2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

歴史作家の作った通説・俗説

1 :人間七七四年:2015/05/16(土) 13:26:27.03 ID:IRRReWGR.net
史実かと長年思い込んでいたが、実は小説家の創作だった。
そんな話を語るスレです。

325 :人間七七四年:2015/10/02(金) 11:52:42.46 ID:V31xp5b1.net
>>321
1980年代の学研の歴史群像シリーズが怪しい
寄稿者は作家とは限らないから、言い出しっぺは三流学者だった可能性もある

>>322
金じゃねーぞ
お前こそ頭大丈夫か?

326 :人間七七四年:2015/10/02(金) 16:34:45.89 ID:tGr2obsH.net
詳細な記述が残っている秀吉時代以降の鉄甲船の実在は確実として
その十数年前の木津川口鉄甲船が存在したか「多聞院日記鉄の船問題」を
記録者の環境による着眼点の相違から検証してみたいと思う。

『多聞院日記』多聞院英俊(の知人)
『信長公記』太田牛一
『耶蘇会士日本通信』宣教師オルガンチノ
『九鬼家譜』三田藩(後世の編纂物)

鉄甲船について良く引用される史料は上記であるが
宣教師オルガンチノはガレー船時代から鉄板張り軍船のあるヨーロッパ人
太田牛一は豊臣期鉄甲船を見知ってる者、九鬼家譜編者はさらにそれ以降の者であり
総じて鉄甲船の存在が当たり前の物としている者たちと言える

そして問題の多聞院日記であるが
室町時代から普及し始めた大鋸から板金技術の発展がみられ安土桃山時代からは
くろがね板(家忠日記)、鉄盾(駿府記)、豊臣期鉄甲船(フロイス日本史他)、
城門鉄扉、一枚形成当世具足、和製南蛮具足、等、軍事利用も多い
しかしこれらは大鋸以外は木津川口海戦以降の時代あるいは当時最新のものであり
英俊の聴取元の知人にとっては馴染みの無い物であろう

327 :人間七七四年:2015/10/02(金) 16:35:34.08 ID:tGr2obsH.net
日本初の割に鉄甲船の存在が当たり前の者には特筆されないとなると
鉄板張りが一部にとどまってる不完全鉄甲船という可能性が考えられる
琵琶湖水軍「囲船」→琵琶湖プロトタイプ大型船→半鉄甲船→豊臣期完全版総鉄甲船という
開発経路を経ているなら矢除け敵兵侵入除けの囲いだけが鉄張りとか
多聞院日記の防火ではなく「鉄砲通らぬ用意」と書いてあるから鉄盾を並べていただけかもしれない
しかし鉄板に馴染みの無い英俊知人は大きさとともに伝えないといけない最重要項目に写ったと結論

暇にまかせた憶測駄文だが無い事もない気がする。そしてまた作家関係無いな

総レス数 1003
225 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★