い訳で、どの勢力にもいる。
その例でいくと、武田にも小山田氏がいるし、謙信に限ってはもっと酷い。
それでも勢力として取り込んでいる。
後北条や毛利は、自分の息子を入れたりして取り込んでいるので、ちょっと
方法が違うんじゃないかななぁ。
言いたいことは解るけどね。

225 :人間七七四年:2013/10/10(木) 10:04:43.55 ID:nJYO3AKJ.net
その論法なら三好も武田上杉同様に国人衆の取り込みに成功してるんじゃね?

226 :人間七七四年:2013/10/10(木) 12:16:58.99 ID:9HObq/vo.net
池田とか伊丹って地方レベルの国人が沢山集まった集合体でも国人扱いという異端
地方レベルと比較すると諏訪とか木曽並みの規模。
殆ど戦国大名と言っても遜色ないレベル、プロ喰っちゃうレベルの強いアマチュア

227 :人間七七四年:2013/10/10(木) 12:25:08.33 ID:9HObq/vo.net
>>225
よく三好が国人の集合体で統率性に欠ける、とかの意見をよく見るけど
各地方大名と三好でやってる事にそんなに違いはないんだよね
国人の経済規模とか独立意識が高いという違いはあるが
何故か三好旗下の国人は地方国人との違いを植え付けられてるね、関西だからだろうかw
225の言う通り国人衆の取り込みに三好は成功してるよ、池田なんて三好一門だしね

228 :人間七七四年:2013/10/10(木) 14:54:33.34 ID:50glSCO1.net
そうだよな

229 :人間七七四年:2013/10/10(木) 16:52:05.03 ID:50glSCO1.net
213氏と227氏は結果的に同じこと言ってるな

230 :人間七七四年:2013/10/10(木) 21:08:52.53 ID:UR38qW8M.net
>>224
ちょっと待って!

そちらのレス>>212
>それはそうと、三好軍は、国人衆の集まりのためか他の国人や一族が力を
>持ちすぎ。
と書いてあるからそちらに合わせて国衆二大勢力の池田氏と伊丹氏を出したわけだが

>全体的な勢力の話なので、特殊な例を言っているわけではないよ。
と書かれるとあまりいい気分ではない
こちらは特殊な例として池田氏と伊丹氏を出したわけじゃないからね
まあ言っても詮無きことだからいいや

今度は間違いがないようきっちり確認しておきたいので改めて質問するけど
何で三好(軍)の国衆が力を持ちすぎと思ったの?
ここをしっかり明らかにしないと話にならない



>>229
227氏[ID:9HObq/vo]の名誉のために書くけど別人だからね
わかってくれていると思うけど一応念のため

231 :人間七七四年:2013/10/11(金) 12:45:45.49 ID:6WSalAZA.net
>>225
成功していないと書いた覚えがないけど、そう言うふうにとらえてしまう文章
だったら申し訳ない。
成功どうのではなく、国人衆の独立性の話。
まあ、どこでも多かれ少なかれある事だけど。

>>230
>国衆二大勢力の池田氏と伊丹氏を出したわけだが
>特殊な例として池田氏と伊丹氏を出したわけじゃないからね
うん、だったら「普通の国衆とは違う」と書かなければよかったのでは?
それに対して、どの勢力でもいると返答したわけで。

>>何で三好(軍)の国衆が力を持ちすぎと思ったの?
国衆だけと言った覚えがないけどなぁ。
長慶死後、親族衆は結束して当主を補佐していたと?
ああ、長慶在命中だけの話なのかな?
それだったら話が違うかも。

232 :人間七七四年:2013/10/11(金) 14:59:34.21 ID:TYgR0KZG.net
長慶死後限定の方が特殊な例と気がつかない時点で残念

233 :人間七七四年:2013/10/11(金) 19:00:52.53 ID:rq5WwYJk.net
>>231
義継の時代にしたいならレス>>212の文章自体が間違っている
国人衆の集まりのためとか頓珍漢なことを書いているから話が狂うわけで
国人や一族が力を持ちすぎではなく松永が力を持ちすぎと書くべきだね

相手に真意が伝わらない文章を書いてちゃダメだと思うよ

234 :人間七七四年:2013/10/12(土) 08:09:51.31 ID:/SnrSFib.net
三好政権末期なら国人衆や親類衆より松永の方が違和感なくしっくりいく
なんで松永をわざと外したのかがわからん

235 :人間七七四年:2013/10/12(土) 14:58:34.94 ID:TWRlSrMo.net
松永が力をつけたのは実力で勝ち取ったもんだからな
しかし他の家臣と比べたら力をつけすぎたのは事実

236 :人間七七四年:2013/10/12(土) 21:07:14.69 ID:ZQ7IjHhs.net
将軍襲撃後の三好三人衆と松永久秀の立ち位置の確認

三好三人衆も松永久秀も三好政権の中枢にいたと思われるが
三好三人衆自体の軍事力の基盤はそれほど大きくない
対して松永久秀の軍事力の基盤は大和支配(他に摂津滝山など)にある
これに内藤宗勝が支配する丹波も合わせると三好三人衆を圧倒することになる
※この時点で三好康長は三人衆と同調してなさそうなので除外しているよ

ところが内藤宗勝が敗死したことで松永派の軍事力が後退
これを好機と捉えた三好三人衆は三好義継を拉致監禁
三好家当主の義継が松永久秀と組むと厄介だからね
この事件に三好康長が三好三人衆を支持
ここに来て三人衆派がようやく強気となる
この3条件が三人衆に転がり込んだのは幸運だった



三人衆と松永の力関係がよくわかると思う

237 :人間七七四年:2013/10/13(日) 08:51:35.35 ID:OPySnXZv.net
俗に三人衆というけど
それぞれに領有してる土地とか持ってたのかね?

238 :人間七七四年:2013/10/13(日) 15:48:40.17 ID:dEdlVBH2.net
三人衆に限らず武士はいろいろと大変だから財力がないとやってけない
槍や弓、鎧、馬にも銭がかかるしね
それに主君に仕えるのも基本は所領安堵が目的だから

239 :人間七七四年:2013/10/13(日) 15:51:37.69 ID:dEdlVBH2.net
すまない途中送信やっちまった
結論は土地は持っていた

240 :人間七七四年:2013/10/13(日) 22:39:33.87 ID:Vo5ABTbT.net
所領が無いと他にも困るよね
戦の時に課せられた兵(領民)が必要
それに口取りや槍持ちもなんかも必要
備えを指揮する武将ともなると郎党も大勢必要
自分たちの兵糧や馬の飼料も必要
弓で使う矢の材料となる竹も必要
戦国時代の武士は所領が無いとやっていけない

241 :人間七七四年:2013/10/14(月) 09:40:43.51 ID:WBUQFxt1.net
>>239
それぞれの所領はこれで合ってるかな?

三好長逸 飯岡城(山城)、芥川山城(摂津)
三好政康 ?
岩成友通 勝竜寺城(山城)
三好康長 岩倉城(阿波)、高屋城(河内)

242 :人間七七四年:2013/10/14(月) 14:05:06.39 ID:lqoR8Vhp.net
すまないがわからん
康長の高屋城すら領主じゃなく在番の可能性が高い
持っていてもわずかじゃないか?

243 :人間七七四年:2013/10/14(月) 19:02:58.37 ID:AHDUjoYI.net
北条氏みたいに「小田原衆所領役帳」があればいいんですがね
せっかくなんであれこれ考えてみた


三好三人衆
三好長逸の場合
 彼は早くから活躍していたので所領は摂津の各地に点在していると考えられます
 長慶の重臣という立場なら芥川城の周辺にも小さな所領はあったと考えた方が妥当でしょう
 ただ各地に点在していたためまとまった所領は無いんじゃないのかな?
 多分最大の所領は飯岡城の周辺か?

芥川城
 三好長慶の居城だったということもありこの周囲は長慶の直臣が固めていた可能性が高い
 彼らを排除してまで長逸が所領を広げるという暴挙はありえないでしょう

飯岡城
 三好長逸が守将を務めた城
 永禄元年以前に入城


三好政康の場合
 彼の活躍は長逸より後発なのでそのぶん所領は少ないと考えられます
 ただ彼の場合は不明な点も多く所領獲得の経緯や地位向上の経緯もよくわからない
 彼の出自の解釈次第で見解は変わると思われます

木津城
 三好政康が守将を務めた城
 何故彼が木津城にいたかは不明
 所領としていたと考えるには無理があると思います
 ※足利義輝と三好長慶が和睦した時に配したか?


石成友通の場合
 彼の活躍は奉行衆から始まっているので最初所領は少なかったと考えられます
 長慶治世末期に頭角を表し始めているので多少は所領加増はあったかもしれません

勝龍寺城
 石成友通が守将を務めた城
 何故彼が勝龍寺城にいたかは不明
 ただ足利義輝を警護したこともあるからその時に獲得したのかも
 山城で所領を持つ理由は政康よりあるかな?
 ※足利義輝と三好長慶が和睦した時に配したか?

長逸は古参の武将という経緯もあり三人衆の中では一番
政康と石成は長逸より財力が落ちると考えた方が妥当

244 :人間七七四年:2013/10/14(月) 19:04:46.89 ID:AHDUjoYI.net
三好康長
 彼は実休配下として活躍していたから所領は阿波が中心で畿内には無い
 嫡男康俊が岩倉城にいたので所領の可能性が高いと思います
 勿論阿波各地に小さな所領が点在していると思いますが

高屋城
 この城は畠山氏から奪取した後に実休が守将を務める
 実休死後に康長が守将を務める
 多少のお手当(実休遺領)はあったと思いますがまとまった加増はなかったと思います
 そもそも実休自体が河内に大幅な加増を受けた史料は無い様な気がします
 一存死後の和泉を任された時も同様
 実休も康長も242さんの仰るとおり在番と見ていいのでは?


長慶治世の初期に摂津支配の戦い(細川氏との戦い)が始まります
しかしこの時期の三好氏は摂津国衆の協力を得ないと難しい
主君細川氏に摂津国衆がまとまると阿波の三好氏に勝目は無い
細川氏の影響力の排除を第一の目的としたため所領獲得があまりできなかったと考えています
芥川氏は反抗したため遠慮なく滅ぼしたけど

丹波や大和支配の戦いの時期は三好氏も力をつけたので松永氏が強行に攻め入って切り取り放題なった



長文スマソ

245 :人間七七四年:2013/10/14(月) 22:44:23.50 ID:lqoR8Vhp.net
所領も重要だけど合力する小領主が何人いるかも重要だよな

246 :人間七七四年:2013/10/15(火) 08:05:09.17 ID:3fFylD+P.net
三好人気あるな
この良スレ無双状況ならいくらアスペなだがでも荒らし活動は無理だな

247 :人間七七四年:2013/10/15(火) 09:02:49.83 ID:KaHUXFw3.net
永禄の変っていうのは
長慶以来の三好政権が
正統性を確保しつつあった状況で
形骸化した足利政権が
自然な流れとして淘汰されたというのが
真相だと思うんです。

その後の松永と三人衆との
主導権争いで
三好政権は自壊しましたが。

だから長慶が生きてしいても
義輝は殺されはしないにしても
足利幕府は遠からず三好家によって
細川政権同様に
終焉に追い込まれたと思います。

その場合三好と同盟している
斎藤の勢力が伸長したかも。

248 :人間七七四年:2013/10/15(火) 10:05:09.39 ID:3fFylD+P.net
同盟は利害一致で相互対等が望ましい
六角が三好の風下をよしとするのか疑問

249 :人間七七四年:2013/10/15(火) 14:53:34.46 ID:Y9X2pJ0K.net
三好政権が正統性を確保しつつあった状況と書いてあるが意味がわからん

250 :人間七七四年:2013/10/15(火) 16:37:07.98 ID:KaHUXFw3.net
二日酔いで書いたからか
脱字だらけだし
変な文章になってましたね。。。

政権運営の正統性が
幕府から三好家に移りつつあった状況

と書くべきでした。

特に久米田の戦いののちは
幕府の権威は地に落ち
代わって三好家の権威が
確立されつつありました。

その状況で
巨大なカリスマの長慶が生存していたら
まだ幼い義継のために
幕府を終焉に向かわせただろうと
想像をしてみます。

251 :人間七七四年:2013/10/15(火) 16:39:15.87 ID:KaHUXFw3.net
久米田の戦い 改め
教興寺の戦いでした。

恥の上塗り。。。

失礼します。

252 :人間七七四年:2013/10/15(火) 16:54:50.28 ID:Y9X2pJ0K.net
負けたのは細川六角畠山根来だろ?
幕府が負けたわけじゃないし
どちらかといえば幕府は三好側だよ
権威が地に落ちたという解釈はどうなんだろうと思うが?

253 :人間七七四年:2013/10/15(火) 19:37:57.01 ID:KaHUXFw3.net
また書き方が悪かったようで
すいません。

足利将軍家の権威が著しく凋落した

と書いたほうがよかったと思います。

久米田の大敗北から崩れずに
にわかに立て直し
一挙に挽回して敵対勢力を一掃した三好家は
その基盤が極めて強固であることを
天下にしめす一方
幕府府県をもくろむ義輝は
後ろ盾の六角氏を失い
三好家に娘を人質を出している体たらくです。

254 :人間七七四年:2013/10/15(火) 20:51:25.02 ID:OjNg/Twh.net
足利将軍家の権威は凋落どころか強化されているよ
政所伊勢貞孝が討伐され摂津晴門が任命されたことで
三好政権の足利幕府への影響力が著しく低下
橋渡し役の三好義興が死去したことで幕府への影響力は完全に無くなった
どちらかといえば三好政権の権威の方が凋落したと言える
このため足利義輝が危険視されてしまうことになる

255 :人間七七四年:2013/10/15(火) 21:48:49.70 ID:32LALyJa.net
>>250
>政権運営の正統性が
>幕府から三好家に移りつつあった状況
政権運営の正統性って朝廷から信任を得た“将軍だけ”にあるんじゃないのかな?
というより三好氏に正統性なんか全く無い
三好政権に正統性を感じるのであればそれは将軍義輝が京都に君臨しているおかげだと思うよ

>幕府を終焉に向かわせただろうと
義輝を廃位(または殺害)したとしても「次ぎは俺様が将軍になる!」とか勝手なれるわけでもない
朝廷工作が必要だし戦国大名がそんなことを許すわけもない
長慶は朝廷工作とかにあまり力を入れていないし景虎や信長が上洛した時も何ら積極外交したわけでもない
幕府内での権威の向上に満足してしまっているのが実態だと思う
それに細川氏の氏綱・昭元・真之ら主家筋を手元に置いているところを見るとこれが限界でしょう

256 :人間七七四年:2013/10/15(火) 22:29:56.44 ID:Q+J/boZm.net
>>244
三好って本拠地がどんどん南下してるよね。

摂津越水城(長慶)→摂津芥川山城(長慶)
→河内飯盛山城(長慶)+河内高屋城(実休)+和泉岸和田城(一存)

畠山の勢力が結構強くてずーと苦戦してる感じ。
木沢長政とか遊佐長教とかになかなか勝てなかったし。
そして取り込んだ遊佐長教が死んだのが一番痛かった気がする。

紀伊の畠山傘下の湯川直春なんて、天正十三年の羽柴秀吉ですら
勝てない相手だもんね。むしろ丹波とか朽木とかを一門が押さえた方が良かっただろうに。

257 :人間七七四年:2013/10/15(火) 22:31:58.38 ID:asuwpJLl.net
朝倉や織田が斯波を追い出した様に三好も細川を追い出していたら違う道を歩んだかもな

258 :人間七七四年:2013/10/15(火) 22:41:57.87 ID:KaHUXFw3.net
伊勢貞孝を討ったのは三好の武力です。
義輝に伊勢氏を排斥するだけの
武力はありませんでした。

政所執事を世襲した伊勢氏の排斥によって
政所が機能不全となり
幕府そのものの統治能力は
一層失われたのではなかったでしょうか。

幕府と三好の取り次ぎは
義興ではなく
松永久秀だったと思います。
三好家の家督を継いでいた
義興が「橋渡し役」というのは
ちょっと分からないです。

永禄の変は
三好家に飼殺しにされていた義輝が
巨大なカリスマ長慶の死によって
三好家が一気に傾き
幕府に権威が戻ると「夢想」して
三好家に戦いを挑む姿勢を見せて
あくまで反抗を止めなかったので
しかたなくああいうことになったのだと
私は想像しています。

259 :人間七七四年:2013/10/15(火) 22:46:33.19 ID:Q+J/boZm.net
>>257
細川を追い出すと香川、香西、寒川、羽床あたりがうるさいから、
こいつらを先に始末しないとね。
しかし寒川氏だけでも、十河一存が負傷するくらいの強力な国人なんだよね。
細川家の主力をそっくり取り込んだことが逆に三好家の壁(限界?)になってるよね。

260 :人間七七四年:2013/10/15(火) 22:48:44.17 ID:32LALyJa.net
>>256
>三好って本拠地がどんどん南下してるよね。
南下というより居城を河内に移すことで万全な支配体制を狙ったのでは?

>そして取り込んだ遊佐長教が死んだのが一番痛かった気がする。
確かにあの時点では痛い
しかし曲者でもあるわけなので長生きしていたら何をするかわからん気配もある

>丹波とか朽木とかを一門が押さえた方が良かっただろうに。
丹波は長慶が波多野氏との縁を断ち切ったせいで支配困難地域と化したよな
内藤氏のような軍事・行政に秀でた武将じゃないと厳しいかと…でも討死したけどな

261 :人間七七四年:2013/10/15(火) 23:09:50.34 ID:KaHUXFw3.net
>>255

三好家は将軍義輝を5年間追放して
「三好長慶」として
京都を実効支配しています。
朝廷もこれを是認しています。

幕府を終焉に向かわせるには
いくらでも方法はあります。

武力も財力もない朝廷が
強大化した三好家に逆らってまで
幕府を擁護する義理があるでしょうか?

氏綱らを手元に置いていましたが
旧主筋を飼殺しにするのは
どこでもやっていることです。

262 :人間七七四年:2013/10/15(火) 23:20:05.88 ID:32LALyJa.net
>>258
>政所執事を世襲した伊勢氏の排斥によって
>政所が機能不全となり
>幕府そのものの統治能力は
>一層失われたのではなかったでしょうか。
伊勢氏は義輝を見限って三好氏に帰属し三好派として幕政に携わっているので義輝としては邪魔な存在だよ
摂津氏は義輝の重臣なので彼が政所に就くことで三好政権の干渉は完全に排除された

>幕府と三好の取り次ぎは
>義興ではなく
>松永久秀だったと思います。
義興・久秀の両人とも義輝に信頼されていたはず
義輝と義興は金閣にも一緒に行ったりして私的な付き合いも多かったんじゃないか

263 :人間七七四年:2013/10/15(火) 23:31:46.58 ID:32LALyJa.net
>>261
>幕府を終焉に向かわせるには
>いくらでも方法はあります。
それを言ったら限がないのでは?
誰でも何でも幕府は滅ぼせるという話になる

>武力も財力もない朝廷が
>強大化した三好家に逆らってまで
>幕府を擁護する義理があるでしょうか?
朝廷は仕来りや先例とかを重要視する
義理という思考はあまり意味が無い
秀吉みたいに藤原氏の養子になって関白政治という方向に持っていくのか?
あれはレアケースだからこのタイミングでは無理だぞ

264 :人間七七四年:2013/10/15(火) 23:37:17.99 ID:asuwpJLl.net
やはり阿波者三好は丹波⚫摂津⚫河内⚫讃岐では人気が無いか

265 :人間七七四年:2013/10/15(火) 23:42:27.45 ID:asuwpJLl.net
つーか三好本スレを盛り上げてやれよw

266 :人間七七四年:2013/10/15(火) 23:47:19.71 ID:Q+J/boZm.net
>>261
なんだかんだ言って、足利義輝いない時は、細川氏綱を担いでいたイメージがあるんだよね。
あとせっかく細川持隆を殺害したのに細川真之を担いでるし、
早雲、道三、元就あたりと比べて、長慶はかなり緩い気がする。

267 :人間七七四年:2013/10/15(火) 23:58:33.63 ID:asuwpJLl.net
長慶は誰かを下ろし誰かを担ぐの繰り返しで次の段階に進めなかった人だね

268 :人間七七四年:2013/10/16(水) 00:27:05.19 ID:15TtWEGu.net
何ここ!?
近年稀に見ぬ良スレ!

まぁ、長慶が生きてれば義輝は死なない、死なせない
義輝が生きてれば、幕府の権威強化に必死
そして過去に暗殺も企てるほど長慶が嫌い&邪魔
細川、六角、畠山は長慶にやられて落ちぶれたにしても
自分の言うことを聞く上杉、毛利を軸に周辺大名を使った包囲網は形成されるかもね
それでも長慶は義輝を除こうとはしないだろうし、政治力で押さえ込むんだろうが
キレた義輝、実質幕府の屋台骨と自分の命を支えてるのは長慶だとは思わず、また暗殺実行
成功したら、即三人衆&松永にヌッコロされる
以下史実通りかな

269 :人間七七四年:2013/10/16(水) 00:43:13.61 ID:15TtWEGu.net
>>266
緩いと言うか、甘い
ほんとに戦国の武将かと思うくらいに
対人間にしても、幕府にしても、敵対勢力にしても
完全に相手を支配できる立場と能力を持ってるのにしない
結局いつも裏切られて自分が傷ついてバカを見る
完璧超人の癖に隙だらけ
でも、そんな長慶が大好きだ

270 :人間七七四年:2013/10/16(水) 01:16:54.32 ID:FsJy0CWm.net
三好一党は
とくに三好長慶は
政治家としての手腕が一流だと思うのです。

武力で敵を圧倒するよりは
調停者として味方を増やしていく。

父の敵の本願寺を滅亡から救ったり
仇敵だった遊佐長教とも
和睦後に強固な同盟関係を築いています。

口で言うのは簡単ですが
巨大な組織同士の
利害関係を調整するのは
非常に強いリーダーシップと
大変な知恵が必要になります。

あと5年長生きしていたら
信長とは違うやり方で
天下を平定していたかもしれませんね。

271 :人間七七四年:2013/10/16(水) 06:53:23.60 ID:5bRgWGwb.net
何で伊勢貞孝は三好長慶を裏切ったんだろうな
正気の沙汰じゃない

272 :人間七七四年:2013/10/16(水) 07:20:25.82 ID:VNQJbzxV.net
行き詰まった長慶が義輝にすりよった結果、貞孝の居場所が無くなったって感じだろう。
これは長慶のミスで三好政権の致命傷になったな。

273 :人間七七四年:2013/10/16(水) 07:59:29.18 ID:5bRgWGwb.net
軍事的にも政治的にも三好政権の混乱と衰退が露呈されたってことだな
相対的に足利幕府は政治的には三好政権の影響力からの脱却に成功したが
軍事的に自立できないところが残念

274 :人間七七四年:2013/10/16(水) 10:08:36.18 ID:/o+gjog1.net
そもそも長慶は義輝に逆らう気はなく、三好政権も自分で望んで確立したわけじゃないから、未練もなにもなく、あっさり義輝に返しちゃうんだよな
伊勢貞孝にしてみれば、何それ聞いてない、てか今さら義輝に戻られても困る!状態だったろうな

275 :人間七七四年:2013/10/16(水) 17:15:46.53 ID:KJ+P/5kG.net
正統性が義輝にある以上、長慶も義維を将軍に担ぐことを諦めた
誰か書いてたけど長慶に正統性は無いわな
長慶は頭がいい分、無難な活路を選んだと考えた方が妥当だな

長慶が経済に興味を持たなかったことが運の尽き
信長みたいにとは言わんが城下町くらい興味持てよ

276 :人間七七四年:2013/10/16(水) 17:28:24.36 ID:osZKlg5B.net
貞孝涙目!

277 :人間七七四年:2013/10/16(水) 21:53:39.84 ID:i7MJ4DwO.net
>>243‐244
これでは松永に勝てないね
四国からの援軍が必要になるわけだ

278 :人間七七四年:2013/10/16(水) 23:16:16.52 ID:h7qyVMzN.net
三好三人衆は摂津国衆をまとめられなかったことと畠山根来が松永に味方したことも痛い
それでも阿讃淡三ヶ国の軍事力と足利義親を擁することができれば取るに足らぬ些事だな
篠原の一挙一動恐るべし

279 :人間七七四年:2013/10/16(水) 23:30:54.04 ID:L5vA2I3A.net
三好長慶が生きていたら足利義輝による天下統一もあったのかもな

280 :人間七七四年:2013/10/17(木) 00:17:35.93 ID:3QFHuBlw.net
可能性はある、かな?
義輝が長慶を排除としなければ
絶対するだろうけど

281 :人間七七四年:2013/10/17(木) 00:28:31.61 ID:zWxLmmQn.net
やっぱりしつこく暗殺なんだろうな
そしてことごとく失敗するんだろうな

282 :人間七七四年:2013/10/17(木) 07:33:20.09 ID:MZKXMopW.net
足利幕府三好政権がまともに機能するなら上杉と毛利の協力もありえるんじゃね?
夢みたいな話だけどな

283 :人間七七四年:2013/10/17(木) 10:05:45.98 ID:zWxLmmQn.net
謙信と同じく義輝に信頼されている織田の協力もありえるね

284 :人間七七四年:2013/10/17(木) 10:25:35.05 ID:xKbrg4wn.net
義輝が現実を見据えて、長慶を許し、取り込める器量があれば、実現してた可能性は十分あるな
むしろ義興が生きてれば実現…しないか
義輝暗殺を止める人がいないから

285 :人間七七四年:2013/10/17(木) 10:39:38.74 ID:09xy4GJo.net
このスレだと義輝の暗殺やら時勢の読みとかでそれなりの扱いだけど
一歩出ると剣豪補正とヘタレ義昭の比較対象で義満以来の神レベル将軍になるよな。
義昭も剣の使い手だったと言うのにw
剣豪将軍足利義輝、あの討ち死に逸話と辞世の句は1500〜1567年代の歴史を抹殺する事に成功したな
信長以前の畿内は問答無用でカスという印象付けにも作用してるし。

286 :人間七七四年:2013/10/17(木) 21:54:13.82 ID:76A9deHC.net
しかし三好家はどうやって阿讃淡三ヶ国2万人と言われる軍勢を
何度も渡海させてたんだろうね???

現在の軍隊でも2万人本州上陸は一大作戦だと思う。
食糧とかもある程度持ち込まないといけないし。

287 :人間七七四年:2013/10/17(木) 22:28:43.69 ID:xUczHZ+3.net
>>286
大規模軍勢の渡海作戦成功は安宅冬康の手腕の成せる業でしょうね
彼なくして畿内の覇権確立はありえない
兵糧は四国からも少しは運ばれたかもしれないが多くは畿内で用意されたのでは?
海にしろ川にしろ船による輸送能力を押えたところに三好政権の底力を感じます

288 :人間七七四年:2013/10/18(金) 00:27:13.32 ID:nUKkZgRS.net
>>285
気性といい、覇気といい、そこそこ回る頭といい、足利歴代将軍の中じゃマシな部類だろうけど、義満レベルはないわなぁ
精一杯頑張って六代、足利義教クラスだろうな
それでもスゴイけど

>>286
舟で阿波の鳴門から堺まで、風が良ければ1日、風が悪く休み休みでも3日で移動できたそうだから、陸路を行軍するよりはるかに早いから食糧の心配は少なかったかもね
到着先の堺は親三好だし
しかし、それが可能だったのは>>287の書いてる通り、安宅冬康がしっかり淡路の制海権を握ってたのが大きい
地味な三好家の中でも、さらに地味な冬康だが、四国と畿内を繋ぐ扇の要
ついでに言えば兄弟中を繋ぐ扇の要
何気に、武田信玄にとっての信繁のような、三好躍進の陰の立役者にして最?重要人物
地味すぎるがw

289 :人間七七四年:2013/10/18(金) 08:05:37.52 ID:G21J7rjK.net
足軽レベルで考えたら船酔いする人は多くなかったのだろうか?

290 :人間七七四年:2013/10/18(金) 09:11:31.84 ID:ygfcrso0.net
船酔いする人は(足軽レベルで考えなくても)一定数はいたと思うぜ。
体質的な物も大きいし。
上陸強襲する訳でも無いから、戦略面で特にデメは無いだろうけど。

291 :人間七七四年:2013/10/18(金) 10:00:09.74 ID:E7wvLonU.net
多いだろうね
泳げない人がほとんどだろうし、落ちたら死ぬ
とは言え、応仁の乱以降、四国の兵は畿内で争乱があるたびに駆り出されてたので、大軍で渡海するノウハウは相当あっただろうね

292 :人間七七四年:2013/10/18(金) 10:21:27.65 ID:E7wvLonU.net
スレタイからズレてきてるんで
義龍が生きていたら考察
六角で観音寺騒動があるまでは一進一退でいけるかな?
騒動が起こっても、浅井が独力で六角を打倒できるとは思わないので、状況に変化はないかもしれんが

293 :人間七七四年:2013/10/18(金) 18:21:50.96 ID:ymE9OWV5.net
長慶が生きていたら考察はズレていると指摘
義龍が生きていたら考察はズレていないと主張

あまりの自己中の潔さにワロタw

294 :人間七七四年:2013/10/18(金) 23:11:58.30 ID:K2ZtLUp4.net
十河一存が岸和田に入ったことで松浦信輝は三好政権と敵対
これとは別に真鍋貞行・貞友父子は三好政権に帰属しいている

和泉の事情はちょっと複雑

295 :人間七七四年:2013/10/18(金) 23:45:19.85 ID:BpkUctpM.net
>>294
松浦氏って複雑すぎてよくわからないんだけど、
松浦肥前守光(孫五郎?)と松浦信輝って、同一人物かな?
松浦孫八郎と万満と松浦肥前守虎って、同一人物かな?


松浦万満(幼少のため三好が庇護)
松浦肥前守虎
松浦孫八郎
松浦肥前守光(孫五郎?)
松浦信輝
松浦宗清(寺田安太夫)信輝を殺害

ついでに・・・

更に論文によれば「信長上洛前夜の畿内情勢」(場部隆弘)

和泉守護代松浦孫八郎も、十河一存の子供であったと推測されています。
(つまり、三好義継と松浦孫八郎は兄弟…)

296 :人間七七四年:2013/10/18(金) 23:54:58.27 ID:BpkUctpM.net
>>291
2万人って言うと、100人乗りの船で200艘、10人乗りで2000艘

ちなみにアメリカ海兵隊は約20万人、
うち日本に駐留しているアメリカ海兵隊: 1万4951人

細川家と三好家の経済力って凄いね。

297 :人間七七四年:2013/10/19(土) 15:50:21.93 ID:ynIV+Wtk.net
安宅水軍が三好に属していたのはわかるけど真鍋水軍や塩飽水軍はどーなんだろう
毛利の村上水軍みたいに曖昧な関係か?

298 :人間七七四年:2013/10/19(土) 18:50:39.18 ID:QeFMGtOv.net
塩飽水軍
少し遠回りな話だけど
備前児島は阿波細川氏の勢力圏だったが備中三村氏が勢力圏拡大を狙って侵攻
この頃の毛利氏は備中三村氏を支持し瀬戸内の制海権を掌握するため村上氏を派遣し香西氏を駆逐
この後の三好氏の児島侵攻はこれの奪還と浦上氏の支持が目的

この背景を考慮すると塩飽水軍は毛利氏の影響を強く受けていた可能性がある
ただしこの話は三好長慶の死後のことなので生存中は中立区域と考えた方が無難か?
香西氏と村上氏の両方の顔を立てていたと思うよ


真鍋水軍
和泉の真鍋氏や淡輪氏は三好氏に帰属

299 :人間七七四年:2013/10/19(土) 22:27:37.20 ID:ZjdJYel2.net
高畠一族は三村に反抗したのかな?

300 :人間七七四年:2013/10/20(日) 00:44:49.13 ID:pZi9+1OQ.net
>>295
和泉の松浦氏にこんだけ詳しい奴初めてみたわw新鮮で面白いね

301 :人間七七四年:2013/10/20(日) 06:43:14.20 ID:G/Zvq82W.net
>>298
天正迄の塩飽諸島や児島南部は香西氏の影響が強い。
三好長慶生存中はほぼ間違いなく三好の勢力範囲かと。

>>299
三村氏は児島全土を制圧したわけでは無いと推測。

常山城、児島東部、上野氏の居城(三村氏と婚姻)
日比城、児島南部、四宮氏(香西氏と同盟)
小串城、児島東端、高畠氏の居城(三好家?)
元亀3年(1572年)高畠和泉守によって築かれたと云われる。
(ずいぶん築城が遅い時代のような。)

302 :人間七七四年:2013/10/20(日) 11:36:20.53 ID:LI7fz49v.net
それほど三好の覇権が確立されていたわけではない
永禄初期に三村の児島侵入は始まっていた
塩飽諸島も毛利の影響を受けていた

三好政権の政策も畿内が中心
塩飽や児島への関与はできない

303 :人間七七四年:2013/10/20(日) 11:46:59.54 ID:gs2tyunZ.net
細川政権の影響下にある備中の上野氏が、明応頃から阿波細川分郡外の児島北西部の熊野社領を横領する形で
児島に入り、児島中東部の三宅氏を婚姻により取り込み児島最大勢力になる。
その上野氏が細川の勢力衰退に伴い弘治頃に三村氏と結んだ形で、
江戸時代以前から三村上野介高徳と呼ばれている。備中の三村氏自体は児島へは侵攻していない。
その後上野氏は三村氏と共に毛利の勢力圏に入るけど、対三好戦時に動きが悪く、
戦後は毛利輝元によって熊野社に一部返還させられ、沿岸には村上、小早川水軍の拠点を作られている。

北東部の高畠氏は応仁以前に阿波から移り、高畠城→小串城。
元阿波細川家臣で、元亀元年時点では毛利の勢力下に入っているが、小早川隆景から動向を疑われている。

塩飽水軍、直島高原氏、児島東南部の四宮氏は元亀時点では三好の勢力圏と思われる。

真鍋島は不明。備中笠岡の方の陶山氏は村上水軍に敗れたけど、
備中国沿岸から児島の北を通って東へ上る海路では真鍋島や塩飽水軍の存在は障害にならないし
わざわざ沿岸から離れて他の水軍の縄張りに喧嘩を売る必要もなかったかもしれない。

304 :人間七七四年:2013/10/20(日) 12:19:35.64 ID:Mdc9drg3.net
そっちの真鍋を書いてるんかい
ちょっと笑えた

塩飽水軍は村上水軍とつながってるんで三好の勢力圏じゃないよ

305 :人間七七四年:2013/10/20(日) 13:08:33.76 ID:G/Zvq82W.net
>>304
301で塩飽水軍は間違いなく三好の勢力範囲と書いたけれど、
当時の水軍って陸地の勢力の支配下とは言い切れないから、
確かに間違いっだったかな。

村上水軍は河野氏、毛利氏と友好関係
塩飽水軍は香西氏、三好氏と友好関係
村上水軍と塩飽水軍も友好関係

こんな認識がある。
元亀の頃に村上武吉が毛利を離れた理由は、塩飽水軍との友好関係を
崩したくなかったから???

306 :人間七七四年:2013/10/20(日) 15:07:37.48 ID:T8xAd2sN.net
298さんが最初に発言した香西氏と村上氏の両方の顔を立てて中立という説に戻ったね
三好一族の安宅氏や毛利一族の小早川氏のような立場なら白黒はっきりするけど
一般的な海賊衆は流通が安定しないと死活問題に関わるから両属とか普通なんだろう

307 :人間七七四年:2013/10/21(月) 02:51:41.35 ID:Z9fN6W6m.net
スレ違いの話題が続いてますので
ちょっと修正していいですか?

それほど詳しくはないのですが
長慶の生前は
備前浦上・河野は
三好家と友好関係にあったそうですよね?

大友とも守護職の任官について
幕府への三好の影響力は無視できませんから
友好関係が想像されます。

長慶が長生きして勢力を拡大した場合
毛利包囲網のような形になっていたでしょうか?

その場合は石山本願寺や日蓮宗各派と
友好関係を持つ三好一党が
瀬戸内の水軍の掌握に有利なのでしょうか?

308 :人間七七四年:2013/10/21(月) 07:36:57.73 ID:mevrfaSr.net
また出たよ
今まで盛り上げてた人たちをスレ違いと指摘して否定
自分はスレ違いを修正したから大丈夫と勘違いする痛い奴

わざわざ最初の2行を書くあたり性格の悪さがにじみ出てる

309 :人間七七四年:2013/10/21(月) 19:22:11.25 ID:lk+UyFDd.net
まあ1回目の時になんで君がスルーされ今でもスレ違いな話題が続いているのか?
その意味を考えてくれ

ヒントは荒らし対策

310 :人間七七四年:2013/10/21(月) 21:04:09.09 ID:w2eq8gaM.net
三好長慶が1564年以降も生きていた時の政策はどうなる?
これを決めておいた方が話やすいんじゃね

311 :人間七七四年:2013/10/21(月) 22:16:01.20 ID:pBo0CVN7.net
>>307
備前浦上氏と伊予河野氏は 三好長慶と友好関係って本当?
浦上氏と三好氏って凄い因縁あるし、河野氏は香川氏と組んでるから、
ずっと敵対関係なのかと思ってた

312 :人間七七四年:2013/10/21(月) 23:08:42.03 ID:Z9fN6W6m.net
>>311
最近三好長慶に興味を持って
天野忠幸氏の本を
数冊斜め読みした程度の知識なので。。。

で、天野氏によると
阿波三好氏が香川氏を攻めるにあたって
河野氏・村上水軍と連携をとっていたらしいです。

三好の勢力拡大を危惧した
毛利氏が香川氏の支援に乗り出し
阿波三好と毛利に緊張関係が発生。

三好宗家が幕府を動かして
大友に守護職を渡し
毛利の後輩を突かせた
という経緯らしいです。

313 :人間七七四年:2013/10/21(月) 23:10:16.84 ID:Z9fN6W6m.net
>>312
後輩×
後背○

注意力散漫で
恥ずかしいです。

314 :人間七七四年:2013/10/21(月) 23:15:49.53 ID:Z9fN6W6m.net
>>308
ご指摘の件
どなたかと人違いされてるようですが
御不快だったならご勘弁ください。

315 :人間七七四年:2013/10/21(月) 23:30:30.86 ID:z8jFA3mg.net
>>310
>これを決めておいた方が話やすいんじゃね
三好長慶は生きていた時も今ひとつ不明なところがあるから決め手に欠ける
とりあえずいくつか案を出してみる

 @足利義輝と共に幕府を支える
   問題点は足利義輝が三好長慶を殺したいほど憎んでいる

 足利義輝を殺害or追放した場合
 A足利義親を擁立して幕府を掌握
   問題点は正統性が無い
 B足利義昭を擁立して幕府を掌握
   問題点は義親と同じだが義輝の弟という立場
 C朝廷に取り入って足利義輝追討令を出す
   問題点は朝廷との交渉に時間がかかりそう
 D三好長慶が天下統一を目指す
   問題点は今までその気が無かったのに今さら?

 Eその他
   何か思いついたらお願いします

こんなところか?
どの方向に進むかはみんなで決めたらいいと思うよ

316 :人間七七四年:2013/10/21(月) 23:41:16.68 ID:pBo0CVN7.net
>>312
いつの話?永禄の頃かな?十河一存がまだ健在だった頃?
香川氏ってほんと反抗的だね。

317 :人間七七四年:2013/10/21(月) 23:45:42.83 ID:w2eq8gaM.net
どれを選んでも前途多難って感じ
三好長慶が天下を望まなかった気持ちがよくわかったてしまった

318 :人間七七四年:2013/10/21(月) 23:57:09.96 ID:z8jFA3mg.net
>>317
だから早く死んだのかもしれないね

319 :人間七七四年:2013/10/22(火) 00:11:38.18 ID:O38syVzZ.net
>>315

A〜Dのリスクを考えて見る

A反三好勢力の増長に加え、今まで三好側だった勢力の鞍替えの危機(特に畿内)
 阿波側も細川持隆を殺害した実休との軋轢が生じる可能性
 実休は阿波内の平島公方+京兆家勢力を抑えイニシアチブを取る事に重点を置かざるを得なくなる
 讃岐の反三好勢力が躍動し始める、讃岐の元細川京兆家家臣は後に包囲網形成の一翼を担う

B長慶の矛盾行動に兄弟がキレる、追放した場合は義輝を担いだ勢力との戦い
 殺害した場合は最悪の修羅の道、将軍殺害の情報が地方に流れその時流にうち勝たないといけない道
 長慶の朝廷工作は必須の上、戦でも勝ち続けないと行けない

Cこれは限りなく無しだと思う、足利将軍を追討例出す程の大義名分を恐らく三好は得られない
 長慶の性格上このパターンはまず考えられない

D殺害・追放した上で天下統一を目指す
 (追放1)室町政権をベースにしての天下統一の場合(三好政権の性格上、鎌倉北条の執権政治に近い?)
 (殺害)全国統一パターンの場合、三好が一枚岩となり各勢力に養子を送り込む(後世から見るに、むしろ後北条の方がその条件を揃えてる)

320 :人間七七四年:2013/10/22(火) 00:19:49.47 ID:O38syVzZ.net
つまり、長慶が手元に義輝を残したってのは限りなくベストに近いベターな選択
目の届かない場所で義輝に地方で色々やられるよりも
多少義輝の行動自由が効こうが手元に置いて監視する方を選んだ

1558年からは長慶と義輝の我慢比べ
三好長慶が精神を病まず、さらに義興が万全な体制なら足利を徐々に弱体化させる方法を取った筈

321 :人間七七四年:2013/10/22(火) 00:29:10.69 ID:/qs9YDsq.net
>>319-320
310氏のレスにある
>三好長慶が1564年以降も生きていた時の政策
これを読んでの案なので兄弟は全て死亡しているよ
レスは単発ではなくその流れを読んでもらえると助かるのでよろ

322 :人間七七四年:2013/10/22(火) 00:45:57.37 ID:O38syVzZ.net
ふむ、兄弟が全員死んでる+なら義興も居ないか。
なら阿波・讃岐は篠原長房が生き残らないといけない条件も発生するな
長慶が生きていれば篠原長房も矢面に立つ必要も無くなるし史実通りの派兵も減る
長治が幼いが三好笑岩もまだいるし篠原・笑岩の2頭体制で阿波・讃岐の経営

摂津・河内は三好長慶
山城は三好義継が義輝と共存、長慶は義継の教育、松永久秀・三好長逸が取次の立場は変わらず
大和は松永久秀
丹波は松永長頼
和泉は三好長逸で畠山の抑え
摂津は三好政勝と一門の池田が統治

まあ兄弟が死亡していようが大体A〜Dに近くなると思ってる
あの時代はまだ地方が足利の権威を頼りにしてる時代だからやれる事に限りがある。

323 :人間七七四年:2013/10/22(火) 00:51:14.02 ID:/qs9YDsq.net
>>322
一つだけ確認したいが三好政勝は三好長慶と和睦したの?

324 :人間七七四年:2013/10/22(火) 01:02:16.39 ID:O38syVzZ.net
天野氏の言う通り三好政康が三好政勝が同一人物だった場合は相当前から和睦してるな
そもそも政康の逸話とか立ち位置は三好政勝のがピッタリ合う。
特に政勝は親父が生粋の数寄者ってのが余計に政勝とリンクする訳で
大坂の陣で政康云々はソースを聞いた事が無いが政勝に関しては生存確定

ただ三好政康という人物はいた実際にいた可能性もある
三好政成関連だけど教興寺の戦いの前哨戦で政成が討ち死にしてから政康出てくるんだっけか
ただ三好実休の三好義賢× 三好之虎◎ の
(十河存保がある時期名乗っていた三好義堅←よしかた→三好義賢×)の
呼称混同問題もあるから名前に関しては三好関連では要注意だと思う

325 :人間七七四年:2013/10/22(火) 01:12:42.43 ID:/qs9YDsq.net
>>324
政康=政勝は胡散臭い説なので信憑性に欠けるけどとりあえず了解あり

326 :人間七七四年:2013/10/22(火) 01:45:42.76 ID:h9YH+HYV.net
同一人物とはちょっと違くね?
三好宗渭=下野守政生=政勝とは別に三好為三がいて実名は分かっていないってのが天野氏の説

327 :人間七七四年:2013/10/22(火) 07:09:05.73 ID:b6tN3aK/.net
>>316
永禄2年だそうです。
十河一存は河内にいたのかな?

なお話題にのぼっていた
塩飽は村上水軍が支配していた模様。

328 :人間七七四年:2013/10/22(火) 07:31:23.72 ID:aKOCna5W.net
十河は河内じゃなく和泉の方だろ

329 :人間七七四年:2013/10/22(火) 19:29:33.27 ID:QOJQQhug.net
>>315
>>317
1558年に義輝に屈伏した時点で三好政権は終わっていたわけか
長慶自身がすでに存在意義を失って脱け殻じゃね

330 :人間七七四年:2013/10/22(火) 19:56:07.74 ID:GaTm1i68.net
三好長慶が長生きしてたらより足利義輝に屈伏しなかったらの方がおもしろそう

331 :人間七七四年:2013/10/22(火) 22:06:26.60 ID:kP39KS5Q.net
河内や大和を併呑し細川畠山を没落させたのはその屈服後だがな
かつて幕府との和睦を敗北と言ってた今谷氏ですら今では「後期の三好政権」と言ってるくらいだし抜け殻というのは悪意しか感じられんな

332 :人間七七四年:2013/10/22(火) 22:30:12.52 ID:GaTm1i68.net
でもそれだけなんだよな
三好政権というものには中身がないのも事実
いったい何がしたかったんだと

333 :人間七七四年:2013/10/22(火) 22:53:22.24 ID:/qs9YDsq.net
>>332
>いったい何がしたかったんだと
何もしたくなかったんじゃないかな?
織田信長や長尾景虎が上洛した時に三好長慶は特に何もしていない
足利義輝が幕府体制を固めても派手な外交を展開しても動き無し
何か目指すものがあるなら生きていた時に行動を起こしているよ

334 :人間七七四年:2013/10/22(火) 23:18:35.43 ID:GaTm1i68.net
なるほど
三好政権もその実体は戦国大名と何ら変わりないということか
後世の人間が三好長慶に夢を見たくて作り上げた幻ということだね

335 :人間七七四年:2013/10/22(火) 23:22:28.30 ID:kP39KS5Q.net
>>332
それだけってどういうこと?
>>331で言う「後期の三好政権」は両管領を無力にし管領代である六角も衰退させ、
自身がそのポストに納まるという畿内の支配強化を意識した政略だと思うけど
病気知らずで長生きしてたなら>>319のDのケースで天下を取った可能性はあると思うね

>>333
じゃあ何をすればよかったのか
そもそも景虎が2度目に上洛した時期は長慶の河内侵攻の時期と同じ
逆に考えれば景虎のほうが何もできずに帰ったわけ

>>334
昨日の親族絶対死ifといいただのアンチだったか
元々親族の死で病気がちになっただけに有り得ないifで吹いたわ

336 :人間七七四年:2013/10/22(火) 23:30:05.93 ID:GaTm1i68.net
なんか勘違いしてないか?
親族絶対死ifとか意味不明すぎるので冷静になれ

337 :人間七七四年:2013/10/22(火) 23:39:25.23 ID:l01ZIVel.net
>>336
基地外はほっとけ
どうせ被害妄想で自分勝手な解釈をぶちまけてるだけだろ

338 :人間七七四年:2013/10/22(火) 23:55:55.13 ID:/qs9YDsq.net
それじゃ今日はこれお開きということで

339 :人間七七四年:2013/10/23(水) 07:27:08.70 ID:sizIFjWz.net
変な人が一匹紛れ込むと大抵荒れるもんだが三人の大人対応に天晴れ
さすが良スレ

340 :人間七七四年:2013/10/23(水) 10:06:18.11 ID:1VBR39Wb.net
>>315
足利幕臣の対応も重要と思いますが宗教勢力の対応も興味あります
延暦寺、興福寺、根来寺とか面倒臭そう

341 :人間七七四年:2013/10/23(水) 18:19:47.09 ID:/KeEbjyx.net
長慶末期の不運のラッシュは尋常じゃない
あれじゃどんな天才武将も家が滅ぶわ

342 :人間七七四年:2013/10/23(水) 22:47:47.39 ID:xF6AedZk.net
兄弟亡き後の篠原長房も一人だけ天才すぎて浮いてしまった感があるな。
周りが嫉妬する程才能があったらしいし。

343 :人間七七四年:2013/10/24(木) 07:26:47.57 ID:rbwR1uXM.net
篠原や松永はそういうことこともあっただろうな

344 :人間七七四年:2013/10/24(木) 10:02:12.03 ID:3j+MYWf8.net
出る釘は討たれる

345 :人間七七四年:2013/10/24(木) 19:26:20.37 ID:4dom1I3/.net
義輝は長慶暗殺が成功したら三好の勢力圏を自分のものにできるとでも思っていたのかな?

346 :人間七七四年:2013/10/24(木) 19:34:02.66 ID:3j+MYWf8.net
さすがにそこまで楽天的な考えは無いだろう
そう願いたいよ

347 :人間七七四年:2013/10/24(木) 19:38:35.60 ID:XaObWSJc.net
>>345
純粋に暗殺したかっただけでその先は何も考えてないんじゃね

348 :人間七七四年:2013/10/26(土) 13:07:06.87 ID:merDHj1H.net
ちょっと聞きたい

三好家中で最も優秀なのは松永久秀
その、神も仏も信長さえ恐れぬ久秀をして、唯一恐れたとされるのが篠原長房

しかしその実、三好家中で松永久秀に勝るとも劣らぬ才、いや、久秀を遥かに凌ぐと期待されたのは岩成友道

……岩成友道
三人衆の一人であるわけだし、同時代に生きた人間から見たら優秀は優秀だったんだろうが、この人結局何したの?

349 :人間七七四年:2013/10/26(土) 15:19:09.31 ID:Jz9EGIVE.net
>>341
優秀すぎる補佐役の弟が死ぬとその兄は大抵崩れる。
三好実休、豊臣秀長、香宗我部親泰、、
存在が大きすぎるからかな。

逆はそうでもない。
宇喜多忠家、小早川隆景、堀直政(従兄弟)、、

350 :人間七七四年:2013/10/26(土) 20:07:28.07 ID:EJwkryfG.net
武田信繁も同じことが言える
できる弟が討死した後の武田家は大混乱に陥り滅亡に追い込まれた
信繁が生きてたら嫡男義信を失う馬鹿げた事態にならなかっただろうよ

351 :人間七七四年:2013/10/26(土) 21:03:25.20 ID:Jz9EGIVE.net
せやな

352 :人間七七四年:2013/10/27(日) 11:59:59.33 ID:uZ4UIblN.net
豊臣、武田、長曽我部、三好の共通点は滅亡した家ってところか。
有能な弟の存在感、恐るべしだね。

353 :人間七七四年:2013/10/27(日) 15:37:35.46 ID:xMvddRhW.net
>>352
確かに戦国の世を生き残れなかった戦国大名ではある
しかし三好長慶は他の戦国大名とは違う
豊臣秀吉は秀次を邪魔者として抹殺
武田信玄は義信を邪魔者として抹殺
私欲に駆り立てられ愚行を犯した無能とはわけが違う

354 :人間七七四年:2013/10/27(日) 20:44:03.19 ID:5+Rn+9sC.net
>>353
他の大名を無能扱いねぇ
これもそのリストに追加しといてよ

長宗我部元親は香川親和を抹殺し津野親忠を幽閉
三好長慶は安宅冬康を殺害

355 :人間七七四年:2013/10/27(日) 21:14:32.21 ID:u4zlHabG.net
信長が弟の信勝を信じていれば明智光秀の謀反に合うことも無かったのにな。

356 :人間七七四年:2013/10/27(日) 21:16:36.96 ID:n2CzsNEa.net
>>354
豊臣秀次と武田義信は正統な後継者だった
香川親和も家督問題の絡みということは分かる
しかし安宅冬康は後継者でもない家督問題にも関係ない
安宅冬康をここに挙げるのは間違いだな

357 :人間七七四年:2013/10/27(日) 21:46:52.38 ID:23xhg0ES.net
>>355
無知すぎるし話の流れとまったく関係無い

358 :人間七七四年:2013/10/27(日) 22:12:41.93 ID:5+Rn+9sC.net
>>356
そうかな?兄弟全員死んだせいで一族を纏める人間が居なくなって、
3人衆や松永、篠原、康長、義継が戦う羽目になったのでは?
そもそも兄弟を殺すという事から、家督問題以外の何物でも無かったと思う。

359 :人間七七四年:2013/10/27(日) 22:58:12.44 ID:vhTNDZUe.net
長慶の場合は冬康が無実だった事を知った後の後悔がガチであるからまだマシ
後追いするように死んだのは間違いなく後悔からだろうな、確かに他の戦国大名とは違う

360 :人間七七四年:2013/10/27(日) 23:58:47.11 ID:n2CzsNEa.net
>>358
>そもそも兄弟を殺すという事から、家督問題以外の何物でも無かったと思う。
それはありえない。
家督問題の実態を理解してないのか?

361 :人間七七四年:2013/10/28(月) 07:47:07.89 ID:MjysfNkf.net
弟や息子が権力奪取のリスクが生まれたから殺されただけだろ。
放置していたら分裂内乱になる。
信長も本能寺の変を秋田介の仕業か?と信忠の謀反と誤認してたし、
頼朝や尊氏も弟を殺害している。
弟は用済みになると悲劇的結末が生まれる。
例外中の例外が秀長だろ。

362 :人間七七四年:2013/10/28(月) 07:51:25.78 ID:AkpnYFui.net
義興が死に、義継は幼い
三好家中で冬康を病気がちの長慶の後継者に押す声が高かった
なら家督問題のイザコザの範疇だろ

現代で見ても血筋、能力、人望、年齢、冬康が継ぐのがベストだったろうな
久秀とも仲良かったらしいし

ただ、安宅氏について調べてる郷土研究家には、冬康は元長の子ではなく、安宅氏から三好氏は人質に出され、のちに返された子と言う人もいる

それなら家督乗っ取りを恐れた長慶が冬康を殺害したとしても納得できないではない
逆にそれ以外に納得できない
なぜ仲の良い弟を殺さなければならなかったのか

363 :人間七七四年:2013/10/28(月) 09:58:06.11 ID:wtmIqE3M.net
安宅冬康の幼名だか通称だかが三好氏のものではなく、安宅氏歴代のものだって説だっけ?
ありえない話しではない
が、どちらかといえば野口冬長のほうがそれっぽい
同じ兄弟であの無視られかたは異常

364 :人間七七四年:2013/10/28(月) 12:02:02.06 ID:mJXSd7Pb.net
冬康の長慶や実休からの頼られっぷりを見るとちゃんとした兄弟って感じだもんね
冬長にかんしては鑓場の義戦で死んだ説と
鑓場の義戦で死んだのは養父で冬長自身は信長にのみ込まれて以後不明のAパータンだっけ?

365 :人間七七四年:2013/10/28(月) 12:12:53.07 ID:9v4JNr9N.net
昨日から変な流れになっていると思ったら在日の菅沼遼太が紛れ込んでいたか
邪魔だからしゃしゃり出てくるな

366 :人間七七四年:2013/10/28(月) 12:32:28.18 ID:wtmIqE3M.net
どちらにせよ、冬康を殺してしまったのは長慶痛恨のミスだったね
他の兄弟、息子の病死、戦死と違って防げたものだし
>>362の言うように、最悪冬康さえ生きてたら内部分裂せず信長にも対抗できたかもしれない

367 :人間七七四年:2013/10/28(月) 15:37:15.74 ID:vaxeIr0V.net
冬康対信長

どうだろうな
三人衆+松永が将軍を殺せば結局史実通りだろうし
それを止めたとしても、長慶ほどの政治力を発揮して幕府中枢に確固たる立場を築けたかは疑問

信長が上洛目指して来たとして
1度や2度は畿内侵入をくい止められるだろうが
相手は蝮より執念深い信長
その後は織田お得意の調略で三好配下とは言えない畿内豪族の切り崩しにくるだろう

人のいい冬康にそんな腹芸は期待できないし
松永が八面六臂の活躍でもしないと
離反が続くうちに疲弊して四国まで押し戻されるのが関の山じゃないだろうか

368 :人間七七四年:2013/10/28(月) 17:06:31.21 ID:yt1DfLW8.net
今日は緑ageの単発IDが異常にがんばってるな
これ全部だがチョンの自演なの?

369 :人間七七四年:2013/10/28(月) 17:30:35.83 ID:ERGA3E76.net
菅沼遼太くんの自演だろうな
もし違うなら同じIDで否定してくれるだろう
当然否定しない場合は認めたことになるがなwww

370 :人間七七四年:2013/10/28(月) 18:58:36.40 ID:Z+rjJeYM.net
なるほどそういう事か
道理で他スレでもageの単発IDが暴れているわけだ

371 :人間七七四年:2013/10/28(月) 21:21:04.37 ID:vaxeIr0V.net
もう我慢できねぇわ
>>362>>367は俺だが
俺より>>364>>365>>368>>369>>370が同一人物だろ

正直異常だもんよ
自分の求める三好像以外は明確な根拠もないのに全否定でアラシ扱いかよ

本人気づいてないのかもしれんが
織田、武田、上杉の痛いファンよりさらに痛い
というか見るに耐えない
他スレで三好ファンはキモい言われるはずだわ
こんなんが常駐してるんじゃ

必死で反発するお前の中身のない文章読むのも嫌なんで、お望み通り俺は消えてやるよ

372 :人間七七四年:2013/10/28(月) 22:20:51.22 ID:moCPq/0N.net
>>371
逆ギレみっともない
自演常習犯は二度と戻ってくるなカスヤロー

373 :人間七七四年:2013/10/28(月) 22:23:31.76 ID:a8nGPiwh.net
このスレもあっという間に荒らされたな
だがスレの煽りの人達が居なくなるまで、暫くまともな話はできなさそう

374 :人間七七四年:2013/10/28(月) 22:26:54.96 ID:a8nGPiwh.net
>>371
最後に言っておくとageるのは、「暇人の皆さん私を標的にしてください」って
意味だから、まともなレス期待するのなら、sage進行で気長に待つのが基本。

375 :人間七七四年:2013/10/28(月) 22:29:07.02 ID:moCPq/0N.net
>>373
だがは粘着荒らしだから徹底的なスレ放置が一番

376 :人間七七四年:2013/10/28(月) 22:36:16.24 ID:ETIBtflU.net
>>374
本当に禿同
目立ちたいだけの素人が粋がるからこんなことになったとしか言えない
ID:vaxeIr0V氏は自分が荒らしだと理解できていなかったのが痛いな

つかID統一できるのにできないフリしている時点でA級戦犯だな
とにかく二度と戻ってこないなら本当に助かるよ

377 :人間七七四年:2013/10/28(月) 22:36:43.53 ID:a8nGPiwh.net
俺にアンカー付けるなようざ

378 :人間七七四年:2013/10/28(月) 22:42:13.75 ID:ETIBtflU.net
スマソ

379 :人間七七四年:2013/10/28(月) 22:50:01.01 ID:qgC8VoLM.net
>>371
捨て台詞に三好ファンはキモいとかって最低だと思う
立つ鳥後を濁さずという心も無いとはな

380 :人間七七四年:2013/10/29(火) 02:04:31.59 ID:BlV0w0gz.net
織田、武田、上杉の痛いファンとか言われたし
その曲がったメンタルが、生ごみにハエが集るのと同じように>>368-370みたいなの
呼び寄せるんだし
少し反省して欲しいし

381 :人間七七四年:2013/10/29(火) 08:11:31.10 ID:qtRcQQbT.net
>>371
悪いのはキモい三好ファンで自分はかわいそうな被害者
自分かわいさに他人に悪事を擦り付ける姿勢が致命的
自演と自己中のレスの繰り返しではではだがと言われても仕方ない
実際370はだが本人だし

382 :人間七七四年:2013/10/29(火) 15:37:15.36 ID:3em9xmQH.net
もはや完全に織田厨は荒らしだな。
織田擁護側の視点で三好像を曲解した挙句に
論破されるといつものように、お前はだがだとか、菅沼だとか単発いDで中傷自演開始。
根拠をきちんと書く良貨を織田厨と言う悪貨が自演で駆逐していく結果で
戦国板のレスのほとんどが織田厨の罵詈雑言レスだらけの末期症状。

383 :人間七七四年:2013/10/29(火) 20:52:40.07 ID:83zzfcJ6.net
菅沼史観によると三好勢は信長の乞食兵一万に蹴散らされたらしいから長慶が生きていても同じことになったろう
そうだよな?菅沼君

384 :人間七七四年:2013/10/29(火) 21:33:02.73 ID:BlV0w0gz.net
>>381
何言ってるんだきち???
もう371居なくなったんだから、くそお前もさっさとだがスレ帰れホモ

385 :人間七七四年:2013/10/29(火) 21:37:00.63 ID:fBtpVKbL.net
やっぱり自演荒らしの自己中の痛い人はアスペルガーだがだったか
まあいつもどおりの展開で普通に納得できた

386 :人間七七四年:2013/10/29(火) 21:48:27.22 ID:uL3bCpKe.net
ID:BlV0w0gz=菅沼遼太
http://hissi.org/read.php/sengoku/20131029/QmxWMHcwZ3o.html

>>371
>他スレで三好ファンはキモい言われるはずだわ
>こんなんが常駐してるんじゃ

>必死で反発するお前の中身のない文章読むのも嫌なんで、お望み通り俺は消えてやるよ
ここでこんな大口叩いて悔しくなってまた戻ってくるとはさすが嘘吐き
お前の心の醜さは既に露呈しているんだから何やっても馬鹿なヤツで処理されるだけだよ

387 :人間七七四年:2013/10/29(火) 21:52:58.47 ID:BlV0w0gz.net
>>385
だって381の最後の一行マジで意味不明じゃねカス
どう納得できたのか教えろなくてもいいから消えてくださいくず

388 :人間七七四年:2013/10/29(火) 21:58:43.10 ID:fBtpVKbL.net
>>387
変な日本語を使うところもアスペルガーだがの得意技
レスした分だけ化けの皮が剥がれるね

389 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:01:59.18 ID:BlV0w0gz.net
もう言い訳いいから、だがスレ帰てください
おねげーしますだ

390 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:08:51.61 ID:uL3bCpKe.net
今日も菅沼遼太は大暴れ!
約束も守れない嘘吐きは最低

391 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:13:31.53 ID:8yJse36C.net
まーた織田チョンが論破された挙句に
議論ぶち壊しを謀ってレッテル貼り自演荒らし行為に走ってんのかよ…

392 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:14:03.82 ID:fBtpVKbL.net
>>389
言い訳見苦しいぞアスペルガーだが

393 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:18:27.48 ID:BlV0w0gz.net
>>390-392
こんにちわ ゴミくずの皆さん

み ん な で 、 だ が ス レ に 帰 ろ う !

bokuraha,gomi

394 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:21:58.78 ID:fBtpVKbL.net
>>393
重度の自演中毒にワロタwww
頭がおかしい奴は一味違うわ

395 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:24:31.24 ID:uL3bCpKe.net
>>393
ゴミくずとは自分がした約束すら守れない嘘吐きのことを言います

参照レス
>>371
>他スレで三好ファンはキモい言われるはずだわ
>こんなんが常駐してるんじゃ

>必死で反発するお前の中身のない文章読むのも嫌なんで、お望み通り俺は消えてやるよ

396 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:27:52.52 ID:BlV0w0gz.net
We are gomi, daga-sure is gomibako

397 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:33:33.02 ID:uL3bCpKe.net
ID:8yJse36C=ID:8yJse36C=菅沼遼太
自演バレバレじゃ意味無いと思うぞ

398 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:35:22.09 ID:uL3bCpKe.net
396の訂正
ID:BlV0w0gz=ID:8yJse36C=菅沼遼太
自演バレバレじゃ意味無いと思うぞ

399 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:36:17.31 ID:BlV0w0gz.net
>>397
nihongo,oboete,ganaba!kuzu

400 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:41:03.04 ID:uL3bCpKe.net
>>399
俺は日本語を正確に使っているが?
間違っている所があったら指摘してくれ

それとお前の方こそ日本語を忘れているのか?

401 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:41:19.83 ID:BlV0w0gz.net
>>398
It's iiwake, kako warui HA-HA-HA

402 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:43:42.70 ID:fBtpVKbL.net
なにこいつキモ

403 :人間七七四年:2013/10/29(火) 22:46:27.60 ID:uL3bCpKe.net
日本語が使えないならレスなんかするな

404 :人間七七四年:2013/10/30(水) 01:42:02.43 ID:2JCtn0LE.net
ここハングルの板じゃないんでそれ解るところに行って弄られて来い、だが

405 :人間七七四年:2013/10/30(水) 07:35:34.87 ID:bPNpOi1h.net
我田引水しまくった挙句に論破され火病荒らしに走る戦国板のガン織田在日

406 :人間七七四年:2013/10/30(水) 08:00:12.71 ID:lM376Z7u.net
朝から元気一杯に粘着age荒らしのアスペルガーだがこと菅沼遼太くん

407 :人間七七四年:2013/10/30(水) 18:05:58.95 ID:+xouWZU2.net
だが一人が消えれば元の良スレに戻る
しかしその道のりは異常に長いと思われ

408 :人間七七四年:2013/10/30(水) 18:22:42.15 ID:8r6s4CmL.net
だがうざ

409 :人間七七四年:2013/11/07(木) 02:09:19.76 ID:PXxwAcVR.net
冬康さえ生きてれば…って話だけど、冬康は機内のことにあまり口出さない、というか出せない気がする
長慶としても彼を四国方面の軍団長程度にしか捉えてないんじゃないか

410 :人間七七四年:2013/11/07(木) 02:10:12.32 ID:PXxwAcVR.net
機内でなく畿内、でしたな
淡路に水軍はあっても空軍は無い

411 :人間七七四年:2013/11/07(木) 11:34:35.41 ID:UZD7zUCG.net
空軍持ちとか、そりゃ長慶も怖すぎて冬康やっちゃうなw

412 :人間七七四年:2013/11/23(土) 22:39:51.26 ID:QGru8z6r.net
このスレ
つまんねぇな

413 :人間七七四年:2013/11/26(火) 20:01:39.29 ID:k35iQE2N.net
菅沼遼太が猿みたいに荒らしたからな

414 :人間七七四年:2013/11/28(木) 23:15:58.96 ID:zFd+OBoK.net
義龍長生きしたら信長の美濃方面の拡張は無理。
斉藤の瓦解要因がなくなる。

長慶が長生きしたらもっと無理。下手すりゃ信長領国の尾張まで斉藤に侵略されてアボーン

415 :人間七七四年:2013/12/10(火) 19:52:29.84 ID:2n3W4vYN.net
第14代仲哀天皇陵墓と比定される前方後円墳に三好勢が臨時築城した岡ミサンザイ古墳城
http://mirai660.net/castle/okamisanzaikofunjyoh_model.html

416 :人間七七四年:2013/12/11(水) 06:57:19.82 ID:PU2OVViy.net
>>414
斎藤義龍が死んでなけりゃ三好なんて関係なく、尾張の防衛で手一杯だろうな。
ていうか降伏して、自分とこの拠点を残して斎藤に渡すんじゃね

417 :人間七七四年:2013/12/25(水) 15:42:42.50 ID:Kv9mlgVW.net
さすがに義龍も尾張征服までは難しかったんじゃないか?
今川と連携してなら可能かも知れないが。
桶狭間の時に義龍は何もしなかったの?

418 :人間七七四年:2013/12/25(水) 17:51:06.53 ID:As0fV4EL.net
一色を称した義龍と義元が仲良く同盟するなんてありえない

419 :人間七七四年:2013/12/25(水) 18:22:24.05 ID:30f646xE.net
>>417
美濃の隣国で、価値があってかつ弱いのが尾張だけ
近江は、浅井(時代によっては京極)を抜こうとすれば朝倉、六角がそれぞれ介入してくる。
飛騨は手を出すだけ損
越前越中は山を越えてもその先に待つのはアレだし
尾張が取れなければ滅びるだけ

420 :人間七七四年:2013/12/25(水) 18:41:47.39 ID:As0fV4EL.net
史実での義龍は近江に手を出して失敗したな
相手は浅井単独でも攻めあぐねてた

421 :人間七七四年:2013/12/25(水) 19:10:25.52 ID:ka2RpMwk.net
今川と斎藤を同時に相手にしてた信長ってめちゃくちゃ凄かったんだな

422 :人間七七四年:2013/12/25(水) 21:04:02.40 ID:iDVB7o9M.net
義元も義龍も信玄も謙信も急死したから助かった。

423 :人間七七四年:2013/12/25(水) 23:58:37.96 ID:Y1U/ewqr.net
菅沼理論では織田信長は安倍晴明以上の呪術師だからそいつらが死ぬのは当然

424 :人間七七四年:2013/12/26(木) 00:52:32.29 ID:3R2lZUaW.net
>>419-420
そうなると義龍有能説にも疑問が湧くよね。
弱小時代の信長相手に互角の勝負やってんだし。

425 :人間七七四年:2013/12/26(木) 06:41:43.15 ID:pK1jM5Vr.net
>>424
信長厨乙w

当たり前じゃんw
基地外が喚く程無能なら尾張一つだって持ちきらない。

426 :人間七七四年:2013/12/26(木) 08:58:46.81 ID:UPUbndeM.net
つーか義龍は信長の尾張統一を妨害してたけど
見事に統一されてしまった

家康独立後、義龍は家康と同盟組もうとしたけど、断られた。
そして家康は信長との同盟を選択した。

義龍の尾張侵攻なんて無理でしょう

427 :人間七七四年:2013/12/26(木) 09:29:07.41 ID:R5qxUMwM.net
下記の話の一次史料は?
家康独立後、義龍は家康と同盟組もうとしたけど、断られた。


つか義龍死去寸前の時に江南に陣を築いて戦闘継続中だったようだから、
義龍は上洛を目指したんだろ。
アスペ信長の尾張なんて調略戦略で余裕でしょ。
信玄が西上した時も、
信玄は織田の大身の3人くらい内応させていたしな。
蒲生と池田と斎藤だろうと思われるが。

428 :人間七七四年:2013/12/26(木) 12:37:53.75 ID:Jzd0SmCB.net
>>427
でも浅井に全然勝てなかった。
義龍は無能ではないが有能でもない。

429 :人間七七四年:2013/12/26(木) 13:04:07.46 ID:xb7VrGSR.net
今川義元は織田なんて鼻から相手にしてなくて
実は齋藤の方に意識が向いていた、なんて

430 :人間七七四年:2013/12/26(木) 13:58:51.53 ID:UgXRM41w.net
義龍は信長や道三と違い独裁を止め合議制を布き裁判調停をやり、
宗教改革をやったりして英明さが書状から窺われる。

431 :人間七七四年:2013/12/26(木) 15:36:30.85 ID:Jzd0SmCB.net
ただ内政を充実させるだけならあまり有能じゃなくてもできる。
内政を充実させつつ外征でも成果を挙げるのが本当の名君。

432 :人間七七四年:2013/12/26(木) 16:50:21.72 ID:3wtABEak.net
義龍より氏真の方が優秀というお話でいいよ

433 :人間七七四年:2013/12/26(木) 21:11:07.64 ID:UtfRzk5f.net
>>430
すごい皮肉ですね

434 :人間七七四年:2013/12/27(金) 09:14:47.35 ID:f+9wisLQ.net
戦わずして尾張の半分を手に入れた義龍こそガチ名将。
敵の謀を未然に討ち、戦わずして勝利する将こそ理想的。
逆に道三の強力なバックアップに依存していた信長は、
道三が死ぬや義龍の謀に負けて離反大会状態にさせられた。
六角義治と義龍は婚姻同盟しようとしていたが、
六角義賢が出自を持ち出して身分が合わないと婚姻に反対した。
もし同盟がなっていたら義龍は上洛に成功していた。

435 :人間七七四年:2013/12/27(金) 09:43:59.37 ID:Fg9jMycQ.net
その知略とやらで婚姻もつつがなく終わらせろよ

436 :人間七七四年:2013/12/27(金) 09:48:32.98 ID:0A6on5H7.net
>>434
六角を力任せに抜けない時点で浅井長政、織田信長並みの名将じゃね?
まあ、織田信長並みに長生きしてれば出来たかもしれんが

437 :人間七七四年:2013/12/27(金) 14:53:31.63 ID:IflkNgvN.net
斎藤義龍は織田信長ほど才覚は無いが武田信玄より才覚はあるということだ

438 :人間七七四年:2013/12/29(日) 15:41:01.00 ID:GZS2Lz8V.net
義元や義龍が死んで一番喜んだのは信玄

439 :人間七七四年:2013/12/29(日) 21:48:08.41 ID:cN8hx+yf.net
>>438
武田信玄が、よほどのバカだと思ってるのか?
今川義元はまだしも美濃なんて気にかけてる余裕無いだろ

440 :人間七七四年:2014/01/02(木) 01:46:25.04 ID:5fTUneaM.net
義龍は龍興よりはマシというだけで必ずしも名君名将ではないだろ

441 :人間七七四年:2014/01/02(木) 13:03:28.50 ID:WaoHssyc.net
まあ中濃の要である長井に離反された結果、
東濃中濃北濃を失ってしまい、
東濃北濃は武田の影響下になり、長井は武田の支援受けて独立状態、
長井に対して義龍に攻められてピンチになるようなら信玄自ら出陣するとまで言っている。

更には別伝重用したことで宗教問題も発生、武力蜂起が起こったわけじゃないが
国内は動揺して、将軍家まで仲介の動き見せる始末。

どっちも義龍が死んだことで治まったため義龍の能力には疑問を抱かせる。

442 :人間七七四年:2014/01/02(木) 13:34:49.00 ID:K6UN9TNF.net
じゃあ信玄より義龍は劣るが信長よりはだいぶマシ
これで確定だな。

美濃の最大勢力とされ守護権力を無視し続けた妙心寺派への統制を試みた義龍の改革は評価できるけどな。
なにせ美濃国主などたかだか一国の主だが、俺は三界の師であり、美濃国など狭過ぎて話しにならぬわと豪語してるくらいだし。
将軍義輝が仲介の動きをしたと言うよりも、義龍が打った手だよ。
伝灯護国寺を天皇の勅願寺にするという綸旨を出させ、義輝もそれに賛同し喜悦しているという御内書を出してる。
義龍がかなりの贈与を朝廷と幕府の要路にばら撒いて斡旋してもらう活動をしないとこんなもん出てこない。
これで情勢は義龍優勢に転んでる。追い詰められた妙心寺派は急いで上洛して相談していた矢先に義龍急死だからね。

443 :人間七七四年:2014/01/04(土) 05:29:59.15 ID:sx0VUpGV.net
義龍が信玄に劣る?またまたご冗談をw
>>441の状況で美濃を攻め取れなかった盆暗信玄のどこに義龍より上の要素があるんだねww

444 :人間七七四年:2014/01/04(土) 08:46:42.97 ID:D7pjMA1U.net
織田に婚姻同盟を懇願されて、
信玄が長井支援をやめて、
信長支援に切り替えて、
長井の居城の金山城に、
森を入れさせたことで、
信玄は織田への誠意を示したんだから、
美濃を信玄が手に入れてるわけねーだろw

445 :人間七七四年:2014/01/04(土) 09:34:55.93 ID:2cfKxpIh.net
>>443
長生き

446 :人間七七四年:2014/01/04(土) 16:00:23.91 ID:sx0VUpGV.net
>>444
信長の奴隷かよワロタwwww

447 :人間七七四年:2014/01/05(日) 20:07:03.65 ID:1Z4RO5WI.net
まあ大した変わり映えはしなかっただろうな
天下統一が何年か遅れるくらい

448 :人間七七四年:2014/01/20(月) 05:25:13.30 ID:E6xt2tg4.net
義龍長生きしたら信長の美濃方面の拡張は無理。
斉藤の瓦解要因がなくなる。

長慶が長生きしたらもっと無理。下手すりゃ信長領国の尾張まで斉藤に侵略されてアボーン

449 :人間七七四年:2014/01/20(月) 05:26:06.12 ID:/hq0KjYm.net
十河一存 斉藤義龍 三好義賢 細川晴元 細川氏綱 三好義興 安宅冬康 三好長慶と
畿内の有力武将は次々病死した上に、六角も北畠も斉藤も内訌で崩壊。
足利義昭が信長の下に訪れ、六角義秀や和田や浅井の援軍を受けまくるとここまでお膳立てされたのが
信長の上洛
このうち斉藤や三好長慶は、単体で長生きしても信長はまず美濃方面畿内方面の拡張は無理だし
他の連中も二人以上生きてたらまず成功しないだろ。

450 :人間七七四年:2014/01/20(月) 05:27:17.87 ID:V+EljPfx.net
>>1の条件なら伊勢方面か三河方面に侵攻するしかないよな。
それでも斉藤側から尾張へ攻勢かけたりする事を想定するとかなり厳しいものがあるが。

451 :人間七七四年:2014/01/20(月) 10:07:02.79 ID:QWLKWu5u.net
三河で家康
伊勢で長島一向一揆にフルボッコされて終了。

452 :人間七七四年:2014/01/20(月) 11:58:34.40 ID:oDsmSd9K.net
なぜ三好は斎藤と協力する前提なのか

453 :人間七七四年:2014/01/21(火) 11:55:49.22 ID:09yxCjHy.net
>>159ですでに解答が出てるだろ。

454 :人間七七四年:2014/01/22(水) 22:21:54.83 ID:u+R2ilSQ.net
菅沼遼太の妄想じゃん

455 :人間七七四年:2014/01/25(土) 22:33:07.85 ID:qCtsJ9Yd.net
妄想も何も史実や歴史的事例から導きだした回答なので、事実だろ

456 :人間七七四年:2014/01/25(土) 23:34:38.95 ID:4hxQcMsD.net
美濃が取れないなら信長が本願寺と対立する理由もないわけだが
なんか織田が巨大化しなくても織田包囲網だけは有効みたいなレスが多いな

457 :人間七七四年:2014/01/26(日) 00:11:30.14 ID:FwR0OaSO.net
>>455
妄想をそこまで堂々と言えたら立派だw

458 :人間七七四年:2014/01/26(日) 00:13:58.90 ID:xHrTZLxE.net
もはや妄想と事実の区別もつかなくなったんだな

459 :人間七七四年:2014/01/26(日) 03:43:41.93 ID:aUgEjNzg.net
信長が憎い、信長を潰したいという菅沼のいびつな欲望が出てるだけだしな
現実的に三好長慶が元亀年間の信長にとってかわられるのが精いっぱい
長慶だけ長生きしても、義興や義賢など三好重鎮が死んでたら結局結果はかわらんけどな

460 :人間七七四年:2014/01/26(日) 09:53:22.86 ID:9mIv0qoW.net
信秀からして本願寺から、
門徒に対して悪人呼ばわりされてるじゃん。

461 :人間七七四年:2014/01/26(日) 14:19:14.28 ID:nwk0fZD3.net
長慶が生きてたら、松永久秀が従順なので、
三好が内紛になることは無いし、
突然に十河家から三好家当主にさせられ準備期間がほとんど無かった
三好義継が15歳でいきなり家督継承し、
周囲の年上血縁者たちが従わない最悪の事態にもならなかった。

462 :人間七七四年:2014/01/26(日) 16:41:35.97 ID:jlHyts63.net
三好の内紛に松永や長慶はほとんど全く関係ないんだが
三好の内紛が長期化して信長に付け入られるようになったのは
当主の義継が三人衆と不和を起こして反三人衆の旗頭になったから
むしろ義継と三人衆が協調している間は松永が防戦一方で筒井にすらロクに対処できなかったくらいだし
松永が従順だろうが義継がいつ家督継ごうが内紛とはあまり関係ない
義興や義賢などが生存してれば話は別だがこのスレでは言明されていない

463 :人間七七四年:2014/01/26(日) 17:35:07.55 ID:nwk0fZD3.net
いやいや、三好の内紛の原因は、
義興の死去で急遽、後継者が義継になったからだ。
義興と久秀はほとんど同格の立場であった為に、
義興以外では統制出来ない立場だった。
(三好長慶後継者は、三好実休の子や、安宅冬康親子らがいたので反発必至だった)
だから時間をかけて義継を公認させる努力がなされぬままに三好後継者になっても、
それは松永久秀や三人衆にとっては傀儡政権にしかならない致命的欠陥があった。
そして三好長慶が死ぬや、将軍殺しをやってのけた松永と三人衆は主導権争いを始めるわけで、
もともと義興と同格だった久秀を専横が過ぎると反感した三人衆は、
義継に久秀との手切れを要求し全面対決になったわけだ。
三好長慶が死ななければ、
将軍は殺されず義昭の登場は無く、
松永久秀が三好長慶の統制下にいれば、
三人衆との内紛も起きない。
そして義継を後継にする努力に時間を割けることになり安定する。

464 :人間七七四年:2014/01/26(日) 18:01:13.09 ID:hMu8srwm.net
長慶が長生きしても将軍家との関係からやっぱりぐだぐだになりそうだけど
その場合は義輝の要請で三好勢力対反三好勢力+織田朝倉になるんだろうか
六角はその時どっちにつくか

465 :人間七七四年:2014/01/26(日) 18:01:51.52 ID:+znnH5xN.net
安宅冬康は三好長慶に自害させられている
冷静な判断力を既に失った三好長慶に長生きしたところで畿内争乱は必定

もっと言えば長生きした三好長慶の次のターゲットは松永久秀?三好三人衆?足利義輝?
どちらにしても三好政権の自壊闘争は止められない

466 :人間七七四年:2014/01/26(日) 18:20:52.36 ID:FeGV4GQJ.net
そもそも三人衆って長慶存命の場合どの程度の発言力持ってるんだ?
一門とはいえ長逸は宗家とは遠いし政康は仇敵の子だし

467 :人間七七四年:2014/01/26(日) 18:21:10.65 ID:jlHyts63.net
>>463
何言ってるんや
本来家を継ぐ嫡男である義興が死んで
十河家から義継を迎えた時点でどんなことをしても無駄
三人衆や松永の実績に来たばかりの義継が対抗できるわけない
長慶がボケまくって松永や三人衆まで殺害すれば話は別だが
そうでもなければ松永・三人衆>>>義継の構図は全く変わらない
内紛が生じるのが遅くなるだけ

468 :人間七七四年:2014/01/26(日) 18:27:01.95 ID:jlHyts63.net
>>466
三好長逸は間違いなく三好家の重鎮でしょ
長逸の官位は従四位下でこれは主君の長慶と同格
他に三好家で従四位下なのは嫡男義興と松永久秀だけ
政康が政敵の子と言うのは恐らく政勝と混同されているだけで
政康とその兄貴である政成の重用ぶりを見るに頼澄の子と言うのが真相ではなかろうか

469 :人間七七四年:2014/01/26(日) 21:07:24.60 ID:NkmlMYhk.net
嫡男義興と松永久秀だけは、
将軍御伴衆だから別格中の別格。
長慶に時間的猶予があれば義継を御判衆にするなど
義継の基盤強化させてやれたのにな。

470 :人間七七四年:2014/01/26(日) 21:52:25.35 ID:MIxl0yRR.net
そんな判断力があれば安宅は死ななかっただろうな

471 :人間七七四年:2014/01/26(日) 23:14:31.78 ID:NkmlMYhk.net
おいおい長慶が鬱で判断力が低下していたとする話には根拠が無いんだが…

472 :人間七七四年:2014/01/26(日) 23:25:20.61 ID:xA2E0JqU.net
三好のIFって1か所変えたところで他で無理が出るからなあ
そもそも想定外の要因が多すぎてねえ

てかあの時代だと三好氏がカバーできるのはあそこまでが限界だし
あれ以上外征してたらもっと詰むの早いと思うぞ。
それよりも長慶死去以降の三好氏を残すためにはどうすれば良かったのかを考える方がいい

473 :人間七七四年:2014/01/26(日) 23:48:36.52 ID:7cf8Gu5j.net
三好長慶が生きていたら、
三好内紛は起こらず、
義継後継化活動を通じて地位がどんどん向上するわ、
母は九条家出身なので朝廷とはうまくいくようになるし、
御伴衆になれば将軍ともうまくいき、
長慶が目指す朝廷と幕府と宥和し公武合体政権になるし、
大和の久秀と丹波の久秀弟の統治が盤石になって、
六角と挟撃を謀って大敗し、
紀伊に逃げた衰退しきった畠山家の息の根を止めることも可能になり、
良いことづくめになるだけだろ。
畠山が衰退してしまえば、単独で六角は三好に敵わないから、
三好に対して宥和策に転じていたし、
義輝も畠山と六角の協力による裏付けが無ければ、
三好と協調して政権運営するしか方法が無いのを知っているし。
長慶が死ななければ畿内は安定する。

474 :人間七七四年:2014/01/27(月) 02:19:36.70 ID:XBmOohM4.net
長慶が死ななければって長慶は何歳まで生きる前提なんですかねぇw
せいぜいあと15年生きれれば御の字なんですがw

>>471
鬱かどうかはともかくとして功臣を理由なく処断するなんて
暴君のテンプレみたいなことやらかしてる時点でなぁ
しかも後継者は養子にとった義継なんだから
はっきり言って義継と冬康どちらが継ごうがあまり違いはないし

475 :人間七七四年:2014/01/27(月) 07:43:04.37 ID:kZSdSTes.net
鬱かどうかはともかくとして功臣を理由なく処断するも何も、
史料が無いから処断した理由がはっきりわからないだけで、
お前が無知だから勘違いしてるようだが、
理由が無かったと一次史料に書かれていたわけじゃないぞ。

476 :人間七七四年:2014/01/27(月) 07:54:00.70 ID:LUyerPKn.net
と言うか理由がないってことは無いだろ
処断の必要があったのかはともかく

477 :人間七七四年:2014/01/27(月) 23:33:39.77 ID:tA9KeOuE.net
最近のだがはだが2世がーと喚かなくなったけど
捏造作戦の失敗にようやく気がついたか
それともただのアク禁で悔しがってるか

478 :人間七七四年:2014/01/28(火) 00:05:30.10 ID:g6wEoyo0.net
>>470
安宅冬康って謎の人物だよな
実績も素性もかなり曖昧で本当に弟かどうかもよくわからないし

479 :人間七七四年:2014/01/28(火) 17:13:45.16 ID:Y68ecwl6.net
気に入らない事実のためにねつ造するニダ
そうだ安宅は弟じゃなかったニダ

480 :人間七七四年:2014/01/28(火) 20:53:30.81 ID:g6wEoyo0.net
>>479
>>362

481 :人間七七四年:2014/01/29(水) 04:16:45.15 ID:bpZOQ+Nz.net
ソースなしの自称研究家(菅沼遼太)w

482 :人間七七四年:2014/01/29(水) 21:48:49.75 ID:kD/R6SBn.net
>>477>>481
君らはスレを荒らさないように話を進める気とかないの?

483 :人間七七四年:2014/01/30(木) 13:26:19.10 ID:CFq7+8z2.net
織田チョンに何を言っても無駄だよ。

484 :人間七七四年:2014/01/30(木) 16:00:59.65 ID:E0VY7Yhz.net
自演成功ですね!

485 :人間七七四年:2014/01/30(木) 23:40:57.42 ID:1hgpj1zB.net
>>483>>484
何を言われても荒らし続けたいんだな

486 :人間七七四年:2014/01/31(金) 17:52:57.52 ID:XLemdcQg.net
>>485
おまえみたいな正義感ぶって上から目線でほざく奴が一番悪質な荒らし

487 :人間七七四年:2014/01/31(金) 23:49:43.18 ID:a8R9tkVs.net
>>486
意味がよくわからないからきちんと説明してくれ
適当なこと言って途中で逃げるなよ

488 :人間七七四年:2014/02/01(土) 00:50:04.68 ID:qR7Ki3di.net
どこがどうわからないか
質問するならそれぐらい明確にしようや

489 :人間七七四年:2014/02/01(土) 12:11:31.28 ID:5sc1dzTi.net
>>487
駄目なやつに駄目ということ自体が間違いなんだよ。
諦めが肝心。

490 :人間七七四年:2014/02/01(土) 14:55:44.49 ID:kX9H2Ws8.net
>>487
>適当なこと言って途中で逃げるなよ
こんな一文をわざわざ書く性格だから一番悪質な荒らしと見透かされたんだろうよ

491 :人間七七四年:2014/02/01(土) 15:04:38.01 ID:5sc1dzTi.net
いいから黙っとけよ

492 :人間七七四年:2014/02/01(土) 16:00:09.23 ID:kX9H2Ws8.net
>>491
おまえさんが言うことは絶対正しくて他の人が言うのは全てダメなのか?
少し頭を冷やした方がいいんじゃないか?

493 :人間七七四年:2014/02/01(土) 16:15:50.36 ID:nqv9AEWn.net
>>491
まるで神様気取りだな
自分の思い通りにならないと我慢できないタイプだね

494 :人間七七四年:2014/02/01(土) 16:53:38.45 ID:MTNyMZiK.net
義継、長治、信康、存保
みんないまいちパッとしない

495 :人間七七四年:2014/02/01(土) 18:44:43.77 ID:XVdxBB9Y.net
確か20代前半だろ?

496 :人間七七四年:2014/02/02(日) 21:45:53.58 ID:48iRxHqi.net
>>494
実休様が一番

497 :人間七七四年:2014/02/03(月) 08:33:01.74 ID:JEkiAgBY.net
実休さんは阿波三好家の論文集読んでると
担がれ上手のボンボンのイメージが強くて
長慶と比べると能力的に数段劣っているように思う。
てか長慶がものすごい傑物なんだけど。

三好家の痛恨事はやはり義興・長慶・一存の早死かなー。

498 :人間七七四年:2014/02/03(月) 17:12:22.03 ID:jrJ8pKw+.net
義興が死んだ時点で長慶は生ける屍
いや冬康を粛清してるから癌そのもの状態

499 :人間七七四年:2014/02/04(火) 08:43:27.90 ID:w0M2tm21.net
長生きしていたらっていうスレなのに
長生きして活躍する仮定を否定する人ってなんなの?

500 :人間七七四年:2014/02/04(火) 13:00:55.01 ID:WVwE0G2z.net
俺の祖母が三好家の末裔らしい
聞いた話を調べたら先祖は長逸っぽいが真偽不明。

501 :人間七七四年:2014/02/05(水) 00:56:58.59 ID:HhsI6xbh.net
>>500
意外な所だな、数ある一族の中から何故長逸が先祖なのかは興味深い
畿内?それとも阿波?讃岐?

502 :人間七七四年:2014/02/05(水) 09:43:10.04 ID:cbhJjA3j.net
>>499
長生きするからといって汚点や失点がなくなるわけではない
汚点や失点をなくすならもうそれは別の人間だ
超優秀な影武者が成り変わったらというのと同じ

503 :人間七七四年:2014/02/05(水) 18:21:06.54 ID:6m/S4NPe.net
>>499
もう少し冷静に物事を考え公正な思考を身につけろ
都合の良いことだけ並べ立てても虚しいだけだ

悪例が武田信玄の都合の良いことだけ並べ立てるアスペルガーだがな

504 :人間七七四年:2014/02/05(水) 19:39:48.23 ID:zCcIDspb.net
>>501
畿内
そのご先祖様は高槻にあった城の城主になったが、その三日後に信長によって落とされた、という話。笑い話として聞きました。
ちなみにこの話は、祖母からは直接聞いてなくておっちょこちょいの親から聞いた話だから、上記の三日後かどうかは曖昧ですwww

でも、祖母曰く祖母の祖母(俺から見たら高祖母だな)は武家の流れの人に間違いないらしいです

505 :人間七七四年:2014/02/06(木) 00:43:30.40 ID:kDGgFuQL.net
››504
長逸の息子の弓介は東大寺大仏殿の戦い最中で討ち死にしていて
以降の子孫は不明だけど弓介は1550年代で既に活動しているから
年齢的に考えると子供がいて可笑しくない。
特に弓介の場合は出張中に討ち死にだから資料を探すのも困難かもな
長逸に纏わる話って割と貴重なものだし調べてみると面白いんじゃない?

506 :人間七七四年:2014/02/06(木) 21:53:11.74 ID:VrdlFAoh.net
>>503
だから偉そうに喋るなって、みんながお前に何度言えば理解するんだよw

507 :人間七七四年:2014/02/07(金) 13:22:43.56 ID:leIpaAhw.net
何をいうとるんだ

508 :人間七七四年:2014/02/07(金) 19:17:49.60 ID:hOoCkEjM.net
>>505
当てがない
とりあえず祖母に聞きに行くかの

509 :人間七七四年:2014/02/07(金) 23:53:25.32 ID:t1vv2695.net
>>506
だから偉そうに喋るなって、みんながお前に何度言えば理解するんだよw

510 :人間七七四年:2014/02/08(土) 14:40:41.50 ID:JerV2j3i.net
507のアンカーミスだな

511 :人間七七四年:2014/02/17(月) 20:30:31.87 ID:sfBLOspd.net
織田チョン基地外ウザい

512 :人間七七四年:2014/02/18(火) 21:40:47.12 ID:V0WQy2Re.net
は?

513 :人間七七四年:2014/05/01(木) 16:27:08.65 ID:Hg5Ogp9p.net
長慶なんて生き続けてもどうしようもないだろ
当時の三好の強さは長慶でもってたわけじゃねーよカス

514 :人間七七四年:2014/05/02(金) 00:41:41.53 ID:t+3doVHx.net
そうかな?
長慶が生きてたら永禄の変は無かったんじゃないかな
長慶に実力があったから三好が強かったとは考えなくても長慶が生きていたら間接的に信長が利を得る事件は起こらなかったと考えればどうしようもないとは思えない

もっとも義輝が信長に上洛と三好討伐を要請すればそれに応じるかもしれないけど
そのとき長慶が義継のように信長に従うだろうか
宗家と三人衆・長治とで分裂するだろうか
そして長治と十河が争うだろうか
仮に信長の畿内統治には大きな変化が無くても三好視点で見れば色々変わってくると思うなぁ

515 :人間七七四年:2014/05/08(木) 15:06:01.63 ID:fnSZOSbKJ
>>514
信長としては、三好が1つにまとまってくれてるほうむしろやりやすい
いっぺんに撃破できるからな

516 :人間七七四年:2014/05/09(金) 02:32:24.82 ID:whcpp6kKs
だな。

517 :人間七七四年:2014/05/13(火) 10:22:34.92 ID:PCFKq3LS.net
つーか長慶が長生きしてた場合、
四国と播磨で毛利と全面交戦に突入する公算が高いんだけど

長慶〜篠原長房時代にかけて、大内の遺産受け継いだ毛利は讃岐の香川家と親密で、
香川など晴元党の対三好抵抗に対して小早川隆景が頻繁に援軍出してる
一方で三好側は伊予西部や備前への逆侵攻を仕掛けて毛利側の勢力と衝突してた
織田勢力の成長が史実より緩やかで大勢力が登場しない場合、三好の目は西に向かうと思うぞ
むしろ織田が美濃より伊勢を優先するなら三好はこれと同盟するかもしれん(三好と北畠は之長の頃からずっと敵対関係)

518 :人間七七四年:2014/05/14(水) 22:06:59.38 ID:v2e54LxD.net
>>517
>織田勢力の成長が史実より緩やかで大勢力が登場しない場合、三好の目は西に向かうと思うぞ
同意
ご存知のとおり三好は既に丹波や播磨に勢力圏を拡大していますし

>織田が美濃より伊勢を優先するなら三好はこれと同盟するかもしれん
浅井が三好と連携して六角と対決しているし
同様に織田と連携して斎藤と対決している
織田が伊勢に進出したら六角や北畠に打撃を与えられるので三好も喜ばしいことでしょう

519 :人間七七四年:2014/05/24(土) 23:10:51.01 ID:BgqqXxTn.net
長慶さん晩年呆けてたっていうし長生きしてても無意味だったんじゃないのかね
次弟と長男喪ったのはいたいよねー

520 :人間七七四年:2014/05/25(日) 00:12:21.18 ID:yy/l0aJx.net
弟達の後継者らも凡将ばかりだしなぁ

521 :人間七七四年:2014/05/27(火) 05:15:30.23 ID:1Q1k9Iof.net
三好家臣団とかいう火薬庫

522 :人間七七四年:2014/07/03(木) 10:09:26.82 ID:gRP64Agq.net
全然、三好詳しくないけどさ
播磨とかは大国だけど西より東のが石高とか考えてメリットないの?
越前・近江・伊勢・美濃・尾張・・・ 落とせるかはしらんが

523 :人間七七四年:2014/07/03(木) 10:55:50.76 ID:4ge/sMsS.net
敵対している勢力がいるのにわざわざ中立の勢力に喧嘩売るとも思えんけどな
史実でも三好と織田は、信長による上洛作戦で敵対しただけで
三好側から織田に攻撃したことは一切ない。
長慶存命期だと美濃は斎藤、近江は六角、越前は朝倉、伊勢は北畠が主流だろうけど
北畠や六角以外は遺恨もないし平和裏に進むと思うね。

524 :人間七七四年:2014/11/26(水) 18:58:12.82 ID:ybkkEIFG.net
永禄の変が起こらないか起こる時期がずれるだけでも歴史は変わるよ

525 :人間七七四年:2014/11/27(木) 17:24:59.76 ID:VzuDKa5F.net
三好義興が長生きすれば別だが
そうでもない限り結局内輪もめしそうだけど
斎藤も家臣団の流出は義龍一人で食い止められるかと言われるとなあ
信長の美濃侵攻は間違いなく遅滞すると思うが、
北畠は三好と織田に板挟みで孤立無援になる分史実より早く滅亡する可能性高いし

526 :人間七七四年:2014/11/28(金) 15:44:25.64 ID:VABmglmq.net
むしろ義興が長生きしたらを考えるべきだな
永禄の変も防げるだろう

527 :人間七七四年:2014/11/30(日) 20:40:28.67 ID:KUDqSwlY.net
三好義興が長生きしたら、三好政権自体は長続きしたと思うが、
足利将軍家との関係性は、義輝の行動を考えると永禄の変が起きる事自体は不明のままだと思う。
最も、永禄の変が起きたところで、義興が健在なら三好は強大なままでいられるとは思うが。
いつぞやの細川大内じゃないが、毛利と三好で似たような構図ができたかも?

528 :人間七七四年:2014/11/30(日) 22:03:05.09 ID:zTS0qsmK.net
将軍は三好包囲網とか作って足引っ張りそうなイメージある

529 :人間七七四年:2014/12/01(月) 13:42:47.27 ID:qUaQSnZI.net
義輝は義興個人に対しては冷遇しないでしょ

530 :人間七七四年:2014/12/01(月) 21:25:52.45 ID:XeAtNAcc.net
義輝が義興を冷遇って…
義輝は三好に養われてるんだから
冷遇なんてできないでしょ。
三好義興と義輝が共に長生きしていたら
足利義満と後円融天皇のような関係になったんじゃないかな。

531 :人間七七四年:2014/12/05(金) 22:22:15.86 ID:m6xtTeHd.net
実際久米田・教興寺の戦いのあたりけっこう動き回ってたみたいだからな義輝
その後三好が義興の葬儀を三好>足利な形で執り行ったり改元働きかけて将軍の面子を潰しにかかってたのもそれらの経緯があったからだろう

532 :人間七七四年:2014/12/07(日) 07:21:22.98 ID:lLCTvy2r.net
addder

533 :人間七七四年:2014/12/08(月) 10:36:03.03 ID:1EjlAlDi.net
やっぱり長慶が死んだことより義興が死んだこと(既に亡くなっていた)ことのほうが影響大だよな

534 :人間七七四年:2014/12/08(月) 17:50:38.11 ID:iNnDk5Oc.net
三好長慶が長生きって言っても、死んだのは40半ばだから長生きすると言ってもしれてるしな
最悪10年ぐらい全て遅れるけど展開はほとんど変わりませんでした、とすらなりうる

535 :人間七七四年:2014/12/09(火) 08:29:07.42 ID:vDxcDOwY.net
>>531
教興寺の時に幕府は親三好と反三好で割れてたけど、義輝が三好潰そうとした証拠も無いと思ったけど
だから葬儀や強引な改元申請の意図もわからん

536 :人間七七四年:2014/12/09(火) 10:06:45.87 ID:b0V4HJsj.net
>>534
実際は10年で歴史も人間も大分変わるよ。
織田信長は美濃を手に入れてから、13年くらいで天下統一に迫ったし、
厳島の戦いは、毛利元就が50超えてから起きた。

蛇足で言うと人間というか、好景気の周期は11年って言われてる。

537 :人間七七四年:2014/12/09(火) 17:24:49.61 ID:qpH7K7yH.net
逆に幕府が早い段階から親三好でまとまっていたらどうなってたんだろう?

538 :人間七七四年:2014/12/09(火) 20:11:09.27 ID:fefKHAWw.net
長慶と武田信玄や千利休がほぼ同い年だからな
長生きしたらってなるとかなり生きる事になると思うぞ

539 :人間七七四年:2014/12/09(火) 22:19:18.79 ID:XSrysplM.net
松永久秀は長慶よりかなり年長なんだよね。
三好家中にすれば久秀に強大な権力を与えても
長慶や義興より先に久秀が死ぬか引退する筈なので
それまで存分に働いてもらうつもりだったんだろうけど
天下を目前にして両者とも相次いで久秀より先に亡くなってしまうなんて
本当に歴史と言うのは分からないものだね。

540 :人間七七四年:2014/12/10(水) 00:53:42.73 ID:HblIm83/.net
松永久秀が早めに死んでいたらそれこそ歴史への影響大だな
義龍や長慶が長生きした場合より大事件だわ

541 :人間七七四年:2014/12/10(水) 21:51:15.50 ID:FfmQTwTW.net
松永が早死にしてたら三好家が家中分裂する事がなくなるかね?
松永排除の時は義継の側近の長松軒や金山も斬られてるが久通だけなら長逸も強行排除をしなかったか?
正直分からんな
まぁ分裂しても久秀がいなけれな内部抗争がそこまで長続きせず松永排除完了しただろうし
永禄の変後に畠山が企図した三好包囲網も松永以外は治まっていく感じだったようだし
三好家の被害は少なく済んだかもなぁ、長逸がかなり強権握りそうな状況で義継がどう動くかが不安要素だが

542 :人間七七四年:2014/12/11(木) 01:01:25.55 ID:PdHKJ3mf.net
逆に長逸や篠原のような対信長強硬派さえ早死にしていればそっちの方が可能性があったんじゃね

543 :人間七七四年:2014/12/11(木) 01:08:04.68 ID:JNnGyW8+.net
松永がいなければ反松永でまとまらず別の理由で分裂しそうだけどな

544 :人間七七四年:2014/12/11(木) 08:25:30.20 ID:V4ayGA5kZ
松永がいなくても三人衆がいるじゃん
まあすぐ信長がやってくるから
どっちにしたって滅亡は避けられん

545 :人間七七四年:2014/12/11(木) 08:16:42.42 ID:S9X/VpTB.net
しかし天下の将軍暗殺、大仏殿焼き打ちとか、戦国一のワルだな松永は

546 :人間七七四年:2014/12/11(木) 13:58:28.82 ID:W/McMkok.net
それは松永がどのタイミングで死ぬかによる
長慶と同時期に死ぬか、将軍暗殺してから死ぬか、もうちょい長生きして信長包囲網のとき死ぬか

547 :人間七七四年:2014/12/11(木) 19:37:40.82 ID:F2KDznFF.net
現状の研究だと松永久秀は将軍暗殺に直接かかわってない
松永久秀梟雄説ってのは江戸時代中期ぐらいから創作された物だな

548 :人間七七四年:2014/12/12(金) 00:58:14.75 ID:vVrvNMkN.net
幕府や京の中でかなりコネクション作ってた感じの久秀が将軍暗殺するメリットってあんま無い気がするんだよね
つっても久通は襲撃に加わってるのは事実だし無関係と言うまではいかないだろうけど

549 :人間七七四年:2014/12/12(金) 02:12:16.25 ID:adXgmwLy.net
幕府と朝廷とのつながりが久秀が三好家中で立場を大きくできた源泉だし
その立場を長慶・義興に庇護された事によって家中で立場を維持できてわけだたからねぇ
後世いうような長慶・義興を殺めて将軍暗殺なんて行うのは史実の松永の立場からすれば自滅へ向けて一直線な行為だろう
実際その後追放されたし

550 :人間七七四年:2014/12/12(金) 11:01:36.37 ID:sIDfL94P.net
信長に降ってからも自滅的な裏切りをやってるけどなw

551 :人間七七四年:2014/12/12(金) 12:59:08.38 ID:zDfHafNQ.net
久秀の信長への謀反の一因は荒木村重と同様に
信長から課される過剰な軍役に耐えきれなくなった
配下の国人・百姓に押し切られたんじゃないかと言われているね。
史実ベースだと久秀は直江兼続に近いイメージなんだけど
後世の逸話はどうしてあそこまで久秀に厳しくなっちゃったんだろう。

552 :人間七七四年:2014/12/12(金) 16:15:23.06 ID:lhDkXRa3.net
>>551
有力な子孫がいなくて後世でかばってくれる人がいなかったからでしょ。

553 :人間七七四年:2014/12/12(金) 23:37:21.23 ID:piGL9jDG.net
その返答は549のレスと合致してないぜ?
有力な子孫が居ない事と謀反の一員は関係ない

554 :人間七七四年:2014/12/13(土) 00:59:10.29 ID:GtXHi9q5.net
そのレスは最後の行についてでないの?
以前読んだ本だと江戸時代中期頃からの久秀悪人扱い化は
江戸時代の幕藩体制が安定して家格が固定化して家臣団が譜代家臣ばかりになった結果
久秀のような新規取立て家臣を脅威、排除すべき存在と認識する人間が多数を占めるようになったために作られていったんじゃないか
って書かれてたな

555 :人間七七四年:2014/12/13(土) 01:56:10.22 ID:7pWhUqCu.net
>>554
それはたぶん天野説の受け売りだろうけど
正確な成立年代は不明ながら
安土桃山期に成立していたのが確実な「細川両家記」でも
松永久秀はどう見ても主家を傾けた奸臣扱いされてるので
ほぼ同時代から悪人という評価は(実態はともかく)少なくとも存在していたわけで
別に天野の言うように幕藩体制の確立云々とは深い関係はないのだと思う

556 :人間七七四年:2014/12/13(土) 08:37:02.96 ID:yB+Vd9S9.net
「細川両家記」自体が偏った価値観で書かれているから
当時の評価を代表しているとはとても断言できないんだけどね。
当時一流の人材が松永久秀のもとに集められて
三好政権を軍事政権から公儀への脱皮を図ろうと
奮闘していたのが見てとれるから
いわゆる佞臣・奸臣というよりは
新しい世を作ろうとして挫折した大物官僚という評価をしても
過大評価とは思わないんだけど。
久秀が長慶・義興を殺したという逸話が「暴走」しちゃってるけれど
自分に深い信頼と権限を与えてくれた両者の死を一番悲しんでいたのは
当の久秀だったように考えられるんだよね。

557 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 12:46:55.86 ID:XjYvwFfF.net
細川両家記の内容って当時の日記や記録と見比べてかなり偏向的で胡散臭い部分多かったと思うけど

558 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 23:54:51.54 ID:3vioAbk2.net
松永久秀の悪評は戦国武将トップだからな
脅威となる新規取立て家臣だからとか単に奸臣とかそういうレベルじゃない
将軍殺しだって直接関わっていないにも関わらず主犯にされてるし
信長に降ってからの裏切りも合理性に欠ける判断だし
何かあるのだとは思うよ

559 :人間七七四年:2014/12/14(日) 00:30:24.50 ID:JAcRbBzy.net
久秀はかなり優秀で長慶を裏切ったこともない。
特に朝廷工作の達人だった。だからこそ信長は久秀が必要不可欠だった。
久秀は織田を朝敵に信玄を官軍にした際に信長を裏切り
次は謙信の上洛戦に呼応するように離反している。
久秀死後の朝廷工作は主に光秀が吉田神社経由でやるようになる。
すると光秀が信長を裏切ることになる。
そのへんにヒントがある。

560 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 17:43:51.81 ID:GbJ8Yt45.net
>>547
松永久通や松山新介が将軍弑逆に参加してたと思うんだけど、
実質的に松永久秀が直接関わっているのと同じなんじゃないかな?

561 :人間七七四年:2014/12/15(月) 00:03:36.62 ID:1nCamKNQ.net
如水と長政が関ケ原で別々な行動してたように、
それぞれに交遊関係が違うからなあ。
若い人間はキレやすかったり冒険する傾向にあるから。
豊臣政権の内部抗争と同じで三好家内の抗争も凄そうだよな

562 :人間七七四年:2014/12/15(月) 15:05:34.47 ID:xiEO7LpW.net
義龍は、多少長生きしても(10年くらい)、信長の邪魔ができただけで
強くても、領土拡大の意欲が見えないから、大勢に影響ないような気がする

563 :人間七七四年:2014/12/15(月) 15:06:32.23 ID:xiEO7LpW.net
いやもといだった。彼が1560年まで生き残っていたら、今川上洛にあたるから、
世の中大きく変わったな

564 :人間七七四年:2014/12/15(月) 16:29:23.72 ID:2OY4DIg4.net
細川両家記ってそんなに久秀を悪人扱いしてたっけ?
一存暗殺義興毒殺冬康讒言とかの一般的な三好家に対する下克上エピソードは全部足利季世記からの描写だったはずだけど

565 :人間七七四年:2014/12/15(月) 17:41:21.56 ID:D1Give2c.net
>>561
跡継ぎが早々に亡くなると特にきついな
豊臣は石松丸、三好は義興が存命なら・・・

566 :人間七七四年:2014/12/15(月) 18:02:00.81 ID:Swi7Rtme.net
細川両家記は安宅冬康殺害を諫言によるものと書いてたと思うがその諫言の主が誰かは書いてなかったと思う
>>560
松山が松永の下についたのって三好家が内訌で割れた後じゃねえの?
それ以前だと長慶から派遣された援軍として松永の手伝いはしてるけど

567 :人間七七四年:2014/12/15(月) 18:07:25.68 ID:Swi7Rtme.net
てか将軍暗殺参加は新介じゃなくて三好三人衆の臣だとかいう松山新太郎の事じゃ…

568 :人間七七四年:2014/12/15(月) 23:04:40.23 ID:5PAMqBul.net
松山新介と松永久秀って主従関係だったのかな?
摂津にずっと居たとすると三好長逸の配下の方がしっくりくるけど。

569 :人間七七四年:2014/12/16(火) 18:47:13.59 ID:Mmmuuasz.net
摂津半国の主松山新介は長慶の直轄か

570 :人間七七四年:2014/12/17(水) 10:57:08.48 ID:MHzoEikl.net
>>563
斎藤義龍が死んだのは1561年だから、1560年ならまだ健在だぜ?

571 :人間七七四年:2014/12/17(水) 22:57:04.06 ID:3mkb/i4m.net
摂津半国って言ったら池田や伊丹、高山の上役ってことになるんだな。
信じられないなー

572 :人間七七四年:2014/12/19(金) 08:59:49.38 ID:PqM5NYsV.net
しかもお隣は付き合いが難しい石山本願寺さん

573 :人間七七四年:2015/08/24(月) 00:21:34.93 ID:9DDTWonw.net
保守

574 :人間七七四年:2016/02/20(土) 16:08:54.12 ID:ckMaonY8.net
長慶が生きてたら義輝も死なず
信長の美濃攻めも上洛も無かった

おわり

575 :人間七七四年:2016/02/27(土) 03:54:32.42 ID:VqlhRIys.net
義龍って道三の病死で相続してても信長と敵対するつもりだったのかな?

576 :人間七七四年:2016/04/16(土) 23:44:53.89 ID:ivQYpWPw.net
長慶の失敗は桶狭間で反長慶連合軍(今川義元、六角義賢、畠山高政、
斎藤義龍、細川晴元ら)が瓦解したのに油断した点ではないだろうか。
逆に、信長が横死していれば、結構緊張感の中で力を発揮し続けたのでは
ないだろうか。反長慶連合軍の最大の弱点は、盟主の今川義元が反復常なき
武田信玄と接していること。松永久秀は、当然信玄工作をしただろうね。

そう考えてみると、一息ついたのが、長慶の命取りだったんだろうね。

斎藤義龍はどうにもならなかっただろう。反長慶連合軍に加わっていても、
活動中に死んだだろうし・・・・。

577 :人間七七四年:2016/06/10(金) 08:23:40.38 ID:F40nRRCK.net
三好長慶が長生きしていたら、我らが松永久秀は梟雄にもならず、爆死もせず、ただの三好家臣としてマイナー武将になっていたかもしれない。
コーエーのゲームでも能力50代位で適当に設定されそう

578 :人間七七四年:2016/06/11(土) 00:22:27.75 ID:NUO+wVxm.net
>>577
久秀は別に梟雄ではないけど?

579 :人間七七四年:2016/06/19(日) 12:56:18.13 ID:ly0Olq01.net
何処の馬の骨かわからん出自から相伴衆にまで成り上がり
大和を制圧して一個の大名のように振る舞った名将が50代という事はなかろう
あど爆死は創作

580 :人間七七四年:2016/08/26(金) 01:57:36.75 ID:CHKGyoUE.net
こう考えると納得いく
三好や斎藤、今川、おまけに武田上杉の死は世代交代だったと
本能寺でくだばった信長は間抜けなのは確定だが、世代交代を上手く生き抜き天下に王手かけれたのは運と才能だよ。
信濃と群馬と駿河しか版図伸ばせなかったのは信玄に運が無かったから、謙信に糞みたいに粘着されなきゃ
北条もとっくに関東から逃げてただろうし

581 :人間七七四年:2016/09/06(火) 22:21:40.21 ID:rGnZMjqL.net
じゃあなんで信玄はあんな遅い行軍戦闘したんだ?
なんで朝倉は勝手に撤退したんだ?
三好は分裂して内乱起こしたんだ?


信長と戦いたくなかったからだろ

582 :人間七七四年:2016/09/10(土) 09:28:48.88 ID:tIVzIPGV.net
他2つはともかく三好の分裂に当時まだ尾張一国の大名に過ぎない織田は何の関連もないと思うが

583 :人間七七四年:2016/09/19(月) 13:55:28.14 ID:TpXHOteO.net
斎藤義龍はある意味過大評価もないか? 確かに信長の侵攻を全てはじき返したのは偉大だ。
でも当主就任から5年の間に国外出兵がほとんどない。先代の道三もそうだが、
なぜか斎藤は国外拡大に乗り出してない。いや体制上乗り出せなかったのか?
それだと遅かれ早かれ、信長にやられた可能性もないか?

584 :人間七七四年:2016/09/19(月) 14:14:31.61 ID:0yMd+lRF.net
斎藤家の下克上は民主的な感じだからね
軍事独裁の方が確かに強い

585 :人間七七四年:2016/09/20(火) 10:29:12.39 ID:MWbUK61f.net
義龍は主君(道三)を殺した謀反人だからな
そう簡単に国が治まるわけがあるまいて

586 :人間七七四年:2016/09/20(火) 21:27:44.81 ID:ozexfESh.net
三好長慶と義興、そして三好長慶兄弟全員が生きていたら、足利義昭を擁して上洛を目指す織田信長は対抗できたかな?

587 :人間七七四年:2016/09/20(火) 22:44:31.13 ID:crQyDMDe.net
鉄砲の数と経済力で三好家の方が上回っているから勝てないだろうね。
信長が大量の鉄砲と堺を手に入れたのは天正元年まで下るから、上洛から5年後くらい。

588 :人間七七四年:2016/09/20(火) 22:50:55.52 ID:2V8bfMHe.net
そもそも長慶が生きてたら義輝も生きてるんじゃね

589 :人間七七四年:2016/09/20(火) 23:07:58.70 ID:RC5SuA2v.net
長慶健在だったら義龍との同盟関係から
三好と織田が早い段階で美濃で激突していたかも
あるいは三好と織田が同盟して伊勢の北畠を挟撃か
敵対する理由がないし

590 :人間七七四年:2016/09/21(水) 00:17:01.64 ID:GsdJPgoM.net
そもそも三好斉藤とも、それ以上領土勢力を拡大させる必要がなかった
室町幕府を改革して幕府内で地位を確立するというエンドが普通の考え
幕末だって同じ、徳川幕府を改革して文明開化をしても問題なかった
大政奉還とはそういうもん

591 :人間七七四年:2016/09/21(水) 00:20:49.34 ID:h7Rbhc+o.net
>>590
三好はともかく斎藤は拡大しないと、美濃一国で諸大名を抜きん出た権力を持つのは難しくない?

592 :人間七七四年:2016/09/21(水) 00:21:57.89 ID:MqGo2+OX.net
>>590
は?丹波、播磨、大和、河内侵攻と、どうみても三好は拡大路線だろ。
斎藤も西進路線みえみえじゃね???

593 :人間七七四年:2016/09/21(水) 00:33:00.31 ID:GsdJPgoM.net
>>591
だから三好がやらないといけないことは
室町幕府の改革。幕府が健在になれば近畿周辺の大名は争う理由がなくなる

後は、暴れる大名を周辺の大名を利用してつぶすだけ

594 :人間七七四年:2016/09/23(金) 09:29:09.15 ID:2IFErni0.net
三好長慶と義興、義賢ら兄弟全員が生きていても、信長に勝てるかな?
信長は上洛にあたり、尾張美濃の兵のほか、近江浅井と三河徳川を動員している。
兵力は3万数千から4万くらいだろう。
三好は阿波讃岐に摂河泉だけど、これだけでどれくらい集められるんだ?
四国なんか1万もいるか? 摂河泉なら2万数千はどういんできるだろうが。
同じくらいの兵力だから、やりようあるんじゃないか?

WIKI見たら教興寺で6万も三好動員したとあるが、当時の三好の勢力でそんなに動員かけるの無理じゃないか?

595 :人間七七四年:2016/09/23(金) 10:58:29.00 ID:vuBth4/8.net
>>594
それに加えて大和播磨丹波山城などから総動員したとして
単純計算で7万ぐらいは軽く動員できるよ
武器や鎧に衣料など三好領国は物産がで
堺は海外及び全国から物資が集結する当時最大の物流拠点
そして三好一門は代々武勇で知られた戦闘集団

596 :人間七七四年:2016/09/23(金) 12:02:38.41 ID:3dXI7QLT.net
結局、信長の失敗は同時に10万の兵を動かせるが戦線を広げすぎたってことでしょう
10万の兵を3つに分ける
そうなると、中央の信長の兵がいなくなる
結果、本能寺よ

597 :人間七七四年:2016/09/23(金) 12:06:27.56 ID:2IFErni0.net
播磨は東播磨だけ。しかも別所が教興寺に動員されていたの?
山城は石高とかそんなにある?
大和はまだ筒井も弱小だが頑張っていた時期。
丹波も波多野が不穏な動きを見せてたはず。
どう考えても6万はありえん。
畠山の4万もWIKIにはあるが、これも怪しいし。
畠山は紀伊と河内の一部くらいでどうやってこんなに集めた?

598 :人間七七四年:2016/09/23(金) 12:20:03.33 ID:vuBth4/8.net
>>597
兄弟全員生きてたら教興寺ん時より動員可能数多いし
先進地域の畿内では銭持ってれば傭兵や足軽も物資もなんとでもなる
加えて足利将軍の持つ畿内の国人への動員の催促権も利用できた
畠山は超名門守護家で紀伊大和河内和泉の各地の軍勢の催促権を保持してたし
味方の国人や根来寺は富裕で傭兵も以下略

599 :人間七七四年:2016/10/01(土) 23:56:46.94 ID:6AukyfRR.net
三好は配下の国人に対する統制力が低いからなぁ・・・
いくら集めても烏合の衆になる可能性が高い気がする。
最悪、河越夜戦の両上杉みたいなことになるんじゃないかな。
そもそも三好の勢力圏って、国人の独立性が強すぎる土地柄だしね。
数を集めることが、逆にマイナスになるかもしれない。

600 :人間七七四年:2016/10/03(月) 23:34:00.23 ID:IMx6Bd/W.net
三好家は応仁の乱に参加して以来着々と
何代にもわたって畿内に勢力を養ってきたんだから
よそ者成り上がり者の織田家よりは
畿内国人への影響力は格段に強いよ

601 :人間七七四年:2016/10/04(火) 09:49:58.38 ID:LU3cbmL4.net
影響力ではなく、マトモに軍隊として言うことを聞いてくれる連中がいるのかの問題だよ。
ご存知摂津の国人なんざ伏魔殿だし、扱いにくい奴らだらけだ。
そしてそれを織田のように制度面で補えるような強制力が、三好には無さそうだしな。
長慶は草食系だし。
何というか、新興の勢力の台頭であっという間に滅んでしまいそうな脆さと緩さが潜んでいるんだ。

602 :人間七七四年:2016/10/04(火) 21:43:30.54 ID:qhYza+5Q.net
三好長慶って10代から戦場に出てる百戦錬磨の肉食系だよ
畿内の有力大名家には子飼いの重臣や一門を送り込んでガッチリ統制してるし
管領・将軍・阿波守護も傀儡化して抱え込んでる
畿内を押さえてると鉄砲弾薬の入手が他所より圧倒的有利
負ける要素が見当たらない

603 :人間七七四年:2016/10/04(火) 23:51:14.45 ID:jk49EUxO.net
信長の動員力の話は義昭が信長を頼るかどうかを話さないといけないのではないか?
長慶は義輝を殺すかな

604 :人間七七四年:2016/10/05(水) 00:46:42.58 ID:QLhNukpA.net
義昭を擁して上洛時の信長と義輝を擁していた長慶の違いは
信長が畿内を治めるのに当初は義昭の権威を必要としたのに対して
長慶は義輝なしでも畿内の実効支配できていたって点だね

605 :人間七七四年:2016/10/05(水) 10:30:33.66 ID:8g4zVvxF.net
>>604
長慶畿内実効支配できてないぞ。細川の残党や河内畠山、六角に常に脅かされていた。

606 :人間七七四年:2016/10/05(水) 12:37:00.43 ID:hN9o2CKs.net
【「中国経済は崩壊するwww」←馬鹿(笑) 】

日本から始まる世界的株式市場の大暴落
終いには政府にも支えることができなくなり、
どん底に落ちていきます。
日本がアメリカ国債の25%を引き出すと
世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。

【「UFOは物理的に無理www」←阿呆(笑)】

マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、
とてつもない数で姿を表すでしょう。

607 :人間七七四年:2016/10/05(水) 20:47:34.58 ID:tvn4weiG.net
>>605
そりゃ贔屓目に見ても教興寺の戦い間での話だなぁ

608 :人間七七四年:2016/10/05(水) 21:36:55.92 ID:dQJs9P2/.net
>>602
肉食系だったら畿内制圧を丹波の波多野攻めの失敗如きで止めないよ。
それに、長男が死んだだけで鬱病になったりもしない。
息子を殺すこともままある戦国大名じゃ有り得んくらいの儚さ、ツメの甘さなんだよ。
それに、堺も基本的に自治商人に任せるだけで完全に掌握しているとは言い難い。
飯盛山城も城下町を作らなかったし、基本的に支配が緩いんだ。
鉄砲そのものはかなり装備していたみたいだが、モノだけで体制がなぁ・・・

609 :人間七七四年:2016/10/05(水) 22:22:04.09 ID:QLhNukpA.net
>>608
八上城を攻略して波多野は家は没落、丹波の大半は三好の傘下になりました
うつ病になったという一次資料は存在せず最晩年まで自ら裁許していた資料あり
堺の中枢に広大な三好家の代官所があり会合衆と結んで堺を実質支配していた
城下町を作らないのは既に発展した都市を傘下に収めて
新たに作る必要がなかったからという説が有力
何年前の資料を読んでるの?
>>605
教興寺前でも遊佐氏と結んで義輝抜きで畿内の枢要部をを実質支配していた
教興寺後長慶病死までは極盛期で畿内の諸都市を次々に傘下に収めていった

610 :人間七七四年:2016/10/05(水) 23:04:34.51 ID:dQJs9P2/.net
>>609
<八上城を攻略して波多野は家は没落、丹波の大半は三好の傘下になりました

完全制圧できなかったことが問題なんだ。。
波多野は弱くないが、一国人だからな。
それを完全制圧できないのは評判に関わったろうし、そして細川の旧領を受け継げなかったという事になる。

<うつ病になったという一次資料は存在せず最晩年まで自ら裁許していた資料あり

それなら更に問題じゃないか。
マトモに頭が動いていて、何ら問題点を解決しようとした形跡が無いのだし。

<堺の中枢に広大な三好家の代官所があり会合衆と結んで堺を実質支配していた

それを自治というんだろう?
三好は戦時になっても火薬や鉄砲の流通を抑えたという話を全く聞かないしな。
流通を統制しないで商業の中心地を抑える意味があるのか?

<城下町を作らないのは既に発展した都市を傘下に収めて
新たに作る必要がなかったからという説が有力

それじゃ、家臣の統制が行き届かないね。
城下町の発祥は、何よりも家臣の掌握にあったのだし。
商業の掌握という点もある。
それに畿内の既存の都市は防衛上難しい位置にある。
ならば、防衛が容易な立地に城下町は必須だろう。
これはしないというより、出来なかったのでは?
そして天下を畿内を完全制圧する気も無かったのだろう、としか言いようがないが。

611 :人間七七四年:2016/10/05(水) 23:36:05.37 ID:QLhNukpA.net
>>610
いつの資料読んでるんだっての
波多野は一国人ではなく守護代家といって名門武家階級だ
長慶晩年の三好家の業績はたくさんある
大坂並とか永禄の規約とか政所支配の解体とかキリスト教の布教許可とか知らんのか
有力家臣の妻子を本拠城の屋敷に人質として住まわせてるし
家臣統制の手段は三好家には豊富にあった
平野や尼崎になど傘下の大都市に代官を置いていたし
街道や河川沿いの要地に家臣を配置して強力に流通支配していた
戦国堺の繁栄は三好家との同盟によって支えられていた
三好の堺代官所って実質城郭で三好の水軍が入る港もあったんだよ
一定の自治権はあっても三好の支えがあっての堺だったの

612 :人間七七四年:2016/10/06(木) 02:06:19.85 ID:2qRAsf/d.net
>>611
最晩年まで三好長慶が裁許していた資料ってなんですか? 教えて下さい。

政所支配の解体って、伊勢貞孝を討ったことを言ってるんですか? 伊勢を討ったのは松永久秀と三好義興で、あれ長慶の業績なんですかね?

613 :人間七七四年:2016/10/06(木) 02:37:59.90 ID:6RCZO5IT.net
>>612
永禄七年に久秀が長慶に相論の裁許を求めた書状があるし
最晩年長慶が重篤で裁許してもらえないと嘆いている手紙もある
重要な案件は全て長慶が決めているのになんで義興が独断で差配できると考えられる?

614 :人間七七四年:2016/10/06(木) 13:02:52.87 ID:2qRAsf/d.net
三好長慶が全盛期の頃に織田信長とやったら、どちらが勝つかな?

615 :人間七七四年:2016/10/07(金) 22:00:14.47 ID:uWKnOPmp.net
三好が丹波完全制圧してないっても残ってたの黒井城周辺ぐらいだけだし
完全制圧なんてもの目指すよりも若狭攻め優先してただけだしなぁ
日本海まで進出することが目的だもの

616 :人間七七四年:2016/10/14(金) 00:10:03.59 ID:S5uVpnzx.net
>>615
三好が日本海進出?
若狭武田氏は朝倉に滅ぼされた筈だが。

617 :人間七七四年:2016/10/14(金) 18:41:01.40 ID:yK/xXumM.net
三好、というか松永長頼が若狭で若狭の取り合いで朝倉と戦してたのはあんま知られてないんかね

618 :人間七七四年:2016/10/15(土) 03:29:16.57 ID:Ayas5ovJ.net
>>601
織田は摂津国人を扱いきれなかったのですがそれは

619 :人間七七四年:2016/10/15(土) 18:19:18.74 ID:rXIbBhrn.net
長慶の代での摂津国衆はかなり安定してた印象があるな
ある程度の規模の離反って芥川孫十郎が最後か?
基本的に畿内押さえた勢力は織田を含めて自分が危機になるとすぐに畿内の外に逃亡して体制を立て直そうとするので
後にとり残された畿内の国人は無茶なかじ取りを要求される立場になり続けてきたのに対して
長慶は自分が畿内でどれほど危機に陥っても一度も四国に逃げる事が無かったから畿内の国人たちから信望を得る事が出来たって話を耳にした事がある

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